約 581,832 件
https://w.atwiki.jp/trpgken/pages/2564.html
▼トレーラー あなたは弱虫で、意気地なしで、自分一人では何にもできない ただ幸運を待っているだけの待ちチキン 出来ない言い訳ばかり探して 逃げるための建前ばかり振りかざして そのくせ人一倍、諦めるのが苦手で 素直になることを怖がって 傷つけることを怖がって そのくせ人一倍、自分を押し殺すのが上手で でも、それはきっとお互い様で でも、それはきっと助け合えるということで あなたはやっと手を差し伸べてくれた まったく…どれだけ待たせたら気が済むのかしら? 人は、触れ合うからこそ、人を傷つける でも、触れ合うからこそ、人は分かり合える ぎゅっと掴んだこの温もりこそ、ずっと無くしていたもので あなたと歩いたあの覚束ない日々は戻りはしないけれど、 だからこそ、その先を私たちは見つめられる これは一人と一人がもう一度二人になる物語 これは一人と一人がもう一度共に夢を見る物語 あの日終わってしまった「はじまりのうた」を、ここでもう一度。 指を繋いで、離さないように DysTopiAキャンペーン「はじまりのうた」 最終話「走り始めたばかりのキミに」 ねぇ、最高が欲しいんでしょ? 上のはなにかって?私がこのキャンペーンを始める前に書いたトレーラー。下のは今書いたもの。今の私の気持ち。今の私と結ちゃんの関係。 こうなって欲しかった こうなるはずだった だけど…現実は違った 私はあの子が救いたかった でも…現実はそうではなかった 彼女は救いなど求めていなかった 私だけが救いを求めていた あの子は、私を求めてはいなかった 思い出を美しいままに 今を正しい形に 私の決意はもうできた さあ始めましょう これは一人と一人が結局二人になれないことを理解する物語 これは一人と一人がもう一度共に現実を見る物語 あの日終わってしまった「はじまりのうた」は、終わったそのままに。 できるだけ綺麗なまま、離さないように DysTopiAキャンペーン「はじまりのうた」 最終話「夢の足音が聞こえる」 現実は…決して最高ではないわ ▼ハンドアウト
https://w.atwiki.jp/bemanilyrics/pages/1872.html
お願いアインシュタイン / 中山真斗 feat.桜川めぐ 目隠しした僕らで 同じ名前を奪い合おう 何光年前と 同じ惑星の下で キミにとっての暗い海は 僕にとっては空気みたいだ 小さなコツで 空の青さになる 大事なことほど 許せないスキが 夜に噛まれて恋になる このカサブタ 固まる前に 想像のプールに沈めた夢は 生まれ変わって コトバの無重力 触れたい キミだけの海の底 人類最後の二人になって 孤独のリンゴを暴こう フシギだね 全てが欲しくなる わかりきった嘘も 言い訳も 蹴っ飛ばせ 宇宙で 最初の 秘密にキスしてよ、お願い。 お願いアインシュタイン -my relative gravity- / 中山真斗 feat.桜川めぐ 目隠しした僕らで 同じ名前を奪い合おう 何光年前と 同じ惑星の下で キミにとっての暗い海は 僕にとっては空気みたいだ 小さなコツで 空の青さになる 大事なことほど 許せないスキが 夜に噛まれて恋になる このカサブタ 固まる前に 想像のプールに沈めた夢は 生まれ変わって コトバの無重力 触れたい キミだけの海の底 人類最後の二人になって 孤独のリンゴを暴こう 不思議だね 全てが欲しくなる わかりきった嘘も 言い訳も 蹴っ飛ばせ 宇宙で 最初の 秘密にキスしてよ 来る生命の進化へ 交わすものなど何もないの 足りない顔で 知ったふりしないで 欠けた月を満たすのは 万能な法則なんかじゃないから たったひとつの空想できる力 君だけ 許した心のスキマが 飽きる事なく恋をする 胸の深くに 吸い込んだら 望む場所まですぐ飛べるはず 時間を止めて 世界が終わるまで きかせて君だけの空の色 この引力に 惹かれるままに 原始のクジラと踊ろう それ以上 想像できるはず ためらい 戸惑い それでも大切な 世界で 最後の 気持ちに気付いたよ あといくつ数えれば 君も僕も失われて この痛みも消えるんだろう こんなに切ないのは 理屈じゃないこの感情が アイを叫ぶから 生まれ変わって コトバの裏側で 見つけた キミだけの海の底 偶然のようで 必然みたいに 何度でも巡り会おうよ 不思議だね 全てが欲しくなる わかりきった嘘も 言い訳も 蹴っ飛ばせ 宇宙で 最初の 秘密にキスしてよ、お願い。
https://w.atwiki.jp/gods/pages/58591.html
トバス トバの別名。
https://w.atwiki.jp/keroro00innovator/pages/428.html
ゆるゆりのうたシリーズ♪02 ごゆるりワールド ゆるゆりのうたシリーズ♪02 ごゆるりワールド アーティスト 船見結衣(津田美波) 発売日 2011年8月17日 レーベル ポニーキャニオン デイリー最高順位 15位(2011年8月21日) 週間最高順位 16位(2011年8月23日) 年間最高順位 259位(2011年) 初動売上 1685 累計売上 3668 収録内容 曲名 タイアップ 視聴 1 ごゆるりワールド ゆるゆり キャラソン 2 クールナンバー ランキング 週 月日 順位 変動 週/月間枚数 累計枚数 1 8/23 16 新 1685 1685 2 8/30 ↓ 696 2381 2011年8月 新 2381 2381 3 9/6 471 2852 4 9/13 506 3358 5 9/20 310 3668 2011年9月 ↓ 1287 3668 関連CD ゆるゆりのうたシリーズゆるゆり♪♪みゅ~じっく04 Eかげん☆YUIかげん
https://w.atwiki.jp/vtsr/pages/1880.html
【初音ミク】 コトバ キモチ -happening RMX- 【リミックス】 http //www.nicovideo.jp/watch/sm1952720 http //www.nicovideo.jp/watch/sm1952720 2008年01月05日 07 31 46 投稿 Vocaloid2のオリジナル曲 使用Vocaloidは初音ミク 製作者は原曲:Aliced Twilightz氏(チーターガールP) リミックス happening氏 一つ前のページにもどる
https://w.atwiki.jp/futabayukkuriss/pages/2703.html
みんなのうた むらむら 1KB パロディ 小ネタ 希少種 加工場 歌詞に少し無理があるかな。 8作目です。 短いです。 みんなのうた むらむら ある晴れた 昼下がり 加工所へ 続く道 車が ゴトゴト むらさを 乗せてゆく かわいいむらさ 売られて行くよ むらむらなひとみで 見ているよ むら むら むら むら むらさを 乗せて むら むら むら むら 車が ゆれる 青い空 そよぐ風 ぬえが 飛びかう 車が 加工所へ むらさを 乗せて行く もしもつばさが あったならば 楽しい海に 帰れるものを むら むら むら むら むらさを 乗せて むら むら むら むら 車が ゆれる ぱるしぃバージョン みんなのうた ぱるぱる ある晴れた 昼下がり 加工所へ 続く道 車が ゴトゴト ぱるしぃを 乗せてゆく かわいいぱるしぃ 売られて行くよ 妬ましいひとみで 見ているよ ぱる ぱる ぱる ぱる ぱるしぃを 乗せて ぱる ぱる ぱる ぱる 車が ゆれる 青い空 そよぐ風 うつほが 飛びかう 車が 加工所へ ぱるしぃを 乗せて行く もしもつばさが あったならば 楽しい橋に 帰れるものを ぱる ぱる ぱる ぱる ぱるしぃを 乗せて ぱる ぱる ぱる ぱる 車が ゆれる 完 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 以前書いたもの ふたば系ゆっくりいじめ 1232 捨てゆをひろってみた ふたば系ゆっくりいじめ 1236 焼き芋を買ってみた ふたば系ゆっくりいじめ 1244 ゆ虐戦隊!!ヒャハレンジャー!!! ふたば系ゆっくりいじめ 1255 みんなのうた 大きなドスまりさ ふたば系ゆっくりいじめ 1264 ごめんなさい ふたば系ゆっくりいじめ 1276 カスタードキムチ鍋 ふたば系ゆっくりいじめ 1283 ぜんこーしてみた トップページに戻る このSSへの感想 ※他人が不快になる発言はゆっくりできないよ!よく考えて投稿してね! 感想 すべてのコメントを見る むらさとぱるしぃは私がもらった! -- 2012-01-01 19 27 34 加工所に教育部なんて無いだろ。行くなら製品部か繁殖部だな。 -- 2010-08-16 14 15 34 希少種のぱるむらは教育部行きですよね? -- 2010-06-21 19 54 13
https://w.atwiki.jp/hugc/pages/530.html
三月のうた(In The Month Of March) 作曲者:武満 徹 年代:? 演奏形態:独奏 収録:現代ギター 2004年3月号
https://w.atwiki.jp/toho/pages/6893.html
Yoshiha Style 1 ~きみのうた~ サークル:あ~るの~と Number Track Name Arranger Lyrics Vocal Original Works Original Tune Length 01 Girls and Secret 芳葉・らんてぃ 芳葉 芳葉 東方紅魔郷 ヴワル魔法図書館 [04 24] 02 うぬのための幻想歌 芳葉 芳葉 芳葉 東方妖々夢 ネクロファンタジア [04 19] 03 雨と帰る道 芳葉 芳葉 芳葉 東方風神録 ネイティブフェイス [05 05] 04 Summer Flower 芳葉・らんてぃ 芳葉 芳葉 東方幻想郷 Lotus Love [04 55] 05 愛? No!! 芳葉・らんてぃ 芳葉 芳葉 東方紅魔郷 ラクトガール ~ 少女密室 [03 26] 06 此処に立つ花 芳葉・らんてぃ 芳葉 芳葉 東方紅魔郷 明治十七年の上海アリス [04 51] 07 No Heya Girl 芳葉・らんてぃ 芳葉 芳葉 東方紅魔郷 上海紅茶館 ~ Chinese Tea [04 31] 08 暗黒日曜日 芳葉 芳葉 芳葉 東方紅魔郷 ラクトガール ~ 少女密室 [06 38] 詳細 コミックマーケット85(2013/12/30)にて頒布 イベント価格:1,000円 ショップ価格:1,200円(税込:1,260円) レビュー 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/moikomi/pages/12.html
《今・ここの・このモノ》 《たけ(tk)の思いこみ》→《今・ここの・このモノ》 キーワード→《今・ここの・このモノ》 定義 《今・ここの・このモノ》は、今・ここの・このモノである。(^^; どのようなモノであるか(記述) 《今・ここの・このモノ》は《息しつつあるモノ》である。 《今・ここの・このモノ》は《肉の塊》であり、《身体》である。《今・ここの・このモノ》は《息しつつある身体》である。 《今・ここの・このモノ》は《動きつつあるモノ》である。 《今・ここの・このモノ》は《知りつつあるモノ》である。 《知りつつあるモノ》は《体内世界》と《体外世界》とを知る。 《体内世界》は《今・ここの・このモノ》の内部の世界であり、 《体外世界》は《今・ここの・このモノ》の外部の世界である。 《知りつつあるモノ》が直接に知ることができる《体外世界》は、《身体》の近傍の物理的空間、《近傍物理空間》にあるモノたちの(こちら側の)表面までである。 《認識限界》の先の《背後者世界》は、《知りつつあるモノ》は直知することができない。 《今・ここの・このモノ》は、モノの内部を直知することができる唯一のモノであり、特殊なモノである。 《今・ここの・このモノ》は《思いこみ》を《噴出しつつあるモノ》である。 《思い描き》は、《思いこみ》の《体内世界》への噴出である。 《身体》の《動き》や、コトバの表出は、《思いこみ》の《体外世界》への噴出である。 《知りつつあるモノ》や、《感じつつあるモノ》、《思い描きつつあるモノ》が、どのような関心を持ち、注意を向け、どのような《思い描き》を噴出させるかを決定するのも、《思いこみ》の噴出である。 《知りつつあるモノ》は《体内世界》の《思い描き》に入り込むことがある。また、《知りつつあるモノ》は《他者からの思いこみ》に入り込むことがある。そのようなときに、《知りつつあるモノ》は《今・ここの・このモノ》を見失うことがある。《知りつつあるモノ》は、必ずしも常に、《今・ここの・このモノ》や《近傍物理空間》を《知りつつあるモノ》ではない。 《今・ここの・このモノ》は《感じつつあるモノ》である。 《近傍物理空間》の中のモノたちの意味を《感じつつあるモノ》であり、 《他者の動き》の意味を《感じつつあるモノ》であり、 《他者からのコトバ》の意味を《感じつつあるモノ》であり、 《他者からの思いこみ》を《感じつつあるモノ》である。また、 《体外世界》からの感覚を《感じつつあるモノ》であり、 《体内世界》の体内感覚(痛みや力み)を《感じつつあるモノ》である。また、 《体内世界》に生じた《思いこみ》やその意味を《感じつつあるモノ》である。 区別 《今・ここの・このモノ》と《息しつつあるモノ》 《今・ここの・このモノ》は《息しつつあるモノ》であるか? 《今・ここの・このモノ》は《息しつつある身体》であるか? 《今・ここの・このモノ》と「AならばB」 《今・ここの・このモノ》には「AならばB」がある。 モノには運動様式がある。運動様式は「AならばB」である。 《たけ(tk)の思いこみ》と《今・ここの・このモノ》 「《今・ここの・このモノ》がどのようなモノであるかをコトバで記述すること」が《たけ(tk)の思いこみ》の記述の目的である。 《思いこみ》をすべて捨てて《今・ここの・このモノ》に至った状態から記述を始める。どうやって《思いこみ》を捨てるか、すべて捨てるにはどうすればよいかは、各自工夫してくれ。 《今・ここの・このモノ》はどのようなモノであるか 《思いこみ》やコトバを《噴出しつつあるモノ》~それを《捨てつつあるモノ》。 《噴出しつつあるモノ》が噴出した《思いこみ》、コトバ。 《知りつつあるモノ》 《息しつつあるモノ》 《身体》 《近傍物理空間》 《近傍物理空間》の中の《モノたち》、《ヒトたち》。 出発点としての《今・ここの・このモノ》はどのようなものではないか 《思いこみ》に《入り込みつつあるモノ》ではない 《他者》と対話しつつあるものではない。《他者》がまわりにいるものではない。《他者》に《気を使いつつあるモノ》でもない。 歩きつつあるモノ、食べつつあるモノ、生活しつつあるモノではない。 《今・ここの・このモノ》の諸要素は《体内感覚世界》のモノと《体外感覚世界》のモノとに分類できる。 《今・ここの・このモノ》と《混濁》 「今」は「時間」を前提としており、「ここ」は「空間」を前提としており、モノは《モノの世界》を前提としている。無前提にあるのは《混濁》だけである。《混濁》から《モノの世界》と《思いこみの世界》とが分離し、空間が分離し、時間が分離する。 《今・ここの・このモノ》というのは、《混濁》からの諸々の分離を前提とした、通俗的に分かりやすい表現、というに留まる。 《今・ここの・このモノ》と《肉の塊》 《今・ここの・このモノ》は《肉の塊》である、か? 《肉の塊》は、このヒトの生活の全部の時間において、《生きつつあるモノ》である。《共振しつつあるモノ》である。《今・ここ》という《視点》と、《生活の全時間》という《視点》。《生活の全時間》において同一性をもって、持続的に《今・ここの・このモノ》を傍観する《視点》。持続しつつある《視点》。《今・ここ》の《視点》と、《持続する時間の・ここ》の《視点》。 《今・ここの・このモノ》は《肉の塊》である。《体細胞の群れ》である。 《体細胞の群れ》の内外で循環する《思いこみ》である。その内外で《思いこみ》が循環する《体細胞の群れ》である。 違いが在る。 《今・ここの・このモノ》は《肉の塊》ではない。《今・ここの・このモノ》は輪郭しか有しない空間領域である。 《肉の塊》は実感であり、《今・ここの・このモノ》は実感を失った領域である。 緊張すると実感を失い、弛緩すると実感を回復する。その主体は《肉の塊》であり、《今・ここの・このモノ》である。主体は同じモノである。《肉の塊》が緊張して実感を失うと《今・ここの・このモノ》になり、《今・ここの・このモノ》が弛緩して実感を回復すると《肉の塊》になる。 《体細胞の群れ》は思考実験の空想《思いこみ》である。それは《思いこみ》の中にしか存在しない。そもそも、体細胞を実感も直観もできないので、《体細胞の群れ》が実感できるはずがない。 《私》と《今・ここの・このモノ》 おそらく、《今・ここの・このモノ》は「私」というコトバが指し示しているはずのモノにかなり近いのではなかろうか? 《私》は未知なるものであるが、《今・ここの・このモノ》は、現実に在るモノである。 《今・ここの・このモノ》は「私」というコトバが指し示すモノである。か? 「私」は代名詞だからね。彼が「私」と言えば、《彼》のことだ。 「私」というコトバが指し示すモノは、《今・ここの・このモノ》だけではない。《あの時・あの場所の・このモノ》も指し示す。《このモノ》が《今・ここ》に限定されず、《あの時・あの場所》においても、同一性を保って持続していると信じられている。 《今・ここの・このモノ》は《あの時・あの場所の・このモノ》と同一であるか? 『同一性』を保って持続しているか? 『同一性を保って持続している』と信じる。 「私」というコトバが指し示すモノは《このモノ》であって、《今・ここ》に在るとともに、《あの時・あの場所》においても同一性を保って持続的に存在する《このモノ》である。 「私」というコトバが指し示すモノを《私》と呼ぶ。従って、《私》は《このモノ》であって、《今・ここ》に在るとともに、《あの時・あの場所》においても同一性を保って持続的に存在する《このモノ》である。 《今・ここの・このモノ》と《知りつつあるモノ》 《今・ここの・このモノ》は、《知りつつあるモノ》か、《近傍物理空間》の一部分か? どっちかっちゅーと、「《近傍物理空間》の一部分」のニュアンスで語っております。 《近傍物理空間》は《身体》を含むが、《身体》の内部は含まない。《身体》の内部は《近傍物理空間》の《認識限界》の先のモノ。《身体》の内部は《近傍物理空間》の《背後者》である。 《体内感覚世界》と《近傍物理空間》とを統合するのは《複素数の時空》である。《複素数の時空》において《今・ここの・このモノ》が現れる。《体内感覚世界》は虚数軸方向への膨らみとして、近傍の《複素数の時空》、《近傍複素数時空》に現れる。《今・ここの・このモノ》は《複素数の時空》における《身体》である。虚数軸方向は、《視点》によって、さまざまな方向に伸びている。「《体内感覚世界》の虚数軸」というように特定して記述する必要がある。 《今・ここの・このモノ》と《混濁しつつあるモノ》 《混濁しつつあるモノ》は《今・ここの・このモノ》である。 《今・ここの・このモノ》は混濁したり、透明になったりする。 《今・ここの・このモノ》は透明になった、と思っても、じつは、その状態になり得る、ということを意味するに過ぎない。 そのモノの時間的全体においては、混濁したり、眠ったりするモノであり、それらの状態までも見通すのでなければ、透明であるとは言えない。 透明な状態では、生活しつつあるモノではない。むしろ《混濁》である方が、この《今・ここの・このモノ》の全体性に近い。 《今・ここの・このモノ》を《混濁しつつあるモノ》として捉える方が、そのモノの全体性に近い。 《今・ここの・このモノ》と《今・ここの・このヒト》 《今・ここの・このモノ》はヒトか? 『ヒト』という種類のモノである。《今・ここの・このモノ》はその時間の全体性において、大部分の時間を『ヒト』として動いている。《今・ここの・このモノ》は、その時間的全体性において《今・ここの・このヒト》である。《相変異》。《今・ここの・このヒト》は《相変異》を通じて《今・ここの・このモノ》になるが、それは一時的な状態である。《今・ここの・このモノ》が一時的に《今・ここの・このヒト》になるのか? 相変異は《ドメイン》の移行であり、《ドメイン》はそれぞれの原理に基づいて世界を構成している、ヒトの《ドメイン》の原理においては《今・ここの・このヒト》が本来の姿であり、モノの《ドメイン》においては《今・ここの・このモノ》が本来の姿である。《視点》の移行、多次元輪郭空間。絶対者の《視点》を出発点とするなら、モノの《ドメイン》における《今・ここの・このモノ》の《視点》が出発点となる。《視点のパラメータ》。 ヒトとしての《今・ここの・このモノ》を《今・ここの・このヒト》という。 《今・ここの・このヒト》の状態は、《思いこみ》に入り込みつつある状態である。『ヒト』の《思いこみの世界》に《入り込みつつあるモノ》である。 8次元の16個の座標軸方向の無限遠点に《浄化球》を置いて《浄化》する。 8次元時空の全ての方向の無限遠点に《浄化球》を置いて、《浄化》する、と。 無限遠点が崩壊して、再び《混濁》に陥る。 結局《このヒト》でしかない。『結局《このヒト》でしかない』ということを認めたくないのだ。そうではない、『結局《このヒト》でしかない』ということを認めても、では、《このヒト》はどういう世界の中にあるのか、の見通しが必要になるのだ。崩壊によって生じた《混濁》を浄化せよ、《浄化》→崩壊→《混濁》→《浄化》の無限ループを実践せよ。 《今・ここの・このモノ》と虚数の座標軸 《今・ここの・このモノ》は3次元の空間と1次元の時間軸の中にある。が、マイナスの距離とマイナスの時間距離をもたらす虚数の座標軸の中にもある。全部で8個の座標軸の原点にある。 《他者》は複素数の座標軸の原点である。《他者》にも虚数軸の時空がある。 《私》は実空間の中の《他者》の虚空間を見通すことによって、複素数空間の中に《他者》の《思いこみ》を見る。 《私》は《思いこみ》(虚数軸の世界)の中から実空間の中の《他者》を見通すことによって、複素数空間のなかに《他者》を見る。 複素数の時空。8次元時空。 虚数空間は、《思いこみ》か?、《背後者》か? 定義からすると、《背後者》である。原点から実空間を見通すのはプラスの距離に見通すこと、そのプラスを減じていくと、0になり、マイナスの距離の世界(距離の二乗がマイナスになる世界)になる。虚数の距離の世界である。 実数の距離の世界と虚数の距離の世界の統一体が複素数の距離の世界であり、8次元の時空である。 《今・ここの・このモノ》と死者たち 二郎おじちゃんが死んじゃった、斉藤のおじいさんも死んじゃった、おともおばさんも死んじゃった。でも死んでいない。 《他者》というのは、《私》の《思いこみ》の中で、『生きたヒト』という確信を伴ったヒトである。 空間的に離れているヒトと時間的に離れているヒトとは、どこに違いがあるのか? 再会の可能性? って、ない人もたくさんいる。 心の中で語り合うには、むしろ、モノとしての実体のない人のほうが、容易である。『実は違うのではないか?』という疑いを持つことなしに、語り合うことができるからである。 《今・ここの・このモノ》と《他者》 《今・ここの・このモノ》は《他者》との共通性を有する。 《今・ここの・このモノ》は《他者》との共感関係にある。共振関係にある。 《今・ここの・このモノ》はコトバを発することができるモノである。 《今・ここの・このモノ》は《身体》の内部においてコトバを転がすことができるモノである。《他者》は、おそらく、同様に、彼の《身体》の内部においてコトバを転がすことができるモノであろう。 《今・ここの・このモノ》は《他者》との接触によって『彼はxxと思っている』という《思いこみ》を生じる。《他者》もまた、おそらく、《今・ここの・このモノ》との接触によって『彼はxxと思っている』という《思いこみ》を生じるのであろう。 《他者》との共通性・共感性における《今・ここの・このモノ》を《今・ここの・このヒト》と呼ぶ。 《今・ここの・このモノ》と《知りつつあるモノ》 《今・ここの・このモノ》の《視点》と《知りつつあるモノ》の《視点》とでは異なる。 「《今・ここの・このモノ》を《知りつつあるモノ》」はある。が、最初の《知りつつあるモノ》とは異なる。 最初の《知りつつあるモノ》は世界の中心であり、中心としての存在感を持った《知りつつあるモノ》である。 「《今・ここの・このモノ》を《知りつつあるモノ》」は、忘れられたモノであり、忌避すべきモノであり、せいぜい、《今・ここの・このモノ》の内部での《思いこみ》の循環の一つの通過点に過ぎない。 《今・ここの・このモノ》と《今・ここの・このヒト》 《今・ここの・このモノ》はヒトという種類のモノである。従って、《今・ここの・このヒト》である。・・そうではない。『ヒト』という種類が先にあるのではない。《今・ここの・このモノ》と《他者》との共通性を抽出して、『ヒト』という種類の《思いこみ》を導くのである。 《今・ここの・このモノ》は《今・ここの・このヒト》の《アニマ》である。 《今・ここの・このヒト》の《アニマ》は空の《身体》である。 《今・ここの・このヒト》の《アニマ》は《共振しつつある身体》である。 《今・ここの・このヒト》の《アニマ》は《知りつつあるモノ》である。 《今・ここの・このヒト》の《アニマ》は歩きつつあるモノである。 《今・ここの・このヒト》の《アニマ》は眠りつつあるモノである。 《今・ここの・このヒト》の《アニマ》は食事しつつあるモノである。 《今・ここの・このヒト》の《アニマ》はコトバを転がしつつあるモノである。 《今・ここの・このヒト》の《アニマ》は《他者のコトバ》に押しつぶされつつあるモノである。 《今・ここの・このヒト》の《アニマ》と《今・ここの・このモノ》の《アニマ》とではどう違うのか? 《今・ここの・このモノ》の《アニマ》はヒトとしての《他者》を拒否しつつあるモノである。《今・ここの・このヒト》の《アニマ》はヒトとしての《他者》を共感しつつあるモノである。 《今・ここの・このヒト》の《アニマ》は《ヒトのアニマ》である。ヒトとして生活しつつあるモノの《アニマ》である。 《今・ここの・このモノ》はヒトという種類のモノか? 『ヒトという種類』という《思いこみ》に依存しているのではないか? モノは『種類』に分類可能か? 『(ヒトという)種類』という《思いこみ》とは? 《今・ここの・このヒト》の《視点》は《同質者公理》の《視点》である。《今・ここの・このモノ》の《視点》は《特別者公理》の《視点》である。 《今・ここの・このモノ》の《視点》は、《知りつつあるモノ》とモノとの同質性に基づいた《視点》であり、その意味では《同質者公理》に基づく《視点》である。 《今・ここの・このヒト》という《視点》は、《今・ここの・このモノ》と《他者》とが似ている、という限度において、その共通性の限度において、その共通性を『ヒト』と呼んでいるに過ぎない。『ヒト』という種類の《思いこみ》があって分類されたモノではなく、共通性を抽出して見通したモノを『ヒト』という《思いこみ》にまとめていくのである。 《今・ここの・このモノ》と《他者のコトバの世界》 《知りつつあるモノ》は、《他者のコトバの世界》に入り込むと《今・ここの・このモノ》を見失う。 《モノの世界》と《他者のコトバの世界》。 《他者のコトバの世界》は、多数の《他者》が噴出する多数のコトバの、動的で予測不可能なカオスの世界である。本質的にはカオスだが、ある程度予測可能。《私》に定型的な反応を要求する《アニマ》である。 『仕事』は《他者のコトバの世界》である。 書籍は《他者のコトバの世界》である。 インターネットは《他者のコトバの世界》である。 法律は《他者のコトバの世界》である。 論理は《他者のコトバの世界》である。 テレビは《他者のコトバの世界》である。 人ごみは《他者のコトバの世界》である。《他者》の《身体》の出現自体が《他者》のコトバである。 《他者の思いこみの世界》。《世界アニマ》。 俳句は《今・ここの・このモノ》の記録である。 。
https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/161.html
【検索用 おやすみのうた 登録タグ 曖昧さ回避】 + 目次 目次 曲紹介 歌詞 コメント 作詞:OSTER project 作曲:OSTER project 編曲:OSTER project 絵:Yおじさん(オリジナル)、ゆき(別背景ver.) 唄:初音ミク 曲紹介 いろいろあって眠れないときにミクが枕元で歌ってくれました。 そんな曲です。 間奏で笛吹いてみました。下手ですいません(´;ω;`) 曲名:『おやすみのうた』 歌詞 木々のざわめき 空見上げて風と歩く道 ふとしたことで 突然頬伝う熱い恋の雨 おやすみなさい すべてを受け止めて 空と海のあいだ 旅立ちなさい すべてを許し合う 愛の夢の中 星のきらめき 月のワルツ 花の子守唄 そっと瞳を閉じれば いつもある優しい思い出 おやすみなさい すべてを携えて なみだ色の海に 微笑みなさい すべてはここにある 愛と夢の中 おやすみなさい すべてを受け止めて 空と海のあいだ 旅立ちなさい すべてを許し合う 愛の夢の中 コメント 歌詞はOSTERさんのページに掲載されていたもののコピペです。 -- 名無しさん (2008-01-14 15 15 20) これにでてくる俺の絵は、週刊ボカランに使われていた。 -- 名無しさん (2008-03-29 02 00 14) もうすぐ殿堂入りだ~! -- 名無しさん (2009-02-12 17 43 21) 殿堂入りおめでとう! -- 名無しさん (2009-08-14 07 31 07) この曲は本当に癒される。殿堂入りおめでと~。 -- 名無しさん (2010-01-09 16 23 11) なんかやばいくらい好きすぎる -- 名無しさん (2010-01-15 20 35 48) いやされました -- 名無しさん (2010-08-19 14 41 16) まだ昼なのにねむくなってきた -- 名無しさん (2011-10-03 15 26 03) 名前 コメント