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基本情報 背番号 投打 生年月日 経歴 タイトル 2010年の成績 年度 試合 勝 負 S H 勝率 投球回 奪三振 被本塁打 与四球 与死球 暴投 防御率 QS率
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ふじい やすお 広島県出身の元プロ野球選手(外野手)。ファンからは『ミスター・ブルーウェーブ』の名で親しまれている。 2003年から2006年までオリックス二軍サーパス(2005年まではサーパス神戸)のコーチを務め、2007年に編成部入り。2008年のシーズン終了後に復帰し、二軍打撃コーチに就任。 福山市内にある実家は、カラオケ喫茶店を営んでいる 藤井康雄 グランドスラム http //www.jbaseball.com/blog/yasuo-fujii/index.php http //www.nicovideo.jp/watch/sm6450513
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セラフィニ 本名はダン・セラフィニ 左投右打、投手、背番号29 ニックネームは「サーフ」 先発投手のコマ不足に泣きプレーオフ進出を逃した2005年シーズンの反省から 日本一になったロッテとの契約交渉が決別し、オリックスキラーでもあったセラフィニを 大枚を叩いて二年契約で獲得し実績十分の先発ローテ投手、しかも待望の左腕とあって大いに期待された ところが左肩に違和感を訴えると2006年は7試合の登板に留まり、0勝4敗、防御率9.97という凄惨な数字を残す しかも、シーズン途中にヘルニア途中のために帰国 とんでもない不良債権を掴まされてしまったとBsファンは頭を抱えた こんな状態では普通一年限りで解雇であるが、二年契約してしまっているため翌2007年もBsに残留 肩痛も癒えたのか出だしは良かったのがが、その後打ち込まれる試合が続き、トドメに5月13日の楽天戦で骨折 そのままサーパス送りとなり7月14日に解雇された 大金をドブに捨てた失敗補強としていまだに名前がスレで出る事がある
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途中から突如軟投派に変身した歴代3位タイの298勝を積み上げた右腕 山田久志(yamata) 122~143オリックス MVP1回(137)、最優秀防御率1回(137)、最多勝利1回、奪三振王2回(132・133)、ベストナイン1回(137)、新人王(122) 122期ルーキーピッチャートリオで新人王を獲得。5球種を操る軟投投手で制球・体力も平均以上。当初はそこそこの速球にフォークが唯一の持ち球で、1年目は防御率3点台に11勝の活躍で新人王に。先発陣弱体化でかなり酷使されたが淡々とこなしこの成績を維持できたのは見事。しかし翌123期・124期と防御率はとんとん拍子で悪化の一途。あまりにも攻略しやすいタイプだったが力を付けてきた125期に先発を務める。すると丁度力がついてきた時期と良い転機になったのか防御率自己ベストの3点台前半の好投劇をみせ12勝を挙げ大きく勝ち越し。翌126期は不振だったが127期は防御率2点台の活躍で投球回は自己最多をマーク。さらに翌128期はこれまた自己最多となる15勝を挙げた。132・133期は数は多くはなかったものの、連続で奪三振王を獲得。どう考えても運が良かった結果だが、投球内容自体良くなっており、防御率は良化中と徐々に完成度が増してきた。134期はキャンプイベントでこれまでのフォーク一本が一点5球種を操れる軟投派に変身。投球の幅が一気に増え期待されたシーズンだったが、あまりに劇的な変化に体がついていかなかったか、防御率4点台中盤と実に冴えないシーズンに。慣れてきた翌135期は自身最多の17勝を挙げ、136期は防御率3.00とだんだんと良くなってきており、圧巻は137期。16勝で負けはわずかひとつで防御率2.44は自己最高で防御率2点台自体実に10期ぶり。防御率の初タイトルにMVPと最強先発陣の一枚として堂々としたピッチングを披露した。翌138期は若干成績ダウンも17勝挙げ負け数はわずか2。140期は2敗、141期は1敗、142・143期2敗ととにかく負けないのが凄い。134期に多球種投手になったものの、思ったほど投球内容に変化は見られずといった感で、大ブレイクの要因はやはり137期開幕前に習得した超特殊能力の気迫が大きかった。3シーズン連続で20勝を挙げていたことを考えると22年目は予想外の14勝に終わり飛玉丸に続く300勝投手にまであと2勝と惜しくも届かなかった。オリックス史上最高のレベルといえる130~140期代の先発陣を支えた一人。 期 防 勝 敗 S 回 振 期 防 勝 敗 S 回 振 122 3.83 11 7 2 136.1 134 4.68 13 9 0 173 101 123 4.36 8 4 5 130 135 3.51 17 7 0 187.1 106 124 5.09 10 6 6 134.1 136 3.00 14 8 0 189 105 125 3.11 12 4 0 168 137 2.44 16 1 0 199.1 102 126 4.38 9 11 0 172.2 138 3.26 17 2 0 176.2 96 127 2.92 11 7 0 185 139 3.48 13 6 0 175.2 85 128 3.15 15 4 0 186 140 3.14 18 2 0 189 107 129 3.72 10 8 0 183.2 114 141 2.56 20 1 0 186.1 94 130 5.05 11 12 0 176.1 85 142 2.79 19 2 0 187 108 131 4.81 13 8 0 181.1 107 143 3.55 14 2 0 167.1 89 132 3.63 12 7 0 188.2 115 133 3.25 15 5 0 124 (22年) 3.58 298 123 13 2178 他の投手が凄すぎて、ちょっと影に隠れがちな悲運のエース 蛇魂王Ⅳ(ナーガ) 122~142オリックス MVP2回(133・134)、最多勝利4回(132~134、137)、ベストナイン2回(133・134) 魔球・スプリットが武器の左腕。山田・くろいつかむとの新人3投手の中では当初最も成績が悪かったが、途中から完全に立場を逆転した。スタミナ充分の先発型で2年目123期には早くもその先発に抜擢。しかしあまりにも早い配置転換でその不安を曝け出すことに。9勝12敗となんとか負け越し3つに留めたものの、6点台近い防御率と試合序盤から徹底的に打ち込まれ規定投球回すら届かずと実に散々なシーズンに。強力打線で無ければ15敗は必至といった状態でこのあたりオリックスの先発陣がいかに苦しかったことかを物語っている。翌124・125期は防御率を1点ずつ下げついに3点台そこそこに留めようやく戦力といった形になってきたが、126期はまた3期ぶりに防御率5点台突破。内容がボロボロでまったくいいところ無しに終わってしまい、確立中だった信頼度も一気に落としてしまった。翌127期はやや持ち直し、128期は自己最多の14勝に防御率初の2点台等急成長を見せた。翌129期は10勝10敗のイーブンだったものの防御率3点台を維持。被本塁打は相変わらずの多さだがコントロールが向上し、しっかり試合を作れる能力が備わってきたことが大きい。130期は防御率は4点台を突破も投壊してしまった先発陣とあって13勝の勝利数とともにチームトップであった。翌132期は好調な打線との兼ね合いもあって17勝4敗の好成績で最多勝を獲得すると、133期は20勝4敗の高い成績でいずれも初となるMVPとベストナインに輝いた。134期も17勝挙げ2期連続のMVPに。この4期間は全て200投球回を超え、まさに絶頂期。時代は当分続くかと思われたが、135期は8勝止まりとやや精細を欠いた年に。翌136期は16勝、140期を除く137期から141期にかけていずれも18勝以上をマーク。142期はコントロールが粗くなってきているのが理由で中継ぎに降格。与四球は変わらず多いままだったが熟練の技でしのぎ見事生涯最高の防御率で締めくくった。エースと呼べる時期は130期代前半とやや短かったが282勝という数字は殿堂級。 期 防 勝 敗 S 回 振 期 防 勝 敗 S 回 振 122 4.46 5 6 5 133.1 134 2.67 17 5 0 215.2 118 123 5.79 9 12 0 133.2 135 3.80 8 7 0 189.1 99 124 4.48 12 6 0 160.2 136 3.44 16 6 0 199 101 125 3.20 12 12 0 185.2 137 3.36 18 6 0 201 116 126 5.13 7 10 0 156 138 3.01 19 6 0 200.1 102 127 4.55 10 7 0 164.1 139 2.99 18 6 0 198.1 93 128 2.81 14 8 0 195.1 140 3.27 17 4 0 195.2 89 129 3.66 10 10 0 194 106 141 3.85 18 4 0 187 89 130 4.30 13 7 0 186.1 78 142 2.42 10 1 3 91.1 42 131 3.78 12 10 0 204.2 94 132 3.33 17 4 0 205.1 95 133 2.54 20 4 0 112 (21年) 3.60 282 141 8 1969 不動のストッパーとして定着も139期に7敗を喫し作り直しへ ユウタⅢ(ユウタ) 132~139オリックス 最多セーブ(138)、ベストナイン(134・137・138) 緩急で勝負するタイプの中継ぎ右腕。試合終盤に登板する機会の多い中継ぎとしては痛い負け運持ちだったが、それ以上に安定感が働いたようで1年目は防御率4点台前半に留め、負け数も少なかった。翌133期は防御率5点台を突破してしまい、やや順調とは言いがたい状態が続いていたが、134期は白紙状態だったストッパーを任され、防御率1点台の好成績を挙げ一気に台頭。翌135期も防御率2点台とダウンもセーブ数は増加し、ここまで想像以上の健闘っぷり。しかし136期は球種を狙われたか被本塁打・与四球激増で防御率5点台に6敗と散々なシーズンに。さらに完投王国のオリックス先発陣にあってほとんど出番がなく立て直す前にシーズンが終わってしまった。翌137期は防御率を改善させ、初めて30セーブに乗せると、138期は2期続けての防御率2点台に自己最多の35セーブでこれまた2期連続のベストナインに選ばれた。当初抑えとしてはやや非力なタイプだったが、精密機械とも言える高い制球力に緩急を駆使する高津タイプの抑え。その為やや事故が多く成功率には高望みは出来ないが息の長いストッパーとしてチームのセーブ記録に挑戦してほしいところであったのだが、139期は大不振の136期をさらに上を行くワーストの防御率7点台・7敗を喫するなどまたも低迷。ここで転生を決意。シーズンによって内容の変化が激しかった。 期 防 勝 敗 S 回 振 132 4.19 8 3 1 105.1 46 133 5.09 5 7 2 55 134 1.57 1 1 21 28.2 14 135 2.70 1 1 26 36.2 15 136 5.90 0 6 19 29 17 137 2.41 1 1 30 37.1 14 138 2.84 3 3 35 44.1 24 139 6.96 1 7 23 32.1 21 常に不安定なピッチングで中継ぎ陣のエースを勝ち取れず 置鮎龍太郎(サラン) 121~124中日、125~135オリックス ベストナイン(127・132) 中日から移籍してきた中継ぎ左腕。前のチームではさほど目立った存在では無かったが初年からいきなり防御率2.52を記録し一気に戦力に。しかしその鮮烈さも最初だけで、それ以降あまり伸びていない。速球に変化球とどれも平均以上のものを持ちまた四球が少ないところが利点。移籍2年目の126期は投手陣の不調の波に乗った格好で防御率が前期の倍も悪化してしまい、精細を欠いてしまったが、翌127期は安定感を取り戻し初の10勝を挙げベストナインにも選ばれた。128期はまた2期ぶりの防御率4点台となってしまい、130期も派手に打ち込まれ移籍後自己ワーストの防御率5点台。132期は防御率3点台に留めたが133・134期ともに防御率5点台前後とどうも不安定。球種の豊富さ・速球の勢いは高いレベルでまとまっているが、特殊能力の少なさが良くならない原因か。135期に防御率を3点台に留めたが、この年限りで退団。通算防御率4点台はちょっと高すぎか。 期 防 勝 敗 セ 回 振 125 2.52 9 4 4 93 126 4.96 6 3 5 105.1 127 3.35 10 5 6 107.1 128 4.50 4 2 6 64 129 2.87 6 6 8 106.2 51 130 5.31 7 5 4 98.1 50 131 4.50 8 6 6 120 63 132 3.38 6 3 9 119.2 77 133 4.71 4 5 8 54 134 5.29 5 6 2 64.2 31 135 3.86 6 5 9 79.1 48 通算(15年) 4.19 91 61 81 789 クローザー10年で8年が防御率2点台以下、セーブのチーム記録を塗り替えるハイペースだったが 金刃憲人(かつひこ) 120~131オリックス 最多セーブ(124・125・128)、新人王(120)、ベストナイン(124・125・129) 球種はパームのみだが、150㌔を超える速球にコーナーワークに投げ分ける投球術が武器の守護神。122期から引退したくろいつかむ4に代わりストッパーに。中継ぎスタートの1年目に防御率3.27で新人王を獲得する好スタートを切ると、翌121期は防御率こそ落としたが6勝挙げ無敗を記録。そして前々からほぼ決まりかけていた122期では抑えの座につき早速33Sに自己最高の防御率2.38をマーク。ストッパー3年目となる124期には最多セーブ王獲得。さらに125期はチーム歴代3位となる36Sを叩き出し2期続けてのタイトルホルダーに。転向後5シーズン続けて防御率は常に2点台を維持していたが127期は前半救援失敗続きで転向後初の防御率3点台と不振のシーズンに。内容はそれほど悪くなかったが不安定さが目に付き4期ぶりに30セーブを下回ってしまった。128期は安定感を取り戻し、しっかり防御率2点台で3度目のセーブ王に。翌129期は1.38と初の防御率1点台をマークした。資料の残っているwiki導入後オリックスの中では最も安定しているクローザーで、チーム記録である通算466セーブも充分更新可能なペースできていたが、131期に防御率1点台をマークしながら引退という形に。通算500セーブを輩出していないのは他にはソフトバンクのみ(それでも495S)。伝統的に安定したストッパーが出ていないデータでもあり、この投手への期待も高かった。 期 防 勝 敗 S 回 振 120 3.27 9 6 2 121 3.69 6 0 2 85.1 122 2.38 0 2 33 41.2 123 2.35 1 1 25 30.2 124 2.72 2 2 30 36.1 125 2.06 1 2 36 39.1 126 2.53 0 1 31 32 127 3.97 1 2 28 34 128 2.52 0 2 37 39.1 129 1.38 0 1 23 26 14 130 3.21 2 1 25 33.2 16 131 1.71 0 1 19 31.2 12 (12年) 2.84 22 21 291 303 126期に中継ぎで18勝を稼いだ名セットアッパー!途中4シーズン先発を務めたことも ユウタⅡ(ユウタ) 112~131オリックス 最優秀防御率(126)、ベストナイン(121・126) 中継ぎエースとして投手陣を支える名脇役。1年目から8勝を挙げ防御率2.57の好成績をマークし見事新人王に。四球も被弾も少なく大崩れしないところが利点。三振能力は無いが打たせてゴロに打ち取る丁寧な料理ピッチングが真骨頂。中継ぎ陣崩壊の119期は唯一の防御率3点台、翌120期は先発投手並の147イニング・121期は139イニングを投げる鉄腕っぷり。またどんなにチームが先発投手不足になってもこのユウタだけは配置転換が無くまさに不動のセットアッパーだったが、3投手が引退し投手陣自体窮地に追い込まれた122期からはさすがに先発枠へ入らざるをえないことになった。結局先発は125期まで4シーズンの任期だったがさすがに中継ぎ時代のような輝きは失せてしまった印象。それほど長いイニングを投げれないとあって、123期に180イニングを投げた以外の年は規定投球回数前後を投げるのがやっとといったところで、125期はついに防御率自己ワーストの4点台を記録。高い勝率は依然変わらずだったが先発はさすがにきつかった起用の様で126期から本職の中継ぎに復帰。すると不振の投手陣をことごとく救援し防御率自己新の2.05でなんと最優秀防御率を獲得。わずかに1勝及ばなかったがリーグ2位の18勝を挙げ見事復活。以前よりもスケールアップしたという感じで抜群の働きを見せてくれた。やはりこのピッチャーは中継ぎで持ち味が最大限に出るタイプで、127期も防御率2点台キープ。128期以降は自身の衰えと、先発陣が非常に調子が良く出番が減り中継ぎエースにも関わらず100投球回を下回ってしまうほど。以前ほどチーム全体として中継ぎ陣への重要性はやや薄れてきているが、それでもいなくては困る存在。チームが危機に陥った時に救ってくれる救援隊長。 期 防 勝 敗 S 回 振 期 防 勝 敗 S 回 振 117 3.59 5 2 3 129 2.72 10 2 2 92.2 39 118 2.98 12 6 0 130 3.29 3 8 2 115 43 119 3.33 7 5 4 131 2.49 2 3 2 105 53 120 3.05 8 3 4 121 2.84 14 6 5 139.2 122 3.49 8 5 0 152 123 2.36 14 6 0 182.2 124 3.34 14 4 0 153.2 125 4.42 11 7 0 136.1 126 2.05 18 3 3 153.2 127 2.41 8 5 3 123 128 2.90 7 4 3 96.1 (20年) 3.04 173 85 42 1301 ムラの多さが特徴的なパワーピッチャー くろいつかむ5(くろいつかむ) 122~130オリックス 122期入団の速球派左腕。150㌔を計時するストレートが決め球に加え大きく曲がるスライダーが武器。1年目から防御率3点台前半をキープし即戦力としてルーキー中継ぎトリオ(他蛇魂王Ⅳと山田久志)では一番の好成績を収めた。好調は翌2年目も持続し防御率は3点台を割った。やや荒れ球だが125期は四球を大きく減らし防御率は2.5を切る等ここまで順調に来ていたが、126・127期と防御率が4点台後半と乱調続き。127期は異常だった被本塁打を減らしたのにも関わらず成績良化とならず。登板機会も抑え気味で投球回数は100を下回り、中継ぎ陣他2人に比べると信頼を落としてしまった。128期は減少していた被本塁打がさらに減りシーズン通算3本と一発に泣かされることなく3期ぶりの防御率2点台に2桁10勝をマークし、救援陣では最高の働きを見せものの、翌129期は四球乱発で防御率大幅悪化。130期は防御率3点台に留め、いよいよ投球も安定するかと思われたが、ここで名無し選手に。中堅に差し掛かりいよいよというところだっただけに残念。 期 防 勝 敗 S 回 振 122 3.36 9 4 2 109.2 123 2.99 8 3 4 129.1 124 3.41 7 4 5 126.2 125 2.49 9 4 4 119.1 126 4.77 11 2 5 120.2 127 4.59 8 5 4 98 128 2.24 10 1 4 100.1 129 4.62 5 6 5 97.1 59 130 3.14 5 4 3 134.2 93 (9年) 3.48 72 33 36 645 124期投手三冠王、奪三振王獲得回数9度は歴代2位の本格派ナックル使い [先]野球浪人X(野球浪人) 110~130オリックス MVP2回(124他)、最優秀防御率1回(124)、最多勝利3回(119・124他)、奪三振王9回(118・123~130)、ベストナイン5回(119・124・127他) DUOの11回に次ぐ歴代2位となる奪三振王9回獲得したドクターK。123期から引退する年まではずっと取り続ける等、他の追随を許さずタイトルの合計獲得数も実に13を数えるタイトルホルダー。この前の野球浪人Zが散々な成績に終わったのが今では信じられないくらいの好投手で今度は以前ほどの制球難も無くさらにナックルという大きな武器をひっさげての入団。注目すべきなのがナックル一本では無く150㌔台中盤を誇るノビのある剛速球も武器で奪三振が多いタイプ。被弾こそ多いものの四死球が少なく安定感はかなりのもの。1年目は中盤まで防御率2点台をキープし新人王獲得の勢いを見せたが終盤打ち込まれ結局5点台近い防御率に。また以前と同様かと思わせたが2年目以降高水準の成績を残し力をつけてきた。そしてようやく8年目117期にしてじゅんきダー引退の為、先発枠へ。しかし1年目は10勝を挙げたものの前半ズタボロの内容とやや不安な幕開け。それでも翌118期は防御率2点台をキープし12勝を挙げ奪三振王獲得と一気に先発陣の主力格に。さらに119期は開幕から負け知らずで18勝の大活躍。内容はかなり良く高齢化が進む先発陣の中完全にエースの座を掴んだ。被本塁打は減りかなり手強い本格派に変身。中継ぎ時代が長かったが今や投げればまず安心して見ていられるエースピッチャー。毎シーズン一人で貯金10前後を生み出す安定感は驚異的。ここ最近はタイトルから遠ざかっていたが123期に5期ぶりとなる奪三振王を獲得すると、さらに翌124期には鉄腕を獲得すると開幕から快進撃。シーズン記録となる23勝目を賭けた最終登板で勝ち負け付かずとあと一歩での記録を逃すものの22勝をマーク。負けはわずか1という驚異的な数字で投手三冠王という最高の栄誉を得た。それ以降も常に防御率2点台前半に15勝以上と成績は高安定していたが129期はシーズン通して不調で実に12期ぶりとなる防御率4点台、さらに翌130期はさらに防御率悪化で中継ぎ時代の115期以来15期ぶりに2桁勝利に届なかった。それでも奪三振王は獲得し続けたがさすがに限界に近い印象だった。入れ替わりの多かった120期代のオリックス先発陣を支えた大エース。全盛期はリーグ屈指といえるハイレベルなピッチャーであった。タイトル獲得数の割に奪三振数が歴代15位とそれほど上に行っていないのは当時先発陣が凄く充実していたことにあって最初の7シーズンが中継ぎと先発転向までに時間が予想以上にかかったから。 期 防 勝 敗 S 回 振 期 防 勝 敗 S 回 振 117 4.39 10 13 0 129 4.15 10 8 0 164.2 132 118 2.75 12 9 0 130 4.37 9 7 0 158.2 137 119 2.50 18 6 0 120 2.88 13 6 0 121 2.47 16 5 0 200.1 122 2.84 14 7 0 190.1 123 2.73 17 5 0 187.2 124 1.99 22 1 0 203.1 125 2.27 18 4 0 198.1 126 3.08 11 6 0 178 127 2.35 16 6 0 199.1 128 2.35 15 5 0 191.2 (21年) 3.03 251 127 23 2614 ポスト辻内として期待は高かったが実働わずか6シーズン 紅(新庄) 120~125オリックス 3.97 56勝54敗2S 振570 金刃と同期入団した左腕。全体的なバランスの良さが特徴だがこれといった特徴も無く打たせて取るピッチングスタイル。1年目の成績は防御率4点台とやや不安の残るものだったが翌2年目にはチーム事情により早くも先発転向。前半こそ勝ち負けほぼイーブンと健闘していたが後半大きく連敗。90勝台を挙げたチームで唯一の2桁敗戦・負け越し投手となってしまった。翌122期は被本塁打が一気に減り防御率を初めて3点台とし12勝を挙げた。しかし123期はまた一発病の顔を覗かせてしまったが、ここから年々成績良化。124期は二桁勝利では初めて敗戦数を一桁に留めると翌125期は自己ベストとなる防御率3.17に14勝と大きく勝ち越しを決めた。安定感が飛躍的に上がり以前のような不安定さはほとんど消えた感じだったが2期連続未キャンプとまさかの退団に。wiki編集にも携わっていたのでなんとも意外だった。まさにこれからという時期だっただけに残念。 120期 4.59 4勝 5敗 2S 121期 4.60 4勝13敗 152.2回 122期 3.81 12勝10敗 167.2回 123期 4.27 10勝13敗 160回 124期 3.72 12勝 7敗 172回 125期 3.17 14勝 6敗 184.2回 油が乗り切ってきたところで中日へ 山本五十六(偽琥珀) 117~124オリックス、125~中日 3.52 63勝52敗1S 振615 前選手が急遽引退し先発枠がてんやわんやする中、中継ぎとして1年目から好成績をおさめた左腕。平均的な能力で特徴は書くとこすら見当たらないオーソドックスタイプ。1年目は前半こそ炎上続きだったものの終わってみれば防御率3点台と健闘。9勝挙げてわずか1敗とかなりの強運を発揮。翌シーズンも防御率ほぼ同じとここまで予想以上の健闘を果たしている。しかしちょっと力量不足で3年目119期にその不安的中。防御率こそ4点台中盤ながらも勝負どころでの痛打が非常に多く中継ぎとしては異例の12敗。翌120期はあまりに不安な先発転向となり実際前半はゲームを作ることすらできず全くの勝てずじまい。しかし後半になるとなかなかの粘り強さを見せ、なんとか7勝、防御率は4.05にまで改善。好調は翌シーズンも続き二桁勝利ならずも防御率3.33と自己最高の数字をマーク。翌122期はさらにステップし念願の2桁勝利。防御率は良くなる一方で123期はついに2点台となり安定感が随分でてきた。当初は武器を持っていないところが不安点だったが、入団時に比べ制球力が増し打たせてとるピッチングスタイルになり今や重要な先発の一角。124期に2度目の10勝を挙げるとともに今オフでのトレードが決定。スタミナ不安を除くことが出来れば十分二桁勝利可能な戦力。 117期 3.53 9勝 1敗 118期 3.50 5勝 3敗 119期 4.42 4勝12敗1S 120期 4.05 7勝12敗 121期 3.33 9勝 5敗 151.1回 122期 3.13 10勝7敗 163.2回 123期 2.72 9勝 8敗 165.2回 124期 3.97 10勝4敗 143回 中継ぎ打診も先発続行、窮地に追い込まれたオリックス先発陣の救世主 梅宮右京(菅原鈴緒) 105~119ヤクルト、120~122オリックス 3.9? 156勝134敗6S 振1694 最優秀防御率(121) 他 ヤクルト時代は弱かった投手陣を引っ張ったエースとして活躍。速球や変化球もまだまだ衰えを見せておらず移籍1年目から防御率2.84に11勝の活躍。長い回は投げれないが安定感は抜群で先発陣の穴を見事に埋めた。翌121期は本人が中継ぎ転向を打診したものの投手陣の質低下で先発続行。するとスタミナ不安を吹き飛ばすほど絶好調で防御率はリーグ唯一の防御率1点台でタイトル獲得。翌シーズンも2点台の防御率を維持し12勝。平均投球回数は6回すら下回るがきっちりゲームを創るベテランの味が光る。しかし衰えが深刻で自ら引退を決意。オリックスではわずか3シーズンの在籍だったが先発陣の穴を埋めきる見事な活躍だった。 120期 2.84 11勝9敗 121期 1.94 16勝6敗 167回 122期 2.60 12勝7敗 155.2回 クローザー転向があと1年早ければセーブ記録更新可能だったが… くろいつかむ4(くろいつかむ4) 101~121オリックス 2.96 42勝45敗444S 振601 MVP1回、最多セーブ2回、ベストナイン3回 速球で押していくタイプで、ナックルも駆使する抑えにうってつけの左腕。滅多にホームランを打たれることが無く打ち崩すのは相当難しい守護神。入団当初は中継ぎだったが一発病の癖があり勝ちが少なく防御率も伸びなかった。7年目の106期より野茂選手の後を継ぎ新守護神に。当初はユウタのストッパー案も懸案されていたが早速27セーブをあげこの配置転換は大成功。凄かったのが翌107期で絶不調状態が長く続き登板数・セーブ数ともに伸び悩んだがシーズン終盤まで自責点0。あと一歩でシーズン防御率0.00という快挙が目前に迫っていたが最終登板で初失点を喫し神話は最後の最後で崩壊。麻衣以来の記録に惜しくも届かなかった。なぜか不調が長引くタイプでシーズンの登板数がちょっと少ないところが気になる点。今や絶対的なオリックスのストッパーで防御率は当初の2点台から今や1点台が当たり前と言う鉄壁さ。尚、驚異的にキャンプ運が良い事で知られ、そういう意味でも皆の羨望を一身に受ける。118期は前半絶不調で失敗・炎上が続き4敗に久々の防御率4点台と冴えないシーズンだったが翌119期はきっちり防御率を2点台に戻した。残り2年の時点で通算400セーブとオリックス歴代最多セーブの466に迫っていたが、あと22足りなかった。 117期 1.91 1勝1敗29S 118期 4.13 0勝4敗29S 119期 2.83 0勝3敗25S 120期 1.31 0勝1敗17S 121期 0.64 0勝0敗27S 28回 117期に20勝投手、最後まで完投型として君臨 蛇魂王Ⅲ(ナーガ) 104~121オリックス 3.04 234勝137敗4S 振1901 最優秀防御率(117)、最多勝利(117・121)、ベストナイン(117・121) 他 オリックスでは珍しいドラフト入団したサウスポー。高速スライダーが武器の左のエース。速球と精度の高い制球に毎回200イニングをこなす絶対的な自信のあるスタミナがあり完成度はかなり高い。入団時から中継ぎでコンスタントな成績を残し3年目より先発に転向。初年はボロボロの成績に終わったものの翌107期防御率は3点台に改善し11勝を挙げると以後先発の一角として活躍。現在107期から14期連続の2桁勝利、そのうち109期~111期、113・114期と15勝以上5度マーク。勝ち数の非常に多い投手でこのままいけば通算250勝ペース。115・116期は連続15勝は途切れたもののともにひとつ少ないだけの14勝。117期はなんと20勝。被本塁打が激減し攻略がかなり困難な投手になった。特筆すべきなのがやはりスタミナで28試合の登板のうち、20勝6敗で90%以上の登板で勝敗がついており、責任イニング数をきっちり松任する先発としてはまさに理想型。この年は220投球回を超えた。しかしその後118期13勝、119期11勝とやや下り線で野球浪人Xにエースの座を奪われてしまった形に。しかし120期はチーム最多の15勝、121期は17勝挙げ依然変わらない健在っぷりをアピール。実働期間がもう少し長ければ通算勝利数もかなり伸ばせたはず。投球回は最終年も200イニング近くを投げ生涯完投型として通した。 117期 1.67 20勝 6敗 118期 2.76 13勝 6敗 119期 3.13 11勝11敗 120期 2.44 15勝 5敗 121期 2.13 17勝 7敗 198.1回 エースにはなれなかったが通算256勝は立派 機(浩) 100~120オリックス 3.29 256勝192敗3S 振2116 (新人王(100) 球速こそないがコントロール・スタミナ・変化球全てを駆使する総合力タイプの右腕でキャリアは投手陣の中で最も長い。若い頃は全てが非常に高い水準を保ち完投数が多かった。1年目は中継ぎで防御率2.47、11勝の好成績をマークし新人王獲得。先発二枚が抜けた101期に弱冠20歳にして早くも先発挑戦となったが防御率5点台と散々な成績。しかし数期後フォーク習得で投球に幅ができ成績が安定し出してきた。103期に防御率3点台前半と改善の兆しをみせると105期では16勝6敗をマーク。106期から数シーズン続けて防御率2点台をキープしチームの黄金期とともに自身も非常に優雅なシーズンを送っていた。毎シーズン200イニング前後をこなすスタミナには絶対の自信を持っていたが、30を超え下降線に入ってきた最近は成績面でもやや目立たなくなってきた。被本塁打がやや多いせいか防御率が3点台を上回るようになり117期は10勝11敗と防御率3点台前半ながらこれで2シーズン続けての負け越し。翌118期は13勝を挙げ3期越しの勝ち越しも10敗と貯金はわずか。気迫取得後、右のエースとしての期待もかかっていたが、以前とさほど成績に変化は無くあくまで三番手あたりの存在。2年目から先発に定着していたせいか通算の勝利・奪三振が高く119期に2000奪三振達成。ラストイヤーとなった翌120期には通算250勝を達成した。タイトルを獲れるほどの凄みは無かったがオリックスの黄金期から後退期に長きに渡り一線級投手として活躍した。 オリックス一筋のBillさんがついに離れることに 井出卓也(Bill) 101~119オリックス 3.09 204勝132敗7S 振1815 選手名とHN欄を逆にしてしまった入団時の「空白の一日」は既に語り草。中継ぎ時代はいまいちだったが先発転向の104期に大躍進。防御率チームトップの2.32で15勝を挙げチーム優勝の原動力に。被本塁打が一気に少なくなり投球も非常に安定。ただちょっと出来すぎの感でその後の4シーズンはちょっと落ち着いた成績に。しかし109期に復活すると翌110期に16勝と自己最多勝をマークしV4の立役者に。大勝ちこそちょっと計算しづらいが確実にそこそこは勝つ安定戦力。チーム全盛期の入団とあって通算勝率は蛇魂王とともにチームトップ。114期に先発転向後初の負け越しとなり翌115期も不振のシーズンになりちょっと衰えが垣間見えた。だが116期に巻き返すと翌117期は13勝だったもののリーグ2位の防御率1.79と驚異的な数字をマーク。じゅんきダーの引退でやや発奮したのかこの2シーズンで見事に持ち直した。しかし長い回を投げきるスタミナは年々下がってきており、118期は防御率2点台ながらわずか5勝とやや援護に恵まれない面もあったが、ちょっと勝ち負けの数自体が少なかった。翌119期はなんとか10勝に届いたもののこの年限りで引退に。オリックスでは珍しい技巧派タイプだった。 煌くベテランの味!芸術的投球はオリックスではわずか1年で見納めに OK(ok) 104~111?、111~118巨人、119オリックス 3.57 137勝106敗10S 振1029 4種の変化球がすべて一級品という超軟投派。球速が遅い為変化球で勝負する異色のスタイル。投球技術はかなり高いレベルでこの球の遅さで防御率2点台と早速好成績を残した。このスタイルで被本塁打も少なくこれで8勝しか挙げれなかったのは不思議としか言い様がない。しかしメジャーとともに違反発覚でわずか1年でチームを去ることに。残念な結果になってしまったが非常に魅力のある好投手だった。 1年目から先発と期待は高かったが… じゅんき君(じゅんき君) 117~119オリックス 5.66 17勝29敗2S 振184 チーム黄金期で常に先陣を走ったエース・じゅんきダーの転生選手。通算250勝投手を輩出しただけに今回の選手も期待充分。速球派の先発型で今度も似た感じの投手。しかしチームの先発陣が同時に2人引退したことでなんて高卒1年目から先発起用に。これは抜擢というよりスクランブルによるもので逆に不遇といった印象。当然結果を出せるはずもなく6点台の防御率で5勝12敗と全く結果を出せず。それでも翌2年目は防御率4点台とかなり改善し、6勝10敗としっかり成績上昇。100を超す四球はもはや問題となるレベルでやはりここからどうしても自滅してしまう。okの加入で119期は中継ぎスタートしたがここでボロが出てきた。前半は10点台に届きそうな防御率で中継ぎ陣崩壊に一役買ってしまう形に。そしてこのシーズン限りで退団という形に。ルーキーイヤーから先発抜擢はさすがに行き過ぎた。 転生・引退を繰り返したが、毎度似たような能力では… 龍翔果敢(KREVA) 118オリックス 3.31 10勝4敗2S 振67 114期に引退してから115期、116期、そして118期と引退・入団を何度も繰り返しておりなかなか固定できずにいる不断型。さらに毎度半端な能力の選手を作っては不振になると再登録とちょっと意図が見えてこない。今度の選手もほぼ同能力だったせいか未キャンプでルーキーシーズンから名無し登録に。しかし威圧感所持が幸いし防御率3点台前半に10勝と内容が濃く、1年での退団が非常にもったいない好成績を収めた。200勝投手KICKの面影ををちょっと引きずりすぎたか。 スタミナ不安もなんとか乗り越え充実した6シーズン KICK(KREVA) 94~100中日、101~10?日本ハム、10?~108ヤクルト、109~114オリックス 3.11 202勝134敗11S 振1859 108期に17勝に防御率2.67という好成績をひっさげ109期に移籍入団。これまでチームを転々としている投手。オリックス投手陣ではかなり久々の移籍選手でこの完成度の高いスターターの加入で強固な先発陣がまさに鉄壁となった。基本は完全に変化球投手で緩急を駆使したピッチングが身の上。それも高いレベルの投球術とあってコンスタントに防御率2点台をキープするあたり実に頼もしい。移籍1年目は12勝を挙げリーグ最高勝率の成績で期待通りの働きをみせた。それ以降も112期に防御率1点台をマークするなど非常に安定感が高かったがこの頃からスタミナが大分落ちてしまい長いイニングをこなせなくなり、翌シーズンその不安的中。113期は途中降板が目立つようになり勝ちも全く伸びず。投球にも精細を欠き防御率は4点台と大悪化でさらに深刻だったのが勝ち数でわずか3つしか勝てなかった。さすがに先発としてはキツくなってきた印象で翌114期はセットアッパーとして防御率2点台前半を維持する活躍で復活。オリックスの在籍期間は6シーズンのみだったが黄金期の後半を支えた貴重な先発の一角だった。 ナックルピッチャーといえば野球浪人さん 野球浪人@(野球浪人) 91~107オリックス 3.37 167勝134敗7S 振1887 下からナックルを投げる凄まじい左腕。そこらのナックルボーラーと違いこれがまた的を絞りづらく、なかなか崩れてくれない。しかし入団当初はまだそのナックルを扱いきれてる感じはなく、与四死球は93期71、94期76と制球に非常に苦しんでいた。96期はさらに被弾も増え、14敗を喫する。優勝した99期では10-10の勝敗こそイーブンハイだったものの防御率2.80と成長ぶりを猛アピール。この年を境に成績は鰻上り。翌100期は防御率2.65とさらに良くなり10勝7敗で3つの勝ち越しを決めた。さらに101期では防御率2.10とまた一皮むける活躍で自己最多の18勝をマークし、引退した細田の穴を埋めた。課題だった与四球も減りしぶといピッチャーになってきた。彼の存在はあまりに大きかった。 15シーズン連続2ケタ勝利! セイバー(偽琥珀) 88~105オリックス 3.46 199勝164敗3S 生え抜きの左腕。高いレベルのナックルとスライダーを操り199勝を成し遂げた。低迷期から名門になるまでチームを支えてきた。一時はシーズン19敗を喫したこともあったが、先発に定着した5年目以降は引退までコンスタントに15シーズン連続の2桁勝利を挙げ続けた。また奪三振率も高く、鉄腕を取得後2回の奪三振王。その後もタイトル争いには絡み続けた。引退が決まっていた106期も14勝8敗と健闘。まだまだプレーできることを印象付けた。チームにとってこの選手が抜けるのはなかなか痛い穴。新選手の両儀式には荷が重いが、頑張ってもらいたいものである。 あらゆる面で抑えから外せなかったセーブ王 野茂(カメレオン壱) 90~105オリックス 2.95 11勝37敗439S 振373 最多セーブ6度獲得している、オリックス不動のクローザー。3方向の変化球と150キロの直球を投げ分ける本格派。菊地原2世として1年目から抑えの座に。しかし翌2年目は目立つほど防御率は悪くなかったが6敗と明らかにセーブ失敗が多すぎた。しかしここらへんがさすがというか3年目には輝きを取り戻した。93期に32S、95期に33Sでセーブ王に。93期に通算100Sも突破。防御率は良くなくともコンスタントにセーブ数を稼いでいたが、96期に突如変貌。シーズン前半は防御率10点台を超える有様で、結局防御率6点台で敗戦数7と、一気に信頼を失う。翌97期に入団以来守ってきた抑えの座からついに降ろされ、本人もかなり不満を持った。だが中継ぎとして優秀な成績をおさめると、98期には再びクローザーに。ガタついていた投球術が甦り、防御率は初の1点台を記録し、シーズン無敗とこれもまた初めて。翌シーズンも1点台に37Sと堂々たるセーブ王に。一度中継ぎを経験したことで、なにかを掴んだのか。抜群の安定感を誇った98・99期で連続MVP。以後かつての不安感は完全に仏足され、不動のクローザーとして盤石の地位を築いている。だったが105期をもって突然の引退。選手生活最高の時期を迎えていただけになんとも惜しまれる最後。通算414セーブ、最多セーブは6度獲得した オリックス投手陣を復活させた立役者!90期代のエース 細田羅夢(Bill) ~100オリックス 3.32 181勝173敗13S 振1805 グッと曲がるカーブが持ち味のピッチャー。92期に16勝、93期に18勝を挙げ一気にチームのエースへと伸し上がった。前田公輝2世。当初はこれといった武器が無く、負け先行型のピッチャーだったが徐々に力を付け、逆にスキの少ない投手となった。88期に先発転向して5シーズン目となる92期、防御率2.42で16勝を挙げる突如の大活躍。投球回数も飛躍的にアップしチーム勝ち越しの原動力となった。前述の通り翌93期は18勝で最多勝。防御率2.50もいずれもチームトップ。しかし翌94期は前半不調でゲームを作れず降板という形が連発。なんとか防御率は持ち直したが6勝止まりに終わった。95期は再び持ち直しリーグ2位の16勝。翌96期は投手陣崩壊の中、一人気を吐いての防御率2.77。98期は唯一の防御率2点台だったがなぜか負け越してしまった。99期では21勝を挙げ優勝に大きく貢献した。チームの状態に左右されることなく結果を出す、ほんとに頼れるのがこういうエースのことをいうのかもしれない。引退の年となった100期は防御率1.50、15勝5敗の二冠王で堂々たる成績。見事なまでに有終の美を飾れた。ただあまりに存在が大きすぎたか来期以降、彼女が不在となってしまう事態はチームにとっては大ダメージだ。ちなみに名前読み方は「ほそだ・らむ」。 勝利の女神に見放された衰退型投手 JC(JC) ~92オリックス 中堅の年齢になるまでは勝ち頭だったが、晩年期に差し掛かってからなぜか負け運に見舞われた悲運のピッチャー。丁寧に打ち取っていく技巧派投手。ラスト6シーズンは全て負け越した。当然大きく勝ち越していた勝率も91期についに5割を切った。 不遇の時代だった為セーブ数伸びず 菊地原毅(ボビー) 78~89オリックス、90~日本ハム 2.27 6勝20敗287S オリックス80期代の守護神。150㌔をゆうに超すストレート、スライダー・シュートの横の揺さぶりはまさに圧巻。一発を滅多に浴びることがないので、防御率は毎シーズン低く安定していた。現役ではパ・リーグ1のストッパーと言っても過言じゃないが、不運というか暗黒時代真っ只中のオリックスでは通算セーブ数もそれほど伸びなかった。新天地日本ハムは上昇株。ここで大きな花を開くことができるか。 油の乗っている時期になぜか引退した完投男 野茂(カメレオン壱) 70期代後半~89オリックス 102勝127敗 振1765 (新人王) 完投数が非常に多いタフネス左腕。31歳とまだこれからという時期の引退が悔やまれた。 低迷期での生涯勝率5割超は称賛に価 アルクェイド(偽琥珀) 70?~87オリックス 178勝177敗 振2006 (奪三振王2回) オリックス80期代を支えたエース。前田が引退してからはまさに支柱的存在。ベテラン期に入ってもストレートの速さは衰えず、生涯本格派で通した。ちょっと早かった引退が惜しまれる。 オリックス最強時代のエース 浪速四天王辻内(新庄) 3?~5?オリックス、5?~巨人 2.97 257勝176敗 振2873 40期台オリックス黄金時代のエース,全盛期にはMAX157㌔の真っ直ぐとキレ味抜群のフォークを武器にシーズン最高189奪三振。通算では当時最高(現在3位)の2837奪三振を奪っている。当時最高記録(現在3位)の通算7度最多奪三振を受賞、勝利数の257と言う数字は当時歴代2位(現在13位)。オリックス黄金時代を支えた奪三振奪取型の変化球は総数僅か12、コントロールも最高B(209)、超得能無しと珍しい投手であった。 () オリックス (テンプレート) オリックス・バファローズ関連ページ一覧 掲示板 オリックス板過去の選手 オリックス殿堂館|オリックス退団選手名鑑(投手)|オリックス退団選手名鑑(投手/part2)|オリックス退団選手名鑑(野手)|オリックス退団選手名鑑(野手part2)記録・チーム史 各年度チーム成績・個人チーム記録|オリックスバファローズ史過去ページ倉庫 オリックス・保存ページ倉庫
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名前順ページを作った人のみ乗せております。 ポジション 名前 在籍年度 外野手 赤田将吾 2010~2012 投手 阿南徹 2010~2012 投手 大久保勝信 2005~2010 内野手 大引啓次 2007~2012 投手 甲斐拓哉 2009~2012 投手 香月良太 2005~2012 投手 木佐貫洋 2010~2012 内野手 北川博敏 2005~2012 投手 清水章夫 2007~2010 捕手 鈴木郁洋 2005~2012 投手 高宮和也 2011~2012 投手 寺原隼人 2011~2012 投手 長峰昌司 2012 外野手 丹羽将弥 2008~2012 投手 延江大輔 2007~2012 投手 バイエスタス 2009~2012 捕手 日高剛 2005~2012 投手 フィガロ 2011~2012 内野手 ベロス 2011~2012 投手 マクレーン 2011~2012 外野手 森山周 2006~2012 内野手 山崎浩司 2008~2012 外野手 由田慎太郎 2005~2012
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光原逸裕 右投右打、投手、背番号45 ニックネームは「ミッチー」 Bs初年度のドラフトでJR東海より入団 大学時代は京都産業大のエースだった 大学の後輩が平野佳寿である 一年目はシーズン後半に離脱したものの光原が投げると打線が奮起するというジンクスにも恵まれ7勝 チームのプレーオフ争いに貢献した しかし、翌2006年は肩の治療で登板無し 2007年こそ復活が期待されたが盛大に打ち込まれ二試合でサーパスへ送還 2008年は怪我で離脱が相次いだ一軍投手陣に開幕ローテの一人として加わるが 二試合で盛大に炎上し西武戦ではインフィニティを発生させてしまい見切られる 以後、一軍復帰は無いままシーズンが終った 2009年、オリックス9連敗とトンネルの出口が見えない状況の中先発に抜擢される。 監督ファンともに試合前から諦めていたが5回無失点で連敗ストッパーに。 まさかの救世主となった・・・かのように見えたのも束の間 次の登板ではKOされ、さらに三度目の先発で今度はインフィニティ未遂を起こすと 再び一軍からお呼びがかかる事もなく、元通りの二軍生活となった。 2010年も結果を残すことはできず、その後ロッテへとトレードになった。
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「オリックスシーズン回顧録」はシーズン毎のチームの戦いぶりを記したページです。 このページを簡素化したものが「オリックス チームの球史」です。 埋まり次第「オリックス シーズン回顧録part2」で保存します。 登録バグ解消、ソフトバンクのV10、そしてチーム再建時代へ(262年~268年) 256年のシーズン中からの登録バグにより、257年~261年の5シーズンは新規登録者がいない状態であったが、261年シーズン終了後のオフでようやく治り、各チームに続々と新人選手が入団していった。262年のオリックスは有人選手が昨261年の8人から11人に増え、チーム再建へ順調な一歩を踏み出した。打つほうではSAW(名無し)の好調により前年の3番から4番に定着した門井俊介を軸に、投げるほうではし~ずん・ノン・前園克彦の先発三本柱が中心となり、チームは後半戦に調子を上げ、貯金9で2シーズン連続となる2位となった。ノンはシーズン通じて安定感抜群で、オリックスの先発投手では集計以降初となる防御率0点台を達成した。CSでは第1ステージで3位楽天と対戦したが、1勝2敗で敗退となってしまった。 263年は最初10試合9勝1敗で開幕ダッシュに成功。12試合目にはし~ずんが新記録となる一試合23奪三振をマークしてチームを盛り立て、当初はリーグ6連覇を目指す王者・ソフトバンクと並走していた。しかしオリックスが序盤の勢いを無くすと、ソフトバンクは新記録となる25連勝を含む破竹の勢いで、224年巨人の120勝に次ぐ119勝を記録(20敗1分)。チーム打率・防御率も新記録を樹立。苦手のソフトバンク戦終了後の後半戦調子を上げ、84勝51敗5分の勝率6割超と高率の2位オリックスと33ゲーム差を離した。オリックスはこのシーズン限りで人員不足の厳しい時期を支えてきた、し~ずん(season)・ノン(カビファル)の2大エースが引退。このシーズンも2人合わせて35勝を記録しており、翌264年に向けて大きな痛手となる。し~ずんは10度目の奪三振王、そして通算奪三振が3471個に達し、元西武・幻影の詩人の通算3265個を抜き、歴代トップとなった。CSは2年連続で3位楽天と対戦も、またも1勝2敗で破れてしまった。 261年から263年にかけ3シーズン続けて2位の成績を収め、ソフトバンクに次ぐ位置取りを続けてきたオリックスだが、264年は前年に先発三本柱の内し~ずんとノンの2人が引退したので、計算できる前園克彦1人だけになってしまった。前園克彦はチーム通じて3シーズン連続となる先発防御率0点台を記録し奮闘するも、11勝しか稼げず。助っ人スーパー名無しのジャコビーが防御率2.20・11勝、先発陣の弱化でリリーフエース・ユウタⅩは登板機会が増え、16勝をマーク。しかし勝ち頭2人を失ったことにより、投手陣の安定感は低下。打線も名無し化になりながら主軸の役割を果たしていた門井俊介も衰えてしまい、若手も増えたことにより得点力ダウン。チームはなかなか連勝軌道に乗ることが出来ず、借金5の4位に終わってしまう。オフには名無しの門井俊介が、平凡な名無しの金本則夫と入れ替わってしまい、打線のほうは来期に向けて不安が高まってしまった。 265年のオリックスは前264年に3人、265年に5人新人に加え、名無し選手2人と、ここ2シーズンで大きく顔ぶれが入れ替わり、平均年齢も大きく下がったことで戦力ダウンに見舞われ、開幕からずっと苦しい成績が続いた。打線はトップバッターの大好きだよ。が最後は失速したが、打率3割5分前後をキープしブレイクを果たした。2番に定着した新人・redホッシー(拓也)も新人王を獲得する好調ぶりだったが、主軸がまだ育っておらず、前年に抜けた門井俊介の穴を埋めることは出来ず、得点力上昇とはいかなかった。投手陣も完全試合を果たした前園克彦、先発へ転向したユウタⅩが好投したが、他の投手は中の下あたりの成績で不安定な試合運びが続き、ついにチーム防御率は23シーズンぶりにリーグ最下位を記録してしまった。借金もどんどん脹らみ、借金28で5位で終了した。中継ぎに先発と長く活躍した前園克彦が引退、若手有望株だったACEが退団し、今度は投手陣への不安が大きくなってきた。 266年は前年まで得点力に悩まされていた打線が、1番・大好きだよ。の前期からの好調維持、3番・五十嵐亨が打率3割37ホーマー、4番・天災地変Ⅳが初めて100打点を突破する等の活躍で上位打線が当たり、前期から得点率1.1点もアップ。投手陣は若手中心の構成で安定感は無かったが、前園引退後のエースとなったユウタⅩが16勝8敗、新外国人のローガンが防御率2.62で12勝を挙げる思わぬ収穫もあり、大きく崩れることは無かった。それでも得失点差はわずかながらマイナスで借金も12を抱えたが、なんとか3位に入り、3シーズンぶりにCS出場を果たした。第1Sは楽天を破り、第2Sではソフトバンクと5戦目までの死闘を繰り広げ、251年以来15シーズンぶりに日本シリーズへ進出。しかしリーグ6連覇を果たした巨人相手に1勝も出来ないまま、圧倒的な力の差を見せ付けられ敗退となった。 267年は開幕日の 09年12月21日午前5時になった瞬間「アクセス大杉」のバグが発生。試合の消化開始はバグが直る2日後の同23日までずれ込んだ。オリックスは打つほうは3年目の若手2番打者・redホッシーが打率.340を記録するブレイクの好影響で、4番・5番の天災地変Ⅳ・聖の2人が100打点を突破し、前年並の得点力を確保できたが、若手主体の投手陣が前年より不調。チーム防御率は3.80からリーグワーストの4.30へと悪化し、ローガンが15勝、守護神の梅桜弐が防御率2点台・27Sを残した以外の投手は不安定な成績だった。エースのユウタⅩも二桁勝利に届かず、借金は18へと増え、5位へと沈んだ。最下位ロッテとの差はわずか1ゲームだった。 268年は横浜からスラッガーのアブレイユ(LAA#53)が移籍してきたことにより、打線が活性化。これまで不動の4番であった天災地変Ⅳが調子が上がらないとなると、すぐに4番を外され、その後は聖・アブレイユらと4番争いをすることに。3シーズンぶりに100打点選手こそ不在であったが、3番の五十嵐亨から8番のリュウイチまでの6人が78~92打点とうまく打点が分散され、得点率は前年の3.6点からV10を果たしたソフトバンクに次ぐ4.6点へ大幅アップ。投手陣もエースの変化球投手・ユウタⅩがキレ○習得効果もあり20勝を達成。全体的な体力不足から続く投手こそ現れなかったが、前年より若干ながら底上げできたことにより、チームは前267年の借金18から貯金15へと急上昇できた。CSでは2位西武に連勝して勝ち上がったが、第2Sはリーグ10連覇を果たしたソフトバンク戦と対戦したが、3連敗を喫し1勝もできないまま敗退となった。 ソフトバンク連覇ストップ、オリックス第6期黄金時代へ(269年~) 269年は前年までリーグ10連覇を果たしていたソフトバンクが転生選手が続いて、過渡期に突入。チーム状態が年々上り調子だったオリックスは、さらに巨人から木内祐佳里(木内祐佳里/250年代に多田康大でオリックス在籍)を迎え、2年連続で若手スラッガーが加入したことで打線にスキが無くなった。移籍してきた木内祐佳里は後半戦から4番に定着し、チームでは実に128年ぶりとなる50本塁打をマーク。打点も125を稼ぎ、本塁打王・打点王の二冠王、MVPに輝いた。チーム得点率は147年以来となる5.7点を記録し、100打点を突破した選手は前述の4番・木内祐佳里を始め、3番・五十嵐亨(101打点)、5番・天災地変Ⅳ(101打点)、6番・聖(104打点)、7番・アブレイユ(100打点)、8番・強打巧打守備型(100打点)の合計6人。チームで100打点6人は141年以来の快挙だった。若手主体の投手陣はさすがにまだ安定感に欠け、ユウタⅩが最優秀防御率と最多勝の二冠を獲得する柱ぶり、2年目のたこやき(たこやき)、抑えの梅桜弐が好成績を挙げたが、他の投手は打線の援護に恵まれた感が強かった。オリックスは強力打線を武器に2勝1敗のペースで独走し、2位西武に14.5ゲーム差を付けて、92勝45敗3分で251年以来となるリーグ優勝(通算70度目)を果たした。10連覇中だったソフトバンクは20ゲーム差離れての3位へ後退した。CSでは第2Sでシーズン2位の西武と対戦したが、不安要素だった投手陣が崩壊してしまい、1勝3敗で日本シリーズ進出はならなかった。 270年は田中(貴胤)とshota(sho)の2人の新人投手を迎え入れ、満員の有人18人体制でスタート。投打ともにまだ成長途上のオリックスはリーグ制覇を果たした前年よりもさらに力を付け、開幕から快走。威圧感所持が8人も並んだ打線は前年からチーム打率が大きく上昇。五十嵐亨(.303→.398)、聖(.306→.344)、木内祐佳里(.294→.341)、アブレイユ(.282→.333)、強打巧打守備型(.250→.294)と5人の打者が一気に打率をアップさせ、本塁打こそ前年より若干少なくなったが、得点率は5.7点から6.3点になった。100打点選手は5人と前年より1人少なくなったが、5人とも110打点以上をマーク。5番の木内祐佳里はチーム歴代4位となる163打点を叩き出した。投手陣はそれ以上の成長を見せ、ノーヒットノーランに3年連続最多勝のエース・ユウタⅩを軸にチーム防御率は3.61から2.67へ大幅に良化。6シーズンぶりにチーム防御率は2点台となった。6年目・スパイトフル、5年目・中田信昭の両若手先発はともに初の防御率2点台で合わせて30勝をマーク。新人コンビの田中とshotaはともに先発起用され、田中のほうはシーズン通じて安定し、二桁勝利。shotaは前半いまいちも後半戦11勝と神がかり的な勢いを見せ、オリックス新人投手では最多となる16勝を挙げた。リリーフ専念になったcrossroadと2年目のたこやきも二桁勝利を挙げ、7人が10勝以上となった。オリックスは手を緩めることなく、41年ぶりの100勝以上となる、105勝32敗3分で2位・西武の28ゲーム差をつけリーグ2連覇。前年苦汁を舐めたCSは第2Sで2位・西武と対戦し、圧倒的な戦力で3連勝し、日本シリーズへ。シリーズでは死闘の末、リーグ3位から勝ち上がった中日と対戦。初戦こそ落としたが、その後投手陣がしっかり中日打線を抑えて4連勝し、20年ぶり37度目の日本一を果たした。オリックスからはベストナインに7人、ゴールデングラブには9枠中8人もの選手が選出された。 271年は黄金時代到来前からエースとして奮闘していた17年目のベテラン・ユウタⅩ(ユウタ)が名無し化してしまい、翌年の投手力ダウンが確実なものになった。悪いニュースはそれだけで、他の17選手はしっかしキャンプを行い、投打ともに現有戦力がパワーアップした。打線は前年から本塁打数が大きく伸び、チーム本塁打は142年に記録した258本塁打に次ぐ255本塁打を記録。新しく4番に定着したアブレイユを中軸に沿え、得点率は前年の6.3点から6.8点へとさらにアップ。141年以来、チーム2度目となる100打点セプテットを記録した。中でも4番のアブレイユは46本塁打154打点、木内祐佳里は40本塁打153打点と群を抜く活躍だった。守備面ではwikiランクが262年からずっとSランクが続いているおかげで、最低ランクが指名打者についている天災地変ⅣのB11。前年のGG選出8人に続き、この年はチーム史上初となる野手の失策が0という快挙を達成した(投手が3失策している)。投手陣のほうは前年から若干チーム防御率が悪化してしまったが、先発投手4人が防御率2点台、15勝以上を記録。ユウタⅩが抜ける翌年に向けて、不安を抱える先発陣が大きく躍進した。次期エースとして期待の高いスパイトフルはリーグ最多の18勝を挙げ、投手陣を引っ張っていく存在感が出てきた。チームは140~142年以来となるシーズン110勝で、2位ソフトバンクに30ゲーム差をつけ独走。リーグ3連覇を達成した(通算72度目)。CSではリーグ2位のソフトバンクを3勝1敗で下し、日本シリーズではオリックスのリーグ4連覇の上を行く、リーグ9連覇の巨人と対戦。その巨人を4勝2敗で破り、2年連続38度目の日本一を手にした。 272年は序盤こそソフトバンク・西武の好調で3位に留まっていたが、徐々に調子を上げて例年通り独走態勢を築きだした。前半戦を終えた時点で2位ソフトバンクとは8ゲーム差をつけた。後半戦になると勝率7割8分台の快進撃とさらに勢いを付け、最終的には3年連続のシーズン100勝を突破、2位ソフトバンクとは24.5ゲーム差を付け、リーグ4連覇を果たした(通算73度目)。エースのユウタⅩが退団してしまったことで、先発陣の防御率は悪化してしまう。その不調を7年間守護神を務めてきた梅桜弐が中継ぎへ転向したことにより、大きくバックアップ。特に前半戦は防御率1.21、12勝と神がかり的な成績を収めた。通年で18勝を挙げ最多勝利投手となった。空いた抑えにはルーキーの最強が務め、防御率2点台中盤で32Sをマークする安定ぶりで新人王を獲得する見事な働きぶりだった。右肩上がりが続いていた打線はここに来てようやく頭打ちといった感があるが、それでも得点率は6点台半ばを誇る驚異的な数値で、5人の選手が100打点を突破した。5番の木内祐佳里は夏場以降26本塁打95打点の猛烈な打点ペースを築き、通年でチームのシーズン最多タイ記録となる169打点を挙げ二冠王を獲得した。CSは第2Sでシーズン3位の西武と対戦、初戦を落とした後3連勝でシリーズ進出を決めた。日本シリーズはリーグ10連覇の巨人を下したシーズン2位のヤクルトと対戦。4勝1敗とうち3勝が二桁得点で勝つ圧倒ぶりで3年連続、通算39度目の日本一を果たした。 272年オフに隔週で行う評価がずっとできない状態が続いていることから、期間限定の措置ということでパ・リーグのwiki評価をAへ一律。オリックスは262年以来続いていた連続評価Sがストップした。その中で迎えた273年のオリックスは前年に比べて投手力が大きく向上。3年ぶりにチーム防御率が2点台となる2.35で、チーム最高記録の2.23に迫る勢いだった。中田信昭が前年の不調から立ち直り23勝で最多勝を獲得したのを始め、リリーフから先発へ転換された梅桜弐がリーグトップの防御率1.30と驚異的な防御率をマーク。前年防御率5点台だった4年目・shotaも防御率2.63に16勝と巻き返し、毎年のように配置が変わっていたcrossroadも中継ぎに定着したことにより、中継ぎではリーグ2位の防御率を叩き出すなど、投手陣全体の底上げに成功した。打線は前年に比べ不振者が出ていたものの、3番の五十嵐亨が闘気習得効果により、打率.440・55本塁打・149打点の三冠王となる大暴れ(チームの三冠王は237年周幼平以来)。苦労人・リュウイチが自身初の打率.300・30本・100打点を達成し、総合的には攻撃力は依然高水準を保った。投打ともに圧倒的な戦力で、2位のロッテとは連覇が始まって(2位との)最大ゲーム差となる36.5差をつけて、通算74度目となるリーグ5連覇を達成。CSでは第2Sで2位のロッテを3タテし、日本シリーズではリーグ11連覇中の巨人を4タテするストレート勝ちで、ポストシーズン無傷の7連勝、4年連続、通算40度目の日本一を果たした。また交流戦では26勝4敗で交流戦最長(これまで4年連続が2チーム)となる5年連続優勝(269年~273年)を飾り、通算9度目の優勝はこれまで並んでいた巨人・ソフトバンクを抜いて、単独トップとなった。273年オフには前年放置退団した天変地異さんをドラフトで獲得することに成功。携帯電話からの参加の為、パ・リーグには新規登録ができないので、うまく再入団することができた。 274年は前年2位だったロッテがオフに4人の主力選手が移籍(最近3年だと6人)してきたことで大きく戦力アップ。ここ数年オリックスの一人舞台だったパ・リーグのペナントレースを一転させる旋風を巻き起こした。得失点差はオリックスのほうが上であったが、中継ぎ重視の野球(273年のロッテはチーム最多投球回1位・2位が中継ぎ投手)で安定した試合運びを続け、前半戦は49勝17敗2分の勝率.742で好調だったオリックスのさらに上を行く勝率8割台の驚異的な数字で折り返した。後半戦になるとロッテは徐々に失速。オリックスは前半戦同様の勝率ペースで追い上げて、一時は首位奪還。しかし終盤にロッテが粘って、オリックスは5年連続100勝となる103勝35敗2分の高い成績を残したながら、ロッテにわずか2ゲーム差をつけられての2位に終わり、連覇は5年連続でストップした。オリックスは11チームに勝ち越したものの、借金16の4位だったソフトバンク戦に11勝10敗1分と苦戦したのが優勝を逃す要因となった(ロッテはソフトバンク戦に8つの勝ち越し)。打線は100打点選手を6人を輩出する変わらない攻撃力を維持していたが、前年チーム防御率2.35の好成績から274年は3.16へダウン。前年新人王を獲得した2年目守護神・最強が、防御率5点台で5敗も喫してしまったのが痛かった。対するロッテはK.Sasakiが防御率0点台・44Sをマークする鉄壁ぶりで、抑えの差がペナントに形になって表れてしまった。CSでは第2Sでリーグ優勝のロッテと対戦したが、いずれも1点差の惜敗3連敗と涙を飲む結果に終わった。 275年はリリーフエースのcrossroadが能力アップを見据えて広島の大量失点投手とレンタル・トレードを実行。先発3年目の梅桜弐が名無し化してしまったこともあり、やや戦力ダウンに見受けられた投手陣だったが、前年不調だった梅桜弐や中田信昭らが本来の投球に復調したことで、チーム防御率は3.16から2.53へ大きく回復。毎年惜しいところで20勝を逃していたエースのスパイトフルがチーム史上4人目の23勝をマークしたのを始め、先発陣は5人とも15勝を挙げた。打線は前年と同じ得点率6.6点をマークする安定ぶりで、クリーンナップの五十嵐亨・アブレイユ・強打巧打守備型の3人が打率4割を達成。5番の強打巧打守備型は打率.418・57本塁打・198打点の猛打で、パ・リーグの打点新記録を樹立した(あけペナ記録は224年・梧桐(巨)の210打点)。前年の飛躍で日本一にまで上り詰めたロッテは主力野手2人が移籍で退団してしまったことで得点力が大きく下がり、ペナントは再びオリックスの独擅場となった。終わってみると142年のシーズン118勝に次ぐ、チーム2番目の勝利数となる117勝(23敗)で2年ぶり通算75度目のリーグ制覇を果たした。ポストシーズンはCS第2Sでロッテと対戦し、3連勝でシリーズ進出。日本シリーズはシーズン2位のヤクルトと対戦し、4勝1敗で2年ぶり41度目の日本一となった。五十嵐亨は史上最多の4度目の日本シリーズMVPに輝いた。オフには打点マシンとして鳴らした木内祐佳里と西武の4番・四季映姫との大型トレードが発表された。また梅桜弐がこのシーズンで名無し化してしまったことで、1年目からクローザーを務めてきた最強が来季から先発に廻ることになった。 オリックス・バファローズ関連ページ一覧 掲示板 オリックス板過去の選手 選手移動公示1(207-233期) 公示2(234期-)|オリックス殿堂館|退団投手名鑑1 投手2 投手3 投手4 投手5? 投手6|退団野手名鑑1 野手2 野手3 野手4 野手5 野手6記録・チーム史 レコードブック|オリバファ史(更新停止状態)|ポストシーズン結果|シーズン別オーダー1(-140期) 2(141-215期)|3(216期-)アナライザー オリバファ新聞|他チーム・選手分析|リーグ総評・回顧|チーム展望|選手採点|シーズン回顧録1 回顧録2履歴と倉庫 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No 券種 ウエ 名前 C T B P 守備適正 球威長打 変化ミート 制球走塁 スタミナ守備 SPECIALABILITY SPECIALABILITY効果 000 ID ★ バファローブル 0 - - - マスコット SECRET 躍動ニューヒーロー 045 SS 寺原 隼人 4 右 右 投 先 14(14,16) 14(16,17) 13(14,14) 14(14,16) 必勝投球 ムラッ気 046 GR 坂口 智隆 6 右 左 外 中 8(8,9) 15(16,18) 14(16,17) 15(15,16) フルスピードボディー リードオフマン、固め打ち 047 ST 後藤 光尊 4 右 左 内 二 8(8,9) 11(11,13) 7(8,8) 8(9,9) ノンストップヒッター チャンスメーカー 048 ST ★ 金子 千尋 6 右 左 投 先 13(14,16) 13(14,14) 13(13,14) 13(13,14) 虹色グラデーション エース○ 049 黒 ★ 赤田 将吾 3 右 両 外 左右 7(8,8) 9(9,11) 9(9,10) 10(11,11) 起死回生の一打 サヨナラ男 050 黒 香月 良太 3 右 右 投 中 8(8,9) 7(8,9) 9(10,11) 6(6,6) 中継ぎの極み 051 黒 バルディリス 3 右 右 内 三 9(10,11) 9(10,11) 6(6,6) 9(9,10) 大迫力ダイビング チャンス4↑ 052 白 ★ 大引 啓次 3 右 右 内 遊 5(6,6) 8(8,9) 8(8,9) 9(10,11) ラインアップキーパー 対左4↑ 053 白 近藤 一樹 3 右 右 投 先中 7(8,8) 8(8,10) 6(7,7) 7(7,8) 緩急のチェンジ 054 白 古川 秀一 2 左 左 投 中 6(7,11) 6(7,8) 4(5,5) 5(5,5) スライダーの信念 055 白 斉藤 俊雄 1 右 右 捕 捕 6(6,6) 4(5,5) 5(5,5) 6(6,8) さすらいの強肩