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中東 / イスラム教 / ボコ・ハラム ● イスラーム過激派〔Wikipedia〕 イスラーム過激派(イスラームかげきは)とは、日本語においては、自分たちの理想をイスラームを使い理論化し、そのような社会の実現を図るために犯罪を行う戦闘的な組織を総称するために用いられている用語である。日本を含め、国際的にはこうした組織は「イスラームの名を使用して主張を実現するために犯罪を実行する過激派(extremist)」とみなされている。アメリカは、イスラーム過激派を「イスラームの名のもとに、大量殺人など犯罪を計画・実行する過激派団体」と規定される複数の団体を指す表現として用いている。最近では、ジハード主義(Jihadism)、ジハード主義者(Jihadist)という言葉が海外のメディアで使用されている[1][2][3]ほか、日本メディアでも、時事通信が「ジハーディスト(聖戦主義者)」という表現を用いている[4]。 【ナイジェリア】 ■ ボコ・ハラム。狂気の世界に達しているイスラム過激派集団 「Darkness(2015.1.16)」より / ナイジェリアでは、狂気のイスラム過激派「ボコ・ハラム」が新年早々、国境地帯の街バガで、大量虐殺事件を引き起こしている。 殺されたのは、分かっているだけで2000名を超えると言われているが、未だ戦闘が続いているので、正確なところは分かっていない。 現在も死体がそのまま放置され、現場は凄惨な状況になっていると言われている。 現場から逃げ出した人たちの証言によると、ボコ・ハラムは単に銃撃するのではなく、人々を拷問に近い形で痛めつけて殺しているようだ。 女性は集団レイプされて殺され、子供の手足は切り落とされ、撃たれていた。家の中に隠れていた人たちは家ごと燃やされ、灌木地帯に逃げた住民は包囲されて皆殺しされた。 妊婦の腹は切り裂かれて胎児が引きずり出されていたという。国際人権団体アムネスティ・インターナショナルによると、分娩中の女性だったという。 ほとんど狂気の世界に達しているボコ・ハラム イスラム過激派「ボコ・ハラム」は、「西洋の教育は邪悪」という意味を持っている。(アフリカの眠れる時限爆弾。ナイジェリアは破綻国家の典型) パキスタンでは、マララ・ユスフザイが2012年に銃撃されているが、これは女子教育を否定するTTP(パキスタンのタリバン運動)が引き起こしたものだ。 その運動性がよく似ているので、「ボコ・ハラム」は当初「ナイジェリアのタリバン」とも呼ばれていた。 しかし、2009年に「ボコ・ハラム」の創始者であるモハメド・ユスフが殺害されると、組織は一気に凶暴化し、ナイジェリア北部一帯を支配する狂気のテロリスト集団になっていった。 この組織がナイジェリアのみならず、国際社会の認知度を一気に高めたのは、2014年4月14日に起こした女子学生集団拉致事件である。(ナイジェリアの少女270名拉致事件でボコ・ハラムが犯行声明) 一夜にして270名もの女子学生を一気に拉致して国際社会を唖然とさせた。このときに拉致された少女たちは未だに戻って来ていない。戻って来るどころか、そのあともボコ・ハラムは次々と誘拐事件を引き起こしている。 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) ★ ボコ・ハラムが「分娩中の女性を殺害」 人権団体 「Yahoo!news[AFP=時事](2015.1.15)」より / +記事 【AFP=時事】国際人権団体アムネスティ・インターナショナル(Amnesty International)は15日、イスラム過激派組織「ボコ・ハラム(Boko Haram)」が今月上旬にナイジェリア北東部ボルノ(Borno)州の町村を襲撃した際、分娩中の女性を殺害していたと発表した。この襲撃は、同組織がナイジェリアで6年余りにわたり続ける武装闘争の中でも最悪の被害を出すものとなった恐れが出ている。 ナイジェリアで少女の自爆相次ぐ、ボコ・ハラムが強制か アムネスティが伝えた目撃者の証言によると、同州にあるチャド湖(Lake Chad)沿いの町バガ(Baga)が襲撃された時、この女性は無差別に乱射された銃弾を受けて死亡した。その際、「男の子の赤ちゃんは、体が半分ほど外に出ていた」という。この銃撃では幼い子どもたちも犠牲となったとされる。 今月3日に始まったボコ・ハラムによる今回の攻撃について、アムネスティは今週、少なくとも数百人の市民が殺害された可能性があり、ナイジェリア軍を支援している自警団員らを標的としたものとみられると発表している。 アムネスティによると、バガから逃げ延びた人たちは町中に遺体が横たわっていたなどと話しており、どれだけの人が殺されたか分からないと証言している。 こうした証言は、地元の当局関係者や、AFPが話を聞いた目撃者らの証言とも一致する。地元当局は襲撃によって大量の死者が出たと述べており、目撃者らも路上で多数の遺体を見たと話している。【翻訳編集】 AFPBB News ★ 「逆らったら生き埋め」自爆テロ強要された少女 「msnニュース[読売新聞](2015.1.14)」より / 【ヨハネスブルク=上杉洋司】イスラム過激派組織「ボコ・ハラム」が、自爆テロに少女や女児を使い始めた。 警戒されにくいからとみられる。女子生徒ら若い女性を拉致してきたボコ・ハラムは、「(民兵と)結婚させた」などと説明してきたが、救出された少女は自爆テロを実行するよう強要されたと証言した。 ナイジェリア北東部ボルノ州マイドゥグリの市場で10日、10歳ぐらいの女児が隠し持っていた爆弾が爆発し、少なくとも19人が死亡した。 AFP通信によると、女児が市場の入り口でボディーチェックを受けている時に爆発が起き、チェックしていた自警団員らが死亡した。目撃者は、同通信に対し「(女児は)自分が何を持っているのかもわかっていなかったのではないか。誰かが遠隔操作で爆発させたのだろう」と語った。 +続き 隣のヨベ州ポティスクムの市場でも翌11日、10代半ばくらいの少女2人による自爆テロがあり、4人が死亡した。最初の少女が爆発したのを見たもう1人の少女は、パニックになって逃げ出し、その時に爆発した。何者かが遠隔操作で爆発させた可能性が高い。 いずれもボコ・ハラムの関与が疑われている。治安当局は、ボコ・ハラムが拉致した少女を脅迫したり洗脳したりして自爆テロを強要しているとみている。 少女を使うのは、北部はイスラム教徒が多く、女性は警戒されにくいことと、ほとんどの女性が身にまとう全身をゆったり覆う服の中に爆弾を隠しやすいことがあるとみられる。 200人消息不明北部カノで昨年12月10日、少女2人が自爆し、10人が死亡した。この時、自爆テロを起こすために現場にいた3人目の少女(13)は、最初の爆発でけがをして病院に担ぎ込まれたところを警察にテロ未遂で逮捕された。この少女は、12月下旬に記者会見した。 AP通信によると、ボコ・ハラムのメンバーは少女に対し、「天国に行きたければ、自爆テロをしなければならない。逃げようとしたら殺す」と脅し、爆発物付きのベストを着せた。ボコ・ハラムのキャンプでは逆らったものは生き埋めにされていたといい、少女は「生き埋めにされるのが怖かった」と話した。キャンプには同い年ぐらいの少女が何人かいたという。 ボコ・ハラムは昨年4月、ボルノ州チボックで200人以上の女子生徒を拉致した。アブバカル・シェカウ指導者はビデオ映像で「(女子生徒は)みな結婚した」と宣言したが、消息は依然不明だ。自爆テロを強要されているのではないかとの懸念が出ている。 ーーーーーーーーーーーー ★ 大量虐殺から9日 遺体散乱、避難者は窮地に ナイジェリア 「Yahoo!news[CNN.co.jp](2015.1.13)」より / +続き ナイジェリア・カノ(CNN) ナイジェリア北東部ボルノ州で大量の住民が虐殺された事件は、発生から9日たった今も現場に遺体が散乱したまま放置され、避難した住民は孤立して窮地に追い込まれている。ナイジェリア軍は、イスラム過激派「ボコ・ハラム」による過去最悪の襲撃事件との見方を示した。 武装集団は今月3日、夜明けとともに同州バガや周辺の村を襲撃して銃撃や爆破を繰り返し、森や茂みの中に隠れた住民は追いかけて射殺、自宅に隠れた住民は家ごと焼き払った。 隣国チャドに逃れようとした住民の多くは、チャド湖を泳いで渡ろうとして溺れ、命を落とした。 地元当局によると、犠牲者は数百人から2000人に上る。襲撃から12日で9日が過ぎたが、茂みの中には今も遺体が散乱しており、地元自治体の関係者は「まだ遺体を安全に回収できる状況ではない」と話す。 村はまだ武装集団に占拠されていて、救急隊が入ることもできないという。ボルノ州議員は「バガはまだボコ・ハラムに占拠されていて近付けない」と語った。 ボコ・ハラムは2009年以来、同国で警察や学校、教会、民間人を狙った襲撃を繰り返してきた。昨年4月に学校から連れ去られた200人あまりの女子生徒は今も行方が分かっていない。 しかし3日の襲撃はそれ以上に凄惨を極めた。国連難民高等弁務官の特使を務める女優のアンジェリーナ・ジョリーさんは談話を発表し、「ボコ・ハラムの犯行は回を重ねるごとに残虐さを増す。これはボコ・ハラムが一切のとがめを受けずに行動している状況に起因する。彼らは大量殺人、強姦、女性や子どもの奴隷化をやり抜けるたびに増長する」と指摘。「証拠を集めて襲撃犯に裁きを受けさせる」ため、ナイジェリアを支援するよう米国などの各国に呼びかけた。 チャド湖のカンガラ島には襲撃から逃れ、チャド湖を泳いで渡ろうとした住民1000人以上が流れ着いて孤立している。チャド当局は国連に対し、救助のための支援を要請した。 事件当時、村を離れていて無事だったバガ出身の男性は、島に流れ着いた住民と電話で連絡を取っているといい、「食料不足や寒さ、蚊が媒介するマラリアのため死にかけている人がいる」と訴える。 避難した住民3万人のうち、2万人はボルノ州マイドゥグリで野営している。さらに1万人がバガから約60キロ離れたモングノからフェリーで移動中だという。 武装集団に対しては、ナイジェリア軍が空爆などを行って占拠された地域の奪回作戦を展開中だと国家治安担当報道官は説明する。 これに対してバガ出身の住民は、「付近の住民から得た情報によれば、バガがボコ・ハラムに占拠されて以来、ナイジェリア軍の兵士は1人も見当たらない」と反論した。 ナイジェリアのジョナサン大統領は、今回の虐殺事件について何も言及していない。来月の大統領選を控えて先週、再選を目指し出馬すると表明した。 ボコ・ハラムに襲撃された地域は野党の地盤が大部分を占めることから、ジョナサン政権が十分な対応を行っていないと批判する声も出ている。 【フランス】 ■ イスラム過激派による新聞社襲撃テロと血みどろになる欧州 「Darkness(2015.1.8)」より / 2015年1月7日午後11時30分。パリ市内にある新聞社「シャルリ・エブド」の本社ビルに、乗用車に乗ってきた黒いフードをかぶった2人の男がカラシニコフを持って飛び出した。 2人は受付にいた人間を一瞬で射殺、女性を脅しながら編集会議をしている部屋に向かって、そこになだれ込むと編集長の名前を叫んで「これはムハンマドの復讐だ!」と言ってカラシニコフを乱射したという。 これによって編集長ステファン・シャルボニエ氏が死亡、以下12人も命を落とし、現在4名が重傷であると言われている。犠牲者の中には風刺漫画家も含まれている。 ステファン・シャルボニエ氏が発行人となっている「シャルリ・エブド」では、しばしばムハンマドを風刺してきて、イスラム教徒の怒りを買っていたという。2011年には放火されて事務所が全焼するという事件も起きていた。 このため、この新聞社は連日、フランス当局が特別に警備を行っていた。そんな最中の凶行だった。この新聞社の主要人物がこの時間に編集会議をしていることも知っているから、この事件は周到に準備された大量殺人事件である。 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) ★ イスラム過激派犯行か、テロ警戒下の仏衝撃 「読売オンライン(2015.1.8)」より / 【パリ=三井美奈】パリで起きた政治週刊紙「シャルリー・エブド」の襲撃事件は、イスラム過激派によるテロとの見方が強まっている。 フランスはイラクでイスラム過激派「イスラム国」に対する空爆を開始して以降、国内の警戒を強化していただけに、衝撃が走っている。 襲撃を受けた同紙本社はパリ東部の住宅街にある。付近の自転車店員は「十数発の発砲音を聞いた。すぐ警察官がやってきたが、銃声が続いた。あわてて店の奥に隠れた」と恐怖を語った。事件後、現場を視察したオランド大統領は「異常な蛮行だ」と非難し、「テロ攻撃」だと明言した。政府は7日、緊急閣議を開く。 シャルリー・エブドの公式ホームページによると、同社は毎週水曜に風刺新聞を発行している。これまでにもたびたびイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載しており、イスラム世界の反発を買ってきた。2011年11月には火炎瓶攻撃を受け、社屋は編集部がほぼ全焼。発行が一時、不可能になった。12年にもムハンマドの風刺画を掲載し、仏政府はイスラム教徒を刺激する危険があるとして、約20か国の在外公館、仏人学校を一時閉鎖すると発表した。元駐仏日本大使館公使で東京外国語大国際関係研究所長の渡辺啓貴教授は、同紙について「反イスラム教的な色合いの傾向がある批判、皮肉的な雑誌だ」と指摘、今回の事件について「一つの抗議ではないか」との見方を示した。 .
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実にのは小人的伝統ですある強制回収させねば、効能は少なくなるし落ちる面倒になる。この合理性には支配者電気リスト教徒はどうしたのでしょうか。 ひたすらフラゲにもものを拷問よって殺し続けたのです。よく知られる魔女狩りは異端の尋問の1種です。疑わしきは拷問により苦しめて殺す、手の名によって歌われたこと自体が有罪の証拠です。そして最後のイスラム教徒し始めるグラナダを攻略し、 700年の歴史をはね返し買ったのです。 日本人は歴史問題を考える場合、真の恨みとはどのようなものなのかを認識する必要があります。
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islamarmedforces_image.png イスラム武装勢力 使用する兵種と武器 ポイントマン:AK-47 ライフルマン:AK-47 スナイパー:AK-47 イスラムというキャラ名ですが、実家は浄土真宗本願寺派です。
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イスラムドレス 分類:一般服 回避力:11 耐久度:39 アイテム等級:2 重さ:10 冠詞 防御力 魔法抵抗 能力上昇 装備条件 ドロップ (なし) 27 11 最大HP 70 レベル 35 生真面目な人のための、生 真面目なイメージの服。 値段 購入:3,485 売却: 保管: 入手方法 販売 リーサ デザイナー ジュノンポリス その他 情報
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The New Order イスラム社会主義 アイコン編集 英名 Islamic Socialism 別名 登場作品 The New Order 上位イデオロギー 社会主義 主要なイデオローグ 「あらゆる宗教に目を向けよ。ムーサ―に目を向けよ。ムーサ―は3つの象徴というべき存在を前に反乱を起こしたのではなかったか。当時最大の資本家、コラ。多神教という異端の最大の司祭、バラム。当時最大の政治権力の象徴、ファラオ。現状維持に反対し、ムーサ―は立ち上がったのではなかったか」-アリー・シャリーアティー イスラム教の台頭は、アラビア半島と世界を揺るがした最大の政治・経済・社会的革命であった。それまでの利己的で腐敗した多神教は、アラビア社会の隅々まで徹底的に取り除かれた。そして、より平等な状態が約束され、アラビアの分断された部族を一つにまとめる役割を果たす新たな革命的秩序が誕生することとなったのである。だがその中でも、預言者の仲間であるアブー=ダル・アル・ギファリは、預言者の死後における富の蓄積は、イスラムの教義・理想を踏みにじるものにすぎないとしていた。 イスラム社会主義者は、この分析、ザカートの理念、最初のイスラム国家の革命的性質に基づいた存在だ。スンニ派であれシーア派であれ、そのような者たちは、資本主義の鎖、そして資本主義によって生き永らえる自己満足と搾取の反動的文化からウンマを開放することを目的としているのである。資本主義体制の廃墟の上から、古きウンマは生まれ変わる。富を公平に再分配し、衣食住に苦しむ者も、労働の対価が与えられぬままの労働者も誰一人作らせない、革命的・社会主義的な反植民地共同体へと変貌するのだ。 (TNO日本語化Modより引用)
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イスラムR3 部屋主:Clea 執事:マリアちゃん(さくらさん似。w) 家具:衣装チェスト(装備品+3)、引出型収納ラック(消耗品+3)、書籍用オープンシェルフ(書類+3)、サイドボード(交易品+3) オーナメント:ヴェールの女(ラファエロ)、聖母子と聖ヨハネ(ラファエロ)、アイリス+花瓶+机 blankimgプラグインエラー:ご指定のファイルがありません。アップロード済みのファイルを指定してください。
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イスラム国が約236億円の身代金を要求した理由 イスラム国、湯川はるな氏らの動画を公開して200億以上の身代金を要求しているビデオ 2015年最新無料洋楽サイトはクラブペンギン イスラム国の動画のメッセージ 日本の首相へ。ISから8500kmも離れているにもかかわらず、お前は進んでこの十字軍への参加を表明した。お前は誇らしげに我々の女性や子供を殺すため、ムスリムの家を破壊するために1億ドルの寄付を行った。またISの拡大を止めようと1億ドルを出した(その1億ドルで)聖戦士たちに対抗する背教者たちを訓練するという。だからこの日本人の市民の命に1億ドルずつ払ってもらう。 そして日本人達よ、お前たちの政府がISと戦うための2億ドルの支払いという愚かな決定をしたために、お前たちは72時間のうちにお前たちの同胞の命を救うために政府に2億ドルを支払う賢明な決定をするよう圧力をかけろ。さもなければこのナイフはお前たちの悪夢となるだろう。 2015年最新無料洋楽サイトはクラブペンギン 2015年最新無料洋楽サイトはクラブペンギン 安部総理がISIL戦う為に2億ドルの資金援助を宣言 中東歴訪中の安倍首相はエジプトで中東地域全体で25億ドルの資金提供表明、「25億ドルのうち、「イスラム国」への対応としてイラクやシリアなど最前線にある国や周辺国の難民・避難民支援などに総額2億ドルの無償資金協力を行う」とした。この2億ドルが日本人人質の身代金額の元になっている。 首相「空爆でイスラム国壊滅を」 エジプト大統領と会談 首相、対イスラム国に積極関与を表明 ヨルダンに120億円支援 2015年最新無料洋楽サイトはクラブペンギン
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memo 超大雑把にイスラム史をまとめてみる。(俺用) ムハンマド(610?~632) イスラム教の誕生 570年頃、アラビア半島の都市メッカにムハンマドが誕生する。 ムハンマドはその後ごく普通のクライシュ族の商人としてメッカでの生活を続けるが、40歳頃、つまり610年頃、突如神の啓示を受け、最後の日が来ること警告しアッラーだけを信じるように説く「警告者」としての活動を開始する。 ムハンマドの教えは若者を中心に一定の信者を集めるが、それ以外のメッカの住人からは迫害を受け、622年、ムハンマドは信者とともに、ムハンマドの教えを受け入れる者が多かったメッカの北方300km程に位置する都市メディナへ移住(ヒジュラ)する。 この移住は後にイスラム教の紀元と認識されるようになり、622年がヒジュラ歴(イスラム歴)元年と定められることとなる。 その後ムハンマドは、死去する632年までのわずか10年間にメディナ・メッカを中心とするアラビア半島紅海沿岸と東部の一部を征服する。 これは、ローマ帝国とササン朝ペルシアの紛争の漁夫の利を得たとはいえ、驚異的な版図拡大といえる。 正統カリフ(632~61) ムハンマドの後継者争い ハーシム家とウマイヤ家の対立 ムハンマドの死後、イスラム教団は一時的に混乱し、アラビア半島各地に偽予言者が乱立するが、ムハンマドと同じハーシム家のアブーバクル(在位632~634)がムハンマドの後継者を意味する「カリフ」に就任、教団の混乱を収束させ、各地の偽予言者を討伐する。 さらにその後を引き継いだ2代目カリフ、ウマル(在位634~644)が大規模な征服を続け、ウマイヤ家出身のウスマーン(在位644~656)が3代目カリフとなる頃には、メディナのイスラム政権の支配域はペルシアから北アフリカ東部にまで拡大する。 しかし、ウスマーンが自らの出身であるウマイヤ家ばかりを重用し、また征服の停滞による戦利品の不足によってメディナ政権内に不満が蓄積され、結果、反乱によってウスマーンは暗殺される。 ウスマーンの死後ハーシム家のアリー(在位656~661)が4代目カリフに就任するが、ウマイヤ家の家長でシリア総督のムアーウィアとの対立が激化、アリーは結局暗殺され、イスラム世界におけるウマイヤ家の支配が確立される。 なお、アブーバクルからアリーまでの4人のカリフを正統カリフと呼ぶ。 ウマイヤ朝(661~750) ウマイヤ家支配 スンナ派とシーア派の成立 イスラム国家制度・イスラム法の萌芽 アリーの死後、支配を確立したウマイヤ家はシリアのダマスクスを居に構え、以後14代にわたってカリフの地位を独占する。 ウマイヤ朝は征服を拡大し、711年にはアンダルスを712年には中央アジアの一部にまで版図を拡大。後の歴代のイスラム王朝と比較しても最大の領土を獲得する。 ウマイヤ朝は国家制度の整備をすすめ、行政言語のアラビア語への統一、郵便制度「バリード」の整備、統一貨幣であディナール金貨・ディルハム銀貨の発行、各種官庁「ディーワーン」の設立などにより、近代的な政治・経済システムを確立した。 これは、後のイスラム王朝の基礎ともなってゆく。 比較的安定した政権のもとでイスラム法学も発展し、生前のムハンマドの言行をまとめたスンナが確立されてゆく。 アッバース朝ではコーランとともにスンナを重視するようになり、これが現在の多数派であるスンナ派を形成してゆく。 一方、ウマイヤ朝に対し、アリーを暗殺し不当に政権を簒奪したとする反発は根強いものがあった。 ウマイヤ家支配に反発する人々にとっては、スンナ派はいわばウマイヤ家の御用宗教でしかなく、当然のこととしてそれに服する理由は無い。 そしてこれらの人々は「アリー派」を意味するシーア・アリー、通称「シーア」を形成してゆく。(※以下日本での慣例通りシーアはシーア派と表記) シーア派はウマイヤ朝の度重なる攻撃にも、アリーの最後の拠点であったイラクを中心に根強い命脈を保ち、ついにはムハンマドの一族であるアッバース家によって、ウマイヤ朝は倒される。 ただしウマイヤ朝自体完全に滅亡したわけでは無く、アンダルスに逃亡したカリフによって建てられた後ウマイヤ朝は、1031年までその命脈を保つこととなる。 アッバース朝(750~946) イスラム世界におけるアラビア人支配の終焉 イスラム国家制度・イスラム法の確立 マムルークなど軍人の台頭 ウマイヤ朝を倒し、アッバース朝を建てたのはもちろんアッバース家であるが、それはあくまでも表面上のものであって、その原動力となったのはホラサーン地方などのシーア派系革命家であった。彼らは非アラブ人であり、彼らがアッバース朝の中心に入り込むことにより、イスラム世界における「アラブ人=支配者 非アラブ人=被支配者」の構図は消滅し、政治・軍事・経済・科学・芸術・宗教のあらゆる分野において民族の差異にかかわらず、実力さえあれば誰もが活躍出来るという後のイスラム社会の基礎が造られていく。 シーア派の一大拠点バグダードを都と構えたアッバース朝は、安定した政権のもとで国家制度を固めていった。カリフですら無視できないイスラム法の支配、完成された官僚組織、封建制によらない常備軍、ワクフ(寄付による財団)による都市施設の運営、各地に設立されたマドラサによるイスラム法と科学の発展、これらを支える大規模な道路網などは、アッバース朝時代に完成されたものである。 ファーティマ朝 アイユーブ朝 マムルーク朝 セルジューク朝 オスマン朝 -
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現代イスラムの潮流 宮田 律著 集英社 英仏のアラブ支配は大戦後の1920年、サンレモ会議で国際的に認定された。かくて今日のイラク、ヨルダン、パレスチナは英、シリアとレバノンは仏の委任統治領となった・・・。 パリを旅行したときの楽しみの一つにアラブ世界研究所を見る事があった。ジャン・ヌーベルほかの設計でコンペに入選した作品で、1987年パリに竣工した建物。最大の特徴は、南側のファサード。アラブ文化特有の幾何学模様のパターンで、カメラの絞り機能を応用したダイヤフラムが圧巻だった。 かつて列強時代に支配していたアラブ世界に関する研究機関がこうしてパリに存在するいきさつは複雑なのだろう。当然アラブ世界への影響力を保持したいフランスの思惑はあるのだと思う。このようにヨーロッパとイスラム世界はきってもはなせない関係があるのだが、日本とのそれは希薄だ。 この本にはイスラムの歴史や思想、社会的に背負っている困難などが詳しく分かり易くまとめられている。例えば酒を飲むことを禁じているこの宗教では、当然人間の神経をマヒさせる麻薬も厳禁だ。しかし現在アフガニスタンが世界最大の麻薬生産地となっている現実を、単なる「教えに背くもの」として言い切れない「困難」が、イスラム全体を覆っていることが分かる。 イスラムでは「利子」が禁止されているという。経済的平等主義に関連するこの考えは、明らかに資本主義とは矛盾するものだ。実際にイスラム銀行では、預金者と銀行が共同で企業経営を行い、預金額に応じてその利益の配当を行う方式があるという。急速にグローバリズムを叫ぶ我々日本を含む資本主義社会は全世界を一つの価値観で覆うとしているのかも知れない。当然上記のような価値観をもつ宗教民族とは摩擦が起きるだろう。 おだやかで気さくな人々が多いなか、政府の上層部による「イスラエルの解体」や「アメリカは大悪魔」などのスローガンによって、アメリカにテロ支援国家として嫌われているイラン。ここでもその外交上の理由から、様々な困難を振りまかれているのだ。 「国家」という枠組みが生みだしているこれらの矛盾は、今世界中で起きている「単一民族による国家造り」という、血みどろの争いを巻き起こしている矛盾と重なる。これらナショナリズムが欧米の作り出した思想であるのなら、日本のようにたまたま島国であった国とは違い、地続きの広大な多民族地域で、自らの思惑とはちがう列強の国々のご都合主義によって分断された「国家」とは、思想からも造られ方からも二重の困難を背負っている。クルド人などはその最たる存在なのだろう。 この本によると国内にクルド民族問題などの矛盾をもつイラクのサダム・フセイン政権は、それを覆い隠す為に、常に国家的危機をつくり、その危機を乗り越えることによって、国民の支持を維持してきたという。1973年の対イスラエル戦争、75年のクルド内戦、80年から88年のイラン・イラク戦争、また湾岸戦争において現れたものは、まさにこのイラクの特殊事情によるのだそうだ。 同時に著者は、アメリカ人のメンタリティーとして概して「敵」をつくることを好む傾向にあることを指摘している。冷戦時代の「ソ連」という敵、そして98年以降その「敵」はあきらかにビン・ラディンとなったという。彼のためにCIAが膨大な費用をかけて衛生監視システムをつくるなどの、過剰さがあった。これを多民族国家であるアメリカが、仮想敵の存在によってナショナリズムを固めるための常套手段と見るならば、サダム・フセイン政権のしている事とあまり変わらないようにも思う。 まだまだこの本には興味深いイスラムの事情がたくさん掲載されている。世界がはらむ困難のカギを握っているのが、イスラム諸国への対応如何でも、それらが後戻り出来ない状況になりうるのだという「重要さ」が分かる。 2001.09.22k.m コメントをぜひ 名前 コメント カテゴリー-新書、社会
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2015年1月20日、安倍総理大臣の中東訪問とタイミングを合わせたように過激派組織「イスラム国(ISIS)」が湯川遥菜さんとフリージャーナリストの後藤健二さんとみられる日本人2人を人質に取ったと、その映像を公開した。映像の信ぴょう性は定かでないが、72時間以内に2億ドル(約236億円)を払わなければ2人を殺すと脅している。 2015年最新無料洋楽サイトはクラブペンギン 2015年最新無料洋楽サイトはクラブペンギン 2015年最新無料洋楽サイトはクラブペンギン 交渉を有利にするために犯人が人の身柄を拘束する ”人質” をとる行為は昔から世界中のいたるところで行われている。国家間で人質をとることは、かなり長い間容認されてきた。古代や中世では他国と条約や合意を結ぶときに互いに相手に裏切られないための手段として使われてきた。重要人物の子弟なども含め、ローマ帝国時代にも属州の忠誠心を確実なものにするためにしばしば行われていた。しかし、18世紀には、国同士の政治的な取引に人質を使うことは、めったになくなってきた。1949年、ジュネーブ条約で国際法のもとでは人質は戦争犯罪だと正式に定めた。今日では、人質をとるのは犯罪者や情緒不安定な個人、もしくは政治的メッセージを発したいテロリストグループに限られている。人質をとればかなりの注目が集まり、身代金をとれる可能性があるため、こうした事件は定期的に発生する。イスラム国のようなグループは、人質事件を起こしては自分たちの軍事活動資金を調達してきた。何十年にも渡って、欧米列強の中東での軍事活動に抵抗してきたグループも、人質という手段に訴えてきた。 2015年最新無料洋楽サイトはクラブペンギン 安倍晋三首相は訪問先のイスラエルで記者会見し、「人命を盾に取って脅迫することは許し難いテロ行為であり、強い憤りを覚える。直ちに解放するよう強く要求する」と述べた。2人の無事救出を祈りたい。政府はシリアの隣国ヨルダンの日本大使館に現地対策本部を、首相官邸の危機管理センターに対策室を設置した。今回の中東訪問で安倍首相はイスラム国対策でエジプトの国境管理能力強化のための50万ドルを含む総額2億ドル規模を新たに支援。ヨルダンの安定を支えるため新たに1億ドルの円借款と、国際機関経由で総額2800万ドルの新規支援を表明している。イスラム国は安倍首相の中東訪問に合わせて日本人の人質の身代金を要求、米国や英国よりソフトターゲットの日本を狙って脅しをかけてきた可能性が極めて強い。 2chスレ 【国際】 イスラム国(IS)、日本人人質2人の解放のため身代金2億ドル要求 湯川遥菜さん生存確認★37 ★今ココ★ 【国際】 イスラム国(IS)、日本人人質2人の解放のため身代金2億ドル要求 湯川遥菜さん生存確認★36 【国際】イスラム国(IS)、日本人人質2人の解放のため身代金2億ドル要求 湯川遥菜さん生存確認★33 2015年最新無料洋楽サイトはクラブペンギン ・ペンギンの個人的意見 あくまでも個人的な意見ですが、日本政府は身代金を払うべきではないと思います。払うべきでは無いと思うのは、この方達が日本ではなく現地で拘束されたからです。日本に居てイスラム国に誘拐され、身代金要求されているのであればどうにかしてあげてほしいと思いますが、今回の場合は違うと思います。 お二人に限らず、紛争地域とわかっていて入国されているからには、それなりの覚悟をお持ちと思いますし、それが無いなら行くべきではありません。 ボランティアなど高い志で渡航されている皆様の意志は非常に立派で、尊敬すべきものだと思いますがリスクは承知の上だと考えますので、ご本人にも理解いただける筈です。現地では実際に報道もされず亡くなっている方もおられると思います。うまく言えませんが、身代金要求をされたから払うってのは違うと思います。身代金という卑劣な要求に対して金を払い、犯罪者に資金を提供する事は間違っています。今回の要求に対して、日本国民の税金を支払うのも容認できる事ではありません。