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触れると1階下に落ちるギミックです。 落ちる場所に落とし穴が存在する場合、同様に落ちる事になります。 落とし穴に落ちなければクリアできないステージも当然あります。 ヒビ割れ床に一度触れると、それもまた落とし穴となります。 更に見えない落とし穴もあります。 ■関連項目 ギミック一覧 ヒビ割れ床
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JS「それでは今回のファイトなのですが……」 レミ「くっくっく、遂にこの時が来たわね」 咲夜「その通りでございますわ、お嬢様」 レミ「最近わたしのことを、カリスマブレイクとか、うー☆とか言って嘲笑っている奴がいるらしいからね」 咲夜「その者達を見返す絶好のチャンスでございますね」 レミ「くっくっく、はっはっはっ、はぁーーーはっはっはっ!」 JS「種目はマグロ漁です!」 その瞬間、カリスマ悪役三段笑いをしていたレミリアの動きがピタッと止まる。 レミ「マグロ漁……ですって……?」 聖「さあ船はこちらで用意しましたので乗り込んで下さい」 聖がにこやかな笑顔で聖輦船を指さすのだが、レミリアは冷や汗を流しながら微動だにすることができなかった。 レミ「くっ……ここで引くわけには、いかないわね」 咲夜「おやめ下さい! 吸血鬼にとって流れる水の上を渡るのは自殺行為です!」 レミ「例え命を賭けようとも為さねばならないこともあるのよ、今こそ失われし我がカリスマを取り戻す時っ!」 咲夜「お待ちください! お嬢様、お嬢様ぁーーーーーっ!」 制止しようとした咲夜の手は空を切り、レミリアはそのまま船のタラップを駆け上がっていく。 そして、それが咲夜が見たレミリアの最後の姿になった―― レミ「――って感じの筋書きとか格好よくない?」 咲夜「うーん、ちょっと演出が臭すぎると言いますか、ていうか水は苦手なだけで致命傷じゃないですしねぇ」 レミ「そういや今現在からして船の上で漁してるんだものね、もうちょっと練り込む必要があるか……」 咲夜「お嬢様は自然体こそ美しいのですから、無理をしてカリスマぶることも無いとは思うのですけど……あ、引いてますよ」 レミ「きゃっ、本当に引いてる! このマグロはきっとデカイわ! ほら、咲夜も一緒に引っ張るのよ、早く早くー!」 咲夜「くすっ、仰せのままにお嬢様」 聖「あちらは楽しそうですね、それにひきかえ私のマグロストックは0匹ですし、こちらの負けでしょうかね?」 星「すみません、すみません。私がうっかりマグロを海に落としさえしなければ……」 聖「さっきまでは圧勝ムードだったのですが、とても残念ですね」 星「すみません、すみません、すいません……」 聖「別に責めてはいませんよ。私は誰も傷つかない勝負の勝敗などどうなってもよいのです。しかし先日のお花畑の時といい貴方はもうちょっと注意力を身に付ける必要がありますね。特に制限時間終了5分前にだなんてひどいタイミングであればなおさらです。人に迷惑をかける者は嫌われてしまうものです、まあ退治されてしまうことが無いように私も全力で守ることはやぶさかではないのですが、時には力及ばないこともあるのがこの世の無情というもので、それがまた悩ましいことですね。ああ南無三南無三」 星「……本当は怒ってるんじゃないですか?」 結果:時間制限終了5分前にサポーターの星がやらかしたせいで聖の敗北
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探検航海を行ったイギリスの艦船。 イギリス海軍の軍艦を英国王立協会が借り受け、海洋調査船に改修したもの。 1872年(W)12月21日にポーツマスを出発、1876年(W)5月24日に帰還。 特に海洋調査を重点的に行い、それまで550m以上の深海には生物が存在しないと思われていた事を覆し、 深海8000mを超える深海に生命を発見した。 参考文献 国立科学博物館「大英自然史博物館展」図録
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不思議!簡単!ふんわ・ふわホットケーキ by けゆあ 2008/03/04 しっとり、ふわふわでマジうまい。ミックス粉は買わなくなった。 ふんわふわというよりも、ホットケーキミックスのパッケージの写真並みに高さが出た。厚いHCに萌える人におすすめしたい。 ★ベスト配合自家製ホットケーキミックス★ by machyper 2011/02/06 牛乳を使う前提ならスキムミルク抜いていいかも。そうすっとかなり安上がりになるんじゃねーかな、好きな粉を選べるし近所に業務スーパーか富澤があると良いね、うちは準強力のリスドォルで作ってる。砂糖をノンカロリーのものに変えたりも出来る、バニラビーンズ入れたりとかも。 おいしいパンケーキ♪ by mametacafe 2010/09/04 バニラエッセンスいれるともっとミックス粉に近づくと思いますた。 かりっ♪もちっ♪クランペット。 by ☆ひな☆ 2009/10/11 昼に作って、バター付けて食べた。香ばしいパンのような感じで美味しかった。 クランペット♪イギリスの味 by ブランディ 2009/10/11 パン焼くより楽だし、美味しい! パッケージみたい!?分厚いホットケーキ by kana-bun 2009/07/02 ホントにふわふわになってワロタ。混ぜなきゃ混ぜないほどいいのね。 人気があるレシピだけど、私が作った物は、ふくらんだけど粉っぽくなっていまいちだった。もっと混ぜた方がいいのかな。 うちのパンケーキ。 by つくしぐみ 2009/04/29 ホットケーキの人気レシピで色々作ってみたけどこれに落ち着いてよく作ってる。 プロが食べてるカナダのパンケーキ! by フレームズ 2009/01/29 シンプルなパンケーキっておいしい。 たぶんエッセンスではなくバニラエキストラ 大人のホットケーキ(パンケーキ) by romy 文句無く( ゚Д゚)ウマー お食事パンとしても秀逸 笑顔までとろけるパンケーキ by Taikostanzo 2008/03/04 既出だけどやっぱりおいしかった お口でとろける、ってほどでも。BPとBSでふんわりはするけど、やっぱり内部までふんわりはしてなくて、半生みたいな感じ。 ふかふかというよりはしっとりぶにぶにって食感。ふんわり好きには向いてないと思われ。 薄力粉だけと薄力粉と強力粉半々まぜて焼いたのと2回焼いたけどまぜたほうがふっくらして美味しかったよ。 生地はフライパンに落とす時点でかなりブワッブワッとするので薄く数多く焼くのはけっこう難しい 食べた感じもブワブワッ 家族の反応はまぁ、こんなもんじゃない?程度でした ふわっというより、くしゅっとしてしゅわっとしてる。口当たりがなめらかで、ヨーグルトの酸味が自分にはとても好ましかった。苺&ラズベリーとシロップでいただきました。 自家製ホットケーキミックス by ぺくちん 2008/03/04 普通にホットケーキを焼いてもヨシ。他のお菓子にも使える。これで、262232 簡単♪基本のタルト生地を作ってみた。サクサクウマーだった。
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難度…………君主。 文明…………ランダムの結果ローマ。 マップ………スモール、大陸。 AI数………9つ。 スピード……遅い。 その他………宇宙船勝利を外した。 ゲームを始めると、北に象と牛、南東に大理石。南東に貝。川もあるし、即この場を首都に定めた。 行政官「陛下、この地は恵まれております。栄光のローマ帝国を築くのもそう遠くないですな」 まずは戦士をいったい作成し、その次に作業舟をつくった。貝の資源を得るために。そうすれば、食糧生産力がUPし、ひいては開拓者の生産力アップにも繋がるからだ。 順調に進み町が三つになった頃までに出会った文明は、イギリス、ペルシャ、アラビア、ギリシア、日本、そしてアステカ。 行政官「陛下、凶報です。北にアステカ、東に日本と我が文明は攻撃的な文明に包囲されています。即座に鉄器を開発し、軍備を整える事です。内政はその後にした方が得策というものです」 カエサル「いや、まだ青銅器すら開発していない。ここは一つ、狩猟を発見し、弓兵をそろえて防御に出よう」 そして危惧していた事が現実になった。 青銅器の技術の発見した直後にアステカが宣戦布告してきた。領土内に銅はあったが、いまだ手中に収めていない。 ジャガー戦士と斧兵にキャンプ(象牙)と牧場(牛)を破壊され、生産力を失いつつも都市への攻撃はすべて弓兵が防いでくれた。そうこうしているうちに銅との接続が可能になり、斧兵で敵のジャガーを中心とした部隊を撃破していった。 さらに鉄器の開発が完了し近衛兵が登場する段になると、戦術レベルでは優位に戦いを進める事ができるようになった。しかし生産力で負けているローマには、逆撃を加えるだけの力はない。 和平しかなかった。今度の戦いで我がローマは100Gの賠償金を払って、何とか和平する事が出来た。 カエサル「皆の者、こたびの戦ご苦労だった」 行政官「100Gの戦後賠償は痛いですな」 カエサル「うむ。しかしあの国といつまでも戦争などしてられん。向うもそう思っていただろう。だからこその100Gだ。未来のためにあえて折れたのだ」 行政官「流石は陛下」 カエサル「だが忘れるな、モンテズマには必ず後悔させてやる。そのときまで軍備を怠るな」 行政官「はい」 我がローマは更なる軍拡へと進む。新技術が完成すれば迷わずトレードし、別の技術や資金を調達していった。 そして大国アステカの西に位置するイギリスがアステカと戦争を始める。 行政官「今です。今こそ軍を進めるときですぞ」 カエサル「しばしまて。アステカの主力が完全に西に目を向けてからだ。そのころには鎚鉾兵が生産可能になるだろう」 宣戦布告と同時に、守備力が低い都市をカタパルトと鎚鉾兵を中心にした部隊で攻撃し陥落させる。 次いでアステカの重要都市に対して進撃するが、我が軍は苦戦し、思うように攻撃できなかった。 カエサル「流石はアステカというところか。よし、我がローマに協力してくれる文明を探せ。技術は惜しむな」 この呼びかけに、東のギリシアが呼応してくれた。 増援として表れたのは騎士……その数10。大軍である。だが強大なアステカはこの一次攻撃を全て凌いだ。しかしそのほうがありがたかった。アステカはまだ崩れていない。そこへ再編した我が軍をぶつけた。 結果は相応の被害は出しつつも都市を陥落させることができた。 そこで凶報。この戦いでは小さいながら町を一つ破壊されていたイギリスは、アステカと和平したのだ。 つまりはアステカ軍が西進してくるということ。日本は全く呼応してくれないし、ギリシア軍も主力が壊滅して増援が乏しい。ゲリラ的な戦力しか存在しない。 ならばここは和平か。ギリシアが和平してしまうと、それも難しくなるという判断で200Gの賠償金を出させ和平に成功。 行政官「陛下、こたびの戦勝おめでとうございます。憎きアステカに一撃を与える事に成功しましたな」 カエサル「ああ。200Gも手に入った。この資金はそのままギリシアに贈ろう」 行政官「なんと!!」 カエサル「そう驚くな。大国アステカと渡り合うにはギリシア一国では荷が重い。だからこそ支援が必要なのだ。これで両国家が少しでも長く戦いつづけることになれば、それだけでこちらに、そしてイギリスに有利になる」 そうなのだ。我が国はイギリスと将来的に永続同盟を締結する事をもくろんでいるのだ。 結局ギリシアとアステカの戦いは一進一退だったのか、目に見える変化なしで終結した。だが回復力で考えるならアステカのほうが上なのは間違いない。つまり次の戦いにギリシャには勝ち目はないだろう。 だがここで一つの朗報。イギリスが再度アステカへ宣戦布告したのだ。そして援軍要請の使者。もちろん断りの返事。今、軍を動かすのは懸命ではない。軍備を整える必要がある。 そうこうしている内に火薬時代へ突入。グレネーダーとライフル兵を適度に生産。そこへ日本軍の突如の宣戦布告。 迫り来る少数のライフル兵と侍の大軍を中心とした軍勢にカノン砲で打撃を与え、あとはライフル兵が一掃する。なんのか敵に一陣を凌いだ後は、こちらの反撃。もうあの頃のローマではない。苦戦しながらも首都を攻略。のこりの日本領2つ。ちなみに我がローマの都市は6。京都のレジスタンスが終結すれば、生産力の面でアステカに肉薄できるはずだ。 家康「和平を申し込みたいが?」 カエサル「ああ、構わんよ。ただし金をだしな」 たったの73Gだが、ともかくは賠償金を得る事が出来た。 このたびの戦いは、京都と73Gを得たが多くの戦力を失った。アステカ相手にもこれほどの損失はなかった。日本が戦力をかなり備蓄していたからこその結果だろう。 それにしてもアステカめ、よく考えてある。このタイミングでわがローマの進軍を抑えるために日本を利用するとは。 そのおかげで宗主国イギリスが苦戦しているようだ。 そこで我は考えた。 アステカと戦う力がないなら、戦力を贈ればいいではないか、と。 早速新兵と旧式ユニットをイギリスにプレゼント。 そして我がローマは京都のレジスタンスを鎮圧し、国力と科学力の上昇に力を入れた。もちろんイギリスへの物資の提供は怠らない。 今のところスコア的にトップを走っているのは別の大陸のエジプト。国土的にはそうでもないが一番の技術力を誇っている。 2位はアラビア。3位は小さいながら大陸を統一している中国。そして4位に我がローマ。 アステカ、イギリス、ギリシャ、日本といった順番。後一つ文明があるはずが見当たらないということは、既に滅んだのかもしれない。 その後イギリスとアステカが和平し、一瞬の平和が訪れたが騎兵が生産可能になると状況は一転した。まあ、一変させたのは我がローマなのだが……。 それまでためておいた騎士を順次アップグレードしたのだ。もちろんすべての騎士をそうできるはずもないが。 騎兵と騎士、そしてカタパルトとライフル兵の混成軍がアステカ領へ迫る。敵はやっとの事でライフル兵を生産可能にしたばかり。その数も少ない。 型どおりの城攻めを繰り返し、ついにモンテズマの首級を挙げた。 行政官「陛下、おめでとうございます。にっくきモンテズマをとうとう討ち取りましたな。つぎはイギリスへの進軍ですか?」 カエサル「何を言うか。イギリスは盟友……叩くなら日本だ。幸い鎖国などといって外国との交易を避けているようだし、技術も大した事ないだろう」 以前にライフル兵の姿を見たことを忘れてはいないが、あれから飛躍的に成長しているはずもないだろうという読みはあたっていた。 こちらが歩兵を生産可能にしている時期になっても日本は未だにライフル兵。歩兵の戦力は恐ろしく強かった。瞬く間に日本を完全併呑。徳川の首もはねる事に成功したのである。 カエサル「ふはは。みよ、我がローマ帝国の領土を。世界最大規模じゃないか。これなら誰をも恐れる事はあるまい」 行政官「時に陛下。我が領内には石油がありませんが?」 カエサル「なら海兵隊と機械化歩兵の生産を急がせろ」 行政官「陛下が戦争ばかりしているから、技術が遅れています。そこまで行くのにかなりの時間が……」 カエサル「解った解った。これからは内政に移行するから。ちなみに石油を所有する文明は?」 行政官「同じ大陸の国ですと、盟友のギリシア、そしてアラビアの二国です」 カエサル「今後のためだ。アラビア進軍作戦を立案する」 この作戦が誤りだった。ギリシアと通行条約を結び、大軍を進攻させたまでは良かった。が、敵には既にステルス爆撃機、機械化歩兵、現代機甲部隊などのいわばエリート部隊を所有していたのだ。空から我が部隊は爆撃を受け、そこへ機甲部隊の攻撃がありあっさりと我が軍は壊滅してしまった。対空部隊が皆無だった事が一番の原因かもしれない。 そして中国からの宣戦布告。戦艦と空母を中心とした艦隊が旧アステカ領に迫り、輸送艦から降り立った陸上部隊は 、はやり機甲部隊だった。 アラビアと中国の進攻になすすべもなく、我がローマは降伏した。 その後、2050年を迎え、タイムオーバーでエジプトが勝利した。 ちなみに我がローマの順位は中間結果と同じ4位だった事を付随しておく。
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157: ホワイトベアー :2022/01/13(木) 18 42 13 HOST sp49-98-162-90.msd.spmode.ne.jp 日米枢軸ルート 第3話 改訂版 1871年、南北戦争集結から6年の月日が立ち、南部において最低限のインフラ網の再建が終わり、ようやく本格的な再建が開始され始めたこの頃、再び日本に戦乱の気配が漂っていた。 事の発端は宮古島から沖縄本島へ物資を輸送し、帰路についていた輸送船が台風により、遭難、乗員が漂流すると言う遭難事件であった。 本来なら希にある遭難事件として処理されるはずだった本事件だが、漂流者が漂着した台湾南部にて現地の先住民であったパイワン族に拉致、殺害されると言う事件が発覚したことにより日本と清国の間の外交問題にまで発展してしまう事になる。 最も、この事件が発生した当初はそこまで大きな問題ではなかったし、日本政府もそこまで大きくするつもりもなかった。 当時の日本は国内の整備やアメリカ南部の復興、ロシアから購入したアラスカや新規に獲得したニューギニア島東半分を中心としたオセアニア諸島からなる日本領ニューギニアの開拓、1866年にコロンビアから(日本の援助の下に)独立したパナマから永久租借したパナマ地峡でのパナマ運河の建設、自身が筆頭株主であり、開通したばかりのスエズ運河の運用とオスマン帝国との関係改善等に力を注いでいたこと。 殺されたのは当時は事実上の二等国民として扱われていた琉球人だったと言う事も合わさり、問題をそこまで大きくするつもりも、大きくする必要もなかった。 事件発生当初の多くの日本人にとって、この問題は台湾蛮族が沖縄土人を殺した程度の問題であり、軍事的な介入はもちろん経済的な制裁をする必要もない、形式的な謝罪と再発防止で済む些事に過ぎなかったのだ。 実際に日本政府も清国側への要求は賠償金の支払いと謝罪、再発防止策の実施を要求するに留めていたし、清国政府が台湾は自国の邦土であるが管轄外として賠償を拒否したために発生した交渉に年単位の時間をかけても誰も問題視しなかった。 そんな状況が一転するのは、1873年(明治6年)に日清の交渉中に備中国浅口郡柏島村の船が台湾に漂着し、乗組員4名が略奪を受ける事件がきっかけだった。 この一連の出来事は日本の新聞社が新聞の読者を増やそうと考えていた時期と一致してしまい、各紙は台湾での日本人に対する残虐行為や清朝の対応について誇大な報道や過激な論調の掲載を繰り返し行うことで読者を増やしていき、清朝や台湾人に対しての日本人の怒りが爆発。 これに、開国後に流れ混んできた諸外国の情報や発展し続けていく自国、結果として奴隷解放をなした南北戦争で日本が大きな影響力を発揮した事などが合わさり、当時の日本人が抱いていた《アジア唯一の一等国》、《アジア最大の大国》、《アジア的近代文明の担い手にして導き手》、《近代文明の守護者》と言う自負心が爆発した怒りと悪魔合体してしまった事で、日本国内の世論は、怠惰な清国に代わって野蛮な台湾先住民を征伐し、野蛮人どもに近代文明を教育してやれと強硬論が大勢を占めてしまう。 国内の世論の動きや傾き、さらに本土の日本人が被害を受けたこと、それでも清国との交渉に進展が無いことを理由として日本政府は台湾への出兵を決断せざるをえなくなり、 法務大臣大隈重信を台湾蕃地事務局長官に、海軍中将西郷従道を台湾蕃地事務都督に任命し、ハワイ進駐でも活躍した海軍第八海兵陸戦師団と海軍第八警備艦隊の動員を開始、出兵の準備を始めていく。 そして、1874年1月12日に日本は同盟国であったアメリカに、1874年4月13日にその他の国々に台湾への出兵を通達し、本土から台湾に向けて部隊を派遣する。 ちなみに、正式に出兵を通達する前に日本はアメリカ政府への根回しやアメリカ世論の操作を終わらせており、アメリカ政府は日本の行動を称賛すれども避難する事はなかった。 158: ホワイトベアー :2022/01/13(木) 18 43 30 HOST sp49-98-162-90.msd.spmode.ne.jp 清国や諸外国に出兵を通達した翌日である4月14日には第四警備艦隊の護衛の下、日本軍は社寮に海兵10,800名を、楓港に海兵1,200名を上陸させ、西郷の命令の下に日本海軍海兵隊は本格的な台湾蕃地制圧作戦を開始。 近代的な装備で身を固めた日本軍に対して、槍や弓矢、投石などで武装する台湾人達が勝てるわけがない。 戦闘は当然ながら日本軍の圧倒的な有利下で進んで行き、マラリア以外の問題が発生することはなく、日本軍は占領地を拡大していった。 日本軍の台湾上陸から2週間と経たずに牡丹社など事件発生地域を含む台湾蕃地全土は日本軍の占領下に落ち、台湾遠征軍司令官であった西郷中将は戦闘の終結を宣言。以後、日本軍は事件の調査を名分に台湾蕃地を軍政下に置いた。 日本政府はこの出兵に際して清国政府に事前通告を行わず、さらに同盟国であるアメリカを除いた清国に利権を持つ列強に対しても通達・根回しすら行わなかった。 その状態で、台湾蕃地を武力制圧を行った為、清国の実力者であった李鴻章はもちろん、イギリスの駐日公使パークスを代表とした欧州列強の公使達も清国を庇い、日本の軍事行動に激しく非難した。 普通の国家なら震えながる大英帝国の非難声明を受けた日本側であるが、彼らは台湾への陸軍2個師団の追加派兵で回答。それどころか、イギリスが清国側を支援するなら両シナ海の海上封鎖も辞さないとパークスの頭越しにイギリス本国に通達するなど強気の姿勢を崩さなかった。 イギリス本国も現状での対日圧力を強めるのはイギリスの国益に反すると判断。日清の武力衝突による東アジアでのパワーバランスの崩壊と対清貿易の停滞を避ける為に両国の仲介を行い、事態を軟着陸させる方針に転換する。 イギリスと日本の間で外交的な暗闘が続いている最中、福建府政使である潘蔚と台湾等処海防兼各国事務大臣である沈葆偵がこの問題の処理の為に台湾に派遣され、台湾蕃地を軍政下においていた西郷海軍中将と交渉が開始された。 この台湾での交渉では台湾の帰属が主な内容であったが、非公式ながら日本は再び清国政府の謝罪と賠償金による解決と言う案をこの交渉で提示するも、潘はこれを不名誉であるとして拒否。 その後も交渉は続けられるが、両者の溝を埋める妥協案が出てくることはなく、日清の交渉はいったん行き詰まる。 一方、日本本土も問題の解決のために動いており、柳原前光を全権代行大使として任命して北京に派遣。同地にて総理衛門との交渉を開始していた。 この時点の日本の要求は 軍の出兵でかかった費用と被害者への補償金の支払い、 清国政府からの謝罪 再発防止策の実施 と比較的軽いものであり、政府の一部ではさらに台湾や海南島の割譲も要求に入れるべきと言う意見もあったが、すでに多くの土地や地域での再建や開発に集中している日本はこの時点でもまだ金銭的賠償と謝罪で済ませようとしていた。 日本の比較的穏健な要求に対して、清国政府内は要求受諾を唱える穏健派と要求拒絶を主張する強硬派に分断、最終的には宮廷の支配者であった西太后や保守派を味方につけた強硬派が対日交渉の主導権を握ることになってしまう。 これにより、清国政府は再び台湾は清国の領土であるが、事件がおきた場所は化外の地であり、清国に責任はないと日本の要求を全面的に拒絶。 ただし、清国側強硬派も譲歩をしなかったわけではない。 彼らとてアヘン戦争やアロー戦争でのあれこれから、日本が西夷に匹敵する軍事力や国力を有している事は清国上層部も理解していた。 159: ホワイトベアー :2022/01/13(木) 18 44 01 HOST sp49-98-162-90.msd.spmode.ne.jp 故に、清国は日本軍の台湾からの撤兵を条件としてだが、日本軍の台湾占領の蛮族討伐は秩序を守るために行われた義挙としてその正当性を認め、清国側からも賠償金要求や謝罪要求を行わない。 日本側への賠償金は支払ないが遺族への慰霊金として50万両を支払うなどの妥協案を提案する。 この清国の提案は清国での貿易に支障を来したくないイギリスやフランスからの入れ知恵の結果であり、両国の新聞では清国の提案を極めて先進的な提案だと褒め称えた。 日本も国際的に悪目立ちをしたくない事もあり、賠償金支払要求額を清国側の提案よりさらに削減するなど一定の譲歩を見せるなど交渉の進捗は一気に進む事になった。 だが、日本側は国内の世論もあり清国政府、いや清国皇帝が自身の責任を認め、被害者への謝罪要求は妥協せず、結局、清国の責任を追求する日本側交渉団とあくまでも清国に責任は無いとする北京総理衛門の間で交渉は再び難航してしまった。 イギリスやフランスは何とか日清の交渉を決別させない為に清国側や日本側に慰霊金増額とそれを対価として謝罪要求の取り消しを打診するが、日本側は謝罪要求は当然の要求だとして撤回をせず、清国側もこれ以上の譲歩は清国の面子に関わると主張。 北京や台湾での交渉にしびれを切らした日本政府は交渉の打ち切りを表明。清国側も去るもの追わずの姿勢を示したため柳原前光は一時的に日本本土に帰国させ、交渉は完全に停滞。 同年9月10日に戦艦2隻、装甲巡洋艦4隻を中心とした遣支艦隊の護衛の下に再度交渉団を北京に派遣するも、この時の日本はすでに交渉を行うつもりはなく、交渉団には全ての要求を清国側に受諾させるように指示。 清国が一つでも要求を拒絶した場合は開戦やむ無しと言う決定を下しており、事実上の最後通牒の提出であった。 要求内容も清国皇帝の謝罪要求こそ削除されているが、賠償金額は190万両まで増大、さらに日本政府は清国の態度に対して台湾・膨湖諸島の割譲を要求に盛り込まれているなど当初の要求と比べると遥かに厳しいものになっていた。 これは国内の世論の影響によるものであり、日本の新聞社各社が盛大に世論を煽った為である。 ちなみにこの影響から日本政府は新聞社への規制やら何やらを盛大に強化、今後この様にブン屋に引っ掻き回されないように義務と責任の所在をはっきりさせていく。 圧倒的な軍事力を背景としたこの交渉に清国政府は対抗できる筈もなかった。 列強に支援を頼もうにもフランスは普仏戦争の敗北による国家戦略の再編成でアジアで動く余力がなく、アメリカは同盟国である日本を支持、イギリスにいたっては幕末のやらかしや南北戦争のやらかしから、これ以上の日本との関係悪化は避けたい状態であった。その他の列強?声だけは勇ましいが実際に支援する事ができるはずもない。 その為、最終的には清国は日本側の屈辱的要求(賠償金190万両の支払い、台湾での事件の国家的謝罪、台湾および膨湖諸島の割譲)を全面的に飲むことしかなく、これらを盛り込んだ日清協約が北京で締結される。 それを確認後、日本政府はただちに台湾ならび膨湖諸島の併合とこれらを管理する行政組織として台湾準県総督府の創設を宣言。台湾および膨湖諸島の日本領土に編入を持って日本の台湾出兵は終了した。 この屈辱的な協約を締結させられた清国は臥薪嘗胆を合言葉として洋務運動をより一層推進していく。 特に、海防の重要さを中央が改めて認識したことによって、李鴻章の主導の下に近代艦で編成される事になる北洋艦隊の創設とそれらを支えるドック等の施設の整備が全面的に認められるなど、日本を仮想敵国とした海軍の整備や陸軍の近代化にもより一層力を注いでいくことになる。 160: ホワイトベアー :2022/01/13(木) 18 44 33 HOST sp49-98-162-90.msd.spmode.ne.jp 最後に、余談ではあるが、交渉の為に北京に訪問した遣支艦隊は交渉の終了後にイギリスへの示威行動も兼ねて香港に親善訪問を行っている。 南北戦争において日本は戦艦や装甲巡洋艦を投入したため、欧州列強もその存在自体はおぼろげながら把握していた。 もっとも、その推定性能は白人至上主義的思想と黄色人種への侮蔑が多分に含まれたものであり、それが故に欧州列強の海軍上層部は自国で建造している大型装甲艦でも十二分に対抗できると考えていたが。 そんな甘い考えの下にいた欧州列強に対して、極めて非情な現実がこの親善訪問で突きつけられる。 公開された扶桑型戦艦と浅間型装甲巡洋艦の過剰すぎる性能と配備数は欧州列強、特にアジアに多くの利権を持ちながら日本と潜在的に対立していたイギリスやフランスに強い衝撃を与え、世界帝国たる大英帝国上層部をして 『ゲームにすらならないぞ。これでは対日貿易是正は論外だな。それどころか日本が支那や東南アジア、オセアニアの利権を要求したら大幅な譲歩をせざるを得ないだろう』 と考えさせる程であった。 何せ、当時のイギリス海軍には扶桑型や浅間型に匹敵する程の大型艦艇は沿岸警備用の装甲艦モナーク、デヴァステーション級装甲艦2隻、装甲艦ドレッドノートの計4隻しか存在しないのに対して、日本側は史実前弩級戦艦クラスの艦艇を20隻、装甲巡洋艦を33隻も保有しているのだ。 日本がその気になれば南アジアやオセアニアはもちろんインドすらその支配領域に加えられるだろう。そして、イギリスにそれを防ぐ手段は存在しない。 この為、この親善訪問によりイギリスの世界戦略を根本から崩壊させると言うダメージを負わせ、列強海軍最強と自負していたイギリス海軍の面子を盛大に台無しにするだけではなく、以後のイギリスの外交担当者に軍事的に圧倒的な優位にある日本から国益を守るための地獄の様な綱渡りを強いる事になった。 (※1)対日貿易是正 日本は享保の改革以後、不換紙幣である円をその国家通貨としており、世界でも数少ない先進国でありながら管理通貨制度を採用している国家であった。 しかし、それ故に諸外国からの通貨の信用度が低く、ポンドと円の為替は圧倒的であった。 しかし、日本は自分の勢力下で殆どの資源を自己完結できる日本は圧倒的な円安とイギリスの主導する自由貿易主義を利用して大儲け中で、イギリスは圧倒的な対日貿易赤字を叩き出していた。 161: ホワイトベアー :2022/01/13(木) 18 45 12 HOST sp49-98-162-90.msd.spmode.ne.jp 以上になります。wikiへの掲載はOKです。 162: New :2022/01/13(木) 19 40 39 HOST fp7452c2bb.oski305.ap.nuro.jp 乙誤字 マリアナ→マラリアですね
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正直今回はあまり書くのに気乗りがしないが、 失敗を成長の種とすべく書いて見る事にする。 途中不快な行動が出てもご勘弁願いたい。 Map Lake 8Players 今回は日本だ。 偉大なる徳川家康。 狩りの天才にして腹黒狸。 今回の私も腹黒狸のように行動できたかどうか、それは読んでのお楽しみである。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (joban.JPG) ダブルコンタクト 貴方は敵か味方か? 首都を作ると同時にイギリスが見えた。 すさまじい資源を持つも、伸びが甘い? 良く分からないが、軍備を増やしている気はしない。 友好的にいこう。 するとロシアから個別が入る。 ロシア「技術同盟を結びませんか?」 日本はお菓子の小屋によりロシア方面の地図を得ている。 狸はざっと計算して利が多いと判断し、 日本「了解した。」 と伝えた。 ロシアというとコサックが強いという噂を聞く。 私はまだ目にしたことは無いが、コサック単体で勝負が決まるようなものでは無かろう。 遠くの戦争と高まる緊張 はるか遠くの大地で戦争が起きている。 旅人はそのような噂を運んできた。 日本はその頃外交に全力を傾けていた為、戦争に対して興味を持つ余裕が無かった。 日本は囲まれているのだ。 早期の軍備と技術同盟により浮いたGoldで優位を保っていたが、2国に攻められれば即落ちるだろう。 方針は決まった。 日本が勝つには、戦争をしないことだ。 外交により優位を保ち、攻めてくる相手を撃退すればいいのだ。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (sekaitizu1.JPG) その頃、ロシアに不穏な動きが目立つようになって来る。 突然エジプトとの戦いに参戦し、日本にも参戦を呼びかけてくる。 コレは距離が開いているので断った。 他の国とも技術同盟を結んでいた。 おそらくインカとエジプトの技術を数ターン遅れて供与してもらっているようだ。 通行条約を結び宗教をまわしに来た。 確かにコレは誰でもやるだろうが、最優先で配りに来たのが気になっていた。 後に神権政治に変更しブロックするも遅かった。 開発の速度が急に落ちた。 Goldを貯めているように見えた。 思いのほか手を切るチャンスが早く到来した事に焦りを覚えつつ、 自国に力を注ぐ。 フランスとイギリス フランスは東にローマという敵が居るためか、日本とは友好的な関係を結んでいた。 イギリスは紀元前から不可侵条約を結び、背後の心配を消す努力を続けていた。 フランスに監視を送ると、確かに軍備をこちらの国境には配備して居ない。 イギリスは国境沿いに大量の軍事ユニットを置いている。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (France.JPG) 今イギリスが裏切る可能性は低い。 こちらは象兵と侍を大量に抱え、イギリスは未だ斧兵がメインであった為だ。 この頃からフランスとは鉄をキーに何度か交流があった。 どこか信頼できるという直感があったのも交流が続いた理由だろう。 その後フランスとは防衛条約を結ぶことになる。 ただし。 「ロシア」が攻めてきた時のみ発動する条約である。 条約という名の空約束。 今回の大きなミスの一つ。 イギリスとの条約だ。 紀元前から不可侵を結んでいたイギリスとは、あまり良い関係では無かった。 何故なら、不可侵以外の決め事が無かったからだ。 人は石垣、人は城というが、私がイギリスを丁寧に扱わなかった事が後々大きな事件に発展する事になる。 ロシアの策略 200ターンのゲームであるため、そろそろ6割以上が終わっている。 ロシアはココに来て更に怪しい動きを活発化させて行った。 グラフのエネルギーと実際の軍備が一致しない。 ロシアには監視ユニットを置いていたのだが、どうしても数が合わない。 あの倍は居てもおかしく無いのだ。 隠している?なんの為に?日本を攻める戦争の為か。 ライフルの申し出 ライフルとカノン砲。どちらを開発する? という質問をした。ライフルは騎兵隊のアンチユニットだ。 ロシアとしては開発されては困る技術だろう。 ロシア「共通規格からいく」 日本「ではカノンを開発する。」 ほぼ確定ではないだろうか。 真の狸はロシアなり。 この時点でソレは確信ではなかったが、高い確率の脅威として考えていた。 日本は全力でライフルを開発に取り掛かった。 スペインの闇 ロシアをこまめにチェックしていると、スペインの文化が異常な伸びを示している事に気がついた。 自分の首都を見ると20000も無い。 流石に文化勝利は難しいとは思うが、スペインはどの国とも外交をせず孤高を守った国だ。 つまり制覇、外交、宇宙開発で勝つ気が無い。 戦争は起したく無かったが、仕方が無い。 軍備の一部を割き、スペインへ宣戦布告する。 ロシアも攻めるようだが、あくまでも日本に先陣を切らせたいようだ。 この時点で、この戦いがスコア争いの最後の一手になるとは予想して居なかった。 神の見えざる手 スペインを攻めるにあたって。 ロシア「スペインの首都をエジプトに譲渡したいんだけど、いいかな?」 日本「了解した。」 正直首都などを取ると、スコア的にヤバイ。 持っていってくれるなら嬉しい事だ。 その後インカがイギリス、ローマ連合軍により攻められ滅亡することになる。 すると世界が止まり、しばしの時間が空いた。 その際、エジプトの中の人が行方不明になり、首都は日本が所持する事になった。 今思えば、コレが分かれ道だったのだろう。 最後の思惑。 最後の最後。 各国の思惑は既に、想像できる範囲を超えてしまった。 何が起きても仕方が無い。 イギリス「さぁ、最後だからいくよ」 イギリスが日本に宣戦布告しました。 早速きたwww 正直サイコロで456が出るより驚いた。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (England.JPG) ローマ「オレもいくよ」 ローマが日本に宣戦布告しました。 フランス「我が同盟国へ攻めるとは許し難い。」 フランス「さぁ、リヨンを返してもらおう。」 フランスがローマに宣戦布告しました。 ふとイギリスに個別を送る。 日本「ロシアと同盟結んだの?」 イギリス「いや、スコアトップだから。」 なるほど確かに。首都が仇になったか。 この時点でスペインの首都を守りにいかせた部隊と、ロシアの背後突くための部隊を共に戻すことになった。 スコア200ほどを持つ首都はわずか3ユニットである。 イギリスはかなりの猛攻を仕掛けてくる。 おかしい、何故こんな大金を持っているのか? 騎兵隊の技術もロシア、日本で共同開発したものだ。 他の国が持っているわけが無い。 しかし実際には世界中の国が既に保有することとなっていた。 裏で糸を引いたのは誰か。最後までわかる事は無かった。 カタパルトの大群をぶつけ、 捨てユニットとして作っていた先制攻撃もちの長弓兵をスタックにぶつけ 最後に騎兵隊のスタックでイギリスの部隊を半壊させるのに成功した。 弓兵は全滅した。 時間稼ぎのためのユニットだったが、予想外の消耗に家康は渋い顔を隠せない。 ロシアが日本に宣戦布告しました。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (Rusia.JPG) さぁ、来た。 おそらく勝ちが確定したと思ったのだろう。 最後まで後10ターンを残す所で布告をしてきた。 ロシアは気付いているだろうか? マドリッドこそキーだという事に。 もちろん日本は 気付いていなかった。 orz 凌ぎあいと削りあい 残り4ターンを残す頃、ついにマドリッドへコサック6が来た。 ロシアは最初からこのツモリだったようだ。 敵ながら天晴れな視点というほか無い。 フランスの協力もあり、ライフルの開発に成功するも時既に遅し 、日本はやっと気がついた。マドリッドこそ鍵になる場所だと。 残り2ターン もう打つ手は無い。 見苦しい敗将 どうにも怒りが収まらない日本の中の人は、 ローマを攻め、スコア2位に伸びたフランスに都市を譲渡しようとした。 フランス「それはゲームしとてどうなのw」 まったくその通りだ。 落ち着きを取り戻した中の人は負けを認めた。 フランスの人には感謝と謝罪をおくりたい。 最後の技 勝負が決まった後 座談会が開かれたのだが、その時のこと ロシア「実はエジプトに(スペインの)首都を譲渡してもらう約束だったんだ。」 な、なんだってクマー なるほど1度滅亡しかけたエジプトを救ったのはロシアだ。 それなら私も認めざるを得ない。 見事なり、そして無念なり。 感想 利なき同盟は無意味なり。 スコアトップは叩かれるなり。 →盾になる国が無いなら一位になることは自殺行為でゴザル。 ロシアのコサックは激しく危険なり。 →ロシアのブーストに手を貸す事は自殺行為でゴザル。 裏切る勇気こそ大事なり。 →勝利を手にするのは真の狸のみでゴザル。 あと3枚は狸の皮が欲しい。 そう思った家康であった。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (ketumatu.JPG)
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24 :Monolith兵:2014/07/08(火) 20 38 53 ネタSS「憂鬱日本欧州大戦 -髭凍る戦場-」 第2次世界大戦が始まり約1年、欧州はまだファニーウォーが続いていた。 ソ連側も連合国側も戦争準備を進めていたために、積極的な攻勢は行わずにいたために、また連合国とソ連との間にはドイツが存在したために、陸上での大規模な戦闘は1940年に入って以降起きていなかった。ドイツが連合国側である事はソ連も理解していたが、未だ中立国である事を利用して、戦力を増強していた。 さて、そんな状況であるから、独ソ国境では互いに強固な陣地が築かれており、容易には突破できない状態であった。連合国はそのことから、日本からの情報も合わせてドイツ侵攻も含め3つの侵攻ルートを想定していた。なお、この次期には連合国各国は、日本がソ連に大規模な諜報網を持っている事に気づいていた。 1つ目は、ドイツ国境を突破しフランスまで侵攻してイギリスを孤立させるという案である。ただ、これをするにはソ連もただでは済ま無いために、最も可能性が低いと見られていた。しかし、ポーランド戦での経緯を見るに損害を無視して進撃するソ連軍の姿から、可能性は除外できなかった。 2つ目は、バルカン半島沿いに侵攻してドイツを半包囲して侵攻するルートである。だが、これも途中には多数の国がありその抵抗が予想される上に要害が多く、可能性は低いと見られていた。また、トルコ国境にも接するために、トルコの参戦を促す可能性もあった。 三つ目は、スカンジナビア半島を侵攻するルートである。スカンジナビア半島は要害が少なく、軍備も弱い国が多かった。 また、ソ連は元々フィンランドを敵国と名指ししており、侵攻する可能性は高いと見ていた。スカンジナビア半島とデンマークとの間にはエーレ海峡、大ベルト海峡、小ベルト海峡が存在したが、いずれも幅は狭く、最も広い海峡である大ベルト海峡でも16kmしかなく、冬季には凍結するので渡海は容易だった。 渡海の際に問題になる制海権についても、狭い海峡内では大型艦の行動は制限されるため、魚雷艇や重砲、航空機による支援で十分ではないか、と連合国では考えられていた。 連合軍ではこのスカンジナビアルートを本命と見て、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、デンマークに連合国への加盟を求めたが、デンマークは兎も角、残りの3ヶ国はソ連を刺激して侵攻されてはたまらないと拒否した。それでも、何とか協議を重ね、ソ連に侵攻された場合のみ連合国に加盟すると言う秘密条約を結ぶ事に成功した。 なお、これと同様の秘密条約は東欧諸国やトルコなどとも結んであり、陰謀好きな連合国の盟主の存在感はますます増していた。 25 :Monolith兵:2014/07/08(火) 20 39 49 そんな中、1940年11月30日、ソ連はとうとう動いた。それも連合国が本命と見ていたスカンジナビアルートだった。 「ついに動いたか。かなり早いな。」 「僅か1年で再侵攻とは、余りに早いです。連合国は準備は調いつつありますがまだ万全とは言えません。」 「1年で侵攻してくるという事は、ソ連の工業力はかなり向上している可能性があります。以前の予測では我々の方が早く準備が整うと考えられていましたが、それより早く動いた。アメリカからの支援はかなりのものである可能性があります。」 日本は東京の某所で、夢幻会は会合を開いていた。今回ソ連がフィンランドに侵攻した事で、フィンランドは連合国入りし、連合国の各国軍は次々と連合国入りしていた。その中にはこの1年イギリスで燻っていた第一次遣欧軍の混成旅団も含まれていた。 「アメリカの支援はそれほどまでの物なのかね?」 「把握出来ているだけでも、満州にあった製鉄工場、トラクター工場、飛行機工場、鉄道車両工場、缶詰工場、被服工場などがスクラップにされた事が確認されています。また、弾薬工場が奉天軍に払い下げされた事になっていますが、確認できませんでした。他にも、アメリカからはスクラップ名目で大陸に多数の貨物船が入っている事が確認出来ています。」 「・・・なんて連中だ。自分の首を絞めている事を理解できているのか?」 情報局長の報告で、思ったよりもアメリカによるソ連への支援が大規模な事に驚いた伏見宮だったが、日本に出来る事は高が知れていた。アメリカは中華民国との貿易を行っているのであって、ソ連とは全く関係が無いと白を切ることが出来るからだ。 更に追求しようものなら、アメリカにとって絶好の攻撃対象となる。ソ連と戦争をしながら(睨み合いだが)、アメリカとも戦争をするのは史実以上の悲劇を生むのは間違いなかった。 故に、日本はアメリカに対して強硬な姿勢を見せる事は出来なかった。 「それは理解していると思われます。最近は大陸入りする船も少なくなっており、対ソ支援はほぼ終了したと考えられます。これはロングが大統領選挙で負けたことが関係すると思われます。」 アメリカでは大統領選挙によってロングが大統領選挙で敗北し、共和党のウィンデル・L・ウィルキーが当選していた。ジョン・L・ガーナーは民主党から立候補していたが、軍需バブル崩壊を招いた民主党は敬遠されており、経済界に知己の多いウィルキーが当選したのだった。経済界も、自分たちと繋がりの強いウィルキーを積極的に支援した。 ウィルキーは熱心な反共主義者として知れており、選挙戦では積極的な連合国支持と支援を表明し、国防予算の増額、徴兵制の導入を主張した。 イギリスは何を今更という態度であったが、フランスは一度キャンセルした兵器などの発注を再びするべきかどうかで揺れており、それがウィルキーの支持に繋がっていた。 「今度の大統領はまだまともそうですね。対日戦争は諦めて、連合側としての参戦を考えているのかもしれません。」 「ですが、イギリスはアメリカの事を信用していない。アメリカの対ソ支援はかなりソ連を強化して、連合国を悩ませている。それに、我が国やドイツが連合国の兵器庫として機能しており、アメリカの入る余地は無いように思えるが。」 辻の言葉に伏見宮はアメリカの連合国入りは無いだろうと答えた。 1940年も後半に入ると、日本は戦時体制に入り、兵器の増産が進み、大量の武器弾薬が欧州へと運ばれていた。だが、一足先に戦時体制に入っているとはいっても、兵力はまだまだ不足気味であり、防衛には不安があった。 26 :Monolith兵:2014/07/08(火) 20 40 37 また、ドイツも300万以上の大兵力を動員していたが、半数以上は軽歩兵師団であり、小銃や火砲の不足から短機関銃や迫撃砲、無反動砲だけを装備する師団も存在するという状況であった。 ドイツは日本からの支援や、アメリカのバブル崩壊に伴う資金や生産設備の獲得、イギリスやフランスからの資源の輸入、軍需による増産に次ぐ増産により、以前よりかなり工業力が向上していたが、いまだ戦争ができる状態では無かった。 英仏の状況はドイツ以上に悪かった。ポーランド戦で殆どの兵器の備蓄を放出し、派遣部隊の潰滅により多くの装甲車両や航空機や重火器が失われていた。それらを補充しようにも、ようやく戦時体制に移行して、量産を開始した状態であり、フランスには火器のない師団すら存在していた。 イギリスは、小銃の不足を補うために短機関銃の量産を企図したが、出来上がったのは余りに不恰好な水道管のお化けだった。しかも多くの欠陥を抱えており、敵よりも味方を殺すほうが多いだろうと言われる始末だった。 そこで、ドイツの使用しているMP38/40をライセンス生産する事に決定した。なお使用弾薬はドイツ軍の9mmパラベラム弾とし、ドイツから技術者を招いて新ラインを作る事になった。MP38/40はイギリス側が思っていた以上に生産性が良く、また火力があった為にイギリス軍を喜ばせた。 「ソ連が史実並みの国力と工業力を獲得していたとすれば、連合側も苦戦を免れん。最終的には連合国の勝利に終わるだろうが、復興でアメリカが1人勝ちする可能性もある。」 ソ連がアメリカの支援によってどれほどの工業力を得ていたかは不明だったが、史実並みの工業力・国力を得ていた場合、いくら連合国と言えどもかなりの損害を覚悟しなければならなかった。 更にはソ連の戦車や航空機の進化のスピードを速めた可能性もあり、その点でも警戒が必要だった。 「とりあえず、第2次遣欧軍を派遣します。また、更なる動員を行い、満州でソ連に圧力を加えたいと思います。」 東条の言葉に会合の出席者は一様に頷いた。辻も苦い顔をしながらも頷いた。この1年に及ぶファニーウォーは、日本の財政を圧迫しており、早く戦争を終わらせて欲しいのが辻の本心だった。いくら戦争需要で儲けているといってもそれが長く続くのは感激できることではなかった。 だが、どれほどソ連が強化されているか解らない今は、例え戦時国債を発行してでも対ソ戦争を続けるしかなかった。 「それから、産業界には出来るだけ増産をお願いします。現状でも厳しいのはわかっているが、我が国が生き残るには必要なのです。」 近衛の言葉に倉崎翁と三菱の代表は頷いた。日本の兵器工場では24時間体制で増産を続けており、来年の初めには航空機や戦車の新工場も稼動する予定だった。彼ら以外の企業も生産能力の増強や新工場の建設を行っており、41年後半にはかなりの生産量が期待できた。 そうして、日本は欧州戦線を支えるべく動き始めた。 27 :Monolith兵:2014/07/08(火) 20 41 10 さて、ソ連との戦争に突入したフィンランドでは、フィンランド軍は撤退を続けていた。ソ連軍は180万という膨大な物量であり、フィンランド軍が相手にする事は難しかった。日独の支援で格段に強化されたとはいえ、元が小国な事から限界はあったのだ。 連合国はフランスが30個師団に航空機約400機、イギリスが15個師団に航空機約500機、日本が1個旅団と軽空母艦載機を含め約100機を派遣し、未だ中立国のドイツもソ連と対峙する中3個師団と120機余りを派遣していた。 一方で、空中ではフィンランドは必死で抵抗した。都市を爆撃しようとするSBやDB-3等の爆撃機にフィンランド軍の戦闘機が襲い掛かっていた。50機以上の爆撃機はフィンランドのフォッカーD21やグラディエーター、93式戦闘機などが執拗に攻撃を繰り返していた。結局ソ連軍の都市爆撃を押しとどめる事は出来なかったが、半数以上の爆撃機を撃墜する事に成功する。 これ移行、ソ連軍は爆撃機は単独で出撃させずに戦闘機を護衛に付けたために、作戦行動半径は低下し、都市爆撃は中止された。 このようにフィンランド空軍はソ連空軍を果敢に迎撃したが、圧倒的な物量に次第に消耗していき、12月に入る頃には稼動機が戦前の半数にまで落ち込んでいた。この頃には連合国も多数の戦力をフィンランドへ派遣しており、彼らの代わりに連合軍がフィンランドの防空を担うようになっていた。また、連合国以外にもイタリアからも義勇軍が派遣されており、フィンランド人を勇気付けた。 ・・・派遣された当初だけだが。 「・・・おいおい、本当に帰っちまったぞ。」 「あいつら本当に何しに来たんだ?」 イギリス兵たちが見つめる先には、隊列を組んで歩いて行くイタリア兵たちがいた。彼らはフィンランドへ義勇軍として来ていたのだが、今日撤退するる事になったのだ。 「戦闘になる前に撤退する義勇軍って意味ないだろ?」 そう、イタリア兵たちは一度も戦闘にも参加せずに撤退していたのだ。 イタリアのドゥーチェ事ムッソリーニは、ドイツが連合国に事実上加盟した事により、イタリアの立ち位置はこれまでになく危うくなっていると感じていた。 そこに起きたフィンランド戦である。ここで義勇軍を派遣して、事実上の連合軍として参加し、連合国入りを目指したのだった。数少ない装甲車両を集め、兵も精鋭を選抜して一個旅団をフィンランドへ派遣した。また、空軍も自国にすら十分に配備されていない新鋭機フィアットG.50やマッキMC.200をフィンランドへ輸出し、部隊も派遣した。ムッソリーニは、これで連合国入りも夢ではないと小躍りした。 28 :Monolith兵:2014/07/08(火) 20 41 41 だが、現実は非常だった。 フィンランドの冬はイタリア人の考えるものより数段厳しい物で、到着してから1週間で殆どの兵士が凍傷にかかった。また、水源地さえ凍結してしまい、雪や氷をそのまま食べて体調不良になる者が続出した。こうして、イタリア義勇軍は実戦を経験するまもなく戦闘能力を失ったのだった。 なお、流石に何もせずに撤退するのは悪いと思ったのか、装備類はフィンランドへ置いていっていた。それにより、フィンランドは貴重な重火器や航空機を手に入れる事が出来たのだった。後にイタリア製の手榴弾の不発や暴発に悩まされたりするのだが、このときの彼らは喜んでいた。 余談だが、アメリカもフィンランドに大量の兵器や物資弾薬を輸出しており、少数だが義勇軍も派遣していたが、連合国にはほぼ無視されていた。フィンランド人も不可侵条約を結んでいるアメリカはソ連よりと見ており、対応は冷ややかであった。 「まともな防寒装備も無く義勇軍を派遣するとか、イタリア人は馬鹿なのか?」 「あれを見ていると、フランス人がまともに見えてしまうな。だが、イタリア人がいなくなった今となっては、あいつらが一番酷い装備だが・・・。」 イギリス兵たちが話すとおり、これまではイタリア軍が一番酷い装備状況だった。だが、これからはフランス軍が最も酷い装備の軍となるのだ。 フランスは流石にイタリアほど防寒装備が劣るということは無かった。防寒儀や温水給水車を装備し、凍傷で部隊が壊滅するということは無かった。 だが、フランス軍が装備する戦車は相変わらずH38やR35であり、中戦車は10両ほどのD1中戦車が派遣されていただけだった。国内の政治や軍部の混乱により、新鮮車の開発が遅々として進まず、更にはフランス陸軍の重鎮モーリス・ガムランはポーランドでの敗因は現場指揮官の怠慢であると主張し、既存の戦術を変えようとはしなかった。これにより、新戦車開発計画は頓挫したのだった。 また、空軍も既存の機体の生産を続け、新型機の開発計画は中々進んでいなかった。フィンランド上空で飛ぶ殆どの戦闘機が時速500km台だったのに対して、G.50と並んで時速400km台の低速機となるのだが、それがフランス軍パイロット達の士気を押し下げていた。 「このキャバリエならKV-1にも勝てるぜ。」 「タイプ97とかいう戦車の方がもっと強力らしいが、こいつもいいな。以前の戦車とは比べ物にならん。」 彼らが乗る戦車はイギリスがライセンス生産したⅣ号戦車であり、キャバリエの名前を与えられていた。当初はそのままマークⅣという名前を付けられていたが、第一次大戦時の英国戦車マークⅣと区別がつかなくなる事から、キャバリエの名前が与えられたのだ。 なお、日本から97式中戦車が輸出されていたがその数は少なく、今回の派遣軍にも1個戦車連隊ほどしか参加していなかった。 「今度は俺たちが奴らを蹂躙する番だ。」 彼らはポーランドで地獄を見た生き残りであり、今回のフィンランド戦ではかつての借りを返すべく闘志を燃やしていた。 「おい、前進命令だ。どうやらソ連の連中がマンネルハイム線に近づきつつあるらしい。早速こいつでソ連の戦車を破壊できるぞ。」 「それはいい!」 彼らは笑いながら戦車内へ潜りこみ、前線へと向かっていった。彼らは、この先でソ連の強力な新型戦車と出会い、苦戦する事になるのだが、神ならざる身にとっては知らないことであった。 29 :Monolith兵:2014/07/08(火) 20 42 19 12月の中ごろになると、ソ連軍はとうとうマンネルハイム線へと到達していた。マンネルハイム線は史実では地形を利用した塹壕とトーチかだけの貧弱な陣地であったが、日本による支援と史実よりも1年遅い開戦により、かなり強固な陣地へと変貌していた。 だが、ソ連軍180万の前にはそれも心もとなかった。 「くそっ!連中なんて数だ!」 「空軍の連中は何をしているんだ!空にいるのはソ連の飛行機ばかりじゃないか!!」 マンネルハイム線で防衛するフィンランド軍と連合軍は劣勢だった。ただでさえ数で負けている上に、制空権さえとられていたのだ。当初は連合軍もソ連空軍相手に優勢だったが、いくら落としても減らない航空機に連合軍も航空戦力が枯渇しつつあった。 今もDB-3が連合軍側の陣地に爆弾を降らせて、塹壕の兵士や大砲を吹き飛ばしていた。 「対空砲はどうした!?」 「先ほどの爆撃で吹き飛ばされました!対空機銃は地上部隊への支援から外せません!」 フランス軍士官が先任下士官に尋ねるが、余りにも非常な答えが返ってきた。フランス軍はフィンランドに30個師団ほどを派遣していたが、相変わらず戦車は歩兵師団に分散配備され、対戦車砲もオチキス47mm対戦車砲を持ち込んでいたが、ソ連の戦車には余りにも非力だった。 「なんて化け物だ!75mm砲を受けてもピンピンしてやがる。」 見慣れないソ連軍の新型戦車T-39が75mm野砲の直撃でも破壊出来ない事で、彼は毒づいた。 ポーランド戦争で、より強力な戦車を、と言うスターリンの厳命で開発されたその戦車は、KV-1をベースにアメリカから供与された生産設備と工作機械によりKV-1よりも量産性と品質が向上していた。僅か1年で設計をした上に量産したのだが、アメリカ製の生産設備はソビエト軍の予測を大きく超え、約1000両ものT-39がこの冬戦争に投入できるほどだった。 周りでは血の気の引いた兵が、それでも機関銃や対戦車砲を撃っているが、戦車を立てに推し進んでくるソ連軍には余り効果は出ていなかった。 その時、戦車の1両が突然爆発を起こした。どうやら対戦車地雷を踏んだようだ。だが、他の戦車は構わずに前進してくる。 「敵の攻撃を防ぎきれない!増援を求める。」 『現在全域でソ連軍の猛攻を受けている。増援はない。』 「っくそ!」 無線で増援を求めるも、元々彼我の戦力差が激しいために余裕は無かった。撤退しようにも背後には防御に使える陣地は無く、ここで踏ん張るしか道はなかった。 「味方の戦車だ!」 誰かがそう言うと共に、敵戦車に次々と砲弾が直撃した。だが、敵戦車は堪えた様子も無く、お返しとばかりにH38に反撃した。H38は敵戦車の砲撃にあっさりと爆発四散し、あっという間に一個中隊は存在した味方戦車隊は壊滅した。簡単に壊滅した味方戦車隊を見た彼らは、絶望に襲われた。 「くそっ、このままじゃ全滅だ!」 誰もが絶望に慄いたその時、上空から爆発音が聞こえた。上空に目を向けると、翼に日の丸を描いた単葉単発の戦闘機が敵の爆撃機を次々と撃墜していた。 「日本か!やった味方だ!味方が来たぞ!」 これまでの戦闘で、フランスの航空機が如何に貧弱かを理解していた彼らは、日本の戦闘機が来たと聞いて喜んだ。以前なら極東の島国の飛行機と聞けば、自国以上に貧弱なものだろうと考えていただろうが、こうして実際に見て見ると、自国の空軍以上に頼もしく見えた。 その内に、上空には日本の戦闘機のみしかいなくなっていた。それを知ってか敵戦車の進撃は遅くなっていた。そんな動きののろくなった戦車に向けて、上空から急降下してくる機体があった。彼にはその航空機に見覚えがあった。 「ドイツの爆撃機だ!」 機体に描かれている国籍マークは日本の物だったが、機体は明らかにドイツのものだった。長年仮想敵国として想定していただけに、フランス軍人である彼にはドイツの航空機を識別するのは朝飯前であった。 スツーカは次々と急降下していき、戦車に着弾していった。それに勇気付けられたのか、一時は士気が低下していたフランス兵たちは果敢に攻撃を仕掛け、戦車が撃破されて浮き足立っている敵兵を次々と撃ち倒していった。 「中尉、何とかなりましたね。」 「ああ。連中が引いていくぞ。今の内に再編成と弾薬の補充、整備をする。」 彼は敵兵が撤退していくのを見て部下に指示を出した。上空を見て見ると、日本の戦闘機やドイツの戦闘機や爆撃機が旋回していた。彼はドイツ日本関わらずに手を大きく振って感謝した。 (流石は前の戦争で俺たちを苦しめた連中だ。頼りになる。) 30 :Monolith兵:2014/07/08(火) 20 42 51 ソ連軍の猛攻にマンネルハイム線は突破されては虎の子の戦車師団や航空部隊で撃退をしてを繰り返していた。連合軍司令部では、このままでは年内にマンネルハイム線を突破され、来年の初めにはフィンランドは全土が占領されると予想し、増援を送る事を決定した。 しかし、フランス陸軍は数こそあったが頼りなく、空軍は貧弱な航空機ばかりを装備していた。 イギリスはそんなフランスに不信を抱いており、苛立ちを募らせていた。 「フランスは我が国の足を引っ張るのが好きらしいな。」 チャーチルは不機嫌さを微塵も隠そうともせずに、執務室でチェンバレンと談話をしていた。 「あいつらは前の大戦の時からそうだ。何かに付けて我が国の足を引っ張る。」 そうして暫くフランスに対する悪罵を言い合った後、本題へと入った。 「あれでも無いよりかはマシだ。フランスには増援を出してもらう。勿論我が国も出す。だが、陸軍もそうだが、空軍の消耗が激しい。このままでは予備兵力が尽きてしまう。」 「しかし、増援はしなければならない。・・・ドイツの早期参戦は無理なのか?」 「ドイツが参戦すれば確かに形勢は逆転するだろう。だがそれも長く続かない。ソ連の戦力は予想以上だ。ドイツ国境に最低でも200万を貼り付けたままフィンランドに180万も投入している。対してドイツが持つ実質的な戦力はせいぜいが150万だ。フランスと共に攻撃したとしてもソ連の陣地を抜くことは難しいだろう。何よりもフランスが余りにも頼りない。ドイツの戦力すら低下してしまう可能性がある。今はフィンランドで何とか防衛戦を維持し、各国の特にドイツの戦争準備が整うまで反撃の機会を待つしかない。」 「だが、今すぐ戦力が欲しい。このままフィンランドを失うと、連合国の求心力は低下する。スウェーデンやノルウェーは連合国入りには反応が鈍い。日本もアメリカに注意を払いつつソ連と対峙しているから動きが取れない。」 「そうだ・・・そうだな。来週にでも何とかドイツに言ってアデェナウァー首相に相談してみよう。あれだけの戦車や航空機を持っている国だ。我々の期待に応えてくれるはずだ。」 チャーチルは葉巻の端をカッターで切ると火をつけて吸い始めた。フィンランド戦が始まってから彼らは休む間もなく働き詰めだった。ティータイムさえとる暇すらない彼らにとって、今日の談話は久方ぶりの休憩だった。 そのように短いながらも貴重な休憩を楽しんでいた彼らだったが、バタバタと慌しい足音が近づいて来るのを聞いて、それも終わりが来た事を認識していた。 部屋のドアを勢いよく開いたのはチャーチルの秘書で、左手には何枚かの書類を持っていた。 「たっ、たい、大変です!」 「落ち着きなさい。イギリス人は常に優雅で無ければならない。」 「そんな場合ではありません!ふ、フランスでクーデターが起きました!」 一瞬二人は彼が何を言っているのか解らず沈黙していたが、すぐに驚きと怒りの声をあげた。 「何だと!?奴ら今が戦時中だと理解しているのか!!」 「馬鹿だとは思っていたが、これほどとは!?」 「議会の反戦派が一部の軍部隊を抱き込み、武装した民衆と共にクーデターを起こしました。これが現在わかっている限りの情報です。」 そう言い、秘書はチャーチルに紙の束を手渡した。暫く書類を読んでいたチャーチルは皺を更に深めた。見れば体が小刻みに震えている。また、彼から滲み出す不機嫌さは更に増していた。 「読んでみろ・・・。なんて連中だ!」 チャーチルから渡された書類を読み進めていくうちに、チェンバレンの体は小刻みに震えていった。余りの怒りに顔が真っ赤になり、今にも書類を破り散らしそうなほど指に力を入れていた。 「継戦派と反戦派がパリで睨み合いをしているだと。双方共に武装しており、いつ武力衝突になってもおかしくない・・・。あの蛙共め!」 チェンバレンの怒鳴り声が執務室に響いた。 こうして、第2次世界大戦の第二のターニングポイント、フランス内戦が始まるのであった。 おわり
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た行の更新日:2009-10-02 ターミネーター アメリカ 1984 アクション/SF ターミネーター2 アメリカ 1991 アクション/SF ターミネーター3 アメリカ 2003 アクション/SF タイガーランド アメリカ 2000 ドラマ/戦争/青春 タイタス アメリカ 1999 ドラマ/歴史劇/アート 大脱走 アメリカ 1963 アクション/戦争 タイタンズを忘れない アメリカ 2000 ドラマ/スポーツ タイタニック アメリカ 1997 ドラマ/ロマンス/パニック ダイ・ハード アメリカ 1988 アクション/サスペンス 太陽がいっぱい フランス/イタリア 1960 サスペンス/青春 太陽と月に背いて イギリス 1995 ロマンス 太陽の帝国 アメリカ 1987 ドラマ/戦争 TAX i フランス 1997 アクション/コメディ 脱出 アメリカ 1972 サスペンス/ドラマ タップス アメリカ 1981 青春 ダメージ イギリス/フランス 1992 ドラマ チェイシング・エイミー アメリカ 1997 青春/ロマンス 地球に落ちて来た男 イギリス 1976 SF チャーリーズ・エンジェル アメリカ 2000 アクション ツイン・タウン イギリス 1997 コメディ ツイン・フォールズ・アイダホ アメリカ 1999 ドラマ 罪深き天使たち フランス/イギリス 1989 未分類 ディア・ハンター アメリカ 1978 ドラマ/戦争 ディディエ フランス 1997 コメディ/スポーツ ディファレント・フォー・ガールズ イギリス 1996 コメディ ティン・カップ アメリカ 1996 ドラマ/スポーツ テオレマ イタリア 1968 ドラマ/アート 手錠のまゝの脱獄 アメリカ 1958 アクション/サスペンス デビル アメリカ 1997 サスペンス デューン/砂の惑星 アメリカ 1984 SF デュエット アメリカ 2000 ドラマ テルレスの青春 ドイツ/フランス 1966 ドラマ/青春 天使が隣で眠る夜 フランス 1994 サスペンス/ミステリー 天使も許さぬ恋ゆえに アメリカ 1991 ドラマ/ロマンス 天地創造 アメリカ/イタリア 1966 ドラマ/歴史劇 トイ・ストーリー アメリカ 1995 アドベンチャー/ファミリー/コメディ 同級生 イギリス 1998 青春/ロマンス/学園 同居人/背中の微かな笑い声 イギリス 1997 サスペンス ドゥーム・ジェネレーション アメリカ 1994 ドラマ トゥルー・ロマンス アメリカ 1993 ロマンス/犯罪 遠い夜明け イギリス 1987 ドラマ トーチソング・トリロジー アメリカ 1988 ドラマ ドグマ アメリカ 1999 コメディ 突然炎のごとく フランス 1961 ドラマ/ロマンス トッツィー アメリカ 1982 コメディ トップガン アメリカ 1986 アクション/青春 Tommy/トミー イギリス 1975 ミュージカル トム・ソーヤーの大冒険 アメリカ 1995 ファミリー ドライ・クリーニング フランス/スペイン 1997 ロマンス トラフィック アメリカ 2000 ドラマ/犯罪 トレインスポッティング イギリス 1996 ドラマ/青春/犯罪 トレーニング デイ アメリカ 2001 ドラマ/サスペンス/犯罪 ドン・サバティーニ アメリカ 1990 コメディ
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Template 日本の国際関係? 日英関係(にちえいかんけい)は、日本とイギリスの関係のこと。 年表 right|thumb|[[ウィリアム・アダムス]] 18世紀以前 1587年 イギリス人「航海者」のトーマス・カヴェンディッシュ(en)、スペイン領バハ・カリフォルニア(現在のメキシコ領カリフォルニア半島)沖でスペイン船を拿捕し、乗船していた2人の日本人(クリストファー(20歳)とコスマス(16歳)(en))を自分の船に加える。この2人が初めてイギリスを訪問した日本人となったが、1592年に遭難死。 1600年 ウィリアム・アダムスが九州に上陸したのが公式な日英関係の始まり。後にアダムスの仲介によって東インド会社が平戸に商館を設置する。 1623年 アンボン虐殺事件の発生による英蘭関係の悪化と貿易の不振により平戸のイギリス商館を閉鎖、日英関係は事実上断絶する。 1673年 リターン号が来航して貿易再開を求めるが、徳川幕府はかつての一方的な撤退を非難して拒絶する。 19世紀 1808年 フェートン号事件。ナポレオン戦争中、イギリス船による長崎・出島のオランダ商館襲撃事件。江戸幕府の対英警戒態勢の不備が明らかになる。 1813年 初の英和辞典、諳厄利亜(あんげりあ)語林大成が長崎で完成(1814年説有り)。 1825年 江戸幕府、異国船打払令発布。イギリス軍艦を警戒し、あらゆる外国船を砲撃・追い返そうとする内容。その一方で、この頃から清朝に輸入されたイギリスの物産が現地の商人によって日本に再輸出されたケースも確認されている。 1835年 イギリス人に救助された尾張国出身の船乗り音吉、日本人として初めてロンドンを訪問。その後、イギリスに帰化。 1840年 アヘン戦争。イギリスが清朝に勝利し、香港を獲得した事を知った徳川幕府は、異国船打払令を1842年に撤廃。 1854年 10月14日、日英和親条約が調印。徳川幕府を代表している長崎奉行とジェームズ・スターリング提督(Admiral Sir James Stirling)により締結。イギリス側の通訳は音吉が務める。不平等条約。 1858年 7月18日、日英修好通商条約が徳川幕府とエルギン卿の間で調印。 関税自主権の制限や治外法権承認(領事裁判権)など、日本に不利な不平等条約が継続・強化される。同年、長崎に日本初の公的な英語教育機関として英語伝習所が設立。 1859年 ジャーディン・マセソン商会の代理人としてスコットランド人のトーマス・ブレーク・グラバーが長崎へ来日、以後幕末・明治の日本の政財界と深く関わる。 1862年 イギリス書記官アーネスト・サトウの来日、そのすぐ後に生麦事件が発生。薩摩藩士によりイギリス人が殺害。その後も日本国内でのイギリス人襲撃が相次ぐ。 1863年 長州五傑(井上聞多、伊藤俊輔などの長州藩士5名)が藩命としてイギリスへ留学。薩英戦争。前年の生麦事件の報復としてイギリス海軍が鹿児島を砲撃。以後、薩摩とイギリスの関係は良化。 1864年 下関戦争。攘夷を唱える長州藩が関門海峡で外国船を砲撃し、報復でイギリス海軍がフランスなどと共に下関の砲台を占拠。帰国した井上と伊藤は開戦を止められず、事態収拾に奔走。 1868年 明治維新。イギリス公使ハリー・パークスは戊辰戦争で中立を保ち、幕府支援に傾くフランスを牽制して、実質的に明治新政府を支援。 1870年 兵制改革により大日本帝国海軍(日本海軍)が成立。以後、イギリス海軍を模範とした組織整備を進める。 1872年 岩倉使節団の英国訪問。不平等条約改正交渉には失敗したが、多くの知識を日本へ持ち帰る。日本最初の鉄道が開業。建設にはイギリス人技術者が深く関与。同年、ロイター通信社が日本に初の支局を開設。横浜にサトウらの尽力で日本アジア協会が設立。 1873年 工部大学校設立。御雇い外国人としてイギリス人が教授に就任。 1879年 音吉(1867年没)の息子、横浜で日本国籍を取得。 1886年 ノルマントン号事件。イギリス籍のノルマントン号が沈没した際、イギリス人船長や船員が白人客だけとともに救命ボートで脱出し、日本人乗客25人が全員死亡。船員はイギリスの領事裁判により全員無罪、後に再審で船長のみが軽罪。日本側が憤激し、不平等条約の改正要求が強まる。 1894年 日英通商航海条約は青木周蔵とキンバレー外相の間で調印。治外法権の撤廃で不平等条約が一部撤廃。 1896年 アイルランド人のラフカディオ・ハーン、イギリスから日本へ帰化し、小泉八雲を名乗る。 1899年 田中銀之助、慶應義塾の塾生にラグビーのルールを伝授し、日本にラグビーを初めて伝えた人物となる。 1900年 夏目漱石、文部省研究員としてロンドンへ留学(-1903年)。 20世紀前半 1902年 1月30日、ロンドンで日英同盟が調印される。日本を代表したのは特命全権公使林董。イギリス代表はランスダウン侯。 1904年 日露戦争(-05)。イギリスは日本の戦争公債引き受けなどで支援。ドッガーバンク事件発生。 1910年 長谷川如是閑、大阪朝日新聞の特派員としてロンドンに滞在。 1911年 日米通商航海条約で日本が関税自主権を回復し、不平等条約が完全に解消。 1914年 第一次世界大戦( - 1918)。日本は日英同盟を理由として参戦。イギリス側の要請により日本は国内世論の反対を押し切って地中海に日本海軍の巡洋艦を派遣。イギリス軍やオーストラリア軍の戦艦を護衛し、ドイツ軍の潜水艦(Uボート)と死闘を繰り広げる。東アジアではドイツ帝国の中国に於ける租借地青島(チンタオ)を、日英両国陸軍の協力で陥落させる。 1918年 ロシア革命への干渉戦争・ロシア内戦でイギリスが日本に支援を依頼し、シベリア出兵(1925年まで)。 1919年 第一次世界大戦後の秩序を決するパリ講和会議に日英が仏伊米とともに戦勝「五大国」として参加。日本は「人種差別撤廃条項」を提案するが、白豪政策を推し進めるオーストラリアの強い反対で否決される。 1921年 日英米仏の四か国条約により日英同盟廃止が決定。日本の皇太子裕仁(後の昭和天皇)による史上初の外遊。英領シンガポールなどを経て、第一次世界大戦で友軍だったイギリス、フランス、ベルギー、イタリアを歴訪。特にイギリスでは大歓迎を受け、裕仁はイギリス最高位のガーター勲章を授与される(後に日本の対英宣戦布告を受けて資格剥奪)。 1922年 イギリスの皇太子エドワード(後の国王エドワード8世、退位後にウィンザー公)による史上初の訪日。随行員として陸軍中尉のルイ・マウントバッテンも来日。東京市(当時)世田谷区駒沢で史上初の日英皇太子による日英親善ゴルフ大会開催。 1923年 8月17日 日英同盟が正式に失効。 1930年 ロンドン海軍軍縮会議開催。日本の濱口雄幸内閣は若槻禮次郎元首相を全権とし、イギリス・アメリカと結んだ条約を調印・批准するが、日本海軍の内部対立がやがて統帥権干犯問題へ発展。 1937年 7月7日、盧溝橋事件を発端に、双方ともに宣戦布告なく日中全面衝突(日中戦争)。イギリスはアメリカと共に中立を保ったが、日本による占領地が拡大すると表向きは中立ながら、蒋介石の中国国民党軍(重慶国民政府)を支援(「援蒋ルート」)。日本による米英敵視が顕在化。 1939年 9月1日、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻。9月3日、イギリスとフランスがポーランド支援のためドイツに宣戦布告して第二次世界大戦勃発。日本はドイツと日独防共協定を結んでいたが、国策上中立を堅持。ただし、日英関係は険悪に。 1940年 1月21日、浅間丸事件で日英関係さらに悪化。日本国内では反英感情が高まり、全国で反英集会が開かれる。9月、日本陸軍がフランス領インドシナ北部(北部仏印)へ進駐(「仏印進駐」)。同月、日独伊三国軍事同盟が締結。 1941年 7月28日、日本陸軍がフランス領インドシナ南部(南部仏印)へ進駐。イギリスは日英通商航海条約を破棄し、日本国内では「ABCD包囲網による経済封鎖」への対抗として開戦論が高まる。12月8日、太平洋戦争勃発。日本は英領マレー(マレー作戦)、英領香港、上海のイギリス租界を攻撃し、12月10日、マレー沖海戦では日本海軍がイギリス東洋艦隊の最新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスを撃沈。12月25日、香港陥落(イギリス首相ウィンストン・チャーチル曰く「人生最悪のクリスマス」)。 1942年 2月15日、シンガポールの戦いでパーシヴァル中将以下、駐留イギリス連邦軍が、山下奉文中将率いる日本陸軍に降伏。シンガポール(昭南島と改名)は日本の軍政下に入る。続いて日本軍は英領ビルマの首都ラングーンも占領(ビルマの戦い)。 1943年 8月、バー・モウのビルマ国、日本の傀儡国家として独立を宣言。10月、自由インド仮政府、日本の支援で成立。スバス・チャンドラ・ボースがインド国民軍を指揮し、イギリス領インド帝国からの祖国インド解放・独立を目指す。イギリスのチャーチル首相、11-12月のカイロ会談で連合国側の対日戦争・戦後基本方針を確認。同年、英国放送協会(BBC)が日本語での短波ラジオ放送を開始。当初は戦時宣伝放送で、戦争終結後はイギリスの報道・文化番組を放送。 1944年 インパール作戦で日本軍が惨敗。同年、大塚久雄が『近代欧州経済史序説』を著し、資本主義確立期のイギリス経済研究を通じた独自の経済史学を完成。 1945年 5月、日本側から寝返ったアウン・サンらビルマ国軍の支援も受けたイギリス軍がラングーンを奪回。チャーチルはヤルタ協定やポツダム宣言に参加(ポツダム会談途中のイギリス総選挙でイギリス労働党が勝利し、イギリス代表がクレメント・アトリー新首相に交代)。8月15日、日本がポツダム宣言受諾を発表し、9月2日に降伏文書調印。イギリスはマレー(シンガポールを含む)・香港・ビルマを回復し、日本占領にはGHQの対日理事会・極東委員会のメンバーとなり、イギリス連邦諸国軍として参加(中国・四国地方を管轄、主力はオーストラリア軍)。 1948年 英国海外航空(BOAC)、駐日イギリス軍への物資補給を目的に岩国基地へ乗り入れ、初の日英間定期航空路となる。ロンドンオリンピックが開催されたが、日本は参加を認められず。極東国際軍事裁判の判決言い渡しで、イギリスは判事を派遣して参加。 20世紀後半~21世紀 1951年 サンフランシスコ条約締結。翌年発効し、日英関係が正常化。 1957年 イギリス映画「戦場にかける橋」が公開。第二次大戦中、日本陸軍による英軍捕虜を使役した泰緬鉄道建設をテーマとし、アカデミー賞で作品賞など7部門を受賞。日本軍の大佐を演じた早川雪洲は助演男優賞候補となる。 1960年 日英文化協定締結。東京のブリティッシュ・カウンシルが日本国内で公式に認められたイギリス文化交流センターとなる。 1966年 英国海外航空機空中分解事故。BOACのボーイング707が富士山付近の上空で空中分解し、乗客・乗員124名が全員死亡。ザ・ビートルズ、東京の日本武道館で日本公演を実施。メンバーのジョン・レノンは1969年に日本人芸術家の小野洋子(ヨーコ・オノ)と再婚。 1971年 昭和天皇のイギリス訪問。歴代天皇では初、自身では皇太子時代の1921年以来。 1975年 エリザベス2世がイギリス国王として史上初の訪日。 1980年 小田島雄志によるシェイクスピアの日本語訳全集(全7巻)が刊行完了。 1983年 徳仁親王、オックスフォード大学マートン・カレッジへ留学し、テムズ川の水運史を研究(-1985年)。 1986年 日産自動車、イングランド北東部のサンダーランド工場での本格稼働を開始。日本車メーカーで初めてイギリスで完成車を生産する。同年、イギリス王室のチャールズ皇太子夫妻が日本を訪問し、ダイアナ妃ブームになる。 1990年 BBC、財政難を理由に日本語放送を廃止。後に衛星放送のスカイパーフェクTV!の1つとしてBBCワールドのテレビ放送を開始(一部の番組で日本語の同時通訳付き)。 1998年 外交関係樹立140周年を記念して「英国祭98」のイベントが各地で催された。 2001年 前年から東京で失踪していたイギリス人女性の遺体が発見される(ルーシー・ブラックマンさん失踪殺人事件)。犯人として韓国から帰化した日本人が逮捕されるが、2007年に東京地裁で無罪判決(他の外国人女性への純強姦で無期懲役)。 2003年 イラク戦争に有志連合の一員として日英ともに参加し、サマーワに自衛隊と英軍が駐屯。 2005年 イギリスから日本に帰化した作家のC・W・ニコル、大英帝国憲章(MBE)を受章。 2007年 イギリス人女性、千葉県内で殺害(リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件)。犯人として日本人が指名手配され、逃亡。 2008年 外交関係樹立150周年を記念して「UK-JAPAN 2008」のイベントが各地で催される。 英国と関係ある日本人 政治家、外交官 伊藤博文 菊池大麓 末松謙澄 林董 青木周蔵 松平恒雄 重光葵 西春彦 奥克彦 小説家 夏目漱石 カズオ・イシグロ 石黒一雄 軍人 東郷平八郎、「東洋のネルソン」 その他 大倉喜七郎 田中銀之助 - 日本のラグビーの創立者の一人 [1] 山本音吉 Otokichi 日本と関係ある英国人 ウィリアム・アダムス 外交官 アーネスト・サトウ ラザフォード・オールコック ハリー・パークス ウィリアム・ジョージ・アストン ジョセフ・ヘンリー・ロングフォード ヒュー・フレーザー [2] A・B・フリーマン=ミットフォード [3] ヒュー・コータッツィ [4] 条約を調印した国代表 ジェームズ・スターリング提督 1854 エルギン伯ジェームズ・ブルース 1858 キンバレー伯 John_Wodehouse%2C_1st_Earl_of_Kimberley 1894 ランズダウン侯ヘンリー・チャールズ・キース・ペティ=フィッツモーリス 外務大臣 1902 お雇い外国人 教育、研究 ウィリアム・エドワード・エアトン バジル・ホール・チェンバレン ヘンリー・ダイアー、工部大学校の初代都検(校長) ウィリアム・ゴーランド、古墳研究 宣教師 ウォルター・ウェストン 鉄道 エドモンド・モレル 建築家 ジョサイア・コンドル 商人 トーマス・ブレーク・グラバー 軍人 ダンカン・ボイズ アーチボルド・ルシアス・ダグラス その他 イザベラ・バード バーナード・リーチ 関連項目 横浜開港資料館 外部リンク 日英協会 在英国日本国大使館 在日本英国大使館 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年12月5日 (金) 17 15。