約 743,087 件
https://w.atwiki.jp/1noguchi/pages/4.html
【井ノ口忠男】 日本大学アメリカンフットボールのコーチ 追手門学院高等学校の出身。追手門学院高等学校はアメフトの強豪校であり、卒業生には数多くの甲子園ボウル出場選手がいる。1976年に卒業した井ノ口忠男は1978 年の3年時に第33回甲子園ボウルにて最優秀守備選手受賞した。 その他の受賞者 第33回甲子園ボウル ミルズ杯(年間最優秀選手賞) 金井義明 日本大学 クォーターバック 甲子園ボウル最優秀選手賞 金井義明 日本大学 クォーターバック 最優秀攻撃ラインマン賞 都井伸治 日本大学 オフェンスライン 最優秀守備ラインマン賞 仁科明弘 日本大学 ディフェンスライン 最優秀守備選手賞 井ノ口忠男 日本大学 ラインバッカー 甲子園ボウル敢闘賞 越中啓至 関西学院大学 ランニングバック 【日本大学アメリカンフットボール部 通称:フェニックス】 創部:1940年 部長:加藤直人 監督:内田正人 ヘッドコーチ:森琢 コーチ:井ノ口忠男 通称:フェニックス ホームグラウンド:日本大学アメリカン フットボール競技場 スローガン:「剛毅果断」 意志が堅くて強く、くじけないこと、物事を思い切って行うと、決断力のある様 日本選手権優勝(ライスボウル):4回 学生日本一優勝(甲子園ボウル):20回(同点優勝含む) 関東学生リーグ優勝:32回 【ライスボウル】 アメリカンフットボールの日本一のチームを決定する選手権試合のこと。正式名称はアメリカンフットボール日本選手権 第○回ライスボウルである。後ろに協賛企業の名が付く。最多優勝はオービックシーガルズ7回である。 1948年から学生オールスターの東西対抗戦として1月15日の前後に行われてきた。1983年度ら日本選手権として位置付けられ、学生代表(甲子園ボウル優勝チーム)と社会人代表(ジャパンXボウル優勝チーム)が直接対決する形となった。併せて毎年1月3日に開催されるように変更された。 【甲子園ボウル】 全日本大学アメリカンフットボール選手権大会の決勝戦のこと。正式名称はパナソニック杯毎日甲子園ボウルである。毎年12月の第3日曜日に、兵庫県西宮市にある阪神甲子園球場で行われ、主催は日本アメリカンフットボール協会と毎日新聞社、特別協賛は2008年からパナソニックグループが務めている。 2008年度までは「東西大学王座決定戦」として、関東学生リーグと関西学生リーグの王者同士が対戦する形で大学王座を争った。2009年のシーズンから、全国8連盟による全日本大学選手権の開始と共に、その決勝戦としての舞台に移行した。
https://w.atwiki.jp/ankoss/pages/4441.html
『アメリカの友人』 5KB 小ネタ 誤解 現代 独自設定 世界に拡がる ゆ虐SS! Ripley’s Gameという名の謎のEメールが俺のアメリカの友人、Ripleyから届いた。リプリーはフロリダ州から うちの高校に来た交換留学生で、俺んちがホストファミリーだった関係から今でも関係がつづいているもう10年来の友人だ。 最近、ネットで日本のゆ虐SSサイトにはまったらしく、どうも自分でも一本書いてみたくなったということらしい。 できれば日本語に翻訳してうpってくれないか?というのだが、一読したところ、いかにもアメリカン・ジョークというのかな、 考えオチというかどうもワン・クッションおかないと伝わらないというか、オチがわかりにくいというか。 まぁ、まずはざっと読み流して(もしくは英語の箇所だけ飛ばして)くれ。 @@@@ Don't be in haste, go to hell! @@@@ A,B,C (After yukkuri hunting) HyaHhaaaaaa!!!!! B How foolish yukkuries were ! They did'nt run away in danger of their own lives, just saying "Yukkuri site ittene!" A(Leader) There is some reason why they did so. C Why they stopped running away to say "Yukkuri site ittene!" when they heard our calls? A I don't know exactly why, but they can translate what we're talking into Japanese. And if they hear some kind of phrase like ,if translated, "Yukkuri site ittene!" they cannot help answering to us the same word in Japanese. "Don't be in haste, go to hell!" means "Yukkuri site ittene!" in Japanese. So they stayed there to reply. <Fin> 俺も最初はオチがとれなかったので、折り返しリプリーに説明を求めた。戻ってきた返事はこうだ。 「They mistranslate the phrase "Go to hell!" into "ittene" in Japanese. 地獄へ落ちろ! → 逝ってね! 」 訳「ゆっくりが誤訳して、氏ね="Go to hell"というフレーズを『逝ってね』 と受け止めた(ことから誤解が連鎖的に発生している)」 なるほどね、ようやく意味は伝わったが、これをそのまま投稿したら読者の皆にいい迷惑だ。読者虐めか?と怒られるぞ。 それで俺に何とかしろ、というわけか。俺もSS作家のはしくれとして、それなりのプライドはあるつもりだ。 突きつけられた挑戦状は受けねば男がすたるというものだ。 いいだろう。そのRipley’s Gameとやらに付き合ってやろうじゃないか。 長考すること、半日。 …これは、わかりにくいわ。小説の構造上、原文と日本語訳、2つないと意味がとれないように出来ている。日本語も理解する ネイティブ・スピーカーのリプリーだからこそ書けるSSだな。2つの言語に堪能であることを読み手に求めている。 考えた末、対訳をつけて読みやすくする苦肉の策を取った。これでなんとかわかってもらえたらいいなぁ。 英語と日本語を並記することで何とか伝わってくれ。 * @@@@ Don't be in haste, go to hell! @@@@ タイトル:「ゆっくりして、逝ってね!」 A,B,C (After yukkuri hunting) HyaHhaaaaaa!!!!! (ゆっくり狩りを終えて)ヒャッハー!!! B How foolish yukkuries were ! They did'nt run away in danger of ゆっくりってやつは、ほんっと、なんて馬鹿なんだ。 自分の命がヤバいってのに、逃げもせず their own lives, just saying "Yukkuri site ittene!" 「ゆっくりしていってね!」って言ってるだけなんて! A(Leader) There is some reason why they did so. (リーダー):どうも理由があるみたいだな。 C Why they stopped running away to say "Yukkuri site ittene!" 「ゆっくりしていってね!」っていうために 逃げるのをやめる理由なんてあるのか? when they heard our calls? 俺ら、ただ呼びかけただけなのによぉ。 A I don't know exactly why, but they can translate what we're 仕組みはくわしくはわからないんだが、やつらは、不思議饅頭の頭ん中で日本語に翻訳してから俺たちの言う事を talking into Japanese. 理解してるみたいなんだな。 And if they hear some kind of phrase like ,if translated, "Yukkuri で、日本語に翻訳されると「ゆっくりしていってね?」っぽく聞こえるような まぎらわしいフレーズを聞くと、 site ittene!" they cannot help answering to us the same word 日本語でそれに対応する同じ台詞の「ゆっくりしていってね!」を応えずにはいられねぇらしいぞ。 in Japanese. "Don't be in haste, go to hell!" means "Yukkuri site ittene!" 「止まれ。地獄へ落ちろ(=逝ってね)!」という英語の警告は(誤)翻訳されて平仮名の「ゆっくりしていってね!」に in Japanese. So they stayed there to reply. 日本語だと聞こえるんだとさ。だから返事しなきゃ、って止まっちまうんだと。馬鹿だねぇ。 <Fin> サブタイトルは、そうだな、『れくいえむを れいむにおくる』とでもオサレに訳そうか。 れ(く)い(え)む、という具合にレクイエムがれいむをすっぽり飲み込んで包含している意匠がミソだ。深い意味はない まぁ、別にれいむである必要はないんだが、俺がれいむヘイト派なので。 ただのう○こを調理してカレー味の○んこまでには引きあげたつもりだ。うん○味のカレーでしかないかもしれないが。 お食事中の方がいたなら謝る。 俺としてはやれるだけのことはやったし、リプリーに対する義理は果たしたと思えたから、餡庫に投下して画面の向こうの世界に おくる(=葬、送)ことにした。RiP、これで満足かい? 了) 変な電波が降りてきて、それをSSにした結果がこれだよ…。反省している。ムシャクシャしてやったわけじゃない。 翻訳できるのに誤訳して自爆する、クソ馬鹿な饅頭が書きたかっただけ。 【これまでに書いたもの】 anko4391 ゆらぎそよ風 anko4388 生きがいをあげる anko4387 わたしの終わりは世界の終わり anko4384 ゆんゆんころり お疲れさまでした。最後まで読んでくれた人には本当に感謝!です。
https://w.atwiki.jp/jisyoubekkan/pages/23.html
目次 目次 駆逐艦ベインブリッジ級駆逐艦 トラクスタン級駆逐艦 スミス級駆逐艦 ポールディング級駆逐艦 カッシン級駆逐艦 エールウィン級駆逐艦 オブライエン級駆逐艦 タッカー級駆逐艦 サンプソン級駆逐艦 コールドウェル級駆逐艦 ウィックス級駆逐艦 クレムソン級駆逐艦 ファラガット級駆逐艦 ポーター級駆逐艦 マハン級駆逐艦 グリッドレイ級駆逐艦 バッグレイ級駆逐艦 サマーズ級駆逐艦 ベンハム級駆逐艦 シムス級駆逐艦 ベンソン級駆逐艦 グリーブス級駆逐艦 フレッチャー級駆逐艦 アレン・M・サムナー級駆逐艦 ギアリング級駆逐艦 ミッチャー級駆逐艦 フォレスト・シャーマン級駆逐艦 スプルーアンス級駆逐艦 関連項目 駆逐艦 海軍功労者など人名から採られている。 ベインブリッジ級駆逐艦 ベインブリッジ(DD-1 USS Bainbridge) アメリカ独立戦争や第二次バーバリ戦争で活躍した「ウィリアム・ベインブリッジ」 バリー(DD-2 USS Barry) アメリカ独立戦争で五隻の船長を歴任した「ジョン・バリー」 チョウンシー(DD-3 USS Chauncey) 擬似戦争や米英戦争で活躍した「アイザック・チョウンシー」 デイル(DD-4 USS Dale) アメリカ独立戦争や第一次バーバリ戦争で活躍した「リチャード・デイル」 ディケーター(DD-5 USSDecatur) 擬似戦争や第二次バーバリ戦争で活躍した「スティーヴン・ディケーター」 ホプキンス(DD-6 USS Hopkins) アメリカ独立戦争で大陸海軍総司令官をつとめた「イーゼック・ホプキンス」 ハル(DD-7 USS Hull) 擬似戦争や第一次バーバリ戦争で活躍した「アイザック・ハル」 ローレンス(DD-8 USS Lawrence) 米英戦争中に戦死した「ジェームズ・ローレンス」 マクドノー(DD-9 USS Macdonough) 擬似戦争や米英戦争で活躍した「トーマス・マクドノー」 ポール・ジョーンズ(DD-10 USS Paul Jones) アメリカ独立戦争でレンジャーやボノム・リシャールを率いた「ジョン・ポール・ジョーンズ」 ペリー(DD-11 USS Perry) 米英戦争のエリー湖の湖上戦で活躍した「オリバー・ハザード・ペリー」 プレブル(DD-12 USS Preble) 擬似戦争や第一次バーバリ戦争で活躍した「エドワード・プレブル」 スチュワート(DD-13 USS Stewart) 南北戦争以前の軍政を担った「チャールズ・スチュワート」 トラクスタン級駆逐艦 トラクスタン(DD-14 USS Truxtun) アメリカ独立戦争や擬似戦争で私掠船を率いた「トーマス・トラクスタン」 ホイップル(DD-15 USShipple) アメリカ独立戦争でハンナ号を率いてガスビー号を撃破、大陸海軍初勝利をもたらした「エイブラハム・ホイップル」 ウォーデン(DD-16 USSWorden) 米墨戦争と南北戦争で士官として活躍、戦後の軍政を担った「ジョン・L・ウォーデン」 スミス級駆逐艦 スミス(DD-17 USS Smith) 南北戦争ハンプトン・ローズ海戦で戦死したモニター乗員「ジョゼフ・B・スミス」 ラムソン(DD-18 USS Lamson) 南北戦争第二次フィッシャー砦の戦いに参加した「ロズウェル・ラムソン」 プレストン(DD-19 USS Preston) 南北戦争第二次フィッシャー砦の戦いで戦死した「サミュエル・W・プレストン」 フラッサー(DD-20 USS Flusser) 南北戦争プリマスの戦いで戦死したマイアミ号艦長「チャールズ・ウィリアムソン・フラッサー」 リード(DD-21 USS Reid) アメリカ国旗の独立13州を表す十三条のデザインを固定化した「サミュエル・C・リード」 ポールディング級駆逐艦 ポールディング(DD-22 USS Paulding) 米英戦争から南北戦争の間に活躍した「ハイラム・A・ポールディング」 ドレイトン(DD-23 USS Drayton) 南北戦争中に艦船建造を指揮した「パーシバル・ドレイトン」 ロー(DD-24 USS Roe) 南北戦争中に通商破壊戦に従事した「フランシス・A・ロー」 テリー(DD-25 USS Terry) 南北戦争中ミシシッピ川駐留部隊に在職、戦後士官教育を推進した「エドワード・A・テリー」 パーキンス(DD-26 USS Perkins) 南北戦争中にカユガ号を指揮、ジャクソン砦の突破に成功した「ジョージア・H・パーキンス」 スターレット(DD-27 USS Sterett) 第一次バーバリ戦争中の海戦で戦死したエンタープライズ号船長「アンドリュー・スターレット」 マッコール(DD-28 USS McCall) 米英戦争中にボクサー号と戦い拿捕に成功したエンタープライズ号船長「エドワード・R・マッコール」 バロウズ(DD-29 USS Burrows) 米英戦争中のボクサー号との戦いで重症を負い戦病死したエンタープライズ号士官「ウィリアム・W・バロウズ」 ウォリントン(DD-30 USS Warrington) 米英戦争に従軍、軍政を代行した「ルイス・ウォリントン」 メイラント(DD-31 USS Mayrant) アメリカ独立戦争中にジョン・ポール・ジョーンズの補佐官を務めた「ジョン・メイラント」 モナハン(DD-32 USS Monaghan) サモア諸島の治安維持活動中に現地人との争乱で戦死した「ジョン・R・モナハン」 トリップ(DD-33 USS Trippe) 第一次バーバリ戦争で活躍したエンタープライズ号船長「ジョン・トリップ」 ウォーク(DD-34 USS Walke) 南北戦争中に北軍の艦長を歴任した「ヘンリー・A・ウォーク」 アムメン(DD-35 USS Ammen) 南北戦争時にフィッシャー砦の戦いに参加、戦後は軍政に従事した「ダニエル・アムメン」 パターソン(DD-36 USS Patterson) 擬似戦争や米英戦争で船長を歴任した「ダニエル・パターソン」 ファニング(DD-37 USS Fanning) アメリカ独立戦争中にボノム・リシャール号の士官として活躍した「ナサニエル・ファニング」 ジャーヴィス(DD-38 USS Jarvis) 擬似戦争中コンステレーション号とラ・ヴァンジャンス号の海戦で戦死した「ジェームズ・C・ジャーヴィス」 ヘンリー(DD-39 USS Henley) 擬似戦争に従軍、米英戦争後私掠船掃討に従事した「ロバート・ヘンリー」 ビール(DD-40 USS Beale) 西部開拓のために交通路網の調査やインディアン掃討に従事した「エドワード・F・ビール」 ジョーエット(DD-41 USS Jouett) 南北戦争時にメタコメット号艦長として活躍した「ジェームズ・E・ジョーエット」 ジェンキンス(DD-42 USS Jenkins) 南北戦争時にモービル湾の海戦に参加した「ソーントン・A・ジェンキンス」 カッシン級駆逐艦 カッシン(DD-43 USS Cassin) 米英戦争中タイコンデロガ号を率いてシャンプレーン湖の戦いで活躍した「スティーブン・カッシン」 カミングズ(DD-44 USS Cummings) 南北戦争中ポート・ハドソン砲台との交戦で戦死した「アンドリュー・B・カミングズ」 ダウンズ(DD-45 USS Downes) マケドニアン号で世界一周遠征を行い、東南アジアの通商保護に従事した「ジョン・ダウンズ」 ダンカン(DD-46 USS Duncan) 米英戦争中シャンプレーン湖の戦いに参加、レキシントン号で南米遠征を行った「サイラス・ダンカン」 エールウィン級駆逐艦 エールウィン(DD-47 USS Aylwin) 米英戦争中にコンステレーション号とゲリエール号の海戦で戦死した「ジョン・C・エールウィン」 パーカー(DD-48 USS Parker) 南北戦争後に北大西洋艦隊参謀長やボストン工廠長などを歴任した「フォックスホール・A・パーカー」 ベンハム(DD-49 USS Benham) 南北戦争後に工廠長や灯台検査官を歴任した「アンドリュー・E・K・ベンハム」 バルチ(DD-50 USS Balch) ペリー艦隊プリマス号艦長として来日、南北戦争で活躍した「ジョージ・バルチ」 オブライエン級駆逐艦 オブライエン(DD-51 USS O'Brien) アメリカ独立戦争中にマーガレッタ号を撃退した「ジェレマイア・オブライエンとその兄弟たち」 ニコルソン(DD-52 USS Nicholson) アメリカ独立戦争から南北戦争にかけた海軍将官、士官を輩出した「ニコルソン家の軍人たち五人」 ウィンスロー(DD-53 USS Winslow) 南北戦争でキアサージ号船長を務め南軍のアラバマ号を撃沈した「ジョン・A・ウィンスロー」 マクドゥガル(DD-54 USS McDougal) 南北戦争時ワイオミング号艦長を務め、下関戦争にも参加した「デヴィッド・マクドゥガル」 カッシング(DD-55 USS Cushing) 南北戦争中に決死隊を率いて南軍アルベマール号を撃沈した「ウィリアム・B・カッシング」 エリクソン(DD-56 USS Ericsson) 装甲艦モニターの建造、魚雷の開発などに関与した機関技師「ジョン・エリクソン」 タッカー級駆逐艦 タッカー(DD-57 USS Tucker) アメリカ独立戦争時の通商破壊、米英戦争時の沿岸防衛に従事した「サミュエル・タッカー」 カニンガム(DD-58 USS Conyngham) アメリカ独立戦争時に通商破壊に従事した「ガスターヴス・カニンガム」 ポーター(DD-59 USS Porter) 南北戦争レッド川方面作戦や第二次フィッシャー砦の戦いで陸軍支援に従事した「デビッド・D・ポーター」 ワズワース(DD-60 USS Wadsworth) 第二次バーバリ戦争以降戦隊、艦隊司令官を歴任した「アレクサンダー・S・ワズワース」 ジェイコブ・ジョーンズ(DD-61 USS Jacob Jones) 擬似戦争や第二次バーバリ戦争で活躍した「ジェイコブ・N・ジョーンズ」 ウェインライト(DD-62 USS Wainwright) 南北戦争時に三人が戦死した「ウェインライト家」 サンプソン級駆逐艦 サンプソン(DD-63 USS Sampson) 米西戦争時の総司令官「ウィリアム・T・サンプソン」 ローワン(DD-64 USS Rowan) 南北戦争時にニューアイアンサイズ号艦長、チャールストン封鎖を完遂した「スティーブン・C・ローワン」 デイヴィス(DD-65 USS Davis) 海軍生活の中で天文、潮流、海底地形の測量と研究を行い、航路開発を続けた「チャールズ・H・デイヴィス」 アレン(DD-66 USS Allen) 米英戦争時アーガス号士官として英軍ペリカン号の海戦で戦死した「ウィリアム・H・アレン」 ウィルクス(DD-67 USS Wilkes) 南北戦争初期にトレント号事件を起こした「チャールズ・ウィルクス」 ショー(DD-68 USS Shaw) 擬似戦争、第一次バーバリ戦争、米英戦争で複数艦艇の艦長を歴任した「ジョン・ショー」 コールドウェル級駆逐艦 コールドウェル(DD-69 USS Caldwell) 第一次バーバリ戦争トリポリ湾の戦いで戦死した「ジェームズ・R・コールドウェル」 クレイヴン(DD-70 USS Craven) 南北戦争モービル湾の海戦で戦死した「チュニス・A・M・クレイヴン」 改名後の艦名はコンウェイ(Conway) こちらの由来は南軍に降伏し星条旗を降ろすように命じられた際に拒絶した「ウィリアム・コンウェイ」 グウィン(DD-71 USS Gwin) 南北戦争ハイネスブラフの戦いで負傷、一週間後戦病死した「ウィリアム・グウィン」 コナー(DD-72 USS Conmer) 米墨戦争ベラクルス包囲戦争で上陸支援を完遂した「デビッド・コナー」 ストックトン(DD-73 USS Stockton) 米墨戦争時にカリフォルニア侵攻に従事、沿岸の治安維持に従事した「ロバート・F・ストックトン」 マンリー(DD-74 USS Manley) アメリカ独立戦争時に大陸海軍艦長を歴任し通商破壊や上陸作戦支援に従事した「ジョン・マンリー」 ウィックス級駆逐艦 ウィックス(DD-75 USS Wickes) アメリカ独立戦争で歴戦、座礁事故で殉職した「ランバート・ウィックス」 フィリップ(DD-76 USS Philip) 米西戦争でマーブルヘッド艦長として活躍した「ジョン・W・フィリップ」 ウールゼイ(DD-77 USS Woolsey) 米英戦争でオナイダ号艦長を務めた「メランヒトン・T・ウールゼイ」 エヴァンズ(DD-78 USS Evans) 南北戦争、米西戦争やチリ遠征で活躍した「ロブリー・D・エヴァンズ」 リトル(DD-79 USS Little) アメリカ独立戦争や擬似戦争で私掠船狩りを行った「ジョージ・リトル」 キンバリー(DD-80 USS Kimberly) 南北戦争でモービル湾の海戦に参加、戦後軍政に携わった「ルイス・キンバリー」 シガニー(DD-81 USS Sigourney) 米英戦争チェサピーク湾防衛専念し戦死した「ジェームズ・B・シガニー」 グレゴリー(DD-82 USS Gregory) 米英戦争、南北戦争、米墨戦争で活躍した「フランシス・グレゴリー」 ストリンガム(DD-83 USS Stringham) 第一次バーバリ戦争イントレピッド決死隊の一員「サイラス・H・ストリンガム」 ダイアー(DD-84 USS Dyer) 南北戦争モービル湾の海戦、米西戦争マニラ湾の海戦に参加した「ネヘミヤ・ダイアー」 コルホーン(DD-85 USS Colhoun) 南北戦争第二次フィッシャー砦の戦いで活躍した「エドモンド・コルホーン」 スティーブンス(DD-86 USS Stevens) 米英戦争後地中海艦隊司令官に任じられた「トーマス・H・スティーブンス」 マッキー(DD-87 USS McKee) コロラド号と江華島砲台との砲戦で戦死した「ヒュー・W・マッキー」 ロビンソン(DD-88 USS Robinson) アメリカ独立戦争時物資輸送や英軍拿捕に従事した「ジェザイヤ・ロビンソン」 リングゴールド(DD-89 USS Ringgold) 南北戦争勃発まで南太平洋、北太平洋などの探検に従事した「カドワラダー・リングゴールド」 マッキーン(DD-90 USS McKean) 南北戦争でメキシコ湾西岸封鎖任務に従事した「ウィリアム・W・マッキーン」 ハーディング(DD-91 USS Harding) アメリカ独立戦争時に自らの商船二隻を供出した商人「セス・ハーディング」 グリッドレイ(DD-92 USS Gridley) オリンピア艦長として米西戦争マニラ湾海戦で活躍した「チャールズ・V・グリッドレイ」 フェアファックス(DD-93 USS Fairfax) 南北戦争トレンド号事件の際に南軍外交官の拘束に成功した「ドナルド・M・フェアファックス」 テイラー(DD-94 USS Taylor) 南北戦争後兵学校教官、練習艦隊司令官、海軍大学校長を歴任した「ヘンリー・C・テイラー」 ベル(DD-95 USS Bell) 初代アジア艦隊司令官として兵庫開港要求事件処理中に大阪湾で荒天に遭い遭難死した「ヘンリー・ベル」 ストライブリング(DD-96 USS Stribling) 米英戦争や南北戦争で活躍、戦後は海軍工廠を監督した「コーネリアス・ストライブリング」 マレー(DD-97 USS Murray) 南北戦争後にロシア親善訪問艦隊を率いた「アレクサンダー・マレー」 イスラエル(DD-98 USS Israel) 第一次バーバリ戦争の第二回イントレピッド号特攻作戦に参加し戦死した「ジョゼフ・イスラエル」 ルース(DD-99 USS Luce) 南北戦争後士官教育に従事、海軍大学初代校長を務めた「スティーブン・ルース」 モーリー(DD-100 USS Maury) 海軍天文台の監修やバージニア軍人研究所で教職を務めた「マシュー・フォンテーン・モーリー」 ランズデール(DD-101 USS Lansdale) サモア諸島の治安維持活動中に現地人との争乱で戦死した「フィリップ・ランズデール」 マハン(DD-102 USS Mahan) メキシコ湾と内海、海上権力史論などの戦略研究を著した「アルフレッド・セイヤー・マハン」 シュレイ(DD-103 USS Schley) 米西戦争サンチャゴ・デ・キューバ海戦で活躍した「ウィンフィールド・S・シュレイ」 シャンプリン(DD-104 USS Champlhn) 米英戦争エリー湖の湖上戦でスコーピオン号を率いて活躍した「スティーブン・シャンプリン」 マグフォード(DD-105 USS Mugford) アメリカ独立戦争時フランクリン号を指揮し12対1の劣勢の中勇戦し戦死した「ジェームズ・マグフォード」 チュー(DD-106 USS Chew) アメリカ独立戦争時レジスタンス号を指揮し、英軍グレンヴィル号との砲戦で戦死した「サミュエル・チュー」 ヘイゼルウッド(DD-107 USS Hazelwood) アメリカ独立戦争時デラウェア川封鎖やミフリン砦包囲に従事した「ジョン・ヘイゼルウッド」 ウィリアムス(DD-108 USS Williams) アメリカ独立戦争時プロテクター号を率いて英軍アドミラル・ダフ号の拿捕に成功した「ジョン・F・ウィリアムス」 クレイン(DD-109 USS Crane) 第一次バーバリ戦争以来地中海方面で私掠船狩りに従事した「ウィリアム・M・クレイン」 ハート(DD-110 USS Hart) 米英戦争時オンタリオ湖方面で戦死した「エゼキエル・ハート」 南北戦争時に病没した「ジョン・ハート」の両名 イングラハム(DD-111 USS Ingraham) ハンガリー人のアメリカ亡命工作を進め、南北戦争時南軍で活躍した「ダンカン・イングラハム」 ラドロー(DD-112 USS Ludlow) 米英戦争時チェサピーク号と英軍シャノン号のハリファックス沖の海戦で戦死した「オーガスタス・ラドロー」 ラスバーン(DD-113 USS Rathburne) アメリカ独立戦争時プロビデンス号艦長としてナッソーの戦いなどで活躍した「ジョン・P・ラスバーン」 タルボット(DD-114 USS Talbot) 擬似戦争中にコンスティテューション号艦長として活躍した「サイラス・タルボット」 ウォーターズ(DD-115 USS Waters) アメリカ独立戦争時大陸海軍の各種艦艇の艦長を歴任した「ダニエル・ウォーターズ」 デント(DD-116 USS Dent) 擬似戦争から第一次バーバリ戦争までコンスティテューション号などの艦長を歴任した「ジョン・H・デント」 ドーシー(DD-117 USS Dorsey) 第一次バーバリ戦争トリポリ港の戦いで戦死した「ジョン・ドーシー」 リー(DD-118 USS Lea) 南北戦争第二次ガルベストンの戦いで戦死した「エドワード・リー」 ランバートン(DD-119 USS Lamberton) 米西戦争時オリンピア乗員としてマニラ湾湾海戦に参加した「ベンジャミン・P・ランバートン」 ラドフォード(DD-120 USS Radford) 米西戦争、南北戦争で艦長を歴任した「ウィリアム・ラドフォード」 モントゴメリー(DD-121 USS Montgomery) 米墨戦争時サンフランシスコの占領と治安維持に従事した「ジョン・B・モントゴメリー」 ブリース(DD-122 USS Breese) 南北戦争時にデイビッド・ディクソン・ポーター提督の副官を務めた「キッダー・ブリース」 ガンブル(DD-123 USS Gamble) 米英戦争時に活躍した「ガンブル兄弟」 ラムゼイ(DD-124 USS Ramsay) 南北戦争時チョクトー号艦長としてミシシッピ川支流域の遠征作戦に従事した「フランシス・M・ラムゼイ」 タットノール(DD-125 USS Tattnall) ポーハタン号艦長として江戸幕府からの万延元年遣米使節を送った「ジョサイア・タットノール」 バジャー(DD-126 USS Badger) 南北戦争時に複数の艦の艦長を歴任した「オスカー・C・バジャー」 トゥイッグス(DD-127 USS Twiggs) 米墨戦争のチャプルテペクの戦いで戦死した「リーヴァイ・トゥイッグス」 バビット(DD-128 USS Babbitt) 米英戦争講和直後に発生したエンディミオン号とプレジデント号の追撃戦で戦死した「フィッツ・H・バビット」 デロング(DD-129 USS DeLong) 北極海探検に従事、レナ川河口沖で遭難死した「ジョージ・W・デロング」 ジェイコブ・ジョーンズ(DD-130 USS Jacob Jones) 擬似戦争や第二次バーバリ戦争で活躍した「ジェイコブ・N・ジョーンズ」 戦没艦の継承 ブキャナン(DD-131 USS Buchanan) 南北戦争時唯一の南軍海軍大将となりバージニア号艦長を務めた「フランクリン・ブキャナン」 アーロン・ワード(DD-132 USS Aaron Ward) 第一次世界大戦時赤十字船レッドクロス船長を務めた「アーロン・ワード」 ヘイル(DD-133 USS Hale) 南北戦争後の海軍再編に関わる政争で新海軍の立場を擁護した上院議員の「ユージン・ヘイル」 クラウニンシールド(DD-134 USS Crowninshield) 第5代海軍長官として米英戦争の軍政を担当した上院議員の「ベンジャミン・ウィリアムズ・クラウニンシールド」 ティルマン(DD-135 USS Tillman) 20世紀初頭に軍事委員会議長を務めた上院議員「ベンジャミン・ティルマン」 ボッグス(DD-136 USS Boggs) 南北線即時ヴァルナ号艦長を務め、撃沈されつつ南軍艦艇6隻を撃破した「チャールズ・S・ボッグス」 キルティ(DD-137 USS Kilty) 南北戦争時マウンドシティ号艦長を務め、アイランドNo.10の戦いに参加した「アウグストゥス・キルティ」 ケニソン(DD-138 USS Kennison) 南北戦争時バージニア号と交戦した際にカンバーランド号に乗り込み撃沈まで砲撃を続けた「ウィリアム・ケニソン」 ウォード(DD-139 USS Ward) 南北戦争のマチアスポイントの戦いで戦死した「ジェームズ・H・ウォード」 クラクストン(DD-140 USS Claxton) 米英戦争中エリー湖の湖上戦で戦死した「トーマス・クラクストン」 ハミルトン(DD-141 USS Hamilton) 米英戦争時エンディミオン号とプレジデント号の交戦時戦死した「アーチボルド・ハミルトン」 ターベル(DD-142 USS Tarbell) 米英戦争時コンステレーション号艦長を務め、クレイニー島の戦いに勝利した「ジョゼフ・ターベル」 ヤーナル(DD-143 USS Yarnall) 第二次バーバリ戦争時、交渉報告の為乗船したエペルピエ号の遭難で行方不明となった「ジョン・ヤーナル」 アップシャー(DD-144 USS Upshur) 南北戦争時ウォバシュ号艦長としてフィッシャー砦の戦いに参加した「ジョン・H・アップシャー」 グリーア(DD-145 USS Greer) 南北戦争後に練習艦隊や訪欧親善艦隊の司令官を務めた「ジェームズ・A・グリーア」 エリオット(DD-146 USS Elliot) 第一次世界大戦時駆逐艦マンリーの艦長として参加、接触事故による爆雷誤爆で殉職した「リチャード・M・エリオット」 ローパー(DD-147 USS Roper) 米西戦争中キャビテ港で発生したぺトレル号火災の際、乗員救助中に殉職した「ジェシー・M・ローパー」 ブレッキンリッジ(DD-148 USS Breckinridge) 水雷艇カッシングにて哨戒中、波にさらわれて殉職した「ジョゼフ・C・ブレッキンリッジ」 バーニー(DD-149 USS Barney) 米英戦争のブラーデンスバーグの戦いにて勇戦した「ジョシュア・バーニー」 ブラークレイ(DD-150 USS Blakeley) 米英戦争時ワスプ号で功績をあげたものの、ワスプ号が荒天で遭難した際に行方不明となった「ジョンストン・ブラークレイ」 ビドル(DD-151 USS Biddle) アメリカ独立戦争でランドルフ号とヤーマス号の交戦時にランドルフ号の爆沈で戦死した「ニコラス・ビドル」 デュポン(DD-152 USS DuPont) 南北戦争時チャールストン攻略に従事した「サミュエル・F・デュポン」 バーナドゥ(DD-153 USS Bernadou) 米西戦争時水雷艇ウィンスロー艇長としてキューバ島カルデナス港に従事した「ジョン・B・ベルナドゥ」 エリス(DD-154 USS Ellis) 米西戦争時ブルックリン乗組員としてサンチャゴ・デ・キューバ海戦に参加、戦死した「ジョージ・H・エリス」 コール(DD-155 USS Cole) 第一次世界大戦ベロー・ウッドの戦いで戦死した海兵隊将校の「エドワード・B・コール」 J・フレッド・タルボット(DD-156 USS J.Fred Talbott) 25年に渡り下院海軍委員会に所属していた下院議員の「ジョシュア・F・タルボット」 ディカーソン(DD-157 USS Dickerson) 第10代海軍長官に就任した上院議員の「マーロン・ディカーソン」 リアリー(DD-158 USS Leary) 第一次世界大戦時火災事故の救難活動で殉職した運送艦乗組士官の「クラレンス・F・リアリー」 シェンク(DD-159 USS Schenck) 米墨戦争時のカリフォルニア遠征に参加、サンタバーバラに自ら星条旗を立てた「ジェームズ・F・シェンク」 ハーバード(DD-160 USS Herbert) 第33代海軍長官を務めた下院議員の「ヒラリー・ハーバード」 パーマー(DD-161 USS Palmer) 南北戦争時西湾封鎖艦隊を統率、ファラガット司令官不在時に職務を代行した「ジェームズ・S・パーマー」 サッチャー(DD-162 USS Thatcher) 南北戦争時メキシコ湾岸を転戦、ガルベストンを陥落させた「ヘンリー・K・サッチャー」 ウォーカー(DD-163 USS Walker) 南北戦争後の海軍再編期に航海局長を務め、中米運河の計画や灯台の設置を進めた「ジョン・G・ウォーカー」 クロスビー(DD-164 USS Crosby) 米墨戦争から南北戦争まで艦長を歴任した「パース・クロスビー」 メレディス(DD-165 USS Meredith) 第一次バーバリ戦争時の海兵隊下士官、トリポリの戦いで戦死した「ジョナサン・メレディス」 ブッシュ(DD-166 USS Bush) 米英戦争時コンステレーション号とゲリエール号の接舷戦で戦死した「ウィリアム・S・ブッシュ」 コーウェル(DD-167 USS Cowell) 米英戦争時エセックス号とフェーベ号の海戦で戦死した「ジョン・G・コーウェル」 マドックス(DD-168 USS Maddox) 米墨戦争サンタクララの戦いに参加した「ウィリアム・A・T・マドックス」 フット(DD-168 USS Foote) 南北戦争初期にミシシッピ川戦隊を率いて多くの要塞攻略戦に勝利した「アンドリュー・フット」 カーク(DD-170 USS Kalk) 第一次世界大戦にて駆逐艦ジェイコブ・ジョーンズに乗り組みドイツ潜水艦U-53の雷撃で戦死した「スタントン・F・カーク」 バーンズ(DD-171 USS Burns) 米英戦争時武装私有船スナップドラゴン号を用いて複数の英軍艦艇を拿捕した貿易商の「オトウェイ・バーンズ」 アンソニー(DD-172 USS Anthony) 戦艦メイン爆沈時に乗員救助を指揮した「ウィリアム・アンソニー」 スプロストン(DD-173 USS Sproston) 南北戦争時セネカ号に乗り組み、セントジョーンズ川の戦いで戦死した「ジョン・G・スプロストン」 リサール(DD-174 USS Rizal) スペイン統治時代のフィリピンで独立運動を指導、その後スペインにより処刑された「ホセ・リサール」 マッケンジー(DD-175 USS Mackenzie) 南北戦争後ハートフォード号で台湾遠征に従事、現地人との交戦で戦死した「アレクサンダー・S・マッケンジー」 レンショー(DD-176 USS Renshaw) 南北戦争時ウェストフィールド号に乗り組み、ガルベストンの戦いで戦死した「ウィリアム・B・レンショー」 オバノン(DD-177 USS O'Bannon) 第一次バーバリ戦争で海兵隊を率いトリポリの戦いを制した「プレスリー・オバノン」 ホーガン(DD-178 USS Hogan) 米英戦争時コンスティテューション号に乗り組み、ジャワ号との海戦で戦死した「ダニエル・ホーガン」 ハワード(DD-179 USS Howard) 南北戦争時ニュー・アイアンサイド号に乗り組み、チャールストンの戦いで戦死した「チャールズ・W・ハワード」 スタンスベリー(DD-180 USS Stansbury) 米英戦争シャンプレーン号の戦いで戦死した「ジョン・スタンスベリー」 ホープウェル(DD-181 USS Hopewell) 米英戦争時チェサピーク号に乗り組み、シャノン号との海戦で戦死した「ポラード・ホープウェル」 トーマス(DD-182 USS Thomas) 第一次世界時貨物船バキューム号にてドイツ潜水艦U-21の雷撃で戦死した「クラレンス・C・トーマス」 ハラデン(DD-183 USS Haraden) アメリカ独立戦争時私兵を率いティラニサイド号を用いて英艦艇を攻撃した「ジョナサン・ハラデン」 アボット(DD-184 USS Abaot) マシュー・ペリーの日本遠征時にマケドニアン艦長として同伴したものの香港にて病死した「ジョエル・アボット」 バッグレイ/ドラン(DD-185 USS Bagley/Doran) 米西戦争時水雷艇ウィンスローのキューバ島カルデナス港封鎖作戦中に戦死した「ワース・バッグレイ」/米西戦争でキューバ島の海底ケーブル切断に成功したモンゴメリー号の「ジョン・J・ドラン」 クレムソン級駆逐艦 クレムソン(DD-186 USS Clemson) 米墨戦争時サマーズ号に乗り組み、ベラクスル沖の遭難沈没事故で殉職した「ヘンリー・A・クレムソン」 ダールグレン(DD-187 USS Dahlgren) ワシントン海軍工廠兵器部を興しダールグレン砲を開発、普及させた「ジョン・A・ダールグレン」 ゴールズボロー(DD-188 USS Goldsborough) 南北戦争時北部大西洋封鎖艦隊を指揮した「ルイス・M・ゴールズボロー」 セムズ(DD-189 USS Semmes) 南北戦争時南軍アラバマ号を指揮した「ラファエル・セムズ」 サタリー(DD-190 USS Satterlee) 第一次世界大戦時沿岸警備隊の警備艦タンパ艦長を務めドイツ潜水艦UB-91の雷撃で戦死した「チャールズ・サタリー」 メイソン(DD-191 USS Mason) 第16代・第18代海軍長官を務めた下院議員の「ジョン・Y・メイソン」 グラハム(DD-192 USS Graham) 第20代海軍長官を務め、晩年南北戦争後の南部復興に尽力した上院議員の「ウィリアム・A・グラハム」 エイベル・P・アップシャー(DD-193 USS Abel P. Upshur) 第13代海軍長官を務め、プリンストン号進水式の爆発事故で殉職した下院議員の「エイベル・P・アップシャー」 ハント(DD-194 USS Hunt) 第29代海軍長官を務め、海軍諮問委員会を置いて南北戦争後の海軍復興を進めた「ウィリアム・H・ハント」 ウェルボーン・C・ウッド(DD-195 USS Welborn C. Wood) 米西戦争時アジア艦隊アーダネラ号に乗り組み、フィリピンの武装勢力との交戦で戦死した「ウェルボーン・C・ウッド」 ジョージ・E・バジャー(DD-196 USS George E. Badger) 第12代海軍長官を務め、海軍力強化を進めた「ジョージ・E・バジャー」 ブランチ(DD-197 USS Branch) 第8代海軍長官を務め、スマトラ島での米船員殺害事件にポトマック号を派遣した上院議員の「ジョン・ブランチ」 ハーンドン(DD-198 USS Herndon) 一年にわたりアマゾン川探検を行い、郵便汽船セントラル・アメリカ号の荒天遭難事故で殉職した「ウィリアム・ルイス・ハーンドン」 ダラス(DD-199 USS Dallas) 第二次バーバリ戦争で私掠船狩りに従事、ペンサコラ海軍造船所を開いた「アレクサンダー・J・ダラス」 チャンドラー(DD-206 USS Chandler) 海軍省法務官、第30代海軍長官を務めた下院・上院議員の「ウィリアム・イートン・チャンドラー」 サウサード(DD-207 USS Southard) 第7代海軍長官を務め、海軍病院の設立や海軍軍人の五割増員を行った上院議員の「サミュエル・サウサード」 ホーヴェイ(DD-208 USS Hovey) 米比戦争後フィリピンに駐留、警備艇パンパンガ号と原住民との交戦で戦死した「チャールズ・ホーヴェイ」 ロング(DD-209 USS Long) 第34代海軍長官を務め、在任中に勃発した米西戦争の采配を執った下院議員の「ジョン・デイヴィス・ロング」 ブルーム(DD-210 USS Broome) 南北戦争ビッグスバーグ包囲戦で勇戦した海兵隊の「ジョン・L・ブルーム」 アルデン(DD-211 USS Alden) 南北戦争時ブルックリン号艦長を務めモービル湾の戦いで活躍した「ジェームズ・アルデン」 スミス・トンプソン(DD-212 USS Smith Thompson) 第6代海軍長官を務め、西インド諸島海賊掃討作戦を推進した「スミス・トンプソン」 バーカー(DD-213 USS Barker) 南北戦争と米西戦争の戦間期にエンタープライズ号でザンジバル駐留調査に従事した「アルバート・バーカー」 トレーシー(DD-214 USS Tracy) 第32代海軍長官を務めた「ベンジャミン・トレーシー」 ボリー(DD-215 USS Borie) 第25代海軍長官を三ヵ月間務め、先住民、黒人差別を助長する政策を乱発した貿易商の「アドルフ・ボリー」 ジョン・D・エドワーズ(DD-216 USS John D.Edwards) 第一次世界大戦時駆逐艦ショーに乗り組み、英国客船アキタニア号との衝突事故で殉職した「ジョン・D・エドワーズ」 ホイップル(DD-217 USS Whippole) アメリカ独立戦争時ハンナ号を率いて大陸海軍初勝利となるガスピー号撃沈を成し遂げた「エイブラハム・ホイップル」 パロット(DD-218 USS Parrott) 第一次世界大戦時駆逐艦ショーに乗り組み、英国客船アキタニア号との衝突事故で殉職した「ジョージ・パロット」 エドサル(DD-219 USS Edsall) サモア諸島の治安維持活動中に現地人との交戦で戦死したフィラデルフィア水兵の「ノーマン・エドサル」 マクレイシュ(DD-220 USS Macleish) 第一次世界大戦で海軍航空隊士官としてヨーロッパで活動、ベルギー上空での空中戦で戦死した「ケネス・マクレイシュ」 シンプソン(DD-221 USS Simpson) 南北戦争の中断を挟みつつ砲術兵装、水雷兵装の研究開発を進めた「エドワード・シンプソン」 バルマー(DD-222 USS Bulmer) 第一次世界大戦後のイギリス海軍の機雷掃海に従事、陣頭指揮を執った「ロスコー・バルマー」 マコーミック(DD-223 USS McCormick) 第一次世界大戦時イギリス航空隊に出向、カレー近郊の空中戦で戦死した「アレクサンダー・マコーミック」 スチュワート(DD-224 USS Stewart) 南北戦争以前の軍政を担った「チャールズ・スチュワート」 ポープ(DD-225 USS Pope) 南北戦争時リッチモンド号艦長を務め、サムター号捜索や湾岸封鎖に従事した「ジョン・ホープ」 ピアリー(DD-226 USS Peary) 西洋人として初めて北極点に到達した探検家の「ロバート・ピアリー」 ピルスバリー(DD-227 USS Pillsbury) メキシコ湾流研究に通じた海洋学者であり、米西戦争に従事した「ジョン・E・ピルスバリー」 ジョン・D・フォード(DD-228 USS John D.Ford) 米西戦争時にフィリピン攻略に従事した「ジョン・D・フォード」 トラクスタン(DD-229 USS Truxtun) アメリカ独立戦争や擬似戦争で私掠船を率いた「トーマス・トラクスタン」 ポール・ジョーンズ(DD-230 USS Paul Jones) アメリカ独立戦争でレンジャーやボノム・リシャールを率いた「ジョン・ポール・ジョーンズ」 ハットフィールド(DD-231 USS Hatfield) 米英戦争時レディ・オブ・レイク号に乗艦したものの戦死した「ジョン・ハットフィールド」 ブルックス(DD-232 USS Brooks) 米英戦争時旗艦ローレンス号に乗艦、エリー湖の湖上戦で戦死した海兵隊士官の「ジョン・ブルックス」 ギルマー(DD-233 USS Gilmer) 第28代海軍長官に着任したもののプリンストン号進水式での爆発事故で殉職した下院議員の「トマス・ギルマー」 フォックス(DD-234 USS Fox) リンカーン政権時に海軍次官に任じられ、ロシア親善使節として派遣された「ガスターヴス・V・フォックス」 ケーン(DD-235 USS Kane) 米墨戦争以来軍医として各地を転戦、負傷者治療や探検隊、遠征隊救援に従事した「エリシャ・K・ケーン」 ハンフリーズ(DD-236 USS Humphreys) アメリカ独立戦争後にコンスティテューション号やコンステレーション号ら6隻を建造した造船技師の「ジョシュア・ハンフリーズ」 マクファーランド(DD-237 USS McFarland) 南北戦争時北軍旗艦ハートフォード号艦長を務め、モービル湾の海戦に出撃した「ジョン・C・マクファーランド」 ジェームズ・K・ポールディング(DD-238 USS James K. Paulding) 第11代海軍長官を務め、蒸気船導入に反対しつつ艦隊拡大策を取った小説家の「ジェームズ・ポールディング」 オバートン(DD-239 USS Overton) 第一次正解大戦にてモンブラン山麓サンジョルジュでの戦闘で戦死した「メイコン・C・オバートン」 スターデヴァント(DD-240 USS Sturtevant) 第一次世界大戦で英国航空隊に出向、北海上空のでの空中戦で戦死した「アルバート・D・スターデヴァント」 チャイルズ(DD-241 USS Childs) 第一次世界時英国潜水隊に出向、潜水艦H-5乗艦中友軍からの誤認攻撃で撃沈戦死した「アール・W・F・チャイルズ」 キング(DD-242 USS King) 第一次世界時掃海艇リチャード・バックレイ艇長を務め、北海の掃海中に触雷し殉職した「フランク・R・キング」 サンズ(DD-243 USS Sands) 米墨戦争から南北戦争に従事した「ベンジャミン・F・サンズ」と南北戦争後に海軍兵学校校長を務めた「ジェームズ・H・サンズ」の親子 ウィリアムソン(DD-244 USS Williamson) 第一次世界時時に弾薬・兵器の開発に従事、新開発の爆雷の実験中に爆発事故で殉職した「ウィリアム・P・ウィリアムソン」 ルーベン・ジェームズ(DD-245 USS Reuben James) 擬似戦争や第二次バーバリ戦争にかけての船員、トリポリの戦いで白兵戦を展開した「ルーベン・ジェームズ」 ベインブリッジ(DD-246 USS Bainbridge) アメリカ独立戦争や第二次バーバリ戦争で活躍した「ウィリアム・ベインブリッジ」 ゴフ(DD-247 USS Goff) 第28代海軍長官を務めた下院議員の「ネイサン・ゴフ」 バリー(DD-248 USS Barry) アメリカ独立戦争で五隻の船長を歴任した「ジョン・バリー」 ホプキンス(DD-249 USS Hopkins) アメリカ独立戦争で大陸海軍総司令官をつとめた「イーゼック・ホプキンス」 ローレンス(DD-250 USS Lawrence) 米英戦争中に戦死した「ジェームズ・ローレンス」 ベルナップ(DD-251 USS Belknap) 南北戦争以来艦長を務め、ハートフォード号艦長として台湾遠征に従事した「ジョージ・ベルナップ」 マクック(DD-252 USS McCook) 南北戦争時に艦長を歴任、フィッシャー砦やチャールストンの占領に貢献した「ロデリック・S・マクック」 マッカラ(DD-253 USS McCalla) 義和団の乱時にニューアーク艦長として鎮圧に貢献した「ボーマン・H・マッカラ」 ロジャース(DD-254 USS Rodgers) セミノール戦争以来艦長を歴任、南北戦争時にジェームズ川を掌握した戦隊司令官の「ジョン・ロジャース」 オズモンド・イングラム(DD-255 USS Osmond Ingram) 第一次世界時駆逐艦カッシン砲術下士官として乗り組み、潜水艦U-61の雷撃で戦死した「オズモンド・イングラム」 バンクロフト(DD-256 USS Bancroft) 第17代海軍長官を務め、ケディスバーグの演説の草案を執筆した歴史学者の「ジョージ・バンクロフト」 ウェレス(DD-257 USS Welles) 第24代海軍長官を務め、南北戦争に貢献した小説家の「ギデオン・ウェレス」 オーリック(DD-258 USS Aulick) 東インド艦隊を務めたものの、派遣直前に日本開国特使に更迭された「ジョン・オーリック」 ターナー(DD-259 USS Turner) 米英戦争以来数回オリバー・ペリー提督の指揮下で働いた「ダニエル・ターナー」 ギリス(DD-260 USS Gillis) 東インド艦隊士官として来日経験があり南北戦争で病に倒れた「ジョン・P・ギリス」 デルファイ(DD-261 USS Delphy) 米英戦争時海軍に志願、アーガス号に乗り組みペリカン号との交戦で戦死した「リチャード・デルファイ」 マクダーマット(DD-262 USS McDermut) 南北戦争のサビーン湖の戦闘で戦死した「デビット・マクダーマット」 ローブ(DD-263 USS Laub) 米英戦争時海軍に志願、エリー湖の戦いで戦死した「ヘンリー・ローブ」 マクラナハン(DD-264 USS McLanahan) 米墨戦争時サイアン号に乗り組み、上陸戦や地上戦に従事、サンノゼで戦死した「テナント・マクラナハン」 エドワーズ(DD-265 USS Edwards) 米英戦争時海軍に志願、アーガス号に乗り組み、ペリカン号との交戦で戦死した「ウィリアム・W・エドワーズ」 グリーン(DD-266 USS Greene) 南北戦争時モニター号でハンプトン・ローズ海戦、イロコイ号でシェナンドア号追跡戦に参加した「サミュエル・グリーン」 バラード(DD-267 USS Ballard) 米英戦争時チェサピーク号に乗組、シャノン号との交戦で戦死した「エドワード・J・バラード」 シュブリック(DD-268 USS Shubrick) 東インド艦隊やパラグアイ遠征隊司令官を拝命した「ウィリアム・シュブリック」 バイリー(DD-269 USS Bailey) 南北戦争時コロラド号を指揮、ジャクソン砦・セントフィリップの戦いで活躍した「セオドラス・バイリー」 ソーントン(DD-270 USS Thornton) 南北戦争時ハートフォート号に乗組、ジャクソン砦・セントフィリップの戦いに従事した「ジェームズ・S・ソーントン」 モリス(DD-271 USS Morris) 擬似戦争以来従軍し、遠征中に病死したペリー提督に代わりアルゼンチン遠征隊を統率した「チャールズ・モリス」 ティンギー(DD-272 USS Tingey) アメリカ独立戦争、擬似戦争に従軍、その後ワシントン海軍造船所長を務めた「トーマス・ティンギー」 スウェジー(DD-273 USS Swasey) 南北戦争時に西湾封鎖部隊のシオタ号に乗組み、ドナルドソンビル近郊の交戦で戦死した「チャールズ・スウェジー」 ミード(DD-274 USS Meade) 南北戦争中ニューヨーク徴兵暴動を鎮圧した「リチャード・W・ミード」と米西戦争で海兵隊を統率した「ロバート・L・ミード」の兄弟 シンクレア(DD-275 USS Sinclair) 擬似戦争から米英戦争まで艦長を歴任し、ゲリエール号で士官教育も行った「アーサー・シンクレア」 マッコーリー(DD-276 USS McCawley) 南北戦争時サムターン要塞などの南軍要塞攻略を指揮した「チャールズ・G・マッコーリー」 ムーディ(DD-277 USS Moody) 第35代海軍長官や司法長官を歴任し、反トラスト運動政策を進めた下院議員の「ウィリアム・ヘンリー・ムーディ」 ヘンショー(DD-278 USS Henshaw) 第14代海軍長官を務め、海軍造船所の整備、補給の見直しを推進した上院議員の「デイヴィット・ヘンショー」 マイヤー(DD-279 USS Meyer) 第43代海軍長官を務め、海軍航空隊創設の準備を行った下院議員の「ジョージ・フォン・レンガーク・マイヤー」 ドーエン(DD-280 USS Doyen) 第一次世界大戦時海兵隊第2師団を率いてフランスに駐留、ベロー・ウッドの戦いに勝利した「チャールズ・A・ドーエン」 シャーキー(DD-281 USS Sharkey) 第一次世界大戦後潜水艦O-5に乗組み、蓄電池室爆発事故で殉職した「ウィリアム・J・シャーキー」 トウシー(DD-282 USS Toucey) 第23代海軍長官を務めた下院議員の「アイザック・トウシー」 ブレック(DD-283 USS Breck) 南北戦争末期にニフォン号艦長を務め、ウィルミントン攻略に従事した「ジョセフ・B・ブレック」 イシャーウッド(DD-284 USS Isherwood) 造船技官として奉職、蒸気工学局を興した「ベンジャミン・F・イシャーウッド」 ケース(DD-285 USS Case) 南北戦争時北大西洋封鎖艦隊を率い、ハッテラス入り江砲台の戦いを制した「オーガスタス・L・ケース」 ラードナー(DD-286 USS Lardner) 南北戦争時にサスケハナ号艦長を務め、各地を転戦した「ジェームズ・L・ラードナー」 パットナム(DD-287 USS Putnam) 1881年末に北極で遭難したロジャース号救援に出動、後にシベリアで遭難死した「チャールズ・F・パットナム」 ウォーデン(DD-288 USS Worden) 米墨戦争と南北戦争で士官として活躍、戦後の軍政を担った「ジョン・L・ウォーデン」 フラッサー(DD-289 USS Flusser) 南北戦争プリマスの戦いで戦死したマイアミ号艦長「チャールズ・ウィリアムソン・フラッサー」 デイル(DD-290 USS Dale) アメリカ独立戦争や第一次バーバリ戦争で活躍した「リチャード・デイル」 コンヴァース(DD-291 USS Converse) 無煙火薬や艦内電気の研究、水雷艇設計などを推進、米西戦争に従事した「ジョージ・A・コンヴァース」 リード(DD-292 USS Reid) アメリカ国旗の独立13州を表す十三条のデザインを固定化した「サミュエル・C・リード」 ビリングスレイ(DD-293 USS Billingsley) 海軍航空隊九人目の飛行士、チェサピーク湾にて墜落殉職し、アメリカ海軍最初の航空隊殉職者となった「ウィリアム・ビリングスレイ」 チャールズ・オースバーン(DD-294 USS Charles Ausburn) 第一次世界大戦時に陸軍輸送艦アンティルに乗り組み、潜水艦U-105からの雷撃で戦死した電気技師の「チャールズ・オースバーン」 オズボーン(DD-295 USS Osborne) 第一次世界大戦時に海兵隊に同行、ベロー・ウッドの戦いで救命中に戦死した海兵歯科医の「ウィードン・オズボーン」 チョウンシー(DD-296 USS Chauncey) 擬似戦争や米英戦争で活躍した「アイザック・チョウンシー」 フラー(DD-297 USS Fuller) 第一次世界大戦時フランスに駐留、ベロー・ウッドの戦いで戦死した 「エドワード・フラー」 パーシバル(DD-298 USS Percival) 1844年から一年に渡ってコンスティテューション号艦長として世界一周を実行した「ジョン・パーシバル」 ジョン・フランシス・バーンズ(DD-299 USS John Francis Burnes) パナマ侵攻以来前線で歴戦、第一次世界大戦ベロー・ウッドの戦いで戦死した「ジョン・フランシス・バーンズ」 ファラガット(DD-300 USS Farragut) 南北戦争時に西湾封鎖艦隊を統率、モービル湾の海戦に勝利した「デヴィット・ファラガット」 サマーズ(DD-301 USS Somers) 第一次バーバリ戦争に従軍、二度目のイントレピッド決死隊を指揮、戦死した「リチャード・サマーズ」 ストッダート(DD-302 USS Stodderd) 初代海軍長官を務め擬似戦争時の海軍を統制した上院議員の「ベンジャミン・ストッダート」 リノ(DD-303 USS Reno) 第一次世界大戦時に駆逐艦チョウンシー艦長を務め、イギリス貨物船ローズ号との衝突事故で殉職した「ウォルター・E・リノ」 ファークハー(DD-304 USS Farquhar) トレントン号艦長としてサモアに滞在、ハリケーン直撃から無事生還した「ノーマン・ファークハー」 トンプソン(DD-305 USS Thompson) 第27代海軍長官を務め中南米進出を促した判事の「リチャード・トンプソン」 ケネディ(DD-306 USS Kennedy) 第21代海軍長官を務め、日本やブラジル遠征を推進した下院議員の「ジョン・ペンドルトン・ケネディ」 ポール・ハミルトン(DD-307 USS Paul Hamilton) 第3代海軍長官を務め海軍増強を目指した上院議員の「ポール・ハミルトン」 ウィリアム・ジョーンズ(DD-308 USS William Jones) 第4代海軍長官を務め米英戦争を統率した下院議員の「ウィリアム・ジョーンズ」 ウッドバリー(DD-309 USS Woodbury) 第13代海軍長官を務め海軍軍人の待遇改善を指向した上院議員の「リーヴァイ・ウッドバリー」 S・p・リー(DD-310 USS S.p.Lee) 南北戦争時北大西洋封鎖艦隊やミシシッピ川戦隊を指揮した「サミュエル・フィリップス・リー」 ニコラス(DD-311 USS Nicholas) アメリカ独立戦争時に大陸海兵隊総司令官に任命され初代海兵隊総司令官とされる「サミュエル・ニコラス」 ヤング(DD-312 USS Young) アメリカ独立戦争時にサラトガ号艦長に任命されその後嵐で艦と共に消息を絶った「ジョン・ヤング」 ゼイリン(DD-313 USS Zeilin) 米墨戦争や南北戦争に従事した海兵隊士官、黒船で来日経験もある「ジェイコブ・ゼイリン」 ヤーボロー(DD-314 USS Yarborough) 第一次世界大戦時に欧州戦線に派遣された海兵隊士官であり、ベロー・ウッドの戦いで戦死した「ジョージ・ヤーボロー」 ラ・ヴァレット(DD-315 USS La VAllette) 米英戦争などに従事、地中海・中南米遠征に派遣された「エリー・A・F・ラ・ヴァレット」 スロート(DD-316 USS Sloat) 米墨戦争時太平洋艦隊を指揮、モントレーの戦いに勝利し、カリフォルニアを占領した「ジョン・D・スロート」 ウッド(DD-317 USS Wood) セミノール戦争から南北戦争まで在職、海軍病院・医療制度の充実を推進した軍医長の「ウィリアム・M・ウッド」 シャーク(DD-318 USS Shirk) 南北戦争時に複数艦艇艦長を歴任、シャイローの戦いで火力支援に従事した「ジェームズ・W・シャーク」 キッダー(DD-319 USS Kidder) 第一次世界大戦時フランスに駐留、モンブラン山麓の戦闘で戦死した「ヒュー・P・キッダー」 セルフリッジ(DD-320 USS Selfridge) 米墨戦争時デイル号に乗り組み、グアイマスの上陸占領に貢献した「トーマス・O・セルフリッジ」 マーカス(DD-321 USS Marcus) 第一次世界大戦時潜水艦A-7に乗り組み、キャビテ港での火災事故で殉職した「アーノルド・マーカス」 マーヴィン(DD-322 USS Mervine) 米墨戦争でロサンゼルス攻略陸戦隊を指揮した「ウィリアム・マーヴィン」 チェイス(DD-323 USS Chase) アメリカ独立戦争時ボノムリシャール号に乗り組み、セラピス号との海戦で活躍した「ルーベン・チェイス」 ロバート・スミス(DD-324 USS Robert Smith) 第2代海軍長官、第6代国務長官を務めた「ロバート・スミス」 ムラニー(DD-325 USS Mullany) 南北戦争で各地に転戦、戦後は欧州艦隊・北大西洋艦隊司令官を歴任した「ジェームズ・R・M・ムラニー」 コグラン(DD-326 USS Coghlan) 米西戦争時にフィリピンに遠征、パナマ分離独立介入にも従事した「ジョセフ・B・コグラン」 プレストン(DD-327 USS Preston) 南北戦争の第二次フィッシャー砦の戦いで戦死した「サミュエル・W・プレストン」 ラムソン(DD-328 USS Lamson) 南北戦争の第二次フィッシャー砦の戦いに従事した「ロズウェル・ラムソン」 ブルース(DD-329 USS Bruce) 第一次世界大戦時掃海艇ボボリンクに乗り組み、北海の掃海中触雷で殉職した「フランク・ブルース」 ハル(DD-330 USS Hull) 擬似戦争と第一次バーバリ戦争で活躍した「アイザック・ハル」 マクドノー(DD-331 USS Macdonough) 擬似戦争や米英戦争で活躍した「トーマス・マクドノー」 ファーレンホルト(DD-332 USS Farenholt) 南北戦争や米西戦争に従事、その後アラスカ警備に従事した「オスカー・W・ファーレンホルト」 サムナー(DD-333 USS Sumner) 第一次世界大戦時欧州に派遣、ティニーへの行軍中に戦死した「アレン・M・サムナー」 コリー(DD-334 USS Corry) 第一次世界大戦時に大西洋艦隊航空幕僚を務め、搭乗機の墜落事故で殉職した「ウィリアム・M・コリー」 メルヴィン(DD-335 USS Melvin) 第一次世界大戦時哨戒艇アルセドに乗り組み、潜水艦UC-71からの雷撃で戦死した「ジョン・T・メルヴィン」 リッチフィールド(DD-336 USS Litchfield) 第一次世界大戦時海兵隊付衛生下士官として渡仏、ティアクールでの戦闘で戦死した「ジョン・リッチフィールド」 ゼイン(DD-337 USS Zane) 第一次世界大戦ベロー・ウッドの戦いで負傷、後に戦病死した海兵隊士官の「ランドルフ・ゼイン」 ワスマス(DD-338 USS Wasmuth) 南北戦争時第二次フィッシャー砦の戦いでロブリー・エヴァンスを救い戦死した「ヘンリー・ワスマス」 トレヴァー(DD-339 USS Trever) 第一次世界大戦後潜水艦O-5に乗り組み、蓄電池室爆発事故で殉職した「ジョージ・A・トレヴァー」 ペリー(DD-340 USS Perry) 米英戦争エリー湖の湖上戦で勝利、英雄視された「オリバー・ハザード・ペリー」 ディケーター(DD-341 USS Decatur) 擬似戦争や第二次バーバリ戦争で活躍した「スティーヴン・ディケーター」 ハルバート(DD-342 USS Hulbert) 第二次サモア内戦や第一次世界大戦に従事、ブラン・モンリッジの戦いで戦死した「ヘンリー・L・ハルバート」 ノア(DD-343 USS Noa) 領有直後のフィリピンで密輸取り締まりに従事、サマール島で原住民との交戦で戦死した「ラブマン・ノア」 ウィリアム・B・プレストン(DD-344 USS William B.Preston) 第19代海軍長官を務め、アジア進出を指向した下院議員の「ウィリアム・プレストン」 プレブル(DD-345 USS Preble) 擬似戦争や第一次バーバリ戦争で活躍した「エドワード・プレブル」 シカード(DD-346 USS Sicard) 南北戦争中から艦長を歴任、ハワイ遠征や北大西洋艦隊を指揮した「モンゴメリー・シカード」 プルーイット(DD-347 USS Pruitt) 第一次世界大戦で欧州戦線に派遣、ブラン・モンリッジの戦いで戦死した海兵隊員の「ジョン・H・プルーイット」 ファラガット級駆逐艦 ファラガット(DD-348 USS Farragut) 南北戦争時に西湾封鎖艦隊を統率、モービル湾の海戦に勝利した「ディヴィッド・ファラガット」 デューイ(DD-349 USS Dewey) 米西戦争時マニラ湾海戦に従事、海軍唯一の海軍大元帥の称号を得た「ジョージ・デューイ」 ハル(DD-350 USS Hull) 擬似戦争と第一次バーバリ戦争で活躍した「アイザック・ハル」 マクドノー(DD-351 USS Macdonough) 擬似戦争や米英戦争で活躍した「トーマス・マクドノー」 ウォーデン(DD-352 USS Worden) 米墨戦争や南北戦争で士官として参戦、戦後の軍政を担った「ジョン・L・ウォーデン」 デイル(DD-353 USS Dale) アメリカ独立戦争や第一次バーバリ戦争で活躍した「リチャード・デイル」 モナハン(DD-354 USS Monaghan) サモア諸島の治安維持活動中に現地人との争乱で戦死したフィラデルフィア乗組士官の「ジョン・R・モナハン」 エールウィン(DD-355 USS Aylwin) 米英戦争中にコンスティテューション号とゲリエール号の海戦で戦死した「ジョン・C・エールウィン」 ポーター級駆逐艦 ポーター(DD-356 USS Porter) 南北戦争レッド川方面作戦や第二次フィッシャー砦の戦いで陸軍支援に従事した「デビッド・D・ポーター」 セルフリッジ(DD-357 USS Selfridge) 米墨戦争時デイル号に乗り組み、グアイマスの上陸占領に貢献した「トーマス・O・セルフリッジ」 マクドゥガル(DD-358 USS McDougal) 南北戦争時ワイオミング号艦長を務め、下関戦争にも参加した「デヴィッド・マクドゥカル」 ウィンスロー(DD-359 USS Winslow) 南北戦争でキアサージ号船長を務め南軍のアラバマ号を撃沈した「ジョン・A・ウィンスロー」 フェルプス(DD-360 USS Phelps) 南北戦争でグロスターポイント・フィッシャー砦・ウェストポイントを歴戦した「トーマス・S・フェルプス」 クラーク(DD-361 USS Clark) 南北戦争から海軍に所属、米西戦争時戦艦オレゴン艦長として出撃した「チャールズ・E・クラーク」 モフェット(DD-362 USS Moffett) 第一次世界大戦時に海軍航空局の初代局長となり、海軍航空隊の父と言われた「ウィリアム・A・モフェット」 バルチ(DD-363 USS Balch) ペリー艦隊プリマス号艦長として来日、南北戦争で活躍した「ジョージ・バルチ」 マハン級駆逐艦 マハン(DD-364 USS Mahan) メキシコ湾と内海、海上権力史論などの戦略研究を著した「アルフレッド・セイヤー・マハン」 カミングズ(DD-365 USS Cummings) 南北戦争中ポート・ハドソン砲台との交戦で戦死した「アンドリュー・B・カミングズ」 ドレイトン(DD-366 USS Drayton) 南北戦争中に艦船建造を指揮した「パーシバル・ドレイトン」 ラムソン(DD-367 USS Lamson) 南北戦争第二次フィッシャー砦の戦いに参加した「ロズウェル・ラムソン」 フラッサー(DD-368 USS Flusser) 南北戦争プリマスの戦いで戦死したマイアミ号艦長「チャールズ・ウィリアムソン・フラッサー」 リード(DD-369 USS Reid) アメリカ国旗の独立13州を表す十三条のデザインを固定化した「サミュエル・C・リード」 ケース(DD-370 USS Case) 南北戦争時北大西洋封鎖艦隊を率い、ハッテラス入り江砲台の戦いを制した「オーガスタス・L・ケース」 カニンガム(DD-371 USS Conyngham) アメリカ独立戦争時に通商破壊に従事した「ガスターヴス・カニンガム」 カッシン(DD-372 USS Cassin) 米英戦争中タイコンデロガ号を率いてシャンプレーン湖の戦いで活躍した「スティーブン・カッシン」 ショー(DD-373 USS Shaw) 擬似戦争、第一次バーバリ戦争、米英戦争で複数艦艇の艦長を歴任した「ジョン・ショー」 タッカー(DD-374 USS Tucker) アメリカ独立戦争時の通商破壊、米英戦争時の沿岸防衛に従事した「サミュエル・タッカー」 ダウンズ(DD-375 USS Downes) マケドニアン号で世界一周遠征を行い、東南アジアの通商保護に従事した「ジョン・ダウンズ」 カッシング(DD-376 USS Cushing) 南北戦争中に決死隊を率いて南軍アルベマール号を撃沈した「ウィリアム・B・カッシング」 パーキンス(DD-377 USS Perkins) 南北戦争中にカユガ号を指揮、ジャクソン砦の突破に成功した「ジョージア・H・パーキンス」 スミス(DD-378 USS Smith) 南北戦争ハンプトン・ローズ海戦で戦死したモニター乗員「ジョゼフ・B・スミス」 プレストン(DD-379 USS Preston) 南北戦争第二次フィッシャー砦の戦いで戦死した「サミュエル・W・プレストン」 ダンラップ(DD-384 USS Dunlap) 米西戦争・義和団の乱・パナマ危機・第一次世界大戦の欧州戦線などに従軍した「ロバート・H・ダンラップ」 ファニング(DD-385 USS Fanning) アメリカ独立戦争中にボノム・リシャール号の士官として活躍した「ナサニエル・ファニング」 グリッドレイ級駆逐艦 グリッドレイ(DD-380 USS Gridley) オリンピア艦長として米西戦争マニラ湾海戦で活躍した「チャールズ・V・グリッドレイ」 クレイヴン(DD-382 USS Craven) 南北戦争モービル湾の海戦で戦死した「チュニス・A・M・クレイヴン」 マッコール(DD-400 USS McCall) 米英戦争中にボクサー号と戦い拿捕に成功したエンタープライズ号船長「エドワード・R・マッコール」 モーリー(DD-401 USS Maury) 海軍天文台の監修やバージニア軍人研究所で教職を務めた「マシュー・フォンテーン・モーリー」 バッグレイ級駆逐艦 バッグレイ(DD-386 USS Bagley) 米西戦争時水雷艇ウィンスローのキューバ島カルデナス港封鎖作戦中に戦死した「ワース・バッグレイ」 ブルー(DD-387 USS Blue) 第一次世界大戦時戦艦テキサス艦長を務め、北海に駐留した「ヴィクター・ブルー」 ヘルム(DD-388 USS Helm) 米西戦争時砲艦ホーネット艦長を務め、マンサニージョの海戦に勝利した「ジェームズ・M・ヘルム」 マグフォード(DD-389 USS Mugford) アメリカ独立戦争時フランクリン号を指揮し12対1の劣勢の中勇戦し戦死した「ジェームズ・マグフォード」 ラルフ・タルボット(DD-390 USS Ralph Talbot) 第一次世界大戦時欧州に派遣、フランス駐留中の試験飛行で墜落死した海兵隊飛行士の「ラルフ・タルボット」 ヘンリー(DD-391 USS Henley) 擬似戦争に従軍、米英戦争後私掠船掃討に従事した「ロバート・ヘンリー」 パターソン(DD-392 USS Patterson) 擬似戦争や米英戦争で船長を歴任した「ダニエル・パターソン」 ジャーヴィス(DD-393 USS Jarvis) 擬似戦争中コンステレーション号とラ・ヴァンジャンス号の海戦で戦死した「ジェームズ・C・ジャーヴィス」 サマーズ級駆逐艦 サマーズ(DD-381 USS Somers) 第一次バーバリ戦争に従軍、二度目のイントレピッド決死隊を指揮、戦死した「リチャード・サマーズ」 ウォリントン(DD-383 USS Warrington) 米英戦争に従軍、軍政を代行した「ルイス・ウォリントン」 サンプソン(DD-394 USS Sampson) 米西戦争時の総司令官「ウィリアム・T・サンプソン」 デイヴィス(DD-395 USS Davis) 海軍生活の中で天文、潮流、海底地形の測量と研究を行い、航路開発を続けた「チャールズ・H・デイヴィス」 ジョーエット(DD-396 USS Jouett) 南北戦争時にメタコメット号艦長として活躍した「ジェームズ・E・ジョーエット」 ベンハム級駆逐艦 ベンハム(DD-397 USS Benham) 南北戦争後に工廠長や灯台検査官を歴任した「アンドリュー・E・K・ベンハム」 エレット(DD-398 USS Ellet) 南北戦争時に将官・将校を務めたチャールズ・Jr、アルフレッド、チャールズ・R、ジョン、エドワードら「エレット家」の五名 ラング(DD-399 USS Lang) 米英戦争時ワスプ号に乗り組み、英艦フロリック号との接舷白兵戦で一番乗りを果たした「ジョン・ラング」 メイラント(DD-402 USS Mayrant) アメリカ独立戦争中にジョン・ポール・ジョーンズの補佐官を務めた「ジョン・メイラント」 トリップ(DD-403 USS Trippe) 第一次バーバリ戦争で活躍したエンタープライズ号船長「ジョン・トリップ」 リンド(DD-404 USS Rhind) 南北戦争時フィッシャー砦攻撃隊の幹部としてルイジアナ号の爆装特攻を指揮した「アレクサンダー・C・リンド」 ローワン(DD-405 USS Rowan) 南北戦争時にニューアイアンサイズ号艦長、チャールストン封鎖を完遂した「スティーブン・C・ローワン」 スタック(DD-406 USS Stack) アメリカ独立戦争中にジョン・ポール・ジョーンズ下の海兵隊将校を務め、英艦との接舷戦を指揮した「エドワード・スタック」 スターレット(DD-407 USS Sterett) 第一次バーバリ戦争中の海戦で戦死したエンタープライズ号船長「アンドリュー・スターレット」 ウィルソン(DD-408 USS Wilson) 南北戦争時カロンドレット号乗組員、No.10アイランド要塞目前で敵前測量を行い座礁を防いだ「チャールズ・ウィルソン」 シムス級駆逐艦 シムス(DD-409 USS Sims) 南北戦争後に砲術発展を促し第一次世界大戦で大西洋艦隊司令官を務めた「ウィリアム・シムス」 ヒューズ(DD-410 USS Hughes) 米西戦争時に砲艦ぺトレル艦長を務め、ボートによるキャビテ港のスペイン艦強襲を実行した「エドワード・M・ヒューズ」 アンダーソン(DD-411 USS Anderson) 米西戦争以来海外駐留艦隊司令官を歴任、アジア艦隊長官時代には関東大震災救援を実施した「エドウィン・アンダーソン」 ハムマン(DD-412 USS Hammann) 第一次世界大戦時イタリアで水上機操縦に従事、戦後にラングレー飛行場で事故死した「チャールズ・H・ハムマン」 マスティン(DD-413 USS Mustin) 巡洋艦ノースカロライナからのカタパルト射出実験に成功した海軍航空隊の「ヘンリー・C・マスティン」 ラッセル(DD-414 USS Russell) 米墨戦争と南北戦争に従軍、モービル湾の海戦にケネベック号艦長として参加した「ジョン・H・ラッセル」 オブライエン(DD-415 USS O'Brien) アメリカ独立戦争中にマーガレッタ号を撃退した「ジェレマイア・オブライエンとその兄弟たち」 ウォーク(DD-416 USS Walke) 南北戦争中に北軍の艦長を歴任した「ヘンリー・A・ウォーク」 モリス(DD-417 USS Morris) 擬似戦争以来従軍し、遠征中に病死したペリー提督に代わりアルゼンチン遠征隊を統率した「チャールズ・モリス」 ロー(DD-418 USS Roe) 南北戦争中に通商破壊戦に従事した「フランシス・A・ロー」 ウェインライト(DD-416 USS Wainwright) 南北戦争時に三人が戦死した「ウェインライト家」 バック(DD-420 USS Buck) 南北戦争時ブルックリン号乗り組み、重傷を押してニューオーリンズ攻略戦に参戦した「ジェームズ・バック」 ベンソン級駆逐艦 ベンソン(DD-421 USS Benson) 初代アメリカ海軍作戦部長に就任、第一次世界大戦の指導と戦略構築を行った「ウィリアム・ベンソン」 メイヨー(DD-422 USS Mayo) 米西戦争と第一次世界大戦に従事、第一次世界大戦の際には大西洋艦隊司令官を務めた「ヘンリー・T・メイヨー」 マディソン(DD-425 USS Madison) 第一次世界大戦時運送艦タイコンデロガ艦長を務め、潜水艦U-152からの雷撃にて乗艦が沈没したものの生還した「ジェームズ・J・マディソン」 ランズデール(DD-426 USS Lansdale) サモア諸島の治安維持活動中に現地人との争乱で戦死した「フィリップ・ランズデール」 ヒラリー・P・ジョーンズ(DD-427 USS Hilary P.Jones) 第一次世界大戦時に船団護衛に従事、ジュネーブ・ロンドン各軍縮会議でアメリカ海軍顧問を務めた「ヒラリー・P・ジョーンズ」 チャールズ・F・ヒューズ(DD-428 USS Charles F.Hughes) 米西戦争から軍務に就き第一次世界大戦時に大西洋艦隊参謀、戦後は作戦部長を歴任した「チャールズ・F・ヒューズ」 ラフィー(DD-459 USS Laffey) 南北戦争時マルモラ号に乗り組み、ヤズーシティ攻略戦で勇戦した「バートレット・ラフィー」 ウッドワース(DD-460 USS Woodworth) 海軍籍のままカリフォルニアに入植して事業を起こす一方で、臨時召集を受け南北戦争に従軍した「セリム・E・ウッドワース」 ファーレンホルト(DD-491 USS Farenholt) 南北戦争や米西戦争に従事、その後アラスカ警備に従事した「オスカー・W・ファーレンホルト」 バイリー(DD-492 USS Bailey) 南北戦争時コロラド号を指揮、ジャクソン砦・セントフィリップの戦いで活躍した「セオドラス・バイリー」 バンクロフト(DD-598 USS Bancroft) 第17代海軍長官を務め、ケディスバーグの演説の草案を執筆した歴史学者の「ジョージ・バンクロフト」 バートン(DD-599 USS Barton) 海軍工廠を渡り歩き、艤装員・工廠長を歴任し、海軍蒸気工学局長にも就任した「ジョン・K・バートン」 ボイル(DD-600 USS Boyle) 米英戦争時武装商船コメット号を指揮、英国の攪乱や米軍の輸送に従事した貿易商の「トーマス・ボイル」 シャンプリン(DD-601 USS Champlin) 米英戦争エリー湖の湖上戦でスコーピオン号を率いて活躍した「スティーブン・シャンプリン」 ミード(DD-602 USS Meade) 南北戦争中ニューヨーク徴兵暴動を鎮圧した「リチャード・W・ミード」と米西戦争で海兵隊を統率した「ロバート・L・ミード」の兄弟 マーフィー(DD-603 USS Murphy) 南北戦争前後に工廠勤務や実地調査を重ね、南北戦争時には工兵隊を率いて陣地構築に従事した「ジョン・M・マーフィー」 パーカー(DD-604 USS Parker) 南北戦争後に北大西洋艦隊参謀長やボストン工廠長などを歴任した「フォックスホール・A・パーカー」 コールドウェル(DD-605 USS Caldwell) 第一次バーバリ戦争トリポリ湾の戦いで戦死した「ジェームズ・R・コールドウェル」 コグラン(DD-606 USS Coghlan) 米西戦争時にフィリピンに遠征、パナマ分離独立介入にも従事した「ジョセフ・B・コグラン」 フレイジャー(DD-607 USS Frazier) 第一次バーバリ戦争時イントレピッド特攻作戦中にディケーター隊長を庇って負傷した「ダニエル・フレイジャー」 ガンズヴォート(DD-608 USS Gansevoort) 南北戦争時にブルックリン工廠長からロノアーク号艦長に就任、南軍封鎖作戦に従事した「ゲルト・ガンズヴォ-ト」 ギレスピー(DD-609 USS Gillespie) 米墨戦争時にサイアン号に乗り組み、ロサンゼルス占領と治安維持に従事した「アーチボルト・H・ギレスピー」 ホビー(DD-610 USS Hobby) 南北戦争時にサカカッサス号に乗り組み、被弾時の応急処置を施し沈没を防いだ「ジェームズ・H・ホビー」 カーク(DD-611 USS Kalk) 第一次世界大戦にて駆逐艦ジェイコブ・ジョーンズに乗り組みドイツ潜水艦U-53の雷撃で戦死した「スタントン・F・カーク」 ケンドリック(DD-612 USS Kendrick) 南北戦争時砲艦セントルイスに乗り組み、各地の上陸作戦や南軍艦艇拿捕に従事した「チャールズ・S・ケンドリック」 ローブ(DD-613 USS Laub) 米英戦争時海軍に志願、エリー湖の戦いで戦死した「ヘンリー・ローブ」 マッケンジー(DD-614 USS Mackenzie) 南北戦争後ハートフォード号で台湾遠征に従事、現地人との交戦で戦死した「アレクサンダー・S・マッケンジー」 マクラナハン(DD-615 USS McLanahan) 米墨戦争時サイアン号に乗り組み、上陸戦や地上戦に従事、サンノゼで戦死した「テナント・マクラナハン」 ニールズ(DD-616 USS Nields) 南北戦争時にメタコット号に乗り組み、モニター号救援やモービル湾の海戦など各地の戦いで活躍した「ヘンリー・C・ニールズ」 オードノー(DD-617 USS Ordronaux) 米英戦争時武装商船マレンゴ号とプランス・ド・ヌフシャテル号で英軍艦艇を襲撃したフランス人貿易商「ジョン・オードノー」 グリーブス級駆逐艦 グリーブス(DD-423 USS Gleaves) 第一次世界大戦時に輸送部隊を指揮、戦後は伝記や海軍史を執筆した「アルバート・グリーブス」 ニブラック(DD-424 USS Niblack) 第一次世界大戦時に大西洋艦隊を率いた「アルバート・ニブラック」 リヴァモア(DD-429 USS Livermore) 米英戦争時に海軍に招聘、最初の従軍牧師となった「サミュエル・リヴァモア」 エバール(DD-430 USS Eberle) 第一次世界大戦時に太平洋艦隊を率いて戦い、レキシントン級航空母艦の建造を支持した「エドワード・エバール」 プランケット(DD-431 USS Plunkett) 第一次世界大戦時にフランスにて海軍専用鉄道を敷設、維持をして補給を貫徹させた「チャールズ・プランケット」 ケアニー(DD-432 USS Kearny) アヘン戦争直後の清と交渉、望厦条約締結に貢献した「ローレンス・ケアニー」 グウィン(DD-433 USS Gwin) 南北戦争ハイネスブラフの戦いで負傷、一週間後戦病死した「ウィリアム・グウィン」 メレディス(DD-434 USS Meredith) 第一次バーバリ戦争時の海兵隊下士官、トリポリの戦いで戦死した「ジョナサン・メレディス」 戦没艦の継承 グレイソン(DD-435 USS Grayson) 軍医として海軍に務め、第一次世界大戦後歴代大統領の主治医となった「キャリー・グレイソン」 モンセン(DD-436 USS Monssen) 1904年に発生した戦艦ミズーリ砲塔火災時に消火活動を指揮、同艦の爆沈を防いだ「モンス・モンセン」 ウールゼイ(DD-437 USS Woolsay) 米英戦争でオナイダ号艦長を務めた「メランヒトン・T・ウールゼイ」 ラドロー(DD-438 USS Ludlow) 米英戦争時チェサピーク号と英軍シャノン号のハリファックス沖の海戦で戦死した「オーガスタス・ラドロー」 エジソン(DD-439 USS Edison) 発明家として知られ、ゼネラル・エレクトリック社長として海軍に貢献した「トーマス・エジソン」 エリクソン(DD-440 USS Ericsson) 装甲艦モニターの建造、魚雷の開発などに関与した機関技師「ジョン・エリクソン」 ウィルクス(DD-441 USS Wilkes) 南北戦争初期にトレント号事件を起こした「チャールズ・ウィルクス」 ニコルソン(DD-442 USS Nicholson) アメリカ独立戦争から南北戦争にかけた海軍将官、士官を輩出した「ニコルソン家の軍人たち五人」 スワンソン(DD-443 USS Swanson) ロンドン海軍軍縮会議での米代表を務め、ルーズベルト政権下で海軍長官になった上院議員の「クロード・スワンソン」 イングラハム(DD-444 USS Ingraham) ハンガリー人のアメリカ亡命工作を進め、南北戦争時南軍で活躍した「ダンカン・イングラハム」 ブリストル(DD-453 USS Bristok) 第一次世界大戦後トルコ共和国に駐在し革命などを見届けた「マーク・ブリストル」 エリソン(DD-454 USS Ellyson) 海軍最初の航空士官の一人で第一次世界大戦時は駆潜艇戦隊で活躍した「セドオア・エリソン」 ハンブルトン(DD-455 USS Hambleton) 米英戦争時ローレンス号艦長を務めエリー湖の戦いで敢闘した「サミュエル・ハンブルトン」 ロッドマン(DD-456 USS Rodman) 第一次世界大戦後に太平洋艦隊司令長官を務めた「ヒュー・ロッドマン」 エモンズ(DD-457 USS Emmons) アメリカ合衆国探検遠征隊列など19世紀に実施された多数の海外・新領土探検に従事した「ジョージ・エモンズ」 マコーム(DD-458 USS Macomb) 南北戦争時にミシシッピ川沿岸で歴戦した「ウィリアム・H・マコーム」 戦後に艦船装備の発明を重ねた「デイビッド・B・マコーム」の二名 フォレスト(DD-461 USS Forrest) 米西戦争から海軍に務め、戦後はカリブ海の通商保護に従事した「デュラニー・フォレスト」 フィッチ(DD-462 USS Fitch) 南北戦争時ムース号艦長を務め、モーガンの襲撃隊を追撃、投降に追い込んだ「ロイ・フィッチ」 コリー(DD-463 USS Corry) 第一次世界大戦時に大西洋艦隊航空幕僚を務め、搭乗機の墜落事故で殉職した「ウィリアム・M・コリー・ジュニア」 ホブソン(DD-464 USS Hobson) 米西戦争時メリマック号決死隊を率いて英雄視され後に政界に転じた「リッチモンド・ホブソン」 アーロン・ワード(DD-483 USS Aaron Ward) 第一次世界大戦時赤十字船レッドクロス船長を務めた「アーロン・ワード」 ブキャナン(DD-484 USS Buchanan) 南北戦争時唯一の南軍海軍大将となりバージニア号艦長を務めた「フランクリン・ブキャナン」 ダンカン(DD-485 USS Duncan) 米英戦争中シャンプレーン湖の戦いに参加、レキシントン号で南米遠征を行った「サイラス・ダンカン」 ランズダウン(DD-486 USS Lansdowne) 第一次世界大戦後にシェナンドー船長となったが、墜落事故で殉職した「ザッカリー・ランズダウン」 ラードナー(DD-487 USS Lardner) 南北戦争時にサスケハナ号艦長を務め、各地を転戦した「ジェームズ・L・ラードナー」 マッカラ(DD-488 USS McCalla) 義和団の乱時にニューアーク艦長として鎮圧に貢献した「ボーマン・H・マッカラ」 マーヴィン(DD-489 USS Mervine) 米墨戦争でロサンゼルス攻略陸戦隊を指揮した「ウィリアム・マーヴィン」 クイック(DD-490 USS Quick) 米西戦争から第一次世界大戦まで主要な陸戦で敢闘した海兵隊の「ジョン・クイック」 カーミック(DD-493 USS Carmick) 擬似戦争から米英戦争まで海兵将校を務め、ニューオーリンズの戦いで陣地を死守した「ダニエル・カーミック」 ドイル(DD-494 USS Doyle) 第一次バーバリ戦争にて従軍、イントレピッド決死隊の一員としてフィラデルフィア号自沈に成功した「リチャード・ドイル」 エンディコット(DD-495 USS Endicott) 第一次バーバリ戦争にて従軍、イントレピッド決死隊の一員としてフィラデルフィア号自沈に成功した「サミュエル・エンディコット」 マクック(DD-496 USS McCook) 南北戦争時に艦長を歴任、フィッシャー砦やチャールストンの占領に貢献した「ロデリック・S・マクック」 フランクフォード(DD-497 USS Frankford) 擬似戦争時に私掠船ベルヴェデーレ号を指揮しフィラデルフィアを拠点に活動した「ジョン・フランクフォード」 デービソン(DD-618 USS Davison) 水雷兵器研究を重ね、エレクトリック・ボート副社長となった「グレゴリー・デービソン」 エドワーズ(DD-619 USS Edwards) 第一次世界大戦から駆逐艦、水雷戦隊の要職を歴任した「ウォルター・エドワーズ」 グレノン(DD-620 USS Glennon) 米西戦争以来海軍に務め、第一次世界大戦時はロシア黒海艦隊を支援した「ジェームズ・グレノン」 ジェファーズ(DD-621 USS Jeffers) 南北戦争時に艦長を歴任、ハンプトン・ローズ海戦に従事した「ウィリアム・ジェファーズ」 マドックス(DD-622 USS Maddox) 米墨戦争サンタクララの戦いに参加した「ウィリアム・A・T・マドックス」 ネルソン(DD-623 USS Nelson) 米比戦争後より潜水艦・潜水戦隊の要職を歴任、第一次世界大戦時に地中海の対潜哨戒を担った「チャールズ・ネルソン」 ボールドウィン(DD-624 USS Baldwin) 南北戦争時アルベマール号爆破作戦に参加、外装水雷設置作業を行った「チャールズ・ボールドウィン」 ハーディング(DD-625 USS Harding) アメリカ独立戦争時に自らの商船二隻を供出、通商破壊や外交書簡送信に従事させた商人の「セス・ハーディング」 サタリー(DD-626 USS Satterlee) 第一次世界大戦時沿岸警備隊の警備艦タンパ艦長を務めドイツ潜水艦UB-91の雷撃で戦死した「チャールズ・サタリー」 トンプソン(DD-627 USS Thompson) 鉱山経営の傍らでスポーツ振興を推進、陸海軍の体育教育に関与したアメリカオリンピック協会会長の「ロバート・トンプソン」 ウェレズ(DD-628 USS Welles) 第24代海軍長官を務め、南北戦争に貢献した小説家の「ギデオン・ウェレス」 コーウィ(DD-632 USS Cowie) 第一次世界大戦以後に海軍軍人の互助組織を強化した主計将校の「トーマス・コーウィ」 ナイト(DD-633 USS Knight) シベリア出兵の際に太平洋艦隊を率いた「オースティン・ナイト」 ドラン(DD-634 USS Doran) 米西戦争でキューバ島の海底ケーブル切断に成功したモンゴメリー号の「ジョン・J・ドラン」 アール(DD-635 USS Earle) 第一次世界大戦時に兵站局長を務め、北欧機雷堰や西部戦線向け列車砲を採用した「ラルフ・アール」 バトラー(DD-636 USS Butler) 米西戦争以来中南米を中心に歴戦を重ね、過激な言動で政治家には忌避された「スメドレー・バトラー」 ゲラルディ(DD-637 USS Gherardi) 米墨戦争以来艦長を歴任、アレクサンドリア砲撃にも参加した「バンクロフト・ゲラルディ」 ハーンドン(DD-638 USS Herndon) 一年にわたりアマゾン川探検を行い、郵便汽船セントラル・アメリカ号の荒天遭難事故で殉職した「ウィリアム・ルイス・ハーンドン」 シュブリック(DD-639 USS Shubrick) 東インド艦隊やパラグアイ遠征隊司令官を拝命した「ウィリアム・シュブリック」 ビーティ(DD-640 USS Beatty) 南北戦争後に各地の海軍工廠で要職を歴任、第一次世界大戦時一時的に大西洋艦隊を指揮した「フランク・ビーティ」 ティルマン(DD-641 USS Tillman) 20世紀初頭に軍事委員会議長を務めた上院議員「ベンジャミン・ティルマン」 スティーブンソン(DD-645 USS Stevenson) 南北戦争時特務主計仕官として参加、南軍の支配地を単騎で突破し伝令を果たした「ジョン・スティーブンソン」 ストックトン(DD-646 USS Stockton) 米墨戦争時にカリフォルニア侵攻に従事、沿岸の治安維持に従事した「ロバート・F・ストックトン」 ソーン(DD-647 USS Thorn) 1811年にトンキン号のコロンビア川探検隊を率い、先住民との交戦で戦死した「ジョナサン・ソーン」 ターナー(DD-648 USS Turner) 米英戦争以来数回オリバー・ペリー提督の指揮下で働いた「ダニエル・ターナー」 フレッチャー級駆逐艦 フレッチャー(DD-445 USS Fletcher) 1914年のベラクルス上陸を指揮した「フランク・F・フレッチャー」 ラドフォード(DD-446 USS Radford) 米西戦争でウォーレンを指揮、メキシコの軍艦マーレク・アドベルを捕獲した「ウィリアム・ラドフォード」 ジェンキンス(DD-447 USS Jenkins) 南北戦争時にモービル湾の海戦に参加した「ソーントン・A・ジェンキンス」 ラ・ヴァレット(DD-448 USS La Vallette) 米英戦争などに従事、地中海・中南米遠征に派遣された「エリー・A・F・ラ・ヴァレット」 ニコラス(DD-449 USS Nicholas) アメリカ独立戦争時に大陸海兵隊総司令官に任命され初代海兵隊総司令官とされる「サミュエル・ニコラス」 オバノン(DD-450 USS O'Bannon) 第一次バーバリ戦争で海兵隊を率いトリポリの戦いを制した「プレスリー・オバノン」 シャヴァリア(DD-451 USS Chevalier) アメリカ海軍航空隊パイロットとして第一次世界大戦時西部戦線で戦い、その後航空事故で殉職した「ゴッドフリー・シャヴァリア」 ソーフリー(DD-465 USS Saufley) 1914年のベラクルス占領で活躍、その後航空機事故で殉職したアメリカ海軍航空隊の「リチャード・C・ソーフリー」 ウォーラー(DD-466 USS Waller) 米西戦争、義和団の乱などに従軍したリトルトン・ウォーラー ストロング(DD-467 USS Strong) 南北戦争のモービル湾の海戦で南軍の装甲艦テネシーに体当たりした「ジェームス・ホーカー・ストロング」 テイラー(DD-468 USS Taylor) 米墨戦争と南北戦争に従軍した「ウィリアム・テイラー」 ド・へイヴン(DD-469 USS De Haven) 19世紀のアメリカ海軍士官で探検家でもあった「エドウィン・ド・ヘイヴン」 バッチ(DD-470 USS Bache) 南北戦争で艦長を歴任した「ジョージ・M・バッチ」 ビール(DD-471 USS Beale) 西部開拓のために交通路網の調査やインディアン掃討に従事した「エドワード・F・ビール」 ゲスト(DD-472 USS Guest) 南北戦争時第二次フィッシャー砦の戦いに従軍した「ジョン・ゲスト」 ベネット(DD-473 USS Bennett) アメリカ海軍飛行士で初めて北極点を飛行したと主張した「フロイド・ベネット」 フラム(DD-474 USS Fullam) 米西戦争や第一次世界大戦に従軍、司令官を務めた「ウィリアム・フラム」 ハドソン(DD-475 USS Hudson) アメリカ合衆国探検遠征隊を指揮した「ウィリアム・L・ハドソン」 ハッチンス(DD-476 USS Hutchins) 空中衝突事故の際に重傷を負いつつ操縦席にとどまり、生き残った乗員を脱出させ殉職した「カールトン・B・ハッチンス」 プリングル(DD-477 USS Pringle) 海軍大学の学長を務めた「ジョエル・R・P・プリングル」 スタンリー(DD-478 USS Stanly) 米墨戦争時にメキシコのグアイマスに地上襲撃を行った「ファビウス・スタンリー」 スティーヴンス(DD-479 USS Stevens) 米英戦争後地中海艦隊司令官に任じられた「トーマス・H・スティーブンス」 ハルフォード(DD-480 USS Halford) 第一次世界大戦時77歳という老齢にも関わらず経験を買われ軍から召喚された「ウィリアム・ハルフォード」 ロイツェ(DD-481 USS Leutze) 南北戦争や米西戦争で活躍した「ユージン・ヘンリー・コジオーンズ・ロイツェ」 ワトソン(DD-482 USS Watson)(未成艦) アジア艦隊の最高司令官を務めた「ジョン・C・ワトソン」 フィリップ(DD-498 USS Philip) 米西戦争でマーブルヘッド艦長として活躍した「ジョン・W・フィリップ」 レンショー(DD-499 USS Renshaw) 南北戦争時ウェストフィールド号に乗り組み、ガルベストンの戦いで戦死した「ウィリアム・B・レンショー」 リングゴールド(DD-500 USS Ringgold) 南北戦争勃発まで南太平洋、北太平洋などの探検に従事した「カドワラダー・リングゴールド」 シュレーダー(DD-501 USS Schroeder) 米西戦争に従軍した「シートン・シュレーダー」 シグスビー(DD-502 USS Sigsbee) 米西戦争の第二次サンファンの戦いでセントポールを指揮した「チャールズ・ドワイト・シグスビー」 コンウェイ(DD-507 USS Conway) 南軍に降伏し星条旗を降ろすように命じられた際に拒絶した「ウィリアム・コンウェイ」 コニー(DD-508 USS Cony) 南北戦争時の海軍士官「ジョセフ・S・コニー」 コンヴァース(DD-509 USS Converse) 無煙火薬や艦内電気の研究、水雷艇設計などを推進、米西戦争に従事した「ジョージ・A・コンヴァース」 イートン(DD-510 USS Eaton) 第一次バーバリ戦争に従軍した「ウィリアム・イートン」 フート(DD-511 USS Foote) 南北戦争のヘンリー砦の戦いやドネルソン砦の戦いで砲艦艦隊を率いた「アンドリュー・H・フート」 スペンス(DD-512 USS Spence) 米英戦争で拿捕したサイアンおよびオンタリオを指揮した「ロバート・T・スペンス」 テリー(DD-513 USS Terry) 南北戦争中ミシシッピ川駐留部隊に在職、戦後士官教育を推進した「エドワード・A・テリー」 サッチャー(DD-514 USS Thatcher) 南北戦争時メキシコ湾岸を転戦、ガルベストンを陥落させた「ヘンリー・K・サッチャー」 アンソニー(DD-515 USS Anthony) 戦艦メイン爆沈時に乗員救助を指揮した「ウィリアム・アンソニー」 ワズワース(DD-516 USS Wadsworth) 第二次バーバリ戦争以降戦隊、艦隊司令官を歴任した「アレクサンダー・S・ワズワース」 ウォーカー(DD-517 USS Walker) 南北戦争後の海軍再編期に航海局長を務め、中米運河の計画や灯台の設置を進めた「ジョン・G・ウォーカー」 ブラウンソン(DD-518 USS Brownson) 海軍学校の教育長を務め。米西戦争に従軍した「ウィラード・H・ブラウンソン」 ダリー(DD-519 USS Daly) それぞれ別の勇敢な行動に対して名誉勲章を二つ受章した海兵隊員の「ダニエル・ダリー」 イシャーウッド(DD-520 USS Isherwood) 造船技官として奉職、蒸気工学局を興した「ベンジャミン・F・イシャーウッド」 キンバリー(DD-521 USS Kimberly) 南北戦争でモービル湾の海戦に参加、戦後軍政に携わった「ルイス・キンバリー」 ルース(DD-522 USS Luce) 南北戦争後士官教育に従事、海軍大学初代校長を務めた「スティーブン・ルース」 アブナー・リード(DD-526 USS Abner Read) 南北戦争に従軍、ミシシッピ川を哨戒中南軍からの砲撃で重傷を負い翌日戦傷死した「アブナー・リード」 アムメン(DD-527 USS Ammen) 南北戦争時にフィッシャー砦の戦いに参加、戦後は軍政に従事した「ダニエル・アムメン」 マラニー(DD-528 USS Mullany) 南北戦争で各地に転戦、戦後は欧州艦隊・北大西洋艦隊司令官を歴任した「ジェームズ・R・M・ムラニー」 ブッシュ(DD-529 USS Bush) 米英戦争時コンステレーション号とゲリエール号の接舷戦で戦死した「ウィリアム・S・ブッシュ」 トラセン(DD-530 USS Trathem) 南北戦争時ミッドナイトの司令官を務めた「ジェームズ・トラセン」 ヘイゼルウッド(DD-531 USS Hazelwood) アメリカ独立戦争時デラウェア川封鎖やミフリン砦包囲に従事した「ジョン・ヘイゼルウッド」 ヒーアマン(DD-532 USS Heermann) 第一次バーバリ戦争中拿捕されたフィラデルフィア破壊作戦にイントレピッド乗員として参加、後にアメリカ海軍の医療改善に尽力した「ルイス・ヒーアマン」 ホーエル(DD-533 USS Hoel) 南北戦争アイランドNo.10の戦いにて南軍の砲撃を搔い潜って砲艦カロンデレトを突進させた「ウィリアム・R・ホーエル」 マッコード(DD-534 USS McCord) 硬式飛行船マッコード艦長を務め同船が悪天候で墜落した際に殉職した「フランク・C・マッコード」 ミラー(DD-535 USS Miller) 南北戦争での活躍を称えられ名誉勲章を受章した「ジェームズ・ミラー」 オーウェン(DD-536 USS Owen) 南北戦争に従軍した「エリアス・K・オーウェン」 ザ・サリヴァンズ(DD-537 USS The Sullivans) 第二次世界大戦の第三次ソロモン海戦にて軽巡洋艦ジュノーが沈没、同艦に乗艦しており兄弟全員が戦死した「サリヴァン兄弟」 ステフェン・ポッター(DD-538 USS Stephen Potter) 第一次世界大戦時イギリス航空隊に所属、北海での空中戦で戦死した「ステフェン・ポッター」 ティンギー(DD-539 USS Tingey) アメリカ独立戦争、擬似戦争に従軍、その後ワシントン海軍造船所長を務めた「トーマス・ティンギー」 トワイニング(DD-540 USS Twining) アメリカ海軍初の対空砲を開発した「ネイサン・クルック・トワイニング」 ヤーナル(DD-541 USS Yarnall) 第二次バーバリ戦争時、交渉報告の為乗船したエペルピエ号の遭難で行方不明となった「ジョン・ヤーナル」 ボイド(DD-544 USS Boyd) 第一次バーバリ戦争に従軍した「ジョセフ・ボイド」 ブラッドフォード(DD-545 USS Bradford) 疑似戦争時私掠船の船長を務めた「マリエル・ブラッドフォード」 ブラウン(DD-546 USS Brown) 第一次バーバリ戦争中フィラデルフィア破壊作戦にイントレピッド乗員として参戦した「ジョージ・ブラウン」 コーウェル(DD-547 USS Cowell) 米英戦争時エセックス号とフェーベ号の海戦で戦死した「ジョン・G・コーウェル」 カップス(DD-550 USS Capps) 第一次戦争後戦艦の主砲を中央線に配置することを提起した「ワシントン・L・カップス」 デイヴィット・W・テイラー(DD-551 USS David W. Taylor) アメリカ海軍軍人であり造船学者であった「デイヴィット・W・テイラー」 エヴァンズ(DD-552 USS Evans) 南北戦争、米西戦争やチリ遠征で活躍した「ロブリー・D・エヴァンズ」 ジョン・D・ヘンリー(DD-553 USS John D. Henley) 第一次バーバリ戦争や米英戦争に従軍した「ジョン・D・ヘンリー」 フランクス(DD-554 USS Franks) 南北戦争で名誉勲章を受章した「ウィリアム・ジョセフ・フランクス」 ハガード(DD-555 USS Haggard) 擬似戦争時ルイザ号船長であった「トーマス・ハガード」 ヘイリー(DD-556 USS Hailey) 米英戦争時私掠船トゥルーブラッド・ヤンキー号の指揮を執り、複数の船を破壊した「ジョシュア・ヘイリー」 ジョンストン(DD-557 USS Johnston) 南北戦争時ヘンリー砦の戦いで北軍の砲撃を支援した「ジョン・V・ジョンストン」 ロウズ(DD-558 USS Laws) 第一次バーバリ戦争に従軍した「アレクサンダー・ロウズ」 ロングショー(DD-559 USS Longshaw) 南北戦争時第二次フィッシャー砦の戦いの最中に戦死した軍医「ウィリアム・ロングショー・ジュニア」 モリソン(DD-560 USS Morrison) 南北戦争時南軍のアーカンソーと交戦した際の勇敢な行動を称えられ名誉勲章を受章した「ジョン・G・モリソン」 プリチェット(DD-561 USS Prichett) 南北戦争時砲艦タイラーを指揮した「ジェームズ・M・プリチェット」 ロビンソン(DD-562 USS Robinson) アメリカ独立戦争時物資輸送や英軍拿捕に従事した「ジェザイヤ・ロビンソン」 ロス(DD-563 USS Ross) アメリカ独立戦争時民間武装船ベルヴェデーレ号の船長、ハリケーンに巻き込まれた後満身創痍ながらもフランス船と交戦し追い返した「デビット・ロス」 ロウ(DD-564 USS Rowe) 第一次バーバリ戦争に従軍しフィラデルフィアを破壊した「ジョン・ロウ」 スモーレイ(DD-565 USS Smalley) 南北戦争第二次フィッシャー砦の戦いに従事した「アンソニー・A・スモーレイ」 ストッダード(DD-566 USS Stoddard) 南北戦争時ミシシッピ州ヤズーシティにて勇敢に戦い名誉勲章を受章した「ジェームズ・ストッダード」 ワッツ(DD-567 USS Watts) 擬似戦争にてフランス私掠船二隻と戦い撃退した「ジョン・ワッツ」 レン(DD-568 USS Wren) 第一次バーバリ戦争に従軍したアメリカ海兵隊員の「ソロモン・レン」 オーリック(DD-569 USS Aulick) 東インド艦隊を務めたものの、派遣直前に日本開国特使に更迭された「ジョン・オーリック」 チャールズ・オースバーン(DD-570 USS Charles Ausburne) 第一次世界大戦時に陸軍輸送艦アンティルに乗り組み、潜水艦U-105からの雷撃で戦死した電気技師の「チャールズ・オースバーン」 クラクストン(DD-571 USS Claxton) 米英戦争中エリー湖の湖上戦で戦死した「トーマス・クラクストン」 ダイソン(DD-572 USS Dyson) 第一次世界大戦時蒸気工学局の設計部門に勤め、海洋工学の論文を改訂、技術関連の書籍を多数執筆した「チャールズ・ウィルソン・ダイソン」 ハリソン(DD-573 USS Harrison) ジャクソン砦・セントフィリップ砦の戦いのて砲艦カユーガを指揮した「ナポレオ・ボナパルト・ハリソン」 ジョン・ロジャース(DD-574 USS John Rodgers) 米英戦争、南北戦争、第一次世界大戦時に海軍に貢献した「ロジャース家」の三名 マッキー(DD-575 USS McKee) コロラド号と江華島砲台との砲戦で戦死した「ヒュー・W・マッキー」 マレー(DD-576 USS Murray) 南北戦争後にロシア親善訪問艦隊を率いた「アレクサンダー・マレー」 スプロストン(DD-577 USS Sproston) 南北戦争時セネカ号に乗り組み、セントジョーンズ川の戦いで戦死した「ジョン・G・スプロストン」 ウィックス(DD-578 USS Wickes) アメリカ独立戦争で歴戦、座礁事故で殉職した「ランバート・ウィックス」 ウィリアム・D・ポーター(DD-579 USS William D. Porter) 南北戦争時装甲艦エセックスを指揮した「ウィリアム・D・ポーター」 ヤング(DD-580 USS Young) アメリカ独立戦争時にサラトガ号艦長に任命されその後嵐で艦と共に消息を絶った「ジョン・ヤング」 チャレット(DD-581 USS Charrette) 米西戦争のサンチャゴ港閉塞に従事し名誉勲章を受章した「ジョージ・チャレット」 コナー(DD-582 USS Conner) 米墨戦争ベラクルス包囲戦争で上陸支援を完遂した「デビッド・コナー」 ホール(DD-583 USS Hall) ジョン・ポール・ジョーンズ指揮下のフリゲートレンジャーに乗務した「イライジャ・ホール」 ハリガン(DD-584 USS Halligan) 第一次世界大戦時フランスのアメリカ司令官の参謀長を務め、その後艦長を歴任した「ジョン・ハリガン・ジュニア」 ハラデン(DD-585 USS Haraden) アメリカ独立戦争時私兵を率いティラニサイド号を用いて英艦艇を攻撃した「ジョナサン・ハラデン」 ニューコム(DD-586 USS Newcomb) 米西戦争カルデナスの戦いで活躍した「フランク・H・ニューコム」 ベル(DD-587 USS Bell) 初代アジア艦隊司令官として兵庫開港要求事件処理中に大阪湾で荒天に遭い遭難死した「ヘンリー・ベル」 バーンズ(DD-588 USS Burns) 米英戦争時武装私有船スナップドラゴン号を用いて複数の英軍艦艇を拿捕した貿易商の「オトウェイ・バーンズ」 イザード(DD-589 USS Izard) 第一次バーバリ戦争にてフィラデルフィアを破壊した「ラルフ・イザード」 ポール・ハミルトン(DD-590 USS Paul Hamilton) 第3代海軍長官を務め海軍増強を目指した上院議員の「ポール・ハミルトン」 トゥイッグズ(DD-591 USS Twiggs) 米墨戦争のチャプルテペクの戦いで戦死した「リーヴァイ・トゥイッグス」 ハワース(DD-592 USS Howorth) 南北戦争に従軍した「ウィリアム・L・ハワーズ」 キレン(DD-593 USS Killen) 第一次バーバリ戦争にてフィラデルフィアを破壊した「エドワード・キレン」 ハート(DD-594 USS Hart) 太平洋戦争ミッドウェーの戦いで戦死した「パトリック・H・ハート」 メトカルフ(DD-595 USS Metcalf) 第一次バーバリ戦争にてフィラデルフィアを破壊するための遠征に参加した「ジェームズ・メトカルフ」 シールズ(DD-596 USS Shields) 米英戦争ニューオーリンズの戦いで活躍した「トーマス・シールズ」 ワイリー(DD-597 USS Wiley) 第一次バーバリ戦争にてフィラデルフィアを破壊した「ウィリアム・ワイリー」 アボット(DD-629 USS Abbot) マシュー・ペリーの日本遠征時にマケドニアン艦長として同伴したものの香港にて病死した「ジョエル・アボット」 ブレイン(DD-630 USS Braine) 南北戦争に従軍、北極圏を探検した「ダイニエル・L・ブレイン」 アーベン(DD-631 USS Erben) 南北戦争に従軍した「ヘンリー・アーベン」 ヘイル(DD-642 USS Hale) 南北戦争後の海軍再編に関わる政争で新海軍の立場を擁護した上院議員の「ユージン・ヘイル」 シガニー(DD-643 USS Sigourney) 米英戦争チェサピーク湾防衛専念し戦死した「ジェームズ・B・シガニー」 ステンベル(DD-644 USS Stembel) 南北戦争のアイランドNo.10の戦いにて重傷を負った「ロジャー・N・ステンベル」 アルバート・W・グラント(DD-649 USS Albert W. Grant) 第一次世界大戦時大西洋艦隊の司令官を務めた「アルバート・W・グラント」 ケイパートン(DD-650 USS Caperton) 太平洋艦隊司令官を務めた「ウィリアム・B・ケイパートン」 コグスウェル(DD-651 USS Cogswell) 米西戦争に従軍した「ジェームズ・ケルシー・コグスウェル」 第一次世界大戦に従軍した「フランシス・コグスウェル」の両名 インガーソル(DD-652 USS Ingersoll) 第一次世界大戦時大西洋艦隊の参謀長を務めた「ロイヤル・R・インガーソル」と その孫で進水式の数週間前にミッドウェー海戦で戦死した「ロイヤル・R・インガーソル2世」の両名 ナップ(DD-653 USS Knapp) 米西戦争に従軍、装甲巡洋艦テネシーの艦長を務めた「ハリー・シェパード・ナップ」 ビアース(DD-654 USS Bearss) 米比戦争での英雄的行動が評価され名誉勲章を受章した「ハイラム・I・ビアース」 ジョン・フッド(DD-655 USS John Hood) 米西戦争で砲艦ホークを指揮し、日露戦争時は中国海域で砲艦エルカノを指揮した「ジョン・フッド」 ヴァン・ヴァルケンバーグ(DD-656 USS Van Valkenburgh) 太平洋戦争真珠湾攻撃時に戦艦アリゾナの艦長であり同艦の爆発で戦死した「フランクリン・ヴァン・ヴァルケンバーグ」 チャールズ・J・バジャー(DD-657 USS Charles J. Badger) 米西戦争時大西洋艦隊司令官を務めた「チャールズ・J・バジャー」 コラハン(DD-658 USS Colahan) 戦艦インディアナや防護巡洋艦クリーブランドの艦長を務めた「チャールズ・E・コラハン」 ダッシール(DD-659 USS Dashiell) アメリカ海軍の兵器開発に貢献した「ロバート・B・ダッシール」 バラード(DD-660 USS Bullard) 海軍無線局の監督官を務め後に連邦無線委員会の委員長に任命された「ウィリアム・H・G・バラード」 キッド(DD-661 USS Kidd) 太平洋戦争真珠湾攻撃時に戦艦アリゾナに乗艦、戦死した第一戦艦部隊司令官「アイザック・キッド」 ベニオン(DD-662 USS Bennion) 太平洋戦争真珠湾攻撃時に戦艦ウェストバージニアを指揮中に負傷、その後戦死した「マービン・S・ベニオン」 ヘイウッド・L・エドワーズ(DD-663 USS Heywood L. Edwards) 駆逐艦ルーベン・ジェームズ艦長を務め、第二次世界大戦時ドイツ潜水艦からの雷撃で同艦が沈没した際に戦死した「ヘイウッド・L・エドワーズ」 リチャード・P・リアリー(DD-664 USS Richard P. Leary) 南北戦争や米西戦争に従軍した「リチャード・P・リアリー」 ブライアント(DD-665 USS Bryant) 米西戦争や第一次世界大戦に従軍した「サミュエル・W・ブライアント」 ブラック(DD-666 USS Black) 第二次世界大戦時駆逐艦ジェイコブ・ジョーンズ艦長を務め、ドイツ潜水艦からの雷撃で同艦が沈没した際に戦死した「ヒュー・デビット・ブラック」 チョウンシー(DD-667 USS Chauncey) 擬似戦争や米英戦争で活躍した「アイザック・チョウンシー」 クラレンス・K・ブロンソン(DD-668 USS Clarence K. Bronson) 航空爆弾の実験中の事故で殉職した「クラレンス・K・ブロンソン」 コットン(DD-669 USS Cotten) 日本にて駐在武官を務めた「ライマン・A・コットン」 ドーチ(DD-670 USS Dortch) 第一次世界大戦時駆逐艦ワズワース艦長を務めた「アイザック・フット・ドーチ」 ガトリング(DD-671 USS Gatling) ガトリング砲を発明したことで知られる「リチャード・ジョーダン・ガトリング」 ヒーリー(DD-672 USS Healy) 第二次世界大戦珊瑚海海戦時に空母レキシントンにダメージコントロール担当として乗艦、同艦被弾時に戦死した「ハワード・R・ヒーリー」 ヒコックス(DD-673 USS Hickox) 第二次世界大戦時駆逐艦トラクスタン艦長を務め、同艦が荒天で座礁、艦橋で救命活動を指揮したものの波にさらわれ行方不明になった「ラルフ・ヒコックス」 ハント(DD-674 USS Hunt) 第29代海軍長官を務め、海軍諮問委員会を置いて南北戦争後の海軍復興を進めた「ウィリアム・H・ハント」 ルイス・ハンコック(DD-675 USS Lewis Hancock) 乗務していた飛行船シェナンドーが墜落し殉職した「ルイス・ハンコック」 マーシャル(DD-676 USS Marshall) 駆逐艦ルーベン・ジェームズに乗務、第二次世界大戦時ドイツ潜水艦からの雷撃で同艦が沈没した際に戦死した「トーマス・W・マーシャル・ジュニア」 マクダーマット(DD-677 USS McDermut) 南北戦争のサビーン湖の戦闘で戦死した「デビット・マクダーマット」 マクゴーワン(DD-678 USS McGowan) 海軍の主計局長、補給会計局長を務めた「サミュエル・マクゴーワン」 マクネーア(DD-679 USS McNair) 南北戦争時ミシシッピ川の哨戒に従事した「フレデリック・V・マクネア・シニア」 メルヴィン(DD-680 USS Melvin) 第一次世界大戦時哨戒艇アルセドに乗り組み、潜水艦UC-71からの雷撃で戦死した「ジョン・T・メルヴィン」 ホープウェル(DD-681 USS Hopewell) 1811年にトンキン号のコロンビア川探検隊を率い、先住民との交戦で戦死した「ジョナサン・ソーン」 ポーターフィールド(DD-682 USS Porterfield) 艦長を歴任、第一次世界大戦にも従軍した「ルイス・B・ポーターフィールド」 ストックハム(DD-683 USS Stockham) 第一次世界大戦ベロー・ウッドの戦いで負傷した戦友がガスマスクが弾き飛ばされたことに気づき、自らのガスマスクを外し戦友に装着、その後ガスの影響で倒れ数日後に戦死、死後に名誉勲章を受章した海兵隊員の「フレッド・ウィリアム・ストックハム」 ウェダーバーン(DD-684 USS Wedderburn) 第一次世界大戦時船団護衛中の事故で殉職した「チャールズ・F・ウェダーバーン」 ピッキング(DD-685 USS Picking) 第一次世界大戦時潜水艦O-10の艦長を務め、戦後航空機事故で殉職した「シャーウッド・ピッキング」 ハルゼー・パウエル(DD-686 USS Halsey Powell) 第一次世界大戦時船団護衛任務における駆逐艦師団指揮官として功績を挙げてアメリカ海軍殊勲賞を授与された「ハルゼー・パウエル」 ウールマン(DD-687 USS Uhlmann) 太平洋戦争真珠湾攻撃で戦死した「ロバート・W・ウールマン」 レメイ(DD-688 USS Remey) 南北戦争と米西戦争に従軍した「ジョージ・C・レメイ」 ワドレー(DD-689 USS Wadleigh) 遠征に行き行方不明になったジャネット号捜索の際にアライアンス号を指揮した「ジョージ・H・ワドレー」 ノーマン・スコット(DD-690 USS Norman Scott) 太平洋戦争第三次ソロモン海戦で戦死した「ノーマン・スコット」 マーツ(DD-691 USS Mertz) 砲艦ニューポートの艦長を務めた「アルバート・マーツ」 キャラハン(DD-792 USS Calla4han) 太平洋戦争第三次ソロモン海戦で戦死した「ダニエル・J・キャラハン」 カッシン・ヤング(DD-793 USS Cassin Young) 太平洋戦争第三次ソロモン海戦で戦死した重巡洋艦サンフランシスコ艦長「カッシン・ヤング」 アーウィン(DD-794 USS Irwin) 米西戦争マニラ湾海戦で防護巡洋艦ボルチモアにて負傷、戦闘後の修理で活躍した「ノーブル・E・アーウィン」 プレストン(DD-795 USS Preston) 南北戦争第二次フィッシャー砦の戦いで戦死した「サミュエル・W・プレストン」 戦没艦の継承 ベンハム(DD-796 USS Benham) 南北戦争後に工廠長や灯台検査官を歴任した「アンドリュー・E・K・ベンハム」 戦没艦の継承 カッシング(DD-797 USS Cushing) 南北戦争中に決死隊を率いて南軍アルベマール号を撃沈した「ウィリアム・B・カッシング」 戦没艦の継承 モンセン(DD-798 USS Monssen) 1904年に発生した戦艦ミズーリ砲塔火災時に消火活動を指揮、同艦の爆沈を防いだ「モンス・モンセン」 ジャーヴィス(DD-799 USS Jarvis) 擬似戦争中コンステレーション号とラ・ヴァンジャンス号の海戦で戦死した「ジェームズ・C・ジャーヴィス」 戦没艦の継承 ポーター(DD-800 USS Porter) 南北戦争レッド川方面作戦や第二次フィッシャー砦の戦いで陸軍支援に従事した「デビッド・D・ポーター」 戦没艦の継承 コルホーン(DD-801 USS Colhoun) 南北戦争第二次フィッシャー砦の戦いで活躍した「エドモンド・コルホーン」 戦没艦の継承 グレゴリー(DD-802 USS Gregory) 米英戦争、南北戦争、米墨戦争で活躍した「フランシス・グレゴリー」 戦没艦の継承 リトル(DD-803 USS Little) アメリカ独立戦争や擬似戦争で私掠船狩りを行った「ジョージ・リトル」 戦没艦の継承 ルークス(DD-804 USS Rooks) 太平洋戦争バタビア沖海戦で重巡洋艦ヒューストン艦長を務め同艦被弾時に戦死した「アルバート・H・ルークス」 アレン・M・サムナー級駆逐艦 アレン・M・サムナー(DD-692 USS Allen M. Sumner) 第一次世界大戦に従軍、砲撃で戦死した海兵隊員の「アレン・M・サムナー」 モール(DD-693 USS Moale) 米西戦争ルソン島の戦いで陸軍を援護した「エドワード・モール・ジュニア」 イングラハム(DD-694 USS Ingraham) ハンガリー人のアメリカ亡命工作を進め、南北戦争時南軍で活躍した「ダンカン・イングラハム」 クーパー(DD-695 USS Cooper) 1938年の水上機の事故で殉職した「エルマー・グレン・クーパー」 イングリッシュ(DD-696 USS English) 太平洋戦争時太平洋潜水艦隊を指揮、意見の違いから潜水艦艦長と対立、潜水艦ノーチラスに葉山の御用邸砲撃を命じ無視されその後航空機事故で殉職した「ロバート・H・イングリッシュ」 チャールズ・S・スペリー(DD-697 USS Charles S. Sperry) グレート・ホワイト・フリートを指揮した「チャールズ・S・スペリー」 オールト(DD-698 USS Ault) 太平洋戦争珊瑚海海戦で行方不明になった「ウィリアム・B・オールト」 ウォルドロン(DD-699 USS Waldron) 太平洋戦争ミッドウェー海戦で日本軍に撃墜され戦死した「ジョン・C・ウォルドロン」 ヘインズワース(DD-700 USS Haynesworth) 第二次世界大戦中駆逐艦イングラハムに乗務、事故調査中に給油艦シェマングとの衝突事故で殉職した「ウィリアム・マッコール・ヘインズワース」 ジョン・W・ウィークス(DD-701 USS John W. Weeks) アメリカ合衆国下院議員を務め、陸軍長官を務めた「ジョン・W・ウィークス」 ハンク(DD-702 USS Hank) サボ島沖海戦で駆逐艦ラフィーの巧みな操艦で海軍十字章を受章 太平洋戦争第三次ソロモン海戦にて同艦沈没時に行方不明になった「ウィリアム・ハンク」 ウォレス・L・リンド(DD-703 USS Wallace L. Lind) 第一次世界大戦で海軍十字章を受章した「ウォレス・L・リンド」 ボリー(DD-704 USS Borie) 第25代海軍長官を三ヵ月間務め、先住民、黒人差別を助長する政策を乱発した貿易商の「アドルフ・ボリー」 戦没艦の継承 コンプトン(DD-705 USS Compton) 第一次世界大戦に従軍、海軍次官補を務めた「ルイス・コンプトン」 ゲイナード(DD-706 USS Gainard) 第一次世界大戦時アメリカ商船シティ・オブ・フリントの船長を務め、海軍十字章を受章した「ジョセフ・ゲイナード」 ソーレイ(DD-707 USS Soley) 南北戦争を取りまとめた「Official Records of the Union and Confederate Navies」をはじめとしたアメリカ海軍の歴史に関する書籍を執筆した「ジェームズ・R・ソーレイ」 ハーラン・R・ディクソン(DD-708 USS Harlan R. Dickson) 太平洋戦争珊瑚海海戦やミッドウェー海戦で功績を挙げたものの航空機事故で殉職した「ハーラン・R・ディクソン」 ヒュー・パーヴィス(DD-709 USS Hugh Purvis) 辛未洋擾にて帥字旗を引きはがした「ヒュー・パーヴィス」 バートン(DD-722 USS Barton) 海軍工廠を渡り歩き、艤装員・工廠長を歴任し、海軍蒸気工学局長にも就任した「ジョン・K・バートン」 戦没艦の継承 ウォーク(DD-723 USS Walke) 南北戦争中に北軍の艦長を歴任した「ヘンリー・A・ウォーク」 戦没艦の継承 ラフィー(DD-724 USS Laffy) 南北戦争時マルモラ号に乗り組み、ヤズーシティ攻略戦で勇戦した「バートレット・ラフィー」 戦没艦の継承 オブライエン(DD-725 USS O'Brien) アメリカ独立戦争中にマーガレッタ号を撃退した「ジェレマイア・オブライエンとその兄弟たち」 戦没艦の継承 メレディス(DD-726 USS Meredith) 第一次バーバリ戦争時の海兵隊下士官、トリポリの戦いで戦死した「ジョナサン・メレディス」 戦没艦の継承 ド・ヘイヴン(DD-727 USS De Haven) 19世紀のアメリカ海軍士官で探検家でもあった「エドウィン・ド・ヘイヴン」 戦没艦の継承 マンスフィールド(DD-728 USS Mansfield) 第一次バーバリ戦争時にフィラデルフィアを破壊した「ダンカン・マンスフィールド」 ライマン・K・スウェンソン(DD-729 USS Lyman K. Swenson) 太平洋戦争第三次ソロモン海戦時軽巡洋艦ジュノー艦長を務め同艦沈没時に戦死した「ライマン・K・スウェンソン」 コレット(DD-730 USS Collett) 太平洋戦争南太平洋海戦で搭乗機が撃墜、戦死した「ジョン・オースティン・コレット」 マドックス(DD-731 USS Maddox) 米墨戦争サンタクララの戦いに参加した「ウィリアム・A・T・マドックス」 戦没艦の継承 ハイマン(DD-732 USS Hyman) 太平洋戦争珊瑚海海戦時駆逐艦シムズ艦長を務め、同艦沈没時まで艦橋にとどまり指揮を執り戦死した「ウィルフォード・ミルトン・ハイマン」 マナート・L・エベール(DD-733 USS Mannert L. Abele) 太平洋戦争時潜水艦グラニオンの艦長を務め、同艦が沈没し戦死した「マナート・L・エベール」 パーディ(DD-734 USS Purdy) 太平洋戦争時の砲撃任務中に沈没した駆逐艦ストロングに乗艦、行方不明になった「フレデリック・ウォーレン・パーディ」 ドレクスラー(DD-741 USS Drexler) 軽巡洋艦トレントンが砲塔爆発事故を起こした際に殉職、名誉勲章を授与された「ヘンリー・クレイ・ドレクスラー」 ブルー(DD-744 USS Blue) 太平洋戦争第三次ソロモン海戦で乗艦である巡洋艦ジュノーが沈没、戦死した「ジョン・S・ブルー」 ブラッシュ(DD-745 USS Brush) 風力発電の実験をしたことで知られる発明家の「チャールズ・F・ブラッシュ」 タウシッグ(DD-746 USS Taussig) ウェーク島の領有権を主張した「エドワード・デヴィット・タウシッグ」 サミュエル・N・ムーア(DD-747 USS Samuel N. Moore) 太平洋戦争第一次ソロモン海戦で艦長を務めていた重巡洋艦クインシーが沈没し戦死した「サミュエル・N・ムーア」 ハリー・E・ハバート(DD-748 USS Harry E. Hubbard) 太平洋戦争時空母瑞鶴からの空襲で重症を負うも艦長として指揮を続行、乗艦である駆逐艦メレディスが沈没、海上の救命いかだで息を引き取った「ハリー・E・ハバート」 アルフレッド・A・カニンガム(DD-752 USS Alfred A. Cunningham) 海兵隊初期の飛行士で、米西戦争や第一次世界大戦に従軍した「アルフレッド・A・カニンガム」 ジョン・R・ピアース(DD-753 USS Jhon R. Pierce) 太平洋戦争時潜水艦アルゴノート艦長を務め同艦沈没時に戦死した「ジョン・R・ピアース」 フランク・E・エヴァンス(DD-754 USS Frank E. Evans) 米西戦争に従軍、その後ハイチにて憲兵隊の長官を務めた海兵隊の「フランク・Fエヴァンス」 ジョン・A・ボール(DD-755 USS Jhon A. Bole) 太平洋戦争時潜水艦アンバージャック艦長を務め同艦沈没時に戦死した「ジョン・A・ボール」 ビーティ(DD-756 USS Beatty) 南北戦争後に各地の海軍工廠で要職を歴任、第一次世界大戦時一時的に大西洋艦隊を指揮した「フランク・ビーティ」 戦没艦の継承 パットナム(DD-757 USS Putnam) 1881年末に北極で遭難したロジャース号救援に出動、後にシベリアで遭難死した「チャールズ・F・パットナム」 ストロング(DD-758 USS Strong) 南北戦争のモービル湾の海戦で南軍の装甲艦テネシーに体当たりした「ジェームス・ホーカー・ストロング」 戦没艦の継承 ロフバーグ(DD-759 USS Lofberg) 太平洋戦争時駆逐艦リトルの艦長を務め同艦沈没時に行方不明になった「ガス・ブリルノフ・ロフバーグ・ジュニア」 ジョン・W・トマソン(DD-760 USS Jhon W. Thomason) 海兵隊員として第一次世界大戦に従軍、その他短編小説や挿絵も描いた「ジョン・W・トマソン」 バック(DD-761 USS Buck) 南北戦争時ブルックリン号乗り組み、重傷を押してニューオーリンズ攻略戦に参戦した「ジェームズ・バック」 戦没艦の継承 ヘンリー(DD-762 USS Henley) 擬似戦争に従軍、米英戦争後私掠船掃討に従事した「ロバート・ヘンリー」 戦没艦の継承 ロウリー(DD-770 USS Lowry) ペリーの黒船来航に同行、南北戦争ハッテラス入り江砲台の戦いなどに従軍した「ライガルト・ボリバル・ロウリー」 ヒュー・W・ハドレイ(DD-774 USS Hugh W. Hadley) 太平洋戦争時司令官として駆逐艦リトルに乗艦、同艦の沈没時に戦死した「ヒュー・W・ハドレイ」 ウィラード・キース(DD-775 USS Willard Keith) ガダルカナル島の戦いで攻勢時、頭に銃弾を受け戦死した海兵隊の「ウィラード・キース」 ジェームス・C・オーウェンズ(DD-776 USS James C. Owens) 太平洋戦争時空母ホーネット雷撃機搭乗員、ミッドウェー海戦の際に雷撃隊を率いて日本艦隊を攻撃、搭乗機が撃墜され戦死したものの日本側に回避運動を強いて第二次攻撃を遅らせた「ジェームズ・C・オーウェンズ」 ゼラース(DD-777 USS Zellars) 戦艦ミシシッピの砲塔爆発事故の際フラットバルブを作動させ火薬庫を消火、戦艦ミシシッピの沈没を防ぎ自身は殉職した「トーマス・エドワード・ゼラーズ」 マッセイ(DD-778 USS Massey) 太平洋戦争ミッドウェー海戦にて空母飛龍を攻撃時に搭乗機が撃墜され戦死した「ランス・エドワード・マッセイ」 ダグラス・H・フォックス(DD-779 USS Douglas H. Fox) 太平洋戦争時第三次ソロモン海戦にて駆逐艦バートンに乗艦、同艦沈没時に戦死した「ダグラス・H・フォックス」 ストームズ(DD-780 USS Stormes) 太平洋戦争第三次ソロモン海戦時駆逐艦プレストン艦長を務め、同艦沈没時に戦死した「マックス・クリフォード・ストームズ」 ロバート・K・ハンチントン(DD-781 USS Robert K. Huntington) 太平洋戦争ミッドウェー海戦時空母ホーネット雷撃機の後部機銃手を務め搭乗機が撃墜され戦死した「ロバート・K・ハンチントン」 ブリストル(DD-857 USS Bristol) 第一次世界大戦後トルコ共和国に駐在し革命などを見届けた「マーク・ブリストル」 戦没艦の継承 ギアリング級駆逐艦 ギアリング(DD-710 USS Gearing) 三世代にわたって海軍軍人を輩出した「ギアリング家」 ユージン・A・グリーン(DD-711 USS Eugene A. Greene) 太平洋戦争ミッドウェー海戦にて空母加賀へ急降下爆撃を成功させたものの、燃料切れで行方不明になった「ユージン・A・グリーン」 ジャイアット(DD-712 USS Gyatt) 太平洋戦争フロリダ諸島の戦いでツラギ島に上陸、持ち場を死守したものの日本軍からの手榴弾で戦死した海兵隊の「エドワード・E・ジャイアット」 ケネス・D・ベイリー(DD-713 USS Kenneth D. Bailey) ガダルカナル島の戦いで戦死した海兵隊の「ケネス・D・ベイリー」 ウィリアム・R・ラッシュ(DD-714 USS William R. Rush) 米西戦争や第一次世界大戦に従軍した「ウィリアム・R・ラッシュ」 ウィリアム・M・ウッド(DD-715 USS William M. Wood) 南北戦争中に軍医として活動、米墨戦争前に諜報活動に従事した「ウィリアム・M・ウッド」 ウィルジー(DD-716 USS Wiltsie) 太平洋戦争時護衛空母リスカム・ベイ艦長を務め、マキンの戦いのさなか伊175からの雷撃で同艦が沈没戦死した「アーヴィング・ウィルジー」 セドオア・E・チャンドラー(DD-717 USS Theodore E. Chandler) 太平洋戦争時重巡洋艦ルイビル艦上に艦隊司令官として乗艦、日本軍による特攻を受けた際に火災による戦傷で翌日死亡した「セドオア・E・チャンドラー」 ハムナー(DD-718 USS Hamner) 太平洋戦争時駆逐艦ハワースに乗艦、日本軍からの特攻により戦死した「ヘンリー・ローリングス・ハムナー」 エパーソン(DD-719 USS Epperson) 第二次世界大戦サイパンの戦いで既にこと切れたと思われていた日本兵が突如起き上がり手榴弾を投擲、自ら手榴弾に覆い被さり戦死した海兵隊員「ハロルド・G・エパーソン」 カースル(DD-720 USS Castld)(未成艦) タンピコ事件に端を発したベラクルス占領の際に名誉勲章を授与された「ガイ・W・C・カースル」 ウッドロー・R・トンプソン(DD-721 USS Woodrow R. Thompson)(未成艦) 太平洋戦争ガダルカナルの戦いで撤退せずに戦い戦死した海兵隊の「ウッドロー・R・トンプソン」 フランク・ノックス(DD-742 USS Frank Knox) 第46代海軍長官を務めた「ウィリアム・フランク・ノックス」 サザーランド(DD-743 USS Southerland) 米西戦争時キューバ海域で複数の艦船を指揮、太平洋艦隊司令長官を務め、グレートホワイトフリートに所属していた「ウィリアム・ヘンリー・ハドソン・サザーランド」 ウィリアム・C・ロウ(DD-763 USS William C. Lawe) 太平洋戦争ミッドウェー海戦にて雷撃機の後部機銃手として搭乗、日本軍艦載機に迎撃され搭乗機が撃墜され戦死した「ウィリアム・C・ロウ」 ロイド・トーマス(DD-764 USS Lloyd Thomas) 太平洋戦争ミッドウェー海戦にて雷撃機を操縦、同機が撃墜され戦死した「ロイド・トーマス」 ケプラー(DD-765 USS Keppler) 太平洋戦争第三次ソロモン海戦時重巡洋艦サンフランシスコに乗艦、雷撃を受け自身も負傷しているにも拘わらず死傷者の搬出を指揮、その後激しい戦闘のさなかに火災を消火し失血で戦死した「ラインハルト・J・ケプラー」 ランスデール(DD-766 USS Lansdale)(未成艦) サモア諸島の治安維持活動中に現地人との争乱で戦死した「フィリップ・ランズデール」 戦没艦の継承 セイモア・D・オーエンス(DD-767 USS Seymour D. Owens)(未成艦) 太平洋戦争テニアンの戦いにて駆逐艦ノーマン・スコット艦長として乗艦、日本軍からの攻撃を受け戦死した「セイモア・D・オーエンス」 ホーエル(DD-768 USS Hoel)(未成艦) 南北戦争アイランドNo.10の戦いにて南軍の砲撃を搔い潜って砲艦カロンデレトを突進させた「ウィリアム・R・ホーエル」 戦没艦の継承 アブナー・リード(DD-769 USS Abner Read)(未成艦) 南北戦争に従軍、ミシシッピ川を哨戒中南軍からの砲撃で重傷を負い翌日戦傷死した「アブナー・リード」 戦没艦の継承 ローワン(DD-782 USS Rowan) 南北戦争時にニューアイアンサイズ号艦長、チャールストン封鎖を完遂した「スティーブン・C・ローワン」 戦没艦の継承 ガーク(DD-783 USS Gurke) 太平洋戦争ガダルカナル島の戦いで仲間を庇って戦死した海兵隊の「ヘンリー・ガーク」 マッキーン(DD-784 USS McKean) 南北戦争でメキシコ湾西岸封鎖任務に従事した「ウィリアム・W・マッキーン」 戦没艦の継承 ヘンダーソン(DD-785 USS Henderson) 太平洋戦争ミッドウェー海戦にて空母飛龍を急降下爆撃する際に撃墜され戦死した「ロフトン・R・ヘンダーソン」 リチャード・B・アンダーソン(DD-786 USS Richard B. Anderson) 太平洋戦争クェゼリンの戦いにて手から落ちた手榴弾の上に覆いかぶさり殉職した海兵隊の「リチャード・B・アンダーソン」 ジェームズ・E・キイス(DD-787 USS James E. Kyes) 第二次世界大戦時駆逐艦リアリー艦長として乗艦、空母を護衛中にドイツ潜水艦U-275からの雷撃で損傷し退艦命令を出した後自身は取り残された者がいないか艦内を確認、救命胴衣が破れてしまっていた乗員に自身の救命胴衣を渡し自らは犠牲となった「ジェームズ・E・キイス」 ホリスター(DD-788 USS Hollister) 第二次世界大戦中に兄弟三人全員が戦死した「ホリスター兄弟」 エヴァソール(DD-789 USS Eversole) 太平洋戦争ミッドウェー海戦で戦死した「ジョン・T・エヴァソール」 シェルトン(DD-790 USS Shelton) 太平洋戦争ミッドウェー海戦にて行方不明となった「ジェームズ・A・シェルトン」 シーマン(DD-791 USS Seaman)(未成艦) 太平洋戦争中の1944年ニューギニア方面で行方不明になった海軍飛行士の「アレン・ラング・シーマン」 シャヴァリア(DD-805 USS Chevalier) アメリカ海軍航空隊パイロットとして第一次世界大戦時西部戦線で戦い、その後航空事故で殉職した「ゴッドフリー・シャヴァリア」 戦没艦の継承 ヒグビー(DD-806 USS Higbee) 第一次世界大戦時に従軍看護師として他の看護師の指揮を執り、女性で初めて海軍十字章を授与された「レナ・ヒグビー」 ベンナー(DD-807 USS Benner) 太平洋戦争ガダルカナル島の戦いで戦死した海兵隊の「スタンリー・G・ベンナー」 デニス・J・バックリー(DD-808 USS Dennis J. Buckley) 第二次世界大戦中に拿捕防止の為に自爆したドイツ封鎖突破船カリンに取り残された人を救出、同艦の爆発で殉職した「デニス・ジョセフ・バックリー・ジュニア」 チャールズ・H・ローン(DD-815 USS Charles H. Roan)(未成艦) 太平洋戦争ペリリュー島の戦いで日本軍が投擲した手榴弾の上に覆い被さり戦死した海兵隊員の「チャールズ・H・ローン」 ティンマーマン(DD-816 USS Timmerman)(未成艦) 第二次世界大戦サイパンの戦いで戦車長を務め、日本軍から投擲された手榴弾を自分の体で覆い他の戦車兵を救い自身は戦死した「グラント・F・ティンマーマン」 コリー(DD-817 USS Corry) 第一次世界大戦時に大西洋艦隊航空幕僚を務め、搭乗機の墜落事故で殉職した「ウィリアム・M・コリー・ジュニア」 戦没艦の継承 ニュー(DD-818 USS New) 第二次世界大戦ペリリュー島の戦いで味方を救うために日本軍が投擲した手榴弾に覆い被さり戦死した海兵隊員の「ジョン・D・ニュー」 ホルダー(DD-819 USS Holder) 第二次世界大戦ミッドウェー海戦にて雷撃機を操縦、出撃後行方不明になった「ランドルフ・M・ホルダー」 深刻な損傷により退役を余儀なくされた護衛駆逐艦の継承 リッチ(DD-820 USS Rich) 太平洋戦争ミッドウェー海戦では戦闘機隊を率い、訓練中事故で殉職した「ラルフ・M・リッチ」 戦没艦の継承 ジョンストン(DD-821 USS Johnston) 南北戦争時ヘンリー砦の戦いで北軍の砲撃を支援した「ジョン・V・ジョンストン」 戦没艦の継承 ロバート・H・マッコード(DD-822 USS Robert H. McCard) 太平洋戦争サイパンの戦いにて孤立した際、日本軍相手に猛攻撃、重傷を負った後もに乗ってきた戦車の機関銃を取り外し再び攻撃、味方を避難する時間を稼ぎ自身は戦死した海兵隊員の「ロバート・H・マッコード」 サミュエル・B・ロバーツ(DD-822 USS Samuel B. Roberts) 太平洋戦争ガダルカナル島の戦いで味方を退避させるためにLCVPを駆って囮になり時間を稼いだもののボートが衝突、翌日戦死した「サミュエル・B・ロバ―ツ」 バジロン(DD-824 USS Basilone) 太平洋戦争硫黄島の戦いの飛行場を巡る戦闘で戦死した海兵隊員の「ジョン・バジロン」 カーペンター(DD-825 USS Carpenter) 初期の航空母艦ラングレーやレキシントンの艦載機航空隊を指揮した「ドナルド・M・カーペンター」 アガーホルム(DD-826 USS Agerholm) 太平洋戦争サイパンの戦いで戦死した海兵隊員の「ハロルド・C・アガーホルム」 ロバート・A・オーウェンス(DD-827 USS Robert A. Owens) 太平洋戦争ブーゲンビル島の戦いで戦死した海兵隊員の「ロバート・A・オーウェンス」 ティンマーマン(DD-828 USS Timmerman) 第二次世界大戦サイパンの戦いで戦車長を務め、日本軍から投擲された手榴弾を自分の体で覆い他の戦車兵を救い自身は戦死した海兵隊員の「グラント・F・ティンマーマン」 マイルズ・C・フォックス(DD-829 USS Myles C. Fox) 太平洋戦争フロリダ諸島の戦い、ツラギ島で日本軍と戦い戦死した海兵隊員の「マイルズ・C・フォックス」 エヴァレット・F・ラーソン(DD-830 USS Everett F. Larson) 第二次世界大戦ガダルカナルの戦いで日本軍の砲火が降り注ぐ中仲間を救うためにマタニカウ川を泳ぎ戦死した「エヴァレット・F・ラーソン」 グッドリッチ(DD-831 USS Goodrich) 米西戦争や第一次世界大戦に従軍した「キャスパー・F・グッドリッチ」と息子の「キャスパー・グッドリッチ」の両名 ハンソン(DD-832 USS Hanson) 太平洋戦争中海兵隊のパイロットとして25機撃墜、1944年ラバウル近海で撃墜され戦死した「ロバート・M・ハンソン」 ハーバート・J・トーマス(DD-833 USS Herbert J. Thomas) 太平洋戦争ブーゲンビル島の戦いで投擲した手榴弾が蔓に当たり自軍の元へ戻ってきた際に覆い被さり戦死した「ハーバート・J・トーマス」 ターナー(DD-834 USS Turner) 米英戦争以来数回オリバー・ペリー提督の指揮下で働いた「ダニエル・ターナー」 事故沈没艦の継承 チャールズ・P・セシル(DD-835 USS Charles P. Cecil) 太平洋戦争クラ湾夜戦にて軽巡洋艦ヘレナ艦長を務め、飛行機事故で殉職した「チャールズ・P・セシル」 ジョージ・K・マッケンジー(DD-836 USS George K. Mackenzie) 太平洋戦争時潜水艦トライトン艦長を務め、同艦沈没時に戦死した「ジョージ・K・マッケンジー」 サースフィールド(DD-837 USS Sarsfield) 第二次世界大戦時駆逐艦マドックス艦長を務め、ハスキー作戦中に同艦沈没時に行方不明になった「ユージーン・S・サースフィールド」 アーネスト・G・スモール(DD-838 USS Ernest G. Small) 太平洋戦争サボ島沖海戦で指揮を執り、太平洋艦隊司令長官の参謀を務めた「アーネスト・G・スモール」 パワー(DD-839 USS Power) 太平洋戦争クェゼリンの戦いで戦死した海兵隊員の「ジョン・V・パワー」 グレノン(DD-840 USS Glennon) 米西戦争以来海軍に務め、第一次世界大戦時はロシア黒海艦隊を支援した「ジェームズ・グレノン」 戦没艦の継承 ノア(DD-841 USS Noa) 領有直後のフィリピンで密輸取り締まりに従事、サマール島で原住民との交戦で戦死した「ラブマン・ノア」 事故沈没艦の継承 フィスク(DD-842 USS Fiske) 発明家として知られ装備の近代化や既存品の改良など技術面で海軍に貢献、航空機による夜間雷撃を発案した「ブラッドリー・A・フィスク」 戦没艦の継承 ウォリントン(DD-843 USS Warrington) 米英戦争に従軍、軍政を代行した「ルイス・ウォリントン」 荒天による沈没艦の継承 ペリー(DD-844 USS Perry) 米英戦争エリー湖の湖上戦で勝利、英雄視された「オリバー・ハザード・ペリー」 戦没艦の継承 バウセル(DD-845 USS Bausell) 太平洋戦争ペリリュー島の戦いで日本軍が投擲した手榴弾に覆いかぶさり戦死した海兵隊員の「ルイス・K・バウセル」 オズボーン(DD-846 USS Ozbourn) 太平洋戦争テニアンの戦いで味方と共に負傷、直後に日本軍が投擲した手榴弾に覆いかぶさり味方を助け自身は戦死した海兵隊員の「ジョセフ・W・オズボーン」 ロバート・L・ウィルソン(DD-847 USS Robert L. Wilson) 太平洋戦争テニアンの戦いで日本軍が投擲した手榴弾に覆いかぶさり戦死した「ロバート・L・ウィルソン」 ウィテク(DD-848 USS Witek) 太平洋戦争グアムの戦いで戦死した海兵隊員の「フランク・P・ウィテク」 リチャード・E・クラウス(DD-849 USS Richard E. Kraus) 太平洋戦争ペリリュー島の戦いで日本軍が投擲した手榴弾に覆いかぶさり戦死した「リチャード・E・クラウス」 ジョセフ・P・ケネディ・ジュニア(DD-850 USS Joseph P. Kennedy Jr.) 第二次世界大戦アフロディーテ作戦に搭乗機が爆発し戦死した「ジョセフ・P・ケネディ・ジュニア」 ジョン・F・ケネディの兄 リュパータス(DD-851 USS Rupertus) 太平洋戦争時第1海兵師団の師団長としてカートホイール作戦やペリリュー島の戦いに従軍、その後心臓発作で亡くなった「ウィリアム・H・リュパータス」 レオナード・F・メイソン(DD-852 USS Leonard F. Masnn) 太平洋戦争グアムの戦いで戦死した「レオナード・F・メイソン」 チャールズ・H・ローン(DD-853 USS Charles H. Roan) 太平洋戦争ペリリュー島の戦いで日本軍が投擲した手榴弾の上に覆い被さり戦死した海兵隊員の「チャールズ・H・ローン」 フレッド・T・ベリー(DD-858 USS Fred T. Berry) 第一次世界大戦に従軍、飛行船アクロンの墜落事故で行方不明になった「フレッド・T・ベリー」 ノリス(DD-859 USS Norris) 太平洋戦争ミッドウェー海戦で航空隊を指揮し戦死した「ベンジャミン・ホワイト・ノリス」 マカフェリー(DD-860 USS McCaffery) 太平洋戦争ブーゲンビル島の戦いで戦死した海兵隊員の「ジョセフ・P・マカフェリー」 ハーウッド(DD-861 USS Harwood) 第二次世界大戦ソロモン諸島の戦いに従軍、空母プリンストン沈没時に戦死した「ブルース・ローレンス・ハーウッド」 ヴォーゲルゲサング(DD-862 USS Vogelgesang) 米西戦争や第一次世界大戦に従事しブラジル海軍の再建に貢献した「カール・セドオア・ヴォーゲルゲサング」 スタイネーカー(DD-863 USS Steinaker) 太平洋戦争ガダルカナルの戦いで戦死した海兵隊員の「ドナルド・B・スタイネーカー」 ハロルド・J・エリソン(DD-864 USS Harold J. Ellison) 太平洋戦争ミッドウェー海戦にて雷撃機を操縦、搭乗機が撃墜され行方不明になった「ハロルド・J・エリソン」 チャールズ・R・ウェア(DD-865 USS Charles R. Ware) 太平洋戦争ミッドウェー海戦にて空母加賀を急降下爆撃で攻撃、帰路で日本軍機からの攻撃を受け燃料を消費してしまい不時着、行方不明になった「チャールズ・R・ウェア」 コーン(DD-866 USS Cone) 米西戦争や第一次世界大戦に従軍した「ハッチ・I・コーン」 ストライブリング(DD-867 USS Stribling) 米英戦争や南北戦争で活躍、戦後は海軍工廠を監督した「コーネリアス・ストライブリング」 ブラウンソン(DD-868 USS Brownson) 海軍学校の教育長を務め。米西戦争に従軍した「ウィラード・H・ブラウンソン」 戦没艦の継承 アーノルド・J・イズベル(DD-869 USS Arnold J. Isbell) 第二次世界大戦時護衛空母の指揮を執り船団護衛に従事、その後太平洋戦争戦線にて空母フランクリンに乗艦、同艦が日本軍機からの空襲を受けた際に戦死した「アーノルド・J・イズベル」 フェクテラー(DD-870 USS Fechteler) 米西戦争や第一次世界大戦に従軍、飛行機事故で殉職した「アウグストゥス・F・フェクテラー」 戦没艦の継承 ダメイト(DD-871 USS Damato) 太平洋戦争エニウェトクの戦いで日本軍が塹壕に投げ込んだ手榴弾に覆いかぶさり戦死した海兵隊員の「アンソニー・P・ダメイト」 フォレスト・ロイヤル(DD-872 USS Forrest Royal) 太平洋戦争にて司令官として指揮を執ったものの心臓発作で亡くなった「フォレスト・B・ロイヤル」 ホーキンス(DD-873 USS Hawkins) 太平洋戦争タラワの戦いで戦死した海兵隊員の「ウィリアム・D・ホーキンス」 ダンカン(DD-874 USS Duncan) 米英戦争中シャンプレーン湖の戦いに参加、レキシントン号で南米遠征を行った「サイラス・ダンカン」 戦没艦の継承 ヘンリー・W・タッカー(DD-875 USS Henry W. Tucker) 太平洋戦争珊瑚海海戦時給油艦ネオショーに乗艦、同艦が沈没しパニックの中負傷者を治療し自身は戦死した「ヘンリー・W・タッカー」 ロジャース(DD-876 USS Rogers) 太平洋戦争ルンガ沖夜戦にて兄弟三人全員が重巡洋艦ニューオーリンズに乗艦し、三人全員が戦死した「ロジャース兄弟」 パーキンス(DD-877 USS Perkins) 南北戦争中にカユガ号を指揮、ジャクソン砦の突破に成功した「ジョージア・H・パーキンス」 事故沈没艦の継承 ヴェソール(DD-878 USS Vesole) 第二次世界大戦時リバティ船ジョン・バスコムに乗艦、イタリア停泊時同艦がドイツからの空襲を受け沈没、負傷者の避難を指揮、自分自身の負傷を無視し油で燃え盛る海からも生存者を救助、その後の爆発で戦死した「ケイ・コップル・ヴェソール」 リアリー(DD-879 USS Leary) 第一次世界大戦時火災事故の救難活動で殉職した運送艦乗組士官の「クラレンス・F・リアリー」 戦没艦の継承 ダイス(DD-880 USS Dyess) 太平洋戦争クェゼリンの戦いで戦死した海兵隊員の「アクイラ・J・ダイス」 ボーデロン(DD-881 USS Bordelon) 太平洋戦争タラワの戦いで戦死した「ウィリアム・J・ボーデロン」 ファース(DD-882 USS Furse) 戦艦イリノイに乗艦、嵐の際に負った傷が元で死亡した「ジョン・H・ファース」 ニューマン・K・ペリー(DD-883 USS Newman K. Perry) 砲艦ベニントンのボイラー爆発事故で殉職した「ニューマン・K・ペリー」 フロイド・B・パークス(DD-884 USS Floyd B. Parks) 太平洋戦争ミッドウェー海戦にて日本軍機がミッドウェー島を空襲した際に戦死した「フロイド・B・バークス」 ジョン・R・クレイグ(DD-885 USS John R. Craig) 太平洋戦争時潜水艦グランパス艦長を務め、同艦と共に行方不明になった「ジョン・R・クレイグ」 オーレック(DD-886 USS Orleck) 第二次世界大戦時タグボートノーセット艦長を務め、同艦がイタリアサレルノ湾で空襲に遭い損傷、爆発した際に戦死した「ジョセフ・オーレック」 ブリンクリー・バス(DD-887 USS Brinkley Bass) 第二次世界大戦時戦闘機パイロットを務めたものの南フランスでドイツからの対空砲火で撃墜され戦死した「ハリー・ブリンクリー・バス」 スティッケル(DD-888 USS Stickell) 太平洋戦争時ジャルート環礁への爆撃任務で重傷を負うものの任務を続行、自身の傷よりも他の乗員と機体の安全を優先し狭いものの近くにある滑走路よりも痛みに耐えて遠くの滑走路に着陸することを選択、その後負傷がもとで戦傷死した「ジョン・H・スティッケル」 オヘア(DD-889 USS O'Hare) 太平洋戦争タラワの戦いで搭乗していた戦闘機が撃墜され戦死した「エドワード・オヘア」 メレディス(DD-890 USS Meredith) 第一次バーバリ戦争時の海兵隊下士官、トリポリの戦いで戦死した「ジョナサン・メレディス」 戦没艦の継承 ミッチャー級駆逐艦 ミッチャー(DD-927 USS Mitscher) 太平洋戦争にて空母機動艦隊の指揮官を務めた「マーク・ミッチャー」 ジョン・S・マケイン(DD-928 USS John S. McCain) 太平洋戦争にて空母機動艦隊の指揮官を務めた「ジョン・S・マケイン」 ウィリス・A・リー(DD-929 USS Willis A. Lee) 太平洋戦争に従軍、第三次ソロモン海戦で指揮を執った「ウィリス・A・リー」 ウィルキンソン(DD-930 USS Wilkinson) 太平洋戦争にて両用戦部隊司令官を務めた「セドオア・S・ウィルキンソン」 フォレスト・シャーマン級駆逐艦 フォレスト・シャーマン(DD-931 USS Forrest Sherman) 太平洋戦争にて空母ワスプ艦長や太平洋戦域最高司令官の参謀を務めた「フォレスト・シャーマン」 ジョン・ポール・ジョーンズ(DD-932 USS John Paul Jones) アメリカ独立戦争でレンジャーやボノム・リシャールを率いた「ジョン・ポール・ジョーンズ」 バリー(DD-933 USS Barry) アメリカ独立戦争で五隻の船長を歴任した「ジョン・バリー」 ディケーター(DD-936 USS Decatur) 擬似戦争や第二次バーバリ戦争で活躍した「スティーヴン・ディケーター」 デイヴィス(DD-937 USS Davis) 海軍生活の中で天文、潮流、海底地形の測量と研究を行い、航路開発を続けた「チャールズ・H・デイヴィス」 ジョナス・イングラム(DD-938 USS Jonas Ingram) 第二次世界大戦時第4艦隊司令官を務めた「ジョナス・H・イングラム」 マンリー(DD-940 USS Manley) アメリカ独立戦争時に大陸海軍艦長を歴任し通商破壊や上陸作戦支援に従事した「ジョン・マンリー」 デュポン(DD-941 USS Du Pont) 南北戦争時チャールストン攻略に従事した「サミュエル・F・デュポン」 ビグロー(DD-942 USS Bigelow) 第二次世界大戦時駆逐艦フレッチャーに乗艦、日本軍砲兵陣地からの砲撃で同艦が損傷、呼吸器を装着する時間を惜しみ生身で火災区画に突入し重傷をおいつつ火災を鎮火、翌日戦傷死した「エルマー・チャールズ・ビグロー」 ブランディ(DD-943 USS Blandy) 太平洋戦争時兵器局の局長を務め、硫黄島上陸前の砲撃を指揮した「ウィリアム・H・P・ブランディ」 ムリニクス(DD-944 USS Mullinnix) 太平洋戦争時護衛空母リスカム・ベイに座乗、同艦が伊175からの雷撃で沈没し行方不明になった「ヘンリー・M・ムリニクス」 ハル(DD-945 USS Hull) 擬似戦争と第一次バーバリ戦争で活躍した「アイザック・ハル」 エドソン(DD-946 USS Edson) 太平洋戦争ガダルカナル島の戦いやサイパンの戦いなどに従軍した海兵隊員の「メリット・A・エドソン」 サマーズ(DD-947 USS Somers) 第一次バーバリ戦争に従軍、二度目のイントレピッド決死隊を指揮、戦死した「リチャード・サマーズ」 モートン(DD-948 USS Morton) 太平洋戦争時潜水艦ワフー艦長を務め、同艦が沈没し戦死した「ダドリー・W・モートン」 パーソンズ(DD-949 USS Parsons) 第二次世界大戦中マンハッタン計画を推し進めた「ウィリアム・S・パーソンズ」 リチャード・S・エドワーズ(DD-950 USS Richard S. Edwards) 太平洋戦争時艦隊司令官を務めた「リチャード・S・エドワーズ」 ターナー・ジョイ(DD-951 USS Turner Joy) 太平洋戦争時日本軍に対する作戦の立案や戦後は極東海軍司令官を務めた「C・ターナー・ジョイ」 スプルーアンス級駆逐艦 スプルーアンス(DD-963 USS Spruance) 太平洋戦争ミッドウェー海戦や沖縄戦で指揮を執った「レイモンド・スプルーアンス」 ポール・F・フォスター(DD-964 USS Paul F. Foster) ベラクルス占領や第一次世界大戦では潜水艦L-2を指揮しドイツ潜水艦UB-25を撃沈した「ポール・F・フォスター」 キンケード(DD-965 USS Kinkaid) 第二次世界大戦時南西太平洋海域の連合軍海軍司令官や第七艦隊司令官を務めた「トーマス・C・キンケード」 ヒューイット(DD-966 USS Hewitt) カサブランカ沖海戦やアヴァランチ作戦を指揮した「ヘンリー・ケント・ヒューイット」 エリオット(DD-967 USS Eliott) ベトナム戦争で戦死した「アーサー・J・エリオット2世」 アーサー・W・ラドフォード(DD-968 USS Arthur W. Radford) 第二代統合参謀本部議長を務めた「アーサー・W・ラドフォード」 ピーターソン(DD-969 USS Peterson) ベトナム戦争時にロケット弾が乗艦に直撃して戦死した「カール・ジェロルド・ピーターソン」 カロン(DD-970 USS Caron) ベトナム戦争時味方を救援しようと駆け寄った際に砲撃で腕を負傷、それでも立ち上がり味方に応急処置を施した、その後再び砲撃を受けて 足を負傷、味方の元へ這って移動し応急処置をした。その後さらに味方を助けようとし移動した際にロケット弾を受け戦死した「ウェイン・モーリス・カロン」 デヴィッド・R・レイ(DD-971 USS David R. Ray) ベトナム戦争で砲弾が飛び交う中負傷者に応急処置を施した、その途中で重傷を負ったものの自身の治療を拒否し救命活動を続けた、負傷した兵士に包帯を巻いていた際に敵のベトナム兵と戦闘しさらに負傷したものの撃退、最期は治療していた海兵隊員に覆いかぶって手榴弾から守り戦死した「デビット・R・レイ」 オルデンドルフ(DD-972 USS Oldendorf) 太平洋戦争レイテ沖海戦で第77.2任務群を指揮しスリガオ海峡で日本海軍西村艦隊を迎撃し打ち破った「ジェシー・B・オルデンドルフ」 ジョン・ヤング(DD-973 USS John Young) アメリカ独立戦争時にサラトガ号艦長に任命されその後嵐で艦と共に消息を絶った「ジョン・ヤング」 コンテ・ド・グラース(DD-974 USS Comte de Grasse) アメリカ独立戦争チェサピーク湾の海戦で指揮を執り勝利へと導いた「フランソワ・ジョゼフ・ポール・ド・グラス」 オブライエン(DD-975 USS O'Brien) アメリカ独立戦争中にマーガレッタ号を撃退した「ジェレマイア・オブライエンとその兄弟たち」 メリル(DD-976 USS Merrill) ビラ・スタンモーア夜戦で指揮を執り勝利、レーダーの優位性を示した「アーロン・S・メリル」 ブリスコー(DD-977 USS Briscoe) 南部欧州連合軍の最高司令官を務めた「ロバート・P・ブリスコー」 スタンプ(DD-978 USS Stump) 太平洋艦隊司令長官を務めた「フェリックス・スタンプ」 コノリー(DD-979 USS Conolly) 太平洋戦争ドーリットル空襲やグアム上陸作戦に従事した「リチャード・L・コノリー」 ムースブラッガー(DD-980 USS Moosbrugger) 太平洋戦争ベラ湾夜戦で駆逐部隊を指揮し日本海軍に勝利した「フレデリック・ムースブラッガー」 ジョン・ハンコック(DD-981 USS John Hancock) アメリカ独立宣言に最初に署名した「ジョン・ハンコック」 ニコルソン(DD-982 USS Nicholson) アメリカ独立戦争から南北戦争にかけた海軍将官、士官を輩出した「ニコルソン家の軍人たち五人」 ジョン・ロジャース(DD-983 USS John Rodgers) 米英戦争、南北戦争、第一次世界大戦時に海軍に貢献した「ロジャース家」の三名 レフトウィッチ(DD-984 USS Leftwich) ベトナム戦争時乗っていたヘリコプターが墜落し殉職した海兵隊員の「ウィリアム・G・レフトウィッチ・ジュニア」 カッシング(DD-985 USS Cushing) 南北戦争中に決死隊を率いて南軍アルベマール号を撃沈した「ウィリアム・B・カッシング」 ハリー・W・ヒル(DD-986 USS Harry W. Hill) 太平洋戦争時機動部隊の指揮官を務め、その他硫黄島の戦いや沖縄戦に従軍した「ハリー・W・ヒル」 オバノン(DD-987 USS O'Bannon) 第一次バーバリ戦争で海兵隊を率いトリポリの戦いを制した「プレスリー・オバノン」 ソーン(DD-988 USS Thorn) 1811年にトンキン号のコロンビア川探検隊を率い、先住民との交戦で戦死した「ジョナサン・ソーン」 デヨ(DD-989 USS Deyo) 太平洋戦争時第13巡洋戦隊と第54任務部隊を率いて沖縄戦に従軍した「モートン・デヨ」 インガソル(DD-990 USS Ingersoll) 第二次世界大戦時アメリカ大西洋艦隊最高司令官を務めた「ロイヤル・E・インガソル」 ファイフ(DD-991 USS Fife) 太平洋戦争中アメリカの潜水艦部隊の指揮や魚雷の欠陥の改善に尽力した「ジェームズ・ファイフ・ジュニア」 フレッチャー(DD-992 USS Fletcher) 太平洋戦争で艦隊の指揮を執った「フランク・ジャック・フレッチャー」 ヘイラー(DD-997 USS Hayler) 太平洋戦争クラ湾夜戦やコロンバンガラ島沖海戦で軽巡洋艦ホノルルを指揮した「ロバート・W・ヘイラー」 関連項目 アメリカ海軍の艦名由来一覧 軍用艦の艦名由来一覧
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/6252.html
70: 陣龍 :2020/07/03(金) 21 48 32 HOST 124-241-072-147.pool.fctv.ne.jp 立て乙です。思い付きですが漆黒アメリカルートではケンタッキー決戦が勃発して関係各国に悲劇的な記憶と歴史を刻んでしまったので、史実ではアメリカファストフードの巨塔の一つであるケンタッキー・フライド・チキンの名前が消えてそうだなと夜勤明けで唐突に頭に浮かんだので、北アメリカ各国に置けるフライドチキン店を捏造して見る 大日本帝国加州…カリフォルニア・フライド・チキン 始めは鉱山労働者等への酒の摘まみと言う扱いで当時発展していた養鶏場から供給される鶏をから揚げにして提供していたのが原始。 元々最初期に『唐揚げ』として提供されていた物は旧来の様に江戸時代初期から続くゴボウ等を揚げた物だったのだが、有る時日本本土から来たとある人物の発案にて、当時急拡大していた養鶏の一部を『唐揚げ』にして販売した所、手軽かつ安価に肉を喰え、そして美味く力が着くと急速な評判を巻き起こし、その気を逃さず件の人物は加州各地に、現在で言うチェーン店を展開した。その後南部との同盟により相応に南部人が加州に来訪するようになると、彼らにも売り込みを仕掛ける為にも、従来の名前から英語に変更したのがこのカリフォルニア・フライド・チキンの始まりである。 因みに件の人物は【カリフォルニア】・フライド・チキンでは無く何故か【ケンタッキー】・フライド・チキンを推していたが、縁もゆかりも無い土地の名前、しかもケンタッキー決戦で負のイメージが強すぎるが為に一瞬で没となった。何故ケンタッキーを推していたのか、理由は不明である。 アメリカ連合国…テキサス・フライド・チキン 大日本帝国加州に何かしらの理由で訪問し、そして現地でカリフォルニア・フライド・チキンの存在に衝撃と競争心を燃え上がらせた南部人が各地で設立し、熾烈な統廃合の結果爆誕したファストフード店。元々酪農が強い土地柄だった事も有り、先行しているカリフォルニア・フライド・チキンの味に素材の時点から勝っており、加州に対する【黒船】となるのではと専ら噂され、その結果カリフォルニア・フライド・チキンが日本人らしく(やや)高価格・高品質路線へと転換認めに、テキサス・フライド・チキンはファストフード店らしい『相応に安く、それなりに美味い』系統の店として住み分ける事になった。 とは言え加州のカリフォルニア・フライド・チキンの覇権を崩す気は全く衰えておらず、研鑽を積みつつ先人たる日本人の足元を脅かしつつあると言う。 71: 陣龍 :2020/07/03(金) 21 49 02 HOST 124-241-072-147.pool.fctv.ne.jp カナダ連邦…アメリカン・フライド・チキン 大日本帝国加州、アメリカ連合国にて広がったフライド・チキンの流行は、両国と(合衆国被害者仲間として)友好的なカナダにも派生した。現地に持ち込んだのは安価で対合衆国兵備として日本から火中車を送った日本だと言われているが、正確な事は分かっていない。名称の由来は、日本製火中車をカナダ人が現地改造にて単発簡易砲として防衛拠点に配置し、少人数にて侵入する人狩り部隊をフライドチキン片手にて発射し、人攫いの合衆国人を吹き飛ばして丸焼きにしていた事から、らしい。此方も明確な記録は残っておらず、自然と使われ出したと言って良いかも知れない。 因みに21世紀に入った後世、口先の綺麗ごととSNSにより一瞬だけ目立つもすぐさま集中砲火を受けて叩き潰された旧合衆国人が、『カナダのアメリカン・フライド・チキンは、アメリカ差別を助長するモノで即刻中止を求める』と喚いた際に、長年強制され続けた人狩り部隊との戦闘により『島津と会津が敬意を表すカナダ兵』とまで日本の戯れ唄に謳われたカナダ人が、無言の貼り付けた微笑みのまま差別だの何だのと叫ぶ少人数な彼らを何処かに連れて行ったと言う。その後は誰も興味を抱いていない為に行方知れずである。 アメリカ合衆国…ニューヨーク・フライド・チキン 元々は東海岸屈指の都市であるニューヨークにて、何処かのストリートチルドレンか貧困層の子供が、比較的安価に入手出来た鶏肉を用い、何処かからか調達した油と調味料にて路上販売していたのが原始と言われている。残念な事にこのフライドチキンを製作・販売していた子供は、合衆国の『人狩り』によって行方知れずとなっている為に名前や容姿などは一切不明であるが、作り易く割と美味しいと言う事で貧困層から中流階級に広まって行き、気付けば『ニューヨーク・フライド・チキン』として合衆国の各地に店舗が広がって行っていた。安価で手早く美味いエネルギー源として軍にも注目され、素材の品質に大きい差こそ有れど、合衆国軍全体にて戦闘食や基地内での食事として出される人気商品となった。 その後の『合衆国解体戦争』に置いても、従来の酒等では不足するとして揚げたてのフライド・チキンに麻薬を塗りたくって兵士や『備品』に供給する等、加州ら他国と違って食品衛生なにそれ金になるの、と言わんばかりなぶっ飛んだ『調理』が各地で行われて行った為に、終戦後には軍需系企業以外では真っ先に、有無を言わさぬ解体命令が物理込みで下され、ニューヨーク・フライド・チキンの歴史に強制的にピリオドを打たれている。 隠語としてケンタッキー・フライド・チキンが『まともな死体も残らぬ凄惨な地獄の戦場』となるかも知れんが、まぁ企業としては大まかにこんな感じで(適当)
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/9238.html
382 名前:陣龍[sage] 投稿日:2024/04/30(火) 20 06 27 ID 124-241-072-209.pool.fctv.ne.jp [2/16] 【FALLOUT × 日本大陸 ~或いは人類文明圏最後の守護者~】 我が国と日本帝国の違いとは何か。我が国は目の前の地面を見て歩いていた。彼らは空を見て歩いていた。 下を見る者と上を見る者、それが辿らせる未来は……絶対的だ。 ――――アメリカ合衆国、某経済・社会心理等各分野の学者合同で行われた、日本を分析した論文発表時の呟き。 即日発禁封殺され、学者も全員学会を追放、後過半が不審死や自殺された。 『日・米・中ソ 三陣営対立史 ~尚6割は日米対立関係の模様~』 夢幻会の転生者総出にて実行され、当人らは全く知らぬまま思いっ切り歴史の流れを極一部だけ捻じ曲げた、 トランジスタや集積回路の開発成功とそれらを使用した各種新製品が日本帝国と西太平洋条約機構所属国へ多数普及して行った頃。 相も変わらず、アメリカを筆頭とした日本勢力圏以外の世界は尽く真空管が電子部品を支配している有様だった。 日本と政治主義の為に敵対陣営である共産陣営は兎も角として、同じ資本主義である筈のアメリカや、 その影響力が強いとは言えヨーロッパまでもが、日本が生み出した画期的な新商品を丸ごとシャットアウトを続ける等と言うのは、 ニュービー揃いでもある夢幻会員に取って想定外過ぎて頭を抱えさせるに十分であった。頭を抱えていたのは彼らのみならず、 輸出による利益や国威の当てが外れた企業や外交官、政府らも同じく頭を抱えていたのであるが。 ヨーロッパが感情的に頑なである理由は既に予想が着いていた。第二次世界大戦に置いて、日本は参戦し本土奪還や救援、 そして多額の援助を代価として、東南アジアの英仏蘭の権益を買い取っており、戦後に殆ど間を置かずに、 具体的には国際連合組織が創設された直後に『独立国家』として東南アジア各地域の政府代表団を連れて来た行為が、 色々とヨーロッパに対する当て付けや皮肉であると受け取られ、彼らのプライドを大いに抉ったと思われた件が、 感情的に政治的反日に偏らせ、そして第二次世界大戦にて日本と同じく各種大規模支援をしたアメリカ寄りにさせた結果である、と。 ただその親米路線の為に、日本が気付いた時には余りにもヨーロッパにアメリカが這入り込んでいて、 名目上は兎も角実質面での政治的・経済的には、アメリカの意向が強く動いて第二次世界大戦前と比べて遥かに 見動きが取り辛い有様へと転落して行って居たのであるが。当の日本には、欧州に対する悪意等等無く、 そして国是としても植民地支配が無いが故に支援をした上で戦後政治の一環として独立させただけなのだが。 そしてヨーロッパに津々浦々、自国の真空管製品と軍隊を送り込んでいる資本主義社会の盟主自称なアメリカ合衆国は、 転生者達に取って既知だが未知の『日本市場の閉鎖性』『非関税障壁』等と日本へ言い立てて、 アメリカ産の真空管技術の製品を大量輸入する様に、度々公式非公式問わぬ外交ルートや民間の通商交渉等で 要求して来るようになっていた。無論、ソ連や中国と政治的に対立している日本としてはアメリカと友好関係を保ちたいのは事実では有るが、 既に集積回路等を全面的に活用した各種製品が流通と一般化が完了し、真空管等と言う代物は完全に陳腐化して モノ好きのアンティーク物品に零落しつつある日本市場に置いて、アメリカが意気高々に押し売りして来ようとする 【世界最高峰のアメリカ製品】は、回顧主義者でも何でもない殆どの日本人にとって【高くて古臭くて使えない新品の粗大ゴミ製品】以外の なんでも無かった。とっくに民生品のゲーム機とソフトで3D描写や複雑なAI機能、多種多様な音声出力等が当たり前の所に、 テキストベースキャラのテキストオンリーゲームを押し付けようとしている有様なのだから。最早古すぎて逆に新しさすら感じさせる勢いである。 383 名前:陣龍[sage] 投稿日:2024/04/30(火) 20 08 47 ID 124-241-072-209.pool.fctv.ne.jp [3/16] 勿論、日本側の状態は交渉の場で自国産のゲーム等を見せたりしているのだが、肝心の最終判断するアメリカ本国の『御偉方』と企業は、 現場からの悲鳴染みた訴えも殆ど無視、と言うより完全に封殺された。今更極めて膨大な予算を投じて形成された真空管関連市場と 付随する権益を丸ごと失う事態は認められないと言う、ある種の史実で言うコンコルド効果、 この世界の日本で言う『家の質入れ賭け賭博』の様な、頑迷な姿勢の成せる結果だったようだ。 実際、欧州市場も完全にアメリカ製品の真空管で支配的なのも有ってか、余計に交渉姿勢は強硬姿勢を強めるばかりで、 呆れ切った日本が『配慮』する事で急激な悪化こそ抑止されたが、それでも日本とアメリカとの関係悪化は、 悪戯に緩々と継続されていった。因みに、余りにも近視眼で頑迷な『上層部の馬鹿共』に激怒したとある交渉団の内一名が、 日本から許可を得て民生品の電気機械製品を購入して現実を見せるべくアメリカ本国へ持ち帰ったが、 税関の時点で『危険物』と認定されて問答無用で破壊された上に当の交渉団の一名も連行され行方不明になると言う、 あからさまな政府か企業の『御偉方』が命じたと思しき事件が起きている。ただ単に真空管技術の世界では、 現代的集積回路等が余りにも異端過ぎて検知機能がバグかエラーを起こしたのではないかとも言われているのだが、 真実は誰にも分かっていない。 『エド・キャッスルの城壁』で全く動きを見いだせなかったアメリカだったが、ならばとばかりに、 国際的常識等全く無視して日本勢力圏の東南アジア諸国にもアメリカ製品の大規模売込みも図ったが、 此方は此方で日本よりも激しい形で拒絶の嵐と共に叩き出された。植民地支配されていた経緯から 本質的に反欧米志向が存在していたと言うのも一因だが、最大の要因は既に日本製の各種電化製品や電子製品が流通しており、 今更【高くて古臭い粗大ゴミ】等買う必要性も理由も無いと言う、日本人と同じ理由であったが。 誰だって10年前から実質面では殆ど何にも変わっても居なさそうな真空管技術製品と、文字通りの日進月歩で昨日の新製品が 来週どころか明日には旧式化させる新技術・新製品が出て来る様な半導体・集積回路技術製品と、 将来性や利便性を加味すればどちらを選ぶかは明白であった。そもそも既に日本のみならず東南アジア諸国ですら、 役所等を中心としつつも一般家庭にすらほんの少しずつではあるが、高性能化が続くパソコンが当たり前に設置されるようにすら 成りつつ有った。間違い無くアメリカの真空管製品を導入する等と発表されようモノならば、軍も国民も官僚も政治家も 皆が手と手を取り合い、丸ごと団結して宣言を出してくれ折った政府を廃絶させに突き進むのは確実であった。 結局アメリカ製品の日本勢力圏への【黒船】は完全な失敗に終わり、逆に日本から【逆上陸黒船】を徹底した法制度等で封殺すると言う、 何とも傲慢なアメリカ・アズ・ナンバーワンの政治姿勢を見せたアメリカは、最終的に本来敵陣営である筈の中ソ陣営に対しても、 一応の第三国経由でアメリカ製品の、それも真空管も一部売り出すと言う短期利益執着にも程が有る有様な商売を始め、 それが巡り巡ってアラスカ等の天然資源を巡る米中戦争にて、中国軍に通常兵器技術で米軍が圧倒される遠因を 作り出しても居る中で、皮肉にも世界で真っ先に真空管から集積回路へと抜け出したが故に、 世界市場の多くから疎外状態となった日本陣営は、距離の近さからオブザーバー参加と言う形とは言え実質は 日本陣営入りになったオーストラリアやニュージーランドらオセアニア地域も含めて、【西太平洋条約機構】所属国の例外無き内需拡大、 国内開発による経済発展、そして最悪、資源輸入が閉ざされる可能性も考えた、動植物や石油等天然資源の保護のための 環境保護や省エネルギー開発に突き進む方針を、【西太平洋条約機構】総出で行われた会議にて全会一致で承認。 転生者達も、日本陣営の総員も全く想像だにせぬまま、世界最終戦争で文明国として生存する為の基盤作りと 強大無比な要塞建築が開始された瞬間であった。 384 名前:陣龍[sage] 投稿日:2024/04/30(火) 20 11 31 ID 124-241-072-209.pool.fctv.ne.jp [4/16] |д゚) 以上、最終戦争で日本陣営の生存確率を一気に引き上げる理由付けともなる内需拡大暴走模様でした |д゚) 暫くはこんな感じの一幕構成でゲリラ討幕する感じになりますが何時も通りに予定は未定です 対戦よろしくお願いします()
https://w.atwiki.jp/winspww2aar/pages/423.html
アメリカ合衆国海兵隊(USMC) シナリオ キャンペーン ユーザーキャンペーン ロングキャンペーン ジェネレイテッドキャンペーン シングルバトル
https://w.atwiki.jp/kinecoandvtr/pages/84.html
アメリカ横断ウルトラクイズ 概要 「勝てば天国負ければ地獄。知力、体力、時の運。早くこいこい木曜日」でおなじみだった木曜スペシャルで全4回放送された視聴者参加型クイズ番組。1988年に放送された回を2015年にCSで再放送。それほど1980年代に放送された番組と思われがちだが、実は、放送スタートは1970年代。第1回目の1977年から1992年の第16回大会まで放送された。 1993年については当初は放送予定があった。 また、オンエアした際のビデオテープ以外は、日本テレビが汐留に移転の際、すべて処分。つまり放送した回のみ保存されてる。 第1回大会の1977年は、映像が残っており、10年後、1987年の第11回大会でワンシーンのみ紹介された。 そのためか第1回の放送の現存の可能性が高い 1984年第8回大会は、CSで再放送され、現存してることが確認。また、レギュラー最終回大会の1992年のウルトラクイズもCSで再放送され、現存されてる。 第2回から第7回大会が再放送や回顧番組で紹介されてないため、映像の有無はいまだはっきりしてない。 だが、2018年に日本テレビの「愛は地球を救う」の中で、第2回大会と第3回大会がワンシーンのみ紹介された。 その第2回と第3回大会がおよそ40年ぶりに紹介されたことで日テレに残っていたことが判明した。 第7回大会に関しては映像は残っており、2016年にCSで再放送された。 また、2001年12月29日放送の「マジカル頭脳パワー!! 21世紀芸能界No.1頭脳決定戦スペシャル!! MAGICAL SPECIAL 2001」で冒頭に日本テレビが放送されたクイズ番組を紹介。その中で第1回大会と第13回大会のウルトラクイズがいずれもワンシーンのみ紹介された。(この時も第1回大会の映像が現存されていることが判明した)
https://w.atwiki.jp/dunpoo/pages/82.html
●アメリカ資本主義 米貿易収支 05年赤字7257億ドル 対日中、過去最大 [毎日] 所得格差、米国で拡大 NY州は8倍超す [朝日] ダイムラー、6千人削減 3年間で管理部門の2割 [共同] フォード、最大3万人削減 12年まで、北米で [朝日] 米個人破産、昨年は初の200万件突破で過去最高に 米貿易赤字、過去最大を更新 4年連続で [朝日] フォードも3万人削減 米紙報道 米GM 人員削減3万人に拡大、9工場を閉鎖へ [朝日] GM:労組が医療費削減承認 経営再建へ一歩前進 [毎日] 米、0.25%追加利上げ・FF金利、年4%に [日経] グーグルの時価総額1000億ドル超す・米企業で最も速く [日経] 米包括エネルギー法成立へ、上院も法案を可決 [日経] 米農務省、BSE検査手法見直しへ・感染見落とし認める 米貿易収支 05年赤字7257億ドル 対日中、過去最大 [毎日] 【ワシントン木村旬】米商務省が10日発表した05年の米貿易収支(モノとサービスの取引の合計・季節調整済み)によると、年間貿易赤字は前年比17.5%増の7257億5900万ドル(約85兆円)となり、4年連続で過去最大を更新した。年間赤字が7000億ドルを突破したのは初めて。国別(サービス除く通関ベース)の赤字額は、最大の対中国が4年連続、2位の対日本も5年ぶりに過去最大を記録した。 米財政赤字も06会計年度(05年10月~06年9月)に過去最大の4230億ドルに達する見通し。「双子の赤字」の悪化はドル急落の圧力となり、世界経済の懸念材料だ。 05年は原油高や米景気の堅調な拡大に伴い、輸入が12.9%増の1兆9968億6200万ドルに拡大した。輸出は10.4%増の1兆2711億200万ドルだった。 対中赤字は24.5%増の2016億2600万ドル。中国は05年7月に人民元を切り上げたが、安い製品の対米輸出が続き、赤字拡大に歯止めがかからなかった。対日赤字は9.4%増の826億8200万ドル。日本の輸出産業に有利な円安が進んだことも赤字を膨らませた。 05年12月の米貿易赤字は前月比1.5%増の656億7700万ドル。単月では過去3番目の規模で、4カ月連続で600億ドルを超す高水準の赤字が続いている。 毎日新聞 2006年2月10日 23時10分 URL http //www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/news/20060211k0000m030144000c.html 所得格差、米国で拡大 NY州は8倍超す [朝日] 2006年01月28日11時32分 格差社会と言われて久しい米国で、富裕層と貧困層の格差がここ数年、さらに拡大していることが政策研究機関「予算と優先政策に関する研究センター」(本部ワシントン)の調べでわかった。州別にまとめた状況では、ニューヨーク州が最も所得格差が大きく、上位20%の1年の所得平均13万431ドルと下位20%の平均1万6076ドルの間には8.1倍の差があった。一番差の小さいワイオミング州で5.2倍だった。 80、90、00年代のそれぞれ初頭の数字を比較した。00年初頭の所得の下位20%の平均収入は1万6780ドルで、上位20%は12万2150ドル。格差は7.3倍と、80年代の6.4倍より拡大した。 20年を通し、38州で高所得層の収入の伸びが低所得層の伸びを上回った。低所得層の伸びが高所得層を上回ったのはアラスカ州だけ。20年で低所得層の収入は物価上昇を加味して2660ドル伸び、高所得層は1年あたり2148ドルの伸びだった。 格差拡大の背景として、低賃金の仕事が移民の増加と同時に拡大し、低所得層の賃金の伸びが抑え込まれたことなどを挙げている。中心研究者の1人、エリザベス・マクニコルさんは「90年代に一時格差が縮まる傾向があったが、01年の景気低迷をへて、回復後には再び拡大の傾向になった」と話している。 URL http //www.asahi.com/international/update/0128/007.html ダイムラー、6千人削減 3年間で管理部門の2割 [共同] 【ベルリン24日共同】ドイツ・米国の自動車大手ダイムラークライスラーは24日、世界全体で管理部門の約20%に当たる約6000人を3年かけて削減するリストラ計画を発表した。 今月就任したツェッチェ新社長が昨年12月に示した2006年から3年間の中期経営計画案の一環。同社は声明で「(リストラにより)競争力が高まり、収益力強化が可能となる」と強調した。 今回の人員削減対象は会計、監査、人事、戦略、広報などのホワイトカラー職員で、フレーリヒ広報部長は「非製造部門すべてが対象になる」と述べた。人件費など年間約10億ユーロ(約1400億円)の削減が期待できるとしている。 同社は昨年秋、業績不振の高級車メルセデス部門から8500人を削減する計画に着手、同年末までに5000人が早期希望退職に応じている。 URL http //flash24.kyodo.co.jp/?MID=HKK PG=STORY NGID=intl NWID=2006012401003746 フォード、最大3万人削減 12年まで、北米で [朝日] 2006年01月24日10時02分 米フォード・モーターは23日、北米の従業員を12年までに最大3万人(25%)削減することを柱とする北米のリストラ計画を発表した。08年までに組み立て5工場を閉鎖して生産能力を120万台(26%)削減する。北米でのシェア低下に伴い、最大手ゼネラル・モーターズ(GM)と同様、生産能力を削って利益体質の回復を図る。 この5工場や部品工場も含め、12年までには14工場の稼働を止める。原材料費は10年までに少なくとも60億ドル(6900億円)削る計画だ。 同日発表した05年決算によると、北米の自動車事業は税引き前で16億ドル(約1800億円)の赤字に転落した。全体の当期損益はレンタカー子会社の売却益などで19億9800万ドル(約2300億円)の黒字ながら、前年比42.7%減と、北米の販売不振が全体の重荷だ。 同社の05年の米国での新車販売台数は同4.9%減少。米オートデータによると、シェアは同0.9ポイント低い17.4%と10年連続で低下している。 フォードは02年にも国内外3万5千人の削減や工場閉鎖を決めたが、北米でのシェア低下に歯止めがかけられなかった。 URL http //www.asahi.com/business/update/0124/084.html 米個人破産、昨年は初の200万件突破で過去最高に 【ニューヨーク=豊福浩】米国の個人破産の申請が2005年に初めて200万件を突破したことが11日、米調査会社の調べで分かった。昨秋の破産法改正を前に駆け込み申請が急増、前年比で31%の増加となった。米家計の過剰消費を支えている住宅の資産効果がはげ落ちれば、今年も破産申請件数が高水準で推移する可能性がある。 破産関連の調査会社ランドクイスト・コンサルティングによると、昨年1年間の自己破産の申請件数は204万3535件。前の年より49万568件増えた。同社によると、昨年は53件に1件の割合で米家計が破産申請した計算になるという。 破産申請に火を付けたのは昨年10月の改正破産法の施行だ。1978年以来、27年ぶりの改正は、クレジットカードなどの債務免除を狙った自己破産の乱用や安易な会社倒産を防ぐことが狙い。例えば申請後5年間で6000ドルを返す能力のある中高所得者などは、債務の免除を求める破産法7条の申請ができなくなった。 URL http //www.nikkei.co.jp/sp1/nt31/20060112AS2M1200T12012006.html 米貿易赤字、過去最大を更新 4年連続で [朝日] 2006年01月12日23時13分 米商務省が12日発表した05年11月の貿易統計によると、モノとサービスの取引を合わせた貿易赤字は、国際収支ベース(季節調整後)で642億700万ドルで、4カ月ぶりに減少に転じた。05年の貿易赤字は、11月までの累計で6617億8000万ドルに達し、04年1年間の6175億8300万ドルを上回り、4年連続で過去最大を更新した。12月までの1年間で初めて7000億ドルを突破するのも確実だ。 モノの取引での対日赤字は通関ベース(季節調整前)で、11月までの累計が758億8100万ドルに達し、04年通年の755億6200万ドルを上回った。対中国の赤字は11月までの累計で1853億2700万ドルで、04年通年をすでに14%上回っている。 URL http //www.asahi.com/international/update/0112/022.html フォードも3万人削減 米紙報道 2005年12月08日01時18分 米紙デトロイト・ニューズ(電子版)は7日、業績不振が続く米自動車大手フォード・モーターが、今後5年間で工場従業員2万5千~3万人の削減と、少なくとも10工場の閉鎖を検討していると報じた。同社は経営再建計画を策定中で来年1月に発表する予定。すでに事務職の大幅削減も発表している。 米自動車大手ではゼネラル・モーターズ(GM)も11月、従業員3万人の削減と9工場の閉鎖を発表した。 URL http //www.asahi.com/international/update/1208/001.html 米GM 人員削減3万人に拡大、9工場を閉鎖へ [朝日] 2005年11月22日03時00分 経営再建中の自動車最大手、米ゼネラル・モーターズ(GM)は21日、組み立て5工場を含む米国とカナダの計9工場を閉鎖し、従業員の9%にあたる3万人を削減する08年までの新たなリストラ計画を発表した。6月時点の計画より人員削減の規模を5千人拡大した。深刻な販売不振を受け、財務体質の改善を急ぐ。 組み立て工場のうち米のオクラホマ、ミシガン、テネシー各州にある計3工場は06年中に閉鎖する。原材料費抑制なども含め、06年末までに70億ドル(約8300億円)のコスト削減をめざす。 販売不振に加え、GMから独立した自動車部品大手・デルファイの経営破綻(はたん)によって、GMに最大120億ドル(約1兆4千億円)の資金負担が見込まれるなど打撃は続いており、今後さらに、リストラ策の追加を迫られるとの観測も強い。 URL http //www.asahi.com/international/update/1122/002.html GM:労組が医療費削減承認 経営再建へ一歩前進 [毎日] 全米自動車労組(UAW)は11日、米自動車最大手ゼネラル・モーターズ(GM)の従業員や退職者の医療費削減についてGM労組が賛成多数で承認したと発表した。 削減額は年間10億ドル(約1180億円)で、GMとUAWが先月、暫定合意していた。経営不振で大幅なコスト削減が必要なGMにとって本格的再建に向けた一歩となる。 年間60億ドル規模の医療費負担はGMの最大の業績悪化要因。UAWと合意したコスト削減策では過去最大で、自動車大手フォード・モーターが策定中のリストラ計画にも影響しそうだ。 GM労組は今月2日から10日にかけて、医療費削減の可否を問う投票を実施、61%の賛成で承認した。(ニューヨーク共同) 毎日新聞 2005年11月12日 18時53分 URL http //www.mainichi-msn.co.jp/keizai/kaigai/news/20051113k0000m020043000c.html 米、0.25%追加利上げ・FF金利、年4%に [日経] 【ワシントン=小竹洋之】米連邦準備理事会(FRB)は1日の米連邦公開市場委員会(FOMC)で、短期金利の指標であるフェデラルファンド(FF)金利の誘導目標を0.25%引き上げ、年4%とすることを全会一致で決定、即日実施した。FOMCの声明は景気の底堅さと物価上昇圧力の高まりに言及し、当面は利上げを続ける姿勢を堅持した。 FRBの利上げは昨年6月末から12回連続。いずれも0.25%刻みで、累計では3%の引き上げとなった。FF金利の誘導目標は2001年5―6月の水準まで戻った。同目標に1%上乗せする公定歩合も0.25%引き上げ、年5%とした。 FOMC終了後に発表した声明は「エネルギー価格の上昇とハリケーンの被害は、生産や雇用を一時的に押し下げた」と指摘。8月末から米国を相次ぎ直撃した大型ハリケーンの被害とその後の原油高にもかかわらず、景気への悪影響は長期化しないと言明した。「ハリケーンの復興需要は被災地の経済活動を刺激する見通しだ」とも述べ、2次にわたる補正予算や追加的な財政支出が経済成長を押し上げるとの判断を示した。 (09 40) URL http //www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20051102AT2M0200B02112005.html グーグルの時価総額1000億ドル超す・米企業で最も速く [日経] 【ニューヨーク=八田亮一】米グーグルの時価総額が1000億ドル(約11兆6000億円)を突破した。10月20日に7―9月期の純利益が前年同期比7.3倍に拡大した好決算を発表してから8営業日で株価は25%上昇した。昨年8月の株式公開以来、時価総額が1000億ドルに到達するのに要した年数は1年2カ月と米企業としては最も速い。時価総額ランクでも上位20位に入り、米国を代表する企業となった。 1日の終値で計算した時価総額は1059億4000万ドル。10月28日に1000億1500万ドルに到達。10月31日以降も株価は上昇を続け、3営業日連続で1000億ドルを超えたことから、株式市場で「1000億ドル企業」として認知された。1日の終値は昨年の新規公開時の価格(85ドル)の4.46倍の379.38ドル。 グーグルの予想PER(株価収益率)は45倍弱。競合のヤフー(PERは50倍弱)と比べ割安感があるほか、発行済み株式数が3億株弱と少なく、株価が急上昇している。2000年のハイテクバブル時は、ネット関連の新興企業のPERが軒並み100倍を超えており、現在の株価水準は適正との見方が支配的だ。 (12 39) URL http //www.nikkei.co.jp/news/main/20051102AT2M0200R02112005.html 米包括エネルギー法成立へ、上院も法案を可決 [日経] 【ワシントン=吉田透】米上院は29日、国内の油田・ガス田の開発拡大などを促進する包括エネルギー法案を可決した。下院も通過済みで、来週のブッシュ大統領の署名を経て新法が成立する。原油高騰が続くなか、石油の中東依存度引き下げなどをねばり強く訴えてきたブッシュ政権にとって、自らのエネルギー戦略を実行する道具立てがようやく整った。 大統領は「法案は米国の安全保障と経済にとって極めて重要だ」との声明を発表した。法案はエネルギー自給率の向上につながる企業や個人のさまざまな取り組みを優遇税制などで後押しする。減税の総額は今後10年で約145億ドル(1兆6200億円)にのぼると試算されている。 減税の恩恵の大部分は油田・ガス田開発を目指す石油会社などに向かうが、太陽光・風力発電といった石油代替エネルギーの普及も支援する。 (10 20) TITLE NIKKEI NET:主要ニュース DATE 2005/07/30 10 57 URL http //www.nikkei.co.jp/news/main/20050730AT2M3000530072005.html 米農務省、BSE検査手法見直しへ・感染見落とし認める 【ワシントン=吉田透】ジョハンズ米農務長官は24日、同日確認された米で2頭目のBSE(牛海綿状脳症)感染牛について、昨年11月実施の米農務省の確認検査では感染を見落としていたことを認めた。このような事例の再発を防ぐため、BSEの確認検査の手法を大幅に見直す考えを示した。 具体的には、米農務省がこれまでBSEの確認検査の手法として採用していた「免疫組織化学法」に加えて、日本などが確認検査に使っている「ウエスタンブロット法」も同時に使い、見落としリスクを減らす。日本政府は免疫組織化学法だけでは不十分で、ウエスタンブロット法も組み合わせて確認検査すべきだと米国に呼びかけてきたが、米政府はこれまで受け入れを拒んでいた。 (12 37) TITLE NIKKEI NET:主要ニュース DATE 2005/06/25 09 51 URL http //www.nikkei.co.jp/news/main/20050625AT2M2500D25062005.html
https://w.atwiki.jp/battlefield1942/pages/297.html
BG42アメリカ軍兵器 載ってるのは全部じゃないかも。 足りない分や補足、画像追加よろしくお願いします。 目次 BG42アメリカ軍兵器 陸上兵器軽戦車 中戦車 駆逐戦車 自走砲 対空車両 水陸両用車 装甲兵員輸送車 トラック 偵察車 航空兵器戦闘機 急降下爆撃機 重爆撃機 雷撃機 偵察機 飛行船 海上兵器駆逐艦 戦艦 航空母艦 潜水艦 揚陸艇 高速艇 輸送艦 固定兵器対空砲 榴弾砲 対戦車砲 陸上兵器 軽戦車 M3スチュアート 武装:1番席:37mm砲と7.62mm機銃。2-3番席:7.62mm機銃。 名前 コメント M3サタン 武装:1番席:火炎放射器と7.62mm機銃。 名前 コメント M24チャーフィー 武装:1番席:75mm砲と7.62mm機銃。2番席:12.7mm機銃。3番席:7.62mm機銃。 名前 コメント 中戦車 M3リー 武装:1番席:37mm砲と7.62mm機銃。2番席7.62mm機銃。3番席:75mm砲。 名前 コメント M4シャーマン 武装:1番席:75mm砲と7.62mm機銃。2番席:12.7mm機銃。3番席:7.62mm機銃。 名前 コメント M4A2シャーマン 武装:1番席:75mm砲と7.62mm機銃。2番席:12.7mm機銃。3番席:7.62mm機銃。 名前 コメント M4A3(76)W 武装:1番席:76mm砲と7.62mm機銃。2番席:12.7mm機銃。3番席:7.62mm機銃。 名前 コメント M4A3E2 武装:1番席:76mm砲と7.62mm機銃。2番席:12.7mm機銃。3番席:7.62mm機銃。 名前 コメント M4A3E8 武装:1番席:76mm砲と7.62mm機銃。2番席:12.7mm機銃。3番席:7.62mm機銃。 名前 コメント M4 105mm 武装:1番席:105mm榴弾砲と7.62mm機銃。2番席:12.7mm機銃。3番席:7.62mm機銃。 名前 コメント M4シャーマンT34E1 武装:1番席:75mm砲と7.62mm機銃。2番席:ロケット弾。3番席:7.62mm機銃。 名前 コメント M4A3R3 武装:1番席:火炎放射器と7.62mm機銃。2-3番席:7.62mm機銃。 名前 コメント M26パーシング 武装:1番席:90mm砲と7.62mm機銃。 名前 コメント 駆逐戦車 M10 武装:1番席:76mm砲。2番席:12.7mm機銃。 名前 コメント M18 武装:1番席:76mm砲。2番席:12.7mm機銃。 名前 コメント M36 武装:1番席:90mm砲。2番席:12.7mm機銃。 名前 コメント 自走砲 M3GMC 武装:2番席:75mm砲。 名前 コメント T19HMC 武装:2番席:105mm榴弾砲。3番席:12.7mm機銃。 名前 コメント M7B1プリースト 武装:1番席:105mm榴弾砲。2番席:12.7mm機銃。 名前 コメント M21GMC 武装:2番席:迫撃砲。3番席:12.7mm機銃。 名前 コメント アサルトDUKW 武装:2番席:105mm榴弾砲。 名前 コメント 対空車両 M16自走対空砲 武装:2番席:4連装12.7mm機銃。 名前 コメント M19GMC 武装:1番席:2連装40mmAA 名前 コメント 水陸両用車 DUKW 武装:2番席:12.7mm機銃 名前 コメント M29ヴィーゼル 武装:2番席:12.7mm機銃。 名前 コメント LVT(A)-1 武装:1番席:37mm砲と7.62mm機銃。2-4番席:7.62mm機銃。 名前 コメント LVT-2 武装:1番席:7.62mm機銃。2番席:12.7mm機銃。 名前 コメント LVT-4 武装:1番席:7.62mm機銃。2-3番席:12.7mm機銃。 名前 コメント 装甲兵員輸送車 M3ハーフトラック 武装:2番席:12.7mm機銃。1番席で7.62mm機銃を敷設できる。 名前 コメント トラック GMC Jimmy 武装:2番席:12.7mm機銃。 名前 コメント jimmy(3インチ砲牽引型) 武装:jimmyと同じ。↓ボタンで3インチ砲を切り離し可能。 名前 コメント スチュードベーカー 武装:なし。乗員5名 名前 コメント ダッジWC54 武装:なし。乗員2名 名前 コメント 偵察車 M3スカウトカー 武装:2番席:12.7mmと砲撃要請。 名前 コメント ハーレーダビッドソンWLAモデル 武装:なし。乗員1名 名前 コメント M8グレイハウンド 武装:1番席:37mm砲と7.62mm機銃。2番席:12.7mm機銃。 名前 コメント ウィリスM38 武装:なし。乗員4名 名前 コメント 航空兵器 戦闘機 F4F 武装:1番席:12.7mm機銃。 名前 コメント F4F-3 武装:1番席:12.7mm機銃と爆弾x3。 名前 コメント F6F-3 武装:1番席:12.7mm機銃。 名前 コメント F4U 武装:1番席:12.7mm機銃とロケット弾。 名前 コメント P-38F 武装:1番席:12.7mm機銃と爆弾。 名前 コメント P-38L 武装:1番席:12.7mm機銃と爆弾。 名前 コメント P-39 武装:1番席:12.7mm機銃と20mm砲。 名前 コメント P-40E 武装:1番席:12.7mm機銃と爆弾。 名前 コメント P-47 武装:1番席:12.7mm機銃とロケット弾。 名前 コメント P-51 武装:1番席:12.7mm機銃とロケット弾。 名前 コメント P-80 武装:1番席:12.7mm機銃とロケット弾。 名前 コメント 急降下爆撃機 SBD 武装:1番席:12.7mm機銃と爆弾。2番席:2連装7.62mm。 名前 コメント 重爆撃機 B-17 武装:1番席:爆弾。2-6番席:12.7mm機銃。 名前 コメント 雷撃機 TBF-1C 武装:1番席:12.7mm機銃と魚雷。2番席:12.7mm機銃。3番席:7.62mm機銃。 名前 コメント 偵察機 F4F-3S 武装:1番席:12.7mm機銃。セカンダリで離陸。離陸後セカンダリは砲撃要請。 名前 コメント 飛行船 M級軟式飛行船 武装:1番席:12.7mm機銃。セカンダリで離陸。離陸後セカンダリは砲撃要請。 名前 コメント 海上兵器 駆逐艦 フレッチャー級 武装:1番席:12.7cm砲と爆雷。2-3番席:12.7cm砲。4-5番席:魚雷。6-7番席:20mmAA。4,5番席はセカンダリで警報。 名前 コメント ウィックス級 武装:1番席:12.7cm砲と爆雷。2-3番席:12.7cm砲。4-5番席:魚雷。6-7番席:20mmAA。4,5番席はセカンダリで警報。 名前 コメント 戦艦 ノースカロライナ級 武装:1-2番席:40.6cm砲。3-4番席:12.7cm砲。5-6番席:20mmAA。 名前 コメント 航空母艦 レキシントン 武装:2-5番席:40mmAA 名前 コメント ヨークタウン 武装:2-5番席:40mmAA 名前 コメント エンタープライズ 武装:2-5番席:40mmAA 名前 コメント ホーネット 武装:2-5番席:40mmAA 名前 コメント エセックス級 武装:1-2番席:12.7cm砲。3-6番席:40mmAA。 名前 コメント 潜水艦 ガトー級 武装:1番席:魚雷。2番席:20mmAA。 名前 コメント 揚陸艇 ヒギンズボート 武装:2番席:12.7mm機銃。 名前 コメント LCT 武装:2番席:20mm。搭載車両:M4とM3ハーフトラック 他にLSTとLCI。フレッチャー改造かLCIRロケット艦がある。 -- 名無しさん (2013-11-18 18 55 02) 名前 コメント 高速艇 エルコPT-80 武装:1番席:魚雷と爆雷もしくは魚雷。2番席:12.7mm機銃。 ウェークのサメは米軍でいいのかな? -- 名無しさん (2012-12-26 10 03 20) 名前 コメント 輸送艦 リバティシップ 武装:2番席:20mmAA。3-4番席:12.7mm機銃。1番席で警報を鳴らすことが出来る。 名前 コメント 固定兵器 対空砲 40mmL/70 名前 コメント 榴弾砲 M2 105mm榴弾砲 3連verあり 名前 コメント M1ロングトム 155mm砲 3連verあり。 名前 コメント M115 203mm砲 名前 コメント 対戦車砲 M5 3インチ対戦車砲 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/sysd/pages/4930.html
バンク・オブ・アメリカ・コーポレーション 本店:アメリカ合衆国 28255 ノース・カロライナ州 シャーロット バンク・オブ・アメリカ・コーポレート・センター 【商号履歴】 バンク・オブ・アメリカ・コーポレーション 【沿革】 ネーションズバンク・コーポレーション、旧エヌシーエヌビー・コーポレーションは、1968年7月5日にノース・カロライナ州事業会社法に基づき設立された。 ネーションズバンク・カロライナズ、旧エヌシーエヌビー・ナショナル・バンク・オブ・ノース・カロライナは当社のバンキング・グループの最初の銀行であり、その起源は、いずれもノース・カロライナ州シャーロット市を拠点とする。1874年に設立されたコマーシャル・ナショナル・バンク及び1901年に設立されたアメリカン・トラスト・カンパニーにさかのぼる。これらの二銀行は1957年に合併してアメリカン・コマーシャル・バンクとなった。その後、アメリカン・コマーシャル・バンクは、一連の合併を経て1960年に、ノース・カロライナ州グリーンズボロ市にあるセキュリティ・ナショナル・バンクと合併し、ノース・カロライナ・ナショナル・バンク(ネーションズバンク・カロライナズの前称)を設立した。ノース・カロライナ・ナショナル・バンクは1968年に当社の完全子会社となった。 1991年12月31日を有効日として、当社の100%子会社は、ジョージア州アトランタ市とバージニア州ノーフォーク市に本拠地を持つ銀行持株会社C S/ソブラン・コーポレーション(以下「C S/ソブラン」という。)と、1991年7月21日付の当社とC S/ソブランとの間における合併の合意と計画に従い、合併した。(以下「C S/ソブランとの合併」という。) C S/ソブランとの合併と同時に、当社は社名を「エヌシーエヌビー・コーポレーション」から「ネーションズバンク・コーポレーション」に変更した。加えて、銀行子会社及び当社の多くのノンバンク子会社はそれぞれ、社名を「ネーションズバンク」(NationsBank又はNationsBanc)をその一部に含む名称に変更している。 1998年9月25日、ノース・カロライナ州法人であるネーションズバンク・コーポレーション(以下「ネーションズバンク」という。)は、デラウェア州法人の完全子会社であるネーションズバンク(DE)コーポレーション(以下「ネーションズバンク(DE)」という。)を設立し、ネーションズバンクをネーションズバンク(DE)に吸収合併させることにより設立準拠法を変更し、デラウェア州法人となった。かかる合併の存続会社として、ネーションズバンク(DE)は「ネーションズバンク・コーポレーション」と社名を変更した。1998年9月30日、デラウェア州法人である旧バンカメリカ・コーポレーション(以下「バンカメリカ」という。)はネーションズバンク・コーポレーションに吸収合併され、ネーションズバンク・コーポレーションが存続会社となった。かかる合併に関連して、ネーションズバンク・コーポレーションは「バンカメリカ・コーポレーション」(以下「当社」という。)と名称を変更した。1999年4月28日、当社はデラウェア州州務長官に全面改定基本定款を提出し、社名を「バンカメリカ・コーポレーション」から「バンク・オブ・アメリカ・コーポレーション」に変更した。 全国規模の銀行法人であるバンク・オブ・アメリカ・ナショナル・トラスト・アンド・セイビングス・アソシエイションは、カリフォルニア州サンフランシスコ市においてA.P.ジャニーニにより設立され、同市にて1904年10月17日に「バンク・オブ・イタリー」として開業し、地域の個人及び小規模事業に対して銀行業務を提供した。1930年11月1日に「バンク・オブ・アメリカ」の名称を採用し、1969年4月1日にバンカメリカの子会社となった。1997年にバンカメリカは、州際関連銀行数行をバンカメリカの子会社であるバンク・オブ・アメリカ・エヌティ・アンド・エスエイ(以下「当該銀行」という。)に統合した。1997年に当該銀行に統合された銀行は、バンク・オブ・アメリカ・アラスカ・エヌエイ、バンク・オブ・アメリカ・アリゾナ、バンク・オブ・アメリカ・ネバダ、バンク・オブ・アメリカ・ニュー・メキシコ・エヌエイ、バンク・オブ・アメリカ・エヌダブリュ・ナショナル・アソシエーション(旧シアトル・ファースト・ナショナル・バンク)、バンク・オブ・アメリカ・イリノイ及びバンク・オブ・アメリカ・トラスト・カンパニー・オブ・フロリダ・エヌエイであった。 当社は今後も「バンク・オブ・アメリカ」の名称で営業を行う。 2004年4月1日、銀行持株会社でマサチューセッツ州ボストン市に本拠を置くフリートボストン・ファイナンシャル・コーポレーションは2003年10月27日付で当社とフリートボストン・ファイナンシャル・コーポレーション間で締結した合併契約及び計画に従い、当社と合併した。かかる合併の結果、フリート・ナショナル・バンクがバンク・オブ・アメリカ・コーポレーションの子会社となった。2005年6月13日に、フリート・ナショナル・バンクは、バンク・オブ・アメリカ・ナショナル・アソシエイション(以下「バンク・オブ・アメリカ・エヌエイ」という。)に吸収合併された。 2006年1月1日、デラウェアに本拠地を置く銀行持株会社であるMBNAコーポレーションを、2005年6月30日付の当社とMBNAコーポレーション間で締結した合併契約及び計画書に従い当社と合併した。この結果、MBNAコーポレーションの子会社であるMBNAアメリカ・バンク・ナショナル・アソシエイションは、当社の完全所有子会社となった。 事業の一環として、当社は、定期的に銀行持株会社又は金融持株会社として所有又は経営権の取得が適確な様々な金融機関及びその他の企業の買収の可能性を評価し、また討議を行っている。さらに、当社は定期的に、かかる金融機関及びその他の企業の顧客ベースの資本及びその他の債務、資産を買収するべくその価値を分析し、入札を行っている。また当社は、定期的に当社の特定の資産、支店、子会社もしくは事業分野の売却の可能性の検討も行っている。原則として、当社は重要な買収もしくは売却が行われる際には、最終契約に達した段階で公表を行う。