約 1,605,356 件
https://w.atwiki.jp/sysd/pages/3253.html
メディアシーク 本店:東京都港区麻布台二丁目3番5号 【商号履歴】 株式会社メディアシーク(2000年3月1日~) 【株式上場履歴】 <東証マザーズ>2000年12月22日~ 【沿革】 平成12年3月 東京都港区麻布台に設立。主にiモード等のデジタル情報メディアを活用したEビジネスに関するコンサルティングを行う「メディアコンサルティング&ソリューション事業」及びiモードを使ったコンテンツ及び広告配信サービスを提供する「メディアイノベーション事業」を開始。 平成12年7月 iモード公式サイト「爆釣チャンネル」を開始。 平成12年12月 東京証券取引所マザーズ上場。 平成14年12月 株式会社NHK文化センター「業務管理システム」の開発に協力。 平成15年6月 モバイル機器組込み型バーコードリーダー・ソフトウェアを開発。 平成15年7月 子会社「スタートメディアジャパン株式会社」(現連結子会社)を設立。 平成15年12月 2次元コードリーダ・エクステンション「CamReader for BREW」を開発。 平成15年12月 メディアシーク製2次元バーコードリーダーをau携帯電話に標準搭載開始。 平成16年1月 事業セグメントを「システムコンサルティング事業」、「コンテンツ事業」及び「サービス開発事業」の3つの事業セグメントに再編。子会社の「暗号化コード販売事業」を含め計4つの事業セグメントに変更。 平成16年4月 子会社「スタートメディアジャパン株式会社」(現連結子会社)でデジタルキャンペーンパッケージ「瞬間ハッピー」の販売を開始。 平成16年8月 カメラ付き携帯電話向け「OCRエンジン」を開発。 平成16年12月 業界初の携帯電話向け音楽情報フリーペーパー「うたフルぼん」創刊。 平成17年2月 「デザインプログラム」開始。世界的デザイナー、サイトウマコト氏とau製デザイン携帯電話「PENCK」のデザインを担当。 平成17年4月 個人情報保護体制を強化。「プライバシーマーク」取得。 平成17年4月 携帯電話向けバーコードリーダーで「マイクロQRコード」対応開始。 平成17年6月 携帯電話向け組込みプログラムで世界最高レベルの評価「BREW 2005 Developer Awards」受賞。 平成17年8月 「暗号化コード販売事業」を「サービス開発事業」及び「コンテンツ事業」に含めることとし、事業セグメントを再編。「サービス開発事業」「コンテンツ事業」及び「システムコンサルティング事業」の3つの事業セグメントに変更。 平成17年8月 第三者割当増資引受けにより「株式会社デリバリー」(現連結子会社)を子会社化。 平成17年8月 ベトナムに現地法人「DELIVERY VIETNAM CO., LTD.」(現連結子会社)を設立。 平成17年11月 バーコードリーダーをカメラ付きPHS端末に搭載。 平成17年12月 携帯電話でQRコードを作成できる「バーコードリーダー&メーカー」出荷開始。 平成18年3月 JANコードに対応したバーコードリーダー(拡張モジュール)を開発、販売開始。 平成18年5月 QRコード・カラーコードに対応した「ハイブリッドコードリーダー」を開発。 平成18年6月 「BREW 2006 Developer Awards」を2年連続で受賞。 平成18年7月 タイに現地法人「DELIVERY THAI CO., LTD.」(現連結子会社)を設立。 平成18年10月 携帯電話で汎用バーコード読取できる「UCC/EAN-128」読取エンジンを開発。 平成18年11月 日本最大級のデコメサイト「DecoStreet」オープン。 平成19年6月 携帯電話向け「UCC/EAN-128」読取エンジンが「料金・るるる」にて利用開始。 平成19年7月 「高速同期通信技術」に関する特許を取得。
https://w.atwiki.jp/tkonishi73/pages/387.html
メディア教育論(2011年度) 来室者の総数: - (2011/4/19~) 今日の来室者: - 昨日の来室者: - 前学期の日程について 回 月/日 内 容 1 6/16 1.教育の情報化とは何か 2 6/23 2.情報メディアについて? 3 6/30 3.音楽と映像について 4 7/7 4.音楽と映像について② 5 7/14 5.ムービーメーカーの使い方 6 7/21 6.ムービーメーカーの使い方②? 7 7/28 7.今後の展開と課題(まとめ) 質問などあれば、掲示板に書き込みしてください。 名前 コメント サブタイトル 学校教育とメディアの活用 授業科目のテーマと目的 評価の方法 課題は毎回の講義で与える。 出席は、レポート形式で毎回評価する。 試験、課題、レポートで総合して評価する。
https://w.atwiki.jp/ff2501/pages/14.html
色々参考になりそうなメディア情報 ※リンク先のコンテンツが生きてるかどうかは保証できません。 3/7 22:43更新 WOWOWで4/28(土)午後4 30~ 新海誠特集あり。 ほしこえ、雲の向こう、秒速、星を追うまで一挙放送されるので、視聴可能な人は要チェックのこと。 なお秒速をみても泣かないこと http //www.wowow.co.jp/pg_info/wk_new/006805.php
https://w.atwiki.jp/shizuokaoh0014/pages/25.html
【メディア関連】➁ 【つのだひろさん・三浦亨先生・茶果菜さん】 【ダムダムおじさん】 【原田亜希子アナウンサー】 【宮崎玲衣アナウンサー】 【茶果菜・佐藤みえアナウンサー】 【佐野怜莉アナウンサー】 【佐藤みえアナウンサー】 【太田克樹】 【岩本恵里加アナウンサー】 【セッシャー1】 【茶果菜】 【NozomiガールNeed】 【ROSARIO+CROSS】 【しずおかおまちバルガール】 【茶果菜】 【吉永益英】書道家 【やいづマリンレディー】 【望月将悟】 【SBSラジオ大澤真依パーソナリティー】 【SBSラジオ酒井知恵パーソナリティー】
https://w.atwiki.jp/warawara08/pages/52.html
藁谷郁美研究会 2010年度春学期 メディア発表 本年度所属メンバー(ログイン名)別、年度別、テーマ別にArbeitが分類されています。 更新履歴 2010/06/2(火)メディア発表TOPページ作成、今までのメディア発表ログ追加 2010年度発表 6月21日 s08531rs (総合2年) 「小惑星探査機「はやぶさ」」 6月7日 s09139yu (総合2年) 5月24日 murat (政・メ1年) 「ドイツ語の発音に関する論文の比較」 5月24日 s09712dp (総合2年) 「タイ元首相派カティヤ陸軍少将が被撃」 5月17日 t07642ah (環境3年) 「中国2010年上海万博」 5月17日 s08531rs (総合2年) 「英国総選挙」 Arbeit 2010年度所属メンバー 各人の個人ページにジャンプします。メディア発表内容の詳細は個人ページでご覧下さい。 murat t07642ah s08531rs s09139yu s09712dp テーマ別 それぞれのテーマのページ内には、個人研究とメディア発表両方のログが含まれます。 環境 都市計画 メディア 国際問題・外交 国内政治・社会問題 経済・企業 スポーツ 文学・芸術・建築 伝統・歴史 宗教 その他
https://w.atwiki.jp/lostmediatranslation/pages/53.html
概要 ムーミンは、フィンランドの作家トーベ・ヤンソンが作成したマルチメディアフランチャイズです。このシリーズは、旧ムーミン、昭和ムーミン、大塚ムーミンなどとも呼ばれ、日本で大人気だったにもかかわらず、1969年のアニメは、設定とキャラクターに大幅な変更が加えられたため、ヤンソンに承認されませんでした。ヤンソン財団の不承認、契約のキャンセル、制作が別の会社に移ったため、1969年のシリーズは今日リリースできない問題に満ちています。それにもかかわらず、多くのエピソードが復元されています。シリーズは65エピソードで、そのうち29エピソードは依然として失われたと考えられています。 歴史 1969年、現在日本アニメーションとして知られる瑞鷹(ずいよう)エンタープライズは、フジテレビのテレビ枠の一部としてムーミンアニメを制作する権利を購入した。現在世界名作劇場として知られるこのテレビ枠は、世界中の古典作品を日本の視聴者向けに翻案することで知られている。有名なアニメーター兼キャラクターデザイナーの大塚康生は、現在の仕事であるルパン三世のアニメ化のサイドプロジェクトとして、この番組のプロデューサーを務める。大隅正秋が監督として参加し、脚本家の山崎忠昭も参加した。瑞洋は、プロジェクトの完成を監督するために制作会社東京ムービー新社(TMS)に連絡を取り、Aプロダクション(現在シンエイ動画として知られる)が番組のアニメーションを担当した。 制作のトラブル このシリーズの制作期間は非常に困難を極めた。TMSがヤンソンの漫画をテレビ向けに翻案した際、いくつかの変更が加えられたが、その多くはヤンソンの承認を得ていなかった。大塚康生によるキャラクターデザインには、ムーミントロールが話すときに現れる特徴的な口があり、ヤンソンのオリジナルのアートワークとは大きく異なっていた。多くの視聴者はこれらのキャラクターデザインをかわいいと感じたが、ヤンソンはシャープさが欠けていることと、キャラクターがカバに似ていることを嫌った。また、作中のいくつかのキャラクターが戦車や武器を使用する描写はヤンソンに受け入れられなかった。 単に「スノークのおじょうさん (スノークメイデン)」として知られているキャラクターの一人は、アニメでは名前が「ノンノン」に変更されました。しかし、ヤンソンはその名前が「ノー、ノー」などの否定的なフレーズと関連していたため、変更を要求しました。そのため、後のイテレーションでは、スノークのおじょうさんという名前をそのまま使用するか、1990年代のシリーズで名前がフローレンに変更されたように、別の名前に変更されました。 第7話が初公開されると、TMSはそれをヤンソンに見せ、彼女の承認を期待した。彼女は強く反論し、TMSに手紙を送り、「これは私のムーミンじゃない!」という悪名高いセリフを添えた。登場人物が銃を持ち、酔っ払い、喧嘩をする様子が見られ、ヤンソンの温厚なシリーズとは大きく異なっていた。言うまでもなく、彼女はアニメの進行に満足していなかった。 しかし、ヤンソンはシリーズのあらゆる側面を嫌っていたわけではない。彼女はシリーズの背景を気に入っており、空と水の描き方を賞賛していたと言われている。しかし、彼女はシリーズ全体にまだ満足していなかった。その結果、彼女はTMSにプロデューサーを変更するように命じ、彼らはそれに従った。第27話から、鉄腕アトムやジャングル大帝などのシリーズで最もよく知られている虫プロダクションがシリーズの作業を開始し、突然のトーンの変化を引き起こした。車、銃、アルコールはもはやショーに登場せず、全体的にずっと穏やかになった。シリーズはさらに33話続きました。1969年10月5日から1970年12月27日まで65話が放送されました。1972年、虫プロはアニメシリーズの続編である新ムーミンを制作しました。 紛失したエピソード 話数 題名 28 「小さな大冒険」 29 「ひこう鬼現わる」 30 「天国からの贈りもの」 31 「ごめんねスティンキー」 32 「森のゆうれい屋敷」 33 「おくびょうな豆泥棒」 35 「夏祭りのオーロラ」 36 『ムーミンパパのノート』 38 「人魚さんこんにちわ」 39 「家にいるのは誰だ」 40 「ニョロニョロのひみつ」 41 「マメルクを賭けろ」 42 「大きな大きなプレゼント」 43 「あらしの怪獣島」 44 「海の星はどこに」 45 「悪魔の島がやってきた」 46 「真夏の雪を探せ」 47 「なくしたペンダント」 48 「歩いてきた山びこ」 50 「眠りの輪をぬけだせ」 51 「秋はおセンチに」 52 「月夜に踊る人形」 53 「凧が知ってた」 54 「さようなら渡り鳥」 55 「鳩は飛ばない」 56 「ムーミン谷のカーニバル」 61 「消えた雪うさぎ」 62 「氷姫のいたずら」 63 「一日だけのお姫様」 可用性 驚いたことに、1話から26話までのAプロのエピソードはすべて復元されましたが、27話以降の虫プロによってアニメ化されたエピソードのいくつかは、まだ失われたと考えられています。 第1話から第26話までは、1989年12月から1990年12月にかけて日本でレーザーディスクとしてリリースされました(全7巻)。第1巻には、これまでリリースされたことのない4分間のピッチパイロットも含まれています。VHSでは、虫プロダクションへ交代後の2話ずつを収録したムーミン 愛の巻(第37、第49話)、夢の巻(第34話、第64話)の2本がリリースされています。尚、全26巻としてリリースされたVHS ムーミンは1972年度版 (新ムーミン)であることに注意が必要です。 2017年、YouTubeチャンネル「マペット」は、エピソード57、58、59、60、65を含む1969年のムーミンのエピソードをいくつかアップロードしました。※削除済み ヤンソンがこのシリーズを好ましく思っていない問題があるため、今後公式に再リリースされる可能性は極めて低いと言えます。言うまでもなく、制作会社がAプロから虫プロに移行したことで著作権の問題も間違いなく存在します。しかし、この番組は再放送中にかなり人気があったため、残りの失われたエピソードのVHS録画が存在する可能性はあります。 メディアギャラリー 外部リンク Moomin (partially lost anime series; 1969-1970) ムーミン(アニメ)-wikipedia
https://w.atwiki.jp/webmarketingyougo/pages/22.html
《料金を支払って利用するメディアの意》商品を宣伝するための広告枠をもつメディア。 新聞・雑誌・テレビ・ラジオや、リスティング広告枠のあるウェブサイトなど。
https://w.atwiki.jp/gazounoup/
このサイトは、こーべしりついぶきだいちゅーがっこーさんねんせーの誰かが作ったアニメの歴史をまとめたサイトである。とゆーか、Wikipediaをこぴぺした。 1960年代 1960年 『新しい動画 3つのはなし』(NHK) アニメを主目的としてものとしては、恐らく日本初の国産アニメ番組(30分、放送回数1回)。実際は、3つの童話を基にした短編アニメ作品を、中村メイコのジョッキーや実写パートによってつなぐ構成。 1961年 『インスタントヒストリー』(CX、おとぎプロ制作、1961年5月8日~翌62年2月24日) 日本初の国産短編(1分間)連続TVアニメ。ただ、新聞のテレビ欄には読売が毎回載せ、朝日が数回載せた他は、毎日、日経は掲載しなかった。 手塚治虫が、練馬区富士見台に手塚治虫プロダクション動画部設立。 1962年 手塚治虫プロダクション動画部が、虫プロダクションとして正式に設立(1962年6月)。 タツノコプロダクション設立。 1963年 1月1日『鉄腕アトム』(鉄腕アトム (アニメ第1作))- 世界初の毎週放送の本格的テレビアニメ。テレビアニメの基本形態を作り、日本におけるテレビアニメシリーズの嚆矢とされている。1966年12月31日まで放送。全193話。一部カラー制作されたが、放送はモノクロ。 4月7日、『銀河少年隊』(虫プロダクション) NHKとしては、初の国産TVアニメシリーズ。ただし竹田人形座繰演の人形劇との組み合わせであった。 9月4日、『仙人部落』 フジテレビで放送された世界初の深夜アニメ。 10月20日、『鉄人28号』 世界初の巨大ロボットアニメ。 11月8日、『エイトマン』 テレビ局とスポンサー主体でタイアップ製作された最初のアニメ作品 11月25日、『狼少年ケン』 原作漫画を持たない、日本初のアニメオリジナルストーリーのアニメ。東映動画初のテレビアニメーションでもある。 1964年 東京ムービー設立(8月)。10月、杉並区東田町に移転。 1965年 『ドルフィン王子』(4月から全3話)、『ジャングル大帝』(10月から全53話)。 日本初のカラーテレビアニメシリーズ。ジャングル大帝は毎週放送の本格的フルカラーテレビアニメシリーズとしては世界初。放送開始時期はドルフィン王子が先行するが、全3話放送だった為、ジャングル大帝が日本でのカラーテレビアニメシリーズの創始とされる。 『宇宙人ピピ』 NHKで放送された日本初の実写合成TVアニメシリーズ。 『オバケのQ太郎』 当時のSFヒーローもの全盛の中で、社会現象と言われるほど成功したギャグアニメ。 1966年 『魔法使いサリー』 世界初の魔女っ子アニメ。少女物として初めての作品でもある。 『おそ松くん』放送開始。 1967年 『リボンの騎士』放映開始。 『パーマン』放映開始 1968年 『巨人の星』 「スポ根」という分野を確立したテレビシリーズ作品。放映は3年間にわたる。 東映動画から『太陽の王子ホルスの大冒険』公開。 『ゲゲゲの鬼太郎』放映。後にリメイクを繰り返し、21世紀まで続く。 1969年 『サザエさん』 日曜日の夕暮れの代名詞ともなった長寿作品。 『アタックNo.1』 女子向けスポ根アニメの草分け。 『ムーミン』 「世界名作シリーズ」の皮切りとなった作品。ただ企画段階で原作とはかなり雰囲気の違う作品になったため、作者のトーベ・ヤンソンが日本以外では放送しないと言う条件でアニメ化を認めた経緯がある。 1970年代 1970年 『あしたのジョー』放映開始(虫プロダクション) 1971年 『ルパン三世』テレビ放送開始(東京ムービー) 手塚賞(集英社)創設 『天才バカボン』テレビ放送開始(東京ムービー) 1972年 『科学忍者隊ガッチャマン』 タツノコプロを代表するヒーローアニメの一つ。 10月4日、『アストロガンガー』放送開始。巨大ロボットの中に人が入って戦うという作品の元祖。 12月3日、『マジンガーZ』放映開始。巨大ロボットアニメシリーズの始まり。 『ど根性ガエル』放送開始 有限会社サンライズスタジオ(現サンライズ)設立。 日本漫画家協会賞創設 1973年 『ドラえもん』 長寿作品となった第2作より前のアニメ化。だが、現在ほどの人気は得られず26話で打ち切られた。制作は日本テレビ動画。 1974年 カルピス劇場として『アルプスの少女ハイジ』放映開始。 『宇宙戦艦ヤマト』 テレビシリーズ放送。後にテレビシリーズを編集した劇場版が公開され一大流行を巻き起こす。 赤塚賞創設(集英社。1974年、手塚賞からギャグ漫画部門として独立) 1975年 1月5日、世界名作劇場シリーズが放送開始。第一作は『フランダースの犬』。 1月7日、『まんが日本昔ばなし』が放送開始。以後、1994年8月27日まで約20年に渡って放送された。 10月4日、『タイムボカン』が放送開始。タイムボカンシリーズの始まり。 1976年 『キャンディ・キャンディ』 少女向けアニメとして空前の大ヒット。 1977年 12月、月1話1時間という特異な形式のアニメ『野球狂の詩』が放送される。 『ジェッターマルス』 - 『鉄腕アトム』のリメイク版として企画されるも、手塚の状態などから断念。本作の要素を取り入れて作られロボットアニメ。アトムを死なすなとのファンの声が強かったため。設定や登場人物などは本作と瓜二つである。 講談社漫画賞創設 1978年 『さらば宇宙戦艦ヤマト-愛の戦士たち-』が公開、興行収入43億円、配給収入21億円という日本映画史上記録的な大成功を収める。 『アニメージュ』(徳間書店)創刊 1979年 毎年5月第1週の「マンガ番組」数、この年が(2005年時点で)史上最高の125本(再放送含む、ビデオリサーチ『視聴率年報』より)。 1978年に放映された『銀河鉄道999』が映画化され、配給収入16億円とアニメ作品としては初めて1979年度の邦画年間配給収入第一位を記録する。 『ドラえもん』テレビ朝日系列で新たに放送開始。現在も高い人気を誇る。 『ルパン三世 カリオストロの城』 宮崎駿のアニメ映画監督としての第一作。 『機動戦士ガンダム』 ガンダムシリーズの第一作。初回放送の視聴率は振るわなかったが、再放送を重ねるうちに人気は上がり、映画版が作られたことでその人気は爆発。以降、20年以上にわたってシリーズ化される。 1980年代 1980年 3月15日、劇場アニメ『ドラえもん のび太の恐竜』が公開される。 『鉄腕アトム』のカラー版が制作され、日本テレビ系で放送。 1981年 『Dr.スランプ アラレちゃん』が好調なスタートを切る。最高視聴率は36.9%と、社会現象を巻き起こした。香港では、最高視聴率80%を記録したTemplate 要出典。 『うる星やつら』 同人誌に於いていわゆるエロパロ本が大量に発行された恐らく最初の作品。 『六神合体ゴッドマーズ』 やおい本がそれまでの隠れた存在から、即売会等で一気に一般化する足がかりとなった作品。 1982年 『魔法のプリンセス ミンキーモモ』(第一期)が放送。「魔法少女もの」の様式を確立。 1983年 『ダロス』 日本初のOVA。制作:スタジオぴえろ。 『幻魔大戦』(角川アニメーション映画) 平井和正と石ノ森章太郎の原作がアニメ化。監督はりんたろう。なお、のち頭角を現す大友克洋もキャラクターデザインを担当している。 1984年 『北斗の拳』 「お前はもう死んでいる」など、数々のセリフが流行語になる。 宮崎駿監督の劇場作品『風の谷のナウシカ』が公開される。 『くりいむレモン』などに代表される、成人を対象したOVAアダルトアニメが発売され始める。 1985年 第一回広島国際アニメーションフェスティバル開催。 長谷川町子美術館東京世田谷区にオープン。 『戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー』 トランスフォーマーシリーズの第一作。 1986年 スタジオジブリの第一作となる劇場作品『天空の城ラピュタ』が封切られる。監督は宮崎駿。 大人気『Dr.スランプ』を自ら打ち切った鳥山明原作の待望アニメ『ドラゴンボール』がフジテレビで開始。 車田正美原作『聖闘士星矢』がテレビ朝日で放送開始。 装着もの というジャンルを築き、その後影響を受けた作品が登場する。 美内すずえ原作『ガラスの仮面』がテレビアニメ化され、日本テレビ系で放送開始。 『アトムキャット』 - 『鉄腕アトム』のリメイクを、との手塚の意気込みで作られたギャク漫画。アニメ化はされなかった。他に、その後のアトムを描いた続編の「新・鉄腕アトム」も雑誌に連載されたが、やはりアニメ化はされなかった。 1987年 5月 アニメ『うる星やつら』全話を収録したLD50枚組のソフトがキティレコードより発売。LD-BOXと呼ばれる商品形態の第1号。 香港で『天空の城ラピュタ』が公開され、その年に公開された外国映画の中では、興行成績2位にランクインした。また、香港の新聞では、「宮崎アニメは、ディズニーを超えた」と絶賛された。 少年愛漫画の金字塔、竹宮恵子原作の風と木の詩が、安彦良和監督の下でアニメ化 (VHS) された。原作は490万部売れたものの(文庫版など含めているかは不明)、興行的には余り振るわなかった。 1988年 『となりのトトロ』『火垂るの墓』 二本立てで上映される。興行的には不振だったが、ビデオ販売が好調で、国民的映画となる。 『それいけ!アンパンマン』 未就学児童に圧倒的な人気を博し、現在まで続く長寿番組に。 『ビデオ絵本』 当時としては異例の、1本980円の低価格ビデオソフトとして話題になり、年内に累計100万本を売り上げた。 大友克洋監督の劇場作品『AKIRA』公開。製作費に当時としては異例の10億円を投じた大作で、日本のみならずアメリカでも成功し、その後の日本アニメの海外進出の足がかりを作った。 OVAシリーズとして『機動警察パトレイバー』が始まり、多くの視聴者を獲得する。この作品の成功により、アニメをビデオのみで売るというOVAの手法が商売として成りたつことが証明されるとともに、それまでまちまちだったOVAの製作・販売形態も1本30分弱・価格は5,000円前後という形に収斂されていくこととなる。 1989年 宮崎駿監督の『魔女の宅急便』公開。配給収入22億円と『さらば宇宙戦艦ヤマト』の記録を抜いてアニメーション映画の歴代一位を記録する。 『ドラゴンボール』が『ドラゴンボールZ』として新スタート(原作は引き続きZは付かない) 浦沢直樹の『YAWARA!』放送開始。柔道ブームを巻き起こす。 1990年代 1990年 この年、「マンガ番組」の年間平均視聴率が1978年以後で史上最高の9.7%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。この記録は2009年現在まで破られていない。 『ちびまる子ちゃん』 アニメ本編とともに、B.B.クイーンズが歌うエンディングテーマ『おどるポンポコリン』も人気を博し、NHK紅白歌合戦でも歌われた。 『勇者エクスカイザー』 長期に渡る「勇者シリーズ」の始まり。 1991年 ケーブルテレビ局向けにアニメを中心とした子供向け番組の配信を行う「キッズステーション」が運営開始。 5月21日 アニメ版炎の転校生が世界初のオリジナルLDアニメーション (OLA) として発売される。 1992年 『美少女戦士セーラームーン』 美少女戦隊アニメが話題に。 宮崎駿監督の『紅の豚』公開。配給収入27億円と二作続けてアニメーション映画の歴代記録を更新する。 『クレヨンしんちゃん』 下品な内容が好ましくないとされ、子供に見せたくないアニメとして親世代からはたびたび槍玉に挙がるが、子供達からの人気は高く現在も続く長寿アニメとなる。 1993年 『忍たま乱太郎』放送開始。現在まで続く長寿アニメ。 1994年 ディズニー映画『ライオン・キング』(アメリカ)が大人気を博する。全世界で7億ドル、全米で3億ドルを越える興行収入を記録し、この時点で、全米興行成績ランキングで、『スター・ウォーズ エピソード4』、『E.T.』『ジュラシック・パーク』、『フォレスト・ガンプ』に次ぐ歴代5位となる(全世界では『ジュラシック・パーク』、『スターウォーズ』に次ぐ歴代3位)。 CNNの報道が火付け役になり、手塚治虫の『ジャングル大帝』からの盗作疑惑が世界的に取り沙汰されることになった。 手塚治虫記念館兵庫県宝塚市にオープン。 吉備川上ふれあい漫画美術館オープン 日本最大のアニメ関連企業の集積地、東京練馬区にアニメミュージアムの建設を目指し、NPO法人「アニメミュージアムの会」が設立される。 1995年 『新世紀エヴァンゲリオン』 哲学・学術用語の飛び交う難解なストーリーに、多くの若者が熱中し社会現象となる。 『トイ・ストーリー』(アメリカ) 劇場公開作品としての世界初のフルCG作品。興行的にも成功し、この年の最大の人気作となった。 押井守監督の映画『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』が公開される。日本での興行収入は振るわなかったが、後に海外では高い評価を受け、『マトリックス』などの作品に影響を与えた。 増田まんが美術館秋田県横手市にオープン 1996年 名探偵コナンが始まる。序盤はなかなか人気を得られなかったが、数年で高視聴率を記録。現在も放送中である。 ドラゴンボールGTが原作ドラゴンボール終了によりZ編が終了しアニメオリジナルとして始まる。 10月3日、『エルフを狩るモノたち』(テレビ東京) 日本初のオタク向け深夜アニメ。本放送以降、他局も深夜アニメを放送し始める。 デジタルCS放送「パーフェクTV!」(現 スカイパーフェクTV!)開始。 やなせたかし記念館アンパンマンミュージアム高知県香北町にオープン。 『ビーストウォーズ 超生命体トランスフォーマー』(カナダ)シリーズでは初めて全編が3DCGで作られた作品。 1997年 この年から新作テレビアニメの本数が増加傾向を示す。それにほぼ呼応する形で萌えアニメが大量に製作され始めるようになる。 3月23日、世界名作劇場シリーズが放送終了。最終作は『家なき子レミ』。 4月1日、『ポケットモンスター』 コンピューターゲーム『ポケットモンスター』のアニメ化。 4月7日、当時すでにドラマ化で人気を得ていた『金田一少年の事件簿』 がスタート。高視聴率を記録する。 10月、東京メトロポリタンテレビジョンが史上初のUHFアニメとなる『わんころべえ』を制作。 12月16日、『ポケットモンスター』第38話「でんのうせんしポリゴン」の放送中に激しい点滅によるてんかん事件が発生し、視聴していた多数の児童が病院へ運ばれる。この事件以降、放送局や作品によってはアニメ作品のOP前やAパートの冒頭などに「テレビを観る時は部屋を明るくして離れて観て下さい」という注意書きが表示されるようになる。翌年4月まで同作は放送を休止。 『ゲゲゲの鬼太郎 4作目』の途中から、東映アニメーションは、富士写真フイルムがセル画の生産を停止したのを期に、本作品以後彩色などの作業を従来の手作業からコンピュータを用いたデジタルアニメ制作へ移行した。初めてデジタル制作をしたアニメ作品でもあり、以後、多くのプロダクションがデジタルへの移行を開始する。 宮崎駿監督の『もののけ姫』が配給収入113億円、興行収入193億円となり、1983年公開の『南極物語』を抜いて邦画収入記録を更新、日本映画歴代第一位となる。 アメリカ発のアニメ専門チャンネル「カートゥーンネットワーク」が日本のケーブルテレビ・CSで開局。日本初のアニメ専門チャンネルとなる。 テレビ東京が運営を行うアニメ専門チャンネル「アニメシアターX」がCS放送のディレクTVジャパンで開局。オタクに向けた独特の番組編成や高額な視聴料金で他局との差別化を図る。 朝日新聞が手塚治虫文化賞を創設。 文化庁メディア芸術祭(アニメーション部門など4部門)が東京都写真美術館でスタート。 広島市立まんが図書館オープン。 1998年 UHFアニメ、WOWOWアニメノンスクランブル枠と、新しいアニメ放送枠が本格的に開拓された。 日本のアニメ専門チャンネル「アニマックス」がケーブルテレビ・CSで開局。出資には大手スタジオが関わる。 4月24日、『ロストユニバース』第4話「ヤシガニ屠る」放送。低質な作画が問題になる。 『同級生2』がTV放映。アダルトゲーム原作ものとしては初。 長井勝一漫画美術館宮城県塩竈市にオープン。 1999年 3月20日、『ガンドレス』が劇場用アニメとして未完成のまま公開されてしまう。 4月1日、『ベターマン』がビスタサイズで放送開始。本作以降、アニメや『仮面ライダークウガ』などの特撮でビスタサイズが採用されるようになる。 10月18日、『ワイルドアームズ トワイライトヴェノム』が放送される。次回予告の際、次回分のスタッフ名が表示される稀有なアニメ。 東京武蔵野市が吉祥寺アニメワンダーランドの開催を始める。 KYOTO手塚治虫ワールドがJR京都駅(京都市下京区)にオープン。 現代マンガ資料館 大阪市にオープン。 ちびまる子ちゃんワールド 静岡市にオープン。 2000年代 2000年 『鋼鉄天使くるみ』が世界初の8cm DVDシングルアニメとして発売される。 4月26日、『NieA_7』がWOWOWノンスクランブル枠で放送される。放送後はその回が公式サイトで無料配信されるという、日本初のインターネット再放送を行った。 妖怪神社/むじゃら(水木しげる)鳥取県境港市にオープン。 倉敷いがらしゆみこ美術館岡山県倉敷市にオープン。 石ノ森章太郎ふるさと記念館宮城県中田町(現在の登米市)にオープン。 『はじめの一歩』 深夜アニメとしては異例の視聴率4.5%(平均)を獲得する。 2001年 10月6日、『Sci-Fi HARRY』が日韓同時放映される。 『I-wish you were here-』がネット専用ストーリーアニメとして日本で初めてストリーミング方式で放送される。 宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』が興行収入300億円を記録し、歴代邦画収入記録を二作続けて更新。 『フィギュア17 つばさ ヒカル』の放映開始。1977年の『野球狂の詩』以来久しくなかった月1回1時間枠となる。 石ノ森萬画館宮城県石巻市にオープン。 三鷹の森ジブリ美術館(正式名称は三鷹市立アニメーション美術館)オープン。美術館の管理運営は財団法人『徳間記念アニメーション文化財団』 三鷹の森アニメフェスタ第一回開催。 東京杉並区で、アニメーションフェスティバルin杉並第一回開催。 練馬アニメーションフェスティバルin大泉第一回開催。 2002年 10月、『キディ・グレイド』が放送される。アイキャッチを何人かの著名な漫画家や絵描きが担当するという手法が取られる。 この手法は『うた∽かた』、『月詠』、『ぱにぽにだっしゅ!』などに受け継がれた。 2001年度からアカデミー賞に長編アニメーション部門が新設される。最初の受賞作となったのは、『シュレック』(アメリカ)。 第一回目の東京国際アニメフェアを東京ビッグサイトで開催。 日本動画協会設立。経済産業省の呼び掛けによるもので、アニメ制作会社36社が正会員、18社が準会員。 横山隆一記念まんが館高知市にオープン。 デジタルへの移行は以前から進んでいたが、まだ大半のアニメでセル画を使用していた。しかし、この年は転機となり、おじゃる丸、忍たま乱太郎(NHK教育テレビ)、名探偵コナン(よみうりテレビ)・ドラえもん、クレヨンしんちゃん(テレビ朝日)・ポケットモンスター(テレビ東京)など多くのアニメが一気にセル画からデジタル制作へ移行。翌年2003年以降に制作される多くのアニメがはじめからデジタル制作になっていった。 新海誠の個人製作アニメ『ほしのこえ』が話題になる。 2003年 アメリカで2002年に劇場公開された宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」がアカデミー賞・長編アニメーション部門賞を受賞。 『ファインディング・ニモ』(アメリカ)が世界的に大成功。全米興行収入は3億ドル、世界興行収入は8億ドルを越え、アメリカ、全世界とも、従来アニメ映画で第一位だった『ライオン・キング』(アメリカ)を抜き、総合としても、この時点で興行成績ランキングのいずれも歴代上位10位に入る。アカデミー賞・長編アニメーション部門を受賞。 『アストロボーイ・鉄腕アトム』フジテレビ系にて、リメイク放送。 東映アニメーションギャラリーが大泉スタジオ内(練馬区東大泉)にオープン。主に東映作品を展示・紹介。 水木しげる記念館鳥取県境港市にオープン(妖怪楽園隣接)。 青梅赤塚不二夫会館東京青梅市にオープン。 2004年 ドリームワークスの劇場作品『シュレック2』(アメリカ)が、前年公開の『ファインディング・ニモ』(アメリカ)を越え、アニメ映画歴代第一位となる興行成績を挙げる(この時点で世界歴代7位、全米歴代3位)。しかし、アカデミー賞は『Mr.インクレディブル』に奪われ、シリーズ2作連続での受賞はならず。 日本では、押井守(『イノセンス』)、大友克洋(『スチームボーイ』)、宮崎駿(『ハウルの動く城』)といった、アニメ界の巨匠が相次いで劇場作品を発表したが、『ハウルの動く城』以外は興行的に振るわず、成功を収めた『ハウルの動く城』にしても最終的な興行成績は同監督の前作『千と千尋の神隠し』には届かず、やや肩透かしとなった格好。また、『APPLESEED』は公開前から続篇製作の決定がなされるなど話題が多い年であったが、『アップルシード』シリーズの続篇製作は当時の発表より大幅に遅れている。 練馬アニメーション協議会(前身「アニメミュージアムの会」)が、虫プロや東映アニメーションなど、練馬区内の約50の事業所で設立され、練馬区のアニメ振興を計っている。 『月詠 -MOON PHASE-』における独特な演出が話題に。同作品の監督・新房昭之がインターネット上で注目され始める。 2005年 フジテレビのノイタミナ枠が開始される。一般女性向け深夜アニメという新たな分野が開拓された。 アニメ『ドラえもん』のレギュラー声優陣が交代。ドラえもん役は大山のぶ代から水田わさびに。 「カオスアニメの金字塔」とも称される、新房昭之監督作品『ぱにぽにだっしゅ』放映。奇抜な色彩や、『月詠―』以上に独特な作画や演出が話題に。 東京杉並区にアニメーションミュージアム竣工。 吉祥寺アニメワンダーランドの目玉企画の一つ、吉祥寺アニメ映画祭第一回開催。 秋葉原UDXの東京アニメセンターなどで、東京国際映画祭との共催企画として、アニメを上映したり、声優のイベントなどを行う『秋葉原エンタまつり』がスタート。 2006年 『ゲド戦記』公開。 『ブレイブ ストーリー』公開。 秋葉原UDXに、日本のアニメを内外に発信する情報拠点、東京アニメーションセンター開設。 練馬アニメーション協議会がフランスのアニメ企業との交流事業で渡仏。 広島アニメーションセンター事業本部、期間限定開催(新同センター建設構想あり)。 京都国際マンガミュージアム京都市にオープン。 『時をかける少女』公開、最初東京都内一館のみでの放映だったが、ネット、口コミでの話題を集め、全国でのロングラン興行となった。 『涼宮ハルヒの憂鬱』がネットを利用した独特の宣伝スタイル、放映順をばらした話、エンディングアニメでのキャラクターのリアルなダンスなどで話題となり、ヒット。 『NANA』(矢沢あい原作の漫画)が日テレ系でアニメ化。海外からも多くのオファーが入る。 『四谷怪談』(原作鶴屋南北)、『天守閣物語』(原作泉鏡花)などが、従来のアニメ制作者の枠を超え、「怪 ~ayakashi~ 製作委員会」という、ドラマやバラエティのプロデューサーらとのコラボチームで制作されフジテレビ系にて深夜に放送される。 2007年 日本アカデミー賞にアニメーション作品賞が新設される。『時をかける少女』が最優秀アニメーション作品賞を受賞。 『ゲゲゲの鬼太郎』が日本の最多リメイク記録を更新(5回目のアニメ化)。 世界名作劇場シリーズがBSフジで復活。復帰作は『レ・ミゼラブル 少女コゼット』。 2007年3月、フランスのアニメ関係者が練馬区を訪問するなどの交流事業がきっかけとなり、2007年6月11日からフランスのアヌシーで毎年開催されている世界で最も歴史が長いアヌシー国際アニメーション映画祭と同時に開かれているアヌシー国際アニメーション見本市に、練馬区のアニメ企業10社が出展した。アニメの販売や共同制作など具体的な事業交流を進めていくこととなった。 『らき☆すた』の独特なオープニング曲が話題となる。また、同作の舞台となった埼玉県の鷲宮町や幸手市でファン向けのイベントやグッズ販売などが行われ、「萌えアニメ」が町おこしに積極的に活用された珍しい事例となった。 京田辺警察官殺害事件をきっかけに『ひぐらしのなく頃に解』『School days』放映自粛騒動が発生。また、同時期に札幌での教頭児童買春事件をきっかけに『こどものじかん』を放映予定だった一部ネット局が急遽放映休止を決定する事態も発生した。 東京国際映画祭が、アニメ、漫画などの紹介や商談会、シンポジウムなどを催す国際コンテンツ・カーニバルに改称して、10月に開催予定。 『ゲゲゲの妖怪楽園』鳥取県境港市にオープン。 『アンパンマン子供ミュージアム』横浜市にオープン。 2008年 『ゲゲゲの鬼太郎』シリーズ放映40周年を記念し、『墓場鬼太郎』放映開始。 『河童のクゥと夏休み』が、アニメ作品では『千と千尋の神隠し』以来6年ぶり、ジブリ作品以外では初となるキネマ旬報ベスト・テンに選出。 『パッタポッタモン太』(東京キッズ制作、練馬区)。アメリカの映画制作会社の力添えもあり、世界のテレビ局への売り込みが成功し、2008年2月にベルギーでの放送が決まった他、スペイン、イタリア、ブラジルで話が進んでいる。 3月16日『ねりたんアニメプロジェクトin大泉』(旧練馬アニメーションフェスティバルin大泉)開催。松本零士が大泉学園駅の1日駅長就任。銀河鉄道999のキャラクタ車掌像を同駅に設置。 3月27日『東京国際アニメフェア2008』東京ビッグサイトで開催。特別企画として、宝塚市立手塚治虫記念館や三鷹の森ジブリ美術館など、全国43の漫画・アニメミュージアムの原画や絵コンテなどを展示。カナダ大使館、韓国文化コンテンツ振興院、米国企業、UAEからも参加。手塚治虫生誕80年、石ノ森章太郎生誕70年記念特別展示も。 4月24日 『なまくら刀』(幸内純一)の復元・上映。東京国立近代美術館フィルムセンターは、日本で劇場公開されたアニメ映画としては現存するものでは最古とされる『なまくら刀』のフィルムをデジタル技術で復元。同時に発見された「浦島太郎」などとともに『発掘された映画たち2008』で一般公開。 6月 加藤久仁生監督の「つみきのいえ」がアニメ界最高の権威、アヌシー国際アニメ映画祭で、クリスタル賞(グランプリ)、短編部門若手審査員賞を併せて受賞。その他同作品は2008年中に、第12回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞や、イタリアのミラノ映画祭2008のフォーカス・オン・アニメーション・アワードなど、国内外12の映画祭で19の賞を獲得したその他2008年に受賞した主な映画賞・第8回飛騨国際メルヘンアニメ映像祭(第7回メルヘンアニメコンテスト)2008.11.30-12.13最優秀作品賞受賞,子どもメルヘン賞受賞[1] 『崖の上のポニョ』、『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』公開。 2009年 加藤久仁生監督の「つみきのいえ」が、第81回米アカデミー賞(現地時間2月22日、日本時間同23日)の短編アニメ賞を受賞した。
https://w.atwiki.jp/choson666/pages/27.html
日本のマスメディアにとりあげられた記事をここに記録しときますね。 2009年5月8日発売 ・オークラ出版「撃論ムック」 著:若杉大(フリーライター) 詳しい内容は、鈴木崩残さんの掲示板:松の間[1051]に、 全文(英文&日本語文が)記載されてますので拝見して下さい。 http //www.mumyouan.com/k/?M1051 撃論ムックのURL http //www.oakla.com/gekironweb/gekirontop.html
https://w.atwiki.jp/lostmediatranslation/pages/31.html
概要 『アキハバラ@DEEP』は、2004年に初版が出版された石田衣良による日本の小説。地元のたまり場での問題を解決しようとするオタクの社会的追放者のグループについての物語で、この小説は漫画シリーズ、日本のテレビドラマ、実写映画の題材となった。 2006年の東京アニメフェアで、ニコロデオンとポリゴン・ピクチュアズは、この小説をCGアニメシリーズとして開発する意向を発表した。キャラクターデザイナーの形部一平によると、シリーズの作業は約1年前に開始されていた。経済産業省(METI)の報告書では、制作は早くても2009年春までに完了するとされていた。 「東京の電気街を舞台にした、エッジの効いた、カラフルでテンポの速いサイバー探偵コメディ/アクション/ドラマ」と評されるこのシリーズは、原作の10代/成人向け視聴者層と比較して、10代前半の年齢層をターゲットにしていた。コンテンツをその年齢層に届けるために作り直すことは大きな課題であることが判明し、作家のロバート・チャンは、彼の企画はまだ成人向けすぎるという理由で却下されたと報告している。このシリーズは最終的にリタ・ストリートと彼女の会社であるRadar Cartoonsによって開発されまたが、アキハバラ@DEEPは結局未完成のままだった。キャンセルされる前にシリーズがどの程度まで制作されていたかは不明。 2015年6月、刑部はTwitterに番組のこれまで公開されていなかったコンセプトアート2点を投稿した。彼はNHKがこの番組に資金を提供するかもしれないと冗談を言った。 メディアギャラリー 最初のコンセプトアート 2015年に公開された2枚のアート 外部リンク ニコロデオンが日本とのつながりをアピール ギョウブログ AKIHABARA@DEEP発表! 放屁する日本の怪物が米国を侵略 日本製 / 世界規模で制作 – アニメハウスが共同制作パートナーに門戸を開く 秋葉原からバーバンクへヴェノムを引きずり込む アニメーションマガジン NickALive! アキハバラ@DEEP-wikipedia Akihabara@Deep (lost production material of cancelled anime series; late 2000s)