約 4,278,597 件
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オープニング1:『贈り物』※洞窟前まで進むと見れる シアはロロに連れられて森の中の様々な珍しい生物を見ていく。 ロロが途中でシアを呼び止め、何かを探す素振りを見せるも、 冒険心豊かなシアは、ロロを置いて先に行ってしまうのであった。 +詳細 シロウサギ・妖精・ハレツダケの説明と、 魔法防御アップアイテムの首飾りの場所のヒント。 場所は洞窟に入る前のMAPなので位置を覚えておく事。 オープニング2:『女神』※一度死ぬと見れる 二人は村で近づいてはいけないと言われる場所に踏み込んでいく。 そこにあったのは崩れた神殿だった。 ロロは村に伝わる女神の話をシアに聞かせる。 +詳細 遠い昔に村を救ったとされる『女神』。 その女神はここの神殿で生まれたらしい。 オープニング3:『崖』※洞窟に入ると見れる 女神の話をするロロは、その時使われたと言う剣をシアに見せる。 村に戻ったシアは悪名高いヨング盗賊団がこの付近をうろつくと言う話を聞く。 崖先にシアが向かうと、多くの人間が村へと向かってくるのが目に入った。 +詳細 武器女神の剣の場所が分かる。MAPは洞窟を抜けてすぐ。 女神は悪人だけでなく、村人も多く殺し、最後には崖から身を投げたと言う。 村人の数、位置が何気に伏線になっている。 オープニング4:『来訪』※洞窟の中部(入って1エリア進む)まで行くと見れる、 村にやってきたのはヨング盗賊団の討伐隊だった。 ヨング盗賊団は首領が毒蛇に噛まれて死んだ事で、衰退気味らしい。 村に戻るシアに、奇妙な箱を引きずった討伐隊の女性が人を操る「虫」について尋ねてきた。 +詳細 ヨング盗賊団の内訳が明らかになる。 巨漢ビッグベア、弓使い湖淋、首領ヨング。 また「虫」についての初情報。 オープニング5:『神憑り』※ラスボスを倒すと見れる 全ての真実が明らかに…… +詳細 討伐隊のリーダーはヨングの伴侶、アマデラだった。 アマデラの目的は人に寄生し、惨死や悪鬼と化すリスクと引き換えに、 絶大な力を与える「虫」をヨングの死体に植えつけること。 運良く離れた場所にいたロロとシアは、『洞窟の隠し通路を通り』(重要、位置をしっかり覚えておく事)、 必死に崩れた神殿に逃げ込む。迫る盗賊たちに対し、 ロロは命を懸けてシアを逃そうとするが、 その時、シアのいる床が崩れ、下に落下してしまう。 そこでシアが目にしたのは「虫」の姿だった。 かつて、村を襲った悪人を無慈悲に殺した復讐の女神。 伝承の元となった「虫」はゆっくりシアに近づく…。 穴から上がってきたシアに、ロロはあわてて駆け寄る。 しかし、シアの目にはロロは一匹の魔物として映っていた…。
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タイトルロゴ 初代(番組開始 - 1994年4月2日) カラーリング:ABC SKY STUDIO おはよう朝日です / ABC SKY STUDIO おはよう朝日 土曜日です 大阪タワーのイラストの下に「ABC SKY STUDIO」の文字、下段に「おはよう朝日です」の文字が施されていた。土曜版は、さらにその最下段に「土曜日です」と記された。 2代目(1994年4月4日 - 10月1日) カラーリング:おはよう朝日です ゴシック体で、上段に「おはよう」、下段に「朝日です」の文字が記された。ただし土曜版は、風見鶏をあしらったデザインの手書きロゴが1996年まで用いられていた。 3代目(1994年10月3日 - 2003年3月29日) カラーリング:おはよう朝日です / おはよう朝日 →土曜日です イラストレーター・黒田征太郎のデザインで「おはよう朝日です」と記しており、土曜版は「朝日」と「です」の間から引かれた矢印の先に「→土曜日」と記されていた。ただし土曜版は、初期は先述した風見鶏のロゴを用いていたが、1996年からは当時コメンテーターとして出演していたイラストレーターのひさうちみちおがデザインしたカップヌードル風の英文文字になった。このロゴの起用は、平日版と同じスタジオセットを使用するようになった1998年から。 4代目(2003年3月31日 - 2020年10月3日) カラーリング:おはよう朝日です / おはよう朝日 土曜日です 朝日のデザインを左端に配し、楽譜の中に「おはよう朝日です」と虹をイメージカラーにポップな書体で記されている。土曜版は「おはよう朝日〔土曜日です〕」と記されている。 現在(2020年10月5日 - ) カラーリング: オープニング 1990年代前半まで お天気カメラをバックに青色のタイトルロゴがズームするもの。 タイトル表示後に日付→今日の内容紹介→テーマ曲名・歌手名→協力 大阪東通→制作・著作 ABCのテロップを表示した。 「制作・著作 ABC」の部分では大阪タワーが映し出されていた。 1994年4月4日 - 10月1日 タイトルロゴの「日」に乗ったおき太くんがアップで映し出された後一文字ずつ回転・ズームダウンしながら(途中でおき太くんは消滅する)タイトルロゴ全体が映し出され、最後に回転する「おはよう」と「朝日です」の間を抜ける。 タイトルCG後に右上におき太くんのCGと共に日付→今日の内容紹介→テーマ曲名・歌手名→協力 大阪東通→制作・著作 ABCのテロップを表示した。 先代同様「制作・著作 ABC」の部分では大阪タワーが映し出されていた。 1994年10月3日 - 2003年3月29日 2003年3月31日 - 2005年4月2日 2003年3月31日のみ「25th Anniversary」のロゴが表示された後にお天気カメラに切り替わりタイトルを表示する形だった。 この代までタイトル後に日付→今日のメニュー→テーマ曲名・歌手名→「協力 東通/制作・著作 ABC」のテロップを表示していた。 2005年4月4日 - 2007年3月31日 太陽のマークに「GOOD MORNING!」の文字が表示された後虹と雲をバックに各コーナータイトルや雲の上に乗ったおき太くん、ビル群、花などが現れ、中央に虹と花と雲が集まるとタイトルが現れる。 この代以降はタイトルCG内で、テーマ曲名と歌手名をクレジットしていた。 2007年4月2日 - 2010年3月27日 2010年3月29日 - 2020年10月3日 2020年10月5日 - 2022年9月23日 朝日が出てきて、朝日からうさぎの耳が生えてきて朝日が登るようにタイトルが現れる。 2022年9月26日 - おき太くん、めざめちゃん、ネムりんの朝になり起きる描写のアニメーションがあり、画面が天気カメラに切り替わってからタイトルが現れる。 テーマ曲 現行 あいかビンギラ feat. おは朝バンド『いってきます!いってらっしゃい!』(2022.9.26 - 現在) 火曜日第2部コメンテーターのヒャダインが作詩・作曲を手掛けた。 あいかは、2022年7月開催の「おは朝ボーカルオーディション」で選ばれた。大阪市出身で父親がコンゴ民主共和国出身で曲披露時18歳。 「おは朝バンド」は【ギター】正木明、【エレクトーン】赤﨑夏実、【DJ】岩本計介、【コーラス】澤田有也佳・小嶋花梨・堀くるみから構成される。 曲自体は2022年9月23日万博記念公園で行われた「おは朝パーク」で初披露された。 過去 紙ふうせん『朝(あした)の空』(1979.4.2 - 1994.4.2) この初代テーマ曲は放送開始から15年間使われた。なお放送開始が午前7時スタートになった1987年10月からの一時期は、エレクトーン演奏によるインストゥルメンタル版だった時期もある。また、この曲は朝日放送の携帯サイトで、着信メロディの有料配信が行われている。 1990年、司会の岡元昇と宮根誠司が歌う『今日も最高やねェ!』(堀内孝雄によるシングル『恋唄綴り』のカップリング曲)がテーマ曲だった時期も存在する。2人が歌うこの曲はCDシングルとして発売され、ジャケットには「朝日放送創立40周年イメージソング・おはよう朝日ですテーマソング」とクレジット表記された。 『おはよう朝日 1万回です』では、DEPAPEPEのギターアレンジによるスペシャルバージョン『朝の空2012』がBGMに使われた。 現在は、DEPAPEPEのギターアレンジバージョンがお天気コーナーのBGMとして使用されている。 佐藤学『あこがれ探して』(1994.4.4 - 1996.3.30) 1994年に宮根が単独メイン司会になったのを機にリニューアルしてからは、数年毎にテーマ曲が変わってきている。なお、エンディングではエレクトーン演奏によるインストゥルメンタルヴァージョンが流れている。 保科奈穂『あなたと過したい』(1996.4.1 - 1997.3.29) 川村ゆみ『あなたにそばにいて欲しい』(1997.3.31 - 1998.3.28) 岡本真夜『DREAM』(1998.3.30 - 2001.3.31) Le Couple『MAGICAL MORNING』(2001.4.2 - 2003.3.29) Skoop On Somebody『This New Morning』(2003.3.31 - 2005.4.2) 玉置成実『day break』(2005.4.4 - 2007.3.30) SunSet Swish『Top Of The Morning』(2007.4.1 - 2010.3.27) 2003年からはタイトルがポップなものになった事もあり、アニメーション化され、各種の効果音が足された形で放送されていた。末期の場合、冒頭の「Good morning 6 45AM」と表記されるところや、「〔太陽マーク〕おはよう朝日です」と文字が出てくるところ、「太陽マーク」が飛んで行くところなどにSEが足されている。 押尾コータロー『Brand New Wings』(2010.3.29 - 2011.4.2) 放送開始から一貫して、ボーカルの入った歌をテーマ曲として採用してきたが、一時平日版オープニングタイトルが廃止されたこともあり、初めてインストゥルメンタル楽曲が起用された。エンディングでは引き続きエレクトーン演奏によるインストゥルメンタル版が流れている。平日版では今日の「ウラ読み」、土曜版では「けさトピッ!」から流れ始めていた。 SAWA『My Sunny Days』(2010.4.3 - 2010.9.25) 土曜版オープニングタイトルとして使用。 ザ・バンド・ペリー『ミス・ユー・ビーイング・ゴーン』(2010.11.29 - 2013.3.30) 平日版オープニングタイトルから土曜版と共通のオープニングタイトルとなった。 2010年4月以降の土曜版のオープニングタイトルでは、ノンクレジットで楽曲が使用されていた。 マイケル・ブーブレ『イッツ・ア・ビューティフル・デイ』(2013.4.1 - 2015.3.27)[注 26] 2015年3月30日から2016年3月25日までは日本テレビ系列の朝の情報番組『スッキリ!!』のオープニングテーマに使用された。 ファイヴ・セカンズ・オブ・サマー『ドント・ストップ』(2015.3.30 - 2018.6.30) ウルフルズ『変わる 変わる時 変われば 変われ』(2018.7.2 - 2020.10.2) 2018年4月に放送開始39周年を迎え、「サンキューイヤー」のスペシャル企画として、ウルフルズにオープニングテーマソングの制作を4月に依頼。歌詞には、番組出演者30人から集めた候補の中から、リポーター・川崎の「おもろく でっかく」、月曜コメンテーター・野々村の「グッドモーニングスマイル」、月曜サブコメンテーター・山岸の「異議あり」、岩本の「SUN SUN サンキュー!!」、川添の「満腹」を採り入れ、岩本・川添はハンドクラップとコーラスにも参加。 優利香(神戸市出身のシンガーソングライター)『眩しい朝日』(2020.10.5 - 2022.9.23) 2020年8月開催の「OHA-1グランプリ」で最優秀作品に選ばれたオリジナル曲 天気コーナーBGM 現行 DEPAPEPE『朝の空』(2013.4.1 - ) 過去 DEPAPEPE『青春カムバック』(2006.4.1 - 2006.9.30) DEPAPEPE『DAYS』(2006.10.2 - ? ) 押尾コータロー『Brand new Wings』(2010.11.29 - 2011.4.2) DEPAPEPE『恋水』(2011.4.4 - 2012.3.31) DEPAPEPE『風薫る』(2012.4.2 - 2013.3.30) 2013年3月までは、平日版では今日の「正木さんのお天気(1回目)」、土曜版では「けさトピッ!」→オープニング内の天気情報から流れ始めていた。2013年4月以降、土曜版では上記のテーマ曲が使用されている。 7時台星占いBGM 現行 あいかビンギラ feat. おは朝バンド『いってきます!いってらっしゃい!』(2022.9.26 - ) 過去 カーリー・レイ・ジェプセン『グッド・タイム with アウル・シティー』( ? - 2012.12.28) リタ・オラ『ハウ・ウィ・ドゥ (パーティー)』(2013.1.7 - 2013.3.29) Kis-My-Ft2『Catch Love』(2013.4.1 - 5.31) オースティン・マホーン『セイ・ユア・ジャスト・ア・フレンド Feat. フロー・ライダー』(2013.6.3 - 8.2) ワン・ダイレクション『ベスト・ソング・エヴァー』(2013.8.5 - 10.31) オリー・マーズ『ヘイ・ユー・ビューティフル』(2013.11.1 - 2014.4.30) トミタ栞『きらきら』(2014.5.1 - 2014.11.7) 武藤彩未『RUN RUN RUN』(2014.11.10 - 2017.3.31) 花澤香菜『雲に歌えば』(2017.4.3 - 2017.9.29) the peggies『BABY!』(2017.10.2 - 2020.2.28) ORANGE RANGE『KONOHOSHI』(2020.3.2 - 2020.10.2) HOWL BE QUIET『幽霊に会えたら』(第1部、2020.10.5 - 2021.4.2) 優利香『眩しい朝日』(第2部、2020.10.5 - 2022.9.23)
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オープニング セーブポイント 入手アイテム オープニング 特にすることは無い 『ダッシュ』と基本的な戦闘方法、セーブについての解説がある セーブポイント 有り。 入手アイテム 無し。 攻略チャート
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オープニング 【】状況描写、SE/BGM指定、ツクールの効果 「」キャラクターの会話 ◆シーン名・マップ名など ◆オープニング 【画面に文字】 どこかに存在するひとつのせかい。 でも、世界はひとつじゃない。 幾つもの中の、ひとつのせかいのおはなしです。 【画面暗転】 ???「最低だ…」 ???「頼む…たの、む…から…」 ???「カミサマ…」 【「迷い街道」へ】
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このサイトは、こーべしりついぶきだいちゅーがっこーさんねんせーの誰かが作ったアニメの歴史をまとめたサイトである。とゆーか、Wikipediaをこぴぺした。 1960年代 1960年 『新しい動画 3つのはなし』(NHK) アニメを主目的としてものとしては、恐らく日本初の国産アニメ番組(30分、放送回数1回)。実際は、3つの童話を基にした短編アニメ作品を、中村メイコのジョッキーや実写パートによってつなぐ構成。 1961年 『インスタントヒストリー』(CX、おとぎプロ制作、1961年5月8日~翌62年2月24日) 日本初の国産短編(1分間)連続TVアニメ。ただ、新聞のテレビ欄には読売が毎回載せ、朝日が数回載せた他は、毎日、日経は掲載しなかった。 手塚治虫が、練馬区富士見台に手塚治虫プロダクション動画部設立。 1962年 手塚治虫プロダクション動画部が、虫プロダクションとして正式に設立(1962年6月)。 タツノコプロダクション設立。 1963年 1月1日『鉄腕アトム』(鉄腕アトム (アニメ第1作))- 世界初の毎週放送の本格的テレビアニメ。テレビアニメの基本形態を作り、日本におけるテレビアニメシリーズの嚆矢とされている。1966年12月31日まで放送。全193話。一部カラー制作されたが、放送はモノクロ。 4月7日、『銀河少年隊』(虫プロダクション) NHKとしては、初の国産TVアニメシリーズ。ただし竹田人形座繰演の人形劇との組み合わせであった。 9月4日、『仙人部落』 フジテレビで放送された世界初の深夜アニメ。 10月20日、『鉄人28号』 世界初の巨大ロボットアニメ。 11月8日、『エイトマン』 テレビ局とスポンサー主体でタイアップ製作された最初のアニメ作品 11月25日、『狼少年ケン』 原作漫画を持たない、日本初のアニメオリジナルストーリーのアニメ。東映動画初のテレビアニメーションでもある。 1964年 東京ムービー設立(8月)。10月、杉並区東田町に移転。 1965年 『ドルフィン王子』(4月から全3話)、『ジャングル大帝』(10月から全53話)。 日本初のカラーテレビアニメシリーズ。ジャングル大帝は毎週放送の本格的フルカラーテレビアニメシリーズとしては世界初。放送開始時期はドルフィン王子が先行するが、全3話放送だった為、ジャングル大帝が日本でのカラーテレビアニメシリーズの創始とされる。 『宇宙人ピピ』 NHKで放送された日本初の実写合成TVアニメシリーズ。 『オバケのQ太郎』 当時のSFヒーローもの全盛の中で、社会現象と言われるほど成功したギャグアニメ。 1966年 『魔法使いサリー』 世界初の魔女っ子アニメ。少女物として初めての作品でもある。 『おそ松くん』放送開始。 1967年 『リボンの騎士』放映開始。 『パーマン』放映開始 1968年 『巨人の星』 「スポ根」という分野を確立したテレビシリーズ作品。放映は3年間にわたる。 東映動画から『太陽の王子ホルスの大冒険』公開。 『ゲゲゲの鬼太郎』放映。後にリメイクを繰り返し、21世紀まで続く。 1969年 『サザエさん』 日曜日の夕暮れの代名詞ともなった長寿作品。 『アタックNo.1』 女子向けスポ根アニメの草分け。 『ムーミン』 「世界名作シリーズ」の皮切りとなった作品。ただ企画段階で原作とはかなり雰囲気の違う作品になったため、作者のトーベ・ヤンソンが日本以外では放送しないと言う条件でアニメ化を認めた経緯がある。 1970年代 1970年 『あしたのジョー』放映開始(虫プロダクション) 1971年 『ルパン三世』テレビ放送開始(東京ムービー) 手塚賞(集英社)創設 『天才バカボン』テレビ放送開始(東京ムービー) 1972年 『科学忍者隊ガッチャマン』 タツノコプロを代表するヒーローアニメの一つ。 10月4日、『アストロガンガー』放送開始。巨大ロボットの中に人が入って戦うという作品の元祖。 12月3日、『マジンガーZ』放映開始。巨大ロボットアニメシリーズの始まり。 『ど根性ガエル』放送開始 有限会社サンライズスタジオ(現サンライズ)設立。 日本漫画家協会賞創設 1973年 『ドラえもん』 長寿作品となった第2作より前のアニメ化。だが、現在ほどの人気は得られず26話で打ち切られた。制作は日本テレビ動画。 1974年 カルピス劇場として『アルプスの少女ハイジ』放映開始。 『宇宙戦艦ヤマト』 テレビシリーズ放送。後にテレビシリーズを編集した劇場版が公開され一大流行を巻き起こす。 赤塚賞創設(集英社。1974年、手塚賞からギャグ漫画部門として独立) 1975年 1月5日、世界名作劇場シリーズが放送開始。第一作は『フランダースの犬』。 1月7日、『まんが日本昔ばなし』が放送開始。以後、1994年8月27日まで約20年に渡って放送された。 10月4日、『タイムボカン』が放送開始。タイムボカンシリーズの始まり。 1976年 『キャンディ・キャンディ』 少女向けアニメとして空前の大ヒット。 1977年 12月、月1話1時間という特異な形式のアニメ『野球狂の詩』が放送される。 『ジェッターマルス』 - 『鉄腕アトム』のリメイク版として企画されるも、手塚の状態などから断念。本作の要素を取り入れて作られロボットアニメ。アトムを死なすなとのファンの声が強かったため。設定や登場人物などは本作と瓜二つである。 講談社漫画賞創設 1978年 『さらば宇宙戦艦ヤマト-愛の戦士たち-』が公開、興行収入43億円、配給収入21億円という日本映画史上記録的な大成功を収める。 『アニメージュ』(徳間書店)創刊 1979年 毎年5月第1週の「マンガ番組」数、この年が(2005年時点で)史上最高の125本(再放送含む、ビデオリサーチ『視聴率年報』より)。 1978年に放映された『銀河鉄道999』が映画化され、配給収入16億円とアニメ作品としては初めて1979年度の邦画年間配給収入第一位を記録する。 『ドラえもん』テレビ朝日系列で新たに放送開始。現在も高い人気を誇る。 『ルパン三世 カリオストロの城』 宮崎駿のアニメ映画監督としての第一作。 『機動戦士ガンダム』 ガンダムシリーズの第一作。初回放送の視聴率は振るわなかったが、再放送を重ねるうちに人気は上がり、映画版が作られたことでその人気は爆発。以降、20年以上にわたってシリーズ化される。 1980年代 1980年 3月15日、劇場アニメ『ドラえもん のび太の恐竜』が公開される。 『鉄腕アトム』のカラー版が制作され、日本テレビ系で放送。 1981年 『Dr.スランプ アラレちゃん』が好調なスタートを切る。最高視聴率は36.9%と、社会現象を巻き起こした。香港では、最高視聴率80%を記録したTemplate 要出典。 『うる星やつら』 同人誌に於いていわゆるエロパロ本が大量に発行された恐らく最初の作品。 『六神合体ゴッドマーズ』 やおい本がそれまでの隠れた存在から、即売会等で一気に一般化する足がかりとなった作品。 1982年 『魔法のプリンセス ミンキーモモ』(第一期)が放送。「魔法少女もの」の様式を確立。 1983年 『ダロス』 日本初のOVA。制作:スタジオぴえろ。 『幻魔大戦』(角川アニメーション映画) 平井和正と石ノ森章太郎の原作がアニメ化。監督はりんたろう。なお、のち頭角を現す大友克洋もキャラクターデザインを担当している。 1984年 『北斗の拳』 「お前はもう死んでいる」など、数々のセリフが流行語になる。 宮崎駿監督の劇場作品『風の谷のナウシカ』が公開される。 『くりいむレモン』などに代表される、成人を対象したOVAアダルトアニメが発売され始める。 1985年 第一回広島国際アニメーションフェスティバル開催。 長谷川町子美術館東京世田谷区にオープン。 『戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー』 トランスフォーマーシリーズの第一作。 1986年 スタジオジブリの第一作となる劇場作品『天空の城ラピュタ』が封切られる。監督は宮崎駿。 大人気『Dr.スランプ』を自ら打ち切った鳥山明原作の待望アニメ『ドラゴンボール』がフジテレビで開始。 車田正美原作『聖闘士星矢』がテレビ朝日で放送開始。 装着もの というジャンルを築き、その後影響を受けた作品が登場する。 美内すずえ原作『ガラスの仮面』がテレビアニメ化され、日本テレビ系で放送開始。 『アトムキャット』 - 『鉄腕アトム』のリメイクを、との手塚の意気込みで作られたギャク漫画。アニメ化はされなかった。他に、その後のアトムを描いた続編の「新・鉄腕アトム」も雑誌に連載されたが、やはりアニメ化はされなかった。 1987年 5月 アニメ『うる星やつら』全話を収録したLD50枚組のソフトがキティレコードより発売。LD-BOXと呼ばれる商品形態の第1号。 香港で『天空の城ラピュタ』が公開され、その年に公開された外国映画の中では、興行成績2位にランクインした。また、香港の新聞では、「宮崎アニメは、ディズニーを超えた」と絶賛された。 少年愛漫画の金字塔、竹宮恵子原作の風と木の詩が、安彦良和監督の下でアニメ化 (VHS) された。原作は490万部売れたものの(文庫版など含めているかは不明)、興行的には余り振るわなかった。 1988年 『となりのトトロ』『火垂るの墓』 二本立てで上映される。興行的には不振だったが、ビデオ販売が好調で、国民的映画となる。 『それいけ!アンパンマン』 未就学児童に圧倒的な人気を博し、現在まで続く長寿番組に。 『ビデオ絵本』 当時としては異例の、1本980円の低価格ビデオソフトとして話題になり、年内に累計100万本を売り上げた。 大友克洋監督の劇場作品『AKIRA』公開。製作費に当時としては異例の10億円を投じた大作で、日本のみならずアメリカでも成功し、その後の日本アニメの海外進出の足がかりを作った。 OVAシリーズとして『機動警察パトレイバー』が始まり、多くの視聴者を獲得する。この作品の成功により、アニメをビデオのみで売るというOVAの手法が商売として成りたつことが証明されるとともに、それまでまちまちだったOVAの製作・販売形態も1本30分弱・価格は5,000円前後という形に収斂されていくこととなる。 1989年 宮崎駿監督の『魔女の宅急便』公開。配給収入22億円と『さらば宇宙戦艦ヤマト』の記録を抜いてアニメーション映画の歴代一位を記録する。 『ドラゴンボール』が『ドラゴンボールZ』として新スタート(原作は引き続きZは付かない) 浦沢直樹の『YAWARA!』放送開始。柔道ブームを巻き起こす。 1990年代 1990年 この年、「マンガ番組」の年間平均視聴率が1978年以後で史上最高の9.7%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。この記録は2009年現在まで破られていない。 『ちびまる子ちゃん』 アニメ本編とともに、B.B.クイーンズが歌うエンディングテーマ『おどるポンポコリン』も人気を博し、NHK紅白歌合戦でも歌われた。 『勇者エクスカイザー』 長期に渡る「勇者シリーズ」の始まり。 1991年 ケーブルテレビ局向けにアニメを中心とした子供向け番組の配信を行う「キッズステーション」が運営開始。 5月21日 アニメ版炎の転校生が世界初のオリジナルLDアニメーション (OLA) として発売される。 1992年 『美少女戦士セーラームーン』 美少女戦隊アニメが話題に。 宮崎駿監督の『紅の豚』公開。配給収入27億円と二作続けてアニメーション映画の歴代記録を更新する。 『クレヨンしんちゃん』 下品な内容が好ましくないとされ、子供に見せたくないアニメとして親世代からはたびたび槍玉に挙がるが、子供達からの人気は高く現在も続く長寿アニメとなる。 1993年 『忍たま乱太郎』放送開始。現在まで続く長寿アニメ。 1994年 ディズニー映画『ライオン・キング』(アメリカ)が大人気を博する。全世界で7億ドル、全米で3億ドルを越える興行収入を記録し、この時点で、全米興行成績ランキングで、『スター・ウォーズ エピソード4』、『E.T.』『ジュラシック・パーク』、『フォレスト・ガンプ』に次ぐ歴代5位となる(全世界では『ジュラシック・パーク』、『スターウォーズ』に次ぐ歴代3位)。 CNNの報道が火付け役になり、手塚治虫の『ジャングル大帝』からの盗作疑惑が世界的に取り沙汰されることになった。 手塚治虫記念館兵庫県宝塚市にオープン。 吉備川上ふれあい漫画美術館オープン 日本最大のアニメ関連企業の集積地、東京練馬区にアニメミュージアムの建設を目指し、NPO法人「アニメミュージアムの会」が設立される。 1995年 『新世紀エヴァンゲリオン』 哲学・学術用語の飛び交う難解なストーリーに、多くの若者が熱中し社会現象となる。 『トイ・ストーリー』(アメリカ) 劇場公開作品としての世界初のフルCG作品。興行的にも成功し、この年の最大の人気作となった。 押井守監督の映画『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』が公開される。日本での興行収入は振るわなかったが、後に海外では高い評価を受け、『マトリックス』などの作品に影響を与えた。 増田まんが美術館秋田県横手市にオープン 1996年 名探偵コナンが始まる。序盤はなかなか人気を得られなかったが、数年で高視聴率を記録。現在も放送中である。 ドラゴンボールGTが原作ドラゴンボール終了によりZ編が終了しアニメオリジナルとして始まる。 10月3日、『エルフを狩るモノたち』(テレビ東京) 日本初のオタク向け深夜アニメ。本放送以降、他局も深夜アニメを放送し始める。 デジタルCS放送「パーフェクTV!」(現 スカイパーフェクTV!)開始。 やなせたかし記念館アンパンマンミュージアム高知県香北町にオープン。 『ビーストウォーズ 超生命体トランスフォーマー』(カナダ)シリーズでは初めて全編が3DCGで作られた作品。 1997年 この年から新作テレビアニメの本数が増加傾向を示す。それにほぼ呼応する形で萌えアニメが大量に製作され始めるようになる。 3月23日、世界名作劇場シリーズが放送終了。最終作は『家なき子レミ』。 4月1日、『ポケットモンスター』 コンピューターゲーム『ポケットモンスター』のアニメ化。 4月7日、当時すでにドラマ化で人気を得ていた『金田一少年の事件簿』 がスタート。高視聴率を記録する。 10月、東京メトロポリタンテレビジョンが史上初のUHFアニメとなる『わんころべえ』を制作。 12月16日、『ポケットモンスター』第38話「でんのうせんしポリゴン」の放送中に激しい点滅によるてんかん事件が発生し、視聴していた多数の児童が病院へ運ばれる。この事件以降、放送局や作品によってはアニメ作品のOP前やAパートの冒頭などに「テレビを観る時は部屋を明るくして離れて観て下さい」という注意書きが表示されるようになる。翌年4月まで同作は放送を休止。 『ゲゲゲの鬼太郎 4作目』の途中から、東映アニメーションは、富士写真フイルムがセル画の生産を停止したのを期に、本作品以後彩色などの作業を従来の手作業からコンピュータを用いたデジタルアニメ制作へ移行した。初めてデジタル制作をしたアニメ作品でもあり、以後、多くのプロダクションがデジタルへの移行を開始する。 宮崎駿監督の『もののけ姫』が配給収入113億円、興行収入193億円となり、1983年公開の『南極物語』を抜いて邦画収入記録を更新、日本映画歴代第一位となる。 アメリカ発のアニメ専門チャンネル「カートゥーンネットワーク」が日本のケーブルテレビ・CSで開局。日本初のアニメ専門チャンネルとなる。 テレビ東京が運営を行うアニメ専門チャンネル「アニメシアターX」がCS放送のディレクTVジャパンで開局。オタクに向けた独特の番組編成や高額な視聴料金で他局との差別化を図る。 朝日新聞が手塚治虫文化賞を創設。 文化庁メディア芸術祭(アニメーション部門など4部門)が東京都写真美術館でスタート。 広島市立まんが図書館オープン。 1998年 UHFアニメ、WOWOWアニメノンスクランブル枠と、新しいアニメ放送枠が本格的に開拓された。 日本のアニメ専門チャンネル「アニマックス」がケーブルテレビ・CSで開局。出資には大手スタジオが関わる。 4月24日、『ロストユニバース』第4話「ヤシガニ屠る」放送。低質な作画が問題になる。 『同級生2』がTV放映。アダルトゲーム原作ものとしては初。 長井勝一漫画美術館宮城県塩竈市にオープン。 1999年 3月20日、『ガンドレス』が劇場用アニメとして未完成のまま公開されてしまう。 4月1日、『ベターマン』がビスタサイズで放送開始。本作以降、アニメや『仮面ライダークウガ』などの特撮でビスタサイズが採用されるようになる。 10月18日、『ワイルドアームズ トワイライトヴェノム』が放送される。次回予告の際、次回分のスタッフ名が表示される稀有なアニメ。 東京武蔵野市が吉祥寺アニメワンダーランドの開催を始める。 KYOTO手塚治虫ワールドがJR京都駅(京都市下京区)にオープン。 現代マンガ資料館 大阪市にオープン。 ちびまる子ちゃんワールド 静岡市にオープン。 2000年代 2000年 『鋼鉄天使くるみ』が世界初の8cm DVDシングルアニメとして発売される。 4月26日、『NieA_7』がWOWOWノンスクランブル枠で放送される。放送後はその回が公式サイトで無料配信されるという、日本初のインターネット再放送を行った。 妖怪神社/むじゃら(水木しげる)鳥取県境港市にオープン。 倉敷いがらしゆみこ美術館岡山県倉敷市にオープン。 石ノ森章太郎ふるさと記念館宮城県中田町(現在の登米市)にオープン。 『はじめの一歩』 深夜アニメとしては異例の視聴率4.5%(平均)を獲得する。 2001年 10月6日、『Sci-Fi HARRY』が日韓同時放映される。 『I-wish you were here-』がネット専用ストーリーアニメとして日本で初めてストリーミング方式で放送される。 宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』が興行収入300億円を記録し、歴代邦画収入記録を二作続けて更新。 『フィギュア17 つばさ ヒカル』の放映開始。1977年の『野球狂の詩』以来久しくなかった月1回1時間枠となる。 石ノ森萬画館宮城県石巻市にオープン。 三鷹の森ジブリ美術館(正式名称は三鷹市立アニメーション美術館)オープン。美術館の管理運営は財団法人『徳間記念アニメーション文化財団』 三鷹の森アニメフェスタ第一回開催。 東京杉並区で、アニメーションフェスティバルin杉並第一回開催。 練馬アニメーションフェスティバルin大泉第一回開催。 2002年 10月、『キディ・グレイド』が放送される。アイキャッチを何人かの著名な漫画家や絵描きが担当するという手法が取られる。 この手法は『うた∽かた』、『月詠』、『ぱにぽにだっしゅ!』などに受け継がれた。 2001年度からアカデミー賞に長編アニメーション部門が新設される。最初の受賞作となったのは、『シュレック』(アメリカ)。 第一回目の東京国際アニメフェアを東京ビッグサイトで開催。 日本動画協会設立。経済産業省の呼び掛けによるもので、アニメ制作会社36社が正会員、18社が準会員。 横山隆一記念まんが館高知市にオープン。 デジタルへの移行は以前から進んでいたが、まだ大半のアニメでセル画を使用していた。しかし、この年は転機となり、おじゃる丸、忍たま乱太郎(NHK教育テレビ)、名探偵コナン(よみうりテレビ)・ドラえもん、クレヨンしんちゃん(テレビ朝日)・ポケットモンスター(テレビ東京)など多くのアニメが一気にセル画からデジタル制作へ移行。翌年2003年以降に制作される多くのアニメがはじめからデジタル制作になっていった。 新海誠の個人製作アニメ『ほしのこえ』が話題になる。 2003年 アメリカで2002年に劇場公開された宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」がアカデミー賞・長編アニメーション部門賞を受賞。 『ファインディング・ニモ』(アメリカ)が世界的に大成功。全米興行収入は3億ドル、世界興行収入は8億ドルを越え、アメリカ、全世界とも、従来アニメ映画で第一位だった『ライオン・キング』(アメリカ)を抜き、総合としても、この時点で興行成績ランキングのいずれも歴代上位10位に入る。アカデミー賞・長編アニメーション部門を受賞。 『アストロボーイ・鉄腕アトム』フジテレビ系にて、リメイク放送。 東映アニメーションギャラリーが大泉スタジオ内(練馬区東大泉)にオープン。主に東映作品を展示・紹介。 水木しげる記念館鳥取県境港市にオープン(妖怪楽園隣接)。 青梅赤塚不二夫会館東京青梅市にオープン。 2004年 ドリームワークスの劇場作品『シュレック2』(アメリカ)が、前年公開の『ファインディング・ニモ』(アメリカ)を越え、アニメ映画歴代第一位となる興行成績を挙げる(この時点で世界歴代7位、全米歴代3位)。しかし、アカデミー賞は『Mr.インクレディブル』に奪われ、シリーズ2作連続での受賞はならず。 日本では、押井守(『イノセンス』)、大友克洋(『スチームボーイ』)、宮崎駿(『ハウルの動く城』)といった、アニメ界の巨匠が相次いで劇場作品を発表したが、『ハウルの動く城』以外は興行的に振るわず、成功を収めた『ハウルの動く城』にしても最終的な興行成績は同監督の前作『千と千尋の神隠し』には届かず、やや肩透かしとなった格好。また、『APPLESEED』は公開前から続篇製作の決定がなされるなど話題が多い年であったが、『アップルシード』シリーズの続篇製作は当時の発表より大幅に遅れている。 練馬アニメーション協議会(前身「アニメミュージアムの会」)が、虫プロや東映アニメーションなど、練馬区内の約50の事業所で設立され、練馬区のアニメ振興を計っている。 『月詠 -MOON PHASE-』における独特な演出が話題に。同作品の監督・新房昭之がインターネット上で注目され始める。 2005年 フジテレビのノイタミナ枠が開始される。一般女性向け深夜アニメという新たな分野が開拓された。 アニメ『ドラえもん』のレギュラー声優陣が交代。ドラえもん役は大山のぶ代から水田わさびに。 「カオスアニメの金字塔」とも称される、新房昭之監督作品『ぱにぽにだっしゅ』放映。奇抜な色彩や、『月詠―』以上に独特な作画や演出が話題に。 東京杉並区にアニメーションミュージアム竣工。 吉祥寺アニメワンダーランドの目玉企画の一つ、吉祥寺アニメ映画祭第一回開催。 秋葉原UDXの東京アニメセンターなどで、東京国際映画祭との共催企画として、アニメを上映したり、声優のイベントなどを行う『秋葉原エンタまつり』がスタート。 2006年 『ゲド戦記』公開。 『ブレイブ ストーリー』公開。 秋葉原UDXに、日本のアニメを内外に発信する情報拠点、東京アニメーションセンター開設。 練馬アニメーション協議会がフランスのアニメ企業との交流事業で渡仏。 広島アニメーションセンター事業本部、期間限定開催(新同センター建設構想あり)。 京都国際マンガミュージアム京都市にオープン。 『時をかける少女』公開、最初東京都内一館のみでの放映だったが、ネット、口コミでの話題を集め、全国でのロングラン興行となった。 『涼宮ハルヒの憂鬱』がネットを利用した独特の宣伝スタイル、放映順をばらした話、エンディングアニメでのキャラクターのリアルなダンスなどで話題となり、ヒット。 『NANA』(矢沢あい原作の漫画)が日テレ系でアニメ化。海外からも多くのオファーが入る。 『四谷怪談』(原作鶴屋南北)、『天守閣物語』(原作泉鏡花)などが、従来のアニメ制作者の枠を超え、「怪 ~ayakashi~ 製作委員会」という、ドラマやバラエティのプロデューサーらとのコラボチームで制作されフジテレビ系にて深夜に放送される。 2007年 日本アカデミー賞にアニメーション作品賞が新設される。『時をかける少女』が最優秀アニメーション作品賞を受賞。 『ゲゲゲの鬼太郎』が日本の最多リメイク記録を更新(5回目のアニメ化)。 世界名作劇場シリーズがBSフジで復活。復帰作は『レ・ミゼラブル 少女コゼット』。 2007年3月、フランスのアニメ関係者が練馬区を訪問するなどの交流事業がきっかけとなり、2007年6月11日からフランスのアヌシーで毎年開催されている世界で最も歴史が長いアヌシー国際アニメーション映画祭と同時に開かれているアヌシー国際アニメーション見本市に、練馬区のアニメ企業10社が出展した。アニメの販売や共同制作など具体的な事業交流を進めていくこととなった。 『らき☆すた』の独特なオープニング曲が話題となる。また、同作の舞台となった埼玉県の鷲宮町や幸手市でファン向けのイベントやグッズ販売などが行われ、「萌えアニメ」が町おこしに積極的に活用された珍しい事例となった。 京田辺警察官殺害事件をきっかけに『ひぐらしのなく頃に解』『School days』放映自粛騒動が発生。また、同時期に札幌での教頭児童買春事件をきっかけに『こどものじかん』を放映予定だった一部ネット局が急遽放映休止を決定する事態も発生した。 東京国際映画祭が、アニメ、漫画などの紹介や商談会、シンポジウムなどを催す国際コンテンツ・カーニバルに改称して、10月に開催予定。 『ゲゲゲの妖怪楽園』鳥取県境港市にオープン。 『アンパンマン子供ミュージアム』横浜市にオープン。 2008年 『ゲゲゲの鬼太郎』シリーズ放映40周年を記念し、『墓場鬼太郎』放映開始。 『河童のクゥと夏休み』が、アニメ作品では『千と千尋の神隠し』以来6年ぶり、ジブリ作品以外では初となるキネマ旬報ベスト・テンに選出。 『パッタポッタモン太』(東京キッズ制作、練馬区)。アメリカの映画制作会社の力添えもあり、世界のテレビ局への売り込みが成功し、2008年2月にベルギーでの放送が決まった他、スペイン、イタリア、ブラジルで話が進んでいる。 3月16日『ねりたんアニメプロジェクトin大泉』(旧練馬アニメーションフェスティバルin大泉)開催。松本零士が大泉学園駅の1日駅長就任。銀河鉄道999のキャラクタ車掌像を同駅に設置。 3月27日『東京国際アニメフェア2008』東京ビッグサイトで開催。特別企画として、宝塚市立手塚治虫記念館や三鷹の森ジブリ美術館など、全国43の漫画・アニメミュージアムの原画や絵コンテなどを展示。カナダ大使館、韓国文化コンテンツ振興院、米国企業、UAEからも参加。手塚治虫生誕80年、石ノ森章太郎生誕70年記念特別展示も。 4月24日 『なまくら刀』(幸内純一)の復元・上映。東京国立近代美術館フィルムセンターは、日本で劇場公開されたアニメ映画としては現存するものでは最古とされる『なまくら刀』のフィルムをデジタル技術で復元。同時に発見された「浦島太郎」などとともに『発掘された映画たち2008』で一般公開。 6月 加藤久仁生監督の「つみきのいえ」がアニメ界最高の権威、アヌシー国際アニメ映画祭で、クリスタル賞(グランプリ)、短編部門若手審査員賞を併せて受賞。その他同作品は2008年中に、第12回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞や、イタリアのミラノ映画祭2008のフォーカス・オン・アニメーション・アワードなど、国内外12の映画祭で19の賞を獲得したその他2008年に受賞した主な映画賞・第8回飛騨国際メルヘンアニメ映像祭(第7回メルヘンアニメコンテスト)2008.11.30-12.13最優秀作品賞受賞,子どもメルヘン賞受賞[1] 『崖の上のポニョ』、『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』公開。 2009年 加藤久仁生監督の「つみきのいえ」が、第81回米アカデミー賞(現地時間2月22日、日本時間同23日)の短編アニメ賞を受賞した。
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オープニング 報酬 550G 敵 バーグラー×3 勝利条件 敵を全て倒す 敗北条件 シャルバスの死亡ミストスの死亡(?) 場所 ケセウスレーベル(昼) アライメント なし 注記 味方にミストスが参戦 一番最初にするオープニング戦闘。 敵はバーグラーが3体、味方はユニコーンとリンガーハット、NPCのミストスだけ。 ユニを敵に一番近い場所に配置すると、 最後まで移動する必要無く射撃できる。 ミストスは射程2なので余り地形を考えなくても良い。 名前 コメント
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【プロローグ】 No タイトル 登場キャラクター 場所 時間 作者 PROLOGUE 針音仮想都市〈東京〉 - 第一次聖杯戦争 戴冠の時 ◆0pIloi6gg. PROLOGUE2 Aleph 神寂祓葉&キャスター(オルフィレウス) 東京スカイツリー・天望回廊 開戦前 ◆0pIloi6gg. 【本戦開始前】 No タイトル 登場キャラクター 作者 【オープニング】 No タイトル 登場キャラクター 場所 時間 作者
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フェアリーを育てる学校、羽黒学院。 そこに通う生徒の1人、小野崎美月。 そして、次々と現れる、フェアリスト。 フェアリストたちの戦いの行方は…。 オープニングテーマ(OP) エンディングテーマ(ED)
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オープニング映像・タイトルロゴ 1984年10月1日-1988年3月31日 カラーリング:スーパータイム 金色の空間がガラスの破片のように(FNNは残る)散らばると周りが白く発光し左からスーパー、右からタイムが現れタイトルが完成する。 そしてバックは魚眼レンズになり(周囲は青い冷気のようなものが回転している)赤いバーが伸びる。 EDはスーパータイムのロゴが上から現れ右下へ縮小する。「終」はニュースレポートと同じ。 週末版は背景はそのままで「スーパータイム 天気予報・終」の青色のテロップが中央から右下に縮小するもの。 1988年1月3日放送分は野間が単独で進行し、エンディングはお天気カメラを背景に右下に「スーパータイム 終」と表示するものだった。 山形テレビでは「YTSニュース」や「FNNスピーク」のローカル枠冒頭の提供ベースにも使用していた。 タイトルコールは幸田シャーミンが担当。 タイトルの色はスーパーが青でタイムが水色。 1988年4月1日-1989年10月1日 カラーリング:スーパータイム 初代のバージョンをアレンジ。スーパータイムのロゴは左右から現れ輪っかとFNNは魚眼レンズへ縮小し赤いバーが伸びる。 タイトルコールは安藤優子が担当。EDはタイトルが左右から現れ右下へ縮小し「END」が表示される。 EDについては1989年10月まで使用され、BBTやTKUなどでも使われた。また、東海テレビと関西テレビでも「イブニングニュース600」「KTVアタック600」にタイトルを変えて(END部分は変わらず)使われていた。使用当初のタイトルコールはエコーが少なかったが、途中でエコーが強いものに変更された。 タイトルの色はシルバー。 1989年10月2日-1993年3月31日 カラーリング:FNN スーパータイム この頃からタイトルにFNNが付いた。OPは下からタイトルが現れやや斜めになるとFNNがくっついてロケット発射のように左上画面端に向かって消えていくアニメーション。提供を挟んだ後、左端から右下へ着陸するように再びロゴが登場していた。しかし、平日版では1992年以降はマスター更新に伴って左上に消える前に途切れることが多かった。なお、これ以降のオープニングはネット回線に送出されておらずFTVやKTS、YTSなどでは背景に独自でタイトルを入れていた。 平日のEDはまずお天気カメラをバックに提供を入れた後、安藤のつなぎコメントに続き天気予報となり、最後はお天気カメラに画面上部に紙テロップで「スーパータイム(ロゴ)終」、下部に提供クレジットというシンプルなものになった。 週末版のEDはお天気カメラorニュース映像をバックにスーパータイムがズームアウト+FNNが左から登場⇒縮小と同時に終がやってくるものだった。東海テレビ、YTSなど大概の地方局ではこのCGがオープニングのタイトル用として流用されFNNが下部に、局名が左上に出てくるパターンであった。 タイトルの色はFNNが赤色でスーパータイムはオレンジかかった金色。 1993年4月1日-1994年3月31日 カラーリング:FNN スーパータイム ヘッドラインを紹介した後にタイトルを形成しズームインするもの。EDは先代と同じ。 タイトルの色はFNNが赤色でスーパータイムは黄色。 ※なおタイトルの周りは薄い紫色の縁取りが施された。また台場移転後は黒縁が撤去され色が薄くなった。 1993年10月 - 1994年3月の「スーパータイム関東」は、一行目に横並びにした『スーパータイム』、二行目に『関東』と表記したロゴを使用。 1994年4月1日-1994年10月2日 1994年8月頃に電子テロップがリニューアルしている。タイトルコールが松山香織に変更。EDは先代までと同様。 1994年10月3日-1996年9月30日 ニュース映像をバックにタイトルが右下へ回転しながら移動するもの。 またヘッドライン時のBGMが変更された。タイトルの変更はなし。 ヘッドラインは4項目あったが、各ネット局は後半2項目をローカル枠のスタジオからキャスターの挨拶、ローカルニュース1項目の紹介あるいはローカルニュース2項目の紹介に充てていた。 ここまではタイトル表示後に提供クレジットを表示していた(日曜日はフジテレビのみノンスポンサーのため、日付を表示していた。)。 1996年10月1日-1997年3月30日 OPは5秒のみとなりタイトルコール+テーマソングの冒頭をアレンジとなり合わせてヘッドラインも廃止された。 提供クレジットは最初のCM前に移動(日曜日はフジテレビのみノンスポンサーのため、NEXTテロップを二度出していた。全国向けに出したNEXTテロップを消去した後、提供クレジットの枠でも関東向けに文面の違うNEXTテロップを流していた)。 EDは先代までと同様。タイトルの変更はなし。 また3月10日から最終回までは全てのCGの出現方法がフェードインカットアウトからカットインカットアウトに変わり ロゴの退色及び周りに付いた黒縁の撤去などの変化が見られた。 1億人のテレビ夢列島放送時 1988年度 オープニングは通常と同一だが、FNNロゴの場面で「1億人のテレビ夢列島 '88」のロゴをかぶせた他、タイトルロゴの下に「DELUXE」の文字→日付が表示された。 オープニングの後は平日と同様の流れでキャスターの横顔アップ→挨拶(キャスターは露木茂・タモリ)→ヘッドラインという流れだった。 1989年度 オープニングは通常と同一だが、FNNロゴの場面が省略されていた他、タイトルロゴの後に「FNSスーパースペシャル'89 1億人のテレビ夢列島」のロゴを表示→露木茂・タモリの横顔アップという流れとなった。 オープニングBGMは15秒Verを使用した。 1992年度 通常のオープニングCGに「SPECIAL」を追加した物。 主な内容 平日 18 00 オープニング(キャスターの横顔アップはフジテレビ以外にはAKT、FTV(1988年まで)、TSK) ヘッドライン通常は前半FNN全国ニュースから2-3項目→後半各都道府県別ローカルニュース(ネット各局より)から2-3項目という体裁 /ref 、FNN全国ニュース(中断CMあり・Bパート終了後、フジテレビで特報の予告を出すスペースが関東のみに送出だったため、地域によってはそのスペースに系列局側でローカルパートへ突入するスーパーを独自に送出表示していた。) 普通はFNNの海外特派員や地方局、フジテレビのアナウンサー、キャスターなどが取材をするが場合によってはナレーションが入る場合がある。なおナレーションを採用したのはスーパータイムが初。1994年のリニューアルでほぼ全編に渡ってナレーションが入るようになった。 全国枠終了時の予告テロップは各局出し(フジテレビは特報の予告テロップを表示していた。)で、各放送局にて対応が異なる。 東海テレビでは「CMにつづいて 話題いっぱい!ローカルニュース(イブニングニュース600時代)→CMにつづいて 東海地方のニュースと天気(スーパータイム初期)→東海テレビスーパータイム(1993年以降)」、 長野放送では「このあとは 長野県のニュース」、サガテレビでは「このあと 佐賀のニュース」、岡山放送では「つぎは 岡山・香川関係」と表示。 18 25(初期は18 20) 全国パートからローカルパートへ切り替える部分(提供スーパーが流れる)。フジでは紙テロップのタイトル+タイトルコールが表示される。 ※地方局では、全国パートの提供が終わると同時にローカルの画面に切り替えられる。北海道文化放送では全国パートからローカルパートへの切り替えの際、全国パートの提供スーパー終了後、フジテレビからのネット回線の映像を縮小して、札幌市内の天気カメラの映像を一旦2画面にした状態で映し出し、ネット回線映像を先に左へスライドアウトしてから札幌市内の天気カメラの映像をズームする形で画面いっぱいに表示し、ニューススタジオに切り替わる構成をとっていた。また、富山テレビでは背景の映像はそのままで、ローカルパートの提供が表示されていた。東海テレビはイブニングニュース600時代は全国パートのネットセールス部分のみフジテレビの映像を、ローカルパトの提供はスタジオをバックに流していた。スーパータイムへの改題後は独自でお天気カメラの映像に切り替えローカルパートの提供はスタジオバックとなっていた。秋田テレビはスーパータイムに改題後マス目模様のCGを背景に提供が表示されていた。 鹿児島テレビでは自局のお天気カメラをバックに全国枠後クレ→タイトルロゴ→後半ローカルセールスの提クレを表示し、全国枠後クレはフジテレビと異なり右下表示で、タイトル表示時のタイトルコールは無かった。 18 27 ローカルコーナー(関東ローカル) FNN系列局はローカルニュースを放送。 主な内容 ニュース塾 視聴者がビデオカメラを投稿するコーナー。一定の時期に区切りとなり『ニュース塾大賞』が決められていた。TBSの『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』や日本テレビ『ズームイン‼朝!』を筆頭に家庭用ビデオの急速な普及を増やした。 NEWS JOCKEY 関東地方で起きたニュースや、視聴者から送られてきた映像や軟派なニュース、フジテレビの情報などを伝えるコーナー。このコーナーではメインキャスターの2人が椅子に座って進行していた(その手前には情報募集のための電話番号が書かれたプレートがあった)。 外信コーナー 松浦さんの海外うらおもて 海外の面白ニュースや海外の情報など 特報 実験企画や体感取材などの軟派な内容から事故検証、密着取材などの硬派な内容など様々な特集するコーナー。これはFNNスーパーニュースのスーパー特報に引き続いている。 18 40 スポーツニュース 当初は「わくわくスポーツ」という名称を使用していたがその後廃止(一部地方局では引き続き使用)。関西テレビ以外は任意ネットで、途中で飛び降りてローカルスポーツを伝える局もあった。東海テレビも独自の時期あり 18 47 きょう1日 → NEWS SCRAMBLE 1984年10月から1994年3月までは外国の繁華街などの映像をバックに今日起きたニュース⇒天気予報・為替などを電子テロップで表示されるコーナー。このコーナーに置いて誤って名古屋の天気を『名古屋 はえ』と表記している。テロップが出終わった後はキャスターが出てきてニュースを読んだり、ニュース塾に関するお知らせなどを伝えて天気予報に繋がる。BGMにはヒット曲や洋楽などが流れていた。TSK・OHKでもこのコーナーが放送されていたが、OHKは逸見・シャーミンが出てくるタイミングでOHKのスタジオに戻り、キャスター背後にあるモニターにはオープニングと同様にフジテレビの映像(きょう1日の続き)が映っていた。TSKはこのコーナーの終わりで番組自体が終わっていた。 1994年4月からは関東ローカルニュースや海外のニュースを紹介するコーナー。(関東ローカルであるが地方でもネットされていた所もあった。) 18 53 天気予報・エンドタイトル(初期はエンドタイトル・天気予報の順) 天気予報・エンドタイトルはお天気カメラの映像が表示された窓状のクロマキーがある専用セットにキャスターが立って、お天気キャスターと対話する形で放送していた。河田町時代の末期はスタジオセットの背景がクロマキーパネルを兼ねていたため、その前で進行していた。 テーマ音楽(作曲 たかしまあきひこ) 1984.10.1~1989.10.1 初代 1989.10.2~1993.3.31 2代目 1993.4.1~1996.9.30 3代目 1996.10.1~1997.3.30 4代目 スタジオセット 1984年10月-1989年9月 三角形等幾何学オブジェと宙に浮かぶ「FNN」のロゴを配したセット。 1987年の「テレビ夢列島」では特別仕様のセットから放送した。 1989年10月-1992年3月 番組5周年を記念してスタジオセットを変更。 1992年4月-1994年9月 露木のメインキャスター就任に伴い、スタジオセットを変更。 1994年10月-1997年3月9日 番組スタートから満10周年を迎えたことに伴い大幅リニューアル。右側には「FNN」あるいは「FNN SUPER TIME」と表示する大型モニターや特報・NEWS JOCKEYで使用するキャスター席、左側にはスポーツ用のキャスター席があった。 近未来的なデザインのセットで、キャスターの後ろには先代までのデザインを引き継いだ「FNN」ロゴが描かれた透明の三角形のパネル、さらに奥には宇宙空間の絵を表示したスクリーンがあった。このスクリーンは上に引き上げるとグリーンクロマキーが登場し、番組中のナイター中継や天気予報で使用していた。また、関東ローカルのコーナーでは都心の夜景写真にも変わっていた。 1997年3月10日-1997年3月30日 終了までの期間がわずかだったため、報道センター内の数カ所にテーブルを置いて放送していた。 地方局での差し替え及びOPとタイトル。 uhb北海道文化放送 1984年10月1日 - 1988年3月31日 『イブニングニュース』として放送。タイトルは白に青の影色で下には黄色の協力 オレンジの 北海道新聞 のタイプ。 1988年4月1日 - 1993年9月30日 カラーリング:uhb スーパータイム → uhb スーパータイム FNN 『uhbスーパータイム FNN』に改題。当初はフジテレビと同じCGに「uhb」「協力:北海道新聞」のクレジットをつけたものだったが、1989年10月のタイトル変更後はスタジオをバックにやや上を向いた状態のスーパータイムロゴが飛来してくるCGに変更された。なおこの頃からの週末版はフルCGによるOPだった。 1993年10月1日 - 1996年3月31日 カラーリング:スーパータイム HOKKAIDO 『スーパータイムHOKKAIDO』に改題。お天気カメラをバックに下から北海道の地形が現れると、札幌からネットワーク網を現す赤い線が各地に広がり、そのまま画面左へ飛んでいく。すると、左から「スーパー」「タイム」のロゴが飛来してきて中央で止まり、「スーパー」の横に「HOKKAIDO」が一文字ずつ手前から飛んできて、赤丸で囲まれるCG。お天気カメラは途中でスタジオに切り替わる。6時台のローカル切り替え時にはこのタイトルの後半部分が使われていた。6時のオープニングはフジテレビと同じCGを使用したが、「uhb」冠ではなく、フジテレビと全く同一の「FNNスーパータイム」が使われた。タイトルロゴの『スーパータイム』は若干ずれている。これは「スーパー」の隣にHOKKAIDO(赤丸で囲み)が入るため。 1996年4月1日 - 1997年3月30日 『uhbスーパータイム FNN』に再開。詳細は不明。 ローカル切り替え時に映像が2分割にされ東京が右、北海道が左になると同時にタイトルが表示されて提供表示になると東京の映像が捨てられて北海道の映像に切り替わるものだった(イブニングニュース時代は左上に東京の映像、右下にUHBの映像となっており、提供画面の途中でUHBの画面が拡大されるものであった。)。この手法はuhbスーパータイムHOKKAIDOまで受け継がれた。 岩手めんこいテレビ 1991年3月(サービス放送期間中) 紙テロップで『スーパータイム』と出るだけで、提供の表示はなかった。 1991年4月-1993年3月 お天気カメラorニュース映像をバックにスーパータイムがズームアウト+「mit」と「FNN」が左右から登場するアニメーション。 このOPは番組宣伝CMにも使用された。 1993年4月-1994年9月 フジテレビと同じCGで「mitスーパータイム FNN」と表示。 17 59 50からスタート。冒頭でフジと同様のCG・効果音で「FNNスーパータイム」のロゴ(フジテレビでのあいさつ時に流れるロゴCGの流用)を表示し、全国ニュースの予告をした後、ヘッドラインに飛び乗る。 尚、1993年末に放送された「mitスーパータイム番外編」でもこの流れを再現した。 秋田テレビ 1984年10月1日 - 1989年4月2日 『テレポートあきた』として放送。タイトルはフジテレビのものを『テレポートあきた』のロゴに差し替えたもの。 スタジオセットは当時のフジテレビと同じもので、キャスターは立って進行。中央にタイトルロゴが付けられている。 この頃、冒頭は通常各局ローカルパートの司会者が簡単な挨拶やその日の気候などについて触れ、その後「では、今日のニュースの主な項目です」と振り、東京から2-3項目、続いて各局ローカルパートから2-3項目を紹介して、「スーパータイム」のスタジオから全国のニュースという流れであったが、「テレポートあきた」では冒頭から「スーパータイム」のスタジオでの挨拶→全国ニュースから2-3項目のヘッドライン→その後で秋田ローカルパートから2-3項目をキャスター(画面左上に「後半、秋田からは!」という字幕あり。顔出しなし)が紹介するというものだった。 1989年4月3日 - 1997年3月30日 『FNNスーパータイムあきた』として放送。タイトルロゴは『スーパータイム』を横並びにしたものの下にひらがなの「あきた」をつけたもの。タイトルCGは不明。 仙台放送 1984年10月-1988年3月 『FNN仙台放送イブニングニュース』として放送。詳細は不明。 1988年4月-1997年3月 カラーリング:仙台放送 スーパータイム 『FNN仙台放送スーパータイム』に改題。1988年4月からのオープニングを番組終了まで使用。FNNの周りが砕けるシーンで、右からスーパー、左からタイムと仙台放送のロゴが合わさり、拡大して消える独自のCG。スーパータイムのロゴは若干右斜めになっていた。 エンディングは右下からスーパータイムのロゴが現れスーパーが左回転、タイムが右回転した後に仙台放送のロゴがロゴの下から飛来して、右下からENDの文字が出てくるもの。こちらは若干左斜めになっていた。 FNNとうほく 金曜ニュース一番星→FNNとうほく ニュース一番星(仙台放送制作) OPのテーマ曲には、番組開始から1993年3月までは安藤まさひろの『EYES OF THE DRAGON』(アルバム『MELODY BOOK』収録)[1]、1993年4月から番組終了までは、スピッツ の『リコシェ号』(アルバム『惑星のかけら』11曲目収録)[2]が使用された。 EDのテーマ曲は、1993年3月までは井上昌己の『僕がいるから大丈夫』(アルバム『彼女が泣いた夜』2曲目収録)、1993年4月からはインスト曲(曲名不明)が使われていた。 山形テレビでは月~木曜日に主に『YTSニュース スーパータイム』の当日放送の内容を伝えるミニ番組として「(月~木)曜一番星」を放送していた。 福島テレビ FTVテレポート 放送初期はフジと同じ魚眼レンズCGに「FTV テレポート」が拡大するもの。 その後は冒頭のFNNの周りが砕けるシーンを除去したものを使用しFNNが奥へ吸い込まれるとタイトルが拡大するもの。10秒版でテーマソングを流しながらスタジオに入った。 1989年10月からはフジ出しのニュース映像をバックにFTVが上下から合わさって砕ける。そして周りから中央へ破片が集まるテロップアニメ。 1993年からはフジと同じ映像でオレンジ色のFTVテレポートの文字がユラユラと回転して下に移動するテロップアニメで、ヘッドラインを2項目流した後に、独自のヘッドラインを挿入(1つ)して1989年10月から使用されてきたテロップアニメが使われた。 1994年からはフジテレビのヘッドラインを2項目流した後に3項目目でFTVから独自のヘッドラインが流される。その後フジテレビ側の4項目目でテロップアニメと提供クレジットが流され、フジテレビ側でオープニング・提供が表示される12秒ほどで挨拶と全国ニュースのトップ項目の紹介を行い「まず東京からお伝えします」と言った後、画面が回転してフジのスタジオに切り替わる。 1996年10月からは17 59.45からのスタートに変更。福島テレビのスタジオをバックに上記と同じテロップアニメが流れ(スーパータイムの音楽ではなく独自の効果音。)20秒間、福島テレビ側でニュース項目を伝えた後18 00.05秒からフジテレビ送出の映像に切り替えた。また1993年4月からは音楽がFNN系列唯一、ステレオ音声で流されていた。 1993年3月まで日曜日は「FNNスーパータイム」として放送されており、OPは、フジ出しの映像に「FNNスーパータイム」の白テロップを表示するもので、BGMは初代の物を途中(10秒)でフェードアウト。 EDは映像はフジ出しだったが、BGMはFTV送出の産経テレニュースの15秒EDを流していた。スポンサーは同一だが、OP・天気・EDの3回で提供が表示された。 テレポート525 様々な物体が飛び交う青い空間の奥から2つの「525(緑色のグラデーションが入っているゴシック)」が飛来してきて、画面から消えると「525」がズームアウトして一度砕けると「テレポート(FTVテレポートと同一のロゴ)」となり画面上部で再結合。画面下を交差する2つの525が「テレポート」の右下あたりで1つに結合するCGアニメ。「525」が結合すると背景はスタジオに切り替わる。 「テレポート525」は1996年7月1日から新設された17時台の生活情報パートだが、FTVテレポートとは別枠扱いになっていた。放送時間は17時25分からの35分間(「ザ・ヒューマン」開始以降は17時55分までの30分)。「あすの一品」「こたえるテレビ(視聴者から寄せられた情報をもとにリポーターが現場へ行くVTR企画)」「みんなでアタック(視聴者団体参加型のコーナー。第1弾は長縄飛び)」などの生活情報コーナーとオープニングの「支社リレーホット情報」、県内ニュース・天気予報、占いで成り立っていた。キャスターは当初3か月(7月~9月)間は2番組それぞれで別のアナウンサーが担当していたが、9月30日以降はキャスターを90分間通しで統一(「525」のキャスター)している。 ザ・ヒューマン開始時にテレビ欄では「テレポート」として17時25分から18時55分までの同一枠となったが実際は分離されたままだった。この状態は「スーパーニュース」開始に伴いタイトルから「525」が取れた1998年3月30日以降も続いたが、1999年10月に「スーパーニュース」と直後に長らく放送していた「お天気リポート」を統合したことで95分間の番組となった。 山形テレビ(1993年3月まで、現在はANN系列) 1984年10月-1987年3月(この期間に限り“YTSニュースワイド60”名義) カラーリング:YTSニュース ワイド60 フジテレビと同じCG・BGMで「YTSニュース ワイド60」を表示するもの。 「YTSニュース」部分は定時ニュースでも使用された。 1987年4月-1988年3月(ここから“YTSニュース スーパータイム”名義) カラーリング:YTSニュース スーパータイム フジテレビと同じCG、FNNロゴの画面の後、左右から「YTSニュース スーパータイム」を表示。 ローカルパート開始時のジングルは、タイトルロゴが右下から中央に拡大する物で、BGMはフジテレビのCM前のアイキャッチを使用。 「YTSニュース」部分はワイド60時代同様独自デザインのロゴを使用、ロゴの色は「YTS」が赤色、「ニュース」が黄色。 EDはフジテレビの物を「YTSニュース スーパータイム」にタイトルを変えて(終部分の書体も変更)使用していた。 1988年4月-1989年9月 カラーリング:YTSニュース スーパータイム マイナーチェンジ版に変更、「YTSニュース」ロゴは橙色。 1989年10月-1993年3月31日 カラーリング:YTSニュース スーパータイム FNN 「スーパータイム」のロゴが画面手前から現れ、画面左右から「YTSニュース」ロゴと「FNN」ロゴが出現し合体するもの。 週末版はローカルパート開始時に1987年4月-1988年3月のタイトルCGが流れていた。 エンディングは1988年4月-1989年9月の物を使用。 テレビ朝日系列のネットチェンジのため1993年3月31日で放送を終了している。 さくらんぼテレビ(開局前のサービス放送期間中) 1997年3月15日-3月30日 映像は、タイトルCGと同時に下から上へ社屋をパーンして映した映像に、山形市街地の光景を映したもの。タイトルCGは、当時のフジテレビと同じものだが、「FNN」は外されていた。 ローカル枠の放送は、3月24日からのたったの1週間のみ。これと同時にアナウンサーが画面に登場するようになっていた。 新潟総合テレビ 1984年10月 - 1990年9月28日:NSTワイド6 00 オープニング映像はフジテレビ版と同じものを使用し奥からNSTワイド6 00が現れるものとなっている、ただし6 00の文字色は枠だけで中は透過されている。 また提供テロップをNST側で差し替えているためか黒縁がフジ側のものと比べるとやや濃いなど違いがある。 スタジオはバックに映写機のようなものででNSTワイド6 00と映し出されておりその前に斜めの柱がありそれぞれオレンジ文字でNSTとFNNのロゴが段違いで表示されているものが設置してあった。 1990年10月1日 - 1993年3月31日:NSTスーパータイム オープニング映像は、放送開始時から1993年3月31日までは、NST設置のお天気カメラの映像をバックに、『NSTスーパータイム』のロゴを横一直線に並べた白テロップであった。 1993年4月 - 1997年3月28日 カラーリング:NST スーパータイム それ以降は、フジテレビ版のものに「FNN」の部分をNSTに差し替え、ロゴが最後にアップし始める部分でフェードアウトするものを使用した。 長野放送 1984年10月-1990年3月 「NBS イブニング6 00」として放送。 フジと同じ魚眼レンズCGに「NBS イブニング6 00」が拡大するもの。 色はNBS(局ロゴだが青と白が反転していた。)イブニング(黄色)6 00(オレンジ) 1990年4月-1993年3月 1993年4月-1997年3月 カラーリング:NBSスーパータイム NEWS SPORTS フジと同じCGでスーパータイムを作成すると左右から「NBS」と「NEWS SPORTS」が現れる物。 「NEWS SPORTS」は右上に表示された。「FNN」のロゴは無し。 富山テレビ 初期は『FNNイブニングワイドとやま600』として放送。 番組開始初期のころはスーパータイムと同じものを使い、FNNのクレジットの後に『イブニングワイド6 00』(右下に製作 富山テレビ、協力 北陸中日新聞)の字幕→全国ニュース提供スポンサー出し→富山テレビスタジオからの挨拶という流れで、要するに東海テレビに似たようなオープニングであった。 中期になるとタイトルロゴが『イブニングワイドとやま6 00』に変わった。1989年9月からは「FNNスーパータイムとやま」として放送。 タイトルロゴはピンク色。OP.提供切り替え時は音楽はフジと同じだが富山ローカル枠に入ると独自の音楽に変わりEDも独自音楽。1994年10月からはフジテレビ側のヘッドライン2項目に続いて、富山テレビから1項目、フジテレビ側の4項目目に当たる部分で富山テレビ側の挨拶、その後タイトル・提供、フジテレビのスタジオへ切り替わる形式になった。 福井テレビ 1984年10月1日 - 1987年3月31日 『FNN福井テレビニュース6 00』として放送。 スポーツ報知関西地区版に一時期福井放送共々福井テレビの番組表が掲載されていたが、テレビ番組表はハーフサイズでスペースも限られていたため、6 30 → 6 00の時代には「ニュース」の文言を外して「福井テレビ6 30(→6 00)」と掲載されていた。 日曜日は、開局時には『北陸中日日曜夕刊』(『サンケイ → FNNテレビ日曜夕刊』の差し替えタイトル)で放送後、『福井テレビスーパータイム』に完全統合するまで、FNN全国タイトルに準拠したタイトル(『FNNニュースレポート5 30』→『FNNスーパータイム』)で全国ニュースと福井のローカルニュースを放送した。 なお、他の北陸2県(富山テレビ放送・石川テレビ放送)は福井テレビが改題した後も引き続き『中日新聞テレビ日曜夕刊 → 北陸中日日曜夕刊(第2期)』として放送している。 1987年4月1日 - 1989年9月 前期の全国パートのオープニング映像は、フジテレビのCG・BGMと同様のものであった。その為、どこにも「福井テレビ」の文字が無い。音のキーがフジテレビより高い。 1989年10月-1996年9月 カラーリング:FNN 福井テレビ スーパータイム 中期(1989年10月から)の全国パートのオープニング映像は独自のものであった(BGMはフジテレビと同様)。エンディング映像も独自(BGMは1989年10月からのオープニングのBGMを効果音もそのまま含めて使用。ただし、BGM内のタイトルコールは無し)。 タイトルロゴの表記は「FNN 福井テレビ スーパータイム」であった。 ローカルパート時のオープニングでは、キャスターの斜め横顔を映した後、ヘッドラインを3項目伝え、その後にキャスターによる挨拶があった。オープニング時、独自のBGMが流れていた。 1996年10月 - 1997年3月28日 後期(1996年10月から)の全国パートは、他のフジ系列と同様のCGフォーマット(1993年4月からのもの)が使用された。エンディング映像には中期と同様のものを引き続き使用(週末版のみ確認)。BGMは1993年4月から使用されているフジテレビと同様の15秒のエンディング用BGMを使用。 テレビ静岡 1984年10月-1988年3月 カラーリング:テレビ静岡 スーパータイム フジと同じ魚眼レンズCGに「テレビ静岡」ロゴを追加したもの。「テレビ静岡」ロゴは橙色で小さめに表示。 FNNロゴの時間が長く、効果音とタイトルコールの直後にタイトルを表示した。 挨拶・ヘッドライン・CM前のアイキャッチBGMは全て独自のものを使用。 1988年4月-1989年9月 カラーリング:テレビ静岡 スーパータイム フジと同じ魚眼レンズCGに「テレビ静岡」ロゴを追加したもの。「テレビ静岡」ロゴは青色で大きめに表示。 BGMは15秒Ver(フジテレビでは土日に使用)を使用したため、提供読みはテレビ静岡のアナウンサーによる物になっていた。 東海テレビ イブニングニュース6 00時代、1988年3月までのOPはフジと同じアニメーションに赤い線が伸びると「イブニング ニュース6 00」を表示。 右下には製作 東海テレビ、協力 中日新聞を表示。1988年4月から1990年3月まではフジのリニューアル版と同じ映像を使用し左右からタイトルが現れる ものになった。さらに独自のタイトルコールもあった。CM前やCM後のアイキャッチには女子アナがタイトルコールを発言していたがOPは男性アナが タイトルコールを言っていた。(一時期はローカル切り替えの際にも男性アナのタイトルコールが使用されていた) 1990年4月2日からはフジテレビと同様「東海テレビ スーパータイム FNN」に改題され1993年3月までは独自のタイトルコールが入った(安藤優子のネイティブ風のコールではなく女性アナがスーパータイム!!とコールしていた)。色はオレンジかかったタイトル。 1993年4月から1997年3月30日まではフジテレビと同じアニメーションになった。なおタイトルの下には「協力 中日新聞」が入っていた。 OPは1990年4月から1993年3月までは東海テレビのスタジオをバックにタイトル・提供、その後東海テレビ側の挨拶に続いてヘッドラインとなった。BGMは全て「イブニングニュース600」時代のものを使用。 1993年4月からは冒頭は東海テレビのスタジオから挨拶後、フジテレビからヘッドライン、次に東海テレビから1項目読み上げ、タイトル・提供となった。 1994年10月からはフジテレビ側のヘッドライン2項目に続いて、東海テレビから1項目、フジテレビ側の4項目目に当たる部分で東海テレビ側の挨拶、その後スタジオをバックにタイトル・提供、フジテレビのスタジオへ切り替わる形式になった。 関西テレビ 1984年10月1日-1989年9月29日 カラーリング:KTV アタック600→KTV アタック600 タイトル映像と提供スポンサーの部分は、当時の全FNN系列局(TNC除く)と同じく、『FNNスーパータイム』の地球CGをバックにしたものである。 続けて、大阪のスタジオからキャスターの挨拶の後、東京に接続しヘッドラインに入る(5項目中後半2項目は関西テレビ側で差し替え)。 タイトルの出し方は1988年3月までは「KTVアタック600」のロゴがズームしながら出現、1988年4月-1989年9月はアタック600のロゴが左右から現れ合体した後KTVのロゴが発光しながら表示された。 KTVアタック530は画面上からロゴのテロップがズームしながら出現していた。 ローカルパートに切り替わる際はお天気カメラ映像をバックに左上に「アタック600」のロゴがズームしながら出現し、その後下に「続いて大阪からお伝えします。」と表示されるものであった。 1989年10月2日-1991年9月27日 カラーリング:FNN アタック600 / FNN アタック530 関西テレビのお天気カメラ映像をバックにタイトルロゴと提供スポンサー(クレジットは関西テレビ出しであるが、テロップ自体はフジテレビと同じものを使用)。ただしBGMは1990年3月以前のバージョンをそのまま使用し、大阪のスタジオからのキャスター挨拶の際も流れ続けていた。続けてヘッドライン(後半は関西テレビ側で差し替え)の後、東京のスタジオに切り替わる。 ローカルパート切り替え時は先代と同様。 1991年9月30日-1993年3月31日(ここから2代目BGM) カラーリング:FNN アタック600 / FNN アタック530 タイトルCGは画面手前から倒れた状態の「FNN」「アタック」が現れ、右から「600(530)」が現れると「FNN」「アタック」が起き上がりタイトルが完成する。 ローカルパートに切り替わる際のタイトルCGははスタジオ映像をバックに左上から「アタック」、右下から「600」が合体し、右下に移動する。 BGMが変更された以外は大きな変化がない。但し、それまで提供クレジット終了後に映像がスタジオに切り替わっていたのが、提供クレジットの途中で切り替わるようになっていた。 1993年4月1日-1994年9月30日 効果音とともに大阪のスタジオからキャスターが登場し挨拶を行う。効果音自体はフジテレビ版のキャスター挨拶の際のロゴアニメーションのものと同一であるが、ロゴは登場せず即、挨拶に入る。その後、ヘッドライン(後半は関西テレビ側で差し替え)に続けて、タイトルロゴと提供スポンサー(これ以降タイトル部分は再び全編お天気カメラ映像となる)の後、東京のスタジオに切り替わる。 1994年8月に関西国際空港からの中継で放送した回ではローカルパート開始時に「アタック600 in 関西空港」となった通常とは違うCGのオープニングを入れた。 1994年10月3日-1995年9月29日 東京からのヘッドラインからスタート(その冒頭に関西テレビ出しのタイトルアニメーションが重ねられる)。前半2項目終了した後に大阪のスタジオからキャスターの挨拶(冒頭で1994年9月30日以前と同じ効果音を挿入)、続けてヘッドライン1項目の後、お天気カメラ映像をバックにタイトルロゴと提供スポンサー。東京のスタジオに切り替わる。 1995年10月2日-1996年9月27日(ここから3代目BGM(037-6264-5) 作曲:加古隆) 定刻より30秒早いフライングスタートを実施。テーマ曲をバックに、大阪からトップニュースのヘッドライン1項目に続き、キャスター挨拶。定刻と同時に東京に切り替わりヘッドライン。前半2項目終了した後に、大阪からローカルニュースのヘッドライン2項目。続けて、お天気カメラ映像をバックにタイトルロゴと提供スポンサー。東京のスタジオに切り替わる。 1996年9月30日 - 1997年3月28日 それまでと同様にフライングスタートを実施。17 59.45から15秒間、関西テレビのスタジオからキャスター挨拶とトップニュースに紹介(冒頭で1994年9月30日以前と同じ効果音を挿入)を行い、キャスターの「アタック600スタートです。」の一言でフジテレビ送出の映像に切り替わり、オープニングタイトルになる。この時期は『スーパータイム』側でのオープニング演出が大幅に簡略化されたため、18 00ちょうどにオープニングタイトル(バックの映像はフジテレビ側のもので、フジテレビでは『スーパータイム』のタイトルが被せられる)が5秒間流れた。 その他 時間変更等の特別編成時にアタック500やアタック545等のタイトルで放送したこともあった(OPの詳細は不明) TSKイブニングワイド 通常、ヘッドライン前の関東地方向けの挨拶はFNN各局で差し替えられていたため、フジテレビの『FNNスーパータイム』でしか見られなかったが、この番組では普段から差し替えられることなくそのまま放送された。同様に秋田テレビ「テレポートあきた」でも冒頭の挨拶がそのまま放送されたが、こちらは関東ローカルニュースの件は秋田のものに差し替えられていた。 一方で関東地方向けのヘッドライン項目もそのまま放送されたため、この番組では流れない特報などの予告が流れてしまっていた。後にヘッドラインのみ差し替えられるようになり改善された。 岡山放送 1984年10月-1987年3月 平日 カラーリング:OHK 報道センター6 00 「OHK報道センター6 00」として放送していた。 オープニングはフジテレビと同じCGに右から「OHK 報道センター6 00」のロゴが登場するもの。 オープニング終了後、OHKスタジオの映像に切り替わった時点の音楽は、FNN版のCM明けの音楽に差し替え(FNN版は引き続きオープニング曲が流れる)。 キャスターの右奥に置かれてあるモニターには時節の話題に触れる途中でフジテレビでの様子が映されていた。この部分は富山テレビの『イブニングワイド6 00』も同様である(ただし、こちらはフジテレビに切り替える際、映し出されているモニターにアップする演出がされていた)。 全国パートからローカルパートに切り替わるとき、スポンサーを紹介する場面で流れるBGMは、同じ音楽を使うものの、FNN版は音楽が連続して流れているが、OHKに切り替わった時点で再度曲の頭から流れた。 OHKパートでのCMジングルは、全国パート・ローカルパート切り替え時BGMの短縮版を使用していた。したがって、FNNパートとはCMジングルが違っていた。 「OHKスーパータイム FNN」に変更された当初はオリジナルの番組ロゴが使用されていた。 週末 前番組に引き続き「FNNニュースレポート5 30」のタイトルで放送。 たかしまあきひこのBGM15秒版を使用しブルーバックにFNN(Nの隣に下線が画面の端まで引いてある、またFNNのロゴがOHKニュース(全国ネット用)で使用していたものを切り貼りしている)、次いでそれらの下にニュースレポート、さらにその下に5 30の文字が表示されていた。 またFNNのロゴ以外は全て独自のものを使用していた。 1993年4月-1997年3月 カラーリング:OHKスーパータイム FNN フジテレビと同様のCGで「OHKスーパータイム FNN」のロゴを表示。但し「スーパータイムWEEKLY」では17 30のみ独自のOPを使用した。 ヘッドライン開始時には右下に「OHKスーパータイム」のロゴが表示された(土曜日除く)。 平日版は1994年10月以降はフジテレビのヘッドライン3項目目で挨拶を行い、4項目目でローカルの項目を1項目紹介し、その後タイトルCG→提供となっていた。 1996年4月以降は17 55にタイトルCG(先代同様背景はお天気カメラ)を放送し、時計のアップから報道センター全景を映し岡阪・小林の挨拶→トップニュース1項目→全国・ローカルのヘッドラインという流れであった。 1996年9月までは全国ニュースはCMを挟んで提供クレジットから飛び乗っていた。 tssテレビ新広島 1984年10月-1987年9月 フジテレビと同じCG・BGMで「tss ワイドニュース」と表示。 1984年10月6日 - 1985年3月31日の期間はフジテレビではまだ『FNNニュースレポート5 30』だったが、tssはこの番組が始まったのを機に前倒しで改題バージョンを開始した。週末仕様のオープニングが無かったため、独自で平日用の地球オープニングを切り貼りして作った。 1987年10月-1988年3月 フジテレビと同じCGで「tssスーパータイム」と表示。「tss」ロゴは赤色。 「tss」ロゴは背景と「スーパータイム」のロゴが表示された直後に後ろから回転しながら出現した。 BGMは15秒Ver(フジテレビでは土日に使用)を使用していたが、一瞬音飛びがあった。 オープニングCGが変更された1988年4月以降も数か月間使用。 1988年4月-1989年9月 マイナーチェンジ版に変更。タイトルロゴの「tss」ロゴの色はシルバー。 「tss」ロゴは左から一直線に出現し、「スーパータイム」のロゴと合流する形で表示された。 BGMは15秒Ver(フジテレビでは土日に使用)を使用していた。 1989年10月-1993年3月 1993年4月-1996年9月 カラーリング:tssスーパータイム FNN フジテレビと同じCGで「tssスーパータイム FNN」と表示。 1994年9月まではtssからの挨拶時、1994年10月以降はヘッドライン冒頭ではフジテレビでの挨拶時に流れるタイトルCGの「FNN」を「tss」に変更したCGが流れた。 「tss」ロゴは金色。 1996年10月-1997年3月 フジテレビと同じCGで「FNNスーパータイム」と表示。その後広島のスタジオから挨拶・ヘッドライン→東京からの挨拶だった。 テレビ愛媛 1984年10月~1990年3月 カラーリング:スーパータイム600 EBC 「スーパータイムEBC600(530)」として放送。 本番組が放送していたスポーツコーナーは、系列他局で放送されるローカルニュースと同様に東京からのネット受けだったが、番組はそれを独自に「わくわくスポーツ」と呼称。 同コーナーには、東京の映像に切り替わる前に愛媛県内の小学生のスポーツクラブなどの活動の模様を収めたVTRが挿入されていた(小学生たちが登場し、全員でカメラに向かって「続いて『わくわくスポーツ』をどうぞ!」と叫んだ所で東京の映像に切り替えていた)。 また、1985年10月からは、季節の映像と音楽に載せて俳句を紹介する『きょうの俳句』のコーナーがスタート。 後番組でも引き継がれ、現行のEBCスーパーニュースでも番組終了前に放送している長寿コーナーとなった。 また、本番組のスーパータイムロゴはテレビ愛媛独自のものを流用しており、色は青や金ではなく赤で小さめに、600(530)ロゴはオレンジで大きめに出ていた。タイトルコールは無かった。 エンディングはブルーバックで「スーパータイム600(530)」と表記され、新聞のテレビ番組欄にもこのように表記されていた。 天気予報は平日版も週末版も別番組扱いとし、本番組の終了から5分間(18 55 - 19 00(土曜のみ18 25 - 18 30、日曜は17 55 - 18 00))放送されていた。 1990年4月~1993年3月 1993年4月~1997年3月 エンディング:ブルーバックで提供クレジットを表示した後、青色の背景に左上に「EBCスーパータイム」、右下に「END」を表示した静止画を表示。 BGMは1993年3月までの物を使用。 高知さんさんテレビ(開局前のサービス放送期間中) TNCテレビ西日本 カラーリング:FNN TNCスーパータイム NEWS SPORTS → FNN TNCスーパータイム NEWS SPORTS 1989年までは高宮旧社屋型の宇宙船(?)のミニチュアが回転しながらズームアウトするもの。タイトルコールはあった。 その後紫色の宇宙空間の中央に地球がありその中央で破片がタイトルを形成し完成すると左上へ回転しながら移動する。 1993年4月から1997年9月までは15秒間の挨拶の後OPタイトルを流す。この頃も独自OPでCG製作。タイトルロゴは共通の物ではなく、 「FNN TNC スーパータイム NEWS SPORTS」の独自ロゴ。 サガテレビ 1984年10月-1989年9月 1989年10月-1991年3月(ここまで“stsニュースレポート”名義) 1991年4月-1993年3月 サガテレビでは初めてフジテレビと同じタイトルとなったが、本番組は『FNNスーパータイム』の扱いになっており、 オープニングもフジと同じアニメーションで背景はサガテレビ独自のものだった。局の番組表では『stsスーパータイム』となっていた。 なお、1995年3月までは別枠扱いとなっていた佐賀新聞協賛『デイリーフラッシュ』も本番組の出演者で送り、県内ニュースの復習編という位置づけになっており、事実上1時間枠はスタート時から確立されていた。同年4月からは正式に『デイリーフラッシュ』もこの番組の1コーナーとなっている。 オープニング:青色の背景に土星と「sts」ロゴを配した静止画を背景に当時のフジテレビと同様のCG・BGM。提供テロップは中央表示。 挨拶・ヘッドラインは顔出し・テロップ表示で、「こんばんは」と言う挨拶は無く「6時になりました。スーパータイムです。」というコメントだった。BGMは無かった。 天気予報:オープニングと同じ背景に右下に「FNNスーパータイム」のロゴ(フジテレビでのあいさつ時に流れるロゴがロケット着地時のように滑り込んでくるCGの流用)が、中央に「天気予報」のロゴが表示される。BGMはローカル切り替え時の提供で流れるもの。 エンディングは「天気予報」ロゴが左下に、ロゴ右下に「END」が表示された。 1993年4月-1997年3月 TKUテレビ熊本 1984年10月 - 1989年3月(この期間に限り“TKUニュース・アイ”名義) 1989年4月 - 1993年3月(ここから“TKUスーパータイム”名義) スーパータイムのロゴは白色のアニメーションでズームアウトするもの。右下にTKUのロゴが表示されていた。 1993年4月 - 1997年3月 テレビ長崎 1992年時点ではオープニングは1988年4月 - 1989年9月の物を引き続き使用しており、ヘッドラインは顔出しで行っていた。 テレビ大分 1984年10月 - 1996年9月 カラーリング ニュースインおおいたTOS フジと同じ魚眼レンズCGに「ニュースインおおいた TOS」が拡大するもの。オープニングテーマは『FNNスーパータイム』と別のオリジナル曲を使用した。 ただし、挿入の提供クレジットとエンドタイトルは『スーパータイム』と同じ物を使用した。1989年10月2日からは『スーパータイム』と同じテーマ曲を使用するようになった。 ニュースキャスターは胸に「ニュースインおおいた」のバッジをつけていた。 ローカルパートでは長年にわたって地元の百貨店・TOKIWAがメインスポンサー(一社提供ではない)であったため、エンディングのブルーバックが若干異なっていた(トキハの分が画用紙に書かれたもの、他の提供・協賛社が機械的なブルーバックによるもの)。 ローカル切り替え時には「このあとは大分からのニュースをお送りします。(左上) ニュースインおおいた(右下)」のテロップを表示した。 EDは青色・緑色基調の背景に「TOS ニュースインおおいた 終」と表記した静止画。 テレビ宮崎 1984年10月 - 1988年4月15日(この期間に限り“UMKニュースレポート”名義) 1988年4月18日 - 1989年9月(ここから“UMKニュースリポート”名義) カラーリング:UMK ニュースリポート ニュースリポート時代の1988年4月18日~1989年10月1日までは冒頭のCGのガラスが割れてFNNと表示される部分は、フジテレビの「スーパータイム」と共通しているが、タイトルの部分は差し替えで、全国ネットで使われるフラッシュしてタイトル題字→都心のビル群ではなく、お天気カメラの大淀川の生放送映像に同時期のUMKニュースのように大きな矢印の真ん中の二重になった横棒の上下にタイトルが表されている。 上には「ニュース」と小さいユと長音符の上に四角で囲まれた「UMK」が、下には「リポート」が表示される。 音楽は冒頭の部分がないものを使用し、提供前のジングルはスーパータイムのテーマを低くしたものを使用していた。 1989年10月 - 1992年3月(ここまで“UMKニュースリポート”名義) カラーリング:UMK ニュースリポート FNN 1989年10月2日からは冒頭からタイトル表示となっていた。タイトル表示は以前と変わらないものの、FNNと表示される部分は画面右下に表示されていた。 1992年4月 - 1997年3月(ここから“UMKスーパータイム”名義) タイトルロゴはフジテレビの物を一部改変したデザインのロゴが使用された。 タイトルロゴの『スーパータイム』は若干ずれており、「タイム」の右上に「FNN(ゴシック体)」、「スーパー」の左上に「UMK(独自ロゴ)」を配した。 KTS鹿児島テレビ カラーリング:KTS スーパータイム NEWS SPORTS 1985年4月から「KTS スーパータイム NEWS SPORTS」の放送を開始。当初は独自ロゴだったが、1993年4月から1997年3月まではフジと同じロゴに変更された。初期のOPはタイトル表示がテロップアニメだったが、1989年9月からは紙テロップへ退化し1993年からはスーパータイムを作成するとKTSとNEWS SPORTSが左右から現れる物へ変更された。 エンディングはブルーバックに「KTSスーパータイム 終」と表示、1992年地点では「KTSスーパータイム NEWS SPORTS 終」になっていた。 BGMは1989年9月まではテーマ曲の後半部分、1989年10月以降はオープニングテーマのタイトルコールの無いバージョンが使用された。 OTV沖縄テレビ 1984年10月-1991年3月までは「OTV イブニングワイド」として放送。 OPは地球CGで始まり、白く発行する時にタイトルがズームアップするもの。その後提供クレジットを東京の映像に繋いで OTVのスタジオに入るタイプ。なお挨拶の時は無音だった。BGMは頭切れで最初の部分が省略されていた。色はOTV(オレンジ)イブニングワイド(水色) EDはブルーバックでなぜかタイトルがFNN OTVイブニングワイドになっていた。 備考 1990年ごろからオープニングの提供クレジットは右下寄りに表示されるようになった(「提供」は左側に表示)。 この提供クレジットは大概の地方局でも使用されたが、福島テレビ等一部地域では通常仕様の提供クレジットを使用した。 全国→ローカルに切り替わる部分では全国枠後クレ・ローカル枠前クレともに画面下に小さく表示していた。 自社送出の東海テレビでは全国枠後クレはオープニングと同じ配置、ローカル枠は中央表示の提供クレジットを使用していた。
https://w.atwiki.jp/jico3178/pages/266.html
ブリンのオープニング前 (ぶりんのおーぷにんぐまえ) 2006.6.7O.Aブリンのスペシャルウィーク企画『OPFシナリオ大賞』で発表された作品の一つ。エントリー№7。 スクリプト作者はRN定吉さん。 ブリンが放送される前の、ファンタジーの準備をするやりとりが忠実(?)に再現されている。 ※キャスト※ 宮迫:宮迫 渡辺:渡辺 松本:松本 ※スクリプト掲載は著作者の了承が得られるまで見送ります。 全体的なバランスが秀逸。作家を思わせるスキのない構成はさすがやね^^; -- (ぱた3) 名前 コメント すべてのコメントを見る