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“東方永夜抄”ファーストピラミッド「上白沢 慧音」 読み:“とうほうえいやしょう”ふぁーすとぴらみっど「かみしらさわ けいね」 カテゴリー:Chara/女性 作品:永夜編 属性:光 ATK:0(+2) DEF:1(+3) [永続]自分のキャラにバトル以外によるダメージが与えられる場合、そのダメージを3減少する。 [自動]自分のバトルフェイズ開始時、カード1枚を引く。 ふん、妖怪の言う事なんか信用できないな illust:チョモラン 永夜-016 U 収録:ブースターパック「OS:東方混沌符 -永夜編-」 参考 ネームが「上白沢 慧音」であるキャラ・エクストラ一覧 知識と歴史の半獣「上白沢 慧音」 歴史を食べる程度の能力「上白沢 慧音」 ワーハクタク「上白沢 慧音」 “東方永夜抄”歴史を食べるワーハクタク「上白沢 慧音」 “東方永夜抄”旧秘境史「上白沢 慧音」 “東方永夜抄”新幻想史「上白沢 慧音」 “東方永夜抄”ファーストピラミッド「上白沢 慧音」 “東方永夜抄”Stage3 歴史喰いの懐郷「上白沢 慧音」 “東方永夜抄”Extra 蓬莱人形「上白沢 慧音」 「藤原 妹紅」 特徴“東方永夜抄”を持つキャラ・エクストラ一覧 “異変解決”“東方永夜抄”逢魔が時「十六夜 咲夜」&「魂魄 妖夢」 “異変解決”“東方永夜抄”永夜異変「博麗 霊夢」&「霧雨 魔理沙」 “異変解決” “東方永夜抄”ラストスペル「霧雨 魔理沙」 “異変解決” “東方永夜抄”ラストスペル「博麗 霊夢」 “東方永夜抄”赤眼催眠「鈴仙・優曇華院・イナバ」 “東方永夜抄”蟲を操る妖蟲「リグル・ナイトバグ」 “東方永夜抄”老いる事も死ぬ事も無い人間「藤原 妹紅」 “東方永夜抄”禁呪の魔法使い「霧雨 魔理沙」 “東方永夜抄”生命遊戯「八意 永琳」 “東方永夜抄”狂気を操る月の兎「鈴仙・優曇華院・イナバ」 “東方永夜抄”火の鳥「藤原 妹紅」 “東方永夜抄”海を渡る兎の軌跡「因幡 てゐ」 “東方永夜抄”永遠亭の主人「蓬莱山 輝夜」 “東方永夜抄”永遠亭の「鈴仙・優曇華院・イナバ」 “東方永夜抄”永遠亭の「因幡 てゐ」 “東方永夜抄”永遠亭の「八意 永琳」 “東方永夜抄”永遠と須臾を操る月人「蓬莱山 輝夜」 “東方永夜抄”永夜返し -初月-「蓬莱山 輝夜」 “東方永夜抄”永夜返し -世明け-「蓬莱山 輝夜」 “東方永夜抄”永夜返し -丑の刻-「蓬莱山 輝夜」 “東方永夜抄”歴史を食べるワーハクタク「上白沢 慧音」 “東方永夜抄”正直者の死「藤原 妹紅」 “東方永夜抄”歌で人を狂わす夜雀「ミスティア・ローレライ」 “東方永夜抄”梟の夜鳴声「ミスティア・ローレライ」 “東方永夜抄”月兎遠隔催眠術「鈴仙・優曇華院・イナバ」 “東方永夜抄”月のいはかさの呪い「藤原 妹紅」 “東方永夜抄”旧秘境史「上白沢 慧音」 “東方永夜抄”新幻想史「上白沢 慧音」 “東方永夜抄”幽冥の剣客「魂魄 妖夢」 “東方永夜抄”幻想の巫女「博麗 霊夢」 “東方永夜抄”天人の系譜「八意 永琳」 “東方永夜抄”夢幻の使用人「十六夜 咲夜」 “東方永夜抄”壺中の大銀河「八意 永琳」 “東方永夜抄”地上の流星「リグル・ナイトバグ」 “東方永夜抄”古代の詐欺師「因幡 てゐ」 “東方永夜抄”人間を幸運にする妖怪兎「因幡 てゐ」 “東方永夜抄”リトルバグ「リグル・ナイトバグ」 “東方永夜抄”ラストワード「藤原 妹紅」 “東方永夜抄”ラストワード「蓬莱山 輝夜」 “東方永夜抄”ファーストピラミッド「上白沢 慧音」 “東方永夜抄”シンデレラケージ「鈴仙・優曇華院・イナバ」&「因幡 てゐ」 “東方永夜抄”イルスタードダイブ「ミスティア・ローレライ」 “東方永夜抄”あらゆる薬を作る月人「八意 永琳」 “東方永夜抄”Stage5 穢き世の美しき檻「因幡 てゐ」 「鈴仙・優曇華院・イナバ」 “東方永夜抄”Stage4 uncanny 伝説の夢の国「博麗 霊夢」 「十六夜 咲夜」 “東方永夜抄”Stage4 powerful 魔力を含む土の下「霧雨 魔理沙」 「魂魄 妖夢」 “東方永夜抄”Stage3 歴史喰いの懐郷「上白沢 慧音」 “東方永夜抄”Stage2 人間の消える道「ミスティア・ローレライ」 「霧雨 魔理沙」 “東方永夜抄”Stage1 蛍火の行方「リグル・ナイトバグ」 「博麗 霊夢」 “東方永夜抄”Final 姫を隠す夜空の珠「八意 永琳」 “東方永夜抄”Final B 五つの難題「八意 永琳」 「蓬莱山 輝夜」 “東方永夜抄”Extra 蓬莱人形「上白沢 慧音」 「藤原 妹紅」 “東方永夜抄” 永遠亭のウサギ “東方永夜抄” Imperishable Night.
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2006.7.31 mon パセリの種撒き エロオヤジ炸裂 2006.7.30 sun 久しぶりの街遊び、ルビーは難しひのだ 3人揃ってスーツをオーダー 〆て83,750円 シマトネリコ到着 昼も夜もニクニクニク 我が家は街中に在るので、飲食店が沢山あって嬉しいのだが、その大半が日曜日は休みである。 2006.7.29 sat 初めてのワンマンライブおめでたうメルティングソウル@梅田シャングリラ よそで一緒にバンドをやっているRISACOがメインにしてゐるバンド、メルティングソウルが、初めてワンマンライブをしました。それも梅田でです。ハコとの相性が良かりた事もあって、それはそれはおめでたうなライブでした。 RISACOらしい歌が生まれていたのが私としては嬉しかつた。「あなたに触りたい」という歌詞を彼女が歌うと何とも愛らしくなる。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (meltingsoul.jpg) もちろん、陽子もtepuも一緒に行きました。tepuがあんまり景気良く踊るものだから、バンドのメンバー全員がステージからtepuを見つけていたさうです。踊り方を見ていると、だうやらtepuも大分と半身(はんみ)の使い方が上手くなりてきたやうです。 2006.7.28 fri 3人揃って小料理屋 何となく気が向ひて、近所の小料理屋へ。 2006.7.27 thu 陽子の誕生日 とは云ひながら、いつもの一日と特に変はることはありませんでした。平和なものです。プレゼントした和服地のワンピースを陽子が着て見せてくれました。良く似合ってるよ。 写経 マイブームである仏教。せっかくお経入りの扇子を貰ったので、写経してみることにしました。ついでに現代訳もしてみました。→「響き」blog 陽子に読んでもらった処、反応は今ひとつでした。ションボリ。 またまた経済の本 動学的一般均衡のマクロ経済学―有効需要と貨幣の理論 2006.7.26 wed 会社帰りに花屋2軒 北新地の四ツ橋筋沿いに1軒と、肥後橋の土佐堀通り沿いに1軒。 新地の店では好い感じのヘデラが売つてゐたので、苗を3つほど買いました。21時まで開いてゐます。土曜は19時まで。場所柄、日曜は休み。 肥後橋の店は通り過ぎただけでしたが、木々は元気さうでありました。 またまた庭仕事 近所のスーパーで鉢を買って、先程のヘデラを植へました。他にはプランターに移植後も生育が思わしくなひヘデラを此れまた鉢に移しました。いずれも日向を好むものではありますが、移植後の当面、優しく扱う為に北側の玄関前に置きました。またショップ99で、シダが売っていたので、玄関先の最も日陰になる処に置きました。 と書ひてしまふと簡単ですが、結構な作業量でした。 玄関先でシダを植え込みてゐる時に、お向かいさんが通りかかりました。お向かいさんの玄関先には、それはそれはセンスの良い鉢植えが置かれてゐるのです。 注文多し 植木鉢(大きめのもの3種セット)と植木(シマトネリコ、斑入りヘデラ)、香港の葉巻屋への注文(キューバ葉巻とドミニカ葉巻)と色々注文しました。 般若心経を書いた扇子 を陽子がくれました。ありがたう。 日が変わって誕生日おめでたう 日が変わりて陽子が帰つて来ました。日が変わつてゐるといふ事は誕生日です。おめでたう。良き歳と成りますやう。 tepuと連名で、お店で着るため(に限定しなくとも良いのですが)の服をプレゼントしました。 なほ、お友達のS子さんが昨日で、今日は陽子です。 2006.7.25 tue 洋間の片付け うちの寝室は家の一番手前の部屋なのですが、家の一番奥にある洋間に移そうといふ計画があります。洋間は日が当り、且つ風通しも良いのです。詰まり此れは、3人で過ごす時間が一番多い寝室を一番条件の良い部屋にしやうといふ計画であります。 今日はその準備も兼ねて、洋間の片付けを始めました。何がどのやうに散らかつてゐたのかを書くと陽子に叱られてしまいますから止めておきます。 とにかく洋間は綺麗になりました。今後は手始めとして、出窓にパソコンを据えてプチ書斎コーナーをつくる予定であります。これによつて快適な環境で各種作業を行ひ、如いては家庭環境の改善を活発にして行かふと思ひてゐます。 tepuは天神祭で花火を見る tepuに手伝ひをさせてあげやうと思うてゐたのですが、陽子から連絡が有り、大川近くの先輩の家から天神祭の花火を見る事が出来る幸運に恵まれたとの事。私は家に残りて、tepuは陽子に合流、花火を見に行きました。ドドーン、パラパラパラ。大阪の夏で在ります。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (l-hanabi05-2.gif) 夕食はチーズとビール 早く作業に取り掛かりたかつたので、夕食の準備は最小限に抑へました。チーズとビールとパンであります。tepuも陽子も遅いので一人で簡素な夕食でありますが、部屋や暮らしの事などを一人で色々思い描きながら、其のやうな食事を取ると云うのは、これでなかなか良きものでありました。 次回からは野菜サラダも加へやう。ショップ99といふのは元は八百屋さんださうだ。期待してみやう。 読書「21世紀の資本主義論」岩井克人 片付けも早々に読書に入りました。 此の人は余り多産では無ひのですが、論考が非常に順序立つていて明晰なのが特徴であります。 其れで居て、よく見ると状況認識に於いては「○○は△△であることは枚挙に暇が無ひ」とか「○○は△△を産み出す事に為つた」などと自分独りの責任で総括してをり、(逆に例えば他人の論文からの引用を多く重ねるなどして緻密な様子を醸し出さうなどとしてゐない)信用の置けると感じさせる処で在ります。 また、其の総括は殆どの場合根拠が示されてゐないのでありますが、私には、その夫々がなかなか良い処を突いているやうに思へます。かういふ説得力といふのは、地道な積み重ねがあつてこそ産まれるものではなひかと重ひます。 ライブラリーにも掲載しました。 2006.7.24 mon シガーサロンは欠席 葉巻仲間が2ヶ月に1回、シガーサロンといふのをやってくれてゐるのですが、今回の企画はエレガントなスタイルのものでどうも乗り気になれず欠席しました。 新しいグラスとチーズとドライフルーツ 家から少し離れたワイン屋さんに立ち寄りました。するとウイスキーのストレートに丁度好ささうなスピリッツ用グラスが在ったのです。早速2種類買ひ込みました。 この店はチーズなんかも売っています。今日買ったのはアジアーゴメッツアーノといふ「塩味の効いた」「セミハードチーズ」。 ドライフルーツは全て砂糖なし、100%原料そのままのものです。今日は枝付き干しブドウを買ひました。 店に階下の方から訪問あり 荷物を抱えて店に行くと、私の足音に気づきて階下の飲食店の人が来てくれました。本来でしたらこちらからご挨拶に伺うべき処などと話し、界隈を一緒に盛り上げて行かうと言つてくれました。 試飲でベロンベロン クラコットも買ひ込みて、早速グラスの試飲、兼夕食です。ストレート用のグラスですから、当然ストレートです。サービス時の状態チェックですから2杯ともフルサイズ45ml。食事は最高に美味しかつたけれど、ソーダ割りに馴れ切つた身体はもうベロンベロンでした。帰って寝やう。tepuは今日も遅ひなあ。 2006.7.23 sun 朝は店で庭いじり 昨日はヘデラをプランターに移しました。今日はプミラです。プミラは玄関と室内の両方に在ります。玄関先のは旺盛に茂つてゐて好い感じです。室内のは格好良い鉢に入つてゐたのを買つて来て其のまま置ひていたのですが、今日鉢から出してみてびつくり、鉢底の穴が塞がれてゐたのです。底の方は水浸しです。早く気づひて良かつた。プランターに植え替へて、土も昨日の赤玉土に入れ替へ。外に出して遣ると気持ち良ささうに緑を濃くしてゐました。 陽子と本屋で植物三昧 街の大きな本屋で植物の本を買ひ込みました。出かける前に、陽子は自転車を修理に出しました。私も昨日修理してもらった店です。良い仕事をしてくれます。 公園カフェで読書&雨ぼっこ バスで帰つて来て、靫公園に面したカフェで早速読書です。途中から大雨が降り出して、帰るに帰れず、雨ぼっこになりました。雨ぼっこと謂うのは、「ひなたぼっこ」ではなくて「雨ぼっこ」と云ふ意味です。休日の雨も、ぼっこにしてしまふと、其れは其れで良ひものです。 家に帰ったら植物の手入れ 二人でベランダの植物たちの手入れをしました。日光に焼けて枯れてしまうたのを取り除ひたりと、今日は大幅な作業になりました。一見枯れたやうに見えてゐたミントが実は鉢の隅々にまで太い根(茎の十倍は径が有りました)を張り巡らせているのには驚きました。 すつかりお庭が奇麗になって、tepuが喜んでゐます。だうやら枯れたりしてゐるのが気になってゐたやうです。さうかさうか、tepuも植物が好きなのだな。 やはり家でごはんは良い さて、夕食は、大雨で買い出しに行けなかつたので、陽子が才覚を発揮して有り合わせ特製料理を拵えてくれました。 週末にかうして庭いじりなどして落ち着いた様子で、3人水入らずの食事をするのは久しぶりのやうな気がします。やはり家は良ひものです。 2006.7.22 sat いびきで早起き tepuのいびきで早朝に目が覚めて仕舞つたので、リビングのソファに移動して明け方の薄明りで本を読みました。「三人の祖師」という本です。 1週間に2,3日はかう云う日があるのですが、私は存外其れが嫌いでは在りませぬ。 雨が止んだら庭いじり ここ数日降つたり止むなりしてゐた雨が上がりました。この土日を使ってお店で庭ゐじりをしやう。さふさふ、お店と云うのは、私が社会貢献のために始めやうとしてゐる週末バーの事です。名前は BAR WORLD と申します。 さて、今日は土を買わねば。小粒の赤玉土。 朝からお店をウロウロ 店の内装材を物色するのも兼ねて、コーナン、東急ハンズと定番コースを辿りました。 コーナンは内装材を売っているProの方は7時から開いてゐるのですが、植物やら土やらを売っている普通の所は土曜日は平日扱いで9 30からでした。Proで半時間ほどウロウロして開店を待ちます。 さていよいよと土売り場に向かって、土を見てみると、袋の中にびっしり露がついていて、保湿能力に疑問が生じました。また、これは廉価店なので仕方ないのですが、何度も積み直したり積んだまま風雨に晒された為に一部が粉砕して粒ぞろいでは無くなってゐたのです。 近所にいい店が 結局、土を買ったのは家の近所の公園の南側にある植物屋JALという気のいい店でした。かわいいプミラがあったので、併せて苗を二つほど買いました。 土の値段は廉価店の7,8倍はしましたが、とても状態が良い土です。成長が芳しく無く停滞した様相だったヘデラをこの良い土に植え替えて日なたに出してやることにしました。 クワズイモ成長中 クワズイモは、以前に傷を付けてしまった枝というか葉を、悩んだ末、断腸の思ひで、先週に剪定した処、2,3日後には新しい芽が出て来ました。大したものです。 剪定は簡単で、程々の所を削ぐやうに切つておくと、数日後には末端が柔らかくなるので、其処を手で引っ張って取り除きます。此の様な弱った部分は虫が付ひたり何かと良くないらしいので、こまめに取り除くやうにしてゐます。手で取れなかった所は樹脂化して茶色くなります。即ち少し背が高くなるのです。 昨日の夜からは、また別の2株から、それぞれ新しい芽が伸び始めています。 今日は表面に植えていたヘデラをプランターに植え替えて、先程の土を足しておきました。実は芽が出始めてからと前後して、土の上からも太い根が土の中に向かって張られていたのです。 宵にもなつて静かに見ていると、時折、瑞々しい葉の先や茎から水滴を出して、周囲の様子をじっと伺ってゐます。何とも云い難い、美しい佇ひに思ひます。 ヨーコとtepuは美山へ 二人は朝早く田んぼ仕事に出かけました。夕方からは別件で講習会に出るらしい。大いに結構。 半袖シャツと手拭い鉢巻き 今年の夏からは半袖シャツを着ることにしました。そうでないと自転車通勤はままなりません。 作務衣より重宝しているのが手拭い。鉢巻きに良し、手拭きに良し、汗取りに良し。Comfortable size for any purpose であって更に dry quickly であります。 少し文体と表記が変わりました。 暫く更新を止めていた間に、随分と色々勉強をしまして、佛教の素晴らしさを発見し、其処から日本文化に対する再評価を始めました。その成果の一つが「旧かな使い」(正しくは「旧仮名使ひ」)の楽しさで在ります。また仮名使ひを変へると、自ずと文体も変るもので、此れがまた礼儀正しく且つ論理的に明快で無いと文の体を為さないというエキサイティングなもので在ります。当面は此の感じで行かふと思ひますので、宜しく御付き合いお願い致します。 また更新して行きたひな、と ここのところ社会復帰したり店の事を考へたりヨーコと上手く行かない事があったりして、自分でも何をしてゐるのか分からなくなって仕舞ってゐました。「したいこと」「したこと」をきちんとさせつつ、陽子とtepuを大切にする為にも、日々を大切にする為に更新をして行かうと思ひます。
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“東方永夜抄”ラストワード「蓬莱山 輝夜」 読み:“とうほうえいやしょう”らすとわーど「ほうらいさん かぐや」 カテゴリー:Extra/女性 作品:永夜編 属性:光 ATK:4(+1) DEF:3(+1) 【エクストラ】〔「蓬莱山 輝夜」〕 【登場】〔自分の控え室の「蓬莱山 輝夜」1枚をバックヤードに置く〕 [永続]自分のキャラにバトル以外によるダメージが与えられる場合、そのダメージを3減少する。 [自動]【ターン1】自分が控え室のカードを手札に加えた場合、ターン終了時まで、自分の 永夜編 のパートナーは攻撃力が3上昇する。 さぁそろそろ、心の準備は出来たかしら illust:蘭宮 涼 永夜-081 U 収録:ブースターパック「OS:東方混沌符 -永夜編-」 参考 ネームが「蓬莱山 輝夜」であるキャラ・エクストラ一覧 竹取飛翔「蓬莱山 輝夜」 犬猿の仲「蓬莱山 輝夜」 「藤原 妹紅」 永遠亭「因幡 てゐ」 「鈴仙・優曇華院・イナバ」 「八意 永琳」 「蓬莱山 輝夜」 永遠と須臾を操る程度の能力「蓬莱山 輝夜」 永遠と須臾の罪人「蓬莱山 輝夜」 悠久の過客「八意 永琳」 「蓬莱山 輝夜」 “東方永夜抄”永遠亭の主人「蓬莱山 輝夜」 “東方永夜抄”永遠と須臾を操る月人「蓬莱山 輝夜」 “東方永夜抄”永夜返し -初月-「蓬莱山 輝夜」 “東方永夜抄”永夜返し -世明け-「蓬莱山 輝夜」 “東方永夜抄”永夜返し -丑の刻-「蓬莱山 輝夜」 “東方永夜抄”ラストワード「蓬莱山 輝夜」 “東方永夜抄”Final B 五つの難題「八意 永琳」 「蓬莱山 輝夜」 “東方永夜抄” Imperishable Night. 特徴“東方永夜抄”を持つキャラ・エクストラ一覧 “異変解決”“東方永夜抄”逢魔が時「十六夜 咲夜」&「魂魄 妖夢」 “異変解決”“東方永夜抄”永夜異変「博麗 霊夢」&「霧雨 魔理沙」 “異変解決” “東方永夜抄”ラストスペル「霧雨 魔理沙」 “異変解決” “東方永夜抄”ラストスペル「博麗 霊夢」 “東方永夜抄”赤眼催眠「鈴仙・優曇華院・イナバ」 “東方永夜抄”蟲を操る妖蟲「リグル・ナイトバグ」 “東方永夜抄”老いる事も死ぬ事も無い人間「藤原 妹紅」 “東方永夜抄”禁呪の魔法使い「霧雨 魔理沙」 “東方永夜抄”生命遊戯「八意 永琳」 “東方永夜抄”狂気を操る月の兎「鈴仙・優曇華院・イナバ」 “東方永夜抄”火の鳥「藤原 妹紅」 “東方永夜抄”海を渡る兎の軌跡「因幡 てゐ」 “東方永夜抄”永遠亭の主人「蓬莱山 輝夜」 “東方永夜抄”永遠亭の「鈴仙・優曇華院・イナバ」 “東方永夜抄”永遠亭の「因幡 てゐ」 “東方永夜抄”永遠亭の「八意 永琳」 “東方永夜抄”永遠と須臾を操る月人「蓬莱山 輝夜」 “東方永夜抄”永夜返し -初月-「蓬莱山 輝夜」 “東方永夜抄”永夜返し -世明け-「蓬莱山 輝夜」 “東方永夜抄”永夜返し -丑の刻-「蓬莱山 輝夜」 “東方永夜抄”歴史を食べるワーハクタク「上白沢 慧音」 “東方永夜抄”正直者の死「藤原 妹紅」 “東方永夜抄”歌で人を狂わす夜雀「ミスティア・ローレライ」 “東方永夜抄”梟の夜鳴声「ミスティア・ローレライ」 “東方永夜抄”月兎遠隔催眠術「鈴仙・優曇華院・イナバ」 “東方永夜抄”月のいはかさの呪い「藤原 妹紅」 “東方永夜抄”旧秘境史「上白沢 慧音」 “東方永夜抄”新幻想史「上白沢 慧音」 “東方永夜抄”幽冥の剣客「魂魄 妖夢」 “東方永夜抄”幻想の巫女「博麗 霊夢」 “東方永夜抄”天人の系譜「八意 永琳」 “東方永夜抄”夢幻の使用人「十六夜 咲夜」 “東方永夜抄”壺中の大銀河「八意 永琳」 “東方永夜抄”地上の流星「リグル・ナイトバグ」 “東方永夜抄”古代の詐欺師「因幡 てゐ」 “東方永夜抄”人間を幸運にする妖怪兎「因幡 てゐ」 “東方永夜抄”リトルバグ「リグル・ナイトバグ」 “東方永夜抄”ラストワード「藤原 妹紅」 “東方永夜抄”ラストワード「蓬莱山 輝夜」 “東方永夜抄”ファーストピラミッド「上白沢 慧音」 “東方永夜抄”シンデレラケージ「鈴仙・優曇華院・イナバ」&「因幡 てゐ」 “東方永夜抄”イルスタードダイブ「ミスティア・ローレライ」 “東方永夜抄”あらゆる薬を作る月人「八意 永琳」 “東方永夜抄”Stage5 穢き世の美しき檻「因幡 てゐ」 「鈴仙・優曇華院・イナバ」 “東方永夜抄”Stage4 uncanny 伝説の夢の国「博麗 霊夢」 「十六夜 咲夜」 “東方永夜抄”Stage4 powerful 魔力を含む土の下「霧雨 魔理沙」 「魂魄 妖夢」 “東方永夜抄”Stage3 歴史喰いの懐郷「上白沢 慧音」 “東方永夜抄”Stage2 人間の消える道「ミスティア・ローレライ」 「霧雨 魔理沙」 “東方永夜抄”Stage1 蛍火の行方「リグル・ナイトバグ」 「博麗 霊夢」 “東方永夜抄”Final 姫を隠す夜空の珠「八意 永琳」 “東方永夜抄”Final B 五つの難題「八意 永琳」 「蓬莱山 輝夜」 “東方永夜抄”Extra 蓬莱人形「上白沢 慧音」 「藤原 妹紅」 “東方永夜抄” 永遠亭のウサギ “東方永夜抄” Imperishable Night.
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てゐ「はーい良い子のみんな、『古代のサマ師』こと永遠亭の可憐な白兎、因幡てゐよ。 今日のファイトは『ニセ札を作ってそれで買い物』をしてもらうわー」 JS「悪!即!斬!」 てゐ「ぎゃーっ!?」 永琳「あーっはっは、開幕で行殺されちゃってるわ、おかしいったら」 ルナサ「つかみからいいネタを使うわね。うちもリリカでやってみようかしら」 てゐ「し、死んでないわよ……」 JS「という事で、ファイトを開始して下さい。後始末はこちらでしますが、 あまりに高価な物を買う等は控えて頂きます」 永琳「はいはい、じゃあちゃちゃっと作って来るわね」 ルナサ「よし、私も頑張って作っちゃうわよ」 ミスティア「いらっしゃいませー」 永琳「はぁーい、串焼き二人前に冷酒をお願いね」 ミスティア「はい、ただいま!……お待たせしました」 永琳「ありがと。ふふーん、ねえねえ見てよこれ」 ミスティア「はい?……えっと、お札ですね、普通の」 永琳「そう思うでしょう?でもこれね、実は私が作ったの」 ミスティア「……はぁ」 永琳「東方ファイトだからって、この月の頭脳にニセ札作りなんてさせちゃダメよねぇ。 どう、見てみてよ。本物と遜色ない出来栄えでしょう?」 ミスティア「はい、そうですね……あ、すいませんちょっと外します」 永琳「やっぱり天才は何をやらせてもパーフェクトになっちゃうのよねぇ~」 ミスティア(電話中)「もしもし、自警団の小兎姫さんですか?今うちの店に……」 妹紅「いらっしゃい」 ルナサ「お邪魔するわね。適当に一人前と、熱燗をお願い」 妹紅「はいよ。ぬる燗は卒業かい?」 ルナサ「そうでもないけど、今日の気分は違うのよ」 妹紅「まあそんな日もあるか。はい、焼き上がったよ」 ルナサ「ありがとう。やっぱりここの店の焼き鳥は美味しいわね」 妹紅「そりゃどうも。珍しいね、誉めてくれるなんて」 ルナサ「いつも思ってるわよ、口にしないだけで……はい、ごちそうさま。おあいそをお願い」 妹紅「ん……じゃあ、これがお釣りだ」 ルナサ「どうも、お邪魔したわね」 妹紅(電話)「……ああ、薬師の弟子か?ちょっと自殺未遂の急患が一件あるかも知れないから、待機しててくれ」 JS「ではファイトの結果ですが」 ミスティア「最初からニセ札だーって言われちゃうのも何なのかしら」 妹紅「んー……そうか、ニセ札だったのか」 JS「……まあ片方自爆ですから、その時点で勝負ありですね」 妹紅「そういう事だな。じゃあちょっと見舞いに行ってくるよ」 JS「ええ、閻魔様から許すと伝言を貰っています。それを伝えてあげて下さい」 妹紅「誰の見舞いとは言ってないんだけどな……お見通しって事か」 JS「あなた程じゃありませんよ」 ミスティア「??」 結果:永琳の突き抜けたテンションによる自爆でルナサの勝ち
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=== 九 === 翌日の午後、駿介は何時もよりも少し早目に畑から歸つて來た。そしてじゆんに云つた。 「お前、煙草の水をやつといておくれ。おれ、ちよつと森口さんのところへ行つて來るから。――お父つあんは茄子の種播きなんだ。」 彼は妹の手甲、脚絆の身仕度に氣附いた。 「あ、どこかへ行くんだつたのかい?」 「わたし、山さ行つて粗朶を少し集めて來ようと思つて……。」 「ひとりでかい。」 「いいえ、お道と。」 先に仕度をすまして下へおりてゐたお道が、その時庭の方から入つて來た。 「ぢやあ、そつちはお道だけにせえや。」 焚きものは、笹でも落葉松でも手近にあるものを何でも寄せ集めては焚いてゐた。しかしさういふものだけでは間に合はぬので、時々山へ木を集めに行つた。自由に入つて木の採れる山といふのは限られてゐて、そこまではかなりの道のりだつた。地上に自然に落ちて積んだ細枝を集めることだけが許されてゐた。一戶當りの分量が、年毎に少くなつて行くやうだ。粗朶も粗末には出來なかつた。 駿介とお道とは連れ立つて出た。二人は途中まで一緒に行けた。お道が先に立つて行つた。手甲に黑い脚絆をはき、白い手拭ひを姐さん冠りにして、負臺(おひだい)を擔いでさつさと先を行く彼女は健下な賴もしいものに見えた。荒い縞の膝きりの仕事を着た後姿は、小さく可憐といふよりは、はしつこく、輕快で、肩にした負臺にも負けてゐるやうには見えなかつた。彼女はもう充分に大きかつた。後ろから見ると姉のじゆんと殆ど見境のつかぬ程であつた。歩幅の大きな兄の足が後ろからついて來てゐると思ふせゐか、時々スタスタと小走るやうに急いでそれからまた普通の歩みになつた。 長い間離れて暮し、歸つて來て一緒に住むことになつた時にはもう年頃になつてゐる妹を見た駿介の、妹に對する感じは、一般の兄妹の間のものとは多少違つてゐた。妹に、妹と同時に一人の女を感ずることが普通の兄の場合よりも多いと云ふことかも知れなかつた。彼には二人の妹が日常立ち働いてゐる何でもない姿が、非常に美しく見えることがあつた。米を磨いだり、竈の下を焚きつけたり、かじかむ手先で一心に麥稈眞田を編んだり、手ミシンを動かしたり、きりつとした野良着姿に着替へて立つたり、あるひは風呂から上つて軟らかくなつた手足を炬燵のなかに入れてうつとりとしてゐたりする、さういふやうな日常のすべての彼女等の動作が、駿介は生き生きと美しく、見ることで溫かな幸福が感ぜられた。さうした動作のなかの一寸した動きや線などに、ハッと思はず眼を見張らさせられるやうな鮮やかなものを感じて驚くことがあつた。幸福な感じと云つてもそれは家庭的な愉悅とはまた別な豐かな感じであつた。しかしふと氣づいて、自分にこのやうな妹が二人もあるといふことを今さら思うふと、何か不思議な感じに打たれるのであつた。 通りが少し廣くなつた所で、駿介は少し急いでお道と竝んで歩いた。 「今日、森口さんに逢うたら、お道のことも相談して見ようと思ふんだ。ゆうべは酒を飮んでゐたし、それにほかの話がはずんで話すまがなくて了つたもんだから。」 「わたしのことつて、あの、病院のこと。」 「うん。」 「そのことやつたら、森口さんに云はんかてええわ。」 「え、どうして。」 「わたし、病院へは入らんと、うちから養成所へ通ふけに。」 「うちから養成所へ。さうかい、さうするかい。」 彼女がさうきめたのは別にほかの理由からはでなかつた。田舎の娘らしく人なかへ出て行くことに氣おくれしたといふやうなことではなかつた。彼女は家のことを思つたのだつた。煙草を作つてゐる農家で、たとへ女手でも働き手が一人減るといふことは大きなことだ。殊に今年は段別もふえた。撰別に於て素ばしこい熟練者の彼女が居なくなれば、今年は杉野の家では當然を一人雇はなくてはならないだらう。 看護婦の養成所は、郡內の村々を、一學期毎に移動し、自轉車で通ふことが出來、時間も午後一時から三時か四時迄であつた。それに、家の仕事の忙しい時には、休むことだつて出來た。 お道はその小さな胸で、家にゐて養成所へ通ふ場合と、病院へ看護婦見習で入る場合との、負擔の大小、自家が及ぼす影響について比較してみただらう。それについて別に改まつて駿介には相談はしなかつたが。そして自分の胸一つで一つの方へきめてしまつた。しかしきめたからと云つて、その時すぐに家の者に向つて發表するといふこともない。訊かれた時か、云ふ必要が來た時にはじめて云ふ。その決定に到達するまでの思考などの經過などは別に云はずに、決定だけを云ふ。そしてそれを云ふ時には、當り前に、簡單に云ひながら、非常に確かな感じを聞くものに與へる。それはその方がいいといふ感じを與へる。何か助言すべき立場の兄にしても、別に何も云ふことも無い。 さういふ一々がきはめて自然な所にこの妹のしつかりした性格を感じた。聞かぬ氣で考へたことをじつと腹に持つてゐるといふやうなところがあるが、それも何かギスギスした少女らしからぬものに支へられてゐるといふのでは無い。駿介はどのやうな社會へ出て行つても、この妹は大丈夫だらうとの安心が持てるのだつた。 「たねちやんとこのおつ母さんはどこが惡いんやろ。」 「今日森口さんに診てもらつた筈なんだがね。それでおれはどんな風だつたか一寸聞いておかうと思つて行くところなんだが……。」 お石の娘のたねとお道とは學校友達だつた。しばらく行つて、道が分れてゐるところで二人は別れた。 森口の家の前まで來ると、門口に、オートバイが乘り手を待つばかりにしておかれてあつた。さうか、丁度往診の時間だつたな、と駿介は思つた。彼が砂利を踏んで門のなかを途中まで行つた時に、玄關の戶が明いて、黑い鞄を下げた森口が出て來た。 「あ、お出かけですか。」と、駿介はすぐに引き返した。 昨日は久しぶりに實に愉快だつた、と森口は云つて、駿介がまだ云ひ出さぬうちに、 「昨日の話の患者ね、あれは今朝來ましたよ。」 「あ、さうですか。そりやどうも。――して、どんな風なんです?」 「あれはどうも婦人科の方ですね。僕は専門外なもんだから。――このへんの醫者はみんな何でも診るらしいが、僕にさうはしたくないんでね。それで西山(村)にそつちの方をやつた醫者がゐるんです。橫川つて云ふんですが。知つてるでせう、名前だけは。あれは向うで開業する前にしばらく僕の家にゐたことがあるんです。それで僕が手紙を書いて、橫川の方へ行くやうに云つておきましたから。」 「そりやどうも色々有難うございました。」 病氣のことは詳しく訊いて見たところで仕方のないことだから、駿介はそれ以上は訊かなかつた。森口は駿介の心になほ引つかかつてゐるらしいものを察して、 「費用の方のことは大丈夫です。心配ありませんよ。患者の經濟狀態を書いて、とくに僕から賴んでおきましたから。橫川には僕の家からその位のことは云へるんです。開業する時にも父から色々助(す)けて貰つてゐるんだから。全然ただといふわけにはいかんでせうが……、しかしそれでも無理な時には遠慮なく云つて下さい。僕がいいやうにしますから。」 駿介は厚く禮を云つた。往診に出る前の路上での簡單な立話をすまして、二人は別れた。 駿介は歸りに嘉助の所に寄つた。お石は今朝早く嘉助から聞いて、森口を訪ね、その歸りにこれから橫川へ行くと云つて嘉助の所へ立ち寄つた。それで嘉助は時を見計らつて近頃雇ひ入れた小僧をお石の所へ走らせて、橫川での樣子を聞かせた。駿介が嘉助を訪ねた時は、丁度その小僧が少し前に歸つたといふところだつた。その報告に、橫川ではよく診てくれて、毎日通ふことになつたといふことだつた。西山までは、さほど遠くはなく、乘物の便はあつたし、都合がよかつた。 駿介と嘉助は、萬事好都合に運んだことを互ひに喜び合つた。 駿介は元氣が出て來た。小さな事柄ではあつたけれども、物事が順調に都合よく行つて、關係者一同が滿足し、喜ぶことが出來たといふことは彼には實に愉快だつた。彼はこの愉快な、晴れ晴れとした氣持に乘じて、かねて懸案の、廣岡の問題を一擧に解決して了はうと思つた。彼は伊貝に逢ひに行かうと思つた。 しかし伊貝への紹介を貰はうと思つて、駿介が再び村長の岩濵を訪ねた時に、彼は伊貝が所用があつて二三日前に大阪方面に赴いて、まだ歸つてゐないと云ふことを聞かされた。十日間ぐらゐは向うにゐるつもりだらうと云ふことであつた。駿介は腰を折られたやうな氣がした。しかしまた何となくほつとした氣持でもあつた。何れ逢ふのであるから、紹介狀だけはもらつて歸つた。 さうして彼はまた仕事の忙しさに取り紛れ、一週間がまたたく間に經つた。その間彼は誰にも逢はなかつた。すると、ある夜、絹手袋のミシン縫ひに使う絲を買ひに野田屋へ行つたお道が、お石の事を聞いて歸つて來た。 「兄さん、たねちやんのとこのおつ母さんがやつぱり惡いんだつて。」 「なに、お石さんがかい。」 「ええ、わたし今店の前でたねちやんに逢うたの。兄さんに話を聞いて居つたもんやけに、見舞を云うて訊いて見ると、おつ母さんはちつとも良うはならんのやさうな。橫川さんにかかつてから却つて惡いぐらゐなもんやさうな。」 「却つて惡いぐらゐ?それで寢込んどるのか。」 「いいえ、起きとるんやと。起きて働いとるから良うならんのやらうとたねちやんも云うとつたけれど。」 たねはお道に、兄さんには云はんといて、と云つたといふ。 翌日、駿介は嘉助を訪ねた。訊いてみると嘉助は何も知らぬといふ。嘉助は醫者にかかつてゐるといふだけで安心して、その後お石を訪ねもしなかつたし、お石の方からも亦訪ねて來なかつた。嘉助は、なに、病氣はみんな一週間や十日で癒るとは限るまいし、と云つて氣にも止めずにゐるやうであつたが、駿介は何となく氣になつた。惡いことが起りさうな氣がしてならなかつた。駿介は豫感は信じる方だつたので、兎も角一度お石を訪ねて見ることにした。 駿介はお石に逢ふのは今が始めてであつた。鄰の部落だから家も人間も見て知つてはゐた。一緒に行かうといふ嘉助を、仕事の手をあけるには及ばないと止めて、一人でその家の方へ歩いて行つた。するとその家の前まで行き着かぬうちに、彼が行く道を向うから、猫車を押して來る一人の女に出逢つた。お石の家はこつちから云つて道の左側で、女がその家から出て來たのを、駿介は遠くから見て知つてゐた。 「長森さんですか。」と云つて、駿介は狹い道をわきへよけるやうにして挨拶した。「おはじめてですが。私は杉野です。」 うつむいて、ゆるりゆるり重い足取りで猫車を押して來た女は驚いて顏を上げた。 「ああ、杉野のあんさんでしたか。これはこれはまア。」と、お石は小腰をかがめるやうにしたが、猫車の柄を押してゐる手を下におくことは出來なかつた。その小さな車には三俵もの米が積んである。お石は、 「此度はどうもえらいお世話様をいただきまして。」と云つて、顏に無智な善良な女のものである羞恥の色を浮べた。その顏は殆んど血の氣を失つた憔悴し切つたものであつた。唇までが土氣色であつた。喘ぐ息をおさへながら出す苦しさうな聲や、口中にわく生唾や、髪の亂れがへばりついてゐる額の汗のねばねばなどが、駿介には自分のもののやうなせつなさで感じられた。 「駄目ぢやありませんか。休んでなくつちや。そんな無理な仕事をなすつちや。」 駿介は思はず叱るやうな調子で云つた。猫車にこれだけの重量を積んで行くといふことは容易なことではなかつた。少くとも駿介如きにはまだ出來ることではなかつた。猫車の構造は車輪が一つなのである。上に荷物を載せる臺があり、車には柄がついゐて、普通の車は車に背を向けて引いて行くのを、これは前へと押して行くのである。非情に狹い田舎道をも、かなりの量の荷をつけて行くことが出來るやうにと工夫されたものである。人が押して行くのを見るといかにも造作無ささうだが、慣れるまではただ一つの車輪が今にもぐらりと行きさうで、中心を取つて行くことが容易ではなかつた。それは力を要したが、また力だけのものでもなかつた。ぐらりと橫に引繰り返ることは事實よくあつて、引繰り返つた以上は荷物をつけたままではもとへ直せるものではない。 「橫川さんにはずつと通つてゐますか。」 お石は低い聲で、ええ、と答へて改めてこの間からの禮を云ひ始めた。駿介はどういふ風な病氣なのか、醫者にかかつてからの樣子はどうかといふことを訊いてみた。お石の云ふことは曖昧であつた。初めは、人に知られたくないやうな病氣のせゐかと思つたが、少し話してゐるうちに醫者も話してくれないし、自分にもよくわかつてゐないのだといふことがわかつた。治療としては毎日洗滌してもらつてゐるだけだといふ。 「自分の感じではちつともよくはならないんですね。」 その問をさうだと肯ふまでには、お石は氣の毒なほどに色々餘計なことを云つて言葉を紛らしてゐた。何かの罪をでも承認させられるかのやうであつた。辨解でもするやうな云ひ方で、以前からの樣々な不快な症狀が、輕快せぬどころか、却つて惡くなつて行くやうだといふことを認めた。しかしそれを云つたあとで、それ等はみな、身體を橫たへて休んで居らねばならぬのに、さうした養生を守らぬ自分に罪があるので、いささかも醫者のせゐではないといふことを、くどいほど繰り返して云ふことを忘れなかつた。 そんな所の立話では、長話をしてゐるわけにはいかなかつた。間もなく駿介は、お大事に、と云つて別れた。 それにしてもお石は、あの三俵の米をどこへ持つて行くのであらうか?駿介は歸る途中そんことを考へた。精(しら)げるために水車場に持つて行くのだとは思へなかつた。三俵一時にではあるし、それに彼女の行く方向は違つてゐた。お石は飯米として今迄取つておいた米を賣りに行くのだとしか思へなかつた。よほど來てから後ろを振り返つて、お石がどの道に向つて折れ曲つたかを知つた時、駿介は自分の考への當つてゐることを知つた。 その時、駿介はまた森口に逢つた。 駿介は自分の疑心を率直に森口に語つた。駿介は醫師の橫川を全然知らなかつた。彼の人間も醫師としての手腕も全然知らなかつた。だから駿介が橫川を信用の出來ぬ醫師ではあるまいかと疑つた時、その疑ひには確かな根據はなかつた。それはただの感じだつた。しかしこの場合駿介は自分の感じを重んじた。お石の病氣の惡化、或ひは少しもよくならぬことが、必要な安靜を取らぬといふことにばかりあるのではないやうな氣がした。その氣持は橫川を語るお石のぽつりぽつりした話を聞いてゐるうちに起つて來た。橫川の手腕のほどはわからない。しかし彼は、はじめから施療ときまつてゐる患者に對しては冷淡であるやうな、そしてそのために手腕そのものも鈍つてしまつたやうな醫者の一人ではないのか。 「橫川さんといふ人をとやかく云ふやうでわるいけれど。ことに僕が全然その人を知らぬくせに、あなたが患者をさし向けて下すつた人のことを批評するのは間違つてゐるのですが。しかし患者に云ひ聞かせてもいいことを、否むしろよく納得させることが必要でさへあるやうな事まで、餘計なことを訊くな、と云はないばかりなのは、――もつともあの女は決してそんな風には云ひはしなかつたけれど、それは僕の翻譯なんだけれど、どうも感心しないんです。あのやうな、まア無智といつていい女には、病氣についてもよくよく安心の行くやう說き聞かせてやることが必要なんぢやないですかね。そんなやうな態度は、診立てや治療にも決して無關係だとは云へないと思ふんですが。」 森口も別に氣を悪くしたやうには見えなかつた。 「僕も橫川という人物は餘り知らないんでね。この家に居て親父を手傳つてゐたのは、僕の學生の頃で、その頃僕は東京で家にはゐなかつたんだし。僕が歸つて來てからは、時々向うから親父の所へ來るので、僕も逢つて世間話をする位なもんなんです。婦人科だもんで向うへ□したが、或ひはこりや僕の失敗であつたかも知れない。なに婦人科だつて僕が診れんといふわけはないんだが、田舎の醫者は、內科も外科も產婦人科も耳も鼻も眼も何もかも一緒で、誰も怪しまないんだが、僕はまだすつかりさうは成り切れんもんだから……そんなことを云つては居れない。追々僕もさうなつてしまふんでせうけれどね。」 彼はしばらく考へるやうにしてから、かう云つた。 「ぢや、かうしませう。一度藤崎さんに診て貰ふやうにしませう。」 「ああ、藤崎さんに。さうですか、さうして戴ければ。」 縣廰のある町に產婦人科の病院を持つてゐる藤崎氏の名を知らぬものは少い。人格、識見、力量の兼ね備はつた醫者として知られ、この地方の名士の一人である。 森口はすぐに手紙を書かうと、机の上に紙を展げにかかつた。藤崎氏は森口の學校の先輩である。 「藤崎さんのことは此間も、一番さきに僕の頭に浮んだんだけれど、何しろ少し遠いでせう。通ふといふことになると大へんですからね。それでああしたんです。」 彼は手紙を書き始めた。 その手紙を持つて、その翌日、駿介はお石に附き添つて、町の藤崎病院へ行つた。 お石は藤崎氏に診て貰つた。診察がすむ間駿介は待合室で待つてゐた。五十には尚少し間のありさうな、立派な顏をしたその醫者は、森口の添書を駿介の手から受け取つて披いて見た時の態度から云つても、駿介に充分な信賴を抱かしめることが出來た。 間もなく看護婦が呼びに來たので、彼はそのあとについて行つた。診察室の前の廊下に藤崎氏は立つてゐた。お石はまだ部屋に殘つてゐるものか、見えなかつた。藤崎氏は、 「あなたは、長森さんの御親戚の方ですか。」と訊いた。駿介は事實を云つた。森口の友人である彼が、この患者を、今日ここに連れて來るまでのことを簡單に物語つた。藤崎氏は頷きながら聞き終つて、 「さうですか。――實はあの患者は、手術をしなければならんものですから。」 「手術を?」 「ええ。あれは子宮外姙娠なんです。もう一寸のことで大變なことになるんでした。破裂して了つたらそれまでですからねえ。いい時にゐらして下すつたものです。」 駿介は思はずどきりとした。しかしすぐによかつた、よかつたといふ、喜びと安心とも云へる氣持に心が躍るやうだつた。 お石を待たせて、駿介は大急ぎで村へ歸つた。そして彼女の夫の萬次を連れて、再び病院へ戻つて來た。萬次は愚圖で働きがないと世間からも云はれてゐる男である。今朝、お石を連れて病院へ行くといふ時に、駿介は初めて彼と逢つて話をした。彼は自分の妻の病氣について大して心を勞してもゐない風だつた。駿介に云はれ、周圍の者が色々心配してくれるのを見て、初めてそんなものかと思ふ樣子であつた。しかしそれから四時間の後、病院への乘合の中で、萬次はこの寒空に汗ばむ額を手拭ひでおさへながら、落ち着きなく窓外を見やつてゐた。 病人の手術は、藤崎氏の執刀で、その日のうちに行はれた。 手術後の疲れと安心とから、うとうとしてゐるお石の蒼白い顏を見て、駿介はその日は夜になつてから歸つた。經過は非常に良好であつた。退院の日まで、時々來ては見舞つた。嘉助と一緒に來たこともあつた。退院する頃になると、どす黑いものが底に澱んでゐたやうなお石の顏の靑さがきれいに澄んで、乾いた皮膚も何となくしなやかになつたやうに見えた。顏はかなりに瘠せた。しかし肉が落ちたのではなくて、それが彼女の常態の顏なのであつた。入院前には、病氣と過勞とから心臓をいためて、顏にむくみが來てゐたのであつた。異常姙娠が手術的に處置され、安靜にして寢てゐる間に、もともと機質的に缺陥のあるわけではない心臓はすぐに平常に復した。貧血狀態も去つた。 病氣で寢てゐる間も、苦勞性のお石の心にかかつてひと時も離れない心配事があつた。このやうな立派な病院の一室に、このやうに鄭重な取り扱ひを受けるといふことは、まるで夢のやうなことである。さう思へば思ふほど心配は大きかつた。これら一切の諸掛りは一體どうなるのか。しかしさうした心配は一切無用だと、彼女がそれに就て何も云ひ出さぬうちに、さうした心配が患者の囘復にどんなに有害であるかを知り盡してゐる醫者から云はれ、駿介や嘉助からも云はれて、彼女は本當に安心した。それを聞いたあとは、何もかも忘れた深い深い眠りに落ちた。眠りから覺めては、皆の言葉を思ひ出して涙をぼとぼととこぼしてゐた。人前をも憚からなかつた。 安心し切つた彼女の眼の落ち着きは、彼女の容貌を以前とはまるで變へて了つてゐた。駿介は人間の容貌が短い期間に、このやうに大きな變化を示すことが出來るものとは思はなかつた。それは時には、例へば床の上に半身を起して、家から連れて來られた末ッ子を膝の上に遊ばせてゐる時などは、美しくさへあつた。それは精神的な美しさでさへあつた。深く沈んだ、人の心を和め溫かめるやうなものがその姿にはあつた。 肉體に必要な休養と、心の平安と滿足と感謝とが、どんなに人を美しくするかを駿介は初めて生きた實際として見たと思つた。それは貧しい農婦の上に現れたものだけに、特に際立つて見えた。だがこの狀態はお石の上に何時まで續き得るものなのであらうか?貧竆と過度の勞働と、心の不安と焦燥とが人をどんなに醜くするかをも、駿介は同時に見たことになる。 お石の手術料や入院費は、藤崎氏の好意で、殆んど無料だつた。しかし規則もあつて全然無料であるといふわけにもいかなかつた。その分は森口が進んで全部負擔してくれた。 お石が退院してから、駿介は、今度のことにつき、森口の所へ改めて禮を云ひに行つた。 「喇叭管姙娠て、さう診斷が難かしいものなんですか?」 「ええ、初期には診斷が困難なものです。ただの炎症か何かに思つて處置してゐたんでせうね。」 二人は暫くそんな風に病氣の話をした。 「今度は君のおかげで、幸に人一人の命を救つたけれども、ああいふ病人は決して特別の場合ぢやない、あんなのはざらにあると思はんけりやなりませんからね。」と、森口は云つた。 「ええ。」 「貧竆の程度だつて五十歩百歩です。病氣になつた時にすぐに醫者の所に來れる患者などはずつといい部類なんだから。無理をして押し通せる病氣もあるし、押し通し得ない病氣もある、――先達てもね、ひどく血を咯いたから來てくれと云ふんです。行つて見ると肺です。それも實にひどいんです。よく若い人に見るやうな、それまでさう惡くなくてゐて突然喀血したといふやうなのとは違ふんです。それがさうして倒れる直前まで畑に出て鍬を振つてゐたといふ。聞いてみると勿論咳も痰もひどく熱も高かつたが、年寄りが、そりや痰核(たん)だから醬油食ふな、といふんで、本人もそのつもりで鹽氣を出來るだけ斷つて通して來たといふんです。まるで滅茶ですね。しかしこれだつてただ無智といふだけですませますか?假りに肺病あといふことが本人にはつきりわかつてゐたとしたら、では醫者にかかつたでせうか?却つてかからなかつたんぢやないかといふ氣がするんです。――二三日前にも子供が眼が悪いからといふ、診ると惡いどころぢやない、角膜軟化でもう手遲れです。ヴィタミンAの不足から來る奴です――よく都會(まち)ぢや、田舎の人は健康だ、丈夫だ、と云つて、何かのお說敎の材料にまでしてゐますが、僕が醫者になつて歸つて來て、田圃道を歩いて見て驚いたのは、病人ばかりが眼につくことです。パゼドウ氏病で眼が飛び出してゐるやうなのでも、眞黑になつて田圃の眞中にゐさへすりや、人は健康だといふんでせうからね。田舎の人が丈夫だといふのは、無理を押し通す力の强さ、といふことなんです。――あの女は幸に、君といふ人に巡り合ふことが出來た。僕もなんとか力を盡すことが出來た。しかし君は同じやうな誰でもにあの女に對すると同じ手を差しべることが出來ますか?また僕は醫者だから經濟的な能力のないみんなにああしてやるべき義務があると云ふことになりますか?さういふことを考へると僕は實に憂鬱になるんだ。」 「………………」 「この間の晩、君と話しましたね。僕は田舎にゐることがいやだといふことの理由を色々と云つた。君から云へば薄弱だとしか思へないやうな理由を色々とあげた。君はそれに對して、田舎醫者として情熱をもつて事に當り得る事があるといふことを云つたが、僕も實にさうだと思ふですよ。しかし僕が醫者として田舎に居辛く思ふことの最大の理由は、あの晩は云はなかつたが、矢張君の云ふその仕事をずつと考へて行つたその先にあるもんなんです。人は心理的に一番壓迫を受けてゐるもののことは云はずに逃げてしまひ、その他のことを尤もらしく云ふといふことがあるものらしい。相手が自分と同じ立場に立つてものを云つて來た時に、それに素直に賛成しないで、却つて自分を反對の立場においてものを云ふ、ということを往々やるものらしい。あの晩の僕はさうだつた。しかし實際は今云つた通りだ。僕は最初から醫者、技術家といふものの限界を感じてゐるんだ。いや、既に實際においてその限界にぶつかつてゐると云つた方がいい。僕はこの二年間に少しは色んなことをやつて來てゐるからね。君があの女に對してやつたやうなことを。しかしその度毎に深くなつて行くのはどうしようもないやうな感じです。そしてかういふ感じから脱け出したいために田舎を出たいと考へて來る。今日日(きょうび)の醫者はどこへ行つたとて同じ感じを免れませんが、それでも都會では見たくないものを常に見なければならぬとは限らないし、社會施設だつてあるから、紛れます。田舎ぢや全貌がまるだしなんだから……そして總てが自分一人にのしかかつて來る感じなんだから。――それとも君は僕に、技術家以上のものたれと要求するんですか?」 駿介は答へられなかつた。若い醫者としての森口の惱みは、この前の晩とは異つたものとして駿介に來た。この前の晩以來、駿介の心の底には森口に對して一つの評價があつた。自分が持つてゐる程度の社會感覺をも持たぬ人間として森口を考へたことを駿介は恥ぢた。森口は默つて彼の任務と考へる所を實行して來たのである。ただその行爲は彼の恩顧を受けたもの以外には餘り知られてゐなかつた。森口の人柄にもよるし、恩を受けながら、特別な取り扱ひを受けたと人には思はれたくないといふ彼等の心理にもよる。 それでも尚駿介は、森口に云はずにはゐられなかつた。 「僕にも分らない。僕だつてあなたがわかつてゐることぐらゐのことしか分らない。しかしそれでも僕はあなたがかうして、田舎に留まつてゐてくれることを願はずにはゐられないのです。ほかの醫者がゐてもあなたがゐなければ、當然死んでゐるべき人間が、あなたのお蔭で一人でも生きたとすればそれは素晴らしいことではないでせうか。あのお石といふ女が、僕等の手で救はれなかつた時のことを考へて見るだけで充分だと思ひます。さういふ誇りと喜びは醫者の持つものとして大きなものではないでせうか。この地方の醫者として留る時、あなたは特別な人物です。掛替へのない人物です。しかしあなたがほかのどこかの土地へ行つた時、あなたは普通の人間です。醫者としてえらくなつたとしても、この土地に於ける程に特別な存在であることは出來ないと思ひます。醫者といふものの社會的な人間的な職分からしてあなたはどつちを取るか?僕は敢てさう云はずにはゐられないのです。勿論あなたはすべてを行ふことは出來ない。あなたには限界がある。しかしあなたが一個人であるといふ當り前な約束から來る限界を憂ふる必要はないでせう。またあなたが技術者以外の何かである必要もないと思ふ。政治家などである必要はないと思ふ。自分の能力に從つてやれるだけのことをやるほか、どつちみち道はないでせう。」 さう云ひ終つた時、駿介の心には何か滓のやうなものが殘つた。彼は云ひ切つたけれど割り切れぬものがあつて心に殘つた。殊に最後の一句はひつかかつた。事に當る當の本人が自分ではないといふこと、醫者でない自分が、實際に困難な一々の場合を想像することが出來ないといふことが、彼の心理に働き、彼の言葉の力を削ぎ取つてゐた。 森口は默つて聽いてゐた。 === 十 === 翌朝、駿介はいつもの時間に快い眠りから覺めた。床の中にゐた時から、ひどく暖かだと思つた。起きて少し動いてゐるうちにもう汗ばんで來た。 「馬鹿にあつたかだなあ、今日は、まさかおれのからだのせゐぢやないだらうな。」と、彼はお道に云つた。 「ええ、今日はえらうぬくといわ。」 「まるで時を間違へたやうだな。」 雨かな、と思つて空を見たが、空はまだほとんど暗い。雨らしい樣子もなかつた。 「じゆん!」と、彼は外に向つて呼んだ。裏口からじゆんが馬穴に水を入れて、下げて入つて來た。 「今日、お父つあんの代りにおれが行くからな、古崎へ。煙草の方はお前してくれろよ。」 「大丈夫?一人で。――はじめてやらうが、兄さんは。」 「はじめてぢやない。お父つあんに附いて行つたことがあるよ。」 古崎は二里ほど離れてゐる一寸した町で、鐵道が通じて居り、女學校がある。白砂の濵で聞えた海岸の景色が美しいので、夏には人の多く集る所である。この邊の百姓はこの町に肥を取りに行く。杉野の家でも行く。 この數日、駿介はお石の事にかまけて、家の事が人任せになつた。さういふことがあつた後には反作用的に家事に熱心になるのが常であつた。肥取りには今迄いつも父が行つた。駿介も附いて行つたことはあるが、肥桶を車の上に乘せたり、歸りの車を父に代つて引くことがあるくらゐで、汲み取りの仕事には從はなかつた。父を手傳ふといふよりは、何でも見習つておかねばならぬといふ考へからついて行くと云つた方があたつてゐた。 しかしこの仕事を今迄父にだけさせておいたのは不當だつた。彼が代つてやらぬといふ法はなかつた。車に乘せる肥桶は擔ひ桶よりは少し丈が小さく、近頃は昔より一層小さくなり、杉板の厚みは薄くなり、洗つて乾してでもおけばとても肥桶なんぞとは見えない綺麗な作りになつた。それは桶を乘せて運ぶ車の、荷馬車から手車への變化に應じてゐるものだつた。荷馬車は近頃餘り見られず、手車は普通よりは長めの荷車だつた。しかしそれでも、內容物の一ぱい詰つた桶一個の重量は、十貫はあらう。八荷あるひは十荷を積んで引くにはずゐぶんの力がいる。若者がゐないならともかく、若者がゐながら年寄りの仕事にしておく法はないのである。 駿介は、間もなく起きて來た父にも、 「お父つあん、今日、古崎へはわたしが行きますから。」と云つた。 「さうけ。お前ひとりでええかな。」今日は自分が從のかたちで附いて行かうかといふことを駒平は云つた。 「なに、いいですよ、ひとりで。――じゆん、辨當を作つてくれよ。辨當は竹行李のを持つて行くから。塗箱のぢやなく。」 飯を食つて少し休んでから駿介は出掛けた。今日は始めてのことだから、八荷だけにした。車を引いて行くうちにあたりがだんだん白んで來た。町がまだ眼ざめぬうちに汲取りをすますやうにしないと、人々に嫌はれる。それで今朝はいつもよりは早く起きたつもりであつたが、この分だとさうはいかぬと思はれた。それに不慣れなために、時間を多く食ふといふこともある。 依然暖かであつた。雨を持つてゐる濕つぽいやうな暖かさではなしに、ほんとうに春が來たやうな、肌ざはりのいい、のんびりした暖かさであつた。しかし餘りに急に來たので、からだの組織がだらけて行く不快さがあつた。二月の中頃から彼岸頃までは、氣候が屢々變調する。突然四月過ぎ五月はじめ頃のやうな陽氣になつたかと思ふと、また俄かに冬の寒さが來る。空から白いものを見たりする。今日もさういふ日の一つだと思つた。駿介ははじめ襟卷と手袋をしてゐたのを、汗ばんで來たので取つた。が、少しすると、車の引手を持つ手がねちやつくので、手袋だけははめて行つた。 前、後ろを見ても、同じ車が行くのは見當らなかつた。彼が引く車の車輪の音だけが靜かな朝の空氣を破つた。暫くするとその音に、もつと大きな他の音が後ろの方から追ひつくやうに重なつて來るので、振り返つて見ると、空の荷馬車が一臺だつた。そしてそのもつと後ろには、駿介のと同じ車が二臺前後して來るのが見えた。何か急いでゐるやうな荷馬車はすぐに、ガラガラと大きな音をさせて彼を追ひ越して行つた。バラスが路面にはみ出してゐるやうな道なので、音は殊更に大きく、通り拔ける時、馬の手綱を取つてゐる男が何か云つたのも駿介には聞きとれなかつた。駿介は返しに、大きな聲で朝の挨拶を云つた。車の音は間もなく遠ざかつて行つた。するとそれが消えたと思ふと、すぐ耳のわきに若々しい話聲がして、振り返つて見る間もなく、二人の學生服の靑年が背中にリユクサツクを負つて、輕くはずむやうな足取りで通り越して行つた。朝靄の中から生れ出たやうで、駿介にはそれがいかにも新鮮な感じだつた。リユクサツクを背負つた學生や、さういふキビキビした若い聲は久しぶりなだけに一層だつた。白砂の濵で聞えた町はもうかうした人々を呼ぶ頃になつてゐるのであらう。彼はそこにも季莭を感じた。靑年達の後ろから何か話しかけてみたいやうな愉快な氣持になつた。 兩側の畑にはぼつぼつ百姓の姿が見えはじめた。この邊になるともう村も違ふし、知つた顏も全然なかつた。人の畑の麥や蠶豆などの生長の樣子が注意されて、自然自分の畑のものと較べて見るやうな氣持になつた。道の右側が溜池の土手に盛り上つてゐる所へ來ると、その土手に白い花をつけた木が一本、ぱあつと浮き上つて見えた。近づいて見ると梅の相當な古木であつた。花はもう終らうとしてゐる。根もとから少し離れて下に、地藏尊が裸のままに祀つてある。雨にさらされて赤い涎かけの色もさめてゐる。公園の芝生のやうに柔かさうな美しい枯草に緻密に蔽はれてゐた。駿介は晝の辨當が、歸りにここで使へるやうだと好都合だと思つた。この枯草の上でなくたつていい。土手の向う側だつていい。そこは水が見えるし、水際には背黑鶺鴒がゐて尾を振つてゐることだらう。 しかしこの梅に一杯の靑梅が生(な)つたらどうするのだらう。それは一體誰のものになるのだらう。そんなことを考へながら、彼はその土手の下を通つた。 間もなく道は海岸に沿うて曲つた。海は右側に、かなり高くなつてゐる道の下の方に、すぐ近くに見えた。眼界が展けると同時に、磯の香がぷんと强く鼻をついた。丁度雲が出て朝の光りを包んで了つた海上には、きらきらした輝きはなかつたが、ゆつたりした春の海らしいおだやかさがあつた。波の引く音も聞えるか聞えぬか位であつた。小さな入江を成したその一郭だけの漁師町である。まだ舟は出てゐない。網がひとげて干してある。時々來る生臭いにほひは、その網の目を通して來る風のやうな氣がする。砂の上に石を組み、その上に据ゑた大きな鐵の釜から白い湯氣が上つてゐる。附け紐をだらりと下げた子供が艫(とも)に腰をかけて無心に朝の海をながめてゐた。 やがて海の代りにまた畑になつた。道は突き出た岬の根もとの所を通つてゐる。そこを過ぎて少し行つて、駿介は古崎の町へ入つた。 靜かな朝の町へ彼は入つて行つた。小さな町はまだ大方は眼つてゐるやうだつた。駿介が肥を取る家の並びは町の中心から少し外れた所であつた。しもた屋があり、また商家があつた。彼は朝起きることの早い商家から取つて行くことにした。 それでも早い家はもう起きてゐた。表がしまつてゐる家でももう起きてゐるかも知れない。それで駿介は、どの家へも、先づ表から、 「お早うございます。掃除屋です。」と聲をかけてから、柄の長い柄杓を持つて、家のわきについてまがつた。便所は大抵石で土臺がしてあつて、その土臺の一部が、一尺足らずの幅に切られ、取り外しもし、はめ込みも出來るやうになつてゐた。それが汲取り口だつた。取り外し得る石の表面は兩方から抉り込み中央だけ高くしてそこが把手だつた。駿介は柄杓を側に立てかけ、その石を取り外してから、表へ行つて、桶を持つて來た。 駿介はまだまるで慣れてゐなかつた。汲み取ることは今日が始めてだし、汚物の臭ひにもまだ慣れてゐなかつた。彼は百姓になつてまる一年だが、彼の百姓は世間一般の百姓に較べて、まだまるで綺麗事だつた。駒平は息子を急には汚物の中に押しやりはしなかつたし、駿介自身もことさらに避けるわけではなくても、進んで近づくこともしなかつた。しかし彼は自分がさういふ百姓であることを知つてゐたし、それでいいともそれですませるとも思つてはゐなかつた。下肥を扱はぬ百姓などといふものはなかつた。 彼が柄杓の音をカラカラ云はせてゐると、家の奥の方に人の動くけはひがあつて、間もなくすぐわきのガラス戶が明いて、丹前姿の女が顏を出した。 「掃除屋き〔ママ〕ん、すつかり取つて行つて下さいよ。いつも少し殘つてゐるよ。」それからおや、といふやうな顏をした。「いつもの掃除屋さんとはちがふんだね。」と云つて、ピシヤリと音を立てて戶をしめた。 昔は三度に一度は車の上に季莭の靑物をのせて持つて來て、その一把二把を臺所口におき、頭を下げて肥を取らせてもらつた。それが今はこの地方でも汲む方が月に拾錢づつもらふことになつてゐた。出してゐた方がもらふ方になり、拾錢が間に入ると、相互の態度も亦一變した。大都市の市營の汲取人夫のやうなことはないが、それでも汲む方は昔のやうに頭は下げなかつたし、他方はまた、それ迄は愛想の一つも云つたのが、ひとくつけつけものを云ふやうになつた。來やうが遲いとか、取り方が汚ないとか、始終何かかにか□言があつた。 駿介は一軒の家で豫想外の時間がかかつた。慣れぬ上にいい加減には事の濟ませぬ性質だからである。底の方は到底見えぬ壺の中を、不自由にしか動かぬ柄杓をカラカラ云はせながら、抄へるだけは抄はうとした。彼の嗅覺はたやすくは鈍ることは出來なかつた。彼は殆ど肉體的な苦痛を感じた。額や脇の下や脊筋に感ずるねばつこい汗は今日の特別な暖かさのせゐばかりではなかつた。臭ひは氣體を傳つて來るのではなくて、臭ひそのものが眼に見えぬ氣流となつて、眼にも鼻にも皮膚にも滲み入るかと思はれた。彼はぼーつとした氣持になつて、一杯になつた桶を擔ぎ棒で擔つた。肩に來る痛さで彼のあらゆる感覺は蘇つた。天秤を擔ぐことには幾らか慣れてゐた。野に掘つた井戶から畑に水を運ぶ仕事で經驗ずみだつた。それでも時として足もとの覺束なげに思はれることもあつた。 まだ豫定の家をすつかりまはらぬうちに、段々日が高くなつて來た。町では丁度朝食の時刻である。「いやな時に來るね、汚穢屋は。」と彼は一度ならず怒鳴られなければならなかつた。 「それ、蜜柑の皮の乾したのがあつたつけ。あれを火鉢に燻べておおきよ。」などと叫んでゐる聲も聞えた。日が高くなると暑いくらゐであつた。季莭外れの大きな蠅が一匹、羽音をさせてしつこく桶のまはりを飛んで離れなかつた。 冬は矢張り溜る量が多いと云はれてゐた。その通りで、豫定して來た家を全部まはらぬうちに桶は大方滿ちて了つた。車を引くにはもうひどい力がいる。彼は流れる汗を拭ふまもなく、車を引いて最後の家へ□つた。 そのあたりは家もまばらな、木の多い靜かな界隈であつた。彼は一本の木の下に車を止めて、汗を拭いてゐた。道の向うから、若い背廣姿の男が、着飾つた若い女を連れて、ぶらぶらした足取りでやつて來る。男は帽子を冠らず、髪を濡羽色に、きれいに後ろに撫でつけてゐる。手には空氣銃を持つてゐる。寫眞機や何かではなくて、空氣銃といふところが田舎だと、駿介は微笑させられた。專門學校を出たてのサラリーマンといふところであらう。この町にだつて銀行の出張所ぐらゐはある。ふと駿介は今日が日曜であつたことに氣づいた。そして今朝がたのリュクサックの學生を思ひ出した。 二人の男女は駿介をじろじろ見ながらわきを通つて行つた。通り過ぎて少しした時、後ろで、「眼鏡をかけたりなんかして。」と囁くやうに云つた女の声を聞いた。くすくす笑ふやうな聲も聞いたと思つた。駿介はしかし振り返つても見なかつた。彼は別に腹もたたなかつた。 田舎へ歸つてから、薄暗い明りの下で、ちやんと机に寄るでもなく本を讀むことが多くなつたせゐであらうか、駿介は此頃眼が近くなつてゐた。それでニッケルの緣と安物のレンズで間に合した眼鏡をかけてゐた。眼鏡をかけた汚穢屋、これは通りすがりの眼には笑つて見たくなるやうなものかも知れない。 駿介は一つ殘つた空の桶を下げてその家の裏手へまはつた。 やがてそこをすましてから駿介は歸途についた。小さな町ながらちまたには車馬が行き交うてゐた。うぶてのやうに飛んで來る小僧の自轉車は殊にあぶなかつたから、彼は注意しながら本通りを横切り、村々に通ずる街道へと出た。 車は重かつた。今までにも父に代つて引いたことはあつたが、今日はことに重いやうな氣がした。それだけ疲れてゐるのであらう。ややうつむき加減にして、ぐつと力を入れると、顏に力みが來て、眼に血が寄り、顳顬がぷくつとふくれる。所々で休みながら行つた。たばこを吸はぬ彼は休んでゐる間が手持無沙汰で、少し息をつくとすぐに又引き出すといふ風だつた。それでも豫定通り、晝飯は、朝來る時氣をつけておいた梅の木のある溜池の土手で食ふことになつた。梅の木の下ではなく、土手の向う側で、池の水際の石の上に腰をかけて食つた。水を見ながら食ふのはよかつた。池で手を洗つても洗つても、臭ひが殘つてゐるやうだつた。じゆんの作つた辨當の菜は、ゆうべの殘の蒟蒻と里芋の煮しめであつた。あれほど働いたあとなのに、いつものやうに食欲がなかつた。 やがて家へ歸り着いた。 肥溜は家の側に肥桶小屋があつた。小屋には、高さ五尺、差渡し六尺の大きな桶が二つ、地中に埋めてあつた。畑の緣にも同じやうな桶がいくつか埋めてあつた。歸ると駿介はすぐに車の桶を下ろしにかかつた。兩側に出てゐる短い二つの把手についた繩をつかんで下す。重いから身體にすれすれに、抱きかかへるやうになる。 ある一つの桶を下してしまつてから、駿介はハッと氣づいた。彼の股引の膝から少し上が、汚物にしととに濡れてゐるのだ。勿論下す時、彼は桶を傾けたりはしなかつた。ただそれは桶の底の一部が觸れた所であつた。不審に思つて眼をあげて車をみると、車の簀子板の上も亦しととに濡れてゐる。 桶は漏つてでもゐるのであらうか? 彼は益々不審の思ひを抱いた。それで次々に殘る七つの桶を下に下して見た。そして彼は知つた。八つの桶が四つづつ二側に並べてある。その一方の側の三箇の底が全部濡れてゐるのだつた。が、果して桶の底が漏るのかどうかは、むろん中身を一度あけて見てからでなければ、調べるわけにはいかなかつた。 しかし駿介はすぐにもう一つの新しい發見をした。 漏つてゐるのは、底は兎も角、今すぐに眼につく所では桶の側(がは)なのであつた。一つの桶の側の一ヶ所或ひは二ヶ所から、細い紐のやうな線を成して、水が垂れてゐるのだ。 その漏れ出て來る元を、駿介はさぐりあてた。 板と板の合せ目が、何かのひずみをなし、隙間が出來て、そこから漏れ出てゐるといふやうなことではなかつた。それは小さな圓い穴であつた。桶の側を成してゐる杉板を貫いてゐる圓な穴なのであつた。その大きさは、尖の細い錐で揉んだのとほぼ同じ位のものだつた。 これは何かの蟲によつて作られた穴とも思へない。その形から考へるなら、これは明らかに一爲的に作られた穴だ。それは疑ひない。 ではそれは一體何時作られたものだらう。今朝車にのせた以前にか?以後にか?何も一々調べてから車にのせたわけではないが、それ以前にであるとは思へなかつた。 彼は家にゐる誰かを呼んで訊いてみようと思つた。何かの心當りがあるかも知れない。彼は聲をあげやうとした。――が、すぐにもう少し自分で調べて見てからと思ひ返した。 不意にある一つの考へが稻妻のやうに彼の腦裡に閃いた。彼はまさかと思ひ返した。が、もしやといふ考へを到底棄て切ることは出來なかつた。疑惑を確かめようとする方法に思ひ至ると彼は迷つたが、それでも兎も角やつてみることにした。 彼は桶を小屋へ持つて行つて、その內容物を少しづつ柄杓で抄つては、肥溜にあけた。彼が尋ね求めるものは、若し桶の中に存在するとしても細小なものであつた。それは水中では沈下すべき性質のものである。しかし桶の中は單純な水ではない。それは必ず桶の底に沈んでゐるとは限らない。むしろ來雜物のために、途中で妨げられてゐると見た方がいい。彼は萬一の場合を賴んでゐるのである。 第一の桶は無駄だつた。第二の桶も無駄だつた。柄杓で段々に抄つて行つて、殘り少くなると、彼は桶の下を持つて、傾けて、柄杓の中へあけた。さうして完全に底を干す瞬間は、彼の全身が期待で一杯になる時であつた。その期待が二度もすつぽかされ、彼は失望した。が、第三の調べるべき最後の桶は、來雜物の最も少い、殆んど水ばかりでのものであつた。しかもその桶には二つ穴があいてゐた。捜し得る可能性は最も多いわけであつた。彼は非常に愼重に事を進めて行つた。 最期に桶を傾けた時、彼の期待に輝いた眼は、柄杓の中に流れ込もうとしてゐる殘り少くなつた水に、危く一緒に流されさうになり、流されまいとしてたゆたうてゐる一つの黑い小豆粒大のものを見た。彼は手の汚れるのを意とせず、指先でそれをつまみ上げた。 駿介の豫想は外れなかつた。それは鐵か鉛かの小さな丸(たま)であつた。それは空氣銃の丸であるに違ひはなかつた。 駿介はその丸を掌にのせてしばらく見詰めてゐた。それからそれを地上に落した。そして井戶端に手を洗ひに行つた。 彼は腹からの憤りをおさへることが出來なかつた。洗ひながらもその洗つてゐる手の先がふるへるやうであつた。はじめ黑い丸が空氣銃の丸であるとはつきり知つた時、自分の豫想がぴたりと當つたと知つた時、彼は笑ひたいやうな氣がした。彼には事柄が餘りにも馬鹿馬鹿しかつた。しばらくでもその上に心を留めるだけのねうちのない事、まして腹を立てなぞしたら、こつちが汚されるだけのやうな氣がした。それでふふんといふ面持で、丸を地上に落して手を洗ひに來たのだが、彼の心は到底それですますわけにはいかなかつた。馬鹿げたことと笑ひに消さうにも、穴のあいた桶はどうにもならず眼の前にある。桶の新調といふことは少なからぬ現實の負擔である。 しかしさういふ經濟上の事は實は次の次なのだ。腹立ちの一つの根據として頭のなかで思ふだけだ。心が苛立たしく煮えて來るのは、さういふいたづらをする人間の心事を思ふことからだつた。さういふ人間の心事といふものは駿介にはわからなかつた。別に何等の惡意もない、子供のやうないたづらだと云つてすまして了ふことは出來る。しかしあの男は子供ではない。あの男が第一何故さういふことを思ひついたのか、思ひついてそこに何等それを制止する心理が働かぬのか、それを敢て實行して了つた時に何故愉快であることが出來るのか、――愉快でなければ五六囘も同じ行爲を繰り返すことは出來ないだらう――さういふことになると、駿介には、わかるやうでわからなかつた。一通りの心理學的な說明はついても、あとには必ず滓のやうなものが澱むのだつた。意味のないいたづら。これは時にはおそるべきものだ。人間性の隱微な所に深く根ざしたものから來るらしい。――⦅どうも人間がちがふんだ、ああいふ人間は⦆彼はさうとでも云ふよりほか仕方がなかつた。 空氣銃の丸を桶に向つて打ち込んだ時の、あの男の一擧一動が、駿介の眼には見えるやうだつた。駿介が立ち去るや否や、あの男は立ち止り、連れの女を返り見て、何か意味ありげに笑つて見せただらう。彼はその考へを、駿介の顏を見た瞬間から思ひついたのに違ひない。女も亦意味なく笑ひ返しただらう。やがて銃を取り上げた彼の顏には、鈍い、どす黑い、たるんだやうな表情がある。別に狙ひを定める必要もなく、無造作に打つ。何か餘計ものを打つちやりでもするやうな調子に打つ。ぷすつといふやうな冴えない音がする。昔から見ればずつと薄くなつた杉板から出來てゐる桶の側にはたやすく穴があく。汚水が漏れ始める。女は咽喉の奥でくつくつといふやうな聲を立て、化粧した顏の半分をショールに埋めて身體をくねらせるやうにする。男はにやにやして、そのにやにやは女の座興にまでなつたことに得意を感じたからであるが、新に丸込めしてはぷすつと打つ……。 ふと駿介はある一事を思ひ出した。 彼が東京で平山の家に家庭敎師として通つてゐた時のことだつた。平山の息子を中心とするグループが、その家に集つて、いつものやうに取り止めない雜談に興じてゐるのに逢つた。彼等の熱心な話は、常に、駿介などの思ひもよらぬ途方もない所で行はれてゐるのだが、その時はどういふきつかけからか、蕎麥屋の出前持のことが話されてゐた。つまり出前持が、幾つもの丼や蒸籠を、自分の身の丈ほども高く積んで肩に載せて、平気で自轉車を乘り□す、あれがどう考へて見ても奇體だといふのである。そのうち、あの今にも落すか落すかと思つて見てゐても、遂に落さぬのがどうにも癪だ、といふものが出て來た。うん、と他の者が相槌を打つた。すると、あれが引つ繰り返るのを見たら愉快だらうなア、痛快だらうなア、といふものが出て來た。引つ繰り返して知らん顏してゐたら一層痛快だらうぜ、と他の一人が云つた。さうだな、ちやんと仕組みをしておいて、物蔭から、轉ぶかどうか固唾を呑んでゐるのはスリルだからな。――スリルはよかつたな、ハハハハハとみんなが笑つた。そんなこと出來るか、と遂に一人が出來るならやつて見たいもんだぜといふ氣持を込めて云ふと、他の一人が、出來なくつてさ、この家の勝手口から、表道路へ出る所の溝板の上へバナナの皮でも取り散らかしておかうもんならそれつきりさ、と云つた。それから尚もみんなしてガヤガヤと、ほんとうにさういふことをやりかねまじき調子で話し續けてゐた。 その話の結末がどうなつたかを駿介は知らなかつた。つまり勢の赴く所實行に迄なつたか――まさか、實行されたとは思へず、駿介はこの學生達は特別なんだと思つた。餘りの馬鹿馬鹿しさに、親しい者との間の茶飮話にもならず、そのまま忘れてしまつてゐた。「意味のないいたづら」といふ點で共通な、今日の事件に逢ふ迄は思ひ出すこともなかつた。 しかし今日は、ただ馬鹿げたことと笑つては了へぬ氣持に駿介はなつてゐた。あのやうな「意味のないいたづら」の心理は、特別ではなく、人間に根深いもので、社會の色んな所で色んな行爲として現れてゐるのだと思つた。彼が見た二つは最も單純な、また最も馬鹿げたものだ。もつと複雜な勿體ぶつた、時には眞面目でさへある外見をもつて行はれ、社會的に大きな影響を持つものさへもあるのだと思つた。そして社會的事實の中からさういふものを思ひ出さうとした。――それは無智には違ひないが、何に根を持つた無智なのであらうか。彼にはわからなかつたが、今日彼が逢つた一事件は、人間の肉體的な勤勞が、今日の社會では、それとは無關係な世界からいかに下等な方法で、意味なく侮辱されることもあるかといふ、特殊具體的な事實として深く彼の腦裡に刻みつけられたのであつた。 穴のあいた肥桶は、眞綿を細くして穴へ詰めて、當分そのまま使ふことにした。 === 十一 === 駿介は愈々伊貝に逢ふことになつた。 駿介はあらかじめ岩濵村長からの紹介狀を同封した手紙を送つて、訪ねて行く日を通知した。その手紙を書くのに、彼は夜寢る前のかなり長時間を費した。卷紙に毛筆で書くのは不慣れだつたし、文體も彼が日頃書き慣れてゐる手紙文とは違はねばならなかつた。文章の細かな所にも實に氣を使つた。相手が無學な一老爺でないことは、產業組合の理事長といふ彼の公職からも、世間が彼について云ふ所からも知れた。ずべての形式に拘泥する人間でないといふことも決して云へぬことであつた。相手の人間が詳細にわからぬ以上は、形式は重んぜられねばならなかつた。 最期に彼が思ひ惱んだのは面會の日をきめるに當つて、向ふの都合を訊いてやるがいいか、それとも何日何時にお訪ねするから宜敷お願ひするといふやうにしたがいいか、どつちにしようかといふことだつた。禮儀から云へば前者の方だが、返事を書くことを億劫に思ふ人もあるし、それよりも體(てい)よく面會を謝絕する餘地を與へるといふおそれがあつた。彼はそのことに暫く引つかかつてゐたが、結局あとの方を取ることにした。 手紙は三度も四度も書き直した。彼は今時の靑年としては手跡に巧みな方であつたが、鍬を取るやうになつてからは拙くなつたのが自分にもわかつた。さういふことを氣にし出すと氣になるのだつた。何時の間にか汚れた手の指紋が卷紙の片隅についたといふやうなことで、折角書いたのを書き直したりした。神經質になるときりがなかつたが、彼はそれほどまでに、伊貝との面會を、話の成否を、重要視してゐたのである。 手紙を出してからも、都合が惡いといふやうなことを云つては來はせぬかと、その日の夕方が來るまでは氣がかりだつた。 さうして駿介はその日の夜、きめた時間に伊貝の邸宅の玄關に立つたのである。どれ程も待たされることなく客間に通された時、彼ははじめてホッとした。 この茅葺の家は近頃の粗末な建物ではなくで、百年の餘りを經て益々その堅固さと床しさとを見せてゐるやうな田舎の舊家の一つだつた。通された八疊の客間にもいかにもさういふ家の一間らしいくすんだ落ち着きがあつた。やがて茶を持つて來た女中が引き下つた部屋の中を見□し、床間の壁にかかつてゐる福(ふく)の七言絕句の最初の一句がどうにか讀めたと思つた時に、廊下に足音としはぶく聲とがした。その足音はちよこちよこといかにも忙(せは)しげなもので、しはぶきも續けさまに二度三度大きくやつて、それがいかにも聞えよがしで、これから俺がそこへ行くぞ、と云つてゐるやうにも聞えた。襖があいて人が入つて來たので、入口からやや斜めに坐つてゐた駿介が身を開いて、入つて來る方に向つて會釋しようとする間もなく、 「やア。」と、言葉がかかつた。そして矢張小さくはしつこいやうな身體の動かしやうで、すつと通つて、紫壇の机の向うに坐を占めると、まだ挨拶も交さぬ駿介の顏を、眞正面からじろじろと見た。駿介が咄嗟に切り出しやうもない感じでゐると、ははははと笑つて、 「やあ、これはこれはようこそ。」と、初對面の挨拶をはじめた。駿介を挨拶を返した。 ひどく人を食つてゐるやうにも、氣さくな面白い所のある好々爺のやうにも見えた。外見はいかにも貧弱な一老爺に過ぎなかつた。小さくて、瘠せてゐて、頭髪は眞白で、そのせゐか顏は殊更赤くて、酒飮みらしく口元に締りがなく、そこはいつも濡れてでもゐさうであつた。眼は大きく、少し反ッ齒であつた。反ッ齒が與へるはしつこい感じにふさはしく、彼はいかにもせかせかと話した。 「あんたのことは岩濵君からざつと聞きました。杉野の家にあんたのやうな息子さんがあるとはついぞ知らんかつた。東京の學校を途中に止して歸られたんやさうなが、それは惜しいことを。ぢやが、村のためには或ひは却つてええことかも知れんて。あんたのおぢいさんの杉野伊與造氏とわしとは敵味方ぢやつた。こりや、縣會での話ぢや。もつとも年は親子ほども違うたでな。議席で顏を合しとつたのはほんの僅かの期間のことぢや。それにわしはたつた二期しか縣會には出やせんし、そのうちに伊與造氏は亡くなられた。縣會に限らず、一體に選擧騒ぎなんぞに血道をあげるもんぢやないわ。家の財產(たから)を皆無うするで。杉野の家はその手本ぢやぞ。ははははは。したがお前さんはよう伊與造氏に似とる。顔かたちは生き寫しぢや。伊與造氏はきつい人であつたがな。お前さんもか?お父つあんはたつしやかな?近頃めつたに逢ふこともないが。してまた今日は何の用事で見えられた、わざわざ。」 彼はそんな風に抑揚のない調子で一息に云ふと、ぴたつと止めた。相手の意志や、自分の言葉によつて誘はれる相手の感情などは、全然無視してゐた。云ふだけ云ふと訊かうとすることのために、だまつて耳を向けてゐるといふ風だつた。 しかし駿介は驚かされてゐた。彼は伊貝がこんなに一見愛想よくしゃべり出すやうな人間であるとは想像してはゐなかつたのである。彼は氣が樂になつた。何れにしてもそのやうに相手の方から云ひたいことを云ひ、聞きたいことを尋ねて、會話をむしろ相手がリードして行くといふ方が、駿介としては對し易かつた。最初からどこにも取り附く島のないやうな場合だつて駿介は想像してゐたのである。 「岩濵さんから何かお聞きになりませんでしたでせうか?」 「いんや、何にも。岩濵君からは、近頃村へ歸つた有望な靑年ぢやけに一度逢うてやつてくれといふことでな。それに何か話もあるとか。それでほかならん杉野の息子なら、そりや逢はずばなるまいと思うてな。」 「實はお願があつて伺つたのですが……しかしそれは私自身の事ぢやないのです。お宅に作らしていただいてるなかに廣岡といふのがありますが……。」 「あんた、小作のことか。」 訊かれた廣岡の名には答へず、さう云つた。聲の調子も變り、じろつと橫顏を見られたやうに思つた。駿介は相手の顏から少し視線を逸らしてゐたのである。 「小作の事だつたらそりや沼波に話してくれたらいいが。」 「ええ。岩濵さんからもさうは云はれましたが、しかしその事がなくても一度あなたにはお目にかかりたいと思つてゐたものですから。」 事實は沼波に話したところで、却つて多くの時を要するばかりであらう、最後の決定は伊貝にあるのだから、とさう思つたに過ぎない。 「それで廣岡がどうして君に。」 どんな話かと訊くことよりさきにさう云つた。小作のことと云へば訊かなくてもわかつてゐる、といふ心のやうに見える。 「廣岡と父とは特別懇意にしてゐる、それでだと思ひますが。」 自分が此頃村の人々の一部からある眼をもつて見られ始めて來てゐる、それについて自分の口から云ふことは出來なかつた。 するとその時駿介は伊貝の表情が、今迄見せなかつた動きを見せたと思つた。瘠せて尖つてゐる彼の顏に、何となく相手をひりつとさせる鋭いものが動いた。話ながらも彼は顏の向きを色々にする、それでこつちから見る角度が變る、その時どうかとすると一種の精悍さが現れるのだつた。そしてそれは始終動いて止まぬ出目と、物を云はぬ時も唇の合間からのぞいてゐる、年寄りにしては白い反ッ齒と、その二つが作るものである。伊貝は駿介の顏を眞直ぐに見て云つた。 「お前さん、今つから、小作の片棒擔いで走り廻るな、どうも感心せんこつてすなあ。」 伊貝はわざとらしくいい言葉で云つた。「……こつてすなあ――。」と語尾を長く引つぱつた所には、今迄の彼とちがつた様々な表情があつた。早くもそこには警戒と嫌惡と敵意と侮蔑と嘲笑とがあつた。彼の顏は笑つてゐた。 「いいえ。さういふわけではありません。」 あわてて打ち消すやうに云つて、駿介の顏も笑つてゐた。しかしその笑ひは覆ひ得ない狼狽の故に、みじめにも笑止にも見えた。彼はしまつた、といふ氣持だつた。話のまだ初端(しよつぱな)から相手にそのやうに出られたので、歩調が亂れてしまつた。東京から村へ歸つた學生上りの靑年が、小作に何か賴まれて地主の所へやつて來る、――何も聞かずに、ただそれだけのことですぐにもある一つの想像と解釋とが待たれる。成程そんなものかと、駿介は今はじめて思ひ知つた。廣岡の名など最初に出したのは拙かつたか。廣岡は多くを自分に語つてゐるわけではなく、自分に語らぬどんな縺れが伊貝との間に伏在してゐるか知れないからだ。しかしこのまま彼に突つぱねられてはならない……。 「お宅の土地に去年の秋から遊ばせてある土地がございますね。八幡様の裏手の方に。」 しばらく默つてゐた後に、今までとはまるで無關係なことでも語るやうに、駿介は云つた。 「ええ、ありますわ。」 「あれをどうなさるおつもりですか。勿體ないと思ひますが。」 「春にでもなつたら傭でも入れまつさ。沼波はそのつもりで居るんやらうと思ふ。」 「傭を入れちや合ひませんでせうが。失禮ですが、あの土地では。」 伊貝はまたじろつと駿介を見た。何をぬかすか、と云はんばかりだつた。しかし伊貝は默つてゐた。駿介の云ふ通りだと、彼が思はぬ筈はない。 「小作には作らしなさらんのですか。」 「無論作らせますわ。わしは地主(ちしゆ)ぢやけに。」 彼は駿介を意味あり氣に見た。 「年貢さへきちんと納める者やつたら作らせます。わしは地主ぢやけにな。」 地主ぢやけにな、を繰り返し、それから、「お前さんにだつて作らせますぞ。年貢さへ間違はにや。」と云つて、突然大きな聲で笑つた。 「私にでなく、廣岡に作らせて下さい。」 間髪を容れず、駿介は切込んだ。そして伊貝を見た。伊貝は默つて、やつくり駿介を見返してから、 「ほう。」と、顎を突き出すやうにして云つて、何か感心したやうな、とぼけたやうな顏をした。 二人は一寸の間默つてゐた。 「そりや、無論、廣岡だとて構はんが。」 「是非とも一つ廣岡に作らせてやつて下さい。御承知のやうに廣岡は少ししか作つてゐないのです。家族は多いですし、あれぢやとてもやつて行けるわけがありません。煙草があるものですから、まアどうにか浚いで來れたのですが。それで色々にして作らしてもらふ田圃を求めてゐますが、村の今の狀態ぢやおいそれと望みが適ふわけはなし。――廣岡は現在丁度あそことは地續きの田圃を作つてゐることでもありますから、――しかし廣岡があすこを作るためには……。」 「うん、……それで?」と、伊貝は駿介の言葉を受けて、そのあとに何かを期待するかのやうであつた。 「そのためには、今迄のあすこの御年貢通りぢや、とても作れつこはありません。廣岡でなくほかの誰でも……、假に私が作らしていただくにしても、御年貢の點をもう少し何とか考へていただかなくちや、作れないと思ひます。」 駿介は遂にそれを云つた。彼は語氣をも强めず、平然とそれを云つてのけたが、心では樣子如何にと相手を見極めるやうな氣持であつた。すべてはこの一事にかかつてゐた。 「ふむ、なるほど。」と伊貝は云つた。 駿介は半信半疑のままに緊張した。 「ぢやあ、仕方がない、廣岡にや止めてもらふんだね。」 駿介はぐつと言句につまつた。 彼等はどつちからともなく顏を見合つた。ちらつと彼等の眼が合つた。瞬間にしてその眼は離れた。それきりまたしばらく沈默した。氣拙さが二人の間に來た。 その氣拙さのなかにしかし駿介は活路を直觀したのである。このやうな氣拙さの出所を駿介は直觀した。伊貝がただ冷然と駿介を突つぱねる、それだけからはこのやうな氣拙さは生れなかつた。突つぱねることに充分な强さがあり、確信があればこのやうな氣拙さは生れなかつた。伊貝は、かういふ際に、相手に氣兼ねしたり、氣の毒を感じたりするやうな人間であるとも思はれない。 伊貝とちらと眼を合はした瞬間に、駿介の心にはひびくものがあつたのである。伊貝を見た駿介の眼はいはば單純な眼であつた。相手の言葉にはつとして、思はず見たといふ眼であつた。だが伊貝の眼はさうではなかつた。彼の眼は相手の心を探らうとする眼であつた。腹に一物ある眼であつた。今云つた言葉と本心とが必ずしも一致するものでないことを、そのまま示してゐるやうな眼であつた。彼の眼は、彼が、强さと確信とを以て駿介を突つぱねたのではないことを示してゐた。言葉と心とが違ふ時、屢々このやうな氣拙さは生れるのである。 眽はたしかにある、駿介はそのやうに感じた。 しかし彼の伊貝の矛盾に感附いた素ぶりは色には出さなかつた。都會人の神經と感覺ならば、駿介が何に感じたかに伊貝は氣附かずにはゐなかつたであらう。しかし伊貝は氣附かぬらしかつた。そこで駿介は改めて廣岡のために辯じはじめた。 駿介は最初のうちはひたすらに情に訴へた。それは主として廣岡の家の經濟状態を述べることであつた。廣岡にとつて新しく一段歩の小作が許されるといふことはどういふことであるかを說いた。猫額の小作地をでも欲せぬものはないが、今日それを恐らく誰よりも必要としてゐるものは廣岡だし、與へられて誰よりも感謝し、長く恩に着るものも亦廣岡であらうと說いた。 しかし話してゐるうちに若い駿介は次第に熱して來た。勢の赴くところ、彼は到底さういふ控え目な發言におのれを止めておくことは出來なかつた。相手がそれまで何等か動かされたらしい色を示せばともかく、伊貝にその素ぶりはなかつた。駿介は途中で一時おのれを抑へ、言葉を切つた。その隙に伊貝が何か新しい考へを云つてくれるかと期待したのであつた。しかし伊貝は默つてゐた。それで駿介はそのあとを續けないわけにはいかなかつた。彼は相手の情にばかりではなく理に訴へはじめた。このやうな話合ひに於て理詰めで行くといふことは危險であつた。情に訴へてゐる時、相手は恩惠を垂るべきものとして高い地位におかれる。理が語られ始める時、兩者の關係に變化はないながら、相手の心理に於ては自分が對者と對等にまで引き下げられたと思ふ。時にはより一段下に落され、何か說敎でもされてゐるかの感を懷く。だから腹の中では成程と納得させられたとしても素直にさうだとは云へない。道理であればある程彼は窮地に追ひ込まれた氣がして、相手の正しさを認めるよりは反發するだらう。遂には相手を憎み出すだらう。特に伊貝のやうに、狹い社會で、尊大な風に慣れて來てゐるものに對しては、その事は惧れねばならなかつた。 しかし駿介ははじめた。彼は先づ彼自身が考へ、そして社會がまた常識として認めてゐる公正な小作料といふものについて云つた。單位段別につき耕作者が負擔する生產費と、地主が負擔する諸掛りとを、具體的に精密に數字としてあげ、そこから小作料の妥當な額を割出して行くといふ準備は今日の彼には無かつたし、又その必要があるとも思はなかつた。彼はただ、それがどういふものであらうとも、そのために片方だけが立つて、片方は立つて行けぬやうなものなら、それは公正とは云へぬであらうといふことを强調した。そして、伊貝の他の土地については別問題とし、廣岡の小作地の一部、及び今放棄されてゐ、それを廣岡が作らしてくれと云つてゐる小作地についてだけ云へば、そこのこれまでの小作料は決して公正とは云へぬ、といふことをはつきり述べた。 「それでは小作が立つて行かぬと思ふんです。あの田圃を今迄作らしていただいてゐたものが、去年限りで向うから御免を願つたといふのはよくよくのことだと思ひます。今時向うからさうして來るなどといふことはあるもんぢやありません。廣岡が今迄やつて來れたのは全く煙草があるからのことです。しかし、これだつて今のままではどうなるかもわかりません。」と、駿介は强い言葉で云つた。伊貝の白い眉はしかし動かなかつた。 駿介は年が四十も違ふ彼に向つて、農事に從つてまだ一年の自分がかういふ調子でものを云ふことを、自分ながら烏滸がましくも感じた。伊貝が一言も云はず、默つてゐるのも恐らくはさういふものを感じてゐるのだらう。しかし彼は尚云ひ續けた。彼は土地を遊ばせておくといふ法はないではないかと云つた。それはあなたのためにも損ではないか、そしてまたあなた一人の損に止まらぬではないか、とも云つた。 伊貝の表情は變らなかつた。駿介の話が一段落ついた時、彼は最初の言葉をかう云つた。 「誰かて損したいものが一人でもあるんかな。得(とく)はしたいぞ。したが得取らうと思やあ、早まつちやならんけんのう。」 彼のその語調は、むしろおだやかであつた。駿介は意外であつた。彼は何かもつと激しい言葉を豫想してゐた。怒りとか冷笑かを豫想してゐた。わしの田圃をわしがどうしておかうと勝手ぢや、ぺんぺん草を生やしておかうと勝手ぢや、餘計な世話は燒くな、と、そのくらゐのことは云はれると思つた。駿介は若々しく激して來てゐる自分から相手を考へてゐたのだが、伊貝のみならず一般に六十歳を越えたやうな田舎の老爺は、さう敏速に、小刻みには相手の言葉に對しては感情の上に反應は示さぬ、彼等の神經がさうだといふのであらうか。しかしさうとは云へぬ表情の動きはすでに今迄にも見た。だとすると、冷靜であるのはやはりそこに冷やかな打算が働いてゐるのであらうか。 だが、得(とく)取らうと思へば早まつてはならぬとはどういふことを云ふのであらう?駿介はこれを單純に解釋した。一段歩の惡田をでも遊ばしておくことは無論伊貝の本意ではないのだ。小作人の方から契約の打ち切りを云はれたのなど、彼としても決して有難いことではないのだ。小作人に耕作せしめる以外に、何等かより有効な利用法が考へられるやうな土地でもない。だから早まつてはならぬとは、單に、伊貝の方から云ひ出す條件にそのまま從ふ小作人の出現を待つといふことに過ぎないだらう。譲歩などしたくない、焦らずに待つといふのだ。どつちにした所で一體どれだけの違ひなのだと云ひたい氣がするが、それでは財といふものは成らぬのかも知れぬ。それとも額そのものが何も問題ではなくて、讓步するかどうかといふその事自體が重大なのかも知れぬ。單なる面目といふよりは、駒平が指摘したやうな一般への影響の問題として。 しかし何れにしても、伊貝の考へがその程度の所にあるとすれば、駿介としては與し易かつた。伊貝の求める所がわかつたといふこと、そしてそれが駿介の求める所と同じ線上にあるといふこと、これが先づ第一であつた。さうである以上は、あとはただいかにして妥協點を見出すか、兩方がどう歩み寄るか、といふことだけではないか。脈がある、との駿介の直感は當つたらしかつた。 「やつて行けん、やつて行けん云うたかて、裏作があるやないか。現に廣岡は煙草でええ儲けをしとる。寒い地方とは違うて二毛作、三毛作でも出來るんぢやから、みんなそれぞれに工夫してやつたがええ。それが出來んのは本人に働きが無いからのこつちや。」と伊貝は續けて云つた。 「そんな色々工夫はしてゐるでせう。しかしなかなかさう思つた通りにはいきません。假りに廣岡があの田圃を請作(うけさく)するにしたところで、すぐに煙草が作れるわけではありませんし。またたとへ百姓の働きで、土地をよく生かして使ひ、どんなに収益を擧げたにしたところで、それは飽迄もその百姓の働きのせゐなのですから、ほかと平均の取れぬ年貢が課せられるわけはないと思ひますが……まして實際はあの田圃ではとてもそんなうまい収益をあげるといふわけにはいかないのですから。」 駿介はここに一つの地主心理を見た。伊貝は小作人に働きがないからと云ふ。しかしいざ實際に小作人が働きを示して収益が增したとなると、伊貝は今度は前言を忘れてしまひ、それは人間の勞力とは無關係な、土地の生み出す力のせゐだとばかり思ひ込んでしまふ。土地に本來固有な生み出す力のせゐだから、それだけ增加した果實はおのれに歸屬すべきだと考へる。ここの矛盾を駿介は剔抉したい欲望を感じたが、口まで出かかつて出なかつた。痛い所を衝かれて硬化せぬ人間といふものは少いだらう。駿介は伊貝を遣り込めるために來たのではないし、まして爭ふために來たのではなかつた。 伊貝は段々物を云はなくなつて來た。駿介はやや迷つた。もはやこの男を相手に云ふ必要はない、と投げてゐるのか、それとも何かほかのことを考へてゐるのか。そのもどかしさは駿介をしてなほいくらか語らしめたが、それ以上伊貝から確定的な何かを引出すことは來なかつた。 「まア、沼波からもよく話を聞いた上で、考へておきませうわい。」 最後にそれを云はせたことで、駿介は一先づ滿足しなければならなかつた。拒絕ではなくて、尚考慮の餘地を殘されたことに滿足し、また一應の成功と思はなければならなかつた。假令それが儀禮的に云はれたことではあつても、そこにはまた次の日を約束することが出來たから。 「また伺はせて戴きます。今日は初めて伺つて大へん失禮致しました。」 「いや、どうも。」 かうして駿介はその家を辭した。 === 十二 === 伊貝訪問の日から二三日の間、駿介の頭はともすればその日の事に支配されがちであつた。彼はその日の會見の結果を、成功とも不成功ともはつきりきめるわけにはいかなかつた。しかし成功ではなかつたとしても、取り返しのつかぬ失敗ではなかつたと思ふことは出來た。ある點では彼は新しい勇氣をも感じた。あのやうな問題を提(ひつさ)げて、あのやうな人物と話すといふことは、無論駿介にとつては最初の經驗であつた。一體に彼は人前に出て辨舌をふるふ、といふことを得手とするたちの人間ではなかつた。ただでさへ氣が重くなる事なのに、今度の場合は特に他(ひと)の生活の重要事に關してゐた。しかし彼は出かけて行つて、必ずしも相手にし易いとは云へぬ人間を相手にして、云ふだけの事は云ふことが出來た。傍目には何でもないことも、彼自身にとつては愉快でもあり、自信附けられる事でもあつたのである。 その翌朝早く、彼は廣岡をその家に訪うた。そして昨夜の顚末を逐一話した。少し間をおいてもう一度訪ねてみる、それで埒があかなければ尚續けて三度でも四度でも訪ねてみる、根氣よく當つてみるつもりだから、あんたも急がず待つてゐてくれ、と云つた。 「どうかな。やつぱり沼波にも一度話して賴んでおいた方がよくはないかしら。」と相談すると、廣岡は、考慮の餘地もないやうに、 「あかん、あかん、そりやあかん。わしは沼波にはまるきり信用がないよつて。」と云つて手を振つた。格別ひどい不義理をしてゐるわけではないが、自分の貧乏は有名だから信用が無いのであらう、邪推かも知れないが、ひどく嫌はれてもゐるやうだ、と云つた。 「でも、伊貝は當然沼波に話すでせう。その時沼波がどう出るかは非常に大事だと思ふが。」 「沼波に話して埒があくもんやつたら、わしがぢかに沼波に話しましたやろ。何も兄さんに賴んで伊貝に掛け合うてもらうには及びませんかつたやろ。」 廣岡は頑固に、どこまでもそれを嫌つた。 家へ歸つて駿介はいつものやうに駒平に相談してみた。駒平は一寸考へてから、それは別に必要ないだらうと云つた。伊貝に逢ふ前に沼波に話すことを嫌つた以上は、逢つた後にも話す必要はあるまいと云つた。伊貝はいきなりかういふ話があるんだが、と聞かされた時と、駿介からじつは伊貝さんにもお話しておきましたが、と聞かされた時と、その二つの場合に沼波の味はふ無視されたといふ不快は結局同じものだらう、と駒平は云つた。成否の鍵はさういふ所にはない、廣岡を凌いで熱心にあの土地を求めるものが出て來るかどうかだ、今までのままの條件でいいといふやうなものが出て來れば厄介なことになる、もし競争相手が無ければ、假令沼波が嫌つてもどうしても、結局廣岡に耕作させずにはゐられなくなるのだ、と彼は云つた。 「誰かさういふ競争相手の出る可能性はありますかね?」と、駿介はやや不安を感じて訊いた。うつかりしてゐたが、これは一番大切な事に違ひない。 「さア、まるで出んとは云へんやらうが、今迄通りでええからといふものはまア無からうわい。廣岡と同じことを云ふんやつたら、廣岡の方が先口ぢやからして。」 駿介はしばらく待機の姿勢でゐることになつた。 さうして日は忙しく過ぎて行つた。俄かに寒く、また俄かに暖かく、一日毎にでも變るやうな氣まぐれな氣候がしばらく續いた。が、そのうちに雨が多くなつて來た。さうして一雨毎に氣候がゆるんで、そのゆるみ方は自然で、そのまま落ち着いて行くやうに思はれた。野面は晝になつても尚ぼんやり霞んでゐて、花曇りか春霞みがもうやつて來たかと思はせるやうな日があつた。麥の伸びは朝毎にびつくりするほどで、株と株との間に透いて見えてゐた畝の土も殆どかくれて見えない。土入れの土も此頃は粗く厚くなつた。紫雲英(げんげ)の莖は次第に多くの葉をつけて地を這ひ近寄つて見ると早いものはやがて花楩になるべきものをもう軸から抽し出してゐた。菜種や紫雲英は暖かくなるにつれてこやしを多くむさぼつた。水もぬるんで來た。溜池の岸近くには大きな蟇が手も足も投げ出してぽつかり浮いてゐるのが見られた。叢に野鼠が何かに驚いたやうな音を立てる時、水の中のものは物倦げに僅かに手足を動かした。 人間も妙に一肌が戀しく、夜の出歩きが懷かしまれる時に向つてゐた。駿介の所へは村の靑年達の遊びに來る夜がだんだん多くなつて來た。彼等は曾つて床屋で顏を合した四人の靑年、その友人の四五人であつた。彼等は三人四人と誘ひ合しては遊びに來た。一週に一度、十日に一度、時には一週に二度位、誰か彼かやつて來た。何か遊び事でもして時を過す、といふのではなく、火鉢を圍んで話をするだけだつた。その話もいつもさうスラスラと出るわけではなかつた。しかし彼等はそこへ來て、さうして坐つてゐるだけである滿足が得られるらしかつた。殺風景な、がらんとした、疊も敷いてないやうな駿介の二階が、彼等にとつては何かであるらしいのであつた。それは彼等が、彼等若い心のはけ口をいかに乏しくしか持つて居らぬかを語つてゐた。そして駿介も亦その二階へ彼等を迎へる夜を、何となく心待ちにするやうになつて行つた。夕闇の迫る野面や歸りの道で、今度あたり誰か來る頃だと思ふと、仕事の手は早くなり、歸りの足はおのづから急がれた。 その晩は夕飯がすんで暫くすると五人の靑年が訪ねて來た。工藤、桐野、塚原、彼等の仲間でその日新顏の柴岡、それに源次であつた。このやうに五人も揃つて來るといふことは珍らしかつたので、駿介は非常に喜んだ。殊に柴岡といふ靑年が一緒であるといふことが彼に興味と期待とを抱かせた。彼についてはかねがね集つて來る者達から噂□を聞かされてゐた。それは彼等の間で一番讀書好きで、文學が好きで、自分も歌を詠んでゐるといふ靑年であつた。駿介は當然彼に、ほかの人々とは違ふ地方靑年の一つの型を想像し、興味を持たされてゐた。駿介の所へみんなが集るやうになる最初のきつかけを作つた年少の塚原が、彼らしい純眞な氣持から一番柴岡に推服してゐるらしく、屢々彼のことを云つた。それを聞いてゐるほかの靑年達が、朋輩な一人が譽められる時よくあり勝ちな感情を示さぬことも氣持がよかつたし、そのことからも柴岡といふ靑年の人間が知れると思つた。なぜなら、工藤や今晩は來てゐないが黑川などといふ若ものは、思つたことを、それが友達の惡口になるからと云つて、云ひたくてうづうづするのに腹の中にぢつと貯へておくほどの美德は到底持ち合せてはゐないからだ。仕事の休みの日には頭髪を油で煉り固めて、縮緬まがひの惡く光る人絹の帶を思ひ切り廣く卷きつけて、四人五人誘ひ合してタクシーを安く交渉して、町の遊郭に乘りつける、集つて來る連中も到底その例外ではないのだが、柴岡もさういふ彼等と同じレベルなら、塚原のむきな推服などはむしろをかしくて、歌の一つも詠むといふやうなことが却つて工藤や黑川に皮肉な一矢を飛ばさせる原因にならずにはゐないであらう。さうかといつて、全く彼等と交渉を絕つた別世界に、一人何か超然としてゐるやうなのも亦、何か云はれずにすむこととは思へなかつた。 今度連れて來る、今度連れて來る、と彼等は云つてゐた。それが延び延びになつてゐたのは柴岡の意志ではなかつた。歌でも詠む靑年らしく、神經質に氣重だとふいふのではなく、父が感冒をこじらせて容易に床から出られずにゐるといふこともあつて、柴岡は仕事のため夜もさう自由には家を外には出來ないのだつた。 みんな何かかにか短く挨拶の言葉を云つて二階へ通つた。工藤だけが少しあとへ殘つて、はじめ桐野と偶然行き逢つた、それから二人で話して、段々に誘ひ合してやつて來た、黑川だけは反對の方向だからやめにした、といふやうなことを話した、駿介と、立つたままそこで話してから、何かもじもじしてゐたが、一寸脇の方へ向いて、 「田島んとこの娘が家さ歸つて來たつてさ。」と云つた。 「ええ?」と、一寸間をおいてから、臺所の板の間にしやがんで、茶盆に茶碗を揃へてゐたじゆんが振り返つた。聲は耳に入つても、それが自分に云はれたのだとは、すぐには氣づかなかつた。 「何で?病氣でか?」 「さうだつて。」 「何病氣やらう。」 「やつぱり肺病だと云ふぞ。」 「まア……おとろしこつたのう。」 それで滿足して工藤は二階へ上つて行つた。そんなふうにでも、じゆんに向つて直接口のきけるのは、集つて來る靑年達の中では工藤一人であつた。しかし彼もまだ名を呼んで話しかけるといふことは出來なかつた。それでじゆんもそこにゐる席でなど、工藤が誰に向つて話しかけてゐるのかわからず、うつかり駿介がそれを引き取つて答へてあとで氣附くといふことなどもある。 茶を持つて二階へ行つたじゆんが、降りて來ると、聲を少しひそめて、 「柴岡からも來てるのね。みんな入る時わたし見なかつたもんだから。」と云つた。 「お前、知つてゐるのかい。」 「あそこのお父つあん、家へ來たことあるやないか。靑物の市場を作るとかいふ話で、お父つあんとこへ。」 「さうだつたかな。」と、これは駿介には思ひ出せなかつた。 「あすこの息子なら、兄さんと同じぐらゐの年やらう。兄さん、學校で知つとりやせんか。」 「さア……しかし、あそこらは第二ぢやないか。」 これも思ひ出せなかつたが、顏を合して話して見ればどうかわからなかつた。當然なことだが靑年達と話してゐるうちに、互ひの幼な顏が髣髴として來て、小學校で一級か二級、上下であつたと發見することが珍らしくはなく、そこから色々な話が賑はうのだつた。駿介が小學校へ上るやうになつた丁度その年に、第二小學校が出來て、この方は尋常科ばかりであつた。 二階からは話聲も聞えず、靜かであつた。 「みんな樂にしてくれませんか。でないと何だか固苦しくつて。」 駿介は二階へ來て、坐ると笑ひながらさう云つた。蓆の上に薄べりを敷いた部屋に、大きな男が五人、默つて、かしこまつたやうにして坐つてゐた。もう來慣れて、駿介と輕い口をきき合ふ者もあるのに、坐りがけにはいつもこのやうであつた。大きな瀬戶の火鉢をやや遠巻きにしてきちんと坐つてゐた。その上に手をかざすほどではなくても、夜は、火の赤い色を見ないとまだ何となく寂しかつた。 「今日は柴岡君を連れて來ました。」と、桐野が自分の鄰りを見た。それで駿介は、さつき下で挨拶した靑年と改めて向かひ合つて、頭を下げた。駿介と同年輩位で、細い立縞の着物をキチンと着て、血色のいい顏は氣持よく圓い感じの、別にこれと云つて特長のない篤實さうな靑年だつた。 「工藤君、こないだ町へ行つてひどい目に逢つてね。」 「何です。」 駿介は古崎へ肥汲みに行つた時のことを話し出した。聞き終るとみんな思はず笑ひ出してしまつた。しかしすぐに呆れるやら、憤慨するやら、怪しむやらで、思ひ思ひの感想が出た。どこの何奴だらう、といふことになつた。 「どんな奴?顏は覺えてゐるだらうね?」と、工藤が訊いた。 「さア、どんなと云つたつて別に特徴のある顏でもないから。逢へばわかるだらうけれど。」 「ひとつ探し出して、取つちめてやりてえな。」と、桐野が云つた。 「探し出すつて、わかるかね?」と、源次が訊いた。 「わからいでか!よそのもんならだが、あの町のもんときまりや、一日でおれは片をつけて見せる。おれは町の隅々まで知つてんだから。どこにどんな奴がゐるかだつて。」 あながちそれは工藤の壯語とばかりも思へなかつた。狹い田舎町のことだ。隅々と云つても知れたものだ。住んでゐる人間にも動きがない。それに工藤は、運送屋という職業柄からも、その町のことはよく知つてゐるのだらう。 「そんなことをする奴ア、まあ大抵近頃東京からでも來た奴にきまつてゐる。東京の學校を出て月給取になつたホヤホヤさ。しかし他縣のものがあんな田舎町へわざわざ來るわけも一寸あるまいから、矢張あの近在の出に違ひはねえ。あの近在で伜を中等以上の學校へ出したものと云やあそれだけでももう目星がつく。そんなことをする奴は、どうせ、百姓の苦しみも有難味も知らねえやうな家の子さ、どうだね、この探偵眼は?」工藤は仔細らしく見□し、みんなの顏を等分に見た。「若い月給取風の男だといふんだらう?銀行や保險會社の主張所とか、さうしたとこはあの町にはほんの數へるだけしかありやしねえ。さういふ勤め口の方から云つたつて簡單にわかるこつた。どうだ、やつて見ようぢやないか、杉野さん。」と、彼は駿介の顏を見た。 駿介はただ微笑を浮べてゐるだけだつた。 「さういふ奴は、一度さういふことで味を占めると、二度三度と必ず繰り返すもんだ。懲らしめておかねえと癖になる。」 「そりやさうだね。たまらねえな、いい氣になつてさうポンポンやられちや。」と、桐野が云つた。しかし彼はいかにも愉快さうだ。「今度の日曜あたり、今度は俺が一つ肥車引いて出かけてみるかな。物陰にかくれてゐて、現場をめつけて、それツと云ふと飛び出すのよ。どうだ、塚原、一緒に行かねえか。」 「ハハハハ」と塚原は若々しい氣持のいい聲で笑つた。 「そんな奴、頭つから黄金佛にしてやりやいいんだ。」と、桐野が調子に乘つて氣負つて云つたので、工藤を除いたみんなが笑ひ出した。 「その時も女がくつついてゐるかな。女がゐたらどんな顏をするだらうな。」と、源次が云つたので、笑ひは愈々大きくなつた。 「笑つちやだめだ。眞面目な話だ。」と、工藤がたしなめるやうに云つた。「一日おれさかたつて行つて暇つぶしをすれば、それで大抵けりがつくだらうよ。どうだね、杉野さん、行つてみないかね?」彼は話をもとへ返した。 「うん……それも面白いが、しかしまアそれまでにしなくても。」 「ええ?やる氣はねえかね。」と工藤は駿介の顏を見たが、駿介が依然にこにこ笑つてゐるだけなので、「さうかね」と云つて、湯呑みを取つて番茶を飮んだ。 「どうも御本尊が動かねえとあつちや仕方がねえな。おれ一人ですむことなら明日にも出かけて行くんだが。何せね首實驗がいるこつたから……。」 彼はしかし言葉ほどには不滿さうに見えなかつた。こつちがやるといへば無論云つたとほり一生懸命やるだらうが、さうはしなくても、色々に自分の意見を積極的に出して、みんなを謹聽させ、納得させるといふだけでも充分愉快であり、滿足であるらしかつた。 その頃になるともうみんなあぐらをかき、樂な姿勢を取つてゐた。氣持にも固苦しいものがなく、次第にほぐれて來てゐた。 「寺田、お前、今年の夏も藺刈りさ行くのか?」と塚原が訊いた。 「うん、行くわ。」 この地方の農民は、とくに靑年は、毎年夏に、內海を渡つて、對岸のO縣へ藺刈りに雇はれて行くものが多かつた。藺刈りは七月中で、雇はれて働く期間はわづか一週間ほどだが、彼等にして見ればまとまつた感じの金が手に入るので、無理にも手を作つて、海を渡るのだつた。 「お前、口入れ屋か農會か?」 「わしは始めつから農會の紹介よ。口入れ屋は手數料があるけんな。」 「去年は何ぼになつた?」 「うん、まア二十圓足らずのことや。」 少し默つてゐてから、塚原は、 「わしも今年は行つて見るかなア。」と云つた。源次は塚原より一つしか上でないが、十六の年から大人に伍して行き始めて、今年は四年目である。身體は實にがつしりしてゐて、大人びてゐてどこかまだ少年らしい塚原よりは、日常の農事に於ても大人であらうといふことは察せられた。 「藺刈りはえらいさうな。」 「うん、えらいぜえ。腰の骨がまるで折れるやうだが。」 じゆんが煎餅と駄菓子を盛つた盆と、番茶の土瓶とを下げて入つて來た。火鉢の鐵瓶の蓋を取つて見て、湯のあるのをたしかめると、默つて下りて行つた。 塚原がその時ふと氣附いたやうに、わきに置いてあつた風呂敷包を取つて膝の上にあげた。包を解いて、取り出した二册の本を駿介に見せるやうにすると、「どうも長々ありがたう。」と云つて、立つて部屋の向うの隅の方へ行つた。そこには小さな本箱が一つあり、それに餘つた本は幾らもあるわけではないが、壁に寄せ掛けて積み重ねてあつた。塚原はその重ねてある上に、二册を置いて席へ戻つた。 「本立てを一つ作らにやいかんな。粗末なものでもいいから」と、桐野が云つた。 「うん、作らう作らうと思つてるんだけれど、暇が無いもんだから。」 「今度、いい板が目つかつたら、わしが作つてやるわ。」 桐野は器用なたちで、素人だが大工を仕事の一つにしてゐる。部落の者が家を建てる時には、彼は安い手間で雇はれて行く。 「ああ、本立てで思ひ出したけど、さつきの肥桶の話。」本立てと肥桶の對照がをかしかつたので皆笑つた。桐野も笑つて、「今度わしが直してあげつから、それまで下手にいぢらんどいて下さいよ。今綿が詰めてあるつて云つたね。」 「うん、さう」 「下手に板を張つて釘なんぞ打ちなさるなよ。釘なんぞ使はんで穴をふさぐやうにせにや駄目なんだから。」 「さう、どうも有難う。」 駿介はそれまで一言も云はず、皆の話をにこにこしながら聞いてゐた柴岡の方を向いて云つた。 「柴岡君、あそこに少しありますから、何か讀みたい本があつたら遠慮なく持つて行つて下さい。何もありませんがね。ことに近頃のものは。」 「ええ、どうも有難う。」 「ことに文學ものは少いが。」 「いいえ、わしら選り好みして讀むやうな贅澤なことを云つちや居られんよつて。何でもええですわ。ちやんと筋の通つた本でありさへすりや。」 「本もいいが、本は讀まにやならん、讀まにやならんと始終思ふが、讀み出すとどうもすぐに眠うなつてな。」工藤が云ふと皆笑ひ出した。「柴岡、お前、眠うないのか。」 「そりや、むろんわしかて眠い時は眠いが。」 「一體何時讀むんだ。」 「何時と云つて別に皆と違つて特別の時間があるわけはないが。夜少し遲う寢るとか、朝少し早うに起きるとか……。そんな當り前のことのほかには別に何もないが。」 「その當り前のことがなかなかになあ。」 「第一、わしは別にさう本など讀んどりやせんぜ。」 「いや、讀んどる、讀んどる。」と、桐野が云つた。 「僕も何とかして本は買ひたいと思つてるんだけれどね。東京の友達へでも云つてやつて、いい本を安く手に入れるやうにでもして。さうしてこの二階に皆の小さな文庫のやうなものでも出來るやうだとどんないいいかと思つてゐるんだけれど、何と云つたつて先立つものは金だから。」 「そりや餘程の金持ででもなけりや、一人ぢやとても出來るこつちやないから、みんなで少しづつでも出し合ふやうにしてやれるとなア。もつともそれにしたつてこの人數ぢやだめだ。仲間がもつともつとふえんことにや。」柴岡が云つた。 「話して見たら、案外贊成者が多いんぢやないかな。」 靑年の一部がどんなに書物に心惹かれ、讀書の時間を欲してゐるかを知つた時ほど、駿介が喜びと同時に心の痛みを感じたことはなかつた。塚原の所で駿介はそれを發見した。ある時近くを通りかかつて、駿介は彼の家へ立ち寄り、云はれるがままに彼の部屋へ上つた。そしてさういふ彼の生活を知つたのだつた。彼は祖父が持つてゐたといふ、昔漢籍を入れるに用ひた三尺餘りの桐の本箱を一つ持つてゐた。それにはちやんと蓋も附いてゐた。塚原はやや恥らひながら、しかし嬉しさうに、その蓋を取つて彼の藏書を駿介に見せた。ただ一列の積み重ねではあるが、本はその箱の中に殆んど一杯だつた。それらの本は、農業の技術と經營に關するもの、通俗的な所謂修養書、歴史物語とか偉人傳の類、そのほかいろいろだつた。有名な著者のものがあり、また駿介など全然聞いたことのない著者の書もあつた。昔はやつて、名前もすつかり忘れてゐた本が、思ひがけなく過ぎ去つた時代を語り顏なのもあつた。しかし總じてそれらの本がどんなに鄭重に保存され、いたはられ、愛撫されてゐたことであらうか。彼等の中には新本として塚原の手に入つたものは少ない。多くの人々の手を經たのちに彼の手中に來たものが多い。だからそれ等はひどく汚損してゐた。そして今、その綴のゆるんだものは綴が締められ、見返しの裂けたものは新に見返しが貼られ、本文の紙の裂けた所へは質のいい日本紙を細く切つてこれを貼り、表紙の失はれたものには新に表紙が附けられてゐた。名も無き著者の、恐らく書きなぐつたであらう一夜漬の册子も、その所有者の愛故に、何か價値あるもののやうにさへ見えるのであつた。 塚原はこれらの本の外に、本箱には入らぬ一山の雜誌を持つてゐた。大衆雜誌から、高級と云はれる綜合雜誌まで取りまぜであつた。何れもよほど月を經た古雜誌である。この古雜誌に對する彼の態度も、單行本の場合と別に變りはなかつた。 塚原はもう一つ、新聞の切拔帖を持つてゐた。これは心に止つた記事を、切り拔いて、雜記帖に張りつけたものである。 まことに新聞も雜誌も、彼にとつては、ただ一度讀んで讀み棄ててしまふべきものではなかつたのだ。それ等はすべて一樣に、彼にとつては勉學のために貴重な資料であつたのだ。文字による知識の吸収はこれらのものによるのほかはなかつた。價値あるものと價値なきものとの選擇の眼がたとへ彼にあるとしても選擇する自由は彼には無かつた。彼はどんなものでも手に入るものはだいじにした。そしてそれ等から能力を盡して最大限に養ひを吸収しようとした。血や肉のみならず、骨までもしゃぶらなければならなかつた。かの名も無き著者や、今日の新聞雜誌を輕蔑する者も、かういふ塚原を嗤ふことは出來ないだらう。 そして塚原はノートブツクを持つてゐた。讀んだものの梗概を記したり、時には讀後の感想を書いたりした。何しろ讀みたい欲は旺んなのに、讀みものは少なかつた。そのやうにして、一つのものを何度にも色々と味はつて見るのほかはないのだつた。 彼はこのやうにして學んでゐる。何のために!何のためにと問はれて恐らく彼は困るだらう。ただ知識欲を滿したいといふ、渇くやうな純粹な望みだけなのだから。 かういふ塚原の姿に駿介は感動した。彼はいぢらしいやうな氣持で胸が熱くなつた。思はず涙ぐんだ。そして彼自身は何か書いて活字にしたといふ經驗はないが、ものを書くといふことの責任の大きさを思はずにはゐられなかつた。これらの著者のどの一人でもが、自分の書いたものがこのやうな靑年に、このやうにして讀まれてゐることを想像したことがあるだらうか。事實を知つてさうして赤面せぬものが一人でもあるだらうか。 彼はまたこの一貧農靑年と對照的に、かの大學生のあるもの達を思はないわけにはいかなかつた。かの大學生達。健康な淸新な純粹な、喘ぎ求めるやうな知識欲は遂にもはやいかな刺戟によつても喚起さるることがないか、あるひは甘んじてその欲求を他の諸々の欲求と交換してしかも尚依然として學生服を身につけてゐなければならないといふ大學生達。 知識欲は書物を食つて生きてゐるやうな生活の中に於てのみ、純粹に保たれ、絕えず新鮮に喚起されると考へたならば間違ふだらう。さういふ生活の中では屢々知識欲も亦變態的であつたり、頽廢的であつたりする。しかし靑年達のかうした知識欲の行末は?そこに思ひ至ると駿介は、いかんともし難い鐵壁につき當らないわけにはいかないのだ。 「どうも若い奴等、女の尻ばかり追つてるんで仕方がねえや。あれぢや本も讀むまいつて。」と、工藤が云つた。 「工場が惡いんだね。近くに工場が出來てから一層風儀がわるくなつたと年寄りなんぞは云つとるが。」と、桐野が云つた。 鄰村に、しかしこの村と境を接したすぐ近くに工場が二つあつた。製絲の工場と、貝ボタンの工場であつた。通ひもあり、この村からも通つてゐる。直接には飮食店の繁昌などとなつて現われて、この工場の存在はあたりに活氣を與へてゐる。 「何だな。家の建築の方から云つても工場の影響といふものは大きいと思ふな。此頃村ぢや家を建てるつていへば、萱ぶきの百姓家をやめて、町の家みたいなのを建てるのが多くなつて來ただらう。ありや、その方が簡單とだつてこともあるが、あれを始めたな矢張工場へ通つて給料もらつとつた奴だよ。さういふのは何でも百姓臭えことがいやになるんだな。さういふ家が段々擴まつて行つたんだ。現にこの家だつてその方だよ。」 「いいこともありや、わるいこともあるさね。村の衆が少しでも雜誌なんぞでも讀むやうになつて來たのにや、工場のおかげといふこともあるんだ。こんな村でも雜誌だけはずゐぶん賣れるんだからな。大抵女工さんが買ふんだ。月が後れると本屋ぢや引き取つて古本にして並べとく。それがいつかは村へはけて行くんだ。そりや娯楽雜誌と婦人雜誌だけどもな。それでも讀んだ方がよからうが。それだけ讀書力もつくし、世の中のこともわかるけんな。もしもあの古雜誌がなけにや、村の一般のものは『家の光』のほかは何一つ讀みよりやせんぞ。」と、柴岡が云つた。 「『家の光』は讀まれてゐますか?」と、駿介が訊いた。 「そりや大したもんですわ。出るのを待ちかねて皆信用組合さ行くんです。何せえ、二十錢ですけんなあ。それで頁數は多し、すべての方面にわたつて一通りのことは書かれてあるんですけに、それに金と時間の上からこの一册で無理にもたんのうせんならん者が大部分なんです。」 「君は雜誌は何を讀んでるんです。歌の雜誌以外は。」 柴岡が、すぐには答へずにゐると、桐野がわきから引き取つて云つた。 「柴岡は、中央公論、改造、文藝春秋なんぞばかりですよ。」 「あれらは一册づつしきや來ませんね。村の店には。」 「さうです。無くなつとりや、杉野さんが買つたものと見當つけて間違ひこ無しですわ。」 「君は?」 「わしは買ひはしません。借りて讀むんです。」 「店からですか。」 「さうです。ちやんと契約が出來とつてね。借賃は期限づきは五錢、無期限……といふのは本屋が元へ返すまでですが、それだと十五錢なんです。」 「へえ、そんなうまい話があるんですか。讀み滓が返本になつて歸るわけですね。わしもやるかな、一つ。」駿介は笑つた。 「だから杉野さんの買ひなさる時にや、少し遲う買つて下さるとわしには都合がいいんです。早く讀んで返しときますけに。――雜誌社にはわるいがどうも仕方がありませんが。歌の雜誌に金を毎月送らんならんですが、こつちの方は嚴しうてね、金がきれると歌を送つても雜誌には載らんもんですから。」 桐野がその時ふところから一册の雜誌を出した。そして柴岡の方をちらつと見て、にやにやしながら、それを駿介の膝の上にのせた。 「杉野さん、柴岡の歌の雜誌つていふのはこれです。柴岡の歌が載つとりますが、名歌かどうか一つ見てやつて下さい。わしらにはわからんよつて。」 柴岡は桐野の手からその雜誌が駿介の膝に移るのを見た。 「見て戴けるやなもんぢやありません。まだ始めたばかりで。」 彼はやや顏を赤らめたやうであつた。しかし落ち着いてさう云ふと、今までの姿勢のままでゐた。そしてそれきり默つてゐた。彼はあわてて手をのべてその雜誌を引つたくるといふやうなことはしなかつた。また、駿介に讀まれる場合を豫想して今から色々辨解めいたことを云つて豫防線を張つておくといふこともしなかつた。彼はそのやうに卑屈でもなかつたし、てれたりもしなかつた。また得意でもなかつた。ただいつも通りであつた。それは駿介に非常にいい感じを與へたし、また彼を感心させたのであつた。 「今日君に返すつもりで持つて來たんだが。」と、桐野は柴岡の顏を見た。 「是非見せて下さい。もつとも僕は歌はわからないから批評なんかは出來ないけれど。――雜誌は拜借しといていいですか?」 「ええ、どうか。」と、柴岡は云つた。 それからも話は次々に多方面にわたつた。彼等はしきりに駿介から東京の話を聞きたがつた。それは今迄にもう何度も話されたことなのだが、同じことを何度でも繰り返して聞きたがつた。彼等のうち大阪まで行つたものはあつても、東京へ行つたといふものは一人もなかつた。彼等はただ漠然と中央の都市の空氣を思ひ、聞く毎に何か新しい氣がし、そこからさまざまな空想の翼をのばしてゐるらしかつた。彼等が都會での食ふための生活について聞くことにも熱心だが、直接には彼等に何のかかはりもないもの、例へば學生生活に非常な興味を持つたりするのはかなりに意外な氣がした。 話の間に源次が立つて、壁の一方に掛けてある新聞の綴り込みを取ると、部屋の隅の薄暗い所へ行つて、ひろげて、一心に讀んでゐた。源次の家では月極めで新聞を取ることが出來ない。月一圓二十錢の大阪の新聞が、ここでは配達料が加はつて一圓三十錢である。二三軒の家が組んで、一つの新聞を□し讀みにしてゐるところもある。 ラヂオが欲しいと誰かが云ひ出した。しばらくはそのことについて熱心に語られた。近頃、電氣會社が、ラヂオの機械の月賦販賣を熱心に宣傳してゐるのである。秋までには何とかして据ゑ附けたいと、各々自信ありげに自分の見込みを語り合つた。柴岡は縣の奨勵品の富有柿を作つてゐるので、その収穫をあてにしてゐる。桐野は大工としての臨時収入をあてにしてゐる。工藤は月々の給料を少しづつ溜めて行くのほかはない。しかし彼は晝のうち運送店にゐる間は、仕事の合間には聞くことが出來るのだ。店には新聞も二種あるし、雜誌も何かあるし、その點は惠まれてゐる。塚原はさうなるとどうしても藺刈りに行かねばならぬと思つてゐる。しかし藺刈りに行つて何程かを得たとしても、その金が果して彼の自由になるかどうかは、彼の場合には疑問だ。が、源次となるとその點はもう今からはつきりしてゐる。どのやうな手段によつて得ようと、彼自身が自由に出來る金といふものはない。源次の家にラヂオが据ゑ附けられるのは果して何時のことか。 突然、塚原が、眞面目な顏を上げて云つた。 「杉野さん、お願ひがありますが……。」 「ええ?何なの。」 「こないだ黑川に一ぺん話してみただけで、まだみんなに相談してみたわけぢやないんですが、わしだけの考へですが……。わしらに一つ英語を敎へて頂けませんか。」 「英語を?」 すると他のものも、そりやいい、と云ひ出した。塚原に贊成し、彼ほどの熱心さを以てではないけれどもみな同じ希望を云つた。 「今時英語ぐらゐ知らなくつちや、と思ふんです。難かしいことは分らなくてもいいし、分るわけもありませんが。」彼等はさういうのだ。 これは駿介には意外だつた。彼等がさういふことを云ひ出す氣持は、分らなくはなかつた。分りすぎるほど分つた。學生生活に彼等が豫想外の興味を抱くといふこととも互ひに照應してゐることであつた。それだけに駿介は咄嗟にはどう答へていいか分らなくて、「英語?」と云つたきり暫く默つてゐた。 「そりや英語を勉强することが不必要だとは云はないが……。」彼は百姓には英語なんかいらぬ、とは、たとへさう思つたにしても、云へなかつた。またたとへ必要だとしても、新聞や雜誌を讀むことさへ思ふに任せぬ彼等がやりおほせるわけはないから、止めたがいい、という風にも云へなかつた。「英語を勉强するに費す努力で、もつとほかに勉强しなけりやならんことがありやしないかな。英語を覺えるといふことは随分時間を食ふことだし、一寸やめてゐてもすぐ後へ戻るといふやうなことがあつても……。それよりは……。」 「もつとほかにつていふと、どういふやうなことですか。」塚原が訊いた。 「例へば、農業經營の上の科學的知識とか、經濟についての實際的な知識とか、農村の生活の上に必要な、政治や法律に就ての一般知識とか……。」 彼等は同意とも不同意ともつかぬ面持で暫く默つてゐた。しかし塚原は、顏に熱心な色を浮べ、語氣にもその氣持を見せて、前言を主張した。 結局その話はその場でははつきりしたまとまりを見せなかつた。 晩くなつたので、その晩はそれでみんな歸ることになつた。立ち上る時、駿介は、 「今度何時か一度みんなでどこかピクニツクにでも行かうぢやないか。餘り暑くならないうちに。」と云つた。 「ピクニツクつて遠足か。」と、桐野が云つた。 「さうですな。そりやええですな。ただ皆が揃ふといふ日がなかなか……」と、柴岡が云つた。 「天長節あたりはどうだらう?」 「ええ……苗代で忙しい最中だけど。杉野さんは煙草もあるし。」 「さうだな。結局秋まで延びてしまふのかも知れないね。」 みんなどやどやと二階を下りた。駿介は、 「わしも一寸出る。」と云つて、下駄をつつかけた。閉め切つた部屋で、六人の人間の人いきれと煙草のけむりとに、彼の頭は少しぼうとしてゐた。夜の風に少し吹かれたいと思つた。 「いつも出ましてどうも晩うまで。」 「大きにお邪魔さんでござんした。」 「お休みなさんし。」 靑年達は口々に云つて、まだ起きてゐる家の者らに、小腰をかがめて挨拶して下へ下りる。家の者らも一々それに返す。さういふ時の靑年達は、二階での彼等とは違つてゐる。言葉つきから態度から違ふ。駿介に對する時、彼等はやや氣取つてゐるやうに見える。時には一寸生意氣にさへ見える。しかしそれらは嫌味ではなく、微笑ましいばかりである。いい意味での靑年の客氣といふものが無邪氣に出るのである。言葉も地方語と標準語とをちやんぽんにして使ふ。非常に丁寧な言葉づかひをしてゐたかと思ふと、急に投げやりな、村の人間よりは町の人間に近い云ひ方をする。しかしそれが駒平やおむらに對する時、彼等は忽ち普通一般の村の若い衆に歸つて了ふのである。 先に外へ出た桐野が戾つて來て、皆を送り出して、まだ暗い土間に立つてゐたじゆんと顏を合した。 「ランプを忘れつちまつて……・。」 じゆんは上にあがつて、戶棚の上においてあつた電氣ランプを持つて戾つて來た。明りをつけてみて、電池にはまだいのちがあるのを確かめてから、 「まだ大丈夫。」と云つて、桐野に手渡しした。 「構やしませんか?お借りしてつて。」 「ええ。もう一つあるよつて。」 「なにね、道は暗うても構やせんのだけど、途中で駐在にでも呼び止められつと厄介だから。」 禮を云つて彼は出て行つた。五人のうち桐野の家が一番離れてゐた。 源次だけすぐに皆に別れて、あとの者は自轉車を押して暫く歩いて行つた。夜になると冷たい風が却つて快かつた。 「どこへ行かうか?S――へでも行つて見ようか?」と、駿介はさつきの話を續けて、古戰場で名高い島山の名を云つた。 「さうだね。あそこでもいいなあ。あの下はしよつちゆう通つて、子供の時登つたこともないからね。」と、工藤が云つた。 道の十字になつた所まで一緒に行つて、そこで皆に別れて、駿介は歸つて來た。 ⦅ああいい氣持だ!⦆と、駿介は声に出して云つて、小さな流れにかけた橋の上を渡つた。せせらぎは下の方で済んだ音を立ててゐた。冬の間よりも水嵩が增して來たやうに思はれた。その音からも闇のなかに浮動してゐる眼に見えぬもののけはひから、彼は春を感じた。 彼は深く息を吸ひ込み、さうしてまた大きく吐いた。頭は淸々しく晴れ渡つて行つた。彼はゆつくり歩いて行つた。彼は靑年達のことを考へ續けてゐた。 「英語を習ひたい」と、彼等が云つたことは何でもないやうなことだが、考へて見れな重大なことでもある。彼等がどんなにものを知りがたつてゐるか、しかしその知識欲は方向を與へられてゐない。現實に滿たされもしない。滿たされぬことは愈々方向を失はしめて、ものに觸れては起り、起つては消え、氣紛れな取り止めもないやうな觀さへ呈する。今日英語を云ひ出した彼等は、明日はまた何か違つたものを云ひ出すかも知れない。 彼等が、自分達の生活に直接關係を持たぬやうな知識に對して心惹かれるといふことは、決して非難すべきことでも否定すべきことでもないのだ。元來知識欲は一般にさういふ風にして發現するものなのだ。生活に結びついた知識といふものを、狹く卑俗にだけ解釋して靑年のさういふ知識一般への情熱を壓迫し扼殺して了つてはならないだらう。彼等は今事々に興味と疑問とを持ち、何でも見たい聞きたいと望んでゐるが、その底には彼等自身氣づいてはゐないが、確かに純理を求める心が動いてゐるのだ。この欲求は尊重されるべきものだ。彼等が百姓の靑年だからと云つて、彼等のこの面が輕視されていいといふ理由は絕對にない。――彼等が、時として自分達の實生活に對して冷淡であり、これを蔑視するかに見えることがあるのも、やはり同じことから來てゐる。當然彼等は觀念的なのである。しかし觀念的であることは靑年の特權だ。最初から觀念的であつたことのない靑年などといふものは一體どんな存在であらうか。時代の靑年が盡く何等かの意味で觀念的であることを止めたならば、一體どういふことになるだらう。 彼等をそのやうに理解しつつ、その上で現在の生活に冷淡であつたりこれを蔑視したりする彼等は飽迄もさうであつてはならぬことが云はれなければならぬ。彼等の純理を求める心と、自分達の現在を深くみつめる眼と乖離してはならぬことが云はれなければならぬ。彼等が求め彼等に與へられる知識がどんなに彼等の實生活に直接關係を持たぬやうに見えても構はないが、しかも終局においては、それらはやはり彼等の農民としての自覺を深めることに役立つものにならなくてはならないだらう。 駿介は彼等の知識欲に方向を與へ、少づつでも現實にこれを滿して行くために、自分が何かしなければならぬと思つた。彼等は皆村では優秀な靑年達と云はねばならぬ。眞面目な、何ものかより高いものを求めてゐる若もの達だ。求めるものが適當な時に與へられなければ求める氣持は枯渇して了ふ。駿介はしかし自分を顧みて自分の無力を痛感した。何をどのやうにして與へたらいいのか?自分の持つてゐるもので彼等に與へ得るものは殆んどなかつた。むしろ色々聞くことの方が多いと思つた。 彼が確信をもつて云ひ得ることはただ次の一事のみであつた。 「ただ彼等の友達にならう。彼等の最もいい友達にならう。彼等を敎へようなどとは思ふまい。しかし自分にあつて彼等に無いものは彼等に傳へ、その反對の場合は彼等から聞かう。さうだ、彼等から多くを聞くやうにしよう。むしろ聞くことによつて彼等にその求めてゐるものを得させることも出來るのではないか?」 家へ歸つて來て、床へ入つてから、駿介は柴岡が加入してゐる短歌の雜誌といふのを讀んだ。それは或る名のある歌人の主宰してゐる雜誌であつた。柴岡の歌は六首選に入つてゐた。 金策に出でてひねもす歸らざる老父(ちち)の思ひつつ夜の戶とざす 柿の實の初生り賣りて得し金を神にそなへて額づくわが老父(ちち) わがのぼる脚榻に昨夜(よべ)の霜おけり高き小枝(さえだ)に姉の實ちぎる 柿の實は乏しくなれり柿の落葉あつめて今宵火を焚きにけり ほか二首であつた。 === 十三 === 明日は彼岸の入りだといふ日の夕方、駿介は畑から歸つて來て、机の上に一通の手紙が載つてゐるのを見た。手紙は珍らしく志村克彦からのものであつた。一別以後彼との間には今迄文通も無かつた。 長い間御無沙汰してゐますが、御元氣のことと思ひます。すでに森口君からお聞きになつたことと思ひますが、僕は實は去年の秋から上原さんの所で仕事をしてゐるのです。從つて東京行は止めにしたわけです。これに就ては色々お話したいこともありますが何れ追々のことにします。事實だけでもお知らせしておかうと思ひ手紙を書きかけたこともありましたが、、書く以上は詳しく書かねばならぬといふ氣がし、しかしどうもそれが書きづらく止めてしまひました。君は上原さんへも殆ど音沙汰ない由、しかしお互ひにもう少し逢はずにゐた方がいいやうな氣もしてゐたのです。この正月にお父さんが一寸上原へ寄られたとかで、君が元氣でゐることだけは知つて、安心しました。森口へは去年の暮から時々行つてゐます。仕事の用事もありますが、ただ話に行くこともあります。彼の所に行つて、君の所へ寄らぬ法はないのですが、それは前述のやうな氣持からだつたのです。この間彼を訪ねて、始めて君が彼に逢つたこと、彼が僕の事を話してくれたこと、君の近況等について知つたわけです。それで急にお逢ひしたくなりました。 上原さんも君の近況を聞いて喜んでゐます。そして逢ひたがつてゐます。老人は平生は君のことを餘り口にしませんが、それだけ君のことを深く思つてゐるのです。ここほんの暫くの間に、目立つて頭髪が白さを增したやうですが、健康です。近頃契約の更新期に、また土地を二町歩ほど、小作人に分譲しました。 尚上原では最近哲造君が歸つてゐます。しかし彼は長くゐる氣はないでせう。近くまた上京するものと思ひます。 一度逢つて話しませんか?僕の方は何時でもいいのだが、君の方はさういふわけにいかない。しかし二十一日は君も半日は休むことと思ひます。僕はその日森口へ行くので、それから君の所へ寄つて、二人で一緒に上原に行きたいと思つてゐます。 森口と三人で話したいとも思ふが、彼はその日も休めないでせう。百姓が休むで却つて忙しいだらうから、又いつか夜のことにしませう。 では何れお目にかかつた上で。 さういふ手紙であつた。 駿介は手紙を二度繰り返して讀んだ。二人が長く音沙汰なしでゐたこと、二人が逢ふといふことについては、志村も自分と同じやうな氣持でゐたことを知つた。彼の手紙には落ち着きが見られた。上原に關する二三行を、駿介はとくに心に留めて讀んだ。 彼は簡單に書いて返事を出した。 次の日の午後、日の陰る頃、彼は煙草畑へ出て行つた。お道が、日が暮れるまで芹を摘もうと、籠を下げて後ろから附いて來た。途中で二人は別れた。 煙草の發芽は順調に行き、その發育は良好であつた。ある朝起きて行つて薦を取り去り、明るい若草色の芽が、一せいに地上にポチポチ頭をもたげて來てゐるのを見た時には、駿介は思はず歡喜の聲を發した。 「やあ、出た、出た!」 彼はあたりに誰かがゐて、その者と喜びを分け合はうとでもするかのやうに大聲で叫んだ。そして聲を出して思はずあたりを見□してから、朝のこの畑には自分一人であることを知つた。大急ぎで全部の薦を取り去り、まるめてわきへ片附けてから、床框の上へ膝を乘せてしやがみ、上からのぞき込むやうにして、何時迄も飽かず眺めてゐた。 芽生えた苗は朝毎にその成長が眼に見えてゐた。折からの陽の光を浴びて、明るい若草色は一層美しく、その一つ一つが大地に鏤めた寶玉のやうであつた。しかしそれは言葉の貧しさで、芽は、寶玉に比較される性質の美しさではない所に、そのもの本來の美しさがあつた。彼は収穫とは又違ふ喜びを始めて知つた。この喜びは肉體の隅々をまでも滿たす、全身的な喜びであつた。 成長する作物を見ての朝毎の驚きは、今迄にも駿介は事々に洩らしてゐた。それはわきの人々にとつてはをかしい位のものであつた。彼は他の人がそれ程でもないと思つてゐるものにも、時として眼のさめるやうなおどろきをおさへることが出來なかつた。慣れるといふことで、このやうな感情も次第に新鮮なものでは無くなつて行くのであらうか?しかしさうである一方には、慣れることは觀察の鋭さ、細かさを增す。細かく鋭くなつた觀察は今迄見なかつたものを發見し、そこに新たな不思議を感じ、驚きと喜びとはつねに新鮮であり得るのではないか?彼は、默つて困苦に堪へてゐる農民をして困苦を堪へしめてゐる力の源(もと)に、この驚きと喜びとがあることは思ひのほかなのではないかと思つた。それは詩人の美化ではない。さういふ實際を農民自身が表現することが無いまでだ。あらゆる生產的勞働のうち、農業がこの點で惠まれてゐることは確かだらう。 この事は覆ひ包んではいけないのだ。生產勞働に伴ふこの喜びは强調すべきなのだ。ただその强調が何人によつてどういふ意圖のもとになされるかだ。勞働の他の一面を見まい見せまいとして爲される場合がある。そしてその他の一面とは勞働に本來のこの喜びをも全く呑み盡して了ふやうなものである。 三月に入つて旺盛な麥の發育が彼を驚かした時、彼は一つの疑問を持つた。夜のうち雨が降り翌日は朝からいい天氣で、一夜のうちに一寸も伸びたやうな、頭を垂れた葉のそよぎが眼に沁みて靑く白く光るのを見ると、智慧のつく盛りの子供のやうな興味が彼を支配した。すべてこれらの植物のさかんな成長の實際の模様はどんな風であらうか?それは丁度時計の針が、何時移るとも見えぬ間に、いつのまにか次の時に移つてゐるやうな眼に見えぬ速度を以て伸びて行くのであらうか?それとも同じ時計でも、大時計の分針が見てゐる眼の前で一度に一分か二分ずり動いて行くやうに、植物の莖なども亦一ぺんに二分三分、飛び出すやうに抽き出ることがあるものであらうか?おそらく一毛一絲といふやうな、顯微鏡下でのみ知り得る動きをもつて伸びるのであらうが、眞夜なか、寂(しん)としづまつて植物の莖や葉の息つぎのみが聞えるやうな時、その莖や葉が一ときに五分ぐらゐぐんと抽き出るだらうといふことは、動し難い實感でもあつた。駿介はさういふ疑問を眞面目な顏で云つて、妹に冷かされたりした。 「そななことがそんなに知りたけりや、兄さん、夜なかに懷中電燈を持つて、畝間にでも蹲まつて見たらよござんせうが。紙で莖の頭さ鉢卷きでもさして、目じるしにしてぢつと睨んどつたらわかりまつさ。」じゆんはさう云つて笑つた。 煙草は發芽してからは、水は一日に一度やればよかつたが、駿介は水をやる時以外にも、暇があれば來て、苗床を見護らずにはゐられなかつた。苗は一日一日とのびて間もなく間引きするやうになつた。折角伸びて來た苗を間引くことが、彼は惜しいことのやうに思はれた。間引いたあとには追肥をやつた。さうして三月も下旬の此頃は、もう中耕の時になつてゐる。背中にとほる春陽のぬくみを感じながら、駿介とじゆんとお道と三人、無言のまま、竹箸様のもので、條間の土を縦橫に掻いて行つた。作業を續けながら駿介は時々忘我の境に踏み入つた。自分の手の先からのかすかな物音と、反對の側から始めて來た妹が、側に近寄つて來た氣配に、ふと我に返つて眼を上げる。向うのなだらかな傾斜には陽炎が燃えてゐる。その丘にただ一本、夏の暑熱を避ける日影を作るために伐り殘した柳の大木は薄綠に芽ぐみ、陽にけぶつてゐる。春陽がのどかに、あたりが明るければ明るいほど、あたりは靜まり返つてゐる。時々雲が動き、影が向うからこつちへ足早に驅けて來る。が、自分がその影に包まれたなと思ふと、もう向うの方は明るく晴れてゐる。たまに鳶が頭の上の空に來て、圓味のある澄んだ聲で鳴く。駿介は再び作業の手を續けながら、自分といふ存在が大きく外にまで擴充して行くやうな、又は外の世界が自分の內部に吸ひ込まれて來るやうな、幸福な感じを味はつた。 もう日は全く陰つてゐた。あるともなしに動いてゐる風がやや冷え冷えとして來た。畑に來た駿介は、苗床の上に急いで小麥藁をかぶせて行つた。夜の間の覆ひは、發芽してからは蓆ではなくて小麥藁にしてゐた。それもはじめのうちは厚かつたが、此頃ではずつと薄くなつてゐた。もう少し苗が成長し、暖かになつたら、この薄い覆ひも取り去つていい。 仕事を終へて彼が畑道の方へ戻つて來ると、傾斜した道のずつと下の方から、彼を呼ぶ聲が聞えた。見ると、少し前に別れたお道であつた。彼女は片手を上げて振りながら上つて來た。 「どうしたんだい?もう摘んぢやつたのか。」 「いいえ、あのう森口さんが來たんです。」 「森口が?」 「ええ。お母さんを診るんですつて。わたし途中で逢つたもんやから。ぢやあ、兄さんを呼んで來るつてすぐこつちさ來たんです。森口さんは先に家さ行つて待つとるから云うて。」 「ああさうか。すぐに行く。」 彼は走るやうに傾斜の道を下りて行つた。お道もその後から續いたが、また途中で別れて芹摘みに行つた。先日、森口に逢つて母の眼の話をしたところ、時を見て手術すればいいので、心配はないものと思ふが、今度立寄つた時診みようといふ事だつた。 家の下の道には、どこかの往診の歸りらしく、森口のオートバイが乘りすててあつた。森口は茶の間へ上つて、おむらと話してゐた。 「やあ、どうもわざわざ有難う。もう診たんですか?」 「いや、まだ。君が來てからと思つてね。今お茶を招ばれて一服してゐたところなんです。」 「どうも先生さま、わざわざと。」とおむらが何度目からしい禮を云つた。 「ぢやあ、おつ母さん一寸。あつちの明るい方へ行きませう。」と、森口は立つて緣側の方へ行つた。おむらも駿介もそのあとから續いた。庭には殘照が輝いて明るかつた。ならんで立つとおむらの顏は森口の丁度胸あたりに來た。森口は二本の指でおむらの眼を開き、左の手を上げて、「こつちを見て」といふやうに云つてゐたが、すぐに濟んだ。それでもういいのかと思ふと、おむら自身を見てゐる駿介も、あつけないほどに簡單だつた。しかしその事から駿介も安心もしたのである。おむらは、年をとればかうなるものときめて了つてゐるやうなところがあるから、醫者が診た結果に對しても大して氣にかけてゐる風にもない。 「やつぱり單純な白內障ですね。心配はいりません。老人性の白內障なんです。原因はまだ解らないんだけれど、年を取ると水晶體が濁つて來るんで、それで視力が弱るわけです。」 「すぐに手術するのがいいんでせうか?」 「まだ左の方はかなり見えるんでせう?」と、森口はおむらに訊いた。 「へえ。まだどうにか針仕事の出來るくらゐですけに。」 「さうですね、ぢやあもう少し經つてからの方がいいでせう。この手術はほかの手術と違つて遲い方が却つていいことになつてゐるんです。水晶體の白濁が完全な方が手術もし易いんですね。手術する時には、私がいい眼科を紹介してあげますから。」 二人は厚く禮を述べた。三人は茶の間へ戻つて來た。 「お父つあんの神經痛は此頃はどうですか。をさまつてゐますか?」 「ええ。陽氣がよくなつたせゐか、らくなやうです。あれは治らんもんですか。」 「原因が解つてればその原因を除きさへすれば治るわけなんだけど、それを除くつていふことがなかなかでね。たとへばお父つあんの病氣を根治させようと思へば、百姓をやめさせるしか仕方がないんだから。しかし此頃は一時おさへでもいい薬が出來てるから、さういふ時は云つて來てくれればいいんだけど。」 「家のお父つあんはどうもお醫者さんを信じない方だもんだからね。」と、駿介は笑つた。それから梅雨時になると起るといふおむらの喘息の話や、そのほかの病氣の話や、世間話などをした。 「先生さま。先生さまのお嫁さんの話はどないになりましたです?」 「どうもなりやしませんよ。」 「何でも京都の方の大層なお家からぢやとか――」 「なあに、ありや親父がひとりで騒いでゐるんですよ。」 「二十一日に志村が來るつてさ。」と、森口は駿介の方を向いた。 「ええ、さうだつて。あなたの所へ寄つてから、僕の所へ來て、それから二人で一緒に上原へ行くことにしてるんです。」 「さう、そりやいい。一度三人一緒に話したいが。」 間もなく森口は歸つて行つた。 二十一日に、駿介は二人の妹と一緒に朝のうちに墓參りに行つた。年寄りは前の日に墓參りをすましてゐた。妹達は歸つて來ると、牡丹餅を作るとか、團子を作るとかで、急がしさうにしてゐた。 駿介は前の晩に、東京の友達に宛てて長い手紙を書いた。彼は思つたことや感じたことをかなり腹藏なく語り得る東京の友達を、まだ一人二人持つてゐた。忙がしい仕事の手をしばし休めて野面を見渡し、空を仰ぐやうな時にも、東京の生活は影繪のやうに心をかすめることはあつたが、さうして思はず深い溜息の洩れることはあつたが、棄てて來たものへの未練はなかつた。追憶はつねにあまくむしろ今の彼を內から自然に力づける作用をし、溜息も歎きではなくて、若い彼が遠い未來に向つて思はず呼びかける聲なのであつた。未練はなかつた。しかし別れて來た數少い親しい友達が、國の中央でどのやうに考へ、どのやうに生活してゐるかといふことは、つねに彼の關心の的であつた。彼は學生生活を棄て、都繪を去つた。しかしかつて彼が志村との話のなかに於ても云つたやうに、彼は何も自分の取つた道を一般に及ぼし得るものとも、及ぼさねばならぬものとも考へてはゐないし、今日の時代に於て特に意味ある行爲だといふやうな意識も彼自身のなかにはなかつた。彼は自身の行爲に就て他に向つて誇り、積極的に主張しようとの氣持は無かつたのである。志村に向つても論難に對して辨明したのに過ぎなかつた。彼はただ自身の道を求めたのであつた。だから東京に殘して來た友人達に對してもそのやうにして臨んでゐた。彼は彼等のあるものを愛してもゐたし尊敬もしてゐた。自分が歸農したことで困難なインテリゲンツィアの問題が忽ち他人事になつたなどと考へるわけにはいかなかつた。今日の所彼にとつて問題はなほ農村に於けるインテリゲンツィアの問題の面を持つてゐる。そして或ひはそれは生涯さうであるかも知れない。彼は時々自分の生活のすがたを詳しく書いて東京へ送り、彼等からもそれを聞くことを欲した。彼等の個人的生活と同時に、それを通して時代の空氣に觸れることをも欲したのであつた。 その晩は、いつも寢る時刻からはじめて、二時頃までかかつて書いた。そして二十一日の朝は早くに起きたので、駿介はかなり眠かつた。墓參りから歸つて來ると、早い晝飯をすまして、二時間ばかり晝寢をした。覺めて間もなくすると、志村がやつて來た。 二人は一別以來のことを二三話し合つた。 「森口の所へはもう寄つて來たんですか。」 「ええ、寄つて來た。――ぢやあ、そろそろ行かうか。いろいろ話すことはあとでのことにして、向うへ餘り遲く着いてもなんだから。」 「まアもう少しようござんせうが。珍らしうはないが團子でも食べて。」と、おむらが引き止めたが、坐つて話し込むと長くなるので、二人はすぐに行くことにした。 「ぢや、僕は一寸着物を着替へるから。」と、駿介が立つと、志村も立つて、山羊の聲を聞きつけ、 「ほう、山羊がゐるんだね。」と云つて庭へ下りて山羊の小舎の方へ行つた。山羊はもう餘程大きくなつて、もう少し經つと仔を生む頃になつてゐた。 「あれは去年家さ來た志村の息子かえ?」と、駒平が訊いた。 「ええ、なぜ?」 「さうかな。まるで見違へるやうになつたもんやから。肥つたし、顏附きなんぞも別の人のやうになつた。險(けん)が無うなつたわ。」 傍にゐた妹達も父に同感した。 そしてそれは駿介もまだ口に出しては云はなかつたが、志村と顏を合した當初から氣附き、少なからず驚いてゐたことであつた。彼等はほとんど一年ぶりで會つた。さうして志村は丈夫さうになり、彼の容貌は落ち着きを示してゐた。この變化は何から來たか?「さうね。矢張、田舎の空氣が身體にいいんでせう。」と駿介はその時父に云つたが、決してそれのみにはよらぬことを彼は知つてゐた。彼の外貌の變化は彼が精神の平安を得たことから來てゐた。これは喜ぶべきことであらうか?喜ぶべきことであるかも知れぬし、悲しむべきであることかも知れぬ。逢ふとすぐに、丈夫さうになつたね、と氣輕な氣持で云ふことが出來ぬ、何かのこだはりを駿介は感じなければならなかつた。 久しぶりに上原へ行くんだから、今日は歸りが遲くなるかも知れぬ、と云ひおいて、駿介は志村と連れ立つて家を出た。二人は自轉車であつた。乘合はあつても、夜は早くから運轉が止まるから少し遠くへ出る時は自轉車であつた。坦々とした春の街道を、二人は時にあとさきになり、多くは並んでゆつくりと踏んで行つた。人通りの少ない田舎道だから、二人は走りながら話して行くことが出來た。 「今の仕事はどうですか、面白いですか。」と、駿介は訊いた。 「うん、やつてゐるうちに段々面白くなつて來たよ。此頃はもうすつかりそれに打ち込んでしまつてゐる恰好でね。そんなつもりで始めたんでもなかつたんだけれど。」 「そりやいいですね。もつとも君は昔から歷史的なものには興味があつたんだから。」 「うん、さうなんだ。――はじめはね、何でもいいから、仕事がしたいと思つたんだ。考へはどこまで行つてもまとまりがつかぬ、――生活は亂れる――で、外から一つの枠を作つて、生活を外形的に引き締めて、內部を統制して行かう、さう思つたんだ。だから多少知識的な仕事で、何かさういふ枠になり得るものでありやいいわけだ。つまり手段だつたんだ。過去の壓迫から逃れたいといふことでもあつた……。」 「…………」 「それで始めは飜譯なぞやつて見たんだけれどね。一日に最低限度これだけの分量は必ず仕上げる、といふことにして、朝早く起きてかかるんだ。ところがやり出してみるとこれがまたなかなかのことでね。目的を持たぬ、手段化された仕事の辛さをつくづくと知つた……ちやんと本にする豫定がついてゐるとか、生活のためにどうしても仕上げなければならぬとかいふんぢやないんだからね。さうかといつて義務的でなく、氣の向いた時だけやるといふんぢや僕の最初の目的には添はんのだし……さうだ、例のロシアの監獄の話といふのがあるだらう。積み上げた薪か何かを何の目的もなしに一つ所から他の所へ移させるといふ――誇張していへばそれが解るやな氣持なんだ。しまひには字の埋まつた原稿用紙が厚くなればなるほど憂鬱になつて來た。意志の誇張を强ひられることが豫期したいい結果を生まないで却つて惡い結果になる……それでそれを止めてしまつて、ある日ぶらりと上原さんの所へ行くと、丁度相談しようと思つてゐた所だつたと云つて、縣史編纂の話なんだ。それで喜んでやらしてもらふことにしたのさ。」 「さうですか、そりやよかつた。」 しんかのら聲としてそれが出た。沒頭出來る仕事を持つ、といふことは何とすべての人々にとつて必要なことであらう。志村が肥つたことも、その顏に險が無くなつたことも、ただ平凡な簡單なその一事のせゐである。駿介は志村のために喜んだ。それにしても丁度いい時にいい仕事がよくあつたもんだ!仕事はあつても上原が志村のことを思ひ出さなかつたとしたらどうだらう?又若し思ひ出したにしても、上原が、志村の過去の經歷の故に彼を近づけ得ない人間であつたとしたらどうであらう。またよしんば上原が望んだとしても、肝腎の縣の方(ほう)が上原の推薦をきかず、志村を觸託とすることを肯(がへ)んじなかつたとしたらどうだらう。かう萬事がうまく行くといふことは?駿介は、人が偶然の事として深く心にも止めぬ事をも偶然として見過し得ぬやうな心の一面を持つた人間であつた。何かある大きな意志がそこに働いてゐる、といふやうな感じに傾きながちな人間であつた。大きな不幸、大きな幸福といふやうな異常事に就てのみならず、極く些細な日常事に於てもさうであつた。ただ今日の時代の靑年だから、さういふ傾向を益々深めるといふこともなかつたのである。 「その過去の壓迫から逃れる、といふことはどうなりました?」と、駿介は微笑を含んで訊いた。 何氣ないやうに問ふたのではあるけれど、それを云つた彼の氣持は眞劍であつた。志村は彼の過去を對外的にではなく、自分自身に於て始末し得たであらうか?爲し得たとすればどのやうにであらうか?それは彼の爲にも聞きたかつたし、自分のためにも聞きたかつた。それを聞いてはじめて駿介は志村のために餘す所なく喜ぶことが出來るのであつた。人を責めることに於て假借しなかつた彼が、自分の問題に於て曖昧であつたり、靑年として最も大切なものを失ふことで一時の平安を得たり、肉體が肥えふとつたりしてゐるのであつたら、彼を道德的に責めるといふのではなくて、彼のために眞に喜ぶことが出來ないのであつた。 「過去の壓迫から完全に逃れるといふことは出來やしない。」志村は言下に云つた。問を發した駿介の氣持を知るもののやうであつた。「僕は現在は勿論だが、將來も、政治的な仕事には關係しないことを決意したんだ。それがたとひどんな性質のものであつてもだ。これは問題のほんとうの解決にはなつてゐないかも知れない――いやなつてゐない。これは確かだ。たとへ僕がさういふ實際的な仕事から離れて紙魚(しみ)の友達とならうとも、問題は依然殘つてゐる。しかし僕は今のところ一時さういふ風に身を避けないわけにはいかなかつたんだ。さうすることで少くとも問題の僕に於ける意味は違つて來るんだからね。樂(らく)になる、といふと語弊があるが……。 僕は身を引いて問題を考へようと思つてゐるんだ。渦中になければものが解らないといふのは長い間の僕等の主張であつたが……。兎も角僕は自分の過去をさう手輕に片附け得るとは思つちやゐない。ほんとうの新しい出發がもう始まつてゐるのだともまだ思へない。しかし一つの足場は得たやうな氣がしてゐる……どう、少し休もうか。」 彼等は靑柳村への道を半分まで來てゐた。彼等は互ひの聲がよく聞きとれるやうに、並んで、肩を殆どすれすれにして走つてゐた。ゆつくり走つてゐながら少し汗ばむほどの、風のないいい天氣であつた。そこらあたりで二人は少し休んで行くことにした。道の片側は小さな流れで、その岸邊の枯草の上は腰を下すのに都合よかつた。 志村は續けて云つた。 「曾つて僕等は一つの思想的據り所を得てこれを究極の、絕對的の立場の如くに思ひ込んでしまつてゐた。だからそれを失はねばならなかつた時ひどく慌ててしまつた。しかし考へて見ればさういふものが僕等の若さでさう簡單に得られるものだらうか?といふよりは絕對的なものに到達したと自分の頭のなかだけで思ひ込んでゐたことが僕等の若さの現れではないか。なくなつた今の力が却つて進んでゐるのかも知れない。深く考へれば考へるほどさういふものは見つからぬのではないか。何かが信じられる、しかしその瞬間からそれを失ふ時の事を考へてゐるべきぢやないか?他へ移らねばならぬ時のことを。これは節操の問題とは違ふと思う。眞に求めるものはさういふ柔軟性を缺いてはならぬものと思ふんだ。最初からそんなことを豫想してゐては何も出來ぬと人はいふだらうか?しかし僕はさうは思はない。」 二人は暫く默つてゐた。 「上原では哲造さんが歸つて來てゐるつて?」と、駿介が訊いた。 「うん、歸つて來てゐる。」 「彼は此頃はどんな風なんだらう。森口さんから一寸噂□だけは聞いたけれど。」 志村は投げ出してゐる足のすぐ下の流れに眼を落してゐた。 「餘程變つてゐるかしら。」と、駿介は再び云つた。 「君が最後に逢つたのは?」 「たしか高等學校の二年の時だつたと思ふけれど――僕が。」 「いくつちがふんだい?君等は。」 「二つ――彼の方が上ですよ。」 「僕とは二つだ。僕の方が上なんだ。――上原は變つとりやしないよ。おそらくあの位變らん奴は珍らしいだらう。かう云へば彼を見てゐて、彼を知らん人間はおどろく。しかし彼が色々に變つて行くやうに見えることは、彼の外見に過ぎないんだ。といふよりはこの變つて行くことのなかにこそ彼の本質があるんだ。變つたやうに見えても人間の生地(きぢ)――本質は變らない、などといふことぢやない、矢張生き方を云ふんだ。彼の變化は僕の變化とはまるでちがふ。最初からどんな信念をも認めないと宣言した彼に、僕の場合のやうな變化がどうしてあらう。彼は最初から究極とか絕對とかいふものを信じてやしないし、目標にもしてゐやしない。だから僕の場合に於て轉換が、更生のための必死のあがきであるに對して――つひにあがきのみに終るかも知れぬのに對して、彼に於ては次々に移り變つて行くといふことが、そのままで自然な生の姿なんだ。彼は自ら漂泊者であることを云つてゐる。そしてその漂泊が、今もいふやうに絕對を求めて得られぬ迷ひと異なり、その漂泊のなかにこそ自由な精神を感じてゐるといふやうなものだから、しぶといところがあるんだ。さういふ人間として彼は一貫してゐる。日常の生活態度に於ても徹底してゐる。信念の人にならうとしてなれずにゐる僕等は、それとはまるで違ふものであるさういふ一貫性にも心を惹かれるんだ。だからへんな壓迫を受けてかなはないんだ。とくに今の僕のやうな狀態ではね。 僕は時々、君と僕と上原を、それぞれ一つの型だと思つて、考へ込んでしまふことがあるんだ。……そして三人のうちで一番に僕以後の若い時代に共通なものを持つてゐるのは、上原だらうと思ふね。君なぞも明らかに僕以後で、そのうちの一方の、しかも最も健康なものの代表だが。上原はじつに古い。古いがある一時代の被害を受けることがないからつねに生き殘つてゐられる。そしてその生き殘つてゐるところに新しさがあるといふことにもなるんだ。」 「今は何かやつてゐるんですか。」 「詩の雜誌をやつてゐるらしいがね、二三の仲間と。――上原の親父さんも、あの年でここら邊りぢや珍らしく解つた人だけれど、あの息子を理解する迄には至らない。時代が餘りに距つてゐる。それに息子だといふことは時には理解を深めもするが、時には妨げもする。色々に複雜な感情がこんぐらかつてね。生產的な仕事や何かの實務でなけりやならんと考へてゐるやうな人ぢや無論ないが漂泊者の心理がわかることは一寸難かしい。またたとへ解つてもだ、自分はあの通り社會に敗れ、俗世間を白眼視してゐるやうな人間でも、親となると矢張子がその俗世間で、一かどの者となることを望む心を抑へることが出來ないんだ。心のずつと底の方でだね。親父は彼には期待してゐたんだ。殊に長男がああなつてからはね。――君、知つてるだらう、兄貴の方を。」 「ええ、大阪で製薬會社をやつて失敗したといふ人――」 「あれも困りもんだ。牢屋へはどうやら入らずに濟んだが、今だに尻拭ひが出來なくて親父から金を引き出してゐる。親父が土地を手放すのは、彼一流の地主哲學にもよるが、あの息子のせゐでもあるんだ。老人は此頃しきりに血といふことを云ふが、たしかに實務には皆適しない連中ばかりだね。」 「何か古い家柄のにほひといふやうなものが感じられるね。」と云ひながら、駿介は同じ地主の伊貝を、對照的な存在として思ひ浮べてゐた。 「血を云ふのもいいが、老人はやや神秘化する傾向があつて、それが今やつてゐる仕事の中にも出て來る事があつて困るんだがね。」と、志村は笑つた。「長男がさうなところへもつて來て、二人の娘が嫁入つてゐる先がまた大變なものらしいんだ。娘よりはご亭主たちだね。長男がさうならこつちだつて取らなきや損だ、愚圖愚圖してゐりや、みんな取られてしまふ、といふわけだ。さうしてかなり惡辣なことをやつてゐるらしい。例へば事實は何も借りてなんかゐやしないのに、ある男と結託し、彼を自分の債權者に仕立てて外舅(しうと)の所へ差し向けるといふやうなことだ。ところが老人は强ひて逆らはない、奸計を見拔いてゐながらその云ふ通りになつてゐるといふ所がある。僕の親父なんか舊知だから、時々何か忠告めいたことを云ふこともあるらしいが受けつけない……成行きに任せてゐる。みんなして寄つてたかつて、餘り大厦でもない古家の屋臺骨に綱を絡んで引つ張つてゐるんだ。ぼつさりした音を立てて、何百年來積つた塵の煙を立てて、倒れるのももう間近いやうな氣がする。これも一つの典型だといふ氣がしみじみすることがある。」 彼等はまた默つてしまつた。 陽は依然あたたかに照つてゐる。足の下の流れはねむたいやうな音を立てて流れてゐる。 「ぢやあ、行かうか。」 どつちからともなく云つて、二人は立ち上つた。 === 十四 === ゆつくりと踏んで行つたので、普通よりは餘程時間がかかつて、上原の家に着いた。上原は待ちかねてゐたやうに、女中が引つ込むとすぐに、自分から玄關へ出て來て二人を迎へた。 この書齋にかうして坐るのも、駿介には去年の初夏以來のことだ。駿介と上原とは一別以來のことを話した。駿介は上原の外貌に、志村が手紙に書いて來たやうな變化をみとめた。しかし頭髪が目立つて白さを增して來たといふことは、必ずしも彼が俄かに老いたといふことではなかつた。反對に彼の頰には生色があり、眼のいろも疲れてゐないどころか、精力的でさへあつた。仕事は彼の上にも亦、志村と同様に影響したことが認められたのである。古書に埋まつてゐる部屋そのものにも、氣のせゐか何となく活氣が見られた。 志村は今日森口の家の書庫から借り出して來た記錄を上原に渡し、仕事のことについて二三の打ち合せをしてゐた。 「君は明日縣廰へ行きますか?」と、上原は渡された古い記錄に眼を通しながら訊ねた。 「ええ、行きますが。」 「ぢやあ、一つこれを。」と云つて、上原は身體をまげて、後ろの棚から一包みの書類を下した。 「これを持つて行つて、桑井君に渡して下さい。淨書してもらふんです。――桑井君が來てから大へん助かる。此頃の若い人には、昔の寫本なんぞ、滿足に讀めるものは少いんでね。」 仕事は縣廰の學務部の一室を借りて進められてゐた。しかし上原はおもにこの書齋を仕事場にして、縣廰へ出るのは週に二日ぐらゐであつた。縣史の中には、藩政時代の醫術や、變災としての疫病を扱ふ項目があつて、そのためにはその祖先中に御殿醫を持つ森口家は他に得難い貴重な資料を提供した。それは非常に豐富なもので、それに從つて詳しく書いては、他の章との釣合ひが取りかねるほどのものであつた。彼の家に傳はる史料中には、他の章のために役立つものも亦多かつた。 「哲造さんは?」さつきから心にかかつてゐて、駿介は訊いた。 「さあ、散歩にでも行つたのかな。今日は君方が來ることを知つてゐるんだから、よそへ行くわけはない。追つつけ來るだらう。」 そしてその言葉どほり、彼は間もなく姿を現した。 彼は背も大きいといふ方ではなく、痩せぎすな男であつた。默つて入つて來ると、一寸頭を下げて、客である二人が坐つてゐる後ろを通り、南に向いてゐるガラス戸を透して日が射してゐる所へ坐つた。老年に入つて眼を勞つてゐる上原は、明るい光の下に机をおくことをせず、却つて暗い隅に坐を取つてゐたのである。哲造が坐り、上原と志村とが途切れた話を再び續けた時に、駿介は彼と正面から顏を合したが、彼は靜かに駿介を見ただけであつた。 「散歩して來たんか。」と、上原は訊ねた。 哲造は、ええ、と答へて、川の方へ行つて見たら子供が釣つてゐる、袂に氷砂糖を入れて持つてゐたのでわけてやると、竿が二本あるからお前も釣つてみないかといふ、それで久しぶりに鮒を五六匹釣り上げたが愉快だつた、と笑ひながら話した。それから、蠶豆がもうぼつぼつ薄むらさきの花をつけ始めた、新しい蠶豆の入つた糅飯(かてめし)を思ひ出す、あれを食つてから東京へ行きたい、などとも云つた。 笑ふといかにも無邪氣な顏になるところは、昔のままであつた。しかしだまつてゐる時の顏つきは年よりは老けて見えた。いくらか粗い、學生の着るやうな久留米絣を着て、その襟のところは垢染みてゐた。髯は濃くないたちの顏だが、髪は三四ヶ月梳づつたことのないやうなのび方である。大きくはないが、黑くよく光る眼が顏を父親に似せてゐた。いかにも明かな、生々とした眼つきなので、その人の肉體が假令どう病み衰へても光を失ふことは考へられない、肉體が衰へれば衰へるほど眼だけは愈々光り輝くのではないか、と人に思はせるやうな眼が稀にあるものである。彼の眼はさういふものに屬してゐた。彼の表情はよく動き、變化した。非情に特徴的なのは、放心したやうな、うつとりとした顏つきになる時であつた。彼は時々思ひもかけぬ時に卒然としてさういふ狀態に陥つた。一人ゐて何かしてゐる時でも、二人相對してゐる時でも、あるひは喧噪のなかにあつても、視線が定まつてゐるやうな、またゐないやうな、夢見るやうな顏である。それはいかにも恍惚とした氣持のいいものだ。一體何が彼をとらへるのか、どういふ精神狀態が彼に來るのか。彼がその數瞬間、外界のすべてから自由で、完全に自分獨りきりの一つの境地に住むのだといふことだけは察せられた。しかしそれが一體何であるか、意識的に呼び出す恍惚境なのか、それとも彼自身も思ひがけぬ何かであるのか、それははたからは解らぬことだつた。 「今日はゆつくりして行けるんだらう?」と、哲造は二人に向つて訊いた。そして別に返事を待つでもなく、立つて、部屋の外へ出て行つた。 木立の多い庭に、鶯が來て、しきりに鳴いてゐたのが、何時の間にか聞えなくなつた。その庭ももう久しく荒れるに任せてあつた。池は水が干て醜い底をさらし、雪見型の石燈籠の寶珠は缺け落ち、敷石は半ば土に埋もれ、植込みの形のいい木には枯れかかつてゐるのもある。廣い屋敷の中は靜かだ。この部屋での話がとぎれると物音がなく、日の中でもしんとして寂しいのだ。陽はもうガラス戸の足もとあたりへしか届かなかつた。 「をばさんが亡くなつてから何年目でしたつけ。」 鴨居の上にかかつてゐる、小さな古風な髷に結つた老媼の額を見上げながら、駿介は云つた。 「六年目。」と、上原はチラとそつちの方を見上げた。 亡くなつたその寫眞の人のことを駿介は憶ひ浮べてゐた。その人に愛撫された古い記憶がきれぎれに甦つて來た。敬虔なほとけの信者で、不仕合せな人を見ても話に聞いても、すぐ兩の眼に一杯の涙をうかべた。接するほどのものに、柔和なへりくだつた心を呼び醒さずにはおかぬ人柄であつた。彼女がこの家にあつた時、家の中にはつねに春風が滿ちてゐた子供心の記憶がある。この家の暗さは彼女の死と同時頃から始まつたのではないかと思ふ。彼女の死と、家が傾いて行くこととは無關係でも、彼女が生きてゐることは、傾いて行く家にもその家なりの明るさを保たしめたのではないかと思ふ。 そこへ哲造が再び戾つて來た。 「ぢやあ、向うへ行きませんか。少し飮みながら話しませう。みんな久しぶりだから。」 それで彼等は書齋から、庭の中央に面した座敷に移つた。四人は食卓を圍んだ。そして飮みながら話し出した。四人のうち餘り飮まぬのは駿介だけであつた。しかし彼とても村へ歸つて以來はまるで飮まぬといふことはなかつた。激しい肉體的な勞働の結果は、時としてアルコホル性飮料を欲してやまなかつた。去年の秋一と月にわたつて雜地の開墾に從事した時や煙草畑の肥料にする落葉の荷を作つた時など、日暮れ方へとへとに疲れて歸つて來て、土間に足を踏み入れ、竈の赤い火を見ると、飢渇に近い欲求としてさういふ性質の飮みものを欲することがあつた。餘りに疲れると、何か血を一時に沸き立たせ、身內を灼くやうに刺戟するものを欲した。その上に、疲勞もある程度過すと眠れないといふことがあつた。疲勞の極興奮し、心悸が亢ぶつて眠れなかつた。さういふ時少量の酒は彼を快く眠らせ翌日の勞働を支障なからしめた。 彼は寒い土地で激しく働かねばならぬ人々が、强烈な粗惡な酒によつて身を滅ぼす事實を思つた。そこには過度な勞働のほかに寒さがあつた。彼は森口に向つて、禁欲について立派な口をきいたが、そしてそれを云つた自分にいつはりがあるとは思はなかつたが、それは森口に對してだから云へた。働く仲間に向つて説敎する勇氣は持たなかつた。 四人のうち一番酒量の多いのは哲造であると思はれた。彼は學生時代から强かつた。醉ふと蒼白になり、多く飮んでも亂なかつたが、多辨になり議論を好んだ。彼が蒼白になるに對して、志村は赤くなり、愉快になる方だつた。 上原は、書齋で聞き殘した駿介のその後の生活について色々訊いた。駿介については、森口から志村に傳はり、志村から上原の耳に入つて、彼は安心してゐたが、今日の駿介を見て、安堵は加はつた。彼は駿介が今の生活に落ち着くことが出來、いろいろ計畫を立てて、明日に希望を持つて生きてゐることを心から喜んだ。さうしてこれからはちよいちよい訪ねて來るやうにといふことを繰り返して云つた。 「今度の縣史の仕事は、それぞれに分擔をきめて、獨立に執筆するんですね?」と、話が自分の事からもう逸れてもいいと思つた頃に、駿介は訊ねた。 「さう。」と、志村が答へた。 「もう、書き始めてるの?」 「いや、まだ、まだ。今は材料を集めたり――集めるといふよりは整理したり、それをどう解釋するかに頭をひねつたりすることで一杯なんだ。前に出ている縣史なんか、簡單すぎるといふだけでなく、史料の取扱ひや解釋などが成つてゐないんで、蹈襲するわけにはいかない、全然新に始めなくちやならないんだから。」 「君の分擔は時代からいふとどこらあたり。」 「僕は德川時代、藩政になつてからの全期間だ。をぢさんは上古から僕が引き受ける前の時代まで。それから、明治以後大正の末までもをぢさんなんだ。ほかにも色々手傳つてくれる人はあるが、實際に筆をとつて書くのは我々二人なんだ。」 「個々の史料の解釋や、根本的な歷史觀の上で、意見の食ひ違うひは起きないかな。」 「そりやもう起つてゐる。」と、志村は笑つた。「だから討論しながらやつて行く。討論して意見の一致を見ないうちは筆を下さない。――兎も角、この仕事が完成すると、地方史としては比類ない立派なものが出來るといふ自信があるんだ。參考として、今迄出てゐる地方史の多くを見てみたけれど、随分詳しいのはあるけれど、方法がみないい加減なんでね。」彼は一寸息を繼いだ。それから又續けた。「しかし、今度の仕事を始めてから、僕はまだ僅か半年だけれど、この仕事は實に僕のためになつたな。さつき途中で君に話した、僕の生活に秩序を與へてくれたといふことの外に、もつと內容的なことがあるんだ。古い記錄を調べながら、つくづくと思ふことは、今迄自分が民衆を口にしながら民衆を知らなかつたこと、民衆の生活を知らなかつたこと、現在といふ地表の上に現れた彼等の生活がどんなに根强い、深く遥かな過去の地盤の上に築かれたものであるかを知らなかつたこと、一口に云つて歷史を知らなかつたといふことだ。これは口に出して云へば平凡なことになつて了ふが、眞に實感としてこれを感じ取るといふことは必ずしも容易なことぢやない。それがた易いことなら、僕等の過去の運動ももう少し何とか變つたものになつてゐた筈なんだから。僕は僕の再出發に當つての最初の仕事を、地方史の研究から始めたことを、非常に意味深いことに思つてゐるんだ。何かの惠みとさへ思つてゐるんだ。同じ歷史の勉强から始めるにしても、東京の學者達のやうに、何時までも半封建的がどうかうしたといふやうなことを論じてゐたんでは、假令言葉では同じやうなことを云ふにしても、今ほどの自覺には達し得なかつたらうと思ふ。しかし僕は今地方史からはじめる。國に於けるこの一地方といふものを知ることからはじめる。そしてこれは日本研究のための最も確實は第一歩だと思ふ。」 「志村、」と、それまで皆の話を默つて聞きながら、手酌で飮んでゐた哲造が、その時呼びかけた。「君は今云つてゐるやうなことに、ほんとうに今度はじめて氣づいたのかね?」 「ええ?」と、志村は彼の方を見返した。 「いや、君は自分で自分の氣持を少し誇張したり甘やかしたりしてゐやしないかといふのだ。或ひはかう云つてもいい。君にとつて今度の仕事が大きな意義を持つてゐるといふことは望ましいことだ。さうでなけりや困ることでさへある。で、さういふ君の願望が逆に君に作用して……、君が無いものを見てゐるとは僕は云はないが、少し自分を誇張して感激し過ぎてゐるんぢやないか。」 「僕はさうは思はない。」と、志村は云つて盃を取り上げて一飮みした。 「僕の云ひたいのはつまりかういふことなのだ。君がさつきから云つてゐる、自分は今迄民衆とその生活と地方の特殊性と歷史と傳統とを知らなかつた、今度の仕事を通して始めて過去の缺陥に氣づいたやうにいふことは、果してほんとうにその通りかどうか?そして僕には決してさうとは思へないんだ。そりや君は新しく知り又感じたこともあるだらう。しかし君がさつきから强調してゐる知識とか感情とか自覺とかいふものは、昔の君だつてちやんと持つてゐたに違ひないんだ。昔の意味は果して民衆の生活が根强い傳統の上に立つことを知らず、一地方の特殊性の重んずべきであることを知らなかつたか?そんな筈はない、君等は知つてゐた、そしてそれを强調しさへしてゐた……。」 「言葉でそれを强調することと、眞の自覺に達することとはちがふよ。だからその事を僕はさつきから云つてゐる。」 「まあ、もう少し聞き給へ。兎も角、君等は以前にもさういふことを强調してゐた。そしてああいふ理論を唱へ、ああいふ運動をやつてゐた。さうして今君は同じことをさも新しい發見のやうに强調しはじめてゐる。そして同じことの强調が、今迄とは異る自覺を促し、異る理論と結びつかうとしてゐる。このことから僕のやうな君等の傍觀者はどういふことを感ずるか?僕が思ふに君に今何かの新しい自覺なり、理論なりが出來つつあるとしても、それは何も君の云ふやうに、君が今迄無視してゐた現實を新たに諦視することによつて得たものではないのだ。現實の諦視が新しい自覺を生み出したわけではなく、先に新しい一つの觀念があつて君をとらへたのだ。それがどういふ經路を取つて君をとらへたかはここでは問題外にしよう。又その觀念は君にあつても尚さうはつきりしたものではないだらう。しかしともかく今迄とは別なある觀念に從つて君は君が昔から見て來た現實を別に解釋し直しつつあるといふことなのだ。その點では昔と何も變つてゐやしない。現實現實と云つてゐた昔の君は實は甚だしく觀念的だつた。そして今の君だつて實はさうなのだ。觀念が現實を新しく發見したり解釋したりしてゐる。爭つてゐるものは觀念と觀念なのだ。」 志村は何か云はうとした。哲造はそれを云はせなかつた。 「僕は君の實際がさうであることを別に非難するんぢやないよ。さうであつちやならんなどといふ氣は僕にはない。僕はただ事實を指摘し、君が自分がさういふものであることをはつきり悟ることを望むのだ。僕には君の態度がもどかしくもあり噓にも見える。現實現實と現實に藉口するな!現實に色眼を使つたり、現實の前におづおづ尻込みしたりするな。もつと大膽に自分の理想を云へ。理想が解釋した現實を云へ。君の主張が常に君の理想から生れることを云へ。さういふ君を見た方が少くとも僕にも氣持がいい。 「君は、僕に對する君の批評に於て、君自身を語つてゐるに過ぎないんだ。君自身の主觀で勝手に僕といふものを作り變へてゐるんだ。僕は決して君が希望するやうな人間であることは出來ない。僕等は僕等の主觀で勝手に眞理を創り出すことは出來ぬからね。僕等は絕對の眞理が二つも三つもあるとは思はない。そしてその絕對の眞理に到達するための科學的な方法を信じてゐる。しかし僕等は眞理研究のための完全な方法を決して一遍でもつては我がものとするわけにはいかない……。」 「絕對の眞理、科學的な方法、――さうだ、君等にはさういふのがある!」哲造は笑つた。いくらか皮肉な色が彼の顏に浮んだ。「完全な方法を決して一遍きりで我がものとすることは出來ない?そのことで君は自分が甲から乙へ移り變ることを説明しようとし、また出來ると思ふのか。方法だけのことと君は思つてゐるのか。では君等は昔の君等の方法が不完全であると思つてゐたのか。さう思ひながらしかも信念を云つてゐたのか。君等は信念を呼號してゐた。さうしてすでに信念を呼號することは、自分がさういふ完全な方法を發見し我がものとしてゐることは勿論、眞理そのものにすら到達したと自負してゐることを示してゐるのだ。ところが君等はその信念を棄てた。つまり絕對の眞理と思つてゐたものが眞理でなかつたことを自白した。僕は云はう、君等は今後とても永久にそんな『完全な方法』を我ものとすることは出來やしない。君等とても自分の方法が絕えず不完全であることは知つてゐる。しかもそれにも拘らず君等は信念を云ふ。絕對的眞理に到達したかに云ふ。今君は云ふことをやめてゐるが、今にまた新しく云ひ出すだらうと思ふ。ここに問題があるのだ。だとするとさういふ信念とは何も科學的な方法による探求の結果ではないぢやないか。君の眞理とは嚴密な科學的な方法によつて到達し得たものではないぢゃないか。 君は再び昔と同じことを繰り返さうとしてゐる。君は新しい信念を云ひ新しい絕對的眞理を云はうとしてゐる。それはいいだらう。しかし君は再び現實を云ひ、科學的を云つてゐる。そして依然、信念や眞理を、現實的や科學的やの結果であると思つてゐるんだ。 しかし君は生涯かかつたつて、君がさう思つてゐるやうな眞理に到達し、信念を獲得するといふことは出來ないだらう。君は今後、幾度新しい眞理を云ひ、新しい信念を云ふか、それは僕は知らない。しかし幾度云はうと、それはすべて僕がさつきから云つてゐるやうな性質のものだらう。そしてそれは何も君ばかりぢやない。眞理とか信念とかが、人間によつて云はれて來て以來、それはつねにさうであつたのだ。」 「君は色々に云ふ。しかし君の云ふことは結局は、眞理をも、それに到達し得る方法の存在をも認めないといふことになるぢやないか?色々云ふことよりははつきりさう云つた方が手取り早いぢやないか?」と、志村は、やや氣色ばんだ氣持をおさへるやうにして云つた。 「勿論、僕はさうだ。さうして僕は何時だつてそういふ自分を覆ひ隱したことはない。僕はさういふ自分をかつて變へたことはない。ここ十年來の僕の歩いて來た道は、さういふ僕を現してゐる。」 哲造は自信ありげに落ち着いてゐた。 「僕が今迄云つて來たことは、僕が自分を君の立場まで近く身を寄せての上のことに過ぎないのだ。出來るだけ君に近く身を寄せて、君を理解しようとして云つたまでのことなのだ。君から獨立に僕が自分を云はうとするなら又別だ。僕は無論君の云ふやうな信念も眞理もそれに到達し得る方法も持つてはゐない。第一そんなものの存在をすら信じてやしない。かつて高等學校の時、僕は年長の君が社會主義に深入りして行くのを嗤つたね。僕は社會主義なんてものは好きぢやなかつた。しかし僕が嗤つたのは單に社會主義そのものばかりではなく君が眞理や科學をいふこと自體をも嗤つたのだ。そして今の僕は根本に於て當時と少しも變つてやしない。僕は人生や眞實に對して傲慢であると云はれた。しかし傲慢であるのは果して誰か?ではお前はどこに向つて歩み續けてゐるのかと君は問ふか?僕に豫め設定した一定の目的地なんてものは初めつから無い。僕には目的地を定めて脇目もふらず歩くなんて云ふことは出來ない。僕は何に限らず一つものに執着することも、束縛されることも好まない。僕はあの道はからこの道へと歩を移し、道草を食ひながら、心ゆるやかにあたりの風光を愛でながら、旅行くことを好む。しかしながら僕と君等と、果してどつちが自然と人生に對して謙虚であるか?自然と人生が與へるものをどつちが素直に受け取つてゐるか?どつちがその日その日の生を充實したものにして生きてゐるか?僕は元來自分の世界を尊重するやうに、人の世界をも尊重する。自分の世界と人の世界とを較べてとやかく云ふことはしたくない。しかし君達に對してだから云はう。僕は此頃毎日村の子供達と遊び惚けてゐる。さつきも子供と一緒に鮒を釣つて來たことを話した。そのやうな僕の生は、高遠な眞理に向つてゐる君等から見れば取るに足らないものであらう。しかし僕は問ひたい。君達は果して君達の日常の生に於て、その時の僕ほどのささやかな喜びをでも味はつてゐるであらうか?その瞬間のちつぽけな僕ほどにも充實してゐるであらうか?此頃の君達は果して一時でも時の流れの全くの忘却の中にあつたといふやうなことがあるか?何かに沒入して自分をすらも忘却し去つたといふやうなことがあるか?このやうな自然のなかにゐて、雲の動き、樹の間を洩るる日の光、林に鳴る風の音、川の流れ、飛ぶ鳥、這ふ蟲、さういふものと相對して半日を恍惚の中に過すこともある僕のやうであることがあるか?そんな觀照の樂しみなんかと君達は嗤ひもし輕蔑もするだらう。獨善的な觀照者の幸福に憎しみをさへ感ずるだらう。そして高遠な目的に殉じようとする自分を悲壮にも思ふだらう。それはそれでいい。僕は何も君に觀照者の幸福を强ひようなどとは思はぬ。君には君の生活がある。しかし君は君の生活に於て、僕が僕の生活に於てあるやうでなければならぬと僕は云ふのだ。さうして二つの性質の異なる生活を較べて見た上で、君は僕ほどにも行つてゐないと云ふのだ。それが假令君等の眼にどんな生活であれ僕は僕の生活に於て充分樂しく幸福なのだ。しかし君は君の生活に於て果して幸福であるか? あらゆる生活者は、彼自身の生活に於て幸福であるべきなのである。自身の生活に於て幸福であると云ひ得ないやうなものは眞の生活者とは云ひ得ないのである。しかし重ねて君等は幸福であるか?現在の一瞬一瞬におのれの全體を傾けて生き得ないやうなものに幸福などはない。しかし、志村、君はここ十年來、絕えず過去と未來とに押しつぶされ、若くは引き裂かれつつ生きて來てゐるではないか。君は自らその必要を感じつつも過去の頭を切斷することもなし得ないではないか。明日の事を思ひ煩ふな、一日の苦勞は一日にて足るといふことすらも出來てゐない。君は常に悔恨と焦燥と取越苦勞とに苛虐せられてゐる。君は思ふべきを思ひ、思ふべからざるを思はぬといふことを、自分の意志通りに出來ない點で、愚昧な一農夫にも劣つてゐる。それ故にこそ、君の現在はつねに虚しいではないか。 君は僕を個人主義的で、獨善的で、時には利己的でさへあると云ふだらうか?樣々な生活の型はあるが、個々の生活者の實際に生きてゐる狀態を拔きにして、ある生活と他の生活とを一般的に較べて見てかれこれ云ふことは出來ない。生活の外延が廣く、人に影響する所大きく、社會の中心的な組織に關係する生活を直ちに價値ある生活などとは云へない。大臣の生活と農夫の生活とを較べて何か云ふことの馬鹿げてゐることは誰でも知つてゐる。個々の生活をどの視角から見るかについて一々ここで論じる氣は僕にはない。しかし人が彼の生活に於て果して眞に幸福を感じてゐるかどうかといふことは、どんな種類の生活に於てであらうと、さういふ一個の生活の完成度を見る上からは、簡單にしてしかも重要な見地なのだ。では主觀的に悅樂を感じさへすればいいのかと君は訊くだらう。しかし君は、芥溜を漁つてゐる乞食もそれで滿足であればそれでいいのか、といふやうなことは云ふな。例にあげるならばもつと偉大なる生活者の場合を擧げた方がいい。人各々自己の幸福を追求して生きてゐないものはあるか?ひとの爲社會の爲國家の爲を云ひあたかも自己を殺して見えるやうなものだつて何も例外ではない。彼等は自分を犠牲にすることのなかに大きな喜びと幸福とを感じてゐる。そして眞にそれが感じられるやうなものによつてでなければ、他のために盡すといふことも出來ない。偉大な殉敎者達は皆さうであつたらう。彼等のあるものは毒を仰がなければならなかつた時に於て最も大きな歡喜を味はつただらう。我々の眼にどんな悲劇的な人物に見えるものでも、眞の生活者は必ず心の奥底に於て喜びと感謝とを感じて死んだに違いないのだ。だからこそ彼は偉大だ。よし彼の殘した業績が人類のために貢獻することに於ては變りが無いとしても、若しも彼が悔恨に滿ちて死んだとしたら、偉大だとは云へない。生きてゐる我々は歡喜と幸福とを求めて生きる。何が彼を喜ばし幸福にするかの違ひがあるだけだ。さうしてその違ひによつて人間のねうちもきまるだろう。僕を喜ばし、僕に幸福を感じさせるものはつまらぬものと云へるだらう。僕はそれを否定しはしない。僕は單に存在するものをそのままの狀態で觀照して喜び樂しんでゐるのだから。君は違ふ、君は存在するものを變へようと積極的に働きかけることを考へてゐる人だ。君が自分を喜ばせねばならぬと考へるものは僕の考へるやうなものではない。それにも拘らず、志村、僕は君に、君から輕蔑されるかも知れぬこのやうなことを、今特に云ひたい氣持を感じるのだ。 あらゆる主義者達は、彼等の主義の轉向者を責めるといふことは出來ない。轉向者でる君はこの事に就て考へたことがあるだらうか?ある主義を信奉することによつて歡喜し滿足し幸福であることが出來る、といふ時にはじめてその主義は彼に於て生き、彼は主義に生きてゐるのだ。若しも彼が何かの理由でそこから喜びを汲み取ることが出來なくなつたならば、彼はその主義を棄て去るのほかはないのだ。さういふ轉向者達を人は何を根據に於て責めることが出來るのであらう?牢獄にあつて主義を守り通してゐるものが、自己の節操の故に、轉向者を責めるといふことは出來ない。彼にあつては尚主義に生きてゐることが喜びなのだから。自分にとつて尚喜びであるからと云つて、もはや喜べなくなつたものが去つて行くのを責めるといふことは出來ない。もしも內心悔を感じつつ、見えと境地とから節操らしいものを裝つてゐるのだつたら、彼は再び得難い生を粗末にするものと云はれても仕方がないだらう。主義などといふものは、人に强ひるものでも、强ひ得るものでもないのだ。志村、僕は君も矢張同じ轉向者でゐながら、その轉向振りが自分よりももつと醜くかつたといふ理由で、ほかの轉向者を罵つてゐる君に對する皮肉としてこんなことを云ふのではないのだ。過去から脱却しようとしてなし得ずにゐる君を見るから云ふのだ。現在に生きようとして、しかも尚過去にひきまはされて、全身を傾けて現在に生き得ずにゐる君を見るから云ふのだ。」 「君からすればそんな風に云ふのほかはないだらう。轉向の問題だつてそんな風に考へるのほかはないだらう。君の眼に僕はそんな風に映るのも仕方がないことだし、僕の苦痛動揺が君に解るとも思はない。すでに絕對的な眞理の存在をすら認めぬと云つた君なんだから。ところが僕にとつてはすべての問題はこの絕對的眞理の認識といふことにかかつてゐるんだから。この眞理を探り、これをつかみ、それの認識の上に立つて人間社會をより高く引き上げようとする行爲の中にこそ生活の意義も價値もあるとしてゐるのだから。これが僕等が自分の生活を考へる場合の規準だ。君はしかしさうではない。だから君は、ある生活者に於ける幸福感と云ふやうな、全く主觀的なものにその規準を求めなければならなかつたのだ。根本に於て僕等は分れてゐる。どこまで話しても一致するといふことはないだらう。」 「無論僕は眞理のために生き死にするものではない。しかし僕がさつきから云つてゐることは君達眞理の使徒にとつても亦何かでありはしないだらうか?根本に於て分れてゐる、といふ一言で君は僕の云つたすべてを考へまいとする、若くは否定することが出來るだらうか?僕はすべての生活者に通ずることについて云つてゐるつもりだ。君は眞理のために生き死(し)にしようといふ、しかしそれは單なる言葉ではないよ。君はそれを實際に生きなければならぬのだ。そして眞にさういふ生活を生きてゐる狀態は、主觀的には君の場合だつて僕がさつきから云つてゐるやうなものでなければならぬのだ。しかし君の過去と現在はどうであらうか?僕はいよいよ君の世界どころか、君といふ人間そのものをさへも論(あげつら)ふやうなことになつたが、許して欲しいのだ。眞理に仕へる、――云ふことは容易だがその容易ならぬ生活に君は堪へ得るやうな人だらうか?率直に云はう。君はそんな人ではない。君の過去がそれを語つてゐる。君がある觀念を放棄したのは君自身がその觀念を吟味して見た上のことではなかつた。あるひは君はそれ以前に、その觀念を棄てねばならぬことを感じてゐたからも知れない。しかし君は自ら敢てそれをする勇氣がなかつた。何れにしても君は自らの必死な追求の結果ではなく、ほかの力を借りてそれを棄てた。否、棄てたと云つてゐる。もしもその他の力といふものが無かつたならば、君はたとへこの觀念は尚吟味して見る餘地があるとひそかに思つたにしたところで、それを敢てすることなく、今日までも押し通してゐるに違ひないのだ。そして今の君はどうか?君はその棄てたと云ふものを、決してまだほんたうには自分の內部に於て處理し得てはゐない。しかも處理し得ぬままにもう他の觀念につかみかからうとしてゐる。しかもさきの放棄が自己の追求の結果ではないやうに、今度の場合も亦必ずしもさうだとは云へないのだ。又君が歡喜して他の犠牲たり得るやうな人物でないことも亦君の過去が明らかにしてゐる。もしも絕對的眞理といふものがあるとして、それはそのやうな人物の手に届く所にあるものであらうか?君は君の過去から直ちにそのやうな斷定を下されることに承服すまいが、これが僕の君への評價だ。君はさういふ人なのだ。そして君はそれを別に恥ぢたり情ながつたりするには及ばぬのだ。恥づるよりはさういふ自分をよく知ることが大事なのだ。眞理のために、人類のためにといふやうなことはやめて、自分の本性に適つた生活を持つのがいい。さうして豐かな生活の泉からおのれに分相應な美酒を汲みとるがいい。さうでなければ遂に君は、収穫する農夫、漁(すなど)る漁夫ほどにも生活の眞實に觸れることなくして終るだらう。さうだ。僕は敢て君に凡俗たれとすすめるものなのだ。僕がすすめるまでもなく、君等の仲間の多くはすでに凡俗に化してゐるのだが。眞理のために、と云つてゐた時には何一つ樂しめなかつたやうな者が、何時か妻を迎へ、子をなし、財を貯へる生活に於てはそれ相應の悅樂を感じてゐるのである。このことは彼等がそれだけの器量の人間でしかなかつたことを示してゐる。僕は彼等、昔聲高らかに叫んでゐたものが、今日落ち着いて行くさきを見る時、一つの興味がある。彼等は今日も色々な叫びを擧げてゐる。そして依然その叫びにそれぞれに高尚な意味合ひを附けてゐる。昔の聲は棄てたけれど、尚我等は世間一般の凡俗の徒とは異なるといふことを示したがつてゐる。しかし彼等の今日の言葉に、何等か新しい若しくは指導的なものが少しでもあるであらうか?彼等の實生活に習俗を一歩でも拔く何かがあるであらうか?僕にとつて興味があるといふのは、彼等が身を以て、古來から公認されて來てゐる道德がいかに力强いものであるかを證明したといふことだ。彼等はあらゆる革新的な言葉と若干の行動の後に、結局はそこに歸つて來たではないか。そしてそれは當然のことなのだ。安らかな生を終へることを望む限り人はさうであるのほかはない。聖賢が垂れてゐる處生訓といふものは、人類が何千年の知識と經驗とを練りに練り、鍛へに鍛へた結果の精髄なのだ。ごく少數の天才しか、この軛を脱することは出來ない。天才はその生命の根底から、この軛から脱しねばならぬやうに必然的に運命づけられてゐるのである。彼等は自ら如何ともし難い內部の力に推されてさうなのである。さうして當然その最後は痛ましいものとなる。併しながらその內的必然を自ら深く感じてゐる故に、彼には人知れぬ深い滿足と歡喜とがあるべきなのである。もしも凡俗が外部の力に推されて天才に倣ひ、自らそれに氣附かず、自己の內からの必然のやうに思ひ込んでゐたとしたらをかしいばかりではなく彼にとつて不幸ではないか?僕にとつて遺憾なのは、自分が何ものであるかに感づいてゐるものでさへ尚裝ふことを止めぬといふことだ。しかしそれはやめたがいい。君が安穩な生の享樂を退け得ぬ限り昔ながらの價値に從ふがいい。さうして自足の人となるがいい。人は自分の本性を知りこれに從ふことが大切だと僕は堅く信じてゐるものだ。汝自身を知れとは、あらゆる公認の德のなかでも最高のものと僕も亦信じるものなのだ。 僕自身も亦昔からこの德に從つて來てゐる。僕は自分の本性に從つて生きることのほかは何も考へない。本性に從つて生き得るものはいい、生きようとして生き得ぬ現實をどうする、と君等社會派の諸君は云ふだらう。僕はしかし社會派ではない。僕は社會組織の軛を君等のやうに重要視してはゐない。本性に從つて生きるとは、そのやうな軛をも軛でなくして了ふところに妙味があるのだと思つてゐる。それは遥かに自在なものである。無論僕がかう云つたからとて、君が納得するとは思はないが。 僕自身は今後も今迄通りにして暮すだらう。僕は依然君等が輕蔑する傍観者、觀照の徒であるだらう。僕にはしかし世上に存在し生起する多くの事柄と物とが、面白く樂しく美しいのである。僕ぐらゐ退屈しない一日を持つてゐるものは少いだらう。田舎へ來て僕は毎日空を見、山を見、水を見、子供と遊んで暮してゐる。やがて東京へ歸れば、僕はふところに一錢の金が無く、飢ゑてゐても、巷に、随所に眼を慰め心を樂しませてくれるものを拾ふことが出來る。さういふ時僕は公園のベンチに休んで、うらぶれた男、女と話すことが好きだ。饐(す)えたやうなにほひのこもる夜の裏街に灯がつくと寒く飢ゑてゐる僕の心も亦あつたまつて來る。さうして一月のうちに心に適つた詩の何行かでも出來れば、ほかには何も云ふことはない。さういふ僕に將來どんな夜がやつて來ようと、僕の知つたことではない。……志村、君はかういふ僕に何も感じなくていい。ただ次のことを僕は訊きたい。空や山や水やのことは云はない。しかし君は一册の本を、それを以てどうしようといふ目的なしに、ただその內容の魅力に惹かれて、時の經つのを忘れ、夜を徹して讀み耽つたといふやうな經驗を君は此頃持つたことがあるだらうか?あるひは君は近頃さういふことすらも無くなつてゐるのではないか?ほかのものではない、書物についてすらも。曾の君は無論さうではなかつた筈だ。もしさうならそれがどういふことかといふことを君は考へてみないか?僕にも何も解つてやしない。しかし或ひは君は人間の生活に就いて、何か飛んでもない考へ違ひをしてゐるかも知れはしないのだ。」 哲造がさう語る合間にも、語り終つてからも、駿介は一言も云はなかつた。 === 十五 === 遲くなつたので、志村はその夜は上原の所へ泊ることになつた。志村はいつになく口數も少く、なんとなく沈鬱になつて、盃の數のみ多く重ねた。さうして上原のすすめに應じて泊つて行くことにした。彼は今晩は多く云ふことを好まぬにしろ、哲造に對して云ひたいことも多いであらう。明日にでも、氣持の新らしくなつたところでもう一度哲造と話したいといふつもりらしく、このまま歸るのでは何としても心に拘泥するものがあらうといふことは察せられた。駿介も同様にすすめられたが、彼は泊つて行くわけにはいかなかつた。 上原の所を辭したのは、もう十一時近くであつた。その頃になるとさすがにまだ寒かつた。夜風がほてつた頰に快く感ぜられるのも少しの間であつた。いつもより少し過した酒の醉ひが醒めて來ると、急に寒くなつて、大きなくさめを續けさまにした。わるくすると風邪をひくと思ひながら、自轉車の上で着物の襟をかき合せた。彼はかなり疲れてもゐたし、興奮もしてゐた。 夜遲く歸つて來た時のいつもの習慣で、電氣ランプを下げて山羊の小舎をのぞいて見た。二匹の山羊は、敷藁の上に、顏と顏を向ひ合せ、やや圓い形になつて寢てゐた。ランプで照らしながらトントンと板を叩くと、一方は身體をもぞもぞと動かしたが、顏はあげなかつた。他の一方は身體も動かさなかつた。 井戸端へ行つて、釣瓶にぢかに口をつけて水を飮んだ。棄てた水がサーツと流れて溝へ落ちる音が、暗夜に非常に淸々しく聞かれた。釣瓶を井戸のなかへ落してやつて、その手答へと、パツシヤンといふ音とに、この井戸も此頃の季節になつて、水の出が一層よくなつてゐることを感じた。さうして去年の春この井戸を掘つた時のことを思ひ出した。もう一年になるとしみじみ思つた。 「只今。」と皆が寢てゐる部屋の襖越しに聲をかけた。眼を覺した年寄りの聲を聞いて、二階へ上つた。時計を見るともう一時をよほど過ぎてゐた。 駿介は橫になつたがすぐには寢つかれなかつた。彼の心は、ずつと夜道を歸つて來る途中も今も、上原哲造のことと、彼が云つたこととによつて占められてゐた。駿介は哲造に對して、その場では、自分の考へを一口も云はなかつた。彼は話を聞きながら實に多くのものを感じた。しかしそれはきれぎれな、時には全く相矛盾し合つたものであつた。ある時彼は非常に同感した。しかし次の瞬間には全く相反する感じを持つた。輕蔑と嫌惡と怒りをさへも感じた。そのちぐはぐな感じに妨げられて彼はすぐに云へなかつた。哲造と逢はなかつた期間の長さが、互ひに無遠慮な口をきき合ふことを妨げたといふこともあつた。 彼等はもともと過去に於てもさう親しみ合つたといふ間柄ではなかつた。始終接觸し合ひながらしかも親しみ得なかつたといふのではなく、靑年期に入つてから接觸し合ふ機會を殆んど持たなかつた。哲造は東京から餘り遠からぬ町の高等學校を出て上京して來た。その町にゐた當時から、志村とは始終行き來はあつたが、駿介とは時々逢ふぐらゐであつた。學資を稼いでゐて、時間に不自由な駿介は、時々上京して來る哲造とうまく時間を合せることが出來ないといふこともあつた。そして逢つても互に相手の思想にまで深く立ち入つて話すといふ迄には至らなかつた。哲造はむしろ父を通して駿介のことを知つてゐた。 東京へ出て來た哲造は大學の文科に籍をおいたが、その頃から彼の生活ぶりは捕捉し得ないものになつて行つた。彼がどこにどうして暮してゐるか知らないのは、駿介ばかりではなかつた。江東の勞働者街の奥深く住んでゐて左翼學生と間違へられたとか、小笠原島へ行つて住んでゐるとか、ある日ひよつこり訪ねて行つた友達の下宿の一室に虱を落して行つたとか、自分ひとりの詩のリーフレツトを出してゐるとか、女と同棲してゐるとか、きれぎれにさいふ噂□が駿介の耳に入つて來るばかりであつた。その頃は志村ももう駿介の視界にはゐなかつたし、もしゐたとしても志村と哲造との思想上の隔たりから、志村を通して哲造を知ることも出來なかつたであらう。それが駿介が高等學校の二年の時、ある日突然哲造が訪ねて來た。初夏の頃で、彼は薄汚れた單衣を着てゐた。彼はこの夏休みにはくにへ歸るかと駿介に訊いた。駿介は歸りたいが歸れないと云つた。哲造はさうかと云つて、それ以上殆ど話はなかつた。くにへ歸るとでも云へば、哲造には何か云ふことがあつたのかも知れない。毎日逢つてでもゐるやうな彼の態度は、この時も矢張さうであつた。二人は默つて暫く向ひ合つてゐた。駿介は人間の顏にほんとうの朗らかさをこの時始めて見たやうな氣がした。朗らかといふ言葉は時の流行語の一つであり、駿介はこの言葉が嫌ひだつた。言葉自體に對してではなく、言葉の使はれ方と、それが冠せられてゐる物とに對してであつた。朗らかと云はれてゐるものに、駿介はほんとうの朗らかさなどを曾て見たことがなかつた。それはつねに幾らかの愚劣や無智や無反省や鈍感やを伴つたおどけたものの類であつた。眞の朗らかさは、彼によれば精神の深さは淸らかさや透徹した感じと一緒でなければならなかつた。さういふものが內にこもらず外に發して朗らかさといふ感じになるのだと思つた。さうして駿介は人一倍かうした眞の朗らかさに魅力を感じてゐた。自分がいかにそこから遠い存在であるかといふことを彼自身知つてゐるからであつた。彼は卑屈でじめじめしてゐて人の心の裏を探りがちな自分を嫌惡してゐた。しかしただ素直で邪氣が無く、若竹のやうにすくすく伸びてゐるといふだけでは彼の考へる朗らかさではない。それはやはり樣々な內部的格闘を經、紆餘曲折を經たのちにおのづから內から輝き出して來るものであらう。彼は自分の獨り解釋でさうきめてゐたが、それだけに世上に使はれてゐるその言葉を憎むことも亦甚しかつたのである。 心惹かれてゐるそのものを、彼はその時、哲造の顏に見たのである。 彼の顏は暫く見ぬ間に、年よりは老けたものになつてゐた。それは頭髪を梳づらずにゐるとか、まばら髯が生えてゐるとかといふ外形から來るのではなくて、精神的なもので、老成した落ち着いた感じであつた。その顏には何か縹渺としたもの、駘蕩としたものが漂つてゐた。脱俗したやうな感じもあつたが、一方口のあたりには、肉感的な若さがあり、それは氣持のいいものだつた。さうして眼ざしは若々しく力强く精氣に滿ちて、斷乎たるのものを現してゐた。しかしその强さは激しい攻撃的なものではなくて、攻めはしないがしかし決して何ものにも打ち負かされはしないといふ、受身の强さを現してゐた。 この若さでこのやうな相貌を、一體彼は何時の間にどこで作り上げて來たものであらう。駿介は向ひ向ひながらも、そのことを思はさせられた。あらゆる彼についてのいい噂□、わるい噂□も今は問題ではなかつた。このやうな顏を以て立ち現れた人間の生活は信ずることが出る。彼はこの顏を以て乞食(こつじき)の前にも王侯の前にも立つだらう。 駿介は無言のまま彼と向ひ合つてゐて、少しも重苦しくいやな壓迫を感じなかつた。これは確かに特別なことであつた。相手が自分より劣る場合に感じる餘裕ある氣持とはちがふ。年齢に大きな差異がなく、相手が特異な人間であればある程、壓迫感が伴ふものなのに、彼から與へられるものは、餘程年長の「出來た」人間に共通なものだつた。どぎついものはなくて、柔らかな包容力ある感じであつた。 この特異な魅力ある印象を殘して哲造は駿介の前から消えた。哲造を充分理解し得ないといふことは、彼の魅力が增す理由ともなつて、駿介は彼を思い出すことが多かつたが、その後逢ふこともなくてまる三年經つた。そして今日再び駿介は彼を見たのである。それ以前に、上原老人や志村からも聞いて、駿介の想像の世界に、その後の哲造の像といふものはほぼ出來上つてゐたが、さて彼に逢つて見て、實際の彼は上原や志村の與へたものとは餘程違つてゐることを知つた。昔の彼の特徴は今もそのままだつた。そして駿介は一年前に、哲造の父である上原老人がその子について、「……ところがわしとこの哲造奴はどうだ!奴ははじめつから今みたいなふうなんだ。何をやつてみる元氣も、興味も、生れた時から持たぬやうな顏をしくさつてゐる……やつて見ないでも何もかも小馬鹿にしくさつてゐる。まるで氣拔けだ!……靑年らしい、ぢつとしては居られぬ、何かやつて見ずには居られぬ、はずむやうな氣持なんぞはまるで一度も知らんと云つたふうだ。無論馬鹿ぢやない、物の理解はよう出來とる方だ。何といふけつたいな奴が出來たもんだらう。あれもやつぱりわしの血だといふのか。……あれらはつまりあんまり多く見たり聞いたりして、物事を素直に驚いたり感心したりすることが無くなつて了つたんだな。」といつた言葉を、尚昨日のやうに記憶してゐるが、この父の言葉は決して子を語つてゐないことを駿介は知つた。駿介は又、今日ここへ來る途中に、志村が哲造について、「……そして三人のうちで、一番に僕以後の若い時代に共通なものを持つてゐるのは、上原だらうと思ふね。」と云つたのを思ひ出したが、これも果してどうであらうか。殊に父の言葉は、理解の不充分といふことではなく、明白に過つてゐるとさへ云へた。すべての世上の物事に對して興味を失つてゐる、物事に素直に驚いたり感心したりすることがなくなつて了つた、などといふのは全くその反對でさへあつた。哲造に於ては、興味の對象が世人と異なるか、若くはその興味の發し方が異なるかであつた。そしてほかの事では理解のよく行き屆いてゐる父が、子に就て過つてゐるのは、子に對する大きな期待が裏切られたことから來てゐると駿介には思はれた。志村は、上原が自らは俗世間を蔑視しそこから身を引きながら、子は俗世間で一かどの人物になることを期待してゐた、と云つたが、父が子に期待してゐたものはさうではあるまいと駿介は思つた。上原は地方政治に關係してゐた當時の自分を顧みて、常識家といひ、調停者が自分の本質であつたなどと云つてゐるが、實は彼こそ假令小粒ではあつても、一個の理想家であつたのだ。彼は道理の實現を信じてやまなかつた。さうして汚濁した地方政界にあつては、道理を信じる彼のささやかな聲すらもが、異端であつた。彼は選擧に於て一錢たりとも出所の人に云へない金を使ふことを肯じなかつた。議場に立つては、自分の信じない言葉を一言たりとも人に强ひられて云はねばならぬことを到底忍ぶことが出來なかつた。それ故に彼は遂にどの黨派にも所屬することなくて終つた。地主としても小作人との間に眞に合理的な公正な關係を設定しようとして努力した。さうして自身にとつては餘りに常識すぎるほどに常識的だとしてゐる考へが、世間の眼には異端であり、實現不可能な理想と見えるところに彼の不幸があつた。そして彼は破れた。彼は常識はつひに一つの政治力にはならなかつたと云つてゐるが、實は理想に敗れたのである。 上原は敗れた。世間的には敗れたが、しかし彼の內なる火がそのまま消えて了つたと見ることが出來るであらうか?「まあなるやうになれとそんなふうに思つて見てゐるのさね。」と彼は半ば自嘲的に云つてゐるが、ただそれだけのものであらうか?自分の一身の行方については執着は絕つてゐるとしても、胸の火までが死灰に歸してゐるわけはない。そこで彼はさういふ多くの父が懷き勝ちな夢を彼も亦懷き始めたのである。この理想家である父は、自分は敗れながらも、子がその理想を受け繼いでくれることを、心のはるかな底で望みはじめた。さうして哲造は充分父のさういふ期待に添ひさうな息子であつた。上原は曾つて駿介に對し、しみじみと述懷して、自分には君が平凡人としての道を歩むことを望む氣持が一方にはありながら、又一方にはさういふ道に激しく反撥するやうな君を期待もしてゐたと云つたが、それはひとり駿介に對してのみではなく、息子の哲造に對しても同様の氣持であつたらう。しかも實際には父のこの期待は裏切られねばならなかつた。しかも哲造は一見えたいが知れぬやうでゐて、實は隠遁者である上原にはよくわかる所があるのだつた。彼等の道はあるところで互に通じてさへゐた。それだけに上原は焦燥を感し〔ママ〕た。若い息子がその若さでさういふ道を行かねばならなかつた氣持が多少なりともわかるだけに、腹立たしさといぢらしさとの混淆を感じたのである。 駿介はそのやうに理解してゐた。上原が哲造についていふ不滿や哲造を過つて見てゐるかに見える根本は、さういふものであると考へられた。父には息子の氣持がよく解る場合でも、敢て解らぬと云つて忿懣を吐き出さずにはゐられぬものがどうしても心の底に殘るのだ。さうしてこの氣持は駿介にあつても同様だつた。哲造の人間に魅力を感じ、彼の言葉に同感しながら、一方輕蔑と嫌惡とを感じねばならぬものが何としても駿介の心の底には殘る。 現在の一瞬一瞬におのれの全體を傾けて生き得ないやうなものに幸福はない。君等はつねに過去と未来とに引裂かれつつ生きてゐる。焦燥と悔恨とがつねに君等を滿たしてゐる、君等は君等の生活に於て、僕が僕の生活に於て行き着いてゐる所までも行つてゐない、といふ哲造の言葉は鋭く自分達を衝き、自分達を反省せしめるものを含んでゐる。しかし彼は果して人間の生活を愛してゐるといへるであらうか?現實に對して眞に誠實なものと云へるであらうか? 殆ど疑ふ餘地もないことだ。自ら觀照の人と稱するものを、眞に人間生活を愛するものとは云へない。自ら現實の傍觀者を以て甘んじてゐるものを、現實に對して誠實なものと云ふことも出來ない。眞に愛するものに誠實なるものは、觀照や傍観に止まることは出來ない。必ずやこれに肉迫し、これを捉へ、これを我が意欲の下に屈服せしめねばやまぬものである。 哲造はある一つの生活の、徹底した、完成した美しさばかりを云つてゐる。彼は乞食の例を拒否したが、乞食の生活にも乞食の生活としての完成はあるだらう。さういふ彼が當の生活者の幸福感といふやうな主觀に個人の生活の完成度を見る規準を求めたのは尤もなことと云はねばならぬ。さういふ立場が社會的にはある僞瞞を擁護する結果になるといふやうなことは暫く措くとしても、ある二つの人間生活の高さ低さを較べる時、彼はどうするつもりであらうか?その時彼の物差しはもはや何の役にも立たないだらう。 駿介は哲造の口吻から、脱俗し、行ひすましてをさまり返つた坊主か何かをさへも感じた。脱俗し行ひすましたと見えて、その實はふんぷんたる俗臭に滿ちてゐるものなどは今さら問題ではない。眞に脱俗した高德といへど駿介とそのジェネレーションにとつての目標ではない。一體、物慾を去り、世上の煩累から己れを斷ち、心の平和を保ち、喧噪のなかにあつて尚靜かな自分ひとりの世界を作るといふやうなことは、云はれてゐるほどさう難しいことであらうか?もしこの道を行けば救はれること必定と信じられるのだつたら、今だつて我と我が肘を斷つものだつてあるだらう。しかし今の時代には眞面目にさう信じ込み、その道に向つて精進してゐる姿がそのままで僞善敵でさへもあるのだ。彼等は、「君達は自分のことよりも民衆が、社會が、國家が氣にかかるんだつて?そんなことを云ふ君達に果してどれほどの眞實があるか?君達は自分を僞つてはゐないか?」などと、さも人の心の奥底まで見拔いてゐるやうな眼附をしたがる。主觀と客觀、あるひは我と社會との對立の現代的な統一の道を求めることを苦しまうとはしない。この統一の要求が社會的人間にとつていかにやむにやまれぬものであるかを知らない。 自己の本性に從つて生きるという美德を、哲造が説き出したとき、駿介はそれをそのままに受け取つていいか、或ひは何ものかに對する冷笑として聞かねばならぬかに迷つた。しかし何れにしてもその尤もらしい言葉は彼の獨善の基礎をなしてゐた。駿介は、何故に志村が立つて彼を駁撃せぬかに苛立たしさをさへ感じた。一度蹉跌しなければならなかつた志村は地の利を失つてはゐる。だが彼は自分の苦惱と矛盾とをあからさまに語ることによつて對立し得たではないか?それがただ率直に語られる時、志村のあらゆる破綻にも拘らず、どつちが眞實に時代を生きようとしたものであるかが、何の説明をも要さず、誰にも解るやうに描き出されるだらう。時代のマキシマムな線の上で生きてゐるものは、何時の世でだつて滿身に傷を負ふのだ。そしてその線のずつとの內側で生きてゐるものは安全なのだ。內側で生きてゐたために無傷だつたものが、傷を負はねばならなかつたものを嗤つたところでそんなものが何だらう。本性に從つて生きよ、自己を知れといふやうな一般的掛聲は何等今の志村を救ふ足しにはならぬのである。 駿介はこのやうに哲造に對しては根本から反撥した。彼は哲造の幸福説を、彼が幸福といふ觀念を悲劇的人物の最期の胸臆にまで發展させて云つてゐるのは、主觀派の彼らしく徹底してゐると思つた。面白く思ひ、また考へさせられもした。世間が悲劇的と見てゐる人物のあるものが、その最後に於て味はつた幸福感が他人には想像し得ぬほど深いものであつたらうといふことは想像されたくはなかつた。しかしさうした幸福感を味はひ得なかつたといふことで、その人間の歩んで來た道が自己に反したものであつたとしなければならぬであらうか?駿介はおさへかねる何か高ぶつたうやうな氣持でさういふ考へに反對した。內的な必然によつて推されて行つた生活なら、その終局に於て必ず深い幸福感が伴ふ筈だなどとは云へない。むしろ矛盾に滿ちてゐる多くの人間はその最後の日に於て不安と悔恨とに胸をかきむしられて終るだらう。それは必定であらう。しかしそれだからと云つて彼は哲造のやうな幸福をも、他のいかなる世間的幸福をも、より望ましいとは思はなかつた。獨善的な幸福に醉へる人間になるくらゐなら、甘んじて悔恨に滿ちた生涯を終つた方がましだと思つた。 彼はさう思ひながらも、しかし一方、哲造の人間の持つ魅力からは何としても脱れることは出來なかつた。哲造の意見は意見、彼の人間は人間と、別々に考へることに內心反對しながらも、如何ともすることが出來なかつた。それは一般に、徹底したもの、一貫したもの、何かなし出來上つてゐるものの魅力であつた。何と言つても哲造は自分の世界を持つてゐた。彼はその境地にあつて悠々と遊んでゐた。その境地を彼は自分で作り上げたのである。早くに彼は自己を確立し動揺することなく、一つ道を辿つて來て、焦燥したり懷疑したりするものの思ひも及ばぬところに立つてゐる。彼の若さを以て。この彼の若さを以てといふことは、一方に齒がゆくいまいましい氣持を誘つたが他方には又一層心を惹かれることであつた。自分が望んでゐる境地ではないと云つて見ても、駿介にとつてこの魅力は如何ともすることが出來なかつた。 哲造が駿介の現在の生活には何一つ觸れなかつたといふことにも駿介は拘泥しないわけにはいかなかつた。駿介は、今日の上原訪問のなかに、哲造からの自分ひとりへの言葉を、重要なものとして豫定し期待して出かけたのだつた。哲造は駿介を無視したのか、志村とのことで時間が無かつたのか、それとももつと何か別な考へがあつてのことか?哲造の言葉には志村と一緒に駿介をも含めて云つてゐるものもあつたが、今の自分について哲造がどう考へてゐるかを、駿介は知ることは出來なかつた。駿介はそれが知りたかつた。さうしてこのことは彼をとらへてゐる先の魅力と共に、駿介のなかの哲造の存在を益々大きなものにして行つたのである。 近いうちにもう一度哲造に逢はねばならぬ、さうして納得の行くまで話さう、――そのやうに駿介は思ひ續けてゐた。
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科學といふ呪文 (H21.4.29-6.6) 生物學の昏迷 (H22.8.14-15) 科學は假説 (H23.1.1) 日本人の「道」と資本主義の精神 (H22.12.1~H23.2.6~H23.2.6) 役に立つことを馬鹿にするアホ (H23.6.13) 科學といふ呪文 (H21.4.29-6.6) 科學といふ言葉が呪文の樣に唱へられてゐるといつか書いたが、「の樣に」ではなく文字通り呪文である。 テレビで、昔、陰陽師がゐて、日ごとに何をしては良くない、かにをしては危ないとか言つてゐたといふ話をしてゐた。しかし、馬鹿にしてはいけない、今でも色々な習俗に殘つてゐるのだからと例を舉げてゐた。 なるほどとも思つたが、昔の迷信が殘つてゐるだけではない、新たな迷信の發生と云ふ點でも、現代は古代に決して負けてゐない。それどころか、古代以上である。 古代の人々は、迷信を本當に信じてゐたかと云ふと、あながちさうは言へぬところがある。一應、顏を立ててはゐるが、半分以上は冗談と思つてゐた節がある。例へば、都合が悪いときに、今日は日が惡いからと逃げるのに利用したりしてゐた。また、日が惡いのを逆用して戰に勝つた武將もゐる。日が惡いからと安心して休んでゐた敵を攻めたのである。 ところが、現代の迷信は本氣である。「科學」といふ呪文を唱へると、すべて眞理と思ひ込んでしまふ。眞理として崇め奉つておいて、陰で舌を出してゐる樣ならいいのであるが、そんな不逞の輩は見當らない。 科學とは假説である。この世界の法則を見出さうとして立てた假説である。證明は全くされてゐない。ただ、現時點の技術で觀測したデータと矛盾しない樣に組立てられてゐるだけである。技術が進歩して新たなデータが得られれば、修正を餘儀なくされる代物である。科學は假説であるから、氣樂に新説を提出していい。矛盾する觀測結果が出て來たら修正するだけの話である。 修正しながらも、科學は少しづつ眞理に近づいてゐるのか。キリスト敎徒はさう確信してゐる。なぜなら、一度はこの世にイエスといふ眞理が出現したのであるから。しかし、キリスト敎徒たらざる身としては、にはかに信じる譯にはいかない。 ミルトンは、イエスの再臨までは、我々は眞理の斷片しか掴めぬが、他人の掴んだ斷片も繋ぎ合せて、眞理の全體に迫らねばならぬと考へた。しかし、眞理の斷片とは言葉の矛盾ではないか。斷片は斷片でしかなく、眞理とは別物である。これを幾ら繫ぎ合せてみても、眞理に到達は出來ない。部分の和は全體より小なりである。眞理に限りなく近づいたと思つてゐても、一夜あけたらひつくり返つてしまつたといふこともあり得る。ひつくり返らぬとは誰も言へない。 これに對して、近代技術は華々しい成果を擧げて來た。この技術は、科學技術であって、昔の技術とは質が異なる。すなはち、科學に裏打されてゐる。科學と一體となり、科學の見出した法則に基づいて築き上げられたものである。と、普通言はれてゐる。 しかし、技術はものが出來なくては困るから、やつて見て駄目なものは採用しない。科學に義理立てはしない。逆に、必要なことが出來るなら、理論は不明確でも採用することもある。 とはいへ、電子工學の進歩などは、科學なしにはあり得ないのではないか。例へば、量子トンネル効果を利用したエサキダイオードの開発は、量子力學なくしてはあり得ないであらう。また、原子爆彈も、アインシュタインの理論からの發想である。その通りかもしれぬ。 しかし、科學を應用して技術が出來たとしても、それが本當に科學の理論に則つて動いてゐるといふ保證はないし、證明されてもゐない。從つて、これによつて、科學の理論が證明されたといふことにはならない。言へることは、原爆がちやんと爆發したと云ふこととだけである。そして、物理學に關しては、間違つてゐるといふ證明はなされなかつたと云ふのみである。まことから嘘は出ないが、嘘からでも當りが出ることはあり得る。 その科學を人々は何故信じるのか。多くの人は、科學と技術を區別できてゐない樣である。技術といふべきところを、何でもかでも科學と言ふ。技術の發展を、すべて科學の發展と勘違ひしてゐる。ロケットが飛ぶのも、計算機が發達したのも、すべて科學だと。科學といふ言葉は知つてゐるが、それが何を意味するのか考へたことはないのであらう。それはつまり、呪文に過ぎないと云ふことである。 ただ、科學は、技術と結びつくことによつて人間に大きな影響を及してゐる。科學の假説からある現象が豫測される。それを利用してある技術が開發される。かくして多くの技術が開發され、その結果、新たな觀測、或はより精密な觀測が行はれる。それがまた科學の新しい進展をもたらす。いはば自動運動である。 この樣な自動運動が、人類に何かよいことをもたらすのか。生活が改善されるのかもしれぬ。確かに變るかもしれぬが、それが善と言へるのか。必要なことなのか。古代の生活に比べてよいと誰が言へるのか。冷房すれば能率は上がるかもしれぬが、夕涼みの風の一瞬の涼しさや早起きのひんやりした感觸は消えてしまつたではないか。 もしよいことであるとしても、そのために、人間をこの自動運動の爲の齒車にすぎぬ存在に貶しめてしまつては、本末顛倒ではないか。 生物學の昏迷 (H22.8.14-15) 分子生物學者福岡伸一といふ人のインタビュー記事を見たが、生命とは何かと訊かれて、自己複製と動的平衡と答へてゐる。動的平衡とは、新陳代謝などで中味は變化してゐながら、見たところ變らないことを指す(朝日新聞、H22.8.11)。 改めていふまでもないことではないか。生命の特徴として當り障りのないところを言つてみただけなのかも知れぬが、こんなことしか言へないで平氣でゐるといふのには驚いた。 複製といふが、ただの複製なのか、それともそれぞれ何か違ふのか。細胞は日々變つてゐるが、一貫して變らぬものはあるのか。あるとしたら、それはどこから來るのか。そこに踏込まないと何も考へたことにならぬ。 ただ、腦が體や心を支配してゐるといふのは間違ひであると斷言してゐるのは、當り前のことではあるが、せめてもの救ひであつた。論據は主に體の支配にある樣ではあつたが。 腦は、記憶したり思考したりする機能をもつてゐるが、故にそこに心があると速斷は出來ない。心とは思考のみではないからである。心とは、頭で考へること以上の、もつと深い得體の知れないものである。 心はどこにあるのか。特定の器官なり組織なりにそれを負はせることは難しさうである。 もしさうしようとすれば、ロレンスのいふ樣に、太陽神經叢に心はあることになる。ロレンスによると、受精の瞬間に魂が宿るが、そのとき出來た核は、太陽神經叢に含まれる。(ちなみに、その後の最初の分裂で出來た二番目の核は、腰椎神経節に含まれるといふ)。 最初の核がどこに含まれるかは、分裂して出來るものが等價で區別出來ないものであるとすれば、決められない筈である。ロレンスは、すべての核に最初の核の魂は引継がれるとも言つてゐる。それは分る。しかし、その中でも、太陽神經叢には、最初の核そのものが含まれると主張してゐるのであるが、これは理解出來ない。 もしかしたら、受精卵に於いて太陽神經叢の原型が早い段階で出來るといふことで、受精卵に生じた魂は、續いて太陽神經叢に受継がれるとロレンスは考へたのか。發生学を知らないので分らないが。 とはいへ、腦よりも、神經叢や神經節が人間の「無意識」に關係してゐるといふのは恐らく當つてゐるのであらう。少くとも、腦は「意識」には關與してゐるが、「無意識」にはあまり關係してゐない樣に思へる。少くとも、支配はしてゐないのではないか。 臍下丹田と昔からいふ樣に、腹が何かを支配してゐるのは間違ひない。 それは兔も角、すべての細胞に魂が引継がれるといふのが、一番もつともらしい。最初のひとつの核が出來た時に魂が宿るとすれば、それが分裂して出來る細胞すべてに魂が宿つても不思議はない。逆に、特定の部分にだけ引継がれるといふ論理はなかなか見つからない。 ところで、最初の核が出來た時に魂が宿らなければ、他に魂が宿る時を特定することが出來るであらうか。たまたま新聞に先の福岡氏の談が又載つてゐたが、曰く、「腦が始まつた時點がヒトの出發點なら、それ以前の胚は單なる細胞の塊とみなされ」云々と「腦始問題」なるものを解説してゐた(朝日新聞、H22.8.15、廣告面)。腦がなければ人に非ずといふのは根據がないが、それは措いても、腦が出來た時を明示出來るのか。腦の原型はずつと早い段階からあるのではないか。とすれば、いつから腦になつたと論理的に判断出來るのか。出來ないとすれば、魂は最初に宿るしかない。 かくして、魂は全身に宿つてゐることになる。とはいへ、成長に從ひ、細胞はそれぞれ特定の役割を擔ふやうになるので、中でもある組織が、例へば太陽神經叢などが、より深い關係を魂に對して持つてゐることはあり得るのかもしれない。 科學は假説 (H23.1.1) 新聞に素人向けの科學解説本の廣告があつたが、科學が進歩して宇宙の構造だか何だかの解明まであと一歩に迫つてゐるといふやうなことが書いてあつた。廣告であるから、誇大な言ひ方は常套手段であらうが、氣になる表現であつた。 科學は假説であることを全く忘れてゐる。といふより、全くさう思つてゐないのであらう。眞理を探求してゐるものだと信じてゐる。 さらに、科學は眞理に着實に近づいて行つてゐると思つてゐる。しかし、眞理は、あと一歩と思つたらするりと逃げてしまふ逃水の樣なものである。人間は絶對的眞理には決して到達出來ない。人間は、絶對とか永遠とか無限とかいふものを掴むことは出來ない。 早い話が、宇宙が膨脹してゐるとか收縮してゐるとかいふ議論があるが、その膨脹なら膨脹してゐる宇宙の外側はどうなつてゐるのか。人間が到達することは勿論、觀察することも出來ないから、人間にとつては意味がないので無視してよいといふことかもしれぬが、それでは眞理とは言へないのではないか。觀察できる範囲だけで宇宙を議論してこと足れりとしてゐるとしたら、初めからをかしい。 ミルトンは、人間は神の創造に成るものであり、眞理の斷片は掴めると考へた。そして、斷片を集めればいつか眞理の全體に到達できると考へた。確かに、人間の認識することが全くの誤りばかりだとは言へぬかも知れぬ。しかし、斷片はいくら集めても斷片でしかない。眞理は有限のものではない。有限の斷片から眞理を得ることは所詮不可能である。眞理に限りなく近づいたと思つてゐても、一夜明けたらひつくり返つてゐたといふことは十分起り得る。天動説が地動説にとつて代はられた樣に。 ところで、科學は、證明拔きにどんどん先へ進んでゐる。それはそれで構はないが、そのことをちやんと辨へておかねばならぬ。例へば、相對論は光速が最高と假定してゐる。しかし、人間がそれしか知らないといふだけで、他にもつと速いものがないといふ保證はない。勿論、現時點でそんなものは見出されてゐないが。 日本人の「道」と資本主義の精神 (H22.12.1~H23.2.6~H23.2.6) 【資本主義の精神】 資本主義の精神は何かと言へば、勞働の義務化と金儲けの正當化である。 ヨーロッパでは、昔は、生活できるなら働く必要はなかつた。生活を樂しめばよかつた。資本主義になると、レーニン(?)ではないが、働かざる者食ふべからずとなる。金はあつても、世のため人のために働くのが人としての勤めである。でなければ、神の國の建設に貢献できない。最近は人格神への素朴な信仰は薄れたが、より抽象化された、「眞理」あるいは「義」に對して誠實に生きないといけない。さもないと地獄落ちである。 つまり、勞働は自發的ではない。脅されて仕方なくこなしてゐる。 働けば金が儲る。そのはずである。金が儲らない樣では、眞面目に働いてゐるとは云へない。金を得ることは真摯な勞働の證しであり、恥ぢるべきことではない。 ただし、金をわたくししてはいけない。金は働いた證しにすぎないのである。儲けられることを示せばそれで役目は終つてゐる。自分のものとして貯め込んではならないし、また、その金で贅澤な暮しをしてもいけない。 では儲けた金はどうするのか。捨てるのである。寄付するのである。あるいは、事業の發展に使ふのである。投下した資本はさらに利益を生み、資産は膨らむ。しかし、豪邸や財寶を求めて蓄財するのとは違ひ、あくまで、神の國の建設に役立ててゐるといふのである。 【經濟の自動發展】 金を儲けても、贅澤は出來ず、事業の發展に投資してさらに儲ける。その結果、資産はどんどん膨らむ。しかし贅澤はせず、さらに投資を続ける。 ところで、金を投資に囘すというのはどういうことなのか。作つたものをすべては消費せず、一部は擴大再生産のために用ゐるといふことである。投資家は、自分の金だけでなく、庶民の金も集めて投資する。庶民も、稼いだ金で美服とか自動車とかを買ふだけでなく、一部は投資に囘すことに協力してゐるのである。 金はものではない。ものに替へるられるといふ證文にすぎない。庶民も、ものの消費を抑へて餘つた證文を貯め込む形で、拡大再生産に協力してゐるのである。これは、社會の安定した枠組がなくなり、先行きの不安が大きいため、金を貯めておかざるを得なくなつたといふことであらう。 この拡大再生産が經濟の自動發展をもたらした。この動きは、一旦始まると、周邊をどんどん征服していく。最初は小さなつむじ風だつたかも知れぬが、擴大を續け、巨大な臺風となり、つひには全世界を蔽つてしまふ。 近代資本主義の特徴は、擴大再生産による自動發展にある。ピューリタンはいくら儲けても足ることを知らない。休むことなく働いて儲けを増やしていかないと、落着いてゐられない。かう云ふ企業が現れると、他の連中はすべて驅逐されてしまふ。驅逐されないためには、彼ら以上に擴大を圖つていく必要がある。惡貨は良貨を驅逐する。結局、世の中惡貨ばかりになってしまふ。 【日本人の道】 「道あるが故に道てふ言なく、道てふ言なけれど道ありしなりけり」とは本居宣長の『直毘霊』にある言葉であるが、日本には確かに人の道と云ふ樣なものがある。お天道樣に顏向け出來ない樣なことはしたくないといふ氣持を誰もが持つてゐる。 さういふ意味で、勤勉は日本人に染みついてゐる。「のうくれ者の盆働き」といふ俚諺が長州辯にあるが、 怠け者に限つて、人が休む盆に働くといふ意味で、逆に言へば、働かなければいけないといふ意識は、怠け者でもあるといふことである。 同じ氣持から、儉約精神も出てくる。贅澤をせず、ものを大事にする。實際、贅澤をしだしたら、きりがなくなる。命をつないでいければよしとするしかない。といふのは、そんなものが人間にとつて大事なこととは思へないからである。贅澤とは相對的なものであり、その時代において他の人より少し高いものを持つと贅澤だと感じるだけである。昔の贅澤は今の貧乏だつたりするし、逆に昔の貧乏が今は稀少で贅澤になつてゐることもある。 日本では、資本主義の樣に金儲けは完全には正當化されてゐない。金を儲けて贅澤をすることは非難される。事業を起して世のために貢献し、それにより生きるための食ひぶちを得ることは正當であるが。ただし、己は儉約して、買ひ手に不當な代價を負擔させぬ樣にすることが必要である。そして、儉約は、ものの餘裕をもたらし、經濟發展の原動力になる。 かうして、日本では昔から資本主義に似たものがあつた。兩替商といふのは銀行の樣なものであるし、問屋制家内工業もあつた。しかし、歐米の資本主義と決定的に違ふのは、金儲けが基本的には否定されてゐることである。金は生活に必要なだけは儲けなければならぬが、それ以上に儲けることは御法度である。實際には際限なく儲ける者もゐたが、理念としてはこの考へが生きてゐた。 お天道樣といふと、いかにも八百萬の神の樣であるが、實は、絶對につながるものである。「お天道樣に恥づかしくない樣に」といふのは、いくら誤魔化さうとしも誤魔化せない自分のまごころみたいなものを言つてゐる。すべての人間が本能の樣に持つてゐるものであり、言ひ方を變へれば、神が人間に植ゑつけたものである。何か判斷するとしたら、すべてこれを基準にするしかない。 ユダヤ人は神から與へられたといふ戒律を持つてゐるが、これは實は人間の考へたものである。すなはち相對的なものである。惡を防ぐために人間を縛らうといふ人間の知惠である。日本人は、自然に任せるだけである。本來の自分を見失ひさへしなければいい。本來の自分とは、全人類に共通のものである。 歐米人は神の聲を聞くと云ふが、この神は、己の我儘を絶對化してゐるに過ぎない。從つて、己のための金儲けを禁じる倫理が消滅して仕舞ふと、個人のほしいままの金錢慾を律するものは何もなくなってしまふ。神を通じて己の姿を見てゐる積りなのであるが、自分がその神になつて仕舞つてゐては、錯覺の正し樣もない。これがアメリカ流の際限のない經濟擴大の根源である。 これに對し、日本人は自律性がある。お天道樣にいつも見守られて暮してゐるからである。別に神の樣なものに命令されてゐる譯ではない。お天道樣は天から人を脅すのではない。自分の中にある。自分そのものである。自分の本性であり、自分を動かしてゐる見えざる手かも知れない。 【歐米の錯亂】 歐米に自律性がなくなつたのは、頼りにしてゐた神を見失つたと云ふことである。昔は、傳道者と植民地經營者に分れながら、世界支配を目論んで來た。ところが、ピューリタンは、一人で兩方こなさうとした。聖人でありながら、世俗内禁慾と稱し社會に出て仕事をした。 キリスト敎は、絶對神を前提としてをり一元論かもしれぬが、西欧世界は理想と現實といふ二元論でやつてきてゐた。それをくつがへして聖徒による世界征服をたくらんだ。その結果、自己を神として、神との對決がなくなり、糸の切れた凧の樣に無限の闇をさまよひ始めた。 もつとも、これはキリスト敎に元々含まれてゐたことなのであらう。イエスを絶對神と考へるといふことは、己を神とする錯亂に繋がつてゐる。キリスト敎の敎義に忠實たらんとすれば、かうなるしかない。カトリックは、それを恐れてイエスの敎へを曲げて仕舞つたのであるが。 日本人としてなすべきことは、本來の自分に歸ることである。例へば、儉約である。はなはだ平凡であるが。今やアメリカ流の際限のない經濟擴大が世界を席卷してゐるが、日本人は本來の儉約のこころに忠實に生きるべきであると思ふ。大量生産・大量消費の原則に反するのであるが。 それとも、もはや日本人は儉約の心も無くしてしまつたのであらうか。日本企業の社長も最近は何億圓といふ報酬を貰つてゐるといふ話を聞くとそんな氣もして來る。 役に立つことを馬鹿にするアホ (H23.6.13) 馬鹿とアホは違ふのかどうか知らぬが、同音反復で「馬鹿にする馬鹿」とすべきところを、馬鹿では足りぬ樣な気がして「アホ」としてしまつた。 恐らく、何か考へてゐる譯ではなく、ただ、かつこをつけてゐるだけなのであらうが、今テレビに出てきた、人型ロボットを開発してゐるといふ大学敎授が、「役に立つことは考へてゐない、新しいことをやりたい」などとのたまはつてゐた。まつたく話にならない。人型ロボットなど、何も新しいことはない。強ひていへば、その開發のなかで、目新しい發想を出したいといふ氣持なのかも知れない。それは當然であらう。しかし、役に立たなくていいといふのはをかしい。ロボットなど、役に立てるため以外に何か目的があるのか。 そもそも、技術開發といふのは、役に立てるためのものである。科學とは違ふ。だからこそ、評價も嚴しく、その嚴しさが開發の驅動力にもなつてゐる、と思ふ。それはどうでもいいが、役に立てようとするからこそ、開發者も知惠を絞るのである。それが開發の原動力になつてゐる。勿論、何が役に立つのかどうかは、結構、微妙である。その見極めが、先づは、勝負なのである。開發においは、何が必要なのか、その見極めが、實は、最重要課題なのである。それが分つたら、殆ど開發できた樣なものである。何が必要なのか、何が分らないのか、それが分らないから困つてゐるのである。 役に立たないことをいくら開發しても誰も襃めてくれぬ。襃めて貰へぬだけでなく、實際、意味がないのである。勿論、本人が役に立つと思へば、それなりに意味はあらう。しかし、本人自身も役に立たぬと思ふのなら、それは無意味である。つまり、無駄である。 もしかしたら、技術の世界では意味がないが、科學の世界で役に立つと言ひたいのか。それは全くの勘違ひである。技術と科學は、根本的には、全く無關係である。技術が科學に關はるとすれば、計測技術の進展により、自然に關する新しいデータを科學に供給するときだけである。 科學とは何なのか、ここで註釋しておけば、神が自然を如何に造つたのか、そのきまり、すなはち法則を見出さうと、假説を構築する營みが科學である。これは、しかし、あくまで假説であり、常に、新しい假説により覆されるものであつて、絶對に眞理などではない。 勿論、ロボット開發の名目で金を貰つて、自分の本當にやりたいことをやるといいふのなら、それはそれで構はない。さういふ人はどんどん出てきて欲しい。
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ぬえ「聖の容体は?ファイトできそう?」 星「それが悪化の一途でして。今は命連様の幻覚とエアちゅっちゅしてる小康状態を維持してますが…」 先日より突如奇怪な言動を始めた白蓮。どうやら「命連とちゅっちゅしたい病」なる新種の病らしい。 酷くなると周りの物が何でも命連に見えてちゅっちゅしまくる困った病である。 一輪「それにしてもなんでいきなり?」 ムラ「多分…」 LV0 妖怪?どうせ魔力維持の燃料だろ?どうでもいいよ… LV1 性格はあんまり悪者っぽくないな。ってかこの子何で船沈めてんの? LV2 妖怪は不憫だな。共存ってのはなんかほのぼのしてて結構いいかも。 LV3 毘沙門天って神じゃね?理想の救世主って感じ・・・ LV4 寅丸もドジっ子でかわいいな。一輪とか雲山とかナズーリンもいい・・・ LV5 魔界って別に広くもないのに魔法の聖地扱いされててうぜぇ。法界死ね! LV6 法界結婚してくれ! LV7 やべぇ法界最高!法界と経さえあれば生きていける! LV8 封印が開放された!私は封印から開放されたぞ!! LV9 やっぱ幻想郷は最高だわ MAX みょうれんとちゅっちゅしたいよぉ~ ムラ「…とゆー流れなんじゃない?」 ナズ「いやそのりくつはおかしい」 一輪「まあ心に余裕ができた弊害ってことで…」 ところでファイト内容は神社が崩壊する前に巨大伊吹萃香を止める、であるわけだが、 こんな肉体系ファイト普段ならともかく、エア命蓮以外目に入らない状態ではマトモに戦えるはずもない。 「おお、これはラッキー!さっすが私、こんな所で思わぬ幸運が (ふっふっふ、お師匠が研究中のウイルスを寺の周りにバラまいといてよかったウサ~)」 星「うう、こうなったら最終手段です。ムラサ、ぬえ、大急ぎで彼女に連絡を!」 「「ラジャー‼」」 とにもかくにもファイト開始。 萃香「う~い…」 千鳥足で住処の博麗神社に一直線に帰っていく萃香。 当然その直線上に道などあるはずもなく、家屋がいくつも立ち並んでいる。 神社はともかく、このままでは無関係の住人も巻き込まれてしまう。 だがてゐはその行動を読み、経路に巨大落とし穴を掘っていたのだ。 案の定、地響きをたて、6~7メートル大に巨大化した萃香が歩いてくる。 (ふふふ、穴の深さは十分、穴底には素的なトラップ満載、しかもでっかい建物の影になって向こうからは見えない、この勝負もらった!) 萃香はそのまま落とし穴の方向に直進し、 萃香「ん~?あ、いっけない、酒蔵踏みつぶすところだった☆」 手前の建物の前でひょーい、と上を飛んでいった。 てゐ「…嘘だろおおぉ!?そこで飛ぶなああぁ!」 てゐが用意していた罠はあれひとつ。 さすがにファイトまでの時間に巨大萃香用の落とし穴をいくつも掘っておく時間と体力はなかった。 全霊を込めた罠をあっさり抜けられ、地に屈するてゐ。 体格ではかなわない以上、彼女はここで脱落である。 飛行することでさらに速度を増した萃香。その加速度と質量を維持したまま、ダイレクトに博麗神社に突っ込む。 萃香「たっらいまぁ~♪」 霊夢「いやああぁ!!」 だが神社は、その形を崩すことはなかった。 飛び込んだ萃香の身体が、唐突に静止していた。 何者かの影が萃香と神社の間に滑り込み、巨大な身体を空中で正面から受け止めたのである。 「二日酔いは…」 影は巨大萃香をそのまま振りかぶると… 「ほどほどにッ!」 元来た方にブン投げた! 生身でこんな芸当ができるのは、同じ鬼を除けば、そう聖白蓮くらいなものである。 星「間に会いましたか!!」 一輪「姐さんが動いた!あの状態で一体なぜ!?」 星「ムラサたちの地底時代の友人に頼んで、聖に寅うっかり病ウイルスを感染させたのです! その症状により、ちゅっちゅしたい病を患っていることをうっかり忘れて頂きました」 ムラ「病をもって病を制す、ってわけね」 ナズ「…たまには役に立つんだなー、寅うっかり病」 星「ふっふっふ、私もたまにはしっかりしてるんですよ、たまには!」 たまには、を強調するあたりが涙を誘う星さんである。 聖が副作用でうっかり紅魔館のほうに投げてしまったのには目を瞑っておこう。 しかしそこに今回の功労者・黒谷ヤマメの忠告。 ヤマメ「ねえ、勝利の余韻に浸ってる所悪いんだけど。なんか聖さんの体内でウイルスが突然変異してるわよ、それもよくない方向に」 星「…え゛」 ハングリータイガーな寅うっかりウイルスはちゅっちゅウイルスをうっかり捕食・融合し、その特性を獲得してゆく。 そして白蓮に感染していたせいか元々高い布教特性のあったちゅっちゅウイルスの力を得たことにより、 一気に体外空気感染、パンデミック。 この新型T(トラ)ウイルスの蔓延により、しばらく幻想郷はうっかりちゅっちゅ地獄と化したという… 星「うっかりしてたあぁあ‼」 ナズ「ご主人のアホー!」 ~っす「てゐちゃ~ん、俺だー!ちゅっちゅしてk(うっかり落とし穴落下)」 てゐ「…普段とあんま変わらんウサ」
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永遠亭チーム 永遠亭の住人達に加えて、花映塚で関わりのあったメディスンを加えたチーム。 HP 拳 蹴 武 投 速 跳 防 復 輝夜 255 2 2 5 2 1 3 3 2 永琳 250 5 5 5 5 3 3 4 5 鈴仙 210 3 4 4 4 5 5 4 4 てゐ 180 2 3 2 2 5 6 3 2 メディスン 160 2 1 3 2 4 3 1 3 総評 疾走では鈴仙とてゐという優秀な走り屋が居るものの、その反面乱闘での得点力は低め。 高いステータスに加えて「蓬莱人」のスキルを持ちHP回復力の高い永琳がどこまで活躍できるかにかかっている。 疾走永遠亭 永琳、鈴仙、てゐの三人が適任。 永琳よりもメディスンの方が速度は高いが、防御力の低さもあって完走すら危うい。 乱闘で永琳を2回出すつもりでないのなら、疾走で2回出場させるのも一つの手。 速度は高くないので高得点は望めないが、高い攻撃力を駆使して相手のHPを減らし、乱闘終盤の状況を有利にさせる作戦だ。 疾走最終戦に出場させた場合でも、乱闘最終戦まで休ませておけばHPが224も回復するので、多少の無理もできる。 博麗大乱闘 ステータス・必殺技ともに優秀な永琳と鈴仙が居るものの、他の3人の能力は低く厳しい戦いを強いられるだろう。 永琳を1戦目に出場させて出来るだけダメージを抑えて勝ち、最終戦でもう一度出すという作戦もあるが、 1戦目で負けてしまうとポイントアップゲームまでにHPが回復し切らず、2度目の出場が厳しくなるというリスクも伴う。 決して弱いわけではない永琳と鈴仙だが、乱闘最終戦で出てくるであろう相手を想定するとどうしても見劣りしてしまう。 彼女達で霊夢やレミリアといった強敵と渡り合えるようにならなければ勝利は遠い。 名前 コメント
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目次 形勢判斷 (H18.11.5) コミについての疑問-コミはなぜ増え続けるか (H19.7.1) 坂田榮男メモ (H20.1.18) 趙の壁攻めと依田の碁 (H20.2.25) 名人に香車を引いた男 (H20.5.11) 河口俊彦著「大山康晴の晩節」 (H20.5.18) 將棋の強さ (H20.5.11) 將棋の攻めと受け (H20.5.18) 瀬川さん快擧 (H21.5.16) 形勢判斷 (H18.11.5) 碁の第三十一期名人戰挑戰手合の第六局が十一月三日に終り、高尾紳路本因坊が名人位を奪取した。敗れた張栩名人の感想は、「形勢判斷に甘いところがあつた」といふものであつた。普通、通り一遍のことをいふのみで、こんなに具體的にいふことは少いのではないか。 それにしても、形勢判斷云々は少し奇異な印象を受けた。しかし、考へてみると、碁は、棋士といへども完全に讀みきることは出來ないので、常に形勢判斷しながら打つてゐる。形勢がいいと思へば自重するし、惡いと思へば多少無理でも頑張る。 「貪り勝ちを得ず」といふ。ほんの少し勝てばいいので、大勝ちしようと貪ると、相手も必死になるし、なにより自分の石に隙を生じて危ふくなる。しかし、形勢が悪ければ、座して死を待つても仕方がないので、打つて出るしかない。 コミについての疑問-コミはなぜ増え続けるか (H19.7.1) 今の碁は殆どコミ碁である。コミは最初の四目半から五目半を經て最近は六目半となつてゐる。しかしそれでもまだ先手が有利ではないかとの聲もあるやうである。なぜそんなにコミを大きくしないといけなくなつたのか。 むかし、藤澤朋齋が白番でマネ碁を打つてゐたことがある。勝率は高いと聞いた。しかし、征(シチョウ)を利用したマネ碁破りが開發されてやめてしまつたらしい。 朋齋が名人戰のリーグ戰でマネ碁を打つたのが新聞の圍碁欄に載つたとき、「コミ碁の批判」としてやつてゐると紹介されてゐたのを覺えてゐる。しかし、なぜマネ碁がコミ碁の批判になるのか分らなかつた。 今考へると、「コミ碁の批判」ではなく、「コミの批判」だつたのではあるまいか。すなはち、コミが四目半も五目半もあるのなら、後手はマネ碁でも勝てますよ、といふ主張ではないのか。 碁は先手が有利なのは間違ひないが、その原因は何か。地を囲ふといふ點では大したことはないのではないか。碁盤は對稱形なので大抵の箇所が「見合ひ」になつてゐる。隅は四箇所あり、邊の大場も四箇所ある。いずれも偶數なので、基本的には、先手も後手も同じ數だけ打てる理窟である。偶數個ないのは天元だけである。従つて、地を囲ふといふ點では先手の有利さは大した大きさではないのではないか。 先手の有利さの原因としてもうひとつ考へられるのは、先に打つてゐること自體にある。つまり、石の數がひとつ多いといふことから、相手を威壓して戰ひを有利に進めることが出來る。 マネ碁といふのは、相手と對稱形に打つだけで全く藝はいらない。しかし、後手の序盤作戰としては、理に適つてゐるのではないか。後手は先手より石の數がひとつ少い状態で着手しなければならない。特に序盤はその影響が大きい。したがつて、序盤は相手の石に近寄らず、碁を「広く」することに心掛けるのがよいとされてきた。マネ語は広い碁にする手段になってゐるのではないかと思ふ。 広い碁にすることで、戰ひの面での先手の有利さを極力小さく出來れば、あとは地を囲ふ面での有利さだけとなる。さうなると、コミは四目半も五目半もいらないのではないか。これが藤澤朋齋の主張だつたのではないか。 そもそも、マネ碁がコミ碁そのものの批判になるといふ理由があるだらうか。ただ、拗ねてまともに碁を打つてないといふくらゐしか思ひつかぬ。プロの碁打ちがそんなことをしたとは到底思へない。 しかし、現實に五目半のコミでは先手の方が勝率が高いといふ。なぜか。今の碁を見てゐると、序盤から激しく切り結んでゐることが多い。碁を広くするなどといふ言葉はついぞ聞いたことがない。これでは先手が有利になつてもしかたがない。 定石を打つてゐるのだから互角だ、といふかもしれない。しかし、定石といふのは、大抵、一方が先に打つてゐた所だからそれを考慮すれば互角などといふ場合が大部分である。「本當に互角」なのではなく、地が多い、或は勢力が強いといふことで本當は一方が有利なのであるが、先手だつた方が多少有利になつて當然といふことから、その有利さがまずまずかといふ意味で「互角」といつてゐる。 定石を打つてゐるから、序盤から激しく戰つてゐても互角だと思つてゐるが、本當は先手が有利になってゐる。だから、コミが六目半になつてもまだ足りないとなるのではないか。 どなたかこの疑問に答へて下さる方はゐませんか。 坂田榮男メモ (H20.1.18) 日本棋院退役棋士坂田榮男は大正9年2月15日生れで、昭和10年入段、平成12年2月に引退してゐる。 十五歳で入段は特別早くはない。先輩に意地惡されて遲れたといふ話を聞いたことがある。なんでも、やたらと長考してしびれを切らせられとのことである。 終戰のときに二十五歳であり、伸び盛りの二十代を戰中、戰後のどさくさに過し、損をした世代かもしれない。 昭和二十六年、第一期最高段者トーナメントに優勝してゐる。これが初のタイトルである。 昭和二十六年には、本因坊戰の挑戰者にもなつた。三十一歳、七段であつた。時の本因坊は日本棋院から飛出して關西棋院を立ち上げた橋本宇太郎で、日本棋院の本因坊奪囘の期待を背負つての挑戰であつた。坂田ならやれるのではないかと皆が思ひ、實際、三勝一敗と橋本を角番に追ひ込んだ。しかし、その後三連敗して負けてしまふ。 翌年は高川格が挑戰者になつた。「非力の高川」ではどうかなとあまり期待されなかつた樣であるが、あつさり勝つてしまふ。その後高川は本因坊九連覇を達成する。その間、坂田は挑戰者にもなつてゐない。 昭和三十六年、高川の十連覇を阻んだのが坂田であつた。この時、坂田はもう四十一歳であつた。その前は、昭和三十年に第二期日本棋院選手権を取つてゐる。このタイトルは七連覇してゐる。また、昭和三十四年には日本最強決定戦に優勝してゐる。よく知らぬが、昭和三十年代になつて、つまり坂田三十五歳すぎから勝ちだしたのではないかと思はれる。 昭和三十九年には、七タイトルを制覇してゐる。名人、本因坊、日本棋院選手権、プロ十傑、王座、日本棋院第一位、NHK杯である。この年には二十九連勝も記録してゐる。この記録は未だに破られてゐない樣である。連勝といへば、本因坊戰挑戰手合で十七連勝の記録がある(昭和三十八年の十八期第五局から二十二期第三局まで)。 全盛期の坂田は、序盤少し惡くても、そのうち逆轉するだらうと皆が思つた樣である。その勝負強さは、「泣きが入つてゐる」と言はれた。これは「燒きを入れる」をもぢつた言葉である。逆に言へば、それ以前は結構逆轉されて泣いたのかもしれない。それで「泣きが入つた」結果、無類の勝負強さを發揮する樣になつたのであらう。 勝負強いといつても、坂田の場合、相手が轉ぶのを待つとか、或は轉びやすい樣にし向けるとかいふのではなく、自分から積極的に勝ちに行く。中盤や終盤で鋭い手を放つて一目ニ目をかすめ取り、勝勢を確實にする。或は逆轉する。大逆轉を狙ふのではなく、ちよつとしたところで稼ぐ。それも、プロ棋士でもなかなか氣づかない樣な鋭い手筋を放つて。「鬼手」とよく言はれた。この藝風から「カミソリ坂田」と呼ばれた。 ところが、昭和四十年に第四期名人戰で弱冠二十三歳の林海峯挑戰者に二勝四敗で敗れるといふことがあつた。坂田は林を少し見縊つてゐたのかもしれない。激戰の挑戰者決定リーグを勝つて出て來たのであるから、それ相應の力はあると見るべきであらう。ただ、當時の坂田なら勝てないことはなかつたのではないかと思はれる。はつきり覺えてゐないが、ニ局目だつたか、序盤で坂田が早々とポイントを舉げ、勝つた樣な氣分になつたのだが、林に持前の「二枚腰」で粘られ、いらいらした坂田に疑問手が出て逆轉負けしたと聞いた。それから坂田はをかしくなつて、林に名を成さしめた。 その後、翌昭和四十一年、さらに四十二年と連續して挑戰者になつてゐるが、ともに一勝しか出來ずに林海峯に敗けている。 本因坊戰は七連覇するが、昭和四十三年に林海峯に八連覇を阻まれ、以降は、昭和四十四年、四十六年と挑戰者にはなつてゐるものの、林海峯に敗けている。名人、本因坊とことごとく林に負けてゐる。 その後、昭和五十年には石田本因坊に、昭和五十四年には大竹名人に挑戰してゐるが敗けてゐる。つまり、名人と本因坊は、林海峯に取られた後は、復位出來てゐない。他の棋戰では結構勝つてゐるのであるが。 坂田と林の對局でこんなことがあつた。坂田が少し勝つてゐたのであるが、ダメ詰めの時に、坂田が林にそこは手入れぢやないかと言つたら、林が「いらないと思ひます」と言つたので、「ぢやあ行きますよ」と林の地の中に打つていつたら手になつて、坂田は中押し勝ちだと言つたといふ。手になつたのはともかく、中押しだとまで普通言ふだらうか。林に負けたのが相當頭にきていたのだと感じた。坂田にとつてはとにかく林が鬼門であつた。 「泣きが入つた」と言はれた坂田であるが、林に當つてからは、「メツキが剥げた」のか。本當に泣きが入つたのではなく、ただカミソリの切れ味がさらに増した、或は集中力が増したといふ樣なことであつたのかもしれない。 その後、昭和五十年には石田本因坊に、昭和五十四年には大竹名人に挑戰してゐるが敗けてゐる。つまり、名人と本因坊は、林海峯に取られた後は、復位出來てゐない。 とはいへ、その後も結構タイトルは取つてゐる。 昭和五十八年に六十三歳で第ニ期NECカップに優勝し、通算タイトル獲得数を六十四にのばした。この記録は、趙治勲に抜かれたが、今のところ歴代二位である。昔はタイトルが少なかつたことを考へれば未だに二位といふのは凄いと思ふ。 二日制の棋戰は體力の問題で難しいが、早碁は大丈夫なのか。石田芳夫は、早碁に勝つ奴が一番強いと、自分が早碁に勝つた時に、半分冗談だらうが、言つたさうであるが、少くとも早碁だからといつて價値が低いことはない。賞金は安いが。 さういへば、坂田の連覇を阻んだ林海峯は、今通算千三百勝を越え棋界最高であるが、タイトル數は三十五と思つた程には多くない。同年の好敵手大竹英雄の方が四十八と多いので、大竹には失禮ながら、驚いた。早碁の神樣と呼ばれた位であるから早碁のタイトルが多いのかもしれない。 少し前、テレビで、藤澤朋斎と呉清源の十番碁の話が出てきて、藤澤が敗れたことについて坂田のインタビューがあつたが、「熱くなつちや碁はいけないと思ふんですよ」と言つてゐた。これを聞いたとき、藤澤のことを言つてゐるのだが、自分のことも思ひ出してゐるのではないかと思つたものである。 あまりに勝ちたい勝ちたいと勝つことにこだはり過ぎては、却つて勝てないとしたものなのかもしれない。いい碁を打つことだけに集中し、結果として勝ちもついて來るのが理想である。NHK杯で解説をしてゐた武宮正樹が、小林光一が相手の利かしに對して辛抱してゐるのを見て、そんなに勝ちたいのかな、とつい漏したことがあつた。彼らしい發言であるが、小林が、勝ちたいから辛抱したのか、棋風の違ひで單にそれが最善と判斷してのことなのかは分らぬとも感じた。 勝ちたいと思ふのは當り前であり、勝ちたい氣持がなければ碁の手段を工夫することもなからう。上手くなる原動力は、負けて悔しい、次は勝ちたいといふ氣持である。しかし、打つときにはさういふ氣持に煩はされず、目の前の碁盤に集中することが肝要なのであらう。これは何の勝負でも同じである。 趙の壁攻めと依田の碁 (H20.2.25) 昨日、碁のNHK杯をテレビで見た。見ると長いのであまり見ないのだが、趙治勲と依田紀基に、解説は林海峯といふ豪華な顏觸れに引かれて見てしまつた。 例によつて趙は地を取り、相手の模樣に毆り込んで行く。白番の依田は、林の解説によると、意外に、取りかけにいく樣な手を打つ。簡單に活かしてはいけないので一應目を取つただけとも見えたが。堪らず、かどうか知らぬが、趙は右邊の白との振替りに出る。振替りの直後、依田は右邊の取られた所に一手利かさうとするが、趙は聞かず、中央の荒しに出る。依田聞かない譯にはいかず、先手で稼がれ、右邊も打たれる。中央上部で取つた筈の黑のうち何目かを先手で助けられ、その上、それが利いて、後で中央下部の數目も助け出される。大損害である。コミを引いても十目以上の大差かと思つたが、下邊の収束で鋭い手筋を放つて稼いだこともあり、終つてみたら黑ニ目半勝ちであつた。とすると、あの失着が無ければ勝負は分らなかつたのかもしれぬ。 趙はヘボだと思つてゐたが、藤澤秀行もさう言つたとインターネツトの記事で見た。であるのになぜ錚々たる棋士が負けるのか。 依田は平成十一年に第二十五期名人戰の挑戰者となり、趙名人に勝つて名人になつた。この時の依田の戰ひ方はあまり襃められない。何戰目であつたか、局後に振返つて、中盤で自分の方がいいとは思はなかつたが、「趙先生も打ちやすいとは思つてゐなかつたのではないか」と言つたと新聞の觀戰記にあつた。 この時、依田は趙のお株を奪ふ打ち方をした。すなはち、無理やり地を取り、趙に仕方無く模樣を張らせ、そこに無茶苦茶に打込んで行つた。趙は凌ぎには強いが、攻めに廻ると自力が十分出せないことを知つての作戰である。これが美事功を奏してストレートで趙を下した。 續く第二十六期は林海峯を四對ニで退け、第二十七期にまた趙と對戰する。この時の依田は素晴らしかつたと思ふ。趙にやりたい樣にやらせて四對一で勝つた。趙が依田の模樣に打込んできても、慌てず騷がず、壁の補強をして澄ましてゐた。根こそぎ荒さうと壁に近づいてくれればそれだけで得なので、何もすることはない。ただ、壁を攻められない樣に補強すればいい。壁が強ければ何もしなくても多少の地はつく。壁に弱點があるとそこにつけ込まれて簡單に生きられる。弱點を無くしておけば、相手は生きるのに苦勞することになる。相手が藻掻いてくれれば、勞せずして相手の地を侵略できるし、放つておいてもこぼれ地がつく。焦つて攻めようとすると、趙の「壁攻め」を食らふことになる。 何と言はれやうが、自分なりの信念を持つて戰ふのはいいことである。とにかく勝つた方が強いとしか言ひやうがない。私としては趙を軽くいなして勝つ樣な碁打ちが輩出して欲しいと思つてゐるが。 名人に香車を引いた男 (H20.5.11) 「名人に香車を引いた男」とは、升田幸三自傳の題名である。自傳といつても、本人は喋つただけで、文章にしたのは田村龍騎兵とある。龍騎兵は慥か碁の觀戰記者だつたが、將棋も擔當してゐたのか。圍碁欄しか見ないので知らぬが。あるいは隣の業界だからつき合ひがあつたのか。 升田は、引退したとき、記者に「長い棋士生活の中で、なにが一番思ひ出に残るか」と聞かれたとき、「名人に香車を引いて勝つたこと。少年時代の夢を実現させたんですから」と即座に答へたといふ。そしてそれを自傳の題名にも使つてゐる。 をかしな話で、江戸時代ならともかく、今は實力名人制であり、名人を取ればいいのである。なぜ「名人に香車を引く」などと囘りくどいことを言ふのか。それが不思議でこの本を讀んだ。 結局、「少年時代の夢」と升田の辧にあるやうに、子供の頃に、在野の存在で名人になれなかつた天野宗歩の話を聞いたりしてさういふ風に思ひ込んだらしい。また、その頃はまだ關根永世名人がゐたのも事實ではある。といつても、そんな將棋界の仕組はとんと知らなかつた樣であるが。 それにしても、升田が大山の樣に名人を何囘も取つてゐたら、このことを看板にはしなかつたかも知れない。升田は、結局、名人は連續二期しか務めてゐない。その前は不運もあつて取れず、その後は體調不振で活躍出來てゐない。挑戰者にはなつてゐるが。取つた時も十分な健康状態ではなかつた。 それでも二期は取つたのであるし、その時は初の三冠にもなつたのであるから、それを自慢してもいいのである。短いとはいへ、絶頂期には凄かつたと。 それを言はずに、「名人に香車を引いて勝つた」と言ふのは、負惜しみに聞える。それで不思議に思つたのである。讀んでみると、やはり負惜しみだとは思ふが、嫌みはない。二期とはいへ、名人も取つてゐるからでもあらうか。單純に、俺は大名人などよりも格段に強かつたんだよと法螺を吹いてゐるだけである。 【勝負に勝つには借金が一番】 絶頂の時に升田は名人は取れなかつた。挑戰者になつた時にもう名人を取つた樣な氣になつてゐたと、心のおごりを升田は反省してゐる。 それが、病氣で一年間休場したお陰で心境が變化したといふ。體調は相變はらず萬全ではないので、勝たう勝たうと思はず、無心になつたといふ。せめて慘敗だけはすまいなどと思つたりしたといふ。 それとともに、「一番大きな變化は、忍耐するすべを知つたこと、そして勝負にがめつくなつたこと」であると言つてゐる。休場あけの時、對局の度に病身をおして上京するのは大變だからと、借金をして東京に家を買つた。その金を返す爲には是が非でも勝たねばならぬ。それまでは、「新手一生」を旗印に勝つことよりも新しい將棋の創造に意欲を燃やしてゐたのが、それからは勝負を大切にする樣になつたといふ。 具體的には、直觀で指し手がひらめいても、その手のすばらしさに溺れず、確實な讀みの裏付けを求める樣にした。それでポカが減つたといふ。 この話を聞いて思ひ出すのは、碁の藤澤秀行である。この人は、博奕で借金をつくつてから、歳にもめげず、タイトルを取つた樣な氣がする。若い頃は、碁は強いがポカが多かつたのであるが。 【讀みと記憶】 升田の若い頃の想ひ出で、碁の話がある。碁を覺えた頃、先輩達と公開早碁を見に行き、歸つてから竝べようとしたら、自分よりずつと碁の強い先輩達が三十手邊りでもう迷つてゐる。弱い自分の方が終局までしつかり頭に入つてゐたといふ。 入門したもののなかなか入段出來なかつたが、ある時、お使ひに行つて豆腐を落してしまつて奧さんに叱られて、「何をするにも集中心を持て」と覺つたといふ。 それで、掃除や洗濯にも集中した結果、仕事が早く終り、時間の余裕が出來た。それどころか、心を集中する習慣がつくと、いつぺんに二つの仕事ができる樣になつた。例へば、洗濯をちやんとやりながら、將棋も考へてゐるとか。その結果、入段を果すことが出來、勝ちまくつたといふ。 早碁を記憶してゐたのも、精神を集中する習慣が身に付いてゐたせゐだと書いてゐる。確かにさうなのであるが、それだけきちんと記憶できるといふのが、ひとつの才能なのではなからうか。 碁の石田芳夫九段が「一目千手」と豪語してゐた。專門家はある局面を見た瞬間にいろんな展開が頭に浮ぶが、その手數をもし數へれば輕く千手は超すといふ意味である。 その後の展開が頭に浮ぶのは、要するに、いろいろな形が頭に入つてゐて、それが出てくるのである。必ずしも記憶がそのままではなく、多少組合はされたりもするかも知れぬが。 すなはち、手は考へるものではなく、讀むものである。讀むとは、頭に浮んだ像を確認する作業のことを言つてゐる。 碁が強くなるためには、多分、將棋も同じであらうが、いろんな形を記憶してゐて即座にそれが出てくる樣にならないといけない。早い話が、全く形が分らなければ碁は打てない。打てるといふことは、最低限の形が頭にあるから打てるのであり、もし何も記憶してゐなければ、初手からどこに打つたらいいか分らない。 獨創的といはれる樣な手も、結局は、記憶してゐる形の組合せから出てくるのではなからうか。 河口俊彦著「大山康晴の晩節」 (H20.5.18) 河口俊彦著「大山康晴の晩節」(新潮文庫、平成18年、初版平成15年)を讀んだ。通讀した譯ではなく、あつちを讀んだりこつちを讀んだりしたのであるが、不思議な感じがしてゐる。 「私はこれから、大山將棋がいかに強かつたか、を書いて行かうと思つてゐる」(17頁)とあり、「そして話は、大山の晩節から始めよう。偉大さは、全盛時より、棋力、體力の落ちた晩年の頑張りにあらはれてゐると思ふからである。」(22頁)と序章を締め括つてゐる樣に、大山の「偉大さ」を書かうとしてゐる。 ところが、のつけから次の樣な記述がでてくる。「餘談になるが、この年私も大山名人と對戰する幸運に惠まれた。(中略)何が何だか夢見心地のうちに負かされてしまつた。(中略)緊張してアガつてゐたといふことはなく、序盤はかねて考へてゐた理想形が實現し、うまく行つた、と思つたとたん、手が見えなくなつた。(中略)そして我に返つたのはとどめの一手を指されたときで、ひどい寄せを食らつた、とあきれたのを憶えてゐる。」「森雞ニはよく『大山名人は催眠術を使つて勝つてゐる』と言つた。彼はさう確信してゐて、大山と對戰して、中終盤の勝負所にさしかかると、一手指して大山の前から離れ、控室のモニターテレビを見つめて、大山の指すのを待つてゐた。私も森ほどではないが、半分は催眠術みたいなものを使つてゐたと思つてゐる。」(11頁) 何といふことか。大山は棋士ではなく催眠術士だとでもいふのか。 その後、「人間的な威壓感」と銘打つた節があつて(17頁)、「升田だけでなく、二上達也、加藤(一)その他、二番手に付けた者を徹底的に叩いた。盤上で勝つだけでなく、盤外でも屈服させた。日常のありとあらゆるきつかけを、コンプレツクスを植ゑつけるために利用した。大山に、盤上、盤外で苦しめられ馬鹿にされて口惜し涙にくれた棋士がどれほどゐたことか。」となる(21頁)。 このすぐ後に、先の「偉大さ」を書くといふ、序章の締め括りになるのである。 著者は、將棋といふものを、さういふことも含めた全人的な鬪ひであると感じてゐるのであらうか。はつきり主張してはゐないが。威壓感の節はさういふ背景がなければ出て來やうがないと思はれる。催眠術の「餘談」も、けなしてゐるのではなく、偉大さの一部として披露してゐるのであらうか。 しかし、「できることなら、將棋を知らない方を考へて、指し手拔きで語りたかつた。しかし、なにより大山は將棋の天才であり、指し手が人間をあらはしてゐる。だから、省くことはでなかつた」(350頁)とあとがきにあるやうに、大山の將棋を認めてゐるのが基本にある。 【ボカを誘發】 大山は「ポカを誘發する樣な手を使つてゐた」といふ。例へば、山田道美との王座戰決勝第二局で、劣勢になり、金を打つて守りを固めて勝負を長引かせる位しか手がないと考へられたとき、わざと相手の金を取つたといふ。さう指すと、持駒が増えて相手玉の詰みの可能性が少し上るので脅しになる。しかし、實は、さう指すと自玉に詰みがあつた。しかも初級者でも分る易しい詰みだといふ。ところが山田はそれに氣がつかず、詰まし損なひ、結局負けてしまつた。 この話で思ひ出したのは、碁の「投げ場を求める」打ち方である。碁では、形勢不利と見たとき、小差なら、じつと我慢するとか一杯に頑張るとかして粘るが、大差の場合や小差でもどう打つても勝てないと観念したら、專門棋士は投げ場を作ることがよくある。死にが殘つてゐるのに手を入れずに頑張るとか、正確に対応されれば打つた石が全部死ぬ樣な亂暴をやつたりして、駄目とはつきりしたところで潔く投了する。 大山の指し方はこれに似てゐる。相手が的確に対応すれば、大山の玉は詰むので、投了するしかなくなる。大山はそれを覺悟した上で指したのか。 投げるつもりでも、勿論、相手が間違へて勝つてしまふこともたまにある。碁の名人戰リーグ戰で、依田が投げ場をつくらうとしたら、相手の山下が間違へて勝つたしまったことがある。大山もこんな感じで勝ちを拾ったのか。 河口は、「自玉に詰みがあるのを知つてゐながら、平然とその局面に進めたとは……。そこで詰みを逃すかも知れない、と考へたとすれば、恐ろしいほどの蔑視ではないか。それがあらはになつてゐるといふ意味で、これは大山の知られざる名局である。」と書いてゐる(163頁)。つまり、大山は、投げようとしたのではなく、あくまで、勝たうとしてそんな手を指したと、著者は確信してゐる。 將棋では、もしかしたら、投げ場を求める樣な風習がないのであらうかと思つたりしたが、ある觀戰記に、投げ場を求めた、といふ表現が見つかつたので、決してそんなことはない樣である。 また、投げ場を求めたのであれば、感想戰などでそんな風なことを言つたりもしよう。河口がかう斷言してゐるといふことは、そんな情報はなかつたのであらう。 似た樣な話がまだある。同じく山田が大山王將に挑戰した七番勝負の最終局でのことある。「大山は、先手三四歩と打たれる順があるのを知つてゐながら、あへてその局面に誘導した。(中略)つまり、山田は定跡を知つてゐない、萬一知つてゐても、先手三四歩から先手三三角なんていふ順は指しつこない、と見切つたのだ。正しく指されたらわるくなる、と知りつつ指せるのは大山以外にゐない。まして負ければお終ひの勝負將棋でやつたのだ。恐ろしいくらゐ人がわるい。」(204頁) 山田は、やはり、三四歩に氣がつかず、二三角と打つたのだが、それについて、山田の感想が引用されてゐる。「私は二三角とした。そのあと、大山王將は三五歩と飛車の頭に歩を打つてきたのだが、そのとき、大山さんの手がブルブル震へて、ピシツと駒がきまらなかつた。こんなことは初めて見ることである。」(204頁)その後、別のエピソードも紹介して、これらから次のように河口は結論してゐる。「竝みの棋士は、大きな賭に出る前に恐がる。大山は、賭けに出て勝つた後にふるへるのである。」 賭けに出る前に震へてゐては覺られる。成功するまではじつと我慢する。しかし、成功してしまふと、氣が緩んでつい震へが出てしまつた、といふことなのか 大山のやり方は、言ひ方を變へれば、「填め手(はめて)」ではないか。填め手といふのは、正しく對應されれば自分に不利になることが分つてゐるのに、相手が間違へるだらうと高を括つて繰出す手段のことである。この定義が正しければ、大山のやり方は明らかに填め手である。 專門棋士は填め手は打たないとされてゐる。おつとこれは碁の言ひ方で、將棋では、指さない。しかし、將棋では填め手が罷り通つてゐたとは。全く信じられない。 「升田もこんな風に負かされたことがが何度もあつた。棋士やファンはそれを見て、升田のポカと言つた。(中略)當時の人々は、大山が、そのポカを誘發する樣な手を使つてゐた、とは氣がつかなかったのである。」(163頁) かう書いた後、河口はまた催眠術の話を持出す。森雞ニの他に、田中寅彦の名前も出す。そして、その魔力で山田が「魅せられた樣に、いや、あやつられた樣に」詰みを逃した姿が目に浮ぶといふ(164頁)。 さう言へば、「信用」の話もある。「ここでの信用とは強いと思はれること。これについては大山の名言がある。『勝負は周圍を信用させることが第一だ。信用されなくなつたら勝てない。あの人は強い、とか、指し手の中に間違ひがない、あるいは、あの人が優勢になつたら頑張つても、もう勝てない、と思はれるのが信用で、いろんな信用をつくると、相手の戰ふ意慾が半減し、こちらの勝ちにつながる。』」(28頁)ある意味當り前のことを述べてゐるとも言へるのであるが、この中で、「指し手の中に間違ひがない」といふのは、つい漏したのかも知れぬが、意味深長である。填め手を通すためにはこれが大事といふ風にも取れるからである。 少し前、新聞の將棋欄で似たやうな話を讀んだことがある。A級順位戰で、一方が間違へて、詰みがあつたのであるが、相手が氣がつかず、結局、間違へた方が勝つた。氣がつかなかったのは佐藤康光二冠であつたかもしれない。この場合、間違へたといはれてゐた。しかし、惡く取れば、填めようとしたと言へぬこともない。 碁ではかういふ話は聞かない。しかし、先日こんなことがあつた。終盤になつて、盤端で一目當てたら劫に彈いて來たが、自分の方が劫材が多いと思つて劫を取つた。ところが仕掛けた方にいい劫材があつて、劫に負けてしまひ、碁にも負けてしまつた。負けた方は感想戰もやらずに歸つたといふ。觀戰記によると、仕掛けられた方は劫を爭はずにだまつてついでも半目勝ちと分つてゐたとのことであるが、仕掛けた方がそれが分つてゐたのかどうかは書いてなかつた。分つてゐて仕掛けたのなら、填め手みたいなものではないか。それくらゐ碁の世界も嚴しくなつて來たのか。 【將棋と碁の違ひ】 碁は石の效率の勝負であると思ふ。序盤で効率のいい手を打つて優勢になれば、その後惡手を打たない限り、それは續く。優勢とは、具體的には、地が多いとか、厚みが優つてゐるとかである。例へば、厚みの活用を誤つて逆轉されることもあるが、正しく打てばその優位は最後は地に轉化され、勝ちに繋がつて行く。 そして、打つ範囲は次第に狭くなつて行く。すなはち、ほぼ打ち終つた部分が次第に増えていき、終盤に至る。つまり、碁では、終盤は、基本的には、間違へなければいいので、大事なのは序盤、中盤である。また、終盤になれば、考へるべき範圍が狹くなつていき、間違へる可能性も減つて來る。 將棋は、序盤は、勿論大事ではあるが、あくまで勝ち易い状況をつくるだけである。いかに優勢であつても、それを現實に相手玉の詰みに繋げていかなければ勝ちにはならない。従つて、中盤、終盤が重要である。また、終盤になつても、常に盤全體を考へないといけないので、時間がなくてもいいといふ譯にはいかない。持時間のある近代將棋では終盤は難しい。時間を餘してゐても、相手に粘られて手數が増えると、時間はどんどん減つて行く。 従つて、將棋では、專門棋士でも、勝ち將棋を勝ち切るのがなかなか難しい。といふことは、逆に、負け將棋でも粘つてゐれば勝ちが轉がり込む可能性が結構ある。 その邊りが、大山の樣な指し方が出て來るゆゑんなのであらうか。 將棋の強さ (H20.5.11) 河口俊彦著「大山康晴の晩節」に山田道美九段の「將棋精華」といふ本からの引用がある。曰く、「ボクが痛切に感じたのは、大山名人の腰の重さ、勝負のかけひきのうまさである。中終盤の力の強さは、ボクなどはるかに及ばないと思ふ。大山、升田といふ強豪の強さは、すべてこの中終盤の強さによるものだと知つた。大山名人が身上とする、あの超人的な『ねばり』も、升田九段のすぐれた『序盤感覺』も、すべてこの中終盤の力が基底となつてゐるのである」(河口俊彦著「大山康晴の晩節」206頁、新潮文庫、平成18年、初版平成15年) しかし、河口氏によると、實際の對戰を見ると、山田九段が大山名人に對して序盤で優位になつた例は意外に少く、中終盤で盛り返したり、逆轉したりする例の方が多く、山田が思つてゐたほど中終盤の力に差はなかつたとのことである(前掲書、207頁)。 河口氏は、將棋は、序盤においては知識が物もの言ひ、中終盤は才能がそのままあらはれるといふ。そして實戰經驗は知識を得るのに役立つといふ。 ここで、知識とは、いはゆる定跡などを指してゐるのかと思つた。序盤は過去の定跡をある程度知らないと、思はぬ失敗をするとか、餘計な時間を消費したりとかすることになる。しかし、山田九段について、グループを作つたりはしたが、棋譜を調べたり、定跡を調べたりとかで、練習將棋を指したりはしなかつたとある。つまり、「知識」とは、單に定跡を研究してゐるとか云ふことではなく、實戰經驗そのものを言つてゐる樣である。確かに、いくら定跡を勉強しても畳の上の水練でしかなく、經驗なしに實戰は指せない。或は、特定の定跡を研究するといふことでなく、廣く色々な指方を知つてゐるといふ意味かも知れぬが。 これに對して中終盤の力とは、序盤で築いた優勢を、現實の「詰み」に繋げていく力であり、直觀と構想力が要求される。中盤以降は、當然、一番一番異なつたものであり、知識は役に立たない。才能のみである。 升田幸三自傳を讀むと、子供の頃、詰將棋をよく解いてゐた樣である。これにより、直觀力や讀みの力が養はれたのであらうか。升田は、若い頃から定跡に従はず自分なりに戰法を工夫して鬪つたといふが、それで勝てたのも、ひとつには中盤以降の強さがもともとあつたからなので、それがなければ、いかに優勢になつても勝ちは得られない。 中終盤は才能と言つてしまへばそれまでであるが、その才能とは何か。少くとも、天賦の才能が有つても、磨かなければ伸びないので、どうやれば磨かれるのかといふことはある筈である。 それは、ひとつは、詰將棋を懸命に解くことではなからうか。碁で云へば、詰碁である。詰將棋や詰碁により、いはゆる手筋を覺えることが出來る。しかし、詰將棋の場合は、將棋の最後の段階を煎じ詰めた形で體驗させるので、單に手筋を勉強するといふだけでなく、將棋の勝ち方を覺えることにもなるのではないか。さういふ意味では、碁における詰碁よりも、重く位置づけられるのかも知れない。 將棋の攻めと受け (H20.5.18) 升田は、後年には攻めの將棋といはれてゐるが、若い頃は受けの將棋であつたといふ。それが、「五段に昇つたころから、將棋は攻めて勝つものだ、と考へるやうにになつた」といふ。「ただし危險を承知で、最短距離の直線的な勝ちをめざすやうになつたのは、病氣をした戰後からのことでしてね。たらたら持久戰をやつとつたんでは體がもたんから、やむを得ずさうしたんで、當時(昭和十年代、引用者注)はごく普通の攻め將棋だつた」(升田幸三、名人に香車を引いた男 升田幸三自傳、162頁、中公文庫、平成15年、初版昭和55年)。 若い頃は、序盤の工夫がまだ足りなかつたので、なかなか優位に立てず、まずは受けに囘るしかなかつたといふことなのかもしれない。序盤で優位に立てればこそ攻めも出來よう。將棋を知らないので、棋譜を調べもせずに、全くの憶測で言つてゐるのであるが。 いずれにせよ、相手の玉を詰めなければ勝てないのであるから、最後は攻めなければいけない。攻めの將棋、受けの將棋と言つても、ただ攻めに廻る時期が多少早いか遅いかの違ひでしかない、とも言へるのではないか。 升田は、自傳の中で、昭和三十三年の名人戰七番勝負第七局を生涯の最高傑作と言つてゐる。升田の四十六手目が「名手」で、この一手で相手からの攻め味は一切消え、手の打ちやうがなくなつてゐるといふ。そして、「將棋の最高の勝ち方は、相手がどう指しても不利になる、さういふ局面に導くことなんだ。將棋ではパスは禁じられとるから、自分の手番になればなにか一手指さにやならん。ところがどう指しても、形勢が不利になる。さういふ状態に相手を追ひ込むのが、勝ち方の理想とされる。」(前掲書346頁) さうなれば、攻めも受けもないのではないか。 瀬川さん快擧 (H21.5.16) 昨日(平成21年5月15日)將棋の瀬川四段がフリークラスからC2級への昇級を決めたとのこと。棋聖戦一次予選で中座真七段に勝つて、直近35局で23勝12敗(勝率6割5分7厘)となり、「良い所取りで、30局以上の勝率が6割5分以上」といふ昇級規定を滿たしたといふ。 平成20年1月23日の勝星からの通算の樣である。この日から同年3月12日にかけて八連勝したのが利いてゐる。この間、2月27日には、NHK杯豫選の一囘戰、二囘戰、決勝と一日に勝星を三つ稼いでゐる。もつとも、豫選では一日に何局か指すのは、他の棋戰でも普通のことの樣である。 瀬川さんは平成十七年に編入試験で棋士となつたが、フリークラスといふことで、最初からの約束だつたのかもしれぬが、これでは本當に棋士にしてやつた譯ではないではないかと思つてゐた。 フリークラスは何時ごろ出來たのか知らぬが、一旦ここに落ちてからC2級に上つた人は二人しかゐないと誰かが書いてゐた。昇級規定は、「年間成績で「参加棋戦数+8」勝以上の成績を挙げ、なおかつ勝率6割以上」、先の「良い所取りで、30局以上の勝率が6割5分以上」、「年間対局数が「(参加棋戦+1)×3」局以上」、「全棋士参加棋戦優勝またはタイトル戦挑戦」と四種類あるが、何れも相當嚴しい。しかも、十年以内にC2に昇級出來ないと、引退となる。すなはち、首である。瀬川さんも何とか棋士にはなつたものの、十年間の期間限定かと思つてゐたが、昇級を決めるとは思ひもよらぬ快擧である。 いつだつたか、三段リーグからの昇段で次點が二囘續き、四段への昇段、すなはち棋士になる權利が得られたのに、辭退した人がゐた。それだと、棋士にはなつてもC2級に入れず、フリークラスだからである。つまり、フリークラスからC2級に昇級するのは、三段リーグで二位以内となつて普通に昇段してC2級に入るよりも確率が低いと判斷したのである。それ位、フリークラスからの昇級は至難の業なのである。
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