約 2,997,705 件
https://w.atwiki.jp/wiki1_misya/pages/11.html
使い方とか @Wikiさんでホームページを作っていて、気付いた事とか使い方とか。そういう事を書いてみます。 ページを編集する人や、Wikiを使ってみようっていう人のお役に立てればいいなぁ~♪ でも、そんなに深い内容は書けないと思います。(苦笑) IEじゃないと綺麗に表示できませんでした。(2005/03/22) 選んだテンプレートが悪かったのかしら?テーブルタグが崩れてしまっているみたいで、FireFoxだと綺麗に表示できませんでした。 Wikiモードで作ると、自動的に整形されちゃうので崩れている所に手を入れれないですし、WORDモードで作成するとHTMLを直接編集できるのである程度綺麗になるのですけれど、コメントとかWikiの機能が使えません。(悩) フォントサイズは中より小さく。(2005/03/22) 使用しているテンプレートの制限もあるのですけれど、フォントサイズは中以下のサイズにしないと左側のメニューが綺麗に表示されません。 CSSファイルをちゃんと修正すれば大丈夫かもしれませんが、まだそこを修正できるほど解ってない~☆ コメントは1ページ1つだけ。(2005/03/22) Wikiモードでページを作ると、コメント入力欄をつけることが出来ます。 でも、1ページに1個までで、2個以上つけると入力されたコメントがみんな同じリストに追加されちゃいます。 コメント失敗例 (サンプルページ) コメント入力できるページを作る時は、ページを分けてあげて、それぞれメニューに追加しなくちゃダメですよ。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/ninja_arms/pages/28.html
レンダリング時間1 レンダリング時間2
https://w.atwiki.jp/anozero/pages/5200.html
「聖闘士星矢」より「アイオリア」を召喚 黄金の使い魔-01 黄金の使い魔-02 黄金の使い魔-03 黄金の使い魔-04 黄金の使い魔-05-前編/後編 黄金の使い魔-06 黄金の使い魔-06.5 黄金の使い魔-07 黄金の使い魔-07.5-前編/後編 黄金の使い魔-08
https://w.atwiki.jp/doc_exam2007/pages/69.html
ATIS調査報告第120号 日本軍における各種アメニティー 古森さん「歴史ロンダリング」(その1) 【復刻】産経古森義久記者の「歴史ロンダリング」(その2) 2007年5月作成のサイトなので、各所にリンクエラーがあります。 TITLE 古森さん「歴史ロンダリング」。(その2) TAGS 偽報,古森記者,慰安婦,歴史ロンダリング DATE 05/19/2007 02 49 00 古森さん「歴史ロンダリング」(その1)のつづきです。 (1)5.14付けブログ 「米軍も日本側の慰安婦は民間調達と認めていた。」 (5月12日付記事の再現) に続く記事は (2)5・18付け記事 「慰安婦「契約の下で雇用」 米陸軍報告書、大戦時に作成」 です。全文はリンク先でお読みください。問題点を挙げます。 ~~~~~ >当時の朝鮮のソウルで金銭と引き換えに徴募され、ビルマ北部のミッチナ(当時の日本側呼称ミイトキーナ)地区の「キョウエイ」という名の慰安所で日本軍将兵に性を提供していた 朝鮮人女性 20人と同慰安所経営者の41歳の日本人男性が米軍の捕虜となった ~~~~~ とありますから、古森さんが「再フレームアップ」した資料は、記事(1)と同じもので、記事(2)はその続きのようです。ビルマ移送時22人居た朝鮮人慰安婦は20人に減っています。 この記事に該当する英文原文がないので、古森さんの翻訳を信用する以外にありませんが、翻訳文とその解釈との間にすら、飛躍というよりも反転があるようです。 ~~~~~~ >同報告書は「すべての『慰安婦』は以下のような契約条件の下に雇用されていた」と明記し、女性たちが基本的には商業ベースで「契約」に基づき、「雇われて」いたという認識を示している。 ~~~~~ どうやら記事は、「契約」「雇用」という言葉を使っているから「性奴隷」ではないといいたいらしいようです。しかし、古代奴隷制ローマにおいてすら「契約」「雇用」があったことに留意してください。 問題は、その契約、雇用に、どのような自由があったかということです。移動とか職業選択、退職の自由などです。では、内容をみてみましょう。 ~~~~ >1、 「個々の慰安婦はその総売り上げの50%を受け取り、無料の移動、食糧、医療を与えられた。移動と医療は軍から供与され、食糧は慰安所経営者が軍の支援を得て、購入していた」 ~~~~ これを、軍による好待遇の証、とでも読ませたいのでしょうか? 軍の駐屯地に付属した慰安所に拘束され、部隊とともに移動したことを示し、まさに「従軍」慰安婦であったことを物語ってるではありませんか。 ~~~~ >2 「経営者たちは衣類、日常必需品、さらにはぜいたく品を法外な値段で慰安婦たちに売りつけ、利益をあげていた」 ~~~~ つまりこれは、「総売り上げの50%を受け取り」が建前でしかなく、実際は売上の多くが経営者の懐に入ったということです。つまり、歩合制なんてあってなきがごとし。古森さんがアメリカのテレビに出演して「軍慰安婦は高給取りだった」と発言したことを覆す内容でもあります。 ~~~~ >3 「慰安婦の女性がその家族に支払われた金額を利子付きで返済できるようになれば、朝鮮への無料の帰還の便宜を与えられ、自由の身になったとみなされることになっていた。だが戦争の状況のために、このグループの女性はだれも帰国を許されなかった」 ~~~~ (この部分はとくに原文検証したい部分です) さあて、ここではっきり書かれていることは、彼女たちが買われた時に支払われたのは、『代金』ではなくて『前借金』だったということです。 それが高額であればあるほど、その返済は容易ではないし、2項のような搾取があればなおさら返済は困難だったのでしょう。 ~~~~ >4 「この日本人が経営した慰安所では女性1人の2カ月1ヶ月の総売り上げは最大1500円、最小300円程度だった。個々の女性は経営者に毎月、最低150円は払わねばならなかった」 ~~~~ ※ 「2カ月の総売り上げは 」は、明らかな古森氏の誤訳です。わたしも見過ごしてしまいました。 http //pr3-at-iza.iza.ne.jp/blog/entry/177019/ したがって、以下の文章も直さなくてはなりません。 2ヶ月の売上が300~1500。ということは、1ヶ月で150~750.経営者に毎月、最低150円ですから、収入は単純計算で、0~650円以下です。水揚げの多い女性ほど、服や調度の高いものを買わされていたはずですから、0~300円ぐらいとしても多過ぎるはずです。 1ヶ月の総売上が、300~1500ということは、彼女たちの取り分が、150~750.食費などで最低150の天引きですから、残るは 0~600.水揚げの多い女性ほど、服や調度の高いものを買わされていたはずですから、いったいどれだけの額を蓄えられたのでしょうか。 さらに、ビルマ前線での軍票の円は、いったい朝鮮銀行券の円とはどのようなレートで交換されたのでしょうか? 10:1ぐらいでしょうか? それとも交換不能だったでしょうか? いずれにしても経営者が、「前借金は朝鮮銀行券の円で返せ」といったら、返すことは絶望的です。 以上をまとめますと、次のような古森さんのまとめは、言語道断です。 ~~~~ > 以上のように、この報告書は慰安婦の「雇用」や「契約条件」を明記するとともに、慰安婦だった女性は一定の借金を返せば、自由の身になれるという仕組みも存在したことを記し、「軍の強制徴用」とか「性的奴隷化」とは異なる認識を当時の米軍当局が有していたことを証している。 ~~~~ このようなことを、実態をなにも検証せず述べることは、恥ずべきことといわざるを得ません。 確かに、前借金と借金で娼婦たちを縛る。それは日本人娼婦の世界でも同じでした。しかし、日本人従軍慰安婦と朝鮮人従軍慰安婦との違いは、前者の多くが既に娼婦であって戦地へは志願でいったものが多かった、しかも花代が圧倒的に高かったことです。 古森記者が実証しなくてはならないのは、彼女たちに職業選択の自由があったのか、帰国の自由がどれだけあったのか、実態的な検証です。ビルマから帰国できた朝鮮女性を探し出して、ジャーナリストとしての根性を示してみてはいかがでしょうか? ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ いずれにしても、古森記者が2回に分けて記事にした、米軍による尋問調書は、 1、軍の内示計画にもとづく人身売買 2、売買代金は「前借金」 3、軍の完全お膳立てによるビルマ移送 4、慰安婦は「捕虜」という形の財産 5、慰安婦は部隊に付属し部隊に従軍した 6、借金はいつまでたっても減らない仕組み 7、完済して帰国できた慰安婦はひとりもいなかった ということを示しています。 ================ ※古森さんは後に、重ねて言及するブログをアップしましたので以下、それにも検討をくわえてみます。 ~~~~ >慰安婦は日本の民間業者と女性たちの間の「契約」に基づく「雇用」であるーーという認識が米陸軍の調査報告書にありました。英語の原文を書いておきましょう。 Every comfort girl was employed on the following contract conditions. カギは「employed」と「contract」という言葉です。「雇われていた」「雇用されていた」 そして「契約」に基づいて、というわけです。 そのあとに「契約条件」の説明として以下のような記述があります。 She received 50% of her own gross takings, and was provided with free passage, free food and free medical treatment. ここには「強制徴用」とか「奴隷化」という言葉はまったく出てきません。 ~~~~~~~~~~ 「雇用」とか「契約」はギリシャの奴隷にもありました。職業選択の自由、移動の自由がどれだけあったでしょうか?前借金で縛られて、部隊に従軍して国に帰れない女性たちは、職業婦人として自立してたとでもいうのでしょうか? ※ しかも、この20人の慰安婦の証言(別資料)を参照すると、彼女たちは売春を行うものとの説明はうけず、詐術よって変われた経過が証言されています。 古森さん >She received 50% of her own gross takings, and was provided with free passage, free food and free medical treatment. これをあたかも、有利な雇用条件であるかのように誇らしげに宣伝するに至っては、産経新聞の有力記者さんであるだけに、開いた口がふさがりません。(理由は前述) まさか、free passage を 自由乗車券だと前途有為の若者たちに思わせようというのではありますまいね? (追)街中を買い物に出かける自由はあったみたいですけど。 古森さん「歴史ロンダリング」(その3) ATIS調査報告第120号 日本軍における各種アメニティー 、
https://w.atwiki.jp/pokego-iv/pages/13.html
@wikiへようこそ ウィキはみんなで気軽にホームページ編集できるツールです。 このページは自由に編集することができます。 メールで送られてきたパスワードを用いてログインすることで、各種変更(サイト名、トップページ、メンバー管理、サイドページ、デザイン、ページ管理、等)することができます まずはこちらをご覧ください。 @wikiの基本操作 編集モード・構文一覧表 @wikiの設定・管理 分からないことは? @wiki ご利用ガイド よくある質問 @wiki更新情報 @wikiへのお問合せフォーム 等をご活用ください アットウィキモードでの編集方法 文字入力 画像入力 表組み ワープロモードでの編集方法 文字入力 画像入力 表組み その他にもいろいろな機能満載!! @wikiプラグイン一覧 @wikiかんたんプラグイン入力サポート バグ・不具合を見つけたら? 要望がある場合は? お手数ですが、お問合せフォームからご連絡ください。
https://w.atwiki.jp/kt108stars/pages/399.html
365 名前: おそ松 2001/06/20(水) 01 44 ワンダリングダメージなるものを見たことあるぞ。 マスター(ダイスを振る)「えっと・・・3か」 プレイヤー「モンスターが出たのかな?」 マスター「えー、君に3ダメージ」 プレイヤー「え!?」 366 名前: NPCさん 2001/06/20(水) 03 56 365 ワンダリングダメージは、私も十数年前にやった事有るよ(私がGMで) そのやり取りまんまで、ダメージも一緒だったよ。(ワラ 唐突さによるウケ狙いとしてだけど。 367 名前: NPCさん 2001/06/20(水) 14 38 365 なんだそりゃ(笑) 368 名前: NPCさん 2001/06/20(水) 14 51 そういうGMのウケ狙いはたいがい白い目で見られる。 そして痛いGMとして名が残る。 いや、むしろ痛いGMだからそれをウケると思いこんでしまうのか。 369 名前: おそ松 2001/06/20(水) 14 53 365のワンダリングダメージのマスターは”嫌いなプレイヤー”に対して やってました。 でも強面だったから、誰も文句は言ってませんでしたよ。 370 名前: 366 2001/06/20(水) 15 10 私の時は、テンション上がってて、みんなどんな事が起きても ウケる状態で、本当にウケ狙いだったから、ウケたよ。 勿論、そのダメージ源である「槍を投げてきた卑怯者」も出したけど。 371 名前: 366 2001/06/20(水) 15 13 あ、勿論私怨とかは無しにね。 てゆーか、初見のコンベンションで私怨なんかめったに起きないけど。 ま、十年前に演技に見えない馬鹿笑いを出きるプレイヤーなんて 見た事無かったけど。 全員馬鹿笑い。私も含めて。 逝けてるRPGゲーマー募集!!
https://w.atwiki.jp/flaita/pages/457.html
トゥーンレンダリング 概要 3DCGをセル絵や、漫画、手描きのイラスト風に書き出す技術である。 3DCGでありながら、2Dのイラストと全く差異がないのが特徴。 一度キャラクターを作れば、あとは動かすだけ、と 労力が大幅に削減できる為、アニメーションの制作で多用されている。 Shade、3ds Max、SOFTIMAGE XSI、LightWave 3D、MAYA? 等が対応している。 トゥーンレンダリングを使用している制作者、作品 【個人】 Sakana-Ya 鳥かごLab 【企業・団体】 アイドルマスター タイムリープ(18禁注意) 関連項目 3D
https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/49350.html
【検索用 まんたりん 登録タグ 2022年 CeVIO R Sound Design yurinsta ま 曲 曲ま 神椿市協奏中。 裏命】 + 目次 目次 曲紹介 歌詞 コメント 作詞:R Sound Design 作曲:R Sound Design 編曲:R Sound Design イラスト:yurinsta 唄:裏命(RIME) 曲紹介 🍊 曲名:『マンダリン』 R Sound Designの裏命オリジナル曲。 CeVIO AI 音楽的同位体 裏命(RIME)デモソング。 歌詞 (PIAPROより転載) マンダリン 眠れないの 12 00 a.m. 絡まって やっぱり君の所為だ 1番最初純情奪われる こんなに柔くなって 熱を帯びちゃって マンダリン 甘く咲いた恋の花 踊れlonely rolling morning show me or kill me,darling 恋のA to Zが解らないのよ 解けぬように 壊れぬように 目覚めるこの声に触れて 痩せた胸に咲いた花びら はらはら くらくらり 完全に開花 どうしようもないな 三千世界に吹聴したいな 少しほろ苦いこの恋は 齧ったマンダリン 愛しい程切ない声で君に歌うの マンダリン 目が覚めた 不意の午後3時 がっかり 君のストーリー 1番最後友情に敗れる アブラカタブラ ネガティブ 消え去って マンダリン まだ眠い恋の果実 歌えmoody boogie woogie sorry or gimme,darling 恋の1,2,3が進めないのよ 悩ましそうに 擬かしそうに 恥じらうこの声に触れて 痩せた胸に灯る炎は ゆらゆら めらめらの 完全に大火 どうしようもないな 三千世界で炎上したいな この魔法はもう解けないの 漂うマンダリン 気づいても気づかないふりで 名前を呼んで 裏腹 運命の先を 睨んで 塗り潰して 際限ない色で描いて 少し高くなる声 溢れたマンダリン 溺れてく 私に触れて 痩せた胸に咲いた花びら はらはら くらくらり 完全に開花 どうしようもないな 三千世界に吹聴したいな 少しほろ苦いこの恋は 齧ったマンダリン 愛しい程切ない声で君に歌うの コメント 名前 コメント コメントを書き込む際の注意 コメント欄は匿名で使用できる性質上、荒れやすいので、 以下の条件に該当するようなコメントは削除されることがあります。 コメントする際は、絶対に目を通してください。 暴力的、または卑猥な表現・差別用語(Wiki利用者に著しく不快感を与えるような表現) 特定の個人・団体の宣伝または批判 (曲紹介ページにおいて)歌詞の独自解釈を展開するコメント、いわゆる“解釈コメ” 長すぎるコメント 『歌ってみた』系動画や、歌い手に関する話題 「カラオケで歌えた」「学校で流れた」などの曲に直接関係しない、本来日記に書くようなコメント カラオケ化、カラオケ配信等の話題 同一人物によると判断される連続・大量コメント Wikiの保守管理は有志によって行われています。 Wikiを気持ちよく利用するためにも、上記の注意事項は守って頂くようにお願いします。
https://w.atwiki.jp/roookie/pages/36.html
スモークの使い方で大体勝負決まるでしょ!!!!!by威圧感水島
https://w.atwiki.jp/doc_exam2007/pages/68.html
ATIS調査報告第120号 日本軍における各種アメニティー 【復刻】産経古森義久記者の「歴史ロンダリング」(その1) 2007年5月作成のサイトなので、各所にリンクエラーがあります。 TITLE 古森さん「歴史ロンダリング」。(その1) TAGS 偽報,古森記者,慰安婦,歴史ロンダリング DATE 05/19/2007 00 27 00 やったねコモリン「歴史ロンダリング」 またまたやってしまいました産経ワシントン特派員のY.Kさん。「またまた」と敢えて申し上げるのは、この方、つい最近のAP記事の翻訳贋造につづいてのことだからです。 ここで取り上げるのは次の2つの記事のことです。 (1)5.14付けブログ 「米軍も日本側の慰安婦は民間調達と認めていた。」 (5月12日付記事の再現) (2)5・18付け記事 「慰安婦「契約の下で雇用」 米陸軍報告書、大戦時に作成」 どちらも、ビルマ北部のミッチナ地区の慰安所経営者の尋問証書からのようです。しかしこれらの記事はちょっと酷いです。この尋問調書の中身を読めば軍関与を実証する資料だということが一目瞭然です。なのに、古森氏はこれを「民間の商取引に過ぎない」資料だとしています。 記事の見出しに引用した資料内容とは逆のキャプションをつける。そうすれば中身を読まず多くの読者がそう思ってしまう。中身は黒いけど白い風呂敷でくるんでしまえば、中身も白いと思い込んでしまう。簡単なトリックですが効果はテキメンです。人間とは一度思い込んでしまえば、あとは相当な努力をしない限り修正がむづかしいものです。ですから、手法は単純だけど効果はテキメンです。 『ワシントン発記事』という新聞公器のシステムを使って英文資料の意味を逆転させてしまう、これは「歴史ロンダリング」とでも呼ぶべきテクニックなのでしょうか? ~~~~~~~~~~~~~~~~ では、問題点を具体的に指摘します。 まず(1)の記事。見出しは、 「民間が慰安婦集め」 米軍調査「日本軍は利益得ず」 記事本文は次のとおりです。 【ワシントン=古森義久】戦時の日本軍の慰安婦に関して、日本側の民間業者が慰安婦候補とした女性家族にまず現金を支払って彼女らを取得していたことを示す米陸軍の調査報告書があることがわかった。報告書は、この業者が朝鮮で商業利益を目的に慰安婦の徴募に直接あたっていたことを示し、現在の米側の一部の「日本軍が女性を組織的に強制徴用していた」という主張とは異なる当時の実態を明らかにしている。 報告書は米国陸軍の戦争情報局心理戦争班により第二次大戦中の1944年9月に作成された。「前線地区での日本軍売春宿」と題され、同年8月にビルマ(現ミャンマー)北部のウェインマウ付近で米軍に拘束された日本人の慰安所経営者(当時41歳)の尋問結果が主に記録されている。 この経営者は、日本人の妻(同38歳)と朝鮮女性の慰安婦20人とともに米軍に捕まった。この慰安婦の尋問結果をまとめた報告書は別に存在し、日米両国の研究者などの間で参照されてきたが、経営者だけについての報告書は公開の場で論じられることが少なかった。 報告書によると、経営者は朝鮮のソウルで妻とともに食堂を開き、ある程度の利益を得ていたが、景気が悪くなり、新たに収入を得る機会の追求としてソウルの日本軍司令部に慰安婦を朝鮮からビルマに連れていくことの許可を求めた。この種の提案は朝鮮在住のほかの日本人ビジネスマンたちにも軍から伝えられていたという。 同経営者の慰安婦集めについては「彼は22人の朝鮮女性に対し個々の性格、外見、年齢による区分で1人あたり300円から1000円の金をまずその家族たちに支払い、取得した。22人の女性は年齢19歳から31歳までで、経営者の占有する資産となった。日本軍は(この取得から)利益は得ていない。ソウルの日本軍司令部は同経営者に対し(ビルマまでの)ほかの日本軍各司令部あてに輸送、配給、医療手当などの必要な援助を与えることを認めた書簡を与えた」と記している。 このように報告書では、この慰安婦採用の過程については日本軍が「許可」あるいは「提案」したとされ、経営者の女性集めはすべての個々人に現金をまず渡していることが明記され、「日本軍が女性たちを組織的に強制徴用して性的奴隷化した」というような米国議会の決議案の解釈や表現とはまったく異なる事情を伝えている。 報告書によると、この日本人経営者は妻や22人の朝鮮女性とともに1942年7月10日に釜山を船でたち、台湾、シンガポール経由で同8月20日にビルマの首都ラングーン(現ヤンゴン)に到着した。女性たちはその後、北部のミッチナ(当時の日本側の呼称はミイトキーナ)地区の日本軍歩兵114連隊用の慰安所に送られたという。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~(記事おわり) この記事は下記の資料原文に照らすと、意味が巧妙にずらされています。まず、 >新たに収入を得る機会の追求としてソウルの日本軍司令部に慰安婦を朝鮮からビルマに連れていくことの許可を求めた。この種の提案は朝鮮在住のほかの日本人ビジネスマンたちにも軍から伝えられていたという。 これでは、まるで朝鮮からビルマに連れていくことを計画したのはこの業者のように誤解されますが、そうではないのです。M.739という業者は、朝鮮総督府の計画に応募(applied to )したのです。人身売買とビルマ移送の内示計画(the suggestion)は総督府によって立てられた(originated from Army H.Q.)とはっきり書かれています。 古森氏は、原文にある the suggestion originated from Army (示唆は軍より発せられ)をわざわざ脱落させています。これがあると、「民間調達」という見出しが成り立たなくなるからでしょう >日本軍は(この取得から)利益は得ていない。 これは、売買益を得なかったということで、慰安婦・慰安所経営からは「性」という兵站の恩恵を得ていたことは否定できないのです。 >ソウルの日本軍司令部は同経営者に対し日本軍各司令部あて(ビルマまでの)ほかの日本軍各司令部あてに輸送、配給、医療手当などの必要な援助を与えることを認めた書簡を与えた 書簡は、日本軍各司令部が同経営者を積極的に支援するよう求めたものです。「援助を与えることを認めた」といった消極的なものではありません。 (H.Q. Korea Army gave him a letter addressed to all military H.Q. of the Japanese Army, requesting them to furnish any assistance he might require, transport, rations, medical attention, etc.)業者は、軍による完全アゴアシ付だったのです。 そのうえ、女性たちの船内での食費は業者が払ったとも記されています。彼女たちには収入がないのですから、食費分は前借金の増加となったことは容易に想像できることです。 この文書は、 「軍が発案し管理した上での人身売買、軍主導の移送、慰安婦女性の捕虜扱いなど」の実態が記された文書です。 「民間が慰安婦集め」 米軍調査「日本軍は利益得ず」 といった軍傍観者的文書では、決してありません。 【参考】 Y.Kさんが提示した原資料(冒頭部分)は以下のとおりです。私の試訳を添えます。 A JAPANESE ARMY BROTHEL IN THE FORWARD AREA. Note The following is derived from interrogation at C.S.D.I.C.(I) of M.739, and from O.W.I. Interrogation at Ledo Base Stockade of 20 Korean “comfort girls”, Report dated 21 Sept. 1944. 外地における日本軍慰安所 註 以下はat C.S.D.I.C.(I) での M.739に対する尋問とLedo Base Stockade における20人の軍慰安婦に対するO.W.I. 尋問から作成された。 作成日 1944年9月21日 M.739, his wife and sister-in-law had made some money as restaurant keepers in Keijo, Korea, but their trade declining they looked for an opportunity to make more money and applied to Army H.Q. in Keijo for permission to take “comfort girls” from Korea to Burma. According to P.W. the suggestion originated from Army H.Q. and was passed to a number of similar Japanese “business men” in Korea. M.739と彼の妻と義理の妹は、京城で食堂経営し金をいくらか蓄えたが、商売が縮小してきたので金儲けのチャンスを求めて、京城の朝鮮総督府に応募して慰安婦を朝鮮からビルマに連れて行く許可を求めた。捕虜によれば、示唆(内示計画)は総督府が発案し、朝鮮にいる多くの同じ日本人業者にも伝えられた。 M.739 purchased 22 Korean girls, payig their families from 300 to 1,000 according to the personality , looks and age of the girl. These 22 girls were of ages from 19—31. They became the sole property of P.W. and the Army made no profits from them. H.Q. Korea Army gave him a letter addressed to all military H.Q. of the Japanese Army, requesting them to furnish any assistance he might require, transport, rations, medical attention, etc. M.739は22人の朝鮮人女性を、性格、容姿、年齢などによって、300円から1000円で買い取った。22人の年齢は19~31歳であった。彼女達は捕虜(M.739のこと)の占有財産となり、軍は彼女たちから利潤(手数料)を得なかった。朝鮮総督府は移送にかかわる全ての外地司令部宛ての手紙をM.739にもたせた。手紙は、移動手段でも食料でも医薬品でも、M.739が要求するものはどんな援助もするように、各司令部に要請するものであった。 Leaving his sister-in-law to carry on the restaurant, M.739 and his wife, with their 22 girls, embarked at Fusan on 10 July 1942 in a group of 703 girls, all Korean, and some 90 Japanese men and women, all of them of the same base sort as himself. They sailed on a 4,000 ton passenger ship in a convoy of 7 ships. Free passage Tickets were provided by Army H.Q., but P.W. paid for all meals during the voyages. 義理の妹を食堂経営のために残して、M.739 と妻は22人の女性を連れて10 July 1942 、全て朝鮮娘からなる703人の慰安婦、そして90人ほどの彼と全く同じ立場の日本人男女とともに船に乗り込んだ。彼等は7隻の船団のうちの4,000トンの客船で運ばれた。総督府から無料乗船券は与えられたが、捕虜は航海中の全ての食事代を支払った。 They called at Formosa, where 22 other girls bound for Singapore were taken on board, and at Singapore where they transferred to another ship, arriving at Rangoon on 20 Aug 1942. 彼女らが台湾に上陸したとき、22人の別の女性たちがシンガポールまで合流し、シンガポールの上陸では、そこから彼女たちは別の船に乗り換えラングーンには20 Aug 1942に到着した。 At Rangoon they were divided into groups of 20—30 girls in each and dispersed to various parts of Burma, each group being attached to various regiments, units or formations, so that each had its own brothel (s). ラングーンで女性たちは20—30 人のグループに分けられ、ビルマの多くの地に分散された。各グループは、それぞれの売春宿を有する連隊、部隊、編隊に属することとなった。 古森さん「歴史ロンダリング」(その2) ATIS調査報告第120号 日本軍における各種アメニティー ,