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紺口 月葉(こむち つきは) 職業:プログラマー 女 年齢:26→27 誕生日 8月12日 STR 10 DEX 9 INT 14 アイデア 70 CON 14 APP 11 POW 8 幸 運 40 SIZ 13 SAN 48 EDU 14 知 識 70 H P 10 M P 14 回避 48 ダメージボーナス なし ―――――――――――――――――――――――――― [技能]応急手当 60 精神分析 71 図書館 55 電気修理 60 英語 41 経理 40 コンピューター 71 電子工学 71 ―――――――――――――――――――――――――― [参加セッション] 〆病院(GM:ユース&このいと) ちょっと被害妄想 疲れてる 警備会社に勤めている。 貧乏神と不運の神をいっぺんに養っているよう 人の話を聞かない(思い込みに支配されやすい) 好きな本は「フランダースの絹豆腐」と「ドキ☆パスタも絡まっちゃう惑星間ドタバタチキンレース」 趣味の技能はあくまで自分を守るため 本人が思っているほど運は悪くないはず 精神分析は、人の顔色を窺って生きてきた産物(窺ってる癖に読み間違えて、思い込んで暴走する迷惑な人)
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過去のC-909(C-909 of the Past) イラスト:ggori ★ Unique 「あら?ジン?授業終わったのにどうして学校に?」 ストーリー 夢で過去のC-909を見た契約者。彼女が俺を見て笑っている。うん?C-909が俺を見てジンと呼んでいる。 多分、俺が見るのと他の人が見る視点が同じみたいだ。これが話しに聞く憑依なのか? 俺が知っているC-909は悪魔に支配されたと聞いたが、今見つめる彼女からはそんな感じがしない。 うん?急に爆発音が聞こえて何も見えなくなった。な…何だ?! ステータス ランク コスト AP(Lv.1) DP(Lv.1) HP(Lv.1) AP(Lv.40) DP(Lv.40) HP(Lv.40) ★ 50 5150 0 7500 11000 0 18420 SWITCH ITEM 効果 黒のストッキング スキル発動率が 1% 増加する 固有オプション HPが 30% 増加する DPが 1000 増加する 取得方法 イベント【放課後教室】
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【名前】猪目道司 (イノメ・ミチツカ) 【性別】男 【年齢】54歳 【職業】バー『魔の巣』経営者 【身体的特徴】 小柄で中肉中背。卵形の丸っこい顔立ちで頭髪は短い。 【好きな事・もの】 お金、女、他人を支配すること 【嫌いな事・もの】 貧乏、惨めなこと、他人に威張られること 【特技】 人を騙すこと、交渉 【趣味】 女遊び 【備考】 連続殺人犯。 道司は幼少期に父親に虐待を受け、長じて「他人に支配されない為には、自分が他人を支配するのが一番良い」という人生観を持つに至る。 彼は一見すると、飲み屋でくだを巻いている様な、どこにでも居る人なつっこい助平親父のようであるが、常に他人の弱みを握ろうとし、かつ騙して支配して、ときには平然と殺す事が出来る、一種のサイコパスである。 店に来る客を騙して取り込み、ときには共犯として、ときには儲け話があると大金を用意させては奪って殺し、山奥で遺体を解体してはバーベキューにして焼いて処分していた。 確認されているだけで既に5人の被害者がおり、現在服役中。 以下、オリジナルキャラ・バトルロワイアル2nd(ver.2)におけるネタバレを含む 対応するregion、endregionプラグインが不足しています。対になるようプラグインを配置してください。 猪目道司の本ロワにおける動向 初登場話 004 ヒストリー・オブ・バイオレンス 死亡話 --- 登場話数 1話 スタンス マーダー 現在状況 本編での動向 キャラとの関係(最新話時点) キャラ名 関係 呼び方 解説 初遭遇話 溝呂木桐子 [[]] 聖澤めぐる 敵対 004 ヒストリー・オブ・バイオレンス 田崎紀夫 004 ヒストリー・オブ・バイオレンス
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作者:銀 【名前】響(ひびき)【性別】女【年齢】22歳【外見】長い黒髪に黒目。肌は白い。普段は下ろしているが、弓矢を使う時はポニーテール。背は高め。袴に下駄を履き、弓袋を背負っている。中身は長弓と矢筒。【性格】生真面目で融通がきかないときがある。大体真面目な顔をしていて、目がきりっとしているのできつい印象を持たれることもあるが、笑うと子供っぽく見える。弓の腕前はかなりのもの。歌がうまい。動物や小さくて可愛いもの・人が大好き。厳格な両親に育てられ、両親の意にそぐわない行動をしたり成績が悪かったりすると様々な罰を与えられたため、それが嫌でいい子をやっているうち、真面目すぎる性格に。制限の多い生活の中で、子供のころからやっていた弓と、数少ない友人に教わった歌がささやかな楽しみだったが、ある日それらすらも禁じられそうになる。このまま両親に支配されているような生活を送るか、家を出て自由な生活を送るか。散々迷った末に家を飛び出し、そのまま旅を始める。旅の途中で出会った犬のシゲが一番の親友。
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<目次> ■竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに我が国(日本)固有の領土です。■日本は古くから竹島の存在を認識していました。①日本は古くから竹島の存在を認識していました。 ■日本は、鬱うつりょうとう陵島に渡る船がかり及び漁ぎょさいち採地として竹島を利用し、遅くとも17世紀半ばには、竹島の領有権を確立しました。③日本は、鬱陵島に渡る船がかり及び漁採地として竹島を利用し、遅くとも17世紀半ばには、竹島の領有権を確立しました。 ■日本は、17世紀末、鬱陵島への渡航を禁止しましたが、竹島への渡航は禁止しませんでした。④日本は、17世紀末、鬱陵島への渡航を禁止しましたが、竹島への渡航は禁止しませんでした。 ■日本政府は、1905年、竹島を島根県に編入して、竹島を領有する意思を再確認しました。⑥日本政府は、1905年、竹島を島根県に編入して、竹島を領有する意思を再確認しました。 ■サンフランシスコ平和条約起草過程で、韓国は、日本が放棄すべき領土に竹島を含めるよう要請しましたが、米国は竹島が日本の管轄下にあるとして拒否しました。⑦サンフランシスコ平和条約起草過程で、韓国は、日本が放棄すべき領土に竹島を含めるよう要請しましたが、米国は竹島が日本の管轄下にあるとして拒否しました。 ■竹島は、1952年、在日米軍の爆撃訓練区域として指定されており、日本の領土として扱われていたことは明らかです。韓国側からは、我が国が竹島を実効的に支配し、領有権を確立する以前に、韓国が同島を実効的に支配していたことを示す明確な根拠は提示されていません。⑧竹島は、1952年、在日米軍の爆撃訓練区域として指定されており、日本の領土として扱われていたことは明らかです。 ■韓国側からは、我が国が竹島を実効的に支配し、領有権を確立する以前に、韓国が同島を実効的に支配していたことを示す明確な根拠は提示されていません。■韓国が古くから竹島を認識していたという根拠はありません。②韓国が古くから竹島を認識していたという根拠はありません。 ■韓国が自国の主張の根拠として用いている安龍福(アン・ヨンボク)の供述には、多くの疑問点があります。⑤韓国が自国の主張の根拠として用いている安龍福の供述には多くの疑問点があります。 ■韓国は竹島を不法占拠しており、我が国としては厳重に抗議をしています。■韓国は竹島を不法占拠しており、我が国としては厳重に抗議をしています。⑨韓国は竹島を不法占拠しており、我が国としては厳重に抗議をしています。 ■日本は竹島の領有権に関する問題を国際司法裁判所に付託することを提案していますが、韓国がこれを拒否しています。■日本は竹島の領有権に関する問題を国際司法裁判所に付託することを提案していますが、韓国がこれを拒否しています。⑩日本は竹島の領有権に関する問題を国際司法裁判所に付託することを提案していますが、韓国がこれを拒否しています。 ■※引用元 ■.情報提供やご意見などは、当wiki掲示板へ ■竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに我が国(日本)固有の領土です。 ■日本は古くから竹島の存在を認識していました。 ①日本は古くから竹島の存在を認識していました。 1. 現在の竹島は、我が国ではかつて「松島」と呼ばれ、逆に鬱陵島が「竹島」や「磯竹島」と呼ばれていました。 竹島や鬱陵島の名称については、ヨーロッパの探検家等による鬱陵島の測位の誤りにより一時的な混乱があったものの、我が国が「竹島」と「松島」の存在を古くから承知していたことは各種の地図や文献からも確認できます。 例えば、経緯線を投影した刊行日本図として最も代表的な長ながくぼ久保赤せきすい水の「改正日本輿よち地路ろてい程全図」(1779年初版)のほか、鬱陵島と竹島を朝鮮半島と隠岐諸島との間に的確に記載している地図は多数存在します。 ■日本は、鬱うつりょうとう陵島に渡る船がかり及び漁ぎょさいち採地として竹島を利用し、遅くとも17世紀半ばには、竹島の領有権を確立しました。 ③日本は、鬱陵島に渡る船がかり及び漁採地として竹島を利用し、遅くとも17世紀半ばには、竹島の領有権を確立しました。 1. 1618年(注)、鳥取藩伯ほうきのくに耆国米子の町人大おおや谷甚じんきち吉、村むらかわ川市いちべえ兵衛は、同藩主を通じて幕府から鬱陵島(当時の「竹島」)への渡海免許を受けました。 これ以降、両家は交替で毎年年1回鬱陵島に渡航し、あわびの採取、あしかの捕獲、竹などの樹木の伐採等に従事しました。 (注)1625年との説もあります。 2. 両家は、将軍家の葵あおいの紋を打ち出した船印をたてて鬱陵島で漁猟に従事し、採取したあわびについては将軍家等に献上するのを常としており、いわば同島の独占的経営を幕府公認で行っていました。 3. この間、隠岐から鬱陵島への道筋にある竹島は、航行の目標として途中の船がかりとして、また、あしかやあわびの漁獲の好地として自然に利用されるようになりました。 4. こうして、我が国は、遅くとも江戸時代初期にあたる17世紀半ばには、竹島の領有権を確立していたと考えられます。 5. なお、当時、幕府が鬱陵島や竹島を外国領であると認識していたのであれば、鎖国令を発して日本人の海外への渡航を禁止した1635年には、これらの島に対する渡航を禁じていたはずですが、そのような措置はなされませんでした。 ■日本は、17世紀末、鬱陵島への渡航を禁止しましたが、竹島への渡航は禁止しませんでした。 ④日本は、17世紀末、鬱陵島への渡航を禁止しましたが、竹島への渡航は禁止しませんでした。 1. 幕府より鬱陵島への渡航を公認された米子の大谷・村川両家は、約70年にわたり、他から妨げられることなく独占的に事業を行っていました。 2. 1692年、村川家が鬱陵島におもむくと、多数の朝鮮人が鬱陵島において漁採に従事しているのに遭遇しました。 また、翌年には、今度は大谷家が同じく多数の朝鮮人と遭遇したことから、安龍福、朴於屯(パク・オドゥン)の2名を日本に連れ帰ることとしました。 なお、この頃の朝鮮王朝は、同国民の鬱陵島への渡航を禁じていました。 3. 状況を承知した幕府の命を受けた対つしま馬藩(江戸時代、対朝鮮外交・貿易の窓口であった。)は、安と朴の両名を朝鮮に送還するとともに、朝鮮に対し、同国漁民の鬱陵島への渡航禁制を要求する交渉を開始しました。 しかし、この交渉は、鬱陵島の帰属をめぐって意見が対立し合意を得るに至りませんでした。 4. 対馬藩より交渉決裂の報告を受けた幕府は、1696年1月、朝鮮との友好関係を尊重して、日本人の鬱陵島への渡航を禁止することを決 定し、これを朝鮮側に伝えるよう対馬藩に命じました。 この鬱陵島の帰属をめぐる交渉の経緯は、一般に「竹島一件」と称されています。 5. その一方で、竹島への渡航は禁止されませんでした。 このことからも、当時から、我が国が竹島を自国の領土だと考えていたことは明らかです。 ■日本政府は、1905年、竹島を島根県に編入して、竹島を領有する意思を再確認しました。 ⑥日本政府は、1905年、竹島を島根県に編入して、竹島を領有する意思を再確認しました。 1. 今日の竹島において、あしかの捕獲が本格的に行われるようになったのは、1900年代初期のことでした。 しかし、間もなくあしかの捕獲は過当競争の状態となったことから、島根県隠岐島民の中なかいようざぶろう井養三郎は、その事業の安定を図るため、1904(明治37)年9月、内務・外務・農商務三大臣に対して「りやんこ島」(注)の領土編入及び10年間の貸し下げを願い出ました。 (注)「りやんこ島」は、竹島の洋名「リアンクール島」の俗称。当時、ヨーロッパの探検家の測量の誤りなどにより、鬱陵島が従来の「竹島」に加え「松島」とも呼ばれるようになり、現在の竹島は従来の「松島」とともに、「りやんこ島」と呼ばれるようになっていました。 2. 中井の出願を受けた政府は、島根県の意見を聴取の上、竹島を隠岐島庁の所管として差し支えないこと、「竹島」の名称が適当であるこ とを確認しました。 これをもって、1905(明治38)年1月、閣議決定によって同島を「隠おきのしまつかさ岐島司ノ所管」と定めるとともに、「竹島」と命名し、この旨を内務大臣から島根県知事に伝えました。 この閣議決定により、我が国は竹島を領有する意思を再確認しました。 3. 島根県知事は、この閣議決定及び内務大臣の訓令に基づき、1905(明治38)年2月、竹島が「竹島」と命名され隠岐島司の所管となった旨を告示するとともに、隠岐島庁に対してもこれを伝えました。 なお、これらは当時の新聞にも掲載され広く一般に伝えられました。 4. また、島根県知事は、竹島が「島根県所属隠岐島司ノ所管」と定められたことを受け、竹島を官有地台帳に登録するとともに、あしかの捕獲を許可制としました。 あしかの捕獲は、その後、第二次世界大戦によって1941(昭和16)年に中止されるまで続けられました。 5. 朝鮮では、1900年の「大韓帝国勅ちょくれい令41号」により、鬱陵島を鬱島と改称するとともに島監を郡守とする旨公布した記録があるとされています。 そして、この勅令の中で、鬱陵郡が管轄する地域を「鬱陵全島と竹島、石島」と規定しており、この「竹島」は鬱陵島の近傍にある「竹ちくしょ嶼」という小島であるものの、「石島」はまさに現在の「独島」を指すと指摘する研究者もいます。 その理由は、韓国の方言で「トル(石)」は「トク」とも発音され、これを発音どおりに漢字に直せば「独島(トクド)」につながるためというものです。 6. しかし、「石島」が今日の竹島(「独島」)であるならば、なぜ勅令で「独島」が使われなかったのか、また、韓国側が竹島の旧名称であると主張する「于山島」等の名称が使われなかったのか、また、「独島」という呼び名はいつからどのように使われるようになったのか、という疑問が生じます。 7. いずれにせよ、仮にこの疑問が解消された場合であっても、同勅令の公布前後に、朝鮮が竹島を実効的に支配してきたという事実はなく、韓国による竹島の領有権は確立していなかったと考えられます。 ■サンフランシスコ平和条約起草過程で、韓国は、日本が放棄すべき領土に竹島を含めるよう要請しましたが、米国は竹島が日本の管轄下にあるとして拒否しました。 ⑦サンフランシスコ平和条約起草過程で、韓国は、日本が放棄すべき領土に竹島を含めるよう要請しましたが、米国は竹島が日本の管轄下にあるとして拒否しました。 1. 1951(昭和26)年9月に署名されたサンフランシスコ平和条約は、日本による朝鮮の独立承認を規定するとともに、日本が放棄すべき地域として「済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮」と規定しました。 2. この部分に関する米英両国による草案内容を承知した韓国は、同年7月、梁(ヤン)駐米韓国大使からアチソン米国務長官宛の書簡を提出しました。 その内容は、「我が政府は、第2条a項の『放棄する』という語を『(日本国が)朝鮮並びに済州島、巨文島、鬱陵島、独島及びパラン島を含む日本による朝鮮の併合前に朝鮮の一部であった島々に対するすべての権利、権原及び請求権を1945年8月9日に放棄したことを確認する。』に置き換えることを要望する。」というものでした。 3. この韓国側の意見書に対し、米国は、同年8月、ラスク極東担当国務次官補から梁大使への書簡をもって以下のとおり回答し、韓国側の主張を明確に否定しました。 「 ・・・合衆国政府は、1945年8月9日の日本によるポツダム宣言受諾が同宣言で取り扱われた地域に対する日本の正式ないし最終的な主権放棄を構成するという理論を(サンフランシスコ平和)条約がとるべきだとは思わない。ドク島、または竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐島支庁の管轄下にある。この島は、かつて朝鮮によって領有権の主張がなされたとは見られない。・・・・」 これらのやり取りを踏まえれば、竹島は我が国の領土であるということが肯定されていることは明らかです。 4. また、ヴァン・フリート大使の帰国報告(10.参照)にも、竹島は日本の領土であり、サンフランシスコ平和条約で放棄した島々には含まれていないというのが米国の結論であると記されています。 ■竹島は、1952年、在日米軍の爆撃訓練区域として指定されており、日本の領土として扱われていたことは明らかです。韓国側からは、我が国が竹島を実効的に支配し、領有権を確立する以前に、韓国が同島を実効的に支配していたことを示す明確な根拠は提示されていません。 ⑧竹島は、1952年、在日米軍の爆撃訓練区域として指定されており、日本の領土として扱われていたことは明らかです。 1. 我が国がいまだ占領下にあった1950(昭和25)年7月、連合国総司令部は、連合国総司令部覚おぼえがき書(SCAPIN)第2160号をもって、竹島を米軍の海上爆撃演習地区として指定しました。 2. 1952(昭和27)年7月、米軍が引き続き竹島を訓練場として使用することを希望したことを受け、日米行政協定(注:旧日米安保条約に基づく取極。現在の日米地位協定に引き継がれる。)に基づき、同協定の実施に関する日米間の協議機関として設立された合同委員会は、在日米軍の使用する爆撃訓練区域の一つとして竹島を指定するとともに、外務省はその旨を告こくじ示しました。 3. 日米行政協定によれば、合同委員会は「日本国内の施設又は区域を決定する協議機関として任務を行う。」とされていました。 したがって、竹島が合同委員会で協議され、かつ、在日米軍の使用する区域としての決定を受けたということは、とりも直さず竹島が日本の領土であることを示しています。 ■韓国側からは、我が国が竹島を実効的に支配し、領有権を確立する以前に、韓国が同島を実効的に支配していたことを示す明確な根拠は提示されていません。 ■韓国が古くから竹島を認識していたという根拠はありません。 ②韓国が古くから竹島を認識していたという根拠はありません。 1. 韓国が古くから竹島を認識していたという根拠はありません。 例えば、韓国側は、朝鮮の古文献『三国史記』(1145年)、『世せそう宗実録地理誌』(1454年)や『新しんぞう増東とうごく国輿よち地勝しょうらん覧』(1531年)、『東とうごく国文献備考』(1770年)、『萬ばんき機要覧』(1808年)、『増ぞうほ補文献備考』(1908年)などの記述をもとに、「鬱陵島」と「于山島」という二つの島を古くから認知していたのであり、その「于山島」こそ、現在の竹島であると主張しています。 2. しかし、『三国史記』には、于山国であった鬱陵島が512年に新羅に帰属したとの記述はありますが、「于山島」に関する記述はありません。 また、朝鮮の他の古文献中にある「于山島」の記述には、その島には多数の人々が住み、大きな竹を産する等、竹島の実状に見合わないも のがあり、むしろ、鬱陵島を想起させるものとなっています。 3. また、韓国側は、『東国文献備考』、『増補文献備考』、『萬機要覧』に引用された『輿よちし地志』(1656年)を根拠に、「于山島は日本のいう松島(現在の竹島)である」と主張しています。 これに対し、『輿地志』の本来の記述は、于山島と鬱陵島は同一の島としており、『東国文献備考』等の記述は『輿地志』から直接、正しく引用されたものではないと批判する研究もあります。 その研究は、『東国文献備考』等の記述は安龍福の信しんぴょうせい憑性の低い供述(5.参照)を無批判に取り入れた別の文献(『彊きょうかいこう界考』(『彊界誌』)、1756年)を底本にしていると指摘しています。 4. なお、『新増東国輿地勝覧』に添付された地図には、鬱陵島と「于山島」が別個の2つの島として記述されています。 もし、韓国側が主張するように「于山島」が竹島を示すのであれば、この島は、鬱陵島の東方に、鬱陵島よりもはるかに小さな島として描かれるはずです。 しかし、この地図における「于山島」は、鬱陵島とほぼ同じ大きさで描かれ、さらには朝鮮半島と鬱陵島の間(鬱陵島の西側)に位置している等、全く実在しない島であることがわかります。 ■韓国が自国の主張の根拠として用いている安龍福(アン・ヨンボク)の供述には、多くの疑問点があります。 ⑤韓国が自国の主張の根拠として用いている安龍福の供述には多くの疑問点があります。 1. 幕府が鬱陵島へ渡航を禁じる決定をした後、安龍福は再び我が国に渡来しました。 この後、再び朝鮮に送還された安龍福は、鬱陵島への渡航の禁制を犯した者として朝鮮の役人に取調べを受けますが、この際の安龍福の供述は、現在の韓国による竹島の領有権の主張の根拠の一つとして引用されることになります。 2. 韓国側の文献によれば、安龍福は、来日した際、鬱陵島及び竹島を朝鮮領とする旨の書しょけい契を江戸幕府から得たものの、対馬の藩主がその書契を奪い取ったと供述したとされています。 しかし、日本側の文献によれば、安龍福が1693年と1696年に来日した等の記録はありますが、韓国側が主張するような書契を安龍福に与えたという記録はありません。 3. さらに、韓国側の文献によれば、安龍福は、1696年の来日の際に鬱陵島に多数の日本人がいた旨述べたとされています。 しかし、この来日は、幕府が鬱陵島への渡航を禁じる決定をした後のことであり、当時、大谷・村川両家はいずれも同島に渡航していませんでした。 4. 安龍福に関する韓国側文献の記述は、同人が、国禁を犯して国外に渡航し、その帰国後に取調べを受けた際の供述によったものです。 その供述には、上記に限らず事実に見合わないものが数多く見られますが、それらが、韓国側により竹島の領有権の根拠の一つとして引用されてきています。 ■韓国は竹島を不法占拠しており、我が国としては厳重に抗議をしています。 ■韓国は竹島を不法占拠しており、我が国としては厳重に抗議をしています。 ⑨韓国は竹島を不法占拠しており、我が国としては厳重に抗議をしています。 1. 1952(昭和27)年1月、李承晩韓国大統領は「海洋主権宣言」を行って、いわゆる「李承晩ライン」を国際法に反して一方的に設定し、そのライン内に竹島を取り込みました。 2. 1953(昭和28)年3月、日米合同委員会で竹島の在日米軍の爆撃訓練区域からの解除が決定されました。 これにより、竹島での漁業が再び行われることとなりましたが、韓国人も竹島やその周辺で漁業に従事していることが確認されました。 同年7月には、不法漁業に従事している韓国漁民に対し竹島から撤去するよう要求した海上保安庁巡視船が、韓国漁民を援護していた韓国官憲によって銃撃されるという事件も発生しました。 3. 翌1954(昭和29)年6月、韓国内務部は韓国沿岸警備隊の駐留部隊を竹島に派遣したことを発表しました。 なお、同年8月には、竹島周辺を航行中の海上保安庁巡視船が同島から銃撃され、これにより韓国の警備隊が竹島に駐留していることが確認されました。 4. 韓国側は、現在も引き続き警備隊員を常駐させるとともに、宿舎や監視所、灯台、接岸施設等を構築しています。 5. 韓国による竹島の占拠は、国際法上何ら根拠がないまま行われている不法占拠であり、韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行ういかなる措置も法的な正当性を有するものではありません。 このような行為は、竹島の領有権をめぐる我が国の立場に照らして決して容認できるものではなく、竹島をめぐり韓国側が何らかの措置等を行うたびに厳重な抗議を重ねるとともに、その撤回を求めてきています。 ■日本は竹島の領有権に関する問題を国際司法裁判所に付託することを提案していますが、韓国がこれを拒否しています。 ■日本は竹島の領有権に関する問題を国際司法裁判所に付託することを提案していますが、韓国がこれを拒否しています。 ⑩日本は竹島の領有権に関する問題を国際司法裁判所に付託することを提案していますが、韓国がこれを拒否しています。 1. 我が国は、韓国による「李承晩ライン」の設定以降、韓国側が行う竹島の領有権の主張、漁業従事、巡視船に対する射撃、構築物の設置等につき、累次にわたり抗議を積み重ねました。 そして、この問題の平和的手段による解決を図るべく、1954(昭和29)年9月、口上書をもって竹島の領有権問題を国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案しましたが、同年10月、韓国はこの提案を拒否しました。 また、1962(昭和37)年3月の日韓外相会談の際にも、小坂善太郎外務大臣より崔徳新韓国外務部長官に対し、本件問題を国際司法裁判所に付託することを提案しましたが、韓国はこれを受け入れず、現在に至っています。 2. 国際司法裁判所は、紛争の両当事者が同裁判所において解決を求めるという合意があって初めて動き出すという仕組みになっています。 したがって、仮に我が国が一方的に提訴を行ったとしても、韓国側がこれに応ずる義務はなく、韓国が自主的に応じない限り国際司法裁判所の管轄権は設定されないこととなります。 3. 1954年に韓国を訪問したヴァン・フリート大使の帰国報告(1986年公開)には、米国は、竹島は日本領であると考えているが、本件を国際司法裁判所に付託するのが適当であるとの立場であり、この提案を韓国に非公式に行ったが、韓国は、「独島」は鬱陵島の一部であると反論したとの趣旨が記されています。 ■※引用元 外務省HP竹島問題を理解するための10のポイント(日本語版※PDF) ■.情報提供やご意見などは、当wiki掲示板へ あなたが日本の危機に気が付いたきっかけは? 一言コメント掲示板です。何をきっかけにして危機的状況なのに気が付いたか是非どうぞ。 あなたが受けた反日教育は? 一言掲示板です。今思うと、あれって反日教育だったな?って思う事を情報共有も兼ねて書き込んで下さい。 国民が知らない~wiki避難所 ※外部掲示板です。突っ込んだ議論や情報提供、編集に関する事等なんでも書けるスレッド型掲示板です。
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以前書いた真田×女伊達の続きですが多分単品でも問題ないかと。 本物の伊達政宗は謀殺され、妹が代わりとして世に出てる、というトンデモ設定 小十郎が変態。みじめったらしい人と化してます 政宗はえらく華奢というか儚い人になってしまってます。メリケン語も少なめ 強姦ものなので苦手な人は華麗にスルーしてください。 オリジナルとして愛姫登場。 笑顔の裏で舌を出してそうな狸娘なので苦手な人はこれも華麗にスルーしてください どうしよう、小十郎。 そう縋り付いてきた手を、片倉小十郎は支えた。 真田にばれた。どうしよう。 殺すしかないのか。それとも黙っていてくれるのか。 怯える表情はまだあどけなさを残した娘のもので、この方もやはり年頃の女性なのだな、などと 場違いなことを考えてしまった。かたかたと震える細い肩。 白い頬は蒼白といってもよく、閉じることを忘れた唇から漏れる息は荒かった。 懐剣を渡したのは小十郎だった。天網恢々(てんもうかいかい)疎(そ)にして漏らさず。 どのような悪事もいずればれる。けれど、遅らせることならできるはず。 伊達家の家紋が入った懐剣をひしと抱きしめる姿を見て、小十郎は笑みを浮かべた。 それがじわりと滲む黒い感情に支配された笑みであることに、政宗も小十郎本人でさえも気づくことはなかった。 小十郎×伊達♀2
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タイホ1 (据え膳あれど)言えます。 タイホされる2 8/2アプデ 新クエスト 新キャラ 新リサーチ 次回 ネタがあれば
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テキストドメイン [campaign] キャンペーンで読み込むフォルダの指定 出来上がった _main.cfg 本家関連ページ Buildingcampaignsthecampaignfile CampaignWML 「本当に」動くだけなら前章でよいのですが、_main.cfg ファイルは、他にもキャンペーンの基本的な情報を含めなければなりません。 おそらくキャンペーンを作ったらゆくゆくは他の人にもプレイしてもらいたくなると思います。そのときのために正しい _main.cfg の書き方を理解しておきましょう。 では、順を追って解説してゆきます。 テキストドメイン まずは、テキストドメイン(Text Domain)です。 よくわかりませんが、テキストドメインはプログラムなどを翻訳する際にあらかじめ指定する必要があるもののようです。 Wesnoth も含めコンピュータの世界では英語が標準ですが、日本語環境のパソコンでは多くのプログラムが日本語で使えるのは、Text Domain のおかげのようです。 #textdomain wesnoth-small_campaign [textdomain] name="wesnoth-small_sampaign" path="data/add-ons/small_sampaign/translations" [/textdomain] 1行目で、このキャンペーンが所属しているテキストドメインを表示します。#textdomain のあとには、4行目の name で指定したのと同じ文字を入れておきます。 3行目、6行目 [textdomain] タグで、「ここはテキストドメインを指定していますよ」と宣言します。 4行目 name でこのキャンペーンのテキストドメインを指定します。このとき先頭に wesnoth- をつけるのがお約束です。 その後ろには素直にキャンペーン名をつけましょう。 5行目には、翻訳ファイルの置き場を指定します。通常は、_main.cfg や scenarios フォルダと同じ階層に translations フォルダを配置します。別の場所を指定することもできますが、こんなところで個性を発揮してもしょうがないので、郷に入っては郷に従いましょう。 [campaign] [campaign] タグを書き、いろいろな情報を記述します。 [campaign] id=small campaign name= _ "small campaign" abbrev= _ "SmlC" define=CAMPAIGN_SMALL_CAMPAIGN icon=a_wesnoth_icon.png image= small_campaign_logo.png description= _ "This is a very small campaign." difficulties=EASY,NORMAL,HARD difficulty_descriptions={MENU_IMG_TXT2 * units/human-loyalists/peasant.png~TC(1,magenta) _"Civilian" _"(trivial)"} + ";" + {MENU_IMG_TXT2 units/human-loyalists/spearman.png~TC(1,magenta) _"Soldier" _"(simple)"} + ";" + {MENU_IMG_TXT2 units/human-loyalists/pikeman.png~TC(1,magenta) _"Veteran" _"(easy)"} first_scenario=small [/campaign] なにやら急に書くことがたくさんになってしまいましたが、少しずつ見て行きましょう。 #textdomain wesnoth-small_campaign ここにもなぜか Text Domain が出てきます。とにかく、前章の name で指定したのと同じにしておきましょう。 id=small campaign 読んでそのまま、キャンペーンの ID です。パソコンがキャンペーンを認識するためのものです。 name= _ "small campaign" こちらは、画面に表示されるキャンペーン名です。id がパソコンのためなのに対して、こちらはプレイヤー用です。 名前の前に _ がついていることから「翻訳可能」であることがわかります。 abbrev= _ "SmlC" キャンペーンの略称です。ゲームを再開するときに、シナリオ名の前についてきます。通常3〜4文字程度で、他のキャンペーンとダブらないようにしましょう。 define=CAMPAIGN_SMALL_CAMPAIGN キャンペーンを定義しているようです。 例のように CAMPAIGN_ のあとにキャンペーン名をすべて大文字にして、単語間は _ でつなげて書いておきましょう なんのためにあるのかよくわかりませんが、これがないと動かないらしいです。 icon=a_wesnoth_icon.png アドオンサーバからダウンロードするときや、ゲームで新規キャンペーンをはじめるときにキャンペーン名の左側に表示されるアイコンです。必ずはじめからゲームに入っている画像を指定します。自作のアイコンを使いたいと思っても現状では対応してません。 必須ではありません。 image= small_campaign_logo.png 新規でキャンペーンを初めるときに、キャンペーン名をクリックすると、解説と一緒に表示される画像です。 パスを指定することで、既存の画像でも、自作の画像でも使用できます。 必須ではないので、なしでも構いません。 description= _ "This is a very small campaign." 新規でキャンペーンを初めるときに、キャンペーン名をクリックすると、表示される解説です。 どんなキャンペーンなのかを簡単に書いておきましょう。(翻訳可能) difficulties=EASY,NORMAL,HARD difficulty_descriptions={MENU_IMG_TXT2 * units/human-loyalists/peasant.png~TC(1,magenta) _"Peasant" _"(easy)"} + ";" + {MENU_IMG_TXT2 units/human-loyalists/spearman.png~TC(1,magenta) _"psearman" _"(noamal)"} + ";" + {MENU_IMG_TXT2 units/human-loyalists/pikeman.png~TC(1,magenta) _"pikeman" _"(hard)"} difficulties で、難易度の種類を表示します。通常は EASY,NORMAL,HARD の3種類です。難易度が2種類でもよいです。難易度そのものがない場合は、記述不要です。 なお、すべて大文字なのは、コンピュータに認識させる文字であることをしてしていると思われます。小文字で書いたりすると不具合があるかもしれません。 difficulty_descriptions で難易度に応じたユニットの画像や表示を指定します。3行あるのはそれぞれ EASY,NORMAL,HARD に対応しています。 1行目の units/human-loyalists/peasant.png を任意のユニットのパスに変更します(残りの2行も同様)。 1行目の _"Peasant" を適当な役職にします。面倒ならユニット名をそのまま使いましょう(残りの2行も同様)。 1行目の _"easy" はこのままでよいです。"novice" など他の呼び名にしてもよいです。 {MENU_IMG_TXT2 、 * 、 ~TC(1,magenta) 、 ";" + の辺りはそのままにしておきましょう。 改行も例の通りにしておきましょう。 つまりいじるのは、ユニット画像へのパスと "" で囲まれた中だけです。 first_scenario=small キャンペーンの最初のシナリオの ID を指定します。シナリオファイル名ではないので注意してください。 (なお、本家wiki では、[campaign] タグ内に #textdomain がありますが、一般的ではありません。) キャンペーンで読み込むフォルダの指定 アドオンキャンペーンでは、シナリオやマップなどがフォルダごとにまとめられてますので、そのフォルダへのパスを指定します。 #ifdef CAMPAIGN_SMALL_CAMPAIGN {~add-ons/small_campaign/scenarios} {~add-ons/small_campaign/maps} #(実際には、各シナリオファイル内でマップへのパスを指定しているので、不要だと思われる。) #endif #ifdef は作者が独自に何かを定義するときに使います。必ず最後の #endif とセットになります。 #ifdef の後ろには、[campaign] タグ内の define の行と同じ言葉を書いておきましょう。 { } の中には、キャンペーンで読み込むフォルダのパスを書きます。 とりあえず、今回は、シナリオとマップのフォルダへのパスだけを記述しておきます。独自のユニットやマクロがあるときには、さらに追加していきます(なお、ユニットの追加はちょっと特殊なので気をつけてください。)。 出来上がった _main.cfg #textdomain wesnoth-small_campaign [textdomain] name="wesnoth-small_sampaign" path="data/add-ons/small_sampaign/translations" [/textdomain] [campaign] id=small campaign name= _ "small campaign" abbrev= _ "SmlC" define=CAMPAIGN_SMALL_CAMPAIGN icon=a_wesnoth_icon.png image= small_campaign_logo.png description= _ "This is a very small campaign." difficulties=EASY,NORMAL,HARD difficulty_descriptions={MENU_IMG_TXT2 * units/human-loyalists/peasant.png~TC(1,magenta) _"Civilian" _"(trivial)"} + ";" + {MENU_IMG_TXT2 units/human-loyalists/spearman.png~TC(1,magenta) _"Soldier" _"(simple)"} + ";" + {MENU_IMG_TXT2 units/human-loyalists/pikeman.png~TC(1,magenta) _"Veteran" _"(easy)"} first_scenario=small [/campaign] #ifdef CAMPAIGN_SMALL_CAMPAIGN {~add-ons/small_campaign/scenarios} {~add-ons/small_campaign/maps} #endif シナリオファイルを修正するへ
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【登録タグ 】 【タイトル】王女コスモスを救え! 【概要】パラレルワールド レジェンドオブランドと呼ばれた世界で、 パラメキア皇帝軍に支配された平和だった王国を取り戻すべく、 今ここにウォーリアオブライト率いる光の戦士達が立ち上がる! 【対象】ファンタジー風クエスト ファンタジー系なお話がお好きな方。 【バトル】ウォーリアオブライトで、皇帝、ガーランドとバトル。 カスタマイズは固定、Lv100。 クエストを始める前に、カスタマイズ画面でアビリティ、 装備品などを確認して頂くことをオススメします。 難易度は少し高め、かもしれません。 ※(勝ち抜き戦なので、最初の皇帝戦は HPを多く残した状態で勝利すると 次のガーランド戦が楽になります。) 【作者より】………メインは戦闘ではなく、あくまでお話なので 楽しんで頂けたら光栄です。 【コード】0000-1032-7621-6806 【作者名】ロクサス 【後任作者】リンク・バレンテン コード 1052-4334-9453 コメント 名前 コメント
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【マスター】 塔和モナカ@絶対絶望少女 ダンガンロンパ Another Episode 【マスターとしての願い】 聖杯戦争を引っ掻き回す。後はなるようになるなる! 【weapon】 ルーラーの宝具『絶望の象徴(モノクマシリーズ)』を一部使用可能。 【能力・技能】 『超小学生級の学活の時間』という才能。 カリスマというよりも人心掌握、マインドコントロールに近い才能で、特に子供に対してよく効く。 また非常に高いハッキングの技術も持つ。彼女いわく『魔法』。 【人物背景】 希望の戦士を名乗り、塔和シティを子供に支配された地獄へ変えた張本人であり黒幕。 希望の戦士の中で最も強い悪意を持ち、彼女は最後まで改心することがなかった。 本編終了後は召使いの青年によって『超高校級の絶望』を継ぐ者となるべく教育を受け、そこで忌み嫌っていた『大人』になってしまう。 ……が、今回は彼女がそうなる前に呼ばれているため、精神性は絶対絶望少女の頃のまま。