約 3,247,506 件
https://w.atwiki.jp/asianmystery/pages/224.html
2013年6月22日 最終更新:2014年7月31日 ※ページタイトルは「非英語圏作品一覧」としたが、中南米やアフリカ、アジアの作家(およびアジア系の作家)が英語で書いたミステリも含む。 Index フランス・ベルギー ドイツ・スイス イタリア 北欧 中南米 アフリカ アジア フランス・ベルギー フランス語で書かれたミステリの邦訳。 16 ジョルジュ・シムノン メグレ罠を張る 峯岸久 1976年4月 HM16-1 ポケミス408 メグレと老婦人 日影丈吉 1976年11月 HM16-2 ポケミス622 31 ボアロー&ナルスジャック 影の顔 三輪秀彦 1976年8月 HM31-1 ポケミス475 死者の中から 日影丈吉 1977年6月 HM31-2 ポケミス278 悪魔のような女 北村太郎 1996年7月 HM31-3 ポケミス130 44 シャルル・エクスブライヤ 死体をどうぞ 三輪秀彦 1977年3月 HM44-1 ポケミス925 58 ガストン・ルルー 黄色い部屋の秘密 日影丈吉 1978年8月 HM58-1 ポケミス237 黒衣夫人の香り 日影丈吉 1979年3月 HM58-2 ポケミス238 オペラ座の怪人 日影丈吉 1989年5月 HM58-3 79 ミシェル・グリゾリア 海の警部 篠原義近 1982年3月 HM79-1 1978年ミステリ批評家賞 殺人海岸 佐宗鈴夫 1982年7月 HM79-2 82 ルイ・C・トーマ 死のミストラル 岡村孝一 1982年7月 HM82-1 ポケミス1267 / 1976年ミステリ批評家賞 92 J・P・マンシェット 危険なささやき 藤田宜永 1983年10月 HM92-1 173 レイモン・マルロー 春の自殺者 岡村孝一 1992年7月 HM173-1 ポケミス1258 213 ブリジット・オベール マーチ博士の四人の息子 堀茂樹、藤本優子 1997年2月 HM213-1 森の死神 香川由利子 1997年6月 HM213-2 1997年フランス推理小説大賞 鉄の薔薇 堀茂樹 1997年10月 HM213-3 ジャクソンヴィルの闇 香川由利子 1998年4月 HM213-4 カリブの鎮魂歌 藤本優子 1999年10月 HM213-5 闇が嚙む 香川由利子 2000年3月 HM213-6 雪の死神 香川由利子 2002年2月 HM213-7 異形の花嫁 藤本優子 2003年5月 HM213-8 死の仕立屋 香川由利子 2004年6月 HM213-9 神のはらわた 香川由利子 2006年5月 HM213-10 247 トニーノ・ベナキスタ 夜を喰らう 藤田真利子 2001年4月 HM247-1 266 ミシェル・クレスピ 首切り 山中芳美 2002年7月 HM266-1 2001年フランス推理小説大賞 280 ドミニク・ディアンス プティ・ベーゼ 山中芳美 2003年8月 HM280-1 292 ティエリー・ジョンケ 蜘蛛の微笑 平岡敦 2004年6月 HM292-1 私が、生きる肌 平岡敦 2012年4月 HM292-2 【『蜘蛛の微笑』改題・新装版】 312 モーリス・ルブラン 怪盗紳士ルパン 平岡敦 2005年9月 HM312-1 カリオストロ伯爵夫人 平岡敦 2005年8月 HM312-2 奇岩城 平岡敦 2006年5月 HM312-3 水晶の栓 平岡敦 2007年2月 HM312-4 ルパン、最後の恋 平岡敦 2013年5月 HM312-5 ポケミス1863 313 フィリップ・ベッソン ぼくは死んでいる 稲松三千野 2005年9月 HM313-1 400 カミ 機械探偵クリク・ロボット 高野優 2014年2月 HM400-1 ポケミス1837 フランス・ミステリのアンソロジー HM102-1 ジョルジュ・シムノン他『フランス・ミステリ傑作選1 街中の男』(長島良三編、ハヤカワ・ミステリ文庫、1985年4月) - 11編収録「街中の男」ジョルジュ・シムノン(長島良三訳) 「犬」ボアロー&ナルスジャック(長島良三訳) 「トンガリ山の穴奇譚」カミ(堀内一郎訳) 「見えない眼」スタニスラス=アンドレ・ステーマン(武田満里子訳) 「七十万個の赤蕪」ピエール・ヴェリ(篠原義近訳) 「羊頭狗肉」フランシス・ディドロ(川口美樹子訳) 「悪い遺伝」フレデリック・ダール(長島良三訳) 「壁の中の声」ミシェル・グリゾリア(篠原義近訳) 「つき」ルイ・C・トーマ(長島良三訳) 「殺人あ・ら・かると」フランソワーズ・サガン(長島良三訳) 「自殺ホテル」アンドレ・モロワ(長島良三訳) HM102-2 カトリーヌ・アルレー他『フランス・ミステリ傑作選2 心やさしい女』(長島良三編、ハヤカワ・ミステリ文庫、1985年5月) - 10編収録「ロドルフと拳銃」ノエル・カレフ(野口雄司訳) 「階段に警官がいる」トーマ・ナルスジャック(堀内一郎訳) 「対案」ピエール・ボアロー(佐々木善郎) 「ピエトルモンの夜」クロード・アブリーヌ(篠原義近訳) 「すてきな片隅」ローラン・トポール(篠原義近訳) 「甘い、甘いミュージック」クロード・シャブロール(長島良三訳) 「罠」ジルベール・タニュジ(谷亀利一訳) 「葬送爆弾」ジャン・フランソワ・コートムール(篠原義近訳) 「心やさしい女」カトリーヌ・アルレー(長島良三訳) 「金の斧」ガストン・ルルー(川口美樹子訳) おまけ:ハヤカワ文庫NVのフランス・ミステリ ルネ・ベレット『わが体内の殺人者』(高野優訳、ハヤカワ文庫NV、1992年5月) ジャック・ミリエズ『人類博物館の死体』(香川由利子訳、ハヤカワ文庫NV、2009年10月) - 2008年フランス冒険小説大賞 フランク・ティリエ『シンドロームE』【上下巻】(平岡敦訳、ハヤカワ文庫NV、2011年11月) 『GATACA』【上下巻】(平岡敦訳、ハヤカワ文庫NV、2013年5月) ドイツ・スイス ドイツ語で書かれたミステリの邦訳。 263 フリードリッヒ・デュレンマット(スイス) 約束 前川道介 2002年5月 HM263-1 ポケミス593 380 ゾラン・ドヴェンカー(ドイツ) 謝罪代行社 【上下巻】 小津薫 2011年8月 HM380-1,2 ポケミス1850 ※ポケミス版と同時発売 2010年フリードリヒ・グラウザー賞 おまけ:ハヤカワ文庫NVのドイツ・ミステリ アキフ・ピリンチ『猫たちの聖夜』(池田香代子訳、ハヤカワ文庫NV、1997年11月) ※文庫化 ザビーネ・ティースラー『チャイルド・コレクター』【上下巻】(小津薫訳、ハヤカワ文庫NV、2008年1月) フランク・シェッツィング『深海のYrr(イール)』【上中下巻】(北川和代訳、ハヤカワ文庫NV、2008年4月) - 2005年ドイツ・ミステリ大賞第2位 『黒のトイフェル』【上下巻】(北川和代訳、ハヤカワ文庫NV、2009年2月) 『砂漠のゲシュペンスト』【上下巻】(北川和代訳、ハヤカワ文庫NV、2009年8月) 『LIMIT(リミット)』【全4巻】(北川和代訳、ハヤカワ文庫NV、2010年6月-7月) 『沈黙への三日間』【上下巻】(北川和代訳、ハヤカワ文庫NV、2011年3月) イタリア イタリア語で書かれたミステリの邦訳。 286 マルチェロ・フォイス 弁護士はぶらりと推理する 草皆伸子 2004年1月 HM286-1 中編(短めの長編)2編収録(『いかなるときでも心地よきもの』、『空から降る血』)。『いかなるときでも心地よきもの』は1998年シェルバネンコ・ミステリ大賞受賞、2003年英国推理作家協会(CWA)エリス・ピーターズ賞(最優秀歴史ミステリ賞)ノミネート。 おまけ:ハヤカワ文庫NVのイタリア・ミステリ ルカ・ディ・フルヴィオ『ディオニュソスの階段』【上下巻】(飯田亮介訳、ハヤカワ文庫NV、2007年9月) 北欧 北欧の言語で書かれたミステリの邦訳。 354 オーサ・ラーソン(スウェーデン) オーロラの向こう側 松下祥子 2008年8月 HM354-1 赤い夏の日 松下祥子 2008年10月 HM354-2 黒い氷 松下祥子 2009年5月 HM354-3 373 ラーシュ・ケプレル(スウェーデン) 催眠 【上下巻】 ヘレンハルメ美穂 2010年7月 HM373-1,2 契約 【上下巻】 ヘレンハルメ美穂 2011年7月 HM373-3,4 交霊【上下巻】 岩澤雅利、羽根由 2013年12月 HM373-5,6 381 スティーグ・ラーソン(スウェーデン) ミレニアム 1 ドラゴン・タトゥーの女 【上下巻】 ヘレンハルメ美穂、岩澤雅利 2011年9月 HM381-1,2 文庫化 ミレニアム 2 火と戯れる女 【上下巻】 ヘレンハルメ美穂、山田美明 2011年11月 HM381-3,4 文庫化 ミレニアム 3 眠れる女と狂卓の騎士 【上下巻】 ヘレンハルメ美穂、岩澤雅利 2011年12月 HM381-5,6 文庫化 384 サラ・ブレーデル(デンマーク) 見えない傷痕 高山真由美 2012年8月 HM384-1 385 ユッシ・エーズラ・オールスン(デンマーク) 特捜部Q 檻の中の女 吉田奈保子 2012年10月 HM385-1 ポケミス1848 特捜部Q キジ殺し 吉田薫、福原美穂子 2013年4月 HM385-2 ポケミス1853 特捜部Q Pからのメッセージ 吉田薫、福原美穂子 2013年12月 HM385-3,4 ポケミス1860 390 ヨハン・テオリン(スウェーデン) 黄昏に眠る秋 三角和代 2013年3月 HM390-1 ポケミス1846 398 ヴィヴェカ・ステン(スウェーデン) 静かな水のなかで 三谷武司 2013年11月 HM398-1 夏の陽射しのなかで 三谷武司 2014年1月 HM398-2 煌めく氷のなかで 三谷武司 2014年3月 HM398-3 405 アンデシュ・デ・ラ・モッツ(スウェーデン) 監視ごっこ 真崎義博 2014年7月 HM405-1 おまけ:ハヤカワ文庫NVの北欧ミステリ A・J・カジンスキー(デンマーク)『ラスト・グッドマン』【上下巻】(岩澤雅利訳、ハヤカワ文庫NV、2012年6月) 北欧関連の英語作品(ハヤカワ・ミステリ文庫) デイヴィッド・ヒューソン『キリング』全4巻(山本やよい訳、HM388-1,2,3,4、2013年1月~4月)デンマークの大ヒットミステリドラマをイギリスのミステリ作家が小説化したもの。(他出版社で「デヴィッド・ヒューソン」表記の著書あり) 中南米 241 ホセ・ラトゥール(キューバ) 追放者 酒井武志 2001年2月 HM241-1 原語:英語 2000年エドガー賞最優秀ペーパーバック賞ノミネート ハバナ・ミッドナイト 山本さやか 2003年3月 HM241-2 原語:英語 273 ダニエル・チャヴァリア(ウルグアイ、キューバ) バイク・ガールと野郎ども 真崎義博 2002年11月 HM273-1 原語:スペイン語 2002年エドガー賞最優秀ペーパーバック賞 366 パブロ・デ・サンティス(アルゼンチン) 世界名探偵倶楽部 宮崎真紀 2009年10月 HM366-1 原語:スペイン語 『追放者』はスペイン語で作品を発表していたホセ・ラトゥールが初めて英語で書いた作品。『ハバナ・ミッドナイト』も英語作品。 アフリカ 371 ロジャー・スミス(南アフリカ共和国) 血のケープタウン 長野きよみ 2010年6月 HM371-1 原語:英語 2010年ドイツ・ミステリ大賞第2位 はいつくばって慈悲を乞え 長野きよみ 2011年3月 HM371-2 原語:英語 392 デオン・メイヤー(南アフリカ共和国) 追跡者たち 【上下巻】 真崎義博、友廣純 2013年6月 HM392-1,2 原語:アフリカーンス語 2012年英国推理作家協会インターナショナル・ダガー賞ノミネート 関連情報デオン・メイヤー『追跡者たち』と同日発売のハヤカワ文庫SF、ローレン・ビュークス『ZOO CITY(ズーシティ)』(和爾桃子訳)も南アフリカ共和国の作家の作品。帯には「ハードボイルドSFミステリ」とある。 アジア アジア系作家も含む。 50 エドワード・アタイヤ(レバノン) 細い線 文村潤 1977年5月 HM50-1 原語:英語 ポケミス131 259 ジョー・シャーロン(中国出身アメリカ在住の作家) 上海の紅い死 【上下巻】 田中昌太郎 2001年11月 HM259-1,2 原語:英語 2001年エドガー賞最優秀新人賞ノミネート作 369 フランシー・リン(アメリカ出身在住、台湾系アメリカ人) 台北の夜 和泉裕子 2010年1月 HM369−1 原語:英語 2009年エドガー賞最優秀新人賞受賞作 ジョー・シャーロンの漢字表記は裘小龍(きゅう しょうりゅう)。中国語読みは「チウ・シアオロン」。 関連ページ 非英語圏ミステリ各種リスト 非英語圏ミステリ各種リスト 1ポケミス非英語圏作品一覧 創元推理文庫海外ミステリ非英語圏作品一覧 年間ミステリランキング 非英語圏作品一覧 非英語圏ミステリ2013年の邦訳出版一覧 非英語圏ミステリ各種リスト 2北欧ミステリ邦訳一覧 南欧ミステリ邦訳一覧 フランスのミステリ賞受賞作の邦訳一覧 フランス・ミステリ必読30冊(『ミステリマガジン』2003年7月号)
https://w.atwiki.jp/asianmystery/pages/51.html
2010年4月3日 韓国推理作家協会が刊行している推理小説専門誌『季刊ミステリ』(계간 미스터리)で実施されている「季刊ミステリ新人賞」の受賞者リスト。 情報源・人名のカタカナ表記法など、注意点はページ下。 2007年~2009年 受賞作品リスト ■15号(2007年春号) 「酒に酔ったオートバイ」イ・デファン(1980年生) (「술 취한 오토바이」이대환) ■16号(2007年夏号) なし ■17号(2007年秋号) 「彼と私のジグダンス」シン・ジェヒョン(1982年生) (「그와 나의 지그춤」신재형) 「安楽死」クヮク・ジヨン (「안락사」곽지연) ■18号(2007年冬号) 「催眠」ソル・イニョ(1975年生) (「최면」설인효) ※『ミステリマガジン』2009年1月号に短編「そして誰もいなくなった」が掲載された際の名前の表記は「ソル・インヒョ」。名前の表記法についてはページ下参照。 ■19号(2008年春号)応募総数12編 「東城路」キム・ジュドン(1976年生) (「동성로」김주동) ※東城路(トンソンノ)は、韓国テグにある通りの名前。選評によれば、テグを舞台にした正統派ハードボイルドで、謎解き要素はないそうだ。この回で最終候補になっていたのが、ソン・ソニョン「誰が私のラーメンを食べたんだ?」。こちらは選評で、「90年代に日本で生まれた日常の謎ミステリに通じる」作品だと言われており、消えたラーメンを探す1人称話し手の推理過程を見せる作品だという(のちに2008年版『今年の推理小説』に掲載された)。 選評:http //editor.ijakga.com/post/view.asp?pno=87 ■20号(2008年夏号)応募総数15編 「Swallow s Nest castle殺人事件」ソン・ソニョン(1974年生) (「제비둥지 성의 살인사건」손선영) ※「Swallow s Nest castle」(ツバメの巣城)はウクライナに実在する城。検索して写真を見てみると、まさに推理小説の舞台にふさわしい場所に思える。この作品は選評によると、「ミスディレクションの妙味を非常によくいかした作品だ」とのこと。 選評:http //editor.ijakga.com/post/view.asp?pno=570 ■21号(2008年秋号)応募総数44編 「夏休み」キム・ジア(女性) (「여름휴가」김지아) 「画面の向こうの人間」パク・ハイク(女性、1981年生) (「화면 저편의 인간」박하익) ※「夏休み」は女性の1人称視点で語られる心理物。「画面の向こうの人間」は、偶然犯罪現場を目撃した青年の話。 選評:http //editor.ijakga.com/post/view.asp?pno=1899 ■22号(2008年冬号)応募総数31編 「良い友達」ソン・シウ(女性、1979年生) (「좋은 친구」송시우) ※人間の良い友達=「犬」と獣医師が出てくる話。キャラクターがよく生きている作品だとのこと。 選評:http //blog.daum.net/ilovemystery/27 ■23号(2009年春号) 「首のないインディアン」キム・ジェソン (「목 없는 인디언」김재성) 「戊寅年カトリック邪教記録」チェ・ジス (「무인년 천주교 사교 기록」최지수) ■24号(2009年夏号) 刊行が遅れて2009年秋号と同時刊行になったため、新人賞作品なし ■25号(2009年秋号) 「101」イム・テフン (「101」임태훈) ■26号(2009年冬号) 「死者のための祈祷」ジョンヒョク (「죽는 자를 위한 기도」정혁) 2007年以前の受賞者 ■2003年夏号(2003年7月) 第2回季刊ミステリ新人賞受賞作 「鏡の中にもう一つの鏡がある」キム・ヨン (「거울 속에 또 다른 거울이 있다」김연) ※ソン・ソニョン氏のブログによれば、季刊ミステリ新人賞は2007年から定期的に行われるようになったようで、それ以前のことは良く分からなかった。 情報源 すでに雑誌が品切れで入手不能のものも多く、タイトル・受賞者情報のほとんどは、韓国ネット書店での『季刊ミステリ』各号の内容紹介に頼っています。 ただし、ネット書店での内容紹介自体が完全なものではないので、このリストも完全なものではありません。 人名のカタカナ表記の際の方針 韓国の人の名前を日本語で書く場合、発音通りにカタカナで書く方法と、文字で区切ってカタカナで書く方法があります。 例:スケート選手の「金妍兒」 発音通り:キム・ヨナ 文字で区切って表記:それぞれの漢字の読みは「金(キム)・妍(ヨン)・兒(ア)」なので「キム・ヨンア」 例:梁石日 発音通り:ヤン・ソギル 文字で区切って表記:ヤン・ソクイル このページでは、発音通りの表記法を採用しています。 韓国ミステリ紹介 目次へ
https://w.atwiki.jp/asianmystery/pages/109.html
2011年11月8日 「韓国ミステリ史」は、20世紀初頭から現代(2011年)までの韓国の探偵小説/推理小説/ミステリの歴史を、第一章から第五章(+特別編2ページ)の全7ページに分けて紹介するものである。 『韓国ミステリ史 第一章』では、そのうち20世紀初頭から1930年代までを扱っている。 目次 はじめに 第一章 20世紀初頭~1930年代:韓国ミステリ草創期第一節 韓国初の創作探偵小説は何か 第二節 イ・ヘジョ(李海朝)による韓国初の創作探偵小説『双玉笛(そう ぎょくてき)』 第三節 探偵小説専門作家不在の時代(1)黒岩涙香の翻案小説を再翻案した韓国の翻案小説 (2)その他の翻訳・翻案探偵小説 (3)1920年代~1930年代の創作探偵小説 第四節 邦訳された20世紀初頭~1930年代の韓国探偵小説 参考文献 はじめに 今から約10年前、早川書房の『ミステリマガジン』2000年10月号は「コリアン・ミステリ・ナウ」と題する韓国ミステリの特集を組んだ。その特集ページの扉に書かれた文を引用する。 かつては“近くて遠い国”といわれた韓国も、近年では映画「シュリ」(Wikipedia)が日本でも大ヒットしたり、日本のアイドルが韓国で人気を博すなど、しだいに身近な存在になりつつあります。しかし、ことミステリに関しては、日本の作品がいくつか輸出されているだけで、彼の地の現状はまだまだ未知数。そこで今月号は、ミステリを中心に、SF、映画、文学など、韓国の最新文化事情について探ってみます。(中略)これが日韓友好のささやかな一歩となりますように。 それから10年。引用中では「日本の作品がいくつか輸出されているだけ」とされているが、いまや韓国では日本のミステリが年間100タイトル近く翻訳刊行されている。しかし一方で、いまだに日本に住む多くの人にとって韓国ミステリ界は未知のものである。 このページでは、韓国で唯一のミステリ専門誌『季刊ミステリ』の編集長を務めるパク・クァンギュ(朴光奎/박광규)氏が書いたいくつかの記事を基礎資料として、韓国推理小説の100年の歴史を紹介する。 【注】 人名の表記について ここ数年は、韓国の人物の名前は【1】漢字で表記して現地の読みで振り仮名を振るか、または【2】漢字を使用せずに発音通りカタカナで書くかのどちらかが普通である。「読む」ということだけを考えればどちらでも問題ないが、「入力する」というときに前者は大いに問題になる。たとえば、2009年に邦訳が出ている韓国の推理作家に李垠(イ・ウン)がいる。仮に何かの紙媒体で彼の名前を見掛けて、気になってネット上で検索してみようとした時に、「垠」は読み方が分からないので入力できない(入力が面倒)という問題が発生する。ほかにも、韓国のミステリ作家の名前を見ていると、白恷、黄世鳶、鄭建燮、柳禹提など、入力の仕方が分からない文字が頻発する。 そのためこのページでは、作家の名前は基本的に現地の発音通りでカタカナ書きとし、補助的に後ろに漢字を付けることにする。ただし、日本ですでに漢字表記で知られている作家名についてはその限りではない。 第一章 20世紀初頭~1930年代:韓国ミステリ草創期 第一節 韓国初の創作探偵小説は何か 韓国ミステリの草創期については韓国でもまだ研究の途上にあり、ここ10年でも「韓国初の創作探偵小説」とされる作品は何度か変わっている。2011年現在、日本語で書かれた韓国ミステリ概説としてもっとも詳しいと考えられる3つの資料を見てみよう。 鄭泰原(チョン・テウォン)「韓国ミステリ事情」(早川書房『ミステリマガジン』2000年10月号) 金容権(キム・ヨングォン)「現代の韓国ミステリー事情」(光文社『ジャーロ』4号(2001年夏号)) 米津篤八「韓国ミステリー百年の現在」(李垠(イ・ウン)『アジア本格リーグ3 美術館の鼠』講談社、2009年11月、巻末解説) この中では、金容権(キム・ヨングォン)「現代の韓国ミステリー事情」(2001)が「韓国の推理小説は金来成(キム・ネソン)に始まる」という韓国での通説を紹介している。金来成(キム・ネソン)は1935年に日本の探偵雑誌『ぷろふいる』(Wikipedia)でデビューし、1937年からは韓国(朝鮮)で推理作家として活躍した人物である。単に紙幅の関係でそれ以前の歴史を省略しただけかもしれないが、この通説は、「韓国で最初に探偵小説を書いたのは金来成だ」と誤って拡大解釈される場合があるので注意が必要である。金来成(キム・ネソン)は日本でいえば江戸川乱歩に相当する人物であり、江戸川乱歩以前に黒岩涙香らの先達がいるのと同じように、金来成(キム・ネソン)以前にも推理小説を書いていた人物はいた。近年日本で刊行された『近代朝鮮文学日本語作品集』では、金来成が『ぷろふいる』で発表したデビュー作(日本語作品)「楕円形の鏡」(1935)が「朝鮮で最初の探偵小説である」(1901-1938 創作篇 第5巻)、「朝鮮人による最初の探偵小説である」(1901-1938 評論・随筆篇 第3巻)とされているが、これは誤りである。 次に、韓国推理作家協会の鄭泰原(チョン・テウォン)氏による「韓国ミステリ事情」(2000)を見てみよう。これは韓国でも屈指のミステリ評論家・翻訳家・収集家である氏の手によるものなので信頼が置けるが、これによれば韓国初の創作探偵小説は純文学作家のチェ・マンシク(蔡萬植)がソ・ドンサン(徐東山)という筆名で書いた1934年の新聞連載作品『艶魔(えんま)』だという。 上で見た2つの資料は2001年以前のものだが、その後2002年に韓国の新聞『中央日報』に「韓国初の推理小説『血の袈裟』発見」(2002年10月15日付け、リンク先韓国語)という記事が載っている。この記事では、1926年にパク・ピョンホ(朴秉鎬)(박병호)が発表した『血の袈裟』(原題漢字表記:『血袈裟』)という作品が発見されたと報じられている。これはチェ・マンシクの『艶魔』(1934)や、それ以前の初の探偵小説だとする議論が当時あったチェ・ドッキョン(최독견)の『死刑囚』(1931)よりもさらに古いことになる。この『血の袈裟』は、韓国唯一のミステリ専門誌『季刊ミステリ』に全文復刻されたが、中央日報にすぐさま別の説が提出されるなど、韓国初の創作探偵小説をめぐる議論は紛糾した(中央日報2002年10月23日付け記事「最初の推理小説 「迷宮」にはまる」(リンク先韓国語))。 東アジアのミステリは、中国を起源に日本や韓国などに広まった「裁判小説」にその源流の一端があり、それを基層にして欧米の「探偵小説」を受容することで東アジアの探偵小説が誕生した。そのため、韓国初の創作探偵小説を探る場合にも、作品が「裁判小説」の単なる発展形なのか、それとも欧米探偵小説の影響下に生まれた「探偵小説」なのかが議論になる。上記の記事「最初の推理小説 「迷宮」にはまる」では、イ・ヘジョ(李海朝)(1869-1927)が1908年末から1909年初めにかけて新聞連載した『双玉笛(そう ぎょくてき)』が最初の「探偵小説」と呼べるか否かが議論になっている。 そして2011年現在では、米津篤八「韓国ミステリー百年の現在」(2009)等で示されているように、この『双玉笛(そう ぎょくてき)』を韓国初の創作探偵小説だとするのが一般的のようである。 第二節 イ・ヘジョ(李海朝)による韓国初の創作探偵小説『双玉笛(そう ぎょくてき)』 韓国では「新小説」(Wikipedia)の担い手として知られるイ・ヘジョ(李海朝)(이해조)(韓国語版Wikipedia)は1869年生まれ(比較のために示すと、コナン・ドイルが1859年生まれ、黒岩涙香が1862年生まれである)。1907年に帝国新聞に入社し『帝国新聞』(제국신문)紙上で小説を次々と発表。1908年末から1909年初めにかけて、韓国初の探偵小説とされる『双玉笛(そう ぎょくてき)』(サン オクチョク/쌍옥적/雙玉笛)(写真)を連載した。鄭(チョン)刑事が、笛のうまい兄弟の強盗殺人犯を追うというストーリーの作品である。裁判小説の流れをくむものだが、「犯罪の発生 - 事件の捜査 - 解決」という構成を備えており、また探偵役が偶然ではない証拠と推理で事件を解決することから、韓国初の創作探偵小説だとされる。またこの作品は、タイトルの角書きとして「偵探小説」(정탐소설、偵探小說)ということばが添えられているので、そのことからも、この作品が従来の「裁判小説」とは一線を画す「探偵小説」として書かれたことが分かる。 イ・ヘジョはその後、1910年には毎日新報に入社し、『毎日新報』紙上で小説を発表。1912年には、探偵小説『九疑山』(きゅうぎ さん)(구의산)を連載している。新婚初夜、花嫁が目をさましてみると夫の首がなくなっている。妻は復讐を誓い男装の探偵となって犯人を捜索する――というストーリーである。 なおイ・ヘジョは、1908年、ジュール・ヴェルヌのSF小説"Les 500 Millions de la Bégum"(1879)(現在の邦題:インド王妃の遺産)の日本語訳(または中国語訳)を韓国語に翻案した『鉄世界』を発表しており、韓国でのSF小説の紹介にも貢献している。(1907年にヴェルヌの『海底二万里』が韓国語になっており、これが韓国に紹介された最初のSF小説とされている) 韓国を含む東アジアのミステリの源流の一つである裁判小説については、簡単にではあるが「東アジアミステリの源流」にまとめている。 韓国での最初のSF受容については、「韓国SFに関するネット上の2つの基本文献について」でごく簡単に紹介している。 同時代のアジアの動向 日本では、須藤南翠「殺人犯」(1888年)、または黒岩涙香「無惨」(1889年)が初の創作探偵小説だとされる。 中国では、1885年発行と推定される知非子「冤獄縁(えんごくえん)」が初の創作探偵小説だとされている。ただし、中国に初めて欧米の探偵小説が翻訳されるのよりも11年も早いことから、その発行年に関しては議論がある。 第三節 探偵小説専門作家不在の時代 前述の通り韓国ではイ・ヘジョが先駆的に創作探偵小説を発表したが、この時期にはまだ欧米の探偵小説の韓国語への翻訳はなされていなかった。その後、1910年代以降、欧米の探偵小説の韓国語への翻訳が少しずつ進み、創作探偵小説も次第に増えていく。 (1)黒岩涙香の翻案小説を再翻案した韓国の翻案小説 韓国(朝鮮)では1910年代から1920年代にかけて、日本の小説(翻案小説含む)を翻案した作品が人気を博していた。黒岩涙香の翻案小説もいくつか再翻案されている。主なものを以下に示す。 ※原著のタイトルおよび初出年、黒岩涙香の作品の初出年については、今のところWikipediaでざっと調べただけです。後に調べなおします。 再翻案 黒岩涙香による翻案 原著 ミン・テウォン 『哀史』(1910)(2008年版) 黒岩涙香 『噫無情(ああむじょう)』(1902) ヴィクトル・ユーゴー 『レ・ミゼラブル』(1862) イ・サンヒョプ 『貞婦怨』(1914)(2007年版 上巻、下巻) 黒岩涙香 『捨小舟』(1894) メアリー・エリザベス・ブラッドン 『Diavola』(1866) イ・サンヒョプ 『海王星』(1916)(2007年版 上巻、中巻、下巻) 黒岩涙香 『巌窟王』(1901) アレクサンドル・デュマ 『モンテクリスト伯』(1844) ミン・テウォン 『鉄仮面』(1922)(2008年版 上巻、下巻) 黒岩涙香 『鉄仮面』(1892) フォルチュネ・デュ・ボアゴベ 『サンマール氏の二羽のつぐみ』(1878) 以上の4作品は、2007年から2008年にかけて韓国で刊行された叢書「韓国の翻案小説」(한국의 번안 소설)(全10巻(6作品))で刊行されている【注1】。19世紀末から20世紀初頭にかけて、黒岩涙香の作品はほかに中国語にも翻訳されていた。この当時、黒岩涙香は日本のみならず東アジア中を席捲していたのである。 注1:同叢書で刊行された残りの2作品は、尾崎紅葉の『金色夜叉』を翻案したチョ・ジュンファン『長恨夢』(1913)(2007年版)と、菊池幽芳の『己が罪』(1899)を翻案したチョ・ジュンファン『双玉涙』(1910年代?)(2007年版)である。『金色夜叉』の登場人物「貫一とお宮」は有名だが、その翻案作品『長恨夢』の登場人物「イ・スイルとシム・スネ」(이수일 と 심순애)も、韓国では知らない人がいないぐらいの有名なキャラクターであるらしい。また、『金色夜叉』は未完作品だが、その翻案作品『長恨夢』はハッピーエンドで終わるとのこと。 (2)その他の翻訳・翻案探偵小説 初めて韓国語になった欧米の探偵小説は、1918年に『泰西(テソ)文芸新報』(태서문예신보)に掲載された「忠僕」(충복)だとされる。これはコナン・ドイルのホームズ物の短編"The Adventure of the Three Students"(邦題:三人の学生)の翻案である。ホームズの韓国での受容については、パク・チニョン(박진영)氏がブログの記事でまとめている。 셜록 홈스 시리즈 한국어 번역 연표(シャーロック・ホームズシリーズ韓国語翻訳年表)(2009年9月30日) この当時に紹介された欧米の探偵小説は、主に日本から入ってきたドイル、ポー、ルブラン、ヴァン・ダインなどだった。翻訳者にはヤン・ジュドン(梁柱東/양주동)(韓国語版Wikipedia)、キム・ユジョン(金裕貞/김유정)(Wikipedia)(『ベンスン殺人事件』を『도둑맞은 보석』として翻訳、死後に雑誌連載された)、ヨム・サンソプ(廉想渉/염상섭)(Wikipedia)など純文学界で活動していた人も見られる。 パク・チュンピョ(朴埈杓)(박준표)は1923年には探偵小説『飛行の美人』(비행의 미인)(韓興書林)を出している。これはパリを舞台にした「ジゴマもの」だという(李建志1994)。パク・チュンピョは1926年には探偵小説『黒い箱』(原題『黒箱子』(흑상자))(デジタルハングルミュージアム)を出した。この原作者はアメリカのFred Jacksonだというが、何者なのかはよく分からない。『飛行の美人』の方もおそらく翻案だろう。 この時期の韓国の翻訳・翻案小説についての研究にパク・チニョン(박진영)氏の『翻訳と翻案の時代』(번역과 번안의 시대)(2011年8月)があるが、未見。パク・チニョン氏は上で示した叢書「韓国の翻案小説」の編者でもある。 (3)1920年代~1930年代の創作探偵小説 この時期の探偵小説は翻訳・翻案が主流だったが、1920年代半ばから再び創作探偵小説が登場する。1926年にパク・ピョンホ(朴秉鎬)(박병호)が『血の袈裟』(血袈裟、혈가사)を刊行(最初の発表は雑誌で、1920年ごろ。ウルサン新聞2010年1月6日記事「韓国最初の探偵小説「血の袈裟」」(韓国語)参照)。しかしこれは警察にすぐに押収されてしまい、世に知られず埋もれてしまった。 児童文学作家のパン・ジョンファン(方定煥)(방정환)(1899-1931)(韓国語版Wikipedia)は、児童向けの探偵小説『妹を探しに』(동생을 찾으러)(1925)(2009年9月版)、『チルチル団の秘密』(칠칠단의 비밀)(1926)(1999年版、2002年版、2010年5月版、2010年8月版)、『少年三台星』(소년삼태성)、『少年四天王』(소년사천왕)を発表した。また、「怪男女二人組」(괴남녀 이인조)というコミカルな短編や、外国の短編を訳した「誰の罪?」(누구의 죄?)などの作品が大衆雑誌に掲載されている。探偵小説を発表する際には北極星(북극성)という筆名を使っている。 1930年代に入ると、1931年にチェ・ドッキョン(최독견)が『死刑囚』(사형수)を連載、1933年にはキム・ウンジョン(김운정)が『怪人』(괴인)を発表(連載??)している。 特筆すべきは、純文学作家として知られるチェ・マンシク(蔡萬植)(채만식)(1902 - 1950)(Wikipedia)がソ・ドンサン(徐東山)という筆名で、1934年に『朝鮮日報』に探偵小説『艶魔』(염마)(1987年の『채만식 전집 1 - 인형의 집을 나와서/염마』等に収録)を連載していることである。チェ・マンシクは早稲田大学英文科中退の純文学作家で、当時は『朝鮮日報』の記者。『艶魔』の連載当時、著者のソ・ドンサンがチェ・マンシクと同一人物だと知っていたのは一部の関係者だけで、この事実は1987年に初めて公になった。『艶魔』には名探偵ペク・ヨンホ(백영호)が登場。27歳の独身男性で、シャーロック・ホームズを思わせる設定がなされているという。 またほかに、キム・ドンイン(金東仁)(김동인)(1900-1951)(Wikipedia)などの韓国を代表する文学作家もペンネームでスパイ小説に近い作品を発表している。 最近の韓国では、今まで忘れ去られていた探偵作家の発掘が進んでいる。韓国のミステリ雑誌『季刊ミステリ』2010年秋号(第29号)の特集「戦前の忘れられた二人の作家」では、シン・ギョンスン(신경순)とチェ・ユボム(최유범)が取り上げられている。この号は入手できていないので詳細は分からないが、シン・ギョンスンには推理短編「巌窟の血闘」(암굴의 혈투)、「ミカドの地下室」(미까도의 지하실)、「血塗れの手帳」(피묻은 수첩)、「第二の密室」(제2의 밀실)、チェ・ユボムには推理短編「スナ惨殺事件」(순아 참살사건)、「嫉妬する悪魔」(질투하는 악마)(1933)、「K博士の名案」(K박사의 명안)、「婚約者の魔性」(약혼녀의 악마성)(1934)、「誰が殺したか!」(누가 죽였느냐!)がある。(チェ・ユボムについては http //churi4u.tistory.com/3 も参照) 1937年には金来成(キム・ネソン)が登場し、初の探偵小説専業作家として活躍を始める。金来成については別のページでまとめた。 韓国ミステリ史 特別編 - 金来成(キム・ネソン)(1909-1957)【1】 韓国ミステリ史 特別編 - 金来成(キム・ネソン)(1909-1957)【2】 戦前の韓国推理小説については、日本語の文献としては李建志(り けんじ)氏の東京大学大学院修士論文『京城の探偵小説』(1994)があるが、未見。また韓国語の文献では、オ・ヘジン(오혜진)氏の『1930年代韓国推理小説研究』(2009年)があるが、未見。 第四節 邦訳された20世紀初頭~1930年代の韓国探偵小説 この時期の韓国探偵小説で、一般流通の書籍・雑誌等に訳載された作品は見当たらない。金来成が韓国語で発表した短編変格探偵小説「霧魔」(1939)は拙い訳ではあるが当サイトで公開している。 金来成「霧魔」 (韓国語から翻訳) 金来成が日本語で発表した探偵小説2編を読む方法については、「韓国ミステリ史 特別編 - 金来成 第四章 読書案内」を参照のこと。なお、金来成が日本語で発表したユーモア掌編「綺譚・恋文往来」(1935)は当サイトで公開している。 金来成「綺譚・恋文往来」 (日本語作品) 参考文献 韓国ミステリ史 参考文献 (新しいウィンドウで開きます) 『韓国ミステリ史 第一章』(20世紀初頭~1930年代) ←今見ているページ 『韓国ミステリ史 特別編 - 金来成(キム・ネソン)(1909-1957)【1】』 『韓国ミステリ史 特別編 - 金来成(キム・ネソン)(1909-1957)【2】』 『韓国ミステリ史 第二章』(1940年代~1960年代) 『韓国ミステリ史 第三章』(1970年代) 『韓国ミステリ史 第四章』(1980年代~20世紀末) 『韓国ミステリ史 第五章』(1990年代末~21世紀初頭)(未公開) 『読書案内』
https://w.atwiki.jp/asianmystery/pages/160.html
『韓国ミステリ史 第一章』(20世紀初頭~1930年代) 『韓国ミステリ史 特別編 - 金来成(キム・ネソン)(1909-1957)【1】』 『韓国ミステリ史 特別編 - 金来成(キム・ネソン)(1909-1957)【2】』 『韓国ミステリ史 第二章』(1940年代~1960年代) 『韓国ミステリ史 第三章』(1970年代) 『韓国ミステリ史 第四章』(1980年代~20世紀末) 『韓国ミステリ史 第五章』(1990年代末~21世紀初頭)(未公開) 『読書案内』 参考文献 韓国ミステリ通史黄鐘灝(ファン・ジョンホ)(1984)「韓国推理小説の現狀」(『日本推理作家協会会報』1984年6月号、No.426、p.4) 鄭泰原(チョン・テウォン)(2000)「韓国ミステリ事情」(『ミステリマガジン』2000年10月号(特集 コリアン・ミステリ・ナウ)、pp.64-67) 金容権(キム・ヨングォン)(2001)「現代の韓国ミステリー事情」 (光文社『ジャーロ』4号(2001年夏号)、pp.308-311) 米津篤八(2009)「韓国ミステリー百年の現在」 (李垠『アジア本格リーグ3 美術館の鼠』講談社、2009年11月、pp.231-237) 松川良宏(2011)「東アジア推理小説の日本における受容史」(『ハヤカワミステリマガジン』2012年2月号、pp.12-19) 金来成についての文献江戸川乱歩(1952a)「内外近事一束」(『宝石』1952年9・10月号、pp.304-309) 江戸川乱歩(1952b)「欧亜二題」(『読切小説集』1952年11月号(未確認)/江戸川乱歩『子不語随筆』(講談社、1988年)に収録) 李建志(1994)「韓国「探偵小説」事始め ――韓国ミステリーの創始者・金來成と『ぷろふいる』誌」『創元推理5(1994年夏号)』(1994年7月)pp.104-122 李建志(1995)「金來成という歪んだ鏡」『現代思想』1995年2月号、pp.75-102 金来成に言及がある文献『探偵作家クラブ会報』第65号~第67号 『幻影城』1975年6月号(ぷろふいる特集)九鬼紫郎(1975)「「ぷろふいる」編集長時代」(『幻影城』pp.69-79) 中島河太郎(1975)「「ぷろふいる」五年史」(『日本推理小説史』第三巻[東京創元社、1996年]、pp.48-60に加筆訂正して収録) 光石介太郎(1975)「YDN(ヤンガー・ディテクティブ・ノーベリスト)ペンサークルの頃」(『幻影城』1975年7月増刊号、pp.176-177) 光石介太郎(1976)「靴の裏 若き日の交友懺悔」(『幻影城』1976年2月号、pp.147-155) キム・ソンジョン(金聖鍾)についての文献新聞記事「純文学の韓国でなぜか推理小説ブーム」(『朝日新聞』1981年10月1日朝刊、6面) - キム・ソンジョンの人気についての記事。インタビューもあり 李建志(り けんじ)(2000)「現代韓国ミステリの思想と行動(上) ――金聖鍾(キム・ソンジョン)『最後の証人』とイ・インファ『永遠の帝国』を手がかりに」『創元推理 20号 人形の夢』(2000年10月)pp.238-255 李建志(2001)「現代韓国ミステリの思想と行動(下) ――金聖鍾(キム・ソンジョン)『最後の証人』とイ・インファ『永遠の帝国』を手がかりに」『創元推理21(2001年夏号)』(2001年5月)pp.295-315 李建志(2006)「松本清張と金聖鐘 ――日韓の戦後探偵小説比較研究」(『第六回松本清張研究奨励事業研究報告書』北九州市立松本清張記念館、2006年1月) 南富鎭(なん ぶじん)(2011)「松本清張の朝鮮と韓国における受容」(『翻訳の文学 東アジアにおける文化の領域』世界思想社、2011年6月、pp.67-86)(初出:『松本清張研究』北九州市立松本清張記念館、2011年3月)「松本清張韓国語翻訳・翻案作品目録」付き 《図録》『松本清張記念館特別企画展 松本清張と東アジア ――描かれた〈東アジア・東南アジア〉読まれる〈清張〉』(北九州市立松本清張記念館、2010年12月)III 東アジアで読まれる〈清張〉 ――韓国・中国・台湾 その他の韓国ミステリ関連文献中島河太郎(1984)「李会長訪問」(『日本推理作家協会会報』1984年6月号、No.426、pp.3-4) - 韓国推理作家協会会長(当時)との面会の記録 李建志(り けんじ)(2000)「ハングル・ノワール 金来成からイ・インファへ」(『ユリイカ』2000年12月臨時増刊号(総特集:ジェイムズ・エルロイ ノワールの世界)、pp.86-87) 祖田律男(2006)「韓国推理小説を読む」(『むくげ通信』216号、2006年5月) 《ファンタスティーク》誌編集部 イ・ダエ インタビュー(『ハヤカワミステリマガジン』2008年10月号、p.16) 米津篤八(2008)「世界のミステリ雑誌 韓国」 (早川書房『ハヤカワミステリマガジン』2009年1月号(2008年11月))pp.54-55 「黒蜘蛛クラブの挨拶」(島田荘司監修『本格ミステリー・ワールド 2012』南雲堂、2011年12月、pp.226-228) - 編集者のユン・ヨンチョンが韓国の最新ミステリ事情を寄稿 周辺事情南富鎭(なん ぶじん)(2005)「『キング』と朝鮮の作家」(初出:『大衆文化の領域』大衆文化研究会、2005年6月(未見))(『文学の植民地主義 近代朝鮮の風景と記憶』(世界思想社、2006年1月)に収録、pp.115-136) 윤상인 ほか『일본문학 번역 60년 현황과 분석 1945-2005』(소명출판、2008年) - 尹相仁ほか『日本文学翻訳60年 現況と分析』(召命出版、2008年) パク・クァンギュ氏による韓国ミステリ史(主要参考文献)박광규(2008a)「한국 추리, 스릴러 소설의 계보(韓国ミステリ小説・サスペンス小説の系譜)」(『한국 추리 스릴러 단편선』(황금가지、2008年)に収録)(リンク1、リンク2、リンク3) 박광규(2008b)「‘살해당한’ 한국 추리소설‘진짜 범인’은 누구일까(「殺害された」韓国推理小説「真犯人」は誰か)」その日本語訳、「殺害された韓国推理小説真犯人は誰か」 박광규(2010)「방정환도 추리소설을 썼다는데…(パン・ジョンファンも推理小説を書いたというのに…)」(パク・クァンギュ氏と推理作家のチェ・ヒョッコン氏のサイト「초이 s 미스터리」の記事) 「한국추리작가협회 사무국장_ 박광규 라디오 인터뷰(韓国推理作家協会 事務局長 パク・クァンギュ ラジオインタビュー)」(정석화氏のブログ) その他参考文献ソン・ソニョン(2010)「歴代韓国推理文学賞、新人賞、その他受賞作整理。」 クォン・ギョンヒ(2007)「ジャンル文学を知ろう(장르문학 파헤치기)」>「推理文学の世界〈4〉 推理小説の歴史〈2〉」「推理文学の世界〈3〉 推理小説の歴史〈1〉」は欧米の推理小説の歴史 http //blog.aladin.co.kr/caspi/1711704 http //blog.aladin.co.kr/caspi/1711710 チョン・ホンシク「韓国でのミステリの話(한국에서의 미스터리 이야기)」(Webマガジン『ファンタスティーク』、2012年1月12日) 以下、未見 李建志『京城の探偵小説』(東大修士論文、1994年) 李建志『朝鮮近代文学とナショナリズム』(作品社、2007年8月) 李建志『日韓ナショナリズムの解体』(筑摩書房、2008年7月) 李建志『松田優作と七人の作家たち《『探偵物語』のミステリ》』(弦書房、2011年2月) 崔元植(翻訳:青柳優子)『東アジア文学空間の創造』(岩波書店、2008年10月) 白川豊『朝鮮近代の知日派作家、苦闘の軌跡 廉想渉、張赫宙とその文学』(勉誠出版、2008年10月) 慎根縡『日韓近代小説の比較研究―鉄腸・紅葉・蘆花と翻案小説』(明治書院、2006年5月) 関連作家の主な日本語訳 『韓国古典文学の愉しみ』 イ・ヘジョ(李海朝/이해조)『20世紀民衆の世界文学 7 朝鮮文学選 1 解放前篇』(三友社出版、1990年) - 「自由鍾」(新小説の代表的な作品) チェ・マンシク(蔡萬植/채만식)『濁流 韓国文学名作選』 『太平天下 朝鮮近代文学選集』 『集英社ギャラリー〈世界の文学〉 20 中国・アジア・アフリカ』 パン・ジョンファン(方定煥/방정환)『愛の韓国童話集 コリア児童文学選』 - 「万年シャツ」 『칠칠단의 비밀』 キム・ドンイン(金東仁/김동인)『金東仁作品集』 パク・テウォン イ・ガヒョン『怒りの河 ビルマ戦線狼山砲第二大隊朝鮮人学徒志願兵の記録』 - 韓国推理作家協会初代会長のイ・ガヒョンと同一人物 イ・サンウ『朴正煕時代 その権力の内幕』 - 推理作家のイ・サンウとは別人 日本語訳なしパン・イングン(方仁根、방인근) ヒョン・ジェフン(玄在勲、현재훈) ホ・ムンニョン(許文寧) 韓国語文献ペク・ヒュ(白恷、백휴)『김성종 읽기』(金聖鍾を読む)(1999年) 大衆文学研究会『추리소설이란 무엇인가』(推理小説とは何か?)(1997年) 『1930년대 한국 추리소설 연구』 パク・チニョン(박진영)『翻訳と翻案の時代』(번역과 번안의 시대)(2011年8月) 韓国以外の地域のミステリ玉田誠(2009)「台湾の本格ミステリー事情」 (藍霄『アジア本格リーグ1 錯誤配置』講談社、2009年9月)pp.307-315 (台湾) 宇戸清治(2009)「タイ・ミステリーの過去と現在」 (チャッタワーラック『アジア本格リーグ2 二つの時計の謎』講談社、2009年9月)pp.275-283 (タイ) 柏村彰夫(2010)「インドネシアの推理小説」 (S・マラ・Gd『アジア本格リーグ5 殺意の架け橋』講談社、2010年3月)pp.387-395 (マレーシア・インドネシア) 李長声(リー チャンション)(2002)「中国のミステリー事情 大衆文学への渇望」 (光文社『ジャーロ』7号(2002年春号))pp.273-277 池田智恵(2009)「発展途上の中国ミステリー」 (水天一色『アジア本格リーグ4 蝶の夢 乱神館記』講談社、2009年11月)pp.383-394 天蠍小豬(2009)「中国ミステリー事情」 (島田荘司監修『本格ミステリー・ワールド 2010』南雲堂、2009年12月)pp.27-30
https://w.atwiki.jp/f_go/pages/1452.html
│ステータス│入手方法|詳細情報|性能|性能比較│その他│コメント│ ロマニ・アーキマン伯爵の歓待 No.346 礼装名 ロマニ・アーキマン伯爵の歓待 初期 最大 Rare 3 LV 1 60 Cost 5 HP 300 1500 タイプ イベント期間限定/イベントボーナス ATK 0 0 自身のNP獲得量をアップ 5% 10% 防御力をアップ 3% 5% +銅のズダ袋のドロップ獲得数を増やす【『超極☆大かぼちゃ村』イベント期間限定】 1個 2個 詳細情報 イラストレーター 小宮国春 解説 その館には、夜ごとにうら若きゲストが訪れ、 極上の悦びに満ちた歓待を受けるという。 謎多き伯爵の正体とは……! 「というイメージで衣装を用意してみたんだけど、 どうかな?」 「そのワインがソフトドリンクでなければ、 まあそれなりに及第点? ロマニにしては頑張った方だけど、 『謎多き伯爵』というフレーズは なんとかならなかったのかい?」 入手方法 聖晶石召喚 フレンドポイント召喚 性能 効果比較 No. Rare Name Cost 初期HP 初期ATK MAXHP MAXATK 効果対象 上昇値 最大解放 備考 009 2 集中 3 112 75 375 250 NP獲得量 5% [10%] 247 3 宝石剣ゼルレッチ 5 160 100 800 500 5% [10%] 開始時NP 25%[40%] 346 3 ロマニ・アーキマン伯爵の歓待 5 300 0 1500 0 5% [10%] 防御力 3%[5%] 715 3 ウィッチズ・キッチン 5 300 0 1500 0 5% [10%] Artsカード性能 3%[5%] 345 4 月夜の魔女 9 320 200 1200 750 5% [10%] Artsカード性能 10%[15%] 681 4 ファントム・ナイト 9 320 200 120 750 5% [10%] Busterカード性能 10%[15%] 684 4 黄金の翼 9 320 200 1200 750 5% [10%] 宝具威力 20%[25%] その他 コメント viva様って言われてからそうにしか見えなくなった - 名無しさん 2016-10-20 15 26 19 ベディにナレーション読んでもらおうぜ - 名無しさん 2016-10-22 11 20 29 スクショ撮り忘れたけどフレポ召喚で出た - 名無しさん 2016-10-25 02 08 51 イベント始まる前から告知されてた件 - 名無しさん 2016-10-27 16 58 59 1.5部まで進めてから見ると「ああ・・・・・・」ってなる解説文だな - 名無しさん 2017-09-29 19 55 54 名前 すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/asianmystery/pages/155.html
2011年2月3日 2011年8月4日増補(詳細はページ最下部の「第一章 更新履歴」参照) 「中国ミステリ史」は、19世紀末から現代(2011年)までの中国の探偵小説(偵探小説)/推理小説/ミステリの歴史を、第一章から第六章の全6ページに分けて紹介するものである。 『中国ミステリ史 第一章』では、そのうち19世紀末から1910年代まで(清末)を扱っている。 目次 『中国ミステリ史 第一章』 19世紀末~1910年代 はじめに 第一章 19世紀末~1910年代: 欧米探偵小説の受容と国産化の試み第一節 東アジア・東南アジアでのホームズの受容 第二節 裁判小説から探偵小説へ(1)中国初の創作探偵小説 (2)中国古来の裁判小説 (3)翻訳探偵小説とその国産化の試み 参考文献 第一章 更新履歴 『中国ミステリ史 第二章』 (1910年代~1940年代) 第二章 1910年代~1940年代: ホームズ、ルパンからフオサン、ルーピンへ第一節 中国ミステリ草創期: 上海の「青」と「紅(あか)」(1)程小青(てい しょうせい)/名探偵フオサン (2)孫了紅(そん りょうこう)/怪盗紳士ルーピン (3)同時代の中国探偵作家 第二節 1940年代の探偵小説雑誌の隆盛 第三節 同時代の日本から見た当時の中国探偵小説界 第四節 邦訳された19世紀末~1940年代の中国探偵小説 『中国ミステリ史 第三章』 (1940年代末~1970年代) 第三章 1950年代~1970年代: 社会状況の変化による中国ミステリの転変第一節 中華人民共和国の成立と旧ソ連探偵小説の流入 第二節 中国の推理作家とソ連の推理作家の交流(1956年) 第三節 ソ連の探偵小説の変化(アルカージイ・アダモフ『雑色事件』(1956)) 第四節 文化大革命期の"写本"現象 第五節 邦訳された1950年代~1970年代の中国探偵小説 『中国ミステリ史 第四章』 (1970年代末~1990年代) 第四章 1970年代末~1990年代: 翻訳ブームと中国ミステリの多様化第一節 日本の社会派推理小説が中国でもブームに 第二節 中国ミステリの多様化 第三節 1990年代末の中国翻訳ミステリ事情 第四節 邦訳された1980年代~1990年代の中国推理小説 『中国ミステリ史 第五章』 (1990年代末~21世紀初頭) 第五章 20世紀末~21世紀初頭: 新たなミステリの潮流第一節 インターネットという新天地/新たな創作の場 第二節 ネット上で活躍していたミステリ執筆者が紙媒体へ/雑誌『歳月・推理』創刊 第三節 邦訳された21世紀の中国ミステリ 『中国ミステリ史 第六章』 (現代) 第六章 現代の中国ミステリ界第一節 北京偵探推理文芸協会の活動 第二節 現代の中国ミステリ作家 第三節 賞・ランキング・雑誌・その他 おわりに はじめに この「中国ミステリ史」は、『中国科学幻想文学館』(上巻、下巻)(武田雅哉・林久之著、大修館書店、2001年)という中国SFの歴史を紹介する本に触発されて作成したものである。このような書籍が出ていることからも分かるように、日本では、中国のSF小説の紹介は少ないながらもそれなりになされてきた。早川書房の『S-Fマガジン』で中国SF特集が組まれたこともある(2008年9月号)。一方で、中国の推理小説については、日本ではほとんど知られていない。「中国には推理小説はほとんどないらしい」とさえ言われることがある。そこで、ここに中国の推理小説の歴史をまとめ、紹介することにした。中国の20世紀以降のミステリ史を日本語でまとめたものは、あるいは学術論文などではあったかもしれないが、ミステリファンの視点でミステリファンがまとめ、ネット上で公開するのは初めてではないかと思う。 当初は、今までに収集した数少ない中国ミステリ関連資料をメモ書き程度にまとめるつもりだったが、まとめている途中で「百年華文推理簡史(ひゃくねん かぶん すいり かんし)」つまり「中国語圏ミステリ百年略史」という詳細かつ信頼できる資料を見つけたので、基本的にここでの中国ミステリに関する記述はこの資料に大部分を拠っている。 「百年華文推理簡史」の執筆者は、中国最大手のミステリ総合サイト「推理之門(すいり の もん)」の管理人・老蔡(ラオツァイ)氏と、中国のミステリ雑誌『歳月・推理』などで作品を発表している推理作家の杜撰(ずさん)氏である。現段階では「推理之門」や『歳月・推理』と言われてもピンとくる人は少ないと思うが、この「中国ミステリ史」を読めば、これらのWebサイトや雑誌が中国ミステリ界においてどのような地位を占めるものかが分かるはずである。なお、「百年華文推理簡史」ではふんだんに写真が使われているので、この「中国ミステリ史」とあわせて、ぜひそちらも参照してもらいたい。 個人的な興味から、中国ミステリ史を略述すると同時に、同時代のアジアでの動きにもしばしば触れている。 【注】 中国語の「偵探 zhentan」という語について 中国初の探偵小説雑誌は、1923年創刊の『偵探世界(ジェンタン シージエ)』である。この雑誌名は、日本語の文献ではそのまま『偵探世界』と書かれる場合もあるし、日本語にあわせて『探偵世界』とされる場合もある。混乱を避けるため、このページでは書籍・雑誌のタイトルや団体名などに使われている中国語の「偵探(ジェンタン)」という語は、そのまま「偵探(ていたん)」とする。 【注】 中国語の「華文 huawen」という語について 中国語の「華文(ホアウェン)」という語は「中国語」という意味である。賞の名前などに使用された際に、「華文(ホアウェン)」を「中国語」と直すと非常に座りが悪くなってしまうため、このページでは中国語の「華文(ホアウェン)」はそのまま「華文(かぶん)」とする。 「偵探(ていたん)」も「華文(かぶん)」も本来日本語にはない語だが、「ミステリ」や「アリバイ」などと同じ外来語だと思って、覚えてもらえれば幸いである。 第一章 19世紀末~1910年代: 欧米探偵小説の受容と国産化の試み 第一節 東アジア・東南アジアでのホームズの受容 【日本で最初にホームズものが訳された年代について誤りがありました。資料を手に入れたら直します。失礼いたしました】 「推理小説的な物語」の起源は探ればきりがなくなるが、現代にいたるミステリの流れを考えるにあたっては、各地でのシャーロック・ホームズシリーズ(発表時期:1887年~1927年)の受容とそのローカル版の成立を見ていくのが分かりやすいと思う。日本では、1899年4月から7月にかけて『A Study in Scarlet(緋色の研究)』(1887)の翻案『血染の壁』が毎日新聞に連載されたのがホームズシリーズの最初の紹介だとされる。翻案者は「無名氏」。この『血染の壁』では、ホームズは「小室泰六」、ワトソンは「和田進一」とされていた。『緋色の研究』のみに着目してその後の流れを見ると、この作品は翌1900年には『新陰陽博士』、1901年には『モルモン奇譚』、1906年には『神通力』というタイトルで翻訳(翻案)されている。『神通力』では、ホームズは「堀見猪之吉」、ワトソンは「和田真吉」とされているという。 その後、1917年には岡本綺堂が「江戸探偵名話」シリーズの連載を開始。このシリーズの主人公は、その第1作で「彼は江戸時代に於ける隠れたるシャアロック・ホームズであつた」と紹介されている。ホームズシリーズの影響下に誕生したこのシリーズは、1924年の単行本刊行時より「半七捕物帳」の名で広く知られている。また1923年には江戸川乱歩がデビューし、翌年には探偵・明智小五郎が初登場している。 中国では、1896年に張坤徳(ちょう こんとく/チャン クントー)がホームズシリーズ4編を翻訳し、上海の新聞『時務報』に掲載。これが中国語になった最初のホームズシリーズとされる。最初に訳された作品は、「海軍条約文書事件」(1893)(中国語タイトル:「英包探勘盗密約案」)である。ホームズの最初の翻訳は中国よりも日本の方がわずかに早かったが、ホームズ全集の刊行は、日本より中国の方が早かった。中国で最初にホームズ全集が出たのは1916年であり、一方、日本でホームズ全集が最初に出たのは、1931年末から1932年末にかけてであった。 19世紀末から20世紀初めにかけて中国(清および中華民国)では翻訳小説ブームが訪れており、ホームズなどの欧米作品のみならず、黒岩涙香や押川春浪などの日本の作品(翻案作品含む)も中国語に訳されていたという。 タイでは1912年に「第二の汚点」(1904)がルアン・ナイウィチャーン(筆名シースワン)によって翻訳され、『パドゥン・ウィッタヤー』に掲載されたのが最初である。1915年には、ルアン・サーラーヌプラパンにより『バスカヴィル家の犬』が翻訳刊行され、その後もホームズシリーズは次々と翻訳された。同時期に、タイ人の手による最初の探偵小説『トーンイン物語』が発表されている。主人公のトーンインがホームズばりの活躍をするストーリーで、執筆したのはシェイクスピアの翻訳やミステリ小説の翻訳もおこなっていた国王のラーマ6世(Wikipedia)である。(宇戸清治(2009)) 現在のマレーシア・インドネシアに当たる地域では、1910年ごろ(確実なのは1914年)にホームズが初めて翻訳された(「マレー語」(現在のマレーシア語・インドネシア語)への翻訳)。(柏村彰夫(2010)) 朝鮮半島ではホームズものの最初の翻訳は1918年の「三人の学生」(1904)だった(bookgram(2009))。また、それ以前から黒岩涙香の翻案作品を再翻案したものが人気を得ていた。代表的なものに、黒岩涙香の翻案小説『巌窟王』(1901)を再翻案したイ・サンヒョプの『海王星』(1916)がある。 第二節 裁判小説から探偵小説へ 【主要参考文献:老蔡(ラオツァイ)、杜撰(ずさん)(2009)「百年華文推理簡史 引言」、老蔡(2009)「百年華文推理簡史 一、中国偵探小説的起源」】 【2011年8月4日追加】 (1)中国初の創作探偵小説 中国では、1885年発行と推定される知非子(ちひし)「冤獄縁(えんごくえん)」が初の創作探偵小説だとされている。ただし、中国で初めて欧米の探偵小説が翻訳されるのより11年も早く、またシャーロック・ホームズが登場する最初の作品『緋色の研究』より2年も早いことから、その発行年に関しては議論がある。 日本の最初の創作探偵小説は、1888年の須藤南翠(1857-1920)「殺人犯」、または1889年の黒岩涙香(1862-1920)「無惨」(青空文庫)とされるので、「冤獄縁」の発行年の1885年というのが正しければ、中国では日本よりも早く創作探偵小説が誕生していたことになる。なお韓国では、イ・ヘジョ(李海朝、1869-1927)が1908年末から1909年初めにかけて新聞に連載した『双玉笛(そう ぎょくてき)』が初の創作探偵小説とされている。 (2)中国古来の裁判小説 1890年には、作者不明の長編探偵小説『狄公案(てきこうあん)』【注1】が刊行されている。この作品は、オランダの推理作家・東洋学者のロバート・ファン・ヒューリック(1910-1967)が英訳し、また自らそれに題材を採った推理小説〈狄(ディー)判事シリーズ〉を執筆したことで、欧米ではよく知られている。江戸川乱歩はヒューリックによる英訳で『狄公案』を読み、「一本を求め帰って読んで見ると、棠陰比事(とういうんひじ)【注2】などの短篇と違い、長篇本格探偵小説の体をなしていて西洋のガボリオやボアゴベイに比べても、大して見劣りしないほどで、その上、長篇探偵小説として西洋にも例のない面白い構成になっている。日本の小説家は棠陰比事の類ばかり輸入して、こんな優れたものを、なぜ注意しなかったのかと、不思議に思われる」(探偵作家クラブ会報第33号(1950年2月))と、この作品をフランスの探偵作家ガボリオやボアゴベの作品と並べて称賛している。この作品は、欧米探偵小説の影響を受ける以前の中国古来の探偵小説、すなわち公案小説(こうあんしょうせつ)の形式で書かれたものである。残念ながら現在にいたるまで日本語の完訳は出ていないが、有坂正三氏による抄訳『狄仁傑(てきじんけつ)の不思議な事件簿』が2007年に刊行されている。 公案小説は、中国の明の時代の末期(16世紀末 - 17世紀初め)ごろから多く書かれるようになったジャンルで、名裁判官が事件の謎を解き、真犯人を明らかにするというものである。裁判官役としては、包拯(ほうじょう)や狄仁傑(てき じんけつ/ディー・レンチエ)などの実在の人物があてられる。代表的なものに、『包公案(ほうこうあん)』【注3】(別名:龍図公案(りゅうとこうあん))や、『施公案(しこうあん)』【注4】などがある。これらは現在のミステリと必ずしも同じものではなく、やはり現在のミステリは欧米ミステリ(及びその伝播)に始まると言って差し支えないが、公案小説は中国のみならず、日本や韓国を含む東アジア諸国が欧米探偵小説を受容する際にその基層となったものなので、まったく触れないというわけにもいかないだろう。(中国の公案小説が日本や韓国に与えた影響については、のちに「東アジアミステリの源流」(未完成)で簡単にまとめる予定) その後、1896年に上海の新聞『時務報』にホームズシリーズ4作の中国語訳が掲載され、中国に初めて欧米の探偵小説が紹介されると、『時務報』のほかに『新小説』、『月月小説』、『礼拝六(The Saturday)』などの雑誌も探偵小説を掲載するようになる。 上海の小説家・呉趼人(ごけんじん、1866-1910)は、欧米探偵小説を手本に公案小説の改造を試みた『九命奇冤(きゅうめいきえん)』(1903年連載開始)や、中国の古書から34の事件簿をとりまとめた『中国偵探案』(1906年出版)などを発表しているが、これらは欧米探偵小説のファンの好評を得ることはできず、1910年の彼の死をもって、中国の伝統的な探偵小説である公案小説は終焉を迎えることになった。 注1:『狄公案(てきこうあん)』の成立年代はよく分かっていない。書籍として刊行されたのは1890年(井波律子(2003))とのことだが、物語自体はそれ以前からあったようである。ロバート・ファン・ヒューリックが英訳に際して使ったのは、古典籍を扱う東京の琳琅閣(りんろうかく)書店(公式サイト)で手に入れた写本だが、その写本は17世紀か18世紀ごろのものだとヒューリックは言っている。中国文学者の辛島驍(からしま たけし)氏は、ヒューリックや乱歩を交えた座談会で、どんなに早いとしても1798年に出版された『施公案(しこうあん)』よりはさかのぼらないだろうと述べている(このとき、辛島氏は『狄公案』の英訳を読んだだけで、『狄公案』の写本には目を通していない)。 注2:『棠陰比事(とういうんひじ)』(桂万栄(けい ばんえい)編、1207年)は、中国の宋の時代に成立した裁判エピソード集。「棠陰」(とういん)は"梨のこかげ"転じて「裁判所」という意味、「比事」は「事件・案件を比べる」という意味であり、『棠陰比事』というタイトルを分かりやすく和訳すれば『名裁判くらべ』となる。似通った2つの事件を一対として、七十二対、計144のエピソードが収録されていることからこのタイトルがつけられている。収録されているエピソードはすべて実話とされている。日本では、1649年に『棠陰比事物語』というタイトルで翻訳出版され、人気を博した。その後日本では、井原西鶴が1689年に、「棠(なし)」を日本風の「桜」に変えた『本朝桜陰比事(ほんちょうおういんひじ)』(裁判エピソード全44編を収録)を刊行。日本初の創作探偵小説とされる黒岩涙香「無惨」の発表のちょうど200年前、有栖川有栖や北村薫のデビューのちょうど300年前に刊行されたこの『本朝桜陰比事』は、「日本の推理小説の源流」と見なされることもある。なお、『棠陰比事』は岩波文庫版の表紙によれば、「推理小説ファンにとって見のがせぬ一冊」であるとのこと。 注3:『包公案』のエピソードのいくつかは、有坂正三『包青天奇案―中国版・大岡越前の物語』(文芸社、2006年)で読むことができる。北村薫は、『包公案』のエピソードの翻案だと推定される都賀庭鐘(つが ていしょう、Wikipedia)の「白水翁(はくすいおう)が売卜(まいぼく)直言(ちょくげん)奇(き)を示(しめ)す話(こと)」(『古今奇談 英(はなぶさ)草子』、1749年)を、日本初の本格ミステリだとしている。 注4:中国文学者の辛島驍(からしま たけし)氏は、1798年に出版された『施公案(しこうあん)』を中国初の長編探偵小説だと見ている。これは辛島氏の言を借りれば「折り畳み式長編、螺旋階段式長編」であり、1つの事件が解決しないうちに次の事件が起き、エピソードが200回、300回と重ねられていくタイプの長編である。 (3)翻訳探偵小説とその国産化の試み 【未完成。加筆予定】 1907年に出版された呂侠(吕侠)の『中国女偵探』(中国女侦探)は、収録作3編のうち2編が『新青年』に訳載されている(詳細は「第二節第三節」で改めて述べる)。 参考文献 中国ミステリ史 参考文献 (新しいウィンドウで開きます) 第一章 更新履歴 2011年2月3日:公開 2011年8月4日:「第二節 公案小説から探偵小説へ」を新設。 『中国ミステリ史 第一章』(19世紀末~1910年代) ←今見ているページ 『中国ミステリ史 第二章』(1910年代~1940年代) 『中国ミステリ史 第三章』(1940年代末~1970年代) 『中国ミステリ史 第四章』(1970年代末~1990年代) 『中国ミステリ史 第五章』(1990年代末~21世紀初頭) 『中国ミステリ史 第六章』(現代)
https://w.atwiki.jp/www-iris/pages/194.html
【システム名】 ミステリーデータ 【読み方】 みすてりーでーた 【登場作品】 全ての作品 【詳細】 電脳世界のエリア中に散らばる正八面体の形をしたデータ。5つの色(種類)が存在する。 一般的なRPGで言う宝箱に相当する。 青または紫 1回取得すると消えてしまって二度と手に入らない。 しかし、その分貴重なプログラムやバトルチップが入手できる。 その中でも紫は厳重なプロテクトがかけられており、解除するにはオープンロックが必要となる。 『1』ではサブチップが存在しない為、他の固定ミステリーデータと変わらない。また、同作には青いランダムミステリーデータもある。 ちなみに『2』には紫色だが普通に解析できるミステリーデータがある。 『『5』』では、シナリオ上で青色だがナビ自ら、自分には不要という理由から解析を拒否する場面がある。 『4』では周回制ゆえか仕様が少々特殊。 開けるとなくなる点は同じなのだが、周回するたびに復活し、同じ場所でも開けるたびに中身が変わる物がある。 中身の変更は3回まで。4回目以降は中身固定。 複数回開けないと手に入らない大事なアイテムもある。 設定によると、オフィシャルネットバトラーがネットバトラーたちのために設置したりしているそうな。 緑 ゲーム中では「ランダムミステリーデータ」と呼ばれている。 その名の通りエリアごとにいくつか決まった場所の中からランダムで配置され、解析するとバトルチップやゼニーが手に入る。プラグインする度に再配置されるので無制限に獲得可能。 『4』以降はバグのかけらが出ることもある。 エリア次第でウイルスが潜んでいるものもあり、見た目は完全に同じなので対策にはアントラップが必要。 内部処理では『通常エンカウントを1回発生させる』という物となっているため、ごく稀にミステリーデータからそのエリアでSPナビが飛び出してくる事もある。 ランダムエンカウントでもナビとの戦闘から逃げられない『4』だと最悪な事になりかねないので、アントラップが無い場合は出来るだけセーブしてから調べよう。 『1』では緑の固定ミステリーデータや、「中身固定かつ復活するが、同じものを既に持っていたら解析できない」特殊なミステリーデータがあった。 『2』ではロードの度に中身が変わる仕様で、リセットする事で中身を変えることができる。 『3』以降はプラグイン時点で中身が確定するため、セーブ&ロードによる厳選は出来なくなった。 『4』まではインターネットにのみ設置されるが、『5』からはシナリオ毎に訪れる電脳にも存在する。 電脳のミステリーデータは配置が固定なのでゼニーやトレーダー用のチップ、バグのかけら集めにも活用できる。 『4』以後ではバトル中にも出現する。 バスター一発で壊れる脆さだが、破壊せずに勝利すれば、バグのかけらやレアチップといった有用な物が貰える。 『4』以後はまともなバグのかけらの入手手段がこの方法ぐらいしかないため、バグピーストレーダーや交換所で集めるのに苦労したプレイヤーも多いはず。 実は置物として扱われているので、ライトニング系を使うとカミナリが落ちてくる。 公式設定集によれば、デリートされたネットナビが持っていたバトルチップやウイルスがバグに取り込まれて変化したものらしい。 金 『6』に登場した金色のミステリーデータはネットワーク中の緑色のミステリーデータのどれか一つが入れ替わる形で低確率で配置される。 中には高額なクレジットやレアチップが入っており、すぐに回収されてしまうため希少性が高い。 狙いたいならスリップランナーとシノビダッシュを使ってインターネットを回ると出会いやすい。 黄 『トランスミッション』『P.o.N』『L.o.N』に登場。 主にシナリオ進行に必要なPコードなどのキーアイテムが入っている。 『トランスミッション』のミステリーデータはどの色もロックマンの身長と同じくらいの大きさだが、黄色はそれより一回り大きい。
https://w.atwiki.jp/asianmystery/pages/159.html
2011年9月3日 2011年10月15日:増補(詳細はページ最下部の「台湾ミステリ史 中編 更新履歴」参照) 『台湾ミステリ史 中編』(第四章)では、1977年から1990年代半ばまでの台湾ミステリ界の動向を紹介している。 島崎博氏は1977年を「実質的な台湾の推理小説元年」としており、1977年から1984年までを準備期、1984年から2000年までを第一期、2001年以降を第二期としている。 ※「台湾ミステリ史 前編」(19世紀末~1970年代)と「台湾ミステリ史 後編」(20世紀末~21世紀初頭)は未完成です。 目次 台湾の言語と文字に関するごく簡単な注釈 台湾ミステリ前史 (第一章~第三章 要約) 第四章 1970年代末~1990年代半ば: 林仏児(りん ふつじ)と『推理雑誌』の時代第一節 1977年: 松本清張『ゼロの焦点』の翻訳刊行 第二節 1984年: 台湾初の長編推理小説 林仏児(りん ふつじ)『島嶼(とうしょ)謀殺案』と『推理雑誌』創刊 第三節 1987年: 台湾における日本ミステリの第1次ブーム 第四節 1988年~1992年: 林仏児推理小説賞 参考文献 台湾ミステリ史 中編 更新履歴 台湾の言語と文字に関するごく簡単な注釈 台湾で刊行されている小説で使われているのは「台湾語」ではなく、日本で言うところの「中国語」である。たとえば、「台湾では日本の推理小説の台湾語版がたくさん刊行されている」といった言い方は誤りである。 中国で画数が省略された漢字が使われていることは、テレビのクイズ番組などでもたまに取り上げられるのでそれなりに知られていると思う(たとえば中国では、「学習」を「学习」と書く)。一方、台湾や香港ではそのような省略した漢字は使われておらず、日本で言うところの「旧字体」が今でも使われている(たとえば「学習」を「學習」と書く)。中国で使われている漢字は簡体字(かんたいじ)、台湾や香港で使われている漢字は繁体字(はんたいじ)と呼ばれる。 台湾ミステリ前史 (第一章~第三章 要約) 台湾の推理小説の歴史は、1898年に台湾の新聞『台湾新報』に連載された『艋舺(もうこう)謀殺事件』(日本語作品)(艋舺(もうこう)は台湾の地名、現在の萬華(ばんか)【注1】)及び、1909年に『漢文台湾日日新報』に連載された「恨海(こんかい)」(中国語作品)に始まり、必ずしもその数は多くなかったが、20世紀前半は日本語および中国語で創作探偵小説が発表されていた。この時期に台湾で探偵小説を発表した人物は、まず日本人から挙げると、江戸川乱歩がデビューしたのと同じ1923年に創作探偵小説を発表し始め、3年間で中短編計15編を発表した座光東平や、鉄道関連の職員だった福田昌夫、第二次世界大戦末期に長編探偵小説『船中の殺人』や《龍山寺の曹老人》シリーズを林熊生(りん ゆうせい)という台湾人風の名前で発表した台北帝国大学医学部教授の金関丈夫(かなせき たけお、1897-1983)らがいる。彼らは日本語で作品を執筆・発表しているので、これらは台湾ミステリ史の前史であるのと同時に、日本のミステリ史の一部分でもある。一方、中国語で探偵小説を執筆した台湾人作家としては、武侠小説を執筆しながら数編の探偵小説を発表した李逸涛(り いっとう、1876-1921)、モーリス・ルブランのルパン物『虎の牙』の翻案も行った魏清徳(ぎ せいとく、1871-1953)、小学生の椿孝一が算数の能力で警察を助けるという児童向け探偵小説を書いた謝雪漁(しゃ せつぎょ、1886-1964)らがいる。また、台湾人の医学博士・葉歩月(よう ほげつ、1907-1968)は、終戦後の1946年に2冊の日本語単行本、『探偵小説 白昼の殺人』と『科学小説 長生不老』を刊行している。 ほかにも、台湾にホームズがやって来て事件を解決するという作品(餘生「探偵小説 智闘」『台南新報』1923年、中国語)や、臍皮乱舞・大舌宇奈児・無理下大損・正気不女給というどこかで聞いたような名前の執筆陣によるリレー小説「連作怪奇探偵小説 木乃伊の口紅」(『台湾鉄道』1934年、日本語)【注2】など、興味深い作品が書かれている。 終戦後、1946年10月25日に新聞・雑誌での日本語の使用が禁止され、葉歩月のような日本語で執筆していた台湾人作家は発表の場を失ったが、上海や香港からは探偵雑誌が輸入され、主にアメリカのパルプマガジンから作品を翻訳していた『藍皮書(らんひしょ)』(1946年7月上海で創刊、1949年5月に休刊、1950年に香港で復刊)【注3】などが人気を博した。1949年、大陸で中華人民共和国が成立し国民党政府が台湾に移ってくると、海外からの出版物の輸入が難しくなり、台湾独自の探偵雑誌がいくつか創刊された。多くは長続きしなかったが、1951年に創刊され10年以上【注4】続いた『偵探雑誌(ていたんざっし)』【注5】のような雑誌もあった。この雑誌の作品は9割がパルプマガジンからの翻訳だったが、作品に作者名は付されず、訳もめちゃくちゃで低俗なものだったという。この時期は、散発的に台湾人作家によりスパイ小説などの推理小説の一種が発表されることはあったが、専門的に推理小説を執筆する作家は生まれなかった。 注1:萬華は2010年に邦訳が刊行された台湾の推理小説、寵物先生(ミスターペッツ)『虚擬街頭漂流記』の舞台でもある。 注2:それぞれ、江戸川乱歩、大下宇陀児、森下雨村、正木不如丘のもじりだろう。 注3:江戸川乱歩は1956年から1958年ごろにかけて、香港版『藍皮書』を定期購読している。 注4:「台湾における日本ミステリー出版事情」では「10年以上」となっているが、『2009 本格ミステリ・ベスト10』に掲載された同じ講演のまとめでは「20年以上」となっている。 注5:単に『偵探』と書かれる場合もある。また日本語の文献では、『探偵雑誌』とされている場合もある。 第四章 1970年代末~1990年代半ば: 林仏児(りん ふつじ)と『推理雑誌』の時代 【同時期の中国の推理小説については「中国ミステリ史 第四章(1970年代末~1990年代)」を参照のこと】 第一節 1977年: 松本清張『ゼロの焦点』の翻訳刊行 戦後、台湾では外国文学の翻訳が制限されていたが【注6】、1975年に蒋介石(Wikipedia)が死去すると、規制は少しずつ緩んでいった。そして1977年4月、林白出版社から松本清張『ゼロの焦点』が翻訳刊行される(台湾国家図書館のデータを見ると、同出版社からは1969年にも『ゼロの焦点』が翻訳出版されている。訳者は同じ)。林白出版社はその後、この『ゼロの焦点』を第1巻とする《松本清張選集》の刊行を1979年に開始。1980年(1979年?)には叢書「推理小説系列(シリーズ)」(推理小說系列)(~1994年、全115冊)を創刊し、清張以外の日本の推理小説も刊行していった。台湾で「推理小説(トゥイリー シアオスオ)」という外来語が定着し始めたのはこの時期である。1986年(1987年?)には別の会社も日本のミステリの翻訳出版に参入するが、それまでは日本ミステリの翻訳出版は林白出版の独占状態だった。林白出版社が1977年から1986年までに刊行した日本ミステリの翻訳本は約70冊である。島崎博氏は、林白出版社が『ゼロの焦点』を翻訳刊行した1977年を、「実質的な台湾の推理小説元年」だとしている(島崎博インタビュー4、p.1110)。 日本語では「探偵小説」という語は、「古き良き時代」のロマンにあふれた作品群をイメージさせるが、台湾では「偵探(ていたん)小説」という語には、パルプマガジン翻訳時代の低俗なイメージが付きまとうという。そのため、日本の雑誌『幻影城』で「探偵小説」という語を積極的に使った島崎博氏も、台湾では「偵探小説」という言葉は使っていない。 欧米の推理小説では、1978年に星光出版社がイアン・フレミングの007シリーズの作品を刊行。続いて、1981年に水牛出版社がフランクリン・ディクスン(Franklin W. Dixon)の少年向け推理小説・ハーディ兄弟シリーズを刊行。1982年(1983年?)には遠景出版社がクリスティー全集を刊行し、続いて1986年にはE・S・ガードナーのペリー・メイスンシリーズの刊行を始めた。クリスティー全集はよく売れたという。 注6:一方で児童向けの推理小説は出版されていた。1950年代には台湾の東方出版社(社長:林呈禄)から児童向けのホームズ全集、ルパン全集が刊行され、海賊版が数種類出るほどの人気を博していたという。また、同社は1960年代初頭にはクイーンやカー、アイリッシュ、ミルンらの推理小説も児童向けに刊行している。 日本の推理小説の受容に関するもう一つの証言 【2011年10月15日加筆】 以上で提示した台湾の推理小説元年に関する説明は島崎博氏の証言に基づくものである。1977年に台湾で刊行された松本清張『ゼロの焦点』が日本の推理小説の最初の翻訳単行本で、それ以降台湾では「推理小説」という語が次第に使われるようになっていったというもので、島崎氏は21世紀になってから各所で同じように説明している。ところが、ほかならぬ島崎氏自身がこれとは大きく異なる証言をしている文献がある。日本の雑誌『推理界』の1968年7月号に掲載された島崎氏の「台湾の推理小説」という記事である。この記事で島崎氏は以下のように述べている。 島崎博「台湾の推理小説」『推理界』1968年7月号 映画007が話題になってから、007が翻訳され、推理小説の出版はさかんになった。いままでホームズとルパンの二全集しかなかった翻訳ものも、007の外、クリスティ選集、スピレンの全作品など出版された。 日本作家の長編も、新聞の副刊(文芸欄)によく翻訳連載されるようになった。そのうち単行本になったのは、 白髪鬼(江戸川乱歩著、洪明訳) 地獄の傀儡(江戸川乱歩著、永思訳) 魔鬼の標誌(江戸川乱歩著、方圓客訳) 蜘蛛人(江戸川乱歩著、余蔭訳) 霧影魅影(角田喜久雄著、金美訳) 死神的地図(島田一男著、何年訳) 神秘之門(高木彬光著、摩斯訳) 魔弾的射手(高木彬光著、何年訳) 猫影踪謎(仁木悦子訳、許振江訳) 黒色的喜馬拉雅山(陳舜臣著、刘慕沙訳) などがあるが、訳名を見て、原作名を推理するのも楽しみである。 これを見ると、日本のミステリの単行本は松本清張『ゼロの焦点』以前にも刊行されていたことが分かる。クリスティや007シリーズなどの欧米ミステリの翻訳出版も、後の島崎氏の説明よりもずっと早くに行われていたようである。 またこの記事で島崎氏は、台湾では「偵探小説」という言い方をすると説明した後に、「「推理小説」が使われるようになったのは、最近のことで、これは日本の影響である」と述べているので、『ゼロの焦点』が翻訳される10年近く前の時点で、すでに台湾で「推理小説(トゥイリー シアオスオ)」という語が使われていたことが分かる。 この記事によれば1968年当時、台湾には『偵探』(『偵探雑誌』から改題)、『偵探之王』(『偵探小説専号』の後進)、『偵探世界』などの探偵雑誌があり、日本の作品も翻訳されていた。また、文芸誌『文壇』(1952年創刊)も手当たり次第に日本の新刊雑誌から推理小説を翻訳していたという。台湾における日本の推理小説の受容については、もう少し詳しく調べてみる必要がありそうだ。 同時期の他のアジア地域の動向 対岸の中華人民共和国では、1970年代末に文化大革命が終結すると翻訳ミステリブームが起こり、欧米の黄金時代の推理小説から日本の社会派推理小説、さらにはソ連や東欧諸国の推理小説まで各地の作品が翻訳刊行された。特に松本清張や森村誠一などの日本の社会派作品は人気を博した。 韓国では1977年、欧米ミステリの叢書《東西推理文庫》全126巻(日本語からの重訳)と、《河西推理選書》全36巻(江戸川乱歩『孤島の鬼』『陰獣』、横溝正史『本陣殺人事件』、松本清張『点と線』『ゼロの焦点』『砂の器』、森村誠一『高層の死角』『人間の証明』『野性の証明』などのほか、韓国オリジナル作品も含む→ラインナップ)の刊行が始まり、韓国ミステリ中興の祖である金聖鍾(キム・ソンジョン)の活躍も相まって、推理小説ブームが訪れた。この時期の東アジアでは、日本のみならず台湾・中国・韓国と各地で日本の社会派推理小説が読まれていたことになる。 日本では1975年から1979年にかけて、島崎博氏が編集長を務める探偵小説専門誌『幻影城』が刊行されていた。 第二節 1984年: 台湾初の長編推理小説 林仏児(りん ふつじ)『島嶼(とうしょ)謀殺案』と『推理雑誌』創刊 『ゼロの焦点』を翻訳刊行した林白出版社の創設者は、1960年代に詩人・純文学作家としてデビューし、いくつかの雑誌の編集者なども務めた林仏児(りん ふつじ、1941- )である。彼は1984年4月、同社から自身が執筆した推理小説『島嶼(とうしょ)謀殺案』を刊行する。この作品は、台湾初の長編推理小説だと言われている(異論もある、後述)。そして同年11月、林仏児は林白出版社の子会社として推理雑誌月刊社を立ち上げ、台湾ミステリの草創期に大きな役割を果たすことになる月刊の推理小説専門誌『推理雑誌』を創刊する(誌名は単に『推理』と書かれる場合もある)。 『推理雑誌』は、6割が日本ミステリ、2割が欧米ミステリ、残りが台湾オリジナルのミステリと評論というものだった。林仏児に『推理雑誌』を創刊するよう勧めたのは、1979年の『幻影城』休刊後、台湾に戻っていた島崎博氏である【注7】。 島崎博インタビュー1、p.330 『推理雑誌』は今年(二〇〇四年のこと)の十一月でちょうど創刊二十周年になるのですが。その社長というのが、呑み友達だったので、ぼくともう一人の友人が彼に勧めたんですよ。推理雑誌を出しなさいと。それ以前の台湾のミステリーは、『推理雑誌』の親会社の林白出版社からで年平均四冊しか出てなかったんです。この頃の事情は『毎日新聞』【注8】の方に書きました。 『推理雑誌』の創刊に当たって、ぼくがけしかけたんです。そうしたら、雑誌が創刊したときに勝手に顧問にされてしまいました。 なお、この時『推理雑誌』の顧問には島崎氏のほかに、香港の推理作家・SF作家の倪匡(げい きょう)【注9】や、のちに島田荘司推理小説賞の最終選考委員を務める文芸評論家の景翔らも名を連ねている。 『推理雑誌』に掲載された作品は基本的に無断翻訳だったが、林仏児が日本の推理作家側と連絡をとった場合もあるようである。山村正夫『推理文壇戦後史 4』【注9】(1989年)によると、『推理雑誌』第21号(1986年7月号)には仁木悦子が林仏児にあてた手紙(1986年5月19日付)の原文とその中国語訳が掲載されているという。仁木悦子の手紙は『推理文壇戦後史 4』にも転載されているが、その文面から判断するに、林仏児は1986年の5月頃またはその少し前に、世田谷の仁木悦子邸を訪れているらしい。仁木悦子は、「台湾で多くの読者の方に私の作品を読んでいただけるということは、こんなにうれしいことはございません」などと記している。 注7:島崎博氏は1979年12月5日、一時帰国のつもりで台湾に帰郷した。しかし、帰国の5日後に台湾で大規模な民主化要求デモ――美麗島(びれいとう)事件(Wikipedia)が起きると、島崎氏は事件とは無関係だったにも関わらず当局に目を付けられ、出国できなくなってしまった。この後、日本のミステリ界では島崎氏は「消息不明」とされる。1987年~1988年ごろに一度その消息が明らかになり連絡もついたが、しばらくするとまた連絡がとれなくなり、帰国後の島崎氏についての詳細が明らかになるには1979年から数えて実に約25年の歳月を待つ必要があった。 注8:島崎博「台湾 冬の時代経て、今、第2次ブーム 日本ミステリー小説事情」(『毎日新聞』2004年12月28日夕刊 6面) 注9:邦訳に『貓(ねこ) -NINE LIVES-』(徳間文庫、1991年、「衛斯理(ウェイスリー)」名義)がある。 注10:山村正夫『推理文壇戦後史 4』には、『推理雑誌』第23号(1986年9月号)に掲載された島崎博氏のインタビュー記事が抄訳されている。そこには島崎氏の言葉として「五十を過ぎた私には、二つの目標しかありません。一つは日本の推理小説を書くこと、もう一つは、台湾の現代文学史を書くこと」と書かれている。これを受けて山村正夫氏は、「氏の自説にもとづく日本の推理小説の創作を、ぜひ一日も早く読みたいものである」と書いているが、「日本の推理小説を書くこと」というのは『推理雑誌』の誤植であり、実際は「日本の推理小説史を書くこと」だったことが島崎博インタビュー3で明らかになっている。 林仏児の台湾ミステリ界への貢献 林仏児(林佛兒/りん ふつじ)は1941年12月10日生まれ。1960年代に詩人・純文学作家としてデビューし、雑誌の編集者を務めながら作品を発表した。1968年に林白出版社を創設(「林白」は彼の筆名の一つ)。1970年代から1980年代初めにかけては、同社から『北回歸線』(1980年)(2009年版)などの中間小説(最近はあまり聞かないが、純文学と大衆小説の中間的な作品を指す日本の用語)を刊行した。 林仏児が創設した林白出版社は、1977年に松本清張『ゼロの焦点』を刊行して以来、年に数冊のペースで日本ミステリの出版を続ける。1984年4月には、林仏児自身も推理小説『島嶼(とうしょ)謀殺案』を同社より刊行した。同年11月、島崎博らの勧めで『推理雑誌』を創刊、編集長となる。1985年から1986年にかけて同誌に社会派推理小説『美人(びじん)、珠簾(しゅれん)を捲(ま)き』(美人捲珠簾)を連載(単行本刊行は1987年5月)。先に『島嶼謀殺案』を台湾初の長編推理小説だと紹介したが、この『島嶼謀殺案』は中編程度の分量だとして、『美人、珠簾を捲き』の方を台湾初の長編推理小説だとする説もある(『島嶼謀殺案』を台湾初の長編推理小説としているのは島崎博氏、『美人、珠簾を捲き』を台湾初の長編推理小説としているのは台湾推理作家協会所属の評論家・杜鵑窩人(とけんわじん)氏)。1987年には『推理雑誌』誌上で自らの名を冠した林仏児推理文学賞を創設。1980年代末にはカナダに移住し、『推理雑誌』の編集の一線から退く(完全に関わりがなくなったわけではないようである)。1991年にはカナダ華文創作協会(加拿大華文寫作協會)を設立し初代会長になった。推理雑誌に発表した推理小説関連のエッセイ等は、『心緩緩航行』に収録されている。 2007年には、台湾ミステリの発展過程や、そこで林仏児が果たした役割などを論じた研究書『推理小說研究-兼論林佛兒推理小說』が刊行された。 (林仏児の経歴については、台北市文化局の林仏児紹介ページなどを参照した) 林仏児は日本ミステリの出版や『推理雑誌』の創刊、林仏児推理文学賞の開催などで台湾ミステリ界に大きな貢献をしたが、推理小説の創作は少なく、前述の長編2編以外には、短編「東澳之鷹」と「人猿之死」があるだけである。『島嶼謀殺案』と『美人、珠簾を捲き』は2009年末(2010年年初?)に復刊されており、前者には「東澳之鷹」と「人猿之死」も収録されている(『島嶼謀殺案』2009年版、『美人、珠簾を捲き』2009年版)。 島崎博氏は林仏児の推理小説4作品の中で、最後に書かれた『美人、珠簾を捲き』を最も高く評価している。この作品は、2001年には中国で第2回北京偵探推理文芸協会賞の長編賞を受賞している(「中国ミステリ史 第六章 第一節」参照)。 林仏児『美人、珠簾を捲き』(1985-1986)あらすじ台湾人の葉青森(よう せいしん、36歳)は、数年前に日本人の阿部一郎と組んで、台湾の特産品や衣服を輸出する事業を立ち上げた。2か月に1回は日本に出張するが、出張の際には必ず韓国を経由している。韓国では2年前に、レストランチェーンの株主の朴仁淑(パク・インスク)と知り合った。葉の母親は既に死去しており、葉は現在は、台湾の高級住宅街の大邸宅に妻と子供2人と、父親の葉丹青(よう たんせい)とともに暮らしている。葉が日本に出張している時、事件は起きる。葉の父の葉丹青が、台湾の自宅寝室で殺害されたのだ。そして、日本に出張していた葉も突如行方知れずになり、数日後に韓国の仁川(インチョン)港で死体となって発見される。なぜ父と子は、台湾と韓国で同時に殺害されることになったのか。そしてその後、葉丹青の行きつけの喫茶店の従業員女性が殺害される。葉親子の殺害事件との関係は……? 第三節 1987年: 台湾における日本ミステリの第1次ブーム 1977年の松本清張『ゼロの焦点』の出版以来、台湾における日本ミステリの出版は林白出版社の独占状態だったが、1986年(1987年?)には皇冠出版が日本ミステリの出版に参入する。そして1987年3月には、希代書版から島崎博氏が作品選定および序文・解説の執筆を担当した『日本十大推理名著全集』全10巻が一挙に刊行される。 日本十大推理名著全集江戸川乱歩『黒蜥蜴』 横溝正史『獄門島』 高木彬光『破戒裁判』 土屋隆夫『危険な童話』 松本清張『時間の習俗』 仁木悦子『林の中の家』 佐野洋『透明受胎』 笹沢佐保『空白の起点』 森村誠一『高層の死角』 夏樹静子『遠い約束』 島崎氏はこの全集の企画を引き受けるにあたって、「必ず10冊出す、解説を付ける、訳者紹介を付ける」という3つの条件を出版社に飲ませたという。この当時、台湾では翻訳小説に解説を付ける習慣はなかった。また、訳者紹介を付けたのは、訳者にも責任感をもってもらおうという考えからだった(1950年代~60年代のパルプマガジンの翻訳の頃は、訳者の名前は示されないのが普通だった)。 その後希代書版からは、同年から翌年にかけて、『日本名探推理系列』全10巻と『日本推理名著大展』全8巻が刊行される(ラインナップは、Wikipediaの島崎博氏の項目(リンク)で見られる)。この2つの叢書も島崎氏が手掛けたものである。 これらの日本ミステリの叢書の成功により、他の出版社も日本ミステリの出版に参入し、台湾における日本ミステリの第1次ブームが訪れる。この第1次ブームでは、2、3年間で約200冊の日本ミステリが翻訳刊行された。この時の人気作家のトップ3は、松本清張、西村京太郎、赤川次郎であった。主な叢書に、前述の林白出版社「推理小説系列(シリーズ)」のほか、皇冠出版社の「日本金榜名著」シリーズ(1987年~1992年、全80巻)などがある(こちらのサイトが全80巻のリストを掲載している)。 しかし、このころの台湾の単行本は200ページほどが一般的で、それ以上になると訳者や編集者が勝手に一部をカットしてしまっていた(島崎氏は、カットされないように自分の企画では短い作品を選んだという)。そのため、謎解き部分はあるのに事件の部分が省略されていたり、あるいは事件は描かれているのに謎解き部分がカットされていたりと、ひどい訳書が多々あった。また、翻訳自体にも問題があり、「江戸川乱歩」が「江戸川を散歩する」と訳されるようなこともあったという(島崎博インタビュー4、p.1110)。そのため次第に読者が離れていき、2~3年でブームは終わった。日本ミステリのブームが去ると、今まであまり人気のなかった欧米ミステリが次第に読者に受け入れられていく。1990年代は欧米ミステリは好調だったが、日本ミステリは年10冊ほど刊行の低迷期になった。 第四節 1988年~1992年: 林仏児推理小説賞 1987年には『推理雑誌』創刊3周年を記念して林仏児推理小説賞(林佛兒推理小說創作獎)が創設された。短編推理小説を募集するもので、年1回のペースで全4回行われた。主な受賞者に、思婷(してい)(第1回大賞)、余心楽(よ しんらく)(第2回大賞)、葉桑(よう そう)(第3回大賞)、藍霄(らんしょう/ランシャウ)(第2回第3席)らがいる(ここでは「第一名」(第一席)または「首奨」を「大賞」と呼んでおく)。なおこの賞は応募を未デビューの新人に限ってはいない。上記の4人も、受賞以前にすでに『推理雑誌』に別の作品が掲載されたことがあった。 毎年上位入賞するのはほぼ同じ面々だったため、第4回を持って終了となった。 大賞受賞者第1回(1988年)大賞受賞者 - 思婷(し てい/スー ティン/Si Ting)(1948 - )1948年4月1日、中国福建省生まれ。本名は陳文貴。1978年に香港に移住し映画やドラマの脚本家として活動。1986年、短編「神探」で『推理雑誌』に初登場。1988年、暗号を扱った短編「死刑今夜執行」で第1回林仏児推理小説賞の大賞を受賞。ほかに、「最後一課」で第2回第2席、「一貼靈」で第3回審査員特別賞。『推理雑誌』では1986年から1991年にかけて計6編の短編を発表した。1989年に台湾に移住。1998年以降は北京で暮らしている。1993年のテレビドラマ『包青天』(中国語版Wikipedia)の脚本などで高名で、時代劇の脚本の第一人者と呼ばれている。 第2回(1990年)大賞受賞者 - 余心楽(よ しんらく/ユー シンロー/余心樂/Yu Xinle)(1948 - ) 『有栖川有栖の本格ミステリ・ライブラリー』(角川文庫、2001年8月)に短編「生死線上」(1990)が収録されている。1948年6月4日、台湾生まれ。本名は朱文輝。1975年よりスイスに居住。スイスのチューリッヒ大学卒業。1989年、「松鶴樓」で『推理雑誌』に初登場。1990年、スイスの快速列車を題材にしたアリバイ物「生死線上」で第2回林仏児推理小説賞の大賞を受賞。ほかに、「真理在選擇它的敵人」で第3回佳作。『推理雑誌』では1989年から2000年にかけて7短編と1長編(『命案的版本』、連載中断後2001年の単行本版で完結)を発表した。1992年に林白出版社より刊行した『推理之旅』は、台湾初の長編本格推理小説だと言われている。緻密に組み上げたロジカルな本格ミステリを得意とする。ほかの長編作品に、『命案的版本』(2001年刊行)がある。2008年には短編集『洗錢大獨家』(本名の朱文輝名義)を刊行した。 第3回(1991年)大賞受賞者 - 葉桑(よう そう/イエ サン/Ye Sang)多作で知られる推理作家。その浪漫的な筆致は連城三紀彦になぞらえられることもある。『推理雑誌』では1988年から2000年にかけて短編36編を発表している。1988年、「再一次的死亡」で第1回林仏児推理小説賞佳作。1990年、「遺忘的殺機」で第3回大賞を受賞。単行本に『愛情實驗室』(1991年)、『耶誕夜殺人遊戲』(1991年)、『遙遠的浮雕』(1992年)、『魔鬼季節』(1992年)、『顫抖的拋物線』(1993年)などがある。 連城三紀彦の影響を受けたということは本人もエッセイに書いている。葉桑にとって連城三紀彦の短編集『戻り川心中』(台湾では1985年に出版)は、「推理小説は一回読めば充分」という自分の思い込みを打ち破ってくれた作品集で、創作に行き詰まると何度も読み返し、その影響を受けた作品もいろいろ書いているという。また一方で、自分の創作の方向を決定づけたのは『推理雑誌』に掲載された夏樹静子や山村美紗、仁木悦子ら日本の女性推理作家の作品だったとも語っている。 連城三紀彦の短編集『戻り川心中』がこの上なく好きで、この短編集は、「推理小説は一回読めば充分」という自分の思い込みを打ち破ってくれた作品なのだという。創作に行き詰まると何度も読み返し、その影響を受けた作品もいろいろ書いているそうだ。(本人のエッセイより) 第4回(1992年)の大賞は荘仲亮(そう ちゅうりょう/ジュアン ジョンリアン/莊仲亮/Zhuang Zhongliang)の「M16A2與M16」だが、この作者はこの1作のみで消えてしまったようである。なお、第1回から第3回までは、受賞作(佳作含む)を集めた単行本がそれぞれ刊行されている(『林佛兒推理小說獎作品集1』、『林佛兒推理小說獎作品集2』、および第3回の受賞作を集めた『遺忘的殺機』)。 『推理雑誌』に登場したそれ以外の重要作家禄文(ろく ぶん/ルー ウェン/祿文/Lu Wen)1986年から1988年にかけて、『推理雑誌』で6編の短編ミステリを発表。その作品は、香港が舞台となっており、科学トリックの使用に特徴があった。台湾で女性の探偵を起用した初の作家でもある。この作家については、香港の華僑だということしか知られておらず、経歴もその後の消息も不明である。 藍霄(らん しょう/ラン シャウ/Lan Xiao)(1968 - )講談社のアジア本格リーグで長編『錯誤配置』(原著刊行2004年/邦訳2009年)が刊行されている。1967年6月4日、台湾の澎湖諸島に生まれる。まだ高校生だった1985年、『推理雑誌』に「屠刀」が掲載されデビュー。その後しばらく間が空くが、1990年、第2回林仏児推理小説賞の第3席となった第2短編「医院殺人」で復帰。『推理雑誌』では1996年までに計12短編を発表した。邦訳された長編『錯誤配置』は、1990年から藍霄が発表している秦博士シリーズの長編第1作。台湾ではほかに長編第2作『光與影 A Maze Murder Case(光と影)』(2005)、長編第3作『天人菊殺人事件』(2005)が刊行されている。 ネット上ではblueというハンドルネームを使っている。2004年には島崎博氏が台湾のミステリファンと交流する模様をサイトにアップし、島崎博氏が日本ミステリ界に「発見」される契機をつくった。2005年2月に台北で行われた国際ブックフェアでは、有栖川有栖・藍霄・島崎博氏の3人の座談会が行われた。 既晴(き せい/ジー チン/Ji Qing)(1975 - )1975年、台湾生まれ。1995年、『推理雑誌』に「考前計劃」が掲載されデビュー。『推理雑誌』では1997年までに計3短編を発表した。英米ミステリも日本ミステリも原文で読みこなし、評論家としても力を発揮。2001年には、台湾推理作家協会の前身となった台湾推理倶楽部を創設。人狼城推理文学賞を設けて新世代の推理作家を次々と発掘し、台湾ミステリ界に多大な貢献をした。代表作は、2000年に自費出版し、2004年に大手出版社より再刊された『魔法妄想症』。この作品は藍霄『錯誤配置』巻末の玉田誠氏の解説によれば、「悪魔の召喚によって死体が動き出すという、島田荘司の『眩暈』を彷彿とさせる幻想的な謎に、不可能犯罪趣味と魔術的装飾を凝らした長編小説」である。本格ミステリからホラーまで多彩な作風を見せる。ほかの著作に、『請把門鎖好』(2002年、第4回皇冠大衆小説賞受賞作)、『別進地下道』(2003)、『網路凶鄰』(2005)、『超能殺人基因』(2005)、『修羅火』(2006)、『病態』(2008)、『感應』(2010)、短編集『獻給愛情的犯罪』(2006)がある。 2005年には芦辺拓(と島崎博氏)、2006年には綾辻行人(と島崎博氏)、2007年には島田荘司とそれぞれ会談している。 以上の6人の作家は、『台灣推理作家協會傑作選 1』に掲載された巻頭解説で、台湾推理作家協会所属の評論家・杜鵑窩人(とけんわじん)氏が特に重要な作家として挙げている6人である。一方、同解説で杜鵑窩人氏は、必ずしも好ましくないものとして、「風俗派」推理小説の存在にも触れている。これは、社会派のあとにうまれたある推理小説群を指して日本で使われた「風俗派」という用語と同じ意味だと考えてよい。必ずしも謎解きなどの要素がメインになっていない作品群である。なお島崎博氏によれば、林仏児の作品も『美人、珠簾を捲き』以外は風俗派推理小説に分類される。 風俗派林崇漢(りん しゅうかん/リン チョンハン/Lin Chonghan)(1945- ):画家。推理小説の単行本は『收藏家的情人』(林白出版社、1986年)のみ。ほかに、『推理雑誌』で変格推理小説を7編発表。 杜文靖(と ぶんせい/ドゥー ウェンジン/Du Wenjing)(1947- ):新聞記者。サスペンスフルな風俗派推理小説で知られる。作品に、『情繭』(林白出版社、1986年)と『墜落的火球』(1987年)がある。 楊寧琍(よう ねいり/ヤン ニンリー/Yang Ningli)(1966- ):作品に、『童話之死』、『藝術謀殺案』、『要命的5日』、『鑽石之邀』、『心魂』、『失去觸角的蝴蝶』などがある。 葉建華(よう けんか/イエ ジエンホア/Ye Jianhua):作品は1999年刊行の『殺意的空中迴廊』(林白出版社)のみ。この作品は、日本の紀伊半島を舞台にした旅情推理もので、日本の警察が頭を悩ませているところに台湾から引退した刑事がやってきて事件を解決するというストーリーだという。 1980年代から1990年代にかけては、台湾では長編推理小説の創作はあまり多くなく、収穫と言えるものはさらに少なかった。既晴氏作成・杜鵑窩人氏監修の「台灣推理文學年表」では、重要作品として1984年から1997年まででは32作品が挙げられているが、そのうち長編作品は、林仏児『島嶼謀殺案』(1984)、『美人、珠簾を捲き』(1985-1986)、余心楽『推理之旅』(1992)の3作だけである(正確に言えば、もう1編、1994年のところで藍霄『天人菊殺人事件』が挙げられているが、この作品が出版されて一般の推理ファンの目に触れたのは2005年のことである)。 【台湾では1990年代後半になると、日本の社会派推理小説や『推理雑誌』ではなく、欧米ミステリあるいは漫画やドラマなどをきっかけにミステリ愛好者になる人が増え、ミステリの普及が進む。またインターネットの普及もあり、ミステリファンはネット上のサイトや掲示板に集い、情報交換をするようになる。そして2000年、台湾ミステリの第一期を終了させ、第二期の幕開けの契機となった「時報推理小説賞事件」が起きる。/『台湾ミステリ史 後編』(未作成)に続く】 参考文献 台湾ミステリ史 参考文献 (新しいウィンドウで開きます) 台湾ミステリ史 中編 更新履歴 2011年9月3日:公開 2011年10月15日:第四章第一節に「日本の推理小説の受容に関するもう一つの証言」を追加。 『台湾ミステリ史 前編』(19世紀末~1970年代) 『台湾ミステリ史 中編』(1970年代末~1990年代) ←今見ているページ 『台湾ミステリ史 後編』(1990年代末~21世紀初頭)(未公開) 『読書案内』
https://w.atwiki.jp/asianmystery/pages/124.html
2010年5月26日作成 2012年5月、更新作業中 完成日未定 チャッタワーラック『二つの時計の謎』(アジア本格リーグ、講談社、2009年9月)に解説として付されている宇戸清治「タイ・ミステリーの過去と現在」や、平松秀樹「東南アジアにおける日本文学」(日本比較文学会編『越境する言の葉――世界と出会う日本文学』彩流社、2011年6月)よれば、タイでは2002年に鈴木光司の『リング』がベストセラーになって以降、日本の最新のエンターテインメント小説が多く翻訳されているという。 カテゴリー>推理小説 http //www.se-ed.com/eShop/Products/ProductList.aspx?CategoryId=501 ※リンク切れ (2010年5月26日現在、1299件) カテゴリ>推理小説・ホラー小説(新しいものから順に一覧) http //www.se-ed.com/eShop/Products/ProductList.aspx?CategoryId=497 http //www.se-ed.com/eShop/Products/ProductList.aspx?CategoryId=498 http //www.se-ed.com/eShop/Products/ProductList.aspx?CategoryId=502 (SF) http //www.se-ed.com/eShop/Products/ProductList.aspx?CategoryId=507 http //www.se-ed.com/eShop/Products/ProductList.aspx?CategoryId=512 ★ Index あ行赤川次郎 綾辻行人 伊坂幸太郎 石田衣良 石持浅海 今邑彩 歌野晶午 江戸川乱歩 大石圭 岡嶋二人 乙一 か行鎌田敏夫 神永学 貴志祐介 桐野夏生 倉知淳 さ行島田荘司 椙本孝思 鈴木光司 瀬名秀明 た行高木彬光 高里椎奈 高野和明 恒川光太郎 な行西尾維新 乃南アサ は行はやみねかおる 坂東眞砂子 東野圭吾 本多孝好 ま行牧村泉 松原秀行 道尾秀介 三津田信三 宮部みゆき 森博嗣 や行薬丸岳 梁石日 横溝正史 横山秀夫 吉村達也 おまけ リンク あ行 赤川次郎 大量に翻訳されている。 綾辻行人 『緋色の囁き』、『暗闇の囁き』、『黄昏の囁き』が翻訳出版されている。 伊坂幸太郎 死神の精度 http //www.se-ed.com/eShop/Products/Detail.aspx?No=9786161000288 重力ピエロ http //www.se-ed.com/eShop/Products/Detail.aspx?No=9786165150316 陽気なギャングが地球を回す http //www.se-ed.com/eShop/Products/Detail.aspx?No=9789749273500 石田衣良 石持浅海 今邑彩 『i 鏡に消えた殺人者』 http //www.se-ed.com/eShop/Products/Detail.aspx?CategoryId=512 No=9786161001063 歌野晶午 タイのネット書店での「Shogo Utano」検索結果 『葉桜の季節に君を想うということ』タイ歴2552年3月(2009年?) 江戸川乱歩 ( เอโดงาวะ รัมโป / เอโดกาวะ รัมโป / เอโดกาวา รัมโป ) 少年探偵団シリーズ 1巻 http //www.se-ed.com/eShop/Products/Detail.aspx?No=9789744431233 2-6巻 http //www.se-ed.com/eShop/Search/SearchList.aspx?Keyword=Edogawa SearchType=Name SelectType=All 大石圭 http //www.se-ed.com/eShop/Products/Detail.aspx?CategoryId=512 No=9789743689154 岡嶋二人 『99%の誘拐』 http //www.se-ed.com/eShop/Products/Detail.aspx?CategoryId=512 No=9786111000245 乙一 タイのネット書店での「Otsuichi」検索結果 『銃とチョコレート』 『ZOO』 タイ歴 2548年8月(2005年?) か行 鎌田敏夫 ルージュ―恐怖を運ぶ六人の女 http //www.se-ed.com/eShop/Products/Detail.aspx?CategoryId=512 No=9789744994462 神永学 貴志祐介 タイのネット書店での「Yusuke Kishi」検索結果 7作品。 桐野夏生 『OUT』など。 倉知淳 『ほうかご探偵隊』 http //twitpic.com/8mulak さ行 島田荘司 タイのネット書店での「Soji Shimada」検索結果 『占星術殺人事件』 タイ暦 2552年3月刊行(2009年?) 『異邦の騎士』 タイ暦 2552年3月刊行(2009年?) 椙本孝思 鈴木光司 『リング』など 瀬名秀明 『パラサイト・イヴ』 http //www.se-ed.com/eShop/Products/Detail.aspx?CategoryId=512 No=9789749966501 た行 高木彬光 高里椎奈 高野和明 『グレイヴディッガー』 http //www.se-ed.com/eShop/Products/Detail.aspx?No=9789749899465 恒川光太郎 な行 西尾維新 デスノート http //www.se-ed.com/eShop/Products/Detail.aspx?CategoryId=512 No=9789743038457 乃南アサ は行 はやみねかおる 坂東眞砂子 http //www.se-ed.com/eShop/Products/Detail.aspx?CategoryId=512 No=9789749899625 東野圭吾 タイのネット書店での「Higashino」検索結果 『嘘をもうひとつだけ』、『赤い指』、『悪意』、『仮面山荘殺人事件』など。 『容疑者Xの献身』タイ語版 http //www.se-ed.com/eShop/Products/Detail.aspx?No=9789749698907 『秘密』 http //www.se-ed.com/eShop/Products/Detail.aspx?CategoryId=512 No=9789749899861 本多孝好 ま行 牧村泉 松原秀行 道尾秀介 「Shusuke Michio」検索結果 少なくとも『向日葵の咲かない夏』、『龍神の雨』、『ラットマン』の3冊が翻訳出版されている。 三津田信三 禍家 http //www.se-ed.com/eShop/Products/Detail.aspx?CategoryId=512 No=9786161000264 宮部みゆき http //www.se-ed.com/eShop/Products/Detail.aspx?CategoryId=512 No=9789749899663 http //www.se-ed.com/eShop/Products/Detail.aspx?CategoryId=512 No=9789749899656 森博嗣 や行 薬丸岳 梁石日 横溝正史 タイ語タイトルをクリックするとタイのネット書店の該当ページが開きます。 タイトル タイ語タイトル 備考 1 『犬神家の一族』 ฆาตกรรมในตระกูลอินุงามิ 旧版 2 『八つ墓村』 หมู่บ้านแปดหลุมศพ 3 『悪魔が来りて笛を吹く』 บทเพลงปีศาจ 4 『迷路の花嫁』 ร่างทรงมรณะ 5 『獄門島』 คดีฆาตกรรมบนเกาะโกะกุมน 6 『三つ首塔』 เจดีย์สามเศียร 旧版 7 『悪魔の手毬唄』 คดีฆาตรกรรมเพลงเล่นลูกบอลปีศาจ 旧版 8 『夜歩く』 อย่าออกมาเดินตอนกลางคืน 9 『本陣殺人事件』 ในห้องที่ปิดตาย 10 『迷路荘の惨劇』 คฤหาสน์เขาวงกต 11 『幽霊男』 บุรุษวิญญาณ 12 『吸血蛾』 ผีเสื้อดูดเลือด 13 『不死蝶』 ผีเสื้ออมตะ 14 『女王蜂』 ผึ้งนางพญา 15 『華やかな野獣』 สัตว์ป่าแสนสวย 16 『死神の矢』 ลูกศรเทพมรณะ 17 『悪霊島』 เกาะวิญญาณอาถรรพณ์ เล่ม (上巻、下巻) 18 『悪魔の百唇譜』 บันทึกมรณะ 19 『仮面舞踏会』 งานเต้นรำสวมหน้ากาก 20 『扉の影の女』 ข้างหลังบานประตู 21 『支那扇の女』 หญิงผู้ถือพัดจีน 22 『毒の矢』 ลูกศรพิษ 23 『スペードの女王』 ราชินีโพดำ 24 『白と黒』 ขาวกับดำ 25 『悪魔の降誕祭』 คริสต์มาสซาตาน ※『悪魔の手毬唄』は旧版と新版でタイトルの綴りが微妙に異なっているが、単なるタイプミスなのかタイトルの変更なのかは分からない。 横山秀夫 『半落ち』 http //www.se-ed.com/eShop/Products/Detail.aspx?CategoryId=512 No=9789749899649 吉村達也 おまけ 韓国のミステリー小説、ユ・グァンス『秦始皇帝プロジェクト』(2008年)のタイ語版 http //www.se-ed.com/eShop/Products/Detail.aspx?No=9786160407460 台湾のミステリー小説、寵物先生(ミスターペッツ)の『虚擬街頭漂流記』(2009年)のタイ語版 http //www.se-ed.com/eShop/Products/Detail.aspx?No=9786167031217 台湾のミステリー作家、既晴の作品のタイ語訳本 http //www.se-ed.com/eShop/Products/Detail.aspx?CategoryId=512 No=9789749916988 http //www.se-ed.com/eShop/Products/Detail.aspx?CategoryId=512 No=9789749916964 http //www.se-ed.com/eShop/Products/Detail.aspx?CategoryId=512 No=9789749916971 中国の人気サスペンス作家、蔡駿(さいしゅん/ツァイジュン)の作品のタイ語訳本 http //www.se-ed.com/eShop/Products/Detail.aspx?No=9786117031168 http //www.se-ed.com/eShop/Products/Detail.aspx?No=9786117061110 ジャック・カーリイ『百番目の男』のタイ語版 http //www.toulo.com/product/ProductDetail.asp?ProductID=16150 森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』のタイ語版 http //www.se-ed.com/eShop/Products/Detail.aspx?No=9786167244037 チャッタワーラック『二つの時計の謎』(原題『死亡推定時刻』)の原書 タイのネット書店 Googleブックス リンク 国立国会図書館 「タイの出版界の状況について」(2007年12月) 「日本ミステリの海外刊行」に戻る
https://w.atwiki.jp/asianmystery/pages/60.html
韓国推理作家協会のソン・ソニョン氏が語る「季刊ミステリ新人賞」 (&韓国ミステリの現状) 2010年3月31日 2010年の本格ミステリ大賞(本格ミステリ作家クラブ主催)の候補にもなっている「アジア本格リーグ」から昨年刊行された、韓国の美術ミステリ『美術館の鼠』(李垠(イ ウン)、2009年11月 講談社)。先日読んだこれが、あまり…少なくとも「本格」としては面白くなかったので、「アジア本格」「アジアミステリ」についてちょっとした失望のようなものを感じていたんですが…。 そんな中、さっき読んだ韓国の推理作家ソン・ソニョン氏のブログ記事(2009年11月21日付、http //blog.daum.net/ilovemystery/27)がかなり熱く韓国の推理小説の未来について語っていて感動したので、急きょ、半年ぶりぐらいに記事を書くことにしました。 韓国の推理小説・推理小説界の状況については、これ→(ハンギョレ新聞 2008年12月26日記事(日本語)「‘殺害された’ 韓国推理小説‘ 真犯人’は誰か」、記事執筆:『季刊ミステリ』編集長 バク・クァンギュ)を読んでもらえば分かると思いますが、非常に悪い状態なわけです。韓国の国内作家が非常に少ない。そんな中、韓国で推理小説の新人賞を実施し、新人推理作家を育てているのが韓国推理作家協会が発行している『季刊ミステリ』(계간 미스터리、年4回発行)です。この雑誌では、韓国内外の短編推理小説の掲載をしており、日本の推理小説特集(2008年夏号)、綾辻行人の館シリーズ特集(2005年秋号)なんかもありました。ほかにも、韓国の推理作家の長編連載や評論、推理小説関連情報が掲載され、そして、推理小説(短編・中編)および評論を募集する「季刊ミステリ新人賞」が行われています。 で、韓国の推理作家ソン・ソニョン氏(yahooでページをweb翻訳すると「手ションヨン」と訳されてしまいますが…)によると、「季刊ミステリ新人賞」は、年に4回も新人を選んでいるが、それは多すぎなんじゃないかと、文句が来たそうなんですね。確かに、季刊ミステリ新人賞では毎季ごとの応募数が30編程度だそうですから、たとえば日本のミステリーズ!新人賞(東京創元社、2004年-)が毎回400編を超える応募作の中から受賞作を選んでいるのと比べれば、相当「ゆるい」賞と言えないこともない。ただ、韓国ミステリの現状を考えれば、そんなことは言ってられないわけです。そして、「ゆるい」というのも決して正確ではない。 ソン・ソニョン氏によれば (以下、ソン・ソニョン氏のサイト「ソン・ソニョンの推理ミステリ世界(손선영의 추리 미스터리 세상)」の2009年11月21日付記事「推理小説家を胚胎する季刊ミステリ新人賞についての断想(추리소설가를 잉태하는 계간 미스터리 신인상에 대한 단상.)」から要約) 韓国では、「本格文学」「純文学」では、1年間でおよそ300人が新人賞を受ける。ただ、そのうち10年後にも執筆している作家はといえば、10パーセント未満。それだけでは収入が得られないというのが理由だろう。 そして、季刊ミステリが1年間で選ぶのは4人。これは、韓国で1年間に誕生する新人300人の中のたった4人にすぎない。この中で10パーセントが10年後にも執筆をつづけているとすれば、その数値は0.4人ということになり、「一人」にもならない。 韓国で、2008年に刊行されたすべての本を数えると、43099タイトル(注:40099と書いてある箇所もある)になる。このうち、文学が約15.59パーセント(4700タイトル)。 このうち、韓国の作家による推理小説は27タイトル。なんとも暗鬱、切ないことである。 (※注:2008年に韓国で刊行された推理小説267冊のうち、韓国作家の作品は10分の1の27冊。しかもこれは、季刊ミステリ2008年冬号によれば、『韓国スリラー小説短編選』『韓国ホラー小説短編選』『韓国推理スリラー短編選』などを含んだ数字なので、日本で「推理小説」と呼ばれるような作品は(実際に内容を確認した訳じゃないですが)もっと少ないということになります。) このような状況で、1年間で4人というのはむしろ少ないと言える。1年間(季刊なので4冊分)で季刊ミステリ新人賞への応募数は約150編。この中から4人を選んで、推理小説を書くように奨励しているが、10年後まで執筆するのが10パーセント未満だという数値どおりに考えるのなら、10年後に彼らが推理小説を書いているという保証はない。 (要約終わり) そして、ソン・ソニョン氏は、ミステリとサスペンス、ミステリとホラーとの違いなどを説明して、(たとえばミステリは、読者と主人公がほとんど同じ情報をもって事件を解いていくもの。サスペンスは、読者がより多くの情報をもっており(たとえば犯人が分っているとか)、読書する過程での感情を重視することで創作が成り立つ)この新人賞には推理小説、ミステリを応募してほしいということを訴えます。 推理小説以外では約300の賞が設けられている。一方で、推理小説を専門に募集する賞はこの「季刊ミステリ新人賞」だけ。そう考えれば、この賞も決して易しいものではないと、ソン・ソニョン氏は言います。そして、韓国での「文学」重視の傾向の中で、「推理小説」も「文学」になりうるのであるということを、현재훈(ヒョン・ジェフン、玄在勳)氏の「누가 도요새를 쏘았나」(誰がシギを撃ったか)の前文を引用して説きます。ソン・ソニョン氏によれば、純文学の隆盛の中で、推理小説のようなジャンル小説は恥ずかしいものとされるのが常だった。だから今、季刊ミステリという、推理小説プロパーの作家のための登龍門があるということは、まさに祝福の一つである。 「多くの推理小説家たちが生まれてきて、認識の変化が生じたら、我が国も日本やヨーロッパ、アメリカのような推理小説黄金期を謳歌することができるのではないだろうか」 「さて、受賞者が多いと、コネやら賄賂の温床になるんじゃないかという質問だが、季刊ミステリ新人賞の選考委員は、推理小説などのジャンル小説で15年間筋を通してきた人たちだ。自尊心1つで劣悪な状況を耐えてきた人たちが、その自尊心を捨てるようなことがあるだろうか。雑誌に掲載されている審査過程を見れば、選考委員が応募作をすべて読み、ある作品がどうして新人賞にふさわしいのか、論理的に分析しているのが分かる。」 「『季刊ミステリ』ほど、新人賞を選ぶことに念を入れ最善を尽くすところはないと自負している。なぜかというと、推理小説家を選ぶ賞だからだ」 『季刊ミステリ』も、2009年は4月以降しばらく刊行されず、まさか休刊になってしまったのかと心配したりもしていました(その後、夏号と秋号が11月に刊行されました)。そんな、あまり明るくない韓国ミステリ界ですが、ソン・ソニョン氏のような人がいるのならば、韓国ミステリ界ももっともっと発展していけるだろう、という気がしてきます。これからの韓国ミステリに期待します。 さてここで、ソン・ソニョン氏の作品や、季刊ミステリ新人賞の受賞作なんかを紹介できればいいのですが、実はわたしは残念ながら、小説が読めるほど韓国語を知ってるわけではないので(苦笑)、どこかの出版社で、季刊ミステリ新人賞の受賞作品や、韓国の若手推理作家のアンソロジー『12人12色』(韓国のネット書店アラジンへのリンク)なんかを訳してくださいませんかという、他力本願な願いでこの項終了とさせていただきます。(…すみません) p.s. ちなみに、季刊ミステリ新人賞受賞者ソル・インヒョの短編(受賞後の作品)「そして誰もいなくなった」は、早川書房『ハヤカワミステリマガジン』2009年1月号で翻訳されているので読むことができます。この短編、『ミステリーが読みたい! 2010年版』なんかでは褒められたりもしていましたが、自分としてはあまり…。「本格」を期待しなければ、楽しめるかもしれません。 言及したソン・ソニョン氏の記事:http //blog.daum.net/ilovemystery/27 翻訳にどうぞ(yahoo web翻訳):http //honyaku.yahoo.co.jp/url ■追記■2010年4月1日 ソン・ソニョン氏が何者なのか、詳しい話を書くのをまったく忘れてました。 ソン・ソニョン(손선영)氏は、2008年に季刊ミステリ新人賞を受賞してデビューした新人推理作家です。受賞作は、季刊ミステリ20号(2008年夏号)に掲載されている「ツバメの巣城殺人事件」。 (ウクライナに実在する城で、日本語では「ツバメの巣城」というみたいです。「Swallow's Nest castle」でググれば、すぐ写真が出てきます。季刊ミステリ20号は日本の推理作家特集でもあるので手に入れたいのですが、現在品切れで入手不能) 韓国若手推理作家アンソロジー『12人12色』に載っている経歴によると、デビュー後は、「誰がわたしのラーメンを食べたんだ?」(韓国推理作家協会編『2008 今年の推理小説』に収録)シリーズなどの日常の謎ミステリを中心に書いているとのこと。また、インターネット上で8編の長編と40余編の短編を発表しているそうです。 韓国ミステリ紹介 目次へ