約 211,557 件
https://w.atwiki.jp/tohokusf/pages/162.html
東北大学SF研究会 短篇部会(2018/6/21) バナナ剝きには最適の日々 円城塔 著者紹介 1972年北海道札幌市生まれ。博士(学術)。代表作は『Self-Reference ENGINE』、『これはペンです』、『道化師の蝶』、『エピローグ』など。 われらが円城塔である。91年東北大学理学部物理第二学科(現在の地球物理学科)に入学。在学中は当会に所属し、SFではなく南米文学や前衛文学を中心に読んでいた。95年に学部を卒業し、東京大学大学院総合文化研究科に進学し、00年博士課程修了。以後ポスドクとして北大や京大、東大で勤務するも、次年度の研究費と給料が確保出来なくなったためウェブエンジニアとして07年に知り合いの経営する民間企業に就職。 一方、研究の合間に書き溜めた原稿を指導教官の東大教授金子邦彦に見せたところ、小松左京賞か日本ファンタジーノベル大賞に応募することを勧められた。そののち阪大教授菊池誠にも読んでもらい、日本ファンタジーノベル大賞を勧められるが締め切りが過ぎていた。そのため06年第7回小松左京賞に応募したものの最終候補作に留まる(受賞作無し)。同じく最終候補作だった伊藤計劃『虐殺器官』とともに早川書房に持ち込み、07年デビュー。これを機に伊藤計劃と親交を深めた。 同年『オブ・ザ・ベースボール』で第104回文學界新人賞受賞、第137回芥川龍之介賞候補。したがって、ほぼ同時期にSFと純文学の両方面で才能を認められてデビューしたことになる。(そもそも円城塔の前ではもはやジャンルなど存在しないのかもしれない) 「レムの論理性とヴォネガットの筆致(大森談)」「ボルヘスとユアグローとテッド・チャンを足して5で割る(本人談)」などと言われる作風で、「分からないけど面白い」「ちゃんと文章を読み進めているのになにも頭に入ってこない」のが特徴。一応本人曰く「見たままを書いている」らしい。言葉そのものの欠陥や小説という構造に対して非常に挑戦的で、その点では高度に文学的で前衛的。しかし、難解なのはひとつの側面であり、ナンセンスギャグを得意とする側面もある。円城塔の作品を完全に理解するのは不可能なので、気軽に訳の分からない世界を楽しんでほしい。この分からなさこそが、センス・オブ・ワンダーである。 以下、主な受賞歴 『烏有此譚』 第32回野間文芸新人賞 『これはペンです』 第3回早稲田大学坪内逍遥大賞 奨励賞 『道化師の蝶』 第146回芥川龍之介賞 『屍者の帝国』 第31回日本SF大賞特別賞、第44回星雲賞 『Self-Reference ENGINE』 フィリップ・K・ディック賞特別賞(次席にあたる) 『文字渦』 第43回川端康成文学賞 各短篇紹介 まず大前提として、円城塔の作品を理解しようとしてはいけない。そもそも作者以外完全な理解など出来るはずがないのだから。理解出来ないはないはあるのだ。 『パラダイス行』 一作目から訳が分からないが、これでも比較的分かりやすい部類には入る。円城塔作品の特徴として、自明であるものをわざわざ定義してから、次第に意味不明なものの議論を展開するというものがある。しかし、作中の議論をちゃんと経ていくと、その論理性を理解出来るつくりになっている。訳の分からない議論から普遍的な結論を導き出す物語は必読。 『バナナ剝きには最適の日々』 本作品集の表題作。「難解で知られる芥川賞受賞作家の、すこし分かりやすい入門作」という文句の通り、円城塔作品の中では非常に分かりやすい。まあ『Self-Reference ENGINE』や『オブ・ザ・ベースボール』も大分手加減して書いたらしいのだが。この作品には、いつものような難解な議論はあまり出てこず、三枚族と四枚族のバナナに関するナンセンスなギャグが披露される。円城塔はこういうものの見方をする、ということを学ぶ上で確かに入門的な作品か。しかし、これが本当に入門的なのだろうかという疑問も残る。 『祖母の記憶』 祖母を喪った祖父は、地下にホームシアターを作った。しかし祖父は地下室へ下りる階段から転げ落ち、寝たきりになってしまった。唐突に登場する「彼女」や道路のシミであるジョン、そして「祖父の記憶」がなぜ「祖母の記憶」になるのか。やはり訳が分からない。 『AUTOMATICA』 便宜上、題名として『AUTOMATICA』と書いたが、それも仕掛けの一部。3!通りの楽しみ方がある小説で、「もっとも自由であるはずの表現形態」である小説という無意識の枠組みに挑戦した純文学としても、そこから広がる世界を想起させるSFとしても読める。 『equal』 もともとCDのブックレットだったらしい。私の手には負えないので巻末解説に譲る。 『捧ぐ緑』 科研費の定番ネタとして、「象の卵」というのがある。そこから転じてゾウリムシになったのかもしれない。ぞうの卵はおいしいぞう。ぞうの卵はおいしいぞう。ぞうの卵はおいしいぞう。ぞうの卵はおいしいぞう。ぞうの卵はおいしいぞう。ぞうの卵はおいしいぞう。 (参考:http //osksn2.hep.sci.osaka-u.ac.jp/~taku/kakenhiLaTeX/2013/kiban_ab.pdf) 『Jail Over』 のたうちまわる人型の何か、といわれると「くねくね」を思い出す。それは置いておくといても、今回はさほど分かりにくくはない。円城塔の得意とする語り手の立場に関する問題がはっきりと提示されるので、“らしさ”を残しつつも楽しめる一作。 『墓石に、と彼女は言う』 円城塔の量子力学SF。観察者問題は円城塔の文学的主題のひとつである。 『エデン逆行』 なんとSF短篇集の中にあってファンタジーなのである。ファンタジーといえば見知らぬ街や世界へのワクワク感で読み進めるものだが、円城塔の描くファンタジーではその舞台への理解さえも拒絶してしまう。そうあるものはそうあるのである。しかしながら、この街がミンコフスキー時空に存在していると表現すれば、SF的だし、理解しやすくなるのではないか。難解ながらも、SFとしての魅力とファンタジーとしての魅力の入り混じった傑作。 『コルタサル・パス』 『エピローグ』につづく話らしい。(『エピローグ』を全く読んでいないので何も言えない)『エピローグ』は円城塔の最高傑作と評価されているので、興味のある人はぜひ。 解説 『バナナ剝きには最適の日々』 29頁2行目「どこぞの凶暴な兄妹」 「ヘンゼルとグレーテル」のことだろう。 33頁12~16行目 古き良きSFジャンルである「スペースオペラ」のお約束の列挙。 34頁5行目「人智を越えてうねり逆巻く大海原」 スタニスワフ・レム『ソラリス』に登場する、惑星ソラリスの全面を覆う知性をもった海のことだろう。円城塔が『ソラリス』について言及する機会は多いので、好きなのかもしれない。(一方、ソダーバーグとタルコフスキーの手による映画化版2作は見ていないらしい)同じ文内で語られているものも、古典的なSFに登場したものである可能性が高い。 36頁16行目~「今日の日記。特になし。……」「時間があるなら、時間を食べれば……」 1789年7月14日、フランス革命のきっかけとなった「バスティーユ襲撃」の報告を聞いた国王ルイ16世が残したとされる日記。実際には、毎日のように行っていた趣味の狩猟の成果に関する日記であり、バスティーユ襲撃の事実を意図的に無視したものではない。 ふたつめは言わずと知れたルイ16世王妃マリ・アントワネットの(ものとされる)言葉。 38頁1行目「チャッキー」 語り手のイマジナリーフレンドだと思われる。この存在から逆説的に、語り手には相応のストレスに晒されていたか、もしくは語り手の精神年齢が幼めであることが分かる。 42頁11行目「方程式の温度は3K」 トム・ゴドウィンの歴史的名作『冷たい方程式』から。この作品も外宇宙を航行中の宇宙船内を舞台にした作品。3Kという温度は、宇宙背景放射による「宇宙の温度」から。 43頁8行目~ バナナ星人のエピソード この作品の本題。皮が三枚に剝けるバナナ星人と四枚に剝けるバナナ星人は互いに憎みあい、長いこと紛争を続けていた。しかし何枚に剝けるかは実際に剝いてみるまで分からない上、皮を剝かれたバナナ星人は死んでしまう。ナンセンス・オブ・ナンセンス。 46頁16行目~ 超光速航法に関する考察 超光速航法は、物理学的には相対論で禁止されている。特殊相対論・一般相対論が正しいと確認出来る事象は数多く報告されているため、今のところ相対論は正しいと言える。 「想像力は宇宙をも超えるはず」というのはSF界隈で幾度となく唱えられてきた言葉。「内宇宙は、外宇宙よりも遥かに広い」というのは、60年代に英国で提唱され、70年代にかけて推進されていた「ニュー・ウェーヴ」というSFサブジャンルで提唱されていた言葉。特にJ・G・バラードの「SFは外宇宙よりも内宇宙を目指すべきだ」という言葉は有名。 48頁10行目「群速度は光速度を容易く超える」 群速度とは、複数の波高の重ね合わせの波高(うねり)が伝わる速度のこと。群速度は確かに光速を超え得るが、物質自体が光速を越えているわけではなく、文中にもあったように波の波高自体は何ら情報をもたないので相対論に縛られない。詳細は各自検索していただきたい。 『エデン逆行』 185頁9行目~「時間の経過と塔を巡ることが等価……」 ミンコフスキー時空において、時間(×光速)と空間は等価になる。これと同じことが時間の街が含まれる時空にも言えるということだろう。逆に言えば、時間が流れるならば時間の街の人々は動き続けなければならない。それが続く文に現れている。 185頁13頁~「だんだん道は細まるが、……」 古典力学でいうところのローレンツ収縮にあたる。やはり時間の街の時空はミンコフスキー時空であるらしい。 186頁7行目~ 祖母に関する議論 相対論において、速度が光速に一致すると、因果律が破綻する。原因と結果が同時に生じるようになるからである。速度が超光速になると、因果律が逆転し、結果の後に原因が生じるようになる。記述からすると、時間の街では相対論効果によって因果律が破綻している可能性がある。まあそんなもんだと考えて聞き流すのがいいだろう。正直この議論は私の理解を超えているので、今回の部会ではこの部分を重点的に扱いたい。 所感 ということで数年ぶりに円城塔の作品の部会を開催することになったが、いかがだっただろうか。 まず『バナナ剝きには最適の日々』から。この作品は円城塔作品の中では非常に分かりやすく、また円城塔の科学的・SF的知識に基づく衒学的妄想とナンセンスギャグが絡み合って抜けた雰囲気を醸しだしている。特に、バナナ星人の謎の争いのくだりは非常に脱力的でナンセンス。しかし、この作品の語り手の状況に焦点を合わせると、かなり悲壮な状況であることが分かってくる。この語り手は、地球人の素朴な好奇心を満たすために、誰もいない外宇宙へと放り出されてしまったのだ。絶望的な状況の中、発狂寸前の意識を保つために、イマジナリーフレンドとの交流やナンセンスな妄想を展開することで何とか生きながらえている。作中では正気回路なるものが警告を出しているが、この正気回路が正しく動作しているという保証はどこにあるのだろうか。前回私が取り上げた『さあ、気ちがいになりなさい』もそうだが、正気と狂気を巡るSF的議論はどうしてこんなにも魅力的なのだろうか。 次は『エデン逆行』。前半はミンコフスキー時空的な時空に存在するらしい時間の街に関するファンタジックな考察がメイン。途中までは物理学を用いて論理的に解釈出来るが、祖母を巡る理論からは読者を大きく突き放しにかかる。そして最後の最後で『エデン逆行』というタイトルを回収して物語は終わる。解釈出来そうで出来ない議論、そのギリギリを攻めているような内容で、非常に心惹かれる。後半の『シェルピンスキー=マズルキーウィチ辞典』に関する考察は、円城塔の好む部類の議論である。同類の議論はデビュー作のひとつ『Self-Reference ENGINE』冒頭で提示される。(「全ての可能な文字列。全ての本はその中に含まれている。」)創作に関するこの議論は円城塔の大きな疑問のひとつなのだろう。 円城塔を楽しめたのならば、酉島伝法もぜひ読んでほしい。酉島伝法はデビュー作『皆勤の徒』で円城塔に「人類にはまだ早い系の作家」と称賛された作家。間違いなく現代日本SF最高峰の一角である。このレジュメが円城塔と酉島伝法への架け橋になれば幸いである。 付録 今回円城塔作品に入門したので、おすすめの作品を紹介する。 『Self-Reference ENGINE』(ハヤカワ文庫SF) 伊藤計劃『虐殺器官』と(ある意味で)対を成す作品。連作短篇集形式となっており、前半はより手加減した作品が多く、後半に向かうにつれて難解さを増していく。 基本的にはひとつひとつの短篇が独立しているので、よくわからないものは読み飛ばしても問題ないはず。ひとつひとつの物語を丁寧に読み解いていくうちに浮かび上がってくる「大きな物語」は圧巻。現代日本SFを語るならば欠かせない一作。SFマガジン700号記念の人気投票では国内長編部門16位にランクイン。 「これはペンです」(新潮文庫) 円城塔2度目の芥川賞候補作にもなった作品。中篇『これはペンです』『良い夜を持っている』の2作が収録されている。 「叔父は文字だ。文字通り。」というギャグから始まる『これはペンです』。基本的には語り手と世界各地からあらゆる記述法で手紙を送ってくる叔父とのやりとりで物語が進む。ナンセンスギャグだけで成り立った小説のようにも思えるが、円城塔らしい議論もばっちり含まれている。身体と意識の問題を扱ったSFとしても、言語が元来もつ「弱さ」に関する文学的考察としても読める。これで芥川賞を獲れなかったのが惜しいかぎり。 『良い夜を持っている』はSFマガジン700号記念の人気投票で国内短編部門23位にランクインした作品。記憶をめぐる良質なSFでありながら、小説という表現技法に果敢に挑戦した文学的側面も併せ持つ。文学的挑戦と物語とが高度な次元で融合する傑作。 (評判からすると、一番分かりやすいのは『屍者の帝国』で、一番面白いのは『エピローグ』なのだが、両方とも未読なので何も言えない。) 下村
https://w.atwiki.jp/tohokusf/pages/156.html
東北大SF研 読書部会 『時をかける少女』 筒井康隆 著者紹介 1934年大阪府大阪市の生まれ。代表作は『時をかける少女』『家族八景』『パプリカ』『残像に口紅を』『虚航船団』『旅のラゴス』など多数。 同志社大学ではじめ心理学を学んだ後、美学・美術史学に転向。学業の傍ら俳優活動に精を出し、学生演劇界では有名だった。卒業後は展示装飾を手掛ける会社を経て独立し、デザインスタジオ「ヌル・スタジオ」を設立。1959年12月に創刊された「SFマガジン」を読んで衝撃を受け、翌1960年6月にボーナスをつぎ込み、父と弟3人の計5人でSF同人誌『NULL』を創刊。一家で同人誌を出している物珍しさが評判となり、たびたびメディアに取り上げられていた。この創刊号が運よく江戸川乱歩の目に留まり、乱歩主宰の雑誌『宝石』に転載される形で雑誌デビューを果たした。 言わずと知れた日本SF御三家のひとりにして、最近ではついに文豪と言われるようにもなった日本SF界きっての問題児。清廉潔白な星や正統派な小松の作品とは異なり、エログロナンセンスやキワモノ、時事ネタ、メタ、パロディなどなんでもござれな作風で、一口では言えない幅広い作品を手掛けている。 この作品は「中三コース」の1965年11月号から「高一コース」の1966年5月号に連載された。今でもなお有名なこの作品によって、筒井は少年少女にSFというものを広く知らしめ、60年代から70年代へと続く第一次日本SF黄金期の土台をつくった。 あらすじ 中学三年生の芳山和子は、友人の深町一夫、浅倉吾朗と一緒に理科室の掃除をしていたが、ふたりが離れている間に誰かが作成した薬品を吸い込んでしまった。その薬品は不思議な、甘いラベンダーのような香りがした。そして和子は意識を失ってしまった。2人に助けてもらったが、運よくけがはどこにもなかった。ラベンダーの香りは、どうしてか大切な香りのような気がしたが、分からなかった。 あの香りをかいでから、和子は体の調子がおかしいと感じていた。ある夜、地震のために家の近くで火災が起こり、それを見に行ったために翌日学校に遅刻しそうになっていた。急いで道路を渡ろうとしたとき、車にひかれそうになったような気がしたが、気がついたら自分の部屋のベッドの上だった。その日経験した出来事は、全て和子が“昨日”経験したものだった。和子はそれから起きる出来事を予言し、また巻き込まれるはずだった事故を回避した。色々と考えをまとめると、どうやら和子はタイムリープ出来るようになったようだ。 和子は、タイムリープの原因と思われるあの薬品を作った人物を突き止めに、過去へ戻った。理科室にいた人物は、深町一夫だった。一夫は実は未来人のケン・ソゴルで、時間移動出来るようになる薬品を作って試してみたところ、誤って現代に来てしまったのだと和子に話した。一夫は、未来に戻るためにもう一度薬品を作ろうと学校の理科室に入った際に、自分の作った薬品の入った瓶を割ってしまい、和子に気付かれたのだった。 和子は一夫と長い付き合いだと思っていたが、実は、一夫は現代に1か月しか滞在しておらず、それ以外の期間の記憶は全て催眠による架空のものだった。一夫は和子に恋をし、1か月の間現代に留まっていたのだ。一夫は和子に全てを伝えたあと、歴史が改変しないように、自分を知る人物の記憶から、自身とタイムリープに関する記憶を全て消去した。 後日、和子はラベンダーの香りをかいで、なぜだかとても懐かしく思った。いつか、だれか素敵な人に会える、そんな気がした。 悪意に関する研究 筒井康隆の「子供向け」作品を鑑賞する上で、まず最初にやらなければならないことは、筒井康隆が作品に込めた悪意を探し当てることである。あの筒井康隆が真面目に子供向けの話や単純に良い話など書くはずがないのだ。 例えば『佇むひと』という短篇がある。この作品、筒井にしては妙に感情を押し殺した乾燥した文体で物語がつづられており、話の中身自体もやるせない、この世の理不尽に疲れ切って憔悴した男を描いたものだ。しかし、ちゃんと読み解いていくと、この主人公はそういった「無気力」を装っているということが分かってくる。世間では文体の印象と表面的な話の流れから「いい話」と認識されているが、それは完全に筒井康隆の思うつぼであり、筒井の筆力によってそう思い込まされているだけなのだ。そういった、一見した印象とちゃんと読み解いた末に受ける印象が全く異なる作品を書くことが出来るのが筒井康隆なのである。 さて、本題の『時をかける少女』である。この作品も筒井康隆には珍しい、悪意のない良質な子供向け作品のように感じられる。今回レジュメを作成するにあたって何度も読み直し、研究を重ねたが、筒井特有の悪意を特に感じ取ることは出来なかった。比較的初期の作品に当たるとはいえ、『時をかける少女』以前の作品(『マグロマル』『最高級有機質肥料』『ベトナム観光公社』など)で既に筒井はあの黒い作風を確立させている。とすると、筒井は珍しくこの作品には悪意をこめていないと考えられる。 その証拠となる作品がある。『シナリオ・時をかける少女』(1983、新潮文庫「夢の検閲官・魚籃観音記」収録)である。映画版のシナリオという体で始まるのだが、芳山和子の中学校は校内暴力の嵐が吹き荒れており、作中で不良中学生が婦女暴行するわ浮浪者を撲殺するわでひどい作品になっている。最初だけは元に忠実なのだが、すぐ話が脱線して映画を撮影している監督の言葉が入ったり、原作料の話をしたりとメタくなってくる。そして最後には映画に呆れた原田知世のセリフでこう終わる。「知世はもう、すぐ未来に行きます」 先進性に関する研究 『時をかける少女』は発表から半世紀以上が経った今でも、依然として名作として高く評価されている。その理由には、『時をかける少女』に秘められた先進性がある。 まず、ライトノベルの始祖としての先進性である。この作品ではSFを基にボーイ・ミーツ・ガールが描かれ、「突然トラックに撥ねられ死んだ」という状況から「超能力を使って」復活し、「世界の修正」を行った。すなわち、現代のライトノベルの典型である「SF要素」「恋愛要素」「異世界転生」「超能力」「セカイ系」を全て網羅しているのである。書籍として流通する以外にも、電子の海に無数に存在する現代のライトノベルの源流は全てこの『時をかける少女』にある。この作品が半世紀以上前に発表されたということに驚きを隠せない。 また、最後のシーンでは、「誰だか分からないが、きっと素敵な人に会える気がする」という旨の語りがある。これは『君の名は。』の先駆けとも言えるのではないだろうか。そもそも『君の名は。』は時間と恋愛を絡めたアニメーション作品であり、この作品を語る上で、細田守監督によってアニメーション化もされた、まさに同ジャンルの作品である『時をかける少女』の存在は欠かせないであろう。 筒井康隆がどこまで意図してこの作品を作りあげたのかは、誰にも分からない。しかし、結果的に『時をかける少女』はジュヴナイルやライトノベル、そして映画やドラマ、アニメーションに至るまで広範囲に及ぶ強大な影響力を有するに至った。<文豪>による良質なジュヴナイルとしても、また日本のサブカルチャーの原点を知る記念碑的作品としても重要な位置を占める作品である。 まあ身も蓋もないことを言ってしまうと、筒井としては単に「売れる作品を書いた」だけのことらしい。『時をかける少女』、「エスパー七瀬」シリーズ、『パプリカ』の「三人娘」は「よく稼いでくれる孝行娘たち」とのこと。特に『時をかける少女』は「一番稼いでくれる、ええ娘じゃあ」だとか。 ※超能力ものも、かつては小松左京『エスパイ』のようにSFの下位ジャンルとして扱われていた。しかし時代が下るにつれて作品が増え、一般に馴染んでいくうちにSFとは特に見なされなくなった。 ※セカイ系とは、ボクとキミとでセカイが成り立っているような作品群のこと。ざっくりいえば、ボクとキミとの活躍次第で世界が滅んだり、救われたりするような作品のこと。『エヴァ』の人気に追随して「極端に閉じた人間関係の中で極端に大きな物語が進行する」作品を揶揄した言葉。代表的な作品は『新世紀エヴァンゲリオン』『最終兵器彼女』など。 所感 ところどころ古びているが、それでも話の流れ自体は非常に面白い。今では『君の名は。』や『STEINS;GATE』(あと『ポプテピピック』?)のように、時間ものに分類される作品などもはやSFとして扱われにくくなってきているが、それもすべてはこの『時をかける少女』がタイムスリップという概念を一般に浸透させたおかげなのである。 時間SFがなぜ人口に膾炙されるのか。それは、誰もがひとつは「過去にああしておけばよかった」という事柄を抱えているからではないだろうか。ひとによってそれは受験であったり、部活や家族関係、友人関係であったりと様々であろう。その中でも特に恋愛に関してならば、誰もがこれまでに一回は過ちを犯したことだろうし、かつ取り返しがつかず、また誰にも言えないものだろう。そういった誰もが経験し、心に秘めている一種の願望的なものが、時間SFと恋愛を組み合わせた作品によって実現されるのだ。『時をかける少女』は映像化されるたびに人気を博し、また新海誠監督の『君の名は。』が邦画市場歴代まれにみる大ヒットを記録したのは記憶に新しい。SFは決して死んだわけではない。適切に題材を選び、現代化を施すことによって、何度でも時を超えて生き続けるのだ。 海外にも時間と恋愛を絡めた名作が見られる。(ネタバレ防止のため題名のイニシャル)ジュヴナイルSFとして有名な『N』(1956)や今なお国内で圧倒的な人気を誇る『T』(1961)など挙げればきりがないが、どれもこれもいい終わり方をしていて憎らしくなってくる。 ちなみに、本作の登場人物は主人公の芳山和子を除いて全て元ネタとなる人物がいる。 深町一夫、神谷真理子:翻訳家の深町眞理子 浅倉吾朗:翻訳家の浅倉久志 福島先生:編集者・翻訳家・作家の福島正実 小松先生:作家の小松左京 米屋の新ちゃん:作家の星新一 なお、中国のSF文学賞として2010年度から始まった、過去一年間の中国語SF作品のトップを決める中国幻想星空賞(略称:星空賞)で第1回翻訳部門賞を受賞したのは『時をかける少女』であった。なお、2位以下はニール・スティーヴンスン『スノウ・クラッシュ』、テッド・チャン『息吹』、アーシュラ・K・ル=グィン『闇の左手』となっており、英語圏のオールタイムベスト級の名作3作を押さえて堂々の1位。 決選投票には残らなかったが、乙一『夏と花火と私の死体』や飛浩隆『グラン・ヴァカンス 廃園の天使Ⅰ』、小林泰三『海を見る人』と思わしき作品もノミネートされていた。日本から欧米に輸出出来ていないだけで、日本SFは既に世界基準だったのかもしれない。 余談だが、『時をかける少女』は中高生向けにしては妙に簡単すぎる文体や傍点の使い方、最後の語り口などから、筒井作品と言うよりも小松作品らしい印象を受ける。 ※『スノウ・クラッシュ』は「タイム」誌が2005年に発表した「1923年以降に英語で発表された小説ベスト100」に選出されたポスト・サイバーパンクSFの傑作。 補足 筒井康隆のファンとして、特におすすめしたい作品や作品集をおすすめしたい。以下、適宜読み飛ばしてもらって構わない。 「佇むひと─リリカル短篇集」(角川文庫) とりあえず今回初めて筒井を読んだ、という幸せな人にはこれ。<文豪>筒井康隆の筆力をもってすれば、人を感動させることなんか簡単なのだ、ということが分かる一冊。筒井康隆の天才性は、読者が自身の文章を読んだときにどう感じるかということを完璧に計算して作品を創り上げるところにある。特におすすめなのはこのレジュメにも登場した『佇むひと』と『時の女神』『睡魔のいる夏』『怪段』『母子像』。 『佇むひと』は前述の通り。筒井の仕掛けた二重性を存分に味わってほしい。『時の女神』は筒井には珍しい、毒のない感動的な作品。題名の通り、時間もののSFである。天才の描き出す感動を堪能してほしい。『睡魔のいる夏』は最初期特有の少しぎこちない、他人事のような文体がかえって恐怖を浮き彫りにする作品。『怪段』はホラー作品のお手本のような作品。リリカルながらもちょっと涼しくなるような、過不足のない傑作。最後に紹介するのは筒井康隆の最高傑作のひとつとして名高い『母子像』。SFかといわれると微妙だが、作品全体に漂う陰鬱な文体と、それによって引き出されるうす暗い情景の巧みさには言葉に出来ないものがある。一度読めば、この物語を決して忘れることはないだろう。 『残像に口紅を』(中公文庫) 「アメトーーク!」でカズレーザーに紹介されたことで有名になった一冊。知っている人もいるだろうが、この作品はリポグラムという文学技法を用いて書かれた作品である。リポグラムとは、簡単に言えば文字制限のことである。物語が進むにつれて、世界からは音(ひらがな一文字に相当)が消えていく。作品の途中、筒井は使用できる文字が相当数減っているにもかかわらず高度な文学議論や濡れ場を展開させ、ついには使用できる文字がなくなるまで物語を描き切った。これを天才と言わずして何と言おうか。 「ベトナム観光公社」(中公文庫) このレジュメに出てきた『ベトナム観光公社』『最高級有機質肥料』『マグロマル』が収録された最初期の作品集。表題作『ベトナム観光公社』は筒井にとって最初の直木賞候補作となった作品。この作品自体も大概なのだが、『最高級有機質肥料』を読んでいただければ、そのヤバさがはっきりと分かるだろう。もし直木賞を『ベトナム観光公社』で獲っていたならば、『最高級有機質肥料』を含むこの短篇集が「直木賞受賞作」の帯付きで大量に流通することになっていたかもしれないのである。まあその世界線も見てみたい気はするが。『マグロマル』はまぎれもない筒井の最初期SF作品の傑作のひとつ。この作品が50年以上前に書かれたということを考えると、人間は全く変わらないものなんだなと思ってしまう。 『家族八景』(新潮文庫) 心理学を自身のSFの主軸に据えた筒井ならではの、三度目の直木賞候補作となった連作短篇集。他人の心が読めるエスパー少女・火田七瀬を主人公に、女中として住み込みで働いた8つの家庭のそれぞれの心の闇を描いた作品である。 直木賞の選考では「八景とも暗すぎるというので落ちてしまった」(石坂洋二郎)とされたが、この8つの景色のうちにひとつでも明るいのが混じっていたならば、その途端作品全体の雰囲気が崩壊することは明白である。それなのに「暗すぎる」とは、選者の目が腐っているか、SFに対する無理解かのどちらかだろう。ぜひ読んで実感していただきたい。 『ビアンカ・オーバースタディ』(角川文庫) 今や押しも押されもせぬ<文豪>になった筒井康隆の書いたラノベ。 『時をかける少女』の作者として筒井を知っている人には「へえ、あの『時かけ』の人がまたラノベ書いたんだ」と映り、多少なりとも筒井を知る人には「筒井か、もう老大家のくせにメタいことするなぁ」と映り、筒井ファンからは「あの筒井が悪意なしに今更ラノベを書くわけがない」と映るという、作品発表段階の時点で既にメタ構造をもつ作品。 主人公は気の弱い男子高校生で、超絶美少女のビアンカに精液を搾り取られるというひどい内容。しかも全編にわたって事あるごとに搾り取られる。筒井康隆はこの作品において、「お前たちが結局ラノベでやりたかったことはこういうエロいことなんだろ、そうなんだろ?」ということを表したかったのではないかと思う。ちなみにカバーと挿絵はいとうのいぢ。完全に確信犯である。 「日本SF傑作選1 筒井康隆」(ハヤカワ文庫JA) 日下三蔵の編による日本SF第一世代の傑作選第一弾。収録作品は前述の『佇むひと』『最高級有機質肥料』『マグロマル』をはじめ『東海道戦争』や『おれに関する噂』『顔面崩壊』『蟹甲癬』など文字通り傑作SFばかりが25作。高いけどその分元は十二分に取れる。 とりあえず、これを読んでくれたらほとんど間違いがない傑作短篇集。リリカル短篇集「佇むひと」を読んだ後、長篇に手を出す気がなかったらこれを読んでいただきたい。これを読めば、筒井がまぎれもない天才だということが分かるはず。そして筒井作品を読み進んでいけば、筒井康隆という天才がSFという場にたまたま降り立っただけだということが分かってくると思う。 これまで長々と書いてきたが、これまでの作品全部もう読んでいるという方や、いやもっと紹介すべき作品があるだろうという方がいたら、ぜひ入会して私と友達になってください。これまでの作品を全部読んだ方は、後で私に個人的に連絡してください。今度一緒に食事でも酒でも行きましょう。 なお、巷で話題の『旅のラゴス』は筒井らしからぬ駄作なので読まなくてよい。 下村
https://w.atwiki.jp/qusf/
QSF ~九州大学SF研究部~ こちら、九州大学SF研究部、QSFの紹介ページです。 求む!新入部員 QSFとは QSFとは、九州大学に存在するサークル・九州大学SF研究部のことです。 SFはもちろん。映画が好きだったり、ゲームが好きだ ったり、アニメが好きだったり、漫画が好きだったり。 小説が好きだったり、特撮が好きだったり、ロボットが好きだったり、TCGが好きだったり。 そんな多種多様な人々が一同に会する場です。 きったねー部室(笑)で、みんな一緒にキャッキャウフフと遊ぶのが好き。 でもお家に引きこもるのも好き。困っちゃうね。 新入部員は常時歓迎中です。人見知りだから歓迎するのちょっぴり苦手だけどねっ SF詳しくないとかそんなことは気にせずどうぞ部室へ。 部室の場所は伊都キャンパスサークル棟3階(テニスコート裏)のテニスコート側通路奥から2番目です。 部屋番号は310 部室にはたくさんのマンガ、ラノベ、SF小説があるので暇つぶしにでも(笑) 詳細はポスターにも書いています。メインダイニングの前の掲示板に貼っていますので、良かったら見てください!(内容は真に受けないでね) まぁ割と事実だけど 部員内で流行ってること ・スマブラ ・遊戯王(他にはヴァイスとか本格スマホe-シャドバとか) ・ポケモン ・麻雀←興味があれば教えます! etc... 連絡事項 部会の時間帯 毎週金曜日 18 30~ (まあ、それ以外の曜日でも部員いると思うけどね~) 次の催し物 夏合宿 九大祭の催し準備 活動内容 上記クリックで飛びます。 部員の皆々様へ 作ってみました、Wikiページ。 書きたいことや、やってみたいことがありましたら、自由に編集してください。 細かいことはグーグル先生で。 書かれる内容はお任せしますが、不特定多数の方に見られるということと、個人情報には気をつけてください。 伊都部室のメールボックスの開け方を知りたい方はディスコードでもメールでも何でもいいので部長まで連絡下さい。 Twitter始めました! QSFの活動について紹介しているのでよろしければフォローお願いします。 Twitterアカウントはこちら その他何かわからないことがあればお気軽にメールを下さい qsfcomm★gmail.com (★を@に変えて下さい) 嬉し恥ずかし御訪問者数 合計: - 今日: - 昨日: - トップページ訪問者の合計: -
https://w.atwiki.jp/scifi/pages/14.html
* それまでのSF小説が宇宙や未来などを舞台とした作品であったのに比べ、本作は知能指数を高める手術とそれに付随する事柄という限定した範囲での前提でSFとして成立させている。 受賞歴 1960年ヒューゴー賞短編小説部門を受賞。(短編バージョン) 1966年に長編小説として改作され、ネビュラ賞を受賞した。 tips その他 ジュディス・メリルは、本作をSFの多様性をあらわす作品のひとつとして位置づけている。また、最後の一文が主眼であり、ここに収束される感動に泣かされる作品でもある。 作者について アルジャーノンに花束を〔新版〕
https://w.atwiki.jp/tohokusf/pages/180.html
12月16日読書会レジュメ by貴志団@メガゾーン中毒者 海を見る人 小林泰三 ハヤカワJA文庫 時計の中のレンズ あらすじ おかしな世界を旅する部族の物語。 幼い族長は科学主任に族長の座を奪われそうになるが、外交主任の助けと異民族の出現によってどうにか族長の地位を守れたが、その代わりに大切なものを失ってしまった……。 苦悩する幼い族長の切なく、果てしなく続く旅を余韻タップリに描き出す傑作SF短編。 ファンタジーとしてのハードSF、ハードSFのファンタジー。 作者が「こんな世界があったらどうだろう?」と目を輝かせて計算しながら書いた様子が思い浮かぶ。 ストーリー性もあるが、やはりその特異な世界設計に目を奪われてしまうのは仕方のないところだろうか。 そして、この物語は読者に想像することを要求する。 「自分はこの世界観の資料を見せるから、この部族の未来・位置づけ等は自由に考えてくれ」という作者のメッセージがああいうラストになったのかもしれない。 前野氏のホームページの検証を参照のこと。納得できる点多し。 独裁者の掟 あらすじ 冷徹な総統の支配する<第一帝国>、平和主義者の大統領がトップに立つ<民主連邦>。 2つの国は宇宙空間で<ゴミ>をめぐって争い続けていた。 冷徹な総統はこの事態のひとつの解決方法を見出し、実行に移す。 そして<第一帝国>の外交官の娘カリヤは初めて見る<民主連邦>で力強く生きるチチルと出会い、心動かされていく。 錯綜する2つの話が最後にドラマチックに融合し、読者に至高の感動を与える感動SFミステリ短編の名作。 ミステリ的な意見 トリックの1つは叙述トリックと言いまして、性別その他主人公の属性を何も描かず「役職名」「人称代名詞」等で主人公を表し続け、最後にその人物は「なんとぉ!」意外な人物でしたというオチをつけるミステリ的手法であります。これはまぁよし。 注目は2つの国が元々はひとつの宇宙船で、それぞれの中心にある量子ブラックホール・ラムジェットエンジンを1つにすれば問題は無くなるという解決編の鮮やかさである。この解決の手際の良さはいい。 このミステリ的な解決の素晴らしさは条件が全て提示されていることにある。 条件①現在の量子ブラックホール・ラムジェットエンジンは両国のもの両方ともバランスが崩れ、<痩せて熱く>なっている。これ以上<痩せて熱く>なることを防ぐために両国民は生活必需品まで削って投入している。このバランスを元に戻すためには大質量の一気投入が必要。 条件②大質量を一気に量子ブラックホール・ラムジェットエンジンに投入すると膨大なエネルギーが発生してしまう。 条件③このままの状態が続けば遅かれ早かれ両国の間で戦争が起こる。人類滅亡の危機。 条件③を解決しようとして条件①を実行しようとすると条件②の理由で不可能。 つまり条件③は不可避。 人類はどうしようもない。 という一種の不可能(この場合は不可避)状況を作っておいて、 解決編で 条件①の大質量は互いの量子ブラックホールがある。 条件②は最初に示されていた互いの宇宙船の構造つまりブロック構造によって回避可能。 よって条件①が実行でき、条件③は回避できる。 ことを示したわけだ。 この辺の説明の上手さがミステリでは重要。ちゃんと条件状況の提示という段階を踏んで、解決をする。そういう読者への配慮がミステリでは重要だったりする。 こういうのは案外理系の作者の場合ミステリを意識せずとも上手い。 天獄と地国 あらすじ <空賊>と呼ばれる戦闘集団が集落を襲い、<落穂拾い>というハイエナ集団がそのおこぼれをいただく、奇妙なバランスが取れた世界。 カムロギ、カリティ、ヨシュアの3人の<落穂拾い>チームはいつも通り、<空賊>のおこぼれをいただこうと、襲撃された集落に向かった。 そこでカムロギたちは巨大な地下シェルターを発見し、定住しようとするがカリティがそれに反対して……。 <落穂拾い>チームを襲った悲劇と世界の秘密を綿密な筆致で描く問題SF短編。 文庫なら解説をまず参照。 あれを読めば納得することうけあい。 地球と太陽を含む巨大なリングワールドの外側の世界なのだ。 カムロギたちは住む世界を間違えている上に、地国は理想の地球ではなく灼熱<地獄>の太陽らしい。題名はそこにかけてあったのかと納得。<天獄>の方は多分、リングワールドの内側を普通の<天国>だとしてカムロギたちのいる外側は字の違う<天獄>なのだということだと思われる。 計算SFという概念は良い。計算すれば裏が見える。ミステリだと投げっぱなしミステリ(読者に解答をゆだねるミステリ、もちろんSFで言う計算つまりミステリで言う論理で読者が解けるようになっているもの)のような感じか。 キャッシュ あらすじ 恒星間宇宙飛行中、冷凍睡眠している人間たちが共有する仮想現実「世界」。 冷凍睡眠をしている人間が記憶を失わないための装置だったが、この装置は当事者たちが気づかない重大な欠陥を持っていた……。 SFにおける冷凍睡眠や仮想現実空間への先入観を巧みに利用した良作SF短編。 冷凍睡眠中でも人は死ぬ、その死をコンピュータが誤って処理したら。 有限のコンピュータ資源で仮想現実空間を作ってみたら。 2つのifでこの物語の中核はできている。 あとはキャッシュという概念と<アリス>という名の評議員を絡ませて、コンピュータの知性の問題を出したり、ちょっとした感動を誘ったりしている。 本当にそのあたりの世界設定が上手い。 母と子と渦を旋る冒険 あらすじ? (小泉)純○郎が姉良子と共に宇宙に出て、近親F××Kをしてしまうお話ではありません。 惜しいな。小泉の姉の名前は良子じゃなく信子だし。木下純一郎だし。 純一郎は母に送り出され、姉良子に未練を感じつつも恒星間空間調査のために飛び出す。 しかし、純一郎は調子に乗ってブラックホールと中性子星の連星系に捕われてしまう。 試行錯誤の末、純一郎はぼろぼろになりながら母の元に戻るのだが……。 宇宙探査機への作者の愛と悲しみが込められた異色のブラックSF短編。 はぁ。純一郎だけが気になってどうしようもない。 姉とねぇ。 あそこだけ力入ってたなぁ。 海を見る人 あらすじ 遠眼鏡で海を見続けている老人がいる。その老人の口から語られる、もの悲しく切ない老人の過去に秘められた海を見続ける理由とは……。 山の村と浜の村の時間の流れの違いが生んだ小林泰三版浦島太郎の悲劇。 異常な世界で惹かれあう二人の男女が織りなす新<セカイ系>SF短編。 ブラックホールの近くに人が住めたらこんな悲劇はきっと起きる。 悲劇の種類はありきたりかもしれないがこの世界観だと何だか異様な感じがする。 パターンから少しずつずれている感じ。 結ばれない二人ならその理由は階級差とか身分差とかが普通だがこれは時間の流れの差。 時間の流れの差を使った悲劇なら普通は舞台は宇宙かタイムマシンなのにこれは山の村と浜の村。 その辺が良い。 門 あらすじ 量子テレポート技術を使い、太陽系のみならずあちこちの銀河系へと拡散するように広がっていった人類。余りにも広がりすぎた人類は発祥の地である太陽系政府とは別の組織を各植民地同士で結びついて作るようになり、人類の居住空間は不安定になるかと思われた。しかし、そんなとき時間移動可能だと思われる『門』が発見される。『門』近くに居を構え、大姉と呼ばれる一人の女性が中心となって運営されているコロニーに太陽系政府の宇宙戦艦がやってきて……。 タイムパラドックスを超えて一組の男女が再会するハートフル短編SF。 ズルイ。分かっていても好き。前野氏のホームページ参照。 苺ミルフィーユってずるーい。 あぁ、大姉。あぁ、艦長。 2重のタイムパラドックスを解決した。 マイクロブラックホールと艦長(大姉)と。 間に挟まれる対話 恐らく最終話「門」の<僕>が歴史の先生になって、自分の生徒と対話しているものだと思われる。 2018.12.02 Yahoo!ジオシティーズより移行 http //www.geocities.jp/tohoku_sf/dokushokai/seawatcher.html なお、内容は執筆当時を反映し古い情報に基づいていることがあります by ちゃあしう
https://w.atwiki.jp/jsfc/pages/2.html
メニュー トップページ プレイヤー移籍情報 プレイヤーランキング クラン一覧5/29更新 クランランキング 6月中旬 大会情報 SFP-Link SFP-Link追加申請 クラン追加要望 NEWS&タレコミ ご意見・要望 Follow me Twitter!! リンク SpecialForce公式 SF-wiki SF-SNS 4亀SF-RSS 「SPECIAL FORCE」限定マ... 「SPECIAL FORCE」,黄金... 「Special Force Fir... 「SPECIAL FORCE」,正式... 「SPECIAL FORCE」,新要... ドスパラ,スペシャルフォース2など4... 合計 - 今日 - 昨日 - お気に入りに追加
https://w.atwiki.jp/tohokusf/pages/157.html
東北大学SF・推理小説研究会は1977年に発足した第一次東北大学SF研究会(同年廃部?)、1978年に発足した第二次東北大学SF研究会を源流とし、2002年に東北大学推理小説研究会と合併して現在に至ります。 今年、連続した活動期間として40周年を迎えました。これを記念して、これまでの活動の歴史やその内容を収集・記録しようと考えています。 具体的な企画はまだ進んでいませんが、かつての活動を知るOB・OGの方へのインタビュー企画も考えています。 今後機会がありましたら、ぜひ協力お願いします。
https://w.atwiki.jp/scifi/pages/11.html
評価 tips 考察・説 評価 「SFが読みたい!」2010年度版国内篇ランキングでは10位にランクインした。 『1/1,000,000,000のキス』は高く評価されており、ダ・ヴィンチや本の雑誌などライトノベルをあまり取り扱わない雑誌でも称賛された。 tips 白黒の部屋の中のメアリー ジョウント 考察・説 ゆかりのめの謎 紫色のクオリア (電撃文庫) 『紫色のクオリア』(むらさきいろのクオリア)は、うえお久光によるSFライトノベル。2009年7月に電撃文庫から刊行。 とりわけ『1/1,000,000,000のキス』は高く評価されており、ダ・ヴィンチや本の雑誌などライトノベルをあまり取り扱わない雑誌でも称賛され、「SFが読みたい!」2010年度版国内篇ランキングでは10位にランクインした。 シュタインズゲートの設定資料集で紹介されてた。
https://w.atwiki.jp/tohokusf/pages/249.html
東北大SF研 読書部会 『なめらかな世界と、その敵』 伴名練 著者紹介 伴名 練 第4期京都大学SF研OB。2010年、大学在学中に応募した「遠呪」にて第17回日本ホラー大賞を受賞。同年10月に『少女禁区』にて作家デビュー。今作が書籍第2作目となる。 それぞれの作品について 理玲ちゃんのnoteを大幅に参考にさせていただいて各編の簡単な解説(?) をさせていただく。 なめらかな世界と、その敵 視覚化不可能な情景が、文章中に見事に描写されており、さらにその描写が、冒頭からこの作品世界の基本設定をすんなりと読者に理解させることを可能としている。伴名練の卓越した文章によって、映像的には矛盾するシーンが実に鮮やかに想起される。 エピグラフでも引用されているようにR・A・ラファティ「町かどの穴」をオマージュしているらしい。 タイトルの元ネタはおそらく鈴木健『なめらかな社会とその敵』(2013/01)。この書籍の第9章の題は「パラレルワールドを生きること」(SF的な意味でのパラレルワールドではないっぽい)。さらにこの書籍の題の元ネタはカール・ポパー『開かれた社会とその敵』である。どちらも読点が挿入されていないので、本作の題に入っているのは意図的なものと思われる。本文中では、異なる世界の情景は読点によって分かたれている(序盤の文で顕著)。 ゼロ年代の臨界点 富江、フジ、おとらの3人とその関係性は日本SF御三家(星新一、小松左京、筒井康隆)、海外SF御三家(アシモフ、クラーク、ハインライン)を意識していると思われる。架空史を論じた評論的文章の体で書かれているが、その真相は最後の注11に含まれている。つまり富江とフジは「藤原家秘帖」の藤原家の女性たちのように過去へと遡りながらSFをのこし、世界を早めているのだ。それに気が付いたフジはSF作家としての活動を再開したのである。よってこの作品はifものや架空史ものというよりは歴史改変ものだ。時間旅行者たちによって、我々の世界から、ゼロ年代が100年前に早まり、科学技術が大きく進展した世界へと変わったのだ。 フジ亡き今SFを書く“意味”を知っているのは読者たちしかいないわけで、これは伴名練からの「SF書こうよ」というメッセージなのかもしれない。 美亜羽へ送る拳銃 伊藤計劃、特に著作『ハーモニー』へのオマージュ。作品の文体や語り方なども伊藤計劃に寄せている。作中では“聖書”としてグレッグ・イーガンやテッド・チャンの著作(「真心」「しあわせの理由」「顔の美醜について―ドキュメンタリー」)などについても言及がある。こちらもラファティへのオマージュ(「クロコダイルとアリゲーターよ、クレム」)があるらしい。タイトルの元ネタは梶尾真治「美亜へ贈る真珠」。 計劃と言えば「虐殺機関」「ハーモニー」における嘘である。本作にもそのような「嘘」が仕込まれている可能性は十分ある。そこで2点ほど違和感を覚えた点を挙げる。 ①P74L2「多くのWKには固有の「仕様書」が添付されている―その一挺が誰と誰を、いかに結び付けるため作られたかの、覚書だ。」とあるが、そのテキストの内容は「いかに結び付けるため作られたか」というよりかは「いかに結び付いたか」といったほうがふさわしいものであるように思われる。 ②P83L5「無論、~私と妻の脳に現時点で変化はありません。6時間後、インプラントが稼働しはじめた時、我々は不滅の愛を得ます。」とあるようにWKのインプラント手術は6時間ほどかかってから効果が表れる。しかし、P136L1「待っていたのは数十分。やがて、彼女のまぶたがゆっくりと開かれた。」とあるように、ここでは1時間かからずに効果が表れている。厳密にはWKと異なるインプラント手術であり、作中では時間も経過しているから技術の進歩などにより、冒頭で紹介されていたWKよりもはるかに短時間で済むようなっているのかもしれないが… ホーリーアイアンメイデン お嬢様言葉で綴られた書簡体の小説。読者は送られてきた手紙を読み進めていく毎に妹琴枝の思いを知り、最後の手紙で彼女の真の目的を目の当たりにすることになる。それはまさに姉鞠菜の視点であり、我々は百合の当事者としてこの物語を読み進めることができるのだ。伴名練のお嬢様×書簡体は「彼岸花」でさらに極められているので、そちらもぜひ読んでいただきたい。 シンギュラリティ・ソビエト 設定と、党員現実・警備用レーニン・共算主義などのパワーワードだけでご飯が3杯はいけちゃいそうな作品。ヴォジャノーイとリンカーンによる化かしあいによって、真実のレイヤーが一体どこにあるのか常に揺らぎ、ハラハラさせる展開となっており、その揺らぎは読者の現実にまで波及している。実際には作品内の現実が本当で、東側が大勝利をおさめ、我々はただ、東側が滅び西側が勝ち残った仮想現実の夢を見ているに過ぎないのではないか(この本はヴォジャノーイの送り込んだプロパガンダか?)。 米国の人工知能がリンカーンなのは分かるが(州毎に投票で仮想現実に浸るかどうかが決定されるというのは、カンザス・ネブラスカ法を意識したものだろう)、ソ連の人工知能の名がヴォジャノーイとしたのは何故だろうか。ヴォジャノーイとは水の精であり、日本における河童のようなものらしい。人間を水に引きずりこんで奴隷にしてしまい、ロシアでは魚の支配者とされる。 少し調べたところ、チャイナ・ミエヴィル『ペルディード・ストリート・ステーション』にヴォジャノーイという種族が出てくるらしい。チャイナ・ミエヴィルは『都市と都市』で知られるSF・ファンタジー作家だが、国際社会主義連盟と国際社会主義ネットワークの一員であり、マルクス主義に関する博士論文を出版している。 ひかりより速く、ゆるやかに タイトルが駄洒落なわりに、事故当事者たちの周りの人々や世間の描写がとても生々しくてしっかりとしているのでえぐい。のぞみ123号なのは日本航空123便墜落事故からか?しかしその分解決策への突破口が開き、エンディングまで向かう流れでの高揚感、カタルシスと、青春感あふれる(語彙がない)スッキリとした終わり方が実に心地よい。とてもニヤニヤしてしまう。最後の「あっ上に飛ばせばええんか」という感覚になるのも良い。主人公の性別が、男性的な印象はあるものの、作中で明言されていないのも特徴的だ。ファンタジーパートの情景はルーシャス・シェパード「竜のグリオールに絵を描いた男」を彷彿とさせる。 (物理学徒としては本作の設定について、もっと様々な角度から検討してみたい感がある) 所感 どれも一級品でとても面白い作品だった。ベストを上げろと言われても答えに窮してしまう。アンケートを取れば三者三葉となるだろう。私が非常に驚いたのが、作品によって様々な文体を使い分けている点である。それぞれが読者の読書感に素晴らしい影響を与えるもので、単純に凄くうまいと思った。ここで挙げたもの以外にも様々なSF作品をオマージュしているそうで、本作をより楽しむためにも、もっとSFを読んでいきたい。 伴名練の次の著作が待ちきれない。
https://w.atwiki.jp/tohokusf/pages/143.html
東北大学SF研究会 中編部会 『最後にして最初のアイドル』 草野原々 著者紹介 1990年広島県東広島市生まれ、北海道札幌市在住。 これまでの商業発表作は『最後にして最初のアイドル』、『エヴォリューションがーるず』の二作のみ。 慶應義塾大学環境情報学部卒。在学中は慶應大SF研に所属していた。現在は北海道大学理学院博士課程に在学中。 2016年に『ラブライブ!』同人誌に『最後にして最初の矢澤』を発表。この作品を改題・改稿した『最後にして最初のアイドル』で第4回ハヤカワSFコンテスト特別賞を受賞しデビュー。同作品で2017年の第56回日本SF大会ドンブラコンLLにて第48回星雲賞日本短編部門、第16回センス・オブ・ジェンダー賞〈未来にはばたけアイドル賞〉を受賞。同時にその常識外れの言動によって第27回暗黒星雲賞ゲスト部門を受賞。今後の活躍が期待される、日本SF界の超新星である。 原々の作品の特徴は、突飛でばかげた発想とそれを裏付ける冷静な論理の融合にある。このレジュメの筆者である私はこの夏にSF大会で実際に会って話をしてきたが、端的に言って原々の言動はヤバいやつだった。ヤバい以外に言い表す言葉が見つからない。とてもこの理性的な作品を書きあげたとは思えないくらいヤバいやつだった。この「ヤバさ」という危うさと科学的な論理が見事に融合した先にあるものが原々の作品である。 ちなみに印税がまだ100万の大台を突破していないらしい。(8月26日現在)また、本人曰く、将来的にヒューゴー賞をとる予定らしいので、日本人初の受賞をぜひ期待している。(個人的にも、升にヒューゴー賞受賞記念でサインをもらう予定なので、期待している) 主要登場人物 古月みか 本作の主人公。生後6ヶ月にしてアイドルオタクになった、生粋のアイドルオタク。 高校卒業後はアイドルを目指して東京の事務所に所属し、単身上京する。しかし事務所はほどなくして倒産、夢破れて自殺してしまう。 後に眞織の手によってアイドルとして復活を果たし、宇宙をまたにかけてアイドル活動を行う。 新園眞織 光ヶ丘高校アイドル部の同級生にしてみかの親友。高校時代はプロデューサーとして古月みかのアイドル活動をサポートした。 卒業後は京都にある大学の医学部に進学。自殺したみかの脳を回収し、みかをかわいいアイドルとして復活させることに成功した。 古月みや みかのひとつ違いの妹。中学時代に両親の離婚によって生き別れとなった。 両親の離婚の原因となったアイドルを激しく憎んでおり、みかのアイドルオタクを矯正すべくみかの前に現れる。 作中用語解説 〈ノヴム・オルガヌム〉 放射線に耐える遺伝子、紫外線吸収物質を細胞内に作り出す遺伝子、そして紫外線で光合成するための遺伝子の3つを導入された共生細菌のこと。後に転じてこの共生細菌を含む生物も意味するようになった。 元ネタは英国の哲学者フランシス・ベーコンの著書『ノヴム・オルガヌム』。 モノポール 磁気単極子、すなわちN極かS極かどちらかの磁性しかもたない粒子のこと。一応1931年にディラックによって理論的には存在しうることが示されたが、実験的には未だに発見されていない。 こいつが見つかると電磁気学の定義やマクスウェル方程式が全部書き換えになり、これまでの勉強がパーになるので個人的には見つかってほしくない。 ダイソン球 米国の宇宙物理学者フリーマン・ダイソンの提唱した構造物。恒星を球殻で覆ってしまうことで、恒星の発するエネルギーを全て吸収出来るとした。 あらすじ 古月みかは生粋のアイドルオタクだった。アイドルになることを目指し進学した高校のアイドル部で、みかは後に親友となる新園眞織と出会う。高校時代は眞織のプロデュースの下、充実したアイドル活動を行うことが出来た。 高校卒業後、みかはメジャーデビューを目指して単身上京して事務所に所属することとなり、眞織は京都にある大学の医学部に進学するために、2人は離れ離れになった。 しかし、みかの事務所は半年ほどで倒産。夢破れて放心状態だったところで、眞織と妹のみやと再会する。眞織の資金援助の申し出と、みやの辛辣な意見によって、みかの心は完全に折れてしまった。みかは自宅のベランダから投身自殺した。 眞織はみかをアイドルとして蘇らせるため、みかの死体から脳を回収した。 みかの死後、地球を未曽有の太陽フレアが襲った。〈モノポール・スーパーフレア〉と呼ばれる太陽フレアの影響によって、人類は滅亡の危機に瀕した。人類は遺伝子組換生物による環境改変を実行したが、予想以上に環境改変が成功し、従来の生態系は全く書き換えられ、文明は崩壊した。 このとき、眞織は文明崩壊に乗じて殺人・違法移植に手を染め、ついにみかの死から30年後にみかの復活を成し遂げる。みかは眞織の脳の一部や他人の臓器が移植され、次世代アイドルとして復活したのだ。 みかは眞織の指導の下、秋葉原でアイドル活動にいそしむ。2人は人間を狩って食べるというアイドル活動に励んだ。アイドルは弱肉強食なのだ。しかしある時、スキを突かれて鈍重な眞織が人間に殺されてしまう。復讐を誓ったみかは人間の住処を強襲し、皆殺しにした。 人間を皆殺しにしたはいいものの、ファンとなる人間がいなくなり、アイドル活動は成り立たなくなった。水母と蜘蛛からなるニューラルネットワークの構築など、様々な手段を用いて意識を持つ生命体を作ろうとしたが、全て失敗してしまった。思い立ったみかは宇宙へ飛び出すが、意識を持つ生命体に出会うことは出来なかった。 ある時、意識とは自然に生命体がもつものなのではなく、アイドルによってインストールされるものなのだとみかは気付いた。意識をもつアイドルに自己同一化をすることで、アイドルの模倣としての意識の獲得が起こるのだ。 これ以降、みかのアイドル活動は、進化に介入して意識の形成を促すのではなく、十分な情報処理能力をもつ生命体のもとに行き、似た体に自分を作り変えて同一化を目指すという方向にシフトした。 ついにこの宇宙が死を迎える頃、みかは新しい宇宙を作り、そこに宇宙背景放射として自らの意識を伝えた。宇宙背景放射は情報生命体として無数の宇宙を巡回した。実は宇宙も、宇宙を神経細胞とするニューラルネットワークで、多宇宙は十分な情報処理能力をもつ生命体だったのだ。みかによって、多宇宙は意識を獲得するに至った。この世のすべての物質は、アイドルが大好きなのだ。 多宇宙は過去方向にも伸びている。多宇宙は自分が存在するように時空を捻じ曲げた。この結果、〈モノポール・スーパーフレア〉が生じ、またみかと眞織が出会うこととなった。 多宇宙の意識はある宇宙にたどり着く。この宇宙で意識をもつのは、〈最後にして最初のアイドル〉たる読者自身だ。 所感 この作品が個人的な今年一番の国内SF短編である。日本SF史に残る名作となるであろうし、この作品を読んだ時の衝撃は一生忘れることがないと思う。 出だしから始まって、長く馬鹿SF的な展開が続く。途中スプラッタ的展開が挟まったり、『地球の長い午後』のような珍生物が登場したり、独力で宇宙開発をしたりと面白い流れがあるが、それも概して言えば馬鹿SF的と言えるだろう。 この印象が大きく転換するのが、アイドルと意識の関係へ言及する場面である。ここから物語は流れるように進んでいき、一気に様子を変える。哲学的考察によって、この物語は急激に思弁性を帯び始める。 意識の獲得に関する考察から宇宙論へと話は展開していき、時空を超えてメタ構造に昇華する。話の終わりも終わりで目まぐるしく話題と舞台が転換していく。これこそ原々の言う「ワイドスクリーン・バロック」の要素である。 この作品では、意識が重大なテーマとして扱われている。同じように意識を扱った近年のSFでは、伊藤計劃の『ハーモニー』が挙げられる。詳しくは伏すが、この作品は、「伊藤計劃トリビュート2」で本人が言っているように、『ハーモニー』と対を成す物語であるといえる。私は、原々が計劃亡き後の閉塞した日本SF界に新しい潮流をもたらしてくれると信じている。 現在、日本SF界では酉島伝法の『皆勤の徒』、藤井太洋の『マン・カインド』、そして草野原々の『最後にして最初のアイドル』と、少しずつではあるが、伊藤計劃・円城塔という二大巨頭を超えるヴィジョンが提示されつつある。これらの作品を未読の方は、ぜひチェックしていただきたい。 下村