約 2,750,626 件
https://w.atwiki.jp/bukipedia/pages/24.html
ショートスピア ~Short Spear~ 基本スペックと定義 全長 120~200cm 重量 0.8~1.8kg 地域 世界各地 年代 ??? 広義の意味では「棒の先に尖ったものをつけた武器」であり、材料を問わなければ古代の石槍もショートスピアである。 ただ、狭義の意味になるとヨーロッパ圏、中国、日本では詳細なところで意味がかなり違ってくるので、今回はヨーロッパ圏の一般的なショートスピアを説明する。 ヨーロッパ圏での一般的なショートスピアは、先端が金属製で柄は木の棒。(樫などの硬い木が使われる) 石突(柄の一番下の部分)には補強や打撃での突きをする為に金属板で補強する場合がある。 そんな形状のものが、ショートスピアである。 部位別の呼称 1 穂先:スピアーヘッド(SpearHeads) 2 刺先:スパイク(Spike) 3 口金:ソケット(Socket) 4 柄:ポール(Pole) 5 石突:バット(Butt) 時代背景 歴史が古い武器なので、古くは狩猟用として突くこと、投げることの両方を視野に入れて作られたものである。 時代が進んでも突くだけで高い効果が得られる武器と言うことで、訓練も容易であり、世界的に広く戦争で使われた。 中世に差し掛かる頃になると、製鉄技術の向上や更に突くことに特化した長柄武器の登場、弓矢の発達等でその存在は廃れていった。 しかし、長柄が有利であると言うこと、突きに特化した性能は後世の長柄武器へ名を変え、姿を変えて継承されていったのである。 使用用途 長柄武器…ポールアームの中でも「突く」という単一の機能だけを持つショートスピアは、戦争等で長さを生かした集団での威嚇を行うにはとても効果のある武器だった。 時には手ごろな長さを生かして投げることもあったが、基本的には突くだけに特化した武器である。 リーチがあることと突きだけに特化したその特性から使用が容易であり、兵士の訓練もしやすい優れた武器として、長く戦場で活躍した。 2007年 9月23日更新 2008年 9月8日 画像差し替え+追記 参考文献 ・ウェブサイト wikipedia ・文献 新紀元社 武器事典 市川定春 著 新紀元社 武器と防具 西洋編 市川定春 著 新紀元社 図解 近接武器 大波篤司 著 新紀元社 武器甲冑図鑑 市川定春 著 ダイヤグラム・グループ 武器―歴史、形、用法、威力 田島優 北村孝一 著 幻冬舎コミックス 図説 武器だもの 武器ドットコム 著
https://w.atwiki.jp/openaxel/pages/42.html
特集記事 ありません。 充実記事 ありません。 新着記事 カレンダー 7月 シーズン開幕 7月 (日本) 全国有望新人発掘合宿 8月-10月 ISUジュニアグランプリ大会 9月 ISUジュニアグランプリ大会 9月 カテゴリⅢ大会 10月 (日本) 地方ブロック選手権大会 10月 ISUグランプリ大会 10月 (日本) ブロック選手権大会 11月 (日本) 全日本ジュニア選手権大会 11月 ISUグランプリファイナル大会 12月 (日本) 国民体育大会 1月 (日本) 日本学生選手権 1月 (日本) 全国高等学校スケート選手権大会 1月 (日本) 日本全国高等学校スケート選手権大会 1月 ユニバーシアード冬季大会 1月 (日本) 全国中学校スケート選手権大会 1月 アジア冬季大会 2月 四大陸大会 2月 (日本) シンクロ大会 2月 オリンピック冬季大会 3月 世界選手権 3月 インターナショナルチャレンジカップ ニュース 2010/2/13(五輪)バンクーバーオリンピックが開幕。現地時間2月12日に開会式が行われる。 2010/3/28 世界フィギュアスケート選手権(イタリア・トリノ)は、バンクーバーオリンピック銀メダリストの浅田真央が、合計197.58点で金メダルに。 -産経新聞 過去の出来事 各月各日の記事から本日に当たる記事を表示しています。 主要記事 フィギュアスケート - フィギュアスケートの歴史 - フィギュアスケート競技会 - フィギュアスケートの採点法 - 国際スケート連盟 - 世界フィギュアスケート選手権 - ヨーロッパフィギュアスケート選手権 - 四大陸フィギュアスケート選手権 - ISUグランプリシリーズ - オリンピックフィギュアスケート競技メダリスト一覧 - フィギュアスケート選手一覧 - フィギュアスケート用語一覧 カテゴリ - フィギュアスケートの歴史 - フィギュアスケート用語一覧 - フィギュアスケートの要素 スポーツ - フィギュアスケート大会 - フィギュアスケート審判員 - フィギュアスケート選手 - フィギュアスケートコーチ - フィギュアスケート振付師 娯楽 - アイスショー - フィギュアスケートを題材にした作品 小説、映画、漫画 お知らせ(執筆者向け) 説明書 このポータルへの参加を歓迎します。ご要望、ご提案はノートへ。 特集記事 不定期更新。今のところ選出方法は決まっておらず、ある程度充実した項目を任意に紹介します。 ニュース フィギュアスケートニュースを書きます。書き方はニューススタイルやメインページの「最近の出来事」欄を参考に。ニュース、訃報とも5件程度を目安にしてください。 フィギュアスケートカレンダー フィギュアスケートに関する行事を書きます。 充実記事 現在は35キロバイト以上のものを掲載しています。フィギュアスケートと直接関係が薄い記事や一覧記事は除外します。 新着記事 フィギュアスケート関連の新着記事があったときに更新します。自分で投稿した場合や見落としがあった場合はどうぞご自由に追加してください。ここに掲載するかどうかは、各一覧を見て載せるのが適切か否かを判断して下さい。 移動記事 記事が移動された場合に掲載します。2ヶ月くらいたったら消します。 主要記事とカテゴリ 基本的な記事へのリンクです。抜けているものがあったりバランスが悪かったりすれば調整してください。ノートで議論しましょう。 カテゴリ カテゴリを載せています。フィギュアスケートのカテゴリはまだ発展途上ですので、はっきりとした位置づけは決まっていません。 依頼 今のところ査読、翻訳、加筆、執筆依頼がありますので、適宜に依頼したいものの追加、済んだものの除去をしてください。
https://w.atwiki.jp/bukipedia/pages/216.html
折りたたみ十字手裏剣 ~Oritatami Jyuuji Syurikenn~ 基本スペックと定義 全長 約10~25cm 重量 0.15~0.50kg 地域 日本 年代 1450頃~1860年頃 折りたたみ十字手裏剣とは、「十字手裏剣」の特殊バリエーションの一つである。 通常は1本の棒手裏剣のようになっているが2つに分かれており、スライドさせることで内部に仕込んであるバネ板で十字に固定されるものである。 ただし、完成した十字手裏剣はどう考えてもかなり空気抵抗を受けるものとなるので、果たして本当に無理してまで十字手裏剣にする必要はあるのか? むしろ「棒手裏剣」として折りたたんだまま投げた方が早くね? といったツッコミを入れざるを得ない。 まあ、流派的に「平形手裏剣」を投げることに慣れているのであれば、折りたたむ必要はあったかもしれないが… 2010年 2月22日更新 10月10日テキスト微妙更新 参考文献 ウェブサイト wikipedia 文献 新紀元社 武器事典 市川定春 著 新紀元社 武器と防具 日本編 戸田藤成 著 ダイヤグラム・グループ 武器―歴史、形、用法、威力 田島優 北村孝一 著 幻冬舎コミックス 図説 武器だもの 武器ドットコム 著 学研 【決定版】図説・日本武器集成 株式会社 学習研究社 著 学研 【決定版】忍者・忍術・忍器大全 歴史群像編集部 著
https://w.atwiki.jp/bukipedia/pages/201.html
棒手裏剣 ~Bou Syurikenn~ 基本スペックと定義 全長 約10~25cm 重量 0.15~0.50kg 地域 日本 年代 1450頃~1860年頃 手裏剣とは日本の忍者の代表的な武器であり、日本の投擲武器の筆頭といえる武器である。 サイズ的に手の裏に隠れる程度のサイズ、というのが名前の由来である。 流派によって様々な形状があり、大分類すると「平形手裏剣」と「棒手裏剣」となる。 これらのような、元々手裏剣として作られたものは「忍手裏剣」と呼ばれ、とっさに他の短刀等で代用したものはまた別分類になる。 bukipediaでは、代用したものまで考えてしまうと日用品全てがそうなってしまう恐れがあるため、「忍手裏剣」に限って記載をする。 その他特殊な形状については別項目で説明し、当ページでは「棒手裏剣」について説明する。 棒手裏剣は次の種類に分類される。 「四角棒手裏剣」 (上記CG 1) 「柳葉型棒手裏剣」 (上記CG 2) 「八角棒手裏剣」 (上記CG 3) 「切出型手裏剣」 (上記CG 4,5,6) 「丸棒型手裏剣」 (上記CG 7) 「楔型手裏剣」 (上記CG 8) 「平板型手裏剣」 (上記CG 9) 「筆型手裏剣」 (上記CG 10) 「独鈷型手裏剣」 (上記CG 11) これらの棒手裏剣はサイズや重さから持ち運びがしやすいため、最大で20本ほど携帯することが可能だったとされている。 大きければ大きいほど空気抵抗を受けるため、相手に気づかれやすいがダメージは大きい。 逆に軽ければダメージは小さいが見つかりにくい。 時代背景 最古の記録では、後三年の役(1083~1087)の頃の「秀衡の記」に「手裏に小剣を隠して遠きを打つ」という一文がある。 この一文が現すように、語源は短刀等を投げる=手裏剣を打つからきている。 戦国時代には脇差を投げることが多く、それが剣術の「打物」という技術になって武士に広まり、そこから投擲に優れる形状へと変化していった。 矢や槍の利点も取り入れつつ生まれたのが、手裏剣である。 手裏剣術の諸説はいくつか出ている。 一説では中国の投擲ナイフである「ピャオ」から来ている説もあるが、大陸から投擲技術が来た形跡がなく、あまり有力ではない。 むしろ打根や手突矢といった手で投げる矢や、短刀等を投げた打物が最有力だろう。 実際手裏剣の流派の一つ根岸流の「手裏剣術要録」にも、手裏剣術の起源ともいえる記述がされているのが大きな物証である。 また、武器としては明治時代の幕開けと共に使われなくなったものの、現在でも数々の宗派にて、その手裏剣術は伝えられている。 使用用途 投擲方法は大きく二つ。 先端を上に向けて回転させずに投げる直打。 先端を下に向けて(手の平の中に隠して)回転させながら投げる回転打。 どちらが投げ方として優れているかというものはなく、その人それぞれの癖や流派次第で投擲方法は違っている。 投擲方法の詳細については、下記の文献、特に学研様の決定版~には、実際現物を投げている様子や、威力検証を行っているのでお勧めである。 また、一撃必殺的な武器ではないことと、射程が頑張っても14m、普通は3~6m程度である。 トリカブトとかの毒を刃につけていれば、当たったときに十分な致命傷を与えることも出来るかもしれないし、実際やったと思われる。 ただしこの場合、自分も下手すれば毒を受けてしまうため、投げ方は自ずと「刃を触らないように」していただろう。 携帯の方法は通常、懐に隠すのが定例だが、棒手裏剣は形状がシンプルなので色んなところに隠しやすい。 某姉さま萌え萌えの、瞬間移動できるツインテール少女の武器が棒手裏剣(作中では鉄矢)なのだが… 彼女は太ももにつけたベルトに、10本前後棒手裏剣を隠し持っている。 女性ならこの携帯方法はオーソドックスな部類に入るのだが、一般の淑女は余り真似しないようにお願いしたい。 ちなみに筆者は高校時代、棒手裏剣や投げナイフを適当なもので代用して練習したことがある。 そのためかちょっと尖ったもの、刃がついたものであれば代用して使えるぐらい慣れてしまっている。 偶然筆者の動体視力がよかったため、失敗して反射してきたものをとっさに避けられたため大きな怪我はしなかったものの、そうでない人だと失明してもおかしくない状況が多々あった。 若気の至りとしては少々危ないことをしすぎたと思っているので、よい子のみんなは棒手裏剣とかの練習をしないようにして欲しい。 2010年 2月17日更新 10月10日 テキスト微妙に更新 参考文献 ウェブサイト wikipedia 文献 新紀元社 武器事典 市川定春 著 新紀元社 武器と防具 日本編 戸田藤成 著 ダイヤグラム・グループ 武器―歴史、形、用法、威力 田島優 北村孝一 著 幻冬舎コミックス 図説 武器だもの 武器ドットコム 著 学研 【決定版】図説・日本武器集成 株式会社 学習研究社 著 学研 【決定版】忍者・忍術・忍器大全 歴史群像編集部 著
https://w.atwiki.jp/bukipedia/pages/187.html
平形手裏剣 ~Hiragata Syurikenn~ 基本スペックと定義 全長 約10~25cm 重量 0.15~0.50kg 地域 日本 年代 1450頃~1860年頃 手裏剣とは日本の忍者の代表的な武器であり、日本の投擲武器の筆頭といえる武器である。 サイズ的に手の裏に隠れる程度のサイズ、というのが名前の由来である。 流派によって様々な形状があり、大分類すると「平形手裏剣(平型、風車型手裏剣とも)」と「棒手裏剣」となる。 これらのような、元々手裏剣として作られたものは「忍手裏剣」と呼ばれ、とっさに他の短刀等で代用したものはまた別分類になる。 bukipediaでは、代用したものまで考えてしまうと日用品全てがそうなってしまう恐れがあるため、「忍手裏剣」に限って記載をする。 その他特殊な形状については別項目で説明し、当ページでは「平形手裏剣」について説明する。 平形手裏剣は次の種類に分類される。 「八方手裏剣」 (上記CG 1,2) 「六方手裏剣」 (上記CG 3) 「五方手裏剣」 (上記CG 4) 「四方手裏剣」 (上記CG 5,6,7) 「四方手裏剣・糸巻」 (上記CG 8) 「三方手裏剣」 (上記CG 9) 「十字手裏剣」 (上記CG 10,11) これらの平形手裏剣は、基本的に両刃であり、裏表同じように作られている。 これは投擲時の空気抵抗を考えてのことと思われる。 また、突起が大きければ刺さりやすくなる反面、空気抵抗が大きくなる為、相手に見つかりやすくなる。 逆に突起が少なければ当てにくいが見つかりにくい、ということになる。 時代背景 最古の記録では、後三年の役(1083~1087)の頃の「秀衡の記」に「手裏に小剣を隠して遠きを打つ」という一文がある。 この一文が現すように、語源は短刀等を投げる=手裏剣を打つからきている。 戦国時代には脇差を投げることが多く、それが剣術の「打物」という技術になって武士に広まり、そこから投擲に優れる形状へと変化していった。 矢や槍の利点も取り入れつつ生まれたのが、手裏剣である。 手裏剣術の諸説はいくつか出ている。 一説では中国の投擲ナイフである「ピャオ」から来ている説もあるが、大陸から投擲技術が来た形跡がなく、あまり有力ではない。 むしろ打根や手突矢といった手で投げる矢や、短刀等を投げた打物が最有力だろう。 実際手裏剣の流派の一つ根岸流の「手裏剣術要録」にも、手裏剣術の起源ともいえる記述がされているのが大きな物証である。 また、武器としては明治時代の幕開けと共に使われなくなったものの、現在でも数々の宗派にて、その手裏剣術は伝えられている。 使用用途 投擲方法は様々。 一角を持って投げたり、全体を手に隠すようにして持って投げるといった方法がある。 この投擲方法の詳細については、下記の文献、特に学研様の決定版~には、実際現物を投げている様子や、威力検証を行っているのでお勧めである。 ただ、一つ確実にお伝えできるのは、 忍者ハッ○リ君のように、平形手裏剣を手のひらに積み上げて擦りながら投げる方法は現実不可能である。 手裏剣の投げる方法の最大の特徴として、しっかりと握っていないと全く威力は出ないということがある。 また、しっかり握って投げたとしても一撃必殺的な武器ではないことと、射程が頑張っても14m、普通は3~6m程度である。 トリカブトとかの毒を刃につけていれば、当たったときに十分な致命傷を与えることも出来るかもしれないし、実際やったと思われる。 ただしこの場合、自分も下手すれば毒を受けてしまうため、投げ方は自ずと「刃を触らないように」していただろう。 平形手裏剣は棒手裏剣と比べて威力が劣るという見解がよくあるが、学研での検証によると刺されば棒手裏剣と大差ないことが実証されている。 回転させながら投げるため、遠心力によって十分な威力が発揮できるものと思われる。 ちなみに筆者は若気の至りとして、小さい頃に四方手裏剣(6みたいなタイプ)っぽい物を自分で作って、忍者ハッ○リ君の真似をしたことがある。 が、全然飛ばない上に切れ味をつけたわけでもないのに、先端が手に突き刺さって酷い目にあったことがある。これが若さか… 恐らく現代のゆと…子供だと、ナ○トの真似をして~というのが一番多そうだが、よく覚えておいて欲しい。 「漫画やゲームの真似をすると、場合によっては大怪我じゃ済まない事態に陥る」 まあ、やってしまったらやってしまったで、大きくなってから「認めたくないものだな。自分自身の若さ故の過ちというものを」と、自虐ネタには出来るかもしれない。 2010年 2月16日更新 10月10日テキスト微妙更新 参考文献 ウェブサイト wikipedia 文献 新紀元社 武器事典 市川定春 著 新紀元社 武器と防具 日本編 戸田藤成 著 ダイヤグラム・グループ 武器―歴史、形、用法、威力 田島優 北村孝一 著 幻冬舎コミックス 図説 武器だもの 武器ドットコム 著 学研 【決定版】図説・日本武器集成 株式会社 学習研究社 著 学研 【決定版】忍者・忍術・忍器大全 歴史群像編集部 著
https://w.atwiki.jp/tepper/pages/12.html
テッペディアにようこそ! テッペディアは小物な百科事典です。tepperなら、誰でも記事を編集したり新しく作成したりできます。 詳しくは小物スレをお読みください。 現在、テッペディア日本語版には何件の記事があるか分かりません。 索引 あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら~わ行 英数字・記号・他
https://w.atwiki.jp/how2/pages/10.html
Media Media動画codec ツール類 音楽変換手順 動画codec http //www.softantenna.com/3.html#8 Combined Community Codec Pack ツール類 http //www5b.biglobe.ne.jp/~k-kumaki/prog/mstn.html http //www.true-audio.com/Free_Downloads ぷっちでここ Exact Audio Copyを使った音楽CD完全バックアップ/MUSIC PC mediaplayerclassic/Media Player Classic 日本語化 午後のこ~だ lame3.90.3/KKKKK.Net - Software freedb 日本語/http //freedbtest.dyndns.org 80/~cddb/cddb.cgi HMV Japan - Homepage Yahoo!ショッピング - 音楽、CD Mp3tag - the universal Tag Editor - Download SuperTagEditorサポートページ SuperTagEditor 改造版 Yahoo!ショッピング - 音楽、CD アップル - iTunes - ダウンロード Win32工作小屋 - Winamp日本語化キット/WINAMP5用 Shibatch mpg123プラグイン 改悪バージョン - おたちゃんのMIDI/Audioソフト 音楽変換手順 cd ↓ exactaudiocopyでwavに ↓ ↓ ↓ ttaなど可逆圧縮で保存用作成 ↓ 午後のこ~だ等を使ってmp3、vbr160-32 ターゲット100位で ↓ freedbtagger等を使ってタグのおおまかな編集 ↓ itune行き
https://w.atwiki.jp/bukipedia/pages/104.html
フォチャード ~Fauchard~ 基本スペックと定義 全長 200~250cm 重量 2.0~3.5kg 地域 ヨーロッパ 年代 15~17世紀 フォチャードは「グレイブ」を改良した長柄武器である。 グレイブもモノによっては刃元に突端が付いていたりするのであまり違いがないように見えるが、フォチャードの唯一の特徴として刃の反対側に鉤爪が付いている。 グレイブよりもやや幅広の刃も特徴ではあるが、同じぐらい幅広のグレイブも存在するのでフォチャードだけの特徴とは言い切れないかもしれない。 また、鉤爪付きのグレイブをフォチャードと呼称したのはフランスで、ドイツでは鉤爪の形状を変えて「クーゼ」と呼ばれている。 グレイブのバリエーションの一つであると考えていいだろう。 部位別の呼称 1 穂先:スピアーヘッド(SpearHeads) 2 斧刃:アックス・ブレード(Ax Blade) 3 錨爪or鉤爪:フルーク(Fluke) 4 突端:ラグ(Lugs) 5 口金:ソケット(Socket) 6 柄:ポール(Pole) 7 石突:バット(Butt) 時代背景 「グレイブ」は14世紀ごろには有効な歩兵武器だった。 しかし長柄武器が全盛し、歩兵同士の鍔迫り合いが戦場での主な戦い方になると攻撃を受け止める手段のない為、グレイブは戦場で不利なものとなった。 その欠点を補うために受け止めるために、刃と反対側に鉤爪が追加され、フランスでフォチャードと呼ばれるようになった。 しかしフォチャードは16世紀の終わりには戦場で見ることはなくなり、あまり寿命の長い武器ではなかった。 ただ、イタリアを中心とした宮廷では17世紀の終わりまで近衛兵のパレードに使用され、ドイツでは「クーゼ」と呼ばれて近衛兵の武器として使われていたと言う。 使用用途 「グレイブ」の斬撃に鍔迫り合いの機能と受け止める機能を付けた為、防御面が強化されている。 また、一般的なグレイブと比較して幅広の刃となっているので斬撃の威力はグレイブより上昇している。 鍔迫り合いに関しては少々訓練が必要かと思われるため、あまり一般兵向けの武器ではないのかも知れない。 2008年 12月24日更新 参考文献 ・ウェブサイト wikipedia ・文献 新紀元社 武器事典 市川定春 著 新紀元社 武器と防具 西洋編 市川定春 著 新紀元社 図解 近接武器 大波篤司 著 ダイヤグラム・グループ 武器―歴史、形、用法、威力 田島優 北村孝一 著 幻冬舎コミックス 図説 武器だもの 武器ドットコム 著
https://w.atwiki.jp/kumicit/pages/925.html
Kumicitのコンテンツ 関連ネタ ダニング·クルーガー効果についてのwikipediaの記述 2013/2/15時点で日本語版には存在しないので、英語版から。 wikipedia ダニング·クルーガー効果( Dunning–Kruger effect ) ダニング·クルーガー効果とは、未熟な人が、誤って自らの能力を平均よりも、はるかに高いと評価して、幻想上の優位性を患う認知バイアスである[1]。 実際の有能な人は、他者が自分と同等の理解をしていると誤って仮定して、自信を弱めるかもしれない。Cornell UniversityのDavid DunningとJustin Krugerは「自身についての誤りによる無能な人のキャリブレーション失敗と、他者についての誤りによる有能な人のキャリブレーション失敗」と結論している。 歴史的文献 ダニング·クルーガー効果は1999年に提唱されたが、DunningとKrugerはCharles Darwin 「"Ignorance more frequently begets confidence than does knowledge"(無知は知識より、しばしば自信を生む)」[3] と Bertrand Russell 「"One of the painful things about our time is that those who feel certainty are stupid, and those with any imagination and understanding are filled with doubt and indecision"(我々の時代に辛いことの一つが、自らが確かに愚かだと感じている者と、想像力と理解力を持つ者は、疑いと優柔不断に満たされてる)」[4] を、この現象を認識した記述者として引用している。その論文にコメントしたGeraint Fullerはシェークピアが"お気に召すまま"で、同様のことを書いていると指摘している。「"The fool doth think he is wise, but the wise man knows himself to be a fool." (V.i)(愚者は自らが賢明だと考え、賢者は自らが愚かであると知っている)」[5]。 James Patrick Holdingのような学者は、さらに箴言12章15節のような初期の聖書まで遡れると言う Scholars such as note that the principle is much older even than that, being reflected in early biblical writings such as Proverbs 12 15, which states 「The way of a fool seems right to him, but a wise man listens to advice.(無知な者は自分の道を正しいと見なす。知恵ある人は勧めに聞き従う。)」[6] 仮説 現象の仮説はDunning and Kruger[2][7]にって実行された一連の実験で検証された。DunningとKrugerは、非常に多くの無能の背景に、能力の標準についての無知があることを初期の研究が示唆していることを指摘した。スキルの研究では、読解から車の運転からチェスやテニスまで広範囲にこのパターンが見られる。 DunningとKrugerは、所与のスキルについて、無能な人々は 自分のスキルレベルを過大評価する傾向がある 他者の持つ本物のスキルを認識できない 自らの不適切さが極端であることを認識できない そのスキルのトレーニングを行うと、トレーニング前はスキルがかけていたことに気付く Dunningは、脳損傷によって身体障害を被った人が、失明や麻痺などの劇的な障害についても、障害の存在を知らない、あるいは否定することとのアナロジー("日常生活の病態失")[1][8]を描いた。 これを支持する研究 Dunning and Krugerは、この仮説を検証する実験をCornellの心理学の学部学生に対して行った。一連の研究で、彼らは、論理的な推論のスキルと文法的なスキルとユーモアについての被験者の自己評価を調査した。テストの得点を見せられた後、被験者は再び、自分自身のランクの評価を求められた: 有能な人々は正しく自分自身のランクを評価したが、無能な人々はそれでもなお、自分自身を過大評価した。これについてDunningとKrugerは対のように書いている。 Across four studies, the authors found that participants scoring in the bottom quartile on tests of humor, grammar, and logic grossly overestimated their test performance and ability. Although test scores put them in the 12th percentile, they estimated themselves to be in the 62nd. 4つの研究にわたって、我々は、ユーモアと文法とロジックのテストの得点の下位1/4の被験者は、テストの得点と能力を過大評価した。テストの得点は12パーセンタイルだが、彼らは自らを62パーセンタイルだと自己評価していた。 一方、真に能力を持つ人々は、自身の相対的能力を過小評価する傾向があった。おおよそ、タスクが簡単だと誤って仮定していた被験者は、ある程度、そのタスクが他人にとっても簡単にちがいないと考えていた。 同じ論文に書かれているフォローアップ研究は「おおよそ無能な学生は、実際のスキルの向上は無に等しくても、最小限の指導で、もともと欠いていた自分自身のランクを評価する能力を向上させる」ことを示唆した。 2003年に、同じくCornell UniversityのDunning and Joyce Ehrlingerは、外部の手がかりの影響を受けて自分自身についての見解のシフトの詳細についての研究を発表した。研究の被験者はCornell Universityの学部学生で、意図的に自己評価がポジティブあるいはネガティブに影響されるようにして、地理のテストを受けさせられた。そして、自分の得点を予測させられた。ポジティブに影響された学生は、ネガティブに影響された学生より、有意に高い得点を予測した。[9] Daniel Ames and Lara Kammrathはこの研究を他者への感受性に拡張し、被験者の認識がいかに影響を受けるかを調べた。[10] 他の研究では、この影響はそれほど明白ではなく、ノイズあるいはバイアスレベルによるものだと示唆している。3つの研究の12のタスクを通じて、研究者たちは、中程度の難易度のタスクでは、最高得点者と最低得点者の自己評価の精度に大きな差異は見られないが、高難易度のタスクでは、最高得点者の方が最低得点者よりも自己評価の精度が悪いことを発見した。このパターンは、あらゆるスキルの評価について、同様の誤りがあることを示唆している。[11] Ehrlinger et al.[2008]は別の説明を検証しようとしたが、元の研究と定性的に同様の結果になった。この論文は「これらの根本原因が、高得点者と対照的に、低得点者が改善の必要性を示すフィードバックから学ばないことである」と結論した。[4] ダニング·クルーガー効果についての研究は、米国の試験科目に集中する傾向がある。一部の東アジアの被験者に関する研究では、ダニング·クルーガー効果とは逆の何かが自己評価と、向上努力への動機に対して働いていることが示されている。[12] 受賞 Dunning and Krugerは彼らの論文"Unskilled and Unaware of It How Difficulties in Recognizing One s Own Incompetence Lead to Inflated Self-Assessments"に対して、イグノーベル心理学賞を受賞している。[13] References Morris, Errol (20 June 2010). " The Anosognosic s Dilemma Something s Wrong but You ll Never Know What It Is (Part 1) ". New York Times. Kruger, Justin; David Dunning (1999). "Unskilled and Unaware of It How Difficulties in Recognizing One s Own Incompetence Lead to Inflated Self-Assessments". Journal of Personality and Social Psychology 77 (6) 1121–34. doi 10.1037/0022-3514.77.6.1121. PMID 10626367. CiteSeerX 10.1.1.64.2655. Charles Darwin (1871). "The Descent of Man" (w). pp. Introduction, page 4. Ehrlinger, Joyce; Johnson, Kerri; Banner, Matthew; Dunning, David; Kruger, Justin (2008). "Why the unskilled are unaware Further explorations of (absent) self-insight among the incompetent" (PDF). Organizational Behavior and Human Decision Processes 105 (105) 98–121. doi 10.1016/j.obhdp.2007.05.002. PMC 2702783. PMID 19568317. Fuller, Geraint (2011). " Ignorant of ignorance? ". Practical Neurology 11 (6) 365. doi 10.1136/practneurol-2011-000117. PMID 22100949. James Patrick Holding (8 February 2011). "Dealing with the Dunning Effect". Christian Research Institute. Dunning, David; Kerri Johnson, Joyce Ehrlinger and Justin Kruger (2003). "W hy people fail to recognize their own incompetence" (PDF). Current Directions in Psychological Science 12 (3) 83–87. doi 10.1111/1467-8721.01235. Dunning, David, “Self-Insight Roadblocks and Detours on the Path to Knowing Thyself (Essays in Social Psychology),” Psychology Press 2005, pp. 14–15. ISBN 1-84169-074-0 Joyce Ehrlinger; David Dunning (January 2003). "How Chronic Self-Views Influence (and Potentially Mislead) Estimates of Performance". Journal of Personality and Social Psychology (American Psychological Association) 84 (1) 5–17. doi 10.1037/0022-3514.84.1.5. PMID 12518967. Daniel R. Ames; Lara K. Kammrath (September 2004). " Mind-Reading and Metacognition Narcissism, not Actual Competence, Predicts Self-Estimated Ability " (PDF). Journal of Nonverbal Behavior 28 (3) 187–209. doi 10.1023/B JONB.0000039649.20015.0e. Burson, K.; Larrick, R.; Klayman, J. (2006). "Skilled or unskilled, but still unaware of it how perceptions of difficulty drive miscalibration in relative comparisons". Journal of Personality and Social Psychology 90 (1) 60–77. doi 10.1037/0022-3514.90.1.60. PMID 16448310. hdl 2027.42/39168. DeAngelis, Tori (feb 2003). " Why we overestimate our competence ". Monitor on Psychology (American Psychological Association) 34 (2) 60. " Ig Nobel Past Winners ".
https://w.atwiki.jp/veda/pages/32.html
概念(がいねん)・コンセプトとは、物事の総括的・概括的な意味のこと。ある事柄に対して共通事項を包括し、抽象・普遍化してとらえた意味内容で、普通、思考活動の基盤となる基本的な形態として頭の中でとらえたもの。 その概念を言葉で表現されたものを「名辞」と呼び、言語の構成要素として、それを組み合わせ、述べ表し、判断・認識可能なものとして現実世界をとらえて表現する。人間はほぼこのような概念化した名辞によって、この世の中のあらゆることを理解したり、表現している。 また概念は、それを提議・提唱する者の心性、視点、立場、精神的なポジション・在り方を反映する。 コンセプトは、それらを敷衍し同様に扱うことによって、個々の物事・出来事の間の違いを省き、物事・出来事の間に共通する大要、要約、見解、イメージ、つまりは「普遍的概念」となる。 このコンセプトは、実在の出来事や事件、物事の関係を種類に分け、分類化し、カテゴライズし、クラス分けをするのに貢献する。 またコンセプトは、文脈の中の要素になっている場合「提案、提議、申し出、計画、命題」(の要素)を意味する。 概念は人間の精神内部に存在する何かであり、抽象的、 普遍的なものである。 精神外部の世界に存在するものや、出来事や、 それらの関係について概念が存在する。 ひとつの概念は個々の事物というよりも、 事物の集合に対して存在する。 概念は、個々の物事の細かな相違点を無視して、 それらが同一であるかのように扱うという意味で抽象的である。 概念は、(それが表す)個々の事物すべてに当てはまるという点で普遍的である。 例として「犬」という概念を挙げる。概念としての犬は、個々の犬ではなく犬の集合に対して存在する。実際には白い犬もあれば黒い犬もあるが、それらの相違点を無視して同一であるかのように扱うので抽象的である。また、例えば4本足であり、尻尾があり、哺乳類であるといった概念としての犬に当てはまることは個々の犬すべてに当てはまるという意味で普遍的である。 概念は意味の担い手である。一つの概念は複数の言語で表現することができる。 「犬」という概念はドイツ語では Hund と、フランス語では chien と、 スペイン語では perro と表現される。 概念がある意味で言語とは独立したものであるということが、翻訳を可能にする。 つまり、同一の概念を表す様々な言語の言葉は「同じことを意味する」 名辞 言葉が文の要素であるように、概念は命題の要素である。 概念が言葉で表現されたものを名辞(めいじ)という。ひとつの命題として 「AはBである」 とした場合に、「A」を主辞、「B」を賓辞という。 特に抽象名辞(抽象概念)は、言語や数字や記号で現実世界を表す。または現実にないものをあるものとして存在させるために 表現する手段である。 参照:言葉、意味、文化、論理学 作品の概念・コンセプト 人の手による絵画・書画・曲・文芸等の作品は、作者がその作品に込めた意図・意匠・目的・思い等の概念を有し、これを表現しており、「作品のコンセプト」等と言われている。又、受け手の感じ方によって新たな概念が付加される場合があり、作品に接する時代性や社会的価値観などの変化に伴って変わる。 芸術における概念(抽象概念)は、心で感じ取ったものを2次元(絵画)、3次元(立体彫刻など)で表現したものといえる。音楽も同様で、心で感じ取ったものを楽器の音、人間の声を構成して表現している。写真はそのときの作者(撮影者)の心情と場面をその瞬間の調和で作り上げる即興的芸術ともいわれる。 言語概念と子供の発達 概念は、体内期から形成が始まるといわれている。まず、感覚的に世界を捉える「感覚概念」5感を複合的に利用して外界の物事を理解する。胎児期の5ヶ月目には、聴覚が働きはじめる。9ヶ月になると、大きな音がするとびくっと反応して、母親に驚いていることを伝えるようになる。繰り返し見ることができる、聞くことができる場面にまず音声として認識され、あとから言語として認識されていく。それを反復すると第1段階のコミュニケーションを始める。2歳前後から急速に他者とコミュニケーションをすることがさらに楽しくなり、意味を含んだ言語をまちがいながらも使うようになり、コミュニケーションの段階が進む。例えば、ある子供の例では「抱っこして」が「大きい抱っこして!」に変化する。立って抱っこして欲しいの意味であるが、5歳の兄弟から「タッチ抱っこやろ」と指摘されると、「立っち抱っこ?」(立つ意味)と半信半疑で使いはじめる。 認識した既存の言語を用いながら、形容詞をあれこれつないで積極的に使おうとする。通じることが少ないとかんしゃくを起こして、違うと訴える。疲れているとさらに泣き出す。こうした過程を通じて、子供は、自分の持つ言語体系を身近な世界で異化させていく。 数の概念は経験に比例する。小学校で算数セットが各家庭で購入されているか、学校のものとして使われているかで大きく概念形成がかわると思われる。前者の方が数の概念が身につきやすい。内語と外語の違いに似ている。 関連項目 発想