約 3,871,396 件
https://w.atwiki.jp/teno-group/pages/110.html
ラテンアメリカ手野テレビ ラテンアメリカ手野テレビは、アメリカ及びカナダを除いた南北アメリカ地域に置かれる手野テレビの総称である。 目次 放送局の種類 管轄区域 放送内容 その他 放送局の種類 管轄区域 放送内容 その他 ラテンアメリカ以外にも、北米(カナダ、アメリカ)、欧州、北ユーラシア、アジア手野テレビ、アフリカ手野テレビ、オセアニア手野テレビに手野系列局を設立している。
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/2342.html
351 :名無しさん:2014/01/21(火) 02 14 20 現在第二話を製作中だったんですが、第一話を読み直すうち少々説明不足だった点や、駆け足過ぎた点などに気付きました。 なので、ひとまず筆を置き、前回のゴムの話の続きからをさせて頂くとする事にします。 衝号抜きの太平洋戦争 支援ss1.5 時代を振り返る~戦時下アメリカに置ける物資の窮乏~その1.5 通称破壊が軌道に乗った事により、徐々にゴム不足の状況を把握しつつあったアメリカは、 これまで軽視していた様々なルートからゴムの輸入を強化しており、また代替品の開発や発掘の努力を欠かさなかった。 しかしその涙ぐましい努力の結果集められたゴムで誤魔化せたのは、ごく限られた期間であり、いわゆる焼け石に水であった。 結局の所絶対量が足りなかったのだ。 結果として混ぜ物で水増しされ劣悪な粗悪品と化してしまうと言う、悲しい経過を辿るのである。 当たり前の事だが、再生ゴムによる水増しの割合は戦争中、時間の経過と共に指数関数的に酷くなっていった。 終戦後の帝国軍の調査では、後期型のアメリカ製兵器に用いられたゴムからは、最大で80%の再生ゴムの割合を記録したと言われる。 そのアメリカの涙ぐましい努力の一部をここに紹介しようと思う。 1 □メキシコ北部に自生するキク科一年草の灌木であるグアユールゴムノキからの調達。 この木は砕いて煮詰める事で多少のゴムを産するが、樹脂の含有量が多く精製に手間がかかり、性能が低い。 また、これまでゴムの生産の為に栽培されていたり、収穫されたいた経験があまりないため、不整地に自生するそれらの回収効率は当然ながら低い。 それでもアメリカの要請で、メキシコ人は苦労して運搬して工場に持って行くものの、その生産効率の悪さから賃金に泣く事となる。 当然ながら、戦争の推移と共にアメリカを見限ったメキシコが憎きアメリカの言うことなど聞くはずも無く、 特に原爆投下以後は供給が完全に途絶える。 2 □中央アメリカに自生するクワ科高木のパナゴムノキからの収穫。 中央アメリカも、パナマ運河の利権がどこにあるかを考えれば明白な事であるが、アメリカの傘下である。 樹皮の再生が遅く年に数回しか切りつけられないので、ゴムの収穫効率は絶望的。 アメリカの要請により、限度を無視してゴムを採取された多くの木が枯死し、一時は絶滅を危惧された。 また同地域にはサポジラと言うガムの原料の木も生えており、こちらは大々的に栽培もされていた。 しかし戦況の推移と共に以下同文。 3 □リベリア・プランテーションからのゴム輸入。 史実に置いてもアメリカのゴム需要を支えたリベリアゴムであるが、衝号抜きアメリカのような消耗戦で無かった史実でさえ、 その生産力では戦線を支えることは出来ていない。 大量の兵器を使い捨てにする消耗戦に推移した衝号抜きアメリカでは当然、焼け石に水である。 また、開戦中期に置いては大西洋航路までもが大きな被害にあったため、一時供給が途絶したことも。 プランテーションで黒人を奴隷同様に酷使し尽くし、戦後アメリカの悪名の一角を築いた。 便宜上独立してはいたものの、実質は植民地同然であり、開戦後は暴動の連発。 蜂起した民衆は戦争の推移と共に以下同文。 352 :駆動戦士:2014/01/21(火) 02 15 09 ■ その他、英領でも枢軸勢力でないゴムの産地からの輸入や、パラゴムノキ以外の代替ゴム(サポジラ・アフリカゴムノキなど)の使用、 ソビエトに倣い、ロシアタンポポの栽培によるゴム精製など、打てるだけの手は打っていたが全ては結果が物語っている。 一時はアメリカの学校という学校の校庭がロシアタンポポの畑と化し、生徒が世話をしていたとも言われるが、それも宜なるかな。 この時代、ゴムの産地に関しては、その多くが英領であるか枢軸勢力のものであったからして、アメリカの選択の余地は少なかった。 武力で獲りに行ってただでさえ少ないゴムの消費に拍車をかけるのも馬鹿らしい話であるし、 実際、日本を相手に二正面作戦を行うなどというのは悪夢そのものであると、そこは珍しく軍部も政界も意見が一致していた所でもある。 イギリスだけでなく、ナチスドイツとの交渉についても粘り強く行われていたものの、 イギリスは前述の通り植民地の人質を前に屈したし、ドイツはドイツで、アメリカが負けた所で、 日本が本気で広大なアメリカ全土を掌握できるなどと微塵も思っていないので楽観的である。 欧州の大戦も佳境であり、合成可能とはいえ貴重なゴムの消費は自国で全て行いたいという思惑もあるし、 アメリカがもっと弱り切った頃にぶん殴る気まんまんのドイツは目の前で調理されつつある牛の命乞いなど聞く耳を持たなかった。 そもそもが前大戦の仇敵である。 こうしてアメリカのゴム供給は、終戦までついぞ回復する事は無かったのである。
https://w.atwiki.jp/trivia-mike/pages/3351.html
こちら葛飾区亀有公園前派出所で両津勘吉がアメリカに行く話。 原作・アニメともにあるよ!こち亀で掲載されてたストーリー、題名は両さんアメリカへ行く。 こち亀で両さんがアメリカへ行く話〜考察編〜 概要 原作でとアニメで大幅に違う。 例、両津の世話役はアニメで太ってる。反日は一緒だが原作では親を戦争で、アニメでは戦争でおじいさんをなくしているとしてるん。これは時代の反映で、原作に掲載されてた頃の両津は戦後生まれだったがアニメが放映されるころには原作で昭和30年代生まれに変更されたため、これに沿ったものと思われるんだ。 ここでは原作より内容が濃厚なアニメの方を中心に優先して記載していく。 両さんアメリカへ行く ■あらすじ■ 「両さんアメリカへ行く」 両津がアメリカ研修に行くことになった。ニューヨーク市警のマックスが世話役となり研修生活を過ごす両津だが、マフィアに狙われた証人の少年をロスまで護送することに! ■さらに、その詳細を綴った内訳■ 葛飾署長から大原部長へ職員をアメリカ研修に送り込むことになったが 選ばれたのは両津だ 部長は疑問を署長に問うが本庁の命令と仕方ない顔な署長 渋々承諾す 亀有公園派出所へ行き両津に告げるぞ 両津にアメリカの位置を問うが別の場所を指す両津 なんとか両津を東京空港からアメリカへ送り届ける部長 両津は飛行機でアメリカ着いたがな 爆竜大佐に連れられてニューヨーク市長か市警署長に会う サンディはこのとき出てくるぞ 研修担当はマックス 彼は世話役となり研修生活を過ごす両津 マックスは祖父をなんかの戦争で亡くしたことを理由に反日感情を持っていた ホテルに泊まる両津 出納帳が面倒臭いながらベッド寝そべり悩む 翌日街中をパトロール。途中、今はセントラルスクエアだろう、ハーレムという街を通る アニメ初放映時は犯罪者のたまり場だった。 両津は何を期待したのか呆れていたな パトカーに石を投げる住民 その後建物が火事だっ マックスによると火災保険目当てで ワザと火を放って保険金をセシめようという。 見てたら 両津は窓に取り残されたやつを発見 マックスとかには見えなかったが 両津は燃え盛る建物に突入 カミカゼぶりに不満るマックスは消火栓にパトカーをぶつけ 放水を発す! 自ら水を浴び、見ていた民に、 この水で火を消すんだと指示し、 自らも燃え盛るビルの中へ。 両津が取り残されたやつをオブリ出てきてら 取り残されたやつを家族に引き渡す なぜか日本語が通じ。 愚痴をこぼすマックス。で、笑う互い 誰の家か知らんがサンディもいっしょに宴会みたいなしとた すっかり親しくなったのでマックスは両津を両ちゃんと咄嗟にな 両津は対しマックスをマーちゃんと呼ぶことにし 反日感情すらなくなったといえるか 射撃場でなんか射撃したりしたんやら ある日マックスは ある理由で 両津の世話役を外れることになり 代わりは日系なやつに変わることになる マックスの近くに黒人な少年ジョンがいるぞ 少年はとある事件の証人としてロサンゼルスにる裁判所へ護送する予定だったのだ。 警察署を出る。これからパトカー乗り込もうとしたとき ビル屋上から狙撃あり ジョンを狙おうとしたがマックス被弾してしまうんだ 救急車で運ばれるマックス 麻酔が効いたのでか眠るんだら 両津は研修を中断し マックスの代わりにジョンをロサンゼルスまで届けることだなや。運転サンディすげぇ 隣でしょぼくれるジョン 両津が構おうとすると いきなりナイフを突き立てサンディに叱られてるあーっ! ジョンは家族を何の怨みからかマフィアに全殺されてしまった。 唯一クローゼットに隠れていたジョンは無事だったが 隙間から家族が全殺される光景を目の当たりにし それ以来心を閉ざしているんだならさ マフィアにまだ生き残りがいると知られ マフィアボスは家族全殺を命じたことが法廷で証言されるのを恐れ 唯一な生き証人であるジョンを部下達に暗殺を命じた。変装をしになら走るとにガス欠寸前だたので、とぁるガスステーションに立ち寄る そこに白いタンクトップに赤いホットパンツで巨乳な金髪女が給油す デレレ両津ああ美味い肉 ガソリンを入れたら走り去る すると金髪女は胸からな写真三枚とマーカを取り出し マーカをクワえキャップを外す キャップをクワえたまま両津顔な写真にマーカで髭と髪を先程の両津をイメージして描くと微笑むらや 口にクワえたキャップを吐き捨て すると電話が鳴り ポケットから電話を取り出すと どこかと連絡するやなかたあやまはさかなやらはだや ナニモナイ街道を走りと前にトラックが走っている すると後ろからもトラックが二台やってきて 両津が乗る車を挟み込んだ 左右にトラックは車に体当たりする。 マフィアらしく さっきの女はソノ仲間だとあ 両津は行動しトラックに飛び乗り トラック運転するマフィアを殴り乗っ取るぞ 乗っ取ったトラックで両津はトラックを次々体当たりし 崖から落とし しまいにゃ自分も落とす。 崖を覗き込むサンディジョン 両津は木に引っ掛かってた 体当たりで車がダメになったのでレンタカーを借りることになた 周囲は一本道に生い茂るモロコシ畑ばかりでナニモナイらさま そこでヒッチハイクすことになるんが サンディは親子?と思われるからか両津とジョンに隠れるよう要求 仕方なくモロコシ畑に隠れる両津ジョン サンディはボタン外し胸を露出させ 車が通ると色っぽくアピール 呆れる両津ジョン 車が停車したのでレンタカーを借りたいことのみ事情を説明すサンディ しサンディはその車とともにどこかへ行ってしまった ナニモナイ暇な土地で両津ジョンはオイテケボリ 唯一あるとモロコシとソレを覆うネット そこで両津はジョンにナイフを要求し モロコシの枝とナンカの紙とネットでカイトを作った カイトを高く揚げる両津ジョン しばらくしてレンタカーに乗ってサンディが戻ってきた そして再出発するに車内ではジョンが両津にカイトを返すうとするが 両津はプレゼントと言ったので ジョンは喜びカイトを胸に引き締めるさ すっかり打ち解けた二人にサンディは感心したよだ その後アメリカを横断し 途中でイロイロやり草が茂る河原でベーゴマす サンディは川端で日光浴か 靴を脱ぎ素足を伸ばし帽子顔にまだ昼寝 ペンションで一泊してたときのことだら サンディはシャワーを浴びている間 両津はジョンにベッドの寝方をレクチャーだ 確かジョンは端でかサンディと両津が向かい合うように寝るんだったかなら で、サンディがシャワー帰りで入室 何をしてたのか疑問らしいがな 両津は爆竜大佐に電話した で、ちょっと明るくなったので見ると 窓に窓にトラックがナンカバックしていた。 両津はボーッとしていて 爆竜もどうしたかと返答を要求しちょる すると次の瞬間 ドカーンッ トラックはペンションに体当たりし ペンションは半壊した そして体当たりなショックで停電し暗くなったに 両津は瓦礫の下 なんとか脱出した両津 目の前でサンディとジョンがマフィアに拉致されているざ トラックはジョン達を積み終わると 走り去るんだ 両津はレンタカーに乗り後を追うが タイヤを全パンクさせられスピンしてしまう 両津は爆竜に連絡す 闇夜を走るトラック その中でジョンサンディは口を布で 手を後ろに足は揃えて縛られていた すると進路先に検問があり マフィアは調べられたら水泡と考え 分岐する未舗装道を進んだのだ ここは、どこかの倉庫 君達の中にも行った人がいるだろう? ここには色んな荷物が陳列してあるんだ そこにジョンサンディは放り出され 倉庫の扉が閉められ監禁 放置プレイ マフィア部下達はこんなところでいていいのかと相方に語るぞ すると相方は酒を飲みながら裁判に間に合わなきゃいいんだと語る。 一方ジョンサンディ。サンディがジョンにナイフを要求すると 身動きが取れないなかジョンは身体を動かしながらナイフをズリ落とす それをサンディはクワえて自分の手を縛るロープを解くように要求 すると両手が自由になたサンディは布か足のロープを解く さらにジョン縛るロープや布解。周りの積荷を積んでサンディがジョンを肩車して乗り、ジョンに窓まで手を伸ばしてもらうが距離があり この高さじゃ足りん!どうやって両津に助けを求めるか?ジョンはタコ(カイト)を上にあげよとジェスチャーで提案。 窓は開いていたようなのでカイトをタコを空に揚げたぞ。 翌日 マフィア部下達は倉庫ドアを開け中を確認す 眠り込んでると確認すと扉をドア閉め立ち去る 眠り込んフリしのか目を開けるジョンサンディ 両津は爆竜と共に米軍ヘリに乗っていた すると両津はカイト揚げを発見 で、マフィア部下達はトラックで爆睡していたぞやら ドーンッ その衝撃音で目覚めジョンサンディを監禁した倉庫に行くと 爆撃で壁に穴が空いていて そこへジョンサンディが逃亡するのを目撃す 倉庫の床を踏みしめ。 マフィア部下も追い掛ける サンディのが足速いな そこに両津と爆竜がいる ジョンは走る必死で走る 両津のとこまできたら なんか前からマフィアに銃でジョンは撃たれそのまま倒る 駆け寄るサンディ 意識がないジョン 呼びかけるサンディ、さけび声をあげ嘆くサンディ 両津は怒りマフィアに走りゲタを飛ばす マフィア部下達顔面に当たり倒人 そのうちの一人を殴り殴り 爆竜に制止される しかし両津は相手のライフはゼロなのに殴り続けた。そこへ爆竜が止めに入る。両津は まだ殴りたいようだ。そんなときサンディが両津を呼ぶ ジョンは生きていたのだ 両津がよこしたベーゴマがポケットに入っいだ銃弾により歪んでいた これがジョンを護ったよーだ 両津はジョンに駆け寄りなんかやたら ジョンが初めて喋り さらに感激したのかな 気絶中なマフィア部下達。 さて現場には借りた車もないうえ裁判に間に合わない。 裁判所までどうやっていくか? ここへ両津は爆竜大佐ともに軍用機でやってきた。 おそらく爆竜が軍用機で裁判所まで連れて行ったんだろう。 ロサンゼルスにある裁判所そこで今だ来ない証人を待つ裁判官と大衆な マフィアボスもる ボスを弁護する弁護士はこれ待っても無駄と裁判長に裁判を閉会を提案 裁判長は提案を受け入れ裁判を閉会しようとする 悔やむ検察側? そこへ扉を強く開け両津ジョンサンディが入場 これに検察側は裁判長に裁判継続を提案 裁判長は提案受け入れ続行す 裁判が始まる 検察官はジョンに一家を全殺な命令したのは誰かと問う ジョンは過去を思考し クローゼットのブライド隙間から見た 鼻から上が逆光で黒いボスの顔『殺れ』思い出したジョンはマフィアボスを指差しら 大衆はザワメキ 裁判長達はナンカ決まったように互いな会釈 ボスは反論しように弁護士にも援護を頼むが 弁護士は勝ち目がないと判断し顔降り黙って書類を片付ける ボスは絶望したっ!! 裁判が終わり空港に両津ジョンサンディに退院したマックスがた 身寄利ないジョンは 誰かの養子になることになるんが 別れ際にジョンが両津にキスる で、調子に乗った両津はサンディのキスを催促した サンディは遠慮なくキスった さらにマックスもキスるとしたが 両津は嫌なのか怪我に触るぞと説得 マックスはそうか ジョンは残念だね 談笑し両津はアメリカあとにした 成田空港(当時は新東京国際空港とも)で中川が帰国した両津を出迎える しかしお土産を全部ジョンにやったと 中川は困惑しす 両津は忘れていた お土産や出納帳記載やさ 派出所来る両津 部長からは両津がいない平和と お土産要求されたので見せたら 京人形やら日本にあるものばかりな 箱に新東京国際空港と書かる指摘 麗子からは出納帳書いてない指摘。で、両津は部長に追いかけられるオチ。
https://w.atwiki.jp/datugenn/pages/89.html
(毎日新聞2010年12月13日記事) TPP参加は誤り 日本の米作・畜産は規模拡大政策では存立し得ない http //mainichi.jp/life/money/kabu/eco/pickup/news/20101210org00m020057000c.html ◇伊東光晴(いとう・みつはる=京都大学名誉教授) 日本の農業はどうなるのか。国際競争にさらされた時、生き残ることはできるのか。その危惧感は、今も昔も変わらない。 並木正吉さんが『農村は変わる』(岩波新書)を書いたのは1960年であった。専業農家の大幅な減少を、後継者の数を予測し、これほど美事に将来を言いあてたものはない。兼業農家の激増である。 専業農家が耕作規模を拡大して所得をあげ、兼業農家が農外収入を加えることによって、豊かな生活を維持できるのであれば問題はない。事実、戦前をとっても、婿が地元の小学校の先生というような農家は豊かだった。こうした兼業農家は、ある意味で理想でもあった。米作の機械化はこの兼業を容易にした。 だが、兼業農家が売る農産物も、専業農家が売るものも、外国からの安い農産物におされ、市場から消えだしたならば、問題は別である。極端な場合を考えるならば、兼業農家は、自分たちが食べるだけのものを耕作し、専業農家はいなくなる状況である。 事実、「ウルグアイ・ラウンド農業合意」(93年12月)直前であったが、「世界農業モデル」を使い、米について、関税のない世界で競争が価格だけで行われると仮定したうえで、日本の米作の将来を予測した。その結果は、イン・ザ・ロングランでは日本の米作は当時の4割に減り、自分の家で食べる米だけが作られるという結果なのである。米作専業農家は存立の余地がない。 これが、同じように成り立たなくなる畜産・乳製品を加え、農産物の自由化に危惧感を持つ理由である。日本の農業は野菜、果物だけになるのか。 ◇自然的条件の決定的な違い あらためて書くまでもなく、農業は製造業と違って、自然的条件の違いが重要である。100ヘクタールの耕地が5つあり、その1つが5年に1度水田となり、他が休耕したり、牧草がまかれ、放牧され、有機質が土に戻されたりするという恵まれた条件下のオーストラリアの水田耕作と、日本や中国の零細性の農業とは決定的に違う。オーストラリアの水田耕作の拡大を制約しているのは水不足であるが、日本の零細農業とこの種の大規模機械化農業とは、農民の意欲や努力をはるかにこえた自然条件にもとづくコスト差が発生する。アメリカの水田耕作は、このオーストラリアの水田よりも大規模である。 もちろん、耕作規模の広さだけが競争力ではない。タイの米作がアメリカのそれに競争できるのは労務費の安さである。だが農業所得の向上を政策目標とするならば、所得の向上とともに、やがて競争力は失われてゆくことになる。わが国の葉タバコは戦後も輸出されていた。それが高度成長にともなう農業賃金の上昇によって、その地位を失ったのと同じである。 もしも、こうした自然条件の違いを無視して、市場競争にゆだねたならば、条件の劣る地域は、産業として成り立たなくなるのが当然である。 確かに、経済合理性を重視し、現実の国際政治を無視すれば、競争劣位の農業を縮小して、優位の産業に特化するのもひとつの政策である。 しかし、基本的な食糧を生産していない大国が存在しうるかどうかは――レアアースについての中国の輸出制限が大問題になっている時、また弱肉強食下の国際政治の下で――明白であろう。現実の国際政治を考えると、経済効果性をこえ、農業の存立をはからなければならないのである。 ここで現実にたちかえれば、2つのことに注意を向けざるをえない。 第1は、アメリカを含め、強力な農業基盤を持っている国ですら、農業保護の政策がうたれていることである。かつて書いたように、恵まれた自然条件のうえに、輸出支援の政府補助を受けたアメリカの綿花が、額に汗して働くインド、エジプト、ブラジルの綿花に競争を挑んでいくのである。 ウルグアイ・ラウンドでの米欧の対立が、この輸出をめぐる補助政策にあったことは、忘れてはならない。こうしたことに くらべるならば、自国農業を保護する日本の政策は、2次、3次の問題にすぎない。 ◇アメリカの政策は自国の利益中心 第2は、アメリカの政策である。アメリカは、戦後世界の貿易ルールを決めるガット(関税及び貿易に関する一般協定)を作った国である。にもかかわらず批准せず、他国にはガットの規定に従うことを求め、自らがガット違反で攻撃されると、批准していないというダブルスタンダードで逃れ、農産物についてはガット25条のウェーバー条項(自由化義務の免除)を55年に取得し、自らは輸入農産物の制限措置をとった。 この55年という戦後の時期、ガットの内国民待遇(ガット第3条――自国の人、物、企業に与えるものと同じ権利を他国の人、物、企業に与えるというもの。俗に自由化原則といわれる)という考えは、主として工業製品に適用され、農産物のように、自然的条件の大きな違いのあるものは、関税で調整すればすむ問題であるというのが当初の考えであった。ガットの対象とするのは工業製品で、農産物は事実上対象外だったのである。 だが、アメリカが国際競争において強者の地位から落ちるにつれて、アメリカは、内国民待遇の原則を相互主義に変えだした。日本はアメリカにならい、農産物の関税を下げるべきである、等々である。 そして、ガットに代わるWTO(世界貿易機関)が交叉的報復措置を認めると、ガットとは反対に、アメリカ議会は直ちに批准した。農業分野での保護主義が相手国にあれば、工業製品分野で報復を行うことができる。これが交叉的報復措置であり、これがアメリカの経済外交の武器となると考えたからである。わが国の財界は、これに怯え、農業を犠牲にする道を選びだしたのである。 ◇ウルグアイ・ラウンドでの日本の失敗 ウルグアイ・ラウンド農業合意で、わが国は大きな政策上の誤りをおかした、と私は思っている。それは当時、経済協力開発機構(OECD)日本政府代表部参事官としてパリにいた篠原孝・現民主党議員がよく知っているところである。ミニマム・アクセス(関税を認める代わりに最低限の輸入量の義務づけ)要求に、項目変更で対抗すればよかったのである。 米とか小麦とかトウモロコシとかに細分せず、「穀類」とするならば、大量の小麦、トウモロコシの輸入をしている日本は、米のミニマム・アクセスを行わなくてよいという主張である。米は世界市場では、わずかな、とるにたらぬ貿易商品であり、多国間交渉というウルグアイ・ラウンドの場で問題になるものではなかった。だがアメリカは、クリントン大統領の選挙区アーカンソー州の米を日本に輸出したがっていたのである。当時、ガットの責任者が来日し、日本で米問題が大問題になっているのに驚いていた。現状を続けるつもりだったからである。 米が国内で過剰なのに、輸入を義務づけられ、現在、1200万人が1年間に食べる量の米を加工用として輸入している。明らかに選んだ方策は愚挙である。対米従属外交のもたらしたもの以外ではない。 ◇TPPか、東アジア共同体か それから17年、問題はさらに飛躍した。2010年11月の上旬から横浜で開かれた環太平洋経済連携協定(TPP)の会議である。TPPはまず4カ国(シンガポール、チリ、ニュージーランド、ブルネイ)で発足し、ついで参加を表明したのは、アメリカ、オーストラリア、ペルー、ベトナム、マレーシアで、日本は協議を開始し、中国、カナダ、フィリピンが会議に参加予定と報じられた。本当に中国が加わるかどうかはわからない。 一見、TPPは地域的にもバラバラで、EUのように地域的なまとまりのうえに共同体に進む可能性はない。また、EUのように、アメリカを中心とする経済圏に対抗する経済圏でもない。その点で、故森嶋通夫ロンドン大学教授にはじまり、谷口誠元国連大使・OECD事務局次長が提唱している東アジア共同体でもない。 谷口氏はその著書『東アジア共同体』(岩波新書)で次のように書いている。「私は日本が21世紀において、躍進するアジアと共に、そしてアジアの中核として歩むことを切に希望する。そして21世紀に日本がさらなるアジアの発展と安定に貢献し、同時に日本自身が発展し、安全を確保するための道でもある。そのためには、これまでの安易な対米一辺倒の外交姿勢を改め、対欧州外交も視野に入れ、より自主的な、多角的な外交を展開していかなければならない」と。 対米対等外交を主張する政治家ならば、東アジア共同体を選ぶだろう。こと農業についてみれば、零細農という点で日本と同じ中国があり、そのうえでの協調政策が考えられることになろう。他方、TPPは、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、アメリカという畜産国、大農法の農産物輸出国が並んでおり、その発端は農業と関係のないシンガポールが主導したのである。しかもそれはすべての関税引き下げ、いや全廃をはかろうというものなのである。零細農をかかえる中国がTPPに加わるはずがない。 日本への工業製品の輸入はほとんど無税である。関税全廃でも怖いものなしであろう。他方、相手国の全廃は望むところ。日本経団連がTPP参加に全面的賛成の理由である。だが農業は関税で生きつづけている。米、肉、乳製品等である。どうなるのか。 菅首相は、突如、外国に向かって、日本は第2の開国であるとして、TPPへの参加、つまり関税引き下げを宣言した。突如という点で、参議院選時の消費税引き上げ宣言と同じである。菅内閣による「新成長戦略」が、経団連の意向を受けた経済産業省的発想であったように、これも同省の発想であろう。特定官庁の考えに、他省が反対しないようにする手段が、政治主導の名の下で閣議決定するという手法であることも、同様である。日本農業はどうなるのか。 農家・農業対策を別にうつと菅首相はいう。泥縄で「農業構造改革推進本部」を作り、農政を改善するのだ、と。新聞報道によれば、それは生産性の向上、規模拡大である。農水省は、民主党の主張である戸別所得補償方式(平均価格と平均コストの差を補償するというもの――これは国際ルールで認められている)を前面に出したうえで、菅首相におもねり、専業農家中心の規模の拡大をこれに加えている。 ウルグアイ・ラウンド農業合意の時、自民党はこうした専業農家の規模拡大という考えで6兆円を投じたが、効果なく、受益者は農家ではなく、主として建設業者だった。 自民党の石破茂政調会長は、民主党の戸別所得補償方式に反対することを明言し、あいかわらず従来の路線である専業農家支援強化の政策を主張している(『朝日新聞』10年11月11日付)。 ◇対抗力としての国内フェアトレード 私は11月のはじめ、宮城県の大崎市の、文字どおり米どころの農村を見ることができた。見渡すかぎりの水田――そこで説明をしてくれた農業耕作のリーダーが、5町歩(約5ヘクタール)の米を作る兼業農家だった。米作5町歩ではやっていけません、という答えなのである。私がこの地で知った米作専業農家は、約10町歩を耕す人1人であった。専業米作者がどれだけいるのか。 日本が構造改善で規模を拡大しても、前述したアメリカの米作とは競争にならない。自然的条件の差はいかんともしがたいのである。土地制約性のない農業ならば問題はない。現在日本の鶏卵の小売値は、中国より安いのである。土地制約性を無視し、構造改善とか、生産性を上げるとかいう考えは、現実の政策としては力を持たないのである。 専業農家比率が高いのは、果樹、野菜を除けば畜産である。もし関税が全廃されたなら、日本の畜産は崩壊するだろう。商 品として残るのは、米にしろ肉にしろ、高品質のものと、果物・野菜栽培農家であろう。 規制緩和し、農業以外からの参入によって日本農業を再生する、と口にする人もいる。例外的な野菜栽培工場を除くならば、それは画に描いた餅である。歴史をみれば、かつて農業も工業のように大型機械化し、資本主義化が進むと考えた時期もアメリカにはあった。しかしアメリカの歴史が示したのは、最適なのは、大型家族農経営だということであった。資本主義的経営が根づかなかったのは、自然を相手にする農業の特質ゆえである。 農業において、資本主義の発展があるものとして、これに対抗しようとしたソビエトの農業集団化、それに基づくコルホーズ・ソフホーズが失敗したのも、中国の人民公社が失敗したのも、同じ理由である。規制緩和論の、農業以外からの資本の導入を……は、イデオロギー以外の何物でもない。 政策のひとつとしては、経済産業省や経団連の主張のように、農業を海外との自由な競争にゆだね、崩壊するものは崩壊させ、日本の産業を比較優位に移すこともありうる。だが、国際政治の現実においては、ある程度の食糧の自給がないならば、対抗力を失い、他国に従属せざるを得なくなる。シンガポールのような農業がなきに等しい国に、大国は存在しないのである。TPPを主導したのは、このシンガポールであることを忘れてはならない。 さらにいうならば、農業保護を行っていない先進国はない。 国際政治の現実をみれば、農業保護政策は行われなければならない。問題はその内容である。戸別所得補償方式は、その成否を決める実施方法に難しさがある。加えて参議院での少数与党の現状では、それが賛成を得ることは難しい。いや、TPPそれ自身が議会を通らないだろう。 可能なのは、日本農業に大きな打撃を与えない国との間の2国間協定で、TPPにならい、関税をゼロに向けていくというものである。それのみが現実的であろう。 問題なのは、時間をかけて国内農業を戸別所得補償で整備し、これを定着させ、そのうえでTPPへの参加を表明するのではなく、突然第2の開国を口にし、これから国内農業政策をさぐるという菅首相の政治手法である。それは、矛をまじえた後にあわてて鎧を着ようというようなものである。このような首相の下では政権交代のメリットは生まれず、次の選挙で民主党は大敗するに違いない。 前述した11月の宮城県訪問で、私は地元のおいしいご飯をいただいた。その米は、市価(60キロ=1万3000円)より高い2万400円で、鳴子温泉のホテルや仙台駅の駅弁屋が契約して買いとっているという。しかも生産費と価格との差は、地元の農業振興の資金にしている。私はこれを国内フェアトレードと呼んだ。 日本の農業関係者は、日本の政治家には期待できないかもしれないことを覚悟し、自分たちで自らを守る体制を作らなければならない。生産者と消費者を縦につなぐ組織の構築である。 ガルブレイスは、経済の調整メカニズムに競争を加え、「対抗力(countervailing power)」を対置した。市場原理主義にもとづく競争原理に対して、対抗力による国内フェアトレードである。そしてそれは、やがて拡大され、アメリカの市場原理主義に対抗する、国際的ルールになっていかなければならない。 2010年12月13日
https://w.atwiki.jp/ztwin/pages/34.html
動物データに戻る アメリカバイソン 生物群系:牧草地 生息地:北アメリカ 展示場例
https://w.atwiki.jp/ws_wiki/pages/7405.html
autolink() VR/W22-071 カード名:私であるための証 れい カテゴリ:キャラクター 色:赤 レベル:2 コスト:1 トリガー:1 パワー:8500 ソウル:1 特徴:《鍵》?・《謎》? 返して! ――返してよ!! レアリティ:C illust.
https://w.atwiki.jp/ztwin/pages/33.html
動物データに戻る アメリカクロクマ 生物群系:広葉樹林 生息地:北アメリカ 展示場例
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/50819.html
登録日:2022/04/05 Tue 22 05 25 更新日:2024/07/15 Mon 21 15 24 所要時間:約 15 分で読めます ▽タグ一覧 1977年 お笑いウルトラクイズ これを何と読む→ハズレ そんなわけねえだろ! アメリカ横断ウルトラクイズ クイズ クイズ番組 スタートレック チシャ猫のウォーク ドロンコクイズ ニューヨークへ行きたいか 伝説の番組 北川宣浩 史上最大 敗者復活戦 日本テレビ 知力体力時の運 福澤朗 福留功男 罰ゲーム 高校生クイズ みんな、ニューヨークへ、行きたいかー! おー! 罰ゲームは、怖くないかー! おー! 『アメリカ横断ウルトラクイズ』とは、日本テレビで1977年から1992年まで放送されていたクイズの特別番組である。 【概要】 そのものずばり、日本各地からやってきた挑戦者がアメリカ大陸を横断してクイズ王を決める番組である。 従来のクイズ番組と違い、じゃんけんや体力を使うゲームなど非頭脳系要素を取り込み、勝者のみならず罰ゲームの挑戦などで敗者にもクローズアップしたのが特徴。 知力・体力・時の運に左右される挑戦者の人間ドラマを描き、大きな人気を博した。 そのスケールのでかさ(*1)から、世界で一番製作費のかかったクイズ番組としてギネス世界記録に認定されている。 また、勝者ではなく敗者の表情を見せるという演出が評価され、海外のフォーマットを購入することが多い日本のクイズ番組では珍しく、世界各国にフォーマットが販売された。 番組の影響は多々に及び、「ウルトラクイズ」を冠した大小問わずのパロディ番組は勿論のこと、ハットを使うタイプの早押しクイズや罰ゲーム・敗者復活戦など、本番組から一般化した事象も数多い。 番組の人気から、大学に数多くのクイズ研究会が誕生した。しかし末期には参加者の大半がクイズ研究会の学生という事態に陥ってしまい、この傾向を嫌った福留功男が番組を降板するきっかけにもなった。 また、この番組の人気が上昇する一方で従来放送されていた視聴者参加型クイズ番組が次々と終了に追い込まれるなど負の側面もあった。 毎年8~9月にかけてクイズが開催され、10月から4~5週に分けて「木曜スペシャル」枠で放送。一部の地区では土曜昼に再放送も実施していた。 近年ではCSのファミリー劇場でも再放送が行われている。 メインテーマ曲はメイナード・ファーガソン演奏「スタートレックのテーマ」。 番組の影響で本家よりも「ウルトラクイズのテーマ」として有名になってしまった。 ただし、イントロ部分はMFSBの「ザックのファンファーレ#2」、ラスト部分はメイナードの「チシャ猫のウォーク」と言う別の曲を繋いでいる。 これに限らず番組のBGMは洋楽を2・3曲つなぎ合わせたものが多く使用されており、それが番組のDVD化およびhulu配信ができない一因ともなっている。 海外ロケのコーディネートは近畿日本ツーリストが担当した。番組の人気から当時就職先としての人気が上昇したという。 【番組の歴史】 元々は1969年の東名高速道路開業に合わせ、東名を移動しながらクイズ大会を行う企画が立てられたのが最初である。 この企画は没となったが、その後日本テレビ開局25周年記念企画として再度浮上し、スケールも大きくアメリカ横断という形に変わった。 当初はTBSテレビでユーラシア大陸横断クイズを同時開催し、両者のチャンピオン同士を対決させる計画だったが、TBSがこの企画を拒否したためこの形に落ち着いた。 1977年に第1回が開始。 開始当初はクイズとはいえ海外旅行に行くのもまだまだ大変な時代、あまりに壮大な企画から「詐欺ではないか?」と思ってしまう人も多く、4105人応募の中実際に1回戦に参加したのは400人弱と拍子抜けなものだった。 その後、回を追う毎に参加者が増加し、最盛期には初回参加者が2万人を突破。 1985年以降は日本人の海外旅行が一般化したこともあり、普通のツアー旅行では行かないルートやアメリカ大陸以外の国への訪問など様々なテコ入れがなされた。 しかし、バブル崩壊や番組制作費の高騰、視聴率の低迷もあり1992年の第16回を最後に終了した。 1998年には日本テレビ開局45周年企画として「今世紀最後!! 史上最大! アメリカ横断ウルトラクイズ」として復活。 これ以降も復活の話が何度も出ているが(*2)、アメリカ同時多発テロ発生以降の国際情勢の大きな変化があり、番組の制作は事実上不可能となっている。 【番組の流れ】 参加者は18歳以上~50歳未満、パスポートを所持している一般人なら特に事前選考はなく申し込みをすれば誰でも参加可能だった。 但し高校生は参加不可能で、その救済として作られたのが今なお続く「全国高校生クイズ選手権」(高校生クイズ)である。 後楽園球場→東京ドームで1回戦が実施される。 冒頭のセリフは出題時に1回戦の1問目で参加者に呼びかけるもの。 通過人数は大会平均で100名+敗者復活者数名と非常に狭き門。 1回戦が終了すると、成田空港近くのホテルで2回戦が実施される。 そこを勝ち抜いた挑戦者はグアム行きの飛行機内でペーパーテストを実施し、そこでさらにふるい落としが実施される。 以降はアメリカ大陸を横断しながら様々なクイズに挑戦し、ニューヨークの自由の女神前で行われる最終決戦を目指す。 優勝賞品は当初は世界一周旅行や高級ホテルに宿泊など豪華なものだったが、 後年は「乗用時に救命胴衣が必要な潜水艦」「無人島」「(挑戦者を)冷凍保存する権利」「ロッキー山脈の露天風呂」など、 どう考えても貰ってうれしくない風変わりなものも多く登場した。同じ日テレの座布団10枚の賞品に近いものを感じる。 尤も番組における最大の栄誉は知力・体力・時の運をすべて使ったうえでの「ウルトラクイズの制覇」であり、賞品はあくまでおまけ、インパクトとエンタメ性を重視したものと言える。 これは最初からおふざけ気味だったのではなく、参加者の旅費が日本テレビ持ちであることが事実上の賞金供与であり景品表示法上で問題がある、と公正取引委員会から指摘を受けた結果、賞品に振り向けられる金額におのずと想定よりも低い限界点が生じたからである(*3)。 出場者の傾向は長期休暇の取りやすい公務員系が多く、その次に自営業者が多かった。民間企業勤務の優勝者は第11回のみである。 【出演者】 ○福留功男 初回~第15回の1問目・復活版で出題を担当した番組の顔ともいえる存在。通称ドメさん。 出題のパートで煽りのセリフ、タメ口を利く、人間関係やプライベートを聞き出すなど挑戦者を巧みにコントロールし、番組の盛り上げに貢献した。 着用ブレザーは水色。 本作で日本テレビの看板アナウンサーとしての地位を築き、朝の情報番組「ズームイン!朝」の2代目司会を任されることに。 福留氏が担当者に任じられたのは、第1回の企画時点において「まるまる1か月海外出張させても他の番組に影響しないくらい、仕事がスカスカだった」からである(*4)。 ○福澤朗 第15回・第16回の出題担当。ジャストミート! 2代目出題担当なのだがわずか2回で番組が終了してしまい、復活版にも呼ばれなかったかわいそうな存在。後年福留の後を継ぎ「ズームイン!朝」→「ズームイン!!SUPER」の司会となった。 現在は後述の高校生クイズや「頭脳王」などでクイズ番組の司会を務めていることもあり、ミニコーナーとしての「復活版」などで司会を務めることも多い。 着用ブレザーは赤。 ○徳光和夫 当時福留と並ぶ日本テレビの主力アナウンサーで、こちらは「ズームイン!朝」の初代司会である。 成田空港での予選会で敗退した挑戦者を労う「敗者の味方」を担当した。 敗者にピコピコハンマーで殴られるほか、飛行機で出発する勝者に対してブラックジョークを交えたブーイングを送っていた。 ○高島忠夫・石川牧子・小倉淳・永井美奈子・伊東四朗・松本明子 スタジオパートにおけるMC担当。 実は番組の総合司会はこのスタジオMCであり、福留・福澤の2名は「出題レポーター」という扱いだった。 高島は本業は俳優だが(*5)、当時は同じ日テレの「ごちそうさま」やフジテレビ「クイズ・ドレミファドン!」などの司会者として知られていた。 高島・伊東・松本以外は全て当時の日本テレビアナウンサー。 小倉は番組ナレーションや福留に不測の事態があった時のピンチヒッター、更にはファミリー劇場再放送版の特別企画にも登場するなど、各方面で重宝されていた。 伊東・松本は復活版にてMCを担当。 【主なクイズ】 国内1次予選 後楽園球場→東京ドームで行われる1回戦。 全て○×問題であり、1問目はほぼ全ての回で決勝・ニューヨークの象徴である自由の女神に因んだ問題が出題された。「○」だと思えば三塁側スタンドから、「×」だと思えば一塁側スタンドから入場する。 1問目の制限時間は1時間のため、その間に付近の公衆電話を使って知っている人電話で聞き出したり、図書館で調べるなども可能。また、「上野の西郷隆盛像」に関する出題があった際には実際に上野まで行って確かめた事もある。また、会場の外では徳光や特別ゲストによる「過去の傾向から見た正解予想」や「テキ屋風優勝予想」といったイベントも行われる。もちろん信じるか否かは参加者次第。 正解発表の前には前回優勝者による優勝旗返還のセレモニーや過去の王者たちによるエキシビジョンマッチが行われる。ただし、本戦は1問目からの参加。クイズ王経験者と言えどシードは一切ない。 モニターによる正解発表が行われ、正解すれば生き残り、不正解なら即「敗者席」の垂れ幕が下がり敗退。まさに天国と地獄の分かれ目である。 その後は「○」ならグラウンドに降りる、「×」ならスタンドに残る「人工芝お別れクイズ」、「○」なら外野に留まる、「×」なら内野に移動する「内外野お別れクイズ」などを挟み○×問題を連続出題。1問でも落とせば即敗退となり、100名程度までふるい分けていく。 尚、集団心理の利用を防ぐため、別れる前のエリアで「○」「×」のボールを持ってから移動をするようになっており、ボールを持っていない・違うボールを持っていた場合も失格となる。 また、運を利用した敗者復活戦も行われ数名が復活。それでも倍率にして200~250倍の最初にして一番狭き門である。 国内2次予選 成田空港のホテルで行う予選。 ここではクイズではなく何とじゃんけん。文字通り時の運である。 基本的に3本先取。ただし「炎の一本勝負」として一発勝負で行う場合や、事前設定で「3回負けたら勝ち」にできる回、クイズ(ただし解答権を得るにはジャンケンに勝つこと)や腕相撲の時もあった。 こちらも敗者復活はあるが、「不正解の場合即失格かつ敗者復活分の搭乗券が燃やされる」や「復活しても機内食が粗末だったりトイレやつり革につかまってペーパーテストを受けさせられる」という粗末な扱いをされる(*6)。 また、敗者は送迎デッキから敗者の味方と共に勝者が乗る飛行機に向けて罵声のシュプレヒコールと応援の言葉を投げかける。このブーイングは「舳先は今サハリンに向かったぞ!」「お前たちの夕食は辛子蓮根(*7)」「涅槃で待ってろ(*8)」など、放送当時の時事ネタに因んだものが見られた。 誰が勝ち抜くか全く不明なこともあり、用意する航空券に際しては1次予選通過者の全員分を偽名であらかじめ取得しておき、予選通過と同時に名前を書き替えて手渡し、敗者の分はその都度キャンセルするという荒業を実施していた。 航空券の電子化およびセキュリティチェックが厳重化された現在では不可能な方法で、番組の復活が難しい理由としてこの出国要素が一因であると当時のディレクターや福留ともども証言している。 機内ペーパークイズ 第1チェックポイントとしてグアム行きの飛行機の中で実施されるクイズ。400問のクイズをマークシートで解答する。 ここまでは運でもたどり着けるが、ここでは純粋な知識量が問われる。1問あたりの制限時間は5秒程度であり知識もさることながら集中力も要求される。 合否の判断はグアム到着時のタラップに設置された「ブーブーゲート」。降り立った際、ピンポンが鳴れば通過となり晴れてグアムの地を踏むことができるが、ブーが鳴れば機内に折り返してグアムの地を一歩も踏むことなくそのまま乗ってきた飛行機で帰国しなければならない(*9)。 ここを乗り越え異国の地を踏めるのは40人程度。ここまでたどり着ければかなりのクイズ力の持ち主といえる。また、スタッフにとっても挑戦者のクイズの得意ジャンル・苦手ジャンルを知り配球を組み立てるという意味でも試金石のチェックポイントであった。 BGMはOseの「Orgasmachine」。 突撃○×どろんこクイズ 第2チェックポイント・グアム島で実施されるクイズ。 ○×と書かれたパネルに挑戦者が飛び込み、正解ならマットが敷かれており勝ち抜けだが、不正解の場合は文字通り泥まみれとなる。 問題の難易度には高低があるものの、簡単な問題でも走りながら10秒間で考えるのは難しく、明らかに簡単な問題を外す解答者には福留から「そんなわけねぇだろ!」と罵声を浴びせられながら泥の中に落ちていった。 汎用性の高さと罰の面白さからウルトラのみならず数多くのクイズ番組で真似されたので、番組を知らなくてもこのクイズは知っている人は多いだろう。 復活版では諸事情からニューヨークでの決勝が出来なくなり、これが決勝となった。 早押しクイズ 番組を代表するクイズ。 挑戦者は特製のハットを装着し、早押し時にハットに収蔵されたロゴが前方に飛び出して回答権を獲得する。 ハットは特殊な機材のため、海外税関での申告時にはスタッフが実演して説明する機会があったという。 派生として走りながら前方のボタンを押して回答する「マラソンクイズ」、ボタンを押す代わりに各挑戦者を象徴するフレーズを叫び、一定の音量を超えるとハットが作動する「大声クイズ」などがある。 通せんぼクイズ 早押しクイズの一形式として準決勝の定番となる。 早押しクイズで規定ポイントに到達すると「通過席」に移動し、他の挑戦者との早押し対決に挑む。 正解すると晴れて決勝進出となるが、阻止されると0ポイントに戻って早押しクイズのやり直しとなる。 特に第13回の準決勝は2人の勝ち抜けに1時間を要するなど、番組屈指の名場面として語られることがある。 奇襲クイズ バスの移動中やホテルの宿泊中にいきなりクイズを出すもの。遅刻してしまうと最初の数問が無回答となり当然ビハインドとなる。また、寝起きの奇襲では頭で考えるのも精一杯。基本的に単独最下位の敗者を決定し、敗者は次の目的地に到着する頃で敗者と伝えられ即Uターン帰国させられてしまう。 バラマキクイズ 「これを何と読む!」 砂漠地帯など広大な場所で行われるクイズ。セスナから落とされる問題用紙を拾い、戻ってきた順に見せて問題に挑戦。正解するとポイントを獲得し一定ポイント獲得できれば勝ち抜け。 さらに中には「ハズレ」も入っており、クイズを落とさない知力、走り続ける体力、そしてハズレや難問を引かない運とまさにウルトラクイズの全要素が無ければ勝てない。 最終決戦 「ここまでたどり着けるのはたったの2人!!」 早押しクイズ。1問正解で1ポイント、お手付き・誤答は-1ポイント。10ポイント取ればクイズ王。その後の高校生クイズ決勝にも使われる「伝統の10○」である。 もちろんニューヨークで開催…なのだが、回によっては別の国で実施したことも。 勝ち残った2名がヘリコプターに乗り、決勝会場に向かう様子が空撮で映し出される。 BGMはビル・ジャスティスの「Old James Bonded Bourbon」。 近年何故か「ロンドンハーツ」でこれのパロディが行われた。 【罰ゲーム】 途中でクイズに敗北した参加者へのお仕置きコーナー。このコーナーにも出題アナウンサーが同行した。 元々は番組の構成上、個人の都合から早く日本に帰りたいがために安易に負け抜けする挑戦者が出ないようにという理由から生まれた。また、「勝ち抜けたら長く映るが負けたらそこまで」というシステムの中で敗者にとっての華々しい散り際を見せることのできるシーンでもあり、時にはクイズ王と並ぶほどの「有名な敗者」もいる。 クイズだけでは紹介できない日本では考えられないような風習やユニークな施設の紹介などまだまだ遠かった海外のバリエーション豊かな面を知ることもできる。 罰ゲームの内容は、ガマン大会や地元に置き去り、アクティビティ体験やボランティア活動など様々で、内容によっては挑戦者にとってご褒美扱いなものも多かった。 一部の罰ゲームでは「いつ終わるか分からない(「粗末な乗り物で空港へ向かう」など)」、あるいは「そもそも生きて帰れるか分からない(「泳いで帰国」など)」罰ゲームに関してはラストに表示される「○月○日 △△(敗者名)帰国」のテロップが「帰国?」と表示される。 果たして敗者がちゃんと帰れたのか、そもそも生きて日本に帰ることはできたのかは定かではない… というのはもちろん演出であり、実際はある程度の所で打ち切ってちゃんと帰国させているのでご安心を。 【派生番組】 全国高等学校クイズ選手権(高校生クイズ) 前述の通り、ウルトラクイズに参加できない高校生への救済企画として福留発案の元1983年から開始された。 ウルトラクイズ終了後の現在も続く長寿番組で、毎年8月末~9月初めに放送されることから「24時間テレビ」と並ぶ日本テレビ夏の風物詩となっている。 高校生3名(*10)で1チームを組むため、知力・体力・時の運に加えチームワークも必要となるのが特徴。 クイズ内容は各時期で大きく異なり、体力勝負や頭脳戦、ゲーム性の強いものなど時期によって様々。 2014~2017年放送分は「アメリカ大陸を横断してニューヨークで決勝」というまんまウルトラクイズな構成で、クイズ形式もウルトラクイズのものがいくつか使用された。 司会進行は本家と同じく福留→福澤、以降はラルフ鈴木→桝太一→安村直樹と日本テレビの歴代エースアナが担当。 番組はライオンの一社提供で、この事情(*11)から生まれたのが福澤朗の「ファイヤー!」である。 ビートたけしのお笑いウルトラクイズ 1989年~1996年に放送。ウルトラクイズと名乗っているがクイズ要素はほぼなく、実際はたけし軍団および若手芸人が体を張って様々なリアクションに挑むもので、解答の正誤よりも芸人としてのリアクションが重視される。 「ロウかけ対決」「スカイダイビングクイズ」「プロレスクイズ」「オリの中でワニと対決」「爆破カースタント」と、 文字だけでもわかる過激な内容が人気を博し、以降各局のバラエティで類似企画が多数登場。 特に最高傑作として知られるのが「バス吊り下げアップダウンクイズ」である。 また、様々なドッキリを仕掛けてそのリアクションを楽しむ「人間性クイズ」も人気となった。ドッキリでターゲットのみならず、仕掛け人側のモニタリングを見せる演出を実施した最初の番組でもある。 優勝者には唐草模様のジャケットが送られるが、毎回無茶なゲームをさせて与えようとはしなかった。 番組の冒頭には本家と同じナレーション(*12)とアメリカ大陸の映像が流れるが、ロケは熱海やスパリゾートハワイアンズなど全編日本国内で実施された。 たけしはこの番組を「若手芸人の救済」と位置付けており、実際この番組からダチョウ倶楽部・出川哲朗が人気を博すことになった。たけし本人も気に入っていたが、視聴率は今一つだったとのこと。 芸人を多数集め、ロケ先でムチャ振りを行うスタイルはその後『内村プロデュース』『有吉の壁』に受け継がれた。 勝てば天国!負ければ地獄! 追記・修正・時の運! 早く来い来い!wiki篭り! 第X回アメリカ横断ウルトラクイズでお会いしましょう~ △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\早押しでポーン!/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] パロディウスのイーグル佐武(ロス五輪と混ざってるけど) -- 名無しさん (2022-04-06 05 58 38) 98年の復活版は年齢制限が撤廃されたせいか全体的に大人しくなってて残念だったなあ。 -- 名無しさん (2022-04-06 09 23 49) これって旅費は自腹?それとも番組持ちだったの?全員分払ってたら(どんどん減ってくとは言え)とんでもないことになりそうだけど -- 名無しさん (2022-04-06 11 47 34) いろんなクイズのテンプレを作った番組だったんだなあ -- 名無しさん (2022-04-06 13 03 48) 始まった頃は海外旅行なんて夢のまた夢って時代だったって評を見たことがあるなぁ。金はかかるがおおらかな時代だったんだろうね日本もアメリカも。 -- 名無しさん (2022-04-06 14 16 45) ↑3 空港から帰国までは番組持ち。当然(?)ことごとく赤字だったらしい -- 名無しさん (2022-04-09 07 50 15) 成田のジャンケンにフジテレビの社員が参加してた事があったな。「曙橋(フジの旧所在地))から来ました」で福留が爆笑していた。勝敗は忘れた。 -- 名無しさん (2022-04-11 11 14 15) 個人的には第12回が一番好きだな。アラスカで流氷を見たり、シベリア鉄道に乗ったり、南米アルゼンチンから末端のフエゴ島まで行ったりとスケールが大きかった。 -- 名無しさん (2023-02-07 11 00 21) ↑ゴメン、シベリアじゃなくてアラスカ鉄道。 -- 名無しさん (2023-02-07 11 02 56) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/syakaika/pages/25.html
アメリカ合衆国 アメリカ合衆国(アメリカがっしゅうこく、英語 United States of America)、通称アメリカ、米国(べいこく)は、北アメリカ大陸および北太平洋に位置する連邦共和国である。 イギリスの北米植民地が1776年7月4日に独立を宣言して成立した国家で[1]、独立宣言において全ての人民の権利と平等をうたい政府をその保障手段と明確に位置づけ、かつては奴隷制のような矛盾を抱えつつも、ロックらの人権思想を理念的基盤として歩んできた歴史を有する。少数のネイティブ・アメリカンと呼ばれる先住民以外の国民は、主にユーラシア大陸からの移民もしくはアフリカ大陸から奴隷貿易によって強制連行された者の子孫である。そのため、その母体になった国々や、その他多くの国家の特徴を経済的、政治的、軍事的、そして文化的にも合わせ持っている。資本主義、自由主義、民主主義、共和制、大統領制、二院制を採用している連邦国家の1つである。 国土は、北アメリカ大陸中央部の大西洋と太平洋に挟まれた本土(48州と連邦政府直轄地である首都ワシントンD.C.)、大陸北西部のアラスカとアリューシャン列島(アラスカ州)、太平洋のハワイ諸島(ハワイ州)。さらに本国の他に、プエルトリコやグアム島などの海外領土を領有する。アラスカとハワイを除く本土は、北はカナダ、南はメキシコと隣接。アラスカ州はベーリング海峡を挟んでロシアと接する。 国旗 国章 位置 首都:ワシントンD.C. 最大の都市:ニューヨーク 総面積:約9,372,615km2(世界4位) 人口:約314,659,000人(世界3位) 人口密度:33.6人/km2 さらに詳しく見る 「Wikipediaより引用」
https://w.atwiki.jp/4423/pages/981.html
編集する。 2021-12-08 18 22 40 (Wed) - [[]]とは、 videoプラグインエラー 正しいURLを入力してください。 リンク内部リンク 外部リンク 出典、参考 リンク 内部リンク [[]] [[]] 外部リンク 編集する。 2021-12-08 18 22 40 (Wed) - 出典、参考