約 2,924,084 件
https://w.atwiki.jp/arunau32167/pages/536.html
Queen Busters※体験版あり HP:http //www.triplus.jp/ +スクリーンショット ゲーム内容の説明 関連作品 作品名 登録タグ 同人作品 最終更新日時 2011-01-16 20 17 10 (Sun)
https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/27196.html
【検索用 QUEEN DEVICER 登録タグ IA Q ke-sanβ ヘブンズP 曲 曲英】 + 目次 目次 曲紹介 歌詞 コメント 作詞:ヘブンズP 作曲:ヘブンズP 編曲:ヘブンズP 唄:IA 曲紹介 掻き鳴らせ 曲名は『QUEEN DEVICER』 ヘブンズP の22作目。 ソーシャルゲーム 「Re サイタル」 とのコラボ楽曲。 動画は ke-sanβ氏 が手掛ける。 歌詞 (動画より書き起こし) 耳を惹く声 人目を惹くスタイル 息を呑むサウンドに心躍らす スピーカーから真似た音が 今日を奪ってった 目的はない 目標もない 出口すらない 厳密にはあるけれど 狂騒する声も音も 違う世界だ 抱えた自由を 持て余すくせ妬んで 明日さえも見えなくて 見ようとしないで このまま on my way on my way その度に時は息絶えてった 全てが夢の中ならいいのに 平凡な現状だって嘆いてた 無限のリセットをリピートして 甘えている 盲目の先入観を 背徳にした 宣告(くだ)して 弱い弱いボクに 夢の続きは 理想の中は その入口は 頭割れちゃいそうだ 何者でもないボクを示して Unknown Girl 持て余してた 自由をチューニングして 隠されたスキルが 行き場探した このまま fly away fly away 行先はわからないままだけど 夢から覚めていくようだった 停滞を背にした進化の胎動 無限のステージに繰り出して 足を鳴らせ 平穏な人生観は ここまでだ 導けるか 途方もない世界 耳を澄ませ 忘れかけてた 今と明日を紡いでく音を 枯れ果ててた太陽 遊び疲れた影を この日々の中で 湿らせてく QUEEN DEVICER 終焉を背にした才能の胎動 平凡な現状を壊して 眼を凝らせば 表現と想像力を 手にして 掻き鳴らせよ ボクが成すReality コメント 追加乙! -- 名無しさん (2013-10-31 19 41 19) 追加乙~!大好きすぎたwheavenzさん最高ー! -- 彼方 (2013-11-20 01 50 37) すごくいい曲だから流行ってほしいなぁ -- 敗北 (2013-12-04 16 22 12) いい曲 -- とにょとにょやさん (2013-12-09 14 18 05) こんなに良い曲なのに -- 蒼燕 (2013-12-29 12 31 40) こんな良い曲なのに何故再生回数が伸びんのん…。頼むから流行れ。 -- 蒼燕 (2013-12-29 12 32 33) 名曲!のびろ〜! -- 名無しさん (2014-02-12 17 35 17) もっと伸びろ〜!名曲だ(*^_^*) -- 名無しさん (2014-04-07 15 12 46) ヘブンズPの曲は本当に外れが無い。もっと色んな人に聴いてもらいたい。 -- 名無しさん (2016-02-18 14 26 11) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/vocaloidchly/pages/5891.html
作詞:ヘブンズP 作曲:ヘブンズP 編曲:ヘブンズP 歌:IA 翻譯:kyroslee (取用翻譯前請注意首頁的翻譯使用禮節, 並不要拿掉譯者的名字) QUEEN DEVICER 引人細聽的聲音 招人目光的風格 因屏息靜氣而鼓動心跳 從揚聲器中發出的模仿他人的聲音 奪去着今天 沒有目的 亦沒有目標 就連出口亦沒有 即便一切如此嚴密 但喧鬧的聲音 是個完全不同的世界 對抱有的自由 明明就多得難以打發卻還在嫉妒 就連明天亦無法看見 亦不去試着尋找 如此般 on my way on my way 在那一刻時光即會氣絕 明明一切都是一場夢就好了 嘆息着這一切不過是平凡的現狀 重複着無限的重設 不斷撒嬌 不去跟從盲目的先入觀 違背道德 如此宣告 弱弱的我 夢的延續是 那道入口是 我的理想是 一切令人頭痛不止呢 並非他人展示出的正是我自己 Unknown Girl 將難以打發的自由 定弦着 為一直被藏起來的技能 尋找投身之所 如此般 fly away fly away 即使前路依然未明 卻彷似如夢初醒 背着停滯的進化的前兆 陸續登上無限的舞台 踏響腳步聲 平穩的人生觀 到此為止 能引導出前路嗎 這沒有條理的世界 傾耳細聽 將要遺忘 將此刻與明天連結起來的音樂 徹底枯竭的太陽 玩到累了的身影 因在這般的每天之中 為之濡濕 QUEEN DEVICER 背着終焉的才能的苗芽 打破平凡的現狀 凝神貫注的話 就能將表現與想像力 得到手中 彈奏出來吧 我所構築而成的Reality
https://w.atwiki.jp/dontstarve/pages/55.html
Trap ステータス 解説 小ネタ ステータス 材料 : 種類 : 作成段階: ダメージ: 耐久値 : スタック: 解説 小ネタ
https://w.atwiki.jp/keroro00innovator/pages/2689.html
Hey!カロリーQueen Hey!カロリーQueen アーティスト 竹達彩奈 発売日 2016年1月27日 レーベル ポニーキャニオン デイリー最高順位 7位(2016年1月27日) 週間最高順位 9位(2016年2月2日) 月間最高順位 13位(2016年1月) 年間最高順位 211位(2016年) 初動売上 5975 累計売上 8339 収録内容 曲名 タイアップ 視聴 1 Hey!カロリーQueen だがしかし ED 2 朝焼けと約束の歌 ランキング 週 月日 順位 変動 週/月間枚数 累計枚数 1 2/2 9 新 5975 5975 2016年1月 13 新 5975 5975 2 2/9 ↓ 950 6925 3 2/16 532 7457 4 2/23 324 7781 5 3/1 312 8093 2016年2月 ↓ 2118 8093 6 3/8 246 8339 だがしかし OP 前作 花丸 次作 Hey!カロリーQueen OH MY シュガーフィーリング!! 関連CD Little*Lion*Heart Miss.Revolutionist
https://w.atwiki.jp/bjkurobutasaba/pages/1116.html
azarty→Trap 顔アイコンは女性だが性別は男性・・・つまりトラップ。 士官先は適当士官。 熟練度は内政・討伐・カジノが特に高い。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/dominions3/pages/472.html
Contact Lamia Queen 死2緑1ランダム2の魔法を持つ指揮官Lamia Queenを召喚します Contact Lamia Queen ジェム 疲労 内部ID 493 25 使用 水中判定 効果 効果量 儀式 Summon Commander 主属性 主Lv 効果発生数 射程距離 Nature 5 1 副属性 副Lv 効果範囲 命中補正 Death 2 0 領域 Lv 防御判定 抵抗判定 Conjuration 6 専用国家 ゲーム内説明文 The caster performs the rites necessary to communicate with and persuade a Lamia Queen to aid him. The Lamia Queen is an ancient Lamia sorceress of great power. She carries an oath rod that will destroy the minds of those it strikes. The Lamia Queen has an amazing regenerative ability and when killed, will transform into a black serpent and continue fighting. If she is killed a second time, however, she will remain dead. 和訳 術者は蛇女Lamia Queenに彼を援助するよう要求するため儀式を行います。Lamia Queenは、大きな力を持つ古代のLamiaの魔女です。彼女は、殴りつけた相手の心を破壊するOath Rodを持っています。Lamia Queenには驚くべき再生能力があり、殺されるとBlack Serpentへと変化し戦い続けます。しかし、彼女がもう一度殺されたならば、彼女は完全に死にます。 注記 Lamiaの魔術師、Lamia Queenの召喚魔法。汎用の召喚魔法としてはかなり厳しい使用条件だが、それに見合う魔力を持つ。 身体的な性能はLamiaの強化型で、高いHP再生とBlack Serpentへの変身も健在(名前はSerpent Queenで、性能も少し上)。吸収攻撃は失ったが、代わりにAfflictionのFeeble Mindedを与える杖を装備している。 魔力のほうは死2緑1を基本に、水死緑血の4属性から2回引く。死2の要求で最大死4を期待でき、水や血のレベル2も期待できるなど、魔法の幅を広げるのに有益な構成になっている。 また隠れ能力として、Lamiaの召喚数が通常より2体多くなるという特性がある。非表示能力なので忘れがちだが、何度も呼び出す場合は確実に効いてくる効果なので上手く利用してやりたい。 変身のおかげで事故死し難く、魔力も優秀ということでかなり有能な指揮官。冷血動物で寒い土地が苦手なのは痛いが、そのおかげで冷血動物専用兜、The Jade Maskの装備も可能。死魔法の能力をさらに伸ばせる。 変身中はその他以外の装備欄が消えるため、アイテムを与える場合はダメージを受けないようにすべきだが、他の魔術師と同じ扱いをすればいいことなのでとくに欠点ではない。むしろ何かあったときに本体ごと失われないだけ助かるだろう。 それほどコストも高くないので、やはり難点となるのは使用条件のほうだろう。一般指揮官で満たそうとすると候補が限られるため、確実に呼びたいなら神に持たせておいたほうが良い。 コメント 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/cow1/pages/178.html
FAIRY QUEEN 3
https://w.atwiki.jp/uo88/pages/367.html
概要 通称 ソレンインフィルトレイタークイーン 生息地 Trinsic Jungles, Wind Entrance, Windemere Woods 関連生物 solen worker, solen warrior, solen queen, solen infiltrator warrior 名声 6500 カルマ -6500 戦利品 200-300 gold, 粉菌キノコ(Zoogi Fungus), Picnic Basket(1%) 解体 アビリティ 特効 テイム可能値 - バード難度 82.6 ステータス ステータス HP スタミナ マナ STR DEX INT 最小 151 141 96 326 141 96 最大 162 165 120 350 165 120 抵抗 抵抗 物 炎 冷 毒 エ 最小 30 30 25 35 25 最大 40 35 35 40 30 ダメージ DMG 物 炎 冷 毒 エ 10-15(xx-xx) 70 30 スキル スキル 格闘 戦術 耐性 解剖学 毒 魔法 評価 瞑想 90 90 90 0 - - - - 備考 トランメルは black solen infiltrator、フェルッカは、red solen infiltrator が沸きます。 コメント 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/5283.html
登録日:2011/07/03(日) 05 38 18 更新日:2024/08/27 Tue 20 14 43NEW! 所要時間:約 7 分で読めます ▽タグ一覧 4部 6部 HR/HM QUEEN イギリス ジョジョ ジョジョの奇妙な冒険 スタンド ソル・バッドガイ ハードロック バルセロナ バンド フレディ・マーキュリー ロック ロック界伝説のチャンピオン 吉良吉影 洋楽 海外版Xボンバーのテーマ(メイ) 音楽 魁!!クロマティ高校 QUEENはイギリスのハードロックバンド。 1971年(*1)に結成し、1973年にデビュー。1991年11月のフレディ・マーキュリー死去に伴い活動停止。 ただし、それ以降もギターのブライアンとドラムのロジャーの二人は活動を継続しており、正式な解散発表は一度もない。 彼らがロック界、音楽界へ与えた影響は大きく、まさにロック界の女王と呼ぶにふさわしい。 【概要】 多重録音されたギター、分厚く聞き応えのあるコーラス、クラシック風味の曲作り、ファンタジックな歌詞、ジャンルの垣根を超えた作風が特徴。 この様式は二枚目のアルバム『クイーンⅡ』(74年)において完成している。 1975年にはクイーンのオペラ風路線の傑作、音楽史に残る名曲『ボヘミアン・ラプソディ』を発表。 更に1977年、今までのクラシック風味の曲からシンプルなロックに移行した『世界に捧ぐ』を発表。 さらに1980年バンド初のシンセサイザー本格使用(*2)アルバム『ザ・ゲーム』発表。 中でも『地獄へ道連れ』はクイーンにおけるロックというイメージを覆した。 1982年に発表された『ホット・スペース』以降ソロ活動の開始などもあり低迷が続き、解散説まで飛び出ることに。 84年の『ザ・ワークス』を発表したあたりから復調、世界的な一大音楽イベント『ライブ・エイド』において、名だたるアーティストたちを圧倒するライブを魅せた。 しかし86年夏ごろ、ライブバンドとしても頂点にたつ最中、ボーカルのフレディは自分に残された時間が少ないことを知る。 新作の録音を急ぎ、状況を知ったメンバーも一致団結。1989年に『ザ・ミラクル』、1991年にフレディ在籍のクイーン最後のアルバム『イニュエンドウ』を発表した。 そして1991年11月にフレディ・マーキュリー死去。 バンドは翌年フレディ追悼コンサートを行い、95年には『メイド・イン・ヘブン』を発表。 ベースのジョンはフレディの死去および音楽業界全般に嫌気がさし、1997年にボーカルにエルトン・ジョンを迎えたコンサートを最後に引退。 残った二人は今なお精力的に活動している。 因みに活動時期の近いパンクロックバンド「セックス・ピストルズ」と仲が悪かったと言われる事もあるがこれは当時のメディアが囃し立てていただけで実際の所そこまで仲は悪くなかったらしい。 ただしフレディはパンクを非常に嫌っていた事とメンバー全員シド・ヴィシャスを嫌っていた事は事実。 【メンバー】 ●フレディ・マーキュリー ボーカル&ピアノ 前歯が特徴的で70年代は長髪だったが徐々に短くなり、80年代以降は漢らしい髭を生やし短髪に。 生名はファルーク・バルサラであるがQUEENとして活動する事を境に改名している。 メンバー中唯一イギリス出身ではなく、インド出身。 その事を非常に気にしていたらしく、インド出身である事はメンバー間でもタブーとなっていたとの事。 元々はバイセクシュアルであるが、70年代前半にゲイと自覚し、当時付き合っていたメアリー・オースティンと別れている。 とてつもない程の親日家で、お忍びで来日したこともある。後述するが、日本語の歌詞が入った曲も作っている。家には日本茶常備。 パワフルな歌声に個性的なパフォーマンスが素晴らしく、今なお世界最高峰の歌手として名高い。もちろん女装もね。 70年代は繊細で裏声を多用した歌い方だったが、80年代からはボイストレーニングを始め野太くパワフルな歌声へと変わっている。 『キラー・クイーン』『ボヘミアン・ラプソディー』『愛にすべてを』『伝説のチャンピオン』等々名曲の数々を生み出すなどQUEENの独自性の象徴という面が強いが、後半はやや作曲のペースが落ち込んでおり、シングル曲もロジャーやブライアンに譲る事が多かった。 様々な名曲を生み出した稀代の天才は1991年11月24日にエイズによる合併症、ニューモシスチス肺炎によって自宅で息を引き取った。享年45。 ●ブライアン・メイ ギター&ボーカル メンバー1の長身(187cm)。 作曲面においては『ウィ・ウィル・ロック・ユー』『ハマー・トゥー・フォール』など、QUEENのロックな面を代表しているが、 まれに『セイブ・ミー』『ショー・マスト・ゴー・オン』などの極上バラードを作曲したりする。 ただ彼が作るラブソングはちょっと理屈っぽい。 そしてブライアンを語る上で欠かせないのが彼のギター、レッドスペシャル。 友人の家の暖炉からもらった木(当時で100年前のものらしい)をベースにエンジニアをしていた父と共同で作ったものである。 このレッドスペシャルによるギター・オーケストレーションで数多くの楽曲を彩った。 初期のアルバムのクレジットに「ノー・シンセサイザー」と描かれる理由の一つでもある。 このギターでブライアンは数々の名ギターソロを生む。 ギターを弾くとき硬貨を使用するのはあまりにも有名。本人曰く「手首の動きを伝えやすいから」とか。 その為、一聴してそれと解る特徴のあるトーンである。 一方、『'39』ではリードボーカルを務めるなどボーカリストとしての一面も持っており、ライブでは低音コーラスをとり後述のロジャーと共にフレディを支えた。 若い頃はバンドと中学の物理教師を掛け持ちしていた宇宙科学者でもあり、還暦を過ぎてから論文を完成させて母校(名門インペリアルカレッジ)の博士号を取得。 JAXA以上の発信力で世界に向かって「はやぶさ2」情報を拡散している。 自身より若いロックバンドとの共演にも積極的であり、「FOO FIGHTERS」や「MY CHEMICAL ROMANCE」などともコラボ経験がある。 ●ジョン・ディーコン ベース。 だが元々はギタリストであり、更にドラムもこなせるマルチプレイヤー。 ただ音痴との事で歌う事は苦手としている。MVで歌っているように見えるシーンも彼だけコーラスに参加していない。ライブではマイクが切られた。 カントリーやフォークが大嫌い。 学生時代はバイトをしながら音楽活動に打ち込んでいたが父親の急死を境に音楽から離れ学業に専念していた所を友人の紹介でQUEENのオーディションを受ける事になりメンバーとなる。 因みに元々ブライアン、ロジャーとは顔見知りであった。 80年代は短パン、半袖でライブをしている事が多い。 バンドでは最年少ながらもその温厚な性格で幾度もバンド解散の危機を繋ぎ止め、特に経済面には欠かせない重要な存在であった。 六児のパパ。 作曲面においては一般的に寡作と言われているが、『地獄へ道連れ』、『ブレイク・フリー(自由への旅立ち)』等を出したヒットメイカーである。 前者はシングル曲としては最大級のヒット、後者は第三世界でバカウケするなど当たると物凄いヒットになるのが特徴。 とはいえ『永遠の翼』や『恋のゆくえ』等一般的にはヒットしていないがファンからの評価は高い所謂“隠れた名曲”も多く生み出している。 「フレディ以外にQUEENのボーカルは考えられない」と発言する程フレディの事を尊敬しており、1997年のエルトン・ジョンとの共演を最後に音楽業界から引退している。 現在はメンバー間での連絡も殆ど取っていないらしく、映画「ボヘミアン・ラプソディ」には初期段階の脚本の監修を行ったぐらいでその後は関与していない。 ●ロジャー・テイラー ドラム&ボーカル ブロンドヘアー(地毛は黒!)のバンド一女にモテる男で生粋のロックンローラー。 正確かつパワフルなドラムでバンドを支えた。 元々ギタリストで、レコーディングでは自身が作った曲のギターを自分で弾いていたりする。 少年時代は聖歌隊に所属しておりコーラスでは高音を担う。 初期は余りヒット曲に恵まれなかったが『RADIO GAGA』(*3)以降『カインド・オブ・マジック』『インビジブル・マン』や『ブレイクスルー』などポップでキャッチーな楽曲を多数作り後期QUEENを支えた。 先鋭的なものを好む方針があり、80年代はシンセサイザーを積極的に取り入れた。 あのYOSHIKIとコラボしてシングルCDをリリースしたことも。 1999年には当時としては非常に珍しかったネット配信ライブを実施している。 また、バンド「ザ・クロス」を結成する等ソロ活動も積極的に行っていた。 女性と見まごうほどの美貌・美脚もあってか、 『I Want To Break Free』のPVでの女装は、メンバーの中で一番ハマっており、 あまり可愛すぎたロジャーを見てメンバーが爆笑したという。 現在は加齢のせいか多少太ったが、そのイケメンぶりはほとんど衰えていない。 前述の女装もセルフパロディを実施した。 ここまでで気づいたかと思うが、オリジナルメンバー四人は全員ナンバーワン獲得曲を作った極上の作曲家でもある。 【「QUEEN+○○」メンバー】 フレディの没後は、ブライアン・メイとロジャー・テイラーが中心となり、新たなボーカリストを迎えた『QUEEN+○○(ボーカリスト名)』という名義で活動している。 その中でも世界ツアーを行った二人を紹介する。 ●ポール・ロジャース※2004年~2009年まで活動。 ブルースロックバンド、フリーとバッド・カンパニーの元ボーカリスト。 2004年より「クイーン+ポール・ロジャース」名義でアルバムを発表、世界ツアーも行った。 ブルースをルーツにしていることもあり、フレディより良い意味で”古い”フェイクを混じえた歌唱が特徴。 その場で歌った鼻歌が名曲になる、と言われるほどの歌唱力を持つ。 フレディとは異なるキャラクター性に賛否はあるが、世界ツアーを成功させるなど、現在までの活動を繋いだ功労者である。 若い頃はディープ・パープルのボーカル候補だったが、本人がバッド・カンパニーの活動に専念するため断った。 (後にロック・エイド・アルメニアにて共演した。この時ブライアンもメンバーの一人として参加していた) ●アダム・ランバート※2012年より活動。 子役、舞台俳優として活動後、ミュージカル俳優およびロックバンドThe Citizen Vainのフロントマンとして活躍。 オーディション番組「アメリカン・アイドル」で「ボヘミアン・ラプソディ」を披露したところ、ゲスト出演していたブライアン・ロジャーの二人がその才能に惚れこみ、メインボーカルとして招聘。 以降「クイーン+アダム・ランバート」名義で活動を開始し、日本を含む全世界でツアーを実施している。 色気のあるパフォーマンスと世界有数の高い歌唱力が特徴で、現在のバンドを支えるフロントマンとして活躍している。 自身も同性愛者であることをカミングアウトしている。 【日本との関係】 フレディの項でもあるように、日本との関係がこの時代の洋楽アーティストとしては珍しく深めなのが特徴の一つでもある。 これには理由があり、三枚目のアルバムである『シアー・ハート・アタック』が大ヒットし全米ツアーをやる事となったが、フレディが喉を壊してしまい数公演がキャンセルとなってしまったり、一作目からずっと音楽評論家からはクソミソに言われ続け、 さらにマネジメント会社ともトラブルを抱えるなどバンドには逆風が吹き荒れ、メンバーは士気阻喪状態となっていた(*4)。 そんな1975年4月、武道館公演で来日した際の日本で待ち受けていたのは「英国からやってきたスーパースター」としての待遇であった(*5)。 空港には出待ち1200人、東京タワーに観光に行けば子供が群がりホテルに缶詰状態を余儀なくされるなど、まさに「ビッグ・イン・ジャパン(*6)」であった。 なんでこんなに当時本国すら凌駕する人気があったか?というと、前述の注釈の通りに当時の洋楽マニアの世論を半ば策定していたとさえ言われる雑誌「ミュージックライフ」がQUEENをゴリ押ししていたからであった(*7)。 また、当時宝塚歌劇団で人気を博していたミュージカル「ベルサイユのばら」を彷彿させるビジュアルも非常にウケたとか。 これらに日本にありがちな海外スターワッショイワッショイするミーハー基質が合わさって、本国での地位以上のスーパースターとして遇するという事態につながったのであった。 前述の通り、士気阻喪状態だったフレディ以下メンバーはスター扱いされて一気にやる気を取り戻すことが出来た。 やる気が出たついでにマネジメント会社とのトラブルもきっちり解決。 そして余裕が出たところで遮二無二作り上げたアルバムこそが『オペラ座の夜』であり、そのアルバムの代表曲こそがかの『ボヘミアン・ラプソディ』であった。 こうして半ばビッグ・イン・ジャパン化ルートに足を突っ込んでいた状態から世界的アーティストへと飛躍していった、という経緯があるため、メンバーはフレディ以外も基本的に親日家である。 後述の楽曲以外にもツアーで来日した際にセットリストを日本ファン好みに調整したり、ベストアルバムに日本盤限定ボーナストラックを入れたりと特別視してくれていた。 現在でもCMソングでちょくちょく起用されるのは他の洋楽アーティストより向こうからの許可が降りやすいということもあるという。ちなみにパチンコにもなっている。 1980年代に入って貴公子フレディがヒゲマッチョになって人気が落ち着いても、南アフリカでライブをやって爪弾きにされたり(*8)、リオのフェスで『ブレイク・フリー』を歌った時にサービスのつもりでPV再現の女装で出ていったら総スカンを喰らったりして失意の中日本ツアーに来たらいつものように呑気な感じで迎えてもらって少し気分転換になった部分があったり(*9)、 いきなり21世紀に入って人気が爆発して、それに触発されたかのようにポール・ロジャースやアダム・ランバートを迎えてツアーを始めるなど節目節目で日本が多少なりとも影響を与えていたりする。 2024年にはGLAYと対バンをやったりもしてる。TERUはQUEENの事をキュイーンと呼んでいたらしい 余談だが、特に親日家のフレディは新宿二丁目に行きつけのバーがあったそうである。 また、ロジャーとジョンの2名は『笑っていいとも!』にもゲスト出演経験があったり。 【アルバム】 ※代表曲は筆者の私見なのでなんで抜けてんだよとかあったら追加してください。 戦慄の王女(QUEEN) 1973年7月13日 記念すべき1stアルバムだが、諸般の事情でリリースが完成から二年近く遅れてしまい陳腐化してしまう。 結果的にイギリスの評論家にケチを付けられ、メンバーも後年このアルバムについて不満を漏らすなど悔いが残る嚆矢となってしまったが、多重コーラスやギターオーケストレーションを活用した、シンセサイザーを使わない音作りはこの頃から既に発揮されている。 代表曲 炎のロックンロール(Keep Yourself Alive) 初期のハードロックナンバー ライブでは1970年から披露されており80年代からは短縮して演奏された。 ライアー(Liar) 同じく初期のハードロックナンバー 長いイントロが特徴的でスタジオ音源は約6分半。 こちらもライブでは1970年から演奏されていたが徐々に長くなり、一時は8分半程になっていたがセットリストから外された後はライブで披露されるたび短くなり、ついにはイントロのみ約20秒だけになってしまった。 ちなみにこの曲はメンバー全員で作り上げたのだが作詞・作曲には作詞者もしくは曲を思いついたメンバーが記載されるということになり、『カインド・オブ・マジック』までその決まりは続いた。 クイーンⅡ(QUEENⅡ) 1974年3月8日 捲土重来を期した2ndアルバム。 レコード面をブライアンらが中心になって作った楽曲を収録したサイドホワイトと フレディが作った楽曲を収録したサイドブラックに分けるなど白と黒一対のコンセプトを徹底したアルバム。 評論家は相変わらずだったが、アクセル・ローズは「棺にこのアルバムを入れてくれよ」という程のお気に入りだという。 初期クイーンサウンドはこの時点でほぼ完成されており、「オペラ座の夜」に勝るとも劣らない人気を誇る名作。 代表曲 オウガ・バトル(人喰い鬼の闘い)(Ogre Battle) 邦題の括弧書きのように人食い鬼との闘いを歌ったロックナンバー 初期の人気曲でライブでは1972年から1977年まで披露された。 マーチ・オブ・ザ・ブラック・クイーン(The March of the Black Queen) 『ボヘミアン・ラプソディー』の前身ともいわれる複雑な構成の曲でファンからの根強い人気を持つ。 ライブではハード調のパートがメドレーの一部として披露されたほか、観客からのリクエストでイントロのみ演奏することもあった。 輝ける七つの海(Seven Seas of Rhye) イントロのピアノが特徴的なロック。 実は『戦慄の王女』にインストバージョンが収録されている。 シアー・ハート・アタック(Sheer Heart Attack) 1974年11月8日 先行シングルの『キラー・クイーン』が結果を残して発売された3rdアルバム。 アメリカでもそこそこの売れ行きを残し英国から世界を視野に入れる事ができた、といえるアルバムとなった。 当時のメンバーはインタビューで「先の二枚とこのアルバムの冒頭2曲でとりあえずやりたいことは全部やった」と語っており、この後の全米ツアーの顛末やらなんやらを含めてモチベが一旦萎えかけていたのかもしれない。 レコーディング中にブライアンが胃潰瘍で離脱したため、あとで付け足すために何曲かはギターをレコーディングしないまま仕上げたとか。 ちなみにアルバム名になったシアー・ハート・アタックだが、同名の楽曲は録音こそこの時期に行われているもののこのアルバムに収録されていないので注意しよう。 代表曲 キラー・クイーン(Killer Queen) フレディが珍しく歌詞から作ったグラムロック。 QUEEN初のヒット曲で、スマッシュヒットしたことがスター街道の始まりとなった。 ライブでは実は一度もフルで演奏されたことがなく、必ずほかの曲とのメドレーで披露された。 ナウ・アイム・ヒア(*10)(Now I'm Here) メイ作曲のミドルテンポのロック。 ライブではほぼすべてで披露され、『ドラゴン・アタック』を曲中に挟むこともあった。 ストーン・コールド・クレイジー(Stone Cold Crazy) メンバー全員で作り上げたヘビーメタル。 1970年にプロトタイプが披露された。 1990年にMETALLICAにカバーされている。 オペラ座の夜(A Night at the Opera) 1975年11月21日 ついにイギリスチャート1位を獲得した記念すべき4thアルバム。 先行シングルのボヘミアン・ラプソディはその特異性や複雑な構成が受けて9週連続1位を獲得。 世界でも大いに売れるなどついに世界レベルのタレントへと昇華したといっても良い結果を残す。 このアルバムも無論世界で大いに売れに売れ、QUEENの数あるアルバムの中でも屈指の名盤と評価が高い。 ブライアン曰く「このアルバムがとちったら解散していた」という渾身の一作であった。 代表曲 '39 ブライアン作詞作曲だが珍しくほぼ全編に渡ってアコースティックギターで構成されている1曲。 日本での知名度は低めだが本国イギリスやアメリカでの人気が高い。 ライブでは1976年から79年まで披露され、その後もリクエストされる事も多かったがフレディは歌詞を忘れてしまった。 因みに内容は相対性理論のウラシマ効果について歌った曲。 ラブ・オブ・マイ・ライフ(Love Of My Life) フレディが当時の恋人へ送ったバラード。 ライブではキーを下げメイのアコースティックギターに合わせてフレディが歌う。 1977年から欠かさず披露され、80年代は観客の大合唱とフレディのさぼりが特徴的。 ボヘミアン・ラプソディ(Bohemian Rhapsody) バラード、オペラ、ハードロックのトリプルコンボな大名曲。 この曲のコーラスはブライアン、ロジャー、フレディの三人で行われ、180回以上の録音では1日12時間以上歌い続けたという。 演奏時間6分は当時としては長時間の部類に入った。 有名なプロモーションビデオがあるが、これは商業目的で制作した世界初の作品とされる。 ライブではいかに披露するか四苦八苦しており、ロックパートがオープニングを務めバラードパートはメドレーに組み込まれることもあった。その後バラード→オペラ(テープ)→ロック→アウトロと演奏される形に落ち着いた。アカペラパートは泣いていい 華麗なるレース(A Day at the Races) 1976年12月18日 前作のオペラ座の夜と対になったコンセプトの5thアルバム。今作はQUEENのメンバーによる初のセルフプロデュースとなった。 サビが日本語詞で有名な手をとりあってが初収録されたのもこのアルバム。 ビルボードでも1位を取るなど、初期QUEENのピークとなった。 代表曲 愛にすべてを(Somebody to Love) アレサ・フランクリンに大きな影響を受けたゴスペルチックな一曲。 QUEENの特徴であるコーラスを存分に楽しめる。 歌詞が切実すぎる。 フレディが最も気に入っている曲だったらしい。 懐かしのラヴァー・ボーイ(Good old fashioned loverboy) こちらはオペラチックなポップなラブソング。 サビが第三者による煽りという中々珍しい構成となっておりQUEENの特徴を表した1曲。 因みにイギリスBBCで披露された時はややテンポが早くなっている。 「マツコ 有吉 かりそめ天国」の冒頭で流れているのはこの曲。 手を取りあって(Teo Torriatte(*11) (Let Us Cling Together)) 5作目のアルバム「華麗なるレース」に収録。サビに日本語が入っている。 この手の曲は当時結構他の外タレも歌ってはいたが、日本限定シングルだったりするのが常であった。 しかしこれは前述の通り世界に向けて放たれたアルバムに収録、ということで日本のファンは大いに沸き上がり、華麗なるレースはオリコン初登場1位を飾り、日本でのQueen人気の絶頂を飾るアルバムとなったのであった。 2020東京オリンピックの開会式でもこの曲が流された。 ライブでは発売後の来日となった1979年から来日公演の後半で披露されている。 世界に捧ぐ(News Of The World) 1977年10月28日 今までにあった一種の閉鎖性や複雑なスタイルを変え 外部から様々な音楽を積極的に取り入れ始めた中期の始まりとなった6thアルバム。 世界のスポーツアンセムとなった『ウィー・ウィル・ロック・ユー』と『伝説のチャンピオン』が1曲めと2曲めを飾る、強い(確信) 他にもようやく収録された『シアー・ハート・アタック』や『永遠の翼』など名曲揃いである。 本国とアメリカの売上が逆転するなど、アメリカ人好みに変容していったと言えるだろうか。 『シアー・ハート・アタック』が収録されているのはこちらである。 このアルバムからノー・シンセサイザーのクレジットが抜けている。 代表曲 ウィー・ウィル・ロック・ユー(We Will Rock You) 「ズンズンチャ、ズンズンチャ」といえばわかるだろう名曲。 別の楽曲『ストーン・コールド・クレイジー』と並びラップの原形とも言えるボーカルとブライアンのギターが光る。 ライブではスタジオバージョンの他にロック調のファストバージョン、オープニング用のスローバージョンの三種類が披露された。 伝説のチャンピオン(We Are the Champions) 優勝したら流れるアレといえば皆さんご存知な一曲。 華麗なるレースの時点で完成はしていたが「まだ早いな」というフレディの考えでここまで寝かされていた。 シアー・ハート・アタック(Sheer Heart Attack) クイーンの中でもバリバリのハードロックな曲である。アルバムタイトルなのにここまで寝かされていた。 ライブではアンコールで披露され、フレディがステージ上でスピーカーを倒したりマイクスタンド(メイ・ジョン用)を倒した結果フレディのマイクが切れたり曲がったりと大暴れする。 永遠の翼(Spread Your Wings) ジョン・ディーコンが作詞作曲した中で好きな曲は?て聞かれると必ず上位に来る名曲。 ジョン自身の半生を歌った曲と言われており、イントロのピアノ演奏はジョンが演奏している。 因みにMVの撮影場所は『ウィー・ウィル・ロック・ユー』と同じロジャー邸の庭である。 ジャズ(Jazz) 1978年11月14日 様々なジャンルの曲が目白押しな7thアルバム。 『バイシクル・レース』や『ドント・ストップ・ミー・ナウ』など有名曲が多数収録されている。 ちなみに意味するところは音楽ジャンルではなく「ナンセンス」などの意味がある俗語の方である。 代表曲 ファット・ボトムド・ガールズ(Fat Bottomed Girls) 後述の『バイシクル・レース』と共に両A面で先行リリースされた。 ケツのデカい女について歌っている。 バイシクル・レース(Bicycle Race) PVが全裸の女性がチャリ乗り回す映像が入るのでようつべ公式がR-18というネタを持つ楽曲。 ひたすら「チャリ乗りてぇ…気分良くチャリ乗りてぇ…」と繰り返すサビが一部で大人気。 ちなみに歌詞には「スター・ウォーズ」や「ウォーターゲート事件」等当時のアメリカをイジるネタも出て来る。 ドント・ストップ・ミー・ナウ(Don't Stop Me Now) 日本では岡村さんがひたすらブレイクダンスするCMで一躍有名になった曲。 それ以外でもCMで耳にする機会が非常に多い。 映画「ボヘミアン・ラプソディ」ではエンドロールを飾るが曲順が卑怯と大評判。 空耳まみれである。カニ味噌バレンタイン ザ・ゲーム(The Game) 1980年6月30日 アメリカでの人気がピークに達し、第二次黄金期の頂点となった8thアルバム。 『地獄ヘ道連れ』などブラックミュージックの影響が強い楽曲の登場や フラッシュ・ゴードンのサントラ制作で使い始めたシンセサイザーを本格的に起用するなどサウンドの変化もより著しい一作。 代表曲 地獄へ道連れ(Another One Bites the Dust) 終始ミドルテンポで突き進む。ダークな雰囲気漂う名曲。 地味なベーシストというイメージが強かったジョンがついに大ヒットをかっ飛ばした、そんな一曲。 前述の通りブラックミュージック、特にファンクあたりの影響が強い。 当初はジョンのこだわりで恐ろしく演奏難易度が高いこともあってツアーでも歌われないなど、シングルカットの予定がなかったが マイケル・ジャクソン(*12)の「シングル化すべき!」という進言を容れてシングルカットすると世界中で馬鹿売れ。 日本を含めた多数の国で1位を獲得。特にアメリカでの人気は凄まじいものがあった。 しかし英国のファンは「なんだこの曲!?(激憤)」とスタイルが変化しすぎたことに難色を示したか最高位7位で終わった。 あのパロディ歌手アル・ヤンコビックに『another one rides a bus(遅刻へ道連れ)』という名前でカバーされた。 因みにメンバー間でも評価が分かれた曲でもあり、特にロジャーは嫌すぎるあまりレコーディングの際も終始やる気が無かったらしい。 愛という名の欲望(Crazy Little Thing Called Love) フレディが入浴中に思い付いた事で有名なエルビス時代のロックンロールっぽい楽曲。 アメリカで大人気であり、『地獄へ道連れ』と並び中期Queenのアメリカ人気を確立した一曲。 エレキギターを全く使わない都合上ブライアンからの反発を予想したフレディの意向により最初のレコーディングはブライアン抜きで行われている。 因みに後に合流したブライアンはフレディの予想通りこの曲に不満を示したらしいがそれでもキッチリアコースティックを担当する辺り流石はプロと言うべきか、 ライブではフレディがギター(*13)を弾く珍しいナンバーとして知られ、ライブエイドなどでも演奏された。 \Until I'm ready/\Ready Freddie/ フラッシュ・ゴードン(Flash Gordon) 1980年12月8日 同名映画のサントラ盤。本格的にシンセサイザーを活用し始めた嚆矢となった。 シンセっぽい音こそ出していたが、アルバムにシンセ使ってないぞと記載していたようにシンセサイザーには否定的だったQUEENにとっては大きな変化となった。 しかし音楽としての評価は高く、フラッシュ・ゴードンのファンも太鼓判を押すほどの見事なメインテーマは必聴。 なお映画はずっこけた。 代表曲 フラッシュのテーマ(Flash's Theme) フラッシュ!アア~というフレーズが結構有名。 フジのF1中継のOPに使われたりした。 ホット・スペース(Hot Space) 1982年5月25日 「地獄へ道づれ」の成功で気を良くしてブラックミュージック好きのフレディとジョンが中心になって傾倒していったら ファンがそっぽを向いたでござるの巻、そんな一枚。 とくに英国ファンが冷淡であり、デヴィッド・ボウイとのコラボ曲であるアンダー・プレッシャーは大人気であったがアルバム売上は散々であったという。 一方半年後に『スリラー』が大ヒットするマイケル・ジャクソンは気に入ったとか。 "ブラックミュージックに傾倒した失敗作"というイメージで語られることも多いが実際は最初の4曲が立て続けにそうなだけで、アルバムの後半はクイーンらしいサウンドの曲も意外に多いため現在は再評価される向きもある。 代表曲 ボディ・ランゲージ(Body Language) フレディ作の猥雑な雰囲気が強烈なディスコチューン。 歌詞は明らかにゲイの視点で描かれたもので、PVも「ゲイサウナのような場所で男女が戯れる」という卑猥な内容だった。 本作の先行シングルとして発売され、アメリカでは11位まで上昇したが、イギリスでは受け入れられず25位止まりであった。 また上記のPVも規制の厳しいアメリカでは放送禁止とされてしまい、色々と出鼻を挫かれる結果となってしまった。 ライフ・イズ・リアル (レノンに捧ぐ) (Life Is Real (Song For Lennon)) 1980年に暗殺されたジョン・レノンに捧ぐ一曲。 「Imagine」や「Mother」といったジョン・レノンの楽曲の要素がオマージュされている。 アンダー・プレッシャー(Under Pressure) 地球に落っこちてきた異星のロックスターことデヴィッド・ボウイとのコラボ曲。 初収録となったのはホット・スペースのちょっと前に発売となった初のベストアルバムである「グレイテスト・ヒッツ」。 PVは爆破の映像や世界恐慌、学生運動、何故か東京の通勤ラッシュ等様々な映像で構成されており、当人たちは一切登場しない(クイーンとデヴィッド・ボウイがどちらもツアー中で撮影のスケジュール調整がつかなかったため)。 ザ・ワークス(The Works) 1984年2月27日 一気にサウンドの方向性を前々作あたりに戻した一枚。 世界的大ヒットの『RADIO GA GA』、抑圧されていた南米アフリカでバカウケした『ブレイク・フリー(自由への旅立ち)』などヒット曲多数となっている。 しかしこの後そのアフリカや南米で色々やらかし、ソロ活動も本格化していたことでメンバー間に亀裂がビキビキ入っていた頃であり このアルバムを引っさげたツアー後に解散するのでは?と噂されていた。(*14) 代表曲 RADIO GA GA(Radio Ga Ga) レディ・ガガの芸名の由来だったり、GTAⅤではPVや作中ラジオへの起用がされており若い世代もそこそこ知っていそうな曲。 本作のPVはSF映画の傑作として知られる「メトロポリス」の映像を一部使用し、その世界に4人が入りこんだというもので、途中で過去のクイーンのPVも登場する(*15)。 使用に際しては交換条件として同時期に公開された「メトロポリス」リマスター版のサントラにフレディが参加することでOKをもらったとか。 ライブではPVの振り付けで客が大いに沸く。ライブエイドの映像を見てみよう。 ブレイク・フリー(自由への旅立ち)(I Want to Break Free) 寡作だが当たるとでかいジョン作曲。前述の通り南米やアフリカの被抑圧者にバカウケしてそれらの地域にファンを増やすことが出来た。 PVはイギリスの昼ドラ『コロネーション・ストリート』を元ネタにしたもので、メンバーが女装しているのが特徴(*16)。 ロジャーの女装が美少女すぎる、訴訟。 ハマー・トゥ・フォール(*17)(Hammer To Fall) ライブエイドやウェンブリー公演など名演にこの曲が在った。 欧州圏で人気の一曲。 カインド・オブ・マジック(A Kind of Magic) 1986年6月2日 1985年のライブエイドにおける伝説的パフォーマンスで再び結束を取り戻した後にリリースしたアルバム。 円熟味を増し、バンドとして別の味が出始めた一作である。 このアルバムを引っさげての欧州ツアー、特にホームであるロンドンのウェンブリー・スタジアムで二日間行ったライブは ライブ盤がリリースされるほどの人気を誇り、ライブバンドQUEENの名声をより高めた。 しかし、このツアーが最後のライブツアーになってしまったのである。 代表曲 ONE VISION -ひとつだけの世界-(One Vision) アルバム発売に先駆けてシングルカットされた。 クイーンの再結束を象徴させるノリの良い楽曲となっている。 PVはボヘミアン・ラプソディの10年後というショットから始まり、レコーディングスタジオの様子やメンバーのオフショットを映している。 カインド・オブ・マジック(A Kind of Magic) アルバムのタイトルナンバー。ハイランダーの主人公が不死の存在というところから発想を得たとか。映画使用版とシングル盤では曲調が異なっており、前者は若干テンポが遅い。 PVは廃劇場にやってきたフレディ扮する魔術師が、ホームレスの3人に魔法をかけてクイーンに変身させるというもの。 QUEEN版ボーン・トゥ・ラヴ・ユーにラストのフレーズが流用されている。 プリンシス・オブ・ザ・ユニヴァース(Princes of the Universe) 映画「ハイランダー」の主題歌。 アニソンっぽいビートのきいたいかにも主題歌なノリの楽曲。 PVでは映画の主演俳優クリストファー・ランバートがゲストで登場する。 ザ・ミラクル(The Miracle) 1989年5月22日 しばらくの活動休止とそれぞれのソロ活動を経て3年ぶりにリリースされたアルバム。 シングルのカップリングにもアルバム曲になれなかった曲を収録するなど 意欲と活気に満ち溢れていたが、ツアーは行わないことが明言されていた。 フレディがメンバーにエイズにより残された時間がそう長くはないことが告げたのがこのアルバムの製作期間中と見られるため(*18)、活気と意欲に満ち溢れていたのはもしかしたらフレディが残された命を全て音楽に叩きつけるという意志の現れだったのかもしれない。 そしてQUEENのメンバーもわだかまりを完全に捨て、一丸となって付き合うことを決断した…のだろうか。 また、本アルバム収録楽曲のPVは巨大なセットや鉄道路線を貸し切っての撮影、当時は珍しかったCG合成を使うなどいずれも豪華なものとなっている。 このアルバムから作詞作曲のクレジットが全てQUEEN名義に変更された。 代表曲 ザ・ミラクル(The Miracle) アルバムのタイトルナンバー。世界平和を歌った作品。 PVは小学生ぐらいの男児の4人がクイーンに扮して歌うというもので、最後にメンバーが登場してものまね番組のご本人登場のようなセッションを見せる。 アイ・ウォント・イット・オール(I Want It All) ハードロック調の楽曲に乗せて「欲しい、全部だ、今すぐ寄越せ」と激しく力強く主張する楽曲。 ブライアンの歌声も聴けるぞ! バージョン違いが結構あるのも特徴。 スキャンダル(Scandal) フレディの体調不良を詮索するな、俺(作曲者はブライアン)の離婚沙汰を詮索するなという意志のこもった曲。 PVもタブロイド紙を模したセットを用意している。 パパラッチは○ね精神。 イニュエンドウ(Innuendo) 1991年2月5日 フレディの遺作となったアルバム。 この頃にはもはやエイズが進行し免疫が機能せず、様々な日和見感染に悩まされ衰えていく一方となっていたが 喉だけは奇跡的にほぼノーダメージだったのようで、収録曲は全て歌いきることが出来た。 メンバー全員で素材を持ち寄って一曲に仕上げていくスタイルが取られており バリエーション豊富で様々な色を感じられる出来に仕上がっている。 フレディのスワンソングをぜひ聞いてみて欲しい。 代表曲 イニュエンドウ(Innuendo) 別名『裏ボヘミアンラプソディ』と言えるほど複雑な構成が特徴で、初期クイーンを彷彿とさせる作風が受けたのか全英シングルチャート1位を獲得した。 途中のスパニッシュギターはプログレッシヴロックバンド・Yesのスティーヴ・ハウが演奏している。 バンドの終焉を予告している曲で、PVにはメンバーが登場しない(過去作からの流用シーンはある)。 輝ける日々(These Are The Days Of Our Lives) フレディ生前に撮影された最後の公式映像がこの楽曲のPVである。 やせ衰えた姿をメイクで何とか隠そうとしているのがちょっとしんどい、そんな映像になっている。 この頃はまだエイズを公式に認めていなかったものの、この映像を見たらいろいろと察するものがあっただろう。 作詞作曲はロジャーで、これまでのフレディとのバンド人生を肯定するような内容の歌詞になっている。 ショウ・マスト・ゴー・オン(The Show Must Go On) フレディ在籍のQUEENとしては最後のシングル。 「ショーは何があろうと続けなければいけない」という演劇業界の言葉から来ている。 病に冒されようと俺は歌い続ける、ということだろうか… 因みにボーカルはもうエイズが進行し弱り切っている中、高音が多いにもかかわらず一発録りらしい。 フレディの全魂を注いだ絶唱に前が見えなくなること必至。 PVは過去のPVやライブ映像を編集したものではあるが、歌詞や演奏と映像が合うような編集がされており感動的である。 以下、ブライアンのコメント。 「ある朝、この曲をフレディのところに持っていった。彼がどう受け取るか少し心配だった。でもこう言ってくれたんだ。 『ダーリン、僕はそれを歌うよ。そして僕の全てを注ぎ込む。』ってね。」 Made in Heaven 1995年11月6日 QUEEN史上最高売上を記録した「天国からの贈り物」。 フレディが生前に残した音源を切り貼りしたりフレディのソロ曲をアレンジして演奏を録音したりして作り上げた。 前述の通り売上は史上最高となり、フレディロスだったファンからも熱狂で迎えられたが 何分死者の素材をいじってるしソロ曲も結構大きくアレンジしたため批判的な声もいくらかはあった。 代表曲 イッツ・ア・ビューティフル・デイ(It's a Beautiful Day) HONDAのCMでお馴染み。 晴れ上がった晴天の日をイメージさせるキレイなピアノに乗せてちょっと暗い歌詞が続く。 このアルバムが初出の新曲だが、フレディの歌声とピアノは1980年『The Game』のレコーディングセッションで録音されたもの。 レット・ミー・リヴ(Let Me Live) ゴスペル風のコーラスが特徴。 ボーカルはフレディ、ロジャー、ブライアンが交互に取っている。 因みに「僕を生かしてくれ」とひたすら叫ぶ内容なため晩年の曲っぽいが、元々は1976年『華麗なるレース』のレコーディング時にロッド・スチュワートとのコラボ曲として制作されたが収録されなかった『Another Little Piece Of My Heart』という楽曲が元ネタ。 その7年後、1983年『The Works』のレコーディングにロッドが訪れ再び制作に取り掛かったが、またしても完成には至らなかった。 本アルバムで聴けるフレディの歌声はその1983年のセッションでレコーディングされたものであり、まだ死から遠い時期のボーカル素材である。 ボーン・トゥ・ラヴ・ユー(I Was Born To Love You) フレディのソロアルバムである『Mr.Bad Guy』収録の楽曲をアレンジしたもの。 なので元々はQUEENの楽曲ではない。 原曲とは趣が違い「大好きだよ~」とポップに伝えるのが原曲なら 「君に出会うのは運命だった(迫真)」ってな塩梅なのがこちらのバージョンである。 キムタクのドラマ『プライド』やカップヌードルのCMにも使われ、日本での再ブレイクのきっかけになった。 愛の結末~トゥー・マッチ・ラヴ・ウィル・キル・ユー(Too Much Love Will Kill You) ブライアン作の名バラード。 フレディの歌う美しいメロディのブライアンの泣きのギターソロが感動的。 楽曲自体は1988年に完成しており翌年発売の『The Miracle』に収録される予定であったが、当時のQUEENは作詞作曲のクレジットをバンド名義にしていたため、この曲をブライアンと共に作った人物との権利関係が整理できずに収録を断念していた。 1992年発売のブライアンのソロアルバム『Back To The Light』にはブライアンがボーカルを務めたバージョンが収録されており、同年にウェンブリー・スタジアムで行われたフレディの追悼コンサートでも披露された。 ジュエルズ(Jewels) 2004年1月28日 日本のEMIが企画したベストアルバム。前述のドラマ『プライド』に合わせての企画であるが イギリス本国やQUEENとも打ち合わせの上で作られたもので、タイトルはブライアン考案だしQUEENのWebショップで普通に販売されていた。 ブックレットに初心者向けと書かれた通り、有名楽曲が目白押しである。 入門編にはもってこいなので「ボヘミアン・ラプソディ」を見た後はコイツを買うといいんじゃないかな。買え(豹変) 好評だったのかジュエルズII(Jewels II)も発売された。 その他 ラ・ジャポネーズ(La Japonaise) アルバム『バルセロナ』収録。QUEENの曲ではなく、フレディがオペラ歌手モンセラート・カバリエとコラボレーションした曲。「手を取り合って」以上に日本語が多く含まれており、彼が日本好きなのがよくわかる。 なお、『バルセロナ』の1曲目『Barcelona』は1992年のバルセロナオリンピックのテーマとなり、彼ら2人が開会式で歌う予定であったが、フレディが亡くなったためホセ・カレーラスが代役を務めた。 手軽に聴きたい場合は日本独自の企画盤『ジュエルズ(Jewels)』がおすすめである。もうちょっと聴きたい方は『グレイテスト・ヒッツ(Greatest Hits)』シリーズもいいし、そこからオリジナルアルバムを聴くのもよし。 特に初期の『戦慄の王女』『クイーンⅡ』の曲はあまりベスト盤に入っていないことが多いので、オリジナル盤がおすすめ。 たいしたことじゃない。 本当に僕はたいしたことじゃ無いのさ。 どっちみち、追記修正されるのさ…。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 確か歌詞に日本語が入った曲があったと思うんだが、思い出せん -- 名無しさん (2013-11-26 20 07 59) けっこう重要なキャラのスタンド名にクイーンの曲名が多いし、荒木さんはこれが特段お気に入りなのかな? -- 名無しさん (2013-11-26 20 32 17) ↑2 La Japonaiseだったかな -- 名無しさん (2013-11-26 20 36 52) ↑3 手を取り合って(Let Us Cling Together)だね -- 名無しさん (2013-11-26 21 12 43) 70年代初期から中期頃のロジャーは女の子みたいでマジでカワイイよな。 -- 名無しさん (2013-11-30 20 58 39) クイーンには俗語で「おかま」という意味もある。 -- 名無しさん (2014-04-25 23 36 58) ギルティギア主人公ソルのお気に入り。 -- 名無しさん (2014-11-18 17 22 45) デビュー当時酷評されてたっって知って驚いたわ。評論家の耳って節穴過ぎる -- 名無しさん (2014-12-23 21 08 25) ↑当時は斬新すぎて何だこれってなったんじゃないの。いつの時代でもよくあることだよ。 -- 名無しさん (2015-01-08 18 36 52) 最新アルバムの初回盤にはあのマイケル・ジャクソンとデュエットしたように編集された曲が入ってる。(マイケル・ジャクソンがカバーしただけで共演なし) -- 名無しさん (2015-11-17 12 52 15) 洋ゲーヲタにはRadio Ga.Gaは1回は聴いたことあるだろう。あのGTAVのカーステレオから流れてくるからな。 夕方のハイウェイで流れてきたらテンション上がって速度出してだいたい事故る。 -- 名無しさん (2016-01-10 15 03 24) ジュエルスはホント入門に最適。歌詞カードの楽曲解説にも文書いた方の愛が滲み出ている -- 名無しさん (2016-05-14 18 07 32) もしフレディーが今も生きていたら、荒木先生との対談とか夢じゃなかったのかな… -- 名無しさん (2016-05-14 19 01 51) フレディ以外超高学歴集団 -- 名無しさん (2017-12-23 23 50 26) このバンドの曲名が元ネタのスタンドは大体被害がデカい印象 荒木飛呂彦先生のお気に入りなんだろうか -- 名無しさん (2018-11-18 23 53 23) 映画のボヘミアン・ラプソディ観て、すごい感動して、アルバムに手をつけたいなって思った矢先にここの記事を読んだ。ミーハー感すごいって我ながら思うけどここの記述を参考に初めて買うの選ぶわ。建て主ありがとう。 -- 名無しさん (2018-12-02 22 21 10) 最近ブライアン・メイが『沖縄の辺野古埋め立て中止を求める請願』と『サンゴ礁や生態系を守る為に署名』を呼びかけたのがスゴい。日米だけでなく、民主主義と豊かな自然環境の為に世界中の人々が賛同してくれるのは嬉しい -- 名無しさん (2019-01-07 12 49 17) ↑ しかし、意外と知られてないが沖縄は戦後に人工ビーチを30数か所作ってるから海岸沖のサンゴ礁はほぼ絶滅してるという。 -- 名無しさん (2019-01-07 14 22 48) ツムツムにこのバンドのツムが登場したがなぜジョンだけハブられたのかがわからないし納得いかない。 -- 名無しさん (2019-08-06 19 29 59) それだけ「完全に引退している、一般人に戻ってしまっている」ということの証なのかもしれないけど(もはや肖像権の交渉とかが出来ない)、寂しい事なのは確か。 -- 名無しさん (2021-10-20 22 21 12) フレディがパンク嫌いなのはわかる計算つくされた最高の技量を駆使する作風の人だから、Pistolsあたりのそれとは無縁がゆえにゴリ押していくゆくのは嫌いだったのだろうね(そこがいい所なのだけれど) -- 名無しさん (2022-02-13 20 48 21) 鴨川つばめ先生も好きなバンドだったのか、マカロニほうれん荘のでパロディ元にすることが少なくなかった。あるエピソードだとモブに学ラン姿の4人が出てくるんだが、よく特徴捉えててそっくり -- 名無しさん (2022-09-10 02 01 13) まさか「セーラーフレディマーキュリー」が実現するとは。 -- 名無しさん (2023-02-06 22 29 24) ブライアンは辺野古以外の埋め立てには反対しなかったのか?彼が「サンゴ落書き捏造事件」を知ったらどう思うだろうか。 -- 名無しさん (2023-02-17 01 34 10) ブレイク・フリーのPVの女装はジョン演じるおばあちゃんも、こんなおばあちゃんリアルでいそう、って感じに違和感ない -- 名無しさん (2023-12-02 08 14 31) 同じくイギリスのバンドのデュラン・デュランのドラムもロジャー・テイラーだが全くの別人である -- 名無しさん (2024-08-27 20 14 43) 名前 コメント