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Report.19 長門有希の憂鬱 その8 ~涼宮ハルヒの告白~ 部室の扉がノックされる音が響いた。わたし、涼宮ハルヒ、朝倉涼子の三人は、互いに顔を見合わせた。 「どうぞー。」 結局、ハルヒが返答した。扉が開き、四人の人物が入ってきた。 「ちょっと失礼しますよ。」 喜緑江美里、古泉一樹、朝比奈みくる、『彼』……通称キョン。 「あんたは、生徒会の……何でここに?」 「実は我々は、長門さんが北高に向かっていたという話を聞いて、戻ってきたところなのですが、そこでたまたま彼女に会いまして。彼女……生徒会の方でも、何やら長門さんに用があるとかで、御一緒した、というわけなんですよ。」 古泉一樹が答えた。……話し方が変わっている。 「そんなに睨まないでくださいな。活動状況を簡単に確認するだけですから。」 ハルヒが江美里を睨み付けているのは、先の文芸部会誌を作成した時のことを踏まえてのものだろう。 「文芸部の活動は 極 め て 順 調 やから、どうぞご心配なく!!」 【文芸部の活動は 極 め て 順 調 だから、どうぞご心配なく!!】 彼女は目を三角に怒らせて、江美里を威嚇している。江美里は全く意に介していないが。 「長門さん……お久しぶりです……」 みくるが声を掛けてきた。そういえば、既に会ってはいるものの、まだ彼らには言っていない。わたしは彼らに視線を向けて、言った。 「ただいま。」 「……おかえり、長門。」 『彼』が答えてくれた。わたしは、帰ってきたことの『実感』が湧いた、ような気がした。皆は一様に、わたしの帰還を喜んでいるようだった。 その中で、ハルヒからすれば部外者である江美里が、わたしに向けて口を開いた。 「今年度の文芸部の活動状況についてですが。」 『御承知のように、敵対勢力の排除は完了しました。』 「…………」 『協力に感謝する。』 かぎ括弧は声に出した会話。二重かぎは通信の内容。 「昨年度は会誌の発行が、例年に比べてかなり遅延していました。まあ、内容は充実していたようなので、その点は心配していませんが。」 『《全員で突入する》という要請でしたけど、期待には応えられたでしょうか。』 「…………」 『十分。予想以上。』 「ここだけの話ですけど、うちの会長も、口ではああ言ってますけど、次の刊行を心待ちにしてるんですよ。文芸部の会誌をこっそり読んで、お腹抱えて笑ってましたから。特に鶴屋さんが書いた小説には、腹筋を破壊されたみたいでしたね。」 『皆さん、とんでもない戦闘能力を持ってますね。さすがは涼宮さんに選ばれし兵(つわもの)達、といったところですか。』 「……善処する。」 『……同意する。』 江美里は、絵に描かれた貴婦人のような微笑を浮かべて、 『彼女の感情がそろそろ限界のようなので、会話相手は譲りましょうかね。ほら、あなたもボーっとしてないで。』 『んあ!? ちょっと! 急に話を振らないでくれる!?』 涼子が不意を突かれて慌てている。このような反応は、我々インターフェイスのものとは思えないほど人間的だった。 『どうしたのでしょうね。あなたらしくもない。』 『いや、ちょっと……涼宮さんと長門さんの表情に見とれちゃって……』 わたしの表情? わたしは何か表情を浮かべていたとでも言うのだろうか。 涼子はわたしをまじまじと見つめた。 『……本気で言ってるの?』 嘘をつく理由も利益もない。 『……無自覚、か。なるほどね……』 話が見えない。 『長門さん。あなたは、さっき涼宮さんに「ただいま」って言った後、目を細めて微笑したのよ。』 ……身に覚えがない。 『じゃあ、無意識のうちに、微笑してたのね。』 わたしに表情を作る機能がないわけではなく、また、誰にでも分かるほどはっきりと表情を変えることも、できなくはないことは知っている。実際に、『微笑』という表情をハルヒには見せたことがある。しかし、先ほどの会話では、特に表情を作った記憶はない。 『だからさ……それは「自然な表情」って言うのよ。「自然と笑みがこぼれる」っていうやつ。』 それは、本にも頻繁に登場する表現。しかし、実際にどのような状態なのかは、分からなかったもの。そのような理解不能だった状態に、わたしがなっていたと言うのか。信じられない。 『……変わったわね。』 『……変わりましたね。』 二人は、嬉しそうに顔を見合わせた。 わたしは、そこまで自由に、任意の表情を浮かべることはできないはず。それに、なぜ二人が『嬉しそう』なのかの理由も分からなかった。 「有希……有希……!」 ハルヒの声。見ると、人間の言葉で言う『感極まった』様子だった。 「有希ぃ――――!」 彼女は、わたしのそばに駆け寄るとわたしを強く抱き締めた。そして一気にまくし立てた。 「有希! ごめん! ごめんなさい! あんな、あんなことして……! あんたを突き飛ばして怪我さして! それで、怪我したあんたをほったらかしにして!」 【有希! ごめん! ごめんなさい! あんな、あんなことして……! あんたを突き飛ばして怪我させて! それで、怪我したあんたをほったらかしにして!】 彼女は、泣きながら詫びている。先日の、わたしが消失した日の出来事。わたしがうっかり、彼女の心にある、侵してはならない領域を侵してしまった、あの日の出来事。 「いい。気にしてない。」 「ほんま?」 【ほんと?】 彼女は潤んだ瞳でわたしを見つめる。わたしは、誰にでも分かるほど大きく、はっきりと頷いた。彼女はまたわたしを抱き締めた。そして、人間の言葉で言うと『堰を切ったように』、語り始めた。わたしがいなくなったことで、どれだけ自分が寂しかったかを。 「……他にも数え上げたらキリないけど、とにかく! それぐらい寂しかったんやから!」 【……他にも数え上げたらキリがないけど、とにかく! それぐらい寂しかったんだから!】 「事情はよく分かった。」 わたしは、素っ気なく答えた。本当は、とても嬉しい。彼女にここまで強く気に掛けてもらえて。 「でも、これだけは言わして?」 【でも、これだけは言わせて?】 と、彼女は涙目で言った。 「なに。」 彼女は、大きく深呼吸した。そして、意を決して言った。 「有希――――!! 愛してる――――!!」 ざわ……ざわ…… そんな擬音語を背景につけるのがふさわしいと思った。わたしと彼女以外のその場にいた者は皆、目を丸くして驚愕している。彼女は、わたしを強く抱き締めてきた。 「もう、絶対に、あんたを、失いたくない! 離したくない!!」 そして彼女は……わたしの唇を奪った。 『んっ、んっ、んっ……んむ……んむ……』 濃厚な接吻。それも、他人の目の前で。 『んっ……はっぁ……あむ……んっ……』 彼女の口付けは終わらない。彼女の、暖かい気持ちが伝わってくるような気がする。 ようやく彼女の濃厚な接吻が終わった。口を離すと、お互いの唇から唾液が糸を引いて繋がっていた。 彼女は滔々と語り始めた。それは紛れもなく、わたしへの『愛の告白』だった。 「最初は単なる好奇心やった。無口で無表情な娘やなーって。泣いたり笑ったりせえへんのかなーって。まるで部室の付属物みたいに、存在感のない娘、っていうのが最初の頃の印象やったわ。」 【最初は単なる好奇心だった。無口で無表情な娘だなーって。泣いたり笑ったりしないのかなーって。まるで部室の付属物みたいに、存在感のない娘、っていうのが最初の頃の印象だったわ。】 それが、共に過ごすうちに、だんだん見る目が変わっていった。 「毎日なんとなく眺めてるうちに、だんだん気になりだしてん。あんたは無口で無表情やったけど、万能やった。何でもそつなくこなせた。その時に思ってたんは、どうやったら有希と仲良くなれるかってことやった。」 【毎日なんとなく眺めてるうちに、だんだん気になりだしたの。あんたは無口で無表情だったけど、万能だった。何でもそつなくこなせた。その時に思ってたのは、どうやったら有希と仲良くなれるかってことだった。】 彼女は遠い目をして言った。 「決定的やったんは、一年の時の文化祭。気ぃ付いてた? あんたの情熱的なギターは、一緒に舞台に立ったあたし達も含めて、その場にいた誰もを魅了したんやで。あの時あたしは、最高に気持ち良く歌ってたけど、それはきっと、あんたがギターで支えてくれたからなんやと、今になって思うわ。急遽代役で立った舞台で、どうなるか分からへん一発勝負。いくらあたしでも、緊張せえへんかった、って言(ゆ)うたら嘘になるわ。それでも何とか乗り切れた。今なら理由が分かるわ。それは有希が、いつもあたし達の期待に応えてくれる有希が、そばにおってくれたから。一緒に舞台に立ってくれたから。体育祭では、文武両道さを存分に見せ付けてくれたし、バレンタインデーの時は料理も振舞ってくれた。あの時作ってくれたうどん、めっちゃ美味しかったで。今でも忘れられへんもん。阪中の家の犬を治した時は、正直感動したわ。いつもいっぱい本読んどぉけど、ただ読むんやなくて、ちゃんとその知識を役立たせてるんやから、改めてすごいと思ったわ。それで、ますます有希から目が離されへんようになった。」 【決定的だったのは、一年の時の文化祭。気付いてた? あんたの情熱的なギターは、一緒に舞台に立ったあたし達も含めて、その場にいた誰もを魅了したのよ。あの時あたしは、最高に気持ち良く歌ってたけど、それはきっと、あんたがギターで支えてくれたからなんだと、今になって思うわ。急遽代役で立った舞台で、どうなるか分からない一発勝負。いくらあたしでも、緊張しなかった、って言ったら嘘になるわ。それでも何とか乗り切れた。今なら理由が分かるわ。それは有希が、いつもあたし達の期待に応えてくれる有希が、そばにいてくれたから。一緒に舞台に立ってくれたから。体育祭では、文武両道さを存分に見せ付けてくれたし、バレンタインデーの時は料理も振舞ってくれた。あの時作ってくれたうどん、すっごく美味しかったわ。今でも忘れられないもん。阪中の家の犬を治した時は、正直感動したわ。いつもいっぱい本を読んでるけど、ただ読むんじゃなくて、ちゃんとその知識を役立たせてるんだから、改めてすごいと思ったわ。それで、ますます有希から目が離せないようになった。】 それに、と彼女は続けた。 「あれは夢やったみたいやけど、未だに忘れられへんことがあんねん。覚えとぉ? 一年の冬休み、鶴屋さん家の別荘に合宿に行った時の事。」 【あれは夢だったみたいだけど、未だに忘れられないことがあるの。覚えてる? 一年の冬休み、鶴屋さん家の別荘に合宿に行った時の事。】 周囲に緊張が走った。 「あの時、あたしはやけにあんたのことを心配しとったやろ? あれな、あたしの夢の中で、あんたが熱出して倒れてんけど、それはもう、心配したで。夢から覚めても、全然気が付かずにあんたのことを心配するくらい。それで、気ぃ付いてん。あたしは、夢にまで見るくらい、あんたのことを意識してるんやな、って。」 【あの時、あたしはやけにあんたのことを心配してたでしょ? あれはね、あたしの夢の中で、あんたが熱出して倒れたんだけど、それはもう、心配したわよ。夢から覚めても、全然気が付かずにあんたのことを心配するくらい。それで、気が付いたの。あたしは、夢にまで見るくらい、あんたのことを意識してるんだな、って。】 その時は『無口で頼れる万能選手』として。 「その時はそう思(おも)てたけど、今にして思うと、既に違(ちご)てたんかもしれへん。でも、自覚はしてへんかったな。思いが変わった、あるいは自覚したんは、この間のこと。あたしが変質者を捕まえて新聞に載って、それから、変な奴らに付きまとわれてた時のことやわ。」 【その時はそう思ってたけど、今にして思うと、既に違ってたのかもしれない。でも、自覚はしてなかったな。思いが変わった、あるいは自覚したのは、この間のこと。あたしが変質者を捕まえて新聞に載って、それから、変な奴らに付きまとわれてた時のことだわ。】 彼女はその時のことを思い出すように、 「あの時あたしは……ほんまはめっちゃ辛かった。団員達に……特に有希、あんたに会われへんことに。それから、変な奴らへの対応も。どうってことないつもりやったけど……やっぱりきつかった。あたしは、もう、一杯一杯やった。そんなあたしを救ってくれたんが、あんた。」 【あの時あたしは……ほんとはすっごく辛かった。団員達に……特に有希、あんたに会えないことに。それから、変な奴らへの対応も。どうってことないつもりだったけど……やっぱりきつかった。あたしは、もう、一杯一杯だった。そんなあたしを救ってくれたのが、あんた。】 ここで彼女は周囲を見渡した。 「みんなの前でこんなこと言(ゆ)うてるなんて、我ながら大胆やと思うけど、どういうわけか、有希の前やと素直になれるわ。こんな……恥ずかしいことを告白できるくらいに。」 【みんなの前でこんなこと言ってるなんて、我ながら大胆だと思うけど、どういうわけか、有希の前だと素直になれるわ。こんな……恥ずかしいことを告白できるくらいに。】 彼女は再びわたしに視線を戻した。 「あの時、あたしがあんたを呼び出した時、あんたは来てくれた。あたしの恥ずかしい話を黙って聞いてくれた。泣き出したあたしのそばにずっとおってくれた。色々とあたしに良くしてくれた。それから……あんたの意外な一面も見せてくれた。あの時のあんたの仕草、反則的なまでに可愛かったわ。」 【あの時、あたしがあんたを呼び出した時、あんたは来てくれた。あたしの恥ずかしい話を黙って聞いてくれた。泣き出したあたしのそばにずっといてくれた。色々とあたしに良くしてくれた。それから……あんたの意外な一面も見せてくれた。あの時のあんたの仕草、反則的なまでに可愛かったわ。】 そして気が付けば、ただの気になる人から、愛しい人に変わっていた。 「あたしは必死でその気持ちを否定した。だって、おかしいやん? 女同士でこんなこと思うなんて。相手が、宇宙人とかっていうならまだしも、有希は物静かな……可愛い人間の女の子やんか。でも、今日のことで実感したわ。あたしの中で、あんたの存在がどれだけ大きくなってたか。それで、あんたの顔を見て思った。もう、この気持ちは抑えられへんって。」 【あたしは必死でその気持ちを否定した。だって、おかしいじゃない? 女同士でこんなこと思うなんて。相手が、宇宙人とかっていうならまだしも、有希は物静かな……可愛い人間の女の子じゃないの。でも、今日のことで実感したわ。あたしの中で、あんたの存在がどれだけ大きくなってたか。それで、あんたの顔を見て思った。もう、この気持ちは抑えられないって。】 いつの間にか、恋に落ちていた……気が付いたときには、既に。 「さっきあったことを話すわ。また夢を見てたらしいんやけど。」 【さっきあったことを話すわ。また夢を見てたらしいんだけど。】 先ほどの情報統合思念体過激派による襲撃のことだろう。 「夢の中で、あたしと朝倉は、変態に襲われた。ストッキングで覆面した変態。朝倉がそいつと戦ってたんやけど、ピンチになってん。もう絶体絶命。そこに颯爽と現れたんが、有希、あんたや。朝倉にも言われてんけど、その時のあんたは、マジでヒーローやった。かっこよかった。そのあとそのまま今の場面に続いとぉから、正直、どこまでが夢で、どこからが現実か分からへん。もしかしたら、今この瞬間も夢かもしれへんし。でも、それでもあたしは確信した。」 【夢の中で、あたしと朝倉は、変態に襲われた。ストッキングで覆面した変態。朝倉がそいつと戦ってたんだけど、ピンチになったの。もう絶体絶命。そこに颯爽と現れたのが、有希、あんたよ。朝倉にも言われたんだけど、その時のあんたは、マジでヒーローだった。かっこよかった。そのあとそのまま今の場面に続いてるから、正直、どこまでが夢で、どこからが現実か分からない。もしかしたら、今この瞬間も夢かもしれないし。でも、それでもあたしは確信した。】 彼女はわたしの瞳を真っ直ぐに見据えて言った。 「やっぱりあたしは、あんたが好き。大好き。」 彼女の気持ちは伝わった。今度はわたしが答える番。わたしは彼女に言った。禁じられた言葉を。 「わたしは……わたしも、あなたを、愛している。」 観測とか、処分とか、そんなものはどうでも良いと思えた。 彼女は、わたしを愛している。 わたしも、彼女を愛している。 それで十分だと思えた。それでわたしは――幸せだと思った。 「有希、有希っ!」 また彼女が抱き締めてくる。わたしも彼女を抱き締め返す。とても幸せで、そして、だからこそ……『悲しい』。 これから、わたしが行うことを思うと、悲しくなった。 わたしがこれから行うこと。それは涼宮ハルヒへの情報操作。今まで決して許されることがなかった行為。 今回の過激派による襲撃の記憶を消すことだけではない。わたしは、彼女の『長門有希への思い』を操作する。 彼女のわたしへの感情には、明らかに『性愛』が含まれている。それは本来、『異性』に対して向けられるもの。一部に例外はあるものの、大多数の雌雄の別がある有機生命体はそのようにしている。それが、有機生命体の繁殖に必要不可欠だから。だから、今の彼女は……『異常動作』。そしてわたしも異常動作。 わたしの口から明確に、わたしの想いを彼女に伝えられた。それだけで十分。彼女の行動を修正しなければならない。 提案したのは、わたし。情報統合思念体の許可は下りている。いよいよ、これまで最大の禁則事項だった行為を行う。 わたしは操作を開始した。 「あれ……? なんか急に眠く……」 彼女の身体が崩れ落ちる。わたしは彼女の身体を抱きかかえるようにして支えた。彼女が完全に眠ったことを確認すると、彼女の精神に干渉する。そして、彼女のわたしへの想いから、性愛に関する部分を削除する。今後彼女は、わたしをこれまで通り『無口で頼れるSOS団随一の万能選手』として見るだろう。ただし、わたしへの想いは大きく発達していたため、元通りとはいかないかもしれない。それでも、『仲の良い女友達』程度には抑えられたはず。わたしに、あのような行為に及ぶことは、もうないだろう。 操作終了。 「…………」 わたしは無言で、彼女の身体を抱きかかえながら、静かに眠る彼女の寝顔を見ていた。 事態の推移を見守っていた『彼』が、やっとの思いで口を開いた。 「……長門。お前はハルヒに一体何をしたんや?」 【……長門。お前はハルヒに一体何をしたんだ?】 「行動の修正。」 わたしは平坦な声で答える。 「最近の涼宮ハルヒの行動は、明らかに異常動作。先ほどのわたしへの行為もそう。」 わたしは、ぼんやりと彼女の顔を眺めていた。名残惜しいのだろうか? わたしは彼女の顔から視線を外すことができないでいる。 「修正は完了した。問題ない。」 そう、これで問題ない。何も。 その時、何かがわたしの頬を伝った。 涙が一粒、頬を伝った。 ←Report.18|目次|Report.20→
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2012.04.29 札幌芸術の森 行 参加者 Hiura / Monbetsu / Tabata / Saito 天気 曇り 走行距離 約45km 報告者 Hiura 記念すべき第一回活動は、札幌芸術の森までのライディング。天候に恵まれてとは言い難い曇天の下で、ウォーミングアップ的に走りました。 1時間半ほどで芸術の森に到着。顧問おススメの「ぷくぷく麺」で昼食を取り、何とも言えない創作麺を堪能しました。 Saito君とMonbetsuさんの攻めっぷりが際立つ中、Tabataさんのウォームアップとしても適当だったかと。参加できない人も多い中でしたが、初回としてはまずまずの旅程だったかと思います。
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2012.07.03 物理学科遠足2012 参加者 Hiura / Monbetsu / Seguchi 天気 晴れ 走行距離 約130km 報告者 Hiura 疲れた。アウターで7%の坂を登ってはいけない。おかげで行きの時点で力尽きかけたどこかの男は、帰りもぐったりとしていた。 天候にはある程度恵まれ、行きは曇りがちで走り易かったと言える。帰りはもはや天候どころではない。 最も元気だったのはSeguchi君だった。支笏湖、来年こそ皆で行きましょう。
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Report.12 長門有希の憂鬱 その1 ~長門有希の消失~ 「うりゃあぁぁぁ! 今日もみくるちゃんは可愛いなっ! 胸もまたおっきくなったん違(ちゃ)う!?」 【うりゃあぁぁぁ! 今日もみくるちゃんは可愛いなっ! 胸もまたおっきくなったんじゃない!?】 「わひいぃぃ!?」 涼宮ハルヒが朝比奈みくるの胸を揉む。みくるはいつもなら嫌がるが、今日は余り嫌がっていない。 「はふぅ……涼宮さん、ほんまに胸揉むん好きですね……しかも妙に上手いし……」 【はふぅ……涼宮さん、ほんとに胸揉むの好きですね……しかも妙に上手いし……】 頬を上気させて、荒い息をしながらみくるは言った。 「いや~、みくるちゃんの胸はほんまに揉み応えがあって癖になるわ。」 【いや~、みくるちゃんの胸はほんとに揉み応えがあって癖になるわ。】 ようやくみくるを解放したハルヒは、一仕事終えたかのような表情で言った。 「うふ。じゃあ、こういうのはどうですか?」 そう言うとみくるは、ハルヒの頭を抱きかかえた。 「むー、むー……この程よい窒息感、イイ……」 ややくぐもった声で、ハルヒが答える。 「更にはこんなこととか。」 みくるはハルヒの後ろに回ると、彼女の頭に胸を乗せた。 「おおお、この重量感! 信じられへん……」 【おおお、この重量感! 信じられない……】 「ふふふ。涼宮さんて、ほんま胸好きですね。大きければ何でも良いんですか?」 【ふふふ。涼宮さんて、ほんと胸好きですね。大きければ何でも良いんですか?】 「いやいやいや、決してそういうわけ違(ちゃ)うんよ。大事なのは形と実用性! そして何より……『その人の胸』ってのが重要やねん!」 【いやいやいや、決してそういうわけじゃないのよ。大事なのは形と実用性! そして何より……『その人の胸』ってのが重要なの!】 「ふぁ……それって、『あたし』の胸やから、ってことですか!?」 【ふぁ……それって、『あたし』の胸だから、ってことですか!?】 ハルヒはみくるに向き直って言った。 「ファイナルアンサー?」 「ふぇ!? フ、ファイナルアンサー……」 ハルヒは眉をしかめながら、長い溜めに入った。 「……正解!」 ハルヒはみくるの胸を、前からパン生地をこねるように弄んだ。 「それじゃご褒美! うりゃうりゃうりゃうりゃ……」 「あっ、あっ、あっ、あっ……」 「……けだもの。」 その時、平坦で冷静な声が二人に浴びせ掛けられる。わたしはとっくに部室に入っていた。いちゃついていた二人の動きが止まる。顔が引き攣っている。わたしはそれ以上何も言わず、いつもの席に着くと、本を読み始めた。今日は『新明解国語辞典』。この辞書は、解説がユニーク。 『…………』 三人分の三点リーダが部室を支配する。 「こほん!」 ハルヒはぎこちなくみくるの胸から手を離すと、わざとらしく咳払いを一つした。 「あー、みくるちゃん! お茶お替りお願いっ!」 「は、はい!? ただいま!」 みくるは、服の乱れを直すのもそこそこに、慌ててお茶の用意をする。 「は、はい涼宮さん!」 「あ、ありがと!」 お茶を机に置くみくる。ハルヒの声は微妙に、みくるの声は明らかに、上ずっている。 「は、はい長門さん!」 わたしのそばにお茶が用意される。普段ならわたしは、少しだけ視線を上げて謝意を表明するが、この時は何もしなかった。したくなかったから。 先ほど、わたしは思わず声を掛けた。普段なら、何も言わず観測に徹していたはずなのに。なぜか、声を掛けずにはいられなかった。 人間の感情に例えると、それは『面白くない』というものだった。 わたしの好きな人同士が、乳繰り合っている光景。それが面白くなかった。なぜ? 答えは簡単に出た。理由は一つ。そこにわたしがいないから。わたしは『嫉妬』していた。 やがて『彼』と古泉一樹が部室に姿を現し、いつものように活動が始まった。しかし、完全に普段通りとはいかなかった。 ハルヒとみくるは、しきりに視線を交わしては、慌てて視線をそらしている。その度にわたしからは、『彼』の表現を借りれば『透明オーラ』が立ち上るような気がした。微妙に張り詰めた空気を察知して、男子二人も気が気ではない様子だった。 何となく気まずい空気に包まれながらの活動も終了し、皆は帰途につく。 わたしは、部室の整理をすると言って部室に残っていた。確かめたいことがあったから。 『団長』と書かれた三角錐が置かれた、ハルヒの席。そのそばに、丸めた紙くずが落ちていた。わたしは活動中から何となく気になっていたその紙くずを開いてみる。そしてわたしは硬直した。 『キョン……あたしの有希を取らないでよ!!』 人間に例えると、『頭が真っ白になった』という状態。わたしの情報処理機能が停止していた。 「有希……?」 その時ハルヒが入ってきた。声を掛けてくるまで気付かなかったとは。以前のわたしなら考えられない出来事。 「何見てんの……!? そ、それは!?」 わたしは未だに動けないでいる。 「な、何を……何を見てんの!!」 叫んで猛然とわたしに向かってくる彼女。ものすごい勢いでわたしから紙を奪い取る。 「何よ何よ何よ何よ!! 何(なん)で見てんの!!」 「あ……」 わたしは声すらもまともに出せない。 「わ、わたしは……不要なら捨てようと思って……大事なものでないか確認しようと……」 「うるさいっ!!」 彼女に突き飛ばされる。わたしはまともに本棚に叩き付けられた。何冊か本が落ちてくる。 「何(なん)で人の、プライバシーを覗いとぉ!」 【何(なん)で人の、プライバシーを覗いてんのよ!】 「違う……わたしはただ……」 その時、額に何か液体が垂れてきた。血。見る見る青ざめていく彼女の顔。『やってしまった』という表情。 「……信じて。」 「あ、あたしは悪くないんやからね! 有希が人の書いたものを勝手に見てたのが悪いんやから!!」 【あ、あたしは悪くないんだからね! 有希が人の書いたものを勝手に見てたのが悪いんだから!!】 彼女はそっぽを向いて……わたしが血を流している姿を見ないようにしながら言った。 「き、気分が悪いから帰る! ……あ、あんたも、保健室行っときや!」 【き、気分が悪いから帰る! ……あ、あんたも、保健室行っときなさいよ!】 そう言い捨てると彼女は、バツが悪そうに足早に立ち去った。彼女を怒らせてしまった。不手際。だが……なぜあの時わたしは、まともに行動できなかったのだろう。 彼女があれほど激昂したのは、この紙片が原因であることは間違いない。彼女が立ち去ってから、改めてその紙片を観察する。 そして、その紙片が落ちていた辺りに、他にも幾つか同じように丸めて捨ててある紙片を見付けた。今度は彼女がこの部室に近付いていないことを確認してから、他の紙片も確認する。 それには、『キョン』――『彼』や、わたし、みくる、一樹への、屈折した思いの丈が書き殴られていた。 思い当たることがある。 最近彼女は、Webサイトを閲覧しながら、時々紙に何かを書き付けていた。最初は、何か気に入った情報をメモしているように思われたが、それにしては様子がおかしかった。それを書いているときの彼女は、非常に不機嫌だった。その時に書いていたのが、これらの紙片だろう。こうすることで、彼女は自分のイライラを静めていたということか。 人間には、心の中に、他人には知られたくない、『触れられたくない』と考える情報が存在する。他人へ寄せる好意、悪意等も、そのような情報である場合が多い。ハルヒもそうなのだろう。そんな彼女の……最も他人に触れられたくない領域を、わたしは侵してしまったことになる。 「……うかつ。」 この不手際、どう埋め合わせをするか。重大な懸案事項を抱えてしまった。しかし、事はこれだけでは済まなかった。もっと重大な事態が発生したから。 その夜、小規模ながら、情報フレアが観測された。発生源は涼宮ハルヒ。今回は以前と違って、ごく限定的な範囲に圧縮した情報の奔流が見られた。以前は、ほぼ無秩序に世界を書き換えてしまう形での、文字通り『爆発』であった。 しかし今回は違う。限定的・選択的に情報を書き換えるという、高度に制御された情報操作。力の主は、力の使い方を無意識的にでも、『肌で感じている』のかもしれない。 わたしが部屋で一人、夜を過ごしている時のことだった。わたしは、彼女を怒らせてしまった不手際をどう埋め合わせするか検討していた。 そんな時、突如、わたしの肉体、ヒューマノイド・インターフェイスとしての有機情報連結体が、その形状を保てなくなった。瞬く間に、煌めく砂のような粒子になって崩れていくわたしの身体。それはいつかの、朝倉涼子の姿と同じだった。 わたしは、為す術もなく、空気に溶けていくわたしの身体を見ているしかなかった。……朝倉涼子は、どんな気持ちで、この光景を、自分の身体が崩れていく様子を見ていたのだろうか。 今回引き起こされた現象は、わたし――『長門有希』の消失。 『長門有希』は、消失した。個体としての特異性を失い、無個性な情報生命体として、涼宮ハルヒとその周辺に『漂って』いた。彼女達に働きかける手段を持たない、ただ観測するだけの存在。 情報統合思念体は、個体・長門有希の復元を試みたが、それは徒労に終わった。大きな力――涼宮ハルヒの意思が介在した。 『有希に会いたくない。』 その思いが、長門有希の再生を許可しなかった。 情報統合思念体は、長門有希が消失した現状を維持しながら、観測を継続することにした。長門有希の不在については、人間の意識に無理なく理解される形に情報が操作された。観測そのものは、他の端末や肉体を失った長門有希を通してでも可能。 しかし、涼宮ハルヒの中で、長門有希という個体に関する情報は、既に大きな領域を占有していた。よって、このまま長門有希を廃棄する事はできない。どのような影響があるか予測不可能。したがって、代替インターフェイスを配置する必要があると認められた。 この時点で、涼宮ハルヒはある人物を思い出していた。それは、『朝倉涼子』。 朝倉涼子は、元々は長門有希のバックアップとして、涼宮ハルヒと同じクラスに配置されたインターフェイス。しかし、異常動作による独断専行により、重要観測対象である通称『キョン』を殺害しようとした。そしてそれを阻むために行動した長門有希により、有機情報連結を解除されていた。 朝倉涼子の、インターフェイスとしての性能は、長門有希と遜色ない。そして、涼宮ハルヒの近くに配置しても問題が少ないという、数少ないインターフェイスでもある。 長門有希の再構成は未だ不可能。情報統合思念体は決定した。 長門有希の『バックアップ』、朝倉涼子を再構成し、長門有希の任務を代行させる。つまり、『バックアップ』としての役割を果たさせる。 ――再構成、パーソナルネーム朝倉涼子 ――辞令、長門有希任務代行 朝倉涼子 朝倉涼子が帰ってきた。涼宮ハルヒを観測する任務を帯びて。 「謹慎がようやく解けたと思ったら、ただの仮出所か……」 朝倉涼子の任務は、あくまで『長門有希任務代行』。長門有希が元に戻れば、涼子の任務は終了する。 「所詮わたしはバックアップかあ。長門さんが元に戻ったら、すぐにわたしは消えてしまうのよね。」 涼子は、情報統合思念体の自分に対する扱いに、やや不満を抱いていた。 「そういえば、前も再構成されて、結局同じことをして、また消されたっけ……扱い悪いなあ。」 復元された場所は、今はもぬけの殻となった、708号室。長門有希の部屋の中。 涼子は鏡を見る。自分が明らかに不満そうな表情を浮かべていることを視認する。彼女は両頬を軽く手で叩いた。 「ま、一端末があれこれ言っても仕方ないか。仕事仕事!」 すぐに表情を笑顔にする。彼女は優秀だった。 「涼宮さんに、長門さんにまた会いたいって思わせる必要があるわ。やっぱり、学校行くのが一番有効かな。」 久しぶりに元・1年5組の人たちにも会いたいしね、と涼子は準備に取り掛かる。情報操作。 「時間の流れを無視した記憶改変は危険、というのが、長門さんの暴走で得られた教訓。」 操作の範囲が広がる分、記憶の整合性に注意しつつ十分な時間範囲に改変を行うことは、極めて煩雑。しかも、そこまで行っても、涼宮ハルヒと彼女に近い人間には、違和感に気付かれる恐れがある。 涼子は最小限の改変で済むよう、注意深く改変箇所を選定した。 「……操作完了。やっぱりこうするのが一番合理的かな。……キョンくんは、わたしのことは信用してくれないだろうけど……」 『自業自得』と呼ぶには、彼女にも酌むべきところはある。彼女は任務に忠実だった。しかし事情は、殺害されかけたキョンにとっても同じであることを、彼女は理解していた。それはこれまでの観測による、人間心理の考察によるところも大きい。 彼女は優秀だった。 朝倉涼子は私服で北高に登校した。彼女は、転校先のカナダから一時帰国したことになっている。既に北高に籍はないので、授業には参加しない。本来なら校内への立ち入りも難しい。しかし、元・北高生で、急な転校であったこともあって、特例として校内への立ち入りと、一部授業の見学を許可された。 彼女は涼宮ハルヒとキョンがいるクラスの授業を中心に見学した。そのクラスは、元・1年5組の生徒が多かったこともあって、朝のHRから登場し、挨拶を行った。 「えー、今日はみんなに紹介する人がおる。このクラスは元・1年5組の者が多いから、覚えてる人もおるかもしれん。」 【えー、今日はみんなに紹介する人がいる。このクラスは元・1年5組の者が多いから、覚えてる人もいるかもしれん。】 そう言うと担任の岡部教諭は、廊下にいる人物に、教室への入室を促した。教室に彼女が入ってくる。 「おはようございます。初めての人は、はじめまして。覚えている人は、お久しぶり。去年、1年5組にいた、朝倉涼子です。父の仕事の都合で、カナダに転校しました。親族での用事なんかがあって、今は日本に一時帰国してます。それで、せっかくなので、北高に来させてもらいました。短い間ですが、よろしくお願いします。」 教室にどよめきが起こった。ハルヒは目を輝かせ、対照的にキョンは真っ青な顔をした。涼子は、彼らへの対応を最優先させる必要があった。 なお余談であるが、『見学』ではあるものの、設定上『英語』という言語を使用するカナダという国へ転校したことになっているので、英語の授業では、例文の朗読係として重宝された。 「うん、さすがは生の英語に触れてる人間の発音やな。完璧や。というか、正直、教師を超えてるな……」 【うん、さすがは生の英語に触れてる人間の発音だな。完璧だ。というか、正直、教師を超えてるな……】 「いえいえ、まだ一年ほどですから、そんなには……」 挨拶を行ったHR後、早速元・1年5組の女子に囲まれ、質問攻めに遭う涼子。その輪の中にいながら、彼女の接近を認めると、涼子は視線を彼女に向ける。 「久しぶりやね、朝倉。」 【久しぶりね、朝倉。】 「お久しぶり、涼宮さん。」 周りを囲んでいた女子達も、彼女達の会話に注目している。 「急に転校して、あの時はびっくりしたで。あの日すぐにあんたのマンション行ってみたんやけど、もう荷物とか何もなかったわ。えらい引っ越しの手際がええなー思(おも)てた。」 【急に転校して、あの時はびっくりしたわ。あの日すぐにあんたのマンションに行ってみたんだけど、もう荷物とか何もなかったわ。やけに引っ越しの手際が良いなーって思ってた。】 涼子は答える。 「詳しいことはよぉ知らへんけど、会社の方で何もかも手配済みやったらしくて、わたしが学校行ってる間に、片付けは終わってたみたい。わたしもびっくりやったわ。おかげでろくに挨拶もできひんで。みんなごめんな?」 【詳しいことはよく知らないけど、会社の方で何もかも手配済みだったらしくて、わたしが学校行ってる間に、片付けは終わってたみたい。わたしもびっくりだったわ。おかげでろくに挨拶もできなくて。みんなごめんね?】 涼子は周囲の女子達を見回しながら謝罪する。予鈴が鳴ると、涼子は職員室へ向かった。 校長室で校長への挨拶等をしたり、職員室の応接室で教師達と談笑したりするうちに、昼休みとなる。そろそろ昼食を、と思うと同時に、応接室の扉が勢い良く開いた。 「朝倉ー! 一緒にごはん食べよー!!」 涼宮ハルヒはやっぱり涼宮ハルヒだった。後ろには、ネクタイを掴まれて引きずり回されたであろうキョンの姿もあった。 彼女達は外のベンチに陣取った。キョンは弁当、ハルヒと涼子は学食から持ち出してきた。 「ここの学食の料理を食べるのも久しぶりやわあ。」 【ここの学食の料理を食べるのも久しぶりだわ。】 涼子はしみじみと感想を述べる。ハルヒが答えた。 「残念ながら、全然味は美味しくなってへんけどね。」 【残念ながら、全然味は美味しくなってないけどね。】 涼子は、にこにこしながら言った。 「それにしても、涼宮さん。しばらく見いひん間に、結構変わったね。」 【それにしても、涼宮さん。しばらく見ない間に、結構変わったわね。】 「何が?」 きょとんとした顔で、ハルヒは答える。 「クラスの人とも打ち解けてるみたいやし、何より、表情が変わったわ。」 【クラスの人とも打ち解けてるみたいだし、何より、表情が変わったわ。】 「そうかな? よぉ分からへんけど。」 【そうかな? よく分かんないけど。】 「変わった変わった。前はすごかったんやで? まるで『寄らば斬る』っていう雰囲気やってんから。『SOS団』、やったかな? 涼宮さんが作った部活。その活動が楽しいんかな?」 【変わった変わった。前はすごかったのよ? まるで『寄らば斬る』っていう雰囲気だったんだから。『SOS団』、だったかな? 涼宮さんが作った部活。その活動が楽しいのかな?】 「まあ、楽しくない言(ゆ)うたら嘘になるかな。」 【まあ、楽しくないって言ったら嘘になるかな。】 ハルヒは、学食から運んできた日替わり定食の唐揚げを食べながら答えた。 「ところで、キョンの様子が朝からずーっとおかしいねん。あんたの顔を見てから、急に顔色が真っ青になって、何聞いても上の空で。」 【ところで、キョンの様子が朝からずーっとおかしいのよ。あんたの顔を見てから、急に顔色が真っ青になって、何聞いても上の空で。】 それは間違いなく、涼子が原因。過去二回も、『彼』は涼子に殺害されかけている。そんな相手が目の前に現れたら、平静ではいられないだろう。 「何(なん)か心当たりある?」 「うーん、しばらくぶりに帰国した早々言われても……」 涼子は、困った顔をして答えた。もちろん理由については大いに心当たりがあるが、それを口にするわけにはいかない。 「あんたが転校する前に、キョンと何かあったとか?」 「えー、それはないと思うな。」 涼子はそう答えながらも、複雑な表情をしていることに、ハルヒは気付いていた。だが、その理由をこの場で問いただすことは何となく憚られたので、その点については触れないでおいた。 キョンは終始、憔悴しきった顔で無言を貫いていた。『彼』にはきちんと説明しなければならない。涼子はそう痛感した。『彼』の協力を得られなければ、任務は達成できない。 だが彼女が単独で、『彼』に接触して冷静に話を聞いてもらうことは、不可能に近い。『彼』にとって『朝倉涼子』は、完全に精神的外傷となっていた。 それに、ハルヒの周辺にいるのは、『彼』だけではない。朝比奈みくる、古泉一樹。未来人と超能力者の勢力からそれぞれ派遣された人員。彼らにも協力を要請する必要がある。 そのためには、まず派閥が違うとは言え、同類である宇宙人の勢力で話をつけておく必要がある。涼子は、別の派閥に属する対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェイスに通信を試みる。 『派閥が違うのは重々承知の上で、お願いするわ。喜緑江美里。協力を要請します。』 『このままでは、うちの派閥にとっても、ひいては情報統合思念体にとってもまずいことになりそうなので、わたしもできる限り協力しますよ。』 『感謝します。』 宇宙人勢力の協力は取り付けた。次は人間勢の協力が必要。 だが、三人同時にハルヒから離すことは危険。ただでさえ彼女は今、『朝倉涼子』の登場で興奮状態にある。そして『長門有希』は今、そばにはいない。どんな反応をするか、正確に特定できない。 (これまでの観測データによると……古泉くんの協力が得られれば、根回しが自然にできる……ふむ。) まずは古泉一樹と朝比奈みくる。二大勢力の協力を取り付けよう。そう考えながら涼子は、素うどんを食べ終えた。午後は忙しくなる。適当に授業の見学名目でハルヒを観測しつつ、江美里と打ち合わせを行わなければならない。 ←Report.11|目次|Report.13→
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Report.10 長門有希の実験 ある実験が行われた。 日常接している人物がある日突然豹変したら、人間はどのような反応をするのか。 日頃との変化が大きい方がより有意な情報が得られるため、わたしが実験台に使用された。これから、わたしの性格が一時的に改変される。 Interface Mode Setup... Download High tension Yukky Database Extract High tension Yukky Database YUKKY.N CREATE TABLE Y.NAGATO AS SELECT * FROM YUKI.N INSERT Y.NAGATO SELECT * FROM YUKKY.N OPTIMIZE TABLE Y.NAGATO SELECT * FROM Y.NAGATO Starting High tension Yukky mode... は~い、ユッキーで~す♪ いやー、いつものわたしと違って、今はと~っても『ユカイ』な気分です。こんな調子でハルにゃんやみくるんに話しかけたらどんな反応をしてくれるのか、めっちゃ楽しみ!! え? キョンくんやいっちゃんの反応はどうでも良いのかって? 実はもう話しかけてみたんですよー。でもでも、あの二人、高校生のくせに、どっちもすっごく落ち着いてるって言うか、 『おやおや、これはまた「ユカイ」な長門さんですな。新境地を開拓でっか?』 【おやおや、これはまた「ユカイ」な長門さんですね。新境地を開拓ですか?】 『……「ユカイ」なお前も結構ええ感じやと思うで、長門。』 【……「ユカイ」なお前も結構良い感じだと思うぞ、長門。】 どんだけ適応力あんねん!! って思わず突っ込んでしまいましたよ。 まあ、いっちゃんは何度も修羅場を掻い潜って来たんだろうし、キョンくんも一般人でありながら身の回りで異常事態が頻発する環境に晒されてるし、不思議なことに慣れっこになってるのかもねー。 鶴屋さんには、 『あっははははは!! 有希っこ、サイッコー!! あっはははははは!!』 爆笑されつつも、すんなりと受け入れられたみたい。この人も包容力あるなー。 キョンくんの妹ちゃんに至っては、 『えへへー、ユカイな有希っこ、楽しー! 一緒にあそぼー!』 この子もハイテンションだからなー。思わず日が暮れるまで一緒に遊んじゃいましたさ。 ちなみに口調だけじゃなくて、声も普段よりかなり高くなってます。結構キャピキャピしてるかな。 さてさて。 そんなわけで、わたしの数少ない交友関係(泣)で、反応を見ていない人は、あと二人。本命ですね。もちろん情報統合思念体的には、本命はハルにゃんだけど、わたし的にはみくるんの反応が一番見てみたいんだよねー。 ハルにゃんとは、まあそのいろいろあって、イロイロエロエロしちゃった関係なんだけど、みくるんとは、まだお近付きになってないんだ。 何か、みくるん、わたしのこと、苦手そうにしてるしね。自分で言うのも何だけど、普段のわたしって、それはもう取っ付き辛いったらないよね。まったく、なんでこんな性格に設定したんだか。責任者出て来ーい! なんてね。 それにハルにゃんの場合、元のあたしでも既に違う一面を見せてるから、もう今回の実験の趣旨は達成されてるとも言えるんだよね。 それはもう、面白かったよー。スプーン取り落としたり、意識がお花畑に飛んでいって三途の川を渡る準備をしたり。 だから、こんなユカイなわたしを見ても、意外と普通な反応されそう。鶴屋さんみたいな感じかな? よし、極(き)めた、じゃなくて決(き)めた! 今回の本命はみくるん! ユカイなハイテンションユッキーで押し切って、一気に仲良くなっちゃおう! ん? 江美里から入電だ。はいはーい! 『わ……情報としては伝わってましたけど、いざ実際に対話すると、すごいですね。普段とのギャップがありすぎて戸惑います。』 ふっふー。萌えるかな? かな? 『さあ、それはわたしには分かりかねるので、コメントは差し控えさせていただきます。それより涼宮さんですが、今日は所用のため、このまま帰るみたいですよ。』 そっかー、帰っちゃうのかー。みくるんは来るのかな? 『朝比奈さんはまだこのことを知らないので、そのまま部室に向かってますね。他の二人は涼宮さんに出会った時に、その場で伝えられたみたいですね。帰ってます。』 じゃ、みくるんにはわたしから伝えてあげないとね。ちょうど良いや。連絡ありがとねー、えみりん。 『えと、えみりんて……と、とにかくそういうことなので。』 えみりんの困惑した様子が目に浮かぶなー。りょーこちゃんだったらどんな反応するんだろうな。 そんな心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなくログファイルに書き付けてると、みくるんがやって来ました。 「こんにちは……あれ? 今日は長門さんだけですか?」 「そう。涼宮ハルヒは所用で帰宅した。他の二人にもその旨は伝えられている。」 まずはいつもの調子で。独白も普段ぽくしてみる。 「そうですか……あ、もしかして長門さん、あたしに伝えるためにわざわざ残っててくれたんですか?」 「そう。」 「わ、す、すいません、ありがとうございます!」 今にも回れ右して帰りだしそうな朝比奈みくる。そんなにわたしと二人きりになるのが嫌なのだろうか。少し悲しい。 「よかったら。」 わたしは彼女を呼び止める。 「わたしと一緒に帰ってほしい。」 「ふぇ!?」 「実は、あなたに相談したいことがある。」 「あ、あたしにですかぁ!?」 「だめ?」 「え!? え、えと、その……」 そう言いながら、彼女は耳に手を当ている。未来からの指示を仰いでいるのだろう。そしてわたしは確信している。未来からの指示は、『おまえの思うように行動せよ。』 「未来からの指示?」 「否定も肯定もされませんでした……『お前に任せる』と。」 「そう。では、あなたの気持ち次第。」 「えと、あ、あたしでお役に立てるかどうか分かりませんけど、お話を聞きますね!」 「ありがとう。」 こうしてわたしは、まんまとみくるんを拉致……違う違う。わたしの部屋へ招待した。 「お茶を淹れる。待ってて。」 わたしはお茶を淹れて、こたつに持っていった。こたつに座って対面する二人。さて、話を切り出しますか。 「あなたに来てもらえて、嬉しい。」 「いえいえ、大したことでは。それで、相談というのは?」 「わたしは今、ある事情で、思考がとても『ユカイ』になっている。」 「『ユカイ』……ですか。」 「そう。普段のわたしからは想像もつかないほど。せっかくなので、あなたに披露して、どう思うか聞いてみたい。そして、これを機会に、あなたと仲良くなりたい。」 「えっ!?」 「あなたは、わたしと二人きりになることを極度に嫌っている。」 「あ、あたしはそんなつもりじゃ……!?」 「気にしなくていい。普段のわたしの態度では、仲良くしろと言う方が無理がある。」 そこまで言うと、わたしは、お茶を一口飲んだ。さあ、始めましょうか。 It s a showtime! ハイテンション・ユッキー、いっきまーっす! 「まあ、そう硬くならんとー。りらっくす、りらっくす♪」 【まあ、そう硬くなんないでー。りらっくす、りらっくす♪】 「!?」 おおー、早速目をまん丸にして驚いてる。うんうん、予想通りの反応ありがと、みくるん♪ 「要するにー、今のわたしは普段と違うわたしやから、もっと気楽に喋ってぇやーってこと。」 【要するにー、今のわたしは普段と違うわたしだから、もっと気楽に喋ってよぉーってこと。】 「ふ、ふええ!? な、長門……さん?」 「どうせやから『有希ちゃん』って呼んでぇやぁ、みくるちゃん。それともみくるんって呼んだ方が良い?」 【どうせだから『有希ちゃん』って呼んでよぉ、みくるちゃん。それともみくるんって呼んだ方が良い?】 「みくるんて……」 「ミ・ミ・ミラクル☆ ミクルンルン☆」 「いやぁぁぁぁぁ!! その話はせんとってぇぇぇぇぇ!!」 【いやぁぁぁぁぁ!! その話はしないでぇぇぇぇぇ!!】 おおっと、みくるんの意外な一面が。やっぱりあれ、相当堪えてたんだね。 「まあ、そんなわけで。いつものキャラは置いといて、本音でお話しよ?」 「ううう、何か、見透かされてる気がします……」 「まあまあ、わたしもいつもと違(ちゃ)うんやし。あなたと仲良くしたいっていうんも、ほんまの気持ちなんやで?」 【まあまあ、わたしもいつもと違うんだし。あなたと仲良くしたいっていうのも、ほんとの気持ちなんだよ?】 「なが……有希ちゃん……」 ひゃっほぅ、みくるんが『有希ちゃん』って呼んでくれたよー! なんかすっごくうれし――――!! それからみくるちゃんは、必死でわたしと二人きりになりたがらなかった理由を説明してくれたけど、割愛します。なんていうか、そうした方が良いような気がしたから。大事な友達のことだし、少しは胸の奥にしまっておいた方が良いこともあるよね。 要は、お互いが相手を悪くは思っていないってことが伝われば、それで良いのだ! で、分かったところで、新たな関係を築けば良い。人間の縁って、そんなもんじゃないかな。わたしは人間じゃないけど。 「それで、キョンくん、何て言(ゆ)うたと思う? 『……「ユカイ」なお前も結構ええ感じやと思うで、長門。』それだけ。あんたら、どんだけ適応力あるっちゅうねん!」 【それで、キョンくん、何て言ったと思う? 『……「ユカイ」なお前も結構良い感じだと思うぞ、長門。』それだけ。あんたら、どんだけ適応力あるっていうのよ!】 「あははは、キョンくんらしいー!」 話し始めてしばらくして。最初の緊張もどこへやら、二人はすっかり打ち解けました。みくるちゃんたら、目に涙浮かべて笑ってくれたよ。なんかもう、イジり甲斐あるなー。 「ねえねえ、有希ちゃん。今度一緒に買い物行かへん? あたしの知ってる……」 【ねえねえ、有希ちゃん。今度一緒に買い物行かない? あたしの知ってる……】 みくるちゃんからお誘い。わーい、デートデート、って、違ーう! ハルにゃんじゃないんだから。これは健全な、女の子同士のお買い物のお誘い! ありがたいけど、その頃にはもう、実験は終了して、普段の無口なわたしに戻ってるんだよねえ。……あれ、なんか、そう考えたら急に寂しくなっちゃった。どうしたんだろ。 「!? ゆ、有希ちゃん!?」 「なに~?」 「な、何(なん)で泣いとぉや……?」 【な、何(なん)で泣いてるの……?】 「え? あれ?」 ほんとだ、泣いてる。 「何(なん)でやろ、おかしいな。涙が……止まらへん。次から次へと……」 【何(なん)でだろ、おかしいな。涙が……止まらない。次から次へと……】 わたしの目には涙があふれ、止(とど)まる気配がありません。 「何(なん)で、うっ、何(なん)で涙が、ぐすっ、止まらへんの……ひくっ」 【何(なん)で、うっ、何(なん)で涙が、ぐすっ、止まらないの……ひくっ】 せっかくみくるちゃんと楽しくお話してたのに、これじゃまた嫌われちゃう…… 涙を止めなきゃいけないと思うほど、嫌われるんじゃないかという恐怖が沸き上がって、ますます涙が止まりません。完全に悪循環だ。 するとみくるちゃんが、すっと立ち上がって、わたしのそばにやってきました。そしてわたしの頭を優しく抱き締めたのです。 「ほら、有希ちゃん。泣きたい時は、思いっきり泣いた方がええで。」 【ほら、有希ちゃん。泣きたい時は、思いっきり泣いた方が良いわ。】 みくるちゃんの、おっきい胸。柔らかくてあったかい。なんでも、こないだのハルにゃんとみくるんの大乱闘で、ハルにゃんがこの大きな胸が羨ましいって言ったんだって。たしかに尋常じゃない大きさ。 でも、この胸は単に大きい、見掛け倒しの胸じゃない。底なしの優しさに溢れてる。 「うっ、うっ、うううう……うわああああああああああああああああああああんん!!」 わたしは、彼女の胸の中で泣いた。号泣した。 何が悲しかったのか。何が寂しかったのか。 それは結局、今のこのわたしの思考が、一時的なものでしかないことを知っているから。しばらくすれば、また元の無口なわたしに戻る。また、みくるちゃんが近付きたがらなかった頃のわたしに戻ってしまう。 それが嫌だった。せっかくみくるちゃんと仲良くなれると思ったのに。いや、きっとみくるちゃんは優しいから、元のわたしに戻っても、わたしと仲良くしてくれるだろう。でも、わたしはその思いに態度で応えられない。『そう。』とか『いい。』とか、必要最小限しか言葉を発しない子に戻ってしまう。 それがわたしらしいと言ってくれるかもしれない。でもわたしにだって、他の人並みに喋って、普通の女の子みたいに友達と遊びたいという気持ちはある。元のわたしはどうか知らないけれど、少なくとも今のわたしには、そんな気持ちがある。今のわたしはその気持ちを形にすることができる。でも元のわたしにはそんなことできない。 「戻りたない……」 【戻りたくない……】 「え?」 「戻りたない……元のわたしに戻りたない!!」 【戻りたくない……元のわたしに戻りたくない!!】 わたしは叫んでいた。今のわたしは、あくまで実験のために用意された一時的な人格。元のわたしでさえ、作り物、仮初の命で、今のわたしはその上に宿る、さらに一時的な実験用人格。その存在は極めて脆い。 それなのに、こんなことを願うのは罰当たりなのかな。人間じゃないわたしに罰なんか当たるのか分からないけど。 「元のわたしは、笑えもしない、泣けもしない、ただの観測者……! みんなの気持ちに何一つ応えられない!! わたしは……ただの作り物!! ただの……人間モドキ……! 人形にも人間にもなれない半端者!!」 こんなこと、彼女に言ったところでどうしようもないのに、彼女を困らせるだけなのに、止まらない。わたし、どうしちゃったんだろう。とうとう壊れちゃったのかな……? まったく、困った子だ。やれやれ。 それなのに、彼女は優しくわたしの頭を抱きかかえ、撫でてくれました。 「普段口に出されへん分、相当いろんな思いが溜まってたんやね……ごめんね、気ぃ付いてあげられへんで。」 【普段口に出せない分、相当いろんな思いが溜まってたのね……ごめんね、気付いてあげられなくて。】 何でみくるちゃんが謝るの? 謝るのはわたしの方なのに。 「ううん、そんなことない。あたし達、結局いつも有希ちゃん……『長門さん』に頼ってばっかりやもんね。」 【ううん、そんなことない。あたし達、結局いつも有希ちゃん……『長門さん』に頼ってばっかりだもんね。】 彼女は、小さな子供に言い聞かせるような、優しい声で言いました。 「あたしは、いつも無口で頼れる『長門さん』も、とっても可愛い『有希ちゃん』も、どっちも好き。」 そして彼女はわたしの頭を胸から離すと、自分の顔の前に持って行きました。 「せやから、約束して? もう二度と、人形やとか何とか、そんな悲しいこと言わへんって。あたしも、みんなも……『長門有希』さんを大好きなんやから。」 【だから、約束して? もう二度と、人形だとか何とか、そんな悲しいこと言わないって。あたしも、みんなも……『長門有希』さんを大好きなんだから。】 彼女の優しく真っ直ぐな瞳が、わたしの瞳を見つめます。 「……はい。」 今のわたしの顔はきっと、涙と鼻水でぐちゃぐちゃ。そんな顔を間近でじっと見つめられてます。ちょっと恥ずかしいな。 「……よくできました。」 彼女は飛びっきりの優しい笑顔で言いました。本当に綺麗な、天使のような笑顔でした。 「ほら、もう泣かない。笑って笑って! 有希ちゃんの笑顔はめっちゃ可愛いんやから!」 【ほら、もう泣かない。笑って笑って! 有希ちゃんの笑顔はすっごく可愛いんだから!】 可愛い……か。なんか、嬉しいな。 「えへへ……」 自然と、笑いがこぼれました。ちょっと照れた笑い。 「きゃー、可愛い――――!!」 彼女はまたわたしの頭を抱き締めました。おっきなおっぱいに埋もれて、ちょっと幸せ。ハルにゃんが揉みまくってた理由の一端が分かったかも。ずっとこうしていたいな。 ああ、それなのにだんだん意識が遠くなってきました。もう実験終了なの? せめて一秒でも長く、この暖かさ、柔らかさ、優しさを感じていたい…… Interface Mode Setup... COPY NAGATO_YUKI.log + YUKKY.log NAGATO_YUKI.log DEL YUKKY.log DROP TABLE Y.NAGATO, YUKKY.N SELECT * FROM YUKI.N Starting NAGATO Yuki original mode... わたしは、朝比奈みくるの胸の中で目を覚ました。二人とも眠っていた模様。早速先ほどまでの行動のログを確認する。 「…………」 わたしは彼女の胸で泣いていたらしい。 『人形にも人間にもなれない半端者』 これほど今のわたしの状態を的確に表現した言葉もないかもしれない。 『わたしにだって、他の人並みに喋って、普通の女の子みたいに友達と遊びたいという気持ちはある。今のわたしはその気持ちを形にすることができる。でも元のわたしにはそんなことできない。』 そういうことか。 これは、実験用人格に用意された感情による言葉ではない。なぜなら、実験用人格が削除された今のわたし……『元のわたし』でも、彼女――朝比奈みくる――のことを考えると、胸が熱くなるから。 これは『わたし』という個体が持つ、固有の『感情』。人間で言うところの……『本音』。 また感情が暴走してしまった。彼女には迷惑を掛けてしまった。 でも、そんなわたしを、彼女は優しく抱き締め、慰め、諭してくれた。涼宮ハルヒを支えたいと願ったわたしだが、朝比奈みくるに支えられた。 ――人間は決して一人では生きていけない。皆支えあって生きている。 何かの本で読んだ言葉。今ならその意味が少しは実感できるかもしれない。 静かに眠る、わたしを支えてくれた人の顔を見る。優しい、安らかな寝顔。 「……ありがとう。」 そう言うとわたしは、朝比奈みくるの額……ではなく、やはり唇に口付けをした。どうやら、あなたのことも好きになってしまったようだ。 『二股』……か。やれやれ。 結局、彼女の強さと、自分の弱さを見せつけられる結果となった。『彼』と言い彼女と言い、どうして涼宮ハルヒの周りには、こんなに優しい人達が集まっているのだろう。 彼女の買い物のお誘いの日を思い出しながら、せめてその日くらいは、少しは口数を増やせないだろうかと考えながら、わたしも彼女と一緒に眠ることにした。 彼女を抱き締めると、彼女も抱き締めてくれた。暖かい。そして強く優しい。 わたしは、涼宮ハルヒとはまた違った安らぎを感じながら眠りに落ちた。 後で聞いた話になる。 実験終了後、わたしの反応が途絶えたため、現場を確認するために喜緑江美里が遣わされた。違う派閥なのに、ご苦労なこと。 「わたしは、あなたの監査役でもあるんですからね。」 現場に踏み込んだ江美里。そこで彼女が見たものは、抱き合って眠るわたしと朝比奈みくる。 「すごい光景でしたよ。人間の言葉で言うところの『感動もの』でした。」 生命活動その他に異状がないことを確認すると、彼女はそのままその光景を眺めていたという。 「正確に言うと、『見とれていた』のかもしれませんね。インターフェイスに過ぎない私にも分かるくらい、そう、『神々しい』光景でした。記念に一枚撮っときましたよ。」 そう言って彼女は、一枚の紙を取り出した。 写真。光を受けて分子構造が変化する素材を利用した、画像の記録手段。 情報統合思念体のような情報生命体からすれば、極めて原始的な情報処理方式だが、『形あるもの』によって情報を取り扱う有機生命体にとっては、適した手段といえる。最近江美里は、この『写真を撮る』という行為がお気に入りなのだという。 差し出された紙片に映し出された、その時の光景の記録を見る。 「…………」 「例えて言うなら、『天使と天女が仲良く眠る図』ですね。」 そこには、安らかで穏やかな顔で抱き合って眠る、二人の少女が写っていた。そこに写っている二人のうち、片方がわたしであることに、すぐには気が付かなかった。それくらい、普段のわたしとは印象がまるで違っていた。 「長門さんの寝顔に涼宮さんが参っちゃうのも、仕方ないのかもしれませんね。」 江美里は、楽しそうに言った。 「それにしても二股とは、あなたも恋多きヒトですねー。この写真を涼宮さんが見たら、どうなるのかなー?」 「……パーソナルネームえみりんを敵性と判定。当該対象の有機情報連結解除を申請する。」 「あーれー、お止めになってぇ~。」 それにしてもこのインターフェイス、ノリノリである。もしかして、彼女はハイテンション・エミリーでも実行しているのだろうか。 「……後でこの光景の詳しいデータも欲しい。」 「あー、何だかお腹が空いたなー。」 「……今日は肉じゃが。カレーと具が共通。」 今晩も、いつもより『美味しい』食事になるようだ。 「……やれやれ。」 【参考:Extra.4 喜緑江美里の報告|Extra.5 涼宮ハルヒの戦後】 ←Report.09|目次|Report.11→
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Report.01 長門有希の流血 観測経過を報告する。 より正確に有機生命体の行動様態を把握するための試行の一環として、特定波形の音波(以下、『音声』という。)による意思疎通(以下、『会話』という。)の内容の表現を一部変更するようにとの要望が情報統合思念体からあったため、今回の報告では試験的に変更する。 まず、今回の要望の背景を説明する。 この惑星に生息する『人間』という有機生命体は、主に『言語』という、音声を用いた会話によって意思疎通を行うが、言語の種類は人間の生息する地域等により、複数の類型に分かれる。 本報告は、より正確に観測対象の行動様態を把握するために、観測対象である『涼宮ハルヒ』らが使用する『言語』(以下、『日本語』という。)を用いて記述している。しかし、同じ言語でも、使用される地域によって『方言』と呼ばれる差異が複数存在することが確認されている。 また、言語の多くには、『文字』と呼ばれる記号を用いて、本報告のように情報を記録する用途で使われる表現方法(以下、『書き言葉』という。)が通常の会話方法とは別に存在する場合もあり、日本語はその例に該当する。文字及び書き言葉の体系は、優勢な方言又は新たに作成した人工言語を元に整備されるため、その他の方言を再現し難い場合が多い。 以上により、言語による会話を記録する際には、情報の一部変質は免れない。これは、音声を文字に置換する過程(以下、『文章化』という。)で特に顕著である。 そこで情報統合思念体は、文章化の際に会話部分を可能な限り、元の音声を再現した形での報告を求めた。今回の報告は、その要望を受けて、当該方言の再現にはあまり適していない文章を使用して、元の音声会話を可能な限り再現し、記述しようとするものである。 情報伝達に支障を来さないよう、会話以外の部分は従前通りの表記とする。 なお、情報伝達に想定以上の齟齬が認められる場合は、別途、会話部分を従前通り表記した報告を行うものとする。 【追記】 その後、従前通り表記した報告を行ったところ、現地語表記と一般表記を併記した形での報告を求められた。現在の形は、併記した形の報告に差し替えたものである。 「アルー晴レータ日ーノコト~♪ んんーんんーんんーんんん~♪」 涼宮ハルヒが歌を口ずさみながら部室に入ってきた。普段の学生鞄(かばん)とは別に、大きな鞄を肩に掛けている。 「んっん~♪ みくるちゃんっ! 今日も相変わらず可愛いなぁ~♪」 【んっん~♪ みくるちゃんっ! 今日も相変わらず可愛いわね♪】 笑顔、『彼』の表現を借りると『100Wの笑顔』で朝比奈みくるにそう声を掛けながら、団長席に着く。 「おい、ハルヒ。今日はまた、えっらい御機嫌さんやな?」 【おい、ハルヒ。今日はまた、やけに御機嫌だな?】 『彼』、通称『キョン』は、眉を寄せながらそう問い掛けた。過去の情報を検索すれば、涼宮ハルヒがこのような表情をしているときは、彼女の発言を受けて必ず『彼』が東奔西走せざるを得ない状況が発生する。『彼』はそれを理解しているので、こんな表情をしている。この表情を『諦めた顔』というそうだ。 「んっふっふ~。今日はねぇ、みくるちゃんのために、ええモン用意してきたんや~。」 【んっふっふ~。今日はね、みくるちゃんのために、いい物を用意してきたのよ。】 余談になるが、涼宮ハルヒたちの観測を続けるうちに、少しずつだが、表情等を観察して過去の情報と照合すると、その人間の思考内容が予測できることが分かってきた。 その考察結果から今の涼宮ハルヒの思考を予測すると、『待ってました!』又は『よくぞ聞いてくれた!』である。 「最近、ず~っと同(おんな)じメイド服やったやろ? そろそろ新しいコスにいってみよかと思(おも)てん。とは言うても、今回は小物だけやねんけど。じゃじゃ~ん!」 【最近、ず~っと同じメイド服だったでしょ? そろそろ新しいコスにいってみようかと思ったの。とは言っても、今回は小物だけなんだけどね。じゃじゃ~ん!】 そう言って涼宮ハルヒは、学生鞄の中からそれを取り出した。ある哺乳類の耳を模したヘアバンド。 「ほほう、ある意味伝統と格式の、猫耳っちゅうわけですか。」 【ほほう、ある意味伝統と格式の、猫耳というわけですか。】 古泉一樹がいつもの微笑をたたえて言う。 「ちっちっち。まだまだ甘いなぁ、古泉くんは。よぉ見てみ? まぁ、耳だけやったら素人には分からへんか。用意したんは耳だけ違(ちゃ)うで、尻尾もセットや!」 【ちっちっち。まだまだ甘いなぁ、古泉くんは。よく見なさい? まぁ、耳だけじゃ素人には分かんないか。用意したのは耳だけじゃないわ、尻尾もセットよ!】 涼宮ハルヒは更に別の物を取り出した。とてもふさふさした哺乳類の尻尾。 「猫耳やったら、今日び、ガチの一般人でも知ってる人は多いやろ? そんなん、普通でおもんないやんか。まぁ、みくるちゃんやったら猫耳付けても似合うやろけど、せっかくやから違う耳を用意してん。」 【猫耳だったら、今日び、ガチの一般人でも知ってる人は多いでしょ? そんなの、普通で面白くないじゃない。まぁ、みくるちゃんなら猫耳付けても似合うでしょうけど、せっかくだから違う耳を用意したわ。】 「それは……アレか? うどんとかでおなじみの……」 『彼』が問う。 「そ。おっきな耳に、スマートでクールなフォルム。魅惑のふさふさ尻尾、狐セット~♪」 そう言うや否や、涼宮ハルヒは朝比奈みくるの狐耳と尻尾の装着に取り掛かる。 「あっ、あっ、あっ、そんな、無理やり頭飾り取らんとってぇ~、ああ~!? スカートの中に潜り込んだらあかん~ うわ!? ちょ、何(なん)ちゅうとこ触ってんのぉ、あへぁ、わっ、わっ……」 【あっ、あっ、あっ、そんな、無理やり頭飾り取らないでぇ~、ああ~!? スカートの中に潜り込んじゃダメぇ~うわ!? ちょ、何(なん)て所触ってんのぉ、あへぁ、わっ、わっ……】 朝比奈みくるの嬌声をBGMに、程なくして狐耳メイド(しっぽ付き)が出来上がる。 「よっしゃぁ♪ 思(おも)た通りめちゃめちゃ似合っとぉわぁ♪」 【できた♪ 思った通りめちゃ似合ってるわ♪】 「これはこれは……さすがは涼宮さんですなぁ。妙にそそられるモンがありまっせ。」 【これはこれは……さすがは涼宮さんですね。妙にそそられるものがありますよ。】 表情を変えずに古泉一樹は言う。わたしはまだ、古泉一樹の思考内容は全く予測できない。 「さぁ、写真撮りまくるで! キョン! 古泉くん! あんたらは助手や! 早(はよ)、照明やらセットしてや!」 【さぁ、写真撮りまくるわよ! キョン! 古泉くん! あんたたちは助手! さっさと照明とかセットしなさい!】 涼宮ハルヒは手際よく、大きな鞄から撮影機材を取り出していく。 「って、おい! デジタル一眼レフやら照明機材やら、そんな物(もん)どっから調達してきたんや!?」 【って、おい! デジタル一眼レフやら照明機材やら、そんな物どこから調達してきたんだ!?】 『彼』が目をむいて突っ込む。 「ああ、コレ? 気にしたら負けや♪」 【ああ、コレ? 気にしたら負けよ♪】 「……もぉええわ。」 【……好きにしろよ、もう。】 やれやれ、と『彼』は肩をすくめた。 わたしの記憶領域になぜか、涼宮ハルヒと『彼』が二人で『ありがと~ございました~!!』とお辞儀し、『以上、「涼宮ハルヒと愉快な仲間たち」のお二人でした~!!』という声を背に、舞台裏に下がっていく映像が展開された。このエラーの原因は不明。 撮影中の様子は、特筆する事項はない。涼宮ハルヒの心理状態は高原状態だったと書けば足りる。一頻(ひとしき)り撮影を終えると、 「ん~、狐耳のメイドさんも、なかなかええモンやね。今度は尻尾がよぉ見えるように、尻尾を通す穴があるスカートを用意した方がええかな。ああ~、今回は眼鏡を用意してへんかったことがごっつ悔やまれるわ。」 【うーん、狐耳のメイドさんも、なかなかいいものね。今度は尻尾がよく見えるように、尻尾を通す穴があるスカートを用意した方がいいかな。ああ~、今回は眼鏡を用意してなかったことがすごく悔やまれるわ。】 朝比奈みくるに頬ずりしながら、涼宮ハルヒは言った。 「なかなか萌えの世界ってのは奥深いわ。」 (……まさか、新たな属性に目覚めたん違(ちゃ)うか!?) 《……まさか、新たな属性に目覚めたんじゃないのか!?》 『彼』はそう言っているかのような顔で涼宮ハルヒを見つめていた。 「そやなー。みくるちゃんだけやなくて、他の団員にも耳付けてみたいなぁ。」 【そうね。みくるちゃんだけじゃなくて、他の団員にも耳を付けてみたいわね。】 と言って、辺りを見渡す。 「有希には……うーん、やっぱり猫耳か。あたしは……何がええやろな?」 【有希には……うーん、やっぱり猫耳か。あたしは……何がいいかな?】 「……女豹(めひょう)とかな……ハルヒらしいわ……」 【……女豹(めひょう)とかな……ハルヒらしいぜ……】 『彼』がボソリと呟く。 「ん? 何(なん)か言(ゆ)うた?」 【ん? 何(なん)か言った?】 「!? な、何(なん)も言(ゆ)うてへんぞ!!」 【!? な、何も言ってないぞ!!】 『彼』はよく、独白をうっかり声に出して言ってしまう。今回もそうだろう。 「みくるちゃんは狐もええけど、やっぱり兎やな! ほんで、古泉くんは……何となく狸!」 【みくるちゃんは狐もいいけど、やっぱり兎ね! それで、古泉くんは……何となく狸!】 最後に涼宮ハルヒは『彼』を見てこう言った。 「あんたは迷いようがないな。あまりにもぴったり過ぎて、逆につまらんくらいやわ。」 【あんたは迷いようがないわ。あまりにもぴったり過ぎて、逆につまんないくらいだわ。】 「何(なん)や、言(ゆ)うてみぃ。」 【何(なん)だ、言ってみろ。】 「あんたは犬に決まっとぉやろ。」 【あんたは犬に決まってるじゃない。】 「理由は?」 「何があっても尻尾振ってどこまでも御主人様に付いていく、忠実な僕! SOS団の雑用係、正にあんたそのものやんか! よし、これからあんたはSOS団団長であるあたしの忠犬な!」 【何があっても尻尾振ってどこまでも御主人様に付いて行く、忠実な僕! SOS団の雑用係、正にあんたそのものだわ! よし、これからあんたはSOS団団長であるあたしの忠犬ね!】 「何(なん)でやねんっ!!」 【何(なん)でそうなる!!】 『彼』の渾身のツッコミが涼宮ハルヒにヒットする。見事な形。『彼』のツッコミの腕は、これからも進化し続けるだろう。 「ん~、あんたには耳付けて、尻尾付けて……っと、忘れたらあかんな、首輪!」 【ん~、あんたには耳付けて、尻尾付けて……っと、忘れちゃだめね、首輪!】 「何(なん)やと!?」 【何(なん)だと!?】 「首輪付けて、リード付けて……今度の罰ゲームはそれに決まりやね!」 【首輪付けて、リード付けて……今度の罰ゲームはそれに決まりね!】 「はっはっは、なかなか言いえて妙ですなぁ。さすがは涼宮さんですわ。」 【はっはっは、なかなか言いえて妙ですね。さすがは涼宮さんです。】 「コルァ、古泉……あんまり調子乗っとったら、イわすぞ?」 【こら、古泉……あんまり調子乗ってると、殴るぞ?】 「おっと、冗談でんがな。はっはっは。」 【おっと、冗談ですよ。はっはっは。】 古泉一樹は普段通りの微笑で言う。 「フリスビー投げて、『そーら、キョン、取っといで!』とか言って遊んだり。あ、そうや! せっかくやから犬らしい名前で呼んだろか! ポチ、ポチ~」 【フリスビー投げて、『そーら、キョン、取っといで!』とか言って遊んだり。あ、そうだ! せっかくだから犬らしい名前で呼びましょ! ポチ、ポチ~】 「じゃかましぃわぃ、あほんだらっ!」 【えーい、やかましい!】 『彼』は憮然とした顔で言う。 「う~ん、何(なん)か、こう、しっくり来(こ)うへんなぁ? タマ……は猫やし……ペス、ペス~? んー、キョン、キョン、……ジョン……!! そや! ジョン! あんたにぴったりの名前はジョンや!」 【う~ん、何(なん)か、こう、しっくり来ないわね? タマ……は猫だし……ペス、ペス~? んー、キョン、キョン、……ジョン……!! そうよ! ジョン! あんたにぴったりの名前はジョンよ!】 ひくぴきぴき、と『彼』の顔が引きつった。 「ジョン、ジョン~。うん、何(なん)ていうか、あるべき所に収まったいう感じやな。ん? 何(なん)やろ、苗字まで思い浮かんだで? ジョン・スミス? 何(なん)やろ、この感覚……何(なん)ていうか、既定事項? みたいな……」 【ジョン、ジョン~。うん、何(なん)ていうか、あるべき所に収まったっていう感じね。ん? 何(なん)だろ、苗字まで思い浮かんだわ? ジョン・スミス? 何(なん)だろ、この感覚……何(なん)ていうか、既定事項? みたいな……】 「……それはお前の気のせいや……」 【……それはお前の気のせいだ……】 『彼』は震える声でやっと、搾り出すように言った。 「キョンくん? 顔色悪いけど、どしたん?」 【キョンくん? 顔色悪いけど、どうしたの?】 「……何゛でも゛あ゛り゛ま゛ぜん゛、朝゛比゛奈゛ざん゛」 どう見ても何かあります。本当にありがとうございました。 そんな一文が、わたしの記憶領域に展開された。 しかし、この後彼らは思わぬ角度から大混乱に陥ることになる。 『彼』が反応したのは、『ジョン・スミス』という単語。 これは今から四年前の時点へ、『彼』が時間移動して涼宮ハルヒと出会った時に名乗った名前。『彼』曰く、涼宮ハルヒに自分の能力を自覚させる『禁断の言葉』。もし涼宮ハルヒが自らの能力を自覚したら、どのような事態になるかは情報統合思念体でも予測が困難。その単語を涼宮ハルヒ自ら口にした。『彼』が驚愕するのも無理はない。 情報操作をすべきか、あるいは言語による操作、彼ら流に言うと『フォロー』をすべきか考え始めた時、異変が起きた。 わたしの記憶領域に、ある映像が展開される。 一戸建ての家、玄関の脇、犬耳を生やした『彼』が尻尾を振りながら『お座り』している。『彼』の前には小さな皿、『彼』の後ろには小さな犬小屋。皿と犬小屋には、それぞれ『ぢょんのえさ』『ぢょんのいえ』と書かれている。わたしは哺乳類の大腿骨の形を模したガムを手に持ち、『彼』に言う。 『ジョン、お手。』 『わん!』 『お回り。』 『わん、わん!』 『チンチン。』 『わおん!』 『……いい子、いい子。』 『くぅん。』 わたしの中に得体の知れない『何か』が湧き上がる。発生した理由は不明。最近わたしは、この『何か』を人間で言うところの『感情』ではないかと考えている。 今回の『何か』を人間の感情に近似して、合致するものはないか検索する。今回の『何か』は……『萌え』? そのような『妄想』に囚われること数秒。エラー。平常状態に復帰する。 気が付くと、わたし以外のSOS団全員の視線がわたしに集中していた。古泉一樹でさえ、驚愕の表情を浮かべている。もしわたしに表情を浮かべる機能があったなら、今の『妄想』のせいで、口に出すのも憚られるような『すごい顔』をしていたことだろう。でも、わたしにはその機能はないため、そんな心配はない。では、なぜ視線が? 「……な、な、な……」 朝比奈みくるが震えながら、わたしを指差している。涙目で。なぜ? 「……なに。」 と、わたしは問う。 『長門さん!』 「長門ー!」 「有希ー!」 わたし以外の四人の声が重なる。 『鼻血、鼻血――――!!』 その日から『ジョン・スミス』は、わたしにとっても禁じられた言葉(ワード)となった。 【対訳版:Extra.6 長門有希の対訳】 |目次|Report.02→
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燕石博物誌 ~ Dr.Latency s Freak Report. ZUN s Music Collection Vol.8 収録曲リスト 他愛も無い二人の博物誌 凍り付いた永遠の都 Dr.レイテンシーの眠れなくなる瞳 九月のパンプキン 須臾はプランクを超えて シュレディンガーの化猫 空中に沈む輝針城 禁忌の膜壁 故郷の星が映る海 ピュアヒューリーズ ~ 心の在処 永遠の三日天下
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【黒猫探偵団機密資料/out of game】 excavation_report.pdf 平成23 年5 月9 日 発掘調査報告書 ナインクルーズイベント企画部発掘調査隊報告書第2集 01 目次 第Ⅰ章 調査の経緯…………………………………………………………………2 第Ⅱ章 遺跡の位置と環境…………………………………………………………3 第Ⅲ章 調査区の調査方法…………………………………………………………4 第Ⅳ章 検出遺物……………………………………………………………………5 1 縄文時代の遺物…………………………………………………………………5 第Ⅴ章 まとめ………………………………………………………………………9 02 第Ⅰ章 調査の経緯 みなかみ町湯原地区工事は、湯原地区のほぼ全域をレジャー施設建設用地とするため、 該当事業計画区画内に埋蔵文化財の存在を確認するための調査を実施した。 みなかみ町には矢瀬遺跡、梨の木平敷住居跡があり、 湯原地区西部の猿ケ京温泉には徳川埋蔵金伝説も残されている。 湯原地区周辺にも埋蔵文化財包蔵地の可能性が考慮されることから、発掘調査を実施することとなった。 03 第Ⅱ章 遺跡の位置と環境 今回発掘調査が実施され、かつ埋蔵文化財が発見されたのは湯原東の緩やかな斜面地帯である。 遺跡所在地は、斜面地帯の中にある平坦面上に位置している。 当遺跡周辺には、今まで発見されているものといて月夜野において矢瀬遺跡、梨の木平敷住居跡など、 縄文時代を語る遺跡が存在しており、このほかにも遺跡群の存在については可能性が指摘されていた。 今回湯原における埋蔵文化財の発見により、その可能性が真実であったことがわかり、 そのことが世間に発覚することで埋蔵文化財包蔵地であることが明確になることが明らかとなった。 写真1 調査区画 04 第Ⅲ章 調査区の調査方法 まず調査区について厚さ10~20cm の土を人力ではぎ取ったところ、土直下より土器を複数認めることができた。 この段階で調査区周辺に広がっていると判断し、さらに複数の調査区を設定し調査を行ったところ(※1)、 その場所でも土器の出土が認められたことから、大規模な遺跡群と判断し、 周辺地域全体を埋蔵文化財包蔵候補地として設定し、その一部において調査を実施した。 写真2 発掘前の該当区画 05 第Ⅳ章 検出遺物 1 縄文時代の遺物 (1)土器 ST1(写真3・4) 調査区画内で発掘された土器の破片。壷の側面部と思われる。表面には粘土で形作った模様がある。 表面にはガラス状の細かい粒子が見られる。 写真3 ST1 発掘時 06 写真4 ST1 表面 07 ST2(写真5・6) 調査区画内で発掘された土器の破片。壷の側面部と思われる。 表面には縄を押しあてて形成したと思われる跡が残っている。 ST1 同様、表面にガラス状の細かい粒子が見られることから、同地域の粘土から製作された可能性が高い。 写真4 ST2 発掘時 08 写真5 ST2 表面 09 第Ⅴ章 まとめ 発掘調査した区画からは、今回比較的小規模な調査にも関わらず、縄文時代の遺物が出土した。 湯原西部での別調査区画でも同年代の遺物が発見されていることから(※1)、 湯原地区全域に大規模な諸遺構があると考えられる。 今回の調査では調査は小規模に留める旨の通達を受けているため、 遺物が少数発見された段階で調査は終了となったが、 区画全体を発掘すれば、より多くの遺物、および遺構が発見されたであろうことは想像に難くない。 湯原で埋蔵文化財が発見されたことで、レジャー施設建設地として重大な問題が発生したと認めざるを得ない。 埋蔵文化財包蔵地であることを届け出した場合、調査・発掘のために計画が大幅に遅延することは明白である。 また、その範囲も、湯原全域に遺跡が分散していることが他報告書によって明らかになっているため、 工事地区を一部ずらせば対処できる問題の規模ではない。 以上のことから、計画遂行のためには今回の調査結果は関係省庁に届け出を出さず、 情報は全て処分し隠滅することが望ましい。 註 (1)別調査区画の報告書に関しては、別調査隊による報告書第1、第3集を参照のこと
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Report.24 長門有希の憂鬱 その13 ~朝倉涼子の手紙~ それにしても気になるのは、涼宮ハルヒが見たという夢。朝倉涼子が出てきたという。そして、あの『手記』を見せられた時の突然の閃き。あの時わたしは、誰かが囁く声を聞いたような感覚を覚えた。 あれは何だったのか。わたしの感覚器の誤作動か。 ここでわたしは、ある仮説に辿り着いた。喜緑江美里にその仮説を伝えると、彼女もそれを支持した。しかしその仮説を検証することはできない。なぜなら、それはわたしの感覚では知覚できないから。 江美里は、あるいは知覚しているのかもしれない。 「わたしが知っているかどうかは、不開示情報です。もし知っていたとしても、それを長門さんに教えるつもりはありません。……意味が無くなってしまいますから。」 わたしが辿り着き、そして検証することができない仮説。 それは情報統合思念体の把握している情報には存在しない概念。むしろ、人間に存在する概念。だから、あえて人間の言葉で表現する。 朝倉涼子は、『あの世』に逝った。 説明を要する。 人間には『宗教』が存在するが、人間の『死』についての概念は宗教によって区々。 代表的なものは、死ねばそれですべてが終わるという概念と、死んだ後、別の世界に行くという概念。わたしの仮説は、後者の説を採用する。 最期のあの日。橋の欄干から飛び降り、『入水自殺』した涼子。あの時彼女は、落水後すぐに、意図的に水を大量に飲み込んだ。ヒトとしての『死』を迎えるために。当時のわたしは、人間の言葉で言えば『動転』していて、正常な判断を下すことができなかったので、そのことに気付かなかった。 しかし落ち着いた今、冷静に当時のログを分析してみると、前記の状況を把握した。あの時の涼子は、情報統合思念体との接続を完全に切断していた。インターフェイスとしての機能を完全に停止させたまま、水中で『呼吸』しようとすればどうなるか。 当然、ヒトと同様に生命活動は停止する。もちろん、その後再接続すれば、何事もなかったように活動を再開できるが、その時の涼子には、その選択肢はなかった。待つのは有機情報連結解除だけ。だから、なぜ涼子がそのような『無意味』な行動を取ったのか、その時のわたしには分からなかった。 呼吸器官を水で満たしても、すぐに『死亡』するわけではない。しばらくは意識もあるし、生命活動は続く。それが急速に生命活動が低下し、死に至る。その過程は、ヒトと同じ。よって、たとえインターフェイスであっても、その瞬間には相当な苦痛を伴う。それなのになぜ。 その考察の結果、辿り着いたのが、前記の仮説。涼子は、人間で例えると『霊魂』として『あの世』で活動しているのではないか。 情報統合思念体との接続を切断した状態では、情報統合思念体は即座にインターフェイスの情報を把握することができない。ほんの僅かながら、情報取得までに時間差が発生する。 涼子は、その時間差を突いたのではないか。『肉体』が機能を停止し、情報生命体だけの状態となって、情報統合思念体に強制的に接続され、情報生命体は回収、肉体は有機情報連結を解除されるまでの、ほんの僅かな時間差。この刹那に、涼子は持てる情報操作能力を総動員して、情報統合思念体が感知できない領域に潜り込み、その管轄から外れることに成功したのではないか。 情報統合思念体が感知できない領域があることを、情報統合思念体は認めないが、わたしは確信している。涼宮ハルヒの能力が作用すれば、そんなことも可能になる。 しかし、ここで一つ問題がある。ハルヒは涼子の消滅を知らないはず。 まさか……涼子単体で? 答えは意外な形でもたらされた。 ある日のこと。全員揃った部室にノックの音が響く。 「どうぞー。」 答えたハルヒの声に、江美里が入室した。 「文芸部宛てに手紙が届いたので持ってきましたよ。」 江美里がもたらした物は、エアメールだった。差出人は……“ASAKURA Ryoko”。 ハルヒに手紙を渡すと、江美里は退室した。 ハルヒは手紙を一瞥すると、嬉々として読み上げた。内容は『近況報告』と言えるものだった。 手紙の締め括りはこう。 ――文芸部部長 長門有希様、SOS団団長 涼宮ハルヒ様へ - To Leader of the literature club NAGATO Yuki, Leader of the SOS brigade SUZUMIYA Haruhi ――SOS団海外特派員(笑) 朝倉涼子より - Than the SOS brigade foreign correspondent -) ASAKURA Ryoko 締め括りは、日本語と英語で書かれていた。 「うんうん、朝倉も、ちゃんとSOS団員としての活動をしとぉみたいやね! ちょっと、キョン! あんたも、少しは朝倉を見習って、もうちょっと活動に気合入れたらどう?」 【うんうん、朝倉も、ちゃんとSOS団員としての活動をしてるみたいね! ちょっと、キョン! あんたも、少しは朝倉を見習って、もうちょっと活動に気合入れたらどう?】 「へいへい。」 『彼』は、肩をすくめながら返事をした。表情には、事情を知っているせいか、若干戸惑いが見て取れる。それは、他の団員達もまた同様だった。 「ん? 何(なん)か入っとぉわ。」 【ん? 何(なん)か入ってるわ。】 ハルヒは同封物に気付いた。彼女は早速それを出してみる。 「これ、何(なん)やろ?」 【これ、何(なん)だろ?】 出てきたものは、栞。……涼子と過ごした最後の日に、涼子がわたしとお揃いで買った物だった。ハルヒもその事実に気付いた。 「そういえばこれ、有希が使ってるのと一緒違(ちゃ)う?」 【そういえばこれ、有希が使ってるのと同じじゃない?】 わたしはこくりと頷いた。 「貸して。」 わたしはハルヒに向けて手を伸ばした。 「有希、これがどうかしたん?」 【有希、これがどうかしたの?】 ハルヒからそれを受け取ると、わたしはそれを少しいじった。 「うわ!? 何(なん)か出てきた!」 「これはUSBフラッシュメモリ。」 ちょうどページをめくるように本型の飾りを操作すると、中から簡素化されたUSB端子が現れる仕組みになっていた。 ここでわたしは思い当たった。別れの間際、最期の瞬間に涼子が遺した一かけらの情報。その情報にはヘッダとして、『器へ』という指示が付いていた。 『器』とは、もしかして、人間が使用するこのストレージデバイスのことではないのか。 わたしは試しに、情報をこのフラッシュメモリに導入してみた。特に変化は見られない。 「じゃあ、早速中を見てみよか。」 【じゃあ、早速中を見てみようか。】 フラッシュメモリをハルヒに渡すと、彼女は団長席のパソコンにそれを接続した。 「うーんと、中身は……よぉ分からんファイルがいくつかと、実行ファイル、か。カチカチっとな。」 【うーんと、中身は……よく分かんないファイルがいくつかと、実行ファイル、か。カチカチっとな。】 「ちょ! おま、ウィルスチェックしてから……っ!」 『彼』が慌てて止めようとするが、時既に遅し。ハルヒは謎の実行ファイルを実行してしまった。何か問題が起きても、すぐに対処できると見て、わたしは静観する。 「ふーん。『分割ファイルの連結プログラム』やって。」 【ふーん。『分割ファイルの連結プログラム』だって。】 しばらくパソコンのファン音が大きくなり、やがて処理が終了した。 「何(なん)かビデオファイルができたわ。ほな、再生するから、みんなこっち来て。」 【何(なん)かビデオファイルができたわ。じゃあ、再生するから、みんなこっち来て。】 団員達を団長席に呼び寄せると、ハルヒはビデオファイルを再生した。 内容は……カナダで撮影したという、涼子からの『ビデオレター』だった。 『――以上、SOS団海外特派員・朝倉涼子がお届けしました! ……なんちゃって♪』 映像の涼子は、そう言うとちろりと舌を出した。 『また、日本に帰ってみんなと会える機会があると良いな。じゃあね。』 手を振る涼子の姿が煌めく砂と化して風に溶けると画面が暗転し、『劇終』の文字が黒い画面に映されて、ビデオは終了した。 この『ビデオレター』は、もちろん捏造。実際のカナダの映像と、涼子の身体構成情報を合成してある。わたしが導入した情報は、どうやら涼子の身体構成情報の一部だった模様。 それにしても手の込んだこと。一体、誰が、何のために? 「普通の手紙に加えてビデオレターとはねえ。なかなか手の込んだメッセージやないの。」 【普通の手紙に加えてビデオレターとはねえ。なかなか手の込んだメッセージじゃないの。】 ハルヒは満足げに頷いている。 「カット割といい仕草といい、撮り慣れ、かつ撮られ慣れしてる感じやね。」 【カット割といい仕草といい、撮り慣れ、かつ撮られ慣れしてる感じよね。】 ハルヒは腕を組んで椅子の背もたれにもたれると、 「これは美味しい逸材かもしれへんわ。今度の映画では、超監督のあたしの下に、助監督兼助演女優として抜擢しよか。」 【これは美味しい逸材かもしれないわ。今度の映画では、超監督のあたしの下に、助監督兼助演女優として抜擢しようかしら。】 「大変結構なことかと。」 「おいおい、まさか映画の撮影のためだけに、カナダから呼び出すつもりか!?」 いつもの通りハルヒの意見に逆らわない古泉一樹と、ツッコむ『彼』。 「さすがにカナダから呼び出すと、映画制作費が足りひんようになるから、次に朝倉が帰国する時やな。その辺の連絡調整はあたしがするから、あんたらは心配せんでええわ。」 【さすがにカナダから呼び出すと、映画制作費が足りなくなるから、次に朝倉が帰国する時ね。その辺の連絡調整はあたしがするから、あんた達は心配しなくて良いわ。】 ハルヒは封筒と便箋をためつすがめつし、 「電話番号とか、せめてメールアドレスくらい書いとけばええのに……エアメールで送るしかないか。今度はすぐに連絡取れるようにしとかなあかんな。」 【電話番号とか、せめてメールアドレスくらい書いとけば良いのに……エアメールで送るしかないか。今度はすぐに連絡取れるようにしとかなきゃね。】 調べてみたところ、その住所は架空のものだった。地名は存在するが、そのような番地はない。 「それにしても、ビデオのラスト、すごい特殊効果やな。CGやろか?」 【それにしても、ビデオのラスト、すごい特殊効果ね。CGかしら?】 それ以外にも、例えば空を飛びながら撮影したような映像や、涼子が分身した映像等、様々な映像が納められていた。まるで、インターフェイスの能力を誇示するかのように。 「どうやって撮ったんか分からへんけど、まるで、朝倉が人間違(ちゃ)うような感じやったな。例えば……宇宙人か何(なん)かみたいな。」 【どうやって撮ったのか分からないけど、まるで、朝倉が人間じゃないような感じだったわね。例えば……宇宙人か何(なん)かみたいな。】 『宇宙人』。その言葉にわたしは驚愕した。驚愕のあまり、『彼』にしか分からない程度に目を見開くくらいに。 涼子は、ハルヒに自分の存在をアピールしている? 忘れさせないように、思い出させるように、教えるように。 まさか。 涼子は、ハルヒの能力を利用して『復活』を企てている? 涼子が情報統合思念体の管轄を離れた独自の情報生命体として活動しているとは、あくまで仮説の域を出ない。検証のしようもない。それに、今この瞬間にも、涼子の存在は検出できない。やはり考え過ぎか。 『抵抗。』 不意に、通信が入った、ような気がした。……涼子? ――――。 返事がない。ただのしかば……いや、何でもない。人間の言葉で表現すると『気のせい』か。後ろを振り返ってみても、何もない空間が広がっているだけだった。 活動終了後。 わたしは、皆が帰った後の文芸部室に江美里を呼び出し、問い詰めた。 「どういうつもり。」 「何のことでしょう?」 江美里は、透き通るような、人畜無害な笑みを浮かべたまま答えた。 「とぼけないで。」 わたしは更に言い募る。 「あなたが、『朝倉涼子の手紙』を持ち込んだ。あれは本来、この世界に存在し得ないはずの物品。」 そう。そのような……『死者からの手紙』など、本来この世界にはあり得ない物。 「わたしは単に、誤って振り分けられた手紙を適切な宛先に届けただけですよ? 感謝されこそすれ、非難される謂れはないと思いますが。」 あくまでとぼけるつもりか。 「あなたの行動は、情報統合思念体に対する『反乱』と解釈されても仕方のない行為。」 「まあ。」 江美里は『驚いた顔』をした。……つまりは、作った表情。 「この銀河を統括する、情報統合思念体に対して『反乱』だなんて……」 江美里は被りを振って、 「わたしみたいな、『ただの人間ごとき』に、そのような大それたこと、できるはずがないじゃないですか。」 ……自分をして、『ただの人間ごとき』? どの口が言うか。 「いひゃい、いひゃい、ひゃへへふひゃひゃい~」 【痛い、痛い、やめてください~】 わたしは、江美里の口に両手の指を突っ込んで横に引っ張っていた。 「ひょんとうのほほははひはふはら~」 【本当のこと話しますから~】 わたしが指を引き抜くと、江美里はさも痛そうに自分の頬を撫でた。 「ふう。」 「本当のことを話して。全部。詳らかに。」 江美里は、しばらく中空に、まるで何かを確認するかのように視線を巡らせた後、口を開いた。 「あなたは、神を信じますか?」 ………… 「は?」 思わず間の抜けた声が出てしまった。あまりにも突拍子もない言葉だったから。 「あらあら。その反応は新鮮ですね。」 ………… 「まあ、今のは軽いジョークです。だから、その手はとりあえず下ろしてください。ね?」 後ずさりしながら江美里は言った。わたしは静かに、再び江美里の口に突っ込もうと臨戦態勢を取った手を下ろした。 「長門さんは、朝倉さんについて、ある仮説に辿り着きましたね。」 わたしは頷く。 「端的に言えば、その仮説は正しかった、ということです。」 涼子は、『霊魂』又は『幽霊』、若しくはこの国の伝統的な宗教によれば、『神』になった。 「そして、情報統合思念体でさえも把握できない次元に潜り込むことに成功したのです。」 荒唐無稽で、俄かには信じ難い話。でも、そう仮定すれば辻褄が合うのも事実。 「潜伏した朝倉さんは、水面下で行動を起こしています。」 様々な形でわたし達に働きかけながら。例えば、消去された記憶を呼び覚ますために夢を見させたり、適切な定義を耳元で囁いたり。 だが、行動を起こしているのは涼子だけではない。わたしは江美里を真っ直ぐに見ながら言った。 「その行動を幇助しているのが、あなた。」 江美里はわたしの視線を真正面から受け止めながら、 「なぜそう思ったのですか?」 と、事も無げに問い返した。わたしは証拠を突きつける。 「あの『手紙』には、同封物があった。」 同封されていた、USBフラッシュメモリが付いた栞を取り出した。 「これは、あの日涼子がわたしとお揃いで購入したもの。」 「市販品ですから、他にも同じものが沢山あると思いますが?」 普通に考えれば、そう。だが、 「同封されていた栞は、市販品ではない。このような機能は、通常の商品には付いていない。」 USB端子を露出させる。本来この飾りには、何の機能もない。だが送られてきた栞の飾りには、USBフラッシュメモリが仕込まれていた。そのように改変されていた。 「その中には、存在しないはずの動画が収められていた。」 主演・朝倉涼子、のビデオレター。 「その動画は、わたしが朝倉涼子から受け取っていた最期の情報を埋め込むことで、完成された。」 涼子の身体構成情報を基に、高度に再現された涼子の映像。 「このような真似ができる者は、涼宮ハルヒを除いて人類には存在しない。」 そしてこのような手の込んだ方法で情報を完成させたのは、恐らく情報統合思念体の目を欺くため。それぞれの端末が持つ情報単体では、何の意味も成さないただのノイズにしか見えない。また、それらの情報を単に情報統合思念体の持つ方法で結合しても、やはり何の意味も成さないようになっていた。 鍵は、栞。 栞に仕込まれた、人間が使用する記憶媒体に、人間が使用する情報機器が取り扱える形で情報を埋め込むと、初めて『人間にとって』意味のある情報が生成されるように断片化し、暗号化されていた。 これは情報統合思念体に対しては極めて有効な隠蔽方法。たとえ情報統合思念体が情報の暗号化を見破って生成された情報を手にしても、情報統合思念体にとってはやはり意味を成さないノイズでしかない。なぜなら、その情報は情報そのものには意味がないから。 これは、情報生命体である情報統合思念体には、なかなか理解できない概念。有機生命体でなければ、理解できないのかもしれない。 この情報を取り扱うためには、情報を『情報』として再生しても意味がない。この情報の送り主の『意図』を再生しなければならない。 『なぜ』このような情報を、『誰』に対して、『どのように』伝達したのか。 これらの点を、送られた情報以外の『状況』から『推理』し、その『趣旨』を『解釈』しなければならない。 情報統合思念体にとって、情報とは『目的』。情報そのものに価値があるのであって、情報を伝える手段等には何ら興味はない。 しかし有機生命体……人間にとっては、情報は時に『手段』となる。 人間が取り扱う情報は、情報統合思念体から見れば、極めて不完全。情報の伝達には常に齟齬が発生する。その点を逆に利用する。 一見正常な、普通の情報があったとする。その情報は、通常の再生方法では、特に変わった意味を持たない。だが、その情報の『背景』から『連想』することで、全く別の情報が生成されることがある。そしてその生成された別の情報こそが、『目的』としての情報である場合がある。 これは、情報に込められた真の情報、メタデータ。ある意味で『偽装』。このような情報の伝達方法は、情報統合思念体等の情報生命体には、考えも付かない。 なぜなら、情報生命体の情報伝達は、完璧だから。完璧過ぎるから。少なくとも同種の情報生命体同士なら、齟齬なく情報を伝達できるから。 人間は、同じ人間同士であっても、情報の伝達には常に齟齬が発生する。これは、情報統合思念体――情報生命体――から見れば、重大な構造的欠陥。しかし人間は、この構造的欠陥を補い、逆に活用する術を見付けた。情報の伝達に齟齬が発生するならば、齟齬を見込んで情報を冗長化して伝達すれば良い。 その冗長化の手段として、伝達する情報そのものには仮の意味を持たせ、本当に伝達したい情報はメタデータに埋め込む。メタデータの再生方法は、人間が最も得意とする情報処理方法……『連想』に拠らせる。 人間の『連想』では、その処理を行う際に『鍵』となる情報によって、再生結果が左右される。もしその『鍵』となる情報を共有する者同士なら、『連想』された情報は極めて高い精度で、時には人間の通常の手段で伝達する情報よりも高い精度で、伝達したい内容を再生する。 しかし、その『鍵』となる情報を共有しない者同士では、伝達したい内容はほとんど再生されない。また、場合によっては、全く逆、あるいは全く別の情報に再生されることさえある。 この特性を利用すれば、人間の持つ程度の情報伝達手段、つまり不特定多数を経由しないと情報を伝達できない仕組みであっても、特定の相手に対して選択的に情報を伝達することが可能となる。また、同様に不特定多数に対して同じ情報を伝達しながら、情報の受け手によって再生結果が異なることを利用して、情報の攪乱を図ることもできる。 これらのことは、別々に行うことも、同時に行うことも可能。 今だから言う。わたしはこの手法を用いて、情報統合思念体に『隠し事』をしていた。朝倉涼子から受け取っていた最期の情報の内容を、この手法で意図的に伏せていた。 理由など説明できない。わたしが伝えたくなかったからとしか言えない。 また、今もわたしは『隠し事』をしているかもしれない。あるいは、もうしていないかもしれない。これも明言はしない。したくないから。 では、なぜわたしは今になってこのような『告白』をしたのか。理由はあえて言わない。言ってしまっては『意味』がない。 情報統合思念体は、これらの点についてよく考えるべき。そうでないと、朝倉涼子の、喜緑江美里の、行動は理解できない。 これは私見だが、この二体の、あるいはわたしを含めた三体のインターフェイスの行動が理解できなければ、人間の行動は到底理解できない。すなわち、情報統合思念体に未来はない。そう思う。 ヒントは、後の報告にあるかもしれないし、ないかもしれない。よく考えてみてほしい。 ←Report.23|目次|Report.25→
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Report.15 長門有希の憂鬱 その4 ~過激派端末の強襲~ 部室での会話の後、なし崩しに涼宮ハルヒと朝倉涼子は、一緒に帰ることになった。 「何であんたと一緒に帰らなあかんのよ……」 【何であんたと一緒に帰らなきゃならないのよ……】 「まあまあ。たまにはええやん。」 【まあまあ。たまには良いじゃない。】 ふてくされたようなハルヒと対照的に、涼子は上機嫌に見えた。 涼子は、見かけ上、喜怒哀楽がはっきり現れるように設定されている。その点では長門有希と対照的。しかしその内実は、あくまで基礎的な人間の観測データに基づき計算された、『恐らくこのようなものだろう』というモデルを基に構築されたものに過ぎなかった。過ぎなかったが。 二度の『死亡』と『復活』を経て、今や涼子は人間に存在する『感情』に限りなく近いものを獲得した。その『感情』が、涼子を上機嫌な表情にさせていた。涼子の誘導は成功した。ハルヒは、有希に会いたいと思っている。今や、有希に対する負の感情は、わずかばかりの気まずさと罪悪感を残すばかりとなっていた。 ハルヒと涼子二人の帰り道。二人は他愛のない話に裏話を追加した、意外とためになる話をしていた。 どこか寄り道でもしようか、と話していた時、急に空の色が変わった。そして同時に、涼子にある異変が起こった。情報統合思念体に接続できない。そして襲い掛かる高負荷。 (っ……!? 何、これ!?) 彼女の五感が、次々に感度を落としていく。そして緩やかに拘束される身体能力。 (普通の人間と同じくらいしか能力が無くなってる……っ!) ハルヒも異変に気付いた。 「ちょ……! 何、これ……!? 急に空が変な色に……それに、物音もせえへんようになって……」 【ちょ……! 何、これ……!? 急に空が変な色に……それに、物音もしなくなって……】 灰色に塗り潰されたような世界。まるでハルヒが生み出す閉鎖空間のよう。生命の気配が感じられないことも同じ。しかし、決定的に違っていることがあった。そこに『神人』の気配はない。この空間の発生は、ハルヒの能力によるものではない。 (これは……空間封鎖!?) 空間封鎖は、涼子達、情報統合思念体の勢力が得意とする手段。広く言えば、情報統合思念体と起源を異にする広域帯宇宙存在も空間封鎖を行うが、彼らの手法は術式が違う。 今のこの空間封鎖は、光学的には偽装しているが、紛れもなく涼子が良く知る勢力の手法だった。 (そんな……情報統合思念体の一派の行動だったら、わたしが感知できないはずないのに……!) 今の空間封鎖は、全くの不意打ちだった。焦る涼子。涼子はハルヒの手を取った。 「ちょっと!? 何すん……」 言いかけたハルヒの言葉が止まる。ハルヒの手を取った涼子の顔には、焦燥の表情が浮かんでいた。そして、冷や汗で、顔も手のひらも、じっとりと濡れていた。 「……涼宮さん。わたし、今の状況は、わたし達がはぐれたらあかんような気がすんの。」 【……涼宮さん。わたし、今の状況は、わたし達がはぐれちゃいけないような気がするの。】 「……分かった。」 涼子のただならぬ気配に、ハルヒもおとなしく涼子の手を握り返す。命の気配が感じられないこの空間で、握り締めた掌だけが、命の存在を伝えている。 『江美里! 江美里っ! 応答して!!』 涼子は協力者である別のインターフェイスに交信を試みるが、応答はない。 (まずい……完全に孤立した……) しかも現状は、涼子は宇宙的な力をほとんど使用できない。身体能力は、辛うじてハルヒの能力に勝っている程度。人間の枠を超えた能力は使えない。例えば、もし肉体を損傷しても、即座に修復することはできない。 「誰かに連絡を……」 「あかん! 携帯は圏外やわ!!」 【だめ! 携帯は圏外だわ!!】 ハルヒは、携帯電話の画面を睨み付けながら答えた。 (この状況は……わたしを無力化させるため……? だとしたら、相手の目的は……) 涼子は、たとえ情報統合思念体と接続していなくても、通常の人間以上には高度な思考力を持つように設計されている。ただし、この設計は、あくまで不測の事態に対処するために設けられた『セイフティネット』。この設計が役に立つような事態は、本来あってはならない非常事態。早急な事態への対応が求められる。 そして涼子は思い当たった。 涼子を無力化することを、実行し得るのは誰なのか。 涼子を無力化することで、得をするのは誰なのか。 ……すなわち、この事件の首謀者は誰なのか。 (これは……過激派……! まずい! あいつらの目的は……っ!) その時涼子は何かに気付いた。そして迷わずハルヒの腰にタックルした。 「おわ……っ!」 不意にタックルを喰らい、盛大に地面に叩き付けられるハルヒ。 「痛いなー、もう! いきなり何すん……」 怒鳴りかけたハルヒの声が止まる。ハルヒの腰にしがみつく涼子は、衣服の肩の辺りを赤く染めていた。 「ちょっ、どないしたん!?」 【ちょっ、どうしたの!?】 「涼宮さんの死角から、何かが飛んできて……」 起き上がりながら答える涼子。ハルヒを助け起こすと、何かが飛んできた辺りを睨み付ける。そこには何の痕跡も見付ける事はできなかった。あるのはただ、誰もいない、何もない空間。 しかし、涼子は気付いていた。 飛翔体の軌道。出現時間。出現場所。飛行速度。 これらはすべて、涼子がその存在に気付き、取るべき行動を判断し、実行した時に、ちょうど涼子の肩を掠めるように設定されていた。 (これは……涼宮さんじゃない、わたしを狙った攻撃!?) 『涼宮ハルヒの観測と保全』が任務である今の涼子は、もしハルヒに危害が加えられるような事態になれば、最優先でハルヒを守る行動を取るであろうことは、容易に推測できる。だから、その危機がより切迫しているほど、涼子は確実に、ハルヒを守る行動を取る。場合によっては、身代わりに攻撃を受けることもあるだろう。 それが『奴ら』の狙い。 通常の涼子なら、そのような切迫した状況でも、難なくハルヒも自分も守れる。 では、情報統合思念体のサポートなしでは? 端末単体の能力で対処せざるを得ない状況では? 涼子が危機を『回避』する可能性を奪うことができる。確実に攻撃できる。 そしてまた、これはハルヒにとって強力な精神攻撃ともなる。 涼子は、ハルヒを庇って負傷する。そうして損傷を蓄積したところで、止めを刺す。 ハルヒから見れば、ハルヒを庇ったせいで涼子は怪我をし、そして殺害されることになる。 『自分のせいで人が苦しみ、死んでしまう』 これはハルヒに、己の無力さと自己の存在意義を強く意識させる事象となる。自らに『力』と『存在意義』が欲しいと強く願ったハルヒからは、間違いなく、巨大な情報爆発が観測できる。 これが『奴ら』のシナリオ。合理的で、的確な洞察。 また飛翔体。今度はハルヒの正面から。 涼子は飛翔体の射線上に躍り出ると、手ではたいて飛翔体の軌道を変えた。涼子達の背後にあった庭木の天辺が切り落とされた。 (随分と舐められたものね……さっきは不覚を取ったけど、いくら情報統合思念体との接続が切れてるからって、そう簡単にやられてたまるもんですか! これでもわたしは、『あの』長門有希の代理者なんだから!) 『奴ら』の思い通りにはさせない。たとえこの身が果てようとも、ただではやられない。少なくともハルヒだけは逃がしてみせる。それが朝倉涼子の意思。そして長門有希の意思。涼子は覚悟を完了した。 「涼宮さん、わたしのそばから離れんとってよ。」 【涼宮さん、わたしのそばから離れないでよ。】 涼子は、ハルヒを背に庇う位置に立ちながら言った。 「朝倉、あんた……今さっきの、アレ、どうやってやったん……!?」 【朝倉、あんた……今さっきの、アレ、どうやってやったの……!?】 ハルヒは、恐怖と好奇心が7:3の割合で混合された瞳で、涼子に尋ねた。 「それは……ふっ!」 答えの途中で涼子は両手を身体の前で素早く広げた。後方にあるブロック塀に、貫通痕が二つできる。 「実は少々、武術の心得があって……はっ!」 右足でアウトサイドキック。後方の電柱がえぐられる。 「少々ってレベル違(ちゃ)うやろ、コレは!?」 【少々ってレベルじゃないでしょ、コレは!?】 ハルヒのツッコミ。涼子は、前方から視線を外さず答える。 「……カナダに行ってる間に、マーシャルアーツの先生の下で武者修行を……やぁっ!」 左手で飛翔体を掴もうとするが、失敗。後方で植木鉢が弾け飛び、窓ガラスが割れた。 (だめだ……全然見えない。せめて何が飛んで来てるのか分からないことには……) それに、肉体の損傷を修復できない以上、素手での対処にも限界がある。涼子の手は、飛翔体を弾いた時の損傷で、所々出血している。損傷の蓄積は望ましくない。 (ここは涼宮さんの能力に賭けるしかないか。少なくとも今のわたしの能力では対処できないわね。) 「朝倉……大丈夫? その手……」 心配そうに聞いてくるハルヒに、涼子はすかさず誘導を仕掛けた。 「問題ない……って言(ゆ)うたら、嘘になるかな。正直、あんまりよろしくないわ。せめて、飛んで来(き)とぉ物(もん)を止めるか掴むかできれば、それ使って叩き落とせるんやけど……残念ながら、成功のイメージが湧かへんわ。」 【問題ない……って言ったら、嘘になるかな。正直、あんまりよろしくないわ。せめて、飛んで来てる物を止めるか掴むかできれば、それ使って叩き落とせるんだけど……残念ながら、成功のイメージが湧かないわ。】 「成功の……イメージ……」 ハルヒは思案顔で呟く。 (さあ、想像して、涼宮さん。成功のイメージを……わたしが、飛んでくる『何か』を掴む姿を。) 次々に飛来する飛翔体。涼子は両手両足をフル稼働させて処理していくが、次第に処理が飽和していく。 真正面に飛翔体。近い。よけられない。捌き切れない。そう思った時、涼子に見える景色がスローモーションになる。 (……! 見切った!) 涼子は両手で挟むように、飛来する『それ』を掴んで受け止めた。 「……鉄筋!?」 ハルヒが恐る恐る覗き込み、驚いた。飛翔体の正体は、コンクリート構造物の補強に使われる『鉄筋』だった。 涼子の誘導は功を奏した。ハルヒは『成功のイメージ』を作り上げた。それはハルヒが、『そうなること』を願うことに他ならない。かくしてハルヒの望み通りに周囲の環境が書き換えられ、涼子は飛翔体を掴み取ることに成功した。 「こんな物(もん)が次から次へと飛んで来てたんやね……」 【こんな物が次から次へと飛んで来てたのね……】 言い終わらないうちに、涼子は飛んでくる鉄筋を、右手に持った鉄筋で真下に叩き落とした。激しい金属音と共に、足元に転がる鉄筋。素早く涼子は落ちた鉄筋を拾う。両手に鉄筋を持った涼子は仁王立ちになった。 一度成功のイメージを作らせてしまえば、後は話が早い。情報統合思念体との接続は切れたままでも、今はハルヒの情報改変能力の援護を受けている。ハルヒが成功のイメージを思い描く限り、涼子に『負け』はない。涼子は両手の鉄筋を巧みに操り、的確に飛来する鉄筋を叩き落としていく。 (こうやって物質に干渉してきている以上、『奴ら』も何か端末を介して情報操作を行っているはず。そいつを見付けてどうにかしないと。) 涼子は感覚を研ぎ澄まして、周囲の気配を探るが、ここは相手の作り出した空間。かつて涼子が自ら言ったように、この空間は、相手の情報制御下にある。相手の意のままに操れる。通常時ならともかく、今の涼子では、索敵は不可能。ここもやはり、ハルヒの力を借りるしかない。涼子はハルヒに話を振る。 「誰か知らんけど、相手も相当卑怯で臆病やと思わへん? 姿も見せへんで、こそこそ女二人を物陰から狙い撃ちなんて。」 【誰だか知らないけど、相手も相当卑怯で臆病だと思わない? 姿も見せないで、こそこそ女二人を物陰から狙い撃ちなんて。】 「そうやね……確かに、かなりヘタレかもしれへんわ。」 【そうね……確かに、かなりヘタレかもしれないわ。】 ハルヒが話に乗ってきた。涼子は更に話を続ける。 「こういう時、敵は姿を現して、主人公にボコボコにされるべきやと思わへん?」 【こういう時、敵は姿を現して、主人公にボコボコにされるべきだと思わない?】 「主人公……」 「どう見ても、わたしらが主人公やんな? 常識的に考えて。」 【どう見ても、わたし達が主人公じゃない? 常識的に考えて。】 「……確かに、この状況では、悪役はあっさり姿を見破られて、ボコボコにどつき回されるんがオチやわ。」 【……確かに、この状況では、悪役はあっさり姿を見破られて、ボコボコにどつき回されるんがオチだわ。】 涼子は畳み掛ける。 「ほな、わたしらで、その状況を再現してやらへん?」 【じゃあさ、わたし達で、その状況を再現してやらない?】 ハルヒは、100Wの笑顔で答えた。 「うん、それ賛成!」 再び索敵に集中する涼子。今度はハルヒの能力の援護付きで。 「……そこっ!」 言うや否や、涼子は何もない空間に、手にした鉄筋を投げ付ける。メジャーリーガーのバックホーム返球のごとく、一直線に何もないはずの空間を貫く鉄筋。中空で鉄筋が、何かに当たったかのように弾ける。すかさず走り込んだ涼子が、その空間を鉄筋で殴り付ける。しかし何かの力に弾き飛ばされ、涼子は元いた場所まで押し戻された。 「……手応えあり。」 涼子が殴り付けた空間が歪み、人型を取る。 「…………」 絶句するハルヒ。姿を現した攻撃者をしばらく呆然と見つめていたハルヒは、ぽつりと呟いた。 「……ねえ、朝倉。言(ゆ)うても良い?」 【……ねえ、朝倉。言っても良い?】 「どうぞ。」 「……あたしら、こんな奴に苦しめられとったんやな。」 【……あたし達、こんな奴に苦しめられてたのよね。】 「そやね。」 【そうね。】 「……何(なん)か、めっちゃ腹立ってきたんやけど。」 【……何(なん)か、すごく腹立ってきたんだけど。】 「その反応は、たぶん正しいと思うわ。」 「……あたしら襲うより、銀行かどっか行った方がええと思わへん?」 【……あたし達襲うより、銀行かどっか行った方が良いと思わない?】 「ある意味、悪役らしい格好と言えなくもないとは思うかな。」 「……ねえ、朝倉。こいつ、しばいて良い?」 「危ないから、下がっとって。」 【危ないから、下がってて。】 「……どつき回して、蹴り倒して、大阪湾に沈めたろか思うんやけど。」 【……どつき回して、蹴り倒して、大阪湾に沈めたろかと思うんだけど。】 「代わりにやっとくから。何しよるか分からへんから、下がっとって。」 【代わりにやっとくから。何してくるか分からないから、下がってて。】 「……ケツの穴から手ぇ……」 「女の子が『奥歯ガタガタ言わす』とか言わない。それに、女かもしれへんで?」 【女の子が『奥歯ガタガタ言わす』とか言わない。それに、女かもしれないわよ?】 「……女やったら、ヒィヒィ言わす。」 【……女だったら、ヒィヒィ言わす。】 「えっちなのはいけないと思います。」 姿を現した攻撃者は、覆面姿だった。性別は分からない。覆面が完璧だったから。 『奴』は『ストッキング』で覆面していた。 ――変態が、そこにいた。 女子高生二人組(うち一人は、両手に鉄筋を持っている)と、女性用の下着であるストッキングで覆面した人型が対峙する。人間の言葉で言うと、非常にシュールな画だった。 覆面の攻撃者は、無言で手らしきものを涼子に向けて突き出した。途端に、攻撃者の背後に鉄筋が数本出現し、涼子に向けて撃ち出された。涼子は両手の鉄筋で、それらを残らず叩き落とす。人型が間合いを取りながら数度、それが繰り返された。 こちらの攻撃の届かない距離まで離脱して射撃してくることを感知した涼子は、させじと素早く間合いを詰めて、鉄筋で殴り掛かった。その攻撃を、瞬時に手らしきものの中に出現させた鉄筋で防ぐ攻撃者。もう片方の鉄筋で殴りつけようとする涼子に、今度は攻撃者がもう片方の手らしきものに鉄筋を出して殴りつける。涼子は攻撃を中断し、繰り出された攻撃を防がざるを得なかった。 そうして数度、鉄筋での攻防が続いた後、両者はいったん離れて睨み合う。 外見上は、相変わらず睨み合い、時折攻撃者が鉄筋を撃ち出しては、涼子がそれを叩き落とすという状態。しかし、実は先手の取り合いで、両者の間には仮想段階での攻防がものすごい勢いで繰り広げられている。 正にハルヒが望んだ『超能力』が眼前で展開されている状況。しかし、ハルヒはそれに気が付いていなかった。 彼女は口ではいくら不思議を追い求めることを言っていても、心の中ではそのようなものは存在しないと否定する、自己矛盾の塊。眼前に繰り広げられる、超能力者VS美少女女子高生という奇抜な光景を、どこか遠くの景色を眺めているかのような瞳で見つめていた。 ハルヒには、眼前の光景が酷く現実的でないものに思われた。白昼夢を見ているように感じられた。まるで、あの冬休みの合宿で見た白昼夢のように。 「あんまり激しく動いたら、見えるでー……」 【あんまり激しく動いたら、見えるわよー……】 ぼそりと投げやりに呟くハルヒ。彼女は急速に現実感を喪失していった。希薄になる『成功のイメージ』。 ハルヒの呟きが聞こえたわけではないだろうが、まるでそれを合図にしたかのように、睨み合いを続けていた涼子と攻撃者の均衡が崩れた。 攻撃者は同時に撃ち出される鉄筋の数を急増させた。鉄筋による射撃への対処が遅れ気味になっていく涼子。攻撃者は印を切るように、激しく手らしきものを動かすと、今までより高い位置に、膨大な数の鉄筋が出現した。まさしく雨のように大量の鉄筋が涼子に襲い掛かる。とても迎撃できる数ではない。 「朝倉――――!?」 ハルヒの叫び声は、鉄筋が地面に突き刺さる音にかき消された。 「くっ……! だ、だい、じょう……ぶっ……」 涼子は倒れ込んで巧みに鉄筋の直撃をかわしていた。しかし、地面に突き刺さり折れ曲がった鉄筋に阻まれて、身動きが取れない。このまま追撃されれば、今度は持たないだろう。 「大丈夫って……そんなん、全然大丈夫そうに見えへんわ!!」 【大丈夫って……そんなの、全然大丈夫そうに見えないわよ!!】 ハルヒが叫ぶ。涼子は静かな声で答えた。 「大丈夫。あなたがわたしを信じてくれる限り……わたしは負けへん。」 【大丈夫。あなたがわたしを信じてくれる限り……わたしは負けない。】 「そんな都合の良い精神論をしてる場合違(ちゃ)うやろ――――!?」 【そんな都合の良い精神論をしてる場合じゃないでしょ――――!?】 「信じて!」 朝倉の叫びに、ハルヒはぴたりと止まる。 「前にも言(ゆ)うた通り、わたしは、成功のイメージを信じて行動すれば、上手くいく時があると思うんよ。さっきも成功のイメージができたから、現実に成功したし。『信じる』ことって、やっぱりすごい力なんやで。」 【前にも言った通り、わたしは、成功のイメージを信じて行動すれば、上手くいく時があると思うの。さっきも成功のイメージができたから、現実に成功したし。『信じる』ことって、やっぱりすごい力なのよ。】 涼子は、何とか一つずつ動きを阻む鉄筋を引き抜きながら、続ける。 「せやから、涼宮さんが彼女に会いたいって願えば、きっとすぐに会えるって。もしかしたら、今この場に助けに来てくれるかもしれへんで?」 【だから、涼宮さんが彼女に会いたいって願えば、きっとすぐに会えるって。もしかしたら、今この場に助けに来てくれるかもしれないわよ?】 ――それは涼子の『賭け』だった。 このまま追撃を受ければ、そう長くは持たないかもしれない。しかし、ハルヒを上手く誘導して長門有希を復活させられれば、涼子の任務は達成される。長門有希なら、こんな状況でも上手くやってくれるだろう。『あの』長門有希なのだから。 「有希が……助けに来る……?」 「だって、ヒロインのピンチに颯爽と助けに現れるのは、ヒーローのお約束やろ?」 【だって、ヒロインのピンチに颯爽と助けに現れるのは、ヒーローのお約束でしょ?】 顔を赤らめるハルヒ。 「もうそろそろ、現れてもええん違(ちゃ)う? あなたのヒーローが。」 【もうそろそろ、現れても良いんじゃない? あなたのヒーローが。】 そう言った涼子の声に釣られて、有希の姿を思い描くハルヒ。 攻撃者は、先ほどより更に大量の鉄筋を出現させていた。大量の鉄筋が涼子に襲い掛かったその時。 何か硬いものが破壊される音。涼子達の近くの空間にひびが入る。そこから飛び出す、小柄な人影。無言のショートカットが揺れる。人影が手をかざし、何やら早口で呪文のようなものを唱えると、たちまち鉄筋の雨が爆散した。 ――涼子は、賭けに勝った。 ←Report.14|目次|Report.16→