約 1,176,150 件
https://w.atwiki.jp/wiki15_dol/pages/591.html
DoL DeckEditor 1.08.0 DoLのデッキ作成・編集、デッキリストの書き出しを行うツールです。 自己責任でご利用下さい。詳しくはReadMe.txtを読んで下さい。 【SAVE】ボタンを押すとセーブファイルを書き換えるので必ずバックアップを取って使用してください。 最新版の修正点 ver 1.08.0 仕様変更 DoLの仕様変更によるセーブデータ形式変更に対応 1.81以前のセーブデータを直接読み込むと正常に読み込めないので注意してください ダウンロード 本体(フルパッケージ):DoL DeckEditor1.08.0 必要なファイルがすべて入ってます。 本体1.08.0 カードリスト 1.81版 差分: 1.81 対応版カードリスト 本体同梱のlist.xmlに上書きしてください デッキエディタ作ってみましたにおいてDoL DeckEditor用のリスト更新ツールがDLできます またデュエル・オブ・レジェンド 関連サイト デッキの秤(はかり)にて上記ツールおよび 操作の自動化ツールを含むDoL DeckEditors統合PackがDLできます。 リストのアップデートにはそちらをご利用ください ※1.81は修正版をアップしてあります 1.08.0本体(+ReadMe) 過去バージョンに上書きしてください DLL:MFC71.dll DLLの不足で起動できない旨のエラーメッセージが出る方はこちらからDLLを入手してください. 解凍すると3つファイルがでてくると思いますが全部 c \windows\system32(2kの場合はc \winnt\system32)へコピーしてください. インストール 解凍して出来たフォルダをDuel of Legendのフォルダ内 (FileやHTMLのある場所)に保存します. インストールが正しく行えていれば構成は以下のようになると思います. Duel of Legend ├ File | ├ … | └ … ├ HTML | ├ … | └ … ├ DuelOfLegend.exe ├ ReadMe.txt ├ Manual.html └ DoL DeckEditor ├ DoL DeckEditor.exe (本体) ├ ReadMe.txt ├ deckmaker.htm ├ list.xml ├ bar1.png └ bar2.png 使い方 DoL DeckEditor.exeを起動します. 左上に並んでるボタンの内、文字が薄くなっているものが現在のモードです. モードを切り替えたい時は目的のモードのボタンをおして下さい. ・書出 デッキのリストを出力する機能です. 出力したいフォーマット(1シンプル,2wiki用,3コードのみ)と, one(選択)かall(全て)にチェックを入れてOKをおして下さい. ・消去 チェックのついているデッキの内容をクリアします.OKを押した後, 実際にセーブデータに反映させるにはセーブを押します. ・作成 チェックのついている場所に[[MAID Code]]からデッキを作成します. (事前に作成デッキのクリアを行います.)OKを押した後、 実際にセーブデータに反映させるにはセーブを押します. ・複製 左側のチェックがついてるデッキの内容を右側のチェックがついてる場所へ コピーします.(事前にコピー先のデッキのクリアを行います.) OKを押した後、実際にセーブデータに反映させるにはセーブを押します. ・入替 二つのデッキの場所を入れ替えます.デッキの整頓に利用して下さい. OKを押した後、実際にセーブデータに反映させるにはセーブを押します. ・編集 編集をクリックすると現在選択中のデッキが入力された状態で deckmaker.htmが開きます(IEで開きます) [[クリーチャー]]、[[マジック]]の横のチェックボックスにチェックをいれると カードリスト内に条件にマッチするカードが出力されますので カードリスト内のカードデータを適当にクリックしてみてください. カードリスト内でクリックするとデッキへカードを追加し, デッキ内でクリックするとデッキからカードを抜きます. また,どちらも右クリックで直接デッキ投入枚数を選択できます. デッキが完成したらMAIDcodeをコピーして本体の作成を 利用することで実際にデッキを使用できるように出来ます. ※画像の表示をデフォルトでオフにしたい場合, 下から5行目の一番最後のCheckedを消して下さい. ・自動バックアップ DuelOfLegnend\FileにBackUpフォルダがあると, 起動時に自動でバックアップを行います. この機能を利用をしたい場合は手動でフォルダを作成して下さい. 生成されるファイル名には,年月日時分が付加されます. 延々増え続けるので適当に旧いファイルを削除してください. その他 本体および編集モードで立ち上がるhtmlファイルでは、カードの情報を list.xmlから読み込んでいます。 DoLのバージョンアップがあった場合、このlist.xmlを新しい物に 上書きすることで最新のカードデータを利用できます。 また、MAIDCodeさえ正しく出力できればDeckEditor本体で デッキ作成が可能ですので、同梱のhtmlファイルを元にしたり、 あるいは0からより使いやすいものを作成すると便利だと思います。 MAIDCodeはBASE64とは違うのね、、、。-- 名無しさん (2006-07-06 22 25 18) XPなんですが使用できませんorzセーブデータが読み込めないと出るんですが、使い方がダメなんでしょうか? -- 名無しさん (2006-07-10 08 41 29) 解凍した際に不要にフォルダを作成してしまって、セーブファイルを読み込めないのでは? -- 無名 (2006-07-10 13 07 04) 使い方じゃなくて恐らく上の方の書いてる理由でインストール場所が間違ってます。 インストール の項を参考に確認してみて下さい -- APR (2006-07-10 20 51 30) list.xmlの既知の一覧です。後で修正が完了し物をアップしてもらいます。クリーチャーNo.22 紫の魔獣の種族が魔獣になっているNo.24 土蜘蛛の種族が魔獣になっているNo.100 創造神ブラフマーの属性が古代になっているNo.181 トレントの特殊能力がえらいこっちゃNo.203 暗黒の傀儡のDPが高いNo.232 ペガサスのAPが高いNo.323 エティンの名前がエディンになっているNo.364 三頭の赤き龍の種族が龍になっているNo.372 天界の霊鳥の特殊能力が抜けている魔法No.281 魔人の施しの属性が単発魔法になっているNo.411 魔力吸収の属性が魔力吸収になっているその他CP0が検索できないため、全てを指定しても偽りの魔法、封印空間が出てこない -- APR (2006-07-15 20 10 33) えっと、listのミスで私が気付いたなかで上に無いのを書き出しますね。全てクリーチャーですNo.035 ガルーダのAPが低くなっているNo.183 ダークメイドのDPが低くなっているNo.244 デッドロー「パ」ーの名前がデッドロー「バ」ーになっているNo.346 L・ロボットのCPが高くなっているNo.353 G・ガーディアンのAPが高くなっているNo.363 ツインサーペントの特殊能力に「No359と合体可能」が抜けているNo.380 「深」緑の守護天女が「新」緑の守護天女になっているNo.397 邪者ロキのDPが低くなっているNo.398 豊穣神ヴェーのDPが低くなっているテキストの言い回しなどのほんとに細かい部分は割愛で^^;とりあえず、私が気付いたのはこのくらいでしょうかね。 -- 名無しさん (2006-07-15 21 52 55) list.xmlの差分をアップしました。上記のは全て修正できてるかと思います。 -- APR (2006-07-15 23 52 04) DeckMaker ver1.2 をベースにカードをランダムに追加する機能を追加してみました。deckmaker_1.2append.zip に入っています。-- 名無しさん (2006-08-03 21 34 14) list.xmlの1.44対応版をアップロードしました。list1_44.zipです。 -- APR (2006-08-06 02 38 34) list.xmlの1.45対応版(list1_45.zip)のアップロードとdeckmaker.htmのバージョンアップ(deckmaker1_3.zip)を行いました -- APR (2006-08-08 07 31 31) いつも便利に使わせて戴いています。DoLDeckEditorとDoLDeckRepoterを両方使っている人から、RepoterでMAID-codeを利用できる様にして欲しいと言う要望がありました。幸いEditerのreadmeでは詳細な情報を公開されているのでエンコードやデコードはこちらでも簡単にできそうです。RepoterにMAID-codeのエンコードやデコード機能を付けて、デッキの情報を共有できる様にしたいのですが、ご許可願えませんでしょうか。 -- ママチャリ (2006-08-27 02 17 43) 問題ないですよー。というか何で対応してないんだろうと思ってたら私そのあたりのこと書いちゃいないですね…。deckmaker.htmのjavascriptは、MAIDCode関連の関数だけコピーして再利用しやすいように書いたつもりですので参考になるかもしれません。 -- APR (2006-08-28 01 02 25) ありがとうございます。 MAIDCode関連の関数だけコピーして再利用しやすいように書いたfunction maid(deck)のあたりですね。それにしてもキレイなスクリプトですね。ちゃんと勉強している人は違うなー。私はいつでも自己流なので、こういう書き方はできません。実はjavascriptって、よくわからない上に私はベタな文字列操作くらいしかできない事も、MAIDCodeの利用を躊躇っていた理由の一つなんですが、450種×3通り=1350通りのペアしかないので、表計算ソフト上でそれぞれの桁を羅列して、後から2桁にくっつける原始的なやり方で、コード変換表を作り、スクリプトの外に置いて参照しています。(レベル低っ!)恥・・。 -- ママチャリ (2006-08-28 02 39 50) 本家掲示板にもありましたが画像の表示のせいでメイドコード作成に時間がかかってしまう私のポンコツパソコンのために画像表示有り無しを選択できるようにしていただけないでしょうか。 -- 名無しさん (2006-08-31 01 21 52) deckmaker1.3の画像非表示版をアップロードしました。deckmaker1_31(noimage).zipです。デフォルトで画像非表示になっています。 -- APR (2006-08-31 02 23 38) 早い対応に感謝します。お疲れ様です。 -- 名無しさん (2006-08-31 02 39 57) MAIDCodeでデッキ作成→カードが足りない事に気づく→カードを買いデッキに足す→エディターでデッキを消去する→買ったカードが消えている -- バグ報告 (2006-08-31 08 45 02) それって、エディタの”カードを買い足す前のデータ”を使ったからでは? -- 名無しさん (2006-08-31 22 26 05) デッキに入れた450 メギドの丘2枚がEditor上では入ってないものとされました確認お願いします -- 名無しさん (2006-11-26 13 31 56) 現象を確認できました。セーブデータからデッキデータを読み込む際No450未満のもののみ有効にしてた為の不具合ですので該当箇所を修正しました。数日でほとんどのファイルが新しくなってるので差分ではなくフルパッケージの形で更新しました。 -- APR (2006-11-26 14 50 14) 1.07.beta1の報告です。deckmakerのウィンドウサイズが横に4~8ピクセル程度小さいため、1.06と比べて画面の体裁が崩れているように感じました。(XP、Windows XPテーマ、標準のフォントサイズで確認) -- 名無しさん (2007-02-17 02 08 11) 報告ありがとうございます。スクロールバーのサイズが11と小さい私の環境でぎりぎりの幅に設定したことが原因ですのでかなりの環境で再現すると思いますorz報告された方は既にお気づきかもしれませんが、とりあえずウィンドウ幅を広げることで今までどおりつかえます。可能ならスクロールバーサイズを取得して幅を調整するようにします。 -- APR (2007-02-17 10 37 54) スクロールバーサイズ取得するの面倒だったので普通に幅に余裕を持たせるだけにしました。極端にスクロールバーが小さいと逆に余白が気になるかもしれませんが他の要因でクライアント領域が多少違っても大丈夫だと思います。 -- APR (2007-02-17 13 01 44) 修正を確認しました。ありがとうございます。 -- 1.07.beta1報告者 (2007-02-18 10 02 39) 1.06フルパッケージの圧縮データが破損しているようです。再アップロードよろしくお願いします。 -- 1.06報告者 (2007-02-28 17 12 26) Lhaplus, WinRarで解凍してみましたが問題なく解凍できました。キャッシュを削除してDLし直してみて下さい。 -- APR (2007-03-02 23 27 07) DoL DeckEditor1_07_0(full).zipを解凍して実行すると「DLLが見つかりません」というエラー表示のウインドウがポップアップして起動できませんでした。「MFC71.DLL」が無いと言う事です。付け忘れ? ReadMe.txtには何も書いて有りませんでしたが、Windowsに元々付いている物が、うちの環境だけ無いんでしょうか(Win2K SE4です)? VC++か何かのモジュール? -- ママチャリ (2007-03-07 19 18 12) うっかりしてましたorzMFC71.dllはVC++.net 2003でMFC使って作成したソフトに必要なDLLです。1.06.0まではGUI部分でWindowsのAPIを直接叩いてたんですが機能の都合で1.07.beta1からMFCで書き直したんです。Windowsにもともとついてるものじゃないですが共通ライブラリなのでbeta版試した方は既に入ってる方が多かったのでしょう。http //win6.jp/misc/mfc71.zipをc \windows\system32にコピーしてください。(Deck Editorと同じフォルダに入れても多分動きますが前述の通り共通ライブラリなので他のソフトで使うことがありえます。) -- APR (2007-03-07 20 38 58) c \windows\system322Kだとc \winnt\system32ですね。 -- APR (2007-03-07 20 53 11)
https://w.atwiki.jp/marinaro/pages/147.html
DOL的人物 ┣あ行〜な行(別ページリンク) ┃ ┣あ行(ヴェサリウス) ┃ ┣か行(カーンサウフ New!,ギーズ公爵,コンデ公爵) ┃ ┣さ行(サンタ・クルズ侯爵,楽士ジェズアルド,ジャーノ・フレゴーゾ,シャイロック頭取) ┃ ┣た行(タベラ枢機卿,鄭成功 New!,ドゥアルテ・ロペス) ┃ ┗な行 ┣は行〜ん(このページ) ┃ ┣は行(ブラガンサ公爵,国王フェデリーコ,ベリー女公ジャンヌ) ┃ ┣ま行(マリア王妃,王女マルグリット,技師マルティネンゴ,ムライ・ハサン New!, ┃ ┃ モチェニーゴ官房長官,モンモランシー大元帥) ┃ ┣や行 ┃ ┣ら行(ルイス・デ・レオン) ┃ ┗わ行・ん ┃ ┣DOL的年表(別ページリンク) ┗DOL的港(別ページリンク) あ(別ページリンク) ↑ か(別ページリンク) ↑ さ(別ページリンク) ↑ た(別ページリンク) ↑ な(別ページリンク) ↑ は ブラガンサ公爵 (リスボン王宮) +... ブラガンサ公爵ジョアン2世(ポルトガル国王ジョアン4世)João II de Bragança (João IV de Portugal) 1604〜1656 一口に「ブラガンサ公爵」と言っても歴代何人もいらっしゃいますが,大航海時代の中でもっとも有名なブラガンサ君と言えば,たぶんこの人,ジョアン2世(ポルトガル国王としてはジョアン4世)でしょう。ブラガンサ公爵家は代々ポルトガルの名家でしたが,もともとポルトガルは貴族間の勢力争いが多く王家の力が相対的に弱かったため,そこをイスパニアにつけ込まれ,王位継承のどさくさにまぎれて1580年に一旦イスパニアに併合されてしまいます。ただし,時のイスパニア国王フェリペ2世はイスパニア派や日和見派の多かったポルトガル議会を尊重(温存?)したため,一種の自治州(属国)のような形態で「ポルトガルという政体」はかろうじて存続します(なので,このような期間でもインドやアジアでは相変わらず,イスパニアとポルトガルが覇権争いを繰り広げることができたわけです)。転機は1640年,フェリペ3世4世と国王がかわってイスパニアの圧政に耐えかねた一部貴族たちが当時のブラガンサ公爵ジョアン2世を担ぎだし,クーデタに成功,イスパニアからの正式な「独立」を議会に認めさせます。これによりブラガンサ公爵ジョアン2世は,ポルトガル国王ジョアン4世と名乗り,このブラガンサ王朝はその後なんと1910年まで続くのです! 【余談】DOLのNPCとしては,2009年のLiveイベント「王女様のティーパーティ」で,「ブラガンサ王女」というNPCが登場しました。この王女様はおそらく国王ジョアン4世のご息女で,後にイングランド王チャールズ2世に嫁がれたカタリーナ・デ・ブラガンサCatarina de Bragança 様ではないかと思われます。^^ 国王フェデリーコ (ナポリ国王執務室) +... フェデリーコ1世 Federico I di Napoli 1452~1504 ナポリは今でこそイタリアの一部ですが,19世紀末のイタリア統一以前までは,イタリア半島のほぼ南半分を占めるイタリア随一の大国でした。・・・と言っても,その実態は外国による支配がその歴史の殆どを占め,列強の草狩り場となっていたという方が事実に近そうです。真にナポリが「独立」を保っていたのは,いったいいつのころだったのか・・・。 フェデリーコ1世もそういう点では,ナポリ市民にとっては外国人の王です。フェデリーコはイスパニアの王家トマスタマラ家の出で,時のアラゴン王フェルナンド2世とはいとこの関係でした。もともとフェデリーコの5代前にフランス人の王(ヴァロア=アンジュー家)から政権を奪取しているので,イタリアにおけるイスパニア勢力の傀儡の最たるものと言っても過言ではありません。しかし,フェデリーコはその母国に裏切られます。1501年,アラゴン王フェルナンド2世とフランス王ルイ12世の密約により,軍事的・政治的後ろ盾を失ったフェデリーコ1世は自ら身を引かざるを得ず退位,その3年後には亡命先のフランスで死去します。 ナポリの小さな小さな国王執務室にいらっしゃるフェデリーコさんは,どことなく弱気で陰気で物悲しそうな雰囲気を帯びています。おそらくこれからおこるであろう我が身の運命を予感していらっしゃるのではないでしょうか・・・。;_; なお,フェデリーコ1世の退位(廃位)を受けて,ナポリは一時フランス側に組み込まれますが,1503年には再びイスパニア軍がナポリを占領,1504年以降はアラゴン王フェルナンド2世自らがナポリ王を兼ね(ナポリ王としてはフェルディナンド4世),再びイスパニアがナポリを支配します。このように猫の目のように変わるシーソーゲームを展開しながら,ナポリは(いやイタリア全土が)フランスとイスパニアの横暴による泥沼のイタリア戦争(1521〜1544)に引きずり込まれていくのでした・・・。 ベリー女公ジャンヌ(カレー,ベリー女公ジャンヌ邸) +... ジャンヌ・ド・フランス Jeanne de France, Duchesse de Berry 1464〜1505 ベリー女公(女公爵,公爵夫人)という称号をお持ちですが,父君をフランス王ルイ11世,弟君にシャルル8世,そして夫君をルイ12世に持つれっきとした王族中の王族です。では,なぜ王妃から女公に「格下げ」になっちゃったかというと,この可哀想なジャンヌさんはルイ12世に離縁されちゃったからなのです。カソリックなのに離婚できるのかって・・・? できるのです。「白い結婚」であれば。つまり,子を成す能力がないと判断され,ローマ教皇の認可があれば教会法の元でも離婚が認められるのです。可哀想なジャンヌさんはもともと父王ルイ11世が独断的に決めた政略結婚でオルレアン公ルイ・ド・ヴァロワ(後にルイ12世として即位)の元に嫁がされたのですが,父王の死後,今度は自分の夫である新王ルイ12世の政略から離婚を突きつけられます。ベリー女公という身分は,この離婚の手切れ金のような形でルイ12世から贈られたものでした・・・。幼少から病弱で美貌にも恵まれなかったらしく,まさしく薄幸の姫君の典型例。可哀想〜。>< なお,ジャンヌさんはこの後尼僧になってひっそりと余生を送りますが,ただ泣きくれて隠遁生活をしていたわけではありません。もともと信仰に篤かったジャンヌさんは,「受胎告知修道会」という女子修道会を創設し,死後はその功績を認められ,なんと列聖されます。よかったね。いいことあったね。^^ ちなみに,佐藤賢一氏の「王妃の離婚」という小説はこのジャンヌ王妃の離婚を巡る顛末を題材にしていますが,この小説の中では,ジャンヌさんは決して美しくはないけれども毅然とした貴婦人として,お相手のルイ12世は超ダメダメのサイテー男として描かれてます。^^ 【余談】ベリー公爵領は,現在のフランス中央部ベリー県にほぼ相当し,主な都市はブリュージュです。DOLでは内陸都市はありませんので,ジャンヌさんはやむなくカレーにご出張になっておられるのではないかと思われます。ハイ。^^ ↑ ま マリア王妃 (アントワープ,マリア王妃邸) +... マリア・フォン・ハプスブルグ Maria von Habsburg 1505〜1558 15世紀後半から17世紀前半のいわゆる大航海時代において「マリア」という名を持つ王妃様は数多く登場しますが,(1) アントワープ(もう少し広く考えてフランドル地方)に住んでること,(2) ダ・ヴィンチと生年が重なってること(ダ・ヴィンチに関係するクエで彼女がキイパーソンになっています)の2点から,ほぼ彼女で間違いないと思います。 マリアさんはお父様がハプスブルク家のフィリップ美公,お母様がカスティーリャ女王フアナであり,さらにお兄様がイスパニア王カルロス1世と神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン1世,という超々セレブな家系です。さらにご自身もハンガリー=ボヘミア王ラヨシュ2世に嫁ぎ,文字通り王妃様となりました。なんというゴーヂャスなお家・・・。>< ちなみにハプスブルグ家の家訓は「戦は他家に任すがよい。幸いなるオーストリアよ,汝は結婚せよ」ですので,積極的な婚姻政策により他国への支配権を伸張するのが常套手段で,マリアさんもの婚姻もその一環だったようです(そして後のオーストリア=ハンガリー2重帝国の基礎が築かれていくのでした・・・)。 とはいえ,マリアさんも親や兄たちの七光りで有名なだけではありませんし,単なる政略結婚の手駒のお人形さんでもありません。彼女は夫の死後,カルロス1世に請われてハプスブルグ領ネーデルラントの総督になり,名目上ではなく実質的に執政を行っただけでなく,ネーデルラント貴族の立場も配慮して実兄のカルロス1世に物申したりと,独立前の火薬庫のようなネーデルラント統治をバランス感覚よく舵取りした有能な政治家でもあったのでした。カコイイ。^^ 王女マルグリット (ナント,王女マルグリット邸) +... マルグリット・ド・ヴァロワ Marguerite de Valois, “La Reine Margot” 1553〜1615 「王女マルグリット」って,どこの誰〜?って思う方も多いかと思いますが,「王妃マルゴ」と言えば「ああなるほど」と掌を打つ方も結構おられるのではないかと思います。そう,アレクサンドル・デュマの小説『王妃マルゴ』のモデルとなった王妃様と同一人物です。こういうところにビミョーな形で有名人を隠しているところがKOEIさんのニクいところ(笑)。 マルグリットさんはフランス王アンリ2世と王妃カトリーヌ・ド・メディシスの間に生まれ,フランソワ2世、シャルル9世、アンリ3世と三人の王を兄に持つので,その流れから言うと立派な「王女」さまということになります。同時に,ナバーラ王アンリ・ド・ブルボン(後のフランス王アンリ4世)に嫁がれたので,その視点から言うと「王妃」でもあります。王族の家系って,ややこしい〜。>< デュマの小説あるいはそれをベースにした同名の映画などでは,王妃マルゴはサロメさながらのファム・ファタル(男を破滅に導く運命の女)として描かれていますが,実際にその通りだったかはともかく,波瀾万丈な運命に揉まれながらもしたたかに時代を生き抜き,文学や芸術に造詣が深く愛人や寵臣も多く抱える強い女性であったことは事実のようです。まず,ユグノー戦争中最大の惨事とも言えるサン・バルテルミーの虐殺は,彼女とアンリ4世(当時はまだナバーラ王)の結婚式の最中に起こった虐殺事件で,その時点で彼女は19歳。フツーだったらそこから悲惨な人生まっしぐらです。さらに夫の即位でせっかくフランス王妃になったのも束の間,夫アンリとはもともと政略結婚で疎遠だったため,子供ができなかったことを理由に離婚させられてしまいます。しかしここで悲しみに打ちひしがれたり修道院に籠っちゃったりしないのがマルグリットさん。何人もの愛人を抱え優雅な晩年を送ったただけでなく,なんと夫の再婚相手マリ・ド・メディシスともホントに仲良く交際したりしてます。強いというか,超越してるというか・・・。DOLにおいても彼女の前で毎晩多くの脳筋さんたちがひざまづいているのがわかる気がしますね。^^ 技師マルティネンゴ (アテネ,マルティネンゴ邸) +... ガブリエル・タディーノ・ダ・マルティネンゴ Gabriel Tadino da Martinengo 1480頃〜1544 この方はある意味,ヨーロッパではなく日本において有名かもです。DOLに登場するから・・・ではありません。>< 塩野七生大先生の『ロードス島攻防記』という小説に登場したからです。もちろん,実在の人物がモデルです。(というわけで,以下は殆ど同小説からの情報。^^;) マルティネンゴとは正確には彼の出身地の名前で,そういう点では「ダ・ヴィンチ」さんと似たような呼ばれ方です。DOLでは「技師」と肩書きがついているように,元々ヴェネツィア共和国陸軍の技術将校をしていたそうです。専門は城塞築城。DOLがらみで言うと,カンディアの要塞の設計も彼がたずさわったようです。折しも1522年にオスマン・トルコが聖ヨハネ騎士団領だったロードス島を攻略するのですが,その直前から彼はロードス島に潜入します。彼の腕を買ったリラダン騎士団長(同じくアテネのNPCです)に口説き落とされてヴェネツィア軍を脱走してきたらしいですが,これは公にトルコとの関係を悪化させたくないヴェネツィア政府が民間人扱いで送り込んだのではないかとの噂もあります。ロードス島はマルティネンゴ君が補強した要塞のおかげで数万にもおよぶオスマン軍の大攻勢にも半年以上耐えますが,最後は陥落し,リラダン騎士団長,ラ・ヴァレッテ(後のマルタ騎士団長,アテネNPC)と共に捕虜になった後,解放されます。ロードス島攻防戦の後,その功績を評価され騎士に叙勲されますが(当時の聖ヨハネ騎士団は貴族階級でなければ騎士になれなかったため,これは異例中の異例),どういう理由か騎士団の新しい本拠地であるマルタ島の築城には参加せず,今度はイスパニアのカルロス1世に請われてアントワープの都市防衛計画などにも参加したようです。まさに遍歴の職人技師!ってカンジ・・・? ちなみにマルティネンゴ君が造った城塞は現在でも残っており,例えば下記のサイトなどで写真を見ることができます。(本文はスペイン語ですが,とりあえず「Martinengo」と文書内検索して,あとは写真をお楽しみ下さい。^^) http //personal.redestb.es/rafaher/recinto.htm ムライ・ハサン (チュニス大守執務室) New! +... ムーライ・ハッサン(ムハマンド6世)Mulai-Hassan “Muhammad V” (??-1543?) まりなりょ商会(Marinaro商会支店・チュニス8番館)のはす向かいにお住まいなので我々にとってはお馴染みの無頼破産さん。w この方のご略歴もWikipedea先生やgoogleさんではなかなか教えて頂けず,探すのにひじょーーに苦労しました。つまり,歴史に「人物」として名を残す主役級ではなく,残念ながら「事件」の渦に飲み込まれて行っちゃった脇役級なのネ・・・。>< とはいえ,調べてみると,この方も歴史上非常に重要な「事件」の生き証人です。この時代,なにしろ「大航海時代」というくらいですからやれ大西洋だ太平洋だと外洋に目を向けがちですが,実は同時進行で当時の超大国イスパニア(=ハプスブルグ家)と新興国家オスマン・トルコが地中海および東欧(内陸)の覇権争いにしのぎを削っていた時代でもあったのです。イスパ勢対オスマンの攻防としては,第1次ウィーン包囲網(1526〜29),プレフェザの海戦(1538),レパントの海戦(1571)などが超有名ですが,実はその影に隠れてなぜか教科書ではさっぱり注目されないチュニスの攻防も,実は見逃せません。 さて,我らが無頼破産さん,もといムライ・ハサンさん。「大守執務室」なんてところにいるので,地方長官みたいな小役人みたいに思われちゃうかも知れませんが,立派なハフス朝のスルタンです。正確には,「でした」ですが・・・。><; 12世紀に興り一時は隆盛を極めたハフス朝も16世紀には衰退の一途を辿り,新興国家オスマン・トルコに押されっぱなしになります。1534年に事実上のオスマン海軍と言ってもよいバルバリア海賊の頭目バルバロッサ=ハイレディン (DOLでは,ポル・イスパの国イベントに登場するNPCです) に街を占拠され敢えなく逃亡。その後ムライ・ハサンさんは元スルタンの身にもかかわらず,なんとキリスト教国であるイスパニアのカルロス1世に庇護を求め, 海の傭兵隊長アンドレア・ドーリア (DOLではリグリア海NPC) 率いるイスパ海軍にハイレディンを追い払ってもらいます。こうしてキリスト教国の属国となりつつも自分の地位を確保するなんともトホホなムライ・ハサンさんでしたが,彼の死後,チュニスは結局1574年にオスマンに再奪回され地中海におけるイスラム勢力の拠点となっていくのでした・・・。やっぱりその名の通り,無頼破産さん・・・。><(アイタタ・・・ モチェニーゴ官房長官 (ヴェネツィア元首公邸) +... アルヴィーゼ・モチェニーゴ Alvise Mocenigo 1507–1577 モチェニーゴ家はヴェネツィアの名門貴族ですが,大航海時代に活躍した人としては,この人,アルヴィーゼ・モチェニーゴさんしかいないでしょう,たぶん。ちなみに,ヴェネツィア共和国において官房長官(Gran Cancelliere)という役職は貴族がなるものではなく,平民による官僚機構のトップですので,モチェニーゴ家から官房長官を輩出することはあり得ないハズですが,このへんはDOL的にはどういう設定なんでしょう・・・?^^; アルヴィーゼ・モチェニーゴは1570年から77年にかけて元首(ドージェ)の地位にあり,当時ヴェネツィア最大の危機と言ってもよい外交問題の難局を乗り切りました。それは,1571年に起きたレパントの海戦と,その戦後処理です。そもそもレパントの海戦は1570年にオスマン・トルコがヴェネツィアの最前線基地であったキプロス島を占領したことに始まります。レパントの海戦はその報復あるいは奪還のための海戦であったはずなのですが,キリスト教連合軍(イスパニア,ローマ教皇,ヴェネツィアなど)の足並みの乱れから,せっかく海戦に大勝利したにもかかわらず次の一手が出せず,ヴェネツィアは海戦の2年後にキプロス島をオスマンに割譲するという屈辱的な単独講和を結ぶに至ります。その決断を下したのが,モチェニーゴさん。むーん。現実主義者の苦渋の選択ですが,このあたりからヴェネツィアの斜陽の始まり・・・? 【余談】ヴェネ人のキャラを持つ方なら「アルヴィーゼ」と聞けば,国イベントで登場するあの高慢ちきなアルヴィーゼ君を思い出すかと思います。アルヴィーゼ・オルセオロなる人物はおそらく架空の人物かと思われますが,オルセオロ家は実在のヴェネツィア名門貴族で,西暦900年代後半〜1000年代前半にかけてドージェを輩出したりしてます。・・・って,全然時代が違うじゃーん。w モンモランシー大元帥 (マルセイユ離宮) +... モンモランシー公アンヌ1世 Anne I de Montmorency 1492〜1567 モンモランシー公爵家で「元帥」を拝命している人は複数おりますが, 元帥の他に宮内庁長官や貴族院議員などの政府要職を歴任にしているという点で,モンモランシー「大」元帥と言えば,この方,モンモランシー公アンヌをおいてほかはないでしょう。 アンヌさん(ってなんだ可愛らしい女性の名前みたいですね。肖像画を見ると超コワもてのオッサンですが。><)は当時有力貴族がカトリック派とプロテスタント派に二分されていたフランスにおいてカトリック派に属し,一時は摂政カトリーヌ・ド・メディシスの政権にも入りますが,彼女がプロテスタント宥和政策に舵を切ると,カトリック派の盟主ギーズ公フランソワと共にカトリック軍司令官としてプロテスタントを圧迫します。1562年にユグノー戦争が勃発すると,その緒戦でモンンモランシー公アンヌはプロテスタント側の捕虜に,コンデ公ルイはカトリック側の捕虜に,ギーズ公フランソワは落命,とマルセイユ離宮のNPC 3人組の運命はぐちゃぐちゃに絡まって奈落の底に落ちながら,泥沼の内戦に発展してくのでした・・・。 【余談】ちなみに「元帥」という日本語に対しては “Maréchal de France”と“Connétable de France” の2つのフランス語が存在します。前者は勲章であり役職名ではありません。DOLにも「マレシャル」という称号がありますね〜。アレです,アレ。^^ 後者の方は,フランス革命まで使われていた役職名で大臣職に相当し強力な権限を持っていたようです。アンヌさんは両方の肩書きを持ってます。さすが,大元帥さま。しかしアンヌさんがいた時代に,実際に「大元帥」(Grand Maréchal? Grand Connétable?)なる役職または称号があったかは・・・,いろいろ調べてみましたが不明です。orz ↑ や ↑ ら ルイス・デ・レオン (バルセロナ,ルイス・デ・レオン邸) +... フライ・ルイス・ポンセ・デ・レオン Fray Luis Ponce de León 1527〜1591 ルイス・デ・レオンはイスパニア黄金時代を代表する詩人であり人文学者であり神秘主義者です。そしてアウグスティノ修道会にしてサマランカ大学教授。イベリア半島最古の大学として知られる名門サマランカ大学で教鞭を取っていた彼は,ある日講義中に突然逮捕されます。容疑は,旧約聖書の詩編をスペイン語に訳したから。当時宗教裁判の嵐が吹き荒れるイスパニアにあって,これは大変異端的かつ挑発的な行為でした。それでも,詩人としての性か,修道士としての良心からか,意に介せず講義を続け,そして逮捕されます。逮捕後も己の姿勢を曲げることなく,幸いにして拷問も処刑も受けることなくその数年後には釈放され,再び大学にもどり講義を続けたそうです。最初の一声は「昨日お話ししましたように・・・。」まさに反骨と信念の学者魂・・・スバラシイ。 ちなみに,彼の作品や評伝は殆ど日本語になっておらず,現在日本語で入手可能な書物としては,かろうじてサマセット・モームの紀行文的エッセイ『ドン・フェルナンドの酒場で』(原書房)の中でその片鱗を伺えるのみかと思われます。以下,同書からの引用。 彼は神秘主義思想家とみなされる。しかし,神秘主義の道を求める人々に取って慰めとなるような,超自然的な祝福を経験したことは一度もなかった。また,神秘主義思想家の特徴である,現世のものごとからの超然とした離脱も,経験したことがなかった。安定しない自分の性質のために楽しむことができない恍惚の状態を欲し,苦しみながらそれを求めた。・・・(中略)・・・私(=モーム)はいつも考えるのだが,「愛することなしに生きることは出来ない (No se puede vivir sin amar)」という彼の言葉は,心にせまる悲劇的な意味を持っている。これは決して陳腐な言葉ではない。 ルイス修道士は,われわれがイタリア・ルネサンスの何人かの人物に見いだして驚く,普遍的な能力を持っていた。彼は数学者であり,天文学者であり,法学者だった。絵を学んだことはなかったが,かなりのレベルにまで達していた。彼は,神学の文献だけでなく,古典文学にも通じていた。・・・(中略)・・・彼の詩はただ優れているというだけではすまされないなにかをもっている。スペインでは,彼以上に完全な散文を書いたものがいない,とは,すべての人が判断するところだ。ペンを手にしたルイス修道士は,学者であると同時に紳士だった。彼は力強く,というよりは優雅に書いた。・・・(後略) ↑ わ・ん ↑
https://w.atwiki.jp/zero-flora/pages/33.html
商会専用DOL辞書 みんなで自由に編纂していこう! ※ページ編集では、最後の行の「#table_zebra()」の記述を消さないでください 【あ行】 RP あーるぴー ロールプレイの事。PRではない。ある役を演じて楽しむ事。海賊RP、国粋主義RPなど。 RMT あーるえむてぃー Real Money Trading - オンラインゲーム上のアイテム、仮想通貨を金銭と交換する経済行為。当然規約違反行為である。エル・オリエンテ実装後いわゆる南蛮品が高額で売れるところに目をつけた業者が多数参入。国籍はイスパニアとフランスがほとんどでワインが仕入れやすいとこに偏っていていた。度重なるRMT取締と南蛮品の売価下方修正により多くの業者が壊滅したと思われる。 青 あお 宝石・サファイヤの別称 赤 あか 宝石・ルビーの別称 垢 あか (1)古い角質の事(2)アカウントの事。「単垢」「複垢」「2垢」など。 赤ネ あかね 赤ネーム。色ネの中でも一番恐ろしい存在。同国人でも容赦なく襲う無差別海賊だと名前が赤くなる。が、あくまでプレイがそうであるというだけで、プレイヤー自身は白ネ同様フツーにDOLを楽しむ人間である事は忘れないようにしよう。 アゾスク あぞすく DOLでしか使わない特殊造語 アゾレス・スクールの略。アゾレス近海で海事クエスト「禁じられた海域」幽霊船10隻を相手に延々と白兵スキルあげの修行をすることをさす。幽霊船は船員が無限に回復するため、外科で回復させることによって長時間のスキルあげが可能になる。白兵スキルあげの人の他外科回復役が必要で、外科役は大量のお弁当と神農の神薬をつかう。 アパ あぱ アパルタメント。プレイヤーの家。改装を行う事で広くより豪華にしていく事ができるが、ランクによって爵位が条件となり、また資金と時間が必要になる。そもそもプレイヤーにとって家とは実際には船の事であり、アパルタメントは単に倉庫としてのみ機能しているケースが多い。というか倉庫。 アムス あむす ネーデルランドの本拠地・アムステルダムの事。 イスタンブール いすたんぶーる オスマントルコの本拠地・イスタンブールの事。地名は長いがあまり略される事はない。「イスタン」と呼んでいるプレイヤーもいるかもしれないが、そもそもオスマンプレイヤー以外は滅多に用事がなく立寄らないため、その名前を聞く機会自体がない。 イスパ いすぱ イスパニアの事。 一等 いっとう 一等戦列艦の事。 委任航海 いにんこうかい 回航許可証を使うことにより、発見済みの港から港、または上陸地点まで自動で航海できる便利な機能。初めのうちは出航所で購入できる回航許可証が1日たった3枚だったときもあったが、多くのプレイヤーの要望により1日の購入枚数は10枚(@web加入者は20枚)と大幅に改善された。ただし期限付きクエスト、大海戦クエストを受けた場合は委任航海は使えない。また無法海域への委任航海もできない。NPC海賊がうるさい海域でも強襲されることはないが、PKに襲われる可能性はあるので注意したい。自動で航海するため寝落ちプライヤーが急増したw 色ネ いろね 色ネーム。大抵はPK行為によって名前に色がついたプレイヤーを指す。が、色ネの中には亡命の結果色がついてしまった無害なプレイヤーもいるので注意。 イング いんぐ イングランドの事。 wiki うぃき 一口にwikiと言っても色々あるが、単に「wiki」と言う場合は大抵「大航海時代オンラインまとめwiki」を指す。 ヴェネ ヴぇね 国家としてのヴェネツィアの事。本拠地もヴェネツィアという地名であるためややこしいが、国の事を言っているのか街の事を言っているのかは文脈から察するより他にない。 ヴェネ ヴぇね 街としてのヴェネツィアの事。国名もヴェネツィアという地名であるためや(ryアドリア海は常に北西の風、つまりヴェネツィアからラグーザ方面に向けて緩い風が吹いているという来る者を徹底的に拒む仕様であるため、何も知らずヴェネツィアで始めてしまった初心者の心を多数へし折りDOLから去らせたと囁かれている。 AFK えーえふけー away from keybord SS えすえす スペシャルスキルの略。ロンドンから馬車で移動するとオックスフォードがあり、そこで大学にはいることができる。大学の論文提出→スキル習得→イベントと最初はかなり忙しい。スペシャルスキルは多岐にわたり細かく説明でないが、非常に有用なスキルが多い。 SS死 えすえすし 戦闘中、SS(スクリーンショット)撮影に気を取られて攻撃を受け、行動不能になる事。 N えぬ (1)ノーマルの略。「Nカロ(名匠品でない通常のカロネード砲)」「Nロワ(未強化のラ・ロワイヤル)」など(2)NPCの略。「N狩り(海事NPC狩り)」 (3)商会内用語。総合商社オールゼロおよびFlora・Hollandでのみ流通する私的通貨の単位。「NEZUMI(ネズミ)」の頭文字であり、1Nならネズミ1匹を表す。ネズミは副官によるネズミ退治もしくは調達によってのみ得られるなど入手経路が非常に限られるものの、ネズミを喜んで買う可哀想な交易所主人はDOLにはいないため売っても当然安く、使用用途もペットのエサにするくらいしかないゴミクズ交易品である。しかしながら、現役DOLプレイヤーに於いては唯一と思われるネズミ収集家・奇しくも同じ「N」のイニシャルを持つFlora・Hollandの副会長N氏がこれを珍重しているため、ネズミを入手した商会員は(半ば強制的に)N氏にネズミを進呈している。すでに相当な数のネズミがN氏の元にはあると思われるが、使用用途を問い合わせても「あつまったのをみて にやにやするんだよ」というちょっと何言ってるかわかんない返答しか返ってこないため、商会員の間では「ネズミーランドを建設し、その女王になる気では?」「敵対している国の首都に大量に放ってペストを発生させる生物兵器として使用するつもりだ」などの憶説も浮かんでいる。その価値基準について、筆者(匿名希望ヴェネツィア人L)がN氏に「N氏にとって1NとはDOL内の公的通貨に無理やり換算するとどれくらいの価値なのか?」と取材したところ、「1N=1mかな」という世界周航イベントを思い出さずにはいられない法外な回答を得た。ただしあくまでも無理やりドゥカートに換算するとというだけの話で、N氏も1Nに対し1mで買い取っているわけではない。わけではないが、少量でもN氏の気分によってはちょっとしたアイテムと交換してくれたりすることもあり、筆者の「400~500まとまった数をいっぺんに持って行ったらどうするのか?」という問いには「夜金(夜戦用金属製装材)とか大スト(大ストームセイル)(と交換)くらいかな」とも回答している。なお、N氏は集めたネズミをアパルタメントの倉庫で飼育している。大量のネズミはペストの発生源であるため、N氏邸に招かれた際には普段着で赴くのは自殺行為である。防護服と防護マスクを着用して訪問することを強く推奨する。 NPC えぬぴーしー Non Player s Characterの略。ゲームに登場するキャラクターのうち、プレイヤーが操作しない(できない)もの。 m えむ 西欧の命数法 Million。1mで100万を表す。10mなら1000万、100mなら1億である。頻繁に使用する単位なので覚えておかないと恥ずかしいかもしれない。ここではマゾの略ではないので注意が必要だ オールゼロ おーるぜろ 総合商社オールゼロ(アムステルダム8番商館)のこと。ボレアス鯖実装開始すぐに設立された老舗商会で、他鯖から新天地をもとめてきた航海者達により結成された。次々と移住してくる人で常に会員数は50で、サブ商会「零の領域」も設立された。現在のネーデルラント大国の礎は、これらのフロンティアーズがつくったといってよい。反イスパニア・ネデ保守が商会のカラーであるが、新人育成はうまい。数多くの名物キャラを輩出。「日光江戸村」会長のニャンまげさんもここの出身である。アーゴット姉妹の長女リサが副会長に就任後、Flora・Hollandと両方に在籍するキャラが急増した。最近はベテランが抜けて、新たな人材を常にもとめている。商会開拓街 ヌーベルフランス 施設 工廠、サロン、大学、書庫6 オスマン おすまん オスマントルコの事。 「オス」「♂」と表記することも。 おばちゃん おばちゃん (1)年長の女性(2)アフリカ南部ケープの街の酒場娘・アリデスの事。酒場娘とは言いながら、紛うこと無きおばちゃんである。本人も、自らを「おばちゃん」と言っている。世界各地の酒場娘あるいは酒場男が様々なキャラでプレイヤーに媚を売ってくるのに対し、飾らず等身大でややお節介なアリデスのキャラに癒されるというプレイヤーもチラホラいる。マニアックなのか心が倦み疲れているのか判断の分かれるところだが、他人の嗜好にとやかく言ってはならない。ちなみに筆者はアリデスおばちゃんのファンであり、南蛮帰りにはかかさずケープに寄港するようにしている。 お守り おまもり (1)平たく小さい袋型の縁起物。守札(2)消費アイテム。「雷獣のお守り」「炎神のお守り」など。様々な種類があり、使用すると1時間の間、獲得経験値や名声、スキル熟練度などが上昇する。上昇値は種類によって異なる。非売品のため、イベントや航海者功労特典などでしか手に入らない。当然、プレイヤー間の売買も高値での取引となっている。 ○○オンライン ~おんらいん ある目的のために、同じ作業を繰り返す事。生産系スキルの修行の際によく使用される。「レースオンライン(縫製:レースを織り続ける)」「ダウオンライン(造船:ダウを造船し続ける)」など。スキル上げのためには単調な生産作業を延々繰り返さなければならず、また修行が終了した際に湧き上がる感情も、達成感・解放感・虚無感など様々なようである。修行の過程で悟りを開くプレイヤーもいる事が確認されている。類義語に「○○マラソン」。
https://w.atwiki.jp/marinaro/pages/111.html
DOL的年表 ┗DOL的人物(別ページリンク) はじめに 大航海時代Onlineは、歴史上の特定の時点を舞台としているのではなく、15世紀末から17世紀初頭の約150年間がテキトーに同時に存在するヘンテコな平行世界です。(たとえば、NPCのダ・ヴィンチとシェークスピアでは年齢で100歳以上の差があります。)ここではゲームをゲームとして楽しみつつ、歴史のおべんきょーもちょっとしてみようという、ムダな試みをしてみたいと思います♪ できるだけ同時代性の感覚を出すため、ちょうど400年時計を巻き戻し、仮に西暦1611年=平成23年(!)だと仮定して、和暦を併記してあります。(そうすると、例えばシェークスピアが平成のスーパースターだとしたら、ダ・ヴィンチは明治の巨匠、というところでしょうか・・・。w) この年表では、DOLのイベントやクエスト、NPCプレーヤーなどに関連する歴史上の事件を主に取り上げます。イベント・クエストに関連する歴史的事件、地名などは太文字、 街中NPCに関連する出来事は赤文字、 イベント・クエストに因んでちょっとだけ登場する人物やマイナーな海上NPCは青文字、で表しています。 年表作成に当たってはいくつかの文献を参考にしていますが、年号が諸説あるも場合もありますので、多少の誤差は目をつぶってね(><)。明らかなマチガイがあればご指摘ください。 西暦 嘘和暦 スペイン・ポルトガル イタリア・フランス イギリス・ネーデルランド アフリカ・アメリカ・アジア 東アジア 1477年 明治10年 ボッティチェリ「プリマベーラ」 ブルゴーニュ公国がハプスブルグ支配下に。 この頃、オスマン・トルコがバルカン半島進出 1479年 明治12年 アラゴン・カスティリア統一(イスパニア王国成立) 1485年 明治18年 ディオゴ・カンナミビア到達 1488年 明治21年 ディアス総督喜望峰到達 1491年 明治24年 コンゴ国王ンジンガ・ンクワカトリックに改宗 1492年 明治25年 コロンブス第1次航海レコンキスタ完了 ロレンツォ・デ・メディチ死去 new! 1494年 明治27年 西葡トルデシャリス条約(新教皇子午線) イタリア戦争(仏のナポリ支配+メディチ家追放) 1497年 明治30年 ヴェネ人カボット北米到達(英国王ヘンリー7世の命) 1498年 明治31年 バスコ=ダ=ガマインド到達 レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」 1500年 明治33年 カブラルヴェラクルス到達 1504年 明治37年 ナポリ国王フェデリーコ廃位 1506年 明治39年 ンジンガ・ンベンバコンゴ国王アフォンソ1世として即位 1507年 明治40年 ダ・ヴィンチ「モナリザ」チェーザレ・ボルジア没 新大陸が「アメリカ」と命名 1509年 明治42年 ヘンリー8世即位 1510年 明治43年 アルブケルケゴアを征服 1511年 明治44年 ジョルジョーネ「眠れるヴィーナス」 エラスムス「痴愚神礼賛」 アルブケルケマラッカを征服 1512年 明治45年大正元年 ジョヴァンニ・デ・メディチ枢機卿(後の教皇レオ10世)、スペイン軍とともにフィレンツェ侵攻。1494年以来のメディチ家復興。 1513年 大正 2年 教皇レオ10世免罪符乱発。 マルティン・ルター宗教改革。教皇に対して95か条論題を提示。 バルボア太平洋発見ポンセ・デ・レオンフロリダ到達 New! ポルトガル人,マカオ(澳門)に到達 1516年 大正 5年 カルロス1世即位 ディアス・デ・ソリスラプラタ川発見 1517年 大正 6年 トメ・ピレス北京到達 1519年 大正 8年 マゼラン世界周航出発トマト欧州に伝来 マルティン・ルター破門デューラー「マクシミリアン1世の肖像」 1521年 大正10年 マゼランセブ島にて没 アステカ帝国滅亡 1522年 大正11年 オスマン、ロードス島を占領騎士団長リラダン、ラ・ヴァレッテ、マルティネンゴが防戦、捕虜に 1529年 昭和 4年 オスマン、ウィーン包囲 1533年 昭和 8年 インカ帝国滅亡 1534年 昭和 9年 イエズス会設立 ラブレー「ガルガンチュア物語」 英国国教会設立 ジャック・カルティエ北米探検。ヌーベルフランス植民地の始まり new! 1535年 昭和10年 イスパニア、ナポリ支配 イスパニア、チュニス占領 1541年 昭和16年 ミケランジェロ「最後の審判」パラケルスス没 1542年 昭和17年 ラス・カサス「インディアスの破壊に関する簡潔な報告」 1543年 昭和18年 ヴェサリウス「人体の構造についての七つの書」 種子島に鉄砲伝来 1545年 昭和20年 ポトシ銀山発見 このころよりFormosaの名称が地図に見られるようになる。 1549年 昭和24年 倭寇激化 フランシスコ・ザビエル来日 1555年 昭和30年 ノストラダムス「諸世紀」 1555年 昭和30年 ポルトガル,明からマカオ(澳門)の居留権を得る 1558年 昭和33年 仏母后(カトリーヌ・ド・メディシス)の宮廷でタバコの流行 エリザベス1世即位(レスター伯ロバート・タドリー、エセックス伯ロバート・デヴルーはその寵臣) 1562年 昭和37年 ユグノー戦争勃発(ギーズ公フランソワによる虐殺事件が発端) 1565年 昭和40年 オスマン、マルタ島を攻撃(マルタ騎士団(騎士団長は老ラ・ヴァレッテ)が防衛) 1568年 昭和43年 ネーデルランド独立戦争(80年戦争)(スペイン軍総司令官はアルバ公フェルナンドも参戦) 1569年 昭和44年 メルカトール正角円筒図法 1571年 昭和46年 ジャガイモ欧州に伝来 レパントの海戦(キリスト教軍総司令はドン・ファン、オスマン軍総司令はアルグ・アリ、サンタ・クルズ侯、アンドレア・ドリーア,バルバリーゴ等も参戦) レガスピマニラ征服 長崎開港 1579年 昭和54年 ユトレヒト同盟 ヴァリニャーノ来日 1580年 昭和55年 スペイン、ポルトガルを併合 フランシス・ドレイク世界周航 ルイス・フロイス、織田信長に地球儀を献上大村藩、イエズス会に長崎を譲渡 1581年 昭和56年 ネーデルランド独立宣言初代宰相はオルデンバルネフェルト 1582年 昭和57年 アンブロワーズ・パレ「大外科学全集」 1584年 昭和59年 米バージニア植民市開拓 少年遣欧使節リスボン到着 1587年 昭和62年 秀吉によるバテレン追放令 1588年 昭和63年 アルマダの海戦(西軍総指令はメディナ・シドニア公、英軍総司令はエフィンガム卿、ドレイク、フロビシャー等も参戦) 1591年 平成 3年 デュアルテ・ロペス「コンゴ王国に関する報告書」 1592年 平成 4年 英ジョン・デービスニュー・ファンドランド島発見 壬辰倭乱(文禄の役)始まる 1594年 平成 6年 ジェズアルド「マドリガル集第1巻」 1597年 平成 9年 長崎26聖人殉教事件丁酉倭乱(慶長の役)始まる) 1598年 平成10年 フェリペ2世没 ナントの勅令(ユグノー戦争終結) 豊臣秀吉没李舜臣戦死丁酉倭乱終結マテオ・リッチ北京到達 1600年 平成12年 シェークスピア「ハムレット」 英・東インド会社設立 ウィリアム・アダムズ日本漂着関が原の戦い 1603年 平成15年 エル・グレコ「受胎告知」 エリザベス1世没 蘭ヴィレム・ヤンセン豪州到達 徳川幕府成立 1605年 平成17年 セルバンデス「ドン・キホーテ」 蘭、葡領アンボイナを占領 1608年 平成20年 この頃,アンリ4世によるルーブル宮殿の大拡張 new! シャンプランによるケベック市建設 new! 1609年 平成21年 西蘭休戦条約(独立承認)ジョン・ディー没 日蘭平戸交易開始 1610年 平成22年 ガリレオ木星発見国王アンリ4世暗殺 ルーベンス「キリスト昇架」 有馬藩が南蛮船を砲撃 1611年 平成23年 1614年 平成23年 ニューネーデルラント植民地承認 秀忠によるキリシタン禁制 1615年 平成27年 慶長遣欧使節マドリッド到着大阪夏の陣 1616年 平成28年 カンパネッラ「ガリレオの弁明」 シェークスピア没 1618年 平成30年 三十年戦争勃発 1619年 平成31年 オルデンバルネフェルト政争に破れ粛清 蘭、ジャカルタを占領,バタビア市と改名 1620年 平成32年 清教徒、メイフラワー号で渡米 (ニューイングランド植民開始) new! 1622年 平成34年 リシュリュー、枢機卿に叙任 new! 1624年 平成36年 鄭成功,日本の平戸で生誕蘭東インド会社が台湾に植民開始 1626年 平成38年 ニューアムステルダム市(現在のニューヨーク市)建設 new! 1628年 平成40年 イスパニアが淡水にサント・ドミンゴ要塞(後の紅毛城)を建設 1630年 平成42年 ボストン市建設 new! 1633年 平成45年 英、ベンガル湾に進出 中浦ジュリアン長崎で殉教 1636年 平成48年 チューリップ・バブル 米ハーバード大学創立 伊達政宗没長崎に出島が完成 1640年 平成52年 ポルトガル再独立・王政復古(ブラガンサ王朝) 最後のポルトガル使節、長崎で処刑(国交断交) 1642年 平成54年 リシュリュー没 new! 蘭タスマン第1次航海(タスマニア島,ニュージーランドの発見) 蘭東インド会社,台湾からイスパニア人を追放 1644年 平成56年 明王朝滅亡 1648年 平成60年 秦良玉没 1662年 平成74年 鄭成功,台湾からオランダ人を追放鄭成功没 西暦 嘘和暦 スペイン・ポルトガル イタリア・フランス イギリス・ネーデルランド アフリカ・アメリカ・アジア 東アジア toページ製作者さま(Annaさん?) 半角カナだと文字化けする環境もあるそうなので、全角化したほうがいいんじゃないかなーなんて思ったり… 以下3点ほど気づいたのでツッコミ 1510年ヴェラクルス到達はカブラルですね。notからぶる。ペドロ・アルヴァレス・カブラル。 1513年の教皇レオ13世は13じゃなくて10世ですよね?メディチ家のジョヴァンニ・デ・メディチ枢機卿。政治面や戦争では大きな業績を挙げたわけではありませんが、文化面では前任ユリウス2世共々ルネサンス文化の最盛期を支えた教皇と言われてます。蛇足気味だとは思いましたが、メディチ家関連と教皇関連で追記してあります。そぐわないと判断されるようでしたら削除してください。 13世は19世紀の方だそうです。さまざまな改革と断絶気味だった時代との調和を図った方のようですね。(wikipedia情報) 1555年のノストラダムスの著書名は「ミシェル・ノストラダムス師の予言集」とするのが正しいと言われてます。原題はLes Prophéties de M. Michel Nostradamusです。 楽しげな企画ですね。応援してますー。byなな きゃーっ。菜々さん、お久しぶりです~っ。><v ハズカシイまちがい、お恥ずかしい~(赤面)。・・・直しておきました。 「諸世紀」はDOLでもその通称名が使われてますし、名前が長いとレイアウトがタイヘンなので、これで許ちてー。^^; あとは、明らかに間違ってとことか、勝手に修正してくださって結構です~。追加もどんどんお願いシマス。 (_._) (ペコリ by Anna おあとの議論はコメント欄にどぞー。^^ 全角化完了、あとはデザイン見ながら改行いれれば行けます。 -- うれしー (2010-02-04 19 45 28) Chapter2 "Ilha Formosa"アプデを記念して(?),久々に更新してみました! ^^v -- 四姉妹 (2010-04-24 18 42 47) あと,ちょっとしたハズカシイ間違いも直しましたー。(どこをどう直したかはツッコミはナシ!ということで・・・。)>< -- 四姉妹 (2010-04-24 18 55 13) Chapter4 中国実装に伴い,関連事件を追加〜。^^v ついでにいろいろ細かいミスも修正〜。^^; -- 四姉妹 (2010-10-05 21 16 06) 決してサボってたワケじゃなけど(イエ、決してすっかりうっかり忘れてたワケでは・・・。><ゲフンゲフン)、ふと思い出してティエラ関連事件をUP〜。^_^; -- 四姉妹 (2011-05-23 21 33 22) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/anirowakojinn/pages/2076.html
作者・◆VxAX.uhVsM氏 第四弾です。 初のオリキャラロワ、力を抜いて突っ走ります。 DOLオリロワSS目次 DOLオリロワSS追跡表 DOLオリロワ参加者名簿 DOLオリロワ参加者名簿(ネタバレ) DOLオリロワ支給品情報 DOLオリロワ死亡者リスト DOLオリロワルール・マップ
https://w.atwiki.jp/anirowakojinn/pages/2135.html
DOLオリロワ第一回放送までの死亡者リスト DOLオリロワ第二回放送までの死亡者リスト DOLオリロワゲーム終了までの死亡者リスト
https://w.atwiki.jp/roborowa/pages/99.html
◆dol7ALuruQ 氏が執筆した作品 009 潜行する魔神 氏が登場させしたキャラクター 1回 ドラス コメント 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/zero-flora/pages/41.html
商会専用DOL辞書 みんなで自由に編纂していこう! ※ページ編集では、最後の行の「#table_zebra()」の記述を消さないでください 【わ行】 ワールドクロック わーるどくろっく ワールドクロックとは、サーバー(ワールド)ごとの年代を変化させ、大航海時代(別項参照)におこった歴史的事件を体験してもらおうと 2ndageの大規模アップデート時(2012年9月)に実装された。全ワールドとも開始は1519年であったが、プレイヤーの行動で徐々にワールド間のクロック変動がわかれていった。2013年7月 1618年に全ワールドがリセット(NPC国家スウェーデン王国実装)時間軸の変動という新しい試みは評価したいが、プレイする側としては一月単位での変動はせわしない。ワールドの国勢で期待する結果がでにくいのが難。2013年11月には 歴史イベントの大海戦と通常の大海戦がボレアス鯖で発生し ネデ国民が大迷惑を被ったのは記憶に新しい。2013年12月 グランアトラスの大規模アプデでワールドクロック変動が二ヶ月ごとになり、クロスワールドで他の鯖へもいけることで 運営の狙いとプレイヤーの遊びやすさが近くなったとはおもう。歴史的事件に関わることでしかもらえない称号がいいね
https://w.atwiki.jp/lotroquest/pages/241.html
EVILE AT DOL RINGWEST /ドル・リングウエストの闇 依頼者:ブレガー(BREGAR) 「ドル・リングウエスト(DOL RINGWEST)で古き戦があり、かの地の闇は一掃されたものだと我々は思っていた。しかし今、ゴブリンどもが遺跡の内を横行し神聖な場所を冒涜している。 汚らわしいゴブリンどもを遺跡から追い払ってもらえないだろうか?あなたがそうしてくれるなら、それは私の心を安んじるとともに、我が弟トロン(Toronn)も平安なうちに旅立てるであろう。 ドゥイルロンド(Duillond)の西にあるドル・リングウエスト(DOL RINGWEST)にゴブリンどもはいる。どうか遺跡へと行き、汚らわしい輩を追い払ってほしいのだ。」 !ゴブリンを倒したらこちら 目的1 ●ドル・リングウエスト(DOL RINGWEST)のゴブリンを倒す ドゥイルロンド(Duillond)の西ドル・リングウエスト(DOL RINGWEST)へと向かい横行するゴブリンを追い払う。 ブレガー(BREGAR)は遺跡の尊厳を回復する望みを抱き、 ドル・リングウエスト(DOL RINGWEST)を横行するゴブリンを追い払うことをあなたに頼んだ。 目的2 ●ブレガー(BREGAR)に報告する ブレガー(BREGAR)はドル・リングウエスト(DOL RINGWEST)の東に位置するドゥイルロンド(Duillond)にいる。 ドル・リングウエスト(DOL RINGWEST)に巣食うゴブリンを、あなたは出来得る限り倒した。 背景 ゴブリンはかってエルド・ルイン(Ered Luin)の聖なる地であった場所を冒涜している。 ブレガー(BREGAR)はゴブリンを追放し、かの地の神聖さがもどることを望んでいる。 クエスト・データ 適正レベル:9 クエスト・タイプ:ソロ 前提クエスト:LEAVING MIDDLE-EARTH/中つ国との別れ 派生クエスト:-
https://w.atwiki.jp/nekosm/pages/123.html
工事中