約 1,646,934 件
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/555.html
『「慰安婦」問題調査報告・1999』 日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告― 山本まゆみ、ウィリアム・ブラッドリー・ホートン ソース:http //www.awf.or.jp/pdf/0062_p107_141.pdf 【目次】 注 オランダ公文書館慰安婦関連公文書一覧表 日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告―オランダ公文書館慰安婦関連公文書一覧表国立戦争資料研究所[Rijksinstituut voor Oorlogsdocumentatie:RIOD] 国立公文書館[Algemeen Rijksarchief:ARA] 外務省[Ministerie van Buitenlandse Zaken:BZ] 1998年6週間に亘り実施したオランダ3公文書館――国立戦争資料研究所、国立公文書館、外務省公文書室――調査で検証した資料のうち、慰安婦に関連した記述があるものを公文書の種類ごとにまとめ一覧表にした。表は、国立戦争資料研究所、国立公文書館(①蘭印高等裁判所検察局公文書1945―1949、②蘭軍情報局、③A.F.X.Vos de Wael)、外務省公文書室の順番でまとめた。 全表を通して、( )には筆者の補足説明を、[ ]には原文の綴りを記載した。綴りは、市町村以上の行政区域、抑留所名以外の固有名詞に付記した。 国立戦争資料研究所[Rijksinstituut voor Oorlogsdocumentatie:RIOD] ※表には請求番号、公文書作成日、ケース発生年、場所の他、短い説明を記載した。 請求No. 頁 作成日(年.月.日) 発生年 場 所 内 容 000003 8 1946.1.8 1944 クンジャラン・キドゥル抑留所 スマラン慰安所への強制徴募。アンバラワ抑留所について。カナリ通り[Kenarilaan]での経験と将校倶楽部について。 000010 2 1946.1.8 1944 同上 同上 000012 9 1946.1.7 1944 スマラン抑留所 慰安所日の丸について。 000026 3 1946.1.12 1944 スマラン スマランの慰安所にいたオランダ人婦女子について。 000238 11 1944 スマラン 抑留所婦女子がスマラン慰安所へ強制的に連れて行かれたことについて。 3 記載なし 1944 同上 同上 2 1945.12.14 1944 同上 同上 2 1945.12.13 1944 同上 同上 1 記載なし 1944 同上 同上 1 1945.12.17 1944 同上 同上 1 1945.12.16 1944 同上 同上 000263 3 1946.4.3 1943-4 ムンティラン ムンティランとマゲランの慰安所へ強制徴募。 000270 2 1944 スマラン 慰安婦用婦女子の選考について。ブラカン・ケブン[Belakang Kebon]通りの中華ビルについて。 003437 4 記載なし ソロ 軍慰安所「フジ・リオカン」(富士旅館?)について。 004006 9 1944 スマラン 慰安所にいる婦女子への手助けについて。 009792 4 1946.3.18 1943-5 ポンティアナック ポンティアナック慰安所設置の情報。数人の証言を抜粋。 016380 2 1946.2.1 モア島 モア島の慰安所へ女性の補充。女性たちは父親の行動に対する処罰を理由にされ慰安所へ連れて行かれた。 016382 2 1946.1.13 1944-5 モア島 モア島慰安所計画者の説明と5人の強制慰安婦と1人の志願者慰安婦に関する情報。 016410 2 1946.7.24 記載なし バリ 地元女性を募集する数々の手法について。 017145 4 1946.6.18 1943 東南セレベス ポマラアとコラカの慰安所にいた女性に関する情報。東京に留学させてあげるとだまされて慰安婦に。 017161 2 1944 マカッサル? 1944年にできた新しい慰安所について。 017333 1 1946.3.19 1944 ジャンビ 女中のインドネシア女性が日本人男性と寝ることを強制されたこと。 018117 1946.11.5 1944-5 スマラン スマランで集められフロレス島へ慰安婦として送られた婦女子について。 018118 1946.12.11 1942 パダン? NEFIS日々報告: 慰安婦に強制的にさせられたオランダ男性の姪についての説明。 018206 2 1947.6.21 1942-5 パダン・パンジャン 1942年発生の少女強姦について。抑留所にて日本人が嫌がらせをおこなう。 パダン・パンジャンにある日本軍レストランでヨーロッパ人が強制され酌婦に。 018346 パダン インド人が慰安所としての機能があったサカリオ・レストラン、旧ソシエテイト・ドゥ・エインドラクト[SocieteitDe Eendracht]で慰安婦周旋。 019186 2 1945.12.15 記載なし マラン地区 レストラン、クラブへメナド人女性を周旋するメナド人とアンボン人の役割。印欧混血人、アンボン人、メナド人25人を使っているメナド人所有の慰安所。 019362 4 1946.7.18 1944 バタビアとクラマット抑留所 スマランからの女性到着。 019424 3 1946.3.27 記載なし スマラン 双葉荘/青雲荘、旧ホテル・ファン・ブラッセル[Hotel van Brussel]軍慰安所にいた1人の女性への救助について。 019429 1946.5.15 記載なし スマラン スマランのレストラン/慰安所について。医療状況。印欧混血婦女子を使い再開。 019448 3 1946.6.15 1943 バンニュワンギとボンドウォソ ボンドウォソにある数軒のホテルやバーを含む慰安所への募集。 019499 1945.11.16 記載なし スラバヤとムンティラン スラバヤの(ヨーロッパ人?) ダンスバンドリーダーが日本人のための「歓楽娘」提供に関与したことについて。ムンティランのケースについて言及あり。 019636 5 1946.3.1 記載なし ポンティアナック 女性関係に関する特警隊規則と慰安所の設置について。当初4軒、後6軒になる。内2軒は軍専用。 019902 2 1946.3.29 1943-5 ポンティアナック 特警隊、海軍慰安所のために女性を逮捕。住宅地に近接したパビリオン[pavilion]にあった慰安所について。インドネシア人女性、中国人女性との結婚禁止について。 020061 3 1945.12.22 スマラン ヨーロッパ人や中国人その他の男女の慰安婦周旋について。慰安所へ連れて行かれた女性について。 022053 28 1946.12.22 1943-5 バタビア 戦犯委員資料。バタビアのガン・ホーニング[GangHorning]慰安所の支配人裁判から裁判資料4点。 025545 3 1946.10.16 1944 スマラン 慰安所への女性選び。 025557 2 1946.6.9 1944 ハルマヘラ抑留所 「志願」と強制慰安婦。 025583 2 1946.3.22 1944 ハルマヘラ抑留所 オランダ人婦女子のスマラン慰安所への徴募 025640 1 1946.2.7 1943 ムンティラン 強制と「志願」慰安婦。 025646 1 1945.12.10 1944 アンバラワ6 婦女子慰安所へ連れて行かれる。 025647 1 1945.12.13 1943 アンバラワ [6] 慰安婦募集について。 025665 3 1946.3.8 1944 アンバラワ6 慰安婦に「選ばれた」女性に関する詳細説明。 025681 2 1946.7.6 1943 アンバラワ6 作成年月日は翻訳年月日であり証言の日ではない。慰安所への女性募集と抑留所の管理。 026502 1945.10.20 1944 アンバラワ4 慰安所ホテル・スプレンディッド[Hotel Splendid]とペンション・ファン・ブラッセル[Pension van Brussel]について。 027091 19 1949.2.18 1944 スマランとムンティラン 判決34/48。抑留所からスマランとムンティランの慰安所へ女性たちが連れて行かれた件に関する裁判。 032514 2 1946.5.11 1944 アンバラワ6 スマラン慰安所への徴募と、慰安所の状況、コタ・パリス抑留所、クラマット抑留所について。 034224 3 1948.2.24 1944 ムンティラン 慰安婦の募集について。 034228 3 1948.2.24 1944 ムンティラン 同上 034232 2 1948.2.25 1944 ムンティラン 同上 034235 4 1948.2.17 1943? ムンティラン 同上 034239 3 1948.2.18 1944 ムンティラン 同上 034348 1948.3.10 1944 ムンティラン 同上 034251 4 1948.2.13 1943-4 ムンティラン 同上 034255 3 1948.3.17 1943 ムンティラン 同上 034258 3 1948.3.16 1943-4 ムンティラン 同上 035054 3 1946.2.13 1944 アンバラワ4 ケブン・ブラカン[Keboen Belakang]の中華ビル慰安所について。慰安所への女性募集について。 035943 27 1948.3.24 1944 アンバラワとスマラン 判決文72/47。抑留所からスマラン慰安所へ女性徴募に関する裁判ケース。 046996 7 1948.9.11 1944 アンバラワとスマラン 判決文72a/47。抑留所からスマラン慰安所への女性徴募に関する裁判ケース。 060921 1944.8.28 1942-3 マランとカリジャティ NEFIS報告書。慰安所について。 060928 スラバヤ NEFIS報告書。慰安所について。 061830 1946.11.11 1942-4 バンドゥン バンドゥンにあった日本人将校用の慰安所とチハッピト抑留所?からの女性たちについて。将校倶楽部に関する記述。 080125 1946.10.21 1944 アンバラワ8 慰安婦募集について。 ―136― 国立公文書館[Algemeen Rijksarchief:ARA] Ⅰ. 蘭印高等裁判所検察局公文書 1945-1949 [Het Archief van de Procureur-Generaal bij het Hooggerechtshof van Nederlands-Indie,1945-1949:PG] ※ 頁の左側に位置する番号は公文書請求番号を示す。一つ一つのファイルには、多数の資料がまとめて入っているため、便宜上a.b.c.等のローマ字を付記した。短文は公文書の内容要約、或いは引用文の日本語訳である。プライバシーの保護を考え名前は伏せ字にした。 情報請求No. 場所 内 容 28 1945年8月までの地域ごとの「容疑者」一覧。英語。含む下記の資料。 28-a ジョグジャカルタ 1人のジャワ人慰安婦/スパイ。1943年の避難報告書から。 28-b スラバヤ 日本人将校用の印欧人女性とインドネシア人女性の周旋をした2人の兄弟について。情報は避難報告書から。 29 地区ごとの「容疑者」一覧。引用文の原文は英語。資料は下記の情報を含む。 29-a マカッサル ある著名なインドネシア人民族主義者。日本当局に協力するため設立した「公共治安監督所」(Balai Pengawasan Keamanan Oemoem)の書記官であった。彼は慰安婦として女性を斡旋した。この情報は1945年6月5日の避難報告書をもとに作成された。 29-b マカッサル 前出の「公共治安監督所」(Balai Pengawasan Keamanan Oemoem)の指導者と市助役について。共済会は女性を慰安婦に提供した。情報は1944年11月28日のもの。 29-c アンボニア ワヤン・スタンブルの元喜劇役者だった容疑者●●●●●●●婦人はアンボニアのバトゥ・ガントゥンにあった軍慰安所の責任者として日本から任されていた。婦人は、この人身売買のため地元の少女を調達しただけではなく、このような目的にジャワ人の少女を向わせたことへの責任はあった。情報は1943年10月の避難報告書より。 29-d アンボン 容疑者はボルネオ島酋長[the headman]の娘。彼女はアンボニアのバトゥ・ガントゥンにあった軍慰安所の責任者●●●●●●●婦人の手伝いをしていた。彼女は、アンボニアの憲兵隊日本人将校●●●●●●●の愛人であった。情報は1943年12月のもの。 30-a 1946年5月10日付けの文書には、日本人男性と関係のあった女性数人に関する情報が掲載。少なくとも1人の女性は、女性たちを日本人将校の手に渡した。 31-a ファイルには、ジャカルタの慰安所にいた女性たちを含め、戦争中の一部の女性達に関する情報が入っている。 31-b ヨーロッパ人女性を調達した2人のヨーロッパ人女性に関する情報。この2人は、ガン・ホーニング慰安所とペトジョ[Petodjo]のハンウェグ[Hanweg]の慰安所の支配人として活動していた。 32-a 日本人に女性を調達した女性達について。モーレン抑留所班長で、バタビアにあったキャピトル[Capitol](劇場?)の支配人について。 32-b 元警察官からのバンドゥンの状況報告。わずかながら慰安婦に関する記述もある。 32-c 既に拘留されている個人の情報。この資料は、強制的に女性を慰安所に提供したことで告発されている2名に関する記述も含む。 65-a 資料Nr.182、(1945年10月26日付け) 記述の一部引用。原文はオランダ語。「私は女性達が家からそして夜劇場から特警[PID]に連れて行かれたこと、また特警の関与で女性を慰安所に補充していたことも知っています。このようなことにあった女性のうちの1人●●●●●●●さんは、その頃この町のコリア通り[Koreaweg]に住んでいました。」 290-a 個々人に関する短い記述を集めたもの。記述の中には、4人のメナド人が周旋屋として(特に慰安所への斡旋)活動していたこと、バンドゥンで1人のオランダ人男性が日本人に女性を調達していたこと、マゲランの一個人が外島の慰安所への女性を募集していたこと等がある。 ―138― II. オランダ軍情報局[Netherlands Forces Intelligence Service: NEFIS] 請求No. 頁数 報 告 日 発生日 発生場所 内 容 BAS/5641 1 1948.4.12 バタビア 曙倶楽部(旧't Hof van Holland)で働いていた1人の女性とその姉妹について、他の情報カード。 約35 1945~48 バタビア 情報カードに名前が掲載されていた(ヨーロッパ人?)女性が、産婦人科の診断書等を提出し自己弁護の説明記載。 BAS/5644 スマラン ホテル・ドゥ・パビリオン[Hotel du Pavillion]で働いていた女性についての短い記述。 BAS/5647 5 1946~48 バタビア バタビアのガン・ホーニング[Gang Horning]桜バーで働いていた女性に関する記述。 BAS/5651 1947.5.25 マラン 日本バー[a Jap bar]で働いていた2人の姉妹に関する記述。 BAS/5654 12 1947~48 スマラン 中国人と日本人がひいきにしていたセダン[Sedane]近郊にあったカロリナ・バーと他のレストランの経営者、キリスト教徒メナド人に関して。 BAS/5660 10 1946~52 バンドゥン 約30人のオランダ人女性とインドネシア人女性がいた慰安所ウェルへーレン[Welgelegen]に関して。ヨーロッパ人女性が支配人をしていた。慰安所はサイパン陥落後閉店になった。 BAS/5664 1 1946.9.7 ソロ ソロ市ヨーロッパ人コミュニティーの世話人の男性が日本人のため(慰安所の記述あり)若い女性を捜す手助けをしていた。 2 1946.5.28 サラティガ シン・コー・カン、バーク・エン・ダル[Berg en Dal]婦女子抑留所で抱えた問題についての説明。問題には、「道徳心に乏しい」女性と抑留所の周辺に散らかっていたコンドームがあった。「道徳心に乏しい」女性は一覧されている。 BAS/5693 5 1946.9.14 マゲラン 憲兵隊と共同で他州の慰安所へ女性を徴募した1人の男性について。 Bes/3/ 2 1947.1.13 1944-5 チハピット抑留所 日本人バーで働いていたある抑留者の日本人との関係。 Bes/5/ 5 1946.5.12 記述無 スラバヤ 慰安所へ女性を送る。 Bes/12/ 記述無 Prt.10/L:日本人に数人の女性を渡した人物の名前。 トゥレテス Prt.14/L: 1つの館にいた抑留者女性20人と印欧混血人女性9人を管理したインドネシア人について。売春に関しては不明であるが、戦後6人が妊娠した。 BM/1123 2 1946.5.27 1944-5 ゲンダンガン抑留所 抑留所からスマランの慰安所へ連れて行かれた1人の女性の証言。 BM/1124 1946.5.28 1943 同上 スマラン慰安所用に徴募された女性(年齢18歳以上)について。 BM/1125 1 同上 1943 同上 同上 BM/1126 1 同上 1943 同上 スマラン慰安所用に徴募された女性(年齢15歳以上)について。 BM/2469 1946.8.21 マラン 女性の補充に関与した1人のヨーロッパ人男性に関する記述。 BM/2743 1946.8.30 バタビア 日本人と共にバーや慰安所へ行った1人のオランダ人男性について。男性の叔母は慰安所を経営、若い女性を慰安所で働かせるため欺瞞しようとした。 BM/2824 1946.9. マラン 日本人の為に女性を捜した1人のヨーロッパ人女性について。 BM/2825 1946.9.4 1942 マゲラン 1942年に慰安所になった数軒のホテルについての記述。これらのホテルの経営者また支配人(含む1人のチェコ人、1人のスイス人)は女性を周旋また補充した。 ―139― III. A.F.X. Vos de Wael 公文書コレクション ♯ 報告日 記述されている場所 発生日 内容 1 1946.3.19 ボンドウォソ、ジェンベル 1942-3 女性の募集。 2 1946.3.21 ハルマヘラ抑留所 1944 慰安所のために強制慰安婦と志願者の徴募。 3 1946.3.14 スマラン 1942-5 スマランのオランダ人の若い女性の性病と中絶について。これらの女性は他の(オランダ人)女性によって日本人の為に集められた。 4 1946.3.15 バンドゥン 記載無 ウェルへーレン[Welgelegen]慰安所のオランダ人責任者。 5 1946.3.18 アンバラワ第8抑留所 1944 慰安所への女性徴募に対する抵抗。 6 1946.3.25 ボンドウォソ、ジェンベル 1942-5 ジェンベルのホテル・ボンドウォソ/ジーン・ポール[Jean Paul]に日本人用バーの設置。日本人にヨーロッパ人女性と印欧混血人女性を提供。 7 1946.4.1 ソロ抑留所 1944 慰安所への女性徴募に対する抵抗。 8 1946.3.18 アンバラワ第9抑留所 1944 慰安所への女性徴募と後日起こった抵抗。 9 1946.3.25 ムンティラン 1943 慰安所への女性徴募。 10 1946.6.5 バダビア 記載無 慰安所の「ハウス・キーパー」としての女性の募集。通訳はドイツ人女性。 11 1946.3.30 ソロ抑留所、ハルマヘラ抑留所 記載無 ソロ抑留所で慰安所への女性募集に対する抵抗という風説とハルマヘラ抑留所での慰安婦募集。 12 1946.3.29 ブロラ 1942 1942年5月強姦事件。 13 1946.3.29 スラバヤ、ゲダンガン 1942-4 日本人の為に女性周旋に関与したスラバヤ所在ホテル・ブリストル[Hotel Bristol]とバーの西印度人支配人と他のオランダ人。慰安所への女性の徴募はゲダンガンで1944年2月。 14 1946.3.17 アンバラワ第1/6抑留所 1944 1944年2月に慰安所用に女性募集。 ―140― 外務省[Ministerie van Buitenlandse Zaken:BZ] ※1つの公文書番号の中に幾点もの文書が収めてある為、便宜上ローマ字を付記した。 公文書請求番号: Nefis/CMI 1942-1949, Voorlopig nummer 1 報告日 情報資料 発生場所 内 容 a 1946.8. 女性を斡旋したオランダ人男性の取り調べ依頼の書簡(下記の公文書請求番号voorlopig nummer 7, 文書d参照)。詳細の記載なし。 b 1946.7.26 スラバヤ 書簡。オランダ人男性が「海軍の慰安所設置の為日本人に手を貸し女性を集め強制的に慰安婦にした」という記述。 男性は1944年7月捕虜収容所にて死亡。 公文書請求番号:Nefis/CMI 1942-1949, Voorlopig nummer7(42) Betrouwbaarheidsonderzoek 2 226a/938d 報告日 情報資料 発生場所 内 容 a 1946.9.10 NEFIS Ri/260/Geh. スラバヤ ある女性が将校倶楽部を開店しなければいけなかったことについて他のオランダ人女性からの報告。 b 1942.5. IGPGK バリ バリ人官吏報告書。デンパサールに電話で日本人将校用に10人の女性を補充するように(毎日?)命令があったこと。 c 1946.5.19 Nefis No.4087/AB2 バンドゥン? 日本人への女性周旋屋について。詳細記述なし。 d 1946.9.20 Nefis宣誓書 チマヒ 1人のオランダ人男性について。その男性がチマヒ近郊のチサルアにあった山荘ホテル、デ・ウィタ・ウィッケン[De Witte Wieken]の支配人あるいは経営者であったかとの質問。また、抑留される(1942年11月)以前、日本人にヨーロッパ人女性を含め、女性を提供したことはあるかとの質問。ベルヘルスト[Berglust]ホテルの記述もある。文書作成者はこの情報は真実ではないと疑っている様。 e 1946.9.4 H宣誓書 バリ バリ人官吏が日本人へ女性を斡旋したことに関与したことについて。 f 一連の短い報告書 バンドゥン 1944年4月から45年6月までバンドゥン市のコンコーディア(社交倶楽部)で働いていた「サービス・ガール」に関する一連の短い報告書。1945年6月、その女性が泥酔し、はめをはずしたため辞めさせられた。明らかに、日本人と性的関係を持ったことはなかった。 ―141― 注へ 【目次】
https://w.atwiki.jp/yoshi777me/pages/19.html
ここのwikiの管理人 無所属だったが チームがいなくて心細かったので NOVA革命軍団に所属した しかし9月19日にメンバーを覚えられなくなり脱退 現在はラグやグレぽいの悪化によりやっていない A.V.Aの住人となっている NOVAの腕は無い 主力武器は エイリアンアサルトライフル ハイブリッドHMG ヒューマンスナイパー サブ武器は随時変わっている 嫌いなステージはジャングルだよ!(本人談)
https://w.atwiki.jp/orikandatabase/pages/271.html
基本データ 艦級:水上機母艦 建造場所:呉海軍工廠 起工:1938年11月2日 進水:1939年11月30日 就役:1942年2月27日 喪失:1943年7月22日沈没 除籍:1943年9月10日 実装状況:2015年10月25日現在未実装 史実情報 オリジナル艦娘の状況 2015年10月25日現在未確認。 同型艦 なし 関連項目 日進(二代) - 先代。日本海軍春日型装甲巡洋艦。 外部リンク Wikipediaにおける該当記事 名前
https://w.atwiki.jp/sysd/pages/4154.html
岡谷鋼機 本店:名古屋市中区栄二丁目4番18号 【商号履歴】 岡谷鋼機株式会社(1943年~) 株式会社岡谷商店(1937年4月25日~1943年) 【株式上場履歴】 <名証1部>1997年8月1日~ <名証2部>1995年12月20日~1997年7月31日(1部に指定替え) 【沿革】 寛文9年(1669) 初代岡谷總助宗治名古屋にて屋号を笹屋、名を惣助(通称笹惣)として金物商を開業 文久2年(1862) 大阪へ支店(通称福店(ふくだな)、現大阪店)開設 明治5年(1872) 東京へ支店(通称益店(ますだな)、現東京本店)開設 明治42年(1909) 岡谷合資会社に改組 昭和12年(1937) 株式会社岡谷商店設立、岡谷合資会社を合併 昭和18年(1943) 福岡出張所(現九州支店)開設 昭和18年(1943) 岡谷鋼機株式会社と改称 昭和39年(1964) 米国岡谷鋼機株式会社(現連結子会社)をニューヨークに設立 昭和43年(1968) 豊田営業所(現豊田支店)開設 昭和49年(1974) タイ王国にSiam Suriya Co.,Ltd.(現連結子会社)を設立 昭和57年(1982) シンガポール岡谷鋼機株式会社(現連結子会社)を設立 昭和57年(1982) 刈谷営業所(現刈谷支店)開設 昭和57年(1982) タイ王国にUnion Autoparts Manufacturing Co.,Ltd.(現連結子会社)を設立 昭和58年(1983) 香港岡谷鋼機株式会社(現連結子会社)を設立 昭和61年(1986) 名古屋本社ビル竣工 平成6年(1994) 仙台、新潟、富山、静岡、広島の各営業所をそれぞれ東北支店、新潟支店、北陸支店、静岡支店、中国支店に昇格 平成7年(1995) 名古屋証券取引所市場第二部に上場 平成9年(1997) 名古屋証券取引所市場第一部に上場 平成12年(2000) 浜松営業所を浜松支店に昇格 平成12年(2000) ISO14001(環境)の認証を取得 平成18年(2006) 北海道営業所を北海道支店に昇格 平成18年(2006) 岡谷鋼機(北京)貿易有限公司(現連結子会社)を設立 平成18年(2006) ポーランド共和国にPoland Tokai Okaya Manufacturing Sp.zo.o.(現連結子会社)を設立
https://w.atwiki.jp/sysd/pages/1813.html
三井住友フィナンシャルグループ 本店:東京都千代田区有楽町一丁目1番2号 設立:2002年12月2日 【商号履歴】 株式会社三井住友フィナンシャルグループ(2002年12月2日~) 【株式上場履歴】 <東証1部>2002年12月2日~ <名証1部>2002年12月2日~ <大証1部>2002年12月2日~2013年7月15日(東証に統合) 社系図の頂点銀行に無尽(旧相互銀行=第二地銀)の流れを汲む大手銀行グループはここだけ。小(わかしお銀行)が大(三井住友銀行)を飲む逆さ合併を行って、その合併差益を使って不良債権の処理をした。伝統を重んずる金融機関のイメージを根本から覆した。このわかしお銀行は、経営が行き詰まった東京の第二地銀、太平洋銀行の受け皿になるために、親密先だったさくら銀行が中心になって用意したもので、その後、三井住友銀行の子会社になっていた。 大きな流れは住友銀行と三井銀行、神戸銀行の名門3銀行。神戸銀行に合併した太陽銀行は旧無尽の流れで、各地の無尽を統合して最終的には都市銀行になった。住友銀行が1986年に合併した平和相互銀行は、乱脈融資で経営危機に陥った同行を吸収合併したもの。当時は金融機関を破たんさせない行政指導がなされていたためで、住友銀行は首都圏への本格進出の足がかりになったが、不良債権が重しになった。 【歴代社長】 西川 善文(2002年12月2日~2005年6月) 北山 禎介(2005年6月~) 【沿革】 平成14年7月 株式会社三井住友銀行は、持株会社を設立し、これを核としてグループ経営改革を行うことを決定 平成14年9月 株式会社三井住友銀行の臨時株主総会及び種類株主総会において、同行が株式移転により完全親会社である当社を設立し、その完全子会社となることについて承認決議 平成14年11月 株式会社三井住友銀行は、内閣総理大臣より、銀行を子会社とする銀行持株会社の設立に係る認可を取得 平成14年12月 当社の普通株式を東京証券取引所(市場第一部)、大阪証券取引所(市場第一部)及び名古屋証券取引所(市場第一部)に上場 平成14年12月 株式会社三井住友銀行が株式移転により当社を設立 平成15年2月 三井住友カード株式会社、三井住友銀リース株式会社及び株式会社日本総合研究所を完全子会社化(平成17年7月に当社保有の三井住友カード株式会社株式の一部を株式会社エヌ・ティ・ティ・ドコモに譲渡するとともに、三井住友カード株式会社は同社を割当先とする第三者割当増資を実施) 平成15年3月 株式会社三井住友銀行と株式会社わかしお銀行が、株式会社わかしお銀行を存続会社として合併し、商号を株式会社三井住友銀行に変更 平成18年9月 SMBCフレンド証券株式会社を株式交換により完全子会社化 【系図】 ◆三井住友フィナンシャルグループ ◆三井住友銀行←わかしお銀行 ↑三井住友銀行←住友銀行←大阪銀行←住友銀行(2003) ↑さくら銀行←太陽神戸三井銀行←三井銀行←帝国銀行(2001) ↑田辺信用組合(1998) ↑太陽神戸銀行←神戸銀行(1990) ↑太陽銀行←日本相互銀行←日本無尽←大日本無尽(1973) ↑信州無尽←南信無尽(1946) ↑信濃無尽(1942) ↑金融無尽(1945) ↑甲斐無尽(1942) ↑神奈川無尽(1944) ↑愛国無尽←帝国無尽奨励会←帝国貯金奨励会(1943) ↑共益無尽商会←平塚共益商会(1941) ↑金港無尽←横浜管理無尽←横浜管理(1941) ↑大師無尽←大師正栄(1939) ↑横浜金融(1916) ↑新興無尽(1941) ↑明和無尽(1941) ↑東京信用無尽←日本橋信用無尽←永正無尽(1944) ↑武州無尽(1944) ↑熊谷無尽←熊谷起業公益(1941) ↑埼玉共同無尽←埼玉共同貯金無尽←埼玉共同貯金(1941) ↑埼玉無尽←埼玉勧業(1941) ↑本庄無尽(1941) ↑三尻無尽←三尻貯蓄(1944) ↑共進無尽←共進商会(1944) ↑三栄無尽←三栄無尽商会←三栄商会(1943) ↑中央無尽←中央共済←中央ブローカー(1943) ↑東京朝日無尽←東京朝日信託(1943) ↑友好無尽←友好貯蔵←友好合資会社(1943) ↑寿徳無尽←城東無尽←城東(1943) ↑日本興業無尽(1943) ↑福殖無尽←福殖(1942) ↑東都無尽←東都無尽商会(1942) ↑東京第一無尽←共栄無尽←大正無尽←大正貯蔵信託(1942) ↑弥生無尽(1941) ↑真成無尽←真成(1941) ↑東京共立無尽←東京共立←栄商会(1941) ↑相生無尽←相生信託(1941) ↑共楽無尽←長生無尽←長生貯蓄(1941) ↑大明無尽←大森無尽←大森信託←大森共同合名会社(1941) ↑帝国無尽←東京共盛無尽←共盛貯金(1941) ↑共同貯金(1913) ↑東京復興無尽(1941) ↑神戸信託←大同信託←兵庫大同信託(1945) ↑神戸貯蓄銀行←淡州貯蓄銀行(1945) ↑恵美酒銀行(1945) ↑神戸湊西銀行←湊西銀行(1945) ↑明石銀行(1932) ↑全但銀行(1945) ↑但馬貯蓄銀行(1943) ↑朝来銀行(1941) ↑中川銀行(1929) ↑協同竹田銀行←協同(1928) ↑宮田銀行(1927) ↑生野銀行(1941) ↑三共銀行←八鹿銀行(1941) ↑城崎銀行(1932) ↑港府銀行←港銀行(1932) ↑府中銀行(1928) ↑殖産銀行(1941) ↑太田垣銀行(1932) ↑田村銀行(1932) ↑但馬銀行←甲子銀行(1941) ↑合橋銀行(1928) ↑五十五銀行←第五十五国立銀行(1928) ↑出石貯蓄銀行(1912) ↑江原銀行(1924) ↑但馬銀行←城崎共立銀行(1924) ↑八鹿商業銀行(1922) ↑但馬合同銀行(1941) ↑新栄銀行←豊岡貯金銀行(1928) ↑豊岡銀行(1928) ↑宝正銀行←佐川銀行(1928) ↑宝林銀行(1928) ↑村岡銀行(1941) ↑養父合同銀行←広谷銀行(1941) ↑大屋銀行(1930) ↑関宮銀行(1930) ↑南盛銀行(1930) ↑西谷銀行(1930) ↑播州銀行(1945) ↑大沢銀行(1943) ↑奥吉川銀行(1930) ↑溝口銀行(1943) ↑加西合同銀行(1940) ↑三重商工銀行(1936) ↑加西銀行(1926) ↑北条銀行(1926) ↑上荘銀行(1940) ↑志方銀行(1931) ↑岩坂銀行←南丹銀行(1929) ↑大西銀行←荒木銀行(1929) ↑国包銀行(1929) ↑東播合同銀行(1940) ↑東和銀行←東条銀行(1939) ↑三草銀行(1929) ↑木梨銀行(1929) ↑小田銀行(1926) ↑中東条銀行(1926) ↑小野銀行(1926) ↑東播銀行(1926) ↑社銀行(1926) ↑西伊藤銀行←鵤銀行(1922) ↑米田信託(1919) ↑柳城銀行(1926) ↑西脇商業銀行(1940) ↑美嚢合同銀行(1940) ↑口吉川銀行←吉川農業銀行(1932) ↑細川銀行(1928) ↑渡瀬銀行(1928) ↑兵和銀行(1945) ↑岩見銀行(1941) ↑奥藤銀行←堀貯金銀行←小宅貯蓄銀行(1941) ↑赤穂合同銀行(1931) ↑永信銀行(1927) ↑坂越銀行(1927) ↑上郡銀行(1941) ↑佐用合同銀行(1941) ↑平福銀行←平福融通(1930) ↑西播銀行←柊木銀行(1928) ↑久崎銀行←久崎(1928) ↑佐用銀行←佐用農業銀行(1926) ↑三日月銀行←三日月貯蓄銀行(1926) ↑宍粟銀行←勤倹銀行←山崎勤倹(1941) ↑揖水銀行(1929) ↑繁盛銀行(1928) ↑安志銀行(1919) ↑神戸産業(1919) ↑宍粟山崎銀行(1919) ↑三河興業銀行(1918) ↑新宮銀行←出合銀行(1941) ↑播西銀行(1930) ↑神岡銀行(1927) ↑苅尾銀行←赤穂実業銀行(1927) ↑竜野銀行(1941) ↑堀銀行(1922) ↑竜野貯蓄銀行(1919) ↑松本銀行←松本永銀行(1941) ↑福本銀行(1945) ↑中丹銀行←篠山銀行(丹和銀行買収分を除く、1942) ↑須知銀行(1937) ↑周山銀行(1931) ↑西田銀行←山口起業銀行(1930) ↑中丹銀行(1931) ↑辻銀行(1928) ↑村雲銀行(1928) ↑百三十七銀行←第百三十七銀行←第百三十七国立銀行(丹和銀行買収分を除く、1942) ↑共同貯蓄銀行(1900) ↑神戸岡崎銀行(1936) ↑第六十五銀行←第六十五国立銀行(1928) ↑五十六銀行←第五十六国立銀行(1936) ↑明石実業銀行←垂水銀行(1928) ↑二見銀行(1928) ↑万里銀行(1923) ↑三十八銀行←第三十八国立銀行(1936) ↑相生銀行(1930) ↑中播銀行←田原銀行(1930) ↑神崎商業銀行(1919) ↑網干銀行(1930) ↑加古川銀行(1928) ↑三木銀行(1927) ↑神戸実業銀行←西方銀行(1923) ↑九十四銀行←第九十四国立銀行(1917) ↑飾磨銀行(1917) ↑姫路銀行(1917) ↑高砂銀行←高砂貯蓄銀行(1936) ↑大塩銀行(1928) ↑魚住銀行(1927) ↑播陽銀行(1924) ↑曽根銀行←弐銭会社(1923) ↑灘商業銀行(1936) ↑西宮銀行(1936) ↑武庫銀行←西宮貯金銀行(1932) ↑姫路銀行←姫路商業銀行(1936) ↑博融銀行←博融(1929) ↑飾揖銀行(1919) ↑広銀行(1928) ↑東都銀行←中小企業助成銀行←亜東銀行←高田農商銀行(1968) ↑帝国銀行(旧第一銀行部分を除く、1948) ↑十五銀行←第十五国立銀行(1944) ↑商工銀行←商工貯金銀行(1922) ↑四十九貯金銀行(1908) ↑津田銀行←周陽銀行(1921) ↑神戸川崎銀行(1920) ↑浪速銀行←第三十二国立銀行(1920) ↑富国銀行(1919) ↑馬関商業銀行(1918) ↑和歌山銀行(1909) ↑大阪商工銀行(1901) ↑大阪共立銀行(1900) ↑大阪明治銀行(1899) ↑第五銀行←第五国立銀行(1898) ↑第百四十二国立銀行(1881) ↑第百三十一国立銀行(1881) ↑丁酉銀行(1920) ↑三池銀行(筑邦銀行、肥後銀行の買収分を除く、1943) ↑瀬高銀行 ↑三井銀行(1943) ↑西脇銀行(1941) ↑第一銀行(1943) ↑※第一銀行の系譜はみずほ銀行参照 ↑西南信用組合←西南三善信用組合←東京西南信用組合(1998) ↑総栄信用組合← 東京菓業信用組合(1988) ↑三善信用組合(1974) ↑平和相互銀行←平和貯蓄殖産無尽←日本殖産(1986) ↑福徳信用組合(1974) ↑第一信用組合(1968) ↑曙信用組合(1955) ↑東京住宅無尽(1954) ↑大日殖産(1950) ↑河内銀行(1965) ↑池田実業銀行(1945) ↑伊丹銀行(1938) ↑能勢銀行(1931) ↑広根銀行(1924) ↑北摂銀行(1924) ↑阪南銀行(1945) ↑泉南銀行(1942) ↑上郷銀行(1932) ↑鳥取銀行(1932) ↑深日銀行(1942) ↑河泉銀行(三和銀行買収分を除く、1942) ↑辻林銀行←三林銀行(三和銀行買収分を除く、1942) ↑大津銀行(1926) ↑和泉銀行←和泉貯金銀行(1940) ↑和泉貯蓄銀行(1934) ↑尾崎銀行(1930) ↑貝塚銀行(1940) ↑岸和田銀行←岸和田貯蓄銀行(1940) ↑岸和田貯蓄銀行(1935) ↑五十一銀行←第五十一国立銀行(1940) ↑岡田銀行(1930) ↑岸和田銀行(1902) ↑寺田銀行(1940) ↑豊前銀行←下毛実業銀行←豊田銀行(大分合同銀行買収分を除く、1943) ↑佐伯銀行←鶴谷銀行←鶴谷貯金銀行(1928) ↑三州平和銀行(1943) ↑佐賀百六銀行←第百六国立銀行(1941) ↑西肥銀行(1928) ↑肥前銀行(1924) ↑和歌山倉庫銀行←和歌山倉庫(1931) ↑浅田銀行(金原銀行買収分を除く、1930) ↑久留米銀行←久留米貯蓄銀行(1928) ↑若松商業銀行←若松貯蓄銀行(1925) ↑田中興業銀行(1924) ↑田中銀行(1920) ↑六十一銀行←第六十一国立銀行(1912) ↑京町銀行←京町貸金会社(1897) ↑櫛原銀行←櫛原貸金会社(1897) ↑荘島銀行←荘島貸金会社(1897) ↑常盤銀行←常盤組(1897) ↑泉屋銀行(1899) ↑太平洋銀行←第一相互銀行←相互無尽←相互貯金(1996) ◆みなと銀行←阪神銀行←阪神相互銀行←七福相互銀行←七福相互無尽 ↑神戸商業信用組合←三和信用組合(2001) ↑北兵庫信用組合←北但信用組合(2000) ↑みどり銀行←兵庫銀行←兵庫相互銀行←兵庫無尽(1999) ↑高松相互銀行←寿殖産無尽←寿殖産興業←志度商事(1971) ↑神戸大同無尽(1944) ↑姫路船場無尽←姫路船場信託(1942) ↑神戸無尽(1941) ↑西脇無尽←西脇無尽信託←西脇信託(1941) ↑西脇金融(1916) ↑山陽無尽(1944) ↑山陽金融無尽←山陽金融(1942) ↑日の丸無尽(1941) ↑淡路無尽←洲本融通(1941) ↑大正融通(1915) ↑三木無尽←三木無尽信託←三木勧業信託←三木勧業(1942) ↑三木金融(1924) ↑東亜無尽(1944) ↑扇港無尽(1941) ↑兵庫無尽(1941) ◆関西アーバン銀行←関西銀行←関西相互銀行←山城無尽 ↑関西さわやか銀行←幸福銀行←幸福相互銀行←幸福無尽(2004) ↑京都共栄銀行←京都相互銀行←昭和産業相互銀行←昭和産業無尽(1998) ↑広済無尽(1941) ↑昭和産業無尽←京都産業無尽(1941) ↑実業無尽(1940) ↑福知山無尽(1926) ↑紀伊無尽(1943) ◆ジャパンネット銀行 ◆SMBC信用保証 ◆三井住友銀リース ◆三井住友銀オートリース ◆三井住友カード ◆さくらカード ◆SMBCコンサルティング ◆SMBCファイナンスサービス ◆フィナンシャル・リンク ◆SMBCフレンド証券←明光ナショナル証券←明光証券←明光丸ヤ証券←明光証券 ↑泉証券←田口証券←田口重一商店(2004) ↑泉証券←山卯証券←山内卯之助商店(1982) ↑岳麓証券の営業(1967) ↑近畿証券(1966) ↑さくらフレンド証券←山種証券←山崎種二商店←永代土地建物(2003) ↑神栄石野証券←石野証券←石野貞雄商店(2000) ↑神栄証券(1979) ↑東京神栄証券(1979) ↑姫田証券(1969) ↑宇美証券(1959) ↑水谷証券(1958) ↑清水証券(1954) ↑三和証券(1944) ↑山和証券(1944) ↑東京廻米信用(1944) ↑実物取引員三好勝内商店(1944) ↑ナショナル証券←ナショナル田林証券←ナショナル証券(1999) ↑田林証券(1978) ↑丸ヤ証券(1964) ↑朝田証券(1955) ◆SMBCフレンド調査センター ◆日本総合研究所 ◆日本総研ソリューションズ ◆さくらケーシーエス←ケーシーエス←神戸コンピューターサービス ↑ケーシーエスソフト(1991) ↑西野通信工業ソフトウェア部門(1979) ↑ユニオンコンピュータービューロー(1978) ↑姫路電子計算センター(1973) ◆ケーシーエスデータ ◆さくら情報システム ◆SMFG企業再生債権回収 ◆SMBCファイナンスビジネス・プランニング ◆SMBCローンビジネス・プランニング ◆SMBCローン債権回収 ◆SMBCビジネス債権回収 ◇プロミス ◇アットローン ◇クオーク ◇大和証券エスエムビーシー ◇エヌ・アイ・エフSMBCベンチャーズ←エヌ・アイ・エフベンチャーズ←大和ファイナンス←大和抵当証券 ↑SMBCキャピタル(2005) ↑日本インベストメント・ファイナンス(2000) ↑大和クレジットサービス(1989) ◇大和住銀投信投資顧問 ◇三井住友アセットマネジメント ◇ジャパン・ペンション・ナビゲーター
https://w.atwiki.jp/wrtb/pages/1032.html
サルードス・アミーゴス 原題:Saludos Amigos 作曲:チャールズ・ウォルコット* 作詞:ネッド・ワシントン* 楽曲:『ラテン・アメリカの旅』(1942年) バリエーション ラテン・アメリカの旅 英語 コーラス 映画のオープニング曲。作詞は「星に願いを」のネッド・ワシントン*。タイトルは映画の原題ともなっている「Saludos Amigos」で、「Hello, friends!」という意味。アメリカでは1943年に公開されたため、この曲は1943年の曲としてアカデミー賞にノミネートされている。
https://w.atwiki.jp/tarerosyounin/pages/15.html
NEO攻略 ■チャプター1 ●マップ ■チャプター2 ●マップ ■チャプター3 ●マップ ■チャプター4 ●マップ ■オペレーション1 ●マップ ■オペレーション2 ●マップ ■オペレーション3 ●マップ ●オペレーション3をソロで死亡回数0回でクリアしようと思っている人へ ■HUV ●HMG ●APS ●RPG ●MRL ●AV02 ●T01 ●HUS ●HUB ■その他 ●セーフゾーン
https://w.atwiki.jp/boogeyman/pages/2.html
メニュー トップページ プラグイン メニュー メニュー2 アーケード +... 1943(AC) 1943改(AC) Family Computer +... あああ PC-Engine +... いいい MSX +... ソーラーストライカー ゲームボーイ +... ソーラーストライカー メタルギア GB @ウィキ ガイド @wiki 便利ツール @wiki 更新履歴 取得中です。
https://w.atwiki.jp/wrtb/pages/13321.html
チャールズ・A・ニコルズ 名前:Charles A. Nichols 出生:1910年9月15日 - 1992年8月23日 職業:監督・アニメーター 出身:アメリカ 概要 ディズニーのアニメーター。 短編映画でキャリアをスタートした後、長編映画『ピノキオ』の悪役コーチマンのアニメーションを担当した。『メロディ*』や『プカドン交響楽*』、『小さな大鹿*』などの監督を務めた。代表作は『ふしぎの国のアリス』の「セイウチと大工」がある。 その後ディズニーを去るが、1980年代に復帰し、TVシリーズ『新くまのプーさん』の最終シーズンに貢献した。 担当作品 1937年 プルートの5つ子 アニメーター 1939年 ミッキーのビックリパーティー* アニメーター 1939年 働き子ぶた アニメーター 1940年 ピノキオ アニメーター 1940年 プルートの鏡騒動 アニメーター 1940年 ミッキーのドキドキ汽車旅行 アニメーター 1940年 ファンタジア アニメーター 1940年 ドナルドの消防隊長 アニメーター 1940年 プルートの台所騒動 アニメーター 1941年 ミッキーのゴルフ アニメーター 1941年 プルートの悩み アニメーター 1942年 プルートの腕白坊や アニメーター 1942年 アーミー・マスコット アニメーター 1942年 プルートとえさどろぼう アニメーター 1942年 フライパンから戦線へ* アニメーター 1942年 バンビ アニメーター 1942年 プルートとブル公 アニメーター 1942年 ドナルドの透明人間 アニメーター 1942年 ドナルドのパイロット アニメーター 1942年 プルートの動物園 アニメーター 1943年 総統の顔 アニメーター 1943年 プルートの南米旅行 アニメーター 1943年 プルートの二等兵 アニメーター 1943年 ドナルドの新兵さん アニメーター 1943年 ドナルドの空の監視員 アニメーター 1944年 ドナルドのトロンボーン騒動 アニメーター 1944年 ドナルドとゴリラ アニメーター 1944年 ドナルドとコンドル親子 アニメーター 1944年 プルートの春や春 監督 1944年 プルートの仲直り 監督 1945年 犬の見張り番 監督 1945年 プルートの武勇伝 監督 1945年 プルートとコヨーテ岩の伝説 監督/アニメーター 1945年 プルートの番人 監督 1946年 プルートのかわいい弟 監督 1946年 プルートの牛乳屋 監督 1946年 プルートの名探偵 監督 1946年 子ねこのフィガロ 監督 1947年 プルートの引っ越し騒動 監督 1947年 プルートの救助犬 監督 1947年 フィガロとフランキー 監督 1947年 ミッキーと豆の木 アニメーター 1947年 ファン・アンド・ファンシー・フリー アニメーター 1947年 ミッキーのダンスパーティ 監督 1947年 プルートの郵便犬 監督 1947年 プルートは歌がお好き 監督 1948年 ミッキーの大探検 監督 1948年 プルートの骨どろぼう 監督 1948年 プルートのおつかい 監督 1948年 プルートの睡眠不足 監督 1948年 プルートと小鳥の坊や 監督 1948年 ミッキーとあざらし 監督 1949年 プルートのサボテン騒動 監督 1949年 プルートのびっくり小包 監督 1949年 プルートのありがた迷惑 監督 1949年 プルートの風船ガム 監督 1949年 プルートのひつじ番 監督 1950年 プルートの恋の季節 監督 1950年 プルートとモグラ 監督 1950年 シンデレラ アニメーター 1950年 プルートのサーカス大好き 監督 1950年 プルートの大暴れ 監督 1950年 プルートの猫騒動 監督 1950年 グーフィーの自動車大好き アニメーター 1950年 プルートと山犬 監督 1950年 リスの手袋騒動 監督 1950年 番犬プルート 監督 1950年 小さな大鹿* 監督 1951年 グーフィーの昼寝騒動 アニメーター 1951年 プルートの“お家が逃げる” アニメーター 1951年 グーフィーの素人大工 アニメーター 1951年 プルートのユートピア 監督 1951年 ふしぎの国のアリス アニメーター 1951年 ミッキーの“あらいぐまを探せ” 監督/アニメーター 1951年 プルートのテレビ料理 監督 1952年 グーフィーの番犬 アニメーター 1952年 プルートの誕生祝 アニメーター 1953年 ピーター・パン アニメーター 1953年 ミッキーの魚釣り 監督/アニメーター 1953年 メロディ* 監督 1953年 プカドン交響楽* 監督 1954年 ライオン都へ行く* アニメーター 1954年 ドナルドのグランドキャニオン旅行 監督 1956年 ドナルドの災難~家庭篇 監督 1959年 ドナルドの災難~仕事篇 監督 1961年 ウインドワゴン・スミスの伝説* 監督/脚本 1970年 おしゃれキャット アニメーター 1973年 ロビン・フッド アニメーター 1977年 くまのプーさん 完全保存版 アニメーター 1980年 ミッキーマウス・ディスコ* 監督 1985年 ガミー・ベアーの冒険* アニメーター 1988年 新くまのプーさん 監督 1991年 ダックにおまかせ ダークウィング・ダック* 監督 1992年 パパはグーフィー 監督 1993年 ★Bonkers* 監督
https://w.atwiki.jp/companyofheroes3/pages/23.html
Resource Cache - 物資貯蔵庫 200 20 Fighting Position - 戦闘位置 100 15 HMG Fighting Position - 重機関銃戦闘位置 60 30 Mortar Pit - 迫撃砲ピット 75 30 Ammunition Storage - 弾薬庫 125 25 20 1 Frontline Medical Station - 前線医療局 200 25 25 1 M2A1 Howitzer Team - 400 40 12 40 3