約 851,432 件
https://w.atwiki.jp/divine_revelation/pages/430.html
目次 1.新時代の繁栄と自由 2.選択の自由 3.創造の自由 4.真の自由からの発展 5.大いなる創造者へ向かう自由 1.新時代の繁栄と自由 「新時代の展望」ということについて想いをめぐらせてみますと、私の記憶のなかでは古い、古い昔へとたどり着くのです。その記憶とは、じつは地中海にまつわるものなのです。 かつて、今から四千年以上の昔にギリシャの文明が栄えていたころ、すなわち、あのヘルメスの時代のことを思い出すのです。ヘルメスの時代は、ちょうど地中海で貿易が盛んになりはじめた時代です。そしてギリシャが単なる一国ではなくて、いわゆる世界の中心となり、アフリカやアジアおよびヨーロッパ全域にさまざまな文化を伝えていた時代であったのです。 新時代の展望を考えるときに、どうしても私はこのギリシャヘの思いがよみがえってこざるをえないのです。そこに、流れる精神とはいったい何であるのでしょうか。それは限りなく自由と繁栄を求める心ではないでしょうか。そこでは限りない自由と限りない繁栄の両者を享受する精神に満ちていた、と私は思うのです。 では、私たちはこの自由という言葉、繁栄という言葉のなかにいったい何を盛り込むべきでありましょうか。いかなる意味を考えるべきなのでありましょうか。いまこの時代において、自由という言葉ほど難しい言葉はないと思います。この言葉ほど誤解され、また曲解され、そしていまなお、その真実の意味がわかっていないものも数少ないのです。しかしてこの自由という言葉は、私たちが人間であるということ、このこと自体にどうしても付随する言葉なのです。 私たちはこの自由、この言葉を何ととらえ、何と定義するのか。そして、それをいかに駆使するのかを考えなければなりません。この自由という概念を考えずして新しい時代はけっして見えてこないのです。新時代はこの自由の解釈と、この発展の意味とのなかに見えてくるのです。 私は人間の起源というものを深く深くふり返ってみることがあります。なにゆえに人間が創られたのであろうか。旧約聖書の世界のなかでは、神はみずからに似せて人間を創られたと書かれております。なにゆえにみずからに似せた人間を神は創られたのか。私たちはそのことを考えなければなりません。単に、私たちが偶然に存在するというような、そうした機械的な生き物ではないという証拠を、私はこの"自由"という二文字に感じるのです。 私は、自由という言葉のなかに、主として二つの自由があると思います。その一つは「選択の自由」という名の自由です。私たちはものごとにぶち当たり、そして考えるにさいしてAを取るべきか、あるいはBを取るべきか、こうした選択の自由という問題に出くわします。私たちが選ぼうとすれば、現実には選ぶことができないという選択肢は数少ないのです。しかし、それはもちろん、いろいろな条件があってのことであるということが前提です。 こうした選択の自由が一つにはあり、いま一つには「創造の自由」というものがあります。これがじつは、人間の人間たるところの最たる特徴です。神に似せられて創られたといわれている理由は、この創造の自由を与えられているということにあるといってもよいでしょう。 2.選択の自由 ①真なる成功への自由 さて、この自由論を展開するに当たって、この選択の自由と創造の自由、この二点についてさらにくわしい話をしてまいりたいと思います。 まず、選択の自由のほうでありますが、これが、じつは私たちの幸・不幸を分けている最大の自由なのです。私たちの人生には、いたるところでターニング・ポイントともいうべきときがあります。それは、みなさん一人ひとりの生まれ育った環境、生き方に応じて違うでありましょうが、少なくとも過去の二十年、三十年、四十年、五十年、六十年という歳月をふり返り、そしてその道筋をたどったときに、かならずどこかでみなさんの人生を変えた地点があるはずです。そのときの選択によって、みなさんの人生の方向が変わったという瞬間があったはずです。 それは、青年期にあったかもしれません。受験のときや、あるいは恋愛のときであったかもしれません。また、就職、結婚、転職、病気、家族問題、事故、などさまざまな出来事があったでしょうが、少なくとも、ある時点において、決断を迫られ、そしてその決断をしたことによって、みなさんの人生が左右されたときがあったはずです。これを知っていただきたいと思うのです。 ここで、私の語っておきたいことは運命についてですが、、運命といっても、運命をつくっているもののなかに、みなさん自身のこの選択の自由という問題が潜んでいるということです。これはどうしてもあると指摘せざるをえないのです。もちろん、みなさんのなかには運命学であるとか、姓名判断であるとか、いろいろなものを勉強されて、自分の一生というものは、すでに決まっていると考えておられる方もいるかもしれませんし、また、そうしたことを実証されている方もいるでしょう。 しかしながら、あえて言わせていただくとするならば、運命という言葉にそうした無責任な響きを持たせてはならないのです。みなさん方の運命をつくっているものは、もちろんみなさんの生まれ持っての才能や性格、また環境もあるでしょう。しかしながら、いちばん重要な時期におけるこの選択の自由こそ、じつはみなさんの運命を築いてきた最大の事件であったのです。ある出来事に関して、みなさんがとったその精神的態度が、その後の人生を形づくってきているのです。 ②責任の自覚 私たちが選択するということにおいて、主体的努力をなしているというこの厳然たる事実、これをしっかりと受けとめなければならないのです。これは、他人のせいでは断じてないのです。また、生まれた星であるとか、名前であるとか、このようなものでも断じてないのです。 現在、自分が不幸な状況にあるとするならば それはみなさんの、あるいはあなたご自身の、過去における何回にもわたる選択の積み重ねの結果であるはずです。 その選択とは何であったのか。なにゆえにそのような選択をしてきたのか、これを考えていただきたいのです。そのときに、私がすでに出版いたしました『幸福になれない症候群』という書物のなかに登場する人びとのように、みなさんは自分が不幸になる方向へ、方向へと選択をされてきたのではないでしょうか。そして、その選択はけっしてだれに迫られたものでもないのではないでしょうか。 自分が選んでいったその選択肢が、次第に次第に、自分の道筋を変えてきたのではないでしょうか。そのような事実にもかかわらず、その自分の現在の心境と立場とを考えて、これを他人や環境、あるいは目に見えぬものたちの力に帰しているのではないでしょうか。私はそうあってはならないといいたいのです。 そのみずから決断すべき時点において、正しく幸福となる方向へ向かっての決断をして、行動をとったときには、何年、何十年と悔やむような人生は送らなくてもよかったのです。いや、送らなくてもよかったというよりも、現在、ただいまであっても、今からであっても、その軌道修正はできるはずなのです。 惰性のなかに身を置いているのは、いったいだれであるのか。慣性のなかに身をゆだねていて、そのままでよしとしているのはいったいだれであるのか。それはあなたご自身ではないのでしょうか。 さて、これで、選択の自由というものは、いかに大きなものであるのか、重い責任を伴うものであるのか、ということが感じられたことでありましょう。実際そのとおりなのです。自由は責任というものをかならず伴っているのです。みなさんは自由という名のもとに、空高く舞い上がっていくことは許されてはいるが、その舞い上がっていく自由の過程において責任というものをかならず伴っているのです。この責任という名の重荷をかならずつかんで、舞い上がらなければならないことになっているのです。 特に、若いみなさんに、青年のみなさんに申し上げたいのです。みなさんこそ、いまその選択の自由というものが最大限に許されているその時期にあるわけです。そして、これから前途洋々たる人生が開けてくるのか、あるいは開けてこないのか、これはみなさんご自身の決断、方向の決定にかかっているのです。そして、そのときに自由というものを全面に押し出して生きていくことは、これまた自由でありましょうが、その青任はひじょうに大きいのです。 私は青年のみなさんには、特にこの自由に伴う責任の部分、これを強く強く申し上げておきたいのです。社会人となるということは、自分の考え、発言、行動およびその結果に対して責任がとれるということです。けっして、だれに対しても、また自分自身に対しても責任をとらずに、そして舞い上がるような自由をもって自由とはいわないのです。これをまず心得ていただきたいと思います。 そして、すでに五十、六十の年齢に達しておられる方は、自分もまたそうした十代、二十代の時期があって、その後の道筋をたどってきたという現実をなぞらえていただきたいのです。 ここに反省というものが登場する余地があるのです。反省とは、自分の選択の自由をふり返ってみること。この選択の自由の行使の結果を考えてみること。そして、その選択が違っていたとするならば、いかに修正すべきであるかを考えること。いかに修正すべきであるかを考えたならば、次はいかに行動するかを決めること。そして、第一歩を踏み出すことです。 私たちは、よく反省という言葉を使います。そして、人生の軌道修正をしなければならないというようにいっておりますが、その反省に先立つものとして、各人の主体的自由による選択があったということです。そして、その自由による選択にはかならず責任を伴うがゆえに、自分の思ったこと、あるいは行なったことをふり返る必要がある、反省する必要があるといっているのです。 もし、運命に流されるがごとく、ただ川の流れに流されたように生きてきたとするならば、そのことについての責任はとれないではないか。したがって、反省をすることさえ不可能ではないのか。このようにいう方もいらっしゃることでしょう。しかし、これは人間が人間であるところの根本、この自由であるという前提を無視した議論といえましょう。 したがって、まず第一点としてみなさんにぜひとも知っていただきたいことがあります。みなさんには選択の自由という名の自由があり、その自由の行使によってさまざまな責任が派生してくるのです。そして、その責任をとってゆかなければならないということです。ただ、その責任の反面には、選択の自由の結果として幸福をもたらすような、そうした環境がみずからのまわりに現われてくることもあるのです。私はむしろ、これをこそ体験していただきたいと思うのです。みなさんの真なる成功感覚が自分の生き方の確かさとして現われてきたときに、みなさんは一つ一つの選択において、より向上する道を、より発展する道を、より喜びに満ちた道を見つけていくことができるのです。 ③常勝してゆく自由 また、この選択の自由に関しては、私はさらに次のことをいっておきたいと思います。それは、選択はかならずしも一定の結果を生むわけではないということです。これもだいじな観点です。 選択の結果、自分はAという結論を出し、その結果不幸になったと考えるかもしれないけれども、このAという結果を、これを単に不幸ととらえるか、このなかに次なるものがあるととらえるのか、あるいは自分がまだ気がついていないものがあるととらえるのかどうか。こうしたことを真剣に考えざるをえないのです。いや、考えねばならないのです。一見、選択の結果、不幸に陥ったと見えるようなことがあっても、その結果についてさらに真剣な目で見ていったときに、そこにじつは姿を変えた幸福の芽がひそんでいることもあるのです。 したがって、選択の自由ということは、単に向上か堕落かという二者択一を意味しているのではなく、いったん堕落へ向かったとしか見えないなかにも、さらに向上の芽があるという、次なる可能性を確認していただきたいのです。これが私が時にふれ、折りにふれていっている「常勝思考」ということでもあります。「常勝思考」とは常に勝つという宇を書く。どのような環境にあっても、どのような事件にあっても、どのような境遇に置かれたとしても、常に勝つ、常に人生に勝つという生き方があるのです。 この「常勝思考」という考え方においては、選択の自由の結果、よきものを得たならば、そのよきものを得てさらに発展的な生き方をしていくこと。そして、みずから得たものを自分だけのものとするのではなくて、まわりの人のために、より多くの人のために還元していくこと。さらに、選択の自由の行使の結果、もし不幸だと思われる結果が現われてきたならば、そのなかにひそむ教訓をかならずつかみ取ることです。どんな不幸のなかにも、どのような失敗のなかにも教訓はかならずあります。その教訓をつかみ取ることこそ、いちばん大切なことなのです。いや、むしろ私たちの人生は順風に、そして順調に生きていくだけがほんとうにいいかといえばそうではないかもしれません。 今世、生きているということは、その数十年の人生のなかでどれだけの魂の糧(かて)を得るか、魂が学ぶことができるかということでもあるわけであって、選択の結果、不幸となったと思えるその環境のなかには、じつは無限の金、銀、財宝が埋もれていることがあるのです。いや、むしろ逆境にこそ、私たちは数多くのものを見出すのではないでしょうか。自分たちのいたらない部分に目が向くのではないのか。私は、そう思うのです。 逆境は悲しい。そして、その悲しみはいつもつらいものとして私たちの目には映ります。しかし、私はある観点から、悲しみというものはかならずしも悪ではないと思うことがよくあるのです。それは何か悲しさというものを通して、人は少なくとも二つのことを得るからです。 一つは謙虚さということを学びます。悲しみをとおして、挫折をとおして、逆境をとおして謙虚さというものを知ります。みずからの傲慢(ごうまん)の鼻が折られ、そして力尽き、刀折れたときに謙虚さということを学んでいきます。自分のいたらなさを知ります。未熟さを知ります。そして、この自分のいたらなさを知ったということは、次なる発展のバネとなってゆくのです。 さらに、悲しみにはもう一つの特徴があります。それは、優しさを獲得することができるということです。真に悲しみのなかを通り越した人間でなければ、真に逆境のなかを通り越した人間でなければ、真の不幸のなかを一度でも通り越したことのない人間では、人々の悲しみがわからないのです。人が傷ついているのがわからないのです。人が真に悩んでいることがわからないのです。悲しみの効用として、そこに優しさというものもあるのです。 こうしてみると、私たちの人生にはいたるところ宝があふれているように見えます。みなさんが幸福だ、不幸だといっているそのことがら、その両面のなかに、私は人生の宝がひそんでいるように見えるのです。要は、いかにその宝を発見し、手に入れるということではないのでしょうか。 したがって、選択の自由の第二段階目としては、その結果をどう感じとるのかという自由があり、発見を選択するという名の自由があるということなのです。そのことを知らなければならないと思います。 以上が自由論の第一の「選択の自由」についてです。 3.創造の自由 ①ユートピアヘ奉仕する自由 第二に、私は「創造の自由」について語ってみたいと思います。 創造の自由について語ることは、ほぼ無限であります。無限にあるのです。太初の昔から話を起こせば、それはとても短い時間のなかにおさめられるものではありません。しかし、私はここでいっておきたいのです。人類の歴史をつくってきたのは、ほかならぬ私たち自身であるということ、私たち自身が創造してきた歴史であるということ、私たちの現在の心境も、私たちのまわりに展開するこうした環境も、文明や文化といわれるものも、これらもすべて私たちが創造してきたものであるということを確認しておきたいと思うのです。 私たちのまわりには、いかに多くのものが溢(あふ)れていることでしょうか。いかにすばらしい宝が連綿と積み上げられてきたことでしょうか。 たとえば、みなさんに、こうして書物を通して語ることができるのも、これも数多くの創造行為が積み重なったことによるのです。この紙、活字、机、照明、どれ一つをとってみても数多くの人の創造の結果であろうと思います。この陰には、うまずたゆまず努力をし、汗を流し続けてきた人びとの苦労があるのです。 そして、そうした人びとの積み上げの上に私たちはいま生きており、私たちの次の時代へと新たな遺産を残してゆかねばならないのです。そうした時期がきているのです。かならず、私たちは何ほどかのものを残して、次の時代に引き継いでゆかなければならないのです。 選択の自由という観念は、これは個人の生き方にかかわるものであったかもしれません。しかし、この創造の自由は、個人の生き方でありながら、個人を超えた世界へとつながってゆくものなのです。みなさんは一人ひとりの個人でありながら、個人でない面があるのです。肉体の目には、それぞれがばらばらの人間に見えるかもしれませんが、一段高い観点から見たならば、みなさん一人ひとりがつながっているように見えるのです。どこか、深い深い精神の底において、一(いつ)なるものにつながっている、そうしたみなさんであるのです。 さすれば、私たちは個性あるものであるという理由のみに基づいて、他の人びとになんらの感謝も還元もしないような、そういう生き方をしてよいはずはないのです。私たちが現にここにあるのは、個人を超えたものへ、よりよきものを残さんとする、その努力にあるのではないか、そこに意味があるのではないかということです。 みなさんのなかにどれほどの方が、自分のためだけでなく、自分を超えたもののために生きようと考えておられるでしょうか。自分を超えたもののために、自分の外にあるもののために生きようと考えておられるでしょうか。そのような気持ちがふつふつと湧いてくるでしょうか、どうでしょうか。 もし、自分の外なるもの、自分を超えたものに対してなんらかの貢献をしたいという気持ちが起きてこないのならば、その方は少なくともユートピアを語る資格はないのです。ユートピアの原点は個人を超えたものへの熱き情熱です。自分という個を超えたもの、この世界に対してなにかをなそうとする心です、このほとばしりです、熱意です。これがユートピアヘの運動となってゆくのです。 そして考えてみれば、これは私たち個人にとっても発展そのものであるということに気がつくはずです。私たちは個人として、こうした肉体の限界のなかで、その生活の時間帯のなかで、環境の範囲のなかで生きている限りにおいて、個人は個人を超えることはできないのです。しかしながら、より多くのもののために、人びとのために、隣人のために、世界のために生きていくときに私たちは、個人であって個人を超えるのです。 ここには大きな発展の姿があると思わなければならないのです。私たちは一個人ではなく、もはや世界の一部となっているのです。世界の共有している部分、共有部分となっているのです。そうならずして、なにゆえに生きているのか。生きているといえるのか。生ききっているといえるのか。今世生きたといえるのか。生まれたといえるのか。単に、名前がついたその個人が、生まれて育って、そして死んでいって、それでどうなるのでしょうか。それだけのものなのでしょうか。 私たちは根本的に永遠の生命を生きています。しかし、永遠の生命を生きている私たちは、この三次元の地上世界においては、わずか数十年の時間しか許されていないのです。永遠の生命を持つものが数十年の時間のなかに閉じ込められているということはどういうことであるのか。私たちはその永遠という概念に基づいて、この数十年のなかに不朽のものを、不滅のものを、永遠のものを残さんという気持が出てこなければおかしいのです。 そして、多くの方に、そのような願いがあると私は信じています。それこそが、みなさんが永遠に生き続けている証明なのです。もし、みなさんの生命が今世の数十年で終わるものだとしたならば、なにゆえのユートピアですか。なにゆえに他の人に奉仕しなければならないのでしょうか。なにゆえに人類の文化や文明に奉仕せねばならないのでしょうか。なにゆえに永遠や不滅や不朽、こうしたものを求めねばならないのでしょうか。その意味がないのではないでしょうか。すべてが枯れ木のごとく朽ちて、そして焼かれて灰となっていくだけならば、何のための努力であるのか、私はそう思います。 なにゆえにみなさんは学び、なにゆえに努力されるのか。一生懸命、人を愛し、生きて、それで焼かれた灰のごとく消えていくだけならば、なにゆえにそういう人生が求められるのでしょうか。道徳はすべて嘘だったのですか。過去の偉人たちの教えはすべて嘘だったのですか。 人類史のなかには偉大な方が数多くおられます。私も尊敬している方が、数多くいらっしゃいます。そうした方がたが真実の人生を生きたということ、多くの人びとのために生きていたということ、世の中をよくするために生き抜いたということ、これらがすべて嘘になってしまいます。まったくの空想になります。妄想になります。そのように考えている人も数多くいます。唯物論者という名の人びとです。あるいは、えせ科学主義者たちです。こうした方がたはそのようなことを考えているのでしょう。 しかしながら、その考え方がほんとうにその人自身を、またその人のまわりの人たちを真に生かす考え方であるかどうか、そして人を真に生かそうとほんとうに思ったことがあるのかどうか。人間はどうせ死んでいくのだから、好き勝手に生きていけばいいというような価値観を持っていてどれほど他の人を幸福にしますか。まわりの人を幸福にできますか。人のために生きるという人を、まったくの茶番化し、そして笑い話にしてしまうような、そのような思想がなにゆえに値打ちがありますか。なにゆえにそのような生き方をしている人が尊敬されることができましょうか。されてよいのでしょうか。 私たちはやはり唯一の信念を持つべきであろうと思います。それは普遍なるもの、永遠なるものに奉仕せんとする願いであります。人類は個性を持った人びとによってつくられてきましたが、自分一人の命は尽きても、人類は永い永い理想とロマンの流れのなかを生きているのです。みずからの理想を追求し、そして実現していくためにいく世代を経て、連綿と生命は流れ続けている。そう考えることこそほんとうにすばらしい世界観となっていくのではないでしょうか。それゆえにこそ、私たちは真に目が開けてくるのではないでしょうか。 ②理念を引き出す この意味において、創造の自由とは、じつはある意味での自分自身の発見であり、自分の本質の発見であり、またこの本質そのものに基づいて行動することでもあります。私は多くの人びとにいいたい。「まず、心のなかに、創造せよ。。創り出せ、すばらしきものを。」と。 人間の心はさまざまなものを生み出すことができるのです。そして、この世になされたことすべては人びとの心、いや、ある一人の心のなかにできあがっていたものではないのでしょうか。その人の心のなかのすばらしきものの像が外に現われ、多くの人の力を得ていろいろなものができてきたのではないかということです。 そう考えるときに、まず創造の自由は心のなかにおいて、ある種の考えを形成するというところに始まってゆくべきです。みなさんは自分の心のなかに、なんであろうと描くことが許されているのです。外面的な行動においては限界があるでしょう。他の人の存在、環境の制約、いろいろなものがあってそのとおりにはいかないでしょうが、まず心のなかにおいて何を思うか、これは絶対者と同様の自由を与えられているのです。何を思うこともできる。全宇宙を心のなかにおいて包含することさえできる。宇宙の外にあるものを考えることさえできる。そのような私たちであります。この心の自由を十分に使っていますか、どうでしょうか。 まず、よきものは、すばらしきものは、人びとに喜ばれたようなものは、個人のアイディアとして生まれているのです。あなた自身はどのようなアイディアを考えつきましたか。創造しましたか。そう問われてみますと、意外に何年、何十年と何ひとつまわりの人の役に立つことを考えてこなかった自分が発見されるはずです。そうではないでしょうか。どうでしょうか。自分以外の人のために役に立つようなことをどれだけ考えましたか。そのアイディアを考えつくだけの自由は与えられていたのです。時間もあったのです。 なさなかったのは、努力しなかったからだけなのです。そうではないですか。その不作為、為さずということに対してどのように責任をとりますか。どうでしょうか。どのような人であってもなかなかこの部分は考えていないはずです。 たいていの人は行為によって、人に迷惑をかけなければよいとか、法律に触れなければよいとか、このようなことは考えます。心のなかについては放置されているのです。しかし、そこがいちばんだいじなところであるのです。人類は現在、五十億人います。五十億の人が心のなかで何を考えているか、これがしつは世界をつくっているのです。五十億の人が考えているこの結果が、やがて行動となって現われ、それが環境となって現われ、みなさんの幸福を定めるそうした土壌をつくっていくことになっているのです。 世界が不幸であるならば、不幸な考えを持っている人が数多いということなのです。よいですか。幸福な考えを持っている人が数多ければ、そのようにはならないはずなのです。心のなかにおいて幸福を描いている人が数少ないということにあるのです。 まず、思うということを努力する必要があります。一日のうちに何度思ったか、よき思いをもったか、よき理想を出したか、アイディアを出したのか。そして、何十年も出さなかったのは、いったいなぜか、なぜ自分はそのようなことを考えることもなかったのか、このようなことをふり返っていただきたいのです。 いったいなぜそうなったのか。おそらくは、自分のことしか考えたことがなかったからではないのですか。いや、自分のことというのは言い足りない、自分の不幸なことしか考えなかったからではないのですか。自分にこうしたところが足りない、ああしたところが足りないとか、だれそれさんによって害されたであるとか、このようなマイナスの想念ばかりで心のなかが長年いっぱいであったからではないのですか。それに気がついたならば、今日から改めてほしいのです。今日から心のなかをよきアイティアで、そしてすばらしい考えで満たしてほしいのです。です。それが第一歩なのです。それをしなければ、絶対によくならないのです。みなさんが言いわけに使う環境は、絶対によくならないのです。 各人が孤独な殼のなかにこもっていて、そしてみずからの不幸ばかりを心のなかで思っていたところで、なんにもよくはならないのです。 ③スプーン一杯の貢献 そして、次に行動があります。この創造の自由は思いから行動へと移る段階においてかたちとなって現われてきます。まず、思いを正し、すばらしきものとすること。そして、さらにこれを発現する過程においての注意事項があります。 これはまず、素直な心で生きるということです。ゆめゆめ、このすばらしい考えを実現していく過程において、我欲や、名誉浴というような心をもってはならないのです。自然に、ひとりでに、その素直な思いが、よきアイディアが、流れ出して動き出していくようでなければいけません。自然に体が動くようでなければならない。自然に行為ができるようてなければいけない。自然に思い即行動とななねばならない。それがまずだいじです。 そして、次には自分の手柄としないことです。自分がやったと言わないことが大切です。それはよきアイディアというもの、理念というものはほんとうはみなさん自身のものではないからなのです。それは、人類が共通としている宝、この宝を自分が発見したということにすぎないのです。ほんとうは共通精神のなかにおいて、こうした無限の宝があって、その一部を自分が発見したということなのです。 そして、この宝を自分から外に投げ出したということは、これは自分が苦労して、努力をしてつくったものではないのです。これは現にあるものを発見して、その場所を移しただけなのです。そのダイヤモンドは、その金銀は、みなさん自身のものではないのです。そのよきアイディアは、インスピレーションとして与えられたものなのです。恩寵(おんちょう)なのです。 そのようなアイディアを投げ出すことにおいて、さし出すことにおいて、いったい何の問題がありましょうか。それは、もともと自分のものではないのです。自分が発見したことをまわりに分け与えることです。何の見返りがいりますか。当然のことです。自分たちにも、ほんとうに何のお返しをすることもなくいただいたよきアイディアなのです。それをまわりの人に分けてあげる、社会に還元するということに、いったい何の見返りがいりますか。 そして、それがよくなっていけば、種をまいて、自然に木が大きくなり、大樹となってゆくならば、それはみなさんの手を離れるものとなりましょう。しかし、自分の手を離れたものを、その成長を素直に、謙虚に喜べるようなみなさんであってほしいのです。 そして、その過程において、一部でも自分が手伝わせていただいたという気持ちがあるならば、それを名誉と思えばよいのです。それをうれしいことだと思えばよいのです。その木になる林檎(りんご)までも手に入れようとする必要はないのです。 創造の自由においては、この思いを正し、行動に移す段階において素直に、ごく自然にそれが流れ出し、その結果をみずからで刈り入れようとしないということ 刈り取ろうとしないということ、これがだいじです。無限によきものを出し続けようとする願いを持ち、またその行動をし続けることこそが大切なことなのです。そうでなければ、みなさんが現時点に立っている立場、その環境に立たせていただいているということに見合うだけのお返しができないのです。 私はよくゼロからのスタートということをいっています。人間はオギャーと生まれたそのときから、ゼロからのスタートが始まるといってはおりますが、その環境においてはかならずしもゼロではないのです。多くの人たちの努力によって、すでにできあがっているものがあるのです。そうであるならば、私たちもお返しをしてゆかなければならないのです。そうした考えが根本になければなりません。一生お返しをしても、それでも十分ということはないかもしれません。 私もときおりそういう感じが強くいたします。自分のたらいから水を一すくいスプーンですくっては川のなかに入れているような気分にとらわれることが、よくあります。自分は自分なりに努力をし、勉強をしているつもりであっても、自分自身の行為は大いなる宇宙のなかの、その立場から考えてみるならば、大河のなかに自分のたらいからスプーンで水をすくって入れているような、そうしたことにしかすぎないのではないか。 自分のスプーンの一杯、二杯が入ったところで水かさが増えるとも思えません。しかし、どこかでかならずこのようなことをする人がいなければ川の水は枯れてしまうでしょう。おそらく多くの人がみずからのスプーンで一杯、二杯の水を入れ続けているからこそ、人類の歴史をつらぬく川が流れ続けているのでしょう。 この川のことを愛の大河というのです。この愛の大河は、各人がスプーン一杯の水を入れ続けているからこそ流れ続けているのである、私はそう思います。その愛の大河の大きさを、その長さを、その時間の長さを考えるときに、無力さはどうしてもつきまといますが、しかし、たしかな一杯ではあると感じられるのです。 創造ということは、ある意味において、こうした人類の流れのなかに自分なりの貢献をしていくことでありましょう。 4.真の自由からの発展 次に、自由からの発展ということをお話ししておきたいと思います。 発展という概念を幸福の原理の最後に位置づけています。愛と知と反省、発展というこの考え方です。この発展と自由とをどうとらえるのか。この自由の概念と発展の概念は、じつは不即不離の関係にあるのです。もし、人間の各人の神性のなかに自由という領域がないとしたならば、おそらく発展という考えはありえないのです。発展は大きな宇宙の二大原理である進歩と調和のうちの進歩の原理に属しますが、進歩のこの根源の力は、各人に与えられた選択と創造の自由に起因してくるのです。この自由というものに起因しているわけなのです。 したがって、真の自由とは何かをつかみきる、ということが発展への道を悟るということにもなっていきます。では、我々が求めている発展とはいったい何であるのか。何をもって発展と言おうとしているのか。すでに、私の選択の自由と創造の自由の話をご理解されたみなさんであるならば、この発展の行方(ゆくえ)というものが見えてきたでありましょう。 それは、個人の立場としては、限りなくみずからの舵をとりながら、上流へ上流へと船を進める努力を意味します。この櫂(かい)の操作こそ選択の自由の部分であります。選択の自由であり、また結果に対するこの感じとり方の自由、発見の自由でありましょう。これが舵(かじ)とり操作です。この舵とりをしながら上っていく行為といえます。 そして、いま一つが創造の自由という名の自由によって、人類の愛の大河のなかにみずからのたらいの水を入れていく行為でありましょう。この愛の大河は、ある意味において知恵の大河でもあります。知恵です、叡智です。叡智の大河、知恵の大河でもあります。 人類がいま、これほどまでに発展してきたといわれている理由は、その永い永い歩みのなかにおいて、絶えず絶えず知恵というものを集積してきたからではないでしょうか。 この知恵の大河、このなかに自分なりの発見を、発明を、工夫を入れようとしてきたこと、そして、さらに大いなるものをつくっていかんと努力してきたことではないでしょうか。 「反省からの発展」という言葉も、よく使われています。しかし、次に私は「真の自由からの発展」という考えも、みなさんに理解していただきたいと思うのです。自分に与えられた真の自由というものを知ったときに、そこに感謝が生まれ、その感謝が思いとなり、行為となって現われ、そして多くの人びとの歓びとなってゆくのではないでしょうか。 5.大いなる創造者へ向かう自由 自由とは、じつはより大いなるものに奉仕せんがためにあるのではないのか。より価値あるもののために奉仕せんがために自由があるのではないのでしょうか。いや、自由というのは、私たちの努力が可能である幅のことをいうのではないのか。無限の自由とは、無限の努力が許されるということではないのであろうか。そう考えるときに、自由という言葉は「何々からの自由」ということではなくて、「何々への自由」ということでなければならないと思いいたるのです。その「何々への自由」とは、より高次な目標に向けての自由でなければならず、さらに高邁(こうまい)な精神に向けての自由でなければならず、いっそう世界をすばらしくするもののための自由でなければならないのです。 みなさん、今日よりまわりの人びとや、世界から自由になることを考えるのではなくて、人びとへの自由、世界への自由、宇宙への自由、そして大いなる創造への自由という道を歩もうではありませんか。そうであってこそ、生きているといえるのではないのですか。それが、生きているということの証明ではないのでしょうか。私はそう思うのです。 強く、強くみなさんに訴えかけたいことは、この各人に許された、この幅を楽しむことです。歓ぶことです。自分一人にいまどれだけのことができるだろうか、これを考えてみることです。そうすれば、できることはじつにたくさんあります。意外に多いのです。私一人の力でさえ、いろいろなことができるのです.ましてや、数百、数千、数万人のみなさんがいらっしゃったら、どれだけのことができるでしょうか.各人が思いにおいてつくったアイディアを外に出し、それを世に広め、多くの人のために生きることにどれだけの限界がありましょうか.それはそれはすばらしいカとなってゆくと思います。私はみなさん方にぜひほんとうの意味における真の自由を発見し、自分のものとしていただきたいのです。 そして、この自由とはけっして、けっして我欲という意味での自由ではないということを忘れないでいただきたいと思うのです。自由とは、自己慢心の自由や自己保存の自由、自分がよければいいという自由であると勘違いされることが多いのですが、これこそが人類を不自由にしている原因の一つであるのです。不自由を自由と考えてはいけない。そんな考え違いをしては絶対にいけないのです。 人びとの足を縛っているものはいったい何ですか。みなさんがほんとうに、真に舞い上がれない、飛び上がれない理由は何ですか。それは、それぞれの人が間違ったエゴイズムという、そうした考えでお互いの足を縛り合っているからではないでしょうか。そのようなものであってはいけないのです。真の自由とは、このようなものであってはいけないのです。そうではなくて、大いなる宇宙の創造者に向かっての自由でなければならない。それは唯一なる叡智者を求めつづける旅でもありましょう。 さて、本章をしめくくるに当たりまして、もう一度だけ繰り返して述べておきたいことがあります。それは、まず自由というものがみなさんに与えられた最大の宝であるという事実、そしてこの最大の宝を最大限に生かしていない自分を発見したならば、今日よりそれを改めて、この自由をほんとうに人びとのために、世界のために、宇宙のために生かさんとすることです。そして、この自由には、かならず責任が伴いますが、この責任をしっかりとつかんで伸びていくこと、飛び立っていくことです。さすれば、そこには黄金の道がひらけてきます。 真の自由の道は、「中道からの発展」とまったく同じ道であるのです。「中道からの発展」こそ真の自由と一致する考え方であるのです。その意味において、自由という考え方もきわめて整然とした教えとなりましょう。
https://w.atwiki.jp/sugar_aa/pages/278.html
戦国時代の不思議雑学 アイテムカード コスト:青(知)白 常時 知+100 このキャラが器属性の場合、このキャラが攻撃しているバトルの間、器+100 お琴さん……ユズたちのこと、ちゃんと覚えててくれたんですね…… No0198/U
https://w.atwiki.jp/shin0000/pages/457.html
BBNTRPGの舞台 ここではBBNTRPGの舞台となる原作世界を紹介します 舞台となる「並行世界」 プレイヤーキャラクターたちが生きているのは、21世紀現在の、あなたが住んでいる世界とほぼ同じ世界です。 ひとつ違うのは、私たちの世界には妖怪や幽霊、吸血鬼、魔法、精霊、超能力……。 様々な超常のものが、現実のものとして存在していることです。 でも、それらはあくまで『裏の社会』での常識。 私たちの世界のほとんどの人々は、それらの存在を知らず、平穏に暮らしています。 逆に言うと、それらの一般の人々が『裏の社会』を垣間見てしまった場合、間違いなく不幸の種になります。 そういった人たちの平穏を守ることも、プレイヤーキャラクターの役目となるでしょう。 BBNとは? 正式名称『ブラック・ブラック・ネットワーク』。 上下関係での『組織』ではなく、あくまで同じような力を持った者達の『連帯』という意味で設立された機関です。 主な役割は、登録者への『裏の仕事』の斡旋。 そして、その『裏の仕事』こそが、プレイヤーの皆さんが、キャラクターを通して解決していくべき数々の事件なのです。 プレイヤーキャラクターたちは「BBN」で繋がっている BBNへの登録条件は、どこか1点でも『人間を超えた能力を持っていること』それと『総帥である「巫 晴之」(かんなぎ はるゆき)の目に通ること』です。 これは逆に言えば、『全てのプレイヤーキャラクターたちは、BBNを通して互いに存在を知っている』ということです。 BBNへ登録した場合、巫さんを通して、他のBBN登録者の情報は知ることができます。 BBN登録者たちの日常 『人間を超えた能力』の持ち主たちも、普段は『表の社会』で日々を暮らしています。 都会のアパートを借りて生活する人もいれば、山奥の小屋で隠棲する人もいるでしょう。 キャラクターたちの何気ない日常を想像するのも、このゲームの楽しさの一つです。 もっとも、中には世間とのギャップから、ただれた生活を送る人もいるでしょう……。 力の使い方を誤った能力者たち さて、『普通の人間』と、『力を持った人間』、どちらが過ちを犯し易いでしょうか。 尋常ならざる力を持ってしまった者は、えてしてその力に振り回されがちです。 そういった世に仇なす能力者に対処するのも、BBN登録者の役目となります。 BBN登録者の前には、そういった狂気に身を落とした能力者も立ちはだかることになるでしょう。 せめて、あなたのキャラクターは、彼らのようになってしまわないように……。 原作登場キャラクター紹介 ここでは原作に登場したBBNメンバーを紹介します。 どのキャラクターも、シナリオに登場してPCたちに協力、または敵対するかもしれません。 巫晴之(カンナギ ハルユキ) 種族:人間 性別:男 得意技能:≪急所攻撃≫≪縛りの法≫≪符術習熟≫など BBN創立者の一人であり、若くしてその全てを掌握する総帥の座に座る男。軽薄そうな笑みが似合う。 現在は巫探偵事務所を開業しているが、裏でBBNの斡旋をする以外、ほとんど表の仕事はない。 暇すぎて知恵の輪と漫画がお友達。 だが、その奥に隠されている思慮の深さ、戦闘能力は術者の中でも群を抜き、「全ての能力において平均値を上回る」という弱点のなさは最大の武器。 得意な技は相手の目玉をつぶすと同時に投げ、地面に相手を叩きつける「peace of death」。 二つ名は「スティンガー・スコーピオン」。女運悪し。 美紀ちゃん(ミキチャン) 種族:霊体 性別:女 得意技能:≪料理≫≪掃除≫など 生活貧窮で身売りするか自殺するかの選択を迫られ、自殺した幽霊少女。 とある事件をきっかけに巫探偵事務所に住み着く。 自殺者の幽霊のくせに明るく、人懐っこい。 家事全般を担当している……が、作る料理がたまに異次元世界からの贈り物と化す特徴がある。 カチューシャに眼鏡が特徴。 城野未亜(シロノ ミア) 種族:半獣人(猫) 性別:女 得意技能:≪符術習熟≫など 巫晴之の元で修行する『人猫族』の少女。 身の軽さを生かしての格闘攻撃を得意とし、双子の仁亜とのコンビネーション攻撃はBBN中でも屈指。 単独でも運のよさを味方につけ、BBN最強決定戦を優勝している。 黒猫へ変身する。 城野仁亜(シロノ ニア) 種族:半獣人(猫) 性別:女 得意技能:≪≫ 城野未亜の双子の姉妹。 人猫族の身の軽さ、その上生来の器用さか戦略にも長け、多少の術も使える。 未亜とのコンビネーションで攻撃力を最大限に引き出し、さらに己の攻撃も叩き込む離れ業をやってのけるなど、その才能が際立つ。 多少、物静かなところがあるが、突っ込みは的確。少々プライドが高い帰来がある。 白猫へ変身する。 影浦微笑(カゲウラ エミ) 種族:魔人 性別:女 得意技能:≪影術≫ 巫晴之の元婚約者。BBN最古参メンバーの1人でもある。 周囲の影を操る「影術」を習得しており、夜、特に月の光が消える新月時は手がつけられないほどの力を発揮する。 2つ名はCruel Hecate(夜を統べる魔女)。 恨まれると意外とねちねちと責め立てる。 鴉真桂司(カラスマ ケイジ) 種族:ダンピール 性別:男 得意技能:≪拳銃習熟≫≪聖杭≫ 影浦微笑と同じくBBN最古参メンバーの1人で、吸血鬼。 「穿つ者」「同族狩り」と呼ばれ、吸血鬼でありながら吸血鬼、ヴァンパイアを狩る異端者。 体内から捻り出す聖性の塊、『聖杭』で今日も吸血鬼を狩り続ける。 連載当初はワイルドキャラだったが、いじられつづけて「ヒモの人」「ロリコン」呼ばわりされる事が多い。 巫晴之とは犬猿の仲。こいつも女運悪し。 石橋修司(イシバシ シュウジ) 種族:超人 性別:男 得意技能:≪空手≫≪小型銃器習熟≫≪身体強化≫≪無痛感覚≫ 頭を銃で撃ち抜かれても死なない恐ろしい生命力を備えた人間。(もはや人間の域を超えている生命力……) その上、脳のリミッターが外れているため超絶的な筋力。BBNの中でも1,2を争うパワーの持ち主である。 BBN最古参メンバーの1人で、巫晴之とはよくどつきあいをしている関係。 ミートボール大好き。 三原銀香(ミハラ ギンカ) 種族:魔人 性別:男 得意技能:≪刃武器習熟≫≪鬼斬り≫ いかなる物をも切り裂く『鬼斬り』の使い手で実際の剣術も一流の剣士。 BBN最古参メンバーの1人で、その腕は影浦微笑と並んで巫晴之の厚い信頼を得ている。 妹の詠歌を溺愛しており、妹の目の前では「いい兄」に必死になってなろうと努力しているようだ。 また、大根を事務所に大量に送って嫌がらせをしたことでも有名である。 丁寧口調だが性格は悪い。 三原詠歌(ミハラ エイカ) 三原銀香の妹。『鬼切り』の才能は兄より、いや、一族の中でもトップクラス。 ただ、それが元で人間兵器にされかけ、幼少の記憶が多少飛んでしまっている。 まだまだ技は未熟だが、相棒の霜夜と共に日夜、事件と修行に追われている。 気遣い上手。 伊庭霜夜(イバ ソウヤ) 種族:妖怪 性別:男 得意技能:≪≫ 三原詠歌の相棒。詠歌の封印を守るために相方となり、またそれから強い絆でも結ばれている。 正体は齢400歳を超える化け猫で、妖力という点に関しては恐ろしいほど。 人間形態の時にはビー玉を武器として使う。 キジーナリーナ(読み同じ) 種族:魔人 性別:女 得意技能:≪符作成≫≪裏技術精通≫≪不老長寿≫他、魔術技能全般 「魔女」であり、BBNのメンバーたちに呪符などを売る錬金術師でもある。 見た目は10歳程度の子供だが、長い年月を生きており、魔術に非常に長けている。 知識も半端ではなく、むしろそちらが本業。ドイツの森の中でひっそりと暮らしている。 口は悪い。 霧咲羽澄(キリサキ ハスミ) 種族:人間 性別:女 得意技能:≪刃武器習熟≫≪小器用≫ 鴉真桂司とタッグを組んで仕事をしたことから、彼の住む廃ビルにお世話になることになった祓い師にして家出娘。 『殺戮妖精』の2つ名を持ち、表と裏の二重人格を使いこなすテクニシャンでもある。 そして、獲物の短剣も2本、舞うように相手を倒す姿はまさに妖精そのままである。 典型的な天然ボケ娘。 綿羽瀬津(ワタバ セツ) 種族: 性別: 得意技能:≪≫ いつもは自らが所持している結界の秘宝、赤帝の球の内部に存在し、蛙の中に収納されている。 BBNでも屈指の結界士だが、あまり荒事をすることはないようだ。 ふだんは山奥で隠遁生活をしている様子。 数少ない巫晴之の過去を知る人物。 シティマップ 実際のストーリーでは、これらの場所で情報を集めたり、BBN古参メンバーに助力を求めたりできるかもしれません。 巫探偵事務所 BBN総帥、巫晴之が開いた探偵事務所。 ほとんど依頼が来ず、事務所主の巫晴之は漫画や知恵の輪で暇をつぶしている。 家事の担当はほとんど幽霊の美紀ちゃんが担当。 城野未亜、仁亜姉妹もここでよく日向ぼっこをする。 三原家 武家屋敷風の広い庭園つき日本家屋。庭の隅には2階建ての倉もある。 母屋に住んでいるのは、現在、家長でBBN登録者の三原銀香とお手伝いの佳奈美だけで、銀香の妹・詠歌とその相方・霜夜は蔵の2階を改装した部屋にいる。 巫探偵事務所からそう遠くないところにある。 喫茶店「ハロウィン」 三原銀香が行きつけの喫茶店。 体格のいい壮年のマスター、無口なメイド、悪がきのようなウェイターが主に店番をしている。 その実体は、巫晴之が三原銀香へ仕事の依頼書を渡すときの仲介役や、メイドの狭山花糸がそのダウザー能力を駆使する『導き屋』も兼任する裏の店。 法外な値段を請求したりするようだ。 名物は、たっぷりとクリームが塗られた、女性もびっくり化け物スペシャルホットケーキ。 キジーナ城 ドイツの大森林内に位置する「魔女」キジーナの住む古城。 中では魔術的研究や、錬金術、コレクションの格納庫など、まさに魔女の住む城にふさわしい設備が整っている。 ちなみに、ココにたどり着くためには超高速で走る使い魔の黒猫ケラットを追跡するしかない。 霧咲羽澄探偵事務所 新人登録者、霧咲羽澄が灰ビルの1階部分を勝手に使って開いた「美少女探偵最中」が売りの探偵事務所。 大抵は巫晴之が仲介した仕事をして生計を立てているようだ。 内装はコンクリ張りらしいが、キッチンや最低限の生活機能は整っているらしい。 地下には、BBN最古参メンバーの一人、吸血鬼の鴉真珪司が住処にしている一室もある。 住所は巫探偵事務所から少し離れた裏市街の一角。 影浦邸 BBN最古参メンバーにして巫晴之の元婚約者である影浦微笑の生家。 彼女は事務所で寝泊りすることもあるが、基本的にはここで生活している。 詳細は明らかにされていないが、結構なお屋敷。 他県にあるので登場する機会は少なそうだ。 虹龍の滝 BBN随一の結界使い一族、綿羽親子が住む滝。 実際にはその滝の近くに和風の家を構えている。意外と中は広いらしい。 紅孔雀学院 秘密性と国際性が国内だけでなく、国外にも有名な超名門学校。 全国、全世界でも優秀な人材が集まっており、一部、生徒や教師にBBN登録者並の力を持っているものが在籍している。 例を挙げるなら、筆頭司書にして戦士、御酒草観霧。学長付のお女中、クレイオ・星昴。そしてオカルト部の化け物生徒達(一部はまとも、それでも化け物多し) とにもかくにもココに突入して何かしでかしたら、帰ってこれないというのは、けして洒落じゃない。
https://w.atwiki.jp/nanaitatrp/pages/92.html
11/02/21~ + スレッド概要 人は誰しも、願いを叶える力を持っている・・・ 少女達に手渡されたのは願いを秘めた魔法の源。巻き込まれたのは願いを巡る少女同士の殺し合い。 願いを叶える為に誰かの願いを犠牲にするのは悪なのか?戦う覚悟を決めた者は、誰の願いを背負うのか? 離脱不可能のノンストップマジカルアクションが今、幕を開ける――! 現行スレ 【TRPG】ブラック魔法少女4 http //kanae.2ch.net/test/read.cgi/charaneta2/1401980286/ 避難所 http //jbbs.shitaraba.net/otaku/16418/ http //774san.sakura.ne.jp/test/read.cgi/hinanjo/1376767181/ 過去ログ ブラック魔法少女1 ブラック魔法少女2 (避難所ログ 忍法帳エラーにつき本編も 179から避難所進行) ブラック魔法少女3 ブラック魔法少女3-2 ブラック魔法少女TRPG(イラスト集) (TRPイラストwikiへ) + ストーリーダイジェスト 第1章 煉獄 篇 -Purgatory- 第2章 茶会 篇 -Tea party- 第3章 楽園 篇 -Elysion- 第4章 夜宴 篇 -Abyss- 第5章 覇王/魔王 篇 -the Archenemy- + 魔法少女のルール 【魔法少女とは?】 叶えたい願いを持った人間が【悪魔】と『契約』する事で変身できる存在 魔法少女は他の魔法少女の『魔法核』を奪うか、魔法少女を殺す事でその力を増す 魔法核を奪われた魔法少女は、三日以内に魔法核を取り戻さなければ廃人となる 死んだ魔法少女の肉体と魂は悪魔に食われる 魔力か魔法核を集める事で、その魔法少女の願いを一つだけ叶える事が出来る 叶える願いの難しさによって必要となる魔法核と魔力の総量は変わる 願いを叶えない限り、魔法少女をやめる事は出来ない 参考:ブラック魔法少女の用語集 + テンプレフォーマット 名前: 所属: 性別: 年齢: 性格: 外見: 願い: 魔法: 属性: 行動傾向: 基本戦術: うわさ1: うわさ2: うわさ3: + キャラクターテンプレ 【ブラック魔法少女の登場人物】 "魔法少女" -Magical Girls-(現在の参加中のPC) 坂上 南雲 奈津久 萌 神田 理奈 西呉 真央 大饗いとり 佐々木 真言 その他の魔法少女(元参加者→NPC ) 茅野 いずみ 蒼月 徹 壱斬 千禍 神崎 壊 塞守真衣 鷹河明日香 守本祝子 【Tender Perch】関係者(NPC) 都築ゆりか 猪間 麻子 『楽園 -Elysion-』関係者(NPC) 苗時 静 駆走知史 目立零子 影野刃月 郷原 桃 『夜宴』関係者(NPC) 門前 百合子 梔子 梓 ミサワ 縁籐きずな 草枕夜伽 イナザワ "悪魔" -Deamons-(NPC) 闇のセールスマン 闇のセールスマン(眼帯オヤジ) 闇のセールスマン(チンピラヤクザ) 闇のセールスマン(屋守/ヤモリ) 緑色の象 少年の悪魔 セバスチャン(通称) レギオン 紅木 ブラック魔法少女の用語集
https://w.atwiki.jp/ys-ys/pages/101.html
基礎知識編へ戻る 東方RPG(仮称) 最 速 攻 略 本 (蜘)たけのこくもさん +まえがき まえがき みんな、(蜘)たけのこくもさんの攻略本を買ってくれてどうもありがとう! キミがゲームをプレイしていて困ったことがあったら、どんどんこの本を使ってくれ! この本さえあれば、もうどんな敵だってへっちゃらだぞ! 大丈夫!たけのこくもさんの攻略本だよ!! +ストーリー ストーリー 幻想郷全域を、突如襲った大異変。 あらゆる地域に強力な結界が発生、弾幕使いのほぼ全員が分断・隔離されてしまったのだ! さらに弾幕を操る力にも影響が現れ、誰もが毛玉や妖精程度の力しか発揮出来なくなってしまった! 殆どの者達は結界の内部に囚われることとなり、衰えた力では結界を打ち破ることも出来なかった。 いったい幻想郷に何が起きたのか。 偶然にも結界による拘束を逃れた霊夢は、さっそく異変の調査を開始するのだが…… +攻略 攻略 ここからは、実際のゲーム進行に沿って攻略していくぞ! 進め方が分からなくなっても、もう安心だ! 序章~はじまり~ 第2章~仲間を求めて~ 第3章~封印の地~ 第4章~地霊殿へ至る行為~ 第5章~地霊戦線~ 第6章~永琳の謎~ 第7章~狭間の世界~ 第8章~夢幻の彼方へ~ 第9章~大空魔術~ ※このページの内容は全て、エイプリルフールの冗談です。ざんねん!!
https://w.atwiki.jp/uhyozatsu/pages/264.html
達川時代のカープ いわゆる集団狂気のひとつの実例である。 【2月】 1日 キャンプイン。監督『胃に汗をかく練習をおこなう』。 ディアス『一生のうちでこんなに練習をしたことはなく…』 練習メニュー(午前)…ランニング9 30~11 00。飯は急いで食べられる麺類に。 うがいのチェックまで管理する徹底ぶり。この後、休みは11日まで無し。 2日 ディアス故障。新人選手と同じ軽めのメニューに変更。 キャンプをリタイアした場合、その時点で罰金を取られることになる。 達川監督から「やる気が見えない」とされた若林・福地・福良選手が、居残りノック。 3日 小山田がリタイア第1号となってしまう 4日 木村拓也、サードの守備位置で100分間ノックを受ける。本人は満足。 カープのキャンプに帯同しているアマチュア選手に、達川監督がラブコール。 だが、口々に断られる。監督『練習がキツいから、ということだった』 6日 兵動選手は送球が悪く、大下コーチのカミナリが落ちる。だが、実は右肘痛であった。 7日 兵動がリタイアで広島帰還。のちに手術を行うことになる。 手薄になった選手を補うため、新人を急きょ1軍に昇格させる。 首脳陣『選手が張り切りすぎて、オーバーワークとなっている』 8日 福良がリタイア。山内がリタイア。瀬戸も故障していた。リタイアはせず。 見るに見かねたのか、コーチ陣がこの日の練習を午前中できりあげさせる。 大下コーチ『13日からは、さらに中身の濃い厳しい訓練となる』 9日 この時点で、野手35人のうち残っているのは24名。別メニューの新人を除くと20人。 怪我人続出について、達川監督『紅白戦ができないかもしれない』 さらに達川監督『だらしがない。何やっとるんじゃ!、と言いたい』 10日 リタイアした山内が、朝6時のバスにて強制送還され、広島へ。 監督の談『野球に対する考え方に甘さがある』 首脳陣の指示により、河野が丸刈りになる。 11日の天気が雨という予報に、思わず頬が緩む選手たち。 新井がリタイア。 11日 雨という予報は外れる。(笑) 吉年投手が扁桃炎で休み。 紀藤投手、明日の休日について『ウキウキした気分はない。休み明けが恐怖だもん』。 12日 やっと休み。だが歓迎式や写真撮影などで、休む間もなし。。 13日 西山捕手、夕食の席で頭を「丸刈り」にすることを提案。ペルドモ選手のバリカンで。 その西山『酔った勢いでやってしまった。とんでもないことをしちゃったよ』 14日 選手の間で丸刈りが大流行。若手選手4人が次々と。 バレンタイン。選手に届いたチョコの総数は150個(松坂1,200個、イチロー180個) 150個のうち100個は、広島中央郵便局の女性職員から。 紀藤投手には、栄養ドリンク1本が送付されたらしい。 16日 佐々岡投手が302球も投げ込む。 前田も好調。『ワシの事はええんじゃ。ほっといてくれ』 17日 2度目の休養日。 江藤は大下ヘッドに頼んで30分間の集中ノック。福地は3時間半の練習。 19日 大下コーチ『死ぬかわからんぞ』野村、ランチタイムにも守備練習。 その野村、守備練習中にグラブを投げ捨て、素手でノックを受ける(素手ノック事件) 20日 1軍で紅白戦が無事行われる。ついに野村が故障。 21日 グラウンドに清めの塩が撒かれ、大下コーチも神社を訪問する。 岩崎選手が初めて外野守備についたが、動きが緩慢との理由で約10分で交代させられる。 監督『実は選手は今年も夜間練習をやっている』 22日 強制送還させられた山内が、キャンプ地に再び戻る。 丸刈りがさらに伝播。10人近くが丸刈りとなる。 23日 休日。だが、江藤・山内・田村・嶋・広池ら9人は練習を続行。 その大下『これで上手くならなかったら、罰が当たる』 25日 町田が故障。紅白戦の予定があったが中止に。 監督が言い訳『体づくりなどが、試合のできる所までいってない』 26日 キャンプ打ち上げ。 大下コーチ、調子を聞かれて『調子はですね、、カラ元気です』 佐々岡投手が304球の投げ込み。
https://w.atwiki.jp/ipha/pages/21.html
リシェット近郊。 ゆるやかな谷につくられた美田の村。 ゆるやかな山の頂上に寺院があり、そこの僧から結界作りを依頼されている。 魔法使い数人による共同作業。 結界作成に必要な巨大な力は数か月前から僧が構築するてはず。誰かが目となりグリーンが総指揮を取ることになっている。 イファは誰か来られなくなった魔法使いの急遽代役として呼ばれた。 グリーンは結構太っていた。30半ばの中年女性のような感じになってた。 結界に必要な力はほとんど集められていなかった。時代の変化による魔法力の減退が背景にある。僧の失敗であるが、グリーンは仕方なくその力で予定通り結界を組もうとする。 イファは意味のないことをしているのではないか、と反論。 「そもそも代役が発言してもいいものかどうかわかんないけど」 「イファさんは魔法力の落ちた今の時代をよくわかってないのでは?」 といったやりとり。 「やるからには形になるものを作らないとならないし、いい加減な仕事は魔法使い全体の信用にかかわる」 とはいえ、魔法力が薄ければ結界の必要性も薄くなるという事情もある。 結局結界構築をいったん差し止め、全員で寺院でもう一度ディスカッションすることに。最終決定権がグリーンにあることを再確認して、話し合い開始。 イファの当初のプランは、少ない魔法力に流れをつけ、妖魔を寺院に集める形にしてそこでコントロールを行う結界。しかしルィノは大いに反論 「バカじゃないの。イファも。みんなも」 魔法力のゆるやかな変動を考慮し、力の極大を想定して結界を組むべきだと主張。 「結界は百年以上残ることを前提として作るべきもの」 最終的に今の淡い力を最大限コントロールして、通常と同様の結界を張るための様々な工夫を凝らすことになる。 Advertisings
https://w.atwiki.jp/wiki11_1993/pages/2.html
メニュー ホーム ページの新規作成 けいじばん リンク RPGツクールについて 調べる 検索
https://w.atwiki.jp/planetkirby/pages/97.html
項目 説明 カービィRPGDX そして伝説に 制作者:ペンギー大帝(くるりんく)様 サイト:ペンギーゴの駄遺産置き場→せいゆう ジャンル:RPG 制作ツール:RPGツクール2000 プレイ時間目安:約2時間 難易度:★☆☆☆☆ 公開日:2010/4/20 ストーリー: まおうがいました。ゆうしゃたちは、まおうにいどみますが、ことごとくまけました。でも、まおうをたおすゆうしゃはあとをたちませんでした。ねがいがかなうからです。勇者デデデは、王様から魔王を倒せと命令を受ける。旅の途中で仲間を増やしつつ、魔王を倒せ!そして… 概要: ネタ満載のゲームです。後半はカービィ関係なくなってきます( ダウンロード: 作者様のサイトより。※RPGツクール2000用RTPが必要です。 スクリーンショット - データ集 ★カービィRPGDXそして伝説に攻略 動画 ★ニコニコ動画 - 作者様による動画★YouTube - カービィRPGDX そして伝説に(全4part)
https://w.atwiki.jp/bbntrpg/pages/33.html
BBNTRPGの舞台 ここではBBNTRPGの舞台となる原作世界を紹介します 舞台となる「並行世界」 プレイヤーキャラクターたちが生きているのは、21世紀現在の、あなたが住んでいる世界とほぼ同じ世界です。 ひとつ違うのは、私たちの世界には妖怪や幽霊、吸血鬼、魔法、精霊、超能力……。 様々な超常のものが、現実のものとして存在していることです。 でも、それらはあくまで『裏の社会』での常識。 私たちの世界のほとんどの人々は、それらの存在を知らず、平穏に暮らしています。 逆に言うと、それらの一般の人々が『裏の社会』を垣間見てしまった場合、間違いなく不幸の種になります。 そういった人たちの平穏を守ることも、プレイヤーキャラクターの役目となるでしょう。 BBNとは? 正式名称『ブラック・ブラック・ネットワーク』。 上下関係での『組織』ではなく、あくまで同じような力を持った者達の『連帯』という意味で設立された機関です。 主な役割は、登録者への『裏の仕事』の斡旋。 そして、その『裏の仕事』こそが、プレイヤーの皆さんが、キャラクターを通して解決していくべき数々の事件なのです。 プレイヤーキャラクターたちは「BBN」で繋がっている BBNへの登録条件は、どこか1点でも『人間を超えた能力を持っていること』それと『総帥である「巫 晴之」(かんなぎ はるゆき)の目に通ること』です。 これは逆に言えば、『全てのプレイヤーキャラクターたちは、BBNを通して互いに存在を知っている』ということです。 BBNへ登録した場合、巫さんを通して、他のBBN登録者の情報は知ることができます。 BBN登録者たちの日常 『人間を超えた能力』の持ち主たちも、普段は『表の社会』で日々を暮らしています。 都会のアパートを借りて生活する人もいれば、山奥の小屋で隠棲する人もいるでしょう。 キャラクターたちの何気ない日常を想像するのも、このゲームの楽しさの一つです。 もっとも、中には世間とのギャップから、ただれた生活を送る人もいるでしょう……。 力の使い方を誤った能力者たち さて、『普通の人間』と、『力を持った人間』、どちらが過ちを犯し易いでしょうか。 尋常ならざる力を持ってしまった者は、えてしてその力に振り回されがちです。 そういった世に仇なす能力者に対処するのも、BBN登録者の役目となります。 BBN登録者の前には、そういった狂気に身を落とした能力者も立ちはだかることになるでしょう。 せめて、あなたのキャラクターは、彼らのようになってしまわないように……。 原作登場キャラクター紹介 ここでは原作に登場したBBNメンバーを紹介します。 どのキャラクターも、シナリオに登場してPCたちに協力、または敵対するかもしれません。 巫晴之(カンナギ ハルユキ) 種族:人間 性別:男 得意技能:≪急所攻撃≫≪縛りの法≫≪符術習熟≫など BBN創立者の一人であり、若くしてその全てを掌握する総帥の座に座る男。軽薄そうな笑みが似合う。 現在は巫探偵事務所を開業しているが、裏でBBNの斡旋をする以外、ほとんど表の仕事はない。 暇すぎて知恵の輪と漫画がお友達。 だが、その奥に隠されている思慮の深さ、戦闘能力は術者の中でも群を抜き、「全ての能力において平均値を上回る」という弱点のなさは最大の武器。 得意な技は相手の目玉をつぶすと同時に投げ、地面に相手を叩きつける「peace of death」。 二つ名は「スティンガー・スコーピオン」。女運悪し。 美紀ちゃん(ミキチャン) 種族:霊体 性別:女 得意技能:≪料理≫≪掃除≫など 生活貧窮で身売りするか自殺するかの選択を迫られ、自殺した幽霊少女。 とある事件をきっかけに巫探偵事務所に住み着く。 自殺者の幽霊のくせに明るく、人懐っこい。 家事全般を担当している……が、作る料理がたまに異次元世界からの贈り物と化す特徴がある。 カチューシャに眼鏡が特徴。 城野未亜(シロノ ミア) 種族:半獣人(猫) 性別:女 得意技能:≪符術習熟≫など 巫晴之の元で修行する『人猫族』の少女。 身の軽さを生かしての格闘攻撃を得意とし、双子の仁亜とのコンビネーション攻撃はBBN中でも屈指。 単独でも運のよさを味方につけ、BBN最強決定戦を優勝している。 黒猫へ変身する。 城野仁亜(シロノ ニア) 種族:半獣人(猫) 性別:女 得意技能:≪≫ 城野未亜の双子の姉妹。 人猫族の身の軽さ、その上生来の器用さか戦略にも長け、多少の術も使える。 未亜とのコンビネーションで攻撃力を最大限に引き出し、さらに己の攻撃も叩き込む離れ業をやってのけるなど、その才能が際立つ。 多少、物静かなところがあるが、突っ込みは的確。少々プライドが高い帰来がある。 白猫へ変身する。 影浦微笑(カゲウラ エミ) 種族:魔人 性別:女 得意技能:≪影術≫ 巫晴之の元婚約者。BBN最古参メンバーの1人でもある。 周囲の影を操る「影術」を習得しており、夜、特に月の光が消える新月時は手がつけられないほどの力を発揮する。 2つ名はCruel Hecate(夜を統べる魔女)。 恨まれると意外とねちねちと責め立てる。 鴉真桂司(カラスマ ケイジ) 種族:ダンピール 性別:男 得意技能:≪拳銃習熟≫≪聖杭≫ 影浦微笑と同じくBBN最古参メンバーの1人で、吸血鬼。 「穿つ者」「同族狩り」と呼ばれ、吸血鬼でありながら吸血鬼、ヴァンパイアを狩る異端者。 体内から捻り出す聖性の塊、『聖杭』で今日も吸血鬼を狩り続ける。 連載当初はワイルドキャラだったが、いじられつづけて「ヒモの人」「ロリコン」呼ばわりされる事が多い。 巫晴之とは犬猿の仲。こいつも女運悪し。 石橋修司(イシバシ シュウジ) 種族:超人 性別:男 得意技能:≪空手≫≪小型銃器習熟≫≪身体強化≫≪無痛感覚≫ 頭を銃で撃ち抜かれても死なない恐ろしい生命力を備えた人間。(もはや人間の域を超えている生命力……) その上、脳のリミッターが外れているため超絶的な筋力。BBNの中でも1,2を争うパワーの持ち主である。 BBN最古参メンバーの1人で、巫晴之とはよくどつきあいをしている関係。 ミートボール大好き。 三原銀香(ミハラ ギンカ) 種族:魔人 性別:男 得意技能:≪刃武器習熟≫≪鬼斬り≫ いかなる物をも切り裂く『鬼斬り』の使い手で実際の剣術も一流の剣士。 BBN最古参メンバーの1人で、その腕は影浦微笑と並んで巫晴之の厚い信頼を得ている。 妹の詠歌を溺愛しており、妹の目の前では「いい兄」に必死になってなろうと努力しているようだ。 また、大根を事務所に大量に送って嫌がらせをしたことでも有名である。 丁寧口調だが性格は悪い。 三原詠歌(ミハラ エイカ) 三原銀香の妹。『鬼切り』の才能は兄より、いや、一族の中でもトップクラス。 ただ、それが元で人間兵器にされかけ、幼少の記憶が多少飛んでしまっている。 まだまだ技は未熟だが、相棒の霜夜と共に日夜、事件と修行に追われている。 気遣い上手。 伊庭霜夜(イバ ソウヤ) 種族:妖怪 性別:男 得意技能:≪≫ 三原詠歌の相棒。詠歌の封印を守るために相方となり、またそれから強い絆でも結ばれている。 正体は齢400歳を超える化け猫で、妖力という点に関しては恐ろしいほど。 人間形態の時にはビー玉を武器として使う。 キジーナリーナ(読み同じ) 種族:魔人 性別:女 得意技能:≪符作成≫≪裏技術精通≫≪不老長寿≫他、魔術技能全般 「魔女」であり、BBNのメンバーたちに呪符などを売る錬金術師でもある。 見た目は10歳程度の子供だが、長い年月を生きており、魔術に非常に長けている。 知識も半端ではなく、むしろそちらが本業。ドイツの森の中でひっそりと暮らしている。 口は悪い。 霧咲羽澄(キリサキ ハスミ) 種族:人間 性別:女 得意技能:≪刃武器習熟≫≪小器用≫ 鴉真桂司とタッグを組んで仕事をしたことから、彼の住む廃ビルにお世話になることになった祓い師にして家出娘。 『殺戮妖精』の2つ名を持ち、表と裏の二重人格を使いこなすテクニシャンでもある。 そして、獲物の短剣も2本、舞うように相手を倒す姿はまさに妖精そのままである。 典型的な天然ボケ娘。 綿羽瀬津(ワタバ セツ) 種族: 性別: 得意技能:≪≫ いつもは自らが所持している結界の秘宝、赤帝の球の内部に存在し、蛙の中に収納されている。 BBNでも屈指の結界士だが、あまり荒事をすることはないようだ。 ふだんは山奥で隠遁生活をしている様子。 数少ない巫晴之の過去を知る人物。 シティマップ 実際のストーリーでは、これらの場所で情報を集めたり、BBN古参メンバーに助力を求めたりできるかもしれません。 巫探偵事務所 BBN総帥、巫晴之が開いた探偵事務所。 ほとんど依頼が来ず、事務所主の巫晴之は漫画や知恵の輪で暇をつぶしている。 家事の担当はほとんど幽霊の美紀ちゃんが担当。 城野未亜、仁亜姉妹もここでよく日向ぼっこをする。 三原家 武家屋敷風の広い庭園つき日本家屋。庭の隅には2階建ての倉もある。 母屋に住んでいるのは、現在、家長でBBN登録者の三原銀香とお手伝いの佳奈美だけで、銀香の妹・詠歌とその相方・霜夜は蔵の2階を改装した部屋にいる。 巫探偵事務所からそう遠くないところにある。 喫茶店「ハロウィン」 三原銀香が行きつけの喫茶店。 体格のいい壮年のマスター、無口なメイド、悪がきのようなウェイターが主に店番をしている。 その実体は、巫晴之が三原銀香へ仕事の依頼書を渡すときの仲介役や、メイドの狭山花糸がそのダウザー能力を駆使する『導き屋』も兼任する裏の店。 法外な値段を請求したりするようだ。 名物は、たっぷりとクリームが塗られた、女性もびっくり化け物スペシャルホットケーキ。 キジーナ城 ドイツの大森林内に位置する「魔女」キジーナの住む古城。 中では魔術的研究や、錬金術、コレクションの格納庫など、まさに魔女の住む城にふさわしい設備が整っている。 ちなみに、ココにたどり着くためには超高速で走る使い魔の黒猫ケラットを追跡するしかない。 霧咲羽澄探偵事務所 新人登録者、霧咲羽澄が灰ビルの1階部分を勝手に使って開いた「美少女探偵最中」が売りの探偵事務所。 大抵は巫晴之が仲介した仕事をして生計を立てているようだ。 内装はコンクリ張りらしいが、キッチンや最低限の生活機能は整っているらしい。 地下には、BBN最古参メンバーの一人、吸血鬼の鴉真珪司が住処にしている一室もある。 住所は巫探偵事務所から少し離れた裏市街の一角。 影浦邸 BBN最古参メンバーにして巫晴之の元婚約者である影浦微笑の生家。 彼女は事務所で寝泊りすることもあるが、基本的にはここで生活している。 詳細は明らかにされていないが、結構なお屋敷。 他県にあるので登場する機会は少なそうだ。 虹龍の滝 BBN随一の結界使い一族、綿羽親子が住む滝。 実際にはその滝の近くに和風の家を構えている。意外と中は広いらしい。 紅孔雀学院 秘密性と国際性が国内だけでなく、国外にも有名な超名門学校。 全国、全世界でも優秀な人材が集まっており、一部、生徒や教師にBBN登録者並の力を持っているものが在籍している。 例を挙げるなら、筆頭司書にして戦士、御酒草観霧。学長付のお女中、クレイオ・星昴。そしてオカルト部の化け物生徒達(一部はまとも、それでも化け物多し) とにもかくにもココに突入して何かしでかしたら、帰ってこれないというのは、けして洒落じゃない。