約 2,253,017 件
https://w.atwiki.jp/evergreenforest/pages/201.html
1712年 亘理郡荒浜船、広東へ漂流 1712年、亘理郡荒浜船、漂流する。 1713年、広東から帰還。 1739年、1713年に広東から帰還していた漂流民をスパンベルグ船(H1741a)の見極めに当たらせる。 参考文献 網野善彦ほか(編集), 1993. 海と列島文化別冊 漂着と漂流. 小学館.
https://w.atwiki.jp/evergreenforest/pages/66.html
新羅人、日本人漂流民を大宰府まで送る 845年(H0845a) 承和12(845)年、新羅人、日本人漂流民50余人を大宰府まで送る。 Map 参考文献 外務省記録局編, 1884. 外交志稿. 外務省.
https://w.atwiki.jp/evergreenforest/pages/79.html
アイスランド人の漂流者がグリーンランドを見つける(H0950a) 950年ごろ、アイスランド人の漂流者がグリーンランドを見つける。(上陸はしなかった) 参考文献 足沢良子, 1985. バイキングの世界. 世界ノンフィクション全集, 9. ぎょうせい.
https://w.atwiki.jp/evergreenforest/pages/110.html
高麗済州の漂流民を送還 1269年(H1269a) 文永6(1269)年5月、高麗済州の漂流民を送還する。 参考文献 外務省記録局編, 1884. 外交志稿. 外務省.
https://w.atwiki.jp/evergreenforest/pages/59.html
新羅人清漢波ら日本に漂着 812年(H0812a) 弘仁3(812)年、新羅人清漢波ら漂着する。その希望により放還する。 参考文献 外務省記録局編, 1884. 外交志稿. 外務省.
https://w.atwiki.jp/evergreenforest/pages/83.html
高麗芉陵島の人、因幡に漂着 1004年(H1004a) 寛弘元(1004)年、高麗芉陵島(鬱陵島か竹島)の人、因幡に漂着。 Map 参考文献 外務省記録局編, 1884. 外交志稿. 外務省.
https://w.atwiki.jp/evergreenforest/pages/197.html
1708年 日本人がカムチャツカに漂着? 1708年、日本人( 4人?)がカムチャツカに漂着(?) 1710年、カムチャツカ川上流のヴェルフネ-カムチャツクへ連れて行かれ、代官のピョートル・チリコフに引き渡された4人の日本人は、一般にはサニマ(H1710a)らとされるが、この日本人とする見方もある。
https://w.atwiki.jp/evergreenforest/pages/102.html
邦人、宋の定海県に漂着 1202年(H1202a) 建仁2(1202)年、邦人(姓名人員不詳)、宋の定海県に漂着す。宋主詔して米銭を給して養瞻し風波を候して帰らしむ。 参考文献 外務省記録局編, 1884. 外交志稿. 外務省.
https://w.atwiki.jp/evergreenforest/pages/74.html
新羅人、対馬に漂着 874年(H0874a) 貞観16(874)年8月、新羅人金吾ら1船12人、対馬に漂着。大宰府に勅して放還させる。 Map 参考文献 外務省記録局編, 1884. 外交志稿. 外務省.
https://w.atwiki.jp/evergreenforest/pages/20.html
659-661年 遣唐使4A 斉明5年7月3日(659/07/27)、坂合部石布連(さかいべのいわしきのむらじ)らは、津守吉祥連(つもりのきさのむらじ)ら(遣唐使4B=H0659b)と2隻の船で、呉と唐への航路に遣わされ、難波の三津浦(大阪市住吉区, 地図A)から船出した。陸奥の蝦夷男女2名を連れて行く。 斉明5年8月11日(659/09/02)、筑紫の大津の浦(博多湾, 地図B)を出港。 斉明5年9月13日(659/10/04)、百済の南の辺の島に着く(島名不明)。 斉明5年9月14日(659/10/05)、午前4時ごろ百済(地図C)の南の辺の島を出帆。 斉明5年9月15日(659/10/06)、横からの逆風に流され、爾加委(にかい)島(未詳)に漂着。坂合部連稲積が島人に殺害されるが、東漢長直阿利麻(やまとのあやのながのあたいありま)、坂合部連稲積(さきべのむらじいなつみ)ら5名が、島人の船を盗み括州(浙江省麗水, 地図D)に逃げる。州県の役人に洛陽(地図E)に送り届けてもらう。 斉明6年10月16日(660/11/26)、津守吉祥連ら(遣唐使4B=H0659b)と会う。 斉明6年11月24日(660/12/31)、洛陽を発つ。 斉明7年1月25日(661/03/04)、越州(杭州湾南岸, 地図F)に着く。 斉明7年4月1日(661/05/07)、越州を出発して東に帰る。 斉明7年4月7日(661/05/13)、頂岸山(舟山列島(地図G)の一島か)の南に着く。 斉明7年4月8日(661/05/14)、暁、西南の風に乗って船を大海に出す。航路に迷い漂流する。9日8夜して耽羅島(たんらのしま)(済州島, 地図H)に着く。島人の王子阿波伎ら9人を朝廷に奉ることとした。 斉明7年5月23日(661/06/28)、朝倉の朝廷に到着。島人の王子阿波伎ら9人を朝廷に奉る。 往路・復路ともに南路をとったものと考えられる。 Map 大きな地図で見る 参考文献 荒川秀俊, 1995. 異国漂流物語. 社会思想社. 宇治谷孟, 1988. 全現代語訳 日本書紀 下. 講談社. 坂井太郎ほか, 1993. 日本古典文学大系 日本書紀 下. 岩波書店. 大林太良編, 1995. 日本の古代3 海をこえての交流. 中央公論社.