約 57,578 件
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/38505.html
登録日:2017/12/11 Mon 22 44 45 更新日:2024/08/23 Fri 21 18 22 所要時間:約 3 分で読めます ▽タグ一覧 DQ DQ8 ドラクエ ドラクエ8 ドラクエ観光名所 ドラゴンクエスト 修道院 大聖堂 教会 聖地 『ドラゴンクエストⅧ 空と海と大地と呪われし姫君』に登場するマイエラ修道院、サヴェッラ大聖堂、聖地ゴルドの総称。 建物が立派だったり法皇関連のあれやこれやがあったりで、修道士や神父等からは巡礼の対象として大変崇められている。 一方で寄り道イベントを発生させると教会上部の腐敗を嫌でも実感し、仲間会話では特にゼシカとククールが思いっきり嫌そうな反応を見せることも。 トロデは信仰深いのか周辺を訪れるとお参りをしきりに勧めてくる。 ◾︎マイエラ修道院 プレイヤーが必ず最初に訪れる聖地。 初訪問時点での院長であるオディロの意向により、身寄りのない子供を引き取る孤児院的な施設でもある。 船着場とドニの町の中間に位置し、魔物に疲弊したプレイヤーは大概ここを訪れる……が、宿泊施設は無い。残念。 教会と宿舎と院長の屋敷、それらを繋ぐ中庭という構造。 聖堂騎士団なる独自の騎士団を抱えており、船着場の女性は彼らをイケメン揃いと評して遠方から熱視線を送っている。 実際はほぼモブ兵士の色違い集団なのだが……。 マルチェロが実質的権限を持って以来なにかと金銭を要求している模様。 ククール加入後ストーリー進行に応じて再訪問すると、参拝者の寄付金が数倍に膨れ上がってたり聖堂騎士団がパルミドの荒くれ者で編成されたりカオスな雰囲気をその都度味わえる。 ◾︎サヴェッラ大聖堂 船入手直後から行ける聖地。 ただしシナリオ中次の行き先として示されるベルガラック周辺と比較するとフィールド上の魔物が段違いに強い。 かなりの段数がある階段から始まり、途中の店や宿屋がある広場を経て更に階段を上がるとこれまた大きな白い聖堂が見える神社みたいな構造。 聖堂を抜けると昇降機経由で法皇の館に行けるが、法皇本人の許可を取った者以外は使えない仕様である。 エンディングの結婚式場はここの聖堂。 ところでこの法皇の館、複雑に切り立ったバカでかい大岩の上に建っており傍から見ると立地条件がめちゃくちゃ怖い。 PS2版の公式ガイドブックによると法皇の力で安定させているという設定を流布しているんだとか。 船入手〜暗黒大樹の葉入手の間に昇降機、神鳥のたましい入手〜暗黒大樹の葉の間に法皇の館を訪れるとそれぞれサブイベントが発生する。 内容は前者がマルチェロの出世とその裏側にある無情な現実、後者がそれに対する法皇の厳しくも有難い説教となかなか濃い。 説教直後ゼシカに話しかけると「イヤミ男ざまーみろ!!」と流石に失礼なくらい喜ぶ。彼女の勝気さがよく表れるシーンの一つ。 ◾︎聖地ゴルド これまた船入手直後から行ける聖地。 だいぶ後になって必ず訪れることになるためやはり魔物が段違いに強い。 洒落なのかゴールドマンがうじゃうじゃ生息している。 なんといっても遠方からはっきり見えるバカでかい女神像が特徴的な聖地。 世界三大聖地の中でもトップに君臨する場所らしく、上流階級でない者は神殿に入ることすらできない。 ククールはこれに対し「救いなんか必要じゃないお偉い方々しか、神殿には入れてもらえないのさ」とかなりの皮肉をぶつけてくれる。 船入手〜暗黒大樹の葉入手の間に訪れるとサブイベントが発生する。 内容は門前払いを喰らって唖然としているところにニノ大司教とマルチェロが神殿側から来るというもの。 この時マルチェロから主人公たちがドルマゲスを追っていることについて触れられるが、 知る由も無いとはいえドルマゲスがお亡くなりになった後でも台詞が変わらないのは若干シュール。 シナリオ中は煉獄島脱獄後にトロデ(3DS版ではゲルダ、プレイ次第でモリーも)から、 七賢者抹殺後もなお未だ世界に異変が起きないこと、杖を手にしたマルチェロが法皇に就任したことを聞かされる。 そこで更なる災いを防ぐため就任演説が行われるゴルドに向かうことに。 マルチェロとの戦いが終わると彼が弱ったところを突いて暗黒神ラプソーンが封印から解放され、また女神像に封じられた暗黒魔城都市も復活させてしまう。 こうなると店が一切使えなくなるため注意。 追記・修正は世界三大聖地を全制覇してからお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] まさかの -- 名無しさん (2017-12-11 23 33 38) EDでも腐敗したままなのが虚しい -- 名無しさん (2017-12-12 00 52 18) 聖地ゴルドはゴールドマンばかりに目が行きがちだが、初見殺しの宝庫でもあったりする。ムーンサルトでこちらを全体爆撃してくるレッドテイル、死のおどりやメダパニダンスでガタガタに崩してくるタップデビル、極めつけがゴルドの入り口にでんと構える怒れる神の像ことアポロン大先生。 -- 名無しさん (2017-12-12 12 27 06) 聖地ゴルドは宿代がぼったくりなのもポイント -- 名無しさん (2017-12-12 14 32 08) アポロン先生はラリホー連打でSHTかぶとわりすりゃあっさり倒せるからヘーキヘーキ。先に動かれる?じゃあ死ね! -- 名無しさん (2017-12-12 22 10 08) 聖地とは名ばかりの胸糞スポット達。大聖堂は景色とBGMだけは秀逸で、不便なのに意味もなくセーブポイントとして使ってた。 -- 名無しさん (2017-12-14 18 20 29) 船入手後にゴルドへ寄り道、海図探しでサヴェッラへ寄り道、空飛べたら法皇の館に寄り道、がストーリー的には自然な流れと思われる -- 名無しさん (2018-09-28 22 04 59) ↑6 EDでの結婚式に乱入しようとする主人公に対する聖堂騎士団の態度は 侵入後はともかく門の前にいる男はなぜか態度が悪い まあED時点ではマルチェロが行方不明になっただけ、司教のニノがまともになったくらいで聖堂騎士団としては腐敗から立ち直るきっかけがないですな… -- 名無しさん (2022-01-28 15 55 22) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/rinseidou/pages/175.html
平成21年1月24日① 備前 いつ雪が降ってもおかしくないこの季節。 雪を見る目的の旅も悪くありませんが、限られた時間をできるだけ有効に使って旅を満喫するためには、やはり天気に恵まれた方がよいに決まっています。 どこへ行くかによって天気の影響も大きかったり小さかったりします。 そこで今回は中国山陽、赤穂へ行くことに決めました。 片岡千恵蔵主演の「赤穂浪士」をDVDで鑑賞したのがつい先日のこと。 また旅程が決まってからは、吉川英治の「新編忠臣蔵」を引っ張り出して読み、浅野内匠頭切腹後に家臣たちがとった行動のイメージを膨らませました。 これから実際に赤穂城を訪れることで、そのイメージはより鮮明になるものと期待しての旅となります。 いつものように伊丹空港に到着。 まずは少し遠回りをし、備前にある閑谷学校へ。 閑谷学校に新しい講堂(現在は国宝に指定)が完成し、現在に残る姿となったは折しも元禄14年。 浅野内匠頭が江戸城松の廊下で刃傷に及び、即日切腹となった年のことです。 学校そのものの創始はそれよりも遡り、寛文6年に岡山藩主池田光政公が池田家の墓所の選定のためにこの地を訪れた際、風光明媚な環境が学問を修める場所として適していると思い立ち、寛文10年に津田永忠に学校建設を命じました。 前の年には藩士のための学校を創立していましたが、ここ閑谷学校は領民のための学校として特別に設立されたので、庶民のための学校としては世界最古のものです。 その後、講堂や聖廟が次々に完成しますが、光政公は天和2年に亡くなります。 赤穂藩から距離的に近いことから、四十七士の中にもここで学んだ人がいます。 敷地の小高い丘には、二棟の社殿が立てられています。 東側の社殿は閑谷神社。西側の社殿よりも少し低い位置にあります。 閑谷学校の創始者である池田光政公が祀られており、その後明治に入って先々代輝政公・先代利隆公の御霊が合祀されました。 光政公は徳川光圀公・保科正之公とともに三名君と称され、淫祠邪教を廃して神儒一致の政策を進めた他、庶民に至るまで華美や奢侈を戒めました。岡山名物の「ばら寿司」も、倹約の精神から生まれたものだそうです。 光政公のすごい所は、万が一転封や改易となったとしても、学校は永続されるよう、財政面での独立すなわち学校単体の自給自足の体制を整えたことです。 西側の社殿は孔子を祀る聖廟です。 入念な考証によって鋳造された金銅製の孔子像が納められており、10月の釈菜(せきさい・羊などの犠牲ではなく野菜を供える簡素化した儀式)の際にのみ開かれます。 聖廟に続く19段の石段の両脇には、孔子の墓所で採取された種から育てられた楷の木が植えられており、秋にはそれぞれ赤と黄に染まります。 閑谷学校は津田永忠の死後、次第に衰微しますが、宝暦13年に教授になった有吉以顕と藩主池田治政公によって再び隆盛し、頼山陽や横井小楠も訪れました。 明治3年、藩政改革によって藩営の閑谷学校は閉鎖となりますが、それを惜しむ人々が山田方谷を迎えて「閑谷精舎」として再建。 方谷の死後、明治17年に藩士西薇山などによって「閑谷黌」として再興します。それから私立中学閑谷黌、岡山県閑谷中学校と改称して行きます。 その閑谷中学校の本館であった建物は現在、閑谷学校資料館となっています。 平成21年1月24日② 赤穂城 閑谷学校の見学を終え、赤穂に向かいます。 最初に訪れたのは赤穂大石神社。 旧赤穂城内に鎮座し、大石内蔵助良雄命を始め四十七義士命、中折の烈士萱野三平命、浅野家三代、その後の藩主森家七武将をお祀りしています。 江戸時代は幕府に憚って表だった顕彰ができませんでしたが、明治天皇が勅使を泉岳寺に遣わして赤穂義士を弔われたのをきっかけに、赤穂と京都に義士たちを祀る神社が創建されました。 参道両脇には四十七士の石像がずらりと並び、その間を参拝者が後を絶たず往来しています。 宝物殿には討ち入りに用いられた刀剣や防具などが、別館には城の請取の際の文書や浅野家断絶後の城主森家に伝わる重宝類などが展示されています。 また義士木像奉安殿には、昭和28年の義士自刃満250年大祭を記念して当代超一流の木彫家49人によって一人一作ずつ製作された木像が展示されています。 四十七士と浅野内匠頭、そして萱野三平の合計49人の木像ですが、それぞれ生前のエピソードを踏まえて特徴を備えた作品になっています。 四十七士に含まれない萱野三平は中折の烈士と呼ばれ、四十七士と同格でお祀りされています。 萱野三平は主君の刃傷を藩に伝える一番早駕に乗った人物です。 江戸から赤穂まで4日間、昼夜を徹して駕籠を走らせたのは、早水藤左衛門と萱野三平の二人でした。 飛脚でさえ8日かかる道のりをその半分の時間で移動した二人は、到着した時には廃人同然だったとのことです。 実はこの日乗った飛行機は気流の影響でかなり揺れ、1時間と少しの間不快感との戦いでしたが、早駕の揺れはその比ではなかったことでしょう。しかも4昼夜連続とは。 二人が目指したのは筆頭家老大石内蔵助の屋敷でした。その時くぐった門は、大石邸長屋門として、当時のまま残されています。 萱野三平はその後健康も回復し、血判状にも名を連ねますが、吉良家と縁の深い大島家への士官を父から強く勧められ、孝と義に板挟みされて悩み、大石内蔵助に遺書を書いて自決するのでした。 晴れゆくや日頃心の花曇り 変事の噂はたちまち城下に流れ、藩札を持つ領民が続々と城に押し寄せました。 浅野家がお取りつぶしとなれば、藩札はただの紙屑となってしまいます。 領民たちの不安に答える形で、大石内蔵助は六分換え(換金率60%)の決定を下します。 藩の現金を全額藩札処理に充て、自ら所有する藩札は全て破棄するなど誠実な対応をした結果、地元の商人たちも日ごろの恩に答えるかたちで藩札を返すのでした。 領民たちが押し寄せることがなくなったばかりか、安心しきってしまい換金になかなか訪れず、逆に早く換金を済ませるよう呼び掛けるほどだったとのことです。 それから、城を枕に討ち死にか、大手門前で全員切腹か、藩士の間で意見が分かれますが、お家再興のために城の明け渡すという決定がなされ、秩序を乱すことなく藩士たちは城を去るのでした。 赤穂城跡は、今も復元整備が進められています。 忠臣蔵の物語は、その後京都や江戸を舞台とし、宿願であった仇討を成し遂げ、全員が切腹することは誰もが知るとおりです。 四十七士のうち寺坂吉右衛門は、泉岳寺へは向かわずに姿をくらまします。 彼の陪臣という身分から、逃げたことにすれば追手がかからないだろうことを予期して、浅野大学(内匠頭の弟)や瑤泉院(同夫人)への報告を行わせた内蔵助の深謀であったと考えられます。 切腹した四十六士は泉岳寺に埋葬され、吉右衛門もその死後、同じ墓所に葬られました。 赤穂の花岳寺にも墓所があるというので、お参りに行くことにしました。 受付へ行くと、閉館時間が近いからと断られてしまいましたが、遠方から来たと熱意を伝えると、墓所だけならと通してくれました。 墓所には遺髪が納められ、大石内蔵助と主税を中心に、右から身分の高い順に墓石が並んでおり、後から加えられた寺坂吉右衛門の墓は一番左、一番右にある吉田忠左衛門の墓の位置より少し飛び出して置かれていることなど、丁寧に説明して下さいました。 一番早駕で赤穂に着いた二人が水を飲んで呼吸を整えたという息継ぎ井戸が、花丘寺の近くに残されています。 現在は飲料水ではないため、萱野三平と同じ水を飲むことはできませんでした。 平成21年1月25日① 赤穂の海 翌日、まずは赤穂市立海洋科学館「塩の国」へ行きました。 赤穂と言えば塩。 浅野内匠頭は、製塩技法を隠したために吉良上野介から怨まれたという説もあるくらい、赤穂の塩は全国的に優れていました。 日本の場合、塩は岩塩ではなく海水から精製されますが、いきなり海の水を蒸発させて作るのではありません。 まず水分を飛ばして、塩濃度の高い鹹水という食塩水を作ります。 鹹水の精製は、藻塩焼き・揚浜式塩田・入浜式塩田・流下式塩田と発展し、イオン交換膜法という最新技術にたどり着くのですが、海浜公園には揚浜式・入浜式・流下式の3つの塩田が設置されています。 鹹水が出来たら、いよいよそれを煮詰めて塩を取り出します。 「塩の国」では、所要時間30分でそれ塩づくり体験することもできます。 生活に欠かせない塩がどのように作られるのか、というより目の前でキメの細かい綺麗な塩の結晶が作られるのを実際に体験し、教え子たちも連れて来たいと思いました。 毎週日曜日の決められた時刻に、製塩作業所では大規模な釜焚きが行われますが、今回は時間の都合で、準備中の釜を外から覗くだけに終わりました。 海岸へ進むと伊和都比売神社があります。 赤穂御崎に鎮座しています。 御祭神は伊和都比売大神、播磨国一之宮の御祭神大穴牟遅神の比売神と考えられます。 鳥居の先には海しかありません。 海の道から参拝する神社なのです。 日本海海戦の前には、東郷元帥も海の道から戦勝祈願の参拝に訪れています。 少し歩いた所に、大石名残の松があります。 赤穂城を明け渡した大石内蔵助は、浅野家再興を期して京都山科に隠棲します。 赤穂を去る時、ここに生えている老松を何度も振り返り見ては、赤穂への名残を惜しんだそうです。 当時の松は既に枯死してしまい、現在は新しい松が成長を続けています。 赤穂への名残を惜しみながら帰路につくのは、旅人である自分も同じです。 これから神戸に向けて帰るのですが、どうしても寄っておきたい神社があります。 それは大避神社、謎の渡来人・秦氏ゆかりの神社です。 御祭神は大避大神は秦河勝のことで、聖徳太子から弥勒菩薩半跏思惟像を賜り、広隆寺を建立したことで有名です。 聖徳太子が薨去されてからは、権勢を強める蘇我氏に迫害され、都を追われてこの坂越の地にたどり着いたのでした。 建築や治水などの技術集団であった秦氏は、日本全国の神社建設や、数々の神道行事の創設に関わっているらしいのですが、表の日本史ではあまり語られることのない一族なので、正確なところはよく分かりません。 大避神社は瀬戸内海三大祭りの一つ、坂越の船祭り(御船渡御)でも有名で、復元された祭礼船が納められています。 赤穂藩主は江戸参勤の際、必ずここを参拝してから江戸へ向かったそうです。 裏参道を登ると、明治維新までは神社と一体であった妙見寺観音堂があり、その境内には児島高徳朝臣の墓があります。 岡山を訪れた際、御醍醐天皇の奪還を試みた児島高徳が桜の幹に十字の詩を刻んだ地に鎮座する、作楽神社に参拝しましたが、その後も南朝の武将として各地を転戦、熊山の戦いで重傷を負って妙見寺にて療養したと伝えられています。 和気清麻呂が宇佐に流される際、道教の遣わした暗殺者から彼を守った猪とは、実は秦氏のことではないかと言われています。 同じく忠勤の武将・児島高徳も、秦氏の協力によって朝敵と戦ったのかも知れません。 平成21年1月25日② 加古川 帰りに加古川に寄り道をしました。 まずは日本三奇のひとつ、石乃宝殿です。 生石(おうしこ)神社という珍しい名前の神社の御神体、巨大な石造物のことです。 地元宮城の塩釜にも日本三奇のひとつである塩竈神社の御釜がありますが、いつでも行ける場所であるため、改めて見に行く機会がありませんでした。 先にこちらを訪れることになったのですが、その佇まいは、想像をはるかに超えていました。 巨大な石室が浮いているような造りになっているのですが、山から切り離されているのではないのです。 石室の下は池になっており、どんな旱魃においてもその水は絶えることがないのだそうです。 惜しいことに、石室の謎を解く手掛かりとなる、神社にあった伝来物の全ては、秀吉公の三木城攻略に協力しなかったために引き起こされた焼き討ちにより灰燼に帰してしまいました。 石室の周囲をぐるりと回ることができ、背面には、意味ありげな突起を見ることができます。 石室の巨大さと、周囲の崖との近さゆえ、どの位置から見ても全体を見渡すことはできません。 この石室がどのような理由で造られたのかは、はっきり分かっておりませんが、以下の伝承が残っています。 神代の昔、大穴牟遅命と少毘古那命の二神が、天津神の命を受けて国土経営のために出雲からこの地へお遷りになり、国土を治めるのにふさわしい石の宮殿を造営しようと一夜だけの工事を進められましたが、工事の途中で阿賀の神の反乱を受け、それを鎮圧した時には既に夜が明けてしまっていたため、未完成のままこの石に籠られたのです。 万葉集にも詠まれています。 大なむち少彦名のいましけむ しづのいはやは幾代へぬらむ 次に鹿嶋神社へ。 聖武天皇の勅願によって国分寺と大日寺が建立された時、その鎮護の神として奉祀されました。 秀吉公の神吉城攻略の際、周辺は戦火に焼かれましたが、社殿の消失はまぬがれました。 参拝して気づいたのは、社殿をぐるぐると回っている人たちがいることで、よく見ると手には竹の札のようなものを持っています。 説明書きには、置かれている竹の札を年の数だけ持ち、一周するごとひとつずつ箱に収め、全部なくなると願いがかなうのだと書いてありました。 神仏習合の風習が残っているようで、境内には線香の煙がただよっています。 境内を出ると占い所や新興宗教らしい施設もあり、独特な雰囲気でした。 参道で売っている柏餅が名物です。 次は高砂神社。 御祭神は素盞鳴尊、奇稲田姫、大己貴命の三神。 神功皇后が三韓征伐から凱旋の途中、守護神である大己貴命がこの地に止まって国土を守りたいと宣されたため、阿閇臣の祖瀬立大稲起命を祭主として創建されたという伝説が伝えられています。 その後、円融天皇の御代に疫病が流行した際には、阿閇臣正敦の夢に素盞鳴尊と奇稲田姫が現れ、翌朝社頭の松を見ると、神託のとおり白木綿がかけられていたことから、二神を合わせてお祀りしたところ、疫病は治まったのだそうです。 境内にある松は、ひとつの根から左右に雄雌が分かれており、「相生の霊松」と呼ばれています。 尉姥の二神がこの松の元に現れて、「我は伊弉諾・伊弉冊の神である」と告げて姿を隠されたという伝説が残されており、浪曲「高砂」にも歌われています。 しかしこの松も、秀吉公による三木攻めの際に切られてしまい、現在の松は5代目とのことです。 播磨地方は秀吉公によって傷つけられた歴史遺物が多いことを実感したところで、二日目も暮れて行くのでした。 平成21年1月26日 三宮 帰りの飛行機まで時間があるので、神戸市内を散策することにしました。 前回は湊川神社へ行ったので、今回は三宮駅周辺を回ることに。 まずは三宮の地名の由来となった三宮神社へ。 一ノ宮・二ノ宮の次に格式の高い神社なのだから、それなりに大きな神社だろうと予想していましたが、小さな地図には掲載されていない小さな神社で、ビル群に囲まれて窮屈そうな様子でした。 御祭神は水の神である湍津姫命。 海運の盛んな町ですから、昔から水の神によって守られていたのでしょう。 三宮神社は、明治維新期にひとつの事件の舞台になります。 神戸事件。西宮警備のために移動していた備前藩兵の隊列を仏兵と米兵が横切ろうとし、それを制止した藩兵に対して英兵が銃を構えたことで騒動に発展しました。 備前藩は3門の大砲を引いて応戦しました。 その時の大砲ではありませんが、同時代の大砲が境内に置かれています。 力にものを言わせる三国は神戸沖の諸藩の船6隻を拿捕し、神戸の外国人居留地を軍事占領下に置きました。 結局新政府は日本側の非を認めて謝罪。銃撃を指揮した藩士、滝善三郎を切腹させることで解決するのでした。 彼の犠牲がなければ、神戸は香港や上海のように本国から切り取られていたことは間違いありません。 辞世の句 きのふみし夢は今更引かへて 神戸が宇良に名をやあげなむ 次に生田神社へ。 前の神戸旅行の際にも訪れましたが、その時は友人が一緒であったため、あまりゆっくり散策することができませんでした。 今回は、社殿の裏にある生田の森のを見ることができました。 源平合戦の舞台でもあります。 まだ時間に余裕があるので、異人館が立ち並ぶ北野天満神社へ向かいました。 まだ1月なのに温かさを感じます。しかも上り坂なので、歩くと汗ばむほどでした。 しかしここで道に迷ってしまいました。 異人館の案内表示はたくさん出ているのですが、神社の看板は一つも見かけません。 犬を連れて散歩しているおじさんに訊いてみると、どうやら日本人ではないらしく、言葉すくなに教えてくれました。 そしてようやくたどり着いた北野天満神社。 平清盛公が福原の都を整備する際、禁裡守護の神として、京都の北野天満宮を勧請してお祀りしたのが始まりです。 北野の地名も、この神社からつけられたものです。 鳥居から階段を上り、社殿で参拝した後さらに裏手の梅林園の階段を上ると、そこは展望台になっていました。 天神様といえば梅の花。 この梅林園は、先々代宮司の手作りで整備されたものです。 展望台からは、神戸港まで見渡すことができました。
https://w.atwiki.jp/pandmonium0/pages/126.html
「この街でパワースポットって言ったら、龍宮(たつのみや)神社か」 龍宮神社は地名の由来にもなっている大きな神社で、その名の通り龍神様を祀っている、全国的にみても有名な部類に入るらしく参拝客も多い。 「とゆーかほかにソレっぽいとこ、この街にあるぅ?」 「ないな、俺の知る限りは」 「このサイトにはパワースポットのエネルギーを体内に取り込み過ぎて倒れたんじゃないかって書かれてるね」 「そんなことあるのか?」 「さぁね、わたしにはわかんにゃい」 そういう体質か、などと考えを巡らすが限りなく怪しいサイトに書かれていることを信じるのも馬鹿らしくなった、これらの考察も妄想の域を出ないものばかりだ。やはり自分達でこの事件を調べないと納得のいく答えは出ないだろう、とりあえず七海にクラスメートの事を聞かないと。 「よし、メールでも送るか」 昏睡状態のクラスメートについて教えてくれないかと言う内容のメールを送って一時間くらい後、七海からメールがきた、要約すると。 事件が発生したのは昨日の夜8時以前。 場所は公園。 第一発見者はA子——名前が伏せてあったので仮にA子とする——と同じ星学の女子生徒。 A子は原因不明の昏睡状態で今も眠っている。 なお事件当日A子は友達と遊んでいて龍宮神社には行っていないらしい。 「なるほど事件現場は公園……行ってみるか」 行けば何かが分かる、行かなければならない、そんな気がした。 多くの人にとってはたったそれだけのことかも知れない、だが俺を動かすにはそれで充分、迷うことなんか何もない。 「五条、情報収集は任せた!」 言って俺は五条の家を後にし公園へと向かった。 前へ 次へ
https://w.atwiki.jp/atamispa/pages/17.html
湯前神社 湯前神社秋季例大祭・熱海駅前湯汲み神事 湯前神社春季例大祭・大湯間欠泉湯汲み神事 湯前神社秋季例大祭・湯汲み道中献湯神輿 湯前神社秋季例大祭・湯汲み道中芸妓連 湯前神社宮神輿 湯前神社宮神輿保存会納札 湯前神社鳥居・宝暦8年(1758年)久留米藩より奉納されたもので、関東大震災でも倒れませんでした。 石材は真鶴の本小松の一本物で、現在ではこれだけの材料は入手出来ません。 源実朝の歌碑 湯前神社由来記 落雷痕の残る境内大楠 熱海市指定文化財・天然記念物「湯前神社のクスノキ」 指定・昭和52年4月25日、目通り幹囲7.2m、樹高17m TOP INDEX ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/5574.html
872: 635 :2019/02/06(水) 19 39 22 HOST p1898232-ipbf412souka.saitama.ocn.ne.jp 銀河連合日本×神崎島 小ネタ9 小笠原村と神崎島鎮守府は医療、民生分野での協定を締結いたしました。 急患時の対応や各種民生品、食料などが神崎島から供給が行われ生活の向上が期待されます。 小笠原村広報誌 「最近は本当に中国の漁船見ないな。」 「神崎島が壁になっているからなあ。有り難いことだ。あっ!神崎島の艦だ!おーい!」 伊豆諸島近海で操業する漁船での会話 「最近ガンプラの売り場狭くなったな。」 「戦艦や戦闘機の模型売り場広くしたからな。」 大手量販店の模型売場の店員の会話 「それはそこに接着剤を塗ってね。」 昔は各町にあった模型屋、模型を作ったことのない客が急増し模型教室を行う 「やまとのもけいください!」 大和(竣工時)、大和(レイテ)、大和(第一次改装)、大和(坊ノ岬沖)、大和(神崎島)、ヤマト(宇宙戦艦)、やまと(護衛艦)、大和(憂鬱)、ヤマト(赤鷹) 「どれ買えばいいんだ(汗)」 「初心者でお子様にはこのシリーズがおすすめですね。鋭利な部分や小さな部品がないですし。」 子供に強請られ模型屋に来た父親、積まれた大量の大和にビビる 復活!!鋼鉄の咆哮―Fleet Girls Commander― これはもう一つの世界大戦である!提督の決断―神崎島鎮守府戦記― 不穏な東アジアとヨーロッパ、それは新たなる戦艦時代の幕開けだった。 現代大戦略201―蘇る連合艦隊、復活のリヴァイアサン― とあるゲームの広告 「まさかこのスマホ全盛のご時勢でアーケードゲームを輸出するとは。」 「業績も上向きですからね。艦娘様様ですよ。」 コンテナに詰め込まれる輸出される艦これアーケードの筐体 「この施設が本来の目的で再び使われるとはな…。」 「ちょっと複雑ですね。」 日本製鋼所室蘭製作所で戦艦の主砲の試作する技術者達 「呉で戦艦作れるかな?」 「大和ドック埋めたって話だしどうなんだろ?。」 自衛隊向け戦艦の建造の話を知った呉市民の会話 まろやかな甘さ、神崎島産カカオ豆100%チョコレート新発売! 豊かなコクと香り、神崎島産コーヒー豆100%を贅沢に使用! とあるスーパーのPOP 「日本の主権範囲内でカカオとコーヒーを一般消費者に供給可能な量を生産出来るとは凄い時代になったものだ。」 スーパーのPOPを見た男性の呟き 873: 635 :2019/02/06(水) 19 39 52 HOST p1898232-ipbf412souka.saitama.ocn.ne.jp 「すごい行列だな。」 「お父さん。宮司さんたち飛行機運んでるよ。」 「少年、あれは瑞雲というんだ。今の瑞雲はいいぞ。最高だ!」 伊勢の神宮に奉納される瑞雲(実物)と瑞雲(漆塗り)と瑞雲(イゼイラ工芸品) 改装航空母艦伊勢と神崎島鎮守府、ヤルバーン有志一同奉納 「そういや新艦掘れた?」 「ダメだった。ママから頼まれごとあったから完走も出来なかった。」 「うわあご愁傷様。」 「おい!艦これの話は俺以外の教師のいない所でしろ!うるさい教師もいるからな。」 最近提督となった女子高生の会話 「アア!羅針盤がそれた!」 「レ級の開幕雷撃が!?」 「瑞雲がPT小鬼一掃したゾ!」 「ナガトサン!戦艦狙って下さいデスヨ!」 艦これ提督となったヤルバーン乗員の皆様 「クソ!またPT小鬼か!」 「サイヴァル、イライラしてはダメですわよ。」 「マリヘイル、仕事が忙しくてイベントが進んでないんだよ。」 イゼイラセンタータワー内のイゼイラ星間共和国議長執務室にいる提督 「(絶句)」(元陸軍) 「やはりヴァズラーは美味いな。」 ヤルバーンへ観光に来たら食堂で隣が彼の方だった老人 「(絶句)」(艦これ提督) 「あっ!深海浮き輪さんだ!」 「ムシャムシャ。」 ヤルバーンへ観光に来たら食堂で隣が深海浮き輪さんだった父子 「増えてるな…。」 「いやまあ参拝者増えるのは良いことだけど…。」 艦娘と同じ名前の神社に増加した艦娘の絵馬 874: 635 :2019/02/06(水) 19 40 33 HOST p1898232-ipbf412souka.saitama.ocn.ne.jp 「おお、トシ坊ようやく着いたか待ちくたびれたぞ。」 「敏郎さんこちらの方は?従兄弟さんかなにか?」 「え?何言ってるの俺の曾祖父さんだよ。」 「え"っ!?」 婚約者の地元に行ったら妖精な曽祖父(見た目二十代)が駅に迎えに来た女性 「あらあら史郎ちゃん大きくなったわね。」 「?あのどちら様で」 「史郎!お前こんな美人な女性と知り合いなのか!?」 「いや知らねえよ!!」 「十年前に死んだ曾祖母ちゃんよ。妖精になって帰ってきたのよ。」 「「何ぃー!?」」 地元へ帰り実家へ友達と来たら死んだ曾祖母が妖精になって実家にいた孫 「ですって!」 「かも!」 「デース!」 「家の子達語尾がおかしくないか?」 「D○SHで同じ語尾の艦娘出てたからその真似じゃない?」 艦娘の影響を受けてしまった姉妹 「「「瑞雲!瑞雲!」」」 「飛行機が神輿になるなんてなあ。」 「これも時代の流れか。」 各地の瑞雲と名の付いた寺社仏閣、土地の地域おこしで使われる瑞雲 「かすみちゃんかいにをたたえよ!!」ドンドコドンドコ 「「「たたえよ!!」」」例のポーズ 「誰だ!運動会でこれ企画したの!?」 「これ園児たちの間で流行ってるんですよ。」 ある保育園の運動会での園児達のダンス 875: 635 :2019/02/06(水) 19 42 45 HOST p1898232-ipbf412souka.saitama.ocn.ne.jp 以上になります。 今回は世間一般?への神崎島の影響を書いてみました。 転載はご自由にどうぞ。
https://w.atwiki.jp/dunpoo/pages/714.html
●靖国問題06Ⅰ から ●靖国問題06Ⅲ へ 0607 靖国神社が中韓版パンフ 東京裁判は「一方的」 [共同] 0601 与謝野担当相:「靖国神社の判断に期待」と分祀論に言及 [毎日] 0530 日本遺族会 A級戦犯の分祀問題 対応協議、賛否分かれる [朝日] 0529 千鳥ヶ淵戦没者墓苑で拝礼式 [読売] 0528 ポスト小泉は靖国「参拝すべきでない」 森前首相 [朝日] 0525 韓国人遺族らの靖国合祀取りやめ請求、東京地裁が棄却 [読売] 0524 靖国問題「日本のためにならない」 米元国防次官補代理 [朝日] 0520 戦没者追悼施設:建設論議は無駄と批判 麻生外相 [毎日] 0520 自民・古賀氏、A級戦犯「分祀」案提示…派内に異論も [読売] 0518 総裁選 古賀氏、靖国を争点化 政策提言で国民的議論訴え [毎日] 0517 麻生外相 靖国神社、非宗教法人化を視野に検討を [毎日] 0516 小泉首相の靖国参拝、米下院委員長が「懸念」の書簡 [読売] 0513 首相の米議会演説向け「靖国不参拝表明を」 下院委員長 [朝日] 0512 A級戦犯「分祀を検討」 古賀遺族会長が提言へ [朝日] 0510 首相の「商売」発言に神崎代表が苦言 [朝日] 0509 「商売とは別」首相が反発 経済同友会の日中関係提言 [朝日] 0509 「首相の靖国参拝再考を」 経済同友会が提言 [朝日] 名前 コメント ↑ご自由にコメントをお書き下さい。 0607 靖国神社が中韓版パンフ 東京裁判は「一方的」 [共同] 靖国神社(東京都千代田区)は7日までに、中国語と韓国語に翻訳したパンフレットを初めて作製、希望する参拝者に無料配布を始めた。パンフレットは第2次大戦後の東京裁判で有罪となった戦犯は「連合国主導の裁判で一方的に戦争犯罪人とされた」などと記述している。 翻訳版を作製した理由について、靖国神社は「最近、台湾を含めた中国や韓国の参拝者が目立ち、外国人の方々に靖国神社をより良く知っていただくため」としているが、小泉純一郎首相の靖国参拝に中韓などが反発する中、理解が示されるかどうかは微妙だ。 翻訳版パンフレットは日本語版と同様、太平洋戦争や日中戦争を「大東亜戦争」「支那事変」と記載。戦争について「日本の独立を守りアジア各国とともに繁栄するため、戦わざるを得なかった」としている。(共同) URL http //flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM PG=STORY NGID=intl NWID=2006060701000521 0601 与謝野担当相:「靖国神社の判断に期待」と分祀論に言及 [毎日] 与謝野馨経済財政担当相は毎日新聞のインタビューで、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)について「皇族も政治家も遺族も何のためらいもなく慰霊に行った自然な状況に戻せるのは靖国神社自身だ。A級戦犯の分祀を含め、そのやり方は神社自身が判断することだ」と述べ、靖国神社の自発的な分祀に期待する考えを明らかにした。小泉内閣の閣僚が分祀論を明確に主張したのは初めてだ。 与謝野氏は靖国神社が(1)宗教法人であり国の干渉は受けない(2)国の唯一の慰霊施設である--という「二つの主張をしている」と指摘。「二つ同時に成立させるのであれば、神社自身がいろいろと考える必要がある」と述べた。また「戦没者を思い、慰霊を行うのは大事なこと。そこで国として毎年8月15日、天皇陛下も臨席されて(東京都内の)日本武道館で戦没者慰霊式を行っている。それ以上付け加えるものは何もない」と語った。 小泉内閣では、麻生太郎外相が「国家の英霊を祭るという大事なことを一宗教法人に任せているところに問題があるのではないか」と述べ、靖国神社の非宗教法人化を視野にA級戦犯の分祀方法を検討する考えをにじませている。【太田阿利佐】 毎日新聞 2006年6月1日 3時00分 URL http //www.mainichi-msn.co.jp/seiji/feature/news/20060601k0000m010164000c.html 0530 日本遺族会 A級戦犯の分祀問題 対応協議、賛否分かれる [朝日] 日本遺族会会長の古賀誠元自民党幹事長が30日靖国神社に合祀(ごうし)されているA級戦犯の分祀問題を議論するよう提案したことをうけ、同会は理事会・評議会で対応を協議した。賛否が分かれたことから「(分祀は)靖国神社の問題」とする従来の認識を確認するにとどめた。執行部は今後、提案を正式議題とするか扱いを協議するが、「議論したら遺族会が二つに割れかねない」(幹部)という微妙な問題だけに、意思統一は難しそうだ。 会合には約130人が出席。古賀氏は冒頭のあいさつで分祀問題に言及、そのまま退席したため会長不在で協議された。 会合では「靖国神社が分祀は出来ないと言っているのに不毛な議論をするのか」などの反対意見が相次ぐ一方、「この問題を避けて通らず、議論すべきだ」との賛成論もあった。 日本遺族会は戦没者遺族の全国組織。会員は約100万世帯で、自民党の有力支持団体のひとつ。古賀氏は昨年6月にも同会幹部会で小泉純一郎首相の靖国神社参拝をめぐり近隣諸国への配慮を必要とする見解を示し、その後軌道修正をした経緯がある。今回の提案について幹部の一人は「個人的意見だと思う。分祀の是非を正式議題にするか決断したわけではない」と語る。 古賀氏はこれとは別に分祀の検討を求める政策提言を公表しており、9月の総裁選で靖国問題を争点化する狙いとみられている。このため、今回の発言には意見統一の難しさを知ったうえで一石を投じた、との見方もある。【野口武則】 毎日新聞 2006年5月30日 22時41分 URL http //www.mainichi-msn.co.jp/seiji/feature/news/20060531k0000m010129000c.html 0529 千鳥ヶ淵戦没者墓苑で拝礼式 [読売] 第2次世界大戦や戦後のシベリア抑留で命を落とした身元不明の戦没者を慰霊する「拝礼式」が29日、東京都千代田区の千鳥ヶ淵戦没者墓苑で行われた。 秋篠宮ご夫妻や小泉首相をはじめ、約700人が出席。今年、新たに納骨されたのは、政府の遺骨収集団が旧ソ連やインドネシア、硫黄島などで収集した398柱で、これで、同墓苑に納められた遺骨は計35万1324柱となった。 式では、中野清厚生労働副大臣が「先の大戦から学びとった多くの教訓を次の世代に継承し、恒久の平和を確立すべく力を尽くして参りますことをお誓いいたします」と式辞を述べた。 (2006年5月29日13時17分 読売新聞) URL http //www.yomiuri.co.jp/national/news/20060529i406.htm 0528 ポスト小泉は靖国「参拝すべきでない」 森前首相 [朝日] 2006年05月28日19時01分 森前首相は28日のテレビ朝日の番組で、靖国神社参拝問題について「今の(日中)関係を修復することが大事だったら、行かない方がいいだろう」と述べ、小泉首相の後継首相は参拝すべきではないと明言した。自民党内の一部が求めているA級戦犯の分祀(ぶんし)に対しては「靖国のみなさんも考えて、(A級戦犯の合祀(ごうし)で)大きく国益を損なっているのなら、どうするべきかと判断すべきだ」と述べ、靖国神社が自発的に問題解決に動くよう求めた。 森氏は「首相は(靖国参拝は)心の問題だと言うが、政治問題になってしまった。日本の国益にとってプラスではない。大局的に考えるべきだ」と強調。一方、福田康夫氏の官房長官当時の私的諮問機関が打ち出した国立戦没者追悼施設構想については「私は出来ないと思っている。靖国神社に対する日本人の気持ちがある」と述べ、否定的な考えを示した。 URL http //www.asahi.com/politics/update/0528/003.html 0525 韓国人遺族らの靖国合祀取りやめ請求、東京地裁が棄却 [読売] 第2次世界大戦中、旧日本軍の軍人や軍属として戦死した韓国人が靖国神社に祭られているのは、遺族の意向を無視した行為で憲法に違反するなどとして、韓国人の遺族ら計414人が国などを相手取り、合祀(ごうし)の取りやめと、慰謝料など計約44億円を求めた訴訟の判決が25日、東京地裁であった。 中西茂裁判長は、「合祀の判断や決定は靖国神社が行っていたもの。国と神社が一体となって戦没者を合祀したとは言えない」と述べ、原告の請求を棄却した。 靖国神社への戦没者合祀について、司法判断が示されたのは初めて。 また、原告側は遺骨の返還や死亡状況の説明がなされなかったことなどに対する賠償も求めたが、判決は、1965年に締結された日韓請求権協定などにより「請求権は消滅している」と判断した。 原告側は、「合祀は国と靖国神社が一体となって行った行為で、憲法の政教分離原則に違反する」とした上で、「遺族は神道を信仰しておらず、日本の神として祭られることは民族的人格権を侵害する」などと主張していた。靖国神社によると、合祀されている軍人・軍属などは約246万6000人。このうち、約2万1000人が朝鮮半島出身者という。 (2006年5月25日14時7分 読売新聞) URL http //www.yomiuri.co.jp/national/news/20060525i106.htm 0524 靖国問題「日本のためにならない」 米元国防次官補代理 [朝日] 2006年05月24日01時13分 米クリントン政権で国防次官補代理を務めたカート・キャンベル米戦略国際問題研究所(CSIS)上級副所長は23日、都内でのシンポジウムで小泉首相の靖国参拝問題について「今起こっていることは日本のためにならない、ということで専門家の意見は一致している」と懸念を示した。 キャンベル氏は、靖国問題に対する米国の対応について(1)関与すべきでない(2)「憂慮している」と伝えるべきだ、と研究者の間で両論があることを紹介。「ASEAN(東南アジア諸国連合)の多くの国が私に『何で米国は日本を非難しないのか』と言う。克服すべき問題だ」と語った。 URL http //www.asahi.com/politics/update/0524/001.html 0520 戦没者追悼施設:建設論議は無駄と批判 麻生外相 [毎日] 麻生太郎外相は20日、よみうりテレビの報道番組に出演し、靖国神社に代わる国立の戦没者追悼施設の建設論議について「亡くなった方々は『靖国(神社)で会おう』と言って亡くなっているから、新しい施設ができても靖国問題はなくならない。その提案はムダな話だ」と述べ、批判した。 麻生氏は16日の講演で「国家の英霊を祭ることを一宗教法人に任せているところに問題がある」と述べ、同神社の非宗教法人化を示唆している。【中田卓二】 毎日新聞 2006年5月20日 19時06分 URL http //www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20060521k0000m010037000c.html 0520 自民・古賀氏、A級戦犯「分祀」案提示…派内に異論も [読売] 自民党丹羽・古賀派代表の古賀誠・元幹事長(日本遺族会会長)は18日、靖国神社に合祀(ごうし)されているA級戦犯の分祀の検討などを求めた政策提言の私案をまとめ、同派の政策勉強会で提示した。 9月の総裁選に向けた同派の政策提言に反映させたい考えだが、派内からは異論も出た。 私案で古賀氏は、首相の靖国神社参拝について「国民的議論が必要」としたうえで「多くの人が英霊に参拝するよう、戦没者でない一部の英霊の分祀も検討対象となろう」と強調した。 古賀氏は、この日の勉強会で、「宗教法人に政治が口を挟める問題ではないが、何かやらねば戦没者遺族も浮かばれない」と説明した。ただ、出席者からは「戦争責任の検証が先だ」などの異論も出た。 日本遺族会長でもある古賀氏の私案が総裁選に与える影響について、党内には「首相になった場合の靖国神社参拝に含みを残している安倍官房長官には嫌な内容だ」との見方もある。安倍氏は18日の記者会見で、靖国問題について「総裁選で議論すれば、さらに外交問題化する」と述べた。 小泉首相も18日夜、古賀氏の私案について「(総裁選で)カードになるとは思わない」と記者団に語った。 (2006年5月19日1時30分 読売新聞) URL http //www.yomiuri.co.jp/politics/news/20060518ia22.htm 0518 総裁選 古賀氏、靖国を争点化 政策提言で国民的議論訴え [毎日] 自民党丹羽・古賀派の共同代表を務める古賀誠元幹事長が、9月の自民党総裁選に向け策定中の政策提言のうち、外交に関する提言の全容が17日、分かった。中国との信頼関係を回復させるため、「靖国神社参拝問題の国民的議論が必要だ」と訴えている。総裁選で靖国問題を争点化し、自らの存在感を高める狙いとみられる。 古賀氏は18日の派閥の政策勉強会で発表する。これをたたき台に同派は派閥の政策提言を6月中にまとめる予定。 外交に関する提言は「アジアにおいて共栄・共存の基盤を築く」を表題とし、靖国参拝問題について「中国との関係をぎくしゃくさせ、急速に日本外交に閉そく感が高まっている」と指摘、信頼回復のため国民的議論を求めた。A級戦犯の合祀(ごうし)に関しては「国内外で意見が分かれている。戦没者ではない一部の英霊を分祀することも検討の対象」としている。 また「より重要なこと」として、「先の大戦がなぜ起こり、責任は誰にあるのか、相手国に与えた被害などについて客観的な事実認識をすることだ」と主張。「歴史事実の認識の研究は他国の参加も歓迎すべきだ」と唱え、歴史問題に関する中国や韓国との共同研究を提案している。 【野口武則】 毎日新聞 2006年5月18日 3時00分 URL http //www.mainichi-msn.co.jp/seiji/seitou/news/20060518k0000m010168000c.html 0517 麻生外相 靖国神社、非宗教法人化を視野に検討を [毎日] 麻生太郎外相は16日、東京都内で講演し、小泉純一郎首相の靖国神社参拝問題について「国家の英霊を祭るという大事なことを一宗教法人に任せているところに問題があるのではないか」と指摘した。同神社の非宗教法人化を視野に第二次世界大戦のA級戦犯の分祀(ぶんし)方法を検討する考えを示唆したものとみられる。 麻生氏は講演で「誰が首相になろうとも、政府が靖国神社に対して分祀しろなどというのは国家権力の宗教に対する介入だ」と主張。現行憲法下の政教分離原則から、政府がA級戦犯の分祀を働きかけるのは不適切との考えを改めて示した。ただ、同時に「英霊や遺族は静かにお参りにきてもらいたいという気持ちだと思う。そういう状況をどう作るかが政治家に与えられている仕事だ」と述べ、靖国参拝が問題視されない環境を整える必要性に言及した。 麻生氏はこれまでも靖国問題の解決策を独自に検討していると繰り返し表明。具体案への言及を避けつつ「天皇陛下の参拝が一番」「A級戦犯は戦死でなく法務死」などと述べ、A級戦犯分祀を念頭に置いたとみられる発言を繰り返してきた。 靖国神社は戦後、国家神道を廃止するGHQ(連合国軍総司令部)の「神道指令」で国の管理から離れ、宗教法人となった。宗教法人でなくなれば、政府がA級戦犯の分祀を働きかけることが憲法上は可能となる。自民党の野中広務元官房長官が99年に特殊法人化を検討する考えを表明したことがある。【中田卓二】 毎日新聞 2006年5月17日 3時00分 URL http //www.mainichi-msn.co.jp/seiji/feature/news/20060517k0000m010176000c.html 0516 小泉首相の靖国参拝、米下院委員長が「懸念」の書簡 [読売] 【ワシントン=五十嵐文】米議会筋は15日、6月末に予定される小泉首相の訪米を控え、米下院のヘンリー・ハイド国際関係委員長(共和党)が、デニス・ハスタート下院議長に対し、首相の靖国神社参拝に懸念を表明する書簡を送っていたことを明らかにした。 同筋は「私信」として詳細を明らかにしなかったが、4月下旬に送られた書簡は、日本政府の模索する首相の議会演説を基本的に歓迎する一方、首相が帰国後、東条英機元首相らA級戦犯が合祀(ごうし)されている靖国神社を参拝することを懸念する内容という。議長からハイド氏への返信はまだないという。 82歳のハイド氏は第2次世界大戦に従軍経験もあり、昨秋には、首相ら日本政府関係者の靖国神社参拝を「遺憾」とする書簡を、加藤良三駐米大使に送った。 (2006年5月16日23時45分 読売新聞) URL http //www.yomiuri.co.jp/politics/news/20060516ia24.htm 0513 首相の米議会演説向け「靖国不参拝表明を」 下院委員長 [朝日] 2006年05月13日15時37分 6月末に予定される小泉首相の訪米をめぐり、米下院のハイド外交委員長(82)=共和党=が、日本が模索している米議会での首相演説を実現するには「靖国神社を参拝しないことを自ら進んで表明する必要がある」とする趣旨の書簡を同党のハスタート下院議長に出していたことが12日わかった。8月の終戦記念日前後の首相の靖国神社参拝を強く牽制(けん・せい)する内容だ。 米議会筋によると、書簡は4月下旬に出された。まず、イラクやアフガニスタンで米国を支援した強固な同盟の代表として首相の議会演説は基本的に歓迎する意向を表明。そのうえで、首相が演説の数週間後に靖国神社を参拝することへの懸念を示した。真珠湾攻撃に踏み切った東条英機元首相ら同神社に合祀(ごうし)されているA級戦犯に首相が敬意を示せば、フランクリン・ルーズベルト大統領が攻撃の直後に演説した場である米議会のメンツをつぶすことになるとしている。 さらに、真珠湾攻撃を記憶している世代にとっては、首相の議会演説と靖国参拝が連続することは懸念を感じるにとどまらず、侮辱されたとすら思うだろう、と指摘。「演説後に靖国参拝はしないと議会側が理解し、納得できるような何らかの措置をとってほしい」と求めているという。 日本側は良好な日米関係をアピールする狙いから、首相訪米時に上下両院の合同会議で演説することを模索している。米議会の資料によると、実現すれば日本の首相としては初めて。合同会議での演説は上下両院の同意が必要とされており、上院側では首相演説に懸念を表明する動きは出ていない。書簡に対するハスタート下院議長からの返答はまだないという。 ハイド氏は第2次世界大戦当時、フィリピン海戦などに参戦した経験のあるベテラン議員。昨年秋にも小泉首相の靖国神社参拝をめぐって「(アジアの)対話が阻害されるとしたら残念だ」などと懸念を示す書簡を加藤良三駐米大使に送っている。 URL http //www.asahi.com/politics/update/0513/006.html 0512 A級戦犯「分祀を検討」 古賀遺族会長が提言へ [朝日] 2006年05月12日23時32分 日本遺族会会長の古賀誠元自民党幹事長は9月の自民党総裁選に向けた自らの政策提言で、靖国神社に合祀(ごうし)されているA級戦犯の「分祀(ぶんし)の検討」を盛り込む意向を固めた。靖国神社に検討を促すもので、来週、共同代表を務める丹羽・古賀派の政策勉強会で公表する。同派が6月にも取りまとめる政策提言にも盛り込まれる見通しだ。 靖国問題について小泉首相や安倍官房長官は「争点にすべきではない」と主張している。 古賀氏は、中韓両国が批判するA級戦犯合祀の解決を訴えることで「アジア外交の重視」をポスト小泉選びの対立軸として鮮明にする狙いがあるようだ。 提言では、小泉首相の靖国神社参拝をきっかけに中韓両国との首脳会談が途絶えるほど関係が悪化した現状を指摘。そのうえで「戦没者ではない一部の英霊を分祀することも検討の対象となろう」と明記した。 A級戦犯の分祀について、靖国神社側は「神社祭祀(さいし)の本義からあり得ない」などと反発。ただ、中曽根元首相や中川秀直自民党政調会長らが分祀に言及している。 URL http //www.asahi.com/politics/update/0512/013.html 0510 首相の「商売」発言に神崎代表が苦言 [朝日] 2006年05月10日21時38分 小泉首相が靖国神社参拝の再考などを求めた経済同友会の提言に対して「商売と政治は別」などと発言したことについて、公明党の神崎代表は10日の記者会見で「経済にも悪影響が出始めてきたという危機感で(同友会が)発言されたのだと思う。そういう経済の実態を把握して対応をお願いしたい」と語り、首相の姿勢を批判した。 谷垣財務相も同日の会見で「提言を眼光紙背に徹して読んだわけではないが、一つのご主張だと思う」と同友会の考えに一定の理解を示した。 一方、安倍官房長官は会見で「総理が言っていることがすべて」と首相の発言を支持。政府高官は記者団に「経済界が追悼施設の建設を言うのは僣越(せんえつ)。遺族の慰霊の気持ちを、経済活動で計るのはどうか」と同友会を批判。自民党若手議員でつくる「平和靖国議連」は同日、「(提言の)論旨は到底容認できない」とする声明を発表した。 発言の真意を改めて記者団から問われた首相は「(中国との)経済関係も今までになく拡大しており、交流も深まっている。この(靖国参拝)問題が影響ないように努力していくのが(日中)双方にとって大事じゃないか」と語った。 URL http //www.asahi.com/politics/update/0510/018.html 0509 「商売とは別」首相が反発 経済同友会の日中関係提言 [朝日] 2006年05月09日22時33分 経済同友会が9日発表した、首相の靖国神社参拝の再考を求める提言が政界に波紋を広げている。小泉首相はさっそく「商売と政治は別です」と反発し、無視する構えを見せた。ただ、経済界が発信した政治的なメッセージだけに、中韓両国との関係改善が争点の一つとなる9月の自民党総裁選での論争に一石を投じることになりそうだ。 小泉首相は9日夜、提言について「財界の人から、商売のことを考えて(靖国神社に)行ってくれるなという声もたくさんありましたけどね。それと政治は別ですと、はっきり私はお断りしてますからね」と首相官邸で記者団に語った。 首相は3日にも「私が就任以来、中国とも韓国ともかつてないほど交流は進んでいる」と語っており、靖国参拝は経済に影響しないという立場を取ってきた。今回の提言は首相のこうした現状認識と相いれないため、強く反発したようだ。 ポスト小泉候補やその周辺の反応は分かれている。安倍官房長官は9日の記者会見で提言そのものについては「コメントのしようがない」と言及を避けた。そして、小泉首相の靖国参拝について「誤解があるとすれば、その誤解を解いていく努力をすることが大切だ」と述べるにとどめた。 一方、福田康夫元官房長官も参加している超党派議連「国立追悼施設を考える会」は今国会会期末をめどに中間報告をまとめる。会長の山崎拓・自民党前副総裁は9日、経済同友会の提言について「いい意見だ。中間報告をまとめる際に参考意見としたい」と語った。 URL http //www.asahi.com/politics/update/0509/007.html 0509 「首相の靖国参拝再考を」 経済同友会が提言 [朝日] 2006年05月09日21時20分 経済同友会は9日、小泉首相の靖国神社参拝に再考を促すことなどを盛り込んだ「今後の日中関係への提言」を発表した。経済団体が政策提言として、首相の靖国参拝に異議を唱えるのは異例だ。民間人を含む戦争犠牲者すべてを慰霊する無宗教の追悼碑を、国が建立することも提案。福田康夫氏が官房長官時代につくった私的諮問機関が提言した国立追悼施設構想が下敷きになっているという。9月の自民党総裁選にも影響を与える可能性がある。 提言は、日中の首脳会談が開けない現状に対して「極めて憂慮すべき情勢」との認識を示し、「中国等アジア諸国に少しでも疑義を抱かせる言動を取ることは、戦後の日本の否定につながりかねず、日本の国益にとってもプラスにならないことを自戒すべきだ」とした。 そのうえで、小泉首相の靖国参拝が、首脳レベルでの交流再開の障害となっていると指摘。「『不戦の誓い』をする場として、政教分離の問題を含めて、靖国神社が適切か否か、日本国民の間にもコンセンサスは得られていないものと思われ、総理の靖国参拝の再考が求められる」と明記した。 中国にも、日本の反省やアジアへの貢献についての理解、客観・公平な愛国教育などを求めた。 北城恪太郎代表幹事(日本IBM会長)は会見で「参拝は日本が自主的に判断する問題で、日本独自の見解として、参拝を控えた方がいいということで提言した。日中両国の国民が対立的な感情を持つことは安全保障の観点でも好ましくなく、経済の安定的な発展もない」と述べた。 同友会は4月21日の幹事会で提言を議論。北城氏は「約270人の幹事のうち約70人が出席し、賛成が約60人、反対が11~12人程度の賛成多数で了承した」と説明。提言を採決にかけるのは異例で、北城氏が代表幹事になって初めてという。 議論では「9月の首相交代を前にした時期にこうした提言を出すべきではない」「首相の靖国参拝に賛成」などの意見もあったという。 首相の靖国参拝を巡っては、前経済同友会代表幹事の小林陽太郎氏(富士ゼロックス相談役最高顧問)が04年、記者会見で「個人的にはやめていただきたい」と発言。自宅に火炎瓶が置かれたり、実弾が郵送されたりする事件が起きた。 日本経団連の奥田碩会長も、首相の靖国参拝には「近隣諸国への配慮が必要」などと、懸念を表明している。 URL http //www.asahi.com/politics/update/0509/006.html
https://w.atwiki.jp/368karasu/pages/48.html
勅祭社は天皇家の勅使が参向して祭祀が執行される神社のことで、正式に治定されたのは、明治十六年に賀茂祭および石清水祭が勅祭と定められた賀茂御祖神社、賀茂別雷神社、石清水(男山)八幡宮が最初で、その後に春日神社、氷川神社、熱田神宮、橿原神宮、出雲大社、明治神宮、朝鮮神宮、靖国神社、宇佐神宮、香椎宮、鹿島神宮、香取神宮、平安神宮、近江神宮が勅祭社となっている。現在の勅祭社は消滅した朝鮮神宮を除く前記の十六社である。このうち宇佐神宮と香椎宮は十年ごと、鹿島神宮、香取神宮は六年ごとに勅使が差遣され、また靖国神社には春秋二度の大祭に勅使が差遣されている。とあり鹿島神宮、香取神宮に次いで宇佐神宮と香椎宮は重要とあります。 宇佐神宮(うさじんぐう) 大分県宇佐市にある神社である。全国四万四千社と称する八幡宮の総本社である。住所は大分県宇佐市大字南宇佐2859。式内社、旧官幣大社。正式名は宇佐神宮だが、宇佐八幡あるいは宇佐八幡宮とも通称される。 祭神等 主祭神は八幡三神と呼ばれ、祭られている神殿の順に応神天皇(一の御殿)、比売大神(ひめのおおかみ/二の御殿)、神功皇后(三の御殿)の三柱の神が上宮・下宮に祭られている(メインは上宮だが、上宮・下宮どちらも三柱全員を祭っている)。比売大神は宗像三神のこととされる。 このほか、境内には仁徳天皇以下五柱の通称「若宮五神」を祭る若宮神社、応神天皇の子神を祭る春宮神社、大山積尊を祭る亀山神社(亀山は当宮が位置する山の名前)、境内の菱形池を守る水分(みくまり)神社、菅原道真を祭る天満神社、素戔嗚尊を祭る八坂神社、武内宿禰を祭る黒男神社、和気清麻呂を祭る護皇神社、初代大宮司・大神比義を祭る大神祖神社、かつて東征中の神武天皇をこの地でもてなしたとされる菟沙津彦・菟沙津姫を祭る宇佐祖神社などが末社として敷地内に存在する。 また、敷地外にある外宮として、大許(おおもと)神社が近隣の御許山(おもとさん)の上にある。御許山は比売大神が地上に下った時最初に降り立った地とされている。 なお古くは弥勒寺という神宮寺があったが廃仏毀釈により取り壊され、かつて同寺があった場所には社務をおこなう神宮庁と神宝を収める宝物館が存在する。 応神天皇(おうじんてんのう、200年12月14日 - 310年2月15日)は、第15代の天皇。在位期間は270年1月1日 - 310年2月15日。4世紀末から5世紀初頭にかけて実在性が認められる最も古い天皇である。実在のあり方に諸説あり、三王朝交代説における征服王朝の創始者であるという説、邪馬台国東遷説にまつわり皇室の先祖として祭られている神である(宇佐八幡)という説、河内王朝の始祖であると言う説などがある。 由来と歴史 社伝によれば、三角池(現在の中津市にある薦神社)において大神比義(おおがのひき)の前に童子姿の神が現れ、自らを誉田天皇(応神天皇)と名乗って祭祀を命じたことに始まる。史実では、もともと宇佐にいた辛島氏を初めとする渡来系豪族たちの祭神であったとされる。 東大寺造営の際宮司等が託宣を携えて都にのぼり、造営を支援したことから中央との結びつきを強め,宇佐神宮は伊勢神宮に次ぐ皇室第二の宗廟として崇拝の対象となり繁栄した。 宇佐神宮の神職を束ねる大宮司は、大神比義の子孫(中央から派遣された氏族ともされる)の大神氏が務めていたが、後に菟沙津彦らの子孫・宇佐氏が大宮司職を継承した。さらに宇佐氏の支族である到津氏および宮成氏と三氏で祭祀を行った。現在では宇佐氏は祭祀を離れ、大宮司は到津氏が継承し、宮成氏とともに祭祀を行っている。 九州最大の荘園領主 律令下での宇佐神宮は、神宮寺の弥勒寺とともに九州最大の荘園領主であった。また当時の社寺の例にもれず神人(じにん)による武装もしており,このため近郊の(特に豊後の)有力武士としばしば敵対している。 源平争乱期には平氏方につき,屋島から逃亡中の平氏が宇佐神宮を頼って落ち延びてきたこともあったが,豊後の緒方惟義が源氏方について反逆したこともあり庇護しきれなかった(このとき悲嘆した平氏が自殺したという場所に,小松塚と呼ばれる石碑と五輪塔がある)。またこのとき緒方氏によって神宮が焼き討ちにあったという。 鎌倉時代の蒙古襲来でも当時の社寺の例にもれず加持祈祷を行っている。 さらに下って戦国時代には豊後の守護戦国大名・大友氏と,豊前に手を伸ばしていた中国地方の覇者・大内氏(のちには毛利氏)との間で板挟みになり,大友氏と対立(宇佐神宮には大内氏から贈られた神宝もいくつか残されている)。大友氏の手で再び焼き討ちされ,このときは大宮司らが現在の北九州・到津付近まで逃げ延びる羽目になる。 大友氏はその後の島津氏との戦いで勢力をそがれ豊臣秀吉による九州平定を招くこととなり,豊前には毛利氏,ついで黒田氏と相次いで有力大名が進駐する。江戸時代以降,宇佐一帯は中津藩・鍋島藩飛び地・天領などが複雑に入り組む土地となったが,その中に、幕府から寄進された宇佐神宮の神領も存続することになった。 宇佐使 平安時代まで,天皇の代替わりなど重要時には宇佐使(うさづかい)という使節が朝廷から派遣されていた。宇佐八幡宮神託事件にちなみ、宇佐使は和気清麻呂の子孫である和気氏が務めるのが通例であった(ただし菅原道真が左遷された際のみ藤原氏から人選されている)。なお宇佐使は建武期に復活したが、再び停止された。明治以降に復活し、大正時代から宮内庁の職員が10年おきに派遣される勅使祭となって現在も続いている。 宇佐氏 宇佐神宮は、分祀が全国に二万四千以上もある八幡社の総本社である。そしてその主祭神は応神天皇で、すべての八幡社がみな同じである。ただし、相殿神となると、宇佐と分社の第一である石清水および鶴岡の両八幡宮は比売神と神功皇后を祭り、筑前の筥崎宮は神功皇后と玉依姫、肥前の千栗・豊後の柞原両八幡宮は仲哀天皇と神功皇后、とされて少しずつ異なる。この相違には祭祀上あるいは適地性というものが推察されるが、八幡神が応神天皇であることは変わらない。 古文献によれば、宇佐神宮ははじめ単に八幡社・八幡宮などといって「宇佐」の地名はついていない。それが、のちに石清水八幡宮が勧請されてから、それと区別する必要上、やがて宇佐八幡宮と呼ばれるようになった。また、八幡の文字は奈良時代ヤハタと読んでおり、ハチマンと音読するようになるのは平安時代以後のことであって、八幡神はもとヤハタ神であった。しかし、ヤハタ神とは何かとなると、諸説あるが未だ詳らかではない。 『延喜式』の神名帳をみると、豊前国の神社は六座しかなく、そのうち宇佐郡は三座で「八幡大菩薩宇佐宮・比売神社・大帯姫廟神社」を挙げ、並びに名神大社とされている。この三座は宇佐の本殿が三座から成り、向かって左から一の御殿に八幡大神(応神天皇)、二の御殿に比売大神、三の御殿に神功皇后を祭っているのに照応するが、はじめは比売大神がこの地の土豪宇佐氏の氏神として発展したらしい。 宇佐八幡宮は、中世には豊前国の一宮となり、またその経済的基盤として社領もすこぶる多かった。すでに平安時代の初め、八幡神・比口羊神の神封千四百十戸があり、のちの『宇佐大鏡』に豊前・豊後・日向の三国七郡の御封田六百四十烟とあり、これは建久年間(1190-99)の図田帳により詳細に知られる。これらの地を基礎として経遺産時代の末から各地に社領荘園が営まれ、宇佐宮領は右三国のほか、筑前・筑後・肥後にも及んで本御荘十八荘と呼ばれた。ところで、戦国時代になると宇佐の宮寺領も次第に武士の押領するところとなり、秀吉のとき残った社領もすべて没収された。しかし、天正十七年(1589)黒田長政が三百石の所領を寄せ、文禄元年(1592)社殿を造営、次いで中津城に入った細川忠興は千石、次に松平重直が七百石とし、正保三年(1646)徳川家光から改めて朱印領千石が寄せられた。 神職は、はじめ大神氏が務めたが、平安時代の中頃神主職を宇佐氏に譲って歴代祝職となり、宇佐氏が大宮司職を世襲した。 宇佐氏は菟狭津彦命を祖とし、宇佐八幡宮の神主家で、古くは宇佐国造家であった。欽明天皇の時代に諸石が八幡宮を勧請したのにはじまり、元明天皇の時、沙門法蓮が医術にすぐれた功によって、一族とともに宇佐公の姓を賜わったという。平安時代初期に大神氏とともに、宇佐公池守が宮司に補せられ、のち大神氏は衰えて、池守の子孫が大宮司を世襲し、鎌倉時代末期の宇佐公世の代から二家に分かれた。兄の公成が宮成家、弟の公連が到津家を称し、この二家が交互に大宮司職を継ぎ、明治に至っている。庶流に、岩根・横代・平田・安心院・稲用・出光・益永・永弘・小山田・江嶋の諸氏が出ている 「おおがのひぎ 大神比義」 宇佐八幡御発現につき、欽明天皇二十九年同三十二年宇佐菱形池辺にて大神比義により瑞を現わし、比義によって御発現になった。其後元明天皇和銅元年より鷹居の地に奇瑞を現わしたので和銅五年大神比義斎き祭って鷹居に御鎮座になったとある(託宣集)其子孫栄え大神氏祝氏小山田氏となる。豊後国跡考に速見郡大神村は其比義の住んだ所とて比義の館址を古殿と称している云々。 「おおがのたまろ 大神田麿」大神比義の子。諸男養老三年、神託により日向征伐に赴き其子田麿、弘仁中大宮司となり、爾来、子々孫々大宮司に任ずと。(大典) 香椎宮(かしいぐう) は、724年(神亀元年)に創立された、仲哀天皇と神功皇后を祭神とする神社。 福岡県福岡市東区。 歴史 仲哀天皇9年(200年)、神功皇后が自ら祠を建て仲哀天皇の神霊を祀ったのが起源とされる。 養老7年(723年)、神功皇后自身の神託により朝廷が社殿の造営を始め、神亀元年(724年)に竣工される。この2つの廟をもって香椎廟とする。 明治時代に官幣大社となる。終戦までは勅祭社に指定され、現在でも十年に一度宮内庁より勅使が遣わされている。最近では平成17年(2005年)に遣わされた。 神木「綾杉」 神功皇后の三韓征伐から帰国した際、三種の宝を埋め、「永遠に本朝を鎮護すべし」と誓いを立てて鎧の袖の杉枝をその上に挿したものが現在の大木となったとされる。普通の杉と葉の形状が異なり、綾状になっていることからこの名が付いた。大宰帥に任じられた者は、香椎宮に参拝し神職からこの杉の葉を冠に挿されるのが恒例とされていた。 《除福伝説》 除福東渡伝説(司馬遷著「史記」、漢書伍被伝)によると神仙思想が盛んなBC200年頃の秦の始皇帝時代、除福は長生不老の仙薬を求めて三千人の童男・童女、五穀種および百工(工業技術者集団)を連れ、東海 三神山に向け出航し平原広沢を得て王となったとあるように、日本列島の各地(鹿児島県西岸、有明海、瀬戸内海西部、紀伊半島熊野、丹後半島、愛知県沿岸部、駿河湾、富士山北麓、東北北部日本海沿岸、八丈島)に上陸し、稲作・冶金・織機を普及した一つの流れかもしれません。 石清水八幡宮 京都府八幡市八幡高坊30 祭神*譽田別尊 多紀理毘賣命 市寸嶋姫命 多岐津毘賣命 息長帶比賣命 清和天皇貞観元年(859)、南都大安寺の僧行基が、「吾、王城近き石清水男山の峯に移座して国家を鎮護せん」という豊前宇佐八幡の託宣を蒙り、まず、現在の離宮八幡宮の地に至り、その後朝廷より宣旨を受けた橘良基が当地に六宇の社殿を建立。翌年、三所の神璽を奉安せられたのが当社の創始。山城・河内を眺望できる場所にあり、王城の裏鬼門に位置し、王城鎮護に相応しい。 延喜式神名帳に記載の無い式外社で、「石清水文書」には、当社と平野社、祇園社など、魚味を供さない社は神名帳に載せない旨が記されているらしい。(平野社は延喜式に載っているのだが) 古来、伊勢の神宮に次ぐ、第二の宗廟として上下の尊崇が篤く、特に皇室においては崇敬が深く、 永祚元年(989)にはじまった行幸は、明治天皇まで240余度にも及ぶ。また源氏の崇敬社でもあり、全国各地四万社にその分霊が祀られた 日本全国に八幡とつく神社は3万ないし4万社を数えるといわれていますが、なかでも石清水八幡宮は九州の宇佐神宮、関東の鶴岡八幡宮とともにわが国の歴史上、極めて重要な地位を占めてきました。その歴史は古く、今も昔も全国津々浦々より多くの人が引きも切らず参拝に訪れます。また神社のある男山は、京都の南西・裏鬼門にあたり、木津・宇治・桂の三川の合流点を挟んで天王山と対峙する交通の要地、政治上の重要な拠点に位置しています。 石清水八幡宮の御祭神は御本殿中央に八幡大神様(誉田別尊[ほんだわけのみこと]−第15代応神天皇[おうじんてんのう]−)を、西に比?大神様(ひめおおかみさま)(宗像三女神、一説に仲津姫命、あるいは本朝国母玉依姫命[ほんちょうこくぼたまよりひめのみこと])、東に神功皇后様(じんぐうこうごうさま)(息長帯比賣命[おきながたらしひめのみこと])をお祀りしています。この御本殿に鎮まる三座の神々を総称して八幡三所大神と申し上げます。 石清水八幡宮の創建は平安時代初めの貞観元(859)年、大安寺の「行教」という僧が豊前国(大分県)の宇佐宮におこもりになった際、八幡大神様の御託宣(お告げ)を蒙り、同年男山の峯に八幡三所の神霊を奉安申し上げたことにはじまります。この年、清和天皇の御命令を承けた木工寮権允橘良基は、すぐさまこの地に本殿三宇・礼殿三宇から成る六宇(ろくう)の宝殿を造営し、そこに八幡三所大神が正式に御鎮座になりました。 翌年貞観2(860)年4月3日のことでした。 石清水八幡宮の社号は、今なお男山の中腹に涌き出ている霊泉“石清水”に因んだもので、そのほとりには八幡三所大神が男山にお鎮まりになる以前、すでに「石清水寺」という山寺が存在したといわれます。 社号は明治初年に“男山八幡宮”と改称されましたが“石清水”の社号が創建以来の由緒深いものであるため、大正7年に再び“石清水八幡宮”と改称されました。 八幡大神様の御神徳は御託宣にもあらわれている様に、まさに広大無辺で長い歴史の中で様々な人々から様々な願いを叶える神様として信仰されてきました。なかでも皇室には厚い御崇敬を寄せたまい、伊勢の神宮に次ぐ国家第二の宗廟として、天皇・上皇の行幸・御事は円融天皇(第64代)の御参拝以来、現在までに実に250余度にも及んでいます。源氏をはじめとする全国の武士は八幡三所大神を武の神、弓矢の神として尊崇し、なかでも源頼信にはじまる河内源氏の一族は源義家が石清水八幡宮で元服して八幡太郎義家と名乗ったことからもうかがわれるように、八幡大神を氏神(一族の守護神)として仰ぎ、勢力の拡大とともに全国に数多くの八幡宮を祀りました。さらに厄除けの神様として信仰の歴史は古く、全国屈指の厄除けの神社として年間を通じ多くの参拝者が訪れています。 ■香椎宮(福岡市東区香椎) 祭神は仲哀天皇・神功皇后・応神天皇・住吉大神。西征中この地で没した仲哀天皇の霊を、神功皇后が祭ったのが宮の起源とされる。香椎は鴻臚館貿易の衰退した12世紀から博多津に代って栄えた貿易港で、元寇の際、豊後の大友氏が香椎・多々良地区を警固してから大友氏の支配を受けるようになった。同氏建立の多々良の顕孝寺辺りは内外の僧侶・商人で賑った。香椎造りで著名な享和元年(1801)再建の本殿は国指定の重要文化財。香椎宮の周辺には武内宿禰ゆかりの不老水、急死した仲哀天皇を祭る古宮、戦いから帰った神功皇后が植えたという綾杉の大 木などがある。 ■御祭神 仲哀天皇 神功皇后 由緒 香椎宮の創建は仲哀天皇の御神霊を神功皇后躬つからお祀りあそばされた(200)ことに来し、これを古宮と申します。神功皇后の宮は、元正天皇の養老七年(723)皇后の御神託により朝廷より九州に詔して社殿の造営を始められ、聖武天皇の神亀元年(724)に竣工しこの両宮を併せて香椎廟と称します。明治以降官幣大社香椎宮、戦後は香椎宮と称しています。香椎廟は本朝鎮護の宗廟なれば、廟号を以って格別の御崇敬を捧げさせられ奈良平安このかた廟司以下六百余戸の奉仕団また千数百町歩の神領を賜わり国家の大事に際しては必ず奉幣の勅使を差遣せられ現代に於いては十年毎に勅祭を斎行せられます。仲哀天皇八年(199)筑紫の橿日宮に坐しまして天下冶しめし率先御精励のさなか御志なかばにして俄に崩御遊ばされました。皇后は御遺志を継がれ神祇の教えを受けご懐妊の身を以って躬つから国内を平定せられ更に船団を率いて三韓御渡航の壮挙を果され初めて国際国家としての日本の地位を確立せられました。この御大業は正に神わざとして史上に輝き、朝貢あり帰化あり交流盛んにして国運愈隆盛に赴きました。御子応神天皇は八幡神として遍く信仰を集められ、御孫仁徳天皇は世界最大の陵墓たる仁徳陵によって聖徳を偲ぶことができます。かの雄渾な土木技術を始め建築、裁縫、工芸、文教あらゆる文化の恩恵は全く当御祭神の赫々たる御神威に淵源しやがて絢爛たる日本文化の花が開かれて行きます。この国に生を享ける者の一日も忘れまじき御神徳であります。 ■古宮 仲哀天皇皇居橿日宮址、沙庭斎場遺跡、香椎(棺桶椎)あり ■御本殿 香椎造と称し我国唯一の建築様式で国の重要文化財 享保元年(1801)筑前藩主黒田長再建 ■御神水綾杉 神功皇后三韓より御帰還の際、三種の神宝を埋めその上に杉を植えてとこしえに本朝を鎮護るべしと誓ひて神霊を憑け留められ杉でこの杉の葉に不老水を添えて毎年禁裏に奉献いたします。火災に遭ふも若芽根より生じ植継ぐことなく伝っております。 ■不老水 大臣武内宿祢公ゆかりの不老長寿の霊泉。古来痼疾を除き齢を延ばす極めて霊験ありと伝えられ名水百選の認定を受く。 ■勅使参拝標石 中門内左右に「御脱剣所」「衛士居所」と高さ六十センチの標石があり、中門階段下左右に「御手所水」「御祓所」、勅使館前に「御休息所」の標石が立っています。これは勅使または太宰師の参拝の時、昇殿に至る順序を指示した石で奈良時代のものと推定される。 ref(http //image02.wiki.livedoor.jp/n/8/niwaka368/f438b3a44a3100f2.jpg)
https://w.atwiki.jp/nomorefictions/pages/24.html
2014-1-2 川端祐一郎(京都大学博士課程) http //asread.info/archives/332 安倍首相が、就任1周年を迎えるタイミングで靖国神社に参拝していたことが明らかになりました。政権発足から1年が経ったから参拝するというのは意味がよく分かりませんし、首相談話に言われるような「不戦の誓い」が靖国神社という場に相応しいのかという疑問はありますが、せっかくなのでここで、首相が靖国神社に参拝するということの意味について考えてみたいと思います。 長いので、もともと靖国問題に詳しい方は「7.靖国神社は『政治的』な施設である」あたりからお読み頂ければと思います。 1.いつも通りの反応 毎度のことですが、中国政府は「強烈な抗議と厳しい非難」を表明し、韓国政府は「嘆かわしく怒りを禁じ得ない」との声明を発表しました。そればかりか今回はアメリカ政府も「近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに米国政府は失望している」と言い、国連も「過去から生じる緊張がいまだに(北東アジア)地域を悩ませていることを非常に遺憾に思う」と批判しています。ついでにロシアや台湾やシンガポールも、憂慮の声を上げているようです。 国内のメディアが、産経新聞を除いてほぼ「安倍叩き」一色となっているのも毎度のことで、目新しい内容のものはありません。 批判の代表例としては、靖国神社の存在そのものを忌み嫌う朝日新聞が「戦前の靖国神社は、亡くなった軍人らを『神』としてまつる国家神道の中心だった。(中略)その存在は一宗教法人というにとどまらない。あの歴史を正当化する政治性を帯びた神社であることは明らかだ((社説)首相と靖国神社 独りよがりの不毛な参拝:朝日新聞デジタル)」と書き、経済が大事だから外国と揉めるのはやめてくれと叫ぶ日経新聞が「いまの日本は経済再生が最重要課題だ。(中略)アベノミクスでも掲げた『アジアの成長力を取り込む』という方針に自ら逆行するのか。経済界には首相への失望の声がある」(記事リンク)と書いているのを挙げておけば良いでしょうか。 産経新聞が首相の参拝を高く評価するのもお決まりのパターンで、要点をまとめると、 国のために戦死した人の霊に哀悼の意をささげるのは、ごく普通の自然な行為であり、世界各国の指導者に共通する責務である。 国や故郷を守るために戦った兵士たちが祀られる靖国神社を参拝することは、国を守る観点からも、首相の責務である。 靖国神社で戦没者の霊に祈りをささげるのは、日本の伝統文化であり心のあり方であって、外国から文句を言われる筋合いはないし、軍国主義とも関係はない。 かつては天皇や首相などの公式参拝がごく普通に行われていた。中国が文句を言うようになったのは80年代以降で、彼らの批判は後付けに過ぎず、単なる外交カードである。 靖国神社には、旧連合国や日本の旧植民地をはじめ、外国の要人も多数参拝してきた。リットン調査団やGHQからも参拝者があった。この歴史を見れば、靖国神社が日本における戦没者慰霊の中心施設であることは間違いない。 アメリカのアーリントン国立墓地には、南北戦争における南軍の将校も埋葬されているが、この墓地にアメリカの大統領や日本の首相がお参りしたからと言って「奴隷制度を肯定するのか」となじる者はいない。 といったところです[*1]。 [*1]「首相、靖国参拝 失望、抗議、怒り 厳しく」, 産経新聞, 2013年12月27日付./「主張 首相靖国参拝 国民との約束果たした 平和の維持に必要な行為だ」, 同./大原康男, 「正論 首相は今後も堂々と参拝重ねよ」, 同./百地章, 「正論 首相は英霊の加護信じて参拝を」, 産経新聞、2013年12月25日付. 2.「慰霊」という「国内問題」なのか? 私自身は昔から、天皇も首相も定期的に靖国神社へ公式参拝すべきだと思っているので、産経新聞の参拝推進論のほうが正しいと思いますし、未だにA級戦犯を「犯罪者」だと思っているような連中に対しては、小林よしのり氏のマンガ『靖国論』や『いわゆるA級戦犯』でも読んで勉強しろと言いたいところです。 しかし以前から、保守派の靖国参拝推進論には気になるところもありました。一つは、靖国神社に参拝することの意義として、戦没者の「慰霊」や「鎮魂」という穏やかな面ばかりが強調される傾向にある点。もう一つは、靖国問題を「純然たる国内問題」であるとし、中国や韓国からの批判を「内政干渉である」という言い方で退けようとしている点です。 たとえば今年の11月に産経新聞に掲載された櫻田淳氏の論説では、「靖国神社参拝は本来、純然たる『鎮魂の行為』でしかないという説明を徹底させる」ことが、首相の靖国参拝に必要な前提条件の一つであるとされていました[*1]。 また、9月には同じく産経新聞に、大原康男氏の「もともと首相の靖国参拝は国内問題だ。中国は外交問題化させているが、内政干渉というほかない。韓国では毎年、伊藤博文を暗殺した安重根の追悼式を行っている。日本の初代首相の暗殺者を敬うことは日本人にとっては面白くないことだが、別に干渉したりはしない。韓国内の問題だからだ」というコメントが掲載されていました[*2]。 こうした言い方は、保守派の靖国参拝論の中では定番と化しているものです。首相が靖国神社を参拝するのは、戦没者を「慰霊」し、彼らへ「哀悼」の意を捧げるためであって、これは軍国主義とは無関係な、人間としての自然な感情に発するものである。戦没者の慰霊は世界のリーダー共通の責務であり、その方式については各国各様の文化に従うべきものである。したがって、靖国参拝は純然たる国内問題なのであり、外国がとやかく言うのは「内政干渉」に他ならないというわけです。 もちろん参拝推進派は他にも色々なことを指摘しているのですが、ここ十数年の議論をみると、「自然な感情」論と「純然たる国内問題」論をもって、「中韓の批判を気にする必要はなし」と主張するパターンが多かったように思います。 たしかに、靖国神社が「慰霊」(霊魂をなぐさめる)、「哀悼」(死を悲しみ悼む)、「鎮魂」(魂の動揺を鎮める)の場であるということ自体は間違いないでしょうし、もともと国内問題であったというのも正しい。60年代・70年代には靖国問題といえば主に政教分離問題だったのが、80年代になり、とくに中曽根首相が「公式参拝」を宣言した頃に、突如として中国から批判されるようになったのでした。 [*1] 櫻田淳, 「首相靖国参拝への『3つの条件』, 産経新聞, 2013年11月19日付. [*2] 大原康男, 「中国の批判はご都合主義」, 産経新聞, 2013年9月7日付. 3.慰霊や追悼には誰も反対していない ただ私は、「自然な感情」論や「純然たる国内問題」論では、首相の靖国参拝推進の根拠としては弱いように感じています。その理屈だけでは、「なぜ武道館の全国戦没者追悼式ではダメで、わざわざ諸外国に批判される靖国神社に参拝するのか」という指摘や、「一般の戦争犠牲者も合わせて慰霊できる、無宗教の国立追悼施設を新たに建設すべきだ」といった主張に反論するのが難しいと思うからです。 今回の騒動でも、たとえば読売新聞はA級戦犯の合祀を問題視し、「今の靖国神社には、天皇陛下も外国の要人も参拝しづらい。無宗教の国立追悼施設の建立案を軸に誰もがわだかまりなく参拝できる方策を検討すべきである」(首相靖国参拝 外交立て直しに全力を挙げよ 社説・コラム 読売新聞)と主張しています。 朝日新聞の主張をもう一度見直すと、「あの戦争に巻き込まれ、理不尽な死を余儀なくされた人たちを悼む気持ちに異論はない」としながらも、首相の靖国参拝は政教分離の原則に反していると指摘しています。また、A級戦犯が神として祀られていることを考えると「あの歴史を正当化する政治性を帯びた神社であることは明らか」だから、「首相がどんな理由を挙げようとも、この参拝を正当化することはできない」と言います。そして、「それならば、軍人だけでなく、空襲や原爆や地上戦に巻き込まれて亡くなった民間人を含むすべての死者をひとしく悼むための施設を、新たにつくってはどうか。どんな宗教を持つ人も、外国からの賓客も、わだかまりなく参拝できる追悼施設だ。」という話になっていくわけです(記事リンク)。 日経新聞も、「赤紙で戦地に送られた多くの戦没者を悼むのは日本人として当然の感情だ。問題は靖国がそれにふさわしい場所かどうかだ」(記事リンク)という書き方をしていて、つまるところ、首相が戦没者の死を悼むのは良いのだが、だったら靖国神社ではなく別の場所でやってくれと言っています。 毎日新聞にしても、「私たちは、国の指導者が戦没者を追悼するのは本来は自然な行為であり、誰もがわだかまりなく戦没者を追悼できるような解決策を見いだすべきだと主張してきた。しかし靖国は首相が戦没者を追悼する場としてふさわしくない。先の大戦の指導者たちがまつられているからだ」(社説 安倍首相が靖国参拝 外交孤立招く誤った道 – 毎日新聞)という主張になっています。 つまり、政治家が先頭に立って戦没者の死を悼むことには、べつに誰も反対していないわけです。「ただ、戦争の犠牲者に対する哀悼の意を捧げたいのであれば、わざわざ揉め事が起きる靖国神社でやるのはやめるべき」というのが靖国参拝反対派の論理なのです。 4.靖国参拝の積極的な意義 靖国参拝推進派の「自然な感情」論や「純然たる国内問題」論は、反対派の批判に対して、「これは人間としての自然な感情に基づいてやっている平和主義的な祈りであって、摩擦を生むのは本意ではない」という理屈で反論していることになります。小泉首相の参拝が問題化したときも同じでした。 首相の談話については外交的配慮が求められるので、平和主義的な言葉が選択されるのも分かるのですが(それにしても、小泉首相の談話は最悪でしたが。)、一般の議論においてもそれでいいのかは疑問です。「摩擦を生みたくないのであれば、やり方を変えればいいじゃないですか」と言われてしまうと、反論しづらくないでしょうか。 靖国参拝をめぐって生まれる「摩擦」としては、以下のようなものが代表的です。 首相が靖国神社に公式参拝をすることは、憲法に定める政教分離の原則に反している。 靖国神社にはA級戦犯が合祀されているが、彼らは戦争の惨禍をもたらした加害者なのであり、日本国民として彼らを神として祀ることは容認できない。 A級戦犯は日本軍国主義・帝国主義の指導者であったことから、彼らを祀る行為はアジア諸国民の感情をも傷つける。 靖国神社には、主として軍人を祀る施設であり、戦争で犠牲になった一般市民を慰霊することができないから、戦没者慰霊の中心施設としては不適切である。 これらの摩擦を理由に靖国参拝を批判する勢力に対して、「いや、我々は単に自然な気持ちから戦没者を追悼したいだけであって、摩擦を起こすのは本意ではないから気にしないでくれ」と言うだけでは、説得になりません。また、今の20代・30代以下の世代の場合、ほとんどの人は靖国参拝を「自然な気持ち」と言われてもピンと来ないでしょう。もっと積極的な形で「靖国参拝の意義」を語り、論理を組み立てていく必要があると思うのです。 私はむしろ、「慰霊」や「追悼」という「自然な感情」に加えて、 国家的行事において神道の儀式を担ぐこともある程度まで必要なことなのであり、 A級戦犯は我々日本国民にとっては犯罪者ではないのであり、 アジア諸国民に傷つくところがあったとしても日本には日本の正義があったと言わざるを得ないのであり、 戦死した軍人は一般の戦争犠牲者とは異なる特別な存在なのだ ということを、首相の靖国参拝を通じて表現することに意義があるのだと理解すべきだと思います。もちろん政治家は言葉を慎重に選ぶべきですが、これらのことをある程度明確にしておかないと、議論がかみ合わないのではないでしょうか。 さらに言えば、「こうした価値観は必ず誰かの癇に障るはずだが、それでもなお擁護すべき理由が我々にはある」と主張しなければならないはずです。靖国神社は、後述するように日本のナショナリズムの象徴と理解すべきものなので、「哀悼の意」のような万人が理解できる普遍的価値観では説明し切れないのです。 政治家やメディアがこのことを明確に主張できる環境にないのであれば、まず議論を積み重ねてその環境を構築するのが先決であって、首相が焦って靖国神社に参拝してもあまり意味はないでしょう。 5.靖国神社は「英雄」を讃えるための施設である 数年前にベストセラーになった高橋哲哉氏の『靖国問題』という本は、靖国神社というのは戦死した兵士を「英雄として顕彰する」ための施設であると繰り返し強調していました。この本全体の趣旨はめちゃくちゃで、いわゆるトンデモ本の一種なのですが、靖国神社が戦没兵士を「顕彰」(功績を明らかにし、広く知らしめる)する役割を担っているというのは事実でしょう。そして、このことがあまり強調されていない点が、保守派の靖国参拝推進論の一つの弱点であると私は思います。 靖国神社に祀られているのは「英霊」、つまり「英雄たちの霊魂」です。戦争で死んだ兵士を「英霊」として祀るという行為は、「国家として讃えるに値する“特別な死に方”をした人たち」を選抜し、他の人たちとは差別化して記憶に留めるということを意味するはずです。単に、戦争の犠牲になったことが気の毒だから、その霊を慰めるというだけではあり得ません。 その意味では今回の安倍首相の談話はけっこう正確で、「本日、靖国神社に参拝し、国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠を捧げるとともに、尊崇の念を表し、御霊安らかなれとこご冥福をお祈りしました。」と述べられています。国のために戦った人たちへの「哀悼の意」とともに、「尊崇の念」が表明されているわけです。ここで「尊び崇め」られているのは、「国を守るために命を惜しまず敵と戦って死ぬ」という特筆すべき人生であり、それに「名誉」を与えるというのが靖国神社の主要な役割の一つなのです。 なお似たような意味合いで、前出の産経新聞の社説にも「国を守るという観点から」首相の靖国参拝は大事なのだと書かれていました[*1]。櫻田淳氏も昔、靖国神社は「兵士の士気」を支えるという意味で「安全保障装置」の一つであると論じていました[*2]。戦死には特別な価値があるとしなければ、戦えないというわけです。 このように考えておかないと、「なぜ戦争では一般市民もたくさん殺されるのに、兵士ばかりを祀った神社を特別視しなければならないのか」という、参拝反対派の批判に答えられなくなるはずです。 安倍首相の参拝の直前に産経新聞に掲載された百地章氏の論評には、「いうまでもなく、靖国神社はわが国における戦没者慰霊の中心施設である。それ故、首相が国民を代表して靖国神社に参拝し、国のために殉じられた戦没者に対し感謝と慰霊の誠を尽くすのは当然のことであって、本来、政治的配慮などとは無縁なはずだ」と書かれていました[*3]。この言い方は保守派の決まり文句ですが、果たして靖国参拝という行為がそんなにヒューマニスティックで、「政治的配慮などとは無縁」と言い切れるものであるかは疑問です。 [*1] 「主張 首相靖国参拝 国民との約束果たした 平和の維持に必要な行為だ」, 産経新聞, 2013年12月27日付. [*2] 櫻田淳, 「安全保障装置としての靖国神社」, 産経新聞, 2002年4月23日付. [*3] 百地章, 「正論 首相は英霊の加護信じて参拝を」, 産経新聞, 2013年12月25日付. 6.「外交問題」化するのは当然のこと 靖国神社が戦死者を「英雄」として祀る施設であることを考えると、その本質からして諸外国との間にわだかまりを生み出しやすい存在であるということがよく分かります。 「中国・韓国による靖国参拝批判は、“内政干渉”に他ならない」と靖国参拝推進派は言うのですが、そもそも戦争というのは外国と戦うことなわけで、戦争で死んだ兵士の魂に思いを馳せることを「純然たる内政問題」と理解するのは無理があります。靖国神社には、中国軍と戦って死んだ兵士が祀られていたり、大日本帝国臣民として戦った韓国・朝鮮人の兵士も祀られているわけですから、諸外国(旧敵国と旧植民地)が「靖国神社においてどのような趣旨の儀式が執り行われているのか」について関心を持つのも、自然なことであると考えるべきでしょう。 もちろん人間には、済んだことは仕方がないものとして受け入れる寛容さが備わっており、この「寛容」の精神は国際社会のみならず我々の日常生活を安定的に営む上でも必須のものです。 重要なのは、この寛容さというのは、「戦没者の慰霊は、相手国の国内問題だから気にしない」のではなく、「文句を言いたいことも色々あるが、殺し合ったのはお互い様だし、今さら大騒ぎしても仕方ないからここは黙っておく」という性質のものだと理解することです。我々日本人も、原爆投下等についてアメリカに言いたいことは色々ありますし、場面によっては文句を言って良いわけです。 私は何も、首相の靖国参拝に抗議する中国や韓国の側にこそ正義があると言いたいのではありません。国家間には正義をめぐる衝突があるのが普通の状態だということです。そして、戦没者の慰霊や顕彰というような行為は、もともと「正義」をめぐる対立を生みやすい話題だと考えるべきなのです。 元外交官で京都産業大学の東郷和彦教授がインタビューに答えて、「自前の歴史認識を作る代わりに、日本は中国製の歴史認識を受け入れたと言われても仕方のない行動をとりました。(中略)国際社会では反論しなければ受け入れたとみなされます。A級戦犯は国際的に日本軍国主義の象徴とされてしまった以上、反論するにはよほどの覚悟が必要です」と指摘していましたが、その通りだと思います[*1]。 寛容さというものは微妙なコミュニケーションの積み重ねの上に成り立つものなので、いったん問題化してしまったら単に「忘れましょう」といって解決できるわけではない。現実問題として、1980年代以降「靖国参拝」は完全に外交問題化しており、外交問題としての歴史がすでに30年もあるのです。時計の針を戻すことはできないのですから、「内政に干渉するな」の一言で片付けることはできないはずです。先にも述べましたが、たとえば大東亜戦争の「大義」を堂々と主張できる状況にないのであれば、まずその状況の改善が先でしょう。 [*1] 「耕論 靖国参拝、信念の向こう側 東郷和彦さん、小田嶋隆さん」, 朝日新聞, 12月29日付. 7.靖国神社は「政治的」な施設である 靖国神社が「戦死者を英雄として顕彰する」施設であることを考えると、靖国神社というのはその本質からして、純粋な宗教施設ではあり得ず「政治性」を帯びたものであることもよく分かります。 神道の儀式を執り行っているわけですから、日本人の自然な宗教感覚と習俗に基づく文化であるという面もたしかにあると思いますが、靖国神社における戦没者の祭祀は、単なる「伝統文化」や「死を悼む感情」では説明できない性質を持っています。 靖国神社における戦没者の合祀は、戦前は陸海軍省、戦後は厚生省が作成した名簿に基づいて行われてきました。じつは終戦後も、まだ合祀されていなかった戦没者が数百万人いたので、厚生省がその事務を引き継いで「合祀されるべき戦没者」のリストアップを行っていたのです(A級戦犯についても同様で、国会図書館が資料を公開しています。)。 この名簿の作成に当たっては、たとえば戦病死や自決の場合のように、合祀に値するか否か判断が必要な場合もありました。いわば政府が、靖国神社に合祀すべきか否か、言い換えると「英雄」と呼ぶに値するかどうかを、特定の価値観に基づいて選別していたわけです。 アリストテレスは「人間はポリス的(国家的≒政治的)動物である」と言い(『政治学』)、政治学者のカール・シュミットは、政治性とは「友と敵」の区別に関わるものだと言いました(『政治的なものの概念』)。人間がつねに誰かと戦っていなければならないというわけではありませんが、特定の価値観を共有する者同士で団結し、異なる価値観を持つ者との間に距離を置くという程度の意味での「政治性」は、人間社会の普遍的な性質です。首相の靖国神社参拝という行為は、「敵」と戦って死んだ英霊を顕彰しているわけですから、この意味での政治性を多かれ少なかれ帯びざるを得ないはずです。 私は、首相の靖国参拝というのは、「戦没者の鎮魂」に加えて以下のような政治的含意を表現する行為であると考えています。 国家は、時として国民に、(友たるものの義務として)死を強要するものであるということ 国家は、自国の生存のために外国と戦火を交えることがあるということ 国家は、国家にとって特別に有意義な死に方と、そうでない死に方を区別するということ 国家が戦没者を顕彰する行為には、彼らの戦った戦争には「大義」があるということが含意されるということ 国家的行事には、国家にとって最も正統的と考えられる宗派の儀式が採用されるのであり、これは国民一人一人の信教の自由とは別問題であるということ なお「国家」には、文化的共同体としての「ネイション」という側面と、統治機構としての「ステイト」という側面があって、両方を合わせてネイション=ステイト(国民国家)ということもありますが、ここでは簡単に両者をひっくるめて「国家」と呼んでおきます。国民という集団のことを指しているだけでも、政府機構を指しているだけでもない点に注意してください。 首相の靖国神社参拝という行為は、慰霊や追悼という意味ももちろん込められているでしょうが、同時に上記のような政治的メッセージを、強かれ弱かれ体現するものだと理解すべきなのです。「同胞の死を悼む」という穏やかな側面を一方で持ちながら、他方では「政治的動物」としての人間社会の穏やかならぬ一面を表現しているわけです。 8.国家が持つさまざまな「二面性」 上に挙げたような靖国神社の「政治性」を、おぞましいと感じる人もいるでしょう。しかしこの政治性は、我々が「国家」というものを形成して生きる動物である以上、引き受けざるを得ない「人間社会の本性」であると理解することが重要です。 ところで、国家というものは、以下のように様々な意味で二面性をもった存在です。少し抽象的な議論になりますがお付き合い下さい。 「生命の保護」と「死の強要」:我々は国家を形成することにより、共同で生命を保護する努力をしている。しかし一方で、国家は危機に臨んで国民に「死」を強要する存在でもある。 「多様性」と「統一性」:国家は、国内文化の多様性を保護するための様々な制度を持っている。しかし一方で我々は、文化的な一体感をナショナリティとして共有してもいる。 「国民の権利」と「国民の義務」:国家という共同体は数多くの法律的・慣習的ルールを有しており、我々はそのルール体系に従うことで、互いの権利を尊重し合い様々な自由を享受している。しかし一方でその法律と慣習の体系は、我々の権利に一定の制限をかけ、義務を課すものでもある。 「他国への依存」と「他国からの独立」:国家は他国との間で相互依存関係にあって、たとえば日本はエネルギー資源や食料の多くを輸入に頼っている。しかし一方で、あくまで国家は自らの独立した地位を保たんとするものでもある。 「現実性」と「物語性」:我々の国家は、国土や文化的遺産や軍事力など現実的な実体を有している。しかし一方で国家は、「想像の共同体」とも言われるように、我々のイマジネーションや物語の共有によって成り立っている面も多分にある。 「世俗性」と「宗教性」:我々は国家という共同体を、政治や経済などの世俗的な問題を解決するための枠組みとして活用している。しかしその一方で国家は、宗教感覚の共有と伝承を通じて、我々に「聖なる世界」への関わり方を教えてくれる存在でもある。 「過去志向」と「未来志向」:国家という共同体は、過去の歴史を共有することで成り立っている。しかし一方で国家は、未来へ向かって共同で事業を行うプロジェクトチームとしての側面も持っている。 「意思」と「運命」:国家が取る行動は、基本的には国民が意思を持って選択したものであると言える。しかし一方で国家の行動は、歴史の積み重ねや国際関係上の理由から、国民の意思を超えた「運命」のようなものに流されるようにして決まることも多い。 我々が理解しなければならないのは、こうした様々な二面性の両面をきちんと捉えなければ、国家というものの本質を見誤ってしまうということです。人間が国家を形成し、国家の中で生き、国家を運営するとは、このような二面性の境界に立って、妥協点を見つけたりバランスを取ったりする努力を続けるということでもあるのです。 9.「国家の輪郭」としての靖国神社 ところで、このように考えてくると、靖国神社というものが上述のような「国家の二面性」をきわめて明瞭な形で象徴している施設であるということに気づきます。 靖国神社に祀られている英霊は、国民の生命を守ろうとして散った兵士たちであるが、その一方で彼らは国家によって死を強要された人たちでもある。 国家が神道形式で戦没者の慰霊を行うからといって、国内から他の宗教を閉め出すということにはならないし、靖国神社にはキリスト教徒であった首相や外国の要人も参拝している。しかし儀式を執り行うのである以上、特定の宗派を選択する必要があり(宗派の混合や無宗教という選択は、容易に「無意味化」や「カルト化」につながります)、歴史の長さと民間習俗への浸透度合いから、神道が選択されていると考えることができる。 靖国神社は戦争に関わる神社だが、戦争というのは「権利を守るために義務を果たさなければならない」局面の最たるものである。戦争に負ければ国民全体が様々な権利を失う可能性があり、それを避けるために国民は、義務を背負って全力を挙げて戦争に協力するのである。 戦争というのは、他国との関係における「依存」と「独立」の折り合いが付かなくなる事態であり、またその折り合いを回復するための荒療治であるということもできる。靖国神社を通じて我々は、「依存」と「独立」のせめぎ合いの歴史を思い起こすのである。 靖国神社という場で、我々は「戦争」という生々しい現実の出来事に思いを致すわけだが、一方で靖国神社は、兵士たちが「靖国で会おう」と言い残して戦場に散ったように、国民が共有する「物語」の大事な舞台でもある。 靖国神社は戦争に関わる施設であり、戦争とは、政治や経済上の利害対立を契機として人間同士が殺し合うという、きわめて世俗的な出来事である。しかし同時に靖国神社は宗教施設でもあって、世俗の哀しみや怒りを聖なる世界へと昇華させる場でもある。 靖国神社で我々は、過去の戦争について振り返るわけだが、そこに祀られている兵士たちは皆、日本国家の「未来」に希望があると信じて戦場に散っていったのである。 日本が戦った近代の戦争は、もちろん日本人自身の意思決定の連続ではあった。しかし振り返ってみれば、グローバル化や帝国主義といった19世紀から20世紀の世界史の流れのなかで、運命としか言いようのない力学に突き動かされて推移した面もある。 つまり靖国神社を通じて我々は、先に述べたような「国家」の持つ二面性を、ありありと認識することができるのです。靖国神社とは、国家にまつわるこうした二面性を、その境界において象徴する存在なのだと理解すべきでしょう。しかもそれは、比肩するものがなかなか思い当たらないぐらい、存在感のある象徴です。 私はこの意味において、靖国神社は「国家の輪郭」を指し示すものであると言えると思います。首相が靖国神社に参拝することの意義とは、その「輪郭」をなぞることで、国家のありようを国民とともに再確認するという点にあるのです。 10.特攻隊はなぜ我々の心を打つのか ここで、少し参考になると思うので「特攻隊」に触れておきたいと思います。 靖国神社は『英霊の言之葉』という、戦没兵士の遺書や遺詠をまとめた冊子を発行しています。私は19歳か20歳ぐらいの頃に、当時刊行されていたものには一通り目を通しましたが、どうしても「特攻」で死んだ兵隊の遺書には特別な重みを感じてしまいます。 特攻で死んだ兵隊が、たとえば満州で戦病死した兵隊よりも偉いかというと、単純にそうは言えないでしょう。ではなぜ特攻隊はこれほどまでに強い印象を我々に与えるのでしょうか? ここで私は、靖国神社が「国家の輪郭」をその二面性の境界において鋭く表現しているように、特攻隊というものは、「国家を形成して生きる動物」としての人間を引き裂くさまざまな「葛藤」を、その境界において最も鮮やかに象徴する存在なのではないかと思うのです。 たとえば、特攻隊が「志願」によって組織されたのか「強制」によって組織されたのかは、二者択一的に解釈できるものではありません。人間の精神はもっと複雑にできていて、自発性と強制性はそう簡単に区別できないのです。「あれは志願制とは言っていたけど、実質的には強制だった」とよく言われますが、「単純に強制することもできたはずなのに、一応は志願制という建前を取らなければならなかった」という点に重みがあるとも言えるわけです。特攻という出来事が特筆に値するのは、そこに「個人の自由意思」と「国家による強制」の葛藤が最も激しい形で顕れ、衝突して火花を散らしながらも、最後には一つの決意として昇華されたからではないでしょうか。 また、特攻隊は「非合理的」な精神主義の産物だったと思われていますが、考えてみれば、人間が操縦して敵艦に爆弾を当てるというのは、当時の手持ちの兵器の範囲内でいえば極めて「合理的」な発想であったと言うこともできます。特攻は、「精神主義」と「合理主義」の衝突を鮮やかに描き出す出来事でもあったのです。 さらに言うと、特攻機に乗って出撃したパイロットは「人間」的であると同時に「機械」のようでもあるし、「勇敢な決意」とともに「センチメンタルな感情」を書き残してもいるし、「私的」な感情としては死にたいわけがないのに「公的」な使命に身を捧げて死んで行った人たちなのでした。「特攻」とは、人間精神が持つこうした「両面性」が、最も過酷な形で顕れた瞬間だったのであり、だからこそ我々はいつまで経っても、特攻隊のことが気になって仕方がないのだと思います。 11.靖国神社は「ナショナリズム」を理解するための鍵である 我々人間が、アリストテレスの言ったように本質的に「ポリス的(国家的≒政治的)動物」なのであり、国家(ネイション=ステイト)という枠組みから離れて生きることはできないのだとすれば、その本質を深く理解し確認するためにこそ、靖国神社のような「象徴」的存在が必要とされるのでしょう。靖国神社は、ナショナリティやナショナリズムを理解するための重要な鍵であるという認識の上に、「靖国参拝の論理」を組み立てていかなければならないと思います。 「象徴」とは、何か別のものを替わりに表現する「媒体」という意味であり、「記号」と言っても構いません。我々は象徴や記号を媒体として用いることで、様々な物事を表現したり、理解したり、記憶したり、人に伝えたりしています。これと同じで、靖国神社という存在や、そこに首相が参拝するという行為には、それを「媒体」として経由することで、我々がポリス的動物としての自らの本性を表現したり確認したりできるという役割があるわけです。 なお憲法が定めるとおり、天皇も我が国の象徴です。天皇を「媒体だ」などと言うと右翼の人に怒られそうですが、天皇についても似たような解釈ができる可能性があります。私はまだ詳しく考えていませんが、文化寄りの象徴が天皇で、政治寄りの象徴が靖国神社だと理解できるかも知れません。 靖国神社を「国家の二面性を象徴する存在」として理解しておくと、これまでに行われた様々な論争が不毛に思えてきます。 たとえば「政教分離」という問題があって、保守派は津地鎮祭訴訟の判決を引いて「憲法の政教分離規定に違反はしていない」と言い、左翼は愛媛県玉串訴訟の判決を引いて「違反している」と言います。しかしその前に我々は、国家というものがもともと世俗性と宗教性を併せ持つ存在であることや、信教の自由とともに国教的な儀式も大事なのだということを理解すべきなのです。 また、首相の参拝が「公的」か「私的」かという議論もありますが、首相が参拝することの意義が、「国家の二面性」を表現し国民に確認させる点にあることを考えると、「公的」な参拝にしか意味はないということになります。首相個人が私的な感情として何を思っているかは、あまり重要ではありません。 靖国神社が国家の「二面性」をその境界において象徴する存在なのだということは、どちらか一方の面を強調する勢力と、他方の面を強調する勢力との間で、争いが絶えないのも当然です。保守派は、首相が「当たり前のこと」として「自然に」参拝できた時代はよかったと言いますが、国家というものがさまざまな「二面性」の間で絶えず揺れ動く存在であることと、靖国神社がその象徴であることを考えれば、多少のわだかまりを抱えながら参拝するぐらいで丁度いいのではないかとも思います。むしろそうやって、境界の両側から言い争いを続けることで、国家のあり方に関するバランス感覚が身についていくということだってあるかも知れません。 そしてもし、こういう二面性を捉えるだけの思想の力や言論の環境を日本人がまだ持ち得ていないのだとすれば、焦って靖国神社に参拝してもあまり意味はないでしょう。参拝するしないで揉める前に、まず靖国神社に参拝するということの意味を深く考えることから始めるべきです。
https://w.atwiki.jp/trebor/pages/28.html
紹介している寺社の地図 (InternetExplorerでは表示できない場合があります。GoogleChromeで表示できることを確認しています。) まぁ、こういう観点も嫌いではないw 寺社名 所在地 関連タイトル 詳細 御朱印 備考 鼻節神社 宮城県宮城郡七ヶ浜町花淵浜字誰道1 かんなぎ あり 宮城縣護國神社 宮城県仙台市青葉区川内1 戦国BASARA あり 足利織姫神社 栃木県足利市西宮町3889 はたがみおりひめ あり 公式サイト 門田稲荷神社 栃木県足利市八幡町387 かどたみたま - 公式サイト 鷺宮神社 埼玉県久喜市鷲宮1-6-1 らき☆すた OP あり 椋神社 埼玉県秩父市下吉田7377 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 ロケット(龍勢) あり 定林寺 埼玉県秩父市桜木町21-3 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 あり 了法寺 東京都八王子市日吉町2-1 とろ弁天 あり 公式サイト 立川諏訪神社 東京都立川市柴崎町1-5-15 かんなぎ あり 八剱八幡神社 千葉県木更津市富士見1-6-15 鳳神ヤツルギ あり 溝口神社 神奈川県川崎市高津区溝口2-25-1 天体戦士サンレッド あり 熱田神宮 愛知県名古屋市熱田区神宮1-1-1 朝霧の巫女 あり 白川八幡神社 岐阜県大野郡白川村荻町559 ひぐらしのなく頃に 古手神社 あり 日枝神社 岐阜県高山市城山156 氷菓 荒楠神社 あり 水無神社 岐阜県高山市一之宮町一の宮上5323 氷菓 水無神社 あり 湯涌稲荷神社 石川県金沢市湯涌町 花咲くいろは ぼんぼり祭り 諏訪大社 長野県諏訪市中洲宮山1 東方風神録 守矢神社 あり 墨染寺 京都府京都市伏見区墨染町741 東方妖々夢 西行寺幽々子 あり 松ヶ崎大黒天 京都府京都市左京区松ヶ崎東町31 けいおん! 2期22話 あり 南禅寺(水路閣) 京都府京都市左京区南禅寺福地町86 けいおん! OP あり 今宮神社 京都府京都市北区紫野今宮町21 けいおん! 7話 あり 許波多神社 京都府宇治市五ヶ庄古川13 けいおん! 2期22話 あり 北野天満宮 京都府京都市上京区馬喰町 けいおん! 2期4話 あり 阿倍王子神社 大阪府大阪市阿倍野区阿倍野元町9-4 アベノ橋魔法☆商店街 あり 西宮廣田神社 兵庫県西宮市大社町7-7 涼宮ハルヒの憂鬱 あり 甲山大師神呪寺 兵庫県西宮市甲山町25-1 涼宮ハルヒの憂鬱 あり 保久良神社 兵庫県神戸市東灘区本山北町680 天神乱漫 あり 七松八幡神社 兵庫県尼崎市七松町3-10-7 忍たま乱太郎 あり 御袖天満宮 広島県尾道市長江1-11-16 かみちゅ! 来福神社 あり 太歳神社 広島県三次市三次町1112-2 朝霧の巫女 稲生神社 白兎神社 鳥取県鳥取市白兎592 東方永夜抄 因幡てゐ あり ”かんなぎ”の社殿デザイン(元ネタ)は立川諏訪神社らしいです。 -- 赤城おろし (2012-05-21 01 00 43) 門田稲荷神社( 栃木県足利市八幡町387)は八幡神社の境内末社としてありますが、御朱印はありません。絵馬(通常の)等の授与品は八幡神社の授与所で扱っていますが、奥田泰弘のイラスト入り絵馬は販売店の方にあります。 -- 赤城おろし (2012-05-24 23 52 30) http //secret-base.geo.jp/sayonara-secret-base -- 名無しさん (2012-07-01 07 48 02) ↑の投稿は私です。「あの花」秘密基地さようならイベント。の情報です。 -- 赤城おろし (2012-07-01 07 49 35) 「神様はじめました」川越市の御嶽神社(富士見櫓跡)らしいのですが、御朱印はなさそうです。 -- とれっち (2012-11-04 21 25 08) 名前 コメント -
https://w.atwiki.jp/livetube/pages/491.html
配信名 クラウドww(cloud)yoshiki ジャンル ゲーム配信 性別・年齢 男・26歳 本名 YOSHIKI 出身 京都 マイク 有 WEBカメラ 有 掲示板 http //jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/netgame/1517/1225809874/ 配信者ページ(クラウドww) http //livetube.cc/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%89%EF%BD%97%EF%BD%97 配信者ページ(cloud) http //livetube.cc/Cloud 配信者ページ(よしくぅん) http //livetube.cc/%E3%82%88%E3%81%97%E3%81%8F%E3%81%85%E3%82%93 歌ってみたニコUP http //www.nicovideo.jp/watch/sm8384585 新コンボ動画 http //www.nicovideo.jp/watch/sm8591879 あなたは - 人目のクラウドの愛人であり現在-人の厨二病が覚醒しています 口癖 ドュフフフゥwwww ウッフフ テキパキ やかましいわ うっぜえ オールドウルフわけわからん 俺ツンツンやんツンツン くっそったれがぁ ちょっと何いってるかわかんないっすね わかってるってー ダークキル ふぇやねぇーんwww ▼スキル + スキル 長時間生活配信 ガクくん育て 状集め 10時間超えての配信 最近Janne misono 姉 ハーツデイルズ等が流れることが無くなってきた ボカロ、歌ってみたや若者向けの歌等を主に流すようになった そして鼻歌 人 (主に発勁チャンプ) の携帯メアド晒し 愛人パシリ 移動ガト(前提 ガトLv5、キャンセルイワティス) アナルファックは禁止(ネタバレ禁止と言おうとして言い間違え) アンチがたまにうんこ食いたいと編集してる事も多い()笑 エビルフルボッコ コーラ噴射 褒められるとすぐ死んでしまうイワティシズム 自称けなされて育つ子 静ちゃんのパンツ想像 恋愛前提止め 迅速なログインマスタリー&7z落ちマスタリーM 強力なイワティスの無茶振りマスタリー 市橋達也が何したか聞かれて幼女と遊んでやったという 存在がわいせつ罪と言われ、なぜか喜んだ 覚醒中のウンコマスタリー←New! ▼実況配信・過去配信 + 実況配信・過去配信 長時間生活配信 AVA配信 鉄鬼配信 アラド戦記配信 ニコ生凸配信 カラオケ凸待ち配信 韓国アラド配信(本鯖ローグ育成などなど) バイクで空中大回転(予定) テイルズウィーバー配信(通称イワティスウィーバー)(終了) 魔境奇談配信(チートの疑いでBAN終了) Legend of luna配信(終了) ルニア戦記配信(終了) 海外グランドチェイス配信(終了) ベルアイル(不明) serica、Towai共演配信(不明) 他、、(飽きてすぐやめた物も数々) ▼イワティスの迷言集 + 名言・迷言 ゲームはオナニー 靜ああんイクウウウウウウウウウウウって言って (みんなで遮断しようぜって言われた時に)リスナーの力はそんな物かw 俺はショコラオレ一筋や 浮気は若い時に一回だけあるな。若い時の過ちやろ 俺童貞 リスナーの力大したことないな 伝統的なア~~~~ッ!!! ガイはコメ読みだけの存在 童貞こそ神 テノール歌手(ガイフィルド)こそ神 爪の手入れしてない奴は彼女いないということが分かるなんでかって、爪伸びてたりするとクンニする時痛いだろ? 白字とか拾ったもん勝ちだし(ソロ中の蒼空の覇者から抜粋) 今の発言wiki追加しとってー 蒼空の覇者から「抜擢」って (ゆみにぃに君は何のために生きているんだ!って言われた時に)アナルー 人数ってのは後から付いてくるもんだ (リスナー XPですか?)いやwindows どこの都内? もりまんがらいつべキングなら、俺は童帝キングだ! 勝ち組?負け組み? 人生の審判者なんていないんだよ 物には全て命があるんだ・・・ 今のクラウドっぽいな (リスナー クラウドキボでjtk?)俺・・・パソコン・・・ブフッ リスナーはウィキペディア、ちょwこれwiki追加なw 俺リアルで『ド』がつくくらいドSだから いやマジで 俺は左が大惨事になっていようとも、右にレーザーウツケドネー ディスってるわけじゃないけどしたらばかっこわらいやでぇ 彼女がいなければ粘土で作ればええねん。お前らには粘土がある! 食らえ!俺の火!!(公正決闘中にソウルでカラの炎弾を撃ちながら)←New ▼モノマネリスト + モノマネリスト 滝口順平 ボビー(かなり似てる) 黒柳徹子(完全にボビーにしか聞えない) ボビーが徹子の部屋に出演したモノマネ アナゴさん(結構似てる) セル(まあ・・・いいんじゃないかな) オバマ大統領 (careが言いたいだけ)\NEW!/ イワティスについて 正確には「世界のイワティス」と言う。配信を始めて3日ほど続けて「声が岩尾ににてない?」とリスナーより突っ込まれる。 そのため、みな岩尾をもじった「岩尾ジャスティス」「イワウド」などと煽ったが1リスナーが「世界のイワティス」と唐突もなく 発言。これにより、クラウドが笑いすぎて唇が裂け流血。しばしの沈黙の後にこの呼び名が定着した。 別名として性剣マラウドというのもある バイクの名前は「サキコ」 いじられると相当喜ぶので恐らくドM確定。 yuminy、ガイフィルド、万里、粒子など数多く緑コテを火力に配信中()笑 市○海老蔵もビックリ!?華麗なる市川岩蔵の女性遍歴スクープ!! 数々の女性との浮名を流した歌舞伎界のプリンス、市○海老蔵 ここ、ライツベ界の迷える貴公子 市川岩蔵ことイワティスの 海老蔵にも負けるとも劣らずな女性遍歴を大スクープ おっとり系Sさん 妹系Sさん マイペース系Yさん ツンデレ系Rさん おとなしい系Fさん 元気系Rさん 萌え系Uさん 等、誰もが羨む数々のスキャンダル ライツベ界の貴公子は、名実ともに女遊びも芸の肥やしとして マウススキルを修練中!! イワティス的おまけ 顔 深田恭子 (意外にイケメンギャル男) 声 岩尾 (フットボールアワー) アラド戦記でのイワティス 配信を始めたきっかけでもあるアラド戦記はイワティスのメイン配信である。 配信開始当初から、ホワイトランドで招待状集めを延々と繰り返し 招待状が溜まればヘルへ行き、再び招待状集めの繰り返し配信を得意とする。 しばらくして「ヘルモンスター100回に挑戦」という無謀な目標を持つようリスナーに提案され その案を受け入れ招待状を集める日々を送っていたが、途中でヘルモンスター配信へと切り替わり 合計38回のヘルモンスターへと挑むも、桃密封2つという結果に終わり幕を閉じた。 このアラド戦記配信から数々のイワティスの名言が生まれたのは言うまでもない。 現在は決闘の最終装備を揃える為にクエストを頑張っている テイルズウィーバーでのイワティス アラド戦記の余りのアップデートの遅さに嘆き、女ガンナーが実装するまで テイルズウィーバー(以下TW)を久しぶりに始めたイワティス。 しかし、昔と様変わりしてしまったTWの寂れ具合にショックを受け TWに活気を戻そうと決意をし、リスナー達と一緒にTW配信を始める。 クラブを設立してわずか1週間でクラブレベルMAX目前まで近づき 当の本人も、新キャラを作ってわずか4日でLv75にするほどの脅威の育成スピードを見せる。 敵にやられそうな時や、敵に囲まれた時に「フゥー!!」と奇声を発し敵から逃れるイワティススキル「雄叫び」が発動する。 愛人にお金を集り、自分の装備を強化するだけ強化し愛人の財布を自分の物のように使う鬼畜な一面も持ち合わせている。 イワティスのクラブに入りたい人などをサポートする「イワティスウィーバー運営チーム」という組織が存在するが 社員が1人しかいないという噂があるため役に立たないことが多い。 通称TW配信の略称は「イワティスウィーバー(IW)」である。 +18クラウド 攻撃速度 速い トーク 岩尾 配信時80%の確率で鼻歌+テキパキ←New! 自殺者発生!? 2008年11月4日、23 00頃 VVV47FY氏とWTM52PI氏が自宅で首を吊っているという報告が現場の近隣の住民から通報があるという事が起きた。 検察の調べでは、自殺を図った男性はインターネットに接続しており Livetubeという動画配信サイトで「イワティス」という配信者の動画が画面に残っていた。 その動画に手がかりがあるとみて検察は調査を進めているが 今分かっているのはその動画で配信者と思われる人物が 「明太マヨポテトめっちゃうまいねん」 という発言しか残されておらず 死因は未だに謎に包まれている。 魅惑のイワティスヴォイス♥ イワティスの配信を見て、イワティスの声を聴いた者はアンチファンでさえ その魅惑のイワティスヴォイスで純粋なファンに変化させる恐ろしい魅惑ヴォイスを持ち備えている。 イワティスヴォイスの虜になってしまったリスナーの声 Aさん「ああ、ニコニコで叩いたり、ササで罵声浴びせたりしてたからな^^ 最初の配信では死ねとか書いてた。だけど、イワティスヴォイスに恋した。申し訳ないと今では思ってる。」 イワティスリスナー イワティスの配信では、常にリスナーからの甘い囁きがイワティスに送られる。 「俺の腕を貸してやるよ」 「イワティスの声で飯3杯いける」 などなど イワティスが興奮して屁を配信中に垂れ流した時の コメントの加速と盛り上がりは異常だったという歴史を持つ。 主に男からの男臭い愛に包まれながら配信している。 イワティスの愛人候補たち♥ No.1 細目豚 テイルズウィーバーの配信によく現れ、イワティスが何か発言をするたびに 卑猥なコメントでイワティスに突っ込みを入れる イワティスラヴァーズの候補の1人である。 イワティスが「豚」という単語を使うと興奮し悶える性質がある。 イワティスラヴァーズになりたいという変態さん随時募集中です。 ステータス (SS~E評価) 荒らし支援 SS 顔面 A 声質 SS 状集め SS バイク FF(SS) 腰 FF バイト FF 卵 赤玉 PS 幼稚園のバラ組 熱狂的信者総数: - 本日の参拝者: - 昨日の参拝者: - トップページの合計: - スカイプチャットとコメントに書いたけど誰も書き込んでないのか・・・ youtubeホント分からないからなぁ・・・。 -- (ガイ) 2010-05-25 15 02 23 クラウドまだなの?はよせい -- (名無しさん) 2010-05-27 00 38 43 コメ欄しんだ? -- (名無しさん) 2010-06-23 02 56 51 http //www.nonktube.com/video/8282/huge-glass-toy-into-a-tiny-asian-girl-screaming-in-pain -- (名無しさん) 2010-09-19 05 54 39 みれてるで -- (名無しさん) 2010-10-11 03 29 01 見れてるよ?でも俺金ないよ?月末紅茶のんだら買えるよ? -- (せいし) 2010-10-11 03 30 48 シャバドゥビタッチヘーンシーン!! -- (名無しさん) 2012-09-05 03 53 12 岩尾配信しろ -- (名無しさん) 2013-05-16 11 30 42 http //static.monster-strike.com/invitation/?i=171240495 p=2 __from=line -- (名無しさん) 2014-08-24 19 59 52 なつかしいなぁwww -- (いわ) 2015-03-26 16 33 33 名前 コメント すべてのコメントを見る 53