約 57,582 件
https://w.atwiki.jp/niconicomugen/pages/2169.html
「あはは、バルサミコ酢~♪」 コンプティーク連載の四コマ漫画『らき☆すた』に登場するキャラクターの一人で、泉こなたと高良みゆきのクラスメート。 担当声優はドラマCDや初期のゲームでは竜宮レナで有名な 中原麻衣 女史、アニメ以降では 福原香織 女史。 双子の姉に柊かがみがいる。父は柊ただお、母は柊みき。 柊いのりと柊まつりという姉がいる。高校のクラスの担任は黒井ななこ。 「つかさ」と言っても通りすがりの仮面ライダーとは関係ない。 この男女どちらとも取れる名前と容姿のせいか、男の娘疑惑をかけられたり、 作中での「ちん○ん」から下ネタ系のMADや18禁な作品で男体化されることもしばしば。 こなたとは外人(アニメではガイル似)から助けられた(実際には外人さんは道を尋ねただけ。哀れ)時に、 みゆきとは1年時の桜藤祭の準備の際に仲良くなった。 一方、かがみの古くからの友人である日下部みさお、峰岸あやのとは高校3年生になるまで疎遠だったが、 近頃はメールのやり取りなどもしている。こなたを通じて小早川ゆたか、田村ひよりとも仲良くしている。 料理や家事が得意である一方、勉強は苦手。姉とは全く対照的である。 また白いご飯にもマヨネーズをかけるマヨラーでもある(アニメ設定)。 性格は天然であり、ぽけーっとしている。力の抜け具合はレギュラー4人の中でも随一。 休日の睡眠時間は15時間(アニメ設定)。 家は神社で、モデルとされた鷲宮神社には、聖地巡礼者が殺到した。 アニメ人気を物語ると共に、訪れる信者のモラルの問題も生じた。 神◯あかりではない…がモデルになっているのは事実である。 それに加えて『CLANNAD』の藤林姉妹の妹、藤林椋をモチーフとしてミックスされている。 本田飛鳥や雛岸希は多分関係ない。作中で唯一元ネタをネタにして弄られたが、 実は他の登場人物も皆なにがしかのゲームアニメ漫画ラノベ等の登場人物を元にしていたりする。 アニメではこなたに神岸◯かりの制服をプレゼントされたり、 カメラ小僧に神岸あ◯りのコスプレと間違われて「ヒロユキちゃん」と言わされたりしている。 紫色の髪・妹キャラ・同じデザインのリボンなどの共通点から「幻想入りして餅みたいなウサ耳が生えた」という噂があるが、 それは似て非なる全くの別人である。 アニメ中では恐らく最も多くの名言(迷言)を残しているキャラクター。 登場当初からボケ役として確立していたが、テレビアニメ版第5話にて、テレビ番組を観ているつかさが、 番組の中でバルサミコ酢という単語を知り、意味不明に連呼することにより、アホの子の地位を不動の物にした。 またコミケに対して「どこの毛?」 とかブルジョアに対して「ヨーグルトですか?」などとカオスな発言をしたり (「ブルガリア」と「ジョア(ヤクルトのヨーグルト食品)」がごっちゃになったか?)、 体育祭ではハードルで転ぶと「あじゃぱ~」と叫んだりと、迷言をばら撒いている。 他にも「どんだけ~」「そんなの関係ねぇ」「もう立てません…」「こなちゃんのくせに~」「お餅うにょ~ん」 「なんだ。やっさいもっさいか」「よっこいしょういち」「めーす」「ばっちぐー」「あたっとるやないかーい」 など、色んな迷言があるが、そのほとんどが福原香織女史によるアドリブ。 ただし、「(犬の芸の)ちん○ん」に関しては原作からある台詞であり、アドリブではない。 「お餅うにょ~ん」に関しては、つかさの名言として扱われることが多いが「うにょ~ん」という表現を最初にしたのはみゆきであり、 つかさはそれを復唱しただけである。しかし、アニメ後半になるにつれて台詞が少なくなっていたつかさが、 やっと喋ったという状況とこのシュールな台詞のアンバランスさが非常にウケたため、つかさの名言として扱われることが多い。 かがみ、こなた、みゆきの会話にあまり割り込んでいけないらしく、映っているだけで何も喋らずに空気と化していることがある。 そのため、アニメ化以前はコンプティーク誌上でも背景・空気扱いされることがしばしばあったが、アニメ化で人気が急上昇したと言える。 そのアニメであるが1クール目のED曲集「ある日のカラオケボックス」では唯一ソロで歌っていない。 正確には歌ってはいるのだがつかさが歌う曲のみ、こなたの合いの手がほぼ曲全体に入っているため非常に五月蝿いのである、 知っての通り声質的にもこなたのほうが耳に残るため、つかさの歌の方が聞き取りにくいとも言える。 原作では高校を卒業し、その後の進路は調理系の専門学校に進学している。 ニコニコ動画における柊つかさ アニメ化以前のつかさ役を中原女史が演じていたことにちなんで、 ニコニコ動画ではつかさが取り憑かれたようにレナの台詞を喋り出してこなたを煽ったり、みゆきを手に掛けるMADが多く作られている。 ニコニコ以外の二次創作でもつかさの顔をレナに差し替えたコラ画像が作られたり、腹黒度が増していたり、 ヤンデレな妹になったり、変態化する等の酷い扱いが多い。 腹黒に関してはアニメで自分が姉だったらと妄想したり、こなたに対して上記の「こなちゃんのくせに~」と心の中でキレるシーンなどがあったことから、 半ば公式化していると言えるが、原作ファンの中には「つかさはこんなこと言わない」とアニメ版が黒歴史扱いされる一因でもあった。 またゲーム版のとあるシーンでは、何故かスバル・ナカジマのコスプレをしており、「パンツをめくるスバル」と呼ばれている。 ちなみに中の人はその相方(めくる方)なので、そっち絡みで突っ込まれることもしばしば。 更にそのゲームでは、こなたのバイト仲間で後輩のパトリシア・マーティンが作中でレナのモノマネ&顔芸を披露するシーンがあり、 中の人が雪野五月であったため、「ある意味で公式の声優ネタ」になるのだが、こちらは全くネタにされない。 「あっ、流れ星~♪」 MUGENにおける柊つかさ シャナなども製作した汚レ猫氏(現・にゃんちゃ氏)によるものが存在していたが、現在は公開停止。 同氏の泉こなた、柊かがみに続く『ばと☆すた』キャラ第三弾として生まれた。 前作と同じく手描きであり、アニメのボイスを使用している。 遠距離系特化キャラで、こなたとかがみを召喚したり「流れ星」という名のアステロイドベルトを出すなど、敵を寄せ付けないほどの弾幕を展開できる。 しかし、防御力が通常の85%であったりとバランス面においても考慮されている。 製作者曰く、相手から離れる技がまるで無いため一度近付かれたら最後とのこと。 このほか、ニコの技として登場したり、デススターの画像&音声差し替えパッチと専用ステージが存在する。 一般公開はされていないが、ボーナスステージのアイテムや敵キャラクターの画像データをつかさに差し替えた動画も投稿されている 出場大会 最弱女王決定戦 続・狂-1 グランプリ ACG主題作品別MUGEN大會 画質良くないけど、夏だから女64名あちゅまれ☆トーナメント Mametang式、特に変わり映えしないチームバトル 神無の陣 ポイ捨て禁止大会 ニコニコRPGMUGEN杯 ランダムカラー シングル&タッグ戦 更新停止中 他人任せ大会 出演ストーリー 涼宮ハルヒによるMUGEN地獄
https://w.atwiki.jp/shuinn/pages/4150.html
御上神社 滋賀県野洲市に鎮座する御上神社の御朱印です。 御神名の御朱印「天之御影命」です。 摂社・若宮神社の御朱印です。 摂社。三宮神社の御朱印です。 ★この神社にはオリジナル御朱印帳があります。 御上神社の御朱印帳です。16cm×11cmです。 ★住所 滋賀県野洲市三上838 - 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/karanotamago/pages/168.html
ページ位置[002-022] ページ初出[2020/03/28] 画像表示サイズ[50%] #メディア 歌唱[016+]題材 #分類 知識、雑学 副次的なメディア [01]概要 下記メディアに使用された各種題材でしてよ。 [a]参照 歌唱[016] 寺院の踊り遊ばせワクワク祭りクテン https //w.atwiki.jp/karanotamago/pages/167.html [02]題材 [a]愛宕念仏寺-オタギネンブツジ 京都にあるお寺の愛宕念仏寺では、 ギターやテニスラケットを持った 遊び心のある羅漢像が並んでいるそうですわ。 羅漢像は1980年代から1990年代にかけ 一般の参拝者によって彫られ、 その数は1200体に及びましてよ。 [b]参考とリンク 書籍 お坊さんが教える 新発見! 日本の古寺 監修/松島龍戒 電子版の販売リンク/参考媒体は同リンクより https //booklive.jp/product/index/title_id/20016084/vol_no/101 [03]題材 [a]お寺の天井絵 一部のお寺の天井には枠にはめられた絵や、 大きく描かれた絵を眺めることができる 様式のものが存在しますわ。 福井県にある永平寺の花や鳥の絵、 京都にある相国寺の龍の絵などが該当しましてよ。 [b]参考とリンク 書籍 お坊さんが教える 新発見! 日本の古寺 監修/松島龍戒 電子版の販売リンク/参考媒体は同リンクより https //booklive.jp/product/index/title_id/20016084/vol_no/101 [c]参考とリンク 大きな地図で歩く京都の寺 2017年番 著者/KansaiWalker編集部 電子版の販売リンク/参考媒体は同リンクより https //booklive.jp/product/index/title_id/392480/vol_no/001 [04]次回更新予定 歌唱[016+]ステータス [2020/03/29] [05]メディアを参照するとき用の情報 [a]わたくしの名前と読み 空の卵の殻の中-からのたまごのからのなか [b]略称 からたま [c]メディア初出 [2020/03/28]
https://w.atwiki.jp/910moe/pages/2555.html
二人きりの同窓会 二拝二拍手一拝。 形式通りのそれを行って次の参拝者に譲ろうとしたらふいに肩を叩かれた。 「やあ、山本」 「え? ……おまえ、武内?」 無遠慮にまじまじと眺めると、声をかけてきた男の顔はおよそ一年前まで寝起きを共にしていた友人のものだった。 驚く俺に、奴は泣き笑いのような笑みを浮かべている。 きっといまは俺も似たような顔をしているはずだ。 そうして俺たちは、どちらともなく抱擁を交わした。 積もる話はたくさんあった。 だが互いに近況を二三言報告しあった後は、ただ静寂だけが続いていた。 「もう、部隊の生き残りは僕らだけになってしまったね」 唐突に沈黙を破ってぽつりと呟かれた言葉は、まだ痛みを伴っていた。 いまでも克明に思い出せる。火薬のはぜる音、血と硝煙の臭い。 「まさか、死んでないのに靖国で会うとは思わなかったけど」 「……そりゃ、仲間の命日だからな」 終戦直前の大抗戦。命を散らすために出撃して、そのまま帰らぬ人となった仲間たち。 自分は生きていて、彼らはもう戻ってこない。 終戦後の日本は目まぐるしく動いていて、この一年ゆっくり休んでいる時間もなかった。 今日だけはどうしても、と無理矢理に時間を作ってきたのだった。 そしてそれは、武内も同じだったんだろう。 「もう行くよ」 煙草の火を踏み消して、武内は告げた。 「きっとまた、来年も会おう」 「俺達二人でか?」 「あぁ。だってもう、僕ら二人しかいないのだから」 武内の瞳には、まだ癒えぬ傷が残っていた。 俺の傷も、まだ癒えてはいない。 時間が必要だった。長い長い時間が。 「来年も再来年もその先も、きっと会おう」 そうして二人で時間をかけていけば、傷は癒えるのだろうか。 この痛みは、ただの思い出になるのだろうか。 「そうだな。約束だ」 俺たちは握手をして別れた。 こうして、俺達二人きりの同窓会は60年以上続いている。 無口攻め×お喋り受け
https://w.atwiki.jp/kisaiya/pages/973.html
日吉 神社 ひよし じんじゃ 北宇和郡 南予 愛媛県 神社 鬼北町 情報をお寄せください。一番下にゲストユーザー向け書き込み欄があります。 日吉神社 行宮神社 綿津見神社 熊野神社 黄幡神社 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/trebor/pages/86.html
都道府県 市区郡・区町村 神社名(未拝受は薄字) 拝受数 栃木県 宇都宮市 宇都宮二荒山神社 三祖神社 栃木県護国神社 平出雷電神社 4 大田原市 笠石神社 1 鹿沼市 今宮神社 古峯神社 2 さくら市 氏家今宮神社 1 佐野市 一瓶塚稲荷神社 1 那須烏山市 宮原八幡宮 1 那須塩原市 黒磯神社 乃木神社 2 日光市 温泉神社 日光東照宮 日光東照宮 奥宮 二荒山神社 二荒山神社 瀧尾神社 16 二荒山神社 本宮神社 二荒山神社 大黒殿 二荒山神社 日枝神社 二荒山神社 朋友神社 二荒山神社 北野神社 二荒山神社 神橋 二荒山神社 若子神社 二荒山神社 日光連山遥拝所 二荒山神社 水神社 二荒山神社中宮祠 二荒山神社中宮祠 奥宮 真岡市 大前神社 大前恵比寿神社 2 河内郡 上三川町 白鷺神社 1 那須郡 那須町 那須温泉神社 1 芳賀郡 益子町 鹿島神社 3 茂木町 荒橿神社 八雲神社 35
https://w.atwiki.jp/2hon4i6i6ma10me/pages/5.html
●旧社格 式内社(名神大)・武蔵国一宮・官幣大社・勅祭社・別表神社 ●総本社 大宮氷川神社(埼玉県さいたま市大宮区) ●ご祭神 素戔嗚尊/須佐之男命(すさのお) :嵐/暴風雨の神、厄除けの神、縁結びの神、安産の守護神 奇稲田姫命/櫛稲田姫命(くしなだひめ):稲田の女神 ※スサノオ神の妻/オオクニヌシの母=一組みの夫婦神:良縁祈願、恋愛成就 大己貴命/大穴牟遅神(おおなむち) :国造りの神、農業神、商業神、医療神 ※[別名]大国主命 ご利益 厄除、除災招福、恋愛成就、良縁祈願、商売繁盛、病気平癒、出世開運、家内安全、交通安全、学業成就 他 [対応業種]医療業/温泉業/酒造業 ●参拝形式 二拝二拍一拝 ●創建 孝昭天皇3年(紀元前473年) ●由緒 孝昭天皇3年(紀元前473年)4月に創建されたというが、年代的にあまりに古く、また、倭奴国王印が1世紀中頃、卑弥呼が3世紀前半の人物であり、倭の五王が5世紀の人物たちである、ということを考えると、氷川神社の創建が紀元前5世紀であるとことに否定的な意見もある。只、出雲国簸川(ひのかわ)の杵築神社(出雲大社)を勧請したとされ、成務天皇の時代には出雲の兄多毛比命(えたもひのみこと)が武蔵国造となり、当社を篤く崇敬していたという。また、元々、氷川神社は、当社と氷川女体神社、中山神社の3社で、1社を成すという説も存在する。 ●所在地 (〒330-0803)埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407 ●最寄り駅 東武野田線「北大宮」駅より徒歩約15分 ●JR埼京/高崎/京浜東北/宇都宮線「大宮」駅より徒歩約20分 ●電話番号 048-641-0137 ポイント ● 当社は、景行天皇の皇子・日本武尊が東征の際に負傷し、夢枕に現れた老人の教えに従って当社へ詣でたところ、立てるようになったという伝説が残されており、このことから本地域を足立と称するようになったと言われている。 ● 当社は、全国280社を数える氷川神社の総本社となる。 ● 当社は、武州六大明神のひとつに数えられる。 1.氷川神社(埼玉県さいたま市) 2.秩父神社(埼玉県秩父市) 3.二宮神社(東京都あきる野市) 4.金鑚神社(埼玉県児玉郡神川町) 5.杉山神社(神奈川県横浜市緑区) 6.小野神社(東京都多摩市) ● 現在、一般に武蔵国の一宮は当社とされているが、大国魂神社(六所宮)の祭神や南北朝時代の『神道集』の記述では、多摩市の小野神社を一宮、あきる野市の二宮神社(旧称小河大明神)を二宮、当社を三宮としており、今のところ中世まで氷川神社を一宮とする資料は見つかっていないとされる。しかし室町時代に成立した『大日本国一宮記』では氷川神社が一宮とされており、室町時代以降、当社が小野神社に替わって一宮の地位を確立したのではないかと考えられている。 ● 中山道にある大鳥居は、木造では関東一の高さと言われる。 ● 当社は、足立郡を中心とした武蔵国(東京都・埼玉県)各地にある数百の氷川神社の総本社となる。 ● 当社は、四方拝などの宮中祭祀の対象に加えられるなど、皇室からも非常に重んじられた神社となる。 ● 当社では摂社として、 1.足摩乳命、手摩乳命[門客人神社] 2.少彦名(すくなびこな)命[天津神社] 3.宗像三女神(むなかたさんじょじん)[宗像神社] を祀り、また、末社として、 4.大山祇(おおやまつみ)命[山祇神社] 5.布都御魂命[石上神社] 6.迦具土(かぐづち)命[愛宕神社] 7.大雷命[雷神社] 8.住吉三神(すみよしさんしん)[住吉神社] 9.天照大神(あまてらすおおみかみ)[神明神社] 10.菅原道真(すがわらのみちざね)公[天満神社] 11.大山咋(おおやまくい)命[松尾神社] 12.大己貴命(おおくにぬし)/少彦名命[御嶽神社] 13.倉稲魂命(うかのみたま)[稲荷神社] を祀っている。 [[Category 須佐之男命]]
https://w.atwiki.jp/kisaiya/pages/964.html
明浜 神社 あけはま じんじゃ 南予 愛媛県 明浜町 神社 西予市 情報をお寄せください。一番下にゲストユーザー向け書き込み欄があります。 客神社 加茂神社 春日神社 大山神社 天満神社 俵津2番耕地1番地 賀茂神社 若宮神社 天満神社 田之浜甲1123番地1 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/2hon4i6i6ma10me/pages/8.html
●旧社格 式内社(名神大)・武蔵国一宮・官幣大社・勅祭社・別表神社 ●総本社 大宮氷川神社(埼玉県さいたま市大宮区) ●ご祭神 素戔嗚尊/須佐之男命(すさのお) :嵐/暴風雨の神、厄除けの神、縁結びの神、安産の守護神 奇稲田姫命/櫛稲田姫命(くしなだひめ) :稲田の女神 ※スサノオ神の妻/オオクニヌシの母=一組みの夫婦神:良縁祈願、恋愛成就 大己貴命/大穴牟遅神(おおなむち) :国造りの神、農業神、商業神、医療神 ※[別名]大国主命 ご利益 厄除、除災招福、恋愛成就、良縁祈願、商売繁盛、病気平癒、出世開運、家内安全、交通安全、学業成就 他 [対応業種]医療業/温泉業/酒造業 ●参拝形式 二拝二拍一拝 ●創建 孝昭天皇3年(紀元前473年) ●由緒 孝昭天皇3年(紀元前473年)4月に創建されたというが、年代的にあまりに古く、また、倭奴国王印が1世紀中頃、卑弥呼が3世紀前半の人物であり、倭の五王が5世紀の人物たちである、ということを考えると、氷川神社の創建が紀元前5世紀であるとことに否定的な意見もある。只、出雲国簸川(ひのかわ)の杵築神社(出雲大社)を勧請したとされ、成務天皇の時代には出雲の兄多毛比命(えたもひのみこと)が武蔵国造となり、当社を篤く崇敬していたという。また、元々、氷川神社は、当社と氷川女体神社、中山神社の3社で、1社を成すという説も存在する。 ●所在地 (〒330-0803)埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407 ●最寄り駅 東武野田線「北大宮」駅より徒歩約15分 ●JR埼京/高崎/京浜東北/宇都宮線「大宮」駅より徒歩約20分 ●電話番号 048-641-0137 ポイント ● 当社は、景行天皇の皇子・日本武尊が東征の際に負傷し、夢枕に現れた老人の教えに従って当社へ詣でたところ、立てるようになったという伝説が残されており、このことから本地域を足立と称するようになったと言われている。 ● 当社は、全国280社を数える氷川神社の総本社となる。 ● 当社は、武州六大明神のひとつに数えられる。 1.氷川神社(埼玉県さいたま市) 2.秩父神社(埼玉県秩父市) 3.二宮神社(東京都あきる野市) 4.金鑚神社(埼玉県児玉郡神川町) 5.杉山神社(神奈川県横浜市緑区) 6.小野神社(東京都多摩市) ● 現在、一般に武蔵国の一宮は当社とされているが、大国魂神社(六所宮)の祭神や南北朝時代の『神道集』の記述では、多摩市の小野神社を一宮、あきる野市の二宮神社(旧称小河大明神)を二宮、当社を三宮としており、今のところ中世まで氷川神社を一宮とする資料は見つかっていないとされる。しかし室町時代に成立した『大日本国一宮記』では氷川神社が一宮とされており、室町時代以降、当社が小野神社に替わって一宮の地位を確立したのではないかと考えられている。 ● 中山道にある大鳥居は、木造では関東一の高さと言われる。 ● 当社は、足立郡を中心とした武蔵国(東京都・埼玉県)各地にある数百の氷川神社の総本社となる。 ● 当社は、四方拝などの宮中祭祀の対象に加えられるなど、皇室からも非常に重んじられた神社となる。 ● 当社では摂社として、 1.足摩乳命、手摩乳命[門客人神社] 2.少彦名(すくなびこな)命[天津神社] 3.宗像三女神(むなかたさんじょじん)[宗像神社] を祀り、また、末社として、 4.大山祇(おおやまつみ)命[山祇神社] 5.布都御魂命[石上神社] 6.迦具土(かぐづち)命[愛宕神社] 7.大雷命[雷神社] 8.住吉三神(すみよしさんしん)[住吉神社] 9.天照大神(あまてらすおおみかみ)[神明神社] 10.菅原道真(すがわらのみちざね)公[天満神社] 11.大山咋(おおやまくい)命[松尾神社] 12.大己貴命(おおくにぬし)/少彦名命[御嶽神社] 13.倉稲魂命(うかのみたま)[稲荷神社] を祀っている。
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/470.html
陸奥国 大沼郡 高田組 境野(さかひの)村 大日本地誌大系第33巻 19コマ目 この村昔は石坂とて6町計南にあり。何れの頃にか今の地に移せり。 この地の字を境野といいし故(ゆえ)村名とす。 府城の西に当り行程2里9町。 家数68軒、東西2町17間・南北4町11間。 下野街道に住す。 四方田圃(たんぼ)なり。 東27間佐布川村の界に至る。その村は巳(南南東)に当り10町20間。 西6町4間雀林村の界に至る。その村まで18町50間余。 南6町20間高田村の界に至る。その村まで17町余。 北7町32間沖中田村の界に至る。その村は亥(北北西)に当り18町。 また 戌(西北西)の方8町40間檜目村に隣りその村際を界とす。 申(西南西)の方6町30間寺崎村の界に至る。その村まで10町50間。 端村 二軒界野(にけんさかひの) 本村より2町余辰(東南東)の方にあり。 家数27軒、東西1町41間・南北52間、四方田畠なり。 出新田(でしんでん) 本村の北2町余にあり。 家数6軒、東西25間・南北1町58間。 ここより20間巳(南南東)の方に1区あり。 家数6軒、東西36間・南北1町16間。 共に四方田圃なり。 山川 宮川 端村出新田の東2町30間余にあり。 会津郡中荒井組宮袋村の境内より来り、北に流るること4町30間余檜目村の界に入る。 赤沢川 村西6町にあり。 寺崎村の境内より来り、北に流るること8町余檜目村の界に入る。 水利 牛沢堰 村より3町余丑(北北東)の方にて宮川を引き檜目村の方に注ぐ。 神社 熊野宮 祭神 熊野宮? 相殿 天王神 伊勢宮 稲荷神 幸神 勧請 不明 村の辰巳(南東)の方3町にあり。 鳥居あり。高田村渡邊伊予が司なり。 御舘神社 祭神 不明 鎮座 不明 村北にあり。 祭神及び鎮座の年月詳ならず。 鳥居あり。渡部伊予これを司る。 寺院 天宗寺 村中にあり。 平傳山と號す。 永禄元年(1558年)河原田豊前某という者草創し、永井野組松沢村松沢寺3世の僧三室が弟子誾恱を請いて住持とし、1町の田地を寄付せしという。今に松沢寺の末山曹洞宗なり。 本尊地蔵客殿に安ず。 光正寺 村中にあり。 この地昔3間四面の弥陀堂あり。荒廃して修理する者なかりしに、天正13年(1585年)下総国より教傳という僧来り村民等と力を勠(あわ)せて1宇の梵利を造立し、即弥陀を安置し境立山光正寺と號す。 浄土宗府下五之町高巖寺の末山なり。 本尊弥陀客殿に安ず。恵心作という。長9寸。 古蹟 館跡 村中にあり。 今は民居となりその形なし。 河原田豊前居りしという。 舊事雑考に豊前はもと松本氏の郎等なりしが、後伊達政宗に属せりという。 Google Map御舘神社 天宗寺 光正寺 余談。 (2020/4/8現在) GoogleMapで御舘神社の位置に古峯神社のマークが付いていますが、間違いか境内にある石塔を神社と勘違いしているのではないかと。少なくとも会津地方に古峯神社はありません。各地にある石塔は古峯講中で頂いた札を納める所です。 (2020/12/05現在) 神社名が修正されたのは良いのですが、同じ場所に2つ御舘神社(みたてじんじゃ)の登録がありました。一方は神社として、もう一方は戊辰戦争の史跡としての登録なので被っても問題ないとは思うのですが、ちょっと紛らわしいですね。 講中と代参 当神社には、講組織をもち、交替で代参を行う附属の講中がございます。その数は約二万を数え、崇敬者は二百万を越します。春秋の代参時には、こうした参拝者が全国より集まり、ひときわ社頭を賑わします。このように、当神社は、数多くの附属の講中をもつ神社として、全国でも稀にみる社の一つに数えられています。 ※講とは 古峯神社を参拝するため、崇敬する人々が集まって組織する仲間のこと。講元・世話人が中心となり、古峯神社参拝に関する費用や総ての運営をその仲間の人々達で行います。 ※代参とは 講員の中から毎年、幾人か選出(くじに依る所が多い)し、講中の代表で古峯神社に参拝し、御祈祷の御札を受けて、参拝に当らなかった講員に御札を授与する。その代表で参拝する人のこと。毎年交替で全講員が代参人となります。 参考:古峯神社の由緒・御神徳 三島町の桧原地区で行われた古峯神社講の代参の記事を見つけたので追記します。 古峯神社参拝(代参)(町民記者通信) 一部引用 古峯神社は天狗の信仰で知られ、初詣の際「歳旦祭」が行われ、例年約3万人もの参拝客が訪れているとのことでした。当地区においては、明治24年作成の「御札」の代参箱により、護符を受け取っています。 これは、およそ128年前から引き継がれている宝の木箱です。代参者の参加が、少子高齢化により運営も厳しいとの声が聞かれますが、伝統文化「世代を超えて受け継がれた精神性」を継続していきたいと思います。 古峯講中は今の時代にも受け継がれているようです。