約 572,349 件
https://w.atwiki.jp/tpc-document/pages/289.html
Chapter09「火竜の国ムスペルス」 「見えてきたぞ。あれがムスペルスじゃな」 クルスが前方に見えてきた巨大な雲の塊を指して言った。 火竜族の王子セルシウスと別れてから、魔導船で三日ほど飛んだ先にムスペルスはあった。 自前の翼で飛べる竜族や、大型の船ならもう少し速度は出せるが、小型船ではこれでも最大速度だ。思ったよりも時間がかかってしまっている。それでも、その間に再び例のヴァルトやファントムトロウのような追手に襲撃されることなく無事にたどり着けたのは幸いだった。 「やった着いたのか。しかし、どこにムスペルスがあるんだ? 見たところ雲しか見当たらないが……」 望遠鏡を覗きながらオットーは辺りを見回している。しかし、目立つものといえば目の前の巨大な積層雲ぐらいだ。 するとセッテは、 「なんだ兄貴。まだ気付かないんすか。ムスペならさっきからずっと目の前にあるじゃないっすか。こんなに堂々と」 と面白そうに笑いながら、オットーの先に立って手で前方の空を指し示す。 「それがわからないから聞いてるんだ」 「この雲がムスペっすよ。こんなでっかいのに見落とすほうが難しいっすねぇ」 「雲だと? 火竜どもはこんな雲の中にでも棲んでいるというのか。これのどこが国なんだ」 初めてムスペルスを訪れた者は、知らなければまずそこに到着しても、到着したということに気がつくのが難しいだろう。見かねたクルスが補足して説明した。 「これはただの雲の塊ではない。分厚い層にはなっておるが、中は空洞になっておってのう。内側には大火山から成る浮島が存在しておるのじゃ。具体的には、雲の中の浮島がムスペルスの国土ということになるのう」 山をまるごと空に浮かべて雲の中に閉じ込めたようなムスペルスの大地は、今よりも遥か太古の昔から存在しているのだという。それは人が地上からやってくるよりもずっと前で、地上に文明が誕生するよりもさらに昔に遡る。かつてこの世界には大樹とムスペルス、そしてニヴルヘイム。この3つしか存在せず、そこからすべてが誕生したと説明している神話もあるほどだ。 「原始の時代の火山がそのままこの空に遺されているといった感じじゃな。そんな巨大な大地がどうやって空まで昇ってきたのか、どうやって浮かんでいるかは私に聞かれてもわからんがな。そして私たち地竜が大樹を大切にするように、火竜たちはこの大地を神聖視しておる。国であり聖地であり、そして太古の遺産でもあるというわけじゃのう」 クルスが説明しているうちに船は積層雲に近づき、雲の壁が手で触れられるほどすぐそばまで迫ってきた。 「なるほど。噂には聞いていたけど、来るのは初めてだ。案内を頼むよ、セッテ」 雲は水蒸気の塊だというが、極限までに密度を高めたこの雲の壁はまるで綿のクッションのようで、押せば柔らかな弾力さえ感じられそうである。 物珍しそうに雲に手を伸ばすフレイの様子を見て、慌ててセッテが忠告した。 「あっ、フレイ様、危ないっすよ! それすごく熱いんすから!」 「おっと」 フレイは慌てて手を引っ込める。 しかし、そこでひとつ疑問が生まれた。ムスペルスはこの中だ。そんな熱くて厚い雲の壁を一体どうやって通り抜けるというのか。 「船は大丈夫なのかな」 「任せるっす」 セッテが長い呪文を唱えると、光の膜が広がって船全体を包み込んだ。 「耐熱障壁っす。中の空間もすごく暑いっすから、火竜でもなければ生身じゃ数分ともたないっすよ」 「具体的にはどれぐらい?」 「コップの水がすぐに蒸発したり、卵を割ったらあっという間に目玉焼きになっちゃうぐらいっすね。あと湿度はほぼ100%っす。それにあちこちにマグマの川や池があるんで、温度計は振り切れちゃって測定不能なんすよねぇ」 「なんて過酷な場所だろう。まさに炎の国といった感じだ」 「火竜にとっては居心地がいいらしいっすけどね。まあ大丈夫っすよ。おれが上陸する前にみんなにも直接、耐熱と耐火の魔法をかけますんで。あ、でも水分補給だけは自分で気をつけてくださいっす」 話しているうちに、船の穂先が雲の壁に差し掛かった。船首が雲のかき分けるように奥へと入っていく。 しばらくは雲の中を進んだ。まるで濃い霧の中にいるようで一面真っ白、隣に立っている仲間の顔すら見えないほどだ。魔導船は魔法が目的地まで自動で船を導いてくれるので安心だが、もしそうでなかったら雲の中で遭難してしまっていたかもしれない。 それから数分ほど進んだだろうか。硫黄の香りが次第に鼻をつくようになり、ようやく雲の壁を抜け切った。 雲の壁も想像以上に厚い層だったが、中の空間もまた予想以上に広大だった。外とは別のもうひとつの空がそこにあるのではないかと錯覚するほど広く、抜けてきた反対側、つまり正面のずっと向こう側の壁は遠すぎてここからは見えない。 そしてこれだけ広い空間があれば、そこに浮かんでいる島もまた大きかった。浮島なんてちっぽけなものではない。もはやあれは浮き大陸といってもおかしくないほど巨大な岩の塊がそこにはあり、火山が中心にあるとは聞いていたが、山がひとつある程度のものではなく、山脈をまるごと地上から引っぺがして空に浮かべたような規模だ。さらにはセッテが言っていたように、山から流れ出したマグマの川がいくつも延びており、あちこちでは黒煙が昇っていた。 「ようこそムスペルスへ! おれたちの暮らしてる場所とはまるで別世界っすよ」 ムスペルスには港のようなものは存在しない。火竜たちは魔導船など使わなくても、自前の翼で飛べるからそんなものは必要ないのだ。 そこで適当な岸辺に船を着けると、セッテに保護魔法をかけてもらい、フレイたちはムスペルスの大地へと降り立った。 「私はここに残るぞ。地竜と火竜の関係は悪いわけではないが変に目をつけられても困るし、それに耐熱魔法の効き目が切れたら誰かがかけ直さねばならんからの。戻ってきたら帰る船が燃えて灰になっていたでは困るじゃろう」 「わかった。それじゃあ行ってくるよ。なるべく早く戻るから」 クルスを残して、フレイたちはセッテの案内でムスペルスの王城へと向かった。 王城はこの大地の中央に位置する山脈の火山の上にある。火竜たちは飛べるのでまったく問題がないが、人と身からすればずいぶん遠い。 なんせこの暑いなか、わざわざ登山までしなければならないのだから。耐熱魔法をかけてもらっているとはいえ、それでも暑いことには変わりはない。 「セッテ。おまえが修行していたのは王城の兵舎だったな。こんな山を毎日登っていたのか?」 「まさか。セッちゃんに乗せてもらってたっす」 「はぁ。まったくおまえってやつは、王子使いの荒いやつだな」 「好意に甘えさせてもらってただけっすよ! こんなところでも集落があって、人数は多くないっすけど同じように修行に来てる人や、あるいは学者だったりも滞在してるっすから、宿はそこにお世話になってたっすね。いろいろ魔法が駆使されてて、外とは違って涼しくて快適な宿だったっすねぇ」 話しているうちにその集落にたどり着いた。町や村というほど立派なものではなく、掘っ立て小屋のような簡素な建物が少数寄り集まっているだけのもので、ここには火竜の姿はほとんどなく、今はここに滞在している人もいないようだ。火竜はそこらで適当に眠ったり、あるいは山肌の洞窟をねぐらに使うので、狭苦しい家などは必要ない。そのため集落という概念をそもそも持っていないのだ。 「でも中にはここの人相手に商売をする変わった火竜もいて、そこで売ってたムスペまんじゅうがなかなかおいしかったんすよねぇ。ホットで、スパイシーで、とろふわで。今でも売ってるっすかね~。ちょっと寄ってっちゃだめっすか?」 「観光に来たんじゃないんだぞ。王子の用事が最優先だ」 「ちぇー。残念っす」 口惜しそうになんども振り返るセッテの手を引きながら小さな集落を後にする。そこから少し進むとリフトが設置されていた。セッテも見覚えがないというから、セッテが修行から帰った後に作られたものなのだろう。どう見ても火竜用のサイズではないので、集落の人たちが王城に向かうときのために設置されたものだと考えられる。 リフトに乗り込んでみると小さな装置が目に入った。焦げ目がついているので、ここで炎を当てるのだろうということはすぐにわかった。セッテが手をかざして装置に炎を放射すると歯車の回る音が聞こえてリフトが動き始めた。 装置の中には小型タービンと液体が入っていて、熱することで液体を循環させて歯車を動かすエネルギーを得る方式だ。 「こいつぁ便利っす」 「魔法と技術の融合か。面白い発想だな」 「こういうのは竜にはマネできないっすよね」 リフトで山を昇りきると、ちょうど王城の目の前だった。 火竜サイズなので、ユミルにあるバルハラ城とは比べ物にならないほど大きい。 そびえ立つ絶壁のような門をくぐり、それだけでバルハラ城下街がすっぽり収まってしまいそうな広さの中庭を抜けて王城の中へと入る。 絶対に攻め込まれない自信があるのか、あるいはそもそも守る必要がないと考えているのか、門番や見回りの兵のようなものはまったく見当たらない。上方を飛んでいる火竜の姿はここまでにいくつか見かけたが、城の中ではまだ火竜に会っていない。 セッテがいうには、ほとんどの火竜は火山の中腹あたりにいるらしく、城にいるのは王族ぐらいのものだという。兵舎もあるにはあるが、そもそも火竜そのものが強く頑丈で一般の竜が兵士のようなものなので、この城は行事などに使われる程度らしく、大抵はこのとおりがらんとしているという。 「もとが強いからわざわざ王族を守る必要とかもないんすかね」 「政治とかはやらないんだろうか」 「まあ、火竜王とはいっても人から見れば族長みたいなポジションって感じっすからね。ムスペは外交もあまりしてないし、むしろニヴルとにらみ合ってるだけで、あとは各々好きなようにやってるって印象っす」 「ふむ。しょせん竜は竜か。それで王子。火竜王にはどう説明いたしますか。火竜が我々の力になってくれれば心強いですが、セルシウス殿の言うように、我々に味方するメリットが火竜にはありません。どう説得したものか……」 「うん。難しいところだけど、かといって嘘を言うわけにもいかない。あとで問題になると困る。だから正直に話してみるしかないね」 そのまま奥に進み玉座の間へと向かう。そこでフレイたちは火竜王ファーレンハイトと謁見した。 玉座はあるものの、火竜は四足に大きな翼を持つ体形をしているので椅子に座るという文化はないらしく、ファーレンハイトは玉座の前に寝そべっていた。 「お忙しいところ失礼致します、火竜王様。お願いしたいことがあり、ユミル国から参りました」 声をかけるとファーレンハイトは首だけを持ち上げて答えた。 「うむ? なんだニンゲンか。我はおまえたちに構っているほど暇ではない。消し炭にされる前に帰るがよい」 それだけ言うと再び眠そうに首を下げた。 (どう見たって、めっちゃ暇そうじゃないっすか!) (静かに。ここで火竜王の機嫌を損なうわけにはいかない) フレイは諦めずに続けた。 「申し送れましたが、私はフレイ。ユミル国の王子です」 「ほう。ニョルズのせがれであったか。ならば話を聞いてやらんわけにもいかぬ」 のっそりと身体を起こすと、ファーレンハイトはフレイに向き直った。 竜族の見分けはあまりつかないが、なんとなく父親だけあってセルシウスと雰囲気は似ている気がするなとフレイは思った。体格はさらにふたまわりほど大きく、ヴァルトほどではないが竜の中でもかなり大きいほうの部類だろう。 「それでフレイ王子。我に何の用だ? さては親父に言われて我が国に奇襲でも仕掛けに来たか」 「そんな、とんでもありません! ただ私は火竜王様に相談したいことがあってムスペルスを訪れたのです」 「相談だと? しかし噂では貴国は戦争の準備を始めていると聞くぞ。それを相談とは悠長な。それとも何か。攻め入られたくなければ、これから提示する条件を飲めとでも言うつもりなのか」 にやりと笑いながらも、鋭く火竜王の目はフレイをにらみつけてくる。しかし臆せずフレイは続ける。 「そうですね……。ある意味ではそうかもしれません。ただ私は父上とは違う考えをもっています。ニョルズ王は今、トロウという魔道士にそそのかされて、その結果として噂のとおり軍備の増強を進めています。しかし私はそれを阻止したいと考えております。そのためにはトロウを止める必要があるのですが、その男は魔道に長けており、自分たちの力だけでは奴の暴走を止められません。そこであなたたち火竜の力を借りたいと思い、ここにお願いに参った次第です」 「ほう。しかしそれが我々にとって何の得になる。断る、と言ったらどうする?」 「このままではムスペルスとユミルは戦争になります。しかしトロウを止めればそれは回避できます。無益な争いを回避できることは、貴国にとっても損ではないかと思いますが」 「無益ねぇ……」 ふっ、と笑うとファーレンハイトは険しい表情になり、声を低くして答えた。 「我は貴国が攻め入ってくるならば、それはそれで構わぬ。そのときは返り討ちにしてやるだけのこと。貴殿らも既知のことであろうが、火竜の中にはまだニンゲンを認めておらぬ者も多い。もともとこの空は我ら竜族の領域なのだ。物好きの地竜どもが大樹にニンゲンどもを住まわせるのは勝手だが、我々に害なすならためらうことなく排除する。それが空の秩序のためにもなる。ただそれだけだ」 「それは誤解です! 父上はトロウにそそのかされているだけなんです。人間は竜族を害そうなんて思っていません」 「それは矛盾しているぞ、フレイ王子よ。ニョルズ王とは親交がある。あやつが悪いニンゲンではないことは我も理解している。そのせがれであるなら、貴殿もそうなのだろう。だがそのトロウとやらもニンゲンなのだろう? ずいぶん純粋なようだから教えておいてやる。たしかに貴殿のような善人もいるが、基本的にニンゲンの本性は悪だ! 欲に駆られて同族ですら平気で害するような種族だぞ。では聞くが、貴国はなぜあんなに兵士がいる?」 「それは……城下街の治安を守る為で……」 「わざわざ兵士を置いて見張っておかなければ治安を維持できない。ゆえにニンゲンとは自然状態は悪なのだ」 「そ、それは……」 「ふん、返す言葉もないか。まあよい。我ら火竜には誇りにかけてこの空の秩序を守る義務がある。それを壊す恐れのあるニンゲンは排除すべきだという声もあり、我もそれには同意だ。だがニョルズ王との縁もあるので、今のところはあえて目をつぶってやっている。ただそれだけだ。だからニンゲンに協力することが我々にとって得になるということはあり得ない」 ユミル国など――人間などその気になればいつでも潰してやれるとファーレンハイトの目が語っている。トロウが原因でユミル国が戦争を起こしたならば、国ごとまとめて排除してやる。それだけのことだと。 なんとか食い下がりたいフレイだったが、火竜が手を貸す利点を他に提示することができなかった。 言葉に詰まっていると、こんどはファーレンハイトのほうから条件を提示した。 「ならばこうしようではないか。我が国は太古の昔より氷竜どもの国ニヴルヘイムと戦ってきた。奴らはすべてを凍てつかせ、近寄る者をすべて排除する冷血な種族だ。自分たちのことしか考えていない。あれも空の秩序のためには倒すべき宿命にある。そこでものは相談なのだが、ユミルがニヴルを倒すため我々に協力するというのであれば、そのトロウとやらを倒すのに協力してやってもよい」 たしかにその条件を飲めばトロウを倒せるかもしれない。そうなればムスペルスとユミルの戦争は回避できる。 しかし火竜王に協力してニヴルヘイムの攻撃に参加するということは、それはユミルとニヴルヘイムが敵対関係になるということでもある。 フレイが戦争を止めるために旅に出たのは、トロウに操られた父親を正気に戻すためだが、これまで建国から争いなく平和な時代を送ってきたユミル国の歴史を壊さないためでもある。だからトロウを止めるためとはいえ、ここでニヴルヘイムに手を出すことはできない。 以上のことを丁寧に説明すると「ならば協力もなしだ」と火竜王は話を切り上げた。 「ニョルズ王に免じて、そちらから手を出さない限りは、我々から攻め込むようなこともしないでおいてやる。だが攻撃してくるならば容赦はしない。それだけは肝に銘じておけ。話は以上だ」 交渉決裂だ。フレイたちは肩を落としてムスペルス王城を後にするのだった。 重い足取りで船へと戻る道中、落ち込むフレイにセッテが声をかけた。 「まあ、こちらから手を出さなければ問題ないことはわかったんすから、それだけでも収穫っすよ。おれたちがトロウを止めさえすれば戦争は回避できるんすから。セッちゃんは心配してたっすけど、火竜王様も厳しそうだけど意外と話のわかる竜でよかったじゃないっすか」 「そう……だね。ただ依然としてトロウに対抗する力が足りないのも事実だ」 「うーん、そっすねぇ。兄貴、何かないっすか?」 「うむ、そうだな……。では王子、こんどはニヴルの氷竜を説得してみてはいかがでしょうか」 「氷竜を? しかしニヴルは鎖国政策中だというし、近づく者はなんでも排除すると火竜王も言って……」 「ムスペも隙あらばすぐに攻め込んでくるというような噂でしたが、こうして実際に話を聞いてみれば手を出さない限りは手荒なことはしないとわかったわけではありませんか。噂とは尾ひれのつくものです。ニヴルのほうも噂を鵜呑みにせず、一度は実際に行ってみる価値があるのではないかと」 「なるほど。それは一理ある」 鎖国政策中だというのは間違いなく事実だが、近づいただけで排除されるというのは尾ひれの可能性がある。火竜の協力を得られなかった以上、今は他にあてがあるわけでもない。なんとか鎖国状態のニヴルヘイムに入国する方法を考える必要はあったが、次に向かうべき場所はそこに決まった。 人陰のない例の集落にまで戻ると、さっきはいなかった火竜たちがそこに集まっていた。ムスペまんじゅうが買えるかもしれないとセッテが嬉々として飛び出していったが、すぐに血相を変えて戻ってきた。集まっていた火竜たちはセッテのあとを追ってくると、すぐにフレイたちを取り囲んでしまった。 「見つけたぞ、ニンゲンめ! おまえたちも奴の仲間か!?」 「例の噂は本当だったようだな。すぐに火竜王様に報告せねば」 「不意打ちとはいい度胸だ。生きて帰れると思うなよ」 「しょせんニンゲンはニンゲンだな。やはり排除すべきなのだ」 口々に穏やかでないことを言っている。それに話もよく見えない。 「ま、待ってくれ。不意打ちって何の話だ。奴って誰のこと?」 「とぼけるな! あれだけ暴れておいてしらを切るつもりか!」 「おい、追ってきたぞ! 逃げろ!!」 見上げるとこちらに向かって燃えたぎる岩石が隕石のようにこちら目掛けて飛んでくるではないか。それも雨のようにいくつも、無数に、おびただしく。 それを見るなり、火竜たちは一目散に逃げ出していった。 「な、なんなんすかあれェ!?」 咄嗟にセッテが上空に防壁を張るが、隕石はあっさりとそれを突き破って飛び込んでくる。 「だめだ。僕たちも逃げよう」 岩石は地面にぶつかると爆発して炎を撒き散らした。 大量に降り注ぐ隕石は、まるで爆撃のように次々と爆発を起こし、見る見るうちに地形を変えていく。火山の噴火か。いや、これはそんな自然現象のようなものではない。何者かによる魔法攻撃を受けているのだ。 さっき火竜たちが言っていたことも気になるが、今はフレイたちはただひたすら船に向かって走るだけだった。 その様子を上空から見下ろす人陰がひとつ。 血に塗れたような赤黒いローブをまとった魔道士が空中に浮遊している。魔道士は目でフレイたちを追うと一人呟く。 「こんなところでフレイ王子を見かけるとはな。ちょうどいい。火竜たち共々、我が魔法で始末してやろう。トロウ様が欲しているのは奴の血のみ。殺すなとは言われていないからな」 魔道士が両手に黒い炎を燃え上がらせると、マグマの川から引き寄せられるように溶岩が浮き上がっていく。それが空中で冷えて固まると、魔道士は黒い炎をまとわせて先ほどの燃えたぎる岩石を形成していく。それをいくつも自分の周囲に浮かせながら、いつの間にか戻ってきて攻撃の矛先を向けてきている火竜たちに向かって叫んだ。 「我が名は金魔将ヴィドフニル。トロウ様の命により、これより実験を始める。手始めに邪魔な竜どもには大人しくなってもらおうか」 Chapter09 END 魔法戦争10
https://w.atwiki.jp/tpc-document/pages/323.html
Chapter43「鉄のゴーレム1:未確認飛行物体、現る」 近頃、こんな噂を耳にした。 『ここ最近、アルヴ周辺をうろついている怪しい存在がいる』 そいつはなぜかこのアルヴの位置を特定できて、風向きや神竜の意図的な操作によってその位置が変わっても、必ず現れてはアルヴの周囲を嗅ぎ回るのだという。 ファフニールがトロウの懐に潜入する作戦によって、トロウ側の動きをつかめるようにはなったが、その代償として今フレイがアルヴにいるということはトロウの知るところとなってしまった。それはファフニールが潜入するためにトロウの信頼を得る必要があったために仕方がないことだった。 しかしフレイがアルヴにいると知られても、トロウにはアルヴがどこにあるかわからないはず。神竜アルバスの魔法とアルヴの地の特性によって、誰にもその場所は特定できないことになっている……はずだったのだが。 私はどうしても気になって、大神殿へと向かうとそのことを直接アルバスに相談した。 「お主は件の噂についてどう考えておる? もし噂が本当なら、アルヴの位置が完全に特定されておることになるぞ」 神殿奥に横になっていたアルバスは、キリンのように長い首をゆっくりと持ち上げると、同様に長い顎ひげをゆらりとたなびかせながら、天井につきそうになっている頭でこちらを見下ろしながら言った。 「どうなされた、地竜の姫よ。心配召されるな。このアルヴの守りは万全である」 「気付いておったのか……。しかし、私を姫と呼ぶな。もう地竜の王国は潰えた。逃げた私にはもう王女を名乗る資格すらない」 ふと脳裏に浮かんだのは、かつての地竜族王家の栄華。まだ人間たちが地上からやって来るよりよりも少し前のこと。私の若かりし頃の記憶―― しかし今は感傷に浸っている暇はない。もう過ぎた過去だ。 私は頭を振って取り憑く未練を振り払うと、再びアルバスに問うた。 「そんなことよりも、噂に聞くその何者かを確かめる必要がある。お主は万全じゃと言うが、そやつは何度もアルヴ付近に姿を見せておるそうではないか」 「ふむ。確かにその誰かさんは、どうやってかこのアルヴを見つけることができるようだな。しかし、入ってくることは適わぬよ。私がそう認めない限り、そうはならないし、そうはさせぬ。それが私がここにいる理由なのでな」 その白く長い眉ひとつ動かさず、アルバスは平然と言ってのけた。自分の結界に大層自信があるらしい。 このアルヴに入って来れるかどうかは、たしかにこの神竜次第のところがある。 彼に仕える巫女たちの能力によって、アルヴに近づこうとする存在はすべて感知され、何ひとつ見逃さず把握できるようになっているそうだ。それは生物無生物問わず、魔法に概念、森羅万象この世のありとあらゆる存在を、だ。 居場所を失った者たちがなぜかアルヴへと流れてくる、その運命のようなものまではアルバスにも捻じ曲げることができないが、それを感知した時点ですでにそれをアルヴに入れるかどうかは決定されている。 純に、粋に、アルヴを求める者には、神竜はその道を開く。 邪に、悪に、アルヴを侵そう者には、神竜はその道を閉す。 結局、アルヴに至れるかどうかはアルバスのさじ加減ということだ。 「しかし私が心配しておるのは、そういうことではない。現にその何者かがこうしてアルヴの近くまでやってきておるのじゃぞ! しかも、いくら振り切っても懲りずに姿を見せるとまで来ておる。お主はこれを看過せよと申すのか?」 「何度でも言うが、この私がいる限りは、アルヴに害を為す者が入ってくるようなことはありはせんよ」 「とは言えいくら神竜といえども、判断を誤ることもあろうに」 「それについては実のところ、彼奴の存在はすでに把握はしていたのだ。しかし、今回に関しては私も初めて見る存在でな。まだ判断をしかねている」 「ほう……。具体的には?」 「ひとつの個体だが、生物と無生物が同時に来たような感覚とでも言おうか。だが魔法の類は感じられない。ゆえに、そやつの真意を汲み切れずにいる」 「だから、ずっと閉め出しておるわけじゃな。しかし、こう何度もアルヴの位置を突き止めてくるとなれば、さすがにただ者とは思えんがのう……」 「そう思うなら丁度良い。ジオクルスよ、私に代わって彼奴を確認し、判断してきてはもらえぬかな。私がここを離れられないのは説明せずともわかるだろう?」 「……お主、どうせ初めから自分で行くつもりはないんじゃろ」 アルバスは朗らかな笑みで私を見送った。 どうもこの神竜には危機感というものが足りない。トロウの件にしても、あれだけ警告しておきながら、自分でどうにかしようという気はないらしい。トロウがユミル王家を乗っ取ったのをいい事にか、王子のフレイに問題を解決させようとしている。自分自身も魔竜としての強大な力を持っているというのに。 まぁ、アルバスについて愚痴を言っても仕方がない。魔竜とはいえ、あの白竜はひどく老齢だ。魔力こそは凄まじくても、トロウと戦えるだけの体力はおそらくないのだろうから。 動かない山を前にして文句を言うぐらいなら、自分が動いたほうがずっと早い。 私は大神殿を後にすると、アルヴァニアの街に下りて例の噂の存在についてを聞いて回った。そやつが一体どこに現れたのか。そしてどうやって現れたのかを。 アルヴの竜人たちはその姿は様々だ。翼を持つ者もいれば、持たない者もいる。 そもそも竜人に対する迫害を逃れるために、彼らはこのアルヴにいる。だから、好き好んで外へ出て行こうとする者はいない。 ここではあらゆるものを可能な限り雲を加工して作る技術が発達しているし、食料もこのアルヴ内で自給自足できているようだ。 しかし、どうしてもアルヴの中だけでは手に入らないものがある。 例えるのなら、植物を育てれば果実が採れるが、種を蒔かなければ芽は出ない。何も無いところに種が突然湧いてはきたりはしない。 そういったどうしてもアルヴで手に入らないものを仕入れるために、少しばかりの出入りというのはあるものだ。 そんな折に彼らは見かけたのだという。例の噂の存在を。 竜人たちから聞き集めた話をまとめると、こうだった。 『そいつは竜によく似た姿をしているが、決して竜ではなかった』 『そいつは竜の臭いがしない。金属の臭いがした』 『そいつは翼はあるが、羽ばたかない。魔法とは異なる炎で飛んでいた』 つまり竜の形をした金属の塊が、未知なる方法で飛行しながらアルヴを偵察しているといったところか。 竜を模しているということは、表面上は竜のように見せかけて周囲の目を欺こうという思惑があるということ。 魔法とは異なる手段で飛行し、ずっとアルヴを偵察しているということ。 それが一体何なのかは私には見当もつかなかったが、ひとつだけ言えるのは、それが非常に胡散臭い存在だということだ。とにかく怪しすぎる。 「それにしても、一体なんなんじゃ? そもそも金属が空を飛べるのか。浮遊魔法と思いきや、アルバスは魔法の類は感じないと言っておったな。それに炎を出して飛んでいたという目撃の例もある。炎? 魔法も使わずにか?」 これでも魔法に関しての知識は自信があるつもりだ。魔力の放出を抑えて、相手に気配を悟られることなく魔法を放つ技術があることも知っている。 しかし、炎で空を飛ぶなんて。しかも、重い金属をそれで飛ばすなんて。 ――馬鹿げている。 そんなこと、できるわけがない。絶対に裏でこっそり浮遊魔法か何かを使っているに違いない。 だがそれなら、わざわざ炎を出す意味がわからない。推進力を得るためか? 浮遊魔法は対象を重力の影響下から一時的に切り離す作用の魔法だ。そのまま押せば、氷が地面を滑るように進んでいくのだから、わざわざ推進力なんてものを用意する必要すらない。そもそも浮遊させた時点で、対象は術者の影響下にあるのだから、ただ前へ進めと念じるだけでいいのだ。 ならばこそ、炎の存在意義が理解できない。何か意味があるとでもいうのか? 「ええい、くそう。全然わからんぞ。わけがわからんッ!」 私だって無駄に千年以上生きてきたつもりはない。教養のためにこれまでに積み重ねてきた知識はちょっとした自慢だった。 他の竜族が頑なに認めようとしない中で、調和を選んだ地竜族は人間の文化に深く触れて過ごしてきた。だから私は人間の文化についても熟知しているつもりだ。 言わば、私は空飛ぶ知識の宝庫。生き字引とはまさに私のためにある言葉だ。 だが、そんな私でもわからないのだから、もはやどうしようもない。 これはもう本当に正真正銘、未知の存在に違いない。未確認の存在だ。 そういえば人間たちの言葉で、空飛ぶ未確認の存在をこう呼ぶのだったな。 「UFOだ!!」 ええい、忌々しいUFOめ。何者だか知らんが、気に食わんから見つけ次第、撃墜してやる。疑わしきは滅せよ。怪しい素振りを見せるほうが悪いのだ。 まだ見ぬ未確認飛行物体を恨んでいると、騒がしい声が私を呼び止めた。 「え、UFO!? どこどこ! どこっすか!!」 セッテが興奮冷めやらぬ様子で顔を近づけてくる。 「お主、仲間捜しに出かけたのではなかったのか」 「クエリアもセッちゃんもどこかに行ってるみたいだったから、クルスに乗せてもらおうと思ってこうして来たんすよ。それよりも! UFOッ! どこっすか!?」 「か、顔が近いぞ。UFOの何がそんなに面白いんじゃ」 「ええーっ!! ちょっとクルス、何言ってんすか! UFOと言ったら全人類あこがれの宇宙的大スペクタクルロマンじゃないっすか!! これが落ち着いていられるかっすよ! さあ、どこっすかUFOは!? さっそく捕まえるっすよ!!」 「ちょ、ちょっと待て。落ち着かんか。UFOというのはあくまで例えでだな……」 この騒がしいのにつきまとわれたのでは、噂の調査どころではなくなる。これはUFOを探しに行くのではないのだと、アルバスや竜人たちから聞いた噂の話をセッテにもしてやることにした。 これは遊びではない。アルヴの危機、ひいては我々の危機なのだ。万が一にもトロウの手の者による偵察なら、より一層警戒を強めねばならない。場合によっては実力行使もあり得る。そういう緊迫した話なのだ、と。 しかし、これが逆効果だった。 私のした話はかえってセッテに火をつけてしまったらしい。 「空飛ぶ金属の竜! ジェット噴射で!? メタルドラゴンっすか!!!」 さっきにも増して、目を輝かせてやる気満々といった様子だ。 ところでジェットフンシャとは何だ? 「それなら、なおさら捕まえなくっちゃダメっすね! 敵かもしれない。敵じゃなかったとしても会ってみたい! すッげぇロマンじゃないっすか、それェ!!」 「ロマンとか言われても私にはわからん。まさかお主、ついてくるつもりではあるまいな」 「そのまさかであるますっすよ。むしろUFOよりももっといい!」 「はぁ……。わけがわからん」 「とにかく、もうおれ決めたっすからね! クルスと一緒にそのメタルドラゴンを捜しに行くことにしたっす! で、もし敵じゃないとわかったら仲間にするっす」 もう勝手にしろ。そもそも、メタルドラゴンなんて仲間にできるのか。 だがこういう考え方もできる。相手は魔法とは異なる未知の炎を使うのだから、炎の扱いに長けたセッテを連れていくことは、何かの役に立つかもしれないと。もちろん、炎の魔法とは異なるのだから何の役にも立たない可能性も十分にあるが。 「それで? メタルドラゴンはどこに出るっすか! 大神殿? それともどっかの塔っすかね!」 「目撃情報によると、アルヴ周辺を旋回しているらしいのう。雷雲を抜けた外ということになる。結界があるから、入っては来れぬようじゃな」 「よし。それじゃクルスに乗せてってもらうっすよ! あ、そうだ。こういうのたぶんフレイ様も好きそうだから、おれちょっと呼んで来るっす! それとクルス、一人で抜け駆けしちゃダメっすからね」 言いたいことだけ言って、セッテはアルヴァニアのほうへ駆けていった。 ……ああ、今すごく抜け駆けしたいと思っている。独り占めしたいという意味ではなく、あやつを置いてきぼりにしたいという意味で。 Chapter43 END 魔法戦争44
https://w.atwiki.jp/tpc-document/pages/336.html
Chapter56「フレイ倒れる4:第三竜将イフリート」 サーモスとともにゴライアスに乗り、アルヴを発ってしばらく大空を進んだ。 目印となるものの少ない空の旅では地図が頼りだ。 魔導船での旅が一般的になった今では、行き先さえ魔法で指定してやれば、あとは船が自動でそこへ連れて行ってくれる。 しかし竜の背に乗ったり、こういう機械竜を使って空を往くなら、やはり地図が必要になってくる。それに方角を知るための魔法か道具も必要だ。 とは言っても、それは特定の場所を目指す場合の話。 今おれたちが探しているのは場所じゃない。 フレイ様を助けるために必要な解呪薬の材料となるのはメーの体液と風竜の鱗。 たしかにどちらもこの大空のどこかにいる存在だ。でもどこに? メーはこの大空を翼もなしに自由気ままに浮遊している。気軽につかまえて、晩ごはんの食材になったりするほどありふれた生き物だが、だからといってどこにでもごろごろ転がっているわけじゃない。 生き物なら必ずどこかに巣があるのだろうけど、メーの巣を見たことがある者は誰もいない。身近な生き物にもかかわらず、メーの生態には謎が多い。 風竜はムスペの火竜、ニヴルの氷竜などと違って特定の国に属さない、これまた自由気ままな存在だ。浮島で暮らしていたりすることもあるようだが、やはり長くは定住しないので、そのほとんどが住所不定だ。もし例えば手紙を送ろうとするなら、すごく困ることに違いない。 とにかくどちらも決まった場所にいるとは限らないので、とにかく手当たり次第に探して回るしかない。この目印も何もない、ただひたすら広いこの大空を。 途方に暮れそうになったが、おれにはサモ先輩という心強い味方がいる。先輩を連れてきたのは正解だった。なぜなら、彼女は熱の魔道士だからだ。 「ワタシは熱を視ることができます。トロウにかけられた呪いの副産物だけど、それがこんな役に立つなんてね」 サモ先輩は温度差を視覚的に見分けることができる。つまり、おれには夜明け前のこの空は深い青一色にしか見えないが、彼女はその一色の中に色々なものを見ることができる。何もない空に目印を見出すことができるというわけだ。 肉眼ではとても見えないような遠い場所、それもこんな夜の闇の中でも、彼女はしっかりと熱を見分けることができる。 さっそくサモ先輩が何かを見つけてくれたようだ。 「あっちに何か飛んでいる……。小さな群れです」 「よし、行ってみるっすよ」 ゴライアスを操縦して小さな群れのほうへと向かう。 群れの正体は数匹のメーだった。暗いおかげで気付かれずに近づくことができたので、簡単にメーを捕獲することができた。 このゴライアスは大型の機械で、燃料を激しく燃やして炎を吐き出して飛んでいるが、そのわりにはかなり音は静かで、さらに無駄な動きをしない機械なので、必要以上に空気を振動させないことで気配を察知されにくい。 変人だけど、どうやらあのグリムという機械技師の技術はホンモノだ。 まぁおれは他の機械技師を知らないから、本当にホンモノかどうかはわからないけど。 しかし、これで必要な材料のひとつは手に入った。群れを発見できたおかげで、必要になる量にも十分足りている。 「幸先良いっすね! この調子で急ぐっすよ。次は風竜の鱗っす」 「竜ね。それでは少し大きめの熱源を探ってみましょう」 風竜は飛ぶことに特化した竜で小柄な者が多い。少しでも空気抵抗を減らすために適応していった結果で、身体の表面積を減らしているとかなんとか、そういうことをクルスが言っていた気がする。 ヴァルトはやたらと図体が大きいけど、あれは特殊な例だ。 「…………見つけました! 左前方、少し離れてますが、あの形はおそらく竜でしょう。風竜だといいのですが」 「こればかりは会って確かめてみるしかないっすね」 「友好的だといいんですけど。素直に鱗をくれるかどうか」 「おれたちだけで戦って勝つのは難しいっすから、力ずくでってわけにはいかないっすもんね。今ヴァルちゃんがいれば、風竜どうし説得しやすそうなのに。いや、そもそもいたんなら、ヴァルちゃんから鱗もらったほうが早かったっすね」 「彼は図体が馬鹿でかいですからね。空でも目立つでしょうから、いっそ彼を探したほうがいいかもしれません。もしこれがハズレだったら、そっちを試してみましょうか」 「んじゃそれで頼んます。まぁとりあえず、まずはあっちに声かけてみるっすよ」 サモ先輩の見つけてくれた竜のほうへ向かっていくと、あちらもこっちに気付いたのか、自らおれたちのもとへと近寄ってくる。 顔を合わせたところで、ちょうど雲が流れて顔を出した月明かりが竜の姿を照らし出した。 現れたのは残念ながら風竜ではなかった。その姿や体色からおそらく火竜……だと思うのだけど。 「えっ? こんな火竜がいるんすか!?」 火竜というのは、おれは真っ先にセッちゃんを思い出すが、少なくとも背中に人が乗れる程度には大きな体格をしているはずだ。 しかし目の前に現れたのは、もしかしたらおれとほとんど身長が変わらないんじゃないか、と思うぐらい小さな火竜だった。子どもなんだろうか。 小さな火竜は興味深そうにゴライアスを眺めながら言った。 「おおおぅ? なんだこいつ。ゴツゴツしててヘンなやつだゾ。空にはこんなヘンテコな竜もいるのか。おい、なんかしゃべれ」 当然ながらゴライアスは機械なので、しゃべったりはしない。 「オレを無視すんのかぁ? 黙ってないで何か言え。さもないと燃やしちまうゾ」 小さな火竜は機械相手に一人でしゃべり続けている。 なんだか気の毒になってきたので、ゴライアスの背中側にあるハッチから顔を出して小さな火竜に話しかけることにした。 「それは竜じゃないっすよ。竜の形に似せてある機械……は竜には理解できないんだっけ。えーっと、つまりそれは鉄のゴーレムっす」 「む、人間! なんで一般人がこんなところにいるんだ。人間は全部、トロウ様が管理してるんじゃなかったのか。怪しい奴……名を名乗れ!」 「ト、トロウ様ぁ!?」 まずい。トロウを様付けで呼ぶなんて、さてはこいつ、敵に違いない。 小さいのであまり強くなさそうだが、今はフレイ様を救うのが最優先だ。こんなやつにかまってないで、早く風竜の鱗を探しに行かなくてはならない。 ならば、ここは適当にやり過ごしておくことにしよう。 「おちびちゃん、他人に名を聞くなら、自分から名乗るのが礼儀ってもんっすよ」 「む、そういうもんか。じゃあ名乗る。オレは第三竜将イフリート! トロウ様に選ばれた言わばエリートなんだゾ! 恐れ入ったか!」 「第三竜将!? 竜将ってヴァルちゃんやファフニールと同じ……?」 もしそれが本当なら大変な事態だ。出くわした相手はよりによって敵の幹部ということになる。あんなにちびっこいのに。 そういえば、ヴァルトが襲われてアルヴへ逃げてくる原因になったという話にでてきた敵が第三竜将イフリートだったような。やはりヴァルトはウソを言ってはいなかったのだ。 いや、それよりも、あのヴァルトが堪らず退散するような相手だ。 しかも第三竜将ということは、第五竜将のヴァルトや第四竜将のファフニールよりも上位の存在。もしかすると見かけによらず強いのかもしれない。 (ますますかまってられない相手っす。なんとかごまかして切り抜けないと……) 「おい、オレは名乗ったゾ。次はおまえが名乗れ」 「えーっと、おれは……」 「どうした。名乗れない理由でもあるのか? ますます怪しいゾ」 もちろん素直に答えてやるつもりはない。 ヴァルトが言うには、竜将は全員ラタトスクを持たされているので、この会話はいずれトロウの知るところとなる。だからどうせウソだということはすぐにばれてしまうが、今はこの場さえ切り抜けられればそれでいい。 「お、おれはっ! だ、第五竜将ゴリサーモンっす!」 口から出まかせで勢いで言ってしまった。 最初にゴライアスのことをゴリラと言い間違えて、サーモスのことはサーモンと呼んでしまった。それがやけに印象に残っていたのか、それが合体してしまった。 自分で言っといてナンだけど、さすがにこれはない。なんだゴリサーモンって。 「第五竜将だとぅ? それはヴァルトことのはずだ。ウソを言うな!」 「う、ウソじゃないっすよ! おれは、つまりその、最近新しくトロウ様に選ばれたんすよ! ほら、ヴァルトは竜将をクビになったじゃないっすか! だから、その穴埋めにおれが大抜擢されたってわけっすよ」 「ふーん……。そういうことか。だったらオレが知らないのも当然だな」 (あれっ、信じたの?) やった。こいつもしかしたら馬鹿なのかもしれない。 だとすればこれはチャンスだ。このままうまくごまかし切ってやる。 「そうそう! それで初めての任務をもらったんすよ! えーっと、そう。フレイ王子を見かけたらつかまえて来いとトロウ……様に命令されたっす」 敵の作戦がどうなっているのかは知らない。ただヴァルトがまだ敵だった頃に言っていたことをそのまま言ってみただけだ。しかし、下手なことを言うよりは無難な判断のはずだ。 それが功を奏してか、イフリートはすっかり信じ込んでいる様子で親しげに話し始めた。 「おー。そうかそうか。実はオレもこの前のが初めての任務だったんだ。それがヴァルトを粛清する役目でね。よく知らないけど、前任の第三竜将が抜けたばかりだったみたいで、オレがその後を継いだんだ。もしかしたらオレたち同期かもな?」 「そっすよ! たぶん同期っす!(知らんけど)」 「でも人間なのに竜将になるなんて珍しいな。人間だったら魔将の称号をもらうんじゃないのか。それともおまえも竜になるのか?」 「(おまえ、も……?)お、おれはその……こ、こう見えても本当は竜なんだぜ! 人間の姿に化ける魔法を使って敵の目を欺く作戦っす! 一般人のふりをして油断させておいて、その隙にこの鉄のゴーレムでぶちのめしてやるんすよ!」 「なるほどー。おまえ頭いいな」 そしておまえは馬鹿でよかった。 どうやらイフリートは第五竜将ゴリサーモンを完全に信じ切っているらしい。 あとは適当に話を合わせて解散する流れにもっていけば逃げ切れる。 そうだ、ものはついでだ。 ふと思いついて、おれはイフリートにこう聞いてみた。 「ところであんた、風竜の鱗とか持ってたりしないっすか?」 「ん? それもトロウ様に頼まれたのか」 「そうなんすよー。まとまった数が欲しいんすけど、おれ風竜が苦手でさー」 「あー……あいつら逃げ足速いもんな。だったらちょっと待ってろ。オレが集めて来てやるゾ。来る途中に邪魔だったんで何匹か殺したんだ。探せばまだどっかに死体が残ってるかも」 そう言ってイフリートは身を翻して飛んで行った。 この隙に逃げてしまおうかとも考えたが、数分としないうちにイフリートは両手いっぱいに風竜の鱗を持って帰ってきたのだった。 「適当にひっぺがしてきた。これで足りるか」 「あ、ありがとうっす……。これ、くれるんすか?」 「オレのほうがちょっとだけ先輩だからなぁ。やっぱり後輩にはいいところ見せておかないとな。じゃあオレも任務の途中だからこれで。またな、ゴリサーモン!」 そして敵対するフレイを救うためのものだとも知らず、風竜の鱗を手渡してイフリートはさわやかに去っていった。そんな後ろ姿を、おれは唖然としながら見送るのだった。 「……マジに馬鹿で助かったっす。敵ながら天晴れというかなんというか」 「セッテ、それで材料は集まったんですね? 王子のために早く戻りましょう」 「そうだった。きっとゲルダもキュアル草を持って待ってるっす。急ぐっすよ!」 それからすぐにアルヴへと引き返すと、ゴライアスをグリムに返してからゲルダと合流し、再びおれたちは錬金術師イアトロのもとへと集まるのだった。 Chapter56 END 魔法戦争57
https://w.atwiki.jp/tpc-document/pages/286.html
Chapter06「第五竜将ヴァルト」 魔導船の前に突如として現われ行く手を遮る巨竜、ヴァルト。 トロウの命令で来たと自ら言っていたので、刺客であることは間違いないのだろう。しかし、もう追手が来るとはなんて早い。いつかこうなることはフレイも想定していたが、こんなにも早く襲撃されるとは考えていなかった。 (どういうことだ。エインヘリアルたちが報告したにしても早すぎる。それに彼らはシレスティアルへ向かったんじゃなかったのか。先に王城へ寄ったのか、それとも……まさか情報が漏れている? 僕たちの中にスパイが?) オットーとセッテは旧知の仲だ。そんな二人が自分を裏切るとは考えにくい。 となればクルスが怪しいか。エインヘリアルたちに襲われていたのも芝居のうちで、すべては我々を油断させる罠だったというのか。 だがそれなら、その場で捕えればいいだけのこと。それにわざわざこんな船まで用意して、芝居が大掛かりすぎるのではないか。 そんなことを考えていると、前方から再び突風が襲い掛かった。 見上げるとヴァルトが翼を大きく羽ばたかせている。先ほど船を襲った突風もつまり奴の仕業ということだろう。 「くッ……なんて、風圧……! ま、前が……目が、開けて、いられない…」 フレイは身を低くして、吹き飛ばされないように耐えるだけで必死だった。 風に殺傷力はないが、一人の人間の身動きを封じるには十分すぎる威力だ。 このままではまずい。 ふっと突然風が止んだ。と思って目を開けると、もう目の前には音もなく距離を詰めたヴァルトの鉤爪が迫っている。 (やられるッ!) 咄嗟に手で顔を庇うも、こんなものでどうにもならないことはわかっている。 手痛い一撃をもらうか、と覚悟を決めかけていると、鈍い衝撃音が響いて迫る威圧感が止まった。 目を開けると、クルスが竜の姿に戻ってヴァルトを食い止めている。 「クルス……!」 はっとしてフレイは先ほど浮かんだ疑惑を打ち払った。クルスは身を呈して自分を守ってくれたのだ。そんな彼女が裏切り者のはずがない。となると居場所がばれて待ち伏せされていたのではなく、偶然見つけられてしまっただけなのか。 「馬鹿もの! なにをぼーっと突っ立っておる。狙いはどうやらお主じゃ。下がっておれ!」 「す、すまない」 言われてフレイは数歩後ずさる。そこで改めてクルスとヴァルトを見比べるが、やはりヴァルトはクルスの数倍は大きかった。竜はどれも大きいものだと思っていたが、ヴァルトはまるで規格外だ。こうして並ぶとクルスが子どものように見える程だ。 (いや、人間に変身してるときの姿があれだから、実際にまだ子どもなのか? となるとクルスもまだ大きくなる可能性が……) クルスが鉤爪を押し返す。 ヴァルトは空中に投げ出されるが、翼を持つ竜にとって、それも飛ぶことにより特化した風竜にとってはまったくどうということはない。そのまま後方に宙返りしてバランスを取ると、しげしげと歯向かってくる地竜を眺める。 「ほォォう? なんだおまえは。竜のくせにニンゲンに味方するのかァ?」 「ふん。そういう貴様こそ、トロウの命令で来たのじゃろう」 「あー、まあなんだ。別にオレ様はあいつのことは好きじゃねえんだ。だが面白いものを見せてやるって言われてなァ。で、こうして来てみたってわけだが……なるほど。たしかにおまえは面白そうだなァァァ」 風竜はにやりと嗤った。 「なんじゃと?」 「よく見りゃァァァこれは貴重な地竜じゃねえか! おまえら、最近見なかったが絶滅したんじゃなかったのかァ? がはは、こいつァいいぜェ! 地竜とはヤり合ったことがねえからなァ。ちょっとおまえ、オレ様を楽しませろォォォ!」 再び羽ばたいて突風を起こすヴァルト。しかしクルスは全く動じない。 「聞いておればずいぶんと勝手なことを。良いじゃろう。馬鹿は少し痛い目を見ねばわからぬか」 クルスが手で空中をなぎ払うと、船を飾っていた木の葉が刃となり、風を切り裂いてヴァルトに襲い掛かっていく。 竜たちが戦いを始めたその後ろで、騒ぎを聞きつけたオットーとセッテも合流して魔道士たち三人は顔を揃えた。ちょうどクルスが壁になってくれているので、ヴァルトの突風を受けて身動きが取れなくなることもない。 今のうちにと、オットーが呪文を唱えて三人の身体に光の膜を張った。 防風障壁だ。 「これで奴の突風にある程度は耐えられます」 「よし、クルスを援護しよう。翼を怪我して飛べないから、飛び回る敵に対しては不利だ。だが人数ではこちらが勝っている。勝機がないわけじゃない」 「おれたちの力でどこまで竜に通用するかわかんないっすけどね。さーて、修行の成果の見せ所っすよ!」 オットーの風の刃が、セッテの火球が、そしてフレイの蔦がそれぞれヴァルトに向かう。 それを翼の一振りで簡単にあしらってしまうと、ヴァルトは思い出したように三人に告げた。 「おっと、オレ様の楽しみを邪魔するんじゃァァァない! おまえたちはそっちの相手でもしてなァァァ!!」 その言葉を合図にドスンと衝撃。少し船が揺れる。振り返ると、そこには人型をした黒い塊を先頭に土塊の人形が何体も並んでいる。 「これは……ゴーレムか!?」 ゴーレムとは媒体に魔力を練り込んで作り上げた人形のことを言う。 土塊で作られたゴーレムが最も安定するので一般的だが、火や水など不定形のものでも魔力で固定することでゴーレムにすることができる。そしてその魔力人形は自らを生み出した者の命令を、その身が朽ちるまで遂行し続ける。 リーダー格であろう黒いゴーレムが喋った。 『我ガ名ハ、ファントムトロウ。トロウ様ノ分身ナリ。貴様ラヲコノ海ニ投ズ』 ファントムトロウが両手を天に掲げると闇の粒子が渦となって集まり、その手にそれぞれ剣を形成した。 「げっ。あいつしゃべるっすよ! ゴーレムのくせに知能があるんすかね。なんか気持ち悪いっす」 「それに武器の召喚術を操るゴーレムというのも聞いたことがない。王子、ご注意を! あれは只者じゃありません」 「用心してかかったほうがよさそうだ。まずは背後の土人形を叩く。数を減らして不意打ちを防ぐんだ!」 三人は散開して土のゴーレムの対処にあたる。フレイやセッテの魔法はほとんど効果がなかったが、オットーの風の刃はゴーレムの体を容易く切り裂いた。風を受けたゴーレムは乾燥してすぐにボロボロに砕けてしまう。自分たちの魔法が効果的でないとわかったあとの二人は、蹴ったり押したりしてゴーレム同士をぶつけてみると、意外にもこんな程度のことでもゴーレムたちは砕けてしまった。 「なんだ。弱っちいじゃないっすか。楽勝楽勝」 「どうやらヴァルトの起こす風がゴーレムを弱らせているようです。部下との相性は最悪ですね」 「よし。この調子でどんどん行こう!」 三人はあっという間に土塊の人形たちを一掃してしまった。残るはあの黒い人形だけだ。 フレイたちが土のゴーレムに応戦している間、黒いゴーレムは隙を突いてくるでもなく、ただじっとこちらの様子を窺っているだけだった。 「攻撃範囲に入らなければ動いてこないタイプっすかね」 「来ないならこちらから行くまでだ。行くぞ、セッテ!」 勢いよく兄弟魔道士が飛び出した。 右からはオットーの風が、左からはセッテの火がファントムトロウを襲う。 『貴様ラ如キ、我ノ敵デハナイ』 双剣の一振りで、左右からの攻撃は瞬く間にかき消される。 だがこれで終わりではない。今、左右からの攻撃を防いだことで、奴の正面はがら空きだ。 「くらえッ」 その隙に詠唱を終えていたフレイの攻撃が迫る。 大地から離れた空の上では、大地の魔法は活躍が難しい。それは媒体になる土や植物が少ないためだ。空気さえあればどこでも発現させられる風や火とは勝手が異なる。その代わりに、媒体次第では少ない魔力でも大きな規模の魔法を扱えるのが大地の魔法の特徴でもある。 今や、周囲には砕けたゴーレムの破片がいくつも散らばっている。これだけあれば十分だ。フレイは砕けたゴーレムの破片を岩石の刃と変えて、雨のように降り注がせる。 『小癪ナ』 ファントムトロウは口から黒い霧を吐き出した。 霧は飛来する石刃を弾く闇の壁となった。 「闇の防壁か。漆黒の闇はすべての衝撃を吸収してしまうというが……」 「物理は無駄っすね。闇は光で払うのが一番と聞くっす。まあ光ほどうまくはいきませんが……おれに任せるっすよ!」 セッテが両手を前にかざして炎の塊を勢いよく飛ばす。 炎はやはり闇の中に吸い込まれていったが、防壁の炎を吸い込んだ部分が薄くなり、向こう側が見え始めた。火もまた暗闇を照らす灯りとなるのだ。 セッテが開けた穴を狙ってオットーが風の魔法を放つ。渦巻く旋風が闇の防壁を消し飛ばした。 「フレイ様!」「王子!」 「よし。今だッ!!」 二人の掛け声を合図に狙い済ました石刃の一撃が煌き、ファントムトロウの体を貫いた。 『ヌウッ』 闇の人形が呻き声を上げる。その胴体にはたしかに貫かれた穴が開いた。 手ごたえありか。そう期待したのも束の間、すぐに穴は閉じてしまい、奴も何事もなかったような顔をしている。 「くそっ。効果なしか」 土のゴーレムのようにしっかりとした実体を持つものは安定性は高いので作りやすいが、それを崩してしまえば簡単に機能しなくなってしまう。一方で、火や水のゴーレムのように不定形のゴーレムは形を固定するのにそれなりの技術を必要とするが、物理的な衝撃で崩されにくいので長持ちすると言われている。もっとも、火のゴーレムなら水をかければすぐに消えてしまうように、それぞれにもしっかりと弱点はある。風のゴーレムに至っては、風が吹いている間しか存在できないので、最も不安定だと言われる程だ。 「闇のゴーレムの弱点はなんだ?」 「そりゃあやっぱり光でかき消してしまうか……あるいは、もっと大きい影の中に沈めてしまうか、っすかね。夜まで待ってれば自然と消えちゃうんすよ」 「さすがに待ってられない。どこかに大きな影はないか?」 影になるものを探して見上げると、頭上を舞うヴァルトの巨体に目が止まった。 クルスは苦戦を強いられていた。 突風は痛くも痒くもない。敵は騒がしいだけで、これと言って効果的な攻撃はしてこない。 (なんじゃあいつ。もしかして竜のくせに魔法が使えんのか? それとも何か秘策を隠しておるのか…) ヴァルトは魔導船の周囲を飛び回ってときどき思い出したように強風を浴びせて来るだけで、とても本気を出しているようには見えない。しかしクルスのほうも翼を負傷していて飛べないので、空中にいるヴァルトには有効な攻撃を繰り出すことができなかった。 「お主、飛び回ってばかりおらんで降りて戦わぬか! とんだヘタレじゃのう」 「がははは! 言ってくれるなァァァ。それならおまえも飛んで追いかけてくればいいだろォォォ!?」 舌戦だけが飛び交う。互いに出方を窺って腹を探り合っているといった状況だ。クルスが考えているのと同様に、ヴァルトもまたクルスの行動を観察していた。 (一向に追いかけてこねえ。さてはあいつ、飛べねえんだな。よォォォし……) 旋回していたヴァルトは角度を変えると、急降下して船上のクルスに接近する。 「いいだろう! そこまで言うなら降りていってやろうじゃねえかァァァッ!!」 そしてそのままクルスに体当たりして、船から突き落とそうという魂胆だ。 飛べないというのなら、これほど致命的な攻撃はない。船上のニンゲンたちにもクルスを引き揚げるほどの力はないだろう、と考えてのことだ。 二竜の距離が迫る。体格差ではヴァルトのほうが圧倒的に有利。そして急降下により勢いもついている。このままクルスを突き落とすのは、テーブルの上の空き缶を片手ではたき落とすぐらい簡単なことだ。 「墜ちろ! そして死ねェェェ!」 しかしそのとき、突然クルスの姿が目の前から消えた。 「なにィィィ!?」 否、そうではない。クルスは例の店でフレイたちが初めて会ったときと同様の人間の姿に変身していた。身体が軽くなった結果、風圧でクルスの身体は吹き飛ばされ空高く舞う。 飛べないのなら、飛ばされればいい。 今や、クルスの身体はヴァルトよりも上空にあった。 そしてタイミングを見計らって竜の姿に戻る。落下するクルスのちょうど真下にヴァルトの背中が来た。 「もう放さんぞ。ちょこまかと逃げ回りおって!」 そのまま滑空するヴァルトの背中にしがみつくと、背後から首筋に噛み付いた。 「グアァァァァッ! おまえ、いつの間に!? や、やめろォォォ」 身を翻して抵抗されるが、振り落とされる前にクルスは飛び降りてなんと空中に着地した。 いや、よく見ると魔導船から石の階段が伸びて足場になっている。距離が足りないと見るや、咄嗟にフレイたちが破壊したゴーレムの破片を使った。ヴァルトと戦いながらも、周囲の状況の把握をクルスは怠っていなかったのだ。 地竜の巨体を石の階段は支えきれず、クルスが乗るなりそれはすぐに崩れ始めたが、その上を滑り降りることで問題なく魔導船の上に飛び乗ることができた。着地の際に尻餅を着いてしまったが上出来だ。 すると尻の下から断末魔の叫びが聞こえてきた。 尻尾を持ち上げると、その下でファントムトロウが持っていた闇の粒子を固めた剣だけが落ちている。 「やった! うまく行ったっすよ」 セッテたちは落ちてくるクルスの下にうまく敵を誘導して踏み潰させてしまったのだ。闇のゴーレムは影の中へと飲み込まれて消えた。 『我ヲ倒シタカラト良イ気ニナルナ。ヤガテ我ガ兄弟ガ貴様ラヲ殺ス。我ラトロウ様ノ影。トロウ様アル限リ我ラハ不滅――』 どこからともなくファントムトロウの最期の言葉が聞こえてきたが、それっきり何も聞こえなくなった。 「ふむ。お主らのほうもうまくやったようじゃのう」 「本当はヴァルトを落として下敷きにするつもりだったんだけど、まあ結果オーライってところか」 「残るは奴のみ。気を引き締めて行きましょう、王子!」 「これで4対1っすね。ヴァルちゃん、降参するなら今のうちっすよ」 首筋に噛み付かれたヴァルトはふらつきながらも、なんとか滑空を続けていた。しかし体力を消耗しているのは目に見えて明らかで、その高度は徐々に下がりつつある。 「私の予想が正しければ、奴は魔法が不得手のはずじゃ。となれば魔力に頼らず飛行しているはず。いくら力自慢だとしても、あの巨体を飛ばすには相当の力が要るじゃろうて。急所を攻撃されては、体力もそう長くは持つまい」 しかしその予想に反して、ヴァルトは力強く羽ばたくと高度を取り戻して再びクルスたちに対峙した。 その顔色は疲労に満ちていて、最初のような余裕に満ちた笑みはもう浮かべていないが、それでもまだ闘志は失っていない。 その目はフレイではなく、真っ直ぐにクルスを見据えていた。 「よくもやってくれたなァァァ……。こうなりゃァ、オレ様も本気を出させてもらうぜェェェ! どうせ魔法が使えないとでも思ってんだろォ? 半分当たりだが、半分外れだァ。オレ様はちょいとばかし魔力のコントロールが苦手でなァ。どうやっても一気に放出しちまって暴走しちまう。だァァァが、そんなことはもうどうでもいい!! クルスとか言ったか。おまえは……おまえだけはオレ様の全力をかけてでも倒ォォォす!!」 怒りに満ちた目でクルスをにらみ付ける。飛べない地竜に追い詰められたことがよほどプライドを傷つけたとみえる。 「お主は馬鹿か。そんなことをすれば、この船ごと吹き飛ばしてしまうぞ。フレイを捕らえに来たのではなかったのか。それに魔力を使い切れば、お主も力尽きて空の底へ真っ逆さまじゃぞ」 「知ったことかァァァ! オレ様はおまえを倒すッ! それだけだァァァ!!」 どうやらもはやトロウの命令は頭にないらしい。後先考えず、目の前の自分に一泡吹かせた憎い敵を倒すことだけを考えている。 ぶち切れた馬鹿は、どんな馬鹿よりも怖い。 「いかん。怒りで我を忘れておるのか。フレイ、セッテ、オットー! なんでもいい。魔法障壁を張れ! 少々属性が違ってもかまわん。何もないよりはマシじゃ。とにかく船を守れ! でないとあやつめ、何をしでかすかわからんぞ!」 「そんな急に言われても船全体を覆うような障壁なんて、おれ自信ないっすよ?」 「いや、正面だけでもかまわん。とにかく奴の攻撃を受けさえしなければいい!」 まずクルスが大地の魔法障壁を張った。だが土の壁が風に弱いということはゴーレムの例からも明らか。これだけでは不十分だ。 続けてそこに三人はそれぞれ大地、火、風の障壁を張るために詠唱を始める。 ヴァルトは風竜なので風の魔法を暴走させるに違いない。となれば最も頼りになるのはオットーの防風障壁だ。だがそれでも竜の魔力にオットー一人の力で対抗するのは不可能。そこでさらにクルスが重ねて防風障壁の詠唱を始める。 「無駄な足掻きだ。おまえたちはこれで終わりだァァァ!!」 ヴァルトが叫び、その身体が眩い光に包まれる。 「だ、駄目じゃ。とても間に合わん……!」 するとそのとき、突然ヴァルトの目の前に炎の波が押し寄せてきた。 炎の波はまるで生きているかのように空を舞い、渦巻きながらヴァルトを呑み込もうとする。 「何ィィィ!? この炎は……それにこの臭い、火竜かッ! ぬゥゥゥ、こりゃァ分が悪い。この勝負、一旦預けさせてもらう! 覚えてろよ、クルスゥゥゥ!!」 そう言い残すと、ヴァルトは慌てて撤退していった。 何が彼をそこまで慌てさせたのか。そしてあの炎は一体誰が。 その答えはすぐに明らかになった。風竜の去ったあとには、代わって今度は火竜が現れたのだ。 魔導船に舞い降りる見知らぬ火竜にフレイたちは警戒したが、セッテはその姿を見るなり嬉しそうに声を上げた。 「セッちゃん……!? もしかしてセッちゃんっすか!!」 火竜は静かに頷いた。 「いかにも。私はムスペルス王子のセルシウス」 Chapter06 END 魔法戦争7
https://w.atwiki.jp/tpc-document/pages/305.html
Chapter25「ちびっこ戦記2:ぬいぐるみになったわたし」 しばらくしてわたしは意識を取り戻した。 なんだかとても怖い夢を見てしまった気がする。そのせいかどっと疲れたような気がするが、不思議と身体は重くなかった。 なあに、夢は夢だ。目を開ければそんな恐怖とはお別れだ。 そう思って目を開けようとしたが、なぜか目が開かない。 (…………えっ?) そもそもまぶたの感覚がない。今のわたしは目を開けているのか? それとも閉じているのか? それすらもわからない。 (ちょ、ちょっと待って) 何が起こっているのか、手で触って確かめようとしても、手の感覚すらない。腕も、肩も、胴体も……いや、全身の感覚がない。 というより感覚ってなんだっけ? どうやって感じるものなんだっけ? そういう概念すらもわからなくなってしまっている。 (わけがわからない。あれは夢じゃなかったのか? だ、誰か助けて!!) 叫び声を上げようと思った。でも口がどこにあるのかわからない。 当然ながら声なんて出てこなかった。 (お、お、お、落ち着け。そうだ、いったん落ち着こう。深呼吸して……ああ、やり方がわからない。い、いい。とにかく、まずは、落ち着こう……) 気持ちの上だけでも息を吸って吐き出してみた。 息を吸ったような感じも、胸が膨れるような感じもなかったが、それでも少しだけ冷静になることができた。 (ええと。そ、それで、今のわたしは一体どういうことになっているんだ?) あれが夢じゃなかったとするなら、つまりどういうことになるんだろう。 まずわたしの身体が膨らんだ。風船みたいにぽんぽんに膨らんだ。 身体は小さく丸っこくなった。そして感覚が消えて動けなくなった。 それから顔も同じようになって、たしかそこで気を失ったんだ。 そうだ。たしかあのとき、口から綿があふれ出した。 つまりわたしの身体を膨らませてしまったのは綿だ。 わたしの身体の中には今、大量の綿が詰まっている。 そういえば膨らんだ手足の表面はまるで違っていた。 もふもふしてソファの表面と同じような感じだった。 爪はぺらぺらになって、布切れのようになっていた。 頭の中で情報を整理する。自分の置かれている状況を、閉じ方もわからなくなった目を閉じて(いるかのようなつもりで)イメージしてみる。 と、たどり着く結論はひとつだ。 (わ、わたしは、ぬいぐるみに変えられてしまったのか!?) あの魔女っ子の部屋にはたくさんのぬいぐるみがあった。 そういえば、あのぬいぐるみはどれもが手足を前につきだして、お尻をぺたんと下につけて座っているようなポーズをしていたと思う。今のわたしと同じで! たしかセッテはあの魔女っ子を「ぬいぐるみの魔女」と呼んでいた。 会ってみれば本当に幼い子どもで、きっとぬいぐるみが大好きなんだろうなぁ、程度にしか考えていなかった。 でも子どもだろうがなんだろうが、魔女は魔女だったのだ。 魔法に精通しているからには、何かすごい魔法を使うのは当然。 あの魔女っ子の場合は、つまりこれがそうだったに違いない。 ぬいぐるみの魔女プラッシュは、魔法で生き物をぬいぐるみに変える。 あの部屋にあった大量のぬいぐるみも、もしかしたらわたしのように魔法で姿を変えられた者たちなのかもしれない。子どもの姿に油断していたんだ。 (そういえばあの魔女っ子、夢の中でこんなことを言ってたな) ――あっちの赤い男の子も『おともだち』にしてあげないと。コレクションがふたつも増えるなんて今日はいい日ね―― コレクション。わたしはコレクションのひとつというわけか。 まんまと罠にはまってしまったようだ。そして今ごろ、きっとセッテも同じ目に遭っているに違いない。 しかし布と綿の塊に変えられてしまったのに、意識だけはこうして残っている。だからまだ手遅れというわけではないはずだ。 なんとか助かる方法を考えたいけど、さてどうしたらいいんだろう……。 そう思っていると、頭の中に自分のものとは別の声が響いてきた。 『グッモーニン、おともだち。新しい身体は気に入ってくれたかい?』 (ふぇっ!? だ、誰?) 『ミーはシャノワール。ユーはすでにミーと会っているはずだよ。ユーのお腹の上は柔らかくて実に寝心地がよかった』 (わたしのお腹の上で寝てた? もしかして、おまえはあの黒猫か!) いきなり断りもなくわたしの精神内に土足で上がりこんできたその声に、わたしはだんだん腹が立ってきた。 これは文句のひとつでも言ってやらないと気が済まない。 (なーにが、新しい身体は気に入ったか、だ! これはおまえの飼い主の仕業なんだろ。すぐに元に戻すように言え! さもないと、わたしがこの家ごとおまえたちを吹き飛ばしてやるぞ!) 『誰が? どうするって?』 (あまりわたしを怒らせるなよ。竜をなめると痛い目を見ることになるんだぞ) 『竜? ニヒヒヒ! それはおかしいね、マドモアゼル。だってユーはただのかわいいぬいぐるみさんじゃないか』 やはり、今のわたしはぬいぐるみになっているらしい。 ガラス玉の目では何も見えない。目の前は真っ暗でも真っ白でもない。見えるという概念そのものが消滅してしまったこの感じ。 そしてぬいぐるみには耳や鼻がないから、音やにおいも当然わからない。 今のわたしにあるのは、この意識だけがすべてだ。 だから、この黒猫をひっぱたいてやりたい衝動に駆られても、今のわたしにはどうすることもできない。 (むうう……。すぐにわたしを元に戻せ! じゃないと、その……怒るぞ!) 『ぬいぐるみは怒らない。いつでもかわいい笑顔を見せてくれるんだ』 (ちがう! わたしはぬいぐるみなんかじゃない! わたしはかの大国ニヴルヘイムの王女アクエリアス様だぞ! もしわたしの身に何かあってみろ。氷竜たちが黙っていないぞ。おまえたちなんて、あっという間に凍りづけだ) 『でも誰もここにユーがいるなんてわからない。だって今のユーは誰が見たって、ただのかわいいぬいぐるみなんだよ?』 おのれ、黒猫め。なんどもわたしのことを、ぬいぐるみぬいぐるみって連呼しやがって。元に戻ったら、おまえの毛皮を縫い付けてやるからな! そのまま黒猫はわたしが動けないのをいい事に、延々と言葉攻めを続けた。 『ほら、あきらめてぬいぐるみであることを受け入れなよ。いつまでも抵抗していたって苦しいだけさ。ぬいぐるみとして生きるのも悪いもんじゃないよ』 (なにが良いもんか。こんなの動けないし、何もできないじゃないか) 『考えてごらんよ。ぬいぐるみはお腹が減らない。ぬいぐるみは働かなくていい。ぬいぐるみは年を取らない。ぬいぐるみは死なない』 (でも、ぬいぐるみには自由がない。自由がない生活なんて不幸だ) 『そうかな? ぬいぐるみは年を取らないから、ずっとかわいい姿のままでいられる。死なないから、それこそほとんど永遠にね! これのどこが不幸なの?』 (死なないんじゃなくて死ねないんだろ。そんなの退屈で死にたくなるね) 『それなら心配ないよ。ミーのご主人サマはぬいぐるみが大好き。だからかわいいユーのことをずっと愛してくれる。退屈はさせないさ』 (ふん。とは言っても所詮はニンゲンだろ。竜の半分も生きられないくせに) そのとき、黒猫の意識の色が変わった。 いや、実際にそんな色が見えたわけじゃないけど、なんというか空気が変わったと言ったほうがいいんだろうか。精神だけになった今のわたしだからこそ理解できるけど、今まではまったくわからなかった概念だ。 たぶん……怒ったのかな? 『ミーのご主人サマを馬鹿にするな! ご主人サマは魔女なんだ。竜よりも人間よりもずっとずっと偉くてすごい存在なんだ!』 当たり。ご立腹だね。 相手の感情がこうやって簡単にわかるなんて、ちょっと便利かも。 よーし。面白いから、もっと怒らせてやれ。 (でもニンゲンなんてせいぜい百年だろ? わたしなんか、もうすでに二百年は生きておるのだぞ。あんな小娘といっしょにされてはかなわん。せめてエライ口を叩くなら、もう百年は生きてからにしてもらわないとなぁ~) ちょっぴりクルスの真似をしてやった。あれを言われてわたしはかなり腹が立ったんだから、同じことを言われて黒猫もきっと怒るに違いない。ほら、怒るぞ~。 『ニヒ。ニッヒッヒ! たったの二百年か。ご主人サマはその倍は生きてるね。見た目だけで判断するなんて、やっぱり竜は愚かだね』 なんだと。あのちびっこが四百歳!? まあ、セッテも騙されてたけど。 なるほど、魔女というのはやっぱり化け物なんだな。つまりニンゲンが化け物になると賢者とか魔女になるっていうこと? だったら別の方法で攻撃だ。 (ふーん。それはすごい。でもおまえはただの黒猫なんだろ? たしかニンゲンの半分すらないんだっけ。二十年もすればおまえはいなくなるんだ。かわいそうに) すると再び黒猫の精神の色が変わった。 『う、うるさい!! ミーはご主人サマに魔法で命を延ばしてもらうからいいんだよ! お、おまえ……ぬいぐるみのくせに生意気だぞ!!』 きっと黒猫は顔を真っ赤にして怒っているに違いない。もしかしたら、今ごろ黒猫じゃなくて赤猫になっているかも。ああ、この目で見られないのが残念だ。 攻撃が成功して喜んでいると、黒猫はすぐに反撃に出た。 『ふん、まあいいよ。おまえはもっともっと短いんだから』 (なに? 負け惜しみ? さっきぬいぐるみは死なないって言ってたくせに) 『たしかに「ぬいぐるみは」死なない。でも……おっと、そういえばまだ言ってなかったんだっけ。ユーは24時間後には消えちゃうんだからね』 え? 今こいつなんていったの? わたしは、消える? 24時間後に? えっ? 『今はまだ完全にぬいぐるみ化が終わったわけじゃない。姿だけが変わった状態なんだよ。だから意識だけがそうやって浮かんでる。でも24時間もすれば、精神がその新しい身体に定着して、その意識は結果的に消滅してしまうんだよね』 意識だけが浮かんでる。精神が定着。 えっ? なにいってるのこいつ。 『24時間だ。それでユーは身も心も完全なぬいぐるみになる。心が完全にぬいぐるみになるってことは、不要な意識は消えてしまうってことさ。別にいいだろう? それでユーは永遠のかわいさと愛される権利を手に入れるんだから』 効果はばつぐんだ。 黒猫の攻撃はわたしの心をぶち抜いた。 言葉が出なかった。頭の中が真っ白になった。 つまり何? こいつらは生きてる竜やニンゲンを捕まえては、ぬいぐるみに変えてコレクションしてて、しかも捕まったやつは24時間で消滅してしまう。 生きてるんだ。ここにあるぬいぐるみは全部生きてるんだ。 意識は消滅してしまって、ほとんど物と変わらなくなっている。 でも生きてるんだ。ぬいぐるみだけど、生き物なんだ。そして物体なんだ。 わたしは突然恐ろしくなった。 恐怖のあまり身体ががたがたと震えそうになった。 だけど今のわたしは恐怖に震えることができる身体さえ持っていない。 (お、おまえたちは、命を何だと思ってるんだ!?) すると黒猫の精神の色がまた変わる。 こんどは例えるなら、深い深い闇の底のような濁ったドス黒い色だ。 『命? それはミーやご主人サマの糧さ。ぬいぐるみに変えたあとに残った命は、ミーたちがいただくんだよ。それが長生きの秘訣ってね』 (く、狂ってる……!) 『竜の命をもらえれば寿命が一気に延びそうだなぁ。ユーはまだ若いから、まだいっぱい命を持ってるんだろう? ありがたく頂戴しますよ、マドモアゼル』 それっきり、黒猫の声は聞こえてこなくなった。 (ま、待て。待って! わたしはそんなの嫌だ! まだわたしは消えたくない!) まだ全然世界を見てないのに。 まだステキな恋もしてないのに! まだまだやりたいことがたくさんあるのに!! こんなところで消えてしまうわけにはいかない。 死因:ぬいぐるみになりました。……だなんて、そんなわけのわからない最期を認めるわけにはいかない。 わたしはぬいぐるみなんかじゃない。これでも偉大な竜なんだ。 あきらめない。絶対にあきらめない。竜の底力を見せてやるんだから。 そう決意して拳をぐっと握り締めようとしたが……そうだ、今のわたしには握り締められるような手はないんだった。 ガラス玉の目から涙は流れない。でもすごく泣きたい気分だった。 あきらめないのはいいとして、一体今のわたしに何ができるだろう。 できるのはこうやって考えることだけ。何かいい作戦が思いついたとしても、それを実行できる身体がわたしにはない。まさに手も足も出ないってやつだ。 (誰でもいい。わたしに気付いて……助けて……。わたしを助けてよ……) わたしは心の中で泣いた。 枯れる心配がなくなってしまった涙で泣いた。 どこも見ていないガラス玉の目は、ただ虚空を見つめるだけだ。 Chapter25 END 魔法戦争26
https://w.atwiki.jp/tpc-document/pages/327.html
Chapter47「地竜族の追憶2:ギンヌンガガプ、最後の日」 それは何の前触れもなくやってきた。 禍々しい漆黒の闇をまとった、ムスペの火竜でもない、ニヴルの氷竜でもない、もちろん地竜でも風竜でもない、見たことのない竜だった。 「クッククク……。ようやく封印を破ることができた。あんな寒くて冷たいところに何千年も閉じ込めておくとは酷いことをする。同じ星の力を授かった仲間だというのに、よくも俺だけ仲間はずれにしてくれたものだ」 そいつは最長老フェギオンの目の前に突如として現れた。 その日、私はいつものようにお爺ちゃんの話を聞きに来ていたところだった。 「お、お主は……そんなまさか! あの封印を自力で破ったというのか?」 漆黒の竜は年老いた地竜を見下ろして言った。 「おやおや、これはこれは。もはや見る影もないが、その額のモミジのような特徴的な紋様には見覚えがありますねぇ。ずいぶん老いたものだな、フェギオン?」 「くッ……ニーズヘッグ、貴様。今さら私に何の用じゃ」 「長きにわたる封印のおかげで俺はこんなにも若いままで生きていられる。もうジジイのおまえとは違ってね! そこで……そう。今回はそのお礼をさせてもらいに来ました。なぁーに、遠慮は要りませんよ。ふ、ふふふ……」 ニーズヘッグと呼ばれた竜は怪しげな笑みを浮かべている。 「おじちゃん誰? お爺ちゃんの知り合い?」 まだ幼い私は愚かだった。幼くて、そして穢れを知らないからこそ、この漆黒の竜の邪悪さに気付くことができなかった。 「おっとお譲ちゃん。おじちゃんじゃなくてお兄さんと呼びなさい。お爺ちゃんは大事な話があるんです。子どもはおねんねしてなさい」 そう言ってニーズヘッグは私のほうへとそっと手をかざす。 「やめろ! その子は関係ないじゃろう! お主が用があるのは私のはず。無関係の者を巻き込むのはやめてもらおうか」 「無関係? それはどうでしょうねぇ……。我々は星の力を授かった特別な存在だったはず。それがいざ目覚めてみればなんです、今のこの世界は。誰も彼もが魔法を使える。これではちっとも我々が特別ではない。どうせ、みんなおまえたちの子孫なんでしょう? 無関係とは言えませんねぇ。ククク……」 「黙れ。その子に手を出すんじゃないぞ。もしそのときは私とて黙ってはいない」 「どうぞご勝手に。俺は決めたのだ。邪魔な者はすべて排除すると。そして今はおまえも邪魔者だ。俺はすべての頂点に立つことに決めたぞ! この俺こそがッ! すべての頂点でありッ! 最も特別な存在となるのだ!!」 ニーズヘッグが大きく翼を広げて高く掲げると、一瞬にして晴れ渡っていた空が暗黒に染まる。そして深い地響きとともに、重苦しい空気があふれて胸を締め付け始める。 「ゲホッ……お、お爺ちゃん。なに……これ……。苦し、い……」 「これはいかん。ジオクルス! ここは私に任せて早く逃げろ!」 「で、でも、お爺ちゃんは……」 「私に構うな! 大丈夫じゃ。お爺ちゃんは伝説のお爺ちゃんじゃぞ。こんなやつになど負けはせん。心配は要らん。だから今は、早う行け!」 促されて私は駆け出した。 「おおっと、逃がしませんよぉ! 女子どもとて容赦はしない!」 漆黒の影が私の行く先に立ち塞がる。が、 「そうはさせんッ!」 フェギオンは身を呈して私を庇った。 影はフェギオンにまとわりつくと、ただの黒い霧のようでありながら、しかし確かな質量をもって力任せにフェギオンを締め上げていく。 「お爺ちゃん!!」 「こ、この程度どうってことないわい! いいから行かんか! お主を庇いながらではまともに戦えん。それよりもそうじゃ。このことを早くお父さんに知らせるんじゃ。カペレイオンならなんとかしてくれるはずじゃ!」 「わ、わかった。すぐに呼んで来るから!」 それから私は振り返らずに走った。 地竜王カペレイオンのいる、この国の王城にあたる神木の社へと急いだ。 しかし走り出して少しもしないうちに、背後で大きな爆発が起こった。爆風に吹き飛ばされた私はそのまま意識を失ってしまった。 次に意識を取り戻したときに私が見た景色は、それまでのものとはまったく一変していた。 木々の緑も、鳥の歌声も、川のせせらぎもそこには何ひとつない。 あるのは岩。岩石。欠片。破片。土煙。霧。静寂。不安。恐怖。そして悪夢。 私は浮遊する岩石のひとつの上で目を覚ました。 周囲には大きさの様々な岩がいくつも浮かんでいる。 一体何が起こったのだろう。私はギンヌンガの湖畔の森を走っていたはずだ。 しかしいくら周囲を見回しても、私の知る場所はどこにも存在しない。 第三の大陸ギンヌンガはもうどこにも存在しない。 地竜の王国ギンヌンガガプは完全に失われた。消滅してしまった。 周囲の浮遊岩石はギンヌンガだったもの。もうギンヌンガではないもの。 私は呆然としながら、さっきまで祖国だったはずの空間を眺めていた。 「……え? お、お爺ちゃん? え、えっ? どういうこと。だってここは……えっ!? じゃあみんなは? お父さんは!? あの黒い竜はどこ!? どうして、なんで、どうなって……。う、うう……。うわぁぁああぁぁぁぁぁっ!!」 一人取り残された私は頭の中が真っ白になった。 ここはかつて地竜の国があった場所。 ムスペから北西の地点――浮遊岩石群。 行き場も帰る場所も失くした私は、気がつくと大樹ユグドラシルへと向かっていた。お爺ちゃんの昔話でよく聞かされていた場所でなんとなく印象に残っていたからなのかもしれない。 行ったことはなかったが、あそこには地竜王の命で大樹を守護する地竜たちが常駐していると話に聞いている。 国は滅ぼされてしまったが、地竜は滅んだわけではない。彼らを頼って、力になってもらおう。そう考えて、私は大樹へと急いだ。 大樹に到着すると私は事情を話し、大樹の地竜たちの協力を得ることができた。彼らは一目散に祖国のあった場所に向かったが、その惨状を目の当たりにして、私に力を貸すと誓ってくれた。 「姫さま、我々で祖国の仇を討ちましょう! そのニーズヘッグとかいう黒竜、絶対に許すわけにはいきません。犠牲になった仲間たちや国王の無念を晴らすためにも……!」 「協力感謝します。でも私を姫と呼ぶのはやめてほしい。だって祖国はもうないから……。だから私はもう姫でもなんでもない。私はただのジオクルスだ」 しばらく経って、私と同様に爆風に吹き飛ばされただけで命が助かった地竜たちも、噂を聞きつけて大樹へと集ってきた。仲間が集まったところで私たちは、あの黒竜に復讐の戦いを挑もうとしたが、それ以来ニーズヘッグは姿をくらましてしまい、空のどこを捜しても見つけ出すことができない私たちは途方に暮れた。 それから三百年ほど経った頃だったろうか。大樹を登って地上から人類がやってきたのは。 人間たちが言うには、地上の世界は滅んで暮らせない状態になってしまい、救いを求めて彼らは大樹を登ってきたのだという。 祖国を失い今や地竜たちの暮らせる土地はこの大樹のみ。これ以上、自分たちの領域を失ってたまるものかと仲間内からは反対の声も上がったが、私は人間たちを受け入れて大樹に住まわせることにした。 何か深い理由があったわけではない。ただお爺ちゃんから聞かされた昔話の影響なのか、人間という生き物にそれほど警戒心のようなものを持っていなかったというのはある。ギンヌンガよりもより大きな自然の世界に生きる種族、人間。自然を愛する心は地竜とは変わらないはず。だからむしろ親近感があった。 それに彼らも私たちと同様に祖国を失った立場。立場が同じなら互いに理解し合うことができるはずだ。黒竜に立ち向かうなら仲間は多いに越したこともない。 やがて人間たちは大樹の上に彼らの国を築く。 彼らは私たちの知らない技術を用いて次々と家を建て、そして街ができた。これが後のユミル国であり、バルハラの城下街になる。 さらに彼らは地竜から教わった魔法をあっという間に修得してしまうと、彼らの技術と魔法を組み合わせて、魔具と呼ばれる道具を生み出したり、魔力で空を飛ぶ魔導船と呼ばれる乗り物を作ったりと、これまでに存在しなかった新しいものを次々と創り出していった。 私はそんな人間たちのこれまで空にはなかった能力に可能性を感じた。 彼らの力を借りれば、ニーズヘッグの居所を突き止めることができるかもしれない。そして彼らの力を借りれば、奴を倒して祖国の無念を晴らせるかもしれない。 私たちは人間の持つ未知の能力を解明するために、人間に姿を変えて彼らと同じように暮らしてみることを始めた。そしてやがて地竜たちは、ユミルの人間たちの生活の中に溶け込んでいくようになっていった。 人間は地竜よりも寿命が短い。そのため、この国の王はすぐに世代交代する。 国を治めるものがすぐに交代してしまっては国が安定しないのではないか。そう心配した私はユミル王家と深く関わっていくようになった。そのかいあってか、ユミル王国は数百年と続く歴史を積み上げていく。 それから月日は流れ、やがてニョルズが国王となり、フレイ王子が産まれ、そしてユミルに旅の者を名乗るあの漆黒の魔道士が現れた。 ニョルズはこの魔道士の才能を買って、王宮魔道士に取り立てた。漆黒の魔道士は異例のスピードで王宮魔道士のナンバー3まで登りつめると、三番手を意味するトロウの異名をニョルズから授かった。奴の暴走が始まったのはこの頃からだ。 トロウの正体がニーズヘッグだとすぐに気付けなかったのは私の失態だった。 気付いた頃にはニョルズはトロウの言いなりになっており、一方私はというと、先手を打たれて城から追い出されてしまい、さらには深手を負う羽目になった。 そこで城を追い出された私は城下街で魔具を取り扱う店を開き、店を訪れる者から魔法に秀でた者を見つけて味方につけようとした。 そこに現れたのがフレイたちだった。 あとは知っての通り。紆余曲折あってアルヴに至る。 今、ユミル国はトロウの手にある。つまり大樹は奴に掌握されてしまっている。 祖国に続いて大樹までも失うわけにはいかない。地竜族の誇りにかけても、絶対に大樹だけは失ってはいけない。 それにあそこはお爺ちゃんにとって重要な意味を持つ特別な場所だ。だから私は大樹を絶対に守らなければならない。 もしあのとき私にもっと力があれば……。 なんどそう思ったことだろう。逃げずにお爺ちゃんと一緒に戦って、もしあの場で奴を倒せていれば、祖国が滅ぶことなどなかったのに。そう、何度も後悔した。 しかし、もう過ぎてしまったこと。過去には戻れない。もう過ぎたことを悔やんだって、どうしようもない。大切なのは今をどうするかだ。 あの頃の私には逃げることしかできなかった。 でも次はもう逃げない。逃げるわけにはいかない。 逃げたせいでこんどは大樹が消滅した、なんてことは絶対にあってはならない。 失敗はもう許されない。絶対に成功しなければならない。 だから万全の状態を整えておきたい。そのためにも戦力は一人でも多く欲しい。 さて、ここでようやく場面は現在へと戻る―― 今、私の目の前には機械という旧時代の技術を持った人間、グリムがいる。 旧時代のものだからといって馬鹿にはできない。それは地上の人間にとっては古いものなのかもしれないが、空の世界にはなかったものだ。 それと魔法との組み合わせで人間は魔導船のような新しいものを生み出してきたのだ。それはまさに私が求めていた、人間の未知なる力。 私は今ここに、ひとつの答えを見た気がする。 (機械……か。なるほど、これは使えるかもしれんな) トロウも同じく空の出身であるなら、機械というものは知らないはず。だからこそ、それを用いることで奴の不意を突けるかもしれない。 だから私は思った。 この人間の力はトロウを倒すために必要だ、と。 だから私は言った。 「グリム。お主に相談したいことがあるのじゃが……」 Chapter47 END 魔法戦争48
https://w.atwiki.jp/tpc-document/pages/284.html
Chapter04「地竜族の少女」 火竜の国ムスペルスへ向かうため、フレイたちは王都の港に来ていた。 港地区ヘイムダル。ここは王都バルハラの空の玄関口であり、国内外問わず多くの人間がここを利用する活気のある場所だった。 だが輸送船や旅客船の行き交い賑わいをみせているはずのここも、最近では例の戦争の噂が原因なのか、賑わいを失っているようにみえる。 「どうだった、オットー?」 船の確認から戻ってきたオットーは首を横に振った。 「駄目ですね。緊張が高まっている今、ムスペルスには船は出せないと言われました。それに王命で入国制限もかけられているようで、ムスペルスから来ている船もないそうです」 「それは困ったな。トロウが僕たちの生存を知れば追手を仕向ける危険がある。できれば気付かれる前に国を抜け出したいんだけど…」 「それじゃあ個人所有の船をあたってみるのはどうっすか? おれたちだけなら小型船でも大丈夫だし、戦争が近いともなれば商売も上がったりっすから、船を手放そうと考える人もきっといるはずっすよ」 「ふむ。船を買い取る、か。たしかに僕たちが自由に使える船があったほうが色々と便利ではあるけど……今は懐事情があまり良くないのが痛手だなぁ」 そう言ってフレイは何も入っていない懐を叩く。 城を抜け出すときに十分な資金や食料を持ってきていたはずだった。しかし、せっかくの備えもトロウの洪水に襲われた際に流されてしまい、ほとんど手元に残っていなかった。 僅かに残ったのは、荷物とは別にポケットに入れていた小銭が少しと地図一枚だけ。防水魔法がかかっているので地図は無事だったが、紙幣は水に濡れて使い物にならなくなったので、資金としては僅かばかりの金貨だけが手元に残った。そこにオットーやセッテの所持金を加えたとしても大した金額にはならない。そしてそれも港の市場でこれからの食料などを用立てした結果、あとは往復の船賃が人数分程度しか残らなかった。 「うぅ~。フレイ様は王子なのに、なんでお金に困らなくっちゃならないんすか」 「トロウの目がある以上、城には戻れない。ないものは仕方ないな」 「全部トロウのせいっす! あいつのせいで、おれも荷物を無くしちまったんすから。お守り代わりに持ってきた炎の剣も無くしちまった。あれはセッちゃんからもらった大事なものだったのに!!」 いきなり出てきたセッちゃんに首を傾げるフレイ。 そこにオットーが補足説明する。 「セッテがムスペで修行していたときの知り合いです。しかし炎の剣レーヴァテインか……惜しいものを無くしてしまったな。貴重な品だと聞くし、武器としても強力なものだと聞いていたが」 「そっすよ。おれは剣術はできないけど、あの剣を持っているだけで、剣に込められた魔力の影響でおれの火の魔法がパワーアップしてたんだ。それなのに……トロウめ! 絶対に許せないっす!!」 「まったくだな。売ればいい資金にもなったのに」 「ちょ、兄貴! そりゃひどいっすよ」 ともかく船がないお金もないではどこへ行くこともできない。いきなり出端をくじかれてしまい途方に暮れていると、港の中心街のほうから何やら騒がしい声が聞こえてきた。何事かと様子を見に来た人だかりができている。フレイたちも人陰に紛れて様子を窺うと、どうやら兵士たちが市民に呼びかけているらしい。 「このあたりに『カペレイオン』という店があるはずだ。知っている者がいれば我々に教えてほしい!」 声を張り上げているのは治安維持部隊エインヘリアルの面々。 王都の秩序を守るために組織された兵士たちで、言わば警察のようなものだ。 どうやらそのカペレイオンとかいう店に用があるようだが、どうも穏やかな様子ではない。というのは彼らが武器を手にしていたからだ。 「かぺれいおん? 聞いたことない名前っすね。やつら、何しに行くつもりなんでしょう」 「王子、エインヘリアルは城からの命令を受けて動くのでトロウの息がかかっている可能性もあります。できれば今は関わらないほうが良いかと」 「ああ。それはわかってる……。わかってる、けど……」 エインヘリアルは市民から情報を得ると、隊列を揃えてカペレイオンがあると思われるほうへと駆けていった。 あんなに急いで一体何事なのか。それにあの武装もただごとではなさそうだ。たしかに彼らは、平時の見回りでも最低限の武装はしているのだが、それでもせいぜい護身用および牽制用の槍を一本持っている程度だ。 しかし先ほどの彼らの武装は、重鎧を身にまとい、斧剣に銃まで携えているなんて、まるで戦いにでも行くような様相ではないか。 その違和感をフレイはどうしても見逃すことができなかった。 「やはり気になる。何か事件があったのかもしれない。行ってみよう」 「フレイ様、危ないっすよ。兄貴の言うように近づかないほうが……」 しかし言って聞くような王子ではない。様子を見るだけだからと押し切って一人飛び出していってしまった。仕方なしに従者二人はフレイに続き、付かず離れずの距離を保ちながら兵士たちのあとを追うことになった。 裏路地を抜けて進んでいくと、兵士たちはある店の前で立ち止まった。 「おっと。あそこがカペレイオンみたいっすね」 「しっ、静かに」 兵士たちは恐る恐る店の中の様子を窺っている。そして同様に、少し離れた場所の建物の陰から、フレイたちはそんな兵士たちの様子を窺う。 店のほうを見ると、屋号を表す看板も出ていないし、明かりも消えているのか遠巻きからは中の様子はさっぱりわからない。そこそこ大きな建物のようだが古びていて、言われなければ空き家かと思うかもしれない。一体何の店なのだろうか。 するとついに兵士たちは意を決して、次々と店の中に飛び込んでいった。まるで強盗が立て篭もるところにでも突入していくのかといった勢いだ。 そして中で何が起こっているのか、続いて大きな声が聞こえてきた。 「貴様がジオクルスだな。王命により貴様を連行する!」 「ほう? 私には何も心当たりはないのだが。もし断ると言ったらどうなる」 「武力行使もやむを得ない。さあ、我々とともに来るんだ」 「それはできぬ相談じゃのう。なんじゃ、その剣は? まさか非道にも、こんな私に切りかかろうと言うわけじゃあるまいな」 「くっ……ためらうな! 見た目に騙されてはいけない。トロウ様からの話ではこの者の正体は――」 そこで一旦会話が途切れた。 そして少しの後に、店の中からは怒号と悲鳴が聞こえ始める。 店の外で聞き耳を立てていたフレイは、従者の二人が止める間もなくすでに飛び出していた。 ここで出ていけば結果的にトロウに見つかることになるかもしれない。 しかし止められるかもしれない争いを無視して逃げるような真似は、フレイにはできなかった。 その正義感があるからこそ、彼は城を飛び出すことを決意したのだから。 そして力強く正面の扉を開け放って叫ぶ。 「武器を収めろ! これは一体何の騒ぎだ!!」 そして真っ先に目の飛び込んできた光景にフレイは息を呑む。 「なっ……これは!?」 悲鳴を上げていたのは、ジオクルスと呼ばれていた店の者ではなく兵士たちのほう。しかもその兵士たちは倒れてうずくまっており、何より目を引いたのは店の中央に大きな竜がたたずんでいることだ。 なぜこんな街中に竜が。それも店の中に。 目を疑い、思わず後ずさる。と、そのとき、 「王子!」「フレイ様!」 身を案じたオットーとセッテが店に飛び込んでくる。 その声に一瞬振り返り、再び視線を正面に向けると、 「……えっ」 そこに竜の姿はすでになかった。 「い、今のは。目の錯覚か?」 しかし店内のどこを捜しても竜の姿はない。 何よりあの大きさだ。背丈は天井にまで届くほどのもの。どこかに隠れようなんてあるはずもなく、まさしく突然消えてしまったとしかいいようがない。 「王子、大丈夫ですか」 「あ、ああ。僕はなんともない。だがこれは一体……」 「兵士が倒れていますね。ということは戦闘行為があったということ。何者かはわかりませんが、これをやった者がまだ近くにいるはず。王子、ここは危険です。どうか下がっていてください。ここは私が」 「竜……」 「え? 王子、今なんと?」 「竜だ。竜を見たんだ」 言われてオットーとセッテも店内を見回すが、やはりそんな姿はどこにもない。 「フレイ様。夢でも見たんじゃないっすか? こんなところに竜だなんて。もしそうだとして、こんな狭い入口からどうやって入るんすかね。ほら、どこにも竜なんて…………あっ」 セッテが小さな叫び声を上げる。 「子どもがいるっすよ! どうしてこんなところに」 店のカウンターの後ろを覗き込むと、小さな少女が身体を丸くしてその隙間に隠れている。少女は驚いて目を丸くするが、構わずセッテは手を差し伸ばした。 「お譲ちゃん、こんなところにいたら危ないっすよ。ほら、おれが外に連れてってやるっすから」 「ま、待て! そいつに近づくな……そいつは、その少女は…!」 すぐ近くでうずくまっていた兵士がセッテを呼び止めた。 慌てて伸ばしかけた手を止めると、なんと少女は牙を剥いて噛み付いてきた。 口は大きく裂けて、まるで竜の顎のようだ。そのまま手を伸ばしていたら手首から先を食い千切られていただろう。 いや竜のようではない。まさに竜そのものだった。 少女の影が見る見るうちに大きくなると、小さな少女は大きな竜に姿を変えた。 「なっ……こ、こいつ。化け物!?」 咄嗟に飛び退き、攻撃態勢を取るセッテ。 オットーも前に出てそれに加勢しようとする。 「待て、二人とも」 しかし、フレイがそれを制止する。 「なぜ止めるのですか! 危険ですから下がっていてください。ここは我々が!」 「そうっすよ! きっと兵士たちもこいつの存在を知って討伐に来てたんすよ!」 なおも竜に立ち向かおうとする二人にフレイは今度は語調を強めて言った。 「やめろ、二人とも! 命令だ。一旦下がれ」 「王子? どういうことですか」 「あれを見るんだ」 周囲には数人の兵士が倒れていたが、その誰もが怪我をしているわけではないようで、ふらつきながらもすでに起き上がろうとしている。 竜は強大な力を持つ存在だ。その気になれば人間など簡単に殺してしまうことさえできる。だがここにいる誰一人として怪我をしていない。 「だから確信した。あの竜に敵意はない」 「……あの~。危うくおれの手が食べられちゃうとこだったんすけど」 「聞かせてくれ。君は何者だ。どうしてここに?」 フレイは竜に問いかける。 すると竜の身体が光に包まれて、再びさっき見た少女の姿に変わった。 「どうやらお主は話がわかるようじゃの」 少女はジオクルスと名乗った。 ジオクルスは地竜の一族であり、ここでひっそりと魔具と呼ばれる魔法に使う道具を扱う店を営んでいるという。 「店主? こんなお譲ちゃんが? 一体何の冗談っすか」 「黙れ小僧。これでも私はおまえなんかより遥かに長く生きておるのじゃぞ」 「でもどう見たって、見た目はちびっこじゃないっすか。ほら、アメちゃんあげるっすよ」 「貴様……愚弄する気か。よかろう。その飴はいただく。ただし、貴様の腕ごと食ってやる」 「待て待て!」 勝手ににらみ合いを始めた二人をフレイが慌てて止めに入る。子どもが地竜で、地竜が店主で、なにがなんだか訳がわからない。 「そうじゃのう。どうやらお主らは何も知らんようじゃし、イチから説明してやらねばならんようじゃな。時にお主ら、地竜族に会ったことはあるか? まあ、その反応から見るにないのだろうが…」 「ふん。全然見ないからただの伝説か、とっくに滅んだのかと思ってたっすよ!」 頭から湯気を昇らせながら、まだ気が治まらないセッテが言った。 ジオクルスはセッテを再びにらみつけたが、オットーがセッテの耳をつかんで端へと引っ張っていったのを見届けると、静かに話を続けた。 「不思議に思っていたことじゃろう。皆が地竜を知っているのに、誰も地竜に会ったことがない。まあ、それも当然じゃな。なぜなら地竜族は普段はこうして人間に化けておるのでな。気付いていないだけで、我らはすぐ近くにおるのだ」 「それも魔法の一種なのですか。しかしなぜ?」 「うむ。我ら地竜の一族はお主らの祖先にこの地を譲った。その時から我らは共存を望んでおった。そのためには人間というものを理解する必要がある。ではどうすれば理解できるのか。それは共に生活してみるのが手っ取り早い。だが人間の家はどうも狭くていかん。だから人間に化けることを覚えたのじゃ」 「なるほど。では地竜は実はすぐ身近なところにいると」 「他のやつらのことは知らんが、おそらくそうじゃろうの。それにこの姿のほうが身体が小さい分、食費がかからなくて済む」 「は、はぁ……」 フレイは少し複雑な感覚だった。 地竜族が人間に姿を変えて、市民たちと共に生活を送っている。しかも今まで誰もそれに気付かなかったのだから驚きだ。それほどまでに地竜族は人々の生活にうまくとけ込んでいるのだろう。他の竜に比べて人間に友好的だと言われているとはいえ、これほどまでとはフレイも思ってはいなかった。 「こ、これは大変なことを聞いてしまった。おい皆、動けるか。これは忌々しき事態だぞ。すぐに城に報告せねば」 これまでの話を聞いていた兵士たちが色めき立ち、今にも店を飛び出していこうとしている。 「おっと。こいつらの事を忘れておったのう……それ」 と、ジオクルス落ち着いた様子で指をパチンと鳴らした。 すると兵士たちは一瞬気が遠くなったようになってハッと我に還ると、その誰もがジオクルスに関する記憶を失っていた。 「ここは……我々は一体何をしていたんだ?」 混乱する兵士にジオクルスが答える。 「すごいね、おじちゃんたち! おっきな竜をおいはらっちゃった」 「えっ、あれ? そ、そうか。我々はジオクルスを撃退し……しまった! トロウ様は生け捕りにしろと仰っていたのに」 「まずいな。トロウ様の機嫌を損ねるとどんな目に遭わされるかわかったもんじゃない。お譲ちゃん、竜はどっちへ行ったか見なかったかい? 知ってたらおじさんたちに教えてほしいんだが」 「あっちへとんでいったの。おしろをとびこえてむこうのほう」 「そうか、ありがとう。……東側。ということはシレスティアルか!? 皆の者、すぐに出発だ。遅れるな!」 兵士たちは足並みをそろえて慌しく飛び出していた。 それを笑顔で見送った少女は、もうすでにあどけない表情をしていない。 「とまぁ、ざっとこんなもんじゃのう」 「記憶を操ったのか!? さすがは竜、なんて高度な魔法を使うんだ。今まで存在に気付かなかったのも納得がいく」 「ふふん、どうじゃ。こんな魔法が自分たちにも使えれば……そう思わんか?」 言われて思わずドキリとしたところで、フレイは初めて気がついた。 ジオクルスと兵士とのやりとりを見ながら、トロウの追手のことが頭をよぎったのは確かだ。今はジオクルスのことで頭がいっぱいの様子ではあったが、エインヘリアルたちに関わってしまった以上、いずれトロウのところに自分たちのことも報告が行くだろう。 そうなれば追手を差し向けられるのは時間の問題。船もないのに、どうやって切り抜けるかを心のどこかで気にしていたのだ。 「ジオクルス殿。どうしてそれを?」 「私のことはクルスで良い。王城の兵士の中にも地竜がおってのう。ある程度の情報は入ってくるのじゃ。フレイ王子がトロウに歯向かい、その翌日姿を消したということもな。さっき王子と呼ばれていたから、お主がフレイなんじゃろう。そして消えたはずの王子が港にいるということは……あとは考えるまでもない」 「まるで密偵だな。疑うわけじゃないが、どうして城にまで地竜が? そしてなぜそれを僕には話した。兵士たちの記憶は消したのに、僕にはそれをしないのも気になる」 「私は以前よりあのトロウという男を危険視しておった。ここはお主らの国であると同時に我らの地でもある。それを守りたいと思うのは同じこと。そういう意味ではお主とは気が合いそうだと踏んだ」 にやりと笑いながら、クルスはフレイの目をじっと見つめて言った。 「そこでどうじゃろうか。お主、私と手を組まぬか」 トロウを探っていたクルスもまた、トロウに追われているのだという。今回の竜狩りはその一環だ。 さらにクルスは自分に協力してくれるなら魔導船まで提供してくれるという。 フレイたちのことはどうやらどこまでもお見通しらしい。恐るべし、地竜の情報ネットワークは侮れない。 「代金はいらぬ。私と同行する、それだけが条件じゃ。それで船はくれてやる。どうじゃろう、悪い話ではないと思うが」 たしかに願ったり叶ったりの条件だ。しかし、さすがに話がうますぎる。 代わってオットーが尋ねた。 「貴殿がトロウの刺客でないという確証は? 船で釣っておいて、背後から襲われてはかなわん」 するとクルスは驚いた表情に変わった。 「なに? ここまで良い条件を出してやっておるのじゃぞ。それなのにお主らは、まだ信じられぬと言うのか」 「信じるも何も、我々はまだ会ったばかりだ。信用などできるわけがないだろう」 反論されるとこんどはクルスの顔が悔しそうな、あるいは焦ったような色に染まる。 「な、な、な……なんて頭の堅いやつらじゃ! おかしい……こんな筈では……。人間っていうものは、甘い言葉をちらつかせてやれば、簡単に乗っかるようなイキモノなんじゃろう。そうじゃろう、なあ?」 「それが地竜たちが人間の生活にとけ込んでつかんだ答えか? だとしたら、おまえたちは全然人間を理解できていないな。我々の動向を見抜いた観察眼には感服するが、内面までは見抜けないと見える」 指摘されてこんどはクルスの顔が赤くなる。 「へぇ。表情がころころ変わって面白いやつっすね」 「う、うるさいうるさいッ! わ、私にも竜族としてのプライドがある! それをお主らは……ええい、くそう。し、仕方ない。私がトロウと繋がっていない証拠があればよいのじゃな。ならばこれを見よ」 クルスは背中を向ける。と、そこからバサッと二対の翼が飛び出した。少女の身体には似合わぬ大きな竜の翼だ。よく見ると、その翼の片方は負傷しているようで少し痛々しい。 「トロウにやられた傷だ。このせいで私は空が飛べない。ふん、これで満足じゃろう? お主らも私もトロウには借りがある。そして奴に追われているというのも同じ。と、飛べないのも……同じじゃ。ほれ、利害は一致したぞ。その上で私は言っておるのじゃ。今なら特別に私に協力させてやってもよいぞ、と」 背中から翼を生やした少女は、精一杯胸を張ってみせる。竜の姿ならあるいは違ったかもしれないが、少女の姿ではただ強がっているように見えるだけで、さっきからまるで威厳がない。いや、それは姿のせいだけでなく、顔を赤く染めているせいもあるだろう。 「協力させてやる? こちらにおわすお方とどなたと心得る。恐れ多くも時期国王になられるフレイ王子であらせられるぞ。竜だろうが人だろうが、この国に暮らす者なら変わりない。その点、おまえは頼み方がなってない。やりなおし!」 「お、オットー。何もそこまで…」 「なりません、王子! あなたはいずれこの国を継ぐお方。たとえ竜だろうと、なめられるわけにはいきません」 しばらくクルスは悔しそうな顔をしていたが、いや、なおも悔しそうな顔をしながら、それでも身体を震わせながら頭を下げた。 「ぐぎぎ……わ、私に協力してください。お願い……します……」 その顔が赤かったのは悔しさからなのか、それとも人間相手に頭を下げることを恥ずべきことと感じたからか。 ともあれ、オットーはようやく納得した様子でクルスの提案を受け入れる気になったのだった。 「さあ、王子。こう言ってくれてることですし、ここはご好意に甘えさせてもらいましょう。船も手に入ったわけですから」 「ご、ご好意……? ま、まあ。そういうことなら……よろしくね。クルス」 「ね、フレイ様。兄貴って馬鹿真面目っすけど、ちょっとSっ気あるっすよねぇ。んじゃよろしくっす、お譲ちゃん。ほら、アメちゃんやるから泣かない泣かない」 涙目のクルスを旅の仲間に迎えた一行は、彼女より船を譲り受けて、ようやくムスペルスへの一歩を踏み出すことになる。 (くそぅ~。赤いやつも緑のやつもきらいじゃ) Chapter04 END 魔法戦争5
https://w.atwiki.jp/tpc-document/pages/344.html
Chapter64「フレイヤ遠征1:私がフリードになる」 それは突然まるで停電したかのように。 あるいは機械の電源コードを急に引き抜いたかのように。 フリードの意識はその瞬間を境にして消失し、その精神は闇に飲み込まれた。 いや、無に包み込まれたと言ったほうがいいかもしれない。 それは完全なる虚無だ。 (返事をして。聞こえないの、フリード?) いくら私が呼びかけても彼は何の反応も示さない。 なぜならファフニールの攻撃を受けてフリードの身体は黄金の塊と化したから。 去り際にトロウは言っていた。 『おまえたちはもう死ぬこともできない身体になったのだ。そのまま永遠に黄金像として生き続けるがいい』 死んだわけではない。黄金でありながら、それでもフリードは生きている。 これは物質的に、あるいは本質的に黄金に変わったのではなく、あくまで魔法の作用によって外見が黄金そのものに変わっただけだからだ。 変性の魔法に関することならば私はよくわかる。 魔法によって姿を変える作用は、あくまで見た目を変えるだけであって本質までは変えることができない。 つまり例えば人間を魔法で竜に変えたところで、それは『竜』そのものなのではなくてあくまで『本質は人間』あるいは『元人間の竜』ということになる。 姿が変わって翼を得れば身体の構造上、空を飛ぶことは可能になる。 しかし竜が生まれながらに持っている精霊の加護――例えば火竜なら呪文を詠唱することなく火の魔法を自在に扱う能力――は本質的には人間であり竜ではないので、姿を変えただけで得られるようなものではない。 今のフリードは見た目は黄金像。その身体の構造上、動くことはできない。 しかし本質的には人間なので、黄金という無機物でありながら有機物としての生命を持ち得ることができてしまっている。 (つまりフリードは死んでいない!) フリードが受けた魔法が黄金化でまだ良かった。これが解呪方法がトロウにしかわからない呪いの類や、あるいは身体をばらばらにされるような再起不能レベルの重症じゃなくて本当に良かった。 この手の魔法は私の専門。私になら治すことができる。 意識を集中させて脳内に呪文を紡ぎ出していく。 今の私はフリードに憑依した意識だけの存在に過ぎないがこれも同様、姿が変わっても本質は変わらないので、集中さえできれば私はいつも通りの能力を発揮することができる。 すでに戦いは終わったと判断しトロウもファフニールもこの場を去っていった。 今なら大丈夫のはず。私はフリードにかけられた黄金化の魔法を解いて、フリードを元の姿に戻した。 生身の身体に戻ったフリードは、そのままどさりと崩れ落ちた。 (起きて。敵が油断している今のうちに脱出しなくちゃ) しかし、いくら呼びかけてもフリードの意識は戻ってこなかった。 (これは困ったわね……) よほど強いショックを受けたのだろうか。今のフリードはいわゆる気を失っている状態だ。命には別状はないが、いつ回復するのかは私にもわからない。 私は憑依しているだけの身なので、彼が起きてくれないことにはここから脱出することができない。いつ敵が戻ってくるかもしれないこの状況で、倒れたままのフリードを放っておくわけにもいかない。 (仕方ないわ。少しリスクはあるけれど、こうなったら私がフリードの身体を操るしかないみたいね) 今の私はあくまでフリードの精神に悪影響を与えないレベルでの憑依を行っているだけだ。だから私はフリードの身体を動かす主導権は持っていないし、フリードは起きたまま脳内で私と意思の疎通ができた。 ここからさらに憑依レベルを高めていけば、私がフリードの身体を操ることも可能になる。 ただしフリードの意識がある状態でこれをやると、ふたつの意識がひとつの身体を操ろうとするためにフリードの脳が混乱してダメージを受ける可能性がある。 フリードの意識がない今ならその心配はないが、いつ彼の意識が戻るかわからない以上それはとてもリスキーな行為になる。 もし私がフリードの身体を操作しているときに彼の意識が戻れば悪影響を与えることになってしまうし、半覚醒の意識はとても不安定なために私の意識と彼の意識が部分的に混ざり合ってしまう恐れもある。 一度混ざり合ってしまったものを完全に分離することは非常に難しい。 そう、水の中に溶け込んだインクを完全に取り除くのが難しいのと同じように。 とは言っても、ぐずぐずはしていられない。フリードが無事なことがわかれば、こんどこそ彼はトロウに抹殺されてしまうに違いない。 (やむを得ないわね。フリード、あなたの身体、少し借りるわよ) 目を閉じて意識を集中、憑依レベルを高めていく。 自分の手の感覚をフリードの手に、脚の感覚を彼の脚に重ねるようにイメージしていく。 すると次第に四肢がじんわりと温まっていき、とくん、とくん。と脈打ち始めていく。 足の先、そして指先にまでその温かさと脈動が広がっていく。 そして私はゆっくりと、閉じていた目を開けた。 両の手のひらを目の前にかざしてみる。 よく使い込まれた革の手袋に、手の甲を覆うように守る蒼い籠手。 拳を握りしめると、手袋の中で節くれだったごつごつした指が動くのがわかる。 「どうやら成功したみたいね」 フリードの口を通して発せられるその声は低い。 全身にまとう鎧はずっしりと重いが、フリードの身体であればその重さに耐えて走り回ることもできそうだ。 「さて。まずはあの子たちを助けてあげないと」 振り返ると、ファフニールの攻撃を受けてフリード同様に黄金像と化したレギンとヒルデの姿があった。 「申し訳ありません、フレイヤ様。わたしたちが力不足なばっかりに」 「おのれ、あの金ピカ竜め。フレイ王子側の味方ではなかったのか?」 回復したヴァルキュリアの二人はそろって悔しそうな様子を見せていた。 この二人の意識はすぐに回復した。まだフリードの意識は戻っていないところをみるとこの男、身体は鍛えられているが意外と精神的には弱いのかもしれない。 「とにかく作戦が失敗した以上、長居は無用です。あなたたちの天馬も治療しておきました。すぐに脱出を図ります」 「承知しました。あの、ところでフレイヤ様。ミストの姿が見当たりませんが?」 「えっ」 言われてみればたしかに。 私はフリードから離れられないので、中庭で待機するといって従者たちと別れて以降はミストの姿を見ていない。 そういえばファフニールとヒルデたちが戦っている時点で、すでに彼女の姿は見えなかったような。 「まったく、あの子はこんなときにまで。一体どこで何をやっているのかしら。無事だといいのだけど」 「そ、そうですね。あいつは本当にいつも……うぶっ」 「ヒルデ? もしかして具合でも悪いのですか」 「あ、いえ、その。なんでもありませんけど……」 「けど?」 「気にしないでください。それよりも今は脱出が最優先です。今回ばかりは置いていくわけにもいかない。すぐにミストを見つけてきます」 「待って。今は敵に見つかるのは絶対に避けたいところ。下手に別れて行動するよりもまとまって行動しましょう。状況が状況だけに、一度別れてしまうと合流もおそらく困難になるでしょうから」 「わかりました。では私は前方を、レギンが後方を警戒します。フレイヤ様はミストの姿を捜すのに専念してください」 こう言ってくれるヒルデたちはとても頼もしく見える。 それにしても、本当にミストはどこへ行ってしまったのだろう。 ここは勝手知ったる祖国の城。私たちはずっとこの城で暮らしてきたし、ミストがよく行きそうな場所にはいくつか心当たりがないわけでもない。 しかし今は状況が状況だ。ミストはよく仕事をサボる子ではあっても、とても城下街にふらっと遊びに行けるような雰囲気ではないし、私たちを見捨てて一人で逃げるような薄情な子でないことはよく知っている。 となればバルハラ城付近のどこかにはいるはず。騒ぎになっていないところを見ると、どうやら敵には見つかっていない様子ではあるようだが。 「位置が特定できればいいのに。そうすればテレパシーで直接あの子を呼ぶことができる。広範囲に無作為に念波を送ることもできるけど、それだと敵にも聞こえてしまう、か」 「位置の特定……。それならフリードの力、いや身体を借りればできるかもしれません。今、私の槍はフリードのものです」 「なるほど。グングニルの槍ね!」 投げれば狙った対象に必ず命中する魔槍グングニル。 グングニルは槍自らが使い手を選ぶという。色々あって今はその所有権はフリードにある。そしてそのフリードの身体の所有権は今は私の手にある。 ミストに狙いを定めて槍を投じれば、グングニルは彼女に向かって飛んでいく。 それを利用すればミストの居場所を特定することができる。 槍がミストを襲う結果になるが、所有者が戻れと命令すればグングニルはその手元へと戻ってくる。だからミストに刺さる前に槍を回収すれば問題はないはずだ。 「これは名案ね! ……と言いたいけれど、でもどうやらフリードはその槍を持ってきていないみたいよ」 「それなら大丈夫です。戻れと命じてみてください」 「あら、そんな簡単なことで? よし。グングニルよ、戻れ!!」 手を掲げて虚空に向かって命じる。 すると鋭い閃光とともに、一瞬にしてその手の上に魔槍グングニルが現れた。 まるで、ご主人様お呼びですか、とでも言いたげに槍は蒼白く明滅している。 「わあ! これ、すごいわね。ねぇ、ちょっとヒルデも今の見た!?」 思わず興奮を隠せないままにヒルデのほうを振り返った。 するとヒルデは、 「ぶふっ」 私の顔を見るなり盛大に噴き出したではないか。 「ちょ、ちょっと。どうして笑うの?」 「ああー。もうだめだ、耐えられない。フ、フレイヤ様。失礼を承知で言わせてもらいますが、フリードの顔をしてフリードの声でその口調ってそれ……ぶふぅっ! だめだこれもう限界! ぶゎははははは!!」 「はぁ。どうやらまた黄金像に戻りたいようね」 「ぷっ、くくくくく! 無理、無理っ! フリードがっ! オネエ口調!!」 「ぐぬぬ。帰ったら覚えておきなさいよ」 気を取り直して、いや笑い転げるヒルデが非常に気になっているが、とにかく私はミストを見つけるためにグングニルの槍をぐっと握りしめた。 そして鬱憤を晴らすかのように、それを空に向かって投げた。 「グングニルよ! ミストに向かって飛べ!」 放物線を描いて空中に投げ出されたグングニルは、空中で一瞬静止した後にくるりとその向きを変えると、一点に狙いを定めて一直線に飛び出した。 グングニルの槍は迷うことなくヒルデの尻に刺さった。 「ぬがぁぁぁーっ!! フ、フレイヤ様、それはあんまりじゃないですかぁ」 「あら、おかしいわねぇ。無意識にヒルデを狙ってしまったのかも。グングニルの槍って持ち主の心に正直なのね」 「うう、でもわたしはフレイヤ様のそんなところも大好きだ……」 「…………さ、さーて。こんどこそミストに向かって、飛んでいけ!」 再び投げられた槍は、空中で向きを変えるとある一点をぴたりと指し示した。 グングニルはバルハラ城のほうにその先端を向けている。 「城の中だと。まさかミストはすでに敵に捕まっているのでは」 「いいえ、それは考えにくいわね。悔しいけれど、向こうには私たちを簡単に殺してしまえるほどの力がある。人質を取る理由はないから、もし捕まったのならもう殺されてしまっているでしょうし、だとすればグングニルは反応しないはずね」 「ふむ。ということは?」 「あの子は無事よ。さあ、グングニルを追いましょう」 狙いを定めたグングニルは眩く輝く。そしてそれは光のような速度で標的めがけて瞬時に飛び去った。 ……って速っ!! 追えるか、あんなの! 「わああ、戻れ戻れ!」 俺は慌てて槍を手元に呼び戻した。 やれやれ、こんなに速いんじゃ目で追うことすらできない……ん? 「えっ『俺』? どうして急に私、俺だなんて……。いや、でも俺は俺だし」 何か奇妙な感じがする。何かがおかしい。 一体なんだ、この違和感は。 「あの、どうかなさったんですか」 いきなり妙なことを言い始めた私をレギンは不思議そうな顔で見ている。 「ああ、いや。なんでもねえ……いえ、やっぱり何か変ね」 「大丈夫ですか、フレイヤ様」 「大丈夫だ、問題ない。それよりも今はミストを見つけてやらないと」 「???」 グングニルが飛ぶ速度は速すぎて、とても後を終えるようなものではなかった。 前に俺がレギンと戦ったときにはここまで速く飛んでこなかったと思うのだが、もしかすると私がグングニルを投げたからこうなったのかもしれない。 つまり速度は槍を投げる者の魔力に左右される可能性だ。私はレギンよりも魔力が強いからそのせいで……あれ? 俺は魔法はからっきしだったはずなんだが。 「ちょ、ちょっと待て。私はレギンと戦ったことなんてない。それなのに一体なんなのこの記憶は?」 フリードの身体を操作しているから俺の記憶が強く流れ込んできたのだろうか。 あれ。俺の記憶なのに、それが流れ込んでくるっていうのはおかしくないか。 だって私は……え? えええええ? 「ま、待てよ。私は誰? フリードとは自分の名前だ。だけど俺はフレイヤだったような気もする。幼い頃からこの城で暮らしてきたこの記憶は本物だし……」 「フレイヤ様? 本当に大丈夫ですか」 「あ、ああ。ごめんなさい。本当になんでもないから」 余計な心配をされるのは俺の性に合わないので黙っておくことにした。 それにしてもまるで俺がフレイヤで私がフリードになったような違和感。 この現象、もしかしたら……。 Chapter64 END 魔法戦争65
https://w.atwiki.jp/tpc-document/pages/106.html
合作作品(イグリス、パラD、たまごっつ、ゼリー) キャラクター原案:イグリス 進行状況 本編:未完終了 → 仕切り直し【フローティア3『魔法戦争』】 挿絵:未定 概要:魔法が支配する天上の世界。人と竜、それぞれの思惑が交錯する戦いの物語 本編 ChapterⅠ 「旅の始まり」 担当:イグリス 挿絵: ChapterⅡ 「掲げるは破邪顕正」 担当:パラD 挿絵: ChapterⅢ 「思惑と策略」 担当:たまごっつ 挿絵: ChapterⅣ 「それぞれの思惑」 担当:ゼリー 挿絵: ChapterⅤ 「竜との出会い、祖国との別れ」 担当:イグリス 挿絵: ChapterⅥ 「虚無の力」 担当:パラD 挿絵: ChapterⅦ 「竜の戦い、人の戦い」 担当:たまごっつ 挿絵: ChapterⅧ 「王の血筋、国の意向」 担当:ゼリー 挿絵: ChapterⅨ 「嵐の後、次なる目標」 担当:イグリス 挿絵: ChapterⅩ 「蒼き娘、蒼き伝説の勇者」 担当:パラD 挿絵: ChapterXI 「神と呼ばれる竜」 担当:たまごっつ 挿絵: ChapterXII 「水と導き手の蒼」 担当:ゼリー 挿絵: ChapterXIII 「そして時の歯車は回る」 担当:イグリス 挿絵: ChapterXIV 「古のダークレイス」 担当:パラD 挿絵: ChapterXV 「大いなる出会い」 担当:たまごっつ 挿絵: ChapterXVI 「フレイの真実」 担当:ゼリー 挿絵: ChapterXVII 「」? 担当:イグリス 挿絵: 以下予定 外伝2 資料庫 member only. 外伝 -彼らの日常- AnotherⅠ 「ユミルの騎士兄弟」 執筆:イグリス AnotherⅡ 「彼女たちの願い」 執筆:ゼリー AnotherⅢ 「」? 執筆:
https://w.atwiki.jp/tpc-document/pages/339.html
Chapter59「フリード遠征5:作戦を立てたらえらいことになった」 一度アルヴへと戻った俺たちはグリンブルスティの前に集まって、フレイヤ王女がトロウから受け取ったメッセージについて仲間に相談した。 トロウは次のような内容の言葉を念波(テレパシー)を通じて送ってきた。 『フレイの居場所がわかった。作戦を次の段階に移すのでバルハラへと戻れ』 今はファフニールがスパイとしてトロウの懐へと潜入しているらしい。 フレイの居場所が知られたのは、ファフニールが疑われないようにするためにやむなく提供した情報のひとつだった。 アルヴにフレイがいる、という情報こそ知られてしまったが、アルヴの位置は神竜アルバスの結界によって絶対に特定されることはないので心配はないという。 しかし一方で、最近アルヴに住みつき始めたグリムという機械技師を名乗る男。 彼はどうやってか知らないが、このアルヴの位置を特定してずっと観察していたという話も聞いた。つまりアルバスの結界も絶対とは言い切れなくなってきた。 本当にこのままで大丈夫なのだろうか。 「それにフレイヤ王女は一度バルハラへ戻れと言われているんだ。今やバルハラ城は敵の巣窟。そんな危険なところへ王女さまを向かわせられるかよ」 作戦のために城へ戻れと連絡してきたということは、おそらくトロウはまだフレイヤ王女の洗脳が解けたことを知らないのだろう。 しかし連絡を無視して城へ戻らなければ、洗脳が解けたことがすぐにわかってしまう。そうなるとフレイヤ王女の身にも危険が及ぶことになるだろう。 トロウが裏切り者にどんな制裁を加えるかは、ヴァルトの前例があるのでよくわかっている。そんな危険な目にフレイヤ王女を遭わせるわけにはいかない。なんたって俺は勇者だからだ。勇者とはすべての女性の味方なのだ。 「たしかに姉上をみすみす危険にさらすわけにはいかない。一体どうしたら……。くそっ、こうなったら先手を打ってバルハラ城に攻め込むか」 焦りを見せるフレイに対して、オットーはなだめるように答えた。 「落ち着いてください、フレイ様。今の我々だけの戦力で敵の本拠地に正面から挑んだところで勝ち目はありません。ましてや王子は病み上がりだ。今は無理をするべきではありません」 「だからといってこのままにしてはおけない! オットーだって姉上のことが心配だろう。いや、オットーだからこそ、誰よりも心配なはずだろ!?」 「そ、それはもちろんですが……だからといって勝ち目のない戦いをすべきではないと俺は言っているんです。少し冷静になってください」 「……すまない。どうやらまだ熱が下がり切っていないようだね。それにしても、本当にどうしたものだろうか。誰か、何かいい案はないかな」 問題となっているのは、フレイヤ王女の洗脳が解けたという事実をトロウが知らないということ。そしてそれがトロウに知られるとフレイヤ王女の身に危険が及ぶということだ。 つまり必要なのは、なんとかしてフレイヤ王女はまだ洗脳下にあるとトロウに思い込ませることだ。と、言うのは簡単だが、実行するのは非常に難しい。 「それじゃあ、まだ操られてるふりをして一度トロウに会いに行ったらいいんじゃないっすか? それでトロウを納得させられたのなら万事オッケーっすよ」 セッテがそう提案したが、それでは結局フレイヤ王女はトロウに直接会いに行く必要ができてしまい、彼女を危険から守る方法を考えているのに、これでは本末転倒ではないか。 案の定フレイやオットー、そしてヒルデも一緒になってこれに反対した。 「それだけはだめだ。危険すぎる」 「セッテ、もっとよく考えろ。それでもし失敗したら大変なことになるだろう」 「おまえは馬鹿か。フレイヤ様を最前線に立たせるとはなんて恐れ多いことを」 「……うう。おれはちょっと思いついたことを言ってみただけなのに、そんなよってたかって、みんなでフルボッコにすることないじゃないっすかぁ~」 しかしクルスだけは真面目な顔で、悪くない作戦なんじゃないかと答えた。 「クルス!? 本気で言っているのか」 「ならば聞くが、お主らは他にいい方法を何かひとつでも思いつけるのか? いっそのこと直接トロウに会って、まだフレイヤは洗脳されたままであると見せつけてやるのが最も手っ取り早いと思うんじゃがのう」 「だからそれが一番危険だと僕たちは言ってるんじゃないか」 「無論、フレイヤ本人を行かせるとは言っていない。たしかフレイヤ、お主は変身魔法に長けているのであったな。それなら私にいい考えがある」 クルスが提案した作戦はこうだった。 フレイヤの得意とする変性魔法を使って誰かをフレイヤそっくりに変身させる。変身させる対象は、いざというときに対処できるように戦いに優れている者が相応しい。 もちろん姿を変えただけでは、フレイヤしか知らない情報や記憶について聞かれた場合にボロが出る。 そこでフレイヤの意識だけを魔法でその者に憑依させるのだという。 「そんなことが可能なのか?」 「フレイヤに変身した者の脳内に一時的にふたつの意識が同居することになる。これで脳内で二人がいつでも会話可能になる。会話の受け答えについてはフレイヤが助言を出せばよい。いざとなれば、いつでも魔法を解除してフレイヤの意識だけはすぐにこっちに戻ってくることができる」 「なるほど……。しかしそんな回りくどいことをしなくても、姉上がここからテレパシーを送って助言したほうが負担が少ないのでは?」 「それだとあちら側の状況がわからん。それでは助言のしようがないじゃろう」 「た、たしかに……」 しかしそうなると次には、誰がフレイヤに変身するのか、ということが問題になってくる。万が一失敗したときに最低限自分の身は自分で守れて、かつ敵の本拠地から脱出できるほどの実力を兼ね備えた者。 果たしてそんなすごいやつが俺たちの仲間にいただろうか。 最初に名乗りを上げたのはクエリアのお譲ちゃんだった。 「なんだなんだ、みんなして難しそうな顔しやがって。よーし、ここは私に任せておけ! なんたって私はニヴルの第二王女なんだからな! こう見えてもけっこうすごいんだからな! 私の超絶ミラクルパワーを見せるときが来たようだな」 自信満々に言ってのけるその顔をみて、その場の全員がため息をついた。 「お主ではまず無理じゃな。お主ではそもそもフレイヤ王女を演じることは無理そうに見える。それに奇跡頼みのミラクルパワーでは心もとないのう」 「なっ。ちょ、ちょっと言い間違えただけだ。えーっと、そうだ。超絶ウルトラパワーの間違いだった。それに私だって立派な王女さまなんだぞ。王女が王女に化けるんだから、これほどぴったりな役者は他にいないだろう」 「まずお主は、王族としての品格が足りんわ。それにやたらとパワーを強調してくるが、これは戦いにいく作戦ではない。失敗前提ではとても任せられんのう」 「ぐ、ぐぬぬ……。くそーっ! そこまでいうなら、もう私は知らないぞ。頼まれたってもうフレイヤ役はやってやんないもんね。後悔してももう遅いぞ」 完全にへそを曲げたクエリアは、頭から湯気を噴出しながらグリンブルスティの中へ入っていった。おそらくプラッシュに作ってもらったという秘密の隠れ家にでもこもってふて腐れるつもりなんだろう。 例によってフィンブルがおろおろしながら、その後を追いかけていった。 そういえばプラッシュは見た目こそピンクの少女だが、その中身は長きを生きる魔女だと聞いた。魔法の実力もここにいる仲間たちの中ではトップクラスに違いない。ならばプラッシュがフレイヤ王女に成りすますのはどうか、と俺は提案してみた。 しかしプラッシュは首を横に振った。 「私じゃだめよ。自慢するつもりじゃないけど、私じゃ魔力が強すぎるもの。そこにさらにフレイヤちゃんの意識を憑依させるんでしょう? そうなるとますます感じられる魔力が強くなってしまう。急に戻ってきたフレイヤちゃんの魔力が以前よりも飛躍的に高まっていたら、さすがにトロウちゃんも怪しいと思うはずだわ」 「そういうもんなのか?」 魔法はからっきしで、魔力を感じ取るという概念がそもそも俺にはさっぱりわからなかったが、その場にいる者たちは誰もが納得したような表情をしていた。 「そうね……。意識を憑依させてフレイヤちゃんの魔力が気配として上乗せされてしまうわけだから、フレイヤちゃんに変身させる素体はできるだけ魔力が低いほうが相応しいわね。なおかつ、戦いに優れていて自分の身は自分で守れる程度の実力を兼ね備えた者というと……」 プラッシュがじっとこちらを見つめている。 …………え? まさか、俺が? 「お、おいおい。ちょっと待てよ。俺は男だぜ。フレイヤ王女に変身したって、絶対にフレイヤ王女を演じることなんてできないぜ」 「あら、そうかしら。あなたなら魔法に頼らない戦い方をするし、傭兵として数々の修羅場はくぐってそうだし、ぴったりだと思ったのだけど」 「それを言うならクエリアと同じだぜ。失敗する前提じゃ作戦として成り立たないじゃないか。そうだろ?」 「でもクエリアちゃんはまだ子どもだから、っていうのもあるし。フレイヤちゃんが横から助言するのだからたぶん大丈夫でしょ。彼女の助言に従って、一字一句違わずに同じことをしゃべればいいだけよ」 「だ、だからってなぁ。女性的なしぐさとか立ち振る舞いとか……そういうあたりが俺にはさっぱりなんだぜ。絶対にバレるに決まってる」 「ふぅん。本当にそうかしら」 プラッシュが合図するとシャノワールが駆け寄ってきて、俺の顔をじっと見つめ始めた。すると突然、なぜかよくわからないが、奇妙な感覚が湧き上がってきた。 魂を鷲づかみにされてゆさぶられているような、浮ついたような胸焼けにも少し似たこの感覚は一体。 まるで乗り物酔いにでもなったかのような嘔吐感がこみ上げて来る。 うう、やばい。もうそこまで上がってきてる……。 『なるほどね。よーくわかったよ』 そう言ってシャノワールが視線を逸らすと、ようやく謎の不快感から意識が解放された。この黒猫め、一体何をやっていたんだ。 『ミーの特技はテレパシーなのは知ってるよね。これを応用してやれば、相手の記憶や心の中を無理やり読み取ることだってできちゃうんだよね』 「なんてこった。プライバシーの欠片もないな」 『ユーの心を読ませてもらった。フリード、ユーは女性が大好きだな』 「そりゃ、男なら誰だってそーだろ」 『そうかもしれないけど、ユーのはなかなか特別で面白かった。フリードの心の中には理想の女性像というものが存在している。それもかなり細部までこだわった、はっきりとしたビジョンがね。非常に強いあこがれがそこに注がれている』 「だからなんだよ。それが俺の好みのタイプってやつだよ。理想の女性にあこがれをもって何が悪い」 『こんなに強い想いを持った者をミーは見たことがなかった。ここまで明確なビジョンが心の内にあるのなら、ユーはきっと女性を完璧に演じこなせるはずだ。だってその知識はすべて完璧にユーの脳内にそろっているんだからね』 「なにィ!? なんでそうなっちまうんだよ!」 たしかに理想のお姉さんというものは俺の心の中に存在している。 しかし、その理想はあくまで相対する女性として理想に思い描くものなのであって、その理想を俺が演じるとかそういうのはまた違うわけで。 そもそも俺がお姉さんにあこがれるのは、当然ながら俺が男であるからだ。それをもし俺が女に変身したとして、その理想のお姉さんを演じるとなればどうだ。 つまり俺は俺自身に恋をするということになるのか? いくら外見が理想の女性の姿をしていたとしても、その中身が俺自身なのだとしたら、俺は一体そのときどんな反応をすればいいというのだ。ああもう、わけがわからん。 『ほらほら、余計なことぐちゃぐちゃ考えてないでさ。さっさとなっちゃいなよ。女体化って古今東西あらゆる男の垂涎のシチュエーションなんでしょ』 勝手に全員がそうだと決めつけるんじゃない。あと勝手に俺の心を読むな。 「まったく冗談きついぜ。俺みたいなガサツな男がフレイヤ王女を演じるなんて、どう考えたってあり得ないんだよ。みんなもそう思うだろ?」 一人でも俺の意見に賛同してくれることを期待してそう聞いたのだが、いざそういう事態に直面した本人以外はけっこう冷静なものだ。 状況から判断して仲間が出した結論は、プラッシュと同じだった。 「たしかにフリードが適任だと思う。魔法を使わないから魔力もないし」 「ほんとフリードって全然魔力ないっすよね。ここまですっからかんな人っていうのもちょっと珍しいぐらいっす。あ、別に悪口のつもりじゃないっすからね」 「剣の腕も立つしのう。敵の攻撃をひらりとかわして隙を突くお主の戦い方は、私も評価している。どんな強力な攻撃も、当たらなければどうということはない」 「それに精神を同居させると聞いて心配していたが、フリード殿ならフレイヤ様をお任せしても大丈夫だな。フリード殿はお嬢ちゃんが本命のようだからな」 ちょっと待ておまえら。 とくにオットー。俺はロリコンじゃない。 「ふん。貴様がフレイア様を演じるだと? ……うおおお! わ、私はどうしたらいいんだ。フレイヤ様は好きだし、あの男のこともちょっと気になるし、それが一緒になってやってくるなんて、複雑だが悪い気はしない。なぜだ!!」 「そういう作戦なのであれば、わたしに異論はない」 「わーい、お兄さんがお姉様だ。ヘンなの~」 ヴァルキュリアの面々も好き勝手なことを言ってくれている。 おまえたち、もうちょっと拒否反応を示してくれもいいんだぞ。 仮にも自分たちの隊長の中身が俺みたいなのだったら、もっと言うもんだろ。そんなのは私たちの隊長じゃないとかなんとか。 結局、俺を除いての全会一致で、俺がフレイヤ様に変身してバルハラ城に乗り込むことに決まったらしい。 どうしてこうなった!! 「うふふ。こんなにもがたいの良いフリードちゃんが、しなやかでスリムなフレイヤちゃんの姿になっちゃうなんて……。ああ、いいわねぇ。そそるわぁ」 『楽しみだね、ご主人サマ! こいつの意識が身体に影響されてどうやって変化していくのかがすッごく楽しみだ。もう待ちきれない。はやくやっちゃおうよ』 一番危ないのはこいつらだ。魔女というか、もうただの変態だ。 「それじゃあフレイヤちゃん、お願いするわね。うふ、うふふふ……。ああもうだめね、私ったら。もうにやにやが止まらない! すごく興奮してきたわ!」 「…………えっと。それではフリード、すみませんがそういう作戦に決まったようなので、よろしくお願いしますね。覚悟はよろしいですか?」 苦笑しながらフレイヤ王女がやってきて、その手をこちらへとかざす。 ああもう、こうなったら俺も男だ。覚悟は決めた。 煮るなり焼くなり好きにするがいい。 「かまわん。やれ」 半ばやけっぱちになりながらそう答えると、フレイヤ王女はさっそく呪文を唱え始めるのだった。 Chapter59 END 魔法戦争60