約 3,227,558 件
https://w.atwiki.jp/ml-story/
このwikiについて 2020年4月6日にミリシタのストーリーをまとめる為、個人的に開設しました。 それぞれのストーリーの簡単なあらすじや、誰がどのコミュに登場したかをまとめています。 現在、初期からのメインコミュ及びイベントコミュを中心に編集作業を行っています。 基本的にテキスト関係の画像化は少なめで、検索する際に見つけやすくする為に 1つ1つ打ち込みでまとめています。その為、誤字や脱字を発見した際は 管理人にご報告して頂ければ非常に助かります。 wikiの使い方について スマホからなら下側の、パソコンからなら左側に表示されている 記事メニューから気になる項目を選択して下さい。 現在の更新範囲(2023年2月16日現在) メインコミュ:第106話まで イベントコミュ:想い出はクリアスカイ(Cleasky)まで カウントダウン ミリオン10th Act-1まであと37日 ミリシタ6周年まであと104日 アイマス18周年まであと131日 ミリアニ劇場先行上映 第1幕まであと154日 ミリアニ放送まであと198日ぐらい ミリオン11周年まであと347日
https://w.atwiki.jp/smorkingsmorking/pages/91.html
去年暇つぶしに書いた読書感想文をそのまま貼る。 筆者概要 遠藤周作(えんどう しゅうさく)1923-1996 小説家・エッセイスト、文芸評論家。「第三の新人」の一人。 キリスト教を主題にした作品を多く執筆。代表作は「沈黙」 1955年発表の「白い人」で芥川賞。脚光を浴びる。 神学教育を受けておらず、そのキリスト教理解も正統とは言い難いものであるが、日本のキリスト教を代表する人物とされている。 そのテーマは「日本人でありながらキリスト教徒である矛盾」 根底にある日本人像は「現世利益的」、またエディプス。コンプレックスも根底にあったとされる。 本書について。 1966年執筆・新潮社より出版。第二回谷崎潤一郎賞受賞。 17世紀の日本の史実・歴史文書に基づいて創作された。 江戸時代初期のキリシタン弾圧の渦中に置かれたポルトガル人司祭を通じて、神と信仰の意義を描く。 「弱者の神」「同伴者イエス」という、後の遠藤作品の主題が現れた。 戦後日本文学の代表作として高く評価され、またキリスト教文学としての評価は海外でも高い。 その一方でカトリックからの反発も非常に強いものがあった。 1971年映画化。 感想 本書はイエズス会教父、クリストヴァン・フェライラが日本において棄教したとの知らせがローマ教会に届いたことから始まる。 この信じがたい知らせを受け、ポルトガルにおいて、フェライラ教父の教え子であった3人の若い司祭が、その真相を目にするべく、日本への潜伏布教を計画する。 その一人が、本書の主人公であるセバスチャン・ロドリゴである。 本書では、彼ロドリゴが日本に渡り、隠れキリシタンの部落に潜伏し、やがて捕らえられ、棄教に至るまでが描かれる。 本書の骨組みは、「ロドリゴが自らの弱さに気づく」ことであろう。 日本に渡ろうとするロドリゴ、キリシタンの部落に潜伏するロドリゴは信仰に燃える人物である。この時点での彼は「強い人間」である。 いや、「自らを強いと思っている人間」であるという方が正確であろう。彼はその後、自らが「弱い人間」と見定めるキチジローと出会い、彼を軽蔑し続ける。 しかしやがてロドリゴが捕らえられ、最後には棄教に至る。その時彼は自分もキチジローとなんら変わりないこと、自分が「弱い人間」であることを悟るのである。 「それらすべてを私は認めます。もう自分の全ての弱さをかくしはせぬ。あのキチジローと私とにどれだけの違いがあると言うのでしょう」(p243) この点で疑問を挟むものはいまい。 またここで改めて提示されるのが「弱者の神」「同伴者イエス」というキリスト教観である。 「だがそれよりも私は聖職者たちが教会で教えている神と私の主は別なものだと知っている」(p243) これは当然、それまで彼の思案を前提にしている。それを端的に表すのが、 「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ」(p219) という本書を代表する有名な一節である。つまるところ、カトリックの神を「(信仰を守り、殉教できる)強者の神」として「弱者の神」に対比させているのである。 この点でも疑問を挟むものはいまい。 しかし私にとって重要なのは「ロドリゴが自らの弱さに気づく」ことでも「弱者の神」「同伴者イエス」でもなかった。 棄教したロドリゴの元にキチジローが現れ、告悔を求めるシーン。ここでのロドリゴの言葉、 「強い者も弱い者もないのだ。強い者より弱い者が苦しまなかったと誰が断言できよう」(p241) そしてこの言葉を受けたキチジローは怒っていた。 これが妙に引っかかるのである。 この引っ掛かりを整理すると、一つは「何故キチジローは怒ったのか」、もう一つは「強い者と弱い者の違いは一体どこにあるのか」である。 「何故キチジローは怒ったのか」これについてはネット検索をかけると、この後の一節 「この国にはもう、お前の告悔を聞くパードレがいないなら、この私が唱えよう。全ての告悔の終りに言う祈りを ……安心して行きなさい」(p241) この言葉によるという説があった。「キチジローは同じ「踏み絵を踏んだ者」としてのロドリゴに赦しを乞うたのであって、司祭に赦しを乞うたのではなかった。故にキチジローは、ロドリゴのこの言葉を「司祭」としての赦しとして捉え、失望し、怒ったのである」という説。 また「この祈りが形式的な、義務感から生じたものに感じ、失望し、怒ったのである」という説もある。 私にはこれらの説は不十分なものに思える。ロドリゴが「司祭として」赦すこと、「義務感から」祈ること。これだけでは失望、怒るほどの失望には足りないはずである。 我々が誰かに失望するのは、誰かが我々の期待に反したときである。期待の度合いが大きければ大きいほど、深刻であれば深刻であるほど、失望の度合いは高まる。 ここでキチジローが期待しているのは、ロドリゴに「告悔をきく力」があること(p239)である。ここでの「告悔をきく力」は、ロドリゴが「踏み絵を踏んだ者」であることであることに由来するのだろう。その意味で私は上記の説に同意する。 しかし、キチジローが、ロドリゴが「司祭として」赦すこと、「形式的に」祈ることをもって「告悔をきく力」が無いと判断することは不可能なはずである。 ロドリゴは、赦し、祈る前に、自らの「告悔をきく力」を心中で否定しており、キチジローにも「どうかな」と弱い形で否定の意志を伝えている。ロドリゴは「自らの「告悔をきく力」を信じていない」ことを示しているのである。 この上で考えれば、キチジローは「司祭として」赦すこと、「形式的に」祈ることをもって「ロドリゴが自らの「告悔をきく力」を信じていない」とは判断できても、「ロドリゴに「告悔をきく力」がない」と判断することはできないし、しないだろう。キチジローは「弱い者」として描かれてはいるが「短絡的な者」としては描かれていない。そして「ロドリゴが自らの「告悔をきく力」を信じていない」という程度の失望では、キチジローが怒るには足りないだろう。キチジローはなんとかしてロドリゴに信じさせようとするはずである。では何故キチジローは「ロドリゴに「告悔をきく力」がない」と判断したのだろうか。 それこそが「強い者も弱い者もないのだ。強い者より弱い者が苦しまなかったと誰が断言できよう」(p241)という言葉であったと私は考えている。 神の救いにおける、強い者と弱い者の区別の否定。この時点で、ロドリゴは、自らが「弱い者」であることを認めながらも、キチジローとは異なることを名言したのである。 キチジローは「弱い者」である。ロドリゴも「弱い者」である。しかしキチジローは「弱者の神」を知らないが、ロドリゴは知っている。 「救われる」という観念を持つロドリゴと「救われない」という観念を持つキチジロー。ここには相対的な「強き者」と「弱き者」が現れている。 キチジローは日本人である。本書で述べられているように、カトリックの神と、キチジロー(日本人)の神は異なる。 ロドリゴは、全ての者の救いを説いたが、キチジローが求めていたのは「弱き者」であることの共有だったのではないか。 キチジローはロドリゴが「弱き者」であることが「告悔をきく力」だと考えていたのではないか。 ここでもう一つの引っ掛かりに移ろう、強い者と弱い者の違いは一体どこにあるのかということである。 本書から言えば、強き者とは、信仰を守りきれる者、殉教者であり、弱き者とは、信仰を捨ててしまう者である。 しかし私は、既に述べていることからもわかるように、別の線引が必要だと考えている。 つまりは「救いを信じる者」が強い者であり、「救いを信じられない者」が弱い者である。 この意味で、ロドリゴは「強い者」のままである。キチジローこそが、真に「弱い者」である。 本書の通常の読み方は、真に「弱い者」を見落としているようにしか私には思われない。 これまで理解されているような、遠藤の「弱者の神」はキチジローを救えないだろう。 (2018/04/16)
https://w.atwiki.jp/imasss/pages/2777.html
【ミリシタSS】歌織さんは言わせたい 執筆開始日時 2018/02/26 元スレURL http //ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1519590971/ 概要 歌織さんメインのミリシタアダルト四人組の話です。 ~とある居酒屋にて~ 莉緒「それでね、たまに物凄い小さいおばあちゃんっているじゃない、そういう人を見かけるたびにそれでプロデューサーくんったら"いつかこのみさんもああなるのかな…"なんていうから笑ちゃって!」 このみ「あんのバカプロデューサー…!明日会ったら鳩尾に正拳突きね…!ってコラ!風花ちゃん笑いすぎっ!」 タグ ^百瀬莉緒 ^馬場このみ ^豊川風花 ^桜守歌織 まとめサイト アイマスSSまとめサイト 456P あやめ2nd えすえすゲー速報 えすえすログ エレファント速報 おかしくねーしSSまとめ プロデューサーさんっ!SSですよ、SS! ポチッとSS!! SSまとめ SS宝庫~みんなの暇つぶし~ SSびより SSまとめプラス SS★STATION SS2chLog YomiCom wiki内他頁検索用 Pドル いちゃコメ シアターデイズ ミリオンライブ 桜守歌織 百瀬莉緒 豊川風花 馬場このみ
https://w.atwiki.jp/catan/pages/137.html
- 酔いどれカタンは負けカタン あまり覚えていない… ダイスの出目が悪く、なすすべも無くふぇりあんさんに負けたような。酔いを押して参加したものの、すーぱーふぇりあんさんの境地にはまだ程遠いようです。 【報告者:あるべると】 戻る コメント 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/574.html
ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 1-13 当時の日本人は従軍慰安婦の存在を知っていたのか… 1-13 当時の日本人は従軍慰安婦の存在を知っていたのか…コメント欄 当時の日本人というのが兵隊にとられ戦場へもっていかれた者以外の日本内地にいた人たち、つまり一般国民のことだとすれば知らなかったといっていい。召集され戦地にいき従軍慰安婦を買った男たち、いいかえれば兵隊たちがそのことを口にしなかったからでもあったが、それよりなにより当時の日本軍は自らを皇軍と自称していた。皇軍とは天皇陛下を最高統率者とあおぐ天皇の軍隊ということだ。 また、"満州事変"につづく"支那事変""大東亜戦争"を聖戦(せいせん)、天皇陛下の御稜威(みいつ)24)を広げるための戦争と教えこまれていたから、その聖戦に出陣する皇軍がそんな「戦場売春婦」をともなって戦場へおもむいていたなど考えもしなかった。まして軍が自ら管理する売春屋である慰安所なるものまでともなっていたなど思いもしなかった。 知らないといえば一九三七年(S12)十二月十三日から始まった南京大虐殺のことも知らなかった。軍が絶対の軍事機密にし報道を禁止していたからだ。一部の外国通信社の特派員がそのことを記事にし本国へ送っていたが、検閲がきびしいなかそれを転載する日本の新聞もなかった。 さらに日本軍とともに戦場におもむいた日本の新聞記者たちのなかにそれを目撃した者もいたがそのことを記事にしなかった。報道されたのは南京攻略を喜ぶ天皇の牟言葉25)と、それをうけ東京では宮城(きゆうじよう=今の皇居)前広場に市民が集まり「万歳万歳」を叫びまくったが、それを写真付きで大報道するものだけだった。 南京大虐殺事件につづき華北地域で「焼きつくす殺しつくす奪いつくす」いわゆる「三光(さんこう)作戦26)」を日本軍は展開していたが、そのことも一行とて記事になったことはなかった。記事にされるのは皇軍がいかに勇猛果敢(ゆうもうかかん)に戦っているかのものだけだった。そんなことで皇軍の恥部である慰安所の「慰」の字も「従軍慰安婦」の「従」の字も従軍慰安婦の大半以上が朝鮮人女性でどのようにして彼女らが戦地へ連行されたかも報じられるということはなかった。 もっというと戦後も長く従軍慰安婦のことが文字に書かれたこともなかった。 24) 御稜威(みいつ) 神、天皇などの尊厳な威光を指す"稜威(いつ)"の尊敬語。 25)中支那方面の陸軍部隊に賜わりたる御言葉 (一九三七年十二月十四日) 中支那方面ノ陸海軍諸部隊カ上海附近ノ作戦ニ引続キ勇猛果敢ナル追撃ヲ行ヒ速(スミヤカ)ニ首都南京ヲ陥(オトシイ)レタルコトハ深ク満足ニ思フ此旨(コノムネ)將兵二申伝ヘヨ 26) 三光作戦(さんこうさくせん) 中国人民等の強い抵抗にあい戦局が思うようにはかどらなかった日本軍が行なった破壊、殺戮作戦。 三光とは焼きつくす(焼光)、殺しつくす(殺光)、奪いつくす(槍光)こと。 このような残忍な行為を可能にしたのは、戦局の停滞という理由の他、明治以来の日本政府による中国、朝鮮人蔑視政策も影響している。 FAQ目次 コメント欄 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/sengoku-taisen/pages/3490.html
武将名 ガラシャ Rガラシャ 明智光秀の娘で、細川忠興の正室。容姿端麗かつ敬虔なキリシタンで知られている。関ヶ原の戦いでは大阪の細川屋敷に居る所を石田軍に包囲され、人質になるよう勧告される。ガラシャはこれを良しとせず、屋敷に火を放ち生涯を終えた。「すべてを赦し、旅立ちましょう。      今、神の御許へ……」 出身地 越前国 コスト 1.0 兵種 鉄砲隊 能力 武力3 統率4 特技 防柵 魅力 忠誠 計略 殉教の聖女? 範囲内の最も武力の高い味方の統率力が上がり、敵を撤退させると対象の味方の忠誠度が上がるようになる。ただし自身は撤退する。 必要士気2 Illustration 晩杯あきら? Ver2.1以降の追加となる2枚目のRガラシャ。 1コストの武断派で3/4、豊富な特技を備えた破格の武将カード。 但し、忠誠度0になると戦力にならないので他の忠誠度が上がるカードとうまく組み合わせて使っていきたい。 計略は効果範囲の味方の統率力を+4し、自身は撤退する計略。効果時間内に対象の味方が敵を撃破すると忠誠ゲージが約50%回復する。 効果時間は忠誠切れ前の統率で約7.1c。統率依存は約0.2c。(3.20B)
https://w.atwiki.jp/sengoku_muramasa/pages/2084.html
[部分編集] 艶 結城忠正 ハイレア #ref error :ご指定のページがありません。ページ名を確認して再度指定してください。 必要兵力 20 Lv1 攻 防 知 LvMAX 攻 防 知 スキル [必勝之太刀【雷】] Lv1/5 敵単体の攻防ダウン 武芸者計略 攻撃力アップ【発動率 高】 売却価格 両 コメント 「にゃっふー、アンリケとーうじょーう!!」元三好長慶の家臣で松永久秀に与するキリシタン武将。柳生の剣を駆使し能筆で知られ、降霊術、天文学に通暁したとフロイスは記している。 台詞 「ち、違うんだ!!霊が……霊の仕業だ!!」 図鑑 備考 永禄の変ガチャ限定 ↓進化↓ [部分編集] 艶 結城忠正 ハイレア #ref error :ご指定のページがありません。ページ名を確認して再度指定してください。拡大画像 必要兵力 20 Lv1 攻 防 知 LvMAX 攻 防 知 スキル [必勝之太刀【雷】] Lv1/5 敵単体の攻防ダウン 武芸者計略 攻撃力アップ【発動率 高】 売却価格 両 コメント 「必勝!!すぱすぱ切りにゃっふーん!!」元三好長慶の家臣で松永久秀に与するキリシタン武将。柳生の剣を駆使し能筆で知られ、降霊術、天文学に通暁したとフロイスは記している。 台詞 「ちょ、馬鹿!!こんな恥ずかしい事を……」 図鑑 備考 ↓進化↓ [部分編集] 艶 結城忠正 ハイレア #ref error :ご指定のページがありません。ページ名を確認して再度指定してください。 必要兵力 20 Lv1 攻 防 知 LvMAX 攻 防 知 スキル [必勝之太刀【雷】] Lv1/5 敵単体の攻防ダウン 武芸者計略 攻撃力アップ【発動率 高】 売却価格 両 コメント 「アンリケと一緒に星を見るにゃっふー!!」元三好長慶の家臣で松永久秀に与するキリシタン武将。柳生の剣を駆使し能筆で知られ、降霊術、天文学に通暁したとフロイスは記している。 台詞 「そ、それには賛成だな、私も……」 図鑑 備考 ↓進化↓ [部分編集] 艶 [柳生大剣豪]結城忠正 ハイレア #ref error :ご指定のページがありません。ページ名を確認して再度指定してください。 必要兵力 20 Lv1 攻 防 知 LvMAX 攻 防 知 スキル [必勝之太刀【雷】] Lv1/5 敵単体の攻防ダウン 武芸者計略 攻撃力アップ【発動率 高】 売却価格 両 コメント 「て、抵抗は無駄ににゃっふーん!!」元三好長慶の家臣で松永久秀に与するキリシタン武将。柳生の剣を駆使し能筆で知られ、降霊術、天文学に通暁したとフロイスは記している。 台詞 「か、身体が……と、止め……てぇ」 図鑑 備考 コメント 名前
https://w.atwiki.jp/trinity_kristo/pages/227.html
聖書の言語は、ヘブライ語、アラム語、ギリシャ語の3つの言語で書かれている。 よく誤解されるが、聖書はラテン語で書かれたわけではない。ただし、外典にはラテン語で書かれたものも一部ある(後述)。 なお、イスラム教の正典クルアーンは、神(アッラー)がアラブ人に対し、アラビア語でもたらした「詠唱すべきもの(クルアーン)」とされている。 旧約聖書 旧約聖書は原則的にヘブライ語で記されている。しかし、ごくわずかの部分はアラム語である。 イスラエル民族はカナンの地(パレスチナ)に定着してからヘブライ語を使用したが、後にアラム語が使われるようになった。このアラム語はアッシリア、バビロニア、ペルシアで用いられていた。エズラ記のアラム語部分はペルシア王との間に交わされた手紙であるが民衆は理解できなかったことを示す記録が列王記18 26にある。 アラム語は次第にイスラエルに浸透するが、バビロニア捕囚はそれに大きな役割を果たしたと考えられる。ギリシア支配時代以降ヘブライ語は聖書その他の宗教文書に用いられ、一般にはアラム語が日常化していった。 文章として挿入された確実なアラム語 エレミヤ書10 11…この一節のみアラム語である。 ダニエル書2 4b–7 28…ダニエルとその仲間に関する5個の逸話がアラム語で書かれている。 エズラ書4 8–6 18 7 12–26…質問への返答書がアラム語で書かれている。 単語として挿入された確実なアラム語 創世記31 47…יגר שהדותא (Jegar-Sahadutha[エガル・サハドタ], 証しの小山) ここではラバンの言葉として用いられている。 文章として挿入された不確実なアラム語 ヨブ記36 2a…この部分はアラム語の可能性があるという。 単語として挿入された不確実なアラム語 創世記15 1…במחזה (ba-maħaze, 幻の中で) ヘブライ語では במראה (ba-mar’e) となることから、この単語はアラム語の可能性がある。 民数記23 10…רבע (rôḇa‘, 群体[stock] または 四分の一) この単語はアラム語の「塵」を意味している可能性がある。 詩編2 12…בר (bar) この単語はキリスト教ではアラム語の単語「息子」で訳される場合があり、נשקו-בר (nashəqū-bar)という言い回しでは「子に口づけせよ」となる。しかしユダヤ教ではヘブライ語の בר (純潔) と翻訳されることから、この部分では「純潔を抱擁せよ」となる。 旧約聖書第二正典 ヘレニズム文化の中心はエジプトのアレクサンドリアであったが、この地で翻訳された旧約聖書のギリシア語訳はコイネー・ギリシャ語であった。このギリシア語はヘレニズム時代に地中海世界で共通語となったコイネーと呼ばれるギリシア語で、古典ギリシア語とは異なるものである。ヘブライ語が読めなくなっていた各地のユダヤ人のためにヘブライ語からコイネーに訳されたのがセプトゥアギンタ(LXX,七十人訳)であり、新約聖書に引用されている旧約聖書はこの七十人訳によっている。 中でも旧約聖書外典は、七十人訳聖書には含まれているがマソラ本文には含まれていない書物である。そのうち、カトリックや正教会では正典として扱われるものを第二正典と呼ぶ。前述したようにギリシャ語で記されているが、オリジナルの言語は以下にように推定されている。 ヘブライ語原典が見つかっているもの シラ書 ヘブライ語から訳されたと推定されるもの ユディト記、マカバイ記1、バルク書、(エズラ記(ギリシャ語)) アラム語から訳されたと推定されるもの トビト記 ギリシャ語で書かれたと推定されるもの マカバイ記2、知恵の書、エレミヤの手紙、(マカバイ記3、マカバイ記4、マナセの祈り) なお、七十人訳には含まれておらず、いずれの宗派からも正典とはみなされていないが、ヴルガータに収録されるエズラ記(ラテン語)は、3-14章(第4エズラ記)がギリシャ語で書かれた後にラテン語に訳され、1-2章(第5エズラ記)および15-16章(第6エズラ記)は元々ラテン語で書かれたと考えられている。 新約聖書 新約聖書はギリシア語で記された。使徒たちによってキリスト教が伝えられていったのは、このコイネー・ギリシャ語の世界であったので、新約聖書はコイネー・ギリシア語で記されたのである。 しかし、イエス時代のパレスチナではアラム語が用いられていた。福音書記者はイエスの語られた言葉の中に、ごく少数ではあるがギリシャ語と並行して、イエスの言葉としてアラム語を保存している。また、パウロも書簡の一部でアラム語を用いている。 文章として挿入されたアラム語 Ταλιθὰ κούμ [κοῦμι]/Talitha kum [kumi] (טליתא קומי or טלתא קומי) 〔タリタ・クム, 娘よ、起きなさい〕(マルコ5 41) Ἐφφαθά/Ephphatha (אתפתח or אפתח) 〔エッファタ, 開け〕(マルコ7 34) Ἠλί, Ἠλί, λιμὰ σαβαχθανί/Eli, Eli, lema sabachthani (אלי אלי למה סואחטאני) 〔エリ・エリ・レマ・サバクタニ, 神よ、神よ、なぜ私をお見捨てになったですか〕(マルコ15 34)(マタイ27 46) Ἀββά[ς]/Abba (אבא) 〔アッバ, 父よ〕(マルコ14 36、ローマ8 15、ガラテヤ4 6) Ραββουνί/Rabbuni (רבוני) 〔ラボニ, 先生〕(ヨハネ20 16) Μαραναθά/Maranatha (מרנא תא) 〔マラナ・タ, 我らの主よ、来たまえ〕(1コリント16 22) 単語として挿入されたアラム語 Κορβάν/Korban(קרבנא)〔コルバン, 神への供え物/神殿の収入〕(マルコ7 11、マタイ27 6) Ὡσαννά/Hosanna(הושע נא)〔ホサナ, どうか救ってください〕(マルコ11 9、マタイ21 9 15、ヨハネ12 13) Ρακά/Raca(ריקא or ריקה)〔ラカ, ばか〕 (マタイ5 22) Μαμωνάς/Mammon(ממון)〔マンモン, 富〕(マタイ6 24) Σίκερα/Sikera〔シケラ, 恐らくヤシの実から作られた酒の名前〕(ルカ1 15) ギリシャ語だがアラム語を前提に考える用語 Ἰῶτα ἓν ἢ μία κεραία/one iota or one point〔イオタ、(ギリシャ文字のイオタ"ι"ではなく、ヘブライ文字のヨッド"י"を想定し)このような一点に過ぎない小さい文字や、あるいは一画までも〕(マタイ5 18) アラム語の表現を残すもの 主の祈りは元々はアラム語だったと推測されており、アラム語による復元版も作られている。 http //www.bible.or.jp/know/know07.html https //en.wikipedia.org/wiki/Language_of_Jesus http //www.v-a.com/bible/prayer.html http //religion.wikia.com/wiki/Aramaic_of_Jesus https //en.wikipedia.org/wiki/Biblical_Aramaic
https://w.atwiki.jp/sengoku-taisen/pages/2018.html
武将名 こにしゆきなが UC小西行長 堺の豪商の息子で、信者だった父の影響を受けてキリシタンとなる。宇喜多家に仕えた後に豊臣秀吉の家臣となった。舟奉行を任命され、水軍を率いた。九州征伐に功があり、肥後半国を与えられるが、隣国を支配する加藤清正とは仲が悪く、諍いが絶えなかった。「強き者が真の武士。     そうでありましょう?」 出身地 播磨国 コスト 1.5 兵種 弓足軽 能力 武力5 統率6 特技 制圧 豊国 計略 日輪の痺矢弓術 【日輪:3段階強化/発動後増加】武力が上がり、矢を当てている敵の移動速度が下がるようになる。 必要士気4 Illustration 碧風羽 商人から武士になり、大名までのし上がった人物。キリシタン大名であり、また加藤清正と犬猿の仲で有名。 5/6の良好なスペックに制圧と豊国の特技が乗って非常に優秀な一枚。 計略の日輪の痺矢弓術は、書いての通り日輪で強化される痺れ矢弓術。効果時間は約8.8c。日輪3消費で9.6c。統率依存は0.6c。 日輪使用ゼロの場合、突撃準備状態に入っている騎馬はギリギリ突撃オーラが維持され、それ以外は突撃不可になるという微妙なレベル。 日輪を重ねるほど速度低下も強くなり、日輪一つからは素の騎馬は突撃不可能となる。 日輪 武力上昇 速度低下 0 +4 ? 1 +5 ? 2 +6 ? 3 +7 ? 3.10Iで確認。 便利な計略ながら、単体のみの効果発動、素武力5に平凡な上昇値のため、これだけで相手の攻勢を凌ぐのは苦しい。 士気4単体強化らしく、相手の足並みを乱すような局地戦で力を発揮したい。 速度低下率の参考として 日輪0:通常騎馬オーラ中突撃可、再突撃不可 日輪1:通常騎馬、突撃不可 日輪2:毘沙門天オーラ中突撃可、再突撃不可 日輪3:全騎馬突撃不可、いわゆるビタ止まり
https://w.atwiki.jp/bokuserve/pages/267.html
【元ネタ】史実 【CLASS】ランサー 【マスター】 【真名】加藤 清正(かとう きよまさ) 【性別】男性 【身長・体重】184cm・79kg 【属性】秩序・善 【ステータス】筋力B 耐久D 敏捷B 魔力D 幸運D 宝具D- 【クラス別スキル】 対魔力:C 第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。 大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。 【固有スキル】 陣地作成:D 自らに有利な陣地を作り上げる。 “結界”を形成する事が可能。 築城家としての逸話により、このスキルを得ている。 心眼(偽):C 直感・第六感による危険回避。 宗和の心得:B 同じ相手に同じ技を何度使用しても命中精度が下がらない特殊な技能。 攻撃が見切られなくなる。 武器改造:E 自身の持つ武器を状況に応じて適切な形状・サイズにカスタマイズすることが出来る。 Eランクだと、破壊された自身の武器の修復のみを可能としている。 【宝具】 『虎狩片三日月槍』 ランク:D- 種別:対人宝具 レンジ:2~4 最大捕捉:1人 虎退治の際、片側を噛み砕かれてしまった清正愛用の十字槍。 清正に対して放たれた物理攻撃の対象を、この槍の穂先に変更する。 それによって、致命傷になりえる攻撃であっても軌道を逸らし、穂先で受けることが可能となる。 ただし、自身の攻撃の際の、相手の迎撃に対しても効果が発動するため、防がれる確率も上昇する。 対象の武器と打ち合った際、互いの武器に破壊判定が発生し、 判定に成功すると対象の武器を破壊し、失敗すると自身の武器が破壊される。 【解説】 豊臣秀吉に仕えた賤ヶ岳七本槍の一人で、天正16年(1588年)肥後半国を与えられ熊本城主となり、国人・土豪勢力の一掃に努め、麦年貢をルソンへ輸出するなどの積極的な貿易をすすめました。 文禄の役では先陣を勤め、慶長の役での蔚山[ウルサン]籠城での活躍は有名です。 秀吉の信頼も厚かったのですが、石田三成らの台頭により政権の中枢からは遠ざけられてしまいました。 関ヶ原の合戦では九州にあって東軍(家康方)に属し宇土城等を攻め、戦後に肥後一国54万石に加増されました。 熊本城を築き、城下町を整備、領内の治水や干拓事業にも尽力しました。 清正は熱心な日蓮宗信者でもあり、領内での日蓮宗寺院の建立をすすめるとともに、キリシタン弾圧政策を行いました。 慶長16年(1611年)50歳のときに二条城で家康と会見する豊臣秀頼の後見役を果たし、その帰国途上に船中で発病し熊本城内で亡くなりました。