約 220,224 件
https://w.atwiki.jp/freegamemusic/pages/91.html
概要 使用されている作品Seraphic Blue Vida 停滞少女 概要 サイト:http //ukio.sakura.ne.jp/ 使用されている作品 Seraphic Blue 曲名 ファイル名 備考 作曲者 まよいみちゆきのなか YU_yuki-hcut.mp3 右記緒 夢 YU_yume.mp3 Vida 曲名 ファイル名 備考 作曲者 バトル9 battle9.mid 右記緒 バトル11 battle11.mid 停滞少女 曲名 ファイル名 備考 作曲者 夢 dungeon07.MID ファースデール精神病院 右記緒 Battle6 battle04.mid 手強い影 Battle10 battle03.mid 狂気のファースデール(Ver1.0) ラスト・バトル2 battle05_m.MID ラストバトル あまいもの event02.mid おもいで 瞑想の音楽 event04.mid 結末は変わる 子守り歌 event05.mid 夢の終わり
https://w.atwiki.jp/mongolhugjim/pages/35.html
楽器 歌唱法その他 蒙日音楽辞典 青木隆紘(2008)「モンゴル音楽用語小辞典」(『モンゴル研究 25』、モンゴル研究会、pp.54-74)の掲載前段階のものです。 音楽用語А-Д 音楽用語Е-Н 音楽用語О-Х 音楽用語Ц-Я オペラ・バレエあらすじ 団体、劇場 コンクールその他 戻る
https://w.atwiki.jp/ongakuka-engokai/
【音楽家援護会設立の趣旨】 音楽大学を出ても学んだ事を発表する機会に恵まれない多くの音楽家がいます。その人達に、音楽を発表する機会を作ってあげたい、また一般の人が生の音楽の素晴しさに触れる機会を作る橋渡しになりたいと考えこのサービスを始めたいと考えています。国のレベルは文化レベルによって測られると言えます。そういた意味でバーチャルな世界に慣れた現代人に本物の生の音楽に触れる機会を作り、色んなジャンルの音楽をTPOに合わせてご準備させて頂き、音楽家にも聴かれる方にも喜んで頂ける機会を数多く作り上げることがMDS設立の趣旨です。 音楽家援護会 地 上 孝
https://w.atwiki.jp/yuirin25/pages/19.html
昭和3年1月に文部省内の一室を借りて成立した。 目的・・・時代に適した仏教音楽を大成し、これを普及して多くの人が知らず知らずのうちに歌いだすほどにすること。 事業内容・・・ ①旧仏教音楽に関するもの 旧仏教音楽は、それ自体貴重なものでもあり、新仏教音楽の基礎となるものでもあるから、この旧仏教音楽を研究する ②新仏教音楽の創作 歌詞も歌曲も懸賞を持って広く公募すると共に、役員その他高僧知名の人に依頼する ③発表および普及 仏教聖歌の出版、仏教音楽の発表、演奏会、講習会の開催、ラジオ放送、レコード吹込みなど行って普及に努める。 昭和15年までに11回、仏教聖歌発表曲集を刊行したが、日独伊三国同盟締結など生活全てが戦時体制へと切り替えさせられたため、仏教音楽協会は解散させられた。
https://w.atwiki.jp/mongolhugjim/pages/115.html
モンゴル音楽研究事始(大学のレポート) 青木隆紘 はじめに モンゴル音楽はすっかり日本人にとって身近なものになりつつある。ユニクロのCMのBGMにフーミーが使われたし、NHK大河ドラマ《北条時宗》でも劇判音楽録音にオルティン・ドー歌手のノロブバンザドが参加し、それらは一般家庭のお茶の間に流れた。演奏旅行で日本を訪れるモンゴル人音楽家は多く、日本に在住するモンゴル人音楽家の中にはもはや馬頭琴奏者だけではなくリムベ(横笛)奏者やフーミーの歌い手もいる。日本人がモンゴル音楽を研究した最初は、1907年の鳥居龍蔵、鳥居きみ子の探検時のものである。それ以来100年たつがいまだに日本人によるモンゴル音楽の体系的な研究はほとんど試みられていないし、一般的なモンゴル音楽への理解はステレオタイプ的なモンゴルイメージを助長するもの、という範疇を出ていない。芝山によれば、このモンゴルに対するオリエンタリズムは、モンゴル人の生活世界の実態を無視した日本の自民族中心主義的な自己同一化を伴い、戦前から戦後に生き残って現在に至るという(芝山2008)。モンゴル音楽に対する言説も、音楽的類似を生活世界の文脈を無視して日本との同祖論に結び付ける傾向がある。その理由を考えるにあたって、この論考でモンゴル音楽の研究、紹介が戦前、戦時中の日本でどのように行われてきたか、背景にある社会の状況を含め見ていきたい。 「蒙古謡」との出会い 日本のモンゴル研究は1907年に出版された『元朝秘史』の那珂通世注訳書『成吉汗実録』から始まったとされる。この翻訳は日本が自らを中心とする帝国をアジアに打ち立てるにあたって、「西洋史」に対抗しうる「東洋史」成立の必要性が唱えられた中から生まれたといってよい(芝山2008)。日露戦争後、満洲の権益確保が最重要課題となったこの時期産声をあげたモンゴル研究は、国策との結び付きなしには語り得ない。このような時期、1907年に鳥居龍蔵、鳥居きみ子夫妻はモンゴル踏査を敢行する。まず1906年3月にハラチン王府のグンセンノロブが設立した女子学堂の教師としてきみ子が招かれて行き、1ヵ月後同じく男子学堂の教師として龍蔵もモンゴル入りしている。この後内モンゴル東部から当時の外蒙古東端までを踏破して考古学、民俗学的調査を行っている。龍蔵の主たる関心は遼時代の遺跡調査だったようだが、きみ子はモンゴル人の生活、習慣に関わる様々な記録を残しており、その中には音楽についても詳しく述べられている。幾つかの民謡の採譜と音階、また民謡の歌詞の訳と特徴、使われている楽器についてなどが主である。実はきみ子は東京音楽学校(現東京藝術大学)で学んだ経歴を持ち、王府でオルガンを弾きながら音楽教育も行ったという(服部1975 p.199)。音楽は非常に興味を引くテーマだったに違いない。服部龍太郎によればきみ子の採譜した曲は漢人音楽の影響を強く受けたものであった可能性があるというが、これは単純化した採譜であるため歌い方のニュアンスまで知ることができず、はっきりとしたことはわからない。この他、20世紀中盤にはほとんど見られなくなった楽器や、ハルハでは社会主義化の際に淘汰されてしまった王府の楽人たちの様子が描かれているのが興味深い。また「ムリントロガイヌホーレ」の名で馬頭琴を記録しているが、この「馬頭琴」という訳語を最初に考案したのは漢人ではなく鳥居きみ子であった可能性がある。これらは『土俗学上より観たる蒙古』に掲載されているが、これ以前にも音楽誌上で講演録や記事のかたちで発表されていた。この時代、海外、特に日本の勢力圏で行われた学術調査には、学問的な理由だけではなく、植民地統治に必要な現地人の社会構造を把握するという目的があった。しかし、鳥居竜蔵ときみ子の場合はこれに完全には当てはまらない。きみ子の植民地政策に対する意識は記述からは読み取れないし、龍蔵は保守的な政治思想の持ち主であったものの、学問を植民地政策実施に結び付けるような活動をすることよりも、日本の軍事行動拡大を最大限利用してでも自己の学問的営みを達成させるという、楽観的な一種の学問至上主義が彼の行動原理であったという(山路2006)。ただ時代の背景は日本の拡大主義と学問が結び付いていく傾向にあった。鳥居きみ子はモンゴルの古い部類の民謡(オルティン・ドーのこと)の緩慢な節回しと日本の追分のそれが似ていることを「発見」する(鳥居1927 p.1138)。きみ子はこの「事実」を指摘するだけに終わったが、これは後に戦後にも古代において日本とモンゴルが何らかのつながりを持っていた可能性を示す証拠として語られることになる。 東京に鳴り響くモンゴルの調べ 1930年代からモンゴル音楽について書かれたものが増え、一般にも認知される機会ももたれるようになる。1938年2月、読売新聞社主催のもと東京日本橋三越にてモンゴルおよび中国の展覧会が催されたが、この展覧会と連動して会期中の1ヶ月間、三越のホールでモンゴル人音楽家が一日二回の公演を行った(瀧1938b p.71)。彼らは総勢10名でスニットおよびアバガの王府の宮廷楽人だった。来日の経緯に関して詳しくは分からないが、日本でのモンゴル文化の周知を望む蒙彊自治政府の意図が働いていたようだ。等々力2005によれば三越以外でも各地でコンサートを行い、鳥居きみ子の著書とあいまって日本でもモンゴル音楽が認知されるようになってきたという。そういえば1940年に発表された東海林太郎ら作詞の歌謡曲《蒙古の町》には「馬頭琴」の言葉が登場する。この演奏会の記事を書いた瀧遼一は中国古典音楽の研究者だったのだが『蒙古学』誌上に「蒙古の音楽について」と題する記事を書いている。これが日本におけるモンゴル音楽の初めてのまとまった論考で、彼はこの他モンゴル関係では『史学雑誌』誌上に匈奴の軍楽について「匈奴の音楽としての鼓吹楽」などを書いている(当時元代の音楽と楽器についても発表する、としているが見つからない。結局発表しなかったのだろうか)。瀧はモンゴル音楽の古い時代資料をモンゴル人がほとんど残してこなかったことから、現在ある音楽文化の分析から歴史を研究する必要を説いた。瀧もそうだがモンゴル音楽の発展の重要な要素として漢人音楽文化以外に元朝時代に受けた西アジア、イスラム圏の音楽の要素が強調されていた、という点がこの時期の研究の特徴である。中国音楽研究者だった瀧がモンゴル音楽研究も行った動機は定かでないが、このような研究がどんな場で行われたのかは注目に値する。瀧の「蒙古の音楽について」、少しなりともモンゴル音楽に関係するものでいうと、ウラディミールツォフのモンゴル口承文芸論の翻訳やポッペの記事の翻訳、印南高一のツァムの記事、ブリヤート音楽についてソ連で出たものの翻訳など多くの記事が善隣協会の出版物に発表された。善隣協会は1934年設立の財団法人で、陸軍大将林銑十郎の肝煎りで財閥からの財政支援のもと生まれ、敗戦による解消まで「蒙彊」で活動した典型的な国策機関であった(原山2005 p.371)。善隣協会は『善隣協会調査月報』、『蒙古』、『蒙古学』などの定期刊行物、そのほかいくつかのモンゴル関係の著作物を出版していた。もちろん音楽研究の面からもアジア音楽研究の要請があったわけだが、出版界が「プロパガンダもの」の出版ラッシュであったこの時代(吉見2002 p.94)、モンゴル文化に関する研究の背後にも国策の影響が見え隠れするのである。 研究以外で、株式会社満洲弘報協会から『蒙古の民謡と伝説』という小冊子も発売されている。これはそれ以前に鳥居きみ子らが書いたものに基づいて、民謡の訳詞、楽譜や民話が載せられ、それに満洲で取材した写真や編者の解説などをつけたもので、観光案内書の一種のようなものであった。満州国の正当性、そこでの日本の貢献度をアピールするために「観光楽土」として旅行宣伝が盛んになされた時代の産物である。 大東亜の音楽文化 大東亜共栄圏はアジアを欧米列強の植民地から解放するという目標を掲げながらも、実態を見ると、独立は口約束に終わったか日本に都合のよい人事の政権の樹立しかなされず、日本のための収奪的経済ブロックとなっただけで、旧宗主国のより少しはましという程度のものだった。このような中で、政治と芸術という問題をみてみるならば、前衛的な技法が抑圧されていった絵画や、言論統制、思想統制の標的となった文学がある一方で、音楽創作に関しては政治の側は「ほとんどの音楽様式を排除せず、「帝国」を気どった無限抱擁以上のヴィジョンもなく、ただ雰囲気としては、日本的なもの・東洋的なもの・アジア的なものへ向かおうとしているうちに敗戦を迎え」たという(日本戦後音楽史研究会2007 p.59)。一方でプロレタリア音楽団体は弾圧の対象となり、ジャズ音楽が禁止され、占領地域懐柔のための「音楽工作」が行われた。中でも民族音楽研究は、音楽工作と分かちがたく結びついていたといってよい。 アジアへの興味の高まりの中で最も活躍した音楽学者の一人に田辺尚雄がいる。彼は東洋音楽学学会の設立者の一人である。彼の編纂したSPレコード『東亜の音楽』およびその解説をもとに彼が執筆した著書『大東亜の音楽』(文部省教学局の叢書の一冊として刊行)、東洋音楽学会編のSPレコード『大東亜音楽集成』にはモンゴル音楽が取り上げられている。これ著書『大東亜の音楽』などでは田辺独自の考察というものはほとんど見られず、上述の瀧の論考を踏襲した内容だっただが、モンゴル人民共和国における社会主義政権下で伝統音楽が欧風化と衰退していくことを推測・批判しつつ、内モンゴル音楽文化の日本の指導下での繁栄を主張している。そしてモンゴル音楽が大東亜文化建設の中で重要な役割を演じるよう期待している(田辺2003 pp.116-117)。田辺は音楽科学を打ち立てることで、日本の音楽学研究に大きな足跡を残した。しかし彼は戦時中の研究において、アジアの諸民族の音楽が太古において起源を一にすると主張しアジア内の紐帯を強調しつつ、また西洋の音楽を技術だけの音楽に堕したものとし、東洋の音楽を精神的豊かさを保った西洋音楽に優越するものだとした。一方でアジアの様々な音楽を吸収、日本固有の音楽と融合することで発展した雅楽を擁する日本音楽を、「一面に於ては東亜音楽の集大成であり、一面に於ては世界音楽の集成」(田辺1997)と位置づけた。田辺の「日本音楽の源泉をアジアに結びつけながらも、同時代のアジアと同等になろうとせず、アジアの代弁者たろうとした態度」は「屈折したオリエンタリズム」と指摘できるという(鈴木2005 p.47)。田辺のこの態度はしかし一定の支持を得ていた。コロムビアのレコード『東亜の音楽』は彼に共感した大政翼賛会、軍部の協力なしには刊行できなかった。 この時代アジア進出の時流に乗っかったかたちで作曲家たちが「アジア」を主題とした作品を数多く書いたが、この中にはモンゴルを主題とするものが含まれている。内田2008によれば、モンゴルをテーマにした歌謡曲が1933年ごろより増え始めるという。これは歌詞に現れる異国的なモチーフを除けば、歌詞全体の構造も旋律も日本的な叙情歌、あるいは旅情歌の系譜に属するもので、所謂「大陸メロディ」(古茂田ほか1995)と呼ばれる歌謡曲の一部である。これらの歌により「ゴビの砂漠」、「隊商」、「ラマ塔」などのモンゴルを想像させる、今聴くと《月の砂漠》的なオリエンタリズムに満ちたモチーフがレコード、ラジオなどで多くの人に聴かれた。その流れは所謂「クラシック音楽」の範疇にも及び深井史郎の《ビルマ祝典曲》や伊福部昭の《フィリッピン国民に贈る管弦楽序曲》のように、日本の支援の下の「独立」の祝賀行事のため内閣情報局が委嘱した作品から、西洋に比肩しうる東洋音楽をつくるという問題意識と、日本のアジア進出の時流への迎合が結び付いた早坂文雄の《讃頌祝典之樂》や台湾出身の江文也による《故都素描》のような作品まで様々ではあったが、モンゴルに関係する作品もいくつかある。1940年の紀元2600年奉祝行事は音楽界では、西洋の超克としての民族主義的な新しい音楽作品を広く発表する格好の機会と捉えられ、アジア・日本を主題とする力作が数多く生まれたが、その中には山田耕筰の音詩《神風》という蒙古襲来を描いた管弦楽作品をもあった。自らの意思で民族主義的な作品を模索していた多くの作曲家たちと、漫然とアジア主義を目指す国策が合致したのだった。特に新京音楽院は1944年から「闘ふ満洲」という統一テーマのもと満洲の国民主義的音楽作品の創作を作曲家たち、特に内地の作曲家に依頼した。満洲の首都新京の楽団を統制し、満州国の国策を音楽面から実現させる組織として設立し、途中から協和会も一枚かんでいて理事長は甘粕正彦だった。これら委嘱作品はただ作品を依頼しただけではなく、作曲家を実際に満洲に招いて視察旅行をさせた上で作品を書いてもらおうというものだった。諸作品のうち、モンゴルをテーマにしたものは大中寅二《成吉思汗廟に捧げる曲》、《蒙古青少年に贈る小組曲》、大木正夫《蒙古》、早坂文雄《民族絵巻(第2楽章が“蒙古の草原”、他に“娘々廟会”、“ラオスの子守歌”といった楽章をもつ「大東亜共栄圏」の音によるパノラマを意図した作品)》がある。さらに満州国がらみでは、日本における軽音楽の第一人者紙恭輔が自ら音楽を担当した満洲映画協会の文化映画《逞しき草原》の音楽を交響詩に仕立て直した《ホロンバイル》がある。また大連に住んでいた経験を持つ作曲家呉泰次郎は自らの交響曲第6番《亜細亜》の第3楽章を“蒙古の成吉思汗”とした。 そもそも満州国では、「闘ふ満洲」前段階として満州国各地の諸民族の音楽の蒐集を行っていた。ようするに「闘ふ満洲」の事業は日本本土でNHKが日本各地の民謡を蒐集し、そのアーカイブを作る一方で、作曲家に蒐集した民謡を素材とした日本国民のための管弦楽曲「国民詩曲」を作らせたことの満州国版であったわけだ。満州国の民謡蒐集事業には「今の金にして数億という予算」(岩野1999 p.274)がついたそうで、モンゴル系諸族のものも集められた。その成果として、新京で建国10周年を記念して行われた「建國十周年慶祝藝文祭」上で15の民族の芸能が披露された。これは「大東亜音楽確立のための重大な役割を持つ」(村松1943 p.42)とされ、調査の成果も採譜、レコード化の上、解説をつけて世界各国の音楽団体や放送局に寄贈する計画があったが、戦争の激化により中断、ソ連軍侵攻の際、レコードの原盤は放送局の庭に穴を掘って埋められてそれっきりだという(岩野1999 p.275)。 そのレコードを聴いた黒田清がモンゴルの民謡と日本の追分の類似性について、『音楽之友』誌上の「南方共栄圏の音楽工作」と題した座談会で、「大東亜共栄圏」内の音楽の普遍性を探るべき、という文脈の中で語っている(石井ほか1942)。田辺も上記の書の中で当然このことに触れている。このような音楽の類似性をアジア内の文化的結びつきにひきつけて語ることは、この時代大きな意味を持つようになっていた。ジャワ島にエス・リリンという民謡がある。この民謡は旋律の骨格だけで見れば日本民謡とそっくりである。もちろん歌い方や音の装飾がまったく違うので、田辺尚雄らは日本民謡とジャワ民謡の関係を否定した。しかしこの「事実」は雑誌などで一部の話題になり、しばしば日本・ジャワの古代の人種的結びつきにまで言及され、日本のインドネシアに対する影響力行使を正当化する言説のひとつとなったという(片山2005)。音楽の類似から同祖論、そして侵略の正当化の言説、という流れが起こりうる時代であった。 おわりに 戦後しばらくはモンゴルへの興味そのものへの低下から、モンゴル研究に戦前、戦時中のような隆盛は見られなくなった。モンゴル音楽について単発的にいくつかの著作物が出ている。東北民謡の研究者であり復興者であった武田忠一郎は内モンゴルからの留学生に民謡を歌ってもらい、それを採譜した。彼もまたオルティン・ドーと追分の類似性の「発見」に驚いている。服部龍太郎は『モンゴルの民謡』を著す際ハスルントらの蒐集、研究の成果に多くをよっていたが、彼自身父親が満洲の日本人貿易商で、幼少時代からその地で過ごしていた。戦後の民族音楽学のスターとなった小泉文夫もシルクロード音楽舞踊考察団団長としてモンゴル音楽の調査も行い、またノロブバンザドらモンゴル人音楽家の招聘も行い、モンゴル音楽を(もちろんそれだけではなくあらゆる民族音楽を、だが)広く日本に紹介した。しかし彼もまたオルティン・ドーと追分の類似性に着目し、それに江上波夫の「騎馬民族国家」論によって根拠を与えようとした。彼は日本民謡のうち明確な拍節を持たず母音を引き伸ばす歌唱法の追分節のような民謡を「追分様式」と名づけ(小泉1994)、この類似が中央アジアにもあるとして、馬文化の伝来と馬子唄であるこの民謡形式の起源を結び付けようとしていた。彼の研究はそのあまりの多忙さ(これは小泉が研究だけでなく諸民族の音楽を広く一般に紹介する役割をも担ったからだが)と早世さゆえ未完成で講演録などのかたちでしか残されていないものも多い。彼のモンゴル音楽に関する論考もその類であるので一般の日本人へのアピール度を上げるためかもれないが、小泉の論考もまた日本音楽のアイデンティティの探求、つまり日本音楽の起源を説明するためにアジアの音楽を研究するという枠内を出なかった。 繰り返されたオルティン・ドーと追分の類似性は結局ほとんどの研究においてモンゴル音楽は、特に民謡の旋律に関しては、日本音楽との音楽的類似性がその生活文化の文脈から理解するよりも重要視されて語られ続けた。そしてそれはしばしばモンゴル人と日本人の同祖論的言説に結び付けられた。その系譜は戦前のモンゴル音楽の研究から戦後まで長く続いたのである。 参考文献 G.Arkhincheev/小川信吉訳(1941)「ブリヤート蒙古演劇音楽学校」(『蒙古111』、善隣協会、pp.99-104) 石井文雄/笠間杲雄/枡源次郎/黒田清/箕輪三郎/堀内敬三(1942)「南方共栄圏の音楽工作 <座談会>」(『音楽之友 第2巻第4号』、pp.20-37) ルイク・イシドール/高橋勝之訳(1941)「ブリヤート蒙古の民族楽器」(『蒙古114』、善隣協会、pp.59-62) 印南高一(1940)「喇嘛舞踊見聞記」(『蒙古97』、善隣協会、pp.101-114) 岩野裕一(1999)『王道楽土の交響楽 満洲―知られざる音楽史』、音楽之友社 内田孝(2008)「戦前・戦中期におけるモンゴルを題材とした流行歌謡―日本人のモンゴル・イメージを探る―」(2008年度秋季日本モンゴル文学会研究発表会口頭発表) ベ・ウラヂミルツオフ著/宮崎眞道訳(1938)「蒙古・オイラート英雄詩史・序(1)-(3)」(『善隣協会調査月報69-71』、善隣協会) 岡田真紀(1995)『世界を聴いた男 小泉文夫と民族音楽』、平凡社 岸辺成雄(1943)「回教音楽東漸史考-元朝の回教楽器」(『回教圏7 4』、回教圏研究所、pp.31-46) 小泉文夫(1994)『日本の音 世界のなかの日本音楽』、平凡社 小島美子(1985)「モンゴル民謡は江差追分のルーツか?」(文化庁文化財保護部 監修『月刊文化財』、第一法規出版、pp.29-32) 古茂田信男他編著(1995)『新版 日本流行歌史 中=1938~1959』、社会思想社 子安宣邦(2003)『「アジア」はどう語られてきたか―近代日本のオリエンタリズム』、藤原書店 芝山豊(2008)「《蒼き狼》とオリエンタリズム」(清泉女学院大学人間学部研究紀要編集委員会『清泉女学院大学人間学部研究紀要(5)』、pp.29-41) 鈴木聖子(2005)「近代における雅楽概念の形成過程」(文化資源学会『文化資源学 第4号』、pp.41-49) 瀧遼一(1937)「匈奴の音楽としての鼓吹楽」(史学会『史学雑誌48 7』、pp.136-137) 瀧遼一(1938a)「蒙古の音楽について」(『蒙古学3』、善隣協会、pp.17-54) 瀧遼一(1938b)「蒙古音楽と其楽器」(『東洋音楽研究1 2』、東洋音楽学会、pp.71-75) 武田忠一郎(1951)「蒙古の唄--曲譜と解説」(『東洋音楽研究』東洋音楽学会、pp.147-154) 武田忠一郎(1952)「蒙古の唄--曲譜と訳詞」(『東洋音楽研究10・11』東洋音楽学会、pp.67-73) 武田忠一郎(1962)「蒙古の唄--曲譜と訳詞」(『東洋音楽研究16・17』東洋音楽学会、pp.122-125) 田辺尚雄(1943/2003)『大東亜の音楽』、大空社 長木誠司(2008)「南方占領地域での日本による音楽普及工作」(戸ノ下達也/長木誠司編『総力戦と音楽文化 音と声の戦争』、青弓社、pp.78-95) 徳丸吉彦他編(2007)『事典世界音楽の本』、岩波書店 等々力政彦(2005)「馬頭琴の歴史」(『しゃがあ vol.42』、pp.12-13) 戸ノ下達也(2008)『音楽を動員せよ―統制と娯楽の十五年戦争』、青弓社 鳥居きみ子(1909)「喇嘛の舞蹈」(『東亜之光4 3』、東亜協会、pp.135-139) 鳥居きみ子(1910)「蒙古の音楽に就いて」(『東亜之光5 5』、pp.124-129、『東亜之光5 7』、東亜協会、pp.138-147) 鳥居きみ子(1910)「蒙古の音楽」(『音楽界3 10』、楽界社、pp.16-24) 鳥居きみ子(1927)『土俗学上より観たる蒙古』、大鐙閣 日本戦後音楽史研究会(2007)『日本戦後音楽史 上』、平凡社 服部龍太郎(1975)『モンゴル探検史』、新人物往来社 服部龍太郎(1977)『モンゴルの民謡』、開明書院 原山煌(2005)「十九世紀最末期における日本人のモンゴル観」(『ユーラシア草原からのメッセージ』、平凡社、pp.371-390) N.N.ポッペ/小林高四郎訳(1937)「十月革命以後のブリヤート蒙古詩歌の特質(1)-(2)」(『善隣協会調査月報63』pp.129-135/『善隣協会調査月報64』pp.64-71、善隣協会) 松本於蒐男編(1936)『蒙古の民謡と伝説』、満洲弘報協会 村松道彌(1943)「満洲の民俗音楽(写真説明)」(『音楽公論 第3巻第6号』、pp.42-45) 山路勝彦/田中雅一編著(2002)『植民地主義と人類学』、関西学院大学出版会 山路勝彦(2006)『近代日本の海外学術調査』、山川出版社 吉見俊哉編著(2002)『一九三〇年代のメディアと身体』、青弓社 参考CD 田辺尚雄編集解説(1941/1997)『東亜の音楽』、日本コロムビア株式会社 片山杜秀解説(2005)『深井史郎・パロディ的な四楽章・ジャワの唄声他(日本作曲家選輯)』、Naxos/アイヴィ
https://w.atwiki.jp/king_tamaki/pages/18.html
VOCALOID 彩雲国物語 テニスの王子様 よっぺい歌ってみた バルシェ歌ってみた オルゴール ジブリ曲 ノーマル曲
https://w.atwiki.jp/ongakudougaup/pages/5.html
依頼された音楽を保管するところです。 動画と同じく三日で除去されます。(皆で5回までダウンロード可能) ファイル形式はmp3でもwmaでも文句は言うな。めんどうだから。 宙船 http //xxx.upken.jp/up/download.php?id=0003f59dbb0cf030bd6d41a47019ec0f990a810a
https://w.atwiki.jp/niseoto/pages/19.html
上位技能のLvによる特殊効果系・楽器の効果が乗る音楽技一覧 このページは常に有志による情報を募集しております。技に上位技能・楽器の追加効果がのった場合は『○』を、乗らなかった場合は『×』をお願いします。 略名 呪歌→呪 魔笛→魔 聖歌→聖 具現演奏→具 ドラマー→ド 猜忌邪曲→邪 迦陵頻伽→迦 楽器→楽 編集が苦手or編集できない人向けの編集依頼ページ 第一段階戦闘技能Lv5 × 音楽技能Lv7 音楽技能Lv8 × 生産技能Lv12 第二段階戦闘技能Lv10 × 音楽技能Lv14 音楽技能Lv16 × 生産技能Lv24 第三段階戦闘技能Lv15 × 音楽技能Lv21 音楽技能Lv24 × 生産技能Lv36 第四段階戦闘技能Lv20 × 音楽技能Lv28 音楽技能Lv32 × 生産技能Lv48 第五段階戦闘技能Lv25 × 音楽技能Lv35 第六段階戦闘技能Lv30 × 音楽技能Lv42 それ以外 上位技能呪歌 聖歌 魔笛 具現演奏 輪舞曲 ドラマー 猜忌邪曲 迦陵頻伽 第一段階 戦闘技能Lv5 × 音楽技能Lv7 技番号 技名 習得条件 呪 魔 聖 具 ド 邪 迦 楽 84 パワフルミュージック 格闘5 ○ ○ ○ 120 クイックテンポ 短剣5 × ○ × ○ 155 ファニーソング 剣5 ○ × 189 鼓動の高鳴り 斧5 × × ○ 222 プリズンワルツ 槍5 × × × × × 254 エンドレスノイズ 杖5 × × 285 テリブルコマンダー 鞭5 315 アーストレマー 鎚5 × ○ 344 バトルソング 弓矢5 ○ × ○ × × 372 サブサイドパイプ 吹矢5 × ○ × ○ ○ ○ 399 ペインソング 魔術5 ○ × ○ × × 425 カームソング 命術5 ○ × ○ × × × 450 ビブラート 呪術5 ○ × ○ × × 474 惑いの音色 幻術5 × × ○ ○ 497 サモン・タンバリンの少女 召喚5 × × × × × 519 ノスタルジア 魅惑5 ○ ○ × × 技番号 技名 習得条件 呪 魔 聖 具 ド 邪 迦 楽 音楽技能Lv8 × 生産技能Lv12 技番号 技名 習得条件 呪 魔 聖 具 ド 邪 迦 楽 553 ヴィガラスソング 付加12 ○ ○ × × 554 ウェイル 合成12 × × × × × 555 スイートメロディ 料理12 ○ ○ ○ ○ ○ 556 ウォークライ 武器12 ○ 557 エール 防具12 × × 558 メリーゴーランド 魔石12 × × × 559 カリスマ 装飾12 × × × × × 技番号 技名 習得条件 呪 魔 聖 具 ド 邪 迦 楽 上へ 第二段階 戦闘技能Lv10 × 音楽技能Lv14 技番号 技名 習得条件 呪 魔 聖 具 ド 邪 迦 楽 727 高揚のリズム 格闘:10 ○ 763 ディベルティメント 短剣:10 798 戦神の囁き 剣:10 ○ 832 パスタイム 斧:10 865 プレリュード 槍:10 ○ ○ ○ ○ ○ 897 コマンダーズバトン 杖:10 × × × 928 プレザントビート 鞭:10 × ○ 958 クイックステップ 槌:10 × × 987 ノクターン 弓矢:10 ○ ○ ○ ○ ○ 1015 バジング 吹矢:10 × × ○ ○ 1042 マジカルシンフォニー 魔術:10 ○ ○ ○ ○ 1068 ヴァーナルメロディー 命術:10 ○ ○ × × 1093 呪われし詞 呪術:10 ○ ○ × 1117 エンジェルソング 幻術 10 ○ ○ × × 1140 サモン・小さな歌姫 召喚 10 × × × × × 1162 チャームボイス 魅惑 10 ○ ○ × × 技番号 技名 習得条件 呪 魔 聖 具 ド 邪 迦 楽 音楽技能Lv16 × 生産技能Lv24 技番号 技名 習得条件 呪 魔 聖 具 ド 邪 迦 楽 1196 レクイエム 付加 24 ○ ○ ○ 1197 ソロコラプス 合成 24 ○ ○ ○ ○ ○ ○ 1198 バーニングソング 料理:24 ○ × ○ × × 1199 ダイブ 武器:24 1200 ウィスパーオブアポロン 防具:24 ○ 1201 アレグロ 魔石:24 × × ○ 1202 上位技能:楽器作製 装飾:24 上位技能 技番号 技名 習得条件 呪 魔 聖 具 ド 邪 迦 楽 上へ 第三段階 戦闘技能Lv15 × 音楽技能Lv21 技番号 技名 習得条件 呪 魔 聖 具 ド 邪 迦 楽 1370 トゥルーパーズ 格闘:15 ○ × 1406 プレスト 短剣:15 ○ ○ 1441 アラベスク 剣:15 ○ ○ 1475 エレジー 斧:15 ○ ○ 1508 オラトリオ 槍:15 ○ ○ ○ ○ ○ 1540 トライアングル 杖:15 × ○ 1571 リフレイン 鞭:15 ○ 1601 フォルテ 槌:15 ○ ○ 1630 トロイメライ 弓矢:15 ○ ○ ○ ○ ○ 1658 カプリッチオ 吹矢:15 ○ ○ ○ ○ ○ 1685 デススロゥ 魔術:15 × ○ × ○ 1711 死の四重奏 命術:15 × × ○ ○ 1736 上位技能:呪歌 呪術:15 上位技能 1760 ナウシカ 幻術:15 ○ ○ ○ ○ ○ ○ 1783 シストラム 召喚:15 × ○ × ○ ○ 1805 スリーピィサウンド 魅惑:15 × × ○ ○ 技番号 技名 習得条件 呪 魔 聖 具 ド 邪 迦 楽 音楽技能Lv24 × 生産技能Lv36 技番号 技名 習得条件 呪 魔 聖 具 ド 邪 迦 楽 1839 チューニング 付加:36 × × ○ 1840 ダルシットタンバー 合成:36 × ○ × ○ ○ ○ 1841 サルサ 料理:36 ○ ○ ○ 1842 アレーンマクミーナ 武器:36 1843 マドリガーレ 防具:36 ○ 1844 バルカローレ 魔石:36 ○ ○ × 1845 ウッドノート 装飾:36 × × ○ ○ 技番号 技名 習得条件 呪 魔 聖 具 ド 邪 迦 楽 上へ 第四段階 戦闘技能Lv20 × 音楽技能Lv28 技番号 技名 習得条件 呪 魔 聖 具 ド 邪 迦 楽 2013 イクスクレイム 格闘:20 ○ ○ × 2049 マズルカ 短剣:20 ○ ○ 2084 英雄の歌 剣:20 ○ ○ × 2118 ラストネル 斧:20 × ○ × ○ 2151 セレナード 槍:20 ○ ○ ○ ○ ○ 2183 アンセム 杖:20 ○ 2214 フラメンコ 鞭:20 2244 天国への階段 槌:20 2273 ディミヌエンド 弓矢:20 × ○ × ○ 2301 上位技能:魔笛 吹矢:20 上位技能 2328 オブリガート 魔術:20 × ○ × ○ ○ 2354 上位技能:聖歌 命術:20 上位技能 2379 イモーラルシンフォニー 呪術:20 ○ ○ ○ ○ ○ ○ 2403 ラビス 幻術:20 ○ ○ ○ ○ ○ ○ 2426 上位技能:具現演奏 召喚:20 上位技能 2448 ハーメルン 魅惑:20 ○ ○ ○ ○ 技番号 技名 習得条件 呪 魔 聖 具 ド 邪 迦 楽 音楽技能Lv32 × 生産技能Lv48 技番号 技名 習得条件 呪 魔 聖 具 ド 邪 迦 楽 2482 ファンク 付加 48 ○ ○ ○ ○ 2483 セントゥ 合成 48 ○ ○ ○ ○ ○ ○ 2484 ケイリー 料理 48 2485 パウンディングリズム 武器 48 2486 ミュート 防具 48 2487 パッシングベル 魔石 48 2488 フィアサムクリッター 装飾 48 × ○ × ○ ○ 技番号 技名 習得条件 呪 魔 聖 具 ド 邪 迦 楽 上へ 第五段階 戦闘技能Lv25 × 音楽技能Lv35 技番号 技名 習得条件 呪 魔 聖 具 ド 邪 迦 楽 2656 ヴィガラスコンガ 格闘 25 ○ 2692 フォーエバー 短剣 25 2727 永遠の詩 剣 25 ○ ○ × 2761 デッドマーチ 斧 25 2794 ティタニア 槍 25 2826 アルコノスト 杖 25 ○ 2857 オゥト 鞭 25 2887 上位技能:ドラマー 槌 25 上位技能 2916 ソウルレスソング 弓矢 25 ○ × ○ 2944 カデンツァ 吹矢 25 ○ ○ ○ ○ 2971 ラプソディー 魔術 25 ○ ○ ○ 2997 エンジェリックボイス 命術 25 ○ ○ ○ ○ ○ ○ 3022 カコフェニー 呪術 25 ○ ○ ○ ○ ○ ○ 3046 タンダーズサウンド 幻術 25 ○ ○ ○ 3069 サモン・ウーラニア 召喚 25 ○ ○ ○ ○ ○ 3091 上位技能:輪舞曲 魅惑 25 上位技能 技番号 技名 習得条件 呪 魔 聖 具 ド 邪 迦 楽 上へ 第六段階 戦闘技能Lv30 × 音楽技能Lv42 技番号 技名 習得条件 呪 魔 聖 具 ド 邪 迦 楽 3299 ファンファーレ 格闘 30 3335 エレクトリックパレード 短剣 30 3370 サンセットカーニバル 剣 30 3404 プランプ 斧 30 3437 上位技能:猜忌邪曲 槍 30 上位技能 3469 リハーサル 杖 30 3500 天国と地獄 鞭 30 3530 チャールダーシュ 槌 30 3559 ハーピー 弓矢 30 ○ × ○ × 3587 ポイスポエム 吹矢 30 ○ × ○ × 3614 超音波 魔術 30 ○ ○ ○ 3640 イスラフェル 命術 30 ○ × ○ ○ ○ 3665 ワンナイトカーニバル 呪術 30 ○ ○ ○ ○ 3689 上位技能:迦陵頻伽 幻術 30 上位技能 3712 サモン・アリオン 召喚 30 ○ ○ ○ ○ ○ 3734 マジカルチャイム 魅惑 30 × × ○ ○ 技番号 技名 習得条件 呪 魔 聖 具 ド 邪 迦 楽 それ以外 それ以外 技番号 技名 習得条件 呪 魔 聖 具 ド 邪 迦 楽 3906 ポップンショット 銃 30×音楽 21 ○ ○ 上へ 上位技能 呪歌 技番号 技名 習得条件 呪 魔 聖 具 ド 邪 迦 楽 1311 ララバイ 呪歌10 ○ × ○ × × × 1312 フィアス 呪歌20 ○ × ○ × × × 1313 ディエス・イレ 呪歌30 ○ × ○ × × 聖歌 技番号 技名 習得条件 呪 魔 聖 具 ド 邪 迦 楽 2613 キャロル 聖歌10 ○ ○ ○ ○ ○ ○ 2614 スターバトマーテル 聖歌20 ○ ○ ○ ○ ○ ○ 2615 アルカディア 聖歌30 ○ ○ ○ ○ ○ ○ 魔笛 技番号 技名 習得条件 呪 魔 聖 具 ド 邪 迦 楽 3991 ファンタジア 魔笛10 × ○ × ○ ○ ○ 3992 メズマライズ 魔笛20 × ○ × ○ ○ ○ 3993 ディバインコメディ 魔笛30 × ○ × ○ ○ 具現演奏 技番号 技名 習得条件 呪 魔 聖 具 ド 邪 迦 楽 3994 ドドドドド 具現演奏10 × ○ × ○ ○ 3995 ゴゴゴゴゴ 具現演奏20 × ○ × ○ ○ 3996 ドッギャーン 具現演奏30 ○ ○ 輪舞曲 技番号 技名 習得条件 呪 魔 聖 具 ド 邪 迦 楽 3997 ハピネス 輪舞曲5 ○ ○ ○ ○ ○ 3998 シャコンヌ 輪舞曲10 ○ ○ ○ ○ 3999 トレモデレ 輪舞曲15 ○ ○ ○ ○ 4000 ステラミュージック 輪舞曲20 ○ ○ ○ ○ 4001 アンダー・ザ・スターライト 輪舞曲30 ○ ○ ○ ○ ドラマー 技番号 技名 習得条件 呪 魔 聖 具 ド 邪 迦 楽 4130 パーカッション ドラマー10 4131 スペシャルタイム ドラマー20 4132 スーパープレイ ドラマー30 ○ 猜忌邪曲 技番号 技名 習得条件 呪 魔 聖 具 ド 邪 迦 楽 4382 デスメロディ 猜忌邪曲10 ○ ○ 4383 マーラ 猜忌邪曲20 ○ ○ 4384 サイコディリウル 猜忌邪曲30 ○ ○ 迦陵頻伽 技番号 技名 習得条件 呪 魔 聖 具 ド 邪 迦 楽 4460 トゥルーラブ 迦陵頻伽10 ○ ○ ○ ○ ○ 4461 コロラトゥーラ 迦陵頻伽20 ○ ○ ○ ○ ○ 4462 アルバトロス 迦陵頻伽30 ○ ○ ○ ○ ○ 上へ
https://w.atwiki.jp/den-osougou/pages/8.html
●音楽情報● ■総合 「仮面ライダー電王 COMPLETE CD-BOX」 ■OPテーマ 「Climax Jump」 AAA DEN-O form ※iTunes Storeでも購入可 「Climax Jump DEN-LINER form」モモタロス、ウラタロス、キンタロス、リュウタロス(関俊彦、遊佐浩二、てらそままさき、鈴村健一) ■EDテーマ 「Double-Action」 野上良太郎&モモタロス(佐藤健&関俊彦) 「Double-Action Rod form」 野上良太郎&ウラタロス(佐藤健&遊佐浩二) 「Double-Action Ax form」 野上良太郎&キンタロス(佐藤健&てらそままさき) 「Double-Action Gun form」 野上良太郎&リュウタロス(佐藤健&鈴村健一) 「Double-Action Wing form」 野上良太郎&ジーク(佐藤健&三木眞一郎) 「Real-Action」 野上良太郎(佐藤健) 「Action-ZERO」 桜井侑斗&デネブ(中村優一&大塚芳忠) 「Double-Action Coffee form」 ナオミ&愛理(秋山莉奈&松本若菜) ■劇場版主題歌 「夢で逢えたなら…」 175R ※iTunes Storeでも購入可 「Double-Action CLIMAX form」 ※モモタロス&ウラタロス&キンタロス&リュウタロス&デネブ ※初回限定生産盤:DVD付き ジャケット ボーナストラック違いで5形態(Aモモ・Bウラ・Cキン・Dリュウ・Eデネブ) ボーナストラックを除く、CD収録曲・DVDの収録内容は同一 ※F通常版はCDのみでDVDは付かない ※初回版はそれぞれ品番は違うが、オリコンなどのランキングでは同一に扱われる 「Climax jump the Final」 AAA DEN-O form ※「いーじゃん!いーじゃん!スゲーじゃん!?」内収録 ■BGM 「仮面ライダー電王 オリジナルサウンドトラック」 佐橋俊彦 「劇場版 仮面ライダー電王 俺、誕生! オリジナルサウンドトラック」佐橋俊彦 「仮面ライダー電王 オリジナルサウンドトラック Vol.2」佐橋俊彦 「劇場版 さらば仮面ライダー電王 オリジナルサウンドトラック」佐橋俊彦 ■Web RADIO 「仮面ライダー電王 Web RDIO 『ラジタロス』1 「仮面ライダー電王 Web RDIO 『ラジタロス』2
https://w.atwiki.jp/mongolhugjim/pages/37.html
演奏団体、劇場 国立歌劇場(Монгол Улсын Дуурь Бүжгийн Эрдэмийн Театр) 公式HP http //opera-ballet.mn/ 1924年設立のスフバートル記念クラブの芸能サークルが1927年建設の人民娯楽場(“緑ドーム”の愛称で呼ばれた)に移ったのが前身。同じ建物内で1931年国立中央劇場(劇団)が組織され1949年同建物が家事で消失するまでそこで活動。1943年には専属のオーケストラを設立(それまでは伝統楽器で劇の伴奏をしていた)。1951年に開場した現在の国立歌劇場の建物で活動再開。1963年に演劇部が分離、国立ドラマ劇場に本拠地を移し、オペラ、バレエ中心の国立歌劇場として再スタート。名称を変えながら現在に至る。510人収容。現在の正式名称はモンゴル国立オペラ・バレエ・アカデミック劇場。総合芸術監督B.ジャミヤンダグワ(バレエマイスター)、首席指揮者N.トーライフー、常任指揮者J.ブレンベフ、エルデネバートル。 ちなみに「オペラ・バレエ・アカデミック劇場」という名称はいかにも不自然であるが、モンゴル語の"Дуурь Бүжгийн Эрдэмийн Театр"のうち、他の劇場・楽団名にも登場する"Эрдэмийн"の語はロシア語の"Академический"の翻訳語である。このロシア語の意味は「(プロフェッショナルの舞台)芸術」というほどの意味の形容詞であり、日本語には訳しづらい。中国の「ナントカ芸術団」などの名称のうちの「芸術」もおそらくこの"Академический"の翻訳からきていると推測できる。 国立民族歌舞芸術団(Монгол Улсын Үндэсний Дуу Бүжгийн Эрдэмийн Чуулга) 公式HP http //www.mongolianensemble.com/index.php 1945年に設立された国立エストラーダ・コンサート局が前身。当時は楽器6人、歌手5人、ダンサー6人、曲芸2人、朗読1人というメンバーだった。その後1950年に国立人民歌舞アンサンブルに改称して陣容を拡大、1961年には民族楽器の大オーケストラも設立された。2002年に国立民族歌舞団に改称され現在に至る。最初は総合的な大衆娯楽を見せており、歌謡曲やジャズ、人形劇などのステージも行っていて、一時はソヨル・エルデネというロック・バンドも抱えたが、後に伝統芸能的なステージに特化。1980年代には民俗音楽や民俗舞踊に基づいた新しい音楽劇の創出なども盛んに行われる。現在は伝統芸能に基づいてステージ・ショー化された短めの舞踊や音楽の組み合わせで公演を行っている。スフバートル広場南側の国立ドラマ・アカデミック劇場内に居を構える。 国立人形劇場(Монгол Улсын Хүүхэлдэйн Театр) 国立フィルハーモニー(Ц.Намсрайжавын нэрэмжит Монгол Улсын Филармони)所属団体 1972年閣議決定により国立フィルハーモニー協会を設立。交響楽団、ジャズバンドの“バヤン・モンゴル”、老舗ロックバンドの“ソヨル・エルデネ”の3つの運営からスタートした。1992年に長年音楽監督を務めていた功労者Ts.ナムスライジャブの名を冠した。正式名称は「人民芸術家・国家賞受賞Ts.ナムスライジャブ記念モンゴル国立フィルハーモニー」。 公式HP http //philharmonic.mn/ 国立フィルハーモニー交響楽団(Монгол Улсын Филармоний Симфони найрал хөгжим) 1957年、国立放送交響楽団として設立されたものがその前身。1972年に現在の名称・所属に変更。人民芸術家の指揮者・作曲家Ts.ナムスライジャブが長年音楽監督を務めた。1990年より息子のN.ブテンバヤルが芸術監督・首席指揮者。他にB.ルハグワスレン、B.バトバータルが常任指揮者。2003年にアジアオーケストラウィークの一環として来日し、ブテンバヤル、山下一史の指揮により、ワーグナーのオペラの抜粋からB.シャラフの馬頭琴との協奏曲まで幅広いプログラムを披露した。社会主義時代は80数名の陣容を誇り(1980年代)、毎月定期公演を行っていたようだが、現在は不定期にしか公演を行っていない。2008年現在の団員数は51名だが、大統領令の古典芸術発展プログラムにより82名まで再び編成拡大する計画がある。 “バヤン・モンゴル”ジャズ・オーケストラ(Баян Монгол Чуулга) 前身は1969年、ポーランドでの研修を生かし、国立放送局付属として設立された軽音楽楽団。その際国立民俗歌舞団やラジオ局で作編曲、合唱指揮をしていたT.チミッドドルジが中心となった。1972年に現在の名前になり、フィルハーモニー付属のコンサートを専ら行う団体となった。モンゴル国のポピュラー・ミュージックの牽引役となってきた。 国立馬頭琴楽団(Морин хуурын чуулга) モンゴルを代表する馬頭琴奏者G.ジャミヤンが馬頭琴によるオーケストラを提案、1992年に大統領令により設立された。ツェンディーン・バトチョローンが団長、芸術監督、指揮者を兼任する。国内でのコンサート、劇伴音楽の活動のみならず海外へのツアーも積極的に行い、何度も来日もしている。編成は標準の馬頭琴(モリン・ホール)、中音用のチェロ型馬頭琴(ドンド・ホール)、低音用の大型馬頭琴(イフ・ホール)、大小のヤタグ(琴)、ヨーチン(楊琴)、フルート、ピアノ、打楽器。楽器奏者だけでなく人民芸術家Sh.チメッドツェイェーらの歌手も抱える。 モンゴル国軍所属団体 全軍歌舞芸術団(Бүх Цэргийн Дуу, Бүжгийн Эрдэмийн Чуулга) 1932年に軍中央クラブ付属団体として「演劇音楽芸能隊」の名で設立。1934年国軍中央劇団に改組。現在は防衛省の付属団体。設立当初は伝統音楽の歌手や演奏者が所属し、催しでは革命歌や組体操が演じられた。1934年より軍楽隊指揮者V.A.リャリンが指導し、楽譜の習得を開始。1940年にソ連より派遣されたR.I.レシェントニャクの指導によりドンブラのアンサンブルを結成し、その後しばらくこのアンサンブルが劇団の中心となり、1955~56年には中国、北朝鮮、ヨーロッパへ演奏旅行も敢行。1958年には民族楽器と西洋管楽器による混成オーケストラが中心に据えられて以降80年代まではその路線で陣容を拡大していった。しかし1997年に大幅な改組が行われ、現在は舞踊団、合唱団、専属歌手、民族楽器の小アンサンブル、ビッグバンドとストリングスの「シンフォ-ジャズ・オーケストラ」からなる。 国軍参謀本部付属模範軍楽隊(Зэвсэгт Хүчний Жанжин Штабын Үлгэр Жишээ Үлээвэр Найрал Хөгжим) モンゴル国軍の中央軍楽隊(吹奏楽団)。1914年、ボグド・ハーン制モンゴル時代に設立された軍楽隊の指導者A.S.コリツォフを迎え、1922年ごろ結成された人民軍軍楽隊が前身。現在の形で正式に設立されたのは1950年で、作曲家G.ビルワーが音楽監督として中心になった。社会主義時代の正式名称はモンゴル人民軍模範軍楽隊(Монгол Ардын Армийн Үлгэр Жишээ Үлээвэр Найрал Хөгжим)。スフバートル広場での公式儀礼や国賓の来モ時、ナーダムの開会式などには必ず登場。モンゴル帝国時代の鎧を模したユニフォームが特徴。 国境警備隊歌舞団(Хилийн Цэргийн Дуу, Бүжгийн Чуулга) 国境警備庁公式HP内楽団紹介ページ http //bpo.gov.mn/suborgan/1206270001 1942年内務大臣令により辺境・内務省歌舞アンサンブルとして設立。1953年人民革命軍アンサンブルに統合。1960年代後半からの国境地帯の緊張に伴う国境警備隊の増強の一環として1971年に再度設置され、現在に至る。 警察庁所属団体 モンゴル国警察庁HP http //www.police.gov.mn 警察庁音楽隊「スルデ」(Цагдаагийн "Сүлд" чуулга) 吹奏楽団も所属している。 警察音楽隊「ソヨンボ」(Цагдаагийн "Соёмбо" чуулга) その他私営団体 ウランバートル鉄道公社歌舞団(УБТЗ Дуу бvжгийн чуулга Салбар) モンゴルを南北に縦断する鉄道に所属する。 鉄道公社HP http //www.ubtz.mn/ ツキ・ハウス(月の石アンサンブル) ウランバートル市の国立サーカスの西側にある。主に外国人観光客向けに民族歌舞を演じる小劇場。シルクロード音楽やロックの要素、工夫された照明演出とショーアップされた派手な演出が売り。 トゥメン・エフ民族歌舞団(Түмэн Эх Үндэсний Дуу Бүжгийн Чуулга) 1989年設立。ウランバートル市のナイラムダル公園内に本拠地を置く。2006年3月に独立採算に。モンゴルの伝統楽器のアンサンブル、民族舞踊、仏教舞踊「ツァム」などを演じ、海外からの観光客にも比較的よく知られる。日本にもトゥメン・エフ所属のメンバーはよく訪れる。2006年5月にはデンバー、ニューヨーク、ワシントンなどを周る大規模なアメリカツアーも行った。 (参考:インターネット版「モンゴリン・メデー」紙) 公式HP http //tumenekh.wordpress.com/ その他地方劇場など