約 3,013,991 件
https://w.atwiki.jp/japan_dorama/pages/2984.html
amazonで探す @楽天で #北の国から'87初恋 を探す! フジ21 00 1987.03.27 20.5% wikipedia Hulu NETFLIX dTV PrimeVide U-NEXT TVer Paravi GYAO youtube検索 / Pandora検索 / dailymotion検索 / bilibili検索 3 87初恋 1987/03/27 20.5%
https://w.atwiki.jp/horik/pages/18.html
ヒンドゥー教徒の政治家が『真・女神転生』に抗議―「神々や女神を悪魔として登場させることは冒涜」 - Game*Spark グラミー賞は政治とカネ、それでも夢がある――ある日本人ソウル・シンガーの挑戦|日刊サイゾー - 日刊サイゾー 「政治問題は解決できない」 バッハ会長、「中立」強調―IOC - 時事通信ニュース Gゼロサミット、首相「健康安全保障」を提唱…ビデオメッセージ - 読売新聞オンライン 米の外交的ボイコット IOC広報部長「政治的な決定を尊重」(毎日新聞) - Yahoo!ニュース - スポーツナビ 編集局 政治部 市川千晴「超党派・古古コンビ(ふるふるコンビ、 古川元久・古川禎久衆院議員)の挑戦」 - 東京新聞 燕市長選 鈴木氏が4選出馬へ - 新潟日報 「政治の堕落だ」と県反発 岸田首相に問う「聞く力」 選挙を見据え思惑も交錯[ニュース断面] - 沖縄タイムス 4万円のほら貝、政治資金で購入「出陣式で吹くため」「実際に使えず」…維新議員側 - 読売新聞オンライン 月100万円文通費があるのに…自民・小里泰弘議員「郵送代500万円」の謎(NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 外交が「毅然とした主張」に取って代わられるわけにはいかない | | 田中均 - 毎日新聞 <編集部の秀逸>「安河内真知子」さん | ベストコメント - 毎日新聞 韓国を植民地支配したことの重さ 日本はまだ十分理解していない | | 内田雅敏 - 毎日新聞 政治をわかりやすく若者に伝える新進気鋭メディア「POTETO」の役割とは? - auone.jp 「若者と衆院選」座談会 説得力なき政治に不満(毎日新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 《真珠湾攻撃》なぜ日本は“二次攻撃”をやらなかったのか「山本五十六も米国の底力を下算していた」「政治的、戦略的には大きな失敗だった」 - 文春オンライン 戦争は政治のシステム障害 - 西日本新聞 マニフェスト選挙を疑え:2021年総選挙の計量政治学 - 日経ビジネスオンライン <社説>真珠湾攻撃80年 過ち教訓にした政治を - 47NEWS 松川、ラオスとウェブ商談 | 政治・経済 | 株式会社市民タイムス - shimintimes.co.jp 〈チャートで読む政治〉国会運営(7)議長、衆院は大島氏最長 - 日本経済新聞 12月8日(水)配信予定『真珠湾攻撃から80年 政治×安保×歴史学者が日米開戦を徹底検証』 - www.fnn.jp 総司令官がNLD要人訪問、政治的な意図か ミャンマー・政治 - NNA ASIA 〔政治スポットライト〕NZが五輪に政府代表派遣せず、豪は未定 オーストラリア・政治 - NNA ASIA 来年の経済政策は安定第一、中央政治局会議 中国・マクロ・統計・その他経済 - NNA ASIA 不正コピー問題で真鶴町民「政治腐っている」 町議会と意見交換(tvkニュース(テレビ神奈川)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 三浦瑠麗氏と二木教授がオミクロン論争「弱毒化してる」「危険性の判断尚早」(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 鹿児島この1年 政治と経済(KYT鹿児島読売テレビ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 愛国と忠誠のシンボルに? 習近平夫人の「政治嗜好」:樋泉克夫 | 記事 - 新潮社 フォーサイト 【独自】石原伸晃事務所がコロナ助成金約60万円を受給 「確認の上で申請」と釈明するも専門家から疑問の声〈dot.〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「ニューズ・オプエド」に、政治経済学者の植草一秀氏が生出演!特集では、泉健太氏が新代表の立憲民主党は今後どのような政策を行うべきなのか?について、植草さんに詳しくお話しを伺います! - PR TIMES 立民・岡田克也氏 政治資金で「ゴミ袋代に年間4万6200円」の理由を聞いてみた(NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 大統領が裏工作で過去の罪から逃れる政治スリラー『This Is the President』配信開始! - Game*Spark 【コラム】フィクション『地獄』と現実政治=韓国(2)(中央日報日本語版) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 橋下徹氏が維新の文通費改革に苦言「政治団体寄付はマネーロンダリングへの第一歩」(東スポWeb) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 新潟県連の問題は、古い日本の政治の象徴…泉田議員vs星野県議の騒動を自民党本部、そして岸田総理は見て見ぬ振り?(ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 平野啓一郎氏、政治用語に苦言「『骨太の方針』というおかしな日本語を政治の場から退場させてほしい」(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国、米の外交的ボイコット「政治利益のため」と反発(産経新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 改正法案提出も…文通費返還〝抜け穴〟あり!政治団体へ寄付なら〝マネーロンダリング〟(東スポWeb) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 政治資金の使い途 麻生氏は高級車リース336万円、稲田氏は義理チョコ27万円(NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 政治資金報告書、7道県はネットに全公表せず 「チェックの機会奪う」指摘(京都新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 〈社説〉臨時国会が開幕 「丁寧な政治」の真価問う|信毎web - 信濃毎日新聞 【風を読む】武蔵野市長の透ける政治野心 論説副委員長・佐々木類 - 産経ニュース 「政治的ごまかし」と非難 在米中国大使館 北京五輪外交ボイコット(時事通信) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「長期政権は難しい」政治行政アナリスト本田氏が講演 明石コミ懇 - 神戸新聞 安倍会長「岸田政権を支える」派閥初の政治資金パーティーで約束 - スポーツニッポン新聞社 韓国・文大統領の「3流政治」で経済3流化の危機、元駐韓大使が解説 - ダイヤモンド・オンライン 天皇制存続には、政治が火中の栗拾って決断を 瀬畑源・龍谷大准教授 - 朝日新聞デジタル 米山隆一元新潟知事、大阪市長時代の吉村洋文氏のニュースを引用してツイート「こういう政治を広げてはいけない」(中日スポーツ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 長崎・山梨県知事が2期目へ意欲 政治資金パーティーで発言 知事選は再来年に予定(UTYテレビ山梨) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 岸田首相 所信表明演説 与野党の反応 - NHK NEWS WEB コロナ「勝負の3週間」に100人規模の政治資金パーティー 自民参院議員の団体(京都新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「GDPが国力のすべて」と思う人の大いなる勘違い、政治的な思惑で産まれた物で自然の法則ではない(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【主張】国勢調査 人口減に政治の責任重い - 産経ニュース [千葉]いすみ市長選、現職の太田氏が5選(政治山) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース [高知]梼原町長選、現職の吉田氏が再選(政治山) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ウーマン村本 来年3月米移住へ、漫才では“風刺ネタ”「政治家たちこそ廃棄するべき」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 千原ジュニア「性格悪いヤツが政治家すなよ!」 宮崎謙介氏明かす “官僚イビり” に激高(東スポWeb) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ろくでもない政治家を見抜く為に欠かせない視点 - 東洋経済オンライン ひろゆき氏、クーポン支給は政治家が「二度おいしいのでメチャメチャおいしい仕組み」(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 政治のゲーム理論分析(9)信じてもらうための方策 - 日本経済新聞 韓国野党の尹錫悦大統領選候補「妻は政治をするなら離婚届にハンコを押してからしろと嫌がった」(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「現場の声を聞け」権力欲だらけの韓国政治、血の涙流す庶民の叫び声:朝日新聞デジタル - 朝日新聞デジタル 郵便局長のカレンダー政治流用疑惑 90人に懲戒処分も調査結果は疑問だらけ〈dot.〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「スポーツと政治は別」 北京五輪ボイコット同調せず インド大使(時事通信) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 小川淳也 幻の勝利のシナリオ 立憲民主党代表になれなかった男 - NHK NEWS WEB 各党党首の政治資金収入 自民総裁の岸田首相が最多1億5000万余 - NHK NEWS WEB 【単刀直言】伊吹文明元衆院議長 政治家は信念に基づく発言を - 産経ニュース 岸田政権が恐れる「政治ダメージ」 国際線予約停止“取りやめ”で見えた危機感(ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ばらまき論戦より大事なこと。与党も野党も「政治とカネ」をクリーンにする覚悟を示せ!(週プレNEWS) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国「政治問題化」と反発 女子テニス大会見合わせ(共同通信) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 立憲幹事長に女性起用 国政政党で唯一、政治文化変える期待も [立憲] - 朝日新聞デジタル 日米政治ドーナツ化現象 空白の中道に分断の芽 - 日本経済新聞 ICPO新体制 国際手配の政治的悪用は困る - 読売新聞 SNSで目にする、悪口ばかり言う政治家や言論人 ~「政治に本当に必要なものは何か」佐々木俊尚(ニッポン放送) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 仏大統領選挙 極右政治評論家が出馬表明(TBS系(JNN)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「おかしな政治許さない」立憲民主新代表は泉氏に(テレビ朝日系(ANN)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 教諭ら、現実の政治課題は敬遠 高校「公共」必修で主権者教育どう進める?(中国新聞デジタル) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【戦国こぼれ話】いまこそこんな政治家に現れてほしい! 政治力から見た最強大名5選(渡邊大門) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 世界の政治・経済日程(2021年12月~2022年2月)(中国、北アジア) | ビジネス短信 - ジェトロ(日本貿易振興機構) 使途に制限ない「政治資金」 維新・足立康史議員はアイスや駄菓子購入(NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 広がる格差への不満 いま、愛のある政治を | | 大石晃子 - 毎日新聞 日本をダメにした「10人のヤバい政治家」ウラ話を、政界のキングメーカーが激白した…!(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 本気で考えたい「くじ引き民主主義」政治にイノベーションを起こすには?(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【政治デスクノート】得票率10%で当選 いびつな比例復活 - 産経ニュース あえていま、日本の「ヤバい政治家」10人の名前を明かす…!亀井静香がウラ話を激白(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「今の選挙制度で政治を変える道は共闘しかない」…共産・志位氏、参院選でも野党共闘目指す方針 - 読売新聞 政治資金収支報告書 オンライン提出は2.7% デジタル化進まず - NHK NEWS WEB 台湾の政治犯を救おうと活動した日本人がいた 独裁政権下で家族に会い支援金も 都内で記録を展示 - 東京新聞 室井佑月「それが政治か」〈週刊朝日〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 日本の政治はなぜダメになったか?巨匠たちが教える政治家の「真の資質」(ダイヤモンド・オンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 繰り返す「政治とカネ」を許す野党の弱さ 「批判ばかり」から脱却する | | 太栄志 - 毎日新聞 愛国心が強いほど「政治参加する」のか? 調査から見えた「意外な結果」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース “無敗の男”はなぜ敗れたのか - NHK NEWS WEB 【政界徒然草】「安倍・菅政治」という言葉の違和感 - 産経ニュース 意外にも面白い政治家本の世界―毒舌、調整、政治改革……―(中央公論) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 野党躍進のカギ、「国対政治」を見直せるか?「批判ばかり」の脱却策として隔週・夜に党首討論の開催を(室橋祐貴) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 小沢一郎氏「政治のレベルを決めるのは国民」選挙で「権力の私物化を承認」(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 政治の劣化、メディアも責任 敵対でも忖度でもなく伯仲の闘技を:朝日新聞デジタル - 朝日新聞デジタル 総選挙から見えたこと 今後の政治に注文する | | 田中均 - 毎日新聞
https://w.atwiki.jp/teampf/pages/61.html
~聖ラウズレイ王国~ ここは世界でも有数の決闘大国、聖ラウズレイ王国。その王宮の広間では国王とその臣下達との談義が行われていた。 聖王「私は他国の決闘者達を集め、壮大な決闘大会を開こうと思うんだがどうかな。」 威厳のありそうな臣下A「確かにそれなら我が国の決闘者の力を世界に知らしめるいい機会ですな。」 説明好きな臣下B「先代の聖王は他国との干渉を禁止していたため我が国の決闘技術も世界的にはあまり知られておりませぬ。」 聖王「よし、きまりだな。では…。」 そこに1人の臣下が口を挟む。 心配性な臣下C「お待ちくだされ。もしもそのような大会を開き我が国の決闘者がことごとく敗北した場合どうするおつもりですか。」 聖王「その時はその時だろう。」 心配性な臣下C「なっ!やはり聖王様はまだ考えが甘い。」 説明好きな臣下B「確かに聖王様は先代亡き後、若干16歳でその後をつぎ今は18歳である。」 威厳のありそうな臣下A「しかしこの2年でどれだけ国を良き方向に導いたかお主も知らぬわけではあるまい。」 心配性な臣下C「それはそうじゃが…。」 聖王「お前の気持ちも分かるが、ここは俺のわがままをきいてはくれないか?」 心配性な臣下C「ですが…。もしも我が国の騎士が無様な結果を残したりすれば…」 ???「その心配は無用です。」 心配性な臣下の声を遮るように扉の方から声がする。扉が開き、そこには1人の男が立っていた。 ???「大切な会談中、ご無礼をお許しください。」 聖王「よい、入れ。」 ???「話は聞かせて頂きました。他国の決闘者達を交えた決闘大会をお開きになるそうですね。」 威厳のありそうな臣下A「そうだ。」 聖王「私はお前たちに我が国の代表として参加してもらおうと思っている。」 心配性な臣下C「お待ちくだされ。まだ、私の話は…」 ???「大臣。あなたはもしや私達が無様に敗北するとでも思っていらっしゃるのですか?」 心配性な臣下C「い、いや…そういう訳ではないが。」 ???「でしたらこの大会を開催するのに異論は有りませんね?」 心配性な臣下C「ぐっ…うむ。後はもう、好きにしてくだされ。」 心配性な臣下はそういうと部屋から出て行った。 説明好きな臣下B「王国一の騎士に言われては反論もできまいて。」 聖王「では、改めて。聖ラウズレイ王国騎士団シュルツ・セイバーのNo.1 ラインハルト・シュナイズに命ずる。我が国の主催する決闘大会に参加しその力を存分に振るえ!」 ラインハルト「はっ!シュルツ・セイバーの名にかけて!」 聖王「頼んだぞ、ラインハルト。」 説明好きな臣下B「私達の方で参加決闘者達をつのる準備はしておく。」 威厳のありそうな臣下A「ラインハルトよ。お主に人員の選出は任せたぞ。」 ラインハルト「はっ。では手始めにNo.7とNo.5の2人を第一予選の方へ向かわせます。」 ~聖ラウズレイ王国・騎士団詰所~ ラインハルト「シュルツ・セイバーのNo.5、No.7に告ぐ。お前たちは後日開催される我が国主催の決闘大会の第一予選へ出場しろ。」 No.5「了解したぜ。」 No.7「わかったわ。」 ラインハルトはNo.7の方を見る ラインハルト「お前はシュルツ・セイバーとして初の戦いとなる。心してかかれ。」 No.7「えぇ、わかってるわ。それなりに私も死線をくぐり抜けてるつもりよ。無様な戦いはしないと誓うわ。これだけ大規模な大会なら彼らともまた会えそうね、楽しみだわ。」 数日後、各地の決闘者に聖ラウズレイ王国からの招待状が届いた。 「決闘者諸君!我が聖ラウズレイ王国にて決闘大会を開催する。ついては第一回予選大会の日程を記載する。二回目いこうの予選大会については後日連絡をするものとする。」 第一回予選大会開催日時 二月二十六日 戦闘形式:トーナメント 上位四名ガ予選追加ナリ
https://w.atwiki.jp/prey/pages/73.html
アレックスを守る アレックスを守る 開始条件 アレックスが死ぬ前に連れて行く アレックスをセーフルームに入れる 音声ロックでセーフルームのドアを閉める 関連 開始条件 ストーリー/王国への鍵の終了時に発生する。 植物園から離脱するまでが完了期限である。 アレックスが死ぬ前に連れて行く 植物園の重力が失われ、アレックスが巨大なティフォンの黒い帯に巻き込まれる。 アレックスは時間経過ダメージを受け続けるので、死ぬ前に接近して掴めば次ステップに進む。 アレックスをセーフルームに入れる アレックスをセーフティルームに運びこむ。 中にはモーガン・ユウのトランスクライブがある。 🏆ここまでトランスクライブを全部回収していれば、トロフィー「未来の自分へ」を達成できる。 音声ロックでセーフルームのドアを閉める セーフティルームから出て、アレックスの音声を再生しながらドアを閉じる。 音声を再生せずにドアを閉じる、もしくはドアを閉じずに植物園から出るとアレックスが死亡し失敗扱いになる。 関連 メインストーリー 勤務初日 脱出 眺めの良すぎるオフィス おぼろげな鏡の向こう ジャニュアリーと話す 回り道 音声収集 バックアップから復元する
https://w.atwiki.jp/eizoku/
日本を永続させる会のHPへようこそ 活動報告のページを新設しました。どうぞご覧ください。 活動報告 日本を永続させる会は、 心の教育 食料とエネルギーの自給 やり直しのきく社会の構築 先端技術の追求 以上の4点を軸に、強固な日本を次の世代へ引継ぎ、永続させることを目的とした会です。 心の教育とは? 公共心、思いやり、道徳心といった、人として大切な心を育むことです。 イメージとしては、大河「天地人」の直江兼続のような大人があふれる社会を作ることです。 人の痛みがわかり、相手を思いやる気持ちがあれば、大概の問題は解決できるはずです。 また、考えることが出来る人を育てることも、心の教育に含まれます。 自分の意見(考え)を持ち、そもそもの社会、国家の成り立ちを理解し、自らが社会の一員であることを自覚することは大切です。 こういった教育を学校だけではなく、家庭、地域で行えるような社会を目指したいのです。 食料とエネルギーの自給とは? 現在、世界各地で起きている紛争、戦争のほとんどは食料(水)か地下資源の争奪戦といっていいと思います。 日本の領土にしても、尖閣諸島は地下資源(天然ガス)、竹島は海産資源、北方領土は海産資源と地下資源がそれぞれ原因となり、その帰属を巡って争っています。 ※これらの地域は国際条約に基づいた日本の領土です。 また、食料とエネルギーは強力な外交のカードにもなっており、それを武器にしたロシアの台頭は著しいものがあります。 そんな中、われらが日本というと、、、食料自給率は30%以下、石油に至ってはほぼ100%を輸入に頼っています。 もし、これらの輸入が何かしらの理由で滞ったら、日本はどうなるでしょうか? 戦争をしかけるか、どこかの属国になるしか生き残る道はないでしょう。 滞らないにしても、輸入が前提となっている以上、国際的な発言力は低下しますし、狂牛病や残留農薬その他に延々、おびえ続けなければいけません。 こういった状況に陥らないためにも(もうすでに陥っているかも?)、日本は食糧とエネルギーを自給しなければいけないのです。 また、自給できるものは自給するといった考えは、沈没した農業、林業、水産業などの活性化にもつながり、産業の育成にもつながるのです。 鎖国しろとは言ってません!地産地消が本来あるべき姿だといっているのです。 やり直しのきく社会の構築とは? 社会問題化したニートの蔓延、せめて住宅ローンだけはと自殺するリストラにあった一家の大黒柱、大卒ながらフリーター化する若者、都市にあふれるホームレス、漫画喫茶を転々とするワーキングプア。 彼らを路頭に迷わせたのは、他でもない、やり直しのきかない社会そのものです。 一度でも既定路線から足を踏み外したら、元の道に戻るにはあまりにも厳しすぎる現実があります。 セカンドチャンス、サードチャンス、フォース、、、いつでも人生をやり直せる社会って素晴らしいじゃないですか。 勝ち組みはいていいんです、負けてしまった人を再び、何度でも、日の当たる舞台に登場させたいのです。 先端技術の追求とは? 日本はものづくりで今の繁栄を勝ち取りました。 資源も土地もない日本が生き残るには、世界に通用する技術力を持ち続けるしかありません。 世界の工場、中国に技術が流出し続け、安い人件費も手伝い、既製品では太刀打ちできないところまできています。 世界シェアをとり続ける技術、製品を開発し続けることで我々の未来はあるのです。 戦後の焼け野原から復興を遂げた、先人たちの想い、努力を我々の世代が無駄に浪費するわけにはいきません。 我々はどうするべきか? 今の自分がなぜいるのか、今後自分はどうなるのか、主語を自分で考えてみてください。 すると、先人の努力、未来への危惧、いろいろな答えが導き出されると思います。 そして行動しましょう。 我々に残された時間は少ないのです。 日本を永続させる会の役割 永続させる会は政党ではありません。 国政に出て、議席を持ち、与党になり云々という考えはありません。 よくわからないで日々をすごしている日本国民に上記の4点の重要さを伝え、一人一人が日本の行く末を考える機会を提供したいのです。 この考えに賛同できる方には、ぜひ力を貸していただきたい。 難しくありません、政治の知識なんて必要ないのです。 興味本位でも、得意分野の話がしたい、どんなきっかけでもいいのです。 我々の活動に力を貸してください、日本を次の世代に引き継ぐために。 コンタクト方法 当面はミクシーを利用してのコンタクトをお願いします。 http //mixi.jp/view_community.pl?id=4474400 - -
https://w.atwiki.jp/oribatotcg/pages/224.html
東方 仗助/町を守る若き拳 「おれの頭にケチつけてムカつかせたヤツぁ、 何モンだろうーーーとゆるさねえ! このヘアースタイルがサザエさんみてェーだとォ?」 仲間 男 覚・J 200/200 【常/必】 このカードは味方場に存在する『属性:平和』カード一枚につき+50/+50される。 解説 第三回大会『ヘアースタイルがサザエさん杯』賞品カード
https://w.atwiki.jp/kendora/pages/32.html
登場人物 骨川スネ夫 ┌─────┐ │ │ │ カ ル ト │ │ │ ∩( ■∀■ )∩ 子供を守る会のおじさんは、「顕正会ドラえもんショー」に出演するキャラクター。後編のみ登場する。 概要 「子供を守る会」という団体の人物。 夜分遅くにスネ夫宅を訪ね、彼を言葉巧みに慢心させ勤行を止めさせてしまう。 特徴 衛護隊長と同様、被り物ではなく顔出しのキャラ。 サングラスをしたスーツの青年男性(ただし演者は女性の可能性がある)という特徴は同じだが、公演によって別人に見え、男子部版はホスト風で女子部版は井上陽水風。 スネ夫による場面再現という形での出演で当時の発言もスネ夫が代弁するため台詞はなく、代わりにボディーランゲージで会話を表現している。 「カルト」とでかでかと書かれたビラを持参している。おそらく顕正会の事を指しており尚且つ「顕正会を『カルト』と触れ回る行為」を「不自然かつ不可解な妨害」として笑い飛ばしてもらいたいようだが、残念ながら盛大な自虐にしか見えない。むしろ「反社会的」という自覚がある上でやってるネタにも見える。 ドラえもんに「謀り」と指摘されるや否やそそくさと退散。どうやら彼は第六天の魔王がけしかけた刺客的な存在らしい。 スネ夫を口車に乗せる際に他所の子供を名指しで貶している。彼は本当に子供の味方なのか…? 関連項目 登場人物一覧 骨川スネ夫 謀り
https://w.atwiki.jp/monosepia/pages/8159.html
韓国 / 日本 / 竹島 / 対馬 / 朝鮮戦争 / 延坪島砲撃事件 +クチコミ検索〔韓国の日本侵略計画〕 #bf +ブログサーチ〔韓国の日本侵略計画〕 #blogsearch +ニュースサーチ〔韓国の日本侵略計画〕 [寄稿]強制動員ドキュメンタリーと「クールな」わが師(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 米軍の対中国シフト鮮明に、豪州とグアムで軍事拠点を増強へ、世界規模の態勢見直し (2021年12月6日) - エキサイトニュース 深夜に日本大使を招致…中国を爆発させた安倍氏「台湾発言」(中央日報日本語版) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【寄稿】韓国が求める平和なき「終戦宣言」 - ウォール・ストリート・ジャーナル日本版 「中国人・中国政府いずれも好感持てない」韓日の若者世代の反中感情を調べると…(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 続・相次ぐミサイル発射から読む北朝鮮の今:小泉悠,山口 亮 | 記事 - 新潮社 フォーサイト 外交部「福島原発汚染水が無害ならなぜ日本の湖に放出しないのか」 - ニコニコニュース 韓国警察庁長官の竹島上陸に日本政府が抗議=韓国ネットは反発「自国の領土なのに何が問題?」(2021年11月17日)|BIGLOBEニュース - BIGLOBEニュース 韓国・文政権の「自主国防思想」で日本が標的になる恐れ、元駐韓大使が解説 - ニュース・コラム - Y!ファイナンス - Yahoo!ファイナンス 「日本は友邦国家なのか」韓国・李在明氏の止まらない日本批判(2021年11月16日)|BIGLOBEニュース - BIGLOBEニュース 「先制攻撃能力を備えよう」日本政府の主張に“時代錯誤“批判=韓国報道(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「COP26 強まる脱石炭の圧力 日本の対応は」(時論公論) - nhk.or.jp モンゴル帝国が日本侵攻にこだわった理由と、彼らに出口治明氏が注目するワケ(ダイヤモンド・オンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 北朝鮮、人民軍の訓練はあおりながらも、米韓軍事演習は非難(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 米韓軍事訓練を警告した北朝鮮...「朝鮮半島の平和は遠ざかるばかりだ」=韓国(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ハンガリー、「東海表記」1730年の古地図を公開…大統領夫人「敬意を表する」(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 日本の侵略戦争の前進基地だった済州のアルトゥル飛行場、平和公園造成推進(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「中国は確実に台湾に侵攻する」前統合幕僚長が警鐘 沖縄の海が戦場と化す?(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 10月25日は「独島の日」、ご存知ですか?(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国軍、25日から「護国訓練」実施…北朝鮮による挑発を注視(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース <W解説>北朝鮮のミサイル、「韓国の1発か、日本の2発か」軍事情報に食い違い=韓国大統領選挙との関係(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 台湾有事!中国の台湾侵攻作戦とは?:台湾軍、米軍、自衛隊はどう動くか(nippon.com) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 岸田首相、首相就任後初めて「靖国神社に供え物を奉納」=韓国報道(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 日韓関係だけではない、世界を揺るがす「歴史認識」問題 | オアシスのとんぼ | 澤田克己 - 毎日新聞 [コラム]朝鮮戦争取り上げた中国映画『長津湖』が投げかけた不都合な質問(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 脱中国に本気のオーストラリア、AUKUS創設主導の狙いを詳解 - JBpress 中国国内で「旧日本軍礼賛ステッカー」に関する事件が続発…ついに販売者も処罰を受ける=中国報道(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 日本でも大統領選候補イ・ジェミョンに関心…「日本追い越し発言など強硬派」(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース [コラム]台湾に米軍が再び登場したわけは(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「中国はすでに台湾侵略の能力有する」 国防部長、連日の防空識別圏進入に強い危機感 - Newsweekjapan 「千人計画」だけを敵視する、読売新聞の世界観 - Newsweekjapan 台湾・尖閣への中国侵攻に、米軍と自衛隊はどう備えるべきか - Newsweekjapan 北朝鮮が韓国軍の国防計画について南北関係の悪化は韓国の責任と批判(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国政府、朝鮮戦争「中国共産軍の勝利」の映画を許可=野党は「屈辱外交の終わりはどこか」と批判(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース <W寄稿>韓国の国家情報院と日本の団体との間、不当な取引があるという番組=尹美香は「治癒された」(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国国家プロジェクトに「日本人44人」の重大懸念 - 東洋経済オンライン 日本-台湾が27日に安保会談「中国の脅威に関係強化を模索」=韓国報道(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 科学者バッシングで失う「国益」 在中国科学者と検証、読売報道のどこがおかしいのか?(石戸諭) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース <W寄稿>米国にとって韓国はこれ以上、特別だったり、魅力的だったりする存在でない=米韓同盟とアフガニスタンの教訓(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 北朝鮮、海自護衛艦「空母化」を猛烈批判=「軍事大国化の動き」(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース <W解説>東京五輪はまだ終わっていなかった=「旭日旗問題」のクライマックスとIOCへの踏み絵(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 日本政府とメディアはなぜ「台湾有事」をあおり続けるのか。隠された「3つの政治的意図」 - Business Insider Japan 【から(韓)くに便り】黒田勝弘 日本に束縛される快感 - 産経ニュース なんだこれは!あまりにひどい韓国の軍艦島絵本に元島民も激怒り 『恥ずかしい世界文化遺産 軍艦島』に見る反日再生産教育の現状(1/5) - JBpress 異様な北朝鮮の日本バッシング! 「日韓」よりも最悪の「日朝」(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国、宇宙開発進展に期待 米とのミサイル指針撤廃で - 日本経済新聞 【コラム】「日本より中国が嫌い」「中国と関連すれば企業イメージに打撃」 - 中央日報 米軍予想「中国の台湾侵攻は6年以内」に自衛隊が準備する防衛作戦の中身 米中対立の軟着陸が必要だが… - PRESIDENT Online 【劇場型半島】海洋放出は「第二の侵略だ」 韓国で再燃した“反日”悪循環 - 産経ニュース 北朝鮮の矛先は日本! ヒートアップする対日非難! 米国に対しては沈黙!(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 朝鮮半島有事と在韓邦人保護問題――日本政府は自国民を救えるのか/松浦正伸 - シノドス 日韓は「不毛の争い」にピリオドを! 「反日」と「反韓」ムードに引きずられた10年 「#これから私は」(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 自衛隊との戦闘を想定、韓国軍いまや日本を敵国視 作戦シナリオで透ける「敵は北朝鮮でも中国でもなく日本」の本心(1/3) - JBpress 中国が本格的に検討し始めた尖閣、台湾侵攻シナリオ - JBpress 韓国・文政権、対日「戦争」の準備開始か 国防費、日本の防衛費を上回る - iza(イザ!) 朝鮮戦争は「日本攻撃の足場を確保する」準備だった - JBpress 中国の日本侵略への備えを明確にせよ! 防衛計画の大綱:ドクトリンの柱なき日本の防衛(1/9) - JBpress ギルバート氏も騙された?中国の日本侵略計画ヨタ話 - JBpress ■ 彼我の立ち位置を見る必要性 「パチンコ屋の倒産を応援するブログ(2016.5.16)」より (※mono.--前後大幅に略、関連記事のみ転記) / 韓国といえば米兵を置いて逃亡なんてのが有名で、 李承晩にいたっては即逃げ出したのは有名ですが、 「山口県を臨時韓国政府としてよこせ」 と連合国側に要求していたことが最近判明して報じられました。 対馬や九州侵略の準備を進めて北への防備をおろそかにしていたところに攻め込まれ 挙句にこの物言い。これこそが韓国人のメンタリティを端的に示しています。 ■ 【朝鮮戦争の真相】韓国が日本に宣戦布告!『左翼により隠蔽され 日本人の多くは真相を知らない』更新 「理想国家日本の条件 自立国家日本(2016.3.2)」より / 【朝鮮戦争の真相】韓国が日本に宣戦布告! 『左翼により隠蔽され 日本人の多くは真相を知らない』 http //open.ldblog.jp/archives/39604232.html 2014年09月21日の記事の更新です 【KSM】韓国が米国防省高官に日本を攻撃する、同盟国の米国も協力しろと迫るが断られる 2013.9.24 / 【KSM】韓国が米国防省高官に日本を攻撃する、同盟国の米国も協力しろと迫るが断られる http //gofar.skr.jp/obo/archives/12834 一部転載、させていただいた記事です 【朝鮮戦争の真相】「李承晩大統領、対馬侵攻で全軍を南下させ釜山に集結、 北朝鮮に空きを突かれたのが朝鮮戦争の始まり 」 『左翼により隠蔽され 日本人の多くは真相を知らない』 朝鮮戦争は李承晩の九州侵略行動によって起きた。「李承晩ライン」は当初、九州全体までも含んでいた。 李承晩は次の戦略として対馬を手中に収めるため朝鮮半島南部に軍を集結させたところ、背後(ソウル)を 金日成に襲われた。このままでは朝鮮はソ連と組んだ金日成の支配下となるので、日本を占領していた米軍も 参戦して朝鮮戦争が勃発した。 そして、勝手に日本を侵略しようとした李承晩は、米軍から激しく叱責された。 (※mono.--中略、詳細はブログ記事で) / 53 名無しさん@おーぷん 2014/06/29(日)02 54 22 ID YfgAslCit ◆韓国海兵隊「独島」の訓練は常に"対馬"に深夜上陸し、住民3万人皆殺し訓練だけをしている ・朴槿恵政権の国防白書には、仮想敵国は北朝鮮でなく"日本"とハッキリ明記してある。 ・朴槿恵政権の国防白書には、"日本"を侵略する為に軍備増強を進めると明記してある。 韓国国防白書には、韓国海兵隊「独島」訓練は常に"対馬"に深夜上陸し、住民3万人皆殺しを目的とする。 【軍事】 韓国には対馬侵略を目的とした韓国海兵隊「独島」強襲揚陸艦がある (写真あり) { (※mono.--以下写真および記事略、詳細はブログ記事で)} ■ 韓国人の陰謀 李承晩の日本侵略計画→朝鮮戦争が起きた原因 「情報ごった煮ブログ(2015.9.1)」より (※mono.--前半略) / ★★★ 朝鮮戦争が起きた原因 1950年6月25日 - 1953年7月27日 ★★★ 韓国駐留アメリカ軍、1949年に韓国から完全撤退、そして500人の軍事顧問が残務業務で残りました。韓国に重武装した約10万人の韓国正規軍がいました。 1948年8月15日、大韓民国を建国。李承晩大統領の誕生。米軍の撤退開始。 1949年6月、韓国から在韓米軍の完全撤退が終了しました。米軍ゼロ。 1950年、韓国に米軍ゼロ、残務整理の軍事顧問500人が残っていた。 朝鮮戦争が起きた原因は、北国境の韓国軍を日本侵攻に移動させたのが原因。 1949年1月7日、李承晩大統領は「対馬領有」を宣言。「対馬は350年前に日本に奪取された韓国領土」と主張。1950年6月、李承晩大統領は北国境に居た10万人の正規軍を大演習を装って、日本侵攻に向けて南端まで動かしました。それは、全軍を朝鮮半島南端に移動させ全軍を船に乗せている準備中の出来事でした。 北朝鮮は、韓国全軍が動きスカスカになっていることを知り動きました。韓国市民が戦争を知ったのは2日後と言う状態で、北朝鮮はなんの抵抗もなくソウルに到達、そのまま南下するも一切の抵抗もなく進めることができたのです。当時の北朝鮮軍関係者は、全く抵抗が無かった事に驚いたと証言しています。 なぜなら、李承晩大統領が李承晩ラインの野望として「対馬領有」を口実にして、九州北部へ侵攻し、日本占領の為に韓国軍を船に乗せている真っ最中の出来事だったからです。李承晩大統領は、韓国は戦勝国として日本に韓国軍10万人を 「朝鮮進駐軍」と進駐させる権利があると主張し、日本占領の口実まで掲げていた。 当時、非武装の憲法九条で日本に自衛隊も存在せず、日本侵略の先発隊として不法侵入した韓国朝鮮人らは日本で朝鮮進駐軍を組織し、日本人を殺しまくっていた時でした。1952年には竹島が韓国の手に落ちました。1954年に自衛隊が誕生して、やっと韓国の侵略を防ぐことが出来るようになりました。 戦時中の戦時重用は1500人程でしたが、戦後から朝鮮戦争時の不法入国者は約50万人や60万人どころでなく200万人以上も日本に侵入してきました。 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) ■ 閑話休題 アラカルト③ 「余命三年時事日記(2015.2.16)」より (※mono.--「延坪島砲撃事件」関連記事のみ転記。既出転載記事と重なる部分もあり。太字はmonosepia) / 軍事については延坪島砲撃事件関連では検証もしております。 20101020韓国対馬侵攻を疑われる部隊移動開始。米から警告。防衛大臣北澤俊美。 20101123延坪島砲撃。北朝鮮の韓国侵攻を懸念し抑止に中国介入。 20110311東日本大震災。統合任務部隊創設。JTF-TF 韓国軍の異常な部隊移動を掴んだ米軍は韓国に警告、同時に日本にも通報、北朝鮮の数個師団にも及ぶ軍の移動に朝鮮戦争の再開を嫌う米中両国は抑止介入に踏み切ります。中国は北朝鮮国境に、瀋陽軍区10万、北京軍区10万、最終的に30万をこえる部隊を集結しました。この情報は欧州軍軍事ネットでも報じられておりましたが、いったいどこからこんな情報が出てきたのでしょうか。そして最終的にはガス抜きでしょう、北の延坪島砲撃によって終結となりました。その後、米中は何事もなかったように全く知らん顔です。 そのせいか、この件は世界でも関係記事はいくつもありませんし、検証はみなピント外れです。日本でもみな消化不良だったのではないでしょうか。しかし、始まってからはすべて米が仕切っていたとすれば、すべてがつながります。米は韓国の動きを知っていたということですね。 ここで文字通り閑話休題、韓国小話です。 延坪島砲撃開始直後、米韓司令部に韓国軍将校が飛び込んできました。指示を求めにきたのです。その場にいた米軍将校は落ち着いて静かに言いました。「部隊移動に関して、貴軍は平時統制権は韓国にあるといわれた。現状ではソウルが砲撃されているわけではない平時である」そしてちょっと間をおいて「撃たれたら、その倍も3倍も撃ち返せ!」と怒鳴ったそうな。 その場にいた韓国軍関係者は凍りつき、米軍関係者は笑いをこらえるのに必死だったとか。これも韓国お笑い小劇場の定番となりそうですね。 当時、日本は管政権。米は政府と自衛隊に警告。ところが管政権は全く対応せず。よって自衛隊は北澤防衛大臣を無視して防衛体制JTF-TFを構築、独自に動き出しました。 延坪島事件後もしばらくは韓国軍の配置が通常にもどらぬことから自衛隊は警戒を続けていましたが、1月になって第二次管内閣の発足直後に平常に戻りました。こういう関係から自衛隊の管に対する売国奴意識は猛烈で、2月には制服組が動き出し、3月はクーデターかという動きにつながっていったのです。ところが3月11日東日本大震災によりすべてがリセットとなります。 その後、野田内閣になってからも、李明博の竹島上陸、天皇陛下侮辱発言等、嫌韓感情が増大する中で、6月に事実上の日韓同盟にもあたる条約締結の動き(締結1時間前に韓国がキャンセル)とか、韓国におもねるような国外財産調書法、あるいは外国人参政権の推進等が進められていく状況に危機感が増大し、慰安婦問題での謝罪と10兆円にも及ぶ慰安婦賠償問題がまとまりそうな流れに、ついに自衛隊がぶち切れました。 これを事前に察知した野田が打った手が、突然の衆議院解散でした。 一連の動きは極秘重要事項にもかかわらず、以外と表面化しています。結局、全部とは言えませんが、かなりの部分が、米から自民党に情報提供されていたようですね。今では日本独自の情報収集能力も格段に向上しているようです。 軍事情報だけでなく政治情報も筒抜けであれば、安倍さんに怖いものはありません。日韓議員連盟の額賀は放置、二階は取り込んで捨て看板です。危険予備軍の親中韓議員、小渕優子や松島みどりは同士討ちで処分しました。 裏でこそこそ動いていた反日議員や政党は気味が悪いでしょうね。なにしろ額賀が訪韓で何を言いどうしたか、すべて筒抜け。今回の二階もそうですね。まさに子供のお使いです。こういうのを「だちょうのかくれんぼ」「頭隠して尻隠さず」というのでしょう。 (※mono.--他に「日韓スワップ」関連記事などあり。) 【対中韓防衛】 ■ 2015は極限値(中間報告) 「余命3年時事日記(2014.4.6)」より (※ 延坪島砲撃事件に関しての詳報記事のみコピペ、記事詳細はブログ記事で) / 延坪島砲撃事件....。一度簡単にアップしていますが、今回は詳述します。 日本で2009年民主党が政権を取ってから国家機密のたれ流しが始まり、韓国では2010年1月には国籍法、兵役法を改正。大統領令を強化、実質、これは対日開戦準備法でした。 中国でも同様に2010年7月国防動員法が制定され、これも実質対日開戦準備法でした。この流れに米軍と自衛隊は警戒態勢を強化、情報収集を進めている中で、10月なかば米軍事衛星が成都軍区における軍の移動を探知。続いて瀋陽軍区、北京軍区の移動も探知します。米軍は対日開戦を疑い、日本にも警告。しかし当時の管政権は何らの手も打ちませんでした。移動情報を詳細に検討した結果、また対日戦の直接担当である東海艦隊に動きがなく、第2砲兵も動いていないことから対日開戦準備でないこと、そして中国への問い合わせで、北朝鮮の動員、そのきっかけが韓国軍の南下にあったことが判明しました。 米の警告に韓国が平時統制権をたてに部隊を戻さなかったことから、米は中国と協議、利害関係の一致から、予定されていた23日の韓国砲撃演習にあわせ砲撃をもってむりやり韓国軍を引かせたという事件でした。 この砲撃戦は偶発的なものとして実に小さな扱いで処理されました。しかし、その実際は世界軍事ネットでも報道されていたとおり、北朝鮮国境背後に30万近い中国軍と、韓国北西部国境には約10個師団の朝鮮軍、そして東シナ海には米空母機動部隊が展開していたというとんでもないスケールだったのです。 個々の動きを検証してみましょう。戦争だといって叫んでいるうちは実際の戦争は起きません。秘匿された軍の動きこそ危険の兆候です。しかし、万単位の軍の移動は隠しきれるものではありません。旅大戦区では艦隊に出動準備命令と待機命令。成都軍区からの部隊移動、北京軍区からと、直接担当の瀋陽軍区の部隊集結と大混乱でした。ここで注目すべきは、この動きは全く報道されていないことです。動員の内容は概略わかっています。瀋陽軍区15万。成都軍区7万。北京軍区2万?です。ここで不思議なことに気づきます。朝鮮国境の担当は瀋陽軍区です。そこに成都軍区と北京軍区の部隊がどうして動員されたのだろうと思えば事情通。事情はどうであれ、瀋陽軍区だけの軍団の集結移動は北京にとっては怖かったのでしょう。「敵は本能寺にあり」朝鮮国境に向かうはずの軍が北京に進軍なんてことがおきたら漫画ですね。 旅大戦区艦隊の準備命令に北海艦隊まで動員してしまいました。中国は複雑ですね。 一方、米軍は秘匿された韓国陸軍2ヶ師団の理由なき南下と、28日からの東シナ海における演習を装った対馬侵攻を疑い、日本に警告、しかし管政府は無視したことから自衛隊は北沢防衛大臣抜きに独自に海空JTF、陸自は国内治安に備えました。 もし侵攻があれば25日か26日が予想されたことから米中で23日が決定されたと聞いております。この件もし、米軍将校クラブで機会があれば聞いてみるといいですね。「延坪島砲撃?ああ、あれは韓国の対馬侵攻作戦さ。失敗したがね」という答えが返ってくるでしょう。これは常識です。 この事件は自衛隊に決定的な変化をもたらしました。一つは民主党政権への不信感増大。もう一つは反日マスコミへの憎悪感の増大です。 / 2009年民主党政権発足後、国家機密がたれ流しされ、中韓との関係が戦争が現実に起こりうるレベルにまで緊張してきました。その中で、マスコミの対日開戦準備法の報道無視や政府の対応の無策は、現場で命をかけて仕事をしている自衛官には売国奴の仕業としか思えません。当ブログではその辺の感情をできるだけぼかして記述しておりましたが、漏洩したと思われる自衛隊文書を覗くと、それにはマスコミは直接の殲滅破壊とあり、民主党をはじめとする反日勢力は民兵が担当、殲滅掃討とあります。 確かに、戦争が予想される状況で、敵の開戦準備状況を意識して隠蔽するマスコミの行為は完璧な外患誘致罪で死刑確定です。政治家や弁護士などの反日勢力は民兵が担当し、その処理は法でなく国民感情に任せるということですね。自衛隊の殲滅感情が理解できず、違和感を抱いていた方もこのような事情があったのだわかれば納得できるでしょう。 突然でてきた民兵という言葉はちょうどいいタイミングです。別途、後述しますが、現実問題として、韓国本国から棄民として、また日本から住民登録によって通名及び在日特権の剥奪が確実な事態は2015年7月の住民登録期限は無視、不法滞在による強制送還に対しては徹底抗戦という開き直りが予想され、彼ら得意の人道、人権、民族差別問題にすり替えてくる可能性が大です。これの阻止と、不法滞在者のあぶり出しと強制送還には、ある意味、超法規的な組織が必要であるということです。対馬侵攻作戦の真偽なんてどっか飛んでいってしまいますね。 つづく (※ 太字・赤字はmonosepia) ■ 時事放談会 韓国事案 「余命3年時事日記(2014.3.28)」より (※ 延坪島砲撃事件関連で重要な箇所のみコピペ。太字・下線・赤字はmonosepia) / ......さて韓国です。20070703韓国強襲揚陸艦独島配備、20081222韓国イージス艦世宗大王配備、20100831韓国イージス艦栗谷李珥配備 20090830日本民主党へ政権交代。国家機密たれ流し始まる。この件、立証は困難でしたが2013年福山哲朗の自爆質問で民主党の30000件の国家機密漏洩を自認してしまいます。実際、政権交代直後から韓国や中国の動きは明確に機密漏洩を示唆しておりました。 20100125国籍法兵役法改正。大統領令と動員令強化。まさに対日開戦準備法でした。 20100608鳩山から管へ。 20101020韓国対馬侵攻と疑われる部隊移動開始。察知した北朝鮮が軍を移動。これに中国も反応。瀋陽軍区朝鮮国境地帯に兵力を集中移動。監視衛星で察知した米から警告も民主党政府は反応せず。当時の防衛大臣は北澤俊美。米軍、韓国に忠告も動かず。朝鮮戦争再開を防ぐため、米中工作、了解のもとに20101123延坪島砲撃開始。 ーーーーーーーーーーー ■ 「竹島」をめぐる水面下の状況 「平成中野学校(2014.2.23)」より (※ 前後略、詳細はブログ記事で) / 【韓国の対日戦に関わる事件】 20100701国防動員法。実質、対日開戦準備法。 20101020韓国対馬侵攻を疑われる部隊移動開始。米から警告・防衛大臣北澤俊美 20101127延坪島砲撃。北朝鮮の韓国侵攻を懸念し抑止に中国介入。 同時期に起きた韓国警備艇の轟沈は自国の機雷に接触した為らしい …望むと望まざるとに関わらず、すぐソコにある(韓国との)戦争。 2020年の東京五輪前になるのかどうかが問題。 その場合米中ともに静観の構えらしい… ただし韓国放棄は米の既定路線だが、日本はあくまで同盟拠点として維持する為、切っても切れない現場部隊の日米連携は維持。それをより強化させる為に安倍政権は集団的自衛権を急いでいる。無論、対韓戦で日本の海空は圧勝するが、国内治安と周辺国の動向が不明な為に保険を積み上げている状況。 これで韓国が諦めて自滅する事を狙っている。同時に国内除鮮。 .
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/2581.html
日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 第2部 戦争の時代 第1章 満州事変から盧溝橋事件まで 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その2> 戸部良一: 防衛大学校教授(外部執筆委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf 目次 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その1> 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その2>2.関係安定化の模索と挫折4)梅津・何応欽協定 5)広田三原則 3.華北の紛糾1)幣制改革 2)「北支」工作(華北「自治」運動) 3)多発する事件 4)対ソ戦略と対中政策 5)内蒙工作と綏遠事件 6)西安事件 7)対中政策の再検討 8)盧溝橋事件前夜 2.関係安定化の模索と挫折 4)梅津・何応欽協定 広田や重光が、満洲国の実在を所与のものとして、中国統一を進める国民政府との間に安定した関係を構築しようとしたのに対して、これに逆行する動きが華北で繰り返される。現地の関東軍や支那駐屯軍が、国民政府による中国統一に否定的であったからである。現地軍は、失地回復を諦めない国民政府の本質を「抗日」であると見なし、それゆえ満洲国の防衛や対ソ戦略の観点から、華北にそのコントロールが及ぶことを阻もうとした。対ソ戦の場合、国民政府は抗日のためにソ連に協力するかもしれないと危惧された。出先の軍人たちは、国民政府の「誠意」はポーズにすぎないとして大使交換にも批判的であった36。 こうした中、華北で事件が発生する。戦区内で活動する抗日反満の武装集団はときおり熱河に侵入し関東軍を刺激していたが、1935 年5 月中旬、業を煮やした関東軍は長城線を越えてこれを討伐した後、満洲国領内に引き揚げた。このとき日本側では、河北省主席・于学忠がこの武装集団を陰で支援していたと睨んだ。また、同じ5 月の初め、反蒋・反国民党の親日新聞社の社長2 人が天津の日本租界で暗殺された。日本側の調査では、犯人は国民党の特務組織のメンバーであるとされた。ここでも、河北省当局と国民党機関の責任を問う声が上がったのである37。 5 月29 日、支那駐屯軍参謀長の酒井隆は、軍事委員会北平分会委員長代理の何応欽に対して二つの事件の責任を問い、国民党機関の河北省撤退、于学忠の罷免、于学忠軍(東北軍系)と中央軍の河北省外への移駐などを要求した。軍司令官・梅津美治郎の不在を狙った酒井の独断であったが38、要求通告の事後報告を受けた梅津や陸軍指導部は、一時戸惑った後これを追認した39。 要求通告後、支那駐屯軍は天津の省主席官邸前に部隊を展開して威嚇し、関東軍も国境近辺に部隊を集中して圧力を加えた。中国側は日本政府に斡旋を要請したが、広田外相は、地方的軍事問題は外交交渉の埒外であるとして関与しなかった。苦況に陥った何応欽は6月10 日、結局、酒井の要求を受諾するとの口頭による回答を寄せ、後日、要求を受諾したという事実のみを記した書簡を送った。これがいわゆる梅津・何応欽協定である。中国側は合意内容を実行したが、それは日本との協定によるものではなく、中国自身の自発的 36 戸部良一「陸軍「支那通」と中国国民党」『防衛大学校紀要』第68 輯(1994 年3 月)48-50 頁。 37 島田俊彦「華北工作と国交調整(1933 年~1937 年)」『太平洋戦争への道』第3 巻、98-101 頁。 38 酒井の独断については、松崎昭一「再考「梅津・何応欽協定」」軍事史学会編『日中戦争の諸相』(錦正社、1997 年)35-39 頁を参照。 39 在中国若杉大使館参事官より広田外務大臣宛電報(6 月7 日)外務省編『日本外交文書昭和期Ⅱ第1 部第4 巻上』第299 文書。 12 な行政措置であるとの立場をとった。つまり中国側からすれば、梅津・何応欽協定なるものは存在しないとされるのである40。 同じ頃、察哈爾省の張北でも事件が起こった。日本陸軍の特務機関員が同地で中国兵に不法監禁されたというのである。それまでにも察哈爾省に駐屯する宋哲元の第29 軍(西北軍系)と関東軍・満洲国側との間には、たびたび紛争が生じていた。関東軍はこの張北の事件を利用し、満洲国の国境防衛と内蒙古自治工作に役立てようとした。 関東軍から派遣された土肥原賢二(奉天特務機関長)は省主席(宋哲元)代理の秦徳純に対し、第29 軍の長城以南撤退、排日機関の解散などを要求し、6 月27 日秦徳純はこれを認める文書の回答を提出した(土肥原・秦徳純協定)。この結果、第29 軍は河北省に移駐していった。かつて長城の防衛戦で関東軍と激しく戦い、今度は察哈爾省から追われた第29 軍は、当然ながら強烈な抗日意識を持つことになる。 1934 年から1935 年前半にかけて、満洲国の実在を所与のものとして、国民政府との間に安定した関係を構築しようとした日本政府の試みは、限定的ではありながら、一定の成果を挙げつつあるように見えた。だが、華北での出先軍人の策動はその試みに冷水をかけ、中断させてしまう。日中提携の実現を図ってきた南京政府や北平政務整理委員会のいわゆる親日派の人々からは、日本軍人による傍若無人の行動と、それを掣肘しない日本政府に対して、嘆きの声が上がった。黄郛によれば、梅津・何応欽協定は彼らに対する国内的支持を弱め、彼らに「悲哀ト絶望トヲ感セシメタ」という41。 5)広田三原則 華北の状況変化によって困難さが増したとはいえ、日中関係全体の安定化を目指す動きが断念されたわけではない。むしろ、華北での出先軍人の突出を抑えるとすれば、大使昇格をテコとして全般的な日中関係安定化を進めることが必要であると考えられた。 こうした発想から、日中外交当局の間で国交全体を改善するための協議が開始される。1935 年1 月、広田外相が帝国議会で日中親善を謳った直後、国際司法裁判所判事の王寵恵が来日し、日中国交に関する三つの原則を提示したが、9 月になって初代大使の蒋作賓は、あらためてその原則を説明した。(1)相互の独立尊重と対等関係、(2)友誼に基づく交際、(3)平和的方法による問題解決、という三原則が実現されるならば、中国としては満洲国を当面不問に付し、さらに上海停戦協定と塘沽停戦協定の取消に同意してくれるならば経済提携を進め軍事的協力も検討したいと蒋大使は述べた。 一方日本では、中国に対する方針についての協議が7 月あたりから外務・陸軍・海軍の三省事務当局間で始まり、10 月4 日、関係大臣の了解事項となった42。その中の、(1)中国の排日言動の徹底的取締と欧米依存政策からの脱却、(2)満洲国独立の黙認(できれば正式承認)、(3)赤化勢力の脅威排除(防共)のための協力、がいわゆる広田三原則である。了解事項の付属文書として、中国の統一あるいは分立を助成したり阻止したりすることを行わない、という申し合わせがなされたが、これは華北の事態を睨み陸軍を牽制するために付 40 梅津・何応欽協定の成立経緯については、臼井『日中外交史研究』141-154 頁を参照。 41 在中国有吉大使より広田外務大臣宛電報(6 月25 日)『日本外交文書 昭和期Ⅱ第1 部 第4 巻上』第245 文書。 42 「対支政策[広田三原則]決定の経緯」『現代史資料8・日中戦争1』102-108 頁。 13 け加えられたものと言えよう。 日中両国の三原則を比べてみると、中国側の原則はまだしも相互主義的であったが、広田三原則は一見して明らかなとおり、日本側の一方的な要求に終始していた。日本側の原則は、相手国との相互的なギヴ・アンド・テイクよりも、国内の関係者の主張や要求をどのように調整するかということに重点を置いていた。10 月7 日、広田外相はこの三原則を蒋大使に提示した。しかし、これによって日中関係安定化のための交渉が動き出すことはきわめて難しかった。交渉の前提となる「原則」それ自体に問題があったからである。その上、1935 年後半には、交渉の環境も悪化しつつあった。 3.華北の紛糾 1)幣制改革 国民政府は、国内敵対勢力を制圧しながら日本に抵抗するという政治的・軍事的問題のほかに、経済的にも深刻な問題に直面していた。世界大恐慌の影響に加えて、剿共戦の長期化や満洲事変以後の日本との武力紛争が、軍事費を増大させ国家予算を圧迫した。満洲の喪失は関税収入の大幅な減少を招いた。さらにこれに輪を掛けたのがアメリカの銀政策である。アメリカが内外の市場から銀を買い付けたため、銀貨が高騰し、中国から大量の銀が流出したのである。中国は実質的に銀本位制をとっていたため、甚大なダメージを受けた。 中国はアメリカに銀買上の中止と銀価抑制を要請したが、協力を得られなかった。次いで中国は各国に借款を要請する。この要請を受けた日本は、しかし、消極的であった。満洲国建設に資金を注ぎ込んでいたため、外債に応じる財政的余裕がなかった。仮に応じるとすれば、中国が債務を返済することが先決であるとされた。また、中国が外債を有効に使うためには複雑な貨幣制度(幣制)を根本的に改める必要があるとされたが、国民政府にはそれを実現する能力がないとも判断された。 イギリスでも、貨幣制度の改革なしには借款は一時しのぎにしかならないと考えられた。ただし蔵相のチェンバレン(A. Neville Chamberlain)は、日英の共同借款が日英協調を促し東アジアの安定に資することに期待をかけた。この大蔵省の後押しもあって、イギリスは政府首席経済顧問のリース=ロス(Frederick W. Leith-Ross)を中国財政再建援助のために現地に派遣することになる。 1935 年9 月、訪中前に来日したリース=ロスは日本側に注目すべき提案を行う。その提案とは、中国を経済的混乱から救うには銀本位制を放棄させる幣制改革が望ましく、幣制改革のためには借款を供与しなければならないが、これを具体化する方式として日英両国が1000 万ポンドの借款を満洲国に与え、それを満洲国が中国に対して満洲喪失の代償として引き渡したらどうか、というものであった。つまり、満洲国を経由しての日英共同借款によって、中国を経済的苦況から脱却させ、日英協調を実現し、さらに中国の満洲国承認も引き出そうとリース=ロスは提案したのである43。だが、日本政府はこの提案に否 43 木畑洋一「リース=ロス使節団と英中関係」野沢編『中国の幣制改革と国際関係』210頁。 14 定的であった。中国の幣制改革の実現可能性については依然として懐疑的であり、共同借款についても反対であった。列国による借款は中国の国際管理につながる危険性があり、少なくとも列国の政治的影響力を維持・強化させるので望ましくはないと考えられた。それよりも中国は一時しのぎの借款に頼らず自力更生を図るべきであると広田外相や重光次官は論じた44。 日本の対応に失望したリース=ロスは中国政府に幣制改革を勧告する。それは中国自体がそれまで検討してきた改革構想にほぼ合致したものであった。こうして11 月4 日、国民政府は幣制改革を断行する。銀本位制を廃止して管理通貨制に移行し、貨幣の発行を三つの銀行にだけ限定して銀を国有化する、というのがその改革の骨子であった。イギリスは単独の借款供与には踏み切らなかったが、自国の銀行が保有していた銀を中国側に引き渡すことで、幣制改革の成功を助けた。アメリカは中国の銀を購入する協定(米中銀協定)を締結し、中国が保有銀を売却して得たドルあるいは金をベースにして銀本位制から脱却することを可能にした。 日本の否定的な予想にもかかわらず、中国の幣制改革は成功への道を辿る。国民政府は幣制改革によって西南派や華北将領等の地方勢力の経済的な基盤を掘り崩し、その面からも国家統一を進めようとしたのである45。 2)「北支」工作(華北「自治」運動) 国民政府の幣制改革は、日本陸軍にとって歓迎されざる事態を意味した。それはイギリスの差し金によるものと見なされ、イギリスの影響力の拡大を伴うことが警戒された。それに加えて、国民政府による経済的な面での華北コントロール強化も憂慮すべき事態であった。華北将領たちの間でも、地方的利害から幣制改革には抵抗があった。こうして華北では陸軍出先機関による反撃が始まる。 出先軍はまず、察哈爾省から河北省に移ってきた宋哲元ら華北将領に圧力を加えて、現銀の南送を防止し、幣制改革を妨害しようとした。また、梅津・何応欽協定の成立以来、出先軍は華北「自治」運動を陰で工作していたが、幣制改革後はこの運動を性急に強行しようとする。 関東軍は、華北将領に国民政府からの離反を促すため、満洲国国境の山海関付近に一部兵力を集中した。陸軍中央はこの措置に驚き、兵力移動は認めたものの、まだ「北支」工作のために武力を行使すべき段階ではないと関東軍に自制を説いた。外務、陸軍、海軍の三省事務当局は意見調整を行い、華北「自治」を支持することには合意したが、そのための行動には慎重さが必要であるとし、「自治」の程度は最初から過大な要求をすることを避け、漸進的に行うべきであると申し合わせた。 一方現地では、土肥原から華北「自治」を要請された宋哲元(平津衛戍司令)、商震(河 44 波多野澄雄「幣制改革への動きと日本の対中政策」野沢編『中国の幣制改革と国際関係』272-273、松浦正孝「再考・日中戦争前夜」『国際政治』第122 号(1999 年9 月)135-137 頁。 45 幣制改革の政治的側面に関する新しい解釈については、樋口秀実「1935 年中国幣制改革の政治史的意義」服部龍二ほか編『戦間期の東アジア国際政治』(中央大学出版部、2007年)を参照。 15 北省主席)、韓復榘(山東省主席)らが、その圧力をかわしながら、何とか「自治」へのコミットを回避しようとしていた。結局のところ、「自治」運動の成果として実現したのは、戦区督察専員(戦区の行政首長)の殷汝耕を長とし、戦区を領域として11 月25 日に成立した冀東防共自治委員会だけであった(12 月25 日、冀東防共自治政府に改組)。殷汝耕には叛逆者として国民政府から逮捕状が発せられた。 南京の国民政府は、華北将領に対して日本に屈服しないよう牽制しつつ説得するとともに、日本の要求に何らかのかたちで対応する必要に迫られた。そのため蒋介石は北平軍事分会を廃止し、宋哲元を冀察綏靖主任に任命するとともに、高度の自治権を持たせた「大官」を華北に派遣する、との案を提示した。在中国大使の有吉明はこの提案に注目し、「自治」運動を抑制して蒋介石による事態収拾を見守るべきではないかと意見具申した。ところが、本国政府は国民政府による大官の華北派遣に反対する。国民政府ないし国民党の影響力が華北に残存し強化されるのではないかと警戒したのである。国民政府が大官として何応欽を華北に派遣し、「自治」の態様や防共等について日本側と協議しようとしたとき、日本側は彼と会おうとしなかった。 現地陸軍は華北将領に対する圧力を一段と強めた。特務機関等が後ろで糸を引く「自治」運動が各地で繰り広げられた。こうした動きに対して、12 月9 日、北平では大学生を中心とした数千人のデモ隊が「抗日救国」を叫び、公安当局と衝突した。16 日には1 万人以上が参加したデモが北平で展開された。華北の将領は「自治」推進と反対の板挟みとなり、軍閥としての利益から自己保身を図った。物情は騒然とし、ついに何応欽も事態収拾不能を認めざるを得なくなった。 12 月18 日、最終的に妥協の産物として発足したのが冀察政務委員会である。8 月末に廃止された北平政務整理委員会(政整会)に代わる、国民政府の地方行政機関として設置された。ただし、国民政府が黄郛や何応欽のように華北に地盤を持たない有力者を派遣して地方行政を担当させたのではなく、冀察政務委員会は宋哲元を委員長にしたことに示されているように、あくまで華北の実力者を主体とした地方機関であった。日本側が華北将領による「自治」を要求していたからである。そしてその分、南京(国民政府)と北平(冀察政務委員会)は意思の疎通に欠けるところが多くなった。中央政府の思惑や地方軍閥の利害も複雑に絡み合った46。 日本は当初、華北五省(河北、察哈爾、山東、山西、綏遠)の「自治」を目指したが、冀察政務委員会は河北・察哈爾の二省と北平・天津の二市を管轄したにすぎなかった。また、国民政府からの分離を目指したのに、冀察政務委員会は国民政府の地方行政機関として設置された。こうした点で、現地陸軍が目指した華北「自治」の目標はまだ達成されていなかった。 一方、日本の外交当局は、国民政府が「自治」運動の抑制を求めてきたとき、それを中国の内政問題であるとして突っぱねながら、華北への大官の派遣に反対し、何応欽の北上に際しては彼との接触を避けた。1936 年1月、日本政府は「第一次北支処理要綱」を決定 46 南京の国民政府と華北将領、特に宋哲元との関係については、Marjorie Dryburgh, North China and Japanese Expansion 1931-1937 Regional Power and the National Interest (Curzon Press, 2000)、光田『中国国民政府期の華北政治 1928-1937 年』を参照。 16 し、現地軍の性急な行動には自制を求めつつも、華北の「自治」推進を追認した47。 こうして、出先陸軍の「北支」工作により、国民政府では、いわゆる親日派の影響力が低下していった。政整会廃止の数ヵ月前に黄郛は委員長の職を辞した。1935 年11 月、汪精衛は何者かによって狙撃され、やがて行政院長兼外交部長を辞任した。12 月には、外交部次長として対日外交を取り仕切ってきた唐有壬が暗殺された。国民政府内の親日派との提携によって対中関係を安定化させようとしてきた広田・重光外交は、その前提を失い、広田三原則をめぐる交渉もほとんど動かなくなった。 その上、1936 年2 月、東京では陸軍過激派将校によるクーデタ(二・二六事件)が発生し、日本の首都は一時、麻痺状態に陥った。反乱軍鎮圧後、広田を首班とする内閣が発足したが、暫くは政府も軍も事件の再発防止と国内の安定に関心と努力を注がねばならなかった。 3)多発する事件 中国では、華北でもそれ以外の地域でも、日中関係をこじらせる問題や事件が相次いで発生していた。両国の関係をこじらせた問題の一つは、冀東特殊貿易である48。中国から言えば、冀東地区での密貿易にほかならない。満洲事変以前も関東州から渤海湾を渡って河北省沿岸や山東半島へ向かう密貿易は少なくなかったが、事変以後は、日本商品への関税が高かったことと、戦区の沖合での密輸取締船の活動を日本側が禁止したこともあって、戦区を経由する人絹や砂糖等の密輸が飛躍的に増えた。 冀東政権が成立すると、その行政経費を捻出するため同政権は輸入品に特別税を課したが、それは国民政府の正規の関税の4 分の1 程度であったので、その特別税を払っただけの「特殊貿易」が横行し、国民政府の関税収入に大きなダメージを与えるとともに、国内経済を混乱させた。中国側はこれに抗議したが、日本は中国の内政問題であるとして取り合わなかった。 華北でもう一つ日中関係をこじらせたのは、1936 年5 月、支那駐屯軍が兵力を3 倍(約5800)に増やしたことである。この兵力増強は、長征を終え(1935 年10 月)陝西省延安に根拠地を構えた共産軍に対処することを目的としていたが、これには隠れた理由もあった。性急かつ強引に華北「自治」運動を画策する関東軍に、「北支」工作から手を引かせ満洲国育成に専念させるというのが、その理由である。「北支」工作は支那駐屯軍が主導するものとし、そのために兵力増強とともに軍司令官を親補職にして関東軍司令官と同格としたのである49。 支那駐屯軍の増強は、事前通告を行わず、新たに駐屯地とされた豊台が義和団事変最終議定書に明記されていなかったこともあり50、中国側から厳しい批判を招いた。関東軍に 47 『現代史資料8・日中戦争1』349-350 頁。 48 冀東特殊貿易については、藤枝賢治「冀東貿易をめぐる政策と対中国関税引下げ要求」軍事史学会編『日中戦争再論』(錦正社、2008 年3 月)を参照。 49 支那駐屯軍の増強については、松崎昭一「支那駐屯軍増強問題」『國學院雑誌』第96 巻第2 号・第3 号(1995 年2 月、3 月)を参照。 50 日本陸軍は当初、通州を新駐屯地にしたいと考えていたが、通州は義和団事変最終議定書で認められた列国の「占領」地に入っていなかったため、国際的な批判を招くとして断念された。豊台も同議定書には明記されていなかったが、以前にイギリス軍が駐屯していたことがあり、そのとき中国側が抗議しなかったので、陸軍はここを新駐屯地に選んだ。 17 対する牽制という内向きの理由は当然ながら表面には出せず、むしろ日本は兵力を増強させてまた何か事を起こそうと画策しているのではないか、という疑惑を強めてしまった。 上海では1935 年11 月、海軍陸戦隊の水兵が射殺される事件が発生し、翌年2 月になって、犯人は中国の特務組織に関わる人物であることが判明した。華中・華南の権益や居留民の保護を担当する海軍を、上海の水兵射殺事件は強く刺激した。1936 年8 月には、一時閉鎖していた成都の領事館再開を前に、現地に赴いた新聞記者を含む日本人グループが暴徒に襲われ、死者2 名、重傷2 名の被害を出した(成都事件)。同年9 月、広西省の北海で薬局を営んでいた日本人が殺害された(北海事件)。広西省に移駐してきた19 路軍が排日を煽っていたことを重視した海軍は、艦船を北海に派遣して現地調査を行い、国民政府が責任を回避し事件解決を遷延させる場合には武力行使も辞さないとの強硬な姿勢を示した。北海事件直後には漢口で日本領事館の警察官が射殺され、上海でもまた水兵が殺害される事件が起こり、これらの事件も海軍を硬化させた。 ただ、このときは華北の事態を重視する陸軍が北海への陸兵派遣に消極的であり、成都事件を解決するために始まった川越茂大使と張群外交部長との交渉に、北海事件の解決委ねられることになった。 4)対ソ戦略と対中政策 その頃、日本政府は広田三原則の行詰りに応じて対中政策を見直し、新しい方針を打ち出していた。1936 年6 月、陸海軍が国防方針を改訂したとき、政府はこれと並行して同年8 月、国家戦略としての「国策の基準」を定め、これに準拠して「帝国外交方針」、「対支実行策」、「第二次北支処理要綱」を策定したのである51。 このうち「対支実行策」では、国民政府を反ソ・対日依存の方向に誘導し、華北の特殊性を認識させてその「自治」を容認させるとともに、具体的には防共協定・軍事同盟の締結、日本人顧問の傭聘、日中航空連絡、互恵関税協定の締結(冀東特殊貿易の廃止とその交換条件として排日高率関税の引下げ)、経済提携の促進等を提案することが方針とされた。 注目されるのは、防共協定の締結という方針である。ここには、日本の対ソ戦略バランスの悪化という事情が絡んでいた。そもそも満洲事変は対ソ戦略上有利な態勢を構築することを目的の一つとして始められたが、結果的には逆説的にも日ソ間のバランスは日本にとって不利な方向に傾いた。ソ連が外交的には日本に対して宥和的な態度をとりつつ、軍事的には日本の脅威を深刻にとらえ、極東領土の軍備強化を図ったからである。1934 年6月の時点で、ソ連陸軍の極東兵力は日本陸軍の総兵力に匹敵し、対ソ前線に位置する満洲と朝鮮の日本陸軍兵力はソ連極東陸軍の30 パーセントに達しなかった。しかもこの兵力の格差は広がりつつあった52。 陸軍が日ソ戦の場合の中国の向背を懸念し、抗日を本質とすると考えられた国民党の勢力を華北から排除しようとした背景には、こうした対ソ戦略バランスの劣勢があったのである。さらに、1936 年2 月、陝西省の共産軍が一時、山西省に進出してきたことは、現 51『現代史資料8・日中戦争1』361-371 頁。 52 防衛研修所戦史室『戦史叢書・大本営陸軍部1』(朝雲新聞社、1967 年)352 頁。 18 地および本国の陸軍の警戒を強めた。これを受けて3 月末、多田(駿)支那駐屯軍司令官は宋哲元との間に、極秘裡に防共協定を結んだ53。また、前年12 月、華北「自治」に反対して繰り広げられた北平のデモにも、共産勢力の影響力増大が感知された。皮肉なことに、日本が国民党機関を排除した後の間隙に、その特務組織による苛烈な弾圧が姿を消したこともあり、共産勢力が浸透していたのである54。 以上のような対ソ・防共の考慮は、「第二次北支処理要綱」にも貫かれている。そこでは、中国の領土権の否定、独立国家の樹立、あるいは満洲国の延長を図るかような行動は避けるが、華北の「分治」を促進して防共親日満の地帯を建設し、国防資源の開発と交通施設の拡充を進めてソ連の侵攻に備えるとともに、日本・満洲国・中国の三国「提携共助」を実現することが謳われた。注目されるのは、華北「分治」が政府の確定した方針として掲げられたことである。開発すべき国防資源としては鉄、コークス用石炭、塩、石炭液化、棉花、羊毛等が挙げられた。既に関東軍や支那駐屯軍の依託を受けて、華北の経済資源に関する調査が進められており、1935 年12 月には満鉄の子会社として興中公司が設立され、華北資源開発に関する事業を開始していた55。 成都事件が起こったのは、このような国交調整方針が固まった頃である。日本側の要求は当初、犯人・責任者の処罰、排日の取締という事件解決に重点を置いていたが、やがて国交調整方針に含まれる全般的なものへと膨らんでいった。北海事件など、その後に続く事件の発生が日本側の態度を硬化させた。一方、中国側は事件解決と排日取締には応じたものの、それ以外の点では日本の要求に対して妥協を拒んだ。中国側は、塘沽・上海両停戦協定の廃棄、冀東政権の解消、華北自由飛行(満洲国と華北との航空連絡に消極的であった中国側を牽制するため、中国軍の監視を名目に関東軍が華北に軍用機を飛ばしていたもの)の中止、密貿易の停止、内蒙古に侵入した「偽軍」(傀儡軍)の解散、を要望し、日本側と正面から渡り合った。 成都事件をきっかけとして1936 年9 月に始まった川越・張群会談は、こうして進展を見せなかった。そのうちに関東軍の後押しする内蒙軍が綏遠省北部に侵入し、そこで中国軍と衝突した事件(綏遠事件)をめぐって会談は暗礁に乗り上げ、同年12 月、事実上、打ち切られた。 5)内蒙工作と綏遠事件 綏遠で中国軍と衝突したのは、察哈爾省で内蒙古自治を目指して活動していた蒙古の王族、徳王の軍隊である。南京の国民政府は蒙古人の自治要求に押されて蒙古地方自治政務委員会(蒙政会)を設置したが、徳王はこれにあきたらず、土肥原・秦徳純協定で宋哲元軍を察哈爾省から押し出した関東軍に接近した。1936 年4 月、察哈爾省の徳化に徳王を主席とする内蒙軍政府が関東軍の指導下に成立し、満洲国との間に相互援助条約を結んだ。内蒙工作を強引に推進していたのは関東軍参謀の田中隆吉である。陸軍指導部は必ずし 53 臼井勝美「冀察政務委員会と日本」『外交史料館報』第16 号(2002 年6 月)34-35 頁、安井三吉『盧溝橋事件』(研文出版、1993 年)68-71 頁。 54 安井『盧溝橋事件』85 頁。 55 華北での日本の経済活動については、中村隆英「日本の華北経済工作」『年報・近代日本研究』第2 号(1980 年)を参照。 19 もこれを支持しなかった。やがて徳王は財政的基盤の脆弱な内蒙軍政府を強化するために、綏遠省の東部を支配下に入れようとする。同年11 月、徳王のために田中が掻き集めた無頼の匪賊部隊が蒋介石打倒を唱えて綏遠省に侵入した。しかし、この部隊は紅格図で簡単に敗れ、百霊廟に駐屯していた徳王の内蒙軍も綏遠軍の攻撃を受けて潰走した56。 この綏遠事件での中国軍の勝利は、日本軍に対する初めての勝利、しかも「無敵」の関東軍を打ち破った大勝利であると大々的に報じられ、中国各地で喝采を浴びた。綏遠への侵入に関東軍が間接的に関与していたことは間違いないが、実は戦闘にはほとんど参加していなかった。だが、これまで鬱積してきた対日屈服感からの解放も手伝って、綏遠事件の勝利は誇大に受け取られた。綏遠事件は中国の抗日感情を昂揚させ、日本に対抗する自信を回復させた。そして、その直後に歴史を転換させる事件が起こる。 6)西安事件 それは12 月12 日、剿共戦の督戦のため西安を訪れた蒋介石が、内戦停止・抗日救国を訴える張学良と楊虎城によって拘禁された事件である。張・楊と延安の共産勢力との間には以前から共同抗日についての協力関係が生まれていた。事件発生の報を受けて延安から周恩来が飛来し、最終的に蒋介石は釈放された。事件収束に至る真相はいまだ不明だが、この西安事件によってその後の共同抗日と国共合作が促されたことは疑いない。 そもそも蒋介石は、満洲事変以後、安内攘外の方針に基づき日本との妥協を図ってきたが、究極の場合の対日戦の準備を疎かにしていたわけではない57。国民政府は剿共戦を戦うためドイツから軍事顧問を招聘し、軍事組織・戦略・戦術の近代化を図るとともに、その助言に基づき、対日戦に備えた軍事的措置を講じつつあった58。1936 年4 月には、ドイツとの間に1 億マルクの貿易協定を結んだ。ドイツからの武器の輸入とタングステン等の輸出によるバーター協定であった。中国はこのようなドイツとの密接な経済的・軍事的関係によって日本を牽制しようとしたが、同年11 月の日独防共協定の成立により、親独政策による対日牽制は頓挫した。 蒋介石は対日牽制のためにドイツとの連携だけでなく、ソ連(1932 年12 月国交再開)との連携も模索した59。一方、かつて国民党を敵視していたソ連も、中国の対日牽制を維持・強化する上で、蒋介石の指導力に着目した。反ファシズム人民戦線戦術を採用していた(1935 年8 月)コミンテルンは、中国共産党に対しこれまでの反蒋抗日ではなく、連蒋抗日の路線を勧告した。蒋介石は、外蒙古を衛星国化して新疆を「赤化」し北鉄(東支鉄道)を満洲国・日本に売却したソ連に対して、不信感を拭い去ることはできなかったものの、日本の強引な華北工作に対抗するため、対日戦の場合に軍事援助が得られるかどう 56 内蒙工作については、森久男「関東軍の内蒙工作と蒙疆政権の成立」『岩波講座・近代日本と植民地1 植民地帝国日本』(岩波書店、1992 年)を参照。 57 中国の国防計画については、安井『盧溝橋事件』126-135 頁。 58 対日戦準備に対するドイツ軍事顧問団の貢献については、Hsi-Huey Liang, The Sino-German Connection Alexander von Falkenhausen between China and Germany 1900-1941 (Van Gorcum, 1978), chap.7-8 を参照。 59 蒋介石の対独・対ソ連携構想については、樹中毅「蒋介石の民族革命戦術と対日抵抗戦略」『国際政治』第152 号(2008 年3 月)、鹿錫俊「日ソ相互牽制戦略の変容と蒋介石の「応戦」決定」軍事史学会編『日中戦争再論』を参照。 20 かをソ連に打診していた60。さらに蒋介石は、紅軍(共産軍)に対して討伐を中断することはなかったが、日本に対抗する上での共産党との政治的妥協の可能性も排除しなかった。たしかに日本との和解の可能性をまだ諦めてはいなかった。しかし、華北分離の動きがこれ以上強まれば、日本との武力衝突の可能性にも備えなければならなかった。そうしたところに西安事件は起こったのである。 7)対中政策の再検討 西安事件は日本にとっても大きな衝撃であった。事件は、一方では中国の内部分裂の深刻さを示すものと受け取られたが、他方では国内統一に向かう重大な転機とも見られた。 関東軍は事件の結果、中ソ両国が抗日に関して完全に一致したと分析し、これまでのように華北「自治」を国民政府からの権限委譲によって実現するのではなく、国民政府の意向には捉われず日本が自主的に追求すべきであると主張した61。これに対して、参謀本部戦争指導課は、西安事件を契機として中国では内戦反対と国内統一の気運が進んだと指摘し、抗日人民戦線派が健全な新中国建設運動に転化し得るかどうかは、日本が従来の「帝国主義的侵寇政策」を放棄できるかどうかにかかっていると論じた62。言論界でも、国民政府による統一を肯定的に評価する中国再認識論が説かれ、実業界の一部には1936 年後半あたりから、華北分離工作を批判し、日中経済提携を説く主張が浮上していた63。 こうして対中政策の再検討が始まる。そのイニシアティヴをとったのは、戦争指導課長から作戦部長に昇任した石原莞爾である。彼は将来の対ソ戦を睨んで当面は満洲国育成に専念し日満一体の軍需産業基盤強化を図るため、中国との衝突回避を望んだ。そのため内蒙工作に反対し、華北分離を否定し、冀東政権廃止の可能性も考慮しつつあった。 一方、外務省でも対中政策の見直しがなされていた。その主眼は、華北分治工作の中止と経済的施策の実行にあった。1937 年3 月、広田内閣に代わる林銑十郎内閣の外相に佐藤尚武が迎えられて、陸海軍両省を巻き込んだ対中政策の再検討が本格化した。4 月に政府は「対支実行策」「北支指導方策」を決定し、華北の分治や中国の内政を乱す政治工作は行わないことを定め、前年の華北分治の方針を否定した。「対支実行策」では、国民政府が指導する中国統一運動に対して「公正なる態度」で臨むことが基本とされ、防共協定や軍事同盟の締結という要求項目はなくなった。反ソ・対日依存への誘導という前年の方針も謳われなくなった。「北支指導方策」では、目的達成のために華北民衆を対象とした「経済工作」に主力を注ぎ、これに国民政府の協力を求めることが合意された64。画期的な政策転換であった65。 60 この頃の中ソ関係については、Jonathan Haslam, The Soviet Union and the Threat from the East, 1933-41 (University of Pittsburgh Press, 1992), chap.3 を参照。 61 関東軍参謀部「対支蒙情勢判断」(1937 年2 月)臼井勝美「昭和十二年「関東軍」の対中国政策について」『外交史料館報』第11 号(1997 年6 月)67-70 頁所収。 62 参謀本部第二課「帝国外交方針及対支実行策改正に関する理由竝支那観察の一端」『現代史資料8・日中戦争1』382 頁。 63 この点については、伊香俊哉「日中戦争前夜の中国論と佐藤外交」『日本史研究』第345号(1991 年5 月)を参照。 64 『現代史資料8・日中戦争1』400-403 頁。 65 佐藤外相の下での政策転換については、臼井『日中外交史研究』第9 章、藤枝賢治「「佐藤外交」の特質」『駒澤大学史学論集』第34 号(2004 年4 月)を参照。 21 その頃、横浜正金銀行頭取の児玉謙次を団長とする実業家グループが訪中し、中国の実業家たちと会談した。帰国後、児玉は冀東政権の解消と冀東特殊貿易の廃止を訴える意見書を佐藤外相に提出した。児玉訪中団のメンバーであった藤山愛一郎(大日本製糖社長)は岳父の結城(豊太郎)蔵相のメッセージを新任の外交部長王寵恵らの国民政府首脳に伝えた。それは日中経済提携の実績によって出先の関東軍や支那駐屯軍を抑制し、両国の関係安定化を図りたいとの趣旨であった66。 だが、現地では支那駐屯軍が林内閣の新方針に同調的だったのに対して、関東軍はそれを次のように強く批判していた67。政治的工作を行わず重点を経済的工作に置くというのは、従来の方針に比べて著しく消極的であり、日本との国交調整に応じる意思のない国民政府に親善を求めるのは、その「排日侮日」の態度を増長させるだけである。もし武力行使が許されるのであれば、中国に一撃を与えて、対ソ戦の場合の背後の脅威を除去するのが、最も有利な対策と言うべきだろう、と。 西安事件の衝撃を受けて、日本には対中政策の転換を図ろうとする動きが生まれたが、関東軍のように、それに反対する主張も根強かった。また、政策転換の実績を挙げるには時間が必要であった。そして、その実績が挙がる前に、1937 年6 月林内閣は総辞職した。後継の近衛内閣の外相に就任したのは広田弘毅であった。 8)盧溝橋事件前夜 日本の国防方針において、中国は仮想敵国のひとつであった。したがって、陸軍は毎年、中国と開戦した場合の作戦計画を作成した。中国の軍備強化に伴い、1937 年度(1936 年9 月から1 年間)の対中作戦計画での使用兵力は、前年度の9 個師団から14 個師団に増加した68。ただし、対ソ戦に備えての軍備拡充を焦眉の急としていた参謀本部では、中国との戦争は極力回避すべきであると考えられていた。 支那駐屯軍はこの作戦計画を受け、参謀本部の指示に基づいて華北の占領計画をつくった69。作戦計画が華北要地の一時的「占領」にとどまらず、やや長期の「確保」を要求していたので70、現地軍の占領計画も、万一の場合の不測事態計画であるとはいえ、それ相応に詳細なものとなった。 そして、華北では、そうした不測事態が起こりかねない状況になりつつあった。1936年、北平郊外の豊台に支那駐屯軍の増強部隊を収容する兵舎を建設したとき、中国人の間には、日本軍が軍用飛行場をつくろうとしているのではないか、との疑心暗鬼が生まれた71。 66 松浦「再考・日中戦争前夜」142-143 頁。 67 在満州国沢田大使館参事官より堀内外務次官宛(6 月11 日)外務省編『日本外交文書昭和期Ⅱ第5 巻上』第144 文書。 68『戦史叢書・大本営陸軍部1』368-370、412-414 頁。 69 支那駐屯軍の華北占領計画については、永井和『日中戦争から世界戦争へ』(思文閣出版、2007 年)第1 章を参照。 70 『戦史叢書・大本営陸軍部1』413 頁。 71 エドワード・J・ドレー「戦争前夜」波多野澄雄・戸部良一編『日中戦争の軍事的展開』(慶應義塾大学出版会、2006 年)27 頁。 22 同年、平津地区で行われた支那駐屯軍秋季大演習も中国側の疑惑をかきたてた72。 北平近郊に駐屯する中国軍第37 師は第29 軍の中で最も抗日意識が高いとされており、第29 軍の高級将校の中には共産党員も紛れ込んでいた73。1936 年9 月18 日、柳条湖事件5 周年の日、豊台の日本軍と第37 師の兵士との間に小競り合いが生じた。中国側の謝罪と豊台からの撤退で事は収まったが、日本軍が中国軍に武装解除を要求しなかったのは第29軍を恐れたからだという噂が広まり、これを聞いて憤慨した連隊長の牟田口廉也は、今後類似の事件が起きたならば、今度こそ仮借することなく直ちに中国軍を膺懲し、侮日・抗日観念に一撃を加えねばならぬ、と部下に訓示したという74。 牟田口が予想した類似の事件は、それから10 ヵ月後、盧溝橋で起こることになる。対ソ戦闘法の夜間演習を行っていた日本軍部隊と中国軍との衝突であった。そのとき、前内閣(林内閣)の対中政策転換に反対し、中国の「増長」を憎み、華北を国民政府の政治的コントロールから分離することを目論んでいた対中強硬論者は、中国に「一撃」を加えることを躊躇しなかったのである。 72 安井『盧溝橋事件』107-113 頁。 73 第29 軍副参謀長の張克侠は共産党員、第37 師長の何基.は共産党シンパで1939 年に入党した。同上、91 頁。 74 秦郁彦『盧溝橋事件の研究』(東京大学出版会、1996 年)67-69 頁、臼井「冀察政務委員会と日本」36-38 頁。 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 日中歴史共同研究
https://w.atwiki.jp/kuchigenka/pages/14.html
弱者のフリをしておけば絶対に炎上しない 炎上してしまうのは、社会的地位があって、かつ調子に乗っている人。~ ネットを見ている人たちは、「なんやねんコイツ?」というヤツが、昔話の意地悪じいさんみたいにたたかれて痛い目に遭わないと納得しないんです。~ ~ 逆に言うと、どれだけ調子に乗っていても、弱者のフリをしておけば絶対に炎上することはない。~ だから、ネットで活躍してる人たちはみんな、弱さを出してるんですよ。~ 「無職です」「モテません」「童貞なんです」みたいに。ちょっとズルイですけどね。~