約 3,013,942 件
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/2567.html
日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 第2部 戦争の時代 第1章 満州事変から盧溝橋事件まで 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その1> 戸部良一: 防衛大学校教授(外部執筆委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf 目次 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その1>1.満洲事変1)柳条湖事件 2)中国の対応と国際連盟 3)事変解決の模索 4)上海事変と満洲国建国 5)満洲国の実態 6)熱河事件と国際連盟脱退 2.関係安定化の模索と挫折1)戦区接収と実務協定 2)広田・重光外交 3)日中提携の試み 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その2>2.関係安定化の模索と挫折4)梅津・何応欽協定 5)広田三原則 3.華北の紛糾1)幣制改革 2)「北支」工作(華北「自治」運動) 3)多発する事件 4)対ソ戦略と対中政策 5)内蒙工作と綏遠事件 6)西安事件 7)対中政策の再検討 8)盧溝橋事件前夜 1.満洲事変 1)柳条湖事件 1931 年9 月18 日夜、奉天郊外の柳条湖で満鉄の線路が爆破された。関東軍の作戦参謀・石原莞爾と高級参謀・板垣征四郎を首謀者とする謀略によるものであった 1。鉄道守備を任務とする関東軍はこれを中国軍の仕業とし、自衛のためと称して一気に奉天を制圧した。 柳条湖事件発生の数ヵ月前、陸軍では省部(陸軍省と参謀本部)の課長レベルで、在満権益に重大な侵害が加えられた場合には武力を発動する、というコンセンサスが成立していた 2。彼らの構想では、武力発動の前に内外の理解と支持を得るために 1 年ほどの世論工作が必要とされ、したがって柳条湖事件の発生は早すぎたが、関東軍が武力行使に踏み切った以上、それをバック・アップするのは当然と見なされた。発動した武力を背景として、張学良政権の「排日」政策をやめさせ、権益の維持・増進を図ることが目標であった。そのためには、満洲に張学良政権に代わる親日政権を樹立することも視野の中に入っていた。 ただし、首謀者の石原や板垣にとって、武力発動は単なる自衛や権益擁護のためだけではなかった。彼らは北満も含む満洲全土を領有するつもりであった。こうして満洲での武力発動は、政府や陸軍指導部の基本方針に反する行動として開始されたのである。まず第一に、石原や板垣を含む陸軍の急進的な軍人は、ナショナリズムの急進化を背景とした中国の「革命外交」によって日本の在満権益が危機に瀕しているととらえたが、これに対して幣原外相の対中外交はまったく効果的な手を打っていないと見なされた。それゆえ急進的な軍人たちは、謀略によって日中間に衝突事件を引き起こし、満洲の「危機」を強引な武力行使によって一挙に打開しようとしたのである。 第二に、満洲での軍事行動は、満洲の危機打開のためだけではなく、日本の国防のためにも必要であると考えられた。石原らは、1929 年の奉ソ戦争におけるソ連の行動を見て、その軍事的脅威が復活しつつあると判断し、ソ連の軍事的脅威に対抗するためにも、満洲全土を日本の支配下に置こうと計画した。満洲全土を支配下に置けば、対ソ国防上有利な態勢を築くことができ、また、満洲の豊富な資源を確保して日満一体の自給自足圏を構築することができると考えられたのである。自給自足圏の構築は、第 1 次世界大戦の教訓として少壮軍人たちが学んでいた総力戦の前提でもあった。 第三に、武力発動によって日本を取り巻く国際関係が緊張し対外的危機が造出されれば、それをテコにして日本本国の国内政治の改造を促すことができるとも期待された。急進的な軍人は、政党政治が「党利党略」に明け暮れて国防を顧みず、国民の利益や要望にも応えていないと見なした。彼らは、「腐敗堕落」した政党政治を打倒し、総力戦を戦うための国家改造を目指した。満洲における武力発動を、そうした国家改造のきっかけとすることも目論まれたのである。 こうして柳条湖事件は、石原らの周到な計画と目論見に基づいて開始された。事件後、 1 柳条湖事件の謀略については、秦郁彦「柳条溝事件の再検討」『政治経済史学』第183号(1981 年8 月)を参照。 2 「満洲問題解決方策の大綱」小林龍夫・島田俊彦編『現代史資料7・満洲事変』(みすず書房、1964 年)164 頁。 2 奉天を制圧した関東軍はさらに進んで安東、営口、長春など満鉄沿線の要地を占領した。居留民保護を名目として、満鉄沿線から遠く離れた吉林にも進出し、そのため手薄となった南満洲の防備を理由に朝鮮軍に援助を要請した。 事件の報を受けた東京の若槻(礼次郎)内閣は9 月19 日、事態不拡大の方針を決めた。陸軍指導部は関東軍の行動を容認し、朝鮮軍の越境(満洲進出)を政府に要請したが、事態不拡大の方針に反するとして認められなかった。しかし、かねてから関東軍の幕僚との間に援軍派遣の了解があった朝鮮軍は、陸軍指導部が政府の承認と天皇の裁可を得るのに戸惑っていることに痺れを切らして、9 月21 日独断で国境の鴨緑江を越えた。若槻内閣は朝鮮軍増派を追認せざるを得なかった。天皇の裁可を得ない独断越境は、本来、軍法違反で処罰の対象となるはずだったが、柳条湖事件の謀略と同様、有耶無耶に済まされてしまった。そしてこの後、現地軍の一部が突出し、それに東京の陸軍指導部と政府が追随し出先軍の行動を追認してゆくというパターンが繰り返されることになるのである。 マス・メディアも強硬であった。各新聞は、事件が中国側の計画的な行動であるとの関東軍の言い分を鵜呑みにした上で、その背景には度重なる排日行為や権益侵害の積み重ねがあると読者に解説し、関東軍の行動を自衛権の発動であると正当化した。新聞は事変をめぐって活発な報道合戦を繰り広げ、事変を利用して発行部数を伸ばした。そして、その強硬論は国民を煽る方向に作用したのである 3。 関東軍の行動に対する国民の支持は、武力発動が自衛や権益擁護のためであるとの政府による説明に基づいていた。だが、既に述べたように、関東軍の石原らの狙いは自衛や権益擁護を超えており、彼らは満洲全土を領有する計画であった。しかしながら、満洲領有案に対しては陸軍指導部の急進分子ですら同調しなかった。このため石原ら関東軍は独立国家樹立構想に軌道修正したが、これに対しても積極的支持があったわけではない。関東軍の武力発動に対する支持の多くは、自衛もしくは権益擁護という理由に基づいており、陸軍中堅層を含む強硬論者の間でさえ、期待されたのは張学良政権に代わる新しい親日地方政権を樹立することくらいであった。 2)中国の対応と国際連盟 関東軍の軍事行動はほぼ計画どおりに進行した。それを可能にした理由の一つは、中国側が武力抵抗を試みなかったことにある。事変勃発時に張学良は10 万の兵を擁して北平(北京)に滞在していたが、満洲には東北軍20 数万の大軍が存在し、これに対する関東軍の兵力は2 万に満たなかった。しかし事変前から、蒋介石は張学良に対して日本側を刺激しないよう命じ、張学良も奉天の部下に日本との衝突を避けるよう指示していた。 事変勃発直後も張学良が不抵抗方針を継続したのは、日本政府が関東軍に対するコントロールを回復できるだろうと考えたからであった。そこには、張学良の軍閥としての思惑も絡んでいた。もし東北軍が関東軍と戦って兵力を損耗すれば、自分の権力基盤が弱体化すると張学良は懸念した 4。蒋介石も張学良に武力抵抗を命じなかった 5。当初は、中国政 3 池井優「1930 年代のマス・メディア」三輪公忠編『再考太平洋戦争前夜』(創世記、1981年)177-185 頁。 4 宇野重昭「中国の動向(1926~1932 年)」日本国際政治学会太平洋戦争原因研究部編『太平洋戦争への道』第2 巻(朝日新聞社、1962 年)274 頁。 3 府も日本政府による関東軍の統制に期待をかけた。9 月19 日、財政部長の宋子文が中国駐在公使の重光葵に対して、日中両国による事件の共同調査を提案したのは、そうした期待がまだあったからである 6。しかし、関東軍が南満の要地を次々と占領するに及んで、中国は日本との直接交渉による解決を断念するに至った。 当時、国民政府は江西省に本拠を置く共産勢力と軍事的に対峙し、この年5 月に成立した広東政権とも対立関係にあり、対日武力抵抗を試みる余裕がなかった。そのため国民政府は二つの方法によって日本の行動を抑制しようとした。排日ボイコットと国際連盟への提訴である。柳条湖事件以後、日貨排斥は反日抵抗運動として、その規模と激しさを増した。しかし関東軍の行動を抑制することはできなかった。 一方、国際連盟は必ずしも中国の期待どおりには動かなかった。英仏等の大国は、国際秩序の動揺を最小限に抑えると同時に、日本の行動が権益擁護の自衛措置と見なされる限りは、日本の立場に配慮しつつ自制を求めようとした。それまで国際秩序の維持に協力してきた幣原外交への期待もあった。幣原は中国との直接交渉による事変解決を主張した。これに対して中国は、関東軍による要地占領の解消つまり鉄道付属地内への撤退が先決であると反論した。9 月30 日、連盟理事会は、日本軍の早期撤退を決議したが、撤退には期限を付けなかった。撤退監視員の派遣という中国側の要求は退けられた。 ところが、こうした連盟の配慮にもかかわらず、関東軍は突進する。国内では10 月中旬、参謀本部の中堅将校を首謀者とするクーデタ計画が発覚した(十月事件)。クーデタは未発に終ったが、陸軍を抑制しようとする政府にとっては無言の圧力となった。10 月 8日、関東軍は張学良が東三省回復の本拠としていた満洲西南部の錦州を爆撃する。さらに、対ソ刺激を懸念する陸軍指導部によって抑えられてきた北満進出にも踏み切り、11 月19日には要衝チチハルを占領した。新国家擁立への関与を禁じた政府の方針を無視して、満洲各地で国民政府から独立した地方政権の樹立を背後で促進し、新国家の首班に予定する廃帝溥儀を、謀略による騒動に紛れて天津から満洲に連れ出した。 こうして、権益擁護のための自衛行動という日本の主張は説得力を失い始め、国際連盟の対日不信が強まってゆく。10 月24 日、理事会は日本軍の期限付撤兵勧告案を採決したが、日本のみの反対で否決された。結局理事会は日本の同意を得た上で12 月10 日、現地への調査団派遣を決議し、その調査が終了するまで問題の解決を先送りした。調査対象には日本の主張により、満洲の事態だけではなく、中国の全般的状況(排外運動や政府の条約義務履行能力など)も含まれた。 3)事変解決の模索 国際連盟が問題解決を先送りしている間、日中両国の間では直接交渉によって事変解決を目指す試みが潜行する。これには、日中両国の政権交代が関わっていた。 中国では日本に対抗するため、南京の国民政府と広東政権との合流が進み、その合流条件として12 月15 日、蒋介石が国民政府主席・行政院長・陸海軍総司令を辞職し下野した。 5 NHK取材班・臼井勝美『張学良の昭和史 最後の証言』(角川書店、1991 年)123-127頁。 6 柳条湖事件直後の国民政府内の対日直接交渉論については、加藤陽子『満州事変から日中戦争へ』(岩波新書、2007 年)107-111 頁を参照。 4 これに代わって行政院長には孫科が就任し、国民政府の首脳は広東政権要人によって占められることになった。外交部長に就任した陳友仁は広東政権時代から、日中間の直接交渉による事変解決を唱えていた。中国は孫科政権の下で、一時的にではあったが、直接交渉に傾いたのである。 一方日本では、軍部の台頭に対抗するため二大政党による協力内閣を目指す動きが生まれたが、この協力内閣運動をめぐって民政党の若槻内閣は閣内不一致をきたし総辞職した。これに代わって政友会の犬養(毅)内閣が登場する。明治期から孫文や黄興など中国の革命家を支援してきた犬養首相は、中国に密使を派遣して事変解決を図ろうとした。彼の解決構想は、満洲における中国の主権を前提とした上で広汎な権限を持つ地方政権を樹立し、日中対等の条件で経済開発を実施するという内容であった。 密使に起用されたのは、犬養と同じく中国同盟会の同志であった萱野長知である7。孫科政権誕生直前に中国に渡った萱野は、居正、孫科らと会見し、犬養構想に基づく事変解決を模索した。孫科らは、特殊行政組織として東北政務委員会をつくり、日本の商租権を認めて日中対等の経済開発を実現する、という構想を示したが、その狙いは張学良の勢力を駆逐し、国民党の満洲進出を実現することにあったという8。 しかしながら、萱野の工作は犬養内閣の主要閣僚と軍部の厳しい反対にあう。それまで幣原外交を批判してきた政友会であっただけに、犬養内閣には、書記官長の森恪をはじめとして、強硬論者が多かった。彼らの間では、国民政府の統治が満洲に及ぶこと自体に反対が強かった。その反対を受けて1932 年1 月初旬、ついに犬養は萱野に帰国を命じざるを得なくなる。陳友仁は、日本との直接交渉が挫折した上、国内の反日世論に押され、対日断交を主張するようになった。 犬養首相は、中国との秘密交渉を試みると同時に、陸相に荒木貞夫を起用し陸軍の統制を回復しようとした。だが、ここでも犬養の期待は裏切られた。関東軍に対する陸軍指導部の統制は回復されなかった。関東軍は陸軍指導部の了解を得て、反満抗日分子を討伐するためにその策源地を叩くという名目で 1 月 3 日、錦州を占領した。それまで幣原外交に期待してきたアメリカの国務長官スティムソン(Henry L. Stimson)は、錦州占領に反撥して不承認政策を通告してきた。九ヵ国条約や不戦条約に違反しアメリカ国民の権利を侵害するいかなる状態も協定も承認しない、という趣旨の通告であった。2 月 5 日、関東軍はさらに、かつて出兵を禁止されたハルビンを攻撃してその占領に成功した。 4)上海事変と満洲国建国 事変勃発後、日増しに激しくなる反日ボイコットの中心となったのは上海である。それに対する日本人居留民の反撥が高まる中で、衝突事件が発生する。1 月18 日、上海で布教中の日本人僧侶が中国人に襲われ、翌日その報復として今度は日本人が中国人の工場を襲撃した。公使館付陸軍武官補佐官(上海駐在)の田中隆吉が、列国の関心を満洲からそら 7 萱野の和平工作については、時任英人「犬養毅と満州事変」『政治経済史学』第209 号(1983 年12 月)50-55 頁。 8 黄自進「満州事変と中国国民党」中村勝範編『満州事変の衝撃』(勁草書房、1996 年)360-361 頁。 5 すために、関東軍の板垣の要請に応じて画策した謀略によるものであったという 9。上海の居留民団はいきり立ち、これを受けて総領事は上海市長に対し、犯人の処罰のほかに抗日団体の即時解散を含む強硬な期限付要求を突きつけた。不穏な空気が流れる中で、日本海軍は居留民保護のため艦船や陸戦隊を上海に増派し、中国側では上海周辺の19 路軍が警備を強化した。1 月28 日、日本海軍陸戦隊と、かつて江西省で共産軍と戦った精強な19 路軍とが衝突、上海事変が始まった10。 海軍は自前の戦力では19 路軍に対抗できず、陸軍の派遣を要請せざるを得なくなる。この上海派兵に対しては犬養首相と高橋(是清)蔵相が強く反対したが、結局、居留民保護を訴える陸海軍の主張に押し切られた。派遣された陸軍部隊も苦戦を強いられ、やがて派遣兵力は3 個師団に及び上海派遣軍が編成された。 日本政府は満洲事変と上海事変とを絡ませず別個のものと取り扱って、事態を必要以上に拡大しない方針をとった。派遣軍は、中国軍に打撃を与えて日本軍の威力を示すことを優先したが、3 月初めの攻撃でそれを達成した後は、国際連盟による牽制もあって、自制的な行動をとるようになった。 一方、中国では 1 月 1 日に正式に発足した孫科政権が一月も持たずに崩壊し、汪精衛が行政院長に就任、蒋介石も政権に復帰した。中国にはまだ日本と戦う実力が備わってはいないと考える蒋介石は、陳友仁の対日断交方針に反対し、直系部隊を上海戦線に投入して19 路軍の抗戦を支えながら、同時に日本との妥協の道を探った11。 積極的に停戦斡旋に動いたのはイギリスである。列国の牽制と斡旋の下で 3 月中旬には事実上の停戦が成立し、5 月5 日に正式に停戦協定が調印された。停戦協定は、日本軍の撤退と、中国軍の駐屯を認めない非武装地帯の設定が眼目であった。中国側には、領土を割譲せず賠償金も支払わないで外国軍を撤退させたのは、アヘン戦争以降初めての大勝利である、との評価もあったという12。 上海での軍事紛争は、関東軍の板垣が狙ったように、列国の注視を満洲から離れさせた。その間、満洲では独立準備が着々と進行し、ついに3 月1 日には溥儀を元首(執政)とする満洲国の建国が宣言された。国際連盟の調査団(リットン調査団)が現地入りする前に、既成事実がつくられた。 現地の事態の急展開に押されて、陸軍指導部は既に新国家樹立を容認していた。犬養首相は満洲国の国家承認に否定的であったが13、同年5 月、海軍青年将校を主体とするテロ(五・一五事件)で暗殺されてしまう。後継首相には海軍長老の斎藤実が起用された。前年に発覚した軍人による未遂のクーデタ(三月事件、十月事件)や相次ぐテロが政党政治を激しく攻撃していたので、天皇から後継首相について諮問を受ける元老西園寺公望は、 9 田中隆吉「上海事変はこうして起された」『別冊知性-秘められた昭和史』(1956 年12月)を参照。 10 上海事変とその停戦交渉については、島田俊彦「満州事変の展開(1931-1932 年)」『太平洋戦争への道』第2 巻、第5 章を参照。 11 黄自進「満州事変前後における国民政府の対日政策」『東アジア近代史』第5 号(2002年3 月)22-24 頁。 12 同上、24-25 頁。 13 時任「犬養毅と満州事変」56-57 頁。 6 政党内閣を当面見合わせ、「中間内閣」と呼ばれる非政党内閣によって危機を乗り切り、政治に対する陸軍の圧力を緩和しようと考えたのである。 だが、強硬であったのは陸軍だけではない。例えば満洲国の承認については、政府よりも議会やマス・メディアのほうが積極的であった。6 月、衆議院は満洲国承認決議案を可決した。柳条湖事件時の満鉄総裁で関東軍に協力し、斎藤内閣の外相に就任した内田康哉は、議会での答弁で、日本は「国ヲ焦土ニシテモ」主張を貫くと述べ、満洲国承認を強く示唆した。9 月15 日、日本は日満議定書を調印して満洲国を正式に承認した。国際連盟から派遣されたリットン調査団が、現地調査を終え北京で報告書を作成した直後であった。 10 月2 日に公表されたリットン報告書は、柳条湖事件後の関東軍の行動を自衛の範囲内にあるものとは認めず、満洲国が住民の自発的な独立運動によって生まれたものとも認定しなかった。ただし報告書は、事変前への原状復帰が望ましいとも論じなかった。そこで提案されたのは、中国の主権と領土保全の原則を前提としながら、軍閥を排し、満洲における日本の権益と歴史的な関わりを考慮した自治的地方政府を形成することであった。満洲という地域の特殊事情に配慮した妥当な解決構想であり、事変前であったならば日本でもそれなりの評価を得たであろう。しかし、事変後1 年を経て、もはや日本ではほとんど見向きもされなかったのである。 5)満洲国の実態 満洲国は「王道楽土」「民族協和」という新国家建設の理念を謳った。居留民の中にはこの理念に共鳴し、奉天軍閥の圧政と苛斂誅求から満洲住民を救い、理想的な国家をつくることに情熱を燃やす者もあった。満洲の地方有力者や中小軍閥の中には、張学良に対する反感や自己保身から、新国家に同調する者も出てきた14。 むろん積極的に新国家建設に参加する住民は少なかった。反満抗日のゲリラ活動もなかなか下火とはならず、これに対しては満洲国の国防と治安の維持を担当する関東軍が徹底的かつ厳しい弾圧を加え、1932 年9 月の平頂山事件のように、ゲリラに通じたとされる住民の虐殺に至るケースもあった。 満洲国の統治実績の例として挙げられるものに幣制改革による通貨の統一がある。事変以前から満洲の地域金融システムは通貨統一の方向に向かっていたが、満洲国はこの方向を継承して強力に実現を図った15。通貨の統一は満洲経済の近代化を促し、1934 年までに満洲は中国の中で最も工業化された地域となった16。満洲国は経済のインフラストラクチャ整備にも力を入れた。鉄道では1933 年から44 年までにおよそ6,350 ㎞の新線が建設され、道路では32 年から39 年までに総延長15,480 ㎞の国道が竣工した17。鉱工業の面で 14 満洲国建国に関わった中国人については、浜口裕子『日本統治と東アジア社会』(勁草書房、1996 年)第2 章、第3 章を参照。 15 安富歩「「満洲国」経済開発と国内資金流動」山本有造編『「満洲国」の研究』(緑蔭書房、1995 年)239-246 頁。 16 Nakagane Katsuji, “Manchukuo and Economic Development,” in Peter Duus, Ramon H. Myers, and Mark R. Peattie, eds., The Japanese Informal Empire in China, 1895-1937 (Princeton University Press, 1989), p.134. 17 西澤泰彦「「満洲国」の建設事業」山本編『「満洲国」の研究』392 頁、407 頁。 7 は石炭、電力、鉄鋼、アルミニウム等の生産が大きく伸びた18。 しかしながら、こうした産業基盤や鉱工業の発展は住民の生活水準の向上を目指すものではなかった。多くの場合、開発や近代化は軍事的な考慮に促され、鉱工業の発展も軍需関連部門に傾斜していた。特に日中戦争の拡大以後はその傾向が強まり、満洲は日本の兵站基地化していった。太平洋戦争期に入ると満洲国も戦時体制を強化し、日本の戦争遂行の要求に応じることを最優先した。戦争末期には経済・金融のバランスが崩れ住民に多大の苦痛を与えた19。満洲国は「王道楽土」にはなり得なかった。 「民族協和」もスローガンだけに終始した。実質的に満洲国をコントロールしたのは関東軍であった。中央政府と地方(省)政府の実権は日本人官僚(日系官吏)によって掌握され、中央政府機関に占める日系官吏の比率も1934 年の53 パーセントから1940 年の69パーセントに増えた20。日本人の権力独占は強まるばかりであった。様々の面で日本人と他の満洲国人との格差が拡大した。当初から大きかった建国の理念と現実の乖離は、ますます広がっていったのである。 6)熱河事件と国際連盟脱退 満洲国は、奉天、吉林、黒竜江の東三省に加え熱河省を合わせて、その版図とした。だが、熱河省長の湯玉麟は、華北に蟠踞する張学良軍から強く牽制され、曖昧な態度をとり続けた。熱河は、張学良が満洲国の動揺を狙ってゲリラ部隊を浸透させる主要なルートであった。このため関東軍は湯玉麟を排して、実力で熱河を掌握することを計画した21。しかし1933 年に入り熱河への実力行使が日程に上ると、斎藤首相・内田外相と天皇がこれに強い懸念を示すようになる。それは、その頃国際連盟がリットン報告書に基づく事変解決勧告案を審議中だったからである。 満洲国を承認した日本としては、もはや報告書に基づく勧告案を受け容れることはあり得なかった。ただし連盟規約によれば、紛争当事国を除く全会一致の勧告を当事国の一方が受諾し、他方がそれを不服として新たに戦争を始める場合には、連盟はその国に対して制裁を発動するものとされていた。そのため政府首脳や天皇は、連盟の勧告案採決後に日本が熱河に武力を行使し華北にそれが波及すれば、連盟が制裁を発動するのではないかと憂慮していたのである。結局、政府は2 月20 日、勧告案可決の場合は連盟を脱退すると決定した。連盟の一員でなくなれば、制裁を受ける法的根拠はなくなるはずであった22。2月24 日、連盟総会は勧告案を可決し、3 月27 日、日本は連盟脱退を通告した。連盟によ 18 Ramon H. Myers, “Creating a Modern Enclave Economy The Economic Integration of Japan, Manchuria, and North China, 1932-1945,” in Peter Duus, Ramon H. Myers, and Mark R. Peattie, eds., The Japanese Wartime Empire, 1931-1945 (Princeton University Press, 1996) を参照。 19 塚瀬進『満洲国』(吉川弘文館、1998 年)190-198 頁、同「満洲国の実験」山室建徳編『日本の時代史25 大日本帝国の崩壊』(吉川弘文館、2005 年)130-132 頁。 20 塚瀬『満洲国』44 頁。 21 熱河作戦については、内田尚孝『華北事変の研究』(汲古書院、2006 年)第1 章、第2章を参照。 22 国際連盟と熱河作戦との関係については、井上寿一『危機のなかの協調外交』(山川出版社、1994 年)第1 章を参照。 8 る制裁を危惧して熱河「討伐」を躊躇する意味はなくなった。 一方、中国側では、熱河はいわゆる満洲の東三省とは異なる地域と認識され、したがって関東軍が軍事力を用いて熱河を完全に掌握しようとすれば、それは日本の新たな「侵略」と見なされることになった。関東軍の熱河進出の動きに対し、国民政府が湯玉麟と張学良に熱河防衛を厳命したのは、このためである。張学良は20 万を超える東北軍を熱河に入れたが、1933 年2 月、関東軍2 個師団が熱河作戦を開始すると、2 週間足らずで潰走した。剿共戦を指揮していた蒋介石は事態の急変に驚き、華北の東北軍と西北軍25 万の大軍を長城の防衛戦に投入した。 長城線に達した関東軍は中国軍の頑強な抵抗に遭い激戦を交えた。同年4 月、ようやくそれを排除し、長城線を越えて関内に侵入した関東軍は、陸軍指導部の反対にあって一旦は長城線外に撤退したものの、5 月、あらためてこれを突破して関内に入った。満洲国防衛のためには、それを脅かす華北の張学良の権力基盤を壊滅させねばならない、というのが関内進出の理由であった。 中国にとって、張学良軍が敗走した「熱河の惨敗」は大きな衝撃であった。上海での対日抗戦を成功と見る傾向があっただけに、その衝撃は大きかった。しかも、共産勢力との戦いは依然として決着がつかなかった。蒋介石は、外敵を撃ち払う前に国内の敵を平らげるという「安内攘外」の方針に基づき、日本との妥協に向かう。北平近郊にまで迫った日本軍に抵抗を続けて、さらに失地を広げるよりも、一時的に屈して妥協を図り、将来の失地回復に備えようと考えたのである23。 こうして1933 年5 月31 日、天津郊外の塘沽で日中両国の軍事当局の間に停戦協定が調印された24。関東軍が長城線以北に引き揚げる代わりに、その南に広大な非武装地帯(戦区)が設定され、そこには中国軍は駐留できず、警察部隊(保安隊)が治安の維持にあたることになった。蒋介石と汪精衛が合作した国民政府は、塘沽停戦協定が中国側にとって不利であることを承知しつつ、満洲国の承認につながることを避け、これ以上の失地拡大を防ぎ、特に平津(北平と天津)を確保し、関東軍を長城線以北に撤退させることを、より重視したのである。 2.関係安定化の模索と挫折 1)戦区接収と実務協定 塘沽停戦協定によって満洲事変には一応のピリオドが打たれた。だが、華北の事態はまだ流動的であった。中国にとっては、満洲国を承認しないことは当然としても、当面その実在をどのように取り扱うかに苦慮しなければならなかった。この困難な問題に取り組んだのは黄郛(行政院駐平政務整理委員会委員長)である。彼を中心とした華北の地方機関が、南京の中央政府の指示を受けつつ、満洲国を代表する関東軍との交渉に臨んだ。 交渉の最初の案件は、関東軍の関内撤退と中国側による戦区接収であった。関東軍によ 23 鹿錫俊『中国国民政府の対日政策 1931-1933』(東京大学出版会、2001 年)第6 章、第7 章。 24 塘沽停戦協定の交渉については、内田『華北事変の研究』第3 章を参照。 9 る長城線の確保など不完全さは残ったが、中国側による戦区の行政権回収には一応の決着が付いた。次に交渉の対象となったのは中国と満洲国との連絡に関わる諸問題である。まず鉄道連絡については、日中合弁の民間会社を設立し、その会社が奉天・北平間の列車を行するという通車に関する合意が1934 年6 月に成立した。難しかったのは、国家承認関わる郵便の交換であったが、これについては国際連盟が、郵政機関の間で関係を持つことは満洲国の国家承認を意味しないと決議し、それを受けて同年12 月、通郵に関する申し合わせができた。その直後には、長城線を境界として税関を設置する協議も妥結した。 このような実務に関する交渉の過程で、華北当局は国民政府の指示を受け、満洲国承認に関わる事項を一貫して拒否し、関東軍との合意覚書の作成には同意したが、それを協定とは認めず調印することも回避した25。この点で中国側は日本に対して一方的に屈服したわけではない。しかし、多くの場合、中国側は日本の要求を受け容れざるを得なかった。黄郛は、塘沽停戦協定の枠内で交渉する限り中国側の不利を脱却することができないので、同協定を解消し、華北問題を華北当局と関東軍との折衝ではなく、中央政府間の交渉に載せる必要があると考えるようになった26。 一方、日本政府は、戦区の交渉をほとんど関東軍の手に委ねた。満洲国の実在を既成事実とし、地方としての華北の現地交渉を軍事に関わる問題として関東軍に委ねながら、政府・外務省は、全体としての中国との関係修復・安定化に取り組もうとしたのである27。 2)広田・重光外交 1933 年9 月に内田に代わって広田弘毅が外相に就任してから彼の首相時代も含め1937年2 月までは、一般に広田外交の時代と呼ばれる。ただし対中政策に関しては、広田の了解の下で、次官の重光が主導的役割を果たした。重光は、親日的と見られた蒋汪合作政権との提携を通じて日中関係を安定化させようとする。その際、彼は欧米列国の中国に対する関与を制限ないし排除し、列国の権益を犠牲にすることによって中国の対日協力を引き出そうとした28。 1934 年4 月のいわゆる天羽声明には、このような重光の構想が示されている29。天羽声明とは、外務省情報部長の天羽英二が新聞記者との会見で行った非公式の談話であり、それが内外に報じられて国際問題化した。声明の趣旨は次のようなものである30。中国問題に関して日本は列国とその主張・立場を異にし、それゆえ国際連盟を脱退したのだが、東アジアの平和と秩序の維持は日本の使命であり、中国とともにその責任を全うする決意である。これに対して、列国の中国に対する共同動作は、たとえ名目は経済的あるいは技術 25 光田剛「華北「地方外交」に関する考察」『近代中国研究彙報』第22 号(2000 年)53-54 頁。 26 光田剛『中国国民政府期の華北政治 1928-1937 年』(お茶の水書房、2007 年)206 頁。 27 臼井勝美『日中外交史研究』(吉川弘文館、1998 年)126 頁。 28 酒井哲哉『大正デモクラシー体制の崩壊』(東京大学出版会、1992 年)58-62 頁。 29 重光と天羽声明との関係については、冨塚一彦「1933、4 年における重光外務次官の対中国外交路線」『外交史料館報』第13 号(1999 年6 月)を参照。 30 「天羽英二情報部長の非公式声明」島田俊彦・稲葉正夫編『現代史資料8・日中戦争1』(みすず書房、1964 年)25-26 頁。 10 的なものであっても政治的な意味を帯びることは避けられず、結果として中国の国際管理や勢力範囲の設定を招きかねない。したがって、そのような列国の援助は、東アジアの平和と秩序を乱すものとして日本は反対せざるを得ない。 このような趣旨の天羽声明は、直接的には、中国の欧米派と呼ばれるグループが日本を除外したかたちで欧米列国との経済提携を画策していることに対する警告であった。前年に財政部長の宋子文は、日中関税協定の特例措置が期限切れになると、据え置かれていた日本商品に高率関税を課し、アメリカとの間に5000 万ドルの信用供与(棉麦借款)を成立させた後、列国から技術・経済援助を得ようと画策していた。宋子文のアドヴァイザーとして対中援助を具体化させていたのは、国際連盟の元事務次長(後のヨーロッパ統合の父)ジャン・モネ(Jean Monnet)である31。 欧米のメディアは天羽声明を、日本が「東亜モンロー主義」を表明し侵略主義的な意図を示したものと非難した。しかし、各国の政府レベルでは、門戸開放・機会均等の原則を尊重するとの広田外相の釈明を受け容れた。中国でもメディアの反応は厳しかったが、政府の対応は冷静であった32。 3)日中提携の試み 天羽声明のつまずきにもかかわらず、広田・重光の対中関係安定化の試みは継続された。中国側でも、日本側の試みに応じる条件が整いつつあった。1933 年11 月、福建に移駐させられた19 路軍と反蒋勢力が手を結んで福建人民政府を樹立したが、翌年1 月の国民政府中央軍の総攻撃で同政府は壊滅した。江西省の共産軍に対する第5 次剿共戦も順調に進み、1934 年11 月には瑞金が陥落、共産軍は「長征」という名の逃避行に移った。こうして蒋汪合作政権の基盤強化により、対日関係安定化のための前提が形成されたのである。 1935 年1 月、蒋介石は徐道鄰の名を借りて、『外交評論』に「敵か?友か?-中日関係の検討」という論文を発表した。この中で蒋介石は、日中関係悪化について日本だけでなく中国にも責任があることを認め、日中提携の必要性を訴えた33。同年1 月22 日、広田外相は帝国議会の演説で中国に対する不脅威・不侵略を唱え、日中親善を論じた。広田演説に応えるかのように同年2 月、国民政府は全国の新聞社に排日言論の掲載禁止を命じた34。3 月には、各省市の教育部に反日的な教科書の使用禁止を命令した。 日中の親善ムードがピークに達したのは同年5 月17 日の大使交換である。中国に対する常駐使節を公使から大使に昇格させる方針は、既に1924 年に閣議決定されていたが、1934 年から翌年にかけての関係安定化と親善ムードの中で、ようやく実現の運びとなった。日本は列国(英・米・独・仏)にも中国との大使交換を働きかけ、その賛同を得た。1935年6 月には、国民政府が邦交敦睦令を公布し、排日運動を禁止した。 31 濱口學「ジャン・モネの中国建設銀公司構想」『外交史料館報』第15 号(2001 年6 月)を参照。 32 光田剛は、天羽声明によって蒋介石が日本を主敵と見なすようになった、と解釈している。光田『中国国民政府期の華北政治 1928-1937 年』202-204 頁。 33 宇野重昭「中国の動向(1933 年~1939 年)」『太平洋戦争への道』第3 巻(朝日新聞社、1962 年)281-282 頁。 34 この間の日中間の動きについては、臼井『日中外交史研究』133-137 頁。 11 このような親善ムードを背景に、日中経済提携の動きも本格化した35。同年10 月、中国実業界の経済視察団が来日し、同時期には日本実業界の経済視察団が訪中した。翌1936年1 月には東京に日華貿易協会、上海に中日貿易協会が設立された。 35 家近亮子『蒋介石と南京国民政府』(慶應義塾大学出版会、2002 年)182-185 頁、小林英夫「幣制改革をめぐる日本と中国」野沢豊編『中国の幣制改革と国際関係』(東京大学出版会、1981 年)242-243 頁。 満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その2> 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 日中歴史共同研究
https://w.atwiki.jp/ws_wiki/pages/10437.html
TF/S32-080 カード名:“部下を守る姿”小町 小吉 カテゴリ:キャラクター 色:青 レベル:0 コスト:0 トリガー:0 パワー:3500 ソウル:1 特徴:《改造》?・《虫》? 【自】 このカードが手札から舞台に置かれた時、あなたは自分の山札の上から2枚を、控え室に置く。それらのカードにクライマックスがあるなら、このカードをレストする。 【自】 アンコール [手札のキャラを1枚控え室に置く] (このカードが舞台から控え室に置かれた時、あなたはコストを払ってよい。そうしたら、このカードがいた枠にレストして置く) レアリティ:R 15/02/19 今日のカード
https://w.atwiki.jp/eizoulist/pages/127.html
【番組名】 北の国から’92巣立ち 【放送局】 フジテレビ 【内容】 前編:1992年5月22日 後編:1992年5月23日 【出演者】 主演:田中邦衛 出演者:吉岡秀隆、中嶋朋子、地井武男、竹下景子、岩城滉一、美保純、大地康雄、裕木奈江、大滝秀治他 北の国から 92 巣立ち Blu-ray
https://w.atwiki.jp/japanpatriot/pages/17.html
検索 and or 名称の欄に色をつけているブログは最近更新されていないブログです。 <別ページ> 政治ブログ一覧 あ行~か行 さ行~た行 な行~は行 ま行~わ行 英字 中国・韓国・北朝鮮関連のブログ 2chブログ <目次> 歴史 経済 マスコミ その他 歴史 名称 URL 説明 http //create21.iza.ne.jp/blog/ http //ameblo.jp/daitoaseinenkai21/ 日本が統治した国々での善政、先人達の史実。 森羅万象の歴史家 http //oncon.seesaa.net/ ねずさんのひとりごと http //nezu3344.blogspot.jp/ 日本に手を出した国は必ず滅びる・・・それが歴史の事実です。日本は相互信頼主義を根本とする国です。命をかけて戦った先人たちの努力を見直し、日本の素晴らしさを再認識して、階級闘争主義の汚染から日本を守ろう。 朝鮮歴史館 http //ameblo.jp/campanera/ 朝鮮半島の歴史を写真を基に日帝時代を中心に紐解いていきます。史上まれに見る残酷な支配が行われたとする日帝時代の本当の姿はどのようなものだったのでしょうか。 知らされなかった日本 http //daikichi1966.cocolog-nifty.com/blog/ 南京事件、慰安婦問題を中心に、知らされなかった歴史を紐解いていきます。(最終更新2008年:2012.7現在) 狼魔人日記 http //blog.goo.ne.jp/taezaki160925 沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。 経済 名称 URL 説明 新世紀のビッグブラザーへ blog http //ameblo.jp/takaakimitsuhashi/ 作家 三橋貴明のブログです。日本経済、アメリカ経済、中国経済、韓国経済、そしてマスメディアの問題などを中心に書き進めています。 日本経済をボロボロにする人々 http //blog.livedoor.jp/nnnhhhkkk/ 偽善を装う自称弱者、総合的に見て強者であるにも関わらず弱者を演出して年金や医療費を通して若者の報酬にたかろうとする強欲の高齢者、そしてこういう弱者を装う税金泥棒達を擁護し食い物にするマスコミや評論家や政治家など、日本を滅茶苦茶にする既得権受益者達の跋扈をこれ以上見過ごすわけにはいかない! 日本全体をミスリードする馬鹿どもを徹底的に叩くために作ったブログ。 マスコミ 名称 URL 説明 狂想 主に朝日のゆんゆん投稿(準備中) http //yunyuntoukou.blog104.fc2.com/ 新聞(主に朝日新聞)に掲載された愉快で面白い投稿を論評つきで紹介します。 痛いテレビ http //zarutoro.livedoor.biz/ その他 名称 URL 説明 うさぎ草子 http //usagiso.blog34.fc2.com/ 当wikiへのリンクを貼って下さっています。 肩、腰専門の整体 名古屋市緑区、豊明市、大府市なら武禅館の武術式整体 http //ameblo.jp/sharuarizumu/ 銀の紐(inside-Silvercord) http //inside-silvercord.blogspot.com/ スピリチュアル・ウェブサイト【Silvercord】管理人による、霊界通信こぼれ話など。 銀の紐を越えて http //across-the-silvercord.blogspot.com/ 【Silvercord】からの移転先です。 クリリンのFX修行日記 http //ameblo.jp/fx-kuririn/ 誤訳御免!! http //japancool.sblo.jp/ 外国人によるアニメ・マンガ評を翻訳します。 海外アニメフォーラムや、日本に関する英文記事も紹介。旧URL http //shirouto.seesaa.net/ 投資家メイド★今田なおオフィシャルブログ http //ameblo.jp/nao-shoken/ 道~西村まさ文~ http //sankoroad.tenkomori.tv/ Shionの部屋 http //plaza.rakuten.co.jp/shion9/ Where am I http //auoiio.exblog.jp/ 上へ**中見出し
https://w.atwiki.jp/anirowakojinn/pages/4147.html
「はぁ……バットマン、ですか」 「そうだ」 高町なのはは、正直なところ大分困惑していた。 オジマンディアスによって語られた狂気のゲーム。 絶対に止めてやろうと決意し、戦うことを誓い、行動を開始しようとした時のことだ。 暗闇が、喋った。 いや、真実を言えば暗闇の中に潜んだ男(?)が話し掛けてきたのだ。 声は直ぐ傍で聞こえたもので、何時の間にやら相当に近い距離にまで接近されていた。 高町なのはは、歴戦の魔導師である。 探索魔法を使用していた訳ではないが、当然周囲へ警戒を飛ばしていたし、常人ならば接近するよりも先にその存在に気が付けた筈だ。 だが、男はなのはの警戒網を潜り抜けて闇にいた。 闇に紛れていたのは、まるで蝙蝠の仮装をした男であった。 黒衣のマントに黒衣のスーツ、そして黒衣のマスクに包まれた黒づくめの男。 男は、初めに問い掛けた。 お前の名を教えろ、と。 なのはは、自身の名と管理局についてを語り、殺し合いの阻止を伝えた。 言葉に、男は頷き、己を語った。 男は、名をバットマンと言った。 どう考えても本名ではないその名に、なのははどう反応すれば良いのかが分からなかった。 「えーと……何であなたはそんな恰好を?」 「隠すためだ」 「隠すため……?」 「恐怖を、狂気を、己を隠すため―――それがこのコスチュームの意味だ」 男の声には、真意しかなかった。 その冗談のような見た目とは裏腹に、言葉は真剣そのもの。 全てが真剣であり、声からは強靭な決意がみてとれた。 「……バットマン……さんは、どうするつもりです?」 なのはは判断できないでいた。 眼前の男は一体何者なのか。 恰好だけ見れば正気の沙汰ではない。 だが、言葉は整然としていて、纏う雰囲気は常人と一線をがした何かを感じる。 様々な人間や犯罪者を見てきたなのはであるが、男のような存在は初めてであった。 「戦う」 「何のために?」 なのはの問いに、それまで澱みなく言葉を紡いでいた口が、一瞬止まった。 僅かな思考の後に、再び動く唇。 声には感情があった。 そして、黒衣の仮面から唯一覗く口元にも、隠しきれない感情が。 「―――息子のためだ」 バットマンが語った言葉に、なのはは息を呑む。 なのはの戦う理由も同じだったからだ。 殺し合いの名簿に記されていた最愛の娘。 なのはは何をしてでも娘を救出すると決意していた。 「息子さんが……この場に?」 「ああ」 「そんな……」 息子のために戦うと告げた男。 男が悪い者には見えなかった。 殺し合いという異常下で己を見失わない強靭な精神。 異質な身なりも、強い決意の裏返しと言える。 男は、戦士であった。 「……私も、そうなんです」 「どういう意味だ」 「娘が、この殺し合いに呼ばれています」 「……そうか」 同じ境遇で、同じ選択へいたった男に共感を感じたのだろうか。 それとも心の苦しみを誰かに伝えたかったのか。 ……おそらくはその両方か。 なのはもまた告げていた。 娘のこと。高町ヴィヴィオ。 命を賭しても救いたい娘。 バットマンはなのはの言葉を無言で聞いていた。 「私も戦いたいと思います。娘のために、そして人々を救う為に」 なのはの決意に、バットマンは頷くだけであった。 無言で見詰めてくるバットマンに、なのはもまた小さく頷く。 会話が終わる。 多くを語った訳ではない。 だが、なのはは眼前の男と繋がるものを感じていた。 「私は、行きます」 そして、両足に淡い桜色の魔力翼を発現させて、宙に浮かぶ。 共に行動しようとは言わなかった。 なのはにはなのはの、男には男の目的がある。 それにバットマンには底知れぬ『何か』を感じる。 例え、己よりも遥かに強い敵と遭遇したとしてもどうにかしてしまうのではと思える『何か』を、感じた。 「そうだ。息子さんの名前を聞いてませんでしたね」 「ブルース……ブルース・ウェインだ」 「分かりました。出会ったら保護させてもらいます」 「ああ」 なのはは気付けない。 バットマンの語ったブルースという名が、参加者名簿には記されていない事に。 「気を付けて下さいね」 気付かぬままになのはは告げる。 同じ境遇の父へ、鼓舞するように。 バットマンは再び頷いた。 その頷きを見届けて、それきりなのはは黒衣の騎士に背を向け、空へと舞いあがる。 「……後悔だけは、しないようにしろ」 飛び去る寸前で聞いた一言は、真摯なものであった。 なのはの頬が僅かに緩む。 決意が深まっていくのを感じた。 娘を、人々を、絶対に救って見せる。 エース・オブ・エース。 最強の魔導師。 生ける伝説が殺し合いの会場を飛翔する―――。 【D-4・市街地・深夜】 【高町なのは@魔法少女リリカルなのは】 [状態]健康 [装備]レイジングハート@魔法少女リリカルなのは [道具]支給品一式 [『色』]青色 [思考] 1:殺し合いを止める。ヴィヴィオを探す 2:ブルースと出会ったら保護する ◇ 「高町なのは、か……」 バットマン―――いや、トーマス・ウェインは何処か苦い気持ちで、飛び去るなのはの背中を見ていた。 娘が殺し合いに巻き込まれ、それでいて人々を救うと断言した女。 最愛の者が殺し合いに参加させられている境遇に、共感はある。 だが、自分と高町なのはとには大きな違いがあると、トーマスは考えていた。 彼女は高潔な選択をした。全てを救うという選択を。 トーマス・ウェインは、違う。 彼は下劣な、しかしある意味では誰よりも愛に満ちた選択をした。 彼がなのはへ語った言葉には虚偽はない。 ただ、そのままだ。 トーマス・ウェインは息子を、ブルース・ウェインを救うために行動する。 ブルースを救うために―――他を殺す。 彼は最初にオジマンディアスが語った場にて見た。 自分と酷似したコスチュームに身を包む者を、もう一人の『バットマン』の姿を。 瞬間、理解した。 この『バットマン』こそが、別次元の世界から来たという光速の男が語った息子なのだと。 理解し、全ての優先順位が入れ替わった。 何をしてでも『バットマン』を……最愛の『息子』を生還させる。 唐突に拉致された場。語られる殺し合い。 トーマスはオジマンディアスの言葉を聞きながら、そう決意した。 おそらくは誰よりも強く、深い意志をもって、決意した。 殺し合いの中で区分された『色』。 名簿に記された二人の『バットマン』はどちらもが『青色』であった。 ならば話は簡単だ。 全ての『赤色』を排除し、名簿を『青色』に染めつくす。 そうすれば息子は生還できる。 例えブルースが『赤』であったとしても、トーマスは同様の選択をしたのだろう。 息子以外の全ての排除を。 他を全て蹴落としての選択に行き着くのだろう。 かつての生活。かつての幸福。かつての―――過ち。 あの過ちをやり直せるのならば、息子を救えるのならば、トーマス・ウェインは『悪役(ヴィラン)』となれた。 「……『赤色』は13人」 参加者名簿に記された名の中で『赤色』は13名。 感慨はない。 例えその数が何十、何百だろうと今のトーマスに迷いはない。 ただ、唯一。 唯一、『赤色』の中のあった一つの名に、動きを止めた。 高町ヴィヴィオ。 先に出会った魔導師が語った『娘』の名。 自分と同様の境遇で全てを救う選択をした高町なのは。 その娘の名は『赤色』に区分されていた。 感慨は、ない。 『赤色』であるならば、殺すだけだ。 「ブルース……」 『息子』のために全てを殺す。 それは父親から息子への、変わることのない愛が故の選択。 それは悲哀と悲壮に満ちた決意。 闇の騎士。 生ける伝説『バットマン』が、殺し合いの会場を行く。 【D-4・市街地・深夜】 【バットマン(トーマス・ウェイン)@フラッシュポイント】 [状態]健康 [装備]バットマンスーツ@フラッシュポイント、万能ベルト@フラッシュポイント、バットラング@フラッシュポイント [道具]支給品一式 [『色』]青色 [思考] 1:ブルースを救う。『赤色』の参加者を殺害してまわる
https://w.atwiki.jp/sennkyo/pages/21.html
議員・政治団体情報 徒然なるままに 国会議員情報局(目次ページ) メインコンテンツで国会議員、立候補者の所属、経歴、思想などの情報を詳しく載せた国会議員情報局を掲載している。 ほかにも人権擁護法案反対などの内容がある。 人権擁護法案においてはそれに反対する内容の書籍を出版している。 JAPAN INITIATIVE 政治家・政策データベース 現職国会議員のプロフィールと政策意見を集めたサイト。 非営利団体の構想日本が運営している。 議員にアンケートを送り回答のあったものを掲載している。 ほかにも議員のメルマガ、サイトリストや政治のワンポイント解説などのコンテンツがある。 選挙に行く前に知って欲しい、日本を売る政治家たち 各議員の立場、支持政策、動向をまとめ国政にふさわしくない政治家を判定している。 情報が詳細で資料性が高い。 政治団体一覧(wikipediaより) 本家wikipadiaの政治団体ページ。全国にある政治団体の一覧が見られる。 いちらん屋 全国にある政治団体の一覧が見られる。 政治・社会問題情報サイト 国民が知らない反日の実態 日本を間違った方向に導く反日勢力の陰謀や、主張の矛盾点・捏造点を監視し、国民が知るべき日本の真実・裏事情を不特定多数でまとめるwikiサイト。 特に、テレビや新聞などが隠そうとする情報をまとめることに力を入れている。 FreeJapan(水間政憲の国益最前線) ジャーナリスト水間政憲氏のサイト。制度改悪、悪法など国民に有害な情報を知らせる。国籍法改正案の抜け道やその危険性をいち早く訴え世間に認識させた実績がある。 やる夫見聞録 AA(アスキーアート)で書かれた勉強シリーズのまとめサイト。 政治、歴史からスポーツ、マンガまで幅広いジャンルの専門知識をわかりやすく学べる。 悪徳商法マニアックス 悪徳商法の情報や対策をまとめている。グーグル八分を受けてるサイトとして有名。消費者側弁護士情報など消費者のためになる情報も掲載。
https://w.atwiki.jp/okshot/pages/15.html
仕事をください(仮文)
https://w.atwiki.jp/goohootube/pages/13.html
安倍元首相、北京冬季五輪「政治的メッセージ求められている」 - 産経ニュース エマ・トンプソンがトランプ元米大統領モデルの政治家に ブラックユーモア満載の風刺ドラマ「2034 今そこにある未来」予告編公開 - 映画.com 石原伸晃氏の政治団体 “コロナ助成金”60万円受給(テレビ朝日系(ANN)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース IOC、政治的中立を強調 外交ボイコットや彭帥問題で(AFP=時事) - Yahoo!ニュース - スポーツナビ 橋下徹氏 政治資金でほら貝購入の維新議員「とんでもない勘違い」今後も出現予告 - auone.jp アベ政治を映画に刻む 大分県出身の河野さん初監督 - 朝日新聞デジタル 社説:国会代表質問 政治の信頼回復の場に|秋田魁新報電子版 - 秋田魁新報 外交ボイコットは「政治の問題」 IOCバッハ会長、選手の参加を歓迎―北京五輪(時事通信) - Yahoo!ニュース - スポーツナビ 民主主義サミットに対抗する「中国の民主」白書を「深読み」 | 宮家邦彦の「公開情報深読み」 | 宮家邦彦 - 毎日新聞 <編集部の秀逸>「ぽんたす」さん | ベストコメント - 毎日新聞 「どうせ政治は変わらない」に効く秘策。日本の若者が“推しの政治家”を当選させるには?【音声付・入山章栄】 - BUSINESS INSIDER JAPAN 今井絵理子氏が初の政治資金パーティー 改選のカギ握る「組織票」と「プロレス界」(東スポWeb) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 長野・荻原市政初の市議会代表質問 市長の政治姿勢問う おむつ代支援は「予定ない」 - 47NEWS 木下富美子前都議は雲隠れ、薬物逮捕に鼻出しマスク『お騒がせ議員2021』総ざらい(週刊女性PRIME) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【タイ政治社会の潮流】「タイ王室ニュース」(第365回) タイ・政治 - NNA ASIA ビジネスリーダーは政治との関わり方にもイノベーションを起こすべきだ 気候変動対策を推進し、投票制限に抵抗する | HBR.org翻訳リーダーシップ記事(1/3) - DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー 政治のゲーム理論分析(9)信じてもらうための方策 - 日本経済新聞 鈴木氏が4選出馬正式表明 燕市長選 - 新潟日報 維新議員が“選挙用”「ほら貝」を政治資金で購入「大河ドラマのような音出せず」「政治活動という認識」と釈明 - www.fnn.jp おぎやはぎ矢作 足並みそろわぬ文通費議論に嘆き「政治家のあり方がだいぶもう下なんだな」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ヒンドゥー教徒の政治家が『真・女神転生』に抗議―「神々や女神を悪魔として登場させることは冒涜」(Game Spark) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【ミャンマー】総司令官がNLD要人訪問、政治的な意図か(NNA) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース Gゼロサミット、首相「健康安全保障」を提唱…ビデオメッセージ - 読売新聞オンライン 静岡県の“コメ騒動” 川勝平太知事 王国の自壊 - NHK NEWS WEB 編集局 政治部 市川千晴「超党派・古古コンビ(ふるふるコンビ、 古川元久・古川禎久衆院議員)の挑戦」 - 東京新聞 「政治の堕落だ」と県反発 岸田首相に問う「聞く力」 選挙を見据え思惑も交錯[ニュース断面] - 沖縄タイムス 4万円のほら貝、政治資金で購入「出陣式で吹くため」「実際に使えず」…維新議員側 - 読売新聞オンライン 外交が「毅然とした主張」に取って代わられるわけにはいかない | | 田中均 - 毎日新聞 月100万円文通費があるのに…自民・小里泰弘議員「郵送代500万円」の謎(NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「若者と衆院選」座談会 説得力なき政治に不満(毎日新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 戦争は政治のシステム障害 - 西日本新聞 マニフェスト選挙を疑え:2021年総選挙の計量政治学 - 日経ビジネスオンライン プライムニュース『真珠湾攻撃から80年 政治×安保×歴史学者が日米開戦を徹底検証』 - www.fnn.jp 不正コピー問題で真鶴町民「政治腐っている」 町議会と意見交換(tvkニュース(テレビ神奈川)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 鹿児島この1年 政治と経済(KYT鹿児島読売テレビ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 愛国と忠誠のシンボルに? 習近平夫人の「政治嗜好」(新潮社 フォーサイト) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「ニューズ・オプエド」に、政治経済学者の植草一秀氏が生出演!特集では、泉健太氏が新代表の立憲民主党は今後どのような政策を行うべきなのか?について、植草さんに詳しくお話しを伺います! - PR TIMES 立民・岡田克也氏 政治資金で「ゴミ袋代に年間4万6200円」の理由を聞いてみた(NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 大統領が裏工作で過去の罪から逃れる政治スリラー『This Is the President』配信開始! - Game*Spark 【コラム】フィクション『地獄』と現実政治=韓国(2)(中央日報日本語版) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 橋下徹氏が維新の文通費改革に苦言「政治団体寄付はマネーロンダリングへの第一歩」(東スポWeb) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 新潟県連の問題は、古い日本の政治の象徴…泉田議員vs星野県議の騒動を自民党本部、そして岸田総理は見て見ぬ振り?(ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 平野啓一郎氏、政治用語に苦言「『骨太の方針』というおかしな日本語を政治の場から退場させてほしい」(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 改正法案提出も…文通費返還〝抜け穴〟あり!政治団体へ寄付なら〝マネーロンダリング〟(東スポWeb) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 政治資金の使い途 麻生氏は高級車リース336万円、稲田氏は義理チョコ27万円(NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 政治資金報告書、7道県はネットに全公表せず 「チェックの機会奪う」指摘(京都新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【風を読む】武蔵野市長の透ける政治野心 論説副委員長・佐々木類 - 産経ニュース 「政治的ごまかし」と非難 在米中国大使館 北京五輪外交ボイコット(時事通信) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国・文大統領の「3流政治」で経済3流化の危機、元駐韓大使が解説 - ダイヤモンド・オンライン 天皇制存続には、政治が火中の栗拾って決断を 瀬畑源・龍谷大准教授 - 朝日新聞デジタル 長崎・山梨県知事が2期目へ意欲 政治資金パーティーで発言 知事選は再来年に予定(UTYテレビ山梨) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 岸田首相 所信表明演説 与野党の反応 - NHK NEWS WEB 「GDPが国力のすべて」と思う人の大いなる勘違い、政治的な思惑で産まれた物で自然の法則ではない(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【主張】国勢調査 人口減に政治の責任重い - 産経ニュース [高知]梼原町長選、現職の吉田氏が再選(政治山) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 千原ジュニア「性格悪いヤツが政治家すなよ!」 宮崎謙介氏明かす “官僚イビり” に激高(東スポWeb) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ろくでもない政治家を見抜く為に欠かせない視点 - 東洋経済オンライン ひろゆき氏、クーポン支給は政治家が「二度おいしいのでメチャメチャおいしい仕組み」(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「現場の声を聞け」権力欲だらけの韓国政治、血の涙流す庶民の叫び声:朝日新聞デジタル - 朝日新聞デジタル 郵便局長のカレンダー政治流用疑惑 90人に懲戒処分も調査結果は疑問だらけ〈dot.〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「スポーツと政治は別」 北京五輪ボイコット同調せず インド大使(時事通信) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 各党党首の政治資金収入 自民総裁の岸田首相が最多1億5000万余 - NHK NEWS WEB 【単刀直言】伊吹文明元衆院議長 政治家は信念に基づく発言を - 産経ニュース 岸田政権が恐れる「政治ダメージ」 国際線予約停止“取りやめ”で見えた危機感(ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ばらまき論戦より大事なこと。与党も野党も「政治とカネ」をクリーンにする覚悟を示せ!(週プレNEWS) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国「政治問題化」と反発 女子テニス大会見合わせ(共同通信) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 立憲幹事長に女性起用 国政政党で唯一、政治文化変える期待も [立憲] - 朝日新聞デジタル ICPO新体制 国際手配の政治的悪用は困る - 読売新聞 SNSで目にする、悪口ばかり言う政治家や言論人 ~「政治に本当に必要なものは何か」佐々木俊尚(ニッポン放送) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 仏大統領選挙 極右政治評論家が出馬表明(TBS系(JNN)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「おかしな政治許さない」立憲民主新代表は泉氏に(テレビ朝日系(ANN)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 立民新代表の泉氏「国民中心の政治をしていく」(産経新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「服装も政治も『中庸』が大切」 慶大・中山俊宏教授|NIKKEI STYLE - 日本経済新聞 世界の政治・経済日程(2021年12月~2022年2月)(中国、北アジア) | ビジネス短信 - ジェトロ(日本貿易振興機構) 使途に制限ない「政治資金」 維新・足立康史議員はアイスや駄菓子購入(NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース “日大のドン”田中理事長逮捕「政治家に渡した裏金全部ぶちまける」でパンドラの箱が開くのか(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 広がる格差への不満 いま、愛のある政治を | | 大石晃子 - 毎日新聞 日本をダメにした「10人のヤバい政治家」ウラ話を、政界のキングメーカーが激白した…!(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 本気で考えたい「くじ引き民主主義」政治にイノベーションを起こすには?(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「勝負の3週間」に政治資金パーティー85回…1年越しで発覚した菅政権の“言行不一致”(女性自身) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース あえていま、日本の「ヤバい政治家」10人の名前を明かす…!亀井静香がウラ話を激白(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 政治資金収支報告書 オンライン提出は2.7% デジタル化進まず - NHK NEWS WEB 政治は右、経済は左?(Forbes JAPAN) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 本末転倒の政治主導 無気力と無責任の連鎖 - 日本経済新聞 台湾の政治犯を救おうと活動した日本人がいた 独裁政権下で家族に会い支援金も 都内で記録を展示 - 東京新聞 室井佑月「それが政治か」〈週刊朝日〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 日本の政治はなぜダメになったか?巨匠たちが教える政治家の「真の資質」(ダイヤモンド・オンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【地球コラム】世襲のないドイツ、政治家の去り際:時事ドットコム - 時事通信 「超党派」とは一体なんだろう?~本当にすぐわかる政治用語~(選挙ドットコム) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 繰り返す「政治とカネ」を許す野党の弱さ 「批判ばかり」から脱却する | | 太栄志 - 毎日新聞 愛国心が強いほど「政治参加する」のか? 調査から見えた「意外な結果」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース “無敗の男”はなぜ敗れたのか - NHK NEWS WEB 【政界徒然草】「安倍・菅政治」という言葉の違和感 - 産経ニュース 意外にも面白い政治家本の世界―毒舌、調整、政治改革……―(中央公論) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 野党躍進のカギ、「国対政治」を見直せるか?「批判ばかり」の脱却策として隔週・夜に党首討論の開催を(室橋祐貴) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 絶望がもたらした政権交代をしないという選択 | | 白井聡 - 毎日新聞 小沢一郎氏「政治のレベルを決めるのは国民」選挙で「権力の私物化を承認」(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 政治の劣化、メディアも責任 敵対でも忖度でもなく伯仲の闘技を:朝日新聞デジタル - 朝日新聞デジタル 来年の党大会までの長期にわたる中国の政治的出来事 - ブルームバーグ 総選挙から見えたこと 今後の政治に注文する | | 田中均 - 毎日新聞
https://w.atwiki.jp/nwn_wafoo/pages/17.html
日出のはるか北には、未開の大地が広がっているわけで・・・。 父さん、僕はそこへ来ています。 今この土地は、新たな土地を開墾しようという開拓者でいっぱいです。 その土地へは大きな河を渡る必要があります。 河はただ「大河」と呼ばれていましたが、 いろんな民族が勝手にいろんな名前で呼んでいるらしいです。 この河沿いの「凪待」という村の船着場から、北の開拓地へいけるわけで・・・。 この河は普段は穏やかですが、夏の嵐とともに激しい流れとなります。 冬は寒くて旅にはむきませんし、夏の嵐を避け、河が静まるのを待つしかない。 だから「凪待」というんだそうです。 河を渡ればそこは開拓者たちの建てた街・・・「川越」があります。 父さん・・・なんかそのまんまの名前です。 ここは数十年前から開拓の起点となっていて、 「北辺開拓掛・川越会所」という役所が、すべてを取り仕切っています。 この街のほかにも開拓村がたくさんあるそうです。 しかし、この地はとても危険なわけで・・・。 蛮族と呼ばれる民族が住んでいて、揉め事が絶えません。 見たこともない動物がいます。 寒くて、気候が厳しいわけで・・・。 しかし、かなりの土地と資源があるようです。 この土地で少しがんばってみようと思います。 また手紙を書きます。
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/614.html
ソース: 千田夏光「 高校生徹底質問!! 従軍慰安婦とは何か 」汐文社1992年5月 4-04 日本政府はこの要求に応ずるだろうか… 4-04 日本政府はこの要求に応ずるだろうか…コメント欄 従軍慰安婦問題が問題となってから韓国政府は「真相究明」つまりどれだけの数の女性を韓国から連行したのか、どのようにして連行したのか、それに日本の国家権力がどこまで関与していたのかといったことから日本の敗戦後どのように対応したのかの調査と補償を求めてきたが、日本政府は一九六五年の日韓国交正常化時の"日韓請求権・経済協力協定"ですべての補償は「完全かつ最終的に決着した」との立場をとっていた。 さらに「補償に代わるなんらかの措置(そち)」を強調されたとき、ここでなんらかの補償を認めるとしたら日本の戦後処理の見直しにつながりかねない、広くアジア各国との関係に波及しかねないとしたが、少なくとも旧日本軍が関与している文書の発見されるなかその「補償に代わる措置」を考えるようになっていったようだ。しかし政府機関のなかでそのことについての事務レベル検討は一九九二年三月までなされた形跡はない。 三月九日の衆院予算委員会で「目に見える形で何かするのが政治かなという感じをうけている」と渡辺外相が前向きの姿勢をみせたもののその後に「ほかにどう広がるかもふくめ検討する必要がある」ともいっている。どうやら、なかなか決着はっきそうにないように思える。 前に話したように従軍慰安婦としたのは、たしかに朝鮮人・韓国人がもっとも多かったが中国人・台湾人からビルマ人、フィリピン人もいた。韓国人元従軍慰安婦だけを対象に「補償に代わるなんらかの措置」をとれば他の国も同調してくるのは目に見えている。そのときのことを心配しているのだろう。 いまひとつ政府のいう「補償に代わるなんらかの措置」というのは日韓請求権・経済協力協定(一九六五年)で戦後補償は法的に解決しているからいまさら補償という言葉は使えない、日本政府の補償義務はその協定で消滅している、だからそれに代わるものでということだが、一九九一年十二月六日東京地裁に訴えた元従軍慰安婦らの訴えは「謝罪」と「一人一律二千万円の補償を求める」というものだ。裁判所がこれにどのような判決を下すかも大きな問題だろう。 FAQ目次 コメント欄 「名無し」とそれに類する投稿はご遠慮願ってます。 -- (管理人) 2008-09-10 06 49 00 名前 コメント すべてのコメントを見る