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シコ・ブアルキ 年表_個別作品入り 1944年──7月19日にリオデジャネイロで生まれた。本名は、フランシスコ・ブアルキ・ヂ・オランダ。社会学者/歴史学者のセルジオ・ブアルキ・ヂ・オランダとピアニストのマリア・アメリア・セザリオ・アウヴィンの間の7人の子供のうちの4人目として生まれた。 1946年──父セルジオがイピランガ博物館の館長に任命され、一家はリオからサンパウロへ転居。 1949年──音楽への興味を示しはじめ、ラジオ歌手の写真の切り抜きを集めたアルバムを作る。 1953年──父セルジオへのローマ大学での講師の依頼があり、家族でイタリアに転居。シコは作曲するようになり、カーニヴァルのマルシャ調の曲を書いた。学校では英語を、街ではイタリア語を話し、3カ国語を操るようになった。 1954年──イタリアのブアルキ邸には、ブラジル文化を代表する著名人が訪ねてきて、その中に、後にシコの共作者かつ良き友人になるヴィニシウス・ヂ・モライスもいた。またこの年、イタリアからブラジルへ戻った。 1955年──ブアルキ一家は再びサンパウロで生活を始めた。家は、有名なサッカースタジアムのパカエンブスタジアムの近くだった。シコは、コレジオ・ダ・サンタクルス(初等・中等学校)に入学した。 1956年──最初のオペレッタを書き上げ、年下の妹たちと一緒に歌い演じた。 1958年──文学少年で、特に古典を愛好していたシコだが、父の書斎から取ってきた、マリオ・ヂ・アンドラーヂの『Macunaíma』のとても貴重な初版本を、廊下で見せびらかして学校で叱られた。宗教運動の「Ultramontanos」に加入した。 1959年──ボサノヴァから、特にジョアン・ジルベルトから強い影響を受けて、初めて作曲した。曲名は「Canção dos Olhos」。しかし、シコは自分の音楽家としての作品集の最初の作品は、1964年の「Tem Mais Samba」からだと考えている。両親は、シコをミナスの地方の学校で1学期学ばせた。サンパウロに戻ると、ホームレスに食事と毛布を配るOAFという団体に参加した。 1961年──学校で発行していた新聞でエッセイを初めて発表。彼と友人が「朝のサンパウロをドライブするために」車を盗み、逮捕される。一晩、留置所で過ごし、18歳まで夜の外出を禁じられた。 1963年──サンパウロ大学の建築都市計画学部に入学。3年後に、母方の祖母の孫が街をデザインしているのを見たいという願いにフラストレーションを感じて、退学。他の退学の要因としては、1964年の軍事クーデター以降の大学の重苦しい雰囲気も理由だった。 1964年──コレジオ・サンタクルスで初めてコンサートを行った。 「Tem Mais Samba」をはじめ、ミュージカル「Balanço de Orfeu」用に作曲した。同年、コレジオ・ヒオブランコのホールで、「Primeira Audição」という、若い世代の音楽家が披露するためのコンサートがあり、シコは「Marcha para um Dia de Sol」など数曲披露した。 1965年──デビューシングルをリリース。収録曲は「Pedra Pedreiro」と「Sonho de um Carnaval」。 ジョアン・カブラル・ヂ・メロ・ネトの戯曲『Morte e Vida Severina』のミュージカル化のために、詩にメロディーをつけた。 サンパウロ州のカンピーナスで行われた「O Momento É a Bossa」というイベントに出演し、初めて出演料をもらった。 ●デビューシングル発売 1966年──「A Banda」が、テオ・ヂ・バロスとジェラルド・ヴァンドレーが作曲した「Disparada」とともに、Record社の主催の第二回Festival de Música Popular Brasileiraで第一位に選ばれた。リオに引っ越し、デビューアルバム『Chico Buarque de Hollanda』を発表。また、舞台『O Patinho Feio』のために、はじめて子供向けの曲を発表した。後に結婚するマリエタ・セヴェーロ・リンスと知り合う。 ●デビューアルバム発売 Chico Buarque de Hollanda ●アルバム発売 Morte e Vida Severina 1967年──サンパウロに滞在しTV Record社の音楽番組『Pra Ver a Banda Passar』にナラ・レオンととともに出演。レオン・イルスズマン監督の映画『Garota de Ipanema』に、トム・ジョビン、ヴィニシウス・ヂ・モライス、ナラ・レオン、ホニエ・ヴォンらと共に出演し、俳優デビュー。演じたの彼自身の役。サンパウロの名誉市民の称号を受け取り、ミロー・フェルナンデスが70年代のシコに存在感を評した「única unanimidade nacional(唯一の全国全階級に愛される存在)」に変わっていく。 ●アルバム発売 Chico Buarque de Hollanda vol. 2 ▲舞台公開 Roda Viva(脚本) 1968年──リオデジャネイロで、軍政に反対する「10万人デモ行進」に参加。すぐに自宅にて勾留され、軍部へ連行されデモ参加への理由を問いただされた。「Benvinda」が第4回ブラジル歌謡音楽祭で優勝した。12月に「すべての狂気が生まれつきではないし、すべての英知が使い古しでもない」という文章を発表。伝統的なサンバに拘る彼への批判に対する彼からの回答だった。 ●アルバム発売 Chico Buarque de Hollanda vol. 3 1969年──妻のマリエタ・セヴェーロと共にイタリアに亡命。そこで、夫婦の三人の娘のうちの長女の、シウヴィア・セヴェーロ・ブアルキ・ヂ・オランダが生まれ、ヴィニシウスが代父になった。トキーニョをイタリア公演で共演するために呼び寄せた。またアメリカの女性ジャズ歌手のジョセフィン・ベイカーの前座としてツアーを一緒に回った。反軍政色の強かった週刊誌の「O Pasquim」に、時々記事を寄稿した。 1970年──ヴィニシウスの助言があり、ブラジルに戻るが、とても騒がしい帰国となった。空港では多くの友人がシコの帰国を歓迎した。2人目の娘の、エレーナ・セヴェーロ・ブアルキが生まれた。軍政を批判の曲「Apesar de Você」を作曲。奇跡的に検閲を通過し、禁止されるまでに多くの人に届いた。「Cento Recreativo Vinicius de Moraes」を設立。サッカーチームのPolitheamaを発足。 ●シングル発売 Apesar de Você ●アルバム発売 Chico Buarque de Hollanda - Nº4 1971年──検閲とコンクールを広告に利用とした軍政の試みへのプロテストとして、第6回国際歌謡曲コンクールの登録を他の参加者とともに抹消し、TV Globo社と絶縁した。アルバム『Construções』を発表し、当時としては爆発的に売れた。 ●アルバム発売 Construção 1972年──サルヴァドールのカストロ・アウヴィス劇場で、カエターノとともに歴史的なコンサートを行う。カカ・ヂエギス監督の『Quando o Carnaval Chegar』にナラ・レオン、マリア・ベターニアとともに主役として出演。全曲の音楽を書き下ろす。ミュージカル『Homem de la Mancha』をルイ・ゲーハとともに翻案する。 ●アルバム発売 Quando o Carnaval Chegar ●アルバム発売 Caetano e Chico Juntos e ao Vivo ▼映画公開 Quando o carnaval chegar(脚本共作、出演、音楽) 1973年──ルイ・ゲーハとともに舞台『Calabar - Elogio da Traição』を書き上げるが、検閲で禁止された。ジルベルト・ジルとの共作曲の「Cálice」が、所属レーベルPhonogramから禁止された。イタリア亡命中に考え出した、サッカーを題材にしたカード・ゲームのLudopédioを発売した。カカ・ヂエギス監督の映画『Joanna Francesa』のために曲を書き下ろす。 アルバム発売 1973 Chico Canta ▲舞台 Calabar (ルイ・ゲーハとの共作)(完成するも検閲により公開できず。上演許可が出たのは80年。) 1974年──1作目の短編小説となる『Fazenda Modelo』を発表。音楽面では、検閲を通過するために、偽名のジュリーニョ・ダ・アデライヂという人物を考え出した。この名前で「Acorda, Amor」「Jorge Maravilha」「Milagre Brasileiro」を登録した。1975年に、ジョルナウ・ド・ブラジル紙で真実が明かされた。 ●アルバム発売 Sinal Fechado ■著作出版 Fazenda Modelo 1975年──9月17日に、3番人目の娘のルイーザ・セヴェロ・ブアルキ・ヂ・オランダが誕生。マリア・ベターニアと、リオのカネカォンで、長期間にわたった公演を行った。ギリシャ神話から着想を得た戯曲「Gota d Água」を執筆。公演では、ビビ・フェレイラが主役を演じ、シコはこの年の最優秀演劇作家としてモリエール賞を受賞。ウーゴ・カルヴァナが監督した映画『Vai Trabalhar, Vagabundo』に同名の曲を作曲し提供した。 ●アルバム発売 Chico Buarque Maria Bethânia ao Vivo ▲舞台公開 Gota d Água(脚本共作) 1976年──ブルーノ・バヘト監督の映画『Dona Flor e Seus Dois Maridos』に「O Que Será」を作曲し提供。 ●アルバム発売 Meus Caros Amigos 1977年──71年の一件以来、TV Globo社の番組で6年間シコの曲が使われなかったが、「Maninha」がノヴェーラ『Espelho Mágico』で取り上げられた。ウーゴ・カルヴァン監督の『Se Segura, Malandro』のために「Feijoada Completa」を作曲。戯曲『Ópera do Malandro』を執筆し、同戯曲のための各曲も作曲した。 ▲舞台公開 Os Saltimbanco(脚本、音楽) ●アルバム発売 Os Saltimbanco 1978年──2月にはじめてキューバを訪れた。Casa de las Americasの文学賞の審査員として。ブラジルに戻ると、妻のマリエタと共に、軍政府の尋問に苦しんだ。 ●アルバム発売 Chico Buarque ▲舞台公開 Ópera do Malandro(脚本、音楽) 1979年──映画のために多くの曲を作曲した(ミゲル・ファリアJr監督の『República dos Assassinos』やカカ・ヂエゲス監督の『Bye Bye, Brasil』などを含む)。演劇用には、ヂアス・ゴメス監督の『O Rei de Ramos』ために「Dueto」を提供するなどした。イラストはドナテラ・ベルレンヂスが描き、始めてとなる子供向けの絵本を発表した。絵本のタイトルは『Chapeuzinho Amarelo』。 ●アルバム発売 Ópera do Malandro ■著作出版 Chapeuzinho Amarelo 1980年──バレリーナのマリレナ・アンサウヂの依頼で、演劇『Geni』への曲を作曲した。ポルトガル共産党の公式組織である「Avante」のイベントや、アンゴラでプロジェクト「Kalunga」に参加した。そのプロジェクトには国中の計64人以上のブラジル人アーティストが参加した。そのコンサートの売り上げは、病院の建設に使われることになっていた。アルゼンチン人の映画監督マウリシオ・ベルーが『Certas Palavras』というシコ・ブアルキについてのドキュメンタリー映画を完成させた。同映画にはカエターノ・ヴェローゾ、マリア・ベターニア、ヴィニシウス・ヂ・モラエス(最後の映像記録となった)、トキーニョなども出演した。 ●アルバム発売 Vida 1981年──セルジオ・バルドチやアントニオ・ペドロ、テレーザ・トラウチマンとともに映画『Saltimbancos Trapalhőes』の使用曲を作曲、脚本を執筆。映画には、ヘナート・アラガゥン、デデー・サンタナ、ザカリアス、ムセンらが出演し、歌はルシーニャ・リンスが歌った。 ●アルバム発売 Almanaque ▼映画公開 Saltimbancos Trapalhões(脚本共作、音楽) ●アルバム発売 Saltimbancos Trapalhões 1982年──エドゥ・ロボとともにバレー『O Grande Circo Místico』のために曲を書き下ろし、それらの曲を収録したアルバムは翌年リリースされた。父のセルジオ・ブアルキ・ヂ・オランダが79歳で永眠した。 ●アルバム発売 Chico Buarque en Español 1983年──サンバ「Vai Passar」が大統領の直接選挙を求める運動「Diretas Já」のテーマ曲のようになり、自身も運動に積極的に関わった。9年ぶりに、アルゼンチンのブエノスアイレスのルナ・パークでコンサートを行った。 ●アルバム発売 O Grande Circo Místico ▲舞台公開 O Grande Circo Místico ▼映画公開 Para Viver um Grande Amor (脚本共作) 1984年 ●アルバム発売 Chico Buarque 1985年──シコの演劇をベースにしたルイ・ゲーハ監督の映画『Ópera do Malandro』の製作に全面的に関わり、脚本と新曲を執筆した。また、エドゥ・ロボとアウグスト・ボアル脚本・演出の舞台『O Corsário do Rei』のために新曲を書き下ろした。 ●アルバム発売 O Corsário do Rei ●アルバム発売 Malandro ▼映画公開 Ópera do Malandro 1986年──テレビ番組『Chico e Caetano』でカエターノと共に司会をした。同番組は7ヶ月間続いた。 ●アルバム発売 1986 Trilha Sonora do Filme "Ópera do Malandro" 1987年 ●アルバム発売 Francisco 1988年 ●アルバム発売 Dança da Meia-Lua 1989年──「Trapaças」をウーゴ・カルヴァナ監督の映画『Amor Vagabundo』ために書き下ろした。同映画に、かつての偽名だったジュリーニョ・ヂ・アデライヂの役で少しだけ出演した。 ●アルバム発売 Chico Buarque 1990年 ●アルバム発売 Chico Buarque ao vivo Paris Le Zenith 1991年──Companhia das Letras社より、処女小説『Estorvo』を発表し、同作は名誉ある文学賞のJabuti賞を受賞した。同作はすぐに、フランス、イタリア、イギリス、ドイツ、スペイン、アメリカ合衆国、ポルトガルの7カ国で出版され、ポルトガルでは三日間で7500冊売り上げるという記録的な売り上げを記録した。 ■著作出版 Estorvo(初の小説) 1993年 ●アルバム発売 Paratodos 1994年──93年末にリリースされたアルバム『Paratodos』のコンサートを行う。社会学者のエルベルチ・ヂ・ソウザが牽引した国家規模のキャンペーン「Campanha Nacional contra a Fome e Pela a Cidadania(飢餓撲滅と市民権を求めるキャンペーン)」に参加した。 1995年──2作目の小説『Benjamim』を発表。批評家からの厳しい批評にも関わらず、ベストセラーとなった。 ●アルバム発売 Uma Palavra ■著作出版 Benjamim 1996年──8月24日に、リオデジャネイロで、初孫であるフランシスコ・ブアルキ・ヂ・フレイタスが誕生。長女のエレナ・ブアルキとバイーア出身の音楽家のカルリーニョス・ブラウンの間に生まれた。「Paz no Futebol(サッカーにおける平和)」キャンペーンに参加。 1997年──30年続いたマリエタ・セヴェーロとの結婚生活に終止符。 ●セバスチアゥン・サウガドの写真集「Terra」の付属CDを制作 1998年──マンゲイラが、シコへのオマージュをテーマにたパレードを行った。ワールド・カップ期間中に、パリから新聞に寄稿した。長女とカルリーニョス・ブラウンの間に、シコにとって2人目の孫となるクララ・ブアルキ・ヂ・フレイタスが誕生。 ●アルバム発売 As Cidades ●アルバム発売 Chico Buarque de Mangueira 1999年──『As Cidades』のコンサートを年間を通じて行う。ブラジル国内以外にも、アルゼンチン、ウルグアイ、ポルトガル、フランス、イギリス、イタリアで公演を行った。 ●アルバム発売 1999 Chico ao Vivo 2000年──シコの処女小説に着想を得た、ルイ・ゲーハ監督の映画『Estorvo』が公開され、カンヌ映画祭でも高い評価を受けた。出演は、キューバ出身のホルヘ・ペルゴヒアや、レオノル・アロシャ、トニコ・オリヴェイラ、ビアンカ・ビントンらのブラジル人俳優。 2001年──アドリアーナとジョアン・ファウカゥン演出の舞台『Cambaio』ために、エドゥ・ロボ作曲の曲に歌詞をつけた。シコを追ったドキュメンタリー映画『Chico e as Cidades』のDVDがリリースされた。 ●アルバム発売 Cambaio ▼ドキュメンタリー映画公開 Chico e as Cidades 2002年──200を超えるデュエット曲の中から14曲を選んだアルバム『Duetos』をリリース。 ●アルバム発売 Duetos 2003年──モニキ・ガルデンベルギ監督による映画『Benjamin』が公開される。出演は、パウロ・ジョゼー、クレオ・ピレス、ダントン・メロー、シコ・ヂアスら。3作目となる小説『Budapeste』を発表。 ●ドキュメンタリー映画公開 Chico ou o país da delicadeza perdid ■著作出版 Budapeste 2004年──リオデジャネイロの国立図書館で、シコへオメナージュを捧げる「Chico Buarque O Tempo e o Artista」展が行われた。キュレーターは、ゼカ・ブアルキ・フェヘイラ。 2005年──フランスの「Le Nouvel Obervateur」紙がシコを南アメリカの最も優れた作家の1人に選出。 ●全10刊のシコを追ったドキュメンタリーDVDシリーズが発売開始 2006年──8年ぶりとなる新作アルバム『Carioca』をリリース。12曲の中には、エドゥ・ロボ、イヴァン・リンス、トム・ジョビンとの共作曲も含まれていた。カルロス・サウラ監督の映画『Fados』に出演。同作にはカエターノも出演していた。 ●アルバム発売 Carioca 2007年──アルバム『Carioca』のコンサートツアーを行い、同コンサートの模様を収録したDVDがリリースされた。 ●アルバム発売 Carioca ao Vivo 2008年──4作目の小説のために家に籠っていた。 2009年──4作目の小説となる『Leite Derramado』を発表。ヴァルテル・カルバーリョ監督による、小説『Budapeste』をベースにした同名の映画が公開された。レオナルド・メデイロス、ジオヴァナ・アントネリ、ガブリエラ・アモリらが出演した。 ■著作出版 Leite Derramado 2010年──『Leite Derramado』で3度目となるJabute賞の受賞。52年の同文学賞の歴史の中で、3度受賞したのはシコが初めて。
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米ドル 経済・政治・軍事など、基軸通貨だからこそ世界中の投資家が米国の一挙手一投足に注目 米ドルの動きは。ほとんどすべての通貨に影響を与える。なぜなら、米ドルは現在、世界の基軸通貨だからだ。そもそも通貨の価値は、国力そのものを表している。米ドルが基軸通貨となっているのは、その圧倒的な国力にある。経済規模で比較してみても、米国のGDPは世界GDPの3分の1を占めており、その大きさがわかるだろう。 国力は経済的な側面だけでなく、政治や軍事などの総合力が問われる。そのため、米ドルの価格はこれらすべての要素で動いていく。すなわち米国経済の状態・金融政策・米国内の政治情勢・他国との関係や影響力・米国の軍事戦略など、すべてが米ドルの価値を決めることに関係している。そのなかでも、金融政策の中心的な役割を担う米国の中央銀行「連邦準備制度理事会(FRB)」の動向は、為替レートに大きな影響を与えている。 現在のFRB議長はバーナンキ氏。彼の発言ひとつ、一挙手一投足で世界の為替レートが動いてしまうほどその影響力は大きい。そのなかでもFRBの動向で最も注意しなければいけないのが、政策金利の決定である。世界の基軸通貨である米ドルの金利動向は重要である。わずか0.1%の金利の変化であっても、それは世界中のニュースとなり為替相場を動かす原動力となってしまう。 しかし、巨大な国力によって維持されていた基軸通貨としての存在感が揺らぎ始めている。「世界の警察」を自認している米国の政策は、イラク戦争を境に世界から疑問視されるようになった。それに追い打ちをかけるようにサブプライムローン問題に端を発した資本市場の混乱は米ドルに対する基軸通貨としての信頼を損なっているからだ。 米ドルが基軸通貨としての威信を取り戻せるか。それは、内政・外交を含めて世界中が注目するところだ。 1985年以後、急速な円高 ドル/円レートは、第二次大戦後の1945年から1971年までは1米ドル360円と決まっている固定相場制だった。これにより日本は円安による輸出振興策で、年率10%前後の高度経済成長を遂げた。しかし、ドル/円レートは1971年に変動相場制に移行してからは、ずっと円高への道を進むことになる。 特に1985年にドル高を是正するプラザ合意が締結された後は、たった1年で240円台から150円台まで一気に円高に進んだ。この円高は、1995年に1ドル=79円台のピークをつけた。1998年には147円台まで円安となり、その後はこのレベルより円高水準で動いている。 アメリカ政策金利 ITバブル崩壊と、これに続く米国同時多発テロでの景気後退を下支えするため、2003年には1.0%まで政策金利は段階的に引き下げられた。その後は住宅ブームもあり、2006年には5.25%まで引き上げられたが、サブプライムローン問題による市場の混乱を抑えるため、再び引き下げの方向にある。 米ドル取引のポイント 日本政府の市場介入の場面は要注意 ドル/円は、円独自の要因にも大きく左右される。例えば、日本は長らく超低金利政策をとっているが、これにより他通貨との金利差が大きくなり、円売りの材料となる。1500兆円ともいわれる日本の個人金融資産が、自国内のマーケットに踏みとどまらずに、海外や外国通貨の投資へ向かうインセンティブにもなってしまう。 日本は海外への輸出が多く円高に対する根強いアレルギーがあるため、日本政府が円高を阻止する目的で、日銀を通じて為替市場に介入するという、通貨当局による操作が行なわれてきた。外国為替市場の大きさを考えれば、介入だけで流れを大きく変えるということは難しいが、介入の場面では大きく為替レートが動くので注意が必要だ。 トップページへ
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#weblog 基礎知識や消費者金融に関する関連用語の解説や様々なサービスについての話や消費者金融会社各社の紹介と比較。消費者金融、キャッシングやローンについては、うまく利用することで便利で、お得な生活に役立ちます。大事なことは、消費者金融やキャッシング、ローンについてよく知ることと、計画的に消費者金融を利用すること。そうすれば、うまく消費者金融をご利用になることが出来ます。消費者金融は決して怖いものではありません。みんなで消費者金融についてよく知ろう。 消費者金融 消費者金融って何? 銀行などの金融機関や貸金業者が、消費者個人に対して物品やサービスの購入資金を貸し付けたり、提携先を通じて信用供与を行ったりするものを消費者金融といいます。(消費者ローンも同じです。)最近では使い道を限定しない「フリーローン」タイプの消費者金融も多く、一定の限度額を設定したカードを利用してATMなどで現金を引き出すタイプの消費者金融も増えています。 消費者金融 消費者金融関連用語集 ローン:貸付、貸付金。借款。 キャッシング:金融機関が個人(消費者)を相手に行う小口融資で自動預け払い機(ATM)などを利用するもの。 カードローン:あらかじめ決められた融資限度額までカードで何度でも借り入れできるものを言います。 借入れ(借り入れ):消費者金融会社から金品や品物を借りること。 借金:金銭を借りることもしくは借りた金銭。 金融会社:金融業務を主業務にする会社のこと。 返済:消費者金融会社から借りた金や物を返すこと。 破産:債務者が債務を完済出来ない場合に債務者の財産を債権者に公平に弁済するための裁判上の手続き。 金融:金銭の融通をすること。 融資:資金を融通をすること。 フリーローン:使いみちを特定しない貸付。 ノンバンク:金銭の貸付を業務とする業者の総称。 貸金(貸し金):消費者金融会社が貸した金銭。 多重債務者:複数の消費者金融業者などから金銭の貸付を受けている者。 取り立て(取立て):消費者金融業者などが貸金の催促をして徴収をすること。 ファイナンス:財源、資金、財政、財政学、融資、資金調達、らのこと 法定利息:法律の規定によって発生する利息のこと。 消費者金融 消費者金融特集は、消費者金融を比較して低金利でキャッシングしたい人のための、比較、総合消費者金融情報サイトです。キャッシングするために、今日も明日もあさっても低金利などの情報を収集して比較しています。消費者金融特集で比較&申込。低金利な消費者金融を探そう。消費者金融のご利用は計画的に。生活の為に、消費者金融をご利用になるのは計画的ではありません。 消費者金融 消費者金融やキャッシングのご利用は計画的に行えばとても便利です。消費者金融会社も低金利な消費者金融会社や一週間無利息の消費者金融会社、カードローンやフリーローンが利用できる消費者金融会社など消費者金融会社にも色々とあります。大事なことは、消費者金融やキャッシングについて消費者の私たちがよく知ることです。消費者金融やキャッシングについては計画的に利用すればとても便利なサービスです。みんなで一緒に消費者金融について学んで、お得に消費者金融を利用しましょう。 消費者金融 消費者金融1/消費者金融2/消費者金融3/消費者金融4/消費者金融5/消費者金融6/消費者金融7/消費者金融8/消費者金融9/消費者金融10/消費者金融11/消費者金融12/消費者金融13/消費者金融14
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今日は、マル激トーク・オン・ディマンド 第636回(2013年06月22日)「たかがアベノミクス、されどアベノミクス」の内容をご紹介します。 http //www.videonews.com/charged/on-demand/631640/002829.php 編者感想として、リフレ効果は神保さんや宮台さんの認識には織り込まれつつあり、では次に、よりリフレ効果を高め、持続させるためにはやはり構造改革みたいなものが必要なんではないか、という形で考えていらっしゃるように思います。 リフレ派としては気になるところはたくさんあるかも知れません。 少し違うのではないか、と思う部分は多々ありますが、あまりここで「やっぱりわかってない」と目くじら立てるよりは、とにかく「期待への働きかけ」が消費や投資、雇用等の実体経済へつながる可能性が認められたわけですから、そこにまずは注目すべきかと思います。 では次に、設備投資を実際にどうやって増やすのかは、あれもこれも、いろんな人がいろんなアイデアを出し合っていくのはいいと思うんですよね。ブレスト(アイデア発散)の段階で、「それはこうだからだめだ」とか否定的に言うのは、ブレストのルール違反ですからね。 そしてとにかく、雇用状況を改善した上で税収を増やし、さらにそれに先行して社会保障を強化し、セーフティネットを充実させる政策を政権に取らせていく、その圧力をかけていく勢力として、いわゆるリフレ派(社会保障強化派)もともに「連帯」していきたいですよね。 (一部抜粋、要約しています) 神保:今日のテーマは経済政策。一連のアベノミクスの論争の企画をやってるときに、『経済を動かす2つの単純な論理』という本に助けられた。経済は「バブル」と「リスク」という言葉を理解ればいいと。 著者は慶應技術大学経済学部教授の櫻川昌也さん。 神保:櫻井さん、バブルというと、批判しているように聞こえますよね。 櫻井:アベノミクスをバブルと言う人がいるけど、それを聞くとアベノミクスをつぶしたいんだなと、そういう論調に見える。それはバブルというものが何か知らない人の言うことで、(現実には)山のようにバブルは起きている。(日本は)一度強烈なのが来たので、強い拒否反応があるが、世界的にはこの20~30年で30回ぐらい起きているわけで。 バブルがトータルで見ると損だったか得だったかは国によってマチマチ。パターンの中でいちばん大損しているのは日本で、他の国を見ると、必ずしもそうではない。あんまりナーバスになる必要はなくて、いい面と悪い面あるわけですから、こういうのもアリなんだと、冷静にみながら対処していくことが大事。 (略) 神保:他の国でバブルの後遺症をもう少しうまく吸収できているのに、日本ができないというのは。 櫻川:不良債権処理が早いか遅いかは重要な問題。アメリカは今回2~3年で処理。アジア通貨危機の時は、IMFが入ったから強制的に1年か2年で処理してしまった。だから回復も早かった。 日本は92年に崩壊して、ケリがつくのが2005年なので13年かかってる。しかも真面目に不良債権処理やり出したのは竹中さんがやり出してからで、そこから数えると3年。最初の10年は何もしていなかった。それが結局高くついた。あれをさっさと処理していれば事態はかなり変わっていた可能性が高い。 92年のときに地価が暴落して、銀行が損したらしいというので宮沢さんが不良債権処理しようと言ったが「なんであれだけ儲けた銀行を助けるんだ」と国民感情が許さなかった。それと、銀行が大損することがいったい次に何が起きるのかを誰もわからなかった。だから、国民も反対してるし、先送りしてもいいだろう、いいだろうと、ずるずる来たのが実態。 自民党選挙公約 神保:これ自体42ページもあって、これ以外に報道向け資料が82ページ。この中で見出しになっているものをピックアップ。 名目3%、実質2%の経済成長実現(今後10年平均) 設備投資を年間70兆円の水準まで回復(3年で) 設備投資減税の実施/法人税の大胆な引き下げ 失業期間6カ月以上の人数を2割減少(5年で) 中小企業の輸出額を2020年までに倍増(10年比) TPPでは「国益にかなう最善の道を追及」 櫻川:名目3、実質2というのは非常に弱気だなと。もうちょっと強く行ってもいいと私は思う。ほんとに構造改革をやる気があるのなら、もうちょっと高い数字を言ってもいい。設備投資は今60兆円ちょいですから、しかも3年で70兆円とは弱い。もっとガンガン設備投資できるような形をどう作るかということを考えてもいい。たとえば100兆円近くどーんと。 櫻川:法人税というのは本当に下げれるかわからない。これは意味ない。いまは企業にコンサルのような形でエクイティ・ファンドがどんどん入ってきている。彼らが何を指導するかというと、本社はここに置いてください、営業所はこの辺に、支店はこの辺に置きなさいという、そこから始まる。要するに、税金払わなくてもいいように。インターナショナルな世界ではそれが当たり前になっているので、高い法人税を課しているところからは企業は逃げてる。だから(今さら効果がないとしても)これは下げていくしかない。 神保:TPPについては政策集ではとても言及が短い。あまり深くどっちとも言いたくないという感じ。 櫻川:中小企業の輸出額を倍増できればいいんですが、どうやってやるのかと。現実の問題としては、円安がどこまで行くかと。日本の中小企業は半分は韓国と競合しているので、今は立場が逆転してウォン高、円安になってますから韓国の方が困っているわけで、そういう意味では為替がすべてを決める領域だと思う。これは実は円安政策を取るぞと言っているに等しい。 TPPに関してはすごく大事な問題で、日本の産業構造を変えていく、一つの大きなきっかけになると思う。 特に私が期待するのは、日本は会社組織を変えないとやっていけないかも知れない。そして変えることによって伸び代が出てくる可能性がある。ここは重要だが「国益」というのは言語明瞭、意味不明で弱い。 (略) 櫻川:(政策パッケージとしては)ちょっと懐があったかくなればいいかなみたいな程度で、ではどういう風な社会にしたいんだとか、どういう日本を作っていきたいんだ、というような観点はこれからは見えてこない。 宮台:野党の方が、どういう日本を作りたいのかということについても、価値を打ち出せば良いんだけれども、民主党については価値を打ち出したところが、何もできなかったという前例があるし、維新の会が示唆している価値は、実は旧態依然たるものじゃないか、という疑惑が生じている状況で。公約の良し悪しは、選挙においては相対的なものですよね。 神保:下の方はわからないけれども上の方は実現可能性があると言う風に思われるだけでも大きい。 宮台:人々はとにかく景気回復、雇用の改善、これに関心をもっているわけですから。それに答えるような政策を野党が打ち出せない以上、相対的にはこれで十分に強力だと思います。 神保:これが強力である理由は、アベノミクスと言われる経済政策が、うまく行っているように受け止められているから、これならうまく行くんじゃないか、というような見方をされるところがあると思う。櫻川さんとしてはアベノミクスの3本の矢、共産党の志位さんは毒矢だと言いますが、どう評価されていますか。 櫻川:出だしは、誰も予想しないぐらいにうまく行ったと思います。いろいろラッキーはあった。金融緩和であんなに円が安くなるなんて誰も思っていなかった。しかも、円が安くなっただけで、あんなに消費が増えるとは誰も思ってなかった。実は意外なことがずっと続いてて、なんでなのか、われわれ専門家筋でもあんまり良くわかってないんですよ。なんでこんなにうまく行ったんだろうというのが。とにかく結果ですから。とりあえず出足が良くて、それで世の中の雰囲気がバッと変わった、というのは、僕は評価していいと思います。 神保:そこまでうまくいった主だった理由は何なんですか。 櫻川:実はいちばんの要因はアメリカなんです。私は今年の4月までNYにいたので良くわかるんですが、住宅価格がずっと下がっていて、アメリカだめだったのが、下げ止まって上昇に転じた。それでアメリカは底を脱せるんだと。今年に入ると、アメリカの景気回復は間違いないという雰囲気が去年の秋口からあった。そうなると、バーナンキは金利を上げてくるだろうと。そうなれば当然、アメリカにお金が集まり、円は売られる。円高は終わったなという雰囲気はNYでは秋口からあった。そこにタイミング良くアベノミクスが出てきて、日本は0金利のまましばらくお金をばら撒いていきますよと言ったので、アメリカのヘッジファンド筋、金融筋が一気に円を売って、一方方向で円安が実現した。 アベノミクス単体でこれだけの効果があったかというとそれは言い過ぎで、基本的にはアメリカ経済の大きな変化、これが非常に大きかったと思います。 それともう一つはユーロがちょっと落ち着いた。相対的に、円を無理に持っていなくてもいいかなという。そういう世界経済の流れが、無理にもう円を持っていなくていいかなみたいな、大きな流れとしてあった。 タイミングが非常に良かった。で、効いた、という感じがします。 神保:そこでいうアベノミクスと言うのは1本目の矢の金融緩和ですよね。日銀の独立性とか金融改革が進まないまま、単に緩和緩和というところに懸念があり、次につながる、財政の規律というもの…あまり財政の規律というと、例のリフレ派対反リフレの神学論争みたいな、おまえこっちの陣営か、みたいになるので、そういう文脈でいいたくないんですけど、日銀の白川さんが、ある種、抵抗していたので、それを首根っこ押さえて云々、というときには、これはやっぱりまずいだろうという声があったんだけれども、ちょうど交替の時期、交替の前に白川さん、辞任されたんですよね。どっちみち交替だったわけですが。一応、政権の意を受けた金融政策を取ろうという人を総裁に据えたと。首根っこを押さえないでも自ら進んでそれをやる黒田さんという人を連れてきた。そうすると先生の懸念は払拭されるんですか。つまり、日銀が違うこと考えている時に無理やり政治が何かやらせようとするという部分は。 櫻川:基本的には中央銀行の独立性を後退させたわけですよね。今回のプロセスは明らかにそうで、中央銀行の独立性は歴史的ないろんな問題があって、政府がより金融政策を握っていたときに、財政インフレということが歴史的にいろいろ起きてきたんです。その問題を解決するには、どうも中央銀行を作って、政府とは違った形で動いてもいいように縛りを入れようと。日本に関していうならば、経緯としては、民主政府が出来た後に、中央銀行がなかった。明治政府が財政も運用し、貨幣も発行した。そして西南戦争が起きた。1877年ですか。戦争で非常にお金がかかると。(公債の説明)インフレが起きた。これではダメだといって中央銀行、日銀を作った。歴史の失敗に学んで中央銀行を作ってきて、今にいたっているわけですから、日本はインフレ率はずっと安定していてそういう意味ではいい国だったんですが、デフレになり過ぎて、中央銀行に独立性を与えすぎたんじゃないかと。ちょっとこっちに戻そうという風なことで、良く言えば、与えすぎた独立性を少し返してちょうだいということを今回やった。これが本当に長期的にいい政策だったのか、悪い政策だったのかは、わかりません。 宮台:僕のような素人から見ると、独立性もさることながら、FRBなどと比較すると、日本の中央銀行は、やや、パラノイアというか、偏執狂的に、ある方針に固執しているように見えた。他国の中央銀行であれば、日銀と同程度の独立性であったとしても、これほどまでに、政府の金融緩和策に抵抗するということもなく、いろんなことが、政治側にとっても、うまく転がった可能性もあると思うんですよね。だから、どうして日銀が、それほどまでに、金融緩和イコールインフレ、みたいな、図式に固執するのか、そこは興味深いですよね。 櫻川:私は日銀の方も知ってるんですが、みんな一緒のことを言うんですよね。とにかくちょっとでも緩めたらすぐインフレになって大変なことになると。我々は物価の安定が大事だと。そのためには何を犠牲にしてもいいと思ってるんじゃないかとすら思えるような節は確かにある。彼らも20代後半の頃は非常に優秀だったと思うんですよ、脳みそもやわらかくて。でもあの空間、中央銀行の役所に入って、洗脳とまでは言いませんが、いろいろ教育があるんでしょうね。強硬に反対する取りまきというのがうちわにいて、官僚機構ですから。非常に頑なな集団ができてしまう。 私は中央銀行みたいなところにプロパーのキャリアがいるという仕組みが間違いなんじゃないかと思う。たとえば、銀行の人が行くとか、我々みたいな人間が行くとか、あそこでずっと一生勤めるような人があまりにも多いんですよね。それは非常に非効率なことだし、いちばん問題なのは、どうも話を聞いていると、日本の貨幣価値を守るのか、あなたは日銀を守りたいのか、どっちなんだ、という話。あなたが守りたいのは日本の円の価値じゃなくて、日銀でしょ、つまり人間が組織に張り付いてしまっているものだから、どうしてもそうなってしまうんじゃないかと思う。それが事態を非常にややこしくしていると思う。 アメリカなんかだとFRBがありますけれども、人間の出入りがもっとフレキシブルですよね。FRBを守るためという話を聞くことはない。日本の組織構造というものが、重大な、なんで日銀の人はこうなわけ?みたいな部分を生む。そういう意味ではああいうものは一度解体した方がいいのかも知れない。 そんなに強く独立性を与えているわけじゃないんだけれども、どうもそんな風に使われてしまう。そういうメカニズムがある。 神保:日銀の組織的な問題を踏まえた上で、物価の財政理論でいくと、中央銀行というものが一切物価の管理を止めると。名目の国債残高と将来の所得財政収支の予想が物価水準を決めると。つまり、櫻川先生ご自身の物価上昇率2%の目標というのは、OKというか歓迎なんだけれども、それをやるんであれば本来のポリシーミックス、つまり一方で、非常に保守的な財政運営で財政規律を守るというミックスを持っていなければいけないんじゃないか。その後者が日本はないですよね。それを考えると(日銀の態度には)一定の合理性があると考えられないかと思ったんですが。 日銀から見れば、明らかに財政規律が緩んでいる状態が続いていたわけですよね。そうすると、かなりそこの部分の物価の管理を厳しくしないとならないという風に考えることには一定の正当性があると。 櫻川:白川さんは、長期金利(?)をすごく気にされていましたよね。財政がゆるゆるなので、ここで自分が、お金のところもゆるゆるにしたら、まずい状況が起きるかも知れない、いわゆる財政インフレと言われますけれども、物価を決めるのは国の予算の問題で決まってしまう。そうなると国債が多いわけですから大変なことになってしまう。それを恐れていたのはあると思います。 神保:それでもやはり日銀はそこにこだわり過ぎたという風にご覧になっていますか。今回緩めたわけですよね。だからポリシーミックスの片方が伴っていない。自民党になってさらに財政が緩んでいるようにも見える。現実問題として悪性インフレのリスクが、白川さんたちが心配し過ぎたにしても、懸念してたことが起きるリスクは上がってるのかどうか。 櫻川:難しいですね。僕は白川さんのやった政策自体はそんなに悪いとは思っていないんです。あんなもんかなあと。彼の唯一悪かった点があって、ある時期から、「デフレは日銀だけのせいじゃない」と言い出した。国民からしたら「えっ、責任を取らないわけ?通貨の番人でしょ、あなたは」と。だから期待してたし、だから厳しい政策やってもみんなついていったのに。日銀の総裁というのはやっぱりカリスマでなければならないし、カリスマを演じる必要がある。普通の人とは違うという。彼はデフレを解決するのは、今の中央銀行の政策だけでは難しいかも知れないけれども、時間をかけても絶対やりますと言うべきだった。これを日銀だけではダメだとか。人は責任逃れをしていると見る。 あの辺から白川さんに対する批判がすごく激しくなって、ものすごくブーイングがあったじゃないですか。辞める直前とか。ひどいじゃないかというぐらいに。ブーイングで引きずりおろされたと見えるような状況だった。 中央銀行の信任を維持していくために、中央銀行の総裁を演じるということに失敗した。そこがいちばん良くなかった。 政策的には、ちょっと引き締め過ぎかなとは思いましたけど、わたしだったらどうかな、もっと違ったことはやったと思いますね。やはりこれだけ沈滞しているわけですから、あそこまで引き締めるとむしろ、気持ちの点で人間てもたないだろうと。その辺が、演ずるのがヘタクソだったなと。 実は、データを見てみると、グリーンスパンとかがものすごくお金をばらまいたように見えますけど、しゃべりはうまいんだけどあんまりお金をばらまいてないです。 神保:アナウンスメント効果ね。 櫻川:海外の中央銀行を見ても、言うほどお金は撒いてない。バーナンキがリーマンショックの後のQEとかでばら撒きましたが、それまでアメリカの金融政策ではほとんどお金はばら撒いてない。白川さんは結構ばら撒いてる。ばら撒いているんだけどそう見えない。マーケットも動かない。派手なことを言うとウォール街のマーケットは反応する。そういうところがすごくヘタクソで。 神保:じゃぁマーケットと対話ができていなかったというのは本当なんですね。 櫻川:マーケットの対話ということは根本的にはわかっていなかった。そこが彼の残念なところ。やったことは実はそんなに悪い政策じゃない。 宮台:さっきの櫻川先生のバブルに関するコメントにも絡むことなんだけれども、期待を操縦するというマインドが白川さんにはなかったんですよね。緩和しているのに、高橋さんなんかはペースの問題だと言ったけれども、それもあるんだけど、要は、市場との対話、市場に期待を作ることができていなかったことが問題ですよね。 バーナンキさんは、皆さんバーナンキさんの発言に一喜一憂状態じゃないですか。すごいですよね。 神保:今回、安倍政権だって黒田さんになってから、すごいいろいろやってるように見えるけど、実際に始まるのは14年からですよね。だからまだ、新しい体制になってからの金融政策と言うのはまだ実施されていない。にも関わらずというのは、対話がうまいと見るべきなんですか、それともちょっと煽り過ぎなんじゃないのと見るべきなんですか。 櫻川:優れた総裁というのはいかにお金をばら撒かないで影響を与えるかだと思います。ちょっとお金を出してすごく効果を高めるのが望ましい。 神保:ここで経済再生担当大臣の甘利明さんが講演でアベノミクスについて面白いことを言っています。特に金融政策について意外だと思ったんですが。 甘利経済再生担当大臣(2013年6月19日 日本記者クラブ) 安倍総理は金融政策の力というのをすごく信じていた人なんです。党内でいうと、山本幸三さんみたいな人なんですね。我々からすると山本幸三論は「そんなのないよ、そんな簡単だったら明日でもできるんじゃないか」みたいな話だったんですけども、結局やっぱり、大胆な金融政策というのは、私が想像した以上に、影響力があるっていうことです。万能とは言いませんけれども、大胆な金融政策って、私が考えてた以上に、相当強力なパワーだな、というのが反省です。それで終わってはだめなんですよ。だから需給ギャップも埋めていく政策、スタートは官需で埋めていくけれども、民需でも埋めていく、スイッチしていくんですが、そこに金融政策が絡んでいると、これは、こんなに強力になるんだ、ということは、私自身の反省点ですね。 神保:非常に正直に、甘利さんももともとは、「要するに山本幸三さん的な話だろ」と。そんなうまく行くわけないと思ったら、意外や意外、すごくうまく行って、むしろ反省しているって、非常に正直に言われてたんだけど、どうご覧になりますか。 櫻川:それはいつわらざるところだと思いますし、そう思っている人は多いと思います。 神保:金融政策のおかげでいまこういう風になっているという認識に見えて、実は必ずしもそうではないわけですよね。日本側の問題ではなかった。ここは、どう思ったっていいじゃないかという考え方もできるけれども、どうですか。金融政策がうまくいったためだ、と理解されることの危険性というかですね、それによって発生するリスクみたいなものはありますか。 櫻川:野球のたとえで言うならば、試合には勝ったけれども勝ち方が悪いという状況だと思うんです。つまり、予想していたのは、金融緩和をすることによって、実質金利が下がってくれて、設備投資が増えていく。それにつられて消費が増える。多少円安があって輸出は伸びるけど。そういうことをイメージしていた。まぁ正攻法だと思うんですね。現実にはそれとまったく違う形で良くなってしまった。これをどう評価するか。勝負には勝ってるんだけれども、この勝ち方って、イメージしていた勝ちパターンじゃないよね。勝ちパターンじゃないときに勝っているときにどう判断するか。それで良しとすべきか。これはラッキーだと思って、驕らないで、締めていくところは締めていくと。その辺のところが、見極めをちゃんとしないと、結果だけ見て「効いた、効いた」と。勝負長いですから、5年ぐらいかかって、評価すべき政策だと思うんですね。まだ半年ですから、まだまだ先はある。これから梅雨から夏にさしかかるときにどうやっていくか、と言うと、今までのようなことは使えないと思うんですよ。やっぱり行き過ぎた円高の修正という部分もあったわけですし、このまま金融緩和しててさらに円が120円、130円と行くとも思えませんしね。 神保:緩和すればこんなにうまく行くんだ、と、専門家は別にして、多くの人が思っている節があるので、今回、ちょっとマーケットが調整、戻すような局面になったということで、そのさなかで日銀の政策決定会合が開かれたと。一応、据え置きとなりましたよね。それに対して、幻滅の反応が出る。緩めりゃいくんだから、なんでもう1回行かないんだ、という感じ。金融を緩めたからこんなにうまく行ったという非常に単純にみられていることの副作用なのかなと。それによって幻滅の方にマーケットが反応することがすでに起きている。政策決定会合とそれへの市場の反応をどう思われましたか。 櫻川:日銀の人たちは本当はあんまり緩めたくないんでしょうね。だから今回は無理に緩めなくてもそんなに文句は言われないだろうし、それで景気が悪くなることもないだろうから、とりあえず据え置きだと。この後どうしていくのかなというのはあると思います。もともとあんまり辻褄が合っているわけじゃない政策なので、この後どうやってしのいでいくのかなというのはあると思います。 神保:もう一つ、先ほど出た話なんですが、バブルとも関係してくるかも知れないですけども、3の矢はスカだったということなんですが、いちばん目玉が医薬品のネット解禁だとか、売り上げがそんな増えるとも思えない。薬局がつぶれてケンコーコムが儲かるというのはあるのかも知れないけど、それによって薬のマーケットが急に大きくなるとも思えないし、混合医療の解禁とか、どうも3本目の矢というのはそんなもの。 2本目の矢は、要するに財政政策ということなんだけど、一方で、成長すれば税収も増えるから、財政問題は、解決するんではないかという前提があるのかわからないんですけど、2の矢の話があまり取りざたされていないが、ここで財政規律と言うものをきちんとしなければ、財政が緩いというままいった場合、どういうことを心配しなきゃいけないんですか。 櫻川:財政再建をする気がないとマーケットに読まれたら終わりでしょうね。いまは一応、時間がかかるかも知れないけどやると言っている。マーケットも、信用したいんですよ。日本は大丈夫だよね、みたいな。 どうもその専門家に聞くと、日本とドイツって人気あるらしいですね。人間正直だから、国民が最後税金払って、雇用問題解決してくるっていう。その辺が南ヨーロッパの国に対する評価とは違う。それは非常に重要なことで、海外の投資家筋はあまり日本の国債市場にちょっかいを出して来ない。だから円も高くなる。いざとなったら円を持っていればいいというのは円に対する信用がある。 今まではそれがありますが、ほんとにこれを無視したような財政緩和策をやり出したら、それはその限りではないと思います。日本だめだよこれ、やる気ないよ、政治的にやれないんだろうなとかね。彼らはわれわれが深刻に思っているほど思ってないんですね。日本は、結局長期金利はまだ安いから、ああいうこと言ってるだけで、いざとなったらちゃんとやるよと思ってるわけです。我々が我々日本人に対して、ある意味、すごく信用しているんですね。だからマーケットでもおかしなことは起きてないわけで、我々から見るとこれだけ財政状況が悪いにも関わらず、なんで長期金利が安いのだろうと。国内の金融機関が持っている比率が高いからだと言いますけど、外国人が7%ぐらい持っているわけですから、彼らは非常におとなしい。これはある種の信頼があるんだと思うんですね。 その信頼がどこまで持つかはこれからの政策に関わる。補正予算で大盤振る舞いしているし。2の矢で本当に財政出動するのかというのはポイントになってくるかも知れない。 神保:1の矢は思っていた以上にすごい効いたと。2の矢は、自民党は公共事業でばらまきたいわけですよ。選挙もあるし。3にいたっては規制緩和と構造改革ですよね。これは選挙もあるから非常にやりにくい。今回だって、全面解禁と言ったあとに、その日の夕方にやっぱやめましたになるっていうのは、議員たちから泣きが入るわけですよね。薬剤師の現役の議員だけで4人もいるし、OBも入れると15人ぐらいいるらしいから、安倍さんが午前中に全面解禁と言って、夕方には一部を除いて、などと繰り返すのを見ても、どうもアベノミクスというパッケージは、たまたますごいうまく行ったと言うけれども今言ったように偶然の組み合わせもいろいろあったと。はっきり言ったところが重要だったとは思うけれど。 2、3は、1とのポリシーミックスにもなっていないし、3にいたってはスカであると言う風にも見えるじゃない。でもパッケージとしてはすごい評価高いよね。 宮台:いや、金融緩和しないよりも緩和した方が良かったことは間違いないけれども、今後どうなのかということではないでしょうか。震災復興を口実にして国土強靭化で既得権益を持った人たちにお金を回していくことだとか。薬のネット販売も、既存の市場のプレーヤーを少しシフトするだけの話なので。新しい市場を創造して、そこに人びとの活発な経済活動を、という話とはちょっと違う。 2の矢関連も3の矢関連もしょぼい。 日本の行政官僚は基本的には議員も族議員になって、行政官僚省庁といったいになって、既得権益者の権益を守ると言うことが人々を「ハッピー」にすることだという枠の中で動いてきて。 まったく新しい市場をつくるなどは難しい。 集票装置を傷付けるようなことは今は言えない。 神保:銀行でねむっていたら。要するに貸し付けられないといけない。地銀がひどくて、50%以上が国債に回っていたりする。国債を買うことがメインになってる現状がある。 金融システムが劣化していて、それを改革しなければいけないのに、それが政策に入っていない。 金融政策が効かない一つの理由として、そこがあるんだけど、そこは依然として手が付けられていないのか、そしてそれはなぜなのか。 櫻川:一言で言えば遅れている。遅れていることに気づいていない。20年ぐらい前までは、銀行が金融の中心にいて、企業を審査してお金を貸す。それが一つのひな形で、そうナルト日本の銀行は優秀で、いい仕事したんです。 ところが時代が変わって、アメリカなんかでも主流なのはプライベート・エクイティ・ファンド。金持ちから金を集めてきて企業にもっていく。そこで経営の中身をすぐ聞く。株主の収益率を高めるために経営にすごく文句をつける。昔は金融仲介は銀行がやって審査もしていたが、今はもうコンサルになっている。お金を出すだけじゃなく経営コンサルもやる。いろんな業種を見ているから、企業の弱点とかもわかってしまう。どんどん企業の中に入っていって、経営改善を要求する。最後にお金出すからリストラしろと。ものすごいシビア。このプロジェクトはお金出すけど、このプロジェクトは儲からないからお金出さないと。縮小してくださいと。アメリカのダイナミズムはある意味それが作っている。M Aが多いです。あれは統合と切り刻むのを繰り返しやることで、いいプロジェクトだけを残して悪いプロジェクトを淘汰している。そしてどーんとリストラもやる。収益性のあるプロジェクトを残す為のツールなんです。日本は日本の企業のカルチャーと合わないといって、そういうやり方を排除している。 日本の企業でやっているのは、一つの会社で5つぐらいのプロジェクトを持っていて、日本人はいい仕事しますからいいプロジェクトがあるんですよ。その時にいいプロジェクトを大きくしていって、ダメなプロジェクトを縮小していくことがやれない。内部の会社の事情があるんでしょうけど。結局、いいプロジェクトができたらその上がりで他の4つも残せると。いいものを食い物にしてしまう。そうなると伸びないですよね。ある意味企業の中の護送船団方式のようなことをずっとやっている。 今の銀行の貸出中心では、銀行はそこまで言いませんから、変えれないわけなんですね。これを変えようとするなら、金を出すけど経営改善の要求もするというタイプの投資家が入ってこないとダメなんだけど、日本の企業はこれを徹底して排除している。 この構造を壊していかないと企業は強くならないし、いい金融システムもできない。 神保:ひところ市場からの直接金融、間接金融みたいな話で、市場から直接お金を引っ張ってくるのがこれからは大事という話はずいぶんあったが、結局いまでは誰も言わなくなってしまった。今回アベノミクスで金融を緩めたら、銀行が貸し出すことが大事だと言う、金融機関からの貸し出しが前提になってるような話。それも確かに低いとは思うが、国債ばかり買ってる状態は問題あると思うが、本来はそっちよりも株式市場の活性化とか、株主の権利とかそうしたものを改革していくことで、直接金融っていう風な流れだったはずなのに。 櫻川:お金を出すだけだったら、日本人はお金を持っている。だから、ノーサンキュー。要らない。金融機関からお金を借りる必要がない。でも今はお金も出すけど知恵もだす時代になって、そこに乗り遅れている。 神保:ファンドというと悪者みたいな感じ。 櫻川:結構真面目にやってるファンドがあって、企業の問題点を的確について、企業を改善して伸ばす。短期の利益を求めるんじゃなくて、5年とか10年とかの単位でこの会社といっしょにやっていこうみたいな。増えてる。その流れに日本の企業、金融というのが乗り遅れている。 神保:金融改革がないまま、金融緩和を進めるとどうなるのか。 櫻川:設備投資が増えないわけです。企業だけではアイデアが行き詰ってるわけだから。お金はあるけど投資するものがないという状況です。そうするとその溢れたお金がどこへ行くか。今までは銀行が国債を買ってたわけですけど、今は中央銀行がすごいペースで買いますから、海外へ行くか、国内でバブルが起きるしかない。 宮台:既存の枠組みを前提としたもたれ合いがやはりあるんだろうと。ソニーの話で、ゲーム部門と家電部門でほとんど同じ機能を持った競合する製品を出し続けていたとか。要素技術としてはAppleのITMSと同じものがあったが、DVDなどがあって圧迫してはいけないので、顧客向けサービスとして売り出せなかったとか。 内側しか見ていない。中長期的にどうすれば企業が生き残れるかということではなくて。 人や部署をいかにして生き残らせるかと言う。日本的な意味である意味公共的だと思われているんですね。経営者がいろんなことを見渡して判断しているという風に、勘違いされる。 (つづく)
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(1) The Prevalence of Turner Syndrome in Girls Presenting with Coarctation of the Aorta. J Pediatr 2004; 164 259-63 大動脈縮窄を呈した女児のうち5.3%がTurner症候群患者であった. (2) Turner Syndrome Diagnosis and Management. Am Fam Physician 2007; 76 405-10 Turner症候群の診断と管理を中心としたレビュー. (3) Autoimmune Diseases in Women With Turner’s Syndrome. Arthritis Rheum. 2010 ; 62(3) 658-66 Turner症候群の女性は一般集団の女性と比較して自己免疫性疾患の発症リスクは2.1倍で, 橋本病および1型糖尿病との関連が特に強く, それぞれ14.6倍, 4.1倍であった. 女性優位の疾患と比較して, 男性優位の自己免疫性疾患の方がリスクは上昇していた.
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#weblog 基礎知識や消費者金融に関する関連用語の解説や様々なサービスについての話や消費者金融会社各社の紹介と比較。消費者金融、キャッシングやローンについては、うまく利用することで便利で、お得な生活に役立ちます。大事なことは、消費者金融やキャッシング、ローンについてよく知ることと、計画的に消費者金融を利用すること。そうすれば、うまく消費者金融をご利用になることが出来ます。消費者金融は決して怖いものではありません。みんなで消費者金融についてよく知ろう。 消費者金融 消費者金融って何? 銀行などの金融機関や貸金業者が、消費者個人に対して物品やサービスの購入資金を貸し付けたり、提携先を通じて信用供与を行ったりするものを消費者金融といいます。(消費者ローンも同じです。)最近では使い道を限定しない「フリーローン」タイプの消費者金融も多く、一定の限度額を設定したカードを利用してATMなどで現金を引き出すタイプの消費者金融も増えています。 消費者金融 消費者金融特集は、消費者金融を比較して低金利でキャッシングしたい人のための、比較、総合消費者金融情報サイトです。キャッシングするために、今日も明日もあさっても低金利などの情報を収集して比較しています。消費者金融特集で比較&申込。低金利な消費者金融を探そう。消費者金融のご利用は計画的に。生活の為に、消費者金融をご利用になるのは計画的ではありません。 消費者金融 消費者金融関連用語集 ローン:貸付、貸付金。借款。 キャッシング:金融機関が個人(消費者)を相手に行う小口融資で自動預け払い機(ATM)などを利用するもの。 カードローン:あらかじめ決められた融資限度額までカードで何度でも借り入れできるものを言います。 借入れ(借り入れ):消費者金融会社から金品や品物を借りること。 借金:金銭を借りることもしくは借りた金銭。 金融会社:金融業務を主業務にする会社のこと。 返済:消費者金融会社から借りた金や物を返すこと。 破産:債務者が債務を完済出来ない場合に債務者の財産を債権者に公平に弁済するための裁判上の手続き。 金融:金銭の融通をすること。 融資:資金を融通をすること。 フリーローン:使いみちを特定しない貸付。 ノンバンク:金銭の貸付を業務とする業者の総称。 貸金(貸し金):消費者金融会社が貸した金銭。 多重債務者:複数の消費者金融業者などから金銭の貸付を受けている者。 取り立て(取立て):消費者金融業者などが貸金の催促をして徴収をすること。 ファイナンス:財源、資金、財政、財政学、融資、資金調達、らのこと 法定利息:法律の規定によって発生する利息のこと。 消費者金融 消費者金融やキャッシングのご利用は計画的に行えばとても便利です。消費者金融会社も低金利な消費者金融会社や一週間無利息の消費者金融会社、カードローンやフリーローンが利用できる消費者金融会社など消費者金融会社にも色々とあります。大事なことは、消費者金融やキャッシングについて消費者の私たちがよく知ることです。消費者金融やキャッシングについては計画的に利用すればとても便利なサービスです。みんなで一緒に消費者金融について学んで、お得に消費者金融を利用しましょう。 消費者金融 消費者金融1/消費者金融2/消費者金融3/消費者金融4/消費者金融5/消費者金融6/消費者金融7/消費者金融8/消費者金融9/消費者金融10/消費者金融11/消費者金融12/消費者金融13/消費者金融14
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(1) 難治性の眼症状に対しtacrolimusの夕食前内服が有効であった潜在性全身型重症筋無力症の幼児2例. 脳と発達 2013; 45 338-22 tacrolimusを夕食前内服にすることが血中濃度安定に効果的であった潜在性全身型重症筋無力症の幼児2例の報告. (2) Tacrolimusが有効であった難治性重症筋無力症の1小児例. 脳と発達 2007; 39 300-3 (3) タクロリムスが著効した難治性全身型重症筋無力症幼児例. 小児科臨床 2003; 56 1939-42 (4) Benefits of FK 506 for refractory eye symptoms in a young child with ocular myasthenia gravis. Brain Dev. 2009; 31 634-7 (5) Effective treatment of a 13-year-old boy with steroid-dependent ocular myasthenia gravis using tacrolimus. Brain Dev. 2012; 35(5) 445-8
https://w.atwiki.jp/0ny0ny0ny/pages/719.html
十年以上にわたって続く資産デフレ不況の実態と地方への影響 現代の日本の貨幣供給が抱えるもっとも大きな矛盾点は、その重要な理論的背景としていままで機能してきた貨幣数量説が実際の日本経済でほとんど機能していないことである。通常、各国の管理通貨制度の理論的根拠たる貨幣数量説に依拠すれば貨幣というのは、多く供給すればするほどインフレになるものである。そのために中央銀行は政府と距離を置きながら紙幣を発行するのだが、どうにも最近はこの傾向が変わりつつある。 というのも、ゼロ金利政策も含めた量的緩和政策という大胆な施策を講じてきたにもかかわらず、日本ではインフレ状態どころか、リフレ状態すら生まれてこないという現実があるのだ。 具体的に検証してみると、たしかに消費者物価指数は過去十年で上昇傾向を見せたこともある。世界的な投機マネーの石油や穀物などへの流入は、原油高によるコスト上昇をもたらし、スタフグレーションに近い状況を生んだ。コスト高は特に、穀物を使った製品やハウス栽培・漁業などで収穫される作物な大きく転化されたという。ここでそうした特殊な状況変化を抜きにしてデフレ傾向を検討するために、食料とエネルギーについて除外したコアコアCPIについて検証してみよう。 最近20年間日本のコアコア CPI 前年同月比の推移をみると、一九八九年から今日に至るまで、一九九八年の一時期を除いては一貫して減少傾向にあり、特に一九九九年からはマイナスに転じ、その後今日までプラスであったことはないため、十年以上にわたってデフレ傾向が続いていることが伺える。次に、内閣府の四半期別GDP速報より作成した1995年からの日本の GDP デフレーター前年同四半期比の推移を見てみると、一九九八年の一時期を除いてプラスであったことはなく、十年以上にわたり一貫してマイナスを記録している。また、貨幣数量説を論拠として貨幣供給を進めるときの指標となるマーシャルのkについて検証してみると、基準線に対して、バブル経済期と量的緩和政策実施期は上回っているものの、最近三年間については基準線を下回る貨幣供給しかないことがわかる。最後に、最近注目され始めた概念としてデフレ・ギャップというものがある。これは、完全雇用が実現されたと仮定した時の国民総所得と、現時点での購買力に支えられた需要(有効需要)の差を求めたもので、これは潜在GDPから実質GDPを引くことで求められる。日本銀行の統計によれば、一九九三年から現在にいたるまで、一九九六年の一時期を除いては一貫してデフレ・ギャップはマイナスを記録している。 これらの統計が示すように、現在の日本はデフレ状態に陥っている。後述するように財の低下には時間差があるため、デフレ経済下においてもっとも影響を受けやすいのは地方経済である。ここでは、デフレ脱却のための量的緩和政策が銀行による円キャリー取引や国債への流用により失敗に終わった経緯を検証し、地方再投資法を制定して地方に資源をまわすことで以降の量的緩和政策を成功裏に終わらせるための提言をする。哲学のないバラマキは乗数効果(投資からもたらされる効果)が低いために、人々の生活を豊かにすることはないため、この提言では賢い投資のための展望についても後述する。 地方間格差を増大させるデフレ不況 まずなぜデフレ不況が地方の経済に打撃を与えるかについて述べたいと思う。まず、デフレ下において、あらゆる財が同じ速度・同じ度合いで価値を低下させるわけではないということについて話さなければならない。たとえば、給与ひとつとってみても、それは明白なことで、五十代全般の高賃金を支えるために、同一価値労働を行っている二十代の賃金が以前よりも低く抑えられている。同じように、都市と地方の関係においても、デフレの影響はまず地方が被ることになる。 一般にデフレとは資産の価値を含まない物価についての概念であるが、ここでは資産デフレという概念を提唱した上で、地方の路面価の推移について述べたい。地方路面価のここ十年の推移は、小泉改革期の弱肉強食市場主義経済を象徴するかのように、都市の一部分にのみバブル的な投機が集中したために異常な高騰をみせ、一方地方では地価の上昇は見られなかった。 かつては設備投資の際に、たとえば高度経済成長期のインフレ下においては、たとえ事業に失敗しようとも、資産自体のもたらすキャピタルゲインにより損失を補った上で利益を出すことができた。しかし、現在のデフレ下においては、キャピタルゲインは望めず、むしろ資産の価値低下を補うだけの厖大な利益を生み出さなくてはならないため、設備投資が冷え込み、結果としてそれはさらなる景気の低迷につながっていった。ここでもわかるように、こうした都市間格差のある地価の値動きから、設備投資は都市部に集中し、結果として地方はより疲弊していった。 それを端的にあらわす指標としては空室率の推移がある。たとえば、仙台市では空室率は十四パーセントを超えた。つまり、供給が購買力に裏付けられた需要によって満たされたと仮定した場合と現状との格差が東京から離れれば離れるほど広がっているという現状が認められる。 失業率・有効求人倍率・経済成長率・経済規模・地方公務員のラスパイレス指数、先行指数から遅行指数にいたるまで、今日ではあらゆる統計資料が地方のよりいっそうの疲弊振りを顕している。たとえば、十二の都道府県で最低賃金×八時間×二十日の賃金は生活保護水準にみたず、そのほかの指標においても地域間格差はもはや説明するまでもない。 ここでは小手先の町おこしにとどまらず、地方経済の厳しい現実を踏まえながら現実的な解決策と、地方にしかない資源を生かした成長産業についての展望について述べたい。 量的緩和政策を無意味にした公定歩合で調達した資金を利率の高い国債や円キャリー取引に流用する手法 量的緩和政策がなぜ失敗したかを考える上で、そもそも量的緩和政策とはどのような手段をもって行われる政策であるのかを考えることは大切な視点である。ここでは、量的緩和政策の手法そのものが抱える問題を主軸として論を展開していく。まず、量的緩和とは、市中銀行に対して中央銀行が資金を貸し出すときの公定歩合・政策金利を引き下げることにより、資金供給を多くし、そのことによって経済を活性化させようとする政策である。これは、銀行が、人々から資金を集め、地元の中小企業も含めた資金需要者に資金を融通するという前提のもとでなされる政策なのだが、量的緩和政策においてはそうした中小企業への資金の融通がしっかりなされていなかったという現状がある。 そのことを端的に示す事実として、九十六年から〇二年までにわたる貸し出し約定平均金利の低下とともに、国内銀行の国債保有残高は、特に〇〇年を境に急速な伸びを示しているにもかかわらず、中小企業向け貸付残高の推移をみると、むしろ低下している。大企業向けの貸し付け残高の推移をみても、横ばい傾向にある。量的緩和により供給された資金が向かったのは、円キャリー取引と国債であった。国債により供給された資金が公共投資により民間からの設備投資以上の乗数効果を経済にもたらしたのであれば意味もあったのだが、前述の失われた十年の初期における公共投資がそうであったように、ここでも公共投資は乗数効果が低く景気回復に対して必ずしも良い影響をもたらさなかった。 量的緩和政策無効化ともいえる様相を呈しているのは、必ずしも銀行がリスク回避に走ったからとはいえない。国際標準の自己資本比率規則によれば、リスクアセット、リスクウェイトの例として国債は〇パーセント、政府の保証付貸し出しは十パーセント、金融機関向け債権は二十パーセント、抵当権付住宅ローンは五十パーセント、通常ローンは百パーセントとなっており、これを分母として自己資本比率が求められる。また、銀行は、この自己資本によって、債権リスク回避のための引当金を用意しなければならないのだが、主要銀行のディスクロジャー誌を参照すると、要注意先で三パーセントから五パーセント、要管理先で十五パーセントから四十パーセント、破綻懸念先で六十パーセントから九十パーセントの引当金を用意しなければならない。二期連続の赤字で六十パーセントから九十パーセントの引当金を用意しなければならないのだから、貸し出しがふえるはずもない。金融庁の金融検査マニュアルは一円でも多くの債権を不良債権として分類しようという傾向があり、金利のみを入金しての返済なども実質的には禁止されている。 必ずしも銀行による中小企業へのてこ入れが不十分なわけではなく、むしろ政府によるこうした過度の管理こそが量的緩和政策を無効化した感は否めない。たとえば、みずほ銀行などのメガバンクから武蔵銀行のような地方銀行まで、銀行は総じて中小企業へのてこ入れに熱心に取り組んでいる。しかし、融資の見込みがある有望企業が、金融庁の定めた厳しい査定基準による貸し剥がしなどを恐れて積極的に融資を受けようとしないのも、こうした現状の原因のひとつとして上げられる。国としてこうした方向性を改めなければ、量的緩和政策を有効化させることはできない。 今こそ求められる銀行の公共性 公的資金投入の根拠となるのは銀行の公共性である。では、銀行の公共性とは何かについて考えてみると、私は市民から預金を集め、それを市民が住む地域の中小企業をはじめとした資金需要者に融通すること、そうした当たり前の銀行業務をこなすことを通して地域の発展に寄与・貢献していくことこそが銀行の公共性であると考えている。 イギリスでも金融危機以降大銀行への公的資金投入が行われてきたが、このときに求められたのはかつての日本がそうであったような銀行の安定性ではなく、むしろ銀行が中小企業などへの融資を通して積極的に本来の役割を果たすことであった。もちろん、銀行家たちは安定化のための資金供給を受けたのだからそうすることはできないと反発したものの、そもそも銀行の役割を果たせないのであれば公的資金を投入して経営を存続させることに疑義が生じるのであって、銀行は金融危機以降でも引き続きその責務を果たしていくべきだという意見が支配的になっている。 日本においては先にも述べたように公的資金投入、それに引き続いた量的緩和政策と政府・日銀主導の金融政策が続いたものの、これらの政策にはは銀行本来の役割を果たさせるという公共性への担保が欠けていた。労働者の平均所得は、1997年:467万円から2007年:437万円まで低下し、世帯ごとの平均年収にいたってはここ十年間で百万円以上下落した。そのあいだに、企業の経常利益は1997年:27.8兆円から2007年:53.5兆円へと増加し、大企業の役員報酬は二倍になった。企業の経常利益も、中小企業向け貸付残高が減っている現状を鑑みると、大企業中心の伸びであることがうかがえる。このように、金融政策に対応した公共性担保の立法がないことにより格差の広がりに歯止めがかからなくなり、日本は、アメリカなどについで先進国における相対的貧困度の高い国のひとつとなってしまったのだ。 地域再投資法・金融業影響評価法が量的緩和政策を内需拡大へとつながる意味ある政策へと変化させる こうした銀行の公共性を担保する法律は、諸外国では整備が進められている。たとえば、アメリカの地域再投資法は金融業のうち預金などをも扱う事業者に対して低所得者や中小企業などの資金需要に適切な対応をする社会的責任があるとするものだ。これを強化する法案・機構としては金融業影響評価法・金融業影響評価委員会があり、評価結果は合併・買収の際の政府認可にも影響を与える仕組みづくりが図られたことで、銀行も中小企業などの資金需要に適切な対応をするようになり、貸し渋り・貸しはがりなどが起こりにくくなったと評価されている。ムーディーズのような安定性を主軸とした評価ではなく、むしろ公共性を主軸とした評価によって公的な許認可・資金投入などが決定されていく過程には興味深いものがある。銀行家の評価は当初は批判的なものが多かったものの、この仕組みの導入により七倍の利益を得た銀行もあり、FRBのレポートでは、七割の銀行家がこの法案の有用性を認めている。 日本においても、資金のストロー化現象が起こっており、地域別の預金額と融資額を比較した際に前者が圧倒して突出している。これは地方の高齢者の預金が都市部の大企業系資金需要者に流出しているためであると考えられるが、九十年代からは山口義行教授をはじめとした研究者がこうした問題により引き起こされるさらなる地方間格差の広がりに着目し研究をはじめ、民主党の桜井充議員や日本共産党の議員団などが同様の法律案を提出した。これらはいずれも否決されたものの、中小企業百万人署名などを通じ金融庁に圧力をかけた結果、不十分ではあるものの金融検査マニュアルの一部是正が図られるなど一定の進歩が見られている。 しかし、私はアメリカの地域再投資法がたどった結末を鑑みるに、日本におけるこうした取り組みが衰退することは無いだろうかと不安でしかたない。地域再投資法による融資は、五年ほど前まではたしかに高い評価を得ていたのだが、加熱しすぎたためか、本来の法律の趣旨とは異なるような融資形態が横行したためである。「略奪的融資」と呼ばれる融資形態は、日本のバブル期において見られた押し貸しに近い形態であり低所得層の所得や住居を剥がしとる行為であるとされる。こうした融資形態が横行した背景としては、金融商品の複雑化があり、デリバティブやキャリー取引などの複雑な操作が行われるようになった結果こうした押し付け地域再投資におけるリスクが顕在化しなかったことが挙げられる。この法案が間接的に引き起こしたのはサブプライムローン問題と金融危機があり、現在の日本ではまだ地域再投資法と絡めた論考は見られないものの、いずれそうした経緯がこの法案を推進する上で問題として顕在化するのではないかというつよい危惧を抱かずには居られない。 そうした不安を払拭するために金融庁は、金融検査マニュアルの改訂、自己資本比率計算方法の見直し、引当金規則の改定、地域再投資法の制定、金融業影響評価法の制定、金融業影響評価委員会の設立とともに、FXやキャリー取引、デリバティブといった複雑な取引に関して規制をかける方向で動くべきなのではないかと私は考えている。こうした措置が、額に汗を流して働く人々を祝福し、地方間格差を是正すると私は考えるからである。 量的緩和有効後における日本の展望 量的緩和政策後においても、地域再投資法によってなされた地域への投資が賢い支出でなければ、内需拡大に及ぼす影響は少ないものと見られる。たとえば、失われた十年の初期に行われた公共投資の乗数効果は、一般の民間企業による設備投資によってもたらされる乗数効果よりも有意に低かった。このような支出では、内需の拡大には役に立たないどころか、将来への不安を高め、結果として消費マインドが冷え込み、さらなるデフレをもたらす。かくして、現在日本が陥っているような流動性トラップと呼ばれるゼロ金利政策を採用しても量的緩和政策が有効化しない状況が生み出されたのである。も橋本政権から小泉政権にかけて、それぞれ、先に述べたように第一の策はキャリー取引の広がりと国債買い付け資金への流用によってほとんど意味をなさなくなったし、アジア通貨危機、橋本首相の「財務省債権売却」発言、小泉政権下での格差の広がり、小さな政府への転換、投機マネーの穀物・石油などへの流入、累進課税制度の段階的廃止など、デフレ対策とは正反対の方向性を持った政策が矢継ぎ早に実施されたことによりデフレが深刻化したという側面もある。であるからにして、まず短期的には低所得者への所得保障や最低賃金の引き上げ、投機や金融商品への規制強化、累進税制の回帰など比較的社会民主主義色の強い政策を実施して、人々が安心して生活できる社会を築き、消費マインドが向上される土壌を用意することが大切である。しかし、中長期的には、やはり経済規模の拡大を図らなくてはならない。 これからの経済発展を展望する上で、シンガポールやマカオ、香港やシリコンバレーなどを例に出す人もいるが、これらの国と同じようなフラットタックス・タックスヘイブンなどによる発展を目指すのは危険だと私は考えている。むしろ、日本にしかない力でアウトソーシングできない価値を生み出すことこそが重要なのではないかと考えている。 たとえば、日本は先進国の中では、突出して汚染されていない自然の多い国である。国土の七割は山林であり、水田も抜群の保水力を誇っており、間伐さえすれば里山も自然のダムとして十分に機能する。こうした環境のなかで培われた環境保護技術を生かした新しい技術の創造を地方になされた再投資によって成し遂げることが、この量的緩和有効化によって生み出された地方への投資を生かす上では不可欠だと私は考えている。 また、これは地域経済の公的依存度が突出して高い日本の地方の体質を抜本的に変革する機会でもある。徳島県などでは、三割を超えた地域経済の公的依存度を記録しているが、こうした体質は必ず変えなくてはならない。地方再投資法によってなされた資金供給による設備投資で、地方の企業が主幹産業を作り上げていくことで、地方ははじめて東京という束縛から解放されるのである。地方分権が叫ばれて久しいが、やはり財政的な独立なしには、どのような理想論も空理空論だろう。地方の大学と中小企業が協力して産業を育成すること、そのための資金を地域の銀行が責任を持って融通すること、この二点をもってしか地域の再生はありえないと私は考えている。地域が政府に依存しなくなって、そのとき始めて財政再建や小さな政府が可能になるのである。 つまり、量的緩和政策有効化のための地域再投資法・金融業影響評価法による地域の再生こそが、日本の再生の始まりなのである。 【参考文献】 量的緩和政策有効化へ 地域再投資法という未来 桜井 充「日本再生計画」 桜井 充「私の人生の転機」(仙台一高同窓会誌より、医療費増額下での経済成長について) 金融庁資料(金融検査マニュアルの内容や、引当金、自己資本比率計算方法の国際標準についてなど) 日銀資料(無担保コール翌日物の金利推移、マーシャルのk。デフレギャップ、GDPデフレータ、コアコアCPI、貸し出し約定平均金利、国内銀行の国債保有残高、中小企業向け貸付残高の推移、大企業向けの貸し付け残高など) 以下、各省の資料より(地方の路面価の推移、失業率、有効求人倍率、経済成長率、経済規模、地方公務員のラスパイレス指数) また、失業率については、BI@Kaccelerated hatena annex, bewaad.comの「真の失業率」も参照。 主要銀行のディスクロジャー誌 NHKスペシャルでの、金融庁、みずほ銀行、武蔵銀行双方のインタビュー ジョージ・ソロス 「ソロスは警告する」 「ソロスは警告する 2009」 グルーグマン 以下特に注のない場合は山形浩生訳 「ホワイトカラー真っ青」 「アジアの奇跡はどうなった」 「アジアは復活するか?」 「日本さん、どうしちゃったの?」 「日本のはまった罠(トラップ)」 「日本の流動性トラップ:追記」 「日本の金融再生ナントカってダメすぎ。」 「面子がどうのとか、浮わっついたことを言ってる場合かね。」 「十字の時:公共投資で日本は救えるか」 FRBのレポート ムーディーズによる国内銀行の格付け 地域別預金額融資額比較 大前研一「最強国家日本をつくる」