約 891,991 件
https://w.atwiki.jp/kairakunoza/pages/1880.html
『4seasons』 秋/静かの海(第五話)より続く ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― §10 「コスモス、ヤナギラン……ヒガンバナ。サルスベリにベルガモットに、あれはえっと…… ポリジ?」 振り向いて訊ねるこなたに、そうじろうさんはうなずいた。 お寺に向かう道の周りには、自然のままの野原が広がっているのだった。 未舗装の、土のままの道を歩くのは久しぶりだ。踏みしめた足に返ってくる柔らかい感触に、 ふと懐かしさを覚える。 鷹宮や糟日部にもまだ自然はそれなりに残っているけれど。こんな風に“空き地”ではなくて “野原”だと思えるところは、もうそんなに多くはないのだった。 誰かが手入れしているというわけでもないだろうけれど、それでも野原には色とりどりの 花が咲き乱れている。 秋にもこんなにたくさんの花が咲くんだな。そんなことを考える。 「……ノコンギク? ううーん、トリカブト?……あ、ワレモコウ!」 咲いている花を指さしては名前を呼んでいくこなただった。最初のうちは順調だったけれど、 マイナーな花に及んでいくにつれ、段々自信なさげに語尾が上がるようになっていた。それでも ガーデニングをやっているだけあって、こなたは私がみたこともない花の名前を云い当てていく。 それが本当に正しいのかどうかはわからないけれど。 ――花の名を、私は知らない。 元素の原子番号と原子量なら知っているけれど、花の名前はよく知らない。 経済学と社会学ならわかるけれど、ワレモコウがどういう漢字なのかはわからない。その名に 篭められた意味も。 きっとみゆきなら、そんなことも全部知っているのだろうなと思う。あいつは何も切り捨てずに 全てを識ろうとすることができる、そんな人間だ。 「吾亦紅って書くんだな、面白いだろ」 ワレモコウを漢字でどう書くか、訊ねたらそうじろうさんが教えてくれた。吾は私で、亦は “また再び”という意味だ。 ――年が巡り、花を咲かせた私は再び紅色に染まる。そういう意味だろう。 花の視点から“吾”と名前をつけた昔の人の感覚に、感心する思いだった。 「すぐ真っ赤になる、かがみみたいな花だよね」 こなたが笑いながら余計なことを云った。 一歩一歩、目的地に近づいてきている。 そこのからたちの茂みを曲がれば、お墓はもうすぐそこなのだそうだ。 唐突に始まった私のこの旅も、終わりが近づいてきている。 朝目覚めると、目の前にこなたの顔があった。 いつかみたいに口元に手をあてて、ぷくくと悪戯っぽく笑っていた。 「おはよーかがみん。ぬふふ、可愛い寝顔だったよ」 そんないつもの軽口にも、私は咄嗟に反応することができなかった。 ――眠い。 眼がしょぼしょぼする。口の中が乾いていて、麻痺したように言葉がでてこない。全身に広がる 脱力感に、手足を動かすことすら億劫に感じていた。 ひたすらに、眠い。 寝ぼけ眼で時計を見上げると、どうやら二時間半しか寝られていないようだった。こんなことなら 中途半端に寝ないで起きていればよかった。閉じようとするまぶたと格闘しながらそう思う。 「ど、どったのかがみ。もしかして寝られなかった?」 「……あんたのいびきがうるさくって……」 うつらうつらとしながら口を開くと、かすれたような声が出た。 「ふぉ! まじですかっ」 顔を赤らめて恥らうこなたを眺めているうちに、少しずつ頭が覚醒していく。「冗談よ」と笑って 伸びをすると、口から大きなあくびが飛びだした。 「え、えと、ほんとだよね? わたし、いびきなんてかいてないよね?」 ベッドの上にぺたんと座って、上目遣いで見上げるこなただった。 「あ、うん。ってかなによ今更? いびきを気にするなんてあんたらしくないわね?」 「い、いや~……。なんていうか、自分の意識がないときに自分が何してるかって、妙に気にならない?」 「あー、まあ、そうかもなー」 顔でも洗ってこよう。そのつもりで立ち上がった私は、けれどふと思い立って、窓の方に 足を向けた。 カーテンを引くと、外はまばゆいばかりの光に満たされていた。まだ水平線から昇ったばかりの 朝陽が海原を白く染め上げている。強い陽射しが寝不足の眼に突き刺さるように痛かった。 「うおっ、まぶしっ」と後ろでこなたが呟いた。どうせまたなにかのアニメネタなのだろう。 「うーん、いい天気ねー」 そう云って、もう一度大きく伸びをする。 ばきばきと身体が音を立てて、眩暈がするほど気持ちがよかった。 「……かがみ?」 不思議そうに訊ねるこなたの声がする。 「――ん?」 「いや、なんていうか……なんかあった?」 「なにかって?」 「んー、昨日わたしが寝てるときに、なんかあった? ほら、寝不足みたいだし」 「……なにもないわよ。そんな夜中になにかあるわけないでしょ」 「そっか。そうだよね、ごめん、なんでもないや」 こなたはごそごそと手持ちの旅行鞄を漁り、タオルやら着替えやらを引っ張り出している。 私が眺めているうちに、「先に顔洗ってくるね」と云ってパウダールームに向かっていった。 扉の向こうに消えていくこなたの青い髪を見守りながら、私は不思議な満足感に満たされていた。 身体は寝不足の気怠さに包まれていたけれど、なんだか少しだけ心が軽くなったような気が していたのだった。 それはどこにでもある、なんの変哲もないお墓だった。 墓地にある他のお墓とあまり違うところはない。 ただ一つ、墓石に刻まれた“泉家之墓”という文字だけが、私にとってそのお墓を特別なものに しているのだった。刺さった卒塔婆は未だ白木の生々しさを残していて、今でもしっかりと手入れを されているのがよくわかる。 枯れた献花や線香の燃えかすなどを掃除して、こなたと一緒にお墓を綺麗にしていった。 小父さんは、お寺にひしゃくと桶を借りにいっている。 真新しい卒塔婆のことを訊ねると、やはりそれはお盆に帰省したときにこなた達が立て直した ものらしかった。 「夏にくるとね、アマガエルが沢山いるんだよ」 さっとお墓の天辺を払って、こなたがそう云った。 「お寺の裏に池があってね、そこに住んでるの。お墓の上に乗ってて半分黒くなってるやつとか、 いるんだよー」 眼を細めて満足気な表情をしているけれど。 こんなときにそんな顔をされてしまっても、困る。今後こなたのこの顔をみても、今までみたいに 単純に“こいつは今幸せなんだ”と思えなくなってしまう。 戻ってきた小父さんと一緒にお墓を掃除しながらも、こなたのお喋りは止まらなかった。 「アマガエルってさ、あんなにコロコロ身体の色変えて、元の自分が誰だかわかんなくなったり しないのかな?」 「そうね、どうなのかしらね」 答えながら、私は預かっていた包みを開けて花束を取り出した。それは菊だった。埼玉の泉家に かなたさんが残した庭で育てられた菊だった。 「自分がアマガエルってことを隠したいのかな。周りに憧れてて、一緒になりたいのかな」 「そうね、そうかもしれないわね」 「石みたいに、土みたいに、草みたいになりたいって、思ってるのかもね?」 「――なぁ」 聞いていられなくなって、私はつい強い口調で遮った。 「……ん?」 「それ、アマガエルの話なんだよな?」 「……当たり前じゃん。どったのかがみ?」 ちらと振り返って私をみつめるこなたは、いつものニヤニヤ顔だったけれど。その青竹色をした 瞳の中には、常と違う感情がゆらめいているように私は感じていた。 みると、そうじろうさんも優しい眼差しでこなたのことをみつめている。 この人は今、なにを思っているのだろう。こなたのことさえ私にはわからないのに、小父さんのこと なんて余計にわからなかった。この世はわからないことだらけだ。そして、上手くいかないことばかりだった。 花入れの水を入れ替えて、持ってきた花束を差し込む。花入れは左右に一つずつあったけれど、 片方のものに全部の花を入れた。 線香を三つに分けて、それぞれの手に持つ。 こなたが火をつけようとライターを持って近づいてきたとき、私は顔を近づけて小声で云った。 「アマガエルが綺麗な緑色をしてるってこと、私が――私たちが知ってるよ。それじゃだめか?」 「んーん。だめじゃないよ。別にアマガエルなんてどうでもいいし」 おい。じゃあなんなんだ、さっきの会話は。そう思ったけれど、そんな空気の読めない突っ込みを するほど私は無粋じゃない。 最初にそうじろうさん、次にこなた。最後に私。 黙祷をしながら、思う。 もし今、この高い空の果てから、或いはこの墓地が見下ろす日本海のその先、西方浄土から かなたさんがみつめていたとしたら、一体私のことを誰だと思うだろう。そう思うと、人と人との関わりの 不思議さについて考えざるを得なかった。 ――ありがとう。 眼をあけた時、誰かが囁く声が聞こえた気がした。 それを云ったのがこなただったのか。 小父さんだったのか。 かなたさんだったのか。 それは、いつまで経ってもわからなかった。 §11 「ね、ちょっと海岸歩かない?」 こなたの提案に、私は一も二もなくうなずいた。 波打ち際を歩く私たちの髪を、吹きつける潮風が揺らしている。波が打ち寄せれば砂浜が 水を吸って黒く染まり、引けばまた白い砂に戻る。そんなやりとりを、この海は一体何億年前から 繰りかえしているのだろう。 沖から吹く風は日本海の冷気を吸って冷たかった。まるでよくある“極寒の日本海”のイメージ 通りだと、私は思った。 足を踏みおろす度、足下の砂がきゅっきゅっと音を立てて鳴きたてる。ちょっとだけ背筋を丸め ながら、私たちは砂浜に足跡を残して歩いていく。 晩秋の浜辺を、こなたと一緒に歩いていく。 「あんたは、ご住職に挨拶しなくていいの?」 「うん。あのお寺の住職さん、お父さんとお母さんの同級生なんだ。つもる話も、あるだろうからね」 「へえ、珍しく殊勝な心がけじゃないの」 私がそう云ってちゃかすと、こなたは“むふー”だか“にゃふー”だかわからないうなり声を上げて、 猫みたいに眼を細めた。 ざ、ざーと、波の音が聞こえてくる。 そういえば昨日この町にきたときは、やたらと波音が耳について離れなかったな。そんなことを 思い出していた。 「この町にくると、みんなお母さんのこと知ってるけどさ。わたしだけ知らないんだよね、お母さんのこと」 ぽつりと、沈黙を埋めるようにこなたが呟いた。 「……それが、小父さんと住職さんと話したくない、本当の理由?」 「ん、ホントのってわけじゃないよ。そんなことも考えちゃうってこと」 風に暴れる髪をまとめようと、悪戦苦闘しながらこなたが答える。癖のないこなたの髪は風が吹く度に するするとなびいてしまって、ともすれば上半身を全て覆い隠してしまいそうにもなる。 「あははっ、こなた凄いなそれ、なんかの妖怪みたいだぞ!」 「むー。妖怪を馬鹿にするな!」 「妖怪の方は馬鹿になんてしてねーよ」 そんな風に突っ込みながら自分のリボンを外すと、こなたの暴れる髪を抑えつけて根元から縛る。 「……あ。ありがと」 もう片方のリボンも外して、私もこなたと同じように後頭部で一本に縛りなおした。 「あんた、髪切るつもりはないの?」 「ないよぉ。……わかってる癖に」 わかってる。それも全部わかってる。 それは去年の秋、こなたの部屋でかなたさんの写真をみたときからわかっていた。ずっと無精している だけだと思っていたこなたの長髪は、かなたさんと同じくらいの長さに保たれていたのだと。 「――あのさ」 「うん?」 「みんながお母さんのこと知ってるっていうけどさ。自分だけ知らないって云うけどさ。 やっぱりかなたさんに一番身近なのはあんただと思うわよ」 「……え?」 私を見上げてきょとんとした顔をするこなた。 その瞳は、迷子になった幼子のようにゆれている。 だから私はこなたを捕まえるようにして、しっかりと肩を掴んで言葉を継いでいった。 「この身体に、ちゃんとかなたさんの遺伝子が残ってるじゃないの。かなたさんが生きた証を、 受け継いでるじゃないの。……それ以外は、あんたのこの身体以外は、もう、全部、ただの 思い出でしかないんだよ……」 そう云って、小さな身体をぎゅっと抱きしめた。 お母さんが子供を抱くみたいに。 友達が傷ついた友達を抱きしめるみたいに。 劣情を隠して、ぎゅっと。 少しだけ高い体温。柔らかな肌。 それが、不思議と厭じゃなかった。 なぜだか、悲しくならなかった。 それはもしかしたら、そうじろうさんの想いに触れて、かなたさんとのつながりを知って、 人を愛するための様々な方法を学べたからかもしれない。そんな風に思った。 「――かがみ」 腕の中で、ぽつりとこなたが呟いた。 「ん?」 「好きだよ、かがみ」 一瞬、心臓が止まりそうになる。 こなたが私の胸に顔をうずめているのは幸いだ。 驚きに眼を見開いた私の顔をみられずにすむから。 それはずっとずっと聞きたかった言葉だった。 そして、絶対に聞きたくない言葉でもあった。 止まりかけた心臓が動き出したと思ったら、今度は今にも張り裂けそうに暴れ出す。 大丈夫。私は間違っていない。 大丈夫。勘違いもしていない。 今こんなに動揺しているのは、ただ吃驚しただけなので。ただ抱きしめた身体が、余りにも 暖かいからなので。 だから私は深呼吸を一つして、冷静な気持ちで答えることができた。 「――私も、あんたのこと好きよ」 それを聞いたこなたが、胸から顔を上げて私をみつめてくる。 「……なんだ、あんまり顔赤くなってないね。残念」 「そりゃね。大体今更なにが“好きだよ”なんだか。そんなこと前からわかってるっつーのよ」 「えー。でもそういうのを改めて云われると照れるのが、かがみクオリティじゃない?」 「知るか!」 「むふー。照れてる照れてる」 そう云って眼を細めたこなたは、再び私の胸に顔をうずめると、満ち足りたようにため息を吐いた。 「――暖かいね、かがみは」 その言葉を聞いたとき、私は漸く気がついた。 私がすでに、こなたと私の間に広がっていた空隙を、飛び越えてしまっていたことを。 38万4,400km。その、月と地球の間ほど開いていた距離はもはやなくて。 私は、静かの海に佇んでいる私を見いだした。 荒涼とした晩秋の浜辺は、鈍色の単色に染まる月の平野にも似ていて、私たちの周りには “静か”が満ちている。 静かで、落ち着いて、そして涯てもない。 そんな愛情が満ちている。 その海は、恋情も熱情も嫉妬も戸惑いも、全部飲み込んでしまうから。 ただこの腕の中にいるこなたが単純に愛おしいと思うから。 性欲とか、独占欲とか、支配欲だとか、なんだかもうどうでもよくなってしまって。 ――だから。 私の恋は、その日終わってしまったのだ。 §12 「んじゃ、お父さん呼んでくるよ、ちょっと待ってて」 そう云い残して、こなたはお寺わきの住宅に入っていった。そこは集会所のようになっていて、 法事や訓話があるときに檀家が集まれるようになっているのだそうだ。 私はなんとなく一人で辺りを見て回りたくなったから、一緒に行くのを断ってふらふらと周囲を 歩きだした。 この場所を覚えておこう。野原に囲まれて佇ずむ、この墓地を忘れないようにしよう。 いつか夏になって、お墓参りの日程が被らなければ、アマガエルを見にまたこなたとこよう。 そんなことを思う。 ――ふと。 かなたさんのお墓の方をみやると、そこに人影がいるのに気がついた。 黒羽二重と縞柄の袴。きっちりと喪服を着こなした老紳士と、黒無地に五つ紋を染め抜いた和服に、 地紋のついた帯を合わせた老婦人。二人ともきりりと背筋が伸びていて、普段から和装を着慣れている 印象を受ける。 その光景をみた瞬間、私の心臓がどきりと跳ねた。 そうだった。何かを忘れていると感じていたのだ。 どうしてそのときまで気づかなかったのだろう。自分のうかつさに、呆れるほかはなかった。 二人はなにかを小声で云い合っている風だったが、私がみているうちに何か話がこじれたのか、 老紳士はステッキを荒く衝きながらどこかに去っていってしまった。 老婦人は一瞬頬に手を当てて嘆息を見せると、突然私の方を向いてふわりと笑いかけた。 その青竹色の瞳に、私は撃ち抜かれたように動けなくなる。 同じ眼だ。 あいつと、そしてかなたさんと。 これは同じ眼だ。 「――あの子の、お友達?」 小さいけれど張りがあって、不思議と通る声だった。 その眼差しに、白と青のまだらになったその髪に、子供みたいに小さな体躯に、私は、涙がでそうに なってしまった。 「……は、はい! そうです、友達です」 慌てて云う私は、きっとみっともなく写っているだろう。けれど老婦人は、心から幸せそうに満面の 笑みを浮かべてこう云った。 「ありがとう、安心したわ。あの子と、ずっと友達でいてくださいね」 会釈をして歩み去ろうとする老婦人の背中に、私は慌てて声をかける。 「あ、あの。あの子に会っていってくださらないんですか?」 その言葉にくるりと全身で振り向いて返事をする老婦人は、その所作の節々から育ちのよさが 感じられた。私は“網元の娘”と云っていたくにおさんの言葉を思い出していた。 「ごめんなさい。……あの子やそうじろうさんに会うと、あの人が怒るのよ」 そういって困ったように笑った。 その言葉にほぞを噛む思いだった。くにおさんの、こなたの、そうじろうさんの態度から、 予想できていたことだった。 それでも私はどうしてもそれを云いたかったのだ。子供っぽいわがままでしかないと知っていても。 家と家の、背負ってきた伝統の重さの前では、私の感情なんて吹けば飛ぶようなどうでも良いものだと わかっていても。 「普段はあちらさんは夕方に来るはずだったのだけれど。今日は失敗してしまったわ。あ の人もそれでもうかんかん」 私はうつむいてこみあげそうになった涙をこらえていた。私はなんて無力なのだろうと思う。 「――でも、それでよかったわ。久しぶりにあの子の顔がみられた。あなたにも会えた」 私は思わず顔を上げて問いかける。 「……あいつのこと、みてたんですか?」 「うふふ、見てたわよ。海岸で、あなたと一緒に――ね」 「……あ」 見られてた。あの場面を見られてた。 一体どこからどこまで見ていたのだろう。それを思うと顔が赤らむのを止められなかった。 「安心したというのは本当よ。あの子があんなに楽しそうに笑っているところ、初めてみることが できたわ」 そう云って頬に手を当てる老婦人は本当に嬉しそうだった。 そうして、老婦人は去っていった。 ――あの子のことを、よろしくお願いします。 その言葉だけを残して。 私みたいな若輩の小娘に、深々と頭を下げて。 その人は、去っていった。 「かがみー!」 聞こえてきた声にふりむけば、こなたが私に手を振りながら駆けてくるところだった。 そのむこうにそうじろうさんも待っている。 私も手を振り返して、こなたの方に向かおうとする。 最後にちらりと、かなたさんのお墓を私は眺めた。 そのときに、気がついた。 ――もう片方の花入れに。 どうして二つあるのに片方しか使わないのだろうと、疑問に思った花入れに。 満開に咲いた菊の花が、飾られているのだった。 (了) 『4seasons』 冬/きれいな感情(第一話)へつづく コメントフォーム 名前 コメント ふぅっ、一気に読み終えた。 しかしまぁ、、どのチャプターを読んでも鼻の奥が妙に疼くぜ。。 -- 名無しさん (2008-05-05 22 11 36) お疲れさまです 続き待ってます! -- 名無しさん (2008-03-21 18 14 22) 完成したらzipでくださいm(__)m -- 名無しさん (2008-03-21 08 02 01) らきすたの二次創作である事を忘れてしまう -- 名無しさん (2008-03-20 22 39 17) この作品の挿絵描きたく思う・・・・・・・・・・・・・。 -- 名無しさん (2008-03-20 20 19 15) 読む度、いつも思う なんか違う空気を吸ってるなというかそんな感じ ついに、次は『冬』。どうなることやら… 『春』が来たらいいな、うん。 -- 名無しさん (2008-03-20 16 39 23)
https://w.atwiki.jp/kairakunoza/pages/1846.html
『4seasons』 秋/静かの海(第四話)より続く ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― §8 「あ、ほらほら、ハチクロが一週遅れだよ。こういうの見ると、ほんと地方にきたって感じが するよね~」 カチカチとリモコンを弄っていたこなたが、テレビに映し出された番組を見て云った。 「へー、ちょっと意外。あんたハチクロなんて見てたんだ」 「あれあれ? 私、何気になんか馬鹿にされてる?」 「いやいや。だってあんたが好きなのって、男の子向けの漫画とかアニメばっかりじゃないの」 「むー、失礼だなぁ。普通に原作漫画好きだよ? これでも一応おにゃのこなんだから、 少女漫画だって読むもん。ほら、CCさくらとか?」 「CCさくら……確かに少女漫画だけど、なんか違くないか?」 「じゃ、セラムンとか?」 「いつの時代の少女だよ」 「なにを云う、ほんの十五年前じゃないか」 「だから幾つなんだおまえは」 「伊代はまだ、18だから~♪」 「ええと、すまん、何のネタだそれは」 「センチメンタル・ジャーニーだよ。松本伊代のデビュー作、一九八一年の。知らないの?」 「知るか! だから幾つだよおまえ!」 「シュビドゥバ♪ シュビドゥバ♪」 「だーー!! もう歌うな! 踊るな! はしゃぐな! 回るな! っていうか、勉強しろ!!」 「ぶーぶー。せっかく遠くまできたんだから、一晩くらいいいじゃん。ほんとかがみって 真面目なんだから……」 なんて文句を云ってはいたけれど。 ちゃんと座って勉強を再開するのだから、こなたも随分真面目になったのだ。 ホテルに戻った私たちは、着替えをすませて楽な格好になると、早速ノートと参考書を 拡げて勉強を始めたのだった。元々泊まりの晩もさぼらずに勉強をするという約束だった からついてきたのだし、その点こなたに否も応もないはずなのだ。今のはちょっとふざけて みせただけだろう。 ――どちらかというと、私の方が気持ちを切り替えるのに大変だった。 泉家からの帰り際こなたが無邪気に語ったすぐる君絡みの話は、私の心を覆う鎧にひびを 入れてしまっていた。『かがみは私の嫁』。こなたはよくふざけてそう云うけれど、このときほど その言葉が毒を孕んで突き刺さったことはなかった。 なんと云っても、そこにはきっとこなたの本心が篭められていただろうから。 こんなところまで連れてきたのだ。母親のお墓参りにつきあってと、実家まで連れてきたのだ。 こなたが私に好意を抱いていないはずがない。大事に思っていないはずがない。 こなたはそんな好意をあからさまに示してくれていた。そうしてきっと、そのことで私が喜ぶ だろうと思ってくれている。 その気持ちが心から嬉しくて、だからどうしようもなく辛いのだ。 こなたが私に抱いている好意は、私がこなたに抱いているものとはまるで違うものなのだから。 ホテルの部屋に戻って、最初にサニタリースペースに向かった。こなたと二人の部屋で、 こなたと二人の夜を過ごす前に、立ち直らないといけなかった。この旅行を、なんとしても いい思い出にするんだ。出発前に抱いたその気持ちは今も減ずることなく抱き続けている。 パウダールームの鏡に写った自分の顔をにらみつけて、気合いを入れた。昔ならこんな ときには顔を洗ったりしたものだけれど、化粧が崩れるからそんなことはできなかった。 女であることが少しだけ恨めしく感じる瞬間だ。 大丈夫。私は隠し通すことができる。そうだ、一番大切なことを思いだそう。私はこなたが 好きだから、こなたを悲しませたくはない。 それは単純な二段論法で、単純だからこそいつも私を救ってくれる魔法の言葉だった。 道を見失いそうになったとき、感情の隘路に嵌りこんでどうしたらいいかわからなくなったとき、 その言葉を思い出せばいつでも元の自分に戻ることができたのだ。 ――サニタリースペースから出てきたとき、私のつけた仮面はすっかり修復できていたはずだ。 「長かったね、さては大だな!」 なんて子供みたいに喜んで云ったこなたに、即座に枕を投げつけることができたのだから。 「ふわぁあああ、疲れたぁぁ」 そう云って伸びをすると、そのままこてんと横になるこなただった。二時間ほど勉強に 集中していて、もういい時間になっていた。 「へー、よくまとめられてるじゃないの」 テーブルに開きっぱなしになっていたこなたのノートを眺めて云った。 「ま、ねー。やっぱりさ、書いていかないと覚えらんないよね」 「うんうん。……って、なにやってんのよ」 横になっていたこなたはもぞもぞとテレビの方にはいずっていき、投入口にかしゃんかしゃんと コインを入れていた。 「ん? むふふ、ご・ほ・う・び」 猫口になってにまにまと笑うこなたをみているうちに、厭な予感がわき上がってきた。 案の定「ぽちっとな」なんていいながらこなたがリモコンを押すと、テレビに映し出されたのは 巨大なモザイクの塊で。 胸が悪くなるような媚態に塗れた艶声が、大音声で響き渡った。 「こ、こここここらーー! なんて番組見るんだあんたは!」 「えー、いいじゃん。これが楽しみでホテル泊まってるのにー」 ニヤニヤと目を細めて笑うこなたの目の前で、裸の男女があられもない格好で腰を振り合っている。 「うわぁ、そんなことしちゃうんだ」 こなたが少しだけ頬を染めて呟いた。 その光景をみて、全身の血が沸騰するような劣情を感じた。桃色の靄が体中の毛穴から吹き出して くるような感覚。 これは危険すぎる。 いつも通りのいたずらの延長なのだろうけれど、今の私には洒落にならなかった。 「こら! まじでやめろって、リモコン渡せ!」 「やだよーだ。お金入れてるんだからもったいないじゃん」 リモコンを高く上げてとられまいとするこなたに、私は飛びかかった。 「だー! もう怒るぞ本当!」 「ぷくく、かがみ顔真っ赤だー。本当は興味あるんでしょ?」 こなたは相変わらずすばしっこかった。 つかもうとした腕からするりと逃れ、体重で抑えこもうとしてもバランスを崩されて気がついたら 転がされている。 跳ねるように動くしなやかな身体。それに合わせてこなたの髪がひるがえる。 ひらり。 ひらり。 青い髪がひるがえる。 それはまるで床に広がった海にも似て。 その海の間に間にちらほらと、こなたの楽しそうな笑顔がかいま見える。 小さくあがる嬌声。息を荒げるこなたの吐息。私より少しだけ高い体温。 気がつくと、こなたの身体が私の下にあった。 視界をいっぱいに占めるこなたの顔。ほんの少し顔を下げるだけで、触れあってしまいそうな唇。 楽しさを湛えてきらめいた青竹色の瞳。頬にかかる甘い匂いの吐息。額はほんの少し汗ばんで、 はりついた髪の毛が肌に流麗な曲線を描き出している。触れあう足の、すべすべとした感触。 そのしなやかな弾力にみちた肢体。そして抑えつけた私の胸を押し返す、激しい運動にはずむ こなたの胸。小さいけれどちゃんと柔らかく膨らんだ、こなたの女の子の部分。 テレビから流れるバックグラウンドノイズ。 それは今にも気をやりそうな女性の艶声に満ちていて。 ぬるりと、下半身で何かが零れおちた。 魔法の言葉は、もう届かなかった。 頭の中は桃色の靄に包まれていて、思考が上手く結べない。 あと少し、ほんの少し顔を突き出すだけで、こなたの唇を奪える。 艶めいて、誘うようにぱくぱくと開閉するその桜色の唇を。 私はそのとき、本気でこなたにキスをしようとしていた。 事実そうしようと首筋に力をいれた。 そのときだった。 壁から甲高い電子音が鳴り響き、その警報のような音が私の動きを止めたのだ。 「あ、お風呂わいた」 何事もなかったように快活に云って、こなたはテレビの電源を切ったあとするりと私の下から 抜けだした。そして壁に設置されていた全自動風呂のパネルに歩いていき、アラームを止めたのだった。 「かがみ、先入る?」 振り返って訊ねるこなたに、私は霧散した理性を必死でかきあつめて、普段通りの口調で答える。 「あんた先入っていいわよ」 「ん。それとも一緒に入ろっか?」 なんて嬉しそうに目を細めて云うこなたに「入るか!」と怒鳴って、私はちらばった筆記用具を かきあつめていった。 顔を背けながら。 お風呂場にこなたが消えたあと、私はその場にうずくまって泣き続けた。 §9 ただ月だけが見下ろしている。 この部屋は、月明かりに満ちて夜の海に浮かぶ難破船のようだった。 カーテンがあけはなたれた窓からは、鏡のように凪いだ静謐な海と、ただ中天に浮かぶ 満月だけがみえている。 月の光は死んだ光なのだということを思う。 自ら輝くことなく、太陽の輝きを反射しているだけの存在。何も生み出せず、惑星も衛星も ひきよせることができず、ただ地球と太陽に依存して在るだけの存在。 そんな月の雫を浴びて佇む私も死人のように青醒めている。 あの辺り、餅つきをする兎の胴体の辺り、そう、あそこが静かの海だ。 アポロが着陸した海だ。 人は、そんなことすらなしうるのに。人の営みは宇宙を渡ることすら可能にするのに。 私はこんなところでこんな海に惑っている。 そんな自分の余りの小ささに、自嘲しかでてこなかった。 眠れようはずがなかった。 なんでもないふりをしてお風呂に入って、たわいないお喋りをして、おやすみといってベッドに 入り込んだけれど。 目はどこまでも冴えていて、身体は熱病に罹ったように火照っていて、思考はぐるぐると 同じ所を回り続けていた。 ――私は、こなたを裏切ろうとした。 こなたの意志に反して、こなたの思いも無視して、一方的に奪うようにキスをしようとした。 最低だ、私は。 あのときお風呂のアラームが鳴らなかったらどうなっていたことだろう。それを思うと 背筋が凍る思いがするのだった。 背後からはすーすーと規則正しい寝息が聞こえてくる。まるで安心しきったようすで、 満ち足りた笑顔を浮かべながらこなたは眠りについている。 その信頼が悲しかった。その充足を哀れに思った。 私は同性だけれど、だからと云ってこなたが安心していいような存在ではないのだ。 あのときの様子を思い出す。私の下になって、息を荒げていたこなたの様子を思い出す。 顔を赤らめることもなく、恥ずかしがることもなく、ただ楽しそうに笑っていた。友達なら それが当たり前で、同性ならそれが普通の反応で。わかっていたことだけれど、あらためて こなたが私にそんな感情を抱いてはいないことを思い知るのだった。 布団をはだけ、股をおっぴろげてすーすかと眠るこなたを見下ろして思う。 本当に好きだ。 どうしても、この子が好きだ。 ――こんな感情なんて、なければよかったのに。 そうしたらこんなに惑うこともなく、ただ無心でこなたの一番の親友でいられたのに。 そうできていたら、私もこなたもどれだけ救われたことだろう。 顔をそむけながら布団をかけなおして、浴衣から普段着に着替えて部屋を出た。せっかく こんなところに来たのだから、散歩でもしてこようと思ったのだ。少し身体を動かせば眠れる ようになるかもしれない。そう思った。 そっとドアを閉めると人心地ついた。こなたの姿がみえなくなることで、やっと私は安心する ことができたのだ。 「――かがみちゃん?」 突然聞こえてきたその声に振り向くと、月明かりに照らされた廊下の先、海を見下ろす ラウンジに、そうじろうさんが座っていた。 くゆらせた紫煙が、月光を浴びて銀の糸のように中空をただよっている。逆光でできた 影に閉ざされて、そうじろうさんの表情はよくみえない。手に持っていたウィスキーグラスの中で、 氷がピシリと音を立てて割れた。 「……小父さん?」 「どうした、こなたのいびきがうるさくて眠れないかな? あいつ、そんなにいびきかかないと 思ったけど」 「いえ、そういうわけじゃないんですけど……」 ふと、小父さんは泣いているのかもしれないと思った。 声はしっかりしているし、涙がみえたわけでもないのだけれど、不思議とそう思った。 元々どうしても散歩にいきたかったわけじゃない。ただ少しこなたの傍から離れたくなった だけ。気持ちを切り替えたかっただけなのだ。 だから、ここで小父さんと話をしていくのもいいなと思った。訊きたかったこともあるし、 こんな夜に尊敬できる大人と差し向かいで話をするというのも、きっと素敵なことだと 感じられたのだ。 私がそうじろうさんの向かいのソファに腰を下ろすと、小父さんは薄く笑ってウィスキーを 差し出した。 「いえ、未成年ですから」 そう云って断ると、小父さんは声を立てて笑った。 「はは、やっぱりかがみちゃんは真面目だな。こなたの奴は目を輝かせながら一息で飲み込んで、 盛大にむせてたっけ」 「……それ、いつくらいのお話ですか?」 「ん、中一だったかな。初めてこっちにつれてきた時だ」 「それは……。飲んだことがなければ子供は飲んじゃいますよ。私だって、好奇心にかられて 飲んでみたことはありますし」 「へえ、優等生のかがみちゃんでも、そんなことあるんだな」 そう云ってわざとらしく驚いてみせる小父さんだった。 手にもっていたタバコの火がフィルター近くまできている。小父さんはそれに気がつくと、 長く伸びた灰を灰皿に落として火を消した。 「それは……ありますよ。タバコだって、一応。っていうか私そんなに優等生じゃないですって。 こなたを基準にされても困りますから」 「はははっ、違いない。あいつに比べたら誰だって優等生にみえるか」 そう云ってそうじろうさんは、壁に掛かっている時計をちらと見上げた。 私もつられてそちらを見上げる。 三時四十分。さすがのこなたでも、普段なら起きているはずもない時間だろう。 「十一月二十三日、四時五分」 「――え?」 ぽつりと漏れ出たおじさんのつぶやきに、私は訊ね返す。 「十八年前、あいつが逝った日時だよ」 しみじみと云って、ウィスキーを一口含んだ。 そういえば今日は十一月二十三日だった。普段のお墓参りはその前後の休日のいつかに くるという話だったけれど、今年は丁度命日にくることができたのだ。 「――あ、それで。……ごめんなさい、お邪魔でしたか」 「いやいや、とんでもない。かがみちゃんさえよければ、できれば一緒にいて欲しいくらいだよ。 あいつも喜んでくれるだろうさ。娘にこんな大切な友達ができたことをね」 その言葉は照れくさくて、そして少しだけ後ろめたい。 「こなたは、一緒に迎えないんですか?」 「ん。時間まで云ったことはないな。なんていうか、こなたにとってあいつは最初から亡き者だった だろうし。四時五分は、逝くところを見届けた俺だけに意味がある時間なんだな」 ふと、十八年前の光景を想像する。 どことも知れぬ、真っ白な病室で。 それよりなおいっそう白く、青ざめた蝋のような顔色をしたかなたさん――そのイメージは 私にとってこなたに他ならない。 そっと瞳を閉じたこなたは、かなたさんは、もう二度と動くことはない。どんな箇所の、 どんな小さな動きさえ、もはや二度とみることはかなわない。 その瞬間に永遠に失われて、決して取り戻すことはできない何か。 それまで生きてきた迷いも、努力も、誠実さも、夢も、思い出も、愛情も。すべて根こそぎ 消え失せる、完全なるフラット。 それが死だ。 そのとき私は、そんな死のイメージにとらわれて、少しだけ涙ぐんでいたと思う。 「……ありがとう」 私をみつめて、小父さんは優しく云った。なんだか同じことをこなたにも云われた気がする。 「……いえ、そんな……。なんだかかなたさんのことを勝手に思い描いてしまって。そんなこと 本当はしちゃいけないと思うんですけど……」 「いや……。それもあるけどな。俺がお礼を云ったのは、今生きているこなたのことだよ」 「え?」 「こなたは明るくなったよ。陵桜に入って、かがみちゃんやつかさちゃんやみゆきちゃんが 友達になってくれて。今日だって、こんなところまで来てくれてなぁ」 泣いているように見えたのは錯覚だったのか。小父さんは意外なほどさばさばとした表情で、 こなたの話を続けていく。 「それまでが暗かったってわけじゃないんだけどな。根っこのところでは変わってないと 思うんだが、前までは周りの状況に合わせて的確に演技をしていくようなやつだった」 「……そうなんですか」 それは、前から思っていたことではあった。こなたのバランス感覚の高さは、例えばまだ 仲良くなる前のみさおやあやのに対するしゃべり方や、みなみちゃんやゆたかちゃんと一緒に いるときの表情などからもうかがい知れた。どんな状況でも波風を立てず、水のように表情を 変えて自然と溶け込むあの如才なさ。 「それが、場の雰囲気を一変させるようなオタクな発言も平気でするようになった」 「……それ、子供っぽくなったってことなんじゃ……」 「ははっ、そうかもしれないな。でも、子供っぽくない子供よりは安心できるんだよ。無理して 作った仮面をみせられるよりはね」 そう云ってちらりとこちらをみつめる小父さんの視線は、なにやら言外の意味を含んで いるようにも思えて、背筋がぞわりとする。 まさか。いや、そんなはずはない。 いくらなんでも、小父さんと顔を合わせて話したことなんてごくわずかだ。そんな時間で 私が被っている仮面を見破れるはずもない。こなたにだって隠し通せているのに。 「――小父さんは!」 気のせいだとは思うのだけれど、ごまかすように云った私の言葉は、つい語気が荒くなって しまっていた。 「う、うん?」 そうじろうさんはきょとんとした顔で目をぱちくりとしている。してみるとやはり私の気の回し すぎだったのだろうか。でも、云いだしてしまったからには、話を続ける他はなかった。 「そ、その。かなたさんが亡くなって……でもお一人でこなたを育てて……その、偉いと云うか、 どうやって立ち直ることができたのかとか……」 何を云っているんだ私は。 確かに、かなたさんが亡くなったあと小父さんがどうやって前を向くことができたのか、 訊きたいと思ったけれど。そんなことは普通直接訊くようなことでもないし、なによりなんで そんなことを訊きたいのかと不思議に思うだろう。 けれどそうじろうさんは、面白いものをみたとでもいうように興味ぶかげな表情を浮かべながら、 淡々と喋りだした。 「うーん、そうだなぁ。正直云うと、立ち直ろうと思う暇すらなかったっていうのが本当だな」 「……というと?」 「とにかく俺が動かないと、乳飲み子のこなたが死んじまうからさ。必死だったよ。ひたすら ばたばたばたばたしてて、気がついたらそれが日常になっていたな」 「そうか……そうです、よね」 「当時俺とゆきは東京に出ていて、なんていうか、俺だけじゃなくてゆきも色々あったんだよ。 親父はかんかんになって片っ端から勘当を云い渡すは、お袋はそんな親父に逆らってこなたの 面倒を見に東京まででてきたりして、またそれでぐちゃぐちゃになってさ。まあ、今思い出すと 冷や汗がでるよ。本当にガキだったんだ、俺は」 自嘲するようにそういって、グラスを傾けるそうじろうさんだった。 こなたのお父さんだからと、ついなんでもできる大人のように思ってしまうけれど。考えてみたら こなたが産まれたときこの人は確かまだ大学生で。二十代の前半だったと聞いた。してみると、 今の私とそう大きく歳が違うわけでもないのだ。これから先の数年で私がどう変われるのかは わからないけれど、少なくともそれで人の親になれる覚悟が身につくかというと、到底そうは 思えなかった。 「でも……」 「ん?」 「あ、いえ、生意気なことを云うようですけれど。そうじろうさんは、こなたをあんな子に 育て上げることができたんですから……その、それは素晴らしいことだと……」 「んー? ふふ、あんな子っていうのはあれかな。ツンデレツインテ萌えーとか云って かがみちゃんの髪をひっぱって遊ぶような子っていうことかな?」 「そ、そうじゃなくて! っていうかなんでそんなこと知ってるんですか!」 「お、当りか。まあ、あいつがやりそうなことなら大体わかるよ。俺がしたいことと変わんない からなぁ」 そういってカラカラと笑うそうじろうさんだけど、要するにそれは、目の前のこの小父さんが 私の髪を引っ張って遊びたいといっているようなもので。 私は少しだけ、ソファーを後ろにずらした。 「じょ、冗談だってばかがみちゃん、やだなー」 「……なんで棒読みなんですか」 そう云いながらも、なんだかそんなやりとりが可笑しくて笑ってしまった。そうじろうさんも 苦笑しながらウィスキーをグラスに注いでいる。 「こなた、優しい子ですよね。普段はあんなだけど、それでも学校のみんながこなたのことを 好きなのは、みんなそれを知ってるからだと思います」 「――うん、そうだな。もう少しだけ自分のことも大事にしてくれると安心できるんだけどな」 「それは……。私もそう思います。それがなんだか悔しくて、つい色々口出してしまうんですよね……」 「うん。そのあたりはかがみちゃんたちに任せるよ。……本当にあいつはいい友達をもった。 俺があいつにしてやれることなんて、もうなにもないんだな」 「そんな……私たちもまだ子供ですから、まだまだ大人の手助けが必要ですよ」 私がそう云うと、そうじろうさんはなぜか薄く笑いながら、グラスのウィスキーを飲み干した。 グラスを振ると、残った氷がカラカラと音を立てる。 「そうかな? 俺が家を出たのは大学入学と同時だったよ。こなただって、そうしてみて もいいんじゃないかな」 「――え?」 それは、なんだか不思議な言葉だった。かなたさんが亡くなって、その忘れ形見である こなたをずっと育ててきて。それこそがそうじろうさんの生きる糧だったのだと、そう理解していた けれど。 「こなたが家を出て、寂しくないんですか?」 そうじろうさんの云い方は、そう云っているように聞こえたのだった。 「まぁな。なんていうか、必ずしもこなたが近くにいる必要はないんだよ」 混乱して言葉を継げられない私に、そうじろうさんはいたずらっぽく目を光らせながら 重ねて云った。 「たとえどこにいたとしても、こなたがこの世のどこかに存在してると信じられたなら、 俺は生きていけるんだな」 その言葉に、私は一瞬はっとする。 ――それはなんだ。 その境地は一体なんだ。 私は、何も云うことができずに絶句していた。 「そりゃ、近くにいてくれたら嬉しいし、俺が望むような人生を送ってくれるにこしたことは ないけどさ。でもなんていうかな、こなたは神様みたいなもんなんだ」 「か、神様? それってその、“俺が新世界の神になる”的な?」 混乱した頭で私がそういうと、そうじろうさんは「なんでデスノネタなんだ。かがみちゃんも こなたに染まってきたかな」なんて楽しそうに笑うのだった。 それが堪らなく恥ずかしくて、顔に血が昇っていくのを感じていた。私の顔はきっと耳まで 赤く染まっていたことだろう。 「天にまします我らが父よ、の神だよ。クリスチャンがあらゆる森羅万象に神の御業をみ て、直接その姿を偶像としてみなくとも神を身近に感じられるみたいにな。俺にとってこなたは、 そういう存在なんだよ」 ――ただ、在ればいいんだ。 そう云った。 それはまるで信仰のようだと私は思った。 家の職業柄、私にとって信仰と神は身近だ。 不可知論者の私は、神の実在を信じることはできないけれど。それでも信仰という物が この世界を受容するための方便として機能してきた、その功績を否定することはできなかった。 どんなに辛い目にあっても、どれだけ悲惨な運命に弄ばれても、ただ一言“御心のままに”と 云えば、その全てに意味をもたせることができる、そんな人生を受け入れることができる。 この世のどこかにこなたがいるのなら。 こなたがいる世界のことならば。 そうじろうさんは、こなたがそういう存在なのだと云っているのだった。 それは、なんという強さなのだろうと思う。なんという愛し方なのだろうと思う。 私にはそんな風にこなたを愛することはできなかった。 そばにいて欲しいと願った。 顔を見たいと願った。 触れたいと願った。 だから、傷つけた。 だから、裏切りそうになったのだ。 でも、そうじろうさんは違う。 こなたに何も求めない。こなたに何も願わない。こなたのどんなことも受け入れて、なおそれを 世界の中心において考える。 ――敵わない。この人には敵わない。 敗北感に押しつぶされそうになった私に、そうじろうさんはぽつりと云った。 「人の親なんて、多かれ少なかれそういうもんだよ。きっとただおさんもね」 そっとグラスをおいて、窓の外に視線を向けた。 海が広がっている。 涯もみえぬほど、世界を覆い尽くすほど、広い海が。 茫漠としてやがて空へと繋がっていく、暗い海が。 ――なんて広くて、なんて深くて、なんて暗いのだろう。 その海のあまりの豊穣さに、少しだけ眩暈がした。 そのとき、そうじろうさんの浴衣のたもとから、携帯の振動音が聞こえてきた。 手を差し込んで振動を止めると、そうじろうさんはしみじみと云った。 「――四時五分。十八年前の今この瞬間、あいつは逝ったんだ」 その言葉に溢れそうになった涙を隠して、私は黙祷をする。 かなたさんに、こんな思いの全てを伝えられたらと思う。 あなたの娘さんのことを、私がどれだけ好きかとか。 旦那さんが、今もこうしてあなたのことを偲んでいることとか。 この世界のすばらしさとか。 月が綺麗なことだとか。 そんなこと全てを。 でも、それを伝えることは叶わない。 死んでしまった人に、想いを伝えることは決して出来ない。 亡くなってしまった人には、もう二度と出会えない。 それがこの世の理なのだから。 だから私たちは、せめて日々を誠実に過ごすのだ。 この一瞬の命の輝きを信じて。 そっと眼を開けた私を、そうじろうさんは優しい眼差しでみつめていた。 「かがみちゃん」 「――はい」 「辛いかもしれないけれど、こなたのことをずっと好きでいてやってくれないか」 「――はい?」 なぜ、“辛いかもしれないけれど”なのだろう。 そのとき私は不思議に思った。 けれどその意味がわかるのは、それから随分後になってからのことなのだった。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 『4seasons』 秋/静かの海(第六話)へつづく コメントフォーム 名前 コメント もう OVA化するべきですね。 -- チャムチロ (2012-08-14 15 43 02) そうじろうの価値観に絶句。陳腐な言葉だけどすごいと思った -- 名無し (2008-10-13 23 40 36) 一言素晴らしいとだけ書いておこうか -- 名無しさん (2008-08-29 00 40 48) なんかこの人の価値観までも伝わってくる -- 名無しさん (2008-08-13 01 55 17) 神様よ…もう様付けだよ… -- 名無しさん (2008-05-31 19 51 42) 神だらけのこの世界に乾杯 -- 名無しさん (2008-03-13 05 47 08) 神よ・・・… -- 名無しさん (2008-03-11 15 24 50) 敵わねえよ -- 名無しさん (2008-03-11 13 05 10) じれったい二人の関係に毎度ドキドキさせられっぱなしです 次も楽しみにしてます -- 名無しさん (2008-03-11 02 36 28) 泣きそう -- 名無しさん (2008-03-11 00 02 03) 毎回読ませてもらってます凄い楽しんで読んでます!次も頑張ってください -- 名無しさん (2008-03-10 18 36 54) これからのかがみとこなたの関係の移り変わりが楽しみで仕方がない。 -- 名無しさん (2008-03-10 01 44 35) 切ない。悶々とする。ああもう。ああ。楽しみにしてました。楽しみにしてます。うん。 -- 名無しさん (2008-03-10 01 37 12) イヤッホオオオオオ! かがみの一途なところが良くて良くて… 至福のひと時、癒し、正直…たまりません、うん -- 名無しさん (2008-03-10 01 26 21)
https://w.atwiki.jp/kairakunoza/pages/1805.html
『4seasons』 秋/静かの海(第三話)より続く ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― §6 「親父、まだ漁に出てるんだって。身体は大丈夫なのか?」 「ああ。なに、海じゃ七十くらいじゃまだまだ現役だ。お前みたいな町のもんと一緒にするな」 くにおさんは、そうじろうさんの問いかけを鼻で笑って、ぐいっとお酒をあおった。 「危ないから止めてって、云ってはいるんだけどね」 なつこさんが、お酌をしながら苦笑する。 「はっ! 嫁にそんな心配されるほど俺はもうろくしてないぞ。大体うちの息子どもは揃って 銀行員だとか小説家だとか軟派な職業に就きおってからに。だから船を譲って引退することも できんのじゃないか!」 タン、と少し強めに湯飲みをテーブルにおいて、そうじろうさんとそうたろうさん、息子二人を にらみつけた。 くにおさんは、人の良さそうな見た目に反して、意外なほど男気溢れる人だった。地方の 旧家には、きっとこういう昔ながらの家父長めいた人が今も沢山いるのかもしれない。 場の雰囲気は全体的に和やかな様子だったから、これも一種の愛情表現で、殊更に激昂 しているわけではないのだろう。 私たちがいるのは、畳敷きの二間続きの部屋だった。 普段はふすまを閉めて別の部屋として使っているのだろうけれど、今は開け放されて、 そこに大きなテーブルが置かれている。 お刺身やたたき、酒蒸ししたあわびの肝醤油和えや、細かく切って三つ葉や椎茸と一緒に 詰め直したさざえの壺焼きなど、海の幸が豊富な食卓だった。 大人達はさっそくお酒を酌み交わしていて、私はそうじろうさんの隣で借りてきた猫みたいに ちょこんと座り、話について行こうと必死だった。 ――そして肝心のこなたはというと。 軽く食べ終わったあと、板張りの廊下で白熱電球のオレンジ色の灯りを浴びながら、私を 放ってすぐる君とひたすらモンスターハンターにいそしんでいるのだった。 こんなところまで連れてきた張本人のくせに、私を完全に放置。 こなたがそういう奴だというのはわかっていたけれど。わかっていて惚れた私が悪いの だけれど、でもちょっとだけ泣きそうだった。 「まあ、兄貴はともかく、俺は反論のしようもないからな。小説家なんて、やくざな商売だよ」 「何を云うかなこいつは。この町で、僕のことは知らなくとも、お前のことを知っている人は 多いよ。三島賞作家様」 微笑むそうたろうさんの言葉に、苦虫をかみつぶしたような表情をするそうじろうさんだった。 「うへぇ、やめてくれよ兄貴、あれはそんな賞じゃないぞ。だいたい作家っていうだけで 皆何か期待するけど、俺はただぐちゃぐちゃ絵空事を書いてるだけだからな。昔の、知識人と 一体になった文豪のイメージで見られると、いたたまれないよ俺」 「大丈夫だよ、お父さん! お父さんのこと知ってる私の友達は、みんな小説家にそんな まともなイメージもってないから~」 「そうよね、確かにそうじろうさんを見てると、やくざな商売っていうのもわかる気がするわ、 って何を云わせるんだ何を!」 思わず突っ込んでから、しまったと思った。 やっとこなたが話に入ってくれて、それが明らかに私に振った言葉だったから、つい いつも通りに突っ込んでしまったのだけれど。 場の空気を無視するにもほどがある。 こなたの親族に少しでもいい印象を与えたいという私の努力は、ことごとく空回りして いくのだった。 幸い、場は爆笑に包まれたのだけれど。それはそれで忸怩たるものがあるのだった。 顔が熱くなっていくのを感じながらこなたの方を眺めると、いつもの猫口になって ニヤニヤしていた。それが憎たらしくて、小さく拳を握ってこづく振りをすると、ぺろりと 舌を出した。 「お姉ちゃん、クエスト出発するよー」 「あ、ごめんごめん」 すぐる君の言葉に、慌ててPSPに視線を落とすこなただった。 ちらり、と。 すぐる君が私を上目遣いでみる。 視線が合ったら慌てて目をそらしたけれど、なんだか余り良い感情をもたれていない ように感じた。 なんだろう。特に何か会話を交わしたわけでもないのに。最初は照れているのかなと 思ったけれど、どうもそういう様子でもなく、なんだかよくわからなかった。あの年頃の 男の子のことなんて何も知らないから、なんとも判断のしようがないのだ。 それにくらべたら、ゆみちゃんは凄くわかりやすい。 最初はこなたたちと一緒にモンスターハンターをやっていたのだけれど、「おまえすぐ 死ぬんだもん」というすぐる君の身も蓋もない発言によって追い出されてしまい、いまは そうたろうさんにべたべたとひっついている。 その甘え方とへその曲げ方は、幼い頃のつかさのようだった。 ふと、見つめている私と目があって、ゆみちゃんはちょっとだけ照れくさそうな顔をした。 そこで私は隔意をもたれないように、とっておきの笑顔を浮かべて話しかける。 「ね、そのリボン、凄く可愛いね。お母さんに結んでもらったの?」 「……あ。えと、これは自分で……」 少し頬を染めてもじもじと頭をなでつけるゆみちゃんだった。 「わあ、凄いじゃない。私なんて、ゆみちゃんくらいの時は毎日お母さんに結んでもらってたよ?」 「え、えへへ……。でも本当は三つ編みが好きなの。それは自分一人じゃできないから、 お母さんにやってもらうんだけど」 「あ、それじゃ私編んであげようか?」 「え、ほんとー? わーい」 ゆみちゃんは、とてとてと歩いてきて私の前にちょこんと座った。 どことなくこなたの髪質に似ていると思った。癖はなくてさらさらとしているけれど、 触ってみると強さも併せ持っている。そんな、こなたみたいな髪質だった。 ゆみちゃんが楽しそうに身体を揺すっているから、私もそれがなんだか嬉しくって、 一緒にうきうきしながら髪の毛を編み込んでいった。 そんな私たちを、なつこさんはにこにこしながら見つめていて、目が合うとウィンクして 笑いかけてくれる。 少しだけ名誉挽回できたかなと思う。 将を射んと欲すればまず馬を射よ、なんて。昔の人は良い諺を作ったと思う。 馬も将も手に入って、一石二鳥で幸せなのだった。 こなたの方をみると、なんだか今にもとろけそうな顔でこちらを眺めていた。 いいからあんたはゲームにでも集中してろよ。 そんな思いを込めてぷいと視線を逸らす。 そのときPSPからなにやら陰惨な音楽が流れてきた。それと同時にこなたの「あー! ちんだー!」という叫び声と、すぐる君の「何やってんの姉ちゃん。そんな攻撃当たるなよぉ」 という呆れ声。 いい気味だ。心の中でニシシと笑った。 大人たちの会話を聞くともなしに聞いていた。 そうじろうさんのお父さん、くにおさんは漁師をしていて、お兄さんのそうたろうさんは銀行に 勤めているらしい。すぐる君は十一歳の五年生で、ゆみちゃんは八歳の二年生。くにおさんの 奥さんだったしずえさんが亡くなってから、なつこさんが専業主婦としてこの家をきりもりして いるようだった。 時々、網元のお嬢さんという単語が、くにおさんの口から飛び出すことがある。誰のこと だろうと思っていたけれど、問いかけるようにそうじろうさんに顔を向けたら「かなたのことだよ」 と教えてくれた。 そうか、幼なじみなんだっけ。そんな基本的な情報を思い出す。 それにしても網元のお嬢さんとはまたなんと古式ゆかしい単語なのだろう。昔の庄屋と 小作農のような制度が、まだ地方の町では息づいているのだろうか。気にはなったけれど、 それは少し聞きづらかった。みゆきに聞けばきっとすぐさま答えてくれたのだろうけれど、 生憎ここには私一人しかいない。学校ではいつも一緒のみゆきもつかさも、あやのやみさおも いないのだ。 こなたも、すぐる君に連れられてどこか別の部屋に行ってしまった。 「WiiやろうよWii!」 そう云ってせがむすぐる君をこなたは断ることができず、引っ張られるままについていった。 わかっている、こなたはそういう奴なのだ。 ――自分を頼ってきてくれる人を、好意を寄せてくれる人を、近寄ってきてくれる人を、 邪険に扱うことができない。 自分のことにはどこまでもずぼらなのに、こと他人に対しては途端に細やかな配慮を してしまう、そんな奴だ。自分を慕ってくれる従兄弟の頼みを無碍に断ることができるような 子じゃない。 わかっていた。わかっていて惚れた私が悪いのだけれど、それは少しだけ寂しかった。 でも、去り際に私に心からすまなそうな顔をしてみせてくれただけで、惚れた弱みか、 そんなことでもすぐに許してしまえるのだ。 「それにしても、すぐる君、すっごくこなたになついてますよね」 ふと会話がとぎれたところで、気に掛かっていた話題を振ってみた。 「ああ、最近はこなたが来る度にべったりだ。なんだか俺にはわからん外国語でぺちゃくちゃ 話してるが、最近の若者のするこたあ、とんとわからんな」 くにおさんは首を傾げている。 「お父さんは僕やそうじろうがパソコン弄っていたときから同じこと云ってたじゃないか」 そう云ってそうたろうさんがカラカラと笑う。 「でも、かがみちゃんだって、随分ゆみちゃんになつかれてるだろう?」 そうじろうさんの言葉に、私の膝の上に乗っていたゆみちゃんが、少し恥ずかしそうにする。 「え、えへへ……。なんかかがみお姉ちゃんって、本当のお姉ちゃんみたいな気がするんだもん…」 「ふふ、よかったねゆみ、お姉ちゃんができて」 鼻の頭をちょこんと小突いて、なつこさんが云う。 「でもこの子結構人見知りするのよ。初対面の人にこんなになつくの、珍しいんだから」 「……あ、あー。その、私にも妹がいまして。ゆみちゃんって、その子のちっちゃいころに そっくりなんです」 「え。お姉ちゃん、妹いるんだー。いいなー。私もかがみお姉ちゃんの妹になりたい!」 「まあ、それもいいわね。でもゆみ、それって私の娘じゃなくなるってことよ?」 「……え。そ、それも困るぅー!」 あたふたと手を振るゆみちゃんをみて、私となつこさんは笑った。 そのなつこさんもくにおさんの所にいってしまって、私とゆみちゃんで取り残された感じになった。 大人達はなんだかいつのまにか真面目な話に突入しているようで、息を潜めて真剣な口調で 喋っていた。 「ねぇ、東京って、いいところ?」 腕のなか、私の顔を見上げてゆみちゃんが云う。 「うーん、どうかなぁ。賑やかで色々なものがあるわね」 「たんぼも畑も山もなくって、明るくて綺麗なところなんだよね?」 「そうねぇ。でもうるさくて人が沢山いて、危ないこともあるわよ。行ってみたいの?」 「うん。東京行きたい。ここ嫌い」 ゆみちゃんは、前を向いてきっぱりと云う。 「……そっか」 ここにも良いところは沢山あると思うけれど。潮の香りや穏やかな空気や、暖かい人たちや。 でもそんなものは多分、首都圏に住んでいる私たちのおごりなのかもしれないとも思う。 文明社会にいつでも戻れることを前提として、素朴な原始的社会を懐かしむような、そんな傲慢さ。 私は何も云えなくなってしまって、ゆみちゃんを抱きかかえて頭にこつんとあごを乗せた。 ふと視線を上にあげると、鴨居の欄干に飾ってある何葉かの写真が目についた。古色を帯びた 白黒写真で、それぞれちゃんと額に入れられている。写っているのは私が今までみたことがない 人たちばかりだった。 「ね、ゆみちゃん、あの人たちって誰かな?」 「あ、あれはね。えっと、一番左のがお祖母ちゃん。私は会ったことないんだけど……」 和装でにこやかに微笑む老婦人は、あまりこなたには似ていなかった。きっとあの子は 母方の血筋を強くひいているのだろう。こなたの部屋でみたかなたさんの写真は、本人と 間違えるほどよく似ていたから。 「その右は?」 「あれはね、お祖父ちゃんのお父さんとお母さん。戦争に行く前に撮ったんだって。でも お父さんは帰ってこなかったってお祖父ちゃんは云ってた」 軍服姿できりりと正面を見つめる男の人は、そうじろうさんによく似ていた。隣で貞淑そうに 微笑むモンペ姿の女性のその後の生涯は、どういうものだったのだろう。 「その右はね……うーんと、うーんと、わかんない」 古ぼけた銀塩写真は写像の輪郭もあやふやで、少しセピアがかった色味をしている。どこともしれぬ 鉄道の駅の前でフロックコート姿の紳士が佇んでいた。 誰だかわからない。でもきっとこなたに繋がる誰か。 そんな一連の写真をみて、今ここにこなたがいることの不思議さについて考えた。 こなたのお父さんにお母さん、そのお父さんにお母さん、そのまたお父さんにお母さん。 そしてそのもっと先の祖先。名も知らぬ誰か。 連綿と続いてきたその歴史の中で、誰か一人でも欠けたらこなたが産まれることはなかった。 明治を、大正を、そして戦争の中を、懸命に生きてきた誰かのおかげで、私はこなたと 出会うことができたのだ。 それがなんだか奇跡みたいに思えて、馬鹿みたいに私は涙ぐんでしまった。 「……お姉ちゃん?」 きょとんとした顔で私を見上げるゆみちゃんに返事をしようとしたとき、テーブルを強く叩く ドンという音が聞こえてきた。 はっとしてそちらをむくと、激昂したように見えるくにおさんが、そうじろうさんを睨みつけていた。 どういう話をしていたのだろう。 それはわからなかったけれど、その後くにおさんが云った言葉は忘れがたいものだった。 「俺は、お前が網元のお嬢さん――かなたさんにしたことを忘れたことはないぞ。お前は あの子が出産に耐えられないかもしれないと知っていたはずだ!」 一瞬にして場が凍りつく。私の背筋も氷柱を突っ込まれたようにぞわりとした。 凍った海のような静寂。 そんな中、そうじろうさんは淡々と云った。 「ああ。俺も親父に忘れて欲しくはないよ。死ぬまで忘れずに俺に云い続けてくれ」 そうじろうさんは。 まるで今し方極寒の日本海から引き上げられた人のように。 青ざめて凍りついた、死人の表情をしていた。 §7 「またいつでも来てね、かがみちゃん。云っておくけど、社交辞令じゃないからね」 そう云ってなつこさんは微笑んだ。それが本当に本心から云っているように感じられて、 嬉しかった。 「はい。いつかまた来ます」 「絶対だからね! 待ってるからね!」 涙ぐんでいるゆみちゃんは、さっきまで私にひっついて離れなかった。そんなに私を好きに なってくれたことは凄く嬉しかったし、私もゆみちゃんとは離れがたく感じていた。こなたからは 「いやー、ほんとかがみは生まれついてのお姉ちゃんだねぇ」なんて冷やかされたけれど、 それを満更でもなく感じていた。 本当に、また来たいと思った。 またここに来ることができたとして、そのときには私は何になっているのだろう。こなたにとって、 私は誰になっているのだろう。今の親友という関係を維持できているだろうか。それとももっと別の 何かになっているのだろうか。 それはまるでわからない。 未来のことは相変わらず茫漠とした海原のように曖昧で、私はそこにどんなビジョンも持つことが 出来ていなかった。 ゆみちゃんとなつこさんに手をふって、そうたろうさんの後についてガレージに向かう。 お酒を飲んでいなかったそうたろうさんは、ホテルに戻るときも送ってくれるようだった。 くにおさんは見送りにこなかった。最後に見たくにおさんの姿は、他に誰もいない座敷で 一人お酒をあおる光景だった。 それはやはり、少し寂しい。 その光景は寂しいし、そんな姿がくにおさんの最後の姿だというのは、とても寂しい。 「あれ、そういえばすぐる君もいないわね。見送りにこないのかしら?」 ふと気になってこなたに訊ねる。 「あー。うん、そだねー……」 棒読みで云ったこなたは視線を逸らして頬を掻いている。 その反応は見覚えがある。なんだか酷く見覚えがある。 宿題を忘れてきたときとか、部屋に見覚えのないオタクグッズが大量に増えていることを 突っ込まれたときとか、貸したラノベの感想を聞いてみたときとか、そんなときに見せる反応だ。 私になにか後ろ暗いところがある時の顔だ。 「……おい。あんたまさか、なんかしでかしたんじゃないだろうな」 「いやいや、私がしでかしたわけじゃないのだよ。どっちかっていうと――おっと」 言葉をとぎれさせたこなたの視線の先に、すぐる君がいた。裏口から出てきたのだろうか、 ガレージ脇の杉の木にもたれかかって、こちらを見ている。 なんだか親の敵に向けるような、険しい顔をしている。 その視線は一直線に私に向かっているから、きっとその親の敵とは私のことなのだろう。 してみると私はなつこさんかそうたろうさんに何かをしたのだろうか、なんて支離滅裂なことを 考えていた。そんな私の方にすぐる君はずんずんと歩いてきて、凄むようにぐいと睨みつけると、 大声でこう云った。 「お姉ちゃんは渡さないからな!!」 「――は?」 その発言の意味がわからなくて、しばし呆然とする。すぐる君は私から視線を外してこなたの 方を向いたかと思うと、一瞬照れたような表情を浮かべて、脱兎のごとく走り去っていった。 「……なによあれ」 「さ、さあ?」 ゆっくりとこなたの方を向いて睨みつけた。 「い・い・な・さ・い!」 「うおっ、かがみ顔近いって。……べ、別に私のせいじゃないんだってば。ただなんかね」 「なによ?」 「……結婚を申し込まれました……」 ――なるほど。 どこまで本気かはわからないけれど、すぐる君がやたらとこなたに執着するのは、そういう理由か。 「ほう。それはよかったじゃない、モテモテでうらやましいな!……それで、なんて答えたのよ。 想像はつくけど」 「いや、ね。私にはもう嫁がいるから、結婚はできないよって」 「……はぁ。それでその嫁が私なわけね」 「そうそう。だから実家に連れてきたんだっていう設定にしたら、つじつま合うじゃん?」 「合ってねぇよ! なんで嫁なのよ! おかしいだろそれ!」 ――その設定通りだったら、どんなにかいいだろう。 色々といいわけをするこなたに突っ込みながら、私の心の中はどこまでも冷たく荒れ狂っていた。 それはまるで極寒の海の逆巻く波濤にも似ていて、思わずその中に飛び込んで死んでしまいたくなる。 従兄弟であるすぐる君は、こなたと結婚することもできる。 でも、私はそうじゃない。どれだけ好きでも、どれだけ求めたとしても、たとえ億万が 一両思いになっていたとしても。 私がこなたと結ばれることは永劫にあり得ない。 日本では全ての同性カップルが、今も後ろ指を指されながら生きている。笑われて、陰口を 叩かれて、変態だと罵られて、そんな関係は本物じゃないと云われて、男女関係の紛い物 なのだと決めつけられて。こなたが見ているネット界隈でも、ゲイを平然と笑いものにする ネタがまかり通っている。それが哀しかった。こなたがそれを当たり前に受け止めていることが なにより哀しかった。 帰りの車中で私は、まるでここが海の底なのかと思うほどの息苦しさを覚えていた。 でも、それでも構わないと思った。 ここにこなたがいるから。 父と子の長い物語の果てに、今こなたがここにいるのだから。 それだけで、私は構わないと思った。 たとえ冷たい海の底に沈んで二度と浮かび上がれなくなったとしても。 けれどきっと、私が海の底に沈んでしまったら、こなたは我が身も厭わずに飛び込んできて しまうだろう。うぬぼれでもなんでもなく、こいつはそういう奴なのだ。 だから私は、足を絡めようとまとわりつく藻を振り切って、懸命に泳ぎ続けなければいけない。 たとえ海の水が、身を切るほど冷たかったとしても。 たとえ見渡す限り何もない海で、星すら探せなくなったとしても。 沈まないためには泳ぎ続けなければいけないのだ。 いつのまにか、あれほど耳について離れなかった潮騒の音は、まるで気にならなくなっていた。 泉家に向かうまで、この町は私にとって異郷だった。でも今はもう違う。こなたのことをもっと 知って、泉家の過去と現在に触れて、私はどうしようもなくこの町の中に組み込まれてしまった。 海に潜り込んでしまえば、もう波音など聞こえない。 自分の家に漂う匂いに、自分で気づけないように。常に聞こえてくる潮騒の音を聞き取る ことは難しい。 今にも日本海に滑り落ちて消えてしまいそうなこの町は、そしてこの海は、私にとっても 故郷のような存在になってしまっていた。 初夏の頃。まだなんの覚悟もできてなくて、ただ恋情に翻弄されるだけだったあの頃。 私はどうしてこんなにこなたと関わってしまったのかと後悔していたけれど。 あれから半年が過ぎて、気がつけばその絆はもはや簡単に断ち切ることは不可能なほど 強くなってしまっていた。 恋心を隠しきったままで。 私は深く深くこなたと結びついてしまっていた。 ――私が、そう望んだのだ。 ふと、助手席に座るそうじろうさんの横顔を見て思う。 その眼差しの向こう、静謐にたゆたう静かな海を見て思う。 この人も、一度この海に沈んでいるはずだ。かなたさんを亡くして、しかもそれを周りから 責められて。 もしこなたが私を残して死んでしまったとしたら。それを想像しただけで、心臓をわしづかみに されたような恐怖を覚えるというのに。 一体この人は、どうやってそこから浮かび上がってくることができたのか。 それが、無性に訊きたくなっていた。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 『4seasons』 秋/静かの海(第五話)へ続く コメントフォーム 名前 コメント 確かに2chでネタにされてるホモネタとかも一種の日本特有の文化的偏見なのかも… 考えさせられる… -- 名無しさん (2008-08-13 01 41 41) ↓なんというツンデレwww -- 名無しさん (2008-03-09 12 49 06) さっさと続きかけボケ 楽しみにしてるんだよカス -- 名無しさん (2008-03-09 12 18 54) 死ぬ -- 名無しさん (2008-03-02 20 22 11) オリジナルキャラクターがでしゃばっていないので違和感を感じないのでは? -- 名無しさん (2008-03-02 07 28 28) あれ? オリキャラって大概違和感を覚えるのにこの作品に違和感が見当たらないよ。 なんでなんだろう、不思議だなー -- 名無しさん (2008-03-02 01 16 24) あー、誉める言葉が見付からなくて困ったww -- 名無しさん (2008-03-01 18 58 16) イヤッホオオオオオ! 自然な展開でかがみの想いがひしひしと伝わる。そういうの大好きだ。 そして、相変わらず綺麗な文章だ、うん。 -- 名無しさん (2008-03-01 14 09 57) 素晴らしい。ため息しか出ない。うん。 -- 名無しさん (2008-03-01 13 43 39)
https://w.atwiki.jp/kairakunoza/pages/1766.html
『4seasons』 秋/静かの海(第二話)より続く ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― §4 どうしてこんなことになったのだろう。 窓際の席に座って、今日何度目か知らないその言葉を頭のなかで呟いた。 「どったのかがみん? もしかして怖い?」 「そんなわけないでしょ」 「ん~、ほんとかな? ほんとかな? 内緒にしとくから、云っちゃっていいんだよ? んん~?」 「だー、だから違うって。もう、突っつくなよ!」 「ほれほれ、北斗ひゃくれつけん~」 「ちょっ、ぁん、ってこら! 変なところ触るな!」 「うわ、かがみ今の声いろっぽっ! お父さんには聞かせらんないね」 「……よいものを聞かせていただきました」 その声に振り向くと、しっかりと聞いていたそうじろうさんが後ろの席で合掌をしていた。 ――どうしてこんなことになったのだろう。 熱く火照った顔を、隠すように窓に向けながらそう思う。風景に二重写しになって、 窓ガラスにこなたのニヤニヤ顔が浮かんでいた。私は、そんなこなたをこっそりと盗み見る。 まるでレアカードを一発で引き当てたときみたいな喜色満面の笑みを浮かべているこなたは、 朝からずっとハイテンションで、なにかと云ってはやたらとスキンシップを図ってきた。そんな こなたのことを、今日はずっと持て余していた。 視線のフレームを外に向けると、ここからは空港の様子がよく見える。旅客ターミナルの 広いスペースには用途のよくわからない作業車が並んでいた。そこから伸びる滑走路は そのまま海に続いているようにも見えて、本当にこの先が空に通じているのかと怪しくも思えた。 飛行機に乗るのは、初めての経験だった。 こなたにはああ云ったけれど、やはり少しだけ怖かった。 機内アナウンスがあり、私たちがそれぞれシートベルトを閉めると、機体はゆっくりと動き出した。 ぐんぐんとスピードを増しながら滑走路を突き進んでいく様子が、機首に近いこの席からは よく見える。やがて機体を支える揚力を翼の下に得た飛行機は、ふわりと中空に浮き上がる。 どうして、こんなことになったのだろう。 眼下に鈍色にくすんだ晩秋の海を眺めながら、そう思う。 日本航空1279便ボーイング777-200は、そんな思いを乗せたまま、小松空港へむけて一路 羽田を飛び立った。 きっかけというか発端というか、全てを決めたのは一昨日の電話だった。そう、ほんの つい一昨日の、しかも夜のことだった。 このところのお風呂はつい長めになってしまう。勉強で寝不足気味な最近、湯船で暖まって いるとどうしてもうとうととしてしまうから。よくないことだとは思っているけれど、どうしようもなかった。 そんな長風呂から出て髪も乾かしたあと、居間でほこほことくつろいでいたときだった。 着替えを抱えてお風呂場に向かうつかさを横目で見ながら、なんとなくテレビ番組を聞いていた そのとき、二階から私の着メロが流れてきたのだ。 この着メロはこなたかみゆきだ。どちらにしてもすぐに声を聞きたい人だった。ばたばたと小走りに 階段を上がり、ドアを開けてケータイを取ると、こなただった。 そして何気なく電話に出た私に、こなたは唐突に云ったのだ。 「かがみ。週末なんだけど……海を見たくはないかい?」 「――は?」 「週末なんだけど、海を見たくはないかい?」 「いや、聞こえてるわよ。今の“は?”は、“もう一度言い直せ”じゃなくて、“何云ってんだこいつ” って意味だ」 「いや、それがね、聞いとくれよ。色々と長い話があってね?」 それは確かに長い話だった。長くて、深くて、そして哀しい話。最初に電話をとったときの ふざけた云い方は、こなたなりの気遣いだったのだろう。 ――命日。とのことだった。 11月23日は、かなたさんが亡くなった日なのだそうだ。 それは誰が悪いわけでもなく、ただどこにでもある悲劇だった。 誰もが“なんで私がこんな目に”と神を呪い、世界を罵って泣き崩れるような、けれど今も 当たり前のように誰かの身に降り掛かっている、そんな哀しい出来事の話。 かなたさんが妊娠高血圧症候群に罹っていると診断されたのは、妊娠八ヶ月が過ぎた頃 だった。元々免疫系に疾患を抱えていたというかなたさんだったから、主治医にとっても そうじろうさんにとっても、もちろんかなたさんにとっても、それは最も恐れていた事態だっただろう。 急速に進行するめまい、溶血、血小板の減少、腎障害、肝障害。決断というのもおこがましいほど 速やかに選択された帝王切開による妊娠の早期終了。 未熟児として産まれたこなたは健やかに育っていったが、一度下がった腎機能と肝機能は二度と 回復することはなかった。 出産から半年が過ぎて、かなたさんは短い生涯を終えた。 11月23日のことだった。 「ありがとう」 涙ぐむ私にこなたが云った。 「……なにがよ」 「ん? 泣いてくれてありがとう」 「な、泣いてなんかないっ!」 「あは、そっか、ごめんごめん。じゃ、鼻啜ってるのは風邪かな? だめだよ気をつけないとー。 またお風呂上がりに薄着のままだらだらしてたんでしょ?」 「するか! ってかそれあんたのことだろ!」 あの顔が見えるようだった。目を細めて満ち足りた様子で微笑む、私が一番好きな顔。 話を切り替えたかったのかな、と思う。適当にいつものやりとりをしているうちに、さっきまでの 湿っぽい空気はどこかに行ってしまった。聞かされた私にとってそれは重い話だったけれど、 こなたにとってはある程度割り切れていることなのだろう。そうでなければ今まで生きて こられなかっただろうから。 毎年この時期、泉家の実家に眠るかなたさんのお墓参りに、金澤まで戻っているのだそうだ。 去年の今頃もそうだったはずだけれど、そのことを聞かされた覚えはなかった。 ふと気づく。去年の今頃は、私とつかさが初めてこなたの家にいった頃だ。こなたのアルバムを 漁って、そこに写ったこなたそっくりのかなたさんに驚いて、あれこれと訊いたあの頃。 お墓参りの後だったのかな、前だったのかな。 こなたはどんな思いであの会話をしていたのだろう。 それを思うと、引いた涙が少しだけ戻ってきた。 「――かがみ? 聞いてる?」 「ん、ちゃんと聞いてるよ」 去年までは二人でいっていたけれど、今年はゆたかちゃんがいる。かなたさんはゆたかちゃんに とっても伯母であるし、一人で残していく理由もあまりないしということで、三人で行く予定だった そうだけれど。 今日になって、ゆたかちゃんが風邪で熱を出してしまった、と。そういうことらしかった。 どうしても今週じゃないといけないというわけでもないから、来週にしようかという話もでたよう だったけれど、ゆたかちゃんは頑として聞き入れなかったらしい。居候の身ということもあって、 ゆたかちゃんも自分の身体のことについて色々と思うところもあるのだろう。そのプライドは 好ましく思えるものだった。 家に残されたゆたかちゃんのことは、みなみちゃんが泊まりで来てくれるそうだから心配はない としても、どちらにしても一人分のチケットが余る。 時期的に予約じゃなくてもう買ってしまっていたし、宿も予約が入っているしで、やっぱり少し 勿体ないねという話をしていたところ、“じゃあ誰か他の人誘おうか”と。 「そ、それでなんで私?」 嬉しいけど。それは凄く嬉しいけど。他に誘うのだったらそれこそ血縁のゆいさんとか、 名前は忘れたけれど、そのお母さんとかがいるように思えた。 「や、でもゆい姉さんは…………。あ、ほら、ゆーちゃんのことみてもらわないとだし」 ――今の間は。 今の間は、なんだ。 確かにこなたの云うように、ゆいさんなら真っ先にゆたかちゃんの心配をするだろう。 みなみちゃんだって、あまり知らない家で一人きりでは困るだろうし。それは誰もが納得する ゆいさんが行かない理由だ。では、こなたは最初何を云おうとしたのか。 それが少しだけ気になったけれど、詮索するのはやめにした。こなたが隠したなら隠したなりの 理由があるのだろうし、今の私には、こなたとそのお母さんのことを考えることですでに手一杯なのだ。 「で、ゆきおばさんは……。まあ、色々あってね? それにほら、みんなお盆には帰ってるしね」 「そ、そっか」 なんだか色々とやぶ蛇だったようだ。 人が生きていくうちには色々と軋轢もあるのだろう。たとえ親族であっても。いや、きっと 親族だからこそ生まれる確執もあるのだ。 「――で。ど、どかな?」 改めて問いかけてくるこなたの言葉に、改めて悩んだ。 どうしよう。 どうしたらいいのだろう。 本来真っ先に考慮しないといけないはずの、受験勉強の山場であるこんな時期に休日を 潰していいのかという考えは、思い浮かびもしなかった。大体休日の一日や二日潰れたぐらいで 受験失敗するような学力なら、そもそもそんな学校に入学する資格なんてないのだ。 それよりなにより、友達の家族というかルーツというか、そういう深い部分の話だったから。 慶応じゃなくても法律の勉強はできるけど、その友達は一人しかいない。たとえばこれが こなたじゃなくて、みゆきやあやのやみさおだったとしても、受験勉強と天秤にかけるようなことは 考えなかっただろう。 悩んでいるのはその部分ではなくて。 ――こなたと同じ部屋に泊って、私は大丈夫なのかという。 そんな、聞きようによっては喜劇としか思えないようなことを、私は真剣に悩んでいる のだった。 こなたと触れあうだけで反射的に感じてしまう劣情を抑えこむことには慣れてきた。けれどそれは、 ただ切なさに張り裂けそうになる痛みを抱えながら、なんでもないような振りをすることに慣れただけ。 決して痛みを感じなくなったわけじゃない。 そんな私がこなたの香りに包まれて、こなたと同じ部屋でたった二人過ごして、こなたと枕を並べて 寝て、こなたの寝顔をのぞき込んで、平静でいられるはずもない。事実、何もそうする必要もないのに、 妄想の中ではのぞき込んでしまっている。 虎穴に入らずんば虎児を得ずとは云うけれど、私は何も虎児が欲しいわけではないのだ。 うかつに虎穴に入り込んだせいで、何十匹もの虎児に甘えてすり寄られてはたまったものではない。 つい、虎の格好をしたちびこなたが大量にすりよってくる光景を想像した私は、お風呂上がりで 脳までのぼせていたに違いなかった。 「かがみ? 呼吸荒いけど……本当に風邪とかじゃないよね?」 「ち、ちちち違うわよ!」 「ならいいけど……変なかがみ?」 全く否定はできなかった。 「うん、でも、まあ……行かせてもらおうかな」 悩んだ末に、結局そう云った。 いくら迷っても、結局のところ最後には最初にぴんときた選択を取る物だ。私が最初に感じたことは “あ、行きたい”というものだったから、どうせ私は行くのだろうと思ったのだった。 ならばその間の悩みは全く無意味なものなのかと云えばそうとも云えなくて、現状を追認するのに 必要なステップなのだとも思う。 こなたのことを、もっと知りたいと思った。 今のこなたも、昔のこなたも、産まれる前のこなたですらも。 泉家の実家には、きっとそんなこなたの痕跡が沢山あるはずだ。しかも、こなたの方からそれを 知って欲しいと招待してくれたのだから。なにはなくとも、それが一番嬉しかった。 「ほ、ほんとー!! やったー!! ありがとうかがみ様!」 その手放しの喜びように、つい私も嬉しくなってしまった。 考えてみれば別に私がいかなくても運賃が一人分無駄になるだけで、なんのデメリットもない。 それどころかチケットや宿代以外の分では負担になるわけだから、いったところでメリットも ないのだ。だから、これは純粋に私に来て欲しいと云っているようなものだと。そう理解できたから。 「じゃ、土曜の12時40分に動物公園の改札でよろー!」 「あいよー……って、土曜? あれ? え? 今週末だっけ?」 「うん」 「……って、明後日じゃん!」 「日付回ったから明日だね」 「ちょっ、マジかっ! か、考えさせて!」 「だが断る」 「えー!」 「この泉こなたが最も好きな事のひとつは、柊かがみが慌てふためくさまをみて楽しむことだッ!」 「ネタがわかんねぇよ!」 ――結局、押し切られてしまった。 ケータイを切りながら、おかしいな、どうしてこんなことになったのだろうと呟いた。そしてその 言葉は、その後何度となく頭に思い浮かぶことになるのだった。 とりあえずつかさに相談しよう。 お風呂も上がって、もう部屋に戻っているはずだった。ちょっと前に階段を上ってくる音が していた。 声をかけてから部屋に入ると、つかさはすでに机に向かっていた。時間を惜しむように 髪の毛は濡れっぱなしのままで、肩掛けと膝掛けで身体を冷やさないようにしている。 半年くらい前なら、この時間帯ならもう寝る寸前だったはずだけれど、さすがにこのところは 遅くまで起きて頑張っている。元々は調理師志望だったつかさだけれど、専門学校ならいつでも 入れるからと、とりあえず大学にいって栄養学を学ぼうと決めたのだった。誰の手助けもなく、 ただ自分の意志で、そう決めたのだ。 「つかさ、頑張ってるのはいいけど、髪の毛濡れっぱなしじゃない。もう寒いんだから、風邪 引いちゃうよ」 「あ、うん、えっと、えへへ」 飲み込んだ言葉はきっと、“音でお姉ちゃんの気をちらさないように”というものだっただろう。 ごうごうと音の出るドライヤーをつかさの髪に当てながら、ふとそれに気がついた。 私の髪より細くてこしがあって柔らかい。 そんなつかさの髪に触るのは好きだ。 卓上の鏡をみると、つかさも気持ちよさそうに目を閉じている。 どれだけ忙しくても、どれだけ焦っていても、こんな時間を大切にしたいと思った。 「ありがとう。あ、何か用事あったんじゃなかったの?」 「あ、そうなのよ。ちょっと聞いてよ」 こなたの実家に一緒についていくと報告したら、つかさは開口一番「だいじょうぶなの?」と 真剣な顔で訊いてきた。 「なにがよ」 「なにがって……その、色々……だよ」 なぜそこで顔を赤らめる、妹よ。 反駁しようと口を開いた途端、私の部屋でケータイが鳴りだした。 「ああ、ごめん」 そう云って部屋に戻ってケータイをみると、みゆきからだった。 「今こなたさんから伺ったのですが、かがみさん、だいじょうぶなのですか?」 出た途端、みゆきはつかさと同じことを云いだした。 「なにがよ」 「なにがと申しますと……その……色々と、はい……」 なぜそこで云い淀む、親友よ。 よっぽど信用がないのか、よっぽど心配されているのか。できれば後者だと思いたい。 これだけ心配されてしまうと、あまのじゃくな私としては、意地でも大過なく楽しんできてやろうと 思ってしまう。 ――それももしかしたら、二人にいいように乗せられているのかもしれなかったけれど。 §5 北陸本線美河駅から降り立てば、途端に潮の香りが漂ってくる。ああ、海辺の町なんだと思った。 電車に揺られていたときから日本海はちらちらと目に入っていたけれど、見るのと嗅ぐのでは 実感が段違いだった。 ざ、ざーと潮騒の音が聞こえる。 小松から五駅離れたこの美河町は、どこにでもある地方の町という様子の佇まいをしていて、 なんとなく鷹宮町とも似ていると思った。けれどきっとこの町が栄えているのは、傍らを流れる 手鳥川によってできた水利によるものなのだろう。川が日本海に注ぎこむ湾には小振りの漁港が できていて、今しも漁から帰ってきたとおぼしき漁船が、そっと港に滑り込んでくるところだった。 北陸本線の路線沿いには、延々と畑が広がっていた。地平線まで敷き詰められた畑の中、 ところどころに近代的な建売住宅の集落が現れる。そのありさまは、まるで海原にぽつぽつと浮かぶ 島のようにもみえた。 そしてこの町は、本物の海に囲まれてその波間に揺れている。 近代的な駅ビルも、綺麗ではあるけれど不思議と活気というものが感じられなくて、人はいるのに 閑散とした雰囲気を漂わせていた。はしゃぎながら切符を買っている子供達の笑い声も、鈍色の空に 吸い込まれてたちまち消えていく。寂れているというわけではなく、鄙びているというでもなく、ただ ひっそりとしている。そんな風に思った。 波間に浮かぶ箱船のような地方都市。 ここで、こなたの両親は大人になったのだ。 「寂しいところだよな」 そのそうじろうさんが笑いながら云った。 「いえ、そんなことないですよ。鷹宮や倖手とあまり変わらないと思います」 「うん、建物の数や街並だけみればそうだろうけど……人がな。息を潜めて身を寄せ合っている みたいだろう?」 その云い方にどきりとした。さっき感じたことをぴたりと言い当てられた気分だった。 「子供の頃は凄く厭だったな。ここがどんづまりな気がしてな。まるで今にも日本海に滑り落ちて 消えてしまいそうに思えた」 しみじみという小父さんは、かなたさんとのことでも思い出しているのだろうか、すっと遠い目をした。 潮騒の音が強くなったように思えた。 「かがみー! おとうさーん! なにしてんの、タクシーきたよー!」 タクシー乗り場で車を捕まえたこなたが、ぶんぶんと手を振り回しながら叫んでいる。 「おう、ごくろうさん」 途端に普段通りの優しげな顔にもどった小父さんについていって、タクシーに乗り込んだ。 私は当然後部座席で、勿論隣にはにこにこと笑ったこなたがちょこんと座っている。 こなたは、通り過ぎる街並のランドマークを一々説明しては、身を乗り出して指さしていった。 当然腕とか脚とか胸とかがちらほらと私に当たる。遠足に来た子供みたいに落ち着きがなかった。 どうして、こんなことになったのだろう。 必死に自制しながらそう思う。 タクシーのエンジン音がしているというのに。 なぜか潮騒が耳にこびりついて離れなかった。 少し町の中心から離れた丘の中程に建つ、四階建ての建物が今夜の宿だった。鉄筋コンクリートの きちんとした作りのビルで、前面がスモークのガラス張りになっている。建物の裏手の崖は、鬱蒼とした 雑木林が伸びるがまま放置されていて、その下はすでに海だった。 チェックインして入った部屋は、ビジネスホテルらしいシンプルな内装のダブルルームで、 ただ壁際に置かれた二つのベッドのみが存在感を主張していた。 「あ、ほら、みてよこの部屋」 「おお!」 こなたが壁にかかったカーテンを勢いよく引くと、途端に海が飛び込んできて驚いた。 壁の一面は大きな窓でしめられていて、視界の全てが海だった。窓際にたって下を見下ろせば 地面が視界に入るけれど、ベッドから眺めるとまるで海上に浮かんでいるように思える。 「こりゃ絶景だな」 「でしょー。いつもこの部屋とるんだよね。でも今年はお父さんだけ仲間はずれ」 隣のベッドに座り、脚をぶらぶらさせてニシシと笑う。 今日のこなたはずっとハイテンションなのだと思っていた。でも実はそうではないのだと、 そのとき私は気がついた。 ハイテンションなのではない。ただ子供っぽいのだ。 いつもの飄々とした態度はなりを潜めて、その中に隠されていた無邪気でやかましい、 子供のこなたが顔を出している。 それはもしかして、実家に戻ってきたからなのかもしれないと思った。ここではこなたは 泉家を支える主婦としてではなく、ただの孫や姪や従姉妹でいられるから。 普段のこなたは、きっと甘えようとしても誰にも甘えられずにいるに違いない。泉家は 長らく小父さんとこなたの二人だけだった。甘え合うのではなく支え合っていかなければ、 この世の中を渡っていけなかったのだろう。こなたがたまに際限なくスキンシップを求めてくる のも、きっと――いや、やめよう。 こなたの気持ちを勝手に推測して、わかったような気持ちになるのはやめよう。それはきっと、 今ここにいるこなたに対して失礼なことだと思うから。 「うーん、nice boat.」 西日に照らされた海に浮かぶクルーザーを指さして、こなたがつぶやいた。太陽はすでに 水平線に掛かっていて、断末魔の赤い色で海原を染め上げて沈もうとしている。 「はいはい、中に誰もいないわよ」 「あ、見たい?」 「なにがよ」 「私の中」 「ちょっ! おまっ! 悪趣味にもほどがあるわ!」 想像したら、なんだかわからないことになった。 海鳥が翼を拡げて滑空する。上昇気流を捕まえたのか、そのままはばたきもせずに上昇して、 窓のフレームから消えていった。 海の上に浮かんで、こなたと二人きりの部屋は心地が良かった。 電気も点けず、少しづつ暗くなっていく部屋で、輝き渡る海を二人で見ていた。 くっつきすぎず、離れすぎず、隣り合ったベッドに腰を下ろして、どうでもいい会話をたまに 交わしながら、ただ海をみていた。 潮騒は続いている。 こなたも小父さんも、この町に住む皆も、この音が気にならないのだろうか。通奏低音のように 常に聞こえてくる潮騒が。 「――かがみ」 「なぁに?」 「やっぱり、こなきゃよかったって思ってる?」 「んー、そうは思わないけど……場違いなんじゃないかって心配なのよね」 「でも私だってこの町で産まれたわけじゃないし、あんま変わんないよ?」 「そんなことないだろ。あんたの実家はここなんだから。これから会う人たちだって、みんな 泉家の人じゃないの」 そう、この町は小父さんの産まれ育った町で。 だから帰郷したこなたたちは実家の親族と会うのだ。小父さんが暮らしていた家には今、 小父さんのお兄さんの一家と、そしてお父さんが暮らしているらしい。お母さんはすでに 亡くなっているとのことだった。 そしてもちろん私も、その席に同席するのだった。 「――泉家かぁ。なんかぴんとこないや。泉家っていったら、ずっと私とお父さんの二人のこと だと思ってたから。こっちにくるようになったのも中学校に上がったころからだし」 そう云ってぽふんとベッドに寝転がる。 腰をひねったままこちらを向いて、真剣な顔で私のことをみつめている。 「かがみ、あのさ」 「なによ?」 「こ――」 云いかけたところで、がちゃりとドアが開いた。 「二人とも、兄貴きたからそろそろ出るぞー」 そう云ったそうじろうさんの顔に、こなたが投げた枕がジャストミートする。 「ノックくらいしてよ! かがみがいるんだから!」 こ――何だろう。 気にはなったけれど、改めて問い返す機会もなかったので、結局それはうやむやになった。 ざっくりした荒目のセーターにブルゾン。黒縁眼鏡に、七三に撫で上げた髪は油を塗られて 光っている。そして無地のスラックス。 どこからみても、休日のお父さんという装いだ。 「初めまして、かがみ君だね。そうじろうの兄のそうたろうです」 そういって爽やかに笑う小父さんは、今にも握手を求めて手を差し出すか、胸ポケットから 名刺を差し出してきそうなほど社会人らしい社会人だった。 「初めまして、柊かがみです。こなたにはいつもお世話になっています」 大人向けの優等生スマイルを浮かべてそう云ったとき、隣で盛大に吹き出す音がした。 「ぷぇっ! お世話になってるって、何その社交辞令120%!」 「う、うっさいな! 茶化すなよ!」 「むふー。無理しないで、いつもみたいに“迷惑ばかりかけられてます、謝罪と賠償を請求するニダ” って云っていいんだよ?」 「そんなこと一度たりとも云ったことねぇよ!」 こなたの親族に少しでもいい印象を与えようと思ったのに、一瞬にして全て台無しになってしまった。 「ふふっ、聞いていた通りだね」 ころころと楽しそうに笑うそうたろうさんだった。 一体誰からどのように聞いていたのだろう。少し、いや凄く気になったけれど、きっと聞かぬが華と いうものなのかもしれない。 「夫婦漫才をみてるみたいだろ。もういっそ結婚すればいいって、いつも思うんだよな」 そうじろうさん、それは親としてどうかと思う。 なんだかいきなり疲れた。この先ずっとこうなのかと思うと、少しだけ不安だった。小さく ため息をついた私をよそに、こなたと伯父さんは楽しそうに話している。 「こなたちゃんも大きくなったなー。前はこんな小さかったのに」 そういってこなたの身長と同じ高さに手を置いている。 「またそのネタですか! どうせ私は伸びませんよ!」 こなたがふざけて出した正拳突きを笑いながら受け止めて、小父さんはこちらを向いて云った。 「かがみ君は、慶応志望なんだって?」 「あ、はい。そうなんです。学力的にはぎりぎりなんですけど」 「そうかそうか。是非頑張ってください。受かったら僕の後輩です」 もう陽は大半が没しているのに、きらりと眼鏡が光った気がした。 泉家へ向かう車中では、大学のことを色々と聞くことができた。小父さんが通っていた頃とは 随分事情も違うだろうけれど、それでも実際に通っていた人から聞く話は色々と参考になることが 多かった。 やがて陽も完全に没して、町が宵闇に包まれた頃、泉家に到着した。 年期が入った平屋の建物だった。何度かリフォームされている跡はみられたけれど、全体的に やはりどこか古びた印象を受ける。敷地面積はこの辺りの家に比べても広く、けれどその大半は 手入れのされていない雑木林だ。庭のガレージは随分大きくて、車が二.三台収まっているとしても まだ余地があるくらいだろう。 「車入れてくるから、中入っててよ」 そう云ってガレージにむかったそうたろうさんを後にして玄関に向かった。 こなたが呼び鈴を押すと「はーい」という子供っぽい声が聞こえてくる。ぱたぱたと跫音がしたあと、 ガラリと引き戸が開いた。 戸を開けたのは、藍鼠色の長髪を後ろで縛った小学校低学年くらいの女の子と、高学年くらいの 男の子だった。 「こなたねえちゃんだー」「ちゃんだー」 兄妹とおぼしき二人は、口々にそう云ってこなたに駆け寄った。 「久しぶり、すぐる君にゆみちゃん」 微笑むこなたは、ゆたかちゃんに見せるようなお姉さんの顔をしている。 「ねえちゃん、モンハンもってきた? 祖龍倒すの手伝ってよ。ゆみがすぐ三死して倒せないんだよー」 「ぬおっ、会った端からそれですかっ」 「むー。あんな雷避けられるわけないよぉ」 腕をひっぱるすぐる君とぷーと頬を膨らませるゆみちゃんを前にして、こなたはしめしめという 表情で目を細めて笑っていた。 「うむうむ、二人とも順調に育っているようだね、こりゃ将来が楽しみだー」 「こなたちゃん、遊んでくれるのは嬉しいけど、あんまりディープな世界に連れ込まないでくれる?」 後から現れた短髪の女性がからからと笑った。大柄だけれど太っているという感じはしない、 たくましい印象の人だった。兄妹と同じ藍鼠色の髪をしているところをみると、この人がそうたろうさんの 奥さんのなつこさんだろう。 「おかえりなさい、二人とも。それといらっしゃい、かがみちゃん」 声をそろえて「ただいま」というこなたとそうじろうさんに遅れて、私は「お邪魔します」と返事をした。 廊下の先から相好を崩した好々爺という雰囲気のおじいさんが歩いてくるのがみえる。 足取りはしっかりとしていて、未だかくしゃくとした感じだった。あれがきっとくにおさんだ。 ガレージに車をおいてきたそうたろうさんが戻ってくる。これで泉家は全員のはずだった。 一人だけ名字の違う私は、その同じ名字を持つ集団を眺めながら、朝から何度も繰りかえして きた言葉を頭の中で呟いた。 ――どうして、こんなことになったのだろう。 潮騒の音は未だ続いていた。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 『4seasons』 秋/静かの海(第四話)へ続く コメントフォーム 名前 コメント 少し勝手&ハイパー今更ながら、かたなさん→かなたさんの修正を行いました。 読んでいて少し引っかかったので… -- 名無しさん (2024-09-17 17 03 38) 少しは手加減してよ! じゃないと書き手側のおれは吊ってくる寸前だよ! ……orz -- 名無しさん (2008-02-24 04 01 23) こなたとかがみをもっと幸せにしてあげてください。お願いします。うん。 -- 名無しさん (2008-02-24 01 47 52) ……ぐはっ…今の気持ちを上手く語源化できない自分に腹が立つ… とりま今までで一番GJ!!!!いつまでも読み続けていたい!! -- 名無しさん (2008-02-24 00 21 35) イヤッホォォォオオ! オリジキャラに違和感がないぜ! 綺麗な文章で人物の描写が上手くて、良いな、うん。 -- 名無しさん (2008-02-23 21 11 39)
https://w.atwiki.jp/kairakunoza/pages/1694.html
『4seasons』 夏/窓枠の花(第五話)より続く ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― §プロローグ ――私たちは、海のような関係だと思う。 ※ ※ ※ スターターが右手を高々と挙げると、競技場に緊張感が走った。 両手を突き、ぐっと腰を上げて前方を見つめる選手達。それぞれに少しずつフォームは 違えど、ゴールを見据える眼差しの強さは皆同じだった。 ターン、と乾いた音が高い空に吸い込まれれば、皆一様に走り出す。 スタートのタイミングはばらばらで、その瞬間すでに勝敗の何割かはついてしまっている。 高く腿を上げ、振り子のように正確に腕を振る。そのかもしかのような脚に、引き締まった腕に、 余分な肉のそぎ落とされた身体の線に、のびやかな力強さがみなぎっていた。 その有様が、美しいと思った。 ただ自分の身体を動かすことだけを追求して、ただ自分の肌だけで世界と触れあって。 余分なこと――自意識とか、自分らしさとか、思想とか――そういうものを全部とっぱらって、 ただ最小の自分、肉体を持つ動物としての自分であるということ。 そんな人間のありようが、美しいと思った。 見とれているうちにも、団子状態だった集団から飛び出してくる者がいる。 ココア色の髪、胡桃色の瞳。 いつもの満ち足りたようにだらけきったあいつからは想像もできない精悍な顔付きで、 ただゴールのみを見据えていた。 みるみるうちに二位以下を引き離して、日下部みさおはトップでゴールテープを切った。 「やったな! 決勝進出おめでとう!」 「おう! あんがとなひいらぎぃー」 「ふふ、でもまだあんまり褒めないであげてね。これからが本番なのに、みさちゃん気を 抜いちゃったら大変」 「あー、そっか。さすがマネージャーはよくわかってるわね」 「へ? 別にあやのは陸上部のマネージャーじゃねぇぞ?」 「誰も陸上部のマネージャーなんて云ってないだろ。あんた専属のマネージャーって意味だ」 呆れたように私が云うと、日下部は我が意を得たりと目を輝かせて云った。 「ああ、そっかもな。いっつも栄養とかマッサージとかうるせぇんだあやの」 「うるせぇんだ、じゃないでしょ。本当は自分で管理しないと駄目なんだよ。放っとくと みさちゃんお肉ばっかだし、家帰って身体もほぐさないですぐ寝ちゃうから、私が仕方なく 口出してるんじゃない」 「……な?」 「な? じゃないだろ。なんで得意気なんだよ。ちゃんと感謝しろよ」 まったくこいつは昔から変わらない。私が呆れたようにため息を吐くと、日下部は憮然とした 表情で口を尖らせた。 もう十月が始まろうかという時期だった。 少しづつ暑さも和らいで、涼しく肌を撫でる風に、心地よさと夏の終わりを感じるこんな季節、 千葉県の陸上競技場に私たちはいた。国体へ出場する日下部の応援だった。 今年の国体は千葉開催で、ちょっと脚を伸ばすだけでこれるところだったから、峰岸に 誘われた私は一も二もなくうなずいた。日々机に齧りついてひたすら知識を頭につめこむ 受験勉強に飽き気味だったので、気分転換にちょうどいいと思ったのだ。 日下部が、三年生が出場するには微妙な時期の国体に参加したのには訳がある。夏の インターハイで六位入賞を果たした日下部には、大学からのスカウトがあったのだ。けれど、 着々と記録を伸ばしていたとは云え、高校から陸上を始めた日下部は、まだ全国で余り名を 残していなかった。だから、インターハイでの成績がフロックではないことを証明する必要があり、 その場がこの国体なのだ。 条件としてはあまり良いとは云えないだろう。 受験で入ろうとするなら、少しでも早く勉強を始めないといけない。だから三年生が秋の 大会に出るのはそれだけで冒険だ。もし良い成績を残せなくて推薦入学がとれなかったら、 大きく遠回りをすることになってしまう。それに、日下部に課せられた条件はただ決勝に 進出すればいいというものではなく、メダルを取れというものだった。 厳しいと思う。 そう思うのだけれど、きっと日下部は悩む暇もなく即答したのだろう。それは、この話を 私に告げたときの峰岸の苦笑からも伺いしれた。 それを、素直に羨ましいと思った。 そんな風に簡単に、自分の未来のことを決められる日下部が。それを笑って受け入れて、 なお献身的に面倒を見られる峰岸が。そんな二人の関係が、少しだけ羨ましかった。 「――それにしても」 「ふみゅ?」 私のつぶやきに、幸せそうにイチゴホイップのサンドイッチにぱくついていた日下部が、 不思議そうな目でこちらを見る。 「その専属栄養士が、試合前にこんなに選手に食べさせていいのか?」 峰岸の持参したバスケットには、サンドイッチがぎっしり詰められていた。具もさまざまで、 ハムサンドやらカツサンドやらの重いものから、デザート系のピーナッツクリームやら イチゴホイップやら盛りだくさんだった。 「あ、いいのいいの。みさちゃん鉄の胃袋だから。おなかいっぱいになれないと機嫌悪いんだ」 「ほふ、ふみゃほんはふほうはえ!」 「飲み込んでからしゃべれよ!」 ――本当にもう、なんで私の周りはこんな奴ばっかなんだ。 ふと、青い髪がちらつく。 いつでも頭から離れない、私の“こんな奴” 無軌道なネズミ花火みたいにはね回って、片時も目を離せないあいつ。 一日会えないだけで、ふと思い出すだけで、今でもこんなに切なくなる、私の大切なあいつ。 「――らぎぃ?」 日下部の声に、どこかあっちの世界に飛びかけていた私の意識が戻ってくる。 「あ、ごめん、ぼーっとしてた、なんだ?」 「いや、あのさ……今日は来てくれてあんがとな?」 珍しく神妙な顔をして殊勝なことを云う日下部だった。 「な、なんだよ急に……」 急にそんなことを云われるとは思わなくて、妙に照れくさかった。 「や、ひいらぎってあんま私の試合とか見に来てくんなかったしなぁ。正直こんな時期に来て くれるなんて思わなかったぜ」 「……う、まあ、ね。その、あんたとは長い付き合いなのに、なんかさ。妙に仲良くなる 切っ掛けが掴めなかったっていうか、その……」 「おお?」 「柊ちゃん?」 峰岸まできょとんとした顔で私をみつめている。五年来の友人にそんな目で見られる自分が、 なんだか情けなくなってきた。私ってそんなに薄情なことばかりしてきたのだろうか。ふと不安に なって、今まで自分がしてきたことを思い出してみる。 体力測定のとき、途中で峰岸と日下部をほっぽってこなたとつかさと話してた。 昼休みはほとんどこなたとつかさがいる教室で過ごしていた。 合同授業があると大抵B組に混ざっていた。 修学旅行、自由行動はずっとこなたの班だった。 ――してきたな。 あらためて思い返すに、冷や汗が出る思いだった。 「あのさ?」 「うん?」 なんだか真剣な表情をして、日下部が問いかける。 ――こいつも、スポーツをしているとき以外でもこんな真剣な表情ができるんだ。初めて見た その大人びた表情に、少しだけ戸惑った。 変わってない変わってないと思っていても、こいつも、峰岸も、私も、もうあの頃とは違うんだ。 改めてそれに気づく。 「柊たち、なんかあった?」 「みさちゃん!」 慌てたように云う峰岸の様子からすると、以前から二人の間で話題にのぼっていたことなのだろう。 「……私たち、って?」 「とぼけんなよ、ちびっこと愉快な仲間達のことだろ。夏休み明けから、なんかちょっと違う感じするぜ? でもなんか、喧嘩してるって感じでもないんだよな」 ああ、ばればれなんだな。 小さく笑う。 風が吹いて私の髪を揺らした。 「何も、ないよ」 そう、何もない。私たちの間で、何事もおきなかった。 ただ、ちょっと。 ただ少し、みんなが大人になっただけ。 「――ふーん? そっかぁ」 ぱんぱんとパン屑を振り払って、日下部は立ち上がる。 腕を頭の上で組んで、大きく伸びをした。 「ま、いいけどよ。お前らのことだかんな。ただちょっと気になってさ」 背中を向けて、晴れ上がった青空を見上げながら日下部が云う。 その後ろで、峰岸が私に笑いかけていた。ごめんとか、困ったとか、でも少し寂しいとか。 峰岸の笑顔にはいつも色んな意味があって、そんな表情一つで奥ゆかしく他人に感情を 伝えようとする峰岸が、私は昔から好きだった。 日下部だってそうだ。前向きで、一生懸命で、大らかで。中学時代も、女だてらに野球部を ひっぱっている日下部を見ていて、ガリ勉だった私はいつでも眩しく感じていた。 「そろそろ時間かな?」 「んあ、そだな。んじゃ行ってくるわ」 私に背中を向けたまま手を振って、日下部はトラックに向かおうとする。 これでいいのだろうか。いや、よくないと思う。これではなんのためにここまで応援に きたのかよくわからない。云えなかった言葉を伝えるのは、今しかないと思った。 だから私はその背中に向けて声をかけた。 「あ、あのさ!」 「ん?」 首だけを回して、ちらりと私をみる日下部に云った。 「その、がんばれよ……み、みさお!」 これは予想外に恥ずかしい。五年来つきあってきて今更呼び方を変えることがこんなに 恥ずかしいとは思わなかった。いや、きっとこんなことで顔を赤らめるなんて、自意識過剰な 私くらいなんだろう。他の人はもっと自然で素直に呼び合えるに違いない。 みさおは、驚いたように目を丸くしたあと、お陽様みたいに笑って云った。 「おう、あんがとな、かがみ!」 ――みさおは、二位でゴールテープを切った。 お祝いを云おうとして控え室に行った私は、そこで異様な光景を目にすることになった。 身も張り裂けんばかりに泣きじゃくるみさお。奥のベンチに横たわって、何も目に入らない 様子で号泣している。 部員もマネージャーも、すでに慣れている風で遠巻きに様子をうかがっているだけだった。 「かがみちゃん」 その専属マネージャーであるところのあやのが、私に気づいて声をかけてくる。 「ど、どうしたのよみさお。怪我でもしたのか?」 「ううん、みさちゃんいつもああなんだ。負けたときはね」 「……負けた?」 あやののその言葉に、私は驚いた。 そうか、みさおは負けたのか。 国体で二位。見事大学推薦を獲得。 私は、勝ちだと思った。だからお祝いの言葉を用意してこの部屋に入ってきたのだけれど。 でも、一位以外は全て負けなのだ。 少なくともみさおにとっては。 私はそこで、スポーツの世界のシビアな現実を思い知った。 トップ中のトップ以外は常に負けの世界。個性とか役職とか技能とか、そんなものは全て 無意味になる世界。一番早いとか、一番強いとか、一番上手いとか、そんな人以外は全て 負けになる。そういう世界で、アスリートは生きているのだ。 ただその身体一つで、ただその最小の自分である肉体のみでこの世界と渡り合って。 みさおが飛び込んだのは、そんな海なのだ。 茫漠として、行き先も知れず、島影も他の船も見あたらない。 天と海、二つの青に挟まれて、ただ水平線のみが見える海。 そんな海を、みさおはその身体一つで泳ぎきろうというのだ。 強い。 全身全霊を篭めて泣きじゃくるみさおを見て、そう思った。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 4 s e a s o n s 秋 / 静 か の 海 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― §1 黄昏時の陽射しはひたすらにオレンジ色で、真横から差し込むその光に青い影がどこまでも 長く伸びていた。 駿台模試の帰り道、ポプラ並木を私たちは歩いていた。菱形をした枯れ葉が風が吹く度 舞い落ちて、髪に肩に降り掛かる。 地面に落ちた私たちの影が、何かの奇怪な生物のように動き回っている。それを作って いるのが私たちのこんなに小さな身体だなんて、なんだか信じられない。私たちの小さな 動き一つで、風に髪の毛がなびくだけで、影たちはまるでそこに深い意味があるかのように 秘密の舞踏を踊るのだ。 十月は黄昏の国。 そんなフレーズが突然頭の中に蘇る。 これはなんの言葉だったっけ? 詩かなにかだろうか。 少しだけ考えて思い至る。たしかお父さんの蔵書にあった本のタイトルだ。SFの棚にあった ものだけれど、そのSFっぽくないタイトルが不思議と気になっていた。 「まあ、日下部さん、そんなに悔しがっていらしたんですか」 「うん。まあ、次の日からは得意顔で自慢しまくってたけどな。なんか、スポーツ選手とかって 華やかに見えるけど、やっぱり凄い辛い世界なんだなぁって思ったわけよ」 「そうですね。きっとどんな人生を選んでも、それなりに辛いことが待っているのでしょうね」 みゆきのそんな言葉に、思わず笑みがこぼれてしまった。 まるで私に云い聞かせているように聞こえたからだ。 みゆきはそんな風に遠回しに匂わすようなことは云わないから、きっと私の自意識過剰 なんだと思うけど。 そんなことを考えていたとき、後ろから伸びた手がしゅるりと私のリボンをほどいていった。 「あ、こら! なにすんだよ!」 途端にばさりと肩におち、夕暮れの風に踊り出した髪の毛を抑えながら、こなたに怒鳴り つける。 「へっへー、かがみんの萌え要素もーらい!」 「はあ?」 首を傾げて問いかける私の前で、こなたはいそいそとその長髪をツインテールに結んでいく。 みると、頭の上でちょこんとつかさのリボンが結ばれている。 「こなちゃん、まってよー」 こなたと後ろを歩いていたはずのつかさが、慌てておいかけてくる。どうやらつかさも トレードマークのリボンを奪われているようだった。 「いや、ね、みんなのトレードマークな萌え要素を一人に集めたら凄いかなって思ったのだよ」 「思うなよ、ってか変だろそれ」 頭の上にリボン。その両脇にもリボン。やたらとリボンが結ばれたその髪型は、なんだか 冠でも被っているように見える。なんというか“弥生時代の巫女の想像図”みたいな感じに なっていた。 「や、でもまだ完成じゃないから。ってわけで失礼、みゆき!」 「はうっ。こなたさん何するんですかー」 あたふたとしているみゆきに襲いかかって、その眼鏡を強奪するこなただった。 「……おい、完成したら余計に変だろ」 私の突っ込みを無視して、“ぢゅわっ”なんて掛け声を発しながら、こなたは眼鏡を掛ける。 「お、おおおお? こ、これは、世界が回る~」 度の強い眼鏡に目を回してふらふらと踊り出したこなたが面白くて、お腹を抱えて笑った。 同じように爆笑しているつかさの横で、みゆきが「なにも見えません~」と寂しそうに呟いた。 そんな私たちの影は、複雑にもつれ合いながら奇妙な紋様を描き出していて、楽しそうに 笑う女子高生たちとは似ても似つかないものだった。 ――私たちは、いつのまにか随分嘘が上手くなった。 恋心をどこまでも隠して、私は上手く笑えるようになった。 劣情を何重にも覆って、気軽に触れあえるようになった。 その度に心のどこかが張り裂けそうになるけれど、そんな痛みこそ自分が自分である証なの だと、そう思えるようになった。 それはきっとみゆきもつかさも、そして多分こなただってそうなのだ。 つかさもみゆきも、私がこなたのことを好きだと云うことを知っていて、それをおくびにも 出さずに振る舞った。 知っていることを知られているとわかっていてなお、何も知らないふりをして。 それは小さな小さな嘘だった。そして、みんながそんな嘘を抱えながら、笑い合っている のだ。作り物めいた、本心を隠した、ごまかしで云った言葉と知りながら、それでもそれを伝え合う ことで嬉しくなり、暖かくなり、心から笑い合うことができる。 それがきっと、大人になるということなのだと思う。 なんの隠し事もなく、開けっぴろげな心で触れあえたらそれはきっと素敵なことなのだろう けれど。きっと人間は生きていくうちに色々なしがらみを得て、譲れない思いを抱いて、密やかな 秘密を抱えて、そうして一人一人違っていくものだろうから。だからそう、誰にも話せないこと、 誰にもみせられない部分を持ちながらそれでも親友であり続けることは、特別珍しいことでも ないのだろう。 そう、私たちにはただそれが急に訪れたというだけのこと。 あの夏が過ぎて。 私たちは、否応なく大人になってしまったのだ。 私だけじゃない。皆が皆、少しずつ変わっていってしまった。 つかさは、随分と綺麗になった。 その表情や佇まいや、まなざしが。時々見知らぬ人に見えてはっとすることがある。優しい 部分や穏やかなところがなくなったわけじゃない。でもその裏に何か一本通った芯の強さが 伺えるようになって、つかさは一人で輝きだした。 そんなつかさを見るにつけ、妹を守っているつもりだった今までの私は、なんて見当違いを していたのだろうかと自嘲する。守っているつもりが、ずっとそれを支えにしていたのは自分の 方だったのだ。今、私という覆いを外されて、つかさは眩しいくらいに輝いている。 羽化した蝶のように、雲間から差し込む太陽のように。 そんなつかさを見る度に、誇らしい思いで一杯になる。 きっとこの優しさは、子供の頃に手折られていたら簡単に失われていたものだと思うのだ。 そういう意味では私が護ってきたことは無駄ではなかったはずだと思いたい。 だから私は、つかさのことを誇らしく思い、そして自慢にも思うのだ。 これが私の妹なんだと。この綺麗で優しい生き物が、私の妹なのだと、全世界に吹聴した くなるほどに。 みゆきは、より冴え渡った知性を発揮するようになった。 それはきっとそう、あの日私にくれた言葉と関係しているのだろう。 あの日、誕生日パーティの日、“何があっても私の味方だ”と云ってくれたみゆき。 みゆきはその約束を違えなかった。こなたと話していて、口ごもったり、対応に困って うろたえたり、何気ない一言に心をえぐられてしまっても、みゆきはそんな間隙をすかさず 捕らえて、自然な流れになるように、私が問題なく言葉を返せるように適切なフォローを してくれるのだ。 その頭の回転の速さと気遣いに、舌を巻く思いだった。 ――思えば少し不思議だったことがある。 あの夏の日、こなたと喧嘩別れみたいになって、私が熱を出して寝込んだ頃のこと。 あの日こなたの方から私の部屋にきてくれたことが、私にはなんだか不思議だった。 あんな風な行き違いがあったとき、こなたはきっと押しつぶされるように自閉するだろうと 思っていた。誰よりも寂しがりやのこなたは、殊更に他人からの拒絶に弱い。それは普段の ひょうひょうとした態度からは伺い知れないことだけれど、ずっと見てきた私にとって それは自明なのだ。 だから、自分の方からアクションをしてきたあの日のこなたの行動は、私の中ではありえない ものだった。 それに、後日私がこなたの家に行ったときも、随分スムーズに私の謝罪を受け入れてくれた ものだと思っていた。 今になって思えば、そのどちらにもみゆきが絡んでいたのだろう。 あの日、私のケータイに掛けて異変を察知したつかさは、みゆきに相談したらしい。その後の 行動も、すべてみゆきの意志が働いていたようなのだ。 おそらく、こなたと一緒に私がでかけたと聞いて、みゆきは私たちの間に何がおきたのか、 すぐにわかったのだと思う。 だから、その後色々とあってなるようになったのも、全部みゆきの掌の上にある。もっとも、 さすがに私がお見舞いにきたこなたを追い返すとは思っていなかっただろうけれど。 そのときにみゆきとこなたの間でどんな話があったのか、私は知らない。それは聞いても 仕方がないことでもあるし、また聞かないほうがいいことでもあるのだろう。 ただ、こなたとみゆきは、いつのまにか名前で呼び合うようになっていた。泉さんとみゆきさん ではなく、こなたさんとみゆき、と。それは夏に二人の間であった色々なことを想像させるに 十分な出来事だろう。 人は、きっとそうやって変わっていく。 漫画やアニメのキャラクターではなく、生身の人間なのだから。 永遠に変わらない関係なんてありえないから、だから私たちは否応なく変わっていくのだ。 ふらふらとしていたこなたの向こうから、自転車がやってきているのに気がついた。 「ほら、あぶないだろ」 そう云って脇によって手をひくと、足がひっかかったのか、こなたは私の胸の中にしなだれ かかってくる。 肌寒くなってきた季節に、その体温が暖かい。 ただの熱量のはずなのに、こなたの身体が暖めた空気だと思うとなぜか嬉しくなるから 不思議だ。 ふわりと漂ってくるこなたの匂いが鼻腔をくすぐった。 ――何やってんだ、私は。 通り過ぎていく自転車に頭を下げながら、いつこの胸の高鳴りが気づかれてしまうかと、 気が気じゃなかった。 やぶ蛇というかなんというか、大口開けて待ちかまえてる虎の前に自分で飛び込んでいった ようなものじゃないか。 自分に呆れながらため息をついて、こなたの眼鏡をひょいと取り上げる。 「はしゃぐのはいいけど、ちゃんと周りのことみとけよ、あんたは」 「……ご、ごめん。てかあんがと」 つかさと一緒に脇によっていたみゆきに眼鏡を渡して、ついでにリボンも取り返して結び 直そうとする。 風に暴れる髪を纏めるのに手間取った。 「ちぇー。あ、じゃさ、かがみとつかさでリボン交換してみようよ。なのフェイみたいに」 「なんだよなのフェイって」 「なのは無印の最終回で、なのはとフェイトちゃんがリボンを交換した」 「しらんわ」 「うー、かがみが冷たい……」 これみよがしに落ち込んで見せるこなただった。 こなた。 こいつも、ちょっとだけ変わった。 普段はこんなだけれど、ちゃんと自分一人で計画を立てて勉強をするようになっていた。 『一応やるだけやってみようと思うんだ。後々後悔するのやだしね』 そう云ったこなたを覚えている。 MARCH辺りを狙いにしているようだったけれど、一体どれだけ伸びるのか、それが少し だけ楽しみだ。頭の回転は早いし、テスト範囲を一夜漬けで覚えきれるくらいの要領の良さは あるし、なによりうちの学校に入れるのだから、元々やればできるはずなのだ。 こなたはバイトも辞めた。固定客もついていたようだし、フロアもバックもばりばりこなして かなり頼られていたようだから、色々と大変そうだった。結局、受験期間の間だけ休業して、 落ち着いたらまた戻るかもしれない、ということだ。 こなたが誰かに頼られていることを知るのは少しだけ嬉しく思うのだけれど、無邪気に男に 愛想を振りまいているこなたを想像すると、胸からどす黒い塊がせり上がってくるのを感じて しまう。だから、できれば戻らないでいてくれたらと思うのだけれど、そんなことを云えるはずも なくて、結局私はそんな願望も、鎧った恋心の隣にそっと埋葬するのだった。 鋼鉄の板と鎖で何重にも閉ざされたその秘密の小部屋は、今や沢山の小物でいっぱいだ。 「――かがみ?」 「……ん、あ、ごめん。なに?」 少しだけぼーっとしていたところに声を掛けられて、意識が覚醒する。 「や、みゆきとつかさ、いっちゃうよ?」 みればいつのまにかこなたと二人になっていて、つかさたちは先に歩きだしていた。 「ああ、悪い」 駆けだしたこなたに追いつこうと、私も小走りになっておいかける。 オレンジ色の夕陽はもう沈みかけていて、遠くを歩くつかさとみゆきの顔は、宵闇に染まって よく見えない。 急に襲ってきた得も云われぬ寂しさに、ぎゅっと胸が締めつけられるのを感じていた。 私はせめて目の前の背中から離れないように、それだけは見失わないようにと必死で みつめていた。 ふと、ひるがえったこなたの髪がさーっと横になびいて、視界を青く染め上げた。 それは、まるで、海みたいだった。 ――私たちの関係も、海みたいだな。 そんなことを考える。 一見凪いでいるようにみえる。けれどその底では複雑な海流が渦巻いていて、海上からは それを伺い知ることもできない。それを見るため潜ろうとすると、たちまち冷たさに凍えて 二度と再び浮き上がれない。 茫漠として、先も宛もなく、ただ青く。一度そこに漕ぎ出してしまえば、海流にのって どこに辿り着くのかもわからない。 凪いで、静寂だけが満たされた。 そこはまるで、静かの海のようだと、そのときふと思った。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 『4seasons』 秋/静かの海(第二話)へ続く コメントフォーム 名前 コメント この人神だよ!!尊敬の域を超えて崇め奉るよ!! -- 名無しさん (2008-05-31 19 12 48) 物語が進むにつれて心の成長するキャラクター達の描写がとても丁寧で美しくでも、どこか切なくて“少し大人になっただけ”このフレーズが胸に突き刺ささりました。 -- 名無しさん (2008-03-31 05 58 18) あれ、神がいる -- 名無しさん (2008-03-12 00 59 04) 同意。まさに神ですね。崇めざるをえないでしょ。 俺も出来るならば神様みたいな文章書けるように なりたい!! だからね、日々精進です。 -- 名無しさん (2008-02-16 01 00 33) 俺もさ、思うんだよ。この人神でしょ?それは認めるしかないんだよ、うん。 もうさ、同じSS書きとしてこの人の神すぎる作品見ると作品の内容が鬱じゃなくても鬱になりますって。 主に嫉妬で。だからね、思ったわけよ、俺も崇拝するわ。 -- 名無しさん (2008-02-12 02 53 48) うん。 -- 名無しさん (2008-02-11 22 42 46) もうね、あれだよね、この人さ神でしょ? 俺さ、崇めても良いよね? だって神じゃん? 崇拝するよ? うん。 -- 名無しさん (2008-02-11 14 45 21) 小説でかなり上の質 ジャンル問わず今まで読んでたネット小説では一番の出来と言わざるをえない。綺麗な文章だ、うん。 -- 名無しさん (2008-02-11 02 02 41)
https://w.atwiki.jp/gensou_utage/pages/669.html
豊かの海 No.0045 豊かの海 サポートカード 配置:シーン 呪力6 [戦闘フェイズ]常時 スペルすべては「攻撃-1」「迎撃-1」「命中-1」を得る。 イラスト:鳥居すみ 考察 スペルを全体弱化させるシーン。 自分も相手も打点と命中が落ちてしまうため、まともに殴り合うデッキではコストの重さだけが目立って非常に使いにくい。 相手にダメージを与える必要がないデッキや、バーンダメージで戦うデッキなら弱体化するデメリットを回避出来るが、 スペル能力の誘発条件にスペルの命中が含まれている場合、命中下降がスペル能力を妨害してしまう。 従って有効活用出来るデッキは限られる。 原作を意識してか、命中しなくてもバーンダメージを与えられる禁薬「蓬莱の薬」とは好相性。 呪力代償も実験経由である程度は誤魔化しが利く。
https://w.atwiki.jp/darkdeath/pages/697.html
No.0045 豊かの海 條件:無 配置:境界 咒力:6 [戰鬥階段]常時 全部的符卡獲得「攻撃-1」「迎撃-1」「命中-1」。
https://w.atwiki.jp/gensounoutage/pages/781.html
豊かの海 依姫 依姫 シーン 呪力4 [充填フェイズ/攻撃時]常時 自分のリーダーの属性に『月人』が含まれている場合、フェイズ開始時、呪力を1点得る。 自分のリーダーの属性に『神霊(神)』が含まれている場合、フェイズ終了時、自分のリーダーの体力を1点回復する。 製作者コメント(ソルイ) 豊かってつくからとりあえずいろいろ豊かになるように考えてみた 実際は魚も何もいない海なんですけどねw
https://w.atwiki.jp/fland/pages/249.html
[地図] [エサウの林] [かえでの森] [氷原洞窟] 静かの氷原 NPC 場所 名前 座標 備考 1 生産大師匠クワルト 150 173 上級生産道具の販売(通常価格の2倍) 生産 技術 Lv 採取物 備考 ハーブ採り 190 サトラン草 全域採取可能 200 リシダの実 釣り 190 大王タコ 釣り可能範囲は画面下部4/5目安は地形段差1段目まで 200 ジュゴン 狩猟 180 昆虫の足 狩猟可能範囲は、画面上部1/5目安は地形段差の階段上部まで 190 昆虫の羽 出現幻獣 Lv 名前(台) 名前(日) 属性 種類 備考 140-145 雪豹 レオパール 光 ヒョウ 143-148 紅豆甜甜圈 ベリードーナツ 火 ドーナツ 143-148 #39599; #39634;雪人 こげこげスノー 闇 雪ダルマ 145-150 香草汽水 さっぱりドリンク 光 ジュース 150-155 櫻桃薑餅人 いちごクッキー 火 クッキー 150-155 ?森林蛋 #31957; ガトー 闇 プリン クエスト 任務名 依頼者 発生条件 内容 報酬 備考 自分で修正ができないという方は、こちらに書き込んでください- 補足:狩猟:釣りの範囲は重複せず、釣りができるところでは狩猟はできません。その逆もしかり。必ず縦1マスずれます。 -- チャロ[未作成] 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/desertrats/pages/47.html
スクラップ系 鉱石系 次の更新 3月27日午後予定 スクラップ系 アイテム名 入手方法 説明 売却価格 ローファイスクラップ 移動中に入手クラフトで入手 $1 ハイファイスクラップ 移動中に入手 $4 スクラップビークル 移動中に入手(廃墟の隠れ家からドロップ) $5 鉱石系 アイテム名 入手方法 説明 売却価格 燃料鉱石 移動中に入手エマーソンクレーターからドロップクラフトで入手 $2 レア鉱石 移動中に入手(静かの海のプラント~ルータタウン)からドロップ $4 鉄鉱石 移動中に入手(静かの海のプラント~ルータタウン)からドロップ $2 銅鉱石 移動中に入手(静かの海のプラント~ルータタウン)からドロップ $2 クリスタル鉱石 移動中に入手(ガルーダ国際宇宙港~廃墟の隠れ家)からドロップ $100