約 9,062 件
https://w.atwiki.jp/uyoku310/pages/71.html
ここまでなめられたらもー引けない。俺は特殊警棒を握った。平和主義者の真也も同じ気持ちだ。真也はテーブルの上にあるガラスの灰皿に手を伸ばす。阿弥陀なんか関係ねぇ。俺達は徹底的にぶっ叩いた。ラリってふらふらの奴らに負けるわけない。10分もすると動かなくなった。 「日丸連合だ。喧嘩してぇんならいつでも来い。叩き潰してやる。」 俺はそー言って意識のほとんどない陸を担いで単車に向かった。 「さっさと地元戻ろーぜ。囲まれると面倒だ。このバカも連れて帰る。」 「飛ばすぞ。陸の事落とすなよ。」 俺達は阿弥陀の地元をあとにした。 「ごめん、やっちまった。多分、阿弥陀と戦争になる。」 俺は格さんに電話した。今回だけはミスった。感情に流されて思うがままに行動しちまった。 「…やっちまった事はしょーがねーよ。お前らは大丈夫なのか?陸はちゃんと帰ってきたか?」 「…俺達は全然大丈夫だ。陸はアンパンやっててラリってた。いまクイーンに着いた。みんな集めといてくれ。」 陸にはケジメをつけてもらう。真也は便所からバケツに水をくんできて陸にぶっかけた。
https://w.atwiki.jp/shuinn/pages/1708.html
百万遍知恩寺 京都府京都市左京区、百万遍知恩寺の御朱印です。 利剣名号「南無阿弥陀佛」の御朱印です。 法然上人二十五霊場第22番札所の御朱印「圓光大師」です。 御詠歌の御朱印です。 「釈迦如来」の御朱印です。 法然上人の御姿入りの御詠歌の御朱印です。 「大念珠」の御朱印です。 念字門の御朱印「法然上人御廟」です。 平成23年の御朱印には、八百年大遠忌の印がありました。 令和2年は月替わりの御朱印として「百万遍」をいただくことができました。 令和2年2月にいただけた御朱印です。 令和2年4月にいただけた御朱印です。 令和2年5月にいただけた御朱印です。 令和2年6月にいただけた御朱印です。 令和2年7月にいただけた御朱印です。 令和2年8月にいただけた御朱印です。 令和2年10月にいただけた御朱印です。 令和2年10月にいただけた御朱印です。 令和2年11月にいただけた御朱印です。 令和3年1月にいただけた御朱印です。 ★この寺院には御朱印帳があります。和紙の表紙で、外見上はオリジナルではありませんが、内部は独特のものです。 ★住所 京都府京都市左京区田中門前町103 - 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/yuugen/pages/22.html
法師玄將 会話1 城外の妖気が空を突くように鋭くなっています。 仏様の教えを伝えるために各地で僧侶たちが長い旅に出ましたが、彼らの事が心配です。 私が天竺に行ってきた時はこれほどひどくはなかったのですが…阿弥陀仏…。 会話2 南無阿弥陀仏、観世音菩薩… 仏経の回収遂行時 非常事態です。はやく全ての仏経を回収して下さい。 関連クエスト 仏経の回収
https://w.atwiki.jp/shinsen/pages/10323.html
薬師如来法 NPC専用技能 特徴 発動準備なし 味方単体の生命力を回復する 900〜2000前後の回復。回復・参と同程度 使用NPC 僧系 その他情報 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/ahoman/pages/30.html
正光 通称:和尚 性別:男性 年齢:46 血脈:-/- 属性:- 台詞 「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」 「拙僧に何か御用ですかな?」 解説 現在の永光寺の住職を務める人物 異能の事は知っており、また他県に及ぶ情報網を持つ人物。 温厚な人柄で他の異能組織との折衝や、檀家の世話などは基本的に彼が行っている。
https://w.atwiki.jp/dhgabix/pages/165.html
1ターン目後手()1T先手2T先手 行動 順 キャラ 移動 動作 処理結果 1 ⇒ 2 3 4 5 6 7 8 9 10 配置 _1_ _2_ _3_ _4_ _5_ _6_ _7_ _A_ エターナル シャドウ 大歩危 剣幕 __壁__ _B_ うつるとミラ ★忌祓 南無阿弥陀仏子 舞葉 志姫 小野寺塩素三上由香子 道之崎オンセ竹取 かぐや _C_ 安全院 ゆらぎ 黒姫音遠 __壁__ 屍骸花 ミス・メテオストーム _D_ ユーロウ フホーシ 比村矢 業 神足迅美 破都宮 陽天 ★桂あJ素 _E_ 後見塚 莉々 裸繰埜夜見咲 らちか __壁__ ↓ _1_ _2_ _3_ _4_ _5_ _6_ _7_ _A_ __お茶会__大歩危 剣幕安全院 ゆらぎ エターナル シャドウ★忌祓 南無阿弥陀仏子 うつるとミラ __壁__ _B_ ユーロウ フホーシ 舞葉 志姫 小野寺塩素三上由香子 道之崎オンセ竹取 かぐや _C_ 後見塚 莉々 裸繰埜夜見咲 らちか 黒姫音遠 __壁__ 屍骸花 ミス・メテオストーム _D_ 神足迅美(死体) 破都宮 陽天 ★桂あJ素 _E_ __壁__ フェイズ終了時の状態 生徒会(DP: 1 ) 名前 PS 性別 攻 防 体 精 FS 発動 成功 状態 ★忌祓 南無阿弥陀仏子 PK 女/普 18(17+1) 1 6(4+2) 3 0 98 100 - 大歩危 剣幕 - 女/貧 5 5 10 5 5 80 100 - エターナル シャドウ - 女/普 0 6 10 4 10 100 100 - 後見塚 莉々 無 女/普 12 5 5 3 0 100 100 - うつるとミラ 向 女/俎 1 15 7 3 0 100 精神 - 安全院 ゆらぎ - 女/普 0 3 3 4 20 99 100 永続行動不能 ユーロウ フホーシ 絆 女/普 5 1 5 3 11 103 100 - 比村矢 業 絆 女/巨 1 1 4 4 20 92 100 永続戦線離脱 裸繰埜夜見咲 らちか - 女/普 1 6 8 5 10 90 100 - 黒姫音遠 転 女/貧 15 10 15 10 10 80 100 未登場 名前 PS 性別 攻 防 体 精 FS 発動 成功 状態 虎 ~山乃端一人~ 絆 女/貧 0 0 2 3 20 80 100 永続戦線離脱 番長グループ(DP 0 ) 名前 PS 性別 攻 防 体 精 FS 発動 成功 状態 ★桂あJ素 転 女/普 20 15 13(10+3) 8 20 100 100 未登場 三上由香子 - 女/巨 6 6 6 6 6 85 80 - 道之崎オンセ - 女/巨 11 0 7 5 7 61 100 - 小野寺塩素 - 女/普 7 0 6 4 13 100 100 - 屍骸花 無 女/貧 0 8 10 2 5 100 100 - 舞葉 志姫 絆 女/貧 0 9 14 3 4 89 100 - 神足迅美 高 女/俎 0 0 0 2 5 75 100 死亡 ミス・メテオストーム - 女/巨 10 2 10 3 5 96 100 - 破都宮 陽天 - 女/俎 3 14 6 4 0 100 100 - 竹取 かぐや 転 女/普 20 15 20 5 0 - - 未登場 名前 PS 性別 攻 防 体 精 FS 発動 成功 状態
https://w.atwiki.jp/uyoku310/pages/70.html
「…まずいんじゃねー?相手は阿弥陀だろ?」 真也は心配そーだ。 「やっちまったものはしゃーねーだろ!さっさと陸引きずって帰るぞ。奴らもきっとバカじゃねー。タラタラやってると囲まれちまう。」 「そーだな。早く済ませて地元戻ろーぜ。」 そー言って俺達は陸の居場所に向かった。 奴らの溜り場はわかりやすい。近づいてくにつれて塀やいろんな物に「阿弥陀」とスプレーで殴り書きしてある。溜り場は普通の民家だったけど後にプレハブが建ってる。ドアには「阿弥陀」の文字。ここだ。 俺はドアを開けた。 中は鼻をつくようなアンパン(シンナー)の臭いが充満してる。中には3人ぐらい横たわってる。その中に陸がいた。 「あ゛ー、どーしたのー?」 完全にラリってる。こいつらやる気あんのか。 「どーしたのかじゃねーよ。てめぇこんなとこで何してんだ?」 陸はヘラヘラ笑ってて話にならない。俺は陸の鼻に蹴りを入れた。陸は唸りながら倒れる。 「もう一度だけ聞くぞ。こんなとこで何してる?ここはてめぇのチームじゃねーだろ?」 鼻血が酷くて床が血まみれだ。陸は起きあがり答える。 「…一平とよー、ヤマトがよー、迎えにくるんだよー。こっちこいってー。テレビがすげー綺麗なんだよー。許してくれよー。」 何を言ってるかわからない。ただコイツはコイツなりの罪の意識からここまで堕ちたみたいだ。 「救えねーな。てめぇは今日から仲間じゃねー。ヤマトと一平裏切ったんだ。もー二度と俺達の前に顔出すな。次見掛けたら潰す。でも最後のケジメだけはちゃんとつけさせてたもらう。表でろ。」 俺はそー言って陸を表に引きずり出そうとした。 「さっきからよー。人んちで何をやってんだよー。」 寝てた奴が起きてきた。 「なんか言ったか?」 俺がそー言うと掴みかかってきた。真也が引きずり離す。 「てめーら阿弥陀と喧嘩すんのかよー。喧嘩売るなら買ってやるよー。」 俺達は喧嘩を売る事にした。
https://w.atwiki.jp/nolnol/pages/11297.html
薬師如来法 NPC専用技能 特徴 発動準備なし 味方単体の生命力を回復する 900〜2000前後の回復。回復・参と同程度 使用NPC 僧系 その他情報 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/aoari/pages/838.html
薬師如来法 NPC専用技能 特徴 発動準備なし 味方単体の生命力を回復する 900〜2000前後の回復。回復・参と同程度 使用NPC 僧系 その他情報 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/kyoto-database/pages/68.html
醍醐寺 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 醍醐寺(だいごじ)は、京都市伏見区醍醐にある真言宗?醍醐派総本山の寺院。山号を醍醐山(深雪山とも)と称する。本尊は薬師如来、開基(創立者)は理源大師聖宝(しょうぼう)。伏見区東方に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内をもち、伽藍は山上の上醍醐と山麓の下醍醐にわかれて建ち並んでいる。寺宝10余万点、うち国宝・重要文化財107件約4万点を所有する屈指の大寺院。古都京都の文化財の一部として世界遺産に登録されている。 歴史 寺伝によると、創建は貞観16年(874)、空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝が霊感を得て笠取山に登り、准胝観音?並びに如意輪観音を造って祀ったのが最初という。聖宝は同山頂付近を「醍醐山」と名付けた。延喜7年(907)には醍醐天皇の御願寺となって飛躍的に発展し、薬師堂や釈迦堂(金堂)、五重塔など多くの伽藍が建ち並ぶ寺容を整えた。院政期には源氏の座主が続き、永久3年(1115)、14代座主勝覚のときに三宝院が建立された。のち応仁の乱による戦火で下醍醐の伽藍は五重塔を除き全焼するが、第80代座主の義演准后が豊臣秀吉の支援を取り付けて復興させた。秀吉は仁王門や諸殿を修復させ、境内に桜樹700本を植樹し、次いで三宝院殿舎、庭園の増築を命じた。慶長3年(1598)には「醍醐の花見」が催されたが、秀吉は新しい三宝院の完成を見ることなく死去。秀吉の没後は秀頼の寄進を得て諸堂の再建がなされた。江戸時代に入り、修験道中興の祖でもある聖宝により継承されてきた三宝院に属する修験(山伏)を「当山派」と称する許可を幕府より得、座主高賢の大峯入峰(おおみねにゅうぶ)により醍醐の教風がひろまっていった。現在もその法流を汲み花供入峰修行が行われている。 伽藍(上醍醐) 上醍醐には「醍醐味」の語源ともなった醍醐水が今も湧き出ているほか、准胝堂は西国三十三箇所の第11番札所として篤い信仰を集める。平安時代のままに残る薬師堂や醍醐寺の鎮守神である清瀧宮拝殿、五大堂、開山堂、如意輪堂などが険しい山あいに立ち並ぶ。上醍醐と下醍醐は山道で隔たれ、徒歩で約1時間を要する。 准胝堂 上醍醐の中心伽藍。貞観18年(876)の創建と伝えられるが、現在の建物は、昭和43年(1968)に再建されたもの。本尊准胝観音?像は秘仏であるが、毎年5月18日に御開扉法要が営まれ、前後3日間だけご開帳される。平成20年(2008)8月24日、落雷により焼失。 薬師堂 延喜7年(907)に醍醐天皇の発願で上醍醐の中心に建立。現存する建物は、保安2年(1121)に再建されたもので、醍醐山上に残る唯一の平安時代の遺構。入母屋造、檜皮葺。 清瀧宮拝殿(清瀧権現拝殿) 清瀧権現とはインドの沙羯羅龍王(しゃがらりゅうおう)の三女、善女龍王のことで、密教?では如意輪観音の化身とされている。中国の青龍寺で密教?を守護していたが、空海が唐から帰朝する際に、海を渡って神護寺に来臨する。聖宝が醍醐寺を開いた際にも出現したのにちなみ、寛治3年(1089)に社殿が造られた。中国の「青龍」寺から海を渡ってきたので、「さんずい=水」を加えて清瀧と称された。現在の建物は室町時代の再建。寝殿造の様式で、前面が崖にさしかかる懸造(かかりづくり)となっている。 五大堂 本尊として不動明王を中心に五大明王が奉られている。毎年2月23日に五大力さんとして下醍醐金堂で授与される「御影(おみえ)」は、この五大堂で1週間に亘って祈願されたものである。 開山堂 開山の理源大師聖宝を祀るお堂。最初は御影堂といい、延喜11年(911)に聖宝の弟子、観賢座主によって建立されたが、後に焼失。現在のお堂は、慶長11年(1606)に豊臣秀頼によって再建されたもの。内部には中央に開山聖宝理源大師像、左に弘法大師像、右に醍醐寺第1世座主・観賢僧正像が安置されている。 伽藍(下醍醐) 下醍醐には本尊を安置する金堂や三宝院などを中心に、上醍醐とは対照的な絢爛な大伽藍が広がる。応仁の乱とその後の幾度の火災によって焼失、再建を繰り返しているが、護摩道場前にそびえ立つ五重塔だけは奇跡的に創建当時のまま現存する。 金堂 醍醐天皇の勅願により延喜4年(904)に創建。当時は釈迦堂と呼ばれていた。永仁3年(1295)、放火により焼失した。現在の金堂は、豊臣秀吉が「醍醐の花見」の宴を前に再興を命じ、その遺志を継いだ秀頼が、慶長5年(1600)に紀伊国(和歌山県)湯浅の満願寺の本堂を移築したもの。平安後期の建築で入母屋造、本瓦葺。内部には本尊の薬師三尊像や四天王像が安置されている。 五重塔 醍醐天皇の菩提を弔うために第1皇子の朱雀天皇が起工し、第2皇子の村上天皇の天歴5年(951)に完成した。総高約38m。京都府下最古の建造物で、五重塔自体が国宝に指定されているが、それとは別に初層内部に描かれた壁画も独立して国宝に指定されている。この壁画は日本の密教?絵画の源流をなすものといわれ、両界曼荼羅の諸尊や真言八祖像が描かれている。中でも真言八祖像にある空海像は、現存する空海の画像としては日本最古のもの。 仁王門 豊臣秀頼によって慶長10年(1605)に再建された。安置されている仁王像は、もとは南大門に祀られていた尊像で、平安後期の長承3年(1134)に造立されたもの。 清瀧宮本殿 清瀧権現を祀る本殿で、三間社流造、檜皮葺。永正14年(1517)に創建されたが応仁の乱により焼失。現在のものは、慶長4年(1599)に座主義演准后により、再建されたもの。 三宝院 大玄関、葵の間・秋草の間・勅使の間、表書院・純浄観、本堂(弥勒堂・護摩堂とも呼ばれる)、宸殿、庫裏などからなる。 庭に面して建つ表書院は、縁側に勾欄をめぐらし、西南隅に泉殿が作りつけてあり、平安時代の寝殿造の様式を表す建築。庭園側には廊下状の縁が巡らされ、庭が見やすいように縁に立つ柱の間隔は広く取られている。門跡?の接客対面の場として使われ、畳敷きの上段(15畳)、中段(18畳)、下段(27畳)の3室が並列している。上段の間には「松柳図」「柳草花図」、中段の間には「四季山水図」、下段の間には「蘇鉄に孔雀図」の華麗な障壁画に彩られている。いずれも制作年代はさまざまだが、その中でも有名なのが上段の間の長谷川派の絵師の作と思われる「松柳図」である(寺伝では狩野山楽の筆としている)。表書院の西側の「葵の間」「秋草の間」「勅使の間」にも、それぞれ障壁画が描かれており、表書院の障壁画と合わせて国の重要文化財に指定されている。 純浄観は表書院の東側に繋がっており、茅葺の民家風の建物だが内部は豪華な書院造で、秀吉が花見の時に御殿として建てたものを移築したもの。その奥の本堂は、仏師快慶作の弥勒菩薩?坐像を安置し、護摩焚が行われるため、弥勒堂もしくは護摩堂とも呼ばれる。 宸殿は、江戸初期の建造と伝わり、田の字型の間取りをしている。主室の上座の間は床棚書院及び帳台構(通称:武者返し)を備えている。棚は「醍醐棚」と呼ばれる有名な違い棚で、修学院離宮?の「霞棚」、桂離宮?の「桂棚」とともに「天下の三大棚」と称されている。また上座からは庭園の藤戸石を見渡すことができる。宸殿の東北角には江戸末期に作られた茶室松月亭がある。四畳半、東側に丸窓があるのが特徴で南側に竹の縁、躙り口がある。切妻造、こけら葺。 三宝院庭園 慶長3年(1598)に豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際し、庭奉行竹田梅松軒らに命じて作庭させた。施工にはのちに小堀遠州のお抱え庭師となった賢庭?があたった。池に滝・島・橋を配した池泉回遊式・舟遊式庭園でありながら建物の中から鑑賞する設計にもなっている。園池は東西に長く、岬、入り江で屈曲の多い汀線に、石組をほどこしている。南岸の中央部には聚楽第から移されたという名石の藤戸石が立つ。本堂の南側には苔と白砂で瓢箪などを象る「酒づくしの庭」、その奥には枯山水庭園の石組、茶室沈流亭、三段の滝がある。国の特別名勝及び特別史跡に指定されている。 霊宝館 醍醐寺の文化財を収蔵する建物で、本館と平成館のふたつの展示室と収蔵庫からなる。平成13年(2001)にリニューアルオープンした平成館は、建物に500年耐久コンクリートを使用し、内部に上醍醐薬師堂の薬師三尊像を安置する。樹齢180年の桜を眺望できる休憩室もある。展示物は天平期から江戸期にかけての仏像、仏画、文書、工芸などで、特に鎌倉時代を中心とした密教?仏画が充実している。 文化財 国宝 薬師堂 清瀧宮拝殿 金堂 五重塔 三宝院(表書院・唐門) 木像薬師如来及び両脇侍像(薬師堂→霊宝館安置) 五重塔初層壁画 紙本著色絵因果経 絹本著色五大尊像 絹本著色文殊渡海像 絹本著色訶梨帝母像 絹本著色閻魔天像 大日経開題 後醍醐天皇宸翰天長印信 後宇多天皇宸翰当流紹隆教誡 理源大師筆処分状 狸毛筆奉献表 重要文化財(建造物) 開山堂 如意輪堂 清瀧宮本殿 三宝院(本堂・大玄関・勅使の間、秋草の間及び葵の間・宸殿・庫裏・純浄観・宝篋印塔) 重要文化財(美術工芸品) 木像弥勒菩薩?坐像(快慶作) 木像薬師如来及び両脇侍像(金堂安置) 木像五大明王像 木像理源大師坐像 木像金剛力士立像 木像阿弥陀如来坐像 木像地蔵菩薩?立像 木像如意輪観音坐像 木像不動明王像 木像閻魔天像 木像帝釈天?騎象像 木像吉祥天?立像 木像聖観音?立像 三宝院障壁画(表書院40面、勅使の間・秋草の間32面) 絹本著色大日金輪像 絹本著色大威徳明王像 紙本密教?図像 金地著色舞楽図(俵屋宗達?筆) 紙本墨書義演准后日記 紙本墨書理趣経(足利尊氏筆) 紙本墨書醍醐花見短籍(豊臣秀吉及び一座各筆) 宋版一切経 醍醐寺新要録 醍醐寺文書ほか多数 特別名勝 三宝院庭園 特別史跡 三宝院庭園 史跡 醍醐寺境内 拝観情報 住所 京都市伏見区醍醐東大路町22 電話番号 075-571-0002 拝観時間 9:00~17:00(12月第1日曜日の翌日から2月末日まで 9:00~16:00) 拝観料 三宝院600円、霊宝館600円、伽藍600円(3箇所共通1,500円 ※ただし、霊宝館と伽藍の金堂内部は期間限定で公開 アクセス 地下鉄東西線「醍醐駅」下車徒歩10分 駐車場 駐車場あり(700円) 主な行事 1月5日 年頭式初護摩供養 1月6日 初聖宝会 2月15日~21日 五大力尊王仁王会前行・御還座式 2月23日 五大力尊仁王会(五大力さん) 3月第1日曜日 奥之院初回峯行 3月18日~24日 春季彼岸法要 3月第3土曜日~ 霊宝館展覧、金堂特別内拝 4月1日~21日 清瀧大権現例祭桜会大般若転読法要 4月第2日曜日 豊太閤花見行列ほか 5月18日の前後3日間 西国三十三箇所第十一番札所 本尊准胝観音?御開扉法要厳修 5月21日 三宝院流得度式 6月7日~9日 三宝院門跡大峯山花供入峯修行 6月15日 宗祖弘法大師降誕会法要 7月7日 葛城山花供入峯 7月13日~15日 盂蘭盆会法要 7月19日~23日 三宝院門跡奥駈け修行 8月5日 万灯供養会法要(19時)、精霊供養大般若転読法要(19時)、施餓鬼供養法要(20時) 8月6日 開山忌竪義会(開山理源大師御命日) 8月7日~11日 修験伝法教校 9月20日~26日 秋季彼岸法要 10月1日~12月第1日曜日 霊宝館展覧、金堂特別内拝 10月15日~11月下旬 大菊花展 10月23日 五大力講世話方総会 12月上旬 修験伝法教校 12月21日 三宝院流伝法灌頂 その他 京都検定出題 平成16年(2004)第1回京都検定3級出題 「醍醐寺について誤っているものを選びなさい。 (ア)山の上の上醍醐と山の下の下醍醐からなる寺院である (イ)秀吉の醍醐の花見で知られる桜の名所である (ウ)国宝の金堂、五重塔は上醍醐にある (エ)塔頭の三宝院の表書院は桃山時代の書院造の遺構として知られる」 平成17年(2005)第2回京都検定2級出題 「(京都府下の)現存する最古の木造建築物として国宝に指定されているのはどれか。 (ア)法界寺阿弥陀堂 (イ)平等院鳳凰堂 (ウ)大報恩寺本堂 (エ)醍醐寺五重塔」 リンク 醍醐寺オフィシャル http //www.daigoji.or.jp/ 新版 古寺巡礼京都〈6〉醍醐寺