約 9,062 件
https://w.atwiki.jp/flyffwiki/pages/197.html
レインボーレース 通称「RR」。毎週土曜日は風になるぜ 制限時間内に各地に散らばった7つのミニゲームをクリアして順位を競う。 思ったより飛行アイテムの速度で差が開く。ターボエランサーも大活躍。 ミニゲームは運が大きく左右。今こそ普段の行いの良さを発揮すべき。 レース参加 進行 報酬 ミニゲーム レース参加 開催:毎週土曜日 12:00 参加申請開始(NPC[レインボークイーン]イメル 参加費用1,000,000ペニャ) 20:00 参加申請の受付終了 21:00 開始 23:00 終了 ★注意事項 RR開始時間に1チャンネルにログインをしていないと参加不能、申請金は返還されず。 センシリットのカルマキャラは、RR出られますが、ペナルティにより飛べません。 RR開催中にログアウトをすると失格となります。(通信回線の切断等によるログアウトも該当します。) 失格となった場合、レース続行不可、申請金は返還されず。 レインボーレース参加中使用できないと明言されているアイテム 各種ブリンクウイング 友情のオーブ・大親友のオーブ ペアリング コーラル・チケット アズライア・チケット 進行 開始(好きな場所から) ↓↓↓↓ ミニゲーム周り×7(ランダム) ↓↓↓↓ ダーコンの街倉庫裏NPC[レインボークイーン]イメル 制限時間内に各地の7つのミニゲームを順番に全てクリアし、 ダーコンの街倉庫裏NPC[レインボークイーン]イメルに話しかけ表示されるメニューで 「レインボーレース終了確認」をクリックした順で、レインボーレースの順位が決定。 画面右上ナビゲーションウィンドウに制限時間表示、ナビ下に「RR」マーク。 「RR」マーククリックで「レインボーレースウィンドウ」表示。 報酬 1位~10位は入賞者順位に応じた賞金あり(ファンポストにて)。 ミニゲームのクリア数(4つ,5つ,6つ,7つ)で報酬(花火,レインボーボックス1個,2個,4個)。クリア数を満たしたタイミングでファンポスト。 賞金金額の一例(公式より) 順位 賞金 1位 合計申請金額の50% 2位 合計申請金額の24% 3位 合計申請金額の12% 4位 合計申請金額の6% 5位 合計申請金額の3% 6位 合計申請金額の1.5% 7~10位 合計申請金額に対する所定の賞金 ミニゲーム ゲーム名 場所 説明 ジャンケンポン! リシスの庭最北端 ジャンケン3連勝でクリア。運のみ。 ダイス&ダイス セイントモーニング夢幻の砂漠 最南端 2個のサイコロの合計が上の数字になればクリア。ぽこぽこサイコロ振るだけ。運のみ。確率は全部一緒だよ。 脳トレ!計算地獄 フラリス勇気の谷 西 計算連続5問正解でクリア。常人が暗算できるレベルじゃないので電卓必須。 タイムストッパー ダーコン1最東端(フラリス側) ぴったりでクリック!誤差0.3でクリア。 スカイタイビング ダーコン1スチームウォーカー左下 タイピング3つ。打打打。 ボボクとボボコ ダーコン3ヘルエット入り口 神経衰弱。頑張って記憶しよう。 開運!阿弥陀如来の後光 ダーコン3マグミアント南方 あみだくじ。運のみ。 Copyright (c) 1997-2009 Excite Japan Co.,Ltd. All Rights Reserved. Copyright AEONSOFT,Inc All Rights Reserved. イラスト:松原秀典
https://w.atwiki.jp/tsuruma/pages/19.html
1. 円成寺(1538)「天文7年」 北條氏綱の家臣 了雲山中修理亮が遁世して、鶴間に山王山・紫王院円成寺(浄土真宗)を開創と伝えられています。 ご本尊は、阿弥陀如来立像が安置されております。その外かずある仏さまの中に町田市指定有形文化財「聖徳太子立像」(室町時代の寄木造、高さ52.2cm)も含まれております。 2. 一里塚(通称大塚)(1604)「慶長9年」 「日本史年表」には、徳川幕府は「諸街道を修理して一里塚を築く」としてある この塚は、鶴間のほか町田市では野津田、木曽そして横浜市で相沢にあり、高さ5m位で頂には、御嶽信仰の小さな石祠が建っていた。 これは明治の中頃、村人が一番恐れていた災厄である。火難及び盗難除を祈るため、奥多摩の御嶽講を作りお祭をしてきた。また平成4年に台座を作り、高さ1.5mの石宮が完成しました。 3. 熊野神社(1726)「享保11年」 宗教法人 鶴間熊野神社 創建祭神は、伊装諾命(いざなぎのみこと)伊装朋命(いざなみのみこと) この神様は、出世、家門繁栄及び交通安全の守護神として平安時代以来、熊野詣での風習になり熊野三社(本宮、新宮、那智社)の講中が出来ました。現在は、町谷及び鶴間両地区の氏子により運営管理がなされており、神社本庁より非常に格式の高いお宮と認定されています。現在の社殿は、昭和46年4月に鉄筋コンクリート造りで再建され、また神楽殿は、平成4年10月に落成いたしました。 4. 日枝神社(山王山) 熊野神社の末社として江戸時代中期に創建されたものと考えられる。 祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)ニ(日吉大社の西本宮)社殿内の本殿は、昭和46年、熊野神社より移設され、「板ぶき目板打」屋根の建築様式と彫刻等を含め都の文化財級の貴重なものです。 棟板には、享保11年(1726)「大工、藤並七郎衛」等の墨書があります。なお、棟の正面には、巴紋の左右に「笹に根竹(ねたけ)」の家紋があります。 5. 第六天社(又は大六天神社)・古峯神社(こみね) 社有地内には、二つの神様が合祀されています。 (1) 第六天社調葦 祭神は、面足命(おもだるのみこと、通称大黒天)この第六天社の創建は、鶴間(小字大ケ谷戸)の最も古い土着の人々の守り神として造立したもので、・この近所の最も古い個人墓地より古く1500年代と思われる。 (2) 古峯神社 熊野神社の末社 祭神は、日本武尊(やまとたけるのみこと)栃木県にある火伏せの神様である古峯神社の分祀で、大正9年3月20日、鶴間地区の大火により大きな被害がでました。これを契機にその翌年から3月20日を第六天社、御嶽神社及び古峯神社の例祭が行われていました。 6. 庚申塚(1863) 大ケ谷戸バス停の待合所西側に高さ92c瓜幅39cm角型の庚申塔があり、裏面に文久3年8月吉日建立とある。これは、恐ろしい「コレラ」を防ぐため、中国の道教からくる青面金剛(しょうめんこんごう)を庚申の日に講中が集まり、災厄を除けるお祈りをしたもので、講中は戦後まで続いておりました。 現在も、講中は有りませんが信心深い人達が訪れております。 出典 文献 鶴間郷土誌 井上茂留著 下鶴間の史話 浜田賢著 他 監修 鈴木正幸・井上隆徳 平成14年3月 googleマップのより大きな地図で鶴間の歴史的建造物を表示
https://w.atwiki.jp/get5out/pages/678.html
浄土真宗一の会 教学テキスト 真宗学1号 問6 問 親鸞聖人が信心決定された歳とそれを記した御文と出典を書きなさい 答 ○二十九才 ○「然るに愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦、雑行を棄てて、本願に帰す。」 (教行信証化身土巻) 浄土真宗一の会 教学テキスト 真宗学1号 問7へ 平成15年3月22日(土) 赤羽会館 7階 教学講義 講師:中根繁会長 この御文は、教行信証の中で仰っているもの。 愚禿釈の鸞の「愚」とは、愚かという事。 「禿」とは、ハゲという事だが、これはハゲという意味で仰っているので はなく、これも愚かという意味で仰っている。 「釈」とは、釈迦の弟子という事。 「鸞」とは、親鸞というお名前の親の字を略して仰っている。 つまり、「愚禿釈の鸞」とは、愚かな愚かな釈迦の弟子の親鸞という事。 「建仁辛酉の暦」というのは、年号の事で、聖人が29才の御年にあた る。 「雑行」とは、2つの意味がある。1つには、五雑行。もう1つは、自分 のやった善で「これだけ善い行ないをすれば、助かるに間違いない」と自 分の善行をあて力にする心を言う。 この自分の善行を以って助かろうと思う心が有る限りは、阿弥陀仏に救っ て頂けない。求道をするというのは、自分の善行をあて力にする心を、い かにして捨てるかという問題に挑む事を言う。 「五雑行」というのは、真宗学4号の問19に載っている。これは、阿弥 陀仏以外の仏・菩薩・神々に向かってはいけないという事。 五雑行は捨て易い。ところが、年を取ると、捨て易い五雑行も中々捨てら れなくなるので、「仏法は若き時に嗜め」と言われる。 世間の本は、この雑行について、これ程詳しくは説明されていない。 聖人が、ここで仰っているのは、自分の善をあて力にして助かろうとする 心の方である。 この心が問題なるのは、信心決定する直前の信心の白兵戦に至った頃。 このぐらい必死になっている人は、何とかして助かろうとするので、歎異 抄を読んでしまうと「ただ念仏して弥陀に助けまいらすべし」という御文 に感動して念仏信心に陥ってしまう。 歎異抄は、「ただ念仏して」と、念仏信心が多々説かれている。その歎異 抄を読んで「あー、ただ念仏してであったか・・・」と、どっこいしょし てしまう。 どっこいしょさせるのは簡単な事。 親鸞会の会長をしている高森顕徹は、昔、浄土真宗華光会という会の創成 期に所属していた。この華光会は、どっこいしょの信心を造って、それを 「信心決定」と言う団体である。華光会を創ったのは、増井悟朗という男 だが、この男は、高森顕徹が華光会に所属していた時代に、共に布教に励 んでいた布教仲間であり、高森を華光会に誘った人である。 高森が、華光会時代に活動していた様子は、華光会の発行している書籍に いろいろと載っている。彼は、増井と共に師と仰いでいた「伊藤康善の著 書『仏敵』によって導かれた」と言い、その『仏敵』を多くの人々に勧め ていた。また、増井たちと一緒にある村へ布教に行くと、一晩で20人、 30人を信心決定させたという。ところが、暫くして隣の寺に信仰を攻撃 されると、高森たちが信心決定に導いた人たちの信仰の火が消えてしまっ たという。 彼らは、少し感情の起伏が起こると、それを側で見ていて「それが信心決 定だ。良かったねぇ。」と言って褒める。そうすると、褒められた本人は 「信心決定した」と思い込んでしまって、どっこいしょの信心を持ってし まう事になる。 このようにして、華光会に所属していた頃の高森は、人工信心を乱造しま くっていた。 ところが、実家のある高岡へ戻り、華光会の高岡支部で布教をするように なると、段々と様子が変わってきたという。 ある時、京都から伊藤康善や増井悟朗が、高森から連絡が来なくなったの を心配して訪ねて行った事があるらしい。ところが、高森は師匠である伊 藤康善にも、先輩であり法友である増井悟朗にも、一切会おうとしなかっ たという。 当時の高森にとって、伊藤康善や増井悟朗の存在自体が、疎ましかったの だろう。もう、自分一人の会として運営して行く事を目論んでいたので、 今更二人に会おうとはしなかった。 実際に、華光会の高岡支部であった会を親鸞会として独立している。 高森は、現在、会員に「華光会は人工的に信心を造り上げている異安心だ から間違っている」と非難させ、自分も華光会は異安心だと非難してい る。 高森は、親鸞会を立ち上げた後も、華光会に寄付金を送っている。 華光会に居る時は、増井たちと布教し、「華光会の信心が正しい」と言っ ていた上、親鸞会を始めた後も華光会に寄付をしているのに、なぜ非難を するのか。 現在に至って、華光会を非難するのかというと、人工信心の団体である華 光会に自分が所属していた事がバレそうになってきたり、親鸞会の会員 が、華光会に行くようになってきたので、会員の流出を防ぐ為に非難して いる。 親鸞会が、華光会に対して様々な攻撃をするので、華光会からは何の反論 もできなくなっている。高森は、過去を隠蔽するだけでなく、非難攻撃を している。 親鸞会は、人集め、金集めの団体となり、敵対する相手には暴力行為、妨 害行為もする浄土真宗の創価学会となっている。これは、本願寺も「親鸞 会は、浄土真宗の創価学会」と言う。浄土真宗の中の外道である。仏教と は呼べない。 中根先生は、親鸞会に在籍されている際に、高森のおかしな言行を御覧に なって「とても善知識などと言って崇める様な男ではない」と批判され、 親鸞会を出て行かれた。 ところが、親鸞会では、中根先生が批判をされた内容は公表されず、「気 違いだから、狂人だったから」という理由で除名した事になっている。 しかし、中根先生は御自身から親鸞会を辞められたのであって、除名をさ れたのではない。除名というのは、会に在籍したいと望む者に対して、 「お前は会に居させない」と言って追い出す事を言う。 中根先生は、御自身から親鸞会を辞められたのだから、除名にはあたらな い。 真相は、中根先生が親鸞会を批判して辞めてしまわれたので、体裁を整え る為に、中根先生の行状が善くなかったので除名にした事にした追っ付け 除名である。 親鸞会では、「教えを捻じ曲げる事以外に除名の理由は無い」と言って来 たし、現在も言っているのに、中根先生の行状を除名の理由だと言って る。 そして、中根先生が批判して辞められたという事実や内容には一切触れて いない。 もし、中根先生が批判して辞められたという事を公表したならば、どんな 批判だったのかと内容を説明しなくてはいけなくなるので、中根先生が批 判された事実さえも公表されていない。 親鸞会で中根先生が活躍されている頃は、「鬼の説得」とか「実績が歩い ている」とか言って呼ばれていた。高森は、説法はそこそこ上手かった が、布教力は全然ない。だから、「布教の事は、中根くんに聞け」と高森 はよく言っていたらしい。 その為か、高森の息子で当時「2代目を継ぐ」と言われていた光晴や、い ろんな人が、中根先生に「どうやって布教したらいいか?」と聞いてきた そう。 ところが、「一旦、親鸞会を批判して辞めると、蛆虫以下の扱いで徹底的 に非難してきた」と仰る。 断食療法。確認。女の布教使。高森の娘のTもやってた。 教行信証の化身土巻は、信前(信心決定する前)の境地が説かれている書 物。 それ以外の教巻・行巻・信巻・証巻・真仏土巻には、信後(信心決定され た後)の境地が説かれている。仏教は、信後の境地を主に説くもの。 だから、聖人は教行信証の殆どを信後についての説明に費やされている。 「仏教は、実時を問題にすべきではない。仮時を問題にすべきである」と 言われる。 「実時」とは、何時何分何秒という分秒で表す時間を言う。 これに対して、「仮時」とは、蜂に刺されて痛かったとか、柱に頭をぶつ けて痛かったといった体験の事をいう。 仏教では、「何年何月何日何時何分何秒に信心決定した」といって実際の 時間を問題にはしない。実時を問題にすると異安心につながる。 この実時の問題にしている異安心が、土蔵秘事である。彼らは、「何年何 月何日に信心決定した」という「救われた時刻に覚えがなくてはいけな い」と主張する。 高森は、説法の中で「18才の時に信心決定した」と何度も言っている。 彼は、思いっ切り実時を言っちゃっている。高森が実時を言いたがるの は、「自分は18才の時に信心決定した」と言って、信心決定した事を自 慢しているだけ。 また、実時までは言わなくても、信心決定した状況をしきりに言う人が居 る。 例えば、「お勤めの時に信心決定した」とか、「夫婦喧嘩をしている時に 信心決定した」とか言って、どういう状況の時に信心決定したかを問題に するのも、実時を問題にしているのと心は同じ。 華光会の信心は、これと同じもの。「姑と喧嘩をして怒り狂ったその瞬間 に、地獄往きの我が知られて信心決定した」と言う。 [get5out考察] 世間の本は、この雑行について、これ程詳しくは説明されていない。 この中根氏の発言は、嘘。 get5out用画像フォーム 現在、paintプラグインはご利用いただけません。 【比較資料】 浄土真宗親鸞会 旧教学聖典 真宗学一号 問(2) 問 親鸞聖人について問う。 (1)出家せられた年 (2)信心決定せられた年 (3)結婚せられた年 (4)三大諍論せられた年 (5)流刑にあわれた年 (6)善鸞を義別された年 (7)亡くなられた年 答 (1)九歳 (2)二十九歳 (3)三十一歳 (4)三十四歳 (5)三十五歳 (6)八十四歳 (7)九十歳 解説 親鸞聖人は今から八百年昔、京都の日野の里に、藤原有範卿を父君とし、 吉光御前を母君として、お生まれになられた。 御幼名は松若丸。範宴、綽空、善信、親鸞とお名前を変えておられる。見 真大師ともいわれている。 ・出家――家とは煩悩(五欲)を現わし、出るとは、一切の恩愛を断って 仏弟子になること。 ・信心決定――阿弥陀如来によって、絶対の幸福に救われ、大安心大満足 の身になった体験をいう。 ・三大諍論――親鸞聖人三十四歳の御時、歴史に残る仏法の大きな三つの 争い。(詳しくは真宗学5号問(16)参照) ・流刑――今日では、無期懲役にあたる。真宗学1号問(5)の理由によ り、流刑にあわれた。 ・善鸞義別――親鸞聖人八十四歳の時、五十歳になった長男善鸞を勘当な された。その理由は、一向専念無量寿仏のお教えをネジ曲げたから。 浄土真宗親鸞会 旧教学聖典 真宗学二号 問(20) 問 救われたことが凡夫にハッキリすることなんかあるものか、という人に、 ハッキリすることを聖教の文句で三つ以上示せ。 答 ・愚禿釈の鸞 建仁辛酉の暦、雑行をすてて本願に帰す。(教行信証) ・われすでに本願の名号を持念す。往生の業すでに成弁することを喜ぶ。(執持鈔) ・他力の信心ということをば、今すでに獲たり、乃至、今こそ明らかに知られたり。(御文章) 解説 ・愚禿釈の鸞――親鸞聖人のこと。 ・辛――元年。 ・酉の暦――三月。 ・雑行――自力。 ・本願に帰す――阿弥陀仏(他力)に救われた。 ・持念――体得して仏凡一対となった。 ・往生の業――弥陀の浄土に生まれる働き。 ・成弁――満足する。完成する。 浄土真宗親鸞会 旧教学聖典 真宗学二号 問(21) 問 親鸞聖人が信心獲得されたことを明示する聖教上の証拠を二つ示せ。 答 ・愚禿釈の鸞 建仁辛酉の暦、雑行をすてて本願に帰す。(教行信証) ・建仁第一の暦、春の頃、隠遁の志に引かれて源空上人の吉水の禅坊に尋 ね参りたまひき、真宗の紹隆の大祖聖人ことに宗の淵源をつくし、教の 理致を極めて、これを述べたまふに、たちどころに他力摂生の旨趣を受 得し、あくまで凡夫直入の真心を決定しましましけり。(御伝鈔) 解説 ・建仁辛酉の暦――聖人二十九歳の時。 ・雑行――自力の心。 ・隠遁の志――堕落した聖道仏教からのがれたいという気持ち。 ・真宗の紹隆――浄土真宗を開顕された。 ・宗の渕源――信心決定の体験(註:漢字「渕」ママ) ・教の理致――教学、一切経による裏づけ。 ・たちどころに――一念で。 ・他力摂生の旨趣――阿弥陀仏の本願の本意、要、摂取して往生させる= 弥陀の本願。(註:摂・生に○) ・受得――体験すること。 ・凡夫直入の真心――凡夫の心、あるがままに、救われる真心=真実信心。 浄土真宗親鸞会 新教学聖典(1) 問(8) 問 浄土真宗の祖師、親鸞聖人について問う。 (1)出家せられた年 (2)信心決定せられた年 (3)結婚せられた年 (4)三大諍論せられた年 (5)流刑にあわれた年 (6)善鸞を義絶された年 (7)亡くなられた年 答 (1)九才 (2)二十九才 (3)三十一才 (4)三十四才 (5)三十五才 (6)八十四才 (7)九十才 浄土真宗親鸞会 新教学聖典(4) 問(15) 問 阿弥陀如来に救い摂られた自らのことを明言 されている、親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人 のお言葉と、根拠を示せ。 答 ○愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦、雑行を棄てて、本 願に帰す。 (教行信証) ○われ已に本願の名号を持念す、往生の業すでに 成弁することをよろこぶ。 (執持鈔) ○他力の信心ということをば今既に獲たり、乃至 今こそ明かに知られたり。 (御文章) 解説 ・持念す――保ち念ずる。 ・往生の業――南無阿弥陀仏。 ・他力の信心ということをば今既に獲たり、乃至 今こそ明かに知られたり――救われた人は、いつもそう。 ・御文章――御文章5帖目第12通。 浄土真宗親鸞会 新教学聖典(4) 問(16) 問 親鸞聖人が、信心獲得された時のことを明示され ている御文と根拠を、二つ示せ。 答 ○愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦、雑行を棄てて、本願に 帰す。 (教行信証) ○建仁第一の暦春の頃、隠遁のこころざしにひかれて 源空上人の吉水の禅坊に尋ね参りたまいき。真宗紹 隆の大祖聖人ことに宗の淵源をつくし教の理致をき わめてこれを述べたまうに、たちどころに他力摂生 の旨趣を受得し、飽くまで凡夫直入の真心を決定し ましましけり。 (御伝鈔) 解説 ・雑行――無明の闇。自力。 ・隠遁のこころざしにひかれて ――本当の幸せを教える、まことの仏教を教える善知識を求めて山から 隠れ逃れた。 ・紹隆――開かれた。 ・真宗教証興片州 片州――日本。 ・宗の淵源――体験。 ・教の理致――教学。 ・たちどころに――一念。 ・摂生――がっちり収めとって往生させる。 ・旨趣――かなめ。 ・他力摂生の旨趣――弥陀の本願。 ・直入――一念。 浄土真宗白鷺会 教学テキスト 真宗学1号 問4 問 聖人が信心決定された年と御文を書きなさい。出典も。 答 ○ 二十九才 ○ 「然るに愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦、雑行を棄てて、本願に帰す。」 (教行信証 化身土巻) ツリー型コメントフォーム 名前 現在、paint_bbsプラグインはご利用いただけません。 浄土真宗一の会 教学テキスト 真宗学1号 問7へ このページのトップへ サイト内を and or タグで and or 2021-12-07 03 45 25 (Tue) 合計: - 本日: - 昨日: - #blogsearch link_pdfプラグインはご利用いただけなくなりました。
https://w.atwiki.jp/shinmegamitensei2/pages/643.html
トップ|基礎知識|悪魔合体|悪魔|魔法・特技|アイテム|マップ|攻略|その他 ビナーの街 マップ|イベント|施設|出現悪魔 マップ ビナーの街 上へ イベント A イシュタルの間 上へ 施設 回復の泉 名称 買値[] 解説 備考 施餓鬼米 360 破魔の力で敵2体を昇天させる ハンマの効果 反魂香 9000 味方1人のDYING・DEADをHPMAXの状態で回復する エンゼルヘアー 1200 LAW属性の者を回復するが他属性の者にはダメージを与える ロザリオ 1500 LAW属性の者のエナジードレインを防ぎHPが0になるとHP回復 回復の泉 名称 買値[] 解説 備考 蟲毒皿 160 敵2体を呪殺する ムドの効果 阿修羅の掌 1200 CHAOS属性の者を回復するが他属性の者にはダメージを与える 溶魔の玉 2800 敵全体を1/4の確率でスライムに変える アミュレット 500 現在いる階層のダメージゾーンを無効化する 回復の泉 名称 買値[] 解説 備考 秘孔針 130 敵数体を呪殺する ムドオンの効果 破魔矢 300 敵全体に無属性のダメージを与える メギドの効果 阿弥陀数珠 540 人間の属性がLAW以外の時エナジードレインを回避する テトラジャの効果 如来像 1200 LAW属性以外の者のHPが0になると自動的に回復する 上へ 出現悪魔 属性1 属性2 種族 名前 LV HP MP 魔法・特技1 魔法・特技2 魔法・特技3 魔法・特技4 魔法・特技5 魔法・特技6 魔法・特技敵専用 相性 NEUTRAL LAW 妖鳥 モリーアン 38 298 112 ヘルファング バインドボイス デスバウンド ヘルズアイ ------- ------- ------- ノーマル NEUTRAL LAW 妖鳥 マッハ 35 240 89 ヒートウェイブ 引っかき 羽ばたき 毒引っかき ------- ------- 仲間を呼ぶ 鳥 NEUTRAL NEUTRAL 龍王 ヴリトラ 48 607 185 ジオンガ マハジオンガ シバブー パララアイ ------- ------- ------- 対精神 NEUTRAL NEUTRAL 妖精 ティターニア 48 420 264 子守唄 セクシーダンス マハブフーラ ヘルズアイ ------- ------- 悪魔のキス♀ 反魔法 NEUTRAL CHAOS 妖鬼 ヤクシニー 33 328 78 回転斬り 回し蹴り セクシーダンス ディアラマ ------- ポズムディ ------- ノーマル NEUTRAL CHAOS 鬼女 ランダ 55 612 253 シバブー ハッピーダンス マリンカリン 噛みつき 毒ガスブレス ------- ------- 反物理 NEUTRAL CHAOS 鬼女 ボルボ 50 486 225 ドルミナー マカラカーン マリンカリン マハブフーラ ムド ------- ------- 対魔法 NEUTRAL CHAOS 鬼女 ゴルゴン 45 423 163 毒引っかき 麻痺引っかき ペトラアイ 怪音波 子守唄 ------- ------- ノーマル 上へ
https://w.atwiki.jp/occultfantasy/pages/1029.html
Beddru of Japan カージー・グレイヴス(Kersey Graves)著『磔にされた十六人の世界の救い主』 (原題 The World's Sixteen Crucified Saviors)で イエスと同様な神話を持つ例として紹介された存在。 第一章のリストに名前が挙げられるだけで詳細は述べられない。 だが、日本の神話伝説にBeddruなんてキャラは出てこない。 そもそもddrと重ねて表記するような言葉は外来語にしかありえない。 『救い主』の新版に序文を書いたアーチャーリャ・S(Acharya S)はBeddouの誤植とした。 その記述のある38章の原文では古代中国の神の伝承として紹介され、 出身地はカシミール(Cashmere)とありブッダとは異なる。 Beddouは母親の脇から生まれた点では釈迦と共通しているが、 イエスに対してヘロデがしたように、彼の父親は同じ時に生まれた男児を殺させた、とする。 1828年に刊行されたという資料からの引用として紀元前1027年生まれ とされている点を紹介している。リストの2番目にBudha Sakia of Indiaと挙げられ、 16章でBudha Sakiaが磔にされた年代は紀元前600年とされており、少なくとも グレイヴス自身は同一視していないと見られる。Budha Sakiaを磔にするに あたって神が矢を用いたとあるが、これも仏典の伝える「釈迦」の臨終とは違っている。 釈迦の死にまつわる諸説にも外傷による他殺とするものはない。 日本で信仰される大乗の諸仏にも『救い主』にある Budha SakiaやBeddouと同じ過去を設定されている尊格はない。 アーチャーリャ・Sはブッダが十二人の弟子(十大弟子+α?)を連れていたとか、 磔にされたとか、復活した、等といった話が仏教徒の記録にある、と主張するが 肝心の出典は出さない。Christian Lindtnerという人からの情報だといい、 サンスクリット写本が証明する、という書き方はするのだが言いたいことを 箇条書きするだけで終わっている。どの経典・文献にあるのかについては 沈黙している。ネット上にはAmida Beddruとして 阿弥陀如来と結びつける解釈が見られるが、生きた人物としての設定が ほとんどない(漢訳の無量寿経に元国王という記述があるくらい)ため Christian Lindtnerの「仏教徒の記録」と結びつけることも出来ない。 『磔にされた十六人の世界の救い主』について 19世紀に書かれたキリスト神話説の古典。世界各国の神話伝説にいる、 イエスのような要素を持つ神・人物について紹介するという書物。 キリスト教批判を行うサイトでよく引用されている。 宗教批判の映像作品でも資料として使用されることがある。 しかしながら『磔にされた十六人の世界の救い主』は 歴史学者リチャード・キャリアー(Richard Carrier)から 信頼性に欠ける書物とされている。キャリアーは護教的なキリスト教徒 ではなくキリスト教をはじめとする宗教を批判している無神論者である。 もちろんキリスト教徒の学者からの批判もある。 参考文献 岩波文庫『浄土三部経(上)』149ページ 参考サイト The World's Sixteen Crucified Saviors(『磔にされた十六人の世界の救い主』原文) Kersey Graves and The World's Sixteen Crucified Saviors(リチャード・キャリアーによる但し書き) Beddru of Japan. A Bogus "Savior"(キリスト教徒によるBeddru批判) Beddru is Beddou is Buddha(アーチャーリャ・Sによる擁護)
https://w.atwiki.jp/nobu-wiki/pages/309.html
テスト鯖 情報交換掲示板 テスト鯖の情報限定でお願いします。 テスト鯖 情報交換掲示板 [#ja6ad075] 奥義 [#zc8eadff] 刀鍛冶 製造の武器 [#iaccccf8] 既存のデータを本陣からコピーしている人へ [#vada2de0] テストサーバーについて [#ja1d1af0] #article 奥義 (2008-03-14 (金) 18 33 12)奥義の一覧ページを作ったのだけど、効果対象があいまいだったり準備時間が書いてなかったりと不完全な部分もあるので、わかる人は修正お願いします ご苦労様です(* - )> -- くぅ せっかく技能一覧とか作ってくれてる人がいるのに、ページごと消してるバカをアクセス禁止にしてほすぃ。 -- 破天以前の古いデータだったので生産技能を削除したのに、なぜか元に戻した人がいますねえ -- 名前 コメント 刀鍛冶 製造の武器 テスト 刀鍛冶 (2008-02-29 (金) 18 18 23)懐剣 命中補正+4 回避補正+2紅玉短刀 価18 攻47 耐78 宝五11口08 付枠2小鉤山 価19 攻50 耐78 宝五11口11 付枠2三鈷小刀 価20 攻53 耐80 宝五13口11 付枠2長友焔 価21 攻54 耐80 宝五13口13 付枠2波貫 価22 攻55 耐82 宝五15口13 付枠2刀 命中補正+2 回避補正+2 妖術耐性+10漆黒丸 価18 攻65 耐68 宝五11口08 付枠2突針 価19 攻68 耐68 宝五11口11 付枠2エベタム 価20 攻71 耐69 宝五13口11 付枠2クトネシリカ 価21 攻73 耐69 宝五13口13 付枠2備前長船 価22 攻75 耐70 宝五15口13 付枠2薙刀(槍術系) 命中補正+6漆黒丸 価18 攻096 耐85 宝五11口08 付枠2龍骨刀 価19 攻099 耐85 宝五11口11 付枠2八尺瓊之鉾 価20 攻102 耐87 宝五13口11 付枠2悪霊御用 価21 攻104 耐87 宝五13口13 付枠2流星斧槍 価22 攻106 耐90 宝五15口13 付枠2手槍(剣術系) 命中補正+3 回避補正+4大十手 価18 攻59 耐098 宝五11口08 付枠2大片鎌 価19 攻63 耐098 宝五11口11 付枠2大鉈 価20 攻67 耐102 宝五13口11 付枠2大神焔 価21 攻69 耐102 宝五13口13 付枠2鉤月 価22 攻71 耐105 宝五15口13 付枠2槍(槍術系) 回避補正+6威継光刀 価18 攻86 耐110 宝五11口08 付枠2大和十字槍 価19 攻89 耐110 宝五11口11 付枠2月牙斎 価20 攻92 耐112 宝五13口11 付枠2雷叉 価21 攻94 耐112 宝五13口13 付枠2風流の槍 価22 攻96 耐114 宝五15口13 付枠2打棒(懐剣系) 命中補正+4 回避補正+3 物理耐性+15琉球トンファー 価18 攻42 耐140 宝五11口08 付枠2鬼面独鈷杵 価19 攻45 耐140 宝五11口11 付枠2双鉄 価20 攻48 耐142 宝五13口11 付枠2阿弥陀如来独鈷杵 価21 攻49 耐142 宝五13口13 付枠2退魔真電 価22 攻50 耐145 宝五15口13 付枠2打鞭(剣術系) 命中補正+4 回避補正+3 物理耐性+10胴割 価18 攻60 耐120 宝五11口08 付枠2生太刀 価19 攻62 耐120 宝五11口11 付枠2隼風鉾 価20 攻64 耐124 宝五13口11 付枠2春七枝 価21 攻66 耐124 宝五13口13 付枠2小鳥丸 価22 攻68 耐126 宝五15口13 付枠2棍棒 命中補正−2 回避補正−2 物理耐性+20飾大槌 価18 攻121 耐110 宝五11口08 付枠2破鎧棒 価19 攻123 耐110 宝五11口11 付枠2爆裂破砕棒 価20 攻125 耐112 宝五13口11 付枠2鬼鉄 価21 攻127 耐112 宝五13口13 付枠2十七支大刀 価22 攻129 耐114 宝五15口13 付枠2 名前 コメント 既存のデータを本陣からコピーしている人へ (2008-02-25 (月) 11 15 29)ここはミラーサイトではないので、本陣からのデータはいらないかと 名前 コメント テストサーバーについて 初心者です (2006-11-21 (火) 00 25 02)テストサーバーって破天発売になったら消えてしまうのかな?それとも今の鯖以外に追加されてそこに移動?でしょうか・・ウーン 初心者を名乗る前にテストワールドサポートくらい読みましょうね。「テスト」をするためのサーバーですよ。テストサーバーから他サーバーへのキャラクター情報の移動はありえません。 -- 破天発売になっもテストサーバーのキャラはそのままです -- テストサーバーってどうやればできますか? -- 武者 公式からダウンロードできるよ -- 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/pokecharaneta/pages/6067.html
JR京都線 -- (名無しさん) 2012-10-24 15 59 05 東海道本線 -- (名無しさん) 2012-10-24 22 12 40 JR阪和線 -- (名無しさん) 2012-10-24 22 19 00 JR東京駅=レジロック(赤レンガ) JR京都駅=レジアイス(色と形が似てる) -- (名無しさん) 2012-10-24 22 21 44 -- (名無しさん) 2012-10-31 21 55 23 JR北海道 ハッサム 発寒(名前から) -- (名無しさん) 2012-11-12 20 12 58 草案 JR北海道 オオスバメ:美唄 焼き鳥で有名なので -- (ユリス) 2012-12-24 09 55 57 東急田園都市線 渋谷:ウインディ(ハチ公)orニョロトノ(ハチ公口近くに鎮座している旧5000系の愛称が「アオガエル」) 桜新町:サザエさんの項目のポケモン(…言わずもがな) 溝の口:ドードリオ(3つの頭で田園都市線・大井町線・南武線(これはJRで「武蔵溝ノ口」だが)を表現。駅前が活気に満ちているのでさわぐ必須) 宮崎台:コータス(電車とバスの博物館) 鷺沼:コジョンド(メトロ8000系&08系。メトロの植民地(www)車庫がある) 長津田:クレベース(車両基地がある) 南町田:シェイミ(スカイフォルム=土日祝日の急行停車) 中央林間:ラプラス(小田急江ノ島線に乗り換え) -- (名無しさん) 2014-04-05 00 14 19 オノンド;洞爺駅 -- (名無しさん) 2015-02-24 19 10 57 草案 JR北海道 フシデ:札幌 エモンガ:旭川 -- (ユリス) 2015-02-24 21 49 04 新橋:コータス(SL広場) 浜松町:ピカチュウ(かつてポケモンセンタートウキョーがあった) 田町:マナフィ(海に近い) 品川:アルセウス(鉄道の始まり) 大崎:ミュウ(一大ターミナル) 誰か新駅候補求む(笑) -- (名無しさん) 2015-02-26 00 06 55 東急東横線 渋谷:ムーランド 代官山:ギガイアス 中目黒:ワルビアル 祐天寺:カイリキー 学芸大学:アリアドス 都立大学:レディアン 自由が丘:レパルダス 田園調布:ビーダル 多摩川:ヌオー 武蔵小杉:ソーナンス 某幹部の名前から 日吉:エテボース 大倉山:レジロック 菊名:チェリム 妙蓮寺:エンテイ 白楽:ラティアス 東白楽:メガラティアス 横浜:ウィンディ -- (ルモスライ) 2015-03-23 22 57 58 草案 JR北海道 ナエトル:苗穂 -- (ユリス) 2015-03-24 19 47 53 東急大井町線 二子玉川:タマザラシ(名前ネタ) 等々力:ケルディオ(等々力渓谷。「美しい水辺に現れる」との図鑑説明より) 九品仏:メガチャーレム(九品仏浄真寺→阿弥陀如来→仏教→インド…) 緑が丘:ドダイトス(駅名まんまのイメージ) -- (名無しさん) 2015-04-11 00 14 19 巣鴨はムーランドでも合いそうです。 -- (ユリス) 2015-04-12 10 00 43 常磐線・武蔵野線 新松戸 ムックル -- (名無しさん) 2015-08-19 06 33 20 東姫路=ゾロア 姫路がゾロアークなので進化前にした 来年開業するので記念に。 -- (名無しさん) 2015-10-03 22 53 35 キノガッサ=立花 忍たま乱太郎の項目より。名前の由来なので -- (名無しさん) 2015-12-28 00 27 42 TXと東武の流山おおたかの森駅、JRの三鷹駅、鷹取駅は、 鷹だけにムクホークがいいと思います -- (名無しさん) 2016-07-28 22 23 25 JR大阪環状線 ツンベアー:阿倍野駅 -- (田中護) 2018-04-08 14 35 47 草案 JR北海道 ブーピッグorエンブオー:帯広 -- (ユリス) 2018-04-08 15 17 19 JR大阪環状線 アブソル:京橋(大阪府) アルセウス:天満 -- (名無しさん) 2018-11-23 19 15 30 JR京葉線 トロピウス:新木場(近くにある植物園から) ピカチュウ:舞浜 とおせんぼうを覚えたポケモン全般:南船橋(2番線と3番線は行き止まりのホームなので) なみのりを覚えたポケモン全般:稲毛海岸 レックウザ:千葉みなと -- (kazuki) 2019-01-17 01 58 25 山手線 デンヂムシ 新橋 フーパ(いましめられしすがた) 高輪ゲートウェイ -- (斬醒) 2022-10-31 16 04 59
https://w.atwiki.jp/zoom100/pages/17.html
本堂 念仏宗無量寿寺(念佛宗) 総本山 佛教之王堂〜三国伝来の佛教美術 概略 阿弥陀堂 高さ51.5m(基壇、棟飾り込)、桁行(幅)67.9m、梁間(奥行)58.2m 天井までの高さ約32m(11階建ての建物が入る)、天井大彫刻は48畳 破風 一辺25m、合計50m 平瓦 幅1.7尺、奥行1.9尺(世界最大) 十二万四千枚 畳数 888枚 欄間彫刻 堂内488点 柱など堂内は拭き漆仕上げ 上段は六手先総詰組様式、下段は四手先総詰組様式。 上層部に扇垂木を用いた日本建築史上初の佛教建築であり、屋根上に12万4千枚の瓦が敷かれている。 その瓦の波の頂上に聳える鬼瓦は、鬼師・梶川亮治氏制作。 (ギネス世界記録認定・平成19年2月28日公式認証・高さ9m、幅8.8m、先端部経之巻の直径91cm) 鬼の憤怒の形相が、衆生の心中に潜む煩悩を払い、清浄無垢な心を顕現させます。 『鬼瓦 Onigawaras(ridge-end tiles)』〜佛教之王堂 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 世界一の鬼瓦 また、本堂前左右には、石匠・蒋智明氏製作の大石燈篭が聳え、衆生の心を不断の光明で照らし、佛道へと導いています。 (ギネス世界記録認定・平成20年4月28日公式認証・高さ12m、幅7.4m) 軒下最上層部の周囲には、手先詰組の間に、釈迦如来像八十体が四方へ向かって遍く衆生済度を勧められ、その下層部には八十八体の龍、蟇股には、表に龍、内に等身大の飛天それぞれ百四体、また、本堂全体で十万枚を超える金色に輝く飾り金具が、荘麗なる浄土の世界を厳飾しています。 堂内には、金箔二重貼り、六手先総詰組、屋根葺面積226.2㎡、総数16,000枚の瓦を使用した宮殿(くうでん)(高さ19m、幅19.98m、奥行12.36m)、その中に在して、大慈悲の光明にて十方世界を照らすが如く輝きわたる本尊阿弥陀三尊佛は、中華人民共和国、工芸美術大師・佘國平佛師制作の総高8.45mの木彫佛像です。 伽藍全体で一万点以上の木彫群、宮殿上に配す幅22.6m、高さ3mの双龍彫刻、宮殿の両脇に四階建てビルの高さに匹敵する全高11mの彫刻が、鳳凰、松竹梅等を刻んで納められている。 また、本堂内壁は、三阪雅彦画伯により、総面積852.9平方メートルに及ぶ金箔襖に色彩豊かに描かれた鳳凰及び瑞雲、また、下部に描かれた蓮華が相俟って、浄土の光景を彷彿させる。 本堂全体で2,987点に及ぶ木彫群、百四十四枚の桟唐戸、また、本堂前に鎮座する一塊の巨岩を彫り込んだ巨大な天水鉢(全高2.2m、幅3.5m、奥行3.5m)等々、世界に二つとない彫刻・工芸の奥深い造形の数々は、どれほどの時をかけても見尽くすことができないものであり、それぞれが調和しつつ、妙なる浄土賛歌を奏でる情景は、参詣する者全てに御佛への畏敬の念を起こさせずにはおかない。 本堂wiki 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂 本堂宮殿 The Golden Shrine Inside the Main Hall, there stands the magnificent golden shrine. It houses the image of Amida Triad carved by Mr. She Guo Ping, a living national treasure of China. The wooden image of the triad measuring 8.45m high has no equal in the wor1d, and shines in brilliant gold as if the Buddha illuminates the wor1d with sparkling light of compassion. The beam on top of the golden shrine is adorned with a sculpture of gilded twin dragons. The sculpture, measuring 3m high and 22.6m wide, was carved by Mr. She Guo Ping, a living national treasure of China. On both sides of the shrine, stand back to back, four gigantic relief sculptures with a height of 11m as high as a 4・story building. Adorning the entire temple are more than 10,000 elaborate carvings and 370,000 golden chasings in total. 本堂内に歩みを進めると、金色に輝く宮殿が聳え立ち、その中に在して、大慈悲の光明にて十方世界を照らすが如く輝きわたる阿弥陀三尊佛は、中国人間国宝・佘國平仏師制作、幅22.6m 高さ3mにわたって彫刻された双龍を配し、両脇に四階建てビルの高さに匹敵する全高11mの彫刻、左右・表裏合わせて四基が聳え立つ。 高さ:19m 幅:19.98m 奥行:12.36m 純金箔二重貼り、六手先総詰組、屋根葺面積226.2㎡、総数16,000枚の金箔瓦を使用 The magnificent doubly-gileded golden shrine with six-stepped intermediate brackt complexes, which measures 19m high, 19.98m wide, and 12.36m long. On its roof, measuring 226.2㎡, there spread 16,000 gilded roof tiles in total. 『傍説阿弥陀経』に説かれている、極楽浄土の荘厳をそのまま表現した宮殿は、あらゆる彫金や金箔が全面に施されています。 宮殿は、天竺における塔や、その下の小室である「龕(がん)」を源流としており、その字に象形される如く、まさしく「龍(佛)」と「合う」空間です。 となふれば 佛も吾も なかりけり 南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛 一遍上人の御歌にあるように、ここに静かに座して佛を念じていると、吾を忘れて、心は佛の世界に溶け込んでいくようです。 宮殿の大きさは、史上空前の高さ十九メートル。六階建てピルを上回る、見上げるばかりの壮大さで参詣者を圧倒します。 本堂宮殿 輪灯 高さ十八メートルにも及ぶ空前の大きさの輪灯は、幾重にも重なる瓔珞(ようらく)の下を、龍が躍動する独特のデザインであり、そこから放たれる優しい光は、参詣者 を浄土の荘厳に浸らせ、菩提心を高揚します。 中国の匠が、永年持たせるため、素材を厳選し、経験と技の粋を結集して制作したものです。 (株式会社 日輪) 本堂宮殿 桟唐戸 静かに座して宮殿に相対せば、金色の浄光が参詣者の双頬を照らし、さながら極楽静土を彷彿させます。 精綾な彫刻、彫金で荘厳された扉の奥には、沸き立つ来迎雲を伴った御本尊「阿弥陀三尊佛」が慈悲の眼差しで在し、祭事の時には一時、御開帳され、その妙なる 尊容を拝むことができます。 (小松ウォール工業 株式会社) The Main Hall The largest Buddhist temple structure in the world The hall stands in the midd1e of rich greenery, surrounded by a range of mountains resembling the shape of a 10tus flower with its eight petals. It is 51.5m high, comparab1e to an 18-story building. The upper part of the hall has six-stepped intermediate bracket comp1exes, the first of its kind in the history of Japanese architecture, and the 10wer part has four-stepped intermediate bracket complexes, both incorporating fan rafters. Under the eaves, among the upper mu1ti-stepped intermediate bracket comp1exes, 80 scu1ptures of Sakyamuni Tathagata are attached, encouraging all sentient beings in all directions to save others. Adorned be10w are 88 carved dragons, and on the frog-1eg struts among the 10wer multi“ stepped intermediate bracket comp1exes, there are 104 carved dragons on the outside and 104 life-size scu1ptures offlying ce1estia1 beings on the inside. Over 100,000 gold p1ates decorate the entire Main Hall brightly, manifesting the bri11iance of the Pure Land. 本堂〔世界最大の寺院建築] 大自然が八葉の蓮華を形作った緑豊かな山並みの中に釜える。 高さは18 暗建ピルに相当する5 1. 5m 。上段は日本史上初の六手先総詰組様式、下段は四手先総詰組様式。上層部に扇垂木を用いる。 軒下最上層部の周囲には、手先詰組の間に、釈迩如来像八十体が四方へ向かって遍く衆生済度を勧められ、その下層部には八十八体の龍、墓股には、表に龍、内に等身大の飛天それぞれ百四体、また、本堂全体で十万枚を超える金色に輝く飾り金具が、荘麗なる浄土の世界を厳飾する仏教建築。 Looking up at the onigawara and the Stone Lantern, the two “No. l"s in the world As many as 124,000 of the biggest roof tiles in the world are used, with each ti1e measuring 51.5cm in width and 57.6cm in 1ength. The onigawaras,demon-faced ridge-end tiles, rising on the waves of roof ti1es, were made by Master Ryoji Kajikawa. Each of the tiles has the height of a 3-story building. The infuriated face of demon he1ps sentient beings to sweep away their desires and bring about pure and innocent minds. In front of the Main Hall, the 1arge Stone Lanterns stand high on both sides. They cease1ess1y illuminate and guide sentient beings to the Buddhist way. 二つの世界一を仰ぎ見る 屋根上に、124 , 000 枚の瓦を敷く。各平瓦は世界最大の幅1. 7 尺 奥行1. 9 尺 その瓦の波の頭上に聳える鬼瓦は、鬼師・梶川亮治氏制作、三階建ピルに匹敵する高さを誇る。鬼の憤怒の形相が衆生の心中に潜む慎悩を払って、清浄無垢な心を顕現させる。 本堂前左右には、大石灯龍が釜え、衆生の心を不断の光明で照らし、佛道へと導く。 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 本堂 の主な彫刻群 大彫刻 菩薩来迎 宮殿の左右の彫刻。4 階建てピルに匹敵する全高11m の巨大なー木両面彫り。 左右合わせて百八体の菩薩と千八体の化佛が刻まれている。 天井彫刻 鳳凰 四十八畳もの広大さを誇る彫刻であり、天下に平和をもたらす人物の出現を待って この世に現れるとされる瑞鳥「鳳風」を刻む。 大彫刻 双龍 境内の中で最も大きな彫刻。7 階建てピルに匹敵する幅22.4m 総重量12 トンの阿吽の龍を配する。 宮殿の上方を双龍を合わせて九尾の龍が守護する。 二十五菩薩 来迎 往生に際し、来迎する二十五菩薩衆 中華人民共和国工芸美術大師(人間国宝)佘國平佛師制作 桟唐戸 表:龍 裏:鯉 鯉(凡夫)が急流を登り、龍(佛) 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 本堂 彫金 錺金具 念佛宗(念仏宗)無量寿寺の陣所で浄土の輝きを見せている彫金類は、実に膨大な数量である。彫金もさることながら、その後の金めっきの工程は、不可能を可能にした不撓不屈の精神の結晶。金具の輝きは、職人の努力の輝きであり、あらゆる職人の努力が素晴らしい阿弥陀佛の浄土を輝かせた。 金箔二重貼りの本堂宮殿の扇垂木はさらに匠の手により精緻に彫られた彫金によって荘厳され、全体として調和しながら美しい曲線を描き出す。 伽藍を支える柱の底部を腐蝕や外傷から護るための金具「根巻」金物にも精緻な錺金具で荘厳されている。 『佛説阿弥陀経』の中で、「…復次舎利弗 彼国常有 種種奇妙 雑色之鳥 白鵠孔雀 鸚鵡舎利 迦陵頻伽 共命之鳥 是諸衆鳥 昼夜六時 出和雅音 其音演暢… 」 と説かれている、浄土に住む数々の鳥が彫金されている。これら白鵠・孔雀・鸚鵡・舎利・迦陵頻伽・共命之鳥の六烏は、「佛」「法」「僧」 を讃え、奏でて、浄土を荘厳している。 経典に説かれる浄土の世界を示現する 浄土の荘厳について、『大無量壽経』巻上には、次のように説かれている。「多くの宝でできた蓮華は遍く世界に満ちわたり、一つ一つの蓮華には、百千億の葉がある。 その花びらの光には無数の色があって、青い色には青い光、白い色には白い光、その他、玄・黄・朱・紫の色にもそれぞれの光があって、そのきらめく有様は、かがやきかがやきかがやきかがやいて、日月よりも明らかである」
https://w.atwiki.jp/the-man-of-the-creation/pages/49.html
年輪年代法(デンドロクロノジー) 山口県法光寺阿弥陀如来座像台座の計測 樹木の年輪幅の広狭などの変動変化を手がかりに、その木材の伐採年や枯死年代を誤差無く暦年でもって正確に求めることの出来る年代測定法。 C14測定法と密接に関わっており、年代測定の際にも相互補完される。これについてはC14測定法の項目で述べる。 ○日本での歴史 二十世紀初頭にアメリカで実用化された。反対に日本では気候が多様で地形に富んだ地域で生育している樹木の年輪は、その場その場の環境差を年輪形成に反映するであろうから、同年代の年輪を比べた場合、そこには共通の変動変化を見ることは出来ないという考えが支配的で、実用化が難しいという思いこみもあって長い空白期間が生じた。 奈良文化財研究所がドイツの研究の発展、平城宮跡の出土木材などを理由に1980年から実用化を目指し、ヒノキ、スギ、コウヤマキなどが年輪年代法に適しているとわかった。 年代を割り出す際に基準となる暦年標準パターン(マスタークロノジー)の作成も順調に進み、今や大分県~青森県までの各種木材の年代測定に多くの成果を挙げている。 ○原理 樹木の年輪幅を10ミクロン単位で計測し、その変化を経年的に調べる。 生育環境が似ている一定の地域のなかでは樹種ごとに固有の年輪変動パターンを描くことが判明している。 第1段階 上記特性(固有の年輪パターン)を持った樹木かどうか。現在、ヒノキ、スギの他、針葉樹10種類、広葉樹2種類(ブナ、ミズナラ)が判明している。 第2段階 暦年標準パターンの作成。伐採年の判明している多数の現生木試料からデータを収集する。次に古建築部材や遺跡出土材からデータを収集し、既にあるデータと順次照合する。そして長期にわたる暦年標準パターンを作成。 第3段階 年代不明の木材を計測して年輪パターンを作成、暦年標準パターンと合致するところを探し求め測定完了。 樹皮が一部でも残存しているか、最外年輪が残存していれば伐採年、枯死年を正確に測定できる。 年輪パターンには肉眼で観察する場合と、コンピュータを用いて統計的に処理する場合とがある。 地域別、樹種別の年輪パターングラフ ○暦年標準パターン 樹種別暦年標準パターンの作成状況 九州はスギ、ヒノキの出土量が極端に少ないので適用事例は空白である。 また北海道産のエゾマツやトドマツなどは適用可能の樹種であっても古代から現代まで広く使われていなかったため長期の暦年標準パターンが作成できず空白である。 アメリカではマツ類で8400年、ドイツではナラ類で11000年前まで作成されている。 ○年輪幅の計測 双眼実体顕微鏡付きの年輪読み取り器(0.01ミリまで計測)を使用。 試料から直接測る場合と、試料から採取した標本から測る場合とがある。 1年分の年輪の間に年輪境界のようなものが別に形成されていることがある。偽年輪(重年輪)と言われ、読み取り中に判別出来ることが多いが困難な物もあるので要注意。 樹木の全周を巡らず一部で途切れた年輪(不連続年輪)は、年輪密度の極めて高いものにごく希に見られるが標準パターンとの照合によってチェックすることが可能である。 ○測定対象になりにくい試料 年代測定には100層以上の年輪が必要である。樹木が若齢の頃の年輪は個体的特徴が現れやすい為。 極端に狭い年輪幅(0.2ミリ前後)で推移しているものは照合が成立しにくい。 同心円状に形成されておらず、不特定方向に広狭のあるものは照合が成立しにくい。 法隆寺五重塔心柱の円盤標本 年輪年代測定法により594年の伐採と判明した。
https://w.atwiki.jp/divine_revelation/pages/409.html
目次 1.なぜ「悪人正機」を信じたか 2.弥陀の誓願の意味 3.イエス様の救いの喩え話 4.釈尊の「毒矢の喩え」の教え 5.自力論者は泳ぎの達人 6.罪と罰について 7.この世で失敗を反省できる者は神の愛を受ける 8.総理経験者が地獄で苦しんで理由 9.失敗したあなた方のために「神仏」の慈悲はある 10.成功者「松下幸之助」は、なぜ天上界へ昇れるのか 11.マイナスの人間は零になっただけで幸せだ 12.悪人が救われな理由 13.「悪人正機説」の間違いやすいところ 14.現代のバベルの塔「唯物科学至上主義」は、邪神バールの化身 15.仏法者の肉食妻帯是非論について 16.「他力本願」の本当の意味 17.親鸞は前世でイエスの弟子パウロとして生まれ、信仰の大切さを説いた (1986年8月6日の霊示) 1.なぜ「悪人正機(あくにんしょうき)」を信じたか 親鸞 親鸞でございます。 ―― 過般はおでましを願って、いろいろとお話をうけたまわったのでございますが、あれからもう四、五年にもなりましょうか。その当時は、私どもの「正法」伝道に対する心がまえと申しましょうか、取り組み方において、いまだ定かなものを持ちねし、大変失礼をいたしました。 さて、すでにご承知かともぞんじますが、この霊天上界よりの霊言集も何巻もの発行をみるに至りました。そういうわけで、諸聖賢よりの神理のお言葉を聴こうとする読者の数が日本国中に大きく拡がりまして、この際、親鸞聖人のお教えをぜひうけたまわりたいという声が多々でてまいりました。 そこで今回は、私どもといたしましても、親鸞様から、人の生きるべき道について、とりわけ、親鸞様の時代から七百年たった現代における今日的凡愚(ぼんぐ)への救いについて、さらには、その悟りの境地について、往時のお考えをも交えてお教え願えれば幸いとぞんじております。この辺を、お願いできましょうか。 親鸞 親鸞は、一向に進歩はしておりません。親鸞は親鸞、あなた方が思っているように、著しい進歩をしている人間ではありません。七百年前も親鸞は親鸞、その前も、その後も、親鸞は親鸞でござる。わが心性は変わっておりません。 したがって、世の人びとが、親鸞らしき言葉をほしがるというのももっともであります。私は、進歩がない人間です。私は私として、ただ一筋に、自分の念(おも)いのままに、想(おも)うがままの道を生きるまででござる。親鸞はあくまでも親鸞、にわかに、親鸞以上の親鸞にはなりません。親鸞はあくまでも愚禿(ぐとく)親鸞でござる。賢くなってもおりません。悟ってもおりません。 このような親鸞の考えでよいのであるならば、いくらでもご披露(ひろう)いたしましょう。ただ、それがあなた方の満足のいくものかどうか、地上の世の人びとの満足のいくものであるかどうかは、私にはわかりかねます。しかし、世の人びとが、今、親鸞を懐(おも)う気持ちがあるならば、親鸞の思想どこにありやと思う気持ちがあるならば、それに応えることを惜しむような私ではござらぬ。 私は生きていたうちにも、それほど熱心に布教したわけではござらんし、それほど弟子の養成をしたわけでもござらぬ。親鸞は親鸞としての信念のうちにただ生きたのみ。それを他の人びとが、世の人びとが如何に見たかは、彼らの側の問題でござる。ただ、その親鸞のものの考え方が、現代のあなた方から見て不可解であるならば、私は私のわかる範囲で語りつくそうと思います。すべてを語ろうと思います。 ―― 私自身も、親鸞聖人様の真宗のご教義そのものの真髄というものは、いまだ把握いたしかねているものであります。まったく不勉強の至りと申さねばなりません。しかるにもかかわりませず、世の人びとが、私どもを介して、親鸞聖人様が本当の教えをお説きくださることを直(じか)にお聴かせ願いたいとの声が強くありますために、不肖にもかかわりませず、現代の世に道を探(たず)ねて生きる方たちになり代わりましてあえてお尋ね申し上げたいとぞんずる次第です。 そこで、これからお話中、このことについて、すなわち、この問題についてどのようにお考えでしょうかということをお尋ね申し上げることがあるかとも思いますが、これはご法についての私個人の質問ではありませず、ご法論をうけたまわり、その理を解しようとする人びとのお願いであるということをご賢察(けんさつ)賜わりたいのです。お訓(おし)えのほど、よろしくお願い申し上げます。 親鸞 わかり申した。まず、何からお話しいたしましょうか。 ―― 親鸞様のご書には、「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」などがございますが、なかでも多くの人びとに読み親しまれている、お弟子様の唯円上人が書かれている、「歎異抄(たんにしょう)」のなかから、いささかおうかがいいたしたいとぞんじます。 親鸞 けっこうでござる。 ―― あの「歎異抄」のなかにはいろいろ書かれております。聖人様ご他界後において、同信の方がたにおいても、聖人様のご意思に離れた信心を称(とな)えるものがでたとのことで、これが歎かわしく、唯円上人が直々に、聖人様とのお物語りなどのなかから、信心の本当の姿を説きあかしたものでございますね。 この「歎異抄」は、七百年の歳月を経ました今日におきましても、高校、大学生を始めとする多くの人びとに愛読されております。これが人生の教えとして受けとめられる以前に、ともすれば教養の書、知識の書として受け入れられているということもまた、事実であります。 すなわち、今日におきましては、人の生き態(ざま)の導きの書とはなりかねているように思いますので、この際、今一度、「人の生き態とは何たるか」を聖人様のお言葉を通してお示し願えればありかたいとぞんじますので、よろしくお願いいたします。 親鸞 まず話の糸口としては……。 ―― こと、それとその教えのもととなるものは、いわゆる「悪人正機説(あくにんしょうきせつ)」でございます。『善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや』の一節でありますが、キリスト教にもこれに似たイエス様のお教えがあります。『富める者の神の国に入るよりは、駱駝(らくだ)の針の孔(あな)を通るかた、かえって易し』と。これらのお教えには、相通じるものがありましょうか。 親鸞 ある意味においては、同じくするものであります。とかく仏法を求めている人というのは、偉くなりたい、悟りたいと希(ねが)うものであります。そして、仏の教えを理解すればするだけ、自らが偉くなったがごとく、宗教天狗となっていくのです。 そこで、私は警告を発したのです。鎌倉時代においては、もはや仏教は形骸化(けいがいか)し、当初の釈迦の教えは、末法の世となり、正しく伝わってはおらず、諸宗派相競って釈迦の何経が正しいとか、こういうことばかりをやっておったのです。この教えこそ真の教え、こちらは違うと、こうしたことばかりをやって、学者が議論をしておったのです。 しかし、考えてもみなさい。仏の教えというものは、いわば総合的な人間学でござる。すべての学びの本でござる。今の世でいうならば、学問にもいろいろござろう。英語であるとか、国語であるとか、社会であるとか、理科であるとか、さまざまな学問がある。そのうちの英語だけをすれば、人間は完成しますか。数学だけを学べば、人間はそれでいいのですか。国語だけをやっておれば、世の中のことがわかりますか。理科の実験だけをやっていて、世界の仕組みがわかりますか。そうしたものではないはずです。人間が学ぶべきこととは、学びの根本の精神を酌(く)みとって、さまざまな角度から考えていくことです。 ところが、当時の教学は、仏説の真理を判断し、これこそは真説、経文のこの意味はこういうこと、こうしたことが悟りであるかのごとく誤解されていたのであります。しかし、今から二千五百有余年前に、釈尊(しゃくそん)が説いた教えは、そのような学者相手に説いたのではござらぬ。 釈尊の時代は、インドもまた、戦乱の世でありました。戦乱の世であったからこそ、人びとは真なるものを求め、本当の「ブッダ」(悟れる者)の教えを求めておったのであります。そうした世が乱れ、仏法が衰えた、本当の神理、神の教えが衰えたときであったのです。したがってまた、釈尊の時代も当時としてみれば、末法の世であったわけです。末法の世だからこそ、末法の世を建て直すがために、釈尊がでられ、人びとを導かれたのではないでしょうか。 また、われらが時代、鎌倉時代においても、仏の教えの真髄は失われ、世は戦乱の時代となり、人びとは慟哭(どうこく)し、動乱の時代であったのでありますが、そうしたときに、かつての仏教が、かつての仏典が、釈尊の時代のバラモンの教典のようには知識化し、学問の対象となっていなかったのです。 ですから、あなた方から見れば、私がやったことは、あまりにも簡単すぎる。どんな人間でも救われる、弥陀の本願を信じて疑うなというような教えは、現代のあなた方から見れば、ずいぶん幼稚な理論だと思えるでありましょう。しかしこれは、一つの悟りに至るための精神棒であったということであります。 はたして、釈尊は二千五百有余年前にインドの衆生(しゅじょう)に対し、そんなむずかしいことを説かれましたか。そんなむずかしい、専門的なことを説かれたでしょうか。鎌倉時代には、もはや仏教は、専門の学問と堕(だ)しておりました。むずかしい漢文を読めなければ、人びとは救われないのですか。釈尊の時代には、そんなむずかしい古語を読めたような人を相手に教えておりましたか。 釈尊が教えていた相手は、当時のインドの民衆でありました。そうした方がた、戦乱のなかで救いを求めていた方がたでありました。そうした方がたに説いた教えであるならば、なぜそんなむずかしいことがありましょうか。釈尊は、そんな知識を得なければ、救われないというようなことを言ったのでしょうか。 当時のバラモン階級、貴族階級は、余裕があったために、さまざまの学問を学び、古(いにしえ)の教えに接したでありましょう。しかし、下層階級の人たちはどうですか。奴隷階級の人たちはどうですか。商工人たちはどうですか。彼らには、古のむずかしい教典を学ぶような、そういう余裕がありましたか。そういう時間がありましたか。そういう機会がありましたか。ありはしないです。 ですから、釈尊は、そういうバラモンの僧を相手に法を説いたのではありません。釈尊が説いたのは、一般民衆に対してであります。であるならば、釈尊の本意はどこにあったか。貧しい人びと、迷える一般の大衆たちをも救えるような教えにあったはずです。ところが、それが漢訳され、中国に伝わり、またその漢籍(かんせき)が、日本に伝わるにあたって、そのようなむずかしいものとなり、何経が正しいとか、そのようなことを言っておったのであります。 日蓮聖人から見れば、念仏で救われるなどということは、堕地獄(だじごく)の業(わざ)かもしれない。教学をやった人間から見れば、確かにそうであろう。釈迦の本説を読みもしないで、なぜ救われるかと、そう思う人もいるであろう。しかしそれは、当時のインドでいえば、バラモンの悟りなのです。仏説を知力で学んで、そして悟るというのは、バラモン階級、貴族階級の悟りなのであります。しかし、釈迦の本意はそこにはなく、釈迦にとっては、庶民を悟らしめることが、本当の気持ちであった。真のお気持ちであられたはずです。 では、釈尊は如何にして、人びとを導かれたのであろうか。釈尊は、おおいなる慈悲を説かれた方であります。慈悲とは何でありましょうか。慈悲というのは、父母が幼児(おさなご)を見守るような眼で人びとを見る、それが慈悲ではないのですか。幼い者を護(まも)る、幼い者を愛する。幼いものを導くということが慈悲ではないのですか。 釈尊の教えは、百万言費(ついや)そうとしてもわかりません。その仏門にはさまざまな道があります。何百何千の入口があります。それを究(きわ)めつくすことはできません。ただしかし、釈尊の教えを一言で言い切るとするならば、「慈悲」であります。つまり、釈尊は、慈悲を説かれたのであります。慈悲は、何人(なんぴと)に向けられたのですか。迷える衆生であります。迷える人びとであります。悟ろうとしても悟れない、そういう人びとに対して慈悲が向けられたのではないですか。釈尊は、その慈悲を説いたのではないですか。 では、鎌倉時代に、慈悲を説いた方がおりますか。日蓮聖人は慈悲を説きましたか。日蓮は、知力による悟り、その悟りにもとづいた生き方、これを主張しました。道元禅師は、どうですか。道元は、坐禅を説きました。そして、むずかしい哲学を説きました。その道で満足できる方もいらしたでありましょう。しかし、それは慈悲ではないはずです。 他の方がたはどうですか。天台の教学をやった方がたはどうですか。彼らは、本当に慈悲を知っていましたか。天台智覬(てんだいちぎ)は偉い方でありましたでしょう。しかし、天台智覬のいうむずかしい学問的仏教を、一般の人たちは理解できたでしょうか。そうしたものを学んだ比叡山の延暦寺ですね、彼らの教えをどうして民衆がわかりましょうか。釈尊はただ"慈悲"を説かれたのです。しかし、だれもその慈悲を説こうとはしないのです。私は、これは一つの問題点であろうと思いました。 慈悲さえ説けば、釈尊の本意は伝わるのであります。そうであるならば、私はその慈悲を説こうと考えた。では、鎌倉時代において、慈悲とは一体何でありましょうか。世は乱れ戦乱であります。宗教は末法であります。人びとは、何がどうなっているのかわかりません。人びとはいつも、死後の恐怖に戦(おのの)いていたのであります。当時は、今の人たちよりは、死後の存在というものを信じておったのです。 今の世の人びとは、死後の世界はないのだ、魂の世界はないのだ、と。とくに知識人といわれる人は、そんな愚かなことを、したり顔をして言っておるのです。しかし、当時の民衆は、死後の世界を信じておりました。現在のように唯物的なものの見方をする人などおりませんでした。みんな、死後を知っておりました。そして、死後の世界には、天国と地獄があるということも知っておりました。これは、当時の民間信仰においては、常識であったのです。 2.弥陀(みだ)の誓願(せいがん)の意味 親鸞 天台の教学を学ばなければ天国へ行けないのであるならば、下層の庶民は、地獄へ堕ちることはもう決まっているはずです。彼らはそれで、戦々競々(せんせんきょうきょう)とした毎日を送っておったのです。善行をすれば救われるといっても、このように世が乱れた時代に、如何ほどの善行ができましょうや。善行をするどころか、悪行を犯そうと思わずしても、犯してしまうような世であったのであります。罪を犯そうと思わなくとも、犯すような世であったのです。 では、そうしたときに、庶民大衆を救う教えとは何でしょうか。何百万もの人が、それを聴いてわかるようなやさしい教えでなければいけないのです。今のように、学問が進み、大学をでている人が多い世の中ではないのです。学問などないのです。読み書きができれば、よいほうであります。大部分の人たちは、つまり、人口の七割、八割の人は、読み書きすらできなかったのです。自分の名前さえ書けない人も多かったのです。 こういう人びとを導くには、ただ一転語をもって、その人を悟らしめる以外にはないではないですか。そうでしょう。釈尊が慈悲を説かれたのであるならば、鎌倉の時代に慈悲を説けばどうなのか。私は日夜学びました。釈尊が鎌倉の時代にでておられて、この衆生の迷いを見たら、一体何を説かれるだろうか。釈尊は、仏の救いということをやはりお教えになるに違いない。あなた方はみんな救われるとお教えになるに違いない、と。なぜならば、慈悲とは、父や母が幼児(おさなご)を見るようなやさしい眼で見守ることをいうからです。あなた方は、自分の子供が、たとえば二つ三つの幼児が、悪いことをしたからといって、それを罰しようと思いますか。幼児は、まだ善悪がわからない。ものごとの判断がわからないのです。言葉を発することも困難なのです。ただひとこと、乳がほしいとか、ご飯がほしいとか、喉(のど)が乾いたとか、そうしたことを言えるだけの幼児であります。そのような幼児に、これを学ばなければお前は一人前ではないと、あなた方は鞭(むち)打てますか。父母の心をもってすれば、鞭打てないはずであります。これが神仏のお心であります。 私の時代には阿弥陀信仰というものがありました。すなわち、「阿弥陀経(あみだきょう)」というものがあって、阿弥陀仏が人びとを救うために、四十八の"発願(ほつがん)"をされたのであります。阿弥陀仏は、人びとを、衆生(しゅじょう)を救うために、修行に修行を重ねて、「この四十八願がかなわないならば、わが命を奪い給え」と、そこまで覚悟されて修行に打ち込まれた。それだけの願いがありました。そのなかにおいて、阿弥陀如来は「衆生を救う」ということをはっきりと言っておられます。「どんな人であろうとも救う」と言っておられる。あなた方人間であるならば、よい人を救い、よくない人を救わないのは簡単です。しかし、神仏のおおいなる眼から見たら、人間は平等であります。神仏というものは、ある意味では、泳ぎの達人であります。 もしあなたが泳ぎの達人だとして、川で人が溺(おぼ)れているときに、あなたはその人が善人だから、悪人だからといって、救うか救わないかを決めますか。あなたは泳ぎの達人なのです。あなたは、よいですか、日本一の泳ぎの達人であります。日本一の泳ぎの達人がいて、そこに子供が溺れておるのです、川に。 川に流れはあるでしょう。普通の人であるならば、自分が溺れることもありましょう。しかし、あなたは日本を代表するような泳ぎの達人であります。そして、その眼の前で、子供が溺れておるのです。助けられないわけはないではありませんか。 あなたは、その子が品行方正な子供か、それともおいたをしている子供かによって、救うか、救わないかを決めますか。決めないはずです。その子の通信簿を見て、オール「5」だから救うのですか、オール「1」だから救わないのですか。そうではないはずです。 神と人間とは、それだけの差があるのです。神が、私たち人間のような差別知でもってものごとを見ているならば、神は好き嫌いでもって人間を救う、救わないを決められるでしょう。しかし、そうではないのです。泳ぎの達人で、神仏が現われるならば、必ず救ってくださるはずです。 親鸞は川のなかにあって、溺れる者たちのなかにあって、私もまた、川に流されていた一人の人間でありました。私は川のなかで流されておりました。自らを救うこともできずに、流れておった人間であります。そのとき、同じく浮きつ沈みつ流れていた多くの人びとがおったのです。しかし、親鸞には救うことはできません。 けれども、よいですか、「神は、神仏は、阿弥陀如来は、必ずあなた方を救ってくださるよ」と、親鸞は、泳ぎつつ人びとを励ましたのです。この教えに、何の誤りがありましょう。必ず救ってくださるはずです。人びとよ、その教えを信じなさい。私は、こう説いたのです。 私もまた、むずかしい教学を学びました。むずかしいことを言って、それで人びとが救われるものであるならば、私はそれも言いましょう。しかし、慈悲はそうではないのです。人びとは、何百万、何千万という人びとは、川のなかを、浮きつ沈みつして流れておったのです。今にも溺れかからんとして、息も絶えだえに、流れておったのです。そこで、親鸞は声をだし、「皆様、私はお助けはできませんが、きっと神、神仏は、阿弥陀如来は、皆様をお助けくださると思います。なぜなら、阿弥陀如来は、泳ぎの達人でいらっしゃるからです。ですから、そのお力も並はずれたものであります。きっと救ってくださるに違いありません」と説いたのです。 現に、阿弥陀如来は、人びとをお救いになられるからです。これが釈迦の慈悲でなくて、何でありましょう。もし釈迦が鎌倉の時代に生まれたならば、きっと私と同じ教えを説かれたでありましょう。浮きつ沈みつしている子供に、「お前が善人なら救ってやろう」と釈迦が言われたでしょうか。お前の通信簿がオール「5」であったら、救ってやろうと言ったでしょうか。日頃の学びにおいて、オール「5」を目指しなさい、品行方正な子供になりなさい、と教えるのは簡単です。それは、そのとおりです。学校でも、そう教えます。しかし、事態を見極めなさい。激流のなかで浮きつ沈みつしているときに、そんな道徳論を言っておれますか。まず、救うことです。それが先決です。 3.イエス様の救いの喩(たと)え話 親鸞 イエス様の教えにも、同じようなものがあります。これから話すのは、イエス様の教えのなかの喩(たと)え話です。 ある愚かな人が、道に倒れておりました。そこに、ある人が通りかかって、その者に語りかけました。そうするとその者は、「私は脇腹に傷があって、血がでています。歩けません」と、そう言いました。すると、そのある人は、「ああ、私の手には負えないな。そのうち向こうから医者がくるだろうから、その医者が救ってくれるであろう」と、見て見ぬふりをして、先へ行きました。 そこへまた、次の人が来ました。愚か者は、まだ血を流して苦しんでいます。次の人は、病んでいる者から、「助けてください」と言われたのですが、「いや、君は病院へ行けば治るよ」と言って、そのまま通り過ぎてしまいました。 三番目の人が来ました。三番目の人も、その病んでいる人を見ました。この人は、宗教家でありました。その人は尋ねました。 「あなたは、怪我をしているのですか」 「しています。血が流れています」 「あなたは、何教を勉強されていますか」 「私は異教徒です」 「あなたは、キリスト教に改宗しなければ教われません。まず教会に行って、キリスト教徒になりなさい。そうしたらお助けいたしましょう」 その宗教家は、そう言って、通り過ぎて行きました。異教徒は救ってはいけないと思っていたからです。そこに、たとえばイエス様が通りかかったとしましょう。イエス様はどうされるでありましょう。イエス様は、まず何も言わないで、すぐに傷の手当をされるはずです。その病の人を救おうとして、その病の者を担いで、次の宿まで、宿場まで運んで行かれるはずです。 そのような重病人に対しては、まず何を言うではなくて、命を救うことが先決なのです。血を流して苦しんでいる人に対しては、まずその傷の血を止めることが大事なのであります。そうではなくて、その人を救う専門家がいるだろうとか、あるいは、その人の教えが、考えが間違っているとか、そんなことを言ってはいけないのです。それは神の御意(みこころ)ではないのです。 よいですか、私の今の喩(たと)え話を、これはキリスト教で言われている喩え話でありますが、よく覚えてほしいのです。 4.釈尊(しゃくそん)の「毒矢の喩え」の教え 親鸞 鎌倉時代において、何教でなければ救われないと言っている人は、お前はクリスチャンでなければ、教会に登録しなければ救ってあげられないと言っている宗教家と同じなのです。そのようになってはいけません。どのようなものであっても、救われねばいけません。それが神の御意です。神様がでられたら、必ずお救いになります。その人の品行方正、そんなことは何も言いません。きっとそのはずです。 釈尊にもまた、同じ考えがあります。釈尊には、「毒矢の喩(たと)え」という教えがあります。 ある理論好きの人がおりました。その人が、釈迦に、問いかけました。「ここに毒矢に射たれた人がいる。そして、毒がまわって死にそうです。このとき、あなたはどうされますか」と。そこで、釈迦は、「まず、命をとり止めることが先決である」とそういうことを言いました。ところが、その理論家は、嘲笑(あざわら)って、こう言ったのです。 「あなたは間違っている。まず、その矢がどこから飛んできたのか、そして、何の毒が塗ってあるかがわからなければ治療はできないではありませんか。ですから、どこから飛んできて、何の毒が塗ってあるかを知ることが先決で、それからでなければ、救うことはできないはずです」 釈尊は、そのときに、言葉に窮したかのように黙しておられた。黙っておられたとのことです。 しかし、釈尊の真意は、そんなところにあったのではないのです。まず、生命をとり止めねばいけない。矢がどこから飛んできたか、毒が何であるか、そんなことはあとのことだ。まず、傷口をふさいで、包帯をして、命をとり止めることが大事だ。釈尊はそういうことを言ったのです。 これから、あなた方に対しても、いろいろな人がいろいろのことを言うでしょう。この矢の喩えのごとく、あなた方に「悟りとは何か」と言って、あなた方が高邁(こうまい)な理論で答えないのを嘲笑(あざわら)う人がいるでしょう。あるいは、あなた方が親鸞の説教を説いているならば、「浄土真宗のこういう本を読んでいるか」「こういう教義の本質を理解しているのか」と、こういうことを言う人がいるでしょう。 「親鸞は慈悲こそすべてだと言っています」と、あなた方が答えます。すると、理論家は嘲笑うでしょう。この彼は、仏教大学で、"浄土真宗"を専攻している人なのです。 「そんなものではない。親鸞の教えとは、そんなもんじゃない。親鸞は、こんなことを言っている。あんなことを言っている。歎異抄で唯円が書いているが、ここは親鸞の考えを理解していない」 このようなことを、彼は、ああでもない、こうでもないと言うでしょう。ただ、よいですか、本当は、人が救われればそれでよいのです。学問的に、その理論の正否ではないのです。毒矢のごとく、まず、毒矢に当たっている人を救わなければならないのです。その人が何の階層に属しているか、矢がどこから飛んできたか、どんな毒か、こんなことは、関係ないのです。 釈尊は、当時において、ある人から、「悟りとは何か」、あるいは、「宇宙とは何か」というような質問をされたことがあります。しかし、釈尊は、答えなかった。そこで、それを、後世の人たちは、釈尊は宇宙は何かがわからなかった、悟りとは何かが一言で言えなかった。だから、まだまだ勉強が未熟だったのだと、評したりしました。 しかし、それは、違っているのです。毒矢です。まず、命をとり止める必要があったのです。私たちの時代においても、毒矢に当たって苦しんでいる人がいっぱいいたのです。ところが、そのときに、矢がどこから飛んできたかがわからなければ人は救えないとか、毒の種類がわからなければ救えないとか言っている人がいっぱいいました。他の宗教家たちです。 矢がどこから飛んできたかがわからなければ救えないとは、どういうことか。これは、ある人が悩んでいても、その原因がどこにあるのかわからなければ、その人は救えない。あるいは、毒の種類がわからなければ救えない。まず、それを知ってから手当をしたらいいだろう、とこういうことを言っているのと同じです。矢が当たって、血が流れているなら、まず、止血(しけつ)をしなければいけない。血を止めるのです。腕に矢が当たったなら、矢が当たった腕の心臓に近いところの上を縛りあげて、止血し、そして、矢を抜かなければなりません。それが第一であります。 親鸞が教えとは、かくのごときものです。私は、矢がどこから飛んできたかは知りません。敵の矢か、味方の矢かどうかもぞんじません。その毒が何の毒か、ハブの毒か、あるいは、他の鉛の毒か、私は、そのようなことは知りません。ただ、矢に当たった人がそこにいるのであるならば、一秒でも早く止血し、手当をせねばならぬ。ただそれだけです。 親鸞が教え、親鸞が弥陀の本願、念仏と申したのも、ただ、矢が当たったら、まず応急処置をしなさいということです。その教えは、すべてではありません。まず応急処置をして、命をくい止める。それが先決です。そして、そのあとにおいて、さまざまな研究をすればよろしいでしょう。毒の性質を研究すればよいでしょう。そうした人もいるでしょう。それはそれでよろしい。 ですから、私が今から数百年前に説いた教えというのは、人びとに本当の信仰とは何かということを教えることでした。阿弥陀如来という神仏の偉大なる化身がおられて、日夜あなた方を救うために努力しておられるのですよ、と。そういうことを私は言いたかったのです。そのことを知りなさい。そのことを悟りなさい。それだけであなた方は、一命をとり止めることができるのです。 これは専門的な治療ではないかもしれません。しかし、あなた方は毒矢に当たって苦しんでいるのですから、まず命、これを救わねばなりません。それは、仏のおおいなる慈悲を知ることです。あなた方にとっても、そうです。現代人にとって、悩みの種はつきません。しかも、自分だけで解決しようとして、迷路に入っていってしまうのです。 5.自力論者は泳ぎの達人 親鸞 なぜあなた方は、この世界が、神仏のつくられた世界だということを理解しようとしないのですか。この三次元、すなわち、現象世界だけがすべての世界ではないのです。神仏はあなた方のすべてをしっかりと見ておられる。そうであるならば、なぜ彼らにおまかせしようとしないのですか。なぜ人間心で、いろいろとああでもない、こうでもないと出口を求めて狼狽(ろうばい)するのですか。なぜ神仏のご慈悲というものにおまかせしないのですか。 もちろん、自力で救われる人はおります。しかし、自力で救われるということは、もう信仰は必要ないのです。自力信仰であるならば、これは自分を信じるということであり、自己確信と同しであります。どんな難局があっても、自分で切り拓いていける人であるならば、そういう人はよろしい。そういう人は泳ぎの達人です。 泳ぎの達人は、いくら水泳の名選手が岸辺にいたとしても、その人に救われようとはしません。彼は自分で泳いで岸に上がって来れるのです。そうではありませんか。水泳の選手が、水泳の選手を助けはしないのです。泳げない人だからこそ助ける必要があるのです。自力論者は、すなわち、優れた人びとにとっては、まさにそのとおりでありましょう。優れた人びとは、神仏が手を下すまでもなく、自らを救っていくのです。そうした方がいることを親鸞は知っております。 彼らが自分自身で救えるならば、弥陀は力を発揮する必要はありません。自分自身のなかなる仏性を信じて、立ち直っていける方は、強い方であります。そうした方は、自分で救っていきなさい。弥陀もそれを喜ばれるでありましょう。けれども、自らが溺れている人には、それは無理であります。 あなたは、水を飲んで流されている子供に、自力で自らを救いなさいと言えますか。自力で泳いで岸まで来いと言えますか。それは一見正論であります。しかし、自力で岸まで泳げる人であるならば、助けなどいりません。そうでないからこそ、助けが必要なのです。 私が救おうと思った人びととは、庶民の方がた、迷える人びとです。迷える人びとだからこそ、救いの手を差しのべる必要があるのです。だからこそ神仏のお心を教える必要があったのです。神仏は溺れている子供に、沈めとは言っていないのです。助けようと思っておられるのです。ただ、間にあわなくて、助けられないままに沈んでしまう方もいます。 けれども、そのお心を疑ってはいけない。神仏は溺れているあなた方を救おうとしておられた。そのことだけは忘れてはいけない。順番に溺れる者を拾っていかれる間に、沈んでしまう人もいます。すなわち、これが地獄に堕ちる人です。だから、とりあえず地獄に堕ちた人もいます。弥陀のお力が及ばなかったとはいいかねますが、地獄に堕ちる人もいるでしょう。 しかし、そうした人たちを、必ず救ってくださるのです。水に沈んだ子を神仏は助け起こして、岸辺まで拾い上げて、水を吐かせ、人工呼吸をしてでも救おうとされるのです。沈む前に救いたいのはやまやまです。しかし、沈む前に救えないこともあります。そのようなときには、沈んで、顔が土色になっている子供であっても、神仏というものは、水を吐かせ、人工呼吸をし、心臓のマッサージをして、お救いになろうとしておられるのです。 このおおいなる慈悲に気がつきなさいと、私は、これを教えたのです。私は、この教えに間違いはないと思います。自力の人は自分で救っていきなさい。それはそれでけっこうです。 私たちのような煩悩多き迷える衆生(しゅじょう)は、水を飲みながら泳いでいる衆生は、それで救えないからこそ、神仏にすがっておるのです。ですからあなたも、あなたの足にまとわりついてくる幼児を足蹴にはできないはずです。親もまた、同じです。 私が衆生に教えたのは、神仏は父であり、母であるということです。ですから、その足に縋(すが)りつきなさい。ひとえに縋りつきなさい。そう訓(おし)えたのです。あなたは、あなたの可愛い子が足に縋りついたとして、それを蹴飛ばせますか。両手で抱き起こすでしょう。人間は、神仏がつくられた子供なのです。神仏の分けみ魂(たま)なのです。なぜそのようにつれなく突き放しましょうや。 その子のお行儀がいいから、その子の這(は)い方がいいから、その顔つきがいいから、抱き上げる。あるいは、その子の顔つきが悪ければ、蹴飛ばす。そのようなことを神仏がなされるはずがありません。平等の"愛"というものを信ずること、これが信仰の根本なのです。 これを邪説という人もおりましょう。それならば邪説といっていただいてけっこうです。その方は、信仰の何たるかを知らない人であります。また、神の御意(みこころ)を知らない方です。その御意がどれだけ大きいか。それは、大人と子供以上の差があるのです。この世界をおつくりになり、この世界に生きとし生けるものをすべて送り込んだ方なのです。そのような偉大な方であるならば、助けを求めれば救ってくださるのは当然であります。それを単純だと言い、それを仏説を知らないというのならば、それでもけっこうです。 しかし、それを知らないで、知識をいくら学んでも意味がありません。信仰とは、弱き者を救うことです。強き人は、自ら救っていきなさい。自ら自分を救っていける人は、自らが教祖のような人です。自分教で自分を救えるのですから、そういう人は、自分を救っていきなさい。それでけっこうです。私の教えに何か疑問があれば、質問を続けてください。