約 9,614 件
https://w.atwiki.jp/otassya2/pages/6772.html
刀系 村雨 (ムラサメ) 【刀】 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (村雨.JPG) 基本性能 価値 重量 攻撃力 耐久度 宝玉 10 14.4 52 70 五6 命中補正 回避補正 物理耐性 妖術耐性 +2 +2 - +10 装備可能 侍忍鍛傾 装備区分 剣術系武器 必要Lv 25以上 付与効果 気合+40 全属性+4 妖力 呪い・弐(50回) 備考 梓姫の屋敷の梓姫のドロップ 解説 架空の刀。南総里見八犬伝に登場する刀であり稀代の名刀である。 殺気をもって鞘を払えば水飛沫が飛び、血糊も付かずに切れるという刀。 もともとは鎌倉公方足利家(今作品で武蔵の屋敷に陣取る古河公方はこれが古河に移った際に名乗りを変えたもの)の宝剣であったが、1439年、足利持氏自害にともない鎌倉公方が断絶したため、その次男からさらに家臣、その子にわたったという設定で、南総里見八犬伝は展開されていく。 なお、この刀の持ち主である足利持氏もそうであるが、南総里見八犬伝の下地となっている人物はほとんどが実在である。 追加情報 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/shinsen/pages/7018.html
刀系 村雨 (ムラサメ) 【刀】 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (村雨.JPG) 基本性能 価値 重量 攻撃力 耐久度 宝玉 10 14.4 52 70 五6 命中補正 回避補正 物理耐性 妖術耐性 +2 +2 - +10 装備可能 侍忍鍛傾 装備区分 剣術系武器 必要Lv 25以上 付与効果 気合+40 全属性+4 妖力 呪い・弐(50回) 備考 梓姫の屋敷の梓姫のドロップ 解説 架空の刀。南総里見八犬伝に登場する刀であり稀代の名刀である。 殺気をもって鞘を払えば水飛沫が飛び、血糊も付かずに切れるという刀。 もともとは鎌倉公方足利家(今作品で武蔵の屋敷に陣取る古河公方はこれが古河に移った際に名乗りを変えたもの)の宝剣であったが、1439年、足利持氏自害にともない鎌倉公方が断絶したため、その次男からさらに家臣、その子にわたったという設定で、南総里見八犬伝は展開されていく。 なお、この刀の持ち主である足利持氏もそうであるが、南総里見八犬伝の下地となっている人物はほとんどが実在である。 追加情報 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/rapid_trains/pages/99.html
中原電車区の歴史・概要はこちらから(Wikipediaへ) →中原電車区 〔205系(1000・1100番台):南武支線・鶴見線〕 南武支線用は、2002年に中央・総武緩行線用(4両)と2003年に山手線用(2両)のモハユニットに先頭車化改造を施工させ、南武支線に投入。2M0Tの2両編成で、ワンマン運転に対応、以前使用していた101系とは異なる車外スピーカーによる発車ベル・チャイムや自動放送を搭載 。 また、長時間停車の際の車内保温のため、客用扉を1か所のみ開く「3/4閉スイッチ」を装備。主電動機や空気圧縮機などの走行装置関係は種車をそのまま流用しているが、クモハ204形の補助電源装置はMG(電動発電機)非搭載車からの改造のため、160kVA出力SIV(静止形インバータ)を搭載。2009年3月には全編成ともパンタグラフがシングルアーム式のPS33E形に交換。 番台区分は1000番台に分類されるが、前述のJR西日本所属車とは無関係。また、JR東日本にはクモハの1形式しか存在していないので、車両番号が重複することはない。 鶴見線用は、2004年~2005年にかけて投入された。先頭車はすべて中間車から改造(クハは全車元埼京線、モハ・クモハは元山手線)の 2M1T の3両編成。先頭車のみが1100番台に改番されたため、ユニット間での車号が異なっているが、同一番号の車両を種車としている。長時間の停車を考慮して、1000番台と同等の「3/4閉スイッチ」を装備する。また、南武支線向けと同様にクモハ204形の補助電源装置はSIV(南武支線用と同一品)である。 なお、クハ205-1101は205系の先頭化改造第一号車として試作的意味合いもあり、2002年に先行改造されたものである。そのため、編成を組む電動車の完成まで大船工場内に保留車として留置。 2009年1~3月に全編成ともパンタグラフがシングルアーム式のPS33E形に交換。 (「Wikipedia」より一部改) 【南武支線用 2両浜編成(1000番台) = 全3本】 ナハW1編成 〔1989年10月18日 川崎重工製〕2002年 3月29日 鎌倉改造 ← 元八ミツ15編成⑤⑥ 【 720H:小田栄駅】 【 801H:川崎新町駅】 ナハW2編成 〔1989年10月27日 川崎重工製〕2002年 3月29日 鎌倉改造 ← 元八ミツ16編成⑤⑥ 【 802H:小田栄駅】 【回8872M:大宮駅】 予定臨運転 ナハW4編成 〔1985年 7月23日 川崎重工製〕2003年11月27日 鎌倉改造 ← 元東トウ8編成⑤⑥ 【 800H:小田栄駅】 【 801H:小田栄駅】 【鶴見線用 3両T編成(1100番台) = 全9本】 ナハT11編成 〔①1989. 9. 2 川崎重工製〕 2002. 3.29 鎌倉改造 ← 元宮ハエ8編成④ 6ドア入前 〔②③1985. 8.20 川崎重工製〕 2002. 8.10 鎌倉改造 ← 元東トウ9編成⑤⑥ 【 712 :鶴見小野駅】 【回8384M:武蔵中原駅】 予定臨運転 ナハT12編成 〔①1990. 7.19 川崎重工製〕 2004. 8.27 郡山改造 ← 元宮ハエ19編成⑦ 6ドア入前 〔②③1988. 1.22 日立製作所製〕 2004. 8.27 郡山改造 ← 元東トウ45編成⑤⑥ 【 710B:鶴見小野駅】 【 811 :鶴見小野駅】 ナハT13編成 〔①1990. 6.28 川崎重工製〕 2004.10.26 秋田改造 ← 元宮ハエ16編成④ 6ドア入前 〔②③1985. 8.29 近畿車輛製〕 2004.10.26 秋田改造 ← 元東トウ12編成⑤⑥ 【 706 :鶴見小野駅】 【 807 :鶴見小野駅】 ナハT14編成 〔①1990. 7.19 川崎重工製〕 2004.12. 3 郡山改造 ← 元宮ハエ19編成④ 6ドア入前 〔②③1988. 5.26 東急車輛製〕 2004.12. 3 郡山改造 ← 元東トウ58編成⑤⑥ 【 708 :鶴見小野駅】 【 809 :鶴見小野駅】 ナハT15編成 〔①1990.11. 9 川崎重工製〕 2005. 2. 8 秋田改造 ← 元宮ハエ21編成⑦ 6ドア入前 〔②③1985. 9. 3 東急車輛製〕 2005. 2. 8 秋田改造 ← 元東トウ13編成⑤⑥ 【 704 :鶴見小野駅】 【 805 :鶴見小野駅】 ナハT16編成 〔①1990. 1.23 川崎重工製〕 2005. 1.26 郡山改造 ← 元宮ハエ24編成⑦ 6ドア入前 〔②③1986. 4.15 東急車輛製〕 2005. 1.26 郡山改造 ← 元東トウ32編成⑤⑥ 【 802B:鶴見小野駅】 【 903 :鶴見小野駅】 ナハT17編成 〔①1990.11. 9 川崎重工製〕 2005. 4.20 秋田改造 ← 元宮ハエ21編成④ 6ドア入前 〔②③1985. 9. 5 川崎重工製〕 2005. 4.20 秋田改造 ← 元東トウ14編成⑤⑥ 【 702 :鶴見小野駅】 【 803 :鶴見小野駅】 ナハT18編成 〔①1990. 1.23 川崎重工製〕 2005. 3.29 郡山改造 ← 元宮ハエ24編成④ 6ドア入前 〔②③1988. 3.11 川崎重工製〕 2005. 3.29 郡山改造 ← 元東トウ51編成⑤⑥ 【 808B:鶴見小野駅】 【 909B:鶴見小野駅】 ナハT19編成 〔①1989. 6.26 川崎重工製〕 2005. 3.31 秋田改造 ← 元宮ハエ4編成④ 6ドア入前 〔②③1985. 9.11 日立製作所製〕 2005. 3.31 秋田改造 ← 元東トウ16編成⑤⑥ 【 700B:鶴見小野駅】 【 801 :鶴見小野駅】 TOP PACEへ戻る 系式別ページへ戻る
https://w.atwiki.jp/nijiuradegityou/pages/273.html
白銀号 / Silver Blades(Silver Blaze)劒王 構成員ルパート・ダンドリッジ 南師 猩 一般兵【MIA】 湊斗光 風見 幽香 バビル 概要沿革金星との接触~結成 金星からのの離脱~鎌倉 拠点鎌倉 キャラ考察的な湊斗光 -銀流星の剱王- アイアンメイデン・ジャンヌ -拷問の聖・少・女- 白銀号 / Silver Blades(Silver Blaze) 名前の元ネタと思われる「白銀号事件」(*1)の原題「Silver Blaze」もカッコ書きで併記。 我は――――――ただ一個の武、悠遠なる天へ挑む一匹の蟻 名を! 劒王!! 劒王 構成員 ルパート・ダンドリッジ 金儲けの臭いに引かれてやってきた西部劇風の男原作は「ワイルドアームズ クロスファイア」 南師 猩 原作は「すばらしきこのせかい」 一般兵 + 星片八剣姫 星片八剣姫(スターダストブレイズ)は総称。以下の八個体が存在するものの一括運用(*2)炎の骨(ファイヤーボーン) 星の角(スターホーン) 猫の爪(キャッツクロー) 尾を噛むもの(テイルバイター) 肉を剥ぐもの(スカルペル) 死を唄うもの(シンギング・デス) 嵐を導くもの(ストームブリンガー) ここが境界線(ディス・イズ・ジ・エンド) 00式竜騎兵 強攻型アクエリオン(一般型) 【MIA】 アイアンメイデン・ジャンヌ 湊斗光 天下布武を掲げる殺戮者銀星号、またの名を剱王 人の法を破壊し神となるとこで父の愛を求めるという許されざる望みを果たそうとする KINGことパラダイムのシンよりエクストリームメモリを授かる剱冑は辰気(*3)制御の陰義を持つ勢洲右衛門尉村正二世 原作は「装甲悪鬼村正-FullMetalDaemon MURAMASA-」 風見 幽香 原作は「東方Project」 バビル 光とボルフォッグの間に生まれた子原作は「バビル2世 ザ・リターナー」 概要 "銀星号"こと湊斗光を中心にギリアムら金星メンバーを加えた組織。 その目的は湊斗光を神とするために金神を呼び覚まし、ギリアムの唱える上位存在の召喚である。 究極的には神の法を布き人の法と倫理を破壊、その後に天下布武(光以外の存在が消えること)をなすことにある。 沿革 パラダイム、ザナルカンド、魔軍と渡り歩いく中で、卵を産みつけた子ども達との戦いや(結果的に)シンの殺害などを通じて光は己の"武"の方向性を固めていく。魔軍を抜けるために同組織の長ベール=ゼファーを倒した際、野望をより実現させる為に『剱王』と名乗り覇を掲げることを唱えた。 金星との接触~結成 新たに卵を産みつけた悪魔ネロを手先とし、パラダイム時代にシラカワ博士に作らせていた00式竜騎兵の起動、および自身の分身同然ともいえる星片八剣姫を召喚する。しかし他組織とやりあう上には手数の不安が残っていた。 そこで彼女が目を付けたのが、以前に卵を植え付けたメンバーの中で唯一残っている娘ことリインフォースⅡであった。ウドの街で光を姉と呼ぶ彼女を倒してこれを迎え入れた。 その後、金星との接触や金神の情報など組織としての立ち上げまでの大部分にはリインⅡが関わっている。白銀号の名を提唱したのも彼女である。 金星からのの離脱~鎌倉 連邦のムスカの計画を阻止するために奥州との連合で挑むも、その一戦でリインⅡが連邦に捕まってしまい、その上で連邦の手先となった彼女の指揮による作戦で白銀号は金星をも追われてしまう。連邦との決戦を虎視眈々と狙う光は闇統べる王などの協力あってついにⅡと邂逅するが、世界樹の力を用いる彼女に為すすべもなく敗れてしまう。 その後、幻王にこだわる光はリモネシアからの奥州奪還作戦に協力し、その際に鎌倉の地を手に入れるのだった。 そして金星での連邦との勝負時に、連邦のジムストライカーの言葉に乗ったハスフォード博士がメンバーを抜けてしまう。 また、リインフォースⅡが世界樹に取り込まれた後にゲイツに付き従う形で離反。これに怒りをあらわにした光は奪われた愛娘を奪い返す事に固執するようになる。世界樹に取り込まれたことで肉体を失ったリインフォースⅡの器として光は自身の血やアイアンメイデン・ジャンヌや八意永琳の血をもとにクローンを生成し始める。 そんな中戦いでアイアンメイデン・ジャンヌが致命傷を負ってしまい、命の灯火が消えそうになったが、光は苦渋の決断をしジャンヌに村正の卵を植え付け自らの新たな娘として蘇生する。 (記述が特定のキャラに偏っている気がするので推敲中。補完あれば頼む) 拠点 鎌倉 リモネシア撤退時に進入。城を建てる しかし、大ショッカーとの戦いのさなかコロニー落しにより焦土と化す キャラ考察的な 湊斗光 -銀流星の剱王- 父の愛を求める剱鬼。 アイアンメイデン・ジャンヌ -拷問の聖・少・女- 法の愛を求める憲鬼。
https://w.atwiki.jp/wiki6_piro/pages/7332.html
金剛山 正福寺 こんごうさん しょうふくじ 東京都東村山市にある、臨済宗建長寺派の寺院。 本尊は千手千眼観音。 地蔵堂が国宝に指定されている。 所在地 東京都東村山市野口町4-6-1 地図 歴史 鎌倉時代中期:鎌倉の建長寺僧石渓心月の開山により創建されたと伝えられる。開基については執権北条時頼とする説と北条時宗とする説がある。 1407年(応永14年):地蔵堂建立 伽藍 地蔵堂 - 1952年3月29日国宝指定 竣工:1407年(応永14年) 屋根形状:入母屋、一重裳階付き 屋根材:杮葺 禅宗様仏殿の代表作の一つ。尾垂木の墨書から室町時代の応永14年(1407年)の建立と知られる。同時代の建築である鎌倉の円覚寺舎利殿と規模・形式が近似している。 内部には本尊地蔵菩薩像のほか、多数の地蔵菩薩の小像が安置されている。 正面、側面ともに3間の母屋の周囲に1間の裳階が付いている、ほぼ正方形の平面。 入母屋造の屋根の端部が反り上がった外観は禅宗様特有のもの。 内部は土間で、間仕切りのない一体の空間とし、天井は裳階部分は垂木をそのまま見せ、内陣中央は鏡天井とする。 礎盤上に柱を立て、柱間にも組物を置いて詰組とする点、火灯窓・桟唐戸・貫を多用する点など、構造・意匠ともに禅宗様の特色が顕著に見られる。 茅葺であったが1933年(昭和8年)の解体修理に際して建築当初の杮葺に戻された。 国立歴史民俗博物館には断面模型がある。 外部は常時見学可能、年一回の地蔵祭には内部も公開される。 貞和の板碑 市有形民俗文化財 都内最大級の板碑。現在のシチズングランドの前を通る小河川、前川の橋桁に使われていた。近隣の徳蔵寺には同様に板碑が保存されている。 2015-01-25 2013-08-29 山門 地蔵堂 本堂 隣地の八坂神社 関連項目 2013-08-29 2013年8月北多摩 2013年度/行った所写真 2014年度/行った所写真 2015-01-25 2015年1月北多摩 東京サイクリング 東京巡り 歴史的建造物写真 禅宗様 裳階 この項目のタグ 2013年 2013年8月 2013年8月29日 2015年 2015年1月 国宝 室町時代 寺院建築 東京都 東村山市 歴史 歴史的建造物 タグ「東村山市」がついた項目 2013-08-29 / 2015-01-25 / きくや / 狭山公園 / 正福寺 / 多摩湖自転車道 / 東京都道129号 タグ「国宝」がついた項目 出雲大社 / 厳島神社 / 犬山城跡 / 宇佐神宮 / 永保寺 / 大浦天主堂 / 大崎八幡宮 / 清水寺 / 迎賓館赤坂離宮 / 慈照寺 / 如庵 / 正福寺 / 善光寺 / 大善寺 / 中尊寺 / 東大寺 / 仁和寺 / 根来寺 / 彦根城跡 / 姫路城跡 / 富貴寺 / 豊楽寺 / 松江城跡 / 松本城跡 / 蓮華王院
https://w.atwiki.jp/pokecharaneta/pages/4924.html
ボーマンダ:龍馬伝 キリキザン:平清盛 -- (ユリス) 2012-07-03 16 07 32 草案 ランドロス 北条時宗(ほうじょうポケモンから) ペンドラー 武蔵(某R団員より) ルカリオ 新撰組 -- (名無しさん) 2012-09-28 22 15 08 コジョンド 義経 カイオーガ 勝海舟 アブソルorフライゴン 軍師官兵衛 -- (みれいちゃん) 2013-04-23 20 40 42 草案 ニドキング ニドクイン:功名が辻 ドレディア:篤姫 -- (ユリス) 2013-09-04 19 15 31 草案 ヒヒダルマ 花神(大村益次郎の渾名「火吹きダルマ」より) カエンジシ レントラー 獅子の時代 ミノマダム 春の波涛 タブンネ いのち ウインディ 琉球の風 -- (いくーな) 2013-12-25 07 32 59 キレイハナ 花の乱 -- (名無しさん) 2014-05-12 23 34 59 エネコorバシャーモorアゲハントorカメールなど:八重の桜 某ヒロイン繋がり -- (名無しさん) 2014-09-22 22 19 30 草案 ラティアス:花燃ゆ -- (ユリス) 2015-04-15 22 18 41 草案 カイリュー&ドリュウズ:天と地と ライコウ:武田信玄 メガサーナイト:春日局 キュウコン:炎立つ ギャロップ:八代将軍吉宗 ダイケンキ:徳川慶喜 ブリガロン:元禄繚乱 -- (ルモスライ) 2015-11-11 14 14 15 草案 ゴウカザル:秀吉 某ブショーの名前から -- (ユリス) 2015-11-17 18 10 13 北条時宗 通常ゲッコウガ:北条時宗 色違いゲッコウガ:北条時輔 エースバーン:桐子 -- (通りすがり) 2021-7-20 2 25 15 草案 ナゾノクサ:いだてん スイクン:麒麟がくる -- (ユリス) 2021-07-25 18 07 45 ・草案 鎌倉殿と13人 カイリュー:北条義時 ブリムオン:北条政子 オンバーン:源義経 ネイティオ:大江広元 ガチゴラス:上総広常 ダイゲンキ:木曽義仲 ミカルゲ:後白河法皇 ソルガレオ:平清盛 -- (名無しさん) 2022-04-04 14 12 10 ・鎌倉殿の13人 北条泰時 フライゴン 北条時政 ダイオウドウ 源頼朝 アーマーガーorルガルガン(たそがれのすがた) 源義経 ウォーグルorルガルガン(まひるのすがた) 和田義盛 ガチグマorドサイドン 畠山重忠 ルカリオ 梶原景時 アブソル 木曽義仲 ヒスイウェンディ 源義高 ヒスイガーディ 巴御前 カエンジシ(♀) -- (名無しさん) 2022-05-10 22 03 50 すみません、追加します 北条政子 キュウコン(色違い)orラブトロス 実衣 キュウコンorペロリーム りく ビークイーン 阿野全成 ルガルガン(色違い)orムウマージ 善児 ジュペッタ -- (名無しさん) 2022-05-10 22 27 58 草案 シュバルゴ:青天を衝け -- (ユリス) 2022-06-04 16 20 41 鎌倉殿の13人 デカヌチャン 巴御前 ローブジン 八田知家 -- (名無しさん) 2023-02-01 10 24 24
https://w.atwiki.jp/bakiss/pages/93.html
楠木正成と護良親王の奮闘、後醍醐天皇の隠岐脱出。崖っぷちの幕府は、出陣を 渋っていた足利家を半ば脅迫するようにして京都に向かわせた。が、その足利家が 反旗を翻して京都の六波羅探題(幕府の西の拠点)を攻撃。これが決め手となって、 一気に全国の武士たちが立ち上がった。機は熟した、今こそ幕府を打ち倒せ! と。 その勢いの中、足利家と並ぶ名門中の名門、新田家が幕府の本拠地・鎌倉に向けて 進軍を開始。もはや西の反乱軍鎮圧どころではなくなって、幕府遠征軍は大混乱、で 崩壊、撤退、壊走、消滅。跡形なく消え失せた。 楠木正成と護良親王は、天下の鎌倉幕府を向こうに回して見事戦い抜いたのである。 「……で。あのさ、お兄さん。この戦、オレたちの大勝利と言っていいと思うんだ」 正成が最初に戦いの旗を掲げた、赤坂の地。小高い丘陵に大和と正成がいた。 二人の前には、戦死者慰霊の為に正成が立てた大きな墓が二つ並んでいる。 「何をしている。お前も手を合わせろ」 「いや、あの、その前に。このお墓について一つ質問が」 大和は目の前に立つ二つの墓を指して、正成に尋ねた。 「『身方塚(みかたづか)』と『寄手塚(よせてづか)』って書いてあるけど。この差は何?」 二つとも、これといって特徴のない墓だ。が、身方塚は小柄な女の子程度の大きさ なのに対し、寄手塚は大和が遥かに見上げている。かなり大きい。 「ずっと一緒に戦ってきたくせに、そんなこともわからんのか」 「わかるよ。寄手ってのは敵、幕府軍のことだろ。なんで敵の慰霊碑が味方のより大き」 「幕府軍の方が死者が多かったんだ。当然だろ」 大和にみなまで言わせず、正成は言い切った。 「俺は乱れた世を治める為に戦った。皆が平和に暮らせる世を築く為にだ。が、その為 に多くの死者が出た。いや、俺がこの手で殺したんだ」 「うん、万人が認める大活躍だったよね。でも戦なんだから、敵を殺すのは当たり前で」 「戦をなくす為に、また戦だ。死ななくていい人々が大勢死んだ」 大和に大勝利だと言われても、正成は手を合わせたまま、何だか沈んだ顔をしている。 「だから敵なんだってば。それに、これで幕府が倒れて帝が天下を治めれば世は変わる って言ってたのはお兄さんだよ。もうすぐ、全部終わるんだから元気出して」 「そうだな。この戦で散っていった者たちの為にも、俺たちでそういう世を創らねば。 というわけだから陸奥、お前も手を合わせろ。寄手塚の方にもだぞ」 「……はい」 この人は何というか……その……いい人、なんだなぁ。とか思いつつ大和も手を合わせた。 「約束したから最後まで手伝うけど。オレともう一度やるっていう約束も忘れないでくれよ」 「ああ、ちゃんと覚えてるから安心しろ。幕府が倒れるのも時間の問題だ、長くは待たせん」 「ならいいけど。約束を破ったら、我が国に古来より伝わる厳罰を課すからそのつもりで」 「?」 くい、と正成の小指に自分の小指を引っ掛けて、大和はそれを目の高さで上下に振った。 「針千本。飲ませるからね」 「……ははっ」 正成が小さく笑った。 「わかったわかった。伝説の陸奥との約束、違えるのは武人として恥だからな」 「ん、よろしい」 二人は並んで、丘陵を降りていく。 ……二つの墓に祀られた霊たちは、大和と正成の行く末を見通しているかのように、 重い沈黙で二人を見送っていた。 腐っても幕府、本拠鎌倉の守りはやはり並ではなかった。鎌倉へと続く稲村ガ崎の海岸 には幾重にも逆茂木(人馬を阻む罠)が仕掛けられ、砂浜の進軍は不可能。といって 波打ち際を進もうとすれば、幾百もの軍船から矢の雨が降ってくる。こちらに船はないし、 もちろん泳いで軍船に向かっていけばいい的。どんな豪傑でもあっという間に針鼠だ。 「ぬぬぅ……」 一族郎党を率いて兵を挙げた新田家の棟梁新田義貞は、進むも退くもならず歯軋りして いた。先祖代々何かと因縁のある足利家が六波羅を潰そうとしている今、鎌倉占領に 手こずっていては新田の家名が地に落ちる。倒幕後の、天下の主導権も奪われるだろう。 というか、何はさておき足利にだけは負けたくないのだ。もし足利家が天下で一番身分の 低い家柄であれば、新田家は二番目に身分低くていい。天下なんか取れなくてもいい。 義貞は、そういう男なのである。 「くそくそくそくそっ、何とかせねば、何とか……ん?」 浜辺に集結している新田の騎馬軍団。その中から、唐突に一人の少女が進み出た。 紅い髪と紅い衣のその少女……義貞は知らないが勇という名だ……は、その美しい貌に 何の恐怖も昂ぶりも見せず、ただスタスタと浜辺を歩いていく。新田軍のざわめきを背に、 やがて波打ち際に辿り着いた。 さすがに幕府軍も、まさかこんな少女が新田軍の兵だとは思わず、射かけてこない。勇は ふくらはぎの半ばまで波に洗われる辺りまで来ると、歩を止めて右拳を振り上げた。 そして、 「っりゃああああああああぁぁぁぁっっ!」 轟き響く気合と共に、その拳を海中に打ち込んだ。まるで海を全て粉砕するかのような 一撃だったが、もちろんそんなことは起こらない。勇の拳は海中に突き刺さっただけだ。 幕府軍も新田軍も、少女の気迫に飲まれて声一つなく身じろ一つせず、というかできず、 ただ見守っているが別に何事もない。と思っていたら、 「な、何だっっ!?」 幕府軍も新田軍も、声を上げて身震いした。突然、いきなり、潮が引き始めたのだ。まるで 海が勇の拳に恐れをなしたかのように。 当然の成り行きとして、幕府軍の軍船がみるみる沖へと流されていく。加えて、波打ち際 が後退した為に逆茂木のない砂浜が広く現れた。その場所は、軍船が沖に流されたせいで 矢の射程外となっている。こうなれば騎馬で駆け抜けるのも簡単だ。 そんな天変地異を引き起こした張本人、勇はまたスタスタと歩いて新田の陣へと戻って きた。兵たちが馬ごと怯える中、義貞は辛うじて馬を押さえ、その場に踏みとどまる。 その義貞の元に勇がやってきて、静かに微笑み語りかけた。 「もう……心配ありません」 と一言。平然と語るその少女を見て、義貞の全身に改めて心から震えが走った。 義貞とて新田家の棟梁、並の武士よりは遥かに教養がある。今、目の前で起こった現象 が本当にこの少女の拳によるものだとは思っていない。おそらくは諸葛孔明が赤壁の戦い にて行った東南の風の祈りと同じもの、現実は純然たる自然現象だ。そうに違いない。 とは思うのだが、しかしそれにしても、この少女の自信に満ちた微笑はどうだ。 『己の拳をもってすれば海すらも退けられる……一片の曇りもない、天下最強の自負……』 ごくり、と唾を飲み込んで義貞は尋ねた。 「お、お前は何者だ?」 「……勇と申します。が、わたしのことなどどうでもよろしいでしょう。今の新田様に とっては、足利に遅れを取らぬことこそが肝要なのでは?」 足利。その名に義貞は反応し、一気に冷水を浴びせかけられたかのように気を取り直した。 「そ、そうだっ! この機を逃してはならん! 皆の者、いくぞおおおおぉぉっ!」 流石に天下に響いた新田家の軍団、義貞の号令が響くと一斉に応! を返した。 義貞を先頭に、新田の誇る騎馬軍団が稲村ガ崎を駆け抜け、鎌倉へと突撃していく。 軍船に多くの兵力を割いてしまった幕府軍に、それを止めることはできない。あっと 言う間に鎌倉は攻め落とされ、新田家の手に落ちた。 かくして。源頼朝以来、百五十年間続いた鎌倉幕府は滅び去ったのである。 「やれやれ、これからも頑張って下さいよ新田様。あなたは相当に無理をしないと、 自身の実力も家臣の能力も天の運も何かも、足利様には敵わないのですから」 炎に包まれる鎌倉の地を眺めながら、勇は呟いた。 何はともあれ、これで熟れ過ぎて腐りきった果実は落ちた。じきに新しい実がなるだろう。 新田義貞と足利尊氏と、楠木正成と護良親王と、後醍醐天皇と、多くの人々によって。 「ふふ。早く齧りたいものですね……新しい天下の実を」 鎌倉の街を燃やす炎にも負けないぐらいに紅い舌が、勇の唇をチロリと舐めた。 そう、新田には頑張ってもらわねばならない。でないと、実が美味しくならないから…… 鎌倉幕府は倒れ、後醍醐天皇の指揮による新しい政権が京の都・平安京にて 立ち上がった。後に、大化の改新・明治維新と並び称されることとなる 日本史上三大革命の一つ、「建武の新政」である。 もちろん、そんなものがそう簡単に順調にいくわけはない。まして今回は、都の周辺が 一番の激戦区となったのだ。街は荒廃し畑は荒らされ、人々は貧窮の中にいる。更に 主君を失った武士、手柄報告に鼻息荒い武士、どさくさに紛れて他人の領地の所有権を 奪おうとか企む武士、などなどが京に集結して戦々恐々。そしてそんな彼らの中から、 夜盗や辻斬りなどをやらかす者が続々出てくる始末。 大化の改新や明治維新もそうだったが、日本の夜明けはまだまだ遠いようである。 夜の平安京。屍肉を貪る野犬の遠吠えが聞こえてくる、とある街角にて。 月の光を弾きながら、白刃が一閃した。確かに一閃だった。が、甲高い金属音が二つ 響いて、叩き折られた刃が二枚、宙を舞う。 その持ち主である二人は、短くなってしまった自分たちの刀を見つめて呆然としていた。 その隙を逃さず、再び白刃が一閃。確かに一閃としか見えないのだが、二人の肩口が 猛烈な力で叩かれた。痛いのを通り越した鋭い麻痺に襲われ、二人は悲鳴を上げて 折れた刀を落とし、後ずさった。その背に、半分壊れた錠前と分厚い扉が当たる。 本来なら今頃、この蔵を破って金品をごっそり頂いていたはずだったのに……。 「お前たちの顔、しかと覚えた。明日までに必ず自首せよ。今ならばまだ未遂で済む。 だが、自首しなかった場合は草の根分けても探し出し厳罰に処す故、覚悟いたせ」 二人は、だんだん熱を帯びてきた肩の激痛に顔を歪めながら言い返した。 「な、何を偉そうにヌカし……」 「……って、え? お前もしかして……」 月明かりの助けを借りて、その若者の人相をよくよく分析した二人は顔色を変えて、 「かっ、かかかか必ず自首しますっっ!」 脱兎の如く逃げ出した。と言ってもお上の追求から逃亡する気などない。言葉通り、 自首するつもりである。でないと、現在この平安京に駐留している軍の何割かが 自分たちを包囲することになる。そういうとんでもない事態が実現しかねないからだ。 だって、この若者はそれができる男なのだから。 「ようやく訪れた新時代。後醍醐帝が平和な世を築くまで、我らは一丸となってそれを支え ねばならない。と私は思うのだが、そこのお前。もし邪魔するのならお前も叩き伏せるぞ」 「……あはは。何だかこれって、お兄さんとの出会いを思い出すなぁ」 ほりほりと頭を掻きながら、大和が柳の陰から出てきた。 「そういや、あの時はそのまま、お兄さんと戦ったんだっけ」 「む。貴殿は確か、楠木殿の」 「陸奥大和、だよ。オレはあんたのことはよく知ってるぜ、足利家の棟梁尊氏さん」 尊氏は、刀を鞘に収めた。大和が楠木正成の臣下として幕府軍との戦いで手柄を挙げた (と世間では思われてる)のは知っているからだ。 その正成は、畿内の散発的な反乱を鎮めるべく、倒幕後も休みなく軍を率いている。 「これは失礼した。して陸奥殿、貴殿は楠木殿と共におられるとばかり思っておりましたが」 「オレもそうするつもりだったんだけどね。お兄さんがさ、この辺りの地勢は知り尽くしてるし、 小規模な賊の反乱如き恐れるに足りない。お前は足利殿の手助けをし、都の治安回復に 努めてくれって」 「ほう、それはそれは。心強いことです」 「でも手伝えなんて言われちゃ、足利さんと戦えないよなぁ。あんな腕前見せられたのにさ」 残念そうに言う大和の様子に、尊氏はぷっと吹き出した。 「なるほど。楠木殿から聞いていた通りの御仁ですな、貴殿は」 「って、どんな風に聞いてたのか気になるんだけど」 「ん、まあ、純粋な武人だと」 絶対それだけじゃなさそうな声と顔で尊氏は答える。 「しかし元々、挑まれても受ける気はありませんぞ陸奥殿」 「だろうなと思うよ、オレも」 え、と尊氏が聞き返すまでもなく、先の二人が逃げ去った方を見ながら大和は言った。 「本気で後醍醐帝の天下を死守しよう、とだけ考えてるなら、あの二人はこの場で 斬り殺せば良かったんだから。足利さんもお兄さんと同じく、ムダに人は殺したくない、 できれば戦いなんてやりたくないってクチでしょ?」 「……そうですが、それだけではありませぬ」 尊氏も大和と同じ方を見つめて、言葉を続ける。 「彼らとて被害者なのです。今、日本中の武士たちが鎌倉幕府の悪政と此度の戦とに よって傷つき、苦しんでいる。そんな彼らを救うことこそが為政者たる者の使命」 「ふうん。為政者、か。足利さんは身分が高いから、そういうことも考えなくちゃ いけないってわけだ」 「左様。私は日本中の武士たちに対して責任があります。源氏の正統を継ぐ者として、 旧幕府に代わって皆の生活を守る責任が」 源氏を継ぐ者。それは、遡れば天皇家にも繋がる者ということだ。正成や、まして大和 (つまり陸奥家)から見れば、身分的には雲の上のお星様の話である。 だから、そういう話をされても大和にはピンと来ない。 「ま、オレはお兄さんとの約束があるから。後醍醐帝の治める平和な世が実現すれば、 また戦うって約束がね。その日の為に、手伝うよ足利さん。よろしくっ」 「こちらこそ。その日が一日も早く来るよう、共に励みましょう」 天下の平和の為に、まずは首都たる京の平和を確固たるものにする。大和は尊氏と 誓い合って別れた。一刻も早く一人でも多く、苦しむ人を助けて悪人を成敗して、 そして何より、道を踏み外そうとする人を引き止めねばならない。 しかしまあ、それはそれとしてだ。 「む~。足利さんとも戦ってみたいなぁ。鎌倉幕府には大した奴はいなかったし…… あ、そこのお前っ! 待てぇい!」 ぶつぶつ言いながらも、大和は街の巡回を続ける。尊氏に協力して、正成との約束を 果たすために。幕府が倒れて訪れた、この新時代を立派に築き上げるために。 建武新政府は未だ完全なものではなく、まだまだ世は乱れている。だが皮肉なことに、 今この時こそが尊氏と正成、そして大和の三人にとっては、一番平和で楽しかった 時代となってしまう。 既にこの平安京の中で、災いの種は育てられていたのだ……彼女の手によって。
https://w.atwiki.jp/kaifuusha/pages/8.html
御国ゆづりの節会おこなはれて、剣璽・内侍所わたし奉らるるほどこそ、限りなう心ぼそけれ。新院のおりさせ給ひての春、よませ給ひけるとかや、殿守のとものみやつこよそにして掃(はら)はぬ庭に花ぞ散りしく今の世のことしげきにまぎれて、院には参る人もなきぞさびしげなる。かかる折りにぞ、人の心もあらはれぬべき。 口語訳 花園天皇から尊冶親王(後醍醐天皇)へご譲位の儀式が行なわれて、神剣・神璽および内侍所の、三種の神器をお譲り申されるころは、まことに、このうえもなく心さびしいことである。 新院の花園上皇が位をお退きになさって、その年の春、次のような歌をお詠みになったとのことである。 ─主殿寮の下役人らが新院方のことはよそごととして顧みず、為に掃き清めない庭には、花が散り広がっていることである─ 新帝(後醍醐帝)の公務が忙しいのに紛れて、新院(花園院)のところには伺候する人もないのが、いかにもさびしいそうだ。かような場合にこそ、人間の本心も表にあらわれてしまうものであろう。 文保元年(1317年)いわゆる文保の和談で、時の天皇の譲位と将来の皇位継承の問題について協議がなされた。持明院統の花園天皇は既に在位九年を数え、皇太子には大覚寺統の尊治親王(後醍醐天皇)が立っていた。大覚寺統は一刻も早く尊治親王の践祚の実現に向けて幕府に強くはたらきかけた。幕府は文保元年四月、中原親鑒を使者として派遣して、践祚と立太子のことは十年ごとの交替で話し合いで解決すべしと極めて常識的な提案で、両統が共に栄えるように鎌倉が穏便に収まるよう融和をはかったものであるが、問題の解決を先送りしただけで根本的な解決にはならなかった。取りあえずは文保二年に在位十年の持明院統の花園天皇から大覚寺統の後醍醐天皇に交替したのである。が、立太子は後宇多上皇が関東申次の実兼と鎌倉をうまく抱き込んで同じ大覚寺統の邦良親王があてられた。そこに至るまでに持明院統側は抵抗して譲位を渋っていたが、文保元年九月に主柱の伏見上皇が没するに及んで、大覚寺統側に押し切られたのである。しかし、十年をめどに両統で交互に帝位につく、立太子も同じく交互に立てるという両統迭立の鎌倉案はただの一度も実現したことはなかった。後醍醐天皇はご承知のように十年経っても譲位せず、倒幕に走り失敗しても譲位はしなかった。逆に鎌倉幕府は倒れたが、今度は足利尊氏との権力闘争を続けて、吉野で死ぬまで生涯天皇であり続けた。末期の鎌倉は身内たる武士のさまざまな問題をさばくのに精一杯で、とても朝廷のことを本気で解決するまでには身が回らなかった。 徒然草は、花園天皇から尊冶親王へ譲位されたときの様子を、新院側の立場に思いやってスケッチしているのだが、今まで何かと人が集まり賑わいをみせていたのが、権力の座が移った途端に潮を引くように新帝の方に群がり始めて寂れてしまう人間の無常さを指摘している。それは高貴の世界でもいささかも変わりがないのだ。後醍醐天皇は、正応元年(1288年)後宇多上皇の第二皇子として誕生した。母は談天門院藤原(五辻)忠子である。五辻家は藤原氏北家花山院流の庶家の出で、中流の貴族といったところである。忠子の父忠継は参議どまりでさしたる事績も知られていないが、注目すべきは彼の子孫達から忠子の他に何人もの皇妃を輩出している。母の出自が低いために、幼少・少年の頃の尊治親王は兄の邦治親王(後二条天皇)の影に隠れて薄いものであった。親王宣下も十五才まで長いこと行なわれなかったし(元服は十六才)、兄の後二条天皇の急死により、いわばピンチヒッター的に大覚寺統の中心に据えられて立太子した時は既に二十一才であった。しかし、兄の急死ということで幸運が受動的に急旋回して齎らされたばかりではなく、母・忠子の秘めたる野心も無視することはできなかった筈である。彼女の一族近辺には朝廷の後宮に入り、皇妃となって子を立太子(後伏見天皇)させているようなケースも見知っている。勝気な彼女の発奮材料の一つにはなっていたであろう。忠子は後宇多院の側室として尊冶を筆頭に三男一女の親王・内親王をもうけている。が、尊治親王の冷遇措置に象徴されるように、後宇多院の皇妃には家格も高くて強力なライバル達がおり、忠子と後宇多院の間は必ずしもしっくりとはいってなかったのではないか。忠子は四人の皇子皇女をもうけたのち、ほどなくして後宇多院のもとを去り、こともあろうに舅である亀山法皇のもとに行き、親子ともども五人が寵愛を受けるというウルトラC級の大胆な行動をとった。いかに当時のルーズな性モラルの状況の中でも驚きの感覚で受け止められていた。後宇多院も不快の念は押さえ切れなかった。これを、作家の村松剛氏は忠子の「恋」(帝王後醍醐)と表現したが、忠子にはもっと切実なそうして現実的な理由が秘めていたものと思われるのである。忠子は十八才のころ後宇多帝の女房として入内し、二十一才で尊治を生んでいる。だが、尊治は父・後宇多帝の眼中にはおよそなかった。もっぱら兄の邦治親王に目が注がれていて(彼は二才で親王宣下を受ける)、尊治の親王宣下の沙汰すらなかった。宮廷社会で生きていくためには、高貴であればあるほどきちんとした身分が不可欠であった。尊治が漸く親王の宣下を受けるのは十五才で、元服は十六才である。忠子が亀山法皇のもとに奔しったのは、尊冶が親王宣下を受ける以前ではなかったか。我が子を日の当たる場所に置くための彼女の執念ではなかったか。或いは色恋沙汰よりも彼女の秘めたる野心といってもよい。事実、彼女自身大覚寺統の実力者亀山法皇の沙汰として三十一才(1298年)のときに従三位に叙されているし、母同様に法皇に寵愛された尊治も次第に存在感を増していく。しかし、祖父亀山法皇の好色が吉から災いに転じて、嘉元元年(1303年)に恒明親王が誕生(母は西園寺実兼・二女瑛子)すると、尊治への寵愛が忽ち子の恒明親王に移り(亀山院鐘愛の御末子)、晩年の妄執であろうか我が子の立坊まで画策する始末であった。関東申次を通して鎌倉の了解をとりつける段取りまでしていた。かかる事態に父後宇多上皇が動き出して、ある意味では亀山法皇への対抗策として、長いこと放置していた尊治を前述の通り十五才になってやっと親王宣下させ、翌年には慌しく立太子の前に元服させている。亀山法皇と後宇多上皇の大覚寺統内での内なる主導権争いの微妙なる葛藤が、尊治親王実現の後押しになったとしても何ら不思議はないのでなかろうか。恒明親王と後宇多上皇は兄弟という関係になり、上皇側の子孫に禍根を招来するとも限らないからである。しかし、亀山法皇は嘉元三年(1305年)に幼い恒明親王(三才)を残して五十七才で崩御する。恒明親王の強力な後ろ楯になる筈だった法皇の思いは実らなかった。 忠子の執念は予期していた以上の成果をあげることとなる。後宇多上皇が期待してやまなかった後二条天皇が二十四才であっけなく急逝してしまう。僅か八年足らずの在位であった。次は持明院統の花園天皇が立った。立太子は大覚寺統の尊治親王である。遅ればせながら二十一才で次の皇位が約束された。偶然だけでは急旋回して皇位は転げこんでは来なかった。彼女の執念が実を結ばせたのである。「一代限りの主」という制約つきではあるが最高権力を獲得するところまでに辿り着いたのである。後醍醐天皇はスタートが遅れたばかりに即位するのは十年後の三十一才である。遅咲きも遅咲きの大輪であった。関東申次の西園寺家と鎌倉幕府との監視下で五辻家程度の家格から出た皇子が帝位を継ぐということは異例中の異例に属したことだとされている。(帝王後醍醐 村松剛著) 五辻家は家格の低い貴族でも、女達は十分魅力のある女性だったのはほぼ間違いのないところであろう。女性の魅力を武器に権力に切り込んでいったと思われる。持明院統側や大覚寺統側に関わりなく、天皇の後宮に侍女として入り、時の天皇や上皇の目に留まったのである。忠子はたまたま大覚寺統側と関わりを持ち、そうして人一倍権力志向の強い女性であったかどうかわからないが、強烈な母性をもって家格の低さ・第二皇子というハンディを背負った尊治を支えて、天皇践祚まで漕ぎつけた陰の功労者の第一は彼女であることには間違いのないところである。いや、彼女無しには実現しなかったに相違いない。 後醍醐天皇は人間的にある程度成熟して、分別や判断力を身につけて皇位についたから、世の矛盾やら鎌倉の存在など納得のいかない問題は多々目についたであろうし、強大な鎌倉幕府が末期症状呈しているのも肌で知ってだろう。母にも似た不屈の気質は濃厚に受け継いだろうし、正に延喜・天暦年間の聖天子のご治世に引き戻すべく革命をひき起こす気概をもって鎌倉末期に登場したのである。天皇周辺には大輪どころか異形・異彩の言葉が常について回る。末期症状の時代が天皇を呼んだのか、天皇が時代を創ったのか、そこには両者が出合う運命的な何かがあったのであろう。 兼好は正に後醍醐天皇の登場で時代の騒乱の扉が開いた瞬間に居合わせたわけであるが、内裏の記憶として書き留めただけで、仕えた後二条天皇亡き後の自分の生活設計を模索中で、まさかかくも歴史的な大乱が招来するとは夢にも思っていなかったのではあるまいか。兼好時に三十六才であった。如何であろうか。 翻って、現代自民党総裁選挙で時の官房長官の当選が決まる。これは選挙が始まる前から確実視されていたことである。官房長官人気に反対勢力も雪崩れをうって賛成に回り、権力の一端にすがろうとしているからである。兼好が描いているように、新天皇の回りに人々が群がるように、昔も今も権力になびく心理は全く変らないと見える。 参考文献として新たに加わったもの 帝王後醍醐 村松 剛 中央公論新社刊 後醍醐天皇 森 茂暁 中央公論新社刊 「徒然草」の歴史学 五味 文彦 朝日選書 増鏡 井上 宗雄 講談社学術文庫 「諒闇の年ばかりあわれなる事はあらじ(二十八段) 」に続く 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/storytellermirror/pages/280.html
鬼神降臨伝ONI 13-27 27名無しさん@お腹いっぱい。sage05/03/03 01 12 21ID q4FcD9Nf ・鬼神降臨伝ONI 時の権力者源頼朝の息子頼遠、由比ヶ浜で一人の赤ん坊に遭遇する。赤ん坊は北斗丸と名付けられ、 頼遠に養われて健やかに育った。13年後、頼遠は北斗丸とともに頼朝から鎌倉を騒がす妖怪を「討て!」と命じられる。 その日を境に、二人はそれまでの穏やかだった人生に別れを告げ、苛烈な道をたどることになる。 天下五剣を巡る陰謀、自らに流れる妖魔の血、天下五剣の力による鬼神への転身、同じ天下五剣に選ばれた仲間達との出会い、 妖怪の暗躍、それらの背後で糸を牽くと思われる源義経の亡霊。 やがて冥府に行までき着いた北斗丸は、黒幕と思っていた源義経が自分の父であることを知る。 狂える亡霊となった源義経を倒した後、北斗丸は父の敵を討つべく鎌倉の源頼朝の屋敷へ向かう。 転身して迎え撃つ頼朝を倒した北斗丸達の前に真の黒幕が姿を現す。 その名は……梶原景時。 全てが終わった後、北斗丸は仲間と離れて妖怪退治の旅に出た。
https://w.atwiki.jp/izayoiki/pages/8.html
◇譲の蜜月イベントについて ■蜜月1 二章春の京で、弁当作ってもらってから拠点イベント。 ■蜜月2 四章熊野で那智の滝イベントを起こしてから勝浦へ。 先に川の増水の異変を解決してはいけない。 (白龍の熊野の奥へ行ってはいけないというのはコレ) ■蜜月3 六章の京。五章福原事変で京を選ぶ。後白河に会った後拠点へ。 怪異をすべて解決すると発生しなくなるので注意。 Q、「三草山の戦いで勝たない方がいい」って? A、偵察展開のこと Q、どなたか譲の攻略教えて下さい。もう何度やっても出来ない(つД`) A、メモと拠点での白龍助言でなんとかなるよー、大丈夫。 引っかかりやすいのはこんな所。 2章の絆の関は越えないとダメ(夏の熊野の蜜月イベが見られない) 5章の絆の関も越えていないと自動的に夏の熊野の密月は失敗する。 無印の譲ルートの癖でうっかり秋に鎌倉に行かない(秋は京に行く) Q、譲の二回目の蜜月を終わらせて三回目の蜜月に行こうとしているんだけど、 どうやったら5章の福原から京に入れる? 鎌倉に行ってしまう。 A、鵯越はしない、一の谷は回りこむ。以上