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2004年9月 鎌倉(18切符日帰り) 旅行記一覧#2004 ←2004年夏合宿アフター | 2004年御前山MTB合宿→ 旅行記 2004年9月10日 すべての写真(フォト蔵) 旅程 2004年9月10日 ↓ 電車(柏駅→北鎌倉駅) 神奈川県鎌倉市 円覚寺 ↓ 電車(北鎌倉駅→鎌倉駅) 御成通り 由比ガ浜大通り 高徳院 極楽寺切りとおし 稲村ヶ崎 日坂 ↓ 江ノ島電鉄(鎌倉高校前駅→長谷駅) ↓ ↓ 電車(鎌倉駅→柏駅) 旅行記一覧#2004 ←2004年夏合宿アフター | 2004年御前山MTB合宿→ タグ 2004年9月 旅程 神奈川県 鎌倉市
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鎌倉五山:寿福寺 寿福寺は臨済宗建長寺派の寺で、鎌倉五山の第三位にあたります。源頼朝の父・義朝の居館があった所でもあります。1200年北条政子が寿福寺を開創し栄西を開山に迎えました。墓地には源実朝、北条政子の墓と伝えられる五輪塔があり、また同墓地には、陸奥宗光、高浜虚子、大佛次郎などの墓がります。 栄西(1141~1215)は、延暦寺で天台宗を学び、二度、中国の宋に渡り、寧波の天童寺などで臨済禅を学びました。帰国後鎌倉に入り禅宗を広め、その後建仁二年(1202)には将軍・源頼家の外護で京都に建仁寺を開きました。栄西は、わが国の臨済禅の祖であると共に、「茶は養生の仙薬なり…」ではじまる『喫茶養生記』を著し、お茶を日本に広めた人としても有名です。 総門 本堂 北条政子の墓 源実朝の墓 名前 コメント
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鎌倉のロダン?! #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (1-11.JPG) ♬おっと、真実の口in鎌倉 おいおいと思わず言いたくなる光景。イタリア直輸入とある 100円を投入すると未来が分かる占いの機械! 口の中に手を入れたものの、イミテーションの感触はどう? #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (1-12.JPG) ♬すっごい迫力の狛犬! これは素晴らしい傑作です。いつの時代の物かも分からないが、 こんなに感情のこもった狛犬に出会ったことが無い。この作家、 どなたかごぞんじですか。名も知らぬ石工のマエストロに日本 のロダンの称号を。鎌倉の鶴岡八幡宮にて。 旅の続きは…。 asbina-site
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広隆寺 出典 橋川正編纂『太秦広隆寺史』(京都太秦聖徳太子報徳会・1923)、追塩千尋『平安・鎌倉期広隆寺の諸相』(佐伯有清先生古稀記念会編『日本古代の祭司と仏教』吉川弘文館・1995)、林南寿『広隆寺の創建と移転』(『日本歴史』611・1999)『蜂岡寺と秦寺の本尊』(中央公論美術出版・2003)『太子信仰の寺への変貌』(『広隆寺史の研究』中央公論美術出版・2003)ほか 概略 広隆寺(こうりゅうじ)は、京都市右京区太秦にある寺院。山号は蜂岡山。現在、真言宗?御室派の別格本山。京都最古の寺院で、聖徳太子が建立した七大寺のひとつとされる。帰化人である秦氏の氏寺でもあり、古くは秦寺・大秦公寺・秦公寺・太秦寺・蜂岡寺・葛野寺・桂林寺などとも呼ばれた。創建当初は弥勒菩薩?を本尊としていたが、平安京?遷都前後からは薬師如来を本尊とする。現在の広隆寺本堂に当たる上宮王院の本尊は聖徳太子像。有名な弥勒菩薩?半跏像をはじめとして国宝8件、重要文化財33件を有することでも知られる。 歴史 『日本書紀』によると広隆寺は、推古天皇11年(603)に聖徳太子から仏像を譲り受けた秦河勝が、仏像を安置するために建立した蜂岡寺を起源とする。一方、承和5年(838)成立の『広隆寺縁起』や9世紀後半成立の『広隆寺資材交替実録帳』には、広隆寺は推古天皇30年(622)、同年に死去した太子の供養のために建立されたとある。創建年に関して20年近い開きがあるが、推古天皇11年(603)に広隆寺が草創され推古天皇30年(622)に至って完成したとする解釈と、推古天皇11年(603)に建てられた蜂岡寺と、推古天皇30年(622)に建てられた広隆寺という別々の寺院が後に合併したとする解釈とがある。創建当初の蜂岡寺の所在地については確証はないものの、平野神社?の500mほど南の地域から飛鳥時代の寺院跡である「北野廃寺跡」が発見され、旧地の蜂岡寺であると推測された。このことから蜂岡寺の寺領が延暦12年(794)の平安京?遷都の際に収公され、現在の太秦の地に移転し(もしくは二ヵ寺が合併して)現広隆寺になったとされている。いずれの寺も秦氏と深く関連している。秦氏は欽明~推古朝より官人として宮廷に進出するが、漢人系と結ぶ蘇我氏に対抗するため、敏達天皇や聖徳太子が秦氏を起用したことによるという。秦氏は弥勒菩薩?を信仰し、蜂岡寺には泣き弥勒?が、広隆寺には宝冠弥勒?(弥勒菩薩?半跏像)がそれぞれ本尊として祀られていたとされ、合併して広隆寺となった際に本尊として宝冠弥勒?が祀られたという。『日本書紀』にも「推古天皇31年(623)新羅と任那の使いが来日し(伝本によっては推古天皇30年(622)とも)、請来した仏像を葛野秦寺に安置した」とあり、これが今も広隆寺に残る2躯の弥勒菩薩?像のいずれかに該当するのではないかという。弘仁9年(818)の火災により伽藍を焼失するが、空海の弟子道昌によって再興された。道昌は承和3年(836)に第9代広隆寺別当に就任し、以後、41年間にわたり広隆寺の復興に尽力した。道昌は秦氏出身と伝わり、別当就任以降広隆寺は急激に真言?化していく。道昌は当時の薬師信仰流行の時勢に乗って本尊を宝冠弥勒?から霊験薬師仏に変更したため、貴賎を問わず信仰をあつめ、特に女性には願を成就する霊験ある寺院として尊崇を集めることとなった。平安末期には末法思想?から浄土思想?の信仰が興り、四天王寺で発見された聖徳太子筆『荒陵寺御手印縁起』に「四天王寺の西門が極楽の東門にあたる」と記されていたことから、同寺に参詣する者が相次ぎ、また太子は観音の化身であり、太子の墓に参詣する者は極楽往生疑いなしという太子信仰が浄土?信仰と結びつき、法隆寺や四天王寺のみならず、太子建立七大寺の中で唯一京都に存在した広隆寺においても信仰を集める。久安6年(1150)の火災で霊験薬師仏は焼失してしまうが、太子ゆかりの弥勒菩薩?像を全面的に押し出すことによって人々の耳目を集め、再建を容易にした。これより広隆寺は薬師霊験の寺院から太子信仰の寺院へと変貌を遂げ、再興された伽藍に新たに太子堂が含まれていることからもそれが窺える。さらに建長3年(1251)頃には太子建立の宮との伝承をもつ桂宮院が建立されている。明治の廃仏毀釈により荒廃するも、明治23年(1890)より諸殿舎の修復が行われ、伽藍が現在の姿に整えられた。 伽藍 上宮王院太子堂(本堂) 入母屋造、檜皮葺で正面に向拝のついた宮殿風建築で、享保15年(1730)の建立。堂内外陣の格天井には草花や楽器などが極彩色で描かれており、内陣の厨子には本尊の聖徳太子立像を安置する。この像には元永3年(1120)の造立銘があり、太子33歳の時の姿を写したとされ、下着姿の像の上に着物を着せている。堂内は通常非公開であるが、毎年11月22日の「御火焚祭」のときに開扉される。 講堂 永万元年(1165)に再建されたときの唯一の遺構。「赤堂」とも呼ばれ、柱に丹塗りの色が残る。当初は旧規模を踏襲した七間四間で檜皮葺であったという。永禄8年(1565)の改築により五間四間に縮小され、寄棟造、本瓦葺となっている。母屋の二重虹梁蟇股の架構などに再建時の姿を遺す。本尊の阿弥陀如来は丈六の一木造の坐像(像高約2.6m)で承和年間(834~848)の作。重厚な量感と充実した体躯や面貌に平安初期の彫刻の特色が顕著に現れており、技法的・作風的類似から、大阪の観心寺如意輪観音像と同一工房の作と思われる。『広隆寺縁起資財帳』によれば、淳和上皇女御であった永原御息所の発願とされ、承和7年(840)の上皇崩御に際しての造立と推測されている。脇侍として観音・勢至像ではなく道昌の作と伝わる地蔵菩薩?像と虚空蔵菩薩?像を安置する。 桂宮院 築地塀と竹林に囲まれた境内の西北隅にある。建長3年(1251)頃に聖徳太子を祀る堂として再興された。法隆寺の夢殿にも似た八角円堂という形式で、床板張、回縁付、檜皮茸。内部には柱がなく八方に勾配をつけた鏡天井を張り、中央に春日厨子をおく。厨子内に安置されていた聖徳太子像(現在は新霊宝殿に安置)は鎌倉時代の作。太子16歳の姿を写したとされる像で、椅子に腰かけている。建物は以前に4・5・10・11月の日祝のみ外観が公開されていたが、現在修復中のため非公開。 南大門(仁王門) 元禄15年(1702)の建立と伝わる3間1戸の楼門。屋根は現在瓦葺であるが、創建当初はこけら葺もしくは檜皮葺であったとされる。正面両脇に室町時代の作という仁王像を安置する。 新霊宝殿 広隆寺に伝わる多くの宝物を保存・展示するため、昭和57年(1982)に建てられた。2躯の弥勒菩薩?半跏像(宝冠弥勒と泣き弥勒)をはじめ、近年まで講堂に安置されていた平安時代作の不空羂索観音?像と千手観音像、定朝の弟子長勢の工房で造られたという日光・月光菩薩像や十二神将像など50数躯の仏像のほか、絵画や史料が展示されている。久安6年(1150)に焼失したのち復刻された霊験薬師仏は館内の厨子内に安置され、11月22日のみ公開されている。 文化財 国宝 木造弥勒菩薩?半跏像(宝冠弥勒※) 木造弥勒菩薩?半跏像(泣き弥勒※) 木造阿弥陀如来坐像 木造不空羂索観音?立像 木造千手観音立像 木造十二神将立像 広隆寺縁起資材帳 広隆寺資材交替実録帳 桂宮院本堂 ※広隆寺には国宝の2躯の弥勒菩薩半跏像がある。 (1)宝冠をいただき、台座とともに赤松の一材から彫成されている。一部に漆箔が残るが、本来は各所に乾漆を盛って仕上げていたとする説もある。細作りの体で清楚な気品があり、その作風はソウルの韓国国立中央博物館の金銅弥勒菩薩像に通じる。加えて飛鳥時代の木彫像がすべて楠材を用いているのに対し、本像のみ例外であることから朝鮮半島での制作ともいわれている。像高123.3cm。 (2)楠材の一木造で、漆箔天衣と裳裾の一部に獣皮を用いた異色作。朝鮮半島には現存しない楠材製であるところから7世紀末~8世紀初頭に日本で制作されたものと考えられている(異説も多い)。宝冠弥勒と同様のポーズをとるも、宝冠はなく像高はやや小さい。沈うつな表情で右手を頬に当てた様子が泣いているように見えることから「泣き弥勒」の通称がある。全高90.5cm。 重要文化財(建造物) 講堂 重要文化財(美術工芸品) 紙本著色能恵法師絵詞 絹本著色十二天像 絹本著色准胝仏母?図 絹本著色三千仏図 塑造弥勒仏?坐像 木造薬師如来立像 木造地蔵菩薩?立像 木造持国天・広目天・増長天立像 木造阿弥陀如来立像 木造毘沙門天立像 木造吉祥天?立像(像高184.5cm) 木造吉祥天?立像(像高168.0cm) 木造吉祥天?立像(像高164.6cm) 木造吉祥天?立像(像高142.2cm) 木造吉祥天?立像(像高106.8cm) 木造聖観音?立像 木造虚空蔵菩薩?坐像(伝道昌作) 木造地蔵菩薩?坐像(伝道昌作) 木造神像(伝秦河勝像) 木造女神坐像(伝秦河勝夫人像) 木造聖徳太子半跏像 木造大日如来坐像(像高95.5cm) 木造大日如来坐像(像高74.5cm) 木造日光・月光菩薩立像 木造不動明王坐像 木造菩薩立像 木造千手観音坐像 木造五髻文殊菩薩坐像 木造多聞天立像 木造蔵王権現立像(像高100.4cm) 木造蔵王権現立像(像高96.4cm) 木造如意輪観音半跏像 鉄鐘 拝観情報 住所 京都市右京区太秦蜂岡町32 電話番号 075-861-1461 拝観時間 9:00~17:00(12月~2月は19:00~16:30) 拝観料 境内自由、新霊宝殿拝観700円、桂宮院拝観200円(現在拝観休止) アクセス 京都バス「太秦広隆寺前」下車すぐ 駐車場 無料駐車場あり 主な行事 1月1日 元旦祈願 1月2日 手斧(ちょうな)始め(開催未定) 2月22日 太子正当忌(一般非公開) 10月10日 牛祭(開催未定) 11月22日 聖徳太子御火焚祭・本尊聖徳太子像開帳・勅封薬師如来像特別開扉 その他 京都検定出題 平成16年(2004)第1回京都検定3級出題 「国宝第一号に指定された弥勒菩薩半跏思惟像を所蔵する寺院はどこか。 (ア)広隆寺 (イ)大覚寺 (ウ)清水寺 (エ)平等院」 平成17年(2005)第2回京都検定2級出題 「仏像の通称について誤っているものを選びなさい。 (ア)証拠の阿弥陀と来迎院 (イ)楊貴妃観音と泉涌寺 (ウ)見返り阿弥陀と永観堂 (エ)泣き弥勒と広隆寺」 平成17年(2005)第2回京都検定1級出題 「(前略)国宝指定第一号の( )は飛鳥時代を代表する仏像で、わずかに微笑んだ表情が美しい。(後略)」 リンク 魅惑の仏像 弥勒菩薩―京都・広隆寺 (めだかの本)
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鎌倉幕府の会とは 国家の会界隈、新国家の会界隈に属するオープンチャットである。 関東のレーニン氏(源頼朝)が設立したオープンチャット。 設立当初から二重帝国条約機構「OHTO」「Austria Hungary Treaty Organization」に加盟し二重帝国の会が独立承認した。 「源義経」、「平清盛」などなりきりが多く、国家の会界隈でも異質な存在である。 人物 源頼朝 管理人。別オプでの名前は「関東のレーニン」。 那須与一 別オプでの名前は「ヨシフマン」。
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鎌倉権五郎景政【かまくらけんごろうかげまさ】 元ニートスザキ ◆fvbEMXR1rs。名古屋出身で三鷹に住んでいる一浪大学生(当時) 4月20日に初めて動画をアップした 2ちゃんねるのコテハンとしては不人気の部類だったが、動画の評判は高かった。 実在の鎌倉権五郎景政は”かまくらごんごろうかげまさ”と読むが、なぜか”けんごろう”を名乗っている。 スティッカムで宮崎速美が自分の名前を見るとすぐに去ってしまうため、 なぜ嫌われているのかと悩んでいたが、実際には宮崎は特に彼のことを嫌っているわけではないらしい。 元配信者R・Tのことを面白おかしく動画内で話したところ、R・Tの怒りをかい、警察への通報騒ぎや、自殺未遂騒動(笑)に巻き込まれてしまうことになった それが原因で動画を削除して以来、日記カテゴリには現れなくなった。 楽しい大学生活を送っていると本人からの報告が2ちゃんねるで一度あった
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読み かまくらばくふ 正式名称 別名 源氏鎌倉幕府 和了り飜 役満 牌例 解説 3色で「1・9萬・2」の刻子、白刻子、頭1。 白は源頼朝の源氏から。 成分分析 鎌倉幕府の39%は魂の炎で出来ています。鎌倉幕府の21%は着色料で出来ています。鎌倉幕府の14%は回路で出来ています。鎌倉幕府の11%は果物で出来ています。鎌倉幕府の9%は海水で出来ています。鎌倉幕府の4%は知識で出来ています。鎌倉幕府の2%は大人の都合で出来ています。 下位役 上位役 複合の制限 採用状況 参照 外部リンク
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目次 1.鎌倉期に仏教の花咲かせた我ら 2.精神統一は、内省が主眼 3.この世での他力依存心に 一喝 与えよ 4. 禅 は日本独自の文化を生んだ (1986年8月15日の霊示) 1.鎌倉期に仏教の花咲かせた我ら 栄西 栄西です。 ―― 栄西先生ですか。突然お招きいたしました。私どもは、ご承知のように、聖賢方をお招きし、お教えを承り、そして、現代の日本人、あるいは、中国はじめアジアの人びと、あるいはまた、将来は世界の人びとに、これからの人間の生きる道というものを説き明かそうという計画を持っております。今回は、仏教、とくに禅宗関係の方がたからお説をうかがって、一冊の書物に編集いたしたいと思っておりまして、過日は道元先生から、また本日は無門先生から、それぞれのお立場からのご高説を承りました。 栄西先生は、何と言っても、我が国、禅宗の宗家でもあられるお方ですので、現代の人びと、また後代の人びとに対し、禅の真髄をお説きいただき、魂修行の指針となるべきお教えを賜らば幸いと存じますが、お願いできましょうか。 栄西 わかりました。 ―― まず、私どもが書籍で著す栄西先生のお言葉となりますと、一応、人びとは、これ、はたして栄西禅師のお言葉であるかどうか、ということになりますので、願えますならば、現世における栄西先生のご活躍の一端なりと、お話し願って、それから本論に入っていただければと思っております。 栄西 まあ、あなたとは、ほぼ同時代ですしね。同じ頃にね、まあ鎌倉時代にね、活躍した人間同士ですから、まあ、あまりかしこまって言われると、私も困るんですが、まあ、あなた相手には、話はしにくいんですよ。皆んな一緒ですよ。鎌倉時代には、何十人も皆一緒に集まってね、ひとつ、仏教の種を播(ま)こうではないかとね、相集いましてね。日蓮さんもね、法然さん、親鸞さん、道元さん、一遍さん、唯円さんね。まあ、他にもたくさんおりますけどね、栂尾(とがのお)さんもいたね、明恵(みょうえ)さん。 こうした人たちが相集ってね、そう、鎌倉、室町になっての蓮如さんね、こういう人たちが皆んな集まって、まあ、ひとつ日本が、将来どうも仏教をもう一回伝えるようになりそうだから、法燈を継ぐのはどうやら日本だ、と。釈迦の仏教をもう一度、日本でね、広めたら大変意義があるだろうということで、集中して、日本に出て来たんです。 あなたなども一緒でね、出る前に、お互いに、ずいぶん話をしたし、まあ、今回出るときも知っていますよ。まあ、ご苦労なことです。私はこちらで楽させていただいていますが、ご苦労なことです。まあ、よくやっておられるようで、感心しています。 ―― 私は浅学非才で、今回、このような大役を仰せつかるとは思ってもいなかったのですが、蓋(ふた)開けてびっくりというのが現状でございます。 栄西 まあそうだね。あなたと私では、先生と弟子の関係にならないですから、まあ、同級生というかね、友だちですよ。私もね、友だちが多くて、この世では友だちがあまりないけれど、あの世には、友だちが多くてね、あなたも多くて困っておられるようだけど、まあ、私もそのひとりで、あなたが今度出るときには、「まあ、頑張って来いよ」と、肩を叩いて出したひとりですよ。 ―― ああそうでしたか。それはそれは……。 栄西 まあ想い出さないでしょうね、そういうことは。 ―― そちらのほうへ環ったら、いろいろなことを想い出して、お礼を申し上げることになると思いますよ。 栄西 いやあ、あんた、気が多くてねえ、「栄西よ、わしや、禅を伝えることぐらいじゃ出んぞ」と言っていましたよ。「もっと大きなことをやるからね」と言ってね。まあ、あんたの仲間もね、あと二、三人出ているから、もうすぐ逢うと思いますよ。 ―― つまり、六老僧の人たちでしょうか。 栄西 そうそ、まだ出て来ますから。 ―― 現在の現象世界にね……。 栄西 そうです。出てますからね。そのうちに逢うと思いますよ。 ―― 日蓮さん、今のところ、そういうことはおっしゃらないからね。その方は、やはり仏教関係のことをなさっておられるのですか。 栄西 いや、仏教関係の僧侶というわけではないけどね、あなた方の仕事を、また手伝ってくれることになると思いますよ。六老僧が、まだ後、出ていますから。あなた方の教えに、今後協力してくれると思いますよ。まあ、そのうちに日昭さんとか、日頂さんとか、日向さん、この三人が今出ていますから、あなたが活躍しはじめて、彼らもそろそろ気がついてくる頃ですから、後三人、同志が出ていますから。 ―― 現在、在家の人ですか。 栄西 そうです、在家です。やがて、寄って来ます。あなた方、これから、"法"を説いていかれるのでしょうから、やがて寄って来られますから、楽しみにしていて下さい。あなたのお友だちです。 ―― 現在のところ、そういう方との交渉はないですね。 栄西 まだないです。今後出て来ます。数年以内に出て来ます。まあ、そのときはね、天上界に残した友だちと地上に残った友だちということで、まあ、両方頑張ってやってゆきましょう。 2.精神統一は、内省が主眼 栄西 まあ、こんなことばかり話していたんじゃあ、「栄西の霊言」にはならないでしょうから、では、何から話していきましょう――。 ―― まあ、お立場からすれば、「禅」ということですから、禅ということについてお話願えればと思いますが。 栄西 禅もね、もう禅、でもないんだけどね。この世へ来れば、あなた方から言えばあの世ですね、まあ、こちらに来れば、もう足もないしね。あなた、足組んで坐禅しているわけにはいかないんだから、私しゃ、まあ、足がなくて、空中ふらふら飛んでいる螢か、火の玉か、というようなもんですから、禅でもないですが。火の玉に禅、などいうもの、ないもんね。 ―― まあ、しかし、長年の魂のよりどころとして、あなたは、仏教系のなかでも禅の教えを通して、世の人を指導してきたということでございますからして、何かその辺の心で、現在の人びとの生き方について、ご指導願えたらと思うのですが。 栄西 そうね、他の人がどうやら古いことばかり言ってるようだから、まあ、ちょっとは新しいことも言わねばいかんようですな。禅がどうこうということは、今の私の意識から言えば、少し離れてきているのですが……。 そうね、禅では、人類は救えないですね。現在の時点では、禅では救えないね。まあ、これをどうするかだね。まあ、ただね、禅、のなかに学ぶべきものがあるとすれば……。まあ、あなた方、心の教えを説こうとしておられるけれど、やはり個人個人にとってみれば、皆んな何か修行したいと思っているんですよ。だからね、その修行の方法が何もないとなれば、これまた、つらいことになるんです。 そうぃう意味でね、何も禅でなくていいが、やはり何かね、人間というのは、修行したいと思っていますから、その修行の方法ですね、それを考える必要があります。ま、そういう意味ではね、禅というのもひとつ勉強になると思うのです。どうですかね、あなた自身にとってみて、修行とか、そういうもの、何か考えていますか。 ―― まあ、生身の人間は、何もやらないと心身を崩してしまいますので、何らかの行法という形式を通して心を磨いていかねばならんと考えております。 栄西 ただね、あまり禅、とか精神統一をやると、どうも宗教的になってまずいところもあるだろうし、まあ、むつかしいところでね、どうしようか。 ―― それでは、禅によらず何か……。 栄西 まあ、精神統一についちゃあ、ちょっと話しとかな、いかんな。まあ、現在でもね、精神統一というのは、やっていますね。"瞑想"とかね、英語で言うとメディテイション、というのですか。あるいは、"ヨガ"、もちろん、"禅"もありますし。会社などではね、現在ヨガなどもずいぶん流行(はや)っているそうですが。まあ、会社では、なかなか禅、まではいかないけれどね。まあ、禅もひとつのブームだね。スポーツとまではいかないけれど、もうちょっと知的なスポーツだね。そういうことで、休日に禅をやっていると言うと、まあ、そう聞こえが悪くない。それと禅、のいいところは、それほど色が着かないというところだね。 たとえば、普通の人であっても、――「私、禅をやっています」と言ってもね、危ないから近寄るのを止めようと言う人はいないですね。禅、やっている分には、別に悪影響はないということですね。友だちに禅をやっている人がいたって、別にかまわない。ただね、友だちがね、新興宗教の何とかをやっていると言うと、これは怖がって、近寄らなくなる。何か折伏(しゃくぶく)されるんじゃないかとかね。何か洗脳されるんじゃないかと思って、逃げちゃう。 だけど、"禅"をやっているというと、とくにね、どうってことはなく、「ああそうか。なかなかやるじゃないの、頑張っているね」と、まあ、"ヨガ"だってね、そんな感じがあるけどね。いいんですよ。男性は禅、女性はヨガが流行ってきているようだけど、こういう意味で、まあ、あなた方の教えもあるんだろうけど、こういう無色透明なところっていうのは、けっこう大事だと思うんです。 あまり、何と言うかな、宗派によってどうにかなるという、信じ込むと言うんではないから。禅、その一番いいところはね、信じ込むところが、ないからね。現代人がとくに嫌(いや)がるのは、その狂信妄信なんですね。信じ込むってのは嫌がる。こういうことがあるんですね。要するに、疑心暗鬼だね。あまり人の言うこと、信用したくないし、信じ込みたくないという気持ちがありますからね。そういう意味では、自分自身でやって、納得がいくのであれば、それでいいでしょう、と。こういうことが、禅、ですな。 だからまあ、あなた方も教えを説かれるにしても、それをそのまま鵜呑みにしなさい、信じなさいと言うだけではね、やっぱり今ひとつもの足りないと思うんですよね。だから、無色透明な部分がね、何かいるんじゃないかとね。そういう気がしますね。 まあ、精神統一というのは、そういう禅とか、ヨガ、とかいうことで流行っておるわけだが、何のために、精神統一するのかね。この点を、はっきりしておかないと、ま、意味がないでしょう。あなた、精神統一って、何のためにすると思いますか。 ―― まあ、それはね、人それぞれの考えがあるでしょう。心を空っぽにして、あるいは、無にして坐っているという人もおるでしょう。けどね、心を無にしようと、空っぽにしようと思えば思うほど、しょうもない雑念が涌いてきて、一向に空っぽにはならない。 そうであるなら、今日一日のこと、あるいは、昨日のこと、あるいは、もっともっと前のこと、そのときどきの自分の判断や、そう判断して行なったことの結果が、相手に、また、自分にどう影響したか、ということを考えてみるようにしたりしていますが、まあ、反省ということも込めてね。 栄西 まあ、精神統一とひとくちに言っても、なかなかむつかしいんだけどね。人間、やはりね、内省するというか、自らの内(うち)を省(かえり)みるという、こういう機会があんまりないんですよね。そういう意味では、精神統一で一番いいのは、まあ、内省だね。こういうことで、いいところがあると思うんです。 じゃあ、何で内省、がいいのかということですが、たいていの人間は、内省などしたことがないんですよ。まあ、その日その日を生きとるんですな。今日は会社で上役に叱られた、と。ボーナスが少なかったから自棄(やけ)酒飲んで帰って、母ちゃんと口げんかしたとかね。子供の通信簿の点が良かったとか。悪かったとか、こんなことばかりです。こうしたことでまあ、日々過ごしとるわけです。しかし、そういうことだけではやっぱり何の向上もないわけです。 だから、ときどきね、自分というのを、良くしていきたいのかどうかですな。まあ、内省の必要性というのは、要するに自分を良くしていきたいのか、どうかということです。人間は、別にそんな悪い存在であると思う必要はありませんが、それでもやはり、軌道修正はしていかないと、いけないでしょう。 ですから、精神統一のなかに、「内省」あり。内省の意義は、"人生の軌道修正"にありと、こういうことであります。常々、自分の人生を軌道修正していこうと思っている人は、そんなに大きな間違いはありません。たとえ自分の考えていることが正しくても、それを押し通そうとすると、人間、無理がけっこう出ます。正しいことだと信ずることは多いんです。ただ、それを押し通そうとすると、どうしても無理がある。そして、対人関係でいろんな不和が起きてくる。――こういうときは、踏み止まって、一歩退いて考えてみる必要があるのであります。 たとえば、あなた方の教え、これはほんとうにいいと、真底いいと思っていて、心酔する人がおりますね。そして、これが絶対だと思って、人に押しつけるということになると、これまた、問題があるんです。正しいものであっても、それを受ける、受け入れないは、各人の問題です。 ですから、それをたとえば、ある人はゴリ押ししてね、「これは、栄西が言っているのだから、間違いない。だから、このとおりやりなさい」と。「しかし、これは栄西かどうかわからないから、私しゃ、参考になるところは参考にするけれど、まあ、丸呑みにはできない」と、まあ、ある人はこう言うでしょう。――そんなことではいけないと、一生懸命折伏などしていると、これはどこかおかしいのであってね。 正しいということは、必ずしもその人の生き方を説明はしないんです。説得的なものではないんです。正しいから思ったとおりにやったらいいかと言えば、そうでもない。やはり、やり方というものがあります。手段方法というものがありますから、これをよくよく考えて、他人と自分の人間関係、これの調整をやっていかねばなりません。 だから結局ね、精神の統一というものを考えてみると、人間生きていく上で、まあ、物質と自分の調和など、それほど関係ないですね。それと、動物と自分というのも、それほど重要な関係ではないですね。後、残っているのは何かと言うと、自然との調和と言っても、緑や風と調和するわけじゃないから、花とお話しするのはよほどの霊能力者か、あるいは、精神病院へ入るかのどっちかですから、後は、要するに人間ですわね。人生修行で、その媒体となるものは何かと言うと、結局、人間の集まりですね。そういうことで、人間関係の調整をやらねばならない。 その人間関係の調整も、「正師」がいて、その人が教え導いておれば、それはそれでいいんでしょうが、そういう人にはめったに巡り会わない。そういうことで、まあ、自分でやはりやっていかねばならない。それで、人間関係を調整する意味で、心静めて、よく考えてみる。自分のひとつひとつの行動を振り返ってみる、と。こういう必要があると思うのです。 こういうことをやっている人と、やっていない人とでは、ずいぶん大きな差が、やがて出てくるはずなんです。とくに若い人は大事ですよ。若いうちからこういう習慣をつけておくと、年取ってから、ほんとうによかったと思うような、黄金時代というのが来ます。 3.この世での他力依存心に"一喝"与えよ 栄西 若いときに勝手気ままやって、年寄って、急に、心を入れ換えようと思っても、そうはいかないんです。なかなかに。そりゃあ、"前後際断"などと言う方もいらっしゃるけれど、普通の人では、年寄ってから自己を際断するなどということは、そう簡単にできるものではありません。だから、あなた方の「霊言集」を読むことによって、まあ、一冊の本のなかに、その本としての答えがあるということですね、それでもいいんですよ。 あなた方の事務所へも、いろんな人が面談を申し込んで、面接して下さいと言って来ているでしょう。会いたい、会いたいとあなた方にね。いろんな人が、一時間、二時間でもいいけど、一日話したらもっといい、と。一週間連続で聴かせてもらえたらもっといい、と。そういうことはあるけど、それをそのとおり聴いていると、体が持ちませんからね。 やはりそこで、"禅"の世界もあるわけですよ。「これを読んで考えてみなさい」と。あるいは、「霊言集を全部、三回ぐらい読んでから、もう一回おいでなさい」と。まあ、これでも私はいいと思いますよ。とにかくね、とにかく人間というのは、あまり自分で努力しないで、人に教えてもらおうとする。とにかく、答えをほしがる。問題を自分で解くという努力を惜しんで、とにかく、答えをほしがる。これが人間の悪い癖ですね。依頼心が強いことです。 それはね、ひとりひとりの人の悩みに答えてあげたら、それはいいんでしょうけど、悩んでいる人にとっては最高でしょうが、残念ながら、そうはいかない。そういう意味では、逆に言うと、私は、禅の世界の意味を利用してほしいと思うのです。 禅は、各人の悟りということ、個人が独力で悟るという世界です。もちろん、あなた方がヒントを与える必要があります。しかし、そのヒントを持って、問題を解くのは、各人です。そういう形でいいと思いますよ、突き放して。だから、その人が、「たって」と、相談があれば、ああこの人の心性がこういうところにあるなと思えば、たとえば、霊言集なれば、「この本を熟読しなさい」と。ここにヒントがあるはずですと言えます。こういう形でいいと思いますよ。 まあ、そういう意味では、あなた方、書物をつくられる意味で、いろんな人の悩んでおられるようなことも、念頭においてつくっていかれる。こういうことも大事だと思いますよ。結局ね、やはり甘えになりますから、"他力信仰"といってね、あの世の人を頼りにする信仰もありますが、この世でも、"他力信仰"があるわけです。生きている人に頼ろうとする。これも他力信仰で、三年経ってからいらっしゃい、というのであってもいいんですよ。 何かをつかんで来い――、というのであってもいいんで、あまり親切すぎてもいけないのです。そういう人には、"一喝"与えることが、ほんとうにその人のためになるんです。まあ、禅のほうでね、今、現代に採り入れる教えがあるとするならば、さっきも言った、何らかの精神統一、という意味と、そういう意味での、個人の悟りであるということです。あくまでも悟りは、個人のものであると、そういうことで、ヒントは与えるけれども、解答を出すのは各人である。 あなた方が、「右にしろ。左にしろ。まっすぐ行け」といちいち、個別の指示を出しているひまはない。だから、ヒントを与えて、向こうが向く方向でいいと思うのです。まあ、こういう点が、禅から、今、あなた方が学ぶべきところじゃないかと思います。 4."禅"は日本独自の文化を生んだ ―― そちらでは、たとえば、禅なら禅、その他、仏教系の方がお集まりになって研究とか、お話しあいになるような機会はあるのでしょうか。 栄西 あります。しょっちゅうやっております。やはり類は友を呼ぶというわけで、似たようなタイプが集まって、話しているわけです。 ―― 無門さんなどもご一緒ですか。 栄西 いや。偉い方ですからね、まあ、あの人は。もちょっと偉い方ですからね。 ―― では、如来界の方ですか。あの方は。 栄西 まあ、私はよく存じませんが、私たちよりかは偉い世界におられる方ですから。まあ、禅の話もされるでしょうが、実際は、禅を超えたところで働いておられることが多いのです。いろんなところでね。人類のいろんな思想、思潮というものを司(つかさど)るというような仕事をしておられるようです。私らは、どっちかと言うと、仏教のなかの一分派でまだ甘んじているところがあります。 ―― 近年、我が国に出られて、他界された鈴木大拙先生は、あなた方とご一緒におられるのでしょうか。 栄西 いや、鈴木さんはね、人間界から還ったばかりですから、ちょっと違いますがね。 ―― 鈴木先生は、かつての禅宗の始祖、達磨大師の再来と聴いておりましたが。 栄西 まあ、これは他人のことを言うと失礼なことになりますので………私はよく知りませんが、ま、達磨の悟りそのものが、釈尊の悟りから比べれば、やはり数段落ちていたことは否(いな)めないと思います。釈尊が分かり得たところを、達磨(だるま)は十分の一も分かっていません。 ―― 達磨大師は、インドから中国に渡られて、"禅"を広めようとされたわけですね。 栄西 そうですね、ですから、"禅"というのもある意味では、大衆普及化したこともあるんです。そういう意味において、教えの中味が骨抜きになったことによって、逆に広がった面もあるのです。とりあえず、そういう禅、というものを組んで、考えてみようというような、そういうスタイルですね。 まあ、現代風に言うなら、ライフ・スタイルと言いますかね、そういうものをつくったということでもあります。禅、というライフ・スタイルをつくって、それで、ある意味で、文明的に滲透させた。まあ、禅、が影響した会合もあれば、お茶、茶の湯などもそうですね。いろいろあるはずです。禅が影響したものというのは、そういうもので、ひとつの精神文化をつくるための役割をはたしたと思います。 だから、"達磨禅"それ自体がそれほどのところまで悟っていなかったとしても、その影響力自体は、たいしたものだったと思います。まあ、あの方も、インドから中国へ、日本から欧米へと、まあ、忙しい方です。その普及に、ずいぶん熱意を持っておられた方ですからね。 ―― 禅、は精神統一というか、人びとの悟りへの関門、道標的役割を担ってきたということだけではなく、日本独自の芸術、文化の一種の背骨となって発展してきたという功績も見逃せないですね。 栄西 そうそう、そういう意味での芸術、文化への滲透、これは禅、がはたしたひとつの貢献だと、私は思いますよ。 ―― 茶とか、華道とか、造園、それに詩、俳諧にまで、その影響は及んでいると思いますが……。 栄西 そう、そうです。すべて"禅"の影響というものがありますからね。これは日本文化をつくった源と言ってもいいものだと思いますよ。ですから、私たち、私たちと言っては他の人たちに失礼でしょうが、私自身に対して、悟りを得ていなくとも、現在ね、そこそこ、楽しく暮らさせていただく理由のひとつは、まあ、文化的にいろんな影響を与えたということだと思いますよ。 ですからね、私、あなた方の教えもね、ひとつ、文化的にハイレベルなものになるような気質があっていいと思います。もっと何かね、他のものへも波及(はきゅう)するようなものであっていいと思いますよ。音楽とか、絵画とか、文学とかね、私はあなた方の教えを受けて、文学方面などで活躍する方が出ることを期待していますよ。そして、そういう教えを、たとえば絵画で表現(あらわ)す人、あるいは音楽で、あるいは彫刻で、あるいは文学で現わす人、こういう方が出て来るといいなあと思っていますよ。まあ、やがてそういう人も出て来るでしょう。 ―― 私は、そういう意味でもね、私たちの教えというよりか、これは「神理」ですね、神の教えを淵源(みなもと)とするところの、芸術全般はもとより、宗教、哲学、教育、政治、経済、文明、文化、すべての分野、すべての世界についての大変革、「理念」革命の時期が来ていると思いますよ。いわゆるネオ・ルネッサンスが、今世紀から新世紀にかけて、やがて興ってくるのではないかと思います。また、そう信じております。 栄西 そうです。あなた方が掲(かか)げているものは、単なる宗教の宗派や教義だけの問題ではないはずです。新しい文明文化の基礎となる教えとならねばなりません。まあ、頑張って下さい。 ―― では、栄西先生、本日は大変ありがとうございました。「禅」の本義については、先日来、道元、無門禅師方より承りましたが、栄西先生からは、禅、そのもの意義もさることながら、禅の効用というか、禅が精神生活への及ぼす影響、ということを通して、"新文化建設"への示唆をいただきまして、まことにありがとうございました。
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御霊神社(鎌倉) 神奈川県鎌倉市坂ノ下3-17
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鎌倉五山:浄智寺 臨済宗円覚寺派の鎌倉五山の第4位 浄智寺の沿革 入り口 山門 本尊 貴船ギク 名前 コメント