約 16,539 件
https://w.atwiki.jp/taisho/pages/84.html
2007 2007/04/19 原作 『大正野球娘。』 2007/12/21 ドラマCD「乙女たちのハイキング」 2008 2008/07/19 連載 漫画 第1回(月刊COMICリュウ2008年9月号) 2008/08/01 原作 『大正野球娘。~土と埃にまみれます~』 2008/08/16 アニメ アニメ化発表 2008/08/19 連載 漫画 第2回(月刊COMICリュウ2008年10月号) 2008/09/19 連載 漫画 第3回(月刊COMICリュウ2008年11月号) 2008/10/19 連載 漫画 第4回(月刊COMICリュウ2008年12月号) 2008/11/19 連載 漫画 第5回(月刊COMICリュウ2009年1月号) 2008/12/19 連載 漫画 第6回(月刊COMICリュウ2009年2月号) 2008/12/28 アニメ コミックマーケット75PV発表公式プレサイトオープンメインスタッフ発表 2009 2009/01/19 連載 漫画 第7回(月刊COMICリュウ2009年3月号) 2009/01/21 アニメ コミックマーケット75PV配信 2009/02/12 アニメ キービジュアル発表 2009/02/19 連載 漫画 第8回(月刊COMICリュウ2009年4月号) 2009/02/20 書籍 漫画『大正野球娘。』第1巻 2009/03/18 アニメ 東京国際アニメフェアPV発表メインスタッフ詳細・キャスト発表 2009/03/19 連載 漫画 第9回(月刊COMICリュウ2009年5月号) 2009/03/20 アニメ 公式サイトオープン 2009/04/10 アニメ 東京国際アニメフェアPV配信 2009/04/18 連載 漫画 第10回(月刊COMICリュウ2009年6月号) 2009/05/19 連載 漫画 第11回(月刊COMICリュウ2009年7月号) 2009/05/27 ラジオ 「浪漫ちっくラジオ」 第1回 2009/06/01 アニメ 放送日時発表 2009/06/10 ラジオ 「浪漫ちっくラジオ」 第2回 2009/06/18 原作 『帝都たこ焼き娘。 大正野球娘。3』 2009/06/19 連載 漫画 第12回(月刊COMICリュウ2009年8月号) 2009/06/20 書籍 漫画『大正野球娘。』第2巻 2009/06/24 ラジオ 「浪漫ちっくラジオ」 第3回 2009/07/02 アニメ TBSにて放送開始 2009/07/08 ラジオ 「浪漫ちっくラジオ」 第4回 2009/07/09 アニメ MBSにて放送開始TBS 第2話 2009/07/16 アニメ CBCにて放送開始TBS 第3話 2009/07/18 イベント 伊藤かな恵×中原麻衣トーク&クイズ大会 2009/07/18 連載 漫画 第13回(月刊COMICリュウ2009年9月号) 2009/07/22 ラジオ 「浪漫ちっくラジオ」 第5回 2009/07/23 アニメ TBS 第4話 2009/07/26 アニメ BS-TBSにて放送開始 2009/07/30 アニメ TBS 第5話 2009/08/05 ラジオ 「浪漫ちっくラジオ」 第6回 2009/08/06 アニメ TBS 第6話 2009/08/13 アニメ TBS 第7話 2009/08/19 ラジオ 「浪漫ちっくラジオ」 第7回 2009/08/19 連載 漫画 第14回(月刊COMICリュウ2009年10月号) 2009/08/20 アニメ TBS 世界陸上娘。 2009/08/22 イベント TBSアニメフェスタ2009 第3部 2009/08/26 ラジオ CD「浪漫ちっくラジオDJCD」 2009/08/27 アニメ TBS 第8話 2009/09/02 ラジオ 「浪漫ちっくラジオ」 第8回 2009/09/03 アニメ TBS 第9話 2009/09/10 アニメ TBS 第10話 2009/09/16 ラジオ 「浪漫ちっくラジオ」 第9回 2009/09/17 アニメ TBS 第11話 2009/09/19 連載 漫画 第15回(月刊COMICリュウ2009年11月号) 2009/09/24 アニメ TBS 第12話 2009/09/26 イベント 第五回 大正ロマン・柴又宵まつり(ゲストに伊藤かな恵) 2009/09/29 書籍 アニメージュ文庫「野球乙女手帳」 2009/09/30 ラジオ 「浪漫ちっくラジオ」 第10回 2009/10/07 アニメ BD・DVD 第1巻 2009/10/14 ラジオ 「浪漫ちっくラジオ」 第11回 2009/10/18 アニメ 抱き枕発表 2009/10/19 連載 漫画 第16回(月刊COMICリュウ2009年12月号) 2009/10/21 アニメ ドラマCD「大正野球娘。」 2009/10/28 ラジオ 「浪漫ちっくラジオ」 第12回 2009/10/29 ゲーム PSP「乙女達乃青春日記」 2009/10/30 書籍 ロマンアルバム「乙女画報」 2009/11/04 アニメ BD・DVD 第2巻 2009/11/07 イベント 大正野球娘。一気に観ナイト~池袋八景紳士戯~ 2009/11/18 連載 漫画『帝都たこ焼き娘。』第1話(エッジdeデュアル王立図書館) 2009/11/19 連載 漫画 第17回(月刊COMICリュウ2010年1月号) 2009/12/02 アニメ BD・DVD 第3巻 2009/12/16 書籍 漫画『大正野球娘。』第3巻 2009/12/19 連載 漫画 第18回(月刊COMICリュウ2010年2月号) 2010 2010/01/06 アニメ BD・DVD 第4巻 2010/01/19 連載 漫画『帝都たこ焼き娘。』第2話(エッジdeデュアル王立図書館)漫画 第19回(月刊COMICリュウ2010年3月号) 2010/02/03 アニメ BD・DVD 第5巻 2010/02/19 連載 漫画 第20回(月刊COMICリュウ2010年4月号) 2010/03/03 アニメ BD・DVD 第6巻 2010/03/12 アニメ ディズニー・チャンネルでの放送発表 2010/03/17 連載 漫画『帝都たこ焼き娘。』第3話(エッジdeデュアル王立図書館) 2010/03/19 連載 漫画 第21回(月刊COMICリュウ2010年5月号) 2010/04/07 イベント 大正野球娘。への想いを語らナイト~新宿八景紳士戯~ 2010/04/19 連載 漫画 第22回(月刊COMICリュウ2010年6月号) 2010/04/25 アニメ ディズニー・チャンネルにて放送開始 2010/05/19 連載 漫画『帝都たこ焼き娘。』第4話(エッジdeデュアル王立図書館) 2010/05/19 連載 漫画 第23回(月刊COMICリュウ2010年7月号) 2010/06/18 原作 『大正野球娘。4』 2010/06/19 連載 漫画 第24回(月刊COMICリュウ2010年8月号) 2010/07/17 連載 漫画 第25回(月刊COMICリュウ2010年9月号) 2010/07/20 連載 漫画『帝都たこ焼き娘。』最終話(エッジdeデュアル王立図書館) 2010/08/12 書籍 漫画『大正野球娘。』第4巻 2010/08/19 連載 漫画 第26回(月刊COMICリュウ2010年10月号) 2010/09/18 連載 漫画 第27回(月刊COMICリュウ2010年11月号) 2010/10/19 連載 漫画 第28回(月刊COMICリュウ2010年12月号) 2010/11/13 書籍 漫画『帝都たこ焼き娘。大正野球娘。番外編』 2010/11/19 連載 漫画 第29回(月刊COMICリュウ2011年1月号) 2010/12/18 連載 漫画 第30回(月刊COMICリュウ2011年2月号) 2010/12/23 アニメ ディズニー・チャンネルにて再放送開始 2011~ 2011/01/19 連載 漫画 第31回(月刊COMICリュウ2011年3月号) 2011/02/19 連載 漫画 最終回(月刊COMICリュウ2011年4月号) 2011/03/12 書籍 漫画『大正野球娘。』第5巻 2011/12/01 ゲーム ソーシャルゲーム「大正野球娘。」(GREE) 2011/12/16 ゲーム ソーシャルゲーム「大正野球娘。」(Mobage) 2013/05/31 アニメ Blu-ray BOXニコ生 BOX発売記念一挙放送 予定 ****/**/** 原作 (第5巻)
https://w.atwiki.jp/aaa8aaa/pages/14.html
2002年 2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年 2010年 2011年 2002年 7月、宇野実彩子が「エイベックスオーディション2002」に応募、合格する。 2003年 8月、西島隆弘、浦田直也、日高光啓、與真司郎、末吉秀太が「エイベックス男募集!オーディション」に応募、合格する。 AAAが結成される。 2004年 7月、伊藤千晃が「エイベックスオーディション2004」に応募、合格する。 2005年 1月、後藤友香里が「エイベックス17歳-22歳限定オーディション」に応募、合格する。 既にレッスンを積んでいた西島隆弘、宇野実彩子、浦田直也、日高光啓、與真司郎、末吉秀太の6人でグループが結成される。 4月、AAAが正式に発表され、後藤友香里が加入し、浦田直也がリーダーに就任する。同時に新曲「Friday Party」のプロモーションビデオが配信される。 5月、AAAとしての活動が開始される。 6月15日、伊藤千晃の加入が発表され、しばらくは8人のメンバーで活動することになる。 8月~11月、15回に亘るストリートライブ(青山、渋谷、大阪、福岡、札幌)が行われる。 9月14日、デビューシングル「BLOOD on FIRE」が発売される。 10月3日、ニッポン放送にて初冠ラジオ番組「AAAのA〜お話」の放送が始まる。 11月21日、ベストヒット歌謡祭2005で「新人賞」を受賞する。 12月17日、第38回日本有線大賞で「有線音楽賞(BLOOD on FIRE)」を受賞する。 12月31日、第47回日本レコード大賞 で「最優秀新人賞(BLOOD on FIRE)」を受賞する。 2006年 1月1日、1stアルバム「ATTACK」が発売される。 2月26日、宇野実彩子、與真司郎、末吉秀太、伊藤千晃が出演するドラマ「彼らの海・VIII -Sentimental Journey-」が放送される。 4月、東北放送のラジオ番組、イキナリ!木曜日「AAAのRadio n Fire」の放送が始まる。 5月4日 - 7日、AAAが主演する舞台「Theater of AAA 〜ボクラノテ〜」が公演される。 6月4日、AAAオフィシャルファンクラブ「AAA Party(トリエーパーティ)」が設立され、入会受付が始まる。 7月2日 - 8月8日まで6日間、10thシングル「 Q 」が第26回全国高等学校クイズ選手権の応援ソングとなり、全国6都市の地方大会に出演する。 9月13日、dwango提供による無料ライブ「AAA 1st Anniversary Live 060913 〜3rd ATTACK〜 日本武道館」が開催される。 11月14日 - 30日、西島隆弘、浦田直也が関東地区の高校5校に出向き、『「ありがとう」を伝えたい!キャンペーン』を実施する。 11月20日、ベストヒット歌謡祭2006で「ゴールドアーティスト賞」を受賞する。また、同歌謡祭では「ハリケーン・リリ、ボストン・マリ」を披露する。 11月28日、横浜税関134周年記念税関記念日式典にてAAAが一日税関長をする。 12月23日、東京ラフォーレミュージアム六本木にて初ファンクラブイベントを開催する。 2007年 2月、メンバーが月替わりに登場する冠ラジオ番組RADIO SESSIONS AAA TALKING ATTACKの放送が始まる。 2月7日 - 9日、東京ディズニーランドにて東京ディズニーランドのスペシャルイベント「東京ディズニーランド・スペシャルナイト CLUB DISNEY "スーパーダンシン・マニアRemix"」に出演する。 3月25日、ヤフードームにて福岡ソフトバンクホークス開幕2戦目オープニングイベントに出演する。 4月、西島隆弘、宇野実彩子がテレビ東京の情報音楽番組「音時間」のMCを務める。 4月2日 - 6月25日、西島隆弘、與真司郎が主演するテレビ東京のドラマ「美味學院」が放送される。 5月15日 - 20日、AAAが主演する舞台「スーパーバトルライブ美味學院番外編〜デリシャス5 史上最大の敵〜」が公演される。 6月11日、後藤友香里の体調不良による脱退がAAA公式ホームページで発表される。これよりメンバーは7人となる。 7月20日、アメリカボルチモアにて行われたアニメコンベンションイベント「OTAKON 2007」に出演する。 10月20日、浦田直也、伊藤千晃が初出演となる映画「ヒートアイランド」が公開される。 2008年 1月9日、17thシングル「MIRAGE」が発売され、1月21日付けのオリコン週間シングルチャートにて、AAA初となる1位を獲得する。 3月5日、初ベストアルバム「ATTACK ALL AROUND」が発売される。 8月26日、東京新木場STUDIO COASTにてMTV主催イベント「MTV STUDENT VOICE AWARD 2008」に出演し、最優秀ダンスアーティスト賞を受賞する。 10月27日~2009年1月、AAAが主演するテレビドラマ「未来世紀シェイクスピア」が放送される。 2009年 10月23日、結成5年目にしてテレビ朝日系列の音楽番組「ミュージックステーション」に初出演を果たした。 11月26日、ベストヒット歌謡祭2009で「ゴールドアーティスト賞」を受賞する。 12月21日、AAAオフィシャルモバイルサイト「AAA mobile(トリエー・モバイル)」がグランドオープン。 2010年 1月27日、赤坂サカスにて、White Sacas「瀬尾茜×AAA コラボレーション アイスショー」が開催される。 1月23日、西島隆弘と日高光啓が出演する映画「サヨナライツカ」が公開される。 4月10日、AAAがレギュラー出演する日本テレビのバラエティ番組「二匹目のどじょう」が放送される。 5月16日、AAA Heart to ♥ TOUR 2010 東京公演(NHKホール)が行われ、小室哲哉がサプライズ出演。オリコン1位となった曲「逢いたい理由」(作曲:小室哲哉)を自らピアノ伴奏した。 6月25日、アメーバピグにおいて、AAAピグLIVE「AAA Heart to ♥ TOUR 2010」が行われる。 12月30日、第52回日本レコード大賞「優秀作品賞(逢いたい理由)」を受賞する。 12月31日、第61回NHK紅白歌合戦に白組として初出場する。 2011年 2月1日、AAA YouTubeオフィシャルチャンネルがオープンする。オープンを記念して、国内レーベルとしては初めてとなるYouTubeのモデレーター機能を使用したコンテンツ配信が行われる。これは好きなミュージクビデオへ投票し、1位となった曲のミュージックビデオを期間限定でフルバーションで公開するという企画であった。投票は同月15日に締め切られ、「MUSIC!!!」のミュージックビデオが1位となった。 3月12日、東日本大震災を受けて、AAAメンバーによるメッセージが公式ホームページで発表される。 3月15日、東日本大震災を受けて、AAA Buzz Communication Tour 2011のうち全国5公演(伊勢原公演は3月11日に発表されている)の延期が発表される。 3月28日、東日本大震災を受けて、AAA Buzz Communication Tour 2011のうち全国11公演の振替公演と公演の延期が発表される。
https://w.atwiki.jp/tamamori-kun/pages/4.html
2002年 12月1日、ジャニーズ事務所に入所。同期にNEWSの手越祐也、Hey!Say!JUMPの八乙女光。 2004年 1月、舞台『DREAM BOYS』で舞台初出演。 2009年 7月、舞台『PLAYZONE’09 〜太陽からの手紙〜』で舞台初主演[2]。 7月、映画『ごくせん THE MOVIE』で映画初出演。 2011年 2月12日、同年夏にKis-My-Ft2としてCDデビューすることがコンサート(Kis-My-Ftに逢えるde Show vol.3 at国立代々木競技場第一体育館)中に発表された。 7月 - 9月、TBS『美男ですね』でドラマ初主演[2]。 8月10日、「Everybody Go」でCDデビュー。 10月5日、TBS系ドラマ『美男ですね』の劇中バンド「A.N.JELL」として「A.N.JELL WITH TBS系金曜ドラマ『美男ですね』MUSIC COLLECTION」でCDデビュー。 2013年 1月 - 3月、テレビ朝日『信長のシェフ』で単独初主演。 7月 - 9月、TBS『ぴんとこな』主演。
https://w.atwiki.jp/uzo-history/pages/18.html
wikipedia より 1965年 東京大学工学部建築学科卒業後、大学院に進学。鈴木成文に師事し、建築計画学を専攻する一方で、高山研究室での山形市や筑波の都市マスタープランにも関わる。1970年 東京大学大学院(数物系)博士課程満期。東洋大学に勤務。 2011年1月26日、虚血性心不全のため死去。68歳没[1]。
https://w.atwiki.jp/caslive/pages/220.html
1982.4.16生 広島出身 10歳から福岡に移り、 地元屈指の進学校である福岡高校卒 (※1) その後早稲田大学(第二文学部)へ進むも3日で中退。 本人曰く、大学に合格した事よりクソ勉強して有数の進学高に合格した行為の方が自分を褒めてあげたいらしい 歌舞伎町でチンピラ時代を過ごし、足を洗ってデザイナーになる。 2009年 2009年4月 会社を辞める 2009年5月 フリーで仕事を始める。 2009年6月 家で仕事をしている時暇なので、スカイプをはじめる 2009年9月2日 ねとらじ「釣りくせーwズ」開始 2009年10月2日 スティッカムデビュー 2009年10月11日 ニコ生デビュー 2009年10月22日 ニコ生厨の派遣会社リーク事件により「釣りくせーwズ」を始めネット活動を休止中。 3時間後に再開。 2009年12月 派遣会社を勤務怠慢により解雇となる フリーランスに戻る。 FF・オークション・C言語・DTM・ポートフォリオ・WIKI編集と多忙。 2009年12月29日 実家に軟禁されて配信を制限される 詳細は⇒こちら 2010年 2010年1月 西日本に移住。 2010年4月23日 電源BANで暗闇放送。親が懐中電灯持参で部屋巡回するという不思議な配信になった 2010年5月10日現在、ステ活動をしていない。引退を示唆する発言があったが本当だったのか? 2010年5月26日 ニコ生で憧れの永井先生とコラボ。 2010年5月27日 久しぶりにステカム放送。しかし顔出しは無し。 2010年12月6日 約1年間に及ぶ実家生活を経て、休止していた配信を復帰する 2010年12月24日 リア凸者から、ケーキ1ホールとチキン(足部分)を乞食成功。 小食にも関わらずケーキ(7号)とローストチキンを一気に間食し、その後腹痛と吐き気に苛まれる。 2011年 2011年1月1日 新年を迎えるカウントダウンは無かったが、年明け記念という事で非常にレアなえみが演奏する第9で新年を祝った(しかも微妙にウマい。この才能をもっと別の分野で生かしていれば・・・・) 2011年3月6日 公式放送の生主討論会2に出演 参考動画⇒こちら 2011年3月11日 東北地方太平洋沖地震で一時帰宅難民になる。 2011年3月31日 緊急乞食枠と称してニコ生で乞食放送を開始するが、リスナーの善意ある空気読み で震災への寄付金が1枠でのニコ生ユーザー配信史上ダントツの歴代1位となる 65万円オーバーの寄付金があつまるチャリティー配信へと変貌を遂げる (実はちゃっかり寄付金とは別にえみ自身への支援もかなりあったが) ちなみに先日某有名元プロレスラーが街頭で募金をした金額すら超えたらしい。 えみの実力なのか、リスナーの一致団結力かは今現在も調査中だが、本人の 予想をはるかに超えた反響は、無い胸を張ってもいいと思うリスナーも多い。 2011年4月4日 会社をバックレ同然(というか普通にバックレ)で辞める。 同日の朝ステカムで超高性能ノートPCおよびウェブカメラをリスナーからプレゼントされる夢を見たのじゃ 2011年4月10日 会社を辞めた開放感からか、朝から不思議とやる気を出す。エミには珍しく14 30予約枠で配信開始(一説には枠名を書いておく事でバッテリー購入時に型番をリスナーに教えて貰うため?) 秋葉原にいってレッツノート(J10)の大容量バッテリーを購入(およそ26k) 変な戦国風メイド喫茶へいく(福島復興カクテルアルコール抜き¥2,200消費) 。2011年4月16日 変なWebマガジン{VOBO}の取材に応戦するため、15時から秋葉原、新宿で仲間を募る。主なパーティ(黒装束、えっぉ~、りさ、ズバット、宮原)フランケン記者と、ハゲラマン相手にエロ配信者と決めつけられるが、EMIは断固として、小学生の男の子がちんこを出して周りが騒ぐような。と説明する。普段は、EMIに辛辣な言葉を吐くリスナーもこの時ばかりは、エロ配信者と決めつけるフランケン記者に対して、EMIの擁護を行った。 VOBOのURL http //vobo.jp/haisintyan_emi.html 2011年4月30日 都内のJR某駅でホームに転落した車椅子の老婆を、血気盛んに反対ホームから線路に飛び降りて救出。 2011年5月15日 エアーラーメン選手権暫定2位 2011年5月18日 自主制作映画「Y Do You Step」に婦人警官役で映画初出演が発覚 http //tulikusees.sakura.ne.jp/sblo_files/emimpledunderfoot/image/STAFF.JPG 2011年7月16日 以前から興味のあった鮫島君と初デート。 2011年7月19日 危機的財政難(今までのサボってたツケが原因)打開のためチャットレディに登録・お仕事開始。 初日から約7時間働きお客さんもほぼ途切れることなく来てくれた模様。 2011年7月23日 鮫島君が怪我をしたため鮫島君宅へお見舞い 2011年7月25日 27日の公式放送に出演のに向けて美容院に行く。前髪を6年ぶりにカットし20年先を行くヘアースタイルに。ニコ生で配信するが「台形」というニックネームをリスナーから頂く。 2011年9月28日 見事2次面接突破し一部ドゥードゥー企業に採用 仕事内容はいつものWEB関係の模様 (※1)http //www.youtube.com/watch?v=TnZ8tgFzujk feature=related 2010年10月4日 Fit'tダンスコンテスト Season4 優勝 詳細は⇒こちら 2010年10月8日 ニコニコ生放送の公式放送「生主討論会3」に対抗してユーストリーム 石川典行主催「裏生主討論会」にニコ生宣伝部長を請負い、トップバッターでの 参戦表明を行い、(えみ曰く「裏」という響きが気持ちいいので参加してみた)ニコ生女性配信者の代表格をして討論会に参加する えみの体調不良や、外配信端末の不良などアクシデントが重なるが、討論会自体とても数日間の準備期間しか無かったと思わせない位の大成功を収め、 ひいき目ではなく、歴代企画物配信として最高の部類に入る良い討論会に参加できた。 これは、えみ独自の面白配信を嗅ぎ付ける嗅覚の為せる業であるかどうかは不明である。 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 2011年10月23日 横浜市(住所は本人が公開してますがここでは割愛させて頂きます)に引っ越し。えりかちゃんがお手伝いに来てくれる。 2011年10月25日 配信優先の為お仕事を退職。 2011年12月24日 クリスマス渋谷街頭ジェンカを外配信する。集まった生主・リスナーは10数名で、道行く人たちの軽蔑視線を受けながらも、交番前・横断歩道で踊りを決行した。 2011年12月27日 EMIの部屋に整理ダンスが届く。本来EMIの宝物の一つAKAIの接続調整に呼んだ名古屋の古参リスナーを、整理タンス組立要員として4時間こき使うのであった。 2011年12月28日 サイフを紛失、部屋中隅なく探すEMI。TSにてサイフの移動を確認すると、不自然にサイフを立置きする自分に爆笑・・自分大好き人間が露骨される。 その後警察にTEL。「ぎゃぉ~!」EMIの悲鳴で、事は難無く解決した。 2012年 2012年1月1日 新春を迎え、リスナーさんと半ば強制的にお買い物という名の乞食ツアーへ行く 2012年1月15日 スマートフォン(アンドロイド)を貯まったAUのポイントで購入しメルアドも変更。<au Arrows ES IS12F Black> 2012年1月16日 石川典行主催の「仙台に牛タンを食べに行くツア」に参加。 詳細は⇒こちら 2012年1月22日 えみと同じマンションの7階に住むリスナーから ストーカーされる事件発生!詳細は⇒こちら 2012年1月24日 PCのプチプチノイズをJukeさんに直してもらい高音質の配信環境になる。 2012年1月26日 今年初のユーストBAN。原因は、リスナーと銀英伝の話題になって 声優のインタビュー動画を見ていて。 2012年1月27日 am7 20 クロノトリガーのラスボスを撃破! EMIほんっとーにヽ(〃^-^)/★*☆おめでとう~ 生主ハウスに麻雀を打ちに行く予定だったが、女の子の日で体調不良のため休む。 ユーストリームBAN解除。今回は垢BANでは無く24時間BANだったので リスナーの民族大移動が起きなくて一安心 201年2月2日 ひとり居酒屋事件詳細は ⇒こちら 2012年2月5日 寿町事件事件。詳細は ⇒こちら 2012年2月12日 AM11時30分すぎ今年2度目のユーストBAN。原因はニコニコ動画「永井先生BANの軌跡」を画面に映して著作権に引っかかった。 2012年3月9日 チャトレ復活。 2012年3月4日~11日 人生初の禁煙を始めるが、わずか1週間で己に負ける。 2012年3月18日~19日 石川典行の「ドンキーコング1,2,3RTA~クリアするまで終われない~」企画配信に参加 2012年4月16日 30才の誕生日に30時間喋り続ける三十路放送 詳細は⇒こちら 2012年4月29日 ニコニコ超会議の超ミドリんピックに出演 2012年6月11日 ニコ生1週間の垢BANを食らう。違反理由は「他ユーザーの生放送を妨害する行為」。具体的には銀行口座をコメント欄に書き込んで振込みを呼びかけた。 2012年6月20日 水道料金不払いにより配信無期限休止を宣言する 2012年8月12日 恋人ができる! 詳細は⇒こちら 2012年9月25日 決死の覚悟の二度目の禁煙開始 参考動画⇒こちら 2012年10月4日 生主ハウス1Fで、力也さん(co352781)が経営する、「わた菓子屋ふわり」で1日店長を務める。来客者数38人 売上38500円+商品券10000円 合計48500円、と言う、わたがしって何なの的な売上を記録する 参考動画⇒こちら 2012年10月28日 ゾンビになる 詳細は⇒こちら 2012年11月2日~3日 D+で働く 詳細は⇒こちら 2012年11月7日~14日 沖縄に行く 2012年11月17日 EMI、石川典行、ペニオ、エリック、マーシー、スタッフ一同 と共に千葉県某所に於いて心霊配信を行う 2012年11月25日 配信者タツオ氏からのスカチャによって、スカイプのウィルスに感染する 2012年12月16日 EMI選挙に投票に行く 2012年12月24日 クリスマス配信でクリスマス料理っぽいものを作る 2013年 2012年12月31日~2013年1月1日 年越し配信で、そば及び雑煮を作る、続く新年配信で典行らIGメンバーでNER宅に凸その後ニコ生神社参拝 2013年1月10日 泥酔の挙句頭骨神経麻痺になる 2013年1月26日 ホストクラブ配信敢行 詳細は⇒こちら 2013年3月13日 ロッテFit'sうしろまえダンスコンテストにエントリー。その後、囲いの偽動画によるURL拡散で失格 2013年4月16日 誕生日配信、朝市でお買い物、自室において雑談 その後、配信外でムフフ・・ 2013年4月28日 14時30分超会議生主ブースから秩父線廃止を止める配信をする 同日 超会議終了後、石川典行、金バエ、アッキーナしゃま、野田総理と名古屋に旅立つ、当初2泊3日の予定であったが、1泊2日で帰って来た 2013年5月28日 ユーストで外配信しながら近所のカラオケボックスに行き、約8時間、翌朝5時まで一人カラオケ配信。 2013年7月3日 自民党ふくだ峰之代議士とコラボ配信をする 2013年10月8日 ツイキャスデビュー 2013年10月10日~10月20日 石川典行、エリック、らと共に沖縄配信を敢行する 2013年11月26日 iPhone5S 16Gを購入 2014年 2014年1月21日 ユーストリームでBAN(ドラマ「人間・失格」を流したため)食らう。スティッカムに移動。 2014年3月17日 歴史に残る初めての確定申告に行く 詳細は⇒こちら
https://w.atwiki.jp/natsumikan810/pages/23.html
2011年 5月 1日 「桜の木になろう」個別握手会にて、グループの結成が発表。 6月~7月 1期生オーディションを実施。 7月10日 HKT48第1期生オーディションに合格。 10月23日 「フライングゲット」全国握手会@西武ドームで初お披露目。 11月26日 「手をつなぎながら」公演初日に劇場公演デビュー。ユニット:この胸のバーコード 2012年 2月 4日 AKB48劇場にてHKT48初の出張公演。 3月 4日 チームHを結成。「手をつなぎながら」公演継続。ユニット:チョコの行方。ユニット変更によりチョコMC担当になる。 6月 6日 「AKB48 27thシングル選抜総選挙」圏外。 6月15日 正確には日付かわって16日、指原莉乃のHKTへの移籍発表。 7月 5日 指原が「手をつなぎながら」公演初出演。正規メンバーの人数の問題で、指原出演公演に限り変則的なローテーションが組まれた 為「マンゴーNo.2」に出演しなくなる。 7月 6日 「AKB48 29thシングル選抜じゃんけん大会」HKT予備戦開催。敗退。 8月10日 12歳の生誕祭。またこの日は「手をつなぎながら」公演200回目であり、田中はその内の197回に出演し、メンバー最多出演とな っている。おそらく、48グループ初であろう「ちょっとまったー!」と自分で自分の生誕祭を発動・進行する生誕祭(途中で熊沢 に交代)となった。メンバー1人1人に宛てた手紙を準備して、ただ祝ってもらうだけの生誕祭を作り上げた。 8月18日 同期メンバー5名が活動辞退。 8月24日 「AKB48 in TOKYO DOME ~1830mの夢~」第1日公演にて多田愛佳がHKT48への移籍発表。 9月 4日 劇場公演にSKE48のメンバーがヘルプとして出演。以降も継続。 9月16日 「AKB48 29thシングル選抜じゃんけん大会」HKT予備戦で本戦決定していたメンバーの脱退の為、HKT敗者復活戦開催。敗退。 9月18日 「AKB48 29thシングル選抜じゃんけん大会」予選敗退の為出演せず。 9月23日 2期生21名をお披露目。 10月 7日 日本テレビ系で初冠番組「HaKaTa百貨店」放送開始。 11月 1日 多田が正式に移籍、チームHへ配属。 11月 8日 劇場公演で、翌年CDデビューすることを発表。 11月26日 HKT劇場1周年記念公演。ユニット:雨の動物園。Wアンコール発動となった。後にラジオにて、高熱が出ており、当日も危ぶま れていた事告白。 2013年 1月25日 TBS系「HKT48のおでかけ!」放送開始。 1月25日 「AKB48 リクエストアワーセットリストベスト100 2013」2日目公演において、48グループ支配人人事異動が発表。尾崎充が候 補者となる。 1月26日 日本テレビ系「HaKaTa百貨店 2号館」放送開始。 1月27日 投票の結果、信任を得て尾崎充がHKT48劇場総支配人に就任。 2月17日 「手をつなぎながら」公演千秋楽 3月 1日 チームH2nd「博多レジェンド」公演を開始。公演内で「スキ!スキ!スキップ!」初披露。選抜メンバーではない為、公演出演メ ンバーであったが、ステージからはける。 3月20日 1stシングル「スキ!スキ!スキップ!」発売。初の単独の全国握手会をよみうりランドで開催。選抜メンバーではない為不参加。 1月26日 日本テレビ系「HaKaTa百貨店 2号館」放送開始。 4月27日 「AKB48グループ臨時総会 〜白黒つけようじゃないか!〜」HKT48単独公演出演。初の単独ライブ。 4月28日 「AKB48グループ臨時総会 〜白黒つけようじゃないか!〜」出演。指原莉乃がHKT48劇場支配人兼任発表。 5月11日 「思い出せる君たちへ」で、チームHが「博多レジェンド」公演。 6月 8日 「AKB48 32ndシングル選抜総選挙」圏外。 6月13日 2ndシングルを9月4日に発売することが発表。 7月 2日 日本テレビ系「乃木坂46×HKT48 冠番組バトル!」内で「HKT48トンコツ魔法少女学院」の放送開始。 7月10日 「AKB48 34thシングル選抜じゃんけん大会」予備戦。勝ち抜き本選に出場を決める。カンガルーの着ぐるみにボスサングラス (サングラスにボスと白テープで貼付けてある)という姿で登場。本戦出場を決め、涙するも涙を見せたくないと客席に背中を向 け、他のメンバーがいくらサングラスを外してと言っても、「本戦で勝ったら外す」と応じなかった。(本人は泣いていないと否 定している) 8月10日 13歳の生誕祭。誰の「ちょっとまったー!」の発動もなく、公演後挨拶をすませ、一度メンバー全員がステージからいなくなるも 本人の声かけにより再度ステージへ。二年連続となるセルフプロデュースの生誕祭となる。スタッフへ本物のケーキが良いと言っ たら自分で買ってきたらいいよと言われ、自分生誕祭のケーキを自分で5000円で購入。生誕祭後は「ロビーの方へも挨拶したい から待っていてほしい」と、ハイタッチ前にロビーに出て挨拶を行う。恒例のメンバーへの手紙も読み上げられた。 9月18日 「AKB48 34thシングル選抜じゃんけん大会」白いスーツに、葉巻を加えた姿で登場。初戦敗退。 9月 4日 2ndシングル「メロンジュース」発売。選抜落ち。 11月 2日 ひまわり組「パジャマドライブ」公演を開始。3期研究生9名がお披露目。初日メンバーには選ばれず、不参加。 11月 4日 ひまわり組「パジャマドライブ」昼公演にて「パジャマドライブ」公演初参加。 11月18日 AKB4834thシングル「鈴懸なんちゃら」 TypeH 収録「ウインクは3回」選抜入り。 11月26日 HKT劇場2周年記念公演。ユニット:MARIA。「HKT48九州統一2014年春 初の単独ツアー決定」 発表。 12月11日 選抜入りを果たした「ウインクは3回」が収録された「鈴懸なんちゃら」発売。 2014年 1月11日 「HKT48九州7県ツアー~可愛い子には旅をさせよ~」大分よりスタート。夜公演にて「クラス替え」発表。新体制でもチームHへ 「HKT48九州7県ツアー~可愛い子には旅をさせよ~」では、「失笑点」というMCコーナーの司会をまかされる。 1月12日 「HKT48九州7県ツアー~可愛い子には旅をさせよ~」宮崎 。 1月13日 「HKT48九州7県ツアー~可愛い子には旅をさせよ~」熊本 。体調を崩しており、休演する可能性もあったが出演。 1月19日 「HKT48九州7県ツアー~可愛い子には旅をさせよ~」鹿児島。ユニット:バレンタイン・キッス。夜公演にて、ツアーではじめ てユニットに登場。 昼公演でドラフト生の山本がユニット出演していた為、「このツアーでユニットしてないんですよー。一日で追い抜かれましたわ ー」笑った。 2月 1日 「HKT48九州7県ツアー~可愛い子には旅をさせよ~」長崎。「失笑点」の司会を外される。 2月 8日 「HKT48九州7県ツアー~可愛い子には旅をさせよ~」長崎昼公演にて、3rdシングル「桜、みんなで食べた」初披露。選抜落ち。
https://w.atwiki.jp/wiki14_tokihirosato/pages/9.html
TokihiroSato 1957 山形県酒田市に生まれる 1981 東京芸術大学美術学部彫刻科卒業 1983 同大学大学院美術研究科修士課程修了 1993 ダイムラ−ア−トスコ−プ受賞によりフランス滞在 1994 文化庁在外研修員としてイギリス滞在 2005 文科省先進教育研究実践支援プラグラムで米国滞在 現在、東京芸術大学美術学部先端芸術表現科准教授。 さいたま市在住 <個展> 1982 ときわ画廊(東京) 東京芸術大学大学会館ギャラリー Gアートギャラリー(東京) 1983 ルナミ画廊(東京) 1984 田村画廊(東京) 1986 画廊パレルゴンII(東京) 1987 「雨上がりの呼吸」真木画廊(東京) 1988 「呼吸の陰影」ルナミ画廊(東京) 1989 「呼吸の陰影」ルナミ画廊(東京) 1991 「Breath-Graph」ルナミ画廊(東京) 「Breath-Graph」ギャラリー・サージ(東京) 「Breath-Graph」E’スペース(東京) 1992 「Breath-Graph」細見画廊(東京) 「Breath-Graph」モリスギャラリー(東京) ギャラリー・ヴァレンタイン(長野) 「Breath-Graph in Yubari」テンポラリースペース #022(札幌) 1993 「Breath-Graph in Yubari」ギャラリーサージ(東京) 「Photos-Respirations」アジャン美術館・ジャコバン(アジャン、フランス)スパイラルガーデン(東京) 1995 「光−呼吸 Photo-Respiration」ギャラリー日鉱(東京) 「光−呼吸 Photo-Respiration」ルナミ画廊(東京) 1996 「光−呼吸 Photo-Respiration」ギャラリーGAN(東京) 「光−呼吸 Photo-Respiration」ギャラリーなつか(東京) 1997 「光−呼吸 ハバナより」ギャラリーGAN(東京) 1998 「Photo-Respiration」Leslie Tonkonow Gallery(ニューヨーク) 「光−呼吸 Photo-Respiration」ニコン・サロン(東京・大阪) 1999 「光−呼吸 海から」ギャラリーGAN(東京) 「光−呼吸 佐藤時啓の眼差し」酒田市美術館(山形) 2000 「Photo-Respiration」Leslie Tonkonow Gallery(ニューヨーク) 2001 「佐藤時啓プロジェクト」ギャラリーGAN(東京) 2002 「マジカルカメラ 佐藤時啓+WanderingCamera」浜田市世界こども美術館(島根) 2003 「Photo-Respiration」Leslie Tonkonow Gallery(ニューヨーク) 「Photo-Respiration」クリーブランド美術館(オハイオ) 2004 「Camera Obscura Project」山口情報芸術センター(山口) 「光のキャラバン」埼玉県立近代美術館(さいたま市) 2005 「pin-holes」ギャラリーGAN(東京) 「pin-holes —光の間—」山口情報芸術センター(山口) 「Tokihiro Sato Photographic Light Panels」HAINES GALLERY(サンフランシスコ) 「”Photo-Respiration:Tokihiro Sato Photographic」シカゴ美術館(シカゴ) 「Gleaning light」Leslie Tonkonow Gallery(ニューヨーク) 2006 「Tokihiro Sato - Japanese Photography」TAI Gallery(Santa Fe) 2007 「Gleaning Light」ギャラリーRAKU(京都) 「Tokihiro Sato Photographic Light Panels」HAINES GALLERY(サンフランシスコ 「Tokihiro Sato」 LIPF連州国際写真祭 (中国広東省) 2008 「光ー呼吸:yama」佐藤時啓展 福島市写真美術館 (福島) 2009 「マジック・ランタン」東京東京ミルキィウェイ・百万人のキャンドルナイト Spicaアートギャラリー(東京) 「佐藤時啓撮影展 光ー呼吸」1839現代画廊 (台北) 「佐藤時啓撮影展 光ー呼吸」海馬廻 光畫館 (台南) 「こころみる・ここをみる」ワークショップ+展覧会 茅野市美術館(茅野) 「佐藤時啓撮影展 光ー呼吸」丹徳力アートスペース(北京) 「佐藤時啓撮影展 光ー呼吸」北京日本文化交流センター(北京) <グループ展> 1981 「東京芸術大学卒業制作展」東京都美術館(東京) 「第15回現代日本美術展」東京都美術館,京都市美術館 「Radial Point 1」東京芸術大学大学会館ギャラリー(東京) 「Radial Point 2」東京芸術大学大学会館ギャラリー(東京) 1982 「UENO'82」東京芸術大学旧奏楽堂裏広場(東京) 1983 「東京芸術大学大学院修了作品展」東京都美術館(東京) 「エキサイティングスカルプチャー」神奈川県民ホールギャラリー(神奈川) 1984 「“周遊圏”84」東京/大阪/蔵王アートスペース(山形) 「記憶」画廊パレルゴン2(東京) 「所以」ギャラリーK(東京) 「同時代性への発話」埼玉県立近代美術館一般展示室(埼玉) 「情念」画廊パレルゴン2(東京) 1985 「“周遊圏”85」西友アートスペース(名古屋) 「蟻化」スクオッターズハウスギャラリー(千葉) 「原風景」東京都美術館(東京) 「大谷地下美術展 絶空の連体詩」大谷地下採掘場跡(栃木) 「情念 85」画廊パレルゴン2(東京) 1986 「万象の変様 プレ展」画廊パレルゴン2(東京) 「万象の変様 ー37の美術表現ー 」埼玉県立美術館一般展示室(埼玉) 「大谷地下美術展 空刻の楔」大谷地下採掘場跡(栃木) 1987 「明日への展望ー教官作品」東京芸術大学100周年記念展 西武有楽町アートフォーラム(東京) 1988 「写真で語る」東京芸術大学陳列館(東京) 「15 Contemporary Photographic Expression」第14回 多摩美術大学新館ギャラリー(東京) 1989 「Photographs光響」藍画廊(東京) 「日本写真家協会 '89JPS展」東京都美術館、京都市美術館 銀賞受賞 「ルナミセレクション'89」ルナミ画廊(東京) 「Window of Marginal Arts」遠鉄百貨店(静岡) 「白州・夏・フェスティバル’89」(’90、’91、’92)(山梨) 「所以」ギャラリーサージ(東京) 「151年目の写真展」ハイネケン・ビレッジ(東京) 1990 「期待される若手写真家20人展」パルコギャラリー(東京) 「オーストラリア×ジャパン ジョイント展」ルナミ画廊(東京) 「2人展(山崎 博・佐藤時啓)」細見画廊(東京) 「第18回日本国際美術展」東京都美術館 美術文化振興協会賞、埼玉県立近代美術館賞、いわき美術館賞受賞 「東川国際写真フェスティバル」第6回東川新人作家賞受賞(北海道) 「日本のコンテンポラリー写真をめぐる12の指標」東京都写真美術館/Pavillon des Arts(パリ) 「第5回釜山ビエンナーレ」釜山文化センター(韓国) 「観念の刻印」栃木県立美術館 1991 「マニエラの交叉点 版画と映像表現の現在」町田市立国際版画美術館(東京) 「SIMULTANEITA」ブラスキローマ美術館(ローマ) 「第10回平行芸術展」小原流会館(東京) 「Make-Believe 日本の現代写真表現」フォトグラファーズ・ギャラリー(ロンドン) 「写真の新空間」(ヴロッラフ、ポーランド) 1992 「第1回トランスアートアニュアル painting/crossing」ベリーニの丘ギャラリー(横浜) 「Okabe e Satoh a Roma 1991 岡部昌生+佐藤時啓」ルナミ画廊(東京) 「現代美術における写真展」ウォーカーヒル・アート・センター(ソウル) 1993 「00−コラボレーション 詩と美術」佐賀町エキジビットスペース(東京) 「第1回アジア太平洋現代美術トリエンナーレ」クイーンスランド・アート・ギャラリー(ブリスベン) 1994 「液晶未来−現代日本写真展」フルーツ・マーケット・ギャラリー(エジンバラ、イギリス)他、ヨーロッパ巡回 「“うつすこと”と“見ること”−意識拡大装置−」埼玉県立近代美術館 「時間/美術−20世紀における時間の表現」滋賀県立美術館 1995 「空間・時間・記憶−Photography and Beyond in Japan」原美術館(東京),ルフィーノ・タマヨ美術館(メキシコ)、バンクーバー美術館(カナダ) 「ヒロシマ以後」広島市現代美術館 灰塚アースワークスプロジェクト(広島) 「日本・オランダ現代美術交流展“NowHere”」スヘレンス・ファニシング・テキスタイル社旧織物工場(アインドホーヘン・オランダ) 「未来へのノスタルジー」山形美術館 「風の通り路」大宮市街地 1996 「空間・時間・記憶−Photography and Beyond in Japan」ロサンゼルス・カウンティ美術館(カリフォルニア州)、コーコラン美術館(ワシントンD.C) 「レクイエム」川口現代美術館 「根の回復として用意された12の環境」旧赤坂小学校 「光へのまなざし −佐藤時啓+吉田重信−」いわき市美術館 1997 「第6回 ハバナビエンナーレ」(キューバ) 「アートは楽しい8 複製時代」ハラ ミュージアム アーク 「Document&ART展 −その相互浸透性をめぐって−」アート・ミュージアム・ギンザ 「光の方へ」京都市立美術館 (京都) 1998 「アート29・98」 ギャラリーGANブースにて(バーゼル・スイス) 「メルボルンアートフェアー」ギャラリーGANブースにて(シドニー) 「第1回サンフランシスコ国際美術展」ギャラリーGANブースにて 「夜の果て:都市風景写真展」ベルタ・アンド・カルル・ロイプスドルフ・アート・ギャラリー(ニューヨーク市立大学ハンター・カレッジ) 「加害/被害」板橋区立美術館 「日本ブラジル巡回国際現代美術展98-99」(リオデジャネイロ他5都市巡回、ブラジル) 1999 「アートシカゴ1999」ネイヴィ・ピア、ギャラリーGANブースにて 「呼吸する風景」埼玉県立近代美術館 「The Big Picture」クリスチャンAジョンソン・メモリアルギャラリー 「ブラインドスポット12」ロバート・マン ギャラリー(ニューヨーク) 「フル エクスポーシャー:現代写真展」ニュージャージー・ビジュアルアート・センター 「FIAC 1999」ギャラリーGANブースにて(パリ) 「第9回バングラデシュ・アジア・アート・ビエンナーレ」優秀賞受賞(バングラデシュ) 2000 「アートフェアー 2000」ギャラリーGANブースにて(ボローニャ) 「アートシカゴ 2000」ギャラリーGANブースにて 「メルボルンアートフェアー」ギャラリーGANブースにて(シドニー) 「FIAC 2000」ギャラリーGANブースにて(パリ) 「City of Light:Art Walk」コミット・コルバート(ニューヨーク) 「Center for Curatorial Studies」バードカレッジ(ハドソン川沿岸、ニューヨーク) 第一回越後妻有ア−トトリエンナ−レ(新潟) 2001 「3分間の沈黙のために−日本オランダ現代美術交流展」十思スクエア(東京) 「テクノ・ランドスケープ」NTTインターコミュニケーション・センター[ICC] 「ヴァイブレーション」宇都宮美術館 「ルミナス」ベルビューアートミュージアム(シアトル) 「アートシカゴ 2001」ギャラリーGANブースにて 2002 「大分現代美術展2002 −アート循環系サイト−」大分市内各所(大分) 「アートユニバーシアード 菜の花里見発見展」千葉県ちはら台その他(千葉) 「Regarding Landscape」Museum of Contemporary Canadian Art(トロント).The Bronfman Centre for the Arts(モントリオール) 2003 「日本写真史展」ヒューストン美術館、クリーブランド美術館 U.S.A. 「ブルガリア現代版画と日本」山梨県立美術館(山梨) 「第20回現代日本彫刻展」宇部興産賞受賞、宇部市野外彫刻美術館(山口県宇部市) 「表象都市広島」広島旧日本銀行 「アートスコープの12年」原美術館(東京) 2004 「北御牧村写真プロジェクト」東御市(長野) 「Temporal scape」 HAINES GALLERY(サンフランシスコ) 「Interdependence」 長崎県南高来郡南有馬町内各所(長崎) 「サイトシーイングバスカメラプロジェクト」大潟村(秋田) 「横濱写真館」BankART1929(横浜) 2005 「サイトシーイングバスカメラプロジェクト」銀座(東京) 「Framing Exposure Process and Politics」Institute of Contemporary Art University of Pennsylvania 「世界の呼吸法」川村記念美術館(佐倉市) 2006 「街角美術館2006 アート@つちざわ(土澤)」 The 4th ART PROGRAM OME 緑化する感性 -街道を読む- 青梅織物工業組合敷地内(東京) 「epSITE retrospective 1998-2006」 Gallery epSITE 2007 「彫刻時間」Jing Art Gallery (上海) 《写真》見えるもの/見えないもの 東京芸術大学陳列館・正木記念館(東京) 「日本美術「今」展」東京芸術大学120周年記念展 日本橋三越本店(東京) 「美の環」日中韓教員作品展 上野日展会館 「取手アートプロジェクト」M1プロジェクト、ゲストプランナー佐藤研究室として参加 「Japan Caught by Camera」上海美術館(上海) 「Art Miami 2007」leslie Tonkonow スペース Hains Galleryスペース 2008 「Art Chicago2008」leslie Tonkonow スペース Hains Galleryスペース 「INTERTEXTUALITY OF LIGHT」東亜芸術画廊 上海 「大垣ビエンナーレ」サイトシーイングバスカメラ 「彫刻林間学校」メルシャン美術館 「アート竜巻フェスタ」サイトシーイングバスカメラ 2009 「OAP彫刻の小径 “汽水域”」 アートコートギャラリー(大阪) 「絵画と写真の交差」札幌芸術の森美術館はじめ、各地美術館巡回 「第2回井の会」スペースS(東京) 「'文化’資源としての〈炭坑〉展」目黒区美術館 (東京) <パブリックコレクション> いわき市立美術館 埼玉県立近代美術館 原美術館 北海道東川文化ギャラリー ロサンゼルス・カウンティ美術館 クィーンズランド美術館 千葉市美術館 東京富士美術館 東京都写真美術館 山形美術館 板橋区立美術館 宇都宮美術館 ミドルバリー・カレッジ美術館 国際交流基金 夕張市美術館 山梨県立美術館 広島市美術館 クリーブランド美術館 MOCA美術館 シカゴ美術館 ヒューストン美術館 長野県東御市 山口県宇部市 上海美術館 グッゲンハイム美術館
https://w.atwiki.jp/flexible0109/pages/13.html
2012年、HIROMU・RION・TOMの3人で「FLEXIBLE」を結成 2012年、新ダンサーにKENSHINが加入 2012年、作詞・作曲を中心に本格的に活動開始
https://w.atwiki.jp/borzoiproject/pages/28.html
・起源 2008年11月末“ふひきー”がニコニコ動画に動画(【単発】試みにドラえもんのび太と妖精の国を実況してみた)を投稿したことからボルゾイ企画の原型が始まる。 しかし、この時点ではボルゾイ企画という名前も、四人でメンバーを固定するという構想もなかった。 ・四人体制の確立 2009年1月『ダービースタリオン』シリーズで初めて“ふひきー”“ぞの”“がみ”“くわさん”という現在の形での実況が行われた。 だが、この時点でも「ボルゾイ企画=四人」という構図がしっかりと確定したわけではなかった。(事実、『ゆめにっき』シリーズの中でふひきーが「がみ以外の不特定の友人(ぞの、くわさん以外)にプレイさせるつもりだった」と語っている) 四人体制での活動が明言されたのは『ゆめにっき』後のくだまきでのことである。 ・人気の上昇 2008年末の『ゆめにっき』によって徐々に視聴者数が増加していき、びびりのがみ、ドSのふひきーというキャラクターもこのころ確立される。 その後の『のび太のBIOHAZARD』によってさらに動画再生数は(のびて)いく。 その影響は徐々に広がり、他の投稿動画も引っ張られるように再生数が増えていくようになる。 くだまき『頽廃無法会談』においてメンバーの戸惑いを窺い知ることができる。 それでも実況界での知名度はそこまで高くなかった。 ・人気の確立と苦悩 そんなボルゾイ企画を一躍有名にするのが『【青鬼】絶叫に定評のある友人に無理やり実況させた【実況】』である。 このシリーズのpart1は、再生数はミリオンを越え、2009年度実況プレイpart1リンクでは堂々の1位を獲得した。 それまでの伸びとは明らかに逸した爆伸びは視聴者の増加とともに所謂「荒らし」の増加という副産物をも生み出してしまった。 他の実況者の動画まで荒らされるという「最悪の事態」(『ふひらじ第6回』でのふひきーの発言)に陥ってしまう。 この出来事からふひきーはさらに動画作成に注意を払うようになる。むしろ、払わざるを得ない、ある意味で「首が回らない」状況に陥る。 それでもなお、ボルゾイは活発な活動を続ける。 約一年間で1000動画(1000動画目は2009年11月07日投稿の【K-1REVENGE】第一回ボルゾイトーナメント【実況】)という驚異的な更新スピードがそれを証明している。 ・生配信への発展と活動内容の多様化 ニコニコへの動画投稿以外にもブログ『クツノソコ森林公園』(現在はぞの、がみのみが投稿)を運営していたボルゾイ企画だが、 その後もjustinやustreamでの生配信、twitter、そしてwikiなど意欲的に新しい分野に挑戦している。 特に生配信はニコニコと対をなす存在になりつつある。 初期はぞののPCのみで配信可能であったが、後にがみ、ふひきーのPCからも可能になり配信頻度は高まりつつある。 また、四人での生配信を編集した動画をニコニコに投稿するなど生配信からニコニコへのフィードバックも行われている。 同時に最初からニコニコへの投稿を前提とした生配信も今後は展開される予定である。(ふひきーの生配信での発言。『信長の野望』『三国志』などの「歴史シミュレーション系」をプレイ予定とのこと) ちなみに少数だがニコニコ動画にもゲーム実況以外の動画を投稿している(『無法会談シリーズ』『絵心対決』等)
https://w.atwiki.jp/lchnlist/pages/22.html
クリア 400作品突破 2012/12/22 500作品突破 2013/06/02 2012年東西対決 一撃 最終幕 順位:28位(参加者211人) 階数:68階