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連合艦隊とは? 2014年8月8日のアップデートで追加されたシステム。 特定の海域には第1艦隊と第2艦隊で連合艦隊を編成する必要が出来た。 現在はイベント海域のみが対象。 概要 第1艦隊の編成で2通りの連合艦隊を選択できます。 艦隊の種類に応じて戦闘の内容も変わります。 開幕航空戦→開幕雷撃のあとの順番が、連合艦隊によって変わります。 空母機動部隊は第2艦隊(1巡目)→終幕雷撃→第1艦隊(1巡目)→第1艦隊(2巡目)の順に行動します。 水上打撃部隊は第1艦隊(1巡目)→第1艦隊(2巡目)→第2艦隊(1巡目)→終幕雷撃の順に行動します。 夜戦はどちらの場合も第2艦隊が行います。 開幕の航空戦、及び開幕雷撃は12隻全てが対象になります。 どちらの艦隊でも第2艦隊は軽巡1、駆逐2以上が必要になります。 また第2艦隊旗艦に潜水艦を選ぶことは出来ません。 低速戦艦は第1艦隊には組み込めますが、第2艦隊には組み込めません。 第2艦隊に戦艦を組み込んでも、第2艦隊の行動は必ず1巡で終了します。 第1艦隊に甲標的搭載艦や潜水艦を組み込んでも、開幕雷撃には参加しません。 最初に行動する艦隊の1巡目に、砲撃戦の命中&回避に補正がかかります。 基本的に「当てにくく当たりにくい」になります。 編成 (空母)機動部隊 空母2以上4以下&戦艦2以下 第2艦隊にも軽空母を3隻まで組み込めるが必須ではない。 昼戦は第2艦隊から行うため、第2艦隊の被害が増えがち。 空母を2隻以上使うため、制空権を取りやすい。 昼戦の第2艦隊には命中と回避に補正がかかる。 第1艦隊には補正がかからないので、第1艦隊の火力を存分に発揮できる。 水上(打撃)部隊 戦艦or巡洋艦2以上&正規空母1or軽空母2以下 第2艦隊に軽空母を2隻まで組み込める。機動部隊より1少ない。 昼戦は第1艦隊から行うため、第2艦隊に大破が出づらい。 正規空母を多く組めないので制空権に不安が残る。 昼戦の第1艦隊の1巡目には命中と回避に補正がかかる。 補正は2巡目からはかからないが、第1艦隊の火力を発揮しにくい。 ルート選択や敵の編成に応じて変えていくのが無難でしょう。
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【登録タグ 】 連合艦隊(れんごうかんたい) 東郷がかつて所有していた島。 コメント 名前 コメント
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聯合艦隊(れんごうかんたい、新字体:連合艦隊)とは、旧日本海軍が二個以上の常設の艦隊で編成した、非常設の艦隊である。日本海軍が使用した略称は GF(Grand Fleet または General Fleet から)、ただし英語では Combined Fleet という。 概要 聯合艦隊は2個以上の艦隊で編成された日本海軍の中核部隊である。明治初期、海軍はそれまで有力艦・新鋭艦で編成された主力部隊を「常備艦隊」、老巧艦などで編成された沿岸防備のための二線級部隊を「警備艦隊」と称していた。しかし、日清戦争開戦がせまってくるにつれ「警備艦隊」というのは戦時にふさわしくないという意見がでてきた。一時は「警備艦隊」を「常備艦隊」に統合する案が出たが、当時の軍令部官房主事である山本権兵衛大佐が「警備艦隊」を「西海艦隊」と改名し、「常備艦隊」と「西海艦隊」をもって「聯合艦隊」を組織するという案を出した。これが聯合艦隊の始まりである。 そして日清戦争開戦の6日後にはじめて聯合艦隊が編成された。以後日露戦争など戦時や演習時のみ臨時に編成されていたが、大正12年(1923年)以降常設となった。なお、日露戦争後の聯合艦隊解散式で名文との評価が高い聯合艦隊解散之辞が読まれている。 聯合艦隊は天皇に直属する聯合艦隊司令長官がこれを統括し、軍令に関しては軍令部総長の、軍政に関しては海軍大臣の指示を受ける。昭和19年(1944年)のレイテ沖海戦で事実上壊滅した。 聯合艦隊司令部には、司令長官を補佐する幕僚として、参謀長、参謀副長(S19~)、首席参謀(先任参謀と通称)、砲術参謀、水雷参謀、航空参謀、通信参謀、航海参謀、機関参謀、戦務参謀、政務参謀、主計長、軍医長、機関長、暗号長、気象長、副官等が配置されていた。ただし、首席参謀以外の○○参謀は通称である。 日本海軍といえば、長い間、聯合艦隊が代表であり、戦艦など主力艦はいうに及ばず、駆逐艦、輸送艦のような補助艦まで、大多数が聯合艦隊に取り込まれた。また、聯合艦隊こそが実戦部隊のエリートであり、そこに有能な人材を集中し、局地警備部隊や海上護衛部隊の人材育成を軽視した。補給軽視は、日本陸軍と同じである。その結果、本来、海軍の重要任務になるべき海上交通、シーレーンの確保に充当すべき艦艇と人材に不足を来たしてしまった。日本海軍は、戦艦中心の艦隊決戦の思想を残しながらも、空母機動部隊を編成し、斬新な艦隊運用のさきがけとなった。海軍航空隊の育成も、戦艦による艦隊決戦、次いで空母艦隊決戦を目標としていた。空母艦隊決戦の思想は、1944年6月のマリアナ沖海戦の敗北で、放棄されたが、1944年10月のレイテ沖海戦まで、聯合艦隊中心主義の艦隊編成・運用をおこなった。聯合艦隊中心主義の結果、海上護衛部隊、対潜哨戒部隊(ハンターキラー)の編成に遅れをとった。 1945年4月の戦艦大和以下第二艦隊の沖縄への海上特攻は、第二艦隊を解散するという決断ができないままに、レイテ沖海戦と同じく、航空部隊の援護なしの無謀な突入作戦を繰り返しであった。沖縄戦に敗北すると、生き残った戦艦「長門」のような大型艦艇は、事実上、局地警備隊の海岸砲台として使用された。そして、特攻兵器「回天」「海龍」「震洋」などを配備した特攻隊が海軍の主力艦艇となっていた。戦争末期、聯合艦隊は、事実上、解散していたのである。 戦史 聯合艦隊旗艦が出撃した海戦のみ示す。 日清戦争 黄海海戦(明治27年(1894年)9月17日)- 旗艦:防護巡洋艦 松島 威海衛海戦(明治28年(1895年)2月12日終結)- 旗艦:防護巡洋艦 松島 日露戦争 黄海海戦(明治37年(1904年)8月10日)- 旗艦:戦艦 三笠 日本海海戦(明治38年(1905年)5月27、28日)- 旗艦:戦艦 三笠 太平洋戦争(大東亜戦争) ミッドウェイ海戦(昭和17年(1942年)6月5~7日)- 旗艦:戦艦 大和 歴代司令長官 Template Main? (代)-(氏名)-(就任時階級)-(就任年月日) 伊東祐亨 - 中将 - 明治27年(1894年)7月19日 有地品之允 - 中将 - 明治28年(1895年)5月11日 東郷平八郎 - 中将 - 明治36年(1903年)12月28日 東郷平八郎 - 大将 - 明治38年(1905年)6月14日 伊集院五郎 - 中将 - 明治41年(1908年)10月8日 吉松茂太郎 - 中将 - 大正4年(1915年)11月1日 吉松茂太郎 - 中将 - 大正5年(1916年)9月1日 吉松茂太郎 - 大将 - 大正6年(1917年)10月1日 山下源太郎 - 大将 - 大正7年(1918年)9月1日 山下源太郎 - 大将 - 大正8年(1919年)6月1日 山屋他人 - 大将 - 大正9年(1920年)5月1日 栃内曽次郎 - 大将 - 大正9年(1920年)8月24日 栃内曽次郎 - 大将 - 大正10年(1921年)5月1日 竹下勇 - 中将 - 大正11年(1922年)12月1日 鈴木貫太郎 - 大将 - 大正13年(1924年)1月27日 岡田啓介 - 大将 - 大正13年(1924年)12月1日 加藤寛治 - 中将 - 大正15年(1926年)12月10日 谷口尚真 - 大将 - 昭和3年(1928年)12月10日 山本英輔 - 中将 - 昭和4年(1929年)11月11日 小林躋造 - 中将 - 昭和6年(1931年)12月1日 末次信正 - 中将 - 昭和8年(1933年)11月15日 高橋三吉 - 中将 - 昭和9年(1934年)11月15日 米内光政 - 中将 - 昭和11年(1936年)12月1日 永野修身 - 大将 - 昭和12年(1937年)2月2日 吉田善吾 - 中将 - 昭和12年(1937年)12月1日 山本五十六 - 中将 - 昭和14年(1939年)8月30日 山本五十六 - 大将 - 昭和16年(1941年)8月11日 古賀峯一 - 大将 - 昭和18年(1943年)4月21日 豊田副武 - 大将 - 昭和19年(1944年)5月3日 豊田副武 - 大将 - 昭和20年(1945年)5月1日 小沢治三郎 - 中将 - 昭和20年(1945年)5月29日 代数は資料により相違がある。 竹下勇の時から聨合艦隊は常設され、山本五十六までは第一艦隊司令長官を兼務していたが、昭和16年以降は聨合艦隊司令長官と第一艦隊司令長官は分離された。 歴代参謀長 鮫島員規大佐(1894年7月19日 -) 出羽重遠大佐(1894年12月17日 -) 上村彦之丞大佐(1895年7月25日 - 1895年11月16日) 島村速雄大佐(1903年12月28日 -) 加藤友三郎少将(1905年1月12日 - 1905年12月20日) 山下源太郎大佐(1908年10月8日 - 11月19日)兼 山中柴吉少将(1915年11月11日 - 30日)兼 堀内三郎少将(1916年9月1日 - 10月13日)兼 堀内三郎少将(1917年10月1日 - 20日)兼 斎藤半六少将(1918年9月1日 - 10月14日)兼 舟越楫四郎少将(1919年6月1日 - 10月27日)兼 吉岡範策少将(1920年5月1日-10月30日)兼 吉岡範策少将(1921年5月1日-10月30日)兼 白根熊三少将(1921年12月1日-)兼 樺山可也少将(1923年12月1日-)兼 原敢二郎少将(1924年11月10-)兼 大湊直太郎少将(1925年12月1日-)兼 高橋三吉少将(1926年11月1日-)兼 浜野英次郎少将(1927年12月1日-)兼 寺島健少将(1928年12月10日-)兼 塩沢幸一少将(1929年11月30日-)兼 嶋田繁太郎少将(1930年12月1日-)兼 吉田善吾少将(1931年12月1日-)兼 吉田善吾少将(1933年5月20日 - 9月15日) 豊田副武少将(1933年9月15日 -) 近藤信竹少将(1935年3月15日 -) 野村直邦少将(1935年11月15日 -) 岩下保太郎少将(1936年11月16日 -) 小沢治三郎少将(1937年2月18日 -) 高橋伊望少将(1937年11月15日 -) 福留繁大佐(1939年11月5日 -) 伊藤整一少将(1941年4月10日 -) 宇垣纏少将(1941年8月11日 -) 福留繁中将(1943年5月22日 -) 草鹿龍之介少将(1944年4月6日 -) 矢野志加三少将(1945年6月25日 - 9月25日) ※1905年1月 - 1933年5月は第1艦隊参謀長が兼務 歴代参謀副長 小林謙五少将(昭和18年6月11日 - 昭和19年9月10日) 高田利種大佐(昭和19年9月20日 - 昭和20年5月10日) 松原博少将(昭和20年6月10日 - 昭和20年9月15日) 菊池朝三少将(昭和20年6月25日 - 昭和20年9月15日) 歴代旗艦 防護巡洋艦「松島」 戦艦「三笠」 戦艦「敷島」 戦艦「朝日」 戦艦「金剛」 戦艦「山城」 戦艦「長門」 戦艦「陸奥」 戦艦「大和」 戦艦「武蔵」 軽巡洋艦「大淀」 太平洋戦争開戦時の聨合艦隊編成 太平洋戦争開戦時の日本海軍とは即「聨合艦隊」を示すのではなく、外戦部隊と内戦部隊と言うように、他に複数の艦隊が存在していた。1944年(昭和19年)にこれらは聯合艦隊に統一された。以下に太平洋戦争開戦当時(1941年12月8日)の艦隊編成と、各艦隊司令長官を記した。戦艦大和などは艦籍登録が開戦以降なので記載していない。 聯合艦隊直属(司令長官:山本五十六大将) 本土近海の防衛を担当 第一戦隊:戦艦 / 長門、陸奥 第二四戦隊:特設巡洋艦 / 報国丸、愛国丸、清澄丸 第一〇航空戦隊:水上機母艦 / 瑞穂、千歳 水上機母艦 / 千代田 駆逐艦 / 矢風 標的艦 / 摂津 工作艦 / 明石 第一艦隊(司令長官:高須四郎中将) 戦艦を主軸とした主力艦隊(本土近海の防衛を担当) 第二戦隊:戦艦 / 伊勢、日向、扶桑、山城 第三戦隊:戦艦 / 金剛、榛名、霧島、比叡 第六戦隊:重巡 / 青葉、衣笠、古鷹、加古 第九戦隊:軽巡 / 北上、大井 第三航空戦隊:空母 / 鳳翔、瑞鳳、駆逐艦 / 三日月、夕風 第一水雷戦隊:軽巡 / 阿武隈 第六駆逐隊:駆逐艦 / 雷、電、響、暁 第一七駆逐隊:駆逐艦 / 浦風、磯風、谷風、浜風 第二一駆逐隊:駆逐艦 / 初春、子日、初霜、若葉 第二七駆逐隊:駆逐隊 / 有明、夕暮、白露、時雨 第三水雷戦隊:軽巡 / 川内 第一一駆逐隊:駆逐艦 / 吹雪、白雪、初雪 第一二駆逐隊:駆逐艦 / 叢雲、東雲、白雲 第一九駆逐隊:駆逐艦 / 磯波、浦波、敷波、綾波 第二〇駆逐隊:駆逐艦 / 天霧、朝霧、夕霧、狭霧 第二艦隊(司令長官:近藤信竹中将) 重巡洋艦を主軸とした艦隊(フィリピン攻略作戦を支援) 第四戦隊:重巡 / 高雄、愛宕、鳥海、摩耶 第五戦隊:重巡 / 那智、羽黒、妙高 第七戦隊:重巡 / 最上、熊野、鈴谷、三隈 第八戦隊:重巡 / 利根、筑摩 第二水雷戦隊:軽巡 / 神通 第八駆逐隊:駆逐艦 / 朝潮、満潮、大潮、荒潮 第一五駆逐隊:駆逐艦 / 黒潮、親潮、早潮、夏潮 第一六駆逐隊:駆逐艦 / 初風、雪風、天津風、時津風 第一八駆逐隊:駆逐艦 / 霞、霰、陽炎、不知火 第四水雷戦隊:軽巡 / 那珂 第二駆逐隊:駆逐艦 / 村雨、夕立、春雨、五月雨 第四駆逐隊:駆逐艦 / 嵐、萩風、野分、舞風 第九駆逐隊:駆逐艦 / 朝雲、山雲、夏雲、峯雲 第二四駆逐隊:駆逐艦 / 海風、山風、江風、涼風 第三艦隊(司令長官:高橋伊望中将) フィリピン攻略作戦支援のための艦隊 第一六戦隊:重巡 / 足柄、軽巡 / 長良、球磨 第一七戦隊:敷設艦 / 厳島、八重山、特設敷設艦 / 辰宮丸 第五水雷戦隊:軽巡 / 名取 第五駆逐隊:駆逐艦 / 朝風、春風、松風、旗風 第二二駆逐隊:駆逐艦 / 皐月、水無月、文月、長月 第六潜水戦隊:潜水母艦 / 長鯨 第九潜水隊:潜水艦 / 伊-123、伊-124 第一三潜水隊:潜水艦 / 伊-121、伊-122 第一根拠地隊:敷設艦 / 白鷹、蒼鷹、掃海艇、駆潜艇、水雷艇など 第二根拠地隊:敷設艦 / 若鷹、掃海艇、駆潜艇、水雷艇など 第四艦隊(司令長官:井上成美中将) 南洋群島防衛のための艦隊 旗艦:練習巡 / 鹿島 第一八戦隊:軽巡 / 天龍、龍田 第一九戦隊:敷設艦 / 沖島、海防艦 / 常盤、津軽 第六水雷戦隊:軽巡 / 夕張 第二九駆逐隊:駆逐艦 / 追風、疾風、朝凪、夕凪 第三〇駆逐隊:駆逐艦 / 睦月、如月、弥生、望月 第七潜水戦隊:潜水母艦 / 迅鯨 第二六潜水隊:潜水艦 / 呂-60、呂-61、呂-62 第二七潜水隊:潜水艦 / 呂-65、呂-66、呂-67 第三三潜水隊:潜水艦 / 呂-63、呂-64、呂-68 第三根拠地隊:掃海艇、駆潜艇など 第四根拠地隊:掃海艇、駆潜艇など 第五根拠地隊:掃海艇、駆潜艇など 第六根拠地隊:掃海艇、駆潜艇など 第五艦隊(司令長官:細萱戊子郎中将) 本土東方海域(東シナ海)防衛のための艦隊 第二一戦隊:軽巡 / 多摩、木曾 第二二戦隊:特設巡洋艦 / 粟田丸、浅香丸 第七根拠地隊:掃海艇、駆潜艇など 第六艦隊(司令長官:清水光美中将) 潜水艦隊(ハワイ方面攻略を担当) 旗艦:練習巡 / 香取 第一潜水戦隊:特設潜水母艦 / 靖国丸、潜水艦 / 伊-9 第一潜水隊 潜水艦 / 伊-15、伊-16、伊-17 第二潜水隊:潜水艦 / 伊-18、伊-19、伊-20 第三潜水隊:潜水艦 / 伊-24、伊-25、伊-26 第二潜水戦隊:特設潜水母艦 / さんとす丸、潜水艦 / 伊-7、伊-10 第七潜水隊:潜水艦 / 伊-1、伊-2、伊-3 第八潜水隊:潜水艦 / 伊-4、伊-5、伊-6 第三潜水戦隊:潜水母艦 / 大鯨、潜水艦 / 伊-8 第一一潜水隊:潜水艦 / 伊-74、伊-75 第一二潜水隊:潜水艦 / 伊-68、伊-69、伊-70 第二〇潜水隊:潜水艦 / 伊-71、伊-72、伊-73 第一航空艦隊(司令長官:南雲忠一中将) 空母機動部隊(北太平洋方面攻略を担当) 第一航空戦隊:空母 / 赤城、加賀 第七駆逐隊:駆逐艦 / 曙、潮、漣 第二航空戦隊:空母 / 蒼龍、飛龍 第二三駆逐隊:駆逐艦 / 菊月、夕月、卯月 第四航空戦隊:空母 / 龍驤、春日丸 第三駆逐隊:駆逐艦 / 汐風、帆風 第五航空戦隊:空母 / 翔鶴、瑞鶴 付属:駆逐艦 / 朧、秋雲 但しハワイ奇襲作戦時にはこの編成ではなく、第一、第二、第五航空戦隊を基幹とし、機動部隊護衛として第三戦隊の戦艦「比叡」「霧島」、第八戦隊の重巡洋艦「利根」「筑摩」、第一水雷戦隊の旗艦、軽巡洋艦「阿武隈」及び第十七、十八駆逐隊の駆逐艦8隻が加わっており、駆逐艦「秋雲」はこの指揮下に入った。これに一万トン級高速タンカー7隻による補給隊が追随、前路哨戒及び搭乗員救出任務を与えられた哨戒隊として「伊一九」、「伊二一」、「伊二三」の三隻の潜水艦も加えられている。尚第三、第七、第二三駆逐隊、第四航空戦隊、及び駆逐艦朧は速力と航続力の関係からこの編成から外されている。このハワイ奇襲部隊も第一航空艦隊と呼称する場合があるので注意。 第十一航空艦隊(司令長官:塚原二四三中将) 基地(陸上)航空部隊 駆逐艦 / 峯風、沖風 第21航空戦隊 第22航空戦隊 第23航空戦隊 南遣艦隊(司令長官:小沢治三郎中将) 軽巡 / 香椎、海防艦 / 占守 第九根拠地隊:掃海艇、駆潜艇など 第四潜水戦隊:軽巡洋艦 / 鬼怒 第一八潜水隊:潜水艦 / 伊-53、伊-54、伊-55 第十九潜水隊:潜水艦 / 伊-56、伊-57、伊-58 第二一潜水隊:潜水艦 / 呂-33、呂-34 第五潜水戦隊:軽巡洋艦 / 由良 第二八潜水隊:潜水艦 / 伊-59、伊-60 第二九潜水隊:潜水艦 / 伊-62、伊-64 第三〇潜水隊:潜水艦 / 伊-65、伊-66 司令部はどこにあるべきか? 艦隊司令部は通常、旗艦に設置される。よって、聯合艦隊司令部もその創設以来旗艦に司令部を設置していた。しかし、太平洋戦争末期になって、司令部設置箇所を巡り論争が起きた。 その原因は、聯合艦隊司令長官の指揮範囲を広げすぎたことにある。明治時代の聨合艦隊司令長官は原則として純粋な戦闘部隊のみを指揮下においていた。しかし時がたつにつれて名声が高まり、軍令を司る軍令部長(職制上は聯合艦隊司令長官の上官)と並び称されるほどになった。それに加え、聨合艦隊司令長官の地位が単なる戦闘指揮官ではなく海上作戦全般の総指揮官という意味も帯び始め、補給部隊や基地航空隊、鎮守府なども指揮下に入るようになった。こうなると、多くの司令部人員の増加が必要となり、居住及び勤務空間の確保や無線設備の増強など海上の一艦にあって総指揮をとることが何かと不都合になってきたのである。ちなみに米軍側の太平洋艦隊司令部はハワイ(太平洋戦争開戦前にサンディエゴより移動)にあり、陸上から指揮をしていた。よって、司令部上陸論ともいうべき主張が、司令部内でされるようになった。 そのためか、太平洋戦争において、聯合艦隊旗艦が作戦行動を起こしたのはミッドウェー海戦のみであり、しかも機動部隊のはるか後ろを航行していたため戦闘には参加していない(これには相変わらずの大艦巨砲主義による海上決戦思想に基づく戦艦温存策という面もあった)。 それに対し、反対論も根強かった。海軍には「指揮官先頭、率先垂範」という伝統があった。また、日本海海戦では東郷平八郎司令長官が旗艦三笠の艦橋先頭に立ち、戦闘中微動だにせず、海戦終了後東郷長官の足跡がくっきりと残っていたという実話もある。「司令長官とはそうあるべきもの」という観念が、海軍の中では確固たるものとしてあった。安全な後方(陸上)から指揮を受けるなど、考えたくもなかったと思われる。 しかし、昭和19年(1944年)に入りいよいよ戦争範囲は拡大しつつも敗勢が濃くなり、聯合艦隊司令部は旗艦を収容能力と通信設備を併せもつ軽巡洋艦「大淀」に移し、しかも単艦で木更津沖に停泊させた。これは現在、米軍などに見られる指揮専用艦の先駆けであったが、当時司令部にそんな意識などはあるはずもなく、単なる妥協策であった。しかし、マリアナ沖海戦でマリアナ諸島が占領されると本土空襲が現実となり、フィリピン方面へ米軍の攻勢が切迫してくると、ついにその年の内に日吉台の慶應義塾大学構内の地下防空壕に移ってしまった。ここにおいて聯合艦隊旗艦及び第一艦隊は消滅した。 それでも抵抗は依然として強かったらしく、昭和20年(1945年)の菊水作戦(いわゆる大和の沖縄特攻)発動時には、特攻作戦に反対する第二艦隊司令部から「陸上にいて艦隊の気持ちがわかるか」「特攻ならば司令長官自ら大和に乗り込むべきではないか」との怒号を受けた。この菊水作戦は「一億総特攻の魁になってくれ」という要請のもとに始められたものであり、全ての帝国海軍海上部隊を、戦果と引き換えに滅失させるものであったからである。つまり菊水作戦の発動後は、それが成功しようが失敗しようが、途中で中止されない限りは、帝国海軍の海上部隊は消滅するのであるから、海上部隊のための指揮官も参謀も必要なくなるのである。「最後くらいは、将は皆、兵の前に立つべき」と感じたのであろうと推測できる。 海上自衛隊の「聨合艦隊」 海上自衛隊には防衛大臣直属である「自衛艦隊」という組織があり、自衛艦隊司令官の指揮下に護衛艦隊(4個護衛隊群基幹)、航空集団、潜水艦隊、掃海隊群その他の実力部隊を置いている。聯合艦隊と比較すると、航空母艦などを所有しておらず、防御的戦力に特化しておりその性格を異にしているが、自衛艦隊が聯合艦隊に相当する実施部隊である事には異論を挟む余地はない。 書籍 伊藤正徳『連合艦隊の最後』光人社刊: ISBN 4-7698-0979-4、『連合艦隊の栄光』光人社刊: ISBN 4-7698-1006-7 映画 『連合艦隊』(東宝、1981年。監督:松林宗恵) 秘密組織 文化大革命中、中華人民共和国の軍人林立果は毛沢東暗殺を計画した。その際組織した秘密組織の名前は「連合艦隊」であった。これは林立果が日本映画『連合艦隊司令長官 山本五十六』を観て感動したことから日本の聯合艦隊に影響されたものである。 関連項目 大日本帝国海軍 大日本帝国海軍艦艇一覧 航空艦隊 - 海軍陸戦隊 軍艦 海上護衛総司令部 大山祇神社 伊和都比売神社 外部リンク 海上自衛隊 戦艦大和の海上特攻の真相(聯合艦隊の最後) 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年4月4日 (金) 05 35。
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連合艦隊 原曲 ウィーアー 作曲 田中公平 作詞 藤林聖子 編詩 骨 ありったけの艦娘かき集め 艦娘を探しに行くのさ 艦これ 羅針盤なんて 必要なこと ヲ改にうなされ 舵をとるのさ ウィキに埋もれた 海域(たから)の地図も 確かめたのなら 伝説じゃない! 個人的にレアドロ ほしいな 完全勝利乗っかって 思い過ごせばいい! ありったけの艦娘かき集め 捜し人を捜しに行くのさ 右上の資材、それとバケツの数 溶ける溶ける 連合 艦隊 ぜんぶまに受けず 信じなくても ウィキより先に 1歩リードさ 今度会えたなら 話すつもりさ それからの資材(ことと)これからのバケツ(こと) つまりいつも 艦娘誰より アピール出来る いいチャンス 自意識過剩に! しみったれた夜をぶっとばせ! 装備(ほうしゅう)に キョウミはないけど ボスマスのロマン それは完全勝利 あたれかわせ 艦娘 頑張れ! ありったけの艦娘かき集め 捜し人を探しに行くのさ 右上の資材、それとバケツの数 溶ける溶ける 連合 艦隊 艦隊 艦これ! 曲目リストへ戻る 歌唱履歴 2017.08.07 012曲目(なっち) 2018.02.07 045曲目(なっち) 履歴へ戻る
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概要 蒼藍王国宙軍軍隷下の属国方面軍日本連邦方面艦隊と日本連邦帝国海軍第一防衛艦隊によって構成される連合艦隊である。蒼藍王国軍は近衛連合艦隊を、日本連邦帝国海軍は天の川連合艦隊を別途保有する。 部隊情報(氏名の後の括弧内が階級) 所属 蒼藍星間連邦王国基軍 司令官 江島早希提督(日本連邦帝国海軍大将 日本連邦帝国海軍艦隊総司令副官) 旗艦 長門[リンクリス級2番艦] 旗艦艦長 ラーバー・デニフェルス・ナイサイマン提督(蒼藍王国宙軍中将) 旗艦副長 野島月枝提督(日本連邦帝国海軍大佐) 構成艦隊数 中規模戦略艦隊580
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第1北方連合艦隊とは、特殊部隊の艦隊を集め、指揮系統を整理するために作られた連合艦隊である。 連合艦隊は大隊扱いで、その下に各大隊の保有する中隊扱いの艦隊が存在する。 所属はそれぞれの大隊だが、戦時や訓練時は連合艦隊が指揮をする。 大隊長候補はソラトモ少佐である。 連合艦隊司令部は特殊部隊司令室。 以下艦隊編成 第1空母艦隊 所属:アルバトロス大隊(空母中隊) 隊員数:326名 航空母艦小隊 シベリア級 --- 1隻(搭乗員36名) 艦載戦闘機第1、2小隊 Su-33 --- 24機 対潜哨戒機小隊 S-3 --- 3機(4人乗) 哨戒ヘリコプター小隊 Ka-25PL --- 1機(2人乗) 早期ヘリコプター小隊 Ka-31 --- 1機(4人乗) 対潜駆逐艦第1、2小隊 ウダロイ級 --- 4隻(搭乗員各24名) 攻撃型原子力潜水艦第1、4小隊 アクラ級 --- 8隻(搭乗員各10名) 原子力ミサイル巡洋艦小隊 キーロフ級 --- 2隻(搭乗員各36名)
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決戦連合艦隊(公式ページ) 以下、関連リンク -決戦連合艦隊をプレイして(その後) -決戦連合艦隊をプレイして -決戦連合艦隊プレイしてゲームマーケット大阪2014へ -CTCS決戦連合艦隊プレイ生完結しました。 -CTCS決戦連合艦隊プレイ生終わりました。 -『決戦連合艦隊』おすすめ艦艇で打順 -CTCS決戦連合艦隊プレイ生終わりました。 -CTCS決戦連合艦隊プレイ生終わりました。 -雑談:ウォーゲーム関係:「決戦連合艦隊」復刻発売 -そらクラス名だってばよ -ちょい不遇だったゲーム『決戦連合艦隊』 -『決戦連合艦隊』を借りてみた!
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注・このページでは3鯖世界大戦における、ちーむ南東と連合艦隊との戦史のみを記載する。 エピソードⅠ 開戦 9月20日22時59分、連合艦隊オケアノスが我々ちーむ南東に宣戦布告。艦隊の大義名分は「同盟連合Cancunの支援」だそうだ。 宣戦布告と同時に大量の部隊が派兵されてきた・・・が、個々の仕官レベルは低かった。この時点でちーむ南東の幹部たちは勝利を確信。 宣戦布告された時間帯、主力はたまたま不在の人が多かった。そのため残念ながら、落とされた基地もあった。 だが夜が更けていくにつれ主力がINし始め、ちーむ☆南東が反撃に転じ始める。南方では艦隊の基地を奪取した。そして夜が明けるころには、ちーむ南東側の攻撃レポートの方が圧倒的に多くなった。 他連合からの情報や、以前のマサヒロの時間計測派兵から、連合艦隊参戦は分かっていて、準備は整えてあった。例えば開戦直後、連合艦隊の集中攻撃で落ちた基地があったが、その基地はあらかじめ集中攻撃が予想されていて、すでに本部レベル1&解体予約済みのトラップ基地だった。 なお宣戦布告の30分後、supernovaが南東側で参戦。数時間後には火影直属部隊も参戦した。 とっておきの切り札も用意されている。連合艦隊の落日は近い。 エピソードⅡ 南高北低 連合艦隊の攻撃は夜(19~27時)が中心のようだ。昼は南東側からの一方的な攻撃になっている。 開戦から三夜がすぎた。初日の攻撃はたいしたことなく、次の夜に望んだが艦隊は、標的を絞って攻撃してくるようになった。特に北よりの艦隊拠点付近の攻防が激しい。 一方で南方は我々の優勢のようだ。 エピソードⅢ 防衛戦 9月23日23時、拠点周辺の艦隊が、pa!の基地に総攻撃をかけてきた。 攻撃に備えすでに12万以上の援軍が集まっていたため、艦隊の戦力は各個撃破された。我々の損害は約7万。艦隊の損害は30万機以上。南東側としては実に愉快な夜になった。 10月上旬には、赤い翼が連合艦隊との停戦期限を迎えるため、艦隊は早期にこの戦争に決着をつける必要があるだろう。 逆に我々は各同盟連合の参戦も順次行われるため、時間につれて優勢になっていく。 エピソードⅣ 嵐の前の静けさ 9月25日、ランキング11位以内に4人を有する新生大戦略連合が連合艦隊に宣戦布告した。そろそろ艦隊も余裕がなくなってきたか。 艦隊はpa!基地防衛戦での敗北以降、著しく攻撃力が低下しているようだ。艦隊はこれまで高い攻撃力を有していたため、防衛の必要がなかった。経験不足もあり、防衛は得意でないように思える。 なお連合艦隊をはじめとする、大手連合の水面下での活動が活発になっているようだ。我々も防諜及び諜報活動を行っていこう。 エピソードⅴ 世界大戦へ 予定より少し早かったが、9月28日23時、喜怒哀楽連合(及び南西支部)が連合艦隊&Cancun&★参帝連合★に宣戦布告した。なお翌日には南東側でうしとら門も参戦。真紅の翼を入れれば連合ランキング1位から9位までが参加する、3鯖至上最大の戦争が始まった事になる。喜怒哀楽は連合艦隊陣営側につく構えを見せていただけに、艦隊としてはショックだっただろう。なお艦隊には★を用意している。 一方、我々の戦況だが連合艦隊戦に限ると、残念ながら思わしいとは言えない。(cancun戦はワンサイドゲームになりつつある。)主力及び準主力の基地は1つも奪われていないが、孤立した地域の防衛が行き詰っている。 主力の移動が完了し次第、同盟連合と共に例の"大王作戦"を実行に移そう。 エピソードⅥ 確実な1歩 一連の行軍の第一歩として、大王作戦が発動された。大王作戦は進軍の前哨基地を確保する小規模作戦だったが、みごと成功。 後日、前哨基地を足がかりに電撃戦を展開すると艦隊は総崩れを起こし、次々と基地が陥落していった。また106拠点から見て北東の海岸では、A7M3、穴馬太郎、guardianが防衛をあきらめ基地を解体した。 この作戦の弊害として、南部のCancun戦線において(主力の北上のため)各地で撤退したため、一度は瀕死に追い込んだCancunが復活しつつある。また艦隊メンバーのCancunへの移籍も確認されており、現在進行中の作戦が終われば、再びCancunを血祭りにあげる必要がある。 それから今回、行軍を共にしている同盟連合"新生大戦略"には最も強い言葉で感謝の気持ちを表したい。 エピソードⅦ 大勝利 連合艦隊はもはや連合としての機能を失った。まともな反撃もなくあっさり拠点を占領。艦隊メンバーは次々と脱退し艦隊戦はほぼ終了した。ちーむ南東は勝利した。 プロローグ この戦争は艦隊の自滅に終わったと言うのが正直な感想。Cancunに加担したのが全ての元凶だったといえよう。だが真の意味でこの戦争を終わらせるには、Cancunを倒さねばなるまい。Cancun告別式場の復活も考えよう。
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薔薇百合艦隊でのとりとめのない出来事を書くためにコーナーです。 日記帳代わりにどうぞ。 9/27 ユスティニア 編集方法の説明。いじりたいページに入って、左上にあるバーから「編集>このページを編集」を選びます。編集が終わったら、画像認証をしてから「ページ保存」してください。@ウィキの基本的な構文は編集画面の下の方に書いてありますが、もうちょっと難しいことをやってみたい場合は上のバーからヘルプを見たりググったりしてみてください。 9/26 ユスティニア 商会ウィキでのノウハウを生かして艦隊のウィキも作ってみることにしました。みんなもまあ適当に楽しんでいってくださいな。