約 47,166 件
https://w.atwiki.jp/eiketsu-taisen/pages/39.html
勢力 時代 イラストレーター 声優 No. 勢力 時代 レア 武将名 コスト 兵種 武 知 特技 計略名 士気 備考 イラストレーター 声優 LT63 碧 三国志 ER 劉備 2.0 槍 7 6 昂 義兄弟の誓い 7 碧の味方の武力が上がる。ただし対象のいずれかの味方が撤退すると、対象の味方全てが撤退する 杉浦善夫 LT53 碧 三国志 SR 張飛 2.5 騎 9 2 気 長坂橋の仁王 6 武力が上がる。さらに敵を自身に向かってくるようにする 五十嵐睦 LT47 碧 三国志 R 甘皇后 1.0 弓 2 6 昂 的確な援兵 3 最も武力の高い味方の兵力が上がる 音楽ナスカ 鎌田梢 LT60 碧 三国志 R 麋夫人 1.0 弓 1 7 柵 挺身の身代わり 4 撤退中の最も武力の高い味方が復活し、武力が上がる。ただし自身が撤退する 六 土谷麻貴 LT54 碧 三国志 N 陳到 2.0 騎 7 7 忍 神速戦法 4 武力と移動速度が上がる 町田肇 LT48 碧 三国志 N 簡雍 1.5 槍 5 6 伏 無血開城 2 知力が上がる。ただし武力が下がる めいさい 杉田智和 LT55 碧 三国志 N 田豫 1.0 槍 3 6 - 強化戦法 4 武力が上がる つのびん
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/112.html
<魏 241年> <蜀漢 241年> <呉 241年> 241年 正始二年 (魏) 皇帝 曹芳(魏齊王・字蘭卿) 皇后 (空位) 三公 太傅:司馬懿(前太尉) 太尉:滿寵(前征東將軍) 司徒:衛臻(前司空) 司空:崔林(前司隸校尉) 九卿 衛尉: その他の要職 大将軍:曹爽(前武衛將軍) 驃騎大將軍:→ 車騎將軍:→王淩(前征東將軍) 地方官 荊州刺史:胡質 幽州刺史:母*丘儉 雍州刺史:郭淮 主な事件 正始二年春二月、帝は初めて論語を通読する。太常を遣わして太牢を捧げ孔子を辟雍に祭る。顏淵を配す《三国志魏書三少帝紀》 夏五月、吳將の朱然等が襄陽の樊城を囲む。太傅の司馬懿は軍を率いて防ぐ《三国志魏書三少帝紀》吳將の全琮は芍陂を攻め、朱然、孫倫が五萬人で樊城を囲んでおり、諸葛瑾、步騭が柤中を攻めていた。全琮が破れ敗走しても樊城の圍みは急であった。司馬懿は朝議での反論を抑えて自ら征伐に赴き、六月、諸軍を監督して南征した。帝は車駕で津陽城の門外まで見送られた。司馬懿は南方は暑く湿潤で持久戦は良くないとして輕騎で挑発させたが朱然は動かず。これにより諸軍に令して休息洗沐させ精銳を選び先陣を募って号令し必攻之勢を示すと、朱然等は夜の間に遁走した。三州口まで追撃し大いに殺戮捕獲した《三国志魏書三少帝紀に引く干寶晉紀》 六月辛丑、太傅の司馬懿は退く。《三国志魏書三少帝紀》 六月己卯、征東將軍の王淩を車騎將軍と為す。《三国志魏書三少帝紀》 冬十二月、南安郡で地震。《三国志魏書三少帝紀》 誕生者 死没者
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/155.html
<魏 253年> <蜀漢 253年> <呉 253年> 253年 嘉平五年(魏) 皇帝 曹芳(魏) 皇后 張氏 皇太子 三公 太傅:(空位) 太尉:司馬孚(前司空) 司徒:高柔(前司空) 司空:鄭沖(前光祿勳) 九卿 録尚書事:司馬師(大将軍) 光祿勳: その他の要職 大将軍:司馬師(前撫軍大將軍) 車騎將軍:郭淮(前征西將軍) 驃騎將軍:? 衛将軍: 地方官 雍州刺史:陳泰 主な事件 五年夏四月、大赦《三国志魏書三少帝紀》 五月、吳の太傅諸葛恪が合肥新城を囲む。詔して太尉の司馬孚が之を拒む。《三国志魏書三少帝紀》是時蜀漢の姜維が出撃して狄道を囲む。司馬師は虞松に対策を問うた。虞松は「今諸葛恪はその精鋭で一戦に持ち込もうとしているがもし城を抜けなければ戦おうとしても得られず、疲労し敗走するでしょう。姜維は重兵で恪に応じ我が方の麦をあてにしておれば深く侵略することはできません。我が方が東に注力して西が疎かになると思って進んでおりますから、今もし關中の諸軍を急がせその不意をつけば敗走するでしょう」と答えた。司馬師は「善!」として郭淮、陳泰に關中の全兵をもって狄道の圍みを解かせ、一方で母*丘儉等に堅く守らせて新城を吳の思いのままにさせた。姜維は郭淮が兵を進めてきたと聞き、兵糧少なく、隴西の境に退却した。《三国志魏書三少帝紀に引く漢晉春秋》是時、涿郡の張特(字子產)は牙門を領し鎮東将軍の諸葛誕に仕えていたが、諸葛誕が防げないとされ、護軍を還して母*丘儉と代わらせた。張特に合肥新城屯守させた。張特は將軍の樂方等と三軍を合せても三千余人で、吏兵は過半数が疾病及戰死していた。張特は詐術をもって防ぎ、呉軍は抜くことができなかったため退却した。朝廷は之を嘉みして、雜號將軍を加え、列侯に封じ、安豐太守に還した。《三国志魏書三少帝紀に引く魏略》 八月、詔して亡くなった中郎で西平出身の郭脩を憲章して、長樂鄉侯に追封し、食邑千戶を賜った。威侯と諡した。子に爵位を継がせ、奉車都尉を拝す。銀千鉼、絹千匹を賜う。《三国志魏書三少帝紀》郭脩(字孝先)は、西州で名を為していたが姜維に捕らえられ、屈せず。劉禪は左將軍と為すも郭脩は劉禪を刺さんと欲すが近づけず。,故に費禕を殺す《三国志魏書三少帝紀に引く魏氏春秋》 帝が即位してより是歲まで、郡國縣道の加減変更は多く、旧に復したりして記すことができないほどである《三国志魏書三少帝紀》 誕生者 死没者 郭脩(字孝先):三国志蜀書後主伝では郭循。費禕を刺殺して殺される
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/23715.html
登録日:2011/10/24 Mon 12 44 38 更新日:2024/02/09 Fri 12 19 00 所要時間:約 3 分で読めます ▽タグ一覧 三国志大戦 大進軍袁紹 袁紹 軍艦マーチ 「我が王たる所以を、お見せしよう」 DATA 武将名:R袁紹 属性:天 所属:漢軍 コスト:1.5 兵種:槍兵 武力:4 知力:6 特技:魅力、募兵 計略:憂国の大進軍 範囲内の漢の味方全ての武力と城攻撃力が上がり、移動速度が下がる。ただし、計略使用時に国力を消費する。国力が足りないときは効果が下がる。 必要士気6 Illustration 伊藤サトシ 3.5から登場した漢軍所属の号令持ち 計略効果は武力+6、効果時間9.0C、城攻撃力1.8倍、移動速度0.8倍、国力-1 範囲はかなり広めという豪華な効果となっている 計略が強力な分スペックが悪い典型的な武将で、号令持ちとはいえ武力4に知力6という最低クラスのスペックになっている 更に漢軍の号令持ちに漏れずこのカードには他のカードにはない様々な特徴がある メリット 攻城力の上昇 この計略のキモともいえる効果で、効果時間中2コス槍の城門でも入ろうものなら試合がほぼ決まるほどの大ダメージを与えられる この効果により相手は普通の相手であれば有効な何発かスルーしてカウンターで無問題ということができず 真正面からのぶつかり合いを強いられるため高めの武力上昇値が生きる素晴らしい効果といえるだろう 重ねがけが可能 は?となるかもしれないがこの号令、他の多くの号令と違って重ねがけが可能である 三国志大戦には武将の計略が武将自身にかかっている間はその武将は計略を打てないという仕様があるのだが 大進軍袁紹の計略は袁紹自身にかけないことができる珍しい号令範囲を持っている 具体的には相手の陣側に横一列に伸びる 固定 範囲である これにより重ねがけしたときの威力たるや凄まじく、速度0.64倍に国力-2はあるものの武力+12、城攻城力3.24倍というまさに大進軍といえるバケモノ軍団が完成する 副次効果として攻城力が高すぎるために城攻撃時の音が パリン から ズゴオオオオオンに変わる デメリット スペックが低い まあ計略が強いので仕方ないのだがスペックが低い その辺のUCより低い 移動速度が下がる 0.8倍という速度がなかなか曲者で、騎馬がオーラをまとえなくなりただの歩兵になる(維持は可能) このため見た目の上昇値に対して意外に戦闘力は低い 奥義の速度上昇などでカバーしてあげよう 守りで使えない まあ守りで使うような効果ではないのだが…範囲が相手側固定なため守りに使えない そのため守りは他の武将に任せよう この際に国力もためれるととってもスマート 他にも1.5コスのため漢の優秀な1.5コスを入れられる枚数が少なかったりなどがある しかしこういう欠点を含めても十分に強力なカードである この攻城力の虜になった人も多いのではないだろうか ついでにナルシな上に王になんてなってないのに王たる所以とか言っちゃう だがそれがいい 相性のいい武将たち 決起計略もち全般 言わずもがな計略を打つのに国力が必要になるためほぼ必須ともいえる 中でも騎馬のUC劉虞、R張カンや弓のUC張壬等は兵種的にも入れやすく好相性 国力に依存しない号令持ち SR田豊、SR郭図等がこれにあたる 国力が1しかない時の攻めの搦め手に使ったり他の計略ではとても防げない威力の号令に対しての守りに使える 田豊との組み合わせは神術大進軍として強さが認められているのでマッチした人も多いだろう 追記修正 PATRIOTISM - お願いします △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/170.html
<魏 232年> <蜀漢 232年> <呉 232年> 232年 嘉禾元年(呉) 皇帝 孫権(呉大帝) 皇后 (空位) 皇太子 孫登 三公(呉) 丞相:顧雍(前太常) その他の要職(呉) 太常:陳化(兼尚書令)? 光禄勳:? 衛尉:? 太僕:? 廷尉:? 大鴻臚:? 宗正:? 大司農:? 少府:? 大司馬:? 大将軍:? 驃騎将軍:? 車騎将軍:? 衛将軍:? 上大將軍:陸遜? 主な事件 嘉禾元年春正月、建昌侯の孫慮が卒す。《三国志呉書呉主権伝》 三月、將軍の周賀、校尉の裴潛を遣わして海路より遼東に向かわせた。《三国志呉書呉主権伝》 秋九月、魏の將である田豫が迎え擊ち、周賀を成山に斬る。《三国志呉書呉主権伝》 冬十月、魏の遼東太守の公孫淵が校尉の宿舒、閬中令の孫綜を遣わして孫権の藩国を称したいと伝えて来た。合せて貂馬を献上し、孫權は大いに悅ぶ。淵に爵位を加えた《三国志呉書呉主権伝》 是冬、臣下たちは孫權が未だに郊祀を祀っていないことから、奏議して宜しく郊祀を祀って天意にそうべきとした。孫権はこれを断った《三国志呉書呉主権伝に引く江表傳》 誕生者 死没者 注 ▲PAGE TOP 231年<< >>233年
https://w.atwiki.jp/genmaden/pages/67.html
◆5月10日(木)【定期】メンテナンス情報 三国志幻魔伝運営チームです。 日頃より「三国志幻魔伝」をご愛顧いただき誠にありがとうございます。 本日のメンテナンスよりレイドボス討伐祭イベントを開催致しました。 今回のレイドボス討伐祭ではレイドボスの出現率が100%にアップする他、特定条件を満たすと「交換所P」が手に入るのでみんなでレイドボスを討伐して交換所Pを集めよう! 以下、本日のメンテナンス内容となります。 レイドボス討伐祭イベントの開催 AP BPパック開始販売 武器クエストキャンペーンの開催 防具クエストキャンペーンの開催 リニューアル第3弾の実施 軽微な不具合対応 ■イベント及びキャンペーン期間 5月10日20:00ー5月18日15:00 《その他》 ※レイドボス出現クエスト(例クエスト2−1)でレイドボスを100%発見できます。 ※クエスト2ー8で出現するレイドボスのみ交換所Pがドロップします。 ※リニューアル第3弾の内容はリニューアル情報にてご確認できます。 ※不具合情報にて不具合対応状況をご確認できます。 ※過去のメンテナンス情報につきましては、「三国志幻魔伝攻略Wiki」にて確認できます。 ※三国志幻魔伝攻略Wikiは「コンフィグ>設定>アプリ情報>攻略Wiki」から遷移する事ができます。 ◆5月4日(金)【定期】メンテナンス情報 クエストEXP&金貨2倍イベントの開始! 期間限定!APパック販売! 端午限定パックの販売! スキップキャンペーン開始! ルビー倍増キャンペーン開始! リニューアル第2弾の実施! 《その他》 ※リニューアル第2弾の内容はリニューアル情報にてご確認できます。 ※イベント及びキャンペーン情報各種はアップデート情報で詳細をご確認できます。 ※過去のメンテナンス情報につきましては、「三国志幻魔伝攻略Wiki」にて確認できます。 ※三国志幻魔伝攻略Wikiは「コンフィグ>設定>アプリ情報>攻略Wiki」から遷移する事ができます。
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/183.html
<魏 245年> <蜀漢 245年> <呉 245年> 245年 赤烏八年(呉) 皇帝 孫権(呉大帝) 皇后 (空位) 皇太子 孫和 三公(呉) 陸遜(上大将軍)→(死亡)→(空位) その他の要職(呉) 太常:潘濬? 光禄勳:? 衛尉:? 太僕:? 廷尉:? 大鴻臚:? 宗正:? 大司農:? 少府:? 大司馬:? 大将軍:? 驃騎将軍:? 車騎将軍:朱然 衛将軍:全琮 上大將軍:? 主な事件 八年春二月、丞相の陸遜が卒す。《三国志呉書呉主権伝》 夏、雷霆落ちて宮門柱を壊す。又、南の渡し場の大橋を壊す。茶陵縣では鴻水が氾濫する。二百餘家が家や人を流漂される。《三国志呉書呉主権伝》 秋七月、將軍の馬茂等が反逆を図り三族皆殺しとなった。《三国志呉書呉主権伝》馬茂はもと淮南鍾離の県長であった。王淩の為に帰る所を失い、叛いて吳に帰す。吳は征西將軍、九江太守、外部督と為し、侯に封じ千兵を領させた。孫權は幾度か苑に出て公卿諸將と狩猟をした。馬茂は兼符節令の朱貞、無難督の虞欽、牙門將の朱志等と計って、孫權が苑中にあるのを伺って公卿諸將がまだ門にあって入っていないのを見計らい、貞に節を持たせ詔を読み上げさせ、悉く收縛し、馬茂が兵を苑に引き入れ孫權を撃つという計画を立てた。また分けて宮中及石頭塢も抑え、人を遣わして魏に報告しようとしたが、事が発覚し皆殺しとなった《三国志呉書呉主権伝に引く吳歷》 八月、大赦。《三国志呉書呉主権伝》 校尉の陳勳を遣わして屯田及作士三萬人を率いて句容中道を穿つ。小其から雲陽西城に至り、會巿を通り、邸閣を作る《三国志呉書呉主権伝》 誕生者 死没者 注 ▲PAGE TOP 244年<< >>246年
https://w.atwiki.jp/orifusai/
三国志 基礎データ@wiki 史書の記述に沿って三国志の登場人物の「誰が」「いつ」「どこで」事跡を残したかをまとめるサイトです。 このページはどなたでも自由に編集することができます。 とりあえずは『三国志』『後漢書』『晋書』等の史書をベースとします。また『出典』をできるだけ明記してください。『三国志演義』や小説、漫画、ゲームなどでの設定はとりあえずは対象外とします。(そのうち別サイトで演義ベースもやりたいですが、、) 「誰が」の情報は各人物毎にページを作成し、「いつ」「どこで」の情報を時系列で記述していきます。 「いつ」の情報は1年毎に「どこ」に「誰が」いたかを場所毎(郡国単位)で記述していきます。 出来るだけ人物ページに1行追加したら、その同じ記事を年代別ページにも記述して、人物ページと年代別ページに矛盾が無いようにして頂けると嬉しいです。 人物や年はどんどんご自由に追加してください。テンプレート集を用意してありますのでそちらを使ってください。 その他の題材に関しては『備考』に掲載してください。 ご意見・ご要望・苦情などあればコメント欄やメールでお願いします。 趣旨・目的・願望 三国志の人物の事跡を追っていくと、その事跡がいつ行われたのかが書いていなかったりして分からないことが多いので、その整理をする。 三国志を題材にした創作・研究・ゲーム・暇潰し等を行っている方々へのネタ提供、考察のヒントに。 そもそも暇潰し(あまり肩肘張らず、細々と気長にやっていければと) 手元にちくま本がある人は是非更新に参加してください~。後漢書とかとの比較はきっと誰かがやってくれるでしょう(笑) とりあえずのおすすめページ 190年 空白地だらけの中国大陸なんて嘘!本当はこれくらい太守の名前が分かるのです。 曹操 「非常の人」曹操の波乱万丈の一生。いったい何キロ生涯に移動したのだろう。 管理人:織風斎 - visitors since 2007/03/16
https://w.atwiki.jp/gurunyaga/pages/27.html
関東三国志 関東三国志イベント概要 攻略情報 報酬 コメント イベント概要 開催期間:15/4/16 11 00~15/4/27 14 00 全20ステージで構成。行動力ではなく、専用ゲージ無限力を消費。 攻略情報 ダンジョンは地属性ダンジョンが多く、敵の編成は騎馬主体鉄砲が有利 特効武将本イベントダンジョン内で体力・攻撃力2倍 パーティに参加させることで得られるポイントが上昇(1体につき100%、最大で4倍)北条氏康・成田長親・成田甲斐姫 報酬 Pt報酬 個人 衆Pt 報酬 Pt 報酬 2 北条氏康 180 経験値巫女・普 10 ニャオメダル1000枚 350 経験値巫女・普 30 ニャオメダル1000枚 600 経験値巫女・普 100 春日虎綱 1200 経験値巫女・普 200 ニャオメダル1500枚 2000 経験値巫女・普 400 武田勝頼 3000 上杉景勝 650 ニャオメダル1500枚 7000 経験値巫女・普 900 ニャオメダル1500枚 12500 経験値巫女・普 1600 武田信玄 20000 上杉景勝 2500 ニャオメダル1500枚 30000 経験値巫女・普 3600 春日虎綱 40000 直江兼続 5000 ニャオメダル1500枚 50000 経験値巫女・普 6500 武田勝頼 60000 上杉謙信 8200 ニャオメダル1500枚 75000 経験値巫女・普 10000 武田信玄 90000 上杉景勝 12000 ニャオメダル1500枚 110000 経験値巫女・上 14300 春日虎綱 130000 直江兼続 16800 ニャオメダル2000枚 150000 経験値巫女・上 19500 武田勝頼 175000 上杉謙信 22500 ニャオメダル2000枚 200000 経験値巫女・上 25900 ニャオメダル2000枚 220000 上杉景勝 30000 武田信玄 250000 経験値巫女・上 35000 ニャオメダル2000枚 270000 経験値巫女・上 41000 ニャオメダル2000枚 300000 直江兼続 48000 武田勝頼 330000 経験値巫女・特 56000 ニャオメダル2000枚 360000 経験値巫女・特 65000 ニャオメダル2000枚 400000 経験値巫女・特 75000 ニャオメダル2000枚 430000 上杉謙信 88000 ニャオメダル2000枚 470000 経験値巫女・特 100000 武田信玄 500000 経験値巫女・特 550000 経験値巫女・特 590000 直江兼続 630000 経験値巫女・特 680000 経験値巫女・特 750000 経験値巫女・特 850000 経験値巫女・特 980000 上杉謙信 コメント 名前 コメント タグ: イベント ダンジョン 無限ダンジョン LastUpdate:2015/07/14 Tue 15 00 08
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/91.html
<魏 260年> <蜀漢 260年> <呉 260年> 260年 甘露五年→景元元年(魏) 皇帝 曹髦(魏高貴郷公)→曹奐(字景明・魏常道鄉公) 皇后 卞氏(父は卞隆)→(空位) 皇太子 三公(魏) 太傅:司馬孚(前太尉) 太尉:高柔(前司徒) 司徒:鄭沖(前司空) 司空:(空位)→王觀(前尚書右僕射)→(死亡)→王祥(前司隸校尉) その他の要職(魏) 錄尚書事:司馬昭(大将軍) 太常: 光禄勳: 衛尉:→ 太僕: 廷尉:→ 大鴻臚:→ 宗正:→ 大司農:→ 少府:→ 大将軍:司馬昭(大都督を加号) 驃騎将軍:王昶 車騎将軍:孫壹 衛将軍:? 地方官 司隸校尉:王祥→ 冀州牧: 幽州牧: 并州牧: 青州牧: 徐州牧: 兌*州牧: 揚州刺史:? 雍州刺史:王経 交州牧:孫壹 主な事件 五年春正月朔,日有蝕之《三国志魏書三少帝紀高貴鄉公髦》 夏四月、詔して、有司が先に命を受けて、また大將軍の司馬昭を相國の位に進める。晉公に封じ、九錫を加える《三国志魏書三少帝紀高貴鄉公髦》 五月己丑、高貴鄉公が卒す,年二十。《三国志魏書三少帝紀高貴鄉公髦》 皇太后が令して曰く、「私の不徳によって、嫡子を作らず、昔東海王の子の曹髦を擁立し明帝の跡を嗣がせた。書疏文章を好むように見えたが成長するに従って情性暴戾が現れ、私は幾度も呵責した。造作は醜逆で、道ならぬ言で私を誣謗した。兩宮は隔絶し聴くに耐えられなかった。私は密かに令して大將軍に語り、宗廟を奉るに相応しくなく社稷を覆すのを畏れる。死んで先帝に見える顔が無い。大將軍はまだ若く善に改心するだろうというのだが、その所行はますます甚しく、弩で私の宮を遥かに射て、矢が私の前に落ちることがあった。私は大將軍に之を廢せずにはいられないと前後數十に渡り語った。しかし、賂遺私の左右の人間を買収し、私が藥を服するのを利用して密かに毒をもらんと周到に計画を立てていた。事が覺露すると、兵を挙げて西宮に入り私を殺さんとした。大將軍が退出すると、侍中の王沈、散騎常侍の王業、尚書の王經を呼び、懷ろより黃素の詔を出して示し、今日まさに実行しようというのだと言った。私は危殆の中にあり累卵の危うさであった。私は老い独り身で、どうして余命を惜しむことがあろうか? ただ先帝の遺意を遂げることが出来ないのを傷む。沈、業はすぐさま大將軍に馳せていって相談し、まず先に警護を厳しくした。帝は左右のものを率いて雲龍門より出て刃を交え、自らも剣を抜いて左右の雑兵と入って来た。前鋒において害され自ら大いなる過ちに落ちる。昔、漢の昌邑王は罪をもって廃され庶人に落ちた。よって民禮をもって葬送するように。內外に令してこの子の所行を知らしめるように。又尚書の王經は凶逆無狀にして逮捕し、家屬は皆廷尉に引き渡せ」《三国志魏書三少帝紀高貴鄉公髦》帝は権威が去って行く日を思い患っていた。侍中の王沈、尚書の王經、散騎常侍の王業を召して曰わく「司馬昭の心は路人でも知っている。どうして廃位の恥辱を受けられようか。今日、卿等とともに自ら討って出る」王經曰わく「昔魯昭公は季氏に我慢できず結果敗れて國を失い天下の笑い草となりました。今権勢は司馬氏にあり久しくなっています。兵甲は弱く少なく陛下はどうやって用意なさるのですか。一旦事を起こし、病根を除けなければ更に深まることになるでしょう!」帝は懷から版令を地に投げ捨てて「事は決した。まさに死ぬだけだ。何を懼れるか?」 これにおいて太后に知報告し、王沈、王業は奔しって文王に告げる。文王はために備えられた。帝は僮僕數百を率いて軍鼓を鳴らして出で、文王の弟の屯騎校尉は帝と東の止車門で遭遇し左右を叱責した。奔走した。中護軍の賈充は帝と南闕下で戦い、帝は自ら抜劍する。退ぞかんとする。太子舍人の成濟は充に問うて曰わく「事は急です。いかがいたしますか?」充は曰う「汝等を養ってきたのはまさに今日のためだ。今日の事は問わない」濟は即わち帝を刺す。刃は背まで出た。文王は聞いて大いに驚ろき、自ら地に投げ捨て曰った「天下は我を何というだろうか!」太傅の司馬孚は奔ってきて帝を抱き寄せて哭す。「陛下を殺したのは臣の罪です」《三国志魏書三少帝紀高貴鄉公髦に引く漢晉春秋》王沈、王業は文王に告げ、尚書の王經は出でず。王沈、王業はその意を理解した《三国志魏書三少帝紀高貴鄉公髦に引く世語》王沈、王業は將に出でて王經を呼ぶ。王經は從わず「あなたがたは行きなさい!」《三国志魏書三少帝紀高貴鄉公髦に引く晉諸公贊》成濟は賈充に問うて曰わく「事は急です。いかがか?」充は曰う「公が汝等を養ってきたのは今日の事のためだ。何を疑うか!」濟は曰う「畏まりました」そうして刃を犯す《三国志魏書三少帝紀高貴鄉公髦に引く干寶晉紀》戊子の夜、帝は自將從僕射李昭、黃門從官焦伯等下陵雲臺,鎧仗授兵,欲因際會,自出討文王.會雨,有司奏卻日,遂見王經等出黃素詔於懷曰:「是可忍也,孰不可忍也!今日便當決行此事.」入白太后,遂拔劍升輦,帥殿中宿蒼頭官僮擊戰鼓,出雲龍門.賈充自外而入,帝師潰散,猶稱天子,手劍奮擊,莫敢逼.充帥厲將士,騎督成倅弟成濟以矛進,帝崩于師.時暴雨雷霆,晦冥.《三国志魏書三少帝紀高貴鄉公髦に引く魏氏春秋》賈充は帳下督の成濟を呼んで言う「司馬家が敗れたならば、汝等はどうなるかわかっているのか?どうして出擊しない!」成倅兄弟二人は帳下の人を率いて出で顧みて曰わく「殺しますか?捕らえますか?」と聞いた。充は「殺せ」と言った。交戦すると帝は「武器を棄てろ!」というと、大將軍の兵士は皆武器を棄てた。が成濟兄弟は帝を刺す。帝は車の下に転げ落ちた《三国志魏書三少帝紀高貴鄉公髦に引く魏末傳》 庚寅、太傅の司馬孚、大將軍の司馬昭、太尉の高柔、司徒の鄭沖は稽首して言った。「故高貴鄉公は道に逆らって自ら大禍に落ちました。漢の昌邑王が罪を得て廢された故事にならい民禮をもって葬送します。臣等もまた禍亂を救い匡正できませんでした。臣等は伏して申しますに殿下の仁慈を慮って,大義はあると申しましてもなお哀れにして臣等も忍びず、恩を加えて王禮をもって葬送します」太后は之に從った《三国志魏書三少帝紀高貴鄉公髦》 丁卯、高貴鄉公を洛陽の西北三十里瀍澗之濱に葬る。車は數乘以下で旌旐を設けず。百姓は相集まって之を観る。「是は前に殺された天子様だ」或ものは面を覆って泣いた。《三国志魏書三少帝紀高貴鄉公髦に引く漢晉春秋》 使持節行中護軍で中壘將軍の司馬炎を遣わして常道鄉公璜を迎えさせ明帝の後を継がせる。《三国志魏書三少帝紀高貴鄉公髦》 癸卯、大將車は相國、晉公、九錫之寵を固く辞退する。太后は詔してその功を明らかにする。《三国志魏書三少帝紀高貴鄉公髦》 戊申、大將軍の司馬昭は上言し「高貴鄉公は從駕人兵を率いて拔刃し金鼓を鳴らして臣に向かってきました。懼れおおくも兵刃は相接し、將士が傷害するところとなりました。令に違えたものを軍法に照らし、騎督の成倅の弟で太子舍人の濟は公を傷つけ落命させました。濟を捕らえ軍法を行い、臣聞人臣之節,有死無二,事上之義,不敢逃難.前者變故卒至,禍同發機,誠欲委身守死,唯命所裁.然惟本謀乃欲上危皇太后,傾覆宗廟.臣忝當大任,義在安國,懼雖身死,罪責彌重.欲遵伊、周之權,以安社稷之難,即駱驛申,不得迫近輦輿,而濟遽入陳間,以致大變.哀怛痛恨,五內摧裂,不知何地可以隕墜?科律大逆無道,父母妻子同產皆斬.濟凶戾悖逆,干國亂紀,罪不容誅.輒侍御史收濟家屬,付廷尉,結正其罪.」[一]太后詔曰:「夫五刑之罪,莫大於不孝.夫人有子不孝,尚告治之,此兒豈復成人主邪?吾婦人不達大義,以謂濟不得便為大逆也.然大將軍志意懇切,發言惻愴,故聽如所奏.當班下遠近,使知本末也《三国志魏書三少帝紀高貴鄉公髦》成濟兄弟は不即伏罪,袒而升屋,醜言悖慢;自下射之,乃殪《三国志魏書三少帝紀高貴鄉公髦に引く魏氏春秋》 六月癸丑、詔して曰わく「古の人君の名は字を為すに、犯し難い諱に変えたものだ。今、常道鄉公の諱字は甚だ避けにくい。朝臣は博く議論し奏上せよ」《三国志魏書三少帝紀高貴鄉公髦》 六月甲寅、洛陽に入り皇太后に会う。即日太極前殿において皇帝位を継ぐ。大赦。年を改める。民に爵位と穀帛を賜い格差があった。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 景元元年夏六月丙辰、大将軍の司馬師の位を進めて相国と為す。晋公に封ず。二郡を加封し前のと合せて十に満つ。九錫之礼を加える。詔に曰く諸族從子弟で未だ侯に無いものを皆亭侯に封じ、錢千萬、帛萬匹を賜う。司馬師は固く讓り沙汰止みとなる《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 己未,故漢献帝夫人節が薨ず。帝は華林園に臨み、使者に節を持たせ夫人を献穆皇后と追諡する。葬礼車服の制度は皆漢氏の故事に則った。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 癸亥、尚書右僕射の王觀を司空と為す。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 冬十月、王觀が薨ず《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 十一月、燕王(曹奐の父)が冬至の賀を上表し、臣と称す。詔曰:「古之王者,或有所不臣,王將宜依此義.表不稱臣乎!又當為報.夫後大宗者,降其私親,況所繼者重邪!若便同之臣妾,亦情所未安.其皆依禮典處,當務盡其宜.」有司奏,以為「禮莫崇于尊祖,制莫大于正典.陛下稽德期運,撫臨萬國,紹大宗之重,隆三祖之基.伏惟燕王體尊戚屬,正位藩服,躬秉虔肅,率蹈恭德以先萬國;其于正典,闡濟大順,所不得制.聖朝誠宜崇以非常之制,奉以不臣之禮.臣等平議以為燕王章表,可聽如舊式.中詔所施,或存好問,準之義類,則『(宴)[燕]覿之(族)[敬]』也,可少順聖敬,加崇儀稱,示不敢斥,宜曰『皇帝敬問大王侍御』.至于制書,國之正典,朝廷所以辨章公制,宣昭軌儀于天下者也,宜循法,故曰『制詔燕王』.凡詔命、制書、奏事、上書諸稱燕王者,可皆上平.其非宗廟助祭之事,皆不得稱王名,奏事、上書、文書及吏民皆不得觸王諱,以彰殊禮,加于后.上遵王典尊祖之制,俯順聖敬烝烝之心,二者不愆,禮實宜之,可普告施行《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 十二月甲申、黃龍が華陰縣の井戸の中に観られた。《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 甲午、司隸校尉の王祥を司空と為す《三国志魏書三少帝紀陳留王奐》 誕生者 死没者 曹節:献穆皇后。曹操の娘。献帝の皇后。