約 47,165 件
https://w.atwiki.jp/ng3ggc/pages/4202.html
名稱:賈逵 伺服器及顏色:6服綠類型:武 性別:男 生命值:621 武力:43 智力:11 防禦:17 敏捷:39 運勢:20 敘述:賈逵字梁道,河東襄陵人也。祖父習,口授逵兵法數萬言。逵少孤家貧,初為郡吏,守絳邑長。郭援攻,逵堅守,後城潰俘,以義眾請免,計議據皮氏於郡守,得無敗。除澠池令。曹操善逵,拜諫議大夫,與夏侯尚並掌軍計。及操崩,逵典喪,斥曹彰莽,曹丕即位,拜豫州刺史。躬勤於職,賜關內侯。征吳破呂範於洞浦,封陽裏亭侯,加建威將軍。開直道臨江,明帝嘉之。太和二年伐吳,據夾口迎曹休,休得以生還。嘉禾三年薨。
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/262.html
カキ 列伝 賈習の孫。賈充の父。魏の諫議大夫。 【演義】 曹操の死後、大軍を率いて上京した曹彰をいさめ、兵権を返上させた。その後、予州刺史となり江東の警戒に当たる。周魴が曹休に投降した時、降伏は偽りで曹休を誘い出す計略だと見抜くが、曹休に聞き入れられなかった。誘いに乗って出陣した曹休が石亭で敗れると、伏兵がいると見せかけて呉の追撃を断ち、曹休を救った。 【正史】 祖父から兵法を学ぶ。曹操が馬超を討伐する際、弘農太守に抜擢された。その後、予州刺史となって運河を整備し、呉を征討して洞浦(どうほ)で呂範を破った。 能力値 統率 武力 知力 政治 魅力 総合 軍事能力 統+武 統+武+知 素質 78 61 84 85 75 383 139 223 順位 90 368 43 39 131 33 221 84 偏差値 59.3 52.4 62.3 62.9 58.2 64.5 55.9 60.9 成長期 維持 維持 維持 維持 維持 - - - 能力持続 短い 短い 短い 短い 短い - - - 兵種 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 適性 A B A B A B 部隊 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 値 58 74 49 72 52 70 56 62 55 60 49 59 順位 231 68 327 128 193 63 293 123 181 45 288 75 偏差値 55.1 62.0 52.3 58.3 55.6 62.3 52.1 58.2 56.4 63.5 53.7 59.9 部隊攻撃力/防御力は技巧研究を全て終えた時点での値。兵器は木獣、水軍は闘艦。 特技 築城 建設時の効率が二倍 マスクデータ 相性 出身地 起用 戦略傾向 地元執着 義理 野望 漢室 生年 登場 没年 死因 性格 音声 口調 29 司隷 能力 地方統一 臨機応変 3/5 3/5 2/3 177 199 231(55歳) 自然死 冷静 冷静 丁寧 舌戦 得意話題 保有話術 大喝 詭弁 無視 鎮静 逆上 道理 ○ ○ ○ 親愛・嫌悪 状態 武将名 賈逵 親愛 王凌、司馬朗 王凌、司馬朗 嫌悪 なし なし 血縁 世代 ● 1 賈逵 2 賈充 シナリオ シナリオ 年齢 身分 所在 勢力 忠誠 爵位・官職 功績値 配偶者 義兄弟 S1 184年 1月 黄巾の乱 8歳 未登場 洛陽 - - - 0 - - S2 190年 1月 反董卓連合 14歳 未登場 洛陽 - - - 0 - - S3 194年 6月 群雄割拠 18歳 未登場 洛陽 - - - 0 - - S4 200年 1月 官渡の戦い 24歳 未発見 洛陽 - - - 0 - - S5 207年 9月 三顧の礼 31歳 一般 洛陽 曹操 100 - 3000 - - S6 211年 7月 劉備入蜀 35歳 一般 洛陽 曹操 100 - 6000 - - S7 225年 7月 南蛮征伐 49歳 一般 汝南 曹丕 100 安西将軍 24000 - - S8 251年 1月 英雄集結 - 未発見 洛陽 - - - 0 - - S9 198年 1月 呂布討伐戦 22歳 未発見 洛陽 - - - 0 - - S10 203年 1月 袁家の戦い 27歳 一般 洛陽 曹操 100 - 0 - - S11 217年 7月 漢中争奪戦 41歳 一般 汝南 曹操 100 安国将軍 17000 - - S12 187年 4月 何進包囲網 11歳 未登場 洛陽 - - - 0 - - S13 191年 7月 序を制する者 15歳 未登場 洛陽 - - - 0 - - S14 251年1月 女の戦い 未発見 汝南 - - - 0 - - 登場時期的な事もあり、特技「築城」は非常に重要。 特にS6では、武将の質に勝る劉備軍を押さえる為に多種多様な施設が必要になる。 同じ築城持ちの婁圭の寿命が近い事もあり、賈逵の築城の有無で防衛の難易度が劇的に変わる。 特にS6の曹操軍で、襄陽を守れるか否かは死活問題なので、シナリオ開始直後に賈逵を襄陽に飛ばしてしまってもいい。 -- (名無しさん) 2010-05-22 22 55 49 特技研究で既に築城持ちが多いときは(CS版のS1、2など)知力を鍛えておくのもいい。統率高めで武力もそこそこあるので、工夫次第で使いやすい武将になる。満寵みたいなものか? 前線に橋頭堡を確保したい時には重宝する便利屋さん。 -- (名無しさん) 2010-06-23 07 33 29 能力・適性はオールマイティ。統率か武力を上げるのがおすすめ。寿命もそこそこ。 これで騎兵Sなら建設隊として優秀だったのだが、Bなのでイマイチ。槍兵を率いて耐久の低い建造物(太鼓台や壁など。) 兵器Aも良い。兵器を率いるなら、ぜひ脳筋のお供に。 -- (名無しさん) 2011-03-24 20 18 49 ↑正直建設隊には適性は必要ないし、騎兵で出て問題無いかと。 -- (文帝) 2011-03-31 18 35 14 文帝さん、ご指摘ありがとうございました。 -- (江陵) 2011-03-31 18 45 18 あらゆる場面で活躍できる名将。特技を生かした建設隊、内政に十分な政治、副将として防計担当、適性も悪くなく、使っていくうちにSになるだろう。 二流武官ほどはある統率に、最悪一人で出陣できる武力もある。優秀な子がいるのも魅力。 -- (名無しさん) 2011-06-05 07 37 43 他の築城持ちにも言えるが、PKになって築城が結構簡単につけられるようになったせいで価値が低くなってしまったようなw とはいえバランスのとれた能力と適性で活躍の場はいくらでもある。人材の宝庫である魏では副将か文官としての出番が多くなるか。 割と序盤からいて寿命もそこそこなので便利な人材である。 -- (名無しさん) 2014-03-20 21 26 53 嫌悪に曹休が無いのは意外。憎まれていたのは確かなはずだが。 -- (名無しさん) 2016-03-28 01 56 14 演義の中でゴメンナサイしたら許してもらえるんやで -- (名無しさん) 2018-09-07 23 51 08 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/saitowiki/pages/13.html
ウィキペディアより引用します。 読むのが面倒だ!という方は日本における三国志の受容と流行までの文を読んでから 管理人が最後に書くまとめみたいなんでも読んでみてください。 といっても管理人もあまりよんでませんが。 三国志(さんごくし)は、中国の後漢末期から三国時代にかけて群雄割拠していた時代(180年頃 - 280年頃)の興亡史である。“三国志”と呼ばれるのは、ほぼ同時代の歴史家陳寿(233年 - 297年)がこの時代の出来事を記録した歴史書の名前が、『三国志』であることにちなむ。 「三国志」とはその名のとおり、魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)の三国が争覇したことから付いたものであり、三国時代のことを叙述した歴史書が、元蜀の家臣で後に西晋に仕えた陳寿によって『三国志』と名づけられた事に由来する。この時代の曹操・孫権・劉備らが争い合ったことは一般にも良く知られている。 その後、歴史書の『三国志』やその他の民間伝承を基として唐・宋・元の時代にかけてこれら三国時代の三国の争覇を基とした説話が好まれ、その説話を基として明の初期に羅貫中らの手によって『三国志演義』として成立した。 「三国志」の世界は『三国志演義』を基としてその後も発展を続け、世界中に広まった。 日本における三国志の受容と流行 正史の受容 『三国志』の伝来時期は正確には判明していないようである。 天平宝字4年(760年)に成立した『藤氏家伝』大織冠伝には蘇我入鹿の政を「董卓の暴慢既に國に行なはる」と批判する記述があり、すでに董卓の奸臣としてのイメージが形成されていた事が窺われる。 天平宝字4年淳仁天皇は舎人6人を大宰府に遣わして吉備真備の下で「諸葛亮八陳」「孫子九地」といった陣法を修得させている(『続日本紀』巻23)。 神護景雲3年(769年)称徳天皇が大宰府の請に応じて『史記』『漢書』『後漢書』『三国志』『晋書』を下賜している(『続日本紀』巻30)。これらの史書が日本国内に普及する過程を示す一例である。 藤原佐世が撰述した平安初期の漢籍目録『日本国見在書目録』には[2]当時の日本に存在した後漢時代の史料として『東観漢紀』『後漢書』『三国志』『後漢紀』『帝王世紀』を挙げる。また、平安末期の藤原通憲(信西)の『通憲入道蔵書目録』には「『魏呉蜀志』二十帖」があり、藤原頼長は読了した漢籍として「『三国志』帝紀十巻」を挙げている(『台記』巻3・康治2年(1143年)9月29日条)。 『太平記』巻20「斉藤七郎入道々献占義貞夢事付孔明仲達事」(西源院本の事書)には、大蛇に変身する夢を見た新田義貞が吉夢であると喜ぶが、斉藤道献は密かに大蛇を「臥竜」諸葛孔明の奮闘と無念の死に重ね合わせ、燈明寺畷での義貞の戦死を予感するという描写がある。この物語は曹操・劉備存命中に五丈原の役が起こるなど、史実や演義などと異同がある上孔明の出廬の場面も潤色されており、日本でアレンジされた一つの三国志物語とも言える。 中世以降、五山の学僧や江戸の漢学者は主に朱子学に基づき三国志の人物を論評した。諸葛亮が「王佐の才」を有するか否かについて鵜飼石斎はこれを肯定し、伊藤仁斎はこれを否定した[3]。 林鵞峰以降、江戸期の漢詩の題材としても三国志の人物が好まれ、特に関羽と諸葛亮が至忠の烈臣として讃えられた[4]。明治期の土井晩翠の新体詩「星落秋風五丈原」(明治32年(1899年)『天地有情』所収)もこの伝統を踏まえたものである。 明治以降の正史に基づいた史伝として内藤湖南『諸葛武侯』(東華堂 1897年)、吉川幸次郎『三国志実録』(筑摩書房 1962年)がある。また陳舜臣『秘本三国志』などの小説の一部には正史の記述が取り入れられている。しかし、吉川三国志などの急速な普及により三国志といえば、『三国志演義』の物語を指すのが通常であった。 状況が一変するのは『世界古典文学全集24 三国志』全3巻(筑摩書房 1977年 - 1989年)で『三国志』が初めて日本語訳され、1993年に文庫版が発売されてからである。これにより、一般の三国志愛好家が正史を読むことができるようになり、多くの人々が『三国志演義』により固定化されていたイメージに疑問を持つようになった。これ以後、正史を基礎とした三国志の解説書が多数登場し、漫画やゲームなどにも正史を基にした作品が現れるようになる[5]。ただし、これらの作品はいずれも横山三国志(漫画家横山光輝)など従来の演義ベースの設定に拠っている部分も多く(特に人物の外見や武具など)、純粋に正史に基づいた作品というよりは、演義に基づいた三国志ブームの中で人物設定や出来事など一部の事柄を正史に基づいて再構成したという意味合いが強い。 三国志演義・大衆文化の受容 『三国志演義』の伝来時期は確定されていないが、江戸初期には『演義』受容の記録が漸く増加し、詩文などの中に演義の影響を受けたものも見られる。[6]林羅山は慶長9年(1604年)までに『通俗演義三国志』を読了した[7]。また、元和2年(1616年)に徳川家康の遺志により駿府の文庫から水戸藩・尾張藩へ移された書籍の内に『演義』があった[8]。 『三国志演義』の日本語訳として、元禄2年(1689年) - 5年(1692年)に湖南文山(『大観随筆』によれば天龍寺の僧義轍および月堂の筆名)『通俗三国志』が刊行される。これは日本語完訳された初めての外国小説であり、満州語版に次いで2番目の外国語訳『三国志演義』である[9]。同書は以後も再刊を繰り返し、葛飾戴斗(葛飾北斎の弟子))の錦絵を付した池田東雛亭編『絵本通俗三国志』(天保7年(1836年) - 12年(1841年刊)が人気を博し、明治には幸田露伴『新訂通俗三国志』(東亜堂書房 1911年)がある。 明治以後には『通俗三国志』以外にも諸種の訳が現れ、明治期には久保天随『新訳演義三国志』(至誠堂 1912年)が名高い。戦後は小川環樹・金田純一郎『三国志』(岩波文庫 1973年 改版88年)、立間祥介『三国志演義』(平凡社 1958年、徳間文庫 1983年)、井波律子『三国志演義』(ちくま文庫 2003年)、渡辺精一『新訳三国志』(天・地・人の巻 講談社 2000年)があり、これらの訳本は改稿・重版を経て現在も通行している。 『通俗三国志』の刊行以後、大衆文化にも三国志が普及し歌舞伎においては早くも文化8年初演「助六由縁江戸桜」に「『通俗三国志』の利者関羽」という台詞が出る。また万延元年初演「三人吉三廓初買」では「桃園ならぬ塀越しの、梅の下にて」義兄弟の契りを結ぶ場面がある。また元文2年初演の作品に「関羽」というそのものずばりの題名もある。近年では市川猿之助のスーパー歌舞伎『新・三国志』がある。 洒落本では夢中楽介の『通人三国師』(天明元年(1781年)刊がある。劉備が吉原で料亭を営むところに借金を抱えた孔明が転がり込み、さらに仲達が押し掛けるが孔明の計略で撃退される、という筋立てである。このような三国志のパロディは文人のみならず読者層にも三国志の物語が広く敷衍していたことを示すもので、江戸人の『演義』読解への熱意を見出す見解がある[10]。 曲亭馬琴は羅貫中ら中国の小説家を崇敬し自らを羅貫中になぞらえており、読本の表現手法において『三国志演義』に負うところが大きい[11]。その一方、随筆においては関羽に対する辛らつなコメントを残している。 戦国の人物を三国志の登場人物になぞらえることも行われ、竹中半兵衛は諸葛亮に擬せられ[12]、豊臣秀吉・徳川家康は諸葛亮の智謀・関羽の勇を兼備した武将と評された[13]。 明治以後は『三国志演義』をもとにした時代小説も多く現れるようになり、児童向けの野村愛正『三国志物語』(大日本雄弁会講談社 1940年)などがあるが、戦後の三国志ブームの礎となったのが吉川英治の新聞小説『三国志』(『台湾日日新報』等に連載。単行本は大日本雄弁会講談社 1948年・六興出版 1956年)である。戦闘シーンなどの冗長な描写を省き、人物像にも独自の解釈を取り入れた格調高い歴史文学として評価されている。また、中国人と日本人との感性の差を考慮し、日本人にとって受け入れがたいエピソード(劉備をもてなすのに劉安が妻を殺してその人肉を提供するなど(鉢の木のエピソードの原型版))に作者のコメントを寄せるなどの改変を行っている。それまで単なる悪役扱いだった曹操を、人間味あふれる乱世の風雲児として鮮やかに描いているのが特徴である。日本では、吉川三国志が事実上の底本となっている。これ以後柴田錬三郎『三国志』(鱒書房 1955年)『柴錬三国志 英雄ここにあり』(講談社 1975年)『柴錬三国志 英雄生きるべきか死すべきか』(講談社 1977年)[14]、陳舜臣『秘本三国志』(文藝春秋 1974年)『諸葛孔明』1991年 『曹操』1998年(各.中央公論社 のち同文庫)、北方謙三『三国志』(角川春樹事務所 1996年)、安能務『三国演義』(講談社 1999年)、宮城谷昌光『三国志』(文藝春秋 2004年)を代表とする「三国志」小説が次々と登場する。 戦後のメディア作品としては吉川三国志をそのまま漫画化した横山光輝の漫画『三国志』や人形劇の『人形劇三国志』などが高い評価を受けた。また、曹操を主人公とした漫画である『蒼天航路』も高い評価を受けている。ゲームについては、『三國志シリーズ』や『真・三國無双シリーズ』などがヒット作品となっている。2008年には、ジョン・ウー監督のもとで「赤壁の戦い」をメインにした映画『レッドクリフ』が公開され、ヒット作品となっている。 高度成長期のビジネス競争の過熱の中で、競争を生き抜く知恵や企業のリーダー像の見本として、『孫子』などともに『三国志演義』もしばしば引き合いに出され、『三国志演義』に学べとしたビジネス書が多数刊行された。 1980年代以降、ゲーム・漫画において爆発的な三国志ブームが起き、三国志はジャンルの一つとして定着する。その後今日に至るまで、漫画やゲームや映画やアニメとして多数の作品が出版・製作され、不動の人気を博してきた。また他にも、三国志に出てくる人物の名前やその時代観を基にした、全く違ったものが作られるなど多彩なものと成りつつある。 そしてそれら三国志を題材にした作品は、必ずしも『三国志』あるいは『三国志演義』に忠実なものではなく、大きく改変が加えられているものも多い。特に顕著な傾向として、諸葛亮死後以降の展開については省略が目立ち、晋の統一に至るまで忠実に描き切った『三国志』作品は国内では皆無である。また、「もし、こうなっていたら」という仮定の設定で作られているものや、君主の設定が少し違うもの、あるいは基になっている人物の性別を換えているものなど、多種多様な作品が存在している。 三国志とは蜀の臣下の陳寿という方が記した歴史書だったんですね。 みなさん三国志は吉川三国志やその漫画版 横山光輝の三国志、 あるいはコーエーのゲーム三国志、三国無双。今年はレッドクリフなどの方がほとんどでしょうが ほとんどが三国志演義ベースなんですね。 北方謙三などが正史ベースです。 蒼天航路はどっちかな? えぇ?正史とか演義って何?ってかたは正史と演義を。 興味をもっていただけましたか? このwikiを読み通せばあなたも立派な 三国志オタク!!
https://w.atwiki.jp/sangokushi-taisen/pages/472.html
武将名 賈逵 官職 文官 兵種 弓兵 コスト 1.5 能力 武力4 知力8 征圧力2 特技 防柵 将器 遠弓術 防柵強化 募兵 計略 賈侯渠 敵の武力と移動速度を下げる 必要士気5 武力-? 移動速度-? Ver1.1.0A
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/1181.html
登場時期的な事もあり、特技「築城」は非常に重要。 特にS6では、武将の質に勝る劉備軍を押さえる為に多種多様な施設が必要になる。 同じ築城持ちの婁圭の寿命が近い事もあり、賈逵の築城の有無で防衛の難易度が劇的に変わる。 特にS6の曹操軍で、襄陽を守れるか否かは死活問題なので、シナリオ開始直後に賈逵を襄陽に飛ばしてしまってもいい。 -- (名無しさん) 2010-05-22 22 55 49 特技研究で既に築城持ちが多いときは(CS版のS1、2など)知力を鍛えておくのもいい。統率高めで武力もそこそこあるので、工夫次第で使いやすい武将になる。満寵みたいなものか? 前線に橋頭堡を確保したい時には重宝する便利屋さん。 -- (名無しさん) 2010-06-23 07 33 29 能力・適性はオールマイティ。統率か武力を上げるのがおすすめ。寿命もそこそこ。 これで騎兵Sなら建設隊として優秀だったのだが、Bなのでイマイチ。槍兵を率いて耐久の低い建造物(太鼓台や壁など。) 兵器Aも良い。兵器を率いるなら、ぜひ脳筋のお供に。 -- (名無しさん) 2011-03-24 20 18 49 ↑正直建設隊には適性は必要ないし、騎兵で出て問題無いかと。 -- (文帝) 2011-03-31 18 35 14 文帝さん、ご指摘ありがとうございました。 -- (江陵) 2011-03-31 18 45 18 あらゆる場面で活躍できる名将。特技を生かした建設隊、内政に十分な政治、副将として防計担当、適性も悪くなく、使っていくうちにSになるだろう。 二流武官ほどはある統率に、最悪一人で出陣できる武力もある。優秀な子がいるのも魅力。 -- (名無しさん) 2011-06-05 07 37 43 他の築城持ちにも言えるが、PKになって築城が結構簡単につけられるようになったせいで価値が低くなってしまったようなw とはいえバランスのとれた能力と適性で活躍の場はいくらでもある。人材の宝庫である魏では副将か文官としての出番が多くなるか。 割と序盤からいて寿命もそこそこなので便利な人材である。 -- (名無しさん) 2014-03-20 21 26 53 嫌悪に曹休が無いのは意外。憎まれていたのは確かなはずだが。 -- (名無しさん) 2016-03-28 01 56 14 演義の中でゴメンナサイしたら許してもらえるんやで -- (名無しさん) 2018-09-07 23 51 08 演技ならダメだけどね -- (名無しさん) 2023-12-13 15 06 11
https://w.atwiki.jp/sanngoku/pages/22.html
諸葛亮の次の天才軍師は? 選択肢 投票 龐統 (26) 司馬懿 (68) 陸遜 (25) (この三国志投票はどれかが50を超えると更新します。) 過去の投票 関羽と張飛、どちらが好き? 50対48で関羽の勝ち! 好きな皇帝は誰ですか? 劉備50 曹操13 孫権4で劉備の圧勝!
https://w.atwiki.jp/sanngoku/pages/63.html
ユーチューブ三国志ビデオ レッドクリフ予告編part1 レッドクリフ予告編part2 未来への最終決戦 三国志人形劇 三国無双4ムービー
https://w.atwiki.jp/sfc_sangokushi/pages/20.html
三国志DSのメモです。 使える戦技 戦闘戦技 突撃 騎馬突撃 三国志3であった突撃する側のデメリットが感じられない。その代わり武力影響が強い。 地形効果も乗るので、武力の高い武将で地形効果の有利な場所からの突撃がめっぽう強い。 習得経験値獲得方法 戦争+2、訓練・準備+1。ただし訓練と準備は効果なしだと経験値0。複数で訓練・準備する場合は誰かが上昇すれば全員上がる。ただしその場合でも兵士0の武将は上がらない。 用兵戦技 一斉 次点で一斉射撃、連弩 武力が高いのに一斉がない武将はほしいが、政治が低いと内政に使えなくて習得が難しい。張飛とかはあきらめた方がいいか。 一斉射撃は敵部隊が多ければとても役に立つ。まあ大抵誰か持ってる。 城壁越えは持ってれば門を開けるのがほんの少し早くなるけど、わざわざ狙って覚えさせるようなものでもない。 習得経験値獲得方法 開発、耕作、治水、商業+1。 軍学戦技 伏兵 偽令 伏兵は使う機会が主に野戦のみになる上に持ってる武将が少なすぎてあんまり使う機会がない。偽令は知力の高い武将は結構持ってる。経験値取得は簡単だが、わざわざ覚えさせるようなものでもない。 習得経験値獲得方法 ニ虎競食キャンセルで+2を無限に得られる。レベルを一ヶ月でたくさん上げても無駄になるので注意。 捜索でも+2得られる。 掌握戦技 鼓舞 次点で生存術 鼓舞は雑魚が持ってても使える。二人ぐらい鼓舞持ちを兵士1で出陣させておけば士気切れを起こす心配が無い。 生存術持ちもいれば兵糧の節約になる。結構兵糧の消費もバカにはならないので、なくてもいいけどあれば便利。 習得経験値獲得方法 勧告・同盟・褒美+2、交換・共同作戦・施し+1。 感想 突撃・騎馬突撃が強すぎる。 三国志3では武力にはあまり意味がなかったのだが、DSでは武力の高い武将が突撃すると異常に強い。地形効果ももちろん乗るので良い地形から突撃するとめっぽう強い。知力だけが高く武力の低い武将は紙のように引き裂かれる。 またさらに反則的なのが騎馬突撃で、城に陣取って四方八方へ突撃できる。城から城への突撃ができる都市も多くあり、そういう都市だと城に対してもめっぽう強い。 兵科はとにかく騎馬が強い。弩も一斉射撃は固まっていればかなり強いし連弩はちょっと士気消費が重すぎるとはいえそこそこ強いのだが、弩は自分の地形効果が乗らないのに対して騎馬突撃は乗るのでめっぽう強い。例外として連射持ちが弩を使えばとても強いが、関羽と司馬懿しか持っていない。 なお、騎馬突撃も突撃も攻撃力は体感としては変わらない気がする。 通常攻撃や一斉攻撃は相手の兵士数が少なくなると減りが少なくなる仕様なので、そこらへんも突撃が使いやすいのに拍車をかけてる。
https://w.atwiki.jp/sanngoku/pages/106.html
お気楽三国志日記 三国志日記始めましたの巻 2011 2/21 こんちは~~管理者で~す。いきなりお気楽ですみません。ところで皆さんは三国志好きですか?まぁ好きじゃないと多分このサイト見ないと思いますけどね(・ω・)僕は三国志を 愛してやまないです。(=Д=)特に諸葛亮大好き!!ヽ(^。^)ノみじかいですけどここらへんで終わります。バイバイ(/_;)ノシゥゥ 三国志とは奥が深いの巻 2/23 こんちは~いやぁ~三国志とは奥が深いですね~。え?なぜかって?そりゃぁ蜀が長安まであと一歩という所で雨が降ったりしたり、呉がいきなり裏切って関羽が死んだりして…人生もそんなもんですかね。例えば、親友だと思っていた人がヤクザのボスだったり(?) まぁ三国志と同じように人生は何が起きるか分かりませんね。じゃ、そういうことで~ 更新遅れてすみませんの巻 3/5 いやぁ更新遅れてすみません。m(_ _)mちょいとした理由がありましてね・・・ 許してくださいまし。。。じゃぁそういうことで~ ってだめですよね(笑)理由を教えないと。実は三国志読みまくっていて全く忘れてました。すみませ~ん。 もうこの日記の存在忘れてましたの巻 3/29 いきなり衝撃発言でごめんなさいwwできれば更新していきますんでヨロシク! ところで僕最近三国志11というゲームにはまってます。とってもおもしろいんで買ってね!(こ、これは宣伝ではないですよ(汗)) ほぼ壊滅状態の巻 2012 2/4 久しぶりに自分のサイトを覗いてみたら・・・ なんとこの日記があるのを思い出しましたぁ テヘッ☆ 次回予告ですが、一ヶ月ぐらいで更新したいと思います。 そろそろ勉強のほうもあるからなぁ・・・ 一ヶ月で更新なんて出来るかの巻 6/13 一ヶ月で更新だぁ? 絶対無理です。(´・з・`) 一年に一回更新できたら良いぐらいな感じで・・・ あ、それとハンゲーム様のブラウザ三国志って知ってますか? やってみたいんですけどどんな感じか教えてくださいorz デハデハ
https://w.atwiki.jp/genso3594/pages/14.html
1:『三国志』って何? 語ると長いが、『三国志』自体は中国の歴史書の名前である。著者は陳寿(字は承祚。232-297。三国~晋の時代に生きてた人)。 裴松之(372-451)という人が後になって異説や民間伝承などを注釈として入れ、現存する今の形になっている。 この注釈部分が後に出る『三国志演義』に大きな影響を与えた。 『三国志』は、中国後漢・三国時代を紀伝体という書き方でまとめたもので、中国歴代正史の一つ。 その名の通り、中国大陸を「魏」・「呉」・「蜀」と三つに分けた時代の成り立ちから末路までを著している。 魏が30巻、呉が20巻、蜀が15巻の全65巻。 漢(後漢)の皇帝から禅譲(全く血の繋がらない貴方に皇帝の座を譲ります、ということ)された「魏」を正当な王朝としている。だから巻数も多い。 後漢が名ばかりの国となり群雄割拠の時代に入る。その中から飛び出した「曹操」・「孫権」・「劉備」が「魏」・「呉」・「蜀」という国をそれぞれ建国し、その後三国時代からその末期までを時代に生きた人物伝で追うことができる。 余談だが、「漢」という字自体中国に関することを表す。「漢方」・「漢字」・「漢文」など。 2:劉備が主人公?曹操って悪い奴って聞いたけど? そうではない。そんなのは人それぞれの感じ方次第だと言いたいが、文学の影響は絶大である。 何故、こんなイメージがついてしまったか。 全ては『三国志演義』にある。 『三国志演義』は中国明の時代(1368-1644)に出来た全120回の長編小説で、羅貫中( 施耐庵)という人がまとめた。 漢の皇帝の血を引いている(と言っても何十人といた皇帝の子供の末裔)劉備が、草鞋売りから一念発起して戦いと放浪の果てに今の中国四川省を中心に「蜀(蜀漢)」という国を作って、劉備が亡くなると臣下の諸葛亮が劉備の思いを叶えようと必死に頑張る姿が描かれている。 有名な横山光輝の『三国志』も、『三国志演義』をベース(吉川英治ベース)にしている。 だから劉備が主人公で、曹操がライバルとして描かれているのだ。 一言で「三国志」といってもごちゃごちゃになるので、『正史』・『演義』と区別することがある。ただ、基本的に「三国志」といったら『正史』を示す。 語弊があるかもしれないが、『三国志』が原作で、『三国志演義』が二次創作、と言えば分かりやすいか。 ちなみに。 『演義』の内容を正史だと言わんばかりに熱く語ると、痛い奴だと思われるし、笑われるので気を付けよう。 でも、『正史』が全て正しい訳ではないので、その点も注意しよう。(「正史」というのは、皇帝から正式に認められた史書という意味だよ) 3:三国志のゲームってどうなってるの? 『幻想三国志』で使用されているゲームは、KOEI(旧光栄。2ch内では”肥”と呼ばれる。面倒なのでここでも肥で)から出ている三國志シリーズ第9弾『三國志9』(PCPK版)。 PS2でも出ているが、顔グラの変更ができない。 基本的に三国志演義準拠。ただし、正史にしか登場しない人物も出てくる。能力値などは5作品目くらいから正史要素も含まれ始めた。 詳しいシステムについては三國志9の基本システムで述べるが、プレイヤーが君主となり、国を育て繁栄させる内政や、自国を守ったり他国の領土を奪う戦争、他国との外交、他国への計略などを指示する。で、領土を広げ、全ての都市を攻略し大陸統一を果たして終了。 シリーズによっては、プレイヤー=君主ではないものもある。三國志に出てくる全ての武将から一人選んで操作。つまり自分の分身。君主になるもよし、軍師を目指すのもよし、友達100人目指すのも、引き篭もりニートでもよし。 しかし、このシステムのシリーズは、大体売り上げと評判がわr(ry ちなみに、これから買う方に注意。 肥の歴史戦略ゲームシリーズには必ず「本体」とその後に出る「PK」がある。「PK」とはパワーアップキットの略。 「本体」の追加要素として販売されるが、実はコイツが曲者。 「本体」ではいろいろと不具合の多かった部分が改善されたり、面白システムが追加されていたりする。 『三國志9』でいう「抜擢武将システム」がいい例。 なので、「本体」だけでは絶対に後悔する。試作品とまで言われているくらいだ。なので、必ず「PK」と一緒に買うこと。 そして、肥のサイトへ行ってバグの修正(パッチをあてる)をしよう。 「本体」だけでは絶対に満足させず(人はこれを手抜きといふ)、「PK」を買わせる。これが『肥商法』である。 キタネーヨ、と思わせつつも、ついつい買うのが三國志ゲームファン。 歴代の三國志ゲームを続けているつわものは皆、この道を歩んでいる。 4:結局、歴史なんて難しすぎてワカンネーヨ 待て、慌てるな。これは孔明の(ry という、この孔明も三国志の人物である。 歴史は後世の人物が綴ったものであり、100%真実ではない。それを読んだ人間によって感じ方は様々。また、古ければ古いほど史料の残存率は低く、結局は想像と憶測でしか語れない部分も少なくない。 管理人の個人的意見だが、もし、『幻想三国志』の動画を見て『三国志』に触れたくなったら、吉川英治の「三国志」をまずお勧めする。北方謙三や横光もお勧め。 「お勧め三国志」という項目も作ったので、自分にあった三国志入門書が見つかると思う。 それから『正史』に触れて欲しいな。いきなり『正史』は難しいよ。 ▲ 上へ