約 1,859,515 件
https://w.atwiki.jp/texas/pages/52.html
歴史のアレ。詳しくはしらね。 kjとテキサスが大好き。三国志に関しては素晴らしい知識をお持ちのようだ。 二人ともパソゲーの三国志をプレイ。 kjにいたっては、ゲーム上で膨大な時間を割いて、”三国状態”を作り上げた。
https://w.atwiki.jp/planpg/pages/62.html
三国志企画 三国志のパラレル企画。 2007年秋頃に終了した(?) インデックスページは消えているが、直リンクバナーはいまだ使用可能の様子。 内部のページが残っている可能性も有。 tp //cult.jp/359/
https://w.atwiki.jp/5931/pages/255.html
【志】系統に戻る. 志11(埼玉県志木地区) 起点 経由 終点 新設・変更 廃止・変更 担当営業所 備考 (1) 志木駅北口 水道道路入口・末無川・朝霞駅南口 花の木 1976年12月16日新設 1981年4月1日変更 川越営業所志木分車庫 (2-1) 志木駅北口 水道道路入口・末無川・朝霞駅南口・花の木 丸沼 1981年4月1日変更 1993年3月16日変更 丸沼発着へ変更 (2-2) 1993年3月16日変更 1998年4月16日変更 西浦和営業所 西浦和へ移管 (3) 志木駅北口 水道道路入口・末無川・朝霞駅南口・花の木・丸沼 湯~ぐうじょう 1998年4月16日変更 2000年2月25日変更 湯~ぐうじょう発着へ変更 (4) 志木駅東口 水道道路入口・末無川・朝霞駅南口・花の木・丸沼 湯~ぐうじょう 2000年2月25日変更 2003年11月16日廃止 志木駅東口発着へ変更 路線解説 志11といえば基本的には埼玉県(志木)に存在したこちらの志11の方がピンとくる方が多いと思うが、路線としては湯~ぐうじょう開業による延伸と、朝霞駅経由で志木駅を結ぶ路線で、志02(志木駅北口→末無川→朝霞駅南口→新開入口→西浦和車庫)と共に運行していた。2003年11月の大規模再編によって朝霞駅を貫く路線が湯~ぐうじょうでの食入と西浦和営業所への出入庫を除いて朝霞駅南口で分断され、志11は北側が朝50(1)(朝霞駅南口-湯~ぐうじょう)、南側が朝11(朝霞駅南口-水道道路入口-志木駅東口)へ代替廃止されたほか、湯~ぐうじょう始発の片道運行のみ朝51(湯~ぐうじょう→朝霞駅南口→水道道路入口→志木駅東口)として継続することとなった。 朝霞駅発着路線のコマ不足による方向幕共用表(2003年11月16日当時) 系統番号 起点 主要経由地 行先 方向幕共用系統 共用系統との重複区間 路線廃止日 備考 朝11 朝霞駅南口 末無川→水道道路入口 志木駅東口 朝51 全区間 現在運行中 (旧)志11 志木駅東口 水道道路入口→末無川 朝霞駅南口 朝12 水道道路入口→朝霞駅南口 朝12 朝霞駅南口 末無川→水道道路入口 朝霞台駅 朝52朝52-3 全区間 2021年3月16日 土曜・休日運休 朝霞台駅 水道道路入口→末無川 朝霞駅南口 朝11 水道道路入口→朝霞駅南口 朝13 朝霞駅南口 末無川/緑ヶ丘 朝霞駅南口 - - 現在運行中 (旧)朝41朝霞南口循環(系統番号表示) 朝50 朝霞駅南口 花の木 湯~ぐうじょう(内間木) - - 現在運行中 (旧)志11共用系統は無いが番号表示無し2008年4月1日より朝霞駅東口発着へ変更「湯~ぐうじょう」は2015年10月1日に「内間木」へ停留所名称変更 朝50-2 朝霞駅南口 花の木→湯~ぐうじょう 西浦和車庫 朝51-2朝52-2 全区間 2010年2月8日 2008年4月1日より朝霞駅東口発着へ変更朝霞駅を通る入庫系統は全て共通表示 朝51 湯~ぐうじょう 花の木→朝霞駅南口→末無川→水道道路入口 志木駅東口 朝11 朝霞駅南口→志木駅東口 2008年4月1日 (旧)志11 朝51-2 志木駅東口 水道道路入口→末無川→朝霞駅南口→花の木→湯~ぐうじょう 西浦和車庫 朝50-2朝52-2 水道道路入口→西浦和車庫 (旧)志02朝霞駅を通る入庫系統は全て共通表示 朝52 湯~ぐうじょう 花の木→朝霞駅南口→末無川→水道道路入口 朝霞台駅 朝12朝52-3 全区間 (旧)朝43 朝52-2 朝霞台駅 水道道路入口→末無川→朝霞駅南口→花の木→湯~ぐうじょう 西浦和車庫 朝50-2朝51-2 水道道路入口→西浦和車庫 (旧)朝43-2朝霞駅を通る入庫系統は全て共通表示 朝52-3 新開入口 湯~ぐうじょう→花の木→朝霞駅南口→末無川→水道道路入口 朝霞台駅 朝12朝52 湯〜ぐうじょう→朝霞台駅 (旧)朝43-3 志11(東京都志村地区) 起点 経由 終点 新設・変更 廃止・変更 担当営業所 備考 (1) 志村坂上 三軒家・戸田橋・戸田中央通り・蕨駅通り 蕨操車場 志村営業所 路線解説 志11の系統番号は東京都内(志村)と埼玉県内(志木)の両方で使用されており、国際興業管内で唯一の路線重複系統である。都内は志村坂上から戸田橋を渡り、蕨操車場への路線で、表を見ての通り埼玉県乗り入れ路線である。この路線に関する資料が乏しく、運行していたか否かの判断が分かれやすい、1985年10月の埼京線開通による再編と、1990年5月の埼玉地区からの都内乗り入れ路線を対象とした再編の時点で運行系統一覧から外されていたため、1977年の再編時に廃止されたものと思われる。
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/433.html
このページは数あるニコニコ歴史戦略ゲー動画の登場人物について、各動画内での列伝をまとめていくものとして用意しました。 主役級の活躍を見せた人物はもとより、名脇役、好敵手からネタ☆キャラまで幅広く紹介されるページになることを願います。 ここでは三国志の人物について扱います。 参考用リンク先(需要のありそうなものがあれば随時追加推奨) Category 三国志 - Wikipedia :史実についての参考リンク 幻想水滸伝・三国志を知らないけど、興味ある人の為の解説サイト ニコニコ歴史戦略ゲー 武将紹介 公開マイリスト :史実武将紹介動画 武将別解説 - 三国編 :iM@S架空戦記シリーズ補完wikiより三国武将紹介 『三国志の登場人物の一覧』 :ニコニコ大百科での三国志人物項目一覧 武将別伝(三国志) ア行 ハ行 ハ ヒ フ ヘ ホ カ行 カ キ ク ケ コ マ行 サ行 サ シ ス セ ソ ヤ行 タ行 タ チ ツ テ ト ラ行 ラ リ ル レ ロ ナ行 ワ行 楊儀(ヨウギ) 楊修(ヨウシュウ) 羊祜(ヨウコ) 楊儀 (ヨウギ) [部分編集] (?~235)蜀の官僚。字は威公(イコウ)。北伐時には孔明の首席幕僚を務めたが、同僚の魏延との仲が悪かった。孔明の死後全軍を率いて撤退するが、このとき反抗した魏延を討つ。優れた人物だったが狭量であり、同僚の誹謗を繰り返した。ついに庶人に落とされ流刑に処せられても誹謗はやまず、捕縛されて自殺した。 性格の悪さや魏延との関係も有ってか、歴戦界での扱いも良くない。 三國志IX 統率 66 武力 49 知力 83 政治 76 三國志11 統率 68 武力 40 知力 82 政治 79 魅力 23 101匹阿斗ちゃん 【三國志Ⅸ】 +OPネタ要員。 OPネタ要員。サワガシク・ドリョウセマイ・ヨウギ。 とにかく魏延が憎くてたまらない。隙あらば丞相に魏延殺害を吹き込もうとしており、孔明も頭を抱えている。 上へ 楊修 (ヨウシュウ) [部分編集] (175?~219)魏の幕僚、字は徳祖(トクソ)。『四世太尉』という名門の出。曹操が呟いた「 鶏肋 」という言葉を解釈して撤退の準備をした逸話で知られる。その後、曹操の怒りを買い処断された。 演義では「鶏肋」の早合点が曹操の逆鱗に触れたのが原因。史実では曹操の後継者問題に深く関わり過ぎたのが原因と考えられている。 愛称は「鶏肋」、「 鶏 」 三國志IX 統率 14 武力 7 知力 81 政治 81 三國志11 統率 10 武力 4 知力 83 政治 79 魅力 43 101匹阿斗ちゃん 【三國志Ⅸ】 +劉禅軍武将。 劉禅軍に途中加入した軍師。「鶏肋」というよりも「鶏」扱いされている。七匹目で紹介あり。 五匹目で建寧に在野武将として登場、阿斗たちの襲撃を受けて一旦は建寧から逃れることに成功したが、どうしたわけか建寧に戻ってきたしまい、七匹目でとうとう賀斉に捕獲された。助言や外交は微妙に頼りにならない。一人でも多くの道連れを作ろうとしているらしく、人材登用面で大活躍している。 上へ 羊祜 (ヨウコ) [部分編集] (221~278)晋の武将。字は叔子(シュクシ)。先見の明に優れた人物であり、政治・軍事で着実な手腕を振るった。呉の陸抗とは好敵手であり、互いに信義を以って交流した。呉攻略の基盤を整え、後任に杜預を推挙して病死。 三国末期の人物のため、二次創作ではロリ・ショタキャラにされる。愛称「よーこたん」。 三國志IX 統率 87 武力 69 知力 91 政治 86 三國志11 統率 90 武力 64 知力 84 政治 87 魅力 89 精妙/槍兵S,弩兵S,騎兵A,水軍A 騎将張繍の野望 【三国志Ⅸ】 +孔伷軍配下。 名将として知られており、特に陶濬や吾彦ら呉末期の武将達は大いに驚いた。しかし主君の孔伷が彼を使いこなせず、目立った活躍も無く孔伷軍は滅亡した。戦後、保身に走り処刑されかけた孔伷の助命を嘆願した。 上へ 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/sangokushi_jiseki/pages/18.html
石苞[仲容] 沮授 蘇則[文師] 曹叡[元仲] 曹休[文烈] 曹洪[子廉] 臧洪[子源] 曹真[子丹] 曹仁[子孝] 曹操[孟徳] 曹丕[子桓] 孫資[彦龍] 孫静[幼台] 石苞[仲容] ?~272 最高官位:司徒 『晋書』立伝 博学で心が広く、容姿や立ち振舞も優れていた 「政」 人物眼のある趙元儒に、高官に昇る才能と評価された (政) 司馬師が石苞を任用すると、その素行が悪いと聞いて司馬懿は司馬師を咎めたが、司馬師は「振る舞いは不十分だが、国家を経営する知恵と計略を持っている」と庇った (知・政) 権勢を誇った丁謐を弾劾し、称賛を浴びた 「政」 東莱や瑯邪の太守を歴任し、どの任地でも威恵があった 「政」 司馬昭が東関の戦いに敗北した時、石苞のみ指揮下の兵に損害を出さず、撤退に成功した 「統」 諸葛誕の乱時、青州の諸軍を統率し、州泰らを監督した 「統」精鋭を選んで遊軍となり、呉の朱異と丁奉を迎え撃って、大勝した 「統・武」 陳騫と共に、曹奐を禅譲に至らせた 「政」 諸葛誕の乱以降、淮南を鎮撫し、軍は強勢を誇った。辺境で多事多難の中でも、些細な事柄にまで対処し、人心を集めた 「統」 呉軍の襲来が予告されると水を堰き止めて備えた。司馬炎からは謀反を疑われた 「統」 農蚕に賞罰の制度を設けることを進言した 「政」 司徒の位に在ってその忠勤ぶりを称賛され、司馬炎から厚い信任を得た 「政」 鄧艾と共に郭玄信の御者になると、大臣に昇る才と評価された [鄧艾伝] 知略では陳騫に及ばず、またそれを認めていた [晋書 陳騫伝] 沮授 ?~200 最高官位:都督 袁紹に対して四州を平定し、皇帝を擁立し、天下に号令するよう進言した 「知」 [袁紹伝] 若年から大志を抱き、策謀を持っていた 「知」 袁紹が、長子袁譚を外に出して青州を収めさせると、後継者争いを引き起こすとしてそれに反対した 「知」 袁紹が公孫瓚を撃ち破ると、献帝を迎え入れるよう勧めたが、郭図らの反対に遭い退けられた 「知」 曹操との開戦に反対したが、退けられた 「知」 顔良による白馬攻撃に反対したが、また退けられた。顔良は関羽により撃破された 「知」 袁紹に対し、曹操と短期決戦に臨まず持久戦に持ち込むよう勧めたが、退けられた 「知」 淳于瓊が輸送車を迎えに行くと、別軍を派遣し曹操の略奪を断つよう勧めたが、退けられた。淳于瓊の軍は早々に撃ち破られた 「知」 袁紹が曹操と開戦すると、敗北を予測し、一族に財産を分け与えた 「知」 蘇則[文師] ?~223 最高官位:侍中 『三国志』立伝 若い頃、学問と品行によって名を知られた 「政」 酒泉、安定、武都の太守を歴任し、どこにおいても権威と名声があった 「政」 下弁のテイ族を安定させ、河西に街道を開いた 「政」 人民を精力的に慈しみ、落ち着かせた 「政」 羌族を招き寄せて懐け、牛と羊を手に入れて貧困者や老人を養った。十ヶ月の間に流民は皆帰ってきて、数千軒が行政下に入った 「政」 禁令を作り、違反する者があるとすぐに処刑し、命令に従う者には必ず褒美を与えた 「政」 自ら人民に耕作を教え大豊作を招いた。身を寄せる者は日に日に多くなった 「政」 隴西で李越が反逆すると、羌族を率いて包囲し、服従させた 「統・武」 西平で反逆した麹演を討伐し、降伏させた 「統・武」 昔、富豪の師亮に粗末な扱いを受けたが、安定太守に就任すると彼に謝礼をした 張既は「人民を労わった功績があり、良く蛮族を懐け、忠節を尽くしております」と述べ、爵土を与えるよう進言した (政) 麹演らが再度反乱を起こすと、大軍の到着を待つよりも、早期に攻撃をかけて善人と悪人を離反させるべきと考えた。武威を救援し、三種族の蛮族を降伏させた 「統・武・知」 張進討伐の援軍に訪れたと言う麹演の嘘を見抜き、会見して斬った 「知」 張掖で張進らを斬り、その軍勢を降伏させた 「統・武」 西域や敦煌と交易したいという曹丕の考えに反対した 「政?」 曹丕の狩りで、檻の囲いが抜けて鹿が逃亡した。曹丕は怒り監督の役人を全て斬ろうとしたが、蘇則はそれを諌めた 「政」 曹叡[元仲] 205~239 最高官位:皇帝 『三国志』立伝 博識で、特に法律学に興味を持っていた 「政」 江夏を攻撃した孫権の退却を予測し、救援を送らなかった 「知」 博士を選りすぐり、才能に応じて登用するよう命じた 「政」 家臣に優れた将軍を推挙させた 「政」 魏の国境に侵入した諸葛亮を撃破出来ると判断した 「知」 試験で優秀な者を起用し、道徳の根本に基づかない者を罷免するよう命じた 「政」 諸葛亮と対峙する司馬懿の兵を増員し、麦を守らせた 「知」 老人らを慰問し、穀物と白絹を下賜した 「政」 妻のない男らの、一年間の税を免除した 「政」 公卿に賢良篤行の士を推挙させた 「政」 畢軌に、躊躇いの心を抱いている歩度根を討伐しないよう命じた。畢軌が討伐すると歩度根は反乱した 「知」 些細な罪でも死刑を適用した 「-政」 鞭打ちの制度を削減した 「政」 司馬懿にひたすら防御を命じて、諸葛亮を防がせた 「知」 孫権が合肥を攻めた際、新城の守備の撤去を許可せず、蜀との戦を司馬懿に任せて親征した。張穎らは新城を守り切り、孫権は撤退した 「統・知」 諸葛亮を防ぐため、群臣が長安に行幸するよう進言したが、これを退けた。司馬懿は諸葛亮を防ぎ切った 「知」 宮殿の修理や増築を行って金を浪費し、民衆を酷使した 「-政」 官民の元に嫁いでいる兵士の娘を召し上げ、後宮に入れた 「-政」 死刑は慎重に適用するよう命じた 「政」 長安の鐘などを移動し、銅像などを鋳造した 「-政」 廖化が侵攻してきた際、郭淮に軍の分離を避けるよう命じたが、詔勅が届く前に敗れた 「知」 司馬懿を帰還させるべきという進言を退け、公孫淵を撃破した 「知」 功績を立てた者や有能な者を選んだ 「政」 真実と虚実を取り違えることがなかった 「政」 記憶力に優れた 「政」 直言や人民の上書を受け入れた 「政」 宴に毛皇后を招かず、彼女がそのことを知ると死を賜った。更に秘密を漏らしたということで、側仕えの者を十人以上殺害した 「-政?」 [毛皇后紀] 何晏らを内実に乏しいとして退けていた 「政」 [曹真伝] 蔣済の諌言を退けて遼東を攻撃させ、失敗した 「-知」 [蔣済伝] 曹休[文烈] ?~228 最高官位:大司馬、揚州牧 『三国志』立伝 曹操はいつも征伐のお供をさせ、虎豹騎を率いさせた 「統・武」 糧道を断とうとする張飛に構わず、呉蘭を急襲するよう曹洪に進言した。曹洪が呉蘭を破ると張飛も逃走した 「知」 歴陽で孫権の大将を破った。また別軍を派遣して蕪湖の屯営を焼き討ちした 「統・武」 張遼らの二十余軍を指揮し、洞浦で呂範らを破った(※) 「統・武」 皖で審悳を破った 「統・武」 周魴の偽りの降伏に騙され敵地深く入り込んだ。それに気づいても軍の力を恃んで戦い、敗れた 「-統・-武・-知」 賈逵と仲が悪く、石亭の戦いで助けられたにもかかわらず進軍が遅かったと上奏した。朝廷は賈逵が正しいと承知していたが、曹休は皇族であることから責められなかった 「-政?」 [賈逵伝] 臧覇に徐盛、全琮を攻撃させたが敗れ、部将の尹盧を斬られた(※) 「-統」 [呉主伝] 朱桓に「皇族ということで重任されているに過ぎず、智と勇を備えた立派な将などではない」と評された (-統・-武・-知) [朱桓伝] 曹洪[子廉] ?~232 最高官位:驃騎将軍 『三国志』立伝 揚州で兵数千人を集めた 「統」 兵を率いて東平、范を占拠し、食糧を本軍に輸送した 「統」 兗州の十県以上を攻撃し、全て陥落させた 「統・武」 曹操の劉表征伐の際、別軍を率いて劉表の別将を破った 「統・武」 兵を率いて献帝を迎えに行ったが、董承らに阻まれた 「-統?-武?」 [武帝紀] 張繍を攻撃したが勝利できなかった 「-統・-武」 曹休の進言を容れ、呉蘭を急襲して破り、張飛を敗走させた 「統・武」 [曹休伝] 徐晃と共にイン彊で祝臂を破った 「統・武」 [徐晃伝] 阮瑀を書記に任じたが、彼は従わなかった 「-政?」 [王粲伝] 曹操の身内として高い身分にあり、食客が度々法を犯した 「-政」 [満寵伝] 臧洪[子源] ?~195 最高官位:青州刺史 『三国志』立伝 張超に、召集をかければ二万の軍勢が得られると進言した 「知?」 広陵太守の張超に職務を委任された 「政」 張超に「才能と智略は私より勝っており、天下の奇士と言える」と評された (知) 張超、劉岱らが誓約を結ぶ際、壇に上って宣誓の言葉を述べた。その言葉を聞いた者は皆感情を昂らせ、忠節を捧げんと誓った 「知?」 青州の盗賊を鎮圧した 「統・武」 袁紹に包囲された際、城内の官吏と兵士に脱出を促したが、皆最後まで付き従った 「統」 力が不足していながら袁紹に対抗し、敗れた 「-統・-武・-知」 曹真[子丹] ?~231 最高官位:大司馬 『三国志』立伝 狩猟で虎を射殺し、その勇壮さを曹操に認められ、虎豹騎を率いた 「統・武」 霊丘の賊を破った 「統・武」 軍兵を率いて下弁で劉備の別将を破った 「統・武」 徐晃らを指揮して、陽平で劉備の別将高詳を撃破させた 「統」 武都で曹洪らを迎え、引き返して陳倉に駐屯した 「統」 費曜を派遣して、酒泉で張進らを撃破させた 「統」 夏侯尚らと共に孫権を征伐し、牛渚の軍営を破った(※) 「統・武」 曹丕の遺詔を受けて政治を補佐した 「政」 諸軍を指揮してビに陣を敷き、張郃を派遣して諸葛亮の大将馬謖を撃破させた 「統」月支城の楊条らを包囲し、降伏させた 「統」 諸葛亮が陳倉を攻撃すると考え、カク昭と王生に守備させ、城壁を修築させた 「統・知」 蜀討伐を進言、実行したが、長雨のため撤退した 「-知?」 若死した曹遵、朱讃を悼み、彼らの子に自分の領邑を分けた 「政?」 遠征するといつも将兵と苦労を共にし、軍への賞賜が足りない場合には自分の財産の中から分け与えた。兵たちは彼の役に立ちたいと心から願った 「統」 蛮族の治元多らを破り、多くの首級を挙げ、捕虜と家畜を得た 「統・武」 [文帝紀] 曹洪を処刑しようとする曹丕を諌めた 「政?」 [曹洪伝] 張郃と共に安定の廬水胡と東羌を討伐した 「統・武」 [張郃伝] 箕谷で趙雲、鄧芝を破った 「統・武」 [趙雲伝] 軍を分け、江陵の中州を占領した 「統」 [呉主伝] 江陵城を攻撃したが朱然、韓当に防がれた(※) 「-統・-武」 [朱然伝] 曹仁[子孝] 168~223 最高官位:大司馬 『三国志』立伝 弓術、馬術、狩猟を好んだ 「武」 若者千人余りを結集して、淮水の辺りを荒らし回った 「統・武」 曹操が袁術を破った際、多数の者を殺したり捕らえたりした 「武」 曹操の陶謙征伐の際、騎兵を率いて軍の先鋒となった 「統・武」別軍として陶謙の大将呂由を破った後、大軍に合流してまた陶謙を破った 「統・武」 曹操のお供をして四県を攻撃し、騎兵を率いて陶謙の別将を破った 「統・武」 曹操の呂布征伐の際、別軍として句陽を攻撃し、大将の劉何を捕らえた 「統・武」 広陽太守に任命されたが、曹操は曹仁の勇気と智略を評価し、郡に赴任させずに騎兵を指揮させた 「統・知」 曹操の張繍征伐の際、別軍を率いて近接の県を攻略し、住民三千人を捕虜にした 「統・武」曹操軍が帰還中張繍に追撃された際、将兵を率いて叱咤激励し、獅子奮迅の働きをした 「統・武」 曹操にイン彊の劉備を攻撃するよう進言。曹仁が騎兵を率いて攻撃し、勝利した 「統・武・知」 雞洛山で韓荀を破った 「統・武」 史渙らと共に袁紹の輸送車を焼き払った 「統・武」 曹操のお供をして壷関を包囲した。曹操の「陥落すれば全員生き埋めにせよ」という命令を撤回させると、敵は降伏した 「統・武・知」 周瑜軍数千人の包囲網に直属の勇士数十人を率いて突入し、牛金らを救出した 「武」 諸将の総司令官として潼関を守り、渭水の南で馬超を破った 「統・武」 七軍の総司令官として田銀を破った 「統・武」 宛で侯音を破った 「統・武」 水没した樊城を関羽に包囲され、食糧はあわや底を尽かんという状態になったが、曹仁が将兵を激励して必死の覚悟を示したため、誰も二心を抱かなかった 「統」 常に法律の条文を手元に置いて、これと照らし合わせながら事を執り行った。曹丕は曹彰に「大将となって法規を遵奉すること、曹仁のようであらねばならぬ」と述べた 「政」 徐晃と共に襄陽で陳邵を破った 「統・武」 高遷らに命じて、新たに従属した漢水南部の住民を北部に移住させた 「政」 史渙らと共に犬城で眭固を破った 「統・武」 [武帝紀] 蔣済の諌言に従わず濡須の中洲を攻撃したが、朱桓に敗れた 「-統・-武・-知」 [蔣済伝] 兵を分けて夷陵の甘寧を包囲させたが、救援に来た周瑜に敗れた 「-統・-武・-知」 [周瑜伝]江陵で周瑜に敗れた 「-統・-武」 曹操[孟徳] 155~220 最高官位:魏王、丞相、冀州牧 『三国志』立伝 機智があり、権謀に富んでいたが、品行を整えることはしなかった 「知」 橋玄、何ギョウに評価された (政) 人並み外れた武技で、張譲の邸宅から脱出した 「武」 接要という兵法の選集を作り、孫子に注を施した 「統」 蹇磧の叔父を殺害するなど、禁令を徹底した 「政」 古学に明るいという理由で議郎に任命された 「政」 邪悪な者が朝廷に満ち、善良な者が退けられていると上奏した 「政」 三公を批判し、流言で退けられていた者を登用させた 「政」 黄巾の乱の際、潁川の賊を討伐した 「統・武」 権力に迎合する長吏を免職にした 「政」 衆を惑わす祭祀を禁じた 「政」 合肥侯擁立計画への参加を拒否した 「知」 董卓を討つべく、義兵を集めて挙兵した 「政」 何進の失敗を予測した 「知」 徐栄に敗れた 「-統・-武」 董卓軍に対抗する計略を立てたが、張バクらは採用しなかった 「知」 揚州で兵を募集した 「統」 白繞を破った 「統・武」 于毒の攻撃を受けると、于毒の本拠地を攻撃して退却させた 「統・武・知」 スイ固、於夫羅を破った 「統・武」 士気を高め、伏兵を設けて、青州の黄巾残党を破った 「統・武・知」 袁紹と共に劉備、単経、陶謙を破った 「統・武」 匡亭で袁術を破った 「統・武」 太寿で袁術に水攻めを行い、敗走させた 「統・武・知」 徐州の十余城を攻略した 「統・武」 徐州の五城を攻略し、曹豹を破った。通過した地域では住民を虐殺した 「統・武」 呂布の攻撃で混乱した陣を立て直した 「統」 呂布の兵に捕らえられたが、兵を騙して逃げ延びた 「知」 定陶で呂布を破った 「統・武」 鋸野で薛蘭を破った 「統・武」 呂布の攻撃を受けると、伏兵を設けてこれを破った 「統・武・知」 定陶を攻略した 「統・武」 雍丘で張超を破った 「統・武」 陳を攻略した 「統・武」 武平で袁嗣を降伏させた 「統・武」 劉辟らを破り、何儀らを降伏させた 「統・武」 梁で楊奉を破った 「統・武」 棗祗、韓浩らの進言を受け、屯田制を実施した 「政」 宛で張繍の反乱を許し、敗れた 「-統・-武・-知」 舞陰で張繍を破った 「統・武」 陳で橋ズイらを破った 「統・武」 湖陽で鄧済を破った 「統・武」 舞陰を攻略した 「統・武」 戦死した将兵を祭り、人々を感動させた 安衆で伏兵を設けて張繍を破った 「統・武・知」 彭城で侯諧を破った 「統・武」 下ヒで呂布を破った 「統・武」 荀攸、郭嘉の進言を受けて水攻めを行い、魏続らを降伏させた 「統・武」 家族を人質に取られた畢諶を張バクの元に行かせ、畢諶が捕虜になるとまた彼を任用した 「政」 射犬で薛洪らを降伏させた 「統・武」 信頼していた魏チュウに逃亡されたが、魏チュウが捕らえられるとその才に免じ、再び任用した 「-知・政」 袁紹に勝てると判断した 「知」 袁術を遮るべく劉備を派遣し、裏切られた 「-知」 袁紹が動かないと判断し、劉備を攻撃して破った 「統・武・知」 下ヒで関羽を降伏させた 「統・武」 昌豨を破った 「統・武」 輜重で文醜を引き寄せて破った 「統・武・知」 官渡で袁紹に敗れた 「-統・-武」 袁紹と通じていた許の人々を許し、書簡を焼いた 倉亭で袁紹を破った 「統・武」 汝南で劉備らを敗走させた 「統・武」 運河を修理した 「政」 袁譚、袁尚を度々破った 「統・武」 戦に敗れた者を罰するとした 「統」 有事では徳行のある者よりも、功あり能ある者を尊重すべきとした 「政」 学問を修めるよう布令を出した 「政」 劉表を後回しにし、袁尚を破るべく袁譚の降伏を受け入れた 「知」 毛城で尹楷を破った 「統・武」 邯鄲で沮鵠を破った 「統・武」 袁尚に勝てると判断、これを破った 「統・武・知」 キ山で袁尚を敗走させた 「統・武」 ギョウで水攻めを行い、審配を破った 「統・武・知」 堅固さを恃みにせず、道義をもって人材を任用することを理想とした 「知」 河北の租税を免除した 「政」 平原を攻略した 「統・武」 南皮で、士気を高めて袁譚を破った 「統・武」 個人的な復讐を許さず、贅沢な葬儀を禁じた 「政」 逃亡した後、自首した人民を許した 「政」 故安で趙犢らを破った 「統・武」 風俗を整えるべく布令を出した 「政」 壺関で高幹を敗走させた 「統・武」 属官に政治の欠点を進言させた 「政」 トウ頓を討つべく、運河を掘った 「知・政」 白狼山で、張遼を先陣として奇襲をかけ、トウ頓を破った 「知」 公孫康が袁尚、袁煕を斬ることを予測した 「知」 烏丸征討を諌めた者に恩賞を与えた 「政」 赤壁で火計に遭い、周瑜に敗れた 「-統・-武・-知」 自活できない者に保護を与えた 「政」 渡河中に馬超に攻撃され、敗れた 「-統・-武」 渭水で伏兵を設け、馬超を敗走させた 「統・武・知」 馬超に、韓遂への疑心を抱かせた 「知」 渭水で挟み撃ちにより、馬超を破った 「統・武・知」 馬超を誘き寄せて、徐晃らに西河を奪わせた 「知」 出撃せずに馬超の要求に従い、油断させた 「知」 関中の賊が集結したのを、一気に打ち破れる好機と判断した 「知」 安定で楊秋を降伏させた 「統・武」 濡須で公孫陽を破った 「統・武」 運河を掘った 「政」 カン丘興に、羌族の元へ人を派遣しないよう注意した 「知」 傳幹の進言を退けて孫権を攻めたが、勝利できなかった 「-知」 法政に明るい者に、刑罰に関する事務を担当させた 「政」 河地で竇茂を破った 「統・武」 陽平関で、解ヒョウらに夜襲をかけさせ、進撃して張衛らを敗走させた 「統・知」 南鄭で大饗宴を催し、兵を労った 「統」 濡須で孫権を敗走させた 「統・武」 自活出来ないものに賦役を与えた 「政」 孫子、呉子の兵法に従って兵を用い、奇策を設けて敵を欺いた 「統・知」 十万余字に上る兵法書を書き、諸将の征伐の際にはこれによって事を行わせた 「統」 事に望んでは自ら指図をし、命令に従う者は勝利を得、違反する者は敗北した 「統」 人物を見分ける洞察力に優れていた 「知」 昼は軍事の策略を考え、夜は経書やその注訳に思索を向けた 「知・政」 高処に登ると必ず詩を賦した 「政?」 宮殿を造営したり器具類を製作する場合、全てに渡って青写真を作ったが、皆目的に合ったものだった 「政」 倹約家で華美を好まなかった 「政」 功労に対して恩賞を惜しまなかった 「政」 草書、音楽、囲碁に巧みだった 「政?」 法律を守ること峻厳で、優れた計画を抱く者や恨みのある人間を処刑した 「政」 穀物が不足した際、小さな枡を用いた。それが気づかれると、担当官に罪を着せて処刑した 「知」 沮授に「法令を行き渡らせ、精鋭の士卒を保持している」と評された (統・政) [袁紹伝] 袁紹軍の櫓を発石車で破壊し、袁紹軍が地下道を掘ると塹壕を築いて対抗した 「統・武・知」 沮授に「優れた方略がある」と評された (知) 田豊に「軍隊を巧みに操り、千変万変と術を弄する」と評された (統・知) 韓嵩らに「英知を持っている」と評された (知) [劉表伝] 張魯が王号を名乗ることを諌めた閻圃に爵位を与えた 「政」 [張魯伝] 虎彪騎を指揮した 「統・武」 [曹仁伝] 荀彧に、袁紹と比べて「度量・計略・武力・徳義で勝っている」と評された (全) [荀彧伝] 荀攸の進言を退けて穣で張繍らと戦い、敗れた 「-統・-武・-知」 [荀攸伝] 涼茂に「恩徳が広い」と評された (政) [涼茂伝] 崔琰を処刑して反感を買った 「-政」 [崔琰伝] 鮑信に「知略を抱き、英雄を統率して乱を治められる」と評された (統・知) [鮑勛伝] 郭嘉に、袁紹と比べて十個の面で勝っていると評された (全) [郭嘉伝] 劉曄の進言を受け、大軍を率いて、廬江で陳策を降伏させた 「統・武」 [劉曄伝] 蔣済の進言を退け、淮南の住民を移住させようとして、逃亡を招いた 「-知」 [蔣済伝] 孫資に「用兵の術に優れ、柔軟な態度で呉蜀を避けた」と評された (統・知) [孫資伝] 張遼と李典に攻撃、楽進に守備を指示して、合肥を守らせた (知) [張遼伝] 陳羣の進言を退け、後に悪事を行う王模らを登用した 「-知・-政」 [陳羣伝] 孫権に対抗させるべく、曹仁に関羽を追撃させなかった 「知」 [趙儼伝] 裴潜を代郡太守から転任させ、単于の反乱を招いた 「-知」 [裴潜伝] 高柔の進言を退け、後に不正の発覚する趙達らを校事として、群臣を監察させた 「-知・-政」 [高柔伝] 郡や県に教学の官を設置した 「政」 楊阜に「必ずや大事業を成し遂げられる」と評された (全) [楊阜伝] 楊阜の進言を退け、安定から軍を退却させて、馬超の反乱を招いた 「-知」 張松に恨みを抱かせた 「-知・-政」 [劉璋伝] 漢中で劉備を攻めたが、陥落させられなかった 「-統・-武」 [先主伝] 漢中で、趙雲が伏兵を設けていると疑い、退いたところ、攻撃を受け敗れた 「-統・-武・-知」 [趙雲伝] 曹丕[子桓] 187~226 最高官位:皇帝 『三国志』立伝 経書と諸子百家の書物を読んだ 「政」 騎上での弓射が上手で、剣術を好んだ 「武」 宦官が諸官署の令以上に登る事を禁止した 「政」 池にやな(魚を捕らえる仕掛け)を張る事を認め、関所と渡しの税を軽減した 「政」 暴虐を働く者の罪を弾劾した 「政」 鮮卑族を討伐せず、降伏させた 「知」 南方征討を諌めた霍性を処刑した 「-政」 百官は職務に勤め、指揮官は兵法、朝士は制度、州・郡の長は政治、学者は六経について考究するよう命じた 「政」 狩猟に出かける事を諌めた戴陵を刑に処した 「-政」 優秀な者がいた場合は、人口戸数に限定せず推挙するよう命じた 「政」 五銖銭を復活させ、穀物の高騰を招いた 「-政」 「日食が起きたので太尉を免職にすべき」という上奏を退けた 「政」 蛮族の滅亡を予測した 「知」 選抜者の老若にこだわらずに人物を推挙するよう命じた 「政」 夷陵における劉備の敗北を予測した 「知」 蝗の被害に際し、官倉を開いて救済を行った 「政・魅」 復讐を行った者を族殺するとした 「政」 誹謗を密告したものに賞を与える法律を廃止した 「政」 大学を立て、試験の法を制定し、穀梁博士を設置した 「政」 冀州が飢饉に陥った際、官倉を開いて救済を行った 「政」 祭るべきでない祭祀と巫女の言葉を用いることを禁じた 「政」 人民の困苦を慰問し、貧民を救済した 「政」 文学を愛好、著述した 「政?」 張繍を自殺に追い込んだ 「-政」 [張繍伝] 曹洪を免官し、多くの人々の反感を買った 「-政」 [曹洪伝] 賈クの諫言を聞かずに江陵の戦いを起こし、多数の士卒を戦死させた 「-知」 [賈ク伝] 劉曄の進言を退けて孟達を重用し、裏切りを招いた 「-知」 [劉曄伝] 鮑勛を処刑した 「-政」 [鮑勛伝] ショウの住民を梁に移住させるよう進言した盧毓を左遷した 「-政」 [盧毓伝] 曹植を称えた楊俊を処刑した 「-政」 [楊俊伝] 孫資[彦龍] ?~251 最高官位:驃騎将軍、侍中 『三国志』付伝 呉が周賀を公孫淵のもとに向かわせると、それを討ちたいという曹叡の考えに賛成した。結果、周賀の撃破に成功した 「知」 遼東平定の計画に参加した 「知」 幼少にして才智が優れていた 「知」 太学で勉強し、広く経書の注釈を読んだ。王允に一見で評価された 「政」 賈逵は「群を抜いた才能を抱いている」と評し、出仕するよう勧めた (政) 荀彧は「北方の州は動乱にあること久しいから、賢人智者は消え去ったと思っていたが、また君のような人に会えるとは」と感嘆した (政) 諸葛亮が南鄭に駐屯した際、それを征討する軍を起こすことに反対し、守備に徹するよう進言した 「知」 呉の彭綺が反乱を起こした際、「孫権の内臓に食い込む大病とはなれない」と主張した。彭綺は敗れ、滅亡した 「知」 田豫が軻比能に包囲された際、閻志に軻比能を説得させるよう進言した。閻志の説得を受け、軻比能は撤退した 「知」 曹叡の腹心として、諸葛亮に対抗する策を練った 「知」 満寵と徐バクが讒言非難を受けた際、彼らの品行を称賛しその名声を守った 「政」 田豫や楊豊らから讒言を受けたが、沈黙したまま遺恨を抱くこともなかった 「政」 曹叡が曹宇らに後事を託そうとしたことを非難し、曹爽と司馬懿に託すよう主張した 機密の事柄を決定し、関わらない政治問題はなかった 「政」 曹爽が政治を独占して制度を改変すると嘆息し、病気と称して官を退こうとした 才能、策謀の点では劉放に劣ったが、品性では勝っていた 「-知・政」 主上の気持ちに沿って従順であった上に、是非の判断をはっきり述べたことは一度もなかった 「-政」 辛ピを抑えて王思を助けたため、世間から批判を受けた 「-政」 臣下たちの諫言を利用してその正しい主張を側面から援助したり、密かに事柄の長所短所を説明したりすることもあった 「政」 時宜に適った意見を具申した張緝を、計略に富むと評価した 「政?」 [張既伝] 賈逵を「才能は文武を兼ね備えており、まことに現在の有用な人間です」と推薦した [賈逵伝] 孫静[幼台] ?~? 最高官位:昭義中郎将 『三国志』立伝 孫策が王朗を撃破できずにいた時、先に査瀆を制圧して足場固めをするよう進言した 「知」 水を煮沸させるという名目で火を焚いて王朗の目を欺き、その間に査瀆を襲撃した 「統・武・知」 コメント欄 名前
https://w.atwiki.jp/gcmatome/pages/3062.html
「修正依頼」が出ています。対応できる方はご協力をお願いします。 注意 本稿では、元であるPC版『三國志11』と、そのパワーアップキット版(以下「PK版」)について紹介する。 PC版(パッチ修正分を含む)は「クソゲー」、PK版は「改善」判定。 三國志11 概要 システム 問題点 賛否両論点 評価点 総評 余談 三國志11 パワーアップキット(Win) 三國志11 with パワーアップキット(Win/PS2/Wii) 概要(PK) 追加要素 未だに残るAIの拙さ 総評(PK) 余談(PK) 三國志11 【さんごくしいれぶん】 ジャンル 歴史シミュレーションゲーム 対応機種 Windows 2000/XP 発売・開発元 コーエー 発売日 無印初期版 2006年3月17日 判定 クソゲー ポイント フリーズ含むバグまみれ客を完全に有料デバッガー扱い糞藝爪覧 三國志シリーズリンク 概要 コーエーの看板とも言える三國志シリーズの第11作目。これまでローマ数字だったタイトルナンバーがアラビア数字になった。 前作は個人武将を選んでプレイするスタイルだったが、本作にて再び君主プレイに戻った。 マップは1枚マップだが、本作では3Dマップとなったため、従来より高性能のビデオカードを要求するスペックとなっている。 システム 内政はいわゆる箱庭形式。全体的に「信長の野望 革新」に近いスタイルで、各都市に存在する空き地に農地や市場などを建設することで、その都市の収入を高める。徴兵や武器生産も対応した施設を建設して初めて可能になる。 どんな低能力の武将1人でも、時間はかかるが施設は必ず建てられる。武将が多いほど行動力も増すので、まずは在野武将の発掘などを行って武将の頭数を揃えるのが重要になる。 隣接する市場や農場の収入を上げる施設もあるため、施設の並びを考えながら配置していくことになる。基本的に大都市ほど、開発地が多い上に場所も固まっていて隣接効果を得やすい。 施設は敵の攻撃で破壊される事があり、施設が壊されると物資や後述の技巧ポイントが失われる。よって敵の攻撃に晒されやすい開発地は防衛施設を建てて防御したり、重要な施設の建設を避けたりしなければならない。守れそうにない都市は開発自体を最小限に止めなければならない事もある。通り一遍の開発は通用しないが、逆に言えば時と場合によって臨機応変に開発を進める楽しみがある。 一方で敵の施設を破壊すれば物資や技巧ポイントを多く奪うことが出来る。拠点を落とせずとも施設さえ破壊すれば、相手の内政を遅らせつつ自分の資源を増やし、戦略を有利に進められる。 戦争や内政によって技巧ポイントを得ることができ、それを消費することで兵科強化や施設強化が可能。これを「技巧研究」という。 技巧研究で開発できる技巧は、強力な投石で攻撃できる「投石開発」など戦略を一変させる物ばかり。技巧ポイントを意識して稼ぎながら技巧研究を進めるのも大事である。 最初から特定の技巧が開発済みの勢力もある。たとえば「白馬義従」の公孫瓚は騎兵系の技巧が非常に充実しており、騎兵の強烈さが目を惹く勢力となっている。 武将には1武将につき1つの「特技」が設定されている(特技を持たない武将もいる)。 内政に役立つ物、戦争に役立つ物と様々。能力値が中途半端な武将でもいぶし銀な特技を持っていることがあり、個性付けがされている。 戦争は、マップ上の自部隊を移動させて敵部隊や敵施設を攻める方式。マップ上で取れる主な行動に通常攻撃、計略、戦法、建設がある。 通常攻撃は気力を消費せずに相手部隊に損害を与えるが、付与効果はなく、相手からの反撃も痛い。 計略は複数種類あり、成功率は部隊を率いる武将の知力に依存する。使用時は部隊気力を消費する。 戦法は部隊の兵科によって異なり、それぞれの兵科に複数の戦法が存在する。使用時は部隊気力を消費する。 建設コマンドで、マップ上に攻撃施設や気力回復などの補助施設、さらに火計用の罠などを作れる。 拠点や開発地を守るのに使ったり、逆にこちらが侵攻する際に有利な展開に持ち込んだりするのに使える。上手に使いこなせれば寡兵で大軍を撃退する事も可能。 戦場で戦法を使うのに必要な兵科は「槍兵・戟兵・騎兵・弩兵・兵器・水軍」の6種。 槍兵・戟兵・騎兵・弩兵は兵士1人につき対応する武器(槍、騎馬など)が必要。いくら兵士がいても武器が無ければ非常に弱い剣兵でしか出陣できないため、「鍛冶(騎馬は厩舎)」を建設して対応する武器を作らなければならない。兵器、水軍用の艦船は1部隊1つで良いが、開発には専用の施設を必要とし、開発にかかる資金と時間も多い。また、水軍は艦船がないと非常に弱い。 武将によって得意な兵科、苦手な兵科が存在し、兵科適性としてS,A~Cのランクが振り分けられている。使用可能な戦法の数もこれによって決まる。 「部隊」は主将1人、副将2人で編成される。強力な部隊を編成するには率いる武将の組み合わせが肝心となる。 副将は主将の能力や兵科適性を底上げしてくれる。 1部隊は所属する武将全員の特技が使えるため、最大3つの特技を持つことができる。上手く組み合わせれば一騎当千の部隊を作るのも夢ではない。 問題点 AIが馬鹿。 金と時間と労力をかけて一生懸命城の周りに防壁を築いても、都市行動を「委任」にした途端、真っ先に自国の防壁を全力で破壊し始める。 委任すると褒美や治安を無視して行動するため、委任軍団の武将が次々と裏切り、都市には賊が次々と発生する。 かといって大勢力では委任を活用しないと、ゲームの性質上都市管理に大幅な労力を強いられてしまう。 戦闘委任は特に酷い。圧倒的優勢にもかかわらず行動を停止したり、自軍が仕掛けた罠を壊して回るなど暴走する。 武将の引き抜き条件を「相性」優先にし過ぎたのか、忠誠度100でも引き抜けるor引き抜かれることがある。これまでの同シリーズ作品なら、初期を別にすると(*1)多少差異はあるが忠誠度が94あたりを切らないかぎり引き抜きは出来なかった。 孫堅、孫策、孫権という実の親子軍団で出兵したところ突然孫策の旗の色が変わって何ごととか思ったら、「大変です!孫策様がひきぬかれました!!」 ゲームバランスを崩している強力な特技が存在する。 例としては諸葛亮の特殊能力「神算」。この特技は、自分より知力の低い相手に対する計略がクリティカルで必ず成功するというもの。諸葛亮の知力は100であり、同知力の三国志武将はいない。そのため、相手が防計系特技を持っていない限り100%計略が成功する。 その為に敵が攻めてきても、諸葛亮で偽報を流せばほとんどの敵が必ず撤退。同士討ちのみで敵を撃退することも可能。 おまけに蜀には、計略使用時の消費を1にする特技(百出、馬謖)や、隣接している敵将も巻き込める特技(連環、龐統)持ちもいる。この2人と組む事でどんな大軍相手だろうと計略連打で蹂躙できてしまう。 龐統は寿命が短いので史実シナリオではあまり組む機会に恵まれないが、寿命が存在しないIFシナリオ「英雄集結」では最初から最後までこの3人が組める。おかげで「英雄集結」は劉備軍の強さがえらい事になっている。 他の「条件を満たせば100%クリティカル」系の特技もほとんどが自分より武力の低いものを対象にする(所持者は大抵トップクラスの武力)のでバランスブレイカー。その一方で防御系の特技はほぼ全てが存在しないも同然のものであり、同じ一流武将でも(特に蜀とその他の勢力との間に)理不尽な格差が生じてしまっている。 何故か毎年「豊作」になる都市が固定で、その都市さえ押さえておけば兵糧問題が解決する。 数ある書物アイテムの効果が全て同じで、舌戦で全話術が使えるようになると言うもの。 城や港・関(以下拠点)が脆すぎる。拠点への籠城など自殺行為にしかならない。 いくら兵士を多数駐屯させていても、敵兵に隣接されるだけで耐久が減って簡単に落とされる。入口を敵部隊で塞がれると中から迎撃部隊を出す事もできなくなる。 拠点を攻撃した部隊へは自動的に反撃がなされるが、威力はたかが知れたもの。そもそも戦法へは反撃不可能なので兵器や弩兵には全くの無力。 港関は特に脆く「棺桶」と揶揄されている。そのためあえて敵に取らせて港関ごと撃破する「棺桶作戦」なる身も蓋も無い戦法も生まれた(*2)。 BGMの出来そのものは素晴らしいが、戦線が広がった後半は同じ曲ばかり流れる傾向があり間違いなく聞き飽きる。 お約束のフリーズバグ。強制終了も存在。あまりのバグの多さにユーザーが公式サイトの掲示板に突撃し炎上。とんでもない有様となった。 そのため2006年4月10日に既存のバグを修正し、バランス調整を図った修正パッチが発表された。通常コーエーの出す修正パッチは、中古対策のためにゲームのシリアルナンバーを入力してユーザーズページに登録しなければダウンロードすることができないが、今作のVer1.1パッチは登録していなくても修正パッチを落とすことができる(Ver1.2以降のパッチは他作品同様ユーザー登録が必要)。 そのパッチだが、敵はとことん攻めてくるわ、武将はとことん引き抜きにくくなるわと、まるでコーエーが逆ギレしたかのような内容だったため、ユーザーからは「コーエー逆ギレパッチ」とまんまな呼び名を付けられている。 ユーザーからの不評があまりにも大きかったためか、コーエーはバグの修正パッチ配布だけでなくディスク交換も無償で応じるという対策を採った。ただ、ディスク交換は後述の糞藝爪覧を隠すためではないかとの見方もある。同年4月17日にはバグを修正したバージョンを再発売した。 賛否両論点 それまでの作品では日本語であった「武将の掛け声」などのボイスが、何の断りもなく北京系中国語に置き換わった。 それだけならまだしも、日本語音声が一切入っていないため、CV音量を変更しない限り常に空耳同然の謎ボイスを聞かされることになる。 声自体も(顔グラへのこだわりに比べれば)種類が少なく、特にザコ武将では同じようなボイスを聞かされる。 とは言え問題点として挙げられている理由はあくまで日本語ボイスが入っていないからであり、中国語ボイスの導入自体に関しては「さながら本場中国の三国志ドラマ・映画を見ている雰囲気になる」等の擁護意見も一部で存在しており、決して不評意見ばかりでは無い。 この点は後述のPK版で改善されている。また中国語ボイスは『13』にて復活し、そちらでは本作PK版同様に無印の段階で最初から日本語ボイス・中国語ボイスの選択が可能になった。 評価点 火種・火球といった火罠のおかげで、工夫すれば寡兵でも大軍を撃退できるようになっている。 罠や攻撃用施設を建てて都市周辺を要塞化すること自体はそれなりに楽しい。 技巧研究の効果が目に見えて優秀。 戦争を重ねると物資を消耗するが、同時に技巧ポイントが得られる為に研究が進み戦力が上がるように調整されている。 このため1都市に籠城していると、そのうちに技巧研究の進んだ強力な敵軍に攻められるようになるため、単純な引きこもりプレイは通用しない。 洗練された一騎討ち、舌戦 一騎討ちは攻撃方針を選択して自動で戦わせるタイプ。仲間の救援、アイテムの使用、闘志を使った攻撃など奥が深い。 文官の一騎討ちにあたる舌戦は、武将ごとに定められた性格と所有話術によって歯ごたえのある勝負ができ、こちらも奥が深い。 バグやシステム面の問題に隠れがちだが、実は「三国志」を元にしたキャラゲーとしては意外に出来がいい。そのため「三国志が好きだから三國志11をやる」ユーザーにとっては、ロマンの面に限れば割と納得できる形となっている。本作はパワーアップキットである程度の回復を見せるが、この「キャラゲーとしての優秀さ」が大きな土台となったことは見過ごせないだろう(*3)。 + その内容 ほとんどの武将が持つ「特技」によって、強弱が固定されがちだった武将間に新たなバランスを見出している。 具体的には牛金、傅彤などの脳筋が渋い特技のおかげで活躍できたり、基本能力値の高い趙雲、郭嘉が強力だが決定力のある特技では無かったりする。皆ひと癖ありながらイマイチ表現できていなかった朱桓、陳武、蒋欽、徐盛らの呉将も上手く個性付けがなされている。 前述の諸葛亮のように基本能力値が高く特技も強力なバランスブレイカーもいるのだが、逆に考えればそれだけ有名武将の「手強さ」を再現できているとも言える。 特技の中には公式説明以外の隠し効果を持っているものもあり、以前は役に立たなかった特技がその効果が判明したおかげで一躍脚光を浴びる事態も起こっている。 特技の種類自体が非常に多いのも良点。「空気」な特技も多いのだが…。 個々の武将の持つ基本設定が非常に豊富。以下の設定は登場する700人近い武将全てに与えられている。 武将の基本能力値は年齢とともに変化する。その変化の仕方にも各能力ごとに成長期・能力持続期間が定められている。 一般的な武将は壮年時にピークを迎え年を重ねるごとに能力値が劣化してゆくため、世代交代のリアリティを感じつつプレイできる。 一方で黄忠の能力は老齢になるほど高くなったり、虞翻の魅力が能力維持型だったりと、ややシニカルな調整が垣間見える点も面白い。 武将の兵科適性はしっかり全ての兵科についてのS,A~Cが振り分けられている。 兵科による特化型・万能型の武将の個性付けができており、その場その場に合った武将の運用を考慮する戦略性を生んでいる。 兵科適性により、能力が高くても兵を実際に率いるのが苦手な純粋な軍師と、戦術・戦略の両面に優れた将軍型軍師の区別もしっかりなされている。 もっともこのように個性あふれる調整をされているのは中堅クラスまでであり、半分近くの武将は適当な設定であるが。 親愛・嫌悪武将が設定されており、それぞれにメリット・デメリットが存在する。 いくらか疑問符のつくものもあるものの概ね原典通りに再現されており、張飛と劉巴や袁術と陳矯といった細かな人間関係もしっかりカバーしている。 親愛だと同部隊引率時に部隊能力補正がついたり、嫌悪だと逆の補正がついたりと、しっかりシステム面にも人間関係が反映される仕組みになっている。 この他にも前述した性格、話術、さらには口調、在野時の都市移動傾向、出身地(武将推挙に関係)、婚姻、義兄弟、個人イベントなど武将ごとの設定は非常に多い。 有名武将には顔グラフィックが若年・老年の2種類存在する。 史実シナリオだと年代によって顔グラが変化するため、年齢的な顔グラの違和感がある程度解消されている。 特に趙雲、甘寧、姜維といった従来はお決まりのイケメンキャラだった武将が、渋みと威厳のある老将に変化することは非常に好評であった。 一方で、馬超、周瑜、陸遜など、何のために2枠用意されたのか分からないような武将もいる。 有名武将に戦法時、被ダメージ時、死に際、一騎討ち時などの専用セリフがあり、元ネタの分かる三国志ファンはニヤリとする場面も。 具体的には曹操攻撃時の馬超、戦法クリティカル時の賀斉、落雷を受けた時の劉備、処断時の陳寿など。 閻行、華覈、孫皎、張悌、傅僉といった武将にまでしっかり専用セリフが搭載されている点がなかなかニクい。 周泰や楽進のように「無口」という個性付けをされている武将もおり、顔グラや来歴と相まって評判は良い。 夏侯淵vs夏侯惇、孫策vs周瑜、果ては荀彧vs荀攸の一騎討ちにまで、しっかり専用セリフが盛り込まれている。 特に呂布と張飛はほぼ全てが専用セリフ。脳筋2人の舌戦時のセリフは非常に楽しませてくれる。 解りやすく「楽しめる」チュートリアル 劉備でプレイしながら段階を追って本作のプレイ方法を学ぶ事が可能。 登場する武将達の台詞が色々ぶっ飛んでおり見てるだけでも面白い。勿論ただのギャグになっておらず武将の特徴や演義等の設定を活かした上での台詞である。 舌戦と一騎討ち、PKの追加システムの説明は呉の武将たちが行う。こちらも呉の武将の特徴を旨く捉えているが、やや説明調が目立つきらいがある。 英雄集結シナリオに通好みな勢力が追加されている。 具体的には蜀の地で最期を遂げた鍾会と鄧艾や、淮南の三叛をまとめた毌丘倹などがそれに当たる。もちろん君主となるのは初。 総評 一万円を超えるバグゲーをリリースしてユーザーの信頼を大きく失ったコーエー。このような事態が起きた理由として、開発時期が決算間近であったことが挙げられる。 後述の「糞藝爪覧」事件についても、決算期に合わせる形で到底無理な納期を要求され、不本意な形で手放さざるを得なくなった現場の「ささやかな抵抗」であると言われている。 だがしかし、結局のところそういった現場の衝突によって実害を被るのは、他でもないユーザーなのである。 どんな理由があるにせよ、ユーザーを裏切る数多くのバグと企業問題レベルの悪ふざけは決して看過できる問題ではない。 余談 あるユーザーによって、武将データベースの中に「糞藝爪覧」という名前の武将が発見された。 当然だがゲームには登場せず、データベースを直接見ないと確認できない。 この武将は「フンゲイ ソウラン」と仮名振りされているが、「クソゲー つまらん」と読むことができ、武将説明文にも「あーつまらん」と一言だけ記述されていた。 悪ふざけとしては明らかに度が過ぎる。だが、逆に「何らかの理由によって開発陣の士気が大きく下がり、本作の開発が投げやりになっていたのではないか」と憶測を立てることもできる。 三國志11 パワーアップキット(Win) 【さんごくしいれぶん ぱわーあっぷきっと】 三國志11 with パワーアップキット(Win/PS2/Wii) 【さんごくしいれぶん うぃず ぱわーあっぷきっと】 対応機種 Windows 2000/XPプレイステーション2Wii 発売日 【Win】2006年9月8日【PS2/Wii】2007年3月21日 廉価版 【PS2/Wii】KOEI the Best 2008年11月13日/3,990円【PS2】コーエーテクモ定番シリーズ 2010年9月2日/2,079円 判定 改善 ポイント 粗も残るが及第点に足る内容CS版はさらに改善 概要(PK) 『三國志11』のPK版。 ユーザーからの第一印象こそ芳しくなかったものの、追加要素の充実などもあってまずまずの評判を獲得。 少なくともクソゲーでは無い内容となり、次作『三國志12』までに大きく時間が空いたこともあって多くのやりこみプレイも生まれた。 今ではその評価の回復ぶりは、作品自体の意外な奥の深さもあってシリーズ屈指の充実具合を誇る攻略wikiからも見てとれる。 追加要素 内政要素のパワーアップ 農場や市場などの一部の内政施設に「合併」の概念が加わった。 Lv1~3があり、合併することでLvが上がる。Lvが上がると収入が増加するが、その分建設までに時間も要する。 合併の際は同じ施設同士が隣り合うように効率よく配置する必要があるので、限られた建設地をどう使うか、というパズル的要素が加わっている。 主要な内政施設のレベルを全てLv3にすると見栄え的にも美しく、達成感がある。 ただし市場・農場は高レベルの施設1つより低レベルの施設2つの方が効果が高く、そもそも敵に破壊されては元も子もない。時には戦略上あえて低いレベルに留めておくことも必要となる。 闇市場・軍屯農・人材府など、10種類の新内政施設が追加された。 どれもひと癖ある効果を持ち、一部を除いて有用性の高いものとなっている。 中には既存の内政施設の効果を高める隠し効果を持っているものもあり、建設地の割り振りなどの面で戦略性が増している。 研究システムのパワーアップ 一定期間をかけることで、特定の特技を武将に付加したり、武将の能力を限られた数値・回数まで育成できる「能力研究」が搭載された。 付与できる特技も能力を上昇させることができる回数も限られているため、計画的に使う必要がある。 愛着のある武将を自らの手で文武両道の名将に育てたり、能力の低い武将でも内政や物資輸送で活躍させることができる。 統率・武力・知力・政治のどの分野を重点的に研究するかは自分で選べるため、勢力状況に合わせた研究方針をしたりと、頭を使う場面でもある。 ランダムで強力な隠し特技が一定数出現するため、時間をかけて研究する楽しみが増している。 技巧研究に「内政」面に関する研究が追加された。 物資輸送の際の移動力を上昇させたり、使いにくい港関をある程度使いやすくしたりと、地味ながら嬉しいものが加わっている。 キャンペーンモードの搭載 限られたターン数内に決められた目標を達成するキャンペーンモードとして、「決戦制覇モード」が搭載された。 多くは史実を基にしており、全部で20シナリオにも及ぶ。難易度も初級者向けから非常に難易度の高いものまでさまざま。 通常プレイとは違う特殊な戦闘条件や勝敗条件があるため、一風変わったプレイを楽しむことができる。 PC版、CS版共に(内容は異なるが)クリア特典があるため、やりがいもある。 なお登場する武将たちの会話の中には、思わず笑ってしまうような秀逸なネタも含まれていて大変好評である。 CS版は、決戦制覇モードとは別に「ステージシナリオ」というキャンペーンモードも搭載されている。(CS版無印にも搭載) 名称こそ異なるものの、やる内容は決戦制覇モードと同じようなもの。決戦制覇モードの追加シナリオと考えるといいだろう。 全部で8シナリオで、決戦制覇モード以上にニヤリとするメタ色の強い会話が展開されるのが特徴。三国志ファンなら必見。 クリアするごとに呂伯奢、孟建といったCS版限定武将が使えるようになる。 追加シナリオ PC版PKはPC版無印に加えて6シナリオ、CS版PKはCS版無印に加えて6シナリオ追加されている。 数は同じだが、追加されたシナリオの内容はPC版PKとCS版PKで異なるので注意。くわしくはこちら。 このうちCS版PKのみは、全てのバージョンのシナリオ15本+CS版PK限定シナリオ1本が搭載されている。すなわちCS版PKだけが全公式シナリオを遊べる。 特にCS版PK限定シナリオである「英雄乱舞」は、シリーズ定番の「英雄集結」シナリオの亜種とも言えるシナリオで、劉備三兄弟や孫家三代や曹家三代がそれぞれ独立していたり、張遼・諸葛亮・鄧艾・羊祜・陸遜といった珍しい君主が数多くいたりと、シリーズでも特に異彩を放つお祭りシナリオ。 単に君主や配下が特殊なだけでなく、勢力バランス的にも「英雄集結」より優れているおかげで評価は高い。 隠し武将 無印版でも使える隠し武将32人に加え、水滸伝武将50人、CS版限定武将18人が登場する。 水滸伝武将は、PC版ではPKの有無にかかわらずコーエーのユーザーズページ登録をしないと手に入れることはできない上、Steam版などは未対応。CS版ではPKのみ決戦制覇モードをクリアすることで追加されて行く。各武将の顔グラも好評で、特徴を捉えたものとなっている。水滸伝好きにはたまらない。 ただし『三國志12』の戦国武将と同様、「時代と無関係な武将を追加するくらいなら過去作から削除された三国時代の武将を追加しろ」といった意見は当然ある。 CS版限定武将は、ステージシナリオのクリアのほか、さまざまな条件を満たして本編をクリアすることで追加されてゆく。張氏、董白など他作品で話題になった武将(?)も含まれている。 その他 PC版無印にあった引き抜きや豊作都市の問題は改善されている。 中国語しかなかった無印に加え、日本語のボイスに切り替えることができるようになった。 マップ上に隠されている廟・遺跡(特技付与や能力アップが可能)の数が増え、廟によって修得できる特技の制限が無くなっている。 追加シナリオを含めても最も後年のシナリオが227年から始まるものなので、三国志後半を楽しみたいプレイヤーには残念だろう。 未だに残るAIの拙さ 上記のような追加要素やバグ修正により、当初のどうしようもない状態からすると相当な改善を遂げたPK版であるが、未だにAIの拙さは残る。シミュレーションのキモである「戦略性」を害する要因になっている以上は、やはり看過できない問題であろう。 最終版ともいえるCS版PKにまで受け継がれた具体的なAIの拙さとしては、例として以下のことが挙げられる。 合併システムや能力研究を使いこなせておらず、劣悪な並びで内政施設を建設したり、雑魚武将に優秀な能力依存系特技を与えたりする。 委任部隊が味方が作った土塁を壊したり、賊が出るまで徴兵したりする。 戦争に関しては特に稚拙。プレイヤーに不利な、CPUに有利な補正が大きくかけられる難易度・超級にしてようやく歯ごたえを感じられるほど。 他のCOM勢力に本拠地が攻められているにもかかわらず、執拗にプレイヤー勢力の城を狙ってくる。 兵科適性をまともに考えずに部隊を組む。平気で剣兵の部隊を出すわ、呂布や張飛を衝車に乗せるわといった、資源や人材の無駄としか思えない行為をやらかす。 下邳~曲阿港間の海上遠征を敢行して兵糧切れで自滅したり、港関に妙に執着して物資や人員を大きく失ったりする。一応、プレイヤーがこれを実際にされると非常にうっとうしいのだが、プレイヤーが求める「手ごたえ」とはなにか違う…。 やはり拙さのほうが目立つのだが、逆に以下のような面もあるため、「AIが完全にクソ」というわけではない。 城に優秀な武将が十分にいるときは、それなりに弱点を補完したような主将と副将の組み合わせで攻めてくることが多い。特技面でも同様。 こちらが騎兵で攻めると騎兵戦法の利かない地形に逃げたり、弩兵で攻めると森に隠れたりと、地形効果を考慮した部隊移動をしてくる。 意味のない場所に火罠や建設物を建てることもあるが、意味のあるところにもちゃんと建てる。意外に苦労させられることも多い。 火罠の使い方が意外と上手い。 総評(PK) 不満点も残るものの、クソゲーレベルの深刻な問題は解消したと言える。ボリューム的にも充実し、特にCS版PKはなかなかのもの。 内政施設合併システム、能力研究などの追加要素はどれも好評で、戦略ゲームとしての奥行きは無印に比べると格段に上がっている。 キャラゲーとしての優秀な土台もあるため、伝統的なおバカAIを三国志愛(脳内補完)でカバーできるプレイヤーにとっては、十分お勧めできる作品である。 ただ、逆にいえば脳内補完が必要なほどのおバカAIが未だ残っているわけで、PKを含めても「クソゲー」と評するプレイヤーがいることも致し方ない。 良くも悪くもシリーズ屈指のキャラゲーと言えよう。 余談(PK) PC版とCS版では、追加要素だけでなく、COM勢力の育成や騎兵の騎射の仕様などの細かい部分が異なる。購入の際は攻略wikiで確認するといい。 本作の発売以降、2011年に『三國志12』が発表されるまで数年間三國志シリーズはDS/3DSやPSPへの過去作のリメイク移植が行われるのみとなっていたが、 これは本作での失態というよりも、『オプーナ』の影響が尾を引いていた可能性のほうが高い。 Steam版のレビュー点数は非常に高い。歴史シミュレーションゲームとしてはCivilization III等、世界的なタイトルと並び、Koeiの歴史シミュレーションゲームの中では頭一つ抜けている。
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/1081.html
[部分編集] 三国志11 呂布で英雄集結・超級 http //www.nicovideo.jp/watch/sm16307571 使用ゲーム 三国志11PK シナリオ・担当勢力 英雄集結 呂布 シナリオの設定 超級 戦死多い 在野仮想 動画形態 純プレイ(字幕解説つき) 登録武将 なし 縛り 下記参照 投稿時期 2011年12月1日~2013年9月26日(完結) 投稿者名 流れる風 マイリスト 1~69 70~111 関連タグ 【呂布で英雄集結】 ニコニコ大百科 呂布で英雄集結 関連サイト うp主ブログ 備考 前々作劉度で英雄集結・超級 前作曹操で反董卓連合・超級 [部分編集] 簡単な解説 劉度で英雄集結、曹操で反董卓連合に続く第3作目は、英雄集結の超級呂布軍プレイ。 難易度は高めだが、劉度に比べるとさすがに易しいため、後述のような多くの縛りが課されている。 ただ、縛りが発動する場面ではその都度うp主の字幕解説が入るため、見る側は縛りの複雑さに尻込みせず安心して視聴することができる。 今作の大きな特徴は、戦死が「多い」に設定されている点だろう。 前2作では「いのちだいじに」をモットーに、戦死「標準」にもかかわらず過剰なまでに討死を恐れていたうp主が、 呂布軍プレイの真髄を味わうべく、敢えて戦死「多い」に挑戦した。 おかげで大陸各地で一騎討ち死、突撃死、焼死、斬首が多発し、武将の屍の山が築かれることとなった。 めくるめく「轢死シミュレーション」の世界をご堪能あれ。 [部分編集] 縛り等 小銭拾い・引き抜き・流言・外交の禁止 関張一族と陳珪親子は皆殺し 軍師は陳宮で固定(陳宮修行時は一時的に貂蝉に交代) 中途採用武将の功績を初期化 結義・婚姻・技巧研究での技巧P消費量1.5倍 施設攻略と技巧研究の獲得功績値を80%カット 敵に港関を奪われた場合は「プレイ年数×200」の技巧Pをマイナス(都市を奪われた場合はさらに陳宮の知力をマイナス) 配下が死亡した場合は遺族年金として「(当該武将の俸禄×2)×12ヶ月×(勤続ターン数/36)×25」の金を支出 敵将を死亡させた場合は、死亡武将の血縁・配偶者・義兄弟と、死亡武将を親愛武将に持つ武将全員が、呂布を嫌悪武将に持つようになるただし、死亡武将を嫌悪武将に持つ武将(曹丕死亡時の曹植など)と既に配下に加わっている武将(関羽死亡時の張遼など)を除く 登用縛りについて 以下のいずれかの枠に該当する武将のみ登用可能。 呂布との相性差±10枠(呂布の相性は145なので、相性135~5の武将が該当) 配下の義兄弟・配偶者枠 呂布軍メンバーを親愛武将に持つ武将枠(うp主曰く、「あいつが呂布軍にいるなら自分も仕官していいかー」という感覚で) 一騎討ちで捕縛した武将枠(登用までに逃げられた場合は仕切り直し) 配下の一族枠(配下1人につき1人まで)ただし、一族枠で登用された武将の一族枠は使用できない(例 曹操の一族枠で曹丕を登用した場合、曹丕の一族枠は使えない) 推挙イベントや自主仕官でやってきた武将 その他、1都市につき3人まで自由に登用可能 [部分編集] 勝利条件と敗北条件 以下のいずれかに該当した場合。 勝利条件 中華統一 (三国志12が予想外に面白かった場合)斬るべき武将を全員斬った上で皇帝即位 敗北条件 呂布父娘の死亡 陳宮と貂蝉の死亡 コメント欄 なんJ用語が飛び交う三国志動画はここぐらいだろう -- 名無しさん (2012-06-15 23 56 57) 終わりが見えてきてさびしい -- 名無しさん (2013-07-01 11 35 39) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/591.html
ここは三国志に出てくる有名な都市・地名を動画内での状況などと併せて紹介していくページです。 史実の流れや各動画の軌跡を振り返ってみてはどうでしょう。 安定(アンテイ) 永安(エイアン) 易京(エキキョウ) 宛(エン) 会稽(カイケイ) 街亭(ガイテイ) 合肥(ガッピ) 下邳(カヒ) 漢中(カンチュウ) 官渡(カント) 許(キョ) 鄴(ギョウ) 薊(ケイ) 剣閣(ケンカク) 建業(ケンギョウ) 建寧(ケンネイ) 呉(ゴ) 江夏(コウカ) 交趾(コウシ/コーチ) 江州(コウシュウ) 江陵(コウリョウ) 壺関(コカン) 子午谷(シゴコク) 州(シュウ) 襄平(ジョウヘイ) 新野(シンヤ) 成都(セイト) 長安(チョウアン) 陳倉(チンソウ) 陳留(チンリュウ) 南皮(ナンピ) 白馬(ハクバ) 平原(ヘイゲン) 北平(ホクヘイ) 秣陵(マツリョウ) 綿竹(メンチク) 洛陽(ラクヨウ) 倭(ワ) コメント欄 安定(アンテイ) [部分編集] 雍州、安定郡。 近くに戦略上の要所とされる街亭がある。 また、交州の定安のことをさす場合もある。 上へ 永安(エイアン) [部分編集] 益州、巴東郡。 元々は「魚復」という地名だが、夷陵の敗戦後、劉備により「永安」と改められた。 別名、白帝城。劉備が死んだ場所。孔明の北伐の時は、李厳が守っていたことがある。 蜀滅亡時には、永安城に呉軍の大軍が来襲し、混乱に乗じて領土を奪おうとしたが、羅憲が寡兵をもって守りきった。 上へ 易京(エキキョウ) [部分編集] 幽州(涿郡)と冀州(河間国)の境界付近。 (どちらの州に属するかは、史書により記述が異なるが、三国志Ⅸの区分では幽州) 河北の拠点。薊の南方(やや西側)に位置する。 公孫瓚が堅固な要塞を築き、中に三百万石の兵糧を蓄えていた。 一九八年、公孫瓚はこの地で袁紹を迎え撃つも敗北。一族もろとも自害した。 三國志Ⅸ動画では、河北での戦闘時に登場する事がある。 三國志Ⅳで中国征服 +詳細を表示 記念すべき(?)最初の戦場。 公孫瓚の火計で燃やし尽くされた。 上へ 宛(エン) [部分編集] 荊州、南陽郡。 何気に前漢・後漢の中心都市の一つでもある(他は洛陽と長安)。 張繍率いる張済軍残党が、曹操軍に降伏した場所。 しかし張繍は、張済の未亡人が曹操に取られたことを怒り、反逆。 結果、曹操は危ういところで生き延びたものの、長男曹昂と武将の典韋を失った。 上へ 会稽(カイケイ) [部分編集] 揚州、会稽郡。 春秋時代の呉越戦争における「会稽の恥」という故事成語で知られる。 孫策が王朗を破って以来、彼の勢力(いわゆる孫呉)の中心地となる。 治所のある山陰県は、今の紹興市にあたる。 三国志Ⅸの歴戦動画では、初期本拠地として、おそらく最も人気のある都市。 チルノ放浪記 +詳細を表示 深い森を抜けるとそこは会稽だった。 後のカリスマ君主の輝かしい第一歩である。 上へ 街亭(ガイテイ) [部分編集] 雍州、広魏郡。 安定の近く、戦略上の要所とされる。 諸葛亮の第一次北伐の際、ここの守備を任された馬謖は命令に反して山頂に布陣し、大敗。 責任を取らされて処刑された。 上へ 合肥(ガッピ) [部分編集] 揚州、九江郡。( 三国志ドライヴ の郡地図では「淮南」郡) 当地における魏の主要拠点であり、孫権にとってのトラウマの地。 張遼が800人で呉軍をフルボッコにした215年の戦いが有名だが、 孫権はそれ以前・以降にも何度か合肥を攻め、攻略に失敗している。 つまり、魏呉両軍にとってそれほど重要な拠点だった、ということ。 中華武将祭り +詳細を表示 本物孫堅軍が蒼天孫権を総大将として侵攻。 北郷軍には張遼が二人いたため、誰もが負けフラグだと思っていた。 が、そこはカオスで有名な中華武将祭り。 本物孫堅軍にも張遼が三人いた。 かくして敵味方入り混じったライライ祭が発生した。 上へ 下邳(カヒ) [部分編集] 徐州、下邳郡。 徐州時代の劉備の本拠地。のちに徐州は呂布に奪われるが、曹操軍により、呂布はこの地で処刑される。 曹操を裏切った劉備は再び徐州を治めるが曹操に敗れ、下邳にいた関羽らが囚われる。 チルノ放浪記 +詳細を表示 激戦地の一つ。 セイバー軍の都市であったが、チルノ軍10万の侵攻に対して援軍は間に合わないと判断し、撤退。 アーチャーが兵3万を率い、北海への撤退の時間を稼ぐことになる。 最初から本気のアーチャーの怒涛の猛攻により、アルルゥ、藤原妹紅、八雲紫、レティ・ホワイトロック、 八雲藍、オボロ、クーヤ、うどんげ、蓬莱山輝夜、ハクオロ、リリカ・プリズムリバーら、 名立たる武将たちが狙撃され、6部隊が壊滅する。 そんな中、偽報で遅れてきた君主チルノが一人気を吐き、弩兵熟練2000のアーチャーに対し三度の狙撃を成功させ、 格の違いを見せ付けた。 終わってみると、敵兵3万に対しチルノ軍の損害は8万以上と思われ、英霊の恐ろしさを視聴者に強く印象付けた。 上へ 漢中(カンチュウ) [部分編集] 益州(時代により、梁州ともされる)、漢中郡。( 三国志ドライヴ の郡地図では「武都」郡の一部) 劉邦が封(ほう)ぜられ、前漢王朝の始まりとなった地。 周りを山で囲まれた盆地で、攻めるに難く守るに易い土地であり、 食糧生産量も多いため、戦略上においてもしばしば要衝となった。 三国志においても、お米こと張魯率いる五斗米道が拠点として一大勢力を築いたり、 ここをめぐり定軍山の戦いが行われたり、劉備が漢中王に即位したり、 果ては諸葛亮が北伐の拠点にしたりと、ちょくちょく登場する重要な場所である。 上へ 官渡(カント) [部分編集] 司隷、河南郡の東端。 黄河の南岸。洛陽の東方、許の北方に位置し、兗州陳留郡と接する。 袁紹との決戦(通称官渡の戦い)における曹操軍の本陣。 上へ 許(キョ) [部分編集] 豫州、穎川郡。 曹操の本拠地。曹操はこの地に献帝を連れてきて首都とした。 許昌、許都とも呼ばれる。 上へ 鄴(ギョウ) [部分編集] 冀州、魏郡。 業におおざと。大都市。 袁紹が統治していたが204年に曹操に移り、以後曹操勢力の中心都市となる。 二喬を侍らせたいと言った「銅雀台」の建立地もここ。 上へ 薊(ケイ) [部分編集] 幽州、広陽郡。 現在の北京に当たる。 上へ 剣閣(ケンカク) [部分編集] 益州、梓潼郡。 姜維率いる蜀軍最後の戦いの地。漢中と成都をつなぐ位置にあり、ゲーム中でも重要な拠点。 三国志Ⅸでは 壺関 と並ぶ最強の関。左右に櫓や城塞を配置すると、関に到達する前に敵部隊が壊滅してしまうこともある。 上へ 建業(ケンギョウ) [部分編集] →秣陵(マツリョウ)の改名後の名前。詳しくは秣陵を参照。 上へ 建寧(ケンネイ) [部分編集] 益州、建寧郡。 南蛮に接する地。孟獲はここ出身とされる。 ゲーム的には「左下コーナー」。 空白地であることが多く、スタートの地になることも多い。 また、逆にゴールの地になることも。 上へ 呉(ゴ) [部分編集] 揚州、呉郡。 秣陵(建業)の前の孫権らの本拠地。 もともと厳白虎が割拠していたが、孫策に敗れる。 後の国号の「呉」は、魏によって孫権が呉王に封ぜられたため。 君主は陶濬 +詳細を表示 主人公である陶濬が旗揚げした場所。彼の運命の場所となった建業に程近い。 旗揚げ時のメンバーは馬岱、典韋、秋穣子の3名。 上へ 江夏(コウカ) [部分編集] 荊州、江夏郡。 三国志11では立地条件が非常に悪い。 (川からほとんどの内政施設に攻撃される、あまり内政施設を建てられない) 魔理沙の幻想郷帰還誌 +詳細を表示 チルノ補正の歴史に名を刻む都市。 劉備軍に滅ぼされたチルノ軍だが、半年もたたずにチート集団を率いてこの地で決起。逆に劉備軍を滅亡させる。 後にこの都市は魔理沙軍の領地になるが、チルノ軍と交戦しようと出陣したとたん、忠誠96のはずの姜維(生姜)らが裏切り、 再びチルノ軍のものとなった。 上へ 交趾(コウシ/コーチ) [部分編集] 交州、交趾郡。 現在のヴェトナム北部。演義ではほとんど関係ないせいか、しばしばコーエーによってハブられる。 士ナントカさんこと士燮が割拠し、孫呉に貿易を通じて南方の真珠などをもたらしていた。 士一族の影響は大きかったらしく、晋書には霍弋・陶璜など多くの人物の伝に、 「平定された」という語句が頻出するようになる。 上へ 江州(コウシュウ) [部分編集] 益州、巴郡。 現在の重慶。 上へ 江陵(コウリョウ) [部分編集] 荊州、南郡の南端。( 三国志ドライヴ の郡地図では「襄陽」郡の南端) 長江中流域の北岸に位置し、現在の湖北省荊州市荊州区に相当する。 長江の物流などの軸となる要地であり、「兵家必争の地」とされた。 西晋滅亡後、荊州の中心地は襄陽からここへ移る。 新世紀 東方三国志~ひぐらしの憂鬱~ +詳細を表示 ニートが目覚めた場所。ここから伝説が始まる。 この動画をきっかけとしてか、多くの動画においてスタート地点とされているらしく、君主は陶濬では、 蓬莱山輝夜が「始まりの地、どうしてかはわからないけれど、なんだか張り切れてしまう場所」と評していた。 101匹阿斗ちゃん +詳細を表示 空白地帯。 当時劉禅軍は、劉焉軍の成都を攻めたいが、圧勝しなくては劉備軍に滅ぼされる、 全軍を出そうにも外交と兵糧が問題になるという問題を抱えていた。 これに対し、唯一神・賀斉が提案したのは、江陵を収入期直前に占領するというもの。 資金・兵糧を確保するとともに、劉備軍を釣り出すという、一石二鳥の策である。 (賀斉)神の一手を実現すべく、ハチロク阿斗が兵1で向かい、見事作戦を成功させた。 なお、江陵に残された兵士1人は、張飛・趙雲・関平など豪華メンバーが率いる2万(+諸葛亮などの増援)と交戦し、 160人の敵兵を打ち倒す活躍を見せながらも、名誉の戦死を遂げた。 上へ 壺関(コカン) [部分編集] 并州、上党郡。 上党で叛旗を翻した幷州刺史の高幹が、206年に曹操軍を迎えて戦った場所。現在の山西省長治市壺関県。 ★三国志Ⅸにおける壷関 剣閣 と並ぶ最強の関。 左右に櫓や城塞を設置すれば、落とすことは非常に難しくなる。(PS2版だと一つしか置けない) 劉度が歴史を修正するようですの事実上の最終決戦地点。 しかし、名前のせいで、いかんともしがたい雰囲気が漂う最終決戦となった。 上へ 子午谷(シゴコク) [部分編集] 秦嶺山脈を南北に貫き、漢中と長安を結ぶ最短コース(といっても約420キロはある)。 北伐の際、魏延がここに桟道を築いて侵攻することを進言したが、孔明はこれを聞き入れなかった。 絶好の勝機を逃したとするか、危険な奇策を排したとするか、孔明の選択をどうみるかは議論が分かれる。 動画的には、魏延が強いこだわりを持つ場所として、ネタにされることが多い。 上へ 州(シュウ) [部分編集] 中国の行政区画の分類上、最大のもの。漢代では、中国全土を13州に分けた。 後に、涼州南部が雍州として分離され、14州となった。 【魏】幽州(ゆうしゅう)・冀州(きしゅう)・并州(へいしゅう)・青州(せいしゅう)・ 兗州(えんしゅう)・徐州(じょしゅう)・豫州(よしゅう)・司隸(しれい)・ 雍州(ようしゅう)・涼州(りょうしゅう) 【蜀】益州(えきしゅう) 【呉】荊州(けいしゅう)・揚州(ようしゅう)・交州(こうしゅう) +各州の主要都市 幽州:襄平、北平、薊 冀州:南皮、平原、鄴 并州:晋陽、上党 青州:北海 兗州:濮陽、陳留 徐州:下邳、小沛 豫州:許昌、汝南 司隷:洛陽 雍州:長安、安定、天水 涼州:西平、武威 揚州:寿春、廬江、秣陵(建業)、呉、会稽、柴桑 荊州:宛、新野、襄陽、江陵、江夏、長沙、武陵、桂陽、零陵、西城 益州:永安、漢中、梓潼、成都、江州、建寧、雲南 交州:交趾 (注)三国志Ⅸでの分類であり、史実とは異なる可能性もあります。 州地図 (フリー素材、 三国志ドライヴ 提供) 上へ 襄平(ジョウヘイ) [部分編集] 幽州、遼東郡。 董卓が中央を支配したころから公孫度の一族はこの地を中心に独自勢力を築いた。 度の孫の公孫淵の時代に、魏の司馬懿はこの街を包囲、公孫一族を滅亡させる。 秋色三国志 +長い長い戦い 長い長い襄平攻防戦の地。 孫策軍を滅ぼした後、八雲紫軍との決戦の切り札が「襄平制圧作戦」 江南の国から最北端幽州へ。無茶すぎる遠征が始まった。 ニューヒーロー管亥を倒したのは良かった。 しかし、その後に残ったのはボロボロの城と、大量の八雲軍援軍だった。 港を制圧され、援軍も届かない状況で立ち向かうのは守屋神社組と天界組、そして風見幽香達秋軍のエース。 この襄平攻防戦によって、港を獲られた八雲紫軍は南下する襄平部隊と北進する本隊に南北から挟撃されるきっかけを作る。 そして秋軍は南下途中に多くの城、優秀な将を得ることになる。 失った兵は多く、得た物も大きかった。 上へ 新野(シンヤ) [部分編集] 荊州、南陽郡。(西晋期に義陽郡が新設された際、義陽郡所属に変更) 劉表の治める荊州に身を寄せた劉備は、この町の守備を任される。 上へ 成都(セイト) [部分編集] 益州、蜀郡。 蜀漢の首都。 101匹阿斗ちゃん +詳細を表示 劉焉軍の都市。 劉禅軍は、主力をおとりとすることで敵部隊2万を釣り出し、その間に成都(敵兵約3万)を8千×10部隊で落とそうとする。 が、おとり部隊は早々と壊滅。敵増援が成都に戻ってきて、泥沼の戦いになるかと思われた。 が、戦闘開始2ターン目で、圧倒的数を生かした最強兵法「アングシーロール」が炸裂。 驚異の兵法連鎖により、増援が来る前に成都は陥落。劉焉軍滅亡に成功した。 上へ 長安(チョウアン) [部分編集] 雍州、京兆尹。(漢代では司隷に属したが、三国時代は雍州所属) 前漢の首都。現在の西安市近郊。 後漢末、献帝を手中にした董卓はこの地に遷都し、暴虐の限りをつくした。 上へ 陳倉(チンソウ) [部分編集] 雍州、扶風郡。(漢代では司隷に属したが、三国時代は雍州所属) 現在の陝西省宝鶏市。有名な五丈原の近郊でもある。 陳倉城は堅城として知られる。蜀漢の諸葛亮の第二次北伐において、魏の将・郝昭は寡兵にて蜀軍を撃退し、北伐を失敗させた。 郝昭の存命の間は蜀軍を寄せ付けなかったが、彼の死後放棄され、蜀領となる。 上へ 陳留(チンリュウ) [部分編集] 兗州、陳留郡。 曹操の親友であった張邈が治めていた。 なお、後漢の最後の皇帝である献帝(劉協)は、もとは陳留王であり、 魏の最後の皇帝である元帝(曹奐)は、晋への禅譲後に陳留王に封ぜられた。 上へ 南皮(ナンピ) [部分編集] 冀州、勃海郡。 袁紹が当初の拠点としていたとされる場所。(韓馥から冀州の支配権を詐取した後は、鄴に本拠地を遷す) 袁紹が死んだ後、長男である袁譚はこの地で一度曹操を破ったが、二度目で曹純に大破され、討死して果てている。 幻想三国志 +詳細を表示 第一部の終幕、南皮会談及び南皮決戦の戦場となった場所。 南皮会談は馬超が求めた和議の申し出に応じて開かれたものだったが、実際には馬超らを暗殺する為の罠であった。 その場は馬超の猛気と顔・文両将及び審配の袁紹に対する説得、そして馬超軍の軍師シュウの策によって何とか事なきを得たが、交渉は完全に決裂。 双方総力を結集しての激戦となった。そして、この戦が終局に向かった時に……。 上へ 白馬(ハクバ) [部分編集] 兗州、東郡白馬県。 黄河の南岸。官渡の北東、鄴の南方に位置する。 曹操と袁紹の白馬の戦い(官渡の戦いの前哨戦)があった場所。 なお、三国志Ⅸにおける白馬港は、黄河北岸(冀州、魏郡黎陽県)にあり、 ここでいう白馬の対岸に置かれている。 上へ 平原(ヘイゲン) [部分編集] 冀州、平原郡。 古代中国の郡。秦の時代には県、前漢の時代では郡、後漢前期では国が置かれていた。 もともとは青州に所属したが、曹操により冀州に編入された。 斉王田栄が項羽に敗れて殺された場所であり、 また劉備が公孫瓚の後押しで平原国の相となり、群雄としてのキャリアをスタートさせた地でもある。 但し、ゲームではよく滅亡する。 幻想三国志 +詳細を表示 第二部の終幕、黄巾討伐戦の戦場となった場所。 当初は兵力と練度に勝る馬超軍が有利と見られていたが、張宝、張梁、孫仲らの奮闘により南皮決戦以上の激戦となった。 最早後に退く事の出来ぬ者、歩みを止めかけ、再び前に進まんとする者、亡き張角の志を受け継ぐと決意した者、 そしてこの戦を死に場所と決めた手負いの男達が入り乱れ、多くのドラマが生まれた。 上へ 北平(ホクヘイ) [部分編集] 幽州。 北京(三国時代の薊)の旧名であるが、コーエー三国志における「北平(都市名)」は本来の位置ではなく、 右北平(ユウホクヘイ)郡( 三国志ドライヴ の郡地図では「北平」郡)に置かれている。 位置的には、薊(本来の北平、広陽郡)の東方にあたる。 ただし、晋の時代に右北平郡は改名され、北平郡となったので、ここを「北平」とするのは必ずしも間違いではない。 (もっとも、南北朝や隋の時代の北平郡は、さらに別の位置にあるので、いささかややこしい) 上へ 秣陵(マツリョウ) [部分編集] 揚州、丹楊郡(丹陽郡ともされる)。 今の南京に当たる。孫呉の首都となり、建業と改名された。 作品によっては、途中で改名イベントが入ったり、年代によって名前が違ったりする。 上へ 綿竹(メンチク) [部分編集] 益州、広漢郡。 成都北部に位置する要地。 蜀最後の決戦の地であり、剣関を迂回した鄧艾が奇襲。 諸葛亮の子孫である諸葛瞻・尚親子や黄崇などが抗戦するも討ち取られ、蜀は魏に降伏することになる。 上へ 洛陽(ラクヨウ) [部分編集] 司隸、河南尹。 後漢および曹魏の首都。董卓は、この街を焼き払って長安に遷都した。 後に文帝曹丕は、許昌からここへと遷都する。 霊夢の旅日記 +詳細を表示 いわゆる、チルノ補正の始まった地である。 動画が始まった当初、この廃墟に陣取る弱小バカルテットたちは、瞬時に消滅するかと思われていた。 が、何をどう間違ったのか、勢力は順調に拡大していき、三強勢力の1つとなる。 上へ 倭(ワ) [部分編集] 大陸の東にある島。現在でいう日本である。 魏志倭人伝(正確に言うと、「三国志」の「魏書」のラスト「第三十」の「烏丸鮮卑東夷伝」の倭に関する部分)の中に、 倭の様子と邪馬台国について書かれている。 邪馬台国は卑弥呼という女王が治めており、魏の3代目曹叡か4代目曹芳の皇帝の時代に朝貢のための使者を送って 親魏倭王に任じられている。 九州などで呉鏡(孫呉製の銅鏡)が多数出土していることから、孫呉ともかなり交流が深かったと考えられるが、 注を含め三国志にはその辺の記述がない為に、詳細は不明。 チルノ放浪記 +詳細を表示 もともと妖怪と人間がそれなりに仲良くしていたが、女王卑弥呼が暴走し、妖怪たちに戦争を仕掛ける。 無益で無謀な戦争に困った倭の人間の救援要請を受けた八坂神奈子は、妖怪王・独眼竜政宗と交渉し、女王卑弥呼を謀殺。 倭の国は神奈子が乗っ取り、妖怪たちとの関係も修復された。 チルノ軍からの宣戦布告を受け、神・人間・妖怪の混成軍で迎え撃つ。 上へ コメント欄 呉の項目について。陳瑀は呉郡太守を自称しただけで、実際には呉ではなく徐州にいたんじゃないか?江東で孫策に破られたとは書かれていない。 -- 名無しさん (2009-03-14 14 39 03) 徐州広陵郡海西から謀略を仕掛けていたようですね。すいません、直します。 -- 名無しさん (2009-03-14 15 12 20) ttp //suginami-s.net/game/sangokuonsitu/img/siryou/map_gb.gif 参考になりそうな地図があったので。コーエー三國志の北平は右北平郡なんじゃないかなあ、と思いますが詳細不明。 -- 名無しさん (2009-04-03 21 52 38) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/623.html
このページは数あるニコニコ歴史戦略ゲー動画の登場人物について、各動画内での列伝をまとめていくものとして用意しました。 主役級の活躍を見せた人物はもとより、名脇役、好敵手からネタ☆キャラまで幅広く紹介されるページになることを願います。 ここでは三国志の人物について扱います。 参考用リンク先(需要のありそうなものがあれば随時追加推奨) Category 三国志 - Wikipedia :史実についての参考リンク 幻想水滸伝・三国志を知らないけど、興味ある人の為の解説サイト ニコニコ歴史戦略ゲー 武将紹介 公開マイリスト :史実武将紹介動画 武将別解説 - 三国編 :iM@S架空戦記シリーズ補完wikiより三国武将紹介 『三国志の登場人物の一覧』 :ニコニコ大百科での三国志人物項目一覧 武将別伝(三国志) ア行 ハ行 ハ ヒ フ ヘ ホ カ行 カ キ ク ケ コ マ行 サ行 サ シ ス セ ソ ヤ行 タ行 タ チ ツ テ ト ラ行 ラ リ ル レ ロ ナ行 ワ行 曹叡(ソウエイ) 曹奐(ソウカン) 曹訓(ソウクン) 曹彰(ソウショウ) 曹植(ソウショク) 曹真(ソウシン) 曹操(ソウソウ) 曹丕(ソウヒ) 曹豹(ソウヒョウ) 曹熊(ソウユウ) 沮授(ソジュ) 孫桓(ソンカン) 孫堅(ソンケン) 孫権(ソンケン) 孫皓(ソンコウ) 孫策(ソンサク) 孫尚香/孫夫人/弓腰姫(ソンショウコウ/ソンフジン/キュウヨウキ) 孫震(ソンシン) 曹叡 (ソウエイ) [部分編集] (204or206~239)字は元仲(ゲンチュウ)。曹丕の長男、魏の二代目皇帝(明帝)。司馬懿や曹真といった古参の配下を重用した。人物面では高く評価された一方で、度重なる出費で国の財政を傾かせた。 三國志IX 統率 80 武力 50 知力 85 政治 89 三國志11 統率 72 武力 52 知力 82 政治 82 魅力 88 急襲/弩兵A 上へ 曹奐 (ソウカン) [部分編集] (246~302)魏の5代皇帝(元帝)。字は景明(ケイメイ)。260年、先代皇帝・曹髦を殺害した司馬昭によって、15歳で皇帝に擁立された。265年司馬炎に帝位を禅譲し、魏は滅んだ。陳留王に封じられ天寿をまっとうした。 「ラストエンペラーズ」の一角。影は薄い。 三國志IX 統率 8 武力 8 知力 26 政治 40 三國志11 統率 13 武力 15 知力 30 政治 45 魅力 65 101匹阿斗ちゃん 【三國志Ⅸ】 +オープニングMAD準レギュラー。 オープニングMAD準レギュラー。傀儡キャラ。 一五匹目で紹介あり。でもどうしようもない。 上へ 曹訓 (ソウクン) [部分編集] (?~249)曹真の三男。無能であったが兄の曹爽の取り立てにより出世する。後に兄弟ともども司馬懿に処刑された。 三國志IX 統率 11 武力 36 知力 7 政治 21 三國志11 統率 18 武力 34 知力 11 政治 16 魅力 28 魏国が東方勢にもっこもこ 【三國志Ⅸ】 +魏国の将、キャラブレイクなし 三国志動画史上トップクラスの名教官。無能だが彼の育てた関芝の能力は極めて高い。もっとも関芝は流浪の末、敵に回ることになったが(彼には慕われていたようだ)。次に育てた雷如鳳(岡崎夢美の偽名)に至っては、平均能力92、かつ多数の技能を取得し、さらに多くの視聴者が「見たことない」と驚愕するような高評価コメントが出る設定どおりの天才武将。彼女にはさんざん無能と罵倒された上に逃げられる。 上へ 曹彰 (ソウショウ) [部分編集] (?~223)字は子文(シブン)。曹操の子で、曹丕の弟。素手で猛獣を倒したというほどすぐれた腕力の持ち主だったという。父からは「黄鬚児」の愛称で武勇を賞された。田豫とともに烏丸・鮮卑平定に活躍を見せている。 曹操の息子の中でも愛すべき脳筋キャラ。 三國志IX 統率 88 武力 91 知力 44 政治 35 三國志11 統率 82 武力 90 知力 40 政治 35 魅力 76 疾走/槍兵A,騎兵S 軍師黄皓の憂鬱 【三國志11】 +曹操軍武将 曹操軍武将。 脳筋的な意味で呂布といい勝負を見せている。 Fairy Rhyme 【三國志Ⅸ】 +曹操軍→大妖精(殷)軍 父親である曹操軍が滅んだため、大妖精軍に加入。 八精将軍の一人として郝昭・劉禅・賀斉らと共に大妖精軍の中核を担っている。 上へ 曹植 (ソウショク) [部分編集] (192~232)字は子建(シケン)。曹操の子で、曹丕、曹彰の弟。父以上に詩の才能に優れ、曹操も彼を溺愛した。 兄の曹丕と後継者の座を争ったが敗北。曹丕に殺されかけるが、七歩のうちに詩を作り、処刑を免れた。その後は各地を転々とさせられたという。 詩のことばかりが目立つが、兄達と同じく戦場にも何度か従軍したとされる。 三國志IX 統率 22 武力 31 知力 84 政治 75 三國志11 統率 18 武力 22 知力 81 政治 70 魅力 80 詩想 上へ 曹真 (ソウシン) [部分編集] (?~231)字は子丹(シタン)。曹操の一族で、曹操に実子同様に育てられた。曹操直属の精鋭部隊「虎豹騎」を任される。孫の曹叡を大将軍として支え、蜀の諸葛亮による侵攻を総司令官として迎え撃ち、撃退した。人望厚く公正な人物で兵卒からも慕われたという。 演義では蜀軍の撃退は司馬懿に手柄を持っていかれた上、諸葛亮のやられ役にされている。極度の肥満体であったらしく、諸葛亮にその事をなじられた事もある。 三國志IX 統率 83 武力 71 知力 67 政治 66 三國志11 統率 87 武力 74 知力 68 政治 72 魅力 88 精妙/槍兵A,騎兵S 関連用語: 王双が斬られた(オウソウガキラレタ) 魏国が東方勢にもっこもこ 【三國志Ⅸ】 +魏国の将、長安防衛戦に参加、キャラブレイクなし スレ住民の賭けの対象にされた悲劇の武将。 東方キャラの中でも有数のドS、幽香に付けねらわれ、最終的に殺される。 最後は魏国の未来を司馬懿に託して逝った。 型月三国志Ⅸ Fakes/Parade 【三國志Ⅸ】 +序盤から登場、当初は両儀式軍の武将として登場、勢力滅亡後に七夜軍に参戦、紙芝居常連 式軍の将として騎馬隊を率い、防衛戦に活躍。そのため、七夜軍は式軍と決着を付けるのに2年の月日を要した。 七夜軍に参戦後も騎馬隊を率いて前線に立つ。彼の部隊は魏にいたとき同様虎豹騎と呼ばれている。 衛宮士郎軍、言峰綺礼軍との戦いで活躍するが少し本気をだしたミス・ブルーの狙撃を受けて戦死する。 君主は陶濬 【三國志Ⅸ】 +キャラブレイクなし アマテラス軍から途中参戦。 対志々雄・対神主以降は主に椛とコンビを組み形で活躍する。 時に厳しく、時に優しい名将軍というポジション。花が好きであり、よく人や物事を花にたとえる。 上へ 曹操 (ソウソウ) [部分編集] (155~220)「超世の傑」とも「治世の能臣、乱世の奸雄」とも言われる三国志の英雄。字は孟徳(モウトク)。実質的な魏王朝の祖(後漢を正式に滅ぼしたのは息子の曹丕)。軍事・政治だけでなく学問や詩の才にも恵まれた万能の天才。父親の仇の為に徐州では虐殺を行ったり冷徹である一方、有能な人材をこよなく愛した。 ニコ歴戦界隈でも様々なネタにされやすいが「曹操なら仕方ない」とあらゆることを簡単にやってのける超万能武将として大人気であり自重しない。 通称「歌って踊れる乱世の奸雄」。子供の頃は女性に混じって歌舞に興じており、本当に歌って踊れるから困る。 三國志IX 統率 99 武力 72 知力 92 政治 96 三國志11 統率 96 武力 72 知力 91 政治 94 魅力 96 虚実/槍兵S,戟兵S,弩兵A,騎兵A 関連用語: SOSO 、 人材派遣会社 、 丞相(ジョウショウ) 、 17歳 関連タグ: 【曹操】 ニコニコ大百科: 『曹操』 曹操がプロデュース業を始めたようです +第一話から登場、紙芝居レギュラー、アイマス架空戦記なのに主役クラス、キャラブレイクあり 17才 ひぐらしのなく三国志 【三國志Ⅸ】 +敵役。魏国の王、キャラブレイクあり ツンデレ萌え。息子より剣が大切。寿命により途中退場 魏国が東方勢にもっこもこ 【三國志Ⅸ】 +主人公、本編開始前に三国統一を果たし魏国皇帝に就任、キャラブレイクなし 各地で勃発した反乱にたいして瞬く間に防衛網を整え、自らも東方戦線に赴く。 一時は敵を倭に押し戻すことに成功するものの、再度の侵攻と他の戦線の崩壊から 東部戦線も縮小を余儀なくされ、要塞密集地帯と化した陳留まで撤退。 その後は荊州戦線に移動し、その指揮をとる。 戦線崩壊後は許都にて最終決戦を指揮、四方から迫る大軍をしのぎ、見事東方勢に勝利を納める。 後日談では、最後に残った都市・汝南のみから反撃を開始、五国を駆逐し、9年後に再統一を果たす。 その後は文化大国・魏の初代皇帝として内政の充実・外敵の融和に努め、307年に天寿を全うした。 変態記 【三國志Ⅹ】 +諸勢力の1つ。いつの間にか滅ぼされていた、キャラブレイクあり ガチホモ。全員がホーガンと化した兵士たちを見て歓喜の叫びを上げる。 過去に関☆羽となにかあったらしい。 呂布シリーズ 【三國志Ⅸ】 +当初は敵。味方になってからは呂布軍副軍団都督。紙芝居準レギュラー、キャラブレイクなし? 人材獲得会社SOSOの社長。敵にいるときも味方にいるときも自重しない登用攻勢で敵軍から武将を引き抜く。 「逆襲」での最大の成果は帝国軍の最終兵器デススターを奪ってきたこと。 「復讐」では帝国からエクゼキューター級スターデストロイヤーの設計図を奪い、自前のドッグを用意して、墜落した宇宙戦艦の再生に成功。後に完全SOSO製の宇宙戦艦も建造。 終戦後は許昌にて戦争中に使われた兵器を展示する博物館を設置する。 「大魔王の逆襲」ではおまけ動画の最大ダメージトライアルにおいて大量の標的となる人形を提供し、その指揮を取った。 人材獲得会社については史実でもゲームでも良くあることなのでキャラブレイクはなし。 オーバーテクノロジーについては世界全体が修正されているので問題なしw 中華武将祭り 【三國志Ⅸ】 +現在1軍、様々な曹操がいる、キャラブレイクあり。 GR孔明の策略により北郷軍と最初に交戦して滅亡、その後肉屋でバイト中に北郷軍に捕縛される。 滅亡時に装備品全てを没収されていたため「エアーマンの曲」が掛かるほどのツンぶり(登用拒否) を発揮していたが「関羽+美少女=愛沙」の公式の前に陥落し、北郷の義弟(自称)になる。 陥落前までは一向に登用を諦めない北郷に君主論を語り、その甘さを指摘して自分の処刑を求めるという極めてシリアスなキャラだったが、 陥落した途端に北郷を義兄さんと呼び自重しない発言を連発するネタキャラへと変貌した。でも、シリアスに戻るべき時は戻ってるあたり、やはり超人である。 普段の立ち振る舞いは、うp主の意図したものではなかったが、 17才 に類似したものであり、 本作には他にもニコニコ三国志動画の君主が登場していることもあって、視聴者の間では時々17歳の愛称で呼ばれる事態になってしまっている。 代わりに…かどうかは不明だが「蒼天航路/曹操(君主)」が非常にシリアスな性格となっている。 魔理沙の幻想郷帰還誌 【三國志11PK】 +中盤から登場。現在の所一軍。キャラブレイクあり 輝夜軍に滅ぼされ、永琳のドーピングホーライ座薬を受けてチート化した結果、何かが壊れた。 民命書房を読み漁り、麻雀勝負を仕掛けて自滅する様にカリスマは感じられない。 妹紅や劉備と仲がいい。 炎帝蝗君伝 【三國志Ⅸ】 +エンディングで登場。キャラブレイクあり エンディングで登場。 「17歳」どころか、7歳に退行してしまった。 騎将張繍の野望 +曹操軍君主。キャラブレイクあり 許昌攻防戦のハイエナ侵攻で初登場。張繍軍に女の子(と言っても妖怪・妖精)が多いことに目をつけてから17歳病が発症。 東方キャラ相手にシモネタ、嫁発言を連発する様にもはや中華に覇をとなえた人物の面影は無い。 だが実力は本物である上に悩む者に助言を与えるなどカリスマ的行動も取れるなんだかんだ言って超人。 基本は城にいる。時々チルノのパーフェクト算数教室を歌ったり、敵部隊を混乱させて大ダメージを与えたりする。 張繍軍熟練度ランキングにも部門毎に度々登場する。流石は公式チートというべきか・・・万能すぎだろSOSO様www 因みに曹操の勢力滅亡の仕方は酷いだった(レミリア逆補正並)。 曹操☆無双 +曹操軍君主。キャラブレイクあり その身一つで小沛に降り立ち、ゲームでの勝利を目指す。 例に漏れなく一切自重せず、下ネタなどを連発して視聴者の笑いを誘う。 ちなみにうp主は指摘されるまで17歳の存在を知らなかったようだ。中華武将祭といい、曹操はこんなキャラがデフォなのか。 君主は陶濬 +蒼天曹操に差し替え。蒼天曹操軍君主。キャラブレイクあり? 性格・グラフィック共に蒼天航路の曹操に差し替えられ、うp主によって武将を放り込まれるなどの強化を施される。 ……が、陶濬軍とぶつかる前にまさかの滅亡。その後は孫堅の所に流れていたらしく、覇軍の丞相になる。 顔軍との初戦では歌舞にも秀でている所を見せ付け、敵味方双方を驚かせた。 が、やっぱり曹操なので、あらゆる意味で自重しない。 天公将軍張角の挑戦 +遊戯軍武将。キャラブレイクなし? 君主時代は周りから30万という大軍にフルボッコにされ滅亡。 その後遊戯軍→張角軍と所属を変える。 比較的マトモな部類の曹操様かと思われたが、どうやら単に自重していただけだったようだ。 例に漏れず中身は17歳系。その成分は発掘した抜擢に受け継がれた。 曹 zのボーカル担当。 Fairy Rhyme 【三國志Ⅸ】 +曹操軍→司馬懿軍→大妖精(殷)軍 人材を引っこ抜かれ、わずか1年で滅んでしまう。その後は司馬懿とツートップ17歳’sで大妖精軍と5年にわたる戦いを繰り広げる。 ある意味「祭り」と呼ばれた最終決戦終了後、大妖精軍に加入。 加入後は司馬懿との17歳コンビに輝夜、ちい様(千蟲姫)が加わり更に自重しなくなっている。当然の如く河北三銃士とも仲が良い。 ・・・まあ、敵の筈の司馬懿軍時代から、仕事さぼって大ちゃん軍にお茶飲みに来たり、ちゃちゃ入れに来たりしていたが・・・ 関連動画―――― 組曲『曹操孟徳』 :替え歌 上へ 曹丕 (ソウヒ) [部分編集] (187~226)字は子桓(シカン)。曹操の三男だが、兄達が相次いで死去したため、嫡子となる。弟の曹植や曹彰(の取り巻き)らとの後継者争いに勝利。曹操死去後、劉協(献帝)から帝位を簒奪し、魏王朝を打ち立てた。 二刀流や騎射に優れ、文人としても優れていたが、一般的には陰湿な性格であったとされる。実際はかなり繊細で趣味人であったと思われる文章が残っている。 于禁の最期における逸話のせいか、 ドS と呼ばれる事もある。 三國志IX 統率 65 武力 70 知力 86 政治 85 三國志11 統率 70 武力 71 知力 83 政治 86 魅力 82 射手/弩兵A 文帝乱舞 【三國志11】 軍師黄皓の憂鬱 【三國志11】 +曹操軍武将。 曹操軍。 父親とは不仲。絶賛反抗期中。 上へ 曹豹 (ソウヒョウ) [部分編集] (?~?)陶謙の臣でのちに劉備に仕える。劉備の留守中に背き、呂布を徐州に引き入れた。同僚の張飛とのトラブルが原因といい、演義では張飛の飲酒を注意して鞭打たれたことがきっかけとされている。 初代三國志などでの最低能力値(劉禅以下)保持者。最近はネタ武将としてのインパクトが薄れたが、知っている人はニヤリとする人物。 三國志IV 統率 17 武力 67 知力 15 政治 16 魅力 13 三國志IX 統率 61 武力 73 知力 35 政治 28 三國志11 統率 54 武力 69 知力 32 政治 21 魅力 26 関連タグ: 曹豹 関連動画―――― 曹豹さん :替え歌(初音ミク) 一月目の飲酒 :替え歌(初音ミク) 上へ 曹熊 (ソウユウ) [部分編集] (?~?)曹操の子。曹丕・曹彰・曹植の弟。病弱のため早世した。演義では、病のため父の葬儀に出ることができなかったのを曹丕に詰問されるのをおそれて自害したことになっており、曹丕の悪役振りを印象付けている。 三國志IX 統率 14 武力 6 知力 50 政治 55 三國志11 統率 9 武力 5 知力 52 政治 64 魅力 68 特攻三国志 【三國志Ⅸ】 +解説役? ゲストの「くま」。解説役なのか? 上へ 沮授 (ソジュ) [部分編集] (?~200)韓馥に仕えた後、袁紹の参謀となる。河北平定に貢献したが郭図らと対立して遠ざけられ、対曹操戦略や後継者問題に関する諫言も聞き入れられなかった。官渡の戦いで曹操軍の捕虜になると、曹操は彼を登用しようとしたが、沮授はこれを拒否し逃走しようとしたため処刑された。曹操はこの処断を大変後悔したらしく、手厚く葬ったという。 三國志IX 統率 79 武力 31 知力 93 政治 92 三國志11 統率 78 武力 35 知力 90 政治 89 魅力 74 弩兵A,騎兵A,兵器A 上へ 孫桓 (ソンカン) [部分編集] (?~?)字は叔武。孫河(兪河)の子。呉の皇族きっての秀才と言われ、夷陵の戦いでは蜀の猛攻を支えて大活躍した。 チルノ放浪記 【三國志Ⅸ】 +... 紫・霊夢・輝夜を連続スナイプしたことから、「ルナシューター」と呼ばれる。 上へ 孫堅 (ソンケン) [部分編集] (155?~191?)群雄の一人、字は文台(ブンダイ)。孫策・孫権らの父。17歳の頃一人で海賊を倒して名を上げ、その武勇や兵法は当時権勢を誇った董卓を恐れさせたという。袁術に従って各地を転戦するさなか、劉表軍との戦いで戦死した。 早死にしなければ当時は最も天下に近かった人物と言われている。 真・三國無双においては 彼が突撃する事=呉軍の敗北フラグ である。と言うのも彼が総大将のシナリオで大抵、 孫堅が敵陣に(たいてい単独で)突撃→敵の罠や伏兵発動→孫堅が窮地に陥り死亡=ゲームオーバー という不動のコンボを各地で(明らかに策の面で劣る南蛮勢力に対しても)披露してくれるからである。 そのためか4コマのアンソロジーの作品において「出撃したいとボヤくがすぐ罠に引っかかるからと円の外から出してもらえない。」、「周りがしっかりしないとすぐに死にそうになる。」等とネタにされてしまっている。 三國志IX 統率 96 武力 91 知力 77 政治 78 三國志11 統率 93 武力 90 知力 74 政治 73 魅力 91 駆逐/槍兵S,戟兵S,騎兵A,水軍S 関連用語: パパ 関連タグ: 【孫堅】 顔君主 【三國志Ⅸ】 +プレイヤー戦力の同盟相手 序盤から何度か小競り合いを繰り返した後に、プレイヤー戦力からの贈呈を受け和解。 しかし、その後も少しでも気を抜いたら侵攻を再開するため、他勢力との戦争に精一杯の 顔君主はそのたびに贈呈で急場を凌ぎ続けることになる。 後に皇帝に即位して『覇』を建国する。 東方春幻想 【三國志Ⅸ】 +滅亡→蓬莱山輝夜軍→神主軍 開始してから早い段階で神綺軍に滅ぼされ、その後再起を計るも再び神綺軍に潰され、輝夜軍に登用されていた。 その野戦攻撃力は圧倒的で、たびたび神主軍の前に立ちはだかるも、輝夜軍壊滅を機に神主軍で再起を図ることに。 神主軍に入って以降は、史実武将代表として神主軍の中核となり、その圧倒的な野戦兵法の攻撃力で獅子奮迅の活躍を見せる。 上へ 孫権 (ソンケン) [部分編集] (182~252)孫堅の次男、字は仲謀(チュウボウ)。兄・孫策の跡を継ぐ。赤壁の戦い後に勢力を拡大し、呉王朝の祖(大帝)となる。有能な側近の意見を容れて国を栄えさせたが、晩年は後継者問題をこじらせ、能臣を多く死なせ国を衰退させてしまった(二宮の変)。 ゲーム的には父や兄に武力の面で一歩劣るが、合肥の戦いでは張遼が「赤髭で背が高く短足で馬を巧みに操り騎射のうまい将軍」が孫権だと知って悔しがったと言われており、実際には父や兄と比べても著しく武勇が劣っていた訳では無かったようだ。 三國志IX 統率 73 武力 67 知力 83 政治 89 三國志11 統率 76 武力 67 知力 80 政治 89 魅力 95 指導/戟兵A,水軍A 関連用語: 白目 、 厨房 関連タグ: 【孫権】 変態記 【三國志Ⅹ】 +序盤で登場、紙芝居レギュラー、キャラブレイクあり 極度の妄想癖の変態にさせられ、顔グラに白目のバージョンが用意されている。劉備とは仲良し。 関羽と共に他の動画ですら笑われて仕舞う武将筆頭。 軍師黄皓の憂鬱 【三國志11】 +劉禅軍(プレイヤー勢力)途中加入。 劉禅軍(プレイヤー勢力)途中加入。 孫堅軍から、ソンケン違いで登用。性格は中坊、というよりも小学生っぽい。「げんそん」こと諸葛恪とつるんで、いたずらをして暴れ回っている。 関連動画―――― ああ 孫権トリック宴会 :替え歌(歌唱つき) 上へ 孫皓 (ソンコウ) [部分編集] (242~284)呉の4代皇帝(末帝)。字は元宗(ゲンソウ)。父は廃太子孫和。幼き時には聡明さを称えられていたので即位当初は期待されたものの、やがて暴君と化して多くの人々を処刑した。280年、晋軍に降伏して呉は滅亡。本人は助命された。 「 ラストエンペラーズ 」の一角だが、やったことがシャレになってないのでそれほど人気は無い。「父の死に様が悲惨だったから呉という国に復讐したのでは?」「なまじ賢くて呉の行く末が見えていたのかも」と理解する見方がないわけではない。 三國志IX 統率 10 武力 31 知力 40 政治 10 三國志11 統率 13 武力 28 知力 31 政治 6 魅力 3 軍師黄皓の憂鬱 【三國志11】 +孫堅軍武将。 孫堅軍武将。 その「セイムスメル」に大きな期待がかけられて劉禅軍に登用されるが、そのまま引き抜かれるという素晴らしいネタをこなしてみせる。 101匹阿斗ちゃん 【三國志Ⅸ】 +オープニングMAD準レギュラー。 オープニングMAD準レギュラー。暴君。一四匹目で紹介あり。 「暗愚キャラというより残虐キャラの色が強く、いまいち可愛げがない」とはうp主の言。 東方春幻想 【三國志Ⅸ】 +神綺軍の武将として登場。 チルノに名前を「そうんこ」と覚えられてしまう。 以降、チルノに続いて弟子達からも「そうんこ」と呼ばれる事になる。 関連動画―――― 組曲『孫権死後』 :替え歌 上へ 孫策 (ソンサク) [部分編集] (175~200)孫堅の長男、字は伯符(ハクフ)。父の跡を継ぎ、1000というわずかな兵を元手に江東を制覇。袁術のくびきを断ち切り、後の呉王朝の基盤を築いた。曹操の本拠を襲撃する計画を立てていたが、その最中に元の呉郡太守・許貢(「孫策は危険だ」と朝廷に訴えたのがばれて孫策に殺された人物)の部下に襲撃されて深手を負い、そのまま死去した。 演義では「小覇王」(「覇王」は項羽を指す)と称されるが、自らが斬った于吉の霊によって呪い殺される。 三國志IX 統率 95 武力 92 知力 75 政治 72 三國志11 統率 92 武力 92 知力 69 政治 70 魅力 92 勇将/槍兵S,戟兵A,騎兵S,兵器A,水軍S 魔理沙の幻想郷帰還誌 【三國志11PK】 +孫堅軍→魔理沙軍 本動画きっての常識人。元君主クラスでまともなのは彼だけと言っても過言ではない。 それゆえに、曹操や劉備の企みに巻き込まれては苦労している…というか死にかけている。 特にチートは受けていないが、レミリアの全力スぺカを負傷程度に抑える辺り、何かあるのかもしれないが、そもそも義兄弟が異常なので気にする事はないのかもしれない。 関連用語: ズェー 、 サック 関連タグ: 【孫策】 上へ 孫尚香/孫夫人/弓腰姫 (ソンショウコウ/ソンフジン/キュウヨウキ) [部分編集] (?~?)孫堅の娘、孫権の異母妹。劉備に嫁いだが、武装した侍女を引き連れていたことが正史にも記されている。のちに呉に帰国しているが、その理由は不明。演義では「弓腰姫」。「孫尚香」の名は京劇での役名で、コーエーが無双に取り入れたことで広まった。 三國志IX 統率 77 武力 84 知力 72 政治 71 三國志11 統率 72 武力 86 知力 67 政治 63 魅力 86 弓将/槍兵A,弩兵S,水軍S 軍師黄皓の憂鬱 【三國志11】 +劉禅軍(プレイヤー勢力)途中加入。 劉禅軍(プレイヤー勢力)途中加入。 妹キャラ。現時点で劉禅軍の紅一点で、ジョンや氏真と一緒の場面も多い(うらやましい)。史実では劉禅の義母にあたるため劉禅を「阿斗ちゃん」と呼んでいる。 東方春幻想 【三國志Ⅸ】 +博麗霊夢軍の武将として初登場 江夏攻防戦において博麗軍の将として登場。その連弩の威力は神主軍にとって大きな脅威となった。 しかし父孫堅に叱られるのが怖くて博麗軍が壊滅した直後に脱走。 その後、襄陽にて魔理沙・パチェ・アリスのゆで理論による友情パワーによって神主軍への参入を決意する。 魔理沙菌に感染したのか「○○は、ぱわぁ」といった事を良く使う。 上へ 孫震 (ソンシン) [部分編集] (254~280)呉の将軍。孫権らとは遠縁の一族に当たる。呉の最期の戦いで張悌や沈瑩とともに防戦に出撃。晋の王渾らの軍勢に敗れた。 サンゴクニカイドウ 【三國志Ⅸ】 +二階堂軍(プレイヤー勢力)武将 二階堂軍(プレイヤー勢力)武将。アメリカンテイストなあんちゃん。朱鷺子になつかれており、視聴者にうらやましがれている。 上へ そういえば三国の中で孫堅だけキャラ崩壊していないw -- 名無しさん (2008-11-03 20 55 14) ↑君は変態記を知らないのか? -- 名無しさん (2008-11-03 21 06 44) 訂正。孫堅の壊れ回数が少ない。 -- 名無しさん (2008-11-15 21 00 13) 反町三国志や軍師黄皓とか意外と崩れてる気がする→厨房 -- 名無しさん (2009-07-03 23 29 18) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/422.html
このページは数あるニコニコ歴史戦略ゲー動画の登場人物について、各動画内での列伝をまとめていくものとして用意しました。 主役級の活躍を見せた人物はもとより、名脇役、好敵手からネタ☆キャラまで幅広く紹介されるページになることを願います。 ここでは三国志の人物について扱います。 参考用リンク先(需要のありそうなものがあれば随時追加推奨) Category 三国志 - Wikipedia :史実についての参考リンク 幻想水滸伝・三国志を知らないけど、興味ある人の為の解説サイト ニコニコ歴史戦略ゲー 武将紹介 公開マイリスト :史実武将紹介動画 武将別解説 - 三国編 :iM@S架空戦記シリーズ補完wikiより三国武将紹介 『三国志の登場人物の一覧』 :ニコニコ大百科での三国志人物項目一覧 武将別伝(三国志) ア行 ハ行 ハ ヒ フ ヘ ホ カ行 カ キ ク ケ コ マ行 サ行 サ シ ス セ ソ ヤ行 タ行 タ チ ツ テ ト ラ行 ラ リ ル レ ロ ナ行 ワ行 虞翻(グホン) 虞翻 (グホン) [部分編集] (164~233)字は仲翔(チュウショウ)。呉の重臣。はじめ王朗に仕え、後に孫策に招聘された。 剛直な直言の士で君主の孫権にも容赦しなかったため、交州に左遷された。交州では多くの人に学問を教えたという。陸績とは親友の仲。 歴戦界ではDQNキャラとしての地位を確保しており、口の悪さにおいては右に出るものはいない。 三國志IX 統率 37 武力 48 知力 85 政治 81 三國志11 統率 43 武力 46 知力 86 政治 81 魅力 46 風水 上へ 名前 コメント