約 73,429 件
https://w.atwiki.jp/fashionhomo/pages/38.html
刺青は、ファッションになるんでしょうね 『刺青』谷崎潤一郎 陰翳礼讃
https://w.atwiki.jp/presenile/pages/432.html
蓼食う虫(文學ト云フ事-06より) http //jp.youtube.com/watch?v=1u9GH8Yc5Wc 「谷崎潤一郎」で検索 #bf
https://w.atwiki.jp/author/pages/648.html
谷崎潤一郎をお気に入りに追加 くちこみリンク1 #blogsearch2 Amazon.co.jp ウィジェット キャッシュ 使い方 サイト名 URL くちこみリンク2 #technorati 報道 アートの扉:レッサー・ユリィ 夜のポツダム広場 冷気感じる都市の雨 - 毎日新聞 老いは若さ、紅葉は青葉の諧謔がごく自然にほとばしり出る遺詩集 (2021年12月6日) - エキサイトニュース 特別試し読み第3回/『ミルクとコロナ』白岩玄・山崎ナオコーラの往復・子育てエッセイ - auone.jp バターの色は何色ですか? 黄色と思ったあなたは……。食品と色の感覚史~注目の新書紹介~ - GetNavi web 小室夫妻は歴史的には普通? 皇室に存在した“皇族のルールブック”にみる「結婚の教え」 - サイゾーウーマン 二・二六事件の謎。秩父宮は何故あえて「遠回り」した? - ニフティニュース 「谷崎潤一郎をめぐる人々と着物」 中村圭子、中川春香著|GRAPHIC - 日刊ゲンダイ 安藤裕子、ニューアルバム「Kongtong Recordings」より「少女小咄」のリリックビデオをプレミア公開!! | PONYCANYON NEWS - PONYCANYON NEWS 京の花形舞踊家3人、谷崎の「細雪」舞う 井上八千代指導、12月3日に - 京都新聞 季語刻々:障子あけて置く海も暮れ切る - 毎日新聞 【装い新たに】「谷崎潤一郎をめぐる人々と着物 事実も小説も奇なり」展 後期展示で“衣替え” 弥生美術館 - 読売新聞社 浅草で落ち着いて飲める老舗バー…冷やした角瓶とさらによく冷えたソーダがあればハイボールに氷なんていらない - スポーツ報知 作家・綿矢りさと「ときメモ」について熱く語り合う加藤千恵による エッセイ集 『あのころなにしてた?』の読みどころ(レビュー)(Book Bang) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「文豪ストレイドッグス BEAST」場面カット7点公開、芥川が敦に掴みかかる(コミックナタリー) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【大阪特派員】山上直子 なにわ文化 「船場(せんば)」にあり - 産経ニュース 江戸川乱歩、谷崎潤一郎……「のぞき見」に執着した近代文学者はスマホ時代を予見! (2021年11月23日) - エキサイトニュース かつては列車で社会勉強…原武史×保阪正康「鉄道と近現代」〈週刊朝日〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ここは現か幻か 朧げに浮かび上がる偏愛と美意識の酔い心地(レビュー)(Book Bang) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 寺田農、36年ぶり主演映画に「なんで俺が?」…名バイプレーヤーの「私はアマチュアだ」の真意とは(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 瀬戸内寂聴さん死去 99歳、作家・僧侶 文化勲章受章者|好書好日 - 朝日新聞デジタル 谷崎潤一郎が住んでいた家が売り出し中 そうだ、京都で暮らそう - KAI-YOU.net ファッションブランド「ANREALAGE」が 日本酒「SAKE HUNDRED」のボトルをデザイン | Webマガジン「AXIS」 | デザインのWebメディア - AXIS 20代の樋口可南子が大胆ラブシーン...小悪魔OL&人妻の同性愛を描いた映画『卍(まんじ)』を無料配信中 - トレンドニュース 「文豪ストレイドッグス BEAST」本ビジュアル&本予告公開、追加キャストに村田充ら(コミックナタリー) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「キレキレの文章とセンス溢れる文体の虜になること間違いなし!」ジュンク堂書店スタッフおすすめの1冊は?(TOKYO FM+) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【1位は木組 2位は蝶々夫人 3位は谷崎潤一郎】10月に最も読まれた美術展ナビのツイートベスト10 - 読売新聞社 Amazonオーディブル、読書週間に合わせ小林 多喜二著「蟹工船」を含む日本文学の巨匠らによる珠玉の22作品をポッドキャストにて配信開始 - PR TIMES 山の手事情社ならではの一人芝居を、「池上show劇場【PREMIUM】」開催(ステージナタリー) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 逝去した山本文緒さん受賞の中央公論文芸賞贈呈式が開催 副賞のジュエリーは生前病床で受け取っていたと明かされる(ねとらぼ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース <募集終了>【5組10名限定】弥生美術館「谷崎潤一郎をめぐる人々と着物 事実も小説も奇なり」招待券プレゼント - 読売新聞社 東大出身の文豪を徹底解剖! ①森鷗外・谷崎潤一郎編 - 東大新聞オンライン 金原ひとみさん「コロナ禍でもがき苦しんでいる、その声を書くしかないと」…谷崎賞贈呈式 - 読売新聞 マゾヒズムに一生を捧げた文豪・谷崎潤一郎。山口晃・近藤聡乃が谷崎作品を漫画にしたら(婦人公論.jp) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 顔 で脂乗りがわかる「旬のさんま」上手な焼き方 - 東洋経済オンライン 日本文学研究者 ロバート・キャンベル(4) - 日本経済新聞 【漫画】Sっ気あふれる女王様が好き! 谷崎潤一郎の破天荒人生を彩った女性たち(久世番子)(婦人公論.jp) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 週末いきたい!「大正ロマン」な美術館の展覧会4選 - 読売新聞社 DMM GAMES『文豪とアルケミスト』イベント『調査任務「ハロウィーンナイトパーティ! 前編」』と限定召装「ハロウィーンナイトパーティ! 前編」を同時開催 - PR TIMES 川端康成:ノーベル賞記念講演に込められたメッセージ(nippon.com) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 馬場のぼる展、来年夏に地元の青森・八戸市美術館で開催 - 読売新聞社 【開幕レビュー】リアルとフィクション、融合の愉楽 「谷崎潤一郎をめぐる人々と着物」展 弥生美術館 - 読売新聞社 村上春樹・司馬遼太郎・山崎豊子…作家が描き愛した関西 - 日本経済新聞 谷崎潤一郎をめぐる人々と着物 ~事実も小説も奇なり~ | 展覧会 - インターネットミュージアム 100年前も今も変わらない? 芥川龍之介・与謝野晶子・菊池寛…文豪たちの遺した言葉から見る感染症 - GetNavi web 実写映画「文豪ストレイドッグス BEAST」来年1月公開!谷口賢志ら舞台キャスト出演(コミックナタリー) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 文豪のそばにはいつも猫がいた。『文豪の愛した猫』刊行! - PR TIMES 第57回谷崎潤一郎賞が決定 金原ひとみ『アンソーシャル ディスタンス』が受賞(Book Bang) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 大正の文豪ブームは雑誌の戦略? 谷崎潤一郎記念館 - 朝日新聞デジタル 金原ひとみ『アンソーシャル ディスタンス』が第57回谷崎潤一郎賞を受賞! - PR TIMES 近藤聡乃ら11人が谷崎潤一郎の文学をマンガ化、新たに対談やインタビュー収めた文庫版 - コミックナタリー 「細雪」の世界で夕涼み 谷崎潤一郎の旧家でライトアップ - 神戸新聞 伊豆・上原美術館で展覧会「陰翳礼讃」を開催 暗い展示室で美の魅力を探る(オーヴォ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース レインメーカー“老舗の西陣織生地”を使用したオリエンタルジャケット、谷崎潤一郎『陰翳礼讃』などに着想 - Fashion Press 傑作に潜む蠱惑的な謎。上田秋成『春雨物語』の新出自筆本―『天理図書館所蔵 春雨物語 羽倉本・天理冊子本・西荘本』飯倉 洋一による書評(ALL REVIEWS) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 余録:谷崎潤一郎の名作… - 毎日新聞 堀辰雄「風立ちぬ」 戦争の時代に描かれた限りある生の姿|好書好日 - 好書好日 (インタビュー)二つの資本主義の行方 経済学者、ブランコ・ミラノビッチさん:朝日新聞デジタル - 朝日新聞デジタル ロシアの妖精が大好きな日本文学をレビュー(THE TENNIS DAILY) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース コロナでもこだわりを「アラスカ」「ロイヤルホスト」の次をも見据えた戦略:ガイアの夜明け - テレビ東京 乙女の本棚シリーズ最新作は、大人気の文豪・谷崎潤一郎が登場! イラストレーター・夜汽車とのコラボレーションで『刺青』が発売 - PR TIMES 老人のイヤイヤ期、脚フェチ、現実逃避……『恍惚の人』から50年、作家たちが描いてきた「老い」とは? - リアルサウンド 葛飾北斎「初」の伝記映画を見て納得、西洋画から日本アニメにまで与えた影響力 - ダイヤモンド・オンライン 谷崎潤一郎は反戦思想家!?お見合い物語『細雪』を戦時下に書いた理由 - ダイヤモンド・オンライン 『文豪ストレイドッグス』より、新作グッズが続々登場! キャラアニ.comでしか買えない限定販売グッズも! - PR TIMES 小川洋子さんが語った文学の深み「理屈ではさばけない闇」 - 産経ニュース 100年以上続く老舗書店 作者の息吹を感じる稀覯本に触れて【Vol.23 玉英堂書店】 - J-CASTニュース デーモン閣下と邦楽演奏家がコラボ『デーモン閣下の邦楽維新Collaboration 官能のフラメンコ2ー谷崎潤一郎を詠み謳う(よみうたう)』開催 - http //spice.eplus.jp/ エドへの手紙:エドワード・サイデンステッカーの思い出 - Nippon.com 谷崎潤一郎、三島由紀夫、永井荷風… 文豪が描いた究極の背徳映画 - NEWSポストセブン 高価で希少な谷崎潤一郎の初版本が一堂に 木箱入りの「蘆刈」など 芦屋で特設展 - 神戸新聞 【装丁入魂】美的で気品あるデザイン追求 ブックデザイナー・柳川貴代さん 「人魚の嘆き 魔術師」谷崎潤一郎作、水島爾保布画(春陽堂書店) - 産経ニュース 谷崎潤一郎は口移しで餌、開高健は剥製に…文豪たちの溺愛“飼い猫”エピソード - アエラドット 朝日新聞出版 乙女の本棚シリーズ最新刊は谷崎潤一郎+しきみ『魔術師』、江戸川乱歩+ホノジロトヲジ『人間椅子』の豪華競演で、2冊同時発売。 - PR TIMES SUNDAY LIBRARY:著者インタビュー 阿刀田高『谷崎潤一郎を知っていますか 愛と美の巨人を読む』 - 毎日新聞 編集長からの手紙:芦屋市谷崎潤一郎記念館(兵庫県) 美しく妖しげな世界 - 毎日新聞 谷崎潤一郎は鹿児島がお好き?お手伝いさん求め手紙切々 - 朝日新聞デジタル版 磯﨑憲一郎教授著『日本蒙昧前史』 第56回谷崎潤一郎賞を受賞 - 東京工業大学 <大波小波> 大谷崎の「性慾」に迫る - 中日新聞 終戦前夜のすき焼き - 西日本新聞 谷崎潤一郎の中国との縁とその文学作品 - people.com.cn 【1分間名作あらすじ】谷崎潤一郎『細雪』――昭和初期の女の婚活。マリッジブルーで下痢が止まらない!? - ダ・ヴィンチニュース 菊池寛、志賀直哉らと同じく…谷崎潤一郎も「浜作文人」の1人だった - iza(イザ!) 神戸で谷崎潤一郎文学に浸る阪急たびコト塾!不朽の名作「細雪」たつみ都志講演&映画鑑賞inOSシネマズ - アットプレス(プレスリリース) 佐藤春夫と谷崎潤一郎 「2人の深い関係」で企画展:紀伊民報AGARA - 紀伊民報 (時代の栞)「陰翳礼讃」 1933年発表・谷崎潤一郎 闇に見いだした美:朝日新聞デジタル - 朝日新聞社 谷崎潤一郎は奥さんを譲渡する、しないで友人ともめる/『文豪どうかしてる逸話集』⑤ - ダ・ヴィンチニュース 芦屋市谷崎潤一郎記念館『WHAT IS TANIZAKI?~多面体の文豪~』 - KissPRESS 【明治の50冊】(49)谷崎潤一郎『秘密』 都市の記号で綴る日常の異界 - 産経ニュース 谷崎潤一郎:グラビアが照らす 雑誌など100点、兵庫・芦屋の記念館で展示 - 毎日新聞 『父より娘へ 谷崎潤一郎書簡集―鮎子宛書簡二六二通を読む』 千葉俊二編 - 読売新聞 谷崎潤一郎「細雪」に描いた大水害 豪雨多発の今に教訓 - 朝日新聞社 (都ものがたり 京都)谷崎潤一郎が住んだ、せせらぎ邸宅 長く愛した風景、作品にも克明に:朝日新聞デジタル - 朝日新聞社 美脚で谷崎潤一郎の世界を熱演 27歳片山萌美さん「難しい役でした」 - 産経ニュース 魅惑的な美少女の正体は?文豪・谷崎潤一郎原案「悪魔」予告&ポスター公開 - エイガドットコム 谷崎潤一郎の一大スキャンダル「細君譲渡事件」モデルの映画の予告編&ポスターが公開 - シネマトゥデイ 文豪・谷崎潤一郎作品原案の映画3本が18年に公開 キャストに渋川清彦、戸次重幸ら - エイガドットコム 谷崎潤一郎作品の映画化プロジェクト始動、内田英治、ウエダアツシ、藤井道人が監督(コメントあり) - 映画ナタリー 本牧 気まぐれ歴史散歩 【3】 『谷崎潤一郎が暮らした街』 | 中区・西区 | タウンニュース - タウンニュース 谷崎潤一郎、晩年の日記8冊 右手の痛みも衰えぬ創作熱 - 産経ニュース 性と美のアイデアの泉 谷崎潤一郎創作ノート・メモ類、全容初収録 - 産経ニュース 成分解析 谷崎潤一郎の51%は知識で出来ています。谷崎潤一郎の33%は電波で出来ています。谷崎潤一郎の10%は花崗岩で出来ています。谷崎潤一郎の3%は気の迷いで出来ています。谷崎潤一郎の3%はマイナスイオンで出来ています。 ウィキペディア 谷崎潤一郎 掲示板 名前(HN) カキコミ すべてのコメントを見る ページ先頭へ 谷崎潤一郎 このページについて このページは谷崎潤一郎のインターネット上の情報を集めたリンク集のようなものです。ブックマークしておけば、日々更新される谷崎潤一郎に関連する最新情報にアクセスすることができます。 情報収集はプログラムで行っているため、名前が同じであるが異なるカテゴリーの情報が掲載される場合があります。ご了承ください。 リンク先の内容を保証するものではありません。ご自身の責任でクリックしてください。
https://w.atwiki.jp/kword/pages/27.html
年譜 1886年 7月24日東京市日本橋区蠣殻町に生る。 1910年 第二次『新思潮』創刊に参加。「刺青」「麒麟」 1911年 「少年」「幇間」永井荷風に激賞される。 1912年 「秘密」「悪魔」 1915年 石川千代と結婚、「お艶殺し」「法成寺物語」「お才と巳之介」 1916年 「神童」「恐怖時代」 1917年 「人魚の嘆き」「異端者の悲しみ」 1918年 朝鮮、満洲、中国旅行。「小さな王国」 1919年 神奈川に転居。『母を恋ふる記』『近代情痴集』 1920年 『鮫人』『芸術一家言』 1923年 関東大震災により京都へ移住。『肉塊』 1924年 『痴人の愛』 1926年 中国旅行。『上海交遊記』『上海見聞録』 1927年 『饒舌録』連載 1928年 神戸市岡本に新居(「鎖瀾閣」)。『卍』『蓼喰ふ虫』 1930年 千代と離婚。『乱菊物語』 1931年 古川丁未子と結婚。『吉野葛』『盲目物語』『武州公秘話』 1932年 兵庫に転居。『倚松庵随筆』『蘆刈』 1933年 『春琴抄』『陰翳禮讚』 1934年 『夏菊』「文章読本」 1935年 丁未子と離婚し、森田松子と結婚。『摂陽随筆』 1936年 『猫と庄造と二人のをんな』 1939年 『潤一郎訳源氏物語』刊行 1942年 熱海市に別荘を借り、『細雪』執筆 1943年 『細雪』連載禁止処分。上巻を私家版として発行。 1946年 京都に転居し、南禅寺下河原町へ居を定む(前の潺湲亭)。 1947年 『細雪』上巻発表 1948年 『細雪』完成 1949年 下鴨泉川町に転居(後の潺湲亭)。『細雪』下巻、『月と狂言師』『少将滋幹の母』 1950年 熱海にふたたび別荘を借りる(前の雪後庵)。 1951年 『潤一郎新訳源氏物語』 1954年 熱海市伊豆山に新たに別荘を借りる(後の雪後庵) 1955年 『幼少時代』『過酸化マンガン水の夢』 1956年 京都潺湲亭を売却し、熱海に転居。『鍵』 1958年 右手麻痺のため以降口授によって執筆。 1959年 『夢の浮橋』 1960年 『三つの場合』 1961年 『瘋癲老人日記』 1962年 『台所太平記』 1963年 新宅造成のため東京などを転々とする。『雪後庵夜話』 1964年 湯河原の新宅に転居(湘碧山房)。『潤一郎新々訳源氏物語』 1965年 7月30日逝去。満79歳。
https://w.atwiki.jp/amizako/pages/624.html
https //www.aozora.gr.jp/index_pages/person1383.html
https://w.atwiki.jp/honjoho/pages/91.html
46回 2010 ピストルズ 阿部和重 45回 2009 受賞作なし 44回 2008 東京島 桐野夏生 43回 2007 爆心 青来有一 42回 2006 ミーナの行進 小川洋子 41回 2005 告白 町田康 風味絶佳 山田詠美 40回 2004 雪沼とその周辺 堀江敏幸 39回 2003 容疑者の夜行列車 多和田葉子 38回 2002 受賞作なし 37回 2001 センセイの鞄 川上弘美 36回 2000 遊動亭円木 辻原登 共生虫 村上龍 35回 1999 透光の樹 髙樹のぶ子 34回 1998 火の山―山猿記 津島佑子 33回 1997 季節の記憶 保坂和志 路地 三木卓 32回 1996 受賞作なし 31回 1995 西行花伝 辻邦生 30回 1994 虹の岬 辻井喬 29回 1993 マシアス・ギリの失脚 池澤夏樹 28回 1992 花に問え 瀬戸内寂聴 27回 1991 シャンハイムーン 井上ひさし 26回 1990 やすらかに今はねむり給え 林京子 25回 1989 受賞作なし 24回 1988 受賞作なし 23回 1987 夢の木坂分岐点 筒井康隆 22回 1986 砂丘が動くように 日野啓三 21回 1985 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 村上春樹 20回 1984 群棲 黒井千次 この国の空 高井有一 19回 1983 槿 古井由吉 18回 1982 寂兮寥兮 大庭みな子 17回 1981 みちのくの人形たち 深沢七郎 吉野大夫 後藤明生 16回 1980 一年の牧歌 河野多惠子 15回 1979 ポロポロ 田中小実昌 14回 1978 夏 中村真一郎 13回 1977 日の移ろい 島尾敏雄 12回 1976 田紳有楽 藤枝静男 11回 1975 一休 水上勉 10回 1974 安曇野 臼井吉見 9回 1973 帰らざる夏 加賀乙彦 8回 1972 たった一人の反乱 丸谷才一 7回 1971 青年の環 野間宏 6回 1970 闇のなかの黒い馬 埴谷雄高 暗室 吉行淳之介 5回 1969 「朱を奪うもの」「傷ある翼」「虹と修羅」 <三部作> 円地文子 4回 1968 受賞作なし 3回 1967 友達 安部公房 万延元年のフットボール 大江健三郎 2回 1966 沈黙 遠藤周作 1回 1965 抱擁家族 小島信夫 ****** *************
https://w.atwiki.jp/amizako/pages/626.html
谷崎潤一郎 詩と文字と 大正六年四月號「中央文學」 詩人が、幽玄なる空想を彩《いろど》らんが爲めに、美しき文字を搜し求むるは、恰も美女が妖冶《えうや》なる肢體を飾らんが爲めに、珍しき寶玉を肌に附けんと欲するが如し。詩人に取りて、文字はまことに寶玉なり。寶玉に光あるが如く、文字にも亦光あり、色あり、匂あり。金剛石の燦爛《さんらん》たる、土耳古石《とるこいし》の艶麗なる、アレキサンドリアの不思議なる、ルビーの愛らしき、アクアマリンの清々しき、──此れを文字の内に索めて獲ざることなし。故に世人が、地に埋れたる寶石を發掘して喜ぶが如く、詩人は人に知られざる文字を見出して驚喜せんとす。 人あり、予が作物の交章を難じて曰く、新時代の日本語として許容し難き漢文の熟語を頻々と挿入するは目障りなりと。予も此の批難には一應同意せざるを得ず。されど若し、文字の職能をして或る一定の思想を代表し、縷述するに止まらしめば則ち已む。苟くも其れに依つて、或は其れ等の結合に依つて、思想以外の音樂的効果を所期せんと欲せぱ、誰か純日本語の語彙の貧弱なるに失望せざる者あらんや。 日本語以外の漢語と云ふも、何處迄が日本語的漢語にして、何處迄が外國語的漢語なりや明瞭ならず。平安朝時代の邦語の標準を以てせば、あらゆる漢語は外國語なり。既に一旦、鎌倉時代の日本人が、漢語を容れて邦文の缺を補ひ、一種の和漢混交體を創始したる以上、吾人は自由に大膽に、更に洽《あまね》く漢語の海を渉獵して、水底に秘められたる奇種珍寶を探集するに、何の憚る所あらんや。此れ實に貧弱なる日本語を豐富ならしむる捷徑ならずや。 こゝに ”bizarre” と云ふ言葉あり、その發音のみを單に片假名にて「ビザアル」と書き記さば、佛語或は英語を解する者に取りて、少くとも此の語の含有する妙味の一半は消失すべし。若し然らずとせば、彼等は恐らく片假名を讀むと同時に、 ”bizarre” の文字を腦底に描きたるに相違なし。音標文字たるアルフアベツトに於いてすら、猶且字體の組み合はせ其の者より生ずる幻影あり。形象文字たる漢字に於いて、其の傾向の顯著なること論を俟たず。漢字の音韻の豐饒なる、敢て歐洲の國語に劣らずして、而も眼に訴ふる所の多き、到底後者の比にあらず。漢字に多種多樣なる字劃あるは、恰も寶石に千態萬妝の結晶あるが如し。斷ち知るべし、實用的に最も不便なる漢字は、藝術的に最も便利なる事を。 吾人は實に漢字を愛惜す。その音響の妙なることピアノの如く、その形態の美しきこと錦繍《きんしう》の如き漢字を愛惜す。漢字はあらゆる文字中、最も官能的なるものなり。將來は兎もあれ、現在漢字を使用しつ製ある吾人は、斯かる貴重なる形象文字の特質を、何故に飽く迄も利用し活用せんとはせざるぞ。漢字の裝飾的、繪畫的方途を閑却するは、寶石を棄てゝ瓦礫に就くに等しと云ふべし。 云ふまでもなく、國語は此れを使用する國民と共に、絶えず成長し變遷するが故に、吾人は漢字の運命に關して、容易に將來をトする能はず。されど漢字は早晩滅亡すべきを以て、今より制限するに如かずと云ふ者あらば、少くとも藝術の上に於いては愚論なり。二千年の昔に今日のラテン語の運命を憂へたらんには、ヴエルギリユウスは詩を作ること能はざりしならん。ラテン語が Dead Language となりても、ヴエルギリユウスの藝術の死せざるが如く、漢字の葬らるゝ事ありとも、李太白の詩は永遠に生きん。詩人は文字の靈魂を把握せるが故に、彼等に使用せられたる文字は、國語の内に跡を絶ちながら、不朽に其の壽を伸ぶるを得べし。吾人何すれぞ、漢字の齢《よはひ》を數ふる事を須《もちひ》んや。
https://w.atwiki.jp/amizako/pages/627.html
谷崎潤一郎 「少年世界」への論文 大正六年五月號「文章倶樂部」(文壇諸家立志の動機) 私は日本橋の小學校、府立の第一中學校、それから司高の英法科を經て大學の國文科へ入つたのであるが、いよ〳〵文筆で立たうと思ひ定めたのは、一高を出て大學へ入つた時である。 小學校にゐる時、漢學塾へ通つてゐたので、漢文のクラシックは大概その頃に讀み、和文の方も大抵讀んだ。中學では、私と黒田鵬心君と土岐哀果君とが文藝部委員をやつてゐた。そして私は中々の勉強家であつた。多分三年位までは首席でゐた。私の上級に故恒川陽一郎君がゐたが、一級飛び越したので一緒になつた。眞面目な勉強が主で、學校の雜誌にも論文のやうなものばかり書いてゐた。投書時代といふやうなものもなかつた。たつた一度「少年世界」へ論文めいたものを出して、三等賞を得たことがあつた。 高等學校でも成績は可成りよくて、入學した次學期には二番になつてゐた。その頃三年に安倍能成氏や故魚住影雄氏がゐた。安倍氏の事はそれまで知らなかつたが、一度學校で「クオブヂス」の演説をしたのを聽いて感心してしまひ、それから氏の名が記憶に殘るやうになつた。そして演説を聽いて歸つてから、學校の書物はそつち除けにして、一週間ばかりといふもの、「クオヷヂス」に讀み耽つてゐた。 二年になると、次へ入つて來たのが和辻哲郎君や故大貫晶川君であつた。大貫君とは中學時代から一緒でもあり、又一番の親友であつた。よく喧嘩をしたが、死ぬまで仲よしであつた。 私は一高でも文藝部の委員になつた。二年の時初めて小説のやうなものを書いた。それは子規の寫生文を模倣したやうなものであつたが、今見てもそんなに拙いものではないと思ふ。讀んだものは、矢張りその頃流行したイプセンやモウパツサンなどであつた。モウパツサンの短篇集を買つて來て机の上に並べて置くと、友達が面白がつて順々に借りて行つて囘讀した。 その頃戀をした。そんな事が原因になつて、二年から三年にかけて怠け出した。そして種々な遊びを覺えた。 高等學校を出る時の成績は、中から二三番下だつたと思ふ。 大學へ入つて、廿五の時に和辻君、大貫君、後藤末雄君、小泉鐵君、木村莊太君等と一緒に「新思潮」を始めた。初號が發賣禁止を食つて、隨分手痛い目に會つた。それでもお互に自分達の作物を、悉く傑作の積りで自慢し合つた。その時の私の處女作は脚本の「誕生」であつた。それは帝國文學へ出さうと思つて書いたものであつたが、帝國文學で握りつぶされたので、恰度「新思潮」の創刊號に、.他に何も間に合はない爲めに責ふさぎに出したのであつた。所が發賣禁止の傍杖を喰つたので、途に世に出ないでしまつた。次いで「刺青」を「新思潮」の第三號へ出した。發費禁止が怖しさに、原作と違へて大分削り取つた。 その後「信西」を「スバル」に出した。これが原稿料をとつた最初であつた。この頃に、授業料未納の廉で大學へ出られなくなつた。「新思潮」は七八月つゞいて倒れてしまつたが、もう其の頃は、創作家として立たうと云ふ私の決心も定まつて居た。それで大學の方も、その儘構はずに置いた。
https://w.atwiki.jp/amizako/pages/621.html
谷崎潤一郎? 「門」?を評す 明治四十三年九月「新思潮」第一號 僕は漱石先生を以て、當代にズバ拔けたる頭腦と技倆とを持つた作家だと思つて居る。多くの缺點と、多くの批難とを有しつゝ猶先生は、其の大たるに於いて容易に他の企及す可からざる作家だと信じて居る。紅葉なく一葉なく二葉亭なき今日に於いて、僕は誰に遠慮もなく先生を文壇の第一人と認めて居る。然も從來先生の評到は、其の實力と相件はざる恨があつた。それだけ僕は、先生に就いて多くの云ひたい事論じたい事を持って居る。「門」を評するに方りて、先づこれだけの斷り書きをして置かないと、安心して筆を執ることが出來ない。 「それから」は代助と三千代とが姦通する小説であつた。「門」は姦通して夫婦となつた宗助とお米との小説である。此の二篇はいろいろの點から見て、切り放して讀む事の出來ない理由を持つて居る。勿論先生は其の後の代助三千代を書く積で、「門」を作られたのであらう。そこで僕も始終「それから」と比較して、自分の考を云はうと思ふ。 誰やらが「漱石は自然主義に近くなつた。」と云つたと覺えて居る。若し「門」を讀んで尚此の言を爲す人があれば、其れは大なる謬りと云はねばなるまい。 「門」は「それから」よりも一層露骨に多くのうそを描いて居る。其のうそは、一方に於いては作者の抱懐する上品なる───然し我々には縁の遠い理想である。一方に於ては先生の老獪なる技巧である。以下僕は逐一其のうそを指摘して見たい。 宗助とお米とは姦通によつて出來上つた夫婦である。「宗助は當時を憶ひ出す毎に、自然の進行が其處ではたりと留まつて、自分もお米も忽ち化石して了つたら、却つて苦はなかつたらうと思った。事は冬の下から春が頭を擡《もた》げる時分に始まつて、散り盡した櫻の花が若葉に色を易へる頃に終つた。凡てが生死の戰ひであつた、青竹を灸つて油を絞る程の苦しみであつた。大風は突然不用意の二人を吹き倒したのである。二人が起き上つた時分は何處も既に砂だらけであつたのである。彼等は砂だらけになつた自分逹を認めた。けれども何時吹き倒されたかを知らなかつた。」さうして氣が付いて見たら、いつの間にか徳義上許す可からざる大罪を犯して居たのである。 即ち二人の罪は、戀と云ふ大風───自然の不可抗力に駈られた結果で、決して放埓な淫奔な性質の然らしめた所でない事を、作者は辯明して居る。此のいきさつは「それから」を讀めば能く解る事である。かくて二人は當然の制裁として、社會から繼子扱ひにされつつ、淋しい所帶を持つた。制裁は種々の形で二人に迫つた。貧と云ふ奴が第一に來た。それから病氣がお米のかよわい體を襲つた。 第三には、「貴方は人に對して濟まない事をした覺えがある。其の罪が祟つてゐるから、子供は決して育たない」と云つた賣卜者の豫言が中つて、三度迄妊娠した胎兒が悉く闇から闇へ葬られて了つた。夫婦は前後六年の問、「世の中の日の目を見ないものが、寒さに堪へかねて、抱き合つて暖を取るやうな工合に、お互仝志を頼りとして暮して居」るのである。 「宗さんは何《ど》うも悉皆《すつかり》變つちまいましたね」と叔母が叔父に話す事があつた。すると叔父は、 「左うよなあ。矢つ張り、あゝ云ふ事があると、永く迄後へ響くものだからな」と答へて、因果は恐ろしいと云ふ風をする。 かう宗助は人にも云はれる迄に、みじめな月日を送つて居るのである。「彼等が毎日同じ判を同じ胸に押して長の月日を倦まず渡つて來たのは、彼等が始めから一般の社會に興味を失つてゐた」のでなく「社會の方で彼等二人限に切り詰めて、其二人に冷かな背を向けた結果に外ならない」としてある。然し現今の社會は此の二人のやうな罪人に對してかほど迄に嚴肅な制裁を與へる程鋭敏な良心を持つて居るだらうか。世の中の因果應報と云ふものは、案外もつとルーズな、ふしだらなものではなからうか。少くとも其の富を奪ひ、其の健康を奪ひ、其の三人の子を奪ふ程慘酷なものであらうか。僕は此の點に關して疑なきを得ない。世間はもつと複雜な、アイロニカルな事實に富むで居る筈である。甚不遜な申分ながら、若し先生が眞に世間は斯う云ふものだと解して居られるなら、其は極めて甘い見方だと云はねばならぬ。たまたま先生の作物が、讀者の胸に痛切な響を與へないと云はるゝ點は此處にあるのであらう。 更に考ふ可きは、此の状態に於ける夫婦の愛情である。「彼等は六年の問世間に散漫な交渉を求めなかった代りに、同じ六年の歳月を舉げて、互の胸を掘り出した。彼等の命はいつの間にか互の底に喰ひ入った。………二人の精神を組み立てる神經系は、最後の纎維に至る迄、互に抱き合って出來上つて居た。」 「彼等は此の抱合の中に、尋常の夫婦に見出し難い親切と飽滿と、それに件ふ倦怠とを兼具へてゐた。さうして其の倦怠の傭い氣分に支配されながら自己の幸福を評價する事丈は忘れなかつた。」 「彼等は自然が彼等の前にもたらした恐るべき復讐の下に戰きながら跪づいた。同時に此の復讐を受ける爲めに得た互の幸福に封して、愛の神に一瓣の香を焚く事を忘れなかつた。彼等は鞭たれつゝ死に赴くものであつた。たゞ其の鞭の先に、凡てを癒す甘い蜜の着いて居る事を覺つたのである。」之に依つて見れば、宗助とお米とは當節に珍しいロマンチツクな生活を送って居ると云はねばならぬ。新しき教育を受けた代助が「それから」のやうな戀をするのは無理ならぬ事である。然し新しき思潮に觸れた宗助が、如何に大いなる犠牲を拂ってかち得たる戀であるとは云へ、ヒステリーの病妻を抱いて、子なく金なき詫びしい家庭に、前後六年の間、青年時代の甘い戀の夢から覺めずに居たと云ふ事實は、一寸受け取り難い話である。「蒲團」の作者に云はしたなら、頭から「拵へ物だ」と評するかも知れぬ。イムポツシブルでない迄も宗助の境遇と性格とは、甞て先生御自身が獨歩の「酒中日記」を批評せられた如く、「千萬人中の一人にして有り得べき事實」であらう。 「門」を「それから」の續篇と見て、特種の性格をもつた代助の戀は、「門」に描かれたるが如く發展するのが自然の成行であらうかどうか。斯う云ふ點からも考へて見る必要がある。代助の道徳から云へば、斯く發展す可きが正當であるかも知れぬ。代助の道徳は是非とも代助に「永劫變らざる愛情あるべし。」と教へなければならぬ。然し實際の愛情は之に反する事が多くはあるまいか。さうして自己を僞らざらむが爲めにあらゆる物を犧牲にして、眞の戀に生きむとして峻嚴なる代助の性格は、戀のさめたる女を抱いて、再びもとのやうな、或はそれよりも更に絶望なヂレンマに陷る事がありはすまいか。其の時々にこそ二人の姦通者は眞の報復を受く可きである。若し「それから」が「門」に描かれたやうな發展の徑路を取つたとしたならば其れは作者に取つても代助に取つても甚好都合な次第であると云はねばならぬ。 以上は全篇の骨子に横つて居る大いなるうそである。先生の作物が、如何に自然主義作家のそれと異つて居るかは、これだけで既に明瞭であらう。先生は「戀は斯くあり」と云ふ事を示さないで「戀は斯くあるべし」と云ふ事を教へて居られる。先生に依つて教へられたる戀は、僕の考へて居るものよりも遙に眞面目で遙に貴いものである。 僕は先に宗助とお米とは、ロマンチツクな生活を送つて居ると云つた。けれども二人の戀は決して芝居や淨瑠璃に現れるやうな淺薄な派手なものではなく、深く生命の底に根ざした嚴肅な質實なものとして描かれて居る。信仰の對象なく、道徳の根底なく、荒れすさんだ現實の中に住する今日の我々が幸福に生きる唯一の道は、まことの戀によつて永劫に結合した夫婦間の愛情の中に第一義の生活を營むにある、これが「門」の作者の我々に教ふる所である。其の戀は單なる性慾滿足の戀でもなければ、徒に美しきものに憧るゝ戀でもない。相當の分別ある人が、姦通の大罪を犯して迄も之を得なければ生きて居られない程、必要な戀である。之を得た宗助とお米とは我々から見ると遙に幸福な羨しい身の上と云はなければならぬ。人生の落ち付き場所は此の戀である。「それから」の戀は破壞的であつたが、「門」の戀は建設的であると云ふ事が出來る。 作者の暢逹な筆力は、此の戀を可なり讀者に會得させる迄に書いてある。二人を貧乏な境遇に置き、お米を病身にさせ、三人の子を死亡させたのも、又彼等の間に小六と云ふ第三者を配したのも畢竟は此の戀をヱムファサイズせんが爲めの細工であつたのだ。作者が其の狙つた目標を、充分に射中てゝ居る事だけは確である。我々もならう事なら宗助のやうな戀に依つて、落ち付きのある一生を邊りたいと思ふ。けれども其れは今日の青年に取つては到底空想にすぎないであらう。 等しく拵へ物としても、「それから」は事實の土臺の上に立つて居たが、「門」は空想の上に築かれて居る。いろ〳〵の方面から見て、「門」は「それから」に劣つて居ると云はねばなるまい。若し事實に立脚して、宗助とお米との戀の破綻を種材に捉へたならば、「門」は「それから」よりも更に大きい問題と、深い意味とをもたらす事が出來たであらうと思はれる。僕は返す返すも「それから」に依つて提供された大きな問題が、「門」に於いて、なまじひな解決を與へられた事を殘念に思ふ。 「門」は眞實を語つて居ない。然し「門」にあらはれたる局部々々の描寫は極めて自然で、眞實を捕捉して居る。日曜におもてを散歩する時の宗助の氣持、殊に電車へ乘つて天井の廣告を見て居るあたり。年越の夜の一家の有樣。其の他到る所の光景が自然主義の作家と雖容易に企て及び難いほど鋭敏な觀察眼を以て仔細に描けて居る。篇中に出て來る人物の性格も可なりに躍動して居る。家主の坂井、(これは「野分」の中野君に似て居る。作者はかう云ふ人物の性格を表すのが大分得意と見える)佐伯の叔母などは、一寸顏を現すだけだが、一と通り其の人物の輪廓を髣髴せしめて居る。慾を云へば小六だけがはつきりとしないやうである。さうして會話をうつす事に於いては、先生は今の作家中に群を拔いて居るやうである。「虞美人草」「草枕」時代の會話は、少々お芝居がかつて居たが、宗助やお米の言葉は、如何にも自然とたくまずして眞に迫つて居る。僕の最感心した一節を左に引いてみようと思ふ。 寐る時、着物を睨いで、寐卷の上に、絞りの兵兒帶をぐる〳〵卷つけながら、 「今夜は久し振に論語を讀んだ」と云つた。 「論語に何かあつて」とお米が聞き返したら、宗助は、 「いや何もない」と答へた。それから、「おい、己の齒は矢張り年の所爲《せゐ》だとさ。ぐら〳〵するのは到底《とても》癒らないさうだ」と云ひつゝ、黒い頭を枕の上に着けた。 かう讀んで行くと、何となく二人の聲が聞えるやうな氣がする。殊に全篇の終りを、二人の會話で何となく結んだのは趣が深い。 御米は障子の硝子に映る麗な日影をすかして見て、 「本當に有難いわね。漸くの事春になって」と云つて、晴れ〴〵しい眉を張つた。宗助は縁に出て長く延びた爪を剪りながら、 「うん、然し又ぢき冬になるよ」と答へて、下を向いたまゝ鋏を動かして居た。 こゝで全體がポツリと切れて居る。長い、長い二人の生涯の一部分を、無雜作に切り放したやうな終り方である。餘韻がある。 先生は常に一般讀者の興味と云ふ事に充分注意して、筆を執られるかと思ふ。兎も角も先生の小説は多くの階級の人に、面白く讀まれるだけは事實であらうと思はれる。鮪船に石油ヱンヂンを取り付ける事や、電氣で文字を印刷する發明や、先生の小説は比較的廣い範圍で今日の實社會と何等かの交渉を有して居るやうである。さうして、坂井の盜難だの、抱一の屏風だの、風船玉の事件だの論語の話だの、いろ〳〵と讀者を面白がらせるやうな出來事が現れて來る。これは讀者を單に紺がすりのニキビ黨にのみ求めず、普く一般の社會の大人を對手にしようと云ふ抱負のある作者としては、必要な心掛けである。僕は先生の此の大きな態度を頼もしく思ふ。然しなるべく卑俗に或は不自然に陷らない範圍に於て願ひたいものである。宗助が鎌倉へ參禪に行く所は、如何に見ても突飛であらうと考へる。「三四郎」「それから」「門」と順を追うて先生の筆には著しくさびが出て來た。僕の友人に「八百藏の聲を聞くだけでも、歌舞伎座は他の芝居よりは有難い。」と云つた者がある。僕もそれと全じやうに、「先生の文章を見るだけでも『門』は他の小説よりも有難い。」と云ひたい。 思ふ事をくど〳〵と順序もなく書立てたが、大變長くなつて了つた。まだ云ひたい事は澤山あるのだが、冗漫になるから此の位にして置く。最後に僕はこれだけの事を明言しておきたい。 先生の小説は拵へ物である。然し小なる眞實よりも大いなる意味のうその方が價値がある。「それから」はこの意味に於いて成功した作である。「門」はこの意味に於いて失敗である。 僕等の先生である人に對して、不遜な論評を敢てした事は重々お詫びをする。
https://w.atwiki.jp/amizako/pages/625.html
谷崎潤一郎 「カリガリ博士」を見る 大正十年八月號「活動雜誌」 上 淺草のキネマ倶樂部でやつて居る「ドクトル・カリガリのキヤビネツト」を見た。評判が餘りえらかつたので多少期待に外れた感もしないではないが、確かに此の數年來見たものゝうちでは傑出した寫眞であつた、純藝術的とか高級映畫とか云ふ近頃流行の言葉が、何等の割引なく當て篏まるのは恐らくあの映畫位なものであらう。 第一に話の筋がいゝ。狂人の幻想をあゝ云ふ風に取り扱ふと云ふこと、それは私なども始終考へて居たことであるが、單なる一場の思ひつきでなくあれまでに纒めるには多大の努力を要したであらう、さうして幻想の世界と現實の世界との關係が大變面白く出來て居る。 作者は先づ物語りの始めにフランシスと云ふ狂人の收容されて居る癲狂院を置き、それからそのフランシスの妄想の世界に移つて奇怪なる事件の發展を描き、最後に再び癲狂院の光景を見せて終つて居る。その終りめが殊にいゝ。狂人の腦裡に存在する幻想の中に生きて居た人々、ドクトルカリガリや、夢遊病者のツエザーレや愛人のジエーンやそれらの人々が現實の世界に戻つた後にも猶殘つて居て、フランシスの周圍を彷徨して居る。即ち妄想の中のカリガリ博士は實はその病院の院長でありツエザーレやジエーン等は矢張りフランシスと同じく其處に收容されて居た狂人の仲間であつて、フランシスはいつの間にか彼等に自己の空想を加へて勝手な人物を作り上げて居たのである。彼の幻想の原となつた所の人物が現實にも生きて居る人々であり、而もそれらの多くが等しく狂人である所に、此の物語りは一層の餘韻と含蓄とを持つて居る。なぜなら、觀客はあの不思議なフランシスの夢が終りを告げて場面が再び病院の庭へ戻つて來た時さうしてそこに夢の中の種々なる人物が狂人として徘徊するのを見せられた時、その一つ一つの狂人の頭の中にも亦フランシスのそれのやうな幾つもの奇怪なる世界があるであらうことを連想せずには居られないからである。觀客の見たのは或る一人の狂人の幻覺であるが、同時に無數の狂人の幻覺を考へさせられる。たとへばジエーンは自分を女王だと信じて居る狂人である。彼女が終りの場面で、「朕、女王たる者は戀愛の爲めに結婚すべきにあらず」と勿體ぶつた樣子でフランシスを斥けるところなど、此の一語に依つて此の妙齢の狂婦人の腦裡に、如何に荒唐にして絢爛なる天國があるかを想はざるを得ない。人は此の寫眞を見て現實の世の息苦しさを感じ同時に人間の魂の生き得る世界が無限に廣いものであるのを感ずる。さすがに、物質的な亞米利加人などの思ひも及ぼぬプロツトである。アマデウス、ホフマン等の流れを汲む獨逸浪漫派の藝術が、こゝに血筋を引いて居ることがそれとなく看取される。 中 次ぎに此の映畫は、文學的價値を充分に持つて居るが、しかしどうしても映畫でなければ表はせない所を掴まへて居る、惡く云へば所謂表現派の繪畫を展開した一幅の繪卷物に過ぎないと云へるけれども、矢張り繪だけではあれ程に表はせないに違ひない。恐らく此の種類の物語ほど映書に適したものはなく、他により以上効果のある表現の形式はあるまいと思ふ。そこに着眼したのは偉いには偉いが日本の如き現状ならば知らぬこと、西洋に於て今迄誰も此の方面を開拓しなかつたのが不思議のやうに思はれる。新しき試みとしては已むを得ないことだけれども、まだーあれでは突っ込み方が足りない、所謂表現派の主張が、果して遺憾なく大膽に發揮されて居るかどうかは大いに疑問である。 舞臺裝置は大體に於て成功して居る。作者の表さんとする感情があの不規則な直線や曲線の組み立てに依つて可なりよく出て居る。が、茲に一考すべき事はあの不自然な背景の世界に出演する俳優の動作である。私にはどうも、あの裝置とあの俳優等の演技との問には、或る不調和があるやうに思はれる。どうせ彼處まで行くのなら俳優の動作をもつとあの裝置と一致するやうに即ち其の演技をもつと不自然に、もつと繪畫的にさせた方がいゝ。背景の方では影を描いたり遠近法を用ひたりして相當の距離を見せてあるのに、そこを人間が通り過ぎる爲めに折角のイリユウジヨンが破れてしまふなどは、何とかして救ふ方法はないものだらうか、たとへば町の祭りの雜沓の場面、カリガリ博士の逃げて行く山路、病院の中庭などそこへ人間が出て來ると、何となくせせこましい感じがする。あれなどは構圖の上でも今一と工夫して欲しいし、俳優のしぐさにも大いに研究の餘地がある。 下 私の考へでは、俳優がもつと大膽に實演劇の要領を離れて象徴的の演出を試みなければいけないと思ふ。第一に服裝などもあの舞臺裝置のデザインと調和するやうな、もつと現代離れのした人工的な樣式を選ぶ必要があつたらうし顏の作りなどももつと單純に、毒々しくやつた方がいゝ。さうして凡ての俳優が人間としてでなく傀儡として動いて居るやうな感じを起させなければいけない。一つ一つの俳優の動作をもつと機械的にして、それに伴ふ姿態の曲線が、悉くあの背景の中に融け込むやうにして欲しい。でなければあの背景とあの人物とは、全く流派を異にする二人の畫工に依つて描かれた畫面のやうな感じを與へる。兎に角俳優があまり在來の芝居をし過ぎて居る。あまり動き過ぎる。此の意味で私は舞臺監督のやり方に最も多くの不滿を感ずる。全體としての俳優の動きの少い場面の方が、より強い効果を見せて居る。カリガリ博士がキヤビネツトの側に侍して、馬車の中で靜かに眠つて居るところなど非常にいゝ。私には彼處が一番印象が深かつた。 それから、撮影や現像の技術の方面にも、もつと新機軸を出し幻想を豐かにする手段があつたらうと思ふ。不規則なアイリスくらゐではまだ飽き足りない。もつとクツキリした拔けのいゝ場面だの、もつとボンヤリした不鮮明な場面だのが、亂雜に入り交つて居る方がよくはなかつたか。最初にフランシスの生れた町が現はれた所など、もつと度強くあつて欲しかつた。