約 2,570,854 件
https://w.atwiki.jp/hazamarowa/pages/2.html
今日 - 昨日 - 総合 - 検索 wiki編集用 トップページ メニュー 本編 投下順 【000~050】 時系列順 ~第一回放送 ~第二回放送 参加者情報 参加者名簿 参加者名簿(死者表示) 作品別キャラ追跡表 死亡者リスト 死亡者リスト 本編関連資料 ルール 支給品紹介 SSタイトル元ネタ 死者スレ 会場全体図 参戦作品 書き手一覧 書き手紹介 リンク 2chパロロワ事典@Wiki 俺ロワ・トキワ荘 本スレ 最近の更新(30件) ※ネタバレの危険あり 表示 取得中です。
https://w.atwiki.jp/monosepia/pages/5692.html
大東亜戦争 / 15年戦争 / 太平洋戦争 ● 大東亜戦争と太平洋戦争〔google検索〕 ■☆ 太平洋戦争と大東亜戦争 「教えてgoo(2004.10.10)」より / 質問者:yocchan-kg 投稿日時:2004/10/10 13 02 こんにちは。 23歳の男です。太平洋戦争についてお教え下さい。 私は小中高の歴史授業において、 真珠湾攻撃に事を発する日米の戦争を「太平洋戦争」と習いました。 一方で、少しずつ社会を学び新しい情報を手にしてゆく中で、 学校では教えない歴史の事実があることを知りました。 太平洋戦争のもう一つの側面や、現在も摩擦のある日中間の諸問題など、 どれも今までの自分の常識を覆すモノばかりです。 そしてそれは、決して過去のモノと安易に目を瞑れる内容ではありません。 歴史認識とは、現代の社会を判断する上においても 非常に重要である事を学びました。 そこで質問です。 a)敗戦後、何故「大東亜戦争」から 「太平洋戦争」へと名称を変えるに至ったのか。 b)また、単なる(と言っては語弊があるかもしれませんが) 名称に過ぎないはずの戦争名を、 「大東亜戦争」と言うと右翼、あるいは軍国主義者などと呼ばれるのか。 何故このような質問をさせて頂くかと申しますと、 私自身の考えですが、 「太平洋戦争」でも「大東亜戦争」でもその戦争自体を指すのであって、 軍国主義を望むがゆえに後者を用いる訳ではないと思うからです。 それとも、それぞれの名称に隠された意味でもあるのでしょうか。 お時間の空いている時で構いません。 もし、お分かりの方がいらっしゃいましたら、是非ともお教え下さい。 よろしくお願いします。 ....................................................... No.10ベストアンサー10pt 回答者:dd44 回答日時:2004/10/15 16 10 私もこの内容のトピックは興味があって、歴史に疎いながら、いろいろと自分なりに勉強している最中です。 既に出ていますが、大東亜戦争は、欧米諸国の植民地政策に苦しむアジア圏を統一し、欧米諸国に対向しようという思想を持っていました。 それは単なる建前ではなく、日露戦争に勝利したことにより国際的発言権を得た日本は、そういった国の中ではほとんど唯一、白人による差別に声を大にして抗議していた国だったようです。 「大東亜戦争」と言うと右翼、あるいは軍国主義者などと呼ばれるのか。 前述された、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムの影響から作られた日本の教科書や、そういった思想を植え付けられて育った人たちが、日本の行動を美化するようなことは全て「軍国主義」とレッテル張りをし、悪のイメージを植え付けようとしてきた結果だと思います。 学校で教える歴史の教科書を読んでも、戦争は悪だ悪だというだけで、何が原因で戦争が始まったのか、なぜ戦争をしなければいけなかったのか、そこに意義があったのか無かったのかなど、冷静に記述しているものを見たことがありませんからね。。。 そういった歴史を勉強するのならば、日本の開国以降、日露戦争などもあわせて調べられると理解が深まると思います。(日露戦争に関しては、司馬遼太郎「坂の上の雲」が大オススメ。泣けます。) 参考URL:http //www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog160.html ※ ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(War Guilt Information Program、略称WGIP)〔Wikipedia〕 / 戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画 太平洋戦争(大東亜戦争)後に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP、以下GHQと略記)による日本占領管理政策として行われたという政治宣伝。 文芸評論家の江藤淳が著書『閉された言語空間』(文藝春秋・1989年(平成元年))においてこうした政治宣伝が政策として行われたと主張した。この名称は江藤の発言を後進達が次々に引いているものだが、GHQの内部文書に基づいたものだと江藤は主張している。 +... 1948年(昭和23年)2月6日付、「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」との表題の文書がCI E(民間情報教育局)からG-2(CIS・参謀第2部民間諜報局)宛てに発せられた。冒頭に「CIS局長と、CI E局長、およびその代理者間の最近の会談にもとづき、民間情報教育局は、ここに同局が、日本人の心に国家の罪とその淵源に関する自覚を植えつける目的で、開始しかつこれまでに影響を及ぼして来た民間情報活動の概要を提出するものである。」とある[2]。 ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムについて江藤は、その嚆矢である太平洋戰爭史という宣伝文書を「日本の「軍国主義者」と「国民」とを対立させようという意図が潜められ、この対立を仮構することによって、実際には日本と連合国、特に日本と米国とのあいだの戦いであった大戦を、現実には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」とのあいだの戦いにすり替えようとする底意が秘められている」と分析[2]。また、「もしこの架空の対立の図式を、現実と錯覚し、あるいは何らかの理由で錯覚したふりをする日本人が出現すれば、CI Eの「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」は、一応所期の目的を達成したといってよい。つまり、そのとき、日本における伝統的秩序破壊のための、永久革命の図式が成立する。以後日本人が大戦のために傾注した夥しいエネルギーは、二度と再び米国に向けられることなく、もっぱら「軍国主義者」と旧秩序の破壊に向けられるにちがいない」とも指摘している[2]。 また、「「軍国主義者」と「国民」の対立という架空の図式を導入することによって、「国民」に対する「罪」を犯したのも、「現在および将来の日本の苦難と窮乏」も、すべて「軍国主義者」の責任であって、米国には何らの責任もないという論理が成立可能になる。大都市の無差別爆撃も、広島・長崎への原爆投下も、「軍国主義者」が悪かったから起った災厄であって、実際に爆弾を落した米国人には少しも悪いところはない、ということになるのである」としている[2]。 “WGIP”を主に担当したのはGHQの民間情報教育局 (CIE) で、“WGIP”の内容はすべてCIEの機能に含まれている[3][4]。当初はCIEに“War Guilt Anti-Millitarist”(これまで「戦犯・反軍国主義」と訳されてきた)[5][6]、あるいは“War Guilt Criminal”[7]という名称の下部組織(後に「課」)が置かれていた(1945年11月の組織改編で消滅)。 “WGIP”は「何を伝えさせるか」という積極的な政策であり、検閲などのような「何を伝えさせないか」という消極的な政策と表裏一体の関係であり、後者の例としてプレスコードが代表的である。1946年(昭和21年)11月末にすでに「削除または掲載発行禁止の対象となるもの」として「SCAP-連合国最高司令官(司令部)に対する批判」など30項目に及ぶ検閲指針がまとめられていたことが、米国立公文書館分室所在の資料によって明らかである[8]。プランゲ文庫保存のタイプコピーには、多少の違いがあるが同様の検閲指針として具体的内容が挙げられている。 (※ 以下Wikipedia 参照。) .
https://w.atwiki.jp/earthquakematome/pages/300.html
ページ最終更新日時:2011/11/06 15 27 10 訂正:失礼をお詫びします 吉田ヤス子→吉田康子(いわき市) 蛭田真理亜→蛭田真里亜(いわき市) 志賀重左衛門→志賀重右衛門(いわき市) 鈴木エイコ→鈴木エイ子(いわき市) 鈴木啓子→鈴木ケイ子(いわき市) 田辺光春→田邊光春(いわき市) 高木静子→髙木静子(いわき市) 高野伸昭(48) 小野静一(73) 阿部千代子(88) 森千歳(74) 赤津一(87) 佐川三郎(82) 遠藤キイ子(83) 鈴木シメ子(80) 佐藤町子(79) 竹田和子(61) 寒河江実(92) 佐藤正男(69) 田辺政寿(83) 吉田文平(85) 遠田洋子(63) 小松喜市(67) 森伸子(84) 田中スミ(81) 根本節(72) 佐川アヤ(79) 飯高昭位(78) 鈴木トクエ(77) 鈴木キミ(92) 荒川政子(57) 新妻玲子(58) 工藤盛人(17) 佐藤一郎(84) 佐藤忠一(69) 鈴木弘子(50) 本田アキノ(89) 大峯功(71) 西脇スイ子(77) 鈴木澄子(64) 鯨岡充子(80) 佐藤ヒサ(82) 金成年泰(77) 木村文夫(61) 北郷澄子(71) 遠藤フミ子(62) 阿部優子(57) 鈴木春子(78) 吉田広子(79) 加治屋ヤエ子(83) 坂本春江(83) 遠藤博之(80) 高橋光男(85) 大河原喜平(84) 大河原仁三郎(75) 吉田康子(吉田ヤス子から訂正)(79) 箱崎千恵子(59) 佐藤光子(75) 政井フチノ(83) 鈴木蓮人(2) 鈴木和一(61) 緒方芳子(57) 鈴木拓真(5) 片寄みどり(80) 志賀アヤ子(83) 志賀幸次郎(64) 四家豊一(64) 鈴木和明(60) 日向寺兼武(85) 須藤信子(73) 柏原良子(73) 志賀啓二(85) 大嶺ウメ子(69) 志賀達二郎(74) 君野ミノ 高木茂(81) 太田キミイ 中村ツタ(91) 岡部正康(56) 山野辺登美子(77) 蛭田真里亜(蛭田真理亜から訂正)(12) 志賀重右衛門(志賀重左衛門から訂正)(91) 猪狩ユキ子 遠藤愛子(80) 菅波直行(59) 鈴木キヨ子(89) 遠藤敏行(74) 政井たか子(71) 鈴木三郎(84) 阿部カツヨ(72) 新妻金十郎(66) 志賀正男 鈴木ナミ子(77) 阿部光好(81) 田邊光春(田辺光春から訂正)(61) 保田義明(84) 鈴木智尋(22) 鈴木キヨ子(80) 保田充(83) 四家朋親(80) 鈴木崇(67) 草野実(76) 中山千代(84) 志賀絹子(87) 四家和子(77) 佐藤敏郎(86) 長谷川恵美子(50) 岡田政子(70) 阿部リウ(85) 鈴木恒子(77) 鈴木喜代志(77) 政井豊(77) 大友照子(34) 浅川初枝(75) 鈴木辰雄(77) 髙木静子(高木静子から訂正)(76) 山本由美(58) 鈴木キヨ子(76) 遠藤栄子(95) 山野辺ハツミ(94) 塩田フヨ(90) 志賀アサノ(78) 鈴木加奈恵(54) 山野辺久子(56) 鈴木ノブル(89) 蛭田グレース・アグネス・オプレシオ(45) 山野辺キヨエ(83) 鈴木紀久夫(61) 近藤康子(41) 鈴木福雄(83) 政井喜充(44) 鈴木一雄(73) 鈴木由美子(62) 馬上秀雄(67) 鈴木シツ(78) 鈴木三代治(63) 熱田ハル(94) 鈴木祐次(75) 鈴木モヨ(87) 佐藤弘子(68) 鈴木エイ子(鈴木エイコ)(76) 志賀タケ子(49) 長谷川ツヤ子(78) 佐藤ユキ子(81) 鈴木タイ子(61) 阿部定一(87) 箱崎隆義(62) 宮本久子(74) 鈴木涼雅(0) 鈴木信(83) 君野芳子(55) 長谷川功(53) 鈴木克典(42) 志賀恒三(76) 鈴木トモ 鈴木博(67) 鈴木久美子(42) 緒方重治(81) 鈴木日和(2) 鈴木文洋(35) 鈴木喜美江 志賀佐知子(40) 政井照子(74) 友部伯幸(56) 遠藤誠治(88) 鈴木清司(50) 青木真由美(31) 大峯キヨエ(69) 若松幸子(46) 鈴木美空(4) 鈴木恵子(50) 塩トミ(82) 高橋みゆき(48) 高橋セツ子(80) 黒沢カツ子(86) 佐藤トシ子(81) 政井タカノ(86) 政井チヨノ(80) 藤田美代子(67) 鈴木定枝(57) 鈴木栄子(43) 鈴木イチヨ(72) 鈴木さゆり(40) 鈴木エン(88) 鈴木明子(69) 鈴木キン(91) 鈴木トメ(84) 鈴木ユキ(77) 鈴木真由美(66) 鈴木平(86) 鈴木夏美(19) 鈴木シズエ(89) 鈴木好一(63) 斎藤冨士男(80) 鈴木永子(43) 根本シメ子(80) 猪狩ハルヰ(89) 遠藤悦子(73) 鯨岡宗一(53) 斎藤静江(78) 大峯ハマ(87) 鈴木ケイ子(鈴木啓子から訂正)(74) 阿部弘美(49) 荒井茂子(64) 安藤則雄(79) 斎藤拓也(30) 鈴木芳子(76) 三浦宏子(67) 戸田榮子(69) 山野辺美代子(57) 鈴木國雄(73) 大友壯祐(2) 志賀静枝(76) 鈴木繁(66) 吉田一男(68)=宮城県で被災 石谷嶺奈(1) 鈴木ツルヨ(89) 高橋愛(16) 中村二三雄(63) 中村節子(82) 菅波サタヨ(84) 鈴木英一(84) 鈴木容子(71) 鈴木洋(70) 四家ミサ子(75) 吉田良子(74) 渡辺完爾(81) 山野辺嘉幸(80) 四家良平(56) 木村学(38) 佐々木和子(74) 北郷正明(47) 新妻光子(67) 後藤智将(30) 鈴木勝枝(58) 志田冨美子(87) 高木ヨシ(89) 金成正(60) 政井真理子(50) 新妻金十郎(68) 箱崎直衛(68) 四家明親(80) 黒沢直幸(63) 中山薫(25) 中山隆代(54) 鈴木明美(62) 塩田貢(55) 政井重信(52) 鈴木姫花(10) 遠藤金吾(86) 矢萩勇三(57) 四家孝平(74) 草野千代子(70) 井澤ヒサ子(82) 大和田淳(70) 近藤久弥(85) 近藤繁盛(57) 鈴木重之(70) 浅川洋(77) 関根健治(85) 鈴木邦子(80) 鈴木市蔵(87) 鈴木作雄(53) 鈴木秀子(61) 志賀恒夫(69) 鈴木武夫(61) 志賀力(76) 君野政好(60) 志賀タキノ(76) 宮本久子(84) 鈴木トモ(85) 四家トシ子(82) 鈴木シゲ子(74) 伊藤才子(74) 伊藤勝之助(80) 遠藤松太郎(64) 塩亀太郎(83) 菊地育絵(34) 佐藤真亮(35) 山野辺フミヨ(86) 山野辺信子(71) 四家栄(70) 四家久子(68) 四家トヨ子(77) 四家千枝子(77) 松崎静子(74) 大友諒祐(6) 中野渡知可(49) 中野渡睦(50) 渡辺タカ子(84) 楠康汰(4) 鈴木只市(81) 鈴木久太郎(67) 鈴木益雄(68) 鈴木棟子(67) 鈴木小枝子(62) 鯨岡英子(74) 志賀鉄(77) 柴野允(71) 鈴木富士子(52) 林崎宏江(55) 鈴木ミヨノ(82)
https://w.atwiki.jp/mousouore/pages/18.html
第三回放送までの死亡者リスト 時間 名前 殺害者 死亡作品 死因 凶器 午後 松野チョロ松 若狭悠里 160 ほろびのうた 射殺 ガバメント 折原臨也 東郷美森 166 死想恋歌・残影(前編)死想恋歌・残影(後編) 射殺 東郷の銃 平和島静雄 キーラ・ゲオルギエヴナ・グルジェワ 粉砕 鋼牙機甲獣化帝国 ルシード・グランセニック 撲殺 拳 キーラ・ゲオルギエヴナ・グルジェワ クリストファー・ヴァルゼライド 焼死 天霆の轟く地平に、闇はなく 赤馬零児 ピティ・フレデリカ 167 王宮の陥落 射殺 デリンジャー 夕方 直樹美紀 若狭悠里 177 プレイス・オブ・ピリオド(前編)プレイス・オブ・ピリオド(中編)プレイス・オブ・ピリオド(後編) 射殺 ガバメント スノーホワイト リップル 刺殺 苦無 蛇崩乃音 デニス・マックフィールド 183 切り札(前編)切り札(後編) 圧殺 古代の混沌機械巨人 一条蛍 緋衣南天 射殺 銃(創形) 以上 10人【残り22人】 おまけ 名前 最期の言葉 松野チョロ松 「ああはいはい、今開けますよ」 折原臨也 「楽しみだなあ――楽しみだなあ! それじゃあ、祭りの舞台へ上がろうか!」 平和島静雄 「丈槍ぁ!」 ルシード・グランセニック 「さあ、此処からは貴方の出番だ総統閣下――貴方には個人的にぶつけたい鬱憤も文句も山ほどある、大体頭おかしいとすら思っているが、この時ばかりはその光剣に未来を託そう! 先に言っておくが勝たないと許さないぞ!!」 キーラ・ゲオルギエヴナ・グルジェワ 「つまらん幕だ」 赤馬零児 (マズ……い…………すぐに、黒咲に……これを……伝えなくては…………くそ……動け……私の…………体……っ) 直樹美紀 「帰りましょう、りー先輩」 スノーホワイト 「お願いします、烏間先生」 蛇崩乃音 「最・大・出・力――――奏の装改・最終楽章ォォォォォォォォォォッ!!!!」 一条蛍 またね。 殺害数 順位 該当者 人数 このキャラに殺された人 生存状況 スタンス 1位 アルテラ 5人 袋井魔梨華、桐ヶ谷和人、ラピス・ラズリーヌ、赤羽業、結城友奈 ● 文明滅却 リップル 緑谷出久、金剛、沢渡シンゴ、ディオ・ブランドー、スノーホワイト ◯ 奉仕(ピティ・フレデリカ) 2位 緋衣南天 4人 睦月、めぐみん、ジョナサン・ジョースター、一条蛍 ◯ ステルス キーラ・ゲオルギエヴナ・グルジェワ ウィル・A・ツェペリ、佐藤和真、平和島静雄、ルシード・グランセニック ● 皆殺し 3位 若狭悠里 3人 松野一松、松野チョロ松、直樹美紀 ◯ ステルス ピティ・フレデリカ 世良信明、吹雪、赤馬零児 ◯ ステルス対主催 クリストファー・ヴァルゼライド 雪村あかり、ステイン、キーラ・ゲオルギエヴナ・グルジェワ ◯ 対主催 4位 緋衣征志郎 2人 蟇郡苛、榊遊矢 ● 優勝狙い 東郷美森 恵比ヶ沢胡桃、折原臨也 ◯ 奉仕(友奈) 5位 桐山和雄 1人 松野カラ松 ● 優勝狙い ディオ・ブランドー 潮田渚 ● 優勝狙い 松野トド松 佐倉慈 ● 対主催→ステルス 雪村あかり マシュ・キリエライト ● 優勝狙い スノーホワイト 桐山和雄 ● 対主催 針目縫 磯貝悠馬 ● ジョーカー ゼファー・コールレイン 針目縫 ◯ 生存優先 黒咲隼 緋衣征志郎 ◯ 対主催 ステイン 爆豪克己 ● 粛清対象限定 松野おそ松 松野トド松 ◯ 生存優先 デニス・マックフィールド 蛇崩乃音 ◯ ジョーカー
https://w.atwiki.jp/mousouore/pages/16.html
第二回放送までの死亡者リスト 時間 名前 殺害者 死亡作品 死因 凶器 朝 めぐみん 緋衣南天 090 バレット・ノイズ 射殺 創形(銃) 蟇郡苛 緋衣征志郎 095 片翼の鳥(前編)片翼の鳥(後編) 病死 生死之縛・玻璃爛宮逆サ磔 榊遊矢 緋衣征志郎 黒咲隼 爆殺 エターナル・アベンジ 袋井魔梨華 アルテラ 114 華の旅路、星の紋章 消滅 軍神の剣 午前 爆豪克己 ステイン 118 アンチヒーローファクター 刺殺 ルーラ 雪村あかり クリストファー・ヴァルゼライド 128 約束された勝利の剣 焼死 天霆の轟く地平に、闇はなく 世良信明 ピティ・フレデリカ 140 謀略の日 首骨折 素手 吹雪 射殺 デリンジャー 昼 桐ヶ谷和人 アルテラ 142 文明崩壊決戦(1)文明崩壊決戦(2)文明崩壊決戦(3)文明崩壊決戦(4)文明崩壊決戦(5)文明崩壊決戦(6) 斬殺 軍神の剣 ステイン クリストファー・ヴァルゼライド 焼死 天霆の轟く地平に、闇はなく ディオ・ブランド― リップル 灰化 太陽光 ラピス・ラズリーヌ アルテラ 消滅 軍神の剣 赤羽業 斬殺 アルテラ 結城友奈 刺殺 拳 結城友奈 アルテラ 限界突破 軍神の剣 松野トド松 松野おそ松 150 この世に要るのはよいこだけ 射殺 銃の暴発 ジョナサン・ジョースター 緋衣南天 154 Moonlight Syndrome 墜落死 雲笈七籤・墜落の逆さ磔 以上 18人【残り32人】 おまけ 名前 最期の言葉 めぐみん 私の、最後の…… 蟇郡苛 「お前が倒せ……榊ッ……!」 榊遊矢 (母さん……みんな……俺、みんなを笑顔に……出来てたかな……?) 緋衣征志郎 「――ガァァァァアアアアアアアアアアッ!!!!」 袋井魔梨華 でも、すっげえ楽しかった。次は絶対あたしが勝つから、覚えとけよな。 爆豪克己 「その名をォォォォォォッ、お前なんぞがァァァ、口にしてんじゃ、ねェェェェェェェェぞぉぉぉぉッ!!!!」 雪村あかり (嫌だ! 嫌! こんな……こんなのって、あんまりじゃない!) 世良信明 「逃げ……吹雪……ざん…………」 吹雪 「嘘……」 桐ヶ谷和人 「――ラズリーヌ! お前の番だ、魅せてみろ!!」 ステイン 「ならば貫け、クリストファー・ヴァルゼライド。お前は確かに、ヒーローだ」 ディオ・ブランドー 「KUAAAAAA!! この汚らわしい紛い物風情がァァァァ―――ッ」 ラピス・ラズリーヌ (でも、あたしは……) 赤羽業 「んじゃ、後は任せたよ勇者ちゃん。俺もちょっと疲れたから……流石に休むわ」 アルテラ 「少し……嬉しいな」 結城友奈 「ぶち抜けぇぇぇぇぇぇぇ――――――――っっ!!!!」 松野トド松 「ど……し……にぃ……さん…………」 ジョナサン・ジョースター 届かないのか――僕は! 僕は! 殺害数 順位 該当者 人数 このキャラに殺された人 生存状況 スタンス 1位 アルテラ 5人 袋井魔梨華、桐ヶ谷和人、ラピス・ラズリーヌ、赤羽業、結城友奈 ● 文明滅却 2位 リップル 4人 緑谷出久、金剛、沢渡シンゴ、ディオ・ブランドー ◯ 奉仕(ピティ・フレデリカ) 3位 緋衣南天 3人 睦月、めぐみん、ジョナサン・ジョースター ◯ ステルス 4位 緋衣征志郎 2人 蟇郡苛、榊遊矢 ● 優勝狙い キーラ・ゲオルギエヴナ・グルジェワ 2人 ウィル・A・ツェペリ、佐藤和真 ◯ 皆殺し クリストファー・ヴァルゼライド 雪村あかり、ステイン ◯ 対主催 ピティ・フレデリカ 世良信明、吹雪 ◯ ステルス対主催 5位 桐山和雄 1人 松野カラ松 ● 優勝狙い 東郷美森 恵比ヶ沢胡桃 ◯ 奉仕(友奈) 若狭悠里 松野一松 ◯ ステルス ディオ・ブランドー 潮田渚 ● 優勝狙い 松野トド松 佐倉慈 ● 対主催→ステルス 雪村あかり マシュ・キリエライト ● 優勝狙い スノーホワイト 桐山和雄 ◯ 対主催 針目縫 磯貝悠馬 ● ジョーカー ゼファー・コールレイン 針目縫 ◯ 生存優先 黒咲隼 緋衣征志郎 ◯ 対主催 ステイン 爆豪克己 ● 粛清対象限定 松野おそ松 松野トド松 ◯ 生存優先
https://w.atwiki.jp/final-clan/pages/40.html
被害者 詳細 ななしゃん しにゃがみ@猫ニャー氏曰く、レイプした模様。(本人 死神W がtellで自慢げに告げる) 辻正信元帥 *ワンちゃん*氏に撲殺された模様。 Lunam1ru *さたにゃん*のヤりすて そらchan *さたにゃん*の中出し ひーじきっ 塩辛いか氏に焼かれた後、樹海に封印された。 エース大佐 しにゃがみ@猫ニャー氏による拷問で口を割り、実は不登校ということが分かった。 しにゃがみ@猫ニャー *さたにゃん*氏にサブでボコ×2にされ精神に問題をかかえてしまった模様。 XクラウドX 公園前に呼び出すが、逃げようとしたので射殺された。 *..地震..* 魔王ちゃん..*氏による過度の ・。・ 攻撃で瀕死になったぞ!! NANKOTU12 魔王ちゃん..*氏による過度の ^w^ 攻撃でポケモンセンターに急行した。 敢えて言おう 魔王ちゃん..*氏による過度の ^p^ 攻撃で餓死寸前に追いやられた。 白虎@siki 魔王ちゃん..*と*さたにゃん*氏による過度の !? 攻撃で引退してしまった。
https://w.atwiki.jp/army2ch/pages/58.html
W.W.2の頃の航空機の風防の材質ってなんですか? アクリル樹脂? ガラス? 国によっても違うのでしょうか? 故坂井三郎氏の撃墜記録を教えてください。 ラバウル等の南方で、B-17は何しに来てたんでしょうか? エーリヒ・ハルトマンの場合は二機一組で僚機被撃墜がなかったそうですが、坂井三郎の場合はどうなんでしょう? 太平洋戦争時、ボルネオで山尾戦隊って戦闘機隊が大活躍したって話で、その中の金沢というパイロットがB-24を10機も隼で落としたって話を聞いたのですが、 木の葉落としってWWⅡで実際行われてたんですか?また日本航空機の特徴を生かした機動なのでしょうか? 民間航空の人間でありながら、戦時中には戦闘機にも乗っていたケースは、日本では実際にありえたのでしょうか。 太平洋戦争中の日本軍パイロットは、日本刀を持ち込んでたって記述が俺の持ってる本に書いてあるんだけど、ホントか? 台湾沖航空戦に投入された日本軍機はどれくらいだったのでしょうか? ブッシュ前大統領の親父が第二時大戦の時、ゼロ戦に撃墜されて死にかけたって本当ですか? 太平洋戦争後半で日本軍機が米軍機を撃墜したようなケースでは、いったいどうやって撃墜したのでしょうか。 ミッドウェーで日本側の3隻の空母が大被害を受けた後、無傷で残った空母・飛龍が護衛戦闘機 オレゴン空爆した2人はどうなった、そして、その潜水艦はどうなった? 先の大戦中、日本上空で撃墜され、脱出したものの日本軍に捕まった米軍兵はどのような待遇を受けていたのでしょうか? もし山本五十六が死ななかったら戦況に影響したのだろうか。 坂井三郎さんが硫黄島から帰ってきた後の戦闘について 少飛13期は何年ごろに入隊して、どんな活躍をされたのでしょうか? B-29が近づいているってのは誰が探知してたんですか? 太平洋戦争の頃、洋上の空母を発進した航空機はどうやて戻ってきたのでしょうか? B-29を迎撃に上がった飛燕のパイロットが、敵機の腹の下にもぐりこんで、下から日本刀で切りつけたというのは・・・本当の話? フライングタイガースと日本軍機どちらが優勢だったのでしょう? 久我山の高射砲陣地跡は往時を偲ばせる何かが今も残っているのでしょうか? 「ワレニ追イツクぐらまんナシ」の電文はどの偵察機上から打電されたのでしょうか? ジパングで輸送船の護衛にゼロ戦を飛ばすエピソードがあるのですが、これって史実でも行われたのでしょうか? 艦攻などは他の飛行機が敵を攻撃する際にも陣形を乱さずに(綺麗な形で飛びながら)攻撃したのでしょうか。 防空監視委員って誰がやってたんでしょうか。 第二次世界大戦で飛行機乗りは、訓練でどのくらいの時間乗ってたか教えてください 零戦の初戦は、漢口での中国空軍との対戦だったということですが陸軍航空隊の搭乗員が乗っていたということでしょうか? 飛燕はニューギニアで戦っていますが海軍航空隊の搭乗員が乗っていたということでしょうか? 本土空襲に飛来して、撃墜されたB-29は全部で何機くらいですか? 日本には高々度用の邀撃機ってほとんどなかった? 台湾沖航空戦の戦果と損害が資料によってまちまちなんですが、どれがもっとも信頼できるのでしょう? 戦時中に長野県南部には空襲はないもの思っておりましたが、祖母の話だと 太平洋戦争で飛行中の戦闘機が撃破され、搭乗員が海に投げ出されたらその後どうなるんですか? 海軍航空兵力がソロモンですり潰されて回復できなかったことは有名ですが、 ジョージ・H・W・ブッシュは日本の捕虜になりました? ミッドウェー海戦の時は雷装待機の命令がうまく伝わらなかったみたいだけど、雷装にするとどんなメリットがあるんですか? 太平洋戦争末期に久我山というところに高性能な高射砲が据え付けられて、 フライングタイガースが実際に日本軍機と交戦したのは日米開戦後だと パールハーバーを見ていますが、あの時代ゼロ戦と優位な空戦をしている米軍機はなんという機種ですか? 大戦中のB-29撃墜数を調べているのですが、資料により150機から300機程度とかなり開きがあるので 第二次大戦中、キスカへ空襲に来て撃ち落された米軍パイロットを帝国陸軍が英文の墓標を立てて弔ったそうだけど 芙蓉部隊があげた戦果というのはいかほどのものだったのでしょうか? 山本五十六は銃弾が額に直撃して即死したんですか? 海軍甲事件で山本長官を護衛していて守りきれなかったパイロットはどうなったのですか 連合軍側で「零戦を見たら逃げろ」という命令が下されていたのでしょうか? ソ連参戦時、日本軍機とソ連軍機の空中戦とかあったのでしょうか? 第2次大戦中のタイ軍航空部隊に実戦経験はあるのでしょうか? 第二次大戦の時ドイツやアメリカには「空軍」があったのに日本に無かったのはなぜ?日本にも空軍を創設しようという議論はなかったの? 航空機の主要損失要因は? 日本に「フリッツX」のような誘導爆弾は存在したのでしょうか?また、それは実用可能な性能を持っていたのでしょうか? なぜ日本軍戦闘機隊は挌闘戦にこだわったの? 日本の13ミリ機銃は悲惨だったと聞くけど,どう悲惨だったの? 戦時中の戦闘機乗りはヒロポンとかやってたそうですが? なんで日本もVT信管作って対抗しなかったの?発想自体がなかった?それとも技術不足? 戦争の末期に機体全てが竹で出来た戦闘機があったと思うのですが 橘花はネ-20エンジンを始めMe262のコピーといった性格が強いのですが、ネ-20以前の日本独自開発のジェットエンジン、ネ-10その他は搭載する機体のデザインも出来ていたのでしょうか? B-29がいる飛行場に対する攻撃の計画や実行は有ったのでしょうか? 日本海軍航空隊はなんで急激に、航空隊の練度が低下したんですか? 風船爆弾によってピクニック中の6人が犠牲になったのは公開されたの? 山本五十六の乗った一式を撃墜したP-38のパイロット達は、裁判までして自分が墜としたって揉めたそうですが事実ですか? 芙蓉部隊の戦術や戦果は、あくまでイレギュラーな小部隊だからこそできた事なのでしょうか? 第二次大戦末期に日本に艦砲射撃を行った連合国軍艦船には上空に護衛戦闘機が付いていたんでしょうか? サイパン爆撃が大きな戦果を挙げたのは米軍側の油断と怠慢だったの? 太平洋戦争で、トラック島が艦載機の奇襲を受けて、300機近い航空機を失ったと読みました。 アメリカ映画などに出てくる戦闘機のパイロットって、階級は大尉とか少佐とかが多いですが、上等兵とか軍曹とかのパイロットって少ないのですか? 米軍が完全な零戦を鹵獲してテストしてますけど、日本も完動米機ないの? 大戦末期、日本軍の航空機による反撃が少なかったのはなぜ? 日本にも「撃墜王」と呼ばれた空の戦士はいましたか? フィリピン戦のさい、紫電が出てきたって聞いたが、戦果は 沖縄戦で落とされた爆弾はどんなやつ? 東洋戦線では、ウェリントンやランカスターなど英軍の爆撃機はどの程度投入されたのでしょうか。 聴音哨ってのがWW2当時に無かった? 竹槍でB29を撃墜するって話は、どこの誰がどんな経緯で言い出したことなんですか? 日本は米軍が捕獲ゼロ戦でやった様に、捕獲したF6FやP-51を調べて、弱点を検証しなかったんですか? 日米両軍は飛行場を設営するのにどれぐらいの期間を要したのか? マウザー砲の量産化に成功して全ての機体をマウザーに更新できていたら、戦局は有利になったんでしょうか? アメリカ艦隊の激しい対空砲火は、シュトルモビクなら突破できたんでしょうか? 編隊を組んでいる雷撃機や艦爆が後方から戦闘機の急襲を受けた場合、バラバラに逃げるより、編隊を崩さずに後方機銃で応戦した方が良いのですか? 台湾沖航空戦で戦死した有馬正文は、指令官なのに攻撃機に乗って出撃しましたが責任ある立場の人間が、上官の命令とか許可なく勝手に出撃できたんでしょうか? 岩本徹三の「零戦撃墜王―空戦八年の記録」という本は読んでおいて損はないですか ガダルカナル攻防戦で遠距離飛行を強いられた日本パイロットはヒロポンを供給することで、パイロットの消耗を抑えられなかったの ミッドウェー海戦後の日本基地航空隊って、どうして アメリカ機動部隊の奇襲があんなにも面白いほど簡単に成功して壊滅するの? 343航空隊に触発されて、陸軍もベテランパイロットと4式戦を集結させた エリート部隊をつくる計画とかなかったんですか? 日本の熟練搭乗員が消耗していなければF6Fとも対等に戦えましたか? W.W.2の頃の航空機の風防の材質ってなんですか? アクリル樹脂? ガラス? 国によっても違うのでしょうか? 零戦も一式陸攻も電動慣性機動機です。(もしかしたら九六艦戦も) 風防は防弾ガラス(正面の平面部)以外はプレキシガラスです。プレキシガラスでは透明度や歪に問題があったのは事実のようです。 欧米のように枠無しのバブルキヤノピーも無理でした。それでも疾風のキャノピーなどはなかなかの出来と思っています。 (5 303) 故坂井三郎氏の撃墜記録を教えてください。 大小64機の撃墜と言われています もっとも本人は撃墜記録よりも列機を一度も失わなかったことの方が、誇りで有ったようです。 (6 215) 参考までに エース・パイロット http //ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%88 ラバウル等の南方で、B-17は何しに来てたんでしょうか? B-17については、航続力が大きく防御力の強固な爆撃機が太平洋戦線では、 B-17しかなかったので(後にはB-24、B-29も出現しますが)、 南洋諸島に築いた航空基地などの目標を破壊しに来たのが目的です。 別に重爆撃機=戦略爆撃専門というわけではないので。 (44 眠い人 ◆ikaJHtf2) エーリヒ・ハルトマンの場合は二機一組で僚機被撃墜がなかったそうですが、坂井三郎の場合はどうなんでしょう? 坂井も同様だけど、頼まれて太田を他所に貸し出したら撃墜された。でも自分が編隊を組んだ時にはやられてない。 (526 575) 日本海軍の空戦編隊は3機1組が主流でした。 1944年末頃から、2機編隊、あるいは4機編隊を導入しています。 坂井さんの場合は時期的に3機編隊でしょうね。 なお、日本陸軍ではドイツの影響が強かったため、海軍よりも早く2機編隊へと移行しています。 (526 582 ◆yoOjLET6cE) 太平洋戦争時、ボルネオで山尾戦隊って戦闘機隊が大活躍したって話で、その中の金沢というパイロットがB-24を10機も隼で落としたって話を聞いたのですが、 当時の戦況とかと照らし合わせて、これって信憑性のある話なんでしょうか? 一応、伝聞だけど。 B-17よりもB-24の方が落としやすかったらしい。 針鼠のように銃座を設けているB-17(E型以降の話ね)よりも、B-24は 死角が多く狙いやすかったようだ。 特にデービス翼の部分は強度が低く、翼を狙って撃てば、隼程度の機関銃 でもポッキリ折れることがあったとか。 なので、10機撃墜というのはある程度信憑性があると思います。 警戒網に引っかかって、先に日本側が戦闘機を挙げておくという状態であ ればね。 ラバウルでも、B-17は悩みの種だったそうだけど、B-24の話は聞いたこと 無かったなぁ(祖父談)。 (10 名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2) 木の葉落としってWWⅡで実際行われてたんですか?また日本航空機の特徴を生かした機動なのでしょうか? 「木の葉落とし」が実在したとしたら、それは失速(ストール)を伴う機動ですが、 失速を伴う機動としては、「ストール・ターン」というのがあります。 もっとも、現代の格闘戦では運動エネルギー(あるいは位置エネルギー)を重視するので、 エネルギーを失う失速のような機動は無用のものになったのではないかと… (11 113) 民間航空の人間でありながら、戦時中には戦闘機にも乗っていたケースは、日本では実際にありえたのでしょうか。 ドイツ何かだと、爆撃機パイロットの乗る機体が無くなって、 戦闘機に乗せる事があったと思いますけど、日本もそうだったかなぁ。 もし、民間航空の設定なら、新聞社のパイロットにするしかないでしょう。 新聞社の連絡機には(失敗作の)戦闘機も使われているので。 本当の民間航空なら、水上機(飛行艇)か爆撃機で戦闘機パイロットになることは余り無いと思われ。 (25 眠い人 ◆ikaJHtf2) 太平洋戦争中の日本軍パイロットは、日本刀を持ち込んでたって記述が俺の持ってる本に書いてあるんだけど、ホントか? 精神的な支えとか、そんな感じ。 (日本刀には魂が宿っていると信じていたから) 別に持ち込めという規定があったわけじゃないよ。 当たり前だが、持ち込まないほうがいいに決まってるんだけどね。 コンパスが狂うから。 (33 158) 護身用に短刀を持ちこむ事はあっても、日本刀を持って行くと いう事は殆ど無かったそうです。 あんな長い物を機内に持ちこむと邪魔になるからだったとか。 (33 名無し四等陸士) 台湾沖航空戦に投入された日本軍機はどれくらいだったのでしょうか? 10月12日、1式陸攻、銀河、天山、飛龍の計99機 13日、1式陸攻、銀河の計28機 14日、300機、その他40機が夜間攻撃 15日、177機 16日、165機 (37 851) ブッシュ前大統領の親父が第二時大戦の時、ゼロ戦に撃墜されて死にかけたって本当ですか? ブッシュ中尉のアベンジャーは44年に父島空襲に参加。 零戦ではなく、対空砲火を受けて撃墜。 乗員3人のなかで唯一脱出に成功し、潜水艦に救助されました。 なお、父島は食料はあるにもかかわらず米軍捕虜を処刑後、食するという異常行為が行われていて、 戦後に大問題となりました。 (39 98) 太平洋戦争後半で日本軍機が米軍機を撃墜したようなケースでは、いったいどうやって撃墜したのでしょうか。 空中戦は何よりも奇襲で決まります。 (43 595) 大戦中盤より日本陸・海軍でもロッテ戦法が普及し始めました。 対米軍機戦法として、敵機よりやや高い高度で待ち受け、長機が目標にした敵機に 襲い掛かり、僚機はそのままの高度で待機します。 敵機は当然高度を上げて振り切ろうとしますが僚機が頭を押さえているので高度が取れません。 こうしてそのまますり鉢の底に押さえ込むようにして撃墜まで持っていったそうです。 これは302空の赤松中尉が得意とした戦術ですが、彼は驚くべきことに単機で数十機の敵編隊に突入し、 そのうちの一機を撃墜して帰還したこともあるとか。 (43 597) 振り子戦法というのはローヨーヨーなどという空戦機動ではなく、相手が 巡行速度まで機速を落すまであとをついて行くものだと思います。あとを つけている間、後下方に位置して先行している敵が振り向くたびに振り返 る逆方向に機体を持って行くのが時計の振り子のようだから振り子戦法と いったはずです。飛行第六四戦隊時代の黒江大尉が考案して、隼より優速 のライトニングやモスキートを撃墜しています。 (43 眠い人 ◆ikaJHtf2) ミッドウェーで日本側の3隻の空母が大被害を受けた後、無傷で残った空母・飛龍が護衛戦闘機 13機(うち、少なくとも8機は零戦)が飛龍上空にいたのに米空母艦載のドーントレス急降下 爆撃機編隊を全く防げれなかったのはなぜですか? その8機は低空で雷撃機を追いまわすのに忙しくて 上空には1機もいなかったこと (45 594) 「飛龍」が第二次攻撃を終えた時点での残存機は、零戦10機、97式艦攻4機 99艦爆5機の合計19機に過ぎなかった。その内、零戦6機は第三次攻撃用に準備中だったので、 直衛は4機であったと推定できる。だから、8機も上空には居なかったのでは。 対する米軍側は、「エンタープライズ」隊が24機、その30分遅れで「ホーネット」 隊が15機発進。「エンタープライズ」隊が17時03分に最初の突撃で「飛龍」に 命中弾を与えているので、24:4では只単に直衛機の数が足りなかった為でしょう。 (45 625) オレゴン空爆した2人はどうなった、そして、その潜水艦はどうなった? オレゴン空襲に参加した零式小型水上偵察機の乗員藤田信夫飛曹長と奥田二飛曹のふたりのうち、 奥田二飛曹は戦死されましたが、藤田飛曹長は戦争を生き抜き戦後に爆撃したオレゴンを 表敬訪問しています。1997年9月30日死去。 伊25潜水艦は昭和18年9月3日?フィージー諸島スバへ航行中、消息不明との事です。 (47 名無し軍曹) 先の大戦中、日本上空で撃墜され、脱出したものの日本軍に捕まった米軍兵はどのような待遇を受けていたのでしょうか? 基本的には、犯罪行為があれば、刑法にしたがって処断されていました。 ただし、個別の行為の立証は必要とされており、単にB-29から脱出したからといった理由での有罪判決ではありません。 ドーリットル隊の乗員が中学生を射殺した容疑で死刑執行されております。 (79 712) 遠藤周作の『海と毒薬』には九州大学医学部での生体実験の事実が描かれています。 (79 737) もし山本五十六が死ななかったら戦況に影響したのだろうか。 山本五十六自身が認識していた通り、大日本帝国の敗北は運命であり 変えることは不可能です (82 106) つか、山本五十六が立案、実施した「い号作戦」あたりが、敗戦 を確定したとも言えるしね。 (82 107) 坂井三郎さんが硫黄島から帰ってきた後の戦闘について 坂井三郎少尉は硫黄島より帰還後、横須賀空で教育任務にあたり、昭和19年の12月に 343空付きとなっています。 しかし、343空ではほとんど出撃しなかったようで、20年6月には武藤金義飛曹長と 入れ替わる形で横須賀空に戻りました。 終戦後の8月17日と18日に、写真撮影のため進入してきたB-32ドーミネーターに対して 坂井少尉と小町定飛曹長・大原亮治飛曹長らが迎撃を行い、一機を不時着水させています。 ttp //www.warbirds.jp/ansq/1/A2000660.html (82 名無し軍曹) それは徹底抗戦の一貫としてやったんですか? 坂井三郎空戦記録だと、厚木空は徹底抗戦に加わらなかったようですが 坂井三郎氏は徹底抗戦を主張したのでしょうか? 徹底交戦とは関係なく、坂井氏はあくまでも自衛戦闘であるとしています。 また、この攻撃は国際法上合法であると氏は主張しておられました。 もっとも、一緒に出撃した小町氏は米軍の報復を恐れてしばらく隠れていたとか。 (82 名無し軍曹) 少飛13期は何年ごろに入隊して、どんな活躍をされたのでしょうか? 少飛第13期生は昭和15年の初夏から秋にかけて少飛第12期生と同時に募集されています。 募集定員は各1300名。 まず東京陸軍航空学校第8期生として陸軍軍人としての基礎教育を受けた後、 少飛第13期生として熊谷・太刀洗・宇都宮の各飛行学校で基本操縦訓練を受けました。 昭和19年3月飛行学校卒業後兵長に進級し教育飛行隊に配属、その後錬成飛行隊に配属され、 錬成が終わったのが12月。そして伍長に進級し各飛行戦隊に配属されていきます。 少年飛行兵の中では実戦に参加したほとんど最後のクラスになるとおもいます。 (82 名無し軍曹) B-29が近づいているってのは誰が探知してたんですか? 空襲警報は誰が出してたんですか? 海軍が特設哨戒艇(要は漁船)を太平洋上に広く展開させ、編隊を確認しています。 但し、損耗率はかなりのものだったそうです。 陸上に於いては、陸軍並びに海軍の電波探知機(レーダー)を用いて大まかな方向を 掴みます。 更に聴音機(らっぱの大きなもので、集音のために使います)を用いて、敵機の方向を 探知します。 また、各地には標高の高い山などで、人が住んでいるところに、防空監視哨があります。 これは、哨舎と聴音壕から構成されており、哨舎で空を監視し、聴音壕内で、飛行機の機種、 方向を確認し、各軍管区に電話で報告します。 各地の軍管区がそれらの情報を元に、空襲警報を発令します。 「頭巾をかぶって防空壕へ」ってのは法律で決まってたんでしょうか? 灯火管制に関しては、1938年4月4日に灯火管制規則を定めています。 また、1944年12月29日に灯火管制強化要綱が閣議決定されています。 「頭巾をかぶって防空壕へ」ってのは法律で決まってたんでしょうか? の部分は、1937年5月に東部防衛司令部、東京市連合防護団、東京市の 三者により決定された、「家庭防火群組織要項」がその萌芽です。 また、1937年4月5日公布、10月1日施行の防空法も根拠になります。 (85 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 太平洋戦争の頃、洋上の空母を発進した航空機はどうやて戻ってきたのでしょうか? ラジオとコンパス (85 155) 大戦中の日本海軍機にはクルシー帰投装置(一式空三号無線帰投装置)という装置が装備されていました。 これは、母艦から出した電波を探知してその方向に飛行して帰るための装置でした。 もっとも、母艦から出した電波を敵に探知される危険もありましたが。 真珠湾攻撃の時に、母艦の位置を敵に悟られないよう帰路を失しても母艦に対し 電波輻射を要求せずに自爆していった機もあったそうです。 やはり単発機の長距離洋上航法は至難の技だったようです。 (85 名無し軍曹) B-29を迎撃に上がった飛燕のパイロットが、敵機の腹の下にもぐりこんで、下から日本刀で切りつけたというのは・・・本当の話? 嘘です。どうやって飛行中の機体から切りつけるのでしょうか? 貴方が騙されているかその友人の思い込みだと思います。 ただし飛燕がB29の下にもぐりこんでプロペラで切り刻んだ事ならあります。 震天制空隊が体当たりを失敗して行いました。 尚、この後馬乗りになってもプロペラで攻撃し続け新聞に載っています。 (87 330) 垂直尾翼やプロペラが敵機の機体に触れず、コクピットから伸ばした腕で 敵機を斬り付ける事が可能か、いくら軍事に疎くても判りそうなものだが。 (87 331) 軍刀も標準的な日本刀も刃渡り60~70cmですが。 大体、届いても斬れるわけなかろう。 (87 335) なんでそう簡単に言い切るのかな?軽金属製の機体に時速何百キロで鋼の刀身がぶち当たるんだぜ! プロペラ回転圏外に手を伸ばしてか? 肘がもげるよ。 (87 339) 相対速度しか関係ないよ。 (87 342) 対面で? B-29が切れるより、刀が折れるより、腕が吹っ飛んで終わり。 衝撃は与えるが、破壊する様なエネルギーは与えきれない。そこまで、腕もたないよ。 真正面からぶつければ(弾かれない様に)まだ破壊できるだろうけど、 はじかれる様な使い方をしたら(斬りつけるとかね)、まぁ、B-29にとってなんてことないな。 あぁ、当然だけど、B-29が受ける力と同等の力が、腕にもかかるんだよ。 (87 351) それ以前に、全力飛行中の飛行機から刀や腕出せるわけねえだろ!! 風圧で刀が吹き飛んで終了 (87 352) フライングタイガースと日本軍機どちらが優勢だったのでしょう? 周知のとおり、「フライング・タイガース」はクレア・L・シェンノート少佐が 宋美麗(蒋介石夫人)の資金提供を受けて米人パイロットで編成した AVG(アメリカン・ヴォランティア・グループ)の別名なわけですが、 この部隊のパイロットは日本機を撃墜するたびに報奨金が(一機あたり500ドル)出たそうで、 非常に過大な戦果報告をしていました。 AVGは日本との戦闘で21人のパイロットを失っており、うち7人は事故死、9人が地上攻撃中に 撃墜されて戦死もしくは捕虜となり、戦闘中行方不明が1人、空戦による被撃墜死が 4名とのことです。 AVGの編成時のパイロットは90名程度だったようで、損害率は低くないと思います。 日本側の実際の損害等は他の詳しい方解説きぼんぬ。 (96 930) 久我山の高射砲陣地跡は往時を偲ばせる何かが今も残っているのでしょうか? 残念ながら何も残っていないようです。 もし、残っていれば杉並区教育委員会に記録があると思いますが…。 (98 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 久我山の高射砲と関係あるのかは知りませんが、 調布飛行場を守っていた高射砲の台座は残ってます。 調布市のケーブルテレビでそのような番組をやってました。 幼稚園の敷地内に円形のコンクリートの台座がありました。 高射砲跡地の石碑もありました。 (98 840) それは大沢高射砲座ですね。 三鷹市大沢5丁目にあるもので、調布飛行場と、中島飛行機三鷹工場を防衛するもの です。 高射砲座が四基、椎の実保育園と言うところに保存されているとか。 あと、東京都内の高射砲座としては、葛飾区白鳥三丁目に九九式八糎高射砲6門を 一個中隊とする三個中隊18門が北東に向けて扇形に配置されていた青砥高射砲陣地 のうち三基の砲座が現存しています。 (98 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 砲座の残っている場所の地番ですが、大沢4丁目8になるようです。 調布飛行場の周辺の戦跡は、他に掩体壕が四基残ってますね。 (98 846) 「ワレニ追イツクぐらまんナシ」の電文はどの偵察機上から打電されたのでしょうか? 諸説色々ありまして、「我に追いつく敵戦闘機ナシ」だった。とかいう話も。 ただ、一般的には「彩雲」と言う戦闘機がサイパン方面に偵察に出た際に。 と言う話が有力です。 (99 9) ジパングで輸送船の護衛にゼロ戦を飛ばすエピソードがあるのですが、これって史実でも行われたのでしょうか? 近くに空母がいたとか。 (100 467) 史実でも細々とはやってる。 上空で円を描きながら飛行すれば速度の差はほぼ問題なし。 燃料がなくなれば、他の飛行機が引き継ぐ。 (100 468) 菊水作戦とかね (100 469) 艦攻などは他の飛行機が敵を攻撃する際にも陣形を乱さずに(綺麗な形で飛びながら)攻撃したのでしょうか。 確かに艦攻も編隊を組むのですが、それは防御が目的です。 (101 798) 水平爆撃にせよ、雷撃にせよ、艦攻が敵を攻撃するときには編隊を組んでやります。 雷撃なんかは各機がバラバラに魚雷を落とすよりも編隊を組んで、複数の魚雷の 進路と敵艦の進路がうまく重なるようにした方が命中率も上がりますし。 (101 813) 攻撃には有利であり、それを最優先するのはイメージし易いのですが防御はどうなのでしょうか。 (どうしても敵からみて綺麗にならんで飛ぶ姿は狙われやすいと考えてしまうのですが) 防御時にも有利になります。 編隊を組んだときは、その中の一機の防御機銃がカバーする範囲が、バラバラに 飛んでいるときの範囲よりも小さくなるため、密度の濃い段幕を張ることができます。 それによって敵機を撃墜することまでは行かなくても、容易に接近することを防げ、 結果的に編隊各機の生存率が上昇します。 (101 833) 艦攻、艦爆はもちろん、双発や四発の爆撃機も密集編隊を組んで飛行するのが普通でした。 その理由は、敵戦闘機におそわれたときに火力を集中使用できるから。 たとえば7.7ミリ4丁積んだ爆撃機を考えると、一機一機バラバラに飛行していると、 4丁分の防御力しか発揮できない。 でも、10機固まって飛行すれば、40丁になるでしょ? 逆に言うと、編隊のはじっこにいる機はその分危険なわけ。カモ番機、なんて言い方もあった。 水平爆撃のさいは編隊は崩さず、密集したまま目標上空を航過して爆撃するが、 雷撃の場合はちょっと編隊を崩し、3,4機ごとに横に並んで雷撃した。 そうして命中率を稼ぐ。 急降下爆撃は目標の大きさによるけど、1機か2機程度にばらけ、 順々に攻撃するのが普通。でないと目標上空で味方機同士衝突のおそれがある。 何十機も同時に襲いかかるわけじゃない。 ちなみに、密集編隊を組むのも、順次攻撃のタイミングを計るのも高い技量が要求され、 下手がやると空中衝突というのも珍しいことじゃなかった。 (101 835) 防空監視委員って誰がやってたんでしょうか。 防空監視員は、1941年の防空監視隊令に基づいて設置されたもので、 群馬の場合だと、哨長1名、哨員20名が対空監視哨の構成員で、これで、 昼は4名、夜は2名の24時間勤務で、1時間交替で監視を行なっていたそうです。 沖縄の場合は、哨長、副哨長が地方公共団体(市町村)の委嘱を受けた在郷軍人、 哨員は最初は役場の職員が兼任していましたが、後に青年学校生徒、または女子学徒が動員されたようです。 全国の傾向を見ますと、長クラスは沖縄のように在郷軍人が、員は1943年に文部省が出した、 「学校防空指針」に基づき、中学三年以上の学生が任ぜられた様です。 (103 眠い人 ◆gQikaJHtf2) その手の資料は、どのような題名、著者でしょうか Webでぐぐる…というのもありますが、光人社NF文庫の「戦時用語の基礎知識」、 柏書房の「しらべる戦争遺跡の事典」「続・しらべる戦争遺跡の事典」という本が あります。 柏書房のは、ちょっと癖(軍板的に)がありますが、戦争遺跡の資料としては 纏まっていると言えるでしょうね。 巻末資料なども参考になります。 しっかり裏付けを取るのであれば、と言う注釈は付きますが。 (103 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 第二次世界大戦で飛行機乗りは、訓練でどのくらいの時間乗ってたか教えてください 旧日本軍を例にして挙げれば、パイロットになる場合、海軍では士官から養成する場合は、 飛行学生の教程は1年3ヶ月、飛行時間では150時間程度で修了です。 下士官搭乗員養成の場合は、基礎教育(予科)3年、その後、飛行技術を学ぶ本科を1年、 計4年のカリキュラムでした。 しかし、各養成過程を修了したからと言って、すぐ空母に着艦出来る訳では無く、空母へ 着艦が許可されるようになるまでは、さらに2、3年後、飛行時間が300時間を越えるぐらいに 成ってから、横須賀航空隊に配属になってからでした。 その後、戦局の悪化に伴い、どんどん短縮されていきました。マリアナ沖海戦の頃は、飛行時間 100時間程度のヒヨコに発着艦訓練を行わせるぐらいまでにひっ迫していました。 (103 742) 零戦の初戦は、漢口での中国空軍との対戦だったということですが陸軍航空隊の搭乗員が乗っていたということでしょうか? 重慶に対する戦略爆撃の護衛が任務です。漢口は出発基地。 勿論、海軍の作戦です。 (104 457) 零戦は海軍の飛行機 飛燕は陸軍の飛行機 それぞれ所属の違う機体は使わない。 (104 460) 飛燕はニューギニアで戦っていますが海軍航空隊の搭乗員が乗っていたということでしょうか? なぜ、海軍がニューギニアで戦うんですか? オーエンスタンレー山脈越えでポートモレスビーを攻略しようとしたのは陸軍ですよ。 (104 457) 中国本土でも、海軍航空隊は活動していたし(上海を中心として)、 ニューギニアには陸軍の部隊が展開していた (スタンレー山脈越えのポートモレスビー攻略作戦とか)。 ただ、陸軍飛行隊の洋上航法能力は稚拙の一語で、部隊ごと行方不明になっていたりします。 (104 458) 本土空襲に飛来して、撃墜されたB-29は全部で何機くらいですか? 帰還後に破棄された機体を含めて300機~400機弱 少ないように思えるでしょうが硫黄島に不時着した機体ののべ数を調べると 結構頑張っていたと言えると思います。 (109 375) 日本には高々度用の邀撃機ってほとんどなかった? ぶっちゃけ高高度専用のの迎撃機なんてありませんでした。 高空性能が日本機の中で高かった飛燕ですら武装外して戦ったりしています。 (109 378) 途中から米軍が(効果の薄い)高々度からの精密爆撃を止めて、 低空からの無差別爆撃に切り替えたので、 日本機や対空砲弾が届くようになったのです。 (109 393) 台湾沖航空戦の戦果と損害が資料によってまちまちなんですが、どれがもっとも信頼できるのでしょう? 損害は300機となっているものと600機となっているものがあります。 戦果は巡洋艦2隻大破となっているものと、空母1隻と護衛の水上艦3隻小破となっているものがあります。 空母一隻と護衛の水上艦3隻小破 これは14日のみの米側被害。 12日~16日の間の戦闘でそれ以外に空母1、重巡1、駆逐艦1が小中破。 航空機の損害については、T部隊のみの損害なのか フィリピンに展開していて投入された戦力を含むのか 台湾沖航空戦直前の台湾・沖縄への米機動部隊空襲による 損害を含むのか等により幅が出ていると思われ。 (110 150) 戦時中に長野県南部には空襲はないもの思っておりましたが、祖母の話だと 飯田市の多摩川精機の敷地内に何か落とされたみたいだそうです。 米軍の飛行機が銀色のひらひらした紙のようなもの、5mぐらいはあったらしいんですが これってなんでしょう? 欺瞞紙・・・かなぁ (110 762) チャフとすれば、5mが半波長として、波長10m台のデカメートル・レーダー妨害用か? (110 775) 自機が防空網にかからないよう自衛のために使った と考えたほうが自然 (110 843) たんなる誤爆だと思うよ 富山付近に落とすつもりが航法を間違えた可能性大 (110 848) 太平洋戦争で飛行中の戦闘機が撃破され、搭乗員が海に投げ出されたらその後どうなるんですか? 日本軍ならそのままフカの餌か土佐衛門。きわめて運が良ければ近くの島に泳ぎ着ける。 米軍なら(余裕があれば救命ボートを出して)救助を待つ。 すると潜水艦が迎えにきてくれる。専用の救難機もあったし。 (112 76) 味方が救助に来てくれるの? 運がよければ。 日本軍ならそのままフカの餌か土佐衛門。 一応は飛行機救難船って艦種もあるよ。 もっとも、無線自体が利かないんだから落ちたところの分かる 沿岸部でしか役に立たないだろうけど。 (112 77) 海軍航空兵力がソロモンですり潰されて回復できなかったことは有名ですが、 陸軍航空兵力はそのような明白な原因なく壊滅したように思えます。なぜでしょうか? 光人社「JAPANESE AIR POWER 米国戦略爆撃調査団報告-日本空軍の興亡-」 で関係者への事情聴取を含む突っ込んだ調査報告が出てるが 今思い出せる範囲では フェリー輸送中の事故損失率が洒落に成らないほど高い 米陸軍の予想外の長距離爆撃による地上撃破 整備部品の不足。整備体制の不備 あたりがニューギニアでの航空戦力消耗の原因として挙げられていた(はず) フィリピン戦になると整備関係の不備はさらに厳しくなり 大量の鹵獲機を出すようになる。 (112 927) ジョージ・H・W・ブッシュは日本の捕虜になりました? 小笠原近海で撃墜されましたが、潜水艦に救助されています。 捕虜にはなっていません。 (117 203) ミッドウェー海戦の時は雷装待機の命令がうまく伝わらなかったみたいだけど、雷装にするとどんなメリットがあるんですか? 当時の艦載攻撃機には急降下爆撃機と雷撃機があります。 雷装に換装できるのは雷撃機のほう。 雷撃機に爆弾積むのは水平爆撃で陸上目標を攻撃するためで、 海上を機動中の敵艦に命中させるのはまず無理。 (118 317) 爆装は爆弾、雷装は魚雷を積む 差があるのは攻撃機で、急降下爆撃機は常に爆装となる。 攻撃機が魚雷を装備して攻撃した場合、魚雷の破壊力は高く 水上艦の水線下を破壊するため、浸水させて沈没させ、もしくは速度を低下させて さらなる攻撃を容易にする。 しかしデメリットはあり、魚雷を投下するために速度に制限があり撃墜されやすい また雷撃侵入時は直線行動しか取れず、これも撃墜されやすい。 (118 318) 太平洋戦争末期に久我山というところに高性能な高射砲が据え付けられて、 たった一発の射撃でB-29を2機撃墜したと聞くのですがどのような砲だったんでしょうか。 地上設置型レーダーでB-29の位置と高度を測定したのち砲撃した でも、この撃墜ってここでは誤認説が優勢なんだよ (118 824) フライングタイガースが実際に日本軍機と交戦したのは日米開戦後だと マーチン・ケイディン著『零戦~日本海軍の栄光』と言う本で読んだのですが事実ですか? 事実みたいですね。 本としては、 「中国的天空」中山雅洋 「シエンノートとフライング・タイガース」吉田一彦 をお勧めしてみます。 (118 ベタ藤原 ◆RoMNjfnp0E) フライングタイガーズに関するサイト、 https //www.danfordbooks.com/ によれば、 1941年12月20日が初交戦のようです。このサイトがお役に立つと思います。 補足 ところで、古い戦争にはまったく無知な私が上記サイトを拾うためにやったことは、 "flying tigers" first japanese でググって、3つほどのぞくことでした。所要時間2分ほど。 それ以上かかったらやめてたと思います。ごきげんよう。 (118 system) パールハーバーを見ていますが、あの時代ゼロ戦と優位な空戦をしている米軍機はなんという機種ですか? ハワイに駐留していた米陸軍航空隊の主力戦闘機はカーチスP-40でした。 ホイーラー基地に15PG(45・47PS)、18PG(6/19/44/73/78PS)合わせて87機 (うちC型12機・残りはB型)が配備されていました。 しかし、日本海軍の空襲により攻撃後に残った機体はわずか25機だけになってしまいました。 その中でも少数が迎撃に発進しており、テーラー、ウェルチ両中尉は 日本機を撃墜した功により殊勲十字章が授与されました。 (122 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) 真珠湾攻撃時に唯一空戦で零戦を撃墜する大金星をあげたP-36をお忘れか? (122 126) 手元にP-36の資料がなかったものでm(_ _)m P-36は15PG(46・47PS)と18PG(78PS)に配備されてたようです。 (122 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) 大戦中のB-29撃墜数を調べているのですが、資料により150機から300機程度とかなり開きがあるので 実際の撃墜数はどの程度だったのか、もしよければ教えてください。 ちょっと探してみたら371機という数字が出てきました。別のところでは450機という数字も。 で、これが純粋な戦闘損耗のみなのか、事故等で失われた機体も含めている数字なのかは よくわかりません。おっと、492機という数字もあります。 さて、どうします?(w 「米軍資料 日本空襲の全容」(東方出版)という本があるようです。これに当たられてみては? (123 967) 高々度精密爆撃をするだけなら日本の対空砲火、戦闘機の相手ではなかったのですが、 低空絨毯爆撃をするようになると被害が結構増すようになります。 高々度でも、戦闘機の護衛が無いので、 創意工夫によっては迎撃機の餌食になる場合もありましたが。 また、低空絨毯爆撃、特に白昼爆撃では、迎撃機も、 硫黄島陥落後に戦闘機の護衛が付くまでは結構活躍していました。 また、サイパンから長躯出撃するので、損傷を与えただけでも、 基地に帰り着けない場合も多々あったようです。 (123 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 何を仰りたいのか今ひとつ掴みかねますが、当時の高射砲の砲弾や 戦闘機の搭載機銃の威力は、いくら巨大とはいえペラペラのアルミ製の 精密機械の塊であるB-29を壊すのに十分です。 しかも太平洋戦線のB-29は海の上をはるばる飛ばないといけないので、 エンジンを1-2発停止させたり燃料タンクに穴を開けただけで洋上不時着 に追い込める可能性があり、この分も撃墜カウントに入ります。 (123 971) 爆撃機は、戦闘機の性能じゃなくてシステムで落とすんです。零戦でも高度1万mを飛んでくる B-29を落とすことは可能ですし、B-29は高高度爆撃をそれほど行っていないですし。 それに、日本の高射砲部隊は一般に思われてるよりずっと優秀でした。損害の過半数は 高射砲によるものです。 あとですね、体当たり攻撃は思っているほど実行されてないらしいですよ。 (123 977) 第二次大戦中、キスカへ空襲に来て撃ち落された米軍パイロットを帝国陸軍が英文の墓標を立てて弔ったそうだけど 英語の使用を禁止されていた当時の日本の、しかも軍がこんな事したら軍法会議ものじゃないの? 当時の日本が英語を禁止されていたというその認識がまず間違いです。 海軍兵学校などは、井上成美校長の意向もありましたが、最後まで入試に英語を残していました。 陸軍は英語を使用しない方向で行っていたようですが、ロシア語は重視されていました。 海軍の英語も同様ですが、敵が用いている言語を聞き取れないようでは戦争になりませんからね。 また、当時の文部官僚は今と同じようなリベラル系(良くも悪くも)で、英語の教科書もちゃんと存在してます。 後に英語教育は消えましたが、要するに戦況の悪化や学徒動員などで英語を含む全ての学業が吹っ飛んだというだけの話。 基本的に英語の規制というのは民間などでの話です。 今も昔も、民間の過剰な自主規制という日本人の性癖にさしたる差はなかったわけで。 (112 143) 昭和19年(1944年)の文部省の中等学校英語教科書二年用に 「ADMIRAL YAMAMOTO AND HIS HOUSE」という文章がある。 (1) Isoroku Yamamoto was one of the greatest admirals that the world has ever seen. Under his command, our navy won great victories in Pearl Harbour, off Malaya, off the Solomons, and at many other places. He will be remembered for ever. (2) Although he was a man of high position, he lived in rather a small house, for he loved a simple life. One day one of his friend said to the admiral, "I am afraid your house is too small for you. What do you say to moving to a lager one?" The admiralanswered with a smile, "This house is indeed very small, but I have another one, large enough for me. It is the Pacific Ocean." 内容は分かるよね? 当時のとはいえ中学二年向けだし。 本当に英語が禁止されていたなら、昭和19年に文部省がこんな教科書作るわけないわな。 (112 145) 実際、陸軍士官学校が入試から英語を取っ払ったので、 優秀な生徒をそちらに取られることを危惧した海軍兵学校も入試から 英語を撤廃しようかという話はあったようだが、井上成美が校長権限で却下した。 曰く、 「英語一つマスターする気の無い奴は海軍には必要ない。 どこの国に自国の言葉しか話せない海軍士官がいるのか? よって自分が校長である間は絶対に許可しない。」 (112 150) 芙蓉部隊があげた戦果というのはいかほどのものだったのでしょうか? 昭和17年以降の日本海軍の主張した戦果には、ほとんど実態がありません 戦果確認という基本動作をせず、帰還隊員の報告のみで戦況判断をすると いう信じられない姿勢が敗戦を招いたのです (112 514) 山本五十六は銃弾が額に直撃して即死したんですか? 顔に弾の跡があったらしいので、間違いないでしょう。 (113 855) 弾片が当たったのならともかく、12.7㎜や20㎜が直撃したら顔は原形を留めないんじゃないの? 一応、公式の記録でも、背中と顔面に機銃弾のあとがあった。となってたはず。 俺も多分、破片なり掠った傷くらいなんじゃないかと思うけど。 もしくは、綺麗な遺体じゃなかったとかね。 (113 858) 飛行機が墜落した時点では生きていたという話も見たことがあります (ソース思い出せず ごめんなさい) (113 865) 海軍甲事件で山本長官を護衛していて守りきれなかったパイロットはどうなったのですか 「六機の護衛戦闘機,」高城 肇, 光人社NF文庫 をお読み下され。 6人のうち、柳谷飛曹長を除く5人のパイロットがまもなく戦死し、柳谷飛曹長も 生還しましたが、片足を失っています。 彼らには『名誉の戦死』を遂げさせるべく、過酷な出撃が強要されたといわれています。 (115 713) 連合軍側で「零戦を見たら逃げろ」という命令が下されていたのでしょうか? まあさすがに逃げてばかりもいられなかったでしょうが。 戦争初期のゼロ戦は文字通り無敵でしたから、そういう強敵とは 意図的に交戦しないように、という指示もあったかもしれないですね。 ゼロ戦は、当時として型破りの機動性能を持っていたため、この戦闘機に 格闘戦を挑んで勝てる飛行機は、グラマンF6Fが登場するまで、存在しませんでした。 オーストラリア軍のパイロット、グレゴリー・ゴールはこういう言葉を残しています。 「ゼロ戦と接戦したら、結果は明らかだ。たちまち、死人になってしまう」 有名なフライング・タイガースの指揮官クレア・シェンノートも、ゼロ戦と 格闘戦はさせず、自軍の機体の頑強さと重さを活かした、急降下による 一撃離脱戦法をとらせていました。 つまり、「格闘戦に持ち込まれないうちに逃げろ」、という意味の事ならば、 ゼロ戦が猛威を振るったあらゆる戦場で言われていたことでしょう。 (117 467) 文書としての「命令」が発せられたという記録は私も見ていません。 ただし、 467さんがおっしゃっておられるように、そのような指示は出ていたようです。 内容は「1対1では格闘戦を行わずに離脱せよ」というものだったと思います。 「ゼロを見たら逃げろ」ということではないと思います。 467 F6Fもゼロに対して単機での格闘戦では不利でした。 高速、効果性能、維持旋回能力を活かして速度を落とさずに戦うことで、 常に高度の優位を維持していたようです。 (117 470) ソ連参戦時、日本軍機とソ連軍機の空中戦とかあったのでしょうか? 満州に居た飛行隊がソ連地上軍に攻撃をした事はある。 空中戦は他の人に聞いてくれ。 (124 280) 第2次大戦中のタイ軍航空部隊に実戦経験はあるのでしょうか? 1941年に、タイとフランス領インドシナとの紛争が発生します。 この時タイ空軍は6機のマーチンModel139と4機のHawk75Nをもってハノイを空襲、 フランス側も4機のMS406をもって迎撃、戦果のほどは分かりませんが、タイ側は2機 のMS406を撃墜したと主張しています。 その他、フランス側のポテーズ542やファルマン221のタイ側に対する夜間爆撃や タイの97軽爆がフランスの戦闘機とドッグファイトが生起するなど、 空中戦がそれなりに発生しています ttp //en.wikipedia.org/wiki/French-Thai_War 英語版Wikiがわりと詳しいので。ここを見ると、フランス側はタイ空軍のパイロッ トについて、特に急降下爆撃について優秀と評価しているようですね。 損害はフランス側は1機のファルマンF221と2機のMS406を地上で喪失したことを 認めているが、タイ側は5機の撃墜と17機の地上撃破を主張する一方、3機を空中戦 で、5~10機を地上で喪失した、と主張しているとされてます。 ただフランス側の損害は実際には30%に達していたとも書かれていますが。 (455 726,727) 第二次大戦の時ドイツやアメリカには「空軍」があったのに日本に無かったのはなぜ?日本にも空軍を創設しようという議論はなかったの? そういう議論もあるにはあったけれど、 大日本帝国憲法に「陸海軍」と明記されているので、空軍創設には憲法改正が必要(これが最大の障害になった) 陸軍航空隊と海軍航空隊のどちらが主導権を握るのかで、縄張り争いが起きる 空母艦載機は海軍と空軍、どちらのものになるのか? など、様々な問題があって、結局空軍独立論は幻のまま。 あと、アメリカが空軍を陸軍から独立させたのは、第2次大戦後だよ。 当時、独立空軍を持っていたイギリスやドイツでは、空軍と陸海軍の関係は必ずしも良好ではなく、 協同作戦の際に、少なからぬ問題が生じている。 アメリカだって独立空軍は持っておらず、日本が特に遅れていたわけではない。 (466 642,645) 航空機の主要損失要因は? 主として非戦闘要因. 以下引用. 太平洋戦争の特徴の一つは、非戦闘要因で破壊された航空機が多いことだ。 戦争全体を通して見ると、敵前の行動で失われた航空機は、たったの25%にすぎない。 残りの原因は天候不順、空母からの発着艦ミス、急造滑空路による事故と、熱帯性気候による航空機の損傷だった。こうした太平洋独特の状況のため、航空機のロスは欧州戦線などよりはるかに高かった。 アリューシャン作戦では、なんと87%が非戦闘要因による損害だった。 たしかにアラスカには熱帯性の気候はなかったが、北極の悪天候が航空機の寿命を大幅に短縮したのである。 「第二次世界大戦 あんな話こんな話」 ジェイムズ・F・ダニガン アルバート・A・ノーフィ 大貫昇=訳 文春文庫,P295 また,ダニガンは、 「日本軍は航空機輸送での損失が不可解なほど多い」 とも書いている(ソースは失念). 日本陸軍機損失23,835機中、輸送中の損失は2,015機。 日本海軍は輸送中の損失は区別されて無いが、でもまあ常識的に考えて陸軍より比率が高いだろう。 海軍機の統計は、損失27,120機中、作戦消耗10,370機、自然消耗16,750機。 ちなみに、彼がデザインしたゲーム「WarInThePacific」 SPI/HJ では10機単位で航空機を管理しており、4週間ごとに作戦配備してある航空機の10%、輸送を行った航空機の20%を損耗する。 比率はなぜか?日米共通となっている。 (軍事板) 日本に「フリッツX」のような誘導爆弾は存在したのでしょうか?また、それは実用可能な性能を持っていたのでしょうか? 大戦末期陸海軍ではいくつかの誘導弾の開発が行われていた。 B29を撃墜することを目的とし、地上から敵機に照射されたレーダービームを感知し自ら進路を修正しながら飛ぶ地対空誘導弾「奮竜」 飛行機から投下され、赤外線感知機で進路を修正して海上の熱源(敵艦)に向かって無動力で落下する誘導弾ケ(○にケと書く) 飛行機から発射され、ロケット推進で母機の無線誘導で敵艦に突入する空対地誘導弾三菱イ号一型甲および川崎イ号一型乙。 うちイ号一型乙は熱海沖で行われた試験中に誘導不能となり、よりによって温泉旅館の女湯に突入するという事故をおこした。 このためエロ爆弾などというあだ名がついたとも。 いずれも当時の世界水準で見ても非常に性能の高いものであったが、 奮竜は実用型の発射試験前日に終戦。 イ号は戦局の悪化で生産中止。 などの事情で、実用化されたものは存在しなかった。 なお誘導弾ケの開発には当時中島飛行機の設計室にいた糸川英夫も関わっている。 (148 700) なぜ日本軍戦闘機隊は挌闘戦にこだわったの? 渡辺洋二によれば, 「数も無線機の性能も劣った日本機では,米側と同じ編隊による一撃離脱を真似しても不利は明白である. とる戦法はロッテ式格闘戦であった. 運動性の良さで敵をとらえ,敵から逃げるのだ. ・・・ 軽快性に乏しい4式戦にはこの戦法はむつかしい. ・・・ 最適な機体がキ100だった」 (軍事板) その評価,明野で隼を使ってロッテ戦の研究やった時にも同じ結論が出たようですね. ただ,それが出来るのってベテランだけなんですよ. 大多数の新米搭乗員には,運動性を武器に単機戦闘で生き残るのは難しいです. 結局はベテランなんかは隼三型は信頼性があるけどもう少し火力と速度のある機体が欲しい・・・・そこに5式戦が出てきてあれがベストに思えたんでしょうね. 新米はもうわけも分かんないうちに撃墜されて評価もへったくれもなかったでしょう. 疾風に関しては信頼性と出力低下で,後半は「ただ重いだけ」の戦闘機になってしまったか. (素質がいい戦闘機なのは間違いないんだけど) (名無し飛行兵曹 in 軍事板) 日本の13ミリ機銃は悲惨だったと聞くけど,どう悲惨だったの? パワーが悲惨。陸軍の機載13×63mmは、13×99mmの6割程度のエネルギーしかない。 初速も8割しかなく、弾重6割。直進性の悪い弾道で、当たっても効かない弾を撃ってたわけで。 で、13.2×99mm(ブローニング)機載は銃身長が短いし、13.2×99mm(ホチキス)対空は発射速度が遅い。 まあ、20×72mm(エリコン)の初速の悲惨さに比べられるものは少ないが。 で「日本の13mm機銃」に当てはまりそうなものとして、私が知る範囲では、 13×63mm(海軍機、MG-131の雷管発火バージョン。13mm2式?) 13×99mm(海軍対空火器。ホッチキス製。93式?) 13×99mm(海軍機、ブローニング。13mm3式?) があるわけで、それぞれ前述の通りです。 (377 484) 戦時中の戦闘機乗りはヒロポンとかやってたそうですが? 使われていた。 明治41年に薬理学者長井義博博士が麻黄からエフェドリンを分離。 その後エフェドリンからメタンフェタミンの合成に成功。 昭和16年に大日本製薬から商品名「ヒロポン」として販売開始。 同じく昭和16年、日本国第7陸軍研究所に1日100キロの行軍に耐える体力、 夜間に周囲を見通す視力、3時間の睡眠で事足りる回復力、 寒冷地においても防寒着を必要としない順応力を持たせうる薬品を開発せよ、との任務が授けられる。 研究の結果は「ヒロポンに勝る物無し」との事。 アンフェタミンはアメリカで合成され、ベンゼドリンやデキセドリンなどの商品名で市販された。 メタンフェタミンを軍用として使用した国には他にドイツなどが挙げられる。 単純作業以外にも、例えば余り認められては居ないが意外にも創作や学習などの効率も上げる。 頭の回転が速くなる=スピード、という俗称もこの辺りから来ている。 そして、副作用も主にこの回転が速くなる事から発生する。 減速機がうまく働かなくなってしまう場合も多い。 坂口安吾など、戦後一時期の作家の作品には、 (結果として)ヒロポンによって生み出されたと言えるものも少なくない。 副作用も主に、この思考が速くなる事から発生する。 減速機がうまく働かなくなってしまう場合も多い。 ヒロポンは作用と副作用を比較すれば副作用が大きく、また、耐性の形成も非常に早い。 薬局で売っていたと言う話も、昭和20年の敗戦から昭和25年の覚せい剤取締法の施行まで、 いわゆる「マトモ」な薬局で販売される事は余り無かった。 戦後の大日本製薬製でないヒロポンやそれ以外の覚せい剤はほぼ闇ルートで捌かれている。 (今に至るまで闇で流通する覚せい剤に半島製が多いのは、 寒冷な気候が製造に向いている事に目を付けた日本の製造者によってもたらされた遺産) 「普通」の人は何となくヒロポンのヤバさに気付いていた。 主に不眠から来る錯乱(薬自体の副作用ではない)などを知れば当然ですわな。 (198 337-355) なんで日本もVT信管作って対抗しなかったの?発想自体がなかった?それとも技術不足? 数万Gの加速に耐える真空管と電波技術があって、初めてできるのがVT信管. 技術・発想共に日本は不足していただけ. 日本でも光学的な近接信管なら開発されました。 ただ、これは爆撃に使用するもので、アメリカのように対空砲火に近接信管を使用する発想は無かったようです。 それと、発想や技術力があっても開発できない場合もあります。 NHK取材班編「電子兵器『カミカゼ』を制す」なんかを読むと分かりやすいんじゃないでしょうか。 戦争の末期に機体全てが竹で出来た戦闘機があったと思うのですが 沖縄の中(嘉手納)飛行場などに、米軍機の襲撃をそらすために竹製のダミー戦闘機が数多く置かれていました。 占領した米兵の中にはこれを本物と思ってあきれた者もいたという話ですから、おそらくその事だと思います。 あるいはジョーク混じりの話なのかもしれません。 竹製オトリ戦闘機は沖縄県平和祈念資料館に写真があったと思います。 オンラインに公開されていました。 http //www.peace-museum.pref.okinawa.jp/SpoolBase/SPL000000001/IMG000012965.JPG http //www.peace-museum.pref.okinawa.jp/SpoolBase/SPL000000001/IMG000014483.JPG (357 135,136) 橘花はネ-20エンジンを始めMe262のコピーといった性格が強いのですが、ネ-20以前の日本独自開発のジェットエンジン、ネ-10その他は搭載する機体のデザインも出来ていたのでしょうか? 海軍は昭和16年12月からジェットエンジンの開発を始め、昭和19年にはTR-10(ネ-10)の 完成にこぎつけましたが、この段階まではエンジン単体の開発でした。 ジェットエンジンを搭載する機体は、昭和19年8月に海軍が提示した「興国二号」計画 によって開発が始まりました。 この機体はネ-10二基を胴体に並べて収納する形式や両翼下のナセルに装備する方法などが 検討されています。 また、暫定案として「初風」発動機を使用したモータージェットを二基ないし四基搭載する ことも検討されたようです。 しかし、エンジンが決まらなかったこともあって機体の具体的な形状は定まらず、 昭和19年12月に試製「橘花」の計画要求案が中島飛行機に提示されたことでようやく 本格的な機体の開発が始まりました。 (531 608,名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) B-29がいる飛行場に対する攻撃の計画や実行は有ったのでしょうか? 1944年11月27日に第一御楯特別攻撃隊が12機の零戦でサイパンのアスリート飛行場を銃撃しました。 4機を破壊、6機を大破させたとか あと陸からの攻撃ですが第一号作戦(大陸打通作戦)や老河口作戦の主目的の一つに B29を運用する飛行場の奪取というのがあります (353 622,624) 日本海軍航空隊はなんで急激に、航空隊の練度が低下したんですか? 真珠湾やマレー沖の時は、神の技量を持った搭乗員が敵艦を次々あぼーん マリアナや台湾沖では、まっすぐ飛ぶのがやっとの搭乗員ばかりで、味方の航空機が次々あぼーん パイロットを訓練するシステムが働いていなかったんですか? ソロモンの戦いでざっと1万機を失ってるのが原因。 また日本のパイロット教育が、少数精鋭主義だったのと、予算が少なく、年中晴れてる教育適地がなかったから。 ぎりぎりの数の第一線搭乗員を職人的に育てるシステムになっていたので、予備が無かった。 そのため、航空部隊の増設や消耗に対応できず、最初から搭乗員不足だった。 真珠湾攻撃の頃は教育部隊から引き抜いた教官を実戦部隊に送ったりしてごまかしたが、 珊瑚海海戦の頃にはすでに部隊増設で大幅不足で、空母の搭載定数が削減されてたくらい。 その後、ガダルカナル方面で搭乗員の消耗が激しくなる一方、 搭乗員の大量養成システムが十分に整備できず、どんどん練度が落ちた。 特に開戦前からの搭乗員が職人的に優秀だったので、相対的に落差が激しい。 急に教育課程を拡大しようとしても、教育用機材や教官、飛行場設備など間に合うわけも無く。 目標としては第一線部隊の1.5直分を用意しようとしていたみたいだが、達成できず。 それでも消耗はどんどん激しくなるので、やむなく訓練期間を短縮して教育の量が低下、 燃料不足・教官の実戦投入などで教育の質が低下、卒業時点での錬度が低くなり、 卒業後もすぐに最前線に投入されて経験不十分なまま戦死となる悪循環。 マリアナの時は作戦直前に潜水艦の脅威から訓練が出来ず錬度がさらに低下、 台湾沖のときは悪天候下での夜間攻撃という状況で錬度低下の影響が増幅、 そういう特殊事情もある。 (540 885,886) 風船爆弾によってピクニック中の6人が犠牲になったのは公開されたの? 戦果があったことが日本に知られると、もっと送り込まれてくるし、細菌兵器とか搭載されたら困るので、 厳重な情報統制をしいた。そのため日本側は効果無しかと思って、風船爆弾を送るのをやめた。 (566 200) 山本五十六の乗った一式を撃墜したP-38のパイロット達は、裁判までして自分が墜としたって揉めたそうですが事実ですか? 事実だよ。ランフィアとバーバーね。 英語ソースですまんが。 http //en.wikipedia.org/wiki/Death_of_Isoroku_Yamamoto#Controversy (572 45,46) 芙蓉部隊の戦術や戦果は、あくまでイレギュラーな小部隊だからこそできた事なのでしょうか? 小規模であるがゆえに、また指揮系統として特攻部隊と独立していた故に、横槍を排除 しつつ指揮官の意図を搭乗員から整備員に至るまで徹底させることができた。 それともその他の部隊が特攻に固執していただけで、美濃部少佐のような指揮官がいれば より大規模に実行できたのでしょうか? 美濃部少佐のような指揮官がいっぱいいるだけでなく、美濃部少佐の理論思想を理解 する上層部、兵站、作戦指導がなければ、全軍への波及は無理。練習機を出撃させて 戦果が挙がったと強弁するような官僚化した軍隊を戦時に改革できるくらいなら、そもそ も戦争なんてやってない。 旧軍自体の構造的な問題ということでよろしいのですか? 日露戦争の勝利から35年、国家予算をがぶ飲みして作り上げ、挙句に維持だけで 手一杯になるまでに肥大化した組織は、国家の利害衝突において「アメリカに勝て ません」という事実が自己否定に繋がるが故に、あらゆる現実を無視して戦争に突 入することを選んだ。それは当事者たちも認めていることだった。 http //www.nhk.or.jp/special/onair/090809.html (607 ふみ) 彗星による夜襲という戦法自体には問題がなくて、旧軍の構造的(ソフト面の)欠陥のためにそういった方針が大規模に実施されなかったのか。 夜襲を大々的に行わなかったのは以下のように考えられます。 搭乗員の錬度不足 1944年以降燃料不足が絶望的になりまともな訓練が行えなくなっていました。 夜間に飛行機を飛ばすには計器飛行や航法がしっかりできないと攻撃しても帰って くることはできません。 海軍の方針との不整合 当時海軍は少しでも連合軍の進撃を遅らせるために空母への攻撃を望んでいました。 夜間攻撃だとレーダーでもない限り、空母は見つけることすら難しいでしょう。 (607 836) 第二次大戦末期に日本に艦砲射撃を行った連合国軍艦船には上空に護衛戦闘機が付いていたんでしょうか? 釜石を砲撃した第34.8.1任務部隊は3隻の高速戦艦、2隻の重巡洋艦、9隻の駆逐艦から 成りますが、その後方には第3空母戦隊と第4駆逐戦隊が控えていました。 また、その目標偵察の為に艦載機を出しています。 (609 眠い人 ◆gQikaJHtf2) サイパン爆撃が大きな戦果を挙げたのは米軍側の油断と怠慢だったの? http //www.iwojima.jp/data/b_story.html 「油断と怠慢」というよりも、元は敵の領土であった狭隘な島嶼上に B29のような超重爆を数百機も集中配備して、大編隊による運用を 行っていた事からくる、半ば不可避の損害であったと思われ。 飛行場の詳細な位置情報が日本側に最初から暴露してしまっている。 島嶼上ゆえに他の飛行場適地は極めて限られており、それらも当然尽く 日本側に把握されていて、整備しても囮や退避の目的には利用しづらい。 B-29をフルに運用できる滑走路がマリアナ諸島全体でも、そう多くなかった。 隣接するテニアンやグアムのB-29用滑走路の整備が遅れたため、 サイパン島南部のイスリイ及びコブラ、両飛行場に集中配備している期間が長かった。 擬装と分散は、確かに敵から受ける被害を減ずる役に立つが、その反面、 手間の煩雑さから効率的な編隊運用を妨げ、それは数が増えるほど深刻になる。 (だからどこの国の空軍も平時は列線で運用している。) (対ソ戦に全力を挙げるべきだった 444) 太平洋戦争で、トラック島が艦載機の奇襲を受けて、300機近い航空機を失ったと読みました。 ちゃんと哨戒機を飛ばして哨戒してたら、艦載機の攻撃圏内に入る前に、機動部隊を発見出来ると思うのですが? そして万が一来るかも知れない敵歓待を発見するために哨戒機を飛ばそうという発想は 当時の日本海軍のエライサンにはなかったのです (って、おそらく世界中どこ探してもないだろうけど。普通は漁船改造の哨戒船とか潜水艦の役目だ) (42 647) 大戦中、対潜哨戒以外の意味で航空機を常時飛ばした国はないでしょう (42 654) とすると、トラック島にも漁船や潜水艦による哨戒線があったって事ですか? 記憶なので不確かだが、当時は漁船改造哨戒船が3~4隻と ロ号潜水艦が2隻ほど哨戒に当たっていたはず 米艦隊は海上の天候を伝える無線情報を分析して日本側哨戒船の 位置をつかんでいて、その間をなんなくすり抜けたというのを 何かで読んだ(暗号なんとか、て本だったと思うが (42 661) アメリカ映画などに出てくる戦闘機のパイロットって、階級は大尉とか少佐とかが多いですが、上等兵とか軍曹とかのパイロットって少ないのですか? アメリカはパイロットオフィサー制なので、みんな士官です。 爆撃機なんかの乗員、機銃手とかには下士官もいる。 ちなみに飛行機に載りこむ要員で兵卒はいない。 日本の場合は「叩き上げ以外は士官学校出てない奴は士官にはしない」 に拘ったのでパイロットはほとんどが下士官で、結果指揮を取る将校が 編隊内で一番経験が浅い(士官学校出てからパイロットになるのでその分 部下と差がつく)ので、空戦が始まると誰も指揮官の言うことを聞かず 戦闘指揮が成り立たない、という事態が頻出した。 アメリカの場合はパイロット資格を取った段階で全員士官に任官するので、 そういった問題は起きてない。 この辺もアメリカに日本が勝てなかった原因の一つ。 空戦中に戦闘指揮ができるのですか? できるよそりゃ。 そもそも、先に敵編隊を発見したときにどの方角からどのタイミングで攻撃をかけるか、 とかだって指揮官のセンス次第でその後の戦闘の有利不利が全然違ってくる。 アメリカの場合は指揮官機はちょっと離れたところから空戦全体を見回して、 どの敵機にどの編隊を割り振るか、ということもやっていた。 決して先頭に立って「攻撃開始! 俺に続け!」とやるのが指揮官の役目ではない。 日本の場合はよほどの人以外指揮官が一番編隊で下手だったりしたので、 敵編隊を発見すると即座に全機がてんでバラバラに自分勝手に攻撃をしかける、と いう事がよく起こり結果指揮官による戦況の把握どころではなくなった。 時には 「**12より編隊指揮官機へ、3時下方に敵編隊を発見」 「編隊指揮官機より**12へ、……どこだ? 俺には見えんぞ」 「3時やや下方です」 「・・・だからどこだ? 俺には見えんが・・・」 「だから3時の方向ですってば。**12、無線不調。指揮官機の支持見えず。 我独自の判断で行動す」「**11続く」「**10続きます」「編隊各機、**12に続け」 「ちょっと待てお前等、俺を無視するな!」 というような事も結構頻繁に起こった。 日本軍の飛行機は無線の調子が悪かったこともあるので尚更。 (297 367-371) 米軍が完全な零戦を鹵獲してテストしてますけど、日本も完動米機ないの? 沢山あるよ。 B-17C/E、P-51、P-40あたりは有名だ。 B-17Eは連山の参考にしたし、対重爆戦のアグレッサーにもなってる。 P-40は実用に使おうとした。 P-51Bは審査部が各飛行隊に出向いて模擬空戦を行ってる。 (662 544) 米機は緒戦においてカーチスP-40を複数機(フィリピン及びジャワにて) 捕獲しており、またシンガポールで英空軍仕様のブルースターバッファローⅠを 捕獲しています。 さらにはB-17Eをも捕獲して、日本に持ち帰ってテストしています。 完動鹵獲機の最後のものは、昭和20年2月に中国湖北省で不時着したP-51Cです。 この機も日本に持ち帰られ、陸軍審査部戦闘機隊により故障で動かなくなるまで 性能テストと戦技訓練に用いられています。 (662 ◆YH9/Upkk/2) 大戦末期、日本軍の航空機による反撃が少なかったのはなぜ? その前に台湾とPhilippinesで多くの航空機を失い、更に本土への艦載機 空襲で、基地の航空機も結構やられているので、夜間攻撃か特攻が精々でした。 (292 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 日本にも「撃墜王」と呼ばれた空の戦士はいましたか? 居るには居たんだが,各人とも正確な撃墜スコアは不明 海軍航空隊の岩本徹三中尉の例だと,80機~202機説まで幅広い。 (47 635) 陸軍の空中勤務者も 穴吹智軍曹 :ビルマの桃太郎 桧輿平大尉 :片足の撃墜王 黒江保彦少佐:飛行第64戦隊の隊歌を作った人 みなさん著書があります。 (47 638) フィリピン戦のさい、紫電が出てきたって聞いたが、戦果は 紫電は比島決戦に於いて、第252、341、601、634、762航空隊などに配備されていました。 基地防空、レイテ進攻作戦、船団援護、魚雷艇攻撃、強行偵察などに使用しています。 但し、少数機ずつの投入で、稼働率も良くなく戦果のほどは不明です。 (48 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 沖縄戦で落とされた爆弾はどんなやつ? 色々あります。 250lb(113kg)GP爆弾、500lb(227kg)GP爆弾、1000lb(454kg)GP爆弾。 30lb(13.6kg)クラスター爆弾、5inHVARロケット弾。 後、増槽を改造したナパーム弾がありました。 (101 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 東洋戦線では、ウェリントンやランカスターなど英軍の爆撃機はどの程度投入されたのでしょうか。 また、英軍機の中でアジアで爆撃任務に就いたのは、重爆よりモスキートやブレニムなど軽爆の方が圧倒的多数だったのでしょうか。 大戦初期には、Blenheim爆撃機などの軽爆撃機の方が機数的には勝っています。 例えば、Blenheim Mk.IVは、第11/34/39/45/60/84/113/211の各スコードロンに配備されていましたが、 Wellington爆撃機は、第99/215の2個スコードロンにしか配備されていません。 中期以降ですと、援英機が充当されてきます。 但し、インドなど東南アジア戦線では、運用環境が過酷なため、Mosquitoは偵察機 バージョンが1個スコードロンだけ配備されたに過ぎません。 (豪州空軍配備機は除く) また、英国空軍機は航続距離が短く、軽爆撃機では奥地までの爆撃が出来ないため、 軽爆撃機は一部を除いて姿を消し、代わってThunderbolt戦闘機やMustang戦闘機と 言った戦闘爆撃機型が投入されています。 一方、純然たる爆撃任務については、これまた英国の重爆撃機では航続距離が短いため、 Lancaster爆撃機の長距離型が開発されていましたが、大戦に間に合いませんでした。 これをカバーしたのが、B-24の英国型Liberatorで、第8/99/159/160/203/215/231/321/354/ 355/356/357/358の各スコードロンに配備されています。 (167 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 聴音哨ってのがWW2当時に無かった? 日本の大戦末期では、聴音機等という高級なものはなく、飛行機が来そうな 方向に穴を掘っておいて、その前に人を立たせ、横に電話を置く。 音が聞こえたら、大体の方向を検討付けて、電話で上部機関に連絡する、と 後、日中戦争期の中国では、事前情報が必要ですけど、爆撃機が飛行している 方向に目をこらし、爆撃機が見えたら狼煙を上げて次の監視哨に連絡すると言う ものもありました。 (187 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 竹槍でB29を撃墜するって話は、どこの誰がどんな経緯で言い出したことなんですか? 竹槍事件の原因になった記事は「敵が海を越えて襲来しようとしてる時に、(本土決戦に備えて)竹槍で訓練してるようじゃだめだ、 航空戦力で敵を洋上で撃破せよ」という内容。 執筆者は竹槍で飛行機を落とす訓練をしていると陸軍を批判しているわけではなく、陸軍も本土決戦への備えとして民間人に竹槍で 訓練させていた。 実際の訓練で教官が「飛行機を落とすくらいの気構えでやれ」と言ったか、陸軍の精神主義を揶揄するものとして戦前もしくは 戦後に作られた話ってところだろう。 (375 153) 1942年3月7日付の朝日新聞に以下の記事が掲載されています。 「一億は全て武装せよ。今日の決戦は要求する。前線の将兵のみに戦いを任せて安閑としている時ではない。 銃後も武装せよ、一億国民は一人残らず「撃ちてし止まむ」突撃に参加しなければならぬ。子らも起、女も武装せよ、 父よ、夫を戦場へ、職場へ送った後、家庭は、郷土は婦女の手によって護られる。 昨年の夏、村で体育錬成の運動会が催された時、千葉県夷隅郡中根村、五百名のお婆ちゃん、お母さんたちが、竹槍 を握って、体操をして見せた。やんやの喝采であった。 それが切っ掛けとなって、銃後の固めはこれで行きましょうとなった。他の女たちも率先して猛練習を開始した。村長さん が慌てた。郷軍分隊長が眼を回した。あちらの字から、こちらの里から指導員の分会は引っ張りだことなった。体操では もの足りぬと、竹槍を振るっての銃剣術である。 昨年の暮れには女子竹槍部隊が立派に編成された。女子青年学校の生徒が「えいっ」と呼べば、七十のお婆さんも、炬燵 から飛び出して「サあっ」と応じる。もんぺに鉢巻、きりっと襷を掛けたのが、この部隊の制服、武装の竹槍は、いずれも背後 の山から伐り出したお手製である。集合、行進、散会、突撃、全て実戦場を経験した帰還勇士に依って軍隊式にたたき込まれる。 おなごどもが余りに熱心じゃ、ついつり込まれ男たちも働くわ、働くわ、近頃では田畑の増産目標もぐんぐん上がっとります。 喧嘩も酒飲みも一ぺんに消えてしまった。と村長さんは髭をしごきながら、おなごたちの突撃に眼を細くするのである。」 千葉から始まった竹槍部隊の編成は、大日本婦人会の提唱で、1943年2月から各支部で竹槍部隊の編成が始まっています。 どちらかというと鍛錬のためで、どうしようもないからせめてもの武器として竹槍で自衛しようと言う考えではないか、と思います。 精神的なものが大きいのではないかと思いますね。 後、さる陸軍大将は、「竹槍3000本あれば、ソ連軍をやっつけて見せる」と豪語したそうです。 ちなみに、竹は安価で日本各地で手に入ります。 真竹の場合は、弾力があって粘性があり、槍の代用に適していました。 英国のバヨネットと良い勝負ではありますが。 (222 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 日本は米軍が捕獲ゼロ戦でやった様に、捕獲したF6FやP-51を調べて、弱点を検証しなかったんですか? 鹵獲したP51は福生の陸軍航空審査部で性能調査してるし 同部戦闘機隊の黒江少佐がP51Cを用いての巡回戦技指導を行っている。 対P51の実戦指導を受けた部隊は関東の飛行第244、18、70、51、52戦隊。 さらに中部の明野教導飛行師団、関西の飛行第56、246戦隊と本州各地で指導してるぞ (716 568) 日米両軍は飛行場を設営するのにどれぐらいの期間を要したのか? 太平洋戦争中期以降、日本軍の飛行場設営能力は可成り改善され、 小型機が離発着する飛行場だけを整備する期間は大体1ヶ月、中攻が 滑走路を飛べる程度に造成し、指揮所などを整備するのに大体2~3ヶ月 もあれば出来るようになった。 とは言え、米軍のConstruction Battalions(通称See-bees)の場合、1943年 11月に行ったギルバート作戦での第一次揚陸部隊の上陸後に機材を揚陸し、 戦闘続行中にも拘らず、工事を続け4日後に滑走路を使用可能にしたり、 ニューギニアのジャングルを切り開いて、13日間で長さ3000ft、幅150ftの滑走路 を完成させた上、5日後には更に1500ft、滑走路長を伸ばしたりしている。 (しょうもない知識を披露するスレ11 眠い人 ◆gQikaJHtf2) マウザー砲の量産化に成功して全ての機体をマウザーに更新できていたら、戦局は有利になったんでしょうか? 日本機の性能がもともと米軍と比べて優れてない。優れてたのはパイロットの腕だ 強いパイロットが戦死していなくなれば、マウザーを積んでても負ける (俺初質スレ2049 105) マウザー20ミリ2門や4門よりも、ブローニング.50を8門備えた アメリカ軍機には敵わない。 (俺初質スレ2049 107) アメリカ艦隊の激しい対空砲火は、シュトルモビクなら突破できたんでしょうか? マジレスすると、どんな機種でも撃墜されるのもあれば、突破できるのもある 艦隊を視認できる距離まで接近して、護衛戦闘機がないなら、零戦でも普通に多くが突破できるだろう ほとんどの機体は対空砲火でなく、護衛戦闘機にやられている (俺初質スレ2049 236) 何機かは撃ち落されるだろうがそれより多くの機数でかかれば突破可能 (俺初質スレ2049 239) 編隊を組んでいる雷撃機や艦爆が後方から戦闘機の急襲を受けた場合、バラバラに逃げるより、編隊を崩さずに後方機銃で応戦した方が良いのですか? 機動力を生かさないと単発機は戦闘機の餌食 編隊で対応できるのは重爆とかでこちらは機動性が劣るので火力をあげるためにも編隊はくずさない 単発機とかの後方機銃は射撃できる範囲が狭いし機銃を撃つために後方のキャノピーを開放すると 抵抗が増して速度が落ちるという問題もある ので フルカバー動力銃座とか後下方機銃とか色々思考錯誤されたが 結局はけん制に弾をばら撒ければいい程度のもの (俺初質スレ2050 319) 台湾沖航空戦で戦死した有馬正文は、指令官なのに攻撃機に乗って出撃しましたが責任ある立場の人間が、上官の命令とか許可なく勝手に出撃できたんでしょうか? もちろん、勝手に「攻撃」はできないが、有馬に命ぜられていた命令は 「台湾沖に来寇する敵を撃破せよ」なのであって、その攻撃に誰が乗って 行くかは有馬自身の権限で決められる。 もちろん、参謀長は有馬自身が出撃することに絶対反対していたが、 有馬は参謀長がいない日にちゃっかり乗って行ってしまったんだとさ。 (俺初質スレ2050 622) 指揮官先頭が日本海軍の原則だから統率上は別に問題ないよ。 ただ海軍航空隊は戦闘単位が飛行隊で、その指揮は飛行隊長が トップだから、戦隊司令自らの出撃は求められていないだけでさ。 逆に艦艇だと、ルンガ沖夜戦での二水戦の田中頼三少将が、米側からは その指揮ぶり絶賛されたものの、座乗艦長波が先頭に立っていなかったことから 日本海軍内部ではかなり批判されてるね。 (俺初質スレ2050 623) 岩本徹三の「零戦撃墜王―空戦八年の記録」という本は読んでおいて損はないですか 岩本さん本人の回想録だから、興味があるなら必読 ただ、内容はかなり誇張が多いので、信じるな (俺初質スレ50505 558) とても面白い本だが、信頼性にはやや難がある (ゴーストが余計な脚色をした可能性がある)ことは念頭に置いて読むといい (俺初質スレ50505 559) 零戦撃墜王は、話としては大変面白いんだが 回想記の形はとっているけど、岩本さんの死後、遺品の中にあったノートを、ライターが再構成した物なんだよね 元々のノートが岩本さんの記憶だけをソースに書かれたものなので、記憶違いなどが入り込んでいる 再構成したライターが話を盛ったり、元の記述を誤読した可能性がある というわけで、鵜呑みにするのは危険 (俺初質スレ50505 560) ガダルカナル攻防戦で遠距離飛行を強いられた日本パイロットはヒロポンを供給することで、パイロットの消耗を抑えられなかったの ヒロポンの量産が可能になったのはガ島攻防戦が終わってからだったんだ 使えるなら使っていただろう (俺初質スレ50505 701) 仮にそれで遠距離飛行を起因とする消耗を抑えても、結局他の要因による 消耗は抑えられないし、そうなると補充がどのみち追いつかない。 どっちが先に消耗し尽くすかというチキンレースの時点で、勝ち目は無い。 (俺初質スレ50505 702) ヒロポンは魔法の薬ではない 疲労を感じなくなるだけで疲労そのものはしてる (俺初質スレ50505 703) ミッドウェー海戦後の日本基地航空隊って、どうして アメリカ機動部隊の奇襲があんなにも面白いほど簡単に成功して壊滅するの? レーダーが未熟だから奇襲効果をもろにくらうせい あと当時の米海軍の物量攻撃食らったら、迎え撃つのが仮に米海軍でも被害甚大 (俺初質スレ50505 768) 日本に限らず基地航空隊は受けに回ると脆い。 ハワイ作戦でもミッドウェー作戦でも航空基地は早々にやられてただろう? (俺初質スレ50505 769) 343航空隊に触発されて、陸軍もベテランパイロットと4式戦を集結させた エリート部隊をつくる計画とかなかったんですか? つ 明野教導飛行師団 ttp //ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E9%87%8E%E9%99%B8%E8%BB%8D%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E5%AD%A6%E6%A0%A1#.E6.98.8E.E9.87.8E.E6.95.99.E5.B0.8E.E9.A3.9B.E8.A1.8C.E5.B8.AB.E5.9B.A3.E3.83.BB.E5.B8.B8.E9.99.B8.E6.95.99.E5.B0.8E.E9.A3.9B.E8.A1.8C.E5.B8.AB.E5.9B.A3 太平洋戦争の戦況が悪化した1944年(昭和19年)3月、参謀本部では連合軍機の本土襲来に備えて、教官、助教[* 15]などに練度の高い要員を多く有する教育機関等(陸軍航空審査部を含む)を随時防空戦闘体制に移行させる「東二号作戦」が起案された。 >陸軍の学校、官衙[* 16]の初めての戦力化であり、士気高揚策でもあった 中略 >同戦隊は通常の倍の規模の6個中隊編制であり、操縦者には熟練の教官、助教を含み四式戦闘機約80機を保有していた。 (俺初質スレ434 480) 日本の熟練搭乗員が消耗していなければF6Fとも対等に戦えましたか? 搭乗員が消耗しないって状況が想像しにくいが、結局燃料不足や稼働率低下で数で圧倒されそう 局地的には一部で対等に戦える場面もあるだろうけど、全体的には押されると思うぞ 燃料やエンジンの質、機体性能や機銃や照準器の性能、無線機を活用した編隊戦術や地上からの支援など 搭乗員の練度だけでは補えない要素も多い (俺初質スレ436 573)
https://w.atwiki.jp/earthquakematome/pages/257.html
ページ最終更新日時:2012/03/03 20 44 19 訂正:失礼をお詫びします 峯田涼雄→峯田涼雅(東松島市) 小形百合子→尾形百合子(東松島市) 高嶋久三→高嶋クミ(東松島市) 千葉央→千葉史(東松島市) 下山みなし→下山みよし(東松島市) 菅原太仁造→菅原義雄(東松島市) 佐藤拓哉→佐藤佑哉(東松島市) 斎藤かつ子(82)→斎藤かつこ(76)(東松島市) 小山(草カンムリに溶)子→小山蓉子(東松島市) 高橋光男(57)→(69)(東松島市) 斉藤利美(東松島市)→削除 石垣徳之(24)→(64)(東松島市) 熊谷七郎(76) 斎藤かつこ(76)(斎藤かつ子(82)から訂正) 尾形百合子(小形百合子から訂正)(55) 峯田涼雅(峯田涼雄から訂正)(0) 熊谷千代子 石垣千里(92) 斎藤昇子(35) 芳賀まさ子(78) 斎藤一輝(3) 斎藤優真(0) 川内き江子(81) 木村友衛(70) 木村喜栄子(65) 木村和子(68) 高橋かよ子 高橋沙織(22) 藤野隆雄(84) 藤野富美子(68) 遠藤由佳子(24) 阿部敦子(37) 一宮智之(72) 石森かほる(66) 尾形はなえ(90) 尾形正吉(79) 小野寺研耕(84) 加藤吉広(54) 佐々木久士(74) 志野まゆみ(59) 鈴木儀一(92) 平塚葵(17) 平塚すさよ(75) 赤間孝三郎(90) 内海澄代(66) 内海ヤチヨ(94) 大野敦子(79) 小野寺みさ子(76) 加藤のり子(47) 佐藤きぬゑ(83) 佐藤なが子(74) 佐藤光男(86) 菅原衞(70) 武田定子(59) 武田久(72) 鹿野つわ子(59) 土井桜琉(0) 赤川久枝(64) 宇佐美輝男(80) 宇佐美伸子(52) 白石磨(80) 小川國雄(96) 阿部つよの(88) 阿部夏海(10) 阿部妙恵(34) 筧やちよ(80) 木村直美(35) 木村桃歌(6) 木村龍幸(10) 雫石晃規(77) 下山岸子(67) 高橋しう子(75) 高橋まさみ(49) 高橋芳夫(77) 茄子川徳栄(60) 茄子川光枝(61) 鈴木ノブ(85) 鈴木ヤスエ(83) 友野道代(36) 山村なお(90) 秋山清道(49) 伊藤良廣(61) 大場貢(65) 音羽光雄(80) 栗原美喜子(61) 千葉清江(63) 森谷稲子(63) 山田とよ子(86) 横田かつ子(76) 横田実(83) 若生良子(59) 佐藤かつ子(83) 鎌田修(69) 安倍義夫(59) 西東一男(80) 香味勉(77) 千葉史(千葉央から訂正) 成澤久美子(59) 宮里あけ子(89) 内海清(63) 内海美恵子(58) 梶谷仁志(63) 梶谷豊子(60) 門岡和子(76) 雫石愛夏(12) 下山みよし(下山みなしから訂正)(68) 下山照雄(69) 菅原義雄(菅原太仁造から訂正)(57) 髙橋瑛真(63) 丹野きよえ(62) 及川はるみ(87) 川畑まつ子(60) 川畑康子(90) 川畑芳雄(64) 宍戸ひとみ(95) 高橋つや子(81) 高橋ミサ(77) 二宮榮子(53) 二宮陽子(76) 日野彩 渡辺きぬ 渡邊あい子(64) 阿部はつゑ(88) 青沼美子(45) 岩渕初重子(78) 尾形剛(20) 尾形登志憲(51) 栗原真由美(57) 栗原嘉子(81) 小黒興三(68) 齋藤とき子(74) 高橋かつ子(79) 千葉公美子(49) 芳賀タキ(88) 芳賀タキ(95) 村田弘(76) 村田満貴子(73) 結城節子(83) 菅原シゲ(83) 佐藤民治(80) 佐藤勤(81) 庄司秀男(73) 星川芳子(94) 門馬繁(81) 山家美紀(29) 安倍昭二(61) 安倍みつ子(63) 今野栄子(85) 桜井やしの(83) 佐藤幸弘 髙橋まゆみ(44) 高橋颯希(16) 馬場登美子(85) 京極幸代(41) 相澤善則(68) 熱海直子(70) 伊藤律(5) 雫石匠真(12) 千田耕治(82) 千田すゑ子(79) 阿部紗(6) 阿部弘美(35) 菊地長一郎(77) 木村しん(90) 佐藤みや子(89) 鶴岡やしゑ(80) 阿部さだ子(79) 安部静子(81) 阿部輝夫(83) 夷塚みさの(81) 尾形志保(22) 尾形優奈(13) 風見美和子(62) 狩野豊子(85) 齋藤邦子(61) 櫻井恵美子(79) 高橋静代(82) 平塚恒晴(70) 平塚ひさ子 千葉好枝(31) 吉田敏子(38) 佐藤タケ子(79) 佐藤千賀子(53) 菅原かよ(66) 菅原秀男(71) 武田てい子(55) 日野寛 辺見渉(88) 村田信子(85) 武田美智子(66) 土井愛桜(2) 土井さやか(22) 宇佐美かつみ(77) 今野眞悦(63) 吉木すゑの(86) 小畑久美子(53) 郷古泰暉(7) 大内真弓(43) 大内龍(14) 相澤皇希(14) 相澤悠乃(12) 渥美禮三(76) 阿部美命(5) 伊藤正(58) 今野高志(83) 高嶋クミ(高嶋久三から訂正)(72) 高嶋昌男(73) 茄子川恵美子(50) 伊澤みゑ子(82) 菊地よし子(79) 國井金雄(94) 齋藤国蔵(72) 齋藤たよ子(91) 齋藤なを子(79) 佐沼早苗(55) 尾形孝志(53) 京野亜紀(42) 京野瑞子(70) 鈴木京子(82) 髙橋秀雄(77) 都澤慶仁(67) 長田わくり(84) 阿部みゑ(71) 千葉哲也(45) 金子ひろ子(62) 高間木祐一(42) 千葉喜久(89) 八木かつ子(81) 相沢かよ子(60) 相澤信(70) 相澤ミキ(28) 青山馨(71) 阿部壱暉(10) 阿部たつ子(82) 石森龍也(70) 伊藤慶一(68) 伊藤敏彦(41) 櫻井慶喜(60) 青砥タカオ(83) 板垣雪子(75) 齋藤恒子(63) 高橋真二(28) 高橋むつ子(58) 畠山すづ子(94) 八木清輝(75) 阿部しま子(67) 阿部友子(38) 夷塚とし子 江戸ひで子(86) 大崎弘(78) 尾形キヌ(90) 尾形忠子(87) 尾形哲男(77) 尾形幸子(69) 尾形和枝(73) 奥田恵知子(73) 小野すせ子(98) 加藤祐子(49) 木村ふぢ子(72) 小山きくみ(77) 斎藤秋夫(82) 斉藤隆(64) 齋藤美智子(60) 齋藤美智子(56) 佐藤昌幸(78) 菅原郁子(53) 菅原諒(27) 髙橋たつ江(70) 千葉和久(60) 土井慶雄(82) 土井てる子(85) 中澤征夫(66) 山形佳子(62) 渡邊實(65) 相澤長一(81) 今井シゲ(85) 青沼み江(99) 阿部頼克(39) 大石いづみ(38) 木島美喜子(57) 木島留美(28) 杉山義則(45) 杉山忠夫(75) 武田いよ子(75) 武田健寿(80) 千葉吉治(64) 亀山信行(66) 武田和枝(48) 千葉裕太(24) 鹿野ふゆ子(87) 熊谷美代子(75) 米倉伊勢子(64) 米倉義隆(67) 阿部重雄(83) 阿部為以子(81) 木村さい子(77) 西ヶ谷秀美(32) 八木やすこ(90) 相澤妙子(63) 相澤英樹(35) 相澤良勝(84) 阿部安寿(69) 佐藤弘(80) 雫石文勝(58) 高橋君子(72) 髙橋友子(93) 高橋奈美子(31) 千葉いくよ(72) 千葉浩美(46) 千葉真理奈(13) 津田ナヲ子(81) 津田由紀美(51) 二瓶さか子(87) 三浦伸也(32) 三浦政記(71) 大竹伊吹(20) 渥美慶子(70) 渥美健蔵(76) 石垣吉雄(84) 伊藤文子(75) 内海志げ(85) 鹿野八郎(90) 菊地常子(74) 菊地博(89) 京野すみえ 鈴木常雄(76) 鈴木とよ子(70) 鈴木雄二(45) 高橋とく子(73) 二宮金寿(73) 二宮よし子(84) 二宮礼子(72) 藤木マサノ(89) 古川幸栄(32) 三浦慎二(83) 渡辺富夫 阿部茜音(9) 阿部俊介(18) 伊沢けい子(62) 尾形悟(64) 尾形澄子(68) 尾形春男(80) 奥田烈斗(14) 齋藤式也(82) 佐藤正芳(79) 高橋こぎく(84) 高橋恒夫(68) 高橋りほこ(78) 吉田ちよの(78) 片岡勉(58) 菅原英生(61) 引地香凛(3) 藤田美穂子(68) 熱海操(80) 熱海賢治(60) 熱海すみ子(84) 木村大士(31) 尾形美恵子(57) 櫻井浩二(44) 相沢幸子(51) 相澤正榮(76) 阿部美歩(24) 石森大晴(2) 高橋稲男(76) 原田一郎(77) 阿部年雄(66) 佐藤八重子(86) 高橋洋子(78) 二宮とくゑ(87) 平塚清美(47) 藤田賀納恵(96) 渡辺セイ子(86) 東冨美子 阿部和男(67) 阿部まさ子(70) 安藤尚子(18) 和泉りよ(88) 夷塚元子(69) 尾形いなみ(71) 尾形時雄(82) 金澤絹子(72) 金澤義孝(79) 鎌田将太(17) 齋藤信男(80) 雫石あや子(75) 雫石さつよ(71) 志野五男(65) 高橋はるみ(58) 山本けさの(87) 雫石信行(64) 松澤寛二(68) 加藤雄大(21) 石垣斉(76) 宇佐見金悦(69) 鹿野正夫(71) 鹿野トシエ(90) 伊藤儀夫(68) 田辺イト(83) 渥美明子(74) 渥美浩明(50) 阿部いぶき(11) 阿部海晴(9) 雁部忠人(62) 菊地政宏(43) 佐々木文男(71) 佐藤栄喜(76) 佐藤長三郎(74) 雫石榮(68) 田代里治(84) 野村家信(73) 野村政則(61) 星玲子(56) 松田康(82) 松本昭英(72) 山田とよ子(55) 渡辺鐵郎(83) 星達也(52) 阿部よし子(87) 及川光子(82) 海馬壽雄(81) 川畑清雄(86) 川畑麗子(80) 木村千代子(83) 鈴木なか(89) 日野利喜子(82) 小野孝行(62) 阿部順子(72) 和泉智英(27) 井上賢(70) 岩井美枝子(52) 尾形きみ子(90) 奥田駒子(85) 奥田光雄 齋藤鷹(7) 齋藤照夫(72) 齋藤豊子(70) 桜井三男(70) 髙木悦子(66) 土井和子(53) 橋本公子(83) 細井清志(60) 鈴木智行(80) 伊藤伶和(1) 佐々木知子(43) 成澤まさよ(78) 尾形政志(85) 茄子川とし子(78) 阿部和子(52) 鈴木ふみ子(79) 相澤和喜(65) 伊藤三郎(79) 岩渕靖雄(70) 小野傳七(75) 木村真喜夫(58) 佐沼一志(92) 雫石洋子(76) 茄子川一樹(17) 早坂たま子(81) 三浦き江(76) 三浦優子(70) 渡邊きみ子(67) 川畑昭子(69) 小山まき(83) 齋藤富美(89) 鈴木まこと(83) 高橋忠(79) 千葉喜久(95) 土井はるみ(95) 伊沢理恵子(19) 石山京子(66) 石山宗(6) 岩渕せつ子(60) 尾形智子(63) 奥山啓一(73) 齋藤公男(85) 佐藤正二(71) 高木昭紀(70) 高木秀郎(27) 髙橋貞雄(57) 髙橋みゑ子(93) 手代木一男(80) 土井悦郎(74) 土井とく子(67) 土井ゆき(19) 東海福子(53) 鴇田勲太郎(82) 長沢登久江(72) 森龍子(83) 山本明美(43) 山本恒一(74) 山本大樹(21) 渡辺ちゑ子(85) 及川秀雄(75) 星野浩(70) 石垣輝彦(43) 菅原昭一(59) 千葉イサコ(94) 早坂ゆき子(73) 桜井栄(44) 相沢美江(20) 相澤安子(66) 佐藤儀作(70) 竹田春子(82) 津田学(20) 三浦トキ子(85) 菊地みつゑ(96) 久保田きよし(83) 鈴木のり子(57) 鈴木ふみ子(93) 高橋右一(83) 渡辺勇喜(80) 内海牧郎(83) 尾形勝四郎(73) 手代木りつ子(74) 土井正樹(17) 山形政美(66) 髙橋勝美(67) 櫻井幸記(69) 桜井ソヨ子(73) 制野きえ子(64) 津田仁(32) 野村かよ子(86) 星亨(57) 三浦順子(52) 櫻井行子(35) 佐藤幸悦(60) 相沢絵美(47) 阿部よし子(71) 阿部真人(74) 阿部暖(3) 阿部道男(76) 阿部龍之介(7) 阿部和子(74) 安海博子(51) 安部夢人(5) 石森孝行(81) 石森美智子(73) 伊藤治江(63) 夷塚スミエ(75) 及川千鶴(37) 大山さだゑ(87) 尾形みわ子(78) 尾形悟(19) 尾形正一郎(64) 加藤英治(22) 葛西均(74) 鹿野君江(55) 川上和子(66) 川田耕也(74) 菊地幸夫(81) 菊地秀子(77) 熊谷和幸(31) 駒沢貴恵子(69) 駒沢真貴(4) 小山りき子(72) 小山喜久二(83) 小野智恵子(76) 小野明年(76) 五十嵐すみ子(80) 五十嵐巌(84) 江戸繁明(60) 高橋しげこ(85) 高橋すみれ(64) 高橋竹子(75) 今野宏(50) 佐々木信子(77) 佐々木哲男(64) 佐藤恒雄(78) 佐藤勝子(76) 佐藤佑哉(佐藤拓哉から訂正)(2) 雫石陽子(71) 末永まさ子(89) 鈴木千江(41) 中江みや子(67) 藤原栄(76) 武山きくみ(76) 松川佳音(1) 宮沢皆子(72) 三浦清(71) 森風賀(13) 山形千代子(86) 山田尚(70) 横山とみ子(69) 相澤勝春(43) 安部稟乃(1) 夷塚正(81) 小野寺弘子(58) 小野光子(46) 桜井ひさ子(79) 瀧徳夫(74) 田村八重子(92) 土井わか子(72) 引地篤人(1) 引地巧(27) 本間美枝子(60) 相澤晃佑(8) 赤間陽子(46) 安部覚(32) 阿部実(73) 石垣勝衛(91) 伊藤喜久子(72) 遠藤正美(45) 大森直樹(31) 小野寺夢(0) 川畑實(88) 木島えみ子(61) 木島とみ子(86) 木村保信(75) 木村康広(51) 高橋すみ子(86) 千葉喜代子(83) 津田記子(70) 花坂ひで(77) 村上隼人(0) 阿部美紀(22) 荒井まさ(89) 石垣正孝(72) 大野早智子(75) 尾形いくよ(75) 尾形ちや子(81) 小野寺貞子(82) 駒澤浩(76) 斉藤安男(46) 安海誠(74) 山形久男(92) 津野田信彦(51) 中垣美範(45) 加藤衞(88) 長坂亘(83) 佐藤祥子(39) 石垣ちい子(55) 阿部源史(36) 菅原茂二(81) 菅原もと(78) 高橋誠(51) 三浦政次(83) 安久津敏子(86) 熱海つよし(78) 岩渕そのふ(88) 森朱羽(4) 安部ふく(88) 内海貴子(37) 折谷忠興(69) 後藤清策(83) 髙橋信一(82) 高橋尚康(66) 武田喜美子(86) 田村節子(71) 千葉美音(17) 中澤優子(63) 齋藤博(64) 髙橋美千代(43) 村上真也(26) 石川慧(0) 門馬吉男(70) 阿部秀樹(45) 石森良一(49) 伊藤将吾(3) 雫石輝雄(74) 鈴木聡子(38) 原田美代子(70) 阿部栞(10) 阿部ゆかり(47) 森羽衣(3) 瀧照子(71) 平塚洋臣(67) 伊藤ひさえ(62) 加藤泰宏(56) 吉田捨雄(81) 小堺美紀(46) 小山明(79) 石川律子(55) 髙橋成美(52) 石垣とみ子(72) 宮里可代(89) 和泉悦子(65) 高橋たつみ(83) 千葉拓翔(8) 中島幸一(70) 藤原淑子(76) 三浦智子(57) 山田和子(63) 伊藤みき子(57) 熊谷平作(73) 須田健一(75) 髙橋節子(90) 熱海仁悦(58) 熱海ふみ子(76) 及川榮信(74) 及川純子(61) 小川百合子(67) 似内正雄(62) 市川イキ子(90) 鈴木幸子(83) 安海順子(66) 奥山春栄(88) 兒玉えい子(58) 鈴木幹也(78) 寺川秀俊(78) 尾形とき子(76) 織谷みね子(64) 後藤恵美子(83) 尾形貞幸(41) 久慈成子(63) 髙橋真由美(42) 千葉ちゑ子(64) 千葉孚(69) 安部達子(57) 山根澪(9) 渡邊美月(2) 新田奈保美(46) 相沢幸一(54) 鎌田勇紀(67) 千葉米草(63) 安部千尋(25) 宇佐美清悦(34) 鹿野千代美(63) 鈴木和男(55) 鈴木信一(66) 片平紀子(48) 須田スエ子(76) 成田純子(52) 大内聖(13) 阿部しおり(4) 菅原栄子(63) 相澤義勝(71) 小山長一(85) 髙橋京子(67) 似内とよ子(88) 宮守清(84) 相澤利香(45) 髙橋昴平(7) 中江恵美子(45) 相澤やゑ子(63) 小山賢治(82) 津田昭虎(73) 津田直美(65) 津田麻記絵(37) 土井眞理子(50) 三浦たか子(81) 相澤充宏(18) 木島あゆみ(42) 髙橋チヨ(101) 石垣紀夫(64) 齋藤清(82) 宍戸栄子(68) 菅井智子(70) 尾形きみ子(67) 土井竜雄(86) 石垣よし子(56) 芳賀みさを(73) 伊藤智香(45) 佐藤カツ子(72) 大崎邦子(75) 佐藤千代子(83) 手代木 勝(53) 千葉柚夏(4) 岩井孝悦(68) 武山孝宣(63) 川畑しづ子(57) 山田竜雄(35) 渡辺恭幸(41) 國井佳代(16) 佐藤シマ子(62) 髙橋信雄(54) 菱沼愛子(44) 相澤豊子(58) 相澤秀男(62) 相澤正美(65) 岩井優(67) 木村てい子(63) 雫石弘子(46) 鈴木好子(54) 津田實(76) 髙橋健太(25) 津田さつゑ(87) 八木珠恵(22) 阿部総江(44) 宇佐美つかよ(61) 千葉優香(19) 相澤登喜子(75) 雫石拓夢(8) 川畑富士雄(78) 後藤新一(41) 小野寺義友(83) 菊地昴(78) 相澤孝子(80) 岩渕啓治(76) 木村利勝(52) 熊谷久子(80) 小林千秋(45) 武田みか(29) 伊藤キセ(76) 伊藤盛雄(75) 奥田勝幸(44) 高橋豊春(63) 後藤新(71) 佐藤康貴(38) 清水眞一(62) 鈴木正雄(56) 宮守実(62) 阿部俊(64) 安倍信江(61) 小山ふじ子(79) 高橋作寿(30) 津田智(27) 似内信男(56) 尾形徳雄(62) 近藤由美(29) 阿部とも子(71) 阿部衛(70) 川村春一(69) 京野泰紀(5) 齋藤宏之(28) 齋藤よつ子(70) 佐藤賢治(21) 雫石恵美子(80) 雫石さとみ(68) 渋谷みよ子(56) 津田力也(59) 日野みな子(56) 熱海一秀(52) 太田健吾(71) 雫石徳榮(76) 津田義範(59) 平塚寛(61) 大崎礼子(53) 杉山桂四(66) 千葉和男(72) 相澤誠(36) 小川敏勝(67) 小野泰次郎(83) 加藤ハナコ(81) 雫石達彦(21) 菅原善勝(72) 津田文雄(80) 古山喜一(59) 小野嘉(51) 佐々木龍雄(71) 雫石秀美(48) 高橋昭子(77) 津田よすゑ(76) 増子裕之(32) 相澤善幸(40) 佐藤徳義(74) 仙石のぶ子(77) 千葉美夏(10) 相澤みね子(79) 小山蓉子(小山(くさかんむりに溶)子から訂正)(75) 高山寿雄(59) 宮浦多喜子(84) 渡辺春子(83) 相澤昭二(84) 木村智美(18) 齋藤なほ子(77) 佐藤喜美子(81) 奥田光枝(64) 片平勇紀(3) 櫻井めい(10) 小柳みさを(67) 大崎真衣(25) 相澤徳子(62) 後藤仁(64) 後藤恵子(59) 佐藤よし子(58) 岩渕さだ子(62) 千葉ケウコ(71) 作田樹(9) 小野寺勝彦(64) 櫻井悦子(60) 尾形武志(81) 齋藤ちい子(89) 齋藤理華(38) 菅原直(71) 佐々木たい子(87) 雫石すさの(74) 石森みわ子(71) 古内喜美子(56) 安藤直美(32) 加藤弘子(58) 土井友子(43) 顧有才(24) 小柳正照(72) 朱燦鋒(28) 齋藤照明(78) 林ミサオ(78) 石垣ふぢ子(78) 岡田和歌子(42) 安井さよ(62) 安部秀男(62) 小柳正弘(47) 宮城もとこ(71) 相澤真俊(52) 相澤義治(76) 相澤里知(16) 武山幸一(51) 茄子川美香(18) 齋藤もよ(79) 三浦孝子(82) 三浦敏志(88) 太田愛子(80) 志野幸子(71) 尾形雪子(75) 山内ときよ(87) 夷塚薫(74) 長峯早智子(69) 相澤智子(66) 相澤由紀子(72) 相澤玲子(79) 阿部勲(72) 市川よね子(75) 岩淵けい子(36) 大森知子(69) 桂嶋ふみこ(83) 木村友基(40) 栗原正一(85) 黒川りよ子(62) 後藤トモヱ(95) 佐藤勇輝(78) 佐藤和子(67) 高橋忠博(59) 高橋友子(61) 高橋光男(69)((57)から訂正) 高山貞子(93) 二宮正司(62) 阿部勝三(66) 石垣しげみ(72) 石垣徳之(64)((24)から訂正) 石垣夏子(85) 伊藤栄子(62) 伊藤嘉代子(59) 今辻加奈子(46) 及川次郎(70) 角田たけ子(86) 門岡とくこ(87) 菊地富義(64) 木村美代子(72) 久保みよ子(80) 久保芳治(86) 熊谷智宏(79) 小泉順子(54) 小山祐子(52) 齋藤不二夫(61) 佐藤とき子(88) 武田勝悦(67) 千葉初夫(62) 土井金作(89) 増子章子(73) 渡辺政男(70) 吉田春郎(85) 阿部智子(52) 千葉祐子(54) 櫻井敏行(40) 櫻井やす子(68) 門岡文恵(56) 相澤かのえ(91) 相澤つやの(73) 成澤純子(58) 相澤和子(80) 尾形峻男(76) 津田和子(74) 尾形美帆(44) 佐々木きく子(59) 佐々木亀悦(65) 茄子川裁衣(83) 伊藤勢津子(56) 鈴木幹尋(43) 鈴木安子(69) 安倍いく子(61) 伊藤まゆみ(57) 中島あさ子(56) 石川智美(35) 津田昭義(63) 津田直幸(29) 吉田弘之(49)=岩手県で被災 小山和晴(77) 小山澄子(80) 熊谷美代子(69) 三浦美智子(54) 津田昭則(52) 佐藤キヨエ(64) 佐々木恒子(69) 亀川田まつ江(53) 佐々木弘子(64) 内海咲子(63) 高橋みゆき(35) 高橋淑子(65) 佐藤武子(67) 熱海豊子(75) 菊地明(87) 阿部ちよの(71) 津田とみ子(59) 佐川千恵子(75) 田代かつ子(82) 田代正(50) 齋藤憲一(56) 鈴木健人(7) 佐沼きの子(90)=福島県で被災 佐々木守子(67) 千葉はる子(83) 奈和良幸子(67) 今野みよ子(79) 佐藤きみ子(71) 相澤美保(24) 舛谷良子(71) 佐藤貞子(76) 佐藤クニ子(79) 柴垣文子(88) 小山愛(26) 小山福雄(62) 今野一夫(56) 安倍仁(67) 庄司常子(79) 相澤まつ子(89) 奥田啓子(70) 奥田憲三(75) 工藤多美子(68) 佐々木信清(44) 小野博子(81) 伊藤とし子(82) 三浦恵子(54) 尾形順子(62) 畑山忍(31) 阿部實(76) 相澤昂(昂の左下が工)男(67)=福島県で被災 相澤善七(88) 林とよ子(56) 門馬かをる(96) 佐々木亀弘(22) 雫石としこ(89) 門馬亜希子(31)
https://w.atwiki.jp/earthquakematome/pages/285.html
ページ最終更新日時:2021/03/24 21 27 29 訂正:失礼をお詫びします 阿部勝喜(44)→(37)(南三陸町) 伊藤みつ子→佐藤みつ子(南三陸町) 山田てる子→山内てる子(南三陸町) 佐藤芳子(88)→(74)(南三陸町) 小山章吾→小山幸吾(南三陸町) 三浦仁(62) 佐々木正男(75) 渡辺圭子(53) 最知洋二(66) 阿部敏勝(64) 山内悟(33) 山内奈美(30) 乙女紀徳(35) 小山定男 佐々木さとゑ 佐藤幸子 佐藤武俊(56) 佐藤好美(59) 竹下富士子(49) 星松子(75) 三浦辰徳(13) 阿部きみ子 阿部健一 阿部てる子(76) 阿部洋子(57) 遠藤一男(79) 遠藤良子(80) 大森一郎(68) 奥田辰一(66) 佐々木奈保子(38) 佐藤まつ子(70) 高橋末男 千葉澄郞(80) 芳賀きくよ(75) 芳賀節子(49) 三浦淳子(33) 渡辺久美子(54) 佐藤さよえ(17) 佐藤としみ(81) 菅原シツエ(85) 鈴木武芳(70) 高橋裕貴(7) 山口道子(44) 阿部権吾(44) 阿部良孝(58) 乙女櫻子(3) 小野寺忠夫(73) 後藤とめよ(88) 小山幸吾(小山章吾から訂正)(81) 小山富士子(77) 今野弘毅(78) 佐々木哲 菅原伝 阿部いちよ(80) 阿部雪枝(56) 伊藤総子(70) 金野とみ子(91) 西城孝雄(81) 佐藤清勝(36) 佐藤みえ子 佐藤みつこ(81) 高橋さと子(73) 千葉幸教(59) 三浦美枝子(86) 菅原かねよ(87) 山田朗(57) 及川啓太(20) 阿部はつゑ(84) 小野寺長束(102) 小野寺晴夫(60) 今野雄人(17) 松本敬也(90) 三浦定雄(70) 阿部やし子(95) 小畑こまつ(82) 昆野牧男(88) 佐々木正吾(78) 田中完明(24) 張李錦屏(80) 松本ハナ(86) 三浦静代(76) 渡辺もよ(90) 菅原由治(74) 阿部知子(80) 西條としえ(50) 佐藤明子(62) 佐藤忠夫(61) 佐藤とし子(88) 佐藤雄記 須藤俊貞(77) 須藤未夢(3) 千葉正義(29) 三浦とみ子 伊澤一男(82) 西城宗司(56) 佐藤保寿(76) 高橋洋一(41) 堀内博昭(60) 三浦牧子(76) 勝倉正高(54) 阿部慶一(54) 小山長一(81) 小山まさ子(94) 山内由紀(40) 今野武徳(78) 坂本たいこ 坂本タツコ(46) 須藤ヤチヨ(78) 千葉郁夫(74) 遠藤登喜夫(75) 遠藤みちよ(81) 高橋律子(61) 千葉はる子(80) 日野たけ子(80) 山内あき子(88) 渡辺かつよ(92) 遠藤興三郎(100) 及川淳(37) 佐藤捨夫(88) 高橋桂(90) 山内はぎ(89) 山内芳一(81) 西條芳雄(48) 井上翼(23) 千葉はつの(93) 佐藤末吉(68) 遠藤進也(39) 西條貴子(37) 佐藤淳(56) 佐藤ちよの(94) 菅原かな子(85) 阿部はな(92) 及川こえの 及川テル子(84) 及川鳥吉 小野寺久一(96) 佐藤勝夫(71) 高橋律子(62) 千葉しげ子 千葉征市郎 三浦いさこ(81) 三浦貞子(62) 三浦とみの(82) 三浦雅子(67) 三浦みよ子 佐藤ユリ(85) 遠藤長二 遠藤もん(98) 後藤やすよ(91) 今野あい子(62) 高橋文子(47) 千葉ひで子(74) 菅原長治(91) 阿部きみよ(82) 阿部文夫(76) 髙橋孝夫(75) 千葉愛子(81) 三浦やゑ子(79) 小野寺きみ子(72) 佐藤有一(78) 須藤かじ子(83) 須藤智子(56) 須藤美喜夫(54) 三浦いく子 三浦國夫 及川とき子(69) 久保田はる子(79) 小島亜矢(24) 西城きよの 西城富夫(76) 佐藤文江(39) 菅原かねよ(95) 菅原善一(98) 菅原ひさ子(68) 吉岡厚男(79) 山内美佳(45) 根子裕誌(34) 阿部栄子(61) 川合陽子(61) 北村信子(76) 西条正洋(22) 佐々木賢治郎(45) 佐藤京子(75) 佐藤年美 佐藤富美子(68) 菅原きよ子 菅原とし子(83) 高橋郁(74) 高橋かよ子(69) 千葉亀蔵(94) 堀内秀人(39) 三浦秀樹(52) 村田慶子(43) 伊東菊夫(63) 遠藤忠義(73) 小野寺長義(78) 金野好子(69) 西城美年子(54) 西城美紀(20) 佐々木忠義(68) 佐々木久義(75) 佐々木智賀子(78) 佐藤さよみ(77) 佐藤良平(86) 杉浦千枝子(86) 首藤ツネ(95) 中村トミ(82) 錦部とみ子(66) 三浦とくへ(87) 三浦洋子(78) 水井正躬(64) 山内新治(83) 山内吉勝(58) 阿部とし子(92) 小山悦子(78) 斉藤千松 佐々木久子(87) 佐藤栄(60) 佐藤たみよ(72) 佐藤智子(45) 佐藤直彦(40) 菅原知子(73) 須藤よし子(81) 高橋りょう子(85) 高松ちた江(89) 田村章(71) 山内みち江(79) 渡辺みさ子(76) 阿部こはつ(89) 阿部千鶴子(79) 阿部良治(82) 稲葉八千代(75) 近江多喜子(87) 行場トミ子(75) 昆野慶弥(59) 佐藤章子(57) 佐藤栄悦(83) 佐藤茂(39) 菅原貞子(85) 高野宏(68) 芳賀孝子(79) 星いく子(87) 星たみ子 守谷とらよ(87) 阿部清光(85) 千葉美和子(58) 西條礼子(61) 佐々木信也(65) 佐々木良子(29) 西城たか子(83) 佐藤寿一(77) 佐藤貞子(72) 鈴木をしん(90) 三浦孝男(75) 吉田敬一 佐々木よしこ 佐藤直子(31) 須藤仁一(78) 阿部市之進(71) 及川聖(31) 工藤久義(58) 西城あい子(68) 西城二美子(77) 佐藤美紀(42) 山内義久(40) 山内リヨ子(71) 渡辺あきの(68) 首藤たつ子(82) 阿部五男(73) 阿部勝喜(37)((44)から訂正) 佐藤雅美(57) 阿部さおり(42) 阿部友子(63) 小野映子(58) 佐藤はつし(88) 鈴木はるよ 髙野智則 髙橋恒夫(70) 佐々木きみ子(98) 本間啓(74) 及川忠男(76) 三浦信明(68) 佐藤勝昭(66) 佐藤やす子(80) 佐藤妙子(81) 須藤栄吾(42) 小野寺里子(52) 小野寺久子(89) 小野さき子(86) 佐藤ふし子(86) 堀内ハルコ(83) 行場とよみ(79) 佐藤玲子(69) 芳賀敏夫(58) サイトウサトミ(92) 齋藤正哉(72) 佐藤清(45) 山内てる子(山田てる子から訂正)(94) 阿部よし子(81) 小畑春男(81) 千葉きよ子(86) 渡辺勝吉(76) 佐藤禮光(69) 星ちよ(73) 星ももよ(85) 西城とも子(55) 藤里歌子(47) 横山由美(42) 後藤勇(64) 後藤はま子(62) 菅原博(74) 阿部勇五郎(78) 佐藤長吉(75) 鈴木保子(66) 髙橋治(71) 渡邊雄介(75) 木皿洋市(44) 佐藤みつ子(伊藤みつ子から訂正)(74) 齋藤圭三郎(74) 佐藤栄喜(78) 庄司勝(71) 髙橋みつ子(83) 芳賀保宏(56) 佐藤一郎(71) 佐藤清二(79) 及川武(32) 小山馨(86) 織田義子(72) 渡邊亨子(68) 小島新大(2) 渡辺しげよ(82) 遠藤春義(87) 佐々木ちよ子(90) 佐藤はな(65) 高松元也(68) 堀内美佐子(83) 三浦洋(40) 佐々木トシエ(53) 高橋洋(43) 師岡信義(56) 阿部とし子(63) 佐藤八重(76) 堀内程央(27) 三浦夫三男(62) 西城みね子(61) 高橋敏(63) 星すみ子(78) 中澤ふみ子(80) 阿部良人(53) 及川真(33) 須藤優那(8) 佐々木利文(48) 佐藤芳子(74)((88)から訂正) 手塚典彦(49) 佐藤みよ子(82) 酒井幸信(69) 阿部運吾(85) 三浦さか子(85) 佐藤洋子(60) 遠藤七重(58) 及川京子(60) 阿部興衛(60) 及川フミ子(78) 小野寺ちよ子(85) 芳賀長也(73) 小野雄大(35) 楠原いつの(91) 佐藤まつ子(89) 佐藤龍悦(78) 三浦憲子(73) MURAKAMI MAYVELYN PINAPIT(28) 佐々木義明(65) 佐藤いく子(62) 阿部祐子(44) 佐々木恵子(43) 佐々木湧真(16) 高橋イヨ子(77) 阿部秀二(63) 芦立克夫(69) 高橋はつえ(71) 星孝枝(41) 阿部真樹子(35) 阿部勝子(83) 佐藤清之助(76) 佐藤久義(79) 小野かつ子(63) 芦立キエ子(66) 阿部靖子(71) 遠藤一男(58) 及川輝雄(75) 及川フミ子(81) 佐藤久美子(46) 芳賀聡美(46) 星三夫(81) 山内雪野(94) 渡辺ゆき子(43) 三浦律子(70) 佐藤多榮子(76) 佐藤三男(73) 須藤義昭(75) 高橋郁子(83) 小島英子(72) 小島勝雄(72) 佐藤和江(52) 田村八重子(64) 及川登(78) 佐藤政康(66) 日野嘉代子(76) 星きみ子(69) 千葉輝子(67) 千葉幸裕(45) 中澤契道(82) 山内あやみ(85) 高橋長祿(72) 阿部正六(82) 須藤彩心(6) 千葉敏則(70) 後藤のり子(68) 梶原幸秀(31) 内海直基(53) 高橋春雄(74) 折戸信子(69) 鈴木市雄(70) 三浦和雄(80) 及川敏子(68) 佐藤典子(58) 佐藤義男(45) 村松瑞樹(20) 西城芳子(81) 芳賀あい子(79) 山内みね子(54) 佐藤勇治郎(80) 高橋大介(19) 遠藤正男(76) 平井一夫(73) 及川はぎの(92) 村田敏(43) 芳賀令子(53) 阿部やすよ(75) 阿部ヨシ子(78) 小山しつ江(52) 齋藤紀井子(70) 佐藤正(81) 坂本次雄(84) 千葉茂人(79) 千葉きくの(85) 熊谷礼子(57) 渡辺久好(71)=福島県で被災 阿部正(87) 佐藤利一(71) 千葉かち子(79) 阿部充一郎(70) 三浦はしめ(92) 山内弘子(78) 及川幸子(80) 山内雄(81) 遠藤とよ子(61) 佐藤省一(80) 菅原留治(76) 熊谷吉治(59) 小野篤実(48) 佐藤弘志(77) 西條照子(87) 堀内滿子(68) 阿部カツ枝(71) 近江良男(66) 佐藤信行(60) 高橋長吾(76) 西條リヨ子(76) 佐藤康(71) 工藤きみ(86) 佐藤かね子(63) 三浦冨紀子(73) 小野寺よしえ(84) 星よね子(78) 星良二(79) 菅原一男(68) 阿部勇(51) 佐々木浩(46) 田生誠二(69) 久保田直機(67) 阿部徳太郎(86) 佐藤はる子(79) 首藤とよ子(82) 村上高司(60) 阿部千代(54) 佐藤徳子(55) 及川逸也(56) 西城邦洋(44) 高橋順子(58) 小山松子(72) 小野美和子(60) 佐藤つや子(82) 三浦もと子(87) 山形さた子(87) 高橋藤兵衛(77)
https://w.atwiki.jp/earthquakematome/pages/301.html
ページ最終更新日時:2012/02/16 15 14 02 訂正:失礼をお詫びします 萩原せい子→荻原せい子(大船渡市) 本田マルヨ→本田ハルヨ(大船渡市) 和田都夫→和田郁夫(大船渡市) 葈沢ハル→葈澤ハル(大船渡市) 佐藤カネヨ→佐藤カネヲ(大船渡市) 中島勝治郎→中嶋勝治郎(大船渡市) 小平且子→小坪且子(大船渡市) 平山チエ(73)→(87)(大船渡市) 熊谷キクヨ→熊上キクヨ(大船渡市) 新沼光子→新沼ミツ子(大船渡市) 金子コハキ→金子コハギ(大船渡市) 和田秀子→和田ヒデコ(大船渡市) 佐々木丈夫→佐々木文夫(大船渡市) 今野マルコ 本田恒(61) 本田ハルヨ 村上カヨコ 村上キクヨ 熊上キクヨ 熊谷初男 尾崎勝子 大磯一夫 千葉ヨウ子 菅野里子 熊谷拓也(57) 菅原サチ子(73) 上野宗次 千葉邦子(75) 千葉ケイジ(55) ワダヨウジ 首藤恵悦 シダスミ キンノヨシキまたはヨシギ シダケイジ シダテツオ ワダイワオ シダタケオ チバノリコ チバツネロウ アズマミノル オイカワチヘ 上野梅三 東野ユキ 村上新 及川久子 熊谷レン 熊谷キノ 大津セヨ 山浦恵子 田中イツヨ 橋本アヤメ 丹波コト 及川照子 佐藤ハツヘ 菊地(池)サワノ 泉リヨセ 門田フクヨ 小岩テル 熊谷トキヘ 菅原ミワ 尾形洋子 田端ユキ 畑中ヒサノ 津間ミサオ 及川紫(80) 菊地(池)寛 佐藤ヤシヘ 平田真紀子 佐々木均 沢畑ユキ 小塚ミトリ 金子コハギ 野田サイ 千葉トクヘ 及川ヤメ 今野千代 村上チヤ 松川キミコ 小松昌子 前田つね子 刈谷多助 スズキモリオ(90) ササキトキコ(97) 佐藤源蔵(92) 新沼タカヘ 植木盛枝 橋爪サダコ 木下孝男 チバシゲル 山口マモル 苅谷つな子(75) 及川チエ(95) 横山京子(78) 今野まるこ(62) 本田ハルヨ(本田マルヨから訂正)(92) 岩城史朗(45) 西風智子(42) 大澤幸江(42) 竹澤フクミ(79) 和田郁夫(和田都夫から訂正)(76) 和田芳治(74) 山岸恵美子(68) 舘脇貞治(81) 村上和也(54) 新沼タカヘ(95) 丹波コト(91) 津間ミサオ(96) 大津セヨ(87) 熊谷レン(97) 田端ユキ(97) 東野ユキ(85) 及川ヤナ(81) 小松昌子(79) 葈澤ハル(葈沢ハルから訂正)(88) 平山チエ(87)((73)から訂正) 村上モリ子(84) 千葉トシ子(72) 藤村英美子(57) 菊池幸男(84) 鈴木守夫(90) 佐々木豊子(97) 菅野恵美(55) 上野宗次(78) 及川ヒサ子(90) 志田松男(58) 志田武男(81) 千葉紀子(55) 千葉恒郎(68) 志田弘(85) 志田仲子(83) 東己信(69) 千葉洋子(71) 千葉常子(45) 千葉慶一(55) 大槻澄子(81) 佐々木トシ(74) 大友久美子(69) 川村ナミ子(58) 金澤正行(68) 浅野実尉(74) 平山俊二(52) 首藤恵悦(55) 橋爪貞子(75) 藤田太郎(76) 山本光男(81) 大友義治(74) 大友嘉昭(78) 吉田睦夫(75) 金野良司(62) 星幸男(69) 大友初枝(68) 及川怜士(81) 細川洋子(71) 船本榮子(69) 仁田照子(76) 菅野浩(76) 及川饒(78) 千葉サダ(81) 山口存(76) 千葉芳也(47) 吉田幸雄(81) 熊谷カノ子(70) 船渡洋子(77) 佐々木清一(40) 中嶋勝治郎(中島勝治郎から訂正)(90) 山本セツ子(78) 菅原サチ子(72) 新沼一男(73) 菊地彰子(30) 佐々木司(63) 熊谷永一(37) 大和田テリ(87) 尾崎カツ子(88) 上部福雄(80) 志田政人(58) 佐藤卓也(39) 藤原ヒデ子(69) 濱田勝太郎(79) 千葉文雄(79) 新沼博明(61) 井上翔太(19) 三浦ミヲ(78) 三浦達雄(82) 新沼カナイ(82) 千葉邦子(65) 村上妙子(30) 村上希美(1) 佐々木美佐子(73) 佐々木喜代美(59) 佐藤和子(83) 佐藤カネヲ(佐藤カネヨから訂正)(82) 志田光子(44) 石橋梅之進(85) 久池井まき子(62) 松原啓太(12) 新沼冨子(80) 植木盛枝(90) 大友ノリ子(71) 新沼順子(63) 岩渕伊和夫(82) 金野ヨシギ(86) 志田スミ(77) 大磯一男(86) 伊勢美恵(87) 平徹子(79) 木下孝男(81) 佐々木勇八(79) 紺野矩男(82) 紺野和江(78) 佐藤幸市(71) 山本艶子(87) 村上カヨ子(67) 熊谷初男(81) 熊上キクヨ(熊谷キクヨから訂正)(86) 玉木宏(72) 大磯タケヨ(84) 熊谷節男(61) 佐藤ハツヘ(100) 泉リヨセ(87) 門間フクヨ(86) 山浦多恵子(46) 田中イツヨ(83) 菊地寛(74) 佐藤ヤシヘ(92) 佐々木功(84) 平山鉄雄(83) 金野君子(61) 畑中ヒサノ(82) 橋本アヤメ(91) 後藤和治(81) 沢畑ユキ(89) 小谷テル(83) 及川久子(84) 村上新(86) 尾形洋子(81) 菅原ミワ(83) 熊谷トキエ(89) 上村梅三(88) 小塚ミトリ(84) 金子コハギ(金子コハキから訂正)(99) 野田サイ(94) 千葉トクヘ(89) 松川キミヨ(91) 前田つね子(87) 刈谷多助(92) 前川カン(85) 大坂やゑ(87) 佐藤慶子(82) 新沼良悦(79) 新沼ミツ子(新沼光子から訂正)(74) 千葉繁(88) 新沼ミヨ(78) 森ユキ子(80) 荻原せい子(萩原せい子から訂正)(85) 鈴木和加子(61) 及川佐十郎(74) 佐藤昌介(81) 畑田綾子(53) 池之上定吉(59) 伊藤保(51) 加藤アサ(76) 加賀シマ(85) 金野トモエ(76) 金野幸雄(83) 山口祐子(58) 新沼偲(84) 村上耕治(75) 荒谷幸弘(50) 伊勢あい(64) 伊勢大義(67) 佐藤源吉(82) 小坪且子(小平且子から訂正)(78) 村上幸喜(47) 玉山亜希(25) 栫裕(56) 坂本広治(64) 佐藤ヤオ子(82) 佐藤芳昭(56) 遠藤政彦(27) 戸羽豊子(61) 新沼剣悟(30) 山本浩幸(38) 山本礼唯(0) 黄川田雄二(45) 新沼市子(80) 新沼敦子(54) 千田晃(77) 鎌澤ヒサノ(94) 佐藤ヨシノ(88) 佐々木力夫(75) 中村ミチエ(83) 松原祐人(18) 山崎コズエ(83) 鎌田令子(69) 浜守栄子(49) 大友孝男(69) 多田正夫(68) 千葉千栄子(62) 及川修一(78) 吉田勝男(86) 富田基市(65) 横石とみ子(53) 神永達夫(75) 佐々木力(81) 三浦幸子(69) 山中真喜子(18) 西村富紀子(54) 山口明雄(57) 志田コエシ(86) 高橋俊一(60) 鈴木美智子(37) 後川きな子(89) 鈴木敏治(41) 菊地良子(73) 菅野カツ子(70) 新谷武(56) 上舘洋文(31) 刈谷勝美(70) 千代清子(46)=宮城県で被災 佐々木幸子(37) 千田美栄子(87) 金野恵子(49) 大畑力(43) 今野多助(67) 村上佐代里(25) 皆川セキ(82) 横尾順子(80) 熊谷友矩(83) 新沼菊子(71) 西村勝久(30) 新沼敏雄(83) 遠藤妙子(81) 新沼英良(75) 舘脇桂子(73) 新沼英樹(23) 鹿内幸子(42) 吉成誠一(70) 大澤タマ(80) 大澤廣平(74) 和田サワエ(95) 和田ヒデコ(和田秀子から訂正)(68) 村上正(82) 菅野廣治(84) 中島良子(89) 坂本ミワ(86) 及川弦(58) 大上多喜子(70) 佐藤昭(69) 佐藤フミ(90) 志田沙織(24) 八木猛(86) 志田円佳(17) 志田セツ子(75) 山崎雅文(58) 佐々木勇一(59) 佐々木浩(55) 佐々木キミ子(86) 千葉哲男(69) 佐々木文夫(佐々木丈夫から訂正)(74) 山口幸子(83)=宮城県で被災 菊地一成(38) 及川功(83) 舘脇道子(94) 中野アサ子(72) 大友ミノリ(77) 吉田長子(74) 佐藤美紀子(62) 佐藤剛悦(76) 藤畑亨(36) 熊谷敬一(92) 山崎文雄(53) 佐藤信一(75) 及川栄子(77) 新沼幸蔵(71) 舘脇幸江(52) 千葉林左ェ門(88) 大平吉也(52) 志田敬二(81) 村上トクヨ(85)=宮城県で被災 森幸平(82) 川畑昊也(1) 小松トミ子(82) 千葉雅美(30) 佐々木ハツミ(89) 佐藤光一(74) 佐藤三男(86) 吉田ちよみ(94) 佐藤永伍(44) 山口譲司(51) 村上真也(39) 勝部滿代(74) 熊谷勉(60) 佐藤公一(76) 平山光子(77) 佐藤恭子(74) 新沼ミチ(88) 近藤賢一(43)=宮城県で被災 作山スサ(80) 志田友幸(65) 馬川三男(49) 村上ワキ子(69) 佐藤昭子(83) 熊上つる子(90) 菊池チエ子(68) 小野繁(64) 千葉テイ(88) 野田ミヨギ(88) 高橋かなめ(85) 千葉カエ子(85) 野田幸吉(80) 菅原文子(66) 新沼修(62) 遠藤ナミ子(74) 及川源二郎(90) 中村ヨシ子(72) 佐藤カツ子(78) 地舘広敏(55) 太田良一(60) 小島玲子(65) 宮川和子(68) 葛西伸光(71)=宮城県で被災