約 1,301 件
https://w.atwiki.jp/nijisai/pages/8.html
@wikiにはいくつかの便利なプラグインがあります。 アーカイブ コメント ニュース 動画(Youtube) 編集履歴 これ以外のプラグインについては@wikiガイドをご覧ください = http //atwiki.jp/guide/
https://w.atwiki.jp/nijisai/pages/7.html
動画(youtube) @wikiのwikiモードでは #video(動画のURL) と入力することで、動画を貼り付けることが出来ます。 詳しくはこちらをご覧ください。 =>http //www1.atwiki.jp/guide/pages/801.html#id_30dcdc73 また動画のURLはYoutubeのURLをご利用ください。 =>http //www.youtube.com/ たとえば、#video(http //youtube.com/watch?v=kTV1CcS53JQ)と入力すると以下のように表示されます。
https://w.atwiki.jp/nijisai/pages/5.html
更新履歴 @wikiのwikiモードでは #recent(数字) と入力することで、wikiのページ更新履歴を表示することができます。 詳しくはこちらをご覧ください。 =>http //www1.atwiki.jp/guide/pages/269.html#id_bf9eaeba たとえば、#recent(20)と入力すると以下のように表示されます。 取得中です。
https://w.atwiki.jp/nijisai/pages/6.html
アーカイブ @wikiのwikiモードでは #archive_log() と入力することで、特定のウェブページを保存しておくことができます。 詳しくはこちらをご覧ください。 =>http //www1.atwiki.jp/guide/pages/921.html#id_2d967d6e たとえば、#archive_log()と入力すると以下のように表示されます。 保存したいURLとサイト名を入力して"アーカイブログ"をクリックしてみよう サイト名 URL
https://w.atwiki.jp/gods/pages/73661.html
シンラン(親鸞) 鎌倉時代前半から中期の僧。 浄土真宗の開祖。 別名: ハンネン (範宴) シャックウ (綽空) ゼンシン (善信) フジイヨシザネ (藤井善信) グトクシャクシンラン (愚禿釋親鸞) シンランショウニン (親鸞聖人) ケンシンダイシ (見真大師) マツワカマロ (松若磨) マツワカマル (松若丸) マツマロ (十八公麿)
https://w.atwiki.jp/wiki11_library/pages/299.html
edit 梅原猛著作集 三人の祖師―最澄・空海・親鸞 古代アジアに現れた比叡山というユニバーシティ 2006.7.22 出版社/著者からの内容紹介 三人の開祖たちの根本思想の最新研究成果 最澄、空海、親鸞、三人の開祖たちの実践、哲学・思想、人間像を深く掘り下げた梅原仏教研究の最新の成果を収載。親鸞の門弟であり、『歎異抄』の著者である唯円の出自と学識にも迫る。『歎異抄』の現代語訳も掲載。 あふれる情熱と豊かな想像力で真理を探究し、人間とは何か、日本とは何かを深く思索つづけてきた梅原猛。哲学、歴史、文学、宗教、芸術など既存の枠組を越える壮大でユニークな作品群は「梅原日本学」とも称され、多くの読者を獲得してきました。本著作集では、主要著作に、新たに書き下ろし作品「法然の哀しみ」を加え、「教育問題」「地球環境問題」「長江文明論」など、著者が全力で取り組んでいる最新のテーマ作品も網羅。 歎異抄、唯円から見た親鸞 この本の中で親鸞は、弟子が書いた「歎異抄」を通じて描かれています。しかしこの親鸞の紹介はどうにも煮え切らない。梅原氏の仕事としては珍しく詰めが感じられない。 下で紹介している「『歎異抄』入門」も著者は同じですから、詳しくはそちらでということになります。 仏教思想を完結し体現してみせた空海 一方、最澄が如何に日本仏教の発展に貢献したかということが緻密に立証されていきます。同時代の空海が孤高の光の世界に荘厳せられた生き神であったのに対して、やや年長で幼少時代から日本の将来を肩に背負っていたエリート親鸞は、完成された教義ではなく、仏の教えが将来に渡って刷新されて行くシステムを作ったと云うのが著者の評価です。 期待を背負い礎となった最澄 当時の日本ではあらゆる学問は僧が受け持っていた事を考えると、比叡山は一種のユニバーシティであったと云うのは著者の慧眼であると思ひます。最澄にそのつもりが有ったのか無かったのかに関わらず、その後の比叡山が、時代を画する名僧を次々と輩出することになったのは事実であります。 梅原氏に依る歎異抄全文現代語訳なども追録 単行本 三人の祖師―最澄・空海・親鸞 (仏教文化選書) もありますが、全集の方が出版が後で、幾分かの追録があるようです。ソフトカバーの携帯性を採るか、全集の保存性の良さ(ものによっては字組や装丁などの仕事の細かさ)を採るかは悩むところです。 詳細 箱入りハードカバー710ページ 小学館 (2002/05) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/253.html
若松 郭外 徒町 願成就寺前通 浄光寺 大日本地誌大系第30巻 167コマ目 京師(*1)西本願寺の末山浄土真宗なり。 善性比丘12世の末流権大僧都教尊という僧草創す。 縁起を按ずるに、善性姓は井上氏にて越後守たりしが、承元元年(1207年)親鸞越後国に流されしに及て請して法談を聞き菩提心を発し披剃して善性比丘と號し、信濃国高井郡井上村に移住し承久2年(1220年)2月2日寂す。これより的々相承て第7世周観に至り始て井上浄光寺と號し努て一宗を興隆せしかば一派の中興とす。故(ゆえ)に本願寺より親鸞周観が像を合図してこれを与えり。その後教尊信濃国を去て越後国頸城郡柳崎村に至り小庵を結びまた井上浄光寺と號す。後また同州三島郡飯塚村に至て一宇を建立しまた井上浄教寺といい故に柳崎村の寺を改て浄福寺という。また同州長岡に至て一宇を建て井上浄光寺と號し飯塚村の寺を改て明鏡寺という。文禄元年(1593年)教尊始て本郡に来りしに氏郷の諸臣意を傾る者多かりしかば各相謀て地を領主に請受け寺を建てまた井上浄光寺という。今の浄光寺はその旧迹なり。これに於てまた長岡の寺を改て徳宗寺という。その頃府下に太子守宗多くその党熾なりしに教尊悉(ことごと)く論して改宗し本山の末寺たらしむ。本山その功を好みし祖師親鸞已下(いか)12世の法名を連署し先に親鸞周観が画像兵燹(へいせん)に罹て烏有(うゆう)せし故(ゆえ)これも再図して併せ与ふ(寶物の部に載す)。慶長7年(1602年)蒲生秀行の名によりて郭北桂林寺町に遷し寛文11年(1671年)この地に移り今に内陣の列に歯す。善性比丘より現住泰巖に至て凡て20世なり。 客殿 6間半四面。本尊弥陀。 寶物 親鸞周観画像 一幅。親鸞が偈を書す。 本願名號正定業至心信樂願因成等覽證太涅槃必至滅度願成就 この画像は教尊が時本願寺より授し所にて、縁起に所謂再図して与るいうものなり。『慶長十三朞戊申九月廿一日信濃國高井郡井上郷浄光寺住物也釋准如判願主釋教尊』と裏書あり(慶長13年=1608年)。 聖徳太子像 一幅。上に書せる文如左(※原文も参照の事) 吾爲利生出彼衡山入此日域下伏守屋之邪見終顯佛法之威徳 これも教尊が時与る所にて准如が慶長9年(1604年)の裏書あり。 七高祖画像 一幅。裏書同上 教尊影像 一幅。准如が与る所にて慶長19年(1614年)の裏書あり。 善導圓光画像 一幅。蓮如筆 草書六字名號 一幅。地金泥にて親鸞筆なり。 草書六字名號 一幅。法然筆。墨痕剥落し隠々として僅に見るべし。往古熊谷直實が所持の物にて戦陣に赴くことに兜鍪(とうぼう)(*2)の内に蔵め的に向うに一度も後れを取らず。故に勝軍名號と名くという。 草書六字名號 二幅。共に蓮如筆。 念佛口傳式 一軸。親鸞筆といい伝れども文詞筆勢甚(はなは)だ俗醜なり。 親鸞和歌 一幅。自詠自筆なり (虫喰)の尾の 有無をはなるる 中のみち くるかたもなし 行かたもなし 珠数 一連。水精と桑とを交え貫けり。蓮如所持の物という。そのかみ教尊に贈りしにや。蓮如が消息あり。左に載す。 法は實にほとけをおもふこころあらハ 現世もくわのきのじゆず 是は貴僧へ進み候我等のかたみと御おもひ(虫喰) とあり。 存如書 一幅。 法名釋善忠 文安二年八月十一日 本願寺如判 とあり。 准如消息 二通。その文如左 (※略) 和讃 一幅。古筆なり 太子木像 一軀。親鸞作という。長1尺6寸。 弥陀木像 一軀。長1尺5寸。作者を知らず 宣旨 二通。その文如左 (※略)
https://w.atwiki.jp/wiki11_library/pages/471.html
書籍ライブラリ 仏教 日本仏教の歩み 歴史上の名僧とその著作を中心に。 edit 日本仏教の創造者たち ひろ さちや 「仏教ライター」の楽しい仏教講義 2008.1 内容(「MARC」データベースより) 空海、法然、親鸞、道元、日蓮…。わが国の仏教史は多くの名僧たちの歴史である。ブディズム・ライターを自認する著者が難解な教義を鮮やかに解り易く解き明かす。 例えば、 仏教は宗教というより『仏道』 本来、仏教に異端はあり得ない 念仏は仏という親元への電話 などなど。専門書では出てこない言葉が一杯。 紹介されている名僧 最澄 空海と共に日本仏教の基礎を築いた功労者 空海 仏教史2500年の中でも飛びぬけた天才の一人。仏教体系を完成。 法然 専修念仏という新説。至って大らか。念仏唱えりゃみな仏。 親鸞 専修念仏という異端。偏屈。念仏唱える時は既に仏。 道元 銘家生まれで根っから指導者。「皆が仏性を持つ」なら修行は要らんはず。と悩み悩んで禅の道へ。「苦行したら成仏できる」は誤解。もとから仏だから何でも修行。 日蓮 詳細 224ページ 出版 新潮選書 (1994/08) 言語 日本語 ISBN-10 4106004631 ISBN-13 978-4106004636 発売日: 1994/08 商品の寸法 19 x 13 x 1.8 cm amazonリンク 日本仏教の創造者たち (新潮選書) 名前 コメント ◇ 最澄と空海―日本人の心のふるさと 梅原猛 空海を知るには最澄を知るべし 2006.9 空海は、同時代の先輩格であり、エリートであった最澄との対比で見ることで、輪郭がより際立ってくる。二人は偶然にも同じ遣唐使団で唐に渡っている。最澄は国費で、空海は自費。まずは本書でこの辺の事実関係を押さえた上で、HNK取材班の「「空海の風景」を旅する」を読むのがオススメです。 この著者の文章は、他の著作もそうなのですが、何とも心が和みます。瀬戸内寂照さんが、「小説を書いたら私くらいにはなれる」と言ったとか何とかいう話もなるほどと思います。 なお、最澄の偉業を知りたい方は、本書の後に「三人の祖師―最澄・空海・親鸞」を読まれる事をお勧めします。 それぞれの彫りは浅いですが、まとめ或いは入門としては好いと思ひます。 出版:小学館文庫 (2005/05) ◇ edit 梅原猛著作集 三人の祖師―最澄・空海・親鸞 古代アジアに現れた比叡山というユニバーシティ 2006.7.22 出版社/著者からの内容紹介 三人の開祖たちの根本思想の最新研究成果 最澄、空海、親鸞、三人の開祖たちの実践、哲学・思想、人間像を深く掘り下げた梅原仏教研究の最新の成果を収載。親鸞の門弟であり、『歎異抄』の著者である唯円の出自と学識にも迫る。『歎異抄』の現代語訳も掲載。 あふれる情熱と豊かな想像力で真理を探究し、人間とは何か、日本とは何かを深く思索つづけてきた梅原猛。哲学、歴史、文学、宗教、芸術など既存の枠組を越える壮大でユニークな作品群は「梅原日本学」とも称され、多くの読者を獲得してきました。本著作集では、主要著作に、新たに書き下ろし作品「法然の哀しみ」を加え、「教育問題」「地球環境問題」「長江文明論」など、著者が全力で取り組んでいる最新のテーマ作品も網羅。 歎異抄、唯円から見た親鸞 この本の中で親鸞は、弟子が書いた「歎異抄」を通じて描かれています。しかしこの親鸞の紹介はどうにも煮え切らない。梅原氏の仕事としては珍しく詰めが感じられない。 下で紹介している「『歎異抄』入門」も著者は同じですから、詳しくはそちらでということになります。 仏教思想を完結し体現してみせた空海 一方、最澄が如何に日本仏教の発展に貢献したかということが緻密に立証されていきます。同時代の空海が孤高の光の世界に荘厳せられた生き神であったのに対して、やや年長で幼少時代から日本の将来を肩に背負っていたエリート親鸞は、完成された教義ではなく、仏の教えが将来に渡って刷新されて行くシステムを作ったと云うのが著者の評価です。 期待を背負い礎となった最澄 当時の日本ではあらゆる学問は僧が受け持っていた事を考えると、比叡山は一種のユニバーシティであったと云うのは著者の慧眼であると思ひます。最澄にそのつもりが有ったのか無かったのかに関わらず、その後の比叡山が、時代を画する名僧を次々と輩出することになったのは事実であります。 梅原氏に依る歎異抄全文現代語訳なども追録 単行本 三人の祖師―最澄・空海・親鸞 (仏教文化選書) もありますが、全集の方が出版が後で、幾分かの追録があるようです。ソフトカバーの携帯性を採るか、全集の保存性の良さ(ものによっては字組や装丁などの仕事の細かさ)を採るかは悩むところです。 詳細 箱入りハードカバー710ページ 小学館 (2002/05) 名前 コメント ◇ 梅原猛の『歎異抄』入門 梅原猛 内容(「BOOK」データベースより) 「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」。強烈なパラドックスを含むこの成句で有名な『歎異抄』。その一言一句から発せられる「毒」と「薬」は、時代や階層をを超え、人々の魂を揺り動かしてきた。親鸞の純粋なる信仰を、直弟子唯円が大胆率直に記述した『歎異抄』の魅力はと何か。わが国で最も優れた宗教書であると絶賛する著者が、その真髄をあまさず語る。法然と親鸞、親鸞と唯円という師弟関係を通して浮かび上がる独自の世界。道徳の延長ではない宗教の本質を抉る。原文と現代語訳、年表付きの決定版。 親鸞。狂気故に閑寂の中に身を置いた思想。 2006.4.13 歎異抄の入門書はあまた出ていますが、梅原氏は説教臭くは語らないし、学問一点張りでもなく、つまりご自分が生きる糧としても読まれている。その点で梅原氏は信用して良いのではないかと思ひます。 ◇ 弥勒浄土論、極楽浄土論 松本文三郎 シルクロードから日本、広遠な視野がこの中に 2007.6 内容(「MARC」データベースより) 明治から昭和にかけて仏教学、インド哲学をリードした先駆者、松本文三郎の傑出した浄土論2篇を収める。古代アジアの歴史的文脈に即した経典、文献の鋭い読みによって、浄土思想を根底から解き明かす不朽の論考。 浄土思想はどのようにして今日に至るか 浄土とは何か、という本は数多有ります。色んな経典や歴史上の僧侶が極楽浄土をどう捉えているか、という本もあるでしょう。本書は、それらとは違い、浄土の思想が歴史上どのような変遷を経て今日に至っているかという本であり、しかも飽くまで著者自ら言っている様に、現代の問題を解決する為に書かれたものであります。 阿弥陀浄土の前に弥勒浄土あり インド、中国、日本のいずれの地域でも、浄土の思想としてまず広まったのは弥勒浄土、即ち弥勒によってこの世が救われるという思想であって、時代を遡ると極楽浄土という記述は見つからないそうです。日本では丁度聖徳太子前後の時代のようでありますから、日本においてすら有史以降の事であります。 一方時代を下ると、「浄土」と言えば極楽浄土であるのは現代に至っても同じであります。すると当然に極楽浄土を理解しようとする者は、何故に極楽浄土が弥勒浄土を押しやったのか理解する必要が生じる訳ですし、その前提として弥勒浄土の思想とは何か、或いは「浄土」とはそもそも何を指してゐたのか等をまず知らねばならんという事になります。 この小冊子に雄大で連綿とした人々の営みが詰まっていると思うと心が躍る気が致します。 編集方針もなかなか 文語文で書かれた原稿を、旧字は新字に、カナは濁點つきの平仮名に改めての出版です。好い処を突いてくれるものです。お陰で格調を保ちつつ学の浅い私でもその内容に触れることができるのです。有り難い。 また、収録順は敢えて発表順とは逆になっています。 詳細 出版:平凡社東洋文庫 (2006/2/14) 参考リンク wikipedia「浄土」の参考文献に挙げられています。 松本文三郎 京都大学宗教学講座初代教授 ◇ edit 谿声山色—奥会津に見る正法眼蔵の世界 竹島 善一(写真)・遠藤 太禅(註釈) 2006.4 日本再発見のための写真集として買いました。まだ手をつけてません。 出版社 奥会津書房 (2005/12/20) 名前 コメント edit 仏教 日本仏教の歩み、空海、密教、仏教美術、梅原猛 日本仏教の歩み 日本仏教の創始者たち 最澄と空海 三人の祖師 梅原猛歎異抄入門 弥勒極楽浄土論 谿声山色 ご感想などお寄せ下さい。 お名前 コメント edit
https://w.atwiki.jp/get5out/pages/2.html
メニュー 閲覧についての注意事項 ↑ これ重要だよ! ↑ *中根繁とその思想* 経歴 ・略歴 1 2 ・詳細 ・分析 思想概要 思想の変遷 ・高森顕徹 ・独立 ・メンタルヘルス友の会 ・結婚 ・真流立宗 高森顕徹に類する発言 *雑感* こんな話からはじめてみたら・・・どや? ←閲覧可 *資料* 白鷺会/一の会 ・信声新聞 ←閲覧可 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 ・教学テキスト 浄土真宗白鷺会 仏1 仏2 仏3 仏4 仏5 仏6 真1 真2 真3 真4 真5 真6 浄土真宗一の会 仏1 仏2 仏3 仏4 仏5 仏6 真1 真2 真3 真4 真5 真6 真7 真8 真流一の会 真1 真2 真3 真4 真5 真6 ・講演・講義録 中根繁会長 教学講義録 I布教使 ・書籍など 生とは死とは己とは(中根繁) 死後の存在(中根繁) 講話集 旧 1 2 3 4 新 1 2 3 4 黄金食のすすめ 御両親によりよく仏教を理解していただくために メンタルヘルス友の会 ・中根先生を囲む会講演録 ←閲覧可 講演一覧 f ・書籍など 猫パンフレット 中根先生「神経症克服指導集」index ←閲覧可 動画 ←閲覧可 親鸞大學 勧誘打合わせ事項 ←閲覧可 すみれ童話会 ・書籍など カラスの王様(植田養) 浄土真宗親鸞会 ・顕正新聞 ←閲覧可 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 ・教学聖典 旧 仏1 仏2 真1 真2 真3 真4 真5 新 1 2 3 4 5 6 7 教学対照表 ←閲覧可 親鸞会 旧 × 白鷺会 親鸞会 新 × 白鷺会 親鸞会 旧 × 浄土真宗一の会 親鸞会 新 × 浄土真宗一の会 白鷺会 × 浄土真宗一の会 親鸞会 旧 × 真流一の会 親鸞会 新 × 真流一の会 白鷺会 × 真流一の会 浄土真宗一の会 × 真流一の会 異安心研究会 関連資料 備忘録 *リンク* Get out of 真流一の会 & メンタルヘルス友の会 by get5out メンタルヘルス友の会の実態~真流一の会に気をつけろ!!!~ by Strange Man 内側から見た“メンタルヘルス友の会” by A.Goto トップページ 新規ページ履歴 取得中です。 取得中です。 リンク @wiki @wikiご利用ガイド 他のサービス 無料ホームページ作成 無料ブログ作成 2ch型掲示板レンタル 無料掲示板レンタル お絵かきレンタル 無料ソーシャルプロフ
https://w.atwiki.jp/get5out/pages/678.html
浄土真宗一の会 教学テキスト 真宗学1号 問6 問 親鸞聖人が信心決定された歳とそれを記した御文と出典を書きなさい 答 ○二十九才 ○「然るに愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦、雑行を棄てて、本願に帰す。」 (教行信証化身土巻) 浄土真宗一の会 教学テキスト 真宗学1号 問7へ 平成15年3月22日(土) 赤羽会館 7階 教学講義 講師:中根繁会長 この御文は、教行信証の中で仰っているもの。 愚禿釈の鸞の「愚」とは、愚かという事。 「禿」とは、ハゲという事だが、これはハゲという意味で仰っているので はなく、これも愚かという意味で仰っている。 「釈」とは、釈迦の弟子という事。 「鸞」とは、親鸞というお名前の親の字を略して仰っている。 つまり、「愚禿釈の鸞」とは、愚かな愚かな釈迦の弟子の親鸞という事。 「建仁辛酉の暦」というのは、年号の事で、聖人が29才の御年にあた る。 「雑行」とは、2つの意味がある。1つには、五雑行。もう1つは、自分 のやった善で「これだけ善い行ないをすれば、助かるに間違いない」と自 分の善行をあて力にする心を言う。 この自分の善行を以って助かろうと思う心が有る限りは、阿弥陀仏に救っ て頂けない。求道をするというのは、自分の善行をあて力にする心を、い かにして捨てるかという問題に挑む事を言う。 「五雑行」というのは、真宗学4号の問19に載っている。これは、阿弥 陀仏以外の仏・菩薩・神々に向かってはいけないという事。 五雑行は捨て易い。ところが、年を取ると、捨て易い五雑行も中々捨てら れなくなるので、「仏法は若き時に嗜め」と言われる。 世間の本は、この雑行について、これ程詳しくは説明されていない。 聖人が、ここで仰っているのは、自分の善をあて力にして助かろうとする 心の方である。 この心が問題なるのは、信心決定する直前の信心の白兵戦に至った頃。 このぐらい必死になっている人は、何とかして助かろうとするので、歎異 抄を読んでしまうと「ただ念仏して弥陀に助けまいらすべし」という御文 に感動して念仏信心に陥ってしまう。 歎異抄は、「ただ念仏して」と、念仏信心が多々説かれている。その歎異 抄を読んで「あー、ただ念仏してであったか・・・」と、どっこいしょし てしまう。 どっこいしょさせるのは簡単な事。 親鸞会の会長をしている高森顕徹は、昔、浄土真宗華光会という会の創成 期に所属していた。この華光会は、どっこいしょの信心を造って、それを 「信心決定」と言う団体である。華光会を創ったのは、増井悟朗という男 だが、この男は、高森顕徹が華光会に所属していた時代に、共に布教に励 んでいた布教仲間であり、高森を華光会に誘った人である。 高森が、華光会時代に活動していた様子は、華光会の発行している書籍に いろいろと載っている。彼は、増井と共に師と仰いでいた「伊藤康善の著 書『仏敵』によって導かれた」と言い、その『仏敵』を多くの人々に勧め ていた。また、増井たちと一緒にある村へ布教に行くと、一晩で20人、 30人を信心決定させたという。ところが、暫くして隣の寺に信仰を攻撃 されると、高森たちが信心決定に導いた人たちの信仰の火が消えてしまっ たという。 彼らは、少し感情の起伏が起こると、それを側で見ていて「それが信心決 定だ。良かったねぇ。」と言って褒める。そうすると、褒められた本人は 「信心決定した」と思い込んでしまって、どっこいしょの信心を持ってし まう事になる。 このようにして、華光会に所属していた頃の高森は、人工信心を乱造しま くっていた。 ところが、実家のある高岡へ戻り、華光会の高岡支部で布教をするように なると、段々と様子が変わってきたという。 ある時、京都から伊藤康善や増井悟朗が、高森から連絡が来なくなったの を心配して訪ねて行った事があるらしい。ところが、高森は師匠である伊 藤康善にも、先輩であり法友である増井悟朗にも、一切会おうとしなかっ たという。 当時の高森にとって、伊藤康善や増井悟朗の存在自体が、疎ましかったの だろう。もう、自分一人の会として運営して行く事を目論んでいたので、 今更二人に会おうとはしなかった。 実際に、華光会の高岡支部であった会を親鸞会として独立している。 高森は、現在、会員に「華光会は人工的に信心を造り上げている異安心だ から間違っている」と非難させ、自分も華光会は異安心だと非難してい る。 高森は、親鸞会を立ち上げた後も、華光会に寄付金を送っている。 華光会に居る時は、増井たちと布教し、「華光会の信心が正しい」と言っ ていた上、親鸞会を始めた後も華光会に寄付をしているのに、なぜ非難を するのか。 現在に至って、華光会を非難するのかというと、人工信心の団体である華 光会に自分が所属していた事がバレそうになってきたり、親鸞会の会員 が、華光会に行くようになってきたので、会員の流出を防ぐ為に非難して いる。 親鸞会が、華光会に対して様々な攻撃をするので、華光会からは何の反論 もできなくなっている。高森は、過去を隠蔽するだけでなく、非難攻撃を している。 親鸞会は、人集め、金集めの団体となり、敵対する相手には暴力行為、妨 害行為もする浄土真宗の創価学会となっている。これは、本願寺も「親鸞 会は、浄土真宗の創価学会」と言う。浄土真宗の中の外道である。仏教と は呼べない。 中根先生は、親鸞会に在籍されている際に、高森のおかしな言行を御覧に なって「とても善知識などと言って崇める様な男ではない」と批判され、 親鸞会を出て行かれた。 ところが、親鸞会では、中根先生が批判をされた内容は公表されず、「気 違いだから、狂人だったから」という理由で除名した事になっている。 しかし、中根先生は御自身から親鸞会を辞められたのであって、除名をさ れたのではない。除名というのは、会に在籍したいと望む者に対して、 「お前は会に居させない」と言って追い出す事を言う。 中根先生は、御自身から親鸞会を辞められたのだから、除名にはあたらな い。 真相は、中根先生が親鸞会を批判して辞めてしまわれたので、体裁を整え る為に、中根先生の行状が善くなかったので除名にした事にした追っ付け 除名である。 親鸞会では、「教えを捻じ曲げる事以外に除名の理由は無い」と言って来 たし、現在も言っているのに、中根先生の行状を除名の理由だと言って る。 そして、中根先生が批判して辞められたという事実や内容には一切触れて いない。 もし、中根先生が批判して辞められたという事を公表したならば、どんな 批判だったのかと内容を説明しなくてはいけなくなるので、中根先生が批 判された事実さえも公表されていない。 親鸞会で中根先生が活躍されている頃は、「鬼の説得」とか「実績が歩い ている」とか言って呼ばれていた。高森は、説法はそこそこ上手かった が、布教力は全然ない。だから、「布教の事は、中根くんに聞け」と高森 はよく言っていたらしい。 その為か、高森の息子で当時「2代目を継ぐ」と言われていた光晴や、い ろんな人が、中根先生に「どうやって布教したらいいか?」と聞いてきた そう。 ところが、「一旦、親鸞会を批判して辞めると、蛆虫以下の扱いで徹底的 に非難してきた」と仰る。 断食療法。確認。女の布教使。高森の娘のTもやってた。 教行信証の化身土巻は、信前(信心決定する前)の境地が説かれている書 物。 それ以外の教巻・行巻・信巻・証巻・真仏土巻には、信後(信心決定され た後)の境地が説かれている。仏教は、信後の境地を主に説くもの。 だから、聖人は教行信証の殆どを信後についての説明に費やされている。 「仏教は、実時を問題にすべきではない。仮時を問題にすべきである」と 言われる。 「実時」とは、何時何分何秒という分秒で表す時間を言う。 これに対して、「仮時」とは、蜂に刺されて痛かったとか、柱に頭をぶつ けて痛かったといった体験の事をいう。 仏教では、「何年何月何日何時何分何秒に信心決定した」といって実際の 時間を問題にはしない。実時を問題にすると異安心につながる。 この実時の問題にしている異安心が、土蔵秘事である。彼らは、「何年何 月何日に信心決定した」という「救われた時刻に覚えがなくてはいけな い」と主張する。 高森は、説法の中で「18才の時に信心決定した」と何度も言っている。 彼は、思いっ切り実時を言っちゃっている。高森が実時を言いたがるの は、「自分は18才の時に信心決定した」と言って、信心決定した事を自 慢しているだけ。 また、実時までは言わなくても、信心決定した状況をしきりに言う人が居 る。 例えば、「お勤めの時に信心決定した」とか、「夫婦喧嘩をしている時に 信心決定した」とか言って、どういう状況の時に信心決定したかを問題に するのも、実時を問題にしているのと心は同じ。 華光会の信心は、これと同じもの。「姑と喧嘩をして怒り狂ったその瞬間 に、地獄往きの我が知られて信心決定した」と言う。 [get5out考察] 世間の本は、この雑行について、これ程詳しくは説明されていない。 この中根氏の発言は、嘘。 get5out用画像フォーム 現在、paintプラグインはご利用いただけません。 【比較資料】 浄土真宗親鸞会 旧教学聖典 真宗学一号 問(2) 問 親鸞聖人について問う。 (1)出家せられた年 (2)信心決定せられた年 (3)結婚せられた年 (4)三大諍論せられた年 (5)流刑にあわれた年 (6)善鸞を義別された年 (7)亡くなられた年 答 (1)九歳 (2)二十九歳 (3)三十一歳 (4)三十四歳 (5)三十五歳 (6)八十四歳 (7)九十歳 解説 親鸞聖人は今から八百年昔、京都の日野の里に、藤原有範卿を父君とし、 吉光御前を母君として、お生まれになられた。 御幼名は松若丸。範宴、綽空、善信、親鸞とお名前を変えておられる。見 真大師ともいわれている。 ・出家――家とは煩悩(五欲)を現わし、出るとは、一切の恩愛を断って 仏弟子になること。 ・信心決定――阿弥陀如来によって、絶対の幸福に救われ、大安心大満足 の身になった体験をいう。 ・三大諍論――親鸞聖人三十四歳の御時、歴史に残る仏法の大きな三つの 争い。(詳しくは真宗学5号問(16)参照) ・流刑――今日では、無期懲役にあたる。真宗学1号問(5)の理由によ り、流刑にあわれた。 ・善鸞義別――親鸞聖人八十四歳の時、五十歳になった長男善鸞を勘当な された。その理由は、一向専念無量寿仏のお教えをネジ曲げたから。 浄土真宗親鸞会 旧教学聖典 真宗学二号 問(20) 問 救われたことが凡夫にハッキリすることなんかあるものか、という人に、 ハッキリすることを聖教の文句で三つ以上示せ。 答 ・愚禿釈の鸞 建仁辛酉の暦、雑行をすてて本願に帰す。(教行信証) ・われすでに本願の名号を持念す。往生の業すでに成弁することを喜ぶ。(執持鈔) ・他力の信心ということをば、今すでに獲たり、乃至、今こそ明らかに知られたり。(御文章) 解説 ・愚禿釈の鸞――親鸞聖人のこと。 ・辛――元年。 ・酉の暦――三月。 ・雑行――自力。 ・本願に帰す――阿弥陀仏(他力)に救われた。 ・持念――体得して仏凡一対となった。 ・往生の業――弥陀の浄土に生まれる働き。 ・成弁――満足する。完成する。 浄土真宗親鸞会 旧教学聖典 真宗学二号 問(21) 問 親鸞聖人が信心獲得されたことを明示する聖教上の証拠を二つ示せ。 答 ・愚禿釈の鸞 建仁辛酉の暦、雑行をすてて本願に帰す。(教行信証) ・建仁第一の暦、春の頃、隠遁の志に引かれて源空上人の吉水の禅坊に尋 ね参りたまひき、真宗の紹隆の大祖聖人ことに宗の淵源をつくし、教の 理致を極めて、これを述べたまふに、たちどころに他力摂生の旨趣を受 得し、あくまで凡夫直入の真心を決定しましましけり。(御伝鈔) 解説 ・建仁辛酉の暦――聖人二十九歳の時。 ・雑行――自力の心。 ・隠遁の志――堕落した聖道仏教からのがれたいという気持ち。 ・真宗の紹隆――浄土真宗を開顕された。 ・宗の渕源――信心決定の体験(註:漢字「渕」ママ) ・教の理致――教学、一切経による裏づけ。 ・たちどころに――一念で。 ・他力摂生の旨趣――阿弥陀仏の本願の本意、要、摂取して往生させる= 弥陀の本願。(註:摂・生に○) ・受得――体験すること。 ・凡夫直入の真心――凡夫の心、あるがままに、救われる真心=真実信心。 浄土真宗親鸞会 新教学聖典(1) 問(8) 問 浄土真宗の祖師、親鸞聖人について問う。 (1)出家せられた年 (2)信心決定せられた年 (3)結婚せられた年 (4)三大諍論せられた年 (5)流刑にあわれた年 (6)善鸞を義絶された年 (7)亡くなられた年 答 (1)九才 (2)二十九才 (3)三十一才 (4)三十四才 (5)三十五才 (6)八十四才 (7)九十才 浄土真宗親鸞会 新教学聖典(4) 問(15) 問 阿弥陀如来に救い摂られた自らのことを明言 されている、親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人 のお言葉と、根拠を示せ。 答 ○愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦、雑行を棄てて、本 願に帰す。 (教行信証) ○われ已に本願の名号を持念す、往生の業すでに 成弁することをよろこぶ。 (執持鈔) ○他力の信心ということをば今既に獲たり、乃至 今こそ明かに知られたり。 (御文章) 解説 ・持念す――保ち念ずる。 ・往生の業――南無阿弥陀仏。 ・他力の信心ということをば今既に獲たり、乃至 今こそ明かに知られたり――救われた人は、いつもそう。 ・御文章――御文章5帖目第12通。 浄土真宗親鸞会 新教学聖典(4) 問(16) 問 親鸞聖人が、信心獲得された時のことを明示され ている御文と根拠を、二つ示せ。 答 ○愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦、雑行を棄てて、本願に 帰す。 (教行信証) ○建仁第一の暦春の頃、隠遁のこころざしにひかれて 源空上人の吉水の禅坊に尋ね参りたまいき。真宗紹 隆の大祖聖人ことに宗の淵源をつくし教の理致をき わめてこれを述べたまうに、たちどころに他力摂生 の旨趣を受得し、飽くまで凡夫直入の真心を決定し ましましけり。 (御伝鈔) 解説 ・雑行――無明の闇。自力。 ・隠遁のこころざしにひかれて ――本当の幸せを教える、まことの仏教を教える善知識を求めて山から 隠れ逃れた。 ・紹隆――開かれた。 ・真宗教証興片州 片州――日本。 ・宗の淵源――体験。 ・教の理致――教学。 ・たちどころに――一念。 ・摂生――がっちり収めとって往生させる。 ・旨趣――かなめ。 ・他力摂生の旨趣――弥陀の本願。 ・直入――一念。 浄土真宗白鷺会 教学テキスト 真宗学1号 問4 問 聖人が信心決定された年と御文を書きなさい。出典も。 答 ○ 二十九才 ○ 「然るに愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦、雑行を棄てて、本願に帰す。」 (教行信証 化身土巻) ツリー型コメントフォーム 名前 現在、paint_bbsプラグインはご利用いただけません。 浄土真宗一の会 教学テキスト 真宗学1号 問7へ このページのトップへ サイト内を and or タグで and or 2021-12-07 03 45 25 (Tue) 合計: - 本日: - 昨日: - #blogsearch link_pdfプラグインはご利用いただけなくなりました。