約 803,980 件
https://w.atwiki.jp/kerberos-saga/pages/38.html
第6部 スターリングラード編 第6話 「雷鳴」 2007年2月22日放送予定 概要 ドン軍集団による第6軍救出作戦「冬の嵐」及び第6軍の脱出作戦「雷鳴」が始まり、第101装甲猟兵大隊はスターリングラードを撤退する第6軍のしんがりを勤めることとなる。 彼らに同行し撮影を続けるマキに対しマイヤーは避難を命ずるが、彼女はそれを拒否する。 やがて敵の総攻撃が始まり、装甲猟兵たちは敵との戦いの中で次々と斃れていく。 部下に最後の突撃を命じるマイヤー。 その時、ドン軍集団がかき集めた巨砲の群れが火を噴いた。 アラド シュレッサー中尉 「後方では包囲環の啓開作戦が始まっているというのに」 「ゲレート・ツヴァイよりアラドへ、準備よし!」 長玉 冬の嵐 Wintergewitter 啓開 雷鳴 Donnerschlag シュトルムティーガー Sturmtiger 「グデーリアンが開発を拒否した」 パンツァーファウスト Panzerfaust 擲弾筒 阻止砲撃 掩体壕 予備陣地 機動防御 「大尉、ヒルデブラント大尉!」 「阻止砲撃が終わったら、戦車をやり過ごして敵の後方に抜ける」 「総員装面せよ!」 「ロシア兵が捕虜の将校をどう扱うか」 ヴァルハラ Valhalla(ドイツ語ではWalhalla) トールハンマー Thorhammer ブッフバルト大尉 アラド 列車砲(ゲレート・ツヴァイ)に対し試射の修正を指示しているシュレッサー中尉のコードネーム。 アラドという名称はアラドAr198観測偵察機にちなんでのものと思われる。 シュレッサー中尉 第623重列車砲中隊所属。 装甲猟兵大隊に同行し、砲兵観測員として赤軍の追撃部隊に対する阻止砲撃の指示を行っている。 名前の元ネタはおそらく元F1レーサーで現ラリードライバーのジャン・ルイ・シュレッサー。 「後方では包囲環の啓開作戦が始まっているというのに」 おそらくこの時点では第6軍主力はスターリングラードを離れ、装甲猟兵大隊をしんがりにドン軍集団の救出部隊に向かって移動している。 装甲猟兵大隊に同行し、追いすがってくる赤軍を向いているマキ達からみれば、第6軍の前進方向は後方ということになる。 「ゲレート・ツヴァイよりアラドへ、準備よし!」 ここで試射による射撃修正が終了し、シュレッサーの指示により列車砲による効力射が開始される。 長玉 望遠レンズのこと。 冬の嵐 Wintergewitter マンシュタインによるスターリングラードに残存した第6軍の救出作戦。 史実では失敗に終わり、26万の将兵はスターリングラードに残され、パウルスは捕虜となる。 ただし、ヒトラーの死守命令がなければパウルスの脱出は可能だったとも言われる。 ドラマで描かれている作戦の概要は 1)第57装甲軍団がスターリングラードから後退していた装甲部隊と共にドン河畔橋頭堡より北進して包囲環の突破を図る。 2)その北西に位置する第48装甲軍団はチル川から東進し、赤軍の攻撃から第57装甲軍団の北側面を守る。 3)包囲環内の第4軍団は南進し、ドンスカヤ・ツァリーツァ川で第57装甲軍団と合流する。 4)列車砲部隊は後方から長距離射撃を行い、赤軍の攻撃を妨害する。 というものと思われる。 史実では救出作戦ははるか後方のクルモヤルスキー・アクサイ河畔のコテリニコヴォから出撃した第57装甲軍団(二個装甲師団基幹)によって行われ、約40km北進してヴェルフネ・クムスキーまで到達したが、ここで前進は阻まれ作戦は失敗に終わった。 啓開 敵の妨害や障害物を排除して道を切り開くこと。 雷鳴 Donnerschlag マンシュタインとパウルスが立案した第6軍のスターリングラード撤退作戦。 史実ではスターリングラードにこだわるヒトラーの拒絶により実行されなかった。 シュトルムティーガー Sturmtiger 第二次世界大戦期にドイツが開発した自走砲。 戦闘で損傷を受けたティーガーI戦車の車台を改修し、元々海軍用に開発された38cm臼砲を搭載し、125kg弾頭のロケット弾を発射できるようにしたもの。 史実では1944年から使用されワルシャワ蜂起の鎮圧などに投入されたといわれるが、作中の42年には本来は存在しない。 http //www.panzernet.net/panzernet/stranky/samohybky/sturmtiger.htm 「グデーリアンが開発を拒否した」 史実ではグデーリアンは1941年12月にヒトラーとの意見の衝突から第2装甲軍司令官を解任されて陸軍総司令部の待命リストに編入となった。 その後1943年3月に装甲兵総監に就任し、疲弊した装甲部隊の再建と新型戦車開発を統括する任についている。 おそらくはドラマではなんらかの理由で装甲軍司令官を退き、1942年中には装甲兵総監に転任しているものと思われる。 パンツァーファウスト Panzerfaust 犬狼伝説などでもおなじみの対戦車用の使い捨て無反動砲。 パイプの先に成形炸薬弾頭がついており、射程距離30mで200mmの装甲を貫徹可能だった。 史実では1943年から量産され、作中の42年には本来は存在しない。 擲弾筒 ドイツ軍の戦車には車体上面に擲弾筒(簡易な構造の擲弾発射機)を装備し、ここからSマイン(撃発すると地上約1mの高さに跳び上がり、そこで爆発して周囲に多量の小鉄球をばら撒く対人地雷)を発射して肉薄攻撃をかけてくる歩兵を殺傷できるものがあった。 阻止砲撃 進撃する敵に対し、もしくはその後方に砲撃を行い敵やその増援部隊の前進を阻止すること。 目標が移動するため、間接照準による砲撃の場合は砲兵観測員による継続的な射撃修正指示が必要となる。 掩体壕 戦車や火砲などの大型の機材や人員を収容し、敵の砲火から守る為の壕。 人員や機材を収容する壕は天井を作り、厚く土盛りして榴弾の直撃にも耐えられるような構造とする。 戦車用のものは天井を持たず。そのまま入り込めるように後方から前方に向かって下り傾斜がつけられ、周囲には掘った土が土塁として盛られている。 この壕から砲塔や砲口のみを出して敵に対して砲撃を行う。 予備陣地 前線陣地で守りきれない場合など、後方に撤退する部隊を収容するために作られた陣地。 後退した部隊を立て直して新たな防衛線を構築したり、反撃の足がかりとしたり、予備部隊の待機場所などとして用いられる。 機動防御 防御線に兵力を均等にばら撒かずにいくつかの強力な防御火点を築いてここからの十字砲火により敵の侵攻を防ぎ、突破した敵に対しては後方に控置した反撃部隊を適宜投入してこれを撃退する戦術。 少ない兵力で効率的な防衛戦が可能だが、兵員一人ひとりの高い技術と戦意、そしてこれを指揮する指揮官には状況を判断しタイミングよく反撃部隊を投入する決断力が求められる高度な戦術である。 ドラマではメッツェルダーの第一中隊(左翼)及びメルツェザッカーの第二中隊(右翼)が前線で防備にあたり、フリングスの第三中隊が後方の予備陣地で機動反撃部隊として待機している。 敵の攻撃を防ぎきれない場合は第一、第二中隊は陣地転換(予備陣地への移動)を行い、第三中隊が予備陣地から前進してこれを援護するという形をとろうとしているようである。 「大尉、ヒルデブラント大尉!」 ここで第一中隊第一小隊指揮官のヒルデブラントは敵の砲撃(迫撃砲弾?)によりおそらく戦死。 ここからノイヴィル軍曹が代わって第一小隊の指揮を執っていると思われる。 そしてシュレッサーは前進してくる敵戦車部隊への阻止砲撃が行われることをノイヴィルに告げている。 「阻止砲撃が終わったら、戦車をやり過ごして敵の後方に抜ける」 ここでマイヤーは戦車に対する肉薄攻撃は行わず、その後方から戦車に追随してくる敵歩兵部隊を迎え撃とうとしていると思われる。 歩兵を叩けば側面の防御を失った戦車部隊は前進をためらい、撤退する第6軍との距離を開けることができるが、自らは全滅必至となる。 「総員装面せよ!」 ここでマイヤーは装甲猟兵にマスクの着用を命じている。 「ロシア兵が捕虜の将校をどう扱うか」 将校は重要な情報源であり、捕虜とした場合は速やかに後方に移送するのが鉄則だが、現実には憎悪に燃える現場の兵士により殺害されることもしばしばあった。 しかしこれはロシア兵に固有の現象ではなく、あらゆる時代のあらゆる軍隊に起こりうる。 ヴァルハラ Valhalla(ドイツ語ではWalhalla) 北欧神話に登場する主神オーディン(ゲルマン神話ではヴォータン)の「戦死者の館」のこと。 戦死した戦士の魂は戦場からオーディンの使いであるワルキューレに連れ出され、ここに集められるとされている。 戦士たちは日中は野外で戦いに明け暮れ、夜はオーディンが催すヴァルハラの酒宴で飲食し、ラグナロク(神々の黄昏)で行われる神々と巨人族の最後の決戦を待ち続けるといわれる。 北欧の戦士達にとってはヴァルハラに迎えられるため、戦場で斃れることが最上の名誉とされた。 銀河英雄伝説等で日本でも有名。 トールハンマー Thorhammer 北欧神話の雷神トールの武器でミョルニルハンマーとも呼ばれる。 投擲すればかならず敵に命中し、自らの手に戻ってくるといわれる。 ブッフバルト大尉 おそらくはマイヤーの副官。 名前の元ネタはおそらく前浦和レッズ監督のギド・ブッフバルト。
https://w.atwiki.jp/kerberos-saga/pages/2.html
検索 トップページ 登場人物 主要人物 ドイツ軍・政治 関係者 ソ連軍・政治 関係者 その他の人物 兵器 用語解説 年表 FAQ 各話別 解説 第1部 装甲列車編 第1話 「宣伝中隊」 第2話 「高射砲列車」 第3話 「クルスク」 第4話 「軍馬」 第2部 装甲猟兵編 第1話 「ポツダムの巨人兵」 第2話 「第三の軍隊」 第3部 電撃戦編 第1話 「花の戦争」 第2話 「西方研究」 第3話 「初陣」 第4部 バルバロッサ編 第1話 「粛清」 第2話 「赤いボナパルト」 第3話 「伍長暗殺」 第5部 巨砲吼ゆ編 第1話 「グスタフ」 第2話 「アイゼンバーンラフェッテ」 第2話 「セヴァストポリ」 第6部 スターリングラード編 第1話 「邂逅」 第2話 「群狼」 第3話 「狙撃兵」 第4話 「包囲」 第5話 「パウルス」 第6話 「雷鳴」 第7部 バグラチオン編 第1話 「後手の先」 第2話 「撤退」 第3話 「撤退2」 第8部 メーメル篇 第1話 「シャルンホルスト」 第2話 「殲滅」 その他の放送 「押井守監督インタビュー特番」 「押井守×榊原良子トークスペシャル」 「冬のトークスペシャル 押井守×岡部いさく」 更新履歴 取得中です。
https://w.atwiki.jp/kerberos-saga/pages/37.html
第6部 スターリングラード編 第5話 「パウルス」 2007年2月15日放送 概要 第6軍救出作戦の準備は進み、ドン軍集団にあちこちの戦域からかき集められた装甲部隊が集結する。 マンシュタインとの会議の為、ドン軍集団本部を訪れたパウルスに面会を求めるマキ。 シュタウフェンベルクの姪に興味を持ったパウルスは、マキと会うことを承諾する。 会話の中、パウルスは語る。 「装甲猟兵には死守も撤退も命じない」 スターリングラードへの帰途、マキはシュトルヒの機上から雪原を行く巨大な列車砲の群れを目撃する。 ホイッスルの音 「わが軍にまだこれだけの装甲車両が存在していたなんて・・・」 自動車化歩兵師団 チル川 4号F型 突撃砲 「市内の第6軍への補給は、制空権と天候に大きく左右される空輸だけに・・・」 機動反撃の橋頭堡 ドン軍集団 パウルス 第2次ハリコフ戦 クリミア制圧 ハンス・フォン・ゼークト少将 ヴァルター・フォン・ライヘナウ元帥 ルントシュテット ヴェーアマハト ライヒスヴェア アウゲンターラー大尉 「極東戦域の海で」 中央渡船場 ママイの丘 ライヒスマリーネ 「私の第6軍を救う為にしんがりは務めてもらう」 カールゲレート 魔女の大釜 ホイッスルの音 ドラマでは車両の騒音に混じってホイッスル音が聞こえるが、これは移動する車両の交通整理をしている野戦憲兵が鳴らしているもの。 1個師団につき1000両以上の車両、さらに馬車や徒歩行軍する歩兵が一斉に移動する部隊の移動には大混雑がつき物であり、野戦憲兵による交通整理は部隊が迅速に移動する為には欠かせないものだった。 「わが軍にまだこれだけの装甲車両が存在していたなんて・・・」 史実ではドン軍集団が保有していた装甲兵力は戦力の低下していた第48装甲軍団とフランスから急派された第6装甲師団、陸軍総司令部(OKH)予備の第11装甲師団、及び南方のA軍集団から引き抜かれた第23装甲師団などからなっていた。 また三個装甲師団と三個自動車化師団が包囲から逃れているが、これは史実では行われていない。 つまりドラマでは史実よりも大幅に増強されており、ほぼ1個装甲軍に相当する戦力を保有している。 自動車化歩兵師団 兵員輸送用のトラックを装備した歩兵師団のこと。 歩兵は戦場近くまでトラックで移動するが、戦闘は徒歩で行う。 一般的なイメージと違い、ドイツ軍の歩兵師団のほとんどは歩兵の移動を鉄道と徒歩で行っていた。 数少ない自動車化歩兵師団は迅速に移動できる為、装甲軍団に配属されて突進する装甲師団の側面を守る任務に投入されることが多かった。 史実では自動車化師団の多くはその後装甲師団や、戦車大隊を持ち兵員が装甲兵員輸送車に乗車する装甲擲弾兵師団に改編されている。 チル川 スターリングラード西方でドン川に合流している河川。 赤軍の反攻後後退したドイツ軍の防衛線となった。 4号F型 長砲身と言っているのでおそらくF2型である。 1942年3月から175輌だけ生産され、IV号戦車としてはじめて長砲身の7.5cm Kw.K.40 L/43を搭載した。 対戦車戦闘に威力を発揮。 英軍から「マーク4スペシャル」、ドイツ兵からは「IV号スペツィアル」と呼ばれた。 なおF2型とは1942年3~5月の間にだけ使われた分類で、その後生産中の長砲身型の車輌をG型に改称された。 突撃砲 ドイツ国防軍によって歩兵支援用につくられた自走砲の一種である。 元々は敵の火点(トーチカ)を砲撃して歩兵の突破を支援するために作られた。 戦車と異なり旋回する砲塔を持たず、砲は車体上の装甲された戦闘室(ケースメイト)に搭載されている。 始めは短砲身(25口径)の砲を載せていたが、車体が低く発見されにくいことと車内のスペースに余裕があるため、長砲身の砲を載せて対戦車戦に投入されるようになった。 この場合ではおそらく75ミリ長砲身搭載の3号突撃砲のことだと思われる。 あくまで自走する「砲」という扱いのため、突撃砲は戦車兵ではなく砲兵によって運用される。 「市内の第6軍への補給は、制空権と天候に大きく左右される空輸だけに・・・」 史実では第6軍は包囲された軍の維持に必要な物資量を1日500tと計算し要求した。 これに対し空軍のゲーリングは1日300tの物資空輸を約束したが、実際には悪天候とソ連空軍の攻撃・対空砲火によりそれをはるかに下回る1日100~150t程度に留まった。 これにより第6軍の戦力は徐々に低下し、包囲環の縮小によって飛行場が次々と失われた為空輸量がどんどん低下していった。 1943年1月21日には最後に残ったグムラク飛行場が陥落し、その10日後に第6軍は降伏した。 機動反撃の橋頭堡 史実ではドン軍集団の戦線はドン川を越えてさらに西方のチル川西方まで後退しているが、ドラマでは市内から脱出した装甲兵力がスターリングラードと地続きのドン川東岸に踏みとどまり橋頭堡を維持している。 このため史実よりも容易にスターリングラードへの連絡路を切り開く反撃が可能となる。 ドン軍集団 スターリングラードの第6軍救援のため、史実では1942年11月にマンシュタインを司令官として新設された軍集団。 史実では赤軍大反攻反攻の時点ではクリミア攻略後第11軍はその兵力のほとんどを他の部隊に抽出され、マンシュタインと第11軍司令部は北方軍集団戦区のレニングラード攻略支援の為に現地に着任したばかりであった。 マンシュタインと第11軍司令部は手持ちの兵力を持たないままスターリングラード戦線に急派され、そのままドン軍集団司令部として下記の部隊の指揮をB軍集団から引き継いでいる。 史実では、 第6軍(スターリングラード市内に後退したルーマニア第3・4軍の一部を含む)) ホート集団軍(実態は第4装甲軍だが、この時点では敗走した他の軍に属する部隊を臨時に編入していた為この名称で呼称されていた) ホリト軍支隊(ルーマニア第3軍残余及び後方の警備部隊や補充部隊の寄せ集め) からなっており、その兵力は脆弱なものであったが、ドラマでは大幅に装甲兵力が増強されている。 史実では第6軍の降伏後、B軍集団の残余を吸収して南方軍集団に改称されている。 パウルス フリードリヒ・ヴィルヘルム・エルンスト・フォン・パウルス ドイツ陸軍大将。 バルバロッサ当初は第6軍の参謀長で、1942年当時には第6軍司令官。 史実では第6軍の降伏直前に元帥に叙せられたが、その直後に赤軍の捕虜となった。 一時は陸軍参謀総長候補に挙げられるほどの秀才だったが、野戦指揮官としては優柔不断な性格だったといわれている。 史実ではこの時点では上級大将であり、スターリングラードで降伏する直前の1943年1月30日に元帥に叙せられた。 第2次ハリコフ戦 1942年6月、ブラウ作戦開始直前に赤軍がハリコフ奪還を主目的として行ったいわゆる「ティモシェンコ攻勢」に始まる一連の戦闘のこと。 詳細はスターリングラード篇第1話「邂逅」で語られている。 クリミア制圧 セヴァストポリの戦いのこと。 ハンス・フォン・ゼークト少将 第一次世界大戦後厳しいヴェルサイユ条約の下でドイツ陸軍を再建した中興の祖である。 装備・火力・交通を重視し、一正面の防御作戦の実施に耐え得る軍の創設に努力した。 ヴァルター・フォン・ライヘナウ元帥 第一次世界大戦では砲兵将校として西部戦線に出征。 陸軍将校としては珍しくナチス党への積極支持を表明し、自身も熱烈なナチス党員として、さまざまな政治的謀略に加担し、ナチス党の陸軍掌握に尽力する。 優秀な軍人で、グーデリアンの提唱した装甲戦理論を支持する。 ポーランド戦では、第10軍司令官、フランス戦、ソ連侵攻に際しては、第6軍司令官として参加し、キエフ大包囲戦を成功させる原動力となった。 1942年1月17日に、司令部において心臓発作で倒れ、ライプツッヒの陸軍病院に空輸される途中、搭乗機の墜落事故で死去した。 ルントシュテット ゲルト・フォン・ルントシュテット 第二次世界大戦中の陸軍元帥。ドイツ最良の将軍の一人として知られる。 ポーランド戦、フランス戦で一軍集団の司令官として勇名を馳せる。 バルバロッサ作戦では南方軍集団司令官を務めたが、一部の部隊を独断で退却させ、12月にヒトラーから罷免され予備役となった。 作中では12月にはヒトラーはいないが、史実同様に責任を取った模様。 後任はライヘナウ。 ヴェーアマハト ライヒスヴェア ドイツ国防軍のこと。 ヒトラー政権下の1935年の徴兵制再施行以後、ヴェアマハトと呼ばれた。 作中ではヒトラーが暗殺されたのち、ライヒスヴェアに名称を戻された。 アウゲンターラー大尉 パウルスの副官。 名前は80年代に活躍したドイツのサッカー選手クラウス・アウゲンターラーからとられている 「極東戦域の海で」 パウルスは「交戦」ではなく「対峙」と言っているので、日本とドイツが戦闘状態にあるかどうかは現時点でははっきりしない。 作中のドイツはインド洋や東アジアあたりまで海軍を派遣していることが想像される。 この時点でドイツ海軍の艦艇が極東に行くのは非常に困難と思われるが、対談では英独間の戦闘は膠着、もしくは自然休戦状態にあるようにも受け取れるので、喜望峰周りでインド洋・太平洋に向かい、仏領マダガスカルや蘭印など、ドイツの支配下にある西欧諸国の植民地を足がかりに進出しているのかもしれない。 中央渡船場 ママイの丘西方、南部市街のウニヴェルマグ(百貨店)にほど近い渡船場。 北部市街の北渡船場と共に、赤軍によるスターリングラードへの援軍の上陸地点であり、最重要目標として独ソ間の激戦地となった。 ママイの丘 スターリングラード市街中央にある高地。 「102高地」はドイツ側の呼称で、数字は標高を指す。 南北両市街を一望できるため、作戦上の要所として激しい争奪戦が行われた。 現在ではスターリングラード戦の記念施設がおかれ、高さ51mの巨大な「母なる祖国像」が聳え立っている。 スターリングラードの市街はママイの丘を境に、百貨店や共産党本部などの商業・行政施設の集中した南市街と、「赤い10月」や「赤いバリケード」などの巨大工場施設とそこで働く労働者の住宅からなる北市街に分かれている。 TIPS 「ママイの丘」を「ママエフ墓地」と書かれる場合もある。 「ママイの丘」が古代ダッタン(タタール)人の古墳であった事と、 シミュレーションゲーム「Battle for Stalingrad(SPI)」が日本で発売された際、 "Mamayev Kurgan"を「ママエフ墓地」と訳したのが、そのまま浸透したものと思われる。 ある種の人間には、「ママエフ墓地」の方が馴染み深い。 参照ページ↓ http //www.mas-yamazaki.net/sixangles_stalingrad.html (気合は要るが面白いゲーム) スターリングラード全図 http //www.mas-yamazaki.net/bfsmapsample01.jpg ママイの丘=ママエフ墓地付近 http //www.mas-yamazaki.net/bfsmapsample04.jpg ママエフ墓地の伝承者↓ http //www.gamejournal.net/bknmbr/gj19/gj19.html (ゲームも手軽で面白い) ライヒスマリーネ ドイツ海軍のこと。 ヒトラー政権下での名称はクリークスマリーネ。 「私の第6軍を救う為にしんがりは務めてもらう」 史実ではパウルスはスターリングラードからの撤退をしようとしたが、ヒトラーに「どんな状況に陥ってもスターリングラードを死守しろ」と命令された為スターリングラードに残った。 また、冬の嵐作戦によるマンシュタイン配下のドン軍集団による第6軍救出は、それに呼応して包囲を突破するというパウルスの提案がヒトラーに却下されたこともあり失敗した。 この台詞から作中での6軍は、冬の嵐作戦に呼応したスターリングラード包囲の突破を行おうとしていることが予想される。 カールゲレート カール自走臼砲の別称。 ゲレートはドイツ語で「機械」・「装置」などの意。 魔女の大釜 ドイツ語でHexenkesselといい、「この世の地獄」や「大混乱」などを意味する。
https://w.atwiki.jp/kerberos-saga/pages/33.html
第6部 スターリングラード編 第1話 「邂逅」 2007年1月11日 概要 ついにスターリングラードに到着したマキ達は、装甲猟兵をさがし戦時のスターリングラードを歩きまわった。 最前線に向かうマキ達に狙撃の銃声が響き渡る。 4号の最新型 1942年9月 赤軍の三個方面軍 パウルス ジューコフ ヴァシレフスキー ティモシエンコ攻勢 バルヴェンコヴォ突出部 クライスト 三個狙撃軍と一個戦車軍 ブラウ デパート モスクワ攻略 「リストの側面を」 カフカス攻略 ドン川を左側面にしておけば グリエフ アストラハン急襲作戦 擲弾 ソ連赤軍の編成について補足 4号の最新型 四号戦車H型 四号戦車の派生型としては最多の生産数を誇る。 48口径75mm砲を搭載し、装甲の強化や新型変速機の採用など改良が加えられている。 また車台や砲塔の側面には薄い増加装甲板(シュルツェン)を備えている。 ただしH型が戦場に投入されたのは1943年春からなので、43口径75mm砲を搭載したG型にシュルツェンを装着したタイプかもしれない。 1942年9月 史実ではドイツ軍はスターリングラードを制圧中である。 10月まで戦車同士の激戦が続き、11月にはソ連のスターリングラード包囲戦が始まる。 そういった時期である。 赤軍の三個方面軍 北から南西戦線、ドン戦線、新設されたスターリングラード戦線の三つである。 パウルス フリードリヒ・ヴィルヘルム・エルンスト・フォン・パウルス ドイツ陸軍元帥。 バルバロッサ当初は第6軍の参謀長で、1942年当時には第6軍司令官。 史実では第6軍の降伏直前に元帥に叙せられたが、その直後に赤軍の捕虜となった。 一時は陸軍参謀総長候補に挙げられるほどの秀才だったが、野戦指揮官としては優柔不断な性格だったといわれている。 ジューコフ ゲオルギー・ジューコフ ソビエト連邦の軍人、政治家。 第二次世界大戦期を通じてソ連で最も活躍した軍人の一人 独ソ戦開戦時には赤軍参謀総長 1942年9月現在は赤軍最高司令官代理としてスターリングラード防衛の総指揮を担当していた。 なおジューコフは1939年のノモンハン事件(ハルハ川戦争)で赤軍の指揮をとり日本の関東軍に大損害を与えたが、この世界で同事件が発生したかどうかは不明。 ヴァシレフスキー アレクサンドル・ヴァシレフスキー ソ連軍司令官。ソ連邦元帥。 作中の時は参謀総長 ティモシエンコ攻勢 第二次ハリコフ攻防戦 ドイツ南方軍集団のブラウ作戦発動、進撃開始の前にソ連赤軍のハリコフ周辺への攻撃があった。 ドイツ軍を包囲しようとしたが、装備・熟練度とも前年の痛手から立ち直っていない赤軍は攻撃に失敗、逆にドイツ軍に包囲され、貴重な戦車戦力を多数失った。 作戦立案者のティモシェンコはこの時点では南西戦線司令官で、1942年9月現在は新設のスターリングラード戦線司令官 バルヴェンコヴォ突出部 バルヴェンコヴォはハリコフ南方にある小村で、1942年春にはここを中心に西に大きく飛び出した突出部が形成されていた。 赤軍はここを発起点として西方に向けて攻勢をかけ、ハリコフ東方の友軍と呼応してハリコフ奪回を図ろうとした。 これが上記の「ティモシエンコ攻勢」である。 一方ドイツ軍南方軍集団も同時期に突出部に対し南北から攻撃をかけ、ここに集中した赤軍部隊を包囲撃滅する作戦「フレデリクス」を計画していた。 戦闘は赤軍が機先を制する形で始まり当初ドイツ軍は苦境に立たされたが、突出部北部の部隊がハリコフ防衛に集中する間に南側の部隊が突出部の切断と赤軍の殲滅に成功。 ティモシエンコ攻勢は赤軍の敗北で終わることとなった。 クライスト 第1装甲軍司令官エヴァルト・フォン・クライスト上級大将。 ドイツの名門クライスト一族の一人で、第二次大戦を通して西部・東部両戦線で戦っている。 第二次ハリコフ戦では第1装甲軍を基幹として臨時編成されたクライスト集団軍を指揮し、バルヴェンコヴォ突出部の包囲作戦を行った。 三個狙撃軍と一個戦車軍 この時包囲殲滅されたのはソ連第6軍、第9、第57軍、ポプキン集団(戦車軍に相当) ブラウ ブラウ(青)作戦 独ソ戦を短期に終わらせることに失敗し、国内の石油事情が格段に悪くなったドイツ軍はソ連南部への攻勢を決定した。 南方軍集団により、長期戦に備えるためにとコーカサス油田地帯を確保を目的とした。 作戦内の補給線後方の防御拠点確保の為のスターリングラード制圧が、スターリングラード攻防戦へと繋がっていく。 ドン川を越えてバクーを目指す南翼のA軍集団(約100万人)と、A軍集団の側面を守りつつドン川沿いを制圧してスターリングラードを目指す北翼のB軍集団(約30万人)に分かれて、1942年6月28日一斉に進軍を開始した。 ただし作中では南方軍集団は存在しているので、この分割はなされなかった可能性がある。 デパート スターリングラードの南部市街には百貨店(ウニヴェルマグ)が存在し、激しい争奪戦の舞台となった。 この百貨店は映画「スターリングラード」にも登場する。 史実では1942年9月末には南部市街の制圧はほぼ終了しているので、マキたちがスターリングラードに入ったのはそれ以降ということになる。 モスクワ攻略 1941年10月2日より行われたドイツ軍によるモスクワへの攻略戦。 例年よりも早く冬が到来しドイツ軍の進撃は完全に停止、ソ連軍が反撃に転ずる。 ドイツ軍の戦闘車両や火器は寒冷のため使用不能に陥った。 12月5日、モスクワ攻略の失敗が明白となり、作戦は失敗に終わった。 「リストの側面を」 ヴィルヘルム・リスト元帥の指揮していたのはA軍集団だが、作中では南方軍集団は分割されていないようである。 独立した編成単位である軍集団(Heeresgruppe)ではなく、南方軍集団の指揮下で臨時の編成である集団軍(Armeegruppe)として行動しているのかもしれない。 カフカス攻略 史実ではブラウ作戦においてA軍集団はカフカス山脈北方を占領して油田地帯を押さえ、その後山脈を越えてグルジアにまでいたる予定だった。 実際には赤軍の抵抗とスターリングラードでの事態の急変でカフカス越えは実現せず、一部の山岳兵部隊が最高峰のエリブルズ山に登頂するにとどまった。 ドン川を左側面にしておけば アゾフ海に注ぐドン川はスターリングラード西方で大きくコの字型を描く形で屈曲し、カスピ海に注ぐヴォルガ川に接近していた。 両河川ともに橋を持たない大河であり、守る側にとっては自然の防壁として機能した。 マキがここで言っているのは第6軍はスターリングラード攻略に集中すべきではなく、この自然の防御線であるドン川に沿って展開させ、本来の目的であったカフカス攻略部隊の側面防御に専心させるべきであったということである。 グリエフ カスピ海北岸の港湾都市。 現在はカザフスタン共和国に属している。 アストラハン急襲作戦 第4装甲軍が研究していた「青鷺(ヘロン)作戦」のこと。 計画では、スターリングラードを8月に早期占領後、2個装甲師団と1個自動車化歩兵師団からなる快速部隊でカスピ海沿岸の都市アストラハンに進出し、バクーへの陸上交通を断ち後方の安全を確保した上で、バクーを攻略する予定だった。 擲弾 小銃の先端に差込み専用の空包によって撃ち出される小型の榴弾。 威力は手榴弾程度だが、より遠くに飛ばすことができ射手が敵に身をさらさずにすむという利点がある。 カンプピストルという信号銃から発射するタイプもあった。 ソ連赤軍の編成について補足 赤軍の編成単位は上から戦線→軍→(軍団)→師団となる。 ドイツ軍に比べて赤軍の師団兵員数は一万人前後と小規模なため、ソ連軍の戦線はドイツの軍、軍は軍団に相当する。 そのためかソ連赤軍の編成では軍が直接師団を指揮し、軍団が置かれない場合が大部分だった。 戦線には担当する作戦地域名(スターリングラード、南西部など)がつけられている。 独ソ戦初期には戦車師団が存在したが、独ソ戦初期に拙劣な作戦で壊滅的な損害を出し、また通信機器の不足から運用に問題があったため解体されより小規模の戦車旅団(おおむねドイツ軍の装甲連隊に相当)に再編成された。 さらに戦車旅団と自動車化された狙撃兵旅団からなる戦車軍団が編成されたが、これはドイツ軍の装甲師団に相当する部隊で通常の「軍団」とは異なる。 また伝統的に火力を重視する赤軍は砲兵師団、独立砲兵旅団といった大規模な砲兵部隊を数多く編成し、強力な火力支援を行っている。 戦争後半には戦車部隊を中核とした戦車軍が編成された。 またソ連軍独自の編成単位として突撃軍と親衛軍がある。 突撃軍は通常の軍に装甲部隊などを配備したもので、攻勢時の先鋒を務め戦線の突破を主任務とする。 「親衛」は功績を挙げた部隊に与えられた名誉称号で、独立した組織であったドイツの親衛隊とは性格が異なる。 どちらも通常の部隊に比べて給与・糧食・武器弾薬の配給は優遇されており、攻勢時の主役となるエリート部隊とされていた。
https://w.atwiki.jp/kerberos-saga/pages/43.html
第7部 バグラチオン編 第3話「撤退2」 2007年3月15日放送予定 概要 北へと走る装甲列車。 一時停止した列車を撮影しようとするベルンに整備したカメラと撮影機材を差し出すシュバイニ。 ベルンはシュバイニの有能さに感心するが、その一方で戦死したラウトのことを思い出し寂しさを感じる。 一方マキはダイスラーからドイツ軍が北方戦域で大規模な撤退作戦を行おうとしているという話を聞く。 それは戦争を終わらせるための決定的な局面を作り出すための作戦であるかもしれないと。 これを知ったマキは無為の中で酒に浸るマイヤーに告げる。 「あなたとあなたの部隊にはまだなすべきことがあります」 ND フラム プレッシャープレート 不凍液 「第2小隊は当番、機関要員と対空小隊以外は大休止だ!」 列車師団 マホルカ Makhorka 機械化歩兵師団 二線級の師団や速成の警戒大隊 フィンランド軍 レニングラードの包囲 キエフやロストフも奪回されてはいない。 ライヒスマリーネの水上艦やUボートによるムルマンスク封鎖 何をおいてもモスクワを陥落させるべきだった ウクライナから西を確保 「人的資源において限界に近づいて」 開発中のジェット推進航空機 長砲身砲で発射するロケット推進弾 懲罰部隊 (冒頭のカメラ機材について、詳しい方がいたら補完をお願いします。) ND カメラのレンズに取り付ける減光用フィルター フラム これについては調べがつかなかったが、おそらくは雪面で乱反射する光が入るのを防ぐためにカメラのレンズの周囲を覆うほろのようなものではないかと思われる。 プレッシャープレート フィルムがたわまないように裏面から押してぴんと張らせる部品。 不凍液 当時使用されていた不凍液にはエタノール(アルコール)やグリセリンなどがあった。 ドイツ軍が使用していたものについては調べがつかなかったが、部品洗浄に使用しているのでエタノールではないかと思われる。 なお、独ソ戦1年目の1941年の冬は歴史に残る厳冬であり、補給の不備により燃料、衣服、そして不凍液が極端に不足したため、ドイツ軍では車両の故障が頻発した。 「第2小隊は当番、機関要員と対空小隊以外は大休止だ!」 ここで列車は給水・給炭作業と食糧等消費物資の積み込みを行い、搭乗する将兵は大休止をとっているが、 第2小隊は装甲列車の周辺に展開して周辺の警戒。 機関要員は襲撃された場合の移動に備えて待機。 対空小隊はパルチザンや航空機の襲撃に備えて対空銃座で見張り。 という態勢をとっているものと思われる。 列車師団 ドイツ軍では装甲列車1個編成は大隊に相当し、その上部に装甲列車連隊が置かれる。 実際には1個編成単位で軍や軍集団管区に配備されるため、師団として編成されることはなかった。 マホルカ Makhorka ロシアの粗悪な刻みタバコのこと。 新聞紙などで巻いて吸うが、きつくて味が悪いので有名。 東部戦線を扱った小説や漫画にはドイツ兵が鹵獲品のマホルカを吸うシーンがよく出てくる。 機械化歩兵師団 歩兵が自動車や装甲車などに乗車し移動・戦闘を行う歩兵師団のことで、支援部隊や砲兵部隊も自動車化されている。 移動する装甲師団に追随できるので、その側面防御や突破口の拡大などの任務に投入されることが多い。 史実では1943年頃からその多くが戦車部隊を配備されて装甲師団や装甲擲弾兵師団(戦車大隊を保有)に改変されている。 二線級の師団や速成の警戒大隊 常に人員不足に悩んでいたドイツ軍は、占領地の警備に大損害を受けて再編成中の師団や再召集された予備役兵から編成された師団、警備任務を専任とする保安師団などを充てている。 これらの部隊のほとんどは完全編成の師団に比べると人員・装備・練度の点で劣っており、前線任務に耐えられるものではなかった。 さらに警察官、傷病から回復した兵士、三十~四十代の予備役兵などから編成した警戒大隊を編成し警備やパルチザンの捜索・掃討などに投入している。 また志願した赤軍捕虜からなるHiwis(ヒヴィス)と呼ばれる補助部隊、対独協力を申し出たロシア人やコサック、カフカスの回教徒などで編成されたいわゆる「東方大隊」と呼ばれる部隊の中にもこの任務に当たったものもある。 フィンランド軍 フィンランドはソ連からの領土割譲要求がきっかけでおきた1940~41年の「冬戦争」で敗れ、レニングラードに近い地域を割譲させられた。 そのため独ソ戦において失地回復を目指してドイツ軍と同盟関係を結んで戦った。 これをフィンランドは「継続戦争」と呼んでいる。 フィンランド軍はレニングラード包囲戦に参加したほかは奪回した領土やカレリア地方の維持といった防衛戦に徹し、積極的にソ連領土に侵攻することはなかった。 史実ではソ連の大反攻のあった1944年秋にソ連と講和し、その後はドイツ軍と戦っている。 レニングラードの包囲 北方軍集団の主要な攻略目標であったレニングラード包囲は1941年9月に始まり、史実では44年1月まで900日あまりにわたって続いた。 ラドガ湖を渡って夏は船舶、冬は氷上道路や鉄道を使って物資の輸送や住民の避難が行われたものの、約300万人の住民を養うには輸送量は絶対的に不足していた。 また輸送量の多くが市内の武器工場への資材輸送に使われたため食糧が極端に不足し、ソ連の公式発表では67万人、一説では100万人以上の市民が飢えや寒さで死亡したといわれている。 特に41~42年の冬が最悪で、人々は犬猫から鼠まで食べ、革製品を煮てスープを作り、人食いまで行われたという証言もある。 この大飢餓を耐えたレニングラードはスターリングラードと共に「英雄都市」の称号を受けている。 キエフやロストフも奪回されてはいない。 史実では赤軍によるキエフの奪回は43年11月、ロストフは42年2月に行われている。 このことから「冬の嵐」作戦は史実以上の戦果を挙げていることがわかる。 ライヒスマリーネの水上艦やUボートによるムルマンスク封鎖 作中ではアメリカが参戦していないのでイギリスのみで対ソ支援を行っているものと思われる。 またイギリスはまず自国への物資輸送を優先させなければならないので、対ソ輸送船団の護衛にまで手が回らず、劣勢なドイツ海軍の戦力でも封鎖作戦が可能になっていると思われる。 何をおいてもモスクワを陥落させるべきだった 1941年夏の時点で北方および中央軍集団戦区でドイツ軍は快進撃を続けていたが、赤軍が戦力を集中していた南方軍集団戦区においては攻勢は停滞していた。 このためヒトラーは中央軍集団の第2装甲集団を、司令官のグデーリアンの反対を押し切って南方に回す決定を下した。 このためモスクワ攻略は10月に延び、冬の襲来によって攻略戦は失敗することとなった。 もしも夏の時点でモスクワへの進撃を続行していればソ連の政治、経済の中心であり交通の要衝でもあるモスクワを占領できた可能性はある。 その場合赤軍は戦線を大きく東に後退させざるを得ず、史実よりもドイツ軍は優勢に戦えたかもしれない。 ただし、モスクワの占領によってソ連が屈服したか否か、あるいはそれがドイツ軍に可能だったかどうかについては今も議論が続いている。 ウクライナから西を確保 ウクライナ地方は豊かな穀倉地帯であり、石油、石炭、鉄鉱石などの天然資源にも富んでいる。 この地を確保すればドイツは食糧や資源の自給自足が可能となり、敵であるソ連の国力を削ぐことができる。 またウクライナは30年代の農業集団化強行の結果もたらされた大飢饉で膨大な餓死者を出し、また西部地域は旧オーストリア帝国領だったために親西欧志向が強く、開戦当初は侵攻してきたドイツ軍を解放者として迎えたものも多かった。 史実ではナチスがスラブ人蔑視政策をとり、ウクライナで過酷な統治を行った為にパルチザンの大量発生を引き起こすこととなったが、ナチスがいない今作中ではもう少し穏健な統治が行われていれば、ウクライナのドイツ勢力圏への併合(直接統治か自治政府の樹立か)はうまくいく可能性があるかもしれない。 「人的資源において限界に近づいて」 史実では1941年の段階で兵員の動員は困難な状況となり、兵員数を減らした師団や後方警備専門の弱体な保安師団が編成されるようになっている。 この傾向は戦争が進行するにしたがって悪化し、戦争末期には壮年層を動員した国民擲弾兵師団や傷病兵で編成された師団が作られるまでになっていた。 成年男子層の動員による労働力不足を史実のドイツは占領地からの労働者の徴用や強制収容所の囚人の強制労働によって補っていたが、ナチスを打倒し部分的ながら民主化を進めている作中のドイツではここまで強硬な政策はとれず、史実よりも早く人的資源に限界がきているのかもしれない。 開発中のジェット推進航空機 おそらくメッサーシュミットMe-262のこと。 世界初のジェット戦闘機はハインケル社が開発し1941年に初飛行したHe-280だが、ドイツ空軍はほとんど興味を示さず量産されることはなかった。 同時期に開発されていたMe-262は1942年夏には飛行テストが行われていたが、ヒトラーがこれを爆撃機として使用する決定を下し、エンジン開発の遅れもあって史実での実戦投入はドイツが既に制空権を喪失していた1944年にずれ込むこととなった。 作中ではジェット機の開発は史実よりも1年近く早まっているようである。 メッサーシュミットMe-262 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F Messerschmitt_Me_262.jpg 長砲身砲で発射するロケット推進弾 第5部第3話「セヴァストポリ」でエッフェンブルクが言及した「ペーネミュンデ・プファイルゲショス」のこと。 懲罰部隊 犯罪行為や命令不服従、敵前逃亡などの軍機違反を犯した将兵や国内の刑事犯、思想犯が配属された部隊。 砲火の下でのでの地雷の撤去や道路の整備、戦死者の回収・埋葬など危険で汚い任務を行わされ、その死傷率は非常に高かった。 ドイツ軍には第333、666、999の三つの懲罰大隊が存在した。
https://w.atwiki.jp/kerberos-saga/pages/32.html
第5部 巨砲吼ゆ編 第3話「セヴァストポリ Sevastopol」 2007年1月04日 放送 概要 セヴァストポリの戦い クリミア戦役 狙撃兵師団 海軍歩兵 ベトン マンシュタイン ルーマニア シュテールファング作戦 フォン・リヒトホーへン 保塁 トーチカ 準備砲撃 縦深 グスタフ ガンマ・メルツァー 対コンクリート砲弾 バフチサライ 戦闘工兵 カール トール自走?榴弾砲 マキシム・ゴリキー シュコダ モロトフ 政治委員 共産青年同盟 予備少尉 マキシム・ゴーリキーへの突入 法務官 ペーネミュンデ プフェールゲショス 「俺が聞いた話では・・・」 「砲兵の時代がくる」「戦争を支配する未来の砲兵に」 セヴァストポリの戦い 1942年、ドイツがソ連(当時)のクリミア半島にある都市「セヴァストポリ」を攻略した戦い。 当時セヴァストポリは要塞化され、難攻不落の都市とされていた。ドイツはそれに対し「グスタフ」やカール臼砲を含む1,300門の砲で攻撃。5日で陥落することとなる。 ちなみにセヴァストポリは多数のトーチカや砲塔で守られており、そこへの突入部隊は相当な犠牲を強いられた。 クリミア戦役 1853~1856年にロシアとトルコ、イギリス、フランス、サルディニアの間でクリミア半島を主戦場として戦われた戦争。 セヴァストポリはこの時も包囲され、ほぼ1年にわたる戦いの後10万とも50万ともいわれる膨大な軍民の犠牲者を出して陥落している。 狙撃兵師団 ソ連軍の歩兵師団のこと。 ロシア語のStrelkovaya Diviziyaが日本語に翻訳されたときに誤訳されたものが慣例的に使用されている。 ソ連軍の歩兵師団の兵員数は1万名前後で、1万6千~2万名からなるドイツ軍歩兵師団よりも規模が小さかった。 海軍歩兵 独ソ戦時バルト海と黒海のソ連海軍は根拠地をドイツ海軍と空軍により封鎖され、ほとんど海上作戦がとれない状況にあった。 このため水兵たちは海軍歩兵部隊として編成されてレニングラードやスターリングラードで戦い、その勇猛さは敵味方両軍を驚嘆させた。 戦後ソ連/ロシアの空挺部隊や特殊部隊は制服として水色の横縞シャツを着用しているが、これは海軍歩兵の勇敢さに敬意を表してのものといわれている。 ベトン コンクリートのこと マンシュタイン エーリッヒ・フォン・マンシュタイン ドイツの第二次世界大戦中の陸軍元帥であり、最も有能な戦略家の一人。 この時点では上級大将でセヴァストポリを攻略する第11軍司令官。 ルーマニア 大戦では枢軸国側に付きドイツと同盟を結んで東部戦線に出兵した。 セヴァストポリの戦いでは二個師団が第11軍に編入され戦っている。 史実ではスターリングラード戦で大損害をこうむり、1944年には政変によって連合国側につきドイツに宣戦布告する。 シュテールファング作戦 この作品におけるセヴァストポリ攻略作戦の名称。 ドイツ語の「Stahlfang(鋼鉄の牙)」のことと思われるが、史実では該当する作戦名を見つけられなかった。 おそらくは架空の名称。 フォン・リヒトホーへン ヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェン空軍上級大将 セヴァストポリの戦いでは第8航空軍団(作中では第8航空艦隊)を指揮してマンシュタインの第11軍の攻撃を支援した。 史実ではこの後空軍最年少の元帥となるが、終戦直後の1945年7月に脳腫瘍で病死した。 第一次世界大戦におけるドイツのエース・パイロット、レッドバロンことマンフレート・フォン・リヒトホーフェンの遠戚。 保塁 砲台のこと。 中で射撃する砲兵を敵の砲爆撃から守る重要な存在。 これがあるかないかでは、砲兵の死傷率にかなりの差が出る。 トーチカ 円形か方形もしくは六角形で、全長が数メートルから十数メートル程度、鉄筋コンクリートの厚い壁で被われている。 トーチカの壁には機関銃や大砲を射撃できるよう小さな銃眼を空けてあり、敵の砲火に対して耐久力を増すため、構造の大部分が地表面より下になっている。 トーチカは銃眼以外にはあまり穴が開いていないため、非常に死角が多い。 このため通常は複数のトーチカを並べて、相互にカバーできるよう設置される。 準備砲撃 敵陣地に対する攻撃前に行われる砲撃。 突撃の障害となる鉄条網などの障害物、敵兵のこもる塹壕やトーチカの破壊を主目的とする。 第一次大戦では敵を疲労させ心理的圧迫を加える目的で広範囲に数日にわたって行われることが多かったが、よく防御された陣地には効果が薄く、突撃した歩兵が逆襲されて大損害を出すことが多かった。 このため第二次大戦においては、狭い範囲に短時間に集中的な砲撃を加えて突破口を開けることを主目的とするようになった。 縦深 鉄条網、地雷原、塹壕、トーチカなどで構成された防御線の厚さのこと。 通常防御線は二重三重に層を成して構成され、縦深が深い(厚い)ほどその突破が困難となる。 グスタフ 80cmカノン砲を備えた、巨大列車砲の1号機。 1941年に製造された要塞攻略用の兵器であり、諸元については作中参照。 「グスタフ」の名前は当時のクルップ会長から取ったとされるが、ドイツのフォネティックコード(アルファベット1文字に固有の呼び名をつけること)における「G」でもある。 ガンマ・メルツァー 42センチ臼砲を備えた砲。 1906年から製造されている要塞攻略用の兵器。 作中でメルツァーと発音されているが実際にはメルザー(Moerser)で臼砲のこと。 対コンクリート砲弾 弾殻を厚くし、コンクリートを貫通後に遅延信管により炸裂する砲弾。 主にトーチカへの攻撃に使用された。 バフチサライ ドーラの射撃陣地が置かれた場所で、中世にクリミア半島を支配していたタタールの汗(ハーン)の御座所があった。 戦闘工兵 戦場で地雷の撤去、鉄条網の切断、爆発物によるトーチカの破壊、火炎放射器による敵兵の掃討など戦闘任務にあたる工兵のこと。 ドイツ語でのピオネール(先導者)という名称どおり常に攻撃の先陣を切って敵陣地に突入するため死傷率は高かったが、勇敢さと専門技術が必要なこの兵種はドイツに限らずあらゆる国の軍隊でエリートとして扱われた。 カール 60/54cm臼砲を備えた自走砲。 劇中では「口径60センチ」としているが、54センチ型も存在している。 トール自走?榴弾砲 トールはカール自走臼砲の別名でもあるので、榴弾砲というのは誤りかもしれない。 マキシム・ゴリキー 305mm海軍砲を載せたセヴァストポリ最大の砲塔 セヴァストポリ市街を挟んで北方にマキシム・ゴリキーI、南方にマキシム・ゴリキーIIの二つがあった。 305mm(12インチ)砲は20世紀初頭の戦艦の主砲であり、マキシム・ゴリキー砲塔は戦艦の二連装砲塔をそのままコンクリートで装甲された保塁にすえたものである。 (前にマキシム・ゴリキーという名称はドイツ側がつけたと述べたが、これについての確証が得られなかったのでこれについてはさらに調べたい) シュコダ チェコスロバキアのシュコダ社のこと。 シュコダ社はチェコの代表的な兵器メーカーであり、ドイツによるチェコ併合後その兵器生産を支えた。 モロトフ ソ連外相の名前だが、ドイツの砲兵観測班がセヴァストポリの保塁につけた名称のひとつ。 このほかにGPU、スターリン、ヴォルガなどがあった 政治委員 コミッサールとも言う。 共産圏の国において、政府が軍隊を牽制する為に各部隊に派遣した将校のことを指す。 軍とはまったく異なる指揮系統に属し、プロパガンダ、防諜、敗北思想の取り締まりのほか、兵士に対する共産主義教育や戦意の高揚活動に従事した軍隊内の政治指導者である。 任務の性格上共産主義とソ連政府に対し忠実な人物が選ばれた。 多くの小説、映画などでは無能で冷酷なキャラクターとして描かれることが多いが、実際には高度な軍事教育を受けて教育水準も高く、大粛清の影響で無能な将校が多かった野戦指揮官よりも兵士の信頼を得ているケースが多かった。 共産青年同盟 コムソモール マルクス・レーニン主義党、主に共産党の青年組織である。 コムソモールで幹部を務めた者は、将来マルクス・レーニン主義党の幹部候補となる場合も多い。 予備少尉 平時には予算やポストの不足のため士官の数は低く抑えられるが、戦時になると新設の部隊の編成や死傷者の穴埋めのため士官が大量に必要となる。 このためいったん軍務を退き予備役に編入された士官や、大学生に短期の教育を施して士官に任命した後予備役に編入した者を再召集する制度が近代行われており、これらの士官を予備士官という。 平時には民間人として生活し、定期的に再招集されて短期間の再訓練を受ける。 このため歳をとった予備士官の場合は後方での勤務につくことが多いが、作中で語られているように士官の損耗が大きければ彼らが指揮をとるケースも多かった。 マキシム・ゴーリキーへの突入 実際に突入したのは第24工兵大隊第2中隊。 作中で語られているとおり保塁内での戦闘は凄惨を極め、徹底抗戦を命じられた保塁司令部は最後まで降伏せず自爆により全滅した。 敵兵の生存者数40名というのは史実どおり。 法務官 名前どおり軍において法務(法律関係の実務、犯罪行為などの調査、軍法会議における裁判官や検事、弁護士)を行う士官。 その任務の性格上法曹資格を持つことが必要である。 ペーネミュンデ プフェールゲショス Peenemunder Pfeil Geschoss ドイツがペーネミュンデで開発していた特殊砲弾。 いわゆるRAP弾(ロケット補助推進弾)の一種でPfeil(矢)という名前どおり小翼をつけ、通常の砲弾のように大砲から撃ちだされた後、尾部ロケットでさらに加速されることによって長距離を飛翔する。 その射程距離は150kmほどであったらしく、史実では1945年に東部戦線と西部戦線でわずかに使用されたらしい。 「俺が聞いた話では・・・」 エッフェンブルグが言う兵器は、フォン・ブラウンが開発したV2ロケットのこと。 第二次世界大戦中の1944年にドイツが開発・実用化した世界で最初の軍事用液体燃料ロケット(弾道ミサイル)である。 ロンドンをはじめ、ベルギー、フランス、イギリスなどに発射された。 誘導システムが初歩的で特定の目標を狙うことができず、コストも爆撃機と比べ高く軍事的な効果は低かった。 しかし、音速以上で飛来し着弾の前に何の警告も無く、当時存在したいかなる兵器を用いても迎撃は不可能だった為1944年当時には爆撃機を敵地に向かわせるだけの力がなかったドイツにとって報復兵器たりえた。 ペーネミュンデはドイツの東部にある地名でロケット研究センターがあった。 「砲兵の時代がくる」「戦争を支配する未来の砲兵に」 大陸間弾道弾や核のにらみ合いの事などを指しているのだろうか? それとも現在よりもさらに後の、未来の戦争に対する押井守の予想や意見だろうか?
https://w.atwiki.jp/preciousmemories/pages/7391.html
ケルベロス ケルベロスがデザインされたカード群。 カードキャプターさくら時点で10種類が存在する。黄色のカードが多い。 全てのカードが【封印の獣】を持つ。 クロウカードの守護者。あだ名は「ケロちゃん」。 さくらの力を認めてカードキャプターにした。 長い間大阪で封印されていたため、関西弁をしゃべる。 声優は久川綾。 カード一覧 《ケルベロス(031)》 《ケルベロス(032)》 《ケルベロス(045)》 《ケルベロス(046)》 《ケルベロス(047)》 《ケルベロス(048)》 《ケルベロス(062)》 《ケルベロス(063)》 《ケルベロス(084)》 《ケルベロス(085)》 コンビ 《木之本 桜&ケルベロス(025)》 《木之本 桜&ケルベロス(026)》 《木之本 桜&ケルベロス(027)》 《木之本 桜&ケルベロス(083)》 《木之本 桜&ケルベロス(P001)》 《木之本 桜&ケルベロス(P002)》 《木之本 桜&ケルベロス(P003)》 《木之本 桜&ケルベロス(P005)》 《木之本 桜&ケルベロス(P007)》 《木之本 桜&ケルベロス(P009)》 支援カード 《仲良しコンビ》 《ケロちゃん福笑い》 関連項目 『カードキャプターさくら』 【封印の獣】 木之本 桜 大道寺 知世 キュゥべえ 編集
https://w.atwiki.jp/socmyth/pages/124.html
ケルベロス(古代ギリシア語:Κέρβερος [Kérberos])は、ギリシア神話に登場する三つの頭を持つ犬の怪物。 参考Webリンク ケルベロス - Wikipedia Cerberus - Wikipedia Κέρβερος - Wiktionary 作品 パズル ドラゴンズ ケルベロス 地獄の番犬・ケルベロス 冥界の闇番犬・ケルベロス ケルベロスライダー ケルベロスライダー・ジゼ モンスターストライク ケルベロス 地獄狼ケルベロス タグ ギリシア神話 古代ギリシア語
https://w.atwiki.jp/kerberos-saga/pages/17.html
第3部 電撃戦編 第2話 「西方研究」 StudiumWesten 2006年10月12日 放送 解説 1次大戦における浸透戦術が電撃戦へと実際に移行していく過程を解説。 グデーリアンによって為された電撃戦の事実。 バイスバイラーの目標、シュトゥッツ・トルッペの進化系の最終目的である機械化歩兵。 その前身たる部隊として装甲猟兵部隊は作られたこと。 マキの私的の作戦と知りながらも、ホラーバッハ、ラウトともにマキについて行くことを示す一幕。 そしてポーランド戦がはじまる。 ブリッツクリークという言葉 グデーリアン モルトケ ゼークト 2正面作戦を余儀なくされる シュリーフェンプラン シュトゥッツ・トルッペ フライコール カポレット エルヴィン・ロンメル J.F.C.フラー 計画一九一九 リデルハート プラタイアイの戦い パヴィアの戦い レオ・フライヘーア・ガイル・フォン・シュヴェッペンブルク中将 「チェコスロバキアで獲得されたそれ」 MG34 ブリッツクリークという言葉 ブリッツ(Blitz)は、ドイツ語で雷撃・電撃を意味する言葉。クリークは戦争。 現在では危険性も大きいが見返りも大きいギャンブル性の高い戦術、作戦を指すようになった。 ドイツ的なるものとはこのギャンブル性を指してのことか? グデーリアン ハインツ・グデーリアン ドイツの軍人。 第二次世界大戦の緒戦の大勝利を飾った電撃作戦の生みの親であり、またそれを実践した最高級の野戦軍指揮官。 戦車部隊の集中運用により、第二次世界大戦でドイツに大勝利をもたらした。 最終階級は上級大将。 フランス戦時には侵攻の主力となったA軍集団クライスト装甲集団麾下の第19装甲軍団を指揮してアルデンヌ突破の先鋒を務め、ドイツ軍の大勝利の立役者となった。 モルトケ ヘルムート・カール・ベルンハルト・グラフ・フォン・モルトケ プロイセン王国の軍人。陸軍参謀総長として天才的な手腕を見せ、対デンマーク戦争(1864年)、対オーストリア戦争(1866年)、対フランス戦争(1870-1871年)に勝利してドイツ統一に多大な貢献をした。 その極めて高い知性と控えめで繊細な性格から「七ヶ国語で沈黙する男」との異名をとった。 ゼークト ハンス・フォン・ゼークト少将 第一次世界大戦後厳しいヴェルサイユ条約の下でドイツ陸軍を再建した中興の祖である。 装備・火力・交通を重視し、一正面の防御作戦の実施に耐え得る軍の創設に努力した。 ワイマール共和国下では兵務局局長(兵務局は連合国より設立を禁止されていた参謀本部の偽装名)、陸軍総司令官を歴任。 退任後は蒋介石の軍事顧問となり、日本と戦っていた中華民国軍の作戦指導を行っている。 2正面作戦を余儀なくされる 実際にドイツは東部戦線と西部戦線の2つを同時に進めていた シュリーフェンプラン この作戦においてはドイツ軍の侵攻兵力は北方のベルギー、オランダとの国境地帯に配置された右翼と、独仏が直接国境を接するアルザス・ロレーヌ地方に配置された左翼に分けられた。 侵攻主力である右翼は作戦開始と同時に南北に並んだ部隊がオランダ、ベルギーを通過して南を回転軸に反時計回りに大旋回しつつパリに向かって進撃し、右翼北端はパリを巻き込むような形でこれを包囲、軍勢はさらに南方に向かって旋回を続ける。 左翼は伝統的な侵攻ルートであるアルザスに集結したフランス軍主力に索制攻撃を行った後後退して国境地帯に誘い込み、敵を引きつけ続けて北方への移動を阻むことが主任務となる。 最終的にはパリ南方で旋回を終了した右翼が背後から敵主力を襲い、これに呼応して国境から前進した左翼と共にこれを包囲し殲滅する。 敵が左翼に圧力をかけるほど右翼の進撃が容易になることから、シュリーフェンはこれを「回転ドアの兵理」と呼んでいた。 敵の裏をかくという意味では優れた作戦ではあったが、いくつかの重大な問題がこの作戦には存在した。 1)対仏戦には本来無関係なベルギー、オランダに侵攻することでおきる国際的な対独感情の悪化を無視している。 2)長大な距離を進軍する右翼の歩兵・軍馬の疲労や補給線の長大化を、これもまた無視している。 3)作戦の性格上ドイツ全戦力のほとんどを投入する必要があり、東部戦線におけるロシアの動員の遅れを当てにしなければならない。 などである。 これらの欠陥は第一次大戦において露呈し、ドイツ軍は泥沼の消耗戦へと陥ることとなる。 しかし大戦後もシュリーフェン・プランは金科玉条として扱われ、第二次大戦においてもマンシュタインによるアルデンヌ突破というアイディアが生まれるまで、ドイツ軍の対仏侵攻作戦はシュリーフェンの焼き直しのままであった。 一方のフランス側はアルザス地方に長大なマジノ線要塞群を建設して策制攻撃に備え、ドイツの侵攻時にはベルギーに進出した軍主力による防衛線を形成してこれを迎え撃とうとしたが、フランス戦ではこの二つの防衛線の間隙をついたマンシュタイン・プランによって完全に裏をかかれることとなった。 シュトゥッツ・トルッペ ドイツ突撃歩兵。 第一次対戦中に、イギリス軍の戦車による塹壕突破に対し、ドイツ軍が塹壕を突破するべく訓練された部隊。 浸透戦術を行う部隊である。浸透戦術は電撃戦の前身とも言える戦術である。 シュトゥッツ・トルッペというのは誤りで、正しくはシュト-ス・トルッペン(Stosstruppen)もしくはシュトルム・トルッペン(Sturmtruppen)。 なお塹壕に侵入して白兵戦を行う突撃歩兵は機関銃や先を研いだスコップ、手榴弾などで武装していたが、身を守る為鉄製の仮面やガスマスク、鉄板を加工した鎧状の胴着を着用することもあり、その姿はプロテクトギアを思わせるものがある。 フライコール 第一次大戦後にドイツ軍の退役軍人によって組織された義勇軍団。 1919年11月の休戦と帝政の廃止後、旧ドイツ軍は暫定国軍として大幅に縮小され、多くの将校・兵士が退役を余儀なくされた。 一方ドイツ国内と革命によってロシアの支配から離れたフィンランドやバルト諸国などではドイツ社会主義革命を目指す左翼勢力による暴動や政権奪取の試みが相次ぎ、内乱状態となった。 これを憂慮した軍部及び資本家達は退役軍人達に密かに武器・資金を供与してフライコールを組織、この兵力を以ってドイツ国内外において暴力的に左翼勢力の弾圧を行った。 その行状は過酷なもので、裁判を経ない銃殺や虐殺行為も頻発した。 フライコールの多くはその後解散したが、その人員の中にはナチスの突撃隊(SA)に流れ込んだ者も多く、シュタールヘルムのように政治団体として1930年代まで活動を続けたものも存在する。 カポレット 1915年、連合軍側に立って参戦したイタリアとオーストリアの北イタリアにおける戦いは数次にわたる会戦によっても勝負はつかず、戦線はイタリア国境にわずかに入ったところで膠着していた。 しかし1917年に入って攻勢に出たイタリア軍は戦線をわずかだが押し戻し、オーストリア軍は劣勢となった。 事態を重く見たドイツは12個師団からなる軍を派遣、1917年10月末にカポレットにおいて浸透戦術による突破作戦を開始した。 この結果ドイツ・オーストリア両軍は半月で100km近い前進に成功、イタリア軍に60万近い兵員の損失をもたらす大勝利を収めた。 この後援軍として派遣された英仏軍により戦線の崩壊は食い止められ、以後休戦まで再び戦況は膠着状態となるが、カポレット戦は会戦劈頭のタンネンベルクの戦いと並ぶ巧みな用兵により完璧に近い勝利をもたらした戦いとして戦史に名を残すこととなる。 エルヴィン・ロンメル 第二次世界大戦中最も有名なドイツ軍人の一人。 北アフリカ戦線において巧みな戦闘指揮で戦力的に優勢なイギリス軍をしばしば打ち破り、英首相チャーチルよりナポレオン以来の戦術家と評される。 砂漠の狐と仇名されるほど。 捕虜を非情に丁寧に扱い、ヒトラーに捕虜殺害を命じられても、国際法の遵守を最後まで通し抜いた。 東側戦線がメインとなるこの作品では影が薄い。 フランス戦ではベルギー攻略を担当したB軍集団麾下の第7装甲師団を指揮し、上層部ですら所在をしばしば見失うほどの急速な進撃を行いフランス軍に混乱と敗走をもたらした。 これにちなみ、第7装甲師団には「幽霊師団」という異名が付けられている。 J.F.C.フラー 英国の軍人で戦車戦の理論家。 かれが先鞭をつけた戦車による電撃進攻作戦は英軍では受け入れらず、ドイツ陸軍に採用された。 計画一九一九 フラーが1918年に立案した対独攻勢計画。 ドイツ軍の浸透戦術の有効性を評価したフラーは、高速で移動可能な戦車が航空機の支援を受けて速やかに戦線を突破して後方の司令部を殲滅、指揮系統を混乱させることでドイツ軍の戦線を崩壊に導こうという構想を立てた。 この構想実現のために必要な高速戦車開発のめどをつけたフラーは計画書を作成し本国に提出し、これが最終的に「計画一九一九」として知られることとなる。 フラーの構想は翌年にドイツが休戦したことで実現を見ず、戦後は陸軍の戦車に対する無理解もあって本国ではこの構想を「拡大奔流戦略」へと広げたリデル=ハートなど極少数の賛同者の他は顧みられることはなかった。 しかし皮肉なことに、かつての敵国ドイツにおいてグデーリアンがこの構想に着目し、やがて電撃戦構想として結実することとなる。 リデルハート バジル・ヘンリー・リデル=ハート 英国の戦史研究家もしくは戦略家。あるいは、日本で言うところの軍事評論家。 機甲部隊の有効性を唱えた最初期の理論家。その正しさは第二次世界大戦で実証された。 なおリデルはファーストネームではなく、リデル=ハートで一つの姓である。 プラタイアイの戦い ペルシャ戦争(BC500~448)においてアケメネス朝ペルシャ帝国軍とアテネ・スパルタ連合軍の間で戦われた戦闘。 この戦闘でギリシャ側は鎧兜を付け盾と槍で武装した重装歩兵の密集陣(ファランクス)でペルシャ軍の弓兵と騎兵の攻撃をはねのけ、勝利を得た。 この後重装歩兵の突進による敵陣の破砕は古典世界における戦闘のスタンダードとなった。 パヴィアの戦い 西暦774年シャルルマーニュが率いるフランク王国がランゴバルド王国の軍勢を撃破し、同国を併合して欧州におけるフランク王国の覇権を確立した戦い。 この戦いにおいてフランクの甲冑と長槍で武装した重装騎兵は、守りを固めていたランゴバルドの陣営が予期していなかった側面からの急襲を行い、彼らを壊走させた。 以後中世の騎士物語に見られるように重装騎兵は戦場の花形となる。 しかし皮肉なことにこの8世紀後の1525年に戦われた同名の戦いで、フランス軍の重装騎兵の突進はスペイン軍の火縄銃の集中射撃の前に敗れてその役割を終えることとなった。 レオ・フライヘーア・ガイル・フォン・シュヴェッペンブルク中将 プロイセン生まれのユンカーで、フライへーア(男爵)の爵位を持つドイツ軍人。 代々の騎兵将校で元々は戦車に好感を抱いていなかったが、イギリスに武官として派遣されていた時にフラーら英軍戦車将校との知遇を得、彼らとの交流を通して戦車戦の支持者となった。 しかしフランス戦では先任であった彼の頭ごなしにグデーリアンが装甲軍団の指揮官に任命され、シュヴェッペンブルクはC軍集団麾下の第24軍団を率いてマジノ線への策制攻撃を行うこととなった。 この事はグデーリアンと彼の指揮下に置かれた装甲師団の師団長たちとの間に緊張をもたらした。 さらに常に前線にいたグデーリアンがしばしば指揮系統を飛ばして直接現場の部隊に指示したことで、一時グデーリアンと師団長たちの関係は険悪なものとなっている。 シュヴェッペンブルクは史実ではその後フランスに配備された装甲師団を統括する西方装甲集団の司令官となったが、部隊の配置を廻ってノルマンディ地区の防衛を担当したB軍集団司令官ロンメルと対立。 ノルマンディ戦後に予備役に編入となり終戦まで現役に復帰することはなかった。 「チェコスロバキアで獲得されたそれ」 スコダLT-35、LT-38、等の戦車のこと、またその他の車両も含まれると思う。 MG34 1934年に制式化され製造されたドイツの機関銃である。 空冷式で、7.92mmモーゼル弾を使用 高い発射速度や過熱しても簡単に銃身交換が可能なメカニズムを持ち、三脚を取り付ければ長距離射撃可能な重機関銃、そのままなら歩兵が携行して移動可能な軽機関銃としても用いられる世界最初の汎用機関銃として、戦後の機関銃開発に大きな影響を与えた。 歩兵用の主要機関銃としてだけでなく戦車用の機銃や、航空機の防御用兵器として終戦まで使われ続けた。 しかしMG34は高価であり、常に拡大し続けていたドイツ軍の各戦線への各種要望に応えることができなかった。 さらに、汚れに過敏な傾向にあり、ジャミングを起こすことが多かった。 史実では構造を簡略化したMG42が戦争中盤より配備されている。
https://w.atwiki.jp/shintouroku/pages/178.html
Cerberusケルベロス魔獣ギリシア----------出典----------ギリシア神話 3つの犬(または狼)の首を持ち、蛇の頭の尻尾を持った地獄の番犬。 その名は、『底無し穴の霊』を意味する。 魔獣の母エキドナと災害の化身テュポーンの子供で、キマイラの弟で、オルトロス、ラドン、ヒュドラの兄に当たる。 ヘシオドスの『神統記』によれば、50の首と青銅の声を持つとされる。 冥府の入り口であるハデスの河の対岸を棲家にしており、ハデスの許可なく出入りしようとする者を見張っている。 ギリシア神話では、英雄ヘラクレスの12の難行の一つにケルベロスを生け捕りにするものがあった。ヘラクレスは、ネメアのライオンの革を身にまとってケルベロスを捕らえた。この時、ケルベロスは地上に引きずり出されたが、太陽の光に驚いて吠えた際に唾液が飛び、そこから猛毒を持ったトリカブトが発生した。 美しい歌声に弱く、詩人オルフェウスは竪琴と歌声でケルベロスを魅了し、眠らせて、地獄の門を通過した。 18世紀のイギリスの作家、ザカリー=グレイはケルベロスの3つの首は過去、現在、未来を表しており、ヘラクレスは、万物を風化させる“時間”に打ち勝ったのだと解釈している。 ネットワークにおいて、クライアントとサーバの身元確認の認証プログラムが「ケルベロス認証」と名づけられ、門番の役割を果たしている。