約 179,536 件
https://w.atwiki.jp/memotyors/pages/261.html
ベリアル(Belial、Beliar、Berial)は、悪魔、堕天使の一人。その名は「無価値なもの」、「悪」、「反逆者」を意味するとされている。 ユダヤ教におけるベリアル トーラー中に、ベリアルという単語は複数の箇所において「邪悪な者」もしくは「無価値なもの」を指す用途で現れる。以下のようなものを指して用いられている。 偶像崇拝者(『申命記』13 13) ギベアの男達(『士師記』19 22, 20 13) エリの息子達(『サムエル記上』2 12)、ナバル(『サムエル記上』25 17)、シメイ(『サムエル記下』20 1) 死海文書 死海文書の一つである『光の子達と闇の子達の戦い』』(War of the Sons of Light Against the Sons of Darkness)(1QM)において、ベリアルは闇の子達の指導者である。 'だが、破壊のために神は敵意の天使ベリアルを創りたもうた。彼の支配地は闇の中にあり、彼の目的は邪悪と罪を振りまくことである。彼に関わる精霊たちは薬の一種である Sweed の天使たちに他ならない。' キリスト教におけるベリアル 新約聖書 新約聖書においてベリアルの名は、『コリントの信徒への手紙二』に登場する。 「キリストとベリアルの間に何の調和があるか?」(『コリントの信徒への手紙二』6 15) 上記の記述を元に、ベリアルをサタンの別名の一つとする考えもある。 バルトロマイの福音書 新約聖書正典では『コリントの信徒への手紙二』のみ言及されているベリアルだが、外典では『バルトロマイの福音書』(Gospel of Bartholomew)(または『バルトロマイの質問』(Questions of Bartholomew))において大きく取り扱われている。同書によると、ベリアルはバルトロマイに向かって、かつては神の使者という意味であるサタナエルと呼ばれていたが、神の似像を拒否した後は地獄(タルタロス)を管理する天使を意味するサタナスと呼ばれるようになったこと、自らが神によって造られた第一の天使であり、ミカエル、ガブリエル、ウリエル、ラファエル、ナタナエルらがベリアルに続いて造られたことを語ったという。 イエスへの訴訟 法律に精通していたベリアルは自身の巧みな弁舌を武器にイエスを訴えたという。 神と悪魔の裁判というテーマは、神及びキリストの権威の正当性という神学的問題を訴訟の形を取って解決し、もってキリスト教会の権威と正当性を確立しようとしたもので、中世において広く行われた。そのテーマに沿って記された文書のうち最も著名なものが、ヤコブス・デ・テラモによって1382年に記された「この不愉快なるベリアルの書」、通称「ベリアルの書」である。 「ベリアルの書」による訴訟の顛末 ベリアルは地獄の利益の公認代表者として、神に「イエスという個人が地獄の権利に干渉し地獄、地上及びそこに住む者の支配権を強奪した」と訴えた。 イエスはモーゼを弁護人とし、訴訟は裁判官であるソロモン王が裁決する事となった。ベリアルは裁判を有利に運ぶため、ソロモン王の機嫌を取り結ぼうとするが、判決はイエスに有利となり、ベリアルは控訴した。 控訴審において、もう一人の裁判官であるエジプト王の代理ヨセフがオクタヴィアヌス帝、アリストテレス、エレミア、イザヤから成る委員会と共に問題を討議した。 その結果、最終的にイエスは無罪となるが、サタンには最後の審判の後、不正として地獄に堕とされた者全てに権威を振るって良いことが確認された。 悪魔学におけるベリアル 聖書にも登場している高名な悪魔であるベリアルは、悪魔学においても重要視され、多くのグリモワールにおいて名を挙げられている。 『ゴエティア』によるとソロモン72柱の魔神の1柱で、序列68番の強大にして強力な王であり、80軍団を率いている。ルシファーに次いで創造された天使であり、天上にあってはミカエルよりも尊き位階にあったと自ら語るという。また、ベレト、アスモダイ、ガープと並んで72柱の悪魔達を率いていたとされる。燃え上がる戦車に乗り、美しい天使の姿で現れる。地位や敵味方からの助力をもたらし、また、優れた使い魔を与えてくれるとされる。しかし、ベリアルは召喚者が生贄を捧げないと要求に対して真実を答えようとしないという。 ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパの『隠秘哲学』によれば、悪魔の位階において「不正の器」と呼ばれる第3位階の君主であるとされる。 『術士アブラメリンの聖なる魔術の書』ではルシファー、レヴィアタン、サタンと並んで4人の上位君主(Four Superior Princes)として名を挙げられている。 コラン・ド・プランシーが『地獄の辞典』で地獄の宮廷を紹介するところによれば、ベリアルはトルコ大使であるという。 文学作品におけるベリアル ベリアルの名は文学作品においても採り上げられることがある。 イギリスの詩人ジョン・ミルトンの『失楽園』においては、「天から堕ちた天使のうち、彼ほど淫らで、また悪徳のために悪徳を愛する不埒な者も、他にはいなかった」と歌われる。また、「天から失われた者で、彼以上に端麗な天使はいなかった。生まれつき威厳に満ち、高邁」とその美しさをたたえられているが、同時に「それはすべて偽りの虚飾に過ぎなかった」と否定されている。 また、ヴィクトル・ユーゴーの『海に働く人びと』においては、プランシーの『地獄の辞典』と同様にベリアルは地獄からトルコに派遣された大使として名前が挙げられている。
https://w.atwiki.jp/occultfantasy/pages/1037.html
トビト記(Book of Tobit) 旧約聖書外典?のひとつで、カトリック教会では第二正典?として聖書に含んでいる書物。 プロテスタントでは「第二正典」とされるこれらの書物を聖書とは認めていない。 律法に忠実な信仰者トビトとその息子トビアの物語が綴られる。息子トビアと天使ラファエルが変化した人物アザリアの旅、トビアがアスモデウスを撃退し、この悪魔に憑かれていたサラと結婚するエピソード、視力を失った父の目を癒すシーンは有名。 トビト記(Book of Tobit) 批判施し・慈善の扱いへの批判 呪術を含むという批判 史実に反するという批判 反論 参考サイト 批判 プロテスタントの側から第二正典への批判がなされることがある。トビト記の場合、以下の批判がある。 施し・慈善の扱いへの批判 施しは、それをするすべての者にとっていと高き方の御前にささげる善い捧げ物となる。(4章11節) 慈善の業は、死を遠ざけ、すべての罪を清めます。慈善を行う者は、幸せな人生を送ることができます。(12章9節) イエスの血によってあらゆる罪が清められる(ヨハネによる第一の手紙1章7節)が引用され、否定される。 呪術を含むという批判 天使ラファエルは言った。「捕まえなさい。しっかりと魚を捕まえて話さないように。」そこでトビアは魚をしっかりと捕まえて、陸に引き揚げた。ラファエルは言った。「魚を切り裂き、胆のうと心臓と肝臓を取り出して取って置きなさい。ほかのところは捨ててしまいなさい。魚の胆のう、心臓、肝臓は薬として役に立つからです。」そこでトビアは魚を切り裂き、胆のう、心臓、肝臓を集め、身は焼いて食べ、残りはまとめて捨ててしまった。二人は共に旅を続け、ついにメディアの近くにたどりついた。(6章4節-6節) 魚の内臓の薬効を語った後、悪魔祓いの効用もあると語られる。 そこで、トビアはラファエルに尋ねた。「兄弟アザリア、魚の胆のう、心臓、肝臓にはどんな効き目があるのですか。」そこでラファエルは答えた。「魚の心臓と肝臓は、悪魔や悪霊に取りつかれている男や女の前でいぶしなさい。そうすれば、悪霊どものどんな力も消えてしまい、今後一切その人に及ぶことはありません。胆のうは、目にできている白い膜に塗り、そんの部分に息をふきかけなさい。そうすれば、目は良くなります。」(6章7節-9節) 8章冒頭でトビトはラファエルに教わった方法で悪魔アスモダイを退ける。 モノ(この場合内臓)を使って超自然的な効果を発揮させる点が、批判者の目には呪術として映ったのだと考えられる。 史実に反するという批判 わたしがまだ若くして故郷イスラエルにいたとき、父祖ナフタリの部族はこぞって先祖ダビデの家とエルサレムから背き離れた。このエルサレムはすべてに部族のためにいけにえを捧げる目的で、イスラエル全体によって選び出された町である。此の街には神の住まいである神殿が代々限りなく続くようにと聖別され、建てられていた。 親族全員と父祖ナフタリの一族は、北イスラエルの王ヤロブアムがダンで造った子牛に、ガリラヤの山々でいけにえを捧げていた。(1章4-5節) わたしはアッシリアに捕囚の身となり、ニネベの町に連れて来られた。そこでは、親族、同胞の者たち皆、異教徒の食事をしていた。(1章10節) こうしてトビトは賛美の祈りを終えた。彼は百十二歳で安らかに息を引き取り、ニネベで手厚く葬られた。(14章1節) トビトは北の部族での反乱(紀元前997年)とニネベへの捕囚(紀元前740年)を体験した。250年以上の開きがあるにも関わらず、彼は102年しか生きていない。 反論 呪術、とする批判に対して、プロテスタントが認める旧約聖書や新約聖書でもモノを介して奇跡を起こす描写があると述べられる。 イエスの十二人の弟子たちが、イエスの命のもと塗油によって病気直しをする(マルコ6章13節) 目の見えない人に対し、イエスが唾を目につけ、両手をかぶせて癒す(マルコ8章23節) イエスが地面に唾をし、土をこねて目に塗って癒す(ヨハネ9章6-8) 預言者エリシャが塩を使い、「主はこう言われる……」と述べて水の源を清めた。(列王記? 下2章21節) トビト書の記述が呪術なら、プロテスタントの正典にもある奇跡も呪術になってしまう、という意見である。 また魚をとり、切り分ける作業、そして内臓に象徴を見出す観点もある。魚を取り、分ける行程は旧約での生贄の反映であり、心臓は神と隣人への愛、肝臓はいのちから罪を除くこと、胆のうは、苦しみを伴なう自制とその効用、とみられる。魚からとられた部位を精神に有益な薬の象徴とする。 史実に反するという批判に対しては、ダニエル書?でネブカドネザルがベルシャザルの父(5章2節-30節)と書かれているが、史実ではナボニドスが父である。よって、歴史的「矛盾」も問題にならないとする。 n*参考文献 新共同訳 聖書 旧約続編つき トビト記の引用はこの翻訳によった。このほか教文館の聖書外典偽典、フェデリコ・バルバロ訳の聖書にトビト記の翻訳が収録されている。 参考サイト プロテスタント The Apocrypha Is it scripture?(CARM) Errors in the Apocrypha(CARM) Reasons why the Apocrypha does not belong in the Bible(CARM) What About the Apocrypha? カトリック COUNTING THE CANON(catholic.com) The book of Tobit and Magic. (Catholic Answers forum) Saving Judith and Tobit(catholic.com)
https://w.atwiki.jp/minnasaba/pages/2394.html
【元ネタ】史実 【CLASS】キャスター 【マスター】 【真名】ヨハネス・グーテンベルク 【性別】男性 【身長・体重】182cm・70kg 【属性】中立・中庸 【ステータス】筋力E 耐久E 敏捷D 魔力B 幸運C 宝具? 【クラス別スキル】 陣地作成:B 魔術師として自らに有利な陣地を作り上げる。 書物を製造する"印刷所"を作成可能。 道具作成:B 魔力を帯びた器具を作成できる。 印刷機や金属を加工する道具などが製作可能。 【固有スキル】 商才:D 巧みな話術で商談を有利に進める。 しかし生前には共同事業者から訴訟を起こされ、発明品の印刷機と活字、印刷済みの『聖書』などを押収されその技術を奪われることとなった。 キャスターは印刷物に自身の名と印刷した日付を入れていなかったのもあり、印刷技術の発明者は誰なのか長年混乱があったという。 文化の開拓者:EX 人類史において文化的なターニングポイントとなった人物に与えられるスキル。 キャスターは印刷技術を確立した事で『聖書』などの書物の大量生産に成功した。 この事は後にルネサンス、宗教改革、啓蒙時代、科学革命に繋がり、人類文明に多大な影響を与えたことで当スキルを獲得した。 大量生産(書):A+ キャスターの発明が導いた今日に至るまでの世界の姿。 元となる原本が存在する書物・文書であれば印刷という形で数限りなく量産できる。 原本に記された文章・情報はもちろん、魔導書における呪文などの効果も内包した神秘こそ分散してしまうものの、再現することが可能。 帳尻を合わせる為に素材こそ消費されているものの、印刷によってもたらされる恩恵に比すれば微々たるものである。 魔本の支配者:EX 多様な印刷物を取り扱うキャスターの在り方を示すスキル。 キャスターは正規の魔術師ではなく魔術の素養も無いが、聖書に由来する秘跡や魔導書に記された呪文など、 印刷された書物自体が有する神秘によって魔術を行使することが出来る。 【宝具】 『啓蒙の揺籃(グーテンベルク・インキュナブラ)』 ランク:E~A++ 種別:対民宝具 レンジ:不明 最大捕捉:不明 それまで限られた人々の間でしか読まれていなかった『聖書』をキャスターの印刷技術によって量産し、その信仰を世界的なものへと押し上げた功績が昇華された宝具。 真名解放により無数の紙片が飛び交う大結界を形成し、対象の英霊または魔術基盤の一部情報を紙片にコピーすることで対象の知名度補正を最大まで上昇させる。 これにより、その土地では無名に等しい英霊や魔術でも本来備えるポテンシャルを十全に発揮することが可能となり、 ポテンシャルにもよるがトップサーヴァントとも渡り合うほどの性能を発揮し得る。 なおコピーされる情報は表面的かつ最低限のものであるため神秘の秘匿にも配慮されている。 民衆達を啓蒙し、神秘への信仰を普遍のものとする、「世界信仰拡大」───対民宝具。 【Weapon】 『黒鍵』 聖堂教会の代行者達が使用する、霊的干渉力に重きを置いた悪魔祓いの護符の一種。 聖書の頁を展開し、魔力を通すことで刀身が精製される。 キャスター自身は聖職者ではないものの、活版印刷技術による聖書の普及によって 聖堂教会の魔術基盤である『神の教え』を遍く広めた功績により、この礼装を精製することが赦されている。 ただし、『黒鍵』は代行者にとっても扱いが難しく愛用者の少ない武装であるため、 戦闘の逸話を持たないキャスター自身が精製した武装を使用することは困難を極める。 【解説】 マインツの金属加工職人。 活版印刷技術の発明者として、広く知られている。 彼の生い立ちは謎に満ちているが、上流階級の商人の子であるという説が最も有力である。 1450年ごろ、鋳造活字を使った印刷機を考案してマインツで印刷所を開業。 初めて旧約・新約聖書を活版印刷術を利用して印刷し、 その聖書は「グーテンベルクの聖書」として知られ、 この聖書は美麗で技術的にも高品質だと賞賛されている。 金属活字を使った印刷術を発明したことで印刷革命が始まり、 それが一般に中世で最も重要な出来事の1つとされ、活版印刷はルネサンス、宗教改革、啓蒙時代、科学革命の発展に寄与した。 印刷技術は羅針盤、火薬とともに「ルネサンス三大発明」の一つにあげられる。 マインツが司教同士の対立に巻き込まれ、アドルフ2世大司教に従う軍勢の略奪によってグーテンベルクは自宅と印刷所を失った。 一度は全てを失ったと思われたが、印刷術考案の功績を讃えてアドルフ2世大司教の宮廷に従者として召し抱えられる栄誉を得た。 その三年後、グーテンベルクはひっそりとこの世を去った。
https://w.atwiki.jp/bokuserve/pages/3365.html
【元ネタ】アーサー王伝説 【CLASS】ライダー 【マスター】 【真名】ベルシラック・ド・オーデゼール 【性別】男性 【身長・体重】185cm・88kg 【属性】秩序・善 【ステータス】筋力C 耐久B 敏捷B 魔力B 幸運E 宝具B 【クラス別スキル】 対魔力:D 一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。 魔力避けのアミュレット程度の対魔力。 騎乗:A+ 騎乗の才能。獣であるのならば幻獣・神獣のものまで乗りこなせる。 ただし、竜種は該当しない。 【保有スキル】 神性:-(C) 緑の騎士は新たな太陽英雄に対する古き太陽神、 或いは夏季の“樫の王”と争う冬季の“柊の王”の姿だという。 アーサーの騎士としての彼はその特性を失っており、 帯の返還でも受けない限り取り戻す事はない。 変化:C 義母である魔女アゴスティーズに姿変えの術を学んでいる。 洗礼詠唱:B++ 教会流に形式を変化させた魔術。霊体に対して絶大な効果を及ぼす。 聖書の恩恵により、サーヴァントの昇華や成体となった悪魔憑きへの干渉が可能。 太陽の帯:EX 果たされなかった獲物交換の約束、緑の帯への返報。 一日だけ聖者の数字スキルを用いる事ができる。 【宝具】 『寇掠された勝機の剣(エクス・コリンブランド)』 ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:1~4 最大捕捉:1人 コーンウォール宮廷で得た武器。 所有者の魔力を“光”に変換し、収束・循環させる事によって刃を形成する。 ダメージは限定数値となり、使用者のSTRやMGIは影響しない。 『怨炎纏う七頭の魔(ビーニー・バーニー)』 ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:0 最大捕捉:2人 ベルシラックの武器を尽く砕いた悪魔の護り。 ターン中に防御・回避・削減したダメージ総量を ターン終了時に攻撃者の武器ないし攻撃部位へと返す。 【Weapon】 『聖書』 ベルシラックが死海のほとりで発見した古い聖書。 イエス自身が書き、自らの血潮で封印した品だという。 【解説】 『緑の騎士』、その正体であるハットン城領主ベルシラック卿。 『ガウェイン卿と緑の騎士』以降の時代に創られたバラッドにおいて ブレッドベドル卿などの名を持ってアーサーに仕えるようになっており このサーヴァントは怪物・神的な『緑の騎士』よりそちら寄りのもの。 アーサー王やガウェイン卿と共にコーンウォール王のもとを訪れた際に 人語を話し炎を噴き出す七頭の悪魔バーロウ・ベアニと戦い、これを調伏した。 名剣コリン・ブランドやミラノ製の短刀、切り札としていた斧の全てを失ったが 以前手に入れていた古聖書の助けによって彼は悪魔を従順な使い魔としている。 思うがまま使役したこの悪魔によってブレッドベドル卿は新たな名剣を得、 この剣を捧げられたアーサー王はコーンウォール王を討ち取り凱旋した。
https://w.atwiki.jp/alonsodeleyva/pages/76.html
※イエス・キリストって馬小屋で生まれて磔になった神様くらいしか知らない人向け(それは私だ)の超ウルトラざっくりです。 イエス・キリストエピソード 聖書旧約聖書 新約聖書 聖書の印刷と翻訳 巡礼路ヴィア・ドロローサ(苦難の道) 聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラへの道 カトリック教会とプロテスタントの違い金儲けは罪のカトリック教会 金儲けは勤勉のプロテスタント イエス・キリスト イエス・キリストはキリスト教で 唯一の神様 です。 「イエス= ナザレのイエス (紀元前4年頃-紀元後30年頃)」「キリスト= メシア(メサイア) :救い主:聖油を塗られた者」。 よく聞く「ジーザス(Jesus)」はイエスの英語読みです。 wikipedia #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (【共通の画】最後の晩餐.JPG) Leonardo da Vinci 画「 The Last Supper 」(1495-1498年: Santa Maria delle Grazie ) +聖油を塗られた者ってなに? 聖油は神聖な香油で、塗ると「聖なるもの=最も神聖な人=神に選ばれた者」になるそうです。 ふつーの人がコレを作っても使ってもダメダメ。 あと 蘇合香 、 シケレテ香 、 楓子香 、 乳香 (東方三博士がイエスにプレゼント)のお香も、 振り香炉 にいれて焚いたり、体に塗ったりして使用。 wikipedia これらをきよめて最も聖なる物としなければならない。すべてこれに触れる者は聖となるであろう。あなたはアロンとその子たちに油を注いで、彼らを聖別し、祭司としてわたしに仕えさせなければならない。 ~出エジプト記30章29-30節~ #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (イエス・キリスト_聖油.JPG)予言者サムエルに聖油を注がれる羊飼いの美少年 ダビデ (その後イスラエル王になった) 聖油の成分 液体の 没薬 (ミルラノキ属の木の樹脂) 聖所のシケルで500シケル 東方三博士がイエスにプレゼント 香ばしい 肉桂 (シナモン) 聖所のシケルで250シケル におい 菖蒲 (または 大麻草 ) 聖所のシケルで250シケル 桂枝 聖所のシケルで500シケル オリーブ油 1ヒン +父と、子と、聖霊は三位一体 よく聞く「父と、子と、聖霊」はぜーんぶ同じ神様(三位一体)です。「神様=父=子=聖霊」だけど「父≠子≠聖霊」。とにかくそーゆーもん。考えるな感じろ♥ ヤハウェ (ヘブライ語:יהוה:YHWH)は旧約聖書に登場する神様のこと。 ヤーウェ、エホバ…読み方はいろいろ。気軽に呼んではイケナイ神聖四字なので、日本語の呼び名は主(しゅ)。 wikipedia #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (イエス・キリスト_三位一体.PNG) 父 父なる神 ・「天におられるわたしたちの父よ」ってくらいだから、天に住んでる神様。・イエス・キリストのトコにも登場。 子 神の子イエス・キリスト ・処女の聖母マリアから生まれた人間。だけど神様。 聖霊 鳩、風、息… ・イエス・キリストが昇天した後、みんなのトコに登場する神様。・聖霊パワーで聖母マリアは妊娠。・イエス・キリストのトコにも登場。 +超ざっくりな系図 旧約聖書はもともとが ユダヤ教の聖書 なので、ユダヤ人(カナンに移住した古代イスラエル人)がメインです。 天地創造からスタートしたら縦長になっちゃいました。 ちなみに日本人も 三大人種起源 (セム:黄色人種の先祖、ハム:黒人種の先祖、ヤペテ:白人種の先祖)の末裔だそうで。へー。 古事記では、日本を創造( 出産 )した神様は イザナギ とイザナミのご夫婦。第一子は淡路島だそうで。へー。 wikipedia #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (イエス・キリスト_系図.PNG) エピソード マタイによる福音書、ルカによる福音書…によって違う場合があるけど、ここではまぜまぜ。 聖書地図 +登場場面は世界三大宗教の聖地エルサレム エルサレム(イスラエル)は、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の聖地。 ユダヤ教(嘆きの壁:エルサレム神殿の外壁)、イスラム教(岩のドーム:予言者ムハンマドが昇天した場所)もあります。 ビミョーな場所。 wikipedia #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (イエス・キリスト_エピソード(ローマ帝国).PNG)絶賛成長中のローマ帝国(20年) 1世紀はローマ帝国が占領。11~13世紀はキリスト教の十字軍がたまに占領。16世紀はイスラム教のオスマン帝国が占領。 21世紀はイスラエルが首都と主張。 wikipedia #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (イエス・キリスト_エピソード(地図).PNG)イスラエル(1世紀) +降誕~幼少時代の超ざっくりなエピソード #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (イエス・キリスト_エピソード(東方三博士の礼拝).JPG)ヒエロニムス・ボス作『東方三博士の礼拝』 受胎告知 天使ガブリエルは神様に頼まれて、ナザレのマリアに「神の子イエスを身ごもる」とお知らせ。マリアは大工ヨセフの婚約者で、その後ふつーに結婚。 処女懐胎 聖母マリア(ナザレのマリア)は処女のままご懐妊。キリスト教では「処女のままご懐妊=神の子=神性」が重要!とにかくそーゆーもん。聖徳太子も観音菩薩がお母さんの口から入ってご懐妊って伝説アリ。とにかくそーゆーもん。 キリストの降誕 クリスマス 聖母マリアは、ベツレヘムの馬小屋でイエスをご出産。ベツレヘムに行ったのは住民登録のため。宿が混んでたので馬小屋(牛とロバの小屋)に宿泊? 東方三博士の礼拝 公現祭 旧約聖書(ミカ書5章2節とかあちこち)には「新しい王キリストの誕生」が予言されてる。イエスの誕生を知った占星術の学者達は、ベツレヘムへ行って乳香、没薬、黄金をプレゼント。 幼児虐殺 「新しい王キリストの誕生」で俺の地位ヤバイ!と考えたユダヤ(イスラエル)のヘロデ大王は、2歳以下の男子を殺害。天使のお告げを聞いた両親とイエスは、エジプトに避難してセーフ。ヘロデ大王が死んでから、ナザレに戻って平和に生活。 +洗礼~宣教活動の超ざっくりなエピソード 説教しに行くイエスに出会って、くっついて行ったのが十二使徒。最初に従ったのは、ガリラヤ湖で漁をしてたシモン・ペトロ。 他にもいっぱいイエスの 使徒 (弟子)になってます。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (イエス・キリスト_エピソード(イエスの変容).JPG)ルドヴィコ・カラッチ作『イエスの変容』 イエスの洗礼 主の洗礼 ヨルダン川に行って、ユダヤ教徒に洗礼活動中(罪の赦し)の預言者ヨハネから洗礼を受ける。天がひらけて「イエスこそ自分の子であーる」と神の声が聞こえる。 荒野の誘惑 ヨルダン川から帰ると、聖霊に荒野連れて行かれる。ここで断食しながら40日間滞在。悪魔からいろいろ甘い誘惑されたけど負けない。そして聖霊の力に満ちあふれてガリラヤへ帰った。 山上の垂訓 ガリラヤのアチコチで病人を癒し、悪霊を払う。この評判を聞いた群集が集まって来たので、とある山に登って、弟子達と群集に「汝の敵を愛せよ」「敲けよ、さらば開かれん」…っとアレコレ語る。 イエスの奇跡 「水をワインに変える」「パンを増やす」…の奇跡をやって、自分がキリストだってコトを実証。 イエスの変容 主の変容 シモン・ペトロ、ヨハネ、ゼベダイの子ヤコブを連れて、とある山(タボル山)でお祈り。そこで出会った預言者モーセと預言者エリヤとお話しながら、白く光り輝く姿を披露。披露したのは、これから受ける苦難でみんなの信仰する心が折れないように希望を与えるため。 +受難~死の超ざっくりなエピソード イエスは「エルサレムで捕まって処刑されるのであーる。3日目に甦るのであーる」と予告してから、エルサレムに行ってます。 あとエルサレムは 過越祭 (ペサハ)が始まるトコ。 ユダヤ教三大祭りの1つで、エジプトで奴隷になってたユダヤ人を モーゼ が脱出させたお祝い。紅海を杖で真っ二つにしたアレ。 この一週間は聖週間(カトリック)、 受難週 (プロテスタント)。曜日がリンクされたのは2~3世紀頃から。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (イエス・キリスト_エピソード(磔刑図).JPG)アンドレア・マンテーニャ作『磔刑図』(左:盗賊、中:イエス、右:盗賊) 日曜日 枝の主日 近所の村で借りた子ロバに乗ってエルサレムに到着。旧約聖書(ゼカリヤ書9章9節)には「子ロバに乗って新しい王キリストがやって来る」が予言されてる。みんな木の枝(大歓迎の印)を道に敷いて「ホサナ、ホサナ(今、救ってください)」と大騒ぎ。 月曜日 宮清めの日 エルサレム神殿に行って、利益をむさぼってる商人達を叱って追い出す。 火曜日 論争の日 熱烈大歓迎のイエスにご立腹な祭司長達が、「コイツを陥れてやるぜ!」とイエスに勝負。イエスは祭司長達から意地悪な質問されたけど負けない。っていうか、ケチョンケチョンにして怨まれる。その後、オリーブ山に行って「エルサレム神殿の破壊と終わりの日」を 弟子達に説教 。 水曜日 香油の日 ベタニア村でのんびり。食事してると、壺を持った女(マグダラのマリア?)がやって来て、頭にお高級な香油をかけられる。弟子達の「むしろ売って施せ」のツッコミに、イエスは「むしろ香油で葬式の準備してくれてGJ」と喜ぶ。そんな最中…ユダは、こっそりエルサレムに行って「むしろイエスを引き渡す」と祭司長達に約束。 木曜日 聖木曜日 ユダヤ教の過越祭1日目。十二使徒と一緒に 最後の晩餐 しながら「この中の一人が裏切る。おまだ!ユダ!」と予告。ちなみに献立は、無酵母パンと葡萄酒。場所はマルコ(ペテロの弟子)の実家2階? 食後、ゲツセマネの園で 「処刑こえー」と祈ってる と、ユダが連れてきた 祭司長達に逮捕される 。ちなみに弟子達はイエスを見捨てて逃亡。ユダは罪悪感にさいなまれて自殺。 大祭司カヤパの官邸で裁判 。祭司長達は「コイツを有罪にしてやるぜ!」とヤル気マンマン。裁判官はユダヤ属州総督ピラト(ヘロデ大王が死んだ後、ユダヤはローマ帝国の直轄領)。「君は神の子キリストか?」「はい、そうです」神を冒涜したと死刑判決。 金曜日 聖金曜日 茨の冠を被り、十字架を背負って 市中引き回し 。ゴルゴタの丘で 十字架に磔 。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(神様、なんで私を見捨てたんですかー!)」と叫んで息絶える。アリマタヤのヨセフ(弟子)がイエスの遺体を引き取って、香油で清められた亜麻布に包んで 墓地に埋葬 。 土曜日 聖土曜日 ユダヤ教の安息日。誰かが「そういえば、ヤツは3日後に甦るって言ってたなぁ」と思い出す。弟子達が死体盗んで「甦ったぁ」と自作自演されたらヤバイ!っと、ピラトはイエスの墓地に番人を配置。 +復活~昇天の超ざっくりなエピソード #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (イエス・キリスト_エピソード(復活).PNG)16世紀に描いたらソッコー異端審問な『復活』 日曜日(3日後) 復活祭 早朝マグダラのマリア達が墓地に行くと、ゴゴゴーっと天使が降りてお墓の蓋(大きな石)を開ける。 お墓が空っぽ 。天使の「イエスが甦ったよー♥ガリラヤで会えるよー♥」にみんな大喜び。 その後 ガリラヤに行った十一使徒(除くユダ)は、指定された山で復活したイエスに再会。イエスの兄弟ヤコブ(異母兄?実弟?)、使徒達、信者達も再会してる。 40日後 昇天日 十一使徒が集まって食事してると、復活したイエスが現れる。「父と子と聖霊との名によって、すべての国民にバプテスマ(洗礼)をしなさーい」と言った後、 天に昇って 姿が見えなくなった。 50日後 ペンテコステ ユダヤ教の五旬祭(シャブオット)。十二使徒(新たにマティアが参加)や大勢の人が集まる部屋に、突然ゴゴゴーっと大きな音が!火の玉みたいのが頭上に現れて、部屋が聖霊で満たされて、アレコレで、みんなポッカーン。シモン・ペトロが「イエスが父から聖霊を受けて私達に注いでる♥」と説明。3000人が洗礼を受ける。 聖書 聖書はキリスト教の教典(神様や聖人の説教が書いてある本)、正典(教徒が従うべき基準が書いてある本)。 旧約聖書と新約聖書がある。 wikipedia #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (聖書_ジュネーヴ聖書.JPG)英国国教会で大人気だったジュネーヴ聖書/旧約聖書(1560年) 聖書ってけっこうな厚みなんですねー。ビックリ! ジュネーヴ聖書は、クォート判(218×139mm)、大きなフォリオ判、持ち運べるオクタヴォ判とサイズもよりどりみどり。 お値段は16世紀後半の新約聖書で、低賃金労働者の1週間分以下だそうです。 +聖書は大切、あと祈祷書も大切 祈祷書は「祈祷・礼拝・儀式のやり方」が書いてあるハウツー本です。 内容は時代によって多少変化。 代表的な 主の祈り 「天におられるわたしたちの父よ」も祈祷書に記載。2000年までは「天にまします我らの父よ」です。 wikipedia #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (【共通の画】祈祷書.JPG)英国国教会の 祈祷書 (1596年:ロンドン) ついでだからナイジェルやビセンテが祈ったかもしれない主の祈りを。2人の声で聞いてみたいっっっ! カトリック教会(ラテン語) 英国国教会(1559年) カトリック教会と日本聖公会 Pater noster, qui es in caelis Our Father, which art in heaven, 天におられるわたしたちの父よ、 sanctificetur Nomen Tuum; hallowed be thy name; み名が聖とされますように。 adveniat Regnum Tuum; thy kingdom come; み国が来ますように。 fiat voluntas Tua, thy will be done, みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。 sicut in caelo, et in terra. in earth as it is in heaven. Panem nostrum cotidianum da nobis hodie; Give us this day our daily bread. わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。 et dimitte nobis debita nostra, And forgive us our trespasses, わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。 sicut et nos dimittimus debitoribus nostris; as we forgive them that trespass against us. et ne nos inducas in tentationem; And lead us not into temptation; わたしたちを誘惑におちいらせず、 sed libera nos a Malo. but deliver us from evil. 悪からお救いください。 ヴルガータ聖書にはナシ [For thine is the kingdom,and the power,and the glory,for ever and ever.]…1559年版はナシ 国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。(三位一体を讃える 頌栄 ) Amen. アーメン 旧約聖書 旧約聖書は 古代イスラエル人 が古代イスラエル人のアレコレな出来事、神様と古代イスラエル人の契約を書いた本。 オリジナルはヘブライ語・アラム語。 キリスト教では「(神様とキリスト教徒の)古い契約」って扱い。 wikipedia wikipedia (古代イスラエルの歴史) こちらはカトリック教会が採用してる旧約聖書の内容。 (*)はプロテスタントが採用してない書。桃色はユダヤ教やイスラム教も採用してる書。 あと列王記?列王紀?どっちが正解なんでしょ? とりあえずwikipediaの列王記を採用しました。 モーセ五書 創世記 出エジプト記 レビ記 民数記 申命記 歴史書 ヨシュア記 士師記 ルツ記 サムエル記 上/下 列王記 上/下 歴代誌 上/下 エズラ記 ネヘミヤ記 トビト記(*) ユディト記(*) エステル記 マカバイ記1~2(*) 知恵文学 ヨブ記 詩篇 箴言 コヘレトの言葉 雅歌 知恵の書(*) シラ書(*) 大預言者 イザヤ書 エレミヤ書 哀歌 バルク書(*) エゼキエル書 ダニエル書 小預言書 ホセア書 ヨエル書 アモス書 オバデヤ書 ヨナ書 ミカ書 ナホム書 ハバクク書 ゼファニヤ書 ハガイ書 ゼカリヤ書 マラキ書 新約聖書 新約聖書はキリスト教徒がイエス・キリストのアレコレな出来事、神様とキリスト教徒の契約を書いた本。 オリジナルはアラム語(ヘブライ語かも)・ギリシア語。 キリスト教では「(神様とキリスト教徒の)新しい契約」って扱い。 wikipedia 桃色はイスラム教も採用してる書。イスラム教では イエス・キリストも預言者 の1人です。 福音書 イエス・キリストの生涯と死/復活の記録 マタイによる福音書 マルコによる福音書 ルカによる福音書 ヨハネによる福音書 歴史書 初代教会の歴史 使徒行伝 パウロ書簡 使徒パウロ(新約聖書の著者の1人)が書いた文章 ローマ人への手紙 コリント人への手紙1~2 ガラテヤ人への手紙 エペソ人への手紙 ピリピ人への手紙 コロサイ人への手紙 テサロニケ人への手紙1~2 テモテへの手紙1~2 テトスへの手紙 ピレモンへの手紙 ヘプル人への手紙 公同書簡 その他の文章 ヤコブの手紙 ペテロの手紙1~2 ヨハネの手紙1~3 ユダの手紙 黙示文学 予言者の文章 ヨハネの黙示録 聖書の印刷と翻訳 カトリック教会の公用語はラテン語です。 F&B時代のカトリック教会の公式聖書は神学者 ヒエロニムス (347–420年)がラテン語に翻訳した ヴルガータ聖書 。 公式聖書以外は使っちゃダメです。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (聖書_聖ヒエロニムス.JPG) Pieter Coecke van Aelst 画「Saint Jerome in His Study」(1530年頃:ネーデルラント) 15世紀 活版印刷 が発明されると「エライ聖職者しか持てなかった聖書」が「誰でも持てる身近な聖書」になります♥ とはいえフツーの人はラテン語なんて読めない。 ってことで、お次は翻訳だ!プロテスタントは翻訳に積極的だけど、カトリック教会は誤訳を心配して批判的っぽいです。 wikipedia スペイン語訳の聖書 Biblia Alfonsina 1280年頃 カトリック教会の聖書。カスティーリャ王アルフォンソ10世の宮廷用にカスティーリャ語に翻訳。 Biblia de Casiodoro de Reina 1569年 プロテスタントの聖書。ルーテル教会(ルター派)の神学者カシオドロ・デ・レイナが翻訳。カシオドロはもともとヒエロニムス会の修道士で、バーゼル(スイス)に亡命してる。 Biblia de Petisco y Torres Amat 1825年 カトリック教会の聖書。ヴルガータ聖書から翻訳。スペイン語訳の最高峰。 Biblia Nácar-Colunga 1944年 カトリック教会の聖書。スペイン初の公式聖書。 英語訳の聖書 ウィクリフ聖書 1380年 カトリック教会の聖書。オックスフォード大学の教授ジョン・ウィクリフがヴルガータ聖書から翻訳。無許可でやっちゃったので1408年発禁。死んでるウィクリフも異端者に認定。 大聖書 1539年 英国国教会の聖書。王ヘンリー8世が公認した、イングランド初の公式聖書。 ティンダル聖書 (無許可でやって発禁)にヴルガータ聖書の翻訳を補完。各教会に置いたのでみんなが読める。盗難防止のチェーン付き。 ジュネーヴ聖書 1560年 英国国教会の聖書。ジュネーヴ(スイス)に亡命した神学者ウィリアム・ウィッティンガムが翻訳。簡潔で説得力ある文章、地図・挿絵・注釈もあって分かりやすく、大聖書より人気。大量生産したのでみんなが持てる。ウィリアム・シェークスピアも愛用。注釈がカルヴァン派っぽいけど、女王エリザベス1世は黙認。 ドゥエー=ランス聖書 1582年 カトリック教会の聖書。 ドゥエー英国大学 (フランス)の亡命カトリック教徒がヴルガータ聖書から翻訳。 欽定訳聖書 1611年 英国国教会の聖書。王ジェームズ1世が公認した、イングランドの公式聖書。カルヴァン派っぽいジュネーヴ聖書じゃマズくね?っと新たに翻訳。 巡礼路 巡礼は聖地に訪れて、神様とのつながりを感じながら信仰を深めること。 キリスト教の三大巡礼地は、ヴァチカン市国、エルサレム(イスラエル)、サンティアゴ・デ・コンポステーラ(スペイン)。 ヴィア・ドロローサ(苦難の道) ヴィア・ドロローサはエルサレムでイエスが十字架を背負って総督ピラト官邸から刑場のあるゴルゴダの丘まで歩いた道です。 イエスの生誕地 聖誕教会 (パレスチナのベツレヘム)はエルサレムのご近所。 wikipedia 総督ピラト官邸 1 ピラトに裁かれる 2 有罪に定められ、鞭で打たれる 通路 3 最初に倒れた場所 4 悲しむ母マリアと出会う 5 キレネ人シモンがイエスを助ける 6 ベロニカがイエスの顔を拭く 7 二度目に倒れた場所 8 イエスがエルサレムの婦人たちに語りかける 9 三度目に倒れた場所 ゴルゴタの丘(聖墳墓教会) 10 衣服を剥ぎ取られる 11 十字架が立てられる 12 イエスの死 13 十字架の下の母マリア 14 イエスの墓 聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラへの道 聖ヤコブ(スペイン語:サンティアゴ)は、十二使徒の1人ゼベダイの子ヤコブ。イスラエルで布教活動中に殉職。 9世紀ここで彼の遺体が奇跡的に発見されたそうです。 wikipedia 聖ヤコブが埋葬されてるのがサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂。 煙出してブンブン振り回す玉は、重さ80kgの世界最大 振り香炉 。ブンブンは40kg分の炭と香が入って、最高時速80km/hのど迫力。 700年前から始まった儀式で、その始まりは巡礼者の悪臭消しという乙女心を破壊する説でした。 wikipedia #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (巡礼路_聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラ(大聖堂).JPG)大聖堂 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (巡礼路_聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラ(香炉).JPG)香炉 カトリック教会とプロテスタントの違い なるほどー!っと思ったのがこちら。 カトリックとプロテスタントの根本的な違いとはなんでしょうか? 教会の言い分が至上とするのがカトリック 聖書の言い分を至上とするのがプロテスタント 金儲けは罪、教会に金を出せ、ってのがカトリック 金儲けは勤勉、ニートは死ね、ってのがプロテスタント ~ Yahoo!知恵袋さんより ~ 金儲けは罪のカトリック教会 カトリック教会の考え方は、貧しい人達は神様の心にかなってる。だから教会や教徒が貧しい人達に手を差し伸べるのは、ふつーに当たり前なコトです。 聖書のドコを採用してるのかは分かりませんが、金儲けは罪、教会に金を出せっぽそうな一文を。 だれも、二人の主人に仕えることはできない。の超ざっくりなお話 だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。 ~マタイによる福音書6章24節~ #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (金儲けは罪_マンモンと奴隷.JPG)サーシャ・シュナイダー作『 マンモン (「強欲」の悪魔)と奴隷』 二人の主人は神様とお金のコト。 もちろんこの世は、お金がナイと生きていけないし、一生懸命働いて得たお金は尊いのもです。オケです。 ダメダメなのは「もっと欲しい」「儲からないコトは嫌」「なんか名誉も欲しくなってきた」…どんどん欲深くなるコト。 お金儲けを人生の目的にしちゃいけないよ。 お金に仕えちゃいけないよ。 自分が持っているものばかりを見つめていて、神様に背を向けちゃいけないよ。 +うっかり儲かっちゃったら寄付の超ざっくりなお話 カトリック教会では、信仰と 善行 が救いをもたらす。真の信仰は主観的な信仰ではなく必ず善行をともなう。 だそうです…ムズカシイ。 もうちょっと分かりやすい言葉を探したところ、欲望を捨てて他人を助ければ神様に認められて天国に行ける。でした。 wikipedia イエスは彼に言われた、「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。 ~マタイによる福音書6章21節~ #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (金儲けは罪_慈悲の七つのおこない.PNG)ピーテル・ブリューゲル作『 The Seven Acts of Charity 』(17世紀) ある日、お金持ちのボンボンな青年がイエスに質問しました。 青年「永遠の生命をゲトするにはどうすればいいですか?」 イエス「殺すな、姦淫するな、盗むな、ウソつくな、親を敬え、隣人を愛せぢゃ」 青年「もうやってます。あと何すればいいですか?」 イエス「財産を貧しい人々に施して、天に宝を持つのぢゃ。そしてワシに従うのぢゃ」 青年はあきらめてスゴスゴと帰りました。 イエスは弟子達に言いました。 「お金持ちが天国に入るのはムズカシイものぢゃ。お金持ちが神の国に入るより、ラクダが針の穴を通る方が簡単なのぢゃ」 +こーゆー金儲けは神様も怒るの超ざっくりなお話 聖週間の「宮清めの日」の出来事です。 そして彼らに言われた、「『わたしの家は、祈の家ととなえらるべきである』と書いてある。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている」。 ~マタイによる福音書21章13節~ #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (金儲けは罪_神殿から商人を追い払うイエス.JPG) エル・グレコ 作『殿から商人を追い払うイエス(Jesus Driving the Merchants from the Temple)』 イエスは過越祭が近づいたエルサレムに行きました。 このお祭りには全国から大勢の人々がやって来てきました。 神殿の境内には、献げ物(牛・羊・鳩)を売る商人と両替する商人がいました。 みんな神への献げ物と神殿税を払え! ってコトになってたからです。 礼拝と祈りのための神殿なのに、祭司は「礼拝する人々の便宜をはかる」と口実をつけて、商人と共謀して利益を得ていました。 これを見たイエスは、縄で鞭を作って羊や牛を境内から追い出しました。 両替人のお金をまき散らしました。テーブルもひっくり返しました。 金儲けは勤勉のプロテスタント プロテスタントの考え方は、労働は神聖な義務。貧しい人達を誰でも彼でも救済するってコトは怠惰(ナマケ者)の原因です。 聖書のドコを採用してるのかは分かりませんが、金儲けは勤勉、ニートは死ねっぽそうな一文を。 働きたくない者は、食べてはならない。の超ざっくりなお話 実際、あなたがたのもとにいたとき、わたしたちは、「働きたくない者は、食べてはならない」と命じていました。 ~テサロニケの信徒への手紙二3章10節~ #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (カとプ_金儲けは勤勉(浮浪者).JPG)通りで罰せられる浮浪者(1536年頃:イングランド) ズバリな一文なので、これを実践したイングランドの 救貧法 の超ざっくりなお話です。 王ヘンリー8世は1536年救貧法の素を決定。 働けない人(病人、老人、子供)には衣食の提供を、働かない人(浮浪者、乞食)には鞭打ち刑と強制労働を義務づけました。 女王エリザベス1世は1597年救貧法(1601年改正)を決定。 枢密院の救貧監督官が国民から救貧税を徴収。国が貧しい人々の面倒を見る福祉制度です。 働けない人は援助、働かない人は強制労働させる懲治院送り。ほぼ強制収容所で、そーとー過酷だったみたいです。 ついでにゆりかごから墓場まで(cradle-to-grave)は 1945年イギリス総選挙 で勝利した労働党のスローガン。 救貧法を廃止して手厚い社会保障を決定。 国家財政の負担増加、国民の勤労意欲低下で財政圧迫。イギリスは大変なこと(英国病)になってしまいました。 ※ものすごーくお世話になったサイト。詳細はこちらをご覧下さい。 iChurch.me(アイチャーチ・ミー):三十番地キリスト教会 牧師の書斎
https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/580.html
千代崎秀雄(ちよざき ひでお、1928年- )は、東京都出身の聖書学者。東京聖書学院卒業、青山学院大学大学院文学研究科聖書神学思想専攻博士課程修了、アジア神学大学博士課程修了。牧会学博士。東京中央教会牧師、東京聖書学院教授などを経て、東京聖書学院名誉教授、東京中央教会名誉牧師(*1)。 『新聖書註解(エズラ記、ネヘミヤ記、ナホム書~マラキ書)』(いのちのことば社)等の著作がある。 ノストラダムス関連 1990年代のノストラダムスブームに合わせ、聖書学者としての立場から『世紀末的状況と終末預言 どう考える?中東情勢・ノストラダムス(未作成)』(いのちのことば社、1992年)、『聖書のシナリオ(未作成)』(いのちのことば社、1999年)を出版した。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
https://w.atwiki.jp/trinity_kristo/pages/443.html
イエスの御言葉を聞いて悟る人がよりよくなれることを説いたたとえ。イエス本人が説明している。 マルコ4 1-20 イエスは、再び湖のほとりで教え始められた。おびただしい群衆が、そばに集まって来た。そこで、イエスは舟に乗って腰を下ろし、湖の上におられたが、群衆は皆、湖畔にいた。イエスはたとえでいろいろと教えられ、その中で次のように言われた。 「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」そして、「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われた。 イエスがひとりになられたとき、十二人と、イエスの周りにいた人たちとが、たとえについて尋ねた。そこで、イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘密が打ち明けられているが、外の人々には、すべてがたとえで示される。それは、 『彼らが見るには見るが、認めず、 聞くには聞くが、理解できず、 こうして、立ち帰って赦されることがない』 ようになるためである。」 また、イエスは言われた。「このたとえが分からないのか。では、どうしてほかのたとえが理解できるだろうか。種を蒔く人は、神の言葉を蒔くのである。道端のものとは、こういう人たちである。そこに御言葉が蒔かれ、それを聞いても、すぐにサタンが来て、彼らに蒔かれた御言葉を奪い去る。石だらけの所に蒔かれるものとは、こういう人たちである。御言葉を聞くとすぐ喜んで受け入れるが、自分には根がないので、しばらくは続いても、後で御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう。また、ほかの人たちは茨の中に蒔かれるものである。この人たちは御言葉を聞くが、この世の思い煩いや富の誘惑、その他いろいろな欲望が心に入り込み、御言葉を覆いふさいで実らない。 良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて受け入れる人たちであり、ある者は三十倍、ある者は六十倍、ある者は百倍の実を結ぶのである。」 マタイ13 1-23 その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。 「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞きなさい。」 弟子たちはイエスに近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。イザヤの預言は、彼らによって実現した。 『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、 見るには見るが、決して認めない。 この民の心は鈍り、 耳は遠くなり、 目は閉じてしまった。 こうして、彼らは目で見ることなく、 耳で聞くことなく、 心で理解せず、悔い改めない。 わたしは彼らをいやさない。』 しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」 「だから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人である。石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、自分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」 ルカ8 4-15 大勢の群衆が集まり、方々の町から人々がそばに来たので、イエスはたとえを用いてお話しになった。 「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。ほかの種は石地に落ち、芽は出たが、水気がないので枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。また、ほかの種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」イエスはこのように話して、「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で言われた。 弟子たちは、このたとえはどんな意味かと尋ねた。イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘密を悟ることが許されているが、他の人々にはたとえを用いて話すのだ。それは、 『彼らが見ても見えず、 聞いても理解できない』 ようになるためである。」 「このたとえの意味はこうである。種は神の言葉である。道端のものとは、御言葉を聞くが、信じて救われることのないように、後から悪魔が来て、その心から御言葉を奪い去る人たちである。石地のものとは、御言葉を聞くと喜んで受け入れるが、根がないので、しばらくは信じても、試練に遭うと身を引いてしまう人たちのことである。そして、茨の中に落ちたのは、御言葉を聞くが、途中で人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて、実が熟するまでに至らない人たちである。良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである。」 トマス9 イエスは言われた。「見よ、種まきが出て行った。彼は手をいっぱいにし、種をまいた。いくつかは道のうえに落ちた。鳥が来てそれらをついばんだ。いくつかは岩のうえに落ちた。それらは地に根を張ることがまったくできず、天に穂を出さなかった。いくつかは茨のなかに落ちた。茨がそれらの種をふさぎ、虫がそれらを喰いつくした。しかし、いくつかは良い地に落ちた。そしてそれは良い実を結んだ。それは60倍、120倍の収穫をもたらした。」 クレメンスの手紙一24 4-5 種蒔きがどのように行われ、実りとなるのかを考えましょう。蒔く者が行って、種を地に蒔きます。乾いた地に落ちた種は衰弱します。それから、主の経綸の御力が、衰弱した種を生き返らせ、芽を出して成長し、実を結ぶのです。
https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/2166.html
『ノストラダムスは知っていた』は、1999年に徳間書店から刊行された浅利幸彦の著書。 【画像】 カバー表紙 内容 全7章である。 山本弘も指摘していたように(*1)、基本的なストーリーは『セザール・ノストラダムスの超時空最終預言』(1992年)と大差がない。 コメント 基本的なストーリーの問題点は、セザール・ノストラダムスの超時空最終預言の記事や浅利幸彦の記事で指摘したことがほぼそのまま当てはまる。 この本だけに出てくる問題点を、とりあえず1点だけ挙げておく。この点は、浅利が『聖書』について、ごく基本的な認識すら持ち合わせていないことを強く疑わせるものである。 聖書最大の謎 浅利は『聖書』について、こう述べる。 『聖書』最大の謎は、「真の作者が誰であるのか」ということである。そしてこの問題は長い間議論されてきた。「『聖書』は何十人もの預言者や聖書作家によって、何百年もの長い期間にわたって書き上げられた書物である。しかし、それにもかかわらず、『聖書』はあたかも一人の作者の手によって書かれた書物であるかのように全体が統一されている」(*2) 浅利は、天使的未来人がテレパシーを送って書かせたからこそ、このような統一性が生まれたと主張している。 反論するまでもない珍説であるが、念のため、神学博士ら、まともな聖書学者の見解をいくつか引いておこう。 ルカの言葉ないしはその文学的な形体はマルコのそれとは異なっている。パウロはヘブル人への手紙の著者とは異なった文学形体や思考方法をとっている。(略)その事実がわれわれの神学を形づくるものでなければならない。(F.V.フィルソン)(*3) 新約聖書は拘束力を持つキリスト教教説の総和のようなものである(略)という、通俗的な意味での教義学的見解を退けておかなければならない。このような錯覚に屈するものは、必然的に、四福音書内部にある(特にいわゆる共観福音書とヨハネとの)著しい相違、使徒行伝とパウロとの著しい相違、パウロとヤコブとの著しい相違等々を無視し、新約聖書の著者たちが皆およそ同じことを述べていると見るまでにテキストを磨滅させてしまうに違いない。(G.ボルンカム)(*4) 正典の第三の原理は「統一性」である。しかしこれが一番無理をしている。(略)はじめから統一性に配慮して正典たるために書かれた文書ならともかく、もともと異なる著者たちがそれぞれ異なることを記した、時代的にもかなり広がりのある多くの文書を集めてきて、みんな相互にまったく矛盾なく同じ福音の真理を表現している、などと言い張るのは、いかにも無理というものだ。(田川建三)(*5) 新約聖書には全体として何が書かれているかを簡単に紹介すべきかもしれない。しかしそのようなことは不可能である。つまり新約聖書の内容には全体として何か統一的な主張があると考えがちだが、じつは新約聖書の各文書では、多くの場合、互いに相容れない立場が主張されているといったほうが適切である。(加藤隆)(*6) 旧約聖書にしても、その冒頭のモーセ五書からして、いわゆるヤハウェ資料、祭司資料、エロヒム資料という三つの異なる系統の資料が組み合わさっている(*7)。浅利が好んで引用する『イザヤ書』にしても、いわゆる第二イザヤ、第三イザヤの問題 (『イザヤ書』第40章以降が、それ以前の章と大きく異なっていることから、無名の別の預言者の作品が組み込まれていることが確実視されている) が存在している(*8)。 要するに、文体まで含めた統一性を無批判に支持しえないことなど聖書学者にとっては自明なのである。もちろん、宗派によって統一性を支持するキリスト教徒もいるだろうし、そのような信仰を否定するつもりはないが、浅利のように伝統的な聖書無謬説とは全く異なる(ある意味で冒涜的な)立場の論者が、「『聖書』最大の謎」などと持ち上げるのは的外れも甚だしい。彼がまともに聖書を通読するか、聖書学者による入門書の類でも読んでいれば、ここまで的外れな主張は展開せずに済んだのではないかと思われる。 いずれにせよ、統一性の存在していることが天使的未来人の介在の証拠だというのなら、逆に、一人の人間が書いたなどというには程遠いという事実によって、浅利の説は否定される。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/preelshaddai/pages/20.html
日本聖書学研究所編 「スラヴ語エノク書」『聖書外典偽典3 旧約偽典Ⅰ』 教文館、1989年、ISBN 9784764219038 日本聖書学研究所編 「エチオピア語エノク書」『聖書外典偽典4 旧約偽典Ⅱ』 教文館、1990年、ISBN 9784764219045 関根正雄編 「エチオピア語エノク書」『旧約聖書外典(下)』 講談社文芸文庫、1999年、ISBN 4061976478:抄訳、巻末解説有り 土岐健治著 「スラブ語エノク書」『旧約聖書外典偽典概説』 教文館、2010年、ISBN 9784764273108
https://w.atwiki.jp/zsphere/pages/3474.html
宗教改革を起こした人物として著名。 ドイツのテューリンゲン州にある史跡ヴァルトブルク城に、 ルターが隠れ住み、ここで聖書のドイツ語訳を行っていたという逸話がある。 さらに、聖書翻訳中に現れた悪魔を追い払うためインク壺を投げた、その痕跡も残されているとか。 ただし、『イタリア紀行』の中でゲーテは、このインクの汚点を「城番が時々塗り直している」とちらりと書いていたりする。 参考文献 『イタリア紀行(中)』ゲーテ