約 57,621 件
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/2471.html
日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目 次 ソース: 目次・序(日本語)(PDF) 338 KB 日本語論文(PDF) 2.25 MB ※脚注の随所に乱「行」があります。PDF化の不備と思われます 中国語論文(PDF) 2.66 MB 第1期「日中歴史共同研究」報告書(ペーパー)の入手法 序 ・・・・・日中座長共同執筆(委員会のメンバー、外部執筆委員、活動の経緯など) (収録済) <古代・中近世史> 総 論 ・・・・・日中委員共同執筆 (収録済) 序 章 古代中近世東アジア世界における日中関係史(日本側) 山内昌之・鶴間和幸 (中国側) 蒋立峰・厳紹.・張雅軍・丁莉 第1部 東アジアの国際秩序とシステムの変容第1章 7世紀の東アジア国際秩序の創成(日本側)7世紀の東アジア国際秩序の創成 川本芳昭 (中国側)7世紀の東アジア国際秩序の創成 王小甫 第2章 15 世紀から16 世紀の東アジア国際秩序と日中関係(日本側)15 世紀から16 世紀の東アジア国際秩序と日中関係 村井章介 (中国側)15 世紀から16 世紀の東アジア国際秩序と日中関係 王新生 第2部 中国文化の伝播と日本文化の創造的発展の諸相第1章 思想、宗教の伝播と変容(日本側)思想、宗教の伝播と変容 小島 毅 (中国側)古代中国文化の日本における伝播と変容 宋成有 第2章 ヒトとモノの移動(日本側)第1節 ヒトとモノの移動 経済史 桜井英治 第2節 美術史から見たヒトとモノの移動 井手誠之輔 (中国側)「ヒト」と「モノ」の流動..隋唐時期を中心に 王 勇 第3部 日中両社会の相互認識と歴史的特質の比較第1章 日本人と中国人の相互認識(日本側)第1節 日本人と中国人の相互認識 古瀬奈津子 第2節 江戸期日本の中国認識 小島康敬 (中国側)19 世紀中葉以前における中国人の日本観 王暁秋 第2章 日中の政治・社会構造の比較(日本側)日中の政治・社会構造の比較 菊池秀明 (中国側)日中古代政治社会構造の比較研究 蒋立峰・王勇・黄正建・呉宗国・李卓・宋家鈺・張帆 <近現代史> 総 論・・・・・日中委員共同執筆 (収録済) 第1部 近代日中関係の発端と変遷第1章 近代日中関係のはじまり(日本側)近代日中関係の発端 北岡伸一<その1> <その2> (収録済) (中国側)近代日中関係の発端 徐勇・周頌倫・米慶余 第2章 対立と協力 それぞれの道を歩む日中両国(日本側)対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真<その1> <その2> (収録済) (中国側)対立と協力:異なる道を行く日中両国 徐勇・周頌倫・戴東陽・賀新城 第3章 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動(日本側)日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 服部龍二<その1> <その2> (収録済) (中国側)日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 王建朗 第2部 戦争の時代第1章 満州事変から盧溝橋事件まで(日本側)満洲事変から日中戦争まで 戸部 良一<その1> <その2> (収録済) (中国側)満洲事変から日中戦争まで 臧運●(示へんに古) 第2章 日中戦争-日本軍の侵略と中国の抗戦(日本側)日中戦争―日本軍の侵略と中国の抗戦 波多野澄雄・庄司潤一郎<その1> <その2> (中国側)日本の中国に対する全面的侵略戦争と中国の全面的抗日戦争 栄維木 第3章 日中戦争と太平洋戦争(日本側)日中戦争と太平洋戦争 波多野澄雄<その1> <その2> (中国側)日中戦争と太平洋戦争 陶文釗 日中歴史共同研究
https://w.atwiki.jp/wiki2_horizon/pages/18.html
(40番)管理人にお任せ。 -- (Example) 2005-06-01 02 12 51 (4番)このページの作成者です。 -- (えぎゃー) 2005-06-01 02 16 46 名前見たら自己紹介の必要ない気がするとりあえず。えっと、昔は『弓道』やってて、さらに昔は『卓球』やってました!あと、寮に住んでました!いま結構、暇人です。 -- (まっち) 2005-06-01 10 41 55 なんか気のきいたことかけそうにないんで、『管理人におまかせ』で頼んます!(なんかその方がおもしろそうだし♪)ちなみに席番は14だヨ。 -- (エビマスター) 2005-06-01 12 49 55 スチュワーデスと飯食ったM上です。最近はいろんな世界を覗いてます。同窓会とか皆で集まるのにはきっと一生出ないので、会いたい人は無理矢理会って下さい。まあ金曜の夜には松戸の「大都会」か柏の「_roid」かホワイト餃子にいるさ。-- (スッチー) 2005-06-01 22 02 04 元テニス部の8番。これだけでわかるっしょ。 -- (GOM) 2005-06-01 22 38 53 難聴。 -- (グリコ) 2005-06-01 22 55 04 ・・・まかせちゃだめ??出席番号ゎ17番で、日々サボテンちゃんに語りかけてるょぉ☆最近1日の6分の1時間ゎ電車に乗ってます・・・ -- (チクリン) 2005-06-07 23 00 58 この名前の由来が1番にぴんとくるのは毎月我が家に来ているかわいいマイパートナーだと思います(^^)えーっと、一年目はまっちさんの二年目はエビさんの補佐役をさせていただいたあんまり役に立たなかった副会長です★笑 こんなペェジができてて嬉しいよ〜♪ -- (めんぼう★) 2005-06-08 11 13 33 ちぱはちぱだよ☆(^∀^)v大学も寮に入りました!あとはおまかせします☆20番☆男子超仲良しだったんだね(笑)-- (ちぱ) 2005-06-08 16 31 17 No.32 遅くなりました。旧6Eクラス担任、本人です。以上。 -- (もとたん) 2005-06-11 08 54 19 改めまして、みなさん!お早うございます。「永遠なる巨大な遊び場6E」に、今日も仲良く集い続けるキミたちの“日常”を、今も変わらずちゃ~んと見守っているからね。みんな、毎日幸せに暮らすんだよ。 -- (もとたん) 2005-06-11 09 16 30 出席番号6番で元生徒会長でした○○○○です。大学は北海道とか言う日本の果てまで飛んでいきました。高校で坊主は卒業かなと思っていたのですが今もやっぱり坊主です。大学ではラ行が言えてないといわれ、かなり参ってます。まぁもともとかつぜつが良かったわけではないので・・・。後はお任せします!!-- (bo-zu) 2005-06-18 00 00 29 悪いけどまかせるよ!いじりづらいかもだけどよろしくです。現在もうすぐ電車が開通する茨城の山奥で靴屋で働きながら一人暮らししてる美大生です。出席番号は15?エビの次だったことは確か。 -- (あだ名なんか思いつかね~よ) 2005-07-13 15 12 13 出席番号7番、世界史だけやけに頑張ってた人間です(笑最近はフランス語と西洋美術史に励んでるとか?あとは、何かあれば適当にお願いw -- (スギ) 2005-07-21 16 21 50 出席番号2番、元バスケ部の世渡りが上手くない方です。サークルでトランペット始めました! -- (チャン) 2005-08-13 11 18 58 剣道部だったものです。人事の方のご紹介で入力させて頂きました。出席番号忘れました。ごめんなさい。 -- (巨匠) 2005-09-19 21 57 23
https://w.atwiki.jp/studykorea/pages/186.html
トップページ>歴史>歴史学報 『歴史学報』180、2003.12 論文 李賢惠「韓国初期鉄器時代の政治体首長についての考察」 金塘澤「都堂を通じてみた高麗禑王代の政治的状況」 陳商元「朝鮮前期政治事件の処罰と伸冤:金宗直の事例を中心に」 元在麟「朝鮮後期星湖学派の「下学」観と「道器一致」論」 鄭炳俊「李正己一家藩鎮と高沐:穏健派と強硬派の内部分裂と対立」 朴昔順「大宰府の対外関連業務事例研究」 任雄「法史料を通じてみた帝政初期ローマの売春と売春婦:アウグストゥスの婚姻法と姦通法を中心に」 朴珍彬「20世紀初アメリカ母性主義的福祉政策の発展」 李貞姫「1930年代スターリン大粛清に関する批判的考察:大粛清の背景と規模を中心に」 論壇 金容燮「私の韓国農業史研究回顧」 書評 朴漢済「窪添慶文『魏晋南北朝官僚制研究』汲古書院、2003年」 崔宰栄「ユーラシア大陸のなかの隋唐長安、宇宙の王都:妹尾達彦『長安の都市計画』講談社、2001年」 金泰雄「박지향『일그러진 근대 100년전 영국이 평가한 한국과 일본의 근대성』푸른역사, 2003」 『歴史学報』179、2003.9 韓国歴史学界の回顧と展望、2001-2002年:韓国史 鄭萬祚「総説」 李泳鎬「古代」 都賢喆「高麗」 韓亨周「朝鮮前期」 金成潤「朝鮮後期」 徐栄姫「近代Ⅰ(1876-1910)」 金正仁「近代Ⅱ(1910-1945)」 田鉉秀「現代」 韓国歴史学界の回顧と展望、2001-2002年:西洋史 朱明哲「総説」 車転桓「古代」 朴駿徹「中世」 趙庸旭「イギリス史」 尹承駿「フランス史」 姜声湖「ドイツ史」 尹龍善「ロシア史」 金延珍「アメリカ史」 金源中「スペイン・ラテンアメリカ史」 金賢植「思想史・歴史理論」 韓国歴史学界の回顧と展望、2001-2002年:美術史 朴恩和「美術史」 『歴史学報』178、2003.6 金基興「『花郎世記』二写本の性格」 李起雲「朝鮮時代王室の比丘尼院設置と信行」 李鮮馥「雷斧と世宗の淋疾について」 李敏雄「朝明連合艦隊の形成と露梁海戦結果」 盧大煥「朝鮮後期「西学中国源流説」の展開とその性格」 鄭求先「甲午改革以後薦挙制の変化」 南基鶴「鎌倉時代の「武威」についての一考察:中世日本の自己認識の一形態」 全寿蓮「ドン・カルロス(Don Carlos)対ドン・カルロ(Don Carlo):ユゴーとヴェルディが記述した一六世紀のエスパニア」 薛惠心「帝国主義とセクシュアリティ」 論壇 李泰鎮「日本の韓国併合「不法性」大討論:国際学術会議「「韓国併合」に関する歴史的・国際法的再検討」」 書評 尹龍爀「地域史研究の新しい可能性:변동명『한국중세의 지역사회 연구』학연문화사、2002年」 趙庸旭「이영석『역사가가 그린 근대의 풍경』푸른역사、2002年」 『歴史学報』177、2003.3 金鐘明「『直指』の禅思想とその意義」 李浩龍「申采浩のアナーキズム」 朴羊信「19世紀末日本人の朝鮮旅行記に現れた朝鮮像」 朴相昱「第1次世界大戦前半期ドイツ・ザクセン王国の企業経済問題、1914-1916」 朱明哲「「王妃のダイアモンド首飾り事件」の文化的意味」 批評論文 朴漢済「胡漢体制論のための弁明:金裕哲・周偉洲・川本芳昭教授の論評に答える」 安秉稷「過去清算と歴史叙述:ドイツと韓国の比較:付記;批判に答える」 書評 李基白「金載元『韓國과 中國의 考古美術』문예출판사、2000年」 『歴史学報』176、2002.12 論文 李栄薫「『花郎世記』における奴と婢:三国時代身分制再論」 蔡美夏「新羅宗廟制の受容とその意味」 金洛珍「高麗初期の内軍と禁軍」 李煕煥「扶安金氏を通じてみた朝鮮末期相尚の風潮」 金栄済「南宋代江西路撫州の両税額と財政収支:天一閣蔵『弘治撫州府志』の記録を中心に」 田寅甲「生産過程の制度化と労働界の対応:1930年代上海労働界を事例に」 姜明喜「張東蓀の中間路線論:国共内戦時期を中心に」 崔豪根「第1次世界対戦と歴史家たち:ドイツとアメリカの歴史家の参戦活動比較」 権亨鎮「雇用創出政策を通じてみたナチの景気浮揚政策」 金応鍾「歴史思想家マキャベリ」 論壇 池承鍾「「『花郎世記』における奴と婢」に対する論評」 盧明植「私は如何にして西洋史を学ぶようになったか」 書評 都冕会「ポストモダニズム、爆風なのか「茶盞のなかの爆風」なのか:김기봉 외『포스트모더니즘과 역사학』푸른역사、2002年」 『歴史学報』175、2002.9 韓国歴史学界の回顧と展望、2000-2001:韓国史 権延雄「総説」 趙法鍾「古代」 蔡雄錫「高麗」 金建泰「朝鮮前期」 車長燮「朝鮮後期」 韓哲昊「近代Ⅰ(開港前後~1910)」 金基承「近代Ⅱ(1910-1945)」 鄭秉峻「現代(1945~)」 韓国歴史学界の回顧と展望、2000-2001:東洋史 李成珪「総説」 李成九「中国古代」 金裕哲「中国中世(魏晋南北朝隋唐)」 李瑾明「中国近世Ⅰ(宋・遼・金・元)」 金弘吉「中国近世Ⅱ(明・清)」 朴基水「中国近代」 車雄煥「中国現代(1911-)」 尹炳男「日本前近代」 咸東珠「日本近現代」 盧英順「東南アジア」 李玉順「インド」 丁載勲「中央アジア」 宋京根「西アジア」 韓国歴史学界の回顧と展望、2000-2001:考古学 盧爀真「先史考古学」 朴広春「歴史考古学」 韓国歴史学界の回顧と展望、2000-2001:科学史 정혜경「科学史」 朴元熇「陳智超『美國哈佛大學哈佛燕京圖書館藏 明代徽州 方氏親友手扎七百通考釋』安徽大學出版社、2001年」 『歴史学報』174、2002.6 論文 金在庚「新羅土着信仰の分化進展」 邊東明「高麗時期順天の山神・城隍神」 宋亮燮「18・19世紀屯田における屯民の抵抗と定総制の採択」 韓相禱「華北朝鮮独立同盟と中国共産党」 徐仁範「明代の損納制と軍戸」 咸東珠「近代日本の形成と歴史像:田口卯吉の『日本開化小史』を中心に」 安煕惇「アウグストゥスの穀物平民(plebs frumentaria):ヴィルルーベ(C. Virlouvet)の見解を中心に」 李泰淑「W.バジョット(Walter Bagehot)のイギリス憲政論:ビクトリア期の保守主義?」 崔成哲「文化としての歴史?:ヨハン・ホイジンガ(Johan Huizinga)における「歴史」と「文化」、そして「文化史」」 羅仁昊「ドイツ概念史と新しい歴史学」 批評論文 皇甫永祚「スペイン内戦研究の流れと展望」 論壇 朴相益「我が人文学と翻訳」 書評 宋基豪「日本における接近した渤海史:酒寄雅志と石井正敏の著書を読んで」 『歴史学報』173、2002.3 徐栄教「羅唐戦争の開始とその背景:国際情勢変化と関連して」 金昌賢「高麗開京の羅城門と皇城門」 金アネス「高麗初期の都護府と都督府」 蔡雄錫「麗末鮮初郷村社会の変化と埋香活動」 河宇鳳「壬辰倭乱後国交再開期泗溟堂惟政の講和活動」 徐銀美「北宋代福建臘茶と茶法」 孫承会「軍閥と土匪:老洋人集団の成立と性格」 朴薫「徳川末期水戸藩の南上運動と政治空間」 全寿蓮「ウェルキンゲトリクス(Vercingétorix le Gaulois)、あるいは再創造されたフランス古代の英雄」 趙承来「産業革命時代イギリスの急進的な性談論」 批評論文 金裕慶「1525年のドイツ農民戦争:初期ブルジョア革命か?平民革命か?:農民戦争の性格議論と残された問題」 趙志衡「新しい世界史と地球史:ポストモダン時代の省察的歴史」 書評 金奉哲「허승일, 외『로마사 재정연구』ソウル大出版部、2000年」 姜玉楚「西川正雄『現代史の読みかた』平凡社、1997年」 『歴史学報』172、2001.12 論文 金杜珍「新羅見登之の華厳成仏思想」 盧明鎬「高麗時代の分家規定と単丁戸」 金容燮「高麗忠烈王朝の「光山県題詠詩序」の分析:新羅金氏家貫郷の光山地域定着過程を中心に」 金建泰「朝鮮後期農家の農地所有現況とその推移:晋州地方を中心に」 李恩廷「オスマン帝国ギルド内の「伝統」と変化:17世紀初・中葉イスタンブールの事例を中心に」 車惠媛「清代の行政改革と清官論の展開:康煕年間前半を中心に」 孫準植「密輸方法と従事者を通じてみた華北密輸」 崔惠英「オウィディウスの追放原因と言論自由の限界」 李炳哲「フライブルク・サークル(Freiburger Circle)のナチズムに対する抵抗と戦後の新秩序案」 李相信「未来の歴史学的意味」 批評論文 権泰檍「同化政策論」 書評 沈載勲「20世紀韓国上古史研究に対する半生:Hyung Il Pai『Constructing "Korean" Origins』Cambriage Harvard University Press, 2000」 兪長根「任桂淳『淸史 - 滿洲族이 통치한 中國』신서원, 2000年」 金賢植「Roberto Ridolfi、곽차섭 訳『마키아벨리 평전』아카넷, 2000年」 『歴史学報』171、2001.9 韓国歴史学界の回顧と展望:韓国史 李栄薫「総説」 全徳在「古代」 李益柱「高麗」 韓嬉淑「朝鮮前期」 呉宗禄「朝鮮後期」 徐栄姫「近代Ⅰ(1876-1910)」 張錫興「近代Ⅱ(1910-1945)」 金光雲「現代」 韓国歴史学界の回顧と展望:西洋史 許勝一「総説」 呉興植「古代」 姜日休「中世」 趙承来「イギリス史」 李英霖「フランス史」 鄭鉉栢「ドイツ史」 石和静「ロシア史」 孫世浩「アメリカ史」 陸栄洙「思想史・歴史理論」 韓国歴史学界の回顧と展望:美術史 李柱亨「美術史」 『歴史学報』170、2001.6 金塘澤「高麗仁宗朝の西京遷都・称帝建元・金国征伐論と金富軾の『三国史記』編纂」 金成潤「茶山丁若鏞の洪範説研究」 韓永浩「西洋幾何学の朝鮮伝来と洪大容の『籌解需用』」 朴秀哲「戦国時代近江守護六角氏の「地域統合」過程:延暦寺の関係を中心に」 李成珪「漢帝国中央武庫収蔵目録の発見:尹湾漢簡「武庫永始四年兵車器集簿」の正体」 金奉哲「古代ギリシャにおけるヨーロッパの形成過程に関する歴史的分析:ヨーロッパ概念の誕生と変遷過程を中心に」 尹進「ヘレニズム時代スパルタ「革命」とナビス(Nabis)」 任雄「ローマ帝政後期小作人の隷属化と隷属小作制の成立」 論壇 李鍾旭「実証史学の壁を越え新しい歴史読解:韓国古代史研究100年:現在-争点」 李成茂「朝鮮時代史序説」 書評 李惠玉「박종진『고려시대 재정운영과 조세제도』ソウル大学校出版部、2000年」 具仙姫「최문형『한국을 둘러싼 제국주의 열강의 각축』知識産業社、2001年」 徐東晩「김성보『남북한 경제구조의 기원과 전개』歴史批評社、2000年」 金賢植「韓国歴史研究会 編『20세기 역사학, 21세기 역사학』歴史批評社、2000年」 『歴史学報』169、2001.3 論文 鄭演植「華城空心墩の由来と機能」 呉美一「1920年代ブルジョア民族主義系列の協同組合論」 徐仲錫「後期新興武官学校」 権仁溶「明末清初徽州の役法変化と里甲制」 尹輝鐸「「満州国」の「二等国(公)民」、その実像と虚像」 金命煥「イギリス・サンディカリスム(syndicalism)の革命概念:戦闘的な漸進主義」 朴枝香「イメージと国家利益:イギリスの対日・対韓認識と対外政策決定、1860-1920」 李来珠「第1次世界大戦とイギリスの1918年教育法:定時制学校設立に対する起業家の反応を中心に」 崔丞完「ソ連占領地域(SBZ)/東独(DDR)でのナチ過去清算作業についての批判的検討」 論壇 李揆河「時代による歴史の解釈と意味:南北統一と関連して」 書評 安秉佑「盧明鎬『韓国古代中世古文書研究(上・下)』ソウル大学校出版部、2000年」 高英津「朝鮮時代思想史の隙間を埋める:신병주『남명학파와 화담학파 연구』一志社、2000年」 『歴史学報』168、2000.12 論文 朴恩卿「高麗の事審官と朝鮮初の留郷所について」 崔文衡「露日の対立と「閔妃」弑害事件」 洪錫律「5・16クーデターの原因と韓米関係」 権五重「滄海郡と遼東東部都尉」 朴漢済「魏晋南北朝時代各王朝の首都選定とその意味:洛陽と鄴都」 丁載勲「ウイグルの摩尼教受容とその性格」 柳鏞泰「孫文の国民会議所集論:武力と国民の結合」 李鎔在「労働総同盟(C.G.T)の連盟構造改編をめぐる論争:職能別労組主義対産業別労組主義」 論壇 金駿錫「「全国歴史学大会」の過去と未来:新しい跳躍のための自己検証」 金栄漢「全国歴史学大会の改善方案」 資料:各国の歴史学大会 趙明哲「日本の歴史学界と全国大会」 梁豪煥「アメリカとイギリスの歴史学大会:現況と特徴」 崔甲寿「ドイツとフランスの歴史学界の全国大会とその組織」 書評 金基興「新羅上古史の新しい理解体系:강종훈『新羅上古史研究』ソウル大学校出版部、2000年」 蔡雄錫「韓国中世社会経済史研究のガイダンス:金容燮『韓國中世農業史硏究 -土地制度와 農業開發政策』知識産業社、2000年」 金駿錫「韓国歴史研究会朝鮮時期社会史研究班『조선은 지방을 어떻게 지배했는가』아카넷、2000年」 金永植「技術と遺物を中心にみた韓国科学史:전상운『韓国科学史』사이언스북스、2000年」 金徳鎬「이보형、황혜성 編『미국 역사학의 역사』비봉出版社、2000年」 『歴史学報』167、2000.9 韓国歴史学界の回顧と展望:韓国史 李範稷「総説」 梁起錫「古代」 朴鍾進「高麗」 高英津 「朝鮮前期」 呉永教「朝鮮後期」 金度亨「近代Ⅰ(1876~)」 全遇容「近代Ⅱ(1910~)」 韓洪九「現代(1945~)」 韓国歴史学界の回顧と展望:東洋史 崔韶子「総説」 金秉駿「中国古代」 金貞姫「中国中世(魏晋南北朝隋唐)」 金容完「中国近世(宋遼金元)」 田炯権「中国近世(明清)」 金泰丞「中国現代(1911~)」 朴秀哲「日本前近代」 趙明哲「日本近代」 崔秉旭、李玉順「東南アジア・インド」 宋京根「西アジア」 李平来「中央アジア」 韓国歴史学界の回顧と展望:考古学 安承模「先史考古学」 林永珍「歴史考古学」 韓国歴史学界の回顧と展望:科学史 文重亮「科学史」 論壇 趙志衡「ポストモダン歴史理論と「開かれた」歴史学:『「歴史とは何か」を越えて(역사란 무엇인가를 넘어서)』の批判的検討」 地域史研究の理論と実際:ミクロ的接近 조한욱、김현식「ミクロ史の理論と実際」 권인용、정병철「清初徽州の一生員の郷村生活:詹元相の『畏齋日記』を中心に」 김준형、井上和枝「朝鮮後期丹城県法勿面地域村落の変化」 이훈상、김필동「ミクロ史と多声性の物書き:朝鮮後期郷吏集団と彼らをめぐる視線」 백승종、이종범「18世紀全羅道のある両班たちの「門銭」:高利貸と郷村社会」 書評 林起煥「전호태『高句麗古墳壁画研究』사계절、2000年」 李潤甲 「延世大学校国学研究院 編『韓國近代 移行期의 中人硏究』신서원、1999年」 李石佑「임희완『청됴도 삶・운동・사상』아가페文化社、1999年」 裵永洙「양동휴 編『1930년대 세계 대공황 연구』ソウル大学校出版部、2000年」 『歴史学報』166、2000.6 論文 李賢惠「4-5世紀栄山江流域土着勢力の性格」 洪承基「高麗前期の事審と郷吏」 金塘澤「高麗両班社会と韓国史の時代区分」 李昇輝「孫文と国民会議」 金賢植「伝統的歴史学と新しい歴史学:変化する歴史学の昨日と今日」 車転桓「ローマ帝政初期奴隷解放を制限する法」 申倖先「第1次世界大戦以前フランス労働者の集会に現れた「祖国」の意味(1895-1914)」 金承烈「ド・ゴール主義者は超国家的ヨーロッパ統合の賛成者なのか、反対者なのか?:ド・ゴール主義者とヨーロッパ軍事政治統合、1950-1954」 論壇 李鍾旭「『韓国古代史の新しい体系』(1999)のための弁論」 書評 林相先「柳得恭の『渤海考』異本:승기호 訳『渤海考』弘益出版社、2000年」 金甲童「채웅석『高麗時代의 國家와 地方社會:‘本貫制’의 施行과 地方支配秩序』ソウル大学校出版部、2000年」 鄭演植「金澔『허준의 동의보감 연구』一志社、2000年」 禹龍済「植民地教育の典型と形成:『식민지 초등 교육의 형성』教育科学社、2000年」 趙庸旭「이영석『다시 돌아본 자본의 시대』소나무、1999年」 徐廷勲「박지향『제국주의 신화와 현실』ソウル大学校出版部、2000年」 『歴史学報』165、2000.3 論文 李仁哲「新羅統一期私的土地所有関係の展開」 金洛珍「高麗時代牽龍軍の設置と任務」 都賢喆「『経済文鑑』の引用典拠で見た鄭道伝の政治思想」 金相泰「日帝下尹致昊の内面世界研究」 趙志衡「ポストモダン時代の記号学的歴史学:禍諍記号学を中心に」 金昌成「ローマ共和政期イタリア同盟国の社会構造と土地保有関係:統一の社会・経済的指標」 朴興植「小商人同業組合と中世都市の排他性:三北ドイツ都市(Lüneburg, Goslar, Hildesheim)を中心に」 金應鍾「フィリップ・コミン(Philippe de Commines)の『回想録』に現れた人間と神の姿」 論壇 河世鳳「1930年代東アジア域内交易の放射線型構造」 韓国歴史学界の争点と展望 김현식、김응종「伝統的歴史学と新しい歴史学:変化する歴史学の昨日と今日」 배경한、김세호「中国現代史の範囲と下限問題:「歴史学の危機」と中国現代史の「変身」模索」 権泰檍、허수열「近代化・同化・植民地遺産:解放前後の連続と断絶問題と関連して」 성정용、権五栄「古代戦争技術の変化:馬韓・百済地域の武器・馬具体系の変遷を中心に」 書評 盧重国「李鍾旭『한국 고대사의 새로운 체계 100년 통설에 뺴앗긴 역사를 찾아서』소나무、1999年」 孫浩哲「失われた50年代を探して:『조봉암과 1950년대(상, 하)』歴史批評社、1999年」 崔煕在「김호동『근대 중앙아시아의 혁명과 좌절』사계절、1999年」 姜玉楚「The NEw History of the Italian South; The Mezzogiorno Revisited, Robert Lumley and Jonathan Morris (ed.), 1997, University of Exeter Press」 『歴史学報』164、1999.12 論文 李泰鎮「外系衝撃大災難節(Neo-Catastrophism)と人類歴史の新しい解釈」 金基興「新羅と聖骨」 蔡煕淑「高麗光宗の科挙制実施と崔承老」 白承鍾「18世紀前半西北地方で出現した『鄭鑑録』」 韓永浩、李載孝、李文揆、徐文浩、南文鉉「洪大容の測管儀研究」 徐仁範「明中期の損納制と軍餉調達」 李丙仁「1920年代上海の同郷関係と社会団体」 車龍九「中世の異端と女性」 李英霖「17世紀後半フランスにおける児童教育:シャルル・デミアの無料教育を中心に」 朴根甲「自立と統制:ドイツ国民国家形成期の自由主義と社会政策(1848-1869)」 李順才「トライチケ(Heinrich von Treitschke)の国家論:その力の理論を中心に」 第42回全国歴史学大会参観評 鄭容郁「認識の拡大、分節化と世紀末の歴史学」 裵京漢「21世紀を迎える還国歴史学の現住所」 金基鳳「20世紀歴史家と哲学者が評価した歴史としての20世紀」 書評 朱甫暾「盧泰敦『高句麗史研究』사계절、1999年」 鄭然泰「還国鉄道100周年ぶりに解剖された植民地鉄道の総体像:鄭在貞『일제침략과 한국철도』ソウル大学校出版部、1999年」 李鍾奭「解釈と実証の精巧な出会い:和田春樹、서동만 訳『韓国戦争』創作と批評社、1999年」 朴根七「金鐸敏『中国土地経済史研究』高麗大学校出版部、1998年」 『歴史学報』163、1999.9 韓国歴史学界の回顧と展望:1998、韓国史 洪承基「総説」 李文基「古代」 金光哲「高麗」 柳昌圭「朝鮮前期」 尹煕勉、金徳珍「朝鮮後期」 河元鎬「近代Ⅰ(1876~)」 林京錫「近代Ⅱ(1910~)」 潘炳律「現代(1945~)」 韓国歴史学界の回顧と展望:1998、東洋史 辛勝夏「総説」 崔徳卿「古代」 李周鉉「中世:魏晋南北朝隋唐」 朴志焄「近世Ⅰ:宋遼金元」 金希教「近世Ⅱ:明清」 金世昊「現代(1911~)」 南基鶴「日本」 蘇秉国、李珖洙「東南アジア・インド」 李煕秀「西アジア」 編集部「中央アジア」 韓国歴史学界の回顧と展望:1998、西洋史 李相信「総説」 崔滋英「古代」 姜治遠「中世」 金琪淳「イギリス」 金容右「フランス・イタリア」 金学頤「ドイツ」 趙虎衍「ロシア・東ヨーロッパ」 金辰雄「アメリカ」 金應鍾「歴史理論・思想史」 韓国歴史学界の回顧と展望:1998、考古学 李清圭「先史考古学」 金用星「歴史考古学」 李柱亨「美術史」 文重亮「科学史」 歴史的立場から見た文明圏別価値観の特殊性と普遍性 차하순「特殊性から世界化へ:西ヨーロッパ文化圏の特性と限界」 김성복「アメリカ文明の諸問題と特性」 전지용「ロシアの文化と権力」 김정위「イスラム文明の特性」 백영서「東アジアにおける文明論と国民国家:20世紀前半期の談論構造の再検討」 금장태「儒教文化の特性とその普遍的意味」 조길태「多様性を統一性へと克服したインド文化の伝統」 「総合討論」 『歴史学報』162、1999.6 論文 尹龍九「三韓の朝貢貿易についての一考察:漢代楽浪郡の交易形態と関連して」 鄭景姫「英祖後半期(1749-1776年)経筵と英祖の義理論強化」 曺永禄「唐末五代閩越雪峰門徒の呉越進出と「東国僧」霊照」 金成奎「宋代における国境問題の意義と国境の形態」 銭東鉉「国民革命期国民政府革命外交の理論的性格」 鄭城和「16世紀ヨーロッパ古書に現れた韓国:イメージの胎動」 朴技香「官僚制を通じてみたイギリス帝国統治のメカニズム」 論壇 姜鍾薫「『三国史記』新羅本紀初期記録の紀年問題再論」 書評 李永石「隷属民の比較史、その可能性と限界:歴史学会編『奴婢・奴隷・農奴』一潮閣、1998年」 都珍淳「民族と近代前後、そしてオリエンタリズム:임지현『민족주의는 반역이다』소나무、1999年」 金正仁「Peter Duus『The Abacus and the Sword The Japanese Penetration of Korea, 1895~1910』BerkeleyㆍLos Angeles・London ; University of California Press, 1995」 『歴史学報』161、1999.3 論文 李鍾旭「新羅上代の王京六部」 李栄薫「高麗佃戸考」 李銀子「19世紀後半山東西部民間宗教結社と拳会の動向」 田寅甲「1920年代前半期上海労働者社会の地縁網と労働運動」 陸栄洙「聖シモン主義者(Saint Simonian)と1848年の革命:ふたつの道」 説林 金奉哲「古代アテネの赦免法と殺人罪裁判:崔滋英 先生の反論に対する回答」 崔滋英「古代アテネ赦免法に関する金奉哲教授の「回答」について」 論壇 金基鳳「誰がポストモダンを怖れるか:開かれた歴史学のためのひとつの提言」 車河淳「21世紀はいつ始まるか?」 書評 鄭震英「고석규『19세기 조선의 향촌사회 연구』ソウル大学校出版部、1998年」 1-20 21-40 41-60 61-80 81-100 101-120 121-140 141-160 161-180 181-190 191-200 201-210 211-220 221-230
https://w.atwiki.jp/jpops/pages/2460.html
エゴンシーレをお気に入りに追加 エゴンシーレのリンク #bf Amazon.co.jp ウィジェット エゴンシーレの報道 70代で描き始めたアメリカの国民的画家。「グランマ・モーゼス展」に見るその人生(美術手帖) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース N.Flying ユ・フェスン、ミュージカル「クリムト」に出演決定…パワフルなボーカルに期待(Kstyle) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「N.Flying」ユ・フェスン、ミュージカル「クリムト」にエゴン・シーレ役で出演 - WOW! Korea 「若い少女たちをナンパし、アトリエに連れ込み…」天才画家シーレのこじらせ人生 スピードとエロスを追い求め続けて - PRESIDENT Online WINNERソン・ミンホ『絵泥棒たち』で作品初公開‥躁うつ病についても告白 - DANMEE ダンミ - ダンミ RAMMELLS、三ヶ月連続リリース第二弾はエゴン・シーレの“Yellow City”から着想 - BARKS “芸術”だから価値をもつ、ウィーンの画家エゴン・シーレの作品がスウェットシャツに。|Pen Online - Pen-Online クリムト、シーレ・・・大阪でウィーン芸術展 » Lmaga.jp - Lmaga.jp(京阪神エルマガジン社) ウィーン・モダン展から 荒い筆触 独特のリズム - 読売新聞社 没後100年、エゴン・シーレの「命のかたち」を 日本の作家2人、人形と絵でオマージュ - 毎日新聞 - 毎日新聞 展覧会と映画で楽しむクリムト特集 山田五郎が19世紀末ウィーン文化を解説 - 映画.com 国立新美術館『ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道』鑑賞レポート 400点でたどる、煌びやかな世紀末芸術の近代化 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス - http //spice.eplus.jp/ クリムト&シーレに迫るドキュメンタリー予告、「接吻」の前でキス交わすカップルも - ナタリー 柄本佑のナレーションが誘う「クリムト エゴン・シーレとウィーン黄金時代」予告 - 映画.com 世紀末ウィーンを代表する2人の画家、クリムトとシーレが登場 『エゴン・シーレ 二重の自画像』書評 - http //spice.eplus.jp/ クリムトとシーレ、ウィーン黄金時代の画家のエロスと魂に迫るドキュメンタリー公開 - 映画.com バスキアとエゴン・シーレの“衝撃的な線”──回顧展キュレーターのディーター・バックハートにインタビュー - GQ JAPAN 「夭逝の天才」たちの作品が120点超え──「エゴン・シーレ展/ジャン=ミシェル・バスキア展」リポート - GQ JAPAN 夭逝の天才。2人の筆致をパリで観る – シーレとバスキア - 東京アートビート カスヤの森現代美術館 画家「シーレ」の世界を立体化 人形作家・宮崎郁子の企画展 | 三浦 | タウンニュース - タウンニュース 映画「エゴン・シーレ 死と乙女」 早世の天才画家を取り巻く女性 - 産経ニュース エゴン・シーレ 死と乙女 (2016):あらすじ・キャスト・動画など作品情報|シネマトゥデイ - シネマトゥデイ デビッド・ボウイが影響を受けた画家の生涯を描いた映画「エゴン・シーレ 死と乙女」 - エイガドットコム 『エゴン・シーレ 死と乙女』作品情報 | cinemacafe.net - cinemacafe.net 【特別映像】超絶イケメン画家の複雑な愛の模様を映す『エゴン・シーレ 死と乙女』 - cinemacafe.net ウィーン美術史に輝く天才画家の愛の物語「エゴン・シーレ 死と乙女」1月公開 - エイガドットコム 夭逝の画家エゴン・シーレの愛と創造の日々描く自伝映画、2017年1月公開 - ナタリー エゴン・シーレ「カール・グリュンヴァルトの肖像」 アートについ…|アート&レビュー|NIKKEI STYLE - 日本経済新聞 エゴンシーレとは エゴンシーレの61%は呪詛で出来ています。エゴンシーレの12%は世の無常さで出来ています。エゴンシーレの7%は野望で出来ています。エゴンシーレの6%は赤い何かで出来ています。エゴンシーレの6%は毒物で出来ています。エゴンシーレの3%は利益で出来ています。エゴンシーレの3%はミスリルで出来ています。エゴンシーレの2%は優雅さで出来ています。 エゴンシーレ@ウィキペディア エゴンシーレ Amazon.co.jp ウィジェット 掲示板 名前(HN) カキコミ すべてのコメントを見る ページ先頭へ エゴンシーレ このページについて このページはエゴンシーレのインターネット上の情報を集めたリンク集のようなものです。ブックマークしておけば、日々更新されるエゴンシーレに関連する最新情報にアクセスすることができます。 情報収集はプログラムで行っているため、名前が同じであるが異なるカテゴリーの情報が掲載される場合があります。ご了承ください。 リンク先の内容を保証するものではありません。ご自身の責任でクリックしてください。
https://w.atwiki.jp/hikaroon/pages/71.html
ウィーン ~ Vienna ~ 1日目 8:30起床。シャワーを浴びて準備をし、9:30頃出発。マリアヒルファー通りを歩いてリンクを目指す。通りは歩行者天国になっていて、両側にレストラン、カフェー、ブランドショップ、薬局等が並び、賑わっている。 僕がウィーンで真っ先に食べたいと思っていたもの、それはシュニッツェルだ。「マイシュニッツェル」という店の看板を見つけて入ってみる。ファストフードだったが、それでも美味しそうだ。シュニッツェル2枚とポテトフライのセットにした。シュニッツェルは、見た目は大きいが、薄く叩き延ばされており、実際にはそれほど量は無い。熱いうちにペロッと美味しく食べてしまった。 Museum Quarter、美術史美術館、国立図書館、Albertina、オペラ座と歩き、Stephan大聖堂に辿り着いた。大聖堂は大きい、また、塔が併設されており、なかなかの高さである。それにも拘らず、プラハ城の大教会よりも目前に威圧感を感じない。それは色の白さと、広場に建っているためだろうと思った。ステインドグラスについても、単調な市松模様であり、プラハ城の方が良かった。大聖堂の周辺にはおめかしをした馬がおり、馬車を引いていた。 カフェにて、タルトとカフェラテで糖分補給をしていよいよBelvedereに向かう。リンクを時計回りに歩き、市立公園を通り、カールス教会まで少し道を行き過ぎて、アルゲンティーニアー通りから回り込んでObres Belvedereの辺りに出た。Belvedere宮殿は下宮(Unteres)と上宮(Obres)からなり、二つの宮殿は細い長方形上の敷地の両端に位置している。敷地は緩やかに傾斜しており、上宮から庭全体を臨むことができる。噴水から流れ出た水も、上宮から下宮へ向かって流れている。遠くには市街部の町並みや、Stephan大聖堂の尖塔が見える。壮大な眺めである。 Belvedereは素晴らしかった。まずSchieleで感動した。更に出発前に良いと聞かされていたKlimtの作品は期待以上の傑作だった。人肌は様々な色が淡く配合され、また比較的立体的であり生命力を感じさせる一方で、背景、服、花等は装飾的であり、また遠近感に乏しい。この対比からKlimtの、人間への執着が窺える。3時間程かかって、1階から3階まで一通り見たが、これでも全然時間が足りない。明日も足を運ぶことにした。 帰りに宮殿の写真を撮っているときに、日本人の女性にであった。彼女と世間話しながら市街部へと向かう。19時にStephan大聖堂の前で、別の日本人女性と待ち合わせをしているというので、折角なので僕も行ってみる事にした。19時に間に合うように、少し急がなくてはならなかったが、こういうときに徒歩移動で養った土地勘がとても役立つ。 19時に鳴り響く鐘の音の中、もう一人の女性と無事合流することができた。三人で、通りのビアガーデンで軽く飲みながら、どこで夕食を食べるかプランを練る。ウィーンで歴史のあるレストラン○○で食べることが満場一致で決まった。三人で料理を注文したので、一人ではとても食べられないほどの様々なメニューを食べることができた。注文しすぎてしまい、苦しみながら完食した。 食後はホテルザッハーに移動し、ザッハートルテを食べた。中にアプリコットジャムが入ったチョコレートケーキだが、信じられないほど甘い。上に載っている円盤状のプレーンチョコや、薄味の生クリームの方がイケている。通りを挟んで向こう側のオペラ座からは歌声が響いてくる。オペラが終わる時刻になると、華やかに着飾った人々がザッハーになだれ込み、いきなり混雑した。細身のマダムがザッハートルテをペロッと苦もなく完食するのを目の当たりにして驚いた。 ホステルに戻ると、ドイツ人の男が増えていた。文学のPhDで、オーストリアへは友人を訪ねにきたという。専攻はギリシャ、ラテン文学で、特にホメロスを研究しているという。ホメロスの魅力を聞くに、ヨーロッパの文化はその大本がギリシャにあるため、ホメロスはヨーローパ全体に関係した悲劇であり、ホメロスを研究することでヨーロッパの根源的な性質が見えてくることだと言っていた。凸窓に座りカーテンで仕切って読書をしている姿が印象的だった。
https://w.atwiki.jp/wiki11_art/pages/5.html
09 00-10 30 第01回 ガイダンス 導入の時間とするために、シラバスの内容を確認しながら、本授業の大きな枠組みについて重要なトピックスを紹介しつつ進めていく。なお、芸術論に関する情報はhttp //www11.atwiki.jp/art/pages/4.html にて随時、追加・更新していく予定です。 1-1どんな授業にしたいのか。 新しい芸術表現にであったときに、拒否的にならずに「何が起きているのか?」というふうな知的好奇心に満ちた態度で「芸術表現」を楽しめるような姿勢を作りたいと考えています。芸術表現を解釈する事を通じて、文字に記述されていない現象を言語化する力もあわせてつけていきたい。 1-2少しは美術史の事を知っておかないと。 芸術家は思いつきで作品を作っているように見えるが、一般的には一時代を画する芸術運動や作品、作家について一通りの知識を持っており、それらとの関係をいつも意識している。特に画学生の時代には、模写を中心としていわゆる傑作を徹底的に真似して「構図や配色」などの作画上の技能について「観察と描くという行為」を通じて少しずつ自分のものにしていく。模写をすると、作品の影響から抜けがたくなる、という考え方もある。が、こういう場合はその芸術家が持っているオリジナルの才能が弱かったのだろうから、しようがない、という受け取られ方をする場合が多い。真似して潰れるような才能は、大したモノではない、という考え方が底流にあるようだ。 過去の傑作をベースに改変したり再構成したりする、本歌取りに良く似た手法で新しい傾向の作品を生み出すための試作を行うのは、一般的なことだという指摘もある。 「本歌取り」については、http //kotonoha.main.jp/2004/03/29honkadori.htmlで比較的わかり易い解説がある。 1-3どれだけの芸術家(画家、彫刻家)を知っている? 試しに、有名だと思う芸術家(画家、彫刻家)名を一人あたり一人ずつ順番にホワイトボードに書いてもらおうと思う。ダブりが無いように注意しながら、これ以上は思いつかない、というところまで続けてみる。 芸術論ではこの課題を毎年行っている。ほとんど同じような傾向が現れる。後に参考になるので、メモしてほしい。全部が出揃ったあたりで、傾向、時代にあわせて大まかな分類をしてみる。ここで重要なのは、芸術家の名前という知識がどのように作られていったのか、ということ。そして、各自の中でそれらの名前と作品の画像がしっかり頭の中で結びついているかどうか?ということである。 注目してほしいのは、ここで頭に浮かんだ作品画像を美術館で見てイメージを強固なものにしたのか、それとも主に画集やTVなどのメディアを通じて覚えたものなかどうか、、、という点である。 1-4メディアと芸術の関係について ならば、メディアを通じて芸術作品に接する事ができるようになったのがいつ頃からなのかが気になる。新聞はマスメディアとして一番古い部類だから、これを例にとる。新聞を大量に印刷し短時間に配布するには、印刷工場と輸送システムが必要になる。これを成り立たせる社会資本はいずれも産業革命を達成した国家でのみで可能となるので、一番早い段階としては19世紀後半が端緒ということになる。同時期に写真術や映画といった20世紀の映像文化・産業を担う技術がでそろい一般化して行ったことも忘れてはならない。 ところで、日本は? 産業革命にやや遅れて着手したものの殖産興業策を通じて強力に推進した明治政府のおかげで、瞬く間に欧米先進国に接近した。「1868年に小冊子形態の新聞が刊行され、佐幕色の中外新聞、江湖新聞(1868年創刊)が、1870年には日刊紙である横浜毎日新聞が創刊される。1872年には東京日日新聞、郵便報知新聞などがそれぞれ創刊。1874年に讀賣新聞、1879年に朝日新聞が創刊。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より」 なお、興味深いのは、日本においては美術館の整備が著しく遅れたため(第二次世界大戦後まで)マスメディアである新聞社が主催する展覧会が芸術の啓蒙に大きく寄与した事実だ。状況は変わらず、現在も続いている。 1-5更なるマスメディアによる情報の提供 近年のマルチメディア技術の大衆化によって、TV番組やDVDなどを通じた解説付き、もしくはゲーム形式による芸術との出会いも珍しく無くなってきた。たとえば、映像付で岡本太郎を紹介した第二日テレのコンテンツがあるので、以下に示す。http //www.dai2ntv.jp/
https://w.atwiki.jp/unno/pages/72.html
書名 日本図書館紀行 書誌情報 出版社(叢書・シリーズ名)マガジンハウス 発行年月日1995年10月19日 版型 造本データ ページ数四六判 上製 237ページ 定価1359円 装丁菊地信義 装画:佐々木悟郎 目次 愛媛県立図書館(愛媛県松山市) 見知らぬ街の入口に立つ 11 福岡市民図書館(福岡県福岡市) 窓から見える波止場の物語 16 福岡県立図書館(福岡県福岡市) 夢野久作のいたモダン都市 21 岐阜県図書館(岐阜県岐阜市) 細長くのびた町の観光都市計画 25 愛知県図書館(愛知県名古屋市) 観光案内から見る都市構造 29 札幌市中央図書館(北海道札幌市) 前衛カフェ初モダン・アートの記 33 市立小樽図書館(北海道小樽市) 小林多喜二や伊藤整が見た風景 37 茨城県立図書館(茨城県水戸市) 水戸黄門が企画した大日本史以降 42 土浦市立図書館(茨城県土浦市) 茶の間の風俗史を読み解く 46 広島市立中央図書館(広島県広島市) ボヘミアンたちの足跡をたどる 51 福山市民図書館(広島県福山市) 文化都市、その知的伝統のゆくえ 56 長岡市立中央図書館(新潟県長岡市) 今日の市立図書館のはじまり 61 新潟県立図書館(新潟県新潟市) 全国的に広まった新潟の歌 65 花巻市図書館(岩手県花巻市) 宮沢賢治とイーハトヴ 69 宮城県図書館(宮城県仙台市) 駅裏の過ぎ去りし表舞台を歩く 74 京都府総合資料館(京都府京都市) 古都京都の知られざる近代史 79 奈良県立奈良図書館(奈良県奈良市) 仏像にはじまる日本の美術史 84 大阪府立中ノ島図書館(大阪府大阪市) 変貌する年の変わらない記憶 89 堺市立中央図書館(大阪府堺市) 利休、曾呂利、それぞれの考証 93 栃木県立足利図書館(栃木県足利市) 足利学校これもまた一つの図書館 97 栃木県立図書館(栃木県宇都宮市) ユニークな文学者たち 101 市立函館図書館(北海道函館市) 一九二〇年代の港町余話 106 旭川市立末広図書館(北海道旭川市) 旭川という大きな図書館にて 111 高崎市立図書館(群馬県高崎市) ブルーノ・タウトから山田かまちまで 115 前橋市立図書館(群馬県前橋市) 朔太郎と風斗出者とからっ風 119 熊本県立図書館(熊本県熊本市) 幻の女が作った幻の映画誌に出会う 125 鹿児島県立図書館(鹿児島県鹿児島市) いまだ民話が生きる街 130 富山県立図書館(富山県富山市) 埋もれた文化人の大いなる遺産 134 高山市図書館(岐阜県高山市) 横たわる昭和初期の飛騨高山 138 高知県立図書館(高知県高知市) 土佐人の親切に迎えられて 142 徳島県立図書館(徳島県徳島市) 懐かしきふるさとの変遷 147 山梨県立図書館(山梨県甲府市) ハイカラな街のアウトロウたち 152 長野県立図書館(長野県長野市) 信玄と謙信がのこした傷跡 157 長崎県立図書館(長崎県長崎市) 異国の匂いのする中で 161 佐賀県立図書館(佐賀県佐賀市) 伊万里の里の作家たち洋画家たち 165 苫小牧市立中央図書館(北海道苫小牧市) この地に惹かれてやってきた人々 170 北海道立図書館(北海道江別市) 〈北〉のムーラン・ルージュ 175 静岡県立中央図書館(静岡県静岡市) あのヒーローたちの断片的史実 179 豊橋市中央図書館(愛知県豊橋市) 先覚者の残したこの風景 184 岡山市立中央図書館(岡山県岡山市) 思いがけぬ巡り会わせ 189 尾道市立図書館(広島県尾道市) 描かれた尾道、愛される林芙美子 193 弘前市立図書館(青森県弘前市) 歴史的都市の近代のあゆみ 198 秋田県立秋田図書館(秋田県秋田市) 都市の斜陽と曲り角 203 滋賀県立図書館(滋賀県大津市) 近江商人を生んだ東西交通の要 208 三重県立図書館(三重県津市) 小津、乱歩、偉人たちの思い出 213 呉市中央図書館(広島県呉市) 軍港都市とその後 218 山口県立山口図書館(山口県山口市) 失われゆく中世の豊かさと今 223 沖縄県立図書館(沖縄県那覇市) 複雑な歴史の狭間をさまよう 227 あとがき 231 図書館リスト 237 あとがきより 主な初出 『ダカーポ』 補記
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/3433.html
90 :ooi:2016/04/13(水) 22 07 46 豪州+新西蘭転移ネタ8 清国及び中華民国について1 清国はアロー戦争の仲介料として外満州の大半を、日清戦争では多額の賠償金に加えて台湾、海南島が日本に割譲されていた。 これによって、清国は国威、国力の両面で大打撃を食らっていた。 止めに、日露合意で満州が勝手に割譲された事にキレて、義和団と残っていた正規軍、私軍を動員して日露に戦争を仕掛けたが壊滅的敗北を喫した。 日露に合計6億両の賠償金を支払った事で財政が破綻状態となり、革命によって清朝は滅亡する。 日英露は王朝が保有した運び出せる文化財の殆どを国外に運び出す事を条件に清国皇室や政府要人の財産を含めた脱出の手助けを行った。 脱出した人々はこれらの美術品を管理する仕事が与えられ、彼等が書いた由来等の記録は中国美術史における貴重な資料となった。 清朝滅亡後、中華民国が成立した。 孫文は、ハワイが日本領だった事からアメリカではなく日本に留学して様々な経験を積んでいた。 この後、本格的に西洋の知識を得ようと考えて英領インドや仏領インドシナに赴いて欧州の議会制民主主義を学んだ。 彼と共に学んだ同志達十数名は農業や鉱工業、経済、軍事についての知識を深めた。 孫文は留学時の伝手を活かして国内の立て直しと近代化を行おうとしたが、国防上の理由や袁世凱を警戒して首都を広州に変えた事が華北の反発と軍閥時代を招いてしまった。 孫文は日英露の支援で北伐を画策したが、日英露の反対で断念する事となる。 元々、夢幻会や円卓にとって中華統一は害悪であったので、統一妨害策展開の時間稼ぎとして孫文に国民党勢力圏の近代化を先にすべきだと伝えた。 孫文率いる国民党が現時点で抑えていたのは本拠地の広東省を中心に広西、湖南、江西、湖北、重慶市の5省1市であった。 国民党は様々な改革によって現時点における国土近代化を大規模な妨害が無かった事もあって完遂した。 軍も近代化が進み、1932年には九二式軽戦車を50両購入して機甲部隊も設立させた。 航空部隊も旧式機ではあるが戦闘機60機、爆撃機30機が所属していた。 歩兵部隊、砲兵部隊も比較的新型の兵器を装備しており、これを上回る軍備を持つのは華北共和国と福建共和国だけであった。 国内の立て直しと軍の近代化を成し遂げた孫文は中華統一に向けて動き始めた。 しかし、孫文の考えた中華統一の夢は非常に厳しいものであった。 日英露の転生者達は、中華統一の妨害策を展開させていた。 その対策の1つが先程触れた華北共和国と福建共和国の建国である。 この2国は日英露が色々な名目によって建国され、日英露駐留部隊が両国のインフラ、経済力及び軍事力の近代化を進めていたのであった。 奉天派が建国した華北共和国は満州で日露両陸軍を間近で見た事もあって練度や戦術は優れていた。 軍備も八九式中戦車や九二式軽戦車を各々50両程度保有し、30年代には二式突撃銃、M2重機関銃等の新型兵器を購入及び生産しており部隊の機械化率、攻撃力も高かった。 航空隊の陣容も強力であり、中華民国陸軍や陸軍航空隊をワンサイドキルするのも可能であった。 海軍の最大艦艇は駆逐艦だったが大韓帝国封印には十分であった。 安徽派が建国した福建共和国も華北共和国には及ばないが中華民国に十分対抗可能な陣容を揃えていた。 次に、日英露が雲南派、四川派、西北派に多くの旧式兵器を売り払っていた事であった。 日英露は上記軍閥に旧式兵器を売り払う事で自軍の軍備近代化と開発資金の確保、そして中華民国の体力減少を狙っていた。 なお、山西派は奉天派の意向によってそれ程売られておらず、早期に潰されて華北共和国に編入された。 この妨害策に孫文は憤慨したが、自身の政策を安定して遂行出来たのも日英露のお陰だったので表立って文句は言えなかった。 文句を言ったら最後、中華民国はあらゆる手で弱体化させられると理解していたからだ。 だからと言って諦める孫文ではなく、1933年4月に北伐と云うよりは西進に近い形で雲南派撃破を目標として蒋介石に精鋭部隊を預けて出撃させた。 豪州+新西蘭転移ネタ9
https://w.atwiki.jp/tokitoki/pages/47.html
#blognavi 休日にしては早く起きた(´_ゝ`) おきてパソコンを開いていると、お姉さまからSkypeコール。前日の晩にメールで「明日の予定ですが、朝起きたら電話で話しましょう」と言っておいたんだ。 12時にHofburgに約束をしておく。 10時前、だらだらと部屋を出て空腹のままHofburgへ。午前中に銀器の展示室-シシィ博物館-皇帝の部屋を覗き終えるつもり。 行く途中、路面電車の中から、「歩道を歩くユウナ@FF10-2」を見た。 Σ(゜Д゜;≡;゜д゜) 周りの人は気がついていないらしく、スルーだった。 まだ10時前だよ・・・ここはウィーンだよ・・・ 落ち着きを取り戻してHofburg。 入り口のカウンターのお姉さんは昨日と同じ人だった。 「いらっしゃい。今日は一杯時間あるわね」といわれた。 まぁ、早起き(!?)したからね( ̄― ̄) 来るまでの乗継が悪く、時間が3分足りなそうだったので、銀器の部屋で説明をかっ飛ばしつつ進む。 シシィ博物館では、なんとも衝撃的なことをオーディオガイドから聞く。あの鬼姑と日本で有名なゾフィー大公妃にまつわるお話なのですが・・・いや、これは実際にオーディオガイドを聞くことをオススメする。 さて、日記もかっ飛ばしモードで、12時。約束の場所に5分前にはいたのだが、何故かお姉さまがこないので、心当たりの場所を一周してみる。まぁ、多少かかったが会うことができた。ミヒャエル広場で予定している夜のコンサートのチケットを買う。 そのあとは、カールスプラッツまで二人で歩いて、私はその後またカフェシルクへ。ちと財布が痛かったのでデザートとホットドリンクはなし。でも水0.25ℓで3ユーロってどうよ・・・「お冷クダサイ」っていえばいくらでもただで水が出てくる日本はいい国デス。 その後は気合を入れて美術史博物館へ。 ここで有名な絵をいくつも見る。どれも普通に日本で考える絵のサイズとは桁違いなんで、とても首が疲れる。 ラファエロもあったし、フェルメールの有名な女の人の絵を描いている風景の絵もあったし、とーりあえず歩き方にのってた絵は全部あったので満足! ヾ(・ε・。)ォィォィ、それが大学で文化専攻している人間の感想かYO。 つか、2時間で上の階に行かずに見て回ったが、これ2時間じゃおわらんだろ。コインコレクションとかみてないっすよ。 現金がないのでおいしいというカフェには入らず。お土産をカードでお買い物して、かえる。 もう1箇所いこうかとも思ったが・・・夜に約束があるので。 一度部屋に戻るが、肩こりと疲労で脱力。 それでも6時過ぎに夕飯を平らげ、急いでおめかしをして再度でかける。 そう。コンサート( ~ ) 楽しみでいったコンサート。 しかし行った先にいたのはツアーの日本人客。しかも私の隣に座ったのは、酒でしたたかな感じの野球観戦ノリの日本人のおっちゃん。普通にポロシャツと安いズボンで正装を訴えるところが、日本人の安っぽさを感じる。 まぁ・・・そこまでだったら、まぁありがちな日本人観光客が一緒だった、で済む。 しかし、演奏が・・・・ちと、どころか、かなり酷かった。 最初の一発目から、ヴァイオリンが「俺調弦シテマセン( ̄― ̄)」的な刺すような音を発し、フルートが「びょほっ」と音を出しているし、ピアノはとちってるし・・・フルート奏者はその後ピッコロで、某砂夜嬢でも舞台で出さないような音をべひょろべひょろ吹き鳴らし・・・ ~~~~~((((((ノ゜⊿゜)ノあぁ まぁ、歌と踊りもあったのだが、その辺は専門外。でもプチ専門家のお姉さまたち曰く「アリエナイ」。 皆様。夏のウィーンでコンサートのお誘いは気をつけましょう。道で勧誘しているっつーことは、「チケットは余っている」=「知っている人は買わない」ってこと。 夏にコンサートをする会場は少ないんだから、いいところはばらまくほどチケットがあるはずがない。 というか、ウィーンで一流の名を馳せる人たちが、バカンスに行かずに演奏していると思います?(´_ゝ`) 夏のウィーンは、バカンスにいけない貧民と観光客+観光業、そして一部の好事家しかいません。一ヶ月もいて、わかったはずなのに・・・orz まぁ散々帰り道お姉さまたちと愚痴を言いつつ、ざくっと帰る我々。 色々昼間はいいコトあったのになぁ・・・夜がべしゃんこだったわ。 カテゴリ [三週目] - trackback- 2006年08月28日 06 03 48 #blognavi
https://w.atwiki.jp/renjodatabase/pages/56.html
分類:長編小説 初出:「IN★POCKET」1993年1月号~1994年6月号 雑誌時挿絵:北村治 初刊:1994年/講談社 刊行回数:2回 入手:古書のみ あらすじ 私がNから、父親の遺稿があるが読んでみないかと言われたのは、昨年の晩秋に二人で酒田へ旅した際である。 大正から戦後の洋画壇で、数々の画家の間を渡り歩き、天才画家だった息子すらも犠牲にして奔放に生き抜いた女にして、ただ一枚の傑作「花塵」を遺した画家がいた。その名は、三雲笙子――。 登場人物 私外枠の語り手。中堅作家。 N「私」の友人の作家。文豪の息子。 Kベテラン女性作家。 三雲笙子秋原柊平の母。 秋原柊平戦後の復興期に活躍した天才洋画家。 斉藤忠笙子の最初の夫。鉄道機関士。 斉藤ハル忠の妹。 稲木旬太郎洋画家。「新風会」のメンバー。 井川勇洋画家。「新風会」のメンバー。 井川美津井川の妹。 篠田弥介神田で「風雅堂」を営む美術商。 蔵田梅林日本画の大家。 十色漣奇行で知られる片腕の人気画家。 甲賀剣三(輪介)笙子の師。後の美術史の偉人。 古宮名のある画家。柊平の幼少期の絵の師。 古宮次雄古宮の弟。大学生。 芝田市治戦中の笙子の庇護者。繊維関係の大店の主。 芝田倫和芝田の息子。 布目民子吉原の娼妓。芝田の妾になる。 解題 大正から昭和にかけての洋画壇を舞台にした、〝平成悪女三部作〟(Ⓒ香山二三郎)の三作目となる悪女ものの恋愛長編。 ただし前2作『牡牛の柔らかな肉』『終章からの女』に比べると、ミステリー色はかなり薄い。 連城 読者としてはスケールの大きいものも好きなのに、自分で書くとどんどん閉じこもる方向へ進んじゃう。「IN★POCKET」に書いてる「花塵」だって、最初『風と共に去りぬ』みたいなのが頭にあったんだけど、小さなアトリエの中に話が押し込まれていっちゃうんです。 田中 緻密ですからねえ。 (田中芳樹×連城三紀彦「対談 ぼくら〝超能力義兄弟〟」より) 架空の女性・三雲笙子の半生を評伝風に描いた、『敗北への凱旋』『落日の門』などに連なる〝疑似歴史小説〟群の恋愛小説版、あるいは初期の恋愛長編『残紅』を発展させた作品というべきだろう。 絵画、子供すら自分のために利用する母親、といった特に連城らしいモチーフが前面に出た作品でもある。 連城三紀彦は、現在、日本でもっともスリリングな恋愛小説を書ける人だ。長編、短篇を問わず、安定して力を発揮している。そして、全部ではないにしても、その中にかなりの恋愛小説が含まれる。それも、絶対に平凡な手では来ない。出身がミステリだけに、多くの場合、巧緻な仕掛けを組んでくる。 それにしても、今回の『花塵』は凄い。ここ数年の連城三紀彦の小説中でも、最高の出来ではないか。内容的に厚みのある小説である。 (中略) 全体を、あたかも評伝かノンフィクションかのように、資料で調べたような書き方にしているのも、効果をあげている。それは、たとえば後半で、それまでの構図を、根底からひっくり返すような、大ドンデン返し(それだけでもひとつ小説が書けるだろう)の可能性を示しながら、それは事実ではない、と言ってのける贅沢な部分に、現れている。 ヒロインの個性。巧みな語り口。ヒロインの嘘によって翻弄され、錯綜する人間関係。そうしたものが重なりあって、この小説の厚みを形作っている。文句なしの傑作である。 (小森収『本の窓から』収録 「ノンフィクションのようなスタイルで」より) 刊行履歴 初刊:講談社/1994年10月11日発行 花塵 【長編恋愛小説】 芸術と愛欲のはざまを生きた女。 大正時代の洋画壇で、男たちをカンバスにして自分の人生を描き続けた魔性の女と、翻弄された十数人の男たち。 (単行本オビより) 単行本/312ページ/定価1456円+税/絶版 装幀・写真/上原ゼンジ 文庫化:講談社文庫/1997年10月15日発行 洋画壇のなかで男たちをカンバスにして自分の人生を描き続けた女がいた。いつも新しい玩具を欲しがる童女のように次々と男をとりかえ奔放な暮らしを続けた。世間からは『魔性』と呼ばれる生命の破壊力で男たちすべてに破滅を与え、その破滅こそが愛の証しと考え激しく生きた女が遺した一枚の絵。長篇恋愛小説。 (文庫裏表紙より) 文庫/371ページ/定価619円+税/絶版 私だけの誤った解釈/土屋文平(編集者) カバーデザイン/上原ゼンジ 名前 コメント