約 2,207 件
https://w.atwiki.jp/mahabharatapotal/pages/166.html
第1-135章.第1-136章.第1-137章. 第1-136章. (サンバヴァ・パルヴァの続き) 「ドローナは、クリパ、ソマダッタ、ヴァルヒカ、ガンガーの賢い息子(ビシュマ)、ヴィヤーサ、ヴィドゥラの前で、ドリタラシュトラ王に向かって言った。王よ、あなたのお許しを得て、彼らにその熟練を披露させましょう」。それを聞いた王は、喜び勇んで言った、『ブラーフマナの最良の者よ、汝は実に偉大な行いを成し遂げた。いつ、どこで、どのような方法で裁判を行うか、私に命じてください。私は自分の盲目から来る悲しみから、視力に恵まれた者たちが私の子供たちの武勇を目の当たりにするのを羨ましく思う。クシャトリ(ヴィドゥラ)よ、ドローナの言うことをすべて実行せよ。徳に熱心な者よ、私にとってこれほど喜ばしいことはない」。そしてヴィドゥラは王に必要な保証を与えて、命じられたことを実行するために出かけた。ドローナは大いなる知恵を備え、木々や雑木林のない、井戸や泉のある土地を測った。そうして測り出された土地の上に、雄弁な者の筆頭であるドローナは、昇り星が吉兆である太陰の日を選び、それを目撃するために布告によって集められた市民の面前で、神々に犠牲を捧げた。そして、人の中の雄牛よ、王の工匠たちは、経典に定められた規則に従って、そこに大きくて優雅な舞台を築き、あらゆる種類の武器を備えた。彼らはまた、女性観客のために別の優雅な広間を造った。そして市民は多くの台を築き、裕福な者たちは広くて高いテントをあちこちに張った。 「大会の決行日が近づくと、王は大臣たちを従え、戒律の第一人者であるビシュマとクリパを従えて先を歩き、純金で造られ、真珠の紐と瑠璃の石で飾られた、ほとんど天上のような美しさを持つ劇場にやって来た。そして、勝利の第一人者たちよ、大いなる幸運に恵まれたガンダーリーとクンティ、そして王家の他の女性たちは、豪華な衣装を身にまとい、待ち受ける女性たちを従えて、須弥山に登る天女たちのように、喜び勇んで台を登った。ブラーフマナとクシャトリヤを含む4つの教団は、王子たちの腕前を見たいと思い、都を出てその場に駆け寄った。そして、誰もがその光景を見たいと切望していたので、大群衆はほとんど一瞬のうちにそこに集まった。トランペットと太鼓の音と多くの声の騒音で、その広大な群衆は攪拌された海のように見えた。 「最後に、ドローナは息子を伴い、白い神聖な糸、白い髪、白いひげ、白い花輪、白いサンダルペーストを体にこすりつけた白い服装で、リストに入った。まるで月が火星を伴って曇りのない空に現れたかのようだった。バラドワジャは、入場の際、適時礼拝を行い、マントラに精通したバラモンたちに吉祥の儀式を祝わせた。そして、予祝の儀式として殊勝で甘美な響きの楽器を打ち鳴らした後、何人かの者が様々な武器を装備して入ってきた。そして、腰に帯を締め、指防具(ガントレット)、弓、矢筒を装備した屈強な戦士たち、バラタ族の第一人者(王子たち)が入ってきた。そして、ユディシュティラを先頭に、勇敢な王子たちが年齢順に入場し、武器の素晴らしい技を披露し始めた。観衆の中には、矢が落ちるのを恐れて頭を下げる者もいれば、恐る恐る不思議そうに見つめる者もいた。王子たちは馬にまたがり、「器用に」馬を操り、それぞれの名前が刻まれた矢を的中させ始めた。弓矢で武装した王子たちの腕前を見て、観衆はガンダルヴァの都を見たような気がして、驚きに包まれた。そして、バーラタよ、突然、何百、何千もの者が目を見開いて驚き、『よくやった!よくやった!」と叫んだ。そして、弓矢の使い方や車の操縦の巧みさと器用さを繰り返し披露した後、屈強な戦士たちは剣とバックラーを手に取り、武器を弾きながらリストを射程に収め始めた。観衆は、彼らの敏捷さ、体の対称性、優雅さ、冷静さ、剣と桶の使い方の堅固さ、巧みさを(驚きを持って)見た。そして、ヴリコダラとスヨダナは内心(戦いの予感に)喜び、メイスを手に、まるで二つの一枚岩の山のように闘技場に入った。そして、その強靭な腕の戦士たちは、腰に力を入れ、全精力を結集して、牛象を争う二頭の憤怒した象のように咆哮し、その二頭の憤怒した象のように、その強靭な英雄たちは(腕の科学の指示に従い)完璧に右往左往し、リストを一周した。そしてヴィドゥラは、ドリタラーシュトラとパンダヴァ家の母(クンティ)とガンダーリに、王子たちのすべての偉業を説明した」。 第1-135章.第1-136章.第1-137章.
https://w.atwiki.jp/mormon/pages/226.html
3ニー26,,ニーファイ第3書 第26章 3ニー26,*-*,救い主、最初からのあらゆることの意味を説き明したもう。幼児の口から述べる驚嘆すべきこと。弟子 たちの働き。 3ニー26,1,イエスはこれらのことを述べてから、その意味を群衆に説き明し、また事の大小の区別なくあらゆる事を かれらに説きたもうた。 3ニー26,2,そしてイエスは”御父は、汝らがさきに持たざりしこの聖文を汝らに示せとわれに宣えり。この聖文を未 来の人々に伝うるは御父のみこころなればなり”と言いたまい、 3ニー26,3,また最初から、イエスがその栄光を具えて再びこの世に降りたもう時に至るまでのこと、言いかえると最 初から大いなる終りの日、すなわち武士とが酷熱で溶かされ、大地の巻もののように巻かれ、天地がともになくなる 日、 3ニー26,4,すなわち、あらゆる人々、あらゆる血族、あらゆる国民、あらゆる国言葉の民が各々その行いの善悪に 応じて裁判を受けるために神の御前に立つ大いなる終りの日になるまでこの大地の上に起る一切の事を告げてこ れを明らかに説きたもうた。 3ニー26,5,この大いなる終りの日に、人はもしもその行いが善けらば、よみがえって永遠の生命を受け、その行い が悪ければよみがえって永遠に断ち切られる。すなわち、善の始めよりも先にすでにましましたキリストの慈愛と正 義公平とによって、1方には1種のものがあり、他 3ニー26,5-1,他種のものがあって互いに対応している。 3ニー26,6,イエスが本当に民に教えたもうたことは、その100分の1さえも本経典にのせることができないが、 3ニー26,7,それらのことの大半はニーファイ版に刻んでのせてある。 3ニー26,8,私がこれに書いたのは、イエスが民に教えたもうたことの幾分かだけである。これをここに書いたのは、 この言葉がイエスの告げたもうた通りに異邦人のてを経てまたこの民に伝えられるためである。 3ニー26,9,この民が始めこの幾分かを授けられるのは、かれらの信仰の厚いか薄井かを試みるのに必要である。も しかれらがこの幾分かを信ずるならば、これより以上に大きなことをかれらに示そう。 3ニー26,10,しかし、かれらがこの幾分かも信じなければ、これ以上に大きなことは伝えられずに、かれらは罪ありと されるのである。 3ニー26,11,見よ、ニーファイ版に刻んであることをみな写そうと思ったが、主はこれを禁じて”われはわが民の信仰 を試みん”と仰せになった。 3ニー26,12,それで、私モルモンは主が書けと言いたもうたことだけを書き記すから、私はこれで説明の言葉を終 り、主が書けと言いたもうたことを書きつずける。 3ニー26,13,さて私はあなたたちに次のことを知って欲しいと思う。イエスは本当に3日の間民に教えを伝えたもう たが、その後たびたび民に現われてたびたびパンを裂きこれを祝して民に与えたもうた。 3ニー26,14,さきに言った群衆の子供たちにも、イエスは導きと恵みとを授け、物を言う力を与えたもうたので、子供 たちはその親に向って驚嘆すべき偉大なことを告げ始めたが、その告げたことはイエスが親しく民に教えたもうたこ とよりも勝っているほどであった。 3ニー26,15,イエスは昇天したもうてから、また2度目に群衆に現われ、その中の病んでいる者をみな医し、あしな えを医し、めくらの目を開け、つんぼの耳を聞けるようにし、群衆の中でいろいろの病気をなおし、また1人の男を 死から蘇生させて、イエスの持って居りたもう権と 3ニー26,15-1,群衆に現わしてからまた天に昇って御父のもとへ行きたもうた。 3ニー26,16,そのあくる日、多くの民は群がり集って今言った子供たちを見、またその言うことを聞いた。まことに乳 飲み児さえも物を言う能力を得て驚嘆すべきことを言い出したが、それらのこは誰も書いてはならぬと止められた。 3ニー26,17,イエスが選びたもうた弟子たちは、その時から自分のところへくる者にみな教えを説き、これにバプテ スマを施すことを始めた。そしてイエスの御名によってバプテスマを受けた者たちはみな聖霊に満された。 3ニー26,18,この者たちの中には書くのをとめられた口に言い表し難い多くのことを見たり聞いたりした者が多くあ った。 3ニー26,19,またこれらの者は互いに教え、互いに奉仕して、一切の物を共有してお互い同士を義しく取り扱い、 3ニー26,20,また何事でもイエスの命令なさる通りにした。 3ニー26,21,そしてイエスの御名によりバプテスマを受けた者たちの団体はキリストの教会と呼ばれた。
https://w.atwiki.jp/mahabharatapotal/pages/1625.html
第12-142章.第12-143章.第12-144章. 第12-143章. ユディシュティラは言った、『大いなる叡智の者よ、あらゆる経典に通じている者よ、庇護を切望する庇護者を大切にする者の功徳は何であるか、私に教えてください』。 ビーシュマは言った、『君主よ、庇護を求める者を庇護することの功徳は大きい。バラタ族最高の王よ、あなたはそのような質問をする価値がある。王よ、昔の高貴な心を持った王たち、すなわちシヴィや他の王たちは、庇護者を守ることによって、天上で大きな至福を得たのです。鳩が礼を尽くして庇護者を歓待し、自分の肉を食べさせたと聞いています」。 ユディシュティラは言った、『昔、鳩はどのようにして、庇護する敵に自分の肉を食べさせたのでしょうか?バーラタよ、彼がそのような行為によって勝ち取った結末は何だったのか? ビーシュマは言った、「王よ、聞く者をあらゆる罪から清めるこの素晴らしい物語を聞きなさい。プリター(クンティー)の息子よ、この質問はブリッグの息子にムチュクンダが謙虚に投げかけたものである。謙虚に聞くことを望む彼に、ブリッグの息子は、君主よ、一羽の鳩がどのようにして成功(最高の天の至福を得ること)を勝ち取ったかというこの物語を語った」。 賢者は言った、『強靭な腕を持つ君主よ、徳と利益と快楽に関連する真理に満ちたこの物語を汝に語るので、私の話を聞け。昔、破壊者そのものに似た、邪悪で恐ろしい鳥使いが大森林をさまよっていた。彼はカラスのように黒く、その目は血のような色をしていた。まるで閻魔大王のようだった。足は長く、足は短く、口は大きく、頬は突き出ていた。彼には友人も親戚も近親者もいなかった。彼は非常に残酷な生き方をしたため、皆から見放されていた。実際、邪悪な行いをする人物は、賢明な人々によって遠くから見放されるべきである。他の生き物の命を奪うような残酷で邪悪な心の持ち主は、常に毒蛇のようなもので、すべての生き物にとって悩みの種である。王よ、彼は網を持って森で鳥を殺し、翼のある生き物の肉を売っていました。そのような行いに従って、邪悪な心の哀れな者は、自分の生活の罪深さを理解することなく、長い年月を生きた。長い間、この職業に就いて妻と共に森で遊ぶことに慣れ、運命に惑わされ、他の職業を好むことはなかった。ある日、彼が仕事に夢中になって森をさまよっていると、木々を揺るがし、根こそぎ倒してしまいそうな大嵐が起こった。一瞬のうちに空にはうっそうとした雲が現れ、その中で稲妻が閃光を放ち、商人の舟や船で覆われた海のような様相を呈した。百の犠牲を捧げた者が大量の雨を降らせて雲に入り、一瞬にして大地は水で溢れかえった。雨は滔々と降り注ぎ、鳥人は恐怖のあまり正気を失った。寒さに震え、恐怖で興奮し、彼は森を歩き回った。鳥殺しは(水面下にない)高い場所を見つけることができなかった。森の道はすべて水没していた。雨の勢いのせいで、多くの鳥が命を奪われ、地面に落下した。ライオンやクマ、その他の動物たちは、高い場所を見つけ、横になって休んだ。その恐ろしい嵐とにわか雨のせいで、森の住人たちはみな恐怖に包まれた。恐怖と空腹に苛まれた彼らは、大小の群れをなして森を歩き回った。しかし、猟師は寒さで手足が硬直し、立ち止まることも動くこともできなかった。そんな中、彼は寒さで硬直した雌鳩が地面に横たわっているのを見つけた。罪深い屍人は、自分も同じ苦境にあったが、その鳥を見て、彼女を拾い上げ、かごに入れた。自分自身は苦悩に打ちひしがれていたが、同じ生き物を苦悩に打ちひしがせることを良しとしなかった。実際、この哀れな男は、習慣の強さだけで、そのような時でもその罪を犯していた。そのとき彼は、その森の真ん中で、雲のように青い大木を見た。それは、日陰と隠れ家を求める無数の鳥たちの隠れ家だった。それは、この世の善人のように、創造主がすべての生き物のためにそこに置かれたように思えた。やがて空は晴れ渡り、無数の星がきらめき、百合の花が咲き誇る壮大な湖の様相を呈してきた。満天の星空に目を向けると、寒さに震えながらも鳥は進み始めた。雲ひとつない空を見て、四方に目をやると、もう夜が迫っている。そして、あの木陰で夜を過ごそうと決心した。両手を合わせてその木に頭を下げ、森の君主に向かって言った。この言葉を述べると、彼は葉を敷いて寝床とし、その上に横たわり、石の上に頭を置いた。苦悩に打ちひしがれながらも、その人はすぐに眠りについた。 第12-142章.第12-143章.第12-144章.
https://w.atwiki.jp/trpgbu/pages/41.html
名 前:魔倉魔弩流(Madoru-Magura) プレイヤー:カジワラ 性 別:男 年 齢 31 覚醒段階Ⅰ:候補者 Ⅱ:超能力者 背景設定Ⅰ:大事な存在 Ⅱ:願望 レベル:13 EXP:3544 NEXT:4096 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 属性 Law :5 Chaos :22 Neutral:6 Light: Dark : Hi-Ho:4 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 能力値 力:3 ( 30 %) H P:72 魔:21 ( 120%) M P:108 体:3 ( 30 %) 命 運:6 速:3 ( 30 %) 運:5 ( 40 %) ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― クラス 系統:クラススタイル 候補者:候補者 超能力者:魔法(カルト) ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― コミュ 名前 :CP:キーワード ルイ・サイファー: 31 :堕天使 神威 :○貸与Ⅰ ⅡⅢ(共通)、異界化(C)、光よりも濃い闇(D)、支配の言霊(D)、邪眼使い(D)、顔盗人(C) 氷川レイジ: 40 :ミロク経典(知識) 神威 :○定期収入(共通)、集結命令(共通)、特別任務(共通)、○調達Ⅰ ⅡⅡ(共通)、○異界化(C)、隠蔽(C)、白魔(C) ヒーホー君: 37 :楽しい(ヒーホー) 神威 :目撃者(共通)、○情報通Ⅰ(共通)○調達Ⅰ(共通)、ギフト(フロストずきん/100)(共通)、ギフト(ジャックフロストのカード/100)(共通)、○命運の祝福(共通)、開放の祝福(共通)、因果応報(N) ガイア教団異端ミロク派: 14 : 神威 :○定期収入(共通)、集結命令(共通)、派遣指令(ガイアーズ)(共通)、○回復施設Ⅰ ⅡⅡ(共通)、○情報通Ⅰ ⅡⅡ(共通)、○異界化(C)、隠蔽(C)、悪夢の王(C) 万魔園 : 3 : 神威 :たまり場(共通)、派遣指令(共通)、目撃者(共通)、事情通ⅠⅡⅢ(共通)、調達Ⅰ(共通)、命運の祝福(共通) ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― スキル LV0:マハジオ LV1:幸運 :ザン LV3:アイテム習熟→マハブフ :パニックボイス LV5:ザン→ザンⅡ LV7:ディア :マハザン LV10:マハラギ LV13:一般追加スキル→聖典詠唱 :一分の魔脈 LV15:ザンⅡ→ザンマⅡ ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 装備 武 器 :秘蔵の医学書(聖典) :アタックナイフ 全 身 :特殊環境“D”スーツ 頭 :プレートバンダナ 胴 :サバイバルベスト 腕 :カイザーナックル 脚 :レッガースラム アクセサリ:カラーコンタクト :アメジストの魔除け ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 戦闘能力 格闘威力:18 魔法威力:36 射撃威力:3 物理防御:10 魔法防御:13 回避判定:13 % 会話判定:30 % イニシア:9 + 1D10 No:【スキル名】 :判定:コスト: 威力 :基本:対象:相性:効果 1:ザンマⅡ :120%:8MP :76 + 1D10 :魔法:1: 衝撃 :敵1体に衝撃相性のダメージ。STONE状態なら50%の確率で即死 2:マハザン :120%:8MP :41 + 1D10 :魔法:1列: 衝撃 :敵1列に衝撃相性のダメージ。STONE状態なら30%の確率で即死 3:マハジオ :120%:8MP :41 + 1D10 :魔法:1列: 電撃 :敵1列に電撃相性のダメージ。SHOCK10% 4:マハブフ :120%:8MP :41 + 1D10 :魔法:1列: 氷結 :敵1列に氷結相性のダメージ。FREEZE10% 5:マハラギ :120%:8MP :46 + 1D10 :魔法:1列: 火炎 :敵1列に火炎相性のダメージ 6:ディア :自動 :3MP :46 + 1D10 :魔法:1: なし :HP回復 7:パニックボイス :120%:8MP :なし :魔法:全体:精神:敵全体に精神相性の攻撃を行い、30%の確率でPANIC状態にする 【スキル名】 :判定:コスト:対象:効果 集中:聖典詠唱 :自動:命運1 :自身:使用者が次に行う、魔法攻撃1回の威力を[支払った命運+1]倍にする(1回の命運消費上限は現ランクまで)1ターン消費 即時:□幸運 :自動:なし :自身:自分に対する攻撃のダメージと追加効果を完全に打ち消す 自動:一分の魔脈 :自動:なし :なし:MP倍率3 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 相性 破魔無効 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― ●所持品 薄い医学書 チャクラドロップ(2) ●悪魔カード 所持金 5338 マッカ ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― パーソナルデータ
https://w.atwiki.jp/internetkyogakusys/pages/94.html
真理教?でなければならない理由 今日は、まずオウム真理教というね、まあ非常に古めかしい名前にオウムがなった由来、それから、今後オウムがどういうふうな方向に行くかということについて、皆さんに話してみたいと思います。 まず、真理教というのはね、これは、考えてみると簡単なことなんだね。それは何かというと、要するに真理の教え。そうすると、皆さんの頭の中にはね、教が付くから古いとか、まあこういうお叱りの手紙を送ってくれた人、あるいは、教というのはもう宗教っぽくて嫌だと、こういう、まあ電話あるいは手紙の人が数名だけどもいました。 しかしわたしは、これに対してはね、矛盾を感じているんだよ。それはなぜかというと、この真理教の「教」というのは、例えば教科書の教だ。あるいは、『聖書』などの教典め教だよ。つまり、教というのは単なる、これは教えという意味です。つまり、わたしたちは、今真理の教えを実践しているわけだから、真理教でおかしくはない。 しかもだよ、今からオウムが展開していく動きというものは、例えば運命学にしても非常に科学的だ。科学的ということは、先程言ったとおり、この教、真実の教えというものとつながってくる。あるいは、医学にしても、真実の教えというものとつながってくる。そして、世界でね、ただ一つスピーディーな解脱システムを持ちているオウムにとってはだよ、真理教しかなかったわけだね。 そして、まあだいたいシヴア大神からサインがくるときというのはね、その後の変化というのは目まぐるしい。非常に激しい。現に、真理教にしてわたしにきたサインというのは、まずケイマを悟らせなさい解脱させなさいということだった。ねえ、ケイマというのは、今オウム真理教の中心でもあるけども、もう一つ、出版とかあるいはオウムを動かしているね、中心でもある。だから、今こもってもらっては困るわけだ。しかし、こもらさなければならなかった。 そして、三日前に、要するにセルフ・リアライゼーションというね、悟りの究極の状態を得ました。いいですか。そして、今、この三日前からずっとわたしは彼女についているんだけども、おととい意思鞘と理知鞘の霊視をずっとさせて、それから、順番からいつたら、その次は五大エレメントに入るんだね。で、五大エレメントをすべて霊視してしまったら、最終解脱に入ります。 そして、その中のまず地元素が終わって、水元素が終わって、それから今日、火の元素が終わって、風元素の状態に入ってきている。ということは、あとは――もう何回もセミナーに出たことのある方だったらわかると思うが――風、空、そして最終解脱だ。ということは、言い方を換えるならば、今彼女はラトナサンパヴァの解脱、それからアクショプヤの解脱、そしてアミターパの解脱を行なっていることになっている。そして、アモガシッディ、ヴァイローチャナと。そして最終解脱だ。 ◎名前は本質を表わす じゃ、なぜいきなりそこまで進んだのかというと、シヴァ大神の意思が、もう世の中の真理というものはないよと、麻原。それを、あなた方が体験しなければいけないんだよということでね、そのためには「オウム神仙の会」では生ぬるいと、名前は少し古いかもしれないが「真理教」でいきなさいということで真理教になった。 そしてだよ、もう一つの変化は、わたし以外だれも三昧に入れなかったんだけどもね、Sが三昧に入るようになった。これは、一時間、二時間だけどね。まだ短いけども。いいですか。三昧ということは、『生死を超える』を読んだことのある人は、どうでしたか、まず、苦ありて信ありと。信ありてクンダリニーの覚醒ありと。クンダリニーの覚醒ありて悦。悦ありて喜ありと。喜ありて軽安ありと。軽安ありて楽ありと。そして三昧でしょ。で、三昧でいろんな世界を体験して、遠離、離貧、解脱の状態がくるわけだ。つまり、難しい状態の三昧まで入れるようになったということは、あとは、解脱は時間の問題だということになる。 他に、真理教になっていろいろと変化が出だしている。これは何かというと、名というものはね、名前というものはその団体の本質を表わす。いいですか。そしてオウムは、真理の教えを実践していこうではないかと、真理の教えを体得しようではないかということで、真理教という名前になったんだよ。そして、あなた方もいずれ、解脱に向かっている人はわたしのそばに来て、わたしからイニシニーションを受ける。あるいは、最終解脱をした者からイエシエーションを受けなければならない。 前回のセミナーでわたしは、三名ぐらいの成就者を今年中に出すと言ったけども、今の状態だと、おそらく、あなた方が協力してくださっているから、五名、七名のね、超能力者、いや最終解脱者を出すことができるだろう。そして、いずれあなた方も、最終解脱の思恵をね、受けることができると思います。だから、わたしと、それからまだオウムのスタッフは若いけども、スタッフを信じてついてきてほしい。 ◎わたしがいる限リオウムは崩れない それからね、もう一つ、これはある会員の手紙にあったんだけどもね、オウムが組織的に大きくなるということは、他の宗教団体と変わらないわけだ。だから、組織もこのままの大きさで維持して、麻原がわたしたちのための麻原であってほしいという手紙が来た。わたしはそのときね、まだ会員にはこの程度の人間しかいなかったのかと思った。そうでしょう。わたしはセミナーの最中何と言っているか。わたしたちの修行の目的というものは、エゴを減するためにある。そして、より多くの人に真理を知ってもらう。これがわたしたちの修行の目的だ。 もちろん、今入会している人たちに対しては、満足してもらえるような修行内容と、それから成就者との直接の対話を持たせるようにしなければならない。そのために、わたしもオウムのスタッフもね、毎日毎日、ほとんど寝ない状態で動いている。だからね、成就者が今年中に五名から七名できるんだよ。そうするとね、例えば七名できたら、今八百人に対してわたし一人で十分だ。これが七名になったら、五千六百人に対してね、オウムが耐えられるようになるんだよ。 ところが、エゴの回まりの人は、あるいは真理の見えない人は、こう考える。そんな最終解脱なんか、簡単に出せるものではないと。しかし、それは無智から出た考え方だ。釈迦牟尼如来が現われられたとき、二千人の成就者を出したよ。ということは、十六万人の、本当の意味での会員に対して耐えられるだけの成就者がいたということになる。いいですか。今からわたしが考えていることは、わたしと同じすべてを知った人間をいかに多く出すかだ。そして、それをあなた方のためにね、いかに提供するかだ。わかりますか。 今日わたしは声が出ない。これは、ケイマに対してシャクティーパットをこの三日ぐらいでね、八時間から九時間ぐらい、ずーっと入れ続けている。だから、身体のエネルギーがない、ほとんど。だから、今あまり声が出ない。しかしそれは、彼女が成就することによってね、あなた方がよりいっそう身近に成就者をね、一人持つことができるというメリットのためにやっている。 いいですか、もう一度繰り返すよ。システム改善にしろ、それから、教勢の拡大にしろ、それから成就者と会員の比率にしろ、オウムは決して崩れることはない。これは、わたしがこの世にいる限り、そのバランスというものを崩すつもりはない。だから皆さんも、その点については確信をもって修行してほしい。いいかな。 そして、いずれは、解脱を目指している方は最終解脱をなさって、法を説いてほしい。シャクティーパットをしてほしい。イニシエーションをしてほしい。これはわたしの願いです。それしかないんだよ。そうだろ。ここにキリスト教の教典がある。ここに仏教の経典がある。しかし、それをだれもね、解明することができないんだよ。真実を知らないから。例えば、わたしがこれが真実だといったとしてもだよ、だれがそれを証明できるんだ。 しかし、最終的に成就した人たちが、千人かもしれない、一万人かもしれない、三万人かもしれない、十万人かもしれないけどね、その人たちがだよ、すべて同じ点を指してこれが真実だといったならば――しかも、その人たちは人格的に尊敬てきると。そして、スーパー・シッディを持っていると――その人たちが、宇宙の構成というものは、まず粗雑次元においては熱が優位であると、夢の次元、微細な次元、アストラルな死においてはヴァイブレーション、音のヴァイブレーションが優位であると、精神的次元については光が優位であるということを示したら、それは真実となろうよ。そうでしょ。 この中で、たくさんの本を読んでいる人がいる。しかしだよ、もしその本が間違っていたら、あなた方は間違った教えを真理として受け取り、そして間違った世界へ入っていくだろう。それをくい止めるためにはね、真の成就者をたくさん出すしかないんだよ、これは。そうだね。 ◎同じものでも見る目によって 例えば、ここにいらっしゃる方、これはシヴァ大神だ。チベット密教ではグヤサマジャといわれている。これは何を意味していると思うか。日本の感覚からいったら、とんでもないみだらな絵だ。男と女が愛し合っている。しかし、実際そうではない。例えば、この中央のブルー、これはわたしたちの執着を表わしている。重視するとこの絵のようになる。それから 左側の自、これはわたしたちの暖昧さを表わしている。そして右側の赤、これはわたしたちの怒りを表わしている。そしてこれは、ピンガラ、スシュムナー、イダーと。 そして、このwith consort、これはパールヴァティーでもいいし、あるいは、ダキニでもよろしいが、この交接というものは、わたしたちがグルヨーガで演じているように、わたしたちのアストラル・ボディーをつくるための神聖なる接合だ。陰と陽の結びつきだ。 そして、ヴァジラ、それから、曲刀、ベル、経典、これは何を意味しているかわかるね、もう。ヴァジラはアクショブヤ、功徳を表わしている。そして、ラトナサンパヴァの曲刀が意志を表わしている。深い意味合いについてはイニシエーションでやるよ。 こういうふうにしてだよ、真理を数えるときに、一つ一つの、例えばわたしが絵解きをしたとして、いや違うね、例えば、この絵をあなた方が何も知らないで見たとして、性欲をそそられることはあるかもしれないが、神聖な気持ちにあなた方がなることはない。しかし、このマンダラの意味合いをあなた方が一つ一つ理解したならば、あなた方にとっては、このマンダラというものは、あなた方を救済してくれる最高の仏様に見えるだろう。 このようにして、たとえ一つのものも、真理の目で見た場合と、凡夫の目で見た場合は違うんだ。それを、表現するためにはね、それをあなた方にアピールするためには、それはわたしだけではどうしようもないんだ。そうだろ。わたしは、あなた方のカリスマになるつもりはありません。あなた方がわたしと同じステージに入り、そしてね、真の仏陀になることをわたしは望んでいるし、そしてそのためにわたしはいるんだよ。 それから、これから成就してくるケイマもそうだし、今予定されている六人もそうだ。そのために存在しているんだよ。だから、オウム真理教というね、非常に古い名前だが、実際には全く新しい教えについてきてほしい。そして、実践してほしい。そしてね、絶対幸福になってほしいんだ。絶対自由になってほしいんだ。いいですか。
https://w.atwiki.jp/yu-gi-oh-2chdic/pages/561.html
万丈目準(まんじょうめじゅん) 遊戯王デュエルモンスターズGXおよび遊戯王GXの登場人物。 デュエル・アカデミアに所属するデュエリスト。巨大財閥である万丈目グループの御曹司でもある。 使用デッキは《炎獄魔人ヘル・バーナー》を主軸とした悪魔族デッキ(ただし当初は地獄やヘルとついてればなんでもよかったらしくシナジーがないカードが多い)、《アームド・ドラゴンLV10》を切り札とするドラゴンデッキ、前作のライバル海馬瀬人が使用していたユニオンモンスターをさらに強化したVWXYZ(ヴィトゥズィ)デッキ、 ノース校及びアカデミアの井戸で拾ったおジャマ三兄弟で統一したおジャマデッキなどなど、その時々によって使用デッキが変わる。 アカデミアに入学して間もない頃は自分が所属しているクラスが最高ランクのオベリスク・ブルーである事から我が物顔で威張り散らし、 下級ランクであるオシリス・レッドやラー・イエローの生徒達を見下したりしていた。 しかし、格下クラスの生徒である十代に敗北した事によりブルー生徒達には白い目で見られ、 政界財界のトップである兄達からは「我々は常にトップであり続けなければならない」とさらにプレッシャーをかけられ、 ついには三沢にまで敗れ、自らアカデミアを飛び出してしまう。 このように一度どん底に落ちた彼であったが偶然流れ着いた姉妹校であるノース校で一之瀬校長が仕組んだ厳しい修業を重ねる内にたくましく成長を重ね、 選抜デュエルでは十代にまたもや敗北するもののノース校本校問わず新たなファンを獲得し、「万丈目サンダー」と呼ばれ親しまれるようになった(サンダーは「万丈目」と呼び捨てにされた時に「万丈目『さんだ』」と訂正していたことに由来する)。 その後本校に復学するが、勝手に休学したとして(単位が足りないというのもあるが)オシリスレッドに配属されることになった。 サンダーがデュエルで勝利したあとは「一!十!百!千!万丈目サンダー!!」の掛け声をかけるのがお約束。 またこの頃から十代を良きライバルとして見るようになり、同時にギャグキャラポジションへと変わりつつあった。 同時に、アカデミアでの人望もついてきて、次第にリーダーの立場へ成長していった。 その後買収を仕掛けてきた兄達に成長ぶりを認められたり、 傲慢だった頃の万丈目を尊敬していた後輩を馬鹿にしていた弱小モンスターで打ち勝ったり、 レッド寮を財力を使いリフォームするなどカッコイイ場面やお茶目な部分もあったが、 斎王に洗脳され白の結社の信者の一員にされたり、 3年目ではゾンビにされたり邪心経典の効果で別の次元に幽閉されるなどロクな活躍が無いまま終わる事もしばしば。 兄たちに一人前に認めてもらい恩返しをするために万丈目グループ以外とプロデュエリスト契約しようとし、 なかなか成立できずに苦しんでいたが、クロノス教諭の計らいによって、 卒業間際に現役プロデュエリストであるエド・フェニックスの付き人となった。 その時にエドがスポンサーである千里眼グループ総帥から万丈目グループの人間を雇った事を追求されていた事から、 万丈目自身の実力だけではなく出自の問題によってなかなか契約先が決まらなかった事情がうかがえる。 エドや周りの人々よりプロの厳しさを学び、彼とエドの決闘を見たスポンサーから契約依頼が殺到する事となる。 十代同様「カードの精霊が見える」という稀有な才能の持ち主。 最初こそ見た目も性格も最悪であったおジャマ三兄弟達を邪見扱いしていたが、一度どん底に落ちた事もあってか「下には下がいる」精神が根付き、 4年目のエドとのデュエルでは今まで弱小扱いしていたおジャマイエローを「俺のデッキのエースモンスター」と呼ぶなど下に居る者の気持ちが理解できるようになったようだ。(*1) 当初は「イヤミなエリート」から転落していく…立場に見えたのだが、復活を果たして以降は十代の仲間として重要な位置を占めた。 表面的には人当たりが良いが私事を優先して他人を蔑ろにしてしまう十代とは対照的に、彼はぞんざいに扱いつつも自分を慕う者は見捨てない親分肌(*2)であり、本人の成長と共に「アカデミアのリーダー」にまでなった。 声優は松野太紀。 金田一少年の事件簿の金田一一も演じており、「名探偵サンダーの名にかけて!」は紛れもなく声優ネタである。 漫画版遊戯王GXではアニメとは一転して「一見クール。その実、熱血漢」という正統派ライバルとして登場している。 エースモンスターは《光と闇の竜》で、アニメと同じくカードの精霊を見ることが出来る。 アニメでは一度も勝ったことが無かった十代相手に勝利したり、ラスボスとの最終決戦で十代とタッグを組み善戦したりと、デュエルの実力的にはアニメよりも優遇されている。 しかしアニメでの「万丈目サンダー」のはじけっぷりを愛するファンからは戸惑いの声も多い。 なお、このキャラ付けは原作者のカズキングによるものである。 影山もアニメのハジケぶりをかける自信はなかったらしく、この案を聞いて安堵していた。
https://w.atwiki.jp/mahabharatapotal/pages/1774.html
第12-291章.第12-292章.第12-293章. 第12-292章. パラーシャラは言った、「この車、すなわち心を備えた肉体を得て、知識の手綱で感覚の対象に代表される駿馬を制しながら進む者は、必ず知性を持っていると見なされるはずである。心がそれ自体に依存し、生活の手段を捨てた人による(至高者への献身と集中した瞑想という形の)敬意は、高い賞賛に値する--その敬意とはすなわち、再生した者よ、行為を超越することに成功した者から受けた指示の結果であるが、同じ進歩の状態にある人間の相互の議論からは得られないものである。 王よ、このような困難の中で、与えられた人生の期間を得たのだから、それを(感覚の耽溺によって)減らしてはならない。その一方で、人は常に正しい行いによって、徐々に進歩するように努めなければならない。 ジヴァがその存在のさまざまな時期に到達する6つの異なる色の中で、優れた色から外れた者は、非難と批難に値する。それゆえ、善い行いの結果に到達した者は、ラジャの性質によって汚されたすべての行いを避けるように自らを律するべきである。 人 人は正しい行為によって優れた色に到達する。優れた色合いを獲得することができず、そのような獲得は極めて困難であるため、人は罪深い行いをすることによって、(地獄に沈み、劣った色に落ちることによって)自らを殺すだけである。無意識に、あるいは無知でしてしまった罪深い行為は、すべて懺悔によって滅ぼされる。しかし、故意に犯した罪深い行為は、多くの悲しみを生む。それゆえ、人は悲しみだけを実らせる罪深い行為をしてはならない。知性のある人は、たとえそれが最大の利益につながるとしても、その性格上罪深い行為を決してしない。 私が目にする罪深い行為の果実は、なんと惨めなものだろう!罪によって、罪人の視覚そのものが倒錯し、肉体とその不安定な付随物を魂と混同する。 現世で離俗に身を任せることに成功しなかった愚かな人は、来世に旅立つとき、大きな悲しみに悩まされることになる。 汚れた色の付いていない布はきれいにすることができるが、黒く染まった布はそうはいかない。罪を犯したことを知りながら、その罪を償うために正しい行いをする者は、その善行と悪行の果実を別々に享受し、耐えなければならない。 梵語を話す者たちは、ヴェーダに記されていることの権威のもと、無知のうちに犯した傷害行為はすべて正義の行為によって取り消されると主張する。しかし、意識的に犯した罪は、義によって取り消されることはない。このように、ブラーフマナの経典に精通したブラーフマナの再生者は言う。私自身について言えば、正しい行為であれ、罪深い行為であれ、故意に行ったものであれ、そうでないものであれ、どのような行為であれ残る(その果実を享受したり、我慢したりしない限り、決して破壊されることはない)というのが私の考えだ。 どんな行為であれ、心が十分に熟慮して行ったものであれば、その粗雑さや微妙さに応じて、粗雑な果実や微妙な果実を生む。 しかし、正しい魂の持ち主よ、もし無知で行ったならば、大きな傷害を伴うそれらの行為は、必ず結果を生み、地獄に至る結果さえも生む。 その結果は,それを生ぜしめた行為に比して,重大なものである。 神々や評判の高い行者によってなされるかもしれない(疑わしい、あるいは正しくない性質の)行為については、正しい人は決してそのような行為をしてはならないし、そのことを知らされても、彼らを非難してはならない。 王よ、自分の心で反省し、自分の能力を見極め、正しい行いを成し遂げる者は、必ず自分の利益になるものを得る。焼かれていない容器に注がれた水は、次第に少なくなり、最後には完全に逃げてしまう。しかし、焼いた器の中に入れておけば、その量は減ることなく残る。同じように、理解力の助けを借りて反省せずに行った行為は有益にはならないが、判断力を持って行った行為は、その素晴らしさが衰えることなく残り、その結果として幸福をもたらす。水の入った容器に他の水を注げば、もともとそこにあった水の量が増える。それと同じように、判断力をもってなされたすべての行為は、それが公平であろうとなかろうと、自分の正義のストックを増やすだけである。王は、敵や優位を主張しようとする者すべてを服従させ、臣民を正しく統治し保護すべきである。聖なる火を焚き、様々な犠牲を捧げ、中年または老年には森に引きこもり、そこで暮らすべきである(最後の2つの生活様式の義務を実践する)。自制心に満たされ、正しい行いをする者は、すべての生き物を自分のことのように見るべきである。また、目上の者を敬うべきである。王よ、真理と善行の実践によって、人は必ず幸福を得るであろう』」。 第12-291章.第12-292章.第12-293章.
https://w.atwiki.jp/agama/pages/31.html
{{Otheruseslist|仏教の開祖|仏として神格化された釈迦|釈迦如来|紀元前7-6世紀頃のネパールの部族|釈迦族}} {{参照方法}} {{統合文字|迦}} {{インド系文字}} {{Infobox Buddhist |名前=釈迦 |生没年=紀元前463年? - 紀元前383年? |諡号= |生地=ネパールカピラヴァストゥ |没地= |画像=ファイル PrinceSiddhartha.JPG|214px|釈迦立像 |説明文=釈迦立像 |宗派= |寺院= |師= |弟子=舎利弗・目連|摩訶目犍連・摩訶迦葉 br/ 須菩提・富楼那|富楼那弥多羅尼子 br/ 迦旃延|摩訶迦旃延・阿那律・優波離 br/ 羅睺羅・阿難 |著作= }} {{Buddhism}} 釈迦(釋迦、しゃか、 サンスクリット|梵名:シャーキャ、शाक्य [zaakya]({{IAST|Śākya}})、一説に紀元前463年|前463年 - 紀元前383年|前383年、紀元前560年|前560年 - 紀元前480年|前480年等)は、仏教の開祖である。 本名(俗名)は、パーリ語形ゴータマ・シッダッタ({{IAST|Gotama Siddhattha}})またはサンスクリット語形ガウタマ・シッダールタ(ゴータマ・シッダールタ、ガウタマ・シッダルダとも)(गौतम सिद्धार्थ [{{IAST|Gautama Siddhārtha}}])、漢訳では 瞿曇 悉達多 (くどん しっだった)と伝えられる。 == 呼称 == 「釈迦」は釈迦牟尼(しゃかむに、シャーキャ・ムニ शाक्यमुनि [zaakya-muni]({{IAST|Śākyamuni}}))の略である。釈迦は彼の部族名もしくは国名で、牟尼は聖者・修行者の意味。つまり釈迦牟尼は、「釈迦族の聖者」という意味の尊称である。なお、釈迦族とは、様々な民族に経典を翻訳して伝える際に、注釈を加えてわかり易く説法する世襲制の祭司族または書記族の意味。 称号を加え、釈迦牟尼世尊、釈迦牟尼仏陀、釈迦牟尼仏、釈迦牟尼如来ともいう。ただし、これらはあくまで仏教の視点からの呼称である。僧侶などが釈迦を指す時は、略して釈尊(しゃくそん)または釈迦尊、釈迦仏、釈迦如来と呼ぶことが多い。 称号だけを残し、世尊、仏陀、ブッダ、如来とも略す。ただし、大乗仏教以後の仏教では仏陀・世尊・如来は釈迦牟尼だけではない。特に浄土真宗では単に如来というと阿弥陀如来を指すことも少なくない。 日本では、一般にお釈迦様、仏様(ほとけさま)と呼ばれることが多い。ただし、仏様は死者の意味に使われることも多い。 仏典ではこの他にも多くの異名を持つ。うち代表的な10個(どの10個かは一定しない)を総称して仏「十号」と呼ぶ。 === 呼称表 === 釈迦牟尼世尊 釈迦尊 釈尊(しゃくそん) 釈迦牟尼仏陀 釈迦牟尼仏 釈迦仏 釈迦牟尼如来 釈迦如来(しきゃじらい) 多陀阿伽度(たたあかど) 阿羅訶(応供)(あらか) 三藐三仏陀(正徧智)(さんみゃくさんぶっだ) == 生涯 == 釈迦は紀元前5世紀頃、現在のネパールのルンビニで誕生。父は釈迦族|シャーキャ族の王で、王子として裕福な生活を送っていたが、29歳で出家した。35歳で正覚(覚り)を開き、仏陀(覚者)となったことを成道という。まもなく釈迦のもとへやってきたブラフマンの勧めに応じて、釈迦は自らの覚りを人々に説いて伝道して廻った。南方伝ではヴァイシャーカ月(グレゴリオ暦4月~5月)の満月の日(ヴァイシャーカ月はインドでは2月にあたりインドは太陰太陽暦で満月の日は15日にあたるため、中国伝来の際2月15日 (旧暦)とされた)に80歳で入滅(死去)したとされている。 === 誕生 === 釈迦は現在のネパール国境付近(インド説も)のカピラ城|カピラヴァストゥ(kapila-vastu、迦毘羅衛 パーリ語:カピラヴァッツ)で、国家を形成していた釈迦族の出身である。釈迦の故郷であるこのカピラヴァストゥは今のネパールのタライ(tarai)地方のティロリコート(tilori-kot)あるいはピプラーワー(Piprahwa)付近を中心とする小さな共和制の国で、当時の二大強国マガタとコーサラの間にはさまれた国であった。家柄は王 (rāja) とよばれる名門であった。このカピラヴァスツ国の城主、浄飯王|シュッドーダナを父とし、隣国の同じ釈迦族のコーリヤの執政アヌシャーキャの娘・摩耶夫人|マーヤーを母として生まれ、ガウタマ・シッダールタと名づけられた。 ガウタマ(ゴータマ)は「最上の牛」を意味する言葉で、シッダールタ(シッダッタ)は「目的を達したもの」という意味である。ガウタマは母親がお産のために実家へ里帰りする途中、ルンビニの花園で休んだ時に誕生した。生後一週間で母のマーヤーは亡くなり、その後は母の妹、摩訶波闍波提|マハープラジャパティーによって育てられた。当時は姉妹婚の風習があったことから、マーヤーもマハープラジャパティー(パーリ語:マハパジャパティ)もシュッドーダナの妃だった可能性がある。 釈迦の生まれた年代に最新の研究をもってしても100年もの誤差が生じるのは、インドでは輪廻転生の考えから時間というものがさほど必要なものではないと考えられていたため、年代を記録する習慣がなかったことによる。インドなどの詳細は中国の文献によって知ることができる。 釈迦は、産まれた途端、七歩歩いて右手で天を指し左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と話したと伝えられている。釈迦はシュッドーダナらの期待を一身に集め、二つの専用宮殿や贅沢な衣服・世話係・教師などを与えられ、クシャトリヤの教養と体力を身につけた、多感でしかも聡明な立派な青年として育った。16歳で母方の従妹の耶輸陀羅|ヤショーダラーと結婚し、一子、羅ご羅|ラーフラ をもうけた。なお妃の名前は、他にマノーダラー(摩奴陀羅)、ゴーピカー(喬比迦)、ムリガジャー(密里我惹)なども見受けられ、それらの妃との間に善星|スナカッタや優波摩那|ウパヴァーナを生んだという説もある。 === 出家 === 当時のインドでは、ウパニシャッド哲学を基盤としながら、ヴェーダ経典の権威を認めない六師外道と称される六人の思想家達、ジャイナ教の始祖となったニガンダ等が既成のバラモンを否定し、自由な思想を展開していた。また社会的にも十六大国|16の大国、多くの小国が争いを繰り広げ、混乱の度を増すさなかにあった。 釈迦出家の動機は、釈迦族が農耕民族であったため、幼少の頃に田畑の虫をついばむ鳥を見たことなどにより日常的にこの世の無常を感じていたが、決定的となったのは四門出遊の故事とされる。ある時、釈迦がカピラヴァスツ城の東門から出る時老人に会い、南門より出る時病人に会い、西門を出る時死者に会い、生ある故に老も病も死もある(四諦#苦諦(duHkha-aaryasatya)|生老病死:四苦)と無常を感じた。北門から出た時に一人の出家沙門に出会い、世俗の苦や汚れを離れた沙門の清らかな姿を見て、出家の意志を持つようになった。 私生活において一子羅ご羅|ラーフラをもうけたことで、かねてよりの念願の出家の志を29歳、12月8日夜半、王宮を抜け出て果たした。出家してまずバッカバ仙人を訪れ、その苦行を観察するも、その結果、死後に天上に生まれ変わることを最終的な目標としていたので、天上界の幸いも尽きればまた六道に輪廻すると悟った。次にアーラーラ・カーラーマを訪れ、彼が空無辺処(あるいは無所有処)が最高の悟りだと思い込んでいるが、それでは人の煩悩を救う事は出来ないことを悟った。次にウッダカラーマ・プッタを訪れたが、それも非想非非想処を得るだけで、真の悟りを得る道ではないことを覚った。この三人の師は、釈迦が優れたる資質であることを知り後継者としたいと願うも、釈迦自身はすべて悟りを得る道ではないとして辞した。そしてウルヴェーラの林へ入ると、父・シュッドーダナは釈迦の警護も兼ねて五比丘(ごびく)といわれる5人の沙門を同行させた。そして出家して6年(一説には7年)の修行の間、苦行を積んだ。減食、絶食等、座ろうとすれば後ろへ倒れ、立とうとすれば前に倒れるほど厳しい修行を行ったが、心身を極度に消耗するのみで、人生の苦を根本的に解決することはできないと悟って難行苦行を捨てたといわれている。その際、この五比丘たちは釈迦が苦行に耐えられず修行を放棄したと思い、釈迦をおいてムリガダーヴァ(鹿野苑、ろくやおん)へ去った。 === 成道 === そこで釈迦は、全く新たな独自の道を歩むこととする。ネーランジャナー(nairaJjanaa、尼連禅河、にれんぜんが)で沐浴し、村娘スジャータの乳糜(牛乳で作ったかゆ)の布施を受け、気力の回復を図って、ガヤー村のピッパラ (pippala) 樹(後にゴータマ・ブッダの菩提樹|菩提樹と言われる)の下で、49日間の観想に入った。そして、ついに12月8日の未明に大悟する。これを「成道」といい、古来この日に「成道会(じょうどうえ)」を勤修した。ガヤー村は、仏陀の悟った場所という意味の、ブッダガヤと呼ばれるようになった。 釈迦は、この悟りを得た喜びの中で、このまま浸っていようと考えた。一部の経典には「このまま無余涅槃に至ろうと考えた」との記述があることから、3カ月間禅定にあるまま死を迎えようとされたと思われた。ところが梵天と帝釈天によって衆生に説くよう勧められた(梵天勧請)。3度の勧請の末、自らの悟りへの確信を求めるためにも、ともに苦行をしていた5人の仲間に説こうと座を立った。釈迦は彼らの住むベナレス|バーラーナシー (baaraaNsii) まで、自らの悟りの正しさを十二因縁の形で確認しながら歩んだ。 そこで釈迦は鹿野苑へ向かい、初めて五比丘にその方法論四諦八正道を実践的に説いた。これを初転法輪(しょてんぽうりん)と呼ぶ。この5人の比丘は、当初は釈迦が苦行を止めたとして蔑んでいたが、説法を聞くうちコンダンニャがすぐに悟りを得、釈迦は喜んだ。この時初めて、釈迦は如来(tathaagata、タターガタ)という語を使った。すなわち「ありのままに来る者」「真理のままに歩む者」という意味である。それは、現実のありのままの姿(実相)を観じていく事を意味している。 初転法輪を終わって「世に六阿羅漢(漢:応供、梵:arhan)あり。その一人は自分である」と言い、ともに同じ悟りを得た者と言った。次いでバーラーナシーの長者、耶舎|ヤシャスに対して正しい因果の法を次第説法し、彼の家族や友人を教化した。古い戒律に「世に六十一阿羅漢あり、その一人は自分だと宣言された」と伝えられている。 === 教団 === その後、ヤシャスや富楼那|プルナなどを次々と教化したが、初期の釈迦仏教教団において最も特筆すべきは、三迦葉(さんかしょう)といわれる三人の兄弟が仏教に改宗したことである。当時有名だった事火外道(じかげどう)の、ウルヴェーラ・カッサパ (uruvela kassapa)、ナディー・カッサパ (nadi kassapa)、ガヤー・カッサパ (gayaa kassapa) を教化して、千人以上の構成員を持つようになり、一気に仏教は大教団化した。 ついでラージャグリハ(raajagRha、王舎城)に向かって進み、ガヤ山頂で町を見下ろして「一切は燃えている。煩悩の炎によって汝自身も汝らの世界も燃えさかっている」と言い、煩悩の吹き消された状態としての涅槃を求めることを教えた。 王舎城に入って、頻婆娑羅|ビンビサーラ王との約束を果たし教化する。王はこれを喜び竹林精舎を寄進する。ほどなく釈迦のもとに二人のすぐれた弟子が現れる。その一人は十大弟子|シャーリプトラであり、もう一人は十大弟子|マウドゥガリヤーヤナであった。この二人は後に釈迦の高弟とし、前者は知恵第一、後者は神通第一といわれたが、この二人は釈迦の弟子で、最初に教化された五比丘の一人である阿説示|アッサジ比丘によって釈迦の偉大さを知り、弟子250人とともに帰依した。その後、シャーリプトラは叔父の摩訶・倶絺羅(まか・くちら、長爪・梵士=婆羅門とも)を教化した。この頃に摩訶迦葉|マハーカッサパが釈迦の弟子になった。 以上がおおよそ釈迦成道後の2年ないし4年間の状態であったと思われる。この間は大体、ラージャグリハ(王舎城)を中心としての伝道生活が行なわれていた。すなわち、マガダ国の群臣や村長や家長、それ以外にバラモンやジャイナ教の信者とだんだんと帰依した。このようにして教団の構成員は徐々に増加し、ここに教団の秩序を保つため、様様な戒律が設けられるようになった。 === 伝道の範囲 === これより後、最後の一年間まで釈迦がどのように伝道生活を送ったかはじゅうぶんには明らかではない。経典をたどると、故国カピラヴァスツの訪問によって、釈迦族の王子や子弟たちである、羅睺羅|ラーフラ、阿難|アーナンダ、阿那律|アニルッダ、提婆達多|デーヴァダッタ 、またスードラの出身である優波離|ウパーリが先んじて弟子となり、諸王子を差し置いてその上首となるなど、釈迦族から仏弟子となる者が続出した。またコーサラ国を訪ね、ガンジス河を遡って西方地域へも足を延ばした。たとえはクル国 (kuru) のカンマーサダンマ (kammaasadamma) や、ヴァンサ国 (vaMsa) のコーサンビー (kosaambii) などである。成道後14年目の安居はコーサラ国の舎衛城|シュラーヴァスティーの祇園精舎で開かれた。 このように釈迦の教化され伝道された地域をみると、ほとんどガンジス中流地域を包んでいる。アンガ (aGga)、マガダ (magadha)、ヴァッジ (vajji)、マトゥラー (mathura)、コーサラ (kosalaa)、クル (kuru)、パンチャーラー (paJcaalaa)、ヴァンサ (vaMsa) などの諸国に及んでいる。 === 入滅 === 釈迦の伝記の中で最も克明に今日記録として残されているのは、入滅前1年間の事歴である。漢訳の『長阿含経』の中の「遊行経」とそれらの異訳、またパーリ所伝の『大般涅槃経』などの記録である。 涅槃の前年の雨期は舎衛国の祇園精舎で安居が開かれた。釈迦最後の伝道は王舎城の竹林精舎から始められたといわれているから、前年の安居を終わって釈迦はカピラヴァスツに立ち寄り、コーサラ国王波斯匿王|プラセーナジットの訪問をうけ、最後の伝道がラージャクリハから開始されることになったのであろう。 このプラセーナジットの留守中、コーサラ国では王子が兵をあげて王位を奪い、毘瑠璃王|ヴィルーダカとなった。そこでプラセーナジットは、やむなく王女が嫁していたマガダ国のアジャータシャトル(ajaatazatru、阿闍世王)を頼って向かったが、城門に達する直前に亡くなったといわれている。当時、釈迦と同年配であったといわれる。 ヴィルーダカは王位を奪うと、即座にカピラヴァスツの攻略に向かった。この時、釈迦はまだカピラヴァスツに残っていた。釈迦は、故国を急襲する軍を、道筋の樹下に座って三度阻止したが、宿因の止め難きを覚り、四度目にしてついにカピラヴァスツは攻略された。しかし、このヴィルーダカも河で戦勝の宴の最中に洪水(または落雷とも)によって死んだと記録されている。釈迦はカピラヴァスツから南下してマガダ国の王舎城に着き、しばらく留まった。 釈迦は多くの弟子を従え、王舎城から最後の旅に出た。アンバラッティカ (パ:ambalaTThika) へ、ナーランダを通ってパータリガーマ (パ:paaTaligaama) に着いた。ここは後のマガダ国の首都となるパータリプトラ (paataliputra、華子城) であり、現在のパトナである。ここで釈迦は破戒の損失と持戒の利益とを説いた。 釈迦はこのパータリプトラを後にして、増水していたガンジス河を無事渡り、ヴァッジ国のコーリー城に着いた。ここで亡くなった人々の運命について、阿難|アーナンダの質問に答えながら、最後に人々が運命を知る標準となるものとして法鏡の説法をする。釈迦はこの法鏡を説いてから、四諦を説いて「苦悩と苦悩の起源と、苦悩の絶滅と苦悩の絶滅への道との尊い真理を洞察し悟った。そして生存への渇望を根絶し、生存への誘惑をうちほろぼしたから、もはや生存に戻ることはない」と説法した。 次に釈迦は、このコーリー城を出発しナディカガーマを経てヴァイシャーリーに着いた。ここはヴァッジ国の首都であり、アンバーパリーという遊女が所有するマンゴー林に滞在し、戒律や生天の教え、四諦を説いた。やがてここを去ってヴェールバ村に進み、ここで最後の雨期を過ごすことになる。すなわち釈迦はここでアーナンダなどとともに安居に入り、他の弟子たちはそれぞれ縁故を求めて安居に入った。 この時、釈迦は死に瀕するような大病にかかった。しかし、雨期の終わる頃には気力を回復した。この時、アーナンダは釈迦の病の治ったことを喜んだ後、「師が僧伽|比丘僧伽のことについて何かを遺言しないうちは亡くなるはずはないと、心を安らかに持つことができました」と言った。これについて釈迦は、{{quote|「比丘僧伽は私に何を期待するのか。私はすでに内外の区別もなく、ことごとく法を説いた。阿難よ、如来の教法には、あるものを弟子に隠すということはない。教師の握りしめた秘密の奥義(師拳)はない。……自分はすでに八十歳の高齢となり、自分の肉体は、あたかも古い車がガタガタとなってあちこちを草紐で縛り、やっと保たれているようなものである。だから、阿難よ、汝らは、ただみずからを灯明とし、みずからを依処として、他人を依処とせず、法を灯明とし、法を依処として、他を依処とすることなくして、修行せんとするものこそ、わが比丘たちの中において最高処にあるものである」}}と説法したとされる。これが「自帰依自灯明、法帰依法灯明」の教えである。 やがて雨期も終わって、釈迦は、ヴァイシャーリーへ托鉢に出かけ、永年しばしば訪れたウデーナ廟、ゴータマカ廟、サーランダダ廟、サワラ廟などを訪ねた。托鉢から戻ると、アーナンダを促してチャパラの霊場に行った。ここで聖者の教えと神通力について説いた。 托鉢を終わって、釈迦は、これが「如来のヴァイシャーリーの見納めである」と言い、バァンダガーマ (bhandagaama) に移り四諦を説き、さらにハッティ (hatthi)、アンバガーマ (ambagaam)、ジャンブガーマ (jaambugaama)、ボーガガーマ (bhogagaama)を経てパーヴァー (paavaa) に着いた。ここで四大教法を説き、仏説が何であるかを明らかにし、戒定慧の三学を説いた。 釈迦は、ここで鍛冶屋の純陀|チュンダのために法を説き供養を受けたが、激しい腹痛を訴えるようになった。カクッター河で沐浴して、最後の歩みをクシナガラ|クシナーラー (kusinaara) に向け、その近くのヒランニャバッティ河のほとりに行き、マルラ (malla) 族(マッラ国)のサーラの林に横たわり、そこで入滅した。時に紀元前386年2月15日のことであった ref 釈迦の入滅年時については、仏典により色々な説がある。一般には紀元前486年(衆聖点記説)を用い、宇井伯寿の前386年説も仏教における学会で用いられている。 /ref 。これを仏滅(ぶつめつ)という。腹痛の原因はスーカラマッタヴァという料理で、豚肉、あるいは豚が探すトリュフのようなキノコであったという説もあるが定かではない。 仏陀入滅の後、その遺骸はマルラ族の手によって火葬された。当時、釈迦に帰依していた八大国の王たちは、仏陀の遺骨仏舎利を得ようとマルラ族に遺骨の分与を乞うたが、これを拒否された。そのため、遺骨の分配について争いが起きたが、ドーナ(dona、香姓)バラモンの調停を得て舎利は八分され、遅れて来たマウリヤ族の代表は灰を得て灰塔を建てた。ちなみに、その八大国とは、 # クシナーラーのマルラ族 # マガダ国のアジャタシャトゥル王 # ベーシャーリーのリッチャビ族 # カビラヴァストフのシャーキャ族 # アッラカッパのプリ族 # ラーマガーマのコーリャ族 # ヴェータデーバのバラモン # バーヴァーのマルラ族 である ref 1898年にカピラヴァットゥから約13キロメートル隔たったピプラーワーで、イギリスの駐在官ペッペが発見した遺骨の壺は、考古学的な鑑定の結果、現在では真の仏舎利として最も信憑性があるとされている(中村元(1970)および外務省HP参照)。この壺は当時のイギリス領インド政府からタイ王室に譲り渡され、仏舎利の一部は日本では覚王山日泰寺に納められている。参考:[http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/thailand/jpth120/knowledge/temple.html 外務省HP:日泰寺] /ref 。 入減後、弟子たちは亡き釈迦を慕い、残された教えと戒律に従って跡を歩もうとし、説かれた法と律とを結集した。これらが幾多の変遷を経て、今日の経典や律典として維持されてきたのである。 == 入滅後の評価 == 釈迦の入滅後、仏教はインドで大いに栄えたが、大乗仏教の教義がヒンドゥー教に取り込まれるとともにその活力を失っていく。ヒンドゥー教は仏教を弾圧の対象とし、釈迦に新たな解釈を与えた。釈迦は、ヴィシュヌのアヴァターラ(化身)として地上に現れたとされた。偉大なるヴェーダ聖典を悪人から遠ざけるために、敢えて偽の宗教である仏教を広め、人々を混乱させるために出現したとされ、誹謗の対象になった。ただし逆に大乗仏教の教義をヒンドゥー教が取り込んだためヒンドゥー教が仏教化したと捉えることもできる。 さらにインドがイスラム教徒に征服されると、仏教はイスラム教からも弾圧を受け衰退の一途をたどる。イスラム征服後のインドではカーストの固定化がさらに進む。このなかでジャイナ教徒は信者をヒンドゥー社会の一つのカーストと位置づけその存続を可能にしたが、仏教はカースト制度を否定したためその社会的基盤が消滅する結果となった。元々インド仏教はその存在を僧伽に依存しており、回教徒によって僧伽が破壊されたことによってその宗教的基盤を失い消滅した。インド北東部の一部で細々と存続する以外にはインドで仏教が認められるようになったのは、インドがイギリス領になった19世紀以降である。因みにカースト制度の外にある不可触賎民の一部は仏教徒の末裔ではないかとの憶測も存在する。 釈迦の聖地のある、ネパールでも釈迦は崇拝の対象でもある。ネパールでは !--??年-- 現在、ヒンドゥー教徒が86%、仏教徒が8%となっている。ネパールでも仏教は少数派でしかないが、ネパールの仏教徒は聖地ルンビニへの巡礼は絶やさず行っている。なお、ルンビニは1997年にユネスコの世界文化遺産に登録された。 仏教は仏滅後100年、上座部と大衆部に分かれる。これを根本分裂という。その後西暦100年頃には20部前後の部派仏教が成立した。これを枝末分裂という(ただし大衆部が大乗仏教の元となったかどうかはさだかではなく、上座部の影響も指摘されている)。そして、部派仏教と大乗仏教とでは、釈迦に対する評価自体も変わっていった。部派仏教では、釈迦は現世における唯一の仏とみなされている。最高の悟りを得た仏弟子は阿羅漢(アラカン 如来十号の一)と呼ばれ、仏である釈迦の教法によって解脱した聖者と位置づけられた。一方、大乗仏教では、釈迦は十方(東南西北とその中間である四隅の八方と上下)三世(過去、未来、現在)の無量の諸仏の一仏で、現在の娑婆(サハー、堪忍世界)の仏である、等と拡張解釈された。また、後の三身説では応身として、仏が現世の人々の前に現れた姿であるとされている。とくに大乗で強調される仏性の思想は、上座部仏教には無かったことが知られている。 マニ教の開祖であるマニは、釈迦を自身に先行する聖者の一人として認めたが、釈迦が自ら著作をなさなかったために後世に正しくその教えが伝わらなかった、としている。 マルコ・ポーロは東方見聞録において釈迦の事を「もし彼がキリスト教徒であれば、イエス・キリストに劣らぬ聖者になったであろう。」 ref 青木富太郎訳による『東方見聞録』には、そのような記述は一切ない。そのかわり、フビライ・ハーンの事を「世界のすべてのキリスト教徒とイスラム教徒の王や皇帝たちでも、彼ほどの力は持っていないだろうし、彼ほどの業績はあげられないだろう。」とする記述がある。また、本書で、釈迦は一切登場しない。加えて、仏教という言葉は一切登場しない。仏教は、偶像崇拝教として登場する。 /ref と記述していれば、キリスト教徒としては最上の評価と言ってよい(ただし、キリスト教の教義にはいささか反するという指摘もある ref イエスは言った、曰く「なぜ私を善いと言うのか。」 – マルコによる福音書「金持ちの男」(10 18)、ルカによる福音書「金持ちの議員」(18 19) イエス、更に曰く「神以外、善いなどない。」 – マタイによる福音書「金持ちの青年」(19 17)、マルコによる福音書「金持ちの男」(10 18)、ルカによる福音書「金持ちの議員」(18 19) /ref )。 == 釈迦の像 == イエスの像が常に痩せている一方、{{要出典範囲|釈迦は中道を説くとあって、中肉の像である}}。悟り以前の苦行時代の釈迦の像は脂肪のほとんどない像である。入滅後400年間、釈迦の像は存在しなかった。彫像のみならず絵画においても釈迦の姿をあえて描かず、法輪やインドボダイジュ|菩提樹のような象徴的事物に置き換えられた。崇拝の対象はもっぱら仏塔であった。{{要出典範囲|釈迦の時代のインドには像を作る習慣が存在せず}}、仏像が作られるようになったのはヘレニズムの影響によるものである。 == 釈迦の生涯を伝える文献 == 修行本起経 〔大正・3・461〕 瑞応本起経 〔大正・3・472〕 - これらは錠光仏の物語から三迦葉が釈尊に帰依するところまでの伝記を記している。 過去現在因果経 〔大正・3・620〕 - 普光如来の物語をはじめとして舎利弗、目連の帰仏までの伝記。 中本起経 〔大正・4・147〕 - 成道から晩年までの後半生について説く。 仏説衆許摩房帝経 〔大正・3・932〕 仏本行集経 〔大正・3・655〕 - これらは仏弟子の因縁などを述べ、仏伝としては成道後の母国の教化まで。 十二遊経 〔大正・4・146〕 - 成道後十二年間の伝記。 普曜経 方広大荘厳経 - これらは大乗の仏伝としての特徴をもっている。 仏所行讃 〔大正・4・1〕(梵:Buddha-carita) 馬鳴著 Lalita vistara Mahavastu 遊行経 『長阿含経』中 仏般泥画経(パ: Mahaparinibbanna sutta ) 大般涅槃経 法賢訳 - 以上3件は、釈尊入滅前後の事情を述べたもの。 『自説経(ウダーナ)』 - パーリ語による仏典。日本語訳:[http //www.tok2.com/home/gengi/sutra/index.html] 注 〔大正〕とは、大正新脩大蔵経のこと。 == 釈迦を題材にした作品 == === 小説 === ヘルマン・ヘッセ 『シッダールタ』 === 漫画 === 手塚治虫 『ブッダ (漫画)|ブッダ』 中村光 (漫画家)|中村光 『聖☆おにいさん』 小泉吉宏 『ブッタとシッタカブッタ』(モチーフにしている) === 映画 === 『亜細亜の光』 (原題 "DIE LEUCHTE ASIENS" 1925年、ドイツ) 『釈迦』 (1961年、大映 (映画)|大映 釈迦役 本郷功次郎) 『リトル・ブッダ』(1993年、アメリカ合衆国|アメリカ 釈迦役 キアヌ・リーブス) === 音楽 === 田中正徳『世尊』(合唱曲) 貴志康一「仏陀 (交響曲)|交響曲『仏陀』」 伊福部昭「交響頌偈『釋迦』」(合唱を伴う管弦楽曲) == 注 == {{reflist}} == 参考文献 == {{refspam}} 中村元 (哲学者)|中村元 『原始仏教 - その思想と生活』 日本放送出版協会〈NHKブックス〉、1970年、ISBN 4-14-001111-4。 中村元 『釈尊の生涯』 平凡社ライブラリー、2003年、ISBN 4-582-76478-9。 『ゴータマ・ブッダ 決定版中村元選集 第11.12巻』 春秋社、1992年 早島鏡正 『ゴータマ・ブッダ』 講談社〈講談社学術文庫〉、1990年、ISBN 4-480-08928-4。 増谷文雄 『この人を見よ ブッダ・ゴータマの生涯、ブッダ・ゴータマの弟子たち』 佼成出版社、2006年、ISBN 4-333-02193-6。 渡辺照宏 『新釈尊伝』 ちくま学芸文庫、2005年、ISBN 4-333-02193-6。 水野弘元 『釈尊の生涯』 春秋社、1985年ほか 水野弘元 『原始仏教入門 釈尊の生涯と思想から』 佼成出版社、2009年、ISBN 4-333-02395-5。 羽矢辰夫 『ゴータマ・ブッダ』 春秋社、1999年 羽矢辰夫 『ゴータマ・ブッダの仏教』 春秋社、2003年 並川孝儀 『ゴータマ・ブッダ考』 大蔵出版、ISBN 4-8043-0563-7。 並川孝儀 『スッタニパータ 仏教最古の世界』<書物誕生>岩波書店、ISBN 4-00-028285-9。 宮元啓一 『ブッダが考えたこと これが最初の仏教だ』 春秋社、ISBN 4-393-13520-2。2004年 宮元啓一 『仏教かく始まりき パーリ仏典「大品」を読む』 春秋社、ISBN 4-393-13537-7。2005年 宮元啓一 『仏教誕生』 ちくま新書、1995年 宮元啓一 『ブッダ 伝統的釈迦像の虚構と真実』 光文社文庫、1998年 == 関連項目 == {{Wikiquote|釈迦}} {{Commons|Gautama_Buddha}} 仏教 チベット仏教サキャ派 灌仏会(花まつり) 成道会 涅槃会 ウェーサーカ祭 仏舎利 八大聖地 仏教美術 釈迦三尊 釈迦堂 仏陀 釈迦十大弟子 そのほかの弟子 - 莎伽陀、薄拘羅、劫賓那 ヒンドゥー教 - ヴィシュヌの十あるアヴァターラのうちの一つ。 釈迦頭 - 果物の一つ。 ヴィパッサナー瞑想
https://w.atwiki.jp/orbiter/pages/5.html
無量大数(むりょうたいすう) 今昔物語3巻:全31巻1040話(平安時代後期1120年頃) 「無量無辺不可思議那由他・・・・・の国土を過ぎ行きて」 那由他(なゆた)・・・古代インドの数の単位。 仏典では那由多、那述、那由佗、などと 音写される。 ┫10⁻⁶²┣1.43x10⁻⁶²弱い力の定数 ┫┣ ┫10⁻⁴⁴┣10⁻⁴⁴秒 宇宙の始まり ┫┣ ┫10⁻³⁴┣6.63x10⁻³⁴プランク定数 ┫┣ ┫10⁻³¹┣9.11x10⁻³¹電子の静止質量(Kg) ┫┣ ┫10⁻²⁷┣1.67x10⁻²⁷陽子の静止質量(Kg) じょ┫┣ 一 分の1┫10⁻²⁴ヨクト(y)┣ ┫┣1.38x10⁻²³ポルツマン定数 がい┫┣ 十垓分の1┫10⁻²¹ゼプト(z)┣ ┫┣ けい┫┣ 百京分の1┫10⁻¹⁸アト(a)┣2x10⁻¹⁸ハッブル定数 ┫┣ ┫┣ 千兆分の1┫10⁻¹⁵フェムト(f)┣ ┫┣ ┫┣ 一兆分の1┫10⁻¹² ピコ(p)┣ ┫┣6.67259x10⁻¹¹重力(万有引力)定数 ┫┣ 十億分の1┫10⁻⁹ ナノ(n)┣ ┫┣ ┫┣ 百万分の1┫10⁻⁶マイクロμ┣ ┫┣ ┫┣ 千分の1┫10⁻³ ミリ(m)┣ ┫10⁻²センチ(c)┣ ┫10⁻¹デシ(d)┣ ゼロ(零)┫ 0┣ 十(拾)┫10¹ デカ(da)┣ 百(壱百)┫10²ヘクト(h)┣ 千(壱千)┫10³ キロ(k)┣ 万(萬)┫10⁴┣ ┫┣ ┫10⁶ メガ(M)┣ 水素原子 ┫┣1.09737315X10⁷リュードベリ定数(H) 億┫┣2.99792458X10⁸m/s光速 ┫10⁹ ギガ(G)┣6.5x10⁹総人口 ┫┣6.6x10¹º総鶏(ニワトリ)数 ┫┣1.49600x10¹¹m天文単位(AU) 兆┫10¹² テラ(T)┣ ┫┣ ┫┣ ┫10¹⁵ ペタ(P)┣1.4x10¹⁵g/cm³中性子星の平均密度 京┫┣ ┫┣ ┫10¹⁸エクサ(E)┣ がい┫┣ 垓┫┣ ┫10²¹ ゼタ(Z)┣ ┫┣10²²地球上の砂の数 じょ┫┣6.022x10²³アボガドロ数 ┫10²⁴ ヨタ(Y)┣10²⁴星の数、地球上の微生物の数 ┫ ↑┣ ┫ (SI単位の接頭語)┣ ┫10²⁷┣5.974x10²⁷g 地球質量 穣┫┣ ┫┣ ┫10³º┣ ┫┣ 溝┫┣ ┫10³³┣2x10³³g 太陽質量 ┫┣ ┫┣10³⁵インフレーション 澗┫10³⁶┣空間が30桁以上膨張 ┫┣ ┫┣ ┫10³⁹┣ 正┫┣10⁴º宇宙と電子の大きさの比 ┫┣電磁気力と重力 〃 ┫10⁴²┣ ┫┣ 載┫┣ ┫10⁴⁵┣ ┫┣ ┫┣ 極┫10⁴⁸┣ ┫┣ ┫┣ ┫10⁵¹┣ 恒河沙┫┣ ┫┣ ┫10⁵⁴┣ ┫┣ 阿僧祇┫┣ ┫10⁵⁷┣ ┫┣ ┫┣ 那由他┫10⁶º┣ ┫┣ ┫┣ ┫10⁶³┣ 不可思議┫┣ ┫┣ ┫10⁶⁶┣ ┫┣ 無量大数┫┣ ┫10⁶⁹┣ ┫┣ ┫┣ ┫┣ ┫┣ ┫┣ ┫┣ ┫10⁸º┣10⁸º宇宙に存在する核子の数 ┫┣(核子:陽子と中性子の総称) ↑ 1627年 江戸時代の数学者塵劫(じんこう)が考案。 塵劫記(じんこうき) 江戸時代初期の通俗算学書。吉田光由(1598~1672)が表し 寛永4年(1627年)に刊行した。 当時の和算書としては著者不明の「算用記」(1610年頃)と 毛利重能の「割算書」(1622年)に次ぐものであった。 光由は京都二条にあった毛利の家塾に学んだがそれにあきたらず 宗家の角倉素庵(1571~1632)に教えられて「算法統宗」を 習った人で「塵劫記」は当時としては最高の内容を平易に説明した 入門書であった。 光由はさらに寛永18年(1641)にそろばんを利用した算法の説明 などにも工夫をこらした新編「塵劫記」小型3巻本を出版し その下巻の巻末に遺題12問を提出した。 「塵劫記」は実用書として歓迎され版を重ねるとともに 「・・・・塵劫記」と称する通俗算書が江戸時代から明治時代までに 400~500種が出版された。 恒河沙(ごうがしゃ) Gan ga‾-nadi‾-va‾luka 恒河沙、恒水辺流沙などとも訳され恒沙、江沙と略して用いられる こともある。 ガンジス川の砂という意味で仏教の経典中に 「数え切れないほど多い」ということのたとえとしてたびたび用い られている。 「諸仏の数は恒河沙のごとく多い」 阿僧祇(あそうぎ) サンスクリット語(古代インドの文学語)。 asam.khyaの音写仏教用語。 数えられないとの意から無理無数を意味する。 無数(むしゅ)、無央数(むおうしゅ)と漢訳される。 まとめサイト作成支援ツールについて @wikiにはまとめサイト作成を支援するツールがあります。 また、 #matome_list と入力することで、注目の掲示板が一覧表示されます。 利用例)#matome_listと入力すると下記のように表示されます #matome_list
https://w.atwiki.jp/mahabharatapotal/pages/833.html
第5-91章.第5-92章.第5-93章. 第5-92章. ヴァイサンパヤーナ曰く、「ケーサヴァが食事をしてリフレッシュした後、ヴィドゥラは夜の間に彼に言った。マダヴァよ、彼は経典に背き、無知で、邪悪な魂を持っている。彼の魂は欲望と欲望に取り憑かれている。彼は愚かにも、自分を非常に賢いと思っている。彼はすべての真の友の敵である。常に疑い深く、自分の魂を制御できず、恩知らずで、すべての美徳を捨て、罪を愛している。愚かで、理解力が未発達で、感覚の奴隷であり、欲望と貪欲の衝動に常に従順で、なすべきあらゆる行為において不決断である。彼はこれらとその他多くの悪徳に満ちている。汝が彼のためになることを指摘しても、彼はプライドと怒りに突き動かされ、それをすべて無視する。彼はビーシュマ、ドローナ、クリパ、カルナ、ドローナの息子、ジャヤドラタに絶大な信頼を寄せている。ドリタラーシュトラの息子たちはカルナとともに、パーンダヴァはビーシュマやドローナなどの英雄と戦うことはおろか、彼らを見ることさえできないと固く信じている。視力の弱い愚かなドゥルヨーダナは、大軍を集めたが、マドゥの殺害者よ、自分の目的はすでに達成されたと考えている。ドリタラーシュトラの愚かな息子は、カルナが一人で敵を打ち負かすことができるという結論に達した。それゆえ、彼は決して和平を結ぶことはないだろう。ケーサヴァよ、汝は両者の間に平和と兄弟愛を築きたいと望んでいる。しかし、ドリタラーシュトラの息子たちは皆、パーンダヴァに与えるべきものを与えないという結論に達したことを知れ。そのように決意した者たちには、汝の言葉は必ず無駄になるであろう。マドゥの殺害者よ、言葉が善であろうと悪であろうと、同じ効果をもたらすのであれば、賢者は聾唖者の前で歌う者のように、自分の息を無駄に費やすことはないだろう。マダヴァよ、汝の言葉は、チャンダラの集会におけるバラモン僧のように、畏敬に値するもの全てに畏敬の念を抱かない、無知で邪悪な哀れな者たちの間では、尊敬を集めることはないだろう。愚か者よ、力がある限り、彼は決してあなたの助言に従わないだろう。あなたが彼にどんな言葉をかけようとも、まったく無駄なことだ。クリシュナよ、汝がこの邪悪な心を持った哀れな者たちの中に入って行くことは、私には適切とは思われない。クリシュナよ、あなたがそこに行って、邪悪な心を持ち、愚かで、不義を行う、数の多い屍たちに対して言葉を発することは、私には適切なこととは思えません。彼らは年老いた者を崇拝したことがなく、繁栄と高慢に目がくらみ、若さと怒りの高慢のせいで、あなたが彼らの前に置く良い忠告を決して受け入れないだろう。マダヴァよ、彼は強大な力を持ち、汝自身を疑っている。それゆえ、彼は汝のいかなる助言にも決して従わないであろう。ジャナルダナよ、ドリタラーシュトラの息子たちは、現在インドラ自身がすべての天界の長であり、戦いで彼らを打ち負かすことはできないと固く信じている。汝の言葉は常に有効であるが、そのような信念に感化され、常に欲望と怒りの衝動に従う者には、何の効力もないことが証明されるであろう。ドゥルヨーダナは、象の隊列と車と勇猛な歩兵で構成された軍隊の中にとどまり、愚かで邪悪なドゥルヨーダナは、すべての恐怖を払拭し、全地がすでに自分によって征服されたと見なす。実際、ドリタラーシュトラの息子は、ライバルのいない地上の広大な帝国を欲しがっている。それゆえ、彼と平和を得ることはできない。彼が所有するものは、永遠に彼のものである。残念なことに、ドゥルヨーダナのために地上の破滅が目前に迫っているようだ。運命に駆り立てられて、地上の王たちが、すべてのクシャトリヤの戦士を引き連れて、パーンダヴァと戦おうとして集まっている。クリシュナよ、これらの王たちは皆、あなたと敵対しており、あなたに先立たれて財産を奪われている。それらの勇猛な君主たちは、あなたを恐れてカルナと一緒になり、ドリタラーシュトラの息子たちと同盟を結んだ。命も惜しまない戦士たちは皆、ドゥルヨーダナと結ばれ、パーンダヴァと戦うことに喜びを感じている。ダサルハの一族の勇士よ、あなたが彼らの中に入ることは、私には好ましいことではありません。敵の挽き手よ、邪悪な魂を持つ汝の数多の敵の中に入り、共に座すつもりか。強大な腕を持つ者よ、汝はまさに神々に打ち負かされることはない。そして私は知っている、敵を殺す者よ、汝の男らしさと知性を。マダヴァよ、私があなたに抱く愛は、私がパーンドゥの息子たちに抱く愛に等しい。それゆえ、私は汝への愛情、敬意、友情から、汝にこの言葉を述べる。汝、蓮のような眼を持つ汝は、すべての具現化された生き物の内なる魂である。 第5-91章.第5-92章.第5-93章.