約 1,245,863 件
https://w.atwiki.jp/preciousmemories/pages/3780.html
《メオ(079)》 キャラクターカード 使用コスト2/発生コスト2/黄/AP20/DP10 [メイン/両方] [1]カードを1枚引く。 (お願い、お父さんを助けて。) 神様のメモ帳で登場した黄色を持ち、特徴を持たないメオ。 デッキから1枚カードを引く使用型テキスト効果を持つ。 効果コストが必要なものの、カードをドローできるので1 1交換となる。 相手ターンでも発動できるので使いやすい。 《安城 鳴子(071)》と全く同じテキストを持つ。 カードイラストは第2話「君と旅行鞄」のワンシーン。フレーバーはその時のメオのセリフ。 関連項目 《安城 鳴子(071)》 《メオ(078)》 収録 神様のメモ帳 01-079 編集
https://w.atwiki.jp/testest-umigamedb/pages/398.html
2020年9月20日 出題者:Ubno タイトル:最終日でもやらないタイプ 【問題】 夏休みの宿題を適当に終わらせたカメオ。 数日後「ネットのレビューはそんなに信用できない」と思うことにした。 なぜ? 【解説】 + ... カメオは読書感想文を書く際、本の最初と最後を数ページ読んで適当に感想を書いた。 返却された感想文には、担当教師の「ネット上の文面を見て真似たんですか?」 というコメントがあった。 「ネット上のレビュー記事は、学生が適当に書いた感想文レベルなのか・・・」 と思うカメオであった。 ※実体験です。 《実話》 配信日に戻る 前の問題 次の問題
https://w.atwiki.jp/wrtb/pages/5094.html
エルマー 名前:Elmer Elephant デビュー:『子ぞうのエルマー』(1936年) 概要 長い鼻を持つ象の男の子。恥ずかしがり屋。他の動物から長い鼻を笑われてコンプレックスとなってしまう。 長い首を持つキリンのジョーや大きな口のペリカンと協力してティリーの家の家事を消火し、動物たちの英雄となる。 登場作品 1930年代 1936年 子ぞうのエルマー うさぎとかめと花火合戦(カメオ出演) 1980年代 1988年 ロジャー・ラビット(カメオ出演) 2020年代 2022年 ミッキーマウスのワンダフル・サマー(カメオ出演)
https://w.atwiki.jp/nolnol/pages/599.html
知行 知行産物 カメムシ 【知行産物】 相場 売値 文 調達 水田レベル1 知行物資調達(水田)により入手可能 性能 分類 価値 重量 特殊効果 知行産物 1 0.1 なし 主な用途 知行施設改良 LV2→3 漁場(4) 備考
https://w.atwiki.jp/gods/pages/126720.html
ミハイル(18) ブルガリア君主の系譜に登場する人物。 関連: シメオンイッセイ(4) (シメオン1世、父)
https://w.atwiki.jp/gods/pages/33387.html
ヤミン 聖書『創世記』に登場する人物。 シメオン族ヤミン氏族の名祖。 関連: シメオン(4) (父)
https://w.atwiki.jp/testest-umigamedb/pages/1638.html
2021年8月3日 出題者:aka_suteneko タイトル:「この肉は…?」 【問題】 カメオの目の前には豪華な品々が並べられていた。 一つずつ丁寧に説明して差し上げると、彼は驚きを隠せないようだ。 一体どういう状況だろうか? 【解説】 + ... カメオは遠い国から来た居候。 彼がふるさと納税の返礼品について質問してきたので、 「納税というのは年貢みたいなもので、納めるともらえるんだ」、 「これは〇〇市、これは△△市から届いた返礼品だよ」などと説明すると、 カメオは「年貢を納めて食べ物がもらえるのか?」、 「なぜ縁のないところに納めているんだ?」などと終始驚いていたのであった。 《知識》 配信日に戻る 前の問題 次の問題
https://w.atwiki.jp/gods/pages/33390.html
ツォハル(2) 聖書『創世記』に登場する人物。 シメオン族ゼラフ氏族の名祖。 関連: シメオン(4) (父) 別名: ゼラフ ゾハル
https://w.atwiki.jp/wrtb/pages/2596.html
ケイシー・ジュニア 名前:Casey Junior デビュー:『リラクタント・ドラゴン』(1941年) 概要 ディズニーを代表する機関車のキャラクター。ダンボ所属のサーカスを運ぶ蒸気機関車。名前は、勇敢な機関士ケイシー・ジョーンズ*に由来している。 『ダンボ』(1941年)の公開に先駆けて、ドキュメンタリー映画『リラクタント・ドラゴン』(1941年)の一節に登場している。 テーマパーク 「ケイシージュニア・サーカストレイン」ではケイシー・ジュニアに乗車しておとぎの国を周遊することができる。 マジック・キングダムの「ケーシージュニア・スプラッシュ&ソーク・ステーション」では、巨大なケイシー・ジュニアが停車しており、車両に乗っている動物たちから水が噴射される涼しいエリアとなっている。 登場作品 1940年代 1941年 リラクタント・ドラゴン ダンボ 1950年代 1954年 ドナルドの危機一髪(カメオ出演) 1980年代 1988年 ロジャー・ラビット(カメオ出演) 1990年代 1999年 ★Mickey s Racing Adventure* 2000年代 2005年 ラマになった王様2 クロンクのノリノリ大作戦*(カメオ出演) 2010年代 2013年 ミッキーマウス!(カメオ出演) 声 マーガレット・ライト(1941年) 竹脇昌作(1954年)
https://w.atwiki.jp/konica/pages/29.html
※このページは現在アウトラインのみ記載しています。 ※最近、スマートフォンからの閲覧だと画像が正しく表示されない様です。パソコンでの閲覧かスマートフォンならPCモードをお勧め致します。 ※内容は新事実が判明する都度書き換わります。今まで事実としていた事が突然変更されるかもしれませんのでご了承下さい。 コニカ 1型から2型へ進化したものの、未だレンズ脇でシャッターチャージをする2型は、3型でついにセルフコッキングのレバー巻上げ式に進化します。 コニカシリーズ最終章です。 1. コニカ 3型(Konica 3型) 現在、雑誌やウェブサイト等のメディアにおいてこのカメラの名称は「コニカ 3型」、「コニカ III型」、「コニカ III」といった表記で目にするが、ここでは「3型」を指す際、引用を除き判別が容易なアラビア数字表記の「3型」で統一する。(引用部分は原文のままとしている) また2型同様に3型でも呼び名が複数存在しており、それは時として混乱を招くが、コニカ自身も特に限定していないのか明確化していない。 コニカとしては、機種名はあくまでも「コニカ型」、「コニカ 2型」、「コニカ 3型」であり、他の呼び名は コニカ x型という大区分内の小区分 として使っている様である。 例えばケンコー・トキナーに残されているコニカ関連記事では、 「コニカxxx」...(説明略)...は「コニカ III型」のひとつ といった記述で統一されている。 確定情報 コニカ 3型の発売時期についてはいくつかの説がある。 亀井氏によると1956年(昭和31年)4月に輸出向けとして発売[出典1-12.]したとされるが、宮崎氏は9月に発売[出典1-13.]とし、ケンコー・トキナーの年表でも宮崎氏と同様に9月としている。 しかし一方で1956年のアサヒカメラ10月号で試作中と記載される等、その情報はバラバラである。[出典1-7.] 結論から先に書くとコニカ 3型は1956年3月にアメリカシカゴのトレード・ショー(全米見本市)に出典されている。[出典1-4, 出典1-6.] 従って見本市の翌月である亀井氏の4月発売説が正しい様である。 この情報が下の記事等で国内に流布された事もあり9月に国内で正式発表されたのだ。[出典1-6.] 9月説はこれを根拠とした可能性が高い。 [出典1-5.]アサヒカメラ1956年8月号 この記事にも書いてあるがコニカ 3型はアメリカ先行発売であり、国内に流通しはじめたのは翌1957年2月とされている。[出典1-12.] この初期型は後の改良型と区別する為に現在、ケンコー・トキナーの年表に代表される情報では、本機の名称を採用シャッターから「コニカ III MFX」として区別しているが、この名称は後年付けられた呼び名で当時の書物では単に「コニカ 3型(III)」で記載されている。 2型から加えられた改良において最大なものは、カメラ正面から向かってレンズ右側に巻上げレバーを装備た事である。[出典1-13, 実機確認.] [出典1-1.] この様に巻上げレバーからの入力は底部を通り正面向かって左側にある巻上げスプールまで伝達される。 巻上げは複雑となるものの、レンズシャッターのチャージは同軸上で行う為に容易となる。 反面構造が複雑化しており、増加した駆動部への注油を怠ると巻上げレバーの動作が徐々に重くなる為注意が必要である。 ファインダーの改良点としては、ブライトフレームを内蔵[出典1-13, 実機確認.]し、撮影し易く改良されているが、倍率は0.7倍となった。[出典1-13, 実機確認.] [出典1-1.] 先の2つの図に示す通り、測離の機構はkonika 1型、2型同様に藤本栄氏の特許[出典1-2.]を継承しており、二重像の合焦には距離計中央に配したレンズの前後移動により生じる屈折差を用いている。 この方式は1938年より研究されている為、既に完成されており狂いも生じ難い。 [出典1-3.] 上図の通り 生きているファインダー に進化する前のブライトフレームは、採光式ではなくアルバタ式を採用していた。 巻戻し時にも一般的な引起し式クランクレバーで行う事が出来、フィルムカウンターも自動復元式を採用する事で2型と比べて数段迅速なフィルム交換を可能とした。[出典1-13, 実機確認.] また、本機からセルフタイマーが内蔵されている。[出典1-8, 実機確認.] レンズは2A型から引き継いだHexanon 48mm F2でシャッターは自社製品のコニラピッド-MFXであった。 [図1-4.] 1957年(昭和32年)4月に自社製から精工舎製のライトバリューシャッターを採用して、これを「コニカ 3L」とした。[出典1-13.] ただしこちらも現在では「コニカ III MXL」という表記が用いられるのが主流となっている。[出典1-12, ケンコー・トキナーの年表.] パンフレットを見る限りは単に「Konica III」という表記で、MXL、Lのいずれの文字も見る事が出来ない為、やはり後年において便宜上付けられた名称と思われる。[図1-4.] 1958年(昭和33年)4月に普及型として、上記の機種にHexanon 48mm F2.4を搭載した「コニカ 3L2」が発売された。[出典1-12, 出典1-13.] ケンコー・トキナーの年表では、「コニカ III 2.4」と記載されている。 普及型という位置付けの為、同機はセルフタイマーが省略されている。 同年4月になると、3型最大の特徴でもある 生きているファインダー を搭載した「コニカ 3A」が発売された。[出典1-12, 出典1-13, ケンコー・トキナーの年表.] [出典1-9.] カメラを固定していると仮定して、フォーカス位置を前後させた場合、[図5-1.]で表した様にフィルムに写り込む範囲が変化する。 この事は既に知られていたが、コストや構造が複雑になる等の問題により、各社製品化には至っていなかった。 また一眼レフの様に撮影用レンズを共有してフレーミングに使っていないカメラには、独特の視差(パララックス)が生じる。 レンジファインダー式のカメラも同様で、これらを補正する工夫がされてきた。 例えば1954年に発売されたLeica M3の様な高級機では、このフレームがフォーカス位置に合わせて移動修正する構造となっている。 初期のコニカ 3型でも[出典1-1.]の様に、ファインダー内のブライトフレームは無限遠とし、その中に最短距離位置の指標を設けていた。 それでは中間位置はといえば、各々大体で合わせてくれといった具合である。 随分いい加減に感じるかもしれないが、コニカ 2型まではこういったガイドすら無かったのであるから、全てが感覚でやっていた事を思えば随分と進化したのである。 [出典1-9.] これら2つの問題をわかりやすく描くと上図の様になる。 上がパララックスの差で、下がフレーミングの大きさの差である。 このパララックス補正図では、一般的な移動修正式を取り上げている。 これら2つの問題を一気に解決して見せた初めてのカメラがコニカ 3Aであった。[出典1-9.] ただし、Leitzの名誉の為に一筆書いておくが、M3においても 生きているファインダー を取り入れる案があった。 [出典1-8.] この際、ブライトフレームは採光式へと変更されている。 同時に測離機構が、スペースの問題かコニカの特徴であった移動レンズを用いず、一般的な反射角を変更する方式に改められた。 また同年7月には「3A型」のレンズをHexanon 50mm F1.8に換装した。[出典1-13, ケンコー・トキナーの年表.] 1959年(昭和34年)3月には反射方式の露出計を組み込んだ「コニカ 3M」を発売。[出典1-11, 出典1-12, ケンコー・トキナーの年表.] この露出計はゼロメゾット式で針を合わせる様に絞りとシャッター速度を調整すれば適正露出となる。[出典1-11, 実機確認.] 3Mは他にフィルム室にマスクを入れるとハーフサイズでの撮影が可能になった。 このフレームマスクがセット時に本体のレバーを押込む事で、巻上げレバー1回の動作でシャッターがチャージされてハーフサイズでの撮影が行える。[出典1-10. 実機確認.] ハーフマスクをセットした状態 その際、ハーフサイズである事を示す様に背面小窓が赤くなる。[出典1-10. 実機確認.] ただしカウンターの表示は変化しない為、撮影者は小窓を見て赤いならば数字を2倍する必要がある。[出典1-10. 実機確認.] レンズは3A同様アンバーコーティングされたHexanon 50mm F1.8(5群6枚)でセイコーシャSLVとの組み合わせであった。[出典1-11, 実機確認.] 未確定情報 資料 [出典1-1.] 小西六写真工業技術部. [出典1-2.] 藤本栄(1938). 寫眞機ニ於テ距離計ト鏡玉トヲ聯動セシムル装置 実公昭15-001084. [出典1-3.] 小西六写真工業株式会社 Konica III(Konica IIIL MXL) パンフレット. [出典1-4.] (1956.6). 国内未発表のカメラ コニカ III 新製品ニュース カメラ毎日, 6月号. PP.179. [出典1-5.] (1956.8). 小型カメラ アサヒカメラ, 8月号. PP.167. [出典1-6.] (1956.10). 写真機材 アサヒカメラ, 10月号. PP.194. [出典1-7.] (1956.10). コニカIIA Konica IIA 写真界ニュース アサヒカメラ, 10月号. PP.189. [出典1-8.] 小西六写真工業株式会社 Konica III(Konica IIIA) 取扱説明書. [出典1-9.] (1958). 写真工業 写真工業出版社, 10月号. PP.528-531. [出典1-10.] 北野邦雄(1959). 新しいカメラ コニカIIIM 写真工業 写真工業出版社, 4月号. PP.371-371. [出典1-11.] (1959). NEWS FLASH コニカIIIM 写真工業 写真工業出版社, 4月号. PP.444. [出典1-12.] 亀井武(1973). カメラブームの到来 写真とともに百年 小西六写真工業株式会社, PP.248-249. [出典1-13.] 宮崎繁幹(2003). 35mmレンズシャッター・カメラ コニカIII型 クラシックカメラ選書-28 コニカカメラの50年 株式会社朝日ソノラマ, PP.31-37.