約 541 件
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/6739.html
914: 加賀 :2020/12/25(金) 11 27 47 HOST softbank126243060102.bbtec.net 「とりあえずはアメリカとの戦争は終わりましたね」 「問題はまだある。ソ連が満州の国境を筆頭に怪しい動きをしている」 「……やはり来ますか」 「来るだろうな」 6月1日に施行されたワシントン講和条約は日米の戦いに終わりを告げた。しかし、未だイギリスやソ連との停戦及び講和は不透明な状態だった。 「イギリスを動かせ。日本と講和せねば支払いの回収をすると脅せ」 「何が何でも……ですかな?」 「日本の底地を理解していない馬鹿どもには十分な勉強になっただろうさ」 ウォレスは連合国の長としてイギリスも動かして(脅迫)日本と連合国との講和を乗り出していた。アメリカの脅迫に近い要請に最初はチャーチルも不満な表情をしていたがレンドリースの件を言われて日本との講和に承諾する。 だがソ連のスターリンは回答しなかった。当初、ウォレスも「ドイツの統治の件で忙しいのかもしれない」とドイツでのソ連占領統治の動向を気にしつつ日本の武装解除のため軍(パットン軍団)を日本に進駐させたりして回答を待っていたがソ連の回答は8月8日、ソ連満州侵攻によって行われたのである。 「ソ連軍が国境を越えました!!」 「フン、予想通りだな。住民の避難は?」 「国境付近の邦人は全て避難して新京にいますが順次旅順に避難、旅順にて手配した輸送船で日本へ向かう予定です」 「うむ。住民の虐殺を絶対にさせぬよう関東軍は邦人を防衛する」 新京の関東軍司令部で山田大将はそう発する。この時、関東軍は大陸からの戦線後退によりある程度の戦力を回復していた。14個師団・5個独混旅団・4個独立戦車旅団が今の関東軍の手持ちであった。満州にも米陸軍は上陸していたが山田大将は会見にて「万が一、ソ連が満州侵攻をした場合は邦人保護のため自存自衛を開始する」と通告しており日本占領司令官のパットン元帥も最初は動向を伺っていたがソ連侵攻の報に「やはりソ連は信用ならない」と頷く程だった。 そもそも、関東軍は日本がワシントン講和条約に受諾した時点でソ連が満州に侵攻する事を想定、国境付近の開拓民の邦人は強制的に避難させ守備隊も順次新京方面に退避させていた。その作業がほぼ完了したところでのソ連侵攻である。 「海軍は沖縄を守るため米軍を相手に消滅した……ならば我が関東軍は満州の邦人を守るためソ連軍を相手に消滅するぞ!!」 山田大将の叫びに秦総参謀長達は力強く頷いたのである。そして満州に侵攻したソ連はソ連でも頭を抱えていた。 「クソ、あのチハのせいで思ったより戦車の被害が多いぞ……」 陸軍の戦車はほぼチハなので突撃してくるソ連戦車軍団をその強大な砲身で叩きのめしてはいたがやはりそもそもソ連の数が多すぎるのである。だがそれでも日本の戦車兵達はソ連戦車の喉元を食い破るのである。 そして樺太でも日本守備隊はソ連の侵攻を食い止めていた。樺太には第88師団の他にも本土決戦に備えていた第七師団と第115師団、更に二個独立混成戦車旅団が配備されていた。ソ連軍も戦車部隊の情報を仕入れていたので三個戦車大隊を伴わせて参戦前から北樺太に移送しており今回の参戦である。 また、第七師団は北海道を守備する最精鋭師団だったが杉山の命に南樺太に移動していた。しかもこの時、杉山は樺太に配備された第334独立混成戦車旅団の視察に訪れていたのだ。 「ソ連が侵攻? 宜しい、ならば即座に出撃だ!!」 旅団司令官島田大佐らの説得を振り切り杉山は新たに制式採用されたばかりの五式中戦車『チリ』に乗り込んで出撃したのである。(16両が参戦) この『チト』は砲塔が無いチハとは異なりほぼ史実四式チトであった。それでもやはりネックだったのが30トン近い重量であった。内地ではほぼ扱えないのではあるがソ連侵攻に備えて杉山か樺太に持って来させたのだ。そのため発動機は史実『チリ』が搭載した液冷発動機を搭載していた。(それでも27トン程度) 他にも先の沖縄戦で活躍した四式中戦車や五式砲戦車等も参戦していた。 また、試作に『チト』の砲塔を搭載した史実三式改(約22トン)も旅団に配備されており侵攻してきたソ連軍を押し返していた。 「良いぞ、そのまま押し返せ!!」 チト隊は第178・第678独立戦車大隊を壊滅させ第214戦車旅団と死闘を繰り広げていた。そして側面から試作チヌ改隊が側面攻撃を展開した。 「戦車前進!! 奴等を叩きのめせ!!」 思わず身を乗り出した杉山、その時に一発の銃弾が杉山の腹部を貫通した。 「グッ!?」 「閣下!?」 915: 加賀 :2020/12/25(金) 11 29 49 HOST softbank126243060102.bbtec.net 倒れる杉山に装填手が手当てをする。 「人には相応しき生と死を……か」 「閣下?」 手当てをした装填手に礼を言うと杉山は再びキューポラから身を出す。 「さて、誰が名誉を背負うのだ? 杉山元が生涯で最後に殺した相手という名誉をな……」 その直後、物陰に潜んでいたJS-2が側面から攻撃し砲塔に命中。杉山は車外に飛ばされた。 「閣下!?」 歩兵がロタ砲でJS-2の後方から攻撃して破壊、複数の歩兵が杉山に駆け寄るが杉山は瀕死の状態だった。 「しっかりしてください!!」 「賀島……」 杉山を起こしたのは破壊された戦車長である賀島少佐だった。 「賀島……これからも……日本は戦争に巻き込まれるだろう……だが……」 「閣下、これ以上は……」 「戦車戦だけは……戦車戦だけは負けるな。負けたのはノモンハンだけで良い、良いな賀島ォ!!」 「……はいッ!!」 「後は任せた……ぞ……」 「閣下!?」 杉山は空に向かって一言、ニヤリと笑いながら息絶えたのであった。一方、ソ連侵攻の報に海軍も残存艦艇を伴って日本海へ出撃していた。 「ウラジオストクを爆撃するぞ」 重傷の山口から新たに第三艦隊司令長官に就任した吉良中将は旗艦『信濃』と共に修理が完了した空母『銀鶴』『笠置』『阿蘇』『生駒』『龍鳳』を率いて出撃、三波に渡りウラジオストクを爆撃して港に停泊していたウラジオストク艦隊を全滅させるのである。 そして橋本は第二艦隊司令長官に就任、旗艦『伊勢』と共に樺太救援に向かっていたのである。 「何!? 杉山元帥が戦死したと……」 「はっ、立派な最期だったと……」 参謀長の松田少将も肩を落としながら報告をする。 (杉山さん……貴方、まさか……) 杉山の行動に気付いた橋本は天を仰ぐ。 「……何としても邦人元より樺太と千島列島を救う。千島列島の状況は?」 「千島列島の最北端、占守島では激戦が続いているようです」 千島列島最北端、占守島に上陸したソ連軍だが待っていたのは精鋭中の精鋭とも言える戦車第11連隊だった。 「諸君らに問う!! 赤穂浪士となって恥を忍び後世に仇を報ずるか、それとも白虎隊となり民族の防波堤として玉砕するか!!」 『オオオオオオォォォォォォォォォォォォォ!!』 池田大佐の問いに戦車兵達は右拳を突き挙げて玉砕を決意する。戦車兵達が各車に散らばり準備をする中、池田大佐はポツリと呟いたのを傍にいた福田少尉は聞いていた。 「ありがとう……みな、ありがとう……」 戦車第11連隊は出せる最大速度で占守島の地を駆け抜けソ連軍が上陸した竹田浜に殺到したのである。 「カクカク、各車弾種榴弾!!」 「撃ちまくれェ!!」 「ヤポンスキーの戦車だ!?」 「対戦車ライフルで迎え撃て!?」 「駄目だ、奴等の装甲が固すぎる!!」 第91師団と戦車第11連隊の猛攻により上陸した竹田浜は元よりむしろ追い返された程であった。また、千島列島の武装解除を目的に占守島に上陸していた米陸軍一個連隊も日本軍と共に自衛のため戦闘をしており日米はソ連の侵攻に協力態勢を整えていた。 ハワイでも新たに機動部隊司令長官に再抜擢されたフランク・J・フレッチャー大将が再編された空母六隻の艦隊と上陸船団を率いて千島列島に向けて北上していた。 戦いは新たな局面を迎えようとしていたのである。 916: 加賀 :2020/12/25(金) 11 37 16 HOST softbank126243060102.bbtec.net 髭親父(満面の笑み) 「満州と千島列島と南樺太に北海道頂戴♪」 関東軍(覚悟決めた顔) 「ぶち殺す」 杉山(掛かってこい) 「舐めるなよ」 信濃(能面) 「代わりにウラジオストク艦隊を全滅させました」 瑞鶴() 「まだ遅い能面」 池田大佐(相手になってやる) 「我等、白虎隊となる」 杉山は樺太の地にて散りました……
https://w.atwiki.jp/new2souennokanntai/pages/515.html
このwikiは「蒼焔の艦隊」の非公式な攻略wikiです。 自由かつ柔軟な編集を目指しておりますので、どなたでもお気軽に御編集ください。編集に許可等は必要ございません。 情報追加や編集してくださりいつもありがとうございます! 祝! おかげさまで来訪者 700,000人突破しました! 現在来訪者 - 人! ここを優先的に編集してほしい、こんなページが欲しい、これについて調べてorまとめてほしい、ここをこうしてほしい等要望がありましたら■こちら■にどうぞ。 情報提供等ございましたら各ページのコメントにご記入いただくか、編集で追記していただければありがたいです。編集方法はこちら。 荒らしは固くお断りしております。 ↓攻略情報はこちら! ■■■攻略メニュー■■■ [部分編集] お知らせ・お願い ★5 Lv.80の艦をお持ちでしたら「能力値比較(未改修)」まで。 各種戦技のレベル別発動率が分かりましたら「戦技強化・抽出」まで。 以上、お教え頂ければありがたいです。 情報追加・編集ありがとうございます!! 広報 (特にビギナーの方へ)戦友貸出艦艇の初期設定は「長門-砲撃型」(または開始時期により「川内」もしくは「扶桑」)になっているはずなので、より良い旗艦技を持つ艦への変更をお勧めします。 変更は艦隊→艦隊編成→お気に入りタブ でおこなえます。(その後もサルベージでよい艦が出たときは、順次変更していきましょう) イベント一覧 期間限定イベント 開始日時 終了予定 報酬 HP強化週間 2024年08月21日17:00 08月31日23:59 インゴット x5~25、★6 VH鋼板強化型-改/中型艦用バルジ-改/小型艦用バルジ-改、他 討伐戦 2024年08月24日17:00 08月30日11:59 ドクトリン(百発百中の護符)、技術強化素材-上級選択券、ダイヤモンド x100/250/300、他 期間限定サルベージ 目玉 開始 終了 備考 6周年記念最大500連 2022年08月31日17:00 2024年08月30日11:59? 1、5の倍数の回目に★5確定、ただし同日には10連1回しか回せない。(午前4時に更新) 選抜セレクション -戦艦- 扶桑(スリガオ海峡の鉄城)、ティルピッツ(大西洋の鉄城)、カリフォルニア、霧島(セイロン沖海戦)、シャルンホルスト(ナルヴィク海の鉄城)ビスマルク(大西洋の鉄城)、ネルソン(ハルバード作戦)、比叡(セイロン沖海戦)、ジャン・バール、ワシントン(ソロモン海戦) 2024年08月21日17:00 08月31日23:59 10回まで 選抜セレクション -駆逐- 綾波(ソロも軒の突風)、浦波、朧、天霧、荻風、風雲、時雨(スリガオ海の突風)敷波、野分(レイテ沖海戦)、漣、浦風、電(スラバヤ沖海戦)、五月雨(ソロモン海戦) 2024年08月21日17:00 08月31日23:59 10回まで 選抜セレクション -潜水- 伊25(太平洋の暗流)、伊19(ソロモン沖の暗流)、伊168(ミッドウェーの暗流)、伊400(ウルシーの暗流) 2024年08月21日17:00 08月31日23:59 10回まで ユニコーン参戦 ユニコーン 2024年08月24日17:00 08月30日11:59 選抜セレクション -軽巡- 多摩(キスカ島の激浪)、鬼怒(ニューギニアの激浪)、龍田(ウェーク島の激浪)、矢矧(坊ノ岬沖の激浪)、ヘレナ、アトランタ(ソロモン海戦)神通(コロンバンガラ沖の激浪)、長良(南太平洋の激浪)、阿賀野(ブーゲンビルの激浪)、能代(レイテ沖海戦)、那珂(対空兵装改装) 2024年08月27日17:00 08月31日23:59 10回まで 選抜セレクション -空母- 伊吹(夢想の荒鷲)、笠置(夢想の荒鷲)、飛鷹(南太平洋海戦)、瑞鶴(マリアナ沖の荒鷲)、翔鶴(真珠湾作戦)、大鳳(マリアナ沖の荒鷲)レキシントン(ウェーク島奇襲作戦)、ワスプ(CV-18)、ヨークタウン(珊瑚海海戦)、龍鳳(甲板増設改修)、千代田(マリアナ海戦) 2024年08月27日17:00 08月31日23:59 10回まで 選抜セレクション -重巡- 古鷹(サボ島沖の雄山)、熊野(レイテ沖の雄山)、利根(南太平洋の雄山)、高雄(レイテ沖の雄山)羽黒(スラバヤ沖の雄山)、筑摩(フィリピン海の雄山)、ポーラ、鈴谷(レイテ沖海戦) 2024年08月27日17:00 08月31日23:59 10回まで 選抜セレクション -軽巡- 多摩(キスカ島の激浪)、鬼怒(ニューギニアの激浪)、龍田(ウェーク島の激浪)、矢矧(坊ノ岬沖の激浪)、ヘレナ、アトランタ(ソロモン海戦)神通(コロンバンガラ沖の激浪)、長良(南太平洋の激浪)、阿賀野(ブーゲンビルの激浪)、能代(レイテ沖海戦)、那珂(対空兵装改装) 2024年08月27日17:00 08月31日23:59 10回まで 定期イベント 開始日時 終了予定 備考 局地戦 毎週木曜※午前 4:00から 毎週水曜※午前 3:59まで 午前4時に参加権回復 幽影戦 毎週木曜※午前 4:00から 毎週水曜※午前 3:59まで 午前4時に出撃数回復、要ギルド所属 争奪戦 毎週金曜 毎週日曜 期間中の23:00~23:59※撃破され次第終了 大海戦 期間中の土日13:00/17:00/21:00/22:00いずれかの時間から15分、要ギルド所属 連合艦隊戦 毎週木曜※午前 4:00から 毎週水曜※午前 3:59まで 午前4時に参加権回復 強敵戦 毎週木曜※午前 4:00から 毎週水曜※午前 3:59まで 領海戦 毎週木曜※午前 4:00から 毎週水曜※午前 3:59まで 午前4時に行動力回復、要ギルド所属 闘撃戦 毎週木曜※午前 4:00から 毎週水曜※午前 3:59まで ログインボーナス インゴット マニー 鋼材 食材 樹脂 建材 その他 (毎週金曜日)カレーの日 20 300,000 300,000 300,000 300,000 300,000 資源10%ブースト 5分 x7、簡易出撃指令書 x3 (毎週月曜日)サラリーマン応援の日 - - - - - - 錬成鋼x5選択券 x1、EX錬成物資箱 x1、戦技強化上級選択券 x1 = 参考:2018/03/28~? (毎週金曜日)カレーの日 20 75,000 75,000 75.000 75.000 75.000 洋上補給缶200 x100、資源10%ブースト 5分 x7、簡易出撃指令書 x3 参考:2018/03/28VU以前 (毎週金曜日)カレーの日 20 3,000 3,000 3,000 3,000 3,000 (特定金曜日)大盛カレーの日 25 10,000 10,000 10,000 10,000 10,000 雇用書類x2、重油全補給物資x2 過去イベント一覧 [部分編集] メンテナンス&アップデート情報 最新メンテナンス:2021.08.31 1200 - 1700? メンテナンス内容: クライアント v.5.0.1 4周年キャンペーンを開始 4周年記念任務を追加 メインストーリー第5部を追加 ギルドコンテンツ「領海戦」を追加 一部戡定を売却した際に「艦艇メダル」が入手できるように メダル交換所を追加 新アイテム「期限付き白紙ドクトリン」を追加 EX練成計画書に新アイテムを追加 新パーツを追加 クルーの新機能を追加 撮影モードにシンボルを追加 VIPショップをリニューアル クルー訓練、パーツ改造が祭キャンペーンの対象 一部艦艇の3Dモデルをリファイン 一部のVIP特典極艦、天艦の艦種改装効果を向上 ギルドの証交換所、蒼焔の欠片交換所、強敵戦の証交換所を更新 ダイヤモンドサルベージを更新 イベント・サルベージを追加 次回Lobiメンテナンス:(未定) [部分編集] 近況… 05/10 リセマラランキングを一部更新。インビンジブル以降は後日追加予定。 03/25 戦技一覧を追加。 03/21 艦種別データを最新のものに更新。 02/03 重巡洋艦に改修データ追加及び戦術欄増設に伴うレイアウト変更。空母に改修データ追加。 02/01 我影ノ潜水艦ヲ撃沈セリ追加。 01/26 邂逅 マリアナの風に吹かれて追加。 01/15 局地戦報酬追加。次週より報酬変更! 2017/09/26 攻略wiki開設 閲覧数 今日: - 昨日: - トップページの合計: - 最終更新:2021-09-12 13 38 34 (Sun) ※管理者はただのファンなので非営利・空いた時間で編集しております。ご理解ご協力をお願いしますm(_ _)m ※蒼焔の艦隊の攻略に関する情報を常時受け付けております。世界観考察などの小ネタもお待ちしてます。 ※当wikiは非公式の攻略wikiです。情報の妥当性や正確性について保証するものではなく、一切の責任を負いかねます。 ※当wikiを利用することによって生じるいかなる損害も当サイトでは補償致しません。 ※当攻略wikiのご利用につきましては自己責任となりますのでご注意ください。 ※また、当wikiおよびwiki管理人は「蒼焔の艦隊」運営様とは一切関係がありません。wiki管理人にエラーなどについて問い合わせないようお願いします。 ※文章の著作権は当wikiにあります。内容の複写、転載を禁じます。 ※当wikiで使用している画像、情報等の権利は、リベラエンターテインメントに帰属します。 【公式】:https //www.soenkantai.com/ 【公式問い合わせ】:https //www.soenkantai.com/mail/ 【twitter】:https //twitter.com/soennokantai 【Facebook】:https //ja-jp.facebook.com/soenkantai/ タグ:蒼焔の艦隊、souen no kantai、蒼炎の艦隊、そうえんのかんたい、攻略 管理人専用ページ
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/4163.html
159 :yukikaze:2016/12/04(日) 00 16 41 ひゅうが氏のSSと相違がありますが、yukikaze版酒匂改装案を。 酒匂型軽巡洋艦 基準排水量:7,200t 満載排水量:9,000t 全長:174.5m 全幅:18.2m 喫水: 5.3m 速力:31kt 機関:艦本式高中低圧タービン 90,000馬力 兵装:54口径5インチ単装速射砲Mk 42 2基(砲配置は史実しらね型と同一) :Mk.13 単装ターター発射機 1基(後部。配置は史実あまつかぜと同一) :62式対艦ミサイル発射機3連装2基(Yシステム:配置は艦中央部。旧魚雷発射菅のあった箇所) :ボフォース375mm対潜ロケット・ランチャー 4連装発射器 1基 :Mk.2短魚雷落射機 2基 C4I :WDS Mk.4 Mk.74 ミサイルFCS 2基 Mk.63 mod.14 砲FCS 2基 電探:AN/SPS-39 三次元式 1基 AN/SPS-29A 対空捜索用 1基 AN/SPG-51B ミサイル射撃指揮用 1基 ソナーAN/SQS-4A 捜索用 1基 AN/SQR-8 深度探知用 1基 電子戦 NOLR-1B 電波探知装置 改装終了 1963年11月 (解説) 阿賀野型軽巡洋艦『酒匂』は、終戦時、生き残っていた数少ない大型艦であり、その手ごろな大きさから、水上艦艇用旗艦として重宝される存在ではあった。 しかしながら、『水雷戦隊旗艦用軽巡洋艦』として設計されていた彼女は、就役段階から砲撃及び防空能力の陳腐化が指摘されており、早晩、旧式艦の烙印を押されるのは免れなかった。 本来ならば、新時代に適用した能力を持つ新型艦を整備するのが筋なのだが、現状を維持するだけでも青息吐息な国防海軍に新型艦艇を建造する余力などどこにもなくアメリカからの供与も、太平洋戦争で、他ならぬ日本海軍がアメリカ海軍の巡洋艦を悉く漁礁にしてしまった後遺症で、駆逐艦はともかくとして、巡洋艦の供与など不可能と言ってよかった。 それでもソ連海軍が弱体のままならよかったのだが、ソ連海軍はソユーズ級2隻、スターリングラード級2隻だけでなく、スヴェルドロフ級巡洋艦の大量就役が始まると、もはや笑っていられる状況ではなく、1958年に、スターリングラード級重巡洋艦『スターリングラード』と、スヴェルドロフ級巡洋艦『アドミラール・セニャーヴィン』と『ドミートリー・ポジャールスキー』が旅順港に回航されることが発表されると、その焦りは頂点に達することになる。 (実際には、1962年に、上記艦艇のみならず、ソユーズ級戦艦『ソビエツカヤ・オケアン』も含めた艦隊で回航している。勿論その原因は『ハイチ危機』後のソ連側のプレゼンである。) こうしたことから、日本海軍は『酒匂』の大改装を決定する。 正直、費用対効果的に割に合うかと言えば、非常に疑問に残るものではあるのだが、現時点で取れる手段が限られている以上どうしようもなかった。 何より、国防海軍の新たな牙である『Yシステム』でも、戦艦クラスに致命傷を与えるY(N)-1を運用できる母体が『酒匂』以外ないという切実なる問題(甲型駆逐艦3隻も大改装により『Yシステム』の運用を可能にしたが、艦の大きさなどの問題から、弾頭を縮小し、中型以下を対象とするレベルにまでミサイルを縮小せざるを得なかった)の前では、費用問題については割り切らざるを得ないものであった。 以下、改装内容について列記する。 主砲 主砲については、50口径15cm連装砲 3基6門を撤去し、旧一番砲塔と二番砲塔の跡地に、54口径5インチ単装速射砲Mk 42を2基設置している。 本砲システムは、新型のMk 18砲を採用しており、揚弾、装填機構を自動化し、毎分40発という高い発射速度を実現している。その発射速度は、交互に装填する2つの給弾機構によって実現されているが、この機構の複雑により故障を招いているきらいはあり、実際には、発射速度を毎分28発程度まで落として運用していることが多い。 本砲システムは、露天甲板上の砲塔部と、その直下の上部揚弾機構、管制盤を備えた換装室、さらにその下の下部揚弾機構と、2基の円筒型弾倉を備えた弾火薬供給所から構成されている。 弾火薬供給所においては、弾火薬倉から取り出された砲弾・薬莢が人力で弾倉に装填される。 上部揚弾機構から弾倉に至るまでの部分は2系統が設置されており、交互に給弾される。 操作要員は16名で、砲塔内に4名、換装室に2名、弾火薬供給所に10名(給弾手4名、給弾手1名が2組)が配置される。即応弾数は40発である。 なお、後述する他の装備もそうだが、これらの装備については、OSP(米海軍調達供与)を用いた取得により、可能な限りコスト低減に努めている。 160:yukikaze:2016/12/04(日) 00 17 11 対空 同時期に計画された『天津風型』と同様、ターターミサイルシステムを旧三番砲塔跡地に搭載している。 これは、『天津風型』が当初計画での8隻ではなく、大蔵省査定により3隻にまで減少された(その後、アメリカ政府の後押しで5隻にまで復活)ことへの代替としての色彩が強かったのだが、結果的に、当初想定よりも同艦は電力を食うことになり、慌てて燃料区画や弾薬庫の一部を削る代わりに、発電用ディーゼル区画を設けるなどして対応することになったのだが、それでも電力状況はギリギリな部分があり、運用に苦労することになる。 対潜 開発が完了していたアスロックの搭載が考えられたものの、アメリカ海軍においても最新装備であり、まずは自軍の装備が最優先であった事から、アスロックを諦め、ボフォース375mm対潜ロケット・ランチャーを、艦橋と二番砲塔の間に設置している。 もっとも、無誘導であることから「ヘッジホッグよりはマシ」という評価が上層部からなされており後述する理由でトップヘビーが取りざたされたことから、弾数も予備弾を入れて16発という状態である。 対艦 本型の価値を高めている最大の要因である。 酒匂が搭載している『Yシステム』は、前述したように、戦艦クラスに致命傷を与えるY(N)-1が装備されており、それを3連装2基6発に纏めている。 これは、大和型戦艦用の46センチ徹甲弾(1.5トン)を改造使用した代物であり、慣性誘導装置と終末赤外線誘導方式を採用した同ミサイルの命中率は、約6割と見積もられ、条件にもよるが3~4発は、敵戦艦に命中させることが期待されていた。 勿論、当たり所にもよるだろうが、司令塔や機関室、弾薬庫に突入すれば、中破以上は確定である事を考えると、国防海軍が同システムに期待するのは当然であったろう。 もっとも、誘導管制システムを艦内に組み込む関係上、その装置は当然のことながら巨大化することになり、艦橋の大型化及び、当初あったマスト群を撤去し、新たにMAC構造を採用することになるが、その結果、国防海軍の基準では『極めて劣悪』『友鶴・初春の再来』と言わしめるほどのトップヘビーによる復元性能の悪化が見込まれたため、速度の低下は承知の上で、大型のバルジを設置することで、艦の安定と航続力の維持に努めている。 機関 機関については、予算の問題から換装を断念している。 また、就役から15年近く経つことから、機関の老朽化も目立つことになり(戦後直後の劣悪な整備状況が老朽化を進めていた)定格を1割近く落として運用する羽目になっている。 そうしたことから、就役時の35ノット強から31ノット弱にまで大幅に落ちることになったが、それでも運用には特段影響は生じていない。 同艦は、3年かけての大改装の末、1963年に再就役をしたのだが、これは水上艦艇戦力で、ソ連海軍と差が縮まっていた日米海軍にとっては待望の戦力であり、諸手を上げて歓迎されている。 同艦の注目がいかに高かったかは、翌年の観艦式において、他国の駐在武官たちがこぞって見学を申し込んだ事からも分かるのだが、同時に旧式艦を無理矢理に戦力化したことから、あちこちに不具合が生じたりもしており、同艦が退役まで運用できたのは、乗組員及び整備員たちの不断の努力によるものが大きい。 同艦は、カンボジア紛争において、南遣艦隊の一員として出撃し、同紛争終結時まで、笠置の護衛任務についたのを最後に、予備艦へと編入。 退役後は、生まれ故郷である佐世保において、記念艦として余生を過ごすことになる。 161:yukikaze:2016/12/04(日) 00 27 42 以上、簡単ではありますが投下終了。 コンセプトとしては『戦艦スレイヤー』 まあその分、対空と対潜は割を食ったというか、継戦能力という点で 幾分不満が残ることになります。 もっとも、『酒匂』の運用が、川内型に繋がっていきますので、トータルでみると、決して悪い買い物ではありませんが。 まあ個人的にはアスロック詰みたかったのですが、阿賀野型の平面図見ればわかるのですが、本当にきつきつなんですよねえ。あの艦は。 しかし・・・考えれば考える程『帝国海軍水雷戦隊用軽巡洋艦』の正統なる進化になってしまったなあとw ぴゃぁっも苦笑いしてそうですが、いざ海戦となったら、大和型の主砲弾(強化ver)を6発ぶっぱなすんですから、清霜辺りが本気で羨ましがりそうです。
https://w.atwiki.jp/hspcontest/pages/96.html
award id(cnt) type(cnt) title profile page eval 0002(1) 一般(1) ジャンプトラベル 祐矢 あり 14 0003(2) 一般(2) Z80アセンブラ + シミュレータ ゆちボン(あるる) あり 5 0004(3) 一般(3) ベタ踏みドライブウェイ デラックス 祐矢 あり 8 0005(4) 一般(4) トレーダー 祐矢 あり 1 0006(5) 一般(5) ブランカに栄光あれ~牙城の輪舞曲~ トホホッティー あり 4 0007(6) 一般(6) ババドン メカマスター&ぴっぴ あり 20 0008(7) 一般(7) Crive ux あり 2 0009(8) 一般(8) スペースフェーダー2 カスタマー あり 1 0010(9) 一般(9) Feather 石橋祥太 あり 2 0011(10) 一般(10) Museum 眠造 あり 6 0016(11) 一般(11) アンノウン・ログ Melancholia.(メランコリア) あり 8 0017(12) 一般(12) Puzzle of soul ガンマ あり 13 0018(13) 一般(13) miniPex+ exsrd あり 3 0019(14) 一般(14) G_button モジュール yamakiyo 9 0020(15) 一般(15) にこ避け Kz 1 0023(16) 一般(16) Yokescape Q kanoguti あり 8 0024(17) 一般(17) Space Fleet ux あり 3 0027(18) 一般(18) 4文字で良い ~タイピング最盛伝説~ アキラさん あり 1 0028(19) 一般(19) ドラゴンバスター satoshi あり 9 0029(20) 一般(20) 森さん ななよん あり 3 0030(21) 一般(21) たまごこうじょう ななよん あり 0 0032(22) 一般(22) ライトライ! あげ あり 1 0034(23) 一般(23) 傾いた大地 YoYoSOFT 10 0035(24) 一般(24) ポンコツ自動車シュライシュラー ぴっぴ&メカマスター あり 2 0037(25) 一般(25) SUSANOO LIVE TYPE-02 柊 樹音 あり 3 0040(26) 一般(26) 暗号化 Ango2 竹本健太郎 あり 3 0041(27) 一般(27) Short RPG Chapter 2 hirotosi3414 あり 7 0042(28) 一般(28) HBC~HspBitmapCompress~ 竹本健太郎 あり 1 0043(29) 一般(29) TAR -タイムアタックレーシング- はっしぃ 1 0045(30) 一般(30) Simple Simulation yuuzaa あり 4 0046(31) 一般(31) MOSAIC2 miso あり 0 0047(32) 一般(32) Yukkurizer改 miso あり 0 0048(33) 一般(33) ストプモチオンパフォマンス2 kanoguti あり 0 0050(34) 一般(34) 顔 チョシュ 0 0051(35) 一般(35) PriScVista MIZUSHIKI あり 3 0052(36) 一般(36) デスクトップ小物カレンダー 珠後 あり 1 0055(37) 一般(37) 麻雀得点計算アプリ setuna 1 0056(38) 一般(38) 鬼畜 Quiet 9 0058(39) 一般(39) HSP PROGRAM CONTEST 2009 - Update check tool hirotosi3414 あり 5 0059(40) 一般(40) ナゾリズム ゲーム制作サークルαAlphaBlue あり 3 0060(41) 一般(41) 全裸インベーダー マウス あり 1 0062(42) 一般(42) XtoMQO MACKMAN 4 0065(43) 一般(43) Scorer of Baseball きょん 0 0068(44) 一般(44) Extractor orenfant 0 0069(45) 一般(45) 換算 for the HSP 竹本健太郎 あり 1 0070(46) 一般(46) ブロック崩し モノブロス あり 2 0071(47) 一般(47) Photo-Arrange 笠置のまっちゃん あり 0 0072(48) 一般(48) りんごひろいゲーム ひきこもりのバカ あり 1 0073(49) 一般(49) あっちむいてホイ ひきこもりのバカ あり 0 0074(50) 一般(50) Base OS β あり 0 0075(51) 一般(51) すごろくゲーム ひきこもりのバカ あり 0 0081(52) 一般(52) BallRoad exsrd 5 0082(53) 一般(53) はじめてのゴルフ ELMSoft あり 19 0083(54) 一般(54) ミサイルづくし カジキ真っ黒 11 0084(55) 一般(55) トランスポーター 祐矢 あり 3 0088(56) 一般(56) あみだくじ星ひろい ひきこもりのバカ あり 1 0089(57) 一般(57) 孫の手 tentoumusi あり 0 0091(58) 一般(58) 暦変換ツール さいたう あり 0 0092(59) 一般(59) 暇人の休日1 BIG SKY あり 0 0093(60) 一般(60) 暇人の休日2 BIG SKY あり 0 0094(61) 一般(61) 回避君 dnasuoht あり 0 0095(62) 一般(62) Text Note ux あり 8 0096(63) 一般(63) テキストテーブル 9 3 0097(64) 一般(64) Wire drive kanoguti あり 7 0099(65) 一般(65) まいこトレーニング☆ Presys あり 4 0100(66) 一般(66) Go! CART(ゴー!カート) Fukutaro 4 0104(67) 一般(67) Binarying カスタマー あり 0 0105(68) 一般(68) time skyblue 0 0106(69) 一般(69) マウスで書 笠置のまっちゃん あり 3 0108(70) 一般(70) StarQuestion ロックンロール 1 0112(71) 一般(71) ハナプチ だんご-b あり 2 0113(72) 一般(72) ネット対戦型リバーシ ⊂Η○l ○l ○ 0 0114(73) 一般(73) 人間 よもぎ あり 1 0115(74) 一般(74) 人狼 T.T 0 0121(75) 一般(75) 簡単DNA Analyzer こじろう 0 0122(76) 一般(76) 波紋 Mizuho あり 0 0123(77) 一般(77) CreateFrameModule 黒霧セツナ 2 0124(78) 一般(78) VGM_DLLPackModule hspext編 VGM 0 0125(79) 一般(79) スピードNUM init 0 0126(80) 一般(80) BOMBS CROSSING Taddi あり 4 0127(81) 一般(81) autohs 上大 あり 5 0128(82) 一般(82) 干支計算 ほえん 0 0130(83) 一般(83) ImageViewer CEO あり 0 0131(84) 一般(84) ごふぃ VGM 0 0132(85) 一般(85) Title Getter VGM 1 0133(86) 一般(86) くるく○くるりんっぽいやつ kotarobo あり 2 0134(87) 一般(87) TriSP エーカー あり 5 0135(88) 一般(88) ひと晩寝かせると味が出てくるスクリーンセーバー(おまけ付き) 伊豆 千穂 あり 0 0136(89) 一般(89) ねこレーシング ナゾビーフ 20 0138(90) 一般(90) command skyblue 0 0139(91) 一般(91) HGHIT Mackman 2 0142(92) 一般(92) Kyapia Nyasc あり 0 0143(93) 一般(93) 鉄道ジオラマ アキアキノヒロロ 27 0147(94) 一般(94) Searder Akicansoft あり 3 0149(95) 一般(95) 野菜パニック リュカ 0 0151(96) 一般(96) ネズミマン 魚肉マン あり 41 0152(97) 一般(97) STELLARIS (ステラリス) 丸中直幸 / Maruchu あり 18 0153(98) 一般(98) shoca あいざわ 2 0154(99) 一般(99) おさかなレース peeネコ あり 4 0155(100) 一般(100) nReversi Sekai あり 0 0157(101) 一般(101) た~とる 牛久栄進高等学校パソコン部 あり 0 0158(102) 一般(102) palette! 牛久栄進高等学校パソコン部 あり 0 0159(103) 一般(103) archiveセット skyblue 0 0161(104) 一般(104) Anti-I0SYS Suzuki Rebelo 0 0162(105) 一般(105) 人狼王 組長X あり 0 0163(106) 一般(106) io dust 0 0164(107) 一般(107) インターネット回線チェッカー 壮也 あり 0 0167(108) 一般(108) いらいらシューティング kevin 0 0168(109) 一般(109) ヨケロ Union P あり 3 0169(110) 一般(110) 日本の暦 上羽紘吉 3 0170(111) 一般(111) 1~15 チョー あり 5 0171(112) 一般(112) あんだわ。 ぼおん あり 37 0172(113) 一般(113) 雪結晶作成ツール blue_darksky 4 0173(114) 一般(114) LSCP(Loto Six Choi Pick) きょんた 0 0175(115) 一般(115) Euex 壮也 あり 0 0176(116) 一般(116) 果さば一粒 bealbmo あり 2 0177(117) 一般(117) 古文翻訳装置 宮澤慎司 あり 1 0178(118) 一般(118) 機械兵GG uik あり 7 0179(119) 一般(119) Sphinx いなえ あり 0 0180(120) 一般(120) ハイロー 日本大学工学部情報研究会 小澤紀航 2 0182(121) 一般(121) Crazy Ball Adventure えびかに あり 4 0183(122) 一般(122) 四校史2 第1章 ロコモコ あり 20 0187(123) 一般(123) 見習い魔女アリス ポッチ 6 0188(124) 一般(124) Minin Timer 壮也 あり 0 0189(125) 一般(125) 時計 Kz 0 0192(126) 一般(126) KAMOCHESS も 8 0193(127) 一般(127) BOXMEN オレン あり 8 0194(128) 一般(128) 将棋王 組長X あり 12 0195(129) 一般(129) STEEL DANCE 組長X あり 4 0196(130) 一般(130) DarkSummoner 魔女オイラ 2 0197(131) 一般(131) 字巻 Peace 0 0199(132) 一般(132) マンデルブロ集合描画プログラム Def 0 0200(133) 一般(133) ショートシューター イシモチ あり 9 0201(134) 一般(134) ズガンガガン onekzs あり 5 0202(135) 一般(135) 「beatmania IIDX用 対数尺」 ISOC-7(アイゾック セブン) 0 0204(136) 一般(136) ParticleTestTool シュガークラウド あり 8 0205(137) 一般(137) 冷凍蛙 石橋祥太 あり 0 0206(138) 一般(138) Net Setting Changer XTX 0 0207(139) 一般(139) archer 少女遊霊姫 あり 0 0209(140) 一般(140) Black Back Board TOM 0 0211(141) 一般(141) 生贄少女 YoYoSOFT 11 0212(142) 一般(142) Auto Logoff Tool Mizuho あり 0 0213(143) 一般(143) 賽投さん HID 2 0214(144) 一般(144) くまな毎日 KNT 5 0215(145) 一般(145) White Dragon -ホワイトドラゴン- VeLTiNA あり 16 0216(146) 一般(146) CUBLASTER tarinta あり 4 0217(147) 一般(147) nwPlayer tsuka 0 0220(148) 一般(148) network tps prototype pぇ 2 0221(149) 一般(149) ミサイル的あて TAt 2 0222(150) 一般(150) ファイナルクエスト せやしん 9 0223(151) 一般(151) PFA Teo 0 0224(152) 一般(152) RSS-Leader minidora あり 0 0225(153) 一般(153) お、落ちる! せきんと 5 0229(154) 一般(154) みほちゃんエディター 種原美穂 あり 1 0231(155) 一般(155) みんなでオンライン MTsoft あり 4 0232(156) 一般(156) ETERNAL QWEST Atu あり 5 0233(157) 一般(157) 人参と猫と変態と うんちっち 0 0235(158) 一般(158) 猫耳ピンク可愛い さらん&ちぢれ&みおん&ほいみん 4 0236(159) 一般(159) MotorSportsCity ねーよww 15 0237(160) 一般(160) attack Striker pico Tree Branch あり 4 0240(161) 一般(161) Key State Viewer KOHKI あり 2 0241(162) 一般(162) 文字数カウンター KOHKI あり 2 0242(163) 一般(163) カレ×カノ3 ゆめくい あり 0 0243(164) 一般(164) RPG制作補助ツール「cheese」 Y+Y=M.H あり 0 0245(165) 一般(165) ハシリネズミ Fenlil あり 0 0246(166) 一般(166) HTML Desktop Rei 0 0247(167) 一般(167) EternalStream つららソフト あり 0 0248(168) 一般(168) 面積率測定ソフト gluck 0 0249(169) 一般(169) レトロチック風トレジャーハンターDX TEAM BKT 0 0250(170) 一般(170) CanonDeffence 八百九十九 0 0251(171) 一般(171) 飛行ドライバー りきた 2 0252(172) 一般(172) 領地拡大ゲーム じんとル mkn あり 6 0253(173) 一般(173) たま護 magunetto あり 8 0254(174) 一般(174) Cigarette Extinguisher 完成版 Def 0 0255(175) 一般(175) White While りゅん 7 0257(176) 一般(176) Morse Def 0 0258(177) 一般(177) Divine Face 田中バリウム あり 1 0259(178) 一般(178) D.C.S ドット・クロック・スモール はっしぃ 0 0260(179) 一般(179) カラーボタンオブジェクト puw2 あり 0 0262(180) 一般(180) 問題を編集できる!……と言う感じなクイズゲーム。 もう10年 あり 0 0263(181) 一般(181) ぐるぐる☆ミュージック dora あり 3 0264(182) 一般(182) 単語帳 かーみ あり 0 0265(183) 一般(183) 投げ上げ運動シミュレーター pole 0 0266(184) 一般(184) Duel-Console あんすこえむ あり 0 0268(185) 一般(185) ナイフ投げジョー 26℃ あり 9 0269(186) 一般(186) 「ランチャー+単語」 ISOC-7(アイゾック セブン) 0 0270(187) 一般(187) たまころ GENKI あり 3 0271(188) 一般(188) 発狂シューティング なさす 0 0274(189) 一般(189) 重力シミュレーター ぴっぴ あり 4 0275(190) 一般(190) Funcshow 牛久栄進高等学校パソコン部 あり 0 0276(191) 一般(191) Southern かずを 0 0278(192) 一般(192) bbss Begriff あり 0 0279(193) 一般(193) とある風景 ヒホ 12 0281(194) 一般(194) Flying Heroes ZANMETU あり 8 0282(195) 一般(195) あっぱれウサッピー! karasawa あり 4 0283(196) 一般(196) 宇宙艦流れ星52号-ピンボール編 代表じょるる あり 6 0001(197) HSPTV(1) ぺたんこキューブ Petit 伊豆 千穂 あり 3 0012(198) HSPTV(2) セピアフィルター ぴっぴ あり 0 0013(199) HSPTV(3) ドット絵描き板 Quiet 5 0014(200) HSPTV(4) mag mono あり 2 0022(201) HSPTV(5) 追っかけマウス Kz 3 0026(202) HSPTV(6) High More High 春他人 あり 1 0031(203) HSPTV(7) rN2 K-s 5 0033(204) HSPTV(8) アンチエイリアシングつき画像回転ソフト ぴっぴ あり 0 0036(205) HSPTV(9) 切符問題 とん あり 3 0039(206) HSPTV(10) 不思議な生物 プル ユルル 7 0044(207) HSPTV(11) かくれんぼ たこ あり 1 0049(208) HSPTV(12) brake mono あり 5 0053(209) HSPTV(13) XEaters ~唯食者たち~ 上大 あり 0 0054(210) HSPTV(14) スネークスライム Taorin あり 13 0057(211) HSPTV(15) 逆ブロックくずし Saku 4 0061(212) HSPTV(16) 告白の日に... MutoTakaSoft(MTIゲームズ) あり 0 0063(213) HSPTV(17) Asqiuss rgc 2 0064(214) HSPTV(18) ころころーりんぐ suittyo あり 6 0066(215) HSPTV(19) インベーダー風ゲーム ひきこもりのバカ あり 0 0067(216) HSPTV(20) 単なる避けゲー2 がれりあん 0 0076(217) HSPTV(21) へぼりめ(避けゲー) ぷよ:チェス: 0 0077(218) HSPTV(22) 不気味な神経衰弱 ひきこもりのバカ あり 0 0078(219) HSPTV(23) うるさいパズル ひきこもりのバカ あり 1 0079(220) HSPTV(24) スキー ひきこもりのバカ あり 1 0080(221) HSPTV(25) ブロック渡り ひきこもりのバカ あり 2 0085(222) HSPTV(26) anonymouseq MIA あり 20 0086(223) HSPTV(27) ラケットゲーム モノブロス あり 0 0090(224) HSPTV(28) ショートムシショウグン トホホッティー あり 3 0098(225) HSPTV(29) 弾幕耐久能力試験 Arckey 6 0102(226) HSPTV(30) 絶-天兎祭 牙維 紡士 5 0103(227) HSPTV(31) フルーツ ミラージュ KAW あり 7 0107(228) HSPTV(32) DropBox なぎょ あり 0 0109(229) HSPTV(33) BOXSTG Qwertity あり 11 0110(230) HSPTV(34) REFRECT SHOOTING KENTA あり 0 0111(231) HSPTV(35) 弾幕よけ BIG SKY あり 0 0120(232) HSPTV(36) ボウリング(笑) GAM-22 あり 13 0129(233) HSPTV(37) 15少女ツイン るーくん あり 4 0140(234) HSPTV(38) AAM COMBAT pぇ 5 0141(235) HSPTV(39) ベクター グラフィックス ギャラリー 牙維 紡士 2 0144(236) HSPTV(40) pic player なぎょ あり 3 0145(237) HSPTV(41) building いくちおすてご あり 0 0148(238) HSPTV(42) 走って、飛んで、しゃがんで μ/σ1451τ あり 0 0150(239) HSPTV(43) hit escape μ/σ1451τ あり 0 0156(240) HSPTV(44) WAVE Sekai あり 1 0160(241) HSPTV(45) Ten Platoon いなえ あり 19 0166(242) HSPTV(46) Buildin' Quake domol 0 0174(243) HSPTV(47) 遺跡発掘 DE ポン! ナオナオ 12 0181(244) HSPTV(48) LevelPoint y.tack 0 0184(245) HSPTV(49) ASCII SHOOT Kz 2 0185(246) HSPTV(50) Kagome ふんすけ あり 2 0186(247) HSPTV(51) Shape Attack Chokoko 0 0190(248) HSPTV(52) バブルソート tsuka 4 0191(249) HSPTV(53) 清一色 まるばつくん あり 0 0198(250) HSPTV(54) DROP BALL かに 4 0203(251) HSPTV(55) ジャンプマン 組長X あり 7 0208(252) HSPTV(56) クリックし放題ゲーム ハムスター 0 0210(253) HSPTV(57) 星空 かに 0 0218(254) HSPTV(58) (●∀●)を取れ!!!!!!! さかな 0 0219(255) HSPTV(59) ブロック避けゲーム。 タガメ 0 0226(256) HSPTV(60) Touch Light Icosa KYT 0 0227(257) HSPTV(61) MAJORITY PANEL KYT 0 0228(258) HSPTV(62) そんな馬鹿な! 直焼時計 深煎眼鏡 0 0230(259) HSPTV(63) 国際的なSTG 直焼時計 深煎眼鏡 0 0234(260) HSPTV(64) 箱 セムナ 0 0238(261) HSPTV(65) ある日のみずたまり Arue あり 15 0239(262) HSPTV(66) 動物将棋 sharkpp あり 0 0244(263) HSPTV(67) カーのあいうえお教室 アウナイ 1 0256(264) HSPTV(68) 魚ズ roco7 0 0261(265) HSPTV(69) BoD かの あり 3 0267(266) HSPTV(70) 当たって砕けテロ BIG SKY あり 0 0272(267) HSPTV(71) STAR ☆ CATCHER あり 0 0273(268) HSPTV(72) 破線 THAGA 0 0277(269) HSPTV(73) ○君のゴルフっぽい冒険! こっちっち あり 0 0280(270) HSPTV(74) つやつやギャラリー tyty あり 0
https://w.atwiki.jp/chaosdrama/pages/3842.html
―長月プロダクション― 難波「なんかうちに新しいプロデューサー来るらしいで」 柴原「えっ、マジですか?えーどんな人だろ、男の人かな」 霧島「私も聞いたぞ、確か男だった気がする」 洞川「イケメンやったらいいなー、どうだろうなー」 駒形「シナノさんとムラクモさん、あと森ノ宮さんの三人でゆるくなかったから嬉しいだろうなぁ」 『失礼します』 ガラッ 難波「えっ」 駒形「ひっ」 霧島「デカっ」 ムラクモ「時間ぴったりだな、良い事だ。とりあえず自己紹介を」 カンプ「長月プロダクションの新任プロデューサーとなります、カンプです」 カンプ「宜しくお願いします」 シナノ「デカ過ぎるから困るだろうがとりあえずその辺座る場所を確保してくれ」 カンプ「向こうの台を使わせて貰って構いませんか」 シナノ「まあいいんじゃないか、知らん」 ムラクモ「とりあえず、全員自己紹介から始めようか……カンプくん、そこに履歴書があるから座って。まずは難波くんから全員軽く自己紹介を」 難波「最初は私やと思ったわ……えーと、難波佑子、19歳。大阪から来ました!」 難波「最近は……魔法少女として企画を頂いてます…一応リーダーになるんかな……この近くの大学に通いながらアイドル活動を続けてます!」 柴原「柴原青葉、16歳です!家は近所です!」 柴原「写真が好きで、だいぶ前になりますがカメラの雑誌で取り上げて貰いました!」 霧島「霧島枝利、17歳です、柴原とは付き合いが長いです」 霧島「柔道初段です、えーと……身長が高いので、モデルの仕事をもらった事があります」 駒形「……え、えっと、駒形笠置、15歳です」 駒形「あの、私生まれも育ちも田舎で……あ、でも、頑張ります……」ビクビク 洞川「洞川古斑、16歳です!家は電車で」 カンプ「あれ……履歴書には28歳と」 洞川「」 カンプ「……思ったより、全員場慣れしているんですね」 ムラクモ「そこは最初に慣れさせたからな、だが駒形くんはやはり君が怖い様だ」 カンプ「良く言われます、このガタイなので……」 シナノ「その内慣れるだろ。他のアイドルの軽い紹介も此処で済ませておいた方が良いかもな、所謂ライバルだ」 ムラクモ「そうだな、皆説明を」 難波「えーと、そうやなあ……じゃあまずはこの前当たったこのグループから…」 ――エスプロダクョン、リリウムガールズ 笠間胡桃、地野千歳、津守淀、W.F、シュトゥーカ……この五人に加え、最近P.Pちゃんというロリ枠が入った五人組のグループです かなりの万能正統派で、全員見た目良し踊って良し歌って良し……P.Pちゃんは日が浅いためちょっと見劣りしてますけど、それでもエキセントリックな人気持ってます プロデューサーの氷川さんもすごい実力派で、多分メジャーで活躍する日もそう遠くないと思います で、噂……というより殆ど確定してるみたいなんですけど、このグループその、こう、全員その…… 氷川「あのね千歳ちゃん、確かに女性ファンが増えるのは喜ばしい事だけど……」 氷川「手を出すにしてもちゃんとバレ無いようにしてくれないと困るのよ、何人目よこれ」 地野「私知ってるんですよぉ?氷川さん……また小学生に手出したって」 氷川「私は情報漏らして無いし裏方だからな」 W.F「しつこいようですけどP.Pちゃんに手出したらぶち殺しますよ」 氷川「わかってるわかってる」 津守「少し人数と回数を減らしたほうが良いんじゃないか、流石にちょっと不味い」 津守「私も最近は中々ホモ本を集め辛くてな……女の子に人気があるのは嬉しいんだが」 笠間「淀っちちょっとヅカっぽくかっこいい感じにしたら一気に女の子に人気出ましたもんね…」 シュトゥーカ「私たちはほら元々耳としっぽがあるから固定客は多いんですけど、ぐっと増えたりは厳しいですねぇ」 笠間「もふもふとかね、gffあっ鼻血が」 P.P「私そんなん無いんですけおおおおおおおおおおおお!!!!!」 W.F「P.Pちゃんは小さくてかわいいからいいのよ、うふふ」 ……女性同士でラブホテルに行ったとかがたまに取り沙汰されとるんですけど、握り潰されてるみたいです 青葉ちゃん、こっちの説明お願い りょーかいです、で、こっちが… ――ゲパードプロダクション、ウォースパイト、ブレイジングエンジェル。 男性グループと女性グループの二つがあって、両方ともかなり身体を張った仕事をバリバリやります 男性グループのウォースパイトの方は軍人みたいにがっつり筋肉推しでおっさんも入ってて男臭い感じで、女性グループもそこまでではないですけどやっぱり動きのキレが全然違いますね グリーシー「昨日のライブは大成功だったな、いやぁ上手くいって良かったよ」 レナート「脱げって言われた時はオイオイ大丈夫かってなったけどな……」 クラウス「若いってのは良いなぁ、俺はもう動くので精いっぱいだよ、まだ疲れが抜けん」 クライブ「まあ、折角休みを貰えたんだから楽しもうぜ?だろ?ウォンさんトニーさんよ」 ウォン「もう少し動きは修正出来たがな、まあ及第点だろう」 トニー「……クラウスとクライブは暫く休みだ、その間に疲れを取っておけ」 トニー「ブレイジングエンジェルの方は?」 セコンダ「いい感じだったぞ、全員報告を」 レーベル「一応予定通りには動けた筈だ、とりあえず全員な」 バレル「客の評判も良かったし、あの路線でもう一回やってもいいかも知れないな」 アーニャ「ですが修正点も見えてきました、後で纏めた方が良いでしょう」 コルセア「警備とギミックはもう少し改善出来る筈だ、急ぐべきはこっちだろう」 セコンダ「四人とも、後で移動に入るぞ、話し合いはとりあえず車の中で行おう」 あー…次ここか……枝利ちゃんお願いしていい? まあ、やるよ、うん ――リストプロダクション、トランキライザー 二人組アイドルコンビだが……多分こいつらある意味アイドル界で一番ヤバいかも アレサ、ヴェーリ……この二人姉妹で、仲が良いしやっぱり似てる、まあそこは問題ないんだが 見た目は完璧だし、歌も上手い、動けない事も無いしな あと、その、こう……病んでる。でこれがマニアックな人気を持ってて……底無し沼とか揶揄されてるな、一回ハマったらもう戻れない、コアな魅力がある ピース・メーカー「二人ともお疲れ様、じゃあ手首と床拭いてね」 ヴェーリ「ごめんなさい、ほら姉さん、一緒に片づけましょう」 アレサ「そうね、うふふ……今回はうまくいったかしら…」 ピース・メーカー「うまくいったわよぉ、相変わらず天然の目のクマが大評判」 ピース・メーカー「二人とも血の掃除終わったら歌のレッスンして、あとは自由でいいわよ」 ヴェーリ「笑う練習をしないといけませんね、また二人でしましょう」 アレサ「そうね、二人ならやっていけるわよね…」 ヴェーリ「うふふ」 アレサ「うふふ」 ピース・メーカー「じゃあ私はお茶飲んで来ますから」 ヴェーリ「がんばりましょうね、姉さん」 アレサ「ええ、頑張りましょう、うふふ」 じゃあ、つ、次は私がやりますね あと目立つのは……あ、此処ですね ――ロイヤルヴェールプロダクション、ノーブルプリンセス イザベラさん、ジャクリーヌ尾崎さん、ここも二人組のコンビで、多分一番お姫様してる所です 気品があって、二人とも歌も踊りも上手で……なんだか本当にお姫様みたいです ただ、バックのプロダクションが黒いらしい所で… ノーブルプリンセスの二人は凄く大事にされてるみたいなんですけど、怖い噂を良く聞きます ジャクリーヌ尾崎「どうでしたか!!私の完璧なパフォーマンス!!」 ジャクリーヌ尾崎「見る者全てを魅了するくらいでしょう!私ならこれくらい朝飯前ですわ!!」 イザベラ「さんざん二人で練習したから当然よ!で!?評判は!?」 ヴァリーレ「文字通り完璧、と言いたい所だけど……二人してちょっと前に出過ぎよ、アドリブも大事とはいえ」 ヴァリーレ「性格から来てるのはわかってるから、もうちょっとそこなんとかしなさい」 イザベラ「分かったわ、ほら!終わった後も練習よ!あんたのフォローだってしなきゃいけないのに!」 ジャクリーヌ尾崎「私が完璧すぎてプレッシャーを感じてしまっているのですね!大丈夫です私がフォローを」 イザベラ「私の方が上なんだから私がフォローしなくてどうすんのよ!!わかる!?完璧っていうのは」 ヴァリーレ「聞いちゃ居ないわね!そういう所に文句付けてんのよガキ共!」 ジャクリーヌ尾崎「はひぃごめんなさい」 ヴァリーレ「あっ、そうだ、ブルーノ!!!」 ブルーノ「はい、大丈夫です例の不逞の輩は……」 ヴァリーレ「捕まえたのよね」 ブルーノ「一通り聞く事済んだんで今は魚の餌になっい゛いっ!?」 ヴァリーレ「今二人の前でそこまで説明しないでいいっつってんのよバカ!はい車の準備しなさい!」 ブルーノ「大丈夫ですもう出来てます…」 シナノ「まあ、今の所私たちのライバルと成り得るのはこの辺だな」 難波「はい、とりあえず今紹介するのはこの辺で大丈夫やと思います」 駒形「他にもあるんですけど、勢いに乗ってるのはこれくらいです」 ムラクモ「……っと、そろそろいい時間だな」 ムラクモ「難波くんが魔法少女の収録のために移動だから、折角だしカンプくんも見に行くといい」 森ノ宮「あんた運転出来るか?」 カンプ「一応運転は出来るのですが、何分身体が…」 洞川「うちのハイエースじゃまともに運転できなそうよね」 霧島「うーん、まぁ……」 森ノ宮「……俺が運転、難波が助手席で、悪いけど後部座席倒して乗ってくれるか」 カンプ「わかった」 柴原「ちょっと写真撮ろうかな…こんなん荷台に…」 森ノ宮「すげぇ」 難波「ほんまにすげぇ」 柴原「人ひとりで車体がちょっと傾いてる……」 森ノ宮「まあ積載重量の範囲内だし多分大丈夫だろ、難波、乗れ」 難波「はい」 柴原「着地点が見えないので終わりっす」
https://w.atwiki.jp/miyabi733/pages/396.html
―長月プロダクション― 難波「なんかうちに新しいプロデューサー来るらしいで」 柴原「えっ、マジですか?えーどんな人だろ、男の人かな」 霧島「私も聞いたぞ、確か男だった気がする」 洞川「イケメンやったらいいなー、どうだろうなー」 駒形「シナノさんとムラクモさん、あと森ノ宮さんの三人でゆるくなかったから嬉しいだろうなぁ」 『失礼します』 ガラッ 難波「えっ」 駒形「ひっ」 霧島「デカっ」 ムラクモ「時間ぴったりだな、良い事だ。とりあえず自己紹介を」 カンプ「長月プロダクションの新任プロデューサーとなります、カンプです」 カンプ「宜しくお願いします」 シナノ「デカ過ぎるから困るだろうがとりあえずその辺座る場所を確保してくれ」 カンプ「向こうの台を使わせて貰って構いませんか」 シナノ「まあいいんじゃないか、知らん」 ムラクモ「とりあえず、全員自己紹介から始めようか……カンプくん、そこに履歴書があるから座って。まずは難波くんから全員軽く自己紹介を」 難波「最初は私やと思ったわ……えーと、難波佑子、19歳。大阪から来ました!」 難波「最近は……魔法少女として企画を頂いてます…一応リーダーになるんかな……この近くの大学に通いながらアイドル活動を続けてます!」 柴原「柴原青葉、16歳です!家は近所です!」 柴原「写真が好きで、だいぶ前になりますがカメラの雑誌で取り上げて貰いました!」 霧島「霧島枝利、17歳です、柴原とは付き合いが長いです」 霧島「柔道初段です、えーと……身長が高いので、モデルの仕事をもらった事があります」 駒形「……え、えっと、駒形笠置、15歳です」 駒形「あの、私生まれも育ちも田舎で……あ、でも、頑張ります……」ビクビク 洞川「洞川古斑、16歳です!家は電車で」 カンプ「あれ……履歴書には28歳と」 洞川「」 カンプ「……思ったより、全員場慣れしているんですね」 ムラクモ「そこは最初に慣れさせたからな、だが駒形くんはやはり君が怖い様だ」 カンプ「良く言われます、このガタイなので……」 シナノ「その内慣れるだろ。他のアイドルの軽い紹介も此処で済ませておいた方が良いかもな、所謂ライバルだ」 ムラクモ「そうだな、皆説明を」 難波「えーと、そうやなあ……じゃあまずはこの前当たったこのグループから…」 ――エスプロダクョン、リリウムガールズ 笠間胡桃、地野千歳、津守淀、W.F、シュトゥーカ……この五人に加え、最近P.Pちゃんというロリ枠が入った五人組のグループです かなりの万能正統派で、全員見た目良し踊って良し歌って良し……P.Pちゃんは日が浅いためちょっと見劣りしてますけど、それでもエキセントリックな人気持ってます プロデューサーの氷川さんもすごい実力派で、多分メジャーで活躍する日もそう遠くないと思います で、噂……というより殆ど確定してるみたいなんですけど、このグループその、こう、全員その…… 氷川「あのね千歳ちゃん、確かに女性ファンが増えるのは喜ばしい事だけど……」 氷川「手を出すにしてもちゃんとバレ無いようにしてくれないと困るのよ、何人目よこれ」 地野「私知ってるんですよぉ?氷川さん……また小学生に手出したって」 氷川「私は情報漏らして無いし裏方だからな」 W.F「しつこいようですけどP.Pちゃんに手出したらぶち殺しますよ」 氷川「わかってるわかってる」 津守「少し人数と回数を減らしたほうが良いんじゃないか、流石にちょっと不味い」 津守「私も最近は中々ホモ本を集め辛くてな……女の子に人気があるのは嬉しいんだが」 笠間「淀っちちょっとヅカっぽくかっこいい感じにしたら一気に女の子に人気出ましたもんね…」 シュトゥーカ「私たちはほら元々耳としっぽがあるから固定客は多いんですけど、ぐっと増えたりは厳しいですねぇ」 笠間「もふもふとかね、gffあっ鼻血が」 P.P「私そんなん無いんですけおおおおおおおおおおおお!!!!!」 W.F「P.Pちゃんは小さくてかわいいからいいのよ、うふふ」 ……女性同士でラブホテルに行ったとかがたまに取り沙汰されとるんですけど、握り潰されてるみたいです 青葉ちゃん、こっちの説明お願い りょーかいです、で、こっちが… ――ゲパードプロダクション、ウォースパイト、ブレイジングエンジェル。 男性グループと女性グループの二つがあって、両方ともかなり身体を張った仕事をバリバリやります 男性グループのウォースパイトの方は軍人みたいにがっつり筋肉推しでおっさんも入ってて男臭い感じで、女性グループもそこまでではないですけどやっぱり動きのキレが全然違いますね グリーシー「昨日のライブは大成功だったな、いやぁ上手くいって良かったよ」 レナート「脱げって言われた時はオイオイ大丈夫かってなったけどな……」 クラウス「若いってのは良いなぁ、俺はもう動くので精いっぱいだよ、まだ疲れが抜けん」 クライブ「まあ、折角休みを貰えたんだから楽しもうぜ?だろ?ウォンさんトニーさんよ」 ウォン「もう少し動きは修正出来たがな、まあ及第点だろう」 トニー「……クラウスとクライブは暫く休みだ、その間に疲れを取っておけ」 トニー「ブレイジングエンジェルの方は?」 セコンダ「いい感じだったぞ、全員報告を」 レーベル「一応予定通りには動けた筈だ、とりあえず全員な」 バレル「客の評判も良かったし、あの路線でもう一回やってもいいかも知れないな」 アーニャ「ですが修正点も見えてきました、後で纏めた方が良いでしょう」 コルセア「警備とギミックはもう少し改善出来る筈だ、急ぐべきはこっちだろう」 セコンダ「四人とも、後で移動に入るぞ、話し合いはとりあえず車の中で行おう」 あー…次ここか……枝利ちゃんお願いしていい? まあ、やるよ、うん ――リストプロダクション、トランキライザー 二人組アイドルコンビだが……多分こいつらある意味アイドル界で一番ヤバいかも アレサ、ヴェーリ……この二人姉妹で、仲が良いしやっぱり似てる、まあそこは問題ないんだが 見た目は完璧だし、歌も上手い、動けない事も無いしな あと、その、こう……病んでる。でこれがマニアックな人気を持ってて……底無し沼とか揶揄されてるな、一回ハマったらもう戻れない、コアな魅力がある ピース・メーカー「二人ともお疲れ様、じゃあ手首と床拭いてね」 ヴェーリ「ごめんなさい、ほら姉さん、一緒に片づけましょう」 アレサ「そうね、うふふ……今回はうまくいったかしら…」 ピース・メーカー「うまくいったわよぉ、相変わらず天然の目のクマが大評判」 ピース・メーカー「二人とも血の掃除終わったら歌のレッスンして、あとは自由でいいわよ」 ヴェーリ「笑う練習をしないといけませんね、また二人でしましょう」 アレサ「そうね、二人ならやっていけるわよね…」 ヴェーリ「うふふ」 アレサ「うふふ」 ピース・メーカー「じゃあ私はお茶飲んで来ますから」 ヴェーリ「がんばりましょうね、姉さん」 アレサ「ええ、頑張りましょう、うふふ」 じゃあ、つ、次は私がやりますね あと目立つのは……あ、此処ですね ――ロイヤルヴェールプロダクション、ノーブルプリンセス イザベラさん、ジャクリーヌ尾崎さん、ここも二人組のコンビで、多分一番お姫様してる所です 気品があって、二人とも歌も踊りも上手で……なんだか本当にお姫様みたいです ただ、バックのプロダクションが黒いらしい所で… ノーブルプリンセスの二人は凄く大事にされてるみたいなんですけど、怖い噂を良く聞きます ジャクリーヌ尾崎「どうでしたか!!私の完璧なパフォーマンス!!」 ジャクリーヌ尾崎「見る者全てを魅了するくらいでしょう!私ならこれくらい朝飯前ですわ!!」 イザベラ「さんざん二人で練習したから当然よ!で!?評判は!?」 ヴァリーレ「文字通り完璧、と言いたい所だけど……二人してちょっと前に出過ぎよ、アドリブも大事とはいえ」 ヴァリーレ「性格から来てるのはわかってるから、もうちょっとそこなんとかしなさい」 イザベラ「分かったわ、ほら!終わった後も練習よ!あんたのフォローだってしなきゃいけないのに!」 ジャクリーヌ尾崎「私が完璧すぎてプレッシャーを感じてしまっているのですね!大丈夫です私がフォローを」 イザベラ「私の方が上なんだから私がフォローしなくてどうすんのよ!!わかる!?完璧っていうのは」 ヴァリーレ「聞いちゃ居ないわね!そういう所に文句付けてんのよガキ共!」 ジャクリーヌ尾崎「はひぃごめんなさい」 ヴァリーレ「あっ、そうだ、ブルーノ!!!」 ブルーノ「はい、大丈夫です例の不逞の輩は……」 ヴァリーレ「捕まえたのよね」 ブルーノ「一通り聞く事済んだんで今は魚の餌になっい゛いっ!?」 ヴァリーレ「今二人の前でそこまで説明しないでいいっつってんのよバカ!はい車の準備しなさい!」 ブルーノ「大丈夫ですもう出来てます…」 シナノ「まあ、今の所私たちのライバルと成り得るのはこの辺だな」 難波「はい、とりあえず今紹介するのはこの辺で大丈夫やと思います」 駒形「他にもあるんですけど、勢いに乗ってるのはこれくらいです」 ムラクモ「……っと、そろそろいい時間だな」 ムラクモ「難波くんが魔法少女の収録のために移動だから、折角だしカンプくんも見に行くといい」 森ノ宮「あんた運転出来るか?」 カンプ「一応運転は出来るのですが、何分身体が…」 洞川「うちのハイエースじゃまともに運転できなそうよね」 霧島「うーん、まぁ……」 森ノ宮「……俺が運転、難波が助手席で、悪いけど後部座席倒して乗ってくれるか」 カンプ「わかった」 柴原「ちょっと写真撮ろうかな…こんなん荷台に…」 森ノ宮「すげぇ」 難波「ほんまにすげぇ」 柴原「人ひとりで車体がちょっと傾いてる……」 森ノ宮「まあ積載重量の範囲内だし多分大丈夫だろ、難波、乗れ」 難波「はい」 柴原「着地点が見えないので終わりっす」
https://w.atwiki.jp/vip-shinrei/pages/101.html
88 西宮 ◆kLmVkd52Ls 2007/09/18(火) 08 51 41.20 ID 2QCsRo/K0 【所在県】兵庫 【凸時間】いつも通り19~20集合方針で 【凸場所】宝塚の社宅廃墟 【スネーク募集の有無撮影出来る方来てほしいかもー・・・ 【目印】遂に巫女 【備考】近くっぽいんで足無くても歩きで行ってみましょうか 260 ◆doc69kzD2I New! 2007/09/18(火) 22 47 36.95 ID 9QdqnozjO http //imepita.jp/20070918/819091 電池残量壱 実況は見逃してくれーい 272 ◆doc69kzD2I New! 2007/09/18(火) 23 39 11.57 ID 9QdqnozjO だから電池が無いと言っとろうが… http //imepita.jp/20070918/850680 でもスレチですまん 4 環状 ◆rd05EZkDDY sage 2007/09/19(水) 00 18 54.41 ID g8DwtDrl0 1乙 今北区しました 初めての廃墟凸だったけど、廃墟ふいんき(ryこわすぎ 凸組み乙ですw 三田 これからも、どんどん凸してください 8 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 2007/09/19(水) 00 26 36.46 ID OtWpxfBM0 4 乙!! いま帰宅したお 西宮のカオス度と自分のボーリングのへたれどに驚愕した一日でした>< また機会があったら参加します>< 9 三田 ◆/7ApgEMcnA 2007/09/19(水) 00 27 41.94 ID OtWpxfBM0 8 は三田なwww 13 市内 ◆doc69kzD2I 2007/09/19(水) 00 46 25.69 ID fAr9S8bdO 先程帰還 いやー電車での往復は久々だった 改めてジョムや笠置に感謝せんといかんな レポはまた気長にお待ち戴けると有難い 三ちゃん 所々身内ノリになってしまい非常に申し訳無かった… またご一緒出来ることを楽しみにしている 西宮&環状 お疲れさんでした! 今後とも宜しくー 16 西宮 ◆kLmVkd52Ls 2007/09/19(水) 00 56 55.05 ID HUkZxtmj0 今北区 腕痛い、喉痛いでボロボロです 初めての廃墟凸ですが、多分社宅っていうのがやばいんだろうな 旅館とかの広い空間じゃなくて殆ど密閉された空間だからなー 次また機会あれば3人ともよろしゅう 次回から市内と俺がセット凸の時は市内は1時間前集合で! 三田 初凸おつかれさまー 次回凸は週末の川西かな? その時はよろしくー 環状 ボーリング無駄にうまいですね^^ 33 市内 ◆doc69kzD2I 2007/09/21(金) 16 56 53.37 ID LDWfliOQ0 反応無いけどしてまえ 070918(Tue) 目的地:宝塚市、社宅廃墟 隊 員:環状、三田、市内、西宮 巫女デビューに立ち会える!ということで期待に胸を躍らせつつ集合場所へ向かう市内 難無く西宮と合流、変身可能な場所を探す デパート横の通路に目星をつけ、脱ぎ始める西宮 人通りが少なそうだと予想していたがそうでもなく、悉く通行人に視姦される でもそんなの関係ねぇ!でもそんなの関係ねぇ! 魅惑の変身完了 http //up.mugitya.com/img/Lv.1_up32394.jpg.html 環状より市内に入電、合流に向かう その間巫女は当然放置プレイ 何とか環状と合流 巫女の許へ 待ち惚けの巫女を見るや爆笑する環状 こら、神聖なる巫女さんに無礼ではないか! その後薄化粧を施し、フレッシュ三田と合流する為駅前へと移動 驚くほどあっさり発見される 自己紹介を軽く済まし、知り合いが居たら三人から離れろと諭し いざ往かん彼の地へ 34 市内 ◆doc69kzD2I 2007/09/21(金) 16 57 21.02 ID LDWfliOQ0 http //up.mugitya.com/img/Lv.1_up32396.jpg http //up.mugitya.com/img/Lv.1_up32398.jpg 地図を発見、軽くげんなりする環状 何処にもおかしい点はありません 【A棟】 http //up.mugitya.com/img/Lv.1_up32399.jpg http //up.mugitya.com/img/Lv.1_up32400.jpg ごくごく普通の住宅街に在る 何気に好きな書体 http //up.mugitya.com/img/Lv.1_up32401.jpg http //up.mugitya.com/img/Lv.1_up32406.jpg 侵入開始 トタンが煩い http //up.mugitya.com/img/Lv.1_up32407.jpg http //up.mugitya.com/img/Lv.1_up32408.jpg 一階廊下、何の変哲も無い普通の廊下 器物損壊はやめませう 35 市内 ◆doc69kzD2I 2007/09/21(金) 16 57 41.75 ID LDWfliOQ0 http //up.mugitya.com/img/Lv.1_up32409.jpg http //up.mugitya.com/img/Lv.1_up32411.jpg ○○○ちっちゃ! 二回廊下、何のh(ry http //up.mugitya.com/img/Lv.1_up32413.jpg http //up.mugitya.com/img/Lv.1_up32414.jpg 三階はスルーし四階へ えぇい木が邪魔でよく見えんではないか http //up.mugitya.com/img/Lv.1_up32420.jpg http //up.mugitya.com/img/Lv.1_up32421.jpg 屋上へ出る 記念パチリコ http //up.mugitya.com/img/Lv.1_up32426.jpg http //up.mugitya.com/img/Lv.1_up32425.jpg 一階へ戻ることに ナニなかほりがしなくもない 36 市内 ◆doc69kzD2I 2007/09/21(金) 16 58 25.53 ID LDWfliOQ0 http //up.mugitya.com/img/Lv.1_up32427.jpg http //up.mugitya.com/img/Lv.1_up32428.jpg 天国への階段 其の道は閉ざされ、まだ来るなと言われているようである 【B棟】 http //up.mugitya.com/img/Lv.1_up32429.jpg http //up.mugitya.com/img/Lv.1_up32430.jpg 隣へ移動 シマヘビが居たら悦ぶかもしれんね http //up.mugitya.com/img/Lv.1_up32431.jpg http //up.mugitya.com/img/Lv.1_up32432.jpg 緑なのに黒とは是如何に お邪魔しまんにゃわ http //up.mugitya.com/img/Lv.1_up32433.jpg http //up.mugitya.com/img/Lv.1_up32436.jpg A棟と異なり此方は和式 室内なのに…何てオカルト! 37 市内 ◆doc69kzD2I 2007/09/21(金) 16 58 49.49 ID LDWfliOQ0 基本的に造りはそう変わらないので軽めの調査でB棟は終了 近くに曰く有り気なモノは無いか雑談 環状と三田が地元トークを展開 着いて行けない二人、でも負けない ほぼジモティー三田が少し歩いたところにトンネルがある、というので其方へ向かうことに http //up.mugitya.com/img/Lv.1_up32437.jpg http //up.mugitya.com/img/Lv.1_up32438.jpg 押忍、環状さんゴチです 置いてけぼりを喰らう市内(デフォ) http //up.mugitya.com/img/Lv.1_up32439.jpg http //up.mugitya.com/img/Lv.1_up32440.jpg トンネル到着 その周辺 http //up.mugitya.com/img/Lv.1_up32441.jpg http //up.mugitya.com/img/Lv.1_up32442.jpg 異種格闘技試合開始 果たして勝者は…?! 38 市内 ◆doc69kzD2I 2007/09/21(金) 16 59 12.79 ID LDWfliOQ0 時間もまだ浅めだったが他に目的地も見つからずウダウダする一行 普通の生活道路なので当然車やバイクの往来が またもや視姦されまくる巫女 開眼するのも時間の問題か そしてやっぱりすることが見つからない よって安価に託すことに http //up.mugitya.com/img/Lv.1_up32444.jpg http //up.mugitya.com/img/Lv.1_up32443.jpg 過疎なので加速すら、あるのはアッー!ばかり也 無理やり安価決定、アムロ行きまーす ROUND1への道中も視姦され続ける巫女 そのうち懐妊しちゃうかもね 駅前に出るとDQNに指を指される巫女 きっと惚れられちゃったんだね そんなこんなでROUND1へ到着 見事なまでに二度見する客 見事なまでに自然体の店員 本来の目的を忘れ普通に楽しむ一行 以下、スレチも甚だしいので割愛 一言二言言うならば 巫女、よく転ぶドジっこ 全員、プレッシャーに弱い 罰ゲーム(何故か西宮以外の二人)も無事実行 終電間際ということでこの日の調査は終了、解散 お疲れ様でした 39 市内 ◆doc69kzD2I 2007/09/21(金) 16 59 32.57 ID LDWfliOQ0 さぁて今後の目標は? 市内たんです 今月頭にぶっ壊れたデジカメ、未だに見積もりすら出せてません 『巫女を目醒めさせよう』 『三田をもっと引き込もう』 『環状をたくさん歩かせよう』 の三本です それじゃ次回も見て下さいね ジャン ケン ポン!うふふふふふふ 本編ZIP http //www9.axfc.net/uploader/9/so/P_25127.zip.html 番外ZIP http //www3.axfc.net/uploader/12/so/C_37121.zip.html パスは134 斧だから混んでるかもしれん…でも 慌てない慌てない、一休み一休み 最後までお読み戴き有難う御座いました
https://w.atwiki.jp/internetkyogakusys/pages/414.html
出典: 1934年版尋常小学国史 編集中 尋常小學國史 - Wikisource 尋常小学国史が全文乗っている本 目次 第一 天照大神 第二 神武天皇 第三 日本武尊 第四 神功皇后 第五 仁徳天皇 第六 聖徳太子 第七 天智天皇と藤原鎌足 第八 天智天皇と藤原鎌足(つゞき) 第一 天照大神 天皇陛下の御先祖を、天照大神と申しあげる。大神は御徳たいそう高い御方で、はじめて稲や麦などを田畑にうゑさせたり、蚕をかはせたりして、萬民をおめぐになつた。 大神の御弟に、素戔嗚尊といふ御方があつて、たびたびあらあらしい事をなさつた。それでも、大神は、いつも尊をおかはいがりになつて、少しもおとがめになることはなかつた。しかし、尊が大神の機屋をおかげしになつたので、大神は、とうとう天の岩屋に入り、岩戸を立てて御身をおかくしになつてしまつた。 大勢の神々は、たいそう御心配になつた。何とかして大神をお出し申さうと、岩戸の外に集つて、いろいろ御相談の上 、八坂瓊曲玉や八咫鏡などを榊の枝にかけて、神楽をおはじめになつた。その時、天鈿女命のまひの様子がいかにもをかしかつたので、神々はどつとお笑ひになつた。大神は何事が起つたかと、ふしぎにお思ひになり、すこしばかり岩戸をお開きになつた。すぐさま、神々は榊をおさし出しになつた。大神の御すがたが、その枝にかけた鏡にうつつた。大神は、ますますふしぎにお思ひなり、少し戸から出て、これを御らんにならうとした。すると、そばにかくれていた田力男命が、大神の御手を取つて、岩屋の中からお出し申し上げた。神々はうれしさのあまり、思はず聲をあげて、およろこびになつた。素戔嗚尊は、神々に追はれて、出雲におくだりになつた。さうして、簸川の川上で、八岐の大蛇をずたずたに斬つて、これまで苦しめられてゐた人々をおすくひになつたが、この時、大蛇の尾から一ふりの劔を得、これはたふとい劔であるとて、大神におさし上げになつた。これを天叢雲劔と申しあげる。 素戔嗚尊は御子に、大国主命といふ御方があつた。命は、出雲をはじめ方々を平げられて、なかなか勢いが強かつたが、その他の地方は、まだまだまるものが大勢ゐて、さわがしかつた。大神は、御孫の瓊瓊杵尊にこの國を治めさせようとお考へになり、まづ御使を大國主命のところへやり、その地方をさし出すやうにおさとしになつた。命は、よろこんで大神のおほせに従つた。そこで、大神は、いよいよ瓊瓊杵尊をおくだしにならうとして、尊に向ひ、「この國は、わが子孫の王たるべき地なり。汝皇孫ゆきて治めよ。皇位の盛なること、天地と共にきはまりなかるべし。」とおほせになつた。萬世一系の天皇をいただいて、天地とともにいつの世までも動くことのないわが國體の基は、実にこの時に定まつたのである。 大神は、また八坂瓊曲玉・八咫鏡・天叢雲劔を瓊瓊杵尊にお授けになつた。これを三種の神器と申し上げる。尊は、この神器をささげ、大勢の神々を従へて、日向へおくだりになつた。これから神器は、御代々の天皇がおひきつぎになつて、皇位の御しるしとなさることになつた。 大神は、神器を尊にお授けになる時、この鏡をわれと思ひてつねにあがめまつれ。」とおほせになつた。それ故、この御鏡を御神體として、伊勢の皇大神宮に大神をおまつり申し、御代々の天皇をはじめ、國民すべてが深く御うやまひもうしあげてゐるのである。 天照大神ー天忍穂耳尊ー瓊瓊杵尊ー彦火々出見尊ー鵜葺草葺不合命ー神武天皇 第二 神武天皇 瓊瓊杵尊から神武天皇の御時にいたるまでは、御代々、日向においでになつて、わが國をお治めになつた。けれども、東の方は、なほわるものが大勢ゐて、たいへんさわがしかつた。それ故、天皇は、これらのわるものどもを平げて、人民を安心させようと、船軍をひきゐて、日向から大和へお向ひになつた。さうして、途中所所お立寄りになり、そのあたりを平げつゝ、長い間かゝつて難波におつきになつた。 天皇は河内から大和へお進みにならうとした。わるものどものかしらに長髄彦というものがゐて、地勢をりようして御軍をふせぐので、これをうち破つて大和へおはいりになることは、むづかしかつた。そこで、天皇は、道をかへて、紀伊からおはいりになることになつた。そのあたりは、高い山や深い谷があり、道のないところも多かつたので、ひととほりのお苦しみではなかつた。しかし、天皇は、ますます勇気をふるひおこされ、八咫烏を道案内とし、兵士をはげまして、道を開かせながら、とう〃大和におはりになつた。 天皇は、それから、しだいにわるものどもを平げ、ふたたび長髄彦をお攻めになつた。しかし、長髄彦の手下のものどもが、いつしやうけんめいに戦ふので、御軍もたやすく勝つことが出来なかつた。時に、空がにはかにかきくもり、雹が降出した。すると、どこからともなく、金色の鵄が飛んで来て、天皇のお持ちになつてゐる御弓のさきにとまつて、きらゝと強くかゞやいた。そのため、わるものどもは、目がくらんで、もはや戦うことが出来なくて、まけてしまつた。長髄彦も、まもなく殺された。 やがて、天皇は、宮を畝傍山の東南にあたる橿原にお建てになり、はじめて御即位の禮をお擧げになつた。この年をわが國の紀元元年としてゐる。さうして、二月十一日は、またこのめでたい日にあたるので、國民はこぞつて、この日に紀元節のお祝いをするのである。 天皇は、また御孝心の深い御方で、御先祖の神々を鳥見山におまつりになつた。かやうに、天皇は、天照大神のお定めになつたわが帝國の基を、ます〃固めて、おかくれになつた。そのおかくれになつた日に毎年行はれる御祭は、四月三日の神武天皇祭である。 第三 日本武尊 神武天皇が大和におうつりになって後は、天皇の御威光はおひおひ四方にひろがっていった。けれども、都から遠くはなれた東西の国々には、なほわるものが大勢ゐて苦しめてゐた。 (熊襲をお平げになつた) 第十二代景行天皇の御代になつて、九州の南の方に住んでゐる熊襲がそむいたので、天皇は御子の小碓尊にこれをお討たせになつた。尊は、御生まれつきくわつばつで、その上御力もたいそう強い御方であつたから、この頃まだ十六の少年でいらつしやつたが、おほせを受けると、すぐ九州へお出かけになつた。熊襲のかしらの川上のたけるは、かうしたことがあらうとは夢にも知らず、大勢のものといつしよに酒を飲んで楽しんでゐた。尊は、御髪をとき、少女の御すがたになつて、たけるに近づき、劔をぬいてその胸をお刺しとほしになつた。不意をうたれたたけるは、たいへん驚いて、「何とお強いことでせう。あなたは実に日本一の強い御方です。これからは日本武と御名のりなされよ。」と申しあげて、息が絶えた。尊は、そこで御名をお改めになり、めでたく大和にお帰りになつた。 (東国へお向ひになつた) その後、東の國の蝦夷がそむいたので、てんのうはまた尊に、これをお討たせになることになつた。尊は、いさみいさんで都をお立ちになり、まづ伊勢に行つて皇大神宮に参詣し、天叢雲劔をいたゞいて、東の國へお向ひになつた。 尊が駿河の國におつきになつた時、その地のわるものどもは鹿狩をするからと、尊をだまして、廣い野原におさそひした。さうして、急に草をやきたてて、尊をがいしようとはかつた。尊は、天叢雲劔をぬいてあたりの草を薙ぎはらひ、大いにおふせぎになつたので、わるものどもは、かへつて、自分のつけた火にやかれて、すつかりほろぼされてしまつた。 (草薙劔) これから、この御劔を草薙劔と申しあげることとなつた。 (蝦夷を平げになつた) 尊は、なほも軍を東にお進めになつたが、蝦夷どもは、御勢に恐れて、弓矢を捨てて降参した。かやうにして、尊は國々をお平げになつたが、都へお帰りになる途中、御病のため、とうとうおなくなりになつた。 (尊の御てがら) 尊はたふとい御身でいらつしやるのに、つねづね兵士といつしよに難儀をおしのびになり、少年の御時から、西に東にわるものどもをお討ちになっつて、少しも御身をおやすめになるおひまがなかつた。さうして、天皇の御位にお即きにならぬうちに、おなくなりになつたのである。けれども、尊の御てがらにより、遠いところまで平いで、世の中はたいそうおだやかになつた。尊の御子が、後になつて、天皇の御位にお即きになつた。この御方を第十四代仲哀天皇と申しあげる。 第四 神功皇后 (熊襲をお討ちになつた) 仲哀天皇の皇后を、神功皇后と申し上げる。皇后は御生まれつきお賢く、またをゝしい御方であつた。天皇の御代に熊襲がまたそむいたので、天皇は皇后と御いつしよに九州へ下つて、これをお討ちになつたが、まだよくしづまらないうちに、おかくれになつた。 (新羅をお討ちになつた) この頃朝鮮には新羅・百済・高麗の三国があつて、これを (三韓) 三韓といつた。中でも、新羅は一番わが國に近くて、その勢いはたいそう強かつた。それで熊襲がたびたびそむくのは、新羅がこれを助けるためであるから、新羅を従へたなら、熊襲はしぜんと平ぐであらうと、皇后はお考へになり、武内宿禰と御相談になつて、御みづから兵をひきゐて新羅をお討ちになつた。時に紀元八百六十年である。 (三韓を従へなさつた) 皇后は船軍をひきゐて、対馬にお渡りになり、それから新羅におし寄せられた。軍船は海にみちみちて、その御勢はたいそう盛であつたから、新羅王は非常に恐れて、「われは、日頃東の方に日本という神国があつて、天皇と申す御方がいらつしやると聞いてゐる。 今攻めて来たのは、きつと日本の神兵にちがいひない。さうとすれば、どうしてふせぐことが出来よう。」といつて、すぐに白旗をあげて降参し、皇后の御前に来て、「たとひ太陽が西から出、川の水がさかさまに流れるやうなことがあつても、決して毎年の貢はおこたりません。」とおちかひ申しあげた。ほどなく皇后は御凱旋になつたが、その後、百済・高麗の二國もまたわが國に従つた。 (皇后の御てがら) これから、朝鮮も朝廷の御威徳によくなびいたので、熊襲もしぜんにしづまつた。また第十五代應神天皇の御代に、王仁といふ学者などの職人もつぎつぎに渡つて来て、これらの人々によつて、わが國はますます開けた。これは、全く神功皇后の御てがらによるものである。 第五 仁徳天皇 (人民をおはれみになつた) 第十六代仁徳天皇は、應神天皇の御子で、御なさけ深く、いつも人民をおあはれみになつた。天皇は、都を難波におさだめになつたが、皇居はいたつて質素な御つくりであつた。天皇は、ある日、高い御殿におのぼりになり、四方をおながめになると、村々から立ちのぼるかまどの煙が少なかつたので、これはきつと不作で食物が足らないためであらう。都に近いところでさへこんな有様であるから、都を遠くはなれた國々の人民はどんなに苦しんでゐることだらうと、ふびんにお思ひになり、三年の間は税ををさめなくてよいとおほせ出された。そのため、皇居はだんだんあれてきたが、天皇は少しも御気にもおかけにならず、御召しものさへ新しくおつくりになることもなかつたくらいである。 (人民がよろこんで皇居をお造り申した) そのうちに、豊年がつゞいて、村々の煙も盛に立ちのぼるやうになつた。天皇はこれを御らんになつて、「われは、もはやゆたかになつた。」とおほせられ、人民がゆたかになつたことを、この上なくおよろこびになつた。人民は、皇居がたいへんあれくづれてゐると伝え聞いて、もつたいなく思ひ、税ををさめ、また新しく皇居をお造り申しあげたいと願い出たが、天皇はお許しにならなかつた。けれども、人民は、なほ熱心にたびたびお願い申したので、その後三年たつて、やうやくお許しになつた。人民は、よろこびいさんで、我先に、とはせ集り、夜を日についで、いつしやうけんめい工事にはげんだので、皇居はわづかの間に美しく出来上つた。 (産業をおすすめになつた) 天皇は、なほ人民のためをおはかりになつて、堤を築かせたり、池を掘らせたりして、農業をおすすめになつた。それ故、人々は、皆深く天皇の御恩に感じて、それぞれ自分のつとめにはげんだので、よのなかがよく治つた。 第六 聖徳太子 (政治をおとりになつた) 仁徳天皇から御十八代めの天皇を第三十三代推古天皇と申しあげる。天皇は女帝でいらつしやつたから、御甥の (摂政) 聖徳太子を摂政として、政治をおまかせになつた。 (十七条の憲法をお定めになつた) 太子は御生まれつき人にすぐれてお賢く、一時に十人の訴をあやまりなくお聞き分けになつたとさへ伝へられてゐる。その上、朝鮮の学者について深く学問をおをさめになつたので、進んだ御考をおもちになり、朝鮮や支那のよいところを取入れて、いろいろ新しい政治をはじめになつた。さうして、遂には十七条の憲法を定めて、官吏も一般の人民も、皆つねに心得ておかねばならないことをお示しになつた。 (使を支那におやりになつた) 太子は、また使を支那にやつて、外国とのつきあひをおはじめになつた。その頃、支那は國の勢が強く、学問なども非常に進んでゐたから、日頃高ぶつて、他の国々を属国のやうに取りあつかつてゐた。けれども、太子は、少しもその勢いにお恐れになることなく、かの國に送られた国書にも、「日出処の天子、書を日没する処の天子にいたす。恙なきか。」とおかきになつて、どこまでも対等のおつきあひをなさつた。支那の国主は、これを見て腹を立てたが、ほどなく使をわが國に送つてきた。そこで、太子も、あらためて留学生をおつかはしになつた。その後、引つゞいて互にゆききをするやうになつたから、これまで朝鮮を通つてわが国に渡つて来た学問などは、これからは、すぐ支那から伝はることとなつた。 (仏教をおひろめになつた) さきに、太子の御祖父でいらつしやる第二十九代欽明天皇の御代に、仏教がはじめて百済から伝はつて来た。太子は、深くこれを信仰して、多くのお寺をお建てになつたり、またしたしく教をお説きになつたりして、熱心に御力をつくされたので、これから仏教はだんだん國内にひろまつた。かうして仏教がひろまるにつれて、建築やその他の技術なども目立つて進んだ。太子のお建てになつた寺の中で名高いのは、 (法隆寺) 大和の法隆寺で、そのおもな建築は、今も昔のまゝであるといはれ、わが國で一ばんふるい建物である。 (人々が太子をお惜しみ申した) かやうに、太子は、内に於ても、外に対しても、大いにわが國の利益をおはかりになつたが、まだ御位にお即きにならないうちに、御病のため、とうとうおなくなりになつた。この時、世の中の人々は、親を失つたやうに、皆なげきかなしんだ。 第七 天智天皇と藤原鎌足 蘇我氏の不忠 推古天皇の御代の前後に、最も勢があつたのは、蘇我氏である。蘇我氏は武内宿禰の子孫で、代々朝廷の政治にあづかつてゐたため、勢の盛なのにまかせ、しだいにわがまゝなふるまひが多くなつた。蘇我蝦夷は、推古・第三十四代舒明・第三十五代皇極の三天皇にお使へ申したが、たいへん心のおよからぬものであつたから、勝手に大勢の人民を使つて生前から自分たちの墓を作り、おそれ多くも、これを陵といつた。この時、聖徳太子の御女は、「天には二つ日なく、國には二人の君はない。しかるに、なぜかやうなわがまゝをするのか。」と、大いにこれをおしかりになつた。蝦夷の子入鹿は、父にもましてわがまゝなふるまひが多かつた。殊に、自分に縁のある皇族を御位にお即かせ申しあげようと、聖徳太子の御子孫をほろぼし、はては自分の家を宮、その子らを王子と呼ばせて、少しもはばかるところがなかつた。蝦夷父子のやうなものは、朝廷を恐れたてまつらぬ不忠の臣といはねばならぬ。 中大兄皇子鎌足と入鹿をお除きになつた 中臣鎌足は、この有様を見て、大いに怒り、朝廷の御ために、どうかして入鹿父子をほろぼさうと決心した。この頃、舒明天皇の御子中大兄皇子も、またかねてから蘇我氏のわがまゝなふるまひをおにくみになつてゐたので、鎌足は、何とかして自分の心を皇子にうちあけたいものと思つてゐた。ところが、ある時、皇子の蹴鞠の御遊にまゐりあひ、御そば近くにゐると、皇子の御靴がぬげた。これをとつてさし上げたのが縁となり、これから皇子にお親しみ申して、ひそかに、同じ志の人々といつしよに、謀をめぐらしてゐた。けれども、入鹿は、なかなか用心深くて、家のめぐりに池を掘つて城のやうにかため、出入の時には、大勢の人々を従へ、少しもゆだんをしなかつた。たまたま皇極天皇の御代に、三韓から貢物をさし上げることがあつて、大極殿で行はれる式に、入鹿も参列するから、その折をさいはひに、これをほろぼすこととなつた。皇子は、ご自身でほこをお持ちになり、鎌足らは、弓矢や劔などを持つて、御殿のわきにかくれてゐた。しかし、人々は、入鹿の勢に恐れて、ためらつてゐた。皇子はたまりかねて、をゝしくもまつさきにお進みになつた。そこで、人々もこれにつゞいて、とうとう入鹿を斬り殺してしまつた。皇子は、あらためて天皇の御前に進み、つゝしんで入鹿の不忠を申しあげられた。 蘇我氏がほろびた この時、蝦夷は家にゐたが、入鹿が殺されたことを聞くと、すぐに人々を呼集めて、皇子と戦はうとした。皇子は、さつそく人をやつて、わが國には昔から君臣の別があつて、これをみだすのは不忠であるわけを、ねんごろに説聞かせられたので、人々はちりぢりに逃去り、蝦夷も、家に火をつけて自害した。 武内宿禰ー蘇我石川・・・・・・・・馬子ー蝦夷ー入鹿 第八 天智天皇と藤原鎌足(つゞき) 大化の新政をおたすけになつた 皇極天皇は、ほどなく、御位を第三十六代孝徳天皇にお譲りになり、中大兄皇子は、皇太子にお立ちになつた。皇太子は、天皇をおたすけになつて大いに政治を改め、これまで勢いのあるものが、たくさんの土地をもつて、勝手に人民を使つてゐた習はしをやめさせ、これらの土地や人民をすつかり朝廷にをさめさせられた。この新しい政治を大化の新政といふのである。 年号の始 大化とは、この時お定めになつた年号である。これが年号の始で、その元年は紀元一千三百五年にあたつてゐる。 百済をおすくはせになつた 孝徳天皇がおかくれになると、皇極天皇がふたたび御位にお即きになつた。第三十七代斉明天皇と申しあげる。中大兄皇子は、なほ皇太子として、引きつゞいて政治にあづかつておいでになつた。この頃、支那は唐の代で、勢がたいへん盛であつたから、新羅はその助をかりて百済をほろぼさうとした。百済の人々は、朝廷にすくつていただきたいと願つてきた。皇太子は、天皇に従って、すぐ九州に下られたが、天皇が行宮でおかくれになったので、その御あとを受ついで、御位にお即きになつた。第三十八代天智天皇と申しあげる。天皇は、兵を出して百済をすくはさせられたが、運わるくわが軍が戦にまけたので、百済はやがてほろびてしまつた。そこで、天皇は、このまゝ、わが軍をながく海外にとゞめておいても、何の利益もないとお考へになつて、とうとうこれを引きあげさせられた。まもなく、高麗もまた唐にほろぼされたので、新羅がひとり勢をを振るふやうになり、これから朝鮮は、全くわが國からははなれてしまつたのである。けれども、唐とは、この後も、つきあひをやめるやうなことはなかつた。 国内の政治を改めなさつた これから、天皇は御心を一筋に國内の政治にお向けになり、まづ都を近江にうつされ、また鎌足にいひつけて、いろいろ新しい法令を定めさせられた。 大宝律令 この法令は、第四十二代文武天皇の大宝の御代になつて大いに改められ、大宝律令といつて、ながく政治の本となつたのである。 鎌足のてがら 中臣鎌足は、さきに蘇我氏をほろぼしてから、二十年余りの長い間、真心をこめて朝廷にお仕へ申しあげ、てがらが多かったので、天皇はいつも重くお用ひになつてゐた。鎌足が大病にかゝつた時には、おそれ多くも、その家に行幸をなさつて、したしく病気をおいたはりになり、「何でも望むことがあるなら遠慮なく申せ」とおほせられた。鎌足は、深く天皇の御恩に感激して、「私のやうなおろかな身に、何のお望み申しあげることがございませう。たゞ一つ、どうか私の葬儀をてあつくなさらないやう、お願ひ申しあげます。」とお答へもうしあげた。しかし、天皇は、やがて鎌足に最も高い位をお授けになり、また藤原という姓をお与へになつた。 藤原氏の始 後に栄えた藤原氏は、この時に始まったのである。鎌足は、大和の談山神社にまつられている。 第二十二 後醍醐天皇 天皇が政権を取り戻そうとなさった 弘安の役から40年ばかりたって、第96代 後醍醐天皇が御位にお即きになった。天皇は、後宇多天皇の御子で、聡明な御生まれつきであらせられたから、お小さい時から、御祖父の亀山上皇にたいそうかわいがられていらっしゃった。また学者を召して、広く学問をお修めになり、政治に御心をお用いになって、早くから鎌倉幕府のわがままなふるまいをお怒りになっていたから、後鳥羽上皇の御志をついで、政権を朝廷に取り戻そうとお考えになった。 北條高時 この頃、幕府では、北条時宗の孫の高時が政治を行っていたが、おろかな生まれつきで、昼となく夜となく宴会を催したり、数千匹の犬を集めて、そのかみ合いを見物したりして、少しも政治に力を入れなかったため、たいへん人望を失った。 天皇が笠置山に行幸をなさった そこで、天皇は、かねてからの御志をしとげるのはこの時であると、ひそかに武士をお召しになった。ところが、この事が、いつのまにか、鎌倉に漏れ聞こえたので、高時は大いに驚き、急に兵を京都へ上がらせて来た。天皇は、これをお避けになって、山城の笠置(かさぎ)山に行幸をなさった。 楠木正成が行在所にまいった 河内の国 金剛山の麓に住んでいた楠木正成は、天皇の御召によって、まっさきに笠置の行在所(あんざいしょ)にまいった。そうして、天皇に拝謁して、「賊軍がどんなに強くても、謀をめぐらせば、これをうち破ることは、さほどむづかしくはありせん。けれども、勝敗は軍の習(ならい)でありますから、たまには敗れることがあっても、決して御心配下さいますな。正成一人なお生きているとお聞きなさっている間は、御運はいつかお開けになるものと、御心を安らかにしていらっしゃるようお願い申します。」と力強く申し上げた。それから、河内に帰って赤坂に城を築き、天皇をお迎え申そうとした。が、まもなく賊軍が笠置をおとしいれてしまった。 天皇が隠岐におうつされになった 天皇は、藤原藤房(ふぢふさ)らを従がえられ、御徒歩(かち)で笠置をおのがれになったが、その途中の御難儀は、まことにおそれ多く、昼はかくれ、夜になると、あてもなくさまよわせられる御有様であった。お供の藤房らは、三日の間も、食事をしなかったため、身も心もすっかり疲れはてて、しばらく木かげに休んでいた。その時、こずえの露が落ちて、天皇の御衣をぬらしたので、天皇は、 さしてゆく 笠置の山を出でしより、 あめが下にはかくれがもなし。 とおよみになった。藤房は、もったいなさに、涙をおさえながら、 いかにせん 頼むかげとて立ち寄れば、 なほ袖ぬらす松のしたつゆ。 とお答え申し上げた。まもなく、天皇は、賊兵に捕らわれて、隠岐の島におうつされになった。 護良親王が吉野にたてこもられた 笠置が破れた後、賊軍は赤坂城を囲んで、とうとうこれをおとしいれてしまった。正成は、そこをのがれて、しばらく隠れていたが、ほどなく、ふたたび兵を集めて、城を金剛山の千早(ちはや)に築いた。天皇の御子 護良(もりなが)親王もまた、吉野にたてこもって、義兵を四方にお募りになった。けれども、すぐ賊の大群がおし寄せて来たので、吉野がまず陥った。この時、村上義光が親王の御鎧をいただき、これを着て、自ら親王と偽って自害したので、親王はやっと危ない難をおのがれになった。 正成が千早城にたてこもった 一方、正成は、わずかの兵を率いて千早城にたてこもり、さまざまに謀をめぐらして、たびたび賊軍を悩ました。この間に、国々では、親王の御命令を受けて、勤王の軍を起すものが多くなった。 天皇が伯耆に渡って名和長年をお召しになった 天皇は、この有様をお聞きになると、ひそかに隠岐から伯耆(ほうき・今の鳥取県西部)に渡って、その地の豪族 名和長年(なわながとし)をお召しになった。長年は、天皇の仰せを受けて大いに感激し、ただちに一族を呼び集めてこの事を伝えた。皆いずれも奮いたって、「この度、天皇の仰せをいただいたことは、この上もないわが家の名誉である。天皇の御ためには、たとい屍を戦場にさらしても、名を後の世に残さねばならない。急いでお迎えにまいろう。」といって、大急ぎで行宮を船上山(せんじょうさん)に造り、ここに天皇をお迎えして、兵を集めてお守り申し上げた。 足利尊氏らが六波羅をほろぼした そこで、天皇は、大勢の大将をやって、六波羅を攻めさせられた。高時は、これを聞いて大いに驚き、足利尊氏らにいいつけて、急いで兵を率いて京都へ上らせた。ところが、尊氏は源義家の子孫であるから、かねがね北條氏の下にいることを不平に思っていた。それ故、この時にわかに朝廷に従い、勤王の人々と力を合わせて、賊軍を討ち、とうとう六波羅をおとしいれた。よって、天皇は、さっそく船上山をお出ましになり、京都へお向いになった。 新田義貞が鎌倉をおとしいれた 新田義貞もまた、義家の子孫である。さきに、賊軍に従って千早城を攻めたが、前々から、朝廷にお味方しようと考えていた。そこで、ひそかに護良親王の御命令を受けると、病と偽って上野(こうつけ)に帰り、義兵を起した。そうして、進んで鎌倉を攻め、稲村崎(いなむらがさき)からうち入って、高時らを破って北條氏を滅ぼした。頼朝以来140年餘り続いた鎌倉幕府はここに滅びてしまった。 天皇が京都におかえりになった 船上山から京都へ向わせられた天皇が、兵庫にお着きになった時、義貞の使が来て、鎌倉を平げたことを申しあげた。正成も、また、部下を率いて兵庫に来た。天皇は、正成を御そば近くにお召しになって、大いにその手柄をお褒めになり、正成を前躯(ぜんく)として京都にお帰りになった。時に紀元1993年(元弘3年)であった。 建武の中興 これから、天皇は、御自ら天下の政治を行わせられることになった。そうして、護良親王は、その御手柄によって、征夷大将軍におなりになり、尊氏・義貞・正成・長年らも、皆それぞれあつく賞せられた。こうして、政権は再び昔のように朝廷にかえった。この時、年号が建武と改ったので、世にこれを建武の中興というのである。 第二十三 楠木正成(くすのきまさしげ) 尊氏の野心 鎌倉幕府が倒れて政権が朝廷にかえってから、朝廷の御威光は再び盛んになった。けれども、武士の中には、長い間幕府の政治になれていたため、君臣の大義を忘れ、朝廷の賞罰に不平を持ち、かえって武家の政治をよろこぶものが少なくなかった。足利尊氏は、かねがね将軍になりたいと望んでいたので、これら不平の武士を、ひそかに手なづけていた。 護良親王が害されなさった 護良(もりなが)親王は、早くも尊氏の野心をさとって、これを除こうとせられたが、かえって尊氏に讒言(ざんげん)させられ、これがために鎌倉に送られておしこめられたもうた。この頃、尊氏の弟の直義(ただよし)がその地を治めていたが、たまたま北條高時の子の時行(ときゆき)が兵を起して、鎌倉を取り戻そうとした。この戦に、直義は敗れて鎌倉を逃出したが、その時、おそれ多くも人をやって親王を害したてまつった。 鎌倉宮 親王の御年は、時にまだ二十八であった。鎌倉宮(かまくらのみや)は、親王をおまつり申し上げたお社(やしろ)である。 尊氏がそむいた 尊氏は、征夷大将軍となって東国を治めたいと、朝廷にお願い申したが、まだその御許しもないうちに、勝手に鎌倉に下って時行をうち破り、まもなく、その地に拠って朝廷にそむいた。天皇は、義貞をやって、これをお討たせになった。ところが、官軍は竹下(たけのした)や箱根の戦に敗れて退いたので、尊氏は、直義と共に、京都へ攻上って来た。天皇は、これを避けて、しばし比叡山にお出ましになった。けれども、この頃、天皇の御子 義良(のりなが)親王をいただいて奥州を守っていた北畠顕家(きたばたけあきいえ)も、また朝廷の御命令を受け、親王のお供をして、兵をひきいて京都へ上って来た。 尊氏兄弟が九州に走った そうして、正成や義貞らと力を合わせて大いに賊軍を破り、尊氏や直義を西国へ走らせたので、天皇はふたたび京都におかえりになった。 尊氏兄弟が京都に攻上って来た 尊氏は、九州にいて勢いを盛り返し、直義と共に海陸両軍をひきいて、京都へ攻上って来た。そこで、義貞がこれを兵庫で防ごうとしたが、賊の勢がたいへん盛なので、天皇は、正成をやって、義貞を助けさせられることになった。この時、正成は、しばらく賊の勢を避け、その勢が衰えるのを待って、一度にうち滅ぼそうという謀を建てたが、用いられなかった。それ故、正成は、おほせに従って、ただちに京都を立った。 正成が桜井の駅で正行をさとした 途中、桜井の駅に着いた時、かねて天皇からいただいていた菊水(きくすい)の刀を、かたみとして子の正行(まさつら)に与え、「この度の合戦には、味方が勝つことはむづかしい。自分が戦死した後は、天下は足利氏のものとなろう。けれども、そなたは、どんなつらい目にあっても、自分に代わって忠義の志を全うしてもらいたい。これが何よりの孝行であるぞ。」と、ねんごろにさとして河内へ帰らせた。それから、進んで湊川(みなとがわ)に陣を取り、直義の陸軍と戦ったが、その間に、尊氏の海軍も上陸して、後から攻めかかって来た。正成は大いに奮戦した。けれども、小勢(こぜい)で、かように前後(まえうしろ)に大敵を受けてはどうすることも出来ず、部下はたいてい戦死し、正成も身に11個所の傷を受けた。 正成が湊川で戦死した そこで、もはやこれまでと覚悟して、湊川の近くにある民家にはいって自害しようとした。この時、正成は弟の正季(まさすえ)に向って、「最期にのぞんで、何か願うことはないか。」とたずねた。正季は、ただちに「七度(ななたび)人間に生まれかわって、あくまでも朝敵をほろぼしたい。ただそればかりが願である。」と答えた。正成は、いかにも満足そうににっこり笑い、「自分もそう思っているぞ。」と言って、兄弟 互いに刺しあって死んだ。時に、正成は年四十三であった。 湊川神社 今、正成をまつった神戸の湊川神社のあるところは、正成が戦死した地で、境内には、徳川光圀(とくがわみつくに)の建てた「嗚呼 忠臣 楠子之墓」(ああ ちゅうしん なんしのはか )としるした碑がある。 古今 忠臣のかがみ 実に正成は古今忠臣の鏡である。わが国民は、皆、正成のような真心を以て、大いに御国のためにつくさねばならぬ。 第二十四 新田義貞(にったよしさだ) 名和長利が戦死した 湊川の戦に、新田義貞も敗れて京都に退いたので、天皇は再び比叡山へ行幸をなされ、尊氏は進んで京都に入った。官軍は、これを取り返そうとしたが、失敗して、名和長利らは戦死した。長年は、今、伯耆(ほうき)の名和神社にまつってある。 後醍醐天皇が吉野に行宮をお定めになった 尊氏は京都に入ると、賊の名をさけるために、豊仁(とよひと)親王を立てて天皇と申し上げていた。けれども、ほどなく、偽って朝廷に従うように見せかけ、後醍醐天皇に京都へおかえりなさるようにお願い申し上げた。天皇は、かりにその願をお許しになって、京都におかえりになったが、まもなく神器を御身にそえて、ひそかに吉野に行幸をなされ、行宮をここにお定めになった。 義貞が北国に向った さきに、天皇は、比叡山の行宮で、義貞を召して、北国におもむいて回復をはかるよう、おぼせつけになった。義貞 涙を流して感激し、すぐ一族のものと一緒に、皇太子 恒良(つねなが)親王と皇子 尊良(たかなが)親王とをいただいて、北国に向かった。途中、木目峠(きのめとうげ)を越えたが、折あしく吹雪がはげしくて行軍(こうぐん)の苦しみは非常なものであった。取分け、河野(こうの)の一族は、にわかに敵に出あったので、戦おうとしたが、馬は雪にこごえて進まず、兵士は指をおとして弓を引くことが出来ず、進退きわまって、主従三百人余り、一人も残らず討死(うちじに)した。 義貞はやうやう越前の敦賀(つるが)に着き、金崎城(かねがさきじょう)にたてこもった。ところが、ここもほどなく賊軍に囲まれて、城が危なくなったので、子の義顕(よしあき)を残して城を守らせ、自分は杣山(そまやま)に行って兵を募った。けれども、その間に、兵糧がなくなって、城がおちいり、尊良親王は義顕らと共に御自害なさった。皇太子は、捕らわれて京都へ送られなさったが、とうとう尊氏のために害せられたもうた。 義貞が藤島で戦死した 義貞は、こういう不幸せにあっても、少しもくじけず、杣山から奮いたって、たびたび賊軍と戦ってこれを破った。その後、藤島の戦に賊の勢が強くて、官軍は今にも敗れそうになってきたので、わづかに五十騎を従えて、急いでこれを救いに行った。途中、三百騎の敵兵に出あい、大いに奮戦したが、乗っていた馬が、矢にあたって泥田の中に倒れたので、義貞はすぐ起きあがろうとすると、その時、運わるく、飛んで来た一筋の矢が額にあたった。さすがの義貞も、もはやこれまでと覚悟して、自ら首をはねて、いさぎよく死んだ。時に、年三十八であった。これから、北国の官軍は、中心とたのむ大将を失って、全く衰えてしまった。今、福井の藤島神社には、義貞がまつられている。 第二十五 北畠親房と楠木正行 北畠顕家が戦死した 新田義貞が戦死する少し前に、北畠顕家(きたばたけあきいえ)もまた戦死した。さきに、顕家は、尊氏を九州に走らせてから後、ふたたび義良(のりよし)親王をいただいて陸奥に下り、霊山城(りょうぜんじょう)にたてこもっていたが、天皇が吉野に行幸をなさったことを知ると、また親王をいただいて京都へ向かい、所々で戦って敵を破った。けれども、その兵は、たびたびの戦にたいへん疲れて、都に攻め入ることが出来ず、顕家は和泉(いづみ)の石津(いしづ)で戦死したのである。時に、年ようやく二十一であった。 親房らが海路で東国へ向かった こういうように、顕家や義貞らの忠臣がつぎつぎに戦死したが、後醍醐天皇は、御志いよいよ堅く、顕家の父 親房(ちかふさ)らにいいつけて、また義良親王をいただいて陸奥に下らせ、官軍の勢を取り戻させようとおはかりになった。親房らは、伊勢から海路で東へ向ったが、途中で大風にあい、親房の船は常陸に着き、親王の御船は伊勢に吹き戻されたので、親王はそのまま吉野へお帰りになった。 後醍醐天皇がおかくれになった たまたま、天皇は御病におかかりになった。この時、まだ国々に朝敵がはびこって、世の中が騒がしいので、これをたいそう残念にお思いになりながら、とうとう行宮でおかくれになった。そこで、義良親王が御位をおうけつぎになった。第97代 後村上天皇と申し上げる。 親房が神皇正統記をあらわした その頃、東国の武士はたいてい賊に味方していたので、親房は陸奥に進むことが出来ず、常陸の関城(せきじょう)で賊兵に囲まれた。親房は、昼夜 賊を討つ謀をめぐらしながら、そのひまひまに、神皇正統記(じんのうしょうとうき)をあらわし、「天照大神から後村上天皇に至るまでの御血統の由来を述べて、君臣の大義を明らかにした。そのうち、まもなく城も落ち着いたので、親房はのがれて吉野に帰り、これから楠木正行らと力を合わせて、ともどもに天皇をお助け申し上げた。 楠木正行が四條畷(しじょうなわて)で戦死した 正行(まさつら)は、さきに十一歳の時、桜井の駅で父に別れ、国に帰ってからは、よく父の遺言を守って、つねづね朝敵を滅ぼそうと心がけて、一生懸命に励んだ。ようやく成人してから後村上天皇にお仕えして、たびたび賊軍と戦って、これをうち破った。取分け、摂津の瓜生野(うりゅうの)の戦では、賊兵が大いに敗れ、先を争って逃げる時、あわてて川に落ちて流れるものが五百人余りもあった。正行は、これを見てたいへん気の毒に思い、部下の者にいいつけて、これを救わせ、一々親切にいたわって送りかえした。こういう有様で、官軍の勢はますます強くなって、今にも京都へ迫ろうとした。尊氏は大いに恐れ、高師直(こうのもろなお)にいいつけて、急ぎ大兵を率いて正行に当らせた。そこで、正行は、ただちに一族 百四十人ばかりを連れて、吉野にまいって天皇に拝謁し、また後醍醐天皇の御陵に参拝して御暇乞(いとまごい)を申し、如意輪堂(にょいりんどう)の壁板に一族の名を書きつらねて、その末に、 かへらじと かねて思へば梓弓、なき数にいる 名をぞとどむる。 という歌をしるし、死を決して河内に帰り、賊軍と大いに四條畷で戦った。この時、正行はどうかして師直を討ち取ろうと考え、たびたびその陣に迫ったが、身に多くの矢きずを受け、力もつきはてたので、とうとう弟の正時と刺しちがえて死んだ。時に、正行は年ようやく二十三であった。 正行の忠孝両全(両全とは、君主への忠義と両親への孝行をどちらも果たすこと) 前年、正行に救われた賊兵は、深くその恩に感じ、正行に従ってこの戦でことごとく討死した。実に正行のような人こそ、勇も仁もある立派な武士で、忠孝の道を全うした人といわねばならぬ。こうして、楠木氏は正行の死んだ後も、その一族は、皆、真心こめて長い間、朝廷の御ためにはたらいた。今は、四條畷神社に正行をまつってある。 親房がなくなった この後は、親房がひとり官軍の中心となって、大いに忠義を尽くしたが、まもなく病にかかってなくなったので、これから官軍の勢はいよいよ衰えるようになった。摂津の安倍野神社や岩代の霊山神社に、親房父子をまつってある。 第二十六 菊池武光(きくちたけみつ) 肥後の菊池氏 朝廷では、たのみにしていた正行(まさつら)や親房(ちかふさ)のような忠臣がつぎつぎに亡くなったばかりでなく、国々の官軍もまた、たいてい衰えたが、ひとり九州では、官軍の勢いがなお盛であった。先に弘安の役に武勇の誉をあげた菊池武房(たけふさ)の孫の武時(たけとき)は、元弘3年、国々に勤王の軍が起こった時、早くも義兵を肥後に起し、わづかな兵を率いて博多の賊を討ち、はなばなしい戦死をとげた。これが九州で起った勤王の軍のさきがけで、その後、武時の子らも、皆よく父の志を受けついて忠義を尽くした。 武光が懐良親王をお迎え申した 時に、後村上天皇の御弟 懐良(かねなが)親王は、西国の官軍を統(す)べられるために、九州へお下りになった。武時の子の武光は、これを肥後にお迎え申し、親王をいただいて、たびたび賊軍と戦い、その勢がおいおい盛になった。尊氏はそのなりゆきを心配して、自ら武光を討とうとしたが、まだ出かけない中に、病にかかってにわかに死んだ。 筑後川の戦 菊池氏の勢いはいよいよ強くなり、武光は親王をいただいて兵を筑後に進め、賊の大将 少弐頼尚(しょうによりひさ)の軍と筑後川をはさんで陣を取った。武光は川を渡って戦をしかけたが、頼尚は陣を堅うして、なかなか戦おうとしなかった。そこで、武光は、さっそく兵を分けて攻めることとし、自分は親王といっしょに、敵の中堅(ちゅうけん)をめざして突き進んだ。この戦は大変激しく、親王は御身に三箇所までも傷を負われたほどであった。武光は、馬が傷ついた上に、冑(かぶと)がさけたので、敵を斬ってその馬と冑を奪い、死を決してめざましく戦った。そのため、さすがの敵もささえきれずに敗れ退き、頼尚は本国筑前に逃げ帰った。世にこれを筑後川の戦というのである。 子孫つぎつぎに朝廷の御ためにつくした 武光は、なおも親王をいただいて筑前に進み、頼尚を走らせて大宰府に入り、さらに京都へ向かおうとしていたが、その後まもなく、亡くなった。せっかく勢づいてきた九州の官軍は、これからだんだん衰えていった。けれども、武光の子孫はなお長い間朝廷の御ために力を尽くした。肥後の菊池神社は、この菊池氏一族の忠臣をまつったお社(やしろ)である。 第二十七 足利氏の僣上(せんじょう) 尊氏の無道 尊氏は、さきに後醍醐天皇からお手厚い恩賞をいただきながら、その御恩を忘れて、朝廷にそむき、忠義な人々を殺し、おそれ多くも皇族を害し申すようなことさえした。かような無道の行が多かった上に、自分の家をもよく治めることが出来ず、兄弟互いに憎みあい、はては弟の直義を毒殺してしまった。部下の将士もたびたびそむき、また互に争っていたので、いつも騒ぎが絶えなかった。その間に、足利氏は、尊氏の子 義詮(よしあきら)から孫の義満(よしみつ)の代となった。 細川頼之が義満をたすけた 義満が年ようやく十歳の時、父 義詮は重い病にかかって、もはや回復の望がなくなったので、日頃 信頼している細川頼之(ほそかわよりゆき)に遺言して、義満をたすけ導かせることにした。頼之は、足利市の一族であるが、いたってつつしみ深い人であったから、義満のそばに仕えている人々には、常におごりを戒め、またわがままな大名をおさえるなど、真心こめてその主をたすけた。それ故、これから足利氏の基はだんだん固くなった。 後亀山天皇が京都におかえりになった 義満は、やがて使を吉野にさしあげて、天皇に、京都へおかえりなさるようにお願いした。後村上天皇の御子 第九十九代 後亀山天皇は、かねがね、長い間の戦乱で、万民が苦しんでいることを不憫(ふびん)に思っていらっしゃったので、ただちにその願をお許しなさって、京都におかえりになり、神器を第百代 後小松天皇にお伝えになった。時に紀元2052年(元中9年)、後醍醐天皇が吉野へ行幸をなさってから、およそ60年ばかり経っていた。今までたいへん乱れていた世の中も、これから、やっと静まった。けれども、義満は征夷大将軍となって、大いに勢を振るうようになり、ふたたび武家政治の世となった。 義満がおごりをきわめた 義満は、まもなく将軍職を子の義持に譲ったが、自分は太政大臣になりたいと望んだ。武人で太政大臣に任ぜられたことは、平清盛から後 全く例がなかったのである。それにもかかわらず、義満はたびたび朝廷にお願いして、とうとう望をとげた。 金閣 このように、義満のわがままは次第につのり、はてはおごりの生活にふけるようになった。その室町(むろまち)の邸は、この上ない立派なもので、庭には美しい花がたくさん植えてあったから、人々はこれを花の御所といった。義満はまた、京都の北山(きたやま)に別荘を造り、庭に三層の楼閣(ろうかく)を建てて、壁といわず、戸と言わず、すべて金箔(きんぱく)で張りつめた。その美しさは、言葉にも、筆にもつくせないほどで、人々は、これを金閣と呼んだ。義満は髪をそってここに住み、なほ政治をとっていたので、朝廷の官吏も、皆 義満の威勢に恐れて、この別荘に来てその命令を受けるという有様であった。 義満の僣上(僣上とは、身分をわきまえない、さしでた行為をすること) 義満は、勢の盛なのにまかせて、臣下の分をわきまえぬわがままな行が、いよいよ多くなった。かつて比叡山に登った時などは、関白以下の公卿を従えて、おそれ多くも上皇の御幸(みゆき)の御儀式にまねたほどであった。 義満が國體をかろんじた この頃、支那は、元がほろびて明の時代となっていた。義満は使を明にやって交際をはじめたが、明主(みんしゅ)が義満を指して日本国王といっても、義満は別にはばかる様子もなく、自分からも進んで日本国王と名のって、書を送った。わが国には、天皇の外にまた国王があろうか。義満の行は、実にわが國體(こくたい)をかろんじたものというべきである。 第二十八 足利氏の衰微(すいび) 義政が政治に怠った 義満から四代たって、義政の代となった。義政はわづかに9歳で家をつぎ、ほどなく将軍となったが、少しも政治に心を入れなかった。たまたま大風や洪水があって、五穀がみのらない上に、悪病が流行って、人民が非常に困っているのに、義政は一向 憐みの心がなかった。かえって大金をかけて盛に室町の邸の普請(ふしん)などをしたので、第百二代 御花園(ごはなぞの)天皇は、たいそうご心配になって、これを戒められた。さすがの義政もこれにおそれいって、いったん工事をやめさせたが、なほたびたび花見の宴などを開いて、おごりにふけっていた。それ故、費用が足らず、人民からたくさんの税を取立てたので、人々の苦しみはますますつのり、世の中はいよいよ騒がしくなった。 足利家の相続争 義政は、三十歳ぐらいになると、はや政治に飽いてきた。けれども、まだ子がなかったので、弟の義視(よしみ)を養子とした。そうして、義視に将軍職を譲ろうと考え、細川勝元にこれを助けさせた。この時、義政は、この後たとい子が生まれても、けっして義視を退けるようなことはしないと堅く約束した。ところが、まもなく実子の義尚が生まれると、その母は、どうかして義尚を立てようと考え、山名宗全が勝元におとらない勢があるのを見て、これに義尚をたのんだ。 細川勝元と山名宗全とが対立した 足利家の相続の争は、そこで、細川氏と山名氏との争となったのである。 応仁の乱 紀元2127年、第103代 後土御門(ごつちみかど)天皇の応仁元年に、勝元も、宗全も、めいめい味方の大軍を京都に呼び集めた。そうして、勝元は、室町の幕府に入ってここに陣を取り、その兵はおよそ16万、宗全の陣はその西にあって、その兵はおよそ11万であった。これから、両軍は11年の長い間、戦ったが、その間に、宗全や勝元は続いて病死し、後には、両軍の将士らも戦争に飽いて、次第に国々に引き上げていった。京都の騒ぎは、そこで初めて静まった。世にこれを応仁の乱というのである。 大乱の後の京都の有様 この乱のために、幕府をはじめ、名高い社や寺、その他たくさんの建物は、たいてい焼けてしまって、花の都もあわれ焼野(やけの)の原となった。ある人が、この変りはてた有様を嘆いて、 汝(なれ)や知る 都は野べの 夕雲雀(ゆうひばり)、あがるを見ても 落つる涙は。 と詠んだ。 銀閣 こういう大乱の中でも、義政はなほおごりをやめないで、後に、京都の東山(ひがしやま)に別荘を造り、義満の金閣にならって、庭の中に銀閣を建て、茶の湯などの遊にふけり、むだに月日を送っていた。 幕府が衰えた それで、幕府の財政はますます苦しくなり、将軍の命令は、ほとんど行われないようになった。 第二十九 北條氏康(ほうじょううぢやす) 戦国時代 応仁の乱がやんだ後、多くの大将は、めいめい自分の国に引きあげて、なほ互いに争っていたが、将軍の威勢が衰えているので、これを抑えることが出来なかった。この間に、英雄が四方にきそい起こり、およそ百年の間、国々に戦乱は、ほとんど絶え間がなかった。世にこの時代を戦国時代というのである。 北條早雲が起った こういう時勢に、まず起こったのは、北條早雲(そううん)である。早雲は、平氏で、はじめ伊勢にいたので伊勢新九郎(いせしんくろう)といった。生まれつきすばしこい人であるから、早くから時勢を見ぬいて、家を興そうと考へ、六人の勇士をひきつれて駿河に下って来たが、その頃 東国がたいへん乱れていたのにつけいって、急に奮いおこり、伊豆を取って北條にいた。そうして、惜しげなく金銀をまいて人望をあつめ、また北條氏の子孫ととなえて、ますます士民をなつけた。早雲は、続いて相模を取ろうと考え、使を小田原(おだわら)城にやって、鹿狩といつわって箱根山を借りうけ、大勢の兵士を猟師の姿にかえて山に入りこませ、不意に小田原城に攻め寄せた。城主は大いに驚き、あわてて逃げ去ったので、早雲は、やすやすと城を奪つてここに移った。それからおいおいに相模を従えて、勢を東国に振るうようになった。 氏康の修養 早雲の子の氏綱(うぢつな)は、父に似て勇武な人で、兵を武蔵(むさし)に集め、上杉氏を破って、江戸や川越などの城をおとしいれた。氏綱の子の氏康は、十二歳の頃まではたいへん臆病であった。後、これを深く恥じ、大いにいくさのことを習って、とうとう勇気のある立派な人となり、父の後をついで、ますます勢を盛にした。 川越の戦 この頃、上杉朝定(ともさだ)や憲政(のりまさ)らが、川越城を取り返そうとして、八万の大軍をひきいて攻め寄せた。北條氏の将は、固く城を守って、半年も持ちこたえたが、そのうち、城中の兵糧がだんだん乏しくなった。そこで、氏康は、自ら小田原から助けに行ったが、その兵はわずかに八千ぐらいいの小勢であったので、敵の大軍には到底手向かうことが出来なかった。そこで、わざと仲直りを申し込んで、敵に油断をさせ、夜中に急に攻め寄せて、大いにこれをうち破った。この時、朝定は戦死した。憲政は、いったん上野に逃げかえったが、ほどなくまた氏康に攻められて、越後へ走った。 氏康はよく国を治めた これから後、氏康はますます他の国々を攻めて、大いに領地を広めた。氏康は、戦が上手なばかりでなく、国を治めることもすぐれていて、つねづね部下をかわいがり、よく領内の人々をめぐんだ。それ故、人々は、皆 氏康になつき、他の国々からもその政治をしたって、われ先にと小田原に集って来る者が多かったということである。早雲が起ってからおよそ六十年ばかりで、その領地は、伊豆をはじめ、相模・武蔵・上野などの国々にまで広まった。 第三十 上杉謙信と武田信玄 謙信の生い立ち 北條氏と肩を並べて勢いを争っていたのは、越後の上杉謙信(うえすぎけんしん)である。謙信は、もと長尾氏で、平氏の出であるが、その家は、代々 上杉氏に仕えて越後にいた。父を長尾為景(ためかげ)といい、謙信はその二男である。うまれつき大胆で、たいそう勇気があった。幼い時に、父が戦死して、兄の晴景(はるかげ)が家をついだが、柔弱であるため、とかく部下に軽んぜられて、国中がたいへん乱れた。そこで、謙信は、僧となって、他の国々を見て歩き、やがて越後に帰って兄に代り、国内の乱を平げて、進んで近国をも従へ、その勢はなかなか盛になった。後、上杉憲政(のりまさ)が北條氏康に追われて謙信をたよって来た時、その家名をくれたので、長尾氏を改めて上杉氏を名のることになったのである。 小田原に迫った これから、謙信は、憲政のために、たびたび兵を関東に出して北條氏と戦った。ある時など、はるばる小田原の城下近くまで攻め寄せたことがあったが、敵は謙信の武勇に恐れいって、途中一人として防ぐものもなく、まるで無人の原を行くような有様であった。 信玄の生い立ち この頃、甲斐に武田信玄(たけだしんげん)がいた。その家は、新羅三郎義光から出て、代々甲斐の領主であった。信玄は、幼い時から謀にすぐれていた。十六歳の時、父の信虎(のぶとら)に従って信濃に攻入った。信虎は八千の兵を率いて攻めたが、敵は堅く城を守ってなかなか屈服しなかった。 信濃を取った ところが、信玄は、わづかに三百の小勢で謀をめぐらし、不意打をして城をおとしいれた。ほどなく父に代って、よくその国を治め、またしだいに信濃を攻取ったから、信濃の村上氏らは、越後に逃げて謙信に助けをたのんだ。 川中島の戦 謙信は、村上氏らのために、たびたび信濃に攻め入って、信玄と川中島で戦った。中でも、ある年の秋の戦に、謙信が、一万三千の兵を従へて川中島に陣を取っていると、信玄は、二万の大軍を率いてこれをはさみうちにしようとした。謙信は、ただちにその謀をさとって、不意に信玄の陣に攻め入り、みづから太刀を振るって信玄めがけて切りつけた。信玄は軍配団扇(ぐんばいうちわ)でこれを防いで、やっと危いところを逃れることが出来た。 謙信が敵に塩を送った かようにして、長い間その勝敗は決まらなかった。謙信は、信玄とこれほど激しく戦っていても、甲斐の人民が塩が不足して苦しんでいることを聞くと、たいへん気の毒に思い、越後からわざわざ塩を遅らせた。人々はその義理のあついのに、深く感心した。 信玄は望をとげないで死んだ 信玄と謙信は、めいめい、折さえあれば京都に上って、天下に号令しようと望んでいた。そのため、信玄は、盛に近国を攻め取り、はては駿河を合わせ、遠江(とおとうみ)に進み、さらに三河(みかわ)に入ったが、たまたま病にかかって、国に帰る途中で死んだ。謙信は、これを聞いて、よい相手を失ったといって、たいそう惜しんだということである。 謙信も目的を果たさないで死んだ 謙信もまた、越中や能登などの国々を取り、大兵を率いていよいよ京都へ向おうとした。ところが、出発まぎわになって、急病で死んだので、とうとうその目的を果たすことが出来なかった。 第三十一 毛利元就(もうりもとなり) 東国で、北條・上杉・武田の三氏が互に勢をはりあっていた時、西国では、毛利元就がだんだん勢力を増していた。 元就の生い立ち 元就は大江匡房(おおえのまさふさ)の子孫で、その家は代々 安藝(あき)にあった。元就は、幼い頃から大きな志をいだいていた。十二歳の時、厳島神社に参詣したが、従者(じゅうしゃ)が何ごとか一心に祈ったのを見て、「何を祈っていたのか。」と尋ねた。従者は、「若君に、中国を平げさせていただきますようにと、祈りました。」と答えた。すると、元就は、「お前はなぜ天下を平げさせていただくようにと、祈らなかったか。天下を平げようと志しても、やっと中国ぐらいしか取れない。中国を平げようと志したのでは、どうして中国を取ることが出来るか。」といって、大いに戒めたということである。元就は、成人するにつれて、智力も勇気もともにすぐれ、またたいそう部下をかわいがったので、人々は、皆、心からなついた。 大内氏の乱れ これより前に、長い間 中国で勢を振るっていたのは、周防の大内氏であった。大内義興(よしおき)は、数箇国を領して、たいへん富強であって、その城下の山口は、京都をしのぐほどにぎわった。これに引きかえ、その頃の京都は、大いに衰えていて、朝廷でも御費用が足らないので、第百五代 後奈良天皇は、久しく御即位の礼をお挙げになることも出来ないような、おそれ多い御有様であった。この時、義興の子の義隆(よしたか)は、その御費用をさし上げて、忠義をつくした。けれども、義隆は富強をたのんで、しだいにおごりにふけり、軍備を怠ったので、しまいには、その家臣である陶晴賢(すえはるかた)に害された。 厳島の戦 この頃、元就は義隆の部下であった。そこで、すぐ義兵を起して晴賢の大軍を厳島におびきだし、風雨の夜にまぎれて島におし渡り、不意にその陣に攻入って、とうとう晴賢をほろぼしてしまった。世にこれを厳島の戦といっている。 元就の勢がよくなった 元就は、その勢でたちまち周防(すおう)や長門(ながと)などの国々を取って大内氏に代わったが、また兵を出雲に出して尼子(あまこ)氏と争い、七年の間も富田(とだ)の城を囲んで、とうとうこれを従えた。そこで、毛利氏は、中国や九州で十箇国餘りを領することになり、大内氏よりもはるかに強くなった。 御即位の費用をさし上げた けれども、元就は少しもおごる心がなく、よく大義をわきまえて、第百六代 正親町(おほぎまち)天皇が御即位の礼を行わせられる時には、その御費用をさし上げて、忠励をはげんだ。 三人の子を戒めた またある時、その子 毛利隆元(たかもと)・吉川元春(きつかわもとはる)・小早川隆景(こばやかわたかかげ)の三人に、互に仲よく助けあって毛利家を守ってゆくようにと、ねんごろに言い聞かせた。隆元は父にさきだって死んだので、その子の輝元(てるもと)が家をついだ。元春・隆景の二人は、心を一にしてこれを助けたので、毛利氏は元就の死んだ後でも、その勢は少しも衰えなかった。 第三十二 後奈良天皇(ごならてんのう) 公卿の苦しみ 戦国時代には、北條・武田・上杉・毛利の四氏の外にも、豪族が所々にたてこもって、互いに土地を奪いあい、いつも戦争が絶えなかった。それ故、国々にある公卿の領地はいうまでもなく、皇室の御料地でさえ、いつのまにか、勢力のある豪族におかされるという有様であった。ところが、幕府も貧しくて、皇室の御費用をさし上げることが出来なかったので、公卿のうちでも、縁をたよって地方に下るものが多く、京都に残ったものは、衣食にも事かくほどであった。ある時、身分のある公卿に面会を申しこんだ人があった。その人は、「この寒い時候に、夏の着物では面目ないから。」と、ことわられたので「いや、それで結構です。」といって、会ってみると、公卿は、素肌に蚊帳(かや)をまとっていたそうである。当時の公卿が、どんなにあわれな暮らしをしていたかは、この話からでも、おほかた知ることが出来よう。 朝廷が衰えられた 後奈良天皇の御代には、朝廷は取分け衰えていられたので、御所の築地(ついぢ)が破れても、これをつくろうことが出来ず、賢所(かしこどころ)の御(み)あかしの光は、遠く三條の橋から見えたといわれている。こういう御有様であるから、おそれ多くも、天皇の毎日の御用さえ御不自由なことが、たびたびであったという。 天皇は御儀式を御再興なさった けれども、天皇は、このように乏しい御費用の中からもなほ御倹約をなさって、長い間すたれていた朝廷の御儀式を御再興になった。それのみか、伊勢神宮の御建物がたいそうあれていたので、これをお造りしようとお考えになった。けれども、御心のようにならなかったので、いたしかたなく伊勢には奉幣使(ほうへいし)をさし向けて、そのわけをことわらせられた。殊に、天皇は、御あわれみの御心の深い御方であった。それ故、たまたま少しの貢でもさし上げるものがあると、これをすぐ皇族や公卿に、お分ちになった。 天皇の御仁徳 また、日頃 大御心(おおみごころ)を萬民の上におそそぎなさることも、ひととおりでなかった。ある年、長雨が降り続いた上に、悪病がはやり、そのために大勢の人が死んだ。天皇は、これを深く御心配になって、御みづから経文を写して国々にお下しになり、そのわざわいがとれるように祈らしめられた。天皇が、御身のお苦しみを少しも御心にかけられず、ただ一心に萬民をおめぐみくださった御仁徳のかたじけなさには、一人でも感泣(かんきゅう)しないものがあろうか。 第三十三 織田信長 戦国時代に諸国に起った英雄は、だれも、われこそ京都に上って天下に号令しようと望んでいたが、一人としてそれをしとげるものがなかった。ところが、織田信長が出て、はじめて、その目的を達し、取分け朝廷を尊んで、大いに忠勤をはげんだ。 信長の生い立ち 信長は、平重盛の子孫だといわれている。その家は、代々、尾張(おわり)にあったが、父の信秀(のぶひで)は勇武な人で、しきりに近国と戦って、領地を広めた。信長は幼い時から非常な乱暴者で、荒々しいふるまいが多く、家をついでからも、武術ばかりはげんで、少しも政治をみなかった。家臣の平手政秀(ひらでまさひで)は、たいそう心配して、たびたび諫めたが、どうしても聞入れないないので、とうとう書置(かきおき)して自殺した。時に、信長は二十歳であったが、その忠義に深く感激して、これから全く心を改め、行をつつしむようになった。後に、信長は政秀寺(せいしゅうじ)を建てて、手厚く政秀をとむらって、その忠節にむくいた。 桶狭間の戦 この頃、駿河に今川義元がいた。義元は、前々から信秀と争っていたが、遠江(とおとうみ)と三河(みかわ)との二国を従えたので、この上は、織田氏を滅ぼして京都に上ろうと思い、三国の兵 四万五千を率いて尾張に攻め入った。たまたま、信長は清洲(きよす)の城中で、家臣たちと夜話にふけっていたが、このしらせを受けても顔色さえ変えず、落ち着きはらって、そのまま笑い興じていた。しかし、翌朝、味方の砦(とりで)が危ないと聞くと、すぐさま馬を走らせて、打って出た。ところが、義元は、はや諸城を攻め取って気がおごり、桶狭間(おけはざま)に陣取って、将士といっしょに、酒宴を開いて楽しんでいた。信長の兵は、わづか二千に足らぬ小勢であったが、折からの暴風雨につけこんで、不意に義元の本陣にうち入り、敵兵が上を下へとうろたえ騒いでいる間に、目ざす義元を斬った。その時、義元は四十二歳、信長は二十七歳の血気ざかりであった。信長の威名(いめい)は、これから、たちまち四方に広がっていった。 正親町天皇のおほせを受けた 第百六代 正親町(おほぎまち)天皇は、日頃 朝廷の衰えたのをおなげきになり、どうかして天下の乱を鎮めたいと、お考えになっていらっしゃった。はるかに信長の武名をお聞きになると、わざわざ勅使(ちょくし)をお遣わしになって、古今にならびない名将とお褒めになり、御料地の回復をおほせつけられた。もともと、信長は勤王の心が深いので、天皇のおほせを受けると感涙にむせび、一身をささげて御心をおやすめ申さねばならぬと、堅く決心した。 京都に入って朝廷の御為に盡くした 時に、幕府もまた勢が衰えるばかりで、その命令はほとんど行われなくなり、将軍 義輝(よしてる)は部下に殺され、弟 義昭(よしあき)は助を信長にたのんで来た。そこで、信長は、義昭をいただいて京都に入り、朝廷に申しあげて、義昭を将軍の職につかせた。これから、信長は、皇居をつくろい、御費用をさし上げて、一心に朝廷の御為に盡くしたので、長い間絶えていた御儀式もはじまり、諸国に逃げていた公卿も、おいおいに帰ってきて、京都は、やっと、もとの有様に立ちかえるようになった。 足利将軍が滅んだ それから後、信長は、しだいに近畿(きんき)の諸国を平げ、士民をあわれんで、よい政治をしたので、その名はますます高くなった。義昭は、これを見て快く思わず、しまいには将軍の職も奪われるのではないかと心配して、信長を除こうとたくらんだ。信長は大いに怒って、義昭を追出したので、足利将軍は全く滅びてしまった。時に、紀元二千二百三十三年(天正元年)で、義満(よしみつ)が将軍となってから、およそ百八十年餘りたっていた。 安土城を築いた やがて、信長は、城を近江(おうみ)の安土(あづち)に築いた。城は琵琶湖に臨み、七重の天守閣(てんしゅかく)は高く雲間にそびえて、人目を驚かした。信長はここを根拠(こんきょ)として、四方を治めようと考え、まず羽柴秀吉(はしばひでよし)を中国(ちゅうごく)にやって、毛利輝元(もうりてるもと)を攻めさせた。そのうちに、秀吉から援兵を求めて来たので、信長は自ら中国に向おうとし、明智光秀(あけちみつひで)らを先発させ、自分は京都に入って本能寺(ほんのうじ)に宿をとった。 本能寺の変 ところが、光秀は、かねてから、その主のきびしい仕打(しうち)を怨んでいたので、本能寺の警戒が手薄いのにつけこんで、にわかにそむいて攻めかかった。信長は、自ら森蘭丸(もりらんまる)らと共に、必死に防いだが、かなわず、とうとう寺に火をつけて自殺した。時は天正十年、歳は四十九歳であった。 信長の手柄 信長は、さきに天皇のおほせを受けて以来、早く天下を平げて、御心をおやすめ申そうとつとめ、今ひといきでその大事業を成しとげようとしていたのに、たちまち逆臣(ぎゃくしん)の手にかかって倒れたのは、まことに惜しいことである。朝廷では、その手柄をお褒めになって、特に太政大臣従一位をお贈りになった。京都の建勲(たけいさお)神社は、信長を祀ったお社である。
https://w.atwiki.jp/tv-drama/pages/439.html
吉本興業株式会社(よしもとこうぎょう、英 Yoshimoto Kogyo Co., Ltd.)は、大阪府大阪市中央区と東京都新宿区に本社(登記上本店は大阪)を置く、マネジメント、プロモーター、テレビ・ラジオ番組製作、演芸の興行等をグループで行う吉本興業グループの持株会社。社長は大崎洋。通称 「吉本」、「よしもと」。 かつては、事業会社で、日本最大手の芸能事務所、プロモーター、テレビ番組製作会社であったが、2007年(平成19年)10月1日から持株会社制へ移行し、同社の事業部門は、よしもとクリエイティブ・エージェンシー、よしもとデベロップメンツ、よしもとアドミニストレーションにそれぞれ分社化されており、現在の同社は、芸能事務所などを統括する持株会社となっている。 1912年(明治45年)4月1日の創業以来、2007年9月30日までは日本の芸能プロダクションでは、95年半の歴史を持ち、最も古かった。上記の持ち株会社化に伴い、「吉本(よしもと)」を名乗る芸能プロの歴史はよしもとクリエイティブ・エージェンシーに引き継がれた。 概要 明治末期の創業以来100年近くにわたり、古くは桂春団治、横山エンタツ・花菱アチャコ、柳家金語楼から、現在のダウンタウン、ナインティナイン、オリエンタルラジオに至るまで、東西の多くの人気芸人を輩出してきたお笑い界の名門。テレビ番組制作、劇場、芸人養成スクールを手がけ、お笑い芸人のマネジメントでは圧倒的強さを誇る。東京の二大落語家団体の一つ、落語芸術協会の創設者でもある。 また戦前は、巨人軍を他社と共同で設立して草創期のプロ野球界を支え、戦後は日本プロレス協会を立ち上げて力道山をスターにし、近年はスポーツ選手のマネジメントを数多く手がけるなど、スポーツ界とのつながりも深い。元々は全国で寄席・劇場・映画館経営を手がける興行会社であり、戦前は松竹・東宝・吉本で三大興行資本と称された。現在は芸能プロダクションを中心とし、テレビ番組制作会社、CS放送やケーブル・テレビ向けのテレビ局、不動産事業などを傘下に抱える業界最大手の複合企業である。「お笑いの総合商社」「日本最大の芸能プロ」と言われ、芸能界における絶対的な権威から今や「吉本なしでは、番組が作れない」とまで言われる。 創業者の姓を採り「吉本」と名乗っているが、現在はオーナー経営ではない。大株主には大成土地(10%弱の株をもつ筆頭株主で、創業家の吉本、林両家が40%ずつ、吉本興業が20%の株を持っている)、大成建設(大手ゼネコン大成建設とは無関係)、三井住友銀行、朝日放送、毎日放送などが名を連ねている。銀行系列は特にないが、旧大和銀行系の大輪会に参加している。現在もりそなHDとの関係は続いている。梅田の大地主として知られ、現在はダイヤモンド地区に高層ビルを構える吉本家(本家末裔の五郎右衛門氏がオーナーの吉本グループと、分家の末裔であった晴彦氏が元オーナーである大阪マルビル)とは、資本・人材共に無関係である。 芸能事務所としては初めて証券取引所に株式を上場したが、「安定株主の下で経営を行いたい」との意向から、2009年9月11日、クオンタムリープ・放送局・創業家資産管理会社など14社が出資する投資会社「クオンタム・エンターテイメント株式会社」(代表はクオンタムリープ代表の出井伸之氏)によるTOBを実施し、株式上場を廃止する方針を発表した。 吉本興業の創業者は吉本吉兵衛(通称・泰三)とその妻・せいである。1912年(明治45年)に夫婦で大阪の寄席経営に乗り出してから、吉本の歴史は始まった。1913年(大正2年)には、吉本興行部を設立している。吉本せいをモデルにした山崎豊子の小説「花のれん」では、この時期に吉本の経営の采配を振っていたのはせいであり、夫の吉兵衛は道楽者で経営には全く興味がなかったかのように書かれている。しかし矢野誠一による評伝「女興行師 吉本せい」によれば、吉本興行部主人として実質的に経営を指揮していたのは吉兵衛であり、せいはむしろ内助の功に徹していたという。ともかく、吉兵衛は1924年(大正13年)、37歳の若さで死去し、未亡人となったせいが、経営の表舞台に立たされることになった。 しかし吉兵衛存命中の1917年(大正6年)、せいは実弟の林正之助を吉本興行部総監督として迎え入れている。また吉兵衛死後の1928年(昭和3年)には、正之助の実弟となる林弘高も招いて、既に吉本が進出していた東京・横浜地区の仕事を一任した。ここに創業家の吉本家に加え、せいの実家である林家が吉本の経営陣に登場してくることになる。 1932年(昭和7年)に吉本興行部は吉本興業合名会社になり、せいが主宰者、正之助が総支配人、弘高が東京支社長に就任、ここに大阪吉本を林正之助が、東京吉本を林弘高が率いる図式が出来上がる。しかし戦前の東京吉本に詳しい演芸評論家の小島貞二によれば、当時の東京吉本は、形式的には吉本興業の東京支社を名乗っていたものの、実体は「吉本株式会社」として独立し、弘高が社長を務めていた。しかもこの「独立劇」自体、弘高と兄の正之助間のトラブルによるものであったという[12]。1938年(昭和13年)には吉本興業合名会社は吉本興業株式会社に改組、せいが社長に就任するが、実際の経営は専務となった正之助が担うこととなった。 戦後の1946年(昭和21年)、弘高率いる東京吉本は、「吉本株式会社」として、正式に大阪の吉本興業から分離独立する。この独立劇も、弘高と正之助間のトラブルの産物であったかどうかは定かではない。以後も両者は協力して力道山のプロレス興行を手がけているところから、この独立劇の背後に骨肉の争いがあったともいえない。社史「吉本八十年の歩み」には、終戦後の混乱の中で吉本興業本体の経営を身軽にするために、東京吉本を切り離したという趣旨で書かれている。 1948年(昭和23年)、吉本せいは吉本興業の社長から会長に退き、林正之助が社長に就任した。一方せいは、正之助に任せている吉本興業の経営を、将来は溺愛する一人息子の吉本穎右に継がせる予定であった。しかし穎右は、せいの反対を押し切って、歌手の笠置シヅ子と結ばれ、1女をもうけた。挙句に1947年(昭和22年)に24歳の若さで死去してしまう。後を追うように、せいも1950年(昭和25年)に60歳で世を去った。 穎右とせいが相次いで世を去ったことで、吉本興業の実権は名実共に創業家の吉本家から林正之助社長の林家に移ることになった。 1963年(昭和38 年)、正之助は体調不良を理由に、社長を辞任した。後を継いだのは、東京吉本(「吉本株式会社」)を率いる弟・弘高である。弘高が大阪に乗り込み、吉本興業の社長に就任した。しかし同時に弘高は東京吉本の自分の息のかかった幹部社員を連れてきた。以後、吉本興業内では、正之助・大阪吉本系と弘高・東京吉本系の社員間で、主導権争いが続いた。弘高は新たに巨大ボウリング場やインドア・ゴルフ場を開いて、経営の多角化を進め、吉本の業績を急上昇させるなど、手腕を発揮する。一方、弘高ら東京吉本系の社員は、当時再開したばかりの演芸部門には冷淡であり、花月劇場を閉鎖しようとさえしたという。こうした路線に反発して、後に吉本の社長になる中邨秀雄は、一旦吉本を退社している。 一方、弘高は後に病気で倒れ、1970年(昭和45年)再び正之助が社長に復帰した。正之助復帰に伴い、正之助に近い中邨が吉本に復帰する一方で、弘高・東京吉本系の幹部社員の多くは失脚し、当時幹部の顔ぶれががらりと変わったほどであった。 その後、1973年(昭和48年)に正之助は社長から会長に退き、後任に橋本鐵彦が就任した。1977年(昭和52年)には、八田竹男が橋本を継いだ。両者共、創業者一族以外からの登用である。しかし1986年(昭和61年)に再び正之助が社長に返り咲くが、1991年(平成3年)には正之助の死に伴い中邨秀雄が社長に就任、しかし1999年(平成11年)には正之助の娘婿の林裕章が社長を継ぐなど、この時期社長のイスは創業者一族と、外部の間で揺れ動く。最終的に2005年(平成17年)の林裕章の突然の死を受けて、吉野伊佐男が社長を継ぎ、今日に至っている。 結局吉本は、当初は経営陣の中枢を創業者一族で固める同族企業として出発したが、その中で、吉本せいと林正之助間で姉弟間の、さらには正之助と弘高間で兄弟間の主導権争いを繰り広げてきた。前者には「吉本家」対「林家」、後者には「大阪」対「東京」という対立軸も加わり、様相を一層複雑なものにした。いずれの主導権争いでも最終的に勝利したのは正之助であり、その過程で吉本興業の経営の実権は吉本家から林家、さらには同家の正之助直系に移っていった。一方近年は、独自路線を強める吉野社長以下現経営陣に対して、それを創業者一族離れと見る大株主の林家が批判を強めている。特に 2007年(平成19年)には週刊現代が「創業者一族が○暴(まるぼう)を使って副社長を恐喝!」というスクープ記事を載せたり、週刊新潮が中田カウスが山口組を背景に創業者一族を脅しているとの告発記事を掲載と、週刊誌を使って経営権争いを有利に進めるためのリーク合戦をするに至り、注目を集めた。こうした対立は、老舗の同族企業にはよく見られるパターンとはいえ、その行方が注目されるところである。(なお、近年の記事において林家を「創業家」とする記述も散見されるが、前述のように吉本興業の創業家は吉本家であり、林家は厳密には「創業者の妻方の傍系一族」である。大成土地社長で系列のイベント会社「正和吉本」も経営する吉本公一が創業家。)
https://w.atwiki.jp/jitsumeika/pages/20.html
青山喜明⇒青木芳之(アオキヨシユキ) 紅羽英助⇒赤羽秀男(アカバヒデオ) 秋川孝和⇒秋山忠一(アキヤマチュウイチ) 秋山真一郎⇒そのまま 明日真信一⇒東信二(アズマシンジ) 粟田真二⇒栗田伸一(クリタシンイチ) 安藤勝己⇒そのまま 安能堅二⇒安藤賢一(アンドウケンイチ) 安能満吉⇒安藤光彰(アンドウミツアキ) 池越亀夫⇒池添兼雄(イケゾエカネオ) 池添謙一⇒そのまま 石橋脩⇒そのまま 石橋守⇒そのまま 石元一見⇒岩元市三(イワモトイチゾウ) 五十畑豪介⇒五十嵐雄祐(イガラシユウスケ) 板井利秋⇒坂井千明(サカイチアキ) 井田昭仁⇒飯田明弘(イイダアキヒロ) 一本松豪⇒二本柳壮(ニホンヤナギソウ) 犬塚英二朗⇒大塚栄三郎(オオツカエイザブロウ) 茨城要次⇒岩崎祐己(イワサキユウキ) 今江頼一⇒今井規和(イマイノリカズ) 井山康規⇒井西泰政(イニシヤスマサ) 岩神信二⇒石神深一(イシガミシンイチ) 岩神冨三男⇒石神富士雄(イシガミフジオ) 岩武準一⇒岩部純二(イワベジュンジ) 岩田康誠⇒そのまま 上村洋行⇒そのまま 鵜飼忠義⇒須貝尚介(スガイナオスケ) 浮多洋吉⇒内田浩一(ウチダコウイチ) 宇治川利丸⇒武士沢友治(ブシザワトモハル) 内出宏徳⇒内田博幸(ウチダヒロユキ) 内谷邦矢⇒内田国夫(ウチダクニオ) 江田照男⇒そのまま 蛯川清志⇒蛯沢誠治(エビサワセイジ) 蛯田宏伸⇒蛯名信広(エビナノブヒロ) 蛯名正義⇒そのまま 大木一葉⇒大野拓弥(オオノタクヤ) 太田静弥⇒大庭和弥(オオバカズヤ) 大西直宏⇒そのまま 岡田順二朗⇒岡潤一郎(オカジュンイチロウ) 岡部幸雄⇒そのまま 岡読駿二⇒岡冨俊一(オカトミシュンイチ) 尾河頼善⇒小原義之(オバラヨシユキ) 小崎省二⇒大崎昭一(オオサキショウイチ) 尾崎唯夫⇒小坂忠士(コサカタダシ) 音橋英武⇒音無秀孝(オトナシヒデタカ) 小野次郎⇒そのまま 小俣正明⇒野元昭嘉(ノモトアキヨシ) 尾村章大⇒野村彰彦(ノムラアキヒコ) 御家敷明⇒小屋敷昭(コヤシキアキラ) 柿武士⇒楠孝志(クスノキタカシ) 鍵谷雅⇒鍜治谷誠(カジタニマコト) 葛西退助⇒太宰啓介(ダザイケイスケ) 笠置利盛⇒金折知則(カナオリトモノリ) 鹿島丈⇒田嶋翔(タジマショウ) 柏原柾継⇒柏崎正次(カシワザキマサツグ) 梶間吉治⇒田島裕和(タジマヒロカズ) 梶原輝雄⇒梶晃啓(カジテルヒロ) 片平流星⇒北村浩平(キタムラコウヘイ) 勝浦正樹⇒そのまま 加納一俊⇒加藤和宏(カトウカズヒロ) 加納市度哉⇒加藤士津八(カトウシヅヤ) 嘉峰幸高⇒嘉藤貴行(カトウタカユキ) 鎌戸三成⇒鎌田光也(カマタミツヤ) 上郷翼⇒郷原洋司(ゴウハラヒロシ) 上郷往広⇒郷原洋行(ゴウハラヒロユキ) 上屋敷彰俊⇒竹之下智昭(タケノシタトモアキ) 川家洋一⇒河内洋(カワチヒロシ) 河木克彦⇒川合達彦(カワイタツヒコ) 川島信二⇒そのまま 川田将雅⇒そのまま 川畑善三⇒川端義雄(カワバタヨシオ) 菊沢隆徳⇒そのまま 木境鉄雄⇒小林徹弥(コバヤシテツヤ) 北浦克二⇒西浦勝一(ニシウラカツイチ) 北村宏司⇒そのまま 衣河辰彦⇒菊沢隆仁(キクザワタカヒト) 清田栄気⇒清水英次(シミズエイジ) 久賀隆美⇒加賀武見(カガタケミ) 国実政幸⇒国兼正浩(クニカネマサヒロ) 久辺繁史⇒久保敏文(クボトシフミ) 窪北壮⇒黒岩悠(クロイワユウ) 窪畑俊之⇒久保田敏彦(クボタトシヒコ) 熊沢重文⇒そのまま 栗山健治⇒田中健(タナカケン) 源雅弘⇒原昌久(ハラマサヒサ) 神戸宗平⇒国分恭介(コクブンキョウスケ) 小柴大地⇒小島太一(コジマタイチ) 小柴禎彦⇒小島貞博(コジマサダヒロ) 小柴大⇒小島太(コジマフトシ) 小林淳一⇒そのまま 小牧太⇒そのまま 小森秀明⇒小林久晃(コバヤシヒサアキ) 小屋外英次⇒小谷内秀夫(コヤウチヒデオ) 木幡初広⇒そのまま 後藤浩輝⇒そのまま 坂木克也⇒坂本勝美(サカモトカツミ) 桜田晴一⇒桜井誠二(サクライセイジ) 笹多修士⇒飯田祐史(イイダユウジ) 佐藤哲三⇒そのまま 佐堂均⇒佐藤等(サトウヒトシ) 鮫島良太⇒そのまま 佐用昌⇒加用正(カヨウタダシ) 猿山茂則⇒猿橋重利(サルハシシゲトシ) 沢下昇⇒河北通(カワキタトオル) 四位洋文⇒そのまま 塩山勝夫⇒塩村克己(シオムラカツミ) 鹿賀祐二⇒鹿戸雄一(シカトユウイチ) 柴沢勲⇒柴崎勇(シバサキイサム) 柴田善臣⇒そのまま 柴野明満⇒柴田光陽(シバタミツハル) 柴野木埼⇒柴田未崎(シバタミサキ) 柴野太一⇒柴田大知(シバタダイチ) 柴野誠⇒柴田政人(シバタマサト) 柴野泰己⇒柴田政見(シバタマサミ) 柴原央明⇒そのまま 柴山雄一⇒そのまま 嶋畑勇⇒嶋田功(シマダイサオ) 嶋畑俊⇒嶋田潤(シマダジュン) 嶋畑貴之⇒嶋田高宏(シマダタカヒロ) 下竹拓哉⇒中竹和也(ナカタケカズヤ) 菅田明二⇒菅野昭夫(カンノアキオ) 菅田清男⇒菅野澄男(カンノスミオ) 菅野雅臣⇒菅谷正巳(スガヤマサミ) 須ヶ原高行⇒菅原隆明(スガハラタカアキ) 須ヶ原靖士⇒菅原泰夫(スガワラヤスオ) 杉村広之⇒杉浦宏昭(スギウラヒロアキ) 鈴未尚仁⇒鈴来直人(スズキナオト) 鈴本秀美⇒鈴木寿(スズキヒトシ) 芹沢純一⇒そのまま 副島春伸⇒福島信春(フクシマノブハル) 外木場繁義⇒外枦保重秋(ソトヘボシゲアキ) 高川広⇒高山裕(タカヤマユタカ) 高川大介⇒高山太郎(タカヤマタロウ) 鷹國弘⇒武邦彦(タケクニヒコ) 鷹田聡⇒武田悟(タケダサトル) 高知桂一⇒高市圭二(タカイチケイジ) 高地孝良⇒安田康彦(ヤスダヤスヒコ) 鷹久敏⇒武英智(タケヒデノリ) 滝橋毅⇒高橋隆(タカハシタカシ) 滝橋靖明⇒高橋康之(タカハシヤスユキ) 田倉舞子⇒田村真来(タムラマキ) 田倉俣満⇒田村正光(タムラマサミツ) 武幸四郎⇒そのまま 竹山栄仁⇒竹原啓二(タケハラケイジ) 武豊⇒そのまま 田崎伸宏⇒田島信行(タジマノブユキ) 田崎吉益⇒田島良保(タジマヨシヤス) 田中勝春⇒そのまま 田辺毅⇒田中剛(タナカツヨシ) 谷浜章⇒高橋亮(タカハシリョウ) 田野鉄夫⇒目野哲也(メノテツヤ) 多辺英伸⇒田辺裕信(タナベヒロノブ) 玉乃屋建士⇒玉ノ井健志(タマノイタケシ) 津川昭弘⇒津村明秀(ツムラアキヒデ) 土田知幸⇒土谷智紀(ツチヤトモノリ) 角田晃一⇒そのまま 手所英忠⇒田所秀孝(タドコロヒデタカ) 出川貴教⇒出口隆義(デグチタカヨシ) 徳下市巳⇒徳吉一己(トクヨシカズミ) 土居倖利⇒土肥幸広(ドヒユキヒロ) 中北孝伸⇒中西武信(ナカニシタケノブ) 中迫継雄⇒小迫次男(コサコツギオ) 中沢佑大⇒中谷雄太(ナカタニユウタ) 中嶋代幸⇒中島啓之(ナカジマヒロユキ) 中嶋良史⇒中島敏文(ナカジマトシフミ) 仲田喜代盛⇒田中清隆(タナカキヨタカ) 中舘英二⇒そのまま 中目通誠二⇒中野渡清一(ナカノワタリセイイチ) 長居譲也⇒高井彰大(タカイショウタ) 長野永吉⇒中野栄治(ナカノエイジ) 長宗行明⇒中村将之(ナカムラマサユキ) 虹平怜那⇒西原玲奈(ニシハラレナ) 仁藤繁⇒伊藤栄(イトウサカエ) 仁藤澄明⇒伊藤清章(イトウキヨアキ) 仁藤尚之⇒伊藤直人(イトウナオト) 仁藤紀昌⇒伊藤正徳(イトウマサノリ) 仁藤呼恭⇒伊藤暢康(イトウノブヤス) 根布恭彦⇒根本康広(ネモトヤスヒロ) 野木君政⇒田面木博公(タモギヒロマサ) 野碕隆人⇒野崎孝仁(ノザキタカヒト) 博多瞬⇒高田潤(タカダジュン) 袴田丈司⇒畑端省吾(ハタバタショウゴ) 橋内宏人⇒橋本広喜(ハシモトヒロキ) 長谷川浩大⇒そのまま 端友寿文⇒橋本美純(ハシモトヨシズミ) 花街通⇒花松進(ハナマツススム) 原多勇一⇒原田雄二(ハラダユウジ) 東出雪央⇒東田幸男(ヒガシダユキオ) 比嘉春広⇒千田輝彦(チダテルヒコ) 樋沢広⇒樋口弘(ヒグチヒロシ) 日原成樹⇒田原成貴(タバラセイキ) 福永祐一⇒そのまま 藤岡佑介⇒そのまま 藤川秀茂⇒藤原英幸(フジワラヒデユキ) 藤木朝照⇒藤井正輝(フジイマサテル) 藤島慎一⇒藤田伸二(フジタシンジ) 船岸達仁⇒常石勝義(ツネイシカツヨシ) 古河城一⇒古川寛和(フルカワヒロカズ) 武闘善成⇒武藤善則(ムトウヨシノリ) 星田順⇒押田純子(オシダジュンコ) 穂積義弘⇒穂苅寿彦(ホカリトシヒコ) 細井潤奈⇒細江純子(ホソエジュンコ) 細山栄一⇒細川英二(ホソカワエイジ) 堀宏真⇒堀井雅広(ホリイマサヒロ) 本田優⇒そのまま 牧畑克也⇒牧田和弥(マキタカズヤ) 牧原由貴子⇒そのまま 2009年スタートの場合⇒増沢由貴子(マスザワユキコ) 増北行雄⇒増沢末夫(マスザワスエオ) 増田勇⇒増井裕(マスイヒロシ) 益名栄達⇒松田大作(マツダダイサク) 増本卓哉⇒松本達也(マツモトタツヤ) 松岡浩二⇒松山弘平(マツヤマコウヘイ) 松中正和⇒松永昌博(マツナガマサヒロ) 松中道生⇒松永幹夫(マツナガミキオ) 松畑雪晴⇒松田幸春(マツダユキハル) 松山征基⇒松岡正海(マツオカマサミ) 的矢武仁⇒的場勇人(マトバハヤト) 的矢博⇒的場均(マトバヒトシ) 丸川克則⇒丸山勝秀(マルヤマカツヒデ) 三河稔夫⇒小池隆生(コイケタカオ) 南勝也⇒南井克巳(ミナイカツミ) 南橋裕次⇒西橋豊治(ニシハシトヨジ) 峯慈義⇒岸滋彦(キシシゲヒコ) 蓑多駿男⇒蓑田早人(ミノダハヤト) 三村天地⇒三浦皇成(ミウラコウセイ) 宮内撤⇒宮徹(ミヤトオル) 宮前登喜男⇒宮崎北斗(ミヤザキホクト) 幸英明⇒そのまま 宗田哲⇒宗像徹(ムナカタトオル) 村上晃夫⇒村山明(ムラヤマアキラ) 村木義明⇒村本善之(ムラモトヨシユキ) 村田一誠⇒そのまま 室木広樹⇒南井大志(ミナイヒロシ) 目白政輝⇒目黒正徳(メグロマサトク) 本藤貴則⇒木藤隆行(キフジタカユキ) 八雲寿季⇒佐久間寛志(サクマヒロシ) 谷坂宏二⇒谷中公一(ヤナカコウイチ) 安谷飛雄⇒安田富男(ヤスダトミオ) 安谷幸孝⇒安田隆行(ヤスダタカユキ) 矢羽羊二⇒矢原洋一(ヤハラヨウイチ) 谷原康一郎⇒藤岡康太(フジオカコウタ) 山中慶治⇒山内研二(ヤマウチケンジ) 山目勝弘⇒山田和広(ヤマダカズヒロ) 山目安平⇒山田泰誠(ヤマダタイセイ) 山木孝治⇒山本康志(ヤマモトコウシ) 横畑政彦⇒横田雅博(ヨコタマサヒロ) 横平冨蔵⇒横山富雄(ヨコヤマトミオ) 横平初⇒横山賀一(ヨコヤマヨシカズ) 横平嘉樹⇒横山義行(ヨコヤマヨシユキ) 横山典弘⇒そのまま 吉田隼人⇒そのまま 吉田豊⇒そのまま 吉森升斗⇒吉永正人(ヨシナガマサト) 吉森守広⇒吉永護(ヨシナガマモル) 吉森頼斗⇒吉永良人(ヨシナガヨシト) 吉山祟二⇒吉沢宗一(ヨシザワソウイチ) 若井晃次⇒赤木高太郎(アカギコウタロウ) 若江守⇒酒井学(サカイマナブ) 渡辺薫彦⇒そのまま 和田竜二⇒そのまま