約 216,448 件
https://w.atwiki.jp/orifusai/pages/108.html
黄蓋 姓 黄 名 蓋 字 公覆 誕生年 ?年 死亡年 ?年(?歳) 出身地 零陵郡泉陵 年表 年 所在 立場・事跡 出典 備考 備考 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/chaos-blade/pages/878.html
不意に咲く花 (プレイヤー) ここでの暮らしにも慣れましたか?鮮華(アザカ)さん 鮮華 うん……日差しも気温も問題無い……快適よ…… (プレイヤー) 良かったです、城の皆さんはどうですか?面白い方ばかりですよね 鮮華 妖魔も、人間も……必要以上に笑って、必要以上に泣く……変なのばかり 鮮華 雪童子も……もっと底意地が悪い種族なのに……なんで、アイツは…… (プレイヤー) あの雪童子さんは特に変わった方なのであまり参考にならない気がしますが (プレイヤー) 似た者同士が惹かれあうんですかね?僕が苦手な方はあまりいない気がします 鮮華 もしくは……貴方の影響かも、貴方の……能天気さの影響…… (プレイヤー) だとしても結果良ければ全て良しです、ギスギスしてるのは苦手なので 鮮華 私の育ってきた世界とあまりに違う……戸惑いもある……でも、悪くはない 鮮華 ありがとう (プレイヤー)……私、ここに来て良かったかもしれない…… (プレイヤー) それは何よりです、無理に留まれとは言わないので鮮華さん都合でお願いしますね 鮮華 ええ、愛想が尽きれば去るし……留まるかどうかは私次第ね…… 鮮華 でも……私、一応は貴方の妻だから……そうなんでしょう? (プレイヤー) はい、他の家臣の方とは同列に扱えないのでそういった立場ですね 鮮華 立場だけで……いいの? (プレイヤー) え、それってどういう意味ですか? 鮮華 フフッ、さて……どんな意味かしらね……フフ、面白くなりそう (プレイヤー) (鮮花さんは笑顔が素敵だなぁ、いつも笑っていればいいのに) 次へ 一覧に戻る
https://w.atwiki.jp/doroboumama/pages/8715.html
933 :名無しの心子知らず:2012/05/27(日) 11 11 18.32 ID phRTvjp7 すみません、現在進行形で泥ママ(と思しき)事件が発生して 私は被害者ではないのですが、かなり渦中でどうしたらいいか わかりません。 聞いて、アドバイスいただけないでしょうか。 934 :名無しの心子知らず:2012/05/27(日) 11 13 40.25 ID WaOFuuga 通報、弁護士・有力者に相談、ママ友・ご近所にマヤって 根回しというアドバイスしかつかないけどどうぞ 935 :名無しの心子知らず:2012/05/27(日) 11 15 29.76 ID phRTvjp7 ありがとうございます…!今まとめてきます。 936 :名無しの心子知らず:2012/05/27(日) 11 45 53.10 ID 3wkW0cws 本人じゃないなら書き込んでもタイムラグができて 混乱のもとだと思うが 937 :名無しの心子知らず:2012/05/27(日) 11 52 08.32 ID phRTvjp7 すみません、今当事者の方から、明日には決着すると思うと 連絡がありました 明日、もしかしたら報告させていただくかもしれません… ちなみに私の立場は、容疑者でした。 そして、犯人と思しき人のことを、唯一証言できる立場でした。 でも、結果的に犯人は犯人のようで 私に罪を擦り付けようとしたことがわかりました。 もし、差し支えなければ、明日以降、吐き出させて頂けると うれしいです。 939 :名無しの心子知らず:2012/05/27(日) 13 23 22.92 ID CbZMhooK 被害の当事者から容疑者あつかいされてたなら 937も 立派な被害者だな 次のお話→987
https://w.atwiki.jp/daydawn/pages/1977.html
PCの立場 PCの来歴 電脳世界:ジャム・プレイスPCたちの暮らし ストレージ マイルーム GPカード NPC・施設の追加 SS投稿所 PCの立場 今回の大規模において、PCたちは電脳政府に協力している有志の集団、『レコード・レイド』として活動することになります。 現在ジャム・プレイス内にログインしている運営のメンバーは外にいる他の運営と連絡が取れず、内部からではロクな権限がありません。 そのため電脳政府の運営に必要な人手を補う目的で有志を募集し、集まったのが君たちPCです。 電脳政府の目的は「ログアウト不能障害を解消すること」と「ジャム・プレイス内の治安を保ち、人々の生活や平穏を維持すること」です。 PCたちはそれぞれの目的はあれ、とりあえず表面上は、これらの目的に基づく依頼に協力的のはずです。 PCの来歴 今回、PCはアバターかノーバディかを選び、そこから種族やクラスなどのデータを構築することになります。 電脳世界であるジャム・プレイスにおいて、クラスとは単に”そう設定されたデータ”でしかありません。 不死を選んでも忌避されることはなく、違法使いを選んでも捕まることはありません。 (もちろん、実際に犯罪を働いた場合は除きます) クラスごとの制限フレーバーの変更についてはハウスルールを参照してください。 また、どのような来歴の場合、アバターとノーバディのどちらに当てはまるのかを以下の表に記します。 もしも下記に当てはまらない来歴のPCをやりたい場合はMGMに確認してください。 アバター 来歴:ログイン 貴方はジャム・プレイスの公開記念式典に参加するため、デバイスを用いてログインした現実世界の住人です。ジャム・プレイスは5つの次元のうち、どの次元からでもログインすることが可能です。貴方が現実世界でどのような立場だったのか、どのような力を持っていたかはジャム・プレイス内には一切影響しません。よって、普段PCとして使えないような立場のキャラクターでもPCにすることが出来ます。 来歴:巻き込まれ 貴方は公開記念式典当時、ジャム・プレイス以外の電脳世界にログインしていた現実世界の住人です。ジャム・プレイスのマザーAIが機能停止した際、ネットワーク上に存在していた幾つかの小規模な電脳が吸収されてしまいました。貴方はそれに伴い、意図せずしてジャム・プレイス内に囚われてしまったのです。貴方が現実世界でどのような立場だったのか、どのような力を持っていたかはジャム・プレイス内には一切影響しません。よって、普段PCとして使えないような立場のキャラクターでもPCにすることが出来ます。 ノーバディ 来歴:純正 貴方はマザーAI、もしくは運営によって作られた純正の仮想魂を持つノーバディです。ノーバディ同士を両親に持つ人も(両親の来歴に関わらず)これになります。最初からジャム・プレイスの住人としてデザインされた貴方は、この仮想世界の中に家族や友人を既に持っているでしょう。今回の大規模では、自らが暮らす世界を守るため・正すためという動機があるかもしれません。 来歴:昇格 貴方は生まれた時、低レベルAIとしてデザインされました。しかし何かしらの物事を通して自我と仮想魂を獲得し、ノーバディとして認められた経緯を持ちます。そのような経緯であるため貴方は家族や友人を持たないか、持っていても相手は決まった反応しか返さない低レベルAIでしょう。何故ならノーバディへの昇格は、億に届く数の低レベルAI全体を見ても発生事例が三桁に届かないほど珍しいことだからです。 来歴:発生 貴方は電脳上に溢れる情報から自然発生的に誕生した仮想魂を持つノーバディです。膨大な情報と稀な幸運に恵まれなければ仮想魂は発生しません。しかし数は少ないもののジャム・プレイス開発当時から発生は確認されており、うち数人はジャム・プレイスの開発に大きく貢献しました。今までに発生したパターンは「歴史上の偉人についての情報から、偉人そっくりの仮想魂が発生」「世界的なアーティストが若くして亡くなった際に氾濫した大量の情報から発生」「SNS依存の若者が日々の殆どを投稿に費やした結果、本人そっくりの仮想魂が発生」「病的なストーカーが想い人の情報をクラウドストレージに大量に保存した結果、ストーカーを愛する感情を持った想い人そっくりの仮想魂が発生」など様々です。違法に取得した情報から発生した仮想魂の扱いについては、未だ議論が重ねられています。 電脳世界:ジャム・プレイス PCたちの暮らし 基本的にPCたちを含むアバターやノーバディの人々は最低限の衣食住が保証されているため、働く必要がありません。 しかし働いてはならないわけではなく、人によっては趣味の延長として商店を営んだり街を出て物資を採取したり、 エネミーを倒してジャムマネーを稼いだりしています。 なお商活動に使われる通貨もまた、ジャムマネーでのやり取りが基本となります。 衣食住は保証されるとはいえ、娯楽を楽しむのならばある程度ジャムマネーを稼ぐことは必須でしょう。 もちろん、レコード・レイドの活動を通しても幾らかのジャムマネーが給料として渡されます。 ストレージ 一般的に【ストレージ】と呼ばれる機能は自身に所有権のあるアイテムを別電脳空間に送ることで、 いちいち雑多な物を持ち運ばなくても済むようにした機能のことを言います。 地方により【インベントリ】【アイテムボックス】【どうぐ】などと呼ばれる場合もあります。 これはアバターやノーバディの人々が基本的に使える機能の一つです。 この機能は改造が可能であり、液体を直接持ち運べるようにしたアクア・ストレージや保温冷蔵機能を付けたフード・ストレージなどもあります。 しかし、全てのストレージは以下のルールを破ることは出来ません。 ストレージの持ち主が持てる重量以上の物を入れることは出来ない。 生物を入れることは出来ない。 自身に所有権の無いものを入れることは出来ない。 マイルーム PCたちは運営に協力している特典として【マイルーム】を所持しています。 これは運営本部から入ることの出来る生活空間で、個々人ごとに別の空間が用意されています。 内部には様々な便利機能が搭載されており、詳しくは詳細ページを参照してください。 GPカード PCたちを含むアバターやノーバディの人々は、いつでもどこでも『GPカード』というアイテムをどこからともなく出現させることが出来ます。 これは名刺のようなもので、自身の名前や種族、二つ名などが記載されています。 記載内容は自由に編集することが可能(ペンネームや芸名に対応する意図)なため身分証明にはなりませんが、自己紹介や友好の証として利用することが出来ます。 NPC・施設の追加 PCによっては、NPCを作成したり街に施設を追加したい、ということもあるかと思います。 (例:PCの家族を依頼人にしたい、PCが営んでいる店を施設一覧に載せたい、など) その際にはジャム・プレイス施設一覧やNPC一覧を編集し、追加しても問題ありません。 ただし、設定によっては後から変更を依頼する場合もあります。 不安ならば先にMGMへ相談しても構いません。 SS投稿所 卓以外でPCがどのように過ごしているのか、またPCが過去にどのような来歴を辿ったのか、 はたまたPCは将来どうなるのか。 そのような卓で表現しきれない側面を、SS(ショートストーリー)として投稿する場所です。 また、SSを投稿したPLには投稿数に応じた経験点が付与されます。 PCの日常以外にも、卓で描写される任務以外の活躍を描いたり、 他PCに許可を取って複数のPCを登場させたり、NPCとの話で設定の伏線を張ったりと自由に使っていただいて構いません。 ただし、全年齢対象ではない文章は禁止します。
https://w.atwiki.jp/p_mind/pages/21.html
概説 目的論的機能主義 ブラックボックス機能主義 コンピューター機能主義 機能主義に対する批判 概説 心の哲学における機能主義(英:Functionalism)とは、心的な状態とはその状態のもつ機能によって定義されるという立場。 心的状態をその因果的な役割によって説明し、「心とはどんな働きをしているのか」を考えることが「心とは何か」という問いの答えとなるという立場である。 たとえば腕を強く打ったりすることの結果として生じ、打った腕を押さえたり顔をしかめたりすることの原因となる心的状態が「痛み」であるとされる。またそのように因果作用をもたらす心的性質を機能的性質(functional property) という。つまり心的状態とは知覚入力の結果であり、行動出力の原因であり、また他の心理状態の原因や結果であると考える。 行動主義やタイプ同一説の問題点を踏まえた上で、それらのあとに続く考え方として、1960年代にオーストラリアの哲学者、デイヴィッド・アームストロングによって始められた。ウィトゲンシュタインの「(語の)意味とはその用法である」というアイデアに由来する。行動主義との違いは、心的な状態を行動としてでなく、行動の原因として定義する点である。 機能主義は一般的にトークン同一説を前提にし、多重実現可能性を認め、心的状態はさまざまなタイプの物理状態によって実現できるとする。心的状態を機能とみなすならば、必然的にその心的状態は多型的に実現可能であり、たとえば痛みの経験は脳のC繊維の活動だけではなく、F線維でも、人造繊維の活動でも可能である。 なお機能主義では、例えば脳から取り出されて容器に隔離されたC繊維が活動して、痛みなどのクオリアが仮にあったとしても、それは何の因果作用も持たず、何の機能もはたしていないから、そこに痛みの心的状態はないと考える。こうして機能主義はタイプ同一説の難点を克服する。 目的論的機能主義 目的論的機能主義とは、還元主義的な方法で志向性を自然化する試みの一つである。志向的な心的状態は心臓や肺などと同じく生物学的な器官の一種であり、「心臓は血液を循環させることが目的である」というように、生物学的な器官のはたらきがその特定の生物学的機能の観点から説明されるように、志向的な心的状態のもつ表象能力も、それがどうのような生物学的機能に由来するのかを明らかにすることによって説明される、とする。ルース・ミリカンらがこの立場である。 固有の機能は、その機能をもつ事物が実際に「行うこと」でなく「行うべきこと」によって説明される。たとえば多数の精子は実際に卵子と受精することはないが、それでも卵子と受精することが精子の機能である。また心臓は血液を循環させるだけでなく、その持ち主の健康状態を鼓動によって医師に知らせることができるが、それは心臓の本来の機能ではない。 目的論的機能主義のメリットの一つに、心臓などの存在や志向性が神によるデザインであるというような仮説を持ち出さずに、自然選択による進化であるというように、合理的な説明が可能であるということがある。 ※目的論的機能主義は、必ずしも機能主義の一種として考えられているわけではなく、心の哲学において機能主義とは別のカテゴリーとして位置づけられることもある。 ブラックボックス機能主義 機能主義者の多くは唯物論者であるが、機能主義は必ずしも唯物論を前提にしなくても成立する理論である。心的状態そのものを「存在記号」に置き換えることによって検証可能な文にするラムジー文(フランク・ラムジーの発案による)と呼ばれる方法がある。この方法によると、「ラムジーは知覚 a を得て、信念 g をもち、それが欲求 y を生じさせた」というように、心的状態を因果関係のみで定義する。つまり心的状態そのものは「ブラックボックス」であり、ならばそのブラックボックス内部にあるのが本質的に非物質的な精神や霊魂であってもかまわないことになる。このような立場はブラックボックス機能主義と呼ばれる。 コンピューター機能主義 近年における急速なコンピューター技術の発展の過程で、脳とコンピューターを類似のものとみなす考えが生まれてきた。すなわち脳はコンピューターのように作動し、「心」と呼ばれるものはコンピューターのプログラムに相当するものだという考えである。脳における心的表象は、構文的構造をもった記号操作、つまり計算の過程にすぎないとみなす。物質的な脳と心の関係は、コンピューターのハードとソフトの関係に等しいと考える。このような立場をダニエル・デネットは1978年にコンピューター機能主義と呼んだ。心の計算理論、計算主義ともいう。 アラン・チューリングはチューリングテストを考案した。コンピューターが十分知性的であるか否かを判定するテストである。具体的には人間の判定者が、離れた場所にいる別の人間と一機の機械に対しキーボードとディスプレイにより対話を行う。判定者が、機械と人間との確実な区別ができなかった場合、この機械は「知性」を備えていると考えた。 ジョン・サールはチューリングテストを批判し、人工知能を「弱い人工知能」と「強い人工知能」に分類した。弱い人工知能は人間の心理現象をプログラム上で模倣する機能しかない。しかし強い人工知能は人間のように「心」を持つものである。サールは中国語の部屋でコンピューターが心を持ち得ない事を論証した上で、コンピューターが心や精神を持ち得ると考える機能主義者に対する皮肉として、「強い人工知能」と呼んだのである。 なお近年のコンピューター機能主義では、ニューラルネットワークの研究成果を受けて、古典的な計算主義に対し、コネクショニズムという立場が主張されている。これは脳の表象構造は統語論的(主語、動詞、目的語などからなる)構造であるとする古典的計算主義と違い、脳の構造と見立てたニューラルネットワークによる表象は、ニューロン群全体が分散的に表象する構造であり、統語論的構造を持たないという考えである。 機能主義に対する批判 機能主義は現象的意識やクオリアを取りこぼしており、人間の意識を説明するには不十分だという批判がある。そして多くの哲学者が思考実験によって機能主義に反論している。代表的なものにジョン・サールの中国語の部屋、トマス・ネーゲルのコウモリであるとはどのようなことか、デイヴィッド・チャーマーズの逆転クオリア、ネッド・ブロックの中国人民などがある。 ジョン・サールは、主観的なクオリアを避けて説明する機能主義は、心的現象の説明に十分条件を与えていないという。そして逆転クオリアの思考実験を用い、機能主義では「私は赤を見ている」という自分の経験と、クオリアの反転した人物の「私は赤を見ている」という経験を全く同じものと考えるが、二人の内的経験は異なっているのだから機能主義は間違っている、という。心というのはクオリアから成り立っているにも関わらず、機能主義はクオリアを扱わず、それとは異なったテーマを扱っている。そして、心的なものの存在論的ステータスは客観的なものであると考えることは誤りなので、心の哲学の方法論も、それ自体客観的に観察可能なものにのみ関わるべきであると考えることも誤りである、という。 参考文献 小林道夫『科学の世界と心の哲学』中公新書 2009年 信原幸弘――編『シリーズ心の哲学Ⅰ人間篇』2004年 S・プリースト『心と身体の哲学』河野哲也・安藤道夫・木原弘行・真船えり・室田憲司 訳 1999年 ジョン・R・サール『MiND 心の哲学』山本貴光・吉川浩満 訳 2006年 ジョン・R・サール『ディスカバー・マインド!』宮原勇 訳 2008年
https://w.atwiki.jp/p_mind/pages/140.html
概説 志向性と表象 機能主義と表象主義の関係 批判 概説 表象主義(Representationalism)とは、人が何かを知覚した場合、その知覚は実在する対象を表すイメージだと考える哲学的立場である。たとえばテーブルを見た場合、光がテーブルという物体に反射して人の視覚で捉えられ、テーブルの知覚像が作られると考える。 近代では心身二元論の立場から、知覚像は物質からもたらされるという表象主義が主張されてきたが、この立場には知覚因果のメカニズムが解き難いという問題が指摘されてきた。 表象主義は近代哲学と現代の分析哲学では大きく異なっている。分析哲学では「表象理論」と呼ばれることが多い。近代哲学では物質的対象に属するのは質量や延長量(一時性質)のみとされていたが、分析哲学の表象理論では色や音や味(二次性質)も物質的対象に属すると考える。 以降は分析哲学での表象主義を解説する。 現代の認知科学や心の哲学における表象理論とは、クオリアとは志向性を持った表象であると解釈した上で、心とは表象の処理装置であると考える立場である。表象説とも呼ばれ、また表象が志向性をもつことを前提としているため、「志向説」とも呼ばれる。 人の感覚器官は外界からの情報を受け入れ、それに基づいて外界のあり方についての表象を形成する。そしてその表象に基づいてさらに行動の表象を形成し、それに従って人は行動すると考える。またクオリアはその表象に付随していると考える。これはクオリアを「記号」として取り扱おうとするアイデアである。 表象理論は物理主義的な立場から説明のギャップを埋めるほとんど唯一の試みである。 1990年代以降、クオリアを物理的なものに還元する試み、つまり説明のギャップを埋める試みが盛んになる。ギルバート・ハーマンらは、経験の現象的側面(クオリア)は、その経験の表象内容に付随すると考えた。例えば「緑の木」という知覚経験は緑の木を表象するが、緑のクオリアはその表象される緑に他ならない。つまり表象理論ではクオリアを志向的な表象として解釈する。 表象理論では一般的に「表象」という概念を、経験的な表象と通常の表象に区別する。経験的な表象は我々認知主体に現象的質(クオリア)として現前する。それに対し通常の表象は認知主体に対して直接現前することはない。現前していなくても志向的な表象内容は推論や予測などの認知的操作や、信念や欲求などの心理状態を可能し、表象はその対象とは独立に存在することができる。 機能主義に代わって(もしくはそれを補完する形で)意識を説明すると期待されているのが、表象理論である。表象理論では、機能主義が除外していたクオリアを表象という形で記号化して受け入れている。なお認知科学では、古典的計算主義とコネクショニズムという二つの有力な認知観があるが、それらはいずれも表象理論に立脚している。 表象理論によれば、現象主義が実在論批判として用いる「錯覚論法」も、知覚を表象とみなし、かつ認識作用を記号的表象の処理とみなすなら整合的に理解できる。錯覚は実在に対応しない表象ということである。 フランク・ジャクソンは当初マリーの部屋の思考実験で物理主義を批判していたが、後に表象主義に転向した。ジャクソンによれば、表象理論を認めるならば知覚や感覚、信念や欲求などの態度も物理学的に説明することが可能になる。たとえば信念の本性はその表象内容によって規定される。表象内容は志向的である。そして信念の表象内容は、機能主義的な分析に従い、物理的なものによって規定される。他の態度も同様の仕方で物理的なものによって規定される。 志向性と表象 経験は常に志向的であり、それゆえ志向的対象を持つ。 リンゴが見えるという視覚経験はリンゴについてのものであり、また小鳥の声を聞くという聴覚経験は小鳥の声についてのものである。 表象がもつ特徴には、表象それ自体に備わる「性質(内在的特徴)」と、表象によって表象される「内容(志向的特徴)」とが区別される。たとえば「緑の木がある」と黒インクの六文字で記述した場合、六文字から成ることや黒インクから成ることが性質であり、「緑の木」や「ある」ということが内容である。そして表象の性質と内容は一致する必要がない。 そして意識がある種の表象であるとするならば、表象と同じように意識経験もまた内在的な「経験の性質」と、志向的な「経験の内容」とに区別しなければならない。この区別が表象理論の重要な点である。 この区別に基づき表象理論は、二つの立場に分かれる(*1)。 弱い表象理論 心的経験の現象的性格は、その表象内容に付随(スーパーヴィーン)する。 強い表象理論 心的経験の現象的性格は、その表象内容と同一である。 「弱い表象理論」では、意識の現象的特性(クオリア)は表象内容に付随するという主張であり、「強い表象理論」では、クオリアが経験の性質ではなく表象内容、つまり志向性であることを主張する。 我々は経験の志向的対象にアクセスできるが、 経験の性質にアクセスすることはできない。つまり私がリンゴを見るとき、 私はそのリンゴの赤さや丸さを感じる。しかしその経験をいくら内観しても、「リンゴを見ているという経験」そのものを見ることはできない(反省的意識によって「自分がリンゴを見ている」という状態にあることを意識することは出来るが、それは「リンゴを見ているという経験」そのものとは区別される)。我々は経験内容として現れる志向的対象にアクセスすることしかできない。したがってリンゴの赤さといったクオリアは、経験そのものの性質ではなく、経験の表象内容(志向的特徴)である。意識経験を表象として理解するとき、クオリアは経験そのものの性質ではなく、経験という表象の内容と同一視される、これが表象理論の基本的な考え方である。 機能主義と表象主義の関係 機能主義に従って考えると、例えば痛みのクオリアを伴わない心的状態に基づく人の行動ですら、それが痛みのクオリアを伴う心的状態と機能的に同じであれば、痛みの状態であるとしなければならない。つまり機能主義は意識の現象的特徴(クオリア)の差異を識別することができないのである。 ギルバート・ハーマンは、クオリアが機能主義によって説明できないという批判に応えて、クオリアは意識経験の内在的性質ではないとし、表象の観点からクオリアを説明しようとする。もしクオリアが意識経験の内在的性質なのであれば、確かにそのような特徴は、心的状態を一連の状態間の関係の観点から特徴付ける機能主義の理論によって説明することができない。内在的性質とはそのような関係から独立である特徴のことだからだ。しかしハーマンによれば、クオリアを意識経験の内在的性質と考えない。経験とは常に志向性をもち、何らかの対象を表象するものである。意識経験の現象的特徴(クオリア)は、経験における表象の対象の性質であって、その経験の内在的性質などではないのだ。 リンゴを見るときに赤い特徴が(クオリアとして)現象的に意識されているとすると、その赤さはリンゴの表面特性(光学的な反射特性)に他ならないと考える。これと同様に、色覚以外の感覚における現象的特徴もまた、表象対象の特徴であるとする。このように、意識の現象的特徴を表象の観点から説明しようとする理論が、「意識の表象理論」(Representational Theory of Consciousness)である。この表象理論は外在主義の一種である。 機能主義理論がクオリアを説明するうえで不十分であった理由は、意識の現象的側面であるクオリアと、意識の機能的側面が論理的に付随しないように思われるためである(意識の二面性と説明のギャップ)。これに対して表象理論は、意識の現象的特徴を端的に表象対象の特徴であると見なすことで、この困難を克服しようとするのである。表象理論を提案するマイケル・タイは、現象的特徴が表象内容であるとし、現象的特徴とは認知的利用のために準備された志向的表象内容であるとしている。 表象主義者によれば、クオリアはとは、信念と欲求の形成という高次認知処理にとって利用可能であるように準備された表象内容であると考える。また微細物理レベルまで同じ双子がいた場合、彼らの表象的な内容の違いとは、双子それぞれの環境での主体と対象との関連である。表象理論では、クオリアは「主体が直接的に意識している観念の内在的特質」ではなく、むしろ「個人とその環境との間の外的な関係によって決定付けられる外在的特質」である。クオリアは表象的特質と同一である。ゆえに表象的内容が同一である双子は必然的に現象的特性も同一であることとなる。 批判 物理主義の立場からは、表象理論を前提とする限り、「世界」とは個々の人々の主観的表象の構成物ということになり、人の数だけ世界があるとする相対主義が帰結し、全ての主観に共通の客観世界の説明が困難になることが指摘されている。 J.J.ギブソンは、表象理論を前提とした伝統的な知覚理論は知覚経験を正しく捉えていないと批判し、我々に直接与えられるのは世界そのものの知覚であり、純粋な感覚印象のようなものではないとし、「アフォーダンス(直接知覚論)」を提唱した。 性質二元論の立場からは、経験の表象的内容は同一であるが現象的特性は異なる可能性(逆転クオリア)、また経験が別の表象的内容を持っているが現象的に同一である可能性(逆転地球)を示す思考実験によって、表象理論が機能主義と同様にクオリアを説明できないと批判している。 参考書籍・論文 信原幸弘――編『シリーズ心の哲学Ⅰ人間篇』勁草書房 2004年 太田紘史「意識の表象理論」『哲学論叢』 34 2007年 太田紘史・山口尚「反機能主義者であるとはどのようなことか」2010年 佐藤英明「直接知覚の認識論と生態学的環境の存在論」中央学院大学人間・自然論叢 (21) 2005年 鈴木貴之『ぼくらが原子の集まりなら、なぜ痛みや悲しみを感じるのだろう 意識のハード・プロブレムに挑む』勁草書房2015年 信原幸弘「知覚と表象」『理想』No.672, pp.83-96 2004年 山口尚 「知識論証――その歴史と展望」2009年 太田紘史, 佐金武「意識経験の現象的統一:表象主義的アプローチとその問題」『Contemporary and Applied Philosophy』, vol.3, pp.1-27, 2011年 前田高弘「表象としての経験」『科学哲学』38-2 2005年
https://w.atwiki.jp/haxleague/pages/174.html
監督の立場としては、監督限定でもいいので試合リプレイは見たいですね、いい選手がいればスカウトしたいですし -- (watataku) 2016-09-05 09 31 59
https://w.atwiki.jp/menskousaiclub/pages/16.html
交際クラブ(デートクラブ)は風俗ではありません 交際クラブで出会った女性との交際内容は完全に自由です。本物の恋人同士のようにラブラブするもOK、結婚を見据えて真剣交際するもOK、割りきった大人のお付き合いをするもOK。 なお、紹介後は女性と何度遊んでもクラブにお金を支払う必要はありません。初回の紹介料のみでOKです。 既婚者という立場を隠さずに出会える 婚活サイトや合コンなど出会いを提供してくれる場所は基本的に「未婚」男性が利用の前提となりますが、交際クラブにおいては既婚者も利用することが可能なのです。 交際クラブで出会える女性達はこの点も理解しているので、男性は出会った女性に対して既婚者という立場を隠さずにも気兼ねなく出会うことが出来るのです。 交際クラブを利用すれば未婚の男性・既婚の男性問わず、誰でも自由な恋愛を楽しむ権利を得るこということがメリットだと考えられます。 効率よく出会える お仕事が忙しいと、女性と出会う機会というのはなかなかないかもしれません。しかし交際クラブを利用すれば、 女性とのセッティングを運営が行ってくれるという点です。交際クラブでは出会いたい女性を決めれば、その女性と出会うまでのセッティングや段取りを運営側が行ってくれます。 男性は出会いたい女性を決めれば、あとは当日を迎えるのみなので男性会員の手間はないのです。忙しい男性にとって無駄なく効率的に魅力的な女性と出会えます。このひと手間は大きなメリットだと言えます。 自由恋愛が出来る 一度セッティングした後は、初回デート時に連絡先を交換しておけば2回目以降は交際クラブを通さなくてもよいので、余計な費用は掛かりません。
https://w.atwiki.jp/tachyon/pages/21.html
管理人の独り言 このページに移設。 ウィキ・タキオンの管理人が感じたこと。 ウィキリングを見習い、自分も日々感じたことを書いてみようと思います。 上の文章のほうが新しいです。 アイドルグループ、嵐の私生活。 赤西・錦戸ばかりが問題視されるが、嵐・・・。 もう、これ以上書くことはありません。 嵐は擁護されすぎである。 過去には交際相手が自殺したことだってある嵐のメンバー。 だが、マスコミは及び腰である。マスコミもネットもいいひとイメージをつけることに必死である。 いつか嵐は大麻かそれ以外の犯罪で逮捕されるかもね・・・。 と言うか人を殺すぐらいしないと逮捕されないかもね・・・。若しくは、人を殺しても擁護されるかもね・・・。 この話は自分の妄想と戯言なので真に受けないでくださいね。 文を修正。 2011/12/23 ビートたけしとやしきたかじんと暴力団。 今更どうこう言う話ではない。そんなことわかりきっていることである。 芸能界は2人を許してきた。 みんな知っていて、恐れていた。ただ、それだけのこと。 騒ぎ立てるやつは、北野武や、やしきたかじんに芸能界におれんようにさせられて終わり。 そんなのわかりきっていること。本人らが自ら語った破天荒エピソードは今は放送できないレベルである。 だけどそれがどうした。マスコミは2人を批判できるのか?。 結局、強い立場になったもんが勝つのである。ビートたけしとやしきたかじんを批判できるマスコミはこれからも存在しないと思う。 それとも、批判できるのか? ネットですら擁護している。批判できるのか?。批判するのがタブーなんだよ。批判できるのか?。 友達にでも言ってみろ。「北野武は暴力にまみれている」。 なんて言うかな。友達は。「たけしはいいひと」そう言うんじゃないかな。 自分は北野武氏を「いいひと」などと思ったことは一度もない。でも、北野武氏を批判したことも一度もない。批判しても無意味だから。 あぁーいう人なのである。だれも逆らえない。それがどうした。なにか悪いのか?。 強い立場になったもん勝ちなのである。 「一万人以上の女とやった」と自ら語っていたときは流石に引いたけど。モテるな。やっぱ強い男にならんとな。 誰にも批判させん立場ってやっぱ女性にも魅力的に映るんだろ。星野仙一だってモテモテらしいからな。 星野仙一氏は裁判で暴力団との関係が明らかになった。でも、それがどうした?。誰も批判できんだろ?。そうだろ?。 強い立場の男にならんと。自分も強い男になりたい・・・・・(笑) 擁護するとウィキリングファミリーのほかのやつになんか言われそうなので中立っぽく書いてみました。 ちなみに暴力団を肯定しているわけではないのであしからず。 2011/12/01 宮武嶺=徳岡宏一朗氏の言動。 ザッカーバーグ君 が隠しページで書いていることも一理あるとも思いますが 徳岡宏一朗氏こういった記事を書き続けるのは極端な反日思想からであると考えられます。 要は彼は日本の国益、ならびに日本人のタメになることをしている政治家らを批判しているのです。 その証拠に脱原発と言っているわりに脱原発の人を批判したり、そのわりに原発推進派の人を擁護したりと不安定。 朝鮮半島のタメになる人を擁護しているように思います。 宮武嶺氏の言動の一部⇒http //blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/621bcbc8b5e9b0c7333123d3bb44f664 たしかに愛国主義のリベラル主義であるザッカーバーグ君であるのでこの記事に怒るのも無理はないな。 彼は反論も許可するみたいなことを言っといて、最終的には記事を批判させない一方的な人のように思えますね。 我がウィキリングファミリーはコメントすら認めていませんが、ただ、管理者による思想の違いによる保守の意見もリベラルの意見も許可しています。 2011/11/09 フリージャーナリストの情報源。 フリージャーナリストの情報源は泥臭い。 2011/10/22文章を再編集。2011/10/23 ウィキリングファミリーの元フリージャーナリスト。自分は違いますが。 人脈はあっても情報はあっても大衆に評価されなければ誰も雇わない。また、価値のない情報として扱われる。 フリージャーナリストに対する批判ではありません。でも現実。現実は悲しい。そうですよね?。 2011/10/22 さっそく書きます。一回目は杉浦太陽さんのこと。 杉浦太陽氏。この人、何を言ってもやっても擁護されるじゃないの。特に産経に。何をやっても批判されないんじゃないの?。マスコミは怖いです。 よきパパ。杉浦太陽。 2011/10/22
https://w.atwiki.jp/ringofpair/pages/13.html
ニーナとであったとき龍帝は異能を除けばただの龍だった 幼いニーナは村に程近い森の中で手負いの龍を見つけた 森は精霊の密度が高く唯人が近寄ることは殆ど無い(ニーナはそれを知らない) 龍の存在がある意味禁忌に近いことを知らなかったニーナは珍しい獣だと治療をしていた 龍は完治しすると忽然と姿を消す 彼は森の危険性を熟知し、人間にとって精霊の気配が決して安全ではないと知っていた ニーナは成長すると精霊を祭る巫女になる 精霊に好まれる性質ゆえ一部の人間には異端視されるが人々の生活の上での重要な立場となる 一方龍帝シンは精霊に異常なまでに望まれる人間、ニーナの事が心に残り続けていた 当時閉鎖的だった龍族のあり方と世界(精霊)との付き合い方に思う所があった彼は人間に渡りが付けられないかと思う この時代では個体数は、人間>龍>エルフ の順で人間が最も多かった(鳥族未発生) ふらりと訪れた人里でニーナが社会的に高い立場にいる事を知る 政治的な考えも少なからずあったが彼自身、龍にしては幼かった事もあり懐かしい少女に会いに行く ちなみにこの時点で龍帝は龍達の中心的存在にいる 印システムも確立済み 後に印システムにより龍族は繁栄していく事になる 龍帝と再会したニーナは彼を以前助けた獣だとは気付かない 龍帝が正体を明かさなかった事もあるが、竜の生態は人には殆ど知られておらず人との見分けは寿命ぐらいしかなかった 人と関わる内に龍帝は種族間の差異を知り、軋轢の強さを予測した 己の確立した印システムは世界と龍の結びつきを確固たる物とし、種族の強化につながった では対外的な影響はどうであったのか…と 印のシステムは世界との契約 一方的な破棄は出来ない性質のもの 例え龍帝が悔やんでも取り返しは付かない 思い悩む龍帝を慰めたのが巫女になったニーナ 責任の重圧に耐えかねていた龍帝はそれまで隠していた自分の立場としてきたことを告白 ニーナは責めることなく「双子の指輪」の元となる案を提示する(元はもっと穏やかな内容だった) 片や一族の統率者、片や世界の窓口にして人にして人に在らざる者 慕われるか否かは別にして立場上の孤独を強いられていた 一度縋ってしまうと一人で立つのは辛い事 龍帝は次第にニーナに心を預けるようになる 双方異なった切り口で物を見て互いに支え合うようになるのにそう時間はかからなかった 龍帝は自分たちが二種族の架け橋になろうとプロポーズ ニーナもこれを快く受ける 無論多くの者は反発を示す 龍族は「対等などと片腹痛い、脆弱な人間如きの力など要らぬ」 人間は「あのような化け物どもに関わるなど冗談ではない、家畜にでも成り下がる気か」といった感じに 数多の妨害を乗り越え、反対を押し切って結婚 この影響で龍と人間の夫婦が急増、世間の風当たりも徐々に弱まりざるおえなくなる 龍帝は婚姻の証に「双子の指輪」を贈る 指輪は二種族の絶対的なパワーバランスの差から生まれる問題を緩和する為に創り出された この行動は人間に傲慢を植え付け、龍族に恐慌を引き起こす事となる 人間は龍族が自分達に屈服し隷属したと思い込み、龍族は殺生与奪権を人間に奪われたと恐怖した 龍族の過激派はニーナから指輪を奪おうとし、龍帝の目前で襲い掛かる 龍帝は同胞を害する事が出来ずじりじりと消耗していく 狙いは己独りだと理解したニーナは囮になるため龍帝と逸れる 直後ニーナは指輪を確保しようとした人間に襲われる 急いで駆けつけた龍帝は指輪を取るために傷つけられたニーナの死体を見つける(指輪はニーナの血を引くものでなければ触れる事も出来ない) 龍帝サイドからは同胞が害したのだととれる 龍帝は暴走、龍形になると手始めに反対派の有力者を殺し、反抗する者を殺していった 次第に理性を摩り減らし、目に付く全てを殺しだす しかし、印システムによって生命力をギリギリまで削られていたので急激な消耗を見せる 弱った所を生き残った同属が断腸の思いで殺害 残った有力者達はエルフに調停を依頼 エルフは人間と龍族の別離を進める 龍族は人間達から離れ国を築く この時、龍帝シンを初代龍帝と定め、彼が生前発案した王族制度を国の基盤とする 一方人間は龍帝の行動を、巫女を害した同属を厳しく制裁した=同属より巫女(人間)を重んじたと曲解 龍族最強の龍を御した女性、龍族が主と定めた人間と神聖化し彼女を象徴として女神教(仮)をおこす これが女神ニーナ誕生の瞬間 「龍を、ひいては世界を御する人類よ不屈なれ」人間を頂点とする教えを柱に人間達は国という集団になる 龍帝の事件を重く受け止めた龍族長老達の一部は秘密裏に指輪を回収 多くの龍族に隠れて現在の指輪システムを定める