約 103,412 件
https://w.atwiki.jp/yugio/pages/15820.html
神科学因子カスパール チューナー・効果モンスター 星10/(闇属性)/(悪魔族)/攻 0/守( 0) (1):1ターンに1度、発動できる。 このカードのレベルを2つ下げ、このカード以外の自分フィールドのモンスターのレベルを1にする。 チューナー レベル変動 悪魔族 最上級モンスター 闇属性
https://w.atwiki.jp/sotsjpn/pages/33.html
科学技術 バージョン 2.0.24645.1を反映 Ballistic Weapons Biotechnology C3 Technology Cybernetics Drive Technology Energy Technology Energy Weapons Engineering Industrial Technology Political Science Psionics Rider Technology Shield Technology Torpedoes Warhead Technology
https://w.atwiki.jp/kaken/pages/14.html
科学研究部の部員に必要なもの 化学、生物、物理など各研究班に必要な知識と努力、向上心。そして、礼儀。 レベルの高い研究を行うためには高校で行う勉強(化学、生物、物理)は基礎であり、 研究内容により大学クラスの知識を必要とします。 簡単にすると... - 圧倒的科学力 - 圧倒的向上心 - 圧倒的努力 - 圧倒的ユーモア・・・ 向上心と努力だけでも何とかなりますが・・・
https://w.atwiki.jp/hisnet/pages/27.html
中国史研究を行っていたソ連の各研究機構の歴史に関する史料 科学院及び共産主義研究院の各機構で1920年代から30年代に中国問題について行われた一連の議論に関する史料 [典拠:アレキサンダー・M・グリゴリエフ(川島真訳)「ロシア国内各文書館所蔵 中国関係史料」『中国研究月報』(1995年、Vol.49, No.3, pp.23-31)]
https://w.atwiki.jp/cfvg/pages/5689.html
グレートネイチャー - ハイビースト グレード〈2〉 ノーマルユニット (インターセプト) パワー 8000 / シールド 5000 / クリティカル 1 自[CB(2)]このユニットが(R)に登場したときコストを払ってよい。払ったら、あなたの山札からカード名に「科学者」を含むカードを1枚まで探し、(R)にコールする。 フレーバー:時には夢にふけることも必要だ 順位 選択肢 得票数 得票率 投票 1 強いと思う 1 (100%) 2 使ってみたいと思う 0 (0%) 3 弱いと思う 0 (0%) 4 面白いと思う 0 (0%) その他 投票総数 1 ループの補助はありがたい (2016-02-29 12 18 17) CB2は重いけど、ループ発動できれば強い (2016-02-29 12 18 56) コメント <利点> テスターフォックスの無限ループを行うために必要な「リサーチャーフォックス」を山札から引っ張ってこれます。 サーチ対象が「科学者」なので、一応リサーチャー以外のユニットにも有効です。 <欠点> テスターフォックス軸はダメージゾーンのカードを表にできるとはいえ、CB2は重いです。 そして、手札にすでにリサーチャーがあるとき、このカードが腐ってしまうという状況も考えられます。 - -
https://w.atwiki.jp/anatafcollege/pages/49.html
┏━━━━━━━━━━━━┓ シエルタ大学 3号館 ┣━━━━━━━━━━━━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ いわゆる文系科目を幅広く学べる社会科学部の本拠地であり、官僚や政治家など国家中枢に独自のコネクションを持つ。 他学部との関係性は薄めで、学部内は派閥体制をはじめとした独特の雰囲気が漂っている。 但し図書館と1号館の真ん中あたりに位置している関係上、研究のため双方を行き来している職員は多い。┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 二号館……社会科学部の本拠地 図書館と1号館の間あたりに位置しているため、双方によく関係者が流れてくるわけだ。 号館のときと同じく【文系科目に精通する教員たちやそれに関する情報が多いだろう】 関連人物 学部長 パリストン=ヒル 教師陣教授 ---- 准教授 わたしちゃん 准教授 ---- 生徒黒木智子 射命丸文 青葉
https://w.atwiki.jp/retrogamewiki/pages/6945.html
今日 - 合計 - 空想科学世界ガリバーボーイ 空想科学パズル プリッとポンの攻略ページ 目次 基本情報 [部分編集] ストーリー [部分編集] 攻略情報 [部分編集] Tips [部分編集] プチ情報 [部分編集] 関連動画 [部分編集] 参考文献、参考サイト [部分編集] 感想・レビュー 基本情報 [部分編集] ストーリー [部分編集] 攻略情報 [部分編集] Tips [部分編集] プチ情報 [部分編集] 関連動画 [部分編集] 参考文献、参考サイト [部分編集] 感想・レビュー 名前 コメント 選択肢 投票 役に立った (0) 2012年10月09日 (火) 16時27分35秒 [部分編集] ページごとのメニューの編集はこちらの部分編集から行ってください [部分編集] 編集に関して
https://w.atwiki.jp/amizako/pages/195.html
!-- タイトル -- 科学者と理性 !-- -- 科学者という者が社会からは別箇孤立の人間であるごとく考える人もあろうが、 彼らはもっとも理性に忠実で好んで自我を表現せんとする人間であるからでもあろ う。人間一般は時代の進歩に伴って、より多く理性生活をなす状態になったが、未 だ前途はほど遠いのである。即ち科学の進歩は絶えず行なわれておりながら、我々 今日の知識として自然現象を充分|闡明《せんめい》し得ることが出来ないからである。なかんず く、生命に関する問題は人生にとってもっとも重大な事件であるにもかかわらず医 学者の未だ触れることすら出来ない現象が暗黒の中に|潜《ひそ》んでいるからともいえるで あろう。即ちこの点で迷信が|跳梁《ちようりよう》することも致し方なき次第である。 世の中には|迷信《めいしん》的な|取《と》り|極《き》めがはなはだ多い。中にも|縁組《えんぐ》み、|葬式《そうしき》、|住居《じゆうきよ》等に関 するものは日常見聞するところが多いが、|未《み》来に対する人間の|禍福《かふく》が|逆賭《ぎやくと》し|難《がた》いと いう点から出発しているのである。科学者はこれらの|煩項《はんさ》に対して理性的反抗をあ えてするが、周囲の説得に対して、心ならずも従うに|余儀《よざ》なくされる。 かような問題に対して筆者が人々に質問される場合に於ては、まず我らの周囲に は自然現象の存在すること及び事物の発生に偶然性のあることを以て答える。即ち 我々の生活には一日という単位がある。朝になれば太陽が上って明るくなり、夜は 暗い、これは地球の回転による我らの従わざるを得ない自然現象である。春夏秋冬、 これらもいかんともすることは出来ない。またこれらに|附随《ふずい》して、農作物の収穫等 までも自然現象にもっとも深く関連する|人為《じんい》的の|所作《しよさ》ともいえるであろう。 これは大部分周期性を|具《そな》えた現象と|視得《みう》るであろうが、世の中にはこれと性質を 異にした、偶然性を充分|具備《ぐび》した現象の多いことに気がつく。風の吹くこと、雨の 降ること等も偶然性に属するものとして|挙《あ》げてもよいであろう。もっとも偶然性あ るものはたとえば地震のごときもの、これは|何時来襲《いつらいしゆう》するか|予察《よさつ》することも知らな ければ、またその周期性もなく突然に発生する。もちろん地震の大きさについて発 生回数に差のある事はもちろんであって、小地震は多く、大地震は少ない。この配 分にも何か意味があるのであろうが、現今我らの知識はその点に到達していない。 鳥の|哺《な》くのも、|鯉《こい》の水上に|跳《と》び上るのも周期的現象ではなく偶然性のものに属する であろうが、なお偶然性を持つものとして、我々の生命を|脅《おびやか》すものは病気の来襲で ある。 病気は極めて不秩序に来襲する。もちろん冬に呼吸器の病に|冒《おか》されやすく、夏に 消化器の病に冒される率の多いということはあるであろうが、一個人としては病を 得るのは全く偶然性と考えてよいであろう。病気の発生が極めて偶然的に来襲する ことを以て、これを理性的に解釈し難いものとなし、世人一般はこれをなにごとか の原因、たとえば日の悪いこと、|方角《ほうがく》の悪いこと、|信仰《しんこう》の足りないこと等に結びつ けて|納得《なつとく》しようとする。この行為は正に|迷信《めいしん》の|然《しか》らしむるところである。即ち理性 的にはこれは偶然性を以て説明せんとするに反し、一方には迷信的行為が|擾頭《たいとう》する のである。 科学老は全く事物を理性によって合理化せんとする人間であるだけに、世間一般 よりは|変哲《へんてつ》な人間と見られることもやむをえない。しかし、一般の人間が今少し理 性的に進歩するならば、おそらく|消滅《しようめつ》すべき観察となるであろう。即ち我々は偶然 性を信ずるが故に、以上の事物に対して全く理由なきことをいうのであるが、無智 人あるいは宗教的信仰上から、|天讃《てんけん》の存在を信ずる者に於ては決して偶然性として それを考えることが出来ないで、なんとか原因を考えなければ|承知《しようち》が出来ないので ある。またその説明たるや極めて|荒唐無稽《こうとうむけい》たるもので、むしろ|噴飯《ふんぱん》にたえざるもの がある。科学の発展あるいは施設が進んで、ある場合には我々が偶然と考えたこと も、未然に説明し得ることも生ずるであろう。 一方に於ては全く理性的考察のみによって、判明する場合もあろう。たとえば伝 染病のごときが来襲する|道程《どうてい》は明白とすることが出来るのであって、|家相方位《かそうほうい》、|天譴《てんけん》等の思想はこの前に全く消散するのである。今日我々はコレラ、天然痘等の伝播 経路《でんぱけいろ》は全く明らかにせられて、たとえば東京において生ずる患者のごときは偶然に 生ずるということなく、世人も|禁圧《きんあつ》、|祈鷹《きとう》等によって、その|罹病《りびよう》から|免《まぬが》れんと試み るものの一人もなくなった程度に理性的考え方の進んだことは全く|慶賀《けいが》すべきこと である。|漸次《ぜんじ》他の病気にも及ぼして、病原体の|絶滅《ぜつめつ》せられるならば全く偶然性はな くなるであろうが、今日に於ては病原体の各処に|散布《さんぷ》され、人間の各所に存在する 限りは、|罹病《りびよう》するものは全く偶然的であるというよりか、その域は脱し得ないので ある。 自然研究に当るものも、以上の二区別に|該当《がいとう》する研究法のあることを思い浮べる ことができるのである。即ち全く偶然性なくして、人々が理性的に働く事によって、 いわばその時間に比例して仕事が|進捗《しんちよく》し得る性質の研究法があるのである。しかる に一方には、いわば偶然的に事物が判明するものがあって、我々の経験がある事物 に|接触《せつしよく》して、初めて研究の発展が行なわれるものがある。これは上述の二種の病気 の場合と同じである。|而《しこう》して偶然的に接触する我々の経験のほうが科学の発展にお いて、輝かしき|業績《ぎようせき》を残しているもののほうが多いのであって、いずれの科学者もか かる偶然性を望まぬものはないであろう。 またかような希望が民族的に、時代的に異っているのは事実であって、試みに以 上の分類に従って科学史上の業績を調べてみるならば|直《ただ》ちに判明することである。 たとえば、ラテン民族の科学上における業績は多く、発見、発明という部類に入れ 得べき業績の多きに反し、ゲルマン民族の科学上の業績は推論的事物の著しきこと を知るのである。この区別がいかなる原因により、またいかなる|雰囲気《ふんいき》によって|醸《かも》 されたるかは、容易に説明し得ざることであっても、以上の事実は|厳《げん》として疑うべ きものではない。 我が国においても、従来科学の研究は欧米人の|糟粕《そうはく》を|嘗《な》むるを以て、本旨なりと いう思想があり、異説を立つるに於ては、科学者として|背徳《はいとく》もはなはだしき者とし て、|爪弾《つまはじ》きされたのであるが、これは必ずしも学力の低劣がかかる事態を生ぜしめ たばかりではなく、思想上かかる処置を生ぜしめたと考えられる。これは明治年代 になって、海外との交通開け、その国固有の科学発展なき国民は欧米の|燦然《さんぜん》たる文 化に目を|眩《くら》まして、一も二もなく欧米の文化を|模倣《もほう》する態度に出でたのであって、 その影響としては欧米を師として、日本科学者末輩の|先鞭《せんべん》をつけることを深く|慎《いまし》め たともいえよう。我々学生時代において学界諸先輩の言動の中、かかる思想のしば しば|発露《はつろ》したるを見聞するに於て、以上の原因に|胚胎《はいたい》するものとして想像を|恣《ほしいまま》にし たものである。しかるに今日においては自然研究者として多くは独自の見解を持し て、研究に|遭進《まいしん》する傾向にあるは|慶賀《けいが》する状勢といわざるを得ない。が、中年以上 の研究者中には自己の力を信じて遭進するというよりは欧米の研究に|依存《いぞん》して、そ の道に従って研究を進める|輩《やから》のなきにしも|非《あら》ざる状態である。 研究者はまさに欧米における研究に眼を配るべきは当然ではあるが、この道のみ が唯一の進行方向であると考え、彼の|荊棘《けいきよく》を|踏《ふ》みたる楽なる跡を|追従《ついじゆう》するに於ては、 実に|嘆《なげ》かわしき次第である。彼の研究を参考にするはよし、追従するべからず、こ れは一般に他研究者の行なえる業績に対する態度であろう。この意味を以てすれば 研究者はいたずらに文献を|渉猟《しようりよう》することは|避《さ》けなければならぬ。渉猟するあまりは 彼らの説に引き入れらるるおそれが充分窃るからである。むしろ研究を初めとして、 幾分にても自己の仕事が|進捗《しんちよく》せる上にて文献を参考とすべきである。別々に仕事を 始めて他人と同じ研究をすることはほとんどないといってよいであろう。人が異なる 場合に於ては装置、材料等の全然一致することはあり得ないことであるから。 研究を|遂行《すいこう》しつつある時に研究者は全く偶然的に新しき現象に接触することがあ るであろうが、これを|把握《はあく》し得る人はまた一種の才能を有しているのである。偶然 を全く当て物のごとく考えて|卑《いやし》めるは|採《と》らざるところである。偶然にもせよ推理の 結果にもせよ、科学の発達に寄与する現象を捕え得たのは、その道として全く慶賀 にたえないものであるからである。誠にかくして科学は進み|来《きた》ったのである。我々 は今日の伴戦の鱗蟹に先輩諸学者の功績を僻び、現在それに寄乎せんことを職い、 将来ますます発展に|与《あずか》る諸学者の努力精進を夢見るものである。科学は永久にして、 人生の短きを嘆じなくてはいけない。短かい人生の努力の集合が、科学をして永遠 たらしむるのである。 !-- タイトル -- 外国語と自然研究 !-- -- 外国語の|習得《しゆうとく》は通例の日本人は中学初年級から始める。英語を|専《もつば》らとするが、高 等学校に入るに及んで、ドイツ語あるいはフランス語が追加される。|然《しか》るに自然研 究に携る人士は多くドイツ語を学ぶのである。|而《しこう》してかくして多くの書籍、多くの 研究論文を読み得ることになるのである。今ここに考えようとするものは実に習得 語の自然研究者に及ぼす影響の問題である。高等学校以来外国語を習得する時間は 生活中の相当時間に当ることは事実であり、少なくともこの間は言葉を通じて、外 国語の組立て方法、|思索《しさく》の仕方、あるいは文化の発展道程に|馴《な》らされることも事実 といわざるを得ない。即ち一外国語をたんねんに習得する場合においては、語学の みならず思索方法についても、その国独特の傾向を受入れることは否定し得ないこ とであろう。したがって一外国語に精通する研究者の思索、手法等はドイツ化しあ るいはフランス化すると称しても差支えないのである。しかもある外国語に精通す ればするほどその影響は|顕著《けんちよ》となるのである。言葉を習うことになんら危険もなく、 なんら不合理の点はなき様なれども、言葉を知るに及んでは思想、手法がその言葉 に同化される恐ろしさを知っている人はおそらく少ないのではないかと思われる。 以上述べたるがごとく、日本教育の大部分はその範を英国、独国に採っていると ころから、我々は知らず知らず、両国の影響を充分に受けて、自然研究に携るに於 ても両国の方法に学ぶ点が多く、また、かように進展させなければ納得し得ない学 者も多いのではないかと思われる。 確かに両国、とくにドイツ流の研究に於て科学の|進捗《しんちよく》発展する部分のあることは 信じて疑わぬものであるが、かかる影響のみにて可なりやという問に対しては、直 ちに否と答えるのは筆者のみに止まらぬところであろう。その理由とするところは あまりに|演繹《えんえき》的の研究であり、|独創飛躍《どくそうひやく》的の研究に遠いというのである。ドイツに おける科学の発達はあまりに|空想《くうそう》的に|堕《だ》するを|憂《うれ》え、フンボルトの|唱《とな》うる実証的研 究をもっぱらとすべしという議論に基づき、研究発展の道を|辿《たど》りたるには相違ない が、ウィルヘルム一世治世下において、隣国仏国科学の独創的発展の著しさを思い、 同名を冠する研究所を建設して、隣国に劣らざる発展を計画したものである。その 行為たるや誠に結構なる発足には違いないのであるが、その結果から見れば、むし ろ競争をして科学の一番乗り|争《あらそ》いをするというよりは、隣国の及ばざるところを独 逸国が補い、隣国の企てなき点を独逸国が進捗せしめて|完壁《かんぺき》なる科学を地球上に打 ち建てたと思われるのである。したがって、日本国に将来せられた科学および自然 研究方法の大部分は完壁なる科学の一部分であると見る方が正しき判断であること を思わしめるのである。即ち、日本の科学は範を一国に採るだけに、一方面の発展 せる片寄った存在であることを思わなくてはならぬ。 筆者はドイツ流科学の悪口をいうつもりでこの文を草しているのではない。しか し、世界的科学の建設に対して一国の|流儀《りゆうぎ》のみを導入して完壁なる自然科学の発達 は出来ぬと考えるが故に、かく切言するものである。また一国の文化の標準をも示 すべき科学発達を高める上に於ても、一方的の存在を以てしては、はなはだ満足し 得ない状況にあることを説かんとするものである。 |而《しこう》してこの到達はもっばら外国語の|偏重《へんちよう》から出発しているという事を指摘するも のである。日本における外国語の教養が上述のものである結果は、フランス科学と 接触すべき機会がはなはだしく縮小され、極めて特種の日本人のほかはラテン民族 文化の全く|等閑《なおざり》にされていることも事実である。即ち研究に志す人々の中、高等学 校として収容する極めてわずかの学生および、なおわずかな数のものとしてフラン ス文化に|憧《あこが》れを以て渡仏して勉学をするものを除いては、全くラテン科学に接触す るものは絶無である。ヨーロッパ各国において行なわれた自然研究は各専門雑誌を 通じて世界各国に報道されるから、何もその国土を踏む必要なしというにしても、 科学のみがその国を代表するものでもなければ、かかる科学を生じたる文化の母体 を観察することが必要である。また日本人の自然研究者が果してかかる雑誌を容易 に読み得てラテン科学のみにても接せんと心掛ける人があるであろうか。これは確 かに学校課程における|欠陥《けつかん》の|然《しか》らしむるところであり、フランス語の習得を行なわ ぬ結果であるが、フランス語に接せざるが故にフランス語が読めないという事はむ しろ|些細事《ささいじ》であって、フランス語に接しないことによってラテン的科学思索の欠乏 に陥ることの方が全く|寒心《かんしん》に|堪《た》えないことである。 かく論じ来れば筆者はあたかも自然研究はすべてフランス|流《りゅう》を尊べというがごと くに聞こえるかも知れぬが、かかる意図は全くない。ただフランス的に物を考える ことなくして科学の前進が行なえるかを反問するにほかならない。これは一面から 見れば科学思想の論争である。国家思想に関するもののみが思想論争ではなく、む しろ科学思想中にあって、正しき処置を必要とするのであって、放任することの不 可なる点を説くのである。 筆者は習得する言葉の関係が思想に影響することを述べたが、その言葉には自ら 思索が伴うものであり、知らず知らずの間に思想が|培《つちか》われて、物事の考え方も自ら 導かれて行くのである。 科学は世界唯一に合致するものであるとか、あるいは科学に国境無しなどとの所 論を屡々聴くが、出来上った|暁《あかつき》はおそらく何人も理解する点に於て|然《しか》りであろ うが、実際に創造し、形成する場合においては全く異った見地にあることを知らな くてはならない。フランス人の発見、発明の業績に富むに反し、ドイツ人の|演繹《えんえき》的 業績に|抜《ぬさ》んでることは|衆目《しゆうもく》の|許《ゆる》すところである。日本人の自然研究者の中にはこの 両者の思想の|奈辺《なへん》にあるかを知らずして、互に他を|誹諺《ひぼう》して|醜《みにく》き個人攻撃の生ずる 等も要するに、思想問題の致すところであろう。 誠にあらかじめ定められた定理、仮説から出発してそのものの中にすべての現象 を|包含《ほうがん》せんと試みる論者に対して、なんらあらかじめ待ち設けたることなく、研究 の進むにつれて|随時《ずいじ》追加、拡張して研究を進めんとするものとの二種を見ることが 出来る。また研究方法についても、あらかじめ定められた器械を以てただ測定に従 事することを以て研究の|常道《じようどう》と心得るものがあるに反し、簡単なる器械を以てある 程度までは進み、必要に応じて複雑性を増して研究を進める態度との間には自ら確 然たる区別のあることは一度研究者間に立ち交って、その行動に注意するならば充 分見聞出来るものである。 次にフランスにおける科学の発展過程を見るに、何故に発見、発明の多いのであ ろうか。ラテン民族はチュートン民族に較べて|隔絶《かくぜつ》した特長を持っているのである。 それは第一に直覚的|推察力《すいさつりよく》を有するという問題である。この直覚的行動はおそらく 先天的に|具備《ぐび》したものに|相違《そうい》ないが、後天的にも|涵養《かんよう》されたものでもあろう。即ち、 一般社会が直覚的の行動を好み、かつ|賞揚《しようよう》する傾向にあることも事実であるからで ある。この創作的の事物、即ち多少は不備の点はあっても、人々の意表に出でたも のを以て充分の価値ありとして認める点は日本に於ては見られぬ事柄である。日本 の学界においては創作的のものを賞するよりはむしろ、不備なる点なく、確かにし て労力のかかったものの方を採用する傾向にある。これはおそらく民族の共通|嗜好《しこう》 であるかも知れないが、科学文化の発達に対しては一階段であり、その嗜好も時の 流れとともに変化するごとくである。 かつては上記の態度が一層著しかったものであるが、今日にては多少|変遷《へんせん》を見せ た様に思われるところもある。また従来の傾向は本来日本人の性格ではなく、いわ ばゲルマン民族からの借り物であったかも知れない。即ちゲルマン文化に接触して いる中にその嗜好に移ったのであって、日本はその文化、その思想に|災《わざわい》されて、本 来の性格を失っておればこそ、時の流れとともに変化を来たしているのであろう。 ラテン民族の作り上げた文化は直覚的文化といって差支えあるまい。その科学上 の業績においてもその傾向の著しく見えるのは、一度科学史を|繕《ひもと》くもののただちに |肯《うなず》かれるところである。フランスに於ける科学発達も決して自国人のみにて築き上 げられたのではない。ルイ十四世治世においてはヨーロッパ各国より著名学者を |巴里《パリ》に|誘引《ゆういん》して、研究を|旺盛《おうせい》ならしめたのである。オランダ人ハイゲンス、イタリ ア人ラグランジュ等はいずれも|招聰《しようへい》された学者である。これは正に富の力によって 学問の発達が行なわれたと考えられよう。聞くならく、北米合衆国に於ても主とし て|独逸《ドイツ》系ユダヤ人学者を|招聰《しようへい》する傾向にある。かくて学風の起こることは結構であ るが、将来に対する|葛藤《かつとう》の|有無《うむ》は何人も断じ難い。 このフランスの学派の栄えたのも結局、ルイ王朝を中心として興ったもので、国 力の進展せる時代の波に乗って科学も進展したのである。今日、日本の科学が一転 機となり、ここに|旺盛《おうせい》に|転換《てんかん》しようというのも全く、シナ事変の影響として日本国 が一大転機に属しておるのと同様に見られる。|而《しこう》して科学の研究の要素として、ゲ ルマン文化も必要であると同時にラテン文化の要望も行なわれなくてはならぬ。一 個人にて両文化を体得することは困難であろうが、以上の二特色を別人を以て備え しめることは充分可能のことである。日本文化は今日のところ、ヨーロッパにおけ る二大潮流を合流せしめ、ここに美しき日本文化の咲き誇る園を実現したきもので ある。 今日、日本において要望する自然研究方法は正に直覚を充分働かせたものであっ て、自然現象を見ればただちに月並手法を以て、|解析《かいせき》に努めるごときやり口は捨て、 現象の研究大道にいかなる役を演ずべきかを|熟慮《じゆくりよ》し、小を捨て大につき、研究の大 方針を定め、その命ぜられるがままに直覚的に研究題目の選定に当り、研究の大系 に即して各自の行動を盛ならしめなければならない。研究という美名の下に隠れて、 |些細《ささい》なんら大道に縁なき研究に|得々《とくとく》として従事する研究者輩の数はいかに大なりと いえども決して、科学に|寄与《きよ》することの少なきは寒心に堪えざるものである。 以上の論に対してある人はいうかも知れない。研究者の人数を多くすることが結 局よき研究の生ずる|所以《ゆえん》であると。しかし、筆者は決してそうとは思わない。思想 の正しき研究者を少数にてもよろしいから、かかる人士を集めて、かたよらざる|怠《おこた》 らざる態度にて研究を|進捗《しんちよく》せしめるならば、科学のいかなる部門といえども容易に 発展するものと信ずる。この思想の|涵養《かんよう》、これこそ|至難事《しなんじ》といわざるを得ない。 思想の教養は、修得せる外国語と大関係あるはすでに述べた。これは語学の罪に 非ずして外国語に|馴《な》らされたる思索傾向によるものと思われる。筆者のいうところ はラテン文化に即する思索の持主を今少しく養成して欲しいということである。 |滔々《とうとう》として世を挙げて研究の一つの型に|迎合《げいごう》するを研究となすことに不満を呈する のであって、違った種類の研究方法を充分導入すべきであると信ずる。周期的に変 化する曲線を見れば、フーリエ分解をなすのみにて|事了《ことおわ》れりと考える人も必要であ ろうが、他の考察から別途実相を|把握《はあく》する研究もあってよいのである。これは正に 思想の区別から生ずる。誠に自然研究に大切なものはこの思想の傾向である。 !-- 四 -- !-- タイトル -- 特長ある人間 !-- -- 自然研究者は自然を研究する特別の人間、即ち一般人とは特種の才能をもった人 である。世の中が分業になってくると一人ですべての才能をもつよりも、一つでも よいから、人々を越えて優れた才能をもっていることが望ましい。この点は充分判っ ておりそうであるが、社会的に(学会の一範囲でも)認められ方が少ないのではな いかと危ぶむ。 たとえば中学校、高等学校等の教育において、数学がとくに秀でていても卒業す ることは出来ない。修身、体操のごときものも同時に出来なければ|駄目《だめ》である。修 身、体操が出来ないというのも、実は一生懸命にやらないからであるともいう。ま た少し頭のよい生徒ならば、やれば出来るのであるから、そんな学科を馬鹿にして いる性質が悪いのだといえば一応の説明はつく。もっともそれも|理窟《りくつ》には相違ない が、今少しく各個人の特長を認めて、その才能を充分伸ばすことに注意する気持が 充分必要であろう。大学に来ると、自分の好きな特種の学科に入学出来るのである から、その心配は大してないが、各学科の中にもまた、小分けがあるのはもちろん である。同じ物理学科の中でも実験の上手な人と数理解析の充分|堪能《たんのう》な人との区別 がある。この程度の学生になると彼らは自覚を以て好きな方に行くようになる。実 際好きであり、かつ得意な方面に行かないと才能が伸ばせないから自然にその一方 に行くのかも知れない。 筆者の知人に理論物理学者がいるが、時々学生時代の思い出を聞く機会がある。 その時筆者は、この人間のオ能は自分とはまるで違っているという感じを第一に受 ける。どうしてあんな困難な数理解析に興味を持って、毎日やっておられるかと聞 くと、|俺《おれ》は学生時代から|面白《おもしろ》くてならなかったのだという。なるほど、その人は特 別の才能があって、高等学校まではなんら別の人間ではないと思っていたものが、 大学で数理的理論を学ぶと、とつぜん|魂《たましい》が入れられたかのごとく、興味が油然とし て|湧《わ》いて、面白くて仕方がない境地に|浸《ひた》れたのだと思う。 これを考えると何故もっと若い年齢からこの|随喜《ずいき》的境地に浸してやらなかったか とも思う。これは日本の画一教育が相当の年までかからなければ出来ない|欠陥《けつかん》とも 考えられる。人々は各自に違った才能を持っているのである。しかし、その才能は 他人にはもちろん、自己といえどもその境地に|接触《せつしよく》して見なければ判らぬ場合が多 いようである。ただし子供の時に汽車が好きである者が、汽車の設計者になれると いうものでもなければ、また冒険談の好きな子供が探検家になるというのでもない。 また以上とは反対な場合もある。人々の才能を多く必要としない職業に携る場合 も大いにあるであろう。自分には何の特長がないと思って、ただ人の進んで行く方 に進んでいる中に大学を出てしまい、そのまま会社、銀行に勤めるという手合もあ ろう。この方があるいは多数かも知れない。特長がないと思っているもの、必ずし もないのではあるまい。その特長に接触する機会を失した者だともいえる。 かよう考えて来ると各自の特長に接する機会を多く作ることが第一になすべきこ ととも思える。而して好きなものがあれば、それに突進すべきである。ただし人生 は一本道であるから、やり直しは絶対に禁止されている。幸に突進する岐路が見つ かればよろしいが、後戻りをしてほかの道に行くことは許されない。理学部、文学 部に入った多くの人は、自ら求めて突進する者と考えられる。自ら求めた道は苦し くとも致し方がない。かような人といえども自然研究に対して才能の有無を疑う場 合もなきにしも非ずであるが、かかる人はおそらく極めて|些細《ささい》の原因に左右されて、 その道に入って来たものであって、むしろ才能の|履《は》き違いであったのであろう。 自然研究に携る人々を見るに多くはその道に適した才能ある人である。また才能 なければ人々の意表に出ずるごとき仕事の出来ないのも当然である。しかし、その 才能も充分分業的であって、数理理論に特長を持つものもあれば、実験に|堪能《たんのう》なる ものもある。いわば角なきものには牙あるの類である。而してこれらの特長は|漸《ようや》く 大学に来って、自己の興味から定まったものも多い。すでに述べたごとく、同じ物 理学の中においても、全く別人の感を抱かせる|変化《パリエテイ》があるのであって、かくて各自 の好きな方面に各自の腕を振えばよいのである。学の進歩を見るに、確かに以上の 変化が|如実《によじつ》に現われ来るごとくである。即ち各時代に各学科に学者はいるが、いず れの学科も平等に進歩を|遂《と》げるということはない。特長ある人間の散布によって、 ある学科がよりよく発展する時代があると同時に、次の時代には|沈滞《ちんたい》を続けるとい う状況を示す。これらはいずれも止むを得ざる状勢で、天才のその学科に現われた ると現われないとの差である。 ブッフォン Buffon の警句によれば、 !-- ここから引用 -- 天才は辛抱強いという一つの優れて大なる才能にほかならぬ。 Le g enie n est qu une grande aptitude `a la patiance. Buffon !-- ここまで引用 -- というのであって、先天的なものではないという。|而《しこう》してもし先天的にありとす れば努力を続けて行なう性質がそれであると解釈出来る。しかし、筆者は天才の才 能も先天的なものと考えたい。|珠《たま》は|磨《みが》かざれば光はなけれども、瓦は磨いても光を 現わすことはないのである。この意味を以て、たとえ天才ではなくとも特長ある人 士を要求し、またその特長を磨いてこそ、優越的な位置に立てるのである。 |運動競技《スポート》を見ていると、いかにも特長ある人々が直ぐに区別出来る。確かにその 道において|優《すぐ》れた人がいるのである。理智的才能の有無を見分けることは困難であ るが、スポーツとして走る、投げる、泳ぐ等は特長あればこそ勝つのである。スポー ツに勝って何になるか、そんなツマラない勝敗はやめよと識者はいうかも知れぬ。 しかしスポーツにても優勝し得る人は特種の才能を持っている人で、一般人とは何 事か秀でた性質を持っているのである。科学に携る人々も、側から見ると自然の現 象が判っても|何等《なんら》益にもならぬ、何んで心を悩すかともいう。しかし、そこには人 間の本能として心の奥に|曝《ささや》くものを覚えるからである。これは人間の心の中にある 理性慾から来るという人もあろうが、その外に人間を後から押すものがある。これ は優越感である、理性の慾望から見ると、確かに優越感の方が|卑《いやし》いとも考えられる であろう。しかし、いかなる学者といえども優越感のなきものはないであろうし、 優越感なくして社会に生きていることも出来ないであろう。 この優越感について筆者は、 !-- ここから引用 -- 軍人は敵と戦って常にこれを|撃滅《げきめつ》する|愉快《ゆかい》を思い、スポーツマンは練習を|怠《おこた》る事なく 優勝の誇りを心に画く。自然研究者の自然を研究し、またその結果を発表するに当っ ては、他人の企て及ばぬ|境致《きようち》に到達し得たことを喜ぶ。これらはいずれも優越感に非 ずして何ものであろうか。真理の追求に努力するところ、もちろん自然科学者の理想 は存在するであろうが、優越性を感ずるところ、力も|湧《わ》き|誇《ほこ》りも生じて、研究の進捗 する事実は何人も否定し得ぬものであろう。 !-- ここまで引用 -- といったことがあるが、確かに優越感に導かれて研究する科学者は多いのである。 誠に優越性を感ずる|嬉《うれ》しさは人生の一要素である。優越性を感ずるのは全く、特長 づけられた方面において他人と競争することである。筆者はランニングの選手にも なれなければ、|角力《すもう》の横綱にもなれない。したがってこの方面で人々と争うことを |為《な》さない|許《ばか》りである。また逆に|双葉山《ふたばやま》にも才能の欠けたところは充分あるのである。 人々は各自の才能を認めて、それを活かすところに意義がある。この点を誤る場 合に於ては人生を誤るのである。しかもその才能を磨くことの必要はもちろん、ま た優越的喜びを充分味わって|差支《さしつか》えないのである。|優勝劣敗《ゆうしようれつばい》は自然界の法則であ る、勝って誇らず、敗けて悔まざる精神も必要であるが、勝って喜ばず、敗けて悔 しがらざる精神は採らざるところである。学に携る人々こそ誠に|喜怒哀楽《きどあいらく》の|難《かた》き|哉《かな》。 !-- 五 -- !-- タイトル -- 眼底に映じて見えず !-- -- 眼中の|網膜《もうまく》に映じたものは、物理的には見えることになっているが、注意するこ となければ決して見えるものではない。即ち眼底に映じたものと、意表に上ったこ ととは別である。自然研究においても、万人の眼に触れているものでも、それを存 在物として学界に報告するということは常に出来るものではない。事物を認めると いう事は人々の意志の働きであって、これはその人々の思想によると称しても差支 えないものであろう。この思想は自然研究者にとって極めて大切なものであって、 これに従って事物が見えたり、見えなかったりする。古来偉き学者はいずれも、よ き思想の特主であったのである。ポアンカレーも言っているごとく、学者の功績を 讃える場合に仕事の|多寡《たか》を論じるより先に思想の良否を云々しなければならない。 |汗牛充棟《かんぎゆうじゆうとう》 !-- 底本では 汗牛 -- も|只《ただ》ならざる論文を書いても、不良思想の下に、|講《いぶか》しい現象のみを認め て労作をしていたならば、何物も学の進歩に|寄与《きよ》するものとはならない。研究者は労 作する前に各自の思想の良否をまず反省すべきである。自然研究者が研究に|没頭《ぼつとう》す ることは結構には違いないが、重い石を山の上まで転がすような労作は全く無用な 仕事である。即ち思想の|吟味《ざんみ》--これは自然観の吟味とも称せられるが、 --を充 分行なうように、自然研究者の態度が定めらるべきである。 この思想は人々の心の中に先天的にあるいは後天的に|培《つちか》われて生じたものであ り、自然現象は全く外界に行なわれるものである。見る人の眼は心の傾向、即ち思 想的背景に従うものであるだけに、一個人の考える自然は、その思想範囲に止まる のはもちろんである。また一方に自然研究者は観測をなし、実験をなして自然現象 の実相を|把《とら》え、己れの思想と対照して、思想を|是正《ぜせい》するのである。即ち、自然現象 の中に事実としてあたかも外界に在する現象の設立が行なわれる。この事実の設立 の前には思想は訂正されなければならぬ。事実は|断乎《だんこ》として|躁廟《じゆうりん》することは出来な いのである。ただし事実を考えるものは人間思想の力である。パスカルは言う。 !-- ここから引用 -- 人間は一本の|葦《あし》に過ぎない。自然の中でもっとも弱いものである。だがそれは考える 葦である。彼を|圧《お》し|潰《つぶ》すには全宇宙が武装するを要しない。一吹の蒸気、一滴の水で も、彼を殺すに充分である。しかし宇宙が彼を圧し潰しても、人間は彼を殺すものよ りもなお高貴であろう。何故かといえば、彼は自己の死ぬことと、宇宙が彼を超えて いることとを知っているが、宇宙はそれについて何も知らないからである。 !-- -- L homme n est qu un roseau, le plus faible de la nature, mais c est un roseau pensant. Il ne faut pas que l univers entier s arme pour l ecraser. Une vapeur, une grotte d eau, suffit pour le tuer. Mais quand l univers l ecraserait l homme serait encore plus nobble que ce qui tue, parce qu il sait qu;il meurt, et l avantage que l univers a sur lui. L univers n en sait rien. Pascal. !-- ここまで引用 -- 誠に人間は事実を自然現象の中に知ると同時に思想的に事実を|統轄《とうかつ》して、系統を 立てる偉さがあるのである。この偉さを知らないで、自然研究に従事している人が あるのは実に悲しむべきことである。 科学者の中にも研究の根底をなす思想|云々《うんぬん》のことは何もいわないで、その行動が 極めて理に|叶《かな》った人がいる。これは結構なことであって、たとえ科学の構成に関す る知識を知ったといえども、その行動は決して自然研究の大本と一致するものでは ない。たとえば画家が画論を充分知ったとしても、その描く画との価値とは別であ る。画論を一切知ることなくても、画法は自ら体得してその描くものはすばらしき 絵をなすことがある。否、むしろ多くの画家は後者の画論を知らざる者に属するの であって、かえっていたずらに画論を説く者に画の|堪能《たんのう》なる人はないようである。 科学者においても充分この傾向のあることに気がつく。|黙々《もくもく》として実験室に閉じ |籠《こも》つて勉強する学者は科学の何たるかに疑問を持つものもなければ、好んで筆を |執《と》って科学論も書かないのである。筆を|執《と》る|暇《ひま》に勉強をするからである。科学本質 論は正にせざる方が賢いともいえるであろうが、これも人々の性質、傾向のいかん によるものであり、科学の構成、自然研究の本義に対して考えずにはおれない人に は致し方がないのである。 自然研究の発達道程を見るに、少なくとも日本においては、年の経過とともに一 般科学者の心境は変って来たように思われる。明治、大正時代においてはいわゆる 欧米依存主義であって、欧米人のいうことには心服し、その打ち立てた仮説、原理 等に対しては、一も二もなく賛意を表し、彼のいうことを|金科玉条《きんかざよくじよう》として研究を進 めたものである。 |然《しか》るに今日においては、彼の主張を参考にする事はもちろんであるが、独自の見 解を持して、これに生きようとする努力が充分見出し得るのである。独自の見解は 正に各自の自然観から出発するものである。即ち、一層よく独自の見解を|徹底《てつてい》せし めるには、思想の|鍛錬《たんれん》を充分に積まなくてはならないことになる。この思想の鍛錬 はいかにして成果を得るかの問題は、上述のごとく、あるいは生れながらに体得し ている人もあろうし、四囲の条件によって、労せずして直き思想に合致するものも あろう。しかしながら、 一般的に見て自然科学者の自然観涵養は十分力を尽すべきものと思われる。涵養方法としては専ら科学史 の #x8b52;読によるのを最も適当と思われる。 古来の科学者がいかなることを考え、いかにして新事実の発見に到達したか、また いかなる思想を持って研究に従事したかという事績を|顧《かえりみ》ることが必要である。当時 は多く|荒唐的《こうとうてき》な思想として周囲から|嘲《あざ》けられたものも数十年後には、もはや|覆《くつがえ》すべ からざる定理として、ますます|光輝《こうき》を増すもののある事実を知るであろう。またあ る時には当時学界の人々の充分の理解を得て、たちどころに受け入れられ、名誉あ る|賞讃《しようさん》を浴びるのもある。いずれにもせよ、結局、科学を構成するものとして欠く べからざるものになるには相違ない。 |而《しこう》して現今各研究者が|汲々《きゆうきゆう》として|行《おこ》なう研究も上記二つの中、いずれの種類に 属するか、|図《はか》り知り難いが、個人的には学界の直ちに認め得ない研究と考える方が かえって適当であるであろう。即ち、我々の科学上の仕事は今日なんら認められる 必要はないのである。科学を構成する一分子として何時か発展に役立つならば、そ れで満足であり、またそれを以て|冥《めい》すべしである。 ただし我々のもっとも|遺憾《いかん》とするところは、|折角《せつかく》の仕事も科学の発展に充分寄与 するや否やの問題である。科学の進展に多く|寄与《きよ》しない労作をあえてしても、これ こそ全く徒労に終るのである。即ち科学に寄与するところ大なるや否やを認定する ことは、人々の思想的解釈の|然《しか》らしむるところである。この見分けをなすべき思想 が豊でなければ、科学者としての一生も重大事を研究せずして全く|無為《むい》に終ること ともなるのである。 思想のいかんは、あたかも我々をして眼底に映じた事物を注意せしめるや否やの 問題であって、科学に|寄与《きよ》する重大さを先ず判定せしめ、それより行動に|移《うつ》さしめ る。禅語に次の句がある。(碧巌録第四十則の頒で、これは碧巌録百則中の絶唱とい われている。) !-- ()内は、底本にはない -- !-- ここから引用 -- 聞見覚知非一一 山河不在鏡中観 霜天月落夜将半 誰共澄潭照影寒 !-- 以下の読み下しは、底本にはない -- 聞見覚知は一一に非らず |山河《せんが》は|鏡中《きようちゆう》の|観《かん》には|在《あ》らず |霜天月落《そうてんつきお》ち、|夜《よ》まさに|半《なか》ばならんとす |誰《だれ》と|共《とも》にする|澄潭《しようたん》、|影《かげ》を|照《てら》して|寒《さむ》きを !-- ここまで引用 -- 誠に我々の見たり聞いたりするものは、多種多様の如くであるが、一人の人間が が見る時においては、一個一個の事柄でなく、人間の一思想を以て見て居るのであ る。鏡の中には山も河もすべては写し得るが、見えて居るのではない。仰いで見れ ば霜夜の月が傾いて夜半となつた、暗い湖畔に立つて、黒影の寒く映るを誰と共に 徘徊して己が心境を語らうか。 !-- 仰いで見れば霜夜の月が傾いて夜半となった。澄みきった|潭水《たんすい》は、周囲の樹木の 影を写して塞々とした|静寂《せいじやく》を|湛《たた》えている。この静寂の境地を|誰《だれ》と共に味わえるとい うのか(箇中の|消息《しようそく》を談ずるに足る|士《し》、果たしてありやなしや)。 --
https://w.atwiki.jp/amizako/pages/197.html
!-- 十一 -- !-- タイトル -- 科学と芸術 !-- -- 科学と芸術とは一見対蹄的位置に立つごとく見えるものであるから、科学者は芸 術を|遊戯《ゆうぎ》のごとくに|蔑《さげす》み、芸術家は科学をあらずも|哉《がな》の|所作《しよさ》と断ずる。しかし、こ れらはいずれも人間性に|立脚《りつきやく》した|崇高《すうこう》の所作であり、真と美に対する人間の創作た ることを信じて疑わず、かっ尊敬するに|躊躇《ちゆうちよ》しないのである。即ち人間性中、美を 対象として|憧《あこが》れる心も、理性的に自然に即さんとする心も、いかなる外力を以てし ても|圧《お》し|潰《つぷ》すことは出来ないのである。これらはいずれも本能に起因される所作で あるからである。 芸術家の養成については、その才能がまず問題となり、全く好きであるという出 発点があって、音楽家となり、画家となり、彫刻家となる。即ち芸術家になるには、 科学者のそれのごとく外国語を学び、数学を学び、実験方法を学ぶごときいわゆる |方法的《メソデイツク》な修練は見出されないことである。 もちろんいずれの芸術家といえども、その表現方法に熟達するまでには相当の年 月を費して騨れ切る必要があるのであって、たとえば音楽家は一定の音楽教授所に 入って数年の日子を費して勉強し、卒業後といえども練習に練習を重ねなければ、 一流の演奏家として立つことは不可能である。とくにピアノのごときは一日の休怠 が早速演奏上の技術に差支えるとさえ言われている。また画家においても|然《しか》りで あって、日本においても数多の画会があって若い人々の絶えざる技術習得が行なわ れておるが、巴里においてはなおはなはだしく、ドニスのアカデミー、アマンジャ ンのアカデミー、何々のアカデミーと呼ばれて若き男女の修業者が堂に|溢《あふ》れている という。即ち画家に志す人々は適当の年月の苦心を積まなくては、一流の画家と相 伍することは許されないのである。確かに芸術家にならんとする人々の、その道に 捧げる時間は、科学者の研究に充当する時間よりも大でこそあれ、小という事はお そらくないであろう。 しかしながら、ここに問題とすべきは、|方法的《メソデイツク》な|修練《しゆうれん》の有無である。確かに科学 のあまりに発達せざる十七世紀時代においては、以上の修練は多く必要でなかった かも知れぬが、今日においては自然を自ら研究する資格を得るには、相当の年月の |鍛錬《たんれん》を必要とするのであって、大学を出た程度では、未だ一人立ちが出来ず、進ん で数年の日子を費さなければ、研究者としての完成には達しないのである。 この話が芸術家と科学者との鍛錬方法の異る点であるが、それはいかなる原因に 基くかといえば、科学の構成上の性質によるといえるのである。即ち科学は従来よ りの業績を|堆積《たいせき》して一つの体系となす故に、より進んだ体系を構成せんとするに於 ては、その程度までの理解を必要とし、|然《しか》る後に各自の研究に|着手《ちやくしゆ》しなければなら ないのである。 芸術においても、先人の業績を|顧《かえりみ》る必要は絶無であるとはいわない。しかしなが ら、東京美術学校の卒業生が、システン礼拝堂の、ミケランジェロの壁画を研究する 必要もなければ、マネーのオランピアの画の手法を知る必要もないのである。自己 単独に|画刷子《パンソー》に油絵をつけて、|絵面《タブロー》の上になすりつけることの出来る人ならば、一 芸術家と呼ぶ事は出来るであろう。 これに反して科学者は自然を研究すべき方法を充分知っていなくてはならない。 物理学者においては、相当の数学、また物性に対する相当な知識、研究に要する測 定器械、器械の操縦法、従来行なわれたこの方面の業績等を少なくとも知らなけれ ば、極めて簡単と考えられる実験も行なうことは出来ないのである。即ち自然研究 者として修得する予備工作の極めて多いのは申すまでもない。 芸術は人間性の中にある|審美情緒《しんびじようちよ》を基にして生れ来たものであり、科学のなかっ た時代にもすでに|繁栄《はんえい》し、今日の名手でもその程度まで|拮抗《きつこう》し得るもののなきほど 最上級の階位に到達したものが見られる。また皿う禽隊の概伽を榊雛すれば、奈良朝 時代の文物に多く接することが出来るが、今日より以上と思われる工芸品の多くあ ることに驚くほかはないのである。芸術は|温床《おんしよう》あればたちどころに発達するに引替 え、科学の進歩は全く|遅《ちち》々たるものである。芸術は人一代にて最高峰に達するので あるが、科学は一大天才出ずるとも、当時審かにせられたる事実の外には一歩も踏 み出すことは出来ないのである。芸術が万人に訴えてその判断の実を得ることが出 来るのであるに反し、科学はある限られた人の鑑賞に待つほかはないのである。こ の故に、芸術の社会に|伝播《でんば》すること早く、科学のいわゆる|象牙《ぞうけ》の|塔《とう》に|蟄居《ちつきよ》して社会 と|没《ぼつ》交渉となるのである。 芸術家の態度が科学者に必要であるか否か。一般の科学者はなんら必要なきを |異口同音《いくどうおん》に叫ぶのであるが、筆者の考えは衆口とは異なるのである。芸術家は外観現 象に対して極めて感受性に富んだ人間である。また理窟を考えることをしない。こ の中には科学者の大いに学ぶ点もあるのではないであろうか。 画家が|捉《とらえ》る風景は|門外漢《もんがいかん》の全く気の付かぬところにあり、逆に絵によって風景が 教えられるともいえるであろう。また異様の風物に接しても、なんらその理窟をの べるのではなくして、体得の嬉しさをまず語ろうとする。即ち芸術家は自然外観に 対して極めて感じ鋭き存在であり、その見聞を形を変えずに承認する。 科学者は一般に感じの悪いのを常とする。おそらく感じが悪いのではなく、充分 事実の正しさが|切迫《せつばく》して来なければ行動に移さぬのであるかも知れない。科学者の 中にも感じのよき者は|荊棘《けいきよく》の間にこぼれたる種までも拾うのであるが、一般は気が つかずに過ぎ行くのである。芸術家の理窟を考えない点もまた面白いのである。科 学者とてもまず事実の発掘を喜び、|然《しか》る|後《のち》、|徐《おもむろ》に系統づける態度でよいものである のに、初めから系統づくべき理窟が先に立って、結局取り上げる期を逸してしまう のである。筆者はかつて次の句をものしたことがある。 !-- ここから引用 -- 我らを|囲緯《いじよう》する自然は 美しき調和の対象である 科学者は自然の中にその調和を見出し 人々にこれを知らしむべき天職を有する かるが故に科学者は自然に対して あたかも芸術家のそれに比すべき 一種の感受性を必要とする 自然の調和の美を求める心 それは我らをして研究という行動を採らしめ かくて自然はその|風貌《ふうぼう》をますます美しく 目前に|髪髭《ほうふつ》せしめるのである !-- ここまで引用 -- 誠に科学者も芸術家も互に分野は異なるけれども、その心底の行動は互に相照す ところがあるのである。芸術家には天動説であろうが、地動説であろうが、関する ところは少ないであろうが、太陽系の調和ある運動を知るに及んでは、またその設 立に多くの人が力を|娼《つく》して働いたことを思えば、自ら|尊敬《そんけい》の|念《ねん》が|湧《わ》くと思われる。 我々は美しきラファエロの|壁画《へきが》の前に立って、いかにも美の|極致《きよくち》であることを考え ずにはいられないのである。限られた|外郭《がいかく》の中に、|躍然《やくぜん》たる人々、相互間の関係、色 彩の調和、誠に美の最高峰に遊ぶ思いをなさしめる。 研究を発達せしめるには質の同じきものをあくまで追求して、いわば幅を拡げる 研究方法もあるが、まるで質の変った|飛躍《ひやく》的前進を試みるものもある。前者は出来 上った器械をどこまでも用いて、種々の物質について実験を行なう態度である。た とえば、磁力計を作り上げると、鉄は|素《もと》よりニッケル、コバルトあるいはそれらの 合金について、温度、器械的取扱等を変じて磁力の変化を測定する。これは素より 磁力性に関して幅を拡げようとする行為であるに相違ない。また後者は一つの性質 が判れば、次にまた他の性質の研究の実験に移るというやり方をなす、磁性ある物 質についていえば、もはや磁性を単なる対象とせず、物質の比重変化を測定すると か、弾性を調べるとかその他異なった方面から追究する。かようの例はもちろん飛 躍的と称するには当らぬかも知れぬが、一つ器械で実験を繰返す者よりは、前進態 度が見られるというために挙げたまでである。 筆者は以上二例の研究方法の優劣をここに挙げようとするのではない。ただ二つ の異なった方法を挙げると同時に、日本の人々によって多くは前者を採用しておる ものが多く、しかもそれが唯一の研究方向である等と考える人がいるならば、少し く目を前方に向けて欲しいと思う|老婆心《ろうばしん》を卒直に申し述べるのみである。 確かに、いわゆる飛躍的研究を行なうものは、芸術的|情緒《じようちよ》を愛する人によってな されることを指摘し、自然研究の中に芸術的情緒を持てる人々が入り込むことが研 究を豊かにすることを考えるのである。筆者は芸術家がただちに自然研究に没入出 来るとは決して述べない。ただ今日、日本の科学者が今少しく芸術を真に理解する 人々が多ければ、今日|等閑《とうかん》に附せられている研究方面の開拓が、よりよく行なわれ 得るであろうと思っているのである。要は今日飛躍的研究が欠けているということ である。この飛躍的研究は初めは従来の系統|将外《らちがい》にあるために、|旧套《きゆうとう》を持する一般 科学者から|白眼《はくがん》を以て見られ、ややもすれば存在性が危ぶまれそうになるのである。 また一面にかかる態度を許すならば当然科学の旧系統が破壊されるものであるから 不安を感ずるからでもあろう。 しかし、科学史を|播読《はんどく》して、古来際立って著名な科学者の行為はいずれもこの道 程を経て来たものが多く、その誕生に当って|誹諺《ひぼう》されぬものはほとんどないのであ る、他人に誹誘されることを恐れてはいけない。誹誇されるものほど、価値多いと 思うべきである。|衆愚《しゆうぐ》の前には宝石も豆粒にしか価しない。確かに常に同じ方法を 用いて自然現象の測定に従事することは全く|無駄《むだ》であるとは言わないが、大学を出 て研究の第一線に立つ最高指揮者の行動であるかと問われる場合には、|然《しか》りと答え ることに大なる|逡巡《しゆんじゆん》を感ずるものである。 要するに最高の研究者は常に思想を養って、飛躍的研究に進展することを心掛け、 自然現象に対してますます理解を深め、自然の|風貌《ふうぼう》をますます|麗《うるわ》しく取り上げ得る 手腕を|発揮《はつき》しなければならぬと考えられる。 !-- 十一一 -- !-- タイトル -- 研究と教育 !-- -- 自然を研究する人を作ることと、 多くの人々に科学教育を|施《ほどこ》して文化人を世の中 に送り出すこととは全く種類の異なったものである。たとえば競技の選手を作って、 人間力量の最高峰を実現することと、体育をさかんにして健康な人々を作ることと の別があると同様である。学校は小学校、中学校、高等学校、大学と分れて順次の 過程を踏みながら、社会人として恥かしからぬ人間が養成されるが、研究者は果し ていかにして作られるか。教育すれば研究者が出来ると一般には思うかも知れぬが、 教育したからといって|優《すぐ》れた研究者が必ず出るものではない。さりとて教育をしな ければ研究者は絶対に出ないのである。|然《しか》らばここに両者の本質とその関係とが問 題となってくるのである。 学校の教育はたんにその定められた|経路《コース》を踏んで行くことであり、正規の試験を 通過すれば、それで資格が与えられ、卒業という順序になる。頭の悪いものでない かぎり、普通の勉強をすれば自然に大学は出られるはずである。もちろんある|組《クラス》に は頭のよいもののみが集り、ある|組《クラス》には頭のあまりよくないものが集る|懸念《けねん》はなき にしも|非《あら》ずである。また時代的に見て頭のよき人々の|輩出《はいしゆつ》することもあれば、さし て感心出来ない人々の輩出することもあろう。いずれにもせよ、組中で落第する人 数は少ないのであるから、|凡庸人《ぼんようじん》も卒業出来ることになる。 教育というものはある一定以上の学力、文化的教養を積めばよいのであって、お そらく|傑出《けつしゆつ》することは要求されていないように見える。体育の問題においても、あ る種の課程をパスすればよいのであって、なにもラジオ体操が人並優れてよく出来 ても、体育という趣意からすれば必要のないことである。学校に於ても学業を教授 するのはいかなる目的をもっているかを考えて見るに、大学は大学令第一条に示すご とく決して職業に携ることとそれに必要な学課を学生に教授しているところではな いが、卒業生の大部分は教わった学問を基とした職業に携って生計をたてているの である。結果はともあれ、大学の教育はむしろ学生に一般的知識を授けて文化的教 養を|漉養《かんよう》せしめると解して|差支《さしつか》えないであろう。 |然《しか》るに研究者の養成はこれと立場を少しく異にするのであって、正当の学課を修 めた上に研究能力の養成、即ち無形の争闘を必要とする。即ちもっとも優秀なる人 士を作って技を競わしめ、優勝劣敗が目の当り見えるのである。一刻の|猶予《ゆうよ》なく自 然研究は進展しているのであって、うっかりしている中に敗残者となってしまうの である。長岡博士は随筆中に、 !-- ここから印象 -- 世の中にみじめな者は沢山あるが、|憫《あわ》れなものは学問の|落伍者《らくごしや》である。口を開いて議 論を|吐《は》けば|陳腐《ちんぷ》の|誹《そしり》を受け、引き込んでいれば死人同様、せっかく学んだ学問も筋道 を無にして進んでいくことに気づかず、一旦横道に|這入《はい》って|迷児《まいご》となり、これは間違っ たと気がつく頃には時代の尖端を走る学者の跡を追うても追いつかず、|落担《らくたん》のあまり|辻《つじ》 棲の合わぬ屍理窟を考え、そして再び嘲笑を買うような憂目を見ねばならぬ。現時の 物理学の進歩では|往々《おうおう》この|醜態《しゆうたい》を|暴露《ばくろ》しているが、スポーツに於ける落伍者と|幾何《いくばく》の 差があろうか。 !-- ここまで引用 -- 確かに研究者はスポーツ選手と同様である。一寸も休むことは出来ない。すぐ後 から追いついて来る人があるからである。また落伍をしてしまえば、またふたたび 先頭に立つことは難かしいのである。スポーツはある期間を限って行なわれるに引 替え、自然研究は春夏秋冬絶えず行なわれており、研究者の数も次第に増加してく るのであるから、一刻の|猶予《ゆうよ》も出来ない。ただし研究者の中には他人の|追従《ついじゆう》をしな い、極めて縁遠い研究に身を|委《ゆだ》ねて|得意然《とくいぜん》たる人も絶無でないが、これは常道から はずれた無風地帯であって、決して学が深遠であるのでもまた高潔であるのでもな んでもない。ただ競争者がないというだけである。研究室は正に競争場裡である。 世界の各人が|腕《うで》に|繕《より》をかけて一番|駈《か》けをしようと思って働いているのである。勝敗 は|立所《たちどころ》でなくとも、幾年かの後には自然に|明瞭《めいりよう》となるのである。自然研究者の養成 は学校教育のみでは出来ないのである。学校教育はその根本をなす場合もあろうが、 研究者の仕事は人間知力の金字塔建設のために働いているのである。功利主義の下 において自然を研究するのではない。自然そのものの構成が明らかとなり、それの 体系を人々に知らしめれば目的は達するのである。美しき調和ある自然、その構成 に対し我々の智識が増すべく努力すれば、それでよろしい。科学を|措《お》いて自然構成 を明らかにするものはないからである。 !-- ここから引用 -- 太陽は大空に運行し 大河は永久に海に注ぎ入る 厚き地層の音もなく海底に育てば 大地は震いつつ|隆起《りゆうき》す 人々よ何を|想《おも》うて低迷するか 自然永遠の像は 科学者の|倦《う》まざる力もて 目前に展開しつつあるに非ずや !-- ここまで引用 -- 哲人の教うるものは、自然の構成ではないであろう。これは科学にまって初めて 進展されるものであり、科学は正に自然像と呼ばれて|差支《さしつか》えないものである。 大学を卒業して自然研究に携るものは相当の人数である。しかしながら、|卓越《たくえつ》せ る科学人になるものは極めて少数である。学校において学課の習得に極めて優秀な る成績であったものも、自然研究には適当しないものもあるに引替え、学課成績に ては|頭角《とうかく》を現わさぬものが、三十五、六歳にて初めて優秀性を|発揮《はつき》するものもある。 研究者には特別の勉強があって向上するということはない。研究者がいかに勉強し ても研究の精神は書籍の中には書いてはない。本を読むことによって知識は確かに 増加するであろうが、自然研究の|要諦《ようてい》は結局正しき思想の下に自然現象を自ら探し 出すほかはないからである。もちろん研究者としての生涯の始まるのは大学を出て 研究室に入る時であるが、この時、よき指導者、よき|伴侶《はんりよ》がなければ正しき方向に 進むことは困難である。この時機においてなんら方向づけられずに終ってしまうな らば生涯|無為《むい》の研究者となり終るであろう。 この意味において大学卒業後の三年間の研究生活は確かに人生の危機といわざる を得ない。麻中の|蓬《よもぎ》は助けずして直し、三ヵ年に研究精神を|体得《たいとく》しなければ、地上 を|這《は》いまわる蓬となってしまうのである。 また三十五、六歳になると各人の思想の表現が行なわれる。もしその思想が豊で なければその後の発展は難かしい。思想なければいかに技術を持っていても、一生 技巧を主とした職工然たる研究者が出来上るのである。もちろん優秀な技術は何人 も修得し置くべきものではあるが、これに加えて、その技術に活を入れる思想を必 要とするのである。思想は船の舵のごときものであり、また自然から研究題目を選 択する場合、いずれを|執《と》るか命令するものである。思想は先天的に定まったもので あるかも知れない。しかし、|涵養《かんよう》によってその光を増すと同時に、ある時に|大悟徹 底翻然《だいごてつていほんぜん》として階段的の|進捗《しんちよく》を見せるものである。階段的の|悟《さと》りはその日に出来たの ではない。|平素《へいそ》永年の苦心が一日に報われたのである。この学究の精神を体得して いわば研究者の資格が備わったとも考えられる。 研究の成果の中には偶然的要素もあるであろう。しかし、優れたる技術と科学的 思想の|把握者《はあくしや》こそ、古今東西において|恥《はず》かしからぬ学者の完成であると、豪語して も差支えないものである。 この科学者の思想という問題は、とかく注意されること少なく、人間が生い立つ 中に自然|備《そなわ》るべきもののごとく考える人が多いようであるが、これは先天的仮定に 信を置くものの考え方であって、思想の修養的過程を|忘却《ぼうきやく》した|趣旨《しゆし》に等しい。悪心 を防げば善心に立ち戻る、善心も|磨《みが》かざれば悪心と同等である。心の働きを正しく 持することによって、我々の行動は正しく、進展もし、飛躍もする。自然研究の根 本は心の問題であり、思想の|研磨《けんま》である。 筆者はかつて一友人とともに京都|大徳寺《だいとくじ》に太田老師を訪問したことがある。|折悪《おりあ》 しく老師は不在であったのは|遺憾《いかん》であったが、|襖《ふすま》に、 !-- ここから引用 -- 仏法は水中の月 !-- ここまで引用 -- なる句を見出した。なるほどと二人は顔を見合せたのであったが、その後東京に帰っ て来た。それからしばらくしてその同じ友人とあった時に、彼は次のことを筆者に 語るのであった。 !-- ここから引用 -- 科学というものは人間の人格レンズを通じて、壁上に映じた写像である。 人格が曲っていては正しい写像は得られない。 !-- ここまで引用 -- 彼は大徳寺で|悟道《ごどう》を得たのである。科学は正に自然の映像である。個々の人間が 作り上げたものである。もし私欲があったり、小利に目をつけると自然は曲ったも のとして映像が作られる。この点は道徳者のそれのごとく、心の持ち方に於てはな んら変りはない。自然から事実を|摘出《てきしゆつ》して科学像を作り上げる場合に正しき思想の 下に、自己を|滅《めつ》した行為で働かなければならぬのである。 !-- 十三 -- !-- タイトル -- 研究と読書 !-- -- 研究者は他人の業績を知るために専門の学術雑誌類を読むことは必要である。ま た専門学の単行本が屡々刊行されるのであるから、それも読むことは必要であ る。これらは研究初心者にはとくに必要なものであろうが、その読み方を見るとど うも|履《は》き|違《ちが》えて、本の中に真理が|伏蔵《ふくぞう》されておるかのような態度で、目を皿のごと くにして読む人を見受けるが、それは考え物である。 いかなる本、たとえば教科書のごときものでも、自然研究の目的に対しては、書籍 は結局案内書のごとき役目しか持っていない。研究の行き道を示してあるまでであっ て、その手引きによって目的地に到達するには便利であるが、実相はその上におい て充分活眼を開いて見ることが必要である。いかに良き本であっても、書いたもの は他人であって見る者は自己である。実物に即しての見方は違うのが当然である。 今、|中禅寺湖《ちゆうぜんじこ》の|華厳《けごん》の|滝《たき》を見物に行こうとするに、それには案内記のあることは 便利である。人に聞き聞き行くよりも、案内記を読めば間違う事なく、|滝壼《たきつぼ》までも 行けるのである。しかし、実際滝の前面に立って、水煙の立ち昇る景色、水が互に |衝撃《しようげき》して百雷のごとき|響《ひびき》を立てる状景は、その場所に行った人でなければとうてい 想像することも|覚束《おぼつか》ないのである。 自然の研究も正にそのとおりである。教科書を非常によく読んだといっても、実 状を体得することにはならない。おそらく本を詣しく読んで教壇上から学生に話を 伝えることは出来るであろうが、実際その有様を体験上から話せることは出来ない。 確かに研究者の話は狭いかも知れぬが、実際に即したものであり、読んだものを伝 えるのとは違うのである。自然研究には多くの書籍を必要としない。各自の手で器 械を作って、それで自然現象を研究し、その中から事実を取り上げればよいのであ る。むしろ研究本旨からすれば本の必要はないのである。 古来日本の学問においては書を読むことに絶大の価値を置いたように見える。読 書酢っ嵐意自ら通ずとか、瞬岩縦翫に機すとか称して、書の中に真理のあるごとくに 教えてきたものである。書を大切にするという考えは、全く|儒教《じゆきよう》の影響、とくに朱 子学派の主張のごとくである。朱子は南宋の学者、四書五経に註するを以て|終生《しゆうせい》の 事業となし、これを|研鐙《けんさん》することによって、聖人の域に達すると考えた。この考え が日本にも|弥漫《びまん》したのであろう。書を読むことが有徳者たるの資格を有するものと 信じ、かつそれを|鼓吹《こすい》したものである。 徳川幕府が朱子学を以て国学と定めたことの一面には四書五経中に示されたこと を|遵奉《じゆんぼう》して、決して異説を立てない方便にも採用したのであろうが、結果学者の盲 目的読書癖をつけるところとなったのである。その結果としてたとえば漢学の試験 のごときも、漢文がいかによく読め、いかによく書けるかというを試みるに非ずし て、|伏字《ふせじ》試験として一字、二字、三字という風にある古き有名な文章中の文字を隠 し、しかも読め得るものをして、及第を決したという。これは正に暗記試験に比適 するのであって、漢学に|暁通《ぎようつう》しているか|否《いな》かを試すのではなく、漢書を暗記してい るか否かを試すものであったのである。 今日かかる試験のあったことを言えば何人も|唖然《あぜん》たるものであるが、自然研究者 にとっては全く不必要な読書方法である。これに反して南宋の学者、|陸象山《りくしようざん》の言句 には極めて適切なるものがある。 !-- ここから引用 -- 学|筍《いやし》くも本を知れば、六経は皆註脚なり。 !-- ここまで引用 -- と|観破《かんば》した意気は、我々をして|粛然《しゆくぜん》たらしむるものがある。象山は朱子と時を同 じゅうして生存した学者であるが、その態度に於ては対蹄的立場にあり、その教え の後継者としては|王陽明《おうようめい》が出で、日本にも陸王学を奉ずる人士中には|卓越《たくえつ》せる人士 の輩出を見、国家を危難から救った例は国史を|繕《ひもと》けば直ちに判ることである。しか もこの思想は革新的思想であるという|廉《かど》で、徳川幕府は国学として採用しなかった ところであるが、維新の大業に|加担《かたん》した人士はすべて陸王学により修養した人のみ であると称して差支えないのである。日本に於て|陽明学《ようめいがく》を初めて|鼓吹《こすい》したものは|中 江藤樹《なかえとうじゆ》であって、その言葉にも、 !-- ここから引用 -- 天地の間に己れ一人生きてあると思うべし。天を師とし、神明を友とすれば、外人に 頼る心なし。 !-- ここまで引用 -- といって、自らの行動に依存的思想を|排除《はいじよ》しているのである。この意気こそ自然 研究者にもっとも大切なことである。いたずらに読書に|没頭《ぼつとう》しても|無駄《むだ》な場合が多 い。自然現象の中、我々が今日知っておることは極めて小量である。その小量を問 題とするよりも、隠れたる大量の解明に|力《つと》むべきである。筆者は過去の成果を整理 して学を講ずるものに対してあえて反対はしない。しかし、自然研究者の態度は自 ら異なったものでなくてはならない。ニュートンの言に、 !-- ここから引用 -- 余の労作に関して社会は何と見るか知るに由ないが、余自身より見る時は、自分は|海《かい》 |辺《ひん》に遊んでいる子供のごときに過ぎないのであった。ある時には他の石よりも輝いた 小石を見出し、ある時には他の|貝殻《かいがら》よりも美しく色づけられた貝殻を見出したりした といえども、しかし|涯《はて》の知られない真理の大海はまだ極め尽されないで余の前に拡く 横たわっている。 !-- ここまで引用 -- とある。自然研究者は真理の大海に船出しつつあるのである。これにはこの|羅針盤《らしんばん》 と舟の舵とがしっかりしていればよいのであって、なんら書籍は必要ないのである。 書籍は一方に先人の業績を知るに役立つものと、研究に乗り出す案内書および辞書 があればよいのである。 自然研究の|要旨《ようし》は自力的分子の充分含まれているものであって、自分の力で困難 を|克服《こくふく》し進行を継続するところに意義があり、全く依存的思想を|排除《はいじよ》するのである。 この思想から出発するものであるから、ある場合にはその|弊《へい》として自己の考えが最 良なるものとなし、|排他的行為《はいたてきこうい》となる。これは大いに|慎《つつし》むべきものであって、常に 他人の事績に対して注意を|怠《おこた》らぬことは必要であり、これと同時に一層研究史を読 むことが|奨励《しようれい》されるべきであり、科学史の研究が今一層|盛《さかん》になることが望ましい。 しかしながら、今日科学史を研究する人の中には、いわゆる第一線の研究に立っ てもっとも活躍する人士の氏名を|逸《いつ》する傾向があるために、科学史研究団体なるも のが、不活澄の|誹《そしり》を受けぬとも限らないのである。また科学史それ自体がいわば|骨董《こつとう》的存在のごとくに白眼視されるのも事実である。科学者として立つならば自然を 研究すべきであるのに、科学史に|浮身《うきみ》を|扮《やつ》すのは感心出来ないという人がある。ま たこれは第一流学者のなすべき仕事ではないと附言する人もある。 ともあれ、科学史の必要は充分認められ、またこれを読むことによって、|適進《まいしん》自 然研究に携るべき原動力を附与されることは事実である。なかんずく科学者の伝記、 研究の生涯など全く感銘を受けずにはいられないのである。この意味に於ては読書の 価値を充分認める者である。 以上のごとく自然研究者の心を磨き、技術を向上せしめるものは、自然研究にあ るのであって、読書により直接進展が行なわれるということはない。もしありとす れば、これは初学者で未だ技術の習うべき点があるからであろう。研究者はむしろ、 多少方面の異なった本により|稗益《ひえき》されることが多いのである。他学科においては異 なった手法、異なった器械のすでに開発されたものがある。これらを知って自身の 研究方法に資することも出来る。しかしながら、|斬新《ざんしん》のものは、すべて学術雑誌に より報告されておるのであるから、それを読めばよいのである。また英国のある物 理学者は一切学術雑誌も読まなかったそうである。それは雑誌を読む暇に働く方が 先へ進めるという理由であった。|尖端《せんたん》に達すればかようなやり方も|是認《ぜにん》されるので ある。一般読書の要は先入主を作らざることと、案内書程度と思っていることが研 究者には適当のことである。 !-- 十四 -- !-- タイトル -- 研究と器械 !-- -- 自然研究者は自然現象の中に事実を認める行動から出発する。人間の感覚には限 度があり、また数量的に指示することが出来ない関係上、器械の助けを借りなけれ ばならぬ。即ち現今の研究者はほとんどすべての場合、器械を採用して観測、実験 に当るのである。ある学部門では器械を用うることの出来ない性質のものもあるか も知れぬが、器械を使用しないことのために進歩向上が止ってしまったと思えるも のさえある。器械は確かに現今科学の進歩に欠くべからざるものである。即ち、自 然研究は器械製作から始まると考えても過言ではないのである。 今日既製の器械もあるからそれを用いても研究出来ないということはないが、既 製器械は多く現象の研究済みであって、その器械によって新事実の|摘出《てさしゆつ》を多く望む ことは出来ない。新器械は研究者の手で作らなければならぬということにもなる。 もっとも根本的の器械はとうてい研究者の作ることの出来ないものである。かかる 器械に属するものはいわゆる工作機械、尺度類、望遠鏡、顕微鏡、|天秤《てんびん》、電流計類 である。これらを作ることははなはだしき労力を要するものであり、製作専門家が 製作しなければほとんど不可能である。この種の根本器械類は既製品を購入するほ かはないが、その他のものは多く自ら製作すべきである。即ち、かような根本器械は 少なくとも実験を主とする研究室にはぜひ備えて置くべき必要があるであろう。 器械の製作に始って器械の採用は我々の感覚を補助、あるいは新感覚に役立つも のであるから、一面から見れば窓のごときものであり、この窓を通じて我々は自由 に外界の景色を眺めることが出来るのである。筆者は器械を窓として考えたことが あったが、今日では今一歩進んで器械を眼であるとも考えるようになった。これら 器械は正に感覚の一部分とも考えられる仕事をするからである。 しかしながら、器械はあくまで器械で、その働きは正に人的要素が加わらなけれ ば完成されないのである。現今の器械は現象を写真に写し、器械的に記録して、そ の得られた記録を後になって充分の時間をかけて測定する|便宜《べんぎ》が得られると同時 に、当時の有様がそのままに固定されて記録されてあるので後の|証拠《しようこ》ともなるので ある。現象が記録されることは確かに便利である。 地震計を造っておけば、地震学者は安眠することが出来る。地震が夜中に起こっ ても、すべての震動は地震計が記録しておいてくれるのである。温度の記録、圧力 の記録等も器械が絶えず記録してくれるので、人々は後になって検出すればよいの である。 記録し得るものはすべて記録しておくのは全く器械のお蔭であり、これによって 自然研究がますます確かにかつ容易になるのである。 また人間の感覚によってはどうしても検出出来ないものをやりとげるのである。 人間は一ヵ所に位置を占めているほかはないが、器械を二台作って二ヵ所に置けば 二ヵ所の有様が同時に判る。これは記録器械のお蔭である。 |天秤《てんびん》の能力も、これによって始めて|質量《しつりょう》の比較が出来たという歴史をもっている のであって、フロジストン説を永久に|駆逐《くちく》してしまったのである。金箔検電器はラ ジウムを析出するに役立ったこと等は人間の能力以上の働きをしたのである。今日 ではかようの働きは自然研究に欠くべからざるものとなった次第で、これはあたか も眼無くして研究が出来ないということと同じである。 器械の働きが全く我々の感覚を|超越《ちようえつ》して、外界自体に現象のあるということをな したのも大なる功績である。このために初めて物理学の発足が生じたともいえる。 ガリレオは一五九七年に寒暖計を製作して温度の上昇に伴って、液体が管中を上昇 することを認めた。この現象は正に寒暑の差が人間の感覚に訴えて初めて判るもの と信じていた人々を驚かしたのである。即ち我々の感覚に頼ることなく、すでに外 界に温度の差を示すものが、出来上った次第である。これは我々の感覚を通じての み外界があると信じていたことの非なることを教えたのである。ここに物理学の第 一歩が創生されたと考えられるであろう。即ち外界の現象を認めるに我々は感覚を 仲立として認めているのであるから、感覚の|誤差《ごさ》によって、外界がいかにも変化し そうであるが、寒暖計の示すところは我々の皮膚感覚とほとんど平行な液体の昇降 を以て表わせるということである。この点は正に物理学の根本観念を確立したとも いえるのである。 器械の役目は現在ほとんどすべての現象を目の感覚に持ち来すところにあるよう である。本来目に訴えるものとして遠きものは望遠鏡を、小なるものは顕微鏡を採 用する。電流の大きさは電流計の針の振れ、時の長さは振子の振動回数、重さは秤 量器械の示針等いずれも目に訴えた長さの量にて帰着されるのである。目に訴える ことのみが自然現象の測定ではない。音の振動数の判定はよく訓練された耳ならば コンマまでも比較されるというし、指先による振動体の振幅は、〇・一ミクロンま でも達せられるという。あえて視覚に持ち来す必要はないのであるが、現在の物理 学においては視覚に転換せしめることがもっとも|高尚《こうしよう》なことのごとくに信じられて いる。 確かに視覚に持ち来すことは判定方法として安全であり、一船に誤差の少ないこと も事実である。ただし聴覚、嗅覚、味覚に訴えた物理学も出来てよいのである。こ れにも適当の器械を用いて到達することが出来るかも知れぬ。要するに器械の使命 は、外界の現象を単純になして、我々の感覚に訴えしめるものである。 したがって器械は単に我々の感覚延長であって、全く方便に過ぎぬものである。 即ち器械を製作することによって我々の感覚が|精鋭《せいえい》されたと同じ訳である。器械は あくまでかかる意味において製作されるのであって、器械を作る事は未だ研究でな い、その器械を使用して、自然現象の中に事実を認めることから、研究が始まるの である。望遠鏡を作ったり、顕微鏡を作ったりしても、これは科学者といえないの は当然のことである。 科学器械は以上のごとく今日においてはもはや我々の感覚の一部分となったと考 えても差支えないもので、器械を用いたから気分を害すの、器械を用いないから神 秘だとかいうことは科学の領域の中にはないのである。ゲーテは器械の採用を好ま なかったものと見えて、「顕微鏡と望遠鏡とは実は純粋な人間の感覚をかき乱すもの である」といったが、現在そんなことをいう人はないのである。器械はあくまでも 用うべしであり、器械を通じて我々は自然現象を見なくてはならぬとさえ言えるの である。したがって器械の性能の吟味が充分されてなければ、たとえ測定し得た量 であろうとも役には立たぬこととなる。研究者はまず実験器械の性能を調べてから 実験に取りかかることが必要である。
https://w.atwiki.jp/kurono_sral/pages/50.html
(Astia Emerging Science Technology Laboratory) 『E.C.B.D.』に併設し、イーストクレイスシティが誇る最先端研究機関。 主にロボットの開発や新型の武器開発を行い、それらを『E.C.B.D.』に提供するなど、 双方で提携を行っている。 その原初は、研究者のゼレノイド・アスティア博士が運営していた小さな研究院。 後に夫となる人間の科学者上野秀雄博士とともに、この研究院を発展させていった。 通称は『中央研究機関』であるが、その理由は施設がこの街の中央にあることと、この街の技術開発の中央となっていることにかけて、後年に名付けられた。 平和のためとはいえ、武器開発に対する反発は少なからず存在する。 また、この研究機関によってエマが生み出された。現所長はメイ・オノガワ博士。 ◆アスティア未来科学技術研究所 職員 メイ・オノガワ 楸 優彦 イェンズ・クーパー 上野 秀雄 アスティア