約 103,416 件
https://w.atwiki.jp/kiryugaya/pages/567.html
近代科学部 霧生ヶ谷市立南高校の文科系クラブ。 名前ばかりは一丁前だが、やってる事と言えば小学生の理科の実験に毛が生えた程度のことばかりである。 構成員 顧問:浅本康先生。進路指導と掛け持ちであるためほとんど顔を出さない幽霊顧問。 三年生:部長、香川幸助大学への進学のため現在は半引退。 :ほかに三人いるらしい。 二年生:阿藤浩二二年生男子部員のリーダー格。 蓮田俊哉ひょうきんモノのおっちょこちょい。 板倉陽一引っ込み思案。 古徳和子元副部長。事実上近代科学部の実権を掌握している。 一年生:女子三人。 外谷亜紀 摩周清美 織手加奈子 イニシエーション
https://w.atwiki.jp/minkewenku/pages/123.html
作者 三江方士 原址 (1)第一部分(1)第二部分(1)第三部分(1)第四部分(1)第五部分 正文 有多少科学家在以忘我状态钻牛角尖?有多少普通人在极端科学面前还能保持理性? 2012年10月23日,意大利法院以胡言乱语罪判处6名科学家有期徒刑,消息甫出,立即引发世界地震,科学界兴师问罪,民众感觉无所适从。民众的焦虑在于一向光环缠绕的职业怎么竟同罪犯相提并论?科学家联盟的感觉则是太岁顶上动土:科学就是真理,法律怎么敢“审判科学”(如果没有科学家身份,纵然一万个类似判决科学界也不会眨一下眼睛)?这不由得令人联想到共产党国度对共产党罪犯的别样态度——法律制裁前必须拿掉党员标签。在科学家联盟看来,他们是高于道学玄学等其他研究人员一等的,即便令百姓灭顶,也容不得批评更不允许定罪。从这桩面对法律裁决轻佻的集体卖萌事件,不难看出科学界的感觉何等良好,他们不知、不识、不认自丑,连庄严的法律都无法让他们自省。 被法律追究的科学家罪犯只此一宗,逃脱法律之外的科学犯罪何止一二!我所知晓的科学罪过,至少有N宗: 第一、 放纵人欲 一个成年人如果不加甄别地迎合未成年人的欲望,他将构成事实上的犯罪。 人类与其他生命不同:兑现了欲望,下一步不是回到起点而是忘记起点欲望疯长。社会越富足,下作的事情越多,而社会成员的欲望越容易疯狂,人欲无限,谁纵容人类欲望,谁就是人类的敌人。 人最不能克服的是欲望,科学从事的恰恰是勾引欲望,科学事业的全部也是唯一内容就是满足人类欲望,它致力于更少辛劳更多刺激同时可以更加懒散的“幸福事业”,完全忘了生命进化从来都是借助灾难而不是享受。 生命不宜细养,缺少压力和苦难对生命无异于灾难。美食不利养生,安逸损害技能,饥寒交迫的人可能是健康的,脑满肠肥的人一定不会健康,没有什么比极度满足更让生命堕落的了,优秀的人一旦拥有了富贵就可能走向顽劣,而他的后代很可能由此变得浅薄叛逆。每一个发达经济体都呈现管理僵化后劲不足、而社会成员则或多或少展现着不求上进精神颓废,科学处心积虑提高生活的舒适度,但更高的GDP更多的奢侈更少的辛劳养育不出好基因,努力为后代创造优越条件让儿孙养尊处优说白了就是在断子绝孙! 第二、滥造神权 科学对异端的态度比神学对科学的迫害有过之无不及。 神学捏造了上帝,从此不再造神,科学否定了上帝,却在自己的地盘肆意造神。某权威一经被推上神坛,任何触犯该权威的言行都将成为难以饶恕,而一切不合该权威的说法都将被打入地狱。在常人难以企及的领域,无数精英在从事“西格斯玻色子”“哈勃定律”之类起源于权威假说的研究,很多人毕生钻在某个牛角尖中至死不肯回一次头。爱因斯坦说“距地面越远时间过得越快”,这个明显违反物理的“推理”若出在常人口中必然是放狗屁,但因为出自爱因斯坦就成了箴言,美国某科学家竟然“发现证实了这一真实”:住在308米高的帝国大厦顶层一辈子将失去104/1000000秒,万分之一秒对人生人事毫无意义,有意义的是这精确的计算——鬼知道是误差错觉还是弄巧邀名——巩固了爱氏神的地位。 科学认为世俗落后宗教迷信,其实科学同宗教的套路毫无二致,即都是让信徒接受心理暗示。宗教不仅仅指神佛,认为顺着某种思路就能随心所欲人定胜天同皈依上帝就能进天堂没有区别。科学是唯物者的宗教,不同的是,宗教让人心静,科学教人放纵;科学改变不了陋习、不能让人放下屠刀放弃缺点,宗教可以;科学只在枝节上影响着生活,宗教则从根本上主宰着世界格局。 让受众破除神灵愚昧,自己却在执迷神权,科学日渐变成伪科学,正在由“社会进步的动力”到“麻烦混乱的制造者”,不只是因为它执久成魔,还因为受到了权威的绑架。久居神坛的权威无不在忘形中酝酿信众的苦难,虽然其理论犹如老化的塑胶器皿只需轻轻一碰就会四分五裂,可悲的是,在这个科学昌盛的时代没有人敢触碰权威,也没有力量敢支持对权威进行挑战。 第三、劳民伤财 传统产品成了垃圾后能“变回宝物”,科研产品成了垃圾后危险与日俱增。 科学是一门代价高昂的学问,某些方面它降低了人工成本,但在所有方面它增加了活着的成本,它给感官刺激造成了更多的危害,它让成绩更好同时让伤病更多,它不仅扭曲着物理,还践踏着地球健康。 “蒙昧”时代,孕育是很本能很自然的事,有了科学指导,孕育不但艰难而且充满了风险;对照科学表格育儿的高知母亲完全不比老农民的汤汤水水养育的效果更好,板板眼眼搞胎教的孩子不如啥都不学的孩子聪明;比起大面积断子绝孙的伤痛,“辅助生育技术”的个别成功案例算得了什么! 一个权威的错误——可能来自误解也可能纯粹是随心所欲——将误导无数人的认知,纠正这个错误将耗费几代几十代人的智慧。盲目追随权威让科学研究经常处于尴尬境地,为了符合权威思路,一些人兜兜转转不得不回到原地,一些人宏篇巨论后发现还是无法达到权威指令的高度,许多被定义为“划时代”的工程不过是出于对权威的迷信,无数深奥的课题仅仅源于对权威的逐臭,与自然真实毫无瓜葛, 科学眼里的意义重大有许多是多余的烦恼,科学定义的不可或缺很多都是自寻烦恼。科学建造了无数耗费巨大的尝试更先进产品或验证更伟大试验的工程,结果要么只是面子需要,要么对照过去就是老婆与妻子的区别,纯属故弄玄虚。 良种(通常指产量高)好,但可能品质较差营养较低可能对环境条件要求更苛刻可能更爱生病更易死亡,这种为了目标忘了起点的事在科学实践中屡见不鲜,除弊兴利新方案往往都是更大的弊更小的利。被宣布“根除了”的疾病不久都死灰复燃了;被寄予厚望的万能流感疫苗没能使感冒消失,反而让流感成了瘟疫……世界最大的强子对撞机即将退役,无论它曾经引发过世人多少美梦,最终的落幕还是一无所获;但功能更强的对撞机加速器正在酝酿,那将不过是又一幕狼狈的翻版。 第四、极端思维 毋庸置疑,极端都是有害的。 思维极端指的是“不懂得拐弯、一条道走到黑”,比如无限痴迷无限执著无限虔诚无限崇拜,走极端符合人性违背智慧,也就是说,智慧不会走极端,凡是极端的东西都不属于智慧,“X亿年后地球钟将因此增减1秒”之类的“精益求精”与其说是“高科技”不如说是在装神弄鬼! 科学与其他学说的最大区别在于“无畏”,除了自身它不信奉任何东西,它的长处或者劣根是“总想对认知动刀子”,它不在乎禁区(从不设定禁区),也不知道适度而止,不管是无厘头还是无病呻吟,只要“深奥”就能获得支持,它把自己的使命定义为向未知领域发起挑战(可恶之处在于它非常清楚未知领域会随着挑战的深入而无限扩大),它的目标是终结所有问号掌控一切原理,其工作流程可概括为:先造猛药,再寻解药。 把稀缺物当宝贝,这不是人类的传统,神乎其神基本上都是科学作的祟。唯物理念不应有最、极字眼,但科学研究却从未离开过最好、极限词条,它嘴上循序渐进实际上最急功近利,每一学科每一选题都恨不得一步到极端,它极其热衷万能产品,渴望“一次XX,终生无虞”程式,自始至终都在寻思尽量缩短过程尽快拿到果实;极端科学有个公式:好东西+好东西=更好东西,喝矿泉水长大的比喝泥巴水长大的营养好,无菌环境生产的比平常条件生产的品质高;虾仁牛奶之类高营养东西都拿到过“最好食物”标牌,有“抗防补治”功能的药物都能拿到“最好药物”证明,“科学膳食”基本上离不开这类“好东西”,而人类体质与是否享用“最好食物或药物”从来没有因果关系(那么“最好”意义何在);自然产品不允许一种食物拥有全方位营养,科学一直在尝试全方位营养产品,把各种“有益成分”混合一堆尔后加很多防腐剂保鲜剂再设个严格的保质期,这件看上去的正经事其实愚蠢无比:只要是“科学食品”,不久都将被科学定义为“垃圾食品”。 科学家会给漱口水消毒吗?不会!那又为何蛊惑老百姓给餐具消毒?科学理应比常人更懂得洁净只是人类的习惯不是智慧更不属于科学,但科学的做法却是比习惯更加极端,它把“卫生”看成生命要素,认为洗涤远远不够,还需要杀菌消毒以“更加洁净”(连洗手这种事都制定了国际标准)。洁净有那么重要么?生命来自污秽,亿万生命的尸体堆积加粪便的无限循环才诞生了人类,那些处境肮脏与不洁为伍的生命几乎从无病患,而人类的繁殖力抵抗力随着洁净程度的提高下降了(这些都能说明洁净与健康呈负相关),“卫生是健康之基”究竟经过了某种论证还是仅仅为了迎合人性刻意作的秀? 随时随地的“更快更高更强”,人类幸福了吗?“高铁”提速50%(以“慢铁”降速为代价)价格涨了500%,大众是获益还是受害?又不是去捡钱又不能脱胎换骨,有必要那么着急么? 第五、破坏平衡 生活的真谛是简单,科学的原则是藐视简单,一件事物只要掺进了科学,就将失去简单的天性。 自然拒绝干预,科学倾向干预,科学有个口头禅叫“常见的生活习惯,其实错误重重”,吃饭睡觉等生理活动亿万年来无人注意,大家都活过来了,现在被科学关注起来,其中的学问大着呢,但教化的结果却是惹是生非:失眠问题、嗜睡问题、肠胃问题、便秘问题、营养不足与过剩问题层出不穷,可以说,科学能耐大小某种程度讲就是在多大程度上改变传统,而每一件被科学改造的传统最终都成了麻烦。 基础的平衡必有缘由,缺陷本身正是平衡的结果,弥补基础缺陷将引起另类失衡。基因生物工程不仅着眼改变基础缺陷还企图随意编排生命,它让水果越来越甜或越酸,西瓜越来越大或越小,猪肉可以像鸡肉也可以像牛肉,容易腐败的食物可以久置不腐……与之相对,瓜果不再利尿,肉类不再美味,谷物散发臊臭,亚健康、精神病、先天残疾、老年病年轻化、人畜禽共患传染病、疑难杂症新型病毒超级细菌防不胜防,科学表面上改变着生物,被改变的生物从根底上改变着生态,基因工程生命科学讲起来是美梦,做起来是噩梦。 一个人痴迷于事业忘记了根本,那么他的事业成为光环的可能小,成为网的可能大,科学改变传统颠覆事物正常节奏,感觉是光环,事实上是网。 第六、制毒造害 极聪明者极愚蠢,自诩绝顶智慧的科学果然做出了最愚蠢的事。 拔高常识毫无道理,颠覆常识愚蠢之至。把原本的常识列成表格安上标准打上科学印记,这是科学的惯常做法,科学为每一件事都制定有“标准”,比如食品的“卫生、营养、X元素含量”,为了达到“标准”,科学研发了成千上万种添加剂,目的只是让食品“更卫生更营养更好看”。 谁让食品有毒?谁又是罪恶的原创?苏丹红三聚氰胺塑化剂功能饮料催生促熟技术……不是罪犯发明的,为什么始作俑者能坐在判官的位子上、替罪的总是二道贩子?凭什么搞那些违反天然的“科学标准”?又为什么要从事迎合这些标准却危害健康的产品研发? 科学是不讲道德的学问,它灭害不问解药,它高效不问伤害,虽贵为人文界老大做派却充满了邪恶,科学最热爱杀戮,农药、核弹、激光、生化、精确制导……毒剂与杀人武器都是利用科学原理生产的;癌症、白血病、尿毒症、渐冻症、抑郁症……疑难杂症都是借助科学产品缠上人类的。 环境已经岌岌可危,科学还在变本加厉,而仅仅是温度升高就足以致人类于死地,今天的热与30年前大不相同,这是科学的冷链产业造成的后果,虽然科学开始时就知道冷链产业的危害,但仅仅为了舒适,就任由冷链产业无孔不入,而类似的只顾自己享受不管不顾别人且知错不改乃科学之家常便饭。 第七、武断智慧 奴役合乎人性,掠夺丧天害理。 做人不能没有道德底线,这是处世的起码要求;做学问不能不讲道德,这是智慧的底线。 科学理念在人类文明起始很久很久以后才诞生的,也就是说,科学只是人文的一个分支,对过去的文明和有别自身逻辑的学术,它没有资格仲裁。但科学的做法相反,它不但像独裁者一样安排是非,还将“正确的”据为己有、“错误的”一脚踢开,这种做法的卑劣程度远远超出了强盗。近百年来,一直有人鼓吹“取缔中医”,理由是“不合科学”,为什么每件事情一定要符合科学?为什么“不合科学”就不准存在?中医在前科学在后,这样做事用大众伦理审视就是“臭不要脸”,即便是改朝换代,也不能忘了祖宗嘛!现实生活中,许多正常事情被科学大棒击打过,比如“生病不吃药”“舌头舔到了胳膊肘”,也有许多事情因为科学的一臂之力荒诞变成了精彩,比如“蓝莓紫薯祛病延年”“喝牛奶的西瓜美容养颜”。 “无知者无畏”,无知者狂妄,科学在无畏时经常就像无知者。科学有一套很正经的理论,却有一套相反的实践,它满口“唯物”却事事“唯心”,它知道不能与自然对着干却一直在努力改造自然,它强烈质疑“返老还童”案例却致力“改变生命流程的伟大事业”,它用本分的理论谕人却用放浪的实践律己,它告诫人们尊重本原,自己却在无法无天。 智慧之所以高出平常,在于教人根除劣根,人文历史上的每一种学说都教人“根戒”,唯独科学教人“享乐”;霸道都带有邪恶性质,人类推崇科学独大,于自身于科学都是危险的。 认为自己一切正确、逆己者皆为谬误,经常性地被骗子当作卖狗皮膏药的“证明”,这样的学问想不说它邪恶很难。 ………… 第N、人类的凶手 对身体伤害最大的是享乐,对精神伤害最大的是无所事事。 科学被人类当作通向未来的稻草,像套用万能公式一样,“科学度”“科学逻辑”俨然一切领域的正误量尺和绝对标准。让每一件事情有“解释”有无必要?把实验室项目广泛普及有无风险?互联网被科学认为是一场革命,但也可能是一场前所未有的灾难。今天,年轻人普遍沉迷电子产品,每一个对电脑有依赖的人记忆力反应力都在退化而身体都疾病丛生,严重的是,预计电脑普及的下一代——一、二十年后,大脑“废退”及书写演算等技能荒废情况将有所显现,几代之后——八、九十年,一代不如一代将愈演愈烈。 工具钝化技巧,闲适损害肌体。“有事做”是人类生存的必要条件和生命活动的主要内容,科学却一直在加速消灭人类做事的机会,它以人性的懒惰和自私为起点,把做事与幸福对立起来,将越来越多的人从“劳作”送入“闲境”,每一次“飞跃”都会丢弃无数关系生存的技能和职业。现在,很多人确实轻松了,工人商人赖以生存的职业被连根拔除了,而借助于化工制剂,农民体验到了种田的浪荡,“无所事事”算什么幸福?科学究竟想达到什么目的?它又能达到什么目的? 以为的状态不存在,指望的事儿不靠谱;伤你最深的是你的最爱,让你失望的是你的信赖。人类的每一项事业在0处都以为千秋万代,但总是在距O不远处结束,人类渴望的荣光,本质上只是云烟。核武器毁灭的只能是人类本身,所有的核武器同时爆炸也影响不了地球(更谈不上毁灭若干次),人类之外的多数生命也可能不受影响。人只是地球的过客,不应该梦想做宇宙的主人,人类征服不了什么,前途比享乐重要,活得久比活得好重要,科学致力的事业与其说是“幸福”,毋如说是在养痈遗患。 听着神奇的天文理论,会以为科学是开启神秘的钥匙;数落着巨大的医学成就,会发现科学是人类世界的撒旦。伟人的成功之路无不伴随着同胞的灾难,人类如果灭绝,科学将是最大元凶,而功勋卓著的科学家,则是最大罪人! 与自然作对,放纵人性违背天性,不知有多少正常的事情被所谓的科学破坏:科学种田把地种薄了,科学饮食把身体吃垮了,科学标准把人逼疯了,科学治病把药医搞乱了……科学早就该坐到审判席上了!(完)
https://w.atwiki.jp/seishinshihou/pages/32.html
アクセス - 今日 - 昨日 - 科学技術でおそろしいのは、衛星だ。 上から私生活が筒抜けになっていないか。 政府や自衛隊、警察の保有技術を用いて、常に監視されているかもしれない。 グーグルストリートビューでは360度監視が可能となっており、一企業ですら出来るレベルである。 日常生活の機器においてはどうか。 蛍光灯がチカチカとしているのを見かけたことは無いだろうか。 また、ジリジリいっているのを聞いたことは無いだろうか。 これも幻聴幻覚の症状を引き起こすもとだと言いうる。 ボカロイドや初音ミクが流行だ。 その音声認識ソフトも幻聴幻覚を生じさせるような悪用が出来ないだろうか。 知り合いの声をマネて電話をかけ、交流関係を害することが考えられる 精神興奮物質の粉末や錠剤、液体を飲食物や空気中に混入したとしたらどうだろう。 強力なレーザーを頭部に照射したらどうか。 wi-fiや無線Lan等の通信技術はどうだろう。 電磁波や音波、電波、電気を応用すればどうか。 ホログラミングやバイオメトリクス(生態認証)はどうか。 そのどれをとってみても幻聴幻覚を生じさせることが出来そうな気がする。 問題はどこがそれを可能として実行しているかだ。それは合法的かだ。 政府機関や経団連、民間を調査する必要がある。 http //www.geocities.jp/tappingtech/ http //www.geocities.jp/daster44/
https://w.atwiki.jp/waseda22/pages/20.html
あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行 社会科学部・・・ 本学部の先駆性のひとつは学問の学際化・総合化を目指してきたことです。今でこそ一般的になりましたが、学際性を学部理念の一つに掲げたころには、それはまだ説明を要することばでした。いうまでもなく、法学、経済学、政治学などの学問分野を横断し、複数の視点から複合的・多面的にものごとを理解する姿勢を意味しますが、本学部では社会科学の諸分野だけでなく、人文科学、自然科学も含めたより広い見地から、総合化を追求してきました。それは、この三領域が隣接、連続あるいは重複しているがゆえに、人間の営為を考察するために、学問の境界は意味をもたないからです。 一個人が複数の学問分野のスペシャリストになることはまず不可能です。ではどのように学際化・総合化を追求できるのでしょうか?二つの次元が考えられます。各領域の専門家に比べれば、浅い知識になるかもしれませんが、それぞれの学問分野の本質的な部分を理解することはできます。そのうえで、各自のテーマにとって特に重要であると思われる分野について専門性を高めれば、個人のレベルで、広い視野をもちながら、なおかつ深く物事を掘り下げて考察することが可能になります。また、専門を異にする複数の人たちが特定のテーマについて共同で取り組むことによって、グループのレベルでも、学際的な研究を進めることができます。 このように、学生一人ひとりの勉学と共同研究(例えばゼミナールなど)という二つの次元での教育と学びを通して、学際的な視座をもった人物を育て、社会に送り出すことが本学部の使命であると考えます。なぜこのような人材育成が必要なのでしょうか? それは現代社会が直面する諸問題がきわめて複合的であり、その根源的要因をつきとめ、解決へと導くためには、多角的視点が不可欠だからです。
https://w.atwiki.jp/utdepp2011/pages/18.html
固体地球科学 3年夏学期、水曜日2限の固体地球科学のページです。 開講所属は地球惑星環境学科ということですがシケ対もいるので一応。 何かあれば以下にお願いします。 期末試験情報(ソースはこちら) 7月20日(水)2限 ノート(プリント)持ちこみ可。
https://w.atwiki.jp/www-iris/pages/1567.html
【名前】 科学省スクエア 【読み方】 かがくしょうすくえあ 【分類】 スクエア 【登場作品】 『3』 【概要】 科学省エリアに属するスクエア。 マップは5つの広場が十字型に並んでいる形をしている。 バトル掲示板が設置されており、ナビカス発売後は書き込みが目立ち、開発責任者の光祐一朗自ら書き込みにくるほど。 科学省エリア2から通じている他、科学省のウイルス研究室から直接プラグインも可能。 近い位置に電脳メトロの駅もあり、各所へのアクセスは悪くない。 後にやいとのHPとのショートカットも設置されるが、やいとの開設メールを読まないと出現しないので注意。 もちろんネット商人もおり、通常版では「キャノン C」や「フミコミザン P」などを売っている。 BLACK版では、同じ場所で強力なカワリミを売っている。 作中では、ストーリー冒頭でここにプラグインし、戦闘チュートリアルに臨むことになる。 また、N1グランプリの2次予選も行われた。 その他では、3次予選では開催場所に向かうための切符を持つナビがここに現れていた。 ちなみに、科学省にシニヨンのナビのポスターが貼られているが、実際にはビーチスクエアにいる。
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/25770.html
登録日:2011/02/20(日) 16 03 28 更新日:2022/01/17 Mon 13 36 44 所要時間:約 3 分で読めます ▽タグ一覧 4コマ X saxyun シュール ハカセ 漫画 科学はあまり関係ない 空想科学X 電撃マ王 科学は実在する! いや、しないかも。 空想科学Xとは電撃マ王で連載中の4コマ漫画。作者はsaxyun。 全5巻。 コンセプトは「脱力系不思議4コマ」で博士と助手のシュールなやり取りが繰り広げられる。 登場人物 ハカセ ハゲ。 ボケ担当。大抵酷い目にあう。だけど何もないとそれはそれでそわそわしてしまう職業病持ち。 なんだかんだで科学力はそれなりにあるがロクなものを作らない。 「ワシ うなぎしまう」 コトちゃん ハカセの助手で暴力…じゃなかったツッコミ担当。 段々ハカセの扱いが雑になっていく。 初期は微妙に髪型が違う。 どうやら20代。キスは家庭用ギャルゲ未満らしいので多分したことない。 「スキ間がなければテコは入りません」 ミヨちゃん 近所の女の子。 祖父はハカセの学生時代からのライバル。 「コトちゃんは試験管生まれだから違うよ」 春ちゃん ジト目の幼女。 10年程前にも同じ見た目の人物がいるが同一人物かは不明。 「最後もみなさんそうおっしゃるんですよ」 ジョン アメリカ生まれアニソン育ちの通販大好きコレクター ハンバーガーを食べながらジャパニメーションを見るのが日課。話に直接関係ない。 「ノォーゥ」 すこしふしぎまんがコトちゃん コトちゃんの学生時代を描いた番外編。 登場人物 コトちゃん 本編から約10年程前のコトちゃん。 今とは大きくキャラが違い完全なボケ役。 画面の端から端にワープ出来る。 「…あちらが部長さん?」 アイちゃん コトちゃんの友人のクラス委員。この漫画では貴重な完全なるツッコミ役。 陸上部。 「ゲーム性ゼロだなおい」 ハインちゃん 同じくコトちゃんの友人。 恐らくハーフと思われる。 語尾がカタカナになる。 水泳部所属。部長度(乳の大きさ)が高い。 「保健室でオペしまショ~」 ハカセが開発したもの 犬消しゴム 犬臭い 犬棒 犬臭い 時空なんたら装置 移動式コタツ 現実が見れるマシン 食べられないカビを食べられるカビにする新種のカビ 香りつきゲーム機 味つきゲーム機 パーフェクトマスク 湯気すっきり消しマシーン 通訳こんにゃく芋 スポーツ万能キャップ イラナイモノチェッカー ネギスルリ 風邪の特効薬 おかゆ エックスロボ 卵をうまく割れないロボット対決用に作られた 完全防水水槽式クーラー 伸びる温度計 うどん冷まし機 時間テレビ タイムマシン 次世代土鍋 反重力マシーン 自動雪ダルマ製造マシーン 理想的なフォルムの計算に87時間かかる ムシムシデストローイ オモシロ顔エネルギー変換カメラ ワシカルタ 正月エディション お手伝いロボ パーフェクト除湿マシーン 心の潤いも完全に吸収する マツキチロボ _ _ εΘ-Θ-ξ3 ┌C┐つ レww 追記・修正お願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- コメント欄 この作者さんの4コマ好き。 -- 名無しさん (2014-05-16 13 38 07) 松吉出てくるのかよ -- 名無しさん (2014-12-03 19 20 27) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/galileodiscorsi/pages/16.html
のべアクセス数 - 人 等速運動に関するややたいくつな論考。あまり議論になるところもないかな? -- yokkun (2008-05-24 14 10 32) yokkunさん、いつもありがとうございます。図の貼り付けをやってみました。うまくいったので、残りもやってみます。 -- Leon (2008-05-24 21 27 52) あ,忘れてました。よろしくお願いします。 -- yokkun (2008-05-24 22 33 01) 読み始めました。ところが、なかなか進みません。「新科学論議」と「新科學對話」を比べながら読むことにします。 -- 上浜 (2008-08-27 08 44 42) 夏休みガリレオが気にはなっていたのですが、ついつい読みやすい田中一郎さんや青木靖三さんの「ガリレオ」を手に取ってしまいました。これから少しずつがんばります。 -- Leon (2008-08-31 00 25 06) p152にこの部分(均等運動)の公理・定理を数式で示したものがあります。それぞれ一行で簡潔明快です。 -- Leon (2008-08-31 00 28 57) 名前 コメント 論考リード[25] 定義と公理[26] 定理1[27] 定理2[28] 定理3[29] 定理4[30] 定理5[31] 定理6[32] 論考リード[25] 第三日 位置運動〔motus-localis〕について 極めて古い問題に関する全く新しい科学〔novissima scientia〕を我々は築き上げよう。自然においては、運動よりも重要なものは恐らく存在せず、また周知のように、哲学者たちはそれに関して多くの大著を著してきたのである。だが、運動に属する性質の中でも知るに値する多くのことが、これまで観察も証明もされてこなかったことを私は見出した。幾つかのありふれたこと、たとえば落下する重い物体の自然運動が連続的に加速されるというようなことは指摘されている。しかし、その加速がどのような比に従って生じるかはこれまで明らかにされてこなかった。実際、静止から出発した可動体によって等しい時間のうちに通過された距離が相互に持つ比は、単位から始まる奇数〔1、3、5、7、・・・・・・〕が持つ比と同一であるということは、私の知る限りでは誰も証明していないのである。飛行体あるいは投射体がある種の曲線を描くことは観察されているが、その曲線がパラボラ〔parabola〕(1)であることは誰も明らかにしていない。実際そうであることや、大いに知るに値する他の多くのことを私は証明しよう。またいっそう重要であると考えていることに、極めて広大で優れた科学への入り口と通路を開くということがある。我々のこの研究はその科学の基礎となり、私よりも鋭敏な才能を持つ人々がさらに奥深く隠されたところへと進んでいくだろう。 この論考を次の三つの部分に分けることにする。第一部では、均等運動すなわち一様運動〔motus aequalis seu uniformis〕に関することを考察しよう。第二部では自然加速運動〔motus naturaliter acceleratus〕について、第三部では強制運動〔motus violentus〕すなわち投射体について述べよう。 【訳注】 (1)「パラボラ」の定訳は「放物線」であるが、本訳では以下、「パラボラ」あるいは「パラボラ曲線(linea parabolica)」と原語のまま用いることにする。というのは、本来「パラボラ曲線」は「放物線」とは全く起源の異なるものであり、本書の「第四日」の主題は、投射体の描く曲線すなわち「放物線」が「パラボラ曲線」であることを証明することだったからである。 かっこいいリード文ですね。ガリレオの自信が感じられます。「極めて広大で優れた科学への入り口と通路を開く」の表現がいきいきとしています。そして科学史は,まさにそうなったことを示しています。(yokkun 5/24) 物理はまさにここから始まったのですね。高校物理の教科書はたいてい運動から始まるのですが、大げさにいえば「ガリレオへの敬意」かも知れません。私もやはり運動から、ガリレオの斜面の実験から物理の授業をはじめています。(Leon 1/4) 定義と公理[26] 均等運動について 均等運動すなわち一様運動に関して我々が必要とするのは唯一つの定義〔definitio〕であり、それは次の通りである。 「新科學對話」では、「均等運動」は「等速直線運動」と訳されています。(上浜8/27) p98には、ニコール・オレーム(1330-1382)がv-tグラフを描き、(速さが)「一様」(uniformis)な運動、(等加速度運動を)「一様に不整」などと表現したとありますから、motus aequalis seu uniformis(均等運動)という表現はガリレオの時代には既にあったのでしょう。(Leon8/31) 定 義 均等運動すなわち一様運動とは、任意の等しい時間のうちに可動体が通過する部分〔距離〕が互いに等しいものであると理解する。 注 意〔admonitio〕 これまでの定義(それは単に、等しい時間のうちに等しい距離を通過する場合に均等運動と呼んでいる)に、「任意の」という言葉を付け加えること、すなわちすべての等しい時間のうちに、とするのが適当なように思われる。なぜなら、ある等しい時間のうちに等しい距離を可動体が通過するとしても、その時間の小部分を取ってみると、それらが等しいにもかかわらず通過した距離は等しくないことが起こり得るからである。前述の定義から次の四つの公理〔axioma〕が導かれる。 公 理 一 同一の均等運動において、より長い時間のうちに通過する距離は、より短い時間のうちに通過する距離より大きい。 公 理 二 同一の均等運動において、より大きな距離を通過する時間は、より小さな距離を通過する時間より大きい。 公 理 三 同一の時間において、より大きな速さで通過する距離は、より小さな速さで通過する距離より大きい。 公 理 四 同一の時間において、より大きな距離を通過する速さは、より小さな距離を通過する速さより大きい。 定理1[27] 定 理〔theorema〕一 命 題〔propositio〕一 もし均等運動をしている可動体が同一の速さで二つの距離を通過するならば、運動時間相互の比は通過距離相互の比に等しいだろう。 何となれば(1)。均等運動をする可動体が同一の速さで二つの距離AB、BCを通過するとし、そしてAB上の運動時間をDE、BC上の運動時間をEFとせよ。距離ABが距離BCに対するように時間DEは時間EFに対すると主張する。 後ろの【訳注】(1)によれば、ここで改行したほうが読みやすいと思い、改行しました。(上浜8/28) この命題の内容は、つまり「AB BC = DE EF」ということですね。均等運動(等速直線運動)であれば、当然成り立つようにも思えるのですが。ガリレオの時代は当然ではなかったのか?そうではなく、当然と思えることも証明すべきなのか?(上浜8/28) 伊東俊太郎さんはp152で『位置の変化として運動一般を数学的に取り扱うことを目標としており、等加速度運動の前に、いっそう根底的な等速度運動の数学的特性を規定してるのである。』としています。この辺を読むと、「考え方としては当時既にあったがそれをガリレオはユークリッド『原論』に倣って数学的に表現した」と述べているように思います。(Leon8/31) 距離と時間を両側に〔それぞれ〕G、HおよびⅠ、Kまで延長し、AG上に距離ABに等しい距離を任意の数だけとり、そしてDI上に同様にして時間DEに等しい時間を同じ数だけとるとせよ。そしてさらにCH上に距離CBに等しい距離を任意の数だけとり、またFK上に時間EFに等しい時間を同じ数だけとるとせよ。すると距離BGと時間EIは〔それぞれ〕距離BAと時間EDの任意の同数倍となるだろう。また同様に距離HBと時間KEは〔それぞれ〕距離CBと時間FEの任意の同数倍となるだろう(2)。そしてDEはAB上の運動時間であるから、EI全体はBG全体の運動時間であるはずである。というのは、運動は均等であると仮定されており、またBAに等しい距離がBG上にあるのと同じ数だけ、時間DEに等しい時間がEI上にあるからである。また同様にしてKEがHB上の運動時間であることが結論されるだろう。ところで運動は均等であると仮定されているので、もし距離GBが距離BHに等しいならば、時間IEもまた時間EKに等しくなる。また、もしGBがBHより大きいならばIEはEKより大きくなるし、もし小さいならば小さくなる。したがって四つの量〔magnitudo〕、すなわち第一の量AB、第二の量BC、第三の量DE、第四の量EFがあり、第一の量と第三の量すなわち距離ABと時間DEの任意の同数倍として、距離GBと時間IE(3)がとられている。そして両者は、第二の量と第四の量の同数倍である距離BHと時間EK(4)に対して〔それぞれ〕共に等しいか、共に小さいか、共に大きいかであることが証明されている。よって、第一の量が第二の量に対してすなわち距離ABが距離BCに対して持つ比は、第三の量が第四の量に対してすなわち時間DEが時間EFに対して持つ比と同一である。これが証明すべきことであった。 【訳注】 (1)「何となれば(enim)」とは、具体的な証明の始まりを示す言葉である。また命題の具体的な内容は、「……と主張する(dico)」という言葉によって示されている。 (2) ガリレオは四量の比例を証明するため、エウクレイデスの『原論』の一般量の比例の定義(第五巻・定義五)に従っている。それによれば、四量があり、第一と第三の量の任意の同数倍が、第二と第四の量の任意の同数倍に対してそれぞれ共に小さいか、等しいか、大きいかであるとき、第一と第二の量の比は第三と第四の量の比に等しい。すなわち四量をQ1、Q2、Q3、Q4、任意の数をm、nとすると、mQ1>=<nQ2←→mQ3>=<nQ4のとき、Q1:Q2=Q3:Q4なのである。ガリレオは、AB:BC=DF:EFを証明するためにGB>=<BH←→IE>=<EKすなわち(m+1)AB>=<(n+1)BC←→(m+1)DE>=<(n+1)EFを導いている。 (3) 原文では「時間IEと距離GB」となっているが、文脈から判断して入れ換えた。 (4) 原文は「時間EKと距離BH」。注(3)と同様。 定理2[28] 定 理二 命 題二 もし可動体が等しい時間のうちに二つの距離を通過するならば、距離相互の比は速さ相互の比に等しいだろう。またもし距離相互の比が適さ相互の比に等しいならば、時間は相等しいだろう。 何となれば。先の図において二つの距離AB、BCをとり、そして等しい時間のうちに距離ABは速さDEによって、また距離BCは速さEFによって通過されるとせよ。速さDEが速さEFに対するように距離ABは距離BCに対すると主張する。なぜなら、先ほどのように両側に〔距離と速さを延長し、〕距離と速さの任意の同数倍、すなわちABとDEの任意の個数倍GBとIEをとり、また同じくBCとEFの任意の同数倍HBとKEをとるならば、先ほどと同様にして倍量GB、IEは同数倍BH、EKに対して〔それぞれ〕共に小さいか、共に等しいか、共に大きいかであることが証明されるだろう。よって命題は明らかである。 定理3[29] 定 理三 命 題三 異なる速さで同一の距離を通過するときの運動時間は速さに逆対応する〔e contraio respondo〕〔すなわち時間相互の比は速さ相互の逆比となる。〕 異なる速さの大きい方をA、小さい方をBとし、各々の速さで同一の距離CD上の運動がなされるとせよ。速さAが距離CDを通過する時間対速さBが同一の距離を通過する時間は、速さB対速さAに等しいと主張する。何となれば。AがBに対するようにCDがCEに対するとせよ。すると先ほどのことから、速さAがCDを通過する時間は、速さBがCEを通過する時間と同一だろう。ところで速さBがCEを通過する時間対同一の速さBがCDを通過する時間は、CE対CDに等しい。よって速さAがCDを通過する時間対速さBが同じCDを通過する時間は、CE対CDに、すなわち速さB対速さAに等しい。これが意図したことであった。 定理4[30] 定 理四 命 題四 もし二つの可動体が異なる速さで均等運動をするならば、両者によって異なる時間のうちに通過される距離が相互に持つ比は、速さ相互の比と時間相互の比とから合成された比〔ratio composita〕(l)となるだろう。 二つの可動体E、Fが均等運動をし、可動体Eの速さの可動体Fの速さに対する比は、A対Bに等しいとせよ。一方Eの運動時間とFの運動時間との比は、C対Dに等しいとせよ。 Eが速さAで時間Cのうちに通過する距離が、 Fが速さBで時間Dのうちに通過する距離に対して持つ比は、速さAの速さBに対する比と時間Cの時間Dに対する比とから合成された比と同一であると主張する。Eが速さAで時間Cのうちに通過する距離をGとし、そして速さAが速さBに対するようにGがⅠに対するものとせよ。さらに時間Cが時間Dに対するようにⅠがLに対するとせよ。距離G、Ⅰの比は速さA、Bの比に等しいのであるから、Ⅰは、EがGを通過するのと同じ時間のうちにFが通過する距離となる。そして時間Cが時間Dに対するようにⅠはLに対しており、さらにⅠは、可動体Fが時間Cのうちに通過する距離であるので、Lは、Fが時間Dのうちに速さBで通過する距離となるだろう。ところでGのLに対する比は、GのⅠに対する比とⅠのLに対する比とから、すなわち速さAの速さBに対する比と時間Cの時間Dに対する比とから合成される。よって命題は明らかである。 【訳注】 (1)「比の合成」とは、二つの比があるとき、前項同士の積と後項同士の積との比を作ることである。すなわち二つの比、A BとC Dがあるとき、「合成された比」は(A・C) (B・D)となる。 定理5[31] 定 理五 命 題五 もし二つの可動体が均等運動をし、速さも通過距離も異なるならば、時間相互の比は、距離相互の比と速さ相互の逆比とから合成されるだろう。 二つの可動体A、Bがあり、可動体Aの速さ対可動体Bの速さはV対Tに等しいとせよ。さらに通過距離相互の比はS対Rに等しいとせよ。Aの運動時間とBの運動時間との比は、速さTの速さVに対する比と距離Sの距離Rに対する比とから合成されると主張する。可動体Aの運動時間をCとし、速さTが速さVに対するように時間Cが時間Eに対するものとせよ。するとCは、Aが速さVで距離Sを通過する時間であり、また可動体Bの速さTが適さVに対するように時間Cは時間Eに対するのであるから、時間Eは、可動体Bが同一の距離Sを通過する時間となるだろう。距離Sが距離Rに対するように時間Eが時間Gに対するとすれば、Gは、Bが距離Rを通過する時間となる。そしてCのGに対する比は、CのEに対する比とEのGに対する比とから合成されるが、CのEに対する比は可動体A、Bの速さの逆比に、すなわちTのVに対する比に等しく、他方EのGに対する比は距離S、Rの比と同一である。よって命題は明らかである。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (file0003.jpg) 定理6[32] 定 理六 命 題六 もし二つの可動体が均等運動をするならば、両者の速さ相互の比は、通過距離相互の比と時間相互の逆比とから合成されるだろう。 二つの可動体A、Bが均等運動をするとせよ。また両者の通過距離相互の比はV対Tであり、一方、時間相互の比はS対Rに等しいとせよ。可動体Aの速さが可動体Bの速さに対して持つ比は、距離Vが距離Tに対して持つ比と時間Rが時間Sに対して持つ比とから合成されると主張する。速さCを、可動体Aが距離Vを時間Sのうちに通過する速さとし、距離Vが距離Tに対して持つのと同じ比を、速さCは他の速さEに対して持つとせよ。だが、もし時間Rが時間Sに対するように速さEが他の速さGに対するとするならば、速さGは、可動体Bが距離Tを時間Rのうちに通過する速さになるだろう。それ故、速さCは、可動体Aが距離Vを時間Sのうちに通過する速さであり、また速さGは、可動体Bが距離Tを時間Rのうちに通過する速さだろう。そしてCのGに対する比は、CのEに対する比とEのGに対する比とから合成される。一方、CのEに対する比は距離Vの距離Tに対する比と同一であると仮定されており、またEのGに対する比はRのSに対する比と同一である。よって命題は明らかである。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (file0004.jpg) サルヴィアーティ ここまで見てきたことで、我々の著者が均等運動に関して著したすべてです。それでは次に、自然加速運動に関する非常に詳細で新しい考察へと進みましょう。一般にこの運動は、落下する重い物体によってなされるものです。その標題と序文は次の通りです。 - ページの先頭に戻る
https://w.atwiki.jp/rozensusi/pages/61.html
1.不確定性原理に欠陥…量子物理学の原理崩す成果 2012年1月16日08時12分 読売 (引用) 電子など小さな粒子の位置や速度を同時に正しく測定することは不可能とする「ハイゼンベルクの不確定性原理」が、常には成り立たない とする実験結果を、ウィーン工科大と名古屋大の研究チームがまとめた。80年以上前に提唱された量子物理学の基本原理を崩す成果で、 ナノ科学での新たな測定技術開発の手がかりになるという。15日付の科学誌ネイチャー・フィジックス電子版に掲載される。 物が見えるのは、物に当たった光が反射して、私たちの目に届くからだ。時間をおいて2度見れば、物の動き(速度)がわかる。ただ、 光は波長が短いほどエネルギーが大きいので、小さな粒子を見る場合に問題が生じる。短い波長の光を使うほど、粒子の位置は詳しく測れる が、反射した時に粒子をはね飛ばすので、元の速度は測れなくなる。 このため、位置と速度は、一方を正確に測ろうとすると、もう片方の誤差が増える。これが不確定性原理で、ドイツの物理学者ハイゼンベ ルクが1927年に提唱。32年にノーベル物理学賞を受賞している。 同工科大の長谷川祐司准教授らは、原子核を構成する中性子について、「スピン」という量を測定した。2種類のスピンを測ると、位置と 速度の測定に相当する。その結果、二つのスピンを極めて正確に測定でき、不確定性原理を表す数式で示される誤差を下回った。 同原理の不成立を別の数式を使って主張してきた共同研究者の小澤正直・名古屋大教授は「小さい粒子でも、位置も速度も正確に測れるこ とが実験でも実証できた。新しい測定技術や解読不可能な量子暗号の開発などへの道が開けるのではないか」と話している。 参考サイト コメント: 不確定性原理(関係)というのは、 QP≧h/4π(Qは位置の誤差、Pは運動量(速さ)の誤差、hはプランク定数) であらわされ、 右辺が0でないので一方が誤差0になると他方が誤差無限大になる。 可換でない物理量の間に同様の関係がある。(その記事にあるスピンの座標成分の間とか) そしてある量を測ったときに誤差が出るとは、ある状態においてその量がある値を持つ確率が分かってるということで、 誤差を求めるには1回1回、測る前の状態を同じにしておく必要があり、測るとその量が一定の状態(固有状態)に変化する。 講義中にある先生が「観測するとその固有状態に変化すると思ってる人がいますが」と注意してたけど。 今回の実験から不確定性原理のところのプランク定数がもっと小さいと考えると、系のとびとびのエネルギーの値とか変わってきて大変になるので、 測定の誤差と量子系の原理的誤差を分けて考える小澤の不等式があるんだね。 あと、量子系の確率については確率が時間変化しないと量も時間変化しないので、量が時間変化するには外界による摂動が必要。
https://w.atwiki.jp/mikuraio/pages/287.html
科学特捜隊 科学特捜隊員 プロモーションカード P-004 [[ガンQ]]ショット 奇獣の素材により開発されたビーム兵器。エネルギーを収束して強力な光弾を放つ 以下、大怪獣バトルRR以前のカード NEO第3弾 N163 無重力弾 怪獣を空中に浮かび上がらせ、粉々に粉砕する強力爆弾。 NEO第6弾 N331 マルス133(光) スペシウム光線と同等の威力を持つ光線銃で相手を狙い撃つ。 備考 誰がこんなカードの登場を予想しただろうか?!(笑) 科学特捜隊とは、パリに本部を持つ国際警察機構の部署のひとつで、 日本やパリ以外にもインド、南米のボリビアなどに支部を持つ。 ウルトラマンが活躍した日本では、ムラマツ隊長、ハヤタ、アラシ、イデ、フジの5名が在籍。 他、科学分野のサポートとして岩本博士や福山博士、隊員見習いのホシノ君などもいる。 NEO第3弾の無重力弾は上記の岩本博士が完成させた試作品。 命中した相手を宙に浮かせて爆発させることからこう呼ばれるのだろう。 (ファンの間では、形状から「ペンシル爆弾」と呼ばれることが多い) ウルトラマンを死へ追いやった宇宙恐竜ゼットンを一撃のもとに粉砕した。 それにしても、劇中でゼットンを簡単に粉砕してしまうシーンは腑に落ちない感が否めないが、これに関しては、 「ゼットンは万全に科特隊とウルトラマンへの対策はしていたが、昨日完成したばかりの新兵器には対応できなかった」とする説がある。 最大威力はなんとNEO第3弾現時点唯一最高レベルの3700。ペダン星人に改造されたスペースペンドラゴン、そしてガンフェニックストライカーより200も上回っている。 尚、”怪獣を粉々に粉砕する”という表現から封印技になるのでは?という噂があったが、 そんなことは無くダメージを与えるのみである。 無重力弾命中時の敵怪獣を宙に浮かせる演出はもちろん再現。 また命中後は科学特捜隊員の歓喜する姿が見られるので必見。 NEO第6弾でも再登場が確定した。ただし、武器はマルス133だ。 理論上はスペシウム光線と同等の威力とされる、分解可能な光線銃で、ビートルのコックピットに取り付けて使用する事も可能。 2代目バルタンの等身大軍団を数人倒した他、ゴモラの尻尾を焼き切ったことでも有名な武器だ。 また、原作の設定からか光属性を持っているため、光属性に弱い怪獣には効果抜群である。 原作同様バルタン星人に使ってやるのも面白いが、ガタノゾーアに使ってみるのも面白いかもしれない。 小さな人間の小さな兵器で巨大な邪神が倒されると言う、面白い構図が完成する。 なお、このマルス133の射撃手の科特隊隊員は、退場時に飛び跳ねながら喜んで去っていく姿から、原作同様イデ隊員と思われる。 RRのプロモーションカードでも再登場。今度の武器は何と、ゲームソフト「怪獣バスターズ」に登場したオリジナル武器・ガンQショットだ。